○
田村文吉君 私は内政に関する問題について、以下若干の
質問を試みたいと思います。
戦争のために負うた
心身の傷をなおし、
わが国の
自主独立の実をあげて参るために、さしあたり強力に推進されなければならない重要なる
政策は数々あります。さればこそ、
鳩山総理はその
施政方針を述べるに当り、与野党間のいたずらな政争が繰り返されることの遺憾を表明し、みずから謙虚の心持ちをもって野党の
協力を求めておられます。もちろん今日の
政局の混迷は、洗ってみれば、過去における
鳩山総理の率いる
民主党が、またその責任の一半を負担すべきは当然でありまするが、さりとて、今日各党がいたずらに相手方を非難し、感情や党略のために
政局の混迷を継続することは許さるべきではないと思います。
政策の点で大同小異である民主、自由の両党が、今日の
内外ともに重大な時期において、互いに相提携して強力に
政策を推進することがなぜできないのかと、
国民の多数はむしろ不思議にさえ思っており
国民の間に
政党政治に対する不信の念が持ち上り、あるいは極右、極左の欲するままに一騒動持ち上るのではないかとさえ憂慮しているものもあります。
政局不安の責任の一半を負わなければならん
鳩山総理は、その
考えている
政局安定をいかなる方法をもってその実をあげんとせらるるのか。ただあなたが謙虚な態度でとか、
友愛精神を説くだけでは、
政局の安定は得られないと思うものであります。進むにせよ、守るにせよ、はたまた退くにせよ、
総理として、また
民主党総裁として重大なる決意をなさるべきであると思われます。そもそも
総理はいかなる心境にあられるのか、承わりたい。これ
質問の第一点であります。
ついで第二問として
総理並びに
文部大臣に承わります。
教育の最終の目的が
人格の
完成にあることは今さら論ずることを待ちません。
人格の
完成は、道徳心の涵養に待たねばなりません。しかるに現在の
学校教育における
倫理修身の道が軽視され、また低迷しておるのではないかと存ずるものであります。たとえば、しつけの
根本をなす修身の徳目さえはっきり示されておらないのでありまして、
東洋道徳の美点、
特質等は全く失われていると申しても過言ではないと存ずるのであります。
さきの
吉田内閣当時における
天野文相は、
教育勅語にかわるべき
国民道徳実践要領を提議されたのでありますが、世のいわゆる何でも冷笑し、ひやかすことをもって誇りとしている学者や
評論家の反撃にあって、日の目を見るに至らなかったこともありまする。その後に出られた
大達文相は、きわめて勇敢に
教育勅語の形態はとにかく、その
内容は、わが
日本民族の三千年の歴史により造成された、きわめてりっぱな徳目であり、その
内容を支持すべきことを
主張され来たったのでありまするが、遺憾ながらこの
精神を
学校教育の形の上に現わすまでに至らないでやめられたのであります。
これを要するに、八年間の
占領政策において、
日本の
愛国心や
民族精神をでき得る限り弱めるために、在来の
東洋道徳、
日本道徳を全部洗い流し、民俗、習慣、歴史の異なる
英米流の
教育を中途半端に取り入れたところに、
教育の混乱が生じ、小学から大学に至るまですべての
教育のバツクボーン、すなわち骨格が抜けてしまった。すなわち
学校のしつけや徳育の
根幹をなすものがなくなってしまったのであります。
天野文相や
大達文相の
主張を冷笑をもって迎えた、いわゆるインテリの
冷笑主義の先生や
評論家でも、裏へ回って
自分の
子供の
家庭教育のことになると、いつかしら昔教わった
道徳倫理の観念が、無意識に働いていることに気づかない矛盾さえあるのであります。もしこのままに
時代が推移し、さらに今日のティーン・エイジャーの
人たちが
子供を
教育する
時代になったとき、
教育の前途、また
日本の将来、はなはだ憂慮にたえないものがあるのであります。私は一日も早く、
学校教育に
民族的道徳の鉄の骨を入れてもらいたいと思うものであります。私はこの点について
総理及び
文相に強い期待を有するものであることを表明いたします。
さらに、
文相にお尋ねいたしたいことは、
社会教育、ことに
青少年の
教育の見地に立って今日の映画、図書、テレビ、または
賭博的遊戯、これらはいずれも営業でありますから、営利のため行き過ぎることも無理からぬかとも思うのでありますが、さりとてこれらによって影響を受くる
青少年の風紀の頽廃、
道義の低下は、まことにゆるがせにすべからざるものがあると思うが、
文相はこれに対しいかに善処し、調整せられんとするか承わりたい。さらに
文相に対する第三問として現在行われている
産業開発青年隊は、農林省、
建設省等によって若干の助成を受け、各府県においてようやく普遍化されていることは喜ぶべき傾向でありまするが、文部省並びに
関係各省けさらに手を伸べて、これが育成をはかりこれを拡充発展せし
むる意図がないかどうか。青年が
自分の生まれた郷土のために道を直し、堤防を作り、あるいははげ山を緑化する等の勤労に従事することは、
愛郷心、
愛国心を育成することにもなり、本人の
心身の鍛練にも役立ち、かつは貧しい
日本の
経済にも寄与し、国の再建を促進することにもなると思うのであります。
文相並びに
関係各相のこれに対する御見解を質したい。
次に、
総理並びに
労働大臣に対してお尋ねいたします。
生産を増強して
国民生活の向上をはかり、一面
輸出を伸張して
経済の
自主自立を期する今日の
わが国情の
至上命令として、
産業に従事する雇う人と雇われる人が互いに和親
協力して一体となり、その
企業それぞれを繁栄せしめなければならぬことは、私がここに申すまでもありません。そこで私の第一問としてお尋ねしたいことは、現在の
労働組合が、もちろんその全部とは申しませんが、
政治闘争に巻き込まれ、これに偏向しているきらいがあるのではないか。かつその運営が非民主的になされているきらいがないか。一例を申しますと、昨今行われる闘争が、下部から盛り上るのでなく、上部の指令によって動いているものが多い。
単一組合に
自主性もなければ、個人々々の
自主性もないように見える。無思慮な若い
人たちが、また
組合が、回り回って陰の人、共産党に巧妙にあやつられているように見えます。労働三法も、終戦後のどさくさまぎれに作られた
法律であって、
日本産業の実体や
特異性に合わない行き過ぎた点が多々あるように思うが、
総理はどう
考えておられるか。またあわせて
労働対策に関する
総理の
根本理念をも承わりたい。また、
労働大臣は、これらの点を考慮して対策を
考えておられるかどうか伺いたい。
第二問として、
労働大臣に伺いたいことは、私の年来の
主張としてあらゆる労使間の紛争は、すべて
仲裁裁定によって
平和裡に解決されることが願わしい。またこれが崇高なる
東洋思想を有する
日本が、率先して
世界に示すべき
平和運動の先がけであると
主張いたして参ったのでありまするが、(「
概念論」と呼ぶ者あり)現実はなかなか理想とは遠い。しかしながら、
事公益に重大なる
関係を有する
銀行業、
私設鉄道、
新聞事業、
公設市場、
取引所等の
企業に対しては、
公共企業体と同様に、すべての紛議は
仲裁裁定によって解決されるように立法する
考えがないかどうか。年中行事のような私鉄のストについては申すまでもありません。昨年起された地方
銀行の争議のごときも、かなり悪らつなものを生じ、
経済界に甚大な不安を与えたのであります。最も信用を重んずる
銀行としては、多分に
組合の
主張に屈せざるを得ざる結果になったのでありまして、かくては年々
銀行の
資金コストを高め、金利の低下など、とうてい望み得ないことになり、一面
銀行業務の停止と相待って
産業界に深刻なる影響を与えることになります。ゆえに私は、かような公益に重大なる影響あるものは、たとえそれが私
企業であっても、
公共企業体に準じ、一面
ストライキ等の行為を禁止すると同時に、一面
仲裁裁定によって
平和裡に解決される道を開くべきであると思うが、
総理大臣にその用意ありゃいなや、お伺いいたします。
次に、
大蔵大臣に対し、次の三点をお伺いいたします。その第一は、三十年度
通常予算を一兆円におさめるため苦心されたことは、大いに敬意を表する次第でありまするが、何か、前
自由党内閣時代より一兆円々々々と呼ばれ来たっておりまして、一兆円の数字に魔術でもあるように見えますが、いかなる根拠があるのか伺いたい。私がかように申せば、何かお示しの
予算を、もっと越してもよいではないかというようにおとりになるかもしれませんが、それは全然反対であります。私はなぜに
予算を一兆円まで持ち上げる必要があるのかと申したいのであります。端的に私は今日の国力から言って、一兆円の
予算は多過ぎる、八千五百億程度が適当ではないかと存ずるものであります。(「
軍事費をどうするのだ」と呼ぶ者あり)その根拠を申し上げますと、今年度
予算は
国民所得の一割五分八厘と相なっており、
戦前の
昭和十年の
公債発行高約三割三分を含めての一割五分二厘に比べて、必ずしも
財政規模は大きくなっておらないように見えます。しかし、
昭和十年には四割六分の
軍事費を含んでおり、今年度はおおよそ一割三分、一割三分の
軍事費該当額を含んでおります。そこで
軍事費を差し引いた
予算で比較いたしますると、
昭和十年は
国民所得の八分、すなわち八%に過ぎないのに、今年度は一割二分、すなわち一二%と相なっておって、今年度の方が五割強ふえていることになるのであります。(「それが観念論なんだ」と呼ぶ者あり)今かりに
昭和十年度の比率をもって今年度の
適止予算額を算出いたしますると、
軍事費該当額を加えて六千三百七十億円となるのであります。これに
地方交付税交付金及び
社会保障費等、終戦後の特別な事情をしんしゃくして別に二千億円の増加を加えてみましても、今年度
予算は八千五百億円ならば十分まかなえるはずであらねばならぬのであります。表面的にも一兆円のワクにおさめることに非常に苦労をされたと思っておりまするが、まだまだ
予算の浪費、あるいは不
経済的使用が多々あるのではないかと私は憂慮するものであります。
社会保障事業もちろんけつこうであります。ただし、これがために国力に不相応に
予算を膨張せしめることは、今後
賠償費用等も漸増することを
考えまするとき、他日必ずほぞをかむことになると信ずるものであります。御就任、日の浅い
大蔵大臣は、すべてが思うようにもならなかった結果もあると思うが、
日本現在の
予算規模はもっと大幅に縮小する必要をお認めにならないかどうか。続いて本問題に関連して
国民負担、すなわち税の問題があります。今回年額五百億に当る直接税の減税が行われたことは、少しでも民意に沿ったものとして歓迎する次第でありまするが、さきに申し上げたように、
予算規模を
根本的に縮小されるならば、直接税たる
所得税、
法人税においてさらに二千億を減じ、
間接税において五百億を増徴して、差し引き一千五百億の減税がさらに可能となり、これによって貯蓄は増強し、
資本の蓄積がなされ、従って
産業が振興されて
完全雇用に進み得ることは、あえて六カ年計画を待たないでも、明年からでも完遂できる近道であったと思うのでありまするが、すでに御苦心の結果組み上げられた
予算の
根本的変革はなかなか困難でありましょう。しかし、私が
大蔵大臣の最大の関心を求めるものは、
所得税、
法人税の合計が、
国民所得に比べて
戦前は一分四厘、すなわち一・四%に過ぎなかったものが、今年度は七分四厘、すなわち七・四%と相なっておって、実に五倍強の
負担増加と相なっておるのであります。別の言葉で申せば、
戦前と今と比べて
国民所得は四百三十倍に過ぎないのに、
所得税、
法人税は二千七十倍、実に二千七十倍に相なっておることを
考えますとき、
政府も政党も
国民もすべてが
根本的に
考えを新たにして新しい構想のもとに
予算の収縮をはかり、同時に
国民負担の軽減を行い、いわゆる民力の涵養に努め、
国民の創意と工夫とによって、これらの
貯蓄財を民間の手によって最も有効適切に活用することが、
日本経済の自立となり、
日本の完全な独立を招来することになると固く信ずるものであります。
以上私の申し上げましたことを着々実行に移すことを
大蔵大臣はお
考え得られるかどうか、伺いたいのであります。
第三問は
租税特別措置法の問題でありまするが、同法は各業、
各種各様の
租税の減免が定められており、しかもその
内容は複雑難解をきわめておりまして、よほどの
専門家でないとわからないということが事実であります。これはいわゆる陳情の集積であり、党略の
落し子であり、しかも次から次へと
法律を継ぎはぎをした結果であるのであります。
法人税の例をとって申しますると、在来の四割二分である税率が、ある
法人には二割以内で済んでいるものさえある結果、平均三割しか税収が上らないというようなきわめて不公平な課税の実行が行われている。
中小企業者等にはこれが恩恵を受くる術を知らない場合が多い。極端に言えば
特別措置法は力の強い、収益の多い大
企業のための
特恵法であるとさえ言われているのであります。今国会で
預金利子の
全額免除の
法律が出されるようであるが、問題であると思います。大体
産業保護のためにあるいは金利を加減したり税を減免したりすることは、知らず知らず官界、政界を腐敗せしめる因をなすものでありますので、ここらで
租税はすべからく公平に、かつ素朴なものとしてもっと、誰にもわかりやすい
法律に改める意味から
特別措置法をこの際
根本的に改変し、むしろ本
税自体を大幅に引き下げる意思がないかどうか、伺いたいのであります。
次に
独占禁止法の廃止について、高
碕経審長官並びに
石橋通産大臣にお伺いいたしたい。
経審長官はその六カ年計画の前文にも、年々増大する
労働人口に
雇用の機会を与えることは
わが国経済最大な問題であると言っておられます。私も同感であります。ただし、私をして忌憚なく言わしむるなれば、
わが国の
雇用の増大をはばんでいるものは金融の独走と直接税の
過重負担と、あわせて
独占禁止法の存在であると申したいのであります。
大臣も御
承知の
通り、
あらめる
産業は
品不足で景気のよいときもあり、
生産過剰で不景気のときもあります。景気のときに
生産増加のために
事業を拡張し、その結果は
生産過剰となり、不景気となる。激烈な
競争の結果、価格の暴落を来たし、これがひいて新たなる需要を喚起して需給の調整をとるようになる。これは
自由主義経済の
原則論であります。ところが
増産、増設を遂行するにも、また
競争によって新しい需要を喚起するためにも、おのずから時間のズレがあります。しかるに
日本のような
経済の底のきわめて浅い、しかも
自己資本の蓄積の少い
企業は、一朝製品が余ると滞貨を持ちこたえる力がない。悲鳴を上げて倒産に至った例は、昨年のわずかの
金融引き締めでさえ、あれだけの事例を起したありさまであります。またあのようにとことんまで
競争をやったあげくには、大
企業に併呑されて、逆に
独占資本を助成することになったり、
企業の
休廃業等によって多数の
失業者を出さざるを得なくなるのであります。ブレンタノはかように申しております。
カルテルは一般に
考えられるほど
独占利潤の
略奪者ではない、それは恐慌の中から生れた
困窮児であって、あまりにも飛び上り過ぎた
生産が再び大地に到達するための落下傘の役目を果たす、いわゆる
自己崩壊を免かれるための
防衛手段に過ぎないと言っておるのでありまして、今日の
資本主義経済のもとにあっては、
資本の浪費と消耗をなくするためにも、また
失業者を出さないためにも、
強弱大小の
企業がおのおの申し合せて、必要に応じて
生産を調整することは絶対欠くべからざる要諦であるのであります。底の浅い
日本産業の現状からして
産業自体を守るためにも、
失業者を出さないためにも、
独禁法のような悪法は一日も早く全廃するか、あるいはやむを得ざれば、
カルテルの
届出主義に改めるかにすべきであると思うのであります。(「賛成」と呼ぶものあり)実情を御
承知ない方は、許可を得れば
不況カルテルもできるではないかと言われますけれども、
裕下傘は落ちてから開いたでは何にもなりません。残念ながら今日のお役所としては、そんな機敏な処置がとれない機構と相なっております。この当惑している
産業人の
気持は、実際人であった高
碕経審長官にはよくおわかりが願えると思います。昨年来の
九州地方の
石炭界の不況で、
カルテルの必要が
労働組合の
指導者にもわかってもらえたと思います。事柄は極めて重大であります。
日本産業が戦後立ちおくれた立場に立って、東洋、アラブ、アフリカにその羽根を伸ばし、今後の賠償を又払いつつ、ふえゆく
労働人口を養っていくことは容易ではありません。
独禁法は
日本の
経済を弱め、
国際競争力を失わしめるための
占領政策の一端として取り上げられ、今日なお残存している最も有害な
法律の一つであるのであります。
石橋通産大臣とされても、
日本経済の早急なる
自主自立への道として本法の撤廃がいかに重要なる
通商産業政策であるかを認識せられて、この悪法を撤廃するか、やむを得ざれば、
カルテルの
届出主義に改められるか、一日も早く断行さるべきであると思うものであります。なお、この問題を
輸出産業に限定されるようなことは、かえって外国の誤解を招くものであって、知のとらないところであります。
経審長官並びに
通産大臣の御所見を承わりたい。
農林大臣に対して、次の二点に閲し、御所見を伺いたい。その第一は、
食糧自給自足の問題であります。私はかねてから
政府が
食糧の
自給度を高めるという程度の言葉には不満足の意を表するものであって、百歩前進、
自給自足まで進むことが
わが国に与えられた絶対の命題であり、また必ず達成し得るものとして、ばかの一つ覚えをしているものであります。しかしてこの命題は少しぐらい
輸入食糧が安いからとか、東南アジアとの貿易の
相互互恵のためなどいうことで左右されてはならないのであります。なぜ私が
食糧自給自足の
完成を叫ぶかと申しますると、遠い将来のことはわかりませんが、現在の国際間の
貿易管理の実情から見てまた、原料、資源に乏しい上が
日本が、
輸入食糧と
輸入工業原料との合計に見合うほどの
工業品の
輸出をなし得るかどうか、十分の自信が持てないからであります。従って今日の上が
日本は、百年、二百年前の英国が、
食糧はどしどし輸入する、綿も入れる、そのかわり紡績、
綿布等を
植民地に買わせる、これによって富を築いてきた
自由主義時代の故知に学ぶことはとうていできないのであります。農は国の大本であると古人が教えたことは、二千六百年後の
日本において、変らざる真理としてよみがえってきておるのであります。
そこで
食糧自給自足の方図を分析して、二つの問題があります。第一は、
多角経営を伴う
食糧の
増産であり、第二は、
食生活の改善であります。
食糧増産については、過去において
各種の名目をもってする
補助金、
助成金の数が多かったために、
各種の弊害がなかったとは申しません。また
農家をしていたずらに
依頼心を起さしめたような弊害は、今もなお続いていないとは申しません。しかし、
日本の
農業経営は、
集約経営の
限界点にきているとは
考えられません。特に最近の著しい科学の発達により、耕地、品種の改良、
適正肥料の
使用等により、
勤勉力行、いわゆる
篤農家があげる反当収量のせめて八割まで、すべての
農家が収穫をふやすことは決して困難でないと常識的に
考えられることであります。故に
政府がさらに
集約的農法を助成し、
農家の
増産意欲を刺激するようの
政策をとるならば、穀物及び畜産とも、現在
収穫量の五割に近い
増産を見ることも必ずしも不可能でない。これは農村の二、三男問題の解決にも大いに役立つことになると存ずるものであります。
食生活の改善は、
消費者の米食になれた長年の習慣を変えることでもあり、かつ、経費の増高が一番問題であるので、そう簡単には参りますまい。しかし今日まで
食糧管理庁がこの問題に対し、冷淡過ぎたそしりは免れないと思います。よろしく厚生省の
協力をも求めて
総合研究所を作り、一日も早く
経済的で、かつおいしい
代用食を次々と考案して実地に移すことを
考えられたいと思います。ただし、
農林大臣に特に進言したいことがあります。それは
食糧自給のために、わが敬愛する
河井参議院議長、すなわち
今様青木昆陽先生のサツマイモの
増産と利用とを忘れないでいただきたいことであります。
最後に簡単に伺いたいと思いますことは、現在の
供出制度にせよ、
予約買付制度にせよ、何分の統制を残す限りにおいてやはり別に米の
自由市場を開かなければ、
国民の全部が依然として不明朗な
やみ米生活を送らなければならないことであります。農相は
配給制度等に関し、すでに御方図がお立ちになっていると思うのでありますが、お差しつかえなくばお示し願いたいと同時に、敗戦十年、依然として
国民の全部が、
子供に話してならないような
法律違反を続けなければならないことは、一日も早くやめてもらいたいという悲願を述べて私の
質問を終ります。(
拍手)
[
国務大臣鳩山一郎君
登壇〕