○
四宮公述人 私は、
東京都議会議長であり、
全国都道府県議会議長会の
会長をいたしております
四宮久吉であります。今回、
公職選挙法の一部
改正に関する
法律案等につきまして、
公述人として私を御指名いただきまして、ここに私の
意見を述べるの
機会を得ましたことは、非常に光栄とするところでございます。
由来、私は、青年のころから今日まで、
選挙というものがほとんどすべてであると言っていいくらい、人生の大部分を
選挙で暮して参ったのであります。
自分の
選挙だけでも、区会、府、市会あるいは
都議会、代議士、こういう
選挙は合せて十四回であります。それから、人の
選挙事務長であるとか、あるいは
総括主催者であるとかいうのを、十五回ほどやって参りました。
議員生活も約三十年になりまするが、そういう
関係で、今日私が申し述べますことは、むしろ理論的より実際的の面から申し述べることが適切ではないかという
考えをもちまして、私の体験いたしました実際面につきまして、今度の
改正案に対しまして
意見を述べてみたいと
考える次第であります。
私は、今度の
改正案に対して、まず三つの
方面からこれを
考えてみたいと思うのですが、その第一点といたしましては、小
選挙区制がいいか悪いかという問題、それから、第二点では、
選挙の
区画の問題がどうであるか、それから、第三点といたしましては、
選挙運動等に関する
改正事項について申し述べてみたい。大へん時間が制約されておりますので、ごく簡潔に申し述べてみたいと思うのであります。
従来も、御
承知の
通り、
選挙法を
改正するときには、大
選挙区にしても、中
選挙区にしても、小
選挙区にしても、必ずいろいろな
論議が起ってきて、とうてい
完全無欠な
選挙法の
改正ということはむずかしい。簡に過ぎればまた簡に過ぎて、はなはだしく
選挙費用がかかる。厳に過ぎればまた厳に過ぎて、この前のように、女学校の生徒が行きがけに看板が倒れておったのを
親切げで起したら、それが
労務提供だというので
警察に引っぱられたというような、あたかも
選挙が窃盗か強盗かの犯罪を犯すかのような情勢に陥った場合も多々あるのであります。そういう点から
考えましても、なかなか、
選挙法の
改正につきましては、厳に過ぎていかず、寛に過ぎてはいかず、あらゆる点からできるだけ
選挙を
国民がほがらかにできるような
立場においてなされることが、私は最も望ましいことだと思うのであります。こういう
意味からいたしましても、今度の
改正案につきまして、その第一点である小
選挙区制が果していいか悪いかという問題であります。まあ、
結論的に申せば、私は賛成と申し上げるのが適当であろうと思う。その理由といたしますことは、御
承知の
通りに、従来小さい
政党が四つも五つも分立いたしまして、絶対多数という
政党がないために、比較多数の
政党が
政府を適当するということに相なっておりました。これでは非常に迷惑するのは
国民であり、
政府が
施策を表明いたしますと、それに向って、
企業にいたしましても、その他それぞれの
事業をなす者は、それに基いて
計画を立てる。さて、
計画を立ててみたら、
最後になってその
法案が流れてしまう。その
法案がほとんど予定の
通りに行っていないというようなことになり、ことにそれが長く
結論を得られないということは、
一般国民に対しても非常な迷惑を及ぼす場合が多い。そればかりではない。私たちも、
全国都道府県会を代表いたしまして、いろいろな
地方施策をいたします。
東京都もまた同じようでありますが、そういう場合に、
一体東京都がどう
計画を立てていいかということに、今までにずいぶん悩んできたのです。
政府はこういう
計画を立てるであろうというので、
政府を大体標準に置いて
計画を立てるというと、それが全然異なった
方面に
結論を得るというようなことに相なりまして、ほとんど
東京都の
事業に手がつかない。それがために時期を失するというような場合も多々あるのであります。そういう時期でありますので、
一般国民の
気持もそうでありますが、われわれ
地方議会といたしましても、どうしても
政局を安定する
政党がほしい。それによってどうかわれわれが信頼して
政治ができるというようなことにしてほしいという希望でおりましたところが、幸いに
世論の趨向に
皆さんも十分感得いたされまして、それぞれの
政党が二大
政党となって、ここに
安定政権を得たのであります。こういう
立場から申しましても、どうか、私は、
政局というものは、
政権を担当するものがある期間安定して、そうして所信に基いて一貫した
事業をしてほしい、
施策をしてほしい、そうなれば、われわれ
地方団体としても、また
一般国民としても、安心して
政治ができ、いろいろな
企業ができると思うのであります。そういう点から
考えましても、この
小党分立を防ぐには、まずこの小
選挙区制というものが一番適切な問題である、私はさように
考えておるのであります。
それでは、小
選挙区に対する問題が出たが、これが最もいいかというと、これにもやはりいろいろ
短所、長所がありまして、世間でもいろいろこの問題に対しては
論議になっておりますが、まずこれを私
考えてみますならば、小
選挙区のいい点といたしましては、その一として、
選挙区域が狭くなることにより
選挙運動費が比較的
少額になる。それから、その二といたしましては、
政党の
施策が
選挙足に周知徹底しやすく、かつ
選挙人が
候補者の
人物、
識見を十分知ることができる、こういう点。それから
投票率がよくなる。それから、その四といたしまして、
候補者の
乱立というものが比較的防止ができるとともに、同じ
政党の者の
同士打ちの
弊害というものがなくなる、少くなる。それから、五といたしましては、
選挙運動の
取締りが徹底いたしまして、
選挙の公正がある程度期せられる。それから、この
短所として言えますことは、前のと
うらはらになりますが、
買収行為が行われやすい
弊害がある、こういう話がありますし、
選挙干渉が強くなる。それから、
新人の
進出がはばまれて、全国的な
人物が不利となり、
地方ボスが生じやすい。それから、四といたしまして、
死票が多くなって民意が反映できぬというような問題があります。このほかこまかい問題がありますけれども、おもにこういう問題が
論議の
中心になると思います。
私は、こういう問題を比較して、実際面についていろいろ考究いたしてみますると、
選挙地域が狭くなることによって
選挙費用が果して
少額で済むかどうか、こういう問題でありますが、中には、いや、
選挙費用がうんとふえる、こういう御議論をなさる方もあります。
選挙費用がふえるという中身を解剖してみれば、結局は
買収があるからだ。その他、
一般の
交際として、あるいは
花輪だとか祝儀だとか寄付だとかいうものがうんとふえるじゃないか、こういう点を
考えて
選挙費用がふえる、こうなりますと、もうこれは実際を離れた問題で、
買収する人は、場所が広ければ広いほど、なお多くの金を使って
買収することができるのですから、
花輪にしても
交際にしても、金がある者はどんな
交際でも広ければ広いほど多くできるのだから、こういうような問題は別で、特に小さくなって緻密に
お互いに
激戦になるから、ますます使うというような見地からのお
考えでありましょうけれども、これは私が後に申しますけれども、
選挙違反というものがむしろできなくなるという、私は実際面の
結論を持っておる一人でございます。いずれにいたしましても、
選挙区域が狭いということは、結局、あらゆる面から、いろいろな平素の
交際にいたしましても、あるいはまた
選挙区域に対するいろいろな通信その他にいたしましても、自動車の交通その他にいたしましても、
費用の減るということは事実であります。しかしながら、されはといって、
選挙区が五分の一になったから
選挙費用も五分の一で済むかというと、なかなかそうはいくまい。それだけ緻密にやらなければならぬということは事実です、そういう点から申しましても、私は、
選挙費用の額はある程度減るであろうが、さりとて、半分になるとか三分の一になるとかいう
意味には解しておりません。しかしながら、
選挙費用が減ることだけは事実だと思うのであります。
それから、
政党の
施策が
選挙民に周知徹底しやすい、かつ
選挙民が
候補者の
人物識見をよく知ることができるという問題でございます。これは、現在の
自由民主党にいたしましても、
社会党にいたしましても、それぞれ大会を開いて、新綱領の発表をしたりして、いろいろやっておりますけれども、
知識階級が最も多いといわれる
東京においても、果してどれだけの人が
社会党の
政策、自民党の
政策に対して十分理解しているかといえば、私はごく少数の人だと思っている。大体今までの
一般の
政党は、
選挙民、
国民に対してもうちょっとその
施策というものを周知徹底しなければ、私は、
政党政治の本来の
意味は出てこない、そういうふうに
考えておりますが、
選挙区が小さくなることによって、これからそれぞれ
皆さんの
立場においてもいろいろ
報告会も開きましょう、あるいは
座談会も聞きましょう、
懇談会も開きましょう。とにかく、
区域が狭くなればなるほど、それだけ
選挙民に近づく
機会が多い、そうして
選挙民と理解し合う、こういうことになって、
政党と
候補者、それと
選挙民との間がだんだん接近し、
最後には直結するような形まで進めることが、
政党政治を非常に盛んにする原因になると思うのです。従来の
実例を見ますと、
演説会にしても、少し人の少いところでは、ここが広いから、あそこよりここが
寄りがいいだろう、ここよりあそこが
寄りがいいだろうというので、
演説会もなるべく省略して、場合によっては
選挙中一回も行かないというようなことがある。それだからといって、平常のときにそれぞれの
施策を徹底する
機会があるかと申しますと、さような
機会はないのであります。そういう
意味から申しまして、
選挙民がほんとうに
政党を理解せず、その
候補者を理解しないというところに、私は、結局、
ブローカーがはびこったり、あるいは
選挙の
ボスか中間に入って、右にしたり、左にしたり、自由にすることができるのだと思う。ある程度その
政策を理解して、そうしてその
候補者に対する
気持が相通じ、それを信頼する強い力があったとするならば、これはなかなか
ブローカーがどう言おうが、
ボスがどう言おうが、そんなものに支配されるものではない、さように私は
考えておるのであります。こういう
意味から申しましても、ただ
選挙区が小さくなると、今申しましたように
選挙がこまかくなり、
お互いに
激戦になるということは、これは当然私はそういう問題は起ると思います。しかし、その
選挙の戦いが熾烈になるということこそ、
選挙民があるいは
政党にあるいはその人に対し非常に
関心を持ち理解を持っていく非常な大きな動力である、さように私は
考えておる。そういう
意味から申しましても、できるだけ
接触面を多くして、双方が努めて
選挙を強く推進していくということによって、初めて
目的が達し得る。それで、
選挙民と血の通うところの
政党並びに
候補者こそは
政治を新しくするのだ、そういうふうに私は
自分の実験で申し上げてみたいと思う。
それから、
候補者の
乱立が比較的防止できるとともに、同一
政党内の
同士打ちという
弊害が少くなる、こういう問題であります。結局、定員が多いということになりますと、同じ
政党の
候補者が立っても、あれよりはおれが強いから、並びに人数が何人あるから一つ立ってみよう、おれは弱くても一つやってみようという気になる。これが結局一人にしぼられることになると、あわよくば当選ができるであろうなんという人々が少くなる。結局
候補者が努めてしぼられる。しかも
公認という力が今度の
選挙法の
改正によって偉大な威力を持つことになりますから、そういう点から
考えましても、これは努めて
乱立が防げる、同士討ちが少くなるであろうと思われるのであります。
それから、
選挙運動の
取締りが徹底し、
選挙の公正がある程度期せられるということについて申し上げます。この問題につきましては、これの
反対論である
買収が多くなる、あるいは
選挙干渉が強くなるという問題とちょうど
うらはらのような
関係にございます。私はこういう問題は今までも
自分自身も
経験したことがございます。その人と
選挙民との間に血の
つながりがある、直結している、
お互いに理解し合っているということは、
選挙干渉がかりにあったとしても、非常に排除できる、今言うように、
関係の薄い人が
買収その他いろいろな力でふらっと向けるものと違って、直接の
関係者である
候補者と
選挙民、
政党という
関係が一
つながりになっておりますと、
——私の例を出してまことに恐縮でございますが、
皆さん御存じのように、かつて
東条内閣のときに
推薦選挙が行われたあのときの
干渉は、私の
経験においても、あるいは今までの歴史の上においても、全く前代未聞の
干渉であります。
警察署長が
選挙運動事務長みたいなもので、票の足りない者は
推薦候補にさあ
買収せよということまでやって、実に強力な
——私は非
推薦で出ましたが、毎日十四、五人くらいが私服で私のうちに参りまして、私のうちの門をくぐる者はことごとく引っぱっていって
警察で取り調べる。私も、外に出ると、あの当時は
個々面接が許されなかったので、うっかり、まあ今度先生一つ頼むとやったら、
監視がついているから、それでおしまいになってしまう。そういう
関係で、外に出ない方がよかろうと思って、私はうちで
自分で書いた文章だけで
選挙運動をいたしたことがございます。それでも、おかげさまで相当なところで当選できた。この
選挙民と
候補者の血の
つながりというものは、あのときにも、
選挙干渉を受けて困っている、身動きできぬということを私が書いてやることによって、かえって
選挙民は非常な力強い支援をするということになったと思うのです。
買収は激烈な競争のあるときには実際問題としてできない。それは
両方が牽制し合う。かりに
買収するという事実があると、その問題に対しては
お互いに片方を牽制する。あるいは、かねて、あれはどこへ
買収に回っていくか、こういうことで
お互いに牽制する。それにもそれぞれの
反対の
立場にある者が目を注ぐ。そうすると、
選挙に対する
買収その他非合法の
運動に対する
監視というか、あれはいつこういうことをやっているじゃないかということで、やればすぐ問題化するということに相なりまするので、そういう点から申しても、
選挙民お互いの
監視によって
買収その他の
選挙運動は事実上防止される。のみならず、はなはだしい
選挙干渉でもすると、最近では
——この前の
知事選挙においても、
警察が大目に見たために、かえって
世論の反撃を買って落選したという評判の人もあるように、最近ではなかなか民主化されて、
警察官も昔みたような非常な非常識な
選挙の
取締りはできない、
干渉圧迫ということは想像できないのでありますから、その点において、私は、むしろ、
買収とかあるいは
選挙の
干渉という問題は、
政党並びに
候補者及び
選挙民がだんだん直結することによって、
お互いに
監視されるという
立場において浄化される。そういう
意味から申しましても、この小
選挙区制が適当ではないか。
それから
死票の問題がいろいろ
論議になっておりまするが、私の
考えますることは、この間も、三人立ってその中で一人当選すれば、あとの人の得票がだめになるから、従って、それが過半数あっても、半分以上が
死票になるという
実例があるじゃないかというお話もございましたが、たまたま一部部にはそういうことはここで断言できませんけれども、しかし、全般的に
考えたときに、そういう結果は起り得ないと私は
考えております。むしろ、
政党あるいは人の力がだんだん浸透することによって、
政党が人をしぼることによって、
候補者が少くなり、
死票が減少するのではないか、年をとるとともに、むしろいい結果になるのじゃないかという
考え方をいたしております。
それから、
新人の
進出の
機会がなくなる
欠点があるという御
意見もございます。これは、
社会党にしても、あるいは
自由民主党にしても、大いに
考えなければならぬが、むしろ
保守系においてこの問題は特に
考えなければならぬ問題である。
時代に適応した
人材を出さねばならぬ。三木さんも
政党を若返らすと大いに言っておりますが、
時代時代において、若い人、若い人を、新しい
人材を折々入れていくことこそ、やはり
時代に適応した
政党として活発に活動ができると思うのです。そういう点から申しましても、大てい、今までの
選挙では、どういう
立場であっても、三割ないし四割の人は、
地方選挙でもまた中央の
選挙でも落選があるのが実情でございます。従って、必ずしも新しい人というのは全然皆無というわけではないのです。ことに、
政党がそれぞれ
公認の場合に、すべての観点を考慮して、そうしてその人を選んでいって新しい
時代を作っていく、
政党が永久に生命を持続しようということになれば、従って、こんな問題はそれぞれの
政党でも研究するということになれば、
新人の開く道というものはおのずから解決できるものと、さように私は
考えておる次第であります。
それから、第二点の
区割りの問題でございます。これはだいぶん各
方面でもいろいろ
論議がございますし、
新聞その他の論調でも、いい悪い
——最初はだいぶん
調査会案に向って風当りが注がれていたようでありますが、それからだんだん変って、今では
政府案にだいぶ肩がわりして、何か
調査会案は正常化されたような感じを思わせるような節があるのでありますが、いずれにいたしましてもいろいろ
論議があって、それぞれの
候補者なりあるいは現
議員の方との間に、いろいろ
区割りをすることについて、あそこはこうしておれに都合を悪くしたのだろう、あそこを割ったからおれをどうというように、それは議論すればおそらくは解決ができない。私は、この問題について万人の賛成するような
結論を出すということは、神様でもおそらくはちょっと困難ではなかろうか、さように
考えておるほどむずかしい問題でございまするが、しかし、私の知っておる範囲においては
——私は郷里が
徳島でございます。
東京、
徳島その他の問題についていろいろ
新聞で書かれておるようですが、私は
自分の知らないことをここで申し上げるわけにもいきませんが、その問題に対する
東京都と
徳島県との例を見ますと、
東京都は、各
方面の
意見を聞いてみましても、大体まあまあこれならというところである。まあまあこれならという程度ならば、まあがまんしなければならぬというところでございます。
ただ
調査会案と
政府案とは多少違いがございます。
世田谷区のようなところは、これはむしろ今までの
人口の比率が一万票ばかり違っていたのに、今度五千票ばかり
お互いに何して差を減少したという点から申しまするならば、いずれにしても、同じ区内を二つに分割する場合に、そういう問題が起るのはやむを得ない。従って、むしろ適正なような結果に相なっておると思います。
それから、
江戸川区の問題でありますが、これらも、やはり、
地方事情を十分に勘案されている
政府案の方が、むしろ
江戸川区を行政区一
区画としたという
点等についても、いろいろの
意見を聞いてみますと、いろいろ
論議もあるけれども、これの方がむしろ
調査会案よりいいではないか、というような
考えを持っておる方が相当あると
考えられるのであります。
それから、非常に
話題になっておるのは
品川の二人区であります。これが相当
話題になって、
最初は
荏原地区と伊豆七島の間の四万くらいの
人口が
一緒になるという問題が
調査会案として出たのですが、大体
調査会案はどうしても一人一区で割り切ろうというところに、各
方面でもいろいろな無理が幾らか出ておるように私は聞いておる。一人一区ということになると少し無理で、しかも
人口を調節しながら一区に割りつけようということになると、この問題においては多少の無理というものが生ずるのです。それであるから、こういう
矛盾を二人区にして緩和するという方法によって、このはなはだしい
欠点を補うという
考え方は、それぞれ人によって
考え方があります。どうでも一人一区に片づけた方がよかろうという
見解を持つ人もありましょうし、いや、そういうはなはだしい
矛盾のあるところは緩和したらよかろうというように
考える人もございましょうし、それぞれの
見解はございましょうけれども、その区民の強い要望その他の
関係等も勘案しますれば、これはときと場合とによって二人区を持つということが、むしろ適当な場合がないでもないと思います。かりに
品川区の人人に商わせると、
荏原地区と島を
一緒にして、その
両方のまん中に
品川区の
本所管内を一区にし、その土地を越えて海を隔てて向うの島と手を組んで一区にするのは
矛盾ではないか、常識的にもどうも適当でないという議論が起るのは、地方の区民の感情から申しましても当然起り得ると思います。そういう点から勘案して、どっちにしてもむずかしいから三人一区で円満に片づけろということで、
結論に相なったのかとも思いますが、いずれにいたしましても、そういう特殊な事情のあるものに対しては、まあそれもいい
考えではないかというふうな
結論を出しているのですが、そういう点で、
東京都におきましては、大体の点は
——それはこまかいことを一々申しますれば
論議がありましょう。何か一部
反対をしているのは、千代田区だけでやれという申し合せをして、この
委員会に要求したという話もちょっと聞きました。しかし、千代田区だけでは十二万で、十九万の標準と同じにやらせろという感情を承認するということは、第三者の正しい批判としてはとうていだめだということは常識的にわかることであって、他の行政
区画のものを幾らか調整して一区にすることが適当ではないかと思われます。
それから、私は生まれが
徳島県でありますが、
徳島県の例にいたしましても、二区、三区が少し動いております。板野郡と阿波郡を
調査会案と違えて
一緒に二区に入れておりますが、これは適当だと思う。
調査会案では、阿波郡を三区の麻植郡、名東郡、名西郡というところへ持っていきましたが、かつて私も
徳島県で
選挙をしたことがありますけれども、あの広い吉野川を隔てて川の向うということになると、大水が出てどうにもならぬで困ることもあり、大へん不便があるのです。それを阿波郡を二区へつけて、勝浦郡を三区の方へつけましたが、勝浦郡なら名東、名西郡と地続きで、こうすれば現在私の知る範囲における
徳島県の情勢から申しましても、
調査会案よりは
政府案の方がむしろ適切な
考え方をされているというふうに
考えております。
こういう点から、その他の問題についてもいろいろ
論議がありましょう。私も
新聞などではいろいろ聞いておりますが、
新聞でもこれはだれだれの党略のためにという御
意見を聞きますと、話を聞くと、
新聞で見るともっともなような点もありますけれども、これは実際的に見ていないのですから、私がここで
論議を申し上げることでございませんが、いずれにしても、
皆さん方で、こういう不合理な点がございますれば、
委員会でどうか一つ
——われわれも議会人でございますが、議会で、
委員会においてこの問題を十分検討して、そうして慎重審議いたされまして、それを合理化されるということもけっこうです。しかし、小
選挙区制という問題だけはすみやかにこの問題を解決して、前に私が申しますような事情におきましても、早く実施できるような
機会を得ることが、非常にわれわれ地方行政に携わる者として望ましいことだ、かように
考えておる次第でございます。
それから、
選挙運動等の
改正事項についての問題の
意見、これは幾つもございますけれども、一番問題になっておるのは、立会演説を廃止したということでございます。これは、立会演説ということは、理論的に
考えると非常にもっともな
意見で、一堂に違った
政党の
意見を聞いて、そうしてそれに対する正しい判断をするという観点から申しますれば、これはもう時間的に申しましても、また聞く
選挙民の
立場から申しましても、時間が節約される。
お互いに便利な
立場にあるのです。ところが、従来の例に見ましても、なかなかそれが理想
通りいかない、こういう例が多いのです。ことにこれが小
選挙区になって一つ一つの
候補者ということになると、
選挙者の方でもだんだん熱がかかってくるということになるから、
演説会場に行ってもヤジ隊を
お互いに繰り出して、双方が乱戦をして、まるで、第二者として静かに聞きたいと思う者は、何が何だかわからぬというような
結論になる場合が往々にしてあるのです。この間の産経ホールの両党の討論会に私はちょっと何しましたが、双方で大へん
意見ががたがたと盛んに討論いたしまして、聞こうと思っても聞かれなかったという例が多いので、こういうことは、
激戦になるということによって
お互いに力を入れていこう、これはやむを得ない情勢でありますが、そういうことによって、双方の間におけるところの議論を正しく静かに
お互いに聞いてみて、その判断を
——両
政党の大事なことであります
政党の
政策が入るか入らぬか、それを
国民が理解するかしないかという問題になりますれば、あらゆる観点から幾人かの者が幾らもこの
方面から説き起して、そうしてその本人に、十分に納得するだけの議論をさせる
機会を与えなければ、ほんとうに何か
一般選挙足と
政党というものが直結しない。ただ、与えられた時間において、ちょこちょこと、これは時間がありませんからこの程度でというような程度でなく、一人の見方と幾人かの見方を十分にそれぞれの角度から
選挙民に吹き込む、そういうことによって、その観点が十分に
——政党の主義
政策というものは十分に説いても現在でさえわからぬのですから、これをさらにこまかく説いて、そうして
選挙民と
候補者、それと
政党というものが
お互いに血の通うような、ほんとうに
政党政治の確立をされるということが、私の最も望ましいことだと思うのであります。
以上、簡単でございますけれども、私の
経験を一応申し上げまして、そうして
皆さん方の御理解を得るならば、まことに幸いであり、また
委員会における私の申し上げることが他山の石として御参考に賜われば、なお幸いと思います。どうかよろしくお願いいたします。ありがとうございました。(拍手)