○加賀田
委員 どうも性格が明確にならないと思うのですが、もちろん生計費がだんだんと増加することも、
一つの要素であろうと思います。しかし定期昇給というものは、私はそういうことを主にして決定されたものではないだろうと思うのであります。いわゆる相当勤務いたしておりますと、その勤務に対する熟練度も高まってくる。住民に対するサービスの技術もよくなってくる。こういうようにしていわゆる勤労に対する奉仕の自然的に高まるということが、
一つの大きな要素ではないかと思う。だから六ヵ月とか一年というふうに、だんだんとそういうみずからの持つ勤務が技術的にも向上するということが、定期昇給という大きな要素ではないかと思うのです。従って私はそういう問題が、外部的な経済
事情に基いて定期昇給がストップする性格のものではないだろうと思うのです。特に民間企業と異なって、民間企業は
御存じのように利潤を追求いたしておりますから、利潤の増減に基いていろいろな問題がさらに
考えられると思いますが、
地方公務員並びに
国家公務員のおる公共の
団体は利潤追求ではないわけです。だからやはり定期昇給というものは、いかなる状態においてでも、これはやらなければならない義務があるのじゃないかと思います。それにもかかわらず、いわゆる
地方団体が
赤字だとかいうような外部的な情勢に基いて定期昇給をストップしたり、あるいは廃止したりするということは、定期昇給の性格から許されないのじゃないか。そういう性格を私は
考えてみるときには、幸いに
国家公務員も今度定期昇給の財源を得ているからには、
地方公務員においても、従来行なってきた定期昇給のストップをカハ治すると同時に、三十一年度は
国家公務員並みに定期昇給をすべき問題だと思うのです。こういう
意味で、六カ月のものを三ヵ月にするというようなそういう技術的なものでなく、これは性格的にベース・アップとは異なった性格を持っておるのだから、ぜひとも
長官としてもこれに善処してもらいたいと思います。
それからもう
一つ長官にお尋ねいたしたいのは、
長官は
国家公務員との
均衡、
国家公務員に準じてという
考え方を持っておられますけれ
ども、
国家公務員は
団体交渉権あるいは罷業権というものをとられてしまっておる。しかもそのために人事院というものが作られて、人事院は独立の機関となっておりますけれ
ども、政府の圧力に屈服して、実際は独立の価値はない。今度の三公社、五現業の問題のときに、これを支給するならば、
国家公務員にも当然支給すべきだということを、人事院が内閣に言っておるということを聞いておりますが、それすらも無視されております。
国家公務員はほんとうに手も足も奪われて、だるまのような形になっておる。こういう勤労者の基本的人権を全く奪われておる
国家公務員に準じて、
地方公務員が勤務状態あるいは給与等を決定されるということになれば、これはゆゆしき問題だと思う。少くとも
地方公務員は罷業権は持っていなくとも、団交権を持っておる。当局に対して
団体交渉を行なって、給与その他の勤務条件を改善するだけの力を持っておる。またそれが与えられておる。にもかかわらず、
長官はそれらの労働の基本権を奪われておる
国家公務員に準ずるという思想、これは全然間違っておるのじゃないかと思う。逆に
地方公務員の勤務条件その他給与条件に
国家公務員が準ずべきが、私は正しい見方だと思うのです。これは全く本末転倒の
考え方に基いて、
地方公務員の給与を
指導されておっては、いつまでたっても
地方公務員というものは浮かばれないと思う。一体そういう形で
指導されるとするならば、
地方公務員の持っておる
団体交渉権というものは、実質的にどう発動するのであるか、それはただ形式だけになってしまうのじゃないか。その点
太田長官としてはどう
考えておられるか、明確にしてもらいたい。