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門司委員 ちょっと今中座しまして、
最初から十分議論を聞いておりませんから、はっきりしたことはわからぬのだが、今の議論を聞いているとおかしい。小林君の議論もおかしい。自治法はそういうことは規定していない。それから県議会というものは一
予算はいわゆる
予算であって、責任の帰属がどこにあるかということについては、
予算を
執行する過程においていろいろの問題が出てくる。たとえば修正
予算が出て、それが増額
予算であるという場合に、今基礎を確かめなければならぬという議論をされておるが、しかむ
知事の出したものが実行
予算として万全を期したものではないと私は思う。やはり
知事の出したものでも、
自分の方の見積りが低くなれば追加
予算を出さざるを得ない。議会の承認を得なければならぬ。そういうことを
考えると、そのこと
一つにこだわるというのは何か政治的配慮がありゃしませんか。もし政治的配慮があるとすれば重大問題ですよ。問題は
予算である。しかも、これは小林君に聞いておきたいのだが、増額
予算をするにはちゃんとワクがはめられておる。知っておるでしょう。
予算の基礎をくずさない範囲で出せということになっている。増額
予算ということについては、無制限にできない
ように
法律にちゃんと書いてある。だから増額
予算はけしからぬ、実態
調査もしなければならぬという理屈は必ずしも通らぬのである。もしこれが骨格
予算をくずす大修正であるならば、
知事はこれは認めるわけには参りませんという
法律的根拠を持っておるはずです。今の問題は、私はその
法律的根拠というものは何も
考えられ念い、ただ政治的配慮だけで、ものを片づけていこうとするところに問題があると思う。こうなってやしませんか。自治法にちゃんと書いてあるだろう。議会から増額
予算をする場合には骨格をくずしてはならないというワクがはめられておる。議会においてはそのワクの範囲内においてのみ増額修正ができるのである。このワクをこえない範囲における増額修正であるならば、これを
知事が拒否するということは、
知事の
考え方が少し自治法自体を尊重せざる
考え方ではないか。自治法を尊重しないということだけではない。われわれが自治法を作ると遂に一体なぜその権限を議会に与えたかということである。これは自治体の
執行機関と議決機関とが対等の立場において
仕事をしていくという、いわゆる従来の、
知事が原案
執行権を持ち、内務大臣が県議会の解散権を持っておるという事態を改めて、
地方住民の自覚と責任に基いた行政を行なっていこうとするには、やはり行政機関と議決機関とが対等な立場に立って、すべての
仕事を話し合いでやっていくというのが自治法の根本なんです。ではあるが、
予算に関する限りにおいては、修正は、減額の修正もできるが、増額の修正については、対等の立場に立たしておくとはいっても、県議会が
執行のできない
ような無理な修正をするということを避けることのために、ワクがちゃんときめてあるのです。増額修正はできるが、その増額修正は、何度も繰り返して言う
ようだが、根本の
予算をくずさない範囲において、これを行うことができるとちゃんと書いてあるはずです。自治法はそこまで配慮をして、一応対等な立場に立たしておるのです。なおまた
知事が気にいらなければ再議に付することもできる。再議に付してなお
知事の原案が通らなければ、県民に信を問うということで議会を解散することもできる。議会の解散権が
知事に与えられておる。戦争までの議会の解散権は内務大臣が持っておったでしょう。
知事がちゃんと議会との間に対等な立場に立っておるのである。自治法の精神というものから、ずっと条文を読んでごらんなさい、今日どういうことに結末がならなければならないか。私は内部にどんな事情があるかわかりません、県議会の複雑な事情だと三原さんは言っておったから。どんな複雑な事情があろうとも、われわれはそれには触れ
ようとは思わない、またそれを批判してみたところでしょうがない。ただわれわれが今
考えておるのは、こういう事態が往々にして県の内部的紛争のもとに今日行われるということになって参りますると、県議会というものの存在の真意がなくなってしまう。
知事は一方的にやれるのだ、要するに与党をひっぱっていけば一方的にやれるのだということになると、議会の存在の意義がなくなるでしょう。県議会の議員やあるいは
議長はそこまで
考えなければならぬと私は思う。同時に
知事といたしましても、議会が通らぬということになれば、暫定
予算を組むこともできるし、また会期の延長もできるはずである。そうして円満に議事を遂行していくことができるはずである。それを、どうしてもそういうことができなかった、同時に議会を開けと言われても、実態
調査がわからなければという御答弁が今あった
ようでありますが、それも実にけげんな話である。
福岡県の
予算というものは一銭一厘違わない完全なる
予算とは言えないでしょう。増減が必ずあるでしょう。増減のあるたびに県議会を招集して、あるいは追加更正
予算をしなければならない、余ったものは翌年度に繰り越さなければならぬ。これは幾らでもやれるのです。だから
法律の範囲をこえざる県議会の要請であるならば、さっきから何度も申し上げております
ように、
予算の根底をくずす
ような大修正でない、
法律の範囲で認めた
予算であるならば、これは
予算として議会を開かれるということは当然だと私は
考える。要求した額が多ければむだづかしいさえしなければ繰り越しになるでしょう、余るでしょう。
知事の査定が低かった場合には追加
予算を出されるでしょう。理屈は同じです。だからそこにこだわられるということは、何か
一つの大きなわれわれが察知することのできない政治問題でもあって、そういうふうに拘泥するのかというふうに私は
考える。だからこれ以上私は何もあなたにものを聞こうとは思いません。
そこで
自治庁に聞いておきたいと思うのは、こういうことが方々に起るということになってくると、さっきから申し上げておりまする
ように、自治法自体がくずれてしまうと私は思うのです。こうなってくると、どうしても議会が
知事のそういうものについては、たとえば原案
執行権とかいう
ようなものについても、あの条文を削らなければならない、どこまでも
予算については県議会でやるという
ようなことに、あるいはしなければならないかもしれない、自治法の改正をしなければならないかも上れない。その次に出てくるものは議会の要求があった場合には、何日以内に開かなければならないという
ような規定を設けなければならないかもしれない。この前も
国会で私は申し上げたのでありますが、われわれが
法律をこしらえまする場合に二つのものの
考え方炉ある。
一つは現在の刑法のまうに対象になる者が悪人であるというものの
考え方に立って
法律をこしらえ
ようとするならば、それはもう全部罰則をつけて、こうしたものにはこういう罰をする、こうしたものにはこういう罰をするということで、これをがんじがらめに縛らなければならない、また悪いことのできない
ような
法律を作らなければならない。これは対象が悪いことをする者であるという
考え方からそういう
法律ができる。自治法なんという
法律は、相手は県
知事であり、市町村長である、住民から選ばれた議員の諸君であると同時に住民から選ばれた行政
委員会の諸君である。しかも
地方の自治体はあくま、でも住民の意思によって、その運営を決定すべきであるという見地に立ってこしらえた
法律でございまするので、どこまでも話し合いの余地が
法律の中で与えてあるわけだ。私
どもは新しい自治法を今日まで検討してきたときには、そういう
考え方で、どこまでも話し合いの場所を与える、そうしてお互いの良識によって、話し合いによって議会というものがスムーズに行われていくということが自治の本来の姿である、こう
考えてこしらえた
法律である。これが今の
ようなことが行われるとするならば、
知事の権限にも
法律で制約を加える、議会にも
法律で制約を加える。そうすると住民の意思は一体どこで円満に取り上げられるかということになる。
法律がこうだから仕方がない、
法律がこうだから仕方がないということになると、争いが今度起ってくる、私
どもはこういう見方をしたくないのであります。あくまでも現行法のできておる精神に基いて、県会の運営をしなければならぬと
考えておる。従って
自治庁としては、これは小林部長に聞くことはどうかとは思う、大臣に聞かなければならぬと私は
考えておるのだが、もし
事務的に答弁ができるなら答弁をしてもらいたい。この自治法の中には指揮、監督、命令をすることはできないが、
自治庁長官はある
程度の勧告を行うことができる
ようにちゃんと書いてあります。こういう事態について
自治庁としては、ここにただ遺憾であるという意思表示だけでなくて、
知事あるいは議会に対して、そのこと自体はきわめて遺憾であるという
ような勧告を行うことが、この際全体の
日本の自治行政を律する上に必要ではないか、こういう
ように
考えるが、
自治庁の
考え方を
一つはっきり聞いておきたい。