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1955-07-19 第22回国会 参議院 法務委員会 第18号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十年七月十九日(火曜日)    午前十時五十四分開会   ―――――――――――――  出席者は左の通り。    委員長     成瀬 幡治君    理事            剱木 亨弘君            宮城タマヨ君            市川 房枝君    委員            中山 福藏君            廣瀬 久忠君            藤原 道子君            赤松 常子君            一松 定吉君   政府委員    法務政務次官  小泉 純也君   事務局側    常任委員会専門    員       西村 高兄君    常任委員会専門    員       堀  眞道君   参考人    国学院大学教授 瀧川政次郎君    婦人問題研究所    長       藤山 たき君    読売新聞社副主    筆       松尾邦之助君    東京慈恵会医科    大学教授    石川 光昭君    東北大学教授  中川善之助君    救世軍本衛公共    部長      瀬川八十雄君    全国性病予防自    治会理事長  石橋 幸八君    日本青年団協議    会事務局長   福本 春男君   ―――――――――――――   本日の会議に付した案件 ○売春等処罰法案衆議院送付予備  審査)   ―――――――――――――
  2. 成瀬幡治

    委員長成瀬幡治君) これより法務委員会を開会いたします。  売春等処罰法案を議題に供します。本案につきまして参考人の方々から御意見を伺いたいと存じますが、参考人各位におかれましては御多忙のところわざわざ御出席いただきましてありがとうございました。御礼を申し上げます。  つきましては、本案重要性にかんがみ、それぞれのお立場から一つ忌憚のない御意見を承わりたいと存じます。  念のため申し上げしますが、参考人の発言時間は一人二十分程度でお願いすることにいたし、参考人に対する質疑は午前と午後に分けまして一括して行いたいと存じます。御了承をお願いいたします。  それでは最初に国学院大学教授瀧川政次郎君からお願いをいたします。
  3. 瀧川政次郎

    参考人瀧川政次郎君) 予備審査のために衆議院から本院に送付されました売春等処罰法案審査に当りまして、特に私が参考人として本院に招致されましたのは、私が古く日本奴隷制度に関する研究を発表いたしました。それに関連いたしましていわゆる白色奴隷であります遊女売春につきまして若干の研究を発表したことがあるためだろうと考えます。ゆえに私は手元に送付されました売春等処罰法案、同法案提案理由説明、同法案逐条説明書、この三つの刷りものを拝見いたしまして感じましたことを基礎にいたしまして、自分が思い起しました歴史的な事実を主として叙述いたしまして、本法案を審議せられまする議員皆様方参考に供したいと思います。  私は売春を禁ずべきやいなやという問題と、売春行為を処罰する法律を制定すべきやいなやという問題とは区別して考えなければならないものと思います。売春背徳行為であり、また売春のない社会が理想的な健全な社会であるということは、これは論のないことであります。しかし、売春を禁圧する手段方法として、売春をした者及びその相手方となった者に刑罰を科した方がいいかどうかという問題は、これまた別の問題でありまして、大いに異論のあるところであろうと思います。今日一般大衆はこの二つの問題を区別して考えることはできないのでありますから、それに乗じまして売春行為を処罰せんとするこの法案に反対する者を、売春背徳行為と考えない非人道なやつであるというようなことを言うのは、非常な不当な行為であると考えるのであります。宗教や道義もすでに力を失いました現在の社会におきまして、売春行為を禁圧する手段として、制裁力を持った法律を選ぶということは、これはやむを得ないところであると私も考えております。しかし、それにどんな刑罰を科するか、まただれを処罰するかということはよほど慎重に考えなければならない問題であろうと思います。刑罰をなくすべくんば重刑もまた可なりという思想もございますが、重刑をもって威嚇しさえすれば犯罪は直ちになくなるというような素朴な考え方は排撃されなければならないと思います。保元元年御白河天皇は嵯峨天皇の御代以来二十六代、三百四十七年間うち絶えたところの死刑を復活せられましたが、兇悪たる犯罪はこれによって減少する傾向は少しもなく、道義の頽廃はさらに前代よりも著しいものがあったのであります。  売春等処罰法案、以下法案と略称いたしますが、この制裁規定を通観いたしますれば、一般刑罰が重過ぎるという感じがいたします。提案者売春をした者及びその相手方となった者に一万円以下の罰金または拘留もしくは科料を科するというのは、これはいささか酷であるというふうに考えられたとみえまして、逐条説明では「これは売春の罪を犯す婦女につきまして、その犯罪の動機及び理由等を調査いたしますと、家庭貧困等資本主義的経済組織のあわれむべき犠牲者とも目される者とか、封建的家族制度犠牲者と目される者とが慨して多いのでありまして、これを普通の刑法犯、たとえば窃盗とか、詐欺とかの破廉恥罪と同視するのは、はなはだ酷であると思われるからであります。それをもって考えてみますならば売春婦に対しては、懲役とか罰金等刑罰を加えるよりは、保護観察等いわゆる保安処分をもって臨み、家庭環境調整職業補導等をはかるべきでありますが、一方いわゆる売春婦一般刑法犯罪者への転落は、きわめてその率も多いことにかんがみまして、刑罰による一般予防を重視し、前述のごとき刑罰をもって臨むことにしたのであります」とこう弁明しておられます。そうして提案者は「何ゆえその婦女春売婦になったかということをよく考えていただき、刑罰を科したことによってかえってその婦女をさらに悪化させることがないよう実行機関の細心の注意を希望するものであります」と結んでおられます。売春婦一般刑法犯罪者への転落者の多いことは、これは事実であります。しかしそれは売春婦たるがゆえであるか、あるいは貧困者たるゆえであるかは、非常に疑問であると思うのであります。ゆえにそのゆえをもって刑罰による一般予防を重視して前述のような刑罰をもって臨むことにしたといり提案者理由は腑に落ちません。また私も一面弁護士といたしまして司法実務家の素質なりあるいは執務振りなりを観察しておる一人であります。現在日本の司法官、警察官が、この法案提案者の希望しておられますような細心の注意を払ってくれる親心のあるものとは信ずることができないのであります。遺憾ながら信ずることができないのであります。この法案が実現せられました場合には、提案者が心配しておられるような苛酷な取扱いが行われるものと予想せられます。そればかりかこの刑法規定威嚇を利用いたしまして、警察官売春婦に対してお前を検挙するか検挙しないかは、おれの権限にあるのだ、お前の生殺与奪の権はおれが握っておるのだというような態度になりまして、売春婦基本的人権が今日以上に侵害せられるという懸念すらあるのであります。江戸時代には関所手形なしで通行いたしました者には、はりつけにするという規定がございました。しかし江戸中期以後は碓氷関所など役人の影も形も見えなかったのでありまして、手形なしに普通人が通行しておりました。しかし規定は依然としてあるのでありますから、百姓、町人が一たび役人ににらまれますれば、いつでも刑罰に処せられるという危険にさらされておったのでありました。皆様も御承知の国定忠治は、ほかの罪を犯したのでありますが、その処刑されました罪名は碓氷関所手形なしに通ったということではりつけになっております。威嚇の効果だけをねらった法律を存続せしめておくということは、非常に危険なことでありまして、官僚の権力の増大に役立つということになるのでありまして、今申しましたような実例がよくこのことを示しておると思います。私は売春をさせることを内容とする契約をさす者、すなわち女衒、営利の目的売春を行う場所を供与することを主たる目的とする諸施設を経営するもの、すなわち楼主等のいわゆる業者という者の眼に余る横行を弾圧するために法案を作るということは、こういうような法案を作るというようなことは、非常にけっこうなことであると思いますが、私そういうことを申し上げる権利はありませんが、この法案がただ業者を処罰するという法案であれば、非常にけっこうだというように考えるのであります。  次に法案の第一条は、本法目的といたしまして風紀紊乱を防止するということを高らかにうたっております。風紀紊乱防止ということは、すなわち性道徳規範維持ということであります。さらに古い言葉で申しますれば、綱常維持ということになるのじゃないかと思います。綱常維持を第一の目的といたしますならば、婦女が対償を受け、または受ける約束特定相手方と性交する者を罰するだけではいけないのでありまして、特定相手方と性交するいわゆるめかけ、あるいはオンリーとかというものを処罰しなければならないと思います。めかけやオンリーを置く資力のある者が不自由をせずに、そういう資力のない男性だけが取り締られる結果となりますると、綱常維持ができないばかりでなく、貧富の対立感情がますます激化する危険があるように思われます。徳川末期寛政年中松平定信風紀取締りを厳にし、また天保年中に水野忠邦江戸中の岡場所を取りつぶしました。そのあとにはめかけ奉公人というものが非常に激増いたしまして、黒板塀に見越しの松という妾宅は、もちろん寛政以前から見られたのでありますが、それが激増いたしましたのは、寛政以後のことであります。高い祿をはむ旗本、役得の多い御家人、富裕なる町人等が根岸、橋場、向島等にしょうしゃな寮をかまえ、あるいは松隠居とか菊隠居とかというような隠居所をかまえ、そこへ美形を囲うようになりましたのは、主として寛政以後のことであります。またこのめかけ奉公人というのは、多少説明いたしませんとおわかりにならぬかと思いますが、つまり召しかかえられた専属娼妓ともいうべきものでありまして、枕席に侍する、だけがその職務であったのであります。それが普通のめかけと違いまするところは、月ぎめ季ぎめの給金をいただいておるということ、主人の子供を産みますと直ちにお払い箱になる、解雇せられるという約束になっておる。ですからめかけ奉公人はたいてい給金を前借りいたしますが、その前渡給金すなわちめかけ奉公人の身代金であって、めかけ奉公人もまた白色奴隷の一種であると言ってよいと思います。めかけ奉公に娘を出すような親たちは娘を女郎に売る親たちと同じでございまして、非常に悪らつ無頼の徒が多かったのであります。彼らは多く娘を教唆いたしまして寝小便をたれさしまして、まことにびろうなお話でおそれ入りますが、主人も毎晩自分の寝室を小便で汚されてはたまりませんから、これを解雇いたしますが、前渡しした給金はついにこれを回収することができません。たまたま寝小便をしないめかけ奉公人を置きつけたと思って喜んでおったら、それはらい病患者であったというような悲喜劇もあったのでありまして、当代の川柳には「おめかけはおかわのふたをとってたれ」、あるいは「小便をせぬは大谷刑部なり」というような句が残っております。この法案が実現いたしました暁には、このめかけ奉公人に類するようなものが出現する可能性が多分にあるように思われるのであります。天保改革によりまして、岡場所に遊ぶことのできなくなりました山下の町人ども、商家の奉公人たちは、夜鷹、辻君を買いあさりまして、やぶ入りにもらったおこづかいを夜鷹買いに使い果して、空腹をかかえて主人の家に戻ってきた小僧の話というようなものが、たくさん当時の黄表紙とか川柳とかにそういうものが語られております。岡場所を追われました売春婦街頭に出て夜鷹、辻君となり、ゆえに天保以後の夜鷹は、それ以前の夜鷹とは非常に違いまして、なかなか美人もおったということであります。本法が制定施行されるに至りますれば、いわゆる赤線青線区域はなくなろうと存じますが、そのかわりに売春婦街頭はんらんということは当然予想しなければならないことであると思います。  次に第五条以下第九条に至る売春周旋者、いわゆる牛太郎ポン引きの類、また人身売買を取り持つ人間、いわゆる女衒、それから売春場所を供与するいわゆる楼主亡八、昔は轡とも申しました。あるいはそれに資本を提供する資本家、高利貸、そういうものに最高十年の懲役最高五十万円の罰金を科することができるというこの法案業者厳罰主義には私も全面的に賛成であります。ただし、刑は少し重過ぎると思います。売春しなければ生活のできないようなあわれな婦女から金銭を搾取して、そうして豪華な生活をしているということは、これは非常に不徳なことでありまして、江戸時代におきましてはそういう妓楼の亭主、いわゆる亡八というものは、孝、悌、忠、信、礼等の八つの徳を失っておるというので亡八と呼ばれました。これは人外のものとして人も非常に卑しめ、またみずからも非常に卑下して暮しておったのであります。彼らは幾ら財産を持っておっても、名誉ある地位につけなかったのであります。ところが現在の業者はその財力にものを言わせて、公共団体議員にも役員にもなっておる、堂々と天下に闊歩しております。こういう不合理は私はどうしても取り除かなければならないと考えます。しかし、昔は吉原のお茶屋で遊女には正月にむしろの上で雑煮を祝わしたといことであります。それは遊女というものは身請けをされれば、りっぱな武家や町家の奥方ともなるべき身分であるから、自分の家のようないわゆる娼家の雑煮を祝わせてはいけないという、これは楼主の非常にみずから卑下した処置であったということであります。今日のいわゆる業者の間にもかかえの売春婦に対して非常な温情をもって遇しておるものもありますけれども、しかしみずからの稼業を非常に恥ずべきものと考えて、昔のこれほど卑下している人は一人もないように思うのであります。業者搾取がなくなれば、売春婦は早く金がたまりますから、金さえあればこんな商売は一日も早くやめたいという気持の女は、まあそういう気持になってくれる者が何割あるかということはまた別の問題でありますが、そういう心がけを持っている人は、早く売春から足を洗うことができるようになろうと思います。江戸時代為政者もこの隠売女そのものよりも、隠売女楼主というものを非常に重く罰しておるのであります。御定書百箇条の第四十七条を見てみますと、「隠売女。」「踊子共。」踊子は踊りだけが職ではないのでありまして、「踊子は習わぬ芸でよくはやり」という句がありまして、これはもちろん今日の芸の濫觴をなしたものでありまして、隠売女の一種であります。これは「三箇年之内、新吉原之為取遣す、」ということでありまして、三カ年の間奴隷として、いわゆる奴女郎として吉原に下げる、吉原ではこれを入札いたしまして、そして三年間こき使うというのであります。これはずいぶんひどいやり方でありますが、大岡越前守の時に、実はこれは三年となったのであります。初めは終身であります。それがその解釈をゆるめまして、二年と一日、足かけ三年というふうにいたしました。ところがこの「隠売女いたし候もの」「踊子抱置為致売女候もの。」それをかかえておった者の刑罰は非常に重いのでありまして、「身上に応し過料之上、百日手鎖にて所え預、隔日封印改、その過料というのは全財産の三分の二を取り上げるというのですから、今日の五十万円の罰金以上のものでありまして、百日手鎖といいますのは、手鎖をはめまして、そして家におるのです。この手鎖を金ではめてくれればまだ楽でありますが、紙ではめられる、それを封印しておりまして、この封印を破るとひどい目にあうのですから、紙が離れないように短日こうしておらなければならん。飯を食うにも、便所に行くにも、人の手を借りなければならんというまことにつらいことであります。そういうことを百日やらせる。それから請人人主、これ大体女衒請人になるのでありますが、これはやはり「身上に応し家財三分二取上候程之過料」それからさらにそういう隠売女を置く家を貸した家主、これをも罰しております。これは本法案の第八条の趣旨と全く同じであります。それは  「身上に応し過料之上、百日手鎖隔日封印致、」「但家主建置候家蔵有之候はゝ。五年之内店賃為相納可申候。」地主も同じでありまして、それが蔵を持っておるだけの家主であるか、あるいは地主であれば、その土地なり家屋なりその人の持っている土地家屋を五年間取り上げて、その賃借料の地代なり家賃を罰金にかえると、こういうのであります。それから「五人組。」「名主。」はそういう隠売女があればそれを直ちに訴えなければならんという触れ書がたびたび出ております。寛保触書集成宝暦触書集成天保触書集成というものを見ますと、そういう触れ書がたくさん出ておりますが、そういうことを知りながらこれを告げなかった向う三軒両隣の五人組は過料、その名主は重過料であります。その次は非常に複雑な規定でありますが、ここに注意すべきものをもう一つ、二つ読んでみますと、「商物をも出し置、致渡世候者妻同心せさるに、売女に出し候もの、死罪。」、不承知である女房をめちゃに承知させて売女に出した場合にはそれは死罪になる。「但飢渇之者。夫婦申合売女為致候迄にて。盗等之悪事無之候はゝ。不及糺明事。」江戸時代為政者はこれだけの親心を持っておったということを御承知願いたいと思います。飢渇のために、つまり食えないで売女になったという者は糾明に及ばない、せんさくしなくてもいいということを明文をもってうたっております。「踊子呼寄売女為致候、料理茶屋等所払。」これはいわゆるみずてん芸者を自分のうちで世話したという待合、そういう者は所払――所払というのはその町内から強制的に移住せしめられることであります。  ただしここで私が心配になりますことが一つございます。それがわが国におけましては、欧米社会におきますように男子が婦女に対して暴力を用いることを恥とする風習がありません。従って業者の手を離れて街頭に出ました売春婦が果して安全に約束した売春の対価をおさめ得るかどうかということは非常に問題があろうと思います。江戸時代の公許の遊廓及び岡場所、じごく等におきましては、ひょう客乱暴者に備えましてトビの者とか、地回りとかいう一種の自衛隊を相当大勢かかえておりまして、終戦街頭に現われましたパンパンも多くはアロハのあんちゃんを持っておったのであります。かような売春婦に対する暴力保護者がつきますと、売春婦はまたそれから搾取されるという可能性が多いのであります。業者を追っ払いましても、この新しい搾取者が現われたのでは何にもならないのでありまして、本案提案者はこの点をどうお考えでしらっしゃいますか、御意見を拝聴したいものであると思っております。  次に法案の附則の1には、「この法律は、公布の日から起算して三箇月を経過した日から施行する。」とありまして、公布の日から施行の日までの間にわずかに三カ月の期間しか設けられておりません。逐条説明書には、この法律施行を延期いたしましたのは、現に多くの地方公共団体が設けている売春取締りに関する条例との調整、並びにこの法律において規定いたしました売春をさせる行為等を現に行なっている者の転向または転業のための機会を与えようといたすものでありますと説明しておられます。都道府県の条例との調整をはかるだけなら三カ月の期間で十分であろうと思います。しかし業者及び売春婦転向または転業機会を与えようというにはこの期間は短か過ぎると思います。せめて六カ月ないし一カ年の期間を設くべきではないでしょうか。江戸幕府吉原に限って傾城稼業を公許しておりました関係上、明暦二年十月、遊廓を今の中央区元吉原の地から今日のいわゆる台東区浅草たんぼの地に移転せしめるに当りまして、一万五百両という引越料を出して彼らに与えております。当時の金一両は米四俵を買い得たのでありますから、この引越料は現在の約一億五千万円に相当すると思います。現在の赤線、青綿区域なるものは政府が公許して作ったものではないのでありますから、国家が彼らの転業に対して賠償を与える義務はないと思います。彼らの搾取が非常にひどいのも、いずれはこういう運命に立ち至るであろうことを予想して投資したものであるからであろうと私は考えております。しかし改革はできるだけ反動を起さないようにすることが政治の要諦であろうと思います。中共政府は軍隊を差し向けて北京の前面外八大胡同の妓楼楼主どもをあるいは銃殺、あるいは投獄いたしました。売春婦はトラックに積んで授産場へ拉致して行ったということでありますが、こういうことは革命の動乱に乗じなければできないことでありまして、武断的な幕府ですら何の賠償も与えずに業者に移転を命ずるというような乱暴なことはいたしておりません。業者は憎むべきであるかもしれませんが、彼らもまた国民の一員であります以上は、その権利は十分に尊重されねばならないと思います。万人が認めて天人ともに許さざる罪人と考えられる者でも、これを弁護する人がなくなったら、その日からわれわれの基本的人権はなくなるのであります。貧乏国でありまする日本は、売春婦転向あるいは業者転業に対して莫大な国費を支出してやる財力はないのであります。せめて転向転業機会を与える期間だけでももう少し長くしてやったらどんなものでありましょうか。彼らの困るのをみて快哉を呼ぼうというのは愛情をもととした政治ではなく、憎悪をもととした政治ではないでしょうか。この法案が通ってしまえばいいのであります。施行が半年や一年延びたといたしましても、提案者の素志は十分貫徹されたことと考えます。  以上、私は昔の売春制度につきましてはいろいろ研究いたしましたが、現在の売春婦制度につきましては近ごろあまり勉強をいたしておりません。お送りいただきましたパンフレットを通読いたしまして、感じましたことをすなおに申し上げただけでありまして、まことにお粗末な意見で恐縮であります。しかし温故知新ということもございます。私はただいま申し上げましたことがこの法案を御審議なさいます皆様に何かの御参考となれば幸甚と存じます。
  4. 成瀬幡治

    委員長成瀬幡治君) ありがとりございました。  次に婦人問題研究所長藤山たき君にお願いをいたします。
  5. 藤山たき

    参考人藤山たき君) 私は藤山たきでございます。  まず結論から申し上げたいと存じます。私はこの売春等処罰法案を全面的に支持し、そうしてその通過が一日も早いことを念願しておるものでございます。  カナダのダイセンカーターという人がございますが、この人が罪と罰という書物を書きました。そうしてその中に、現代の日本が数千の淫売屋を持ち、政府監督を受けておることは注意すべきだと指摘いたしております。数千でなく万をもってかぞえるところの売春宿が存在しておる。私はあえて政府監督もととは申しませんが、黙認せられて存在しておるということ、この事実に私どもは目をおおうことはできませんと思います。私ども近代国家、いやしくも民主国家と考えておりますところの日本にこのようなことがありまして、それが国際的にも指摘せられておるという事実を私どもは考えなければならないと存じます。去る七月七日のこと、衆議院法務委員会で今日と同じように参考人をお呼びになりまして、いろいろと参考人意見を陳述されましたし、また議員諸先生と参考人との間に質疑応答がなされました、私はその速記録を拝見いたしましたのでございますが、その席上において赤線区域の代表の方が、終戦後公娼が廃止となりまして、それから私どもは営業をいたしますに当りまして、保安部長の通牒、あるいは次官会議決定の通牒等を受けまして、その指示に従って民主主義的営業をしておるということを述べていられます。あたかも政府監督もとにと言われても仕方がないような御発言でございました。そしてなおその赤線業者の代表の方は言葉を続けられ、死ぬか生きるか、そういった関頭に立っておるところの婦人たちに手を差しのべて、その人々が生きるところの道を与えるということを非常に誇りにせられ、あたかもその人々に救済の手を出しているかのごときことを言っておられたのでございます。私はその代表の方、また多くの売春業君の中に罪の意識、自分たちは悪いことをしているんだというところの罪の意識というものが全然欠如しているのではないかとさえ思いました。この速記録を読みしまして、私はほんとうに日本の姿、昭和二十年の日本がこれであっていいのだろうかと、ほんとうに悲しみ、また苦しまざるを得ませんでした。こういったように女の肉体を材料にして金もうけをすることができるような、また金もうけをすることを黙認するような、そういった法律の不備というものはさっそく是正されなければなりません。もちろん労働基準法、職業安定法、児童福祉法、その他多くのまた条例等々も存在いたしておりますけれども売春は罪悪であるとの観念が確立せられておらないところの法の不備というものがすみやかに是正せられなければならないと思います。なお、その衆講院の速記録を読み続けますと、一人の女性の参考人は、自分は月に十一万円あるいは十二万円をかせいだはずである、しかるに二カ月たって八万円の前借がたった五千円しか少くならなかったということを言っていられます。また、一人の参考人は、リンパ腺がはれても、もうどうしてもからだが動かなくなるまでは商売を続けさせられておるということを言われました。そしてこの白亜の殿堂の中において、たとえば回しを一度とるごとに部屋代をとられているのだというような、そういったことが繰り返えされなければならないというこの日本の姿というものを、私は一日も早く取り除かなければならないと、ひしひしと感じたのでございます。  私どもの方に先ごろ一人の転落の女性が寄せたところの手紙に、こういうことがございました。借金の残額が思ったよりも多く、自分はこの泥海からのがれることができない、泥沼に足を踏み入れたが、それが腰まで埋め、やがてだんだん胸まで迫ってくる、この泥を見つめて、自分のみじめさ、そしてまた自分自身のこの生活の恥かしさというものをつくづくと感じておる、何とかしてそこから抜け出させていただきたいということでございましたが、こうした女性はたくさんあることと存じます。この女性の場合におきましては、わずか一、二万の金が必要で、それですすめる人があって、ほとんどだまされるようにしてこの泥海に落ち込んだのでありますが、この人は出よう出ようともがいているのでございます。私は多くの女性がからだを売りますときに、それが貧困のゆえでありますことはもちろん存じておりますけれども、商業的、組織的売春業者というものがばっこしておりまして、甘言をもってだまし、すかし、脅迫してかかる醜業につかしめておる場合というものか非常に多いということを私どもの調査の上からも存じておるわけでございます。私はこうした業者の存在、そしてまた業者をめぐる、そしていわゆるこれら業岩と利害関係を共にするところの人々に理を説いて転業せしめ、また理に従わないときにはこの処罰法案にありますような厳罰をもって臨むことは、これは当然のことであると存じます。  二年前、私がジュネーヴで国際連合の婦人の地位委員会に出席いたしましたときのことでございます。並みいる代表の前において、ソビエトの代表ポポバ女史が、日本においては人身売買並びに売春により利益を得るということが当然のようになされているのではないかということを発言したのでございます。それを聞いておりましたが、私は残念ながら日本はまだ国際連合の一員でございませんがために、オブザーバーとして出席いたしておりましたので、一言もそれに対して言うことができなかったのを非常に残念に思ましたが、外国また国際連合機構は、日本のこのことについて大きな関心を持っております。また、ILO――国際連合の同じく専門機関でありますところのILOも、いわゆる強制労働についての題目を研究題目といたしておるような次第でございます。また、一九四九年、国連が人身売買及び売春により利益を得る行為の禁止に関する条約というものを採択いたしました。これは二年ほど前日本の外務省にも寄せられまして、日本に批准を求めて来たのでありますが、私どもはこの日本において売春業者がばっこしておる、また売春の仕事に携わる人がある種の登録などをしなくっちゃならないような、またたとえば検診に行ってそこに名前が残されるというような、そういった制度というのを禁止しておりますが、今日本が国際連合に加盟するところの希望を大きく持っておりますときに、この準備のためにも、私どもといたしましては売春行為の禁止、それからまた売春業者の絶滅という方向に向って進まなければならないと存じておるものでございます。  諸外国の例を二、三申し上げますと、大多数の国におきまして第三者が婦女売春をさせることを禁止しておりまして、しばしば厳罰をもって臨んでおります。十数カ国においては売春行為そのものを禁止しており、他の国のうちにもその途上にあるものが多うございます。二、三の国の立法例を申しますと、アメリカは州によってまちまちでありますが、娼家の経営はすべての州で禁止いたしております。また娼家に対する資金の提供、売春の媒介、あっせんなど、 第三者による搾取はほとんどすべての州で禁止いたしております。州についてなお申しますと、売春行為そのものを禁止しておるところの州もたくさんございます。売春のためのお客を勧誘することは、三十二州で禁止されております。報酬のためまたは報酬を得ず売春のためからだを与えるということは、十四州において禁止されております、娼家に出入りし、住みまたはおることは、四十二州において禁止せられております。職業的売春は、四十四州において禁止されております。その他売春行為自体を禁止しておりますのは、オーストラリア、ベルギー、ブルガリア、カナダ、チェコスロバキア、デンマーク、フィンランド、ドイツ、ニュージーランド、ノルウェー、スエーデン、スイス、ソビエト、南阿連邦、ユーゴスラビア等々でございます。イギリスにおきましては、一八八六年に世界に率先いたしまして売春制度を全廃いたしました。現在は刑法をもって取締り売春のあっせん、娼家の経営、資金の提供など、第三者の行為について、罰金、禁固、懲役及び笞刑――笞を打つところの刑を科しております。本人の売春については、直接取締りの対象とはいたしておりませんけれども、風俗を乱すときに罰せられます。たとえば袖を引き、そしてまたいろいろといかがわしいことをいたしますとき罰せられ、相手方に関しましては、同じように無頼漢また浮浪人として処断することができます。このように申し上げましたら時間も経過いたしますので、ただ一つ、もう一つフランスにおきましては、第三者に対しては禁固、罰金をもって臨んでおります。しかし一九四六年に制度的な売春というものを全廃いたしまして、業者をしてそれから退かせましたが、そのときに補償金の交付というものはございませんでした。このように、国際的に見ましても、日本といたしましては、すみやかに今までの行き方を改めていかなければ、国際社会の仲間入りができないのだと存じます。  次に、この法案に対しましていろいろ言われておりますことの最も大きいことは、この法案に対する裏づけとなるところの社会保障制度の確立を待たなければならない、予算を伴ったところの政府案でなければためだという言葉でございます。日本の国は貧しゆうございます。日本の国の貧しさというものは社会保障制度の歩みをおくらせております。とは申しますが、これとても戦後幾分の進歩はいたしております。一、二の例を申しますと、昭和二十七年制定せられました、母子福祉資金の貸付等に関する法律ができました結果、母子福祉資金の貸付が昭和二十八年の四月以来続いて行われており、毎年十数億の金が未亡人母子のために流され、その成績にも相当見るべきものがあると存じます。また生活保護法によるところの援助はまことに僅少の額ではありましょうが、これは予算に制限されず、必要な人数のある限り支給されなければならない建前でございます。生活保護法によって救われるということも大いにあり得るのであります。私の会いました横須賀の夜の女は、いわゆる子煩悩の人でありました。またよき妻と自分で考えていたのでございますが、夫にわかれました後、その一人子の教育のために転落したという、そしてむすこには自分の仕事は隠して、良家のむすこであるかのごとき服装をさせ、雇い人をつけて学校の近くに住まわしておりましたが、この女性が一番の苦しみというものは、むすこが自分の商売をかぎつけたらということでございます。この恐怖に襲われておるところのこの女性は、すみやかなる転業を希望いたしたのでございます。私は、こういう人に対し生活保護法ももちろんございますが、よき職業を見つける、いなこの人々のため職業につかせる能力をつちかってやるということが必要なことであると存じます。幸い職業安定法は無差別に職を求める者に対し職業のあっせんをしなければならないところの義務を持っております。失業者がちまたにあふれている今日、そんなことがと一口に言う力もございしましょうけれども、失業者に職を与えるということは国家の至上の務めでございまして、私は先生方の御努力、御尽力によってこれらはなされ得ることであると思います。また私の公民としての短い経験ではございますが、日本においては法律が制定されましたとき、予算の確保が比較的容易となるのであると存じます。現に先ごろの法務委員会、労働委員会の席上において、政府当局は売春等処罰法案成立の暁には、その実施のため万全を尽すことを約束をいたしておりました。厚生省は更生保護、婦人相談所の設立等について言及せられましたし、労働省は同じ婦人少年室に設けられるところの婦人相談所、また、すでに昭和二十九年、三十年にわたる女子就職助成資金を要請したということについて、なおその上の努力をすることを約束いたしておりました。この転落直前の者、また転落はしたが更生を誓うところの女性に職業訓練、生活費金等々を貸し付ける、これが就職助成資金でございますが、この予算が二十九年度三十年度において成立いたすことがむずかしかったところのおもな理由は、売春等処罰法案がこれまでに流れて参りまして、通過していないことにありましたことは、先生方の御承知のことであると存じます。売春禁止法通過後、先生方の御努力によりまして、こうしたものがすみやかに成立するものであることを国民は期待していることと存じます。先ごろ某県で女性三百余名、いわゆる売春婦たち三百余名を集めまして、いろいろと調査をいたしましたが、その中の七〇%は転業を希望いたしておりました。日本の国の売春婦は外国のそれと大いに異り、性格異常的な人がきわめて少く、貧ゆえの転落、そうして前借に縛られ、その身を何とか更生したいと望んでいるところのものでございますから、私はこういった方面の解決というものがよりたやすいのではないかと存ずるのでございます。  私たちは売春は悪であるとの考え方を確立しなければならないと存じます。自分自分のからだを売るのがなぜ悪い、勝手ではないか、一応もっともと聞えますが、近代社会においては人間は正業、正しい仕事を持って生きなければならないのです。自分の金で賭博をする、それがなぜ悪い、その心理は今日通用しないのであります。悪は悪と断じ、その悪徳からのがれ出ようとする人々に万全の更生の道を政府はこぞって、国民がこぞって開こうとするときに、私は決してこの問題は解決できないことでないと存じます。そうして女の肉体を犠牲として金もうけの道をとる人たちが、それが恥ずべきものであるとのその考え方を持つようになるためにも、この処罰法が一日も早く成立することが願われます。先に引用したダイセンカーターはさらにこう申しました。売春制度は必要なる社会悪であるというのは俗物の言葉である、人類は改良されなければならぬ、そうしてまた人数は改良せられ得るところの力を持つものである。というようなことを申しているのでございます。私はこの高い理想の前になしかたきな克服して進んで行かなければならないと存じまして、時間が短く、いろいろ申し上げたいことも意を尽しませんが、何らかの御参考になれば幸いと存じます。
  6. 成瀬幡治

    委員長成瀬幡治君) ありがとうございました。  次は読売新聞社副主筆松尾邦之助君にお願いをいたします。
  7. 松尾邦之助

    参考人松尾邦之助君) 私は新聞社の人間でございまして、非常に自由に発言できる立場にありますので、いろいろなことを思い切って申し上げますが、ここにいらっしゃる議員の方は選挙民というひもを持っているし、また業者が何か策するとか、そういった面がいろいろあるし、それからその他こういう運動をやっている御婦人方でも、たとえばこういうことに反対する一切の人間は何か非常に悪人だという宗教的な感覚を持っていらっしゃるのではないかという気持がいたします。そういうわけで、私もここにうっかりこの法案に反対するとも言わないし、賛成するとも言わない、これはそのうっかり言えるほど簡単な問題ではないと思います。なぜかというと、かりに私がここに来て反対するとすれば、この反対したことに対する非常な責任者になり、またこれを非常な熱情的な、今藤田さんがおっしゃったような神様のような清い純粋な感情で押し進めていった場合に、その法律から出る一切のいろいろなたとえば反動とか、あるいは矛盾した面とか、あるいはその行き過ぎからくるいわゆる別な意味の社会悪、別個の偽善的な面における人間のいろいろな内部のからくり、そういう一切がかりに非常に悪い結果をなしたときに、果してどれだけ責任がとれるか。だからこれをすすめる方も、たとえばこれに対して批判する人も重大な責任を持つべきじゃないかと思うのです。  実はここへ来る前に、きのうでしたか、私の前にいる近藤日出造君と冗談のような話をしてきたのですが、この法案が通ると、松尾君日本ではおめかけさんが非常に安く買えるようになる、おめかけさんの相場がうんと下っちゃう、こういうことを笑いながら言ったのですが、もちろんおめかけさんとかオンリーとかということになると、いわゆる合法的な意味になってくる。要するに許されて、法を犯さない売春をすることになる。それでまあたとえば待合とか、要するに金を持った階級の奥の院の方は手がつけられずに、結局貧しい階級の女が犠牲になる。そうして同時に合法的だということを利用していわゆる安いおめかけさんが全日本にはんらんするだろう。  先ほど国学院大学の先生もおっしゃったように私はこの法案から出てくるもろもろの反動とか、また今の日本がヨーロッパ社会と比べてはっきり言えば反近代的な、封建的な社会にある。ですからあらゆる意味でインチキがはびこる。たとえばこの議会をみても、きょうの開会にしても一時間も人を待たせる、こういったアラビア的な、まだ文化的な感覚を一切持っていないのに、こういう西洋でやった法律日本で必ずいい結果を得るということは私は保証できないと思う。もう一つ政治家の諸君の一つ錯覚があると思う、何でも法律さえ出せば世の中が治まるという。私の家の近くに警視庁の標語が出た。犯罪なくして明るい社会とあります。なるほど犯罪をなくすれば明るい社会が出る。がしかし犯罪をなくしたことによって明るい社会が出るとは私は思わない。明るい社会を作れば犯罪がなくなる、なくならんまでも少くとも犯罪が少くなる。こういった問題を考えて、私は政治の及ぶ範囲というものが人間性の問題に少し立ち入り過ぎたときに、必ずそういう矛盾をいろいろな意味で暴露するんじゃないかと思う。ですから議会で法律さえ作れば何でもできるという、そういう錯覚が非常に危ないものじゃないかと思う。たとえば今マンボという踊りがはやっているとか、非常に悪い本がはやっているとか、これは大きな社会問題であって、何とかしてこれをなくさなくちゃならぬといかにいきまいても、どうして今若者がマンボを踊るようになったか、どうして悪い書物が流れるようになったか、これをさかのぼって分析してみると、そこには非常に大きな社会的な悪があって、その社会悪というものがそういうものに対する大きな原因になっているんじゃないかと思います。だから個人の悪を責める前に社会が非常な罪悪を犯しているということを考えなければならぬ。  それからまたこの売春禁止法にしても私は一応読んでおりますし、私の社でも社説を書いて、きょう私がここでお話しをすることも大体その社説に沿ってやるわけですが、今の日本の状態でこの売春禁止法を出すということは非常にけっこうなことで、私も大いに何とかこれで日本社会が正常化して、大部分の貧しい女が救われるならば私も大賛成する。しかし果してこれができるかということです。それから今言ったように日本が西洋の国と比較ができないということです。私はヨーロッパに二十何年おったのですが、感覚的にあらゆる面で日本は反近代的な、封建的なものを持っている。たとえば私は最近榎本真砂夫という人の書いた「女の旅」という本を見た。これは全世界の売春史を書いているのですが、ほとんど大部分のページが日本売春の歴史を書いてあります。ただいま国学院大学の先生からお話しになったことも全部その中に書いてある。それを読むと私たちが非常に憤慨せざるを得ないことは、仏教が入ってから建武の中興とかいろいろな時代、ああいう時代、それから徳川時代を経て今日に至るまで日本の男性がいかに横暴で、あらゆる意味で女性というものをコンマ以下に投げ込んでいたという長い歴史だと思うのです。要するに千何百年という間われわれ男性が常に女性をコンマ以下の存在としていつも扱っておる。これがあらゆるわれわれの生活の中にしみ込んでいる。今現在でもそうだ。この間近藤日出造が鹿児島に行ってびっくりしたのですが、いろいろな意味で、たとえば男は必ず女よりも先にお風呂に入るとか、それから焼香をする場合でも東京でもそうですが、未亡人は決して先に焼香をしない。長男がやったり次男がやったり、男がやってから最後に女が焼香すると、こういったような、これは一々数え上げると、女というものをすべてコンマ以下に取り扱っておる。それも今から何百年も前の話ならともかく、現在われわれの生活している現代にそういうものが東京にさえ残っている。これが一つの感覚のようなものになっていると思う。こういうものがあって、そこにこの売春禁止法が行ったならば、何か木に竹を継いだような気がする。そこに何か時代を無視したようなものがある。  そういうわけで、私はこれに反対するものじゃないのですが、日本では、フランスとかスイスとかいろいろな例を今藤田さんがあげたのですが、われわれの国はそういう国と比較になるような経済状態ではないということ、これを頭に置くべきである。そうして精神的にもわれわれの国がいかに封建的な古いワクの中に入っておるか、これを頭に置かないととんでもないことになると思うのです。国際連合に入るために日本がこういうことをやらないと文化圏としてもおかしな話だと、こういうだけの理由じゃないと思う。われわれの国の外郭が整っていて、内部にこうしてほとんど前近代的なものが至るところにあるとすれば非常にこっけいしごくだと私は思う。また日本の貧困ですが、これも私は全世界を大体旅行してきて、このくらい貧しい国はないのです。そうして、そればかりじゃなくて、日本ほど貧しいということに何か一種のあきらめの感情を持っている国はない。何かフランス語でいうとレジスタンスというものが一つもない。これは長い間徳川時代からずっと女を非常にしいたげた歴史を持っていながら、いまだかって徳川時代から今日に至るまで、人民が事足って豊かな非常にほがらかな時代があったか、一つもないのですよ。ほとんど歴史の大部分が貧しい者を圧迫した歴史だと思う。そうして常に金を持った連中がこの法律の陰に隠れてあらゆる罪悪を犯して、しかもその罪悪が合法的であったと、こういう歴史でしかないと思うのです。われわれの実際自分の歴史を読んでみて、これはいわゆる官製の歴史には書いてないのですが、ほんとうの日本の民族の歴史を見てごらんなさい。実際恥かしくなるようなことしかない。これがヨーロッパの文明諸国に並んでいるところはそれはただ表面だけで、われわれの内も外も全部私はまだ近代に至らない、前近代的な容貌を持った国だと思うのです。  そういうわけで、私はこの法案の詳細についてここで論ずる時間がありませんが、どうもたとえば第二条にある売春の定義です。これも法律として、法律のことばかり考えている人には何か非常に妥当らしいことと思うのですが、これをもう一ぺん人間性という面から考えてみたときに、私は非常に定義がこっけいだと思うのです。大体不特定という字がおかしな話で、今言ったように特定ならめかけでもその他一切のオンリーでも合法的だから許されると、不特定な場合ということは最も条件の悪い貧困な人間の場合だと私は思うのです。それで、あそこのまあ法律の文章は、法律というものはなるべくぼんやり書いた方があとで都合がいいという、権力者からいえばそうかもしれませんが、何か非常に正体の知れないぼんやりした定義がなされておる。ここからいろいろな誤解が生まれてくるのじゃないかと私は思うのです。  ですから、まあそんならどうしたらいいかという具体的な問題になってくるのです。そうすると、私はいわゆる厳罰で恐怖を与えて世の中を粛正するという線は、いわゆる大部分の政治家諸君が考えることかもしれませんが、こういうことによってわれわれの過去にいかなる多くの犯罪を犯してきたか、たとえば日本を軍国主義にもってきたのも、われわれの国を封建的な無知な民衆を利用してばかな戦争にもっていったのも、全部政治家がこういった国民の反近代性というか、そういう無知を利用して徳川時代にやったことの継続だと僕は思うのです。そういうようなことを考えてみますと、この法律でやるということはいかにもたやすい方法だと思うのです。しかしそういうものの中に裏があって、その裏の持つ多くの社会悪、陰検でそうして偽善的な面を忘れることはできないと思う。そういうことを考慮に入れてこの法案を作るべきじゃないかと思う。たとえば私は最近新小岩へ行きましたが、あの新小岩の小学校の近所に売春屋がずらっと並んでいて、螢光灯か何かともして、女がなまめかしい風をして往来に並んでいる。このような姿は、ヨーロッパの五流国か六流国へ行っても、ちょっと見られない風景だと思う。子供が見てもすぐにわかる、そういう目立つようなしかも学校の近くにこういうばかな制度が何で残っているか。これは私は少くとも人間の肉体に関する自然の現象というものは、幾ら圧迫したって、私は抜け道があると思うが、少くともああいうものを往来の人に見えるようなところへ出して恥じない、こういうことはもっと私は厳重に取締りをすべきじゃないか。私の住んでいるところは加藤シヅエさんのいらっしゃる大田区なんですが、あの本門寺の近くにやはり何か売春の――、何か赤線区域か何か作ろうとして反対したのですが、こういう点では私はもっと思い切って猛烈な反対運動をすべきじゃないかと思うのです。もちろん私の言うのは、根本的な人間的な問題でなかなかこの法律ではできないといっても、少くとも教育の問題ということは重大だと思うのです。私は娘を持っているのですが、実際あらゆる意味で私たちの社会が、私がどんなに熱心な教育をしても、表へ一歩出たら、全部これが破壊せられるということを感ずるのです。だから思い切って学校でもやめさせようというくらい、実際恐怖心を感じるくらい日本社会というものは、無責任きわまるものをああいう純潔な娘の前に暴露している。こういうことを考えても、私は日本日本としての社会の条件を考慮して法文を作るべきだと思う。何かフランスやイギリスやアメリカもどうだこうだということは、私はこれは参考になるだけで、そうだからわれわれがやらなくちゃならぬということはどこにあるかと思う。自分を忘れていることがあまりにはなはだしいと思う。法律案の第四条に、業者を取り締る、これは私も徹底的にやる方うがいいと思う。これは徹底的にやると、あと代案があるかということになるのですが、今の状態からいうと、今のように反封建的な、そうして女というものはまるで人間のかすみたいに考えているような思想が男の中にある限り、私はこういうものの持つ陰険さということを考える。ですからこういうものをかりに残すとしたら、不幸なことになってしまう。ちょうどフランスが一九四六年の売春禁止法のいろいろな弊害が出てきまして、きのう私はフランスの新聞記者と一緒に街を歩いておりまして、たまたま私がきょうここに来る話をしましたら、フランスはあの一九四六年の売春禁止法が出てから八〇%花柳病がふえた。それであのパスタール病院の博士が非常に憤慨している、またその他何とかして昔のようなああいう悪所通いをするといった印象を与える淫売窟はやめた方がいい。少くとも病気のコントロールのできる、そうしてまたそこへ行く人が何か悪いことをするような陰険な暗い気持で行かないような、ほがらかな淫売屋というとおかしいのですが、そういうものを作らなければいかぬということが新聞に最近出ている。今言った八〇%というのはうそだろうと言ったら、うそじゃない、いつも証拠書類を見せるからと言っておりましたが、これはうそじゃないと思う。こういうふうにこのことは表面だけの問題じゃなくて裏面がある。そうして人間性に関係しているだけに非常にデリケートなものだということを頭に置いていただきたい。  それから今言ったように仲介者の厳罰なんですが、仲介者は今言ったように性格的に封建的なものを持っている。これから死ぬか生きるかという者を救うというようなことは、非常に偽善的な表現で、おそらくあの商売をしている人がそんなヒューマニティで行動しているとは思わない。そういう者の持っている悪を除去する方法は幾らでもあると思う。  それからもう一つは、警察が今度のこの法案が出てから一体何をやるだろうか、私は警視庁の相当えらい人にも会って話をしたのですが、一体これをどうしてコントロールするか、取締りはほとんどむずかしい、私はそう思う。社会というものは矛盾だらけですよ、裏はあるし、一体どうしてこれを取り締るかということなんです。私は一昨年かその前の年に平林たい子さんとパリに行きまして、フランスのそういう売早窟を見てきたのですが、昔はパリに三百何軒かの女郎屋というものがあった。ところが今は全部廃止されて、学生の合宿所になった。街は非常に清浄化したということになっているのですが、そんなら売春婦がなくなったかというと、パリ全体で警視庁の調べでは、少くとも六万人以上の女が彷徨している。私の事務所がパリのオペラの近くにあるが、昼間でもその附近に女が四、五人いる。みんなしろうとの服装をしていて売春婦とわからないが、これが全部売春婦なんです。こういう売春婦が大体六万人以上もパリにいて、しかも警察はこれをどうにも手がつけられない。要するに個人の人権というものが徹底しているフランスですから、その女が男と歩いているところを見て、ちょっと来いというわけにゆかない。それからいわゆる現行犯ということにしても、客引きをやったというはっきりした証拠がない限り、その女は必ず巡査にこれは私の恋人です、……、恋人と言えば、どうにもならぬ。ですから先生らの病気を調べることができない。こういうような状態で非常に私はああいうことによって、いわゆるパリの女郎屋がなくなったという一つの美しい面の裏に、そういう別のたとえばパリの街全体が女郎屋のサロンのようになってしまった。しろうとの女か淫売がわからんがために、巡査が何も手がつけられない。そのために病気がふえている、こういう現象を私は見てきた。  それからロンドンでも、アメリカでも、いろいろな法律が出ておりますが、その裏の話を聞いてみると、必ずしもその法律によって整理されて美しくなっているとは思えない。こういうようなことを考えてみますと、なかなか簡単にこういうことはやれない。そうしてしかも御婦人方の神のごとき気持で押し進めるのはいいとしましても、われわれの住んでいる社会に非常に矛盾が多い。しかも陰険な一部のやみ取引の多い状態をはっきり頭に置かないと、これは大へんなことになるのじゃないかと思います。こういうことを考えてみると、私は今新生活運動というのを押し進めておりますが、たとえばああいう運動は予算も少いし何もできないにしても、私は今言ったような不合理な封建的な人間の考え方をじりじり直してゆく。こういった意味ではあの新生活運動がわずかの予算でも根気よくやれば、そういうことは役目を果すのじゃないかと思います。  それからまた教育の問題ですが、これも私は何よりも法律以上に私は重大な問題だと思う。また一方で法律が非常に無視されておる。この間私はある人と大田凶の映画を見に行ったのですが、あれは「渡り鳥いつ帰る」という永井荷風の映画なんです。一体あれは映画を白昼子供と見ている日本の親がわからない。なぜあれを許しているかあれは鳩の街の部屋の状況を一つ一つ写している。売春禁止法とか何か神様のようなことを言ってもこれは頭隠して尻隠さずで、ああいうばかな映画をそこらじゅうでやって、子供が見ている。これなんかもおそろしい矛盾だと思う。なぜあれに制限を加えないか。たとえばフランスでも子供は入っちゃいかぬという条件がある、日本では見たことがない。子供の映画館が一つもできていない。それから性教育映画を見たりして、日本人の若い層が悪いことをしているということとなっておりますが、これはヨーロッパの知識でそのまま考えたらおかしな話だと思う。われわれの住んでいる家の構造を見てごらんなさい。私自身の告白ですが、私は貧乏家に生れたのじゃなくて非常にしあわせなんですが、それにしても田舎で生れてあのふすま、障子隔てて自分のお父さんやお母さんが寝ている。そのためにあらゆる意味でいろいろなものまで筒抜けですよ。大体隣りのもの音が全部筒抜けする家は世界にないと思う。こういうところから子供の性的な興奮がある。そういう家の構造さえも非常に原始的な人間の、たとえば性の問題を隔離するだけの設備もできない日本の状態、こういうものを放っちゃらかして、悪い本を焼きさえすればいい、そういうような考え方も私は本末も転倒しているのじゃないかと思うのです。こういうところに矛盾をはらんでいるということを頭に置いてやらないと、私はこれを出したあとのおそるべき結果に対してこれを出す人の責任感を一つ追及したいと思う。またこれに対していたずらに反対する向きもこういうことを反対するについてはどれだけの責任を持っておるのか、こういうことを考えてみると、うっかりこれははっきり簡単に反対するとか、賛成するとかいうことは言えないと思う。いろいろな条件を考えて、そうして日本社会にそぐうような調和のとれた非常にしんぼう強く社会のいろいろな層の生活水準の問題とか、こういうものを全部とらえて非常に慎重にやらないと、こっけいなものになるのじゃないかと私は思うのです。日本の貧困なども外国の貧困の場合と比べて、日本の方をひどい国と言いましたが、大体ニコヨンにさえなれない生活保護を受けている者、ないしは受けなければならない者は人口の何パーセント、約一千万ぐらいいるのです。そうして長い間の専制政治に圧迫されて、貧乏ないしは目分の幸福に対する欲求が麻痺している。だから何のレジスタンスもない、無抵抗ないわゆる民草をたくさん作っておる。こういう状態から見れば、必要な収入がどれくらいということをフランス、アメリカ、イギリスと比べても無意味だと思う。そういうようなことから考えてみても、まあ数字的に見ても悲惨な状態なんです。この間映画館で常磐炭鉱のあの貧しい階級のボロ屋敷を見て、あの中にいる子供やおかみさんが飯が食えなくて売春をし、人身を売買したというニュース映画を見たのでありますが、ああいう貧民窟の状況はこれは全国にたくさんあると思う。組合組織もほとんどできていない、労働基準法も法律だけで実際守られていない、こういった状態のものが全国に満ち満ちている日本で、人道主義だとか、個人の権威だとかいうことばかり考えてやったら、何か宙に浮び上ったようなものになるのじゃないかという心配を私は持っているのです。  長くなりましたから、これで失礼いたします。
  8. 成瀬幡治

    委員長成瀬幡治君) ありがとうございました。  次に、東京慈恵会医科大学教授石川光昭君にお願いいたします。
  9. 石川光昭

    参考人(石川光昭君) 数年前に、私は国立病院の特別会計制度の問題の論議に関連しまして、ちょうどこの議場におきまして公述人として卑見を述べたことがあるのでありますが、参考人としてお呼びにあずかったのは今回が初めてでありまして、参考人が何かまとまった意見を申し述べるものであるということを先ほど拝聴いたしておりまして、初めて悟ったような次第でございまするので、本日はまとまった意見を用意して参りませんので、ただ簡単に私の思いついた事柄を申し上げまして御参考に供したいと存ずる次第であります。  この売笑とか、売笑婦とかいう問題は、申すまでもなく医学の関連におきまして意義を生じまするのは、それが性病の蔓延の問題と深く関連しておるというところに主としてあると思うのであります。それで昔西洋の何とかいう賢人が、売笑婦といふものは宮殿の便所のようなものであると申したと、ものの本に書いてあるのでありまして、まことに一面の真理をうがち得ていると思うのであります。そこでただいま問題になっておりますような、法的に売笑を処罰するというようなことによりまして、真実に全面的にいわゆるわれわれの生活から売笑というものをなくすことができるかどうかということは、問題であろうとは考えますが、とにかくたとえばやや品かないかもしれませんが、便所が近代生活におきましてだんだんと水洗便所になる、臭気もそうわれわれの生活をおびやかすほどでなくなってくるというようなことと同じように、やはり売笑婦の問題ということも、その生活社会組織なり、文化の進歩なりに歩調を合せてその形態を変え、またそれから発生するところの害毒を少くするようにするというふうに考えるということが、やはりわれわれの考え方の基本的のものではなかろうかと、こういうふうに私は考えるのであります。その意味におきまして、こういう法律が実現されるということは、まず医学の立場から見ますれば望ましいことでないかと考えるのであります。  その根拠になるような二、三の事柄を申しますと、第一には、性病の蔓延という問題であります。御承知ではありましょうけれども、わが国におきましては、いわゆる医学の研究的な面は非常に進歩をしておる。しかしながら予防公衆衛生というような面においては劣っておるのでありまして、その姿がこの性病の蔓延の問題にも見られるのであります。数字的のことは厚生省が先ほど出しました性病白書などに掲げられておるところから、もちろん数字の真実との距離の問題、そういう調査が現わすところの事柄が果して実態そのものであるかどうかということについては、これはいずれの調査におきましてもそうでありますけれども、ことに性病に関する調査におきましてはいろいろの困難がありまするので、そういう資料は一つ参考として判断をするという意義を持つものと考えるのが妥当であろうと思うのであります。で試みにその数字を一、二拾ってみますというと、一般人の梅毒にかかっておる割合というものは、血清検査の結束に徴しますというと四・六%、これに基いて全国の梅毒患者の数を推定いたしますと、約三百八十万人というのであります。そのほか御承知の通り性病と申しますと、現在わが国の法律において対象になっておりまするものには、淋病、軟性下疳、鼠蹊淋巴肉芽腫病とこの梅毒を加えて四種類あるわけでありますが、その中で最も重要な意味を持つのがもちろんこの梅毒でありますが、その梅毒がかような程度に蔓延をしており、そしてその梅毒によってこうむるところのわれわれの惨害はどういう面に現れるかと申しますと言うまでもなく、第一には死亡の原因、ことに乳幼児の死亡の原因として梅毒が重要な意味を持つことは、今日だれでも常識的に知っておるところであります。それからまた、脳梅毒つまり精神病の原因となるとか、あるいは循環系の血管や心臓の病気となって現れる、いろいろな形をとってそして人体を悩ますところの最もおそるべき、いわゆる社会的の疾患であるのであります。で、わが国は先ほど申し上げましたような数字が示しますところから推定いたしますというと、今日でもこの梅毒の惨害を相当にひどい程度にこうむっておる。これは先ほど読売新聞の先生が言われた通り、必ずしも外国と比較するということが重要な意味を持つとも考えませんけれども、これを外国に比べてみましても、やはりまだ外国文明諸国の数字よりも高い数字を示しておる。東海の君子国は必ずしもいわゆる君子国ではないということを、この辺にも片りんを見ることができるわけであろうかと思うのであります。ですからして、かりに性病の蔓延の状態が要するに相当にひどい。そしてこれを外国の例などに徴しましても、もっとこれを減らすことができるものである。従つて、その減らすことに役立つような方法を示すというのは、われわれ医学に関与する者の立場としては、これをあくまでも支持するというのが当然の立場であるように思うのであります。  それから第二に問題になりますのは、しからば売笑婦というものが、性病の蔓延という問題の中にどういう役割を演じておるのであるかということが起ってくるのであります。これに関しまして厚生省の調査した資料によりますと、性病を伝染されてくる者の七五%は売笑婦からであるということになっておるのであります。この数字そのものが、端的にあらゆる地域社会あるいは階層の性病獲得のルートとしての売笑婦の意義を現わしておるというふうに考えることもできませんけれども、先ほど申しまするように、やはりこれも一つの真実の姿を示唆する資料として考えますると、やはり売笑婦というものがわが国の性病の蔓延のルートとして非常に大きな役割を演じておるということは推定するにかたくないと思うのであります。そこでこの性病の蔓延の源となるところの売笑という事柄、あるいは売笑婦という人、そういうものをこの売笑禁止法によって減らすことができると、もちろん先ほど来る申し述べられておりますように、一片の法律でもって万事が解決するとはわれわれ医学に関与しております者でも考えない。それにはいろいろな経済的な、社会的な問題がからむ。従ってここに大きく政治が作用しなければならぬということはわかるのでありますが、とにかく法の問題に限定して考えましても、それがそういうことに役立つならば、やはりよいものであると考えてよろしいと思うのであります。  それから第三番目には、性病を世の中から減らす、つまり性病の対策として、昔はどこの国でも、欧米諸国におきましても、いわゆる売笑婦というものを対象として施設、法規を定め、行なってきておったのでありますが、二十世紀の初めのころに北欧の三国、スエーデン、ノルウェーというような国国におきまして、売笑婦を対象とするだけでなしに、一般社会の性病の患者を対象とするところの方法を徹底的に実行することによって、社会から著しく性病の患者を減少することができるということを実証いたしまして、かつまた、諸国が長い間努めておりましたところの売笑婦を対象とするところの性病対策というものが効果がないものであるということが経験されておりまするというようなところから、多くの国がつまり売笑婦を対象とする性病対策より一般社会の患者を対象とするところの対策へと転換をしたのであります。わが国におきましても、終戦後この性病予防法におきましては、そういう一般社会の人もその方の対象として考えられておるのでありまして、そこにわが国もやはりほかの国と同じように、その原理におきましては転換をしたのであります。ところが、先ほどからお話もありましたように、いろいろの点において西欧諸国の人々とは違う。社会の構造も違うし、感覚も違うし、考え方も違うとか、いろいろなことがありまして、まだそれが望ましい程度に実行されておらないというのが現実であると思うのであります。  そこで、この売笑婦というものは、先ほど申しましたように、花柳病の伝染の源として大きな役割を演じておるものである。そうしてその罹患率はおよそ二〇%にも達するというようなことが厚生省の統計によって示されておるところであります。ですからして、少くとも売笑婦というものを認めて、そうしてそれに対して検診なり医学的の方法をある程度売笑婦を対象とするところの方法として行うということが、必ずしも社会の性病を減少することに大きく役立つとは考えられないのであります。むしろ売笑婦であっても何であっても、とにかく性病の患者である者は、その個人の責任において、あるいはわれわれ社会の責任においてこれを治療し、そうしてまたその蔓延を防止するという方法をとらなければならぬというのが、今日の社会医学者の考えるところであるわけであります。かように考えて参りますと、売笑というものが法的に認められなくなるということの方が――ほかのいろいろなそれによって派生される問題というものは私の考慮から除きまして、医学的な立場から申しますと、それによって失われるところがあるとしましても、むしろそれによって得るところの力が多くなるであろうという見解を私は抱くものであるということを申し上げたいと思ったのであります、  さっき申しましたように、何もまとめて参りませんでしたので、大へんお聞き苦しかったことと思いますが、いずれ御質問等がありましたならば、後刻お答え申し上げまして、足らないところを補いたいと考えております。
  10. 成瀬幡治

    委員長成瀬幡治君) ありがとうございました。  以上で午前中に予定しておりました四名の参考人意見の開陳が終りましたが、以上の参考人に対し御質疑のおありの方は御発言を願います。
  11. 一松定吉

    ○一松定吉君 石川さんの今の結論がちょっとわからなかったのですが、性病が蔓延するおそれがあるのだから、むしろ売春は取り締らない方がいいんだと聞いたようですが、あるいはそうでなかったのか、この結論だけちょっと聞きたい。
  12. 石川光昭

    参考人(石川光昭君) それは私の申し上げました意味は、売笑婦なら売笑婦というものが一つの性病の感染の大きな源として働いている。しかしながらそれだけを取り締ってみたところで世の中の性病というものは著しく減ってはこないのだ。だから性病の対策としては、これらを含めた世の中一般の性病患者を対象とするのがよろしいのである、こういう意味なのです。
  13. 一松定吉

    ○一松定吉君 そこで、売笑という制度はどちらがいいと……。
  14. 石川光昭

    参考人(石川光昭君) 私は、つまり売笑の存在によって、それを監督することによって性病というものを払拭できないものであるならば、その観点からやはりその制度を伸ばして一つの医学的な監視を強化することが一つ……。
  15. 一松定吉

    ○一松定吉君 売笑婦は残した方が……。
  16. 石川光昭

    参考人(石川光昭君) 現在の世の中の考え方は、それを対象とするのでなくて、むしろ世の中の一般の患者を対象とするのがよろしいというところに進んできておる。それを除外するというのでなくて、含めて、たとえば今の統計に出ております七五%といいのは少し大き過ぎるのじゃないかと思いますが、とにかく売春婦というものから病気をもらってくるということは非常に多い。しかしながら、まだかなりの部分というものは売笑婦以外のものからやはり病気をもらってくる、これは現実の事実なのでありまして、そして調査の場合なんか、おそらくは売笑婦からもらってきたということは白状しやすいとしましても、そうでない場合にはなかなかこれを現わすことがむずかしいということもあるのじゃなかろうか。そういうような事情を考えてみますと、やはり何といいますか、やみといいますか、とにかく売笑の方でないところの人間的な関係から病毒が蔓延するというところが相当あるのじゃないかと、こう考えるのであります。そのことは医学の歴史を調べてみましても、梅毒なら梅毒というものがある国、ある社会に入りますというと、非常な勢いで社会に蔓延する、これは歴史的にも証明されている事実なんです。そういうことは一面、そういうものの蔓延というものが売笑婦なら売笑婦だけのものではなかろうということを推定する一つの根拠になるのじゃないかと。
  17. 一松定吉

    ○一松定吉君 そこで伺いたいのは、売笑を禁じてもそういうような梅毒だとか淋病とかいうものはなかなか少くならぬのだ、ほかの方面からもそういう蔓延があるのだ、そこで売淫がどうです、その結論のところだけ。
  18. 石川光昭

    参考人(石川光昭君) ですから、売淫ということはむしろ禁止して、そして対社会的な性病対策をもっと強化するというところが本筋であろうというのが私の考えなんです。
  19. 中山福藏

    ○中山福藏君 私ちょっと瀧川さんとそれから読売新聞の副主筆の方に。まず瀧川さんにお尋ねしたいのですが、お話を承わっておりますと、この法案の半ばには賛成し、半ばにはどうも賛成しかねるというように、私聞き違いかしりませんけれども、承わった。そこで全体としてこの法案を通していいか悪いか、その点はどうでしょうか、私ちょっと承わっておきます。結論として、通した方がいいか悪いか、こういうことを承わりたい。
  20. 瀧川政次郎

    参考人瀧川政次郎君) 私は売春婦そのものを罰するということはこの法案から除いていただきたい。ただ業者、仲介者、それに資本を供与する者だけを罰する法律にしていただきたい。もう一つは付則を改めて、三カ月という期間を六カ月なりあるいは一年にしていただきたいというのが私の考え方でございます。
  21. 中山福藏

    ○中山福藏君 そこで読売の方にお尋ねしますがね、あなたの方はあまり悟り過ぎておられるように私まあ承わっております。それで世界の情勢も日本の国内事情もまことによくはっきりわかり過ぎて、利害得失相半ばして、お互いに戦っているからどうしていいか、非常に責任を感ずるから、結論は与えられないというような感じを、聞いておりますると、受けるのでありますけれども、どっちに軍配を上げられるか、その点を承わることはできぬでしょうか。それを一つ。(笑声)
  22. 松尾邦之助

    参考人松尾邦之助君) うっかり責任のあることを言われないと私は思っております。私は専門家でもないし、学者でもありませんから、どっちにプラスマイナスをしてくれといっても、私にはよくわからない。ただあの法案を見ると、何かヨーロッパ式な制度でわれわれもやらなければ済まないというかなり無責任な行き方があるような気がするのです。もっと責任を持ったらああ簡単に懲罰ができないのじゃないか。もう少し社会の矛盾に同情してもらいたい。日本の貧困もヨーロッパと違うひどいもので、これなんかも考えてみないと、ヨーロッパとの比較はできない。日本の条件をもっとたくさん考えればああいう厳罰は少しひどいのじゃないか。それならば結論からいえばどうかという、じりじりと教育の問題とか文化向上の努力をして、同時に社会的な保障といいますか、たとえば全国にどれだけの売春婦がいるか、これを救済するには、どれだけの予算が要るというようなことで、もっと真剣に具体的に数を出して、じりじりああいう貧しい階級の、不幸な女を救う可能性に応じていくようにしないと、あれをそのままほったらかして、かりに、いかに十人で一人を救えといいましても、どんどん日本の人口はふえておるし、この日本の貧困の状態がここ数年の間によくなるものとは思っていない。日本の政情からしてもっと右翼化するか、左翼化していく危険を私は感じておる。こういう場合ですから、社会救済の方途をやりながら同時にこれをじりじり貧しい者の晩方をしながら行く方法がいいのじゃないかと思います。何かこれだと金持ちとか有閑階級の人だけが法にひっかからずに貧しい階級だけが犠牲になるような気がするのですが、これが逆ならいいのですが、やってみてよくなるなら私は大賛成ですが、そこに疑念を持つのです。
  23. 市川房枝

    ○市川房枝君 実は今日の参考人の一人として、ジャーナリストの方にお願いをしたいということで、人選を新聞協会の方にお願いをして、先生に出席をしていただいたわけですが、まあ私ども新聞のこの法案に対する態度といいますか、論説あるいはまあ「天声人語」とか「余録」とか、いろいろそういうところで御批評をいただいておるのを実は拝見をしております。読売、まあ朝日とか毎日三社を比べますと、私ども拝見しておるところでは、朝日と毎日は賛成をしていただいている。この法案にはいろいろ欠陥がある、しかしながら現段階においては、やはりこれを通すべきだ、こういうふうな御意見のように伺っているのです。読売は、いわゆる更生施設も伴わない、ただ罰則だけの法を通してもしようがないじゃないかと、こういうような御議論と実は伺ったのであります。その他のいろいろな新聞もこの問題には非常に関心をお持ちいただいてお取扱いを願っておると思うのですが、ほかの新聞はあまり私拝見をしておらないが、まあジャーナリストとして新聞の――これもなかなかむずかしいかもしれませんが、大体この法案に対する傾向といいますか、批判の模様を伺えますと大へんありがたいと思います。
  24. 松尾邦之助

    参考人松尾邦之助君) 非常に常識的なことを申しますと、われわれ論説委員――私の下に今二十人近くおりますが、私が責任者になっておりますが、あそこで話をしていることと社説の間には多少のニュアンスが違っておると思うのですが、結局、新聞でも世論というものはやはり頭に置いていただいてよろしい。まあ世論の指導というか、社説だけは人が読まなくてもどりであろうとも、世論の支持ということを考えていただきたいのですが、ただ結局朝日でも毎日でも読売でも大体はそうひどく違っているとは思われない。まあ毎日新聞の社説を私見ますときには、割にはっきり出ておる。で、うちのあれは「編集手帳」ですか、高木さんもあれは私のところの社説とは少し違ったような、むしろこれに賛成するような記事をはっきり書いています。高木さんのところには、あの「編集手帳」のところにだいぶ手紙が来て、業者の方からはこれはひどい反対が来ていました。新聞社全体が一つもとまった思想を持っているわけではない。下の方の「編集手帳」は、ちょうど高木さんがあれを書いているが、社説では、これは私が書いたんじゃない、法律の専門家の人が書いたんですが、それがやはり今おっしゃったようなことを書いておると、この線が出たわけです。で、私がここで言ったことも私自身の考えを述べたわけで、社説のワクに別にこだわったわけじゃありません。これは大体において、今の日本がしいたげられた状態にいて、女の地位が低い、こういう意味で上反対している人は一人もない。ただ反対に対してどの程度のリザーヴをするか、たとえば私のように心配をする、また疑念を持つ者がありはしても、あの法案はけしからぬからと言っている人は、おそらくうちの社の中にはそんな常識はずれのやつは一人もいないと思います。ただ出す以上は、効果があってもらいたい。それによって世の中をよくしたいという熱意においては、私は、おそらくあの法案の趣旨には徹底的に賛成すると私は思うのです。
  25. 市川房枝

    ○市川房枝君 今の御意見を伺いまして、十分安心をしたのですが、そういうふうにこの法案に対してとにかく賛成はしているのだと、反対はしていないんだ、しかしまあこの法案の実施した結果が心配なんだ、もう少しこの法案の内容について――だからまあ趣旨には賛成だと、こういうふうにお伺いしたのですが、それでありましたら、一つ建設的な内容でどの程度に一体いけないか、どの程度ならいいか、さっき言った批判、瀧川先生もはっきりおっしゃっておりましたが、そういうような点も伺えましたら。
  26. 松尾邦之助

    参考人松尾邦之助君) 私も大体、瀧川さんの考え方と私の考えてきたことと偶然に一致したわけですが、結局業者の方を集中的に監督したらどうか。これを業者を罰するということと売春とは何かくっついているから離すのはおかしい、矛盾したようなものですが、あの業者の露骨な弱い者を搾取するという線をくずしていくことが一番最初のとらなければならぬ問題じゃないかと思う。そこに集中していった方がやはりいいという気がするのですが。
  27. 藤原道子

    ○藤原道子君 私も松尾さんにお伺いしたいのです。先ほど来教育的な面から非常に憂えておいでになった。私たちもそこに根本があるわけであります。で、このごろ非常に子供たちの間にすら性行為が行われておる。そういうものを見ると、あの青線であるとか赤線であるとか、あるいは進駐軍関係のああした露骨な性行為、こういうものが非常に童心を傷つけ、あるいは思春期の子供を刺戟して、そういう方向へかり立てておる、こういう点についても非常に憂えておる。そうしてまたああした状態が許されておるということは、売春ということが許されておるのだ。たれでも性本能というものはある。けれどもそれを性道徳によって抑制するところに人間としての価値があると思うのです。だから売春とは悪であるという規定をすることによって、子供たちの教育にも非常なプラスになると私は考えておる。そういう点からしても、まずこの売春悪の規定を設けたい、これが私どもの第一点なんです。それから衆議院意見を聞いても、今先生方の御意見を伺っても、女の子を、貧乏だからこれを罰するのは過酷だというような御意見が出る、ところがあれは御案内のように一万円以下の罰金となっております。「以下」でございます。私どもはこれを一万円とらなければならないと規定してはいない。売春を悪であると規定いたしました以上は、若干のそこに何かをつけなければ、法の体裁は整わないと思う。一万円以下でございます。十年以下の懲役でも、執行猶予とか何とかいうような、その法の運営の上において裁判官の頭でこれは処理されてきておるのが、御案内のように今までのやり方でございます。ですから、一万円以下の罰金を過酷なりと言われる点が私にはわからないのでございます。それから御案内のように両罰規定を設けております。あの一万円以下の罰金は、私ども法の立案に当った者は、主として男に科したい、男性側を罰したいのです。今いろいろ法律がございますけれども、今のあの法律でいいじゃないかとおっしゃるのですけれども、松元事件のようなもの、あるいは最近起っております十四才の子供を四百何十回売春させても、相手の男を罰する規定が今はないのでございます。従いまして、あの法案の趣旨は、女の方はなるべく保護をしていきたい、だけれども相手の男子を罰したい、それによって男性の不道徳を少しでも抑制したいというところにねらいがあるのでございます。さらに女がかわいそうだかわいそうだとおっしゃいますけれども、現実に堕胎をさせられて、まだ出血しておっても女が客をとらせられておる、こういう人道的な立場から行けば、かわいそうな女だから私たちは救いたい、かように思うのでございますが、先生の御意見をお伺いしたい。
  28. 松尾邦之助

    参考人松尾邦之助君) 教育の面を先におっしゃったのですが、私はこういう大きな教育の面における手抜かりが、これが性の道徳の混乱の原因になっておることは、社会があまりに無責任過ぎるのが――さっき私は映画館の例をとったのですが、たとえば家の構造にしても、またわれわれの幼いときに非常な興奮と刺激をもって、そういうところに引かれるようなものが至るところに日本においては悪魔のごとく待っておる。それを片一方において放擲しておいて、悪所に通うとか何とか騒いでおるのは非常にこっけいだと私は思う。それともう一つは、漫画の本などはどんどん売れておりますが、一方に子供に、あるいは青年に性慾を抑制しろ、これが必要なことだと言いながら、ただその方ばかり言っても、私はこれは救われないと思う。そういう抑制をするについてに、どっかはけ口が必要じゃないかと思う。たとえば健全なる娯楽とか社会生活の雰囲気の中にある何か別な興奮、たとえばスポーツもあるのですが、そういうようなことばかりでなくして、もう少し文化的な民族として、もっと人間性の向上になるような私は何か娯楽とかいろいろなものを与えておいて、そうして片一方に性のばかな刺激を避け、ただ押えろ押えろとか、売春は悪いとかいうことばかり説教しても無理だと思う。そういうあたたかい心で片一方に抜け道を作ってやる考慮が必要じゃないかと思うのです。  それからもう一つ売春の問題になりますが、結局女の人に同情し過ぎる、貧しいからと、そういうことばかりを考えているけれども業者としては非常に残酷なことをしている、こうおっしゃるのですが、それなら結局まあだれでも今考えることは、世の中にある矛盾というのか、不平等というか、結局今言ったような金持ちが陰険にやっておるものは絶対に懲罰されないように現実はなっておる。法律の文面でどんなに人道的にきめても、実際あれが適用された場合に、一番陰険にそれを悪用したり利用するのは金持ち階級じゃないかと思う。だから、たとえば待合というものも一方において存在していることをもう少し注意しないと、ちょうど今の映画館のようなものじゃないかと思う。ふたをあけていわゆる陰険な人たちの逃げ場所を作っていくのじゃないか、それからおめかけさんの問題もそうじゃないかと思うのです。そういうような富裕な階級、要するに金によっていわゆる不平等というか、矛盾ができるような社会の条件を無視してこれを推し進めていくのは、私は考えものだと思うのです。だから、結局貧乏人が損する、こういったことになる。業者の方が非常に腹をふくらまして、あの中にいる貧しい階級の娘がひどい目に会うと同じように、社会全体から見てもそういった不平等があるのじゃないか。その方も大いに考慮していただきたいと私は思う。
  29. 藤原道子

    ○藤原道子君 よくわかりました。ところが、私たちのこの法案の作成に当りましても、おめかけもオンリーも入っておるのです。けれどもあなたが先ほど来繰り返されましたように、日本では女は全くコンマ以下にしか考えていない。こういう実情だから、まずその一里塚をここに作り上げるのだという考えで、めかけもオンリーも私どもは原案には入れましたけれども、この法律をとにもかくにも通したい、売春は悪であるということを規定したいというような点からいろいろ研究いたして、また皆さんの助言もいただいたのですけれども、もしめかけやオンリーを入れるということになれば、遺憾ながらこの法律は今の日本の国会の現状においては通らないだろう。これが通らなければ、あの女の搾取は無限に続くことになる。だから一応ここでこの程度で譲歩しておいて、第二、第三は、私たちはさらに――これで戦いをやめるわけではございません。さらに続けていきたいのだというつもりでまあやったわけでございまして、   〔参考人松尾邦之助君「芸者なんかは問題になる」と述ぶ〕
  30. 藤原道子

    ○藤原道子君 むろん入っております。芸者であろうとたれであろうと、売春するものは、やはり最近は料理屋とかそういうところへも手が伸びていることは御案内の通りでございます。ところが売春が何十万――五十万とかいわれておりますけれども、これを全部救うような社会保障制度を作ってからにしろという意見があるのでございますが、ここに一つ御理解願いたいことは、いわゆる売春の本職ですね、売春しなければ食えないとしている者は赤線とそれからパンパンでございます。あとは売春予備軍といいましょうか、内職の売春なんです。ですから、売春が悪であるということになれば、芸者であるとか、カフェーの女給さんであるとか、ダンサーであるとかあるいは飲食店の女給さんであるとかいうようなものはおいおい本職に立ち帰る、立ち帰らせなければならない、こういうことで、ここで処罰の対象になるものはわずか五、六万ないし多く見まして、特飲を入れましても十万というものでございます。それから吉原からわれわれのところに逃げてきた子供の状態では、全部が施設に入れなければならない子供でなくて、五人参りましたが、施設にお世話になったのは一人でございます。あとはそれぞれ片がつきました。そういう事情でございますから、一つお考えをいただきたいと思います。
  31. 赤松常子

    ○赤松常子君 私も松尾先生にちょっと伺いたいと思います。さっき先生のお言葉の中に、日本の今の社会状態において、この現実において犯春処罰法を作るということは、木に竹を継いだようなこっけいさが感じられるとおっしゃったが、私どももちろんこの法律を作る前に、農村の貧困に十分なる対策をいたしまして、そうしてそこから流れ出る女子を救う道、これも一応は考えてそうしてそこに一時資金の貸付制度を考えてから考えるべきでございましよう。それからまた保護対策の不備がしきりに言われておりまして、十分国の施設において、そういう更生していきたいという女子に対して技術の補遺をし、生活できる技術を身につけさせるということのそういう裏づけも必要でございましょうが、まずそういう前とあとの十分なる対策が行われて、それでもまだ売春をする人があるからこういう法律が必要である。それでもまだそういう人を食いものにしておる悪徳業者がいるからこういう法律が必要であるという順序を踏めば、私はどなたも反対はないと思うのでありますけれども、今の日本政治の現実及び先生方がおっしゃいますように、日本の貧しさというものが、それを同時に現出せしめない今日の実情にあるのでございます。だからといってこのままに放っていいというのではなくて、まず今申しましたような予算の裏ずけがないと言われる。われわれが言っておりますけれども、それがとれない事情でございますので、やむを得ずこの売春処罰法をこの現実において作っていこうという悲願なのでございます。それは私は先生がそういう点も十分御承知でおっしゃるのかと存じておりましたけれども、先生の言質の中に、大へん私どもちょっと期待に反すると申しましょうか、今まで、これは木に竹を継いだみたいな突拍子もない法律であるというような言葉を聞いて、いささか私ども期待を裏切られたような感じがいたしますけれども、私ども立案いたしておりますものは、そういう見地に立ってやっておるということをよくお知り願いたいと思うのでありますが、そこで私は先生にお尋ねしたいのでございますが、日本の過去の長い歴史において、貧しいものがいつもしいたげられてレジスタンスを知らない、知る気力がない。ところがこの法案にはそういう搾取されておる婦人の人権を守るという一つの大きなレジスタンスが加わっておるのでございます。そういうところをどうぞ先生正しく御理解願ってほしいと思うのでございますが、日本の現状では、なお木に竹を継いだような突拍子もないような法律であんとお思いでございましょうか。そういうことを私もう一度お伺いしたいと思います。
  32. 松尾邦之助

    参考人松尾邦之助君) 木に竹を継いだと申し上げたのは表現が悪かったかもしれませんが、これをやってもすぐ効果が出るような日本社会情勢じゃない。これは経済的な問題ばかりじゃなくて、たとえば男の女に対する非常な軽べつが一つの精神的な因襲になっておるような深刻なものが一方にありますから、そういうものをほったらかしてやって結局から回りをして変なことになるのじゃないかという不安があるから、私は何か木に竹を継いだような気がした。それから貧困とか、たとえば今度はレジスタンスの問題で今お話しになったのですが、確かにレジスタンスというようなものが認識の問題としては出ていないと思うのです。感情的にはそういうものが出ているのです。今度の売春禁止法の場合でも、いろゆる私は、冷静な認識じゃなくて、ただ感情的に人間として恥かしいとか、われわれをばかにしているという気持の力が強いのじゃないか、これはまたあらゆる場合にそれが見られると思うのです。たとえば近江絹糸の場合を私は見ておっても、あすこで人権闘争といっても、近江絹糸の場合ではおそらく女工が近代的な人権とかいうふうなことを頭に置いて反抗したのでなくて、やり切れなてて――飯が食えない、それで政治的にやり切れなくて反撥をしたような実情だと思うのです。そういう意味で私はヨーロッパのレジスタンスと大へん違っている。向うは頭で考えたレジスタンス、日本政治的に押しつめられて狼が森から出るような日本のああいうレジスタンスになっておる。だから売春の問題なんかもそういう意味じゃ非常な深刻な悲劇的な様相を持っておるのじゃないか。そういうふうな場合においてもヨーロッパの場合と違うのじゃないかと思う。そういう意味で悲劇的だ、深刻だということを考えなければならぬと思うのです。だから新憲法があっても、ああいうのが言葉として何か浮び上っているような気がするのです。だからまあ今度の法律でもそういった社会と何か離れたような、美しい言葉で何か上へ飛び上っておるような懸賞を持つわけなんです。
  33. 赤松常子

    ○赤松常子君 長くヨーロッパに行っていらっしゃいまして向うの御事情をいろいろ引例してお話し下さいましたけれども、フランスの状態をおっしゃったようでありますが、フランスはヨーロッパの中では斜陽国でありまして、もう道徳といい経済といい、だんだん上り坂から下り坂に下りつつある国のように私は伺っております。そういう国の実情を一つ引っぱっておっしゃって、こういう制度を作るとすぐに性病がふえると、それはいろいろと私は、フランスはそういう斜陽国であるから、そういう現実が生れていると解釈したいのであります。それ以外にすでにこの社会主義国家でございますスェーデンであるとかあるいはスイスであるとか、少しはそれはそういう売笑の女もございますけれども、形態が違う。そういう業者に囲われて吸い取られるような形態でなくして、自由意思によってやるという形態で少しそういう女もいると私聞いておるのでございますが、そういうもっともっと違った形態の社会において、そういう国の売笑制度、そういう法律の現実と申しましようか、そういうことをもっとお知りでございましたらおっしゃっていただきたい。
  34. 松尾邦之助

    参考人松尾邦之助君) たとえば今おっしゃってフランスに対する御批判は、私どもはまさに正反対だと思います。フランスという国が、今まで日本が軍国主義で、まあ非常な超国家の線でもってフランスという国は堕落した国だといって、フランスという国が何か非常なデカダンスの国だという皆さんは印象を持っておる。私は、二十年向うにおって知っておりますが、あの国はそうではないとは言いませんけれども、たとえば人口は毎年十五万から二十万ふえている。それから近代的ないろいろ生産という面でも、伸び方が大いにしておる。世界では最も誇らしい国である、汽車もスピードを出している、その他原子力の施設とか、たとえば水力電気のいろいろな例をこの間フランス大使館の人が来て話を聞いたのですが、近代科学の面で絶対日本なんかそばに寄ることができない状態にあることを考えていただきたい。たとえばモラルなんかで、フランスという国はだらしのない国だということを言いますが、あすこに私は住んでおったけれども、パリに遊びに行った人が道楽をして受けた印象と、私が向うに二十年暮して、あすこの社会設備を見たり、お百姓さんなんかと一緒に仕事をしてきてみて、実に健全な国だと思っております。健康状態からいっても日本以上だと私は思っております。教育の面でも文化の面でも、いろいろ、天才を出すとか言われておるが、私は日本がそばに寄れない非常に大きなものを持っておるのだと思います。だからいろいろな文学的な意味では、私はアングロサクソン以上に天才を育てる国だと、今でもそう思っております。ですから、向うの売笑の話で、あすこはだんだん落ち目の国であるからというのは、私は国家的に何か判断し過ぎるのじゃないかと思うのです。フランスというところは個人主義の国でおる、個人主義というのは、個人の幸福が中心になっておる。だからフランス革命以来、全部そういうことになっておって、近代的な自我思想といいますか、そういうものはおそらくアメリカやイギリスでさえないものを持っている。だから近代的な個人という意味じゃ最も私は進歩した国たと思います。そういう国の場合ですからね、そういう国の例は参考にならぬとおっしゃるのは、失礼ですが、言い過ぎじゃないかと思います。
  35. 藤原道子

    ○藤原道子君 おなかすいたところで相済みませんけれども、お伺いしたいのは、先ほど来、男の考え方というのは度しがたいのだというふうに私ども聞えるのです。男というものはそんなものなんでしょうか。性道徳というものは考えられないのでしょうか。売春がなければ社会生活が成り立たないとお考えでしょうか。これは一点、それから私、最近の例でございますけれども売春等処罰法案は今度だけ出したのではございませんで、第二国会以来、この問題で国会で戦って参りました。ところが、前三回、四回の間は業者の脅迫それから社会からの冷笑――戦っても手ごたえのない印象でございました。ところが今回の私たちのこの法案拠出に当りましては、業者からのいやがらせ、あるいは脅迫というようなものも二、三ございます。お手紙も来ておりますし、あるいは電話でのいやがらせもございましたけれども、それはごく二、三でございます。ところが最近の状態は今までとは全然変りまして、非常な手ごたえを受けております。それから青年たちの間から、どうもおとなの人たちが、議員の言うところが、青年の、独身の男の性のはけ口だ、だから必要だと言われるが、これは青年に対する侮辱であると、われわれは、人が人を買うというような考えは持っていないというような抗議や激励の手紙、あるいは大学生などが市川女史のところを訪問されて、激励されたり、方々の大学生から売春問題の抗議を依頼されたり、このごろはすいぶん若い人々の間に、ことに青年から売春処罰法を通せという御支援をいただいておりますし、それからおとなの男の人たちも、もう売春問題は限度にきておる、やっぱり処罰は必要だといりような激励が寄せられておるのでございますが、世の中は動いておる。今の青年は少くとも人権の尊重を身につけてきておると私たちは考えておるのでございますが、これは甘い考えでございましょうか。男の考えを私は伺いたい。
  36. 松尾邦之助

    参考人松尾邦之助君) 正直に申すと少し甘いような気がいたします。大体私は、人間というものはそうみんな聖人君子ばかりではないと思います。石川達三の小説じゃないけれども、悪の楽しさというものも存在しておりますし、その悪が必ずしも世間で考えているような悪とばかり解釈がつかないと思います。たとえば男が性欲を持つということが何か非常に不浄なような、かりに青年が性的にいろいろな意味で興奮して、何かいろいろなことをやる場合も、必ずしもこれは全部罪悪だと見るのも考えものじゃないかと思います。ただ罪悪だとするこれはそういう青年が堂々と恋愛するならいいか、金を持って女を買いに行くという根性、大体一人の人間を金で買うということは、女にとって侮辱じゃなくて、その買う男に対して最大な侮辱だと思います。私どもそういうふうなことでかりに私も経験があるのですか、正直に言うと、大体金を出して女を買うときの男の哀れさというか、情けなさは実際耐えられないものです。そういうような気持を青年が持てば、私は、この売春はわれわれにとって必要なものだという考えをなくして、この売春というものは悪いものだという気持がそこから出てくるのではないかと私は思います。だから結局男のまあどちらかというと積極的な性欲のほとばしりをただ押えて、これは罪悪だ、罪悪だというようなふうに行くのは少し狭いように思いますがね。だから、男の持っている悪というか、そう社会的には悪と称しておりますが、むしろ人間の自然のものですからね、これを誘導して何か調和のあるところへ持っていくようにするならいいが、これはいかぬ、罪悪だ、罪悪だという張り札ばかりを押しつけるのはどういうものかと思いますが、女の場合も同じじゃないですか。
  37. 藤原道子

    ○藤原道子君 私は性欲を悪だということは言いません。男の人も女の人も性欲ございますよ。けれども、それは性道徳によって保たれていかなければならぬものであると思います。だから私は売春は悪なりと規定したい、これに対して性欲のはけ口だから必要だという男の考えは変えられないものかどうかということを聞いている。それから売春に行かれる男の人は、性のはけ口と言うけれども。奥さんのある男の人の方が三分の二以上を占めている。奥さんがあられるならば正常な性生活ができるはずだと思いますが、いかがでございましょう。
  38. 松尾邦之助

    参考人松尾邦之助君) それも理屈はそうですが、世の中というものはそう簡単なものじゃないと思います。たとえば若い独身の者があまり行かなくて、女房のある人たちが行くということは、一つは私は経済的の理由もあると思います。結局、女房のあるようなものは独身というものよりは金の余裕があると思います。だから結局行くのが普通だと思います。たとえば私のところの新聞社にいる若いのが一万二、三千円もらっても吉原に遊びに行くということはできない。金がない。ところが女房のある人たちは大体年をとっているし、道楽をできる余裕を持っている、だから統計をとればそういう結果か出ると思います。だから、その若いのは行けないから行かない。だから結婚をした人ばかりが行くからといって、青年の性道徳がそういう意味でまっとうだということは、ちょっと考慮を要するのじゃないかと思います。
  39. 藤原道子

    ○藤原道子君 これで終りにいたします。松尾さんにばかり行くようですが、これで終りにいたします。私はね、金があるから淫売買いに行くのだという考えを捨ててほしいのです。奥さまがもし余裕があるから道楽したいと言ったら男の人は黙っていない。女がやきもちをやくと男の人は言うが、男の人があまりやかせるから女の人がやくのであって、もし男の人の十分の一でもそれに類した行為があったら、男の人はいても立ってもいられないと思います。そういう意味で、やはり健全な夫婦道徳を建設するならば、やはり金があるから、余裕があるからといってもそういうようなことをやめるような方向へ努力してほしいのです。それから、青年が金がないから行けませんけれども、現実にはああいうところに魅力を感ずる、そういうことから強盗だとか、人殺しとか、自動車強盗をした人がみな遊興費に使っている。その点から申しましても、一つ売春悪を規定をすることに私は御協力を願いたいと思います。こういうことで私は質問を終りたいと思います。
  40. 松尾邦之助

    参考人松尾邦之助君) まあ私も大体同じ考えでございますが、ただ売春が悪だという根本は、結局金を使って、金の手段によって女の肉体を買うことから私は起るのだと思う。ただ売春が悪い悪いというのじゃなくて、そこだと思う。だから金の存在それ自身が、今の資本主義国家においては、お金がこういった悪の根本原因になっているのですから、世の中からお金をなくしたら私はこういうことが解決するのじゃないかと思います。
  41. 藤原道子

    ○藤原道子君 それは乱暴ですよ。(笑声)
  42. 成瀬幡治

    委員長成瀬幡治君) 参考人の方々には長時間にわたり、きわめて有益な御意見を御開陳いただき、本案審議に非常に参考になりましたことを厚くお礼申し上げます。  それでは午後二時まで休憩をいたします。    午後一時十一分休憩    ――――・――――    午後二時二十九分開会
  43. 成瀬幡治

    委員長成瀬幡治君) それでは委員会を再開いたします。  休憩前に引き続き参考人から意見を聴取いたします。参考人の方々には御多忙中のところをわざわざ御出席いただきましてありがとうございます。ただいま本委員会において審議中の売春等処罰法案、これの重要性にかんがみ、それぞれの立場において忌憚のない御意見お願いいたします。それから念のために申し上げますが、参考人の発言は、二十分程度にお願いすることにし、参考人に対する質疑は四名の発言が全部終ってからお願いいたします。それではまず東北大学教授中川善之助君にお願いをいたします。
  44. 中川善之助

    参考人中川善之助君) 私実は昨日仙台の方で、電話で本日こちらにまかり出るようにというお招きを受けたのでありますけれども、電話のことでもあり、非常に急なことでもあるので、どういう要領でお話をするのか一向わからなくて、とりあえず参ったわけであります。あるいは参考人というのでありますから、いろいろ委員の皆さんから御質問を受けて、それに対して何かお答えをするというような形ででもあるのかと思ったのであります。それで何にもどういうことをしゃべろうかという腹案、草稿というようなものも一向用意して参りません。伺ってみると、皆さんいろいろ準備して一くだりの講演をなさったような有様で、私はなはだ申しわけなく思っておる次第であります。特に私売春取締りに関して研究をしたというわけでもありませんし、特別の私に経験があるわけでもありませんが、自分の専門に関連してふだん考えておることを、ごく簡単にお話ししたいと思うのであります。  売春取締りということにつきまして、第一の態度はまっこうから反対をして、売春というものはいいものだ、あるいは、これはとめる必要がないのだという非常に簡単明瞭な意見を持っておられる方もあると思います。方もあるというのは、国会議員の諸君に向って言うのじゃなくて、日本全体の国民の考えとしてのことでありますが、そういう考えもある。それからそういうことをしたって仕方がないのじゃないか、とてもそれで押えられるものじゃないのだという、幾らかあきらめ型の見解もあると思います。これは相当多いと思うのであります。それから第三には、それは取り締るのは大へんいいことで取り締る方がいい、しかし更生施設等を考えなければ、ただ取り締っても仕方がないのじゃないか、六十万と称される婦女があしたから路頭に迷うようなことになっちゃいけないのじゃないか、あるいは一万ないし二万というその道の業者が困るじゃないか、そういうものに手を打たないでただ禁止するというのは、無謀じゃないか、こういう御意見もあると思うのであります。これはかなり物のわかったと称され、もしくは自認していらっしゃる階級に多いと思うのであります。第四番目は、絶対に廃止しなければいけないという、第一の見解に対照的な、非常にさっぱりした御意見だと思うのであります。いずれも日本の現在としましては相当数の賛成者と申しますか、そういう意見の方が四つとも私はあると思うのであります。  そこでただいま問題になっております売春等取締法案というものの趣旨でありますが、実は私詳しく法案を勉強したこともありません。先ほどいただいた資料でつくづく条文を拝見したようなわけでありますが、大体のことはもうだれしもわかっておることだと思うのであります。これは御承知のように明治五年のマリア・ルーズ以来、江藤司法卿以来の難問題で、幾たびもこれは問題になり、そうしてなかなか実効を上げないできておる。きておるということについては、日本社会の特別な事情というものもあると思います。それは欧米の国々と違ったいろいろな事情がある。たとえば経済的な後進性であるとか、あるいは家族制度的な、夫権的な思想であるとかいうようなものがあって、外国で行われても日本では行われないという、そういう事情もあると思うのであります。しかしながら外国でも実績が今日どの程度に上っておるかということを、私は正確に調べたことはありませんが、外国でもそう簡単に法律を出して、それで売春婦がなくなったとか、あるいは非常にたくさんのものが減ったとかいうことではないようであります。いわゆる白色奴隷の売買に関する変遷というものは、かなり紆余曲折を経ておるように思うのであります。でありますから、このたびの売春等取締法案というものが出ましても、そう簡単にこれでうまくいくというふうには私ども考えておらんのであります。思えないのであります。しかしながらどうもうまくいかないからやめるということは、理屈に合わないと思うのであります。どこの国でも、また日本でも何べんもやって、そうしてうまくいかなくて、うまくいかないけれどもまたやる、やっているうちにだんだんよくなってきておる。これが外国でも日本の公娼問題の歴史についても同じことだと思うのであります。法律ができても、まだいろいろな実力による公娼制度の維持というものが続いたり、あるいは自由廃業の妨害というものが続いたりしていることは皆さんも御無知の通りだと思うのであります。ですから法律が出ればそれでうまくいくということは、この問題については特にないだろうと思うのでありまして、そのことは提案の皆さんももちろん御承知のことだろうと思います。だめだから価値がないということはいえないことだと思います。のみならず私はある意味から言うと、あまり効果がないから、この法案は通って法律になっていいのじゃないかと逆に思うのでありまして、もしもこの法案が非常に有効なものであって、そしてこの法律が一たび出ると、そういう商売の人がみんないなくなるというような、そんな有効な法律であったならば、これは非常に問題であって、ただ更生施設その他がすっかり完備してでないというと、六十何万の人がみんな路頭に迷うことになる。幸か不幸か、おそらく実施になってもそうききめがないだろう、ききめがないからこれは大いにできてしかるべきじゃないかと、大へんアイロニックな言い方でありますが、私はそのように思うのであります。そんなものなら要らないじゃないかということも考えられるのでありますが、一つは先ほど申しましたように、こういう運動は、これは人類進化のたどるジグザグの道であるから、何べんでもこれは踏まなければならない、いきつもどりつであったにしても、踏まなければならない道だと思うのでありますとともに、もう一つは、この法案というものの一番根本に流れておりますことは、この法案に反対する思想というものは、女は金で買えるものだというその思想が一番根本にある。女は金で買えるものであり、買うものである。女の愛情というようなものは、これは女だけの問題であって、男の方から言えば、愛情なんというものは金で買えるものだ、また買うべきものだ、この考えが一番根本にある。それが実は今日のこの両性の本質的平等とかいうような問題の一番基礎になる。そうして憲法の両性の本質的な平等という点からいうと、一番欠けておる点ではないか。こういう法案が問題になって、なおぐずぐずとしておりますその陰には、そういう国民の片寄った世論、男については基本的人権ということが言われておるけれども、女についても言われるのだけれども、その問題になると、女というものは買うのだ、買えるのだ、こういう考えが一番根本にある。その一番根本の考えが直らなければ、本質的平等というものは、両性の本質的平等というものは私はないと思う。でありますから、そういう意味で、この法案は幸か不幸か、すぐいわゆる売春婦をなくするということに役立たない。実効がないかもしれない。ないければないで私は非常に重要な法案である、そうしてこれは民主的な精神、個人の尊厳というものを築く非常に重要な礎石である、私はそういうふうに思うのであります。  先ほど申しましたような次第で、十分研究の材料等も用意いたして参りませず、はなはだ思いつきになりましたけれども、私の意見をこれで終ることにいたします。
  45. 成瀬幡治

    委員長成瀬幡治君) ありがとうございました。  次に、救世軍本衛公共部長瀬川八十雄君にお願いいたします。
  46. 瀬川八十雄

    参考人瀬川八十雄君) 今日私ごときお招きをいただきまして、不肖申し上げることをお聞き破り願うということは、まことに仕合せに存じております。私は救世軍に加わりまして四十数年、もっぱら宗教と社会事業に従事して参ったものでございまするから、おのずから申し上げることも狭くなるというふうにお聞き取り下さる方もあるいはあるかもしれませんですが、その点は何しろ一本調子で参ったものでありまするから、あらかじめ御了承を願いたいと思うのでございます。しかし私はえこじのようでありますけれども、真理はどこまでも真理でありまして、矛盾の多い世の中であり、そのつもりでやらなければならぬということも、一理あるかに思いますが、しかし理想を持って終始しないことには、レベルはどうしても上がらないのであって、これがために捨つるべき命があるならば、幾つあっても足りぬというふうに考える次第であります。従うて私の申し上げますることも、多少保護に従事しました経験から申し上げるようなことになるのでありまして、何ぞ間違ったことでもございましたならば、御忠告を願いたいと思っておるような次第でございます。  数々の婦人に面接をいたし、またこれと生活をともにいたしまして考えまするのに、中にはずいぶん裏切る者もあってみましたり、せっかくいいつもりでこちらのしたことが間違って受け取られたりいたしまして、ずいぶんいびつになっておるというふうに思われまして、こちらが一生懸命になればなるほど、悲しく感ずることもないわけではありませんけれども、要するにこの年若い婦人たち、つまるところはこれは神様の子であるという結論になりまして、どんなに思われてもされましても、これがために何ぞわれわれごとき者が奉仕をするということを実は光栄に思い、彼らのよごれ定を洗うということが生きがいのあることに感ずるようなわけであります  そこで、わずかではございまするけれども、そういう婦人たちとともに生活をいたしまして、真に心の底からつくづく感じますることは、このたびのこの法案はむろん議論をすれば、幾らでも議論の種はあるでありましょうけれども、たといそれが不完全であったにしましても、何であったにしましても、何はともあれ、一日も早くこれを通過させるようにお願いを申し上げたいのでありまして、不備なところはあとからまたおいおいやったらいいのでありまして、この法案はまず通しておいて、問題は、議論は、話はそれからのあとということに、端的に申せばそんなふうにお願いしたいと思うほど、実際局に当ってみますと痛切に感じ、もう議論も何も余地はない。そこが私の狭いところかもしませんが、実際に当ってみると、とにかく一日おくれれば一日だけ、悲惨なことを目の前に見なければならぬということになりますと、一刻を争うように感ずるわけであります。幸いにしまして、終戦直後の世論調査と、それから昨年であったか一昨年でありましたかの世論調査とを比較してみた人のお話によりまするというと、売春に対して反対をするという世論の力がずっと数が増しておるということはまことに頼もしいことでありまして、これが今日日本一般の人たちの考えておられる水準になるかと思うのであります。折も折とて最近の新聞を見ますというと、いよいよ新生活運動の方針の要綱が出ておりまして、そうしてその要旨とするところは、生活の改善と道義の高揚ということであります。さあそうなってみますると、この法案というものがますますもって大切なるものであるということが、脚光を浴びて浮き上ってきたごとくに感じて、私は実に感謝をしたのであります。くどいようでありしまするけれども、その要綱に書いてありますることは「日本民族は終戦以来受難の十年を経たが、今こそ深く猛省して」と書いてある。省みると書いてありまするから、私は省みなくてはならぬのでありまして、もう矛盾があろうと何があろうと、それは大いに猛省をしなければならぬのである。「猛省して決起すべき時期に達した。そうして国民の思想の弛緩、虚脱、とうとうたる植民地的の風潮と社会悪の横溢はまことに心ある者をして目をおおわしむるものがある。今にして改めなければ日本民族は内部的崩壊を来たす」というふうに、まことにはっきりと書いてあるのであります。それで私はこの社会悪とは何ぞやでありまするが、ある人の言うのに、飢饉と戦争と伝染病、これが三つそろって来たらこれは大へんだが、それがいざ起ったにしても、それよりももっとひどい被害というのは、つまり罪悪が横行しておることである。その方の被害がこの三つそろったよりもひどいし、そうし私自身勝手に考えますることは、その最も大いなる社会悪ということは何かといえばつまり売春である、こう私は感ずるのであります。それで私は非常に残念に思うことは、この新生活運動の方針、要旨の中に家庭の純化であるとか、純潔運動であるということが、どういうものか見当らんのであります。これが非常に大事でありますのに抜けておるように感ぜられまして、非常に残念に思うのであります。植民地的なその風潮ということがございまするが、これはどういう意味か、私にはこの方面の知識はないものでありますから、はっきりわかりませんけれど、先ほども中川先生のおっしゃるように、太政官の達しが五年に出たというのは、マリア・ルーズといりペルーの船がシナの奴隷を積んできて横浜に来たのがもとになって、そのうちの奴隷の一人が海に飛び込んでのがれて上陸したのがもとになって、外交の非常なるはつらつたる活動を見るに至ったのである。日本としてはこれはもうシナに返すべきものであって、返してしまった。ところが承知しないのはこのペルーでありまして、言いますのに、よけいなお世話をするのじゃい、奴隷々々と言うが、日本に女の奴隷は山ほどたくさんおるではないかということで、娼妓のことを示されたことについては、これは一本参って閉口してしまったのである。ようやく苦しい言いわけをして、来た鳥は出ていってしまったけれども日本におるのは日本におるのだから、追々やるとか何とか言って逃げ道を作って、一時のがれたのでありまして、さっそくやらなければならないというので、大政官の面しが出たのが二百九十五号でありまして、それによると「娼妓芸者等年期奉公人の一切解放致スヘク右就テノ貸借訴訟総テ取上ケス候事。」と、御承知のようなのが出たのである。それから明治二十八年のことでありますが、アメリカの宣教師モルフィが名古屋において自由廃業の運動をやったというのは自分の経営しております学校に来る生徒が英語を習っておる、十八、九才になってくるというと、ことごとくどっかへ行ってしまって出てこない。調べてみるというと、そのせっかく養成した子弟が遊廓に行っておって、堕落しておることを見て、これはいかんというので、その運動を鮮血をもって染め始めたのでありますが、これと呼応して救世軍がその自由廃業の運動に従事して、これは全く鮮血をもって染めたのでありまして、これもやはり口火はといえば外国である。そこへもってきて終戦直後、終戦とともマーカーサーが一刀両断その公娼廃止ということになったから、まあこういう種類の問題はことごとく、何か言い方によっては西洋人がその骨を折ったということになっておるがごとくに私は見えるのである。せめて今回の法案は、これはもう何としても独立したこの日本人の手でこれを通過させて、りっぱに独立国としての仲間に入って、他日国際連合に入る、入らんの問題が起ったときでも、大いばりにその相談にあずかれるというような工合になぜできんだろうかしらんというふうに考えられてならぬような次第であります。  そこで私は昨日のことでありますが、はからずも日本の義務教育に従事しておられます小学校並びに中学校の先生の数は、小学校の先生、国立、公立、私立を合せまするというと三十四万二千三百五十一人、新制中学校の先生は、これまた、国立公立、私立をあわせまするというと、二十万八千九百三十九人になっておって、合計すると五十五万一千何がしということになっておるのであります。そうしますると、けさほどお話のありましたようなわけでありまして、赤線や青線、その他売春婦と名づけるものは五十万あるということになりますると一方に犠牲、献身的に学校の先生が働らいておられる。多分に費用をかけて、この義務教育が済んだ、済んだときを待ちかまえてこれを引っぱりおろそうとし、よくない道に連れていこうとする、そうしなければならない立場にあるようなものがまた五十万おるとすると、これは一体日本は何をやっているか知らんというふうに感ぜられまして、これはゆゆしいことである、これはこのまま何のかんのと言っているいとまは私はないと思うのであります。  私は昨年のことでありましたが、東北の一村落に用事があって出かけました。質朴な、純朴な農村であります。ところがある青年が私に非常に慨歎して言いますのに、これまではそんなことがなかったけれども、この村にめかけが何人か囲われていることになった、これは実に残念だ、これで農村の純朴な風紀が虫ばまれている。一体これをどうするか、それで私は、来たその婦人は一体どこから来たか、この村の者ではない、それじゃどこから来たかということになりますると、どうも察するに都の赤線青線区域でまあ体が悪くなったか、あるいは年をとって一向相手にされなくなったか知らんが、そういう者が流れ流れてきて、そうしていなかにきた、こういうふうなことになるようであります。そうすると、東北のいなかから、周旋人が出かけて行って、そうして娘を今度は赤線に売り飛ばす、それをしばらく置いておいて、今度はもう一ぺん農村に舞い戻ってきて、そうして農村の純朴なる精神を虫ばむ、そうして義務教育なり何なりの済んだ子弟の目の前で、まことによくない風を見せてくれるということになったのでは、学校の先生に対してはまことにお気の毒であるのみならず、これをこのまま見通ごしにすることはできぬというふうに私は感ぜられるのであります。  農村のことはさておいて、東京のことを考えたって、一体東京の旧の二十三区がどういう状態かといえば、御承知の通り二十三区の外側は赤線でもってぐるりと囲まれている、千住から吉原、それから池袋、それから新宿、それから今度は渋谷、それから五反田でありますか、どこかあの辺、それから今度品川と、こういうことになってきまして、赤線でもって旧東京がことごとく囲まれているという状態、そのまん中にすわっておって、それで新生活運動、けっこうでありまするけれども、そういうようなことをそのままにしておいて、それで新生活運動をするというわけには私は断じていかんのでありまして、そういうところから撲滅していかなければならぬと思うのであります。神田の吉本屋は一軒じゃ商売にならんけれども、ああやってたくさんおりますというと、商売になって売れる。そうして大きな店もできてくれば、また小さな店もそこにだんだんふえてくる。吉原の近所に青線区域ができて参りまして、小さな飲屋に女が五人もいる、あんな小さな飲屋に女が五人いるということは一体どういうことだ、経営のできるはずがないのでありますから、何かそこでいろいろ歎かわしいことをやっておらなければ、とうていやっていけないのではないだろうかというふうに感ずるのであります。特殊喫茶店とか、特殊飲食店とか何とかいいましても、行って見ますれば、別にお茶を飲ましてくれるわけでも何でもない、要するにこれはうそである。そういううそを黙認して、そのままでおくというようなことで、さて十年たった日本がこれから一体どういうふうに向いていっていいかわからんと私は思うのであります。これは私は東北のある県庁に行きまして、身売り防止のことについてお話を申し上げ、何とかしてこのいなかから東京の方へそんなかわいい無垢な娘がだまされてくることのないように、これを食いとめるわけにいかんものかということをくれぐれも申しましたところ、その婦人少年課長が私に言われまするに、ちょっと待ってくれ、東京には赤線区域というものがある。赤線区域という落し穴を作っておいて、そうしていなかの何も知らん娘がそこへ落っこちるなというふうなことを注文するのは無理ではないか。まず帰って、一日も早く帰って赤線区域のふたをして、そうしてもう一ぺん出直してきて、身売り防止の相談をしてもらいたいと、こういうわけでありまするから、私は一言の返事もすることができないで、すごすご帰ってきまして、いかにも残念に思ったような次第であります。便所の、下水のというような話がありますけれども、どんなにこれを水洗便所にしてきれいにしておいても、玄関先に便所を置く家庭はまずないと思わなければならない。下水というけれども今の状態では下水を噴水のごとくにしておるような状態でありまして、これをどうもやむを得ないこととして見ているわけにいかぬのであります。安全弁ともいう、防波堤ともいう、ずいぶん男の文句としては勝手な言い分でありまして、立場をかえて女の人が防波堤を作ってくれと言いましたら、一体どうするかということを考えざるを得ないのである。それほどその防波堤というものが社会に貢献するところがあるとするならば、自分の妹でも何でも、そこに向けたらいいだろうと思いますけれども、そうはいかない。私はあるときに一人のパンパンの婦人に会いました。その人が言うには、自分たちが防波堤になってやっているのだから、これで世間が助かっておるのだからありがたく思えと私に言ってくれましたが、それほど公衆のために身を捧げて献身的にやってくれるならば、冗談半分に言いました、どうか将来は結婚してくれるな、一生涯それでやってくれ、もしまかり間違って結婚するようなことがあったならば、そして女の子が生れたら、いち早く自分の志を継がせるようにパンパンに養成するのだぞと、そうでなかったら君の言うことは議論はただいいかげんになっちゃうじゃないか。先生それはそういうわけにはいかないと、それじゃ君の言うことはうそだと、こういう冗談を言ったわけであります。  そこでこの法律がなかなかそう守れない、だから、いっそのことない方がいいというようなことを言う人があるようでありますけれども、たとえばここにタクシーがあるとする、これが規定通りのスピードを守っておったらこれはなかなか生活がむずかしい、ことに運転手が言いますのに、夕刻のようなラッシュ・アワーになってきて規定通りのスピードを守っていたのでは、どうにもならないからついそれを破ってしまうとこう言う。そんなに破る規則ならいっそのことやめてしまえと言ったらば、交通事故がそこらあたりに起って大へんなことになるだろうと思う。でありますからそう簡単にやめるのなんのというわけにはいかぬのであります。終戦直後のことであったのでありますが、進駐軍のその自動車がしきりにかけ回って、そうしていかがわしい婦人をキャッチして歩いて、これを吉原病院に入れて病気があるかないか調べるためには三日間かかって、あるとなれば引き続き入院と、こういうわけであります。私は毎日のごとくそこに行きまして、それらの婦人と話をしておりましたが、先生きょうは退院だとえらく喜んでそれこそかごの鳥のように喜んで飛んで行った。あくる日になってまた行ってみますとちゃんと来ておりましたから、退院してすぐキャッチされるようしなだらしがないことではどうするかと言ったら、いやこれこれだ、商売はしませんと、じゃどうしたのかと聞いたら、退院して帰り道にまたつかまって入れられた。まだ商売も何もしていないうちに引っかかってまた入れられた。これは自分たち退院する道でつかまってしまう、こんなことを繰り返しておれば、商売になりませんからもう商売はやめますと、こういうわけでありますから、それはもうやめた力がいいと言った。よろしくこれはやっぱり制裁が要ると私は思う。かわいい子には旅をさせということでありまして、ある婦人たちは自分のやっておることを多少痛い目にあわぬと、つまり悪いということを自覚しがたいものがある。つまり法律はそれのためであると思うのであります。ある婦人にとってはそれが必要である、私はきのうも吉原病院に行ってそこに入っておる女の患者と話をしたのでありますが、男の人と道で話をしていたら、その道でつかまったと、えらい不服を言うておりましたが、いいか悪いか十分に批判をする余地がないのでありますけれども、とにかくそんなにやられたのではとても商売にならぬと言うてやめる気分になってくるというのが現状であると思うのであります。めかけということがありますが、これはあとの話、いよいよその売春法案が通るということになって、それでどんどん世論が高くなってくる。幸いにして世論もあの通り盛んになっておるのでありますから、そうなればそうえらい手数をかけないでも、めかけを持っておるということが恥かしくなってしまって、つまり西洋のある国にあるがごとき、そういうものを持っておる者は、社会的に致命傷を受けることになってしまって、もう許されない、世間はこれを許さぬということになってくるに違いないのでありまして、またそれほどまでに私どもが明るい世界を作っていくようでなければならぬと思うのであります。この婦人たちは全くかわいそうなものであります。借金のためにも荒縄で縛られておるがごとくに感ずる。借金がどうなっておるかという詳しいことについては、日比谷の地検においでになれば、書類がこんなにありますから、私は昨日も見てきたのでありまするが、借金のありさまはそこに手にとるがごとくに書いてあるのであります。それがために束縛を受けておるのであります。私は久しい前でありまするが、イギリスの、この英帝国の奴隷解放のために命を捨てましたウイルバー・フオースという人の生れた町に行きまして、そこに記念館がある。見るというとそこに奴隷売上帳というのがあった。私はそれを見た。ここに一人の男がある。年はとっておる、足が悪い、眼が悪い、ろくな働きはできぬから、これこれの値段だと、捨てるがごとき値段でもって売った売上帳があるのを見まして、ああかわいそうだ、この年寄りの足が悪くて、眼が悪くて、一体これは行く末がどうなったろうかしらんと思って、つくづく私は感ぜざるを得なかったのであります。それと似たようなことが今の日本一つもないということが果して言えるかどうかということになってくれば、何とも言えないような状態になってくるのであります。客をとることを強要されておるような状態である。客をとらなければ、裸にして雪の中に放り出すぞと言って威嚇された婦人もおるようなわけでありまするから、これはこのままにして私はおけぬと思うのであります。  救世軍も結核の病院を二つ持っておる。ずいぶん難儀な仕事であります。ところがそこにおる患者の諸君は、今はこうして病気になって、いたずらに天井ばかり見ておるけれども、やがて時が来たら必ずなおって見せる、なおったら捲土重来大いに活動するとこう言って、結核の患者の人でも将来に大きな望みを持っておるのであります。救世軍はまた浮浪児、孤児を収容しておる設備を持っておるのでありまするが、かわいそうな子供であります。ですけれども考えてみればこの子供たちもいまに大きくなったら、見ろ、必ず自分は電気の技師になってみせるとか、あるいは何とかになって自分の身を立てるという、そういう非常な燃ゆるがごとき望みを持っておるような次第であります。ところがこの婦人たちは何といったって将来に望みを持てないので、からだは虫ばまれておる、人は相手にしてくれない、うしろだてになって世話してくれるものがない。古くから売笑婦をしているものが新しく来たものに言うのに、自分は古くからやっているから、今さらなかなか足を洗うといったって容易じゃないけれども、こうなってしまったのじゃどうにもならないから、今のうちに足を洗ってまじめになるのだぞ、かたぎになるのだぞと言って涙をもって忠告するという婦人もある。それも私は聞いておるのであります。そうするとその婦人たちは、将来に望みを持てないというほど残酷なるかわいそうなことがあるであろうか。私はあるとき性病のいかにおそるべきかということを、収容しておりまする婦人たちに幻燈をもって見せた。そうすると性病というのはこれこれこれこれこういうふうになって、こんなおそろしいものだということを見せた。それで私は大いに反省するだろうと思ったのでありまするが、反省をするどころか、あまり薬がきき過ぎちまって、自分のようなものは幻燈に見るようなああいう状態になっているのだったらば、もう自分には望みはないから、もうこれは立ち上れない。こういうふうに失望落胆してしまって、その落胆失望を取り戻すのにいいかげん骨が折れたというようなかわいそうなこともあるのであります。あるいは赤線におられる方々、これを経営しておられる方々が雨やどりをさせておるとか、あるいは社会事業のごときものをやっているというふうにお思いなさるかしらんが、私はこれをいたずらにどなりつけるようなことは言うつもりはさらにないのでありまするが、どうか、この新生活運動のあるについても、何とか一つ猛省をしていただきたいものと思うのでありまして、崩壊すると書いてある。どこから崩壊するか、家庭が崩壊したら必ず日本が崩壊するにきまっておる。社会事業、以前は知らず、今ごろの社会事業の理念といえば、およそ二つが根本になっておると思うのであります。一つは、個人人格の尊重を確保するということであります。しかるにこの売笑婦の組織ということになってくれば、その婦人たちはもう労働の意欲はなくなってしまう。働くのがばかばかしくなる。初めはちょっと働くかしらんけれども、根気負けしてしまうような状態、ほかの無垢な婦人たちと一緒にやるということがなかなか骨が折れる。例外はむろんありましょうけれども一般からいえば労働意欲を持てなくなってしまっておる。責任観念は薄くなってしまう。恥を知らんようになってしまう。人情は薄くなってしまう。私はその婦人たちを集めて二目と見られぬようなすさまじい風をしておるのを集めて、讃美歌を歌ってこれに聖書の話をするのであります。そうすると、その讃美歌を聞いておりながら、一緒に歌っておりながら、母親のことを思い出してそこにばたばた泣いてころげて倒れる婦人があるから、これは更生するなと思ってあらためて話をするというと、けろりとしておりまするから、どうしたと言ったら、おっかさんのことを思って歯を食いしばったことは事実だ。だけれどもおっかさんのことを思い出したら、ほこ先がにぶって商売をするのにじゃまになった、こういうわけであります。  それほどまでにすさんでおるとするならば、これを一体何によって回復するか、どういう社会事業で回復するか、一生涯そんなふうになったらどうなるのかと思うのであります。血液を売って生活の足しにし、あるいはまた勉強の費用の足しにしておる、そういう人たちが数々ある。まことに気の毒だ。自分の血液を売ってそれで足し前にする、なんという気の毒なことだと思うのでありまするけれども、考えてみればここに数々のたくさんの若い婦人が肉を売って生活をしておるのを、一体これをどうしたらいいだろう。何とかして売春のこの法案を通して、これを防ぐというふうにやらなければならんとつくづく思うのであります。私は久しき前でありますが、吉原中に評判をたてられた。あの瀬川という男は、女を救うとか何とか言っておるけれども、なにそうじゃない、女を箱詰めにして外国に売ってそして生き肝を抜き取るのだ、こういううわさをたてられた。果してほんとうかどうかしらんと思って判断に迷った女の人たちもあり、親たちもたくさんあったのでありますが、肝を抜き取って売っているのは一体だれのことだろうかというふうに考えて、そういうふうなうわさをたてられたことなどは、腹もたたなければ何とも思わないような状態であったのであります。  社会事業はもう一つは、民主化である。今日赤線においてその主人をその娘たち、その売笑婦をしてお父さんと呼ばしたり、お母さんと呼ばしたりしておる。ことによったらそれが封建的にならんとは限らんのであります。お父さんにペニシリンの注射をしてもらいますわといったような調子が今日あるものとするなら、果してこれをどうしたらいいだろうかと思うのであります。  今後の処置のことにつきましては、時間がありませんから、長く申し上げておるいとまはありません。何としてもこれは道徳問題、政策もこれはいろいろありましょう。ですけれども道徳の上からいって、一刻も許すべからざるものであるという立場から、この法案に対して断然たる覚悟をもって考えていただきたいものであります。そうしてまた、厚生大臣も幸いにしまして今後のことにつきましては、保護の問題については非常な決意を持っておられるのでありまするが、それにしましても私思い出すことは、岡山孤児院を始めました石井十次先生であります。四百人の孤児を引き取っているところへもってきて、日露戦争のあとで来た孤児と、おりから一緒ぐらいに起ってきた東北飢饉の孤児を一ぺんにたくさん引き受けなければならんということになって、八百人引き受けなければならんということになった。合計千二百人である。四百人でも手一ぱいで経営が困難であり、たれか、委託費を政府がくれるでも何でもないのに、四百人を非常な努力をもって養っておったところへ、今度八百人引き受けることになった。それは無理でしょうと言うのに対して、石井十次先生言いました。これを引き受けるというのが聖書の精神である、これが神様の御用である、断じてやると言って、八百人を一ぺんに引き受けて、とうとうそれを苦心惨たんやり抜かれたのであります。今日のこの事態において、そういう意気込みをもって立ち上がる政府あるいは民衆、ないでありましょうか。何としても、これは私どもはこういう難局の際に断然たる意気をもって、何はともあれ法案そのものにはいろいろ申し分もありましょうけれども、これはもう一日も早く通していただいて、まっ先に赤線の始末をして、そこにおられる婦人を救い、かつまたこれを経営しております業者の方々を幸福にするようにいたしたい、こんなふうに感ずるのであります。  ずいぶん手前勝手なことばかり申し上げてまことに恐縮でありますが、私はこの法案に対して全面的に賛成をいたしますことを申し添えておきたいのであります。
  47. 成瀬幡治

    委員長成瀬幡治君) ありがとうございました。  次に、全国性病予防治会理事長石橋幸八君にお願いいたします。
  48. 石橋幸八

    参考人(石橋幸八君) 私は何んら法律的素養もなければ何もございませんが、業者の代表といたしまして、一言私の意見を申し述べさしていただきます。  売春法の制定されますことについて、いささかも反対を申し上るのではございません。しかしながら、およそ今日までの私どもの経験から申しまして、あるときは政府が奨励して私どもを営業せしめ、あるときは圧迫を加えられた時期もあるのであります。これは時代の変遷に従いましていささかも不平をもつものではございません。このたび、また売春法のほんとうに社会的にやかましくなっておりますこともよく承知しております。私の経験から申し上げますならば、売春法を制定されることもけっこうであります。業者といえども日本国民であります。国の繁栄、国の善良なる風俗を維持されることにも大賛成、人権の尊重、性病の蔓延を防止することも、いささかも人後に落ちないところの協力的精神を持っていると私は確信いたすのであります。しかしながら、いろいろの面はございましょうけれども、ただ単に法律一片によってこの性の問題を抑制するということは、私はあるいはその次にきたるべき問題はどうなるかということを非常に憂うるものであります。何となれば、人間が生きる上において衣食住、これは欠くべからざるものであります。しかしながらこの性というものは衣食住にまさるところの必要性がありはしないか、かように私は思うのであります。その大事な問題をただ何ら施設もなく、更生施設もなく、救済の方法もなくして、一片の法律でもって厳重なる処罰をされるということは、将来日本のいくべき道はどうであるかということを私は考えるのであります。あの敗戦後、マッカーサーの命によりまして公娼制度が廃止されました。これは一も二もなく廃止されました。そうして集娼廃止で散娼制度をおとりになりましたが、おそらくあれによりまして治安は乱れ、性病は蔓延し、至るところに、お宮の前も、お寺の裏も、先生方の周囲にもパンパンは今日のようにばっこいたしたのであります。それは政治の貧困もありましょう、あるいは食糧の不足もありましょう、食わんがためには、生きんがためには、いかなることもやると私は確信いたすのであります。さような次第によりまして、今ここに何らの施設もなくして、そうして一片の法律でお取締になるならば、今日どういうことになっていくかと、私はかように非常に憂えるものであります。  しかしながら業者といえども、国の法律が一たび制定されましたならば、よしあしは論ぜず、法治国家の一人といたしまして、その法に順ずることが国民の義務であります。あえて私は法律の制定されました以上は、業者といえどもとやかく論ずるところの義務も権利も持ちません。私はさような意味におきまして、もう少しく何とかほんとうに実行のでき得るところの法律を制定していただきたい、かように先生方にお願い申し上げる次第であります。  いろいろの意見もございまするけれども、私は業者の代表でございまするから、先生方の御質問が相当あると思いまするから、業態に関しましての御質問なら、いつ何どきでもお答えいたしまするから、私の意見はこれをもってやめさせていただきます。
  49. 成瀬幡治

    委員長成瀬幡治君) ありがとうございました。最後に、日本青年団協議会事務局長福本春男君にお願いいたします。
  50. 福本春男

    参考人(福本春男君) 日本青年団協議会という名前に、新しいものを感じておられる方もあるかと思いまするので、簡単に日本青年団協議会というものがどういうものであるかということについて、最初二、三分時間をさかしていただきたいと思います。  終戦と同時に、その前にありました全国の青年団あるいは青少年団は解散になりました。それで終戦後おとなの人たちも青年も、何が何だか全然わからなかったわけなんですが、あの虚脱した状態の中で、青年たちが、こういう状態で果して自分たちはいいのだろうかどうだろうか、おれたち青年はどう生きていけばいいのだろうか、こういう社会を何とかしなくちゃいけないというので、全国の町や村に青年たちが自主的に相寄りまして、自分たちの生きる道を見出すとともに、社会を少しでもより明るく住みやすくしたいというようなことで、全国の町や村に青年団というものができました。その青年団が終戦後十年かかりまして、おとなとか国家権力の力を借りなくして、自主的に作り上げてきたのが、私たちの日本青年団協議会でございます。現在東京の方は御存じないと思うのですが、東京なんかには青年団活動の芽生えはあまりございませんが、現在私たちのところへ加盟しておりますのは、東京都を除いた以外、沖繩青年連合会も加盟いたしまして、現在公称四百三十万といっております。御存じのように、日本の勤労青年が千三百万人おります。その中の公称千三百万人を一応組織しております日本青年団協議会の立場として、このたびの売春処罰法に対する考え方を申し述べてみたいと思います。  ちょうどこの問題が私たちの組織に取り上げられましたのは、昭和二十九年の第三回理事会でございましたが、その際にこの問題が取り上げられまして、全国の各県の青年団の代表者が集まりまして、いろいろ研究討議の結果、まず第一点に、この法案に対しては、基本的な人権を守るという立場から、結局私たちが民主的な社会とか、あるいは憲法にも保証された平和な社会というようなことを言っておりますが、こういう民主的な社会の中において、果して婦女子が金銭によって、あるいはその他の物品によって買われるということが、民主社会にとってあり得べきことかどうか。まずそういう面から基本的な人権を守るためには、どうしてもこの法案を支持する、同時に、これを通さなければいけないというような考え方から、この法案の促進に努力して参りました。  二点は、青少年の風紀の紊乱を防ぐといいますか、御存じのように、赤線、青線、あるいは基地が私たち青少年にいろいろな面で大きな影響を及ぼしておりますことは、今までの先生方、あるいは各方面からよく指摘されておる通りでございます。御存じのように、青少年というのは、だれしも最初からそういう悪いことをしたり、あるいは悪いことを好きでやっているのではないわけなんです。結局環境によっていろいろ支配されてきているわけなんです。そういう意味で、青少年を完全に、また青少年をすこやかに育てていくということは、国として、あるいはおとなとして当然しなければいけないことではないか。そういう点から言いますと、この法案は、まず青少年の風紀の紊乱を防ぐという面からも、ぜひ通さなければいけない問題である、先だっておとといの放送討論会に出たんですが、現在私たちが東京都下の小金井で全国の青年団の幹部の中央研修会をやっております。ちょうど八日目なんですが、その際に、ちょうど十六日ですか、各政党代表によりますところの、各政党は青年指導をどう考えているかという放送討論会をやりました。それはおとといの日曜の放送討論会で放送されたと思いますが、その際に各政党の代表の方がおっしゃられたことは、結局各政党とも、ざっくばらんに申し上げまして、現在の青年指導に対する具的体な方策も考え方も持っていないということがわかったんですが、これは非常に残念なことなんですが、その中で各政党の方が言葉をひとしくして言われたことは、私たちは日本の青少年をどうしようとかこうしよう、あるいは引っぱろうとか、抑圧しようというような考えはない。青少年がただすこやかに伸びていくための環境醸成、環境を作ることが私たちの仕事である。そのために、私たち政党が全力をあげて努力を惜しまないということを話されたわけなんですが、そういう意味からも、青少年が健全にすこやかに育っていくために、ぜひこの法案は、各政党がほんとうに日本の青少年をよりよく伸ばしていくという観点から、通していただきたいというように考えております。  もちろんこの法案が可決されたからといって、今起っておりますようなことが、一挙になくなってしまうというようなおめでたい考え方は持っておりません、しかしやはりこの法案を通すことによって、基本的な人権を守り、この売春問題を解決していく一つのくさびとして、橋頭堡として、ぜひこれは通していただきたい。それに引き続いて、現在政府なんかでも言っておりますが、これを橋頭堡として通したあと、各政党はもちろん、全国民が寄りまして、売春に対する保護更生の面とか、あるいはいろいろな職業補導の面、あるいは職業あっせんの問題、そういうことを全国民が力をあわせて解決をしていくように、大いにやっていきたいというように考えております。  もちろんこの問題は先ほどの質疑の中にも出ましたが、現在の日本におきます青年の生活というのは悲惨です。農村でも、漁村でも、山村でも、都市でも、すべての青年が生活一つの大きい不満を持ったり、あるいは満足できない気持を持って生活していることは事実です。しかし数多くの青年たちが、そういう苦しい中、恵まれない条件の中で、自分たちがほんとうに自分たちの生活をよくするために、あるいは自分たちの町や村をよくするために真剣に考えながら、私たちの方では共同学習と言っておりますが、お互いに皆が考え、研究しながら、それに出た結果を実践をやり、実践の中でまた学習をやる、学習の結果の実践をやるというようにして、青年一人々々の悩み、欲求、苦しみを解決をしていきたい。同時に社会の矛盾とか不正、不義なもの、それをできるだけ多くの青年の力で解決していきたいというような努力をいたしております。だから私たちはこの法案ができたあと、その法律に頼るより、むしろ私たち青年自体の力でこの問題を解決していきたい。御存じのように、さっき申しました四百三十万もの青年がおりますから、東北の奥の遠くから来ております売春婦の方々も、青年団員であったという方もあります。また売春婦の方も、私たちと同じ青年の友だちだというように考えております。だからそういう方たちの今後の更生についても、全国の四百三十万、いや、千三百万の勤労青年がほんとうに手を握り合って、その輪の中にそういう方々を迎えて、そういう方々が、さっき救世軍の方が言われましたが、生活と希望と明るみをもって前進していけるというような態勢を作るために努力いたしたいと思っております。  以上申し上げました三つの点からこの売春処罰法が、ほんとうに、一党とか一派とかあるいは業者とか何とかいうことでなくして、日本の青少年をよくするためには、ぜひこれを通していただきたい。同時に赤線がおとなの人々の性欲のはけ口とか何とか、いろいろなことを言われておりますが、そういう考え方を持っておればこそ、この時代に売春行為というものは悪である、悪いことであるというようなことをはっきり烙印を押すために、この法律は通すべきだというふうに考えております。  私ちょうど中央講習会が八日目で、毎晩二時間か三時間しか眠りませんし、ここにお呼び出しの連絡をいただいたのが昨夜で、なおここに来てまたしゃべるということを知らなかったものですから、まとまらないことを申し上げたと思いますが、今申し上げたことはほんとうに全国の青年が、数多くの青年が持っている考えであるということをよくお考えいただきまして、十分御審議していただきたいというように思います。
  51. 成瀬幡治

    委員長成瀬幡治君) ありがとうございました。  以上をもって参考人意見の開陳が終ったわけですが、参考人に対し御質疑のおありの方は御発言を願います。
  52. 中山福藏

    ○中山福藏君 大体四名の方々の御意見は、結論を承わって個々の意見というものははっきりしたわけであります。ところが今日私が最も興味を感じましたことは瀬川救世軍の幹部の方の御意見でございますが、これは一つこの法律案というものに関連して、私は基本観念というのを、特に宗教家であらせられる方に一つ承わっておきたい。いろいろのお話の趣旨はよくわかったのでありますが、今日四名の方々の御意見は、現在現われておる結果にいかに対処すべきかという意見なんです。しかし瀬川さんに対して私がお尋ねしたいのは、あなたが宗教家として、いわゆる社会悪というものが起るという原因ですね。この原因というものをいわゆる川の源泉というものに対しての工作を施さなければいかに批判をし、いかにこれに対処してもその水はかれないと私はみている。宗教家のお立場から、今日売春法というものをどうしても推進していかなければならないというお考えでありますならば、この基本的な考えを一つ宗教家としてこの際この法案に関連して、あなたが社会悪というもの、あるいはこの売春をしなければならないという社会悪を、いかにしてあなたの考えで防ぎとめることができるという御信念を持っておられるか。それを一つ承わっておきたい。
  53. 瀬川八十雄

    参考人瀬川八十雄君) 私は社会学の力も社会心理学の力も一向心得ません。申し上げることは独断になるかしらんと思うのでありまするが、その社会悪をどうしたらいいかという……。
  54. 中山福藏

    ○中山福藏君 どうしたら源泉を絶つか、源を……。
  55. 瀬川八十雄

    参考人瀬川八十雄君) 源泉を絶つか……、これは私ども一同考えておりますことは、つまり問題は一人々々の問題、まあ社会社会です。要するに社会は一人々々から成立っておるのは、今さら申し上げるまでもないことでありまするが、それですから一人々々の自覚を持つということ、それが根本だろうと思います。で、その悪とは何ぞやということになってくれば、これはずいぶんむずかしい問題になるだろうと思いますけれども、私はそういう込み入ったことよりも、これは常識的に悪いことは悪い、というのはずいぶん乱暴な言い方ですが、わかるのです。ですから深いことはおいおい研究もすれば勉強もするだろう、まず足元から、これはよくないことだなということの、足元からやっていかなければ、あまり先のことを考えていたら、いつまでたってもどうにもならぬ。まず個人が足元からやるべきことをやっていく、それが根本だと思います。
  56. 中山福藏

    ○中山福藏君 これはあなたが宗教家であらせられる関係上特にお尋ねしたのです。私は日本の指導者階層はうそを言っておると実は考える。私は人間の赤裸々な姿というものを、人間とはこんなものだというところを、一応現実の姿を現わしておいて、こういうふうな人間をいかにして救うかというところに出てこなければ、これは現在の世の中がますます虚偽の世になるとふだんから見ておる。私は七、八年前でありましたが、お正月にいろいろな方の意見を放送で聞いておった。そのうちに岡山の金光教の最高幹部の人の一人で放送された方がある。で、それは、自分として、人間として、男として生まれて思春期というものにどういう苦しみを受けたか。その苦しみをどういうふうにして押えたか。人間のありのままの姿を話したのを私は一回聞いたことがある。そういうふうな、何と申しますか、飾らない意見というものが今、日本の指導者の中にあまり吐かれないのですね。これは私は日本社会指導権を握られる方々の一つの、何と申しますか非常な欠陥だと見ておる。私はもう少し人間性というものを露骨にちゃんとまず認識して、そうしてこういうふうなものが人間の本体だ、本性だということをはっきりと相互に認識して、そうしてその上に立って社会改良というものを考えなければうそだと思う。現在の日本の文部省のやり方なんかも、言われることを聞いおるとうそが多い。私は非常にこれを悲しむのです。今日の社会改善、新生活運動なんかもそういう点が非常に多いと見ておる。あなたに今日こうして特にお出ましを願ったのでありまするから、ことに私はこの売春問題について、あなたの高邁なそういう点についての識見をお伺いして、そうしてそこから流れ出るあなたの売春に対する御意見を承わりたいと、こう考えておったのです。  それで私は救世軍の方々がいかに社会改善の問題について御奮闘なすっているかということはよく承わっております。毎年いささかながらも私は奇付もしておるわけでございます。それでございまするから私は今承わってみますると、非常なる社会悪だから、これを退治しなければならぬということはよくわかるのです。しかしながらよってきたる原因というものをもう少しここではっきりおっしゃっていただいて、自分売春法をこさえる前に、まずこの身売りをしなければならない家庭をどういうふうに救うかということから御出発なさらないと、やはりほかの三人の方々の、あるいは法律家として、あるいは現在の事業家として、業主としてのお考えとこれは一緒になる。結果に対する対策以外には聞かれないことになります。あなたは立場が異なっておりますから、私は特にその点を一つお伺いしておきたいと思う。これは家が貧乏でなければ、こういうことは起ってこないのです。あるいはある方面にはまことに悪党と申しますか、業主の方にここに来ておられますけれども、中には非常に悪い人がいる。こういう人の犠牲になって、いわゆる甘い汁を吸われるということもある、こういうこともあります。しかし私はそういうことを言うのじゃありません。しかしその甘い汁を吸うということも社会悪の欠陥からきていると、言葉をかえますと、経済的にいかにして人をしぼるか、いかにしてもうけるか、いかにしてぜいたくをするか、こういうような人がいわゆるばっこ跳梁しておる姿も一面では現われておるわけです。しかしながらいかなる点からこれを考えてみましても、いわゆる性欲と経済上の問題と、これ以外には私はこの売春という問題は生まれ出る余地はないと、こう見ておるのですが、そういう源を断つ問題を一つあなたの立場からもうちょっと伺っておきたい。これ以上は御質問申し上げません、
  57. 瀬川八十雄

    参考人瀬川八十雄君) 大へん大きな問題でありまするから、私がこれをよくこなせるかどうかはなはだ心もとなく、責任を感ずる次第であります。そこで、終戦直後公娼廃止とともに次官会議の決定といたしまして、全国に十七カ所の保護施設を始められることになりまして、矯風会なり救世軍なり、その他の団体がこれに預かることにしていただきました。そこで去る五年か、その内外の統計でございますが、これはごく今年というわけにはいきませんですが、何がゆえにその婦人寮に入るようになったかというもともとの原因ですね、素行不良というのが八%、好奇心からが六%余り、自暴自棄が二%、性格異常が四%、放浪性が一%幾ら、両親がなくなったというのが一一%、家庭不和が一九%、離婚があり、家出あり、生活困難、これが一番大きい。それから誘惑が八%、それから強姦されたがもとでというのがあり、まあこんなようなわけで、パーセンテージがいろいろ出ております。ところで実際に当ってみますると、その原因をただ一つにするということが非常に困難です。貧乏でもあったり、家庭の不和でもあったり、誘惑の受けやすい人もあってみたり、ですからもうこんがらかっておるのです。ですからたとい貧乏であっても、精神がしっかりしておったらそれに負けないということは幾らもあり得る。貧乏の人の家庭から必ず片っ端しから出るとはさまっていないのですから、それですから貧困だけをとらえれば、あれもこれもみな貧困が原因になってしまうというような状態に見えるのであります。それですから、私は宗教家の片端でありまするから、ことにその点に心が向っていくのかしりませんけれども、つまり要するにそういうふうな娘たちの出てこない、周旋人がたとい来たところで、出てこないようにするというのは、つまり健全な家庭というのが、これがまあ一番大事だと思うのです。健全なる家庭というのは、何も金持ちでなければならぬというわけは何もないのであって、貧しい家庭であっても、それにひっかからないで、こういうものの原因にならないで済んでおる。われわれの寮に来まして、そうして更生して、同じ家庭に帰って、同じ貧乏な暮しをしておっても、またもう一ぺん転落するということはなしにおる婦人が幾らもおるのですから、そんなふうに更生の実をあげておる婦人が幾らでもおるのですから、それですから貧困ということばかりが原因になるとはきまっていない。そうすると、結局は経済上の問題が全然関係がないとは言えませんけれども、根本の問題はどうしても私は家庭にあり、家庭を組織している一人々々の知能の問題であり、さらに進んで精神の問題に至り、また宗教的の感化というものに大いにあるというつもりで、われわれのところへ来る娘たちにできるだけそれを強制しない程度で、これを努めておるというわけであります。  それから今青年の性欲の問題でありますが、これはもう深刻なることは言うまでもないことでありまするが、ここにああいうふうなネオンサインでもってきらびやかにやられれば、好奇心も起ってきて、ふらふらとそこへ行くのは、思春期にある青年としてはそこへ傾くのはもう無理のないところがある。その点から言うと、ああいうきらびやかにしておるのは、あの人たちに対して実にかわいそうなやり方だと私は同情に……。ああまでして直接、間接誘惑して、迷わさなくてもいいのにというふうに思う。そうするとこれを拒むわけにはいきません。これに打ちかつようにするよりほか仕方がない。そこで幸いにして青年団の方々におきましても、今朝ほど話のあったように、青年の性欲のはけ口だなんていりのはもってのほかで、われわれそんな精神は、はばかりながら持っておらぬぞというふうな自覚を持っておられる青年が日本におるということは、実に頼もしいことでありまして、青年団なり、その他の青年運動をますます盛んにし、あるいはスポーツを盛んにし、それに加えて私ども勝手なことから言えば、宗教的信念を植えつけて、そうしてそのきわどい危険状態を通り過ごさしめていく、そういう事例は、われわれの宗教団体には山ほどあることでありますから、ますますもって、これでなければならぬとは私はここで言いませんが、そういう精神運動は日本にはなさ過ぎる。デンマークが九十年前に敗戦のうき目を見て道徳低下したときに、何によってこれを復興したかといえば、組織の上からいえば協同組合であり、精神的な方面からいえば国民精神の高揚であり、その次に持っていってグルンドウィヒという牧師が聖書を持って立ち上って国民を目ざめしめ、ことに青年の運動をやって、聖書による運動をやって、それでああも荒れ果てた砂地ばかりの地面で、天然産物の石炭もなければ石油もない、農業に適しないあの国を復興させて、文化国家を作り上げる。アンダーセンも出てくれば彫刻家も出てくる。また立体農業でもって輸出国にして、あの英国をすら養うておる、こういう状態であります。どうかこれにならっていきたいものと、私はそういうふうに感じております。
  58. 中山福藏

    ○中山福藏君 これ以上は議論になるから申し上げません。
  59. 宮城タマヨ

    宮城タマヨ君 瀬川先生は長年の間、この種の婦人を数え切れないほどたくさんお救いいただきまして、私どもとしても感謝いたしております。そこできょうの御発言の中に、今回の法案はもう一刻を争う、もうすぐさま通すようにという御意見をさっき伺ったと思っております。その一刻を争う早さをもって通せとおっしゃるそのことを、私は宗教家の立場ということよりも、長年の間この施設を、婦人を救済して下さいました、保護更生の施設を運営しておいでになりましたその結果といたしましての御意見もあるだろうと思っておりますが、この施設をもって確かに救い、そうして更生活をさせ得るというその点を具体的に伺いたいのでございますが、時間がございませんから結論だけお伺いいたしたいと思っております。
  60. 瀬川八十雄

    参考人瀬川八十雄君) これはなかなか容易な仕事ではありませんで、私ごとき、このような力の足りないことを感じておるのでありまして、学佼の先生が月謝を払って来ておるあの生徒に勉強させるのに骨が折れるし、家庭において自分の子供を教育するのに骨が折れるくらいでございますから、こんなにしいたげられた娘たちを更生せしめるということは、これは容易なことではないと思います。しかしそれにしてはやはり私は先ほど申し上げたように、何ぼ裏切っても、何ぼねじけておっても、これは神様の子だということを、実際に当ってみて痛切に感ずるのでありまして、ここにいささか統計を持っておるのでありしなするが、その十七カ所におきまして世話になっておりました娘たちが出まして、行く先でございますが、自分のうちへ帰りました者、おとなしくなって帰った、安心ができて帰ったという者が三五%、それから就職した者が一七%、結婚した者が三・八%、それからよその施設へ移管した者が一一%、その他友だちのところへ帰したとか何とかいろいろなのが九%、無断退去した、逃げていったのが二五%、こりいうことになっております。それですから不結果というのが四分の一とこういうことになっておる。私は初めこの仕事に携わりますときに、十人に一人もよくなったならば、こういうような話を聞いていました。やってみますとそれどころじゃありませんで、不結果に終ったというのが二五%、しかも二五%不結果に終ったようでありまするけれども、これがその後うちへ帰ってちゃんと結婚しているというのもあります。私が偶然いなかに行くと道でもっておじぎするからだれかしらと思うと、あれは逃げていった……、ところがちゃんと結婚して労働に従事しておる。子供を背負いながら神聖な仕事に従事しておる、今まで働くことがばかばかしくてそんなことができるかと言っておったのがそういうふうになっておる。あるいはまた家庭を持った君が買い物に行ったら、顔見知りがいるからだれかしらと思ったら、あれが寮から逃げていったのであるが、ちゃんと落ちついておるとこういう工合でありますから、下結果が二五%といっても、あながちそればかりじゃなくて、知らないでいい結果になっておるのもあるというこういう状態でありまするから、私どもとしましてはまことにふつつかな者でありまするけれども、これだけの仕事ができたとすれば、これは私どもだけの力ではない、御当局のお骨折りにもより、また多くの方々の後援によってこういうことができたと思いまして、何とも言えざる感謝をしております。ただ一人救われても十分だと思っておるのにこんなにまでもよくなるものとすれば、これはほんとうにありがたい仕事で、金の意義もあり、骨折りのかいもあります。引き続き何分よろしくお願い申し上げたいと思っております。
  61. 赤松常子

    ○赤松常子君 私も長い間先生のそういう困難なお仕事に終始変らず全力を捧げていただきましたことを、ほんとうに感謝いたします。そこで今度の法案の、今どうなりますか、その運命がここ半日できまろうかというところなのでございますが、もし不成立になりますといたしまして、その原因が更生施設が不十分であるからということになりそうなのでございます。で午前中の各参考人のお話しも皆そこに一沫の不安をお待ちのようでございます。そこでわれわれももちろんそういうことは十分考えておりますけれども、貧弱な国家財政でそこまで実現できないのでございます。そこで私具体的にお尋ねいたしたいことは、先生の御経験から、どのくらいの予算を要すれば理想的な、まあ五十万人を直接対象といたしました施設というものができますのか。大体第二国会のとき宮城先生が御中心になって作られたその法案にも、ささやかながら五億円の予算で一つのモデル・ケースを作って保護施設の構想というものを打ち立てられたこともございました。この間川崎厚生大臣も八十億円を要するというような、まあ御意見も御発表になったのであります。で、先生の御経験からどのくらいの予算が要るものであろうか。われわれも少しずつ研究をいたしておりますが、この次の段階としてはそういう点を大いに研究して早く充実した厚生施設を作りたいと思っているものでありますから、その点の先生の御経験を土台とした予算の点について、もしございましたらお教えを願いたいと思います。
  62. 瀬川八十雄

    参考人瀬川八十雄君) ただいまこの十七カ所の施設、福岡から仙台に至りまするまでの間に十七カ所あるんでして、そのほかにもう一カ所札幌にありまして、これは厚生省関係でなしに、札幌市関係でこれは救世軍に委託さしていただいておるんですが、つまりいわば十八カ所ともいうことができるかと思いますが、今日当局から委託費としてちょうだいしておりまするのは、東京の場合において一日一人頭百四十二円何がしというのでありまして、これが事務費及びその保護収容費合計百四十二円で一日まかなうという、これの中に何もかにも皆入っておるわけなんです。これはやり方によっていろいろでありましょうが、私どもの経験からいえば、そう今ことさら優遇をするということはこういう時節でありまするから、それはもう避けた方がいいと思うのでありまするが、まず普通にやりまして百四十二円一日あれば、事務費から保護する一切の費用は、十分というわけにはいきますまいが、何とかそれによって間に合わせておるような次第でありますから、それですからもしも今一万人ということになればつまりそれを一万倍すればいいということになるわけなんです。
  63. 市川房枝

    ○市川房枝君 私は中川先生にちょっとお伺いしたいんです。今度の法律売春ということは悪であるということの基本に立っておるわけなんでありまして、それで売春婦並びに相手方となった者も軽い程度の処罰をする、それから売春せしめた人たち、周旋者、業者あるいは場所を提供した者、資本を提供した人たちも罰することになっているんです。売春は悪であるという基本について、先だっても衆議院法務委員会での議論を見ますると、売春は悪であるという考え方といいますか、悪じゃないんだ、悪ではないんだけれども、これを処罰するといいますか、これはまあ私ども法律の専門家でないからよくわかりませんが、いわゆる悪だという基本に立つ場合には、これは自然犯というので、それから悪ではないけれども、これを行政的にいわゆる罰するんだ、これは行政犯というんだと、一体この売春処罰はどっちに立っているんだと、これは行政犯なんだと、こういう御意見も相当出ておるようであります。今審議中の法律は自然犯だという立場に立っての法律案だと思います。この点一体自然犯であるのか、行政犯であるのかとということについての先生の御意見と、それから世界の各国でのこの種法律に対する考え方をお伺いいたしたいと思います。
  64. 中川善之助

    参考人中川善之助君) お答え申し上げます。世界各国でどういうふうになっているか、特別私は研究したことはありませんので、お答えできませんのですが、これは自然犯だと思います。右側を歩けというのを左側を歩いたから罰するのとは話が違うと思います。ただ自然犯だという、悪いということの根本に、私さっき申したように女は金で買えるものだという気持、買えるものなんだが、それを買うのが一体いいのか悪いのか、少しは買わなければ工合が悪いんじゃないかというそういう言いわけがついているだろうと思うのであります、一番根本に……。これは割合に売春取締法をやれやれと言っている人たちの中にも、一番根本に女は売り買いできるものだというふうに考えるものがある。売り買いできるものだが、売り買いしちゃいかぬ、こういう立場にある、こういう考えがあるのじゃないか。それが一番根本に、先ほど申しましたように、ほんとうの意味で両性の本質的平等の意識がまだできていない。男についてはそういうことをとっくに問題は解決していると思うのでありますが、女についてはそういううまだ考え方がどこかに残っておると思うので、私先ほど、あまりこれは更生施設等もないのにやってもいけないという意見もあるが、更生施設がなくてもやった方がいい、それはあまりきき目がないからだというような大へんアイロニカル的なことを言いましたが、私提案者の方々には申しわけないかもしれませんが、そうきき目はすぐないだろうと思うのであります。しかしながらこれができれば、やはり女のからだを買うということはできないものだ、国家はそれを悪として否定するのだという宣言だけはこれは通ると思うのであります。で、その薬のことを私よく知りませんけれども、ペニシリンとか、オーレオマイシンとかいうよくきく薬は、これは十分予防その他健康診断をして医者の指導に従ってやらなければなりませんけれども、あまりきかない売薬は、普通の昔流の売薬ならやってもいいというようなもので、さしあたってこれですぐ売春婦というものがなくなるというわけにはいかないところに、私はむしろこの法案が今日成立する価値があると思うのであります。そうしてあとでできてから更生施設をしなければ、だめだというのならあとからすればいい。それからまた中間にはおそらく行政的な措置があると思うのであります。警察なり、あるいは検察庁なりの行政的な措置があって、そうして初めから検察官が、検察庁あげて検挙に乗り出すということにはおそらくならぬ。そういう緩衝時期があってだんだんにいくので、今予算的措置がないからこれをやめようというようなことは、結局最後のところにいくと、女のからだは買えるものだという考え方をごまかしているんじゃないか。少しこれは言い過ぎかもしれませんが、私はそういう邪推をするのであります。
  65. 市川房枝

    ○市川房枝君 それからもう一つお伺いしたいのは、この法律はさっき申しましたように、ごらんのように業者を処罰することになっております。その業者というのは現在も勅令九号その他で実は法律では許されていない、黙認されております。これは先般の法務委員会で花村法務大臣に今の赤線区域というものはどういう法律的根拠によって作っているのかとお伺いいたしましたところが、いや法律は禁止しておるのだ、黙認なんだ、こういうことをおっしゃっておりましたが、その黙認をされておる業者、こういう立場から申しますと、実はこの法律が通過した場合に業者はやめなければならぬ、そうするとそれからくる経済的な損害といいますか、というものが相当ある。これに対する補償をしておしい、すべきだろう、こういう意見衆議院法務委員会では参考人として出席された業界の代表の方がそういうことをおっしゃっております。一体こういう法律で認めてない、禁止しておる業種に対して補償ということはすべきであるかどうか、これについてのちょっと御意見を……。
  66. 中川善之助

    参考人中川善之助君) 私は法律的には何もそういう義務はないと思うので、一つ法律を作ってその法律によって不利益を受けた者がすぐいつでも補償が請求できるということはないだろうと思うのであります。しかし問題がこういう非常に広い問題でありますから、そこはこういう大きな法の改革をなさる以上は、それによって起る穴をできるだけ小さくする、そこも一つ社会なんでありますから、その社会にできた穴をできるだけ小さくしていくということは必要だと思うのであります。だけれどもこれは地区改正で道路をつけたからその補償をやれとか、かえ地をやれとかいうようなことは私は話が違うと思うのであります。
  67. 市川房枝

    ○市川房枝君 私のちょっとお伺いしたかったのは、そういう法的には禁止をされておる業種に対してでもやはりしなければならぬか、あるいはまた普通の生業、普通の正当なる法律に許しておる職業に従事しておって、それが法律施行によって損害を受けた場合の賠償という問題と、認めてない場合のことです。それはどうですか、ちょっと……。
  68. 中川善之助

    参考人中川善之助君) それは違うと思うのでありますが、しかし非常にやはり量の問題があると思うのであります、社会問題としての……。ですから先ほど申すようにそれに対する補償の請求権というものはないと思います。ないと思いますが、一つ社会問題として……その点では勅令九号へは入りませんけれども、直接の売春婦自身も同じ問題であると思いますけれども、やはり非常にたくさんの人が急に生活困難に陥るというのに対する何らかの政策がとられるということは、やはり好ましいことだろうと私は思うのであります。
  69. 市川房枝

    ○市川房枝君 これとちょっと似ておるかどうかわかりませんけれども、たとえばやみの買い出し、あれは食管法によって禁止されておる。それをくぐって買い出しをやっておる。ときどき検挙もあるわけなんですが、これを食管法をはずしてしまっていわゆる自由にしてしまうというと、やみ屋はそれでもって職業を失うのですけれども、一体そういう人たちに対する生活の保障の問題、これはちょっと今の問題と違いますけれども、どうですか。
  70. 中川善之助

    参考人中川善之助君) だいぶん演習のようになって問い詰められてきましたが、何かそういう人に職安方面にしろ何か……、いわゆるやみ屋というものも非常にたくさんあるのですから、それがみんな全然その日から生活の法がなくなるということは、やはり困ることだろうと思うのであります。ですからやはり何か方法を考えてやることが政治家としては必要なんじゃないか。法律的には問題になりません。法律的にはこれは売春業者とやはり同じような問題にならないと思います。思いますが、性質としてはやはり考えるべき問題じゃないか、非常にたくさんの人だから……、こう思います。
  71. 市川房枝

    ○市川房枝君 私も政治的にはやはり業者のことも考えるべきだと思うのでありますけれども法律的な立場からお伺いしたのです。それからもう一つ、現在の赤線地区は黙認されていると申し上げたんですが、現在存在している理由といいますか、根拠になっておるのは、いわゆる次官通牒という行政措置なんでしょう。次官通牒を出されたのは二十二年ぐらいですか、ところが、その後いわゆる勅令九号、これは国内法となって、独立した後に実は制定されておる。この勅令九号からいけば、朗らかに現在の赤線区域というのは存立し得ない立場である。ところが、これを黙認して、励行しないということになっているのですが、一体法律と行政措置とどっちが先行するんですか。それは当然法律が先行するものでしょう。法律がありながら、行政措置のずっと前のものが生きているということは、ちょっと納得しかねると思いますが、先生の法律家としての立場から、その辺を伺いたいと思います。
  72. 中川善之助

    参考人中川善之助君) 抜群を実施する場合に、今赤線区域の問題がその例になるかどうかわかりませんけれども、行政措置が間に入って、そして法律がほんとうに生きてくるという場合は珍らしくないのであります。家庭裁判所の少年事件だとかは一種の行政措置です。それでありますから、法律できめた形式論理だけで結論を出して、すぐそれをどこまでも法律できまっているからということで励行してしまうと困る場合があるんです。そういう意味で行政措置というものが意味があると思うんです。しかし、それはやはり一時的なものであって、法律できめたものを実現するためにきめてあるのでありますから、急激にそうならないように、行政措置でもって急激な衝突を緩和していくという程度以上に長引くということは好ましいことではないと思うのであります。ですから、赤線、青線というのも、法律的な根拠は全くなくて、特に勅令九号というものが出たから当然なくなるはずなんですが、急になくしてしまってはという手心程度のものは、行政措置として合理性があると思うのでありますか、今ではあれがもう制度化しているような形になっておる。そういう意味でも売春処罰法案というようなものが、やはり一つのはっきりした態度をとれるのではないか。ついでに御報告しておきますが、アメリカの駐留軍も非常に困難しておりまして、北半分の駐留軍は、御承知のように九軍団ですね。仙台に司令部がある九軍団と、あそこにおります騎兵第一師団ですか、法務関係の者と、仙台の高等検察庁、地方検察庁の検事長なんかも参加して、四十名ばかりで協議会をやっておるのであります。それが最近売春問題の協議会をやった非常にまじめにやっておるらしいのは、話にも聞いておりますし、プリントも見ておりますが、今のところどうもはっきりした結論は出ておりませんが、やはり売春処罰法案というようなものは歓迎しておるよりに聞いております。ただ、軍隊としては、幾分痛しかゆしのようなところもあるやに思われるのですね。非常に取り締ってもらいたくもあり、あまり立ち入ってもらいたくもないというふうなところも見えるのでありますが、日本の府県、市町村の禁止条例も大体駐留軍を中心にしてできておるように思われるのでありますが、その駐留軍の方でも、そういう動きで、スポーツを奨励するとか、あるいは貯金を奨励するとか、そういうような、いろいろ回り道ではありますが、そういう方法をやっておるというような方法をとっております。そしてできるだけそういうところへ近づかないようにさせるようにしておるというようなことを申しておるのでありますが、これは法務関係の将校たちの常識としては当然なことだろうと思うのであります。そこが、たとえばアジアのあんまり進まない国々にいろいろな売笑制度があるというようなことと日本が一緒になってしまうということは、やはり共通した思惟形式と申しますか、考え方がある。やっぱりそこは一番もとへいくと、婦人の基本的人権ということになって、今度国会へお出しになった法案の最初についている理由書の中にも、婦人の基本的人権という言葉が一つ入っておりますが、あの点こそがこの法案の一番大事なことじゃないか、もっとあすこへ力を入れていただきたかったというように拝見したのであります。
  73. 市川房枝

    ○市川房枝君 もう一つ最後にお伺いしますが、これはあとで石橋さんにもお伺いをしたいと思っておりますが、実は赤線地区の業者の方々は、女たちの、といいますか、赤線の業態の実態調査をお始めになっておるようであります。これはまあ赤線地区の団体、石橋さんの代表しておられる全国性病予防治会ですか、全国から調査費としてお金を五百万円お集めになった。そうして今年の初めごろから着手しておいでになっている。それに学者の方々が数名参加しておるのであります。まあその学者のお名前だけは預かっておきますが、もっとも、学者の中のある方は初めは参加しておった。しかし、調査が始まってからどうもおもしろくないところがあったので実はやめたんだ、こういう話も伺っておるのであります。それで、この実態調査の目的は、私どもは印刷物によって拝見しますると、やはり実態調査をすることによってそうして売春等処罰法案を撃破する、これをつぶすための根拠にするのだという理由のようにちょっと伺っておるのであります。それで、そういう学者の方々が参加されて、相当大がかりな調査もされ、その結果が世界の国にまれなる調査になる、実は衆議院法務委員会における参考人として出席されました業界の代表者の鈴木さんがこの調査のことにも言及をされまして、今やっておる結果が出たら国会の方にもこれを提出しますということの御意見の開陳がございましたけれども、先生もこれを御存じでおいでになりますかどうか。あるいはそういう調査、業者の方々の主催によるといいますか、あるいはそこから費用が出るという調査、そういうので一体私ども調査の結果に対して信頼が持てるかといいますか、これは内容を拝見してみなければわからぬと言われるかもしれませんけれども、前提条件としてそういう事柄があるとすれば、一体学者の名においてそういう調査が発表されることを先生どういうようにお考えになりますか。
  74. 中川善之助

    参考人中川善之助君) どうもどういう学者か存じませんが、学者とか大学教授というのもいろいろありますので、私もそうでありますが、それは映画女優にもいろいろあるのと同じことでありまして、どうもどういう方がやっておられるか、わかりませんから、その結果がどれだけ期待が持てるかということもそれはわかりません。しかし、社会事象の実態調査というのはなかなかめんどうでありまして、非常に優秀な学者が数名加わっておりましても、それだから必ずその結果が正しいということは言えないですね。これは自然科学の、あれほど精密な、試験管でやる実験室の実験でさえも非常に不正確なんですから、いわんや、非常にファクターのたくさんある社会関係を調査するということは、なかなかそう正確に、する者はそのつもりでやりますけれども、いきません。ですから、いかに優秀な学者が参加しておっても、必ずそれが正しいかということは断言できないと思います。従ってそういうことの調査は、なお幾つもの調査が行われて、そうして普通の学問であれば、たとえば農村問題ならば農村問題、どこの大学で一つ農村問題をやったからもうそれでいいというものじゃありませんですから、もっともっと研究が行われることが必要だと思います。ただ問題は政治問題であって、こちらの方はそうしてこれは時期の問題でありますから、調査ができるまでは法案は待ってくれという議論に、これは立たないと思うので、それは一つの調査がでてきて、完全な調査ができて、その上でその法律を作ってもらうということはけっこうでありますけれども、そんな法律はおそらくないだろうと思うのであります。そんなことをしていたら百年それこそ河清を待つで、百年たっても一つ法律はできないかもしれません。でありますから実態調査も私はけっこうであると思います。それから学者の方が参加しておられればなおさら正確な実態調査が期待される可能性が多くなると思います。思いますが、しかしそれはもちろんこの委員会の問題とは違うのじゃないかと私思うのであります。内容については一向存じません。
  75. 市川房枝

    ○市川房枝君 中川先生に対しての私のお伺いしたいことは……、どなたかほかの方でございますれば……。
  76. 赤松常子

    ○赤松常子君 中川先生、今最初この時期においてこの法案の成立を賛成なさいます御理由一つとして、この法律ができても、逆にいえば案外効果かないだろうというようなお建前に立って賛成だとおっしゃっておりましたけれども、そう理解してよろしゅうございましょうか。その意味をもう少し……。と申しますのは、法律ができますれば必ずそれは守られなければならないとまあ私ども思うのであります、法律論の立場からいえば……、政治論の立場からいえば今先生のおっしゃるようなお言葉もよくわかるのでございますけれども、もう少しそこの言葉を足していただきたいと思います。
  77. 中川善之助

    参考人中川善之助君) 私はさしあたっての問題としては、さっきからもお話しの通り更生施設の問題、五億だ、八十億だという問題があります。それはとても出ないというような問題もある、しかしそれならばそういうことについての、従ってもしも法案ができれば不平もあるだろうと思うのです。何もしないでおいてただ禁止したってだめじゃないかということもある。そういう不平があれば、またなかなか赤線青線といったようなものも幾ら法律外の現象であってもむげに押えることができないというふうになる可能性もかなりあると思うのです。ですからそういうこの不十分なところがあって、予算措置も何も伴わない法案を出して、それでこの売笑婦が絶滅する、半分になるというようなことは期待できないというように私は思うのであります。これは法律ができても事実の問題であります。今おっしゃるように法律ができれば、法律のねらったところが十分実現されることが好ましいし、また法律を行う者はそう努力しなければならんと思います。思いますが、事実として今の状態ではこの対象になる婦人がゼロになる、半分になるというようなことは期待できないというように私は思う。これは私の見込みであります。しかしこれはもう皆なくなるというのならば、それほどきき目のあるものだというのは、一面からいえば非常に強く、強行するということになりましょうけれども、それならばどうしてもこれは更生その他の予算施設が必要だ、それをしないでただやめさせて、少しでも出てきたのはつかまえる、ぶち込むというだけではだめだと思うのであります。だからそういう意味でこの法案は五年なり、八年なりたって、だんだんにそういう予算的な施設もできて、そうして完全なものになるだろう。しかし今ここで一つこの法律か出て、売春は悪であるということの宣言をしておくことが必要だ、私はそういうふうに思って申し上げた。
  78. 宮城タマヨ

    宮城タマヨ君 ちょっと関連質問、中川先生にちょっと伺いますが、先生先ほどのお言葉の中に、この法案法律として通過いたしましても、警察陣や検察陣は動かんだろうというようなお話がございましたが、これは予算面に、あるいは人員等について先生そういうふうにおっしゃるのでございますか、それとももっとそこに何かわけがあるという御発言でございましたでしょうか。
  79. 中川善之助

    参考人中川善之助君) お答えします、私検察陣や警察陣は動かないだろうということは申し上げなかったと思うのでありますが、あるいは速記録にそういうのが出ていたら申し上げたかもしれませんが、申し上げないつもりであります。私はそれはちょっと公開の席上でそんなことを言うのははばかると思っております。しかし実際問題として先ほど申したのに、つまりこういうことを申し上げたのがそういうふうにおとりになったかもしれません。この法律が出たからといって、この売笑婦を検察庁が全部縛り上げるというようなことはないだろう、こういうことを申したかもしれません。で、そのことをそういうふうにおとりになったかもしれませんですが、そういう意味で、この法律のために検察庁が、警察のことは私、申しておりません。検察庁が、今おっしゃるような意味で動けば、これはもうほかの仕事をしないでやらなければならんぐらいになる。だからほかの事件との重さの関係もありますから、そうみんな私はやれない。ことに検事も、更生施設も何もない売春婦をつかまえて、そして一万円だ、二万円だという罰金を取っても、あとこれはどうも更生しないじゃないかということも検事は考えるだろうと思います。そういう意味で、この法案の、あるいは提案君がお考えになっているよりは、少しゆるくなり過ぎるかもしれませんけれども、検察庁が全力をあげてこれの逮補に向うというようなことはないだろう、そういう意味のことを私、申しました。その程度のことであります。
  80. 赤松常子

    ○赤松常子君 ちょっとも一つ、先生の結論は私同じだろうと思うのであります。先生ももちろん御賛成だと思うのでありますが、けれどもその御発表か、この法律ができても十分行えないであろうから、そこに意味があるとおっしゃる。その意味の点を一つ伺いたいのと、せっかくできても、それが守られないであろうというお言葉を裏から見ますと、この法律は何か権威なきものというような印象を私ども受け取るのであります。それは私大へん危険だし、法律軽視にもなると思うのでありますが、もちろん私どもはこれができたからといって、あすから一ぺんに、手の平を返したように、この社会から悪徳が取り除かれるとは思っておりません。一つのステップとして私どもは意味を認めているだけでございます。それにもかかわらず先生のお言葉は、何か法律軽視、権威なきがごとき印象を私どもは受けるのでございます。その点を少し具体的にお答え願いたいと思います。
  81. 中川善之助

    参考人中川善之助君) 私今伺っておりますと、赤松さんのおっしゃるのは全く同じつもりのように伺いました。ただ、もしもこの法律を文字通り施行のときから、あるいはつまり公布から三カ月たったら全力をあげて少しも仮借しないでやるぞということであれば、私ちょっと考えます。すぐ簡単に賛成できないと思います。それならばもっと予算的措置とか何とかいう問題が起ってくる、そういう意味のことを私は申しておるのであります。だから決して反対でもないし、この法案をお作りになることは大へんけっこうだと思うのですが、だけれどもよく人が言いますように、それでは五十万の女が生きられないじゃないか、これもやっぱり考えなければならんじゃないかと思う。そういうことを言っておる人が、ほんとうにそういうつもりで言ったのか、あるいはそうじゃなく、自分の買えなくなるのを、不自由だということを、ただごまかしているのかもしれません。それはわかりませんが、とにもかくその五十万の女の更生の問題というものは考えなければならん問題だと思います。そういう意味で、そこになおこの法律ができてもゆとりがあるだろう、こういう程度のことを申しておるのであります。ただ私はここが国会の法務委員会でありますから、少しあけすけに申し過ぎたかもしれません。そのために法律軽視、よそでならば法律軽視というような意味にとられるおそれがあるようなことを言ったかもしれません。しかし法務委員会の皆さんの前だからその程度の御理解はあるものと思って申し上げたので、しかし一般の傍聴の方がおられるので、なお赤松さんも御心配になってそうお聞きになるのだろうと思いますが、私の趣旨はそういう趣旨であります。
  82. 藤原道子

    ○藤原道子君 私も中川先生に伺いますが、実は先生の言われますように、実は法案の運命は今日に迫っておる、衆議院の方の様子は先生が言われるように五十万の女の人をどうするか、更生施設がなければだめではないか、これができてから政府はあらためて出そう、こういうことなのですが、ところが午前中にも私申し上げましたように、五十万というのは売春予備軍といいましょうか、芸者であるとかカフェの女給さん、あるいはダンサーなどは売春婦ではないはずなのです。ところがこれが収入が少いために、また男の人の誘惑等によって売春行為をしておるであろうということを見込んでの五十万ということなのでございます。でほんとうに売春を表看板にしておりますのは、赤線とパンパン、まあ青線などもほんとうは飲食店でございますから、あれは何とか本来の姿に返らせるということの努力をすれば、ここで救うべき、直ちに救わなければならないのは五万か六万、それも売春は悪であることの規定と、前借金は無効であるということが明らかになれば、相当数は家庭に帰れるこどもたちがあるわけなんです。従ってまあその点で戦っておるわけなんでございますが、私どもも今いろいろなまあ交渉によりまして、法の施行期日は若干妥協に応じてもいいというような考え方で、まあぜひ本法を通したいというような建前でやっておりますので、先生の先ほど来のお話はよくわかるのです、理屈は、けれども法を制定するときには、法はできても守られないであろうというようなことを前提の御賛成意見ということになると、できてもまことに権威なきものになるような心配がございます。その点について、それで私どもはそういう意味でございましたならば、施行期日なりその他ではっきりして、やはり法を作ったら守る、しかもよく今度の法案は御案内のように業者を罰しておる、悪質周旋人を罰しておる、そういうものにはゆるぎない法の手が伸びてもらわなければ困るのであります。その点一点お考え願いたいのと、いま一つはどうも世界各国の法案の例を見ましても、どうも日本では法のあり方が非常に人権が軽いので、人間をあれする場合には非常に軽くて、それで物に重きを置いている、こういう傾向か強い。ことに女、子供に対する人権というものが非常に軽く扱われておりまして、児童福祉法などでも御案内のように児童に淫行をさせたものは十年以下の懲役ということになっております。ところが判決を見ますと、ほとんどが執行猶予なんです。児童は身心ともにすこやかに育成するべき義務と責任を私ども社会は持っておるはずなんですが、さて判決を見ると、最も子供を守っていただきたい裁判において非常に軽いのでございますね。でこういう点で私どもはいろいろ今迷い悩んでおる。そういうときであるだけに法が軽視されるであろうというようなことになると一段と、ちょっと困るのでございますけれども、そういう点について先生の御意見を承わりたいのです。
  83. 中川善之助

    参考人中川善之助君) それでは私の方からお伺いしますが、五万なら五万が正規の売春婦である、正規と申しましてはおかしいのですがほんとうの売春婦、(笑声)そうするとそれを、それがはずれれば今度はやはり上の力にいくというふうなことはありませんでしょうか。
  84. 藤原道子

    ○藤原道子君 何ですか。
  85. 中川善之助

    参考人中川善之助君) その五万が上の方へだんだんずっていくというようなことは、五万だけ片づけばいいというような問題じゃないでしょう。それから五万だけならば予算措置を何にもとらなくてもそれで片がつく、更生ができるというふうにお考えになっておるのですか、五万だけならば……。で私はどうもその法を軽視する、軽視するとおっしゃって大へんどうも恐縮でございますが、私は皆さんと違って政治家ではなくて法律家でありますから、できるだけ法は軽視しないつもりであります。で私の言っておることは軽視しているのではなくて、ただ効果の予想を考えて、そしてむしろ差引きいい結果になるという計質の途中までみんな発表してしまったもので、大へん工合が悪いが、答えはそういうことで……。  それからもう一つ日本の方は人権が軽くなったということは私は全くそうであると思います。どうしてもやはり女を買うことが、買うものだ買うものだと、こう思っていて、しかもやはり罰するときには売る方、売り春といいまして、買い春ではない、売り春の方なんで、むしろ買い春を罰すれば売り春はなくなるかもしれませんが、やっとこのごろ遠慮しながら両罰々々というようなことを言い出すような程度になって、そこのところはやはり非常に夫権的な封建性がやはり根本にある。どうしてもそういう考え方がある、その根本の考え方が実は非常に大事な問題である、女は今、藤原さんのおっしゃったように物ないし物以下に考えるような形ですね、御承知の江藤新平の娼妓解放令のときには、芸奴はもとこれ牛馬に異ならずという、あれを出している、だから人より牛馬に物を与えて、それより返還を求めるの議なしというととで前借金は棒引きにするということを言ったのでございますが、あれは江藤新平氏の機知で、売春婦は牛馬のようなものであるから、返せというようなことは人間が言うべきではないということを言った一種のウィットでありますが、今でも売春問題についてはどうしても今おっしゃる女を物と考える、それがこの法案の一番大事な使命だと私は思うのであります。両性は本質的に平等であるから、夫婦は平等の権利を持つというようなことは形の上でいろいろ整っておりますので、一応何か片がついたようなものですけれども、何かこういう問題が起ると、一番根本は不平等感がやはり露呈するのではないか、そういうように思っております。
  86. 藤原道子

    ○藤原道子君 私も今度の法案審議に当って、ほんとうに男の人と言っちゃ、また委員長にしかられますけれども、大体において本質がわかったような気がします。露骨にわかったと思うのであります。いささか悲観しておりますが、そこでどうしても本法の成立によって少しでも前進したいというところにこの運命をかけております。今先生が五万よりももっとふえはしないか、もっと上にいくのじゃないかという御意見でございますが、それは今後の取締りいかんにあるし、今後の国民の心がまえいかんにあると思う。今までは売春婦を買うことを男は、ある男は誇りにしておった、おれは今度旅行して女を買ってきたと、得意になって言っている。外国などでそんなことを言えば軽蔑されますので、そんなことを言う男はいない。そこで売春婦は悪であるという規定が確立すれば、幾ら破廉恥な人でも少しは考えるだろうと思う。そこで最近この法案が審議されるに当りまして、吉原でもお客が半分に減っている。これはすなわち若干の自粛のいろが見えているのじゃないか、また女の人も何とかして逃れたい、助けてもらいたいという窮状を訴えた手紙がずいぶん来ているのです。でございますので売春が悪であるという規定と、業者が罰せられ、なおかつ前借金が棒引きになるのだということになれば、私は思ったより以上な効果があるように思うのでございますけれども、私の考えは甘いのでございましょうか。
  87. 中川善之助

    参考人中川善之助君) 決して甘くない、私もその通りだと思っております。
  88. 中山福藏

    ○中山福藏君 ちょっと中川先生に一つ、今の質疑応答を聞いておりまして、結論的にお尋ねしたいと思います。私は現在の立場は反対でも賛成でもない、中立の立場にある議員でございますが、そこでお尋ねしたいのは、結局法律というものは相当の権威をもって国民にかくすればかくなるぞという認識を与えるということがまず必要だと思っております。そこで現在までの都道府県の売春取締りに関する条令、あるいは刑法とか、あるいは児童福祉法に関する規定についてもいろいろありますが、ところが、これがあってもほとんど世間はこれを知らない。そしてただいま五万というのはいわゆる実績を持った売春婦じゃないかと仰せられる方もありますが、私が男性という立場から見た世間は、おそらく六十万を突破するんじゃないかと実は私は見ております。五万に対して社会保障制度をこれに裏づけするということになれば、まず八十億といわれている。五十万と見て八百億という金がこれはぜひ要るわけですね。そういたしますると、過去の法令、いわゆる都道府県条例というような取締りに対しても、それがあってもなきがごとき状態のもとに新しい売春取締りというものが成立した結果どうなるか。これを日ごろ法律家として見まするときには、あまりそう効果はないんじゃないかと、私は弁護士でございますが考えてみたのです。そこでここでたとえば倫理観念の涵養だとか、思想の善導だとかそういうようないわゆる社会運動によって、その改過遷善というものができないものかどうか、性欲の抑圧はできないものかどうか、どちらが先生は一つ効果的だとおぼしめされますか。私はむしろこの社会改善運動というようなものでこれはその程度でやったらいけるんじゃないかということも一応考えてみておるのであります。どうか一つ御高邁な見識を承わらしていただきたいと思うのです。
  89. 中川善之助

    参考人中川善之助君) あまり高邁でもありませんが、やはり精神運動は非常に大事だと思います。そして先ほどから申しましたように、日本の女が買われるものだというその考え方が非常に強いのですね。これは非常に強いので、そういう国ではなおさら精神運動が必要だと思います。ただ精神運動で片がつくのでないかという御観察は少し法律的には甘過ぎるんじゃないかという気がするので、両々相持っていかなければ、これは法律だけでももちろんだめだと思います。ただ先ほど藤原さんが言われたように法律が出ないでも、もうすでにそこへ行く者が少くなったというような一種の消極的ではあるけれども、これがその一種の消極的な精神運動と申しますか、そういう作用を持っていると思いますが、やはり結局は先ほど青年団の方が言われたように、もっと積極的な精神運動というものが必要だと思います。しかしどうもそれだけに頼っていけばいいんじゃないか、法律をやっても行われないくらいならつまらないじゃないかということは、ちょっとまあ何となしに逃げ口上のような、そういう意味ではもちろんありませんでしょうが、聞く人によっては聞かれないことはない。それで行われない法律は困ると、こうおっしゃいますし、私ももちろんそう思います。で法律の権威のためにも行われるのが必要だと思いますが、この問題は日本のような封建性が裏口にまでまだ残っておるというそういう社会、従って非常に夫権的で女の権利が認められないという、こういう社会では非常に困難だと思うのです。だからなかなかこれが出てすぐ精神運動なしにも、独立して人々の考え方が変るというふうには、私そうはいかないんじゃないか。また、あまりそう言うと法律を作るのにけちをつけると言ってしかられますけれども、私はそういうふうにちょっと思うのであります。これは私一個の見込みでありしますから議論されても困りますが、しかしそれは非常にこの問題は日本ではむずかしいと思いますが、困難なことで、なかなかそれが権威をもって全面的に改善が行われるということは、なかなか困難であるとしても、これは、してもと仮定しておかないと、また問題でありますが、しても私はいい、またそう思うのであります。従って精神運動はお説の通り非常に大事であり、それが両々相待たなければもちろんだめだと思っております。
  90. 中山福藏

    ○中山福藏君 どうもありがとうございました。実は私は国情というものを直視しなければならぬと見ております。私がパキスタンに参りましたときに、あそこは一夫多妻主義なんですね。しかもマホメット教の経典というものは憲法の精神になっておる。そして何人も一夫多妻を疑うものはないし、これを非難する人もないわけなんですね。ところが日本の明治五年くらいの戸籍抄本を見ておりますと、めかけというものはやはり戸籍に入っております。そしてだんだんそれが進化して現在の一夫一婦主義ということになっております、そういうふうな過渡的な階段をたどって現在のいわゆる社会組織というものが日本に打ち立てられておる。そこでこの過渡的な実際面を私ども一つよく直視して、いかにしてこれをいいところに理想的に引きずり上げるかこれは法律の力により、あるいは道徳の力により、あるいは宗教の力によって大いに各人連帯して努力したければならぬということはよくわかるわけです。ところがただいま申し上げましたような多数の都道府県の条例があって、これを的確に私は適用していけば、この売春取締法というものを作ると同じ効果が上るのじゃないか。その既存の、すでに現在ありまするところの都道府県の条例というものを厳格に施行することすら怠っておって、さらに多額の予算を伴うところの法律を通すということは、これは実はいかがなものであろうかということを法律家として私は考えてみておるのであります。従って日本の道徳的な社会組織面も一応は考慮の中に入れましてこれは考えておかないというと、売り手、買い手のいわゆる経済の取引みたような考え方だけからではこれはいかぬと思うのであります。それでそういう点を今までの既存の法令だけでは取締り不可能である。不可能であるとすれば、どうしても売春取締法規というものがさらに強化せられなければならぬ、こうなってくるわけです。どうでしょうか、その点はどうお考えでございましょうか。
  91. 中川善之助

    参考人中川善之助君) 地方の条例は基地周辺に発生しておるので、全国的に言えば非常にというほどでもありませんが、まだわずかであります。どうもこれは日本人の事大主義かもしれませんが、条例というものは、やはり法律よりも軽く見られるというところがあると思うのであります。しかも隣の村にはないじゃないか、おれの村だけあるじゃないか、こういうようなことになってくるというと、そこにもってきて、女は買うべきものだというそういう考えが頭にあるのですから、なんだ、隣の村にないものをうちの村だけこんな変なものを作ってということになると私は思います。ですから、これは全国的に各市町村が条例を作って行えば同じだとおっしゃいますが、これは市町村にそういうことを命令するわけにもいきませんのですから、やはりそういう状態であれば、なおさらその国の法律というもので方針をはっきりさせることが必要なんじゃないか、私はそういうふうに思います。それから国情の実情を考えるというお話しでありますが、これはごもっともで、法律社会の実際から非常に飛躍すれば、何の足しにもならなくて、何の力もなくなってしまう。ちょうど磁石で鉄片を引っぱるようなもので、あんまり遠く離せば鉄片はついてこない。ある程度近い所へ持ってこなければならぬ。あまりくっつけておくのも意味はない。そこで引つぱれる限りの一番遠い所へ持っていくのが一番いい立法だろうと思います。そこで明治五年にめかけというものがあった。しかしこれはめかけというものが戸籍からなくなるためには明治十年、十一年、十二年という間に非常な闘争をしております。そしてあれがなくなっております。あれがもしあのときに闘争がなかったとすれば、今でもおそらく残っておるかもしれないと思う。それからパキスタンに一夫多妻を認めておりますが、トルコはすでに一九二〇年ごろにスイス民法を輸入しまして、一夫一婦にしました。それから中国は孫逸仙の革命の後はしばらく民律草案という清朝の末期にできた草案を使っておりまして、これは一夫多妻を認めておりましたが、民国五年でしたか、中華民国民法を作ったときにはやはりスイス民法を手本にして一夫一婦にしてました。あれほど一夫多妻の行われておる国で一夫一婦の法律なんか作られても行われないのではないかということが言われたのであります。従ってそれはなかなか行われなかったのであります。行われなかったのでありますが、今日の中国の新生活運動なんかの出てくるやはり一つのそれは導火線になっていると思います。だからどこかで現実から一歩前に法律が出なければいけない。法律が現実にくっついておるのでは仕方がない。しかも二歩も三歩も出ちゃいけないというので、その一歩出るというところが法律立法の一番むずかしいところだろうと思います。そういう意味で売春等処罰法案は一歩あるいは御婦人の足で二歩くらい出たところで大へんりっぱな法律だろうと思っております。
  92. 藤原道子

    ○藤原道子君 実は今中山委員から地方条例でやれるのじゃないかというような御質問に対しての御答弁で、私その点は満足したのでございますが、実は日本売春等処罰法案かないために実はこれは二十七年の七月二十四日の朝日新聞に報じられておるのでございますが、アメリカの上院でオハラという議員日本の軍事基地周辺で売春が盛んに行われておる。これに対して日本から苦情文がたくさん来ておる。これに対して実情調査を要求したのでございます。これは一月だと記憶いたしますが、それに対して七月二十三日の米国の上院にこれは書面で回答文が寄せられておる。その中に日本では売春は過去数百年来行われておる。それで政府もこれを黙認しておるのだ。それからその次には若干の地方条例を除き日本政治、法規は売春禁止よりは性病予防を目的としておるのだ、それからその次には米軍当局は売春を行なったり、またはこれに関係する日本人を取り締る管轄権はないということが書面回答で出されておる。これは世界中の新聞に出ております。私はちょうどインドネシアのパキスタンにいるときにこういうことを、日本は数百年来の売春の国だというようなことを世界中の新聞に掲載されても、お前たちは黙っておるのか、だからこそ日本では米兵に大事な娘がじゃうりんされているのじゃないか、一体どうするのだということをジャカルタで言われたのでございますが、まさにその通りで私は非常に恥かしい思いをして来たようなわけです。だから地方条例がございましても、やはり取り締れば隣りの村へ行く。よせば戻ってくるというようなことが、実効が上らないと同時に、外国ではそういう考え方をしている。こういう意味から言っても、私はとにもかくにも売春処罰法をここで制定してそして外国に対しても、国際連合に加盟するに際しても、やはりこの基本法だけは確立しておきたい、こういう念願に燃えておるわけなんでございます。そこでまあいろいろこの間からの衆議院あたりの論議を聞きましても、施設がないからだめである。やったって売春は絶えないじゃないか。こういうことが繰り返されているわけです。だけれどもどろぼうは貧乏だからやる。だけれども貧乏をなくしてからどろぼうを取り締ったらいいというようなわけではないのであります。と言ってどろぼうを取り締る法規はあるけれども、どろぼうは絶えないのであります。けれどもどろぼうは犯罪であるということでございますから、これはある程度自粛ができておるけれども売春取締法もそういう意味において、私は貧乏を根治すると同時に、貧乏には貧乏に対処する法規はあるわけです。こういう意味から私たちは絶対必要だと、こういうふうにも考えるのでございますか……。
  93. 中川善之助

    参考人中川善之助君) 今の新聞に出ました日本側からの回答というものは、どこから出した回答でしょうか。
  94. 藤原道子

    ○藤原道子君 これは日本側からの回答ではないのです。オハラ議員が上院で国防長官に質問したのです。調査して回答を与えよということに対して、アメリカ上院に回答している。それが世界中の新聞に出て、日本の朝日新聞二十七年七月二十四日の夕刊に出ているのです。
  95. 中川善之助

    参考人中川善之助君) 先ほどのマリアルーズの奴隷を解放したときに、ペルーから抗議が来たというのに対して、江藤新平はすぐ太政官布告を国内に出しまして、ペルーにも同趣旨の返事が行ったのですが、その太政官布告には、人身売買は古来禁制のところと書き出してある。禁制のところ近時往々法網を潜ってこれをする者は自後厳重に取り締る、こういう書き出しをしておりますので、数百年じゃありませんので、これは明治五年にすでに古来禁制のところと法律が出ておるのであります。
  96. 市川房枝

    ○市川房枝君 石橋さんにちょっとお伺いいたします、石橋さんはさっき御意見を伺いましたように、業者の方の代表としてきょうは御意見を伺ったわけでございます。実は衆議院においても参考人としてやはり同じ全国性病予防治会理事長が御出席になりまして御意見をお述べになりました。私はそれも傍聴をいたしたのでありまするが、その際の鈴木さんの御意見と、きょう伺いました石橋さんの御意見では少し違うように実は伺ったわけです。というのは石橋さんの御意見は、最初にやはりこの売春処罰法には賛成であるという御意見を伺いまして、私も大へんにうれしいわけでありまするが、全国性病予防治会としては、この売春処罰法に対する会としての御意見を御決定になっておるだろうと思いますけれども、どんなふうに御決定になりましたか。先ほどの石橋さんの御意見は、団体の御意見だ、あるいは団体の決定とは多少お違いになっておりますかどうか、その辺をちょっとまず最初に伺わしていただきたいと思います。
  97. 石橋幸八

    参考人(石橋幸八君) お答えいたします。私は売春法に賛成と申し上げましたが、賛成する上におきましてはそれ相当の手順を踏んで、そうしてこの法律を作っていただくことを賛成申し上げますと申し上げたと思います。ただいたずらに何らの保護施設も更生施設もなくして、かような法律をお作りになることには私は賛成しかねるということを申し上げたのであります。  それからこの全国業者が協議したと申しますけれども、さいぜん申し上げておりますが、実態調査の問題でありまするが、なるほど全国の業者が相寄りまして業者の実態調査を学者の方々の手によって調査したことは事実であります。それに要する費用がおよそ五百万円くらいは映るであろうということに一応決定したことも事実でありまするが、しかしながらなかなかそういう問題はその学者の方々から申入れがありまするけれども、これをもって直ちにこの売春法案を粉砕するところの材料にするという考えは持ちません。ただこの売春法はおよそ今日の統計等を見てみまするに、統計等がない、よってああいう方々は非常に精神薄弱者か、あるいは変態者か、低能児かというような世間の誤解を大多数受けておる、かように思います。そこで私らの赤線と申しまするか、この終戦前までの貸座敷と申しまするか、一定の地域に許可を得てやっておるものに従事するものが推定五万と申しまするし、六、七万と申しまするが、そういうところに働くところの従業婦の方が果して低能者であるか、あるいは精神異常者であるかということも一応今日調査する必要があるであろう、こういうようなことでございまして、しかしながらこれは全国の業者が相寄りましておよそ推定一万五、六千でありまするけれども、そのうちには非常に意見まちまちでありまして、ちょうど一つの問題にたとえましても、保守と革新が意見相反するように、全国の業者もこの調査に賛成する方もあるし反対する方もあるのであります。しかしながら最後は不平不満もあろうけれども、これは多数が決したというような面もあります。非常に石橋幸八は九州の実は代表でありまするが、まだ九州は一人の調査もやっておらんような実情であります。そこでその調査に要するところの費用もまだ一銭もやっていない、かような状態であります。ここでお尋ねになっておりませんが申し上げておきまするが、全国の業者が一昨日あたりの新聞を見ておりますと、何か三千万か五千万の金を運動金に要した、そうして大々的に先生方を買収したかのごとく新聞に報道されておりましたけれども、全国の業者はさような余裕あるところのお金を持ちません。全国の性病予防自治会本部は虎の門にささやかなところにかまえておりまして、それに従事するところの事務員と申しますか、六、七名おられまするが、その方々の給料すらも満足に払われないというのが現状でありまして、なかなかさような大金をもってこの法案に向う、その資本にするような金はいささかも、一銭たりとも出しておらんことは私ははっきり責任をもって断言申し上げて差しつかえないと思います。
  98. 藤原道子

    ○藤原道子君 その業者で買収したしないは別としまして、今度の運動に一女も出していないとおっしゃるのは、それは九州地区のことでございましょうか、全国の業者が一文も出していないと言われることでございますか。その点明確にしておきたいと思います。
  99. 石橋幸八

    参考人(石橋幸八君) お答えいたします。私はこの買収の運動に一文も出していないということは申し上げた。先生方を買収するところの金は一文も出しておりません。
  100. 藤原道子

    ○藤原道子君 それはそう言うでしょうね。
  101. 石橋幸八

    参考人(石橋幸八君) それでその全国の費用としましてはいささかはやはり維持費として出しております。
  102. 市川房枝

    ○市川房枝君 売春処罰法に賛成するとは言ったけれども、それには条件があるのだというお話でしたが、その条件はさっきはあまりはっきり伺わなかったようですけれども、その条件をちょっと伺わせていただければ幸いと思います。
  103. 石橋幸八

    参考人(石橋幸八君) それは私から申し上げるよりも、先生方が国民を平等に取り扱って下さったならばはっきりすると思います。
  104. 市川房枝

    ○市川房枝君 ちょっと具体的に……、よく今のお話だけでは私わかりかねるのですが、具体的におっしゃっていただければ幸いと思います。
  105. 石橋幸八

    参考人(石橋幸八君) 私は一片の法律で、かような性の問題を解決して、罰則によってするというようなことは、性の問題はさいぜん申し上げましたように、衣食住よりもこれが優先じゃなかろうか、かように私は考えておりましたのです。そこでこれは私どももむろんときによってお上から奨励され、懇請されて営業をやった時代もございます。また排斥された時期もございます。さようなことでありまするから、むろん昭和二十一年の二月にマッカーサー指令によって公娼は廃止されました。むろん前借も棒引きいたしましたが、また何と申しまするか、今日姿を変えて、今日になってかように御心配をかけてきておりますが、人間が一片の法律で、これはいかないというようなことで葬られるということは、国民として服従しかねると思います。それ自体が悪いと言われるならば、政府はこのわれわれ業者が、かよわい女が一晩に幾らと、かりに働いたとしますならば、それに対して税務署は算定して、一々所得税をお取りになる、あるいは県税、市町村税をそれに付加しておるのだと思います。これは国民が所得があれば国民の義務として納税の義務は当然ありまするけれども、それ以前にもう少し何かの御処置があってしかるべきじゃなかろうか。そこで私は、これはまあ業者の話でございまするが、かりにすき好んでこの業態に入るところの従業婦の方々は全然ないとは申されませんけれども、私の経験からいきますると、世間の人がなかなかこういう女の方々をお救い、引き立ててやろうというような方はおそらくないのであります。それは生活保護法とか、あるいは医療保護法とかあることはありまするけれども間に合わない。さいぜん救世軍の先生がお話しになりましたように、一人の費用が百四十二円とかと言われましたけれども、その人だけならばあるいは百四十二円ということで助かっていきまするかもしれませんけれども、その働く女の家族は、あるいは三人、五人と抱えておるものが私は大半と思います。九州の実情はそれが多うございます。で、これが直ちにその人ひとりは助けられても、それじや家族のものはどうなるか、おるいは不時の災難にあってそうして病院へ行く。あるいは長わずらいをしておる。出家族が……、そういうものの今日保護は、救済はいろいろふることはありまするけれども、それはほんのわずかでありまして、しかもお役所式で、手取り早くこれが実現できないのが今日の現状なんでございます。さような面もよく御検討いただきまして、そうして私はそういう法律を作って下さるならば、私は決して反対はいたしません。賛成もいたします。また国民でありまするから、反対しましても、これは通りますれば、美しく法を守っていく精神は持っておるということを申し上げたわけであります。
  106. 市川房枝

    ○市川房枝君 そうすると法案には賛成するけれども、それにはその女たちの救済施設というものを作れ、あるいは女たちの家族の生活も保障しろ、そうすれば賛成すると、それでなければ賛成できないこういう御意見と承わってよろしゅうございますか。それからそれに対してもしそういう御主張だとすれば、一体女は現在何ぼいて、それに対してどれだけの予算が要る、あるいは家族に対してどれくらいな金が要るか、そういう予算なんかというものについて業界としてお考えになっておるのでしょうか、どうでしょうか。
  107. 石橋幸八

    参考人(石橋幸八君) お答えいたします。私はまださようなことまで実は研究いたしておりません。
  108. 市川房枝

    ○市川房枝君 あなた様、と申し上げるよりも業界でそういう案はできていないのですか。
  109. 石橋幸八

    参考人(石橋幸八君) まだ作っておりません。
  110. 市川房枝

    ○市川房枝君 業界としてはあなた様のおっしゃったように、そういう条件で賛成する。その条件ができなければ反対する、こういうふうにきまっておるのですか。
  111. 石橋幸八

    参考人(石橋幸八君) いいえ、そんなことはきまっておりません。私の意見です。
  112. 市川房枝

    ○市川房枝君 あなたの意見ですか、協会の方はどういうふうにきまっておるのですか。それをちょっとさっきお伺いしたがったのです。
  113. 石橋幸八

    参考人(石橋幸八君) それは協会の理事も同じものでありまするから、私は何ら変りはないものと、かように考えております。
  114. 市川房枝

    ○市川房枝君 協会でお集まりになって御決議になっているのじゃありませんか。
  115. 石橋幸八

    参考人(石橋幸八君) いいえ決議しておりません。さようなことは決議いたしておりません。
  116. 市川房枝

    ○市川房枝君 どうもちょっとそういうことはあり得ないというような気がするのですが、それではさっき初めに賛成だとおっしゃいましたから、そうかと思ったら、だんだんあとお話しを聞くと、これは賛成じゃない、結局反対だということになるのでして、初めに伺ったのと少し違うような気がするのですが……。
  117. 石橋幸八

    参考人(石橋幸八君) 私の申し上げようが悪かったかもしれません。
  118. 市川房枝

    ○市川房枝君 それではお伺いしますけれども、さっき調査のことについて、これは中川先生に実はお伺いしたのですけれども、それに対してさっきあなた様からもお答えをいただいたのですが、九州地区は参加していないというか、まだ参加していないのだ、金もまだ出していないんだというお話しでしたけれども、それはどういう理由でそれに御参加になっていないか、ちょっと伺わしていただければと思います。
  119. 石橋幸八

    参考人(石橋幸八君) これはなかなかむずかしき問題でございまして、九州はこまい島のようでありますけれども、七県ありまして、所々に散在する場所が多うございまして、この調査を実際行うといたしますならば、財政面がおそらく持てないと思います。しかもその調査の内容は業者等がいささかも干渉してはならない。ほんとうに従業婦の方々みずからがそれに記入されることになっておりまするから、どなたかやはり関係当局からでもお役所の方においで々願いまして、そうして一一業者を関係させずに、ただここに家がある、ここに業者がおる、従業婦がおると言うくらいの程度でありまするから、とても少々の費用ではこれが完結いたしません。そこで九州のような貧弱な業者は、さような費用を出してまで御協力することはおぼつかない、こういう面から、実はせっかくの全国の議決でありまするけれども、まだ今日まで参加しておりません。ほかに理由はございません。
  120. 市川房枝

    ○市川房枝君 調査が全国一斉にといいますか、なさることになって、今お話しによりますと、九州はまだ参加しておりませんが、ほかにも少し参加していない所もあるやに聞いておるわけです。それからなお、その調査の結果、どうもあまりいい結集が出ない。かえって逆の結果が出ている。業者の方々としては困るような結果もまあ出てるんだというようなこともちらっと伺っておるのですけれども、こういう調査が業者の方々の、まあ利益といいましょうか、なるというお考えでの御出発は、まあ私ども第三者の者からいうと、初めからどうも少しこれが私ども参考にしていただくような、社会的ないい調査というものが得られるかどうかということが疑問だというふうに思えるのですけれども、まあ業界の皆さん方が非常に御熱心に御調査をお始めになっておるようですけれども、現在どの程度まで進んでおりますか。あるいはその調査の結果が、ある程度中間報告のようなものが出ておりますかどうか。あるいは中間報告のようなものが出ておりますれば、私どもぜひ拝見をさしていただきたいと思うのですが、いかがですか。
  121. 石橋幸八

    参考人(石橋幸八君) 私も九州におりまして、東京へはしょっちゅう出て参りませんが、まあ全国から申し上げますると、一部と思います。一部の調査はできておるそうです。そうしてそれが今集計中というこで、今月の月末ごろは、それが一部のものは完成するであろう、こういうことを理事長から承わっております。それから悪い面もあるいは出てくるかと思います。それがほんとうに権威ある調査でありまするならば、やはり悪い面も出てくる。その調査によって私ら業者も、悪い面がありましたら、どこどこまでも改めなければいけない、いいものは奨励していくように考えておりますから、あながちその調査をいいものにするか悪いものにするか、あけてみなければわかりませんが、お説の通り悪い面も相当ございますでしょう。多数の業者の中には非常に不心得者もおりますから、おらんとは申し上げません。ここでやはり悪い面も出てくると、私はかように考えます。
  122. 市川房枝

    ○市川房枝君 その調査では、まあ学者の方が主のようですけれども最高裁の家庭局といいますか、最高裁の方も御関係があるやにちょっと伺っておりますが、そういう事実がございますかどうか。
  123. 石橋幸八

    参考人(石橋幸八君) 私はあまり不熱心でありまして、はなはだ申しわけございませんが、実は学者の方々のお名前すらも記憶しておりませんから、何か必要でしたらあとで調べて御返事いたすようにいたしたいと思います。
  124. 市川房枝

    ○市川房枝君 別なことを伺いたいんですが、この間やはり衆議院での鈴木さんの御意見のときに、前借というものは、これは女たちに貸している。しかしそれはくれてやるつもりでやっているんだ、これを必ず取ろうとは思わない、返してくれればけっこうなんだ、それはありがたい、けっこうなんですけれども、前借として必ずこれを取ろうとは思わない、そういうふうにやっているんだ、こういうお話があったんですが、私どもはそれを伺っても、そのように行われているとはちょっと考えられないんですが、これは鈴木さんは東京の吉原の方なんですが、あなた様は九州の福岡の方でいらっしゃるようですが、いかがでございますか。そういうふうであると信じていいのでこざいましょうかどうでしょうか。
  125. 石橋幸八

    参考人(石橋幸八君) お答え申し上げます。大体前借ということは、もう今日の時代にはないことになっております。しかし昭和二十二年の二月二十三日と思いまするが、全国性病予防治会を東京で結成されまして、時の政府からいろいろ御援助もいただきまして、そうしてむろん前借は棒引きいたしておりまするが、女子保健組合というものを組織して、そうしてこの女子保健組合は、あたかも業者は赤子を育てるがごとき気持で育てていく、それで組合に干渉はならないが、育てはする、こういう御趣旨でございました。それで今日前借というようなものはございません。しかしながら、同じ一緒にまかの飯を食べている者が、その家庭に不時の災難ができた、今ここに一万円あれば、その兄弟あるいは親、子供、これが助かるという場合に、この方がどこに助けを求むるか、これはりりもなおさず、一緒にかまの飯を食うた者のいろいろな利害を超越いたしました美しいところの気持で私は貸すということは、何らこれは罪にならない、かように考えております。これを助けなければほかに助ける道はない。役所あたりに行きましても、とてもじゃないが、二十日や三十日でさようなものが問題になりませんし、また私が申し上げるまでもなく、第三親等にでもお金を持っている方があったならば、これは法が許しません。しかし社会は非常に冷いんです。そういう面でそういうようなときは金を一万あるいは二万、その方がなくなられても、あるいは本人がなくなられても、それは仕方がないでしょう。それで九州では従業員組合というものが厳然として今日も残っております。そこからは、最高三万円くらいの金は従業員組合からお立てかえする、そうして月々返済をするということになって、それは美しく成長しております。業者からの前借という問題はございません。そういう面で立てかえるような場合はございます。
  126. 市川房枝

    ○市川房枝君 女があなた方のところに来て働いている最中に金が必要な場合に、今のような組合から融通するというお話しですが、あなたもやはり特飲業をなさっておりますか。
  127. 石橋幸八

    参考人(石橋幸八君) やっております。
  128. 市川房枝

    ○市川房枝君 お宅に何人女がおりますか。
  129. 石橋幸八

    参考人(石橋幸八君) 私のところはお恥しい次第でありますけれども、ほんの形ばかりで三、四人いるだけでございます。
  130. 市川房枝

    ○市川房枝君 その三、四人はお宅で働くようになったときに、いわゆる金を貸すとそれが前借になるのでありますが、金を貸してはおいでにならないのですか。
  131. 石橋幸八

    参考人(石橋幸八君) 従業員組合から二万円、三万円と借りております。それだけです。
  132. 市川房枝

    ○市川房枝君 そうすると、従業員組合から前借しているわけですね。
  133. 石橋幸八

    参考人(石橋幸八君) そうです。
  134. 市川房枝

    ○市川房枝君 それはやはり形の変った一つの前借といいますか、あいは御承知のように前借の問題はこれは民法の規定によって生業を営むことを条件として、これは必ずしも表面に借用証文に書いてなくても、内容が売春をすることを条件としての前借ならば、これは返す必要はない、こういう民法上の解釈が行われている。事実それも適用されているのですが、これは業者の方が直接お貸しになれば結局それに該当する。ところが従業員組合の場合には、これは多少変ってくるので、一種の従業員組合から貸すということは、やはり棒引きされることを防ぐところの一つの方法として、そういう方法を九州ではといいますか、とっておいでになるんではないのですか。
  135. 石橋幸八

    参考人(石橋幸八君) これは大体全国的な問題であると私は思っております。しかしながら、よそがやっておられぬということになれば、これは私はそのよそのことまでとやかく申し上げることはできませんが、九州ではいわばおかみの指示と申しますか、そういうものに基いてやっておりまして、何らそういうような魂胆があって従業員組合を組織しているのではありません。
  136. 市川房枝

    ○市川房枝君 実はここに一つ印刷物を持っているのですが、これは福岡県の警察本部の防犯部の少年課が出している印刷物で、これは昭和三十九年十一月三十日に出されているものです。これは人身売買事犯の一斉取締りについてのいろいろなことがここに出ているのです。ここの中に今お話しのことに関連することが出ている。雇い主の搾取条件、こういう見出しがついて、一、二、三、四、五、六とずっとありますが、それは略しまして、おしまいに従業婦が形式的に組合を組織し、身のしろを折半していると称している地域でも、従業婦の収入分から食費、衣料貸借代、衛生費、組合費等、雑多の名義で引いているから、何ら恩典も見出せない、有名無実にひとしい状況である。  こういう福岡県の警察の報告書が出ているのですが、従業婦の組合というのは、今お話しのように非常に組織的に、それからそういう従業婦に対しての前借といいますか、貸し出しといいますか、そいう業務をどうも行なっているようにこれを見ると見られるのですが、お宅だけは別でしょうか。
  137. 石橋幸八

    参考人(石橋幸八君) それはさいぜん申し上げたように、多い業者のうちには、あるいは搾取や拘束をする、そういう不心得者が全然いないとは申しません。それと類似業者と申しますか、これが私らの業者の何倍か実はおるわけでございます。そこで、そういう面には私らの手も届かなければ、また干渉する必要もございません。私はさようなことのないようにこれは昭和二十二年から今日までちゃんと刷りものにいたしまして、従業婦の一人々々に手渡しまして、さようなことのないようにやっております。ここに一部持っおりまするが、九州は七県ございまするから、九州の連合会、その会長を私がいたしておりまして今で四年くらいになると思いますが、その以前は池見辰次郎君が会長をしておりました。その当時は私が組合のいわば幹事長というようなことをやっておりまして、現在は会長を ます。その際にこういう刷り物をして、いろいろ警察とか、あるいは当時は占領軍のGHQもございましたから、そこを通じてやっている例がございます。ちょっと御参考までに朗読させていただきます。これは第三号の印刷で、熊本県に関するものでございます。九連第三号、「その筋の御指令により左のことを固く守っていますか。従業婦の皆様へお尋ねいたします。」というのが題でございます。  一、前貸、衣裳代等いろいろの名目で人身売買の行いはありませんか。  (註)もしありましたらば直ちに前借等は棒引きにいたしますから申し出て下さい。但し女子保健組合の共済積立金を利用している人は違います。これはさいぜん申し上げました  二、居住費、食費として払っている百分の五十以外にいろいろの名称(たとえば移動証明のないとか、寝具の貸料だとか天引の一割等)中間搾取されているような向きはありませんか。  三、休業、廃業、帰郷、外出等の自由を拘束されてはいませんか。  四、店をほんとうに料理店、喫茶店向きに改造してありますか。  五、家の外または軒下で客を引き、あるいは入口に立って客を招き込んだりしてはいませんか。  六、組合員で定められた健康診断を受けないような不心得な人はいませんか。  七、性病予防、その他保健衛生施設は完備していますか。  八、紹介業者のごとき者を利用して報酬を与えたりしていませんか。  九、美容師、洋裁師等自立正業化の指導設備はありますか。  十、客を世話して報酬を要求するような者はいませんか。  再三注意いたしていますが、前述のような不心得な間違った人がありましたなれば、九連の最高幹部や県支部長等の方が近日御地へ出張して、皆様と祝しく懇談いたしますから、その折御遠慮なく勇敢に申し出て下さい。必ず皆様の御希望にそうよう処置いたします。なお御不審、御不満の方は左記へ御通知下さい。熊本市二本木町の県連合会長矢野九平宛 ということで、これが第三回目に配ったものであります。私らの業者はかようなことをやっております。しかしながらこうやっておりましても、全部りっぱな者ばかりとは申しません。
  138. 市川房枝

    ○市川房枝君 皆さん方の団体は全国性病予防治会とおっしゃるが、初めに私はそれを伺ったときに、何かお医者さんの、何か非常にけっこうな会だと実は思ったのですが。皆さん方の団体に対して、そういう名前をおつけになった理由といいますか、そのようなものをちょっと伺わしていただきたいと思います。
  139. 石橋幸八

    参考人(石橋幸八君) これはちょうど敗戦になりました当時を申し上げまするとおわかりになりますが、お互い日本人ですから、やはりこの業界としてもアメリカ兵のごきげんをとることはきらったの当然でありますけれども、私にも、忘れもいたしませんが、私は当時組合長をしておりましたが八月の十七日、県の警察部から私ら代表者を呼びまして、今までの戦時中はありとあらゆる御協力を願ったが、さて敗戦になってアメリカの兵が大多数上陸するであろう、その際に駅といわず、電車の終点といわず、何方という婦女子が避難のために汽車に切符を買って乗るというような混乱の時代でございましたが、この時期にあなたがたの業界で、年令等は何も言わないから、どうか一つ日本婦女子等を救う意味において、いろいろの諸規則等も言わないから、良家の婦女子を、日本の純潔をあなたがたによって守ってもらいたい、こういうことでしきりと懇願を受けました。それに対するところの施設費用としてお金が要るならば、知事なり警察部長なり、それぞれの金融機関からの裏づけをしてでもいいから、ぜひ一つやってほしいという、ほとんど哀訴嘆願的なお願いがあったのであります。これは全国変りはないと私は思います。そうしてそういう立場から私どもも当時は敗戦になりまして、いつまた今日敗戦国でありまするから、どういう目にあうかわかりませんけれども、また私も子も弟もみんな戦災にあいました、うらみはいささかも人後に落ちない決意を持っておりますが、さような方々のごきげんをとることをきらうのは日本人ですから同じですけれども、また陛下は忍びがたきを忍び、かようなお言葉をたまわりました。私らの今日意思によっていけませんとも言われませんから、泣く泣くも当時は営業をやっておったのであります。ところが越えて二月の一日にはポツダム宣言によりまして前借は棒引きいたしまして、これは国の命令、占領軍の命令であるから、一も二もなく前借は棒引きいたし、書類も当時はありましたが、火に燃やしてしまったのであります。ところが集娼を廃止しまして散娼がばっこしまして、治安の面、あるいは性病の面が非常に乱れましたために、元のつまり貸座敷の区域を指定して、ここにその営業を、善良なる風俗を維持する意味においてやっていく、こういうことでありまして、その際にお作りになったのが現在あるのでございます。そうして性病予防自治会というものをそのときお作りになって、その全国性病予防治会に内務省から事務官を派遣されまして、そうして事務長として御指導願ったのであります。また女子保健組合は厚生省から事務官をわざわざお世話を願って、そうして指導に当られたのでございます。そういうわけで性病予防自治会という名がどういう面からかわかりませんが、ついてきたようなわけであります。
  140. 市川房枝

    ○市川房枝君 あともう一つで質問終りますが、これは少し失礼な御質問かもしれませんが、実は今日参考人としておいでいただきました、最初に国学院大学の瀧川先生から御意見を伺ったのです。ちょうどあなたさまはまだおいでにならなかったのでお聞きにならなかったと思いますが、瀧川先生はこの法案に対してはあまり御賛成では実はなかった。ところがその瀧川先生が、業者に対しては厳罰で臨んでけっこうだ、その点は賛成だ、というような御意見があり、さらにそれにつけ加えられて、徳川時代にはそういうような業をなすっておいでになった方々は、社会もそれから業者自身も非常に卑下して小さくなっていたんだと、ところが現在は業者の人たちが非常に瀧川先生は、少し露骨な言葉をおっしゃいましたけれども、大手を振っておると、そうして中には公職についておる人もだいぶある。一人として悪いことをしておるとは思っていないのだ、というようなお言葉が、少しはげしいお言葉がありましたけれども、これは業者の方々として、そういう御意見に対してどんなふうにお感じになりますかどうか、それを伺いたいと思います。
  141. 石橋幸八

    参考人(石橋幸八君) 大へん私はふに落ちないところの御質問、御意見であったと私は存じております。私は日本の新憲法に基きまして、その国民の職業は自由なりと、かように信じております。私はいろいろラジオ、あるいは新聞等を見まして、先生方の御意見として、この赤線業者から地方議会の議員にも出て、あるいはPTAの会長にもなるのははなはだけしからんというような御意見、御言葉が出ておりまするが、今また先生からさようなことを承わりまして、これは私は非常に不快に実は感じておるのでございます。これは私があえて業者であるから申し上げるのではございませんけれども日本の憲法と、あるいは選挙法を見てみましても、差別して制限を加えられてあるところの私は法律は不幸にしてまだ見当りません。今日いかにその人が立候補いたしましても、その国民なり、その県、市民がその人を信頼すればこそ、その方は当選されて私はおると思う。それをこういう業態だからそういうものに、あるいは公職につくことができないというような法律がどこにあるかということを私はお尋ねしてみたい。そういう方こそ憲法否認者であると私は言いたくなるのであります。私は何ら悪いとは思っておりません。
  142. 藤原道子

    ○藤原道子君 私は参考人にお伺いいたします。確かにあなたのおっしゃったように職業は自由でございます。憲法は職業の自由を保障しておりますけれども、どの条文にもそういうことはないとおっしゃるけれども、憲法で保障されている自由は、社会の公共の福祉に反しない限りにおいて自由なんです。公共の福祉に反しない限り自由なんで、何をしても自由だという規定はございません。私はさように理解しております。そこであなたにお伺いしたいと思いますのは、あなたは今の職業を悪いと思っていないとおっしゃいましたが、ほんとうに悪いとお思いになっていないのでございましょうか。その点をお伺いいたします。
  143. 石橋幸八

    参考人(石橋幸八君) 自由は社会の公共を害せない限りということは当然でしょう。前科の期間中であったならば、国民の権能を剥奪されるでしょう。そういうことは今日私は当然だと思いますが、私は、あながちこの商売がいいとは申し上げませんが、しかしながら、私の環境上かような商売をやりつつあって、他に転業する機会を持ちませんから、やっぱり自分の商売は守っていかなければできない、かように考えておるのであります。で、あながちいいとは申しません。しかしながら、私は商売の、商法によってさような制限は加えられない、かように私は考えております。
  144. 藤原道子

    ○藤原道子君 いいとは思っていない、ということは認めておいでになる、それをちょっと聞きたい。今あなたの御職業をいいとは思っていないと言われましたが、それはその通り確認してよろしゅうございますか。
  145. 石橋幸八

    参考人(石橋幸八君) 私はいいとも悪いとも思っておりません。しかしながら、これなくしては食われていけませんから、私はいいと思っております。
  146. 藤原道子

    ○藤原道子君 それではもしこの法律が不幸にして破れるかもわかりませんけれども、これは社会の世論でございますから必ず通します。通った場合、あなたはどうなさいますか。
  147. 石橋幸八

    参考人(石橋幸八君) 私は最初に申し上げましたように、いやしくも法治国民であります。日本法律が制定されましたならば、従います。
  148. 藤原道子

    ○藤原道子君 私は過日、福岡と東京での二元放送に出まして、それで福岡は博多でおやりになった。そのときあなたはおいでになっていたのじゃありませんか。
  149. 石橋幸八

    参考人(石橋幸八君) 私は東京に参っておりました。
  150. 藤原道子

    ○藤原道子君 そのときあなたは会長としておいでになり、福岡の業者に、わしらはたとえ法律が通っても、法をもぐってもやるんだと、われわれ業者はその覚悟をしておるというようなことを言われましたのは、御承知でございましようか。
  151. 石橋幸八

    参考人(石橋幸八君) 私はちょうどその当時東京に参っておりまして、あとでそういう催しがあったということをお聞きいたしました。さような点までお聞きしておりません。しかしながら、さようなことを本人のあなたがお聞きになっておられるならば申し上げたでしょう。それははなはだ野蛮的なことを申し上げておると私は思います。
  152. 藤原道子

    ○藤原道子君 私の手元へずいぶん今度は法案を通してくれというあらゆる投書が来ております。その中に業者のお子さんからたくさん来ている。あなたは正業だとおっしゃるけれども、この正業は、あなたのお子様は、この親の職業を果して正業だと思っているとお考えでしょうか。私のところに寄せられました手紙のすべては、私はぜひ売春処罰法を通してほしいと嘆願してきております。その理由は、売春業者の子供は親の職業を社会の人にも友だちにも話すことができない。世の中に何が不幸だといって親の職業を人に話せないくらい辛いことはない。業者の子供は就職の場合にも思うように就職ができない、嫁のもらい手もない。どうぞ早く売春処罰法を通して、私の観たちが転業するような機会をお与え下さいということをるる訴えてきておる、というような場合にあなたは正業だとおっしゃるけれども、あなたのお子様は、あなたと一緒に住んで、そうして日夜人肉の市を見ながら育っておりますか、どうですか。その点私はまずお伺いしたいと思います。
  153. 石橋幸八

    参考人(石橋幸八君) 私はさような個人にわたったことをここでとやかく申し上げる必要はない、かように考えております。
  154. 藤原道子

    ○藤原道子君 個人ではございません。あなたの、業者のお子様がすべてそうだと思うのです。それだけにあなたの心の中にも必ずしも私は正業だと思っていないと思うのですけれども、ほんとうのことを聞かしてくれませんか。私たちは業者に恨みも何もないのですけれども人が人を売り、人が人を買うというこの悲しい事実をなくしたいのです。その点を私は言っているのです。
  155. 石橋幸八

    参考人(石橋幸八君) お答えいたします。私はあながち正業とも申し上げません。しかしながら今直ちに転業するという手も見込みもないから、やっております。しかしながら、その子供は、それは子供の気持でありまして、子供の気持は親はわかりません。そこで私は子供の気持までお答えすることはどうかと思います。
  156. 藤原道子

    ○藤原道子君 わかりました。私はまああなた方の気持はよくわかっているけれども、先ほど来女のこどもは収容できても、その家族の生活が困るじゃないかというようなことをしきりにおっしゃるけれども、そんなことは業者皆様に心配していただかなくてもいいと思うのです。政治がやることなんです。日本には至らないけれどもいろいろ法律はあるのでございますから、私はそれよりも、女の子供から不当に搾取している今の業態が私にいけない、こういう点でこの法案の審議をしているわけでございますが、時間も迫りまするし、これ以上申し上げたくとも、これはまあ並行線でございますから、私は質問をやめますけれども、そういう業者のお子さんからの悲しい訴えもあるということを一つお心にとめておいていただきたい、このことを申し上げておきます。
  157. 宮城タマヨ

    宮城タマヨ君 私は中川先生にちょっと伺うというよりお願いします。実は今衆議院にかかっております売春等処罰法案がどうなりますかということを案じながらこうしておるのでございますが、この法案が万一破れましても、私どもはもっといい法案を作成いたしまして、どうしてもこれを成功したいと思っております。そこで先生に私とくとお願い申し上げたいのでございます。それはこの第二国会に政府売春法処罰法案を提出いたしまして、そうして引っ込めましたのでございますが、この問題は非常に重要性を持っているというので、参議院の法務委員会におきましては、第二国会以来もう八年間実態調査をし、案を練りしておりましたのでございます。ところが、これは法律的にいっても非常にむずかしい問題で、ということは処罰に並行して保護処分をも、つまり少年法のように刑事処分と保護処分と並行しなければならないという意味合いでやって参りましたけれども、それもなかなかむずかしいのでございました。そこで第十九国会で刑法の一部を改正をいたしますときも、私どものねらいはあの初度目の執行猶予に保護観察をつけるということは、たとえばこれを刑事処分に付しましても、婦人は救い得る道がまあ一つできたわけで、私まあ非常に喜んだわけだったのでございます。そうして今度の法案の救いの手としましても、そのことは何分に私ども希望を持っているのでございますが、しかし先ほどから先生がおっしゃっておりますように、もしこの今の売春等処罰法案がそのまま通りましても、おそらくそれは百パーセントに効果はない、効果のないところにまたいいところがあるとおっしゃった。その含みは私非常に尊いお言葉だと思います。思いますが、どうしてもこれはやらなければならないのでございますので、ちょうどこれならいいだろうという、つまりその法案通りに百パーセントの効果が上るところを私どもはねらいたいと思っております。で、まあ、たとえて言ってみますというと、これは業者と買う方を縛って、社会保障制度が確立するまで女はやめておこうというようなことが、もしもそれがいいというのなら、そういうことも考えなければならぬと思っておりますが、今すぐではございませんが、一つ先生にこの御縁でお教えいただきまして、また手紙でも何でもよろしゅうございますから、一つ第三者の立場でお教え願いたいということをお願いいたして、私はきょうのお伺いをこれでおしまいにいたします。
  158. 中川善之助

    参考人中川善之助君) 私この法案が不幸にして今度つぶれることになりましても、なお引き続き繰り返し繰り返し御努力願いたいと思い、また願えるだろうということを伺って大へん心強く思う次第であります。私先ほども申しましたように、あまり専門にこっちの方を勉強したことはありませんですが、きょうも皆さんからいろいろ御注意をいただきましたし、今後また勉強をして私の方からお教えを願うことがある思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。
  159. 赤松常子

    ○赤松常子君 大へん時間も切迫いたしておりますから二、三簡単に石橋さんにお尋ねしたいと思います。先だって衆議院の公聴会で業者の方がおっしゃいました中に、非常に今の営業の正当性を理由ずけていらっしゃいますが、その中の一つに非常に性病予防に役だっているのだ、性病の蔓延をわれわれの存在が防いでいるのだとおっしゃいましたけれども、私どもの調査した結論によりますと、赤線地区の方にかえって罹病者の多い実例をたくさん入手いたしておるのでございますが、今なお性病予防の効果があるというようにお考えでいらっしゃいましょうか。
  160. 石橋幸八

    参考人(石橋幸八君) お答えいたします。性病の罹病の率が赤線地区が多いと言われることはあるいは当るかもしれません。これはここに従事する従業員の方々は必ず週に一回、二回の検診を滞りなくやっているのでございます。そうすると一般の街娼の方は人権尊重の上からかどうか知りませんけれども、あすは検診だ出てこい、このくらいの程度でありますから、身にいろいろ病気があるものは出て参りません。完全な方しか出て参りません。そうしまするとやはり一方ではいささかであってもこれは規則でやりますというふうなことになれば、あるいは率の面については、はるかに上っているかもしれません。しかしながら私はそういう実際の面はおそらく三分の一くらいが赤線地区に従事するもの、それ以外が一般街娼ではなかろうかと、かように考えております。
  161. 赤松常子

    ○赤松常子君 街娼のことを聞いてはおりません。赤線地区の性病の羅病率なり蔓延の状態をちょっと伺いまして、赤線地区の存在が性病予防に役立っているということをお考えでいらっしゃいましょうかということを伺ったわけです。
  162. 石橋幸八

    参考人(石橋幸八君) 私は性病予防には絶対協力しておりますし、効果が十二分あると信じております。
  163. 赤松常子

    ○赤松常子君 私は不幸にいたしまして、赤線地区の性病の罹病率が一般社会の罹病率よりも多い実例を知っておりますから、そのことだけをちょっと申し上げておきます。  その次に、最近の新聞でそういう業者の施設に銀行から千六百億円流れているという記事が出ておりました。あなた方の御見解ではこの数字は正当でございましょうか、いかがでございましょうか。
  164. 石橋幸八

    参考人(石橋幸八君) これはまあ全国的な問題でございまして、九州のいなかにおりまして、全国的の統計を私が申し上げることは非常に冒険でございまするが、およそこの業者というものは財政的には非常に貧弱なものでございますから、相互銀行等を思うに利用いたしまして、そこから融資をいただいているというような現在でございますから、相当の私は金額になりはしないかと、かように思っております。
  165. 赤松常子

    ○赤松常子君 もう一つ、今の同僚議員がおっしゃっておりますように、この法案の成立は今後時間の問題だと思うのであります。二年、三年後には成立するであろう見通しでございますが、そのときに今問題になっておりますのは施行期日の期間でございます。それはおもに業者の方の転業が容易になるようにという意味が含まれているのでございます。あなた様のお見通しでは転業にはどのくらい時日をかければいいか、一応参考に聞かして下さいませ。
  166. 石橋幸八

    参考人(石橋幸八君) これも今申し上げたようなことで、とても想像もついておりませんが、どうか一つ法案をお進めになると同時に、私ら業者一つ日本人でありまするからお救いが願いたい、かように私は思っております。
  167. 赤松常子

    ○赤松常子君 だからその期日がどのくらいあればということを参考に聞きたいのです。
  168. 石橋幸八

    参考人(石橋幸八君) 私は真に日本が世界が恥じざるところの法律を作るならば、ありとあらゆる面から研究をしていただいて、四五年のここに余裕を持たなければ、りっぱな完全なことはできないと私は信じます。
  169. 赤松常子

    ○赤松常子君 それは転業の点だけに四、五年かかるとおっしゃるのですか。
  170. 石橋幸八

    参考人(石橋幸八君) 転業はさよようにかかりませんが、それは国の方で法律を制定いたしますれば、直ちに服従するのが国民でございますから、いかに苦しくなっても泣く泣くでもこれは転業いたします。
  171. 赤松常子

    ○赤松常子君 三カ月でもよろしいのですか。即日でもよろしいのですか。
  172. 石橋幸八

    参考人(石橋幸八君) それは即日でも今日いたし方ないでしょう。日本法律に従わざるを得ぬです。
  173. 赤松常子

    ○赤松常子君 よくわかりました。ほんとうにはっきりおっしゃっていただいて、大へん意を強ういたしました。  最後にお伺いしたいのでございますが、「九連第三号」でございますか、従業婦に対して大へん御親切ないろいろな御質問の条項をお読みになりましたのですが、その回答を集計していらっしゃいましたら、回答を見せていただきたいのです。そこにございませんでしたら、いつか集計したものを送っていただきたいのでございます。どうでございましょうか。
  174. 石橋幸八

    参考人(石橋幸八君) 何ですか、調査した従業婦の申し出のことですか。
  175. 赤松常子

    ○赤松常子君 そうです。
  176. 石橋幸八

    参考人(石橋幸八君) これは相当やはり業者のうちには悪い業者もおりまして、やはり搾取をやっている面もございます。あるいは前借貸しているのもございましたし、九州連合会では、もう率直に申し上げますが、そういうものは直ちに解放しております。それでその数は私今どうということは申し上げられませんけれども、私らの業界ではさようにお役所式のように、きちっと帳簿に記入しておくということはございませんのですから、相当の数に上るということだけは申し上げておきます。
  177. 赤松常子

    ○赤松常子君 ちょっとさっきお読みになったときに、まことに親心満々といたしまして、あなた自身の感じでお読みになったと思うのでありますが、その結論が今のようにはっきり出ていないということは、まことに一つ不親切だと思うであります。もっと徹底してその親切心をおかけなされましたなら、こういう質問をして、こういう回答が出たというところをお見せになって、初めてあなたの深い気持かわかると思うのでございますが、今でなくてもよろしゃうございますから、必ずここの法務委員会あてにお送り願いたいと思います。
  178. 石橋幸八

    参考人(石橋幸八君) それはただいまお答えできます。数はできませんけれども、それによって業者が是正し、そうして働く人が助かった者は相当の数に上ることを申し上げます。
  179. 赤松常子

    ○赤松常子君 それを数字もしくは文字で知りたいのでございます。一ぺんどうぞはっきりお答え願いたいと思います。
  180. 石橋幸八

    参考人(石橋幸八君) それは後日お知らせいたします。
  181. 成瀬幡治

    委員長成瀬幡治君) 他に御発言はないようでございますが、参考人の方々には、長時間にわたりましてぎわめて有益なる御意見を御開陳いただき、本案審議の上に大いに参考になりましたことを厚く御礼を申し上げます。  別に御発言もなければ、本日の委員会はこれをもって散会いたします。    午後六時一分散会    ――――・――――