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1956-05-18 第24回国会 衆議院 外務委員会 第45号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十一年五月十八日(金曜日)     午前十時二十八分開議  出席委員    委員長 前尾繁三郎君    理事 石坂  繁君 理事 須磨彌吉郎君    理事 高岡 大輔君 理事 山本 利壽君    理事 穗積 七郎君 理事 松本 七郎君       愛知 揆一君    伊東 隆治君       植原悦二郎君    大橋 忠一君       菊池 義郎君    重政 誠之君       並木 芳雄君    福永 一臣君       福田 篤泰君    松田竹千代君       森下 國雄君    田中織之進君       戸叶 里子君    福田 昌子君       岡田 春夫君  出席国務大臣         外 務 大 臣 重光  葵君         国 務 大 臣 高碕達之助君  出席政府委員         法制局参事官  龜岡 康夫君         (第一部長)         総理府事務官         (南方連絡事務         局長)     石井 通則君         防衛政務次官  永山 忠則君         防衛庁参事官         (防衛局長)  林  一夫君         防衛庁参事官         (装備局長)  小山 雄二君         外務政務次官  森下 國雄君         外務事務官         (アジア局長) 中川  融君         外務事務官         (条約局長)  下田 武三君         大蔵事務官         (主計局法規課         長事務代理)  中尾 博之君         特許庁長官   井上 尚一君  委員外出席者         防衛庁課長         (長官官房法規         課長)     麻生  茂君         通商産業事務官         (特許庁総務部         総務課長)   竹村 礼三君         参  考  人         (沖繩市町村軍         用土地委員会連         合会会長)   桑江 朝幸君         参  考  人         (沖繩市町村長         会土地特別委員         長北中城村長) 比嘉 秀盛君         参  考  人         (沖繩市町村軍         用土地委員会連         合会顧問)   真栄城守行君         専  門  員 佐藤 敏人君     ————————————— 五月十七日  日本国フィリピン共和国との間の賠償協定の  批准について承認を求めるの件(条約第一六  号) の審査を本委員会に付託された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  防衛目的のためにする特許権及び技術上の知識  の交流を容易にするための日本国政府とアメリ  カ合衆国政府との間の協定及び議定書の締結に  ついて承認を求めるの件(条約第一四号)  日本国フィリピン共和国との間の賠償協定の  批准について承認を求めるの件(条約第一六  号)  沖繩土地接収問題等に関して参考人より意見  聴取     —————————————
  2. 前尾繁三郎

    前尾委員長 これより会議を開きます。  本日は、まず沖繩土地接収問題等につきまして、参考人各位より御意見を聴取することにいたします。本日御出席方々は、桑江朝幸君、比嘉秀盛君、真栄城守行君の三名であります。  議事を始めるに当りまして、参考人各位に一言ごあいさつを申し上げます。本日は御多忙中のところ、特に当委員会のために御出席下さいまして、まことにありがとうございます。本日の議事の順序について申し上げますと、まず参考人各位からそれぞれの御意見を開陳していただき、もしそのあとで委員から質疑がありましたら、それにお答えをいただければ非常に幸いだと思います。  念のために申し上げますが、衆議院規則の定めるところによりまして、発言はそのつど委員長の許可を受けることになっておりますので、御了承願います。また発言の内容は、委員の聞こうとする案件の範囲を越えないようにしていただきたいと思います。なお参考人委員に対しては質疑をすることができないことになっておりますので、あらかじめ御了承を願いたいと思います。  それでは参考人の御意見を聴取することにいたしますが、実は時間の関係で、できたら十五分程度以内にしていただけば幸いだと思います。まず桑江朝幸さんから御意見を承わりたいと思います。
  3. 穗積七郎

    穗積委員 議事進行について。参考人方々にちょっとお願いいたしておきますが、きょうは十分いろいろお尋ねをしたり、御意見を聞かしていただいたりしたいと思っておりますが、最初は今委員長からのお話のように、お三人でそれぞれのアウトラインといいますか、概括的な問題だけを一つ提示していただいて、あとわれわれの質疑を通じて、十分御意見なり実情をこまかい点についてお知らせいただくことが便宜ではないかと思いますので、そういうふうに私としては希望を申し上げておきます。
  4. 前尾繁三郎

    前尾委員長 では桑江朝幸君。
  5. 桑江朝幸

    桑江参考人 私は沖繩軍用土地委員会連合会長をしております桑江朝幸であります。本日証言機会を与えていただきまして、まことにありがとうございます。私たちは一日も早く母国の温情ある手が差し伸べられまして、現在困窮しております軍用地住民に生きる希望を与えていただきますよう切にお願いいたしまして、あらましの軍用地問題に対する陳述を行いたいと思います。  沖繩軍用地問題を説明いたしますには、まず講和前と講和後とに分けて説明せねばならないのであります。なぜかと申し上げますと、講和前におきましてはアメリカの方が平和条約の第四条と第十九条をたてにとって補償しない、講和後におきましては補償するというように、講和発効の日を境といたしまして、明確に線を区切っているからであります。まずこの状態を説明いたしますに、写真とあわせまして説明を申し上げます。  いかに沖繩軍用地住民が苦しんでいるかということは、これは読谷村の宮城盛蒲さんという人の開墾している様子でございます。この写真は、この宮城盛蒲老人は現在六十四才になりますが、戦前土地五千坪余りを持って中堅農家としてやっておりました。それが一千四百坪余り、まず終戦以来兵舎になりまして、昭和二十七年の十月に至りましてさらに三千六百坪のこの人の畑を接収されて、一坪も持たないようになったのであります。幸いにいたしましてこの宮城老人は二十六年の十月ころ、さき兵舎になっていた土地がその手に返って参りましたので、全部の土地を接収されたこの人は兵舎の跡、コンクリート三尺も石ころの敷き詰められたところを三年間かかってやっと三反歩の畑を開墾して、そして生計の道を立てております。三年間に三反歩、三尺の石ころを敷き詰めてあるところをつるはしでもって耕していかなければならない。それはなぜかと申し上げますと、この人に対してアメリカ土地を接収するときに離作料移転料、その他の基本補償が全然なされてないのであります。そして解放するときには、お互い常識といたしましてのしをつけて返すのが普通でありますけれども、この土地を七年間ただ使いしておいて、この宮城老人に返したときには、実に三カ年間つるはしをふるう責苦とそして飢えと涙とをもってこの人に報いたのであります。このような事態がまだ——この六十四才になる宮城老人はまだ開墾を続けて、残りの千六百坪を今手がけているのであります。この点に対しましては、アメリカ調査団にも実情を見せて訴えてあります。  その次にお目にかけますのは、北谷村の砂辺区という戦前ごく風光明媚なところでありましたが、この土地軍道路建設と、それからビルディング建設のために石や砂を掘り取って、そのままの形で地主に返しております。沖繩地主といいましても、わずかに三反や四反歩人たちでございます。この人たち土地をこういうような残骸にして返して、一銭の復元の補償もないのであります。そしてようやく四カ年かかりまして、この百三十戸ぐらいの部落人たちはこの補償アメリカに請求したのでありますが、アメリカの方は、これから上の四十一戸分は講和発効後にやったからこれから上は補償するといって、四十一戸分の六百万円を去る三月二十五日にいただいております。しかしながらこれからこちらの方は、講和発効前になしたところだからアメリカの責任はないから払わないといって、八十一戸世帯がもらってないのであります。このようにして現在のアメリカ沖繩土地問題に対しましては、講和前と講和後とはっきり区分されているのであります。  そういたしましてこの住民は一体どういうように住んでおるか、軍用地から追い払われているこの沖繩住民はどういうような形態で住んでおるか、これは住んでおるところの写真でございます。わずか宅地が三十坪、これが八割が農家であります。四百三十戸世帯が一部落になっておりますが、これが八割が農家であります。宅地は幾らかと申しますと三十坪である。なぜか。戦前この人たちはやはりおもやを持ち、肥料小屋を持ち、それから厩舎、畜舎、井戸も全部整えた屋敷の中にこの部落はあったのでありますが軍用地に接収されまして、そうしてこのような潮風の吹く傾斜地に移されたのであります。これが火災でも一たび起りましたら一なめでございます。その危険もこの人たちはよくわかっております。また伝染病が起きたときには、この一部落はどうにも手がつけられなくなるということもよくわかっております。どうしてここからほんとう農家としてやっていく屋敷を持ち、おもやを作り、肥料小屋を作り、畜舎を作って、ほんとう農家形態をなしていかないかといいますと、この人たちには前申し上げましたように、接収するときにその住民を更生させるところの移転料だとか、それから離作料、そういうような基本補償がなくして、わずかにたばこ光二本代の賃貸料——一年間に一坪六円九銭というこの賃貸料でやられておるから作る能力がないのであります。このようにいたしまして沖繩軍用地から追われた人たちは住んでおります。  それからもう一つ、これはアメリカ議員団にも訴えました一老農夫証言でございますが、東盛栄というこの老農夫戦前馬一頭、牛二頭、豚二頭、乳用ヤギ二頭、難十羽というふうに、畑は一級地四千坪も持った中堅農家としてやっておりました。この七十四才になる東盛栄さんは全部が飛行場にされて土地を取られて、そして戦争でそのむすこを失って、夫婦二人でよそのところに五十五坪の屋敷を借りて、九坪のうちを建てて住んでおります。アメリカから渡される地料はわずかに月に二千九百円余り沖繩生活には一カ月どうしても一世帯当り一万五千円なければならないのにへわずかに三千円近くの金が入るだけであります。こういうように、今沖繩軍用地住民は、実に惨たんたる生活を続けております。これも要は土地接収に対する人道的な措置が現在までなされてなかったというところに原因があるのであります。私たちは全財産を接収され肉親のだれかを失って、現在銀行預金すら、保険料金すら為替管理法によってここに凍結されたままになっております。まる裸にされまして、私たち沖繩のあの小さい島に住んでおります。一人当り軍用地を除きますと、一平方キロの人口密度が実に四百四十三人という、この小さい島の人口の稠密さを示しております。講和後の賃貸料に対しましては、先ほど申し上げましたように、平均いたしまして、六円九銭の賃貸料アメリカから支払われております。そしてもう一つ、私たちは三年間にわたってアメリカと折衝しておりますけれども、まだその解決の見通しもつかないやさきに、またまた一万二千町歩という膨大な面積新規接収を発表されております。  この新規接収はどういうような形で行われているか、果して民主的に行われているかどうかを申し上げねばならないのであります。そのやり方はまず土地収用告知書土地調査立ち入り通告前に、借地料その他の基本となるべき補償に対し土地所有者と合議することもなければその意見も聞かないのであります。その次に、地上物に対しまして調査立ち入り期日接収予告とを同時にして、その後に植え付けた作物や、建物に対しては補償はしないのであります。立毛補償はしないのであります。ましてや離作料支払いはないのであります。その次に接収される土地所有者更生策を全く考えてないのであります。たとえば代替地を与えるとか、あるいは生業資金を与えてやるとか、そういうような処置が全くなされてないのであります。それから施料が適正かいなかを接収する以前に審議する期間やその組織もないのであります。土地所有者から値上げを要望されましても、その土地所有者意見を耳にも入れないで、米国工兵隊の一回示された賃貸料を変更することなく、強行しでいくだけであります。そしてそのやり方に対して不服だったら訴願しなさいといっておりますが、講和発効後接収された土地が相当ありますけれども、まだ一回もその訴願に対して審理したことはないのであります。それからもう一つ重要なことは、その沖繩土地接収に当って補償する基準を持たないのであります。それだからその事務を取り扱う係官のその日のきげんや、あるいは土地地主たち抵抗の度合いによって、その補償額がその日そのときに変るということであります。このようにいたしまして実にわれわれの力ではどうにもできない状態にまで至っております。  ただ一点、いかに不合理な地料であるか、いかに不合理なやり方をしているかという点について申し上げますと、戦前国県有地アメリカ軍が管理しております。その管理した土地を再び沖繩人たちに貸しております。その貸している地料は年に坪当り百八十円で沖繩人に貸しております。反対にその隣の沖繩人たちから借りた軍用地賃貸料は、同じ宅地で同じ等級で幾らわれわれに払っているかと申し上げますと、実に二十四円三十銭でございます。一方は年に百八十円で沖繩人に貸して、自分たちが借りる方は二十四円三十銭で借りている。このような不合理な点が方々に見受けられるのであります。大体現在沖繩におきましては一万六千三百町歩余り陸地面積の一二・七四%程度軍用地になっておりますが、さらに一万二千町歩が接収されようとしている。これを今私たちは全力をあげて阻止しようとしておるのでありますけれども、これが達成しない場合には、実に沖繩の四分の一の面積にわたってアメリカ軍用基地になるわけでございます。私たちは一、適正な地料支払い、二、新規接収反対、三、一括買い上げの絶対反対、四、損失補償早期支払い、これを四原則と名づけて三カ年間、アメリカに対して折衝を続けておりますが、いまだに見通しがついていないのであります。私たちは一坪の領土でもアメリカに売り渡すまいとして、われわれ軍用地住民はいかに苦しい生活をしようとも、この領土権自分たちで守るのだといって、一括買い上げを絶対に阻止しております。この八十万同胞領土権を守り、やがては復帰する日を待っているこの気持に対しまして、どうか母国の愛情を振り注いで育てていただきますようお願いする次第でございます。  現在私たちの七カ年間にわたる賃貸料その他の補償額は百七十億未満になっておりますが、この百七十億の補償政府の都合によりましては二回、二回にわけて、二年、三年にわたって受け取ってもよろしゅうございます。私たち戦前講和条約発効前まではりっぱな沖繩県として存在していたのであります。よって私たちは、すべてこの土地の問題に対しまして、何とぞ他の都道府県と同様の取扱いによる処理をしていただきますようお願いいたしまして、私の軍用地問題に対する陳述を終りたいと思います。ありがとうございました。(拍手
  6. 前尾繁三郎

    前尾委員長 比嘉秀盛君にお願いいたします。
  7. 比嘉秀盛

    比嘉参考人 私は沖繩市町村長会相談役をしております比嘉秀盛という者であります。  本日は貴重な時間をさいてもらい、沖繩の事情を聞いていただく時間を与えて下さったことに、厚く感謝申し上げます。講和発効後すでに五年、今なおアメリカの三権のもとにある沖繩住民生命財産がいかに取り扱われておるか、その実情を申し上げ、先ほど桑江君から申し上げました終戦から講和発効前の米軍の用に供した住民財産損害補償の陳情をお聞き届け相なりますよう懇願するものであります。  民主主義をモットーとし、人権の尊重を表看板にしておるアメリカ行政下における沖繩におきまして、住民生命がいかに軽視せられておるか、実例の一部を申し上げますと、最近のできごとでありますが、一沖繩婦人米人ガードによって射殺された事件があります。射殺された場所は立ち入り禁止地区でありますが、さくもないところでありまして、立て札はあったに違いありませんが、これにも気づかず、くず鉄を拾いに行って射殺されたのであります。四月十日付沖繩タイムズ紙は、「射殺事件に義憤す」と題し、たとい立ち入り禁止を知りながらこれを侵したとしても、また盗み意図があったとしても、とうとい人命をかくも粗末に扱われることに義憤を感ずる。特にこの婦人は盗み意図もなく、アメリカ危険防止のために権力をもって一方的に禁札を掲げてあることを知らないで立ち入った場合においておやであります。何らの抵抗もなし得ないであろうか弱い女性を射殺することほど無情なことはないとしてあります。また沖繩子供を守る会の声明書には、人間は虫けらでもない。人命は紙くずでもない。私たちの周囲でこのような事件は幾たびか発生した。私たちはあのユミ子ちゃん事件、すなわち六才の幼女を強姦致死、そして遺棄した鬼畜にも劣る事件が、決して突発的事件でないと声明した。今後どのような形で、いつどこでだれが悲惨な犠牲になるかわからない。このような事件が今後に起る可能性は少しも消えていないとして、住民の激しい怒りを爆発させております。  私はこの問題と関連いたしまして、手持ちの資料から、米軍部隊を初め外人による沖繩住民への発砲事件その他の殺傷事件統計を調べてみましたが、部隊並びに外人住宅等における沖繩住民殺傷は、死亡、重軽傷を含めて、最近四カ年間で十八件に達し、部隊外における殺傷事件は、最近五カ年間で殺人三件、殺人未遂三件、強姦致死一件、強姦二百九件、強姦未遂十七件、強盗百十八件、強盗未遂八件、放火十一件、放火未遂五件、住宅侵入七十八件、器物毀棄二百九十五件となっており、その他の軽犯罪は実におびただしいものであります。また外人交通事故による沖繩住民被害は、過去九カ年間で死亡百二十四名、重傷百八十五名、軽傷三百九十三名、計七百二名になっております。そうしてこれらの被害の多くは、何ら補償もされぬままに放置されておるのであります。それから数年前那覇上空で演習中の米軍ジェット機から火のついたガソリン・タンクが民家に落下して家を焼き、家人を死傷させた事件がありましたが、何らの補償がなされていません。また先年伊是名という離島村にも軍用機が墜落して民家に大損害を与えておりますが、これまた何らの補償もなされていないのであります。これら虫けらのように取り扱われた生命及び未補償財産被害等を考えました場合、今なお戦争状態が続いているかのような錯覚を起させるのが沖繩現状であります。  次に軍用地のために耕地の四四%も失った住民の八〇%、すなわち六万三千八百人は軍労務によってようやく生計を営んでありますが、琉球政府統計部調査によりますと、昭和二十八年七月現在、軍の直接雇用者月額平均賃金は男子九千三百円、女子五千七百円、男女平均しますと八千四百円となっております。琉球政府立法院は、一九五四年八月の調査において、次のごとく発表しております。軍関係雇用者月額平均八千四百円、民間雇用者、すなわち銀行その他民間会社の被雇用者が一万三千八百九十九円、琉球政府公務員一万三千四百五十五円、以上の三者の賃金を、民間雇用者指数を一〇〇としました場合、琉球政府公務員は九六・八、軍関係雇用者は六〇・四になっております。このように民間被一雇用者賃金一〇〇に対し軍被雇用者が六〇・四という低率を示しているのでありますが、さらに考えさせられる問題は、アメリカ人フィリピン人と比較して、人種的差別労働賃金の上に極端に示されておることであります。アメリカ人時給最高が二千二百五十六円六十銭、最低時給三百七十五円六十銭、フィリピン人時給最高五百九十円四十銭、最低百四十四円であるのに比較して、沖繩人時給最高七十五円、最低二十八円五十銭であります。これは軍用地のために、土地を失い、軍労務賃金によって生活をしておる沖繩住民にとってあまりにも気の毒な状態であると言わねばなりません。  軍用地の問題については、市会第百九号の収用法により地主の意思を尊重することなく接収せられ、しかもその賃借料が不適正であるということの不満ばかりでなく、米国国務省関係使用地米人商社使用地軍工事諸負業者使用地ガリオア道路用地等、また軍用地のために土砂等が取り去られ、人力をもってはとうてい回復できない原状回復補償費那覇市垣花町のごとき港になった滅失地に対する補償費、なお水源地軍用に供せられたため、その下流にあった水田が枯渇し、耕作不能になった損害等補償費が、講和発効前から未払いになっておるのであります。ゴルフ場のごとき娯楽を農耕地として最も肥沃の土地に施設していること等、これらのものがすべて住民生活権を侵害しているといっても過言ではないのであります。なお終戦から講和条約発行前の補償については、事実アメリカが使用しておるにかかわらず、条約たてにとり、その補償をいたしておりません。  かくなる上は、われわれ沖繩住民祖国に訴え、われら住民財産に対する損害補償していただきたく懇願するものであります。あの可憐なひめゆり部隊や中学、師範の健児隊祖国の必勝を信じつつ喜んで死んでいったとうとい犠牲に対しても、生き残れる沖繩住民は、その家族生活をよくし、沖繩復興をはかる責務を負わされておるのであります。そして沖繩民族を強権の圧力により滅亡させることがないように努力しなければならないと思うのであります。国会の諸先生方におかれましても、たとい行政は分離せられておる現状におきましても——戦争中降り続く雨の中をもんぺ一つで泥まみれになり、しかもつけるに忍びない状態にまですり切れた服をつけ、友軍とともに活動しながら、たった一つ大切に最後まで持っていたものは何でありましょう。それは彼らの制服であります。彼女らは死を最初から覚悟いたしておりまして、死ぬときには校服をつけ、誇りあるやまとなでしことして、りっぱに祖国生命をささげたいというけだかい精神であったのであります。そして日本帝国の万才を唱えて死んでいったのであります。どうかこれら犠牲になった若き青年男女の死を価値あらしめられたく、そして立ち上らんとあえいでおる沖繩復興に御援助あらんことを重ねて切願するものでございます。ありがとうございました。(拍手
  8. 前尾繁三郎

    前尾委員長 次に真栄城守行君にお願いします。
  9. 真栄城守行

    真栄城参考人 私は軍用土地委員会連合会顧問をいたしております真栄城守行でございます。本日は参考人としてお呼び下さいましてわれわれの衷情をお聞き下さる機会を与えていただいたことに対して、衷心感謝の意を表するものでございます。私は、農耕地が強制収用されましたために、住民生活にどのような影響を及ぼしたかということについて、その概要を申し上げたいと存じます。  沖繩は、御承知の通り土地は狭小の上に人口密度はきわめて高いのであります。その上耕地軍基地設営のため取り上げられているのでありますから、住民経済生活はまことに苦しいものがあります。今次戦争で十数万の同胞生命を失ったにかかわらず、二十万近くの海外引揚者を迎えました上に、さらに戦後毎年二万人分人口増加を示していますので、戦前の六十万県民は今日八十万人に膨張いたしております。一平方マイル当り千百四十二人の密度でありまして、日本の六百十人の約二倍に相当しています。今昭和二十八年四月現在の軍労務関係を見ますと、米軍直接雇用者三万二千五百人、請負関係二万六千人、米国特許商社三千七百人、民政府雇用者千六百人、合計六万三千八百人の労働力人口軍関係に吸収されています。が、この数字は三年前のものでございますから、今日は相当数減っておると存じます。八十万の人口は毎年新しい労働力人口八千人がふえつつある現況にかんがみまして、基地建設終了後すなわち二、三年の後にほうり出されるであろう失業者の群れを考えますと、憂慮にたえないものがございます。  沖繩は、天然資源が乏しい上に不利な諸条件が積み重なり、余剰労働力を吸収し得る大規模な企業が興り得る可能性はないのでありまして、従って、農業を主体とする後進経済に依存するほか道はないのであります。ところで、その農業も、軍用地に強制借り上げされたため、二戸当り耕地面積戦前の五反八畝に対し今日は三反五畝に激減いたしております。軍基地が最も集中されている中頭郡は戦前の五反五畝平均から二反二畝になり、最もひどい例は中頭郡北谷村でございまして、全村の九七%が軍使用地に強制収用されましたので、二戸平均の耕地反別が、戦前の六反三畝からたった九畝に減っています。五人の家族の農家では一人当り五十坪の畑に露命をつなぐべく余儀なくされているのが今日の状況でございます。  よく先生方から、それなら沖繩の農地制度はどうなっているかとお尋ねがありますが、沖繩は、実は明治三十一年沖繩県土地整理法が施行されるまでは、土地は全部部落の共有地でございました。それが、耕しておる者にそのまま所有権を認められたのが明治三十一年、そして初めて土地台帳ができ名寄帳ができ図面ができて、その後は登記事務ができ売買が許されるような格好になつたのでございますから、沖繩には小作料で、耕さずして食べておる地主は一人もいないのであります。昭和二十九年の統計で申し上げますと、農家の総戸数七万二千六百戸、自作戸数が三万五千九百九十九戸、五〇%、自作兼小作が二万四千九百九十八戸、三四%、小作が一万一千六百三戸、一六%、この小作と申しましても、自作をやっておる者の土地を幾らかずつ分けてもらいまして耕しておるという現状でありまして、先ほど申し上げました耕さざる地主というものはいないのであります。  比較的軍事基地に土地を取り上げられることが少い島尻郡に、昭和二十七年農民が主体となりまして七百五十トンの分蜜糖工場ができています。資本金は日本円で九千万円、三十万株でありますが、キビ作農家の一万二千人と十五カ町村で辛うじて十五万株しか集まらず、万策尽きて日本の某製糖会社の好意で十万株、三千万円を引き受けてもらい、外資を導入し、さらに戦前島尻会館を建てるために那覇港の内側に埋め立てた二千坪の土地を一千五百万円に評価いたしまして、現物出資の形式をとって、辛うじて九千万円、三十万株のつじつまを合せて会社を設立いたしました。これは一万三千余の農民が貧者の一灯を持ち寄って、七百五十トンの分蜜工場を建てた事実を申し上げまして、住民の経済力がいかに貧弱で、復興が遅々として伸び悩んでいるかということをわかっていただきたいために申し上げておるわけであります。  沖繩の経済は、軍作業によりドルをかせぐことによってささえられていると申すほかありません。昭和三十年一月より十二月に至る米国民政府統計部の調べによりますと、ドルの収支状況によってこれが明らかにされます。昭和三十年度中のドルのかせぎ高は七千四百八十四万ドル、その内訳一、軍票B円販売高四千九百九十三万ドル、さらにその小分けをしますと、軍工事収入が六一%、三千四十五万ドル、軍労務収入が一〇%、四百九十九万ドル、アメリカの個人消費が二五%、一千二百四十八万ドル、米人商社の消費ドル四%、百九十九万ドル。輸出でございますが、これは総額一千三百十八万ドル、そのうち砂糖は五一%、六百九十一万ドル、くず鉄が四〇%、四百二十四万ドル、その他が九%、こうなっております。三番目、海外移民地よりの送金が七十五万ドル、その他が一千九十六万ドルでございますが、これは小分けをするとたくさんになりますので、おもなるものを申し上げますと、日本政府のお金で下さいます軍人恩給、年金、公務員恩給、こういうものが二百七十九万ドル、しこうして今日問題になっております軍用地地料はたった百五十九万ドル、その他は省略いたします。  ドルの支払いでございます。これが年間六千七百五十六万ドル、そのうちで輸入代金の支払いが六千三百五十九万ドル、その他フィルムが六〇%、こっちに来ておる学生の学資が四〇%、三百九十七万ドル、大体差し引きましてドルの収支黒字は三十年度で七百二十八万ドル、こうなっておりまして、昭和三十一年、今年の三月末のドルの蓄積高は三千三百二十二万ドルとなっております。このドルのかせぎ高を見まするに、年間七百万ドルの黒字を示しておりますけれども、しさいに点検いたしますと前途まことに心細いものがあります。すなわちB円販売高の六〇%を占むる軍工事収入三千万ドルは基地建設が完成する二、三年後は激減いたしまするし、輸出の四〇%を占めておるスクラップ代四百万ドルも、戦争の遺産でありまして、将来性はありません。年金、恩給の二百八十万ドルも、これは年寄りが年をとってくると、また同様で減ってきます。これにかわるに輸出産業の首位たる糖業を初め熱帯作物、生牛、水産加工または加工原料、工芸特産品、泡盛等の増産復興に力を注ぎ、戦前をしのぐ輸出生産業等を育成せねばならぬと皆が思っておりますけれども、それには自力更生の資力があまりに乏しい現状であります。  負担面、財政について申し上げてみますと、琉球政府、つまり戦前沖繩県の財政を御説明申し上げますと、住民負担の苦悶状態がよくわかりますが、目下立法院の審議にかかっている三十一年度予算について申し上げます。歳入が六十九億七千百万円、内訳は税収入が四十億八千六百万円、税外収入が十二億七千八百万円、剰余金が八億五千三百万円、民政府補助金はたった七億五千三百万円、税収入の筆頭は源泉所得税の七億二千五百万円でございますが、これまた日本と比較いたしますと、日本は基礎控除が八万円差し引かれているのに、沖繩は四万二千円差し引かれております。扶養家族の控除が日本は一人の場合は四万円、三人の場合は六万五千円、三人の場合は九万円、三人をこえる場合には九万円に三人をこえる一人ごとに一万五千円ずつ加算して得た金額を控除されておりますが、沖繩はこれまた一人一万五千円に扶養家族数をかけて得た金額となっています。これをもちましても県の財政がいかに四苦八苦しているかを物語っているのでございます。  輸入物品税の対象にみそ、乾麺まで入っているので、そんな非道な扱いをするなら砂糖輸入の特恵措置を取り消して、買ってやらぬぞと日本政府のおしかりを受けたこともありますが、とにかく火の車の台所をまかなう苦しみは並大ていのものではないのでございます。戦争の遺産であるスクラップ輸出の際にも、トン当り七百五十円から三千円の手数料を政府に支払っております。くず鉄と申しましてても、サルベールの大企業で海底から引きて揚げるもののみでなく、小企業の方が多く、砲弾の爆発死、海底にもぐってそのまま溺死しても出てこない等の悲劇も数えるいとまもないくらいでありまして、婦人子供まで砲弾の破片拾いをして一日二百四十円の日当かせぎをいたしております。  さき比嘉君から人権問題に引例いたしました週刊新潮の五月二十二日号に「射殺された沖繩女性」の見出しで、本年四月八日MPに射撃されて苦しみながら死んでいった三十三才の若い母親のことが報道されています。この母親、与那嶺悦子は、小学二年になった長男をかしらに三人の幼児をかかえて夫一人のかせぎではとうてい五人家族の台所をまかなうことができず、わずかの収入であるにしても、苦しい家計の足しになればと、このスクラップ拾いを始めることを思い立ち、その門出に立ち入り禁止区域とはわからず、友だち三名で入っていったのが運の尽きで射殺されているのであります。  沖繩住民はこの通り乳飲み子をかかえた主婦まで、生命の危険を冒してくず鉄拾いをせねば食っていけないところまで苦しい生活に追い込まれています。政府の財政はまたこれらくず鉄拾いの日当かせぎのピンはねまであえてしなければならぬほど貧弱なものでございます。  私は、沖繩がかりに戦前並みの沖繩県であって日本政府のあたたかき翼のもとに置かれているとすれば、今ごろでは年間どれくらい国庫支出金の恩恵に浴し得るかということを考えてみました。すなわち沖繩人口八十万に近い福井、奈良、山梨三県について調べてみたのであります。福井県人口七十五万人、昭和二十九年度決算七十七億円、昭和三十年度国庫支出金六十四億円、奈良県人口七十六万人、昭和二十九年度決算六十五億円、昭和三十年度国庫支出金五十三億円、山梨県人口八十一万人、昭和二十九年度決算七十億円、昭和三十年度国庫支出金七十六億円、しこうして沖繩県八十万人はどうなっておるか。昭和三十年度執行中の予算が六十一億円、昭和三十年度民政府補助金十二億円、もっとも昭和三十年度は臨時に那覇市に対し二億六千万円、ほかの市町村に三億四千万円という補助金が直接交付されておりますので、以上を合計してみましても十八億円にすぎません。これは福井、奈良、山梨、各県に交付された三十年度国庫支出金五十三億から七十六億に比較しますと、二分の一ないし四分の一にすぎない少額であります。三十一年度予算では、税外収入など民負担の増収が十三億円計上されているのに反し、民政府補助金は逆に四億六千万円も減額され、驚くべし、たった七億五千万円しか計上されておりません。これはただいま申し上げた福井、奈良、山梨三県の国庫支出金と比較いたしますと、何と七分の一ないし九分の一という、聞いただけであいた口もふさがらないほどの少額でございます。これが、人情、風俗の違う国へ私たちの意思に反し里子にやられた八十万の沖繩人に対し、里親たる持てる国のなしつつある偽わらざる姿であります。  なおガリオア資金による道路、港湾、水道、発送電などの施設費は取り上げて御説明することを除いていますが、これらの施設はすでに民に移管され、道路を除いてその運営利潤は税外収入となって政府収入に繰り入れられているから除いてあるのであります。  私だちは、世が世であれば三府四十三県の一つとして政府の施策の恩恵に浴すべき純粋の日本人に違いありません。朝鮮、台湾、関東州のごとき外地の民とは違うのでございます。不幸にして決戦場となりましたので、かく申し上げる私も、長男と弟、めい、おい二人の肉親、五人を戦場に送って戦死させました。父を初めおじの家族十一名一緒に全滅をしたのを初め、非戦闘員の戦禍死を加えると、私は肉親だけでも二十名をこえる戦禍を与えられておるのであります。しかも今日の境遇ては、私たちの意思に反し、絶海の孤島に取り残されているのであります。  かくのごとき沖繩八十万住民の苦悩を取り去る根本の問題解決は、祖国復帰の促進以外に道はないと存じます。けれども私たち経済生活実情はてゆうゆう祖国復帰の解決を待つにはあまりにも深刻であり、切実であり、悲惨であります。軍人遺族に対する年金、公務員の恩給などに差し伸べられました祖国のあたたかき救援の手は、ただいま桑江軍用土地委員会連合会長陳述いたしました軍用土地にからむ諸般の問題解決の上にも御同様差し伸べていただきまして、まず実質的の祖国復帰の線を一つ一つ打ち立てていただくために最善の御配慮をお願い申し上げる次第であります。(拍手
  10. 前尾繁三郎

    前尾委員長 これにて参考人各位意見陳述は終りました。質疑に入ります。質疑はありますか。
  11. 高岡大輔

    ○高岡委員 ただいまはお二人の方々から非常に詳しいお話を承わり、御同情たえない次第であります。  これは私の思うにはて敗戦と同時に日本は第八軍と第九軍によって占領行政が行われたのでありますが、沖繩はこの第九軍の占領行政下にあったということが一つの原因であり、また地理的位置からだったとは思いますけれども、まことにお気の毒な次第であります。ただいま与那嶺悦子さんの人権の問題を初めとしていろいろ人権問題等がございますし、また軍用地等の問題がございますが、大臣がお見えになりましたので結論だけを申し上げますと、今年の一月、アメリカで権威あるフォーリン・アフェアーズの編集局長のアームストロング氏が同誌に沖繩問題について次のようなことを言っております。鳩山内閣は防衛政策に対する国内の批判を緩和する方法として、安保条約による権利義務の観念を米国と対等とするのみならず、米国が目下保有しておる諸島についても譲歩することを要求するかもしれない。しかし現政府が国内批判の的をはずし、ソ連との交渉をうまくやっていくためには、これら諸島の行政権を日本の政府当局に返還すべきである。このことに関しては別に軍事的な理由というものは見つからない。われわれ米人は現在日本の行政下にある日本に作戦基地を持っているし、同様に日本の行政下に置いたこれらの諸島でも作戦基地が持てるはずである。日本の増大した友好的精神は戦略的に見て大なる収穫といえる。沖繩における米軍の軍事的地位は日本の協力的態度に負うところが非常に多い。さらにことしの四月十五日付のニューヨーク・タイムズには、この問題についてるる述べております。こういう点からいたしまして、私は日本政府としてこの際アメリカに対して一つ特段の折衝を願いたいと思うのであります。時間がございませんから、詳しい質問はしませんけれども……。
  12. 前尾繁三郎

    前尾委員長 政府に対する質問ですか。
  13. 高岡大輔

    ○高岡委員 そうです。
  14. 前尾繁三郎

    前尾委員長 ちょっと速記をやめて。     〔速記中止〕
  15. 前尾繁三郎

    前尾委員長 速記を初めて。
  16. 松本七郎

    ○松本(七)委員 今高岡委員からすでにそれに触れられておるのですが、これはどうしても日本政府が積極的に努力をしなければならぬと思うのです。それについて参考人側の御意見を伺いますが、現地の実情にいつも接しておられる方々から見られて、日本政府が法制上いろいろな点から総合してどういうふうな運動をし、また努力をすることが一番効果があるのか。そういう点、日本政府はこういうふうにやるべきだというような御意見がおそらく皆さん方からもあるだろうと思いますので、そこを私はまずお伺いしておきたいと思うのです。
  17. 桑江朝幸

    桑江参考人 お答えいたします。まず第一番に要請していただきたいことは、行政権の日本に対する返還の件でございます。これがなされて初めて沖縄の住民は明るさを見出すことができます。それからその次に現在の基地建設における住民の保護といいますか、沖繩復興の一日も早くならんことをお願いする次第であります。  繰り返して申し上げますが、私たち言葉の通じない異民族に支配されていることほど悲しいことはないのであります。これを取り除くものは一に日本復帰以外にはないのでありまして、すべての沖繩における隘路はそこから発しているのであります。  それからもう一つは、移民の実現に対しまして日本の政府にぜひとも御協力をしていただきたいと思います。一平方キロ四百四十三人という稠密な人口を示し、年々二万人余りふえていくこの人口に対しまして、島内の産業は軍用地のために萎靡沈滯し、全くお先まっ暗というのが沖繩実情でございます。これを打開せしめるのは一に大量移民の送り出しの実現以外にはないのであります。この三点に対しましてぜひとも母国のお力を拝借いたしたいと思っております。
  18. 松本七郎

    ○松本(七)委員 今の問題については、高岡委員政府に対する質問が終りましてから、今の参考人の御要望に対する日本政府意見を、あとでけっこうですから述べていただきたいと思っております。これで私は終ります。
  19. 伊東隆治

    ○伊東(隆)委員 外務大臣が出ておられますので、私もごく簡単に参考人に対して一つ二つ質問をいたしたいと思います。実は、せっかく飛行機で特に来ていただいた貴重なる参考人の御意見を十分承わる機会を中断されることは非常に遺憾とするものでございますが、しかし外務委員会といたしまして、この問題を真剣に取り上げて今後議題にすることになりましたことは、これは画期的なことでございまして、この点私といたしましても慶賀にたえない次第であります。  政府に対しまする質問は数々ございますが後日に譲りまして、この機会参考人にお尋ねいたしたいことは、ただいま軍用基地の問題、人権に関する問題、また沖繩の経済問題等につきましてお三人からそれぞれ詳しく御意見を拝聴いたしましたが、幾多の悲惨なる事件、または不満な事件について、琉球政府に対する陳情の道は現在どの程度に開けておるかということが一点、もう一つは、そういう問題について皆さんが陳情いたした場合に、琉球政府と向うの軍司令部との関係はどういうふうになってこれが調整されておるか、この三点を承わっておきたいと思います。
  20. 比嘉秀盛

    比嘉参考人 ただいまの伊東先生からの御質問でございますが、御承知の通り現在琉球はアメリカの三権のもとにあります。従いまして琉球政府という名がついておりますが、これはアメリカの民政府の代行機関であります。しかしながら一方また住民行政代表であるのであります。それで軍用地の問題も、先ほど申し上げましたいわゆる四原則、新規接収反対、適正賃借料の設定、損害補償の問題といったいろいろな問題は、琉球政府、市町村長会、土地連合会、立法院四者でもってアメリカの民政府に当っているのでありますが、何しろ政府としては、代行機関でありますので、正面から押していって解決をするには力があまりにも弱いということを残念に思っているのであります。それが現状であります。
  21. 戸叶里子

    戸叶委員 沖繩に住んでおられる方々が、窮迫状態におられることはほんとうに御同情にたえないのでありますが、そういうような状態の中にあって、子供たちの教育状態はどうなっているかということを大ざっぱに伺いたいこと。もう一点は、今「太陽のない子等」という本を見せていただいておりますが、これを見ておりますと、どの子供さんもみんな早く日本に帰りたい。アメリカ人たちの支配される中にいたくないということを切々と訴えているのであります。従ってそういうお子さんの中には日本に来て勉強したいという方もいらっしゃると思いますが、そういう方々が、これは経済的な問題などいろいろで来られないと思いますが、どのくらい今日本に来られておりますか。また来るには非常にむずかしい手続等が必要かどうかということをお伺いいたします。
  22. 比嘉秀盛

    比嘉参考人 ただいまの御質問でございますが、琉球には、小学、中学、高等学校、それから琉球大学がございますが、この学徒が祖国日本に来て勉強したいという念願を持っておることは間違いありません。教育者が一番心配しておりますのは、小学、中学校の子供らに、国民意識というものがなくなってしまったら大へんだといって始終これを憂慮している。問題は、われわれは潜在主権は日本にあり、領土権は日本にあるといいながらも、国旗の掲揚さえ正月元旦に許されているだけである。しかもこれは許可を受けるのであって、政治的の目的を持った官庁とか官公衙といったところには立てられません。各民家の方に立てているような状態でありまして、こういうような状態に置く場合には、子供らに国民意識を失わしてしまったら、琉球の将来は暗たんたるものがあるというようなことを心配しておるのが教育者の現状であるのであります。これを何とか祖国のあたたかい手を差し伸べていただきまして、できるだけ日本祖国内地の方に学問の機会を与えていただきたいと思いますが、現在の方法は私費留学というのがあります。自分で、自分の親の金で留学するのと、公費留学というのがあります。公費留学というのは、日本政府からの援助を受けて日本内地の各大学に、文部省の御同情によってそれぞれの大学に配置を受けて学問をしておるような状況であります。その程度であります。大学しか行っておりません。
  23. 穗積七郎

    穗積委員 参考人の方にこまかいことをお尋ねしたいのですが、まだあとの議事の都合がありますからちょっと簡単にお尋ねしたい。  第一点は、土地問題を初めとする基本的人権に及ぶ、いわばこの世の生地獄のような報告をいつもわれわれは伺うわけですが、そういうことが細大漏らさず日本の本国政府に正式に報告されておりますかどうか。報告しておるとすればどこへ報告しておられますか、これが一点。それから第二点は、いやしくも日本人である沖繩議会または島民代表から、その島民の要望を日本政府に、個個の具体的な問題について、こうしてもらいたい、ああしてもらいたいという陳情をされたことがあるかどうか。これに対して日本本国政府から一体どういう回答や措置がとられたことがあるか、それが第二点。  それから第三点は、沖繩の島民の皆さんがアメリカ支配反対、日本の統治権への復帰という運動、沖繩の現地においていろいろな運動、大会等が行われます場合における自由の状態についてお尋ねしたいのでございます。そういう場合に、たとえば表現の自由を欠くとか、あるいは大会、デモ等をやる場合にはMPその他のアメリカの制肘、制限、抑圧を受けるような事実があるかどうか。不当な、すなわち抑圧が行われておるかどうかですね。それとは逆に少くとも日本におけると同様に、そういうような政治的な問題を含な意思表示の自由が完全に確保されておるかどうか、その点について簡潔にお答えをいただきたいと思います。
  24. 桑江朝幸

    桑江参考人 一番に、報告されているか、報告されておればどこにしているかという点に対しましてお答えいたします。この点は現在硫球の民政府の代行機関である硫球政府からの報告というような点に対しましては、軍人恩給、遺家族年金、そういう総理府の南方連絡事務局に関係ある事項に対してのみ報告されておりまして、ほかには単に情報として上京する人が持ってきたり、また向うの方に南方連絡事務局の事務所がありますが、そこにお知らせしていくにとどまるものであります。  それから陳情、要望に対しましては、昨年六月に正式な書類提出まではしておりませんが、この講和発効前の問題に対しましては、昨年の六月二十三日に官房長官に講和発効前の補償方を口頭でもってお伝えしてありました。そのほかの陳情に対しましては、琉球政府は外交権がないことを理由にいたしまして、正式な陳情員を派遣することを避けておりました。民間団体が個々におのおのの立場から上京する実情になっております。ことしの三月にそれを総合いたしまして沖繩問題処理委員会というものを作りまして、その打ち合せのもとに民間団体が日本政府に訴えるようなことになっております。  三点に対しましては比嘉秀盛君にお願いいたしまして、以上の二点に対してお答えいたしますが、先ほどの桑江に対する御質問で、お答えの中に抜かしたのがありますので、つけ加えておきます。先ほど申し上げました復帰の熱願、移民の実現、それと今回陳情に参りました最も重要な趣旨である講和発効前の補償方の件の実現をお願いするわけであります。以上一点、二点に対してお考えいたします。
  25. 比嘉秀盛

    比嘉参考人 三番目の御質問に対してお答えしたいと思っておりますが、さすがはアメリカのことでありまして、集会、言論はさほど抑制しておるようではないのであります。ただしこれが大きい政治的の意図があると向うが考えました場合には、暗黙のうちに琉球政府を通するか、警察権を通じてこれを阻止しようという手段に出て、ときには阻止せられる場合もございますが、大体において集会とか言論というのはあまり抑圧はされてない現状であります。
  26. 穗積七郎

    穗積委員 新聞編集について相当自由を欠いておるということを、われわれこの間ちょっと立ち寄ったときに、社の名前と人の名前は申しませんが、新聞社の諸君がそういうことを訴えておりました。新聞編集についてそういう極端な問題、あるいはまた政治的な問題等については、編集の自由を非常に束縛されておるということを切々と訴えておられたのですが、そういう事情については御存じありませんか。
  27. 比嘉秀盛

    比嘉参考人 新聞には関係しておりませんが沖繩には四新聞がございますが、編集局長会議というのを主席民政官の部屋でやっております。そこで編集の仕方をいろいろ暗黙のうちに指示するわけですから、それが一つの制約でないかとは思います。直接タッチしておりませんのでわかりません。     —————————————
  28. 前尾繁三郎

    前尾委員長 この際日本国フィリピン共和国との間の賠償協定批准について承認を求めるの件を議題といたします。政府側より提案理由の説明を求めます。重光外務大臣。
  29. 重光葵

    ○重光国務大臣 ただいま議題となりました日本国フィリピン共和国との間の賠償協定批准について承認を求めるの件につきまして、提案理由を御説明いたします。  フィリピン共和国は、昭和二十六年九月にサンフランシスコ条約に署名したのでありますが、賠償問題が解決せられない限り、この条約批准を行わない、わが国との間に正常な国交関係を回復いたさないという方針を持して参ってきましたことは御承知の通りであります。  そこでわが国は、東南アジアにおいて政治上、経済上重要な地位にあるフィリピンとの間の賠償問題は、なるべくすみやかに解決をはからなければならぬという考えのもとに、大いに努力を重ねて交渉をいたして参った次第でございますが、昨年八月にマグサイサイ大統領から鳩山総理にあてて、賠償問題の解決方式に関して提案が送られてきました。本年三月鳩山総理から、右提案及びその後マニラにおける会談によってこれについて解明されましたところを基礎といたしまして、正式交渉に応ずる旨の回答が送られました。その後直ちに協定文及び関係文書についての具体的交渉を開始いたしましたところ、四月下旬妥結に到達いたしましたので、藤山代表とネリ代表の間でイニシアルをいたしました上、五月九日高荷全権を首席とするわが全権団とフィリピン全権団との間で正式調印を行うの運びに至った次第であります。  この協定によって、わが国は賠償として五億五千万ドルにひとしい円に相当する役務及び生産物を、二十年の期間内にフィリピンに提供することを約束いたしております。賠償の実施方式につきましては、毎年両政府間の協議によって実施計画を作成し、実施計画の範囲内でフィリピン使節団と日本人業者との間で結ばれる賠償契約によってフィリピン政府が役務及び生産物を入手することとし、わが国はその賠償契約の履行に要する経費を支払うことによって賠償義務を履行したものとされることになっております。その他この協定は、使節団の特権、協定実施に関する協議機関たる合同委員会の設置、紛争の解決方法等について規定をいたしております。  また、経済開発借款に関しましては、二億五千万ドルを目標額とする民間の商業借款に対し可能な限度の便宜をはかることに意見の一致を見ましたので、これを交換公文の形で取りきめた次第でございます。  さらに、賠償協定の署名と同時に、両国の全権委員は、両国が均衡のとれた貿易の伸張のため貿易・金融協定の改訂及び通商航海条約の交渉を早期に開始することを予期する旨の共同声明を発表いたしたのであります。  本協定による五億五千万ドルの賠償は、わが国にとって相当大なる負担を課するものであることは言うまでもないところでございますが、過去の戦争においてフィリピンに与えた莫大な物質的、精神的損害に対し、わが国が本協定で約束した賠償を誠実に履行することによって日比間の友好関係を樹立し、さらに同国との間に政治経済の各般にわたる協力提携の関係を発展せしめ得ることとなるのでありまして、本協定は究極においてわが国の利益に資するものであることを信じて疑いません。  よって、ここに本協定批准について御承認を求める次第であります。何とぞ慎重御審議の上、本件についてすみやかに御承認あらんことを希望いたす次第でございます。
  30. 前尾繁三郎

    前尾委員長 これにて提案理由の説明は終りました。  この際、高碕国務大臣より発言を求められておりますので、これを許します。高碕国務大臣。
  31. 高碕達之助

    ○高碕国務大臣 私は今回日比賠償問題の首席全権として参りました関係上、これに介入いたしました経過等について一応御説明申し上げて、御協力をお願い申し上げたいと存ずるわけであります。  御承知の通り、日比賠償問題は、昭和二十七年に津島全権が参られて以来引き続き大野・ガルシア等いろいろございましたが、いずれも妥詰するに至らず、昨年の五月今回の首席全権となりましたネリが、この交渉のために参りましたときに、外務大臣から、問題が経済問題であるから主として外務大臣の命令のもとに話をしてくれぬか、こういう要請がありまして、昨年の五月以来私主としてこのネリとの交渉をいたしたわけであります。それが今外務大臣の御報告の通り、ようやくこの四月に藤山全権が参りまして妥結したわけなのでございます。その内容等につきましては、ただいま外務大臣が御説明申し上げた通りでございます。  ここに至りますにつきましては、最初フィリピン側は、津島全権が参りましたときに、八十億ドルという莫大なる要求をしたのでございます。それが大野・ガルシア案になって相当具体的になりましたが、これも解釈によって、四億ドル十年という解釈もあれば、四億ドル二十年という解釈もあり、あるいは十億ドルという解釈もありまして、これはなかなかまとまらなかったのでありますが、大野・ガルシア案を中心といたしましてネリと話をいたしました結果、結局八億ドルという数字を曲げることはできない、こういうふうなことになったわけなのであります。けれども、八億ドルの内容は、五億五千万ドルは賠償であって、二億五千万ドルは経済協力というふうなところで話を進めておりましたが、その内容の解釈等につきましていろいろ問題があったのでありますが、今回最後にはっきりしたことは、五億五千万ドルは賠償である。二億五千万ドルは純経済提携であって、これは両国政府ともその責任を負わないのだ。これは責任はないと申しますけれども、できるだけこれが実行できるようにお互いに努力はする。努力をしてもできなかったときには、そのあとの処置は両国政府ともこの責任を負わないのだ、こういう意味でございますが、できるだけ努力するというだけの責任はあるということに私どもは解釈しておるわけなのであります。  こういうわけでございまして、内容等につきましては詳しくまた御説明申し上げますが、今日参りましたときに先方の空気が非常に好転しておるわけでございます。これは津島全権が参りましたとき、あるいは次に村田全権が参りましたとき、そのときの空気と比較いたしますと、まるで非常な変化でございます。これはどういうわけで変化したかということにつきましては、昨年のバンドン会議の結果でございましょうが、アジア人はアジア人の間で協力していかなければならぬ。こういうふうな空気が非常に出てきております。一方におきまして昨年来日本の貿易が国交が正常化していないにもかかわらず、戦前よりも非常な大きな金額に輸出入ともふえております。特に日本の輸入は八千万ドル近くになる、これは戦前と比較いたしますと四倍になっておる、こういうことの関係、またフィリピンの大衆は、日本の商品がある場合はアメリカを経て入ってくるものがある、また香港を経由して入ってくるものがある、こういうものが直接日本との取引ができれば、大へん安いものが入ってフィリピン人生活は安定するだろう、こういうふうな希望を持っておられるようであります。そういう意味から申しまして、この賠償問題を妥結して、一日も早く国交を回復することを希望するという空気は、非常に濃厚なものであるということを、私はこの目で認めてきたのでございます。  そういう意味でございますから、今回の賠償の総額と申しますと、五億五千万ドル、これを二十年間に払うといえども、千九百八十億円を二十年に払うのでありますから、国民一人当りについて見れば、一億の人口に割り当てますと、一年百円ずつの負担をしなければならぬということになりまして、相当大きな負担で私ども責任は感ずるわけでありますけれども、フィリピンの現状戦争中に与えた日本のフィリピンに対する損害等を考えますと、この際一日も早くこれを妥結して、そうして国交を回復して正常にいたしますれば、必ずこれは両国の間に親善関係が戻り、必ず両国の関係のために非常にいい結果になると私は信ずるのであります。  どうかこの際におきまして慎重御審議を願いまして、この国会を通過するようにお願いいたす次第であります。賠償協定はできましたが、実行はこれからであります。これから実行に入るのであります。どうか最初のこの両国の親善の空気をくずさないようにして、どうか今国会においてこれを批准下さるよう切にお願い申し上げます。
  32. 前尾繁三郎

    前尾委員長 この際理事会を開きます。速記をとめて下さい。     〔速記中止〕
  33. 前尾繁三郎

    前尾委員長 速記を始めて。  この際暫時休憩いたします。午後一時より再開いたします。     午後零時十一分休憩      ————◇—————     午後一時三十二分開議
  34. 前尾繁三郎

    前尾委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  防衛目的のためにする特許権及び技術上の知識の交流を容易にするための日本国政府とアメリカ合衆国政府との間の協定及び議定書の締結について承認を求めるの件を議題といたします。  質疑を許します。松本七郎君。
  35. 松本七郎

    ○松本(七)委員 先日の質問に対する御答弁の中で、少しまだ不明確な点がありますので、それを最初に御質問したいと思います。  この間の答弁の中で、たとえばT33、F86等にも特許がどのくらいあるかという質問に対して、約一万件以上の特許があるということでございましたが、このようにたくさんの特許があるとなると、アメリカのものを日本でいよいよ製作するというような場合に、そのつど大量の特許というものがこれに付随してくるということになりますから、当然これに対する特許料がまた莫大なものになりはしないか。そういうことに対する対策は考えておられるのですか。
  36. 小山雄二

    ○小山政府委員 ただいまお尋ねの点で、先日そういう件数が一万件もあるだろうと申し上げましたのは、特許のみならず、いわゆる技術上の知識、そういうものをもの別に当って総計するとそういう数になるだろうということで、特許の数につきましては実は私帰って調べましたが、これは通産省の方で会社同士の技術協定を認可しておりますので、私どもの方は、特許の件数が何件くらいあるか具体的なことは調べましてお答えしたいと思います。通産省の所管になっておりますので、的確な数字はお答えできないのであります。
  37. 松本七郎

    ○松本(七)委員 特許件数がはっきりしないということになると、将来そういうものを日本の国内で作る場合の特許料がどのくらいに上るかという予想は、今のところ全然立たないままこの協定を結ぶのだということになりますか。
  38. 小山雄二

    ○小山政府委員 そういう特許料、技術上の知識すべてを含みまして、先日お話いたしましたように、T33につきましては一機当り二千五百ドル、F86につきましては一機当り五千七百五十ドル、そういうものを全部含めました対価としてこれだけ払う。数がわかりませんでも、これ以上対価がふえるということはないわけであります。
  39. 松本七郎

    ○松本(七)委員 T33、F86は軍用機であろうと思います。そうするとこれに関する特許は全部アメリカ政府に集中されておりますか。
  40. 小山雄二

    ○小山政府委員 先日お話し申し上げましたように、現在までのところT33、F86で先方の秘密保護の関係で秘密にしておるものはないわけでございます。ただ一つまだこれは国内生産はF86の方はできておりませんで、第一機が九月あるいは十月ごろから出るわけであります。その中に敵味方識別機という機械がありまして、それだけは、今後の向うとの交渉でそれをもらって取り付ける際に、秘密保持の取扱いをしなければいかぬものがあるとすれば、それが問題になり得るわけでありますが、ただいまお尋ねの特許が国に集中としているかどうかというのは、はっきり具体的にはこちらではわからないのでございます。秘密という意味において問題になりますのはそれ一つでございますので、大体国に集中してないだろうと考えております。
  41. 松本七郎

    ○松本(七)委員 そうすると確かめておきますが、今言われた識別機が将来秘密にされて政府のものになることが予想されるだけで、その他のものは全部公開された私有のものだというふうに解釈してよろしゅうございますか。
  42. 小山雄二

    ○小山政府委員 国の秘密という意味ではそういうものだけであります。会社同士の私有権利上の秘密といいますか、権利はあるわけであります。その通りであります。
  43. 松本七郎

    ○松本(七)委員 この前の委員会のときにも最後にちょっと触れた問題でありますが、技術上の知識、これが御答弁では特許前のものだ、こういうお言葉であったが、そういう特許前のものに対して権利を保護することが果して可能かどうか。そういうものは保護する必要があればすぐ特許にすればいいのであって、その特許直前のものと、ここにいう技術上の知識というものが、普通の知識から特に技術上の知識になるのはどういうところからその範疇に入ってくるかということは非常にむずかしいと思いますが、どうなのですか。
  44. 下田武三

    ○下田政府委員 これはやはり個々の場合に当ってきめるよりほかないのでありまして、特許前におきましてどういうものがここにいう技術上の知識に該当するか、もっともここでは非常に広範に使っておりますから、単なるノー・ハウあるいはブルー・プリントを保護する必要がある、そういう知識は一切ここに含めている、そう一応解釈すべきだと思います。
  45. 松本七郎

    ○松本(七)委員 発明に協力した者の知識であるということも言われたのですが、この協力者は、いよいよ特許になった場合に発明者当事者で権利の分配をすればそれで済むと思いますが、どういう理由でこういう協力者に対してまでも補償等の保護をする必要があるか、この点をまず明らかにしていただきたい。
  46. 麻生茂

    ○麻生説明員 技術上の知識につきましては、先般来条約局長から御説明申し上げている通りでございますが、要するにある特定の方が創案をするなりあるいは特に知っておって、また一般に入手できないというようなもの、従ってその関係に従っている人限りにおいて機密が保持されておりまして、その技術上の知識を持ち得ることによってあるものを作り出すわけでありますから、いわばその限りにおいては一つの経済的な価値というものがあるというように考うべきであろうと思います。従ってそういうものの供与を受けるに当りまして、それに対価を払って、使用料を払ってこれを使うという格好になるわけであります。従いまして第四条のような場合は、大体私の方なり向うの技術上の知識を持っている人と契約によりまして、ちゃんと幾らの使用料を払うという約束をしてそれを使う場合が常態であるわけであります。第四条というような場合が起って参ります場合は、きわめて異例な場合に属するわけであります。緊急な場合とかあるいは何か扱うものが間違えて条件に違反したというような場合に出てくるわけであります。大体その債務を履行できなかったということによって損害を賠償するというような格好になると思うのであります。
  47. 松本七郎

    ○松本(七)委員 この協定の最終のねらいは、やはり特許権の保護ということにあると思うのですが、秘密の特許とかあるいは技術上の知識というようなものの規定によって、日本の発明家に実害が及んできはしないかという点をわれわれ一番心配しているわけなのです。これらの協定の内容を検討すると、ある場合には生産工場に警察権が介入したり、あるいは特審局がわが国の工場の従業員の思想や行動を調査するというようなこともあり得るのじゃないかと思うのですが、そういう点はどうですか。
  48. 林一夫

    ○林(一)政府委員 ただいまの御質問でありますが、警察権とかあるいは特審が防衛秘密の流れている会社にまで張り込んで、非常に迷惑を及ぼすのじゃないかという御趣意であったかと思いますが、そういうことは起らないと考えております。防衛秘密に該当する知識なりあるいは特許権につきましては、もちろん防衛庁においてこれを生産工場に修理に出したり、委託をする場合があるのであります。この場合においては、契約条項において十分に防衛秘密の保護の措置をとるように注意をいたすのであります。別に警察当局なりあるいは特審がしょっちゅうそこに出張って、そういうものを監視しておるというような事態は全然起らない、かように考えております。
  49. 松本七郎

    ○松本(七)委員 それから第四条(b)項の「正当な、かつ、有効な補償を行うため、その知識の所有者の要請により、国内法令上可能な措置を執るものとする。」こうなっておるのですが、これはわが国の法的根拠はどこにあるのですか。
  50. 下田武三

    ○下田政府委員 民法、商法等の一般法によるわけであります。
  51. 松本七郎

    ○松本(七)委員 この民法七百九条ですか、これは賠償規定ですね。そうすると、民法における補償の規定というのは何条でございますか。
  52. 麻生茂

    ○麻生説明員 第四条の(b)のような場合は、日本の政府と相手の技術上の商社との関係でありますが、向うから提供する場合におきましては、この技術上の知識ははかに漏れれば、いわゆる技術上の知識でなくなってしまうわけであります。技術上の知識として価値がなくなるわけでありますから、向うがこちらに提供してくる場合に、これは漏らさないでほしいということをはっきり言ってくるわけであります。大体そういうことを契約でうたうようなことになるだろうと思います。従いましてそういう契約に違反して漏れるというようなことになりますと、契約違反というようなことで損害賠償というようなことが起り得る、こう思います。
  53. 松本七郎

    ○松本(七)委員 私の聞くのは、所有者の要請によって国内法令上可能な措置をとる、その法的根拠は何かとお伺いいたしましたところが、今条約局長は一般民法の規定でやるのだ、こう言われるから、民法七百九条には賠償の規定はあるけれども、補償の規定というものはないので、補償の規定は第何条によってやるのかということを聞いておるのです。
  54. 下田武三

    ○下田政府委員 ここでは補償と言っておりますが、ただいま麻生法規課長からの御説明のような場合、つまり契約違反の損害賠償責任の場合には、それぞれいろいろ場合がございます。承諾なくしてやった場合とかあるいは契約違反とか、普通の日本の民法の該当規定によりまして措置されるということでございます。
  55. 松本七郎

    ○松本(七)委員 そうすると、ここでは補償といっておるけれども、実際の場合には実質的には賠償しかあり得ない。こういうわけですか。
  56. 下田武三

    ○下田政府委員 日本側に不法行為がありましたならば、不法行為に対する損害賠償責任、それはここにいう補償に該当するわけでございます。
  57. 松本七郎

    ○松本(七)委員 そうすると、その補償行為は国家間の行為と解してよいのか。補償請求の手続はどういうふうになるのですか。
  58. 下田武三

    ○下田政府委員 これは(b)項は相手国の国民、つまりアメリカの私人なり私の会社が日本政府、すなわち防衛庁と契約あるいは承諾によりまして技術上の知識を提供した、この場合に非常に緊急事態その他の必要でもって、契約ではこういうことを約束したのだけれども、それ以上のことをする、あるいはそれ以外のことをするという場合に、アメリカの技術上の知識の所有者は、それでは約束が違うと申しまして、損害賠償の請求を提起いたすでありましょう。また契約に約束しました補償をくれない場合、対価をくれない場合に、債務不履行だといって補償を要求してくる。そういう場合にわが方は政府機関でございまするからそれに応じて支払いをいたしまして、そうして当事者が満足すればそれでもう解決するわけであります。ところが防衛庁でお払いになっても当事者が満足しないという場合には、これも日本の法令によりまして日本の普通の裁判所に訴えを提起するということになるわけでございます。そこで裁判所は、民法その他の一般法の規定を適用いたしまして裁判をして判決をする。それで判決の定めるところに従って、また足りないならば追加の補償をする、そういう関係に相なっております。
  59. 松本七郎

    ○松本(七)委員 そうすると、結局私有の技術上の知識の所有者が日本政府に対して裁判所に提訴する、こういうことになるわけですね。そうすると国家と国家の間の問題にはそれ以上発展することはないのですか。つまり政府の間の問題ですね。
  60. 下田武三

    ○下田政府委員 この場合には防衛庁がその所管内の調達行為としてコマーシャル・べースにおける契約関係に立たれるわけでありますから、やはり片方は国を当事者とし、片方は私人を当事者とする普通の私法上の裁判という関係になるわけであります。
  61. 松本七郎

    ○松本(七)委員 それから私有でない技術上の知識ですね。これが漏れて、それが同意なしに使用された場合の責任はどうなりますか。
  62. 下田武三

    ○下田政府委員 それが第四条の(a)の方の規定でありまして、つまり一たん所有者によって「その者の属する国の政府アメリカ人アメリカ政府に伝達して、アメリカ政府の手を通じて他方の政府、つまり日本の政府に提供された、そういう場合にはアメリカ政府は一たん自国民に対しまして補償をするということがあり得るわけであります。アメリカ政府はもうすでに補償しておるのだけれども、実際はその緊急事態その他によって日本政府がある利用をした場合に、利用によって利益を受けたのは日本政府でございますから、アメリカ政府補償責任を一たん履行したのでありますが、その責任をそれでは日本側で分担いたしましょうという関係になるわけであります。そこでその関係をどう処理するかという点につきまして、ここで第六条の規定に基いて組織される技術財産委員会にかけまして、そうしてこの委員会で両国政府に勧告するという関係になるわけであります。もとより委員会にかける前に日米両国政府の間で取りきめを行いまして、そういうようなアメリカ政府がすでに補償しておるものについては、それじゃこういうように責任を分担しようという取りきめをいたすことも可能であるわけであります。
  63. 松本七郎

    ○松本(七)委員 私有、私有でないは別問題として、同意なしに使用し、漏らした場合、その人の責任は、日本においては秘密保護法で罰せられるわけですか。その場合は何条によってやるのですか。
  64. 麻生茂

    ○麻生説明員 技術上の知識そのものは、それが防衛上の秘密から秘密にされているわけではないわけであります。要するにそれを発明した人なり、あるいは共同で発明したその関係ある人だけが知っておるという意味の秘密であるわけであります。要するにそういう新しい技術というものを考え出した関係者だけが知っておるということで、経済的な価値があるわけであります。従っていわゆる国防上の見地からきている秘密では必ずしもないわけであります。しかしながら、この技術上の知識が国防上の見地から秘密とされる場合もまた考えられるわけであります。普通の場合技術上の知識として政府の方に入って参ります場合においては、一般公務員は一般公務員として秘密保護の義務があるわけであります。従いまして、国防上の秘密でない、それに属しない技術上の知識については、その職務上知り得た秘密として、一般の国家公務員法、われわれの方でいえば自衛隊法、そういうような規定の職員法上の秘密の保持というものを守る義務が出てくる。ただ、それが軍事上の観点から秘密にされたものである場合においては、いわゆる防衛秘密保護法の要件に該当するようなものでありましたならば、これは防衛秘密としてその取締りの対象になる、こういうことになるわけであります。
  65. 松本七郎

    ○松本(七)委員 今日本が一般特許料として外国に払っているのはどのくらいでしょうか。国別におわかりでしたら一つ……。それとともにいわゆる防衛目的のための特許料というものはどのくらいになるか。
  66. 井上尚一

    ○井上政府委員 特許料としまして、正確には外国人の有する特許に対する実施料としまして、日本から海外に払っている金額は、三十年におきましては約千四百万ドルくらいであります。ただ、その目的が防衛目的に関するかどうかという詳細については、今のところ詳細な資料がございませんが、国別につきましては、ただいま手元に調査資料もございませんので、追って調査の上、申し上げたいと思います。
  67. 松本七郎

    ○松本(七)委員 それと同時にさっき言いました防衛目的のための特許料ですね。それとともになるべく早く一つ出していただきたいと思います。
  68. 井上尚一

    ○井上政府委員 防衛目的ということに相なりますと、いわゆる一般的な資材でございましたり、あるいは一般的な機械等で防衛目的にも同時に寄与をするというものが多いと思います。ですから防衛目的だけに限定されている技術かどうかということは、ちょっとつかむことはきわめて困難であると思います。
  69. 松本七郎

    ○松本(七)委員 それはそちらで分類されておる方法でいいのですから、それを資料として出してもらいたい。そういうふうに両方にわたるものは、わたるものとして分類していただければいいのです。
  70. 井上尚一

    ○井上政府委員 今申しましたように電気通信機器だとかあるいはその他いろいろ計測機とか、そういうような分類でございますので、これが防衛目的にも用いられますが、一段目的にも同時に使われる。ですから防衛目的関係の分だけをそこから抽出するということは、事実上困難ではないかと思います。
  71. 松本七郎

    ○松本(七)委員 いやそれで資料を作るとき、国別に特許料を三十年度なら三十年度にどれだけ払っておる。そのうち一般であると同時に防衛目的にも関係あるもの、こういうものが関係あるということはわかるのじゃないですか。
  72. 竹村礼三

    ○竹村説明員 ちょっと補足して申し上げたいと思いますが、特許料の問題でございますけれども、実は私たちでとらえております資料は、権限的に申しますと御承知のように外資委員会の方になっております。外資委員会の方で外資導入を認めるかどうかという場合に、そのロイアルティがどれだけになるかということをきめておられるわけでありまして、特許庁とは実は関係がないわけであります。われわれが一般にどのくらい払っておるかということをとらえますのは、実は日銀の方で為替の関係調査なさっておられるわけなのであります。それを私どもの方で出向きまして教えてもらって集計をしておる。事はこういうような事態になっておるわけであります。従いまして一千四百万ドルの支払いがある。あるいは国別にももう少し砕いていけばもちろん出るわけでありますが、一応特許庁の方でも今までまとめてこの作業をやっておるわけでありますから、一件々々のものにつきましてどうなっておるかということは、ただいま申し上げたようなわけでありますので、特許庁といたしましては把握ができないと思います。
  73. 松本七郎

    ○松本(七)委員 防衛庁の方ではある程度わかりますね。
  74. 小山雄二

    ○小山政府委員 装備品の中で純然たる防衛目的に使うようなもの、そういうようなものは従来MDA協定によりまして供与を受けておるものが実は大部分でありまして、国内生産というものは逐次始まっておる段階でありますので、おそらく特許料その他も純然たる防衛目的の火器その他の装備品につきましては今までほとんどない。一部丁33、F86等のものについてこれから始まってくる、こういう関係になろうかと思います。ただたとえば通信機等につきましてある特許があって、それは一般用のものも飛行機に載せるものも陸上部隊で使うものも、どれにもその特許を使うというような種類のものが、先ほど特許庁長官の言われましたように、区別がつけにくいわけでありますが、おそらくそういうものも現在までのところ防衛庁では、そういう器材はほとんどが国内生産に入っておりませんので、従来外国内に支払っております特許料の中にはほとんどそういうものがないと、一応お考え願ってけっこうであります。
  75. 松本七郎

    ○松本(七)委員 次は、公表されない特許料の支払い形式はどういうふうになっておりますか。
  76. 下田武三

    ○下田政府委員 公表されない特許権支払い形式と申しますと、つまり防衛上の秘密保持の要件に基いて公表しないというものは、これは先日御説明申しましたように、アメリカの方でまだ特許権を付与しないで、特許の前の段階としての技術上の知識に相なりますから、これは特許料支払い関係ではなくて、ただ技術の提供を受ける際に、それじや幾ら上げましょうかという契約上の一つの条項になるわけでありますから、これは当時者がその技術上の知識の価値判断によって適当に相談してきめる。それで契約にきめた金額を記入しましたならば、その契約に従ってそれを履行するという形式になるわけでございます。
  77. 松本七郎

    ○松本(七)委員 そうすると、そのような特許の製品を今度は国内で生産する場合の秘密の保護はどうですか。
  78. 下田武三

    ○下田政府委員 先ほどの御説明を訂正しますが、そういう秘密のものは、アメリカ政府が無償で日本側に提供することに相なりますから、特許料はロイアルティの支払いの問題は起きないわけでございます。  そこで先ほど申しましたのは、政府でなくて日本の会社がアメリカの会社から、特許に至る前の技術上の知識——これは特許になる前の段階でございますから、特許料ではないわけであります。特許になりますれば、その特許権を使わしてもらうかわりにロイアルティを払うわけであって、まだ特許になる前の段階でありますから、当事者がその知識の価値を判断いたしまして、適当に定めることになるわけでございます。
  79. 松本七郎

    ○松本(七)委員 それかう、アメリカから譲渡されたC46のA型というのですか、あの輸送機の製作年月、それから、この前御発表になった程度の性能。
  80. 小山雄二

    ○小山政府委員 C46は全部MDA協定に基く供与を受けておりまして、全機数二十九機ございます。  製作年月日と申しますのは、これはいろいろでございますが、大体一九四四年が中心でございます。  それから性能でございますが、乗員約四十名でございます。全長二十三メートル、幅三十二メートル、自重は十三トン、全備重量二十二トン、最高速力三百八十八キロ毎時、巡航速力三百六十五キロ、これにはプラット・アンド・ホイットニー会社のエンジンが乗っかっております。
  81. 松本七郎

    ○松本(七)委員 この輸送機は全部がたがたで使用にたえないということを聞くのですが、そうなんですか。
  82. 小山雄二

    ○小山政府委員 このうちの一機が実は三月の一日に事故を起しまして、その他、二十九機ありますものの稼働状況は、御指摘の通り、はなはだ悪いのでございます。これはこの前も申し上げましたように、MDAP供与を受けますときは、主として部品その他は何年分ということでつけて要求し、またつけてくれるのが普通でございますが、これにつきましてはいろいろな関係で、部品が、それだけをうまく稼働さすに十分なほどまとまって来なかったような実情もありまして、その後たびたび部品の催促その他をやっておりますが、先方ではこの飛行機並びにエンジンは製造中止中でありまして、市場にはいろいろたくさんあるのでございますが、そういう関係もあって、部品の供与がスムースに受けられないという点もあります。ただこの機体は、製造は中止しておりますが、先方でもまだ一線機といいますか、中心機に使っておるわけでありまして、ヨーロッパ方面でももちろん第一線機——第一線機と申しますか、中心機に使っておるわけでございまして、いろいろ技術的の点では問題もありますけれども、特にがたがたというようなことはわれわれはないと考えております。それから今度来ております飛行機の作りましてからの使用時間等も、大体この種の飛行機は確実なところで二万時間くらいまで使える。ところが輸送機等は、戦闘機等と違いまして、寿命が長いものですから、二万時間どころじゃない、もっともっと使えるという説もありまして、われわれ先方といろいろ交渉しておりましても、いわばオーバー・ホールをしていきまして、それは極端にいえば、全部入れかわったような形をとっていけば、永久といっていいほど使えるという説もありますので、五万時間までくらいは大丈夫じゃないか、最も確実に踏んで、二万時間までは使えるという説が相当多いのでございます。現に日航で使っておりますようなDC4あたりの、今現にりっぱに就航しておる飛行機でも、三万時間程度のものが相当あるわけでございまして、そういう点を考えまして、がたがたということはないというように考えております。
  83. 松本七郎

    ○松本(七)委員 アメリカから来た当時は、どのくらいの飛行時間だったのですか。
  84. 小山雄二

    ○小山政府委員 各機によってみな違うのですが……。
  85. 松本七郎

    ○松本(七)委員 平均でいいです。
  86. 小山雄二

    ○小山政府委員 一番多いので一万五十時間、一番少いので千八百時間、そんな見当でございます。
  87. 松本七郎

    ○松本(七)委員 いろいろな問題を拾っておると、結局非常に旧式な兵器、装備を持ってきては、その特許権を保護しているというようなことなのですが、政府の御説明では、この協定ができれば、今後新しい技術も入るというお言葉ですが、どうも今までの実績から、この協定ができたからといって、そう新しいものが入ることも期待できないように思うのです。そういうところのはっきりした保障が何かあるのでしょうか。はっきり向うの人がそういうことを言明したとか、文書になっておらなくても、近代的な、それこそ斬新なものが入る保障というものがないのでしょうか。
  88. 下田武三

    ○下田政府委員 実はその保障になるのが本協定でございまして、今までは、先ほど御指摘の輸送機のように、完成品をMDAPでもらうという関係だったのでありますが、日本側といたしましては、MSA協定締結の当初から、日本に相当な工業力があるのだから、完成品をもらうよりも、日本自身で作るに必要な援助をもらいたいということを強く申しております。それでこの協定が締結されますと、アメリカ特許権や技術上の知識に対する保護が、初めて全きを期せられることになりますので、今後はアメリカの技術上の知識の所有者は、安心して日本に技術上の知識を提供できるという関係になりまして、そこで初めて斬新な技術が日本に導入され、それによって日本は日本自体の手によってものを作る、そうして防衛のために必要な兵器その他の自国生産をなし得るということに、この協定によりまして初めて相なるわけでございます。
  89. 松本七郎

    ○松本(七)委員 それは法的にそういうような整備をするというだけであって、実際には、アメリカでこういう技術が進んでおる、だからその技術がほしいのだ、日本が要求できてそれが実行されて初めて日本が求めるような斬新な技術が入ってくるのです。ただそれができるという法的な根拠だけ与えて、それだからこれができさえすれば新しい技術が入ってくるのだということにはならないと思う。私どもは、法的な整備をすると同時に、さらに日本が望むような斬新な技術を導入できるという保障が、この中にあるかどうかを問題にしている。その点を一つ御説明願いたい。
  90. 小山雄二

    ○小山政府委員 一般論につきまして条約局長からお話がありましたが、具体的にその技術の程度等によってわれわれの方がどう考えておるかという面でございますが、航空機の問題にしましてもその他の問題にしましても、大体これまでは供与で来ておったわけでございますが、逐次供与を受けまして、幾ら修理部品、取りかえ部品をもらいましても限度があるわけでありますから、まず取りかえ部品を国内生産でしていくというようなことから考えていかないと先が続かぬわけでございます。それをもとにしてまたいろいろ生産の基礎を培養していかなければならぬわけでございます。航空機の問題にしましてもその他の武器、火砲その他の問題につきましても、あらゆる面でこれはMSA援助の総額の問題ももちろんございましょうが、せっかく日本にも工業力があるのだから、できるだけ国産化しろ、国産化しろということを勧められつつあるのであります。ところがさっきも申し上げましたように、F86、T33等の問題につきましても、こちらの技術的な準備体制、抽象的な工業力はありますけれども、具体的に非常に規格のむずかしいそういうものを作るための準備体制、それに要する期間の問題もございますので、なかなか向うが勧めるほどこちらは進みにくいというのが現状であります。  そういう現状と、もう一つは、この協定にありますような秘密の問題よりも、むしろ私人の権利保護という問題も体制をきめておかなければ、向うも大体私人との関係で技術をやりにくいという問題もございましてそういう気持でおりますから、こちらの方も準備の整い次第それを受けて国内生産を逐次高めていくという体制に進んでいく。それの背景にこの協定は大いに役立つのではないかとわれわれは考えております。
  91. 松本七郎

    ○松本(七)委員 今まで防衛庁がアメリカといろいろ折衝された経験からして、この協定ができれば、しからばいわゆる斬新なものがどんどん入ってくるという確信がございますか。
  92. 小山雄二

    ○小山政府委員 個々のものにつきましては、たとえば各幕僚部とか技術研究所あたりは非常に急にハイカラなものをあれくれ、あれくれと言うのであります。ただ私が今申しましたのは、それもいいのでございますし、研究その他の対象にして大いに期待したいのでございますが、私どもとしましては、いきなり飛びましてもやはりその技術を身につけるということがなかなかむずかしいような状況もありますので、ワン・ステップ・ワン・ステップと程度の高いものを供与を受け、技術の援助をもらっていくという体制で進むべきではないか。たとえばソーナーと申しまして水中探知機などは今もらっているのは程度が低いのでございまして、それよりもむしろイギリスで作っているそういう種類のものの方がいいという議論があるのですが、今度今もらっているものより数段程度の高いものをくれるという話が進んでおります。それより先方が作って使っているのはもう一つ先なのでございますが、そういうふうに段階を踏んで参りませんと、こちらがせっかくもらうことになりましても、それを身につけ、こなすことはむずかしいのじゃないか、こういうことで、段階的に進む進み方では相当進むような方向で技術がもらえるという確信はございます。
  93. 松本七郎

    ○松本(七)委員 段階を踏んでという今のお言葉は、いかにも堅実に歩んでいるようには聞えますけれども、それはうらはらであって、アメリカ側はどんどん進んでいる。そのなるべく進んだものをもらった方がやはり研究者にとっては——もちろん段階的に研究することも必要ですよ。けれども、最高水準を早く手に入れることと、その最高水準のものはこちらはうんとおくれているのだからもっと先にしようというのとではやはり進歩が違うのです。アメリカ側は、最高水準のものはなるべくやらずに古くなったものから順々にやろうとしている。そのことと今の御答弁とはちょうどうらはらになって一致すると私は思うのでありまして、堅実なように見えるけれども、もう少し飛躍的な気持がなければ、ほんとうの進んだ技術は入れることができないと思うのですが、それは議論になりますからこの程度にしておきます。  そこで次は、この前防衛庁長官とも少し議論にわたるお話になったのですが、原子力関係です。私どもの前提に立てば、これは原子力兵器は一切禁止すべきであるし、従って日本がそういう技術なり何なりの協定を結ぶことは反対、むしろ原子兵器の持ち込みを禁止する協定でも結ぶべきだという考えを持っておるわけなのです。そういう意味から、この協定に原子関係のものがないことはけっこうなことです。けれども、政府は、防衛力はできるだけ充実するのだ、国力に応じて充実するのだ、そのために憲法がじゃまになるならばこれも改正するのだ、こういう立場をとっておられる限りは、できるだけ斬新なものを追っていかなければならぬという結論になります。ここまでは政府も論理上当然認められるわけです。論理上そこまでいくならば、さらに進んで、原子力に関する技術なり知識なりもできるだけ兵器としても身につけたい、こう思われるのは理の当然だろうと思う。われわれの前提ならばそういうことは否定することができるけれども、今の政府の立っておられるところを前提にするならば、当然そこまでいかなければ私は矛盾すると思うのです。  そこで伺いたいのは、防衛庁長官も外務大臣も、今のところ原子兵器は持ってくるつもりはないと言っておられますが、この協定で原子力に関する特許権なりあるいは特許願い、技術上の知識というものを一切除外しておるわけですね。その理由は、今後絶対にそのような協定を結ばないという前提に立って除外されておるのか、それともこれらの原子力に関するものは、秘密特許その他の関係はすべて単独に切り離して今後折りがあったらやるつもりでこれから除外されておるのか、この点を明確に御答弁をお願いします。
  94. 下田武三

    ○下田政府委員 この協定では原子力を除外しておいて、他に将来別の協定で原子力の分野を加えてくるという前提では決してございません。これは日本政府の一貫した方針でありまして、さきに原子力協定を御審議願いましたときにも大臣からもはっきり言われたのでございますが、原子力協定の中でいかなる協力も軍事上の目的には絶対に導入しないということで、原子力協定自体においてすでに非軍事的利用ということを明確にいたしております。その一貫した精神がこの協定にも現われておるのでありまして、そこで、特許権、技術上の知識は大いに提供してもらいたいけれども、原子力の分野におけるものは一切入れないという日本政府の一貫した方針が、第八条の定義の中で現われてきたような次第であります。
  95. 松本七郎

    ○松本(七)委員 この議定書の三項(a)の規定を見ると、日本国内の科学者に大きな制限となるおそれがあると思うのです。結局これによって、この協定はいわば不平等性を表わしていると思うのですが、こういうことによって日本の技術水準を日本独自の力で高めていくという努力、つまり科学者の研究意欲をそぐことになりはしないか、さっきの問題とこれは関連してくるのです。ステップ・バイ・ステップもけっこうですけれども、やはり外国の最高水準をどんどん入れて、そうして研究するということでないと、日本の科学者が独自な立場で研究する意欲をいろいろなところで、この協定によって制限される結果になるのじゃないかと思いますが、その点はどういうふうに考えておられますか。
  96. 下田武三

    ○下田政府委員 この協定は、文化協定等とは目的が違いまして、純粋の科学の発達に資するための技術情報の交換ではございませんで、前文にも第一条にも書いてございますように、防衛目的のための技術の情報の交流を容易ならしめる、それによって防衛生産の向上を期するということが書いてあるのでありまして、そうであるとしますと、先ほど装備局長からも御説明がありましたように、科学的見地からの進歩の高さということがこの協定上価値を持つことではなく、あくまでも防衛生産を堅実に向上していく、着実に一歩一歩進めていく、そうして斬新なものは作ったけれども、それが一回限りであって、その後大量生産に移行するというようなことは全然度外視して、生産を度外視して、いかなるコストをかけてもいいからうんと高いものを作ってやろう、それによって技術の進歩に資そう、そういうような学術上の見地からの協定では全然ない。むしろ着実な防衛生産の向上に資そうという、きわめて現実的な目的を持っておるものでございますから、仰せのようなねらいとは多少木協定のねらいは違うわけでございます。
  97. 松本七郎

    ○松本(七)委員 そこでそういう私の言うような問題が起るのじゃないかと思うのです。アメリカでは防衛目的のために秘密特許になった、それと同じものがたまたまわが国の科学者独自の研究でなされて、そうしてそれを平和目的に使用しようというので、その特許を願い出ても、この建前は、出願公告がされないようになっておりましょう。そういう場合に、出願者の利益保護と、その科学者の努力に対する補償というものも、それじゃ考えるかということです。
  98. 井上尚一

    ○井上政府委員 お答えいたします。議定書の三項の(a)とおっしゃったのは、(b)の間違いではないかと推察するのでございますが、(b)の本文の方につきましては、これは原則としましてまず先願後願の関係で、アメリカの権利者の出願の方がまず来まして、その後に日本人の方から発明の出願があるという場合には、これは本件の場合のみならず一般の原則としまして、先願が後願に優先することは当然であります。なおこの場合におきまして、この議定書の三項(b)の本文の方では、この協定出願の出願日のあとでなされた出願、これを公告することによって協定出願の内容までが公けになり、引きずり出されるという場合におきましては、そのあとからしました出願の分について、出願公告をしないという建前でございますが、これは米国では秘密扱いになっております協定出願の内容を秘密にしようという以上は、この程度まではやむを得ない方法であります。しかしこの場合におきましても(b)のただし書きでごらんのように、その日本人の発明がアメリカから導入されました技術に全く関係なしに、独自の現地からなされたものであるという場合には、先願の協定出願に関係なく、これは出願公告になる。そういう点で日本人の発明に関する権利が不当に制約を受けるというようなことはないものと考えております。     —————————————
  99. 前尾繁三郎

    前尾委員長 次に午前中に審議いたしました沖繩土地接収問題等に関する件について質疑を継続いたします。高岡大輔君。
  100. 高岡大輔

    ○高岡委員 私は午前中に政府にお伺いしようとしましたら、途中で都合によって中止をいたしたのでありますが、続いてお伺いしたいと思います。  どういうことを基礎にして私がお伺いするかといいますと、三月二十九日の本会議において、鳩山総理大臣は沖繩問題について答弁をせられました。その答弁を見ますと、「沖繩における講和条約発効前の軍用地借地料等の補償について御質問がございましたが、この点につきましては、実情をよく調査いたしまして、関係機関をして検討せしめて、適切なる措置をとりたいと考えております。」こう答えておられますが、その後関係機関に鳩山総理からお話があったかどうか、その点をお伺いしたいと思います。これはここにもありますように、借地料の問題でありますから大蔵省当局に話があったものだ、こう想像するのでありますが、大蔵当局には話がなかったのでありますか。
  101. 中尾博之

    ○中尾政府委員 借地料の問題は今途中から承わりました。私主計局の関係でございますが、今まで私どもとしては承わっておりません。ただそういうお話でございますと、あるいはほかの部局あたりに話があったかどうか。その点まだはっきりいたしておりません。しかしそれにいたしましても、いずれは私どもの関係に回ってくるはずであります。多分お話は通じておらないと想像いたします。なお後ほど調べます。
  102. 松本七郎

    ○松本(七)委員 午前中に参考人の方に伺って、その御答弁によって行政権返還の問題、基地建設における住民の保護、復興を早くやってもらいたい、移民の実現、講和発効前に接収された土地補償の問題、こういうことに対して日本政府が努力してもらいたいということだったのですが、それに対する日本政府の見解と、それからこれは私から特にお伺いするのですが、今までのことをただ繰り返しているのではやはりだめだろう、もう少し積極的に国会あたりと協力して、アメリカに強力に当っていくという新しい事態に今日はきているのではないかと思うのですが、そういう点についての御説明を一つ伺っておきたい。
  103. 中川融

    ○中川(融)政府委員 沖繩行政権を日本に復帰させる問題でありますが、これはもとより、政府といたしまして、従来からぜひこれを早急に実現したいということで、アメリカ側と鋭意折衝してきたわけでありますが、遺憾ながらこの問題につきましては、まだ見通しを得るに至っていないのでございます。御承知のようにわが方累次の申し入れに対しまして、米側の一貫いたしました態度は、奄美復帰を限界といたしまして、その後におきましては、東アにおける国際情勢の緊張が継続する限りは、依然として従来の地位を変更し得ないというのが、アメリカ側の一貫した態度でございます。わが方といたしましては、その態度、考え方には服することができないということで、これはその後におきましても引き続き機会あるごとに申し入れを行なっておるのであります。先般アメリカの国務長官が参りましたような際、ああいう機会をとらえまして、これはやっておるのでありますが、遺憾ながらまだ確たる見通しを得る段階に至っていないのでございます。しかしながらこの行政権の返還という根本問題が片づかない間におきましても、現地におきますわが同胞八十万の方々の問題につきましては、ぜひいろいろの困難な問題を何とかお助けして解決したい、こういうことでそういう面からもまた努力を続けておるのでございます。たとえば軍用地収用問題、これにつきましても昨年アメリカにおきまして法案が出まして、その法案が今や通過しそうな気配になったのであります。幸い現地住民代表の方々がワシントンに行かれまして御努力になられました結果によりまして、アメリカの国会におきましても、わざわざそのための調査委員会を現地に派遣して、十分実情を把握してから措置をとろうということになったことは御承知の通りでございます。調査委員会が現地に参りまして調査いたしました結論といたしましては、この問題は慎重に検討する要があるということになったわけでありまして、その後右法案はアメリカの議会におきまして、まだこれに対して決定をされていない状況であります。その後アメリカからのいろいろの報道によりまして、アメリカの議会はこの会期におきましてはその問題は取り上げない、依然保留にしておくということのようであります。もちろんこれはいい方に結果が変ったというところまで行っていないのでありますが、少くとも初めの原案にありましたような、われわれとして希望しない方向の決定がまだなされていない。引き続き慎重考慮されておるというような点につきまして、われわれは、従来のいろいろの努力というものが、ある程度効果を奏しているのではないかと考えておるのであります。これらの点につきましては、引き続きさらに努力を継続いたしたいと思っておるのであります。  なお沖繩同胞の移住の問題でありますが、これにつきましては御承知のように沖繩自体がアメリカ行政権のもとにありますので、その海外移住の問題も、第一義的にはアメリカ当局がいろいろ世話、あっせんをするということになっております。聞くところによりますと、相当数の移民が海外にも出ておるようであります。この一たん海外に出ました沖繩移民の方々につきまして、日本政府が在外公館を通じて、本土の日本国民の移民と同様の保護あるいは世話をすべきであるという論もあるのでありまして、これはいかにもごもっともな御意見でありますので、これはすでに約半年前になりますが、中南米の公館長に訓令をいたしまして、沖繩方々の移民につきましても、日本内地の移民の方々と同じように在外公館において十分な世話をするようにということを訓令いたしてあるのであります。なお今後新しく沖繩におられる人が海外に移住される——たとえば中南米もございますし、また最近問題になりましたカンボジア移民にも加わりたいというお考えもあるように聞いております。これらの点につきましては、もとより同じわが同胞でありますので、政府といたしましてはできる限りの御協力、御援助をしたいと考えおります。具体的な問題につきましては、たしか一昨日でありますか、現地代表の方々が外務省の移住局へ来られまして、海外移住協会の支部を沖繩に設置してもらいたいという話があったのでありまして、これにつきましてもぜひそういうことが実現し得る方向に持っていくように研究したいというふうに考えております。この支部ができますればたとえば沖繩の方が海外に移住される際に、その渡航費のお世話をするという道も開けていくのではないかと考えております。今後その面には一そう努力をいたしたいと考えております。  なお現地の経済開発につきまして日本が御協力をするという問題、これもまことに必要なことであると考えております。しかしながら現地がアメリカ行政下にあるという事情から見まして、日本がこれにどのような形で参画するかということにつきましては、いろいろ今後外交折衝を要する問題だろうと考えます。これにつきましても十分南方連絡事務局とも協議いたしまして研究してみたいと思っております。御承知のように南方連絡事務局を通じまして今現地に行っております日本の金は恩給でありますとか、あるいは遺家族援護の金でありますとか、そういう種類の金だけでございまして、一般的な経済復興のための資金援助ということは行われていないのでございますが、これらについてもさらに研究してみたいと考えております。
  104. 高岡大輔

    ○高岡委員 今アジア局長は、アメリカがあまり日本に対してよい感情を持っていないような、今期国会ではこの問題は論じないようなお話でありましたけれども、それは国会としてはそうかもしれませんけれども、さきも午前中に私が申しましたように、雑誌のフォーリン・アフェアーズのアームストロング氏が言っておりましたように、また四月十五日のニューヨーク・タイムスの社説を見ましても、アメリカの識者の間には、そろそろ沖繩問題は解決した方がいいのではないか。むしろこれを解決しないでぐずぐずすることにおいては、思わざる日米間の感情に触れてくるかもしれない。むしろこれを早く解決した方がいいのではないかという意味のことを言っているのでありますから、私はアメリカがそうだからといって、それは日本外務省としては努力はしていらっしゃるのでしょうけれど、さらに一段と努力をしていただかなければならないと思うのであります。私はそうメイファーズの気持にならず、どこまでも努力をしていただきたいということをお願いすると同時に、一つ局長の腹もお聞かせ願いたいと思います。  それから次に移民問題でありますが、これは現地の話を聞きますと、俗に元われわれが言いました内南洋、ここに沖繩方々戦前は盛んに行っていられたのでありまして、今沖繩から二万人余りの人が現にそちらへ行きたいといったような希望を持ち、また内南洋の住民方々もぜひ来てもらいたい、そうすればわれわれの方は土地が繁栄するのだという歓迎的な気持を持っておられるということでありますので、何も沖繩方々を今度のカンボジアの方へ向けるとか、中南米へ向けるとかいうことよりも、今までのなれたところへ、これは日本政府としてアメリカ政府と交渉してお願いをすべきでありましょうけれども、そういう点を一つ折衝していただけないものかという気がするのであります。  まず最初にこの二点だけお伺いしたいと思います。
  105. 中川融

    ○中川(融)政府委員 ただいま高岡委員の御指摘になられました通りでありまして、アメリカの推論も、昨年沖繩方々の代表者が向うへ行かれまして、アメリカの世論に直接訴えられた、あのころを契機といたしましてだいぶ認識を深めてきておるのでありまして、私の記憶いたしておるところでも、ニューヨーク・タイムスが論説を掲げまして、沖繩問題は案外重要な問題であるようだ、もしほんとうに現地の代表の方々が言われるように、現地におけるアメリカ軍の施政に欠点があるのならば、アメリカはいさぎよくこれを変えるべきである、そうして現地の方々に悔いなくアメリカの施政に協力してもらうようにすべきであるというふうな論説を掲げたことがあるのでありまして、その論説の典型的な一つの現われでありますが、いわばアメリカ国民の正義感というものにこの問題が響いてきておるというふうに考えられるのであります。従ってアメリカの議会等におきまして調査団を派遣する、あるいはさらに何らの決定することなくこの会期は見送るというようなことも、いわばそのような世論の一つの反映ではなかろうか。もちろんこれがさらに積極的に好転することを希望するわけでありますが、そう考えておるのでありまして、今後このような世論の波をできるだけ善導利用することによりまして、この問題の促進をはかりたいというふうに考えて努力する考えでございます。  なお移民の点に関しまして、内南洋に移民をはかることを促進すべきであるという御意見ごもっともであります。私も沖繩方々が内南洋と非常に密接な関係がある、また今後の問題といたしましても、内南洋にぜひ移住されたいという希望者が多数おられるということも聞いております。従ってこの問題について日本政府としてできるだけの御援助をする、アメリカとも折衝する、こういうことをわれわれとしても実は考えておるところでございまして、ぜひそのような方向に努力を続けていきたい、こう考えております。
  106. 高岡大輔

    ○高岡委員 先ほど午前中の参考人方々のお話で、与那嶺悦子さんという方が弾丸のかけらでありますか、スクラップを拾ったのをガードが射殺してしまったという話から、いろいろ向うで起きております殺傷事件が述べられております。しかしこれは私思うのに、アメリカ政府は詳しい情報を知ってないのじゃないかという気がします。といいますことは、これは私は間接に聞いた話で、確かなことではございませんけれど、過般鹿児島の県知事が沖繩へ所用のために行かれた際に、これは外交的辞令でございましょうけれど、大へん沖繩はりっぱになりましたといったようなことを言いましたら、土地の司令官が、いやこのりっぱになった陰には沖繩の多くの人が泣いているのだ、われわれもほんとうに気の毒なんだけれども出先ではどうにもならないという意味のことを言われたということを伝え聞いているのでありますが、アメリカ人は良心的に考えた場合には、全く沖繩における駐留軍の行動というものは恥じているだろうと思うのであります。しかしその事実がはっきりしないというところに、いろいろと問題がかもされているのでありまして、さっきの説明にもあり、委員の質問に対しての話にもあったのでありますが、南方連絡事務局はある一定の権限しか与えられないので、情報とでもいいましょうか、いろいろとそういったようなことを外務省なり内閣なりに通報する権限といいましようか、それがないような気がするのでありますが、この南方連絡事務局の機構を変えまして拡大して、もう少し沖繩の事情が日本政府に密着するように、もっとはっきり事情がわかるように、これも一つはかるようなことはできないものか、その点をまずお伺いします。  それから同時に、やはりこれは日本のアジア局の関係でございましょうから、局長のもとに正確な、しかも詳細な情報を集められまして、この情報と事実に基いてアメリカ政府に折衝していただければ、私はそうアメリカがかたくななものじゃなかろう、こう思うのでありますが、南方連絡事務局の権限問題に対して御説明願いたいと思います。
  107. 中川融

    ○中川(融)政府委員 ただいまの南方連絡事務局の権限は、高岡委員が御指摘になられました通り、直接日本の行政事務、たとえば恩給でありますとか、あるいは遺家族の年金の支払いでありますとか、そのような直接の行政事務に関する仕事をするということだけになっておりまして、現地の一般的な情報を集めてこれを日本政府へ報告する、いわば通例の外交機関あるいは領事機関のやっております事務は権限にないのでございまして、これは米国との間の南方連絡事務局の機構を設置をいたしますときの了解から、ただいまそうなっておるのであります。しかしまた同時に沖繩の特殊な地位と申しますか、あそこはアメリカ本国ともまた違いまして、要するに住民が全部日本国民であるということから、かえってそういう機構になってきておる。つまり直接施政の対象である住民方々が全部日本国民であるということから、アメリカ等におきまして日本国民が滞在するのがきわめて例外的であるという場所における領事館事務というようなものは認められないことになっております。その点はなはだ遺憾でございますが、これにつきましてできればこれをさらに機能的にも変えていき、何とか沖繩におられる日本の同胞八十万の方々に、直接日本政府が施策をするという道が開ければこれに越したことはないのでありますが、これはただいまの平和条約等の関係からなかなか困難ではなかろうか、こう考えます。しかしこれにつきましては、もちろん研究いたすことは当然でございまして、われわれも研究してみたいと考えております。しかしながら現実問題といたしましては、正確な法律上の権限問題を離れまして、現実には沖繩実情というものをその出張所でできるだけ把握いたしまして、これを迅速に中央の南方連絡事務局に報告いたしまして、南方連絡事務局から外務省も含めました関係官庁にも常時連絡してもらっておるのでありまして、従って沖繩実情については相当情報はきておるのであります。ただいま御指摘になりました、四月八日に起りました事件沖繩の婦人の方が射殺された事件も、私どもこれは実は少々おくれましたが、きのうその報告を見まして、内容から見ますと、いかにも必要以上の性急な措置をアメリカの護衛がとった、しかも限度を起した措置をとったというふうに考えざるを得ないような事件でございます。しかもこれが軍事裁判に付せられまして、その判決が無罪であるというようなことになった模様でありまして、これらの点につきましては従来からもこれに似た件、あるいはこれに似たといっては語弊があるかもしれませんが、いろいろ沖繩方々アメリカ軍の措置あるいはアメリカの兵隊の不法行為等によって被害を受けられた事件はたくさんあるのでありまして、従来の例を申しますれば、そのようなケースにつきましてはこれをアメリカ当局、向うの大使館等に指摘いたしまして、これの善処方あるいは反省方を求めるという措置をとってきておるのでありますが、今回の事件につきましても、事件の詳細をアメリカ政府に通報いたしまして、これに対する善処あるいは反省方を求めたいと考えております。御指摘のように現地は軍の支配下にありますので、えてして的確な情報、詳細な情報がアメリカ政府当局には伝わらないのではないかという懸念は、われわれも持つことがあるのでございまして、そのようなことがなく、情報ができるだけ的確にアメリカ本国にも伝わるようにするためには、そういう情報は、より一そうアメリカ大使館あるいは在米大使館等を通じましてアメリカ本国に指摘しておきたい、かように考えております。
  108. 高岡大輔

    ○高岡委員 もう一点お伺いします。それは講和会議の際に吉田全権が、沖繩の主権を日本に残されるというアメリカ合衆国全権及び英国全権の発言を、私は国民の名において多大の喜びを持って了承するものであります。こう吉田全権が言っておられますから、もちろん潜在主権といいましょうか、これは日本にあるはずでありますが、現在は三権ともアメリカの手に入っておる。しかしここはどう解釈したらよいのか、ときどきいろいろなものを読んでおりますと、日本人及び沖繩人というふうに、沖繩人も日本人であるにもかかわらず、とかく沖繩人ということを言うだけに、そこに非常に差があるような考え方をアメリカ人自体が持っておるのじゃないかという気がするのでありますが、これは事実違いがありますかどうか、これは条約局長にお伺いしたいと思います。
  109. 下田武三

    ○下田政府委員 実は平和条約ができますもう数年前、五年くらい前からでございますが、占領時代におきまして、私どもは、平和条約の主たる起草者になるべきアメリカ政府に対しまして、あらゆる資料を提出しておったのであります。特に領土問題、なかんずく沖繩の帰属に関する領土問題につきましては、非常に詳細な歴史的、地理的または経済的、民族的、あらゆる見地からの資料を整えまして、沖繩が全く日本と一体不可分のものであるという結論を出すための資料を、十分に米国政府に渡しておったのでございます。そこでその資料の上に立ちまして、沖繩は日本の沖繩県であるという結論を、平和条約でできれば出してもらうということに努力して参ったのでありますが、遺憾ながら発表されました平和条約案には、信託統治にする提案をした場合には、日本政府はこれを受諾しなければならないような規定が含まれて発表されたわけでございます。そこで当時の吉田総理は、軍事上の必要があって、さしあたりの施政をアメリカが行うのはやむを得ないとしても、主権だけは日本が保持するという建前に何とか変更してもらいたいという、最後の努力をされました。幸い平和会議におきまして、ただいま御指摘のありましたように、ダレス米国代表とイギリス代表が、ともに沖繩は日本の潜在主権下に残るものであるということを明らかにしてくれたわけであります。そこで平和条約には、信託統治下に置こうと思えば置き得るにもかかわらず、その規定は今日まで実施されておらないのであります。ところがけさほど来お話を伺っておりますと、もし信託統治になっておったとしましたならば、国連憲章が適用になりまして、信託統治の施政権者というものは、住民の福祉向上のためのあらゆる努力をしなければならぬという規定がございます。だから信託統治にかりになったとしたならば、沖繩県民の福祉向上のために当然アメリカは尽す責任が、国連憲章上あるのであります。信託統治にするということは、日本の主権から引き離すということでありますけれども、主権から引き離さなかったという点はありがたいのでありますが、現実に軍政をしている結果、けさほど来お話があるような状況であるとしましたならば、これはもっと詳細に私ども外務当局もお話を伺いまして、日本の主権下に残してくれた行為はありがたいが、その結果、信託統治になったよりも悪いというような現実があるとするならば、それをよくアメリカ側に徹底させて反省をしてもらいまして、何とか沖繩の残っておられる同胞の幸福のために、私どもは全力を尽さなければならぬという感じを、けさほど来いたしているのでございます。
  110. 高岡大輔

    ○高岡委員 この点は私は非常に大きな問題であり、重大な点だと思うのであります。といいますことは、かりに労務賃をきめますにしても、アメリカ人でも、いわゆる白、黒で区別をつけ、それからフィリピン人、日本人、沖繩人、こういう工合に段階をつけている。これは沖繩人と日本人というものを、同等に見ていないという証拠であります。それから軍用地の接収に際しましても、けさほども、どうもわれわれのことを虫けら同様に考えておるのだというような話があったのでありますが、そういう点は、全くこういうところから出ているのじゃないかという気がしますので、今後日本政府としては、沖繩人は日本人だという線をはっきり出しておきませんと、これが別のような言葉づかいといいましょうか、ニュアンスがありますと、そこに大きな開きが出ると思いますので、今後外務当局がアメリカ政府と折衝していただきます際は、その差のないことをはっきりとそこに確認されて、あらゆる言葉の節々にまで、その差のないことを一つ強調していただきたいと思います。
  111. 前尾繁三郎

    前尾委員長 伊東隆治君。
  112. 伊東隆治

    ○伊東(隆)委員 私一、二点ほど条約局長に御質問いたしたいと思います。講和条約の第三条は、御承知の通り沖繩及びその周辺の島嶼については、これを将来委任統治にする委任統治にするまでの間は、アメリカが施政権者としてこれを統治するが、立法、司法、行政の三権の全部または一部を日本に保有せしめてもよろしいという条項がある。その趣旨で、奄美大島が復帰する直前におきましては、行政権をともかく返してほしい、その中でも警察権と教育権だけは早く返してもらいたいということを、私自身非公式に交渉しておった経験があるのでございます。この沖繩の場合におきましても、沖繩住民方々も、まず行政権を返してくれということを主張しておられることは、きわめて実際的だと思うのであります。ということは、すなわち現行講和条約を改変することなくして返せる手段であるからでありますが、やはり外務省の意見としても、現行の条約を変更することなくして行政権がアメリカとして返せるのだから、その趣旨でやっていくのだという方針か、まずこれをお伺いしたいと思います。
  113. 下田武三

    ○下田政府委員 法律的に申しますと、御指摘の平和条約の第三条のおしまいの方に、「行政、立法及び司法上の権力の全部及び一部を行使する権利を有するものとする。」と書いてございますので、アメリカは必ずそれの全部を行使しなくてもいいわけでありまして、アメリカさえ軍事上差しつかえないと認めれば、その中の一部を返すということは、平和条約をこのままにしておきましても可能であると考えます。
  114. 伊東隆治

    ○伊東(隆)委員 それで、今後沖繩住民の運動の主たる眼目を、行政権の返還ということに置いてやることについて、外務省の協力を得なければならないと思うのでありますが、かつて重光外相がアメリカに行かれたときに、この問題についてアメリカ政府とある程度話があったように新聞には書いてありますが、その間の事情について、外務省として発表していい程度のものがありましたら聞かしていただきたい。
  115. 中川融

    ○中川(融)政府委員 政府といたしましては、行政権と申しますか、施政権の全部を日本に返してもらいたいということを当初より強くアメリカに主張しておるのであります。重光大臣が昨年秋アメリカに参りました際も、アメリカの当局に対しましてこの点を強く主張したのであります。それに対しましてアメリカ側の態度は、先ほども申しました通り、施政権を返す問題は、東アにおける国際緊張が現状のままである間は、考慮できないということを相当はっきりした態度で言っておるのでありまして、そのアメリカ側の態度は奄美大島返還以来の一貫した態度と見ざるを得ない状況でございます。
  116. 伊東隆治

    ○伊東(隆)委員 今施政権全部を返すことはできないと言われたのですが、その一部である行政権だけは切り離して返してもらいたいというような意味で、重光さんは話をしたのではないでしょうか。
  117. 中川融

    ○中川(融)政府委員 通俗に行政権の返還と言っておりますが、要するに施政権全部を返してもらいたい、すなわち完全な日本の領土に復帰さしてもらいたいというのが要求であります。もちろんそれができない場合におきまして、そのうちの一部、たとえば行政権のうちの教育権を返還してもらいたいとか、いろいろ部分的なことも考えれば考えられるわけでありますが、わが方の主張は一貫して施政権全部を返してもらって、完全な日本の領土に復帰さしてもらいたいというのが主張の根本でございます。
  118. 伊東隆治

    ○伊東(隆)委員 それはごもっともでありまして、潜在主権をアメリカは認めておるのだから、いずれは返してもらうような格好にはなっておるのです。しかし司法権といい、立法権といい、しますけれども、さしあたり行政権、行政権の中でも教育に関する事項、または警察に関する事項、この二  つの部分だけでも早急に返してもらわなければ住民の苦痛は耐え得ない。ことに教育の点、午前中質問がありましたが、魂を失うということほどおそろしいことはないということを、奄美大島の場合にも非常にみんなが心配したように、沖繩におきましても少くとも教育を内地と画一にするということと、もう一つはやはり取締りの任に当る者、警察権は日本にやる、住民に返すということで、これはもう急を要するというふうに考えますが、政府の御意見を伺いたい。
  119. 中川融

    ○中川(融)政府委員 施政権全体の返還がアメリカの政策上困難であるという事態が相当はっきりしております。従ってその次の策といたしまして、急を要する教育の問題であるとか、あるいはその他警察の問題であるとかいうようなものを切り離して、これを日本に返すことができれば、決してそれに反対するものではないのでありますが、これらの点につきましては、今までのアメリカ側の態度では、要するに現状の変更は認められないという態度でございますので、たとい部分的なものでもなかなか困難ではないかと思うのであります。この点につきましては従来からも総理府とも協議いたしまして、何とか一部の行政権でも返還することを交渉してみたいと考えて協議はいたしております。見通しとしては、その形式に現われたものとしてはなかなか困難ではないかと思われます。また実際上、たとえば教育につきまして、できるだけ内地の教育内容と同じ内容のものを現地でも採用してもらう、あるいは教員につきまして、内地の教員と交流をする、あるいは内地にいい教員の方に来てもらって、内地の教育状況を講習してもらう、あるいはさらに学校の施設等が不十分であるというような場合には、内地からたとえば必要な基金を寄付するというようないろいろな方法によりまして、現実問題として、実質的にできるだけ内地と同じようにしていきたいということは従来からも努力しておるところでございます。ただ御指摘のような点はいかにもごもっともな点でございますので、さらに研究をしてみたいと考えております。
  120. 伊東隆治

    ○伊東(隆)委員 そういう実際的な解決の方面に、外務省も大いに今後とも力を尽していただきたいと思うのであります。  条約局長に第二点としてお伺いいたしたいことは、ここに私は条文を持ちませんので、はっきりした文句はわかりませんが、要するに講和条約の第十九条で沖繩におきます占領中の損害補償の請求権を日本政府は放棄しておる。そこで自分の住民に対する損害補償の請求権を相手国政府に対して放棄したということは、反射的に住民に対してこれを国家補償する義務がそこに発生しておるものだと思いますが、この点に関する条約局長の御意見を承わりたい。
  121. 下田武三

    ○下田政府委員 第十九条におきましては、確かに日本国政府及び日本国民の——この場合では沖繩におられる日本国民の請求権をも放棄しております。しかしその日本国民に放棄させた代償として、それなら日本政府補償すべき義務があるかどうかという点につきましては、実は平和条約は全然何も規定していないのであります。ヴエルサイユ平和条約や今次大戦後のイタリア平和条約におきましては、ドイツ政府あるいはイタリア政府にそういう自国民に請求権を放棄させた結果としての補償を行う義務を課しております。ところが日本に対する平和条約に限って、この点全然触れていないのであります。そこでこの問題は、日本が自分できめるべきものだというのが連合国側の態度であると推察し得るのであります。つまり日本を長い間占領してみまして、この狭い島に資源貧弱な日本国の経済財政がいかに困難であるかということは、占領時代占領軍当局が身にしみて感じましたので、平和条約において、もし日本政府にこれらの国民の損害をすべて補償するという義務を課したといたしましたならば、日本は財政上の破綻を来たすことは必至である、これは将来日本の経済力が回復すればあるいは可能になるかもしれないが、平和条約のときにその義務を課すということは非現実的であるから、これは将来日本の政府日本国民がみずからきめるべきものである、そうして白紙に平和条約は残しておこうというのが、連合国側の意図であるというように私どもは推察しておるのでございます。
  122. 伊東隆治

    ○伊東(隆)委員 その点はさようだと思いますが、相手国に対する義務があるから自国民に対する損失を補償しなければならない、相手国との義務がないから自国住民にどんな損害を与えておっても仕方がないからほおっておこうというわけではないのだと思います。すなわち、言いかえれば条約上の義務はないけれども、国家として住民に対する義務なるものは、何と申しますか、基本的義務が国としてあるのではないか、私はかように確信するのですが、条約局長はどういうようにお考えになりますか。
  123. 下田武三

    ○下田政府委員 この点は憲法との関係の問題もございますが、要するに日本政府と国民の自主的に今後解決すべき問題だろうと存じておるのであります。もとより先般来在外資産の問題につきまして国会でも決議がございましたし、また政府部内でも、この問題の調査をやるために新機構も発足したような状態でございます。そういう政府機関内における検討、また国民の代表者としての国会における御意思の表示、そういうことがだんだん明らかになりまして、日本国内の問題として解決すべき問題だろう、そういうふうに存じておるわけでございます。
  124. 伊東隆治

    ○伊東(隆)委員 それでは政務次官に一つお尋ねしますが、実は沖繩講和条約発効前の土地補償問題は、要するに条約上の義務から来る問題ではないから国内問題だ、だからあるいは大蔵委員会というようなところでやったらどうかという説もあったし、また先ほど来の人権問題は、あるいは法務委員会でやってもいいじゃないかというような話もないではなかった。しかしながらこれを何がゆえにこの外務委員会でかく真剣に取り上げて参ったかというと、やはり時日はどうかかっても、どこまでも全面復帰を期さなければ国民としてやむにやまれぬということが根にあった。さしあたりは行政権の問題、その中でも教育、警察権の問題だけでも急速に、本年中でも返してもらいたいという島の人々の熱烈な希望実現の問題があるわけであります。それらに関連して、やはり特殊な地位に置かれた、気の毒な立場にある沖繩住民のそういう苦しんでおる経済上の諸問題、それらの解決がありますので、この外務委員会でかく取り上げて、今後ともまた熱心に論議されていくことと思うのでありますが、一つ外務省といたしましては、これらの諸問題について、条約上の義務は沖繩住民補償する必要はないのだ、従って、日本国政府は義務がないのだという、こういうばかな気持はもとよりないことはわかります。されば一つ外務省が音頭をとって、沖繩住民のさしあたりの講和条約発効前の土地損失補償の問題と人権問題等については、今後とも非常なる熱意をもってやっていただきたいと思うのでございますが、外務省の気持はどういう気持でありましょうか。
  125. 森下國雄

    森下政府委員 本日この委員会を通していろいろと真相を検討されて参りました。これらの問題に対しましては、一日も早くそれぞれの方法をとって解決したい、かように考えております。しかしこれは大体国内問題の面も非常に多いのでございますから、よく検討をいたしまして最善の方法をとりたい、最も急いでこれらの問題の解決に努力をしたい、かように考えております。
  126. 伊東隆治

    ○伊東(隆)委員 午前中は大蔵当局も見えておられましたので、土地問題についてはもっと掘り下げていろいろの話を伺い、またせっかくこのためにのみおいで下さった三人の参考人方々も、もっと訴える機会を得たらばと思ったのでございますが、ああいう経過で午後に至ってしまった。お三人の陳情の主点は、やはり講和条約発効前の土地補償問題について、日本国政府の態度をはっきりつかんでいきたいということでございました。全面復帰とかあるいは行政権の返還とか人権問題とかいろいろありますけれども、さしあたりこの問題の実現のためにおいでになっていることと私は了承しておる。戦前沖繩の知事をやっておられた淵上先生も特にきょうは列席されておりますが、その悲惨なる状況はとくに御承知の通りでありまして、すでに一万三千町歩土地が取り上げられ、しかるになお一万二千町歩土地がここに取り上げられようとしておる、その補償の問題もこれに関連しておるが、合せると沖繩の全領土の四分の一が軍用地に供せられるに至っては、八十万の島民は足を入れるところすらない。そういう実情のもとにおきまして、さしあたり日本政府としては、条約上の義務がないからといってこの際不問に付するわけにはいかない、また財政上の困難な理由を言ってこれを一日延ばしするわけにもいかないと思うのであります。本年の予算は御承知の通りもう決定いたしておるし、あるいは予備費と申しましても、これが不時の突発事件でないとすれば、また論議もあろうというものでしょう、少くとも来年の予算の中にはぜひ入れていただきたいと思うのでありますが、本年からでも出発できないことはない、そういう点について大蔵当局ともいろいろ話をいたしたいというのがこの陳情の方々の御意思かと思います。小笠原の例を見ますと、見舞金という名で一億円という金が出ておるが、沖繩条約発効前の補償の問題については、見舞金などというなまやさしい問題ではないと私は思います。私は先ほど基本的義務なんという苦しいような言葉を使いましたけれども、そんなことでなくても、これは当然国が補償する義務がある。  それで私は南方連絡事務局長に御質問するのですが、補償義務に基いて国がこれを補償します場合には、算定の基準とかあるいは詳細なる調査とかいうことで、いたずらに時日を経るかもしれないというようなことをおそれて——おそれる必要もないが、そういうこともあって、終戦後ここに十年余にわたるにかかわらず、これが放置されておるということは、そういう算定に困難であったからか、またはやる気がないのか、やる気がないのかという質問ははなはだ酷なことを申し上げますが、一体どういう理由でこれが放置されておるのか、それをお尋ねいたします。
  127. 石井通則

    ○石井(通)政府委員 沖繩講和発効後の補償の非常に低い、また一括払いをするということに対する現地のアメリカ側に対する要求については、早くからわれわれもその状況を知っておった、またいろいろな方法によりまして情報を集めておりまして、その点は外務省にも詳細御報告申し上げ、外務省からアメリカ側にもいろいろ意思表示をしていただいたのでございます。講和発効前の補償に関しましても、そのころから実態の把握をいたしたいと思いまして、いろいろな印刷物その他で調査はいたしておったのでございます。ところがその調査によりますと、大体アメリカ側といたしましては、講和発効前においては補償をしなければならぬというような建前から、いろいろ土地の評価あるいは所有権の確定ということを進めて参ったわけでございまして、またアメリカの極東軍の指令によりまして講和発効前におきましても補償するというような指令は出ておるのでございます。ただ現実の問題といたしまして、土地調査が非常にひまがかかっておった、またそれに見合う予算の確保が非常にひまがかかっておった、そういうような関係から、講和発効前の補償につきましては、二十五年の十月ごろからかと思いますが、非常に低いのでありますけれども補償が若干なされておったということも聞いておったのでございます。そこでこの問題を日本政府補償してもらいたいということは講和発効後になりまして、御承知のように講和条約十九条が掲げられました関係から、現地の方々アメリカ側に相当強く要求されたのでありますけれども、アメリカ側におきましてはこれ以上の補償はできないということが言明された由であります。この問題を日本政府補償してもらいたいというような話は、昨年比嘉主席一行が現地からアメリカへ渡られまして、講和発効後の補償についての陳情をされた際に、たまたま座談的に話が出たことは記憶いたしておるのでございます。その後現地でいろいろ検討されておりますことはお聞きいたしたのでありますが、いろいろ資料をそろえて具体的に要求が出て参りましたのはこの三月でございます。この資料を私どもといたしましても目下いろいろ検討はいたしております。これに対してどういう措置をするかにつきましては、関係各省とも十分協議いたさなければならぬわけでございますが、南方連絡事務局といたしましても、関係各省に要求する、たとえば大蔵省に予算を要求するという場合におきましては、相当詳しい、自信のある資料を作成して大蔵省と話し合いをいたすような状況でございまして、現在におきましては相当広範囲な、百七十数億という大きな補償の要求でございますので、その内容についてもわれわれといたしまして相当把握いたさなければ、大蔵省に対してもお話し申し上げるわけにもいきませんので、現在われわれといたしましては、まずその実態をわれわれの力で検討できる限り検討いたしたい、こういうふうに考えておるような次第でございます。
  128. 伊東隆治

    ○伊東(隆)委員 お説の通り、米軍の占領中には、ごくわすかの補償がほとんど略奪的でもあるというので、今当分は非常な苦境に陥っているわけでございますが、少くとも講和条約の発効後は、その略奪的とでも言うべき補償額でこれを接収しておるのでございますから、南方連絡事務局としては、それを補わしめるためにも研究を進めておらなければならなかったはずだと私は強く思うわけです。しかしまだおそくもない、ここに耐えかねて土地の代表者が見えておることでもございますからして、その主管局である南方連絡事務局におきましては、いたずらに算定の基礎等を考慮することに日を過ごすことなく、一口に言えば目分量でもいいから相当額を、また年限を少しずらして三年とか五年、できるなら十年かかってでも百七十億という金は、かりにできなくても、それにできる限り近い額を定めて、これを補償していただくということでなければ、大東亜戦争沖繩住民のみがこんなに苦しんでおるということはこれはあり得ない。  少し余談になりまして恐縮でございますが、ちょっと簡単に申し上げます。ルーズヴェルト夫人が先般知的交流委員会の日本内国委員会の招待によりまして、日本においでになったときに、私が東京—沼津の間で重成鹿児島県知事を伴って二時間にわたって車中会談をやった。外国の新聞記者全部隣の箱に乗ってもらって会談をやって、その内容を世界の通信網に載せた。ルーズヴェルト夫人が眠い顔をされておりましたので、松本重治君がいいかげんにしろと私に注意があったけれども、当時気違い的に熱中しておった私は、そういうことに耳をかさずに、じゅんじゅんとお話をして訴えた。ルーズヴェルト夫人が大阪に着きますや、大阪に約四万近い奄美大島の出身者がおるのですが、その代表者が二人乗り込んで陳情いたし、それから九州に着いた。九州には奄美大島から二人の婦人代表、会長と副会長が来られて、女同士の話だというので福岡で話をした。元九州帝大の総長をしておられた大島直治先生が小倉の外国語学校の校長をしておられますので、大島先生の通訳で話をした。二人の婦人はルーズヴェルト夫人のひざ元に涙を流して人道問題として訴えた。そして熊本まで着かれた。東京に帰って羽田の飛行場を立ってアメリカにお帰りになる直前に、何か日本の国民に対するメッセージはないかと新聞記者がマイクを差し伸べて尋ねたところが、ルーズヴェルト夫人いわく、自分は幾多の人道的なリサィエティに関係している。従って原子爆弾が日本国民にどんな影響を与えたかを自分はついでに調べるつもりでやってきた。すなわち第二次大戦が日本国民に与えた最も強い印象は何であろうかと思ってきたのだ。ところが広島を通過しても広島からはだれ一人上ってきて原子爆弾の——きょうは社会党の人が来ておれば非常によかったと思うのですが——原子爆弾の惨禍について訴えてこなかった。長崎のそばの鳥栖駅を通過したときも長崎の人がやってきて、ああいう非人道的な武器は二度と使ってもらいたくないということを訴えたことはなかった。しかるに奄美大島の代表は、東京において代表者が二人、一人はガバナーが来た。ことに九州においては婦人が現地からなまなましい状況を訴えてきた。自分は第二次大戦が日本国民に与えた一番痛いことは、奄美大島が日本の領土から離れたことであることを痛感したから、アメリカに帰ったならば自分の所属するすべての団体に衆知せしめようと思うということをルーズヴェルト夫人は言われたのであります。  私はその当時沖繩の有志とも、仲吉さんとも相はかってこの問題をいたしたのでありますが、その当時は沖繩の占領は奄美大島などは比較にならぬほど強い占領を受けておりましたし、いろいろな事情がありまして、沖繩の方ではそう強い陳情が展開し得なかったのでございますが、実は奄美大島には約数名の占領員が来て占領しておったにすぎなかった。しかし本土から分離されることによる苦痛というものは言語に尽し得ないものでありまして、沖繩におきましては土地問題がなお現実に一万二千町歩ほどにわたる土地の買い占めが始まらんとしておるに当って、いかに隠忍自重に富んだ沖繩住民といえども、やむにやまれずここに出てこられた。この実情というものは、私におきましては、その立場を同じくして参りましただけに、同じ運命にとらわれました身でありますだけに、特に同情を禁じ得ない。この問題につきましては、のど元過ぎれば熱さを忘れるということじゃなくて、第二次大戦によって最も打撃を受けた者は沖繩住民である、そういうことがいやしくも世界にその精神的文化を大いに誇っておったやまと民族として果して許せることであるか。また外務省として、理屈はいろいろつきましょうけれども、内地の問題だとかなんとかいうことでなくて、これは外務省が大いに取り上げるべき問題だと思っております。私外務省の出身だけに、当時外務省に岡崎君が次官をしておったので行っていろいろ訴えいい点もあった。だから森下次官の御答弁ははなはだ不満だ。これは森下次官のような外務省の臭味を帯びない方が大所高所からこれを見て、外務省がやるべきことである。大蔵委員会、法務委員会というよりは、こういう問題は大きな外交問題、政治問題として取り上げてこそアメリカに響く。われわれの一言一行はアメリカにそのままどしどし響いておる。こういうわけでございますから、森下次官はもっとこれに気を入れていただいて、また外務省の各位も、あまり理屈だけにとらわれ過ぎずに、南方連絡事務局、大蔵省その他を叱咤して、外務省が音頭をとってやっていくように切にお願いいたしまして私の質問を終ります。
  129. 森下國雄

    森下政府委員 先ほど申し上げたことは、決してこれをのがれるような言葉で申し上げたつもりではなかったわけです。議会を通してここにこれだけのことをいろいろと説明され、まことに胸を痛めて深くこれを伺っておるのでございまして、そう簡単に、権利とか義務とかそういう問題で解決すべきものではないと深く痛感をいたしたことを先ほど申し上げたつもりです。また重ねて申し上げますが、この問題は権利や義務を離れて、何とかして解決しなければならないということなのでございます。今後、むろん私は政府を代表しまして、この問題に全幅の努力を傾けて、この不幸なる姿を一つ一つでも改めていくために尽したい、かように決心のほどを申し上げておきます。
  130. 前尾繁三郎

    前尾委員長 他に質疑はありませんか。
  131. 菊池義郎

    ○菊池委員 国際情勢について一、二伺いたいと思います。皆さん大臣にばかり質問をしたがりますが、私は、政務次官であろうが局長であろうが、その見識において大臣と何ら変るものではないと考えております。ことに皆さんは絶えず外交の枢機に参じておるのでありますから、どなたに質問するのも同じことだと考えてお伺いします。  さしあたり河野全権はモスクワからの帰りに英国、米国、フランス等を訪問して帰るということであるが、これらの国を訪問するのはあとあとの了解を得る、そういう目的ではなかろうかと思うのです。われわれは、モスクワに立たれる前にむしろ米国やカナダあたりの了解を得た方がよかったではないか、河野全権のやり方はまずかったではないかと考えております。これは外務省の考え方であろうと思うのでありますが、日本とアメリカ、カナダとは三国の漁業条約もありますし、また日本とソビエトとの漁業条約に関しましてもこれらの国々は関連性を持っておるのでありますから、モスクワへ立つ前にできることであったならば、米国、カナダ、ソビエト、日本の四カ国会談を開いた方がむしろ効果的であった。米国及びカナダのごとき強大な国力を利用して、四カ国の会談によって日本の対ソ目的を達するようなやり方が、一番賢明であったと思うのでありますが、そういう点について外務省当局の御意見を承わってみたいと思うのであります。
  132. 森下國雄

    森下政府委員 御承知のように、これは現在きわめて複雑な問題でございまして、アメリカとカナダとは前から交渉を続けて密接にその連絡はとっておったのであります。ソ連は、日米加会議をいたしますときに、米・加・ソ・日本と四国関係で必ずオブザーバーとして加わってその会議は続けてきておったのであります。
  133. 菊池義郎

    ○菊池委員 それからまたこういうことをお伺いしてみたいと思うのであります。ソビエトとの平和が回復いたしました暁において、日本とソビエトで結ばれております漁業条約を、これを四カ国の話し合いによって訂正することはできぬものかどうでしょうか。それも一つの考え方であると私は思う。河野全権の取りきめて参りました漁業条約はどうもわれわれ満足ができないのであります。米国及びカナダを介入せしめてこの条約を日本にもっと有利に訂正することはできないものであろうか、外交技術上の御意見を聞かしていただきたい。これは条約局長でもどなたでもいいと思います。
  134. 下田武三

    ○下田政府委員 今般署名されました日ソ漁業条約を将来日米加ソ四カ国の漁業条約に切りかえる方法はないかというお尋ねでございますが、これは理論的には私は可能だと思います。御承知のように、日米加の条約におきましても、サケ、マスの規制を規定いたしておるのでございますが、大体北太平洋におきますサケ、マスは二つの系統がある。つまりカナダの川で卵を産んで、大きくなって太平洋に流れてくるものと、オホーツク、べーリング海等でソ連の川に遡上して卵を産んで、そして太平洋に流れ出ていくサケ、マスがある。そこで太平洋のちょうどまん中に当ります百七十五度線という縦の線、日本の極東の系統のサケ、リスは大体百七十五度よりも西で、アメリカ、カナダのサケ、マスはそれよりも東でという仮定をいたしまして、そして太平洋を二つに東西に分けておるわけであります。そこで日ソ間のサケ、マスの問題は、太平洋を二つに分けた西の方の半分のサケ、マスの問題でございます。でございますから、さしあたり本年度の出漁を控えて大急ぎで条約を作るとなりますと、四カ国会議を招集して話をするいとまが実はなかったので、それで日ソ間だけの交渉をしたのでありますが、将来これを太平洋全体のサケ、マスの問題として四カ国で相談するということは、理論的には考えられることであります。オットセイにつきましてもサケ、マスとちょうど同じように、極東の系統のオットセイと米加の系統のオットセイというものと二つの系統があるわけでありますが、にもかかわらず現にワシントンで日・米・加・ソ連の四カ国のオットセイの会議をやっておるわけでありますから、理論的には考えられることであります。これは将来十分考究すべき問題だろうと存じます。
  135. 菊池義郎

    ○菊池委員 今後ぜひそういう方式の交渉を開始して、そして目的を達していただきたい、これがわれわれの念願でありますので、希望として申し上げておきます。  さらに河野全権がクレムリンにおいてブルガーニンに会っておりますが、その席においてお互いに平和回復の話をしております。これは私は与えられた権限を越えてもこんな話はしても差しつかえないと考えておるのであります。外務省としてももちろんこれはお認めになると思いますが、政務次官、いかがでございましょうか。
  136. 森下國雄

    森下政府委員 河野代表はこの二十五日に日本に帰ることになっておりますが、これは国際上のきわめてデリケートな問題でもありますし、一応河野代表が帰り、また随員の法眼参事官一行も相前後して帰ることでありますから、二十五日に帰りましてから、よくその真相を述べることができると思います。
  137. 菊池義郎

    ○菊池委員 あとの質問がありますので、一分か二分簡単にお聞きしておきます。それから今問題となっておりますのは、平和回復の交渉をロンドン方式によるかアデナウアー方式によるかというようなことが騒がれておるのでありますが、われわれの考えといたしましては、過去のソ連のやり方から見まして、アデナウアー方式は危険だと思う。ドイツの捕虜もまだすっかり帰しておりませんし、イタリアの戦犯も帰しておらない、そういうわけであります。それでどうしてもやはり外務省のもともとの方針通り、懸案を先に解決して、そうして国交を妥結するというようなやり方、やっぱりロンドン方式が望ましいのでありますが、外務省といたしましてはこの方針に変りないと思うのでありますが、いかがでございましょう。
  138. 森下國雄

    森下政府委員 御承知のように七月三十一日までに会議を開くということははっきりしておるのでございますが、そのいずれをどういう形にとるか、アデナウアー方式でいくか、ロンドン方式でいくかということは、河野代表が数日のうちに帰って参りますから、帰って参りまして、よく代表から逐一その実情の報告を聞きまして、そうして慎重に態度をとられるものと、かように思っております。
  139. 菊池義郎

    ○菊池委員 ロンドン方式でもって最初交渉を始めて、それから情勢の変化によりまして、また西ドイツ方式に切りかえるということも、これは技術上できると思うのですが、条約局長、いかがでございましょう。
  140. 下田武三

    ○下田政府委員 技術上また理論上は、仰せのような方式の切りかえはむろん考えられることだと思います。しかし実際にどういう態度で進むべきかということは、今政務次官から申されましたように、何分河野代表の会談の内容について詳細には報告に接しておりませんので、河野代表から政府に御報告がありまして、その上で十分慎重に御検討に相なる筋合いであろうと考えます。
  141. 菊池義郎

    ○菊池委員 どうも今の外務省の言葉はちょっと軟弱であると思います。軟弱というよりも、考えが浅薄であると思うのであります。今のお言葉といい、それから河野代表は、クレムリンにおいてブルガーニンが、南千島はもうわれわれが取ったのだ、われわれのものなのだ、そういうことを強硬に言っておるにかかわらず、河野代表はこれに対して一言も答えておらない、これは朝日新聞の記事でございますが、そういうところを見ると、政府意見が何だかロンドン方式から変りつつあるのではないかということについて、われわれは非常に憂慮にたえないのであります。河野代表が帰ってから考えるということであっては、もうロンドン方式を固執するという意思が必ずしもないということが察知せられる次第でありますが、そういうように推察してよろしいものでありましょうか。
  142. 森下國雄

    森下政府委員 ここ数日なんですから、河野代表が帰りまして、ブルガーニンと会談をしたその内容の詳細な報告を聞いて、慎重に態度をきめるのが私は本筋だとかように考えました。いまだ河野全権も随員も帰らざる間に、ただ一部の電報と新聞報道とを基礎としてこれを今決定することはどうか、かように考えます。どこまでもやはり河野代表が帰り、随員も帰って参りまして、その真相をよく聞いた上で決定するのであって、ロンドン方式を捨ててアデナウアー方式にいくか、いずれかということは、今ここで申し上げることはできないことだ、かように考えます。
  143. 前尾繁三郎

  144. 松田竹千代

    ○松田(竹)委員 沖繩の問題について本朝来親しくその事情を聴取し、また同僚委員から質問せられたその応答、それらを通じて、先刻森下政務次官は政府を代表して、事態はきわめて憂慮すべき、これを一日も等閑に付すべきものでない、政府はこれが処置に対して絶大な努力を傾けるつもりであるという御答弁があったのであります。沖繩におけるいろいろな問題は、繰り返すまでもなく、常に人権の尊重をやかましく言い、また労働の問題について常にその国是において、また憲法においても大きくうたってきております米国としては、はなはだ米国らしからざるやり方をやっておるということはきわめて明白であります。そこで政務次官の御答弁になりました、お考えを披瀝せられたことはもっともでありますが、さて事態は急を要する問題であると思います。どういう処置をおとりになろうとお考えになっておられるのでありますか、まずこれをお伺いいたしたい。
  145. 森下國雄

    森下政府委員 まず外務省はさっそくこの会議を開きまして、それぞれ最善の方法を講じます。
  146. 松田竹千代

    ○松田(竹)委員 しごくけっこうであります。いろいろ考えて最善の方法をとる、それでよろしゅうございますが、かりにこの委員会で、きょうは列席委員も少うございますが、社会党の委員諸君もおそろいになったところで、この委員会でもし沖繩の管理のいろいろの点につき、あるいは軍用土地の使用、その使用料の問題、あるいは人権擁護の問題等について決議をするというような場合には、この決議を委員会としても委員長の名前をもってなされることもけっこうと思いますが、政府としても今回のその決議を、たとえば向うの政府当局はもとより、国会の委員長なり、あるいはILOの団体なり、あるいは国連なりに伝達を至急にしてくれるという用意があるかどうかお伺いいたしたい。
  147. 森下國雄

    森下政府委員 国民の総意をもっていたされましたその決議に対しまして、むろん米国政府にこれを伝達いたすものでございます。
  148. 松田竹千代

    ○松田(竹)委員 また決議を伝達するばかりでなく、私は相当強い言葉をもってこの問題は米国政府に抗議をする必要があると思う。これはささやかな問題ではない。これは米国の世論にも訴え、あらゆる手段を講じてやるならば、必ずや米国国民としては、この日本の正しい要求に対しては応ずるものであるということを私は確信するのであります。そういう意味合いにおいて、あらゆる関係筋に対して、この事態のまことに非人道的であり、非アメリカ的なやり方であることを強く訴えることにおいて、アメリカ人は必ずこれに応ずる、こう確信いたしますから、どうぞ適当なる処置を強硬におとりあらんことをお願い申し上げます。
  149. 森下國雄

    森下政府委員 松田委員の仰せの通り、先ほどからこの委員会はまことに悲痛な委員会の姿を繰り返したのでございます。この点も国際正義を重んずるアメリカに対しまして実情をよく述べて、そうしてこれを強く訴えることといたします。
  150. 前尾繁三郎

    前尾委員長 他に質疑がなければ、次会は公報をもってお知らせいたします。  本日はこれにて散会いたします。     午後三時五十五分散会