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説明員(鈴木忠一君) お答え申し上げます。最初の御
質問でございますが、
裁判所ないしは
裁判官が思想的傾向を問題として、思想的傾向を理由に差別的な待遇をすべきではない、また現にそういう差別的待遇をしておるような誤解を生ずるような言説をする向きがあるけれども、それは間違っていると言われる羽仁
委員の御発言は、私どももその
通りだと存じます。思想の自由は憲法がはっきり保障しておるところでございますから、憲法のもとに国家の司法権の運用に従事しておる
裁判官が、自分の思想的傾向に異なるがゆえに、ないしは自分の嫌悪する思想なるがゆえに、思想の持ち主なるがゆえに、そういう点に執着して、毛ぎらいをし、差別的な待遇を事務の上ないしは
裁判の上においてするというようなことは、私どもも考えられないことでございます。おそらく全国の
裁判官といえども、思想的な理由によって、当事者ないしは被告人に対して、差別的な感情を抱き、待遇をするというようなことは、おそらくだれも考えておらない点だろうと思います。その点は
裁判所を信用していただいて私は差しつかえないのじゃないかと、こういうふうに考えます。
それから第二の問題でございますが、おっしゃる
通りいわゆる自然犯と、それから自然犯に対して行政犯ないしは取締り法規の上の
犯罪、そういう場合は性質も違いますし、立法がなくてもわれわれの自然的な感情として、人の物を取り、他人を殺し、傷をつけるというようなことは、立法を待たずして、われわれ
人間としてこれに対して本能的に嫌悪を感じ、鎮圧をすべきだというように自然的に考えられますのでありますけれども、いわゆる取締法規となりますと、本来ならば放任していいところのものが、立法があるがゆえにわれわれが行動の自由を阻害されるのだという面がたくさん出て参りますから、そういう面において
犯罪が生じた場合に、これは取り締る方の
検察官、警察官ももちろんでありまするけれども、
事件となって
裁判所に持ち来たされた場合に、一番
裁判官として、ざっくばらんに申せば、自然犯の場合に比べれば、非常にいやなケースなんです。たとえば卑近な例を申し上げますれば、経済統制のごときもののような場合とか、いわゆる思想内意
犯罪であるとかいうような場合、それが
裁判所に参った場合に、
裁判官はこの個人の感情・個人の考え方からいえば、持ち来たされた
事件を
裁判するのはきわめて愉快でない、避けたいような場合を、われわれといたしましてもしばしば経験するわけでございます。しかし御承知のごとく
裁判官は憲法のもとにおいて、
法律のいわばディナーとして、召使として、
法律は適用せざるを得ない立場でございますから、自分の個人的な見解、個人的な世界観というようなものに縛られて、それで
法律を無視したような結果の
裁判ということは、これはまた
裁判官の本質に反しますし、第一憲法にも反するわけでございますから、そういうときの
裁判官のジレンマというものは、これはおそらく御想像以上に苦しい立場にあるということを申し上げたいと思います。一般的にそういうことでございますが、ただいま御
質問になりました事柄は、具体的な
裁判に関する事柄でないと特にお断わりいただきましたので、私の方も一般的に申し上げるわけでございますが、たとえば御指摘になりました法廷闘争に対する
裁判所の
措置というふうなものも、これは場合によっては
裁判所が必要以上に対抗意識を発揮しているのではないかというような場合が見られるかもしれませんのですが、
裁判所としては大体
裁判の事務というものは、当事者が持って来なければ、
犯罪があっても
裁判所みずから発動はいたしませんし、当事者の間の紛争を
裁判所みずから買って出るということももちろんございませんので、いわば
裁判所の作用というものは、申立てがなければ発動をしないという、きわめて受け身的なものであることはこれは申すまでもないわけです。で、いわゆる法廷闘争に対する
裁判所の防禦策と申しましても、これは私どもから言わせますと、常に受け身、受け身で、後手後手を打っているようは立場、それが事実であろうと私どもは考えているわけです。ただそれを常に後手々々ということで放任主義にして、あとでこうすればよかった、ああすればよかったという結果論のみに従来は没頭をしておったのでありますけれども、場合によりましてはいろいろな情報とか、周囲の
関係上、自然にやはり
裁判所としては対抗という
意味でなくて、受け身ではありますけれども、具体的に
事件が起きないように、また起きた場合に
最小限度に食いとめられるように、守衛とか
裁判所内の
職員を動員をし、それでも足りないと思われる場合にはあらかじめ警察方面に
連絡をして、万一の場合には発動をお願いできるようなことをいたした例も過去においてもございます。しかしこれは
裁判所の本質から申しましてもあくまで予防的、しかも消極的に予防するということが主眼でありまして、積極的にそういう運動なりそういう
裁判所に対する働きかけを積極的に弾圧をし、抜本的にどうしようこうしようといったところで、これは
裁判所の手には負えばいことでありまするし、第一
裁判所の任務でもありませんので、そういうことは考えておりません。将来といえどもやはり受け身であり、積極的にそれを抑圧し、弾圧するというようなことは、
裁判所としては抽象的に申し上げましても、具体的に申しましてもいたさないだろうと私は信じております。
それから第三番目に、司法研修所に入所をする場合の思想
調査を最高
裁判所が行なっておるではないかというような御
質問で、学会等においてもそういう発言がなされたのを、羽仁
委員がお聞きになったように拝聴いたしましたけれども、結論的に申し上げれば、
裁判所司法研修所に入所する際において、
裁判所がその候補者の思想を思想として
調査をするということはこれは絶対にございません。それからなお従ってその思想
調査を公安
調査庁に依頼したというようなこともございません。ただおそらく誤解を生じたのは、御承知の
通り司法研修所に入所する者は、将来
裁判官になるか、
検察官になるか、あるいは弁護士になるか、これはなお未決定な問題であります。しかしながら
裁判官になるにしても、弁護士になるにしても、やはり日本国の法曹として、憲法、
法律のワク内において行動をするのだ。国の機関としての
裁判所に対してはやはりその機関たる地位を認めて行動をし、尊敬をすべきものだ、こういうことがやはり法曹に通じての前提問題であろうと存じます。法曹たる資格を穫得するについて。それでそういう場合に、具体的な場合に過去のいろいろ身元
調査をいたします。前科のあるかとか、今までどこに勤めておったというような身元
調査をいたします。そういう場合に
犯罪が現われてくる場合もございます。それから学生でありますから、学校において非常に騒動を起したとか、特定の政党に所属しておってそのメンバーの獲得にかなり活動をした。そして学校騒動で停学を食ったとか、いろいろそういうケースはございますけれども、そういうことが生じて参ります。
調査の結果。そういう場合に私どもの方としてはそれが抽象的に憲法を破壊するとか、
法律を無視するとかいうようなことは、これはだれも申しませんし、だれもそういうことを公言して行動するものはございませんけれども、
裁判所を侮辱するような行動をしておったり、
法律を無視しておるような行動をしておったりするような者に対しては、ある場合にはこれは果して将来法曹として十分な適格があるだろうかどうかというようなことは、私どもとしても司法研修所に入り、しかも国家からは何らの義務というものを課せられない、しかも国費のもとに俸給をもらって修習をいたすものでありますから、そういう点で法曹としての資格が、適格があるかどうかというような点について疑問を持って入所を延期をした。もちろん
裁判官会議でおきめになることでありますけれども、絶対に採ってはいけないというようなことではなくて、過去のこういう行動を見て、様子をしばらく見ていた方がいいんじゃないかというような
意味合いで、一年入所を延期したというようなことはございます。しかしそれは私どもの考えとしては特定の思想の持ち主なるがゆえに入所を延期させるというような考え方でないととは、御了承願いたいと存じます。将来といえども思想がどうこうというような点は、
調査をする意思は毛頭ございません。