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国務大臣(重光葵君) この交渉と申しますか、少し詳しいことをお話しした方がいいと思います。日比賠償の問題が前内閣において取り上げられたときに、大野・ガルシア協定というものがあって、大野・ガルシア協定を出発点としては話ができないのだということで、非常にこの問題を中心として日比の関係が空気が悪くなったということは御
承知の
通りであります。そのときに、この問題はどうしても解決しなければフィリピンとの平和関係はできないのである、平和条約調印ということはできないのだということでこれを解決する必要を痛感したのであります。それは
日本だけが痛感したのではなくして、フィリピンも非常にそれを感じて、そのためには賠償問題を
一つ片づけるようにして進んでいかなければならぬというので、さような熱心なメッセージがマグサイサイ大統領から
鳩山総理に来て、そうして
鳩山総理はすぐこれに同様な
熱意を示して、この問題について返答をやったということはもうすでに発表された
通りでございまして、そこで
日本側から何か案を示してもらいたい、こういうことでありました。そこで、
日本側はフィリピンにおける代表者から案を示せということで案を示したのが、すみやかに専門
委員を
日本に派遣して賠償の形式、実質をどうするかということについて十分討議したらよかろうということで、専門
委員会を
日本に派遣したのであります。そうしてわがほうの専門
委員会と協議して、フィリピンに賠償として送り縛る現物等について協議をいたしたのであります。その中に関連をしまして、沈船引き揚げという問題もございました。そうしてこれが約一月ばかりも専門
委員会の検討が続いたのであります。そのときに賠償問題の主任であるフィリピンのネリ大使が
日本にその専門
委員会の仕事に結末をつける意味において、これを総監督して結末をつける意味においてやって来たのであります。そうしてわが方としてはこれに対応するために、むろん交渉の責任は私自身これは外務大臣として当然とるわけでありますが、しかし賠償問題のごときいろいろ多岐な専門的知識も必要であるし、また私がはなはだ不案内の点が多いものでありますから、高碕
経審長官をわずらわしてこれに参加をしていただく、こういうことに
政府は
方針を決定して、つまり高碕
長官と私がネリに接触をしていろいろ話を聞くと、でき得るならば
一つ賠償の方式を見つけ出したいという
考えの下に接触をしたのであります。
そこで沈船の問題があり、あるいは
日本から向うに賠償する品物についていろいろの話が積み重なり、また出てきたということは、これは御推察にかたからぬことでございます。その専門
委員会の結論は、すでに発表された
通りでございます。沈船問題についても発表をみたと思います。まあさようなことで話があった。そこで当然のことといたしまして、いろいろな案が、ネリの案もかような工合にして賠償問題を解決したらよかろう、こういうことも
考えられる、大野・ガルシア協定では、絶対にこれはもう話にならぬというようなことは、これは向うから言ったわけでございます。それからこちらの方は、私が先ほどお話しした
通りに、
日本は四億以上は出せないと、さらに先ほどは申しませんでしたが、年間二千五百万ドル以上は、
日本に支払い能力がないとわれわれは判断してこの交渉に臨むのだ、そういうことをよく
考えてもらわなければならぬということは申しました。向うとしては先ほども申す
通り、十億はぜひ賠償として取らなければならぬ。これは何でも向うの議会、上院その他の
方面の有力者の間にそういうようなことを案をこしらえてしまって、ネリが持ってきて、非常にネリ氏はそれに拘束されて困ったような態度でございました。しかしそれにもかかわらずネリは、十億でなくてまあ八億までにするから何とか
一つしてもらいたいと言ったことは事実でございます。しかしながら、もちろんこれはわが方としてこれがいいというな印象を向うに与えるということは、これはできません。できませんからやりませんでした。そこでネリは、もう専門
委員会の仕事も済んだんだから
一つ帰らなければならぬ、また向うから早く帰って来いという指令が来たものですから、帰ることになりました。
そこで、帰るまぎわになってネリといたしましては、いろいろなネリ自身の案を持ち出したことはあるのでございまして、これはこちらには関係のないことでございます。そこで帰る。せっかく来て、つまりまとまらないのでありますから、しかしわれわれの
考えたことは、まとまらなくてもこれがこれでもってすべてもう破談になってしまったという印象は与えたくないのでありまして、これは将来の交渉を継続していくという建前であくまでやっていく、日比の関係はあくまで継続すると、こういう
考え方で進むことが最も必要なことと、こう
考えました。そこで、さような
方針をもって、
日本でいろいろ接触されたその材料を持って
一つフィリピンに帰って、そしてフィリピン側を第一まとめなければ、こっちはお話しにもならぬ、ただ漠然たる案を出さはてもこちらから正確な返答をするということもできない、ただ座談的に終るわけだから、
一つフィリピンの側の方ではっきりまとめてきてもらいたい、こういうことでネリ氏はそれを承諾して帰ったのでございます。おそらくフィリピンにおいては、ネリ氏はいろいろな自分の案を練って、そして
政府なり要路の人と今接触をして案をこしらえておるのだと思います。またそういうふうな情報をわれわれは出先から受けております。しかし、それならばフィリピンの案はこれであるということがまだはっきり出てこないのであります。出てくるという予報は新聞では受けましたけれども、それはまだこないのであります。それがきた上でこちらは今度初めて関係
方面と密接な連絡をとって、そしてこれを検討した上でこれに返事をしなければならぬ段取りになる。さような事態が今日の事態でありますから、この問題については、今フィリピンの側の意向を十分
承知をした上で検討をしたいと、こう思っておることを御報告いたします。これが経過でございます。