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1956-04-25 第24回国会 衆議院 公職選挙法改正に関する調査特別委員会公聴会 第2号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十一年四月二十五日(水曜日)    午前十時二十八分開議  出席委員    委員長 小澤佐重喜君    理事 青木  正君 理事 大村 清一君    理事 松澤 雄藏君 理事 山村新治郎君    理事 井堀 繁雄君       相川 勝六君    臼井 莊一君       岡崎 英城君    加藤 高藏君       菅  太郎君    椎名  隆君       瀬戸山三男君    田中 龍夫君       中垣 國男君    福井 順一君       藤枝 泉介君    淵上房太郎君       古川 丈吉君    三田村武夫君       森   清君    山本 勝市君       山本 利壽君    片島  港君       佐竹 晴記君    島上善五郎君       鈴木 義男君    竹谷源太郎君       滝井 義高君    田中織之進君       原   茂君    森 三樹二君       山下 榮二君    山田 長司君       小山  亮君  出席政府委員         自治政務次官  早川  崇君         総理府事務官         (自治庁選挙部         長)      兼子 秀夫君  公述人         日本経営者団体         連盟専務理事  松田 正雄君         政治評論家   矢部 貞治君         早稲田大学教授 吉村  正君         専修大学教授愛         知大学教授   吉川末次郎君  委員外出席者         総理府事務官         (自治庁選挙部         選挙課長)   皆川 迪夫君     ――――――――――――― 本日の公聴会意見を聴いた案件  公職選挙法の一部を改正する法律案内閣提  出)  政治資金規正法の一部を改正する法律案中村  高一君外三名提出)  公職選挙法の一部を改正する法律案中村高一  君外四名提出)     ―――――――――――――
  2. 小澤佐重喜

    小澤委員長 これより公職選挙法改正に関する調査特別委員会公聴会を開きます。  議事に入ります前に、公述人の方に一言ごあいさつを申し上げます。  御多用中のところ、一昨日に引き続き、重ねて御出席を願いましたのは、さきに御通知申し上げました通り、本委員会において目下審査中の内閣提出公職選挙法の一部を改正する法律案中村高一君外三名提出政治資金規正法の一部を改正する法律案及び中村高一君外四角提出公職選挙法の一部を改正する法律案の三案について御意見を拝聴し、よってもって本委員会審査に慎重を期することといたしたのであります。  つきましては、何分ともに以上の趣旨を御賢察の上、それぞれの御立場より、腹蔵のない御意見の御陳述をお願いする次第であります。  なお、議事の進め方につきましては、公述人意見陳述の発言時間をお一人当り三十分以内でお願いし、公述人お一人ずつ御意見の御開陳と、委員側質疑を済ませていくことといたします。  それでは、ただいまより、三案を一括議題として、公述人より御意見をお聞きすることといたします。  矢部貞治君より御意見の御開陳を願います。公述人矢部貞治君。
  3. 矢部貞治

    矢部公述人 私の公述の要点は、前会に申し述べましたが、その際、社会党提出の二法案につきまして意見を述べることができませんでしたので、簡単に申し述べさせていただきたいと思います。  これを拝見いたしまして、この二つ法案は、前回私が申し上げました小選挙区に伴う買収、戸別訪問事前運動、その他の弊害を除くために、どうしても必要と考えるところの政治資金規正強化、あるいは連座制強化、さらには免責規定の削除というふうな事項をちょうど含んでおるわけでございまして、この二法案趣旨につきましては、私は全く賛成いたすものであります。ただ、個々個条につきまして、果してこれが実施可能のものであるかどうか、あるいは妥当であるかどうかを一々判断するだけの能力が私にございませんので、個々個条につきましては、私として意見を申し上げることができないのでありますが、この法案趣旨につきましては、全く賛成でございます。  ただ、この公職選挙法の一部を改正する法律案の中で、減票制度というものが認められておりますが、この法律案の第二百十二条に「当選人選挙運動を総括主宰した者、出納責任者選挙人その他の者が第十六章《罰則》に掲げる罪を犯し刑に処せられたため、」云々という規定がございます。この十六章の罪の中には、当然に当選無効になるべき罪も含まれておると思うのでございますが、そういたしますと、当選無効になってもなおかつ減票をやるという趣旨なのでございましょうか、そこのところが私に多少理解しにくかったのでございます。その点を除きましては、私はこの法案趣旨賛成でございます。
  4. 小澤佐重喜

    小澤委員長 矢部公述人に対し、質疑の通告があります。順次これを許します。鈴木義男君。
  5. 鈴木義男

    鈴木(義)委員 一昨日、矢部さんからきわめて有意義なる御意見開陳がありまして、私どもも大いに参考となった次第であります。矢部さんが小選挙制度賛成であるということをもって、私どもは別に保守党に好意を持っておるとか、属しておるとかいうふうには考えないのであります。わが国における最も有力なる政治学者として、きわめて公正な立場から御意見を述べられておることでありまして、従ってこの機会にぜひ一つ、もっとこまかく、公正な御意見をお聞かせ願っておきたいと存ずるのであります。  そこで、理論上、小選挙区がよい、あの制度がよいということと、わが国が現在現実にこれを施行することが所期の結果を得るかどうか、そういう意味においてよいと言い得るかどうかは、非常に重大な問題で、かつ区別のある問題であると存ずるのであります。そこで、たとえば二大政党を作り出すためには、イギリスやアメリカの実例によると、小選挙制度がよかった、しかし日本で今それをすぐに実行に移すと、予期したように二大政党ができるかどうか、一大政党つけたり政党ができるというような結果が現われてきやせぬかということをおそれるのであります。その意味において、今急いで小選挙制度を採用しなければならない必要があるのでありましょうか、その点を一つお尋ねいたしたいのであります。  現在、御承知のように、二大政党が対立しておる形になっておるわけであります。従来長い間矢部さんを初め、多くのお方々が小選挙区論を主張されたのは、わが国小党分立で、政局が安定しない、これを安定させるのには小選挙制度を採用しなければならない、こういう見地から御主張になっておった方が多いように思うのであります。ところが、はからずも昨年の秋、自由党と民主党は合体し、両派社会党統一をいたしまして、一応二大政党対立の形はできた。しかも自由民主党は二百九十九名、三百名になんなんとする、四百六十七名のうち絶対多数を占めておるのでありますから、一応これは政局は安定しておると申してよろしいのであります。それを、この際急いで小選挙制度をやらなければならない必要があるとお考えになるでありましょうか、その点からお尋ねをいたします。
  6. 矢部貞治

    矢部公述人 お答えいたします。私は、本来、わが国議会政治のいろいろの条件が必ずしも整っておらないというふうに考えておりましたので、実は保守合同につきましても、社会党統一にいたしましても、あまり無理をしてやられるということには、引き続き、反対的あるいは批判的態度をとっておった一人でございます。けれども、昨年の秋、とにかく保守合同社会党統一が実現したのでございますから、これをもう一度また分裂の方向に導いていく、小党分立の方に持っていくということよりも、こうなった以上は、一つ二大政党基礎を固め、条件を整えていくということに努力する方がよろしいのではないか、こういうふうに考えておるものでございます。そのような意味で、一つは、二大政党と必ずしも小選挙区が理論的に関係があるわけではございませんが、一応これは党の組織近代組織化いたしまして、二つ政党が対立するような形になれば、それが望ましいと考えておるのであります。ただいま二大政党にならないで、一大政党になり、もう一つつけたりになるのではないかというお話でございました。けれども、私は、そのようになるというふうには考えておらないのであります。よくこの小選挙区案は社会党にとって非常に致命的に不利だという御意見を聞くのでございますけれども、私は少しそういう見方と違っておるのでございまして、むしろ今度の小選挙区案、とりわけ選挙制度調査会あたりで作りました案によりますれば、必ずしも社会党がそれほど不利とは考えません。それは大都市などに定数が増加いたしますところは、おおむね社会党が優勢なところでもあると思いますし、さらに公認されない候補が乱立するという公算は、むしろ保守勢力側に強いのであって、社会党あたり候補者は一本にしぼる可能性が強いということになりますれば、むしろ保守の票が割れるということもあり得るのでございまして、必ずしも社会党に明瞭に不利だというふうには思えないのであります。のみならず、過去の投票の模様を基礎にして将来の結果を予想するということも、必ずしも正しくないのであって、過去にこれだけの村からこれだけの票が出たから、将来もその通りだろうというのは、一応の推測でありまして、私も努力次第によりましては、そういうことはないと考えております。のみならず、少し目盛りを長くして――少し長い目で見ますると、現在の中選挙制度社会党が絶対多数をお取りになるということは、相当将来でなければむずかしいのではないか、むしろ小選挙区になった方が、社会党が絶対多数をお取りになる日が近くくるのではないか、それはもちろん努力次第によることでございますけれども、三分の一の勢力ならば現在の制度でよろしいかもしれませんけれども、しかし、絶対多数というものは、やはり小選挙区にならないとなかなか困難ではないか、これはイギリスの労働党の経験などから見ても、私はそう考えておるのでございます。のみならず、今まで社会党は大体総選挙の場合に三百名前後の候補者をお立てになっておったようでありますが、これではやはり絶対多数ということにはとうていいけないわけでございまして、小選挙制度が実施されて、もし五百に近い選挙区で一人ずつ公認候補をお立てになるということになりますれば、どうしても社会党一つ全国的な政党組織をお作りにならないといけないのであります。それは、一つの大きな努力は必要でございますけれども、それによりまして、社会党は単に労働組合組織基礎を置くというだけでなく、全国的な地域組織を持った一つ国民的政党に成長するという契機が生まれてくるのであって、そのような状況を考えますると、私は少し長い目で見れば、社会党にとって決して不利ではない、むしろそのような意味では、一大政党になるのではないかという御懸念は、小選挙制度にすることによって消えるのではないかというふうに考えておるのであります。  それから、小選挙区を私は必ずしも急ぐというつもりはございません。これは国会でいろいろと御審議の上で御決定になるべきことと思います。ただ、政局の安定は、なるほど今日一応できておりますけれども、前会に申しましたわが政党近代組織化ということを促進するというふうな必要は今日きわめて大きいと思いまするし、さらにもし連座制強化政治資金規正などと一緒にしまして、法定選挙費用の減少ができるということになりますれば、政界の腐敗を除くという意味においても小選挙制度が望ましいと考えておる次第であります。簡単でありますが……。
  7. 鈴木義男

    鈴木(義)委員 わが党にとっていかにも好意ある御見解を承わりまして、その点は感謝いたすわけでありまするが、小選挙区を主張する方々も、社会党に対して決して不利でないから心配するな、――けさの読売新聞の論説などにも、社会党にとって決して不利でないということをお響きになっておりまするし、選挙制度調査会等におきましても、われわれを慰める委員諸君は、少しの間がまんすれば、やがて多数になり得るからがまんしたまえ、こういうようなことを皆さん言われたのであります。しかし私は、問題は決して社会党に有利か不利か、あるいは保守党に有利か不利かというようなことで考えるべきでなく、日本政治がここ数年間どういう動きをたどっていくかということについて、国家のために、どちらが有利であるかという見地から考えなければならぬ、こう思っておるわけであります。もし国家のためになることであって社会党に不利ならば、私はいさぎよくこれに服するつもりであります。しかし、御承知のように、今のままの日本選挙基盤といいましょうか、選挙民諸君意識、それから選挙の実情というものを背景にして、小選挙制度のもとに選挙が行われるということを考えてみますると、遺憾ながら革新政党が伸びるという可能性を見ることは非常にむずかしいのであります。実際に選挙をおやりにならない方々は、抽象的にそういうふうにお考えになっておられるようでありまするが、実際の選挙に携わっておるわれわれから見ると、何がこの勝敗を決するかといえば、平素選挙区を培養している者が勝つのであります。また知事市町村長府県会議員市町村会議員、あらゆる農業団体あるいは商工会議所、いろいろなものの産業団体文化団体等、ほとんどあらゆるものが保守系で独占しておると申して差しつかえないのでありまして、革新的な方面に心を寄せる者というのは、いずこの町村においても散発的に散在しておる。今日までは、まだ干渉とか弾圧とかいうようなものが露骨でありませんので、比較的活発にこれが動いておりましたけれども、おそらくは、小選挙区となり、そしてもろもろの反動政策が実行されることになりますると、こういう声が影をひそめるであろうということを私どもはおそれておるのであります。そういうところから、結局選挙をやってみると、意外な結果が現われてくる。これは私どもは、たなごころをさすがごとく予言することができる。しかし、そういう障害を突破して、一回、二回――小選挙区になりますれば、おそらく絶対多数党ができましょうから、これはよほどの事情がない限り、まず解散をなかなかしない、四年間は続けるという傾向を持つと思うのであります。そうすると、四年間続くとすると、またいま一度選挙をやって、そのときに社会党が多数になれば幸いでありまするが、多数にならなければ八年、そのとき初めて勝ちを制するということがありましても、私は日本反動体制と申しては失礼かもしれませんが、まず教育法案についても、公選制をやめて任命制に直す、憲法改正して軍隊を公然と置くようになる、あるいは徴兵制もしかれる、あるいは内務省が復活してきまして、必ず今に知事任命制なんというものも出てくるでありましょう、あらゆる面にそういう復古的、反動的体制が完成してしまって、しかる後に社会党がかりに多数を制して参りましても、敗戦後の日本の改革のように簡単にはひっくり返すことはできない、ことに地方末端固定化というものを阻止することができないということを憂えておるものでありまするが、そういうふうな点をお考え下さいまして、今すぐに小選挙制度を行うということには、日本国家体制の変動という見地から心配がないとお考えでありましょうか、お伺いいたしたいのであります。
  8. 矢部貞治

    矢部公述人 お答えいたします。ただいまのお話は、まことにごもっともな点があると思うのでございますが、ただし、現在の状態におきましても、社会党が三分の一程度の勢力でありましては、もし数の力で押していこうとするならば、今、鈴木委員さんが御心配になったようなことを、やはり自由民主党の方ではおやりになるだろうと思うのであります。その点は、今以上に社会党が減る度合いいかんにかかると思うのでございますけれども、私はそれほど致命的な打撃があるように思っておりませんので、これらの問題で、現在の状態とそれほどの差ができるとは考えませんのでございます。  それから憲法のことが聞かれておりまするので、私は一言申したいのでありますが、本来小選挙制度そのものは、憲法改正という問題とは関係なく起ってきた問題だと私は了解しております。それは、すでに昭和二十六年の選挙制度調査会でも小選挙制度というものが答申されておる。このときに、憲法問題がからんでおったとは私は思えないのであります。この当時は私は委員ではございませんでしたが、この調査会に呼び出されまして、意見を聞かれましたときにも、小選挙区を大いに強調した一人でございますけれども憲法問題と関係はなかったと思います。その後、小選挙制促進協議会というふうな団体ができまして、この中には社会党の方も入っておられたのでありまして、これは憲法問題とは関係なかったと思うのであります。それから、昨年の選挙制度調査会が始まりましたところでも、まだ保守合同社会党統一もできていなかった時分でございますが、私もすべての総会出席したわけでごいまませんでしたので、あるいは聞き漏らしがあるかもしれませんが、少くとも昨年の秋ごろまでの総会の論調では、小選挙制そのもの弊害というものを説かれて反対をされた反対意見は多数伺いましたけれども、これが憲法改正をするための下準備だというような意味での反対論は、私は聞いた記憶がございません。そういう意味で、憲法論とからんできましたのは、私の思うところによりますと、昨年の秋、保守合同ができ、社会党統一ができ、そして第三次鳩山内閣憲法改正ということが三大政策一つとして掲げられた、こういうことからきておるように思うので、私はこの小選挙制度の問題が憲法改正の問題とからんで考えられ、あるいはそのように世論が指導されているということは、はなはだ遺憾なことだと実は考えておるのであります。自由民主党その他に、あるいはこれを憲法改正のための一つの手段として考えておられる方があるかどうかは私は存じませんけれども、しかし、私どもとしましては、選挙区制の問題というものは、やはりそれ自体の功罪で考えたいというふうに思っておる次第であります。今、八年後でなければ社会党は多数になれないというふうなお話がございましたけれども、私は小選挙区になっても、保守政権が八年も続くというふうにはとうてい考えておりませんので、今のような御懸念一応ごもっともでありますけれども、そこまで思い詰める必要はないのではあるまいかというふうに私は思っておるのであります。
  9. 鈴木義男

    鈴木(義)委員 いや、別に思い詰めておるわけじゃありませんが、一つ仮定論として、考え得べき場合をいろいろ申上げておるわけでありまして、そういう点について忌憚のない御意見が承われれば幸いなんです。ただ問題は、国会がたびたび解散される――内閣は辞職しても、解散しなければやはりたらい回し政権が続いていくわけですから、われわれから見れば、保守政権の連続ということになるわけであります。むろん私も一つ内閣がそう長く続くとは思っておらないのでありますが、どうかそういう点も、忌憚なき御意見を承わらせていただきたいと思います。  それから、一昨日の御意見の中で、強力な政府を作るということを仰せられた。それは賛成でありまするが、ただ強力過ぎるということは、やはり議会政治の本質と反するのじゃないか。つまり、まあ矢部さんはあまり強力なものができないようにお考えになっておられるようでありますから、その点はあまりお考えにならないのかもしれませんが、われわれは、また強力過ぎるものができるか、さもなくんば保守派分裂を来たす。それは強力でないが、わが国政局を不安定ならしめ、不幸に陥れることは、今以上であると考えておるわけであります。たとえば、小選挙区制がしかれますと、公認ということが最大の問題になるわけであります。そうすると、四百九十七人で、二人区がありますから四百七十七区でありまするが、それで公認をする。必ずそこに公認漏れ保守派の人がおって、おれの方があの公認よりは強いのだ、うぬぼれの強い人が多いのでありますから、それがみな続々立って、それで五十人以上で第二の保守党を作って、そして個々選挙を争う。社会党保守党戦いじゃなくして、第一保守党と第二保守党戦いつけたり社会党、こういうことになることも考えられるのであります。そういうことの方が、日本政局を混迷させ、不安定にすることがかえって大きいと思うのであります。そういう意味においても――なぜそういうことが起るかといえば、政党組織基盤等がまだ十分にできておらないからです。その点は、保守派についても同様でありますし、社会党についても、率直に申して、小選挙区をやるというならば、われわれもこれは十分準備をしなければならない。準備をして、四百七十七区について一応の組織を整えて、さあ一つやりましょう、こういうなり公正な選挙が行われると思いますが、どちらかといえば、保守派の方は十分準備があり、社会党の方は準備が整わないでやらなければならぬということは、これはフェア・プレイでないと思うのであります。区画割等につきましてはあとで御質問申し上げますけれども、そういう意味でも、私は準備不十分なる選挙制度改正でないか、こういうふうに考えるのでありまするが、その点いかがでありましょうか。
  10. 矢部貞治

    矢部公述人 ただいま小選挙区を強行すれば、保守側分裂するだろうという御観測であります。これは私にはわかりませんですが、もし鈴木さんの御予想のようにそういうことになりますれば、先ほどの一大政党というようなことじゃなくて、三大政党といいますか、あるいは第一保守党と第二保守党とが対立して、社会党つけたりだ、こういうふうなお考えのようでありますが、もしそうなりますれば、つまり社会党がキャスチング・ボートを握るということでありまして、これは社会党にとって非常に有利ではないかというふうに考えるのであります。ただ、そういうふうなことになるのかどうかの予想は、私といたしましてはわからないのであります。ただ組織基盤準備がまだできておらないと言われます点は、明らかに私もそうだと思うのであります。しかし、これは社会党だけでなく、やはり自民党側もそうではあるまいかと考えておるのであります。実は、私はその政党の全国的な近代組織を促進するために、小選挙区が非常に有利なんだというふうに考えておりまして、政党近代政党になるということを非常に望みますので、小選挙制度が比較的よろしいのではないかというふうに考えておるわけなのでございます。
  11. 鈴木義男

    鈴木(義)委員 それは矢部さんのように実際の選挙などをあまりおやりになったことのない方にお伺いするのは初めから無理かもしれないのでありますが、実際は、保守党の方は、すでにある意味の、近代的という形容詞がつくと疑問でありますが、組織は十分にできておるのであります。選挙をやりますると、ずっと有利なハンディキャップを持って立ち上るので、社会党も、それは組織のできておる区域も若干ありますけれども、全体として見れば、まず組織を作ってから出発をしなければならぬ。だから、作らせるためなのだと仰せられるわけでありまするが、それはここ二年、三年という時間がかかるのであって、その間に、日本の国は取り返しのつかない状態に陥るのではないか。世界的に見ましても、御承知のように、社会主義勢力は、かりに共産主義も入れますれば、世界の三分の二を支配しておると申して差しつかえない。それで、インドのような国すらも、社会主義をもって立国の政策とすることを宣言してやっておるのであります。日本は、ここ長い間保守単独政権で、社会党が伸びそうもないというと、十分意識の発達していない選挙民は、事大主義者でありますから、社会党に入れても仕方がない、地すべり的に、むしろ当選する方に入れろというような傾向が生じて、なかなか伸び悩みます。そういうことは、あるいは心を寄せておった者、議会主義で社会改革ができるかなと思っておった人々をして、再び暴力とまでは申しませんが、革命を思わせる。ことに共産党のようなものはほとんど出られなくなると見なければならぬ。出てきても一人か二人、そういう場合に、これが、日本の社会進歩と申しましょうか、向上のために望ましい状態であろうか。学者であられますから私はお伺いするので、ほかの人にそういうことをお伺いしようとは思わないのでありますが、この点は一つまじめに考えてみなければならぬ大問題であると思う。共産党のようなものは、私はできるだけ国会に出てきて、言論をやってる方が安全弁であると思っておる。共産党というものは、かつては非常に神秘的な魅力を持っておったのであります。これが地下にくぐっておったときに、みなそう思っておった。だから、りっぱな人々の子弟がみな争って共産党に入った。今の共産党というものは、そう違った奇抜なことを言うわけでもなく、やるわけでもないということがわかってみれば、そんなに神秘的な魅力というものを持つわけじゃないのでありまして、これはやはり国会の壇上で大いにやらせる方がいいと私は考えておりますが、そういうこともできなくなる。そうすると、ある人々は、社会党が今度は左の方にいって、共産党の代理を勤めるような形になりはせぬか、これを支持する層の人々も、そういう傾向がすでにほの見えつつあるのだ、議会なんというものはあてにしない方がいい、サンジカリズムでやっつけろ、こういう方へいくぞ、こういうことを心配するのでありますが、そういう点についてはいかがでありましょう。
  12. 矢部貞治

    矢部公述人 ただいまの、社会党が小選挙区になると伸び悩むというお話でございましたが、この点は、私は、先ほど申しますように、必ずしもそういうふうになるというふうに考えておりません。実は今の鈴木さんのお話と食い違うのでございますが、むしろ社会主義によって日本国家を再建するということは、社会党が絶対多数をとるまではこれはできないことなんでありまして、比較多数でもってかりに政権をおとりになっても、これはできないことなのであります。その絶対多数をとるためのチャンスは、小選挙区の方がむしろ大きいのではないかと私は考えているのであります。そのような意味で、現在の選挙制度でおやりになって絶対多数をおとりになるという可能性と、小選挙区制になってから絶対多数になれる可能性とを比較してみるならば、むしろ小選挙区制の方がはるかにその可能性が大きいと考えておりますので、今の御懸念につきましては、私はむしろ反対のように思うのであります。  それから共産党の問題でございますが、もし共産党がほんとうに議会主義の政党として発展しようと思うのでありましたならば、私は少くともあれほどの確固たる党員を持っておる党のことでございますから、小選挙区になっても、共産党が全然落されてしまうというようなことはないと考えます。ただ議会というものを一つの革命の手段として使う、つまり議会主義政党でないということが国民に認められるというような状態でありますならば、共産党が国会に出にくいということは、これはどうもやむを得ないことではあるまいか。ほんとうに議会主義でやっていこうということでありますならば、私はやはり共産党が出てくるチャンスは決して閉ざされておらないというふうに考えております。
  13. 鈴木義男

    鈴木(義)委員 共産党の問題は省略いたしますが、社会党がある程度相当数を占めておらないと、国会における発言力が有力でない。結局、今ですらも三分の一を占めておるのに、なかなか自由民主党の諸君は社会党の言うことを尊重しないのです。がまんして聞いているというふうな程度でありまして、尊重はしていない。そこで、イギリス労働党と保守党の歴史を見ますると、労働党は御承知のようにずっとわずかの差でいつも負けておったのです。それで、政権は保守党がとっておりますけれども、しかし、労働党の存在の意義というものは実に大きい。これがあらゆる点について修正意見を出す、それを保守党がいれて修正をする。あるいは御承知の石油法案のように、反対が強ければ撤回もする、これだけの雅量を持っておる。一九二八年には、保守党は労働党並びに世論のあまりに強い反撃を受けて、これはやはり出過ぎた法案であったからやめようということで、いさぎよく撤回したのであります。それくらいの雅量があってくれればまことにけっこうなのでありますが、どうも社会党意見などは一向御尊重にならない。それが、もっと数が減るようなことになればますます尊重されない。どんな修正案を出したって、みな受け入れない。否決。それでは私はどうも日本の国ではうまくいかないんじゃないかということをおそれるのでありまして、かりに矢部さんの仰せられるように、今の制度で行ったら、今より少しふえるけれども、過半数にはならぬと仰せられるなら、私はもう少しふえてから小選挙制度を実施する、二大政党の実を備えたところで小選挙区制というものを実施すれば、私が心配しておるような点がだいぶ減るのではないか、こういうふうに考えるのであります。そういう意味で、実施の時期をもっと考えたらばどうかという点については、これは非常に真剣に考えておる人が多いのであります。矢部さんの御意見を承わりたいのであります。
  14. 矢部貞治

    矢部公述人 ただいま仰せになりました保守政党に非常に雅量がないと言われます点は、実は率直に申して、私もその点について、前会にも、一つ政府与党はこの案について雅量を示していただきたいということを申し上げたわけでございまして、ある程度同感でございます。ただ少し僭越な言い方になって、社会党の方からはおしかりを受けるかもしれませんが、やはり先ほどお話になりましたように、少数党のあり方といたしましては、修正案を積極的に出していくという態度をおとりになっていただきたいような希望があるのでございます。つまり何かただ反対というだけでは、歩み寄りのチャンスというものがないのでありますから、そこでこういう点が悪いから、こういうふうに直せという修正案を次々に出していかれるような態度をとっていただきますれば、その中で世論の支持の大きいもの、それから多数党の方でも、この点は無理だと内心考えておるようなものは、私は、修正案は日本でも通ると思うのであります。せんだって見えたハーバート・モリソンに、ある人が、労働党は少数党のときにどういう態度をとったのかと言いましたら、彼は、何でも反対という態度はわれわれはとらなかった、オール・オア・ナッシングという態度ではなくて、次々に修正案を出した、その中で、大多数のものはやはり数の上で否決されたけれども、世論の支持の大きいものは、やはり多数党も認めた。こういうことを答えておったということを私は聞いたのであります。そのような態度でおやりになりますれば、歩み寄って話し合うというきっかけができるのでありまして、多数党の方の数の力によって、横車を押し通すというような態度はやめていただきたいのであります。また少数党の方も、やはり積極的な修正意見を出していくというふうな態度で、歩み寄りをしていただきたいということを私は非常に思うのであります。申すまでもなく、民主政治では、いつまでも多数党が続くというわけではないと思うのでありまして、多数と少数が国民の意思によって、ところを変える、与党と野党がところを変えるというのが民主主義なのでありますから、今たまたま多数党だからといって、少数党を無視するとか、今たまたま反対党だから、何でもかでも反対するというふうな態度は、これはとるべきでないというふうに私は考えておるのであります。そういうふうな点は、国会議員の皆様に一つ御反省をいただきますれば、改まることではないだろうかというふうに考えておるのであります。
  15. 鈴木義男

    鈴木(義)委員 他にも質問者がありますから、できるだけ簡潔にやりたいと思いますが、矢部さんのお考えももっともでありますけれども、ことに、わが党及び保守党に対する御忠言は、つつしんで敬聴いたします。ただ実際に選挙をやってみると、わが国選挙民というものは、イギリス選挙民と違いまして、ほんとうにそのときの政策によって可否を決するという態度をとる人は、都会のインテリ、少数の人であって、大体わが国の圧倒的多数を占める、農村に二千万人からの有権者があるわけでありまするが、これが勝敗を決するのだが、この人たちの投票に臨む態度というものは、政策というようなことは二の次であって、あの人は盆暮れにつけ届けをした、よく家へ来てくれる、道で会っても腰が低くてよくおじぎをするとか、石垣女史が言ったように、ひげがはえているというようなことで票が集まるというようねことでありますから、これはなかなか矢部さんがお考えになるようなわけではないのであります。そうすると、一度小選挙区をやって、あるところで当選をしますと、その人を次の選挙にくつがえすということは、非常にむずかしいことなんです。それを努力するのがお前たちの任務だと仰せられれば、それはその通りでありますけれども、その間が長過ぎるということをおそれるわけであります。そこで、わが党が、まずフェア・プレイをやる基盤として、一切の買収または買収類似行為ができないようにしようというのが、あの選挙法の一部を改正する法律案提出した理由であります。あれは小選挙区法をやろうがやるまいが、絶対に日本政治を粛正するためにやらなければならぬことと考えておるのです。私も決して厳刑厳罰だけが唯一の政界を浄化するゆえんであるとは思っておりませんし、それでできることだとは思っておりませんが、情けないことでありますけれども、今の日本の実情を見ると、遺憾ながらやむを得ない。劇薬を用いるしかないというので、ああいう法案提出しておる次第であります。その点については賛成だという矢部さんのお言葉をいただいて、非常に力強く思う次第でありまするが、そういうふうにして三百六十五日選挙に従事していくようになるぞ、だから金はますますかかるばかりですよと、仙台の公聴会である村長が明言されました。それはその通りだと思うのです。これは四十年政治に苦労した人の、偽わりなき体験として述べられたのです。どうもそういう点を考えますると、非常におそるべきことです。そこで社会党が出したようなあの政治資金規正、それから、買収及び買収類似の行為は二年間さかのぼって処罰することができる、そのために選挙公正監視委員会のようなものを設けて、証拠の保全と、立候補したときに摘発することにする、それから先ほどの減票制度、あれも実行ができるかどうかという点に疑問を持っておられるということでありましたが、イギリス選挙法をまねて作ったものでありまして、むろんあれで当選無効になった者はそれでよろしい、ただ減票をすれば、その人は落ちて、次点者が上るのだという場合に、訴えをもって、そういう卑怯な方法で獲得した投票は減らす、こういう趣旨なんであります。ですから、あれは実行可能であるし、そしてその影響を受けた票と見るか見ないかは、厳粛な裁判官が判定することでありますから、はなはだしき不公平等はなかろうと思うのであります。そういうものを実行したならば、すぐに小選挙区をやってもいいと私どもは言うのじゃありません。やはりしばらく地盤を啓蒙してから小選挙区をやる方が、やるとすれば無難であると思うのでありまする。そういう点について、もう少し矢部さんの御考慮をわずらわしたいというふうに思うのであります。  それから区割り決定は、矢部さん外五人でいらっしゃいますか、選挙制度調査会方々が非常に御苦心、努力してお作り下さったのであって、その労を多といたしまするが、一体ああいう区割りを、どういう性格の機関が作ったならば一番望ましいとお考えでありましょうか。イギリスのバウンダリー・コミッションというような中立的機関の実例もあるわけでありますが、その点について一つお伺いいたしたい。
  16. 矢部貞治

    矢部公述人 ただいま鈴木さんからお話しになりました、社会党提出法律案趣旨は、先ほどから申し上げますように、全く同感でございまして、やはり一度わが国でも徹底的に選挙の腐敗というものを除く措置を講じないと、いつまでたっても政界が浄化されないというふうに思いますので、この点は多少厳格過ぎてもやっていただきたいと、私どもは念じているのでございます。ただ、これを先にやって、やがてそういうものがなくなってから小選挙区、こういうふうなお話でございますけれども、これはやはり小選挙区をやることにして、買収とか違反がふえる可能性があるんだから、こういう連座制強化やそれから資金の規正をやらなければいかぬのだということの方が、かえって実現しやすいのじゃないかと思うのです。小選挙区の方はやらないで、今ただこの政治資金規正の徹底的強化と、それから連座制の徹底的強化をやれといわれましても、これだけではなかなか通りにくいのではないかというふうに思いますので、これは小選区制と一緒にくっつけてやっていただくというのが、私の希望であります。  それから区割りにつきましては、確かに私はイギリスなどでやっております中立的な区画委員会というふうなものが将来設けられることが望ましいと考えております。これは、御承知のように、下院議長とそれから測量長官と戸籍長官、それから内閣が任命する二人の専門家でできて、五人だけで作られておりまして、この専門家は、一人は弁護士でございますし、一人は地方行政の経験者でございますが、このような機関が設けられまして、人口の移動、交通関係の変化、あるいは町村統合というふうなことを勘案しながら、区画を改めていく、こういうふうなやり方が私は望ましいと考えております。ただ今回の場合は、選挙制度調査会がこの区割りを作るというふうな方向に参りましたので、はからずも私も区割りの委員会に参加したような次第でありますけれども、あの答申の中に、将来この区画の改訂に当っては、中立的な性格を持つ区画委員会というふうなものを作ってもらいたいということを答申いたしましたのは、私もその主張者の一人であった次第でございます。
  17. 鈴木義男

    鈴木(義)委員 大体あの区画起草委員会は、中立性を持った公正なお方々でおやりになったことは、われわれも認めるのであります。ただ、そうだからといって、実際に適切なものができたかどうか。また制度そのものに私ども賛成できないのでありますから、これを受け入れるというわけにはいかぬのでありますが、しかし政府案に至っては、さたの限りであります。これは、この間、仙台の公聴会に参って聞いたことでありますが、岩手県などでは、どうも妙な選挙区をこしらえた。不自然きわまる、第六区と七区と記憶しておりますが、実に変なものを作ったということで、県民もひとしく驚いていろ。それから福島県なんかでも、現職の代議士のいないところは、切り取り強盗みたいに分割されてしまって、一つの郡が第四区に持っていかれてしまった。それから、あの区はだれ代議士の出で、あの区はだれ代議士の出ということを県民もよく知っている。こういうことは決して政党の信用を高めるゆえんではないから、ぜひ出直しを希望しますということを、言論人であって比較的公正な人でありますが、そう言っている。はなはだしきは、安達郡の三カ町村などは田村郡へくっつけられたのでありますが、こういう区割りを変えないならば、いかなる選挙にも投票しないときめた、棄権するというふうにきめたということを公述人が申しておったのであります。こういうことは実に困ったことでありまして、今の選挙区割りにつきまして、矢部さんもだいぶ御感想を持っておられると思うのでありますが、保守党が虚心たんかいにひっ込ませて、いま一度出直す、あるいは適当な方法でねり直すということを御希望になっておられるかどうか、その点をお伺いいたしたいと思います。
  18. 矢部貞治

    矢部公述人 ただいまのお話はおおむね同感なのでありまして、前会に私が公述いたしましたときにも、現在の政府の区割りにつきましては、世間からいろいろ疑いを持たれておる。こういうふうな点は、一つぜひ再検討して、改めていただきたいということを申したのであります。ただこの段階になってから、また区画委員会のようなものを作ってやり直すというふうなことが、果して実際に可能性があるかどうか。そこは私には判断しかねることなんでありまして、私が前に国会審議の適当な段階においてというふうに申し上げたのは、そういう意味であったの一でございます。区割りの無理な点は、一つ政府与党の方におかれましても、虚心たんかいにお考え直しをしていただきたいというのが私の希望でございます。
  19. 竹谷源太郎

    ○竹谷委員 鈴木さんの質問に関連して、矢部さんに一言お尋ねしたいのでございますが、矢部さんたちがお作りになりました選挙制度調査会答申、これの「選挙制度の改革に関する件」「第二」というところに、「選挙の公正確保に関する事項」というのがございまして、その最後の第六番目に「前五項に掲げる選挙の公正確保に関する事項は小選挙区制を採用する場合においては必ず実行するものとすること。」こういう条件が最後についております。その必ず実行すべしと選挙制度調査会が要求する項目は、御案内のように、公営の徹底、あるいは政治資金規正の合理化、選挙違反に対する取締りの強化、それから連座制強化というような、われわれ社会党といたしましても、今回政治資金規正法の一部改正並びに公職選挙法の一部改正において強く主張しておる点を述べられておるのでございますが、これらの選挙制度調査会の要求しております、小選挙区制を実施するには、必ずこれを実行しろ、こういう選挙制度改革に関する選挙の公正確保に関する事項が実現されないならば、現在の状況においては小選挙区制は実施すべきではない、このように考えておられるか。これは一体不可分とわれわれは思うのでございますが、その点いかにお考えになられるか、お尋ねいたしたいと思います。
  20. 矢部貞治

    矢部公述人 選挙制度の起草委員会では、公正確保の問題は論じなかったのであります。それは委嘱されなかった事項でございます。小委員会で主としてこれが論ぜられたが、委員会委員としては、このような公正確保の事項はこれを条件としてつけなければいかぬということは、言いかえますと、これが実行されないならば、小選挙制そのものも実施すべきでないというふうな強い御意見の方もありましたし、それほど強く、条件としてこれがなければ絶対にいけない、というふうにまで考えなかった委員もあったのでございます。私自身といたしましては、かなり強くこの点を要望いたしますけれども、それじゃこれが全部完全に実現されなければ、小選挙制そのものも全部やめてしまえというところまでいっていいかどうかということは、私自身ちょっとまだ意見が定まっておらないのでございまして、一応できるだけわれわれの答申の趣旨取り入れていただきたい。とりわけ、社会党から出ておりますような法案趣旨、それから連座制強化というふうな点はぜひやっていただきたいというふうに思いますけれども、前五項といいますすべての条項が完全に実施されるまでは小選挙区はいけないと、強く誓うところまで、私はどうもまだ意見が定まっておりません。
  21. 竹谷源太郎

    ○竹谷委員 この五項目のうち、一番先の政党を中心とする選挙に移行せしめるというのは、政府案には出ているようでございます。それから、啓蒙運動等につきましては、これは今後の活動でございまするが、問題は公営の徹底と政治資金規正、それから選挙違反に対する取締り並びに連座の強化、この三つでございまするが、われわれは小選挙区そのものに反対でございまするが、しかし、なお多数でもってこれをやるといたしましても、この三つの条件が必須のものであって、これなくして小選挙区制をやってはいけない、このように思うのであります。矢部さんも、理想論としてはそう考えることに、われわれと同感せられておるところと思うのでございまするが、今の日本選挙界の現状は、先ほど来あなたと鈴木委員との間に取りかわされた御論議でもおわかりのように、これではどうしてもいけないとわれわれは考えるのであります。矢部さんといたされまして、この三つの問題、公営の徹底と政治資金規正、取締り並びに連座の強化、これはぜひ必ず条件として実行するというふうに、あなた個人としてお考えになられないかどうか、もう一ぺん一つくどいようでありまするが、御意見を伺わしていただきたいと思います。
  22. 矢部貞治

    矢部公述人 私は、ほとんど条件としてこれを実現するのでなければ、小選挙区制はやるべきでないということ、その近くまで実は私自身は考えております。けれども、小選挙制度そのものの成立もまた非常に期待いたしておりますので、これが完全に実現されなければ小選挙制そのものもやってはいけないというところまで踏み切るところまで、私自身がまだ参っておらぬのであります。大へんあいまいで申しわけございませんが、そこまでは私としてちょっと言いかねるのであります。
  23. 鈴木義男

    鈴木(義)委員 いろいろお尋ねいたしたいのですが、一人で時間をとるのは恐縮でありますので、これで終っておきます。
  24. 小澤佐重喜

    小澤委員長 菅太郎君。
  25. 菅太郎

    ○菅委員 二、三の点につきましてわが圏政治学の最高の権威でありまする矢部先生に対しまして、やや原理にわたる点もありまするが、御質問申し上げたいと思います。  先生は、一昨日の公聴会におきまして、小選挙区制採用の大きな理由といたしまして、ワーキング・マジョリティの確保ということをおっしゃったと思うのでありまするが、このことは、訳していえば、有効に働く多数とでも考えていいのかと思うのでございますが、その点につきまして一言お聞きしたいと思います。従来、小選挙区制の主張に対する理由としては、政局の安定ということが非常に言われたのでございますけれども、しかし、現代的意義における政治というものを見まするときに、安定というものよりも、ほんとうに大切なものは、この議会政治における能率の保持、実績の確保、こういう点じゃないかと思うのであります。由来、民主主義政治議会政治には、長所もございますが、相当の短所もある。その短所の中で最もわれわれが警戒しなければならぬのは、議会主義が低能率になり、低調になり、悪くすると衆愚になるのじゃないか、こういう点だと思うのでありまして、私ども議会政治をあくまで堅持する以上、議会政治がかくまで効率を保持して高い実績を保つということの工夫を、絶えずやらなければならないと思います。ことに、最近の大きな動向が、東西の両陣営に分れて、両陣営が建設の労力を競うという大きな段階になっておりますときに、この自由民主陣営内における議会政治が、十分に今申し上げましたように建設能力を発揮することが大切だと思うのでございまして、こういう意味において、小選挙区制によって、多数党が一定の期間責任を持って、落ちついて全力をあげてその主張を政策の上において実現していく、この体制を確保するというこの政治効率の問題において、私は小選挙区制を主張するということが非常に意義あることと思うのでございまして、むしろこの方が政局の安定の根抵に響く大問題ではないかと思うのでありますが、その点についてのお考えを伺いたいのであります。
  26. 矢部貞治

    矢部公述人 ただいまのお言葉は全く御同感なのであります。私が、必ずしも政局の安定というふうな言葉を使わないで、むしろワーキング・マジョリティという言葉を持ち出しましたのは、今お話通りなのであります。ただ政権が安定しているということだけではなくして、つまり仕事のできる政府、仕事のできる政治の体制という意味なのであります。これは仕事をしなければいけないという意味を含めておるわけでありまして、仰せの通り、今日建設的に能率的にやっていかないというと、独裁政治に敗北する危険が非常に大きいということ、私が前回に過去のデモクラシーの危機から学んだことの一つとしてこの点を申し上げたのは、そういう意味であったのであります。全く同感であります。
  27. 菅太郎

    ○菅委員 次にお聞きしたいと思いますことは、この議会政治の建前におきましては、往々にして少数意見の尊重ということがいわれておりますが、しかし、あくまで第一原理は多数決の原理であろうと思うのであります。多数決の原理を貫きながら、その副次的と申しますか、第二次的と申しますか、多数決のある弊害を調整するという意味においての少数意見の尊重ということが、主張できるのではないかと思う次第でございます。私は、この意味におきまして、特に両院制度をとる建前の憲法体制下におきましては、下院においては国民大衆の政治的世論を大写しするというか、国民大衆の政治的動向を躍動的にといいますか、強調的に政治に表現するというようなことが非常に重要ではないかと考えるのでありまして、あくまで下院における選挙体制その他をこの動向に合わしていくということが、建前であろうと思うのであります。その際における死票の問題を非常に重視されますけれども、この大きな原則の前に、選挙における死票というむのはやむを得ぬ、こう考えるのであります。  少数意見の尊重という点をどうするかという問題につきましては、これはぜひ先生にお伺いしたいと思いますが、私の考えをもってしますれば、この両院における議事運営、特に下院における議事運営において少数意見を尊重するというよりも、むしろ上院の構成において少数意見の反映を実現するごとく考えることの方がいいのではないか。従いまして、日本の参議院制の将来などにつきましては、今のような衆議院と同じような、ダブったような形はむしろ避けまして、一部は地域、あるいは地方自治体の代表というような形の地域代表の制度をとる。その間において選挙区は中選挙区以上のものをとりまして、少数意見の尊重をはかる。あるいはまた一部は職能代表的な建前をとって、職能的意味においての少数意見を十分に盛る。あるいはまた学識経験者というものをある方法で参議院に選び出しまして、日本国民の良識の反映、あるいは冷静なる判断の方法としてそういう良識、冷静なる判断という間において少数意見を十分反映するなどなど、いろいろ方法はございましょうが、少数意見の尊重というものは、今申すように、国会の構成上からいえば、主として上院においてこれを考えていただく。あくまで、衆議院は、今申し上げました原則によって、大きく国民の政治的動向を強調し、大写しするという原則をとることが、健全な将来の国会体制の上に必要だと思うのでございますが、この点についての御意見を伺いたいのであります。
  28. 矢部貞治

    矢部公述人 ただいま少数意見の尊重は上院で考えたらよいのではないかという御意見でございますが、上院の問題は私もまた別に考えを持っておりますけれども、これは本日触れる必要はないと思いますので、触れませんが、私は、やはり少数意見の尊重は衆議院においてもやられなければならぬ。つまり、それは数の問題ではなくて、その問題自身の道理の問題、道理を重んずるという点から、反対党、少数党の意見もできるだけ尊重することは必要だと思うのであります。ただ、それにもかかわらず、やはり最後は多数決で問題をきめる以外に、いろいろ対立の意見がある場合に、団体の意思を二つにまとめる方法はないのでありますから、そういう意味で、多数決というのは議会政治の最後の歩哨線であるというふうに考えております。  それから、先ほど死票の問題が出ましたが、私もその点は今の菅さんの御意見に比較的似ておるのでありまして、よく小選挙区では死票がふえるという御意見がございます。また事実そういう傾向はあるのであります。しかし、この問題を解決しようと思いますならば、結局大選挙区比例代表というものを完全にやる以外には解決されないのでありまして、現在の中選挙制度でも、死票といわれるものは相当にあるのであります。けれども、私は、議会政治において最後に多数決という原則が認められる限りは、そのときの少数者が一応敗れるということは、どうもやむを得ないことでありますが、しかし、これを死票だとは考えないのであります。最後の結論が出ます前に、少数意見というものが相当の感化力を及ぼしておるわけでありまするし、さらにこの少数が将来多数になる核心をなすのでありますから、これが死んだものだというふうには、私はとうてい考えられないのであります。そういう意味で、この死票の問題は、小選挙区論について反対の側から少し過大視されておるのではないかというふうに考えております。
  29. 菅太郎

    ○菅委員 第三に、民主主義政治の発達の上において絶対に必要なることは、政治の論議を冷静に論じ、冷静に聞き、冷静に判断をしていくということだろうと思うのであります。いわゆるデマゴギーとかアジプロとか大衆動員とか争議戦術とか政策の宣伝演説、そういうものはなるべく避けるのが健全な発達ではないかと私は思うのであります。ただ、ここでいよいよ小選挙区制になり、二大政党の対立ということに相なりますると、選挙戦は、残念ながら、そういう原則があるにかかわらず、当分激化するおそれがあるのじゃないかと、非常に憂えるのであります。無理もないことであります。社会党の皆さんにおきましては、議席が非常に減りはしないかという御心配がありますので、これはある意味においての必死の抵抗でございますし、また、社会党の皆さんが、今日いわゆる階級闘争の原理を捨てず、また戦術において大衆動員というものを絶えずやられる段階においては、どうしてもこれから言論戦が荒びる傾向があります。  立会演説の問題でございますすが、東京、大阪の公開討論会の状況をごらんになりましてもわかることでありますし、また、先般の地方公聴会の場合におきましても、これを立会演説会と間違えられたせいもありましょうが、かなり大ぜい詰めかけられておったというような事情もございます。矢部先生は立会演説というものは今後も大いに続けられるという御意見でございましたが、私は、少くとも当分の間、こういう政治情勢が非常に激化をする間は、どうしても立会演説はやめて、そのかわり個人演説会を盛んにし、政党の演説会を盛んにするという今回の建前でそれを補って、そうして将来政治家もあるいは大衆も政治的訓練を積み、また社会党の皆さんもそういう闘争主義を捨て戦術を穏健にされまするときまで、つまり時限立法的な条項としてでもかまいませんから、立会演説会は廃止をして、しばらく情勢の好転を待つ方が適当ではないかと思うのでございますが、この点御意見を伺いたいのであります。
  30. 矢部貞治

    矢部公述人 お答えいたします。今の御意見につきましては、私はむしろ反対考えておるのでありまして、むしろ立会演説をやってみて、これがどうしても収拾がつかぬということが全国的に立証されましたら、そこでこれをやめるということをお考えになるべきで、今これを廃止されるということは国民がなかなか納得しまいというふうに考えます。ただ演説会場の秩序がどうしても保てないというふうなことが起るようでありますならば、これについての若干の制限条項というふうなものが考えられてしかるべきではないだろうか。今小選挙区にするとたんに立会演説をやめるということは、ちょっと国民の共鳴を得がたいというように私は考えております。
  31. 菅太郎

    ○菅委員 最後に一点。小選挙区制採用のもとにおいて両政党がいかに成長するか、さっきは分裂というお話もございましたが、この問題につきまして先に鈴木議員からの御発言で、矢部先生は実情を御存じないから、実情をわかっておる側からという意味において御質問がございましたが、私は、また違った意味において実情を知るものの一人として、このことについて御質問をしてみたいと思います。  今回の小選挙区の採用によりまして、これは矢部先生もお認めになっておりますように、選挙政党本位の選挙になり、ことに公認制度の確立と並びまして政党本位の選挙になり、政策の浸透が行われる、また政党の全国の組織化が促進され、また党内の結束の強化が行われるという、そういう理由によりまして、両政党とも、この選挙区制のもとにおきまして、近代政党としての成長が早まることを、私も同感に考えておるものでございます。社会党がこの制度のもとにおいて伸びられるか伸びられないかという問題の御議論がございましたが、議席の問題だけでございましたならば、それは第一回は減るかもしれませんが、二回以後相当に伸びていくものと私どもは見ておるのであります。いわんや、得票の面におきましては、第一回の選挙から得票の問題は相当に伸びるものと私どもは見ております。ことに、各区一名でございますから、従来社会党候補をお立てにならなかったところでも立てていかれますし、またこういう制度を行いますと、これは必然にやむを得ぬことでございますが、やった方の政府与党はかなり評判が悪くなることはやむを得ませんので、そういうことも覚悟でやるのでございますが、そういう面も含みますから、案外社会党の得票は伸びるのではないかと思うのでございます。数年後に、矢部先生がお話しになりましたように、社会党が絶対多数を持ってその政権を実現される時期も、私は相当に近いのじゃないかと考えておる次第でございます。しかしながら、私は、この社会党の量的成長ということ以外に、もう一つ社会党の質的な発達という点に非常に期待を持つものでございます。従来のように、中選挙区、大選挙区でありますと、両党とも――これはひとり社会党のみではありませんが、両党とも自分の得意な地盤に主として選挙運動を展開いたします。不得意なところは避けるという傾向がありますが、今度のような区制になりますと、おのおの自分の不得手とするところに向っても相当の努力をしなければならぬと思うのであります。これは両党の政策に幅を持たせる大きな原因になって参ります。そうして、このことが、社会党政策がだんだん現実化する、社会党がおとなとして成長する、あるいは国民政党への発展の道が開ける、またこのことを通じて二大政党政策の接近という、二大政党対立時代の必須の要件が急速に成熟をするのではないかと、私ども考えておる次第でございます。これは同じく選挙の実情に苦労をして通じております建前から申し上げておる次第でございます。もしそれ、社会党の言われますように、こういう情勢のもとにおいても初めの数年間は保守党が天下をとるのではないか、この重大な時期において保守党が天下をとることはたえがたいことであるという社会党側からの御議論がございますが、これは社会党側の御議論でございます。国民の審判によりまして、ここ数年間保守党が政権を持っております間においてやるべきことは多々あるのでございます。大きな日本の歴史的な段階から見ますると、アメリカの占領政策時代のいわゆる五D政策その他によって日本分裂弱化しようとするところのなごりは、今日の政治の中に多分に残っております。この数年聞こういう点について手直しをいたしまして、その上で逐次社会党が政権をおとりになって、社会主義政策を穏健に漸進的に実施なさるということが、大きな目で見れば日本政治動向の健全なる行き方ではないかと思うのでございます。この点について矢部先生の御意見を伺いたいのでございます。
  32. 矢部貞治

    矢部公述人 今の御意見につきましては、私自身は賛成とも反対とも申せない部分がかなりございますが、ただ、小選挙制度によって、社会党が全国的な組織を持った国民的政党になっていくであろうという期待は、先ほどから申し上げますように私も持っておる一人であります。それから、競争が激甚になるということは、ある角度から見ますれば一つ弊害でございまして、これが買収とか腐敗の競争になっては困るのでありますけれども、両党がより選挙区の支持を得るために真剣になってつばぜり合いをやる、切磋琢磨するというふうな形になりますことは、やがて両政党とも真剣になって国民の生活と取っ組まなければならぬということにもなって参りまして、ある意味では政治が真剣になるという長所もあるし、また選挙政治意識がそれによって向上するというふうな面があると考えまして、確かにお話のように政策的にも真剣なものが出てくるのではないかというふうに考えておるのであります。
  33. 小澤佐重喜

    小澤委員長 山田長司君。
  34. 山田長司

    ○山田委員 昨年の春ごろから小選挙区の問題が新聞やラジオをぼつぼつにぎわして参りまして、この問題が実際に国会取り上げられて、しかもそれが重大な段階に立ち至るなどということは、実は当時私たちは予期もしていなかったことでありましたが、それが今日の段階に立ち至ってしまっておるわけであります。先ほどから同僚の鈴木委員がいろいろ私が伺おうと思ったことを伺っておりますので、私は二点だけお伺いしたいと思うのです。  それは、連座制の問題や、あるいは選挙公営の問題や、政治資金規正法の問題や、あるいは収賄あっせん罪等の問題が、ほとんど論議が尽されずに、今こういう状態に立ち至っているわけですが、先ほどから御意見を伺っておりますと、答申案にもありますように、あなた方といたしましても、これらの問題が審議されない限りにおいては無理ではないかという答申があったと思われるし、それから、先ほどそういうことを強くおっしゃられているのに、どうしても踏み切れないという御発言があったように伺うのですが、このお踏み切れになれない点はどういう点におありになるのか、一つ矢部先生から明確にお答え願いたい。
  35. 矢部貞治

    矢部公述人 お答えいたします。踏み切れないと申しましたのは、つまり連座制その他選挙の公正に関する調査会の答申が完全に実施されなければ、小選挙制度そのものもやめるべきだというほど強く言うところまでは、私の意思がまだ定まっていないという意味でありまして、これを非常に強く要望はいたしますけれども、それが果してどの程度国会の審議の中で可能性があるかどうか、私にはちょっとわからぬのでありますが、これらのことが全然無視されて小選挙区になるということなら、私はきっぱりと反対だということを申します。しかし、どの程度のものであったならば一応今の段階では満足できるかということが見通しがつきませんので、これが完全に実現されなければ小選挙制度そのものにも反対するというところまで、私はちょっと言い切れない。ある程度これらの条項が生かされてくる、再検討されるということでありますならば、一応小選挙制度を実現するということにあるいは賛成するという場合もあり得る、こういう意味で申し上げたのであります。
  36. 山田長司

    ○山田委員 大へんあつかましい御質問なんでありますが、私はどうしても思い切っていただきたいと思いますのは、今日の政治がいかに堕落しているかという点は、これは、私が申し上げるまでもなく、十分におわかりだと思うのです。もし小選挙区制が実施されれば、幾多の人が論議されておりますけれども、経費が少くなるどころでなくして、私は実際に選挙に今日まで何回も携わってきて見ておるから、強く申し上げられるのですが、これは驚くべき経費を要すると私は思うのです。その中でわが党の中村高一議員が政治資金規正法の一部改正を訴えているのでありますが、私は、補助金をもらっているところや奨励金をもらっているところ、助成金をもらっているところ、あるいは負担金をもらっているところ、こういうところから選挙のために莫大な資金が党本部につぎ込まれている点、どうしても理解のできない点があるのですが、こういう問題が造船疑獄などを生み、造船疑獄以前になど、もっとおそるべき――昭和二十五年に国会を通って二十七年になくなった低性能船舶買入れ法などの法律が通った直後、四十そうの船を国が大きな製鉄会社に払い下げた。その船の中には、全く理解のできない――国有財産の目録を見るとわかりますように、一そうの船が四百五、六十円で売買されている。こういうのを一つ見ても、どうしてもこの背後にはやはり強い政治資金規正法を設けて、国の補助金や奨励金や助成金や負担金を受けているところというものは、徹底的に法規で取り締まる規定を設けなければならないと思うのです。そういう点で、私はやはり何としてもあなたの踏み切れないという形を踏み切ってでも、この法規をこしらえて、明朗な政治を作る方向へ持っていくべきだと思うのですが、こういうものを強行してからでも、この小選挙区法の実施というものはおそくはないと思われるのですけれども、その点はいかがなものでしょうか。
  37. 矢部貞治

    矢部公述人 これは、先ほどから申し上げます通り、具体的にどの程度までいくべきかという点は、私ども政治の門外漢にとりましては、ちょっと判断のつきにくい点がございますので、それ以上に社会党の御提出になっております法案につきましても、個々の点については意見を申し上げる能力がないということを申したのであります。また、調査会でも、これらのこまかい点に審議が及ばなかったせいもございますが、そういうようなところは学識経験者といわれる委員にはよくわからない点があるものでございますから、大体要旨だけを答申するという形で答申がなされているのでございまして、そういう意味で、どの程度まで具体的にいき得るのかどうか、いくべきであるのかどうか。これらの点につきましては、私は判断する能力がないということを、先ほど申し上げたのであります。従って、この御趣旨には全面的に賛成で、ぜひ政治資金規正強化連座制の徹底化ということはやっていただきたい、こう考えますが、それがどの程度までのものにならなければ、小選挙区自体をもいけないというべきかという限界点が私にはわかりませんので、これを完全に実施しなければ小選挙制度もいけない、こういうところまで断言するということは、私はちょっと言いかねるという意味で申し上げた次第であります。ただ、この政治資金規正強化していただきたい、徹底的に政界の腐敗をなくさなければいけないと考えておる点は、全く今のお話通り私も御同感なのであります。
  38. 山田長司

    ○山田委員 今度政府のお出しになりました法案の中に、政党政治運動を行う場合には、その費用を候補者の法定費用に加えないという規定があるのです。私は今度の小選挙法案のこれは一番重要な問題だと思うのですが、金のない候補者や金のない政党というものは、これによって非常なハンディがつくと思うのです。それからまた、この規定を悪用すれば、おそるべき多くの脱法行為を行うことができると思われるのですけれども、この点についてはどんなふうにお考えになるのですか。
  39. 矢部貞治

    矢部公述人 この点はこの前の公述のときに触れるべきだったのでありますけれども、私も、政党政治運動が選挙運動にも及んでよい、こういう政府案につきましては、これは首をかしげている一人でございます。そこで、政治運動ということは今までも認められておるのでございますけれども、これが政党選挙運動になりますと、その費用は一体どのように計算されるかということが、私にはどうものみ込めないのでございまして、実はこの点私も疑いを持っておる一人でございます。選挙の実情などにつきまして門外漢でありますので、その点を判断する力がなかったので、申し上げなかったのでございますけれども、この条項は確かに私自身も疑いを持っておる一つの条一項でございます。
  40. 島上善五郎

    ○島上委員 今非常に大事なところで少し落ちておるところがありますので、関連して一、二点伺いたいと思います。  今山田君の質問の点でございますが、今度の政府提案によりますれば、政党選挙運動期間中における活動が非常に拡大されておる。たとえば、演説会も十回まではやれる、ポスターもふえる、はがきも出せる、それから、大事なことは、その政党選挙運動期間中における活動が、候補者の支持、推薦、選挙運動にわたってよろしい、こういうふうに拡大されたわけでございます。私はそれ自体は異議はございませんけれども、その反面において、現行法の百九十九条の二に、公職の候補者の寄付制限がございますが、「公職の候補者又は公職の候補者となろうとする者は、当該選挙に関し、当該選挙区内にある者に対し、寄附をしてはならない。但し、政党その他の政治団体又はその支部に対し寄附をする場合は、この限りでない。」つまり、ある候補者の自分の選挙区内の政党及びその政党の支部に対する寄付は無制限でございます。しかも、その寄付たるや、自己の所属する政党に限らず、所属しない政党及びその支部に対しても無制限に寄付ができる、こういうことになっております。そうしますと、政党の拡大された活動が候補者から無制限にされる寄付によって活発に行われるという事態が、当然そこに生まれてくるのです。そうして、その寄付は選挙費用には何ら計上されない、こういうことになりますと、そこに弊害が起るおそれがあるばかりではなく、候補者選挙費用の節減という今度の提案理由の一つが、事実上そこで破れてしまう、こういうことになろうと思うのです。そこで、私は、ついせんだって鳥取にあった例を一つ引き合いに出すのでありますが、あの選挙最中に、政党の支部の発会式と称して、会合がどんどん行われております。折詰と一本つけて出しておる。そういうことがどんどん行われておる。それも、もし選挙運動関係がなければ、法規上何ら取り締ることができない、違法ではない、こういうことになっておるのであります。この両者を関連させて考えますと、私はおそるべき弊害が起ると思う。金のある候補者と金のない候補者とのハンディキャップも起る、こういうことになろうと思いますので、その点について一点伺いたいと存じます。
  41. 矢部貞治

    矢部公述人 ただいまの御指摘の点、私は、実は、非常に不勉強でありまして、今まで全然存じなかったのであります。そういう道が開かれておるといたしますと、やはり何とかこれは規制されてしかるべきように、ただいまお話を伺っておって感じます。それから、政党政治運動、選挙運動をやるということは、これは私いいと思いますけれども、ただ、その費用の計算の方法などについて、いまだ少し私に理解できないところがあるのでありますが、そういうような面のことは、どうも選挙の全然経験を持たない門外漢でありますので、私がここで的確な意見を申し上げるという力が遺憾ながらないのでございます。あしからずこの点は御了承願いたいと存じます。
  42. 島上善五郎

    ○島上委員 これでおしまいにしますが、そこで、今矢部公述人もお感じになりましたように、弊害が起るおそれがあるということは、どなたも考えられるところであります。私が聞きたいのは、そういうおそるべき弊害がひそんでおる。それから経費も、一方において節減するように見せかけておいて、一方においては候補者が莫大に金を使う抜け道があると考えられますので、私どもは、少くとも政党選挙区内における活動について幅を広げるのはよろしいけれども、やはり、その経費については、ある程度の規制をする必要があるのではないか、また候補者が自分の選挙区内の政党の支部に対する寄付をする場合にも、一定の規制をする必要があるのではないか、それを野放しにしておくと、おそるべき弊害が生ずるのではないかと考えますので、その規制をする必要があると私ども考えている点に対しては、どのようにお考えになっておりますか。
  43. 矢部貞治

    矢部公述人 ただいまのお話の限りにおきましては、私も規制の必要があるというふうに感じます。
  44. 小澤佐重喜

    小澤委員長 森三樹二君。
  45. 森三樹二

    ○森(三)委員 矢部先生にお尋ねしますが、矢部さんにおかれましては、昨年の五月以来私どもとともに選挙制度調査会委員とされまして、私どもは、あなたと立場は小選挙反対立場にありますので、根本的に反対でございましたが、しかし、終始あなたが真剣なる態度をもって、わが国の二大政党の育成のために御尽力されたことに対しましては、心から敬意を表しております。しかし、その当時はまだ二大政党になっておらなかった。その後、昨年の秋われわれ日本社会党統一のあとを受けまして自民党の結成がされまして、ここに日本の三大政党が完全に生まれたわけでありますが、私ども考えをもってするならば、先に鈴木委員もいろいろ質問されましたが、結局、この二大政党の育成のための小選挙区制ではなくして、いわゆる片寄った、現在の保守政党をますます強化し、憲法改正のためにせんとする意図であることを、われわれ十分察知しているのです。結局、二大政党にあらずして、一方の保守政党をますます拡大強化し、そしてわれわれ社会党というものを全く小さな微弱な政党に陥れようとする意図であることを、私ははっきりと申し上げなければならぬと思うのであります。しかも、あなた方が、六人の委員をもって、全く寝食を忘れて作られたところのあの区画割り、そしてまたこの区画割りに伴って、過般選挙制度調査会におきましては、これらの小選挙区制を実施するためには、いわゆる選挙公正確保に関する事項であるとか、あるいは選挙公営を拡充して選挙人の投票の便宜をはかるとか、それから公営の立会演説会の回数を増加するとか、あるいは政治資金規正の合理化をはかるため、いろいろな措置を講じなければならぬ、会社、法人からの寄付についても、一定の規制をしなければならぬ、あるいは選挙違反に対する取締りを強化し、処刑者に対する制裁を徹底的にしなければならぬというような幾多の条項をつけまして、そしてこれらを条件として小選挙区制をあなた方は答申された。ところが、今日これを答申された結果として政府案が提案されましたが、あなた方が御苦心なさったところのこれらの条項は全く無視されている。立会演説会をごらんになっても、あなたは十分おわかりだと思う。その他あの四百七十七にわたる選挙区の中で、ほとんどがいわゆるゲリマンダーといって世論の猛烈な反撃を受けております。あなた方のお作りになったものを採用したものはわずか二百六十であって、その他は二十の二人区を作っている。選挙制度調査会では、一人区ということにはっきり割り切っているのです。これは例外を認めないということで、はっきり割り切っているのです。それを、二人区といういわゆる党利党略の選挙区を作り、さらにあとの二百十七というものはゲリマンダーを作っております。これはジャーナリズムを初め世論が強い反撃をもって攻撃しておりますし、あなたも十分内容をお知りでありますから、私は一々申し上げませんが、私の方からするならば、すなわち、今回の政府提案なるものは、いわゆるこの選挙法の改正によって日本政治機構を改変せんとするところの、私は一つのクーデターであると考えております。私は、この区画割りその他選挙制度全般の条項を起案されたあなたとしては、日夜心胆を砕いておられると思うのでありまして、過般、あなた方を初めとして、九名の選挙制度調査会の諸君が、衆議院の議長、副議長を訪問せられまして、今日政府が提案しているところのこの法案を強行せんとするならば、すなわち議会制度を破壊し否認するがごとき結果を招来するであろうから、これについては、政府は、慎重な態度をとって、そして現在のゲリマンダーを修正すべきであると、あなた方は十分な責任を痛感し、また今日のこの法案の成り行きを重視されまして、このような申し入れをされたことは、私どもとしては非常に良心的な態度であると考え、これまた敬意を表しております。しかし、今日の段階におきましては、私の見るところでは、政府与党としてはこれを引っ込めるところの意図はないようであります。私どもは、あなた方の意図に対しては非常に敬意を表しておりますが、刻々としてこの法案の審議が進み、与野党の間にこれが決せられんとしておりますが、私どももその前途を非常に憂えている一人でございます。そこで、矢部先生らが、すなわち議長、副議長に申し入れたところの意図は、この政府提案なるもののいろいろな条項もありましょうけれども、主として区画割りに対して修正さるべきだという申し入れをされているのであります。矢部先生としてもその党利党略を十分に御認識になっておられることと思うのでありますけれども、この点に関するところのお考えを述べていただきたいとともに、どうしてもこの問題を政府が修正しあるいは撤回するようなことがなく、強行突破せんとする場合には、いわゆる議会制度を破滅に陥れるような危機なしとは言えない。私どもは、あなた方がそのような申し入れをしているにかかわらず、あるいは世論はあげて反対しているにかかわらず、政府がこれを修正しないような場合においては、いかにすれば今日のこの危機を切り抜けることができるかということについて、あなたの御所見を伺いたいのであります。私どもは、もろもろの現政府の失政に対し、いわゆる日ソ交渉を初めとするところの内外の失政を初め、今回のこのいわゆる議会政治を否認するような法案を出しているところの政府に対しましては、断固として不信任案を提出して戦うつもりでありますが、これに対しましても、政府はおそらく多数をもって否決するかもしれませんが、私の考えをもってするならば、こういうような抜き差しのならない場合にきておりますし、世論はあげてこれに反対しております。従って、私は、昨年の選挙におきまして、自由党も、民主党も、当時小選挙区案というものをわれわれはやるのだというようなことは、国民に何ら公約しておらない。その後において今日こういう情勢が起きておる以上は、すべからくこの問題を私は国民の審判によって解決しなければならぬ。あなた方があのような申し入れをしても、政府は何らこれを反省する意思がない。しかもだれがこれを修正さすべきか。結局私は公正なる国民の、審判によって行わしめる以外に方法がない。そこで、私どもは、やはり衆議院を解放して、小選挙区是か否かというような解散によって、世論をもって国民の意思をもって私は解決しなければならぬものと思うのでありますが、これに対する御所見を、お伺いしたいと思うのです。
  46. 矢部貞治

    矢部公述人 先般、四月二十日でございましたが、選挙制度調査会関係いたしました有志が衆議院の議長と副議長に申し入れたことは、今お言葉の通りであります。ただし、これをどういうふうにすべきかということについての内容につきましては、これはそれぞれみな違った意見がございまして、従って、あの申し入れの文章は最大公約数でありますために、非常に抽象的な文句になっておるのであります。必ずしも、今森さんがお話になりましたように、選挙区割りを修正せよといったようなことを言ったのではないのであります。ただ、与党と野党とこの際もう少し歩み寄るように、議長と副議長からあっせんしてもらえないだろうかということを申したのでありますが、ただ、私が、これに賛成し、かつ積極的にこの有志の間にいろいろお話をして、あそこまでいきました私自身の考えは、前回から申し上げますように、区割りにつきましても、さらには選挙の公正確保の条項につきましても、政府案が選挙制度調査会の答申と相去るものがかなりある、遠いものがある、そのような意味で、それらの点はぜひ一つ考え直していただきたい、こういうふうに申しておるわけでありまして、私は、おそらく賢明なる政府与党の方でも、国会審議の適当な段階で、これらの点については必ず御考慮があることと信じておる次第であります。  それから、解散して問うべきではないかというお考えでございます。私は、本来、保守合同がありましたあとに、政権の基礎が変ったときに解散すべきであったという説をとっているものでございまして、ただ、それを、総理大臣が変らない間は政権の移動でない、政権の発展だという理由で、今まで解散なしにきているのでありますが、解散は本来もう少し早目に行なって、選挙制度の問題も国民に聞かれたらなおよかったという考えを持っております。
  47. 森三樹二

    ○森(三)委員 簡単に私お伺いしますが、結局、矢部先生も、政党の分野が変った以上は、やはり解散によって世論に問うべきだというような御意見を述べられましたことは、まことに私は敬意を表したいと思いますが、矢部先生も、この政府案に対しては強く修正を要望し、おそらく政府はこの要望にこたえるものであろうという、非常に心強いところの御所見を述べられました。  次いで、私は、お尋ねしたいことはたくさんあるのですが、一つ簡単に申し上げたいと思うのです。この法案の中で政党政治活動が非常に大きく認められまして、公認制度等が入ったのでありますが、これは、選挙制度審議会等におきましても、この公認制度を徹底し、政党政治活動をやることについては、政党法を作るべきだという御意見も相当あったのでございまして、私は、やはり、この公認制度という問題をここに入れるならば、政党法というはっきりしたところの法案を作りまして、これと並行してやらなければならなかったと思うのでありますが、これに対する御所見をまずお伺いしたい。  それと同時に、今回のこの法案の中には、私どもから言いますと、憲法違反の条項が入っておるのです。それは、すなわち、政党やあるいは一つ政治団体等に入っている者が公認をされますと、その公認候補に対しましては――政党所属員はその公認候補以外の者を支持または推薦してはならないという規定が入っておるのでございます。すなわち、これは、憲法第十四条に規定するところの、いわゆる国民の権利の侵害である。すなわち国民は法の前において平等である。政治活動も選挙運動もともに平等でなければならぬ。しかるに、自分が政党員であるからといって、その政党公認候補を応援しなければ、ほかの者を応援してはならないという条項があるのでございます。これに対しまして、私どもは、憲法違反であるということを建前にして攻撃して参ったのでありますが、これに対するところの御所見も一つお伺いしたいと思うのであります。  それから、それと並行いたしまして、何人も、いわゆる公認候補でない者を公認候補であるような事項を公けにした場合には、これを処罰するというような規定も入っておるのでございます。私どもは、こういうような規定を設けまして、つまり無事の選挙民を犯罪に陥らしめる危険があるというようなことも考えておるのでございますが、これに対しても御所見をお伺いしたいと思うのでございます。
  48. 矢部貞治

    矢部公述人 今の御質問はそれぞれ百に関連性があると思うのでありますが、私は、本来、政党というふうなものを法律で規制するということ自身には、実はあまり賛成できないという考えを持っております。そういうわけで、政党法というものを作って公認制度その他をやるべきではないかというようなお話は、これはできるならば政党自身の組織と規律の問題にしていただきたいというふうに考えるのでありますが、わが国の実情から見て、それが政党自身の統制、組織ではうまくいかぬということであるならば、ある程度これを法的に認めるということはやむを得ないことだというふうに思うのであります。そういう意味で、この公認制度についての問題が二、三あるわけでございますが、これを法律で規制することには私は賛成ではございませんが、しかしながら、ただいまの公認されないものを応援してはならないという規定とか、あるいはそういうものを処罰するとかいうふうなことは、憲法違反ではないかという御質問に対しましては、私はこれは憲法違反だというふうには考えません。なぜならば、政党に所属するかいなかということは、当人の自由な意思によって決せらるべきでありまして、そういうようなことがいけないのならば、最初からその党に参加しない、あるいはその党を脱党するということができるわけでありますから、これが憲法違反だということには、私は同調いたしかねるのであります。
  49. 森三樹二

    ○森(三)委員 時間もございませんから、失礼ですが、あなたに対してもう一点だけ御質問申し上げます。この法案をごらんになった中に、いわゆる政党並びにその他の団体という規定がございまして、その他の団体も、五十名以上の候補者立てれば、選挙運動なり政治活動ができるわけでございますが、そういたしますと、矢部先生らが平素非常に御心配になっていらっしゃるところの、二大政党のつまり育成強化というような問題は、おのずからこわれてくるのではなかろうか。たとえて言うならば、旧在郷軍人であるとか、あるいは引揚者であるとか、遺族であるとか、新興宗教というような団体が、つまり五十人の候補者立てれば、それは明らかに政党と同じような団体として、そうして公認候補立てて、この法律のもとに戦うことができるわけでありますが、そういうものが続々とできるならば、それは政党にあらずして政党のような活動ができるのでありまして、いわゆる矢部先生らのお考えになっているところの二大政党の育成、そうして二大政党によるところの議会制度の発達という問題は、おのずからそこに一つの欠けていく要素をこの法案の中に含んでいるのではないか、このように考えるのでありますが、最後にこの点をお尋ねいたしたいと思います。
  50. 矢部貞治

    矢部公述人 ただいまのお話でございますが、そういうふうな団体を確認団体として認めない、あるいはそういうものが選挙運動をやることも認めないということに、もしいたしますれば、それこそ私は憲法違反だというふうに考えますので、そういう団体が出て行動することを禁止するということは、どうもできまいと思います。ただ、そういうにわか作りのいわゆる確認団体というものがやりましても、これがなかなか当選の可能性を持たないというところに小選挙区制の意味があるのであって、そういう意味において、私は、二大政党――二大政党とは申しませんが、このわれわれがねらっておるところに、それが大いなる妨害になるというふうには考えておらない次第であります。
  51. 小澤佐重喜

    小澤委員長 これにて矢部公述人に関する議事は終了いたします。  矢部公述人には御多用中のところ長時間にわたり御出席をわずらわしまして、まことにありがとうございました。(拍手)  この際暫時休憩いたします。    午後零時二十一分休憩      ――――◇―――――    午後一時五十四分開議
  52. 小澤佐重喜

    小澤委員長 休憩前に引き続き公聴会を再開いたします。  議事に入ります前に、公述人の方に一言ごあいさつを申し上げます。  御多用中のところ、一昨日に引き続き重ねて御出席を願いましたのは、さきに御通知申し上げました通り、本委員会において目下審議中の内閣提出公職選挙法の一部を改正する法律案中村高一君外三名提出政治資金規正法の一部を改正する法律案及び中村高一君外四名提出公職選挙法の一部を改正する法律案の三案について御意見を拝聴し、よってもって本委員会審査に慎重を期することといたしたのであります。  つきましては、何分ともに以上の趣旨を御賢察の上、それぞれの御立場におきまして腹蔵のない御意見の御陳述をお願いする次第であります。  なお、議事の進め方につきましては、公述人意見陳述の発言時間はお一人当り三十分以内でお願いし、公述人お一人ずつ順次御意見の御開陳委員側質疑を済ませていくことにいたします。  それでは、ただいまより三案を一括議題として公述人より御意見をお聞きすることにいたします。  吉川末次郎君より御意見の御開陳を願います。公述人吉川末次郎君。
  53. 吉川末次郎

    ○吉川公述人 御諮問になりました公職選挙法改正に関する法律案につきまして、意見を申し述べたいと思うのでありますが、まず第一に、政府案を中心として意見を申し述べてみたいと思うのであります。  今日、私は、この小選挙区制法案という言葉それ自身が非常にあいまいだと思うのであります。私は、厳格に、一人一選挙区制と申したいのであります。これは、英語で申しまするならば、シングル・コンスティチュエンシー、英米では、選挙区制の問題については、シングル・コンスティチュエンシー、プルーラル・コンスティチュエンシー、単数と複数とに分けておるのであります。日本では大中小といっておりますが、その意味においては、小選挙区制というのは、現在のが中選挙区制であれば、三人のようなものでも私は小選挙区制と言うことができると思うのであります。日本タイムスでありましたか、ちょうどこの法案につきましてスモール、コンスティチュエンシーという言葉を使っておりますが、スモールとシングルとは違うのであります。新聞等では小選挙区即一人選挙区制と、こういう解釈をしておるようでありますが、学問的には、私は厳格にこれは分けなければならぬものである。あとから申し上げることに関連性がありますから、まず最初にそういうことを申し上げておきたいと思うのでありますが、それはつけたりであります。  政府案を通じまして一番重要なことは、国会及び新聞紙並びに世間等においていわれております一人一選挙区制の可否の問題につきまして、何か、法律とか制度とかいうようなものが、幾何学の公理のように、架空に現実から離れて存在し得るものであるかのような建前において、制度だけを独立的に論議されておる傾向が非常に強いと私は思うのであります。これは、私たちの立場からいたしますると、まず第一にお考え直しを願いたいと思うのであります。一人一選挙区制がよいとか悪いとかいうような問題ばかりが論じられておりますが、もうそれはほとんど論じ尽されておると思いますから、私は重複して申しません。私は政治学を二、三の大学で講義をしておりますが、きわめて初学的な政治学のテスト・ブックに、そんなことはいやになるほど書いてあることであります。一人一選挙区になれば、選挙民候補者との関係が非常に密接になるとか、あるいは二大政党の発展ということに貢献するとかなんとかいうことは、みんな書いてある。その欠点としては、情実因縁が大きくなるとか、小ボス的な人物が出るとかいうことは、おそらくこの委員会でずいぶんたくさんの人に聞いたことだと思います。そんなことはわかり切ったことだと思います。そんなことから一歩も出ないようなことを繰り返して論議しておったところで、無意味であると思います。新聞紙上等において現われる言説も、そんなことばかりが言われておる。論議の焦点がはずれておるということを、まず第一に申し上げたい。  しからば、その論議の焦点になるべきものは何であるかというならば、その利害得失があるところの一人一選挙区制というものをば、時と所との関係において、現実の今日のこの日本に実行したときには、どういう結果を来たしてくるか。その利害得失相伴うところの一人一選挙区制を実施して必然的に起ってくる現実的な政治的な効果というものをば対象にして、論議されなければならない。これが論議の焦点でなければならぬということであります。  しからば、この一人一選挙区制が今国会を通過したものとして、すぐに実行されることといたしまするならば、どういう結果を現実の日本の政界に来たしてくるかということであります。それは、言うまでもなく、端的に現われて参りますところの問題は、反対党――野党でありまする社会党の衆議院内におけるところの勢力というものが著しく縮減されまして、大体において、私の見まするところにおいては、現在の社会党の議席は三分の一に減少してしまう。よく見ても半分以上を出るということはまずないと推断することが、私は正しいと思うのであります。それはどういう数量的な基礎に基いて言うかといえば、これは常識的にお考えになっても、今日社会党の人がどういうような関係でもって当選することができるかというならば、今日の三人ないし五人の中選挙区において、三人区ならば、その三人のうちの一人を何とかして議席を獲得するように当選さしていく。あるいは四人、五人の選挙区でありますならば、その四人五人の中で一人とかあるいは二人とかを、労働組合あるいは月給取り、小市民層等の横断的な票を基礎にして、社会党の人が辛うじてその四人あるいは五人の選挙区に一人ないし二人が出て参りまして、今日衆議院の議席の大体三分の一を獲得することができるということになっております。繰り返して、また、そういう数量的な私の推断の基礎を、今日行われている選挙区制における一人一選挙区制、すなわちシングル・コンスティチュエンシーの選挙は何によって行われているかといえば、ほかの選挙にも行われておりますが、参議院の地方区等にもそういうところがありますけれども、全国を通じて行われておりますものは、地方自治体の首長の選挙であります。すなわち都道府県の知事選挙及び市町村長選挙は一人一選挙区制であります。シングル・コンスティチュエンシーの選挙制度において、今日選挙が行われておるのであります。町村合併によって、町村の数は一万何千から今日では四千台に減少しておりますが、この五千に満たないところの全国の都道府県市町村の自治体において、その知事市町村長が、しからばどれだけいわゆる革新派から出ておるかというと、大体において一割にも達していないのじゃないかと思います。例外的に、北海道の知事社会党から出ておるとか、長野県の知事が出ておるとか、京都府の知事が出ておるとかいうことはありますけれども、全国を通じて数量的に皆さん方がしさいに御吟味になりますならば、私はその数はおそらく一割にも達していないだろうと思うのであります。だからして、同様に一人一選挙区制が衆議院議員の選挙区制に行われるならばどういうことになるかというならば、大体それを基礎にして当選してくるであろうところの、いわゆる革新派の議員の数というものは、これは数量的にかなり確実なところの予想がついてくるのであります。これが論議の中心でなければならぬのであります。政治学の初歩の教科書に書いてあるように、わかり切ったような一人一選挙区制の利害得失なんかを、堂々たる国会議員がこの国会議事堂で時間を費やして論議されておるようなことは、私たちから見ると、はなはだ噴飯にたえない。新聞なんかそんなことばかりをやっきになって書いておるが、問題は、このように野党の代表的政党であるところの、普通の言葉でいわゆる革新政党といわれておるところの社会党が、今日の議席の三分の一の政党に転落し、よくても半数を出でないような微小なるところの勢力に転落してしまう。その勢力が縮減されるということが――私は決して社会党のひいきをするものではありません。今日の社会党にも非常に不満を持つものでありますが、これが果して日本の国民の政治生活の前途によきことをもたらすであろうか、あるいはそれは悪いことになるのではないかということが、私は、この法案を論議していただくところの、国民も、言論機関も、国会においても、論議の焦点に置いて、一つ御吟味が願いたいと思うのであります。このことをまず第一に申し上げておきたいと思うのであります。  それで、今一人一選挙区制を主張する人の主張を聞いてみますと、二大政党の樹立ということに、この一人一選挙区制が基礎的に貢献するといわれておることであります。それは政治学の基礎的な教科書にはみな書いてあることであります。ことに英米の教科書にはそういうことをみな書いております。そこで一つ二大政党ということについてお考えを願いたい。今日保守合同が行われて、また社会党の左右の合同が行われて、二大政党ができたといって、その合同は一応国民に歓迎されたのであります。しかしこれは二大政党の域にはまだ達していない。イギリス保守党と労働党、あるいはアメリカにおける共和党と民主党のような、相拮抗するところの政治勢力と、議会における数的議席が、互いに一対一の立場にまでその勢力が伸びておりますときに、初めて二大政党といえるのであります。ところが、今日の社会党は、民自党に比べますならば、わずかにその半分の勢力を辛うじて持っているにすぎない。二対一のこの勢力で二大政党もくそもあったものではないのであります。だからして、ここに二大政党を樹立するということが議会政治のいい道である。それにつきましてはいろいろお考えの違う人があるでありましょうが、私は、それはできるならば、そういう英米のような二大政党拮抗の形に日本議会政治を持っていくことがいいと、私は考えております。そういうことをするということでありますならば、むしろ民自党の半数の勢力しか持っておらぬところの社会党というものをば、民自党に対抗する勢力にまで一つ盛り上げる、伸ばしていくということこそが、ほんとうにその言う意味である二大政党主義実現のために貢献するところの道でなければならぬと考えるのであります。  ところが、今、保守派の方においては、対社会党について、一面においては二大政党のためにやるのだ、やるのだということを言いながら、しからばその首脳者がどういうことを言っておるかということを調べてみますと、私は、その代表者としての、保守党の総理大臣の職に過去においてつかれ、また今日においてもなっておられるところの二人の総理大臣であった人及び総理大臣である人の言を引用して、皆様たちに御考慮を願いたいと思うのであります。前総理大臣であった吉田茂さんは、かつて、日本議会政治を完成していくためには、現在の社会党を育成していかなければならぬということを言ったことがある。当時、社会党の諸君は、それを聞いて、吉田のやろう何を言いやがるのだと言って、なまいきだというようなことを言った人もあったようでありますが、私は第三者として冷静にこれを見ますならば、吉田さんがどういう動機でそういうことを言ったのか。ただ単なる政党人としてのデマゴギーとしてそういうことを言ったのかもしれませんが、私はそういうように悪く解釈したくない。ステーツマンとしての吉田茂さんの心情を吐露したものであるとするならば、これがほんとうに一つ政党の党員であるというような小さな偏した考えを捨てて、日本の国の政治をどこへ持っていかなければならぬかということを総理大臣の責務であると考え政治家からするならば、この吉田茂さんの言葉は私は正しいと思うのである。ところが、今総理大臣でいらっしゃるところの鳩山さんは、社会党についてどう言うていらっしゃるかというと、新聞紙の記事によりますると、こんな社会党は減殺しなければならぬ、減じ殺してしまわなければならぬということを、共立講堂その他の演説会において、卓をたたいて、涙を流さんばかりにして叫んでおられるということが新聞記事に出ておりましたが、この吉田さんの、社会党を育成していかなければならぬという言葉と、社会党勢力を減じ殺してしまわなければならぬというところの、保守派の二人の代表者の対照的な意見というものは、どっちが正しいか。私は、吉田さんの、育成していかなければならぬという見解にくみするものであります。個人としては、鳩山さんが非常に話が上手で、いかにもリベラルな感じのする好意の持てる人でありますけれども、鳩山さんの政治的なお考えというものは、現下における日本政治を指導するところの、ほんとうのステーツマン・シップを持ったところの総理大臣であるとはいいにくいことを、私は非常に遺憾に思うものであります。そのようにして社会党が現在の三分の一の勢力になってしまったならば、今度の政府案によりますと、定員は四百九十七名ということになっておりまするから、五、六十人の政党社会党がなってしまいまして、片一方は四百何十人という政党になってしまうのでありますから、もうこれは、自民党の立場からするならば、ものの数ではないのであります。そんなものを歯牙にかける必要はない。社会党のやつが幾らわめいていたところで、あんなものはほったらかしておいたらいいという考えになるのは当然のことであります。  そこで、政党というものは、政権獲得のために組織されたる戦闘的な団体でありますから、政権獲得のために、このでき上りましたところの、国民の一部に歓迎されているところの保守合同は、再び再分裂をいたしまして、自由党と民主党の形、あるいはずっとそれ以前の形、政友会と民政党等々の対立によるところの保守の再分裂が起って参りまして、言われるところの二大政党は、今日国民の歓迎しているのは、保守か革新かの二大政党の対立を期待いたしておるのでありまするけれども、その革新政党は見る影もない微小なる勢力に落下してしまうのでありますから、保守の再分裂による保守の二大政党が必然的にでき上ってくる。これは、私は太鼓判を押して、その通りになると予断いたしましても、私の予断は間違いないと思っておるのであります。この一人選挙区制の実施によって必然的に起ってくるところの事実、これがこの法案を審議していただくところの焦点でなければならぬ。世間のこれに対する論議は全然的をはずれておるということを、どうぞお考えを願いたいのである。  そこで、社会党の本質の問題でありますが、私は、今日の社会党については、相当なる不満を持っております。過去におけるところの、この無産政党の、社会党基礎をなしました諸君が持っておりましたような、たとえば安部磯雄さんが持っていられたような高きヒューマニズムのかおりというものは、あまり今見ることはできない。あるいは、大山郁夫さんが、われわれの行くところは墓場である、牢獄であると絶叫せられたところの、この烈々たるところの闘争的な意思というものは、私は今日の社会党には非常に影が薄くなっていると思います。そういう点は私の個人的な不満でありまするが、一面において、社会党はまた、昔に比べるならば、きわめておとなしい政党になってきておると考えるのであります。去年の秋でありましたが、京都大学に日本政治学会の大会が開かれまして、そこで、戦後における政党の役割というので、きょうも私のあとで公述せられまするところの早稲田大学の吉村博士が、保守党の役割について講演せられました。そうして他に一私立大学の学長である政治学者から、戦後における社会党日本政治に貢献したる役割についての講演があったのでありますが、そのときに、その人が言うのには、戦後の政党としての社会党日本政治、国民の政治生活に貢献したる最大のものは何であるかというならば、それは、この戦後の敗戦によるところの、いわゆる民主革命と呼ばれておるところのもの、全く革命に値するところのものであった新憲法の制定といい、それに現われたる人民主権の思想、あるいは労働組合法の制定によるところの労働者の団結権、罷業権、団体交渉権等の労働三権の公認であるとか、あるいは婦人に参政権を与えたことであるとか、あるいは農村の民主化のために農地を小作人に解放したことであるとか、こういうことは、非常にドラスティックな、旧憲法時代においてはとうてい考えることのできない――あの封建的な旧憲法と、そしてわれわれが子供のときから育成されてきたあの教育勅語の思想からするならば、とても考えることのできないような大きな政治的革命が行われた、その大きなドラスティックな政治的な革命が、今日において一応国民の間に安定感をもたらすような結果を来たしておる、そういう戦後における民主革命の安定感を与えたところのものは、すなわち社会党の母体をなした大正年間から過去三十年にわたるところの、社会運動や無産政党運動等に一身を犠牲にして、あるときは牢獄に入れられ、ブタ箱に入れられ、一家離散し、貧困のどん底に陥りながらも、このために戦ってきたところの志士的な、いわゆる無産政党、社会運動家の努力の数十年の堆積というものを通じて、その間に日本の国民が一応そうした民主主義あるいは民主社会主義の精神を理解したことが、すなわち今日のこのドラスティックな新憲法を中心とするところの、民主革命のこの安定が国民の間にもたらされたその最大の原因であって、それが社会党日本の国民生活の進歩発展のために貢献したところの最大の貢献であるという研究発表があったのでありまするが、私は学校の先生が言うことを必ずしもそのままうのみにして背定するものではありませんけれども、この言は私は実は正しいと思っておる。それは、その無産政党者が今日の社会党を生むに至りたこの数十年間の志士的な犠牲的行動というものは、ちょうど今日の自由民主党の、過去の歴史におけるところの、明治初年の自由民権運動のために同様に身命をなげうって努力せられたところの、自由民権の志士の精神の堆積が今日のものを生んでおると思うのであります。ところが、こうしたパイオニアの美しき高邁なるところの道義的な精神とヒューマニティは、その政党がだんだんと量的に大きくなるとともに失われていくのは、今日の社会党においても、今日の自由民主党においても同じじゃないかと思うのであります。これは残念なことでありますが、そういうように私には考えられるのであります。そこで、そのように欠点は持っておりまするけれども、そういう今日の日本の政界における革新的な勢力として、ここに数十年の歴史の上に打ち立てられてきたところの社会党が、欠点は持っておるけれども、これを今言うように一人一選挙区制でも鳩山総理大臣が言われるように減じ殺してしまうのであります。その勢力を減殺し、たたきつぶしてしまうところの行動に出ることが、果して日本の国民生活や政治の向上のためにいいことか悪いことか、実に重大な問題であるということを、どうぞ皆さんたちにぜひお考えを願いたい。ことに私は、自由民主党の幹部の諸君に対して、ほんとうに愛国の熱情を持った皆様たちの良識と良心とにアピールしたいと思うのでございますが、どうぞぜひお考えを願いたいと思うのであります。私は、そういう挙に出るということはよろしくないことであると考えておるのであります。  それで、なぜいかぬかということにつきましては、時間がございませんから、非常に省略いたしますが、今日の日本の歩んでおります政治的な行程というものが――私は、三十数年前、一政治学の学生といたしまして、一年間ばかりドイツで学生生活を送ったことがあるのでございますが、第一次世界大戦後のドイツが歩んだと同じ地獄の道を、今日日本の国民は知らぬ間に歩みつつあるということであります。と申しますのは、御承知のように、ドイツは第一次世界大戦で負けまして、そして共和革命が起って、いわゆるワイマール憲法が制定せられたのであります。そして、あのワイマール憲法は、第一条第二項において、主権は人民より発するという人民主権の精神を明確にいたしまして、そしてその中には多分に社会主義的な要素も加わっているところの憲法でありますが、今日の日本の国民と同じように、十九世紀の中ごろ以来、長年の間、ビスマルク、モルトケの軍国主義や国家至上主義でドイツの国民というものは教育されてきたのでありますから、そういうワイマール憲法が指示しているような人民主権とか民主主義とかいうようなことはわからない人が非常に多かった。相変らず封建的な、軍国主義的な、国家主義的な考えを持っている者が大部分でありまして、憲法は非常にりっぱな憲法ができたのでありまするけれども、そのワイマール憲法の精神を理解するところの明を持たない者が多数であります。あまたの賠償金の問題であるとか、世界的不景気の問題であるとか、いろいろな外的な圧迫もあり、そうしてまた比例代表制度のために絶対過半数を占める政党ができないで、政局が不安定であったというようなこと、第一党であったところの社会民主党に労働者が投票しても、絶対過半数を占めていないために、その社会民主党は単独の政権を持つことができないで、多く傍観者の地位に立って、中間的な連立政権に内閣の権力をゆだねておったというようなこと、そんなことがいろいろ相待ちまして、議会政治なんというものはだめだ、幾ら自分の信ずるところの政党に投票したところで、その意見が行われるものじゃない、そういうようないろんな原因が重なっておりますところへ、十八世紀、十九世紀からの、今日の日本と同じような、久しく半封建的な政治的な見解で教育されてきたドイツの国民の欠陥に乗じまして、あの不世出の扇動家の天才でありましたところのアドルフ・ヒトラーが台頭いたしまして、その民心の虚につけ込んで、あのナチスの台頭になりました。そうして彼は比例代表制を通ずるところの選挙によって、ナチスの政党はドイツ国会――ドイチェ・ライヒスタッハの多数党になりまして、その多数党の勢力を通じて自己の独裁権を確立したのであります。議会政治におきましては、多数党というものはその権力が強いのであります。イギリスのことわざにありますように、男を女にしたり女を男にすること以外は、イギリス国会の多数党はどんなことでもできる。私は、今日の自民党の方は、どんなことでも――この法案を出して国会を通過させることができる絶大な権力をお持ちになっておるのでありまするから、その権力に応ずる自己の国家に対するところの責任の重大性ということを痛感して、そうしてきわめて厳粛な気持でもって国事に携わっていただきたいと思うのでありますが、その議会の多数党となりましたところのナチスは、ここでドイツ国民の経済窮乏を救済するところの法律案というものをドイチェ・ライヒスタッハに提案いたしまして、そのナチスの多数でもってこれを直ちに通過させてしまったのであります。ところが、名はなるほどドイツ国民の経済窮乏を救済する法律案でありまするから、名だけ聞くならばだれも反対のしようもありませんが、その実は、その法律を通じて、すなわち一切の権力というものをば総統であるところのヒトラーに委任してしまう内容を持った法律であって、いわゆる全権委任法がそこで制定せられたのでございます。かくして、ドイツの軍国主義は復興し、あるいはフランスに対する、あるいはオーストリアに対する、あるいはチェコスロバキアに対する、あるいはポーランドに対する、ああいうような帝国一主義的な侵略がまた繰り返されまして、一時はよかったのでありますが、日本の軍閥の侵略戦と同じように、その結果はどうなったか。さんたんたる第二の敗戦を喫しまして、ドイツ国民というものは、実に、日本の国民と同じような、言うべからざる悲劇のどん底に陥れられたのであります。今日一人一選挙区、小選挙区、しきりにその可否を現実の政治から離れて、ただ独立して制度を論議されておりますが、おそらくは、ドイツの国民の間には、そのときドイツ国民の経済窮乏ばかりを救済する法案制度的可否ばかりが論議せられておったでありましょうが、その結果は、全権委任法となって、ああしたドイツの軍国主義の復興を見たのであります。鳩山さんは、議会では、あなたはこの一人一選挙区制を憲法改正のために行うのではないかという質問が起ると、憲法改正は一人一選挙区制とは別の問題でありますということを答弁しておられますが、一面において、鳩山さんは、声を大にして今日の懸法を改正せなければならぬということを言っていらっしやる。ここで、憲法改正の目的からいたしますと、わずかに三分の一を数名越しているところの、いわゆる革新陣営の議員の数というものが目の上のこぶでありますから、何とかしてこれをたたき落さなければならぬということも考えていられるでありましょう。幾らそれは別の問題であるといったところで、国民は、そんなことはよっぽどばかな人でない限りは、鳩山さんが言った通りには解釈していない。憲法改正のためにやるんだ、あるいは今日の戦後におけるところの、いわゆる民主主義の政治と言われるものをば、戦前の明治憲法の時代の政治にできるだけ復帰さすということの政治的意図を持ってそれが行われる、そういう政治のためのいわばこれは全権委任法であります。一人一選挙区制が行われるならば、鳩山さんの一番きらいである反対党というものは、見るかげもない勢力に転落してしまうのでありまするから、そういう政治をもたらすためのこれは全権委任法であるということを考えて、それを第一義の問題として論議するのでなければ、単なる制度論は全くナンセンスであって、笑うべきことであります。どうぞ、国会議員の方々はそのことを対象として論議していただきたいと思うのであります。  憲法の問題は論議いたすと時間がかかりますから、このことにつきましては時間を省略いたしますけれども、一月の十一日に政府案に賛成される証言をされました矢部貞治さん、私はその反対派の議論を読売新聞に発表いたしておるのでありまするが、この前の内閣選挙制度調査会では、五人の学界代表の中で、一人一選挙区制に賛成の意を表せられたのは拓殖大学総長の矢部貞治さんだけでありまして、あとから述べられる吉村博士ら私ども四人の委員、五分の四まではこれには反対であったということを、どうぞ御記憶が願いたいのであります。時間の省略上これをちょっと朗読さしていただきたいと思いますが、一節だけです。長いのでありますが、一節だけ。「敗戦前の日本国民は、第一次大戦前のプロシヤ王国憲法の翻訳焼直しに過ぎなかった明治憲法と」明治憲法というのはプロシヤ憲法の翻訳なんですよ。これはみな日本で秘密にしておった。自民党の先輩である星亨さんが、それを暴露したために、一年八カ月牢屋に入れられた今日でもそういうことは知らぬ人が多いのです。外国の学者はみんな知っているのです。こういうことを知らぬで憲法改正を叫んだところでナンセンスです。プロシヤ憲法の焼直しに過さぬ「明治憲法と旧いプロシヤ主義官僚の書いた、あの教育勅語」井上毅なんかが書いたんですね。「教育勅語とによって子供の時からただ一筋に教育されてきたものばかりなのであるから」私たちもその一人でありますが、「デモクラシーとか、人民主権とかの真の理解からは縁遠く、それらの精神は明治憲法からは絶対に生れては来ないものなのである。しかるに各大学では、」これも重要なことですから一つお聞きおきを願いたいのでありますが、「その旧憲法の学者が、戦前のまま教壇に居残って、自分の人生観、政治観に存在していない基本精神の上に立つ新憲法を、ほおかむりしながら、これの形式的文理解釈だけを、講義するのが、日本憲法学界の現態だ。」この通りなんです。これはおそるべきことではありませんか。「憲法もその必要があれば、改正されてもよいであろうが、」私は改正されてもいいと思うのです。「今は断じてその時ではない。それは新しい学者によって新憲法の理論体系が、憲法学界に一応普遍化し、戦後の新しい民主主義教育を受けてきた青少年たちが、日本の中堅年齢層にまで成長した時を待って、再検討することもよいであろう。」われわれは戦争を食いとめることができなかった。青少年に対してざんげすべき前科者であるということを、みずから考えなければいかぬと思う。国をあやまったということ、協力はしなくても、強力にあの東条内閣等に現われているところの軍国主義的侵略を阻止し得なかったということを、私たちは自責しなければならぬ。それから今日の政治が出発しなければならぬと私は考えるのでありますが、「アメリカ一部の軍閥の意向に隷従して、これこそ「他動的」にこれが改悪を企図し、旧い憲法学者たちの前世紀的憲法論によって、戦時内閣の閣僚であった岸信介や広瀬久忠」や山崎巖「とかいう人が、」名をあげて非常に失礼でありますが、「その与党内の改正調査会委員長になってこれを国民に強うるというに至っては、まことにサタの限りというの外はない。」まことに失礼でありますが、私は何も個人的に岸さんや山崎さんや広瀬さんに怨恨を持つものではありませんが、国家のために実にけしからぬことだと思っております。東条英機氏が今地下からよみがえって、あの憲法は間違っている、戦後の政治はみんな間違っているのだともし国民の前に叫んだら、国民は憤激するでしょう。東条内閣の商工大臣であった人や逓信大臣や厚生大臣であった人が、今日憲法改正の音頭取りになって、戦後の民主主義の政治は間違っておるというようなことを諸君言えた義理ですが。私は実に日本のために涙を流したいと思います。この大きな厳粛なるところの、日本政治の今遭遇しているところの一大危機というものを外にして、それに大門を開くところの授権法を制定するがための、授権法であるところのこの一人一選挙区制の法律案を、制度の上だけで独立して審議している。これは、先ほどから繰り返して申し上げますように、何らの意味のないものであるということを重ねて申し上げておきたいのであります。  また、私たち選挙制度調査会、すなわち内閣選挙制度改正調査会矢部さんや何かが中心になって作られた案、あれは間違っているのです。あれは政府案と同じものです。あれを、何が朝日新聞なんかが社説であれに変えたらいいようなことを言っておりますが、とんでもない。大新聞としては恥さらし、愚劣きわまる言論であって、同じものであります。ただ自民党の諸君が小手先でちょっちょっとしたところを面したというだけであって、最も重大なる核心的な問題は一人一選挙区ということなんです。それは同じことであります。あまり世間がやかましいものでありますから、あれに賛成したところの――私は端的に申し上げます。これらをきめたのは御用学者です。御用新聞記者です。御用古手官僚です。こういう人は、体裁が悪いものですから、何か最近になっていろんなゼスチュアをやっているようでありますが、こういう愚劣なるところのゼスチュアに国会議員の良心が麻痺されてはならぬのです。目をおおわれてはならぬのです。こんなものは笑うべきことであります。「反対委員や野党側の意向をじゅうりんし、官僚を使駆してその一人一区の地域区分案作成に着手しているが」これは作成している最中であります。「これは政府本位のいわゆるゲリマンダーリングを行わんとするものであって、許すべからざる専横行為である。一人一選挙区制の即時実施を政府に答申するに賛成選挙制度調査会委員諸君は、それによる憲法改正と、日本民主主義の圧殺と必至的に起るべき国内混乱とに対して、自ら深く責を負うの覚悟を持たねばならぬ。」ということを、一月でありますが、書いたのであります。  時間が迫ってきたようでありますから、すべて省略いたしまして、あとで私の申し上げましたことについて御質問がありましたならば、重ねて論じたいと思いますが、結論だけ申し上げておきたいと思うのであります。  第一に申し上げたいことは、この法案はどうなりますか。ここに多数の威力によって衆議院を通過いたしますると、参議院に回りまして、世論がやかましいものでありますから、今申しましたことと関連いたしまして、内閣は、参議院におけるところの与党でありまする自民党と準与党でありまするところの緑風会、これに手を回して、何かこそくな修正をやって、そうして本質的に同一のものであるところの内閣選挙制度調査会の一人一選挙区制案というものが、何か無知な人たちがいいものであるかのように書いている新聞なんかもあるのでありますから、あれを本位としたもののところに参議院で緑風会と自民党とに修正をさすような修正案をお作りになるということが、今考えられておるのじゃないかと思っておるのでありますが、そういう小手先細工に国民はごまかされてはならぬのであります。緑風会と申しまするのは、これは古手の官僚の集団であります。よく世間では緑風会の良識とかなんとかいっておりますが、緑風会の良識というのは、この間の参議院議長である緑風会選出の河井彌八氏の政治家としての出所進退を点検をされるならば、古手の官僚の良識というものは大体どの程度のものであるということは十分見えるはずである。社会党の投票でもって議長となっておいて、今度選挙が間近になってきたからというので、重要なる議長の職を取引の道具に使って、自民党さんどうぞ私を党友か党員にして選挙を応援して下さいということの承諾を得るために、参議院の議長の職をやめたのであります。(「人身攻撃はやめて下さい。」と呼ぶ者あり)人身攻撃じゃありません。これは重大にして最も厳粛なるところの政治的事実であります。参議院議長とは何であるか。今日の新憲法下においては……。(「選挙法と関係がない」と呼ぶ者あり)関係がある。内閣総理大臣よりもなお序列が上にあるところの国会の議長がこういう不公明なるところの取引的な出所進退をしておることは、これは、大きな政治的な事実として、みなが真剣に考えなければならぬ。そういうようなものが良識といわれて、その良識にたよって、こうしたものを本質とするところの、良識を売りものにしているところの団体を使って世間をごまかすために、この修正が参議院で行われようとしております。こんな修正は二束三文の価値もないのだ。(拍手)内閣選挙制度調査会において、自民党や政府の意を受けて、われわれの少数意見をじゅうりんして、政府にサービスするために何か議論が沸騰してくると討論打ち切りを提案して、そうして政府にサービスするために一番努力したのは、自民党側委員ではなくして、実に緑風会出身の官僚議員であったということを思い起さなければならぬのであります。(拍手)そういうことと結びついて、緑風会が参議院においてやるところの、政府に味方したところの修正案の本質というものを、国民は知らなければならぬのであります。それを申し上げておるのであります。  第二に必要なことは、内閣調査会案というものが相当有力なる基準になると思うのでありますが、内閣調査会の答申は、先ほど来申しましたように、非常にインチキなものであるということであります。すなわち、調査会の構成というものが、さっき申しまするように、初めから政府に味方するところの、いろいろな立場にある古手の役人や何かを多数集めてきて、議決をとるならば当然三分の二あるいは四分の三でもって勝つにきまっておるように構成をしておる。そうして純正な議論を吐くものや反対党のものが必然的に負けるように構成いたしておる。初めから結論はわかっている。一人一選挙区制を答申するということはきまっおる。ただ世間体をごまかすためにああいう諮問委員会を構成しておるということ、これを国民は知らなければならぬ。政府の諮問委員会の構成は大体そういうものである。かりに今問題になっておりますところの憲法改正調査会法案が通過しまするならば、憲法改正調査会も、やはりそれと同じように、初めから結論がわかっていて、その結論に持ってくるのに便利なような御用学者、御用官僚あるいは古手の御用新聞記者のようなものを集めてやる。だからその構成がインチキであるということ。それから、議事の進め方が非常に不当であったということであります。(発言する者多し)どうぞ、御不満がありましたら、あとからいろいろ御質問願いたいと思います。――それ場で、新聞記事にも出ておりますように、幕切れのところにおいて、たとえば学界代表の蝋山政道君が修正案を出した。二人区制本位で社会党を育成するということが二大政党主義に近づくものであるからというので、二人区制法案を出した。そういうようなものは十分に審議されないで、しゃにむにこの答申書にあるような案にするような議事の進め方だ。議事の進め方が非常に不公正であったということ。それから、もう一つ申し上げたいことは、あの内閣調査会というものがスタートを切りました一年前と、あの答申書が作られましたときとは、日本の政界の情勢が著しく急変化しておるということであります。たとえば、よく、一人一選挙区制の万の方は、社会党反対しているけれども、元内閣総理大臣の片山哲さんは賛成したではないかということをしきりに言っておりますが、これは、片山さんの真意も十分了解しておりますし、私も関連性があることでありますが、その当時においては、保守党の合同も社会党左右の合同も行われておらなかったところの政治情勢にあったということ、それから、自治庁で選挙法の改正案として用意いたしておったところのものは、現在のような一人一選挙区制ではなくして、二人一選挙区制が政府、自治庁において三つ用意されておったのであります。自治庁の役人がわれわれの集会に来て話をいたしましたときにも、それを話した。一人一選挙区制であるならば社会党が不利であるから反対するにきまっているが、二人区なのです。こういうところで片山さんはそのときは賛成の意を表したのであります。私もそれならまあいいだろうと思ったのであります。その後保守合同が行われ、社会党の合同が行われ、知らぬ間にその中に入ってきたところのいろいろな人たちが、この用意してあったところの案をみんなどこかへやってしまいまして、そうして自分たちの欲するところの一人一選挙区制が即小選挙区制の全部であるかのようなところへ、この運動を引きずっていった。だから片山氏もそれから離反しておられる。私たちも離反しておるという結果になっておることも、どうぞ御了解を願いたいのであります。  それから、最後に申し上げたいことは、従って、今日の一選挙区制というものは、日本政治生活の歴史の齒車を前に進めるのではなくて、時計の針をうしろへ回すように逆転さすところの、非常なる暗黒政治日本議会政治にもたらさんとするところの悪法集であります。従って、このような法案は廃案することを、私は、政治学の専攻者の立場からいたしましても、国民の一員といたしましても、一つ国家の前途のために保守政党方々の良心と良識にお願い申したいと思うのであります。樹立されております。しかし、小選挙区制にしたいところの念、これは十分論拠があるのでありますが、これは私省略しておきますが、それならば、あの内閣調査会に蝋山氏が提案したところの、一人一選挙区制と比例代表制をミックスして、そしてこの一人一選挙区制から来るところの死票を全国的に集めて、比例代表の原則によって生かすという現在の西ドイツがとっておりまするところの制度、これは国会の立法考査局から出されておりまするところのリファレンスに詳細に照会されているのでありますから、――これは審議もされないでしゃにむに答申書が作成されたのでありますが、こういうものをもっと有力に取り上げて再検討してみるべきだと存じます。  私の提案いたしましたところの二人区制案、私がこれを申し上げたときには、星島二郎君のごときは非常に賛成せられたのでありますが、結果的に見ますと、星島さんが賛成したのは、吉川さんの二人区制は非常にいいですよ、われわれの党内においても――原則は社会党をたたきつぶすために一人一選挙区制にして、一人一選挙区制だと保守党が少し不利になる憂いがあるというところだけ二人区にしているのです。私の主張する原則はすべて二人区なんです。そして例外的には三人区のようなものを若干認めている。今度の単位をすべてもう一つ上げる案なんです。だから、蝋山さんの案も、私の案も、ここに新しい一つ調査会をお作りになって、今度の案は愚案でありまするから、これを国民の世論とも相照応して民意を入れて、大政党であるとこて、これを廃案にしてしまって、新しい調査会を作って――私なんかならなくてもけっこうであります。古い委員はみなやめてしまって、公平な新委員でもって委員会を作って、そういうものをも十分論議の対象にする。それから、論議の対象は、あくまでも、この選挙制度を実行したならば日本政治界がどうなるかということを論議の焦点に置いて、練り直していただきたいということを、私は、別に一党一派に偏する立場でなく、一個の政治学の学徒といたしまして、一国民といたしまして、皆様たち議員諸公の良識にお願い申し上げたいと思うのでありますが、なお言い足りませんところは、御質問がありましたならば、お答えいたすときを持ちたいと思います。(拍手)
  54. 小澤佐重喜

    小澤委員長 吉川公述人に対し質疑の通告があります。これを順次許します。山下榮二君。
  55. 山下榮二

    ○山下(榮)委員 ただいま吉川さんの豊富な意高見を拝聴いたしまして、まことに感激をいたしたのであります。  申されまするように、終戦後十年にして、すでに国民は戦争というあの悲劇を忘れかけて、また再び昔のような軍国主義の国家を夢みるような気持さえ思わせるような情勢がないと言えない情勢になってきているのであります。そういうときに、今吉川さんのお説を伺って、まことに感激をいたしたのであります。そこで、私が聞かんと欲しておった点については、すでに吉川さんも説明の中で加えられた点も多々あると思いますので、説明のなかった点について、二、三お伺いをいたしたいと思うのであります。吉川さんのような学者に対しましては、私は、政治的な考え方ではなくして、学者的な立場からのお考えのほどを伺ってみたい、こう思っておるのであります。  その第一は、国民が国会にいわゆる政治を委託いたします。総選挙政党政策を掲げて国民に公約をいたします。そういう場合に、政党が総選挙のときに国民に対する公約をしていなかった以外のことについても、政権をとった場合にでたらめに政策を行なっていいのかどうか、こういう考え方でございます。たとえば、今度の小選挙区の問題にいたしましても、過ぐる昨年の二月の総選挙のときに、当時の自由党もあるいは民主党も、何ら、選挙の公約の中に、わが党は小選挙区を行いますという公約を掲げたものはなかった、こう思っておるのであります。しかるに、今日自民が合同をいたしまして二百九十九名になるや、直ちに小選挙区という問題を持ち出して、この法案が出てきた。言いかえると、まるでやぶから極みたいな格好で、国民は何ら知らない間にこの法案が出てきた感じがするのであります。こういうことが、総選挙で国民に政策を訴えて政治を行うという、この立憲政治の上にふさわしいことであるかどうか、この点を吉川さんに私は伺ってみたいと思うのであります。
  56. 吉川末次郎

    ○吉川公述人 お答えいたします。民主主義の政体のもとにおきましては、すべて主権は国民から発するのでありますから、その主権をリプリゼントし、代表いたしまして、代議士が国会に出ておられるのでありますから、一つ一つについて一々意見を聞くということは、いろいろできないことが多いでありましょうが、しかし選挙のときに公約したことを実行する、またその後において重大なるところの法案あるいは政治課題が出て参りましたときには、やはり国会を解散し、総選挙によって国民の意思に尋ねるということが、当然でなければならぬと思うのであります。ことに、先ほど来申しましたように、この一人一選挙区制は、憲法改正の授権法であるばかりでなく、日本政治政党の分野に重大なる変化をもたらすところの大法案であります。きのうの朝日新聞の社説なんかでは、そのことは十分わかっていないようであります。結論は、たな上げせよということで非常にいいのでありますが、その結論を出すまでの過程に、この法案はさきほど重大じゃないというようなことを書いてありますが、これはとんでもないことでありまして、こういう重大な法案は、今の御質問者がお話になりましたように、私は一度国会を解散して、そしてこれを民意に問う、あるいは次の選挙まではこういう法案は議会へ上程して審議しないで、総選挙のときに民意に問うというように、解散かあるいは定時の選挙か、いずれにしても総選挙によって民意に基いて、かかる日本政治を基本的に改革し変革をもたらすところの法案は、その後において審議されるということが、民主主義の建前からいたしましても、また新憲法の精神の建前からいたしましても、当然に踏まなければならない道である、私はこのように考えます。
  57. 山下榮二

    ○山下(榮)委員 ただいまのお話でよくわかったのですが、選挙区というのは政治のスタートでなければならぬのであります。いわゆる選挙区割りを決定するというのは、政治のスタートのルールを決定する、こういうことでなければならぬのでありますから、今吉川さんのおっしゃいましたように、これは解散をやって民意に問うて行う、こういうことがきわめて必要であるということは、われわれもまことに同感であるのであります。  次に、もう一つ伺ってみたいと思いますのは、今度の選挙法の改正で、二百一条というものが大幅に改正をされまして、先ほど同僚森君から矢部さんにも伺ったと思いますが、この改正が今度の選挙改正の一番重要なるポイントではなかろうかと私は思っております。これは、いわゆる政党公認をいたしますると、他の人に同一選挙区内で絶対応援あるいはその名前を語ってもならぬという規定、五十名以上の公認候補が全国的にあるものでなければ、政治活動ができないという規定をいたそうとしておるのであります。このことはきわめて重要な問題でありまして、これは憲法違反になるのではなかろうかという疑いを持つのでありますが、過般、この委員会におきましても、この問題がはしなくもいろいろ議論されて参ったのであります。私は、この機会に、学者の立場から吉川さんにその意見を求めてみたい、こう考えているのであります。たとえば、憲法第十二条、あるいは第十三条、十四条を考えてみますと、十二条には、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。」こう規定されてあります。さらに、十三条には、「すべて国民は、個人として導車される。生命、自由及び福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」こう規定されておるのであります。ここに私が申し上げたいと思うのは、「立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」こう書いてあることであります。そういたしますると、五十名以上の全国の候補者を持たざるいわゆる小政党ということは、この規定に違反するという結果になるのではなかろうか、こういうことが考えられると思うのであります。私は、憲法上も、この問題についてはきわめて重大な問題である、こう考えるのでありますが、ただひとり政治的ということだけではなく、学者的、学問的立場からも、これがもっと明快にされなければならぬのではなかろうか、こう考えているのであります。このことについて吉川さんの御意見を伺ってみたと思います。
  58. 吉川末次郎

    ○吉川公述人 お答えいたしますが、御質問のことは、憲法学者的な見地からいたしまするならば、法律学者にいろいろな見解があり得ることだと思います。しかしながら、重要なことは、憲法もまた政治的な広い視野に基くところの高い知性によって、政治的な立場から見られなければならぬものだと思いますが、政治的なあるいは政治学的な見地から今御質問になりましたことを考えてみますると、御質問者の御意思には反するかもしれませんけれども、私は法案も見てきたのでありますが、きょうはここに資料を持ってきておりませんので、何条に何と書いてあったということを、その字句通りには記憶いたしておりませんが、公認された以外の人は、その党名を名乗って出ることができないというようなことが内容でありまするならば、これは政党の統制に関することでありまして、法律で規定してもそれほど見当違いではないと思います。そういうことが行われることはいいことだと思います。というのは、議会政治はやはり政党基礎にして行われなければならぬものでありますから、そういう合理的な政党の統制というものを、法規的に、不穏当でない限り規定しておくということは、いいことじゃないかと思います。ただ、しかしながら、そういう立場からすれば、政党が非常に整理されて数少いものになるということは、これは私見といたしましてはいいと思っておるのでありますが、比例代表制を行なっておりますような国に行われるように、それぞれの世界観の相違によって非常にたくさんの群小政党もまた生まれる、一人一党のようなものが多数できるということも、新憲法の法律的精神よりいたしまして、これを否定することはできないと思うのであります。これを絶対的に禁止するということはいけないと思います。また、そういう小政党を支持するところの人々も、やはりそれに賛成して投票いたし、支持いたしておるのでありますから、その投票の数に現われたる政治勢力に比例した政治力をば国会の中に反映さすように考えるということは、私は民主的なことだと思います。そういう点からいたしますると、先ほど申しました一人一選挙区制をかりにとるならば、その欠点を補うためには、蝋山氏が提案しましたような、西独に行われているような、それに比例代表制を加味した制度考える。そのほかいろいろな考え方があり得ると思いますが、そういう欠陥をばある程度まで補充することができるんじゃないかと思っております。なお、言い足りないかもしれませんが、大体そのような点において考えていくのが妥当なんじゃないか、このように考えておる次第であります。
  59. 山下榮二

    ○山下(榮)委員 私の考えと非常に違いがあるのであります。たとえば、憲法第十四条には、御承知のごとく、「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」こう規定をされておるのであります。こう憲法規定をいたしておりますると、五十名以上の候補者を持っておるから、五十名以下の候補者であるからということで差別するということは、現に憲法のかような平等の原則に反する結果になるのじゃないか、これをおそれるのであります。それについては一体どうですか。
  60. 吉川末次郎

    ○吉川公述人 お答えいたしたいと思いますが、それは憲法の法律論になると思います。政治学的な見地から申しますと、先ほど申し上げたようなことをお答えするわけでありますが、そうした政治見地に立ってあなたが御指摘になりました十四条を解釈していけばいいではないかと思っております。法規の形式、注釈的な解釈からいたしまして憲法に違反するということでありますならば、それはいたし方がない。それは憲法違反になるだろうと思います。しかし、私が申し上げましたような政党の整理、そういうようなことをやはり選挙にはある程度考慮していくことが必要ではないか。またそういう公認に漏れたような人たちが集まって別個の政党組織することもあり得るでありましょうし、五十人の候補者を擁立することのできないようなものは、政治的な見地からいたしますと決して無視するわけではありませんけれども政党である以上やはり政権をになうということを目標に置いた政治力を持つことを、一応考慮の中に入れていかなければならない、こういうように私は思っております。
  61. 山下榮二

    ○山下(榮)委員 なかなか話がくどいようですけれども、ただ通り一ぺんのことだけを私は申し上げたのですが、この二百一条の改正政党政治活動の中には、五十人以下の候補者での政治活動はできないが、今までと違って特定の候補者選挙運動ができることになる。演説会場で名前を入れたビラもまけることになり、その間甲乙の開きがひど過ぎると思う。そういうあまりにも分け隔てのひどいやり方は憲法の原則に反する、こう考えるのでありますが、これを今私は吉川さんと議論しようとは思いません。こういうふうに今回の政府案というものは憲法に抵触する疑義があることを、よくお考え置きを願いたい、こう思うのであります。  次に、選挙制度調査会の作られた案は政府原案よりもはるかに小選挙区としては当を得たものである、われわれは実はこう考えておったのであります。ところが、吉川さんの説明を伺って初めてわかったのですが、あの選挙制度調査会といえども政府の圧力があったというのですが、あるいは政府のひもつきであるというのですが、そういう意図のもとにこの選挙制度調査会が運営されたという話を聞きまして、あぜんといたしたのであります。先ほども申し上げましたように、選挙区割りの決定あるいは区制の決定というようなことは、政治のスタートのルールをきめるものであるから、これは、一党一派でなくして、少くとも政党関係のあらざる純然たる策三者の立場で行うということが必要ではないか。それが当然過ぎるほど当然ではないか。従って、今やかましく言われるゲリマンダーという言葉、あるいは政府与党に都合のよいように作った――一党一派が勝手に作るからゲリマンダーというものができてくるのであって、政党政派に関係のない純然たる策三者が作りますならば、公平を期することはできぬかもわからぬが、世間からゲリマンダーと非難されるようなことがあるいは多少少くなるではないかというような気持を持っておるのであります。ところが、政府がさきに任命をして作ったこの選挙制度調査会というのは案外それに近い、私は公平なものではなかろうか、こう思っておった。ところが、吉川さんの説明を伺いまして、まことにあぜんといたしたのであります。  そこで、私が吉川さんに伺ってみたいと思うのは、あの調査会の最後のときに、あなたも先ほど申されましたが、蝋山さんが、小選挙区制の一番致命的な欠陥というものは死票の問題である、この死票の問題を少しでも緩和するという意味で、何らかの措置をとる必要があるのではないか、こういうおもんばかりからであろうと想像いたすのでありますが、西ドイツのドント式を採用したらどうか、こういうことを言っておられるのであります。ところが、速記録を見ますと、どうもあのときはもうどさくさ一になってしまって、何ら審議らしい審議が行われていないのであります。私は、あなたが先に申されましたように、なるほど政府のひもつき圧力があって、この委員会が運営されたということの想像がつくのでありますが、ほんとうに第三者的な、公平な委員会立場であるといたしますならば、日本の今日の政治情勢、日本の今日の国民感情の上からいったならば、この死票をわれわれはどう緩和するか、致命的な欠陥をどう補うかという問題については、委員会でももっと真剣に議論されなければならない問題ではなかったか、こう私は思っておるのであります。その辺の事情が私にはわからぬのですが、一つこの機会にもう少しお聞かせいただきたいと思うのです。
  62. 吉川末次郎

    ○吉川公述人 山下さんは社会党委員の方と思いますが、その社会党委員の方が、内閣選挙制度調査会の答申書が、世間の多くの人と同じように、何か正しいところの意見であるかのように、公正な順序を経て作られた意見であるかのように今までは解していたということを言われたことで、むしろ私の方があぜんといたした。あんなばかげたような意見書、それは今の質問者がおっしゃったように、全くの政府のひもつきなのです。だれがその原案を作るか、これは議員の方ですからすぐ想像がつくと思いますが、この政府案もそれから内閣調査会案も、当然自治庁の選挙部の役人諸君がみなこれを作るのです。だから、役人というものは、そのときの権力者が右向けといえば右を向きますし、左向けといえば左を向きます。これがよくいえば役人、官僚の中立性であって、役人というものはそういういわば機械みたいなものです。だから、その原案はそういうような立場で作って出す。それから、委員会のメンバーの構成というものは、先ほど申しましたように非常に不公正なものです。初めから政府が欲するところの結論ができるようなメンバーの構成であの委員会が作られておるわけなのですから、出てくる答申はもうきまっているのです。それを自民党の方へ持っていくと、地区的に若干の苦情が出たということで、少しばかりいじくっただけの話で、両者対照してお考えになりましても、先ほど申しましたように本質的には何も違わないものなのです。そんなようなことに幻惑されて、注意の焦点がそんなところへ向けられたならば、これはとんでもないことなのです。どうぞ、今までそういうようなことをお思いになっていたならば、一つそうでないことをはっきりと認識して――これは両案ともに官僚の作成したところの政府案である。断言をいたしまして決して間違いありません。そしてそれがいかに不正なる議事によって行われたかということは、あの幕切れの速記録をごらんになったところでもわかるのです。それから顔ぶれをずっと点検してみればすぐわかるのですから、どうぞその点をはっきり御認識を願いたいと思うのであります。  それから、死票の問題につきましては、蝋山君が最後に提案されたところのドント式比例代表の制度を一人選挙区制に加味したというところの案は、私はそのときにも申したのでありますが、私は蝋山君の案には賛成じゃないけれども、しかし有力なる一つの案として当然考慮さるべきであるということを申したので、今もそのように考えております。死票を全然なくするという立場に立つならば、これは比例代表制度にまさるところのものはないのであります。しかしながら、今度の法案の前の政府の案として理由書の中に書いてありますように、どのような制度にもそれぞれ利害得失があるのでありまするから、比例代表にもいいところがあれば悪いところもある。一人選挙区にも、制度を独立的に考えればいいところもあれば悪いところもある。現在の制度にもいいところがあれば悪いところもある。いろいろあるのですから、そんなところに幻惑されて注意の焦点をそんなところへばかり向けているならば、またこういうことは憲法違反ではないかとかなんとかいうことは、これも重要なことですけれども、第一義的に重要なことではない。第一義的に重要なことは、一人一選挙区制を実施することによって必然内に起ってくるところの社会党の三分の一の勢力の転落、それに伴うところの日本政治の前途ということ、政治家としては注意の商店を一番そこへ向けて御議論を願いたいということを申し上げる。死票の問題につきましては不十分かと思いますが、今申しましたようなことで御了解願いたいと思います。
  63. 山下榮二

    ○山下(榮)委員 だいぶ時間をとったそうですから、もう一つだけ簡単に伺いたいと思うのです。死票の問題でございまするが、小選挙区にも長所もありいろいろあるのですが、しかし、わが国に今直ちに小選挙区を実施した場合は、小選挙区の短所のみが現われて長所が現われにくいのじゃないかという気が私はいたすのであります。これに対していかようにお考えになっているかということが一つ。もう一つは、御承知のごとく日本議会政治は二院制度であります。小選挙区を中心として衆議院では今度三十名の増員をいたしておるのでありますが、その三十名の増員は人口増加を中心といたしておるのであります。その場合に参議院の方は何ら手をうけていないのであります。こういうことは、考え方によってはあるいは非常な片手落ちではないか。選挙制度調査会の方も何らこれには触れておられないようでありますが、この点は、ひとり政府のみならず、調査会の方でもいかようにお考えになったものであるか、私は最後にそれだけを伺っておきたいと思うのであります。
  64. 吉川末次郎

    ○吉川公述人 衆議院の選挙制度ばかりでなしに、参議院の選挙制度内閣選挙制度調査会はなぜ審議しなかったかということの御質問であると思いますが、それは当時一委員から同様趣旨の質問がありました。そして、政府当局といたしましては、ひとり衆議院の選挙区制を中心とする選挙制度の改革の問題でなしに、全般の選挙制度の問題を審議してもらうための調査会である、しかしながら、その一つの重要なる課題として選挙区制の問題、それにからまるところのいろいろな制度の問題というようなことを論議してもらいたいというところのお話がありました。御質問の通り選挙制度調査会でありますならば、地方議員の選挙制度の問題も参議院議員の選挙制度の問題も、あわせて論議さるべきものであると、私も十分に考えております。あの一年間の、しかもスタートのときに申しましたように、日本政治情勢が途中で全く急変いたしておるのでありますから、あの委員会の答申というものは、すべてにおいて、形式の上におきましても、手続の上におきましても、これは非常に不備であります。これは尊重すべきものではないのであります。だから、さっき申しましたように、別個に新しいできるだけ公正なメンバーによるところの委員会を新たに御組織になりまして、今の衆議院選挙区制の問題、その他それにからまるところの選挙制度改正の問題、地方議員の選挙制度問題も参議院の選挙制度問題も、あわせてその制しい選挙制度調査委員会で十分に論議をお尽しになった方がいいのじゃないか。しかも、あの内閣調査会が進行中におきましては、今日ほど国民の選挙制度に対するところの関心は高まっていなかったと思う。今度の法案を通じて国民の間に選挙制度に対するところの関心が大へん高まったということは、非常にけっこうなことだと思っておるのであります。せっかく高まりましたところの選挙制度に対する国民の関心を基礎といたしまして、ざらにベターなところの選挙制度をここに案出するというように、一つ国会の方でお考え下さるならば、選挙制度の改善のためにも、また日本国民の政治生活の向上のためにも、この際妥当なるところの見解となるのではないかと、失礼ながら、私見といたしましてはそのように考えております。
  65. 小澤佐重喜

    小澤委員長 原茂君。
  66. 原茂

    ○原(茂)委員 先生から非常な卓説をすでにお伺いしておりますので、時間等の関係から重複を避けまして、質問は簡潔に申し上げますが、先生のお考えは十二分にお述べをいただきたい、こう思うわけであります。  最初にお伺い申し上げたいのは、今日の選挙法そのものに関しては、すでに先生のお立場ははっきりしておりまして、一人一区制とはすなわち全権委任法だ、こういう建前から申すと、この法案の区々たる審議はもはや重要性がない、こういうふうに私には考えられましたので、こういう質問を避けたいと思います。そこで、この法案の出されております現段階におきまして、ある観点から、もう一つはこの法案の審議されております過程に、私どもがこれは重要だと考えられました数点にわたり、先生の御見解をお尋ねしたいと思うわけであります。  第一点は、今日までの本院の審議の過程からいいましても、保守党である自由民主党の諸君が三分の二近くの議席を持っておりますので、その多数の議席というものは、すなわち現段階における今日の国民大多数の意見とイコールなんだ、同じものなんだ、こういうことが常に保守党の諸君から言われておりますし、実際にもそういう建前からの議会の運営がすでに数々なされているわけであります。そこで、多数決原理の上からいいましても、私どもは、選挙を通じて、ある種の重要な政策等に関する委任を受けて国会に送り出されたのが代議士であって、この多数を占めた代議士というものが、いつの時期においても、解散に至るまでは、すべてその多数に比例して、それは国民大多数の意見と同じものなんだといった建前ですべてが通されていくことが一体正しいのかどうかを、先生のお立場からまずお伺いしたいと思うのであります。
  67. 吉川末次郎

    ○吉川公述人 多数決というのは、民主主義の政治を基本とする議会政治を運営していくための一つのメソッド、方法なんであります。形式的な方法なんでありまして、重要なことは民主主義なんです。デモクラシーということが一番必要なことなんです。多数決によってきめていくということは、一つの形式的な民主主義実現の、民主主義を基本とする議会政治運営の一つの方法なんであります。その目的が、その真精神が、すなわち主眼とするところの政治精神、すなわち民主主義が、デモクラシーが、そういう形式的な方法の運営のためにおおわれてしまう、それを発揮することができないということでありまするならば、その方法は間違っておるといわなければならぬと思うのでありますが、今日では、多数決ということは民主主義だ、民主主義という精神がどうなろうがかまわない、民主主義の精神にもとるところの議会政治が行われようが、どうであろうが、そんなことはかまわないんで、多数決であったらば良主主義だというような、形骸的な形式的な方法が全的に最重要なものである、そういうように誤解している傾向が非常にあるんじゃないかと思われるのであります。そういうことでありまするというと、ヒトラーは、先ほど引例いたしましたように、選挙を通じて多数を獲得して、そうしてドイツ連邦国会すなわちドイチェ・ライヒスタッハの多数の議席を獲得して、あの独裁権を樹立して、帝国主義的、軍国主義的侵略をやったんでありますから、これが民主主義の精神にかなうものだということになると、これはとんでもない間違いだということ、これを基本的にお考えを願いたい。ただ、民主主義が何であるかわけのわからぬような――憲法改正しなくちゃならぬというようなことをしきりに言っている。憲法改正してもいいんですよ、これは。私は社会党の諸君なんかと多少意見が違うかもしれませんけれども、自主憲法の性格ということは、そういう形式的過程をいつかのときにおいて持つというのは、軍事占領下においてできた憲法ですから、再検討、リエキザミネーションする過程は私は必要だと思う。内容についてはどこにも改正することは一つもない、非常にりっぱな憲法なんでありますが、そういうプロセスを持つということは、日本としてはやはり必要なことだと思います。しかし、それは、先ほど読み上げました私の新聞の論説のように、戦後の民主主義的な教育を受けてきたところの青少年たちの手によってしてもらう。われわれのような戦争を防ぎとめることをよくし得なかったところの恥ずべき前科者は、青少年に対してそんなことを言うべきじゃないと思う。再軍備のために憲法改正するということを言っています。どんどん再軍備をやるというのですが、現在の憲法のままでも。大日本帝国時代の大陸軍、大空軍、大海軍を持って、ソ連やアメリカを向うに回してもう一ぺん戦争をやるなどという、誇大妄想狂的な考えを持つのでなければ――これは吉田さんの方が鳩山さんよりステーツマン・シップに富んでいると思うのです。日本はこういう憲法を持っているのでありますから再軍備はできません、私は再軍備をいたしませんと、あくまでも外交的には消極的な態度を持して、そうして列国と協調していくという態度が、私はこの際とるべきステーツマン・ディプロマットであると思います。保守派立場からしてもですよ。ところが、鳩山さんの議論なんかを聞いておりますと――鳩山さんはいい人だと思うんです。私も好きな人なんですけれども、しかしあの憲法論はむちゃくちゃですね。そうして新憲法は国民の権利ばかり規定して義務が少しも規定してありませんなんということを、公然と卓をたたいて疾呼しておられるようですが、憲法第三章をごらんになると、国民の権利及び義務という条章があって、通常の国民の権利義務の規定が書いてある。旧憲法には納税の義務と兵役の義務しか規定されておりません。ところが、新憲法には納税の義務も規定されておる。納税の義務ばかりでなしに、夫婦の義務までも規定しておりますし、義務教育の義務も、公務員は一部の人の奉仕者であってはならない、全体の奉仕者でなければねらぬという義務もありますし、ことに重要なことは、二十七条に規定してあります、すべての国民は勤労の義務を持っておるものである。これは重大なる精神を私は表白しておると思うのです。それから公務員というものはすべて憲法を順序しなければならない。国会議員や国務大臣は憲法を順守しなければならぬ義務が規定されているにもかかわらず、新憲法は権利ばかり規定して義務は少しも規定していませんということを、一国の総理大臣が国会や街頭で演説するに至っては、東条内閣の閣僚が憲法改正の音頭とりをしておる以上の私は奇怪事であると思うのですね。大へんなことだと思うのです。こういうことに、みなこの選挙法の改正が結びついておるから、関連してどうぞ諸君の御考慮を願いたいということをお順いいたすわけなんです。実際重大な問題ですよ、これは。日本の国民は私は地獄の道を歩いておると思う。第一次大戦後のドイツの国民がやったのと同じことを、今無意識にやっておる。総理大臣が憲法も読んでないということは大へんなことですね。えらいことですよ。どうぞ一つそういう点を御考慮下さいまして、妥当にして公正な――日本の国民をこの地獄の道から一つ救って下さい。どうぞお願い申し上げておきます。御質問の要点にそれておりましょうか。
  68. 原茂

    ○原(茂)委員 けっこうです。要するに、先生から、議会における多数が国民の多数の意見そのままだ、こう考えることは、今までやってきた保守党政治の歩みからいっても危険だ、これは非常なあやまちだという御説明があったわけですが……。
  69. 吉川末次郎

    ○吉川公述人 方法でなくて、民主主義の新精神を生かすということの方が大事だということです。それを忘れていて、そのメソッドあるいはメソドロジーであるところの多数決というようなことが民主主義の全部であるかのごとく誤解している人が相当あることは間違いだということを、御答弁申し上げておきます。
  70. 原茂

    ○原(茂)委員 そこで、次にお尋ねしたいのは、こういう段階において、好むと好まざるとにかかわらず、今の自民党という議会における絶対多数党がすでにでき上ってしまっておるわけなんであります。このでき上った多数党が今日のような歩みを今後も続けられては、国民はたまらないわけであります。そして、この段階においても、やはり謙虚に多数党はよりよく反省をして、国民の大多数の意思の反映だと常常言っているんですから、そう言いたいなら、やはり自民党を支持しなかった国民、すなわちわれわれを支持した国民の代表としての社会党というものにもっと謙虚に耳を傾け、もう少し私ども考え、いわゆる下積みの階層の代表としてやりたいという政策等をもっと勉強もし、すなわち、さっきの総理大臣の言葉で言うと、自民党がより社会党に対して近似性を持ってくるということが、民主主義下における政治の非常に大事なものではないかと思う。かように思うのですが、遺憾ながら今日の段階では常に平行線を行って、寄ってくるなら社会党が寄ってこい、こういう態度で多数党がふんぞり返っておる。こういう段階においては、ほんとうの意味の正しい二大政党とは言えない段階ですが、それに育成強化されようとする過程においても、多数党がこれを拒んでいる、こういうような結果になると思うので、多数党の側で考えて、もう少し謙虚に二党間の近似性をみずから身につけていこうと努力する、こういうことが今後の政治において必要ではないかと思うのですが、この点の見解をあわせてお伺いしたい。
  71. 吉川末次郎

    ○吉川公述人 お答えいたしたいと思いますが、質問のうちにお漏らしになりましたあなたの御意見には、非常に共鳴するところが多いのです。先ほど申しましたように、私は、特に今日、社会党の方よりも自由民主党の中の良心と高い知性とにお願い申し上げておるのでありますが、全くお説の通りのような考えを私も持っております。先ほどの多数決の問題でありますが、多数決という議会政治の通常の方式が民主主義に沿うて、そしてそれが最後の形式上の決定になるというようなこと、民主主義からは非常に遠ざかったものにならないようにできるだけするということのためには、今の御質問にありましたように、与党と野党との政治勢力関係というものが大体において拮抗している――イギリスの労働党と保守党のように、アメリカの民主党と共和党のように相拮抗しておって、そしてそのときの政府が内治外交の上において失敗をしたならば、かわってその野党が政権を担当することができるようになっているというような形が必要だと思うのです。そういうときにおいては、多数決というものも、一方が非常に数が少くて、一方が圧倒的に九割以上の勢力を占めていて、その多数の勢力で一方的に自分の意思を押し通していくところの事実上の独裁政治、そういうときの多数決とは考えを変えていかなければならぬのじゃないか、このように考えております。ところが、先ほど申しましたように、鳩山さんはいいお方なんですけれども社会党に対する対策としては、憲法改正の問題についてはむちゃくちゃなことを言っていらっしゃる。赤ん坊みたいなことを言って、涙を流して単をたたいておられるようですが、笑うべきことであります。恥かしいことであります。それと同時に、国民として、総理大臣があんなばかな憲法改正論を貫徹するということのために、これに反対するところの社会党を漸次殺してしまわなければならぬとまで言うに至っては、これははなはだ残念なことだと思うわけであります。そういうような多数決は、断じて民主主義のルールに合ったところの多数決であると言うことは私はできないと思うのであります。独裁政治の精神の、議会政治の仮面をかぶったところの、民主政治の形式だけをうまく利用したヒトラーの独裁権確立の多数決と同じような議会政治であって、断固として日本の民主主義の発展のために排撃さるべきものである。従って、この法案は、先ほど申しましたように廃案にしてもらう。そして、この案よりも、現行案だけで十分やっていけるのですから、それを考慮するならば、繰り返して申しますが、二大政党に近づけるには二人区案がいいと思うのです。それからなお、私は賛成でありませんけれども、蝋山氏などの案もやはり考えてもらうというようなことで、一つ進めていただき  たいと思います。
  72. 原茂

    ○原(茂)委員 次にお伺いしたいのですが、この小選挙法案というものを政府が提案するのには、先生もおっしゃった二つ目的があったわけです。二大政党の育成と政局の安定、こういうのが非常に大きな眼目になってきたのですが、実際には、今先生もおっしゃったような形式的な民主主義という仮面をかぶった多数の力でしゃにむに押し切るといったような形式、形の上で、やはり今日の小選挙法案が、時とところを選ばずに強引に通されようという山に今来たわけなのですが、こういった政府の二大政党の育成だとか政局の安定をこの選挙法で求めるどころか、こういう選挙法の出し方、この議会における法案の審議の仕方等が、むしろ国民の側から二大政党に対する信頼を失墜せしめるし、政局はこのために逆に不安定になるというふうに現段階では私に感じられるのですが、この点、先生はどうお考えになりますか。
  73. 吉川末次郎

    ○吉川公述人 お答えいたします。それは、冒頭にお話しいたしましたように、社会党は三分の一か半分以下に激減をしてしまうのです。それから、下村海南さん等は、社会党は一時そんなになっても、二大政党一つ政党がいつまでも政権を担当するということがないのだから、つまずきが起ったときに盛り上って、十分に政権を担当するところの政党になることができると言っておられるのですが、これはとんでもない空想で、夢のような話で、そんなことにはならない。それは一度三分の一、半分になってしまった社会党が、この一人一区制のもとにおいて現有勢力まで再び台頭してくるということには、相当時間がかかると思う。その時間の間において、社会党を支持した人はどうなる。社会党を支持した人は、全国でも最近の選挙においてざっと言えば三分の一あるのです。議席に相応するぐらいの二六%以上になっておりますが、大体それに応じたところの、数は一千万票以上の票が社会党に投票せられておるのでありますが、社会党がそういうふうになってきたときに、先ほど申しましたように、社会党に投票したところでしようがないのだ、議会政治なんというものは一党独裁で勝手なことをやっていくんだ、こんな選挙なんか幾らやったってしようがないじゃないか、こういうような気持になる。少くとも社会党に投票した一千万の国民、有効投票の大体三分の一足らずに表示されておるところの国民の意思がどこに向いていくか。これは先ほど申さなかったことと思いますが、厳粛な問題です。私は、内閣調査会で、政府のひもつきの委員諸君がわれわれの意見をじゅうりんしてあの答申書をおきめになったときに、あなたたちはこんなものをおきめになって、この結果が――これに基いて法案を作られて国会へ出されるでしょうが、それが国会を通過したときにどういうことが日本に起ってくるか、一つ責任を持って考えて下さい、実にドレッドフルな、テリブルなことが日本の社会に起ってきます、あなた、こんなものをうかつにおきめになって、その責任をお持ちになりますかとまで言ったのですが、その考えは私は今日も少しも変っておりません。実におそるべき結果が、この一人一区制の実施によって日本の社会にもたらされるであろうということであります。それは議会政治に失望したところの民衆のおそるべき一つ傾向、それに気がつかないならば――そんなことを今から考えられないような人は、私は政治家の資格はないと思います。これを私は憂えるのです。あなたがおっしゃるような意味の政界の不安ということがそういうことを意味しておりますならば、私は繰り返して申しますが、一人一区制の実施によって、日本の社会にはドレッドフルなテリブルな恐怖すべき政治事実が必然的に起ってくる。そうしてこれに賛成をせられた方は、内閣選挙制度調査会委員であるところの政府ひもつきの古手の官僚諸君とともに、そのテリブルなドレッドフルな政治的事実に対して、私は衆議院議員として当然責任を持っていただかなければならないものである、このように考えております。
  74. 原茂

    ○原(茂)委員 時間がないようですから、私はあと一問だけお伺いしたいと思いますが、とにかくこの小選挙区法というものが憲法改正の手段であることに間違いないわけなんです。今日までの鳩山内閣のやって参りましたこと、あるいは選挙の三大公約の一つでもあるわけですが、こういった項目のすべてはまだ果されていない。日ソ交渉にしてもあの状態になり、憲法改正にしても今ようやくその手段たる小選挙区法を通そうとするというような調子でやって参りましたが、これらに関連いたしまして、一体鳩山内閣今日までの治績を考えて、私はもしこの内閣に何かの功績があるとすれば、むしろ政党に対する国民の批判の材料を大きく今日の段階で提供してくれた、こういうこと以外には、この鳩山内閣の功績はないのじゃないかと思うのですが、先生は現段階でどうお考えになるか。何かほかに功績があるとお考えになりますか。
  75. 吉川末次郎

    ○吉川公述人 御質問は、社会党の方と思いますが、きわめて反対党的な逆説的な御質問でありますが、そのままお答えすることは私としては避けたいと思います。しかし、憲法改正を目標としてこの小選挙区制、すなわち厳格にいえば一人選挙区制が行われることは、これは多少政治のことのわかっている国民はみな知っておりますから、鳩山さんいがいかに詭弁を弄したところで、それは知る者は知っておると思うのであります。政界安定と申しまするならば、三分の二の議席を自由民主党がとっているのですから、何もそんなに欲ばって――今日でも安定しているといえるのですから、それ以上の議席をまたふやそうためにそういう変なルールを新しくこしらえる、選挙のルールを作るというようなことは実におかしな話で、これは全く、さっき申しましたように、わずかに十人足らず三分の一をこしているといころの憲法改正反対派をたたき伏せてしまおうという意思以外には何もないのです。それをそうでないと言う人は、これは法律学校の一年生のような三百代言か詭弁にすぎないもので、笑うべきことであります。ところが、そんなことを平気で言っている人が、新聞記者なんかにも相当あるのですよ。内閣委員会なんかでも、御手洗辰雄君なんかはしきりにそういうことを言うものですから、あなたは現実的な政治評論家と思っておったら、案外あなたは三百代言みたいなことを言いますなと言ったことがありますが、笑うべきことです。国民は、そんなものに、知性のある者は惑わされていないと思うのです。それから憲法改正も、先ほど申しましたように、軍事占領下にああいう過程によって制定された憲法でありますから、国会の意思も相当に反映はしておりますけれども、一応一定の時期においてさらに再検討する過程を仮定することは必要なことだと思います。しかしながら、さっき申しましたように、鳩山さんの憲法論に現われているように、明治憲法しか憲法学としては知らない。この明治憲法は、さっき言ったように、プロシヤ王国憲法の翻訳であったということは、日本憲法の先生は、私ら憲法を習ったときに、教えてくれていないのですから、知らないのです。亡国憲法の亡霊に動かされて、清瀬さんだの牧野さんだの鳩山さんは踊っていらっしやる。それもおかしな話ですね。それから、名をあげて大へん失礼をいたしましたが、岸さんであるとか横瀬さんであるとか山崎さんであるとかいうような、戦時内閣の閣僚であって、東条英機と一緒に踊った人が、新憲法はいかぬだとか、戦後の民政治はいかぬだとかいうようなことを言っていることは、これ自身が実にドレッドフルなテリブルなことじゃありませんか。これをもし国民が黙認して、それに付和雷同して憲法改正の歌でも一緒になって歌っていたならば、日本の国は明白に地獄の道を歩んでおるのですよ。そんな憲法改正の音頭取りの顔ぶれと、今の時期と、憲法学界の実情と、そういうものをにらみ合せて見たならば、今日は断じてそういうことを言うべきときではありません。皆さんのお手元には、立法孝養局や法制局から、三十四カ国の憲法の翻訳が回されておると思います。私も拝見いたしましたが、それを一つ鳩山さんや清瀬さんなんか見て、ことに第二次世界大戦後に新しく日本と一緒に制定されたフランスの憲法であるとか、イタリアの憲法であるとか、そういうものをごらんになると、ああいう第二次世界大戦後の新憲法日本憲法とが非常に共通するところのアーティクルをたくさん持っておるということ、それから日本憲法を鳩山さんが非常に反対しておられるところの国民の権利義務の第三章の規定のごときも、一九四八年に国連が採択いたしました世界人権宣言とほとんど同じ文句で、同じ言葉で書かれておるのですね。そういうことをだんだん勉強しておいきになると、自分が言ってきたことがいかに日本の国民に対して悪いことを言うてきたのかということを、そのうちにきっと、ばかでない限りは悟っていただけるのではないかと思っております。
  76. 原茂

    ○原(茂)委員 最後に、小選挙法案に直接関連して一つお伺いしたいのですが、先ほど、矢部貞治先生から、社会党も少し歩み寄りなさい、突っぱりぱなしではだめだ、やはり修正しろというので、代案を出して次々に修正案を出して与党に一つ考え直せと言うべきである、そうして最後には妥協をしてどっかでこの法案は成立せしむべきだ、こういう矢部先生のお話がありました。私どもの党の立場からいうと、小選挙制度そのものに今はまっ向から反対をしておりますので、こういうことをすぐうなずけないの一ですが、矢部先生の提案をそのままお借りいたしまして、先生の側に一つこれを取り上げていただいたとして、今日の段階ではやはり最後には力で押し切ろうという与党の決意もほのかに見えております。今までの経験からいうと、そういうことをちゃんちゃんやっておりますから、これはやりかねない。やらないと鳩山さんは言っておりました。名委員長小澤んがおるからそういうことはしないだろう。私も信用していますが、とにかくそういうことが一応行われてきたし、予想されるので、矢部先生もそうおっしゃったと思うのですが、そういう場合に、今日最小限度、先生が百歩千歩を譲ったとして、この小選挙法案というものを出した政府の面子を一方では立てながら、どっかで妥協をするとしたら、矢部先生のように妥協をするとしたら、先ほどは廃案にせよとおっしゃったわけですが、廃案でなくてどっかで妥協する、こうしたら、最小限度どの程度のところで修正に応ずべきなのか、先生がお考えになって、この程度ならやむを得ないじゃないかというような、何かお考えでもおありでしたら、一つお聞かせ願いたい、こう思うわけです。
  77. 吉川末次郎

    ○吉川公述人 第一に矢部先生のことでありますが、私は、内閣委員会で、矢部さんがおいでになる面前で、実は申し上げたのであります。決して個人攻撃を申すわけではありませんが、こういう戦後の重大な政治問題を論議したり、憲法改正等を論議する論議の中には、岸さんや山崎さんや横瀬さんが音頭取りをするのが不適当であるように、学問上の問題にも、できるだけ、戦犯のために教職から追放された憲法学者や政治学者のようなものは、一応避けるということを考慮していくことが必要なんじゃないかと思っております。もとより公職追放を受けた、あるいは教職追放を受けたところの政治家や教授でありましても、これは形式上非常に気の毒な方もありますし、頭が十分切りかわって、そうして戦後の政治に十分な理解を持ち、人民主権の憲法というものの真意を十分に体得しておるような人であるならばいいのです。それには、さっき申しましたように、自分は悪いことをしたのだ、子供や孫に対して済まぬことをしたのだという一つの宗教的なざんげの関門をくぐって、そうしてこの日本の新しい民主主義を育成しようとする意識を持っておる方ならば、これは公職追放を受けられた方であろうとも、教職追放を受けられた学者であろうとも、いいと思うのでありますが、何か世間のああいう運動を見ますると、長年の間格子なき牢獄に入れられて、非常に不快なものだそうでありますが、それから解放されたので、ただもう占領下の政治に対する、いわゆるマッカーサー司令部の政治に対するセンチメンタルな反感、これが非常に胸中に燃え上って、それから、頭がブランクになって、戦後の政治について、実際にも書物の上においても、ちっとも勉強してない。それで明治憲法時代の考えと学問でもって、それが今日でも通用するかのような錯覚に基いて、自己を復活したところの形を大衆の前に見せるということが――これはあまりうがち過ぎて悪い言葉かもしれませんけれども、私は心理学的に考えて、そういうサイコロジーがああいう人たちの行動に非常に強く働いていると思います。そういう者に国民が引きずられていっては、ほんとうに地獄の道ですね。だから、ああいう人たちが一応自粛して、それで委員になられても、代議士になられても、国務大臣になられてもいいですよ。しかし外国では問題にしてますね。鳩山内閣は、閣僚あるいは閣僚的な人を入れて、二十三人の中で十七人まで戦犯で公職追放を受けた人だ。公職追放を受けたということだけで、悪いとは決して言いません。公職追放を受けても、今のような意識をくぐってきた人ならば、これは国家のために活用すべきですよ。しかし、二十三人の中で十七人までそうだというのは、これはちょっとおかしいですな、考えてみると。これは大きな政治問題だと思うんですね。そういう点も、そこに非常な地獄の道への国民の歩みというものが大きな関連性を持っているのじゃないか、こう私は思うのでございます。どうぞ一つ、ほんとうにまじめに考えていただきたい。国民としてお願い申し上げます。そんなところでよろしゅうございますか。まだ言い足りない点があれば……。
  78. 原茂

    ○原(茂)委員 時間がありませんので……。どうもありがとうございました。
  79. 小澤佐重喜

    小澤委員長 これにて吉川公述人に関する議事を終了いたします。  吉川公述人には、御多用中のところ、長時間にわたりまことに御苦労さまでございました。厚く御礼申し上げます。(拍手)  次に、松田正雄君より御意見の御開陳をお願いします。公述人松田正雄君。
  80. 松田正雄

    ○松田公述人 私は、最近非常に忙しい仕事を持っておりまして、そこへ持ってきて、正直に申しますと、選挙等のことについてはあまり興味がございませんので、勉強しておりません。しかし、市井の常識的な一つ考え方ということで御理解いただければ幸いと思います。  私は、結論から先に申しますれば、現状においては小選挙区制は容認さるべきだ、直ちに実施さるべきだ、こう考えます。私は今、現状においてはと申しましたが、これはもう申すまでもなく、一つ選挙制度というものが、いずこ、いかなる場合にもよいというわけには参らない。そのときの情勢によって、それが最も特徴を発揮するかいなかということがきまるわけであります。  そこで、現状はどうなのかということになりますと、私は、三つの点から、これを施行することが、その特徴を生かすゆえんだと考えるわけであります。その第一は、選挙する側からの考え方。第二は、選挙される側の問題。それから第三は、そういう姿で絶対多数を得た政党が、どう政権を樹立するかという問題。この三つの点から考えてみたいと思うわけであります。  その第一の、選挙する側。これはもう言うまでもなく、終戦後普通選挙が最も理想的に行われております。これは最も拡大された形において行われておる。戦前において、かつてなかった姿であります。これで選挙する素地は一応理想の姿に来ておるということ。  それから第二の、選挙される側であります。選挙される側におきましては、二大政党が、一応その萌芽をここに現わしておるということであります。これが小党分立の形で行われておるときには、直ちに小選挙区制を実施することがいいかどうかは、非常に考慮に値するわけでありますが、現状においては、それが二大政党の形において現われておる。これをいかに助長発達させるか、そのための選挙制度をどこに求めるかということになれば、私は、小選挙制度によってこれを発揮させる以外にないと考えるわけであります。  それから、第三の、政府樹立の経路でありますが、これはもう申すまでもなく、新憲法によって、絶対多数を得た政党が、その政府を樹立すること、これはもう他の容喙を許さない。従って、選挙民選挙すれば、その結果が直ちに政府となって現われるという形に、現状はなっておるわけであります。  この三点から考えまして、現状において、私は小選挙区を施行することが――小選挙区の特色もございましょう、短所もございましょうが、その長所も生かすゆえんだと考えておる次第でございます。  そこで、それでは、その素地の上に、その畑の上に小選挙区を実行するといたしますと、一体どういう特色を発揮するであろうかということでございます。これはもう今まで小選挙区制に原則的に賛成された方がみな言われたことでありまして、重複すると思いますが、一応ここに立ちました限り、要点だけ触れさせていただきます。  第一には、小党分立をやめて、二大政党の対立によるほんとうの政局の安定ができるんだ。これは現状においてもそうではないかという議論があるわけでありますが、現状は、申すまでもなく、無理やりにお互いにくっついた仲であります。これをこれからの試練によってどう助成し、どう強化していくかということが問題なわけであります。われわれが取り上げる問題でございます。  で、今日一般国民、特にわれわれ産業界に関係しております者が、政治に対して求めます姿は何かと申しますと、これはもう絶対多数を得た政府が、施策を総合的に強力に実行すること以外にないわけであります。そこに求める以外にございません。これを日本の過去の歴史に振り返ってみましても、明治政府以来、終戦前までの日本のあの勃興の姿は、世界の驚異であったことは申すまでもありません。この世界の驚異となった勃興の動機はどこにあるか、それは天皇制を中心とした富国強兵の政策に重点を置いて、これが実行されたということ、施策がとられということ、このことは批判はございましょう、いろいろ批判はございますが、とにかく事実として間違いない現在の選挙、現在の状態がこれをどう改めらるべきかという点から考えまするならば、これは、新憲法によつて、新しい議会中心の民主政治が行われることになっておりますので、これに対して新しい進み方で行かなければならない。明治憲法を、明治時代の活動を模倣するようなことは差し控えるべきでありまして、新しい民主政治に即応した形態がとらるべきだ。それは何かといえば、公正に選挙をされ、多数を得た政党が、その力に応じて総合的な施策を遂行していくという形態であると私考えるわけでございます。しかし、多数政党の行うところ、必ずしも万全ではございません。従って、それに対するオポジット・パーティとして存在する政党が、これに対して是々非々の批判を加え、厳正なむちを与えることによって、正しい政治を行うような姿に進められていくべきであると考えるわけであります、この二大政党の合理的な対立と、それからその政策の行き詰まりによる交代ということが、われわれ一般国民が考えております政党に対する強い要望でございます。あこがれでございます。従って、このあこがれを実現するための選挙は、どういう方法でやったらいいかということになりますれば、私は、今、第一の特色としてあげたこの二大政党対立を助長するという小選挙区制が、一番合理的ではないかというふうに考えるわけでございます。  それから、特色を発揮いたしまする第二の問題は、政策本位となって、政党の発達を促進するということであります。これももう言い古された言葉でございますが、選挙は、従来ならば、候補者個人のスタンド・プレーであった場合もあるわけでございますが、今後は、ほんとうに政党政党の正しい政策本位の争いによって選挙が行われるということで、今の三つの素地の中に十分これを芽ばえさせ、そして、これを敷衍さしていくことができると思うわけであります。かくて政党政策本位となり、政党はいよいよ成長発達していくという道程がたどられるのではないかとしろうと考え考えるのであります。  それから、第三の特色といたしましては、政党内派閥の解消と組織強化の問題でございます。中選挙区制において、同士打ちの機会が非常に多いことは、これは皆様が痛感されておることでございます。このことが選挙のあとまでも響いて、派閥対立となり、政党基盤となる組織を弱化するというのが現状であるかにわれわれは見ております。そこで特に地方の支部組織というようなものが、ボスに牛耳られるというような姿が往々にして見られるのでありますが、それは、要するに、選挙の際における中央執行部の力が地方支部と一体となって、正しい人を正しく公認するという形に向いておらないがゆえの欠陥だと私たちは考えておるわけであります。こういう雰囲気を作りますためには、どうしても小選挙区をやる必要があるのではないかということを考えるわけであります。  それから、第四の問題といたしましては、選挙の意義が徹底して、選挙人候補者の人物をよく知って、これに投票し得るということであります。これはもうるる申し上げるまでもなく、しかし非常に重要な一つの問題でございます。  それから、第五としては、地域の狭小化に伴う選挙費用の軽減、これはもう私たちは一応常識的にそう考える。これは裏の裏をいえばいろんな問題がございましょう。どうも私たちはその実情がわからないのでございますが、少くとも地域が狭小化することによって、少くなるということは、これは常識的に考えられる。それからまた従来派閥抗争によって、相手陣営に対するものでなく、おのれの陣営内における対立ということによって、むしろ選挙費用がかかるというのが現実ではないかと私たちは考えておりますので、そういう意味からいきましても、これは、選挙費用は少くなるものである、またしなければいけないとわれわれは考えておるわけであります。  第六の特色は、選挙運動の取締りが徹底する、そのことによりまして、この以上掛けました五つの特色の裏にある弊害の取締りを徹底することによって弊害を排除するという努力は、当然なされなければならないというふうに考えるわけであります。重ねて申しますが、いついかなる場合にも、絶対にすぐれておる選挙制度というものはございません。  そこで、今申しました特色の裏に弊害が伴う、これまた想像できるわけであります。その中で、特に言われております比例代表制となって、国民の声がそのまま比率となって反映しない、小政党に不利だ、こういうことであります。それはそういう傾向があることはいなめません。しかしながら、少くとも現状のように二大政党対立ということ、それから、これから勃興する社会党対今まで土俵を守っておる自民党という姿に、現実に返りますならば、これが小党に不利だということで一挙に葬り去るほどのものではないと私たちは思うわけであります。これは、努力のいかんによって、十分対立的な効果を上げ得るということは、外国の例に徴してこれははっきりすると思うわけであります。  死票の増加の問題でありますが、こんな専門的なことにあまり私が首を突っ込むこともどうかと思うのでありますが、過去の小選挙区制のときよりも、最近の中選挙区制になって死票が増加しておるという統計もあるやに聞いております。従って、これは理論の問題ではなくして、結局候補者立て方と申しますか、あるいはまた党内事情、党内がいろいろ派閥抗争があるといったようなこと、そういう党内事情に基いて、いろいろ変化がある。統一された姿において、お互いがお互いの立場に寛容であるという姿で選挙が行われますならば、それほど死票増加の問題を取り上げる必要はないではないか、もちろんこれは相当な影響力のあることは否定いたしません。  第三には、地方的に小人物が出るとか出ぬとかいう問題がございますが、これは省略いたします。それは選挙民がどう考えるかということ、それから政党がそれに値する人物を出すか出さぬかということに本質があるかと思うのであります。  それから、第四は、政党対立激化ということであります。これはどうも何とも私たちも言いかねるのであります。そういうことは、あるいは今の選挙民あるいは今の政党の現状から、発達の道程から考えますと、激化のおそれもあるかとも思うのであります。しかしながら、それは社会教育その他また皆さん自身一つ範を示される態度に出られることによって、この問題は緩和あるいは解消できることではないかというふうに考えるわけであります。  それから、第五といたしましては、買収費が高くなる、あるいはふだんの培養化が行われるということでありますが、これは皆さんみずからの問題であり、そして選挙民の程度がどの程度かということ、選挙民をどこまで低く見るか、どこまで高く見るかということによって、問題は解決すると思うわけであります。  第六に、新人、婦人の進出がはばまれるということが、先般来、私、横で聞いておって、いろいろ議論が出たところでございます。これは、私、少くとも政治に打って出る、政治に興味を持つ人ならば、その新人、婦人は、必ず政党に籍を置くべきだと考えるのであります。従って、その政党においては、社会党はもちろんでございましょう、また新しきを求めておる保守党といえども、自民党といえども、若返りを常に念願されておると思うのであります。そういう人たちがほんとうに実力があり、ほんとうに力のある人が自分の党籍にある場合に、これを度外視して、他のポスを立てるということであるならば、これはもう民主政治議会政治自身をみずからが否定することになるのだと考えざるを得ません。従って、これは必ず――必ずとは申しませんが、新人あるいは婦人の進出もある程度まで可能になっていく、しかも、それが年を重ねるにつれて、この小選挙区制の効果を発揮していくのではないかということを考えております。  それから、特に今回の小選挙区制に対する反対論としてあげられるものとして、先ほどからいろいろ議論がございましたが、憲法改正の前提ではないか、伏線ではないかという議論がございます。これにつきましては、もういろいろ論議がかわされておりますので、また重ねて同じことになると思いますが、少くとも新憲法下においては、この憲法制定後からこの問題は常に論議されておったところだと私は聞いております。特に、二十六年の八月の第一回の選挙制度調査会の答申にもこれが出ておる。しかも、 その当時は、今、反対されておる方々もかなりそれに賛成しておられたというふうにお聞きいたしておりますが、これは純粋な小選挙区制の特色をどう見るか、特色とそれからいけない点と一体どちらをとるかというその当時の情勢によって、そういう判断が生まれたのではないかというふうに考えております。従って、これは昨年社会党統一を見、また自民党がいろいろな紆余曲折でああいう形で統一された、これが二大政党という形になったために、なおさらここに今の憲法と関連させるという考え方が濃厚になり、そういうふうに考えられるのではないかというふうに私たちは感じておるわけでございます。これは一つそういうことと関係なく、小選挙区制自体をどう考えるかということによって、是非の判断をさるべきではないかというふうに考えるわけであります。  以上、私は、小選挙区制を施行すべき措置が、三つの点から考えて現存するのだということ、それからその措置において、その畑の中で小選挙区制の特色をいかに発揮させるか、どの点で発揮させるのかということ、それに伴う弊害がどの点にあるのかということに触れたわけでありますが、ここで具体的に、今回の政府選挙区案に対しまして、改むべきものがあると考える点を二、三特に強調して、反省を願いたいと思うわけであります。  その第一は――これは私、前々申しますようにしろうとでございますので、あまりこまかい議論ができません。そこで、ほんとうに常識的な、表面に現われた問題を取り上げます。その第一は、立会演説会の廃止の問題であります。これは少くとも政策本位に、そして政党本位に事態を進めていこうとする今回の小選挙区において、その政策の発表の機会を少くするという方法がとられることは、納得できないと思うのであります。現状においては、それはいろいろ処理に困る面もあるやに聞いておりますが、それはまたそれに対して罰則を強化するなり何なりすることによってこれを防ぐということで、少くとも両政党の代表者が一堂に会して、それを選挙民みんなが聞くという便宜をこの機会になくするということは、合理的でないというふうに考えざるを得ません。  それから、第二は、連座制強化の問題であります。これも今まで何回も言われたことでありますので、はなはだ蛇足でございますが、現行法の規定が、諸外国の例に比べて、かなり厳重であることも私幾らかわかるわけであります。しかし、新しい制度を作るという場合に、これを一そう強化することによってみずから自粛し、そして一般選挙民の関心を高めるという方法をとっていただく必要があるのではないかというふうに考えるわけであります。特に今回関頭一歩を進められた検察官の附帯公訴の問題等も、もうそういうことでなく、罰刑確定すれば直ちに失権するという方法を一つとっていただくべきではないかというふうにさえ考えるわけであります。  それから、第三に、世上問題になっております区割りの問題でございます。この区割りの問題につきましては、これまた私はさっぱりわからない。ときどき例を聞くと、なるほどなと思うこともございます上、いろいろ批判があるようでありますが、実は一々検討するほど興味を持ちませんので検討して参りません。しかし、世評伝えられるがごとき不合理があるといたしますならば、これは一つ公党の立場から、そして今第一党の立場から、謙虚にお考え直しをいただきたいと思うわけでございます。両党が今のような状態でいろいろもんでおります際には、なかなか決定はしがたいと思うのでありますが、幸いに選挙制度調査会の答申案もある――選挙制度調査会が愚劣きわまる委員の集まりであるかのごとき発言をどこかで聞いたのでありますが、これはやはり民主的なものの考え方でないということを痛感いたします。これはだれが見ても正しいと思われる人たちが選ばれておる、社会党からもりっぱな人たちが出ておられるはずであります。それと並んで第三者的な立場方々も、われわれの常識から見ますならば、まず公正中立な人々であると考えておったわけでありまして、いたずらなる誹謗は、問題を混乱させる以外の何ものでもないと思うのであります。この選挙制度調査会の答申案等を一つ基本にして、お互いが――皆さんは選良なのでありますから、選良の本旨に立ち返って、新たなる検討をお願いしたいと思うわけであります。  私は、現在の二大政党対立の現状には、実は楽観ができない気持でございます。それはどういうことかと申しますと、最も考えなければならないことは、相手陣営に対する寛容と理解であります。これはもう申すまでもないことであります。大政党、多数政党の横暴がいけないことはもちろんでありますし、小数横暴もいけないと思うのであります。どちらも十分考慮の上に考えていただきたいと思うわけであります。改むべき点を改めた上で、今申しました現状を十分御勘案の上で、この小選挙区制の実現を期待いたします。  それから社会党の提案された選挙資金規正の問題、それから連座制強化の一連の問題等につきましては、私あまりこまかい検討もしておりませんが、大体において賛成していいんじゃないかというふうに考えております。
  81. 小澤佐重喜

    小澤委員長 松田公述人に対しまして、質疑の通告があります。順次これを許します。井堀繁雄君。   〔委員長退席、山村委員長代理着席〕
  82. 井堀繁雄

    ○井堀委員 公述人から大へん貴重な御意見をお漏らしいただきまして、多くの啓蒙、啓発をされたことを感謝いたしておきたいと思います。ただいま松田さんの公述の中で、私どもも一般と検討しなければならぬものを感ずるところがございます。その点についてお尋ねをいたしたいと思います。時間がありませんので、多く説明をしてお尋ねするのが当然かと思いますが、省かしていただきたいと思います。  あなたは、現状において、小選挙区の実施が可能であるという御主張であります。私どもは、遺憾ながら、前提については多少見解を異にいたしております。しかし、あなたの御指摘になりました問題でお尋ねすることによって、これが明らかになるのじゃないかと思うのであります。私どもは、あなたの御指摘のように、選挙される方の側の立場に立っておるのであります。そこで、今、調査会の答申案と政府の原案と社会党の案が出ておるわけであります。調査会案については、一応別ワクに考えましても、この答申案に重大な改正が、あるいは根本的な趣旨を動かすような改正が行われて、提案されたことも御存じの通りであります。それに関連して今、御発言がありましたが、たとえば、今度の提案の中で、従来のものと違いますものは、個人を中心にして選挙が戦われておりましたものに、政党が一枚加わってくるわけであります。この点はあなたも言及されましたように、近代社会において、組織が非常に重要になってきた点は、あなた自身が経済団体連の専務をおやりになっておりますから、お仕事の上からも深い御理解があると思うのであります。労働者の組織が一方に非常に進んだことが、やはり民主主義の一つの特徴である。それと同様に、経営者側においても組織を拡大し強化して、そして新しい時代に処しようという努力が行われておる。その点からいいますと、日本政党は、非常におくれておると私は思います。この点は、あなた、ずばり一本入れたような気がするのであります。そこで、もしこの改正案の中で、その点にお気づきでありますならば、――あなたは費用の点について言及されておりましたが、小選挙区になって選挙費用が軽減されるということは、これは何人も願うところであります。しかし、それは表面に、すなわち何人が見ても計算のでき得るような選挙費用については、算数的に節約できる。広い選挙区で戦うよりは、狭いところで戦えば、それだけ費用が少くなる、こういうことは言えると思いますが、従来小選挙区につきものの弱点は、日ごろから選挙区の手入れを怠ってはならぬということ、これは理論の上からいっても、事実の上からいっても――イギリスのように一世紀にわたる民主的な訓練を受けた国民と、鍛え上げられた候補者とが競い合いましても、選挙区を守るためには、その人の政治生命の大部分というものが、おおむね選挙区の手入れのために消耗されているという悲劇は、私はこれはよほど考えなければならぬと思うのであります。これを補うことができるのは、やはり組織であります。政党であります。ところが政党法は今度は考えられていない。そういう法的な秩序も規律も持たない、訓練の非常に浅い。しかも、日本政党は、私どももその責任者の一人でありますが、あなた方の団体や労働団体に比べますと、きわめてずさんな組織なんです。こういうものが今度選挙運動に入ってくる。その運動を法律が認めて――費用の規制についても実にあいまいなものです。そうすると、従来政党団体を維持するために莫大な経費を必要としておりますことは、御案内と思います。あなたの団体に参加しているメンバーも、かなり多額のものを政党に献金されて、御協力なさっているようでありますから、おわかりだと思うのであります。これから政党選挙に突入すると、従来の政党維持よりは、大へん金がかかってくるわけであります。この分をどういうふうにまかなうかということが、私どもにとっては非常に大きな疑問になるのであります。  そこで、あなたの見解を一つお尋ねいたしたいと思うのでありますが、一方には、組織を充実強化していくという近代社会における民主的な原則、すなわち政党をよくしていく、それからその政党と、国民の組織である労働団体やあなた方のような団体がどういう工合に結ばれていくかということは、現実において、小選挙区を実施するということを主張される限りにおいては、この不合理について、あなたのような団体を預かられる立場の人ならばお考えがあると思いますので、この点に対するお考えを漏らしていただきたいと思います。
  83. 松田正雄

    ○松田公述人 御質問の点は、ほんとうに国家の重大な問題だと思います。社会党の方は、みずからの努力で作ったというよりも、むしろ組織労働組合を通じてかなり自然にできてきたという形でございますが、自民党の側においては、そういう方面にはかなり感覚が薄くて、今あなたが言われたような経済団体なり経済界にルートを求めるというようなことが、過去において行われたことを私、否定いたしません。それだからこそ、私たちは今ここで小選挙区制を提唱することによって、自民党がもっと合理的な選挙の地盤を作っていくということに踏み出すいい動機だと思います。もっとも、小選挙区制を提案しなくても、組織のことについては、ずいぶんいろいろ研究しておられるようでありますが、これが単なるかけ声でなく、ほんとうに地についた姿で行われることを、われわれは希望いたしたいと思うのであります。  資金の問題につきましては、実はよくいわれることでありますが、財界の者が個人として政党に加入して、個人的に負担するということが一番いいわけです。しかし、現在の産業界の人たちは、必ずしも、政党に所属するということに対しては、積極的ではないようであります。従って、私たちは、政策の立案あるいは政策樹立に対するいろいろな調査費用というものについては、個人的に、政党員ではないが、賛助する形をとってみたらどうか。その場合は、単に自民党だけの問題ではございません。私は社会党政策審議会にも出していいじゃないかと思います。ただし、それにはちょっと前提がございます。今の社会党の綱領である限り、その綱領でわれわれが理解する限り、そういうものを出すわけにはいかぬかと思います。しかし、少くとも大政党の行き詰まりによって、合理的な政権の交代ができるという、共通の地盤ができるという状態になりましたならば、それは私はどちらの政党に対しましても、そういう資金を個人で負担すべきだと思うのです。これは、私たちは私たちの組織を通じてでも、ぜひ実行したいと思うのです。現状で、必ずしもそれを直ちに実行するとは申しませんが、そういう理想を考えております。
  84. 井堀繁雄

    ○井堀委員 今はっきりお答えいただいて、私のお尋ねしようと思う点に触れておられますが、現状において、小選挙区というものは、二大政党を指向するという点について私が伺ったところでは、聞き方が悪かったかと思いますが、どうもちぐはぐに響いておりますのは、現状ということになりますと、現状は社会党と自民党の二大政党――ちょうど都合のいい二大政党とは言えませんが、あなたの御指摘のように、国民の意思によらない、党と党の話し合いによる一つの形ではありますが、一応できておるわけです。この一応できている現実をお認めの上で、あなたは小選挙区を指向されるということだと思うのです。そういたしますと、今、社会党にあなたは言及されまして――あなたの預かっておられまする経済団体が、今すでに献金をしているわけです。あなたは、今、社会党にもということをおっしゃられましたが、現在の社会党の綱領である限りにおいては、もちろん経済的な協力はできぬ、こういう御発言のようであります。そうすると、現在の自民党については、あなたの預かっておりまするような代表的な組織が、これにどうあるであろうかということは、ぜひお答えいただかないと――あなたは社会党のことは言われましたが、自民党に対しても、団体として今後御協力をなされる点について何かはっきりしたことを言っていただければ、次のお尋ねをするのに都合がいいと思います。
  85. 松田正雄

    ○松田公述人 協力するという方針は立てておりません。これは、今申しました、われわれの理想の姿を一つ心に描いております。従って、自民党自体に対してどうという考え方でなく、それから団体を通じて大量の金をどうというようなことは、これはもう漸次改めていくべきだという考え方でおります。  それから、これはあるいは私の失言ということになるかもしれませんが、社会党に献金はできないというようなことを私がここで断言することは、これは取り消さしていただきます。ただ私は、資本主義企業形態を守るという立場でわれわれは考えておる、それを援助する、それを中心として考え政党には、これはもう当然われわれが個人としてでも献金しなければならぬ、こういうふうに考えております。
  86. 井堀繁雄

    ○井堀委員 私は個人の立場をお尋ねはいたしたくないと思いますが、組織を代表しておられるからお尋ね下のです。  そこで、団体としてここに問題が一つ出ておりますのは、あなたも、資金の出どころについては、きびしくせんさくする必要を問われる立場にあられると思う。一番大事なことは、組織の純潔を守るということは、いろいろ要素はあると思いますが、とりわけ政党のような多額の出費を必要とする団体にあっては、やはりその資金がどういうふうに調達されておるか、このことは非常に大切なことだと思うのです。ところが、日本の今の政治資金規正法による手続というものは、ずさんなものでありますが、それによりましても、かなり多数の、あなたの団体に所属する会社その他の団体あるいは個人から寄付が行われておりますが、その中で、団体の問題については、今後あなたは日経連を指導される立場にあるのでしょうからお尋ねをしておきたいと思いますが、会社が――個人が寄付をするということは、これは個人の自由ですからけっこうでありますが、団体すなわち株式会社にいたしましても、その他の営利社団にいたしましても、そういう会社が政党に献金をする場合に問題になるのは、その団体の性格というものが――また労働団体も問題になってくるでしょうが、問題になると思うのであります。この点に対して意見を伺わしていただきたいと思っておるわけです。   〔山村委員長代理退席、委員長着席〕  今日の団体の中で二通りあるわけです。一つは、政治資金規正法がいうように、直接政府の機関から援助を受けた、あるいは利害関係を面接授受するような、要するに涜職、汚職につながるような危険を排除するということに目的があるわけです。ところが今までのところでは、そういうものと関係の深い団体から寄付を受けておるわけです。これは今、法律にはひっかからぬことになっておるわけです。こういう点については、むしろ負担する方の側の立場の代表者ですか、それが今言うように直接政党政策あるいは政府の実施しようとする施策とすぐつながりを持つうらはらの関係の者は、寄付を断つべきだという考え方なんです。やってはならぬし、もらってはならぬ。だから、この点に対して一つと、それからいま一つは、そうでなくとも、団体が営利社団であるとき、それは定款その他で規定されておるように、団体の目的があるわけですから、その目的に反することに金を使うというのは、団体の機関を通して決定すればいいのでありましょうが、社長、重役の地位でそういうものを動かせる範囲というものがあると思う。この問題は、この選挙改正に直接つながりますので、あなたが現状をお認めになって、小選挙区制を指向されるというなら、いい機会だから、この問題に対して意見を聞かしていただきたい。この二つの点について伺いたいと思います。
  87. 松田正雄

    ○松田公述人 第一の問題につきましては、あなたがお考えになる方向で改めらるべきだと思います。それはすでに先回の選挙のときにも、経済再建懇談会ですか、それらを通じて献金をいたしましたが、その場合には、団体は入っておらないはずです。疑いの持たれる会社は遠慮したはずです。そういう点は、汚職の問題もあったからではございますが、会社自体も非常に神経質に考えておるようです。私たちは、これは何とか理想の姿に持っていくような考え方を一つ積極的に持つべきだ、これは単に会社だけではございません、お説の通り労働組合政治資金の問題もともに考慮さるべきだというふうに考えております。  第二の問題は何でしたか、ちょっとうっかりしておりましたので……。
  88. 井堀繁雄

    ○井堀委員 それでは、具体的にお尋ねいたしましょう。今現われておる問題からいきますと……。
  89. 松田正雄

    ○松田公述人 ちょっと、あなたにはなはだ失礼ですが、先ほどからお願いしておいたのですが、実は四時半にどうしても行かなければならぬ、それこそ今の組織の問題に影響しますので――あした日経連の総会がございますが、その前にどうしてもやっておかなければならぬことがありますし、私、自分の責任もありますので――今まで何回も足を運んだわけでありますが、その点一つお含み願いたいと思います。
  90. 井堀繁雄

    ○井堀委員 大へん御迷惑だと思いますので、この一問で打ち切りたいと思いますが、今お尋ねしております問題は、御存じのように、政治資金規正法によって届け出したものの中から、政府に資料を出さして調査してみたのですが、その中には、たとえば鹿島建設、これは防衛庁と請負関係がある、あるいは日立製作は文部省、農林省と関係がある、第一物産は農林省と契約関係を結んでおる、こういう関係は、もう利害がはっきり表に出ておると思う。それから、汚職や涜職に関係したものは、あなたの方でも警戒されたという話でありますが、一つ残っておるのがあるのですね。たとえば外航船舶建造融資利子補給法案というものをめぐりまして問題を起したことは、御存じの通りです。どういう関係かわかりませんが、飯野海運がやはり寄付をしておる。だから、こういう点は今後の問題になるわけですが、この選挙法を実施することになりますと、こういうものが寄付を断たないと、おそるべきことになると私は思う。あなたも御承知のようでありますが、こういうものに対して、団体としては、きちっととめてしまう。それから、今、労働組合と会社の話が出ましたが、会社の場合は、営利社団ですから、投資の形で行われる場合には、株主に対しては忠実だと思うのです。しかし、ただ取りされてしまうような寄付は、会社の経営と何らの関係ないことですから、これは許されぬことです。ですから、何がしか献金することによって、会社に反対給付があるというような場合には許されると思うのですが、この辺の関係も、あなたのさっきのお話を承わっておりますと、やはりここまで政治資金の問題は規制していかなければならぬのじゃないか、社会本党のものは、そこをねらっておるのであります。御賛成のようでありましたから、ちょっとそのことを……。
  91. 松田正雄

    ○松田公述人 具体的にどういう会社がどうしたというようなことは私記憶もしておりませんし、またその解釈にもいろいろ解釈の仕方があると思います。それで、その点はもう触れるあれを持ちませんが、今第二に言われましたことですが、もちろん経営者は、労働組合と違って、経営全般の責任を持つという形になっております。従って、そのときの政策を左右する政党に会社がある程度の献金をしたからといって、それは代償のない献金ということにはならないので、それは広い目から見て、資本主義企業形態を守っていく、それに一つの期待が持てると思います。従って、必ずしも全然根拠がないとは言えないと思いますが、しかし、それはなるべくそういう姿でない方がまさるということは言えると思います。繰り返して申しますが、労働組合考え方においても、同じことが言えると私は思うのであります。そういうことについては、できるだけの規制をし、また規制を待つまでもなく、お互いが自粛証すべきであるというふうに感じます。
  92. 井堀繁雄

    ○井堀委員 時間がないので、大へん残念に思います。実は労働組合に対する日経連の考え方を聞こうと思っていたのですが、またいずれ一つ……。
  93. 小澤佐重喜

    小澤委員長 これにて松田公述人に関する議事を終了いたします。  松田公述人には、御多用中のところ御出席をわずらわしまして、まことに御苦労でございました。ありがとうございます。  次に、吉村正君より御意見の御開陳を願います。公述人吉村正君。
  94. 吉村正

    ○吉村公述人 時間が非常に限られておりますので、ごく骨組みだけ申し上げたいと思います。  私は、もっぱら私の研究の結果といたしまして、従来から小選挙制そのものに根本的に反対意見を持って参りました。さらに今度政府提出しておりまする選挙改正案に対しましては、民主主義の原則に照らして、私は、反対意見を持っている者であります。順次その二つの問題につきまして、私の意見を申し上げたいと思います。  まず第一に、私が小選挙制そのものに根本的に反対いたしまする理由は、小選挙区制というものは、まさに現代社会の進運の傾向に逆行するものである、かように信ずるからであります。現代の社会は、交通、通信機関の発達、マス・コミュニケーションその他の事由によりましてわれわれの経済的利害関係、思想、文化上の利害関係、そういうものの範囲がだんだん拡大される傾向にあることは申し上げるまでもありません。すなわち、われわれの共同生活の範囲というものは、拡大する一方にあるのでございます。のみならず、現代社会は、いわゆる多数集団社会でございまして、昔の社会とは、その性質が根本的に異なっております。すなわち、個人が直接国家生活に結びついておるのではないのでありまして、労働組合であるとか、ただいまお話がありました経営者の団体であるとか、あるいは農民の団体であるとか、また思想上の団体、私どもの学術上の団体、その他無数の集団があります。これらの集団は、いずれも政府の力によって起ってきたものではございません。われわれの共同生活のうちに自然に発生してきたところの集団でございまして、その集団にわれわれは属しつつ、国家生活を営んでおるのでございます。これが現代社会の特徴でありまして、そういうような現代社会の進化の傾向並びに現代社会の特徴というものを無視して制度や法律を作りますれば、その制度や法律というものは、失敗を招くことは必然であります。これは皆さんが歴史をひもといてごらんになれば、よくわかることでございまして、それを無理に押しますると、ついに共同生活が破壊せられて、われわれの社会生活が破壊に導かれる。それはすなわち革命を招来することになるのでございまして、私どもが為政者の皆さんに望みますことは、法律や制度を作る場合には、何といたしましても、社会生活、われわれの生活の根底をなしておりまするところの社会生活進運の傾向並びに現代社会の特徴というものに合せて制度や法律を作っていただかなければならない。そういう大局に立って制度や法律を作っていただかないと、とんでもない失敗を演ずることがあるのでございます。その点を一つ十分お考え願いたいと思うのであります。小選挙区制は、まさにこの社会の進運の傾向に逆行するものであります。現代社会の特徴たる多数集団社会を切りさくものでありまして、その点におきまして、われわれの共同生活、社会生活をますます進めていくゆえんの制度では断じてないと私は確信をいたすのであります。まさに時代逆行の制度である、こういう工合に私は思うのであります。そうすると、皆さんのうちには、しからばアメリカやイギリスはどうしたのだ、こういうふうにお考えになる方があるかもしれませんが、イギリスが小選挙区制を原則的に採用いたしましたのは、七十年も前のことでございまして、まだ多数集団の現代的特徴というものが十分に認識されなかった時代であることは、申し上げるまでもありません。アメリカも、小選挙区制を採用いたしましたのが一八四二年でございまして、いまだ社会の単位というものは個人であるというふうに信ぜられておった時代でございます。そういう時代に小選挙区制というのを採用いたしたのでございまして、そういう点におきまして、アメリカやイギリスが小選挙区制をとったから、今ごろになって日本も小選挙区制を採用した方がいいということは、まさに時代錯誤の見解であると私は考えるのであります。のみならず、イギリスが小選挙区制をやってうまくいったというふうにお考えになりますけれどもイギリスという国は特殊な国でございまして、皆さんも御承知のように、確定された憲法がありません。一二一五年のマグナカルタがまだ存在しておるとか、あるいは内閣制度というものも、法律上の制度ではございません。これはただ慣習として存在するにすぎないのであります。これは、そういうような古くさいやり方でも、政治をうまくやっていくことができる国民でございます。これはいろいろな理由があると思いますが、そういう国のやっておることを今の日本でまねをいたしましても、これは何にもならない。まねのしどころが違っておるというふうに私は思うのであります。これが、私が小選挙制そのものに根本的に反対する第一点であります。  第二点は、小選挙区制の賛成論者は、小選挙区制についていろいろな利益があるようなことを唱えられております。そのうちで特に重要なるものは、小選挙区制をやれば、二大政党になって、政局が安定するということと、選挙費用が少くて済むという二点であろうと思います。けれども、私の研究したところによりまするというと、そういうことには全然なりません。もしなるならば、私ども、何も小選挙区制に必ずしも反対するものではございません。しかし、私の研究したところによると、全然ならないのであります。普通の人々は、常識的にお考えになりまして、小選挙区制をやれば、二大政党になるとお考えになるのでありますが、いかなる根拠に立ってそういうことをおっしゃるのか、私は私の研究によっては全然わかりません。  イギリスが小選挙区制を採用いたしましたのは、ただいまも申しましたように、原則として採用いたしましたのは一八八五年であります。イギリスの二大政党というものは、一六八八年から九年にかけて行われた名誉革命のときにすでに存在したのでございまして、あのときにはトリー党とホイッグ党で、だんだん名前が変り、性質が変りまして、保守党と自由党となり、さらに労働党の台頭によりまして、自由党がだんだん影が薄くなって、保守対労働という工合になってきたのであります。小選挙区制は七十年前でございまするが、二大政党対立の形というものは、二百年も前からあったのでございます。一八三二年、イギリスは有名な選挙法の大改正を行いました。これが普通選挙基礎となっておりますが、そのときに出て参りました代議士の総数は、全部で五百五十八名でございました。その当時、イギリスは、小選挙区制と大選挙区制とがまざっておりまして、小選挙区制の方がはるかに少かったのであります。代議士の数から申しますと、五百五十八名のうち、小選挙区から選出されました代議士は、わずか七十四名でございまして、全体の一三%にすぎなかったのであります。けれども、当時すでにイギリスは、御承知のごとく、保守対自由の二大政党対立でございました。これを見ましても、二大政党の対立というものが、小選挙区制を採用した結果でないということは、明白であろうと思います。  アメリカも同様であります。アメリカをもって二大政党対立の国と考えることは、私は根本的に異議を持っておるものであります。そのことは今時間がございませんから触れませんが、かりに形式的には二大政党だから、それも二大政党だ、あれも小選挙区制をやったからだというふうに世間一般で言われておりますが、これも根本的な誤まりでございます。アメリカが小選挙区制を全州にわたりまして採用したのは、ただいま申しました一八四二年であります。ところが、二大政党には、ワシントン執政のときから連邦党と反連邦党というものができまして、それがだんだん名前が変り、性質も多少変って、共和党対民主党となってきたのでございます。これも歴史を見ますると、二人政党の方がはるかに先にあって、小選挙区制というものがあとにできておるのでございまして、小選挙区制を採用した結果でないことは、これも明白でございます。  これに反し、フランスにおきましては、一八七六年から後、今度の世界第二次大戦に至る間におきまして、数回小選挙区制を採用したのでありますが、フランスは、御承知のごとく、いまだかつて二大政党になったことはございません。常に小党分立である。  わが国の実例を見ますと、わが国も大正九年及び大正十三年に、これは制限選挙のもとでございましたが、小選挙区制を採用いたしました。しかしながら、二大政党傾向すらも見えておらぬのでございまして、その当時存在いたしました政党が、いずれもその投票数に、大体において比例して出ておるのでございます。たとえば、大正九年を見ますと、政友会二百七十八名、憲政会が百十名、国民党二十九、無所属四十七でございまして、大体これは投票数に比例しております。詳しいことは申しませんが、大正十三年の選挙を見ますと、憲政会百五十、政友本党百十一、政友会百一、革新倶楽部三十二名、実業同志会八、無所属六十一、これも大体その投票数に比例して出ております。かように大正十三年のときに官名以上の議員を持った政党は三つありまして、鼎立しております。二大政党になっておらぬのでございます。どうも実際を見ましても、小選挙区制をやったならば、二大政党になって政局が安定するということは、私はどうもわからないのであります。理論的に見ましても、そういうことにはならない。なぜかと申しますと、もしも政党選挙区における勢力が平等に分配されておりますなら、それは第一党のものが全部当選することになるでありましょう。しかしながら、二党がそもそもできるということは、ある選挙区においては、第二党の勢力が第一党を圧して断然強いという結果でございます。そういうことがあるならば、第三党もまたある選挙区においては断然勢力があるということも可能なのでございまして、そうすれば、第三政党も生まれてくるわけでございます。従いまして、政党勢力選挙区における分配というものが不平等なために、小選挙区制をやりましても、一般に考えられるように、二大政党がもたらされるとは限らないのでございます。小選挙区制を採用すれば二大政党がもたらされるという論者は、小選挙区制をやれば、勝った方の政党の勝利が誇張され、負けた政党の敗北が誇張される。つまり勝った政党は、総得票数に比例して多くの議席を獲得する、負けた方の政党は、得票数に比例してわずかの議席しか獲得しない、こういうことを申しますけれども、これもそのときの社会事情によることでございまして、必ずしもそうならぬのでございます。現に一九五一年のイギリスの小選挙、これは皆さん御承知通り、議席の数においては保守党が勝ったのでございますが、投票数においては労働党の方が多かったのであります。しかるに議席の数においては保守党が勝っている。すなわち、勝った政党の勝利はちっとも誇張されておりません。むしろ反対傾向をもたらすということが、小選挙区制の特徴であります。かように考えてみますと、小選挙区制をやったならば、二大政党になって政局が安定するということは、私どもをして言わしむるならば、一個の迷信にすぎません。何ら科学的に証明されることではないのであります。かくのごとき迷信を信じて、この大切な選挙改正をやるということに、私は研究者の一人として絶対に反対でございます。  第二の点は、選挙費用の問題でございますが、これも選挙区が小さくなって、人数が少くなれば、選挙費用が減る。これはまことに子供だましの議論でございます。法定費用はもちろん減ります。もし法定費用だけで選挙がまかなえるものならば、現在の制度のもとにおいても、選挙費用がかさんで、それが政界を腐敗せしむる原因にはなりません。ところが、選挙費用の大部分というものは、買収、供応その他不正の方に使われているのでありますから、法定外の費用が多いために、これが問題となるのでございます。従って、小選挙区制をやったならば、そういう不正がより多く行われるか行われないかというところに問題があるのでございますが、小選挙区制をやれば、かえってより多くなる。これは関係が密接になりまして、秘密の間に事を運ぶには、密接なほど都合がよいのでありますから、そうなることは当然でございます。のみならず、統計を見ましても、やはり小選挙区制の方が費用がよけいかかっております。これは第一に競争が激烈になるからでございます。小選挙区制をやれば、必ず競争は激烈になる。日本の過去の例――これは制限選挙でございますが、例を見ますと、日本は御承知のごとく大正十三年、大選挙区制でやったのでありますが、それで見ますと、そのときの候補者一人に対する競争率は一・五四でございます。ところが過去の大正六年並びに四年の小選挙区制を見ますと、時間がありませんからこれを平均で出しますが、二・一四でございます。かくのごとく競争率が激烈になる。競争率が激烈になれば、勢い背に腹はかえられませんから、金を使うことになります。従って、選挙費用を見ますと、いずれも増加しております。たとえば、日本の過去の例を見ますと、二度の大選挙区制のもとにおいては、候補者一人の選挙費用は――これは内務省が議会において発表したものでありますから、全部正しいとは言えませんが、一つの目安だと私は思います。六千八百七十円でございます。それが小選挙区制になりますと、九千百五十三円に増加しております。これは、日本銀行の物価指数によって換算したものでありますから、貨幣価値の変動はちゃんと考慮に入っておりますから、これは御心配要りません。それから有権者一人の金額を見ますと、やはり物価指数で換算してございますが、大選挙区制のもとにおきましては、四十八銭五厘でございます。それが小選挙区制になりますと、一円七銭にふえて参ります。こういうふうに実証的に研究いたしまして、選挙費用が減るという確証は全然出てこないのであります。むしろ平素培養をやらなければなりませんから、選挙費用はふえるものと考えられるのであります。その他いろいろな長所があげられておりまするが、これに対する反駁は一々繁雑でありますから、やめておきます。とにかく小選挙区制の論者が主張されておりますところの論拠は、私どもから言えば、これは科学的に研究した結果によりますと、ちっとも当てにならぬと思います。そういうあやふやなものを基礎にして、この大切な制度をやられることは困る、こういう見解を持ちまして、私は反対をして参りました。  第三は、積極的な小選挙区制の弊害でございます。これはいろいろこまかい弊害はございますが、それらは省きまして、おもなものを申しますと、死票が非常に多いということであります。先ほど、死票が多くても大差なかろうというようなお話でありましたし、またある人は、この前の選挙のときにも死票が多かった、その前の選挙と比較して、中選挙制度でも死票は多いではないかというお話でございましたが、これは第一比較の仕方がいけないと思います。この前は男女普通選挙でございます。その前の小選挙区制のときは、男子制限選挙でございます。ですから、こういうものを二つ比較して、中選挙区制になっても死票がふえていると考えることは、とんでもない。統計のとり方が大体間違っておるのであります。これはやはり制限選挙の同一事情におけるものを比較してみることが正しいと思うのであります。それを見ますると、死票の率というものは、大選挙区のもとにおいては、二回やりましたが、こまかいことは省きまして、平均して二二・五%でございます。ところが小選挙区制になりますと、三四・五%と一〇%以上ふえておるのであります。去年の二月に行われました選挙を見ますと、三二%死票がございます。その当時棄権が約二十何パーセントでございました。かりにこれを二〇%、例年大体そんなものであろうと思いますが、二〇%といたしますと、二〇%に三二%、それに一〇%ふえますと六〇%、六〇%の国民の意見というものは、議会に反映しないことになります。これは重大なる問題だと私は思います。選挙制度というものは、何よりも国民の意思を議会にできるだけ反映させるというところにあることは申すまでもありません。しかるに、死票が四〇%にもなろうというそういう危険を持っておりまするところの選挙制度を、何の必要あって御採用にならなければならないのであるか、私はこれを理解することができないのでございます。  次に、私が小選挙制度そのもの反対いたしますのは、何といっても、これはゲリマンダーが非常に多いということでございます。これはアメリカあたりの例を見ても非常に多いのでございます。このゲリマンダーをやるということは、要するにわれわれの意見が議会に反映されることが不当に曲げられるということでありまして、こういう制度に私どもはどうも賛成をいたすわけには参らないのでございます。  それから第三番目には、これは第一の問題にも関係があるのでありますが、われわれの利害関係の範囲、共同生活の範囲というものは、だんだん広まっておるのでございますが、それをこまかくちょん切るということは、われわれの選択の範囲を狭めるものでございます。小さいところからしか人物を選ぶことができぬということは、非常に有権者の一人としてわれわれは困るのでございます。できるだけこれの範囲を拡げてもらいたい。そうすることが、やがて棄権を防ぐことになるのであります。どうもやりたいと思うけれども、自分の選挙区には思うような候補者がいないということになって、棄権をするということは、非常に多いだろうと思います。これは、選挙区を狭めるということは、その意味におきまして、有権者の自由なる意思の表現に一つのワクをはめることでありまして、民主政治の上に、非常に考えなければならぬ欠陥であると私は考えるのでございます。  以上、小選挙制そのものに対しまして、その他こまかい点いろいろございますが、私は根本的に反対の見解を持っておるものでございます。  次に、今度の政府提出法律案につきまして、私はこれは非民主的なものだという理由によりまして、反対をいたすものであります。と申しますのは、選挙制度というものは、有効なる政府を形成するものだというようなお話がございましたが、もとより有効なる政府を作るということもその目的の一つでございますが、そればかりが目的ではないのでありまして、根本的に、選挙というものは、国民の権利が基礎になっておると思うのであります。われわれが選挙をいたすのであります。従って、国民の権利を無視するようなことをやられては困るのであります。従いまして、選挙制度改正するというようなことは、われわれの権利に関することでございますから、政党がこれをお変えになろうと思うときには、あらかじめ政綱にこれを掲げて、そうして選挙をやって、国民の意思を聞いて、しかる後にこれを決せられるのが、私は順当だろうと思うのであります。選挙のときに何も掲げられないで、われわれに全然小選挙制度をやるとかやらぬとかいうことを言われないで、二つ政党が合したからといって、それでこれは非常に必要なものだからやるのだというふうに考えられることは、あまりに独善的な考え方であると思います。国民の権利を無視するもはなはだしいものであると私は考えるのであります。そういう意味におきまして、今度の選挙改正というものは、私は国民の権利の立場から見て、反対を唱えるものでございます。  第二に、選挙制度というようなものは、結局において、いろいろな政党選挙戦を戦うところの共通の場所での一つのルールであります。二つ以上の政党が戦う一つのルールをきめるのでありますから、これはもちろん両方の政党の話し合いの上に提案さるべきものだと私は思うのであります。一方だけでルールをきめて、これを出して、多数決で決定するというようなことは、これは民主政治の本質にもとるものである、かように信ずるものであります。もしフットボール・ゲームのルールを一方のチームの都合のいいようにだけきめる、他方はこれに参加させないということでありましたならば、よしそれが公平なものであると片方ばかり思われても、他方はこれに対して疑いを持つことは当然であります。公平に見まして、これは一方だけの意思によって提案さるべきものではない。両方の政党の話し合いによって提案さるべきものである。こういう問題について非常に混乱が生じまして、大切な国民生活安定のためにいろいろ議していただかなければならぬことがおくれがちになるというようなことは、私は国民の一人として忍ぶことができないことだと考えるのでございます。そういう意味におきまして、今度の提案というものは、一方の政党のみによって提案されておるものであるという理由によりまして、私はこれは非民主的なものであると考えるのでございます。なるほど、多数じゃないか、古い学説によりますと、代議士の皆さんは国民を代表するものであり、議会で多数できめることは、これは国民の意見に合致するもので、まさに世論に合致することであるというふうにお考えになるかもしれ当せんけれども、これは一つの擬制的な考えでありまして、そういう考え政治をやったならば、とんでもない失敗を招くと私は思うのであります。これは古くさいドイツ流の考え方でございます。事実におきまして、議会において多数と皆さんがおっしゃいますけれども、この前の選挙を見ますと、二〇%の棄権率があり、三二%は死票と化しております。五十数パーセントは全然議会に意思が反映されておらぬのであります。あとの四十何パーセント、そのうちの多数でございますから、これは多数といいましても総投票からみましても四〇%、全有権者に割ってみましても約三%にすぎないのでございまして、議会における多数党とおっしゃいましても、そういう意味において国民の多数というわけにはいかないのでありますから、もっと謙虚な気持をもってこれをやっていただきたいということが一つ。もう一つは、議会政治運営のルールというものは、これは民主政治におきましては、少数党の意見の容認並びに尊重ということが、その根本原則でございます。もし反対党や少数党の意見というものを全然無視するというならば、これはまさに独裁政治でございます。多数決政治というようなことが民主主義の本質だと考えるところに、私は根本的な民主主義に対する理解の誤まりがあると考えておるものであります。民主政治というものは、与党と野党、この二つの話し合いの上に物事をきめていくことによりまして、あやまちのない政治をやっていく。凡人でございますから、ともするとあやまちやすい。これを常に、批判、監督の立場に立つところの野党があって、その話し合いによってやっていくことによって民主政治は成り立っておる。これは申し上げるまでもなく、イギリスが最も典型的な例でありまして、反対党はヒズ・マジェスティーズ・オポジションとい、われて、反対党の総裁が二千ドルの俸給をもらっている一事をとって見ても、わかることと思います。そういう意味におきまして、ことに選挙戦いの苦通の規則でありますところの選挙制度のごときは、両党の話し合いの上にこれが出されるということが民主的な方法であると考えるのでありまして、そうでない本案に対しまして、私は反対をいたすのであります。  第三には、今できておりますような政府案につきましては、小選挙制そのものには賛成方々からも、どうも選挙区割りがあまりに党利党略本位であるということについて御批判が出ておることは、申し上げるまでもないことでございます。もしこういうような案を強硬に実施しておやりになるということになりましたならば、どういうことになるかと申しますと、選挙というものが非常に激化いたしまして、これは競争にあらずして、私は戦いになると思うのであります。安達謙蔵さんがこの中選挙区制を採用するときに、議会におきまして、熱烈な口調をもって、小選挙区制に反対をされております。それは何かと申しますと、小選挙区制をやったならば、親戚、友人、あるいは部落、そういうものがみな二つに分れてしまって、国が二つに分れて、大へんなけんかになってしまう、だから小選挙区制はやらぬ方がいい、こういうことを申しております。フランスの最近出ました本を私見ましたところが、やはりフランスでも同様でありまして、フランスはイギリスのような小選挙区制、二大政党というものをやらないのは、それは根本的な理由がある。それはフランス人というものは非常にパッショネートな国民である。もし小選挙区制で、二大政党ということで政治をやるならば、フランスの国は一つの国ではなくて、二つのフランスができてしまう。戦いが激化して、ついに革命を誘発することになる。だからフランスはそういう方法をとらないのだということを言っております。私は直ちに日本に革命が来るなどとは考えませんが、しかしながら、戦いが非常に激化することは、容易に想像することができる。われわれのような実情にうとい者でも、容易に想像できることでありまして、もし戦いがあまりに激化いたしますれば、これは、そういう戦いをやめて、道理に基いて、話し合いで政治をやっていくために作りましたところの民主政治が、反対戦いを誘発するということになります。これはせっかく健全な民主政治を確立するためにおやりになろうとしております小選挙区制採用の方々意見にももとることになります。逆の結果が生ずることになる。小選挙区制をおやりになるという方は、まさか民主主義を破壊せしめるためにおやりになっておるのでないことを私は確信して疑いません。民主政治を育てようと思えばこそ、おやりになっておるのでありますが、その結果は、逆に民主政治を危機に導くことになると私は考えるのであります。そういう意味合いにおきまして、私は本案に反対を唱えるものであります。  要するに、私は小選挙制そのもの反対をし、現在の政府案というものが非民主的なものだという理由によりまして反対をいたします。そういたしますと、いつか私がそういう話をしましたところが、それでは現在の政治は非常に行き詰まっていろいろな欠陥があるが、どうするのだということでありましたが、私は、それは選挙制度の罪ではないと思います。それは、ここに皆さん政党方々を前に置きましてはなはだ不遜の吉を吐きまして申しわけありませんが、私は、私の研究の結果でありますから率直に申し上げますが、これは政党自体に問題があると思う。政党自体の問題を選挙制度というふうなものに塗りかえて、これを国民の肩になすりつけてしまうということは、あまりにひどいやり方である。国民として忍ぶことができないと思うのであります。今日の政治の中にいろいろな欠陥があるが、政党自体に二つの欠陥があると私は思います。つまり政党が近代化しておらぬことであります。つまり政党組織が確立されておらぬということであります。選挙区における政党が確立されておりますならば、同士打ちなんていうものが起るはずはないのであります。組織が確立しておらぬために起るところの同士打ちを、選挙制度の弊にして、われわれの権利を犠牲にしてまでも、あえて省みないというやり方が、果して民主的なやり方と言えるかどうか、私は疑問とせざるを得ないのであります。  それから、次は金の問題であります。これは政党である以上、金が要ることは当然でございますが、これを最も合理的な方法において調達するという工夫をされなければならぬと思うのであります。私は、戦後十年間における政党の資金を調べようと思って、つたない研究を今やりつつあります。まだはっきりした結論が出て参りませんが、問題は、要するに党の政党資金の調達方法が合理的でないところに問題があると思います。イギリス保守党は、この点におきまして、たしか一九五一年だったと思いますが、大会におきまして、イギリス保守党であるけれども、しかしながら必ずしもイギリス保守党は金持党であってはならない、政党資金を合理的に集めなければならぬということをウールトン卿が提案いたしまして、イギリス保守党は、自来、合理的な方法によって資金を集める努力をここにしつつあると伝えられております。政党組織は、申すまでもなく選挙区が単位になりまして、イギリス保守党は確立されておりますために、同士打ちというものが起らないのであります。小選挙区制のせいではないのであります。小選挙区制をもって現在の政治の欠陥を救済できるとお考えになることは、その的を失しておるものである、私はこういうふうに考えるものであります。  以上、私は政治的には全然中立でありまして、もっぱら私のささやかな研究の結果に基きまして、小選挙区制に対する意見を申し上げた次第でございます。  なお、政治資金規正法並びに立会演説その他の問題につきましては、私は多く言うを要しないと思うのでありまして、立会演説の禁止というようなことは、何のためにやられるのかわかりません。あれはぜひ復活していただきたいと思います。のみならず、候補者の代理が立つというような制度をやめて、ぜひ候補者でなければならぬというふうに、私どもはきめてもらいたいと思います。  それから、政党資金の問題は、今言いましたように、政治資金規正法によって報告をされておりますが、私ども研究をやってみまして、あれを見まして、ちっともわかりません。どこに金が使われておるかわかりません。どうもわからぬように作られておるのではないかという、はなはだ失礼でありますが、私は多少の疑いを持つものであります。もっとわれわれ研究者に明白なように、政党資金の報告をしていただくということが、あれは眼目であると思う。そうして国民一般がこれにつきまして監視の眼を怠らぬ、そういうところに、漸次に政党資金が合理的に調達されていくような工夫があそこに盛られておる、私はそう信じておるのであります。私は政治資金規正法公述人として出ましたときに、そういう意見を申し上げたつもりであります。ところが、そういうことができないような今日の状況におきましては、政治資金規正法というものは、ほとんどその作用をなしておらぬと思うのであります。その点におきましても、もっと十分な改正を、この点においてこそ試みていただきたい、かように考えるのでございます。  はなはだ時間が足りませんので、早口で申し上げまして申しわけございませんが、これをもって私の公述を終ります。(拍手)
  95. 小澤佐重喜

    小澤委員長 吉村公述人に対しまして、質疑の通告があります。これを順次許します。佐竹晴記君。
  96. 佐竹晴記

    ○佐竹(晴)委員 時間が少いようでございますから、二、三の点をお尋ねいたしたいと思います。ただいま吉村公述人より根本的に小選挙区制に反対する理由をお示しいただきまして、納得をいたしました。ただ、ここでお尋ねをいたしてみたいことは、政府が提案をいたしております法律案を中心といたしまして、政府の言うところが正しいかどうかということに対する御批判を仰ぎたいものと思うのであります。今回の政府の提案理由によりますれば、二大政党の維持育成と政局安定のためには小選挙区制が必要であるというであります。しかし、先ほど御説明のように、小選挙区制をとったからといって、二大政党制を生み出すだけの力のないことは、これは政府自身もお認めになっておるようであります。そこで、政府といたしましては、でき上っておるところの現在の二大政党を維持したい、これを育成したいというにあるのであります。しこうして、矢部公述人は、先ほど、当席におきまして、これに相呼応するがごとき御説明をなさいまして、かようにお述べになりました。昨年の暮れに二大政党が生まれた、このままほうっておくと、すなわち現行選挙法のもとでこれを続けていくと、党内派閥が生まれ同士打ちが始まる、それでは党内から分裂する、多党分立となるおそれがある、そこで公認制を確立して、公認を一人にしぼり、よって全国的に近代的組織強化するの必要がある、かくて二大政党が維持育成されるのであって、そのためには小選挙区制が必要であると、かようにお述べになったのであります。この政府の見解も矢部公述人のお述べになるところも一致いたしております通り、現在でき上っておる二大政党を温存育成し、さらにこれを強化したいというにほかならぬと思います。しかし、現に、自由民主党の成立は、保守政権確保のための離合集散であったことは、これは申し上げるまでもございません。国民の意思に問うたところの政党ではありません。国民の審判を受けておるところの政党でもございません。いわば党利党略のために寄木細工のごとく集まっておるところの政党であります。その政党を維持育成するために小選挙区制をしがなければならぬということは、国民が納得できないと思うのでありますが、吉村博士はいかなるお考えをお持ちになるでございましょう。
  97. 吉村正

    ○吉村公述人 どうも、この政治上の議論というものを、科学的な根拠に基かずして、いいかげんな常識論でやられるので、私どもは非常に困ると思っておるのであります。私の考えによりますと、それは全く逆でありまして、二大政党を育成する――これを実施するならば、いよいよもって私は小党分立傾向を来たすだろうと思います。何となれば、一政党において一人しか公認しない。ところが大体現役優先ということになっておるようでございます。そのほかに小選挙区制になったらば一つ立ちたい、自分も立って当選の可能性があるという者が幾らでもあります。私はかつてある県の職員研修所の所長をやっておりまして、全国三百四十余町村の町村会議長と接触して、この問題を一々聞いてみたことがございますが、小選挙区制になればわれわれも出られるというわけで、郡の連合会の会長さんのごとき、一つ出てやろうというくらいな考えでおられる方がずいぶんおりました。ところが一党に一人しか公認しない。その他の者はその政党を名乗ることができないということになりましたならば、新しく出たいという者は困りますから、これは他の政党を作って出ることになるでございましょう。現に、私の知る限りにおきましても、全国町村会の議長さんの連合会の有志が集まって、一つこういう情勢ではとてもかなわぬから第三政党を作るのだといって、今奔走中であります。またその他にも第三政党が必ずできるだろうとのもくろみのもとに活躍されている人を、はなはだ現状にうといわれわれでも、三人ぐらいここに示すことができると思います。名前は申しません。そういう実情でございますから、もしもこういうものをおやりになれば、二大政党が育成されるどころか、むしろ小党分立を招来する。決して小選挙区制をやるということが二大政党の育成にはならぬと思います。そこがどうも私にはわけがわからぬのであります。なぜそういうことになるのであるか。小選挙区制をやったからといって、政党勢力が安定するとは限らない。党派内に分派があれば、それが自然に現われて参ります。これは、政党自体の問題であって、決して選挙制度の問題ではないのです。それは主導権の争いであるとかいろいろありますが、その事情は皆さん自身おわかりになっていることでありますから、私から申し上げるまでもないのでありますが、これは制度の欠陥ではないのであります。それを、何か、小選挙区制になれば二大政党になって政局が安定してよくなるという感覚を国民に与えるということは、とんでもない間違いだ、私は、むしろ今度の選挙法案をその通り実行されましたならば、小党分立傾向をますます招来するだろう、こういう工合に考えております。
  98. 佐竹晴記

    ○佐竹(晴)委員 私どもも実はさように考えまして、過般来その気持を訴えておるのでありますが、与党にはなかなか響きません。しかし、今度自由民主党においては、御承知のごとく、三木さんなんかが、何が何でもこれを通さなければならぬと言ってがんばっておられるようでありますが、大正八年のあの小選挙区制をしいた当時、三木武吉さん御自身が、大正八年三月一日、その制度に対してかような発言をいたしております。すなわち、この小選挙区制の時代と大選挙区の時代における候補者、すなわち競争者の数というものは三倍、四倍の多数になっている、小選挙区の方が多数になっているということが、政府の示された表によって見てもわかると述べております。大正八年のあの小選挙区制をしいたときに、小選挙区になれば候補者がぐんぐん三倍にも四倍にもなっていることを、三木さん御自身がすでに大正八年に発言をせられている。その三木さんが、今度この小選挙区制をしていて公認を一人にしぼれば、それであとの者はやめるのだというふうにお考えになっているようでありますが、しかし、ただいま吉村博士のお話を聞きますと、なかなかやめるものではない。一人を公認したら、他も党を作ってやるだろうとの御推論でありますが、まことに私もさようではないかと実は思いまして、そのことをお尋ねいたしたのであります。  そこで、私がさらに進んでお尋ねをいたしたいのは、政府は、総理を初め担当大臣において、二大政党の維持育成と政局安定のためには、均衡を得た二大勢力が存在していること、その政策が近似しておること、国民に急激なる社会的、経済的変化や不安を惹起しないように、政権移動がスムーズに行われるような態勢ができ上ってこそ、初めてその二大政党の維持育成ということの目的が達せられるのだ、こう述べております。ところが、一方では、総理はこの委員会においてかように申しました。今の日本は、自民党と社会党が対立しておるが、その政策に近似性がない、社会党はイデオロギーが違うので困る、社会党に改心してもらわなければならぬ、かように過日もおっしゃいました。そこでわれわれは言った。あなたの方が古いじゃないか、古いものは新しいものに近寄ってこなければならない、われわれがカビのはえた方へ近寄ることができるかと申しましたら、私の方も近寄るから、あなたの方も近寄ってくれというのが、この間の話であったのであります。ところで、われわれのイデオロギーというものは、だてや酔狂で言うておるのではありません。一つの信念を持ってやっておることであります。政策の近似性もない、イデオロギーも違う自民党と社会党とを二大政党として、その二大勢力を維持育成してみても、これは政局の安定がありよう道理がないと私は思うのであります。こういったイデオロギーや政策の近似性のないところの二大政党を育成して何になるかと私が問うて見ますると、総理も担当大臣も一様にかように答えます。これはすぐにはできないかもわかりませんが、二回なり三回なり選挙をやっている間に、次第に近寄って参りまして、その目的が達せられるというのであります。しかし、私どもは、小選挙区制をしいたならば、イデオロギーが近寄り、政策が、近寄ってくるなどというがごときは、全く無責任の空論であると考えますが、第三者の吉村博士といたしましては、いかにお考えでございましょうか。
  99. 吉村正

    ○吉村公述人 政策が近似して勢力伯仲した政党ができれば、民主政治がよく行われる、議会政治が発達する、それはまさにその通りであります。しかしながら、そういうことが行われるためには、そういうことができるような基本的な社会情勢でなければならぬわけであります。イギリスにおきまして、かつて保守、自由二つ政党勢力伯仲しておりまして、その政策も大体近似しておりました。そこに非常によく議会政治が行われたその時代というものを、われわれは見なければならぬと思うのであります。その当時は、今と違いまして、イギリスの資本主義というものが大体において向上発展をしておるときであります。従いまして、平たい言葉で申しますと、資本家が労働者の要求に応じて賃金を値上げても、なおかつ資本家は利益を得ることができる。国民生活全体が非常に安定をしておった時代でございます。そういう時代におきましては、なるほど今おっしゃいましたような意味の二大政党対立政治というものがスムーズに行われるのでございますが、これは時代が変りまして、国民生活というものがなかなか緊迫してくる。階級というようなものがだんだん起きてくる。先ほど申しましたいろいろな集団が族生してくる。国際関係が非常に緊迫をしてくる。そういう情勢下にありましては、かつてイギリスが世界に君臨して、その国民生活が非常に豊かな時代におきまして行われたような、そういう政治制度が行われるものではないのでございます。そんな制度だけを抽象的に抜き出してきて、あの時代は非常によかったから、ああいうふうにすれば日本もよくなるだろうと考えるのは、美人が非常に派手な着物を着ていて目につくからといって、醜婦が派手な着物を着るようなものでありまして、(笑声)まことにこっけいだといわなければならぬと私は思うのであります。この土台を考えてみなければならぬ。ものは土台から考えてみなければいかぬのであります。社会生活そのものをわれわれは検討してみる必要がある、かように考えるのでありまして、そういう御議論は今のイギリス人にも通用しない非常に古い御議論だと思います。イギリスにおきましても、そういう意味の二大政党になることを今日進んだ政治学者考えておらぬと思います。かつて、エドマンド・バークは、代議士というものは全国属を代表するものである、従って、どの階層から出てきても、それはそれを出した階層を代表するものではなくて、全国民を代表するものである、こういう工合に申しておりました。そういう時代においては、なるほど今お話のような二大政党対立が行われましたが、今日は、現にイギリスにおきましても、われわれは労働階級の利益を代表するものだという政党ができておりますし、われわれは鉱山業の利益を代表するものだ、あるいは資本家の利益を代表するものだというのが現われてきておるのでありまして、昔のように一人の代議士が全国民を代表するということは不可能な情勢になっておる。社会というものがここ数十年の間に非常に大きな変化を遂げておるのであります。それなのに、政治制度だけはその昔の制度をそのまま維持しようということは、これは、私どもの方から言いますと、全くこっけいなことである、いや、こっけいと言って済ますには、あまりに危険なことである、かように考えるものであります。先ほど言いましたように、制度や法律というものは常にその時代に合っていなければならぬ。かつて、イギリス憲法学者でありましたバジョットが、その著「英国憲法論」におきまして、非常にうまいことを言っております。社会というものは人間のからだのようなものであって、子供からおとなになるように発展してくる、着物は、昔のままで置いたならば、ついにはほころびてしまう、そこに革命が来るということを申しておりました。私はこれは千古の名言であると思うのであります。時代の変化ということをよくお考えになって政治制度というものをお考えにならぬと、昔と今とくっつけてしまったり、イギリス日本とをくっつけてしまったり、制度を抽象的に考えて採用するということは、国民生活を危地に陥れる憂いがある、こういう点を私は考えるものでございます。
  100. 佐竹晴記

    ○佐竹(晴)委員 社会生活の根本問題に触れることなしに、この制度を変えることだけによって大目的を達成しようとするがごときことは、大へんな誤まりであることを指摘されましたことは、まことに傾聴に値すると存じます。一歩譲って、政府の述べておりまするように、二大政党を育成し、そして政策の近似性をもって政権の移動のスムーズにできるようにしたならば、うまくいくというのでありましたならば、これは、先ほど吉川先生もおっしゃっていたようでありましたが、むしろ今弱いところの社会党を支援強化いたしましてこそ、初めてその目的が達成するではないか、かように私ども思うのでありますが、総理は全くこれと逆の方向のことをお考えになっております。これは、先ほど公述人も述べておりました例の一月二十八日、神田の共立講堂における自主憲法期成議員同盟の席における総理大臣の演説によれば、大多数をもって憲法改正が議会を通過するようになることを切望する次第であると述べて、「三分の二以上の勢力をもっていなくては憲法は通過しないのでありますが、社会党も、今日の勢力はまだ微弱ではありますけれども、それでも憲法改正を妨害するだけの力はもっているのであります。もう少し保守勢力の人が熱心になって社会党勢力をもう少し減殺するようにぜひ御尽力をお願いいたします。」かように述べておる。しこうして、この間産経ホールにおける自民党と社会党との立会演説会においては、自民党の代表塚田さんが、ゼスチュアたっぷりでもって、社会党には絶対に政権は渡されないと絶叫いたしております。この間広島における公聴会もございまして、私参りましたところ、広島の県会議長がお出になっておりました。私は、逆に、むしろあなた方のおためになることを考えても――私は昔からこういうことをよく聞くのであります。狡兎死して走狗煮らるとかいうことをよく聞くが、ローマも敵に滅ぼされたるにあらずして、敵を失いたるがために滅びた。あなたはもう少し敵を愛する気持を持ってはどうか。社会党社会党といって社会党をやっつける気持でいるが、社会党をやっつけたとたんに議会政治がなくなってしまって、あなた方も滅びやしないか。政策の近似性ということなどをおっしゃるならば、自己をむなしゅうして先に社会党に政権を渡したらどうか。社会党に政権を渡したら民衆が今度社会党と戦う。社会党は民衆の批判にこたえて現実的な政策をしかぬ限りはやっていけない。もしこれに逆行しようとするなら、次に票が少くなって、社会党の天下はたちまちについえてしまう。ところが、敵を得て、社会党に天下を与えるならば、そこで、私どもは、初めて現実的に進んでいくだろうし、そこで政権がスムーズに交互に授受されるということになる。どちらも政権をとったときに、野党からひどく攻撃せられたのでは、うまく議会運営がやっていけないということで、武士は相見互いで、互いにやり合って、初めて国会の運営もスムーズに、あの英国のごとき状態にいくのじゃないかと思う。あなたはもう少し広い気持を持って敵の言うことを聞く気持にはなれないか。こう言って問うたところ、県会議長は、社会党には絶対いけません。色を変えてぶるぶるっとして絶対いけませんと言う。上の総理からみんなそう考えておるから、下の方もみんなそう考えておる。今自民党が政権を持っておる、この政権を何が何でも維持育成して、絶対にこの権力をどこまでも持ち続けなければならぬ、社会党には絶対に渡されぬということを言うておる。政局の安定と二大政党の対立を希望せられるというが、それはそうでなしに、社会党というものをダシにして、自民党という独裁政権の安定をはかる以外の何ものでもないという感じが私はしたのです。私どもがこういうふうに考えますことが間違いでございましょうか。第三者に御批判をいただきます方がきわめて適切だと存じますので、御意見を承わりたい。
  101. 吉村正

    ○吉村公述人 私はこういうふうに考えております。政治というものは、時の政治家が希望されても、その通りなるものでないというふうに考えております。政治というものは、一定の社会条件のもとにおきまして、一定の方向に進んでいくものである。その波に乗って政治をやるときに政治は成功するし、それに逆行すれば大波をかぶって船が沈むと同じように失敗を演ずるものだ、こういうふうに考えておりますので、希望されるとか希望されないとかいうことにつきまして、私はあまり重要性を認めないのであります。ただ選挙法を改正して三分の二の議席を獲得するという御意図であるとすれば、私はそういうことをやらぬ方がいいという考えを持っておるのであります。憲法改正を自民党がやろうと考えておることは、これは明白なことでありますがそのために三分の二の議席が必要である、そうしなければ憲法改正発議ができない、これも明白なことであります。しかし、それであれば、なおさら私は、選挙法なんかは改正しないで、堂々と憲法改正ということを政策に打ち出して、これで戦って三分の二の議席を獲得して憲法改正さるべきが順当であろうと考えるのであります。それを、無理をして選挙制度というものに手を触れて、それをいじくることによって無理に三分の二を獲得して憲法改正をするということは、改正された憲法のためにならない。従ってまたわれわれの国民生活を発展せしめることにならないと考えております。これは、論より証拠、イタリアのムソリーニが、政権を獲得いたしまして、直ちに選挙法の改正に着手いたしました。彼は、総選挙の結果比較的多数の投票を得た政党は、議席の三分の二を獲得するという選挙法を定めまして、それで三分の二の議席を獲得してあの政治をやることになって、ついにああいう失敗を演じたのであります。そういうことが完全に実例としてあがっておるのでございます。それは方法は多少違いますけれども憲法改正選挙改正は別個の問題であるということをいわれております。それは別個かもしれませんが、国民の多数はそれを疑っておるのであります。そういう意味におきまして、国民の疑いというものを晴らすことはどうしてもできないのでありますから、私は、日本の新しい民主主義を育成するという観点からは、もっと正々堂々たる態度をもって憲法改正をおやり願いたい。憲法改正をすることがいいか悪いかということは、これは私は全く別個の問題だと思う。ただ、その方法といたしまして、選挙改正をやって憲法改正するというやり方には、私は賛成することができないのでございます。
  102. 佐竹晴記

    ○佐竹(晴)委員 時間の制約を受けておりますので、ごく簡単にいま一問だけお尋ねをいたしまして終ることにいたします。  この委員会では、先ほど申しておりますがごとく、二大政党の対立と政局の安定のためにこの法案を出したのだ、こうおっしゃいますので、私どもといたしましては、吉村先生のおっしゃる世界の実例、特にフランスなどでは幾ら小選挙区制をしいても結局多党の分立になっておるじゃないか、日本においても大正八年の選挙の結果あの通りではないか、あれはむしろ政友会の独裁政権になって、およそ二大政党の育成強化とは逆行したではないか、原内閣のときもまた、絶対過半数を得て独裁専制をやろうとする意図のもとになされたのではないか、今回もまた同様ではないか、こういうことを質問いたしますと、政府はこれに対しましてかように申します。前のときは個人対個人の選挙であった、今度は政党政党選挙であり、かつ政策政策選挙になるので、今度公認制というものを認めて公認候補を一人にしぼる、つまり公認制というものを法制化する、そして二大政党公認候補を一人立てて、どちらかが勝ち、勝った方が多数をとって政権が安定するのだ、そこで今度は候補者公認するという制度を設け、かつ政策本位の戦いにいくのだから、前の場合とは全く相違するのだ、こういうことをおっしゃるのであります。しかし、私は、これに対してあらゆる角度より、前にもやはり政策はあったじゃないか、前の選挙だって政策の争いをやったじゃないか、それからその結果多数に分立したではないか、つい前には、原さんが絶対過半数を得て独裁専制をやったではないか、今度も、先ほどから言う幾多の事例を見ても、同一の道を歩むではないか、どこが違うか、こういって論じておりますけれども、適切なる答えを得ることができません。これまた、これに対しまして何か御所見がありますれば、承わっておきますと、将来審議の上に非常に参考になると存じます。
  103. 吉村正

    ○吉村公述人 この点についても、私は方法が逆であると考えております。政党公認されるということは、そしてその公認が非常に有効に行われるためには、政党が国民の信頼を得て、その組織が国民の間に浸透し、確立されておらなければならぬと思います。その組織の確立もまだ十分でなく、信頼もまだ、はなはだ申し上げにくいが、薄いと私は思います。従いまして、政党公認がなくとも、立って当選する可能性というものが私はあるというふうに見ておるのであります。これは、私が思っておるのみならず、そう思っておる人が地方にはたくさんおると思います。また、小選挙区制になれば、そういうことがなおさらやりやすい。区域が非常に狭くなるのですから、政党公認がなくとも、立候補して容易に当選することができると思います。中選挙区制、現在の選挙制度のもとにおいては、あるいはそれが非常に困難になるかもしれませんが、小選挙区制になれば、なおさらやりやすい。そういう意味において、もし公認をするからというようなことで、二大政党が育成されていくというふうにお考えになるとするならば、これは主客転倒の議論である、全く逆である、こういうふうに私は考えておるのであります。
  104. 佐竹晴記

    ○佐竹(晴)委員 時間がございませんので、私はこれをもって打ち切ります。
  105. 小澤佐重喜

    小澤委員長 これにて吉村公述人に関する議事を終了いたします。  吉村公述人には、御多忙のところ長時間にわたりまして、まことに御苦労様でありました。お礼を申し上げます。(拍手)  これにて公述人に関する議事は全部終了いたしました。  公聴会はこれにて終了いたします。    午後五時五十三分散会