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公述人(大内力君) 私、大内でございます。私、大学の方では
財政学と農業問題を研究しております。今日はそういう研究者としての立場から、今
年度の
予算全体についての多少の問題というようなことと、それから特に農林
関係の
予算というものについて一、二の問題というようなことを申し上げまして、御
参考に供したいと思っております。
そこでまず、今
年度の
予算全体についての問題というものを
考えます場合に、われわれといたしまして第一に問題にしなければならないと思いますのは、御承知の通り今年の
予算というものが
衆議院で
修正を受けたのであります。この
修正そのものがわれわれ
国民の立場から申しますと、はなはだ納得のいかない
修正になっているのであります。こういう点をまず問題にする必要があると思うのであります。その納得いかないという点は、実は二つ
内容があるのであります。
一つは少くとも新聞その他の報ずるところによりますならば、この
予算の
修正というものが国会の
委員会なり、本会議なりの討議を経て、その場で
修正されたというよりは、むしろいわば舞台裏の交渉ないし折衝というものによって
修正を受けたというふうに
国民には少くとも印象つけられるのであります。こういう点はやはりいろいろ問題があるのではないかと思うのであります。本来の民主主義の精神から申しますならば、国会の論議を通じて
国民に問題点を周知せしめるということが必要かと思うのであります。それが国会の外でいろいろと
修正が行われるというようなことは、やはり民主主義の建前から申しますと望ましいこととは言えないのであります。かりに国会で論議をしていれば
予算の成立がおくれるというようなことがあるかもしれません、しかし
予算の成立が一月や二月おくれるということよりは、むしろ民主主義の精神を貫くということの方が重要ではなかろうか、こういう点にわれわれとしては納得のいかないものを感ずる、こういうことをまず第一に申し上げたいのであります。それから第二に納得のいかないと申しますのは、御承知の通り今度の
修正の幅というものは、二百十五億という幅を持っておりまして、この二百十五億という金額は少くとも新聞の伝えるところによれば、
自由党の
修正要求四百三十億というものを半分に割った、こういうものであると言われております。この
修正要求を半分に割るというようなことは、少くとも
財政の上から申しますならば、何の根拠もない割り方だといっていいのであります。そういう
意味で
財政の方から申しますならば、今年の増額
予算、二百十五億の増額というものは全く無
意味な根拠のないような増額になっているものである、そういう点にもわれわれとしてはどうしても納得いかない、こういう点が残されておるのではないか、そのことをまず第一の点として申し上げたいのであります。
それから第二に、この
予算全体を通じて持つ問題点というものを
考えますと、ここには非常に多くの問題点があるのではないかと、こう思うのでありますが、全部を尽すわけにはとうてい参りませんから、特に重要と
考えられる点を一、二申し上げてみたいと思うのであります。まず、第一に問題になりますことは、今年の
予算というものは、
政府の初めの言い分によりますと、いわゆる
地固め予算である、その
地固め予算の第二
年度である、そういう
意味で今年の
予算も昨年の
方針を踏襲して一兆円のワクを堅持しなければならぬ、こういうことを言っていたわけであります。そして結果から見ますと、確かに
一般会計の
歳入だけを
考えますと、
政府の
原案では九千九百九十六億円、また
衆議院の
修正案では九千九百十四億円ということになりますから、一応一兆円の
予算のワクの中にはまっておる、こういうふうに見えるわけであります。しかし、
あとで多少数字的に申し上げますように、一兆円のワクの中にはまっておると申し上げますのは、単なる計算上の操作としてそうなっているというだけでありまして、いわば形式的なからくりというのですか、そういうことでそうなっているというだけのことでございまして、実質的に申しますと、一兆円の
予算という線は全然守られていないというふうに
考えるほかないのであります。しかも、こういうような、ある
意味では無理をした
予算という形になっているわけでありますが、それにもかかわらず、あるいはそれにもかかわらずと申しますよりも、むしろそのゆえにと言った方がいいのかもしれませんけれ
ども、
予算全体が非常に無理をして組み立てられている。そしてこの
予算はおそらく今後長い期間を経ないうちに相当大きな破綻を来たすのではないかと、こういうことが心配されるような
予算になっておると思うのであります。この点も後にもう少し立ち入って申し上げたいと思いますが、そう前に
考えておきたいことは、こういうはなはだふできな
予算になったということはどういうわけかということであります。それはいろいろの
修正が
あとから加えられて、そのために
予算が非常に無理をしなければならなくなった、こういうことも確かにあるのでありますけれ
ども、しかし翻って
考えますと、むしろそもそもこの一兆円の
予算を組むということ自体が実現性のない無理なものであったのではないか、こういう無理なものを押して一兆円の
予算というものを組もうとしたために、いろいろ形式的のからくりをして、あるいは
あとで申し上げますが、はなはだ弾力性のない
予算というものができざるを得なかった、こういうことになっておるのではないか、こういうふうに私は
考えるのであります。しかも、一兆円
予算なるものが実現性がないということは、必ずしも一兆円以内で
予算を組むことが本来不可能だ、あるいはそういう
予算を組もうとすることが本来不合理だ、こういう
意味で申し上げておるわけではないのであります。いわんやこの一兆円
予算というもののもう
一つ基礎にある、いわゆるデフレ
政策というものによりまして、
日本の産業の
合理化を促進する、そして
日本の
経済の対外的の競争力を強めようとする、こういう
考え方が不必要だとか、あるいは不合理だとか、そういうことを私は申し上げようと思うわけではないのであります。ただ私の申し上げたいことは、こういう
日本の産業を
合理化し、
日本の対外的の
経済力というものを強める、こういうような
日本の
経済にとりましては最大の問題というものを解決するために、単に
財政の規模を圧縮するとか、あるいは金融を引き締めるとか、こういうような
政策だけではとうてい達成できないのではないか、こういう手段だけでは、本来問題を解決できないのであって、むしろ
日本の
経済全体についてより総合的な
計画性というものを持たせ、より強い統制力というものを加えることによって初めてなし得ることでないかというふうに私は
考えるのであります。ところが、その点が非常にあいまいのままで残されておりまして、そういうより基本的な手を打たないでおいて、ただ
財政とか金融というものを
一つの手段として
日本の
経済の
合理化をやろうとする、こういう
考え方になっておりますために、かえってそのことから生ずるさまざまの混乱、社会的な混乱というものが、
財政の方にはね返って参りまして、そして
財政の膨張というものを不可避にしてしまう、こういうふうな矛盾が現われてきておるのではないかというふうに思われるのであります。これはたとえば
一つの例を申し上げますならば、今年の
予算におきましては御承知の通り、一方では失業対策の増大、あるいは住宅の建設とか、あるいは
減税とか、そういう形でいろいろ社会
政策的のものを盛り込もうとする意図は一応認められるわけであります。しかし、そういう失業なり、あるいは中小企業者の困窮なり、あるいは一般の小市民の
生活の困窮というようなものがよって来たるところはどこにあるかと申しますならば、それは
一つの
日本の
経済の
合理化に伴う出血だという性質をある程度は持っておると思うのであります。そこで、問題は、むしろ根本的にそれを解決しようといたしますならば、強い
計画性を持たせて、そういう失業人口があらかじめ出ないようにする、あるいは就業を
拡大するというような
政策を一方でとるということが必要であるにもかかわらず、そういうことが十分に行われないままに、デフレ
政策というものが遂行されますと、結局そこから出て来る失業問題を解決するために、さらに
予算が膨張せざるを得ない、こういう形になっていって、結局一兆円の
予算というものが維持できなくなる。その維持できないものを形式的に維持しようというところに今年の
予算のいろいろむずかしい問題が出てきている根本的な原因がある、こういうふうに思われるのであります。その点をやはりはっきりさせるということが今年の
予算にとっての大きな問題ではないか、こういうふうに私は思うのであります。
そこで、今度は第二番目にもう少し具体的な問題といたしまして、今年の
予算ではそれではどういう点に無理があるか、こういうことを
考えてみたいのであります。これにつきましても幾つかの問題点があると思いますが、ここでは特に三つ四つの点だけ申し上げておきたいと思いますが、先ず第一に、今年の
予算は先ほど申しましたように形式的には九千九百十四億円ということになっておりまして、昨
年度の九千九百九十八億円よりは縮小しているというふうに見えます。しかしこういうふうに
予算が縮小したということは、御承知のように次のような操作が行われているために縮小が見られるということになっているわけであります。すなわち、先ず
政府の
原案の方で申しますと、第一には地方交付税に繰り入れられるべきタバコ専売益金からの三十億円というものが
一般会計に入りませんで、いきなり専売公社から交付金特別
会計に繰り入れられる、こういう操作が行われて、
一般会計からはずされております。それからまたこれまでは
一般会計からの繰り入れでまかなわれて参りました開拓者資金融通特別
会計の原資十億円というものが資金運用部に肩がわりをされるということで、
一般会計かからはずされております。それから、これは昨
年度からすでにそういうやり方をしているわけで、昨年の
公聴会でも私はそれが問題だということを申し上げたはずでありますが、
地方財政に交付する入場税の収入百三十五億円というもの、それから本
年度から新たに新設される予定になっております地方道路税七十三億、これがやはり
一般会計に入りませんで、直接に特別
会計で処理される、こういう形になっております。以上申しましたような資金は、一昨年までの
予算におきましてはいずれも
一般会計で処理されていたものでありますから、これらを全部合せて計算いたしまして、つまり一昨年と同じ計算方法で
一般会計の規模というものを計算してみますと一兆二百四十四億円という数字が出て参りまして、大体一昨年の
予算とほぼ同じ規模に達するということになる。これだけで見ましても今年の
予算というのは決して一昨年——一昨年は
日本の歴史始まって以来の最大の
予算を組んだわけでありますが——その一昨年の
予算とほぼ同じぐらいな規模を持ったきわめて膨大な
予算になっておるということがわかると思うのであります。それで、この点は
衆議院の
予算修正案をとりましても同じことで、
衆議院の
修正案では一応出
投資が百五十五億削られ、地方交付税が約十五億削られるということになっております。しかしこの出
投資の百五十五億円の方は御承知のように国鉄の公募
公債とそれから資金運用部その他で引き受ける予定になっておりました金融債を市中金融機関に肩がわりさせる、こういう方法によってまかなわれているわけでありますが、これは間接的ではありますけれ
ども、一種の
公債発行という方法によって資金を調達しているというふうに
考えられる。それをやはり
一般会計に含めて
考えますならば、全体としての計算は、
政府の
原案と同じことになる、一兆二百四十四億円という規模、こういうことになる。こう
考えただけでも一兆円
予算というものが形式だけのものに過ぎないということがわかってくるのではないか、こう思うのであります。
それから第二の点といたしまして、そういうかなり無理をしておるわけでありますが、その無理をしたにもかかわらず、なお一兆円というワクを守りますために、御承知のように防衛分担金のうちの約百五十五億円というものを
予算外の債務負担行為として残したという形になっております一これは言うまでもなく本
年度の
予算としてはそれで
つじつまが合うわけでありまして、つまり
歳出の中に出てこないわけですけれ
ども、当然この債務負担行為は来年以後の
予算には計上されなければならないものとして出てくるわけです。結局それだけ来
年度の
予算に負担を残すという形になります。来
年度の
予算の膨張をそれだけ不可避にする、こういうようになっておるのでありまして、つまり問題を一年先に繰り延ばしたというだけであって、問題を解決した
ゆえんにはなっていないのではないか、こういうふうに思うのであります。
それから第三の点として、もう
一つ問題になりますことは、そういうぎりぎりの
予算の中で、しかもなお
政府は公約としての
減税ということをやろうといたしましたために、財源の捻出という点できわめて無理な操作が行われた、こういうふうに
考えられます。これは一般に
政府の
原案の
歳入の見込みというものが、かなり甘く見られている。ことに雑収入のようなものまでぎりぎりに、最大限に見ているということが一般に指摘されているわけであります。さらに御承知の通り一たび
災害が起れば百億円は不可避であるというふうに言われております。予備費というものを八十億円に圧縮をするというような操作もやっているわけであります。それからさらに食管特別
会計の繰り入れを押えるために一方では
予算米価の水準を低く押えまして、しかも
他方ではそれでもなお赤字が生ずるの一を、百億円のインベントリーの積立金というものを食いつぶすという形でまかなう、こういう計算をしているわけです。また細かい点について申し上げますならば、失業保険費というようなものの計算におきましても、本
年度下半期の失業状況というものをきわめて甘く見過ぎているのではないかというような批判がすでに出ているわけであります。その上、
衆議院の
修正案におきましては、さらにその上に四十五億円の国鉄の公募
公債の発行というものを加えておりますし、それから百四十億円余りというものを、先ほど申しましたように、金融債の形で市中金融機関の負担に肩がわりをさせる、こういうやり方をしているわけであります。で、こういうやり方というものは御承知の通り非常に
インフレを引き起すという危険性をすでにその中に含んでいる。そういう
意味でもこういう財源の捻出の仕方という点に相当の問題が残されているかと思うのであります。
要するに以上申し上げましたような点を総合してみますと、今
年度の
予算というものはきわめて弾力性に乏しいという
予算になっているということが明らかではないかと思うのであります。そこで、むろん何ごともなくて一年を経過いたしますならば何とかこの
予算は破綻を示さないということになるかもしれませんが、もし一たび多少とも
災害が起るというようなことが起りましたならば、あるいはそれほどのことが起らないまでも、たとえば金融が少し繁忙になって参りまして、金融の梗塞が起るというようなことがあったり、あるいは米価を
予算米価以上に引き上げざるを得なくなる、こういうようなことでも起りますならば、すぐにこの
予算は破綻を来たすというふうに
考えられます。どうしても
補正予算を組むことが不可避になるというように思われる。しかも先ほど申し上げましたようにあらゆる
歳入をぎりぎりまで見込んでおりますから、
補正予算を組むということになりましても、そのための財源というものがほとんど残されていないのではないか、こういうおそれが持たれるわけでありまして、そういう点で非常に弾力性がないということが大きな問題として
考えられなければならないのではないか、こう思うのであります。以上申し上げましたような諸点は、本
年度の
予算のうちで一番大きな欠陥ではないかというふうに私は思うのでありますが、しかも最初に申し上げましたようにこういう欠陥の多い、ふできの
予算ができ上ったということは、決して
予算そのものの問題ではなくて、むしろその基礎にある
経済政策の問題である、その点から
経済政策全体についての
考え方というものを、もう少し固めて参りませんと、
予算の問題も解決できないのではないか、こういうふうに思うのであります。
さて、
予算一般につきましての問題点はその程度にしておきまして、次に農林
関係の
経費というものについて二、三の問題を申し上げて置きたいと思うのであります。この農林
関係の
予算というものは、
政府の
原案では昨年に比べますと、かなりいろいろなところで削減を受けていたわけでありますが、御承知の通りに
衆議院の
修正案では三十二億円余りというものが農林
関係で復活をいたしまして、その結果として農林
関係の
経費全体として見ますと、かなりの増額を示したというような形になっております。しかしここで私が問題にいたしたいことは、単に総額としての農林
関係の
経費がふえたか、ふえないかというようなことではなくて、むしろ
衆議院の
修正の結果として農林
関係の
経費というものが再び総花的な補助金
政策というものになっている、こういう点を問題にしてみたいというふうに思うのであります。もちろん私といえ
ども日本の農業問題の重要性ということを
考えますならば、これに相当の
経費をさかなければならないということも十分知っております。また
日本のような小農民の非常に数が多いというような農業
生産の特徴から申しますと、ある程度農林行政というものが補助金と結びつけられて行われざるを得ない、こういうこともむろん否定し得ない事実かと思うのであります。しかし非常に多数の
項目にわたった補助金を出す。従ってまたそういうふうに多数の
項目となれば、当然一
項目当りの補助金というものはきわめて少額になりまして、ことにそれが一万余りの末端の村々まで参りまして、あるいはそれが六百万戸余りの農家にばらまかれる、こういうことになりますと、ほとんど雀の涙ほどの金額になるわけであります。そういうきわめて零細な補助金というものが万遍なく総花的にばらまかれるということは、ほとんど何の効果も、生まない。せいぜい農民に小づかい銭程度のものを与えるということ以外の効果がないというような結果に終ることを私はむしろおそれるのであります。そうして、このことを
考えて参りますと、特に最近の
傾向として私が痛感いたしますことは、ここ二、三年来
日本の農業
政策というものが、中心的な目標を失っているのではないかということを非常に強く感じるのであります。そうしてこういうふうに補助金が総花的にばらまかれるということも、一番の根本は農業
政策というものの中心がなくて、場当り的にいろいろな
政策が試みられる、こういうことの
一つの現われではないか、こういう感じを持たざるを得ないのであります。言うまでもなく農業、ことに
日本のような小農民による農業というものは、そう機敏に
生産構造を変化させるということのできないものでありますから、ほかの
政策以上に一貫性を持った地道な
政策というものが、忍耐強く、長い期間にわたって続けられるということが必要だというふうに私は思うのであります。残念ながら特にここ二、三年来の農業
政策というものは、猫の目のように場当り的にいろいろな
政策が行われてきたというだけでありまして、そういう一貫した
計画性を持った地道な
政策というものに欠けているのではないか、こういう感じを持つのであります。むろん
予算に非常に余裕があるということでありますならば、どこへ金を出してもいいのでありますが、非常に限られた
予算の中から農業
政策を遂行して行くということになりますならば、何よりも
日本の農業問題として一番基本的に解決しなければならないというところに重点的に
経費を注込む、こういうような
考え方がやはりこの際取り入れられる必要がある。そういうふうにしてこの零細な補助金というものを整理しながら、基本的なところへ
予算を集中して行く、こういう措置を
考えるべきだと思うのであります。それでは
日本の農業にとりまして一番基本的な対策というものは何であるかということは非常にむずかしい問題でありまして、短かい時間で簡単には申し上げられないと思いますけれ
ども、私自身の
考えによりますならば、それはおよそ二つあるのではないかというふうに思います。その
一つは、やはり
日本の農家
経済を改善するために、あるいは
日本の農業の技術を改良して
生産力を高めますためにも、やはり一番基本になりますのは土地というもの、農業にとっては一番基本的な
生産手段、それを改良するということでなければならぬ。あらゆる農業の発展、農家
経済の振興というものはその点から始められなければ、すべてがあだ花に終ってしまうのではないかというふうに私は
考えます。そういう点からいうと第一に必要なことは治山治水をするということ、それから
災害を復旧するということ、それから土地改良とかあるいは水利の改良というようなことを徹底的にやるということでなければならぬ。その点に農業
政策というものの重点が置かるべきではないか、こういうふうに思います。
それから第二に基本的な農業
政策として取り上げられなければならないのは、今日におきましては何よりも農村の人口対策という問題ではないかというふうに思うのであります。ことに零細な農家というものが御承知のようにきわめて多数存在するということは、農家の
経済にとって非常に大きな問題でありますし、また農業の発展という点から申しましても非常に大きな障害になっておるということは御承知の通り。従って差し当りはこの二つの問題を少しでも解決するというところにむしろ国としての総力を注ぐべきで、それ以外のいろいろなこまごました
政策というものはひとまず
あと回しにしておいても仕方がないのではないか、こういうふうに思うのであります。ところが最近二、三年の
予算の組み方というものを見て参りますと、御承知の通り
災害復旧費とかあるいは土地改良費あるいは治山治水の費用というようなものは、むしろ年々削減をされておるという
傾向をたどっておる。それに反しましてこまごました零細な補助金はむしろふやされる、こういう
傾向をたどってきておる。そうしてまた今年の
予算もその例外ではないと言わなければならないと思うのであります。その上御承知の通り
日本は大体年々七十万の新しい要雇用人口というものがふえてくる。さらに一方におけるいわゆるデフレ
政策、企業の
合理化というものを通じて出る失業人口というものに対する対策が十分ありませんために、その非常に多くの者が農村に戻って来るという形で農家
経済を圧迫しておるわけです。こういうふうにして今のままで参りますと、
日本の農村の人口の圧力というものは強まるばかりであります。今まででさえもあまりにも多くの過剰人口をかかえ込んでおる農村に、まずます多くの人口の負担が加わるということになるかと思われるのであります。そういう点を
考えますと、やはりこの失業の問題、あるいは新たに出てくる要雇用者の就職の問題、こういう点についてもっと根本的な対策というものが
考えられるべきではないかというふうに思われるのであります。この二つの点を取り上げて、特にこれを重点的に解決をして行く。それ以外のいろいろな問題がむろんあることばございますけれ
ども、それはしばらくがまんをしてもらって、
あと回しにする、こういうような態勢を
予算の上でも作り出して行くということが、農林
関係では特に要求されることではないか、こういうふうに思います。
それから最後に今やかましい問題になっております米価の問題というものについて少し申し上げておきたいのでありますが、この米価の問題というものにつきましても私が特に痛感いたしますことは、今までの
政府の米価に対する、あるいはもっと広く申しますならば、米の統制というものに対する
方針というものが、きわめて不明確で、きわめてぐらぐらしておるということが、米価の問題に関連いたしまして、またそれに関連する食管
会計の
予算にもはなはだ大きな災いをなしておるのじゃないかと思うのであります。たとえば今年予約買付制というものを実施するということがきめられておるようでありますが、この予約買付制にいたしましても、なぜ予約買付制をやらなければならないのかということが必ずしもはっきりしておりません。またこの予約買付制というものが一時的に今年だけやる、そうして将来はだんだんと自由販売にして行く、こういう
方向へ向って行く過渡的なものであるというのか、あるいはこの予約買付制というものをこのままの形で何年か続けて行く、こういうつもりでやっているのか、その点もきわめて不明確でありまして、少しもはっきりしていない、こういうふうに米に関するおよそ
方針というものが、根本
方針というものが、少しもきめられていないのではないかと、こういうふうに思うのであります。で、そういうふうな
方針が立ちませんために、
予算の上におきましても非常にあやふやな計算しかできないようになっているわけであります。たとえば一方では
予算米価として九千七百三十九円というものを組みながら、その
予算のまだ成立しないうちに、
他方では一万百幾らにする、あるいは一万二百幾らにするというふうな
方針が
政府から出てくる、こういうふうなはなはだ混乱した事態というものが起ってくるということになっているわけであります。この点につきましてはやはり一番基本的な米に対する
方針をどうきめるかという点から立て直して参りませんと、
予算の面だけであちらこちら
つじつまを合せようとしましても、とうてい問題は解決しないと、こう思うのであります、この米に対する根本的な
方針としてどういう
考え方をすればいいかということにつきましての私自身の
考え方というものは、たしか一昨年だったと思いますが、やはりこの
公聴会の席上で申し上げたと思います。ここではあまり詳しく繰り返す必要がないと思いますが、簡単に申し上げますれば、私は今の
日本の現状、
日本の一方における国内の食糧
生産の状況というものから申しまして、また
他方におきまして
日本の外貨が非常に制約されておりまして、食糧輸入のために多くのものをさき得ない、こういう条件にあると、こういうことを
考えますならば、やはり米につきましては統制をはずすべきではないというふうに
考えます。むしろ基本的な
考え方としては、米については統制を再強化するということの方が望ましいのであって、そうして一方ではこの米の供出割当というものを収穫の、まあ平年作で申しますならば収穫の少くとも五〇%以上に引き上げるということを
考えるべきだと思います。そして供出量がふえましただけは配給量をふやす、こういう形をとる必要があるかと思うのであります。そのかわりに供出米価つまり農家の
生産者価格というものに対しましては、何よりも再
生産費を
保障すると、こういう米価を維持するということが必要であります。それからまた
消費者米価というものはやはり
財政負担をするということを避けまして、その
生産者米価を引き上げただけは
消費者米価も引き上げると、こういう形をとるのが望ましいのではないかというふうに思います。その場合に、この
生産者米価について再
生産費を償うというものをどうやって算定するかということは、技術的にはきわめてむずかしい問題を持っておるのでありますが、幸いにいたしまして御承知の通り食糧庁の米価算定専門
委員会というものでこの算定方式につきまして三つの案を作りまして、それを米価
審議会の方に提出することになつているわけであります。この三つの案の中で、特にA案と呼ばれる最初に出ております案が私は今
考えられる方式としては最も適当な方式ではないかというふうに思います。これで計算いたしますと、米価がどのくらいになるかということはまだはっきり計算しておりませんけれ
ども、おそらくは一万円少し上廻る、一万百円か二百円、その程度のところで納まるのではないかというふうに思いますが、こういう算定方式をとるということが今
考えられる一番合理的な方法ではないかと、こういうふうに
考えております。まだそのほかいろいろ
予算につきましては問題とすべき点があると思いますが、一応与えられた時間もこの程度であると思いますので、私の
考えたところを申し上げまして御
参考に供した次第でございます。