運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login

1955-07-14 第22回国会 参議院 法務委員会 第15号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十年七月十四日(木曜日)    午前十一時十二分開会   —————————————    委員の異動 七月八日委員小幡治和辞任につき、 その補欠として大達茂雄君を議長にお いて指名した。 七月十一日委員吉田法晴辞任につ き、その補欠として山本經勝君議長 において指名した。   —————————————  出席者は左の通り。    委員長     成瀬 幡治君    理事            剱木 亨弘君            市川 房枝君    委員            中山 福藏君            廣瀬 久忠君            藤原 道子君            山本 經勝君            一松 定吉君            羽仁 五郎君   委員外議員            赤松 常子君   衆議院議員            神近 市子君            戸叶 里子君   事務局側    常任委員会専門    員       西村 高兄君    常任委員会専門    員       堀  真道君   参考人    弁  護  士 正木  亮君   —————————————   本日の会議に付した案件 ○売春等処罰法案衆議院送付、予備  審査) ○参考人の出頭に関する件 ○検察及び裁判の運営等に関する調査  の件  (裁判所制度に関する件)   —————————————
  2. 成瀬幡治

    委員長成瀬幡治君) これより法務委員会を開会いたします。  売春等処罰法案を議題に供します。本案につきまして提案者から逐条説明をお願いいたします。
  3. 神近市子

    衆議院議員神近市子君) 売春等処罰法案につきまして逐条の御説明を申し上げます。  第一条、本案は、売春等処罰法目的規定するとともに、この法律によって保護される法益を明確にしたものであります。すなわち、この法律売春及び売春をさせる行為等処罰することといたしておるのでありますが、これらの行為処罰するゆえんのものは、売春をさせる行為等は、人間の性倫理にもとるものであり、これらの行為の放任は、社会における風紀紊乱を招く重大な原因となる。またその反面において、婦女をして売春という醜業に従事させしめる、すなわち、婦女をしていわゆる白色奴隷化させるという婦女基本的人権の最大の侵害とも目されるべき事態の発生を招くことになる、かような重大な弊害を生ずるということにかんがみたものであります。  そして、このような重大な弊害をもたらす売春及び売春をさせる行為等処罰することによって、風紀紊乱を防ぐとともに、婦女基本的人権を擁護し、ひいては健全な社会秩序維持に寄与しようということが、この法律を提案する理由なのでありますが、同時に、この趣旨を第一条において明確にこの法律目的として規定したものであります。  なお、ここで付言いたしたいことは、この法律においては、売春及び売春をさせる行為等犯罪をいわゆる刑事犯自然犯、すなわちそれ自体において道徳的に悪いとされる行為内容とする犯罪と考え、いわゆる行政犯法定犯、すなわち、それ自体においては道徳的に無色な、いな、場合によっては道徳的によいとせられる行為内容とする犯罪とは考えていないことであります。従って、売春及び売春をさせる行為等は、この法律ができたから悪い行為となったというのではなく、もともと道徳的にも許されない悪い行為であったのが、この法律ができたことにより、刑罰が加えられることになった、かように考えなければならないのであります。  第二条、本条は、「売春」ということについての定義規定したものであります。この定義は、いわゆる売淫の実態にかんがみ、特に風紀紊乱の防止と婦女基本的人権の擁護の二点に重点を置いて考えたものでありまして、第一に、婦女が、第二に、対償を受け、または受ける約束で、第三に、不特定相手方と、第四に、性交する、かかる四つの要件を具備したものを売春定義したのであります。従って婦女が対償を受けもせず、または受ける約束もせずに不特定相手方性交した場合は、売春とならないのであります。また、たとえ対償を受け、または受ける約束をして性交した場合であっても、その相手方特定の者であるならば、やはり売春にはならないのであります。従って、対償を受け、または受ける約束があるならば、性交相手方は誰でもよいという建前のもとに性交する行為が、本条売春に該当することになるのであります。  なお、ここに「対償を受け」といいますのは、性交の前に対償を受ける場合のほかに、性交の後に対償を受ける場合も含まれ、かつ、その対償は、直接または間接にその売春を行なった婦女に帰属するものでなければならないのであります。また、ここに「対償」とは、いかなる形式のものにせよ、性交と密接な相関関係を持つ対価として給付されるもので、その内容は、単に金銭に限られず、広く経済的効用のあるものを含むものと解するのであります。そこで、本条売春が成り立つに当っては、その婦女特定相手方性交したのか、それとも不特定相手方性交したのか、その婦女現実性交の対償を受けたのか、または現実性交の対償を受ける約束をしたのか、等々のことにつき、種々の事実認定を経なければならないことになるのであります。  第三条、本条は、売春をした者またはその相手方となった者に対する刑罰規定したものであります。第一項は、売春をした者またはその相手方となった者に対する刑罰規定であり、第二項は、常習として売春をした者に対する刑罰規定であります。  「売春をした者」とは、第二条に規定する売春行為を行なった婦女をいい、「その相手方になった者」とは、第二条に規定する売春行為を行なった婦女相手方となった男性をいうのでありますが、本条において処罰対象となる「相手方」たるためには、その婦女が第二条に規定する売春行為を行う婦女、つまり売春婦であることを、性交のときに認識していなければならないのであります。  次に、本条においては、未遂罪に関する規定を設けておりませんので、本条処罰対象となるためには、いずれも行為既遂となっていることを必要とするのでありまして、行為既遂とならなければ、本条処罰対象とはならないのであります。すなわち、この点について申し上げますと、売春行為というものは、第二条の定義にもありますように、性交という行為と、対償を受けまたは受ける約束という行為とが必要なのでありまして、これらの二つの行為が密接な相関関係を持ってともになし終った段階、この時をもって既遂とするのであります。  拘留は、刑法第十六条に規定してあります通り期間は一日以上三十日未満であり、拘留場に拘置されるものであります。また、科料は、刑法第十七条に規定してあります通り、十銭以上二十円未満、但し、現在では、罰金等臨時措置法によりまして、五円以上一千円未満となっております。  第二項の「常習」とは、反覆して売春行為を行う習癖をいうのでありまして、かかる習癖のある者につきましては、特に重く処罰する必要がありますので、常習として売春をした者に対しては、六箇月以下の懲役または三万円以下の罰金というように、重く処罰したのであります。  この際、常習として売春相手方になる男性、たとえば、常に遊廓に行っては女を買うというような男、このような者も第一項の場合と比較いたしますと、厳罰に処す必要があるのでありますが、何分にもかかる男性の把握は、現行の証拠法におきましてはきわめて困難でありますので、やむを得ず、この際その必要性を認めつつも、処罰対象から除外した次第であります。  なお、本条の罰は、第四条以下の罰に比べますと、はなはだ軽くなっているのでありますが、これは売春の罪を犯す婦女につきまして、その犯罪の動機及び理由等を調査いたしますと、家庭貧困等資本主義的経済組織のあわれむべき犠牲者とも目される者とか、封建的家族生活犠牲者と目される者とかが概して多いのでありまして、これを普通の刑法犯、たとえば窃盗とか詐欺とかの破廉恥罪と同視するのがはなはだ酷であると思われるからであります。それをもって考えてみますならば、売春婦に対しては、懲役とか罰金等刑罰を加えるよりは、保護観察等、いわゆる保安処分をもって臨み、家庭環境調整職業補導等をはかるべきでありますが、一方いわゆる売春婦一般刑法犯罪者への転落はきわめてその率も多いことにかんがみまして、刑罰による一般予防を重視し、前述のごとき刑罰をもって臨むこととしたのであります。しかしながら、立法者立場といたしましては、この規定があるために苛酷なる取扱いをも是認することにはなりますが、やはり、なぜその婦女売春婦になったかということをよく考えていただき、刑罰を科したことによってかえってその婦女をさらに悪化させることのないよう、執行機関の細心の注意を希望するものであります。この立法者趣旨は、売春に対する特殊な幇助または売春を強制するような罪に対しましてきわめて重い罰を科していることによっても、御承知瀬えるものと考える次第であります。  第四条、本条は、売春行為幇助する売春周旋売春周旋目的とする勧誘及び売春を行う場所を提供する行為処罰するための規定であります。すなわち、第一項は、売春周旋及び売春周旋目的とする勧誘をする者に対する刑罰を、第二項は、売春を行う場所を提供する者に対する刑罰を、そして第三項は、これらの行為常習として行う者に対する刑罰を、それぞれ、規定いたしております。  「売春周旋」とは、売春契約成立目的とし、その中間に介在して契約成立のためにする行為、すなわち、売春意思を持って適当な相手方を求める婦女と、売春相手方になる意思を持って適当な売春婦を求める男性との間に入って、その婦女男性とを媒合せる行為であり、「売春周旋目的とする勧誘」とは、売春周旋をするために、口頭によるといなとを問わず、人を誘う行為、すなわち売春意思を持って適当な相手方を求めている婦女のため、街頭において通りかかりの男性に対し袖引きし、その男性売春相手方となる意思を発生させて、その婦女とその男性とを媒合させる行為をいうのであります。これらの行為は、第二項に規定する券売を行う場所を供与する行為とともに、第三条に規定する売春罪共犯に該当するものと解せられるのでありますが、これらの行為悪性が甚だ強いと考えられますので、独立罪とし、本条において規定致したものであります。  なお、常習として、売春周旋売春周旋目的とする勧誘及び売春を行う場所を提供する行為をした者に対しましては、刑罰を加重する必要がありますので、第三項において、刑罰を加重する規定を設けたのであります。  第五条、本条は、婦女を欺き、若しくは困惑させ、または特殊関係による影響を利用して、婦女売春をさせるような行為処罰するための規定であります。右のような行為は、第三条に規定する売春罪教唆または幇助に該当する場合が多いと考えられるのでありますが、必ずしもこれに該当しない場合も考えられ、また、教唆または幇助に該当するとしても、売春罪共犯として取り扱うことは、刑が軽きに失するおそれがあると思われますので、特に本条において独立罪として規定したのであります。特殊関係による影響力を利用して婦女売春をさせるということは、婦女意思決定に重大な影響を与えることのできるような特殊な関係にある者が、その力によって婦女売春をする意思を生ぜしめ、そして婦女売春をさせることでありまして、最近における売春の形態としては、かかるものが相当多いと思料されるのであります、たとえば、特殊飲食店経営者が、その雇傭人である婦女に対し、強制的に売春をさせたり、会社の役員が、その会社の使用人である婦女に対し、顧客の接待上無理やりに売春をさせる、こういったものがこの場合に該当するのでありまして、本条規定しております親族、業務、雇用等は単なる例示にすぎず、その他にも婦女意思決定に重大な影響を及ぼすような関係のもの、たとえば師弟関係等が考えられるのでありますが、かかる関係のすべてを利用して売春をさせた者を処罰対象にする趣旨であります。  なお、第一項の規定刑法その他の法律との関係について申し上げますならば、まず、「婦女売淫をさせた者等処罰に関する勅令」第一条の規定との関係であります。すなわち、この第一条の規定は、「暴行又は脅迫によらないで婦女を困惑させて売淫をさせた者は、これを三年以下の懲役又は一万円以下の罰金に処する。」というものでありまして、この場合、暴行または脅迫の事実がありますれば、刑法第二百二十三条の規定との併合罪をもって論ぜられるのでありますが、構成要件上、婦女を困惑させて売淫をさせた場合だけに限っている点、はなはだその範囲が狭いといわざるを得ないのであります。この点、「婦女を欺き」と「特殊な関係を利用して」とを入れた本条の方が、ずっと妥当なものであると考えるのであります。次は刑法との関係であります。刑法第百八十二条は、「営利目的以テ淫行常習ナキ婦女勧誘シテ姦淫セシメタル者ハ三年以下ノ懲役又ハ五百円以下ノ罰金ニ処ス」とあります。これは、いわゆる「淫行勧誘罪」であります。また、刑法第二百二十五条は、「常利、猥褻又ハ結婚目的以テ人略取シハ誘拐シタル者ハ一年以上十年以下ノ懲役ニ処ス」とあります。これは、いわゆる「党利誘拐罪」であります。本条につきましては、主として刑法のこの二カ条との関係が考えられるのでありますが、刑法第百八十二条は、「婦女勧誘シテ姦淫セシメタル者」でありまして、これは、婦女性交する意思を生ぜしめて性交させた者ということで、本条にはなはだ似ておりますが、単なる性交は、第二条の定義にもあります通り売春ではありませんので、構成要件上、本条刑法第百八十二条とでは、異っているのであります。従いまして、婦女に第二条の定義にありますような売春をさせたときは、本条適用があるものと考えられるのであります。次に、刑法第二百二十五条の場合は、婦女略取または誘拐することが構成要件でありますので、婦女をかかる状態において売春をさせた場合には、刑法第二百二十五条との併合罪をもって論ずることになるものと考えられるのであります。  次は、第二項であります。第二項は、婦女を欺き、もしくは困惑させ、または特殊関係による影響を利用して、婦女売春をさせる行為をした者が、その売春の対償の全部若しくは一部を収受し、またはその対償の全部若しくは一部の提供を要求し、もしくは約束したときの場合でありまして、かかる場合は、売春をさせる行為自体まことにけしからぬものであるのに、さらに搾取ということが加わるものであり、これはその罪質まことに許しがたいものと考えまして、一年以上十年以下の懲役または五十万円以下の罰金というきわめて重い刑罰規定いたしたのであります。  しかし、この場合にはいろいろな態様が考えられますので、以下その若干の態様とこの第二項との関係につき述べますと、第一に、売春相手方から売春婦に対償が渡され、ボスがその売春婦から搾取する場合、この場合は、直ちに第二項の規定適用されるのであります。第二に、売春相手方から直接ボスに対償が渡され、ボスがその対償の全部もしくは一部をふところに入れた場合、この場合におきましては、婦女がその売春相手方と対償を受ける約束をしていたとき、婦女があとでそのボスからその対償の一部をもらったとき、または、婦女ボスとの間に、その対償の分配ボスが対償の全部をふところに入れる場合を含めて、その分配についての約束があったときにのみ、第二項の規矩が適用されることになるのであります。と申しますのは、第二条に規定いたしました売春定義というものが、婦女が対償を受け、または受ける約束で不特定相手方性交すること、となっておりますので、少くともその対償が婦女に直接または間接に帰属する結果が生じなければならないからであります。従って、その婦女性交はしたが対償を受ける意思が全くなく、しかも実際に対償を受けなかったというような場合は、売春とはならないのでありまして、以下かかる場合において、たとえボスが相手の男性に対して対償を要求し、かつ、対償を収受したとしても、第二項の規定をもってしては、そのボス処罰することはできないのであります。  かかるボスは、極悪無比の者として、この第二項の処罰対象からはずすことは、人道上もどうかと思われるのでありますが、その婦女売春したことにならぬ以上いかんともいたしがたいのであります。しかし、大がいかかる場合は、ボスとその婦女との間に、事前に対償の分配についての約束があり、前貸し余返済、食費、衣粧料等の立てかえ金の返済等というような名目の下になされることが多いと思料されるのでありまして、かかる事前約束に基く返済名目の場合は、やはりこの第二項の罰則適用され、従って、かかる極悪無比ボス処罰するために新しく犯罪構成要件を定めなくても、あまり実害はないものと考えられる次第なのであります。  第六条、本条は、婦女売春をさせることを内容とする契約申し込みまたは承諾をした者に対する刑罰規定したものであります。元来、婦女をして売春をさせるようなことを内容とする契約は、公の秩序または善良の風俗に反する事項を目的とする法律行為でありまして、民法第九十条の規定により、無効なものでありますが、最近の婦女売春をさせるための人身売買事件等をみますと、かかる契約申し込みまたは承諾が相当行われており、しかもこれらの行為は、婦女基本的人権を無視した人道上も許されぬ行為でありますので、ここに処罰規定を設けたものであります。  本条では、右のような契約申し込みまたは承諾をした者が処罰されるのでありますが、ただ、婦女がみずから売春をすることを内容とする契約申し込みをした場合、および自分が売春をすることを内容とする契約申し込みを受けて承諾した場合は、本条処罰対象とはならないのであります。なお、本条構成要件は、婦女売春をさせることを内容とする契約申し込みまたは承諾でありますので、現実にその婦女売春をしたかいなかは、この犯罪既遂未遂とは関係がないのであります。すなわち、その婦人が、契約成立後、売春をすることを拒絶したため、契約の履行が不可能となっても、本犯の成立には影響がないのであります。  また、「婦女売淫をさせる者等処罰に関する勅令」の第二条は、本条と同趣旨のものでありますが、「契約をした者」とありますので、その点本条の方がより妥当なものであると考えるのであります。  第七条、本条は、営利目的で、売春を行う場所として使用される施設経営し、またはかかる施設管理する者に対する刑罰規定したものであります。このような施設経営または管理ということは、売春幇助とみなされるものでありますが、売春を助長し、または促進させることになるこのような施設経常営利目的をもって行なったり、あるいは管理したりすることは、社会秩序維持のためにも最も憎むべきことでありますので、特に独立罪として本条規定し、厳罰をもって臨むことにいたしたのであります。  なお、本条は、第四条第二項に規定いたしました売春を行う場所を供与する罪にも該当するものでありますが、営利目的をもってかかる施設経営するという点において、非常に悪性が強いと認められますので、特に刑を加重した本条を設けたのであります。  また、かかる施設経常または管理をする者が、その施設において、婦女売春をさせた場合には、第四条の売春周旋罪または第五条の売春をさせる罪との併合罪ということが考えられるのであります。  第八条、本条は、売春を行う場所として使用させる施設営利目的をもって経営する者に対し、種々財産的便宜を供与する者に対する刑罰規定したものであります。このような者は、売春施設経営の罪に対する幇助者でありますが、社会秩序維持のために最も憎むべきものであり、かつは、その悪性のはなはだしく強い売春施設経営幇助するということも、また大いに憎むべき行為ではありますから、ここに独立罪として規定いたしたのであります。  第九条、本条は、両罰規定でありまして、第六条(売春をさせる契約)、第七条(売春施設経営又は管理)及び第八条(資金等の供与)の犯罪について、その行為者処罰するとともに、その監督的立場にある法人または人をも処罰するための規定であります。第六条から第八条までの犯罪は、その性質上特に行為者処罰するとともに、その監督的立場にある法人または人をも罰しなければ、かかる行為を防止することの徹底が期せられないと考えられますので、特に本条を設けたのでありますが、なお、これらの犯罪の悪質な点を考慮いたしまして、免責規定を設けないことにいたしたのであります。  第十条、本条は、第三条第二項または第四条から第八条までの犯罪には、いずれも懲役刑罰金刑とを規定しておりますので、これらの犯罪につきましては、情状によりまして、懲役刑罰金刑とを併科することを規定したものであります。  これらの犯罪に対しましては、その情状により、体刑と財産刑の両方を科することが、より一そう処罰の効果をあげうる場合があると考えられるのであります。  附則第一項  附則第一項は、この法律施行日に関する規定でありまして、この法律は、公布の日から起算して三カ月を経過した日から施行することといたしました。この法律施行を延期いたしましたのは、現に多くの地方公共団体が設けている売春取締りに関する条例との調整並びにこの法律において規定いたしました売春及び売春をさせる行為等を現に行なっている者の転向または転業のための機会を与えようといたすものであります。現在多くの地方公共団体が設けております売春取締りに関する条例は、種々さまざまでありまして、この数多い種々さまざまの条例が存在している際に、売春等処罰法を即日施行というようにいたしますと、法律条例との一致しない部分につきまして、その解釈並びに運用に関し、種々の困難と波乱とを生ぜしめるおそれがありますので、この法律公布後三カ月の猶予期間中に、各地方公共団体におきましては、できうる限り、条例を整理されまして、この法律施行後も残すものは残し、この法律施行の際に廃止するものは廃止いたしまして、法律施行の際、直ちに円滑なる運用がみられるように取り計らっていただきたいのであります。  附則第二項  附則第二項は、勅令第九号の廃止及びこれに伴う経過措置規定いたしたものであります。本法案は、勅令第九号の内容を全部吸収して規定いたしましたため、勅令第九号はもはや必要がなくなりましたので、これを廃止することにいたしたものであります。従いまして、勅令第九号が廃止される以前において、勅令第九号の各条に規定した行為を行なった者に対する罰則適用につきましては、勅令第九号の廃止後も、なお従前通り勅令第九号の各条の規定による罰則適用をするという経過措置規定いたしたのであります。
  4. 成瀬幡治

    委員長成瀬幡治君) 速記をとめて。   〔速記中止
  5. 成瀬幡治

    委員長成瀬幡治君) 速記を起して下さい。本案に対する質疑は次回から行うことにいたしたいと存じますが、御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  6. 成瀬幡治

    委員長成瀬幡治君) 御異議ないと認めます。  それから売春等処罰法案につきまして、参考人から意見を聴取することとし、その人選及び日時等は、これは委員長に御一任願いたいと思います。御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  7. 成瀬幡治

    委員長成瀬幡治君) 御異議ないと認めます。さよう決定をいたします。午後一時まで休憩をいたします。    午前十一時四十四分休憩    ————・————    午後二時十九分開会
  8. 成瀬幡治

    委員長成瀬幡治君) これより午前に引き続き、委員会を開きます。  検察及び裁判の運営等に関する調査のうち、裁判所制度に関する件を議題に供します。  参考人の方にはお暑いところ、しかも、御多忙の中を当委員会のため御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。これからあらかじめ御連絡申し上げてあります諸点について御意見を承わりたいと存じますが、大体三十分程度でお願いできればけっこうだと思っております。それでは弁護士正木亮君にお願いをいたします。
  9. 正木亮

    参考人(正木亮君) 先日お呼び出しを受けましたのでございますが、私よんどころない緊急の用事がございまして、今日に御延期を願いまして、まことに申しわけございません。与えられました課題は、裁判所制度に関する調査事項のうちで、第一が最高裁判所の機構及び権限、なかんずく刑事上告事件の処理、特に死刑事件についての書面審理ということでございまして、第二は審級制度、特に刑事事件の控訴審の構造、特に事後審か覆審かの問題として被告人の不利益変更と破棄自判の点、この二つの点に対して意見を申し述べるようにとの御勧告のように思うのでございまして、それにつれて御送付をいただきました裁判所制度に関する資料の二といたしまして三鷹事件の判決書をちょうだいいたしましたのであります。この判決書を拝見いたしまして、非常に私も申し上げてみたい意見がたくさん出てきたのでありますが、まず前提といたしまして、この判決書を作成されました最高裁判所大法廷においてこの判決に対して意見をお述べになった裁判官の御閲歴を考えてみたのであります。しかるところ、裁判長田中耕太郎氏以下の方々のうちで、刑事法を専門になさっている裁判官及び刑事事件——まあ民事事件も一緒でございますが、刑事事件をお取扱いになった経験のある裁判官、まあ刑事に関係のある裁判官でございますね、それと刑事事件に従来関係がない、また刑事法の御研究をなさっておられないとみられる裁判官を私は比較してみたのであります。そうすると、このうちで刑事事件をお扱いになったであろうと思われる、これは弁護士をやった方でございますが、弁護士出身の裁判官、それから刑事事件を扱われた検察官または裁判官、これをあげてみますというと、真野裁判官、小谷裁判官、島裁判官、斎藤裁判官、谷村裁判官、小林裁判官、本村裁判官と、この七人の方が刑事の経験のある裁判官であられる。ところが署名しておられます井上裁判官、栗山裁判官、藤田裁判官、岩松裁判官、河村裁判官及び入江裁判官、霜山裁判官は、これは刑事事件をお扱いになっておらない。まあ岩松裁判官のごときは若いころに刑事事件を扱われたことは私も知っているのですが、おおむねその人生において刑事事件をお扱いになっておられない方が七人と、こういうことになっておるのです。ですから、民事専門の方が七人、刑事専門の方が七人、こういう割り振りになっております。それで今度多数決で三鷹事件の判決が上告棄却になっておりますが、その多数決の中で七対七になっておる。その七対七になっておりますうちで、上告棄却の意見を持たれましたのが、井上裁判官、斎藤裁判官、岩松裁判官、河村裁判官、本村裁判官、入江裁判官、霜山裁判官、こういう方がその上告棄却の意見を持ちになっておられる。そのうちで刑事の専門をしておられる方が、七人の中で斎藤裁判官と、本村裁判官も弁護士出身でありまするから、刑事事件をお扱いになったであろうと思うのですが、とにかくこの二人が刑事事件に関係を持たれるだけで、あとの五名の方はみな民事事件専門家でおられるのです。そこで今度は破棄して差戻をしなければいけないと意見を述べられた方の中で、栗山裁判官は刑事事件をお扱いになったことはないと思われるのですが、この方と、それから藤田裁判官、これは民車専門の裁判官です。この二人が民事関係の方で、あとは全部刑事を専門にしておられる方なんです。だからちょうど逆になっているのですね。民事の多数五名の方が上告棄却で、それからこれは破棄しろと、死刑をもう一ぺん考え直せと言われた方が、刑事の専門家が五人と、こういうことになる。そこで七対七の中で、いよいよ最後に田中裁判所長官が上告棄却の方に一票を投ぜられたのです。この田中さんも民事専門家なんです。そうすると、今度の三鷹事件というものは民事の専門家と刑事の専門家の議論の衝突になりまして、しかも数において民事専門家の方が死刑を確定したと、刑事専門家の方の意見がいれられなかったと、こういうことになってきたのだと私は思うのです。これは私も長く検察官もやりましたし、行刑関係もいたしましたのですが、これは捜査の面におきましても、刑事裁判をいたしまするのにも、今まで民事事件ばかりお扱いになった方がそう人間の生命、身体、自由、これを剥奪する裁判を確信をもってやれるものではない。なかなかむずかしいものであります。しかるに今度の最高裁判所法によりますと、そういう専門は分けないで、民事も刑事も一緒くたにして裁判官十四名とそれに長官、合せて十五名と、こういうことにしたものですから、刑事を知らない者でもやはりその表決には加わらなければならぬ、命を取るか取らぬかにも、表決をしなければならぬと、こういう非常に矛盾した点が現われてきておるのです。ところが、今までは罰金の上告事件だとか、あるいは懲役の上告事件でございましたから、そう大して……、これも非常に場合によっては埋れたる青春を作るような危険なこともあるのですが、まあ命の問題よりも軽いものですから、あまり問題は起らないのですが、今度のような事件になって参りまして、命を取るか取られるかというような裁判のときに、民事専門家の方がとにかく投票の数が多くて、幾ら刑事専門家が何と言ったって、数の上で勝ったのだといって、とうとう上告棄却をするというような裁判所機構というものは、私は非常に誤った裁判所機構だと思うのです。これが今からずっと維持されておりましたら、現在の裁判所はほとんど民事専門家ばかりです。ほんとうに扱った人は四人くらい、それから弁護士の方を入れますと五人おりますからもう少し多くなりますが、裁判所出身の方で民事が非常に多いのです。そういう中で、このままにしておきますというと、死刑裁判というものは非常に危ないものになるものだと私は考えますので、その点から推しまして、今日の裁判所法の中で民事、刑事突っ込めての三小法廷及び大法廷にしておる制度というものは、絶対にこれは改正すべき必要があると私は存じます。  しからばどういうふうに改正すべきかという御質問に相なりましたならば、私はこう答える。それは前の場合と同じように、旧裁判所構成法と同じように、やはり最高裁判所の中には民事法廷、刑事法廷というものを歴然と分けて、そうして専門家の最高裁判所判事を任命してこれに充てるべき性質のものだと、こういうことを私は痛感しております。この判決においてこの点をよくお読み下さいまするというと、裁判官の構成においてその点は御納得のいく問題だと、こういうように私は考えておるのであります。  ところが最高裁判所におきましては、そういうように民事、刑事の裁判を二つに分けると、それは今の裁判官では手が足りない。それからまたわれわれの裁判は憲法の番人だということを言っておられるのですけれども、現在最高裁判所にいっておるのは、本来は刑事訴訟法の四百五条の憲法と判例の裁判の番人になっておるわけですが、事実は四百十一条の事実審理を求める上告が非常に多いのでございます。しかもその事実審理を求めるというのは、命を取るかとられるかどうかという重大な事件が最高裁判所に上告になっていっているのです。この件数が非常にたくさんございます。そこでそういうことを下調べさすために、最高裁判所の中には調査官なるものを二十六名置いておるのであります。それに下調べをさせて、その下調べをさしたところで、最高裁判所がそうかそうかと言って署名捺印するということになっている。しかし裁判というものは、そういう性質のものじゃないと私は思うのです。やはり正義に関係する重大なる誤判があると認められるとか、重大なる刑の量定に間違いがあるとかいうような場合は、出し惜しみをしないで、裁判官みずからが事実審理をしてやるか、あるいは破棄自判をやるか、あるいは原審に差し戻すか、こういうようなことをやってこそ、私は国民に直結する裁判だと言えると思うのです。それなくしてただ憲法の番人だ、あるいは判例に違反するかどうかを見きわめる裁判だけでありますというと、私どもの要求する最筒裁判所というものとは目的がずいぶん違うと思うのです。ですからそういうわれわれの要望にもこたえるために、私は最高裁判所というものは、その数を、現在長官を入れて十五人でございますが、最高裁判所の裁判官の数を二倍にする。そうしてその半分を刑事裁判所、刑事法廷に充て、半分を民事法廷に充てる。しかもそれを各専門的に任命する。こういうことを私は希望いたしております。  それから裁判官は、これは裁判官の選任の方法もずいぶんございましょうが、ただ世の中の有名人だけをお集めになるというのでなしに、少くとも最南裁判所の裁判官に起用いたしますためには、刑事法廷に充当するためには、刑事の学識経験を持たれる方か、あるいは刑事学者か、そういう方の中からお選びになる必要があると私は思うのです。それから民事の裁判官につきましては、これは民事の学識経験、あるいは学者であるとか、そういうような少くとも非常に深い造詣を持たれる方をもってこれにお充てになる必要があると存ずるのでございます。  それから、そうなりますというと、いろいろ伝え聞くところによりますと、最高裁判所に非常にその牧がふえて、それで最高裁判所というものは非常に尊厳なところでなければならぬから、格式が下るというような御意見も裁判官の中にあるようでございますが、これは旧刑事訴訟法時代におきましては、やはり三十人くらい、あるいは四十五人くらい大審院判事というものがございました。ですから三十人にいたしましても、大してふえた中に入りませんが、その三十人を現在の国務大臣待遇の裁判官にしなくても、民事、刑事各小法廷に裁判長を置いて、その裁判長に今日の地位をお充てになって、そうしてあとの平裁判官というものは、最高裁判所の裁判官たるの地位をもって満足すればいいのであって、決してそういう格式などにこだわってこの改革を遅延さすべき筋合のものではないと私は考えるのであります。  それから先ほど私は調査官制度はこれを廃止した方がいいと申したのでございますが、この調査官制度というものは、これは刑事裁判というものはやはり被告人を直接扱って、被告人を基盤として裁判をするのが刑事裁判の本命なんです。それを調査官に下調べをさして、その得た結論だけを見て裁判をするようなことになりますから、今日のように命の裁判のときに、平気で命を取ることを確定するような裁判に参与することができるようになるのだと思うのです。もう少し自分で本人をお調べになって裁判をなさいますというと、これはもう一年の刑を引き上げることについても、裁判官としてはちゅうちょするのが当りまえなんです。それを調査官に下調べさすからこそ、裁判というものが非常に今日のように形式的に流れてくるということになりますので、これはぜひとも調査官制度をおやめになって、手が足りなかったならば、調査官に相当するだけの平判事を最高裁判所の中に増員なされば、むしろその方がよりよき最高裁判所の機構を充実することと存じますので、私といたしましては、ぜひとも調査官制度を廃して、それに相当する裁判官を増員することを申し上げたいのであります。  それからこの判決を読んで非常に感じましたことは、最高裁判所の権限に属する部分としまして、刑事訴訟法四百五条の規定がございます。これが今日の最高裁判所の扱うべき本筋の裁判とされておるわけです。「憲法の違反があること又は憲法の解釈に誤があること」「最高裁判所の判例と相反する判断をしたこと」それから「最高裁判所の判例がない場合に、大審院若しくは上告裁判所たる高等裁判所の判例又はこの法律施行後の控訴裁判所たる高等裁判所の判例と相反する判断をしたこと」、これだけになっております。それでこのほかに四百十一条がございまして、これは上告趣意書その他の書類によって、四百十一条に「上告裁判所は、第四百五条各号に規定する事由がない場合であっても、左の事由があって原判決を破棄しなければ著しく正義に反すると認めるときは、判決で原判決を破棄することができる」ということで、これは五つあげてありまして、その中で一番大きな問題が、「刑の量定が甚しく不当であること」「判決に影響を及ぼすべき重大な事実の誤認があること。」、それから一の文に「判決に影響を及ぼすべき法令の違反があること。」この三つが職権で調査し、裁判することができることになっております。これを最高裁判所で積極的に進んで、国民のために適用して下さいますれば、私どもは何をか文句を言わんやなんですが、実は最高裁判所はこの点を出し惜しみいたしまして、今日われわれが上告いたしましても、おそらく上告で成功して原判決を破棄するということが立ちますのが、百分の一だと思うのです。百件やって一件通れば、これは大成功の方であります。これではこの四百十一条というものは全く空文にすぎないと思うのです。  ことに私は三鷹事件の判決を読みまして非常に感じましたことは、三鷹事件には大きな争点が二つあります。一つは、刑法の百二十五条の問題です。あの無人電車を走らせたこと、ところがあの場合に竹内景助は、あれを走らせてそして人を殺そうなんていうことは毛頭考えていない、原判決の、あれは一審判決の認定からいたしましても、決してそのものに殺意があるかどうか、そういうことは全然ない。全くいたずらにこれをやったものなんです。そこでそういう場合に「汽車又ハ電車ノ住来ノ危険ヲ」生ぜしめるような行為をやったのですが、たまたまそれが転覆いたしまして、その点において刑法百二十六条の第一項に当てれば当るのです。少くとも百二十七条にありますように、百二十六条の第三項に規定してあります死刑にまで至るという規定は、百二十七条は予定しておらぬという議論が少数意見の中に非常に強くなっているのです。私の刑法の解釈といたしましては、罪刑法定主義がございまして、少くとも無期とか懲役とかいうものを言い渡す、法定するような場合に、どういう行為が死刑、無期というようなことをきめてやらずに、ばく然とこういうものをやったら死刑だということをやったら、これは罪刑法定主義、いわゆる法治国家の立法とは言えぬと思うのです。これは少数意見の中に書いてありますが、たとえば強盗殺人の場合におきましたら、刑法の二百四十条で強盗して人を殺したものは死刑、無期、または七年以上の懲役、こういうふうにちゃんと行為刑罰をきめております。二百条の尊属殺におきましても「自己又ハ配偶者ノ直系尊属ヲ殺シタル者ハ死刑又ハ無期懲役」こういうふうにちゃんときめてある。しかるにこの場合はそういうことは全然きめていない、百二十六条の第三項では。それから百二十七条におきましては全然きめていない。こういう立法はこの刑法の中に一つもございません。そこをついて少数意見者が、あれは刑法上の議論もずいぶんあるのだ、絶対あれは、原判決は間違っているのだということを力説しているのです。これは力説されるはずです。島裁判官のごとく刑法のほんとうの専門家がおられる、それからまた弁護士出身の刑事専門の弁護士が多数おられる。その人たちがしきりにそれを言っているのにかかわらず、民事専門の裁判官は、訴訟手続には間違いないのだ、刑法の今の百二十七条というものは百二十六条の三項を受けているのだというようなことを言って、簡単にこれを上告棄却してしまう。これはいわゆる刑事訴訟法の四百十一条にも書いてありますように、判決に影響を及ぼすべき法令の違反があることが理由になっているのです。ですから違反があるかどうかを最高裁判所で絶対にこの場合みずから調べて、それで判決をなさるべきであって、少くとも刑事訴訟法の四百条にありますように、こんなものを高等裁判所がやったようにただ手続きされて、一審の証拠でもうわかるからというのみをもって、一審の無期を死刑にしたということを是認するというようなことでは、最高裁判所の職責を果さないのだと私は思います。  それから第二の点は、第一審ではこれは無期懲役、第二審においては書面審理だけでこれを死刑にしております。この点について少数意見は非常に激越に戦っておられます。その多くの理由は、こういう命を取る、また取ってしまってから、取り返しのつかない重大裁判を書面審理だけでやるなんてことは絶対に許すべきではない。栗山裁判官も言っておられますが、生命の尊貴ということを考えない意見だ、こういうことを言っておられます。私はしょっちゅう言うのですが、引例いたしておるのですが、昭和二十三年に、弁護士側から死刑は憲法違反だ、残虐な刑罰だということを上告の論旨に書いたのです。そうすると昭和二十三年の最高裁判所の判例の出されました冒頭に、こういうことを書いておるのです。生命は全地球よりも重いということを書いてあるのです。これは先日私真野裁判官に会っていろいろ話を聞いたのですが、真野裁判官の少数意見として書かれたものが、多数意見としてあの言葉が用いられたのです。何でもこれは西国立志編の序文にあった言葉です、日本の昔の……。それを用いて生命は全地球より重いという言葉を使われたのです。それにいたしましても、生命というものが全地球より重いという判例を出しているのですから、私はその意味で、憲法の番人と同じように、四百五条の一に、憲法に違反した場合と、生命裁判についてという、この二つを四百五条の中に入れていただいてけっこうな事案だと思うのです。何か真野裁判官の論壇に書かれた記事を見ますというと、外国にも、生命裁判だけは最高裁判所の審理の対象として取り上げられておる国が二、三カ国あると、こういうことを言っておられます。ですから最高裁判所みずから生命は全地球より重いという判例をやっておる手前から言いましても、こんなに疑義が多い、論議の伯仲しておる場合に、長官まで出ていって一票を投じて殺すことがどこにあるかと思うのです。しかもその長官が民事専門の、刑事を扱ったことのない長官が一票を入れて、そして刑事専門家の方を負かしておる。これは多数決というものが民主主義の一つの表われでありましょうが、民主主義の一番悪いところだと思うのです。じゃんけんぽんをして人間の命を取ってしまうという裁判はけしからぬ裁判だと痛憤いたしておるのです。こういう点を栗山裁判官が非常に論議しておられます。また、谷村裁判官も非常に論議しておられます。この判決書を見ますと、まさに大多数の意見よりも、少数意見の御議論の方が非常に正しいものだと考えられました。七対七で長官の一票を加えて、竹内景助という人の死刑が確定したようです。私は死刑問題というものは、あるいは裁判というものは、その人がどういう思想を持っておいでになろうと、それにこだわることなしに、人間が人間をさばく、人間の裁判でありますから、いやしくももし彼が共産党の端くれであるとか、それに関連があるとかいうことで、そういうことはないと思うのですが、もしかりにそういうことが多数決の中に多少でも色合いでもつけられたことがありとすれば、非常に残念なことだと思うのでありますが、とにかく少数意見者の意見が非常にまあ私は正しい意見だと思います。従ってこういう判決を見ました結果におきまして、私がお願いしたいことは、ただいま申し上げましたような判決に影響を及ぼすべき法令の違反、こういうものは第四百十一条の中に最高裁判所が任意に調べることができるというようなことでなしに、最高裁判所はそれを調べなければならぬということを条文の中に入れてもらいたい。それから死刑に関する刑の量定について疑義のある事件については、これは裁判所が四百十一条でやってもよいし、やらなくてもいいような規定にしないで、絶対に裁判所は審理する義務のあるというような法制にしていただきたい、こういうことを私は非常に感じておるわけであります。これはまあ上告審の問題です。  それから次に、控訴裁判所における裁判官という問題でございますが、これは私は控訴裁判所は今日のように少くとも刑事事件におきましては、アメリカの民事訴訟手続のような手続にしないで、控訴裁判所は続審でなしに覆審制度をおとりになる方が正しいものだと思います。それから刑事訴訟法の四百条但書はいかなる場合においてもこれは認むべきものでございませんので、これはもう削除すべきものだと思います。それから読んでみますと、刑事訴訟法の第四百条但書のところで、「但し、控訴裁判所は、訴訟記録並びに原裁判所及び控訴裁判所において取り調べた証拠によって、直ちに判決をすることができるものと認めるときは、被告事件について更に判決をすることができる。」こういうことで、もう本人の面通しをしなくても裁判ができるような無謀な規定なんです。やはり刑事事件というものは、その人の顔を見ないで刑事裁判をやるということは外道であります。昔板倉重宗が、これは三宅正太郎氏の随筆の中にもございますが、刑事裁判官というものは、ほんとうにその人と取り組まなければならん。板倉さんが正しい裁判をやるために障子越しにひきうすをひいて、心を冷静にしてその人と面と向って裁判をやったという刑事裁判官の心意気を書いておられます。私は刑事裁判官が人を見ないで、しかも一審で無期の判決であったのを、人もみないで訴訟記録にそろっておるからということで命を取るということは、刑事裁判官としてはとても許しがたいミスだと思います。ことに最高裁判所におきまして、みずから生命は全地球よりも重いという判決をしておきながら、それほど伯仲して右するか左するかというような場合に、長官までそれに一票して人間の命を奪うことが、果して判例にいわゆる全地球よりも重い生命といわれることができるでしょうかといって、非常に私は痛憤してこの判決を読んだようなわけでございます。  そのほかのことにつきまして感じましたことをこの中にちょっと書いてあったのですが、裁判官の現在兼用しておる法服は、一体いいか悪いかというようなことですが、私どもも現在着ておられる裁判官の法服で、裁判所の法廷に威厳が保持できるとは私は思いません。むしろここまでいったのなら、弁護士も検事も裁判官も、同じような服装で坦懐にやった方が、むしろこういう裁判のときに役立ってくるのじゃないかと思います。それから今日検察官が法服を脱ぎまして、弁護に当る私どもも法服を脱ぎましたけれども、これは非常に介護士や検察官の格を下げたかというと、決してそうじゃないと思います。私の思っておりますのに、むしろあれをやめて被告人たちと同じ角度から裁判をすることの方が、活発な運用ができると思って、私はむしろ法服のなくなった方を賛成しておるようなわけであります。  もし足りませんところがございましたら、御説明いたします。
  10. 成瀬幡治

    委員長成瀬幡治君) ありがとうございました。  参考人に対し御質疑がございましたら、御発言を願います。
  11. 羽仁五郎

    ○羽仁五郎君 貴重な御意見をいただいてどうも非常に得るところがあって感謝しておるものでございますが、二、三の点について質問を許されたいと思うのでありますが、第一の点はただいまの御意見によりますと、現在最高裁判所について確定をみておるような事件の中には、法律の上からいって毛、また人権擁護の面からいってもきわめて不当なものがあるという御意見であります。そういうようなことが最高裁判所において行われた場合に、一般的にそれを救う方法としては、ただいまの御意見では法律の改正については御意見を承わったのでありますが、法律の改正をしてこれを防ぐよりほかに方法がないのでありましょうか。それともその間に失われるところの人権なり、あるいは貴重な生命というものを防ぐ方法として、どういうような方法があるというお考えでございましょうか。その点についてもし御意見がございましたら承わりたいと思います。
  12. 正木亮

    参考人(正木亮君) お答えいたします。  これは最南裁判所が上告棄却の判決をいたしました以上は、判決は確定いたします。ですからこれはもういかんともすることができないのでございますが、ただ被告人といたしましては、再審の方法がございますから、それを再審の手を尽せば幾らか延びると思うのですが、これはもうとうてい今までの経験からみましても、なかなかむずかしいことだと思います。ただ一つこういう場合には、私は発動されていかなければならん制度だと思いますのは、中央更生保護審査会というのがございますね。中央更生保護審査会というのは、いわゆる恩赦、特赦を扱うまあ一つの官庁じゃございますまいが、法務省の中の一つの機構でございますが、ただいま白根松介氏が委員長をやっておられますね。ところがあの委員会に特赦の申請はできるようになっております。そこで私は思っておるのですが、これは刑事学の書物に出てくるのですが、あの恩赦というものはどういう意義があるかということなんです。これは昔は天皇の大権に基くものでございますが、しかしこれは天皇の御仁慈に基くものだとこういうことが日本で言われておったのですが、刑事学者の中には、あれをいわゆる法の安全弁だとこう言うのです。法の安全弁というのは、法律を間違って運用したというような場合には、何か安全弁でこれを救う道が要るのだ、それがすなわちアムネスティ、いわゆる恩赦法だとこういう説明をしておるのです。ですから本件のように、三鷹事件のように七対七の問題です。それから法律の解釈にも非常に疑義がある。それからいわゆる裁判機構にも非常な不十分なところがある、こういう場合にそういうことも理由になりましょう。いろいろなことを理由にして中央更生保護審査会に特赦の申請をする理由は十分にあると、私は思うのです。それでそれならそういうことで助かった例があるかどうかという問題を、私ちょっと調べたのですが、今の東大の矢内原総長が、この方は非常に人道主義的な方で、何でも北海道へ御出張なさった。それで札幌の拘置所で死刑囚に面会をされた。死刑囚に面会をされていろいろ対談をされた結果に、どうしても矢内原さんとしては助けざるを得ない事情のものに直面されたらしいのです。そこで中央更生委員会に特赦の申請をされまして、昨年多分これが一等を減ぜられて無期になったと私は聞いております。ですからこれは、有志の方が非常に親身になってそういう点で中央更生保護委員会などに働きかけられることは、一面においては日本の法制を充足する点でもございましょうし、まあ私としてはそうなさることが非常に望ましいものだと考えております。
  13. 羽仁五郎

    ○羽仁五郎君 貴重な御意見をありがとうございました。  次に、伺いたいと思いますのは、先ほど、第二審はやはり継続審でなく覆審であるべきであるという御主張がございましたので、現在のように継続審とされていることにも、またその理由があるいはあるかとも考えられるのでありまするが、もしかりに、現在覆審でないために起っておりますいろいろな欠陥を救うという方法があるいはその間にも若干あるのではないかと思われますのですが、そのうちの一つとして御意見を伺いたいと思われますのは、私どもが、三鷹事件に限りません、最近あるいは帝銀の集団殺人事件でありますとか、あるいはこの二、三日前から新聞紙で報道されております殺人事件、そういう多くの事件につきまして一般の国民の間にやや証拠の問題についての疑惑があるのではないか。これはいろいろな理由に基くものでありましょうが、不幸にして日本では、警察が人権を尊重するということを第一義としないで、真犯人を何とかして探し出すという方に重点を置きました結果、何とかして犯人を探し出さなきゃならない、もし真犯人らしい者が見当らなければ、それに近い者でも見つけなければならぬというように、誤まった職務に対する熱心というようなことから、人権を尊重しないで、捜査や証拠の作成が行われているというような原因も多々あるのではないかというように考えるのでありますから、その結果、裁判官が判断の材料とせられております証拠というものが、形式上の手続におきましては合法的にできているのでありましょうが、実質においては合法でない。すなわち一言で申せば、自白に基いているものではないか、ところが今回の場合でも、多くの場合に裁判所におかれましては、できるだけ法律上の法廷における証拠として出されております法廷の自白に関する部分を、任意の自供に基くものであり、そして補強の証拠によってその証拠力を有するものであるというように判定をされておりまするが、この点について、最近の幾つかの場合に私ども幾分考えなければならぬ点があるのではないかと実は思っておるのでありまするが、御意見ではいかがでございましょうか。もしその点につきまして御研究あるいは御意見がございましたらば、伺わしていただきたいと思います。
  14. 正木亮

    参考人(正木亮君) そうすると、現在の訴訟手続に欠陥があるかどうかという御質問でございますか。
  15. 羽仁五郎

    ○羽仁五郎君 あるいは自白に関する立法上の問題と、それから裁判所においてそれを取り扱われております慣習上の……。
  16. 正木亮

    参考人(正木亮君) その点は私は弁護士といたしまして非常に感じますことは、お説の通りに警察官が非常に犯人逮捕にあせりまして、そうして場合によっては誘導する、場合によっては陵虐罪として告発するというようなことをしまして、しかも検察官に頼んで、十日の勾留では自白しないので、二十日にしてもらうというような間接的な点もございます。そういうことで強要して自白をとる場合が私の実例におきましても相当ございます、現在かかっておりますのが……。そこでまあこれは警察官が非常にあせる結果、あせるような事件、また新聞が大きな事件として騒ぎ立てれば立てるほど、警察官があわててそういうことをやる場合が非常に多うございます。ですからこれはまあどうしてもその点を捜査面において、もう少し是正しなければならぬと思うのですが、さて、それによりまして起訴せられました場合の新刑事訴訟法、今日の刑事訴訟法は交互尋問になっております。たとえば証拠を全部認めなければ、検察官がその者を証人に呼んでそうして尋問をやる、弁護人がこれに反対尋問する、こういう方法でいっておるのでございますが、ところがどうしてもその事件をもとへ返すためには、まずその起訴の一番のもとになりました警察官の供述調書というものをくずしていかなければならないのです。さて、警察官の供述調書をくずすためには、その事件の任意性を争っていかなければならない。これは非常に私は刑事訴訟法の盲点だと思うのですが、この刑事訴訟法というのは一般にアベレージしたことを目的としてやられているのでありますが、この訴訟に勝ちます一番大きな原因は、たくさん有力な弁護士を使いまして、そうして弁護団を組織しまして、それに任意性をどんどんやっていきますと、これは勝てる場合が多いのです。衆知を集め、そうして積極的にこちらの任意性を解明するために全力を尽しますから、こういう場合は非常に成功するのです。しかし今の刑事訴訟法におきます国選弁護、貧乏な者はそれができないというような国選弁護でありますとか、それからまた資産なくしてまあ知り合いの弁護士を一人くらい使うとかいう場合には、なかなかそれがむずかしいと思うのです、ですからそういう意味におきまして、私はこれはやはりその意味においては今の刑事訴訟法よりも、古くなって、私は年とっておりますから昔を恋しがるのかもしれませんが、これは、前の刑事訴訟法が非常にきらわれましたのは、予審判事がございましたね、あれで入れますと、長いとき十年入れられたときがあります、勾留を……。そういうような悪制度でなしに、もとの刑事訴訟法の方にありまして、勾留面というものをよほど制限しまして、そうして裁判官が職権でぐんとそれを調べていくような制度に変っていくことが、日本の刑事訴訟法は日本国民を相手にして組織していかないというと、これは貧乏人ほど損をする刑事訴訟法のように私は思うのです。これは私だけの意見かもしれませんが、そういう弊害が私はこの刑事訴訟法には相当残っております。ことに一番いじめられているのが、選挙違反の事件ではないかと思います。これは巡査さんたちが非常に上から言われたり、はたから騒がれたりして、非常にあせるために、ずっと被疑者を引っぱり出しては、いろいろな面で自白をさしていくという点が、選挙違反には非常に多いのです。ことに選挙違反には人権じゅうりんをたてにとって任意性の争われる事件が非常に多うござんす。ですからそういう意味におきまして選挙違反には非常に弁護団が大きなのが組織されておるのは、この刑事訴訟法の欠点だと思うのですが、どうもやはりそういう昔の予審判事をこしらえないと、それから勾留というものは今のように二十日くらいにするということで、それで逮捕状は検事の監督にするとかということを残しまして、あとは裁判官の職権審理というようにいっていさましたら、私はむしろ日本流のいい刑事手続ができるのじゃないか。こういうふうにこれは私一人の考え方です。
  17. 羽仁五郎

    ○羽仁五郎君 ただいまの点に関連してなお二、三伺いたい点があるのですが、それは警察官が自白を強制して作成した証拠、あるいは検察官がそれを証拠として提出されたというような場合に、やはりそれを何とかその警察官が、取調べに当る人が、自白を強制するということが許されないことであるという点において、もう少しそれに対する責任を重く追及するというような立法上の必要はないでございましょうか。その点につきましてもし御意見がございましたら……。  それからもう一つは、裁判所が今度は自白を採用せられます場合に、たとえ任意になされたる供述であるといたしましても、やはりそれに何らかの補強の証拠というものを用いなければ、自白だけでは有罪にせられることはできないのでありますが、しかしその補強の証拠というものにはかなり問題があるのじゃないか。そこでやはりその点にたとえ任意になされた自白であるとしても、その補強証拠の性質によって、それが証拠として取り上げられることはできないというような点が明確にされる必要があるのではないかと思います。以上二点につきましてもう少し御意見がございましたら……。
  18. 正木亮

    参考人(正木亮君) 前の方の御質問に対しましては、これは自白が任意の自白以外のいわゆる強制による自白と申しまするのは、誘導による自白か、またはいわゆる強制による自白、この二つになると思います。誘導による自白と申しますのは、いろいろお前こうやったんじゃないか、こうだというふうにやるものですから、これが果して誘導であるかどうかという認定は、たとえこれを問題にいたしましても、それはなかなかむずかしいことだと思うのです。これに対する制限規定なんというものはとてもできるものじゃないと思います。ただ強制の場合ですね、これはたとえて申しますと、警察官が、ある候補者がかかった、そうすると車座になってやると、それで、こっちでつつくとこっちでもつつくというようなことをやるのは一種の陵虐でございますね。そういう暴行陵虐によります場合は刑法でこれを規定しておりますから、私どもといたしましてそれを発見した場合は直ちにこれを告発して、そうして争いたいのはやまやまなんです。今私の持っております事件でもそういうのがございます。だけれどもやはり被告人がかわいい、人間が人間を裁判するものですから被告人がかわいいものですから、これがほかの方法ですっかり立証できまして無罪がいただければ、これはもう下級官吏を追及する必要もございませんからまあやらないようにしておるのですが、もしそれによって誤まった裁判をもらうということは、これは裁判を冒涜することでもございますので、もしその場合にそういうことが起りましたならば、刑法規定をとって私ども告発するつもりでおるのですが、その意味においてはもう刑法でちゃんと固まっております。  それから第二番目はどういう御質問でございますか。
  19. 羽仁五郎

    ○羽仁五郎君 第二番目は任意になされた供述であるということだけで裁判所は決定されていないでしょうが、補強の証拠というものによってそれが証拠として用いられておるのですが、どうも幾つかの例を見ますと、両方とも五〇%くらいしかないものを、二つ合せて一本にするというようなことになっているのじゃないか。そうしますと、事実五〇%のものを幾つ集めてみましても実際は五〇%なんですが、論理上のそこに誤まりがあるのではないか。もしそうだとすれば、それを救うにはいかなる立法上の御意見がございましょうか。または実際上の御意見がございましょうか。
  20. 正木亮

    参考人(正木亮君) その自白が任意の自白でないという場合には、幾ら補強証拠があっても、それは無罪になりますね。ただそれが任意でないという証明が立たない限りにおきましては、きわめて微々たる補強証拠でも、まあこれで合せて一本にした判例もありますし、これについてはどの補強証拠が強くてどの補強証拠が弱いということがなかなか見当がつきかねるので、これは立法上の技術としてもなかなかむずかしいのじゃないかと思います。まあその程度で……。
  21. 羽仁五郎

    ○羽仁五郎君 最後に一点だけ伺いたいのですが、正木参考人はずいぶん古くから行刑上の問題について、国内的にも国際的にも御研究をなさっておられて啓発されておることが多大なんですが、この死刑の問題について御意見を伺っておくことができれば非常にありがたいと思うのでございますが……。
  22. 正木亮

    参考人(正木亮君) それでは簡単にお答えいたします。私はもうずっと、大学を出ましてすぐ死刑廃止運動に取り組みましたので、実に長いことなのでございます。しかしこれは私のは宗教的な問題でも何でもございませんので、私は牧野英一博士の研究室に入りまして、あの方の教育刑の理論によって育てられました。刑は教育なりという観念から申しましても、どうしてもやっぱり教育刑の理念を押し進めれば、死刑というものはやはり刑罰としては最悪の刑だから、これをまあ外していかなきゃならぬというまあ刑事学的な主張なのでございますが、しかしこの死刑の廃止問題と申しますのはこれは非常に古いのでございまして、御承知のように一七六四年にベッカリヤが死刑はいけないということを申しましてから実現に至りますまで百年かかっております。ちょうど一八六〇年に初めてオランダが死刑を廃止しましてから今日まで二十四カ国が死刑が廃止になっております。しかし、日本の国におきましては奈良朝以来三百七十年死刑を廃止しております。それでこれが死刑が復活いたしましたのは、保元の乱のときに源義朝が親の為義を破って、為義がつかまえられて、それで後白河法皇に死刑の宣告を受ける。そうして殺せと言われたときに、中院の中将何とかという方が、古語に曰く、人一殺すればおのずから百殺残ると、死刑を復活したら、何ぼでもあと人殺しが起るからよせといってやられたが、また復活したそうでありますが、自来まあ日本では非常に戦争やら人殺しが多くなっておるのですが、日本ではそれ以来一つも死刑廃止運動などございませんでした。ただ明治四十一年の刑法改正のときに、花井常造博士と、それから小河滋次郎博士がしきりに死刑廃止運動をやりましたけれども、これはまあほとんど世の中には聞かれもしなかったくらいでございます。私が大正十年からずっと始めておるのですが、一つもそんなこと言ってもみなにヤジられるか、罵倒されるかくらいでございました。ところが一昨年からは、私は理論ではだめだ、実行運動をしなければならぬというので、私のささやかな刑罰社会改良の会というものをいよいよ結成しまして、一昨年から識者をずっと一人ずつお呼びして御意見を伺って、やっと著名人二十名を獲得いたしまして、いよいよ会を発会いたしました。ところが先だっても朝日新聞の講堂でやってみたのでありますけれども、非常に死刑問題というものに世の関心が深くなって参りました。これは一つには平沢貞通の事件で、あの人は死刑になりました。私は心証から申しますと、平沢貞通が真犯人じゃないかと思っておるのであります。私は弁護人でございましたが、どうも割り切れないものは、筆跡鑑定人にあれの筆跡でないと断固言った鑑定人がございます。それから生き残りの四名の中に絶対あれでないという証人もおるのでございます。気味が悪いので、こういう者を死刑にしておいて、あとで真犯人が出たらという危惧の念があります。これがいわゆる誤判を理由としての死刑廃止論であります。それがあったところにもってきて、竹内事件、松川事件というものがございます。ことに竹内事件のごときは一審では無期、二審では書面審理だけで死刑ということになっておるのでございますが、判決書をごらん下さいましても、これは竹内のそのときの行為からなにから申しましても、これが事実とすれば絶対に死刑になるような事件でもないと思えるのであります。ことに刑法の百二十六条第三項の適用がないといたしますれば、死刑にはならない事件であります。そういうものを死刑にするなんということは非常に不合理で、現にアメリカでは先だってローゼンバーグ夫妻の死刑がございましたが、その前にサッコ・バンゼッチーというイタリア人のがあります。あれは絶対真犯人が他にあってサッコ・バンゼッチーが真犯人でないということがアメリカではこのころ確定されてきたのであります。そこで死刑の判決をしたあとでアメリカ政府が非常に困っておるのであります。こういう事実のあることも誤判ということをたてにとりますと、最極刑の問題は避けるのが妥当だと思われるのが一つでございます。それからもう一つは宗教的なものです。これは申し上げなくとも、クエーカー宗一派では絶対にベンジャミン・フランクリン以来今日まで続けて死刑廃止論をやっております。もう一つ刑罰経済の原則からイタリア学派で申しますのは、あれをただ殺してかたき討ちをやって、被害者を刺すだけでは、ただそのときの気持を救うだけで、もっと掘り下げた死刑にかわる制度をこしらえて、人間が人間を殺すような制度をやめた方がいいのじゃないかというのがイタリア学派の主張であります。それによりますとやはり死刑囚を無期にして、それでその者を働かして、働いたものは被害賠償にみな取りますけれども、被害者の遺族、加害者の遺族、そういうような将来非常に貧困、犯罪、そういうものの原因になるようなどん底の生活に落ちる者に対して社会保障の制度をやれ、それで死刑は一等減じろ、こういうのがイタリア学派の主張なのであります。これは私は非常にそれをあれしておるのであります。ところが皆さんおっしゃいますには、非常に殺された人がかわいそうだ、非常な応報思想が出てくるのです。これはやむを得ないことです。現に私が持っております新橋の強盗殺人事件で、正田昭というメッカの強盗殺人事件を持っております。この人の弁護を私受けましたときに、その被告人のお母さんに言ったのです。弁護料というものは一文も要らないから、盗んだ四十万円を早くこしらえなさい。それを向うへあげることが第一に自分の贖罪のゆえんだからというので、一家一門集めまして、とうとう正田被告人のお母さんや、みんなに四十万円集めさせまして、そしてそれを被害者の奥さんのところに持っていったのであります。私のところの弁護士に持たしてやりましたが、剣もほろろで突っ返されました。法廷にやって来ましても、あれは極刑に、死刑にさして下さい、こう言うのです。それから二年たちまして、近ごろでは死刑問題が新聞に出ましたり何かしましてから、その未亡人が私に会いたいということで来まして、お会いしました。お会いしましたら、その未亡人が言われるのに、あなた方はそうまで私たちのことを考えてくれるのかというのです。それで自分の兄弟たちもああいう弁護士があれだけ言うてくれるなら、お前の金だからもらいなさいと言ってくれます。しかし中には絶対もらってはならぬという親類もある。だから判決がありましたら、どうぞ一つ御庇護願いたいというようなことを言いました。奥さんだいぶ考えが変りましたねと言いましたら、子供が学校に行っていろいろ先生にお聞きしたり何かしますと、だんだんいわゆる報復心というよりも、自分の子供を育てたり、あるいは家庭をやったりする方が大事だということがわかってきて、一時の非常な憤激の感情にすぎなかったということを言っておられます。これは私は菊池寛氏の書いておる青の洞門の思想がよく現われてきておると思うのです。ですから応報思想はとても直せません。日本の内において今直ちに死刑廃止が実現できると思えませんのは、せんだって放送討論会に私出ましたら、つるし上げをくいました。その問題であとの方でだいぶんわかってくれたのですが、しかし私が非常に驚きましたのは、今まで幾ら会をやりましてもだれも入ってくれず、聞いてもくれず、呼んでも叱られるだけのものが、今日放送討論会で私をつるし上げするほど満員になっておる。朝日新聞でやっても満員です。それから慶応大学でも今日の問題で、死刑と売春問題で取り上げてくれます。これは国民の関心が非常にこの問題にからんできたのだと思います。従って竹内さんのこの事件につきましても、これが今より五年も前でございましたら、これだけ竹内さんに同情はいかぬと思います。今日竹内さんの死刑問題に対して非常な関心を持たれてきましたのは、やはり国民の中に索漠たる国情ではございますが、生命を尊重するという気風がずっと現われてきておるのではないかと思います。もう一つは、先ほど私最高裁判所を非常に罵倒いたしましたけれども、おそらくこれは五年前の最高裁判所でありましたら、少数意見は一人出るか出ないかだったと思います。それが七対七の少数意見が出、しかも生命は非常に尊貴だ、それなのに、こういう事件を上告棄却するのはいけないと、あの痛烈な少数意見を七人がお出しになったということは、これは最高裁判所が非常に進化をきたしたものと思うのであります。ですから、こういうようになってきますと、みな命を尊重するようになりましたら、これは今日もお説の通りに岩本なにがしの強盗事件が出ております。それからいろいろ出ておりますが、あれは刑罰が軽いから出るのではないと思います。やはり社会的な欠陥が非常に大きな原因をなしておると思います。ですからもし皆さんがだんだんと命を尊び、また平和を愛好する気分がずっとみなぎって参りますと、死刑廃止論にだいぶ御賛成になる方が多くなると同時に、私は犯罪はだんだんこういう点において減ってくるのではないかと思います。近来の統計を見ますと、犯罪はずっと下降の傾向にあると思います。一面において今の刑罰問題あたりは若い者たちの関心が非常に深まっておりますから、そういう意味において思想的に非常によくなってきておると思いますので、私はそういう意味におきましても、できることなら人間が人間を殺すということだけは、刑罰としてはやめたいと思うのです。それでこの間もある人が、長谷川如是閑さんが言われたんですが、おもしろいことをあなたはお書きになった、アメリカでは死刑は請負でございます。ニューヨーク州のエレクトロキュウションは請負業です。フランスのギロチンも請負業です。それからドイツは今度やめました。それからスコットランドが請負でございます。これはなぜああいうものを請負にしますかというと、国家が役人を置いて、役人がとにかく正当業務だとか、法令の許した行為だとかいっても、看守に人の首をちょん切らすとか、しめるということは、国家道徳としては理論が成り立たないらしいですね。ですからドイツはやめましたけれども、今までにも屠殺役人を置くということが、文化の一番障害だといって、だいぶん論議しておりました。そういうので日本では今日役人がハングをやっておりますけれども、私は行刑をずっと長らくやっておりますんですが、ああいう下級官吏に、業務とはいいながら絞首台の綱を引かすことをやらす限りにおいては、教育刑というものは、まだ前途ほど遠いと思っておりますので、まず根源から死刑を廃止したいというのが私の念願であります。
  23. 中山福藏

    ○中山福藏君 私それに関連しまして、死刑の判決が確定した後、ある一定のたとえば三年なら三年という期間をおいて、その間には死刑の執行をしないという特別の法律を設けた方がいいんじゃないかと思う。なぜかならば一定の期間内に真犯人が現われてくることがありますね。せんだって参考人がお見えになりまして、塚崎弁護士なんですが、それは再審の訴えをやって、いわゆる真犯人が自首してそうして確定して、刑の執行中の者は無罪になった、その体験を私持ってるんだ、こうおっしゃる。私はやはり一定の期間だけ、ことに不審を抱かれる殺人事件については、やはり刑の執行というものを猶予しておく方がいいんじゃないか。それで過渡的な規定として、三年なら三年判決確定後執行しないというような制度を設けておく方がいいんじゃないかということを考えておりますが、これはまあ今おっしゃったように、理想的に教育刑としての取扱いをするということは、まだまだ相当時期がかかると思いますから、そういうことを早く一応制定しておく方がいいと思うんですが、どうでしょうかね。
  24. 正木亮

    参考人(正木亮君) 今の刑事訴訟法は、判決が確定いたしましたら六カ月以内にこれを執行せよという規定ができております。前の刑事訴訟法にございません。ところが法務大臣になられますと、非常においやがりになる方がございます。これはおいやがりになるといっても、私は死刑廃止論者ですからね、いやがられて判をお押しにならない大臣が来られますと、これは実に人情味が深いといって尊敬ができるんですが、また大臣によると、こんなもの何でもないといって判をポンポン押される方があります。そこで今度は議論が、事実をごらんにならない方の議論があるんですが、死刑囚が実際に仙台におりますが、死刑囚がそこにつかまえられております間は、ほんとうに安眠できるのは土曜日だけでございます。これは私行刑に関係しておりますからよく知っておるんですが、もう日曜日になりますと、あしたは執行がくるだろう、あさってはくるだろう、そうして毎晩々々、あれは朝やるんです、朝八時ごろに通達しまして引っぱり出して死刑台にのせるんですから、毎晩毎晩襲われているんです。土曜日は大丈夫、そこでそういうようにして非常に不安な観念を持つものですから、場合によりますと。今大阪に山本ひろ子という女の死刑囚がおりますが、これは今精神病になっております。これは精神病といいましても、拘禁性精神病というので、まあ長く拘禁をやっておりますと、いろいろのことを考えて精神病になっているのです。その間は執行されませんが……。そうすると関係のない方がごらんになりますと、今あなた様のおっしゃるように、三年もためておいたら、毎晩々々寝られないから、かわいそうじゃないか、こうおっしゃるのです。それで私によく皆さん追及なさるのですが、気違いになっても生きている方がいいのです。私いつも座談会でやっております。せんだっても大阪に行って死刑囚と座談会をやっておりますと、判決確定の直後は、もう死にたい、あしたにも死にたいという人でも、これが五日たち、七日たちますと、上の方が……長くいた人が言うのです。お前そんなことを言うけれども、おれたちみたいに長くなったものは、一日々々延びたいという、これが人間性らしいのです。おそらくあなた様のような立法を制定する場合には、そんなことは残虐だという議論が出るかもしれませんが、私のそういう経験としましては御賛成できると思うのです。ただそれは特別に死刑の疑義、平沢のような、真犯人なりやいなやという疑義のあるようなものについては、三年間執行を猶予するという立法もよろしいと思いますが、刑事訴訟法で、あの六箇月を三年ということに延ばしておいたら、いい大臣が来ればいいけれども、悪い大臣が来ればすぐやりますから……。それはそういうような立法をすることは進歩だと思いますので、御同感でございます。
  25. 中山福藏

    ○中山福藏君 今大へん参考になる御意見を聞かしていただきました。大体今六カ月ぐらいで死刑の判を押す法務大臣はないようです。その点は安心ですけれども、どうしても平沢は、私弁護士なんですけれども、私は無罪だと思うのです。私は今日まで証拠書類を全部見ているというわけじゃないのですが、どうも不審を抱くのです。だから今正木参考人のおっしゃったように、疑いのあるものについては特にそういうことは必要じゃないか、これは私の考え方でございます。  それからもう一つお尋ねしておきたいのは、大体法律の前には万人が平等の取扱いを受ける、こうなっております。ところが裁判官会議を開きますと、こういう事件は百日の間に一つすべてを処理しよう、二百日のうちに処理しようと、一定の期間を設けて、特殊の犯罪、特殊の人間に対する取扱いをすることがありますね。これは証拠の収集の関係からいっても、ある期間さえ時間を与えてもらえば、こちらの予期しない証拠も集まってくることがあるのです。これは弁護士のしばしば体験することです。ところが特殊の裁判官が勝手に開いて、特別の事件だけの、特別の人たちを一定の期間のワク内に入れて裁判をするというあの取扱い方は、これはやはり憲法の精神に違反するのじゃないかと私は考えておりますが、これはついでに御意見を一つ承わっておきたいと思うのです。どうでしょうね、そういう点は。
  26. 正木亮

    参考人(正木亮君) 今の問題は、御質問のありましたのは、今度の選挙の百日裁判のことだと思うのです。ことに最近は当選候補者については、この百日裁判を絶対推進せよということになっておるようです。これはわれわれ弁護士の仲間では絶対不可能のことです。それですから連合会あたりでも、これは絶対にそういうことはできないと言っておるのですが、裁判所ではぜひそれを推し進めたいらしいのでございますが、実質上不可能でございますから、われわれが証拠収集に真実にやっていきさえすれば対抗できるのじゃないかと思っております。しかし憲法論とか何とかいうようなことは速記に出ると、裁判所が文句を言いますから、私ちょっと言いかねるのですけれども、実際あれは言うべくして行われないと思うのです。それでまたこれは裁判所が新刑事訴訟法というものの盲点をついていないのじゃないかと思う。あれがもし旧刑事訴訟法のように裁判所の職権をもって裁判官が調べる旧訴当時なら、御自身自体が百日でできないということがおわかりになるのじゃないかと思うのです。
  27. 中山福藏

    ○中山福藏君 私は実際百日で事件を処理してしまうということの不可能だということは、よく知っておるのです。ですけれども、ああいうことを裁判官会同で世間に発表するということは、憲法の前に対して平等な国民に対しても裁判官というものはえらいものだ、憲法にどういうふうに定めてあっても、裁判官の会同でどうにも処理できるというような感じを与えて、裁判官はべらぼうにえらいものだという感じを与えてしまうものだというような私は非常な心配を持つものであります。そこでかりに取扱い上百日で処理できるといたしましても、これは発表そのことが私はけしからぬとこう考えるのです。これはやはり慎重な態度をもって、弁護人も相当の資料というものを集めて、そうして検事と戦うだけの時間を与えていただくということは、これは必要じゃないかと思うのです。従って検事の方では警官があり、あるいは下級検察官があって、できるだけの証拠を集めておる。民間でこれを収集することはなかなか手間も取るし、また依頼者の金の程度もありますから、なかなかそれは不可能だと思うのです。それにはやはり一定の時間というものを幅を持たせて、余裕を与えて、われわれの証拠の収集の方法というものをちゃんと完了するようにさしてもらわなければ、これはなかなかむずかしいと思うのです。これはあなた方のように弁護士連合会の中心におられる方はいいのです。いなかに行けば弁護士は裁判官から押えつけられるのです。実際現在におきましていなかに行けば行くほど、裁判を相当早めておる。この選挙違反についてはこれはあなたのおっしゃることは東京におられる弁護士のおっしゃることだと思います。いなかでは絶対そうはいきません。裁判官にたてをつくと、判決にどういう影響があるだろうかというので、朝な夕な心配をしております。これは日本全体としてのまとめ方を連合会の本部のあります東京の方々が考えていただかないと、大へんなことになると私は思います。これは裁判そのものの権威にも関することと思います。どうでしょう、それを最後に一つ。
  28. 正木亮

    参考人(正木亮君) 全く御同感で、その点は連合会で取り上げて、せんだって来あなた様のおっしゃるようなことをしきりに折衝しておるようでございます。裁判所としては発表しているものですから、百日裁判を実行しようとしておられるようですけれども、小さい事件ならあれですが、やはり選挙事件のようなものはやはり足がありまして、二十、四十と新しい被告人が出るのですから、これは言うべくしてできないということになるのじゃないかと思いますが、御趣旨は私はその通り同感でございます。
  29. 赤松常子

    委員外議員(赤松常子君) 私委員外でございますが、一つちょっと質問してよろしゅうございますか。
  30. 成瀬幡治

    委員長成瀬幡治君) 赤松常子君から委員外議員の発言を求められておりますが、これを許可することに御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  31. 成瀬幡治

    委員長成瀬幡治君) 御異議ないと認めます。
  32. 赤松常子

    委員外議員(赤松常子君) 今あなた様のお話しの中で上告件数の百件に一件あればいい方だとおっしゃったのですが……。
  33. 正木亮

    参考人(正木亮君) 破棄が……。上借の理由のできたのが百件のうち一件あるいは二件……。
  34. 赤松常子

    委員外議員(赤松常子君) それを聞きましてしろうとでございますもので、ちょっと驚いたのでございますが、どこに隘路がございますのでしょうか。
  35. 正木亮

    参考人(正木亮君) それは刑事訴訟法の中に規定してありますし、手続に少しも違反がございません。そしてしかも憲法の違反でない、判例にも反しないというのでみな却下されてしまう。
  36. 赤松常子

    委員外議員(赤松常子君) それだけのことでございますか。
  37. 正木亮

    参考人(正木亮君) そうです。
  38. 赤松常子

    委員外議員(赤松常子君) 私それを伺いまして、しろうとでございますので、実はちょっと驚いたのでございますが、それで正しい判決というものができるものでございましょうか。
  39. 正木亮

    参考人(正木亮君) ただ上告裁判所の建前としましては、全く主たるものは憲法裁判、そして法律関係のある、法令、判例に違反する場合は、特別にこれだけ扱うので、よほど事実誤認とか、法令の適用の違反というような、これが世の中に非常に大きな影響を与え、正義に反するようなものでなければ、われわれは扱わないんだというような趣旨法律がこしらえてありますから…。
  40. 赤松常子

    委員外議員(赤松常子君) そこに一つ不備がある。
  41. 正木亮

    参考人(正木亮君) たとえば懲役でほんとうにこれが執行猶予をもらい得るような場合、あるいはほんとうにこれが無罪になりそうな場合でも、もう事実誤認がどうかという問題ですが、手続から見ましても、これは事実原審の裁判でやった通りだからいいのだということであれば、裁判所はやらないでいいという建前になっておりますから、みんな一々ふるいにかけられております。だから事実誤認、行刑不当だというのがほとんど上告されておる大部分でございますが、通ったためしが、事実誤認で破棄になりましたのは、私の知っておりますのは、ここのところ二件でしょうか、今までに静岡の強盗事件が一つと、この間何か千葉の代議士さんが一つ助かっていましたね、椎名代議士が。あのくらいのものじゃないですか。ほとんど上告審には期待はできない、これが実情でございます。
  42. 赤松常子

    委員外議員(赤松常子君) それが何か原審の結論をくつがえすようになった場合ですが、その原審の威信にかかわるということが先入観となって取り上げないということが、何か無意識にあるような私は気がいたしますが……。
  43. 正木亮

    参考人(正木亮君) そんなことは全然ございません。私は裁判所の代弁をするわけではございませんが、全然ございません。訴訟の経済の問題でございますが、今だいぶ減りまして、上告刑事事件は五千件位になっております。それを十四人の裁判官ではとても持ち切れないと、それだからなるべくふるいにかけて……。
  44. 赤松常子

    委員外議員(赤松常子君) それから伺いたいのでございますが、何か事件数と、それからそれを消化する機構が非常にマッチしないと、うるさいというようなこともありはしないかと、それも伺いたいと思います。
  45. 正木亮

    参考人(正木亮君) うるさいといいましても、そうやると非常に裁判官をふやしたり何かしなければならんから、それでああいう訴訟手続になっておるのでございます。それであなた様の御質問で一番最初に御意見を申し上げましたのは、調査官制度をやめて、そして裁判官も少しふやして、そしてそれでもう刑の量定不当だとか、事実の誤認というもので理由のあるものは出し惜しみしないでどんどん調べてやって、納得のいく裁判をやるために裁判官をもう少し、少しじゃない、うんとふやしなさい、こういうことが結論でございます。
  46. 羽仁五郎

    ○羽仁五郎君 大へんおそくまでお疲れのところ恐縮ですが、追加して二点だけお伺いしたい。第一点は先ほどの特赦に関係することでございますが、法の正義が失われ、貴重な人命が失われ、あるいは基本的人権がそこなわれるおそれがあるというような緊急の危険に対してとらるべき方法として、特赦の制度を御説明になりましたが、この委員会は主として立法の委員会でありますが、しかし同時に行政ないし司法、ことに行政に対して監督の責任を持っておるわけでありますけれども、ある意味においては最高裁判所が司法上においては最南の権威を持っておられるわけでありますが、ある意味においては弁護士の団体というものがまた高い権威を持っておられるのではないだろうか。それで、先ほど中山委員からのお話にもございましたが、私どもが地方に出張を命ぜられまして、地方の弁護士会等と接触しますたびごとに感じますことは、弁護士及び弁護士の団体の権威が十分に高く一般に考えられていないということなのでありますが、ただいまの特赦の問題などにつきまして御意見を伺いたいのは、特に弁護士の団体がそういう点でイニシアチブをとられるようなことが適当とお考えになりましょうか、あるいは特にそういうようなことは適当であるというふうにはお考えになりませんでしょうか、この点を一つ御意見を伺いたい。もとでありますと、先ほど御説明にもございましたように、主として天皇の主権によってそういう発動がなされた、これはまあ形式でございましょうけれども。しかし今日は国民主権の憲法によりますので、国民がそのイニシアチブを持っているわけです。その国民のイニシアチブがどういうところを通じて発揮することが、最もこの特赦の制度の意義を商からしめるものであるかということについて、先日の牧野博士も参考人として、この特赦の制度があるが、その発動は最も慎重に十分の権威を持って行われることが望ましいというふうに、そこまで御意見がございましたのですが、それ以上伺ういとまがなかったのでございます。ただいま申し上げますような点で、国民主権がこういう問題についてイニシアチブをとって発動せられるということが、やはりだれかがやりはしないかとか、だれがやってもいいという程度の問題でございましょうか。それとも特にそういう点について、最高裁判所において決定された究極的な決定が、しかも国民にあるいは多少の不満を与えているんじゃないかというときに、いかなる団体、あるいはいかなる権威がそこに発動することが最も望ましいかというような点について御意見を伺いたい。  それから第二の点は、先ほど赤松委員からも御質問がございましたが、しろうとという御謙遜でありましたが、私もその点についてはしろうとでありますけれども、裁判の権威というものは、やはりしろうとをして納得せしめるものでなければならないということは申すまでもないと思いますが、このしろうと、つまり国民一般が裁判の権威を尊重するためには、私はやはり裁判に対して国民の自由なる批判が必要であろうと考えます。ところが御承知のように敗戦前には、新聞紙法などによりまして、裁判についての意見を述べることがあたかも犯罪であるかのように考えられた。また今日におきましても、いろいろな理由から、裁判の進行中裁判官の判断を誤まらしめるおそれがあるとか、あるいは先ほど御説明もございましたように、事件に関係しておられます方々は、その事件の円満なる解決を主としてお考えになる結果、批判的というような点においてお控えになる。その他さまざまの事情がございまして、今日裁判に対する批判は特定の事件について特定の方は非常に熱心であられますけれども、一般には国民の間に十分その裁判についての意見が絶えず述べられるということはないようであります。それも先ほどの御説明のように、最近は死刑の問題などにつきまして、世論が相当に成長してきた事実はございますけれども、それでもまだ私は不十分ではないかと思うのであります。しかるにそういう際に、日本の司法の上で最高の地位におられるような責任ある方々は、裁判に対する批判というものを排斥せられるか、あるいはまた裁判官がそれらの批判に対して虚心坦懐に反省をせられる必要がないかのような誤解を与えるような意見を発表せられておりますが、以上のような現状に対して御意見がございましたらば、伺いたいと思います。
  47. 正木亮

    参考人(正木亮君) まず特赦の問題でございますが、これを弁護士会の公的なものとして取り上げますれば、日本弁護士連合会の人権擁護部で取り上げるべき問題だと思います。私がただいま日本弁護士連合会の人権擁護の主査理事をしておりますので、実は私が委員会を統率してやっていかなければならぬ問題でございますが、こういう問題が果して人権擁護の立場から特赦の発動を申請するということが妥当なりやいなやということは、私自身は考えてみたのですが、どうも最高裁判所の判例が、昭和二十二年、二十三年、それからごく最近今年になりまして、絞首刑は残虐にあらずということを出しまして、このたびのもまたそれでございますね。そこで、あれを残虐なる刑罰だと、人権擁護の立場から特赦してくれということは、弁護士連合会としてはちょっと出しかねる問題だという結論に到達しておりますのですが、しからばこれを個人的な立場で、弁護士の有志でやったということになりますと、これはまた弁護士というものは一国一城でございますので、なかなかそれに賛成の人もあるし、不賛成の人もあると思いますので、あまり結束できない者がやったところで、かえって発動を促すだけに終ると思うのです。これは私のほんとうの愚見でございますが、参議院の法務委員会または衆議院の法務委員会というところは、法案の御審議をなさるところでもあると同時に、法の妥当性ということについては、常に御観察なされるべき義務と職務をお持ちになっておられるのではないかと思うのです。そこでこの判例をごらんになりましても、すっかりわかるのですけれども、これはおそらくこの七対七の、しかも少数意見のこういう問題になりまして、これは判決の批判でなしに、こういう人命の裁判について七対七であって、それで長官が一票を投じてやったというようなことまでして、生命刑を断行するということが妥当でありやいなやということは、私はむしろ法務委員会でお調べになる必要があるのではないかと思うのです。それでお調べになった結果、この法務委員会には裁判、検察の専門家が専門員にもおられますので、とくと御研究の上で、もしそういう御研究の結果、こういう裁判というものが発動されて人の命をとるということがえらく日本の正義あるいは民心、そういうものを傷つけることありとすれば、これは裁判所への働きかけでなしに、行政官庁への考慮を促される特権を私お持ちになっておるのではないかと思う。ですから、どうぞこれはむしろ私からお願いでございますが、この委員会でこの点を十分御検討になりまして、もしこの少数意見というものがほんとうに善意でこういうものをお書きになった、しかも同点数におなりになったということが究明されました場合は、どうぞこの委員会から一つ法務大臣に対して、中央更生委員会に対して助命の特赦申請をやっていただくように私からお願いいたしたいと思います。
  48. 羽仁五郎

    ○羽仁五郎君 聖書にもいずれであろうかというような問題があるときには、寛容の側に立つべきだということが記されておりますが、これは必ずしも宗教的な観念ではないように思うのです。ただいまの貴重な御意見を伺いまして、これは委員長にお願いでございますが、どうか委員会におきまして各委員にお諮り下すって、ただいまのような御意見が実現されますことを私どもからも強く希望するものであります。  第二の点についてお願いいたします。裁判に対する国民の批判の問題であります。先日もそれぞれの参考人の方からの御意見を伺いまして、大体の御意見は、批判をすることは当然である、ただし裁判の進行中などについては、差し控えた方がよかろうという御意見でございますが、日本国民の現状としては控える方がよほど強いように思っておるのでございます。従いまして先日来の参考人の御意見まことに客観的な御意見としてはごもっともと拝聴するのでありますが、その程度のことで果して裁判長がほんとうに公明正大に国民の批判を受けて、しかも自信をもって立っていかれるというような成長は望み得るかどうか。その辺のところにあるいは多少もう一歩進んでわれわれとしても考えなければならない点があるのではないかと思いますので、特に御意見を賜わりたいと思います。
  49. 正木亮

    参考人(正木亮君) わかりました。問題はこの三鷹事件の判決にも帰ってくるのでございますが、この三鷹事件の判決をお読み下さいますとおわかりになりますように、少数意見は克明に発表されておるのです。そして先だってこの判決がありました直後に、真野裁判官が朝日新聞の論壇に自分の少敬意見を発表いたされました。私どもこれはわからないものですから、私と団藤教授とが読売に、それから小野教授と植松教授が朝日新聞におのおの判決の批判をやりまして、五人とも同意見の結論に到達した。あの判決というものは破棄差し戻しすべきだ、おそらく学会の主観説も客観説も同時に一緒になってまとまったのは、あの事件だけだと私は思うのです。そのくらいですが、そこで真野裁判官が直ちに論壇に書きましたことにつきまして、弁護士の中でも裁判所の中でも、あんな裁判をやった直後にすぐ出すのはけしからぬという意見がだいぶ私の耳にも届いてきたのです。そこで私は申し上げたのです。この少数意見は、判例集は公表されて、判例集がずっとみんなに売り出されておるのですから、少数意見も公けに振りまかれるのです。これはですからもうどんどん国民の納得するようにやるべきが当然であると同時に、もう一歩進んで、今度は破棄説ですか、棄却説の方、いわゆる積極論、あの方も一つそれに対して意見を述べて下さることの方が妥当じゃないかということまで私は申し上げたのでございまして、やはり国民の知識がずっと向上して参りましたので、真野裁判官のその反対意見だけを聞きましては、どうも奥歯に物がはさまったようなことがございますので、やはりこれに対する、裁判所はそういう場合には公表をして国民の批判にお訴えになる方がいいんじゃないかと思います。ただし問題が非常にありますが、これは私が少し消極論かしりませんが、現在係属しております事件、これをあらかじめ文書にしたり国民に問うていきますと、これはおのずからにいわゆる国民裁判の形になってくると思うのです。これはもう裁判官を非常に拘束したり何かいたしますから、こういう点は私は決して賛成いたしませんのですが、少くとも三鷹事件のように言い渡されたものについては、国民の納得のいくように裁判官がみずから進んで解明する必要がある、こういうふうに考えております。
  50. 成瀬幡治

    委員長成瀬幡治君) なおただいま羽仁委員から御希望のあった点は、後刻適当なる機会に委員各位に御相談いたすことにいたします。
  51. 藤原道子

    ○藤原道子君 ちょっと一つ、先ほど先生から裁判官をうんとふやして……、手が足りないから結局そういうことにもなるのだという御意見でございましたけれども、この間の参考人からもそういう御意見があったのです。ということになれば私たちはほんとうに生命は全地球よりも重しという考えに立って、私もしろうとながらに死刑廃止論なのでございます。そういう立場からいって裁判はあくまでも公正妥当に行われなければならない。それが予算の関係であるとか、あるいは裁判所の人員構成の立場から省略されるなどということは許せないと思うのです。従いまして先生はこの間の参考人の御意見がございましたけれども、どの程度に増員したならば、やれるとお思いですか。この間の参考人は民事と刑事とを別個にやるような方法も一つの方法ではないか、あるいは全国に何個所か作ったらどうだろうかという御意見もあったのでございます。従いましてこの点についての先生の御意見を……。
  52. 正木亮

    参考人(正木亮君) これはまず最高裁判所を東京一カ所にするか、あるいは地方的にするかということでございますが、ちょうど終戦前にやはり大審院の地方の分室を考えたことがございますのですが、やっぱり最高裁判所としては東京一カ所で今日交通も便利になっておりますから、これはそれで差しつかえないと思います。それでただいまお尋ねでありました民事、刑事の問題は、これはもうこの判決を見ましても明らかであります通りに、やっぱりもち屋はもち屋に調べさせないというと、そういう死刑裁判なんというときになりますと、非常に危険がございますので、これはもうぜひ民事法廷、刑事法廷と分離すべきものだと思います。そうして人員でございますが、裁判官は現在長官を除いて十四名になっております。これを民事十四名、刑事十四名、ですから、ちょうど今の倍数にすべきが妥当だと思います。それからこれはまあ希望なんですが、現在は調査官が裁判官の下にこれはもと裁判官です。今でも裁判官なんでしょうが。これが二十六名おります。しかしこの制度は私はやめなければいかぬと思いますので、裁判官というものは人の顔を見て調べる制度なんです。それを皆調査官という陰におきまして、書類だけ調べて、その結果を上の裁判官に持っていくような制度、それ自体がすでに人の生命なんというものをないがしろにする端緒ができておると思います。ですからその調査官制度をやめまして、やはり自分がじかに当りますような調査官が、三十名だけの裁判官ではとても手が足らない、その上、調査官を取られたら困るとお考えになりますならば、その人数あるいはそれより少し減ってもいいのですが、の裁判官をお置きになりまして、私の考えでは、それはむしろ法廷裁判官にしなくてもよろしい、むしろそれを受命判事にしまして、それでその人に本人を調べさせて、結論を出す、それでこれを法廷に出すというような行き方をやった方が、裁判の神聖と威厳を保つゆえんだとこういうように考えております。
  53. 藤原道子

    ○藤原道子君 私は今度の裁判ぐらい全国民に不明朗な感じを与えた裁判はないと思うのです。これはゆゆしき問題だと思います。生命はほんとうに取り返しつかないのでございますから。私、実はフィリピンのモンテンルパに参りましたときに、やはりあのときに同じ死刑囚の、死刑の判決を受けた人たちがまあ日本の講和条約が最初草案が発表されたときに、非常にフィリピン側が憤慨をして、その晩のうちに十四名が死刑にされた。そうして先ほど先生のお話を聞いて、そのときのことを思い出したのですが、その後の死刑囚は、足音さえすれば今日は自分たちがやられるのじゃないか、夜中に窓の風の音を聞いても、うわっと飛び起きて首に手をやった、よくきょうまで気が違わないで生きていられたと思いますということを、つくづく泣いて話されたんです。それでも、そういう苦労をしても、その人たちは全部無罪になって今日帰国されておるわけなんです。この間も死刑執行にあった御家族の人に会いましたとき、その点でどう慰めていいかほんとうにわからなかった。こうした戦犯とは違いますけれども、それにしても、それがましてや誤審で死刑になったというようなことになると、とても取り返しのつかない問題でございますから、いろいろ予算上の問題などございましょうけれども、こういう事実がわかりました以上は、当委員会としても真剣に勉強いたしまして、国民の生命を守る立場から正しい裁判が行われるように、今後も十分調査していかなければならないと、かように思うのです。で委員長にもお願いをして、何というのですか、その助命を更生保護委員会への申請するような方向へどうぞお運びを願いたいというように私は思うのです。きょうはどうもいろいろありがとうございました。
  54. 成瀬幡治

    委員長成瀬幡治君) 参考人には長時間にわたりまして、きわめて有益な御意見を御開陳いただきまして、まことにどうもありがとうございました。  別に御発言がなければ、本日はこれをもって散会いたします。    午後四時十三分散会    ————・————