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1956-10-05 第24回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第19号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十一年十月五日(金曜日)     午前十時五十三分開議  出席委員    委員長代理 理事 臼井 莊一君    理事 木村 文男君 理事 櫻井 奎夫君    理事 戸叶 里子君       逢澤  寛君    石坂  繁君       大橋 武夫君    田中 龍夫君       辻  政信君    保科善四郎君       井岡 大治君    今村  等君       三鍋 義三君  委員外出席者         外務参事官   法眼 晋作君         厚生政務次官  山下 春江君         厚生事務官         (引揚援護局         長)      田邊 繁雄君         労働事務官         (職業安定局雇         用安定課長)  松本 岩吉君     ————————————— 八月二十九日  委員生田宏一君、大平正芳君、内藤友明君、古  川丈吉君及び坊秀男辞任につき、その補欠と  して田中龍夫君、辻政信君、高岡大輔君、仲川  房次郎君及び田村元君が議長の指名で委員に選  任された。 十月五日  委員大橋忠一君及び田村元辞任につき、その  補欠として大橋武夫君及び石坂繁君が議長の指  名で委員に選任された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  派遣委員より報告聴取に関する件  海外胞引揚に関する件(日ソ交渉におけるソ  連地区抑留同胞引揚問題)  引揚者定着援護に関する件     —————————————
  2. 臼井莊一

    臼井委員長代理 これより会議を開きます。  本日は、委員長にやむを得ない差しつかえがありまして、御出席できませんので、私が委員長の職務を行います。  本日は海外胞引揚に関する件について議事を進めることにいたしますが、その前に、先般中共地区残留同胞引き揚げ状況及び受け入れ援護状況調査のために舞鶴に派遣いたしました委員より、その調査報告を求めることにいたします。今村等君。
  3. 今村等

    今村委員 先般の中共地区からの引き揚げにつきまして、舞鶴における引き揚げ状況及び受け入れ援護状況等につきまして、その実地調査の結果につきまして御報告申し上げます。  本委員会から派遣されました委員は、私と原委員長の二名でありまして、私から調査の概要につきまして、御報告申し上げます。  去る九月五日舞鶴に入港いたしました今回の第十五次中共地区引揚船興安丸乗船者は、総数が六百二十八名でありまして、その内訳は、戦犯起訴免除釈放者が三百五十四名、一般邦人引揚者が七十九名、一時帰国者が百三十七名、第一次、第二次の面会渡航者が五十六名、一時渡航者1これは大連病気見舞に行った方でありますが、これが二名となっております。  免訴者一般邦人引揚者及び一時帰国者について、これを性別及び成年未成年の別に申し上げますと、成年男子は三百九十八名、未成年男子は三十七名で、男子の計は四百三十五名であります。成年女子は七十一名、未成年女子は六十四名で、女子の計は百三十五名であります。男女合せまして、大人は総人員の八割強の四百六十九名で、子供は二割弱の百一名であります。  元軍人関係につきましては、元陸軍軍人が二百九十四名、元陸軍軍属が十七名、元海軍軍属が一名で、計三百十二名であります。  病人は、今回は割合に少く、二十名でありますが、担架で運んだ者一名、護送した者十二名、独歩者が七名で、病名は、肺結核十二名、高血圧三名、アメーバ、脱疽、神経麻痺、気管支炎、大腸カタル各一名であります。  携帯金総額は、香港ドルで五万二千六百六十八ドルでありまして、そのうち、一時帰国者携帯金は、総額の五割強に当る二万六千八百七十七ドルでありまして、一世帯平均約四百八十ドル、一人平均約百九十六ドルであります。  船積みの持ち帰り荷物は、全部一般邦人のものばかりでありまして、百六十六梱包であります。  なお、今回、特に同船で遺骨四十四柱、合同のもの十四箱が送還されて参りましたが、これらの遺骨は、全部上海の元西本願寺に安置されておりましたもので、個人別遺骨でも、戒名で記されているものもありますので、身元のわからないものも多いようであります。このほか個人携行遺骨が十五柱あり、戦争混乱の中、遠く異境に散ったこれらの方々の霊に対しまして、ここにつつしんで弔意を表する次第であります。  さて、快晴の五日、午前七時五十分、舞鶴に帰って参りました興安丸は、大丹生泊地で一時間余の検疫を受け、援護局がすぐそこに見える平沖にいかりをおろしたのであります。私ども派遣委員は、九時過ぎに援護局におもむき、直ちに、上陸を前にして喜びにわき立つ興安丸を訪問し、今回も無事輸送の大任を果された玉有船長以下船員の御労苦に対し謝意を表した後、遺骨の安置された第一回の上陸用ランチ面会家族方々とともに平桟橋に帰り、きびしい残暑の中、一時間余にわたり、帰国者上陸を出迎えたのであります。  上陸は、まず舞鶴市立大浦中学校男女生徒四十四名と援護局職員の胸に抱かれた遺骨を先頭に開始され、面会渡航者、患者、戦犯釈放者一般帰国者、一時帰国者の順でなつかしい祖国の土を踏んだのであります。  今回の興安丸は、その乗船者内訳を見てもわかりますように、釈放戦犯あり、一般帰国者あり、一時帰国者あり、面会家族あり、一時渡航者あり、遺骨奉仕団もまじるといった工合で、従来の帰国船という性格が薄れ、日本大陸とをつなぐ定期航路の客船という感じが強くなってきておりまして、その服装を見ましても、釈放戦犯白シャツに紺の工人帽工人ズボンを初めとしまして、背広あり、ピンクや薄緑のブラウスあり、中には中国服にネックレスをつけた婦人もまじるといった多彩な情景でありました。  次々とランチ桟橋に横づけされるたびに、桟橋は歓呼に沸き、釈放戦犯の中には、管理所から持ち帰ったバイオリン、チェロ、太鼓等をにぎやかにかなで、歓迎にこたえ、また大陸の孤児が釈放された父と北京で会い、親子そろって喜び勇んで祖国の土を踏んだ情景、中学生になった娘と初めて対面する釈放戦犯帰らざる人を探し求める家族等喜びと涙を織りまぜて上陸は十二時終了したのでありますが、釈放戦犯人々は、おめでとう、お帰りなさいの歓迎の言葉に、ただいま帰りました、いろいろお世話になりましたと実に明るく元気よく祖国の土に第一歩を申したのに引きかえ、一時帰国者は、その服装も何となくみすぼらしく、中国における生活が察せられ、何か痛々しい印象を受けたのであります。  かくて、病人方々国立舞鶴病院に入院し、その他の帰国者援護寮に入り、十数年ぶりで、なつかしい故国の味を満喫したのであります。  次いで、私どもは、援護局において、日赤以下引揚三団体人々より、今次引き揚げ実情等につきまして説明聴取し、また局内のマイクを通して、帰国者人々に対し、無事帰国されたお喜びを申し上げるとともに、新生活の門出を祝福し、激励したのであります。  次いで、今般中国より送還されました遺骨慰霊式に臨み、委員会代表いたしまして、遠く異境に散ったこれらの方々の霊前に花輪を供え、冥福を祈ったのであります。  続いて、参議院調査団とともに、帰国者代表五名——これは全部釈放戦犯人々でありますが、これらの人々懇談会を開催し、厚生省係官及び引揚団体代表者をまじえ、病院見舞に行く予定をも取りやめ、時間の許す限り、これらの人々と意見を交換したのでありますが、この懇談会及びその他の調査によって明らかにされた数点について、申し述べたいと存じます。  まず釈放戦犯関係につきまして申し上げますと、撫順収容所に収容されていた者三百六名、太原収容所に収容されていた者四十八名でありまして、そのうち未復員者が二百二十四名、一般邦人が百三十名であります。未復員者は、第十三次、第十四次の帰国者同様、旧第五十九師団衣部隊、旧第三十九師団藤部隊及び憲兵隊人々が多く、一般邦人では、警察関係人々が特に多いようであります。これらの人々心境等につきましては、新聞紙等で広く報道されており、また現地状況等につきましては、過般の委員会におきまして、参考人として、前に帰国した人々より実情聴取いたしており、また第十四次の調査報告にもありますので、重複は避けたいと存じます。  ただこれら釈放戦犯人々の異口同音に述べることは、なつかしい祖国に帰ってきた喜びは大きいが、直ちに身に迫ってくるのは、あすからの生活であります。これらの人々は人生における最も大切な青年期抑留され、身に職をつける機会を失った壮年の人が大部分であります。中共関係釈放戦犯引き揚げもこれで三度目になりますが、前二回の就職状況等を見ましても、実情は、必ずしも満足すべき状態にはないようでありますので、就職のあっぜん等につきましては、特段の配慮が払われなければならないことを痛感する次第であります。  またこれらの人々より、政府と軍の命令を忠実に実行したことによって戦犯に問われ、この十一年間に失った精神的、肉体的な損失に対し補償してもらいたい、そして、これを基礎として、今後の生活の設計を立てていきたいとの強い要望があったことを御報告いたしておきます。  なお、旧満州国官吏については、日本軍人同様の取扱いをしてもらいたいとの要望があり、太原関係釈放戦犯については、政府は、これらの人々現地復員として処理しているが、これらの人々の話によると、個人自由意思によって残留したのではなく、強制的に残留させられたのである。しかるに政府復員軍人として取り扱わず、いつの間にか現地除隊自願、残留逃亡等の名目をもって処理しており、一般邦人として取り扱われているので、これらの特殊な事情をしんしゃくして、復員軍人と同様の援護措置を講じてもらいたいとの要望がありましたので、申し添えておきます。  なお、中国関係戦犯一般状況につきましては、総数が千六十九名でありまして、そのうち、死亡した者七名、刑の確定した者四十四名、第十三次の帰国者三百三十五名、第十四次の帰国者三百二十九名、今回の帰国者三百五十四名でありまして、今までに千十八名が帰国しております。中国関係戦犯帰国は、刑の確定した者四十四名を除きまして、これで全部終了したわけでありますが、これら四十四名の戦犯も、改悛の情、顕著な者より釈放するとのことであり、来春早々には釈放されるのではないかと思われます。  次に一時帰国者について申し上げます。今回の一時帰国者は、五十六世帯、百三十七名でありまして、中国人と結婚した五十六名の日本婦人と、その子供八十一名であります。これらの人々は、ハルピン大連、撫順、長春鞍山等、大多数が東北地区からの帰国者であります。この一時帰国者の問題につきましては、過般の委員会におきまして詳細なる調査報告があり、また参考人としてこれらの人々より実情聴取いたしておりますので、重複は避けたいと存じますが、今回の帰国者の中には、元関東軍の看護婦、タイピスト、事務員等もおりますが、開拓民として移住した人が多く、敗戦の混乱の中に、生きんがために中国人と結婚した人々であります。さきにも述べましたが、今回の一時帰国者携帯金は、総額の五割強の二万六千八百七十七ドルでありまして、これは一世帯平均約四百八十ドル、日本円にかえますと、大体三万二百四十円、一人平均が約百九十六ドル、日本円にいたしますと、一万二千三百六十円となり、前回の第十四次の一世帯平均約二百二十四ドル、一人平均約九十七ドルに比較しますと、一応金は準備してきているようでありまして、前回のように無一文に近い人はないようであります。  日赤代表の話によりますと、帰国旅費につきましては、引揚団体より、中国紅十字会を通じて、自費であることを知らせてあるとのことでありますが、これら一時帰国者より、中国帰国については便宜をはかってもらいたいとの要望もあり、これらのわずかばかりの持ち帰り金では、三カ月の日本滞在期間中に使い果され、中国帰航旅費はなくなるものと思われ、また前回の一時帰国者のうち、いまだ二十三世帯日本残留しておりますので、今回の分と合せまして、七十九世帯中国帰国が問題となるわけであります。先般の委員会におきましても、中共地区からの第十四次引揚船興安丸によって、いわゆる里帰りした一時帰国者につきまして、その特殊事情にかんがみて、政府はその旅費その他中国帰還については、便宜をはかるよう善処せられたい旨要望しておきましたが、中国にはなお中国人と結婚している日本婦人が四千人以上もおり、今後もこれらの人々里帰りが多くなるものとも思われますので、これらと考え合せまして、一時帰国者中国帰国につきましては、その帰国の時期、船便その他について適当な措置を講ずる必要があるものと思われます。  次に、一般邦人引揚者について申し上げます。今回の帰国者総数七十九名でありまして、上海北京瀋陽ハイラル青島を初めとしまして、遠く海南島からも帰っておりますが、今回の特徴は、帰国者の半数に近い三十七名の一般犯罪者が帰ってきたことであります。これらの人々は、上海北京瀋陽青島包頭長春済南ハルピンハイラル広東等、各地の刑務所にばらばらに収容されていたものでありまして、特務機関関係犯罪、反革命罪、密入国その他一般犯罪に問われたものであります。これらの人々は、なお相当刑期を残して釈放されているようでありまして、集団帰国の終了するに当り、強制送還されたもののようであります。  なお、中国には残留一般邦人は約六千名程度おりまして、そのうち約千五百名程度男子でありまして、土木、建築関係技術者が多く、女子は約四千五百名程度で、その大部分中国人と結婚しているようであります。これらの人々帰国につきましては、日赤代表の話によりますと、高本日赤代表が蓼承志中共紅十字会顧問会談した際、蓼氏は、日本人中国にまだ五、六千人も残っているから、集団帰国は今後もある、紅十字会が集団帰国は一応終ったと言ったのは、秋までの分が終ったという意味であると語ったとのことでありますが、現在中国残留している日本人は、中国人と結婚している婦人が多いので、今後の帰国は、里帰り組が多くなってくるものと思われます。  なお、最後に面会渡航者についてでありますが、抑留戦犯状況面会状況等につきましては、広く新聞紙等で報道されておりますので、ここでは省略いたしたいと存じます。  以上をもって報告を終ります。
  4. 臼井莊一

    臼井委員長代理 これにて派遣委員よりの調査報告聴取は終りましたが、ただいまの報告に関連して、質疑の申し出がありますので、これを許します。櫻井君。
  5. 櫻井奎夫

    櫻井委員 ただいま御報告がございまして、お迎えに行かれた代表方々からいろいろな要望が出ておるわけでありますが、戦犯方々が、第十三次から今日まで数次にわたって引き揚げてこられて、その人数も相当の数になっておると私は思うのでございます。先ほどの報告にございましたように、この方々は、国の一つ責任において向うに抑留されて、刑期を終ってこられたので、こういう方々に対しては、国家として当然責任をもってその生活を保障するということが考えられることでございますが、こういう方々のその後の就職状況がどういう程度にいっておるのか。私どもがタッチしたところによりますと、帰ってこられたこれらの人々は、その日からの生活に非常に困っておる。一応優先的にこういう方々就職させるというような線はあるようでありますが、国内の非常な就職難折柄、なかなか就職が思うにまかせないということで、非常に困って、われわれのところに相談にこられる人も相当の数に上っておるわけであります。こういう人たちのその後の生活の保障について、政府はどのような具体的な措置を講じておられるか、厚生次官から御説明を願いたいと思います。
  6. 三鍋義三

    三鍋委員 ちょっと関連して。ただいま櫻井委員からの御質問に関連するのでありますが、前回委員会におきまして、私は帰国者就職状況資料の御提出をお願いしておったのでございますが、できておりましょうか。それと関連して御答弁願った方がいいのではないかと思います。
  7. 臼井莊一

    臼井委員長代理 先般の委員会で、引揚者就職状況資料提出を求めたのでありますが、それがまだ現在出ていないようであります。一つこれも御提出を至急お願いいたしたく存じます。資料は今後出していただくことにして、一応ただいまの質疑を続行願いたいと思います。
  8. 三鍋義三

    三鍋委員 その前にちょっと。ずいぶんたくさんの方が引き揚げてきておられるのでございますから、その資料を収集することはなかなか困難であることは私は了解するのでございますが、外国の問題と違いまして、国内の問題でありますから、お気の毒な方々の一番心配しておられる問題がどのように解決されているか、未解決の問題はどのように残っておるか、その隘路はどこにあるか、これが常に詳細に調査されていないと、抑留者引き揚げをお迎えしているほんとうの誠意がどこにあるかという疑問があるのでございます。たくさんの方でございますけれども、一ぺんの問題ではないのでありまして、逐次の問題でありますから、これはそのつどやはりある程度資料ができているものだと私は考えるのであります。できているものだとすれば、それをおまとめ願うことは、そう御無理な要求ではないと私は考えておりますので、前回委員会から相当の日数もたっておりますから、きょうできていないことは遺憾でございますけれども、早急に委員長から督励していただきまして、次の委員会までに必ず出していただくように、お願いいたします。
  9. 山下春江

    山下説明員 櫻井委員の御質問に対してお答えを申し上げます。ただいまの御報告にもございましたように、十年間全く自由を束縛されて抑留されておられました方々の心身の御苦労は、並み大ていではなかったことはよく私どもも了解いたしておりますので、特に本年度に入りましてからは、従来の帰還手当の上に特別帰還手当を一万円加算いたしまして、近くお手元に渡るような手配を今いたしているわけであります。  それから、お帰りになりましてからの就職状況については、後刻労働省から御報告があると思いますが、私ども厚生省といたしましても、あとう限りの御尽力はいたしております。たとえば、一つのケースを申し上げますと、かつて歯科医であられた方が、長く抑留されておられまして、抑留中に、収容所においても収容者歯科の治療などをしておられまして、技術上のブランクがないというような方に対しましては、国家試験を受けられる手続を法律をもって特に扱って参りましたが、その期間もすでに切れておりますので、これらの方を救済するために、なお次の国会に御審議を願って、職業を救済できる方法を講じたいと、ただいまその法律の用意をいたしております。なおそれでも就職の決定するまでの間、非常に生活にお困りになる方は、生活保護法によって救済して参りたいという覚悟で、すでに社会局ともその打ち合せを済まして、通達を出しておるわけでございます。
  10. 臼井莊一

    臼井委員長代理 ちょっと皆さんにお願い申し上げますが、実は、法眼さんが明日お立ちになるので、時間が非常に差し迫っておりますので、雇用の問題につきましては後に回しまして、一つ先ソ連抑留同胞の問題につきまして審議を進めたいと存じますので、さよう御了承をいただきたいと存じます。     —————————————
  11. 臼井莊一

    臼井委員長代理 それでは、日ソ交渉におけるソ連地区抑留同胞引き揚げに関する問題について、議事を進めます。  本問題に関しましては、先般の委員会において決議をいたしましたごとく、今般の交渉においても、この趣旨の実現を要望するところであります。参考のために、本年七月二十一日の本委員会における決議を一応朗読いたします。    ソ連地区抑留同胞引揚促進に関する決議  日ソ両国間の交渉が再開されるに際し、政府引揚問題解決のため、左記の点につき最善の措置を講ずべきである。   一、ソ連抑留同胞引揚問題は他の如何なる案件にも先じて優先的に解決さるべきである。   一、交渉妥結に際しては、左の点が必ず確実に解決されるべきである。    1マリク名簿に記載されざるものをも含む生存抑留同胞全員について、その即時送還に関する具体的とりきめが行われること。    2多数の消息不明者の究明のために両国合同調査委員会の設置など、その具体策がとり決められること。    3確実なる死亡者名簿の発表と遺骨遺品等送還に関する具体的とりきめがなされること。 以上であります。これに関し、法眼参事官の発言を求めます。
  12. 法眼晋作

    法眼説明員 この前重光全権が出かけますとき、当委員会においてこの決議を承わったのであります。重光全権のモスクワにおける交渉におきましては、すでに御承知通り、第一回並びに第二回の会談におきまして、まずこの問題を取り上げて、先方に迫るところがあったのであります。御承知のように、ソ連側は、この問題は日ソ交渉問題外の問題であるという観点から、これに触れることを避けておるのであります。しかしながら、重光全権の方におきまして、執拗にこれに対する論議に戻しまして、一回、二回の両回にわたりまして、その会談相当部分を本問題に割きまして、そうして全権の方から、戦争が済んで十一年になる今日、なおかっこの問題が残っておるということそのこと自体が人道問題であるのだ、よって、ソ連側としては、この問題をまず解決することによって、日ソ間の空気の好転をはかるべきであるということを強く要望するところがあったのであります。   〔臼井委員長代理退席逢澤委員長代理着席〕 しかしながら、先方回答は、ロンドンその他においてなされたところと大同小異でございまして、ただ今回違うところは、シェピーロフ外務大臣は、重光全権に対しまして、この消息不明者その他の調査は非常に困難でございます。戦後非常に困難がございました、困難ではございますけれども、お話はよく分ります。従いまして、私どもの方の関係官庁を督励いたしまして、調査を早くいたしますが、しかし、本問題については非常な困難があるということは御承知願いたい、しかし御希望については、十分調査を促進いたします。こういう返答を行なっているのでございます。これはロンドンにおいてはあまり得られなかった回答でございますが、その点は大きなる進歩であるというふうにわれわれの方としては解釈をいたしているのでございます。もちろんわれわれは、これをもって満足とするものではありません。われわれは、今後といえども、執拗に事理をただし、そうして、先方に対してこの決議趣旨を強く要望いたすわけでございます。従いまして、その点につきましては、われわれといたしましては、これは国民方々の心を心といたして、事に処しているわけでございますから、その点は十分に御了解をいただきたいということをお話し申し上げたいと存じます。なお、われわれとしましては、今申し上げました通り国民方々の心を心として、事に処するわけでございますけれども、なお、これはこうしろ、ああしろという御希望がございますならば、無論十分に承わりまして、われわれの交渉一つの指針としたいと思うのでございます。
  13. 逢澤寛

    逢澤委員長代理 本件につきまして、質疑を許します。質疑の通告があります。木村文男君。
  14. 木村文男

    木村(文)委員 まず第一に、明日ですか、お立ちになる法眼さんの御労苦をねぎらうのでございますが、どうかさらに、従来に増してのこの問題に対する御奮闘を切にお願い申し上げたいと思います。そこで、この問題に関するほんとうの腹をきめてお立ちを願いたいためにも、私は次のことをお尋ねしておきたいのでございます。まず第一に、昨年十月に政府からソ連側提出いたしました三百八十五名のマリク名簿漏れ生存者についての調査の依頼には、回答があったかどうかということ、これをまず一つお伺いしておきたい。
  15. 法眼晋作

    法眼説明員 お答えいたします。これは先方から回答がないのでございます。が、しかしながら、先般のモスクワ交渉におきまして、重光全権の方から強くその回答を求めております。回答を求めましたけれども先方は、これはできるだけ督促して早くお答えしたいと思う、こういうことに終始をいたしたのであります。
  16. 木村文男

    木村(文)委員 重光全権から督促をしたけれどもソ連側では、その回答の時期等については、明答がなかったというお話でございますが、これにつきまして、今後外務省としては、日にちを切っての回答を求める御意思があるかどうか。
  17. 法眼晋作

    法眼説明員 おっしゃるまでもなく、この問題につきましては、今後常に先方回答を求めるつもりでございます。従いまして、かりに今日返事が来ぬといたしましても、これはあす、なおまたその次の日と、われわれとしては執拗に先方回答を求める、また求めなければならぬものだと考えております。
  18. 木村文男

    木村(文)委員 それでは、今の執拗に求めると言いますけれども、これは全権としての交渉はなかなか政治的な意味も含み、また外交的な意味も含んでくるので、従って困難が伴うと思いますが、それをもっと強めるためには、参事官等の事務的な交渉といいますか、向うの事務官とこっちの事務官とがおのおの書類を基礎にした交渉を今までの間にしたかどうか。
  19. 法眼晋作

    法眼説明員 その点につきましては、ロンドン会談以来、常に事務当局は先方と話をいたしております。この問題はシェピーロフが申しましたごとく、先方は非常に困難を押して調査をする、こう申しているわけでございますけれども、私は事実の問題として、すぐわれわれの希望する回答が得られるかどうかということは、私自身としては非常に疑問に思っております。しかしながら、この問題は、今後日ソ間の一番大きい問題になるので、これは将来のことでありまするから何とも申せませんけれども、かりに日ソ間の国交が開かれた後におきまして、なおこの問題が解決しておらぬという不幸な事態が起りましたときには、私はわが方のモスクワにおける大使館の一番大きい仕事になると思う。そうして、常に先方にこれを求めると同時に、また具体的にこの調査を促進する方法について、われわれとしてはソ連に協力しなければならぬ。そうして、執拗にこれが解決するまでわれわれとしては働かなければならぬ問題である、こういうことを感じております。ただ、事実の問題として、われわれが直ちに、すぐあす完全にわれわれの満足する回答が得られるかどうかということについては、私個人としては、遺憾ではございますけれども、疑いを持っております。しかし、そのことは、われわれの努力と何ら関係のないことでありまして、われわれとしましては、最大の努力をいたすということは、過去においてやってきましたことであるのみならず、今後においても、やらなければならぬことと考えております。
  20. 木村文男

    木村(文)委員 その交渉のてんまつ、また方針もよくわかりますが、ただいまお話がございました通り日ソ交渉とは別個の問題として、つまり人道上の問題として、これは取り上げている問題でありますので、私は、この際政府としては強くこの解決を打ち出しまして、その方法としては、一応の期日を切って回答を求めるというような方針をとるべきだと思いますが、これに対する参事官の御意見を承わっておきたいと思います。
  21. 法眼晋作

    法眼説明員 木村委員の御趣旨は、私としては全く同感であります。さような方向に向って努力をいたしたいと思います。
  22. 木村文男

    木村(文)委員 それでは次に、第八次の引揚者の中には、刑期未満了者が相当あるとのことでございますが、その数字が明らかになっておるかどうか、伺いたい。
  23. 法眼晋作

    法眼説明員 この問題につきましては、田邊局長の方から詳細に御報告いただきたいと思います。
  24. 田邊繁雄

    ○田邊説明員 ソ連側抑留者を帰さない理由としているところは、すでに御承知通りであると思いますが、一貫して申しておりますことは、これらは単なる捕虜ではない。ソ連の法律によって、一人々々の罪状を確認して、刑の確定を宣告したものである。従って刑期が満了しなければ帰さない、こういうことが向うの言い分でございます。昭和二十九年の春に減刑のための命令といいますか、政令ができたようでございまして、労働成績の特に優秀な者であるとか、あるいは刑期の三分の二以上を終った者であるとか、あるいは病弱者、老廃者、あるいは犯罪を犯したときに十八才未満だったという者につきましては、個々に事情をしんしゃくして、個別的に恩赦をする、こういうことになっております。ただ、先般帰った中には、この形式によらない帰国者相当多数あったことは、今お話の通りでございます。これを聞いてみますと、ソ連最高幹部会の決定によって釈放になったものでございますが、その決定を戦犯者の前で読み上げたそうでございます。今回左記の者は刑を免除するというきわめて簡単なことであったように帰還者は報告しております。どういう事由によって刑期を免除したのかは詳細わかりませんが、彼ら自身もわからないと思います。いずれにいたしましても、従来の個別的な減刑恩赦の措置とは違ったものがあるように察せられるのであります。
  25. 木村文男

    木村(文)委員 今の田邊局長のお答えによりますると、最高幹部会における七十一名の釈放者、特赦によるもの、これを意味するものだと思いますが、もしかりにどういう意味でやったかということがわからないとするならば、これこそ外務省が突き詰めて、向うに、どういうようなケースのものとしてこれを釈放したものかということを究明しなければならないと私は思いますが、それに対する外務省としての方針を一つ承わっておきたいと思います。
  26. 法眼晋作

    法眼説明員 この問題につきましては、先方が従来申しておったことは、田邊局長の御説明通りでございます。私どもとしましては、先方がそういうことを過去において説明しないのにかかわらず、刑期を満了しない者を帰すということは、非常にけっこうなことだ、どんどん先方はやってくれろ、こういう立場でございます。従いまして、そういうことは、ロンドンにおいても、わが方の出先の者から常に先方に言ったのでございます。そこで、私の考えといたしましては、刑期満了前にかかわらず釈放したということを、理由を問いただして、先方を窮地に陥れることは、むしろ不利ではないか、刑期の満了前に釈放するのはむしろ歓迎すべきものである、奨励すべきものであるという観点から、これはあまり追及しない方がよろしい、こう私は考えるのであります。しかしながら、それを追及しなければならぬということであれば話は別でございますけれども、むしろこれは奨励すべきものである、われわれの方が言うべきことは、お前の方は刑期未満了の者も釈放しておるではないか、ほかも釈放してくれろ、こういうことを言うべきなので、これはすでにロンドンにおいても言っておるわけであります。
  27. 木村文男

    木村(文)委員 私がなぜそれをお尋ねしたかといいますると、つまり、おそらくソ連としては、私の想像でありますけれども、人道上の問題として人質をとっておくということは、許されるべきではないということをみずからわかっておってやっておることであります。日ソ交渉の具に供しているとわれわれは見るわけであります。でありますから、ここがソ連側の弱点だと思う。早く帰してもらうために、日本がそれに屈服して、外交交渉を軟弱にして、悔いをあとに残すような外交の方針では、私はいけないと思う。そういう意味から、これに対して外務省自体は、人質としてとっておることを、人道上の問題として国際的に騒がれることをソ連側はおそれているのだという工合に考えていないのか。   〔逢澤委員長代理退席、臼井委員長代理着席〕 またそれを全然度外視して、どうでも多くの人を帰してもらいさえすればいいのだということだけの方針で進むのか、その点を一つ明らかにしておいてもらいたいと思う。
  28. 法眼晋作

    法眼説明員 お答えいたします。この問題は、人道問題である、そもそも戦争が済んだ今日、十一年もたって残っておることはけしからぬことだということは、日本はソ連に対してのみならず、天下に向って主張していることであります。従って、本件の非はソ連にあるということは、今日天下周知の事実であります。しかしながら、われわれとしては、そうは言いますけれども、他方できるだけ早く、一日も早く人を帰してもらいたいということも事実でございまして、そうしなければならぬために交渉しておるわけでありますから、天下にソ連の非を鳴らしながら、実際問題としては一日も早く帰してもらう措置を講ずべきである、こう考えるのが私はこの問題に対する基本方針であると思います。またなければならぬ、こう思いますので、先方に対して刑期満了した者を帰した理由を示せということを迫ることは、これはなるほど人道問題を天下に宣明する点から申しますれば、非常に有利な点でありましょうけれども、人道問題を鳴らして天下に宣明していることは、すでにモスクワ交渉ロンドン交渉において十分これを主張しておりますし、あるいは国連その他において話をしておりますので、天下周知のことでございます。そこでこの刑期満了前に帰すという者の数がふえる方に実は持っていくべきではなかろうか、こう私どもは考えますので、実は今日までなぜ刑期満了前のものを帰したか、その理由を示せということは聞いてないわけでございます。しかしながら、本件そのものが人道問題でありますから、戦争後もう十一年もたっている今日、なお残っておることはけしからぬのだということは、モスクワその他において十分話しておるということは、先ほど申し上げた通りであります。
  29. 木村文男

    木村(文)委員 そうしますと、まだ聞いてないということは、外交交渉の上からいってそれを聞かないのだ、こういうように私はとるのでありますが、そうとってよろしゅうございますか。
  30. 法眼晋作

    法眼説明員 外交交渉の上からということは、私はしいて申すわけではございませんけれども、天下の世論、日本国内外の世論を動員しながら、しかし実際問題としてソ連からの引き揚げを促進するということは、本件の中で一番の大事でございますから、そういった観点から、今特に強く七十一名ないし八十名の刑期満了前の者をなぜ帰したかということに重点を置いて聞くことは、私としては得策ではない、こう考えたまででございます。これは外交方針が軟弱であるとか強硬であるとかいうこととは無関係であると私どもは考えております。われわれは引き揚げ問題に関する限りは、十分に強硬にやっておるわけでありまして、これは今日天下に明らかになっておるところだと思います。しかしながら、けんか別れをしてしまうということは避けなければならぬことであります。主張すべきことは強く主張する、しかし実際問題としてそこにゆとりを残しておく、ニュアンスを残しておくということもまた必要であろうと考えますので、従いまして、刑期満了前の者をなぜ帰したかということに重点を置いて聞くということは、避けておるわけでございます。しかしながら、それを押し詰めて聞くこともまた外交である、その方が有利であるという観点もまたあろうと思います。しかしながらこれはまた一つの考え方でございまして、その考え方を今までとらなかったというだけの話でございます。
  31. 木村文男

    木村(文)委員 最後に一点お聞きしておきたいのでありますが、今回の日ソ交渉において、この問題についてのいわゆるはっきりと督促をする、どういうことで帰したかという点を究明するという御意思があるかどうか。
  32. 法眼晋作

    法眼説明員 この点につきましては、私ども事務レベルにおきまして、先方の担当官と、これは非常にけっこうなことである、従ってどんどん帰したらいいじゃないか、しかしお前の方はどういう法規に基礎を置いているのか、述べろというととは、聞いていいことであろうし、また聞かなければならぬことだと思います。しかしながら、それはその限度にとどめるべきではなかろうか、こう私は考えるのであります。
  33. 木村文男

    木村(文)委員 次に話を戻しまして、田邊局長さんにお尋ねしたいのでありますが、先ほど私の質問いたしました三百八十五名の人たちは、ほとんど全部すでに刑を終った者と聞いておるのですが、この点はどうでありますか。
  34. 田邊繁雄

    ○田邊説明員 先ほど生存者三百八十五名ということであったのですが、これは正確に申しますれば、昭和二十五年以降ソ連において健在であったという資料のある者ということが要件であると思います。状況不明者という言葉もございましたが、これは昭和二十四年以前において生存資料のあった者、ないし昭和二十五年以降において生存の資料があったが、健在ではないという資料のある者、これを俗に状況不明というのでありまして、状況不明という言葉を使いましても程度問題でございますが、そういうような観点からお答え申し上げます。三百八十五名の内容はそういうことでございますので、生存しておった、つまり健在であったという時期はいろいろでございます。従って、現在においては、お察しの通り刑期が満了して、釈放になっている者がほとんど全部ではないかと推察しておりますけれども、その資料のあがった当時におきましては、刑を受けておったという資料のある者が入っております。その数は、千島、樺太等に現在おる者、ソ連本土におる者、両方合計いたしまして、三百八十五名のうちで、七十六名と相なっております。おそらくこれらの方々も、その後の事態の推移とともに、釈放になっておるのではないか、こう推察されるわけであります。
  35. 木村文男

    木村(文)委員 もし刑が終っているなら、何ゆえにソ連は帰さないのかということを私どもは考えさせられるわけです。あなたのおっしゃる通り、刑が終っておるというのであれば、一体どうしてそれだけの者を、刑が終っておりながら帰さないのか、こういうことをお聞きしておきたい。
  36. 田邊繁雄

    ○田邊説明員 昭和二十八年の暮れに、日赤の島津社長がモスクワに参りまして、引き揚げの問題についていろいろ打ち合せをし、モスクワ協定を作ったわけでございます。それ以来、日本の船がナホトカに行って帰還者を迎えてくる、こういうことに相なったのでございます。ソ連に抑留されておった人の中には、刑期が短かいために、その船が行く以前において釈放になり、そうしてそれぞれの居住地を指定されて、そこで生活しておる方が相当あるわけであります。それでだんだん帰還者について調べてみますと、何分にも広い土地でございまするし、いろいろなことで国民に周知させる方法も十分にない関係上、赤十字の船がナホトカに来ておるということを知らない人が相当あるわけであります。そういう具体的な例もわれわれは帰った人から聞いておるわけであります。それは、帰った日本人がある場所に行ったときに、ある日本人から初めて赤十字の船が来ているということを聞いて、大急ぎで帰る手続をして、すったもんだの末帰ってきた、こういうことがあるわけであります。そこで、希望すれば帰れるのだということをこういった方々に十分周知徹底させるということが、どうしてもまず第一でございます。これはかつてたびたびその例が民間団体を通じてあったのでありますが、戸籍謄本をよこせとか、あるいはモスクワに行ってからの手続がどうこうという非常に煩瑣な手続に時間がかかるようでありますから、その手続を簡単にしてもらうということが非常に大事でございます。そこで、こういう生存残留者で抑留されていない人に対しては、希望すればすぐ帰れるのだということをまず周知徹底させる。第二に手続を簡単にしてもらいたい。そうして、申し出るならば、現場の機関において帰れるような方法を講ずるのだ、従って、申し出ればすぐもよりの便船で帰れるのだということの周知徹底をはかってもらいたいということを、私もロンドンに参りましたときにソ連側に強く要望いたしました。まことにごもっともなことでございますというので、官の手によってその周知徹底をはかってもらいたいということを申しました。しかも三百八十五名の調査はこれと並行して行われますが、終ってからやるというのでは困るので、終らないでも、その措置は十分やってもらいたいということを要望しておるわけでございます。ただこれらの方々は、それぞれ釈放になって、それぞれの土地でいわゆる市民的な生活を送っておる方々でございますので、生活状況はいろいろであろうと思います。職業を持っておられる方もあるし、あるいは中には結婚しておられる方もあるやに思われます。従って、家庭を持っておられるので、すぐ帰れぬ方も相当おありのようでございます。ただ希望すれば帰れる、また家庭の事情も帰り得る状態にあるという方については、すみやかに帰れるようにする手続が必要であるということで、先ほどのようなことを私も申し、ロンドン交渉その他のものを通じまして、法眼参事官も申しまして、終始そういうことを強く要望しておるのでございます。現に三百八十五名のうちから、わずかでございますが、昨年十月一日以降、今日まで四名の方が向うから帰還しております。その数をもっとふやしたいと考えております。なお、今回もそういうことを強く要望しているわけでございますが、抑留者が帰ってくるときに、同時に帰してもらいたい、そうでないと、あと大へんでございます。中共のように近いところでございませんので、ソ連から帰るということになると、便船はないわけであります。そこで、できるだけその機会に多数帰してもらいたいということを要望しているわけであります。
  37. 木村文男

    木村(文)委員 田邊局長のロンドンにおける積極的な交渉の内容も承わりましたが、それにさらに輪をかけていただきまして、法眼参事官にその意思を確かめたいのでございますが、今の田邊局長のお答えに対して、裏づけをしていただけるような交渉の用意があるかどうか。
  38. 法眼晋作

    法眼説明員 これは当然のことでございますので、われわれは、事務的レベルにおいても、先方の係官とそういった方法で折衝したいと考えております。
  39. 木村文男

    木村(文)委員 それでは、次に法眼参事官にお伺いしたいのでありますが、今回の鳩山・ブルガーニン首相との往復文書につきまして、お尋ねしたいのであります。あなたは、この往復文書の内容をごらんになっておりますか。
  40. 法眼晋作

    法眼説明員 全部承知しております。
  41. 木村文男

    木村(文)委員 ごらんになっておるとすれば、この鳩山親書による五要件というものがあるのでありますが、その一つに、抑留者送還という文句が入っておるわけであります。その抑留者送還という言葉は、一体その中に消息不明者のことも含まれているのかどうか、その点を法眼参事官は、また外務省としては、どういうように考えておるか。
  42. 法眼晋作

    法眼説明員 われわれは、抑留邦人というときに、それを区別する考えはございません。われわれは、今次戦争の結果として、不当にソ連に抑留されている者すべてを含む趣旨であります。ただ、実際問題としまして、抑留邦人のうちに、いわゆるマリク・リストに載って、それをすぐソ連から帰し得る状態にある者、またシェピーロフがしばしば言明したごとく、調査はするけれども、現在ソ連側においては、どこにいるかわからない、つまり一万一千百七十七名という数字と、二種類あるのであります。われわれとしては、抑留邦人の送還というときには、区別する考えは毛頭ございません。ただ、実際問題として、すぐ帰し得るという状態になったときに、その一万一千百七十七名の人たちの消息がわかっておるかどうかということは、別個の問題であります。実際問題としては、抑留邦人の送還ということが実行し得る暁になったときに、マリク・リストに載った人が先に帰ってくるということは、結果としてあり得ることであります。しかし、抑留邦人というときに、外務省としてはそこに甲乙の差をつけることは毛頭ないということは、この前に、直接関係者の方が来られたときも、私はそういうお答えをしました通りでありますし、これは先般外務次官のところに多数の方が来られましたときにも、外務次官が同じ返答をしておるわけであります。
  43. 木村文男

    木村(文)委員 抑留者送還という言葉の意味は、消息不明者も含まれているという今の法眼参事官のお答えでございますが、もしそうだとすれば、私どもとしては、そういうふうに抑留者送還というだけでなしに、その中には消息不明者も含むという字句も入れてもらいたい。というのは、とかくすると、ソ連という国は、きょうかわした文書でありましても、その意味のとり方は明日になって変わるというような事例があったことも、私どもは知るのであります。また、口頭での、たとえば西ドイツと取りかわしたというような約束も、これまた伝えられるところによりますと、今なお行われていないというようなことも聞いているのであります。こういうような面から考えますと、政府としては、この際、今まで出したその親書のことはやむを得ないといたしましても、何らかの記録の中に、これを含むのであるという文字を入れてほしいと私は強く要望いたしたいのであります。また法眼参事官は、含むということはたびたび公けの席において申し上げているというお言葉でございましたが、それくらいの御決心があるならば、この際、向うに参りましたならば、事務的においても、何らかの形において、これが記録に残るような方法をとってもらいたいと思いますが、そのように運ぶ御意思で向うに行かれるかどうか、これを私は特に念を押しておきたいのであります。
  44. 法眼晋作

    法眼説明員 先ほど木村委員の方から、鳩山・ブルガーニン親書の往復を知っているかと言われましたから、私は知っているわけでありますから、よく承知していると答えました。ところが、この書簡の内容は、今日公表されておりません。従いまして、私はこの書簡の正確なる文言をここで申し上げる自由を持たないのでございます。しかし、知っておることは十分承知していると申し上げるわけでございます。そこで、抑留邦人というのはどういうことかという御質問に対しましては、われわれは、外務省の事務当局としては、区別するつもりはないのだということをはっきり申し上げたわけでございます。過去における本件に関する日ソ間の交渉は、この建前で行われておりまして、ただ事実の問題として、先方ははなはだ困難であるけれども調査をするというところまでこぎつけたということは、先ほど来御説明申し上げた通りであります。そこで、われわれとしましては、今後ソ連との交渉におきましては、従来の交渉のやり方を変更するつもりはございません。十二分に国民方々の心を心として、従来の交渉のラインを推し進めることは、これも既定方針でございます。ただ書簡の文言だけを申し上げますならば、公表されておりませんことでありますし、私は知っておることは知っておるというわけでございますし、しこうして、抑留邦人ということの解釈は、今申し上げた通り、われわれ事務当局ではそう解釈しておる、この点を十分御理解いただきまして、われわれとしましては、既定方針に従って、抑留邦人すべての帰還を必ずやりとげたいという決心をもって臨むということは、十分に申し上げることができる次第でございます。
  45. 木村文男

    木村(文)委員 最後に、法眼参事官に念を押してお尋ね申し上げたいことは、私は、先ほど西ドイツの例を申し上げましたが、西ドイツでもイタリアでも、国交の回復の際には、必ず幾万という人の問題を解決するというようなことを約束したと聞いておるのであります。ところが、その後において、それが行われてないということになりますと、日本抑留者の問題は、今までの例から推し考えてみますと、政府としては、日ソ交渉と別個に取り扱って、人道上の問題として、この解決以前に解決をするという——重光全権も、また松本全権もそういう方針で立ったことを、私たちは記憶しておるのであります。西ドイツ、また松本、重光両全権の今までの交渉の公表が今なお行われてないという事実に徴しましても、私はどうしてもこの際この問題に対する日本の権利またソ連の義務というものについての法的な一つの明文化が必要であると思う。この交渉の妥結の文書を作る際、その条項の中にはっきりと——これは法眼参事官としての立場でなくして、外務省としてはもうすでにその方針はきまってなければならないと思いますが、その明文化をするという用意をしておるかどうか、その方針を固めて、国交の回復をするという方針であるかどうかということを、念を押してお聞きしておきたいと思います。
  46. 法眼晋作

    法眼説明員 御質問の点につきましては、御質問された木村委員の考えそのものが、われわれの考えでございます。しかしながら、この際ここで過去の例を申し上げておかなければなりませんことは、アデナウアー首相が、去年の九月にモスクワに参りました。そのときに、主としてこの抑留者送還問題について、大きい圧迫を感じて国交ができたということは、周知の事実であります。その際、アデナウアー首相は、約束を文言にすることを強く迫ったのでありますが、当時のフルシチョフ第一書記は、自分はこの多数の会議の席上で約束するのである、自分の約束を信じないのか、こう言って、非常に激高したということが記録に載っておるのでございます。その結果、抑留者の問題につきましては、文書の約束ではなくして、口頭の約束に終ったという事実でございます。これはドイツの過去の例で見ますと、そのとき約束した者は帰しておるのが事実でございます。ただ日本の一万一千百七十七名に当るいわゆる消息不明者、あるいは事実の問題として現地で釈放されている者が、ドイツの場合につきましては約十万おるわけでございますが、それについては今日帰っておらぬというのが事実でございます。現在ドイツとソ連との外交の大きい案件は、これに関する問題の交渉でありまして、これは現在痛烈に交渉が行われております。これは過去の例を申し上げるわけで、御承知通りでありますが、われわれとしましては、できるだけの努力をいたします。この点につきましては、木村委員とわれわれの考えは、何ら変ったところはないのでございます。努力は十分いたします。しかも、本件に関する根本方針は、先ほど来申し上げた通りであります。しかしながら、ただわれわれとしてその際気になるのは、過去の例というものが、すなわちソ連の考え方であるという事実でございます。それをどこまでわれわれの努力で、われわれの主張を貫徹できるかということが、将来の問題であるということは、御承知おき願いたいと思うわけでございます。しかしながら、くどいようでございますけれども、この問題については、木村委員のお話になったこととわれわれの考えは、ちっとも違っておらぬということは、私としては申し上げることができるわけでございます。
  47. 木村文男

    木村(文)委員 私もくどいようでありますけれども、これは事きわめて重大でありまして、今、法眼参事官も言われた通り、西ドイツの例を見ても、私どもは非常に案じられる。口頭ではいけないというこの基本方針だけは、おそらくこの委員会の一致した意見であろうと思います。また、日本国民全部が、そういう世論を持っていると思います。でありますから、私は明文化するだけの用意をしてあるかということをお聞きしておるのであります。
  48. 法眼晋作

    法眼説明員 事務当局といたしましては、単に引き揚げ問題に限らず、あらゆる問題について——ふだんから、あらゆる場合について用意をしておくということが、事務当局の仕事でございます。従いまして、事務当局がある以上は、これはおよそ生起し得べきあらゆる場合について、ふだんから、机の引き出しの中に十分入っておるということは、私は申し上げることができるわけでございます。
  49. 木村文男

    木村(文)委員 では、その問題は了承いたしました。  そこで次に、先般われわれが決議をいたしました、その中の一項でございますが、消息不明者に関する究明のための日ソ合同委員会の設置の問題でございます。この問題について、今回外務省としては、われわれの意をくみ取って、そうして、これをまた実現するための交渉をはっきりと進めるつもりであるかどうか。
  50. 法眼晋作

    法眼説明員 この問題は、過去のロンドン交渉におきましても、先方に話したことがございます。先方は、それをききませんでした。しかしながら、われわれは、この引き揚げ問題全体に関する過去においてとった方針を、今後とも変えるつもりは全然ありません。日本の主張は日本の主張として、十分先方にこれを納得させる努力をいたすわけでございます。
  51. 木村文男

    木村(文)委員 向うできかなかったというただいまの御答弁でございますが、その理由はどこにあったのでありますか。
  52. 法眼晋作

    法眼説明員 これは推測するほかはございません。しかしながら、われわれの推測によりますると、これは先方の最もきらうところだろうと思います。委員会を設置いたしますると、国交再開前に、これは当然にわが方の者が先方に行かなければならぬわけでございます。先方がこれを受け入れまして、現地における調査を許すということになるわけでございます。これは従来のソ連のやり方から見れば、ソ連はなかなか認めるわけはないのでございます。それにもかかわらず、われわれは大事だと思います。思いますがゆえに、われわれとしては、既定方針で、この点は進んでおるわけでございますが、ソ連は今態度を翻して、ではそうしましょうということをお前は見通せるかということを聞かれますと、これははなはだ困難であるということが、過去における経緯からの見通しでございます。しかし、見通しは見通しとして、われわれは既定方針を変える理由はないということは、先刻来申し上げた通りであります。先方がこれをきらう理由は、今申し上げました通り、自分の国の中に自由に人が入ってきて、あちこち走り回ってものを見るということをきらう、これがソ連のやり方でございますから、その理由は、われわれとしては十分推測できるわけでございます。しかし、それは先方から説明がございません。お前らの国の人間が入ってきて見ることはいやだ、だから作らね、これは拒否する、こうは申さないのでありますけれども、それはとてもできません、こういう説明でございます。
  53. 木村文男

    木村(文)委員 私は、今までのロンドン交渉におけるこの合同委員会設置の拒み方は、ある程度うなずけるのでありますけれども、しかし、もしかりに、今回総理が直接に訪ソせられて、そうして、日ソ交渉が妥結をすることになりますると、国交が正常化するのでありますから、ソ連の国内にわれわれ日本合同委員会のメンバーが入って調査究明することは、何ら支障がない、こう見るべきだと思います。そうなって参りますと、今回の交渉は、妥結をするその一つのめどがついて行くのでありますから、従いまして、外務省としては、この委員会を設置する事務的な用意をして出かけなければならないと思う。その用意ができておるかどうか。
  54. 法眼晋作

    法眼説明員 それは、先ほど申し上げました通り、事務的用意は、あらゆる問題についてできております。引き揚げ問題だけではございません。従いまして、われわれとしましては、よく外国の言葉にありますように、川に魚を探して、裏返して見ない石を残さぬというような意味合いにおいて、あらゆる手段を講じております。従いまして、今、木村委員の仰せられたような本件に関する希望を持ちまして、われわれとしては準備を進めておることは、申すまでもないことであります。
  55. 木村文男

    木村(文)委員 そういたしますると、この合同委員会の見通しとしては、前のロンドン交渉のときとはおのずからその姿が違うのでありますから、法眼参事官としては、今度は承諾するであろうという見通しがつきますか。
  56. 法眼晋作

    法眼説明員 私は、その点は、何とも見通しを申し上げることはできません。しかし、先ほど来申し上げました通り、事務当局は、あらゆるケースを考えて、準備はいたしております。しかしながら、見通しを希望的に見ろといわれても、私どもとしてはわからぬ問題であります。なるほどロンドンと時期が違いますから、先方がきく公算が強い、こうおっしゃいますけれども、私はいかなる場合においても、外国の人が自由に入ってきて、あちこち見ることは好まぬということは、これは日本との国交があるなしにかかわらず、ソ連としては変らぬことだ、こう考えますので、本件は非常にむずかしい問題だと思います。しかし、それはそれとしまして、今の事務的に準備をすることについては、事務当局はそのためにあるわけでございますから、準備は十分いたしておるわけでございます。
  57. 木村文男

    木村(文)委員 了承いたしました。  最後に私は、もしこの抑留者引き揚げの問題、消息不明者を含む引き揚げの問題につきまして、私がただいままで主張を入れての御質問趣旨にのっとりまして、交換公文の中にすべてが織り込まれるとするならば、私は特に次のことをその交換公文の中に織り込んでいただきたい、こう思うのであります。その一つは、結局は、私ども決議いたしましたことに尽きるのでありますけれども、特に私から重ねて希望を申し上げておきたいのでありますが、生存者マリク名簿以外の三百八十五名の邦人を必ず含ませること、これがまず第一であります。第二番目としては、消息不明者調査には、日ソ合同委員会を必ず設置するという項目も入れていただきたいということ、第三番目には、死亡者の名簿を公表するということも入れていただきたいのであります。  以上で、この問題についての私の当局に対する質問を終りますが、最後に、この問題は、総理が訪ソするまで、また解決がつくまで永遠に続くだろうと思いますが、人道問題として私ども解決要望するのでありまするから、法眼参事官も、向うに参りますに当りましては、外務省の役人というような立場をさらに一歩乗り越えた、民族の一人としての立場に立って、この問題の解決のために、心魂を傾けて努力をされますように、つけ加えて要望いたしておきたいと存じます。なお、全権が今回この委員会に出席しないことは、まことに遺憾でありますが、事務的な準備その他の準備のために出席ができないそうでありますので、ただいままで質問をいたしましたことを、法眼参事官から、どうか一々報告をせられまして、最善の努力を要望する旨をお伝え下さいますようにお願い申し上げて、私の質問を終ります。
  58. 法眼晋作

    法眼説明員 ただいまの木村委員の御質問の御趣旨は、十分お伺いいたしました。これは早速上司に報告いたしまして、万遺漏なきを期したいと思います。外務省の人間は、外務省の人間たらずして、日本人たれというお言葉でございましたけれども、これは仰しゃられるまでもなく、われわれは常に最も日本人たらんと努力しておることを御承知願いたいと思います。
  59. 臼井莊一

    臼井委員長代理 戸叶里子君。
  60. 戸叶里子

    戸叶委員 私が伺おうと思いました質問を、大体木村委員から御質問になりましたので、私一、二点だけ念を押しておきたいと思います。  日ソ交渉は大へんごたごたしておりましたが、いよいよ鳩山さんが乗り出していって、今度は大体まとまるということを私どもも思っていますし、それからまた成功されることを心から祈っているわけでございます。そこで、法眼参事官も先ごろに引き続いてまことに御苦労さまでございますけれども、どうぞ十分その成果を上げてきていただきたいと思います。先ほど木村委員からも御質問がございましたが、この引き揚げ問題は、前から委員会でも人道上の問題として取り扱ってきたわけですが、大体今度こそ片づくと思います。そうなりますと、鳩山さんが行くことによって、今年中におそらく今生存していられる方は帰られる、こういうふうに私どもは思いますが、そう考えていらっしゃるかどうか、それをもう一度確かめておきます。
  61. 法眼晋作

    法眼説明員 この問題は、われわれは、重光全権がモスクワで先方に要求されました通り、一人でも多く、一分といえども早くということが原則でございます。われわれとしましては、一日も早く、生存者日本に対する帰還を期することは申すまでもないわけでございます。
  62. 戸叶里子

    戸叶委員 今度の妥結によって、私どもは、この冬は、どんなことをしても、生存者が向うで越すことがないようにということをひたすら願っております。そこで、先ほどの合同委員会のことでございますが、ロンドン会議においては、消息不明者のことに対して、なかなか困難であるというふうな態度であったけれども、先ごろの交渉においては、関係官庁も督励して、そして、できるだけのことをするというふうなことを言われたそうでございまして、これは一つの進歩であるということを法眼参事官自身がおっしゃったわけです。しかし、先ほどのお話を伺っておりますと、合同委員会を設置することは、なかなか困難ではないかというお話がございましたが、今までの交渉が果して妥結するかどうかということに対して、ソ連側もある程度の疑いも持っておられたでしょうし、今度の場合には、私はもう少し合同委員会の設置というものができ得る可能性が多いような気がいたしますけれども、この点に対して、いかがお考えになるか、伺いたいと思います。
  63. 法眼晋作

    法眼説明員 この点につきましては、先ほど申し上げました通り、私もさような希望を持ちたいと思います。さような希望のもとに行動したいと思いますけれども、ただ、それはやはり将来に対する見通しにとどまりまして、現実問題としては、どう処置するかということは、ここで的確に私は申しにくいことで、私としてはわからぬと申すほかございません。しかしながら、御質問通り、われわれとしては、これは希望を持って行きたいと思います。しかし、それができるかと言われますと、われわれとしては努力はしますけれども、完全にやれるだろうという見通しを言うことは、私は困難だと思います。
  64. 戸叶里子

    戸叶委員 この点について、先ほど外務省としては事務的な準備は大体している、こういうふうなお話でございましたが、日ソの国交が回復しますと、当然大使の交換ということになり、日本からも大使が行くわけでございます。そうすると、当然そこでこの調査ということが始められるので、非常にポシビリティが多いのじゃないかと私は思います。先ほど事務的な準備は大体できているとおっしゃいましたが、この合同委員会のことは、大使館関係の方がなさるというお考えで準備を進められておられるか、それともまた引き揚げ問題に非常に功労を尽していらした非常な専門的な方がたくさんいられるわけですが、そういう人たちによって委員会を作ろうとされておるか、その辺の構想を一つお伺いいたします。
  65. 法眼晋作

    法眼説明員 いよいよ日ソ間の国交が回復できまして、大使館をそこに設置するという段階になって、それが実行されますと、私はこの問題にかかってくると思います。私が従来お話し申し上げたのは、その前の段階で、モスクワで交渉しているときに、そういったことの目的を達し得るかどうかということに限って申し上げたわけであります。従いまして、かりに国交がうまくいって大使館を開くというときに、これがどう発展するかということはその先の問題で、これは相当大きな希望を持ち得るだろうと思います。そこで、そういった人の配分でございまするけれども、これは相当先の問題でございますので、ここでその構想を述べることは私は避けさしていただきたいと思います。しかし一言申し上げられますことは、われわれは、過去ずっとこの問題を扱ってきまして、田邊さんその他厚生省の方々とも最も緊密に連絡し、最も緊密に知識を交換しておりますので、今日はわれわれといえども相当な専門家になっておるということは申せると思います。
  66. 戸叶里子

    戸叶委員 時間がありませんから、もっと詳しくいろいろの点を申し上げることを避けますが、この委員会でもすでに決議せられたことでございます。この決議に対しては、どうぞ十分御努力のほどをお願いしたいと思います。  きょうは鳩山総理大臣に、こういう重大な問題ですから、出てきていただいて、簡単にでもその御決意のほどを伺いたかったのでありますが、御出席にならなかったことは、まことに残念でございます。本日の委員会のことを、どうぞ詳しく委員長よりお伝え願いたいと思いますと同時に、法眼参事官も、今度こそ御成功を祈っているわけでございます。
  67. 臼井莊一

    臼井委員長代理 本件に関しまして、他に御質疑はございませんか。−なお法眼参事官委員長からも重ねて、この決議並びにただいま委員からの質問趣旨一つよく全権の方にもお伝えいただきまして、善処されんことをお願いいたしておきます。
  68. 法眼晋作

    法眼説明員 確かにお伝えいたします。     —————————————
  69. 臼井莊一

    臼井委員長代理 それでは、先ほどの派遣委員報告に関する引揚者援護の問題についての質疑が残りておりますので、これを許します。辻政信君。
  70. 辻政信

    ○辻委員 簡単に一言、山下次官にお伺いいたします。引き揚げ問題については、そこに引揚援護局長の田邊さんというりっぱな人がおいでになりますが、どうもこの問題は、受入局長がいないように思うのです。今度日ソ交渉が妥結しますと、少くも千四百名帰ってくる。中共からはたくさんの者が帰ってくる。これらに対して、厚生省、政府としてその受け入れをどうするかということが、引き揚げの問題に比較しますと、はなはだなまぬるい。就職の問題あるいは援護の問題等に不徹底だ。至急受入援護局等をお作りになるというくらいの決心なり、また厚生次官がそれを兼ねるというくらいの決心で、この問題と取っ組んでいただきたいと思います。先ほどのお話では、多少就職について考えておられるようですが、それは九牛の一毛であります。しかもすべての者は、赤い国から帰ったというので、誤解を受けて就業ができない。こういう実情でありますから、これは単に個人の努力や民間の好意に甘えているわけにはいかない。ドイツの例をとって申し上げますと、ドイツでは引揚者及び傷癖軍人は、大企業は全従業員のたしか四%と思いますが、パーセンテージをきめて、必ず採用するように国が指導しております。この問題を真剣に取り上げようとすれば、国家の予算で働いている機関もしくは企業、あるいは国家の補助を受けている企業、こういうものに対して政府が少し強力な力を発揮して、強制的に全従業員の何パーセントは充当しろというような法律を立てるくらいの熱意をもってやらないとだめです。近く開かれるこの国会は、日ソ交渉を批准する国会である。同時に、その結果、帰ってくる者を受け入れる国会であるということを念頭に置かれて、臨時国会に、厚生省、労働省が合体をして、もっと権威のある強力なものにするような法的措置をお考えいただきたい、これが第一の希望であります。
  71. 臼井莊一

    臼井委員長代理 なお、末席には、労働省職業安定局の雇用安定課長の松本岩吉君が御出席でありますので、お伝えしておきます。
  72. 山下春江

    山下説明員 辻先生の御説ごもっともでございます。従来も、就職の問題あるいは生活の援護という問題について、それぞれの立場で、労働省は労働省の立場で、われわれはわれわれの立場で考えて参りました。法律に基いて、受け入れ態勢をという御意見もまざっておるようでありますが、法律案を作って、次の国会にそういうものを用意してこいと仰せいただいたようであります。それもこれから研究いたしまして、法律を作らなければ、これの受け入れ態勢ができないかどうかということはよく研究いたしまして、お答えできるようにいたしまするが、われわれ引揚援護局は——厚生省全体でございますが、援護局は特に最後の受け入れ態勢について、従来もやや遺憾の点がございましたので、なまぬるくなく、徹底的な援護をはかりまして、帰ってきた者が赤だといって片づけられておるというような実情もよく承知いたしておりますので、そういうことのないような措置を講ずる。それはどうすればいいかというようなことは、私どもも、最終段階でございますから、検討いたしておりますので、法律の必要を生じると結論が出ますればお諮りをいたしますが、法律に基かないで、こういう方法でやりますというお答えができるように努力をいたすつもりでおります。
  73. 辻政信

    ○辻委員 とても今の現状では、ガリガリ盲者どもは、採用せよと言ってもやりませんから、それをやる自信があるなら別に法律を作らぬでもいいが、私のねらいは、こういう人が糊口に窮するような冷たい結果を来たさぬように、赤いと言われて冷酷に扱われるから赤になる、あたたかい気持でやれば赤も白になる、そのぐらいの気持でもって準備をやってくれ、労働省と厚生省が分れていることは適当でない、お互いに責任をなすり合う、だから受入局を作るぐらいの熱心さでやらなければだめだということを言うている。  その次、この前、里帰りの人に対して国があったかい気持で、帰る切符ぐらい買ってやれということを与党野党全員一致で政府に進言したはずですが、その跡始末はどうなっているか。
  74. 山下春江

    山下説明員 すでに一時帰国として国内にお帰りになった方々は、先ほど、今回については御報告がありました通りでありまして、前回よりもややよろしいようでございます。この前の委員会には、私は党の用事で出張いたしておりましたので出られませんでしたが、事務当局は事務当局なりの御返事を申し上げておいたはずでございます。しかし、私が考えましても、そういう考え方だけでこれを押しますことは、非常に冷たく感じられます。私は最初のときに、舞鶴でもこの問題についてはできるだけのあったかい方法をもって、要するに日本という里に帰った嫁を、里親は非常はあったかくして、今回帰してやるという形をとりたい、これは今日も私はそれを念願しております。従いまして、予算等のことにつきましても、いろいろあちらこちらを当ってみましても、厚生省援護局におきましても、非常に窮屈であります。日赤をたよってみましても、これまたきわめて窮屈でございます。今、事志と違ったような現状でおりますけれども、しかしながら、帰っておられる間、国内に滞在中もし非常にお困りならば、それは生活保護法でめんどうを見ることも決意をきめて手続をいたし、お帰りになります旅費がないというような場合には、もちろんそのことは考えたいと思いますが、一足乗り越えまして、多少帰国がおくれましても、先ほどの御報告にあった通り、高木副社長との会談の結果、秋までのものは終ったということでございますから、今後集団帰国がないということではないのでございます。私ども集団帰国があるものと予想いたしまして、そうして、もう一度お迎えの船を出したいと考えております。そうして祖国の姿を見たい方には、ぜひ一時帰国をして見てもらいたい、それだけの熱意は尽すべきだと思っておりますので、できればこのお迎えの船を仕立てまして、それに乗せてお送りして、そうして新たに帰る方をその船に乗せて連れて帰りたい、こういうふうなもう一歩先のことも実は考えております。決して御心配をかけるような結末にいたさないように、これは予算等もあらゆる努力をいたしまして、また委員会等にも御協力を賜わりまして、あたたかくして帰したい、こう考えております。
  75. 辻政信

    ○辻委員 厚生政務次官に御婦人山下さんがなっておられるということは、この問題について、男性の次官以上にこまかいお心づかいがあると思います。どうか一つ、この点だけはぜひお願いいたします。
  76. 逢澤寛

    ○逢澤委員 関連して。ただいま辻先生からお話になりました点について、もう一歩掘り下げてお尋ねしたいと思います。ドイツでは、御承知のように、官庁では五十人以上の使用者のところには、一割、百分の十以内を採用するという国の法律があります。それから州の規則では、五十人以上の使用者のところには五%以内を優先雇用するという制度を作っておることは、御承知通りだと思います。そこで、この点について、日本でも先ほど来いろいろお話になったように、赤いところから帰る人に対しては採用するのにちゅうちょするというようなにおいがするが、そういうようなことを研究なさったことがあるかどうか、これを一点お尋ねしたいと思う。  それからもう一点は、法律によってこれをやるということについて、いろいろの困難性があるとすれば、法律によらずに採用できる種類のものがある。たとえて言えば、臨時雇いとか、あるいは公務員でなしに、公務員以外の小使いさんとかいうようなものを採用するに当っては、いやしくも官公庁は率先垂範の意味合いにおいて、まずこういうような者に門戸を開放して、こういうようなところから何%か使ってやろう、採用せなければいかぬというような指示をしたことがあるかないかということを聞かしていただきたい。
  77. 松本岩吉

    ○松本説明員 労働省の雇用安定課長でございます。先ほど来就職のことにつきましておしかりと御質問がございましたので、大体の状況を御報告申し上げます。  今まで二十八年の三月に引き揚げが再開いたして以来、引き揚げて参られました人の総数は、三万二千三百九十九人でございます。このうち約三分の一の一万一千人が子供でございますので、約二万一千人が就職の対象となる成年層の方でございます。私ども引き揚げがございますと、厚生省と密接に連絡をいたしまして、舞鶴に引揚相談所を設けて、そこでまず職業相談をやるのでございますが、そのときには、あまり多くの相談がございません。それは何しろ一応家へ帰ってそれから方途をきめるというふうに、帰る方の気持が急いでおりますので、この辺のところでは全部が相談になりませんが、それから一応帰りまして、今度そこで職業相談を受けましたり、あるいはポスター、パンフレットなど渡しておきまして、ここへ行ったら職業をあっせんいたしますからというあれを渡しますので、公共職業安定所へ就職の申し込みをいたします。それが二万一千中、現在まで申し込みしております者が一万二千六百六十七人でございまして、この方々が直接私ども就職あっせんの対象になっております。あとの九千くらいの人は、おそらく私どもの推測では、農業あるいは自営業がございまして、そこでお働きの方々であるか、あるいはまた縁故によりまして、自分で就職口の決定した方々だと思っております。私どもこの一万二千六百六十七人の方々に対しまして、就職あっせんの努力をいたしておるのでございますが、現在まで、このうち就職いたしました方は、六千八百四十三人でございます。これは八月末の統計でございます。就職率といたしましては五四%でございます。従いまして、お話のように、まだ四十数%の方々就職をいたしておりませんので、この方々就職は、実は私どもとして非常に心配し、また努力しておるところでございます。ただ、私どものこの努力の至らない点もございますが、御承知のように、日本は今ようよう雇用情勢がやや好転いたして参りましたが、今まで二十八年、二十九年、三十年というのは、最も就職難の時代でございまして、一般の就職状況は、就職の申し込みをしまして、就職します者は約三〇%台、昨年の三十年の統計を見ますと、この就職状況は、一般の人々は四〇・六%の就職状況、それから今年の上半期はやや上りまして、四四。四%まで上昇しております。これに比べましても、この五四%という数字は、決して低い数字じゃないと思っておるのでございます。できればこういう引き揚げ方々が即刻全員就職いたしますれば、これは最も望ましい状態でございますが、何を申しましても、国全体が失業情勢のまっただ中にあったという今までの状況下におきまして、忍んでいただかなければならない点もあったのでございます。しかし、今は状況も好転いたしましたので、さらにこれに対して努力いたしてみたいと思っております。  この就職のできない原因でお尋ねがございましたが、私どもの方で考えられます点は、四点ございます。一つは、高年令層の方々が非常に多いということでございます。これは無理からぬことでございまして、長い間抑留されたり、あるいは戦後相当たっておりますので、年令が高くなって帰られておる、そういたしますと、どうしても、高年令層の方は雇いたがらないし、また何にでもつくというわけにも参りませんので、そこに困難がございます。それからもう一つは、技能を持たない方々が非常に多い。要するに無技能者が非常に多いということでございます。いつの時代におきましても、技能を持っております方の就職というものは、他の人に比べまして比較的楽でございますが、技能を持たない方は、やはり非常に困難を伴います。この問題。それから住宅事情があります。これは、たとえば、大都会に出てきますと、何とか就職もある、またあっせんもできるというケースもございますが、さて肝心なことは、家がないために、一応落ちついたところを動けないというように、住宅事情からくる制約がございます。最後にもう一点は、思想問題でございます。思想問題は非常に大事な点でございますので、私らも一番頭を悩ますところでございますが、一ころありましたように、中共から帰った者、ソ連から帰った者、北鮮から帰った者は赤だというような一般の認識、雇用主の方のそういう考え方は、私どもからいたしますと、漸次改まってきておると思っております。最初の方は、むしろ恐怖心に近いようなものから、そういうような傾向がございましたが、だんだんとこの方々就職してみますと、その実態によりますと、決してそう一じゃない。むしろ国内におる者よりももっと健全な考え方を持っておる者が多いということが、だんだんと認識されて参ったように思います。それから、引揚者の中にも一、二どうかと思われるような動きをなさった方もございました。しかし、これもだんだんとそういう傾向が改まって、両々相待ちまして、赤だということによる制約は薄らぎつつあります。ことに最近の引揚者は、私どもから見まして、明るい、そして健全な方々が帰ってこられると思いますので、これが逆にかえっていい影響を与えておりますことは、例の養子その他のことの希望者が殺到するというようなことから見ても、御承知通りだと思います。こういうような状況でございまして、私ども幾多の困難がございましたが、ここまでやって参っております。それで、先ほど申し上げましたように、経済情勢が好転いたしましたので、ここでもう一ぺん引揚者のために、一つ全組織をあげまして、努力いたしたいと思って、昨年引揚者の雇用促進旬間というものをやりまして、一般の社会の報道機関であるとか、その他全体の協力のもとに実施いたしたのであります。これは非常にいい成績をおさめました。就職の実数も向上いたしましたし、引揚者に対する社会の認識も深められたと思うのでございます。今年もこれを計画いたしておるのでございますが、私どもの今の考えとしては、何もないときにぽかっとやるよりは、日ソ交渉が妥結いたしますと、また大量の引き揚げが再開いたされます。この機会をつかまえて、そしてやることが一番効果的だろうと思いまして、実は日ソ交渉のできるのを待っておる状況でございます。昨年は七月にいたしましたが、今年は、そういう意味で少しおくれております。雇用情勢の好転と相待ちまして、私ども十分努力をいたして参りたいと思います。至らない点はございますが、この点はお許しをいただきたいと思います。
  78. 逢澤寛

    ○逢澤委員 立法化を研究したことがあるかないかということについて、それから民間に向ってそれだけの要望をするのに、まず法律によった資格云々は要らない、臨時雇いとか雇員とか小使とか、こういうものに官庁が率先してまず雇用してあげる、こういうような熱意を示したことがあるかないかということについての答弁をお願いしたい。
  79. 松本岩吉

    ○松本説明員 強制雇用あるいは割当雇用の立法化の問題でございますが、これは実はこの引揚者の問題、あるいは身体障害者の問題、ことに傷痍軍人につきまして強制雇用をやるべきであるという請願もございますし、私ども諸外国の例もとりまして研究いたしております。ただ現在のところは、これは請願の扱いの閣議におきまして、現内閣といたしましては、この強制雇用には賛成しかねるという建前をとっております。この理由といたしますのは、今申しましたように、他に非常にたくさんの失業者がおって、いずれも職を求めております場合に、ある者を強制的に雇用いたしますと、それは現在の者を置きかえる作用をなすだけであって、絶対雇用量というものはふえていかないということ、それから日本の国情からいきまして、こういう強制雇用をやったようなものの定着状況はどうも思わしくない。やはり法律によって無理々々雇用させるというよりは、理解と同情と申しますか、そういう援護の手によって就職させていく方が、雇われる本人にとっても、雇う方にとってもいいというような趣旨から、この強制雇用につきましては、今のところ、政府としては踏み切っておりません。しかしこれにつきましても両論ございまして、今のようなときだからやるべきだという意向もございます。これらの判断は、主として政治的な高い考慮に立って決定されて参りますので、事務当局の者といたしましては、研究はいたしておりますが、そういう段階になっております。  それからもう一点、官庁が率先してやるべきだ、これは引揚者につきましては、そういう措置はとってございません。身体傷害者、傷痍軍人につきましては、次官会議の決定によりまして、そういう措置はとっております。それで、この問題を考えます場合に、身体傷害の者ならば、たとえば守衛とか、あるいは筆耕とかいうようなものに採用することも、これは可能でございます。引揚者は一般健全者と同じなのであります。これを小使に採るとか、あるいは守衛に採るとかいうようなことになりますと、これはかえって引揚者自身にとっても、果して喜ばれるかどうか、まあ職のない人は喜ぶでございましょうが、そういう方針として打ち出すことには困難があるのではないかと考えております。全体的に、やはりその方に向いた職業にあっせんしていくという態勢の方がいいのではなかろうかと考えるのでございます。
  80. 逢澤寛

    ○逢澤委員 どうも私どもにはその熱意のほどがぴったりこないのですが、これは課長さんではちょっと無理だと思います。政治的な問題だろうと思いますが、この議場におきましても、これだけいろいろ論議されておりまするように、重要な問題でありまするから、いずれ事務的にも一つ十分御研究を願っていただきたいことを申し上げて、私の質問を終ります。
  81. 山下春江

    山下説明員 今の問題は、引揚同胞審議会というものがございます。そこで、私どもの方の局長も委員でございます。田邊局長からこういう問題を提案してもらいまして、その結論を得まして、その答申を内閣へ申達いたしまして、閣議でこれを決定していただくという方法を一つ考えてみようと思います。それ以外には、今、課長の説明ではありますが、現状としては、非常によくやってもらっておる事例も、私は知っております。その週間などには、非常に出先の基準局の職員がいろいろ金の足らないところを立てかえて、住宅のあっせんをしたり、定着させて、そうして、次の職場へ連れていったりというような就職週間の間にやっております実績を——これは厚生省は引き揚げてきた者は労働省へ送り込んで、ちっとも関せず焉でいるわけではなくて、非常に心を砕いておりまして、従って、そういう情報も耳に入っておりますが、非常によくやってもらっております。いまのところその方法がよろしいかと思いますので、それを早速講じてみたいと思います。
  82. 三鍋義三

    三鍋委員 大体各委員から非常に御心配になって、政府当局にただしていただきましたので、私申し上げる事項はないのでありますけれども、何といたしましても、引揚者が故国の山河が視界に入るとともに、やはり一番心配しておられるのは、就職の問題であるということは、現地へお迎えに行かれた方々報告でも、毎回強く出ておるのでございまして、これに対するところのそれぞれ所管の政府当局、事務当局におかれましても、いろいろと心をお配りになって、御尽力を賜わっておることは、よく了解できるのであります。しかし、何といたしましても、第一線において、国家の要請に忠実に尽して来られたこれらの方々の内地へお帰りになってからの就職問題は、やはり就職難の時代ではありますけれども、特に重点的に考えてあげなければならぬ問題である、私はこのように考えますので、今後とも十分一つ手ぬかりなく御心配を賜わりたいと思うのであります。  そこで、労働省の方にちょっとお尋ねしたいのでありますが、五四%の就職率という御報告を今得たのでございますが、これは多種多様ではありましょうけれども、大体どういうところへ就職しておられるか。聞くところによりますと、職業安定所へ行って、何とかしてもらえというような冷たい気持でやっておられるのではないだろうけれども、本人からすれば、何か冷たい感じを受けておられる、そういう気持も私たち伝え聞いておるのでございますが、大体どういう方面に就職をしておられるか。それから、なお就職でき得ない方々は、一体どういう生活をしておられるか、これをちょっとお尋ねしたいと思います。
  83. 松本岩吉

    ○松本説明員 今のお尋ねで、どういう職種についておるかということにつきましての詳細な調査はとってございません。どの職種にもついておるのが実情でございます。それから、あとの、就職しない者につきましては、生活保護を受けておる方もございます。それから、たとえばやみと申しますか、ああいうようなことをやっておる方もございますし、また家族の厄介になっておる者、やはり就職しておらない方の生活は、相当困窮しておると思っております。従いまして、この方々に対しましては、引揚同胞につきましては、特別に扱うようにしばしば通牒を出しておるのであります。一々申し上げると恐縮でございますが、この引揚者だけに通牒を出しましたのは、現在ここにありますが三十二件ございます。  それから、先ほど逢澤先生の御質問で、一つ私、答弁が漏れましたが、国鉄と電電公社につきましては、特別に外地引揚者を入れるようにという依頼を、私どもだけでなくて、国鉄当局と私の方、あるいは電電公社当局と私の方とやりまして、これは相当な成績をおさめました。それから、経営者団体、主として日経連を通じまして、引揚同胞の雇用促進について、業界の協力を促すことは、これは毎年やっております。そういう状態でございますので、なおこれを推進いたして参りたい。この引揚同胞の方々につきましては、私どもとしてはできるだけ地位の高いものが面接する、部長とか課長とかいうものが面接いたしまして、窓口では極力これは扱わないことにいたしておりますが、もしもそういう冷たいような事例がありますならば、また思いを新たにいたしますために、通達を出しまして、こういうことのないように、要するに今年の引揚雇用促進週間、それから厚生省でやります愛の運動というものがございますが、これと協調いたしまして、そこからまた雇用情勢の好転に伴いまして、もう一度馬力をかけて参りたいと思います。
  84. 三鍋義三

    三鍋委員 事務当局におかれましても、非常に御尽力賜わっておるようでございます。三十二回の通牒ということも、その現われだと思いますけれども、通牒を幾ら出しても、その実績があがらないと、本人には何ら幸福がもたらされないのでありまして、通牒とともに、その効果を常に検討されまして、なお善処をお願いしたいと思います。  それから、山下政務次官にお尋ねしたいのでありますが、例の里帰り婦人の問題でございますが、政務次官も、非常に熱意をもってこれに対処しようという決意を持っておられることは、大へんありがたいと思いますが、いずれにしましても、これは予算が伴うことでありまして、現在帰っておられる方のお帰りになる問題、もう一歩飛躍して、向うにおられる四千名近い方の受け入れ、またその送り返しの問題まで発展して善処したいという力強い御答弁を賜わったのでありますが、これはどうでございましょうか。予算措置の大体の見込み、何かの方法でこれが実現できますか。政務次官の御決意と見通しをやはりお聞かせ願いたいと思います。
  85. 山下春江

    山下説明員 船の問題につきましては、非常に高額な予算が要りますので、これはどうしても政府の決意がきまらなければいけませんが、それは私ども決意していただくべく努力するつもりでございます。その他の、たとえば船の旅費、あるいは船中の小づかい等のことにつきましては、必ずその時期までに何とか調達する決意で、今あちらこちらを飛び回って、渡りをつけておるところでございます。そのことについて、多少でも滞在が延びますために、国内におられる間に非常にお困りの方に対しましては、めんどうなことを言わないで、生活保護を適用いたしますように、もうすでに通達をいたしておるところでございますので、御心配をかけないで、何とか所期の目的を達成するために、今万全の努力をいたしております。見通しはどうかとおっしゃれば、必ずやりたい、やれるという見通しに立って、今、大車輪でおるところでございます。
  86. 三鍋義三

    三鍋委員 今度第一次の里帰りの方の滞在期間は、三カ月とか聞いておったのでございますが、それが延びたような場合、向うに帰るいろいろな手続とかいうことで、めんどうになるということはないのでございますか。今の政務次官の御答弁では、多少滞在期間が延長されても、何とか心配なくお帰り願いますように努力するというわけですね。
  87. 山下春江

    山下説明員 私の申し上げたことに希望的なものがございまして、われわれ念願しておるのは、一部の希望者だけが祖国の姿を見て帰るということでなく、非常にお気の毒な状態で現在の地位が生じたのでございますから、できれば、国として一度祖国の姿を見せて、肉身にも会って、安心して夫のところに帰るということを実現してあげたいという私どもの異常な熱意の上から、船をもう一度どうしても仕立てたい。それから、もう一度、集団帰国があるということが予想されますので、それを迎えに行く機会に、今帰っておられる方々もお乗せし、そして、あらためて、そのときに希望者の方を——そのかわり何回もというわけにも参りませんので、できるだけ周知徹底を今からいたしまして、その船でできるだけ希望者に全部帰っていただく。そうすると、人数が相当まとまりますから、もう一度船を出して、それでお帰しするということにいたしませんと、連れて帰っておきまして、自分で帰れと申しますと、いろいろ悲惨な問題、不便な問題が起って参りますので、国としては、そこまでぜひやりたい、こう考えておりますので、何とか帰せるということは、多少日にちが延びても、次に出すであろうたとえば興安丸なら興安丸に乗せて連れて帰りたい。そうしますと、費用が非常に少くて済む、——国の費用というのでなく、個人の費用が少くて済む。それから多少延びた場合にどうなるかと言われますと、私も確かにパスポートを見たわけではございませんが、現地で皆さんが言明されたところでは、三カ月と言われました。そこで三カ月を経過いたしたあとはどうするかということは、日赤から紅十字会にでも連絡をとりまして、こちらの意のあるところを伝えれば、了解が得られるものではなかろうかと考えて一おります。
  88. 三鍋義三

    三鍋委員 これは三カ月という期限を条件として帰ってこられた以上は、三カ月以内に帰してあげないと、信義を破ったことになりまして、また中には夫に内緒で里帰りされておる方もあると思う。こういう点で、また変な感情のもつれから、次の里帰りの機会を奪ってしまうようなことになってもいかぬと思いますから、こういう点を十分今後とも御配慮を願いまして、喜んで夫のもとに帰ることができるように、そして、もう一度里帰りしたいという方々が、快く、そこに何らのわだかまりもなく、故国へ一度帰ることができるように、政府の善処方を政務次官に特に御要望申し上げまして、私の質問を終ります。
  89. 戸叶里子

    戸叶委員 今、政務次官が、里帰りをされた方は、必ずしも生活に豊かな人ばかりでないので、そういう方に対して生活保護の適用をするように、そして、めんどうなことを言わないでしたいという通牒をお出しになったということをお伺いまして、まことにありがたいことだと思っているわけでございますけれども、大体生活保護の適用を受けられるような方がどのくらいいらっしゃるかということと、そういうふうな場合に、生活保護の予算というものはきまっているわけですけれども、それも当然受けるべき人の方まで食い込まないで、その予算以外にプラスした予算をお組みになっているのかどうか、伺いたいと思います。
  90. 山下春江

    山下説明員 そのために、こういうことがあるであろうと前もって予測いたしました予算でないことは、御案内の通りでございます。しかし、中には生活保護をお受けになった方で、その後世帯更生をなさいまして、お断わりになった方もございますので、多少の余裕がございます。もしなくても、非常に大きな額ではございませんから、それはぜひともいたしたいと考えております。それから、どのくらいあるかということになりますと、第一回のときは三十二人でございますか、お迎えに参りましたときには全然無一文という方が二世帯ございました。そのあとの方も非常に少額の方が約半数ございました。半数以上の方は、三カ月滞在されましても、あまり嬉しがって、いろんなものに小づかいを使えば別でございますが、お困りにならない程度お持ちのようでございました。そういうことでございますから、もし生活保護法をお受けになるといたしましても、第一回の里帰りの方といたしましては、少くとも半分以下であろうと思います。帰る旅費等が要るということになると困りますので、その旅費が要らないように配慮したい。これは私どもの方としての考え方は、厄介者が帰ってきた、何とかして処置をしようという考えはいささかもなく、国としての当然の義務として、一度祖国を見せて、両親に会わせてあげたい、これは国の義務だと私ども考えておりますから、その点で、この問題は特別のワクとして、そう皆様方が御心配をなさるようなきつい考えを持たないで処置いたしていきたいと考えております。
  91. 臼井莊一

    臼井委員長代理 なお、当局の方にお願いいたしておきますが、先ほど御説明のあった引揚者就職資料でございますが、これは本日御欠席の委員もございますから、あらためて当委員会の方へ御提出をお願いいたします。  他に御質疑がなければ、本日はこれにて散会いたします。次会は公報をもってお知らせいたします。    午後一時七分散会