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1956-04-11 第24回国会 衆議院 公職選挙法改正に関する調査特別委員会 第16号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十一年四月十一日(水曜日)     午前十一時九分開議  出席委員    委員長 小澤佐重喜君    理事 青木  正君 理事 大村 清一君    理事 淵上房太郎君 理事 松澤 雄藏君    理事 山村新治郎君 理事 井堀 繁雄君    理事 島上善五郎君       相川 勝六君    臼井 莊一君       加藤 高藏君    菅  太郎君       椎名  隆君    田中 龍夫君       中垣 國男君    二階堂 進君       福井 順一君    藤枝 泉介君       古川 丈吉君    堀内 一雄君       三田村武夫君    森   清君       山本 勝市君    山本 正一君       佐竹 晴記君    鈴木 義男君       竹谷源太郎君    滝井 義高君       中村 高一君    原   茂君       武藤運十郎君    森 三樹二君       山下 榮二君    山田 長司君       川上 貫一君  出席国務大臣         国 務 大 臣 太田 正孝君  出席政府委員         法制局次長   高辻 正巳君         自治政務次官  早川  崇君         自治庁次長   鈴木 俊一君         総理府事務官         (自治庁選挙部         長)      兼子 秀夫君  委員外出席者         法制局参事官         (長官総務室主         幹)      山内 一夫君         総理府事務官         (自治庁選挙部         選挙課長)   皆川 迪夫君         衆議院法制局参         事         (第一部長)  三浦 義男君     ――――――――――――― 四月十一日  委員山本利壽君辞任につき、その補欠として堀  内一雄君が議長の指名で委員に選任された。     ――――――――――――― 本日の会議に付した案件  公職選挙法の一部を改正する法律案内閣提出  第一三九号)  政治資金規正法の一部を改正する法律案中村  高一君外五名提出衆法第二一号)  公職選挙法の一部を改正する法律家中村高一  君外四名提出衆法第一二号)     ―――――――――――――
  2. 小澤佐重喜

    小澤委員長 これより会議を開きます。  内閣提出公職選挙法の一部を改正する法律案中村高一君外三名提出政治資金規正法の一部を改正する法律案中村高一君外四名提出公職選挙法の一部を改正する法律案、以上三案を一括議題といたします。  質疑を継続いたします。佐竹晴記君。
  3. 佐竹晴記

    佐竹(晴)委員 前会に引き続いて、質問をいたします。御承知の通り、前会までに、一事再議の問題が重大となっておりまして、私どもからしばしばこれを主張し、昨日は参考人を呼んでその意見を聴取したのでありますが、その結果は、ほとんど決定的に、一事再議原則に反する、違法のものであるという結論に達したと考えます。政府は、この際、この法案を撤回する意思はございませんか。
  4. 太田正孝

    太田国務大臣 昨日参考人学者先生お話があったことは、私は出席しませんでしたが承わりました。果して言つた意味が違法であると断定されたかということについては、私は疑義を持っております。問題は、憲法にないことを条理判断によってやるのでございますから、私の条理判断としては、この前から申し上げました通り、小選挙区制という新たなる目的、趣意によって作つたものでありまして、一事再議原則に反するものでない。従って撤回するような考えはございません。
  5. 佐竹晴記

    佐竹(晴)委員 この問題については、私ども社会党といたしましては、とうていこの程度で大臣の御所見を承認するわけには参りません。強く一事再議の問題をさらに取り上げて、その結論を求めたいと存じますが、本日はこれと並行いたしまして、過日私が質問をいたしました点について、その質疑を進めて参りたいと思います。しかし私が質疑を続けることは、この一事再議抗議を放棄し、ないしは緩和する意味では断じてございません。訴訟においても、妨訴抗弁提出いたしますとともに、他面本案の答弁をなし、並行して審議することは、条理上当然認められているところであります。私の質疑は、今回の小選挙制採用は、二大政党制確立並びに政局安定にあるというような根本的理由は認められない、従って当然撤回すべきではないかという趣意でございまして、一事再議抗議とともに表裏一体をなし、原案を撤回すべきであるとの見地に立っての質疑でありますから、この際私どものこの態度を明らかにし、質疑の続行をいたしたいと存ずるものであります。  政府は、小選挙区制は、二大政党維持育成と政局安定のためだと申しますが、事実はそうではないと思います。二大政党対立なつたのに乗じまして、与党のために小選挙区制の武器を与え、多数見たる与党をさらに増大強化して、保守永久政権をねらうところの党利党略であると見なければなりません。世論もほとんど多数がさように見ております。もしそうでないというならば、不純でないという根拠を、この際明確にされたいと思います。
  6. 太田正孝

    太田国務大臣 お言葉のように、条理判断におきましての一事再議原則については、先ほど申した通りでございます。また内容的に、二大政党発展のために、政局安定のために、この法案を出したということにつきましては、これまた私再三申し上げた通りでございます。私は、理論的に見ましても、二大政党発展のために、この制度が乱取もいいものだと信じております。ただ佐竹委員のおつしやいます党利党略であるとか、あるいは永久政権をねらうとかいうような問題につきましては、私の申し上げることでもございませんし、総理からたびたび言われている通り、断じてさようなものではないのでございます。
  7. 佐竹晴記

    佐竹(晴)委員 不純でないというならば、その根拠を明確にすべきだ。私どもをして納得せしめるだけの答弁をいただくことのできませんことは、はなはだ遺憾であります。二大政党維持育成のためというならば、均衡を得た二大政党を育成することを要します。従って、二大政党のどちらにも公平に保護を加えなければなりません。果して与党、野党のために公平な考慮がなされているかどうかというのであります。申すまでもなく、与党並びに与党議員のためには極端なゲリマンダーが行われ、社会党並びにその議員のために何らの考慮が払われておりません。いな社会党をいかにしてたたきつけるか、社会党議員をいかにしてたたき落すかということについてのみ、あらゆる画策が行われているのではありませんか。もしも社会党のためにも公平に考慮を加えたというのであったならば、その具体的事例をお示し願いたい。
  8. 太田正孝

    太田国務大臣 両党が均衡を得たときにこそ小選挙制度をしくべしという第一の御質問でございましたが、そういう場合に、何をするのにも小選挙区制がいいし、二大政党均衡の力を持っていくのにも小選挙区制がいい。これは申すまでもないのでありますが、一般学者といいますか、政治関係を持っている人はさように信じております。第二に、社会党をつぶすためにゲリマンダーによる区割りをした、これは一般が認めるところである、こういうお話でございますが、区割りそのものにつきましては、私がこの前申しました通り、甲の何がし、乙の何がしが何党に属するという意味区割りをする場合と、客観的情勢によりまして、地理人情行政沿革等によってやる場合とあります。この点について御質問がありましたならば、政府客観的情勢を主として作つたものであつて、甲乙の党員をねらいとしてやつたものではない、かように申し上げるほかないのでございます。
  9. 佐竹晴記

    佐竹(晴)委員 総理大臣は、二大政党確立のためには、両者の政策近似性のあることが必要であると申しました。社会党イデオロギーが違うので困る、改心してもらわなければならぬとおつしやいました。しかして、共立講堂演説では、憲法改正のためには、自由民主党が三分の二以上を占めることを要し、社会党勢力を三分の一以下に減殺しなければならぬと仰せられました。この総理大臣考え方は、全く与党勢力をさらに増大強化し、社会党をたたきつけることのみを考えていることが一見明白であります。太田国務大臣も、この総理大臣意思に反してこの小選挙制案を通過させない、というのではありますまい。社会党イデオロギーが違うので困る、社会党との二大政党対立ではいけない、結局社会党を排撃するということに帰着いたします。これまさに与党独裁専制党利党略を露骨に示したものといわなければなりません。二大政党育成強化など全く考えていないのではありませんか。
  10. 太田正孝

    太田国務大臣 国策につきまして、また政策につきまして、両方が接近することのいい場合を総理は言われたのでございます。私もそう思います。たとえてみれば、一つの問題について、積極的な考えを持っている政党がある。他方に消極的な考えを持っているものがある。その積極、消極が二つあったときに、また合うようになるところに、この小選挙制度を手段としての政局安定のねらいがあるのである。こういう意味であろうと思います。たとえてみれば、ある政党と他の政党が非常に離れた意見を持っている場合においては、接近いたしません。けれども世間普通に言われる通り保守党にもう少し進歩性がほしい、あるいは革新党にもっと実行性がほしい――私は世間批判そのものを申し上げるのですが、保守党がかような意味において進歩性を持ってくる、あるいは革新党世間の言うごとくであるなら、実行性を持ってきたときに、二つの政党は接近してくると思うのです。これこそ日本の将来のために、また日本政党発展のために好ましいことであるというのが総理大臣考え方であると私は信じておるのでございます。
  11. 佐竹晴記

    佐竹(晴)委員 自民党が行き詰まつたならば、社会党天下を渡す。社会党天下が行き詰まつたならば、自民党に渡す。この問にスムーズに政権授受が行われるようになってこそ、初めて政策近似性ができる。ただ自民党だけが大きくなっていく、社会党をたたきのめして独裁専制を試みるところに、どこに政策近似性があり得るでありましようか。
  12. 太田正孝

    太田国務大臣 選挙に臨みまして、弔の政党、乙の政党が論争いたします。国民の目は、甲の政党が行き詰まつた場合に、乙の政党に行くべきことを考えておるのが常識だろうと思うのです。従って、乙の政党も次の政権のために実行し得る案をお出しになっていくので、決して混乱は起りませず、二大政党対立して、甲の政党行き詰まれば乙へ行く、乙の政党行き詰まれば甲へ行く。かくのごときことを国民自体が信じておればこそ、二大政党転換の妙味があると私は思うのでございます。
  13. 佐竹晴記

    佐竹(晴)委員 その戦いのためには、正しいルールが必要である。正しい土俵が必要である。あなたの御都合のいいだけのルール作つてみたり、あなたの御都合のための土俵作つてみて、それで絶対多数を占めようとする、そんなところに、ゲリマンダー、サラマンダー、太田マンダーをやつていて、どこに一体公平なる二大政党育成強化があり得ましょうか。あなたが日の先でどのようなことを仰せられましても、私どもはとうてい承服できません。もしあなたがほんとうに誠実を持っておるといたしまするならば、百の弁解より一つ実行にしくはないのであります。もし真に党利党略でないというならば、たつた一つでもよろしい、その誠実の現われというものをわれわれに示さなくてはならない。たとえば、選挙に直接関係のある政府与党が案を立てると、必ず党利党略のそしりを免れません。さればこそ選挙制度調査会なるものを作つて、直接に利害関係のない学識経験者をしてこれに当らしめたではありませんか。その調査会意見をそのまま受け入れてこそ、初めてそこに公明さがはっきりと世間に示されるのであります。政府与党がこれをすなおに受け入れずに、これに手を加えたこと自体が、事のいかんにかかわらず、党利党略と見られて何の弁解の余地がございましょう。何がゆえに調査会答申をすなおに受け入れることができなかったか、これを水わりたい。
  14. 太田正孝

    太田国務大臣 佐竹委員のお言葉は拝聴いたしました。党利党略であるかないかという問題は、イギリスにおきましても――たいてい記憶は違わぬつもりでございますが、先般来られたモリソンが、労働党内閣におきまして、区画割りを変更しました。そのときに、チャーチル保守党が、労働党に対して言つたその例が、ゲリマンダーという言葉のはやつた理由でございます。その結果として、わずか労働党は勝つたという沿革も持っております。ゲリマンダーという言葉を非常にはやらしたのは、チャーチル保守党労働党に対する攻撃、でありましたが、その同じような意味におきまして、今回の政府の出しました案はゲリマンダーじゃないか、その証拠には、委員会の案を本心に受け入れなかった、こういうお言葉でございます。区画割りというものは、さきにも申しました通り客観的情勢を主としてやるのだが、その地勢人日、経済の判断は、非常にむずかしいのでございます。委員のお方々努力をなさいましたことは感謝いたしますが、その判断におきまして誤まりがないとは言えないと思う。ことに問題が、理論的の問題――税制調査会等におきましては理屈できまっていく問題ですが、事実を判断する場合において、人だれか見落しなからんやということは、当然の帰結だろうと思います。しかして、私ども案そのものがまたいいか悪いかは、国会の御判断を仰ぐのでございますが、ただ、選挙制度調査会の出したものが全部いいかというと、すでに案を作る途中においても社会党方々が指摘されたことくに、ミスもあったのです札幌等における事件は、御指摘の通りでございました。その後におきまして、その地方に詳しい人もあるし、また非常に違つた人口があるのにこれをくつつけておるとか、この交通路はないとか、それぞれのお話を聞いてみますると、全部が全部いれなければならぬということは、普通の理論的の制度調査会と違いまして、実態をとらえて判断する場合でございまするから、人おのおの見方がございましょう。「雲さまざま富士に姿はなかりけり」、富士山に変りはないが、雲のかかり方によって変り方があるごとくに(「ごまかすな」と呼ぶ者あり)――私はごまかすのではなく、この判断につきまして、全部が全部取り入れたならば、果してよいか悪いかということは、提案者としては十分考えなければならぬところでございます。私は、こういう意味におきましていたしたので、故意に、党利党略をもってこの判断をいたしたのじやございません。
  15. 佐竹晴記

    佐竹(晴)委員 大臣が本会議提案理由を説明するに当つて答申のうち、選挙区の約半数はそのままに採用したと御説明をなさいますや、爆笑、冷笑を買つたではありませんか。半分受け入れを御自慢のように言われるか、しかし、あとの半分は私利私党のためにいじりましたとしか聞えなかったのであります。これでは国民は承服はいたしません。李下の冠、瓜田くつとか申しますが、政府与党は、李下に冠を正さずどころか、スモモの枝を曲げ、これを折りとつた。瓜田くつを入れずどころか、ウリ畑を踏みにじり、荒し回つた。これでは国民が信頼いたしません。公明正大を期するために調査会を作り、その答申を得た以上、よしやそれに不備があろうとも、これをそのまま受け入れてこそ、その精神が貫かれると思うのであります。かりに答申不備があったにせよ、その不偏を修正することよりも、すなおに受け入れて、公正無私態度を貫くことが、より重要であるべきは論を待ちません。何がゆえにその公明なる態度を堅持することができなかったのでありましょう。
  16. 太田正孝

    太田国務大臣 委員会答申不備があつてもというお言葉がございましたが、私は、不備があったものは直さなければならぬと思います。提案著たる以上は、どこまでも公正に客観的情勢判断してやらなければならぬと思います。しかして、二百六十が半分になるということは、これは数字でございまして、四百九十七のうち二百六十、過半数であるのをその数字的根拠に置きまして、私は半分以上と申したのでございますが、それを笑われるということは、数字を笑われたのでございます。事実におきまして、半分であったということは、御了解願えると存じます。また、残つたものにつきまして筆を入れる理由がありまするならば、これこそ公正のために、実際に合わせるためにすることである。そのうちの一つは二人区でございました。また、地勢関係交通関係等におきまして、直さなければならぬ点がございましたならば、一カ所直すと、ほかに移るのは当然のことでございます。幾何上の線は、一本しかないのでない。これはどなたも考えられるところであろうと思います。自分立場からいろいろの御判断もございましょうが、私は、委員会努力は買うけれども、これをもって、公正でない、あるいは不備だと思う点を直したのでございます。
  17. 佐竹晴記

    佐竹(晴)委員 選挙制度調査会は、政府責任において、政府より任命いたしました学識経験者をもって組織いたしております。その答申に、あなたのおっしゃるがごとく、受け入れることのできない不備があったといたしますならば、それは、とりもなおさず政府自身責任であります。(発言する者多し)問題にならないような答申しかようしないような調査会作つた責任は、政府にあると思いますが、いかがですか。
  18. 太田正孝

    太田国務大臣 学識経験者をお願いいたしまして、今回の法案を作るにつきましては、十分取り入れております。その方法につきまして、もちろん意見迷つた点がございまして、社会党のお方々が御非難なさいます連座制の問題についても、もっとやるべきではないかというような議論もございますが、私どもとしては、取り入れる点は相当取り入れたのであります。この点につきまして私は抗弁申し上げるのでなく、その責任と申しますが、選ぶ責任もこちらにあります。また出たものにつきまして、悪い点と信じたものまでとるという責任は、収府の方にない、私はかように考えるのでございます。
  19. 佐竹晴記

    佐竹(晴)委員 政府がとうてい受け入れることのでき参ない不備答申案しかようしないような調査会を作りましたとしたら、何といっても政府責任です。しかし、調査会の作りました答申なるものは、一応受け入れ得るものと見たければなりません。世間みなそう見ておるのであります。ただあなた方の党利党略立場より、都合が悪くて党内でてんやわんやお騒ぎになり、その他いろいろなことが考慮されて、それに修正が加えられたのは、これはもう天下公知の事実であります。あなたがいかに口をすっぱくして弁解をいたしましても、公平なる国民はだれ一人それを信用しないでありましょう。現に調査会のメンバーであり、小選挙制案に賛成し、積極的にその成案に協力して参りました方々までが、答申無視を憤慨し、政府与党態度、は全く党利党略であると烙印を押しておるではありませんか。  昨月二十三日、東京新聞主催座談会において、自民党選挙制度調査特別委員長川島正次郎君、社会党国会対策委員長勝間田清一君、選挙制度調査会委員、でありました矢部貞治博士出席をいたしまして、かように談話がかわされております。あなたと私とは、互いに立場が違うから、あるいはどういう言葉が出るかもわかりませんけれども、ここに公平な第三者の声なら信用できます、これを聞いてみましょう。主催者より、「政府与党調査会案を尊重していなかったようにいわれていますが、この点起草に当られた矢部さんいかがですか。」との問いに対し、矢部貞治氏は、「おっしやる通り一つ尊一軍はされておらずむしろ完全に無視されたような形です。」云々、「また区割りについては私はばからずも起草委員長に互選されたのですが、政治的圧力と戦うという決心を固めて、実際に圧力はなかったのですが、大体客観的な準則を設けまして、人口の分布、交通地勢人情というものも考慮して公正だと思われる区割りを作りました。調査会案には与党側から御批判があったのであります。学者たちが地図と市町村二野表を前にして機械的に作つた案だとか、あるいは地理、的条件にとらわれ過ぎているというような意見があったが、党略的な要素はないということで、私どもとしてはむしろそういう批評は本懐だと思ったのであります。」云々、「ところが、これと比べて、今度の政府案調査会答申を党の利益のために曲げたといったものではなく、むしろ区割り根本基準が全く違つていると私は思うのです。政府案客観的基準から考えていたというよりも、ひどく党略的なくさみが強く、与党の当選しやすいように私どもの案が全然修正されておりますし、それから二人区はわれわれはとらなかったのでありますけれども、二十ばかりの二人区が政府案の方では設けられてます。これはだれが考えましても、社会党が強過ぎて一人区ではなかなか与党に望みがないと思われるようなところとか、あるいは与党内の候補者の地盤がかち合つているところがどうも二人区のように思えるのです。また選挙運動についての連座制強化の問題や、取締りの問題、立会演説会の問題などもむしろ調査会の案と逆行しているところが多く、少くとも骨抜きにされているのです。」これまさにその真相を物語つたものではないでありましようか。あなたと私とは立場が違う。私は私の立場質問をする、あなたはあなたのいい御答弁をなさいましょう。与党はあなたに拍手を送るでありましょう。しかし、世論がどうなっているか、第三者はどう見ているか、公平な国民は、どうこの問題を解釈しておるか。政府は、与党拍手のみに耳を傾けるべきにあらずして、世論がいかにあるかということに深甚の注意を払うべきものであると考えます。この矢部さんの古葉は、間違つておるものとお考えでございましょうか。
  20. 太田正孝

    太田国務大臣 私は世論に耳を傾けろという御忠告は進んで拝承し、またこれを実行いたしたいと思っております。またかようなことでは政治の大道はいけないと思っております。しかしこの地勢が、この道路が、この交通がという判断につきましては、客観的の事実でございます。人は欺いても、富士山の高さは欺くことはできません。かような意味におきましての判断でございまして、矢部委員長が非常に御努力されましたことは感謝いたします。が、しかし社会党がどうの、自由民主党がどうのという御判断学者先年がなさつて判断につきましては、私は一応聞いてみたいと思います。  私自身学者先生についての感じを申し上げますと、昨年七月には、蝋山政道氏は、小選挙区制を非常に礼賛しておったのです。速記録にある通りでございます。しかるに、ことしになりましてから、蝋山政道氏は、小選挙区に対して反対意見を述べられております。私はよく知っている仲ですから 聞けばいいのではございますが、去年の七月からことしの三月の間に、蝋山さんが、一時は小選挙制度を非常に強く述べられたにかかわらず、情勢判断というような客観的事実は格別といたしまして、小選挙制度についての反対を述べられている。よく世間では問引きをして、下の方だけをとつて言いまするが、いかなる思想の経過においてこういうことになつたかという判断も必要であろうと思います。同時に、われわれが見るのは、われわれの目で見た、われわれの知識で知つた事実でございますが、客観的事実というものは、かような主観的判断によって、自分だけがいいということは、いかがなものでございましょうか。私は、かような意味におきまして、議論に終るかもしれませんが、佐竹委員の言われる通り世論を尊重いたします。しかし私たち立場も十分御了解を願つた上の国会の正当なる御判断をこそ期待する次第でございます。
  21. 佐竹晴記

    佐竹(晴)委員 調査会の小委員長である矢部博士のおっしゃることはどうだと聞きますと、これに答えないで、蝋山さんを引き合いに出して、他を顧みてごまかしたといわなければならぬ御答弁であります。何で真正面から御答弁なさいませんでしよう。しかも蝋山さんが思想の変化を来たしたなどとおつしやいますけれども、私どもの見るところ、蝋山さんの態度においていささかも思想の変化を来たしておるとは思われません。あの人は終始一貫、小選挙区制を堅持し、最後にただ小選挙区制に伴う死票の多いことを憂えて、西ドイツにおいて施行しておるところの例の比例代表の修正案を提出いたしまして、もってその不備を補おうとし、終始この小選挙制案をいかにして生かすかということについて、苦心をいたしておりましたことは、大臣も御承知の通りであります。どこに思想の変化がありますか。ごうまつもございません。ただ学者諸君があなた方にあいそをつかしたゆえんのものは、あなた方がこの小選挙制案を悪用して、自己の党利党略に用いようとしたために、学行各位があなた方と離れたものであることを、あなたはみずから省みなければならぬと思う。いかがでございましょうか。
  22. 太田正孝

    太田国務大臣 私は、矢部委員の御説も、また蝋山委員の御説も、今日の主張においてこれを批判しようと思いません。私は、客観的事実を批判するのは、今日実際の問題として国会に乗せられておる問題を、区割りならば地勢人情等についての皆様方の御判断、ここに尊き真あることと思うのです。こういう意味におきまして、ただいまお引き合いに出した蝋山さんのことですが、比例代表制を入れるということは、小選挙区ではございません。大選挙制度のもとにおいて最も効果が多いのです。お引き合いに出されましたドイツは、四百八十七名のうち半数を州選の人とし、一人が二票ずつ持っていて、半数に比例代表制をとつております。この結果がどうであるかということは、最もわれわれ注意しなければならぬので、小選手区に大選挙区を合せてやつたこの比例代表の結果が、今日ドイツにおける批判におきまして、政党の改革論が起つているという事実、また二つの政党でなくて、分裂されたる今日の、ドイツの情勢というものを考えますと――よその国のことを批判するのじやございません。われわれが日本に取り入れるべき小選挙制度として比例代表が入り得るかという実例として、入り得られないという判断のもとに、蝋山さんの意見も知っておつたのであります。言葉をかえて言えば、大選挙区比例代表というものはくつついておるのでございます。小選挙制度は、死票の点においては比例代表に劣る点ありといたしましても、佐竹委員が初めおつしやいました政局の安定のためには、小党分立しないためには、この制度こそ必要であるということでございます。私は、蝋山委員の七月の速記と、また三月になってのお言葉を読んだだけでございまして、これに何ら私意を差しはさんでおりません。かような意味におきまして、私は学者元生の御意見委員の方の御意見、実はこの間時間がありませんのでつい聞きませんでしたが、親友である御手洗辰雄君のテレビにおけるなにを見ましたが、どうも世間で言っているのと少し違う点があります。たとえば、立会演説につきましてのことも、立会演説をなぜ削つたかという批判を強くされておりました。同時に、立会演説を乱すものは社会党であると、はっきり言っておるのであります。私は彼の言つたことを取り扱つて言うのじやございませんか、いろいろそういう説がございます。それから、小選挙制度は絶対に必要だということも唱えられておるのでございます。これはテレビをもう一ぺん巻き返せば出ることでございますから、私がへ理屈をつけるわけじやございません。(「二人区はどうした。」と呼ぶ者あり)二人区につきましても、初めの小委員会のときにおきましては、二人区を作ることあるべしといっておつて起草委員の方で、これを排除して、厳格なる一人一区制にしたことは、これはまた速記に明らかなことであります。
  23. 佐竹晴記

    佐竹(晴)委員 蝋山さんの名誉のためにいま一言重ねておかなければならぬのでありますが、蝋山さんが思想の変化を来たしたとおっしゃることは、とうては承服することはできません。蝋山さんがもしこれをお聞きになつたら、さぞかし憤慨するでありましょう。政府がこれを信頼して、調査会に引き出してその協力を得ておいて、そして最後に修正案を出して政府に対して正当なる献言をすると、今日では、思想の変化を来たした、学者の言うことなんかは信用ならぬといわぬばかりの言葉を用いられるということは、もってのほかであると考えます。あなたは、いわゆる大選挙区というものと比例代表というものは不可分の関係にある、大選挙区でなければ比例代表というものはあり得ないという前提に立っておるようでありますが、小選挙区制に比例代表を応用して、死票を少なからしめることも一つの案であろうと思います。小選挙区制をどこまでも堅持し、その死票を少くして、小選挙区制をよりよきものにしようと蝋山さんが配慮をいたしましたことは、公知の事実だと思います。これさえも否定なさるのでありますか。
  24. 太田正孝

    太田国務大臣 私は蝋山君の言われる小選挙区に比例代表を入れた四百八十七名の今日の、ドイツの制度を認めております。私はこれはいかぬなんと言っておりません。ただ、ドイツの現状を日本に当てはめる場合にどうかといえば、この制度のもとに発展してきた選挙の結果、小党分立に近い結果を現わしたことを申し上げたので、蝋山君の学理上の理論とは、私も正面向つて議論もいたします。これは国会の問題ではございません、学者議論するのは当然でございます。私は決してこれを侮辱したり、また値打のないものなりとは申しません。議論なら議論、これは学界の問題でございます。私が今日政治の問題として申し上げているのは、できる限りにおきまして、委員会考えも取り入れてやつたのでございまして、ただこれを上から何でもかんでも蝋山君は反対したとか、矢部君は反対したとおっしゃるのは、非常に私の気持を知って下さらないお考え方かと存じます。
  25. 佐竹晴記

    佐竹(晴)委員 矢部先生にしても蝋山さんにしても、特にさように反抗したということを私は一言も申しておらぬ。世間もまたそうは見ておらぬ。ただ委員会のメンバーとして誠実に進言をしたのである。その誠実に進言をしたのをとらまえて、学者諸君というものはといったような言葉のもとに、思想の変化を云為いたしますがごときは、もってのほかであると言うのであります。大臣がいかに弁解をいたしましても、私どもは承服することができません。  先ほどあなたはイギリスの例をお引きになりました。それならば、私もこの点に触れてみましょう。イギリスのごときは、その選挙区の改訂はきわめて公正にして明朗、何ら弁解を要しない方法によっておりますることは言うまでもありません。イギリスの選挙区改訂は、下院議長を中心とする選挙改訂委員会が当つておりまするが、議長は、機長に就任と同時に党籍を離れ、しこうして終身その地位は保障され、選挙にも党派を超越いたしまして当選させられる慣習になっており、議長が立っておる間ば、その他の議員が立つことを許されず、乱闘騒ぎが起りましても、議長が立って、名誉ある紳士諸君、秩序ある言動を望みますと宣言いたしまするならば、たちまち騒ぎはおさまるというほど神聖的なものとされております。この議長のもとに、学識経験を備えた選挙改訂委員会で原案がきめられました上は、もちろん国会にかけられますが、与党も野党も自分たちの利害による修正は一切いたしません。これをそのまま通過せしむるのが不文律であります。日本のようにゲリマンダーなんかはやりません。他面、買収やその他選挙違反を犯した者には重刑が課せられ、長期にわたって選挙権、被選挙権が停止され、また連座の規定が厳重であり、また選挙費用の会計報告も、その真実であることを宣誓しなければ議席に着けないことになっており、その会計報告は、裁判所が厳重にこれを調査し、もし費用超過があるときは、向う十カ年間、被選挙権を停止するという工合に、選挙は厳粛に行われております。しこうして、モリソンさんがこちらへ来ておられるのでありますが、この間のお話によりましても、この改訂委員会できめるのは、きわめて数学的である、条理的である。あまりにも理論的である。よって政党としては非常に工合の悪いことが出てくる。出てくるけれども、あなたの言ういわゆる不備があつても決してこれを訂正しない。あなたの御指摘になつ労働党内閣の時分に一度少々ばかりいわゆる不備を合理的に改訂しようとすると、世論の反撃を受けて、これではいけないというので、自乗一切これを変えないことが不文律になっておるということであります。かように、選挙区画の問題でも、選挙運動でも、実に公明であればこそ、小選挙区制も円滑に運営ができておるのであります。ゆえに、選挙区制に党利党略の行われないこと、選挙運動に関する厳粛を期する諸規定は、小選挙制案と不可分の関係にあることは、これはもちろん私が申し上げるまでもない。小選挙制案立案の大前提でなければならぬと考えます。しかるに、今回のわが国の小選挙制案になるものはいかがでございましょう。せつかく第三者に頼んで、選挙制度調査会を組織してこれに諮問し、その答申を得ながら政府与党はこれを尊重せず、その選挙区割りをいじり回し、与党内部はてんやわんやでその調整にうき身をやつし、成案を得た後も、しばしば個人的利害によって修正が繰り返されておる。さらに法案提出後に至っても、なおかつこれを修正しようとしており、別個の安くが出てきているのではないか。これでも与党議員利害関係のない公正な態度だとあなたははっきり言い切ることができましようか。また選考の厳粛を期するために、諸規定を切り離し、次のなるべく早い機会に提案するなどと逃げを張られておりますがごときに、もってのほかであると思います。かような改正のもとにおいて、この小選挙百区制案を実施いたしまするならば、日本の議会政治は根底からくつがえされるに至りましょう。(拍手政府は、これでもなお憂いなしとおっしゃるでありましようか。なおこれを強行なさろうと言うでありましようか。
  26. 太田正孝

    太田国務大臣 お言葉は拝聴いたしました。イギリスの選挙のことも、お言葉通りのことだと思います。ただ、お言葉の中で、一九四七年のモリソン氏がおられたときのゲリマンダーということは、ゲリマンダーありということをチャーチル労働党に強く指摘したのです。しかしお言葉のように、チャーチルはこれでいいといって選挙に臨んで、たしか二十票ばかり負けておつたと記憶いたしております。こういう事実は、ゲリマンダーなしという事実じやなくて、それを忍んだという事実でございます。私はお言葉の点におきまして、何か全部私ども党利党略によってやつたという御判断についてのことにつきましては、政治は、イギリスと比較する場合でも、政治の進展、進歩の状況、国民性というものを考えなきやならず、結局いかなる判断も、最後に投票という国民判断によってこれがきまるのでございます。私は決してこれを自分よがりのような意見でもって申し上げるのじやございません。ほかの委員会と違いまして、客観的情勢をもって言うときに、これを寸法ではかったように、はっきりと、おのれによしということは、私は言えないと思います。ただ現状において、議会の英知により、議会の御判断によって、本法案がいいか思いかという御判断が生まれることと私は思うのです。世論はむろん尊重いたします。けれど、こういう幾何学上の線が一本じやなく何本も引けるような問題につきまして、主観的判断を離れての問題には、人さまざまの見方があることは、これは私認めていいことじゃないか、その点におきまして、当局として責任を負う政府提案になる場合におきまして、私ども判断を入れるのがむしろ正しいのではないか、かように考える次第であります。
  27. 佐竹晴記

    佐竹(晴)委員 どのように御弁解なさいましても、おそらく国民は信頼しないでしよう。私がこういう例を引きますと、あるいはお気にさわるかもわかりませんが、先ほど富士山に雲のかかったお話が出ましたので、私も一つ例を引いてみましょう。  バーナード・シヨーという例の有名な楓刺劇作家がおりました。その劇の中にこういうのが出ていると私は記憶をいたしております。舞台に一人のどろぼうが出てきた。彼は率直に、わが輩はどろぼうなり、ゆえに盗むと言つた。ところが一人の紳士が出てきた。その紳士いわく、わが輩は紳士なり、ゆえに直接手を下さず、うまい工合に法律を作つて、合法的にまるめ込むと言つた。合理的な説明を加えて、ひそかに自己の利益のために天下を私するほど、それほどおそるべきものは大いと私は考えます。世人はそのような誤解を持っておる。あなたは、世間のこういった誤解に対して、これを解かなければならぬ。そうでないと、この法律案がせつかくできましても、世間の誤解のもとに、完全にうまい運営はできないと思う。所見があるならば、承わりたいと考えます。
  28. 太田正孝

    太田国務大臣 私は、誠意をもちましてわれわれの案を御説明して、国会の英知により御判断がなされて、われわれの言うことを承認して下さることと信じております。     〔「休憩」と呼ぶ者あり〕
  29. 小澤佐重喜

    小澤委員長 佐竹君、区切りのいいところまでやつて下さい。
  30. 佐竹晴記

    佐竹(晴)委員 それでは、これでちようど今三分の一ばかりやりまして、今、区切りがよろしゅうございますから、なお午後ゆつくりやらしてもらいたいと思いますが、次の問題だけ提起しておきましょう。  今月の四日、当委員会において、私から、わが国ではすでに二回小選挙区制がしかれた。しかしその都度二大政党制をもたらしたことはありません。以来中小政党に分裂をし、あるいは与党独裁の政局安定に悪用されておるではないか、従って今回の小選挙区制をしいても、二大政党育成強化とはならずに、改心の安定もあり得ない。政局安定のために小選挙区制をしこうとするのは、根底から誤りではないかとお尋ねをいたしましたところ、太田国務大臣は、昔の小選挙区制と今回の小選挙区制とは全くその趣きを異にし、今回の改正は、全く新しい意味の小選挙区制である、昔の選挙は個人対個人であったが、今回は政党政党の争いである、従って政策本位の選挙戦を目標としたものである、ことに公認候補の制度を新たに選挙法て取り入れて、二大政党の一人しかない公認候補の対立となるから、選挙の結果は、そのいずれかが当選をして小党分立とはならない、従って今回の改正で政局安定を期することができるという趣旨の答弁でございました。この通り間違いないでありましようか、さらにここに確かめておきたいと思います。
  31. 太田正孝

    太田国務大臣 申し上げた通りでございます。
  32. 佐竹晴記

    佐竹(晴)委員 それでは、これに対して項を分けてお尋ねいたしますから、午後に一つお願いいたしましょう。
  33. 小澤佐重喜

    小澤委員長 この際暫時休憩いたします。     午後零時一分休憩      ――――◇―――――     午後二時二分開議
  34. 小澤佐重喜

    小澤委員長 休憩前に引き続き会議を開ます。  質疑を継続いたします。佐竹晴記君。
  35. 佐竹晴記

    佐竹(晴)委員 午前に引き続きましてお尋ねいたします。  昔の小選挙区制と今回の小選挙区制とは全くその趣きを異にし、今回の改正は新しい意味の小選挙区制である、昔の選挙は個人対個人であったが、今回は政党政党の争いであり、政策へ位の選挙戦であるので、これを百標とするところの今回の小選挙制案は全く新しい試みである、かようにおっしゃるのであります。しかし、昔の選挙は個人の争いである、今は政党の争いである、昔は人の争いである、今は政党の争いであるという工合に、そんなに簡単に割り切れるものではないと私は思います。まず、昔は個人の争い、今は政党の争いとおつしやいますが、昔の選挙つて政党の争いであったことは否定できないと思います。問題の大正八年の原内閣による小選挙区制実施と、これに基きます大正九年五月十日の総選挙については、よくお考えになればわかります通り、当時、政友会と憲政会、国民党、その他小会派の時代でありました。その政友会、憲政会がりつぱな政党であったことは、大臣もすでにお認めの通りであります。  こうして、大正九年選挙が政友会、憲政会のすさまじい政党の戦いでありましたことも、憲政史上疑いない事実であります。その結果、政友会は絶対過半数を獲得いたしまして、独裁専制体制を確立いたしました。これ決して個人本位の戦いではなく、政権確保のための政党戦であったことは、多言を待つまでもないと思います。大臣は、これでも、政党政党の戦いではなかった、個人と個人との争いであったとおっしゃるでございましょうか。
  36. 太田正孝

    太田国務大臣 佐竹委員にお答え申し上げます。  その当時におきまして、大正八年の小選挙区制改正によって九年の選挙がございましたが、もちろん党と党との戦いであり、またその当時と今日と対立するものが違うということも、この前申し上げました。ただ、選挙のやり方につきまして、たとえば、中選挙区下において三人あるとします場合と、小選挙区になって一人にした場合に、この前の選挙のときには、その区域で、一人だけでなく、ほかのお方も立ち得ることになっておりました。個人本位と私どもが使います言葉は、一人だけしか認めないというやり方でなく、同じ党の人が同じ区域内において争うというような結果が起りましたので、その当時の選挙のやり方と今度作ろうという選挙法とは、候補者も一人一区ということにきめました。あのときは一人一区ではございません。たくさんの方がお立ちになりました。また、政党運動そのものも、法規に画然たるものがなく、政党として当時の政友会、憲政会が争つたことは事実でありますけれども、今度は、政党といたしましてのいろいろな運動方式あるいは費用その他について当時と違っておる、選挙の方式が違う、公認の問題も違えば、運動も違う、かように申し上げた意味でございます。前に政党がないと申し上げたこともございませんし、私の言う意味は、個人本位と言いましたのは、個人の立場を認めつつ、小選挙区におきまして一人を公認するのではなくて、二人も三人も出られた、こういう点が違うという意味でございます。
  37. 佐竹晴記

    佐竹(晴)委員 私がお尋ねをしようとするのは、その公認問題へひつかけての点ではありませ。その点はあとでまたゆつくりお尋ねしようとするのであります。あなたが前提としておっしゃるところの、昔の選挙は個人本位である、今回は政党本位である、かような割り切つた、説明では、とても国民が納得するものではない、こういうのであります。昔は人の争い、今は政策の争いだと申しましても、大正九年の選挙でも、いやしくも政友会対憲政会対立時代であったことは、すでにお認めの通りでありまして、政党に主義政策のあるのは当然であります。選挙にその主義政策国民に訴えないわけはございません。今日のごとく資本主義か社会主義かのイデオロギーの対立ではございませず、保守党社会党かの対立でないことはもちろんでありますが、同じ資本主義の政党でありましても、三井を背景とするか、三菱を背景とするか、そのよって立つ基盤を異にし、その政策も積極政策であるか消極政策であるか、放漫政策か緊縮政策であるか等、互いに争うところの対立的なもののあったことは間違いないと思います。事実、大正九年選挙には、猛烈にその主義政策国民に訴えて、人と人との争いだけでなしに、政策政策との争いになりましたことは、否定することができないと思います。私は決して個人本位の戦いであったとは思いません。政党本位の戦いであり、原内閣が多数を得て政権を確保しようとするところの政党本位の戦いであったと考えますが、いかがでございましょう。
  38. 太田正孝

    太田国務大臣 お言葉通り意味におきましては、私は決して反対するものではございません。ただ、政友会なら政友会の政策のもとに、一人立たすか二人立たすかというところに、選挙のやり方につきましての大へんな差がある、かように申し上げたわけであります。
  39. 佐竹晴記

    佐竹(晴)委員 人と人との争いであるとか、政党政党との争いであるとか、あるいは政策政策の争いでもるというような言葉を用いますので、これはどうしても誤解を生じます。これをはっきりと釈明願つておかなければなりません。昔は、人と人との争いであると申しましても、この人と人との争いも、今日といえどもともに行われておることも否定できません。試みに、太田国務大臣がかりにおやめになって、御友人たり御親威なりの方を立候補させて、そうして大臣選挙区から自由民主党の公認候補として立候補させたといたしましても、大臣と少しも違わない得票を得るものとは思われません。私は断じて同様ではないと思います。候補者が進つたらまた必ず結果は違うと考えます。これは、今日の政党時代、政策対立時代でもまた否定することはできないと考えます。だから、昔は人の争い、今は政党政策の争いなぞと、さように簡単に片づけることはできないと思います。いわんや、こんな説明でもって、前の小選挙区制と今度の小選挙区制との間には全然意味の異なるものがあると言うことは、全く恨拠なきこれは独断であると考えますが、いかがでございましょう。
  40. 太田正孝

    太田国務大臣 今私を例に引いてお話になりましたが、私の属する政党で、私がやめたとした場合に、私の知っておるのがどういうふうに出るか、こういう問題は、党で一人をきめるのでございまして、ただいまの中選挙区のもとにおいても、たくさんの人が出ておりますが、小選挙区のもとで甲乙丙と何人も出ることになれば、これは個人本位ということを申し上げたのでございます。端的に申し上げまして、今の中選挙区のもとにおきましても、小選挙区に改正せずして選挙をいたしましたならば、やはり、混乱と申しますか、二大政党成立ということが完全にできるかどうかということを私は疑うのでございます。つまり、そういう意味において、小選挙区においては一人の人を選ぶ、こういうところに主力を置いているわけで、そのことを称して、私は今までの言葉を繰り返して申し上げた次第でございます。佐竹委員の言われる内容につきましては私は同じでございますが、私の目途とするところは、小選挙区下においても一人しか出さない。これは非常に大きな変更だろうと思います。今までのように何人も出すというところを私はとらえまして、個人本位ということを申し上げたので、看板そのものは一つでありましても、二人出る場合と一人出る場合とここに違いがあるということが、私が申し上げたい趣意でございます。初めからしまいまで、私は変らずにさように申し上げている次第であります。
  41. 佐竹晴記

    佐竹(晴)委員 その公認問題にからまつてのことは、ただいまも申し上げました通り、さらに掘り下げてお尋ねいたします。私のお尋ねしようというのは、昔は個人と個人との争いであった、今は政党政党との争いであるといったように、昔と今とそんなに載然区別があるものではない。昔から政党の争いというものがあった。あるいは多党が分立し、あるいは二大政党が昔でも対立しておった。それを、選挙区制をいじつたことによって、とても根底からくつがえし得るものではないという前提に立って、まずその前論であるところの政党政党の対立問題が昔もあったんだ、昔もあったではないかということを、あなたにお尋ねしておるのであります。
  42. 太田正孝

    太田国務大臣 一つ政党の旗を持ちまして二人の人が候補に立つ。候補ということを別にここに無理に取り入れるわけではございませんが、その意味において個人ということを申した。たとえば、ただいまの中選挙制度のもとにおいて、せつかくできたこの二大政党というものがいかなる形に出ていくか。たくさんの人が同じ旗じるしのもとに候補に立っていきます場合におきまして、今のような二大政党の形がうまくいくかということが、現実の問題になるわけでございます。私どもが、二大政党、せつかくできましたこのりつぱな政治方式というものを続けていきたい、それにはどうしても小選挙区を持ってくるがいいという意味も、私が申した今の個人本位ということがいけないので、政党でその区において一人という原則のもとにやつていきたい、かような意味で申し上げた次第でございます。
  43. 佐竹晴記

    佐竹(晴)委員 そういたしますと、冒頭に私のお尋ねいたしました、昔は個人本位だった、今度は政党政党の問題だといったようなお言葉は全く意義をなしません。あなたの今の説明は、結局その党の中における公認者を一人出すか出さぬかということに局限してのお話でありますから、それなら、それだけ御説明になって、終始一貫それを続けておられるならば、私があえてかような質問を発する必要はないのであります。  私は、さらに、いま少しく昔に返つて政党時代を考察してみたいと思います。昔、吏党と民党とがあったことを想起いたします。吏党とは藩閥官僚の党であり、民党とはこれに対抗する国民の党でありました。封建時代の遺物たる藩閥官憲に反抗する進歩的な国民が党ななして対抗した。この吏党と民党の争いは決して個人的なものではなく、組織的、団体的なものであったことは言うまでもありません。この争いのために、しばしば集団的、団体的な流血の惨さえも見ております。断じて個人的あるいは個人本位的な、あるいは個人的利害に出発をいたしました争いでなかったことは明らかであります。明治時代に政党の発達は封建的官憲に反発したことから始まりまして、国会開設となり、次第に進歩いたしまして、国民生活安定を基調とする主義、政策の争いとなり、この主義、政策の争いのもとに団結し、対抗し合つて参つたのであります。大正八年原内閣の小選挙区制実施時代には、すでに政党として相当に成熟し、主義、政策の争いの形態は十分に整っていたと見なければなりません。今日の改正が政党本位であり、政策中心であるが、原内閣時代のが個人的であるというがごときは、事実をはなはだしくしいるものでありまして、当時においてもりつぱに政党政党の、しかも主義主張の、政策の争いの存在いたしておりましたことは、ただいま大臣も一部肯定なさった通りであります。そういたしますならば、その当時すでに政党のよって立つ基盤というものがきまつており、社会情勢、経済情勢、政治情勢に基いて分止するものは分立し、対立するものは対立をいたしておったのであります。当時原内閣において小選挙区制をもってこれをいじりましても、その基盤であるところの政党政党の争いは何ら解消いたしておりません。そのまま残つておりましたことは、すでに大臣もこれはお認めの通りであろうと思います。いかがでございましょう。
  44. 太田正孝

    太田国務大臣 お言葉通り、政友、憲政時代がございましたけれども、そのままにおいていわゆる二大政党というものが立っていったかといえば、一方に新政党ができたという事実もございますが、そのときのようなやり方を今続けていきましたならば二大政党という形ができるかという一つの想像でございますが、原内閣のあのやり方の選挙方法でできるかという点につきまして、私どもは、小選挙区というものが、旗は一つであるが、一人しか持てないのだ、ここに私は非常な意味があると思います。しかも、政党はそれをどこまでも支持するのだ、ポスターでも演説会でも何でも、今までにない政党の力を表わしていくのだ、決して公認だけの問題ではございません。かくのごときことは、大正八年の選挙法に関して、大正九年の結果に現われた政党の争いというものはあったといっても、政党の旗を持つ人の個人性というものが非常に自由にされておつた。また、自由なるがゆえに、政党としても一人だけ支持するのでなく、二人立てば二人支持する。大へんな違いだと私は思います。これを私が御説明に申し上げたのでございまして、政党がなくなつたという意味じやありません。政党がそのままで行って二大政党の姿ができるかというところに、私の力を置いている意味があるのでございます。私は政党がないというようなことは申し上げませず、ただ、あの時分の対立状況と今日とは違う、保守の分裂した二大政党、今日は革新政党保守党との対立、こういうような意味において違つておる、かように申したのでございます。
  45. 佐竹晴記

    佐竹(晴)委員 太田国務大臣は、今町の小選挙区制は大正八年のそれとは趣を異にすると述べ、今回の改正では候補者の公認制度を法制化したということをあげておる。ただいまの御説明でも、これのみに終始一貫しておるものと見られます。すなわち、提案理由の説明においても、「小選挙区制のもとにおいては、同一選挙区において同一党派に属する候補者各個人が当選を相競うという欠点がなくなり、選挙はおのずから政党の掲ぐる施策を中心として相争われることとなります。従って、国民としては、選挙権の行使に当つて、簡明直截に政党の主張を判断することができるようになり、政策本位に立脚する真の政党政治の発達を促すことになるとともに、公明選挙の理想をも達成することができると信ずるのでございます。」とお述べになっておられます。これが、すなわち、大正八年の小選挙区制と今回の小選挙区制とはその趣きを異にするものである、今回のは新しい試みであるという御説明であろうと思いますが、さようでございますか。
  46. 太田正孝

    太田国務大臣 この表現につきましては、実は、先ほどお示しになりました調査会答申の第一項目に出ているので、それをそのままとつて入れた文句でございます。答申の第一平仄はここにあるのでございます。ただいま文章を読んでみましても、もし字を入れるならば、退学はおのずから政党の掲ぐる施策を中心として相争われるというのは、政党の掲げる施策を一人の人によって――二人区の場合は別ですが、原則の場合一人の人によって争われる、こういう意味になるのでございます。選挙制度調査会答申におきましても、「個人本位の現行選挙制度が実情に即しない点にかんがみ、政党中心の選挙に移行せしめるため次の規定を設けること。」これが退学制度の改革に関する意見として三月に発表したところの答申の第二のところに書いてある言葉でございまして、私はこういう意味で申し上げたのでございます。
  47. 佐竹晴記

    佐竹(晴)委員 公認問題を中心として新しい試みであるというお気持が終始一貫貫かれております。そこで、それならば、それについていま少しく掘り下げて、お尋ねをいたしてみます。  一体公認というのは何か。政府の公認ではありません。政党の公認であることは多言を要しないと思います。政党公認制度は今始まつたことではありません。大正八年のころも存在をいたしておりました。その公認はひっきょう党内の統制に関するものであります。これを法制化すること自体問題であります。これは過日も私述べておいたのでありますが、こういった党内の統制問題をこの選挙法へ持ってきて規律することそれ自体が間違いではないかと思いますが、これはしばらく不問に付するといたしまして、これを法制化するといなとにかかわらず、その公認の性質には何の影響もありません。すなわち、公認とは政党自身の党内における規律の問題であるからであります。公法的関係を持つものではないのです。それに選挙法という公法をもって効力を付しましても、公、そのものが本来政党という党内の規律問題である性質には何の変更もありません。その公認を法制化したのは、既成事実を確認したまでであつて、実質上新しい試みと言うことはできません。大正八年と今回の小選挙区との間において新しい試みができた、かような説明は、私どもはどうしても理解することはできません。いかがでございましょう。
  48. 太田正孝

    太田国務大臣 公認をいたします場合に、一選挙区一人という限定をいたします場合においては、大正八年のそういう制限のかかったときと非常な違いがあると私は思います。
  49. 佐竹晴記

    佐竹(晴)委員 大正八年の小選挙区制をしいた当時、当時の国務大臣床次竹二郎氏は、その小選挙制案提案理由説明において、次の通り述べております。「御互に選挙場裡に立って最も困難を感ずることは、同士打の弊害であります、」云々「殊に今日の制度に於ては、名は成程大選挙区でありますけれども、共実際に於ては議員候補に立つ者は各々根拠地を擁し、所謂私設の選挙区を設けて、此選挙場裡に立つと云うことは実際であります、議論の善悪は措いて、此事実は即ち我国の選挙制度なるものが、小選挙区たらざるべからずと云ふことを、事実に於て証明致して居るものであります、殊に大選挙区たるが為めに吾々はそれぞれ私設選挙区を設けると雖も、単にそれは私設の縄張たるに過ぎざるが為めに、全県下を優乱して、前申す如く同じ味方でありながら、投票の奪ひ合をして居ると云ふ有様で、是等は最も選挙界を廓清するに於ては、注意しなければならぬ事柄と考へたのであります、」云々とあります。これが当時認められて、その法律案が成立いたしましたことはその通りであります。よって、これを見るに、大正八年の改正は、大選挙区制では公認候補が数人出てお互いに同士打ちをする、それはいけないわゆる私設選挙区ごとに区割りをして、小選挙区制にし、この区で、一人の公認候補を立て、その候補以外にはその区から他の候補が出られないことにし、同士打ちを防ごうというのであります。今回の改正ごうというのであります。今回の改正とごうも異なっていないと考えます。いかがでございしましょう。
  50. 太田正孝

    太田国務大臣 いわゆる地盤をもちましてそれの区割りをしていくという意味におきまして、同じような考えは出ると思いますが、法制におきまして一区一人以上出さぬとはっきりきめておる点におきしましては、大正八年と違っておるように存じます。
  51. 佐竹晴記

    佐竹(晴)委員 一体どこが逢つておるのです。私は今またこれを繰り返して読みませんが、同士打ちをしては困る。だから事実上選挙区割りを私設選挙区というもので区割りしておる。その区からほかの人が出られぬようにするのだ。これを法制化しようというので、大正八年にそれを法制化した。それが当時におけるところの小選挙区制であった。今日とどこが違いますか。
  52. 太田正孝

    太田国務大臣 一人一区でほかに出さぬというようなことは、法制化されておらぬ。この意味は、そうせずしてやつていけるというのと、法制でこれをきめるという点に違いがあるように私は思います。床次竹二郎氏の説明は、そういうように私は読んでおります。また事実もそうであったと思います。
  53. 佐竹晴記

    佐竹(晴)委員 それだけではないでしよう。あなたの言いたいのは、今回は公認候補以外に同一党から同一党名を使用して立候補することができないようにしたから、これが新しい試みだと逃げようとするのでありましょう。それ以外は前と異なっておりません。あなたがどんなに口をすつぱくして説明しましても、われわれとうてい納得することができないところである。ところが、この同一党から同一党名を使用して立候補することができないということが新しい試みであるかどうか、検討しなければなりません。昔の場合といえども、公認候補を立てて、その候補一本で戦つてしるのに、非公認ができたといたしますると、党内統制を乱るものといたしまして、これを除名し、もって公認候補一本、同士打ち排除の目的を逃してきたことは事実であります。これ全く党内統制の問題であるからであります。それでよろしい。党内統制の問題でよろしい。これにまたそれを法制化してちよつぴり効力を加えたからといって、根底問題が何も新しい試みになるわけはござしません。前の小選挙区制と今度の小選挙区制と、その目的、趣旨、根底において、何の異なるところがない。昔は、そういったときに、ただ、同一党内において非公認が出た場合には、これを除名して、そうしてこれに対して党名を使用せしむることができないようにした。ところが、今度は、その非公認候補が出ようといたしますると、その同一所属にあることを認めておりながら、ただ党名を用いることができないと、そこに、何と申しますか、単にごまかし的な規定を設けただけであります。もしその党で非公認が出ても放任しておこうということならば、それでもよろしい。それは、党内のことであるから、自由に放任しておいてよろしいのであります。そうしちやいけないということになつたら、これは除名したらいいのです。これは党内の自由にまかしてよろしい。かくて、公認候補制確立、他党の候補者と一対一で戦わせる改正が行われた。今回の改正とごうもその趣旨、目的において異なるところはなかったと私は思うのであります。いかがでありましようか。
  54. 太田正孝

    太田国務大臣 法律でこれをきめたときめないとでは、非常な私は差があると思います。自由に党内の調整だけでいける場合と、どこまでも厳格なる一人一区制を支持していこうという原則を持つ場合とは、私は、やり力において違っておる、また法律の考え方も違っておる、こういうふうに思います。
  55. 佐竹晴記

    佐竹(晴)委員 大臣どうでしよう。きょうは制度に対する議論をしておるのです。そうしてこの小選挙区制と大正八年当時の小選手区制と――そのときに床次さんが先ほど言つたように論戦をいたしまして、それが通つておる。今度の場合と目的、趣旨何も異なりません。ただちよつぴり非公認候補に名前を用いることができぬようにした。その当時は、それを党内統制にまかしておいた。事実はやはりその通りつていた。今回はその既成事実をただ一部分法制化したというにすぎません。根底にどこが違つておりますか。
  56. 太田正孝

    太田国務大臣 私は、公認を確固たる法律の基礎に置くということと、政党が運動していくことと、それから選挙運動費用に関する点などは、当時においては何もなかったと思います。りつぱに政党の統制ができたといえば、また佐竹委員の行われるお言葉もございましょうが、その後におきまして、すべての小選挙区がうまくいかず、中選挙なつた経過を見ましても、やはりこういう点はきちつときめていくがいい。ことに、公認だけでなく、政党の費用でございますとか、運動の方式とか、政治活動でなく、選挙運動というものにこれだけの力を入れていくということは、私は大正八年の制度とは違つておる、かように申し上げたいのであります。
  57. 佐竹晴記

    佐竹(晴)委員 制度制度の問題が、どこが変つておりますか。そんな詭弁は弄しない方がよろしい。今回の改正で、非公認で出る者はその党名を用いることができないということにいたしましたが、そうすると、党に所属する者が党の所属を明らかにすることができないということになって、昨日この席で中村参考人が指摘いたしました通り、これはまさに政治的自由を侵犯する憲法違反であるといわなければなりません。たとえば、共産党に属する者が、共産党でないように名乗りを上げなければならないということになります。共産党に所属している者でも、共産党員ではあるけれども、共産党の主義、政策をもって立つけれども、その党の名前を用いることができぬ。共産党にあらざるがごとき態度を示して世間に訴えなければならぬ。うそをついて立候補せよということなんです。そういうことを法制化しまして、一体それで制度の変更があった、昔とは違う新しい試みであるなどとは、とんでもないことである。これは全く政治的自由を侵犯いたしますところの憲法違反の無効の規定であると存じますが、かりに一歩を譲つてこれを許すといたしますならば、今言うがごとく、党名を隠して――その主義、政策は言ってもいいが、その党名だけは隠して、虚偽の、その党人でありながら、党人であることを隠して立候補することを命じたところの規定であります。そんなばかげたことがどこにありましようか。それは全く党内統制の問題でありますから、そういったような場合においては、党の統制に服しない者は党内において除名すべきであります。その上にその党名を名乗つてはいけないということにしなければ筋道が立ちません。しかるに、党内統制問題、そうして党の規律に反した者を除名することをしないで、それを法制化することなしに、党に所属することを認めて、しかもそれを隠して立候補しなければならぬことを法制化しているこの規定が、いかに矛盾しているかということは、多く申し上げるまでもないと思います。かような不合理きわまる憲法違反の規定を設けたからといって、これをたてに大正八年の改正とは趣きを異にするなどとは、もってのほかであります。かくて、大正八年の改正と今回の改正とは、その根本において私は異なっていないと思う。しかして、大正八年改正の結果は、決して二党制をもたらしておりません。多党制となり、また政友会独裁となつたことは、御承知の通りであります。二大政党育成強化に何の役にも立っておりません。今回あなたがちよつぴりとその法律上の効力を認め、非公認候補の立候補に対して罰則を与えるような規定を設けたからといって、それでもって直ちに二大政党制の育成、強化になるなどということは、とんでもない議論ではないかと思いますが、いかがですか。
  58. 太田正孝

    太田国務大臣 甲の政党におきまして、一人を公認したら、公認されざる者は脱党するのが筋でございましょう。またそれに服しない者がありましたならば、党としては除名するというような考え方が起るべきだと思います。しかしながら、選挙において候補者が立候補するのに、非常にわずかの一時間においてこの問題をき参めなければならぬというようなときに、これはどうしたらいいか、また選挙民は、果して公認であるかまた公認でないかということを知らなければなりませんから、在日のこれを定めておらなかったときと違いまして、除名になるか脱党するか、しかも選挙民はこれをどう判断するか、一つ選挙区に一人を出そうという重大なる意味を持っているこの選挙制度におきましては、党へ入るとか党を出るとかいうことは個人の憲法上の自由でありますけれども、この大きな選挙制度を改正するに当りまして、それだけの保護をするということは、私としては必要なことであると存じます。  法律の解釈につきましては法制局方面からお答え申し上げることにいたします。
  59. 佐竹晴記

    佐竹(晴)委員 私は、その技術的な問題でなしに、もっと根本的なものを聞いておきましょう。ここに共産党の党員があるといたしましょう。主義政策を持っております。公認はされぬけれども、共産党の主義政策を持って立候補したといたします。主義政策は述べることができる。しかし党名は名乗ることができない。共産党の名を隠して互になければならぬ。共産党の主義政策を持つ者が、おれは共産党員であるということを名乗つて運動することは政治的自由でございましょう。それを禁止することは、政治的自由を奪うものではありませんか。
  60. 太田正孝

    太田国務大臣 ちゃんときまつた名前の、日本共産党なら日本共産党という名前の問題と、共産党主義を標榜する場合と、片一方は具体的な政党候補者であり、片一方は共産主義――たとえば、もっと広く自由主義とかあるいは社会主義というような意味において、政党に属せざる者がやる場合とは、私は別に考えていいのじゃないか、具体的に共産党の人として立つか立たないかという問題であろうと思います。
  61. 佐竹晴記

    佐竹(晴)委員 とんでもないことだと思います。共産主義を順奉しておる人が、共産党に人党をして所属をいたします。そうして自分がかくのごとき主義、主張を持っておるということを天下に訴える。しかし、そのときに、僕は共産党員である、そうして共産党の掲げる主義政策はこれこれである、私は諸君にこれを訴えるということを選挙においてやれないようにするということは、これ明らかに憲法の認めたところの政治的自由を剥奪するものである、明らかに憲法違反であると考えるのでありますが、いかがでございますか。
  62. 早川崇

    ○早川政府委員 共産党と名乗つちやいかぬというのは、公認候補は共産党が出しておる場合でございまして、ここに、公認の共産党員がありながら、共産党と名乗るのはいかない。しかし、正式に文書その他で共産党と名乗らないで、しかも党がその人を除名しないで立候補するという場合にまで罰則をつけるということは、あまりにもひどいではないか、それは党内の問題だからというので、その場合は罰則をつけなかったのであります。従って、公認候補がない場合に共産党と名乗り、主義、主張を唱える、それは自由であるということでございますので、誤解のないように……。
  63. 佐竹晴記

    佐竹(晴)委員 公認候補ができたならば他の者を犯罪視することが、これは憲法に保障されたる政治的自由の権利を奪うものにならないかというのです。
  64. 早川崇

    ○早川政府委員 このたびは政党本位の小選挙法案でありまするから、公認候補という制度を認める以上、公認された者が文書あるいは立て看板において党を名乗ることはむろん必要なことである。政党政治発達のために必要である。しかし、立候補しちやいかぬということになりますと、これはもうむろん憲法にかかりますが、そういうルールのもとでやるということは、私は決して憲法違反にならないと考えております。
  65. 佐竹晴記

    佐竹(晴)委員 ついにお認めになりました。公認候補が出ておつても、他の者が出ることは、これは憲法上保証されたる政治的自由である、やれるという。ただ、公認候補がある場合には、一方は出せられるということになる、こうでしよう。罰するということは、罰則でもってこれを禁止することが憲法違反になりはしないかというのです。すなわち、公認候補が出た場合に、これに対抗する者が非公認で出たときは、党内の統制規律でもってこれを除名すべきである。しこうして、党名を名乗ることができぬ者が党名を名乗つたときに、初めてあなたがこれを取り上げて罰則を付することができる。その党内において、党名を名乗つて宣伝してよろしいということを認めておるのにかかわらず、あなた方が、それを取り上げて、その憲法上保障されたる政治上の権利をあなた方が巻き上げるとは、これは一体何事ですか。
  66. 鈴木俊一

    鈴木(俊)政府委員 ただいまの御指摘の点でございますが、小選挙区でございますから、ある政党が一人の候補者を立てまして、その候補者政党の公認の候補者になる。その場合に、その政党に属する他の者がその政党の統制に服さずして立候補する。この立候補は全然自由でございます。一切の罰則とか、そういう問題とは関係がないのであります。ただ、立候補いたしましたその者が、さらに党に所属をしておるということを公けにして運動するということになりますと、その政党は一人しか当選できないのに、二人候補を立てておるという事実を出すことになりまするから、これはやはりその政党の健全な発達をはかるために適当でない。これは別の政党の場合におきましても同様でございまして、要するに、小選挙区制におきましては、公認候補者以外の者が同一政党から出ることは、政党全体の健全なる発達のために好ましくないということで、こういう規定を設けた次第でございまして、そういうことが全体の選挙の秩序、政党の健全な発達を維持いたしますために必要であるというので、こういう規定を設けたのであります。
  67. 佐竹晴記

    佐竹(晴)委員 党に所属する者が、その党から公認候補として出る者があつても、また他に非公認でも立候補することは許されることは、あなたはお認めになりました。そのときに、党に所属しておる者が、党を名乗る――というよりも、党に所属しておる以上は、うそをつくわけには参らぬでしよう。選挙法には何と書いてあるのですか。虚偽のことを言つたら罰するという規定がありましょう。その規定はどうなりますか、一体。
  68. 鈴木俊一

    鈴木(俊)政府委員 要するに、政党の所属員であるにもかかわらず、政党の統制に服さずして立候補いたしました場合に、その者を政党が除名いたしまするか、あるいは自分を公認しないような政党に所属することをいさぎよしとせずして、みずから脱党をいたすか、そのいずれかをとるのが当然の筋だろうと思うのであります。しかし、実際の場合におきまして、短かい期間のことでもございまするしいたしまするので、本人が脱党せず、あるいは党が除名しない、こういう実際上の問題が起るであろうということを予想いたしまして、そのような場合には、やはり法律上はっきりと基礎を定めました方が、政党の公認制度を維持し、従って政党の健全な発達を持ち来たらすために必要であるというのが、政府案の改正の理由でございまして、そういう公共の目的と申しますか、必要上制限をしたわけであります。
  69. 佐竹晴記

    佐竹(晴)委員 公共の必要のためには、うそを育つてもよろしい、他の罰則にひつかかってもよろしいなどということがどうして言えますか。同じ選挙法の中で肩書きを偽わることはできません。共産党なら共産党に所属しております者が、共産党に所属しておらぬかのごとく欺瞞をして立つことは許されません。これは他に罰則があります。経歴詐称です。(「労働組合でも経歴詐称は除名だ」と呼ぶ者あり)労働組合百でも今言っておる通りです。一体、その通り経歴あるいは肩き詐称、つまり虚偽の事項を天下に流布することを、あなたが奨励するためにこの法律を作つたんだというのでありましたら、これは驚くべき改悪であります。いかがでありますか。
  70. 鈴木俊一

    鈴木(俊)政府委員 決してそういうお話のような意味ではないわけでございまして、政党に所属していないのに所属しておるというようなこと、公認候補者でないのに公認候補であるというようなことを表明をいたしまして選挙運動をいたしますことは、虚偽事項の公表ということになりまして、御指摘のごとく罰則がかかるわけでございますが、今回の場合は、その政党に所属しておるという事実を公けにしてはいけないというだけでございまして、そのために特別の規定を設けまして、またそれに応ずる罰則の規定を書いておるわけでございますから、今の虚偽事項の公表雅の規定は、この場合は適用はないと私ども考えておるわけでございます。
  71. 佐竹晴記

    佐竹(晴)委員 あなたは、党に公認候補があつても、他に非公認でも立つことは政治的自由であつて、これは押えることはできぬということはお認めになつた。そうすれば、除名されぬ限り、その党に所属いたしておりますことを天下に公表する以外に、方法はないじやありませんか。
  72. 鈴木俊一

    鈴木(俊)政府委員 先ほど来申し上げておりますように、そういう制度上の建前を作つておきますことが、政党の健全な発達のために必要であると考えておるわけでございますが、もしその本人になりますならば、みずから、そのようへ自分を公認しない党に属することはいさぎよしとせずということで脱党をすることが、本来の筋であります。党もまた、党制によって、これを除名することが本来の筋であろうと思うのでございます。
  73. 佐竹晴記

    佐竹(晴)委員 いやしくも公共の利益なんという大きなことをおっしゃるならば、うそをついて、経歴の詐称して、選挙をやるなどということを奨励するような法律を作るということは、とんでもないことであります。私はそもそもこれは大臣に聞いておつた。だんだんしまいの方に行つたら――次長なぞ事務当局は、いざとなつたら責任を負いはせぬでしよう。責任を負わないようなあなた方から幾らそのようなことを答弁されても、私は承服することはできません。大臣いかがですか。
  74. 太田正孝

    太田国務大臣 同僚の言われた通りでございまして、加えることはございません。私が最初に申し上げました通り政治の筋でいけば、党の方で除名するか、また本人が脱党するか、これが筋でございましょう。しかしそういうことを短時間にやれない場合が、選挙候補者確定の当座においてはあることでございまして、しかもかような事柄を選挙民そのものにもはっきりしなければならぬ場合が十分考えられますので、それを次長がお答え申し上げたことと思います。私はそういう意味におきまして、政党政治候補者を選ぶ方式としては、今同僚からわれた言葉そのものが、私の申し上げたい言葉でございます。
  75. 川上貫一

    ○川上委員 簡単に関連質問いたします。関連でありますから、ごく簡単でありますが、政党本位が必要だから、これが一つ理由政党の健全なる発達上必要だから、これが第二の理由、こういう理由憲法で保障されてある国民の基本的権利を否認してもよいかどうか、これをお聞きいたします。
  76. 太田正孝

    太田国務大臣 憲法上の国民の権利を侵害しているとは思いません。
  77. 川上貫一

    ○川上委員 政党支持の自由、国民政治に参加する自由、立候補する自由、これは憲法に保障されている。ところが、この法によると、候補者の問題については佐竹委員がいろいろ言われましたが、それと同じように、ある政党に所属している者は、その政党から候補者がある場合には、ほかの候補者を支持してはならぬという規定がある。これには罰がついている。これは明らかに政党支持の自由の原則を否認しております。だれを支持しようと、自分の党に候補者があろうとあるまいと、あつてもほかの人を支持しようと、それは国民個人の自由なんです。これは憲法で保障されている基本的人権です。それを選挙法によって犯罪にする。これが憲法違反にどうしてならないかという点です。
  78. 太田正孝

    太田国務大臣 お互いに政党に入る自由はもちろん持っております。しかして、政党の規律に服するということは政党に入つた者の当然の道と思いまして、これは何ら本人に対する自由の制限ではないと思います。しかしてその政党が一人を出そう、こういうときに、それに反するようなことをした場合におきまして、これを制限するということは、決して政治の自由を制限したものとは私は考えません。
  79. 川上貫一

    ○川上委員 それはちつとも法律を知らぬ答弁です。また憲法の精神を知らない。政治道徳上の問題と、政党内部における規律の問題と、基本的人権の問題を混同してはいけない。憲法に保障されたるものは、これを認めた上で、選挙法などを作らなければならぬ。逆に、選挙の便宜上、いろいろな理屈をつけて基本的人権を否認するということは、明らかに憲法違反でありますから、これが憲法違反でないという法律的な根拠一つはっきり言うてもらいたい。
  80. 鈴木俊一

    鈴木(俊)政府委員 今の点、いろいろ御質疑でございますが、私どもといたしましては、各個人が立候補する自由は何ら制限をいたしておりません。ただ特定の政党に所属しております場合に、その政党からは、公認制度によりましてすでに候補者が出ている、こういう場合におきまして、その公認制度を、法律上の裏打ちをもって今回は定めよう、こういうわけでございますから、その公認制度の効果を維持いたしますためには、このような規定を設けることがどうしても必要である、そういうふうなことを設けることが、全体の政党政治の健全な発展の上に必要である、こういうことで設けたわけでございます。要するに、政党の純然たる内部規律にまかしておいていいようなことにおきましても、たとえばアメリカにおきましても、御承知のごとく、直接予選の制度でもって候補者を定める、これを州法で定めている。その他候補者を定めます場合の手続を、それぞれ国法のところまで高めていって、法律の規定といたしているという例はないわけではないのであります。従って、この場合におきましても、規定を設けて私どもは一向差しつかえないのではないかと考えているのであります。
  81. 川上貫一

    ○川上委員 私の質問にちっとも答弁をしない。私のは簡単なんです。政党本位が必要だ、政党の健全な発達が必要だ、この理由によって、基本的人権を承認することができるかということを聞いている。ほかに理由があるのか、理由は二つしかないのじゃないか、この二つの理由憲法に保障された人権を否応することが、どうして憲法違反にならぬのか、これだけを聞いている。ほかのことを答弁して下さらぬでよろしい。これに対する明確なる答弁をしていただきたい。
  82. 太田正孝

    太田国務大臣 その政治の自由を否認しているものではないと私は思います。ただいま自治庁の言われている通り選挙につきまして、政党立場をはっきりさせるという意味におきまして定めるということは、決して個人の政治上の自由を否認するものでないと私は思います。
  83. 川上貫一

    ○川上委員 答弁も、そういうむちやた答弁なつちやいかぬと思います。政府は良心的な答弁をしなくちやいかぬ。ちつとも本人の政治活動の自由を制限しておりはせぬという意味答弁ですけれども、ある政党に属している者が、その政党を名乗ることができない。公認候補にしようとしまいと、そんなことは政党の自由であり、本人の自由なんです。こういうことによって、本木的人権が否認されるものではない。ところが、これはちつとも人権を否認してはおらぬという観念論じや困る。抽象論じや困る。こうこうこういう法的根拠によって、人権を否認しておらぬということをはつまり言うて下さい。しろうとの答弁のようなことじやだめなんです。ここは大事な国会て、法理上の問題を論議しておる。私は政治論を言うておるのじゃない、法理論を言うておる。だから、これに応じて答えをしてもらいたい。私はこう思うというような答弁ではだめだ。
  84. 太田正孝

    太田国務大臣 非公認候補者の運動に対しましては、罰則は設けておらないのでございます。
  85. 川上貫一

    ○川上委員 罰則のことを聞いておるのじゃないのです。政党に属しておる者が、その政党名を名乗ることができないとちゃんと書いてある。さらに特定の政党に属しておる者は、自分候補者のある選挙区では、他の候補者を支持することはできないと書いてある。何でこんなことが許されるのか。支持しようが支持しまいが自由です。これは憲法において保障されておる基本的人権です。これがどうして憲法違反にならぬかということを、法理論的にはっきりしなさい。
  86. 鈴木俊一

    鈴木(俊)政府委員 ただいまの制度が、基本的人権を侵害しておるかどうかということでございますが、その点は、どの点について侵害していると仰せになるのでございますか、はっきり伺いたいと思います。
  87. 川上貫一

    ○川上委員 逆質問か。国民は、参政の権利、政党支持の自由の権利、立候補する権利を持っております。これは憲法に保障されたる基本的人権です。これはわかりますか。これに異議がありますか。
  88. 鈴木俊一

    鈴木(俊)政府委員 憲法のどの条文に立候補する、自由を持つという権利が規定してございますでしょうか、はっきりと一つお願いいたします。
  89. 川上貫一

    ○川上委員 特定の政党に所属する者は、その政党候補者がある場合には、ほかの者を支持してはならぬとあるのです。さらに特定の政党候補者は、公認たると非公認たるとは別です、ある条件のもとにおいては、自分が所属した党員であるということを言うちやならぬということになっておる。これは、自由の否認じやありませんか。言おうが言うまいが勝手です。これは基本的人権です。それを、公認候補がある場合に、非公認で立っていいか悪いかということは政党の問題で、これは佐竹君がりつぱに論証しておる。政治道徳上の問題であり、法がこういう理由で基本的人権を否認することはできないというのが私の理論です。その差しつかえないんだということを言うてもらいたい。
  90. 鈴木俊一

    鈴木(俊)政府委員 先ほど来申し上げておりまするように、今、御指摘のような自由でございますが、これは一般的に、憲法においていろいろな条項で規定されておるという前提でお答え申し上げますると、要するに当該政党に所属しておるのにかかわらず、公認候補者にならなかった者は、その党名を名乗つて運動することができないということでございまするから、その者は脱退の自由があるわけでございます。脱退の自由をなくしておきまして、しかもなお党名を名乗ることができないということでございまするならば、あるいは御心配のような点に、権利を侵害しておるというような問題が起るかもしれませんが、その人に対しては、党を脱党いたしますならば、全く自由に活動ができるわけでございます。そういうようなことを規定しなければならないということが、やはり政党の健全な発達のために必要であると考えたからでございます。
  91. 川上貫一

    ○川上委員 私は関連質問ですから、お互いのルールは守りたいから、あまり時間はとりたくない。この問題については、政府答弁をしておりませんから、私はこれは留保しておぎます。徹底的にこれは私は質問したいと思います。太田長官の答弁答弁になっておらない。ことに法律の方の専門家の答弁もさつぱりいかぬ。これはまるでむちやくちやや。そんなことじや絶対に承知しませんから、この問題については、あなたの方も十分法文を調べ、先例を調べておいてもらいたい。私は関連ですからこれで打ち切ります。
  92. 佐竹晴記

    佐竹(晴)委員 この問題は、憲法にも根拠がありますし、先ほどまた太田長官は、非公認の候補者が立候補した場合に、その党名を名乗つても、これを処罰する規定はないといったようなことをおっしゃっておりますが、これは全然間違いであります。まことに無責任な御答弁を拝承いたしまして、遺憾のきわみであります。私は与えられた時間がだんだん迫つて参りますので、その点はなお後日ゆつくりと論ずることにいたしまして、さらに質問を、進めて参ることにいたします。  そこで大臣にお尋ねをいたしますが、もし逆に、今回の公認制度を法制化されなかったといたしましたならば、いかがなるでありましようか。この公認制度を明文化せずに小選挙区制をしいたといたしましたならば、どうでありましょう。この公認制の明文がなくとも、小選挙区制がしかれた以上は、その一区から、一人以上公認しないであろうことは当然であります。この公認候補に対し、非公認がかりに出たといたしますならば、党内において、これを除名して、統制をはかるでありましょう。しかし、その党がこれをあえて欲しないで、除名しないで置いておくということをその政党が認めておるのに、何ゆえに政府が強権を発動いたしまして、それに罰則を与えて、その政党の内部の規律の問題に干渉してくるのでありましようか。いかに二大政党育成強化と申しましても、かように政党内部の自律規定にまで干渉し、強権発動をするというがごときは、断じてあるべきことではなく、これは政党それ自体に対する干渉であります。もしその党名を使用いたしまして運動をすることを欲しない政党があったといたしましたならば、その党名を利用して運動する者を除名すればそれでいいのでありまして、こういう規定を設けずとも、その結論は一緒になります。しかもこういう規定を設けることは、ただいま申し上げまするがごとま憲法違反の疑いがありまするのみならず、政党に対する干渉になります。従って、小選挙区制をしいて、そして今言つたような非公認の問題等について干渉規定を置かないでも、二大政党育成強化については、決して異ならない結果になるし、その政党が欲しないことまでも、政府が強権をもってその内部に干渉する必要は断じてないと考えますが、いかがでございましょうか
  93. 太田正孝

    太田国務大臣 先ほど私が、非公認候補者の運動に対して罰則云々と申しましたが、二百一条の三の第四項に関係した問題と考えましたので、前の文句を落して申し上げたのでございまして、それに対しては罰則は設けていないと申し上げたのでございます。  今の問題は、公認されないと、党は除名するし、また本人は脱党すべし、これがスムーズにいくものならば大した問題ではございません。しかし、除名ということは、その党人にとりましての非常に大きな問題でございまして、またかりに今の実態をごらん下さいましても、何の何がしを除名するといって、すぐその日にきまつていくというようなことはございません。私の短かい政治生活でございますが、除名というものはなかなか手続もかかりますし、日数も要します。また、脱党もそれがすぐ聞き届けられるやどうかという問題があります。だから私は最初のときから申し上げました通り、公認されない場合におきましては、除名するか脱党するかという問題が起るけれども、こういうことのきまるのは、候補者をどうするかという非常に迫つた場合でございます。その事実を考えてみますと、また選挙民としては、ほんとうにどうなつたか、はっきりした選挙意識を待ちたいのでございますから、そういうことを再三私は申し上げまして、かよう規定を設けたと申し上げた次第であります。
  94. 佐竹晴記

    佐竹(晴)委員 もし党が公認しないときには、この候補者は市川においては公認をいたしません、党として認めることのできない候補者でありますということを、天下に宣言する程度でけつこうじやありませんか。もしも非公認の候補者のために災いされて他の公認候補がぐらつくような、そんな公認候補ではだめです。もし過去にあるがごとく、一部の公認候補が特別な方法によって公認されて、力のある人がふるい落されて、非公認候補で立つた者が堂々と当選してくるような事態があったといたしますならば、それはその党の幹部が悪いのです。私は自然の姿を自然のままに認めたらよろしいと思う。党内規制の問題は、あくまで党内規制の問題としてよろしいと思う。こういったことについて、党がみずからその党の自律規定を働かせようとしないのにかかわらず、ここにこうした選挙法をもって罰則を加えて、強制しようとするがごときは、政党自身を侮辱するものであると私は思います。政党というものは、それほど御厄介になりませんでも、選挙法よりも先に政党ができ、政党が発達してぎておるのです。そういった罰則規定によって、政党の生命があるいは伸びたり縮まつたり、それが大へんなことであるかのごとく御議論をなさいますことは、政党に対する侮辱であります。断じて私はそういう議論では承服することができません。大正八年、原内閣によるところの小選挙区実施は、大政友会育成強化にあったことはおおうべくもない事実であります。小選挙区制が多数党に有利であることは、昔も今も変るところはありません。原内閣は、この原理の上に立って小選考区制をしき、絶対過半数を確保して、独裁政治を強行いたしました。今回の場合とどこが違うでありましようか。真に二大政党維持育成を目録といたしますならば、勢力均衡、二大政党を公平に保護育成しなければならないことは、るる申し上げた通りである。原内閣の目的は、そうではなくして、憲政会をたたきつけて、政友会絶対優勢をはかろうとし、独裁的永久政権をねらつたことは、もう史上明らかなところであります。今回の政府提出の小選挙制案とまさにその趣旨を一にし、その軌を一にするものであると私は考える。従って、原内閣時代における大正八年の小選挙区制改正の提案と今回の政府提出案とは、一体どこに相違があるか、その政治情勢において、その目的において、趣旨において、こうも私は異なるものでないと思う。ただ、あなたの言う通り、公認制問題なんかをちよつぴりきめて、それがあたかも全部であるかのごとくごらんになって、それでもって新しい試みである、前の大正八年のときとは相違があるなんと御説明なさいますことは、これは枝葉末節の議論をもって根本をくつがえすものである、角をためて牛を殺すたぐいであると私は思う。いかがでありましようか。
  95. 太田正孝

    太田国務大臣 私は政党を侮辱するような考えは持っておりません。政党がほんとうに、すべて心配なくいく場合には、法なきとにしかずと思います。罰則を設けずは、選挙民に買収を受けるものがあるというようなことは考えたくない。私は法律をそういうものと考え、なるべく少いがいいと思います。ただ現実におきまして、今までの選挙において、公認されざる者がいかなる党に関係を持つたか、国民が自由にそれを当選させた者もあるじゃないかというお言葉でございますが、この第二の問題と関連をいたしまして、どうしても二大政党が立っていく上において、政党本位にやっていくという事柄が、ここに規制する問題まで起つたのでございまして、政党を侮辱するなんというような考えは毛頭持っておりません。また、罰則まで設けて、国民の投票を買うとか売るとかいうようなことを考えることも、また決して国民を侮辱した考えでないと同じように、私は政党についても感じております。百原内閣のときの選挙法と今日と違つておるという事実は、区割りは同じでございましょう、区割りのやり方は違つておりますが、事実は、区割りをするということにおいては同じでございます。しかし、その当時において、これだけ強い政党というものを意識されたる法制のもとにあの選挙が行われたかというと、私は非常に違つておると、繰り返し申し上げる次第でございます。
  96. 佐竹晴記

    佐竹(晴)委員 昭和二十二年の選挙法の改正のときに、今の委員長の小澤さんなどと、実は血を流して争いを続けた。(「だれと流した」と呼ぶ者あり)その相手は、ここに一人おりますが、これらの連中と盛んにやつて、たたかれもせぬのに包帯をして、告訴をしたりせられて、大いに迷惑したのでありますが、(「うそをつけ」と呼ぶ者あり)うそをつけどころではない。うそをついて告訴しよつたが、われわれは問題にしなかったではないか。そこで、どうでしよう、そのときにあなた方は野望を持って、多数をもって押し切つた、押し切つたその直後何が出てきたか。社会党政権が出てきたじゃないか。どうです。今回、太田さんは今度の小選挙区制改正法案を出して、二大政党確立を目ざしておやりになっておりますが、この選挙法を強行した後に、おそらく公認せられなかった連中は、また徒党をなして第三党を作つて、小党分立の姿がさらに出てくるのでありましょう。おそらくあなたの党もまた割れるような結果になりはしないかと思いますか、それは人のことでございますからここでは心配はいたしません。いたしませんが、あなたの言うところの二大政党対立、政局安定を目ざすこの法律というものは、あんまり無理をなさいますと、また無理をした結果が現われて、あなたのお考えの、公共のためというのとは違うような結果が生まれはしないかと思う。いかがでありますか。
  97. 太田正孝

    太田国務大臣 御忠告ありがたく承わりました。もちろん政党の英知によりまして、今日の政党に欠陥があるならば、また不満な点があるならば、たとえば組織におきまして、あるいは政策の研究においてありますならば、それを改めていくことと思います。過去のその例をもって、今後生々発展すべきこの政党の力というものを私は軽く見たくないと思うのでございます。
  98. 佐竹晴記

    佐竹(晴)委員 二大政党制は、小選挙区制によってはできるものではないと思います。これはすでに日本の歴史が証明しております。二大政党制ができたのは、常に離合集散の結果であります。選挙の結果ではなくて、選挙された議員が、政権争奪その他の利害関係に基いて、離合集散をした結果であります。大臣、いかがでございますか。
  99. 太田正孝

    太田国務大臣 むろん選挙の結果以外の離合集散は別でございます。佐竹委員日本沿革について言われましたが、私は二大政党をうまく作つていくためにも、小選挙制度がいいと信じております。何となれば、もしこのままにして中選挙制度でやりましたならば、結局今までのような結果にまたあと戻りするのではないか、せつかく保守党社会党とがかようにまとまつたものが、今の選挙をまた行なつたならば、しかも政党の英知が働かなかったならば、必ず悪い結果が起るでございましょう。これは断定し得るのじゃないかと思うのです。従って、せっかくできたこの二大政党対立の形を、総理大臣の言われた育成の意味におきましても、また再び小党分立にならぬようにするためにも、しかも日本だけというお言葉でございましたが、われわれが小選挙制度においてりっぱに成功を示しておるイギリスの姿をながめてみましても、私はこれによることが二大政党の対立をりっぱにさしていく、むろん政党発展なく、英知がなかったならば、これは別問題でございますが、われらここに国民のために政治をりっばなものにしていきたいという考えのもとに、あるいは組織に、あるいは政策に、だんだん改めるべきは改めていって、その上にこの制度が働きかけるということになれば、両者相持って、りっぱな政治が、ここに国民の期待する政治ができるではないか、かように考えておる次第でございます。
  100. 佐竹晴記

    佐竹(晴)委員 とうとう自白をなさいました。語るに落ちるとはそのことです。今回小選挙区制をしこうというあなたの本音がわかりました。つまり、このままで行ったならば、また自民党が分れてもとの通りになるおそれがあるから、その二大政党対立の姿を維持育成するがために一生懸命だという党利党略の気持、その片鱗を表わされたのであります。すなわち、自民党は絶対多数党でありますが、離合集散の結果できたところの党であります。決して選挙の結果ではございません。そうして、いまだ国民の審判を受けていないのであります。かようにして、選挙の結果ではなく、国民の審判を受けない党が、利害ないし政権争奪のために離合集散をして、その結果絶対多数を占めておるのだから、今度のこの小選挙制案なんかを出して、これを育成強化しなかったならば、またもとへ戻って、大へんなことになると御心配をなさるのであります。小選挙区制は多数派に有利なりとの原理を悪用いたしまして、ここにその絶対過半数によって強化し、永久政権をはかろうとするがごときは、全く国民意思を無視した暴挙であるといわなければならぬと考えますが、大臣いかがでございますか。
  101. 太田正孝

    太田国務大臣 私はこの二、三年来の政治の動きを見ましても、何でこういう二大政党ができたか、何で二大政党を支持するために小選挙区論が――昭和二十六年の八月にきめられた答申にもある通り、世の中の声というものは、政党が対立して変な騒ぎをしてはいかぬ、忌まわしい乱闘騒ぎが起つたその当座に、世間は何と言ったかといえば、政党は固まらなければいかぬ、しかして、その裏づけには小選挙制度、それが民間においては小選挙制度促進委員会というものもでき、あるいは参議院における緑風会の実際案も出たような次第でございまして、私の信ずる二大政党対立、小党分立でない、政策で立っていくという方向につきまして、それを裏づけすべく小選挙制度を唱えたということは、私はこの二、三年来の事実であろうと思うのです。これをもって党利党略などと言うことは、少くも理筋の点において、決して私の承服することのできないところでございます。
  102. 佐竹晴記

    佐竹(晴)委員 国民が納得するように御説明になりますと、私どもといたしましても承服いたします。しかし何が何でも――大正八年、原内閣が独裁政治をしこうとした気持と、今回も少しも異ならない。今回はさらに憲法改正という大きな目標を持っておればこそ、少々無理があっても、やろうといたしておりますそのお気持は、私どもよくわかるのであります。従いまして、はっきりやりたいんだ、三分の二以上をとって憲法改正をやりたいんだ、こうあなた方がはっきりおっしゃると、これは全く男らしいのでありまして、私どもは、それならば、憲法を改正すべきかどうかという真正面の論で太刀打ちをすることができる。その問題を一切秘めて、心のうちに思うておることを秘して、ゲリマンダーなんかをやつて、その野望を遂げようとするところに今日の政局の不安がある。それを小選挙区製によって補うて、自分の目的を達しようとする、その皆さんの心がまえに対して、私ども国民が反撃をいたしておる。この気持がおわかりになりませんか。
  103. 太田正孝

    太田国務大臣 たびたび総理大臣初め言われておる通りでございまして、憲法改正とこの問題と関係があるとは、私の趣旨説明にも一言半句も言っておらない通り、二大政党の対立、政権の安定、これだけ以外に何の考えもございません。
  104. 佐竹晴記

    佐竹(晴)委員 あまりに白々しい姿に私はあきれます。こういう大改正をやって、激突をも予想し、そうして先ほどあなたは前に乱闘騒ぎなんかがあったことを御心配になっておったか、その大へん心配をする乱闘騒ぎをまたも蒸し返すのではなかろうかという、そういう危険すらも冒してなおやろうとするところに、ただならぬものがあることをだれもが考えます。だから、これは実はこうこうであるとあなたがほんとうの心のうちを打ち割って国民に訴えなければ、国民は納得をいたしません。政府は、今回の小選挙区制と憲法改正とは、一切関係がないと、かように一生懸命弁解をいたしております。しかし公平なる第三者立場批判をいたしましても、公平なる第二者の立場にある識者も、それはとうていそう見ることができないと論じておるのであります。たとえば二月二十三日の毎日新聞に、教育大学教授の木下半治氏が、「小選挙区制のもたらすもの」と題する論文を掲載しております。これによれば、「フランスの政党研究の権威として有名なアンドレ・シーグフリードは『イギリスにおける右翼と左翼』という論文のなかでイギリスの政党政治家とのそう明をたたえ、イギリスには保守派はあるが反動派はいない。フランスの不幸は、保守派がいなくて、反動派のみがいることにあると嘆いている。民主主義の本山フランスにしてしかり。日本の政界をみるとき、我々は千倍もの強さをもってシーグフリードと嘆きをともにせざるをえない。日本の不幸は、反動政党のみあって、真実の保守政党の存在しないことに存する。旧年、社会党の合同に刺激されて、いわゆる保守合同ができた時、多くの人々は、日本に健全なる二大政党対立時代きたると喜んだ。我々はことがそう単純でないことを指摘しておいたが、早くも合同保守党はこれが実は保守党ではなくて反動党である本質をバクロしはじめ、軍事予算の増大、社会保障の放棄、健保改悪、内務省復活、靖国神社の国営、『建国記念日』の制定から、憲法改正のための憲法調査会設置等々をうちだした。そしてあげくのはては保守永久政権確保のための小選挙区制を日程にのぼせてきたのである。その直接の目的が憲法改正にあるのはいうまでもない。」と論じております。公平な第三者、教育大学の教授さえもかように言うておるのであります。小選挙区制と憲法改正関係がないと言うならば、端的に、国民の納得のいくように、一つこの際御説明を願いたい。
  105. 太田正孝

    太田国務大臣 ないと言うものを証明を――ないと言うよりほか申し上げようがないかと思います。私は学者議論も傾聴いたします。賛成はしません、今の議論は賛成しません。もっと平らに考えてみまして、何でこの二大政党がこういうふうにできたか、また何で政局安定が唱えられたかという、この二、三年来のことを考えましたならば、何人があのような乱闘が起るとか、何人が小党分立でいいと考えるか、そういう者はないと思います。世間の声あってこそここに二大政党が固まったのでありまして、私は、こういう意味から、政治の道におきましてりっぱに二大政党が伸びて、政局の安定をはかるという、その意味の根本を考えなければならぬので、憲法改正等の問題も大きな国策の問題でありましょう。けれども、このもの自体は、もっと卑近丈方面で、二大政党対立、政局安定――その政治の基本、政治の方式を作る問題なのでございます。私はこういう意味において、予算がどうとかいろんなことについては、今の御批判は全部受け入れることはできません。反動という言葉がどういう意味において言われるかも、これは解釈上の問題ですが、私一個人としては、自由民主党に対しての言葉ならば私は賛成いたしません。
  106. 佐竹晴記

    佐竹(晴)委員 あなたは、三大政党制ができたならば、直ちに乱闘騒ぎなどはなくなるようにお考えのようでありますが、この前に乱闘騒ぎがあった、嘆かわしい限りである、だから二大政党にしなければならぬ、こんなことをおっしゃっておるけれども、どうです、あのときに多数をもって無理やりに、横暴に、しゃにむにやろうとした結果が、ああいう結果になったことをあなたも御存じでありましょう。何がゆえに乱闘騒ぎが起るかという原因を検討いたしまするならば、それは二大政党でなかったからであると言うことはできません。政局安定とおっしゃいますけれども、二大政党制になって政局安定になるという議論は、先ほど来るる承わりまするけれども、私どもをしてまだ納得せしむるに足るものではございません。従って、あなたがどのようにおっしゃりましょうとも、今回の改正には、よほど他に大きな目的があると見ざるを得ない。ことに、総理大臣は、三月八日の参議院の予算委員会で、こう申しております。「今日では自衛隊は軍隊だ、兵力だ、戦力だというようなことを常識のように言うようになったのです。それは私は近いと思うのです。」「それですから、やはりそういう疑いのある憲法九条は改正をして、自衛隊の人自身がわれわれは国家を守る軍隊だというような自信を持っ方がいいと思いまして、やはり憲法の改正はしたいという考え方を持っております。」と述べておる。これまさしく首相の本心であり、偽わらざる真意の吐露でありましょう。これは明らかに首相みずから、自衛のための自衛隊でも、軍隊だ、兵力だ、戦力だということになると、憲法九条に触れると、大勢の世論のあることをお認めになったのでありまして、自衛権そのものは禁じてないが、自衛の手段、方法は軍隊ないし戦力となると、憲法九条の禁止規定に従わなければならないから、自衛隊を正当に持つためには、憲法九条を改正する要があると肯定いたしたのであります。ところが、その後、首相は、自衛隊は合憲的であり、憲法を改正せずとも、軍隊であり戦力である自衛隊でも、これを持つことができる、自衛隊を合法化するために、憲法改正をしようとするのではないと、極力弁解するようになりました。例の自衛隊法が成立したならば、その後、合憲的だと解釈を変えるようになったとか、自衛権は憲法九条に優先する。ゆえに自衛隊は憲法九条に違反しないとか、勝手な独断をあえていたしましてはばからない状態になったのであります。しかし、これには非常な反撃を受け、しまいには、疑いがある、というような、言葉をもって語尾を濁しておるのでありますが、総理自身の腹の中に、何とかして憲法九条は改正をいたしまして、そうして再軍備をやれるよう憲法を改正しなければならぬというのが、総理の心根に徹しておるところの、とにかく自分が生きておるうちにやらなければ死に切れないと考えておるところの、総理の大限眼であると私どもは見ておる。これがためには、少々ばかり無理をいたしましょうとも、何とかしてこれをやりたい。だから共立講堂においては、この憲法の改正を妨害しようとするところの社会党勢力を減殺して、少くとも三分の二以上とって、自分の所信を貫徹しなければならぬ、諸君、援助を請うと訴えておる。その三分の二以上をとるためには、小選挙百区制を確保いたしまして、もって絶対過半数を占めて、その野望を達成しようというにあることは、前後の論議を通じ、まさにその通りであると思う。そうでないと言うならば、その根拠をお示し願いたい。
  107. 太田正孝

    太田国務大臣 憲法第九条の解釈について総理大臣が言われた言葉は、その通りであろうと思います。しかし、憲法の解釈論と、憲法を改正するために小選挙区制を設けるという問題とは、私はつながりはつかぬと思います。すなわち、予算委員会の公的な場所におきまして、総理大臣自身が言われたごとく、またこの席でも言われたごとく、選挙制度の改正とは関係がございません。解釈論として、また希望的考え、あるいは総理の大きな施策として、憲法第九条の問題はありましょう。その問題と選挙制度の問題とは、私は二つの問題であると思います。つなげてお考えなさることも議論のうちの一つでございますが、私は二つになるんだから、総理はこの席におきましても、憲法改正とこれは関係ない。しかし、憲法改正の問題は、本質論についての解釈は、総理の言われた言葉通りであろうと思うのでございます。
  108. 佐竹晴記

    佐竹(晴)委員 勝手に自分がこうだと言いましても、国民がこれに納得を与えなければ、政局の安定などということは、とうていあり得るものではございません。この二つのつながりが、先ほど申し上げるがごとく、自然発生的に、自然現象といたしまして、必然的につながつておる。しかし、それがつながっていないと言うあなたにおいて、国民の納得のいくような説明がございません限り、国民は承服いたしません。私は、その点については、なおまたさらにゆっくりと討議をすることにいたしましょう。  小選挙、区制が政局を安定するといって、保守政権がそのままに居すわって、横暴専制を働かれたのでは、国民はかないません。現在日本の勤労階級は、議会主義の将来に対し、相当明るい期待をかけておりますが、この小選挙区制の強行によって、むざんにもじゅうりんされようとしているのであります。議会主義に望みを失った勤労大衆は、次には一体何を求めるでありましょう。また、現在右翼も大体非合法手段を否定し、議会進出に興味を感じております。この魅力は、小数党の存在を排斥し、その進出を拒む選挙区制によって、徹底的に粉砕されるでありましょう。われわれは、この大衆の議会主義への望みを断つことは、議会主義みずからが墓穴を掘るものではないかとおそれます。二大政党、二大政党といって、小会派を一切無視し、これを差別し、その芽をつみ切ろうとすることは、おそるべき国民のうっぷんを醸成させ、政局安定のための安全弁を密閉して、いつ爆発するかわからない危機をみずから招くものではないかと思いますが、いかがでしょう。
  109. 太田正孝

    太田国務大臣 小選挙制度と小党分立の問題でございますが、小党分立で小数派の意見をいれて、それで政局が安定するでございましょうか。私はフランスの例を申し上げるまでもないと思います。それどころじゃない、つい二、三年前に、何か不純な気持があって、ああ動く、こう動くということは残念な事実であったと、今、白状してもいいときだろうと思います。こういう意味から申しまして、小党分立がいいという意味ならば格別でございますが、そうでない限りは、この方式よりないのではないか。しかもいろいろな議論を押えるというのではなく、政治というものは、百人が百人違っている、意見政治について持っていると思います。ただここに最大公約数に二っの主義を分けていけば、あるいは保守党革新党となるのでございまして、無理に押えるというのではなく、政治というものは、最大の目的に向って集約されたる意見が出ていくのでございますから、そういう意味におきまして、二つの政党が出ていって、そうして安定していくということが、私は筋ではないかと考えるのでございます。もちろん、暴力でどうしようとか、そういう考えは毛頭持っておりません。
  110. 佐竹晴記

    佐竹(晴)委員 私がお尋ねをいたしておりますのは、そうではないのです。あなたはフランスの小党分立のごとき状態を呈して、どこに政局安定があるかとおっしゃるけれども、私はそれを言うておるのではありません。日本において、あなた方のような自由民主党、それから私ども社会党均衡を得た二大政党育成強化をはかって、自然に、スムースに政権の譲り渡しができるような状態に置くがいいことを私どもは念願し、これを強調しておる。しかし、それがために、自然発生的に出てくるところの、たとえば無所属候補、あるいは三人、五人徒党を組んで、この二大政党の中にどうしてもおることはできぬが、一個の別個の見解を持って、しかもそれを主張しようといたしておる者、こういったような人たちの根底から芽をつみ切ってしまうようなことにいたしますことの結果が、これは社会不安を惹起するおそれがあるのではないかというのでもります。たとえば、ここに右翼があるとする。右翼は当初非常に反動的であったといたしましょう。だが、議会内に入って参って、小今会派であってもだんだんそれがなじんでいく間に、それらの人々が大政党の中に融合してくることもありましょう。しかし、それならば、当初小今会派として出てくるそれをたたきのめしてしまうような不平等な、先ほど申し上げた憲法違反の行為をあえていたしましてまでも、差別をしてその芽をつみ切ろうとすることは、かえって社会不安を惹起するおそれがあるのではないかというのであります。いかがでしょうか。
  111. 太田正孝

    太田国務大臣 もちろん政党政治活動につきましては、何らの制限をしたものでありませんので、ただ二大政党のもとに、選挙運動につきましての制限かあるのでございます。これは制限ではありません。二大政党発展していくためにおいての制度でございます。政治運動そのものは、いかなる会派といえども御自由でございまして、その芽をつみ切るとか、右翼的考え方かどうとか、――これは右翼的考えが正しいならば、あるいは左翼的考えが正しいならば、そういうことも起りましょうが、その政治活動そのものを押えようというのではございません。選挙運動政治活動とは、二つに分けて考えるべきものではないか、かように考えます。
  112. 佐竹晴記

    佐竹(晴)委員 共産党が憎ければ、共産党をどこまでもやっつけたいといったような気持、右翼反動が出てこようとするならば、これをどこまでも排除しようという気持、そんな気持にならぬで、先出たちも議会主義を守ろうというならば、おおらかな気持をもってこれを抱いて、そうしてあなた方の政党の徳望をもって融和して、もって危険の起らないようなおおらかな政治をやっていくところに、そこに政局の安定というものがあり得ると私は思うのであります。ところがどうでしよう。選挙運功については、あなたはすでに差別を設けたことを認めて、政党についても候補者二十五名以上持っておるものと、二十五名以下のものと区別を設けておる。これまた私は憲法違反ではないかと思う。何で差別を設けるか。自然発生的なものは自然発生的に、しこうしてこれを別に法の力をもって押えることなしに、自然的にできるところの政治運動の中に融和せしむるような、そういう態勢をなぜとらなかったかというのであります。
  113. 太田正孝

    太田国務大臣 政治発展は自然発生を待つべきものだ、こういうお考えでございますが、明治、大正、昭和の憲政史をひもといてみましても、必ずしも自然発生的ではございませんでした。明治十四年の大隈下野事件などを考えてみますると、ここに大きな政治力というものが出てきたことを考えなければなりません。私は自然発生にして政党がどこまでも行くものなら、そういう見方もございましょうが、今日せっかくできたこの二大政党ですから、その政局安定をはかるために、小選挙制度考えることは、私は最も時期に適したものであると思います。  さらに、二十五人の政党を確認団体とするのにつきまして、五十人にした。これは選挙区もたくさんにふえますし、前より人員も三十人ふえましたし、また従って候補者が多くなることと思います。その上に、現状におきましての二大政党の発生という事実を、見まして、ここに五十にしたわけでございます。もちろん二十五といい、五十というのは、これは俗に言う腰だめの数字でございますが、われわれとしては、五十名程度がしかるべきものではないかと、かように考えた次第でございます。
  114. 佐竹晴記

    佐竹(晴)委員 御議論には承服することができません。ことに、十四年の大隈内閣下野を引き出したあたり、何を言おうとするのか、これを解するに苦しみます。しかし、この問題は他日また論ずることにいたしましょう。  当面の問題として、今回の小選挙区制がしかれたならば、婦人議員、青年その他の青壮年の政治への進出を困難ならしめる結果に陥るのではないかと思いますが、この点については、いかなるお考えをお持ちでしょうか。
  115. 太田正孝

    太田国務大臣 私はまず候補者を選ぶ問題につきまして、政党の英知が働くならば、りっぱな婦人、りっぱな青年、もしくはりっぱな労働階級の方々が必ず推薦されると思います。せんだってテレビのときに御手洗氏が言われたのに、おもしろい言葉を使いました。婦人の数が減るかという問題に対しまして、運動の場所の範囲が狭くなる。ことに東北地方の事情等を考えろと、小選挙区になる方がむしろいいという言葉を使っておりました。私はさように拝聴いたしました。婦人が今度むやみに減るであろうとか、新人が出られなくなるであろうとかいうことは、政党の英知がある限りにおいて、またその一ぺんすすめたものを必ず強く推していく政治運動のある限りにおきまして、かようなことはない。もちろんこれは政党に英知が働かたかった場合、あるいは政党がこの選挙運動に熱中しなかった場合は別でございますが、この仕組みそのものは、政党の英知に期待しつつ、婦人の問題、労働者の問題、新人の問題集を考えておるのでございまして、ただ以前に言われたような小選挙制度になると、小さい地盤から出るとか、地方問題にのみ携わるとか、いろいろな議論もありました。またそういう弊害もあったでございましょう。いろいろな点を考えますが、運動におきましても、候補の問題におきましても、私は、結果的に見て、必ずや政党の英知の働く限りにおきましては、かようなことはない、こう信ずるのでございます。
  116. 佐竹晴記

    佐竹(晴)委員 御手洗さんのお説を援用なさいましたが、私どもは全然これと異なる見解を持っております。とうていこの御議論に承服することはできません。一体いかがでございましょうか、現在出ておる御婦人の方々のおのおののその基盤をお調べになりたことと思いますが、どの御婦人はどういうところで出ておるか、たとえば、大がい広い区域にわたって一般の票をお集めになって出られておる方か多いと思います。おそらく私は、現在出ておる御婦人の相当数は減るものと思いますが、あなたはふえるとお考えでしょうか。
  117. 太田正孝

    太田国務大臣 今申しましたように、政党の英知が働くという条件を私は常につけ加えておきますが、ふえるか減るかということは、この政党の英知の表わし方に、よるものと思います。断じて減るとか、あるいはふえるとかいうことの断言を私はする勇気を持っておりません。
  118. 佐竹晴記

    佐竹(晴)委員 あなたがこの法案を出したときの冒頭の説明にも、政治は必ず責任を持ってやることであることを高調されておる。この法案を出したならば、どういう見通しになるというぐらいの責任はお持ちにならなければならぬ。言明したその結果が違ったならば、いつでもいさぎよく桂冠をするのだというくらいの、言明を私はいただきたいのであります。しかるに、ただいまの御説明によりますと、将来の見通しなんかは一向つかない、いわゆる逃げを張っております。これではとても説明になるわけはございません。あなたは、口を開けば、政党の英知、政党の英知とおっしゃっておるけれども政党に英知がなければこそ、政党に干渉して、党内規制に関する問題までも刑罰規定を与えて、外から法律によって規制をしてやらなければおさまりがつかぬというような政党に、どこにそんな英知があるか。その程度の政党の英知で、婦人及び新人の進出について、大丈夫でございますという去年あるところの言葉をあなたは私どもに誓うことができるでありましょうか。
  119. 太田正孝

    太田国務大臣 私は自分のしたことについての責任はいつでもとります。いやしくも政治家として立っている以上、そんなことは申し上げるまでもない。どなたもそうであろうと思います。私は婦人が減るなんということを申しません。選挙においてどういうようにして候補者を選び、運動がどういくかということは、これからの事実でございます。私が女を作り得ざるがごとくに、女の候補者が必ずふえるというようなことも言えぬと同時に、減るというようなことは断じて私は言えないと思います。
  120. 佐竹晴記

    佐竹(晴)委員 鳥取県の参議院の選挙をごらんなさい。婦人及び新人が、今度の小選挙区法を通されるならば、婦人及び新人が窮地に陥るというので、しかもかくのごとき無謀なる法案を無理押しにしゃにむに通そうとするところの自民党には、われわれは絶対反抗するというのろしを上げて対抗したことが、あなた方の敗因の一つであったことをあなた方は考えなければならぬと思う。いささかもそういうことに目を向けることなしに、婦人、新人に何らの影響なしというがごとくあなた方がおっしゃるというのでありましたならば、私はあなた方の政党の英知を疑うのであります。  さらに私が進んで申し上げたいことは、小選挙区制強行は、地方民の平和を乱すおそれはないかというのであります。一対一の候補者でしのぎを削って戦うときは、村はおそらく二つに分れるでありましょう。そうして、だれがどの候補者を応援している、だれがだれに好意を持っている、また反感を持っているというようなことは、狭い地方で、手にとるようにわかるのであります。政治に身を投じていない人でも、政治批判はするが政党に入ることは好まない人までも、これをかり立てて、源平試合の当事者に追い込んでいくのであります。その結果、親戚縁者相離反し、時に流血の惨を見るようになり、また勝った方は負けた方をいじめる、いわゆる村八分の問題が起きまして、民主主義いずこにありやと、おそるべき危惧の念を抱かざるを得ない事態が起るのではないかと私は思います。大正元年の選挙で、流血の惨を見たときに、これではいけないというので、早くももとに戻さよければならぬということが世論となって起り、大正四年の中選挙区制改正に逆戻りをいたしましたことは、周知の事実であります。日本国民性といたしましては、数人の定員に対して多くの候補者が立って、その中の一部分の者が落ちる、そうしてその落ちた人は不徳のいたすところといって、静かに引き下るような状態であって、初めて地方の平和というものが保ち得られるものと私は思うのであります。もし一対一で、そうして源平試合となって、村を二つに分けて、そうして甲にあらずんば乙、乙にあらずんば甲と、互いにしのぎを削って戦うような状態へ、その渦巻の中に村民をみなかり込んでいくということは、はなはたおそるべき事態に陥るのではないかと私は思う。少くとも、これが英国のごとく、政治常識が発進をし、その訓練を経、かつ教養のできている国においては別でありますか、日本の国のように、感情が高くて、そうして一たび何か負けでもいたしますと、永久にかたきに思う。親子相次いでかたき討ちを志すような風習のある日本国民といたしましては、かくのごとき一対一の、そうして村を二つに割る、ような選挙区制が、果して地方村民にとっていいものと思われるでありましょうかどうか、これを承わって
  121. 太田正孝

    太田国務大臣  お言葉通り一つの村でもって相争う流血の惨を見るのはまだしものこと、非常な対立状況になることはいけないと思います。しかし、政治は何といたしましても政策につきましての議論でございまして、感情でいく問題とは違います。本来的に政策をもとにしてやることですから、政党が強い力を持って今回出す場合におきましては、政策だけについてお互いが政治の尊き一票を国民にお願いするのでございますから、かかる暴力を振るうとか、村八分を食う者があるとか、自治体をこわすというようなことのないように、政治の線におきましてわかることが第一義であると思います。そうして、第一義というよりも、それと同時に、平穏なる選挙が行われるようにしなければならない。ただ過去の例でいろいろなことが考えられるという意味と違いまして、政党政策を持ってやるような問題でございますから、その意味におきまして、そこでうっちゃっておいて政治が進むものならば、またこれは一つの見方でありましょうが、どこまでも収党の政策でおだやかに争っていく方式をとっていくよりほか、政治の進歩はないと思います。もちろん私は、自治体がくずれるとか、忌まわしい流血の惨を見るというようなことにつきましては、佐竹さんのお言葉通りに、憂うるものでございます。
  122. 佐竹晴記

    佐竹(晴)委員 選挙法を改正するに当って、両政党が話し合いの上に、双方とも納得のいくような法律ができて、そうして国民もこれに協調いたしまして、静かなすべり出しをいたしましたときは、これはあるいはただいまあなたのおっしゃるような政策本位の争いとなって、静かな選挙ができるかもしれません。しかしそれですらも、日本国民性というものは、そう簡単には参りません。どのように政党が納得ずくで円満に決行ができたといたしましても、およそ小選挙区制をしきましたときは、必ず村は二つに分れ、村八分の問題が起きて、私は相当問題化すると思うのであります。かりに村民の政治教養が相当に高まっていって、政策批判政策本位の論争によって、静かに結論を見出すことができるような事態にもしあるといたしましても、それは必ずその法律が円満に、両政党とも互いに納得のいくよう状態においてスムーズに作られたことを前提とすると思います。今日のごとく激突した状態においてしゃにむに押し切って、そうしてあなた方が無理やりに力で押そうとするときに、何も憂うべき事態がないとあなたはごらんになるでありましょうか。
  123. 太田正孝

    太田国務大臣 私は無理押しに押そうというような考えは持っておりません。
  124. 佐竹晴記

    佐竹(晴)委員 あなたは無理に押さぬと言うけれども、私の方へはひしひしと押してくる力がわかります。しかもそれか正々堂々たるものであるならば、何をか申しましょう。サラマンダーをやり、ゲリマンダーをやり、太田マンダーをやって、それで百分だけを有利な地位に導いて、そうしてその不当の力で押そうといったようなことで、その対立したしております二大政党対立の相手方は、どうして黙っておられましょう。だから、社会党が声を大にしてここに叫んでおる。この声があなたに聞えないわけはない。こういう状態で次の選挙がスムーズにいくものと思われましょうか。
  125. 太田正孝

    太田国務大臣 何か、区画割りが、全部といわなくても、大部分がゲリマンダーであるという御認定のもとになされておりますが、私は、最初に申しました通り客観的情勢をもとにしてやったのでございまして、主観的な立場においての御返事はいたさないのでございます。
  126. 佐竹晴記

    佐竹(晴)委員 私は、きょう党内で協定いたしました時間が、大体四時までという予定でありましたので、これで終るように努力をいたして参りました。ただ一点、最後に一問いたしまして、私は本日の質問は終りますが、しかしなお承服いたしかねる数点がございますので、あとにまた続いて質問をする機会を留保いたしておきます。最後に一点申し上げたいのは、衆議院だけ定員を、三十名増加いたしましたが、参議院をそのままほおっておいていいものでしょうか。衆議院と参議院とが相待って一個の国会が成立いたしております。衆議院の定員だけはふやしておいて、参議院はほおっておく、こんな改正が一体あり得るでございましょうか。
  127. 太田正孝

    太田国務大臣 御案内の通り、参議院選挙は目前に迫っておりまして、すでにいろいろな動きもあるようでございます。私どもといたしましては、両院の立場というものを強く考えまして、参議院選挙につきましては、今回の選挙が終った後に案を立てていきたく、こう考えております。
  128. 佐竹晴記

    佐竹(晴)委員 衆議院の定数だけいじって、参議院の問題をそのままにいたしておくなどということは、重大な問題です。これはただでおけません。この問題については、必ずまたあとで問題になりましょうが、本日はこの程度にいたしておきましょう。
  129. 小澤佐重喜

    小澤委員長 原茂君。
  130. 原茂

    ○原(茂)委員 私は、三大政党育成問題と政局の安定という件に関して、さきに総理にも質問をいたしましたが、同僚佐竹委員と重複しない範囲におきまして、二、三の点を問いただしてみたいと思います。  その前に、一点お伺いしておきたいのですが、一昨日神戸の自民党の三十六名の党籍を持つ市会議員が何かの理由で集団脱党をした。おそらく長官もこの報告を聞いておると思うのですか、一体どんな原因で脱党されたかを先に聞きたいと思う。
  131. 太田正孝

    太田国務大臣 私は、新聞でけさ拝見いたしましたが、内容を知りませんから、もし事情がありましたならば、選手部長から御説明させたいと思います。
  132. 早川崇

    ○早川政府委員 新聞の報ずるところによれば、五名定員があるべきが四名になった、こういうとであります。しかしながら、これは、この前加藤委員質問に答えましたように、但馬地区が、現定員三名のところ、調査会案は二名にしております。従って、兵庫県全体といたしましては、但馬地区の現定員を減らさぬという政府案に立っておりますので、その関係上四名、こういうことになりました。背後地全体を考慮すれば、決して妥当でない案でないとわれわれは考えております。
  133. 原茂

    ○原(茂)委員 少くとも、二大政党育成を看板にした大臣が、この小選挙区制を出していながら、しかもこの選挙法案というものを中心にして、御自身政党の、しかも市会議員が三十数名大量脱党をしたということを、けさ新聞で見ただけで、内容がわからないから次官に聞き合せる、こういったことですが、ほんとうにこの選挙法によって二大政党育成をはかるとすれば、少くとも、その前に、自分の所属する政党に関しては、より以上これを育成しようと考えるのが当然だと思う。しかるに、自分の党から、このあなた方が出しておられる選挙法、特に区画割りに関する不満からこういった脱党者を出すというような事態に関して、無関心というよりは、今の御答弁は、けさの新聞で見ただけだ――見なければまだいいのですが、けさの新聞で、見たら、一体どういう原因だったろうくらいは、大臣としては、しかもこの選挙法を担当される大臣としては、これに対する真偽を確かめるくらいのことは、党に対する愛情、党を育成しようという真意があるなら、当然だと思う。その点に関して、大臣自分でわからずに次官に答弁をさせるというその態度に関して――二大政党育成という点からいって少くとも、その前に、大臣が本会議答弁でも答えられたように、当然自分の党を少しでも有利にしたい、こういうお考えのあるのは当りまえだとおっしゃった。ならば、そういう点に関しての注意をもう少し強くふだんからお持ちになる必要があるのではないか、こう思いますが、もう一度これに対してお答え願いたい。
  134. 太田正孝

    太田国務大臣 何かお聞き違いじゃないかと思いますが、私は、自分の党だけよくいけるというようなことは、本会議でも答弁しておりません。もしそういうことにお考えになったならば、私言ったことがないつもりでございますから、速記録を調べましてもう一ぺん私は申し上げます。そんな気持を持っておりません。これは公平な立場でやらなければならぬ。ゆえに区割り等についても客観情勢の云々を言うわけであります。私が新聞を見て内容を知らなかったとかいうお言葉につきまして、私の不徳はおわびいたします。しかし、この問題は、今政務次官も言われましたが、五大市関係において同じような事件が起るべき理筋の問題があります。その県だけを統一して考えた中に、たとえば神奈川県の横浜にいたしましても、人口の増加がそこへ固まってきておりますから、全面的に見るとそこへやらない方がいい場合がございます。兵庫県についても同様な状況で、今次官の言われた通り、但馬地区というあの山岳で囲まれたところがどういうふうにいくかということは、兵庫県の一体性を考えるときに、どうしても見なければならぬ問題でありまして、私は、筋を通して、こういう意味につきましてこう考えたということを申し上げれは、御納得のいく点があるのではないかと思います。私が新聞を読んだたけでもって調べなかったというおしかりについては、私の不徳をおわびいたします。
  135. 原茂

    ○原(茂)委員 大臣がすなおにわびられたので、私も一つ間違いを先に訂正いたしておきます。大臣が本会議答弁をされたのではなくて、星島一郎氏が、わが党の反対討論に立ったときに、はっきりとそういう言葉を弄したわけです。ですから、大臣の言ではないので、むだにお調べにならなくていいと思いますが、少くとも、星島氏等の党の部が、やはり社会党政権をとっていれば、当然、自分の党に有利にするために、区画割り等を考えるのは当りまえではないか、われわれ与党も多少は自分の党に有利に考えていくのは当りまえだ、こういうことをはっきりと本会議で言われたわけであります。こういう点は、ついでですから、やはり大臣もそうお考えになるかどうかを一緒にお答えを願いたい。
  136. 太田正孝

    太田国務大臣 よく党利党略という言葉を用いられるお方がありますが、逆に党利党略なりという非難をするのも、また党利党略であると思っておりす。私は、区画割りに関する限りは、幾たびも申します通り、客観情勢をもとにして判断すべきものである、しこして、最後の判断は、国民が御投票なさる場合において、それがはっきり出てくるものだろう、こういうふうに思っておる次第であります。
  137. 原茂

    ○原(茂)委員 是認されたような、されないような、はっきりした答弁ではないわけですが、今党利党略、そういった言葉が出たわけですけれども、以は、国会における、特に今日の二大政党対立下にもし党利党略がありとすれば、一方の権力、政権を握った政党か何か自党に有利に行おうとするときにのみ党利党略という言葉が使えるので、今あなたが言われたように、野党にも与党にも共通の意味党利党略というものがあるという考え方には賛成できない。そういったところに、今日のこのゲリマンダーに対する世論の大きな反をすなおにお聞きになれない原因があると思う。少くとも、党利党略というのは、特に一応二大政党の対立いたしております今日、政党を握っておる片方の政党が自党に有利に考えるときにのみ通用できるもの、われわれ、反対党の側にこの問題を中心に党利党略があるなどということは、みじんも言えないと思いますが、この点に関する党利党略論をお伺いいたしたい。
  138. 太田正孝

    太田国務大臣 具体的のことは別といたしまして、自分の党に都合がいいやり方をするというのが党利党略であるということは、やはり間違いないと思います。しかし、現実の私の今取り扱っておる区割りその他においては、そのことはないということをつけ加えておきたいと思います。
  139. 原茂

    ○原(茂)委員 区割りの問題はあとで少し触れてみたいと思いますが、今党利党略というものは野党の場合にもあるのだ、こういうお話ですが、私ども立場から考えて、これは野党だからというのではなく、やはりある種の議案、法案を中心に党利党略というときには、少くともその法案提出した側の、政権を握っておる政党の側が自党に有利にものを考え立場党利党略というので、これに反対し、あるいは政権を持たない野党が一つ法案を中心にして党利党略と言われるような立場には全然ならない、こういうことを私は考えておりますが、あなたの考え方とは少し平行線のようですから、この点はあとにいたします。  ついでに、今区割りの問題が出ましたので、先に区割りの問題を少しお尋ねしておきたいと思います。後刻、私どもは、ゆっくりと、一人が二十区から五十区くらいを担当して、区割り一つ一つに関して精細に御質問をすることになっておりますので、一例だけをとらえて――ういう区割りが原因で、各地方の議会あるいはあなたの党の神戸の市会議員の脱党騒ぎまで起きるような、世論は全国的に大きく反対をしている。小選挙制度そのものに対する反対というよりは、むしろこの法案に伴って出てきました区割りについて反対が多いのではないか、こう私は考えるのですが、その一例で、しかも長官が説明になりました中に、神奈川県の第十区だと思いましたが、三浦市、これは古米三浦群と関係が深いので、横須賀の相模湾沿岸ととに鎌倉、逗子ブロックの第十区に合せたのでありますという説明をされております。そこで、これとあわせて、長野県第四区をこれと比較してみていただきたい。第四区及び第五区については、小諸市を交通地勢関係から上田市ブロックと合せることが適当だと考えた、こう言っておる。少くとも、小諸の場合には、藤村で有名な懐古園等を中心にして、北佐久郡小諸町――小諸といえば佐久、これこそ、古来の関係から、生活も交通も経済も、あるいは姻戚関係等を深くたぐってみましても、この佐久と小諸というものは切っても切れない関係にある。地勢の上からいっても、これを切り離すことは住民感情がすでに許さない。その大きな現われといたしましては、この半月くらい前から、議会あるいは婦人会、PTA等が大挙上京をいたしまして、おそらく、あなた方のところへも、どうぞこの小者を佐久から離さないように、こういった陳情、請願等がたくさんに来ているはずた。これは小諸をただ地勢等の関係から切り離したという。神奈川県の十区における三浦市は、ただ、昔から三浦郡と関係が深いから、無理をして三浦郡と三浦市をくっつけるという説明をしている。これは非常に対蹠的であって、一体、この二つの例を砕いて、住民、私どもが納得できるように説明ができるものかどうか、もう一度この点をお伺いしたい。
  140. 太田正孝

    太田国務大臣 私がこの間説明申し上げた以外に、実態の詳しいことを知っております政務次官が申しまして、そのあとでまた私が意見を申し上げます。
  141. 早川崇

    ○早川政府委員 お答えいたします。  三浦市と三浦郡、逗子、鎌倉をつけたのが不合理ではないか、こういう御意見でありますが、ここだけをとりまして論ずれば、正しい回答は出ないのであります。先般申し上げましたように、横浜市におきましては調査会案では二人ふえております。ところが、旧第三区の小田原市その他は、十万の人口がふえながら、なおかつ現定員より一名減るという結果になっております。それはあまりにも不合理でございますので、横浜市の中で戸塚区を旧第三区の藤沢市ブロックにつけまして、混合選挙区を作りまして、そして一名定員を減らした。さらに、金沢区というものは、これまた横浜市ブロックとくっつきまするから、こういった横浜市の関係から、この選挙区がいろいろ変ってくるわけでございまして、この鎌倉市と三浦市をつけましたのも、そういう関係から影響を受けておるのであります。調査会案では、御案内のように、鎌倉市、逗子市だけではわずかに十四万の人口よりございません。今度三浦市をつけますと、この十ブロツクは二十万一千になります。九ブロックは十八万七千と人口のバランスもよくなるのであります。さらに、三浦市は、御案内のように三浦郡の出身である、しかも相模湾と東京湾とでうまく分れるわけであります。そういう総合的な観点からながめますとこの十ブロックの修正は、党利党略とか、ゲリマンダーではないということがおわかりになるのではなかろうか思うのであります。  長野県の場合には、これは南佐久、北佐久とつけるのがいいという意見もございまするが、これまた、小諸市と小県並びに上田市というものは隣接町村でもございますし、特に地縁的関係から小諸市を小県につけたのでありまして、これはいろいろ御議論がございましょうが、どっちへくっつけちゃいかぬという絶対的条件はございません。人口も二十一万八千と十八万というバランスでございますから、小諸市を第四区につけたことが非常に党利党略であるとも私は言えないのではないか、かように思っておるのであります。
  142. 太田正孝

    太田国務大臣 今政務次官が言われた通りでございまして、神奈川県の問題につきましては、今言いました金沢区の問題から政務次官が説いた通りでございます。この意味におきまして、横浜全体がいろいろな動きを来たしておりますけれども人口の点及び旧行政区画の点等を考えまして、今説明された通りでございます。  それから、長野県につきましては、南佐久、北佐久の関連性と小県と上田市の関係をもって説かれたのでございますが、大体におきまして私もこれがいいと思っておる次第でございます。
  143. 原茂

    ○原(茂)委員 御都合によって人口を持ち出し、所によって連鎖反応を持ち出す。とにもかくにも、小諸の場合がどう、三浦の場合がどうという問題ばかりでなくて、こういった選挙区割り原則と実際の区割りに関して、各地方民はその詳細を知っているわけです。それに対して、その町があげて、その市があげて、あるいはその郡があげて反対をしつつあるというこの現状を見ますと、単に、院内で、あなた方が、御都合主義の人口論、御都合主義の地勢あるいは小諸のごときを上田に隣接しているという牽強付会、まことにこれは理屈にならない、こういったばかげたことを理由として、ここでは一応の弁明が立ちましても、実際に選挙を行う者は国民です。選挙国民のものなんです。従って、この選挙区割りは、だれに一番大事なものであるかというと、選挙をする主権者にとって一番重要なものなんです。その主権者たる国民が、その市を、町を、郡をあげて反対をしつつあるというこの現状を見たときに、いかにあなた方が牽強付会にここで答弁されても、それは理屈である。もし、この選挙というものが、選挙区画というものが国民のものであるという建前をお認めになるなら、この点に関しては謙虚に反省をして、また違った考え方でスタートをするのが正しいのではないか。こう私は考えるのですが、選挙はだれのもので、しかも今日国民があげて反対をしつつあるこういう事態に対して、どうお考えなさっておるかを、まずお伺いをしたい。
  144. 太田正孝

    太田国務大臣 勝手に地勢をとらえ、勝手に人口をとらえるというふうなお言葉でございましたが、選挙制度調査会原則のところをお読み下さればわかりますが、「原則として」という言葉がほとんど各項目にあるのであります。たしか七、八項目品あったと思いますが、たった一つどこかにそれはありません。ほとんど言い切れないものが、皆様方のよくおあげになる選挙制度調査会の大原則の中にも入っておるのでございまして、これを党利党略に用いたならば問題でございましょうか、それを用いてここでこれをとるというようなことは、原則論として私どもはすべてを間違いないようにやったつもりでございます。そういう意味におきまして、ただいま御指摘になったような問題はない。地方の問題につきましてのことでございますが、今原委員の言われましたように、私も本会議において言ったごとく、最後の判決は国民日体、投票を持っている人のお考えであることを心に刻みつつ、この区割りをいたした、かように申し上げた次第であります。
  145. 滝井義高

    ○滝井委員 関連して。問題は、二大政党発展と政局の安定です。今原君はそこまで来ておるわけです。そうしますと、少くとも二大政党というものか育成せられ、しかも政局が安定をするためには、その基盤というものがしっかりしておらなければならぬ。ところが、たとえば神戸においては、自民党の一番有力な基盤である市会議員そのものが、こういう不合理なことではだめだといって、脱党している。あるいは福岡県においては、六区、いわゆる方市、鞍手郡、八幡市の一部、遠賀郡、しかも嘉穂郡をつけたのは、これは盆踊りが一緒だからということを早川さんは御説明になったが、その盆踊りが一緒だからというその結果は、福岡の自民党自体が、もし党でそういうところに天下りの公認候補を存せても、地方支部は認めない、こうおっしゃっている。そういうふうに、すでにあなた方の基盤自身が――政党というものは、地方組織ができて、政党になるのですよ。その基盤自身が、党が公認した者を支部は認めないのだ、こう言っておるのです。そういうことで、基盤自身反対をしておるものかここで通っても、政局の安定、二大政党の育成というものはできはしない。頭だけでは政局の安定もできなければ、政党政治、二大政党発展もできないということなんです。これは、今原君の質問しておる神奈川県にしても、長野県にしても、そういうことなんです。同じことなんです。そこで、これは、基盤がそういう反対をしておるときに、二大政党というものはできるかできないかということを、この点一つ明白に――これは党利党略でも何でもない、あなた方の党自身反対をしているのですから。だから、その点を、二大政党がそういうことで順当な発展ができ、政局安定ができるかということをお聞きしたい。
  146. 太田正孝

    太田国務大臣 私は理屈をつけるわけじゃございませんが、自分の党の人さえ、反対するような選挙区を設けたという事実は、私ども党利党略でなかったので、もう少しく党利党略考えるならばという意味にも聞えたのでありますが、私はそういう点を考えずに、客観的な立場から、ただいま神奈川県につき、長野県について政務次官の言われた通り判断をいたしたのでございます。反対があったというのは、むしろ、自民党のためにならぬからという反対が、わが党の人にあったのではないかと思いますると、ここはよくお話し申し上げまして、こういう理由でこういうふうにしたということを申し上げる以外に、自分の党の問題としてはないと思います。ただ反対があったということをもってすれば、自民党反対したのですから、自民党のためにならぬというならば、私は別に御説明しなければならぬ、こう考える次第でございます。
  147. 滝井義高

    ○滝井委員 政党政治というものは、やはり地方自治体におけるそれぞれの党員を基盤にしてできておるものです。そのあなた方の基盤である党員が脱党して、あるいは、福岡県のごときは、中央で公認をしてきても地方では受け付けぬぞ、こういうことを実際新聞で発表してきている。そういう点から考えて、政党政治がそういう形でりっぱに健全に発達し、政局の安定ができるかということを言っておる。問題は国会だけの数でものはきまらないのですよ。たから、この案自体、あなた方の論理の筋の通っていない具体的なものが、氷山の一点としてすでに出てきておるのではないかということを、私は申し上げておるのです。だから、その点もう少し筋の通った御説明をいただかなければ、今のところではどうも納得ができない。もっと筋の通った御説明をして下さい。
  148. 太田正孝

    太田国務大臣 はなはだ申しわけないことですが、自分のことを申し上げたいのです。私の生まれ故郷は反対しております。しかし、私の立場からいたしまして、生まれた郷里から四里も離れて全然関係なくなっております。しかし、私自身の建前から、また今度の選挙制度というものの本質から見まして、私は自分のことを一切申しませんでした。また、神奈川県におきましても、ある大臣の出生地が入る入らぬという問題がやかましくなりましたか、これも入っておりません。かようなことをすべきものではない。しかし、生まれた故郷においては、何とかして自分の方をよくしたいという考えはあるではございましょうが、私自身としては、この区割りをするにつきまして、かかることは私自身にとって私心であると思いましたので、これを除外いたしたような次第であります。いろいろな批判は起りましようが、私はそういう意味におきまして、ほんとうにただ一つの動きがあるからと申しても、よくこの筋を通して御説明しなければならぬことであると思うのでございます。
  149. 滝井義高

    ○滝井委員 大臣自分のところも反対があると中しましたが、実は、私の申しておるのは、何も故意に反対しておるとかなんとかいうことを申しておるのではありません。たとえば、あなたの御説明では二大政党を育成するのだ、こういうこと、そして、しかもそれで政局の安定を来たすのだということでございますが、その基盤であるあなた方の党員自身が下部で反対をせられておる。しかも、その反対も横車を押しての反対ではない。たとえば、神戸市のごときは、明らかにこの人口割りの面からいっても五人でなければならぬものを、四人である、これは明らかに不合理だということは、小選挙区制の立場を一応認めながらも、それが不合理だという点の指摘されておるのです。あるいは、福岡県においても、小選挙区の立場自民党の支部は認めながらも、なお、六区においては、これは世論が許さない、こういうことで反対をしておる。たとえば、あなたは現在の地方紙をひもといてごらんなさい。この公職選挙法の改正が再度この国会に出て以来、地方紙が一齊に筆をそろえて反対をして、しかもそれを社説に掲げた例はかつて過去にないのです。中央紙が筆をそろえて一齊に反対を声明し、あるいは反対したことはありますが、地方の新聞が一齊にしたということはないのです。これをわれわれの医学の方でたとえてみれば、これは結局基礎医学と臨床医学に当るのです。そこで、基礎医学の力においては、実際面がわからぬので、これはいわば中央紙、これは抽象的なな賛否の論をやります。しかし、地方紙というものは、地方の生活にに直結して、その地方の生活基盤というものに血を通わせ肉をつけておるのです。いわば医学でいえば臨床家なんです。この臨床家である地方紙がすべて筆をそろえて反対しておる。これは一面どういうことかと申しますと、地方紙がそういう強硬な反対をしておるが、この小選挙区制の是否、可否というものがまだ国民に徹底をされていないということが、同持に現われてきておるわけです。これは、地方でそれが現われて、具体的に国民が納得をして、小選挙区ならばよろしいという、こういう結論が出ての法案提出であるならばいい。まだ可否が論議される前に、しかも結論が出ない前に出しておるために、あなた方の党自身さえもが反対が出てきておる。こういうことなんです。従って、これは、国民もまだ納得ができない、あなた方自身の党の中からも反対が出ておるというならば、とても二大政党の育成あるいは政局の安定どころではない。国会自身においても、見てごらんなさい、この法案が出たために重要な法案というものが停滞をしておるということは、明らかにこれは政局不安定を来たそうとしておるのではありませんか。これは一番大事な基本的な問題ですよ。ここを一つ筋の通るように、あなたのところが反対だったから、それは納得させるのだということでなくて、客観的事実が出てきている。ここをちょっとはっきり説明して下さい。
  150. 太田正孝

    太田国務大臣 お答えいたします。言論界のいろいろの批評は傾聴いたします。今のあなたのお言葉の中に一つ問題になりますのは、小選挙区制になれておらないときにというお言葉がありましたが、皆様方ののよくお引き合いに出される選挙制度調査会答申は、五項目希望を書いております。そのうちの最も力を入れた点は、第五項目にある啓発ということでございます。私は、この答申案の印意味におきましても、かかる啓発を要するということは認めるのでございまして、何も了解を得ないで、ここに小選挙区制をしこうという考えとは違っておるのでございます。これをお答え申し上げます。
  151. 原茂

    ○原(茂)委員 今のは非常に重要な問題だと考えますが、そこでまず違った角度から一つお伺いしてみたいと思います。ほんとうに正しく政局を安定しようという場合に、私ども議会人の立場からどういうことが一番大事かという問題が一つ考えられると思う。私は、真の政局安定をわれわれ議会人が考える場合に一番大事なことは、この議会により多くの国民意思を率直に反映させて政治を行う、これが政局安定の第一の要諦だと思うのです。もしほんとうに政局を、あるいは国家の治安も同じでありますが、これを正しいもの、安定せるものにしようと考える場合に、これをも含めた政局の安定でなければ、正しい公党としての政局安定論にはならないと思う。従って、もしわれわれがこの政局をほんとうに安定させようと考えたときに、一番先に考えなければいけないことは、これは国代の大多数の世論、正しい意思というものを率直にこの国会に反映させる、このことが何をおいても第一必要な要諦だと考えますが、大臣はどうお思いになるか。
  152. 太田正孝

    太田国務大臣 そのように私も信じます。     〔山村委員「国会議員の数できまるのだ」のだ」と呼ぶ〕
  153. 原茂

    ○原(茂)委員 たまたま、与党理事の山村氏が、国会議員の数がこれをきめる。大臣も、そのように考えます。おそらく両方とも一緒に合わさった答えだろうと思う。まことに名理事がおるものですから、一つその点に関しても大臣にお伺いをしておきたい。いわゆる国民意思というものが正しく国会に反映するためには、現在出ている自民党の代議士の数がそれを決定しているのだ、こういうことを今うしろで率直にヤジがあったわけですが、大臣はこの点はどお考えになるか。政局安定に関係があるので、この御答弁を、お願いしたい。
  154. 太田正孝

    太田国務大臣 国会政治は数でございますによって、そういう意味の観点もあろうと思います。ただ、小選挙区制の問題につきましては、昭和二十六年の八月に答申が出まして以来、その後における政界の動き等を、見まして、健闘の世論も私は小選挙区制にあったと信ずるのであります。従って今回提案した次第であります。
  155. 原茂

    ○原(茂)委員 この問題は、いわゆる民主主義下の多数決原理というものに敷衍していかないと、解決できないと思いますが、少くともこの多数決原理が今日の議会の運営をなしていることに間違いありません。これは議会人として率直に認めざるを得ないわけです。この多数決原理の現象が、議会に与党となり野党となって議席が決定されるわけです。すると、この多数の議席を占めた代議士の意思というものが、今日いかなる議案、いかなる重要法案を審議しようとする場合でも――選挙の当時には何ら約束、公約ができていない重要問題を、新たに、この多数をたまたま得た一政党が議会に出してきた場合に、これが多数を占めているから、すなわちその政党国民多数の意思をこの議会に反映していると、こういうふうに解釈できるものかどうか。
  156. 太田正孝

    太田国務大臣 この数年来の政治の動きを見れば、苦々しい事件のあったあとのことでもございますが、五つの政党が集まって、いろいろ御相談なすったりいたしました。私はちょうど落選中でございましたが、非常にいいことだと思いました。そうして世論も小選挙区によって安定をはかるべしという考え方を出しておったというのが、私の見方でございます、
  157. 原茂

    ○原(茂)委員 私の質問に焦点が合ってこないのですが、要するに、はっきりいいますと、現在自民党は三百以上の議席を占めている。従って、今日自民党考えていこうとする政策、今日新たに自民党がこの国会で成立せしめようとする重要な法案があった場合、これが国民意思に合ったもの、国民多数の意思であると、かように考えられるかどうかと聞いているわけです。
  158. 太田正孝

    太田国務大臣 政治の動きに対して安定をはかろうという意味において、国民意思であると私は思っております。
  159. 原茂

    ○原(茂)委員 そういうことになりますと、前の選挙のときの主権者にに対する公約、約束、こういうものに、やはり言及しないといけなくなると思うのです。そこで多数決原理の問題がここにまた戻ってくるわけですが、少くとも私ども選挙に立候補いたしまして今日議会に出て参りますのには、国民から政治に関する負託を受けて参ったわけであります。私どもは、選挙に際しては、かかる政策を行うという重要な約束をして、それに一対する個々の政策に関しての選挙民からの負託を私どもは受けてきたものと思う。全然約束がなくて、選挙における公約がなくて、単に自民党という看板だけに、社会党という看板だけに投票されてきたのではない。少くとも、公党たる私どもは、われわれの政策というものをはっきり個々に打ち出して、この総括したものに対して、自由党あるいは民主党あるいは社会党に、この一票々々が負託の形で集まってきたその結果、私どもはこの議会に出てきたものと思う。とす、れば、ここにいかに過半数の多数を占めてきょうとも、その多数のやる仕事、国民から受けてきました受託の権限、この範囲はおのずから私はきまっているものと思う。もしこの範囲からどんなに大きく逸脱しようとも、選挙のときの約束とどう違う重要法案がどんなにたくさん出ようともかまわないのだ、今多数を議会で占めていれば、これが国民多数の民意の反映なんだ、こう言ってしまうと、これは、選挙の持つ意義に対して、私は非常に疑義を生じてくると思う。こういう点で、政局安定に名をかりて、この小選挙法案を今皆さんがお出しになっている。むしろ、ある意味では、あらゆる重要政策基本的に新たに決定する基盤を変えていこうとするような、何にもまして重要なこの法案をここに出そうとする以上は、このことがさきの選挙国民に公約として約束されているかどうか。このことを国民に訴えて、まず小選挙区をおやりなさい、こういう負託を自民党は受けて出てきているかどうか。こういうことを顧みたときに、さきの選挙では決してこの小選挙区案というものを国民に問うてはいなかった。しかもこの法案がいかに重要であるかということは、かつてない国民的な世論、いろいろな反映等を見てもよくわかりますし、しかも、議会人たる私どもは、長官も含めて、この法案が通過するしないによって、あるいはその成立の形によっては、私ども自身政治家としてのある種の期間の生命をも左右する、われわれにとっても重大な問題であることに間違いはない。従って、社会保障制度をどうする、あるいは食糧の増産をどうするといったことも重要課題ではありますが、これにも増してそのことを根本的に左右するような重要法案だと考え得るこの小挙選区制の法案をかつて選挙で約束をしていないときに、今日ずるずると、多数であるから国民世論がわれわれによって代表されているのだという考えのもとに、これをこの議会で通過せしめることが、民主主義のもとにおけるわれわれの多数決原理を通して見たときに、一体正しいかどうか、こういう点を一つ率直明快にお答えを願いたい。
  160. 太田正孝

    太田国務大臣 選挙民に対して公約を守るべきことは申すまでもありません。しかし、最近における政治の動きを見ましても、民主党と自由党が一緒になったということにつきましても、公約以外の大きな政治考えとして実行されたことと私は思います。あのときに、民主党の方々、自由党の方々が、公約として、はっきりと、選挙に、必ず合併するということの意思は表さなかったけれども、大勢は国民のためにやったがいいというので、この保守合同ができたと思います。社会党については私は存じません。選挙のときに、この選挙法をどう改正するかということを個人々々で述べられたお方は相当多かろうと思います。私もその一人でございます。けれども、党議として小選挙制度云々ということをきめておったやに私は記憶しておりません。だがこの数年来の大勢といたしまして、だれも、政党に籍を置く者は、ここに二大政党の対立、政局の安定ということを考えておる。これは既定事実とさえ私は思うのでございます。選挙のときにすべての問題をかけることはもちろんできませんが、大問題であることは原委員意見に承服いたします。しかし、これは、二十六年以来議論が戦わされ、賛成論が勝ちを占め、そうして、あの忌まわしい乱闘騒ぎまで起った、議会のほんとうの姿において何の弁解もできないようなことが起った。その後におきまして五党会談なるものがあり、世論は――私は選挙の公約以上に大きな問題であったとさえ思うのでございます。私は決して有権者に対して刃向うという議論ではございませんか、私の常識におきましては、この問題こそすでに世論としてきまっておることで、野党であろうと与党であろうと、賛成して下さるのが筋であると私は思うわけでございます。
  161. 原茂

    ○原(茂)委員 どうも大臣は御自分都合よく非常に飛躍した論理をおっしゃっているのですか、まず第一点でおかしいのは、数年前からわれわれ政党人は常識としてもうすでにこのことは考えていたのだ、こういうことをおっしゃった。だから、選挙民たる国民は、これは当然承知の上、はっきり打ち出さなくても、ある意味の了解をして、われわれ選挙に臨んで政策に掲げなかったけれども、この小選挙区案というものを暗にもう理解をしておったはずだ、こういうふうにおっしゃったと聞くわけです。もしそうだとすると、公党たる私どもは、そういったすでに国民の常識だと考えるような問題であろうとも、今大臣もおっしゃるように、非常に重要なこの問題を、選挙のときに第一番に掲げて、当然はっきりとこれをやる、やらないを約束してかからなければ、これは、選挙に対する私ども政党、いわゆる公党人としての態度に反する、私はこう思います。それから、第二点は、今、大臣は、大部分が賛成をしているこの法案、こうおっしゃった。大部分のだれが賛成しているのかは知りませんが、この国会の代議士の数だけは大部分の人が賛成と言えるかもしれない。本心は知りませんよ。形の上では与党の諸料は大部分賛成ということは確かに言えるかもしれませんが、冒頭にも申し上げたように、国民世論の非常に大きな反対があるのに、なおかつ多数の賛成というがごときは、私は非常に世論を無視し過ぎた態度だと思いますが、その二点に関してもう一度重ねて御答弁を願いたい。
  162. 太田正孝

    太田国務大臣 第一点について申し上げますが、私は国民が全部了解と申しません。だから、答申の中にも啓発を要するという言葉があり、私も引用したような次第でございます。けれども世論といたしましての傾向は、私の見るところが間違いか存じませんが、小選挙区論というものは、いやしくも政治議論をするにつきまして、この数年来の小党分立、いろいろな騒ぎを見ますと、当然の帰結であり――当然という言葉が悪いならば、大多数の帰結であったと私は信ずるのでございます。  第二に、一般的に政治人もこの点について大多数そうであったかというように私は聞きましたが、私は、政治関係のある人また政治界における人の多数は、少くとも小選挙制度衣信じておったと思うのでございます。
  163. 原茂

    ○原(茂)委員 質問の焦点は多少ずれますが、時間がないそうですから、あと一問だけお伺いしたいわけですが、今大臣答弁は、とにかく賛成者が多いということが前提だと思うのです。そこで、小選挙区制の世論をあるところで私は一度切って、セクションを用いて前とうしろに考えてくると、正しい世論の分析ができると思う。すなわち、単に大臣の言う小選挙区制――小選挙区制というと、小選挙制度だけをとらえて言うなら、国民世論は今日のような形ではなかったように私も率直に認めます。ただ、しかし、調査会案はできる、政府案が出てくる、この間に今までの世論ががらりと変ってきたというのは、この政府の作った、区画割りに関してこれがはなはだしい鳩マンダーだ、太田マンダーだ、こういうことを言われる原因になったし、そのことが非常に大きな今日世論の反撃を食う原因になってきた。従って、この区画割りができる前とできた以後とでは、世論がだいぶ違ってきたように私には考えられますが、大臣はこの点をお認めになるかどうか。
  164. 太田正孝

    太田国務大臣 小選挙制度の絶対論はできないということを、私は議案の説明におきましても申し上げました。あるいは候補者立場から、あるいは結果論において死票が多いとか、あるいは選挙運動を取り締る立場の問題とか、いろいろございますが、私の見た世論と申しましてもいいほどの小選挙区論というものは、そんなにまで政局が不安定のために苦しむのだということが、私は重大な原因でなかったかと思うのでございます。  第二の問題につきまして、小選挙区論をかりによしとしても、世間議論か変ってきたというのは、政府提案が悪いから、ではないかというお話でございます。これは私どもつつしんで聞かなければならぬ言葉でございまして、私どもとしては、その区割りの一番問題になる点についても、私どもの信じたところを申し上げまして、国会の御批判を仰ぎたいと思う次第でございます。
  165. 原茂

    ○原(茂)委員 私の聞いているのは今後の質問に非常に重要なものですから、もっとはっきり率直にお答え願いたいのです。すなわち、今まで小選挙区に対して賛成の態度をとった国民か、政府案区画割りを出す以前には非常に多かった。政府、案による区画割りか出てからは、この小選挙区案に賛成する者がぐっと減って反対論者が非常に多くなった。この点をお認めになるかどうかを聞いているわけです。
  166. 太田正孝

    太田国務大臣 説明を聞いて納得されたお方、たとえば、この間のラジオで塚田君がやった説明に対して、御手洗君が大分、別府の悪いことを申されました。けれども、塚田君の言われた新潟の頸城郡に対する関係におきましては、ああそういうわけかという言葉が聞えるほどでございますによって、ただ大づかみにどうのこうのということは、私はお答えできないのでございますが、私どもは客観的立場から見てのなにを作ったつもりでございまして、ただ、今、原委員の言われる、大多数が小選挙区になっておったが、区割りが悪い。その初めの方の分については、私の小選挙区論が大勢であると言ったことを御承認下さいました。ただ具体論につきましての御批判がございましたので、その具体論は今お答え申した通りでございます。
  167. 原茂

    ○原(茂)委員 だいぶ御都合よく解釈したらしいのだが、小選挙区案に対して最初は賛成の人がたくさんあったとする。ただ国民の大多数がこれに賛成だったと言ったわけじゃないのです。非常に多くの人が賛成であったはずのものが、政府案区画割りが出ると、それが逆に反対に回ってきた、一時期を画して賛成論者までが反対になってきた、こういうことをおわかりになるかどうか、認めるかどうかを聞いているわけなのです。前半の方も、国民の大多数がこの小選挙区に賛成したなどとは絶対に考えていないわけです。少くとも、今日、小選挙区というものを、今やっております中選挙区と比較して、どういうものであるかを正しく理解している国民は非常に少いと私は思う。私も地元あるいは全国的にこの問題を中心に訴えて歩いている。しかし、選挙民各位は、大選挙区が何なのだ、中選挙区がどういうもので、小選挙区が何かをはっきりその根拠をつかんで理解している者は非常に少い。このことにむしろ私は驚いているのです。従って、前半の私の言葉をとらえて、国民の大多数が小選挙区を認めていたなどと解釈になることは大きな間違いですから、一応訂正をしておきます。  なお、この問題はまた明日引き続いてやらしていただくことにしまして、一応きょうは時間ですから終らしていただきます。
  168. 小澤佐重喜

    小澤委員長 次会は明十二日午前十時より開会いたします。  本日はこれにて散会いたします。     午後四時五十八分散会