○
真栄城参考人 私は
軍用土地委員会連合会の
顧問をいたしております
真栄城守行でございます。本日は
参考人としてお呼び下さいましてわれわれの衷情をお聞き下さる
機会を与えていただいたことに対して、
衷心感謝の意を表するものでございます。私は、
農耕地が強制収用されましたために、
住民の
生活にどのような影響を及ぼしたかということについて、その概要を申し上げたいと存じます。
沖繩は、御承知の
通り土地は狭小の上に
人口の
密度はきわめて高いのであります。その上
耕地が
軍基地設営のため取り上げられているのでありますから、
住民の
経済生活はまことに苦しいものがあります。今次
戦争で十数万の
同胞の
生命を失ったにかかわらず、二十万近くの
海外引揚者を迎えました上に、さらに戦後毎年二万人分
人口増加を示していますので、
戦前の六十万県民は今日八十万人に膨張いたしております。一平方マイル当り千百四十二人の
密度でありまして、日本の六百十人の約二倍に相当しています。今
昭和二十八年四月現在の
軍労務者
関係を見ますと、
米軍直接
雇用者三万二千五百人、請負
関係二万六千人、米国特許商社三千七百人、民
政府雇用者千六百人、合計六万三千八百人の労働力
人口が
軍関係に吸収されています。が、この数字は三年前のものでございますから、今日は相当数減っておると存じます。八十万の
人口は毎年新しい労働力
人口八千人がふえつつある現況にかんがみまして、基地
建設終了後すなわち二、三年の後にほうり出されるであろう失業者の群れを考えますと、憂慮にたえないものがございます。
沖繩は、天然資源が乏しい上に不利な諸条件が積み重なり、余剰労働力を吸収し得る大規模な企業が興り得る
可能性はないのでありまして、従って、農業を主体とする後進経済に依存するほか道はないのであります。ところで、その農業も、
軍用地に強制借り上げされたため、二戸当り
耕地面積は
戦前の五反八畝に対し今日は三反五畝に激減いたしております。軍基地が最も集中されている中頭郡は
戦前の五反五畝平均から二反二畝になり、最もひどい例は中頭郡北谷村でございまして、全村の九七%が軍
使用地に強制収用されましたので、二戸平均の
耕地反別が、
戦前の六反三畝からたった九畝に減っています。五人の家族の
農家では一人当り五十坪の畑に露命をつなぐべく余儀なくされているのが今日の状況でございます。
よく
先生方から、それなら
沖繩の農地制度はどうなっているかとお尋ねがありますが、
沖繩は、実は明治三十一年
沖繩県土地整理法が施行されるまでは、
土地は全部
部落の共有地でございました。それが、耕しておる者にそのまま所有権を認められたのが明治三十一年、そして初めて
土地台帳ができ名寄帳ができ図面ができて、その後は登記
事務ができ売買が許されるような格好になつたのでございますから、
沖繩には小作料で、耕さずして食べておる
地主は一人もいないのであります。
昭和二十九年の
統計で申し上げますと、
農家の総戸数七万二千六百戸、自作戸数が三万五千九百九十九戸、五〇%、自作兼小作が二万四千九百九十八戸、三四%、小作が一万一千六百三戸、一六%、この小作と申しましても、自作をやっておる者の
土地を幾らかずつ分けてもらいまして耕しておるという
現状でありまして、先ほど申し上げました耕さざる
地主というものはいないのであります。
比較的軍事基地に
土地を取り上げられることが少い島尻郡に、
昭和二十七年農民が主体となりまして七百五十トンの分蜜糖工場ができています。資本金は日本円で九千万円、三十万株でありますが、キビ作
農家の一万二千人と十五カ町村で辛うじて十五万株しか集まらず、万策尽きて日本の某製糖会社の好意で十万株、三千万円を引き受けてもらい、外資を導入し、さらに
戦前島尻会館を建てるために
那覇港の内側に埋め立てた二千坪の
土地を一千五百万円に評価いたしまして、現物出資の形式をとって、辛うじて九千万円、三十万株のつじつまを合せて会社を設立いたしました。これは一万三千余の農民が貧者の一灯を持ち寄って、七百五十トンの分蜜工場を建てた事実を申し上げまして、
住民の経済力がいかに貧弱で、
復興が遅々として伸び悩んでいるかということをわかっていただきたいために申し上げておるわけであります。
沖繩の経済は、軍作業によりドルをかせぐことによってささえられていると申すほかありません。
昭和三十年一月より十二月に至る米国民
政府統計部の調べによりますと、ドルの収支状況によってこれが明らかにされます。
昭和三十年度中のドルのかせぎ高は七千四百八十四万ドル、その内訳一、軍票B円販売高四千九百九十三万ドル、さらにその小分けをしますと、
軍工事収入が六一%、三千四十五万ドル、
軍労務収入が一〇%、四百九十九万ドル、
アメリカの個人消費が二五%、一千二百四十八万ドル、米人商社の消費ドル四%、百九十九万ドル。輸出でございますが、これは総額一千三百十八万ドル、そのうち砂糖は五一%、六百九十一万ドル、くず鉄が四〇%、四百二十四万ドル、その他が九%、こうなっております。三番目、海外移民地よりの送金が七十五万ドル、その他が一千九十六万ドルでございますが、これは小分けをするとたくさんになりますので、おもなるものを申し上げますと、日本
政府のお金で下さいます軍人恩給、年金、公務員恩給、こういうものが二百七十九万ドル、しこうして今日問題になっております
軍用地の
地料はたった百五十九万ドル、その他は省略いたします。
ドルの
支払いでございます。これが年間六千七百五十六万ドル、そのうちで輸入代金の
支払いが六千三百五十九万ドル、その他フィルムが六〇%、こっちに来ておる学生の学資が四〇%、三百九十七万ドル、大体差し引きましてドルの収支黒字は三十年度で七百二十八万ドル、こうなっておりまして、
昭和三十一年、今年の三月末のドルの蓄積高は三千三百二十二万ドルとなっております。このドルのかせぎ高を見まするに、年間七百万ドルの黒字を示しておりますけれども、しさいに点検いたしますと前途まことに心細いものがあります。すなわちB円販売高の六〇%を占むる
軍工事収入三千万ドルは基地
建設が完成する二、三年後は激減いたしまするし、輸出の四〇%を占めておるスクラップ代四百万ドルも、
戦争の遺産でありまして、将来性はありません。年金、恩給の二百八十万ドルも、これは年寄りが年をとってくると、また同様で減ってきます。これにかわるに輸出産業の首位たる糖業を初め熱帯作物、生牛、水産加工または加工原料、工芸特産品、泡盛等の増産
復興に力を注ぎ、
戦前をしのぐ輸出生産業等を育成せねばならぬと皆が思っておりますけれども、それには自力更生の資力があまりに乏しい
現状であります。
負担面、財政について申し上げてみますと、琉球
政府、つまり
戦前の
沖繩県の財政を御説明申し上げますと、
住民負担の苦悶
状態がよくわかりますが、目下立法院の審議にかかっている三十一年度予算について申し上げます。歳入が六十九億七千百万円、内訳は税収入が四十億八千六百万円、税外収入が十二億七千八百万円、剰余金が八億五千三百万円、民
政府補助金はたった七億五千三百万円、税収入の筆頭は源泉所得税の七億二千五百万円でございますが、これまた日本と比較いたしますと、日本は基礎控除が八万円差し引かれているのに、
沖繩は四万二千円差し引かれております。扶養家族の控除が日本は一人の場合は四万円、三人の場合は六万五千円、三人の場合は九万円、三人をこえる場合には九万円に三人をこえる一人ごとに一万五千円ずつ加算して得た金額を控除されておりますが、
沖繩はこれまた一人一万五千円に扶養家族数をかけて得た金額となっています。これをもちましても県の財政がいかに四苦八苦しているかを物語っているのでございます。
輸入物品税の対象にみそ、乾麺まで入っているので、そんな非道な扱いをするなら砂糖輸入の特恵措置を取り消して、買ってやらぬぞと日本
政府のおしかりを受けたこともありますが、とにかく火の車の台所をまかなう苦しみは並大ていのものではないのでございます。
戦争の遺産であるスクラップ輸出の際にも、トン当り七百五十円から三千円の手数料を
政府に支払っております。くず鉄と申しましてても、サルベールの大企業で海底から引きて揚げるもののみでなく、小企業の方が多く、砲弾の爆発死、海底にもぐってそのまま溺死しても出てこない等の悲劇も数えるいとまもないくらいでありまして、婦人子供まで砲弾の破片拾いをして一日二百四十円の日当かせぎをいたしております。
さきに
比嘉君から人権問題に引例いたしました週刊新潮の五月二十二日号に「射殺された
沖繩女性」の見出しで、本年四月八日MPに射撃されて苦しみながら死んでいった三十三才の若い母親のことが報道されています。この母親、与那嶺悦子は、小学二年になった長男をかしらに三人の幼児をかかえて夫一人のかせぎではとうてい五人家族の台所をまかなうことができず、わずかの収入であるにしても、苦しい家計の足しになればと、このスクラップ拾いを始めることを思い立ち、その門出に立ち入り
禁止区域とはわからず、友だち三名で入っていったのが運の尽きで射殺されているのであります。
沖繩の
住民はこの通り乳飲み子をかかえた主婦まで、
生命の危険を冒してくず鉄拾いをせねば食っていけないところまで苦しい
生活に追い込まれています。
政府の財政はまたこれらくず鉄拾いの日当かせぎのピンはねまであえてしなければならぬほど貧弱なものでございます。
私は、
沖繩がかりに
戦前並みの
沖繩県であって日本
政府のあたたかき翼のもとに置かれているとすれば、今ごろでは年間どれくらい国庫支出金の恩恵に浴し得るかということを考えてみました。すなわち
沖繩の
人口八十万に近い福井、奈良、山梨三県について調べてみたのであります。福井県
人口七十五万人、
昭和二十九年度決算七十七億円、
昭和三十年度国庫支出金六十四億円、奈良県
人口七十六万人、
昭和二十九年度決算六十五億円、
昭和三十年度国庫支出金五十三億円、山梨県
人口八十一万人、
昭和二十九年度決算七十億円、
昭和三十年度国庫支出金七十六億円、しこうして
沖繩県八十万人はどうなっておるか。
昭和三十年度執行中の予算が六十一億円、
昭和三十年度民
政府補助金十二億円、もっとも
昭和三十年度は臨時に
那覇市に対し二億六千万円、ほかの市町村に三億四千万円という補助金が直接交付されておりますので、以上を合計してみましても十八億円にすぎません。これは福井、奈良、山梨、各県に交付された三十年度国庫支出金五十三億から七十六億に比較しますと、二分の一ないし四分の一にすぎない少額であります。三十一年度予算では、税外収入など民負担の増収が十三億円計上されているのに反し、民
政府補助金は逆に四億六千万円も減額され、驚くべし、たった七億五千万円しか計上されておりません。これはただいま申し上げた福井、奈良、山梨三県の国庫支出金と比較いたしますと、何と七分の一ないし九分の一という、聞いただけであいた口もふさがらないほどの少額でございます。これが、人情、風俗の違う国へ私
たちの意思に反し里子にやられた八十万の
沖繩人に対し、里親たる持てる国のなしつつある偽わらざる姿であります。
なおガリオア資金による道路、港湾、水道、発送電などの施設費は取り上げて御説明することを除いていますが、これらの施設はすでに民に移管され、道路を除いてその運営利潤は税外収入となって
政府収入に繰り入れられているから除いてあるのであります。
私だちは、世が世であれば三府四十三県の
一つとして
政府の施策の恩恵に浴すべき純粋の日本人に違いありません。朝鮮、台湾、関東州のごとき外地の民とは違うのでございます。不幸にして決戦場となりましたので、かく申し上げる私も、長男と弟、めい、おい二人の肉親、五人を戦場に送って戦死させました。父を初めおじの家族十一名一緒に全滅をしたのを初め、非戦闘員の戦禍死を加えると、私は肉親だけでも二十名をこえる戦禍を与えられておるのであります。しかも今日の境遇ては、私
たちの意思に反し、絶海の孤島に取り残されているのであります。
かくのごとき
沖繩八十万
住民の苦悩を取り去る根本の問題解決は、
祖国復帰の促進以外に道はないと存じます。けれども私
たちの
経済生活の
実情はてゆうゆう
祖国復帰の解決を待つにはあまりにも深刻であり、切実であり、悲惨であります。軍人遺族に対する年金、公務員の恩給などに差し伸べられました
祖国のあたたかき救援の手は、ただいま
桑江軍用土地委員会連合会長が
陳述いたしました
軍用土地にからむ諸般の問題解決の上にも御同様差し伸べていただきまして、まず実質的の
祖国復帰の線を
一つ一つ打ち立てていただくために最善の御配慮をお願い申し上げる次第であります。(
拍手)