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清瀬国務大臣 そのことはこの前にも申し上げましたが、大体種類としては三つの
方向のことをやろうと思っております。第一の
方向は
教育目的に関する反省でございます。現在の
教育方針が私は全部間違っておるというのじゃございませんよ。今の
教育にも非常にいいこともあり、また戦前に私ども
教育の根本として
考えたことも多々入っております。たとえば
方向としては詰め込みをやめて自発的の啓発に重きを置くといったようなこと、
個人の
尊厳を尊ぶこと、信義、正義を高陽すること、これはいいのでありますが。ただしかしもう
一つ今日反省してみますと、たとえば
国家に対する忠誠ということがどこにもないのです。いかに民主国といえども、国を作っておる以上は国に対する忠誠心は鼓吹すべきものであろうと思っております。一部進歩
政治家のおっしゃるソ連でも中共でも、国に対する忠誠は非常に
教育をしております。自由主義の
アメリカもその
通りで、アイゼンハワーは
国家に対する忠誠を宣誓して大統領になったのです。ひとり
わが国だけがここが抜けておりはせぬか。また私が古い
言葉を使うといっていろいろ非難を受けますが、やはり社会の一番初めの単位、生まれながらにしてできておる単位は
家族であります。親に生んでもらわない
子供は一人もないのです。さすればこの近親に関する親愛感というもの、これが私は
子供に対する
教育の一番初めの出発点じやなかろうか、それを抜いてしまって人類愛を説くなんていったところで、これは一段段階が飛躍しておるように思うのであります。これら、すなわち先刻私が言いました
日本人の
国民的
理想、それも間違ったことは改めなければなりませんが、正しい
伝統を頭に置いて、その
伝統に近づき得る手段たる
道徳律というものを反省上なければなるまい、これは一人や二人で主観的に
考えてはいけませんから、そこで朝野の名士、また
責任ある国会
議員の方々に寄ってもらって、この根本を深く
考える時期に到達しておりはせぬか、こういう
方向のことが
一つであります。
その次は
教育内容に関する国の
責任であります。
憲法にも、
日本の
国家は
国民に対して
教育を与える、すなわちすべての
国民はその能力に応じて
教育を受くる
権利を持っておる。それ
ゆえに国費をもって
学校を設立上、また
私立学校に対しては補助を与える、こういうふうにやっておりますが、その
責任です。一体どうやったらいいのだろう、今の法規を見ると、
文部大臣は暫定的な
責任者なのです。
学校教育法百六条によると、当分の間は
文部大臣が
監督庁として
教育にくちばしを入れてもいい、こういうことなのです。これはどうするかというと、
学校の教科をきめることです。今まで学習指導要領を頒布して、これでやれということを
学校に
通達しておるのです。ところが学習指導要領に従ってくれないときにどうするかということがちっともないのです。出しっぱなしです。ここらのところを一体どういうふうにやれば
国家の
責任がとれるか、これが
一つの
日本の
教育の盲点になっておるのではないかと思います。私の
言葉はあるいは悪いかもわかりませんが、
教育行政については指導、助言、勧告の
権利があるけれども、
教育内容についてはないのです。これらの
一つの盲点を掘り下げて御研究を願いたい。むろん中央集権をばかりは
考えておりません。しかし意がら
日本のような単民族の
国家または
同一言語を償う
国家、こういう国においては、やはり一定の
教育水準を維持することを
考える方がいいのではあるまいか、こういうことが第二でございます。
第三には、
教育も国のためまた
日本民族のためですから、今
大学でも設置しようと思うと、設置
基準にさえ合えはどんどん許可することになっております。
基準に合うものを私たちが却下でもするとそれは大へんな問題です。それでこの間も言いました四百八十なり四百九十の
大学が続々雨後のタケノコのごとく、と言ってはいけませんが、たくさん来るのです。これは多少より選びまして、経済の方では五カ年計画というのを作っておりますが、
教育もそこはいかに自由だといっても、しんしゃくして、
国家目的に沿うようなふうに誘導する
方法はなかろうか。それは
高等学校もそうです。中学もそうです。地方においては、せっかくだからもっと職業
教育に力を入れてくれという希望が非常に多いのです。短期
大学がそうです。そういうふうに
国家目的に沿うようなふうに
学校の設置なり科目なりそれを
一つやる工夫はあるまいか、こういうことを皆さんに
一つ相談をしてみたい。最後のことは技術的になりますから、われわれの
考えておることは十項目ございますが、合ここで申し上げるのもわずらわしいと思いますが、これが第三の要項でございます。こういう三種類のことをまとめて、会ができましたら、こういうことはいかがかという諮問をしてみたいと思っておるのであります。