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1956-02-25 第24回国会 衆議院 内閣委員会文教委員会連合審査会 第2号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十一年二月二十五日(土曜日)    午前十時二十四分開議  出席委員  内閣委員会    委員長代理 理事 保科善四郎君    理事 大平 正芳君 理事 宮澤 胤勇君    理事 受田 新吉君       大坪 保雄君    大村 清一君       小金 義照君    薄田 美朝君       田村  元君    辻  政信君       床次 徳二君    福井 順一君       眞崎 勝次君    粟山  博君       石橋 政嗣君    森 三樹二君  文教委員会    理事 加藤 精三君 理事 高村 坂彦君    理事 米田 吉盛君 理事 山崎 始男君       杉浦 武雄君    田中 久雄君       並木 芳雄君    山口 好一君       河野  正君    小牧 次生君       高津 正道君    野原  覺君       平田 ヒデ君    山本 幸一君       小林 信一君  出席国務大臣         文 部 大 臣 清瀬 一郎君  出席政府委員         文部事務官         (調査局長)  福田  繁君  委員外出席者         文教委員会専門         員       石井つとむ君     ―――――――――――――  本日の会議に付した案件  臨時教育制度審議会設置法案内閣提出第一〇  号)     ―――――――――――――
  2. 保科善四郎

    保科委員長代理 これより内閣委員会文教委員会連合審査会を開会いたします。  法案の付託を受けました内閣委員会委員長が不在でありますので、内閣委員会理事であります私が委員長の職務を執行いたします。  この際御報告を申し上げます。前回の連合審査会におきまして河野君より申し出がありました参考人招致の件は、内閣委員会理事会において協議をいたしました結果・文教委員会で適当に処理せられたいということになりました。本連合審査会においては参考人を招致しない、ということになりましたので、これを御報告申し上げます。  臨時教育制度審議会設置法案を議題とし、質疑を続行いたします。質疑の通告がありますので、順次これを許します。高津正道君。
  3. 高津正道

    高津委員 文部大臣に質問いたしますが、文部大臣の御見解によれば、その他の教育委員会さえ許すならば、たとい祝日に関する法律では認めないことになっているところの往年の紀元節を、義務教育学校でとり行なっても差しつかえないということでございますか、そのような政府見解文相が国会で発表されれば、全国では次から次へ高知県の一小学校の例にならうもの炉出るかもしれないが、大臣はとれをすべて承認されるのか、そうだとすると、法律はあれどもなきがごとく、法治主義順法精神尊重という建前をくずすことにならないか、私はこのように考えるのでありますが、文部大臣のお考えを承わりたいと思います。
  4. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 祝日及び祭日法律できまっております。法律できまっておる以外のものを祝日祭日にすることはできません。しかしながら祝日祭日以外の日でも、日本人は自由に自分のめでたいと思う日を祝う権利もあるのであり、祝わない権利もあるのであります。そこで祝日祭日に当らない日に一定の個人または個人の集まりが祝う行事をするということは差しつかえないのでご.ざいます。しかうして公立学校教育委員会私立学校惣らば経営の責任者である設置者またはその代理人が御承諾になって、しかもその日の教育課程には差しつかえがないというのであったならば、それらの人がいいと思うことを禁ずることは政府の権能になかろうと思います。やってよろしいのであります。
  5. 高津正道

    高津委員 祝いたい日を祝って行事をすることは国民権利である。個々の国民はそういうことをやる権利があるだろう。しかしながら義務教育学校校長が、そこの教育委員会の許可があったからといっても、祝日に関する法律という定めがあるのに、紀元節というものを削ったといういわくつきのものであるのに、それをあえてやるという行為は、それが国民権利だといってもそれとは違うと思いますが、重ねて文部大臣の御所見を承わりたいと思います。
  6. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 この前あなたが御出席文教委員会のときにも申し上げましたが、やはり常識限界という言葉を先刻のお答えにつけ加えておきます。その常識限界というのも、いかにもとっぴ千万な、レーニンが生まれた日を祝うというのであったら、これはいけませんけれども、わが日本人の今日の常識限界として、日本国が生れた肇国の日を祝うということは、実質的な意味からしてもこれは禁じるわけのものではなかろうと思います。
  7. 高津正道

    高津委員 高知県の校長の今回やったことは愛国心の涵養の上にプラスになると思われるか、マイナスになると思われるか。
  8. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 これもお問い言葉のうちの愛国、心という言葉含蓄いかんによりますけれども、私はやはり国を愛する情操は養われるものと思います。
  9. 高津正道

    高津委員 世界は今どういう大勢に動いておるかといえば、独裁傾向は、ミコヤンの演説によっても明朗に向っておるし、力の対立が話し合いに進み、大国の圧制から次々と小国が解放される、一口に言えば自由へ自由へと向っていっておるのであります。このような際に、鳩山内閣とその前の内閣から続く文教行政を見ておると、大達文政といい、安藤文政といい、逆コースを行くものであるというのが、評論家のあるいは一般のジャーナリズムの定評となっておるのであります。この人たちはあまりにも無理をしようと思われたので、文部大臣が二人ともなくなられた。その次の松村文相は露骨な逆コースには反対するというので少し消極的であったために、あの人は年は多かったがなくなられなかった。そういう例外があって、またあること三度の三番目の文部行政をあなたが受け持っておられるということを、愚かほる巷間ではうわさしておるような次第であります。あなたは、世界大勢に逆行するところの文部行政――この間あなたのお話を聞けば、臨時教育制度審議会を作って道徳目標を立てなければならぬ、それは日本国に対する忠誠の問題であるというような御言葉もあったし、また道徳基準の反省が必要である、家族制度というものは日本では社会生活基本であるから、家族間の徳目がなければならぬといって、忠と孝ということをここへ持ってこられたのでありますが、忠と孝は権利義務をいう側ではなくて、服従の双雅なのであります。もし教育勅語を二文字でしぼれば忠と孝になるのであります。そうしてまた、教育内容にだれが責任を持つのかということが明らかになっておらない、国の教育に対する監督権を明らかにする必要がある、第三には、学校、ことに大学制度に対しても改革をするのだ、この三つの緊急な重要な問題があるので臨教審というものを設ける、こういうように言われるのでありますが、それは印象ではなく、ほんとうにその速記録を読めば出てくるものは逆コースであります。自由であったものに対して国が一そう監督を強化する、なかった徳目を新たに加えるというように逆コースでありますが、日本文教行政をそのように逆コースへ引っぱっていくということは国を誤まるものではあるまいか、世界大勢に反するものではあるまいか。具体的に一つ言いますと、フグは食いたし命は惜ししという言葉がある。東南アジアの後進諸国日本に好感を持つ面もあるが、しかしまたきらいな部分もある。命の惜しい部分もある。それは何かといえば、肇国精神を云々してまた乗り出してくるのではないか、それを案ずるのであります。このような情勢にある場合に、その逆コースを象徴するように、具体化するように、臨時教育制度審議会を設けられるということは、国の不利益になりはしないか。世界大勢に逆行しておると思う。貿易を大いに推進しようと、通産省においては割合商魂たくましく、下から突き上げるものに接しておるがゆえ通産大臣は割合に貿易に対して熱心であり、ココム緩和に対しても熱心である。外務大臣は実にいくじがなくて、ココム緩和などには非常に不熱心である。文部大臣はまた肇国精神をしきりに宣伝されるようなのでありますが、このような調子では貿易を推進しようと思っても妨げになるような結果さえもたらすと私は考えるのでありますけれども、世界大勢に逆行しない進歩的なものであるという理由を堂々と述べてもらいたい。確かに逆コースであると私は思うのであります。
  10. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 私の今考えておることは逆コースじゃないと考えております。堂々と述べてもらいたいとおっしゃいますが、最後のお問いは今ここに臨時教育制度審議会を御設置願いたいということに関連してのことでありましょうが、この臨時教育制度審議会は決して逆コースをいこうとは思っておりません。ただ現在のわが国教育制度は、高津さん御承知の通り占領下という特殊の時代にあったのです。しかも占領の前期、昭和二十二年のころなんです。考えたのは二十一年中であります。アメリカ使節団が二十一年の三月に来て考えてレポートを出した、それを教育刷新審議会で検討したのですが、やはり原案というものが力を持ちます。よく今わが国憲法について論じられると同じように、やはり特殊の事情でできましたので、私、米人教育について非常に悪意を持ってしたとまでは、そうはひがんでおりません、しかしながら米国人基準はまた違ってくるのです。この間もあなたにお伝えしましたが、道徳というものは一体何です。私は道徳というものをこう見ておるのです。人間動物だからほうっておけば本能が支配して行動する、けれどもほかの動物と違って、人間理想を持つのである、その理想に接近して行動を規律する、これが私は道徳と思っておるのです。そうすると米人理想日本人理想とは全く同一とはいえません。同一部分もあります。世界共通部分もありますけれども、日本人日本人としての伝統がある、この伝統を交えた日本理想を描いてそれに近づくように国も進め、個人も進む、これが道徳なんです。そう考えてみますと、教育基本法にあります八つの道徳律だけでは、やはり日本理想にはぴったり合わないのです。逆コースじゃなくして、今までよりももっと進歩する進歩政策だと私は思っておるのです。
  11. 高津正道

    高津委員 この内閣追放を解除された方が十三名入っておられるという、驚くべき追放解除の方々の絶対多数内閣であります。そして日本には日本伝統があって、その伝統に合致するようにしなければならない、二十二年にアメリカから案を示されて、今新教育制度が行われるようになったのだから、日本国有伝統に照らして、ちょうど憲法を改正しようとする企てと同じように、新教育というものをアメリカ影響を排除して昔へ返すと、こう言われるのであるが、これは歴代の内閣が十年の間、六・三制により、教育基本法により学校教育法により、現行の法律に基いて熱心に法のままに進めておるのでありまして、とれを何%変えようとされるか、どういうふうに持っていこうとされるのであるか。これは実に大混乱を生ずることであろうと思うのです。混乱なくしてやる自信があるのかどうか。私は教育という問題は軽々しく扱うべきものではない、このように考えるのでありますが、混乱なくて、あなたのお考えのようなそういう逆コース方向に、日本伝統に合せるように、それができる自信がおありでありましょうか。混乱なしにやれる自信がありまし上うか。
  12. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 かたい自信を持っております。
  13. 高津正道

    高津委員 それは現在の教育学者、そして五十万の教職員、その団結である日教組、そしてわれわれ社会党もこれに対しては絶対に反対していこうと思うのでありますが、そのくらいな勢力では混乱は起きない、それを押し切るのだ、こういうお考えなのでしょうか。
  14. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 一番世の中に強い力は正しいこと正義だと思います。正しい案を出せば行われるものと私は信じております。
  15. 高津正道

    高津委員 東条大将が戦争を始める場合も正しいことだと思ってやったのでありますが、しかしそれは見当違いであった。世男大勢は今――繰り返しませんが、前に申しましたような方向にとうとうとして、進んでおる。それは台風のような、あるいは揚子江の流れのようなものであると私は思う。このような大いなる潮流に対して、あなたはそれに対抗しようと思われるのか。正しいと思う自分の古い思想を押しつけようとなさるのであるが、それに抵抗しょうと思っても、自分が正しいと思うのだからそれは必ず勝つのだ。それは東条の主観と同じではないですか。
  16. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 同じことをお答えしても失礼でございますが、前と同様に思っております。ただしかし、日本は今日民主政治であります。正しきやいなやを判断する方法はあるのであります。何々闘争とかあるいは春季第二波とかいったような暴力に接近したことでなくして、国民の投票によって現わす意思が判断する。そうして正しいと判断されるものが行われるのが法治国家であります。きつとそのようになるものと考えます。
  17. 高津正道

    高津委員 それでは角度を変えてお伺いしますが、大臣大学日本には四百四十九もある。イギリスは十七、フランスは十六、アメリカは九十、こういう御発言があったのであります。いかにも日本には大学が非常に多いように言われるが、それでは大学を整理なさるつもりか、大事な点であるから承わっておきますが、私の調べによれば、アメリカには公立大学が百六十  一、私立大学が九百四十八、それだけでも千百九あるし、公立短大が二百九十七、私立短大が二百二十七、その二つ合計が五百二十四、合計千六百三十三アメリカにあるのであります。イギリスの数字も違っております。フランスのも違っております。それはユニヴァーシティを言われるのかもしれない。ユニヴァーシティなら、日本だってその名義に当るものははるかに少くなる。日本には大学が駅の数ほど多いという俗論があるから、その俗論に乗じて、向うの引用をする場合にユニヴァーシティを使い、カレッジを除外する、こういうような宣伝は人を誤まるものであると考えるのであります。大臣所見をこの点でも伺います。
  18. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 私が調査したのは、前回答えた通りであります。あるいは学校を数える基準があなたと相違しておるかもわかりません。
  19. 高津正道

    高津委員 それは何の資料でしょう。私のはステーツマンズ・イーヤ・ブック、ザ・ワールド・オブ・ザ・ラーニング、そういう資料です。
  20. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 私のは私が調べ資料でございますが、あなたのお調べになった資料は、大学をどう定義しておりますか。
  21. 高津正道

    高津委員 それはハイスクールの上にカレッジがあるから、カレッジは言うまでもなく大学であり、ジュニアカレッジは害うまでもなくカレッジであり、それは大学と扱わなければしょうがないですよ。
  22. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 私はジュニアカレッジ大学と扱っておりません。
  23. 高津正道

    高津委員 そうすればアメリカハイスクール高等学校で、それからジュニアカレッジ大学でないのですか。――それじゃ文委員会に来たときにします。
  24. 平田ヒデ

    平田委員 関連して。この前の連合審査会のときに、親孝行のことが基本法の中にうたってないという意味のことをおっしやいましたけれども、ただいま、まことに遺憾なことでございますが、親子心中新聞を大へんにぎわしておりますけれども、この点についての大臣のお考えを伺いたいと思います。ちょっと申し上げますと、私は親子心中という言葉、あれは心中ではないと思っておるのです。親が子供を殺しているんだと思うのですけれども、この点について御所見を承わりたいのでございます。親孝行ということを大臣はしきりと強調しておられたので、それに関連してお伺いする次第でございます。
  25. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 一々の事件は、それ自身の原因も様相もありましょうから、一律に申すわけにもいかぬと思います。古来心中と言い来ったのは、男と女が、そのほかに住む道なしとして、ともに死んだ場合をいうのでございますが、親子の場合、これも年のいった親と年のいった子ならば同様のこともありましょう。しかしながら、五つ、六つの子供が死のうと思うはずはありませんから、どのケースのことか知りませんけれども、新聞に出まする親子心中の多くの場合は、親が子を殺して自分も死ぬ、子供につらい世の中の風波を経験せしめぬために、一棟の誤まった愛情からともに死ぬという場合でございましょう。私多年法曹界におりますが、事件というものは一々違うのです。全く同じのはございませんからして、ちょっとこれをゼネラライズしてお答えすることは、またあとで訂正を要するようなことが起るかもしれません。
  26. 平田ヒデ

    平田委員 いろいろな事情がありますことは私もよく知っております。子供がかわいそうだから自分の道連れにするという考え方があることに対して、どういうお考えをお持ちですかということを実は何っておるわけでございます。
  27. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 それも私は感想があるのです。一番尊いのは人命でございます。ゆえわが国において、将来人格尊厳と同時に人命の尊いことを徹底的に知らすべきものと思っております。キリスト教団においては、キリストの教えがそれでありますから、一般学校でそのくらいなことを力説する必要はございませんけれども、わが国の新教育個人尊厳を鼓吹すると同時に、人命の尊さ、人道性、ヒューマニティというものを一そう持つ必要、があるという感想を持って陥ります。
  28. 平田ヒデ

    平田委員 私もただいまの大臣の御意見に賛成でございまして、ぜひともそうならなければならないと思うのでございますけれども、この頻発する親が子を殺すという問題について、文部大臣として何か手をお打ちになるかどうか。これは社会教育の面からも、いろいろ人格教育とかそういう点について、十分力を入れたいとおっしゃっていらしゃいますけれども、私はこの考え方をぜひとも徹底させなくちゃならぬと思います。自分の生んだ子は自分の思うようになるのだという考え方が、まだまだ根強いものがございますので、その点について私は清瀬大臣の強い御決意を承わりたいと思うのでございます。
  29. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 それがやはり今回御調査を願いたいことの一つになると思います。人道主義、新たなる人格尊厳、これを国民に徹底せしめる法いかん、これは私が通達を発したことぐらいで解決するならば容易なことでございますけれども、なかなかそういうものじゃない。根の深いものでございますから、いかに倫理道徳を徹底せしむべきか、今日の社会科のやり方のようなああいう上すべりでいいかどうか、私は非常に疑いを持っております。この根底たる人道主義はどうしてやったらいいかということは、第一番に委員諸君意見をお聞ききしたいと思っております。
  30. 平田ヒデ

    平田委員 私が申し上げておりますのは、大臣としての一片の通達などということを要求はいたしたくないのでございます。たとえば長期欠席の児童がたくさんいる場合に、一週間くらいは校長が、その次には設置者がというようになっておるようでございますけれども、そういったものはほご同然だということを、私は松村文部大臣のときにも申し上げておりました。そうではなくて、今度の臨教審というのは、教育における国家責任といったようなものは、いわゆる財政上の保障と技術の面での助成指導ではないかと私は思っておるのでございます。そういう点で文部大臣が、いわゆる政党を代表するところの文部大臣が、教育内容その他の面で権限を拡大することは、超党派であるべき教育政党のいわゆるる直接介入を導くおそれがあると思います。それからまた今度の臨教審重要政策といわれるものは、教育委員制度改革でありまして、これはけさの新聞を見ましても、はっきりと任命制だということをうたっておられるようでございますけれども、私は選挙をするということによって、国民全部が教育行政に参画することができるのだという考え方が生まれてくる、いわゆる基本的人権尊重子供めいめいほんとうに大切にして尊重して、自分のものだという考え方を払拭していかなければいけないのだということのためには、めいめい自己の一票を投じて、国の行政に参画しているんだという自覚を養う必要があるのではないかと思っておるわけであります。それからまた、これは私はっきり調べたわけではございませんけれども、巷間伝えられるところによりますと、この秋の教育委員の改選について、予算が十六億要るのだそうでございまして、これに対して大蔵省や自治庁ではこれを出したくないものですから、これを押えるためにこういう案を出したのだということも聞いております。それで市町村の反対の意見とそれから教育委員会がぜひともこれを置いてほしいというこの二つをまぜて、いわゆる制度としては形を残して、一つの別なものにしてしまったというふうに見られるのでありまして、これは決して教育を大切にしているものではないと思うのでございます。私のこの意見に対して大臣の御所見を承わりたいと思います。およそ大臣お答えになることはわかっておりますが、もう一度御意見を承わりたいと思います。
  31. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 今のお問いは非常に重要なことで、おそらくは文教委員会に不日お諮り申し上げまする教育委員会法の中心となることと思います。今質問された方のおっしゃる通り教育委員選挙にするということで、民間に教育というものの大切なことがよくわかり、今までのように子供学校にやっておけばそれでいいのだということでなく、学校がどういうものだということを国民考え出した、この功績は非常にあるといわれております。しかしながらまた一方国の政治もこれ一つ考えなければならぬ、それゆえ文部大臣は閣議に列しております。村の行政教育だけがほかのことと離れて教育自己目的ということになってしまってはいかぬ。やはり全体の行政とのつり合いで教育をやらなければならぬ、こういう論もあるのです。どちらも理屈のあることでございます。それで私はあとの方の議論に重きを置いておるので、前の議論を抹殺することじゃございませんけれども、それゆえ教育委員を全くの任命じゃなく、やはり村の人が選挙した村会議員の同意を得て村長がおきめになれば、両方目的をかね備えることができはせぬか、こういうふうな傾きで、今の案を、現在まだ検討中でございますが、不日御審議をいただきたいと思っております。
  32. 平田ヒデ

    平田委員 ただいまのはわれわれが選挙した議会の議員がそれを推薦するのだからとおっしゃいますけれども、どうしても人間心理というものは、私自身もそう思いますけれども、選挙されて出てきている、少くとも五、六万の票をみんな持って出ております。その力強いあと押しがあるということで、私どもは何ものにも動かされない発言ができるわけでございますけれども、特に狭い範囲内での、いわゆる地教委といったような場合には、結局任命された者に恥もねるような考え方があることはこれは大へん遺憾なことであります。人格を疑うわけでは決してありませんけれども、人間心理の中にはそういうものが多分にあるということを考えなくちやならないと思うのございます。この点についていかがでございましょう。人間の弱さとでも申しましょうか、それは文政行政をおやりになる方のよくお考えにならなければならないことじゃないかと思います。
  33. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 任命制にしますと、任命をする人におもねるような人間が出はせぬかという御心配、それも一つ心配であります。また選挙制にしますと、選挙をする人、すなわち有権者に”もねって無理な約束をして当選するということもあるのです。これは一利一害でございます。両方ともかかって考えなければならぬと思います。
  34. 大村清一

    大村委員 関連して。実は先ほど文部大臣通達を出したというふうなお話がございましたが、先ほど来紀元節の問題もございますし、いろいろな偏向教育等の問題もございますから、私は全国的にいろいろな影響がある問題については、文部大臣通達を出して教育というものが公正に全国的に行われるような方法がとれることが望ましいと思うのでございますが、今日の制度のもとにおいて文部大臣がそういう通達を出すことが、果して指導助言の中に含まれるものであるかどうか、内容によっては私は今日の制度のもとにおいてはそういうことはむしろ今まで遠慮されておったのじやないか、あるいは指指導品の中に、遠慮でなしに入らないのだ、こういうふうなお考えがあったのではないかと思うのであります。そういう点で今後いろいろな制度等を改善する場合に、その問題が私は問題になってくると思うのですが、現状のもとにおいてどうなのでございましょうか。
  35. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 そのことは文部省放置法の、五条の第十九号というところにあるのです。十九号には、教育委員会、都道府県知事に対して、教育、学術、文化、宗教に関しまして指導助言と勧告ができるとありますから、できると思います。今平田さんのお問いのことは、人命に関する基本の、親子心中といったような子供の人権を粗末にする、非布に深刻千万なことでありますから、一片の勧告や助言では効を奏しまいから、日本人の頭に、胸に入るようなぴりっとした教育をしなければならぬでございましょうからそう簡単にはいかないといっただけでございまして、勧告はでき得るものと私は思っております。
  36. 大村清一

    大村委員 できるというお話でございますが、その勧告、助言、指導といったような場合には、これを聞かなくてもいいことになるのですか。
  37. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 それは理屈でいえばその通りになると思う。昔の天皇陛下の教育勅語のような力にはとてもなりません。
  38. 大村清一

    大村委員 文部大臣が全国的に通達を出し、それが方一線の教育委員会とかあるいは学校の先生方によって無視されるということになれば、私は非常な問題だと思うのです。従ってそういった一般的な問題について、先ほども御心配がございましたように、政党的に偏したことが行われるとこれは困りましょうけれども、そうでないような問題については、文部大臣が出したものは行われるというふうなことに、制度をある程度今後考えていかなければならぬということがあるかと思うのでございますが、そういう点は臨時教育制度審議会等で御検討になるおつもりなのでございましょうか。
  39. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 あなたのお問いに正面からぴしゃりと当るような答えはむずかしいのでありますけれども、しかし教育に関しては地方の委員会が力を持っておって、地方の委員会に対しては都道府県の委員会が力を持ち、都道府県の委員会については、教育長だけはその任命文部大臣の同意を得てもらおうと思っておるのであります。こういう国の組織で最後に行わしめるということは、行わないものの人事について力を持つことであります。どうしても勧告しても行わない時分には任免の力でいく、そのほかには方法はないのではないかと思います。それからまた事が政治、政策の上に関係しますと、あなた方が御制定下さった教育二法ということになるのであります。それらがうまくコンバインして、適当に教育行政が実行できるようにいたしたい、こう思っておるのであります。
  40. 大村清一

    大村委員 実は過般行われました日教組の第十三回臨時大会で今村副委員長が言われた中に、こういうようなことがあるのです。今度の春季闘争について政府が法解釈を一応誉め、書留郵便で通達をしておられる。これは法の解釈の問題ですが、これは政府の法解釈が一方的であって、われわれの闘争は正当である。従ってこの線で今後文部省に回答したい、こういうことをいっているのです。こういうことで、法の解釈についてすら政府がこうした解釈をして、通達をされたものが行われないということであれば、大へんなことになると私は思うのでありますが、この官府はどうなのでございしようか。むしろ日教組なんかのそういう一方的な解釈というものが第一線にだんだん広がっていって、それが行われないというような場合には、どういう用意でお臨みになる御方針でございましょうか。
  41. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 政府の出した解釈も問題を仮定した抽象的なものでございます、これに対する反駁も抽象的のものでございますが、しかしながら具体的に、あることについて解釈を異にして別の行動に出るという場合には、その事件々々によって措置を考えます。
  42. 保科善四郎

    保科委員長代理 小牧君。
  43. 小牧次生

    ○小牧委員 臨時教育制度審議会の問題につきまして、この前は同僚議員の間でいろいろ質問があったわけでありますが、現在中央教育審議会というものがあるにもかかわらず、臨時教育制度審議会を設けることが果して妥当であるかどうかということを中心にいろいろ質問が行われまして、大臣の方からいろいろ御答弁があったわけでありますが、私といたしましては、中央教育審議会のほかに、さらにこのような機関を設けるという御意見に対しましては、どうしても納得できないのであります。そこで簡単に私が不審に思っておる点をお伺いいたしますか、あるいは前の委員の万と多少重複するところがあるかも存じませんけれども、その点は御容赦をお願い申し上げたいと思います。  今回の臨時教育制度審議会の設置のおもなる理由として、大臣はたびたび述べておられ、また私どもに配付されました提案理由の説明の中にも、占領下の特殊な状態のもとに今日までの教育制度改革は急速に行われて参ったということを申しておられるのであります。ほかにもいろいろ書いてありますし、また大臣もいろいろ設置の理由を述べておられますが、これを集約しますと、要するに占領下の特殊な状態のもとに急速にいろいろなものが行われて参ったので、わが国の国情に沿わないような点もあるし、また十分でないものもあるということになろうかと思うのであります。ところがこれも先般の委員会で他の委員からも質問がありましたが、中火教育審議会の総会における岡野前文部大臣のごあいさつの中にも、全くこれと同じ文句が出て参っておる。占領下という特殊事情のもとに決定され、その中にはわが国の実情に即しない点もあるように考えられますので、独立を迎えた今日、これに対して特に慎重な検討を加えて、必要な改善を行う必要がある、これは私は全く同じ気持で、同じ考えで、岡野前文部大臣も述べられたものであろうと推察するのであります。ところが全く同じような理由を中心として、中央教育審議会があるにもかかわらず、なおかつ臨時教育制度審議会というものを作るということについては、他の委員も同様でございましたが、私もどうしても常識的に考えてみて納得できない。同じ必要をもって作っておるのでありますから、現在の中央教育審議会を十分に生かして、その中の審議会の委員の方々もおそらく有数な方々であろうと考えておりますので、こういう方々を活用して、十分その趣旨に沿うような再検討を加える、そういう必要があるならば検討を加えることができると考えておりますが、大臣はいかがお考えになりますか。
  44. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 今お問いのことは前会にもほぼ申し上げたことでありますが、同じく教育に関することでありますから、多少両方に属する両属のような問題も起ってくるのでありますけれども、今までの中央教育審議会はもともと現行法の根幹を改正するという考えはなかったのです。あれができたのは昭和二十六年十一月の教育刷新審議会の決定に基いておるのであります。すなわち今の法律を立てたその直後にできたのです。だからこれを変えようというふうな趣旨はあまり入っておらぬのであります。ここにその当時の設置の趣旨として書いたものがありますが、その一部分を読んでみますと、今のあの中教審の前の会でありますが、それを教育刷新審議会といっておりましたが、教育刷新審議会は創設以来教育改革の根本的政策の樹立に対し多大の貢献をなし、今日その一応の使命を達した、すなわち現行教育制を作った、これらの教育改革の基礎の上に民主教育の完全な実施と広く国民文化の向上をはかるために、文部省に恒常的な諮問機関として中央教育審議会を置く必要がある、そういうことなんです。これが昭和二十六年の占領中であったのです。それから二十七年の四月に占領が解けまして、七年、八年、九年、三十年とやってきた。そこで前に立てました教育のごく根幹とはいいませんけれども、根本について、国民がいろいろと議論をし出したわけです。ここで元の、教育の根本的な重要な政策について再検討してみようという意味合いと、元から続いて恒常的に教育の――今度の中教審の方は政策ではなく施策と書いておるのです。施策の方をやってみょうというのとは、区別をつけ得らるるものと思います。だからそういう趣旨に基いて、今度のは政治家、国会議員まで入れようというのです。前には国会議員は一人も入れておりません。そこで二つの会の意味合いは御了解下さることと思いますが、この間うちの説明に補足いたしまして、それだけを述べておきます。
  45. 小牧次生

    ○小牧委員 今答弁された内容につきましては前にもたびたび同じようなことを申されまして、私どもと非常に意見が違うのであります。もし大臣の言われるようなことだとするならば、占領下にできたいろいろな制度、諸施設といっだものは全部同じょうに変えていかなければならない、こういう理屈になるのではないか、しからは今までやってきたものは一体どうなるのか、こういうふうに私は考えるのでありますが、時間がございませんので、その点については今これ以上はもう追及いたしません。  そこで次にもう一つ駒伺い申し上げたいのは、これも前の委員会で御答弁になったようでございましたが、私は非常に重要なことであると考えますので、あらためてお伺い申し上げだいのであります。臨時という名称をうけてお作りになるこの教育制度審議会に、臨時に今ただちにどういうものを諮問しょうとお考えになっておるのか、これをお伺いいたします。
  46. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 そのことはこの前にも申し上げましたが、大体種類としては三つの方向のことをやろうと思っております。第一の方向教育目的に関する反省でございます。現在の教育方針が私は全部間違っておるというのじゃございませんよ。今の教育にも非常にいいこともあり、また戦前に私ども教育の根本として考えたことも多々入っております。たとえば方向としては詰め込みをやめて自発的の啓発に重きを置くといったようなこと、個人尊厳を尊ぶこと、信義、正義を高陽すること、これはいいのでありますが。ただしかしもう一つ今日反省してみますと、たとえば国家に対する忠誠ということがどこにもないのです。いかに民主国といえども、国を作っておる以上は国に対する忠誠心は鼓吹すべきものであろうと思っております。一部進歩政治家のおっしゃるソ連でも中共でも、国に対する忠誠は非常に教育をしております。自由主義のアメリカもその通りで、アイゼンハワーは国家に対する忠誠を宣誓して大統領になったのです。ひとりわが国だけがここが抜けておりはせぬか。また私が古い言葉を使うといっていろいろ非難を受けますが、やはり社会の一番初めの単位、生まれながらにしてできておる単位は家族であります。親に生んでもらわない子供は一人もないのです。さすればこの近親に関する親愛感というもの、これが私は子供に対する教育の一番初めの出発点じやなかろうか、それを抜いてしまって人類愛を説くなんていったところで、これは一段段階が飛躍しておるように思うのであります。これら、すなわち先刻私が言いました日本人国民理想、それも間違ったことは改めなければなりませんが、正しい伝統を頭に置いて、その伝統に近づき得る手段たる道徳律というものを反省上なければなるまい、これは一人や二人で主観的に考えてはいけませんから、そこで朝野の名士、また責任ある国会議員の方々に寄ってもらって、この根本を深く考える時期に到達しておりはせぬか、こういう方向のことが一つであります。  その次は教育内容に関する国の責任であります。憲法にも、日本国家国民に対して教育を与える、すなわちすべての国民はその能力に応じて教育を受くる権利を持っておる。それゆえに国費をもって学校を設立上、また私立学校に対しては補助を与える、こういうふうにやっておりますが、その責任です。一体どうやったらいいのだろう、今の法規を見ると、文部大臣は暫定的な責任者なのです。学校教育法百六条によると、当分の間は文部大臣監督庁として教育にくちばしを入れてもいい、こういうことなのです。これはどうするかというと、学校の教科をきめることです。今まで学習指導要領を頒布して、これでやれということを学校通達しておるのです。ところが学習指導要領に従ってくれないときにどうするかということがちっともないのです。出しっぱなしです。ここらのところを一体どういうふうにやれば国家責任がとれるか、これが一つ日本教育の盲点になっておるのではないかと思います。私の言葉はあるいは悪いかもわかりませんが、教育行政については指導、助言、勧告の権利があるけれども、教育内容についてはないのです。これらの一つの盲点を掘り下げて御研究を願いたい。むろん中央集権をばかりは考えておりません。しかし意がら日本のような単民族の国家または同一言語を償う国家、こういう国においては、やはり一定の教育水準を維持することを考える方がいいのではあるまいか、こういうことが第二でございます。  第三には、教育も国のためまた日本民族のためですから、今大学でも設置しようと思うと、設置基準にさえ合えはどんどん許可することになっております。基準に合うものを私たちが却下でもするとそれは大へんな問題です。それでこの間も言いました四百八十なり四百九十の大学が続々雨後のタケノコのごとく、と言ってはいけませんが、たくさん来るのです。これは多少より選びまして、経済の方では五カ年計画というのを作っておりますが、教育もそこはいかに自由だといっても、しんしゃくして、国家目的に沿うようなふうに誘導する方法はなかろうか。それは高等学校もそうです。中学もそうです。地方においては、せっかくだからもっと職業教育に力を入れてくれという希望が非常に多いのです。短期大学がそうです。そういうふうに国家目的に沿うようなふうに学校の設置なり科目なりそれを一つやる工夫はあるまいか、こういうことを皆さんに一つ相談をしてみたい。最後のことは技術的になりますから、われわれの考えておることは十項目ございますが、合ここで申し上げるのもわずらわしいと思いますが、これが第三の要項でございます。こういう三種類のことをまとめて、会ができましたら、こういうことはいかがかという諮問をしてみたいと思っておるのであります。
  47. 小牧次生

    ○小牧委員 ただいまもし臨教審ができるならばこれにこれこれのことを諮問してみだいという内容について御答弁がありましたが、その内容についての質問はさておきまして、ここで私が非常に奇異に感じますことは、今回提案された臨時教育制度審議会に対して、今大臣が諮問しようと述べられた問題は、あなたが文部大臣に就任された当初同僚議員の間からいろいろ御質問があった。と申しますのは、大臣に就任されたころ、何かこういった臨時の機関をこしらえて、それにいろいろ諮問をしてみたい、こういうお話がありましたので、同僚議員の間からどういったことを諮問しようとするのかという質問があった。そのときに大臣は、前の改進党の時代あるいは新しくできた自由民主党が打ち出した緊急政策、それは教科書の問題、さらに教育委員会制度の問題、もう一つ教育者の政治的中立性の問題、この三つをあげて、緊急政策として、新しく設置しようとする臨時教育制度審議会に諮問をしたい、そうしてできる限り早く成案を得て皆さんに御批判を願いたい、こういうことを言われたと思うのでありますが、明らかにこれは速記録に残って細ると考えておりますが、まずこの食い違いについて大臣の御意見を伺ってみたいと思うのであります。
  48. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 食い違いは私はないと思うのであります。あなたも御承知と思いますが、教科書の問題と、それから教育委員会の問題と――審議会じゃありませんよ、それから中立の問題と、この三つが並んで緊急政策になっておるのです。そのときの教育委員会でなしに、これは審議会なんです。教育審議会はまた別建なんです。教育審議会を置くということが第一項に別にあるのです。国の道徳を刷新することと、教育行政、ことに大学のこと、これらを改善するために、一本内閣教育審議会を置くという審議会と、それから今あるところの教育委員会を刷新するということと、教科書と中立と、これまた一本のものであります。今のお問いはこの教育委員会教育審議会が幾らか混雑しているのではないかと思うのです。その通りにやっておるのです。そして教育審議会のことは在来党とも連絡の上いろいろ研究して、まずここに審議会案ができました。それから委員会の方と教科書の方はようやく一、両日前にまとまって、三月の初めにはこれを提案いたします。こういうことなんです。
  49. 小牧次生

    ○小牧委員 ただいまの御答弁は、これはまことに奇怪しごくだと考えております。今ここに速記録を持っておりませんから、速記録を読み上げるわけに参りませんが、私のみならず、この近くにおられる同僚議員の万々も、おそらく私と同じような考えを持っておられると思いますが、明らかに文部大臣は就任の当初新しく設けようとする、名称ははっきりきまっておりませんが、審議会にこれこれの案件を諮問する、こういうことをはっきり申されておるのでありますが、それが今お聞きいたしてみますと、それも一つである、そのほかにこうこういうものがある。こういうことでは、われわれはまことに納得上がたいのでありまして、後日これは速記録をもって文教委員会におきまして、文部大臣ともう一度この点について究明をいたしてみたいと考えております。  そこでさらに前に戻りまして、大臣がいろいろ述べられた内容について若干お伺いをいたしますが、要するに大臣のお考えというものは、国家観とかあるいは家族観、こういものを法律をもってこれを規制し、あるいは一つの解釈を決定していこう、こういうお考えでありますか。まずこれから先にお伺いいたします。
  50. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 国家をどうみるかということは、これは憲法の問題とそれから国民信念の問題でございます。家族のことは、これは道徳の問題でございます。道徳基準法律できちっときめることは適当じゃございません。しかしながら、現在の教育制度は昔の教育勅語を廃しまして、やはり徳目教育基本法第一条に掲げました以上は、やはり大きな徳目は同様これに掲げていいと思います。そのデフィニションとかあるいは実例とかいうものは、全く教育感化の力に上るものであります。
  51. 小牧次生

    ○小牧委員 今の御答弁ではっきりいたしませんが、そういったものをさらにその中に入れていこう、こういうことでございますが。お伺いいたします。
  52. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 すでに現在教育基本法道徳の項目を八つ書いておりますが、やはり顕著なる項目は入れる方が適当、であろうかと私は感じております。しかしながら、それらのことは審議会でおきめになることでございます。
  53. 小牧次生

    ○小牧委員 これ以上申し上げませんが、ここで非常に大事なことは、これは前に他の議員からもいろいろこの問題について突っ込んだ質問があり、意見も開陳されましたが、われわれが今ここで深く反省しなければならないことは、従来の戦時中までのわが日本が長い、歴史の間に誤まれる家族観念、誤まった家族観、あるいはまた国家観、さらに言葉をかえて申し上げますと、絶対主義あるいは国家主義、こういった教育のためにいかに誤まれる方向を進んだかということであります。従来清瀬文部大臣は、しばしば自分は自由主義者である、リベラリストである、こういうふうに答弁してこられたのでございますが、今大臣考えておられるいろいろな構想をお聞きいたしてみますと、あるいはまた私どもが非常におそれている誤まった国家観や家族観というものが、戦後十年たって再びここに台頭してくるのではないか、この危険性を感ずるのであります。大臣の言はれるような家族道徳観念、あるいは桐人と個人の間の道徳、こういったものは終局においては個人の自立性、こういうものに待たなければ、とうてい満足なる結果をわれわれは期することができない。そのためには、そういったものは強制されて生まれてくるのではなくして、個人道徳的な自立性といりものが、その社会に生まれて、初めてそういう成果というものをわれわれは期待できる。そのためにはあくまでも教育が民主化されていかなければならぬ。民主主義を徹底して、民主化が徹底されなければならない。教育の目標は、まさにそこにあると私は信じておりますが、今大臣の述べられたような考え方は、明らかにこの民主化の方向に逆行するものである、私はかように考えますが、もう一度大臣考えをお伺いいたしたいのであります。
  54. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 あなたのおっしゃることは、全体として私はちっとも反対じやないのであります。しかし最後に清瀬は自由主義者じゃないとおっしゃることには反対であります。私はたびたび言いまする通り、戦後の教育が自発的の進歩発展を促すに至ったことはいいと言って始終ほめているのです。それを元のように詰め込みにするという必要はないのでございます。私どもの信じておる哲学からいっても、たとい善でも、人から強要された善は値打ちはないのであって、自律、自発の行為でないと道徳的価値はないと私は始終そう言っておるのでございます。それゆえに、今回臨時教育制度審議会において国民道徳の根源に対する反省と検討を願いたいと言いましても、これを昔に引き戻して強制する、詰め込む、国家至上主義だ、個人国家に従属すべきものである、そういうふうな考えを私は強制し、誘導する考えは毛頭ございません。それは御信用願いたい。ただしかし、世の中にはそのときのいきさつで、進み過ぎたこともあります。退き過ぎたこともあります。これを発見する時分には解決しなければならない。われわれの自由民主党の世間でいう保守主義というものは、いい伝統は保存して、間違ったことは遠慮なく改革する、すなわち進歩主義だ。とれが私どもの政治理念なんです。決して強制的に国家服従を強調するといったような、明治教育に帰ろうということは私は考えてはおりません。
  55. 小牧次生

    ○小牧委員 先ほど私臨時教育制度審議会に何を諮問するかということをお聞きしたときに、大臣の御答弁と大臣が就任当時述べられた内容とは違うということを申し上げて意見が対立いたしたのでありますが、それは後日再びお伺いするといたしましても、今大臣があげられた一、二、三、こういった諮問内容、項目はどうして中央教育審議会に諮問できないのか。これをお伺いいたします。
  56. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 今の中央教育審議会は、先ほど引用しました通り、現在の世間でいう新教育制度が立ったときに、その基礎の上において、これを恒常的にやっていけということであります。私の今あげた三つのことは、いずれも新教育制度の大きな変更になるのです。だから新たな機関を設ける方がいい、かように考えております。
  57. 小牧次生

    ○小牧委員 今言われるような、こういった問題を臨時に、緊急に諮問して、そうしてあなたの期待される答申が出るとお考えになっておるのでありますか。もう一度お伺いいたします。
  58. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 私のちょうど言う通りに出るというんでは、これは審議会を作る必要はないのであります。そういう問題を付議しますけれども、これに対して一番賢明なる結論を得て下さいというんで、ここでお問いになりますから、審議以前に私の観念をぺらぺらしゃべっておりますけれども、こういう問題についての審議の結果は、私が今言った通りにななるとは予想はしておりません。これだけ院内の人、院外の学者が寄ってやって下さることは、おそらくは最善のことだろうと思って、尊重いたしたいと思っております。
  59. 小牧次生

    ○小牧委員 時間がありませんので、最後にもう一つお伺いいたしますが、大臣はたびたび答弁の際に、自分政党人である、従って党議に服する、こういうことを申されておるのであります。いろいろ同僚議員の間から重大な問題を質問いたします際に、こういった答弁の仕方をたびたびしてこられたものと私は記憶いたしておるのでありますが、今回提案された審議会の構成の中に、国会議員が十名入ることになっております。もちろん国会議員を入れた理由には、広く政治家も入ってもらって云々という御答弁がございましたが、こういった万々は、いずれの政党から、選びになるかわかりませんけれども、要するに所属する政党を持っておる方々であります。こういう方々がこの重大なる、大臣の言われる教育の根本的な問題にメスを入れてという、この審議会のメンバーに加わっていろいろ審議をされる際に、一体党議に服するのか、あるいはまた別個の立場から答申に参加するのか。もう一つは、大臣自身も自由民主党の所属である、従って出て参った答申を大臣は、大臣としての立場で判断されるか、党人として判断されるのか、まずこれから先にお伺いいたします。
  60. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 どなたを委員にお願いするか。むろん未定でございますが、委員の方はやはり自分独自の判断で御審議願いたいと思っておるのであります。党の代表というのだったら、おのおの一名だけでいいんです。あなたの党と私の党とですね。それは委員としては委員自身の持ち味で御審議を願いたいと思っております。出ました答申は、ほかの会の答申でも同様であります。今現に行政審議会その他選挙法等、答申をやっております。答申が出ましたら、これは内閣の諮問機関ですから、内閣に報告されて、内閣がそのまますなわちうのみに採用するか、大部分を採用するか、内閣でそのときにきまると思います。
  61. 小牧次生

    ○小牧委員 この問題については前にも若干質問があったように記噴いたしておりますが、中央教育審議会には国会議員は入っておりません。今回提案されておる臨時教育制度審議会には十名入れる、こういうことでございますが、教育の中立性、その重要性、そういったものから現在すでに、私がたびたび申し上げておりますように、りっぱな機関があるのに、さらにそういった、政党に所属し、それに基盤を持つ人々をも入れて、またその人々は党議に服さなければならない、こういうものがこういう機関の中に入って参りまして、果して大臣の期待される教育の中立性とその重要性、こういったものを十分判断して、今後のわが国の重大な教育の民主化の方向というものを答申することができるかどうか。それよりもむしろ今中央教育審議会にはわが日本における一流の人材を網羅して、そうして経験の豊富な方々がたくさん専門にやっておられるのでございますから、先ほど大臣が申されたような諮問の内容であるならば、そこに諮問されて十分答申がなされるものである、私はかように考えておるわけでおりますが、最後に大臣のこれに対する御意見をお伺いいたしたいのであります。
  62. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 今の中央教育審議会それ自身も、またその委員の方々もわが国一流の万々で少しも不足はございまん。ただ会作った本旨は、中央教育審議会は前たびたび申しました通り、現行制度の基礎の上においてそれを進歩発展せしめいい教育をやろうということなんですが、占領後三年あまりの経験で一つ現行制度を変えなければならぬじゃないかということに気がつきましたから、今度は国会議員等も入ってもらって、別の角度から見ようというのでございます。それゆえと度どなたにお願いするか知らぬが、その方々はこの制度の本旨にかんがみまして、りっぱな答申を下されるものと期待しておるのでございます。喜んで待っておるのでございます。
  63. 保科善四郎

    保科委員長代理 野原君。
  64. 野原覺

    ○野原委員 大へん大臣もお疲れのようですが、問題が非常に重大でございますし、せっかくの連合審査会でありますから、私は重複する面があるかもしれませんが、大事な点についてはっきりいたしたいと思うのであります。  まず第一点は、臨時教育制度審議会設置法案の第二条についてであります。これは所掌事務ということになっておる。そこで第二条を見てみますと、内閣の諮問機関として置くのだ、教育基本的な政策を検討するのだ、それからその基本的な政策を総合的に検討するのだ、こういうことになっておるのであります。私はこのことは、このこと、たけ切り離して考えるならば、これは確かに筋が通っておると思うのです。このことはわからぬわけじやない。ところが同僚議員が何回も覇尋ねしておりますように、中央教育審議会というものを今日文部大臣が諮問機関に持っておるのでありまして、このこととの関連が何回尋ねてもあなたの答弁は私どもの了解解と非常に隔たっておるのであります。私はその点を指摘したいと思いますが、この前だれかの当日に対して大臣は、臨時教育制度審議会というものは、日本が独立して占領下教育政策を考え直さなければならなくなったのだ、独立日本教育のあり方は根本的にどうなければならぬかということを総合的に検討しなければならぬから内閣に置くのだ、こういう答弁をしております。そこでお尋ねしますが、第一点は中央教育審議会は独立日本教育のあり方を検討するものではなかったのかどうか、中央教育審議会というものを長い間置いて参りましたが、これは独立日本教育のあり方を検討するものだったと私は了解いたしておりますが、それは違うのかどうか。
  65. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 中央教育審議会をきめたのは独立以前のことであります。それゆえに独立後に起りました新たな問題、すなわち教育基本法学校教育法国家教育責任を規定するものとして足らぬのじゃないか、独立後に起ったものは、独立前に立案されました中教審では予想しておりません。
  66. 野原覺

    ○野原委員 私は法律学者としての文部大臣常識を疑いたいのであります。あなたは中央教育審議会の所掌事務を御存じですか。政令の第一条を読み上げましょう、そしてこの第二条と比較してみると、第一条にはこう書いてある。「中央教育審議会は、文部大五の諮問に応じて教育に関する基本的な制度その他教育、学術又は文化に関する基本的な重要施策について調査審議し、及びこれらの事項に関して文部大臣に建議する。」とあるのであります。教育に関する基本的な制度その他基本的な、軍票施策とは何かというと昭和二十七年に岡野文部大臣だったと思いますが、岡野さんが中央教育審議会の第一回の総会に行ってこのようにあいさつしておる。これは河野委員も読み上げましたが、私も申し上げます。前文は省略いたします。何分今の文教施設は片浜下という特殊事情のもとに決定され、その中にはわが国の実情に即しない点もあるように考えられますので、独立を迎えた今日、これに対して特に慎重な検討を加えて必要な改善を行うことが大事であろうと存じます。だから、ここに中央教本審議会というものを設けたのでありますと、第一回の総会であいさつしておる。これは一体どういうことになるのですか。
  67. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 そのときは私が今言った三つのことについては世論も何も起っておらぬのです。中教審をこしらえてくれというのは、戦前の昭和十六年の十一月の決議によるのであります。それに引き続いて独立直後の昭和二十七年の六月にこの会はできました。これは独立して二カ月日でございます。それで岡野さんはそういう言葉を使っておられますけれども、この第一回のときでも、第二回のときでも、わが国教育基本法に足らぬところがあるということをだれか言っておりましたか、だれも言っておりません。また教育責任はこれで尽せぬ、文部大臣の権限が足らぬということは一人も言っておりません。その後三年間独立してやってみて、おそらく去年の中ごろだと思いますが、そのころにこれではいかぬじゃないかという問題が起ってきたのです。それでこれは言葉にとらわれておると思うのですが、日本言葉から選んで演説するのですから、同じような言葉が出て参ります。ことに日本人はすぐに基本的とか根本的という言葉を使うのです。岡野さんが演説された応分には、私の言う三つの問題は現実に起っておらないのです。私はそのことを言うのです。
  68. 野原覺

    ○野原委員 大臣、こういうことです。臨時教育制度審議会というものは、あなたに言わせると、これは占領中にできた日本教育制度を根本的に検討するために設けるのだ、これが臨教審の本質的なものだ、こうあなたは繰り返されておるのです。そこで私は、中央教育審議会というものは占領中にできた教育制度を検討するものではなかったのかとお尋ねしておる。ところが今までのところ、それに対して答弁をしておりません。  もう一ぺん言います。中教審というものは占領中の日本教育制度を検討するものであった。中教審の諸君に私尋ねましたら、われわれもそう思って発足したと言っておられた。また私どもそう考えて今日まで中教審の答申を見てきたのでですが、これはどうもそうでもないようですから、明確にしてほしい。大事な点ですから……。
  69. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 今の日本教育制度占領中にできたものです。昭和二十一年から三年にかけて完成したものです。ですから、教育制度について研究しようといったら、これはみな占領中のものを研究するのです。占領中の教育制度を検討する以外に何もありません。中教審も占領中の教育制度を研究しておるのですけれども、占領影響で今根本的に改めなければならぬ事項がある、それを見直そうというのが今度の案でございます。
  70. 野原覺

    ○野原委員 そうなりますと、中教審も占領中の教育制度審議するものであったし、それから臨時教育制度審議会占領中の教育制度審議するものなんだということであれば、もう一ぺん質問の蒸し返しになりますけれども、本質的な違いはどこにあるのですか、それを明確にして下さいよ。
  71. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 現在の日本教育制度占領中にできたものです。しかしながら占領中にできた教育制度についても、重要なる施策――この文字は偶然でございましょう、意思があってじゃありますまいが、施すの施、中教審の方は重要な施策とやっているのです。その語感から言えば……。それを前提としていろいろこまかなことをやったり、あるいはこまかなことをやめさせたり、今度は重要政策とやっておるのです。政策とやって政策専門の代議士も入ってもらうのです。それで私がたびたび言う通りに、両者の区別は語感の上においてすでによく現われておると思います。日本教育の根幹になるような三つのことまでもやっていただくのであります。今までの中教審とはそこが非常に違うのであります。
  72. 野原覺

    ○野原委員 だいぶ答弁が前進をされております。これは速記録調べるとわかる。あなたの考え方というりものは実は前の考え方と、それから私どもの質問に答え切れなくなって、苦しまぎれに、実は私どもの主張を認めながらあなたの答弁が前進しておる、これを指摘します。これは速記録ができ上ったらあなたはよく読んで下さい。そこで私は申し上げますが、あなたは中央教育制度審議会は教育部分的なものを審議するのだとおっしゃる。そして臨教審教育の根本的なものをやるのだ。占領下教育制度というものに検討を加えることは同じだ。中教審は部分であって臨時教育制度審議会は根本だ。何を根拠にしてそういうことをおっしゃるのですか。法令のどこに中教審はその占領下教育制度部分であると書いておりますか、お示しを願いたい。一体どこにありますか。
  73. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 両案の全体をごらん下さればわかるのです。その足らぬところをあなたががお聞きになっておるから私は答弁しておる。私の答弁を基準としてお考え願いたいと思います。
  74. 野原覺

    ○野原委員 あなたがそういう答弁をなさいますと、これは答弁ができないと私どもは受け取らなければならぬ。私は具体的に法令のどこに一体それがあるかということを聞いておるのです。中教審に関しては政令第一条です。臨時教育制度審議会は第二条です。どこが違いますか。一方が部分であって、一方が根本であるということはどこに書いてあるのか、これをお示し願いたい。あなたにできなければ事務局の方でも一つ答弁に当ってもらいたい。どこが違うのかはっきりしないとこの問題は審議できない。
  75. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 前回から今回まで私が繰り返したこと全部について御観察願いたいと思います。部分とか全部とかいったような分量的なことではございません。占領以後四年になりまして、当院考えたことと根本的に違うような問題が起きた。その問題は何かといえば、小牧君のお問いに対して答えたような三つの重要な問題が起ったのです。臨時教育制度審議会は元の案ができた直炭に、やはりどの制度でもやっていくのには適当な施策がいります。文字に書いた通りにはいけるものじゃないのです。そのうちの重要なものを検討していこうという恒常的制度であります。こちらの方は臨時的な制度であります。およそ文字というものは同じ文字を使っても違った意味がある。違った文字を使っても同じようなこともある。これほど繰り返して申し上げておわかり下さらぬことを私は残念に思います。
  76. 野原覺

    ○野原委員 あなたの答弁はわからぬ。私の頭が悪いかあなたの頭が悪いか、これはほかの人の判断にまかせたいと思いますが、法令についての相違点を示せと言ってもあなたはおっしゃらないのです。これはどうしたのです。法令について一方は部分で一方は根本だ。私どもは法令解釈を両方とも根本だと受け取っておるのです。それについて答弁してくれというのをあなたは答えないで、おれが今まで言った全体について考えろ、こういうような文部大臣の答弁はあったものじゃない。やはり質問にはお答え願いたい。もしあなたが答えぬということであるならば、私どもはこの連合審査を遺憾ながら本日限り打ち切ることはできませんよ。
  77. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 部分に対する反対は全体です。根本に対する反対は枝葉です。それをあなたは片方は部分だ、片方は根本だといって比較すべからざるものを比較されておる。全体からいえばどちらも全体です。総合的と書いてある。向うが部分でこちらが根本だと言ってあなたは攻撃する。それではあなたのロジックが合わぬ、向うが部分だったらこっちは全体だ、こうお聞きになったらわかる。こちらの方は総合的ですから全体です。しかしながら性質は根本です。また臨教審部分じやございません。全体です。やることは主として運用的な、末節というと悪いのですが、末の方のことをやっておる。
  78. 野原覺

    ○野原委員 どうも困ったことです。私静かに質問いたしますから、大臣もお静かにお聞き願いたいのです。大臣はこう答弁されたのです。それを今まで通してきていらっしゃるのですが、中教審というものは占領下教育制度を検討するにしても――このことはただいま御訂正になったのですが、あなたはそれまでは占領下教育制度の検討は、臨教審だけだったと突っぱっておるのですが、私の質問にこらえかねて、とうとう実は中教審もやるんだ、ところが中教審は部分だ、根本的なものは臨時教育制度審議会が検討するのである、これは与党の議員の方もお聞きでございますが、その通りであります。そこで私どもは中教審というものは、根本的なものを検討すると実は解釈しているのです。そうして私どもはそう見てきたのですから、それが一体どこが部分であったのか、臨教審を置いたために部分になったのか、法律上の解釈はどこに置かれているのかということをお尋ねしておるのでありますから、法令上の一方は部分であり、一方は根本である点を法制的にも御指摘願わなければ、私どもは理解ができぬのであります。蒸し返すようで恐縮でありますけれども、あなたが蒸し返しをさしていらっしやるのでございますから、重ねてお尋ねいたします。
  79. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 中教審は決して部分じゃございません。中教審も全体について御審議を願いたいのです。しかしながら全体を御審議願うにしましても、占領中にやった根本のことを変えてしまうというような大きなことは自然入っておらないのです。この会の沿革からいって……。岡野さんがどう演説されたか知らぬが、あの新教育制度ができた直後に、いわばそのできるよりも少し前くらいに、これができたら平生これを運行し、適当な施策をやっていくために、恒常的の委員会を作ってくれという点、前に考案しました刷新委員会がそう言い残してやったのです。ところが今度、その当時には予想しておらなかった新問題が起ったのです。しかもその新問題たるや、教育の根幹にも触れる問題でありますから、ここで新たな委員会を作る、これも部分的じやない、全体であります。部分、全体といえばどっちも部分なんです。ところが根本か末かというとこっちが根本です。
  80. 野原覺

    ○野原委員 そうなるとこうなるのですが、どちらも全体だからどちらも根本的な検討をやるんだ。
  81. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 いやそうじゃない、根本はあとだけです。
  82. 野原覺

    ○野原委員 根本は臨教審だけですか。それではお尋ねしますが、どうもあなたがそう突っぱねをなさると、同じく川一回の総会で、時の文部次官の劔木氏、今の参議院議員であります劔木さんが、大体第一回の中教審の総会に行って説明をしておる、中教審の方方はこれを拝聴して、そして中教審は活動を続けてきた。この説明は御承知ですか、知らなければ、読み上げましょうか。終戦後政府は民主的教育の健全な発達を期するため、これに必要な教育施策の実施にあらゆる努力を重ねて参ったのでありますが、過去六年有余にわたるこれら新教育施策の運営の実際に徴し、かつ独立後の新事態にかんがみまして、教育全般にわたってその制度内容及び運営などについて再検討をする、とある。あなたはその臨時教育制度審議会は新たなる事態と言われますけれども、昭和二十八年の一月二十一日がこの第一回の総会なんです。このときに岡野文部大臣も、根本的な検討をやるのです、日本が独立をしたのですから、占領下教育制度学校教育法教育基本法の検討をやると言っておる。しかも劔木文部次官が、補足説明をして、教育全般にわたって独立後の新事態にかんがみ検討をやるのだと言っておりますが、これはどういうことになるのですか。
  83. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 教育全般にわたると言うたでしょう。あなたのおっしゃるように部分的と言っておりません。劔木君は私と同じように言っております。教育全般にわたって基本的な問題をやると言っておるのです。基本と根本は違いますよ。全般にわたって基本的な検討をしてくれと劔木も岡野も言っておるのです。私の説明と同じ説明です。やはり今度も全般にわたって根幹の根本的――もっと強いところへいこう、こういうことなんです。しこうしてこれは形容詞じゃないですよ。しからば何が根本的検討かといえば、私は三つに分けて言っておるのです。あの三つのことは当時予想しておらなかったのです。
  84. 野原覺

    ○野原委員 根幹といい部分といい、総体的といえば総体的なんで、大臣は今も中教審は部分だとおっしゃっておる。中教審は根幹の根本だ、臨時教育制度審議会は根幹の根本であるというて、片一方はそのままほうっておけば、しれじゃ中教審というものは臨教審に比べると部分であって、根本的なものは臨教審でやるのだ、こういうことになるのではございませんか。どうも大臣は非常に疲れていらっしゃいますから、私は少し頭に血が上っていらっしゃるのではないかと思う。本日は失礼ですけれども、これは明確にしてください、どうでです。これは私どもにいわせると、文部大臣の説明、事務次官の説明、しかもあなたの前任のしかもあなたの党の松村文部大臣が、第四十一回の総会においてあいさつもされておるのであります。ほぼ同様趣旨を述べていらっしやるのであります。一体内閣がかわり、文部大臣がかわれば、同じ党の内閣、ありながら、こうも考え方が和達するのか、私どもは了解できない。文部大臣が松村から清瀬にかわったから、何代かたって、岡野から清瀬にかわったから、中教審というものはいつの間にか置いてきぼりをくらって、法制的に根本を示すことができないような状態で臨教審を作るという、こういうやり方は私どもは少くとも法治国家としても好ましくない。あなたの専門の法律の分野からいっても明確にしてもらわなければ困るのでございます。私は御答弁ができないかと思いますけれども、もう一度あなたに御答弁の機会をお与えしたい。
  85. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 問題がやや討論会みたいなことになってしまいまして、聞いておられる方もさだめし不愉快に思われるでございましようが、よくわかるように申し上げます。私は中教審が部分的じゃと言うたことはございません。中教審も教育の全体についてやっていく、今度のも全体について考えるのでございます。しかしながら傾向からいえば、中教審は、あれを作りましたときの情勢から、またその後実際にやっております仕事から、大体前行――前行というと占領中でありますが、前行の教育制度の根本、大本はそのままにして、運営とか制度上の修正でも第二義的のものを多くやっておるのでございます。ところが法制ができてから三年、四年時間が立ちまして、ここに新たに、どうもこれは占領中だったからこんなことを書いたんだといったような、大きな、根幹に関する修正意見世の中に出て参ったのであります。これは新たなことでございます。それを審議するために、別に今日臨時教育制度審議会を発案したのであります。事教育に関しますから、それは同じような分野にわたります。それからまた対象物は、あなた御指摘の通り、現行教育制度、すなわち占領中にきまった制度でございます。それゆえに同じ分野も、それは詳しく言えばありますけれども、もともと発案者の意思は私の今章りた通りでございます。これはうそ偽わりはございません。しからば何があとから起った重要問題かというお問いが二度も三度もありましたから、これをかりに三つに分けて言っておるのです。あの三つの事柄は、やはり以前の中教審時代とは違ったものでございます。これも一部は触れていることはあります。第三の、高等学校の実業教育をどうするかといったようなことは、これは相触れますけれども、もとの根本はそこでございますから、どうかこのくらいな説明で御了承願いたいと思います。
  86. 野原覺

    ○野原委員 御老体の大臣にいろいろ追究しても、私はまあ個人としては尊敬もいたしております方で、申し上げにくいのでございますけれども、事教育でありますから、実は私としても執拗に、忠言しなければならぬと考えて、お尋ねをいたしておるのであります。私はどうも大臣のただいままでの答弁では、これは全くもう、全然といっていいくらい了解ができません。何日お尋ねしてもあなたは同じことを繰り返されますから、この点についてはもうやめたいと思います。  そこで、ただいまあなたが、臨時教育制度審議会は三つと、こういうことを言われましたので、そのことに関連してお伺いしたいと思います。所掌事務の、中教審にかける問題と臨時教育制度審議会にかける問題は、重複する場合もあるんだ、違う場合もあるんだ、こう言われておる。たとえば、具体的にどういうことが中央教育審議会ではいかぬのか、お示し願いたい。これだけは中央教育審議会ではとてもできないんだというものをお示し願いたいのであります。
  87. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 これも言葉に拘泥しないで、一つ率直に私の言う意味をお聞き願いたいと思うのです。今の中央教育審議会では、おそらくは何人も教育基本法の改正ということは思っておらなかったと思います。それから国家教育に対する責任、第二として私が申すことも考えておらなかったと思います。第三もおおむねそうでありますが、第三の、大学制度あるいは高等学校制度とか、それを日本の国承目的で、あるいは科学技術あるいは産業といった方に向けようということは、これはすでに中教審でも意見が出ております。そういう点はややオーバーラップするんじゃないかと思います。
  88. 野原覺

    ○野原委員 文部大臣監督権限を強化するということは、今日の自由民主党の政策のようでもあります。そこで教育の中央集権と申しまするか、文部大臣の権限、文部省の権限についての問題、もう一つ教育基本法、それからもう一点は、学校制度ということを申されておりますが、学校制度は今日の法制では御承知のように、学校教育法でございますから、学校教育法、そうなりますと、結局臨時教育制度審議会というものは、教育基本法について検討を加える。学校教育法について検討を加える。それから一体教育の中心を地方分権でいくのか、中央集権でいくのか、どの程度文部大臣の権限は強化されなければならぬか、この点でやるのだ。臨教審の発足の具体的な仕事というものは、この三点と了解して差しつかえありませんか。
  89. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 それも先ほど申す通り限定的に私は今お受け合いすることはできません。正確な、厳密な限定はいたしませんけれども、中心問題はその通り違っておりません。いざやってみますと、いろいろな問題が起ります。ことに今度の新しい方には、教育制度に関連する諸問題というのがあるのです。これは中教審にはない文字でありましたが、それでも関連することは少しはやったでありましょう。どうしても関近します。こういうことを考えております以上は、限定的にここで今からやろうというものの将来のことを予想するわけにはいきませんから、ここは政治の論でありますから、まず中心問題を把握していけばそれでいいのではないかと思っております。
  90. 野原覺

    ○野原委員 教育制度に関井する円、遜は中教審があたかもやって悪いかのような御答弁でありますけれども、あなたは十回にわたって中教審が答申をされたその事柄を御承知であると思う。ほとんど教育制度に関連しておるじゃありませんか。しかも、たとえば短期大学制度の改善が今日諮問されております。私立学校教育の振興は、すでに答申済みであります。大学入学の問題、これも大学制度の重要な問題です。義務教育学校教員給与の問題でも、義務教育学校運営の非常に大へんな問題、あるいは社会科教育、こういう教育制度に関連する、しかも当面の重要な問題、基本的な問題が、今まで実は諮問され、答申をされておるのです。どうもただいまの大臣の御答弁では、私どもは臨時教育制度審議会を発足すべき何らの具体的必要も見当らないように思われてしょうがない。もっと端的にいうならば、過去の経過から考えて、私どもは清瀬文部大臣の思いつき法案ではないかとすら実は考えておるのです。一体これはどうなっておりますか。自由民主党としては、中教審と臨教審というものの本質的な区別を、はっきり根本的に検討して出されておるのかどうか疑わしい。こいうことをお尋ねしても、いや検討したのだというおざなりの御答弁だと思いますからやめます。  そこで、教育基本法を取り上げることはほぼ明確になりましたから、私はお尋ねしますが、御承知のように、教育基本法教育基本となる精神です。教育目的方法を定めたものでありましょう。これは十条からできておる簡単なもので、教育憲法だといっても差しつかえなかろうと思うのですが、一体この教育基本法のどこに問題があるという新しい事態が起ってきたのですか。あなたは新しい事態が起ってきたから考えねばならぬと言われるのですけれども、教育基本法の一条から十条まであるこの今日の日本教育精神のどこが問題であるか。そしてそれを問題としなければならぬ新しい事態というものは、どういうことなのか。これを承わりたいのであります。
  91. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 これは過日の平田さん、本日の小牧さんのお問いに対する答えの中で一部触れております。内容は、これから御審議願いたいと思うのですが、私の所属の党で、並びに世間で考えておることの大きな一つは、どうも教育基本法では国家に対する観念が十分に現われておりません。第一条には八つの徳目を書いております。人格の完成と平和と真理、正義、個人の価値、動労、責任及び自主、こういう八つのことが書いてありまして、教科害の検定基準にもこの八つをあげて検定しておるのでございます。それからまた、学習指導要領もこれによっておるのであります。学習指導要領は、算数の本でも理科の本でも、やはり一番初めにはこれを絶対要件としておる。これをずっと見ますと、この中に平和的な国家という文字がありますから、国家というこいとはあることはあるのです。しかしこれに対する日本伝統的の言葉でいえば忠誠であります。それから個人の価値といっておりますが、日本伝統的の風習は、個人の価値、個人の平等もさることでございますけれども、親子の間の親愛、愛情ということは、言葉は不足でありますけれども、私の言葉はまずくありますけれども、皆が物足らぬと思っておるのであります。きのうも、おとといも、実は私は友人の家をたずねたら、学校の先生はどうもお前のところのおじいさん、おばあさんはやっぱりたとえてみたら電車に乗りおくれたような人だというようなことを言うというのです。冗談でおっしゃったのでありましょう。そういうことでどうも物足りないということを世間で思うておることは事実なんです。私は文字の上とか空想で言うのではありません。全国にびまんしたこういう声の中にはどこかに真理があるのだろう、これを把握して適当に立法化するのが現代の任務であるとかように思っております。
  92. 野原覺

    ○野原委員 親子の家庭道徳その他に問題がある、そういうことが教育基本法に盛られていない、こういうことですが、大臣教育基本法を根本的に御研究なさっていらっしやらない。平和的の国家、どこが悪い、文化的な国家、どこが悪いか、私は言いたいのです。第一条の教育目的は、教育人格の完成を目ざしてあるのです。ここに実は社会的なものも個人的なものも全部総括しておる。人間としての完成とは、子供が親に孝行することです、兄弟仲よくすることです、夫婦が仲よくすることなんでしょう、友達にうそ偽わりを言わぬということ、信義ということでしょう、これははっきり人格の完成を目ざす。ただし戦争前の日本教育のあり方というものが縦の道徳に貫かれておって、横の社会道徳がおろそかにされておったという点で、実はその欠陥とするものをあげて、ここにこの点の重点をおかなければならぬというのが第一条の教育目的なんです。それでは新しい事態とは言えないと私は思うのです。今度内閣にいろいろな審議会が置かれるようであります。たとえば憲法調査会が置かれるようですが、心法について内閣に諮問機関として調査会を置くから、教育についても置こうじやないかというのが、臨時教育制度審議会を設けた大きな理由でなかろうかと私はそんたくするのですが、これは間違いですか、お尋ねします。
  93. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 最後のお問いのことは間違いです。そうじゃなく、この内閣ができる以前に、自由党と民主党とが合同して新党を作るときに、こういうことをやろうということがきまりまして、私が就任をして第二回目の閣議でありましたか、当時こういうことをきめて、だからこれを取り上げる、客観的の事実はこうなっております。しか場しそれは重要なことではないのです。あなたの今の御意見と私の意見との市要な旧注は、道徳観念に恥いて相違しておるのであります。しかしながらあなたの観念がいいか、私の観念が悪いかということをきょうここできめる必要はないのです。こういう論が起ったということが新事態なんです。去年、おととしの間にどうもこれは日本道徳基準が間違っておりはせぬかというそういうことが起っておるということが新事態、しかも国の根本となる道義心に疑義が生じたということなら一つ会を開いてみよう、どっちがいいか、世間の言うのは上すべりであったかもしれない、あなたの言うのがほんとうであったかもしれぬ、けれどもこれだけ大きな論議が起ったということが新事態です、これによって今日会を開いてもらう。あなたと私との道徳問答はやってよろしいのですけれども、今する必要はなかろうと思います。
  94. 野原覺

    ○野原委員 私も、実は同僚議員の方にも御迷惑ですから、ここでこういう問題に触れたくありませんが、あなたが言われたから触れたのです。これはあらためて大臣所見をはっきりたださなければいかぬ。ただここで関連があるから聞きたいことは、自由民主党の緊急対策の第一に、国民道義の確立ということをスローガンに掲げていらっしゃる、しかも大臣がそのつど御答弁なさっておる中にも親子道徳、家庭の道徳、そういうものはなっていない、こういうことでありますから、お尋ねをしますが、今日の学校教育では、御承知のように、修身科というものが廃止になっておる、これが原因ではなかろうかと思いますが、大臣いかがですか。
  95. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 私のこの提案をしたのは、修身科が廃止になっているから提案したのじゃございません。日本教育の根本たる道徳について欠けるところがありはせぬかという世論といいますか、議論世の中に起りましたから、それが原因であります。
  96. 野原覺

    ○野原委員 道徳になぜ一体欠けるところができたのか考えてみると、敗戦後の日本教育で戦争前最も努力しておった修身教育というものが実は教科目から取り去られた。だからこの学校教育の中から修身科というものが取り去られているということも大きな原因ではなかろうかとお考えになったことはありませんか。
  97. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 それはございます。
  98. 野原覺

    ○野原委員 いかがでしょう、いずれ中教審か臨教審か知りませんが、そこでこの教科目についての検討もあろうかと思いますが、その際大臣としては修身科復活というようなことをテーマに御論議されるそのおつもりはありませんか。
  99. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 今のところはございません。
  100. 野原覺

    ○野原委員 これでやめたいと思いますが、私は大臣の今日までの答弁で、実はなるほどと承わったのは、今までの日本教育日本の身たけに合う洋服になっていない、借りもの洋服、つるしの洋服だ、既製品の洋服だ、こういう考え方がこの前の連合審査のときも述べられたのであります。私はこれはなるほど名言だと思って実は敬服しているのであります。私どもの身体にぴったりした法律制度というものをやはり打ち立てて行かなければならぬということは、これは一応筋としては通るのでございますが、さてそこで、それでは具体的にどういうものを作ったらわれわれの身のたけに合うのかということになると、実は非常に問題がある。洋服を作るようにはいかぬかと思うのであります。たとえば六・三・三・四制という制度、これは大臣に言わせると、新らしい事態が起っているのです。今日もう五、六年前から起っている。日本のような貧乏な国家がこの学制はぜいたく過ぎる。義務教育九カ年なんてやめて、十三から職場に出て労働ができるようにすべきじゃないかという意見も起っている。いわば日本の身のたけに合わぬ制度だという意見があるのでございますが、こういう学制について一体大臣としてはどうお考えですか。六・三・三・四制の今日の学制が日本の身のたけにぴったり合った洋服になっておりますか、なっておりませんか、承わりたい。
  101. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 今は私は六・三・三・四制度自身をこの会にかける考えは持っておりません。
  102. 野原覺

    ○野原委員 それが今日の日本の国に、いわゆる私どもの身体にぴったり合った制度であるとお考えか。あなたはしょっちゆ言われます。日本の国情、国柄あるいは日本という国の実態、そういうものにぴったりしたものでないといかぬのだ、占領下のものはぴったりしていないから、ここで根本的に検討するのだと言われたので聞いているのですよ。六・三・三・四制という重要な学校教育法基本的な制度なんです炉、これがぴったり合っていると今お考えかどうか。決して私は落し穴を作って御誘導申し上げようと思っておりませんから、率直にお答え願いたい。
  103. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 これがわが国制度に合わぬからといって、この審議会会にかける考えはございません。
  104. 野原覺

    ○野原委員 戦争前の教育制度並びに敗戦後の日本教育制度、それからその二つを通じた、これから再建しなければならぬ日本教育制度がいかになければならぬかはきわめて重要な問題であります。私はそういう意味で、今日まで中央教育審議会というものを非常に重視して参ったのでありますが、今日までの私どもの質問に対する大臣の御答弁は遺憾ながら中央教育審議会軽視であります。何といっても軽視であります。私はこの連合審査では内閣委員の意見も聞かなければなりませんし、なお今日の日本教育が間違っているという点についても究明しなければ、この連合審査を私どもは終ることができないのであります。従って内閣委員長としては文教委員長一つ御相談になり、連合の理事会等も開いて下さって、なお私どもが究明したい点についての御相談が後刻いただきたいのであります。いずれ私は文教委員会に中教審の諸君を証人もしくは参考人としてお呼びいたしまして、一体あなた方はどういう考えで今日の日本教育制度審議してこられたのか、大臣の答弁速記によって、これで一体中教審の存立価値があるのかどうかをお尋ね申し上げるということを予告いたしまして、私の質問を終ります。
  105. 受田新吉

    ○受田委員 内閣委員の発言がないことに対しては、今野原君からの御意見のごとく合同審査としては片手落ちであると思います。で私、連合審査をさらに継続することを要求するものでありますが、今文部大臣の御発言の中に、一つぜひ確かめて合たい点がありますので、これをお尋ねして質問を終りたいと思います。  大臣教育国家百年の大計としてお考えになるという点について、いささか事を欠いているのじゃないかと思う。今まで教育制度に関する諸法案教育委員会法昭和二十七年八月、とつぜんの出し抜け解散で遂に地方教育委員会の発足を招いた。また昭和二十八年三月には、義務教育学校職員法案こいうものを文部省がお出しになられて、これまた流産に終られ、地方公務員を国家公務員に切りかえるという案が葬られた。また教育法案も参議院においてある程度の骨抜きをされたことも御承知の通りです。教育百年の大計から、そのときの大臣の思いつきでこうした根本的問題が適当に変更されるということはゆゆしい問題だと思うのでありまして、清瀬文部大臣は、大臣として就任以来、自民党の基本政策に基いて根本的教育制度の刷新その他を考えようとしておられるようでありますが、教育百年の大計から、かかろ重要問題を一大臣の思いつきで変更されるということは私は不当であると思うのであります。ことに大臣は、前松村文相の教員の停年制に対する反対意見を、今度は賛成怠見場に変更される等、時の文部大臣によって常にその政策が転換されるということは、文部官僚にしてもはなはだ困ることなので、また国家のためにも基本的な大問題が、時の文部大臣によってしばしば変更されるということは、非常に問題だと思う。ことに今の内閣はいつ保守合同が崩れて分裂するかもしれぬし、またいつ内閣が瓦解するかもしれぬ。こういうときに、執行百年の大計を時の文部大臣によって思いつきでやられるということになったならば、大へんな問題だと思うのでありますが、大臣はとの問題を臨的な制度として、特に臨時という言葉をつけておられますけれども、こういうような思いつき的な考え方で出されたような印象を国民に与える法案をお出しになったということは、大臣には非常にマイナスだと思うのでありますが、この点についての御所見を伺いたいのであります。
  106. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 教育が非常に大切なことであり、百年の大計であるということは、受田君お説の通りであります。全く同論であります。ただ今回の臨時教育制度審議会をやろうというのは、私の思いつきではございませんです。これはわが党ができます以前から、自由党においてもお考えになっており、形は違いますが、われわれの民主党においても考えておりましたので、これを重要な案にしよう、条項にしようということは、去年の六月から七月、八月にかけて――その当時私は政務調査会長でございました。私の方から十名の委員が私を混ぜて出まして、自由党の方は水田君が政務調査会長でありましたが、同じく十名であります。この二十名の者が実に七月の暑い間、もう連日協議したことであります。二十名の方も自分の思いつきではなくして、党内の御相談もいろいろあったことでございましょう。また自分選挙区内の有志にもはかられたことでございましょう。非常に研究の上に研究をいたしまして、来たるべき日本政治の第一は道徳及び教育だというので、六カ条ある党の基本政策の第にこれを掲げたものでありました。清瀬一郎一個の思いつきではございません。総裁もむろん御賛成、代行委員もみな賛成したこれは大きな案でございます。
  107. 受田新吉

    ○受田委員 党の第一目標に置いておられることは私もよく承知上ておるのです。従って清瀬大臣がこれを御提案になったという気持に対しては一応了とするのでありますが、しかし中教審の制度そのものは残して新しいものを作ることは、屋上屋を重ねるという印象を与える。これは今の委員諸君発言でも十分くみ取っていただいたと思うのです。国家行政機構はできるだけ簡素化を願いたい、また役人その他の人員をふやすようなことはなるべくやめてもらいたいという国民的声があるときに、このような機関がどしどしできて、それにたくさんの国家予算が使われるというようなことは、果してどうかということを考えた場合に、中教審は委員の任期は二年でありますから、その委員に新しい人を加えるなり、その他任期をまだ満了しない人もその際切りかえるような御便宜などをその委員に願って、そしてあなたの考えられるような問題を持っていくとか、あるいは国会議員を中教審の中に入れるように中央教育審議会令の改正をされるとかいうごく簡単な問題で、その根本問題が討議されると私は思うのです。これは屋上屋を重ねるような印象を国民に多分に与えておるし、何か今の政府は、内閣という合議体の中にいたずらに委員会制度をどしどし作って、あるいは審議会をどしどし作っている、こういう印象を与えておるのです。そういうときに憲法調査法案が出ている、臨時教育制度審議会法案が出ている、こういうような印象を与えることは非常にまずいと思うので、党派を越えた問題として一つ大臣、この際これは御撤回になりませんか。これは大下心問題だと思うのです。
  108. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 私どものこの案を提案するに至った心持を了として下さったことは感謝にたえませんが、この間りちからずっと論じております通り、中教審はやはり一方でこの案を審議する最中も継続的に要る機関なんであります。恒常的機関であります。これを代議士を入れてふくらせといって今すると、またふくれたものが恒常的になってもいけませんし、この教育制度審議が済んでしもうてからそれではおやめ下さいというのもこれも妙なことであります。それでこのことについては従前のやり方を調べたのです。私ども政界へ入ってから間もないことでございましたが、大正十年ごろはちょうど教育評議会というものがありまして、昔ですから勅令できまったのであります。大正十年の九月です。これがちょうど今の中教審と同じようなことをしておったのです。この会長は岡野敬次郎さんでしたが、評議会を置いたまま臨時教育制度調査会というものを置いたのです。これは二つ並行しておりまり。臨時教育制度調査会で、御承知の通り日本大学が京都以来たくさんでき、高等学校ができた。この会長は原敬さんで、横田千之助君が副会長をやっております。もとからの恒常的なものはそのまま置いておいて、一ぺんに一思いにやって、まだ政治家が入っておるというやり方はあるのです。それと似だような状況と思いまして、やはり委員はみな中教審を知らないものは一人もいないのです。あることを知りながらこの臨教審を置こうということだったのであります。
  109. 受田新吉

    ○受田委員 中教審の委員の方々は、学識経験を有する万々では全国一流だと思うのです。この中教審のメンバー以外の人でまだ学識経験のりっぱな人を入れようということになると思うのですが、その点においては、中教審の委員以外に中教審におる人以上のりっぱな人を入れるものをさらに別に作るということは、これはまだ非常に人選にもお困りだと思うのです。こういうようなことを考えて、とにかく中教審を強く育てるという方針をお貫きになる方が、国家百年の大計を教育の上に及ぼそうとする大臣としては非常に大事な問題だと思うのです。それで個人によって教育政策が直ちに変るようなことはなるべくして、もらいたくないということを申し入れておきます。そこでもう一つ最後に、文部省に対して十四日に、こういう制度を研究するに当って、過去においていかなる委員会、審議会等があってこの問題を討議しだか、これはいかなる内容を持っておるかということを、短期間の間に審議を要求されておる政府としては、われわれに資料を御提出願って、それについて十分議員が勉強できる用意をしてもらいたいということを、十一日前に要求しておるのですが、きょう、私の要求しておる資料を出してくれと言ったら、あれは大臣が一部持っておるとか、ここに一部しかないとか、ことには全然用意がない、こういう冷淡なお答えがあったのであります。委員会の審議を一日もすみやかにと要求しておる政府は、かかる重要法案を出された以上、十分資料をととのえられて議員をして勉強させる熱意があるのでありましょうか。御答弁を願いたい。
  110. 福田繁

    ○福田政府委員 受田委員のせんだって御要求になりました資料につきましては、用意をいたしております。その御要求になりました資料につきましては二つあったと思うのです。一つは、文部省で現在持っておりまする審議会等の組織、所掌事項、現在審議中の事項等についての御要求だと思います。過去においてどういう審議会を置いたかというようなことではなかったように思いますが、それは資料を用意いたしております。もう一つの専門委員についてのいろいろの手当の問題等につきまして、専門委員にいかなる人を予想しておるかということは、これは資料の形で御要求になったのであります炉、差しつかえなければここでお答えをいたしてもよろしゅうございます。
  111. 受田新吉

    ○受田委員 私が要求した資料をちょっと読み上げますが、「最後に、政府資料の提出を要求しておきます。それは臨時教育制度審議会を設置されるに至ったについて、教育関係における各種の委員会、審議会の機構」ということが特に言ってある。「及び」、その次です。「現在やっておられる仕事の内容及びそれらに活躍しておられる委員等をお示しいただきたい。」ということを言ってあるのです。提出されるに至った委員会、審議会等のそういう機構について御提出を願い、それから現在の委員とか、仕事の内容とかの資料を要求しておるのです。中央教育審議会その他についての今日までの経過を御説明いただくような私の発言であったのでありますが、言葉が足らなかったとすればここで重ねて、それらを含めて十分われわれに暴発の資料の提出をお願いしておきたいと思います。  これをもって私の質問を終ります。
  112. 保科善四郎

    保科委員長代理 ほかに御質疑はありませんか。――なければこれにて質疑は終了いたします。  内閣委員会文教委員会連合審査会はこれにて散会いたします。    午後零時四十九分散会