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参考人(
瀬川八十雄君) 今日私ごときお招きをいただきまして、不肖申し上げることをお聞き破り願うということは、まことに仕合せに存じております。私は救世軍に加わりまして四十数年、もっぱら宗教と
社会事業に従事して参ったものでございまするから、おのずから申し上げることも狭くなるというふうにお聞き取り下さる方もあるいはあるかもしれませんですが、その点は何しろ一本調子で参ったものでありまするから、あらかじめ御了承を願いたいと思うのでございます。しかし私はえこじのようでありますけれ
ども、真理はどこまでも真理でありまして、矛盾の多い世の中であり、そのつもりでやらなければならぬということも、一理あるかに思いますが、しかし理想を持って終始しないことには、レベルはどうしても上がらないのであって、これがために捨つるべき命があるならば、幾つあっても足りぬというふうに考える次第であります。従うて私の申し上げますることも、多少保護に従事しました経験から申し上げるようなことになるのでありまして、何ぞ間違ったことでもございましたならば、御忠告を願いたいと思っておるような次第でございます。
数々の婦人に面接をいたし、またこれと
生活をともにいたしまして考えまするのに、中にはずいぶん裏切る者もあってみましたり、せっかくいいつもりでこちらのしたことが間違って受け取られたりいたしまして、ずいぶんいびつになっておるというふうに思われまして、こちらが一生懸命になればなるほど、悲しく感ずることもないわけではありませんけれ
ども、要するにこの年若い婦人たち、つまるところはこれは神様の子であるという結論になりまして、どんなに思われてもされましても、これがために何ぞわれわれごとき者が奉仕をするということを実は光栄に思い、彼らのよごれ定を洗うということが生きがいのあることに感ずるようなわけであります
そこで、わずかではございまするけれ
ども、そういう婦人たちとともに
生活をいたしまして、真に心の底からつくづく感じますることは、このたびのこの
法案はむろん議論をすれば、幾らでも議論の種はあるでありましょうけれ
ども、たといそれが不完全であったにしましても、何であったにしましても、何はともあれ、一日も早くこれを通過させるように
お願いを申し上げたいのでありまして、不備なところはあとからまたおいおいやったらいいのでありまして、この
法案はまず通しておいて、問題は、議論は、話はそれからのあとということに、端的に申せばそんなふうに
お願いしたいと思うほど、実際局に当ってみますと痛切に感じ、もう議論も何も余地はない。そこが私の狭いところかもしませんが、実際に当ってみると、とにかく一日おくれれば一日だけ、悲惨なことを目の前に見なければならぬということになりますと、一刻を争うように感ずるわけであります。幸いにしまして、
終戦直後の世論調査と、それから昨年であったか一昨年でありましたかの世論調査とを比較してみた人のお話によりまするというと、
売春に対して反対をするという世論の力がずっと数が増しておるということはまことに頼もしいことでありまして、これが今日
日本の
一般の人たちの考えておられる水準になるかと思うのであります。折も折とて最近の新聞を見ますというと、いよいよ新
生活運動の方針の要綱が出ておりまして、そうしてその要旨とするところは、
生活の改善と
道義の高揚ということであります。さあそうなってみますると、この
法案というものがますますもって大切なるものであるということが、脚光を浴びて浮き上ってきたごとくに感じて、私は実に感謝をしたのであります。くどいようでありしまするけれ
ども、その要綱に書いてありますることは「
日本民族は
終戦以来受難の十年を経たが、今こそ深く猛省して」と書いてある。省みると書いてありまするから、私は省みなくてはならぬのでありまして、もう矛盾があろうと何があろうと、それは大いに猛省をしなければならぬのである。「猛省して決起すべき時期に達した。そうして国民の思想の弛緩、虚脱、とうとうたる植民地的の風潮と
社会悪の横溢はまことに心ある者をして目をおおわしむるものがある。今にして改めなければ
日本民族は内部的崩壊を来たす」というふうに、まことにはっきりと書いてあるのであります。それで私はこの
社会悪とは何ぞやでありまするが、ある人の言うのに、飢饉と戦争と伝染病、これが三つそろって来たらこれは大へんだが、それがいざ起ったにしても、それよりももっとひどい被害というのは、つまり罪悪が横行しておることである。その方の被害がこの三つそろったよりもひどいし、そうし私自身勝手に考えますることは、その最も大いなる
社会悪ということは何かといえばつまり
売春である、こう私は感ずるのであります。それで私は非常に残念に思うことは、この新
生活運動の方針、要旨の中に
家庭の純化であるとか、純潔運動であるということが、どういうものか見当らんのであります。これが非常に大事でありますのに抜けておるように感ぜられまして、非常に残念に思うのであります。植民地的なその風潮ということがございまするが、これはどういう意味か、私にはこの方面の知識はないものでありますから、はっきりわかりませんけれど、先ほ
ども中川先生のおっしゃるように、太政官の達しが五年に出たというのは、マリア・ルーズといりペルーの船がシナの奴隷を積んできて横浜に来たのが
もとになって、そのうちの奴隷の一人が海に飛び込んでのがれて上陸したのが
もとになって、外交の非常なるはつらつたる活動を見るに至ったのである。
日本としてはこれはもうシナに返すべきものであって、返してしまった。ところが承知しないのはこのペルーでありまして、言いますのに、よけいなお世話をするのじゃい、奴隷々々と言うが、
日本に女の奴隷は山ほどたくさんおるではないかということで、娼妓のことを示されたことについては、これは一本参って閉口してしまったのである。ようやく苦しい言いわけをして、来た鳥は出ていってしまったけれ
ども、
日本におるのは
日本におるのだから、追々やるとか何とか言って逃げ道を作って、一時のがれたのでありまして、さっそくやらなければならないというので、大政官の面しが出たのが二百九十五号でありまして、それによると「娼妓芸者等年期
奉公人の一切解放致スヘク右就テノ貸借訴訟総テ取上ケス候事。」と、御承知のようなのが出たのである。それから明治二十八年のことでありますが、アメリカの宣教師モルフィが名古屋において自由廃業の運動をやったというのは
自分の経営しております学校に来る生徒が英語を習っておる、十八、九才になってくるというと、ことごとくどっかへ行ってしまって出てこない。調べてみるというと、そのせっかく養成した子弟が
遊廓に行っておって、堕落しておることを見て、これはいかんというので、その運動を鮮血をもって染め始めたのでありますが、これと呼応して救世軍がその自由廃業の運動に従事して、これは全く鮮血をもって染めたのでありまして、これもやはり口火はといえば外国である。そこへもってきて
終戦直後、
終戦とともマーカーサーが一刀両断その公娼廃止ということになったから、まあこういう種類の問題はことごとく、何か言い方によっては西洋人がその骨を折ったということになっておるがごとくに私は見えるのである。せめて今回の
法案は、これはもう何としても独立したこの
日本人の手でこれを通過させて、りっぱに独立国としての仲間に入って、他日国際連合に入る、入らんの問題が起ったときでも、大いばりにその相談にあずかれるというような工合になぜできんだろうかしらんというふうに考えられてならぬような次第であります。
そこで私は昨日のことでありますが、はからずも
日本の義務教育に従事しておられます小学校並びに中学校の先生の数は、小学校の先生、国立、公立、私立を合せまするというと三十四万二千三百五十一人、新制中学校の先生は、これまた、国立公立、私立をあわせまするというと、二十万八千九百三十九人になっておって、合計すると五十五万一千何がしということになっておるのであります。そうしますると、けさほどお話のありましたようなわけでありまして、
赤線や青線、その他
売春婦と名づけるものは五十万あるということになりますると一方に犠牲、献身的に学校の先生が働らいておられる。多分に費用をかけて、この義務教育が済んだ、済んだときを待ちかまえてこれを引っぱりおろそうとし、よくない道に連れていこうとする、そうしなければならない立場にあるようなものがまた五十万おるとすると、これは一体
日本は何をやっているか知らんというふうに感ぜられまして、これはゆゆしいことである、これはこのまま何のかんのと言っているいとまは私はないと思うのであります。
私は昨年のことでありましたが、東北の一村落に用事があって出かけました。質朴な、純朴な農村であります。ところがある青年が私に非常に慨歎して言いますのに、これまではそんなことがなかったけれ
ども、この村に
めかけが何人か囲われていることになった、これは実に残念だ、これで農村の純朴な
風紀が虫ばまれている。一体これをどうするか、それで私は、来たその婦人は一体どこから来たか、この村の者ではない、それじゃどこから来たかということになりますると、どうも察するに都の
赤線、
青線区域でまあ体が悪くなったか、あるいは年をとって一向相手にされなくなったか知らんが、そういう者が流れ流れてきて、そうしていなかにきた、こういうふうなことになるようであります。そうすると、東北のいなかから、周旋人が出かけて行って、そうして娘を今度は
赤線に売り飛ばす、それをしばらく置いておいて、今度はもう一ぺん農村に舞い戻ってきて、そうして農村の純朴なる精神を虫ばむ、そうして義務教育なり何なりの済んだ子弟の目の前で、まことによくない風を見せてくれるということになったのでは、学校の先生に対してはまことにお気の毒であるのみならず、これをこのまま見通ごしにすることはできぬというふうに私は感ぜられるのであります。
農村のことはさておいて、東京のことを考えたって、一体東京の旧の二十三区がどういう状態かといえば、御承知の通り二十三区の外側は
赤線でもってぐるりと囲まれている、千住から
吉原、それから池袋、それから新宿、それから今度は渋谷、それから五反田でありますか、どこかあの辺、それから今度品川と、こういうことになってきまして、
赤線でもって旧東京がことごとく囲まれているという状態、そのまん中にすわっておって、それで新
生活運動、けっこうでありまするけれ
ども、そういうようなことをそのままにしておいて、それで新
生活運動をするというわけには私は断じていかんのでありまして、そういうところから撲滅していかなければならぬと思うのであります。神田の吉本屋は一軒じゃ商売にならんけれ
ども、ああやってたくさんおりますというと、商売になって売れる。そうして大きな店もできてくれば、また小さな店もそこにだんだんふえてくる。
吉原の近所に
青線区域ができて参りまして、小さな飲屋に女が五人もいる、あんな小さな飲屋に女が五人いるということは一体どういうことだ、経営のできるはずがないのでありますから、何かそこでいろいろ歎かわしいことをやっておらなければ、とうていやっていけないのではないだろうかというふうに感ずるのであります。特殊喫茶店とか、特殊飲食店とか何とかいいましても、行って見ますれば、別にお茶を飲ましてくれるわけでも何でもない、要するにこれはうそである。そういううそを黙認して、そのままでおくというようなことで、さて十年たった
日本がこれから一体どういうふうに向いていっていいかわからんと私は思うのであります。これは私は東北のある県庁に行きまして、身売り防止のことについてお話を申し上げ、何とかしてこのいなかから東京の方へそんなかわいい無垢な娘がだまされてくることのないように、これを食いとめるわけにいかんものかということをくれぐれも申しましたところ、その婦人少年課長が私に言われまするに、ちょっと待ってくれ、東京には
赤線区域というものがある。
赤線区域という落し穴を作っておいて、そうしていなかの何も知らん娘がそこへ落っこちるなというふうなことを注文するのは無理ではないか。まず帰って、一日も早く帰って
赤線区域のふたをして、そうしてもう一ぺん出直してきて、身売り防止の相談をしてもらいたいと、こういうわけでありまするから、私は一言の返事もすることができないで、すごすご帰ってきまして、いかにも残念に思ったような次第であります。便所の、下水のというような話がありますけれ
ども、どんなにこれを水洗便所にしてきれいにしておいても、玄関先に便所を置く
家庭はまずないと思わなければならない。下水というけれ
ども今の状態では下水を噴水のごとくにしておるような状態でありまして、これをどうもやむを得ないこととして見ているわけにいかぬのであります。安全弁ともいう、防波堤ともいう、ずいぶん男の文句としては勝手な言い分でありまして、立場をかえて女の人が防波堤を作ってくれと言いましたら、一体どうするかということを考えざるを得ないのである。それほどその防波堤というものが
社会に貢献するところがあるとするならば、
自分の妹でも何でも、そこに向けたらいいだろうと思いますけれ
ども、そうはいかない。私はあるときに一人のパンパンの婦人に会いました。その人が言うには、
自分たちが防波堤になってやっているのだから、これで世間が助かっておるのだからありがたく思えと私に言ってくれましたが、それほど公衆のために身を捧げて献身的にやってくれるならば、冗談半分に言いました、どうか将来は結婚してくれるな、一生涯それでやってくれ、もしまかり間違って結婚するようなことがあったならば、そして女の子が生れたら、いち早く
自分の志を継がせるようにパンパンに養成するのだぞと、そうでなかったら君の言うことは議論はただいいかげんになっちゃうじゃないか。先生それはそういうわけにはいかないと、それじゃ君の言うことはうそだと、こういう冗談を言ったわけであります。
そこでこの
法律がなかなかそう守れない、だから、いっそのことない方がいいというようなことを言う人があるようでありますけれ
ども、たとえばここにタクシーがあるとする、これが
規定通りのスピードを守っておったらこれはなかなか
生活がむずかしい、ことに運転手が言いますのに、夕刻のようなラッシュ・アワーになってきて
規定通りのスピードを守っていたのでは、どうにもならないからついそれを破ってしまうとこう言う。そんなに破る規則ならいっそのことやめてしまえと言ったらば、交通事故がそこらあたりに起って大へんなことになるだろうと思う。でありますからそう簡単にやめるのなんのというわけにはいかぬのであります。
終戦直後のことであったのでありますが、進駐軍のその自動車がしきりにかけ回って、そうしていかがわしい婦人をキャッチして歩いて、これを
吉原病院に入れて病気があるかないか調べるためには三日間かかって、あるとなれば引き続き入院と、こういうわけであります。私は毎日のごとくそこに行きまして、それらの婦人と話をしておりましたが、先生きょうは退院だとえらく喜んでそれこそかごの鳥のように喜んで飛んで行った。あくる日になってまた行ってみますとちゃんと来ておりましたから、退院してすぐキャッチされるようしなだらしがないことではどうするかと言ったら、いやこれこれだ、商売はしませんと、じゃどうしたのかと聞いたら、退院して帰り道にまたつかまって入れられた。まだ商売も何もしていないうちに引っかかってまた入れられた。これは
自分たち退院する道でつかまってしまう、こんなことを繰り返しておれば、商売になりませんからもう商売はやめますと、こういうわけでありますから、それはもうやめた力がいいと言った。よろしくこれはやっぱり制裁が要ると私は思う。かわいい子には旅をさせということでありまして、ある婦人たちは
自分のやっておることを多少痛い目にあわぬと、つまり悪いということを自覚しがたいものがある。つまり
法律はそれのためであると思うのであります。ある婦人にとってはそれが必要である、私はきのうも
吉原病院に行ってそこに入っておる女の患者と話をしたのでありますが、男の人と道で話をしていたら、その道でつかまったと、えらい不服を言うておりましたが、いいか悪いか十分に批判をする余地がないのでありますけれ
ども、とにかくそんなにやられたのではとても商売にならぬと言うてやめる気分になってくるというのが現状であると思うのであります。
めかけということがありますが、これはあとの話、いよいよその
売春の
法案が通るということになって、それでどんどん世論が高くなってくる。幸いにして世論もあの通り盛んになっておるのでありますから、そうなればそうえらい手数をかけないでも、
めかけを持っておるということが恥かしくなってしまって、つまり西洋のある国にあるがごとき、そういうものを持っておる者は、
社会的に致命傷を受けることになってしまって、もう許されない、世間はこれを許さぬということになってくるに違いないのでありまして、またそれほどまでに私
どもが明るい世界を作っていくようでなければならぬと思うのであります。この婦人たちは全くかわいそうなものであります。借金のためにも荒縄で縛られておるがごとくに感ずる。借金がどうなっておるかという詳しいことについては、日比谷の地検においでになれば、書類がこんなにありますから、私は昨日も見てきたのでありまするが、借金のありさまはそこに手にとるがごとくに書いてあるのであります。それがために束縛を受けておるのであります。私は久しい前でありまするが、イギリスの、この英帝国の奴隷解放のために命を捨てましたウイルバー・フオースという人の生れた町に行きまして、そこに記念館がある。見るというとそこに奴隷売上帳というのがあった。私はそれを見た。ここに一人の男がある。年はとっておる、足が悪い、眼が悪い、ろくな働きはできぬから、これこれの値段だと、捨てるがごとき値段でもって売った売上帳があるのを見まして、ああかわいそうだ、この年寄りの足が悪くて、眼が悪くて、一体これは行く末がどうなったろうかしらんと思って、つくづく私は感ぜざるを得なかったのであります。それと似たようなことが今の
日本に
一つもないということが果して言えるかどうかということになってくれば、何とも言えないような状態になってくるのであります。客をとることを強要されておるような状態である。客をとらなければ、裸にして雪の中に放り出すぞと言って
威嚇された婦人もおるようなわけでありまするから、これはこのままにして私はおけぬと思うのであります。
救世軍も結核の病院を二つ持っておる。ずいぶん難儀な仕事であります。ところがそこにおる患者の諸君は、今はこうして病気になって、いたずらに天井ばかり見ておるけれ
ども、やがて時が来たら必ずなおって見せる、なおったら捲土重来大いに活動するとこう言って、結核の患者の人でも将来に大きな望みを持っておるのであります。救世軍はまた浮浪児、孤児を収容しておる設備を持っておるのでありまするが、かわいそうな子供であります。ですけれ
ども考えてみればこの子供たちもいまに大きくなったら、見ろ、必ず
自分は電気の技師になってみせるとか、あるいは何とかになって
自分の身を立てるという、そういう非常な燃ゆるがごとき望みを持っておるような次第であります。ところがこの婦人たちは何といったって将来に望みを持てないので、からだは虫ばまれておる、人は相手にしてくれない、うしろだてになって世話してくれるものがない。古くから売笑婦をしているものが新しく来たものに言うのに、
自分は古くからやっているから、今さらなかなか足を洗うといったって容易じゃないけれ
ども、こうなってしまったのじゃどうにもならないから、今のうちに足を洗ってまじめになるのだぞ、かたぎになるのだぞと言って涙をもって忠告するという婦人もある。それも私は聞いておるのであります。そうするとその婦人たちは、将来に望みを持てないというほど残酷なるかわいそうなことがあるであろうか。私はあるとき性病のいかにおそるべきかということを、収容しておりまする婦人たちに幻燈をもって見せた。そうすると性病というのはこれこれこれこれこういうふうになって、こんなおそろしいものだということを見せた。それで私は大いに反省するだろうと思ったのでありまするが、反省をするどころか、あまり薬がきき過ぎちまって、
自分のようなものは幻燈に見るようなああいう状態になっているのだったらば、もう
自分には望みはないから、もうこれは立ち上れない。こういうふうに失望落胆してしまって、その落胆失望を取り戻すのにいいかげん骨が折れたというようなかわいそうなこともあるのであります。あるいは
赤線におられる方々、これを経営しておられる方々が雨やどりをさせておるとか、あるいは
社会事業のごときものをやっているというふうにお思いなさるかしらんが、私はこれをいたずらにどなりつけるようなことは言うつもりはさらにないのでありまするが、どうか、この新
生活運動のあるについても、何とか
一つ猛省をしていただきたいものと思うのでありまして、崩壊すると書いてある。どこから崩壊するか、
家庭が崩壊したら必ず
日本が崩壊するにきまっておる。
社会事業、以前は知らず、今ごろの
社会事業の理念といえば、およそ二つが根本になっておると思うのであります。
一つは、個人人格の尊重を確保するということであります。しかるにこの売笑婦の組織ということになってくれば、その婦人たちはもう労働の意欲はなくなってしまう。働くのがばかばかしくなる。初めはちょっと働くかしらんけれ
ども、根気負けしてしまうような状態、ほかの無垢な婦人たちと一緒にやるということがなかなか骨が折れる。例外はむろんありましょうけれ
ども、
一般からいえば労働意欲を持てなくなってしまっておる。責任観念は薄くなってしまう。恥を知らんようになってしまう。人情は薄くなってしまう。私はその婦人たちを集めて二目と見られぬようなすさまじい風をしておるのを集めて、讃美歌を歌ってこれに聖書の話をするのであります。そうすると、その讃美歌を聞いておりながら、一緒に歌っておりながら、母親のことを思い出してそこにばたばた泣いてころげて倒れる婦人があるから、これは更生するなと思ってあらためて話をするというと、けろりとしておりまするから、どうしたと言ったら、おっかさんのことを思って歯を食いしばったことは事実だ。だけれ
どもおっかさんのことを思い出したら、ほこ先がにぶって商売をするのにじゃまになった、こういうわけであります。
それほどまでにすさんでおるとするならば、これを一体何によって回復するか、どういう
社会事業で回復するか、一生涯そんなふうになったらどうなるのかと思うのであります。血液を売って
生活の足しにし、あるいはまた勉強の費用の足しにしておる、そういう人たちが数々ある。まことに気の毒だ。
自分の血液を売ってそれで足し前にする、なんという気の毒なことだと思うのでありまするけれ
ども、考えてみればここに数々のたくさんの若い婦人が肉を売って
生活をしておるのを、一体これをどうしたらいいだろう。何とかして
売春のこの
法案を通して、これを防ぐというふうにやらなければならんとつくづく思うのであります。私は久しき前でありますが、
吉原中に評判をたてられた。あの瀬川という男は、女を救うとか何とか言っておるけれ
ども、なにそうじゃない、女を箱詰めにして外国に売ってそして生き肝を抜き取るのだ、こういううわさをたてられた。果してほんとうかどうかしらんと思って判断に迷った女の人たちもあり、
親たちもたくさんあったのでありますが、肝を抜き取って売っているのは一体だれのことだろうかというふうに考えて、そういうふうなうわさをたてられたことなどは、腹もたたなければ何とも思わないような状態であったのであります。
社会事業はもう
一つは、民主化である。今日
赤線においてその
主人をその娘たち、その売笑婦をしてお父さんと呼ばしたり、お母さんと呼ばしたりしておる。ことによったらそれが封建的にならんとは限らんのであります。お父さんにペニシリンの注射をしてもらいますわといったような調子が今日あるものとするなら、果してこれをどうしたらいいだろうかと思うのであります。
今後の処置のことにつきましては、時間がありませんから、長く申し上げておるいとまはありません。何としてもこれは道徳問題、政策もこれはいろいろありましょう。ですけれ
ども道徳の上からいって、一刻も許すべからざるものであるという立場から、この
法案に対して断然たる覚悟をもって考えていただきたいものであります。そうしてまた、厚生大臣も幸いにしまして今後のことにつきましては、保護の問題については非常な決意を持っておられるのでありまするが、それにしましても私思い出すことは、岡山孤児院を始めました石井十次先生であります。四百人の孤児を引き取っているところへもってきて、日露戦争のあとで来た孤児と、おりから一緒ぐらいに起ってきた東北飢饉の孤児を一ぺんにたくさん引き受けなければならんということになって、八百人引き受けなければならんということになった。合計千二百人である。四百人でも手一ぱいで経営が困難であり、たれか、委託費を
政府がくれるでも何でもないのに、四百人を非常な努力をもって養っておったところへ、今度八百人引き受けることになった。それは無理でしょうと言うのに対して、石井十次先生言いました。これを引き受けるというのが聖書の精神である、これが神様の御用である、断じてやると言って、八百人を一ぺんに引き受けて、とうとうそれを苦心惨たんやり抜かれたのであります。今日のこの事態において、そういう意気込みをもって立ち上がる
政府あるいは民衆、ないでありましょうか。何としても、これは私
どもはこういう難局の際に断然たる意気をもって、何はともあれ
法案そのものにはいろいろ申し分もありましょうけれ
ども、これはもう一日も早く通していただいて、まっ先に
赤線の始末をして、そこにおられる婦人を救い、かつまたこれを経営しております
業者の方々を幸福にするようにいたしたい、こんなふうに感ずるのであります。
ずいぶん手前勝手なことばかり申し上げてまことに恐縮でありますが、私はこの
法案に対して全面的に賛成をいたしますことを申し添えておきたいのであります。