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内田政府委員 ただいまの
刑事局長のお話を補足してちょっと御説明申し上げます。
終戦後占領軍が
日本の実際の実権を握っておりました時代、つまり昭和二十七年の四月までの間、これは
韓国側もこの入管令を
——占領軍は文字
通り入管令に従って
処置して参りまして、体刑一年以上の刑を受けましたような者はどんどん
大村収容所に送りまして、そうしてまたそれを
向うへ
送還いたしたのでございますが、
韓国側も何にも文句を言わずにそれを受け取ったのでございます。ところが、講和
条約が発効いたしますと、がぜん
向う側の態度が変って参りまして、そういう戦前からおる者については居住権があるんだというような理由で
引き取りを拒んでいたのでございます。その間に時間的なずれがございました
関係で、昭和二十七年度内にはそういったただ一ぺん懲役一年以上の刑を受けたにすぎないような者がかなり
大村収容所に
収容された事実がございます。それで、その問題がずっと懸案になっておりまして、昨年暮れから、先ほど
三田村
委員からもお話がございましたが、
収容があまりにも長期にわたるということ
自体が
一つの
人権の問題でもございますし、また、われわれ自身が、その後にそうした
実情にかんがみまして、
退去処分に付します者との均衡などを
考えまして均衡を失しておるというようなこともございまして、かたがた去年の暮れから漸次これらの者を
釈放して参りました。しかしながら、その結果は、現在まで十分には判明いたしておりませんが、はなはだおもしろくない結果が出ておるようでございます。つまり、相当の部分の人が再び
犯罪を犯したというようなことによって逮捕、裁判を受けておるというようなことを聞いております。それから、先ほど申したことでありますが、実際
刑務所から送られて参ります者の数は非常に多いのでございますが、この管理令から見ますとこれはもっとも、管理令も義務づけておるわけではないのでありまして、
退去処分することができるとなっておりますが、それを非常にしぼりまして、先ほど申しましたように、非常に凶悪な
犯罪者か、あるいは
犯罪常習者と認められるような者のみを
退去処分いたしておりまして、そのほかの者は在留許可にいたしております。遺憾ながらこれも相当そういう者はまたやがてわれわれのところに回ってくるという例が少くございません。
なお、保護処分の問題でございますが、私もこの点よく存じませんが、
刑務所から直接出たその直後は、半年か何か保護処分の保護の線に乗るのでございますが、一度われわれの方の
大村の
収容所に入りまして、そこで半年以上経過したような者はその線に乗らないのでございます。現在におきましては、
大村収容所から仮放免の者を保護する法的な機構ないしは施設は実際上存在していないという
実情でございまして、先般、先ほど申しましたような二百数十名を出しましたときも、特別
措置といたしまして、保護に堪能な
朝鮮人などに頼んでいろいろやりましたのですが、これは法的な
根拠を持ったものではなくして、実際上の
措置としてわれわれとしてやったわけでございます。