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宮城タマヨ君 どうも私
少年院をよく知っておりますために、一体あの中で大ぜいの者に
手錠をはめて、そして、それこそみんなをつないでおおきになるのだか、
部屋に分けていらっしゃるのだか、その辺の実際のことはわかりませんけれども、私はこれは
矯正教育に対して全然暗い面だけで、実際から言いますと、私は
局長の立場で、もしも
少年院の
職員がどうしてもこれを非鳴をあげて
手錠をかけなければこの
子供たちを統制することができぬなんという
ような
職員がもしありましたら、私はそれは免職に値いする
職員だと思っております。それに対してもう仕方がないから
手錠をはめて、みんなを
がんじがらめにせえという
ような、そういうことは一体やらすことは相ならぬと思っておりますが、私は実際の場面に出あっておりますのは、あの四国の四国
少年院、男子の
少年院でございますが、あすこは数回にわたって
集団逃走いたしました。それで参議院の方から私ども
調査に行ったのでございます。そして、あのときは四十何人
逃走いたしまして、大方大
部分の者がもう連れ帰っておるという
ところへ私は
調査に行きまして、ずっと一回りして私はこういうことを言いました。院長、また逃げますよと言った。だけども、この施設は悪くて、
日本一悪い
少年院ですから、この通りですから、
一つ政府の方に何とか手を打つ
ようにしてほしいということを
説明しながら、私が院長の官舎にみんな集まって食事をしておりますときに、院長の
態度がどうしてもおかしい。
子供が逃げたでしょうと言いましたら、また
逃走しましたと、どこから逃げましたと言ったら、窓をこわして逃げたと、私はもう
子供の
態度を見たら落ちついているか、逃げるかということはわかります。それはもう、もちろん、
考査室もない、あすこは。
考査室もない
ところに、逃げた者を一かたまりにして、それがもう何とも言えない興奮状態にあります。そして、先生方は何の手を打っているか、先生方は参議院から行った者のあるいは歓迎の
意味からかもしれませんけれども、官舎で食事をしているときに私はもう心配で心配でならなかったら、そういうことが起っている。そして、そこに私は私だけ残りまして、二日も
子供の帰るのを待っておった。そして、その主謀者の三人が帰ってきて、それこそ
手錠をはめられておりましたときに、私は、主謀者に会いたいと言って待っておりました。院長室に連れてこられまして、そして、その院長が
逃走した
子供に対してどういう
態度をしたか。全然これは
教育するという意図のない院長であって、もう全く言語同断な院長の
態度でございました。それはもう院長としたらもう怒らなければならない。それこそ腹が立って腹が立って仕方がないという
ような
態度でございましたときに、私はどうぞこの
子供三人ちょっと私に貸して下さい。私に話させて下さい。そうしたら初めて
少年がすっかり
態度が変って、そして、先生、
ほんとうのことを言おうかと、そして、私に言った
言葉は何でございます。実に
職員が冷遇する。時間がありませんから詳しいことを申されませんけれども、(「時間取ってもいいですよ」と呼ぶ者あり)それはゆゆしい問題です。そういう
職員が、もしも、院長は取りかわりましたけれども、もしも、
日本各地にそういう者があったとしたら、一番迷惑するのは私は
子供だと思う。もう逃げるより道がない
ような設備であり教官であるもとで、どうして
子供が落ちついていられましょうか。私ども
少年院に行きましても、鑑別所に行きましても、ここは
教育的にやっているぞ、ここはいけないな、取り扱いがいけないなということは、一回りしないでも中の空気ですぐ感じます。いつぞやでもこのここの
委員会に五人の
少年院長をお呼びして
委員会でいろいろ問題を伺ったときに、たまたま
手錠の問題がございましたときに、仙台の青葉
少年院の院長はとてもいい証言をなさった。それはあの方はぞっこん
教育家出で、三十年も普通の
教育をやった人ですから、
子供に対する
態度が全くどろぼうを扱っているという
態度でございません。しかも非常に悪質な
子供が北海道から来ておって、来るときはもう
がんじがらめに縛られて、
手錠をかけて、しかも男の教官三人に連れてこられた
子供を、北海道にもう一ぺん院長自身が連れていかれた話をここでなさいました。それは速記録に出ているのでございますけれども、
手錠をはめるどころか、もう先生眠っていてもいい、この汽車が着くとね、早く船に行かないと船の席がないから、先生荷物みんな持って行って私が走るから先生あとからついてこい。そしてまあ長い桟橋を
子供が先へ渡って、そして、先生、席を取っておくと言って、船の中で席を坂って、先生を、院長をやすやすと休ませてくれた。院長は疲れているものですから、そして北海道に初めて渡ったというその院長が、船の中でうっかりして眠っていたら、船が着いた。そうしたら着いたときに
子供に起された。先生、船が着きましたと、今度札幌に行く汽車に乗るには、先生とても席が混むから私先に行って席を取っておきますからね、窓から手を出して先生を呼ぶからね、そして
子供が走って行って席をとって先生を呼ぶ。その
がんじがらめに縛られていた
子供を何のことなしに北海道に連れて行った。あれはきっと秒川の
少年院にいた院長だろうと思いますが、その話をここでなさいました。そのときに、
ほんとうに涙をもって院長は話された。それは、今からあなたを北海道に連れて行くよ、北海道にはお母さんがいるし、その方がいいじゃないの、と言ったら、もう
子供が大へんいやな顔をした。帰りたくない、なぜ帰りたくないか。また汽車の中で、船の中で
手錠をはめられ行くことはとてもいやだと、そのことは当
委員会においても院長が証言なさっております。つい私この間、それこそ二月もたたない前に、またあの青葉
少年院を訪問しました。そのときに院長から伺った。あの管区では
子供を働きに出すというと、それはもう野放しで出すなんて大へんなことだから、みんな
職員が朝連れて行って、それを連れて帰るという、一々つき添いをつけなくちゃ危ないじゃないかと言われたけれども、だけれども
子供たちは、いいえ一人で行ってきますと言って、そして宿屋に行く。りっぱな主婦のある宿屋に日帰りで奉公さしている者もあるし、それから仕立屋もあるし、それから一番集団的に行っているのはせんべいを製造する
ところに十人も行っている。毎日通っている。私はそのせんべい屋に行った
子供たちの働いている様子を見てきました。もう完全に働いて、夕方になるというとまた帰ってくる。一度も事故がない。それは、私は院長の
考え方が自然
職員に伝わって、
職員があたたかく、そしてまたきびしく、実に緩厳よろしきを得てやっている。この
矯正教育にのってきているからだと思っております。これを
手錠をはめなければいけないと言ったり、
手錠をはめてみたって、その次はどうしたらいいでしょう。その次はくつわをはめなければならんことになるかもしらん。それがいつでも因となり果となり、その
根本はさっきから問題となっております私は
職員の数の問題ですけれども、
職員の資質の問題じゃないかという
ように
考えております。実際はこの
教育の道は
ほんとうに遠くって、回り道が多いし、そして実際は金がかかる。それは、家庭
教育でも、学校
教育でもその通り、
教育には金がかかります。その金は、それは私どもももっともっと大蔵省に働きかけ、法務省のお手伝いをすることが不足だったとはいいながら、法務省としてももっともっと
考えていただきたいと思います。どうも仕方がないからこういう
法律をこしらえて、
がんじがらめに
子供を縛り、しかも家の中で
手錠をはめて、一体どこでどういうふうにされておるのか、私は想像するさえおそろしくてたまらないのでございます。で
局長にいろいろ伺いたいことがあるのでございますが、一体さっき
法務大臣がおっしゃった、アメリカの話だけはあんなことをおっしゃるのですけれども、一体
日本の
刑務所というものは、これは
殺人犯もいるだろうし、放火犯もいるだろうし、いろいろな悪い人を入れる、その
独房というものはそんなアメリカみたいな完全なものが一体できておるのでございましょうか。今の
少年院の
考査室とどういう
ところが違っているのでございましょうか。それを伺いたい。