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内田政府委員 ただいま
古屋委員の御
質問の第一点は、こういうふうにわずか数名の問題について、そういった騒動を起すようなことまでなぜやったか、こういうのが
質問の
一つの点じゃないかと
思います。率直に申し上げまして、
古屋委員からあの当時五名の名前をわれわれの
岸本次官にお
申し出があったことは、当時私
どもは直ちに
承知いたしました。それと前後いたしまして、われわれ自身の
浜松の分室長からも、その五名及び以外の五名、計約十名だったと
思いますが、今回の
台湾送還を拒否しておる者がある、そして目下これらに対して極力説得中である、こういう報告を受けたのでございます。それで、われわれ自身といたしましても、その間の
一つの施行の過程におきましては、こういうような者はこの際残そうということも一時
考えたことは否定いたしません。しかし、われわれは、その間に直ちに調査を十分にいたさせまして、どういういきさつであるか、どういう理由であるか、その根拠というようなことを
調べさせましたところが、これは先般も御答弁申し上げたと存じますが、二名の者はその後説得によって
意思を翻して
台湾に帰るということになりましたので、これを除きまして、残りの八名のうち、一名が、積極的に、
自分は
中国本土に
帰りたいのである、一名は香港に行きたいのだということで、それについては十分な根拠があるとわれわれも認めましたので、この二名は除きました。他の二名の中の一人は、まだ
日本においてやりたいことがあるから置いてくれ、今度
台湾に帰すのはやめてもらいたいという理由でございました。他の一名は病気で、
自分はもう少し療養したいから置いてもらいたいというようなことでございました。それか他の四名につきましては、これは頭から、お前たちに対して理由なんか言う必要はないのだ、
自分たちはどうしても今度帰るのはいやなんだ、こういうような説明であったのでございます。もっとも、私
どもは、別途に、ことに
古屋委員が問題にせられておると思われます
人々は、あるいは
東京華僑総会等に
自分は
中共に
帰りたいのだという手紙などを出しておったかもしれないと思っております。しかし、先般も申し上げましたように、これらの
人々はいずれも、一たび、
興安丸が本年の二月に出ますときに、われわれが、
中共へお
帰りになるならどうぞお
帰り下さいということを申しまして、そのために仮放免もいたし、また
帰国のための
日本政府からの手当も出してやった、それにもかかわらず逃亡した
人々なのでございます。われわれといたしましては、そこまで
日本政府として手を尽したものが、今度は
台湾の
送還になりますと、その直前になって
自分はいやだと言い出す。この前も申し上げましたように、九月二日にすでに
台湾送還のことはさまっておったのでございますから、その間に適時に適当な
方法に従ってわれわれの方に
意思表示をしていただけましたならば、あるいはまた
考えようもあったかもしれぬと存じますが、何分こも十一月四日の出港を目前に控えまして、その直前、十月三十一日でしたか、十一月の一日かに至りまして、初めてわれわれのところに、
自分たちは
台湾へ帰るのはいやだ、こういうような
申し出をしたわけなのでございます。従いまして、われわれとしましては、調査の結果、この
人々はいよいよ出るときになると因縁をつけて残ろうとする
連中である、こういうふうに認定いたしまして、
強制送還をいたしたのでございまして、決して、
中共に帰る
意思がある、またそれが理由があると認定したにもかかわらず無理に
台湾へ帰したというのではないわけなんでございます。それで、先般も御説明申し上げましたように、われわれといたしましては、
本人の
意思を十分尊重するということを現に
実行いたして参っております。しかし、その
意思というのは、やはり適当な時期に適当な
方法で発表されたものに基いてわれわれとしては行動せざるを得ないのでございまして、船が出る直前になって、
自分は
意思を変えたというようなことを言われて、そのつどそれをまた残すというようなことをやっておりましては、いわば切りのない話でございますし、また
相当なる国費を使ってやりますことにつきまして、そういう
本人のわがままを聞いてはいられない、そこにはおのずから
本人の
意思の尊重ということには限度があるという
考えでおります。それで、先般も
相当考えましたのですが、こういう悪い先例を残して、
本人がそのときになってぐずぐず言うたびに
強制送還の実施ができないということになっては、やはり行政事務として妥当でないと
考えまして、やったわけでございます。
〔
高橋委員長退席、福井(盛)
委員長代理着席〕