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1956-02-24 第24回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第7号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十一年二月二十四日(金曜日)     午後二時十七分開議  出席委員    委員長 原 健三郎君    理事 臼井 莊一君 理事 木村 文男君    理事 中馬 辰猪君 理事 中山 マサ君    理事 堀内 一雄君 理事 櫻井 奎夫君       逢澤  寛君    稻葉  修君       大橋 忠一君    高岡 大輔君       田中 龍夫君    野澤 清人君       眞鍋 儀一君    赤路 友藏君       岡本 隆一君    河野  正君       下平 正一君    多賀谷真稔君       田中 武夫君    三鍋 義三君  委員外出席者         議     員 穗積 七郎君         参  考  人         (参議院議員) 野溝  勝君     ————————————— 二月二十四日  委員田村元君、受田新吉君、戸叶里子君、中井  徳次郎君及び中村高一君辞任につき、その補欠  として逢澤寛君、岡本隆一君、下平正一君、多  賀谷真稔君及び田中武夫君が議長の指名で委員  に選任された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  ソ連地区残留胞引揚に関する件     —————————————
  2. 原健三郎

    原委員長 これより会議を開きます。  ソ連地区残留胞引揚に関する件について、調査を進めます。  昨日に引き続き、野溝参考人より、本件に関し事情を聴取することといたし、質疑を続行いたします。  なお、この際、お諮りいたします。穂穂七郎君にも、昨日と同様に委員外発言者として事情を聴取するに御異議ありませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 原健三郎

    原委員長 異議なきものと認め、さよう決定いたします。  では、直ちに質疑を行います。質疑通告順にこれを許します。臼井莊一君
  4. 臼井莊一

    臼井委員 昨日ハバロフスク抑留者健康状態についていろいろ野溝さんからお話を伺ったのでありますが、そのお話によると、比較的健康状態はよかった、こういうような印象を申し述べられておるのであります。これに対しては、私は厚生省調査とかあるいはソ連地区からの引揚者話等によりまして、あちらの健康状態はよくない、待遇もよくない、こういうふうに判断いたしまして、その点いろいろお話をかわしたのでありますが、野溝さんはやはり現在でも、ハバロフスク抑留者の健康はよろしい、何も心配することはないというようにお考えですかどうですか、その点をお伺いいたします。
  5. 野溝勝

    野溝参考人 昨日も臼井さんにお答えしたつもりでございますが、あらためてまた御質問がございましたので、私の所見をお答えいたします。私は思ったよりはよいと思ったということを申したのでございまして、それがニュアンスといたしましてどういう感じを相手に与えるかということについては、これは別問題でございます。現在の考え方はどうかという御意見でございますけれども、現在については、その後二カ月有余になっておるのでございますから、現在の状態はどうなっているかは、私はよくわかりません。しかし向うから来たたよりによりますと、別に変ったようなたよりもございませんので、そのままではないかと私は思っております。いいか悪いかということにつきまして、今日の事情ということは、私はわかりません。
  6. 臼井莊一

    臼井委員 私のお伺いしているのは、現在ということは、それはおわかりにならぬと思いますが、あちらにおいでになった人の御調査を伺っているのです。きのう申し述べられたように、私がいろいろ申し上げたけれども、やはりあなたのごらんになった方が、引揚者の体験に基くお話より確かだ、こういうふうにお考えになるのでございましょうか。
  7. 野溝勝

    野溝参考人 三百グラムの米食とそれからあと副食物ということを参考人自身も申しておるのでございますから、その程度判断で、当時はひもじくなくはないが、どうかこうかやっていけると考えておるのでございます。さよう御了承願いたいと思います。
  8. 臼井莊一

    臼井委員 参考人は、なるほど三百グラムということを言っておりますが、量の問題ではなく、質の問題が、非常によくない。ことにビタミンが非常に不足して、高血圧等の患者が非常に多いということを言っておるのであります。また参考人ばかりでなく、昨日から問題になっておりますように、あなたが抑留者からお預かりして持って参りました手紙のいずれにも、やはり、待遇もまた栄養状態も非常に悪いということをはっきり申し述べておるのです。そういたしますと、あなたはあちらで並んでいるところだけをごらんになって、血色もよさそうだ、こういうことから健康がいいという判断をされてたのではないかと思うのですが、その通りですか。
  9. 野溝勝

    野溝参考人 参考人自身も、くどいようでありますが、三千カロリーくらいのものがある。私は十分見ておるつもりでございます。そういうこともありますから、さよう御了承願いたいと思います。臼井さんも御承知のごとく、二千四、五百カロリーというのを標準に考えておりますので、私といたしましては、三千カロリーの栄養を供与しているというのだから、思ったよりはまあまあよかったのではないかという判断を下したのでございます。
  10. 臼井莊一

    臼井委員 あなたが思ったよりよかったという、その思ったよりというのがどの程度に思われたのか、あるいは瀕死で、顔がまっさおで、今にもぶっ倒れそうだというふうにお考えになったとすれば、これはそれよりはよかったのです。われわれの考えているのは、少くともあそこで重労働をさせておることなんで、すべてそこに基準を置かなければならぬ。たとえば、三千カロリーにしても、厚生省では、重労働をするには六割か七割ぐらいの量しかないということを言っておるのでございます。もう一つは、ビタミンが足りないとあちらの人が訴えられたということを、あなたはこちらへ来てお話しになっている。そうすると、社会党の中にお医者さんの方もおいでになるそうでございますが、ビタミンが足りなくて、一体健康だということが言えるかどうか。その点は、あなたはビタミンが足りぬでも、見たところ丈夫ならば、それで健康だというふうにお思いでございますか。
  11. 野溝勝

    野溝参考人 これは禅問答みたいなものでございまして、私もそんなに科学的な試験で分析もしておらぬのでございましてきめ手というものがないのでございますが、これはざっくばらんに申しますならば、われわれの判断では、抑留者というものは——われわれが留置されておった当時のことを追想するのでございますが、やはりわれわれが刑務所に留置されたというような場合から判断いたす場合もあるのであります。それは昨日も穗積君からも申された通りでございまして、そういうようなことが抑留者健康判断に対する私ども一つ比較判断考え方になっておると言いましょうか、そんなような気持があったのであります。でありますから、私どもはそういうことと比較いたしまして、想像をしたということなのでございます。第二の考えは、三千カロリーということについては、これが決定的かどうかということについては、もちろんはっきりは申されませんが、まあその程度であるとしたならば、倒れるというふうにも考えませんので、思ったよりはよかったということでございます。
  12. 臼井莊一

    臼井委員 普通健康診断をする際、熟練練達の先生でも、一目でこの人は健康だという判断が一体つくかどうかということを私は疑う。まして、そう言っては失礼でありますが、専門のお医者でもないあなたが、人を見て、それで丈夫だということを判断されたということである。ことに血圧が高いか低いかというような問題は、血圧計ではからなければ、ほとんどわからぬ問題である。何も皆さんおいでになったら、血圧をはかれということは私は申し上げない。そこであちらに行った人の話を聞き、そうしてまたこういう文書にまで訴えられている事情を聞けば、一体あちらの待遇がいいか悪いかということもわかるし、またみんなの健康状態がいいか悪いかということがおよそ判断がつく。私たち自分では行ってみませんけれども、そういう実際に体験されている方の直接のお話を聞き、そうしてまたこちらにお帰りになった方の健康状態厚生省専門のお医者さんがごらんになり、またこういう文書等を拝見すると、どう考えても、あちらの健康状態はよくない。ビタミンが足りない。ビタミンが足りなくて、青野菜がなければ、極端にいえば壊血病というのにもなる。そういう状態であるのに、あなたが表面だけごらんになって、健康状態がよろしいということを判断されて、お国にお帰りになってかち方々でそういうことをおっしゃるということは、そう申しては失礼かもしれませんが、いささか軽率であって、実情と非常に違ったことを一般に伝えておられるのじゃないかというふうに思うのです。それでもあなたはやはり自分の見たところが正しいという信念に立たれておるのかどうか、その点をお伺いしたい。
  13. 野溝勝

    野溝参考人 どうも臼井さんは何か非常に誤解しておるのではないかと思うのですが、私は至るところの講演におきまして、野菜の不足しておるということは申しております。それから特に血圧症状が多いということも申しています。私はそういう点で特に感じておりますがゆえに申しております。しかし、だからといって、私はこれを総体的に全部が完全なる健康者であるということを言ったことはありません。けれども、思ったよりはよかったというこの想像は、別に今日といえども間違っておらぬと思っております。
  14. 臼井莊一

    臼井委員 私はどうもその思ったよりはよかったというところに、一つの言葉のトリックがあると思う。先ほど申し上げたように、あなたがどういうふうにお思いになったのかわからぬけれども、そういうように思ったよりよかったくらいのことで、抑留者の生命に関するような問題を軽々に扱われるということは、いささか軽率ではないか。いろいろの資料に基かれ、向うの実際の話を聞き、しかもあなたがごらんになったのだから、それならば私たちはあなたを御信用申し上げたいのですが、ただ、今のような、御自分が思ったよりよかったという程度で、ハバロフスクにおられる方々健康状態がいいということは言えない。しかも野菜が足りない、ビタミンが足りない、こちらから送ったものでも、ビクミンといえども取り上げて渡さぬというようなひどい待遇をすることにおいて、決して待遇がいいとは言えない。しかしこれは幾ら言っても水掛論ですから、いたしかたないとしても、それでは、あなたは慰問袋などを送って、ビタミンなど心配する必要はないというお考えなのですか。
  15. 野溝勝

    野溝参考人 私が決定的によかったと言うならば、どういう御注意、御批判、あるいはどんな警告も受けますが、思ったよりはよかったという程度のことで、私はあなたからさようなことを受けることはないと思います。  それから栄養分の問題でございますが、ビタミンの問題、あるいはその他の薬等の問題、小包等が着かないとか着くとかいう問題についてどう考えておるか、なおビタミン等を送っても着かないということについて、一体どう考えておるかというような御質問と聞いたのでございます。私どもはそういうことも少し聞きましたので、何とかしなければならぬというわけで、帰って参りましてからも、ソ同盟代表部に対しましてわれわれはそれを申し入れました。その意見を入れたか入れぬか知りませんが、おかげさまで最近は小包も到着するようになったことは、御同慶にたえないと思っております。
  16. 臼井莊一

    臼井委員 非常にしつこいというお話もございますが、私はこれは非常に大きな問題だと思うのです。あちらにいらっしゃる方のお手紙にあるように、自分たちのために国策の大義は曲げてくれるな、国策のためなら自分たちの骨を埋めてもいいというような悲痛なる手紙が来ておりますが、しかし私たちとしては、そういうほんとうに愛国心に燃えた方をこそ、早くお迎えしたいということを念じておるのです。しかもそういうお方が、毎月少くとも一人は病気のためになくなっていくという。この冬を越したので、果してその程度で済んだかどうか知りませんけれども、そういう人道上の大きな問題をこのままに見過ごしておけない、こう言うのであります。従ってあなたが、健康は心配ないというようなことをおっしゃっていれば、この手紙で、向うでもがんばっているのだ、心配ないというような印象国民に与えるということは、重大な問題である、かように考える。従ってわれわれも政府もまた国民も、ビタミンを送り、慰問袋を送って、そうしてこのりっぱな方々を何とか御無事に一日も早く日本の国にお迎えしたいというのが、われわれの念願なんです。それでありますから、いささかしつこいようでありますが、こういう点をよくただしたいというのが私の念願であったということ一を申し上げまして、この点については、いつまでお話ししても、あなたとわれわれとの見解の相違でありますから、この程度にいたしまして、次の問題に移ります。  次に昨日私が提出いたしました質問に対してのお答えがまだございません。というのは、昨日私の読み上げました日本代議士殿というあての書簡が、当委員会の方に提出されておりません。これはいかなる理由で御提出されていないのか、そのお答えを伺いたいと思います。
  17. 野溝勝

    野溝参考人 これは昨日申し上げたのでございますが、私は昨日申したことで十分尽きていると思うのでございますが、さらにさようなものに対しまして、技術上の不手ぎわという点がありましたならば、その点については、もう虚心たんかいに改める用意を持っております。またそういう考えを持っております。
  18. 臼井莊一

    臼井委員 その技術上の不手ぎわということは、昨日もお認めになったのですが、この手紙が出てないのは、まだあなたのお手元にこの手紙があるのですかどうか、こういう点をお伺いしている。
  19. 野溝勝

    野溝参考人 技術上の不手ぎわがあったというんじゃございません。あったならば、改めるにはばかることはない、さように御了承を願います。  それから、今お話のありましたその書類をどうしたかということにつきましては、その当時の穗積幹事からお答えすることにいたします。
  20. 穗積七郎

    穗積七郎君 昨日私は発言の途中でございましたから、今の問題と関連いたしますから、発表経過につきましては、野溝団長は、事務的なことは、私当時幹事でありましたが、また書記であった山口君に一切依頼をされて旅行に出られたので、私から皆さんがあいまいに思っておられる点について明瞭にしていただくように、正確に事実を申し上げて、今のお預かりした書類の問題も関連して一括して申し上げますが、昨日も申し上げましたから、重複しないように、おしまいのところから継続して申し上げます。これは速記録に載っていると思いますから、きょう初めておいでになった方はきのうの速記録ごらんいただきたいと思います。  実は稲葉委員からお尋ねがありました、第一団長でありました北村さんに報告をしたかどうかということでございましたが、これは昨日も話の途中でしたが、帰りましたときに、私は即座に第一団長に団の幹事としてお電話をいたしまして、帰国の報告をいたしました。実はハバロフスク方面のことは、あなたの方の議員の方並びに団長も非常に熱心に要望しておられたところであって、それが昨日私が申しましたような経過で、私どもだけが参る結果になったのであります。新聞ごらんいただいたと思いますし、またわれわれも直ちに国の方へ電報を打ちましたが、先にお帰りになった第一団方々も、待望しておられたハバロフスクを第二団の諸君訪問して帰ったからぜひ話を聞き取りたいということで、実は羽田に来ておっていただけるだろうと予期しておったのです。ところが着いてみますと、北村団長稲葉幹事も、その他の第一団ハバロフスク訪問を熱心に主張された方々も、羽田に来ていただいていなかったので、これはちょっと意外に思ったんです。私たちに敬意を表して迎えに来るということじゃなくて、熱心に訪問を要望されたハバロフスク事情を一刻も早く知りたいということで羽田に来ていただけると思ったのですが、どなたもお見えにならなかった。そこで、当日は夜中の十二時過ぎに新聞記者会見を終えて帰りましたから、翌日朝、北村団長並びに稻葉幹事のところへ電話をいたしましたら、北村さんは御在宅であり、稻葉君は郷里に報告演説会に帰っておるというお話でございましたから、それでは最後解散式をやりながら、お互い報告を持ち寄って整理をしようじゃありませんかということを申し上げ、北村さんも快く了承されてお別れしたのです。数日いたしまして、北村さんの秘書さんがお見えになりまして——これは私の記憶によりますと、日赤留守家族報告いたしました十月九日またはその前日でございましたが、旅行に一緒に参りました熊谷君という秘書さんから野溝団長並びに私のところにもお話があって、諸君ハバロフスクで預かってきた書類のうちで、長崎県に関するものはこちらへ渡してもらえぬかということでございました。それだけのお話だったのであります。そこで、なるほどそれは選挙区の地元のことでもありますから、われわれお互い議員としてはそれは正確に御報告申し上げます、しかし実は向うで託された方が果して着いたかどうかを、あと手紙でもわかったのですが、心配をしておられる。ですから預かったものが責任を持ってお送りしょうという取扱いにいたしましたから、お名前は全部申し上げます、書類も見ていただいてもけっこうですが、ただお送りをするのは、預かってきた者がそれぞれ責任を持ってお送りすることにいたしておりますから、それで了承していただきたい。あなたの方からのお手紙では、長崎県のお宅の抑留者の方については書類は預かって来ておるが、その現物そのものが送れぬのは、聞いたところによると、これこれであったという報告手紙を出していただいたらどうでございますかと言って了解を求めたのであります。数日いたしまして稻葉君から長距離電話がかけられたようで——当時稻葉君は新潟の選挙区に帰っておられたのですが、秘書さんでございましたか、奥さんでございましたか、あるいは奥さん秘書をしておられるのですか、ともかく女の声でございましてそういうお話でございましたから、同様の御返事をいたしました。それからさっきも言いましたように、十月九日、帰りまして次の日曜日に、日赤講堂におきまして留守家族方々が集まるから、そこで正確な報告をしてもらいたいというお話がありまして、そこで皆さんが問題にしておられる六建作業隊意見書を初めとするあなたのおっしゃる私信でないもの——これは昨日御質問がありましたように、社会党対ソ交渉政策にいささかじゃまになるというふうなことで、社会党諸君が出ししぶるといったような印象を与えてはいかぬということを実はおもんばかりまして、きのうも申しましたように、香港でも強調し、羽田でも申しましたが、日赤報告の中でも、こういう書類私信のほかにございました、陳情を受けました、そのものはもらって参りましてここにありますから、ごらん下さいと言ってお見せをし、その代表的なものを一つだけ朗読いたしまして、他にも数通ございます。から、あとで見ていただきたいということで、皆様発表をいたしました。当日はニュース並びに新聞社の方、全部各社ともお見えになっておられました。それで、新聞発表は、羽田とここで二へん目になるわけであります。それから、私どもは十三日の日に解党大会、十四日が統一大会でございますから——一日、二日はずれておったかもしれませんが、そういうことで多忙でございましたけれども、私は幹事責任において預かりました書類一切を持って、すぐに議長訪問いたしましたが、御不在でございましたので、留守居の大池事務総長でありましたか、秘書官でございましたかに、実はかくかくで帰って参りました、いろいろ御心配にあずかってありがとうございました。旅行中のことについては、電報その他でもって報告をした通りでございます。ハバロフスク訪問は、北村団長報告をお聞きになったと思うが、それ以外に追加すべきものがございますから、必要があればいつでも御報告に上りますと言って、ことずけをしておいて、もう一ぺん十日の日が過ぎてから、また益谷議長をお伺いしたらまた留守でした。また同様のことを申して、わざわざ名刺まで置いて帰ってきた。実はこの書類は私が保管すべきではないから、野溝団長参議院会館に置いておくから、電話をかけていただけばいつでも参りますし、書類が必要であれば、いつでもお取り寄せ願いたいといっておいたわけでございます。それから続いて、先ほども申しましたが稻葉さんがお帰りになりましたから、稻葉さんとも連絡をいたしまして、十一月二日の日に議員団全体の総会を開いて、全部お互い報告して、正式の解散式をやろうということで取りきめておりましたから、そういうことを野溝団長にも連絡をし、その口はぜひあけておくようにということを私が電話で確約しておりましたら、数日前になって稻葉さんから電話がございまして、われわれの党の事情によって十一月二日は困難だから、延ばしてもらいたいということでありました。どういうわけですかと言ったら、いや党内事情でちょっと困難なんだということでございました。それじゃ他党のことでやむを得ないが、なるべく早くけじめがつかないといけませんから、あなたの方で日をきめていただきたい、私どもは待機しましょうと言ったのであります。私は日中貿易促進議員連盟理事もいたしておりますので、数日たちまして池田正之輔さんにお会いする機会があったり、あるいはまた電話でもお尋ねいたしまして、実はこういうわけだがどういうわけですかと聞いたら、実は十一月三日にうまくいけば保守統一大会をやることになるかもしれないから、おれが稻葉君に言ってやめてもらったんだ、だからそれはあしからず了承してくれということでありました。そういうわけで、さっきも言ったように、第一団長並びに稻葉幹事等に対する報告がおくれてきた、そういう事情でございます。十月九日の日赤講堂におきまする発表会においては、ハバロフスク訪問になりませんでしたが、熱心な御希望もあり責任者でもありますから、前にお帰りになった第一団団長幹事初め皆さんにも御通知したはずでございます。そこで稲葉さんは御不在でお見えにならなかったと記憶しおりますが、北村さんは秘書をお連れになって、日赤講堂にお見えになって、そこで一場のごあいさつがございました。そうして今までの事情の御報告等があり、なおハバロフスクのことについては、あと訪問した野溝団長初め他の諸君から、団を代表して報告があると思うというごあいさつでありました。そこで皆様が問題にしておられる六建作業隊、その他の文書については、私が先ほどのような発表をいたしました。そのときには、自分のごあいさつが済んだから、すでに北村団長は退席されて帰られた。きょうは見えられないが、昨日は委員会に傍聴をしておられたが、熊谷君が秘書として残って、私のところに来られて、北村団長はやむを得ない事情で先に帰るけれども、私が代理としておれということであるから了承してもらいたい、あしからず了承してくれというふうに言われたので、それでは大事なことだから、君もあとに残ってよく聞いて、その内容なり模様については北村団長に正式に報告しておいてくれ、かしこまりましたという打ち合せをして、熊谷君は実は最後まで残っておりました。これは熊谷君または北村団長から稲葉君に報告があったかどうかは知りません。昨日のお話だと、あるいは御報告がなかったのかもしれないが、事実はそういうことでございます。  それから役所への報告でございますが、これは昨日も野溝団長からちょっと申しましたように、田島さん外一、二の方が羽田へ来られたが、これは全部お見せするわけにいかぬ、まだ整理してないから、いずれ整理が済んだらすぐ報告します、お見せしますと言ってお別れしました。そうしたら電話があって 一ぺん野溝さんにお会いして報告が聞きたいということでありました。当時野溝さんは御旅行中で御不在であったから、十月の十七日に山口書記から電話をいたしまして、午後三時に上りますと申しました。向うから見えると言われたが、野溝団長がおられるならば来ていただいてもいいが、私がかわって御報告いたしますから、私の方からお伺いいたしますと言って、礼儀を尽して、辞を低うして実は向う報告に行きました。そのときの打ち合せのことについては、私はあとで山口君から報告を受けたんだが、厚生省がお求めになったのは、まず名簿を全部知りたい、こちらの名簿と照らし合せたいから、きょうは名簿の打ち合せに来てもらいたいということでした。厚生省側の面会申し入れの意図がそういうところにあることがわかったので、山口君はその用意をして約束通り十七日の午後三時に厚生省に参りました。あと報告を聞きますと、田島部長以下五人の事務官が同席しているところで、詳細に報告したが、厚生省でもいろいろな調査ができておった。しかもこれはどうも共産党員らしいとか、あるいはこれはどういう事情にある者とかいうようなことがりマークスの中にメモしてあったそうですが、非常にこまかくて、それは大体わかっておりましたということでした。それからなお口頭をもってそのほかに私信または意見書、陳情書等であります、きょうは持って参りませんでしたが、こういうものがあります、それは責任上、一カ所に保管しておかぬと散逸してはいかぬので、野溝団長の部屋に置いてありますからぜひごらん下さい、それじゃ拝見いたしましょうという話で、当日は別れたのでございます。ところがその後厚生省からは、ごらんにも来なければ、問い合せにも来ないし、野溝団長帰りましてからも、面会の申し入れもありませんでした。  それから先ほど申しました議会への報告でございますが、野溝団長は参議院に所属しておられるから、河井議長報告された。私は責任上一々あいさつをする必要はないので、北村団長は衆議院ですから、北村団長からあいさつをしてもらえばいいのですが、念のためにと思って、実は先ほど私が言いましたように、二回参りましたけれども、二回ともお留守でございましたから、大池事務総長並びに秘書官にそのことを申し上げて、いつでも報告に上りますから、どうぞ通告していただきたいと申しました。議長のことでございますから、見に来て下さいとは私は申しません。いつでも持参いたして報告をしようと思って、詳細の報告をいたしますから、どうぞ電話で命じてもらいたいということを申したのですが、何の音さたもありませんでしたから、実はそのままになって、今日に至っておるわけでございます。  さらに、委員会に対する発表のおしかりが昨日もございましたが、実は、当時私も議長推薦でちょっと参りましたから、議長並びに役所の方へ伝え、しかも昨日申しましたように、向うのイルクーツクで別れますときに、われわれの受け入れ団体であった最高会議の事務局の責任者であるドーミンと外務省のスーザに、抑留者家族の陳情を詳細に話をし、帰ってから、私は、参議院の亀田君を伴って狸穴のドムニツキーに面会を申し込んで、正式に申し入れをしておりますから、大体これでいいという自信を実は今日まで私は持っております。従って、野溝団長にはその後のことを——実はお互い議員の生活で忙しくて、衆議院同士ならば他党の方ともときどきお会いいたしますが、参議院と衆議院では、同じ党派の中でもなかなか会えないという事情で、電話をもって報告は終りましたということを申したのですが、実はこのこまかな報告を聞かれるのは、野溝団長もきょうが初めてだと思います。報告は疎漏なくいたしてありますからと申し上げたら、もし技術的に手落ちがあったら云々ということでありますが、私が団を代表してとりました手続は、これこれでございました。正直に申しまして、実はこの委員会のことはちょっと縁が遠かったものだから、私もよく思い起しませんが、推薦をいただいた釜谷議長報告をし、しかも北村さんにも報告をする、しかも重要なことの内容は、新聞あるいは十月九日のあれでもわかっているわけでありますから、大体そういうふうであったわけでございます。  大体以上で尽きると思いますが、最後に、今、御指摘になりましたそのほかのもの、また、昨日稻葉委員からお尋ねがあったところの、これこれの手紙を預かった記憶があるかということについてでありますが、野溝団長からは、正確な御報告はなかったようだが、私がかわって報告いたしますと、私の記憶では、御指摘のものは確かに預かったことを記憶いたします。記憶が不確かではいかぬと思って、直接その事務に当っておりました山口君にさっそく確かめましても、確かに預かっております。実は、プライベートレター以外に預かって参りましたものが十通前後であったかと記憶いたします。私はこれは飛行機の中で見たのであります。ところが皆さんのお手元へいっているのは四通ないし五通でありますが、実は羽田へ着きましてから、日赤代表団そのほか引揚留守家族方々があの当時熱心に来られてそういう方たちがまるで奪うようにして、これらの手紙その他のものを見たがっているのです。その間に、これこれの方が住所が書いてないが、もし御存じの方があったらその方に教えてやっていただきたい、または届けていただきたいということを申し上げたら、これは私がよく知っている人ですとか、あるいは、これは私の方から届けることができますというようなことで、それではこれは筆跡だけでも家族の方に見ていただければよろしいだろうから、あなたに責任を持ってお願いいたしますよというので渡して、それは書かれました人の家族の方へ行っているわけです。  これだけ事実でございますから、ありのままに報告いたしまして皆さんの御了解を得たいと思います。
  21. 臼井莊一

    臼井委員 ただいまいろいろとせられた報告は、とにかくわれわれとしてはもちろん満足できない。第一に、昨日のいろいろの問答で、野溝さんは、自分としては決して他意はなかったが、手続上は不手ぎわであったということをお認めになったのです。それが先ほどのお話によると、何か手続上の不手ぎわがあったら遺憾であるというようなことであったのですが……。   〔穗積七郎君「あったとしたら」と呼ぶ〕 あったとしたら遺憾だという。それは野溝さんらしくない。もう少し率直におっしゃった方がいい。そういうことをおっしゃると、私の方もつい、これでも不手ぎわと認めませんか、ということを少し言いたいのです。今、穗積さんのお話を伺っておりますと、どうも不手ぎわの言いわけをおっしゃっているようにしか聞えない。   〔穗積七郎君「事実を申し上げたのです」と呼ぶ〕事実としても、その事実が、発表の不手ぎわの言いわけをしているようである。そこで私も一応お伺いいたしますが、第一に私が昨日御質問申し上げた手紙のことですが、この手紙はあなたの方にもおありになるのに、昨日も木村君から本委員会に出されたので、これで全部ですかと言ったら、その通りだというお話であった。また先般の委員会での戸叶里子さんのお話に対しても、一々帳面に記されて正確にやっておりますというお話だったのですが、そういうふうに何か手紙をおろ抜いたのではないでしょうか。数を足りなく出されるということは、やはりこれを正式にわれわれに発表しなかったということが結論になる。これは、こういうあれがあるというので、私が気づいたからこの手紙もあるということがはっきりしたのです。そのほかに佐々木参考人の十二月十五日の証言によりますと、「私の聞いているのは、安井君とか千葉君とか荒巻君あるいは六建の人たちも、私がこちらに来るにつきまして、訪ソ議員団に、私どもはわれわれの決意のほどを託したから、そのことが国民全般に伝わっているかどうか、一つ確かめてみてもらいたい、こういうお話がございました」という話なんです。ですから、あちらで手紙を渡されたときには、これは国民全般に知らせてくれということをこのあて名によって判断するばかりでなく、おそらく強い熱望があったと思います。このことは、ハバロフスクから引き揚げてこられる方にわれわれは託しておいたのだが、果して伝わっているかどうかということを確かめてくれという強い要望があったことによっても棄せられる。その強い要望が、とにかくわれわれの方に報告されるのまで落ちてしまったということですが、これであなたは果して手落ちがないというふうにお考えなんですかどうですか。  このほかにもう一つ、落ちたのはおそらく千葉君という人のあれでしょうが、もう一つ安井君というのが御提出になった方の名前に出ております。それから荒巻君という人の手紙があったかどうか、この点お尋ねしたい。
  22. 野溝勝

    野溝参考人 何回も同じような御注意だか御警告を承わっておるのでございますが、今申し上げました通り、他意のないことは私は十分わかってくださると思うのでございます。真剣に努力してきて、何百通という感謝感激の手紙が来ておる点については、私どもはほんとうにいいことをしたと思っております。ただ、今お話がありましたのは、議員とあるのを、一般的に公開しなくて君たちだけで処理するという考え方が誤まっておるのではないか、ざっくばらんに言えば、そういうことだろうと思います。それについては、昨日来、木村さんからもあるいは松岡さんからも強く御意見のあった節に、私は重々申し上げたつもりでございます。私ども考えといたしましては、これは訪ソ議員団に現地で渡されたのでございますから、私どもはこの議員団を中心にして考える。しかしせっかくのあれでございますから、これは公開することがよろしいという意味で、帰って参りましてから新聞記者会見において公開したのであります。その取材の点について詳しく発表がなかったことについては、私どもこちらの関係に直接属しておりませんので、この点はしいて遺憾だというならば、その点については、今日といえども皆様委員会の決議によってそれをまた議員に配れというならば、私はそれを別に拒否するわけでもなんでもありません。直ちにそれに応じたいと思っております。だから何も他意はありません。  それから昨日来、臼井さんから雑誌をもって、その文書、いわゆる書類の中で発表しないのがあるじゃないかという御意見でございましたが、先ほど穗積氏からも申されました通り、十通近くのものを預かって参ったのでございますが、その中には、なかなか名前のわからぬ人もありました。しかしそういうのは大事にいたしまして、特に私の手元へ持ってきまして、新聞記者の方も参りましたし、あるいは遺族の方も参りましたし、あるいは抑留者帰還同盟の方々も参りまして、その文書を見られて参ったのでございます。でありますから、その文書の中には、今お話がありました千葉某という人から送られたものもあったように記憶しております。大体以上の次第でありまして、荒巻君その他に対する問題がございましたが、それは穗積君の方から答えてもらうことにいたします。
  23. 穗積七郎

    穗積七郎君 荒巻忠恭からのものは、実は当日抑留所におきまして本人から山口君のところに寄り添ってこられて内容が内容だから、これは員外に発表してもしようがないことで、ぜひ一つこれは団長にお渡ししていただいて——名前は議員団長殿となっておりますが、渡していただいてそうして何か適当な処置を考えてもらいたい、こういうような要望でございました。この内容というのは、あとごらんになっていただけばよろしいので一々読みませんが、大堀泰君の係官に対する殺傷事件の問題でございます。これは裁判が行われて、他の刑務所に移されたのです。そうしたら私のところに久間何六という——名前の上の字がよく読めませんが、その人の手紙も同様な趣旨のことで、この人のはどうも私の記憶では、私のところに寄り添ってこられて、こういう事件がありましたから、帰られたら一つ適当に向う側に議員の名において伝えていただければ、多少は効果がありはしないかと思うから、よろしく頼むということでございました。これは同様の内容でありまして大堀泰君の殺傷事件に関する書類のものであります。実は、作目も私の報告の中で、ドムニツキー並びにイルクーツクにおけるドーミン及びスーザに対する陳情について、昨日は所内における生活改善についての要望はどうかということでございましたから、あれだけ申し上げましたが、この問題は特別でございましたから、これも同様に向う側に伝えておきました。今言ったように、イルクーツクでは、そのほかに方法がないものだから、執行部の代表としてのドムニツキーを通じて、実は同様に処理いたしましたことをつけ加えて報告いたしておきます。
  24. 臼井莊一

    臼井委員 先日も稻葉君から御質問があったように、団長において適当に処置してくれということならば、やはり北村第一団長にも当然御報告があるべきである。さっきは何か日赤において一般に報告されたので、そのときに聞いたろうというお話でしたが、たとえばイルクーツクにおいてこういう請願書だか陳情書だかそういう式のものが出たということも当然第一団長報告があるべきであると思います。それもやっていないというように私ども判断するのであります。そういたしますと、この手紙をここに提出されるについても、落ちた手紙もあるしそういう報告もしていない。さらにまたこのあて名を見ましても、国民一般に伝えてくれというその方法をあなたの方では羽田でおとりになったということだが、それについては一般の効果が全然上っていない。新聞紙上にはこれについてのことは言も出ていない。
  25. 穗積七郎

    穗積七郎君 出ておりますよ。
  26. 臼井莊一

    臼井委員 もし出ておるなら、御提出をいただきたいと思います。そうしてみるとこの点において私は手落ちがなかったという、団長野溝さんのきのうの言葉を翻した言いようは、私は納得ができないのです。それでも野溝さんは手落ちがなかったとおっしゃるのか。技術的にきのうは手落ちがあったということをおっしゃったのですが、あの言葉は違うのですか。
  27. 野溝勝

    野溝参考人 今、穗積議員から経過についてお話がございましたので、御了承願えたと思うのでございますが、さらになかなか御質問でございますが、大体訪ソ議員団のうち、特にハバロフスクに関係したことにつきましては、団長といえば、私が参ったのでございますから、私を対象に考えておると私は常識的に考えます。それでもなお北村団長に会った方がいいじゃないかというのでございましたならば、それも悪いことはないと思います。  それから次に、この文書書類等に対する取扱いの問題についてでございますが、私はこの発表の仕方ないしはその取扱いにつきまして、どうも欠けておるという点がございますならば、私はこういう点については十分反省する用意を持っておるということを昨日来申しております。これは私の不徳でございますから、そういう点がありますならば、私はいつでも反省する、こういうことを申したのでございます。
  28. 稻葉修

    稻葉委員 この委員会で、昨日から参考人お話を承わっておりますと、ちょっと意外な点がある。それは私が昨日、ハバロフスク行きの経過をいろいろお尋ねした際に君たち向うで許可がおりるまで待っておったらいいじゃないかというお話でしたが、われわれは招待で行って、そうして向うのスケジュールには二十一日の午前九時にモスクワを出発するということになっている。そうして通訳及び外務省の接待員の話では、途中で許可をおろす見込みがあるからということでわれわれは出発した。決してその点について、待たずにハバロフスク行きをあきらめて帰ったのではない。ポーランドへ招待されておる、従って君たち行ってくれ、社会党はポーランドの招待に応じてハバロフスク行きはあきらめる、こういつて君たちは行ったじゃないか。全然逆じゃないか。そういうわけでありますから、今あなた方社会党議員諸君は、日本を立つときに、日本留守家族から、ハバロフスク抑留者あてに預かってきた手紙を、おれたちハバロフスクに行けないから、保守党の諸君に行ってもらうから、行ったら届けてくれといって、赤路君のごときは内藤友明君に、日本を立つときに預かってきた抑留者あての手紙を託したくらいである。ほかの議員諸君もみんな託した。そうしてわれわれは、イルクーツクで外務省の接待員及び通訳に郵送を託して帰ってきました。これは届いております。そういうわけでありますから、昨日来、大へんいいことをして、われわれは感謝されて何百通という手紙をもらっているというのは、それはその通りでしょう。それはけっこうだけれども、それは偶然の事実であって、何も自発的に自分たちが行こうとして行ったのじゃない。そういう点は事実を曲げておる。そこで手紙を託されたくらいだから、そうしてわれわれがイルクーツクでフルシチョフによく団員全体の意向を申し入れをし、あれだけ言質を与えておきながら、ついにわれわれが国境を離れるまで許可を与えなかったということは、はなはだ遺憾であるということを通訳を通じて伝えてくれ、それからまた北京に着きまして、北京の飛行場で、北京駐在のソビエト大使に対しても、この点だけははなはだ遺憾であった、本国政府によく伝えてくれと言ったら、非常に顔色を変えておった。そういういきさつもあった。もう一つは、私推察するに、あなた方の御報告では、ハバロフスク抑留者に対する待遇は悪くなかったと言うが、準備の期間を要したのではないかと思う。それは、その後帰ってきた人で、あれは社会党諸君が来られるというので相当準備をしたのであって、ふだんはあんな待遇ではありませんでしたということを聞いております。そこで、そういういきさつでありますので、われわれに手紙を託したくらいだから、あなた方がそういう重大な手紙を持って来られたならば、どうして第一団長にもこういう手紙を見て下さい、こういう報告をしなかったのですか。その後関係団体、たとえば国際貿易促進協会、日中貿易促進協会、こういう連中とわれわれとの報告会がグランドホテルで持たれたことは御記憶でしょう。そのときの野溝団長の御報告、あるいは戸叶里子さんのハバロフスク報告は、決して今日見るようなああいう切々たる悲惨なものは全然発表にならなかった。全部いいような話ばかりでした。もう一つは、大田区の区民の留守家族報告会に私と野溝さんがおいでになったはずです。そのときの野溝さんの御報告も、今日われわれが初めて知ったこういう手紙に現われたような悲惨な事実は、全然報告されませんでした。私は記憶がありません。先ほど熊谷君から日赤における穗積さんの報告のことをちょっと伺いましたが、報告については記憶がないそうですが、ただそのときに、手紙をたくさん預かって来られたそうだが、おそらく長崎県の人もいるでしょう、北村を通じてこれを送ってやったら、大へんいいと思うから一つお渡し願いたい、こういうことを言ったら、いや社会党で預かって来たのだから社会党から送る、こういう御返事でお渡しにならなかった。そういう諸般の事情をながめましたときに、今日現われた手紙に見るような報告はちっともなかった。   〔発言する者多し〕
  29. 原健三郎

    原委員長 静粛に願います。
  30. 稻葉修

    稻葉委員 諸般の情勢を総合的に判断をされるならば、こういう引き揚げ問題のごとき人道上の重大問題を、社会党の党勢拡張の具に供しているきらいがある。そういう点については責任重大であると思う。答弁があるならば承わりましょう。
  31. 野溝勝

    野溝参考人 稻葉さんともある御人格者が、十分おわかりになっておるようなことをお聞きでございますが、これもいたし方ありません。参考人でございますから、お答えいたします。  ハバロフスク訪問の経緯についておがありましたが、それは昨日穗積君話がありましたが、それは昨日穗積君からもお話がございまして、二十一日の会談の結果は、許可がまだおりたわけではないのでありますから、許可がおりてからお立ちになるようにということをモスクワホテルで十分話したわけだと思います。しかし、多分許可がおりるだろうという気持で出かけたということにつきましては、先ほどもあなた方からお話があった通りでございます。私どもは慎重を期しまして、特に訪ソの目的というものが平和友好と国交回復、それから抑留者釈放に対する問題でございますから、これに重大なる関心を持ち、この目的を果したいということに対して、私どもは真剣に考えて参りました。でありますから、一つ許可がおりてから目的を達して帰国しようと考えたのでございます。いかにもハバロフスク訪問のでき得なかった諸君と私どもとの間に、何かトリックでもあるかのごときお考えを持たれておるとすれば、それは御訂正を願いたいと思うのであります。特に、さようなことでありますならば、許可のあった節、私は北京ホテルまで打電いたしはいたしません。それに至るまでの苦心も買ってもらいたい。イルクーツクにおられると思って、ソビエトの政府当局にも調べてもらったのでありますが、すでに出発したとのこと、こんな心配をかけないためにも、まだ許可がおりない、仕方がないから出発するという電報でも北村団長あたりから受けていれば、どこに行ったか行く先がわかるのでございますが、行く先がわからぬために、ずいぶん苦労したことも一つお認め願いたいのでございます。  それから、各地における会合の中で、参考人文書発表しなかった、特に例をあげまして、大田区やその他の会合の場所におけるわれわれの発表内容についてのお話がございましたが、その点につきましては、何と申しましても、いわばそのときの会の時間ないは動き等にもよりまして、全部を申し上げることはなかなかできかねるという点もありますので、決して意識的にそれのみを発表しないというようなことはなかったのでございます。しかし、それを取り上げて、そのときに言わなかったことはまこと遺憾だということでございますならば、その点は、私は技術的な点、あるいは不徳のいたす点でありますから、おしかりは甘んじて受けるつもりでございます。  それから最後にこれは稻葉さん興奮されておるようでございますが、党勢拡張の具に供したというような表現をせられたのでございますけれども、これは特に慎重にして、われわれの尊敬をしておる稻葉さんにしては、的はずれの御意見かと思うのでございます。これは答弁の限りではございませんけれども、私どもはほんとうに一日も早く同胞の抑留者方々を何とか釈放したい、帰国させたい、この気持で一ぱいでございまして決して今日といえども、その気持に変りはありません。その気持におきましては、党勢拡張とか、けちな根性を持っておりません。どうぞさよう御安心願いたい。
  32. 稻葉修

    稻葉委員 今の二十一日のことですが、われわれが立つ、向うのスケジュールはそうなっておった。招待者の方で、そういうスケジュールになっておるのに、招待された方が、まだ二、三日いられればいますよ、そんなこと言えるものではない。あなた方は出発するときから、まずソ連の招待を受けたらロンドンに行って、また帰ってきてそしてソビエトの旅費を全部ただで帰ってこよう、そういう考え方だから、あなた方の方は全然考え方が違う。朝飯に招待されて、隣の友達のところに行ってくるから、昼飯も用意してくれといったようなものだ。そういうずうずうしいことを考えているから、向うで二十一日に立つ飛行機を用意してあるのに、もう二、三日待ったらいいじゃないかというが、こっちの主張はこっちの主張、招待された場合のお客としての礼儀は礼儀だ、それが保守党の礼儀というものですよ。また野溝さんの報告によると、二十一日にあなた方はもう少し待ったらいいじゃないかとわれわれに言ったにもかかわらず、待たずに帰ったというような報告だけれども、そんなことわれわれにいつ言いました。全然言っていないですよ。そんなこと言っていない。それから、あなたは二度報告会においでになったけれども、私も一緒に出たのですが、戸叶さんの報告にも、あなたの報告にも、今日われわれが知るような、ああいう手紙の内容をたった一つの例だけでもおあげになったらどうでしたか。全然人が受ける印象が違う、それでは留守家族は、非常にいい待遇を受けているというふうに印象を受けます。その点が、報告の義務上、怠慢であった。
  33. 野溝勝

    野溝参考人 もう十分言い尽したと思うのでございますし、常識ある方々でありますし、さようなことはもう常識でありますから、くどくは申し上げませんが、ただ一つ申し上げておきたいことは、私も昨日来、もし技術上、発表等において不手ぎわな点がありましたならば、改めるにはばかることはない、こう考えておるのでありますから、どうぞさよう御了承願いたい。
  34. 原健三郎

    原委員長 堀内君。
  35. 堀内一雄

    ○堀内委員 野溝参考人にお伺いいたします。あなたがハバロフスクで委託された手紙が非常に重要なものであることはよく御存じになっておった。そしてすみやかに委託された目的の人に伝えるということの責任を感じて、その最もよい方法として、羽田で御発表になった。その発表の方法については遺憾の点もあったと私は存じますが、とにかくそれで御発表になった。それが新聞にもそのほかにも出なかったということを御承知になった際に、あなたはそれに対してどんなお考えをお持ちになり、またそれに対してどんなふうな御処置をなさったか、お伺いいたしたい。
  36. 野溝勝

    野溝参考人 堀内さんの御意見については、一応もっともにも考えられるのでございますが、あの当時の新聞を見て下さればわかりますが、ほとんど全面を尽したといいましょうか、大きな紙面を活用されまして、この慰問されたことについて発表になりましたので、私はそれによって報告の目的もある程度かなったと思うのであります。しかし今お話のありました通り、これらの特に参考人方々が申されたような文書発表になっておらぬという点については、私どもとしても、まことに惜しかったと思うのでございます。しかし、それにいたしましても、とにかく新聞社のことでございますので、取材のとり方については、私どもの干渉することもできませんので、さよう御了承願いたいと思います。
  37. 堀内一雄

    ○堀内委員 それで、その当日には、新聞社の方の取材の関係等で出なかったということもありましょうが、事後二カ月にわたって、いろいろな機会が私はあったと存じます。そういう場合に、御発表になる手続をなさらずに、佐々木参考人委員会で述べた後にというようなことになっているようでございますが、その間において、野溝先生のお考えはどんなことであったのでございまし、ようか。
  38. 野溝勝

    野溝参考人 まず私は、何といいましても、抑留者の釈放ということに全力をあげようという気持で一ぱいでございました。それがために、問題のもっと広範な発表を示すということに対して、もう少し努力をした方がよいという点がありますれば、その点については、私の不徳のいたすところでございます。
  39. 堀内一雄

    ○堀内委員 そこでお伺いするのでございますが、先生のきのうからの陳述の中に、抑留者を早く帰したいということは全員のみんなの心持ちである。それはわれわれもその通りなのでございます。そして本日もその点について繰り返してお話があるのでございますが、ただここで考えなければならぬことは、現在日本の世論の中に、一部には、とにかく早く抑留者だけ帰してもらえ、あとのことはどうでもいいというような意見一つと、それと同時に、それも非常に必要だが、ここに領土問題、そのほか今、日ソの交渉の重点になっている問題があるのだ、この問題を処理しなければならぬというような意見と二つあるわけでございます。そこで、そういうような二つの意見があるという立場から、ハバロフスクの人たちのお手紙をよくごらんになった先生が、その手紙はいずれの方に賛成しているか、いずれの力に有利な意見であるかというようなことについて、政界の長老である先生はどんなふうにお考えになっていましょうか。
  40. 野溝勝

    野溝参考人 私は昨日から申し上げております通り、もちろん日ソ交渉の問題も考えておりますが、この手紙に対してこれをそういう問題にしいて結びつけるというような考え方は持っておりません。
  41. 堀内一雄

    ○堀内委員 そこで、野溝先生にもう一ぺんお伺いしたいのですが、あなたの後輩というか、お若い穗積さんは、あの手紙を見ると、その内容が非常に社会党の主張ですか、早期妥結の方面に不利なものである、だからそれを出さないということにしておくと、非常に疑られる、そこでこれは出した方がいいというようなお考えのようでございましたが、その間における先生のお考えはどんなものでございますか。
  42. 野溝勝

    野溝参考人 これは今も申しました通り、鳩山さんがすでに日ソ交渉、特にロンドン会議を提唱する場合に、国交回復が強くうたわれておったのでございますから、日本国民として、国交回復すなわち早期解決を願わぬ者は一人もないと思うのでございます。この点については、今日といえども私は変りません。しかし、それのために特にその文書を道具にしようとか、利用しようとか、そういう考え方で扱ったのではないのでございます。
  43. 堀内一雄

    ○堀内委員 先生のお考えは、今申されるようなことであったかもしれませんが、ただ遺憾ながら、その手紙の内容は、御承知のように、自分らのために国家の重大問題を誤まったらいけないということを、広く日本国民に伝えてくれ、われわれは国のために犠牲になってもよろしいというような手紙、それを二カ月間もある間に発表しようとすれば、幾らでも私は機会があったと思う。その機会にあなたが御発表にならなかったということは、結論から参りますと、利用したというふうにわれわれは考えるのでございますが、その点について、どうお考えでございますか。
  44. 野溝勝

    野溝参考人 先ほどの臼井さんと同じような御質問だと存じますが、国策といいましても、確かにお互い政治家の中にも、国策の見解が一致しているとは思いません。しかし、抑留者に対する釈放という点については、全部一致しているわけでございますから、こういう点については、ほんとうに愛国心の至情をもって臨んだつもりでございます。ただ書面の扱い方等に対する措置について遺憾の点があったということでございますならば、私はその点は改めるにはばかることはございません。
  45. 堀内一雄

    ○堀内委員 この問題につきましては、結論から考えますれば、あなたが今、御発表になるような点にいかずに、かえってこれを早期打開の方に利用しよう、さもなければ、重大なる領土問題とかロソ交渉の中にこれを逆用したというふうにとらなければならぬことを遺憾と存じます。これは私の意見でございますが、これで私の質問を打ち切ります。
  46. 中山マサ

    ○中山(マ)委員 私は今のお話の中から少し離脱いたしますけれども参考人がお帰りになりまして全国において、栄養はさほどまでも悪くなかった、待遇もそう大したことはなかったと昨日も承わっておったのでございますが、戦前に、穗積さんもまた野溝先生も日本の監獄に入っておった、そのときのことを考えれば、まあ向うは相当なものだ、というような御発言もございました。こういう点から考えますと、戦前日本でお二方がお捕われになりましたその理由と、向うにわが同胞がおります理由とは、非常に違うのでございますから、これが同じ取扱いだということでなく、これは国際法に照らしましてもりっぱな待遇をしなけれぱならぬ建前になるわけでございます。(「思想犯だぞ」と呼び、その他発言する者あり)この方々は、思想犯でございましょうけれども、人権を重んじてないから言っているんです。(「人権を重んじている」と呼び、その他発言する者あり)いえ、違います。国内法と国際法とは違いますよ。何を言うてる。女と思うて、なめなさんな。ドイツのいわゆる抑留者は、われわれはこういう重労働に従う必要はない、たとい帰されないでも、こういう待遇には甘んじないと言って、がんばった。われわれの抑留者が帰って来て、この委員会発言したことは、過去何年間かに私たち聞いたことでございます。だから、あなた方が日本の監獄の中で受けた待遇と、向う待遇を比較することは、根本的に間違っていると私は思うのでございます。あなた方は、今度おいでになった方々だけでいらっしゃるけれども、私は過去何年かの間、この引き揚げの問題についていろいろ心配して来、またここにおいでになっている岡本先生と一緒に舞鶴にお迎えに行って、帰ってきた抑留者の若い人たちが、歯がぼろぼろになっておりますから、どういう理由ですかと聞きましたところが、われわれの待遇が悪くて、ビタミンが足らないためにこうなりました、ですから早く引き揚げさせてもらいたい、そうしないと引き揚げるまでに、抑留されておる人たちの命が消えるかもしれませんということを、私は舞鶴へ行って再々聞いておるのであります。それで、この正月早々でございましたかのこの委員会で、私が緊急動議を提出いたしまして、超党派的に御同調を願いまして日本の国からも毎月慰問袋を送るようにということになって参りまして、昨日か一昨日でございますか、厚生省におきましては、その決議の結果、いろいろのものを買い入れて、一袋二千円で送る。しかも薬と名のつくものは向うでは統制を受けておりますから、それでビタミンをあめの中へ入れて、これを送ることに厚生省が努力するということになっております。また郵政省にお願いをいたしまして、一円余分のお金を国民に出してもらう、そういうことによってこの引き揚げて来られない人たちの命の綱を何とかなるまでつなごうという動きを私どもがやっております際に、現地に行ってお帰りになりました方々が、いや、栄養はそう悪いことはなかったというようなことをおっしゃっていただきますと、これは御自分たちの主観ではございましょうけれども国民というものは、実際に見てきた人たちがこう言うのだから、何もわれわれは一円余分の金を出す必要はないというような結論になりましたならば、その御言動の結果によりまして、もしかの地におる人たちの命が消えるようなことがございまして、引き揚げて来られないというようなことになって参りますれば、あなた方の御言動というものは、実に重大な結果を生むと私は思うのでございます。この場におきまして、そういう行き届かないところがあったらあやまろうという、まことに心の広い御発言を承わりましたが、この問題についても、それは自分の感覚等から概してよかったということは言えないということを言っていただきませんと、今後この委員会の動きに重大なるところの影響がかかって、国民的のこの問題に対する意欲というものが減退することを私は非常におそれるのでございます。かの地においてのいろいろな問題は別といたしまして、今後の問題について、ここですわりながら憂慮をいたしておるものでございますから、この点は、御自分たちの立場、日本の監獄がどうだというようなことはお取り消し願って、国際的にも十分なるところの待遇を受けなければならない人たちが、私どもが舞鶴で見たような結果になっておるということを一つお認め願いまして、この点ははっきりと御訂正を願っておきませんと、今後この委員会の活動に重大なる支障を来たすということを非常に心配いたしますので、御訂正をお願いしたい、こう思うものでございます。
  47. 野溝勝

    野溝参考人 率直に申し上げております。私は自分の気持の中に、意識的や計画的に発言をいたしておりません、ただどこの場所において講演をいたしましても、ソビエトを絶対に賞賛をいたしておりません。いいところはいい、悪いところは悪いという点で、私の見た客観的な感覚から批判しております。それからこれは、どうでしょうな。むしろ私はこの際皆さんに御相談ですが、早く抑留者を釈放したいという点は、一致しておるのじゃないかと思います。そうしたならば、早期に解決するということも間違っておらぬと私は思います。  まず具体的に中山さんにお答えしたいと思うのでありますが、尊敬しておる中山女史ともあろう人から意外なことを聞くのでありまして、先ほど一つの例を申し上げたのでありまして、たとえば、われわれが留置されておった当時の例を申したのでありましてその例だけをもって全部を即断するわけではないのでございます。参考人の中にも、栄養分三千カロリー摂取しているとの話もありますし、それから三百グラムと副食物というようなことも言われておるのでございます。その程度から判断すると、日本人の栄養上、平均二千四百カロリーというふうに考えております。してみると、まあまあというところじゃないかという意味で私は申したのでありますから、さよう御了承願います。  いま一つは、私はイズヴェスチャないしはプラウダを持ってきておるのでありますが、私だけの見解ではないのであります。ハバロフスクへは行きませんが、イワノボの視察をしたときに、栄養の問題とかその他の問題についての見解を問われた際に保守党の久野さんもその意見を申しております。それは、必要ならば私は明日持って参りますから、さよう御了承願います。そういう意味で、私がさような表現をしたのではないのでございますので、どうか一つ御了承願います。  それから次に、待遇等の問題について、特に衛生上の問題、ビタミン等の問題について御意見があったのでございますが、この点につきましては昨日来申し上げた通りでございまして私どもといたしましては、医者の言うのに、そういうのを用意してあるというのでありまして、私ども幾分過小評価したかもしれません。しかしそれにつきまして、帰って参りましてから、特に代表部に対しましては、そういうのも一つ至急送ってもらいたいということを強く申し述べたのでございます。そこでその結果、最近におきましては、各委員の御努力によりまして、この目的を果すことができるようになったことは、先ほど申した通り同慶にたえないと思っております。なおあなたの考えは少しく誤まっておるのではないか、この際一つ率直に謝したらどうかという御意見でございますが、私のやったことは、良心の許す限りにおいて微力でございますが、全力を尽してきたつもりでございますので、もし至らぬ点がございましたら十分注意いたしますから、さよう御了承願います。
  48. 中山マサ

    ○中山(マ)委員 その問題で謝すとか何とかいうのではなくて、私はただ今後のこの委員会の動きのために、ためにならないことは御訂正願いたい。謝してもらわなくてもよろしいのでございます。ただあなたが向うおいでになりますれば、ちょうど昔、天皇陛下が地方に行幸になりまするときには、もうそこらそんじゅうきれいにしてお迎えしたと同じように、皆様方を向うがお迎えしたということは、その当時おりました引揚者がここで発言をしておりまするから、この点はそういうことを御存じなくて見せられた。美しいものをごらんになってお帰りになったんだろうと私はお察しいたすのでございます。その点は、決してあなたを責めておりません、向うが悪いのですから。あなたはただきれいにしたものをごらんになっただけでございます。そうして、将官ラーゲルと普通のラーゲルとでは扱いが違うということを、前に将官ラーゲルにおって、今度は帰り道で普通のラーゲルで一緒になった人が、ここの委員会参考人としてこられて発言しております。自分たち将官ラーゲルには幾分かのバターが渡った。ところが今度一般のラーゲルへ移されて、そうしてそこへ来たところが、自分たちだけに幾ばくかの油類が渡るということになったが、ほかの人たちには渡らないので、自分たちがそれをもらうに忍びないので、ほかの人たちに一緒にそれをもらわないで済ませたということをここではっきり発言をいたしておりまするし、イワノボのいわゆる将官たちの御待遇と一般が違うということは、ソビエト政府の階級制度というものがここではっきりと出ていると私は思うのでございます。その点は、どこもそれと同様に待遇を受けているとお考えになっておりますると、これはあなたの誤まりだということを私ははっきり申し上げます。その理由は、帰って来た人たちの証言が理由づけておることでございます。失礼なことを申すかもしれませんが、あなたは引き揚げの委員会委員でおありになったことがおありでございましょうか。
  49. 野溝勝

    野溝参考人 引き揚げの委員会委員の有無はあと回しにしまして、私どもも将官と普通のラーゲルとの違うこともよく承知しておりました。そういう点については、私どももそんなに将官と一般の方とを区別することはどうもおかしいじゃないか、これは同じようにしていただけないかということも要請して参りました。それから、その後その通りにいっておるかどうかということにつきましてはわかりませんが、今、参考人の佐々木さん、武藤さん等の陳述によって、幾分了承することができました。そこで特にいろいろ御意見もありますが、引揚委員会委員であるとないとにかかわらず、とにかく抑留者の問題については、この引揚委員会に出ておられる社会党の同志がおりますから、それらの同志の方々、同僚議員方々と十分相談して、努力しておるつもりでございます。  なお一つこの機会に中山さんにも申し上げておきたいのでございますが、われわれの行ったときには、掃除ができておって、あとはあんなものじゃない、こういう御意見でございます。それは私たちばかりの問題ではない、とにかくよそから来た人に対して、きれいにするということは、だれでも当りまえのことではないのでしょうか。しかしそれによってすべてが行き届いておるというふうに、過大評価はして参りません。
  50. 中山マサ

    ○中山(マ)委員 今、委員ではないけれどもこの引き揚げ問題については、いろいろ相談をしておるというお話でありますが、しかし実際に過去何年かの間、この委員会でも、世は移り人は変りましたけれども、引き揚げの問題で初めからやっておりまして、変らないのは社会党の昔の右派である受田先生と私くらいのものでしょう。その間に私どもが聞きましたことによって、私どもはこういう深い心配をいたすのでございますから、また聞きになさいました野溝先生では、とても私どもが感じますような深刻な感じは得られない、こう考えるものでございます。どうぞ一つ、今後何かの機会にお話しになりますときには、向うの人が栄養がよかった、まあまああれならというようなことだけはおっしゃっていただかないようにお願いをいたしておくものでございます。今後、国民運動をいたしますにつきまして、これが非常なじゃまになると思うのでございます。実際を見て、あの人たちは、若い者でも歯がぼろぼろになるくらいほうろう質をやられてしまうほど栄養が悪い、この現実を私どもは見てきておるのでありますから、この点だけは野溝先生の御人格に訴えて、やめていただきたいと申すものでございます。そしていろいろと伺っておりまして、行き届かないとか行き届くということがございましたが、どうも先生がお預かりになりましたお手紙に対しては消極的であった、も一つ積極性を持っていただきたい、ここだけは私は申し上げたいのでございます。日本国民であったら——新聞に出てなかったけれども、これは新聞記者の取材の関係の問題だからわしは知らぬ、これではちょっと親心が足りなかった、もっと積極的に——いわゆる主義の相違でございますから、あなた方は結局早期妥結をすれば帰ってくるというお考えですし、私どもは、アデナウアー首相が向うの人と話し合いをいたしましても、結局昨年の一番初めに二十四人、そのあとに五千九百何人でございますか、そしてそのあと十一月七日をもちまして西ドイツの引き揚げは打ち切られてしまっております。その後、ソ連がいうところのドイツの重罪犯人は、一人も帰されていないのですから、いくら話し合いをして妥結したかに見えても、まだ帰らない人があるという、いわゆる歴史の実例とでも申しましょうか、そういうものを見て、私どもは日ソ交渉が妥結しても、あるいは帰されない人がおるのではなかろうか、そうすれば、帰してもらう頼みの綱も切れるから、受け取るものを先に受け取らなければ、妥結しても危険だということが、私ども自由民主党のおそれであるのでございますから、この辺もどうぞ一つ御了承願いたいと思います。特にこの栄養の問題は、これがいつまでかかりますか、新聞論調を見ましても、じっくりと腰を据えてやれというのが大新聞の論調でありますから、その間、あの人たちの命がつながるように、この委員会が運動いたしまして、その命をつないでいく栄養分を送らなければならぬというのが私ども考えでございますから、この点どうぞ一つ御同調願いたいと思います。
  51. 野溝勝

    野溝参考人 至るところで私は述べておりますし、講演もしておるのでありますが、決定的によかったということは絶対申しておりませんし、今後も言うつもりはありませんから、御了承願いたい。現地を見たと言われておりますが、現地を見たのは、おそらく議員といたしましてはわれわれが最初であると思います。この点は、現地はどこの現地をさすのか私はよくわかりませんが、ハバロフスクの現地は、私ども一同でありますから、さよう御了承願います。それから手紙については、私どもは消極的であったという点については、十分反省をいたします。それからドイツの問題、これは私はむしろここにおる稻葉さんあるいは野澤さん、皆さんこれは御承知と思うのでございます。というのは、二十一日にクレムリンにおいて会見をしたときに、私から西独曽和アデナウアー氏に対して、なぜ戦犯の釈放をする約束をしたのか、日本に対してはどうするのか、こういう質問をしたのです。ところがドイツは、アデナウアー氏が来て、大使を交換して、国交回復の見通しがつ旧いたからそういうことをしたのだ、こういう意見でございますから、その点は一つ中山さん十分その内容という点についても御検討を願いますならば、この問題はおのずと開けてくると思います。
  52. 原健三郎

    原委員長 木村君。
  53. 木村文男

    ○木村(文)委員 まず第一に、私は同僚のわが党の中山委員がただいま重大な発言をされた、その重大な発言というのはどういうことであるかといいますと、昨日は穗積代議士からもたびたび誇らしげに発言がございましたが、きょうは、意外にも団長でありまする野溝さんからもあわせて発言がございましたので、おそらく同僚中山委員が、大へんなことであるというその観点から質問をしたと思うのです。穗積代議士は、昨日のわれわれの質問に対しての答弁に、日本の刑務所に、つまり御自分が、いい言葉で言うならば国事犯として刑務所に収容された、そのことを誇らしげに例にとっていましたが、それに敷衍して、きょうは団長である野溝さんからもまた話された。そこで私は第一に、捕虜というものはどういう基礎的な条約なり規定なりによって取り扱われているか、それをおわかりになっていて昨日穗積代議士が発言をせられたのであるか、また、きょう野溝団長発言したのであるか、この点について承わりたい。
  54. 穗積七郎

    穗積七郎君 今、抑留されております者のうちには、論理的には、一般の抑留と戦犯とあり得ると思うのです。そこで問題は、戦犯の問題だろうと思うのです。戦犯については、皆さんの御意見によると、おそらくソビエトの参戦の経過が不当であったので、従ってソビエト側が日本人捕虜に対して戦犯扱いをすることの不当を言われるのじゃないかと思うのです。この問題については、われわれの国民的な考え方としては、あのときの参戦の実情、政治的なソビエトの方針等については、推測できるものがありますけれども、条約上の建前からいきますると、これははなはだ遺憾の意を表せざるを得ない。ところがさらに残念なことは、当時、終戦後の保守党内閣が、ソビエトも戦勝国としてこれを取り扱った。すなわちわれわれの終戦のときの条約というものは、言うまでもなくポツダム宣言でございまして、その中にソビエトが入っておるわけです。従ってソビエトをイギリス並びにアメリカと同等に取り扱って、集団的な降伏受諾をしたわけです。そこに端を発して、東京裁判におきましても、これはソビエトの判事も入っておりますし、従って今度の戦争というものを、同盟国と連合国の間の二つの集団的な戦争関係というふうに理解するのが、最近の国際法上の通念になってきている。これはこの席に大橋委員のような専門家がおられますから、御意見があれば伺いたいし、またわれわれの方では、外務省出身の森島代議士もおられるから、同様なお考えだと思うが、すなわち、今日ソビエトにおける日本抑留者を、向う側で戦犯として取り扱うことの当不当は、発してポツダム宣言の受諾にある。さら一重大な問題は、東京裁判におきまして、これは極東理事——GHQの最高の決定機関であります極東理事会の中へソビエトを合法的に加えておりまする以上は、これは当時の戦闘開始いたしました状態に対して遺憾の点があったにいたしましても、日本政府といたしましては、これを戦勝国として受諾しておるわけであります。さらに御承知の通り、サンフランシスコ条約におきまして、アメリカ、イギリスを初めといたしまする約五十カ国との調印を見ましても、あの国と日本大衆が戦争した覚えというものはほとんどないのです。ほとんどないにかかわらず、交戦国としての取扱い、すなわち向う側は、こちら側から言えば戦勝国としての態度においてサンフランシスコ条約に集団的な調印に臨んだわけでございますね。ソビエトだけではございません。ですから、問題は、そこの取扱いをどうするかということですから、国際法上の論理といたしましては、遺憾ながらポツダム宣言を受諾し、すなわちソ連が入っておるポツダム宣言を受諾し、さらに極東理事会の裁判並びに日本管理を受諾し、そしてその東京裁判の中にソビエト判事を加えました以上は、これはもう集団的なものとして、個別戦争の概念から通り抜けてわれわれこの問題を理解す、べきだと私は考えております。
  55. 木村文男

    ○木村(文)委員 私はあなたに質問したのは、戦犯として取扱いされているか、またはそのほかのただ単なる捕虜といったものとして取り扱われているかということでなくて、捕虜としてまたは戦犯として、どういう条約によって取り扱われているかということのために、あなたがきのう日本の刑務所の待遇と、ソ連の、わが日本国のために抑留されているその戦犯の人たち待遇の差異について述べられたが、どういうふうにしてあなたはそれを刑務所と対照して考えたかということです。どういう方法によってやったかということです。私の調べによりますると、これは捕虜待遇に関する一九四九年八月十二日のジュネーブ条約によって、それは待遇しなければならないようになっているのです。あなたはこれをおわかりにならないで、いやしくも日本民族としての、ほんとうにわが民族のために犠牲になってソ連に抑留されている人たちを、日本の刑務所に収容されているいわば罪人と同じ比較をしてこの委員会において発言するということは、私は日本国民として、しかも、日本国民の代表たる国会議員としてのこれが言葉であるとするならば、相当考えなければならない点ではなかろうかという観点から、私はお尋ねしているのです。
  56. 穗積七郎

    穗積七郎君 われわれが今ここで問題にしているハバロフスクの八百六十九名は、ソビエト側はことごとくこれを捕虜としてでなく、戦犯として取り扱っております。その法的根拠、すなわち国際法上の根拠は、先ほど申し上げました通り。それに対して、日本における刑務所と向う抑留者と比較したことはどうかということですが、実は、われわれは破廉恥罪や凶悪なる犯罪を犯したのではなくて、当時は、実を言いますと、ここに大坪さんがおられますが、大坪さんは当時おつかまえになる立場におられたのですからよく御承知だが、われわれがっかまって調べられた結果、何にも根拠がない、治安維持法の拡大解釈によって不当につかまえたものである。しかもおつかまえになりました大坪さんその他の方は、お互いの知り合いであり、日本人同士です。しかも相手はどうかといえば、今言ったように戦犯として取り扱い、敵国関係——いまだ講和条約はできておりませんから、交戦状態にある相手国である。しかも皆さんの宣伝の言葉もあって、私は見る前のソビエトに対しては、多少とも暗い、陰惨な面があるのではないかというふうに推測しておった。ですから、同等どころか、われわれの方が、日本人でゆえなくしてつかまったわれわれの方が好遇を受けて、向うの方がもっと虐待されているぐらいに実は想像して見に行ったんです。それで私の感想を述べたのでございます。
  57. 木村文男

    ○木村(文)委員 それでは、あなたは一体ソ連のラーゲルというものはどう訳するか、言葉の問題ですが、まずそれをお聞きしたい。
  58. 穗積七郎

    穗積七郎君 僕はロシヤ語を知りませんから、何と訳するか知りませんが、われわれはハバロフスク収容所と日本語で理解いたしております。
  59. 木村文男

    ○木村(文)委員 これは日本語に翻訳すると、労働強制収容所ということになる。おわかりになりますか。そういたしますと、これは刑務所ではない。これではっきりする。これでもまだあなたが日本の刑務所の待遇向う待遇とを同一視して、そうして国家のために収容されているところの人たちに対して、待遇があれでけっこうである、こうお思いですか。
  60. 穗積七郎

    穗積七郎君 先ほど言いましたように、収容所の名称は存じませんが、入っている人は、向うはこれは全部戦犯だという話をわれわれにいたしましたし、そういうふうにわれわれも理解して参ったことでございますから、それをもってお答えは十分だと思います。
  61. 木村文男

    ○木村(文)委員 それはあなたとの見解の相違になるから、私は今の問題はあなたの良識に訴えて、国民的な反省を促しておきます。  第二番目に穗積代議士に一言お尋ねしますが、あなたはきのうこういうことをおっしゃっている。これはあと速記録ごらんになればわかると思う。それは、ソ連におけるブロック建築作業は、重労働ではないような発言をせられておる。私はこれは完全な重労働であると思う。戦犯に対して、今ほとんど日本人は建築作業に充てられておるわけです。これはほとんど重労働である。その証拠には、ソ連では重労働に対しては増食をさせている。つまり食糧を増しているわけです。はっきりと、このブロック建築の従事者は増食をされる部に入っておるわけです。それでもあなたは、ブロック建築に従事している者が、重労働に従事していないということの方にとりますか。
  62. 穗積七郎

    穗積七郎君 さっきのことでちょっと誤解があるといけませんから、最初にお断わりしておきます。ハバロフスク並びにイワノボにおける待遇が満足だなどとは、われわれは考えたこともありませんし、一ぺんも言ったことはございません。もとよりこれらの方々は戦争責任者ではなく、むしろ戦争責任者に権力をもって引き出された人々でございますから、戦争犠牲者であります。ですから、これらの人々の刑の当不当についても、また待遇のことについても、もとより——たといそれが戦争責任者であったといたしましても、われわれは人道的な立場から、これらの人たちの生活管理、生活状態についてはよりよきことを願っておるのであって、満足だなどということを一言も言ったこともないし、考えたこともございません。(「待遇がいいと言ったじゃないか」と呼ぶ者あり)そこでさっき言ったように、われわれがどういうわけで思ったよりいいと言ったかということについては、日本の牢獄の中では私語すら許されない、にもかかわらず、向うではグループ活動が許されたり、かってに話がされているから、案外自由な取扱いをしておるということで、実は最初にちょっとびっくりしたのだ、こういうことを言ったのであって、生活待遇も、たとえば寝床がどうであるとか、あるいはまた食事がどうであるとか、特に寝床と食事が問題でありますが、これらについて完全だとか満足だなどとは、一言も言っておらぬ。先ほどからあなたがおっしゃることも、三百グラムの米と、それから一回の黒パンのパン食と、その他の副食物、これらについてビタミン不足だということなのでしょうが、ビタミン不足だということについては、日赤留守家族方々に対しても、まことにお気の毒で報告に忍びないが、実はかくかくでビタミン不足で非常に困っておられる。ですから、これは私たちは誓って皆さんとともにドムニツキー氏にも陳情し、すでにイルクーツクにおいてはドーミン及びスーザ氏に陳情して参りました、これは今後とも実現するように努力いたしますと言って、より高き待遇というものを常に望んで努力して参っておりますから、誤解のないようにしていただきたい。それから建築労働が重労働であるかどうかということですが、重労働ということは程度問題でございますから、言葉の使いようが不適当であればいつでも修正いたしますけれども、私が言ったのはこういうことでございます。実はここに野澤さんも臼井さんもおられるが、モスクワにおきましても、その他の地区におきましても、建設作業は全部見せてもらった。これは完全なるブロック建築でありまして、日本のような建築とは全然違いまして、ブロックを工場で作ったものをセットで送ってくる。そうすると、二トン半のクレーンがモスクワ地区で六百七十台動いているといっていましたが、それを子供が積木をするようにどんどん見ている間にやっていく。そして八階建——住宅はほとんど八階建でございまして、ハバロフスクにおきましては、四階ないし五階だとわれわれは見て参りました。これらのモスクワにおける八階建の建築も、私の聞いたところにして間違いがなければ、数千平方メートルの建築を、労働者が三十五人ないし七十人でやっております。そうして期間はどれくらいかといえば、七十五日、驚くべきスピードなんです。あなたの党の久野さんに、この方は建築に関してはくろうとでありますし、私の同県の出身でもあるから、ささやいて聞いてみた。そうすると、これは驚くべき建築だ。八階建で二メートルないし二メートル半の地下工事しかしておりません。こういうことですから、労働の状態を見ておって専門家の久野さんに聞いてみたら、これは日本の建築労働と全然違うと言っている。もう一つは、ハバロフスクに参りまして今申しました通り、われわれが行く途中にブロック建築をやっておったので、これを同じように見た。それから、私ども報告は、きれいに粉飾したものをごまかされてきたとおっしゃいますが、そういうことがあるかもしれぬ。ないとは断言しないが、申しました通り、目で見ただけではございません。私ども報告したのは、すべて向うの方に監視人なき状態において自由に話をして、食事はどうですか、労働はどうですかと言って事情を聞いてみた。その結果、これはとてもつらくてかなわぬとはおっしゃいません。その陳情の中にも、そのことは一つも出ておりません。そうして老齢の者、病弱者は屋内労働にかえてもらいたいという陳情はございましたが、屋外の労働はどうですかと聞いたら、それはなれない仕手だから楽ではないが、何もたえられないというような重労働ではございません、こういうふうに報告している。それから帰って私は佐々木君に聞きましたが、ここでどういうことを証言しているか知らぬが、国内で自由な状態になった佐々木君からもこれを聞いておりましたから、あなたの考えておられる重労働という言葉の観念と、私が言っている重労働という言葉の観念と、少し観念の違いがあるかもしれぬが、そういうことでございますから、御了承いただきたいと思います。
  63. 原健三郎

    原委員長 大橋忠一君。
  64. 大橋忠一

    ○大橋(忠)委員 第一に、演出かどうかという問題であります。ロシヤ人は昔からそういうことをやる民族であるということを参考のために申しておきます。エカテリナ女帝のときに——エカテリナ女帝というのは、農民の待遇ということに非常な関心を持っておったのであります。従って農民をよくしようということを臣下に命令しておったそうであります。そのエカテリナ女帝が、急にこれから農村を見に行くという命令を出したそうであります。そうすると、時の総理大臣が、急に大工や左官に命じて、りっぱな家を作らせ、そうして役者を雇って全部農民に仕立てて、きれいな農村を作って、これが今日のロシヤの農村の状態でございますと言って見せたという有名な話があるのでありまして、そういう国民である。皇帝が非常に独裁的であると同様に、今のクレムリンも非常に独裁的である。そうしてそういうような演出をやる国民であります。従いまして、このハバロフスクが非常に演出されたものであるということは、この点からも容易に想像ができることだと思う。それから第二には、実は私はこの間舞鶴に参りまして桜井慶八という、私の知っている帰って来た人に会いました。そうして、君は一体どうして戦犯になったのかと言って聞いたのであります。そうすると桜井君が言うには、実はつかまって取り調べを受けて、十年の刑に処するというのである。そこで自分は、どういう理由で十年の刑になるのですかと抗議をした。そうすると、刑法五十八条によって——スパイをやった、それは国外においてであってもスパイをやったからである。しかもそのスパイをやることを幇助したのもいけない。刑法五十八条というのは、あらゆる場合を含んで逮捕し監禁することができるという、文明世界においてはほとんど類例のない、ひどい法律であります。私はスパイをやったことはない。しかし君は協和会におったじゃないか。おりました。スパイをやったんじゃないか。協和会という団体はスパイをやる団体である。いや、終戦直前はロシヤを刺激しちゃいかぬから、スパイ行為なんか絶対にやってはならないという命令を受けておった。いや、それでも協和会というものはスパイをやる団体だからだめだというので、全然審理も何もなしに、ついに十年の刑を言い渡されたということを私は聞いたのであります。私は戦犯というものが、大体英米の場合でもロシヤの場合でも、こういうばかなことはない、あり得ないのでありますが、しかし英米の方は、まだ不十分であっても、とにかく審理をして、あらゆる証拠を集め、証人を喚問して調べた上で有罪にしておるのであります。ロシヤにおけるやり方は、全然審理もしない。しかも刑法五十八条なんという、ほとんど文明世界において前例のない法律、おそらくこれは日本人を何らか将来利用するために、つかまえるためにわざわざ作った特別の法律じゃないか。そういうような経緯でもって、大体ほとんど無審理でもって刑を言い渡されておるのでありまして、かりに戦犯というものがありとしても、私は実にこのロシヤのやり方というものは乱暴きわまる。従ってそういう点についてあなた方向うへ行かれまして、お取り調べになったことがあるでありましょうか。またそういう点について、抗議を向うにされたことがあるでしょうか、どうでし、占うか。これをお伺いいたします。もう一つは、これは同じ桜井君に聞いたことですが、君は十年もおったんだから、ロシヤ語を覚えたろうと聞いたところが、一つも覚えてない。どういうわけだと言ったら、ロシヤ語をしゃべると、エスピオンの嫌疑を受けて、十年の年期が明けてもまた十年かけられるおそれがあるから、自分は覚えたかったが、ついに覚えずに帰った。これを聞いたときに、私は、抑留者の方はただ単に食糧が不足して、あるいは悪くて非常に困っておられるばかりじゃない、精神的にも常に戦々競々としてまことにみじめな状態であるということを発見したのであります、そういうような点について御調査になったでありまし、出うか。その点をつお伺いしたい。
  65. 野溝勝

    野溝参考人 大橋さんの御質問でございますけれども、帝政時代のロシヤの状態をるる御説明になってのお話でございますが、ツアーの時代、ロマノフの王朝、これは私もその当時のひどかったこともよく歴史書物を熟読して了承しております。しかし本の上だけ、文献の上だけで熟読したのであります。しかし今は、御承知の通り変っております。独裁政治であるという御指摘でありますが、私はこの点については、独裁政治であるとかないとかいうことについては、この問題が中心ではございませんので、論争を避けます。  次に、質問の要旨は、戦犯に対し乱暴の取調べをしておりはせぬかという御意見であります。それに対して調査をしたかという御意見でございますが、私は先ほど来申しました通り、特に二時間半にわたって抑留者方々とお会いをし、その間何かあったら話してくれということを申したのであります。その中にいろいろと意見がございましたが、先ほどお話し申したように、口頭では大堀君の刃傷事件だけの話を聞きました。あとは聞きませんでした。あとは今申したように、書面の点だけでございます。大体第二の問題についてもそれと関連しておりますから、この程度お答えができておるのじゃないかと私は思います。
  66. 野澤清人

    ○野澤委員 私は捕虜生活をした男ですが、引き揚げの委員会にはめったに顔出ししないので、今のお話を聞いておりますと、両方ともほんとうのことを言って、両方ともまた勘違いをしている部分がたくさんあると思うのです。それで、今後は努めて私この委員会に参りまして、正しく御理解を願う方が国民の利益じゃないかと思います。そこでたとえばソ連のブロック建築が重労働であるかないかという問題とか、ごまかされていやしないか、それから栄養が悪いとかいいとかいうようなお話ですが、三つ四つ私が聞いた話を解説を申し上げると同時に、参考人のお二人の方にも、ご一緒に参りました当時の状況から、はっきりしたことを申し上げたいと思うのです。第一に、栄養の問題ですが、栄養はわれわれが捕虜になった昭和二十年のときには、非常に悪うございました。二十一年から多少上向きになってきました。二十二年、二十三年と私おりましたが、当時の状況から判断しますと、環境と栄養というものは変化していくということを発見いたしました。つまり今皆さんお話を聞くと、ビタミンが足りないということを言うていますが、ソ連の栄養は、ビタミンが足りなくとも生きていける環境にあるということです。従って、日本人が捕まったばかり半年くらいの間は、ビタミン不足で栄養失調でやられます。二年、三年続けていると、ビタミンを補給できる間は年間二カ月くらい上かありませんけれども、それでもあの土地に耐えられるような体質に変ってきます。ヤーガタといって野イバラの実ですが、これがビタミンCの摂取植物でありまして、これ以外にビタミンを摂取する方法はない。けれども二年、三年目になると、それでけっこう生きていけるということです。ですから、単にビタミンだけを中心にして栄養の問題は論じられない。それからカロリーの点については、ソ連は科学の国だけあって、二千四百とか二千八百というカロリーはきちんと計算されております。ただ消化吸収可能のカロリーは、単に与えられた食物のカロリーと変っている。この点は皆さんがひどいことを報告すれば父兄の方が心配されますから、それで引揚者も遠慮してるんでしょうが、大体計算カロリーは二千四百カロリー以上にいってる。しかし不消化でとうてい吸収できないものも相当あるということであります。それから私のイワノボに行ったり、ハバロフスクに行ったりしました当時のことですが、野溝さんも、その当時いいじゃないかと言っていたのを、私は一緒に歩いていたのでよく知っています。しかしそれはその当日の給与がよかったという話であって、全般的にいいなどという判断は、おそらく野溝さんもしておらないと思うのです。この点は将官の収容所だけが、私が聞いた範囲では、米を十五日間支給してるということであります。十五日間米をもらっていますというのですから、日本人の給与としてはかなりいい程度の給与がされてると考えて差しつかえない。ただし量において少いから、おかゆにし九できないということであります。米をもらうということは、日本人は最上の給与と考えておる。あちらにおる人が、米が食えるから多少よくなりましたという答えをするのは当然だと思います。また米が食えるからいいじゃないかと、視察者の方も慰問の方もそう感じられたのですが、イワノボは見せる収容所ですから、大体あの程度の給与は当然だと思います。それとハバロフスクには私の部下がまだ十名残っております。戸叶里子さんが手紙を託されてきて、私もらっておりますが、この手紙を見ますというと、給与状況は昔と何ら変りありません。それから戦犯として判決を受けたのは、単に思想戦術で二十五年食ったとか、スパイ行為に協力しなかったので二十五年食ったとかいう知らせでありましたが、いずれにしても裁判は、ハバロフスクに行ってから判決をもらったという状況であります。それからハバロフスクが非常に給与がよかったという事柄でありますけれども、たびたび報告を受けていますように、大体見学者のあるときには、一括してかなりいい給与をしております。ただし、これは一カ月間のうちの総体の給与のうちから一日だけ飛び離れてよくするのですから、他の日でかたきをとられる。要するに他日においては穀物が減ってくる。キャベツばかり与えられる日もできてくる。こういうふうに御理解願えばよろしいので、これらのことを聞いて野溝さんたちが比較的栄養はよかったと言われることも、決して私は不自然じゃないと思う。しかし、それをもって全体を律するわけにもいかないと思う。この栄養の問題については、たとえば重労働なら増食を与えられるというが、これも皆さんのお理解の程度が変っておると思うのですが、五百人おると五百人分全体の給与の与えられたワクの中でやるので、重労働あるいはノルマを遂行した者には増食を与えるというときには、絶対量をふやしてきて増食をやるのじゃありません。五百人の人間の糧秣のうちから工夫をして、ハンを四百グラムとか五百グラムに上げる。従って三百グラムもらうべきパンが二百十グラムしかもらえない、こういう結果になってくるので、要するに捕虜自体がお互いに相はむという状況が、捕虜の給与状況であります。この点も、重労働だから増食をもらった、ハラショー・ラボーだというので、よく働いたからといって増食をもらったということにはならないわけであります。初め私たちもそういうつもりでおったのですが、結果において私は二カ所やりましたから、全部給与を調べてみました。結局、日本人の糧食は、日本人同士がかすめとっている形だ、こういうことで、この栄養と糧秣の問題については、少くとも私が三年間いた間の事実とすれば、これが間違いない解説だと存じます。  それとソ連のブロック建築が重労働かどうかということでありますが、今回の訪ソ議員団が見てきました地域というものは、私自分の著書にも書きましたけれども、全体を通じて強制労働者というものの影を二十一日間一回も見なかったということであります。これは政府がおそらく計画してやったのだと思いますが、捕虜ばかりでなしに、刑務所に働く人がなければならぬ。ところが道すがら全然これらの人人に接しなかったということは、今度の視察はそれ自体が相当計画を立てて、綿密なブランのもとに見させたと見て間違いない。同時に、先ほどお話がありましたように、モスクワのブロック建築あるいはレニングラードのブロック建築というものは、あながち重労働とは言えないと思うのです。ただし捕虜のやられましたブロック建築というのは、一つが二キロないし四キロのブロックを、シラック・ベトンと言って、炭がらとセメントと砂を鋳型に入れて、たたいてブロックを作っていくわけです。この仕事は全くの重労働であります。従って一日に一人が八十個作る、百十個作るといって、ノルマを与えられてやられて参りますと、相当の体力の者でも、木のつちでたたきながら一つの型に入れてたたき上げるわけでありますし、セメントの硬化する時間を考えて相当固くたたいたものをブロックとして作っていき、それを積み上げていく仕事でありますから、重労働と解釈して間違いありません。またこの方の仕事は、実際に管理部でも重労働として扱われております。ただ現在のクレーンでやっておりますああいう起重機を使う建築は全然別個のものであると考えておりますので、この点も誤解のないようにしていただきたいと存じます。  それから、ごまかされてきたのじゃないかというようなお話がありましたが、多分にそういう面もあると思います。従って今度の各誌ソ議員団ごらんになりましたときに、これは野溝団長と手をつなぎ合って一緒に歩きましたけれども、野澤君どうです、すばらしいじゃないかと言われたときは、一一まぜっ返す必要がないから、全くですよと私も同感して参りました。しかしそれは、現実のその日のできごとであります。決して私は全体がそれでよろしいという感じでは絶対におりません。従って、こういうことならば、ごまかされたかごまかされないかは、その人の良識に待つよりほかにないと思うのであります。これをさらに追及して、あれはごまかされたのだ、これはごまかされないのだというふうにしゃくし定規で計算はできないと思うので、参考人お二人が一生懸命述べておることも真理、またこれを他の面から突っついておることも真理だと思うのです。しかし正しく国会が審議していく以上は、こういう捕虜生活の問題についてどうしても疑義が起きた、議論が対立したというときには、私を呼んでいただけば、一つ解説いたしますから、こういう問題よりも本質的な捕虜の問題というものをよく考えてもらいたい。先ほどのお話によりますと、国際法で処断された、あるいは戦犯として扱われているとか言いますけれども、現在ハバロフスクに収容されている人たちは、われわれの仲間では、ヨーボネ・グループといわれております。つまり天皇制を支持する人たち、軍国主義に徹した人たち、団体規制に服しない人たち、こういう人たちが現在大体残されておりまして、私の部下の連中でも、ほとんど大半があちらで、たとえば日本建設党綱領を書いたかどで二十五年食ったとかいうさむらいばかりです。そういう人たちが現在抑留されておりますので、これらを法に照して、全くの戦犯であると断定することも早計であると思います。それからクレムリンに参りましたとき、もう一つ向うの赤十字に参りましたときに、先方がはっきり申されたのは、戦犯というのは不自然じゃないかという話をしたところが、あれはソ連の刑法によって処断したんだ、こういうことをはっきり言っておりました。必ずしも国際法上の戦犯だということは言っておらないのであります。こういう点から、日本人が勝手に解釈して、お互いに論議されることは勝手でありますけれども、少くとも現在抑留されている人たちというものは、ほんとうに罪過を指摘されて二十五年の刑を食った者はきわめて少いということです。その将校なり兵隊なりの性格を私はよく知っております。たとえば、かつて特務機関に働いておった、これだけでもって二十五年食ったり、またハルピンで憲兵隊に働いておってソ連のスパイをつかまえてちょうど憲兵隊に入ろうとするところを、つえの中に仕込んだ写真機で写真をとられた、その首実験をされたという事柄だけで、二十五年食っている、こういう者もたくさんおるわけですから、必ずしも戦争犯罪人という名前が適切かどうかということも疑問があると思います。しかし要は、皆さん自身が一日も早くこれらを帰したいという熱意で御議論されているのですから、その内容については全く間違った方向に行かないように、一つ十分御検討してもらいたいと思うのです。  それから先ほど大橋先生からお話がありましたロシヤ語を習ったならばというお話ですが、これはせっかくの大橋先生のお話ですが一つの杞憂じゃないか、私もあちらへ行ってからロシヤ語を覚えて、今度もあちらでロシヤ語もかなり使いましたが、ロシヤ語ができるからといって戦犯にすることはないのです。たまたま通訳をやった者がスパイの嫌疑を受けたという事実はありますけれども、こういうことも正しくお互いに認識することが必要じゃないか、こういう感じがいたします。決して社会党に買収されたわけではありません。これははっきり申し上げておきます。  なおハバロフスクの事柄ですが、このハバロフスクの給与の状況は、手紙によりますと、何ら変りないということです。それから先ほど野溝参考人は、清掃するのは当りまえじゃないかということでありますが、大体収容所におりますと、コミッサリーとかあるいは管理局長が来るとかいうときには、三日ぐらい前からわかってくるのです。まあ掃除をやかましく言ったり、墓場の掃除を仰せつかったり、れんが積みをさせられたり、壁塗りをさせられます。そうすると、だれかえらいやつが来るのだなという想像は必ずつくわけです。これは帰還した人がひとしくそういう証言をしていると思うのですが、今度のハバロフスク行きにしましても、イワノボ行きにしましても、イワノボでは、朝のうちに大体皆さんおいでになることがわかっておりましたということをはっきり言っております。要するに掃除や整備の状況で大体の見当がつく、食糧の上り工合で見当がつくというのが常識であります。従って、たまたま日本の国会議員は一番いい条件のところを見せられて帰ってきて、それをありのままにおそらく報告したのだと思いますが、これをもって全体を律することはむずかしいのです。従ってきょういろいろと論争されておるようですが、間違った点も多語るということそれ一からまた間違った認識の上に報告し過ぎてしまっておる。今つるし上げられておる状況も私によくわかります。これは虚心たんかいに、日本人同士であるという建前から十分やっていただきたい。  なお、ロシヤ語でラーゲルというのは強制労働収容所だと、うことがありましたが、あちらの強制労働収容所というのは、もう一つチェルマという言葉があります。チェルマというのは、ロシヤ人が入る刑務所であります。それは重労働を課せられておるということは聞違いありません。ただし、捕虜規定というものには、兵隊は労働に従事しなければならないが、将校は従事する労働の選択の自由を有するという法律ができております。そういう理由で、私はちょうど二十三年の四月二十九日からまる半年間、労働忌避をいたしました。ピストルを向けられ、劔を突きつけられましたが、半年間まるで労働をしなかった。そういう実証からみると、あなが軍規定を作ったロシヤ人が踏みにじるほど残酷じゃない、日本人がおせじを使って労働をしたがるから、追い込められて栄養失調にもなるのです。こういうことから考えると、栄養の状況は、命を保つだけの最小限度の糧秣だけは与えられておる。たまたま急激な環境の変化があれば死ぬことはありますが、二年目以降あまり死人が出ないのは、そうした環境による栄養の偏向といいますか、体質の変更といいますか、そういうことで命が保てる、こういうことでありまして、現在栄養失調の患者や胃腸の悪い患者がたくさんあると聞いておりますが、全くその通りだと思います。こういうことから考えれば、一日も早く帰してやらなければならぬと思うので、誤まった認識のもとに議論されることは、現在処刑を受けておる人がまことに気の毒であります。なるべく正しい議論をして、早く帰していただくように御要望申し上げたいと思います。野溝さんにも、わざわざ技術的だとか、情誼的だとか、人間内だとかいうような言葉のあやを使われないで、間違ったら間違ったでけっこうだと思いますから、どうかそういう意味で率直にお答えを願いたいと思います。
  67. 野溝勝

    野溝参考人 長々と御意見を拝聴いたしまして、ただ最後に認識の点について、私に対する御質問があったようでございますが、先ほど申した通り抑留者問題は、各党各派一致した意見でございます。でありますから、抑留者の問題につきましては、虚心たんかいに早く釈放したいという念で一ぱいでございます。その間に対する認識の違い、ただいまの問題につきまして一は、十分私ども反省したいと思います。
  68. 木村文男

    ○木村(文)委員 それでは、ごく簡潔に最後の締めくくりをいたしたいと思います。  第一に、野溝参考人にお聞きしたい。たくさんの同僚議員から同じようなことを質問されたということになるかもしれませんが、二日間にわたる参考人として、またがっては団長として、しかもまだ国会議員団として解散をしていない、その団長の職にあるあなたに私は要約してお尋ねを申し上げたい。その第一点は、今、本委員会において、昨日から重大な問題になっているところの、あなたが託されて参りました文書を正式に発表したかしないかということ、これが問題の中心なんです。そこでこの書類を公的なものと思うか、また私的なものと思うかという一点をまずお伺いしたい。
  69. 野溝勝

    野溝参考人 これは昨日も申し上げましたが、われわれも抑留者方々にお会いした際に、大体意見を集約いたしまして坂間さんから意見並びに質問を含んでの開陳があったのでございます。私はそれを一番公けのものと見ております。それに対して責任を負うことは当然であるし、またその点に対しては明らかに回答してきました。しかし書面の取扱い等の点につきましては、ソ同盟訪問議員団、抑留所訪問議員団を中心に考えておるものと思いまして、この書類をさように扱いました。そこで私は報道機関を通してこれを知らしめることが最も早道ではないか、かように考えましたので、さような処置をとったのでございますが、新聞記者の取材の関係におきまして、それが発表されなかったことについては、遺憾の点もあると思います。しかし、その他の方法をもってもっと徹底的になぜしなかったかという点については、もちろん、さような点については欠けるところが私はないとは申しません。その点につきましては、私どもはいつでも改むるにはばかることはないのでございます。虚心たんかいでございます。
  70. 木村文男

    ○木村(文)委員 私が今あなたにお尋ねしたのは、託された文書を公的なものと思ったか、それとも私的なものと思ったかということです。
  71. 野溝勝

    野溝参考人 それは、訪ソ議員団、特に抑留所を訪問した議員団を中心に考えておりますので、さようなことに関しては私ども責任だ、かように考えております。
  72. 臼井莊一

    臼井委員 今のこの手紙が公的か私的かということですが、当然これは団長の個人としての野溝さんに託したのでなくて、日本国民、代議士、これらに伝えてくれという公的なものだと思う。これは私が野溝さんの確言を得なくても、当然あなたはお認めになると思う。それを一般に発表したとあなたはおっしゃる。あなたの強くおっしゃるのは、羽田において新聞記者に公開したが、新聞社の人が取材しなかったのだということだけれども、そういうお答えは、私はそう言っては失礼かもしれないけれどもあとになっての弁解にすぎないと思う。あんなにごちゃごちゃしておるときに、並べておいても取材できないような発表の仕方は、こういう公的な書簡を取り扱う上において、いやしくも政治家のあなたとしては、手落ちが十分あったのではないか、この点をあなたはお認めになるかどうか、伺っておきます。
  73. 野溝勝

    野溝参考人 それは、先ほどからもう何回も申し上げました通り、私はさようなことがよいと信じたのでございますが、さようなことはかえって欠けるところがあるという御指摘でございますから、その点については、私ども反省しております。こう申したのであります。
  74. 木村文男

    ○木村(文)委員 私が先ほど質問したのは、また同僚の臼井君が私の質問に関連して重ねて質問しておるのは、どこを言うておるかというと、あなたはこれを公的なものとして取り扱ったか私的なものとして取り扱ったかという見解なのです。これをまず一つ明らかにしなさい。
  75. 野溝勝

    野溝参考人 もちろん、訪ソ議員団、特にハバロフスクに参りました議員団責任考えてやりました。
  76. 木村文男

    ○木村(文)委員 それでは、結論としては、公的であるということをあなたはお認めになったわけですね。
  77. 野溝勝

    野溝参考人 木村さん、その点に対しては、虚心坦懐でありまして、深くものを突き場詰めてこれを考えておれば、かような誤解も生まなかったと思います。ですからこれは議員団にあてられたものと考えております。
  78. 木村文男

    ○木村(文)委員 その点は、あなたが深くこれを考えなかったという取扱い自体が、きのう私が昭和三十年十二月十五日に本委員会において佐々木参考人の陳述をいたしました五ページから朗読いたしましたこの内容を見ても、すべて民族としての血の吐くような叫びです。これは国民全部に伝えてもらいたいということが、一つ一つ上げられている。その文書をあなたに託したことを、あなたはきのう認めている。その血の叫びであることは、私は日本人でありますからわかる。あなたはこうおっしゃっている。それを認めていながら、公的でないような口吻をもって言うようなことは、これは政治家はきのう申し上げたように、明らかに託されたものが公的なものであるならあるということをはっきり認めるだけの雅量がなくて、あなたはこの議場に出て来られますか。私ははなはだあなたの信義の点を疑う。そこで、私はあなたにこういうことをお尋ねしたい。この託された文書で、先ほどもあなたは答弁していないのが一つある。何があるかというと、日本代議士殿というこの文書がある。それをあなたが託されてきましたと先ほど答弁している。答弁していながら、それをどこに保管しているか。われわれは提出を要求したけれども、提出された文書の中にはない。当委員会が、委員長の名によってあなた方に文書提出を要求した。その中にはこれがない。そこでこの日本代議士殿とあてたものは、その文書の保管はどこにしているかということを、私はあなたの信義の点を疑うために、特にこれを明らかにしてもらいたいと思う。
  79. 野溝勝

    野溝参考人 私も昨日来申し上げております。通り文書にいたしましても、委託されたすべてのものに対しましては、大事に丁重に扱うことに対して、私は努力したつもりでございます。しかしその努力の至らぬ点については、先ほど来、反省しておるということを申したのであります。  次にもう一つの問題は、文書取扱いの問題ですが、この問題については、昨日申したのであります。これは預かってはおきましたが、その問いろいろ大ぜいの人が来ましたので、この文書の公開をいたしました。その文書の中には、あるいはなくなったのもないとは限らぬと思います。しかし大事にしたつもりでありますが、大ぜいの人に公開いたしましたので、紛失といいましょうか、なくなったものがあるかと思います。あるいはそういう書面を、たとえば借りていって意識的に返さなかったという人も、私はありはせぬかと思うのでございます。
  80. 木村文男

    ○木村(文)委員 そこで、あなたは今なくしたとおっしゃった。日本代議士殿と書いてあるとすれば、これは訪ソ議員団だけにあてた文書と私どもはとることはできない。日本代議士殿ですよ。しかもこの文書の内容は、もちろん代議士全部にあてた内容なんだ。それをあなたが軽率にもなくしたというようなことで、ここの場を逃れようとすることは、団長としての責任を果したと言えるか。
  81. 野溝勝

    野溝参考人 私はなくしたということを申したのではございません。そうしたこともないとは限らないということを申し上げたのでございます。  それから代議士殿といいましても、大体向うでは全部代議士の名を覚えておるわけではないのであります。それだから、その中には、そういう代議士殿とあっても、それは、訪ハ議員を中心に考え、全部に示さなければならぬというものでもないものもあると思いました。
  82. 臼井莊一

    臼井委員 野溝さんの先ほどのお話によると、やはり私は誠意がぽんとに認められないのです。なぜかと申し上げると、日本代議士殿というあてではあるが、それは何も代議士全部じゃなくてハバロフスクに行った者に伝えたらいいとはおっしゃらぬけれども、そういうような非常に軽くお考えになっているのじゃないかと思うのですが、これはいやしくも日本代議士殿といい、しかもその内容においても、日本国民の朝野にお伝え下さいという言葉を書いてありまして、これをそう突き詰めて考えなかったということは、私はあなたの誠意を認めたいと思うのですが、遺憾ながら認めるわけにはいかなくなるのです。しかし反省している、昨日も手続上の手違いとか、至らなかったことを認めるとかおっしゃっているので、それを反省されているとおっしゃるからには、自分もこの点においては申しわけなかった、こういうお気持があるのかどうか。その点を伺いたい。
  83. 野溝勝

    野溝参考人 軽く扱ったという考えは毛頭ございません。ただその間、たとえば訪問された代議士の方々にというような御意見もありましたしするものですから、私はそれを中心に考えたわけなんです。でございますから、そういう点にもっと徹底した方がよかったという点についての大村さんの御注意は、十分私は考えております。
  84. 臼井莊一

    臼井委員 あなたがそういうやり方の至らぬ点があつで考えておられる、反省されているということであれば、それ以上言うことも私はいかがかと思います。ただ何か言いのがれているように思われるのは、訪問の代議士とおっしゃるけれども、一緒においでになった戸叶さんだって、この文書をよく見ていないと思う。おそらく知っていないですよ。そう言うと極端かもしれないけれども団長幹事の方と秘書の方は知っているかもしれぬけれども、おそらく訪ソの、あちらへ行かなかった団員はもとより、先ほど稻葉さんのおっしゃったように、これにも当然御報告があってしかるべきだと思う。それどころじゃない。行った方八名の代議士もみな知っているということじゃない。行った方八名がこれを広げて、この文書をどうしようといって、大衆討議をしたとは考えられない。一体民主主義をもって大いにやられようとする社会党の方にして、こういう非民主的な取扱いをすることに大きな疑問を持つ。どうしてそういう疑問を持つかというと、先ほど穗積さん自体が、日赤において発表したその考え方において、社会党だから、こういう内容で不利だと思って発表しなかったと言われてはいかぬから、日赤において発表したということをはっきり言っているじゃないか。そこまで考えられるならば、なぜもっと国民大衆にこれをお話えにならなかったかということをわれわれは問いたい。一体団長であられても、独裁者の団長おいでになったのではない。少くとも行った団員には、みな、こういう手紙が来ている、これをいかにすべきかと諮って、それはわれわれが知っているだけでいいじゃないかというならそれも方法だ、一般国民に知らすべきだというならそれも方法だが、そういう方法をやっておられないんです。その点については、手続上手違いがあったとか、技術上間違ったということをお認めのようでありまするから、私はそう悪いようには解したくないのですが、戸叶さんの昨年の当委員会における発言会議録を読み上げてもいいがこの手紙というものを知らない。そのような扱い方であって、しかも穗積さん自体が、こういうことを発表しなければ社会党のために不利だから発表しなかったのだと思われるといけないので、日赤において発表したというような、語るに落ちたようなことをおっしゃる。せっかくのこの血の出るような愛国的な熱情が国民に伝わらないというところを、非常に私たちは遺憾に思うのでありまして、その点でもっと深く突っ込んで、率直に、申しわけなかったということであるならば、われわれとしてもそこまで故意にやられたというようには推測したくないのですが、まあいろいろお忙しかった点もありましょうし、そういう点はわれわれも考えておりますが、どうもこの手紙の取扱い方というものは、非常に非民一主的であり、単に上の幹部の二、三の方だけにとどめられたのではないかというふうに疑わざるを得ないのが実情で、そこでただすのですが、この点いかがですか。
  85. 野溝勝

    野溝参考人 先はほど臼井さんは御理解を願ったと思うのですが、もし欠くるところがあったというならば、十分注意すると申したことについて、了解をしたというお話があったのでございまして、私はそういう考え方でおります。
  86. 原健三郎

    原委員長 他に質疑はありませんか。質疑がなければ、参考人よりの事情聴取を終ります。  野溝参考人及び穗積君には、二日間にわたり、御多忙中御出席を願い、本委員会調査の上に大へん参考になりまして、委員長より厚く御礼を申し上げます。  これにて本日は散会いたします。次会は公報をもってお知らせいたします。    午後五時二分散会