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1955-06-24 第22回国会 参議院 内閣委員会 第17号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十年六月二十四日(金曜日)    午後一時四十五分開会   —————————————  出席者は左の通り。    委員長     新谷寅三郎君    理事            植竹 春彦君            宮田 重文君            木下 源吾君    委員            中山 壽彦君            長島 銀藏君            加瀬  完君            千葉  信君            田畑 金光君            松浦 清一君            三好 英之君            堀  眞琴君   政府委員    調達庁長官   福島愼太郎君    調達庁次官   山内 隆一君    調達庁不動産部    長       山中 一朗君   事務局側    常任委員会専門    員       杉田正三郎君    常任委員会専門    員       藤田 友作君   参考人    山梨県知事室長 勝俣  進君    山梨南都留郡    船津村長   井出  央君    農     業 小林  貢君    山梨南都留郡    忍野村助役  長田 早苗君    農     業 渡辺 泰岳君   —————————————   本日の会議に付した案件 ○連合審査会開会の件 ○国の防衛に関する調査の件  (富士山ろく演習場問題に関する  件)   —————————————
  2. 新谷寅三郎

    委員長新谷寅三郎君) ただいまから内閣委員会開会いたします。  まず、連合審査会に関しましてお諮りいたします。  農林水産委員長から行政機関職員定員法の一部を改正する法律案につきまして、本委員会連合審査会開会を申し入れて参りました。これを受諾することに御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 新谷寅三郎

    委員長新谷寅三郎君) 御異議ないと認めましてさように決定いたします。なお、連合審査会の日時は二十八日火曜日の午前十時からということに予定いたしております。   —————————————
  4. 新谷寅三郎

    委員長新谷寅三郎君) 次に、国の防衛に関する調査を議題といたします。  本日は、富士山ろく演習場問題につきまして御審議を願いたいと存じます。参考人といたしまして、山梨県知事室長勝俣進君、山梨南都留船津村長井出央君、同じく農業小林貢君、忍野村助役長田早苗君、農業渡辺泰岳君の五人の方々に御出席を願つております。参考人の方にちょつと申し上げます。本日は非常に遠いところを、かつ暑い中をわざわざ御出席いただきまして、本問題についての実情並びにこれに関する御意見をお伺いすることになつたのでありますが、まことに御苦労様でございます。大体時間の関係もございまして、参考人のお一人の発言時間を約二十分程度にしていただきまして、あと委員からあるいは御質問等があるかと存じますが、そのときには適宜お答えを願いたいと存じます。  それでは、まず山梨県知事室長勝俣進君にお願いいたします。
  5. 勝俣進

    参考人勝俣進君) 北富士演習場の問題につきまして、その概略を説明させてもらいます。  北富士演習場A地区B地区に分れておりまして、A地区昭和十三年に旧日本陸軍県有地民有地を買い上げまして、いわゆる北富士廠舎としてこれを設置したわけであります。ところが終戦と同時に、米軍から調達命令が出されましてこの地区が接収されたわけであります。PDの四千四百二十四号で指定された地区がいわゆるA地区でございますが、営舎施設のほかはもつぱら被弾地区としてこれを使用されておりまして、一般人の立ち入り禁止されておつたわけであります。ところが北富士廠舎使用後、逐次駐留軍の兵員が増加して参りまして、米軍は次第にその兵舎の狭隘を感じまして、新たに昭和二十五年一月二十七日に、その周辺南都留中野村から西八代郡上九一色村に至る約一万八千町歩に及ぶ地域をいわゆる予備演習地域として、これを使用することに相なつたわけであります。これがいわゆる現在のB地区でございます。この地区は御承知の通り国立公園地帯でありまして、中に非常に得がたい植物の地帯とか、あるいは風穴等の天然記念物を持っておりまして、さらに日本的にも有  名な野鳥の棲息地であるというふうなことからいたしまして、この地区使用は非常に地元民にとりましても大きな影響がございますし、また岳麓民がこの地域に入りまして、いろいろ生業を営んでおるというような関係からいたしまして、重大な関心払つてつたわけであります。従って昭和二十七年の講和発効後、さらにこの地域使用条件協定の策定に当りましては、地元の要望も十分政府の方へ申し上げまして、でき得るならば、この地区使用しないでほしいというふうなことまで申しておったわけでありますが、日米合同委員会ではこの議が取り上げられず、従いまして、その特殊的な地域のことを十分考慮してその使用条件を作るというふうなことで、現在の使用条件は決定しておったわけでございます。従いまして、B地区につきましては、現在まで相当の使用数もなく、ほとんど演習らしいものもなく、ただ、ときたま歩兵の徒歩訓練あるいは野営訓練という程度にとまつたわけでございます。  ところが、昨年の八月から富士登山船津登山バスの停止、それから立ち入り禁止、さらに本年に入りまして、本年の三月九日でございますが、現地日米協議会におきまして植林の問題が取り上げられましたときに、B地区内に新たに被弾地区を作るというふうな計画があるということを察知しまして、地元民は非常に驚きまして、かようなことではB地区は非常な重大なる危険にさらされるというふうなことからしまして、このB地区内に被弾地区を作るということは困るというふうなことから、B地区の問題につきましては地元民が相当関心を持ちまして、今回のB地区民間団体を組織するところのB地区返還同盟というのが生まれまして、このB地区特殊性につきまして、ぜひB地区使用しないでほしいという陳情日本政府並びに米軍の方へ申し上げておつた次第でございます。たまたま今年の四月に入りまして、今までほとんど使用しておらなかったところのB地区からA地区に向つて実弾射撃をするというふうな申し入れがございました。時あたかも観光シーズンでありますし、また植林の最中でございますので、またこの使用条件を策定するときの状況からしまして、この射撃訓練につきましては地元も非常に大きな影響があるというふうなことからしまして、この射撃につきましては、この計画を思いとどまるというふうなことを陳情申し上げたのでありますが、その陳情もついに効を奏せずして、五月十日からの実弾射撃訓練が始まつたわけであります。そこで当時は非常に地元民も激高しまして、射撃阻止の運動もありましたが、その後政府山梨県知事との間で話し合いがつきまして、一応この問題は処理されたわけでありますが、その後も十分に地元民との間の現地調整射撃をするようにということからしまして、現在に至っておるわけでございます。それからA地区の問題でありますが、これは山梨県もA地区の中に一千七百町歩県有林を持っております。従いまして、A地区の問題につきましては県自身も重大な関心を持ち、また地元方々ももちろん重大なる関心を持っておるわけでございます。A地区の性質を概略申し上げますと、先ほど申し上げましたように、昭和十三年に演習場として買い上げられました地区でございますが、その中に中野村と、それから忍野村、それから富士吉田市の旧福地村の三村は、この中にいわゆる昔からの、陸軍演習場当時からの採草とか、採木とか、あるいは採石入会慣行を持っておつたわけであります。で、その慣行の根拠は、昭和十六年の四月に近衛師団経理部長から、三村に対しまして使用を許可するという意味のことが参っているようであります。これに対しまして、忍野中野福地三村協定をしまして、大体福地村が六百二十六町三反三畝、それから忍野村六百三十町歩中野村六百三十四町四反三畝、これだけの採草、採木、採石入会地域協定しまして、一応これを使用しておったように見受けられます。さらに、そのA地区演習場内の耕地でございますが、これは先ほど申し上げましたように、一応政府で買い上げましたが、一応耕作慣行が認められているような事実があるのであります。それは福地村が約八十町歩、それから忍野村五十二町歩中野村二百五十町歩、こういう大体の実績でそれぞれ耕作をしておったように言われております。これは陸軍演習場使用当時は、当時のA地区のこれは主として野砲の砲座になりまして、ここを発射点といたしまして、現在の東富士に向つて射撃をやつてつたわけでありますが、ほとんどその射撃外使用しておらなかったわけであります。従いまして、当時の岳麓三村人たちも、自由に入りまして耕作しておったようであります。ところが、進駐軍に接収されましてから立ち入り禁止となりまして、わずか週一回の入会が認められるというようなことで、現地方々も非常に不便を感じておつたやに聞いております。そこで、大体この三村農民が多いのでありまして、飼料、それから肥料としてこれを使用しておりましたので、大変不便を感じているということは先ほど申し上げた通りでありますが、とにかくこの土地は非常に採草、採木に適しているというようなことから、この三ヵ村にとりましては重大な生活権の問題であるというふうにも聞いております。そこでA地区の問題も、現在駐留軍が入りまして、ほとんど週一回、春秋一週間ずつの二回の入会でこの草を刈つておりますが、もちろん地元民も相当窮屈なことと思います。従いまして、今回の問題もそういうところから端を発しているのじゃないかというふうに考えるのであります。A地区B地区の今回の問題のあらましを申し上げまして、御参考に供したいと思います。
  6. 新谷寅三郎

    委員長新谷寅三郎君) それでは次に船津村長井出央君にお願いいたします。
  7. 井出央

    参考人井出央君) 私、現地村長といたしまして、実際今回起りました関係村民意思を申し上げたいと思います。  私どもは富士北麓に住まつている者で、富士山のふもとで生活している者でございまするから、とにかく富士山北麓において、あれを被弾地区として射撃をやられると、こういうことはわれわれの生業を侵されるものでありまして、従って生活に重大な脅威を感ずるということが第一でございます。そのほか植林計画は破壊されまして、一向われわれが愛護するところの植林もその遂行ができない。それから森林は侵されて、その資源はめちやめちやになるわれわれ大日本国民として象徴の国立公園富士山が、そのりっぱな保存物、二百有余の鳥獣と、そのほかの生物、そういうものを物心ともに破壊されるということは、われわれ国民としても、これは忍べないというような発露から、一般関係村民というものは奮起した、こういうことが原因でございます。それで、こまかいことはその当時よく住民はわかりませんでしたが、そういうような事情で、あそこで砲撃をされては困るから、こういうようなもとに砲撃の中止、こういうことを初期には眼目としてやつたのでございます。しかし一たん政府そのほか関係省であれを演習地として貸してあるということであれば、これはただ中止するということでは意味をなさない。つまりB地区返還ということをやらなければ、この達成はできないということで、B地区返還同盟というものを組織したのでございます。その後、県当局そのほか中央、現地幹部あたりがいろいろ陳情されまして、その結果におきまして、大体六項目というものができまして、その六項目、第一は、将来ともB地区内に被彈地区を作らないこと、B地区内では要するに弾は先に落さない、こういうようなこと、第二は、B地区内の立ち入り禁止の制札は撤去すること、その以前に立ち入り禁止の札を方々へ立てておいて、山へ入ることはできなかったんです。それをまあ撤去する、こういうことであります。第三は、演習支障ない限りB地区内への観光客立ち入りは自由とすること、四、B地区内における各種生業者立ち入りは自由とすること、五、B地区内への道路を閉鎖しないこと、六、協定文による「調整」の解釈については現地当局と相談することであるという意味であることを確認すること、この調整という意味について、これが問題になつたのでございますが、向うでは別段、ずっと前、三月ごろから話をしてあるのだから、どんどんやつてもいいというような意味でやつた砲撃を開始するということを申したのでございまするが、現地においては、調整ということは話し合いである、話し合つて砲撃を開始するということにしてもらいたいということを申し上げておいたのでございますが、それが結局話し合いですべてをやるということに改正されたのでございます。そういうような事情でございまして、今の安保条約とか、行政協定というようなもとにこれを進めて行けば、結局不満足ながらも、この協定は一応置くよりほかになかろうというようなことで、現地の人もそういうような意思になつたのでございます。その後におきまして、B地区返還ということは組織的にこれを推進して、B地区を返還してもらおう、こういう話になりました。そのB地区を返還するというようなことは、いろいろな関係上、容易に実行し得られるものではないでしよう。しかしながら、その演習地が拡大されないというような意味のもとに、一つ一つこれは条約文でも改正してもらうとか、何とかして、われわれの安定した生活ができ、われわれとしても満足に住んで行ける、暮して行けるというようなことにしてもらいたいというような主義のもとに、B地区返還ということは今後大いに推進して行く、こういうことになっておるのでございます。以上申し上げました。
  8. 新谷寅三郎

    委員長新谷寅三郎君) 次に、船津村の小林貢君にお願いいたします。
  9. 小林貢

    参考人小林貢君) 私は農民代表として、今のお二方の言われたこと以上に、具体的な痛切に感ずる問題をお話ししてみたいと思います。私たちが何ゆえにB地区返還要求のために戦つておるか。これは、まず第一に、われわれの生活問題であります。北ろく一帯の土地富士火山灰土であつて作物は毎年常習的な被害があるというようなことで、ほかの地方と比べた場合に、ほかの地方被害があったときといつも同じようなものであるというような状態に置かれておりました。川はないし、米は一つもとれない、ただトウモロコシが常食である、こういうふうな状態であります。大体平均耕作反別は四反歩ぐらいなものであって、これをわれわれは耕しておるのでありますが、われわれは農民というより半農であり、あとの半分は自由労務者として現金を得なければならぬ、こういう状態にあります。大体その現金を得る道は、山に入って木を切るとか、あるいは用材にする木を製材屋から頼まれて切って現金収入を得るとか、あるいは炭を焼くとか、こういうふうな点があるのであります。すべてが富士へ依存してわれわれは生活するのであります。こういうような状態にあるときに、米軍あすこをとられてしまったら、われわれはどうして立つんだと、こういうことです。そうして、われわれも農民という名前において、何とか農業だけにおいて立つことを考えなくちゃならぬ、こういうことを昔から私たち農民は考えておったのであります。ここにおいて、われわれの遅ればせながら考えたのが酪農経営である、こういうことです。そのためにわれわれは、去年、おととしから乳牛を導入してやっております。そうして採草地も大体二里ぐらい上の、昔滑空場であったところを採草地にして牛を育てる、こういうことをやっておるのでありますけれども、その採草地米軍軍靴のもとに踏みにじられてしまう、われわれが何とか営農方針の曙光が見えた、こう思ったときに、米軍軍靴のもとに採草地が踏みにじられてしまう、こういう状態にあるのであります。これはB地区以外であります。B地区以外であっても、連中はこういう演習をやっておるのであります。こういう点、それから精進部落などにおいては、薪炭の生産者全戸を占めておるのでありますけれども、これが第一回の五月十日の演習のときに入山できなかったために、火を止めることが遅れて、二千俵からの炭が灰になってしまった。それからシイタケを栽培しております精進部落では、そこに入山できなかったために、シイタケのかさが開いてしまった、ほとんど市場へ出せないような状態になった、こういう点があるのであります。それから鳴沢部落におきましては、カヤ採取場があります。あすこ部落全戸カヤぶきの屋根であります。このカヤはそこから刈ってきて屋根をふく、こういう状態にあるのであります。そのカヤ場米軍軍靴に踏みにじられてしまって、ふくカヤをどうしてわれわれが確保していいか、こういう状態があるのであります。それから恩賜林県有林の問題でありますけれども、恩賜林船津以西の、船津、小立、勝山、大嵐、鳴沢、この五ヵ村が管理しておるところがあります。これは育苗して、五ヵ村がそれを育て上げ、そうして、そこから切り出す用材の七割は地元がとり、三割は県がとる、こういう状態になって切るのであります。それから県有林の方も、これを配分する場合には県が七割とって地元が三割とる、こういう状態になっております。これを考えてみても、これはB地区内にあるのでありますけれども、これに砲弾が入ればすべて用材にならない。こういうふうな脅威された状態にあるのでありますけれども、これはどういうふうに利用されるか、中学を建てるとか、公民館を建てるとか、消防車を買うとか、こういうふうな地方自治を育成するためにわれわれが使っております。こういうものがすべて否定される場合には、われわれ岳ろくの農民はどうしてわれわれの地方自治を育てて行っていいか、生活を立てて行っていいか、こういう点が言えると思います。それから教育、文化、こういう面から言う場合に、あすこ射撃される、どかんどかんという音において子供が勉強ということから目をそらされてしまう、こういう点があります。それから、米軍が入って来ることにおいて風紀的な面が考えられる。大づかみに言っても、こういうことが教育的に言えるのじゃないかと、こういう問題について……。それから、あそこには全国に五百何種類かの小鳥がおるのでありますけれども、あそこの海抜がだんだんとこう高くなっておって、あそこの海抜に応じて生息できるような鳥が相当多数おる、これが半数以上おると、こういうような状態でありますけれども、私たちが山へ行って見ても、砲弾を打つたびに鳥が空へ舞い上ってしまう、ちちっと鳴いて大騒ぎしております。今産卵期であります。この鳥が自分の生息地米軍に取られることにおいて、日本半数以上の小鳥種類がすべて育つことができないと、こういうこと、これはひいて農家害虫脅威にさらされておるときに、害虫がこの鳥において減らされないときに、これは必然的に作物被害が起って来る、こういう点が言えるのであります。それから治山治水の問題に入りますけれども、木がやられてしまったときに、当然雪しろにおいて地元の畑が流されてしまうのではないか、これは明治四十一年にこういう例があるのであります。岳ろく地方には多くの雪しろにおいて侵された谷があります、五百メートルぐらい掘られております。こういうものは春先急に暖くなって雪が解けて、そしてそれによって作られる沢であります。こういうものが、岳ろくの木がみんな砲弾においてやられた場合に、これは当然雪しろというものが起って来る、こういうふうな心配もあります。それから国民感情の問題があると思います。これは日本国民のシンボルとしてわれわれは富士とともに生きて来たのであります。特に地元の私たちは、これは兵隊に行った人なんか特に感じます夢に出て来る富士であります。いかに富士というものがわれわれの心のふるさとであったかと、こういう点が証明されると思います。私たちが東京へ出て来ても富士というものがいかになつかしく感じられるか、この富士が、われわれの心がアメリカの靴によって、キヤタピラによってすべて踏みにじられる。これはわれわれの国民感情からしてたまらないものだろうと思います。それから砲弾を射つようになってから、乳牛の乳の出る量が落ちたのであります。これは半分くらいに落ちたと言っても過言でないと思います。それから鶏の産卵量が落ちたこと、こういう点が考えられます。  大体今申すようなことがわれわれの感ずることであるし、それからもっと具体的に極端な例をあげれば、A地区に所属するところの中野周辺において起った問題です。これは草を刈りに行った娘が米兵につかまって輪姦された。そのときに近くに男の方たちも何人かおったけれども、米軍に拳銃を突きつけられたためにそばへ寄れなかった。米軍が去ったときには娘は死んだようになっておった、こういう問題があるのであります。そういう問題、それから富士吉田おばあさんと娘が、中野村でお祭があったときに、中野村の平野です、ここにお祭があったときに、二人よばれて行く途中で、アメリカ人ブルドーザーを運転して、そのブルドーザーがからかうつもりかどう思ったか、米兵が運転してあとから追って来た。そしておばあさとん娘は一生懸命になって逃げました。道から二間も中に入ったところでブルドーザーのためにおばあさんが殺された、娘が足を折った、こういう状態があるのであります。それからお母さんと娘がうちにおったときに、米兵が入って来て娘を出せ、こういう要求をやった。これに対してお母さんは必死に抵抗しました、そして娘を逃がしました。その腹いせにお母さんの操が踏みにじられた。それからお父さんと娘がおったときに、やはり富士吉田です。前のも富士吉田で今度も富士吉田でありますか、米軍が娘を出せ、米兵が娘を出せと、こういうふうなことでありました。お父さんがそれを防いで娘を逃がしましたために撲殺されたと、こういう事件があります。これを考えたときに、私たち幾らB地区演習支障のない限り入ってもいいと申されたとしても、そういうことが起れば入れますか。女の人の労働力農家では、大きな労働力です。こういうものがすべて否定される状態が起ったときに、われわれの生活はほとんど死に近いような状態が起って来る。それからもう一つB地区以外で起った問題ですけれども、その演習において、私たちの村の農民が切っておいた五百把のたきぎ米軍演習のためにすべて燃されてしまった。これはなぜ燃したかと言えば、昼間雨が降って寒いとき、夜になって寒いときに燃した。切った人がそばへ行ってたきぎをつかまえているうちに、ほかから来てまた米兵が持って行ってしまう。こういうことによって五百把が燃された。これは一把という量は、私は六人家族でございますけれども、一把が大体二日あります。大体こういう状態です。船津村とすれば、われわれの燃料は大体二里ぐらい上へ行って切るのであります。こういう状態ですから、どうしても肩にしょっておるすことができない。そのために大体トラックへ一台ぐらいになるまで切ってためておいて、トラックを頼んでおいて出すと、こういう状態です。ここで五百把燃されたというようなことが起れば、さいの川原の石のような状態で、われわれが今切ってトラック一台になるまで切っておいても、米軍が行って燃やしたのでは、遊んでいても同じだから結局遊んだ方が得なんだ。われわれただでさえ苦しい生活をやっておる、私たちがどこから金を持ってどうして燃料を買ったらいいかと、こういう点が言えるのです。で、今のところではそれを騒ぎません、燃料に対して……。それはなぜかと言えば農家は大体十月、十一月、十二月と燃料を切ることになっております。そしてこれを冬燃し、春燃し、夏燃し、秋燃す、そうして農閑期へ入って来るときに燃料切りに入る、こういう状態ですから十月から山へ入るのです。しかし、こういう状態があれば、もう私たちは十月から山へ入れないのじゃないか、これは痛切にわれわれは感じるし、どうしてもB地区というものを返還してもらわなければならない。B地区というものが、私有林、村有林管内においてこういう演習をされれば、派生的にこういうことが起って来る、そういうものだと思います。  それからこういう被害は大体中隊程度演習なのです。これが一つの中隊が帰ってまた一つの中隊が来る、一週間ずつおります。大体十四日です。十四日間に起った船津村地内、B地区以外において起ったものを読み上げてみたいと思います。三十五年から三十六年生のカラマツが百五十六本、七万八千円、十年から十五年のものが八百本、十六万円、三年から四年のもの千三百本、これが一万六千円、苗木十五町歩、二十二万五千円、胎内上よりの採草地、これは船津村の大体四キロぐらい上に行ったところに御胎内という社があるのであります。こはは洞穴になっております。ここより上の採草地はこれが八百メートル平方で使用不能になっております。これが六十三万六千円、胎内下の旧道、この旧道というのは古い道ですね。これが二千平方メートル使用不能になっております。これが七十九万六千円、それから採草地、この道ですね、道路を農道として使っております。これが米軍のあの大きなトラックのために掘り返されて、ために私たちのももが入るぐらいに深くなっております。これは米軍に幾ら直してくれと言っても直しません。ここが二千メートルです。大体直すとすれば二十万円程度かかります。それから立木が百五十本、これが四千五百円、たきぎが前に五百ぱと言いましたけれども、丸太で石数で出ているのがありますけれども、これを束に換算すると千二百束になります。これが七万二千五百円、それから採算被害、これは四百名の目当に計算します、これが三百五十円としまして十四万円、立木の被害五十本程度、これは前に言った立木より別に被害のあるものです。これが四万円、計二百三十六万八千円に上っております。こういうことが十四日の短きにおいてさえ起ってくる。そうすると、将来いかに重大なる被害が起ってくるか、こういう点が言えると思うのです。こういう点からいっても、私たちは死を選ぶか、あるいは米軍と戦うか、この場合に私たちは従容として死につきません。米軍に殺されても私は戦います。地元の死活問題です。こういう状態に追い込められておりますから、どうか本内閣委員会においても、われわれ村民の死の叫びを聞いて何とか善処方をお願いしたいと、こう存じております。
  10. 新谷寅三郎

    委員長新谷寅三郎君) 次は、忍野村長田早苗君にお願いします。
  11. 長田早苗

    参考人長田早苗君) 私は富士山演習場の問題を日本の最高の立法府においてお取り上げ下さいまして、一山村の問題を直接農民の口から、この最高の機関に発言する機関を作っていただいたことを衷心から感謝いたしますものでございます。私は、まず第一に私の話す要項を先に明示しておきます。なぜ私たちは先般直接行動をもってあの演習場に命を的に張って突入したか、この問題が一つ。その次に、私たち忍草農民入会地を本法接収したか、この問題が一つ。もう一つは、A地区B地区同時に処理せよというこの三点を掲げまして一応私の現地の声を御報告したいと思います。  私たち富士山ろくの忍野村落に住むところの約三百戸の戸数を持つところの住民でございます。私たちこの三百戸の農民は、今日、米軍使用して演習場として使っておるところに私たちの先祖代々、古来から採草、採炭、採石等の入会権を有しまして、この資源に依存して私たちは今日まで生活をしてきておったのでございます。これが旧陸軍時代に買収、先ほどお話があったように接収されまして買収されまして、そうして演習場となったのでございます。しかしながら、旧陸軍におきましては、私たち入会権を十分認識せられまして、わずかな制限を与えるのみにして、ほとんど自由に近いような入山を許可されておったのでございます。そうして陸軍から三百町歩の桑園を、演習場支障ないところの桑園を提供されまして、そうして私たちはもとより、あるいは非常に不便だけれども、どうにかこうにかやって行くというようなふうの状態まで理解あるところの処置をされておったのでございます。その上旧陸軍におきましては、残飯等あらゆる軍の不要物資を私たちの村に下げ渡して下さったのでございます。自来陸軍がそういう結果になっておりましたけれども、その後御承知の大東亜戦争に敗れまして、日本が敗戦といううき目をみまして日本陸軍は壊滅いたしまして、昭和二十年ごろですか、そのころ日本の国土に、今考えてもおそろしいようなアメリカ軍が進駐して来まして、それと同時に旧陸軍演習場はことごとく全部接収してしまったのでございます。その結果、私たちあすこへ入って草を刈ることもできないし、またたきぎをとることもできないし、石がきを積むために石をとることもできないし、また三百町歩の桑園も耕作することができない、こういうような状態に追い込められてしまったのでございます。そうして米軍は私たちのこの財産権であるところの入会権に対して何ら一片のあいさつもございません、のみならず何ら契約をしたこともございません。そうして今日までああいうふうに演習場として実弾をぶつ放しておるのでございます。そういうような経過で私たちは非常に困りまして、昭和二十二年か、三年ごろ、管財局等へ、こういうことでは困るからどうか一つ農民の立ち行きのつくようにしてもらいたいと、こういうふうのお願いを再三再四しておりましたけれども、皆さんが当時のことを御記憶なさればわかる通り日本人は戦前は非常に強かった、世界を全部日本人の配下にしようというような理想のもとにあの大戦争を遂行いたしたのでございます。しかし敗戦になってみますというと、政治家といわず、また一般国民どいわず、アメリカ一辺倒になりまして、アメリカさんの言うことは何をいっても御無理ごもっともと、一つのこれに対して抗議をするような人はなかったのでございます。私たちの村におきましても、先ほど船津小林君の言うように、私たちの隣辺においては、十七か十八の娘が山へ行ったのを米兵五、六人をもってこれを輪姦いたしまして、そこのところに自分の兄弟やお父さんやそのほかの屈強な人がいても、向うの方はピストルを持っておるというようなことで、こちらも大きな鎌を持って草刈りに行ったのでありますから、対抗すればこれは当然対抗ができます。しかし向うは飛び道具を持っております。また日本人は当時米軍に対して非常なおそれを持っておった、自分の目の前で娘が米兵に輪姦されることを目撃していながら、これを何とも制止することができなかったというような状態でありますから、私たちがいろいろなことを陳情いたしましても、役所も今そのうちどうかなるだろう、苦労のあることもよくわかるというような言葉でもって、どうにもこうにもらちがあきませんでした。その後昭和二十四年頃になりまして調達庁というものが発達いたしました。そこでその調達庁に向って、われわれは自治権を主張をすると同時に、この不法接収ということについても再三再四強硬なる申し入れをいたしておったのでございます。調達庁におきましては、私どもの言う意見を非常に了解していただいて、農民の言い分も忍草部落も確かに例のあることであって、何とかこの問題を処置してやろうと、こういう言質がございました。そうして昨年の八月には日米合同委員会というものがありまして、この合同委員会の共同声明において、A地区B地区のこの問題を同時に解決をすると、かような約束をなさったのであります。当時私たちは市ヶ谷の陸軍総司令部へ参りまして、直ちにタランタ大佐に面談いたしました。そうして私たち農民の衷情を心から訴えたのであります。そうしたところが、このタランタ大佐が言われるのは、私も農民の出である。また関東軍の総司令部の司令官も農民の出である。極東軍の親方も農民の出である。この三人は農民の出であるから、あなた方百姓の気持はよくわかる。決して山梨県知事が先頭に立ってやることも、私たち農民が先頭に立ってやることも何ら地位において変らない。あなた方現地の実際の声を私たちがよく耳にして、必ずAB両地区は同時解決をする、かような言明をなされまして、私たちはそのときに、そう言ってもこれは私たちに言うことであって、公表することではないと思いましたから、念を押したところが、いや、あなた方は地元へ帰って、そういうことを私が言ったと言って全部発表してもよろしい、こういうふうな約束をしました。ところが八月三十一日が過ぎて、九月の一日か三日であります。私ははっきり三日か一日か記憶がありませんけれども、そのときに、日米合同委員会においてAB地区は同時解決をする、かような共同声明をなさったのであります。私どもは市ヶ谷の司令官がまことに潔白な、私たち農民の言葉をよく聞いてくれてありがたい、こういうふうに感謝しておりました。と同時に、いつ、こういう問題は解決してくれるか、私たち百姓の身になってみますというと、一日も早くこの問題を処理してもらいたい、こういうふうに、夜が明けても暮れても思うことはそればかりであります。というのは、私たちはこの入会地に依存しなければ、私たち忍草村の三百戸の生命を養うことができない資源地帯であるからであります。それで毎日々々首を長くしてその吉報の至るのを待っておったのであります。ところがたまたま、日は私もはっきり覚えてはおりませんけれども、A地区の問題はこれをたな上げにいたしまして、B地区の問題、いわゆる船津に登山口乗り入れという問題は、御承知の通りあそごにおいてデモを敢行したということによって、これは私の推察が過ぎるか、過ぎないかということは、皆さんの御判断におまかせする次第でありますけれども、ああいうようなことをした結果において、私はそう断定いたします。あのバス乗り入れという問題が、しかもあれは先般調達庁において不法乗り入れというかどをもってこの取り消しをされたのであります。その取り消しをされたものが、私たちの死活の問題という大きな問題を等閑に付して、その問題だけを取り上げて解決する、こういうような現況に入ったので私たちは非常に憤慨したのであります。なぜ憤慨するかといえば、しかも日本政府アメリカの最高責任者が同時解決をするということは、私たちにはっきり誓って、しかも新聞紙上に公表しておりながら、そういう片手落ちの措置をとったから、私たちは非常に憤慨したのでございます。それでその問題につきまして、座間の司令部にもたびたび参りました。また市ヶ谷にも参りました。調達庁の方にも参りました。そうして私たち農民は、そういうことにつきましてしょっちゅうその方面へ運動を続けて参ったのでございます。しかしながら、どういうかげんか、私たちの同時解決という問題は一向に上げる形跡もないのでございます。そこで私たちは今度は参謀長に会って、よく農民の実情を伝えようと、こういうことで、六月の十日近くと記憶しておりますが、座間の参謀次長のエドワードという方に会ったのでございます。そうして書面に私たちの衷情をつぶさに記録いたしまして、この書面にあることをよく御理解いただけば、私たち気持もよくわかり、またこれをよくやって下さったならば、日米両国の利益のためであると、こういうような発言までもいたして、その書簡を送ったところが、エドワード大佐は、これは日本政府に持って行くべきものである。そういう書類は受け取ることができないと、こういうようなことで、私たちにその書類場を投げつけたのでございます。ここで私たちは非常に憤慨したのでございます。私たち日本政府を通じてこれはやることが至当だということは、私たちはその手は再三、再四、長い昭和二十四年からずっと今日まで継続しておって、それからちがあかないために、しかも直接行動をもってその書簡を持って行ったのでございます。その誠意ある書簡を投げつけたから、言下に私たちは憤慨いたしまして、何をするか、私たちがこう持ってくることは、私たちのためでなく、日米両国の親善のためにも、これは当然喜んで受けるべき書類ではないか、そんな非常識なことならこの書類は持って帰るということで、その書類を持って私たちは帰り戻ってきたのでございます。ところが向うも、先様もさるもので、そうか、そう話がわかったら、一応その書類はノー・コメントで受け取ろうということで、その書類は置いて帰ったのでございます。それでそのとき私たちは、もしこの問題が私たちの言うように御理解をして、処置をしてくれないならば、私たち農民は火の王となって、血の雨を流しても必ずこの不当接収にこたえると、かような決意を示して帰ったのでございます。  しかし、けんかをするばかりが能ではないから、また期間を置きまして、そこに再度訪問をしたのでございます。ところが向うの態度が非常に強硬なために会うことができずに帰ってきたのでございます。そういうわけで、私たちはどうしてもこの問題は私たち農民の生きるか、死ぬかの重大な関頭に立っておる問題で、先般御承知の通り忍草部落においては十九日の日に総決起大会を開きまして、二十日の日には全員四十七士の決死隊を作って、しかも正々堂々とあの米軍の銃を擬して実弾を込めておる中で、われわれの権益を守るためであるということのために、あの正門から突入いたしまして戦ったのでございます。その結果、新聞紙上に報ずるように吉田警察署長の不慮のああいうような事故もございました。しかしながら、これは私たち農民がその決意をするには、何ゆえにそういう決意をするかということを、内閣委員会の諸公によく御賢察をいただきまして、私が先に申しましたところの三項につきまして、十分のお骨折りをお願いする次第でございます。
  12. 新谷寅三郎

    委員長新谷寅三郎君) 最後に忍野村渡辺泰岳さんにお願いいたしたいと思います。
  13. 渡辺泰岳

    参考人渡辺泰岳君) 北富士演習場A地区のことについて、昔からのいきさつを話してみたいと思います。  このA地区は、われわれ忍草部落が徳川時代から入会慣行に基いて、民法上の権利を認められて、そうしてこれを守ってきた財産権であります。この所有は、国、県また郡と所有は変りましたが、われわれの有しておる入会権については、いつもながらわれわれはこれを持続しておったのでございます。そこに自由に立ち入り、馬飼料、堆肥の雑草、燃料等を自由に取ってきて、営農上の資源にしておったのでありまする。私たちの村は火山灰土で非常にやせ地でありまするがゆえに、この草の資源がなかったならば営農をすることはほとんど不可能の土地でありまする。堆肥を一反歩どうしても四百貫ないし五百貫なり入れることにおいて、初めて作物が生育し得るのでありまして、それが減れば減るほど収穫量が少くなって、それを年々繰り返して行くと、しまいにはほとんど作物の生育不可能というような土地になってしまう土地でございまする。それで土地陸軍が所有するようになって演習場になったのが十一年でございました。昭和十一年です。それからわれわれは陸軍の方へお願いして、ぜひ昔通り草を取らしてくりょう、こういうことを申し出たところが、それはよろしいというわけで、演習支障のない限り、朝の八時から午後の四時まで、演習する日でも、とめられただけで、毎日朝草、夕草にも行って、毎日草も取っており、ソダも取っておったのでございまする。そしてその前から桑園を経営しておって、唯一の現金収入のかてにしておったのでございまするが、それを桑園を買収されても、土地の所有者が軍になってもぜひこれを認めて作らしてもらいたいということを申し出したところが、それでは作るがよろしいということになって、軍の方でもそのときに、何かここに条件がなければいけないというわけで、演習をする障害にならないなら作ってもいいというような条件のもとに作らしてくれて、三百町歩の桑園を経営しておったのでございまする。それで終戦になりまして、米軍が進駐以来立ち入り禁止になりまして、一本の草を刈ることもできず、一本の燃料も取ることができないような現状になってしまったのでございまする。それで再三再四県の方を通じて、そしてアメリカさんの方へ話をして、そうして土曜半日と日曜だけは、それでは入れてくれるというような許可を得まして、そうしてその当時も桑園はこれを経営してもよろしいと、軍の演習支障のない限りはよろしいと言われまして、アメリカさんの方でも、これは町歩は約百町歩ぐらいだと思います。その桑園も経営させてくれたのでございまするが、一年たって開墾して、それで桑を植えつけたら、もうだめだと、こういうようなことで、金をかけたつきり収穫もできないと、こういうようなこともあったのでございまする。それでそういうような制限を受けておるものでございまするから、先ほど言いました通り、草も取れなくて、堆肥を入れることもできない。補給はわれわれが現金収入でする大豆を肥料に施したり、静岡方面あるいは谷村方面まで行ってワラを刈ってきて、これを堆肥に作って畑へ入れてすると、こういうようなことをしなければ作物を作ることができませんので、そういうことを継続しておったのでございます。それでその上に養蚕は抑えられて、現金収入の道が断たれた。金はワラを買うとか、大豆を売ることができないで減収になったその額がだんだん重なりまして、これを三年、四年と続けておったので、倒産一歩手前という農家が非常に多くなったのでございます。そこでそういう現状でございまして、われわれはこの土地に対してどうしたらばいいか、こういうことを考えた末、どうしてもこれはわれわれがまだ一回もこの土地に対して、政府あるいはアメリカさんにここを使ってもいいということを言った覚えはないのであるから、これを政府に交渉して、そして何とか解決の道を開きたいと、こういう考えで横浜の調達局を通じて、調達庁に再三再四この契約方をお願いしたのでございます。ところが幾らお願いしましてもなかなかこれが進行しません。やむを得ず、それと同時にまた損害の補償の請求をしました。それで二十八年に講和発効前の分として三百七十万円、それから二十七年度分として九百五十三万円いただきました。それもわれわれの損害の請求はずっと多いのでございまするから、われわれの主張の一部を認められたので、実の損害を支払ってくれたのではないのでございまする。でありまするから、この私どもの考えとしては、この損害の全額を政府に補償してもらうことの国民の権利があると思っておるのでございまする。その損害は全部これを認めてもらう、こういうことが私どもの申し分でございまする。それでいろいろ長田さんから話がありましたから私の言うことは縮めまするが、それで調達庁へわれわれがこの演習場に対して出しておる書面がありますから、この法律上の解釈のところだけちょっと朗読させていただきます。  私どもは、山梨忍野村忍草部落の住民でありますが、私どもの部落は、ずっと以前から長い間、富士山及び梨ヶ原という地域における約四千町歩土地入会権を持ち続け、その利益を受けてきておりました。この入会地のうち、約二千町歩は、昭和十一年から同十三年までの間に、国に買い上げられて、北富士演習場となり、旧陸軍演習使用されることとなったのでありますが、そうなりましても、私どもの部落入会権は、陸軍によって尊重され、私どもは、それ以前と同様に、入会地を利用し続けることができていたのであります。ところが終戦を迎え、連合国軍が進駐して参りますと、この北富士演習場は、昭和二十年十月一日、さっそく連合国軍に接収され、その使用に供されることとなりましたが、その際、私どもが非常に困ったことは、部落入会地の使用が大きな制限を受けることとなり、入会権は、あってなきがごとき状態になったのであります。のみならず、昭和二十五年になりますと、連合国軍の接収は旧北富士陸軍演習場以外の部落入会地と、それに接続する部落の一部の住民の所有地にも及ぶこととなって、私どもの迷惑はさらに倍加されることとなったのであります。すなわち昭和二十五年二月一日及び四月三日、連合国軍は、わが政府に対し、いわゆるPDすなわち調達要求を発し、わが政府はこれにこたえ、右の土地を連合軍に提供するに至ったのであります。右の土地のうちには、山梨県の県有地が包含されていたのでありますが、この県有地に限り、山梨県の承諾はあった模様であります。ここで私どもが明らかにしておきたいことは、私どもの部落は、部落入会地の使用が制限を受けることについて一度も正式に承認を求められた事実もなく、ましてや進んで承諾を与えた事実もないことであります。民有地の接収についてもそうであります。部落の住民であるその所有者は、その所有地が連合軍に接収され、その所有権が制限を受けることについて、一度も正式に承認を求められた事実もなく、ましてや進んで承諾を与えた事実もないことであります。私どもはこのような接収が果して適法であるかどうか、私どもの入会権及び特に所有権は、接収による制約を忍ばなければならないかどうかを当時から問題にいたし、再三、当時の横浜特別調達局に対し、その接収が違法である旨を申し入れてあったのであります。私どもはおよそ人の権利が制限を受けることになるには、法律上の特別の規定があれば格別、そうでない限りは権利者の承諾を必要とするものであるということは、法治主義の根本原則であり、わが憲法の基礎であると確信いたしております。この点についてある人は、部落入会地の所有権者は、国及び山梨県であるが、入会地を連合軍に使用させることについては、すでに所有権着たる国及び山梨県が承諾を与えているのだから、それに伴って土地の所有権の上に存在する入会権も制限を受けることになるのであり、従って私どもの部落入会権の制限を受忍しなければならないのであると主張しております。しかし私どもはそうは思いません。というのは、入会権は民法の物件編を見ればわかる通り、物件の一種であります。物件である以上入会権は何人にも対抗し得るのであり、入会地の所有権者が承諾をしたからというて入会権がみだりに制限を受け、入会権者がそれを受忍しなければならないとはとうてい考えられないのであります。またある人は、終戦以後平和条約の発効までは連合国軍の命令はわが国内法に優超する効力を有し、人の権利を権利者の意思にかかわりなく制限し得たのであるが、PDも一種の連合軍の命令であるから、それに基いて接収が行われた以上、部落はその入会権の制限を受忍し、部落の住民はその所有権の制限を受忍しなければならないのであると説いている人もあります。しかし私どもはこの点についてもそうは考えておりません。たしかに、いわゆる占領時代においては、連合軍の命令は国内法に優超するものとして発せられ、それに基いて直接国民がその権利の制限を受け、または自由の拘束を受けたことのあるのは私どもも知っております。しかしながら、PDは連合国軍の国民に対する命令ではなく、わが政府に対する要求であることは明らかでありますから、国民に対して直接そのような制限または拘束の効力を生ずることは絶対に考えられないのであります。PDの成立がそうである以上、PDを受けたわが政府が、そのPDに応じて一定の土地その他の物件を連合国軍に提供するためには、それにふさわしい権利、すなわち所有権、地上権、及び賃借権等、その物件について有することが必要であることは、あえて多言を要しないところであります。ところが他方においてPDの対象となった土地、その他の物件についてわが政府が連合軍にそれを提供するにふさわしいそのような権利を常に必ず有しているものとは考えられません。そのときわが政府がどうするかといえば、原則としては、そのような権利を私法上の契約によって取得するのが当然であると考えます。すなわち当該の物件についてその所有権者と契約をなして、その所有権を譲り受け、地上権もしくは賃借権のごとき権利の設定を受け、または、たとえわが政府が当該の物件の所有権を有している場合であっても、それを連合国軍に提供するに支障となるような制限物権が存在するときには、その物権の権利者と契約をなして、その物権を譲り受け、消滅させてから提供するが当然であると考えるのであります。もちろんこのような場合には、わが政府の契約締結の申し込みに対して、権利者が常に必ず承認を与えるとは限りません。承認が得られなければPD参は実施されず、わが政府は困ることになりますが、それを救うために制定されたのが土地作物使用令(昭和二十年勅令第六百三十六号)であります。この勅令が制定されている以上は、所要の権利者の承認が得られないどきには、それを発動して当該の物件について政府は必要な権利を取得することができたはずであります。そのような次第であるにもかかわらず、私どもの部落入会地についても、部落の住民の所有地についても、部落なり住民なりが接収について承認を与えた事実は、先にも述べた通り全くなく、また土地作物使用令が発動されたことも一度もないのであります。このような理由からして、私どもは占領時代における部落入会地及び部落の住民の所有地に行われた接収は、違法かつ無効のものであり、私どもの部落はその入会権を、部落の住民はその土地の所有権を適法かつ有効に主張することができるものと信ずるのであります、(注)、もし連合国軍のPDが直接人の権利を制限し得る効力を有するものであるならば、あえて土地作物使用令の制定を必要としないことは言うまでもありません。従って土地作物使用令が制定されたという事実からしても、逆にPDにはそのような直接国民の権利を制限する効力が存在しないと言い得るものと思われます。  以上申し述べました占領時代における事態は、さらに平和条約発効後、次のように推移して行ったのであります。まず、平和条約発効の年、すなわち昭和二十七年に、七月二十六日付で外務省告示第三十四号が公示されましたが、それによると、私どもの入会地及び所有地を含むいわゆるキャンプ・マックネア演習場については、備考欄に「保留」と記載されてあります。この「保留」という意味が何であるかといえば、その説明は同じく七月二十六日付の外務省告示、第三十三号に明記した施設または区域は、一九五二年二月二十八日、東京で日本国国務大臣岡崎勝男氏と合衆国大統領特別代表デイーン・ラスク氏との間に交換された公文に基いて、合衆国が使用の継続を許される施設または区域であることを確認し、これらの施設または区域については引き続き両国間に交渉が継続されるものとすると書かれております。この外務省告示第三十三号及び第三十四号の示すところを一応文面通りに受け取りますと、私どもの入会地及び所有地は、キャンプ・マックネア及びキャンプ・マックネア演習場に包含されるのでありまするから、それについては平和条約発効後における合衆国の継続使用を認めないわけにはいかないように思われるのでありまするが、私どもは次の理由によってそれは決して正当でないと主張いたすものであります。しかるに日米安全保障条約に基く行政協定には、岡崎・ラスク交換公文というのが付属しておりまして、それによると、平和条約発効前、連合国軍としての合衆国軍隊が使用していた「施設及び区域」については、たとえ平和条約発効後九十日以内に、それを行政協定に基く「施設及び区域」とする旨の合意が両国の間に成立しなくても、その継続使用は合衆国軍隊に認められるということになっているのであります。けれどもよく考えてみますと、岡崎・ラスク交換公文によって、合衆国軍隊の継続使用が認められるのは、平和条約発効前、連合国としての合衆国軍隊が適法かつ有効に使用していた「施設及び区域」に限定されるものと解すべきであります。平和条約発効前、合衆国軍隊が不法かつ無効に使用していた「施設及び区域」についてまで継続使用を合衆国軍隊に認めると解することは交換公文の趣旨に反するものと思われるのであります。けだしわが国内法上何ら適法な理由なく、違法に他人の土地使用していた者、たとえそれが外国であろうとも、が、一片の交換公文の作用によって一定時期以後はその継続使用を適法になし得ることになると解することは全く道理に反すると思われるのであります。ところで私どもの入会地及び所有地に対して平和条約発効前行われたところの合衆国軍隊の接収及びそれに続く管理使用が違法かつ無効のものであるということは、前に申し述べました通りであります。従って私どもには岡崎・ラスク交換公文が、私どもの入会地及び所有地について合衆国軍隊に継続使用を認めたものとはどうしても考えられないのであります。  ついで昭和二十八年十月十六日になると、日米合同委員会はキャンプ・マックネア演習場を正式に行政協定による「施設及び区域」とする旨を協定いたしまして、その旨を同年の十二月五日付の外務省告示第百三十五条で発表いたしております。私どもの入会地及び所有地は、この措置でついに正式に行政協定による「施設及び区域」になってしまったのであります。私どもの入会権及び土地所有権は所定の制限を受けることを忍ばなければならなくなったものと解すべきでありましょうか。私どもは断じてそのように考えてはいないのであります。その理由を次に述べます。  行政協定第二条第一項によると、日本国は、合衆国に対し、安全保障条約第一条に掲げる目的の遂行に必要な施設及び区域の使用を許すことに同意する。個個の施設及び区域に関する協定は、この協定の効力発生の日までになお両政府が合意に達していないときは、この協定の第二十六条に定める合同委員会を通じて両政府が締結しなければならない。というように定められておりまするが、右に述べた昭和二十八年十月十六日の日米合同委員会協定は、むろんこの行政協定第二条第一項に言う「個個の施設及び区域に関する協定」としてなされたものと思われます。しかしながら、合同委員会がいかなる土地についても無制限にこのような協定をなし得るものとはとうてい考えられないところでありまして、私どもはわが政府が一定の土地をば合衆国に提供し、合衆国に対して行政協定による「施設及び区域」として使用を許し得るには、その土地についてわが政府がそれにふさわしい権利を有する場合に限られておるものと考えるのであります。このことは前にいわゆる占領時代のPDについて述べましたところと全く同様でありまして、わが政府が一定の土地使用を合衆国に許すためには、わが政府がその土地について所有権、地上権、賃借権その他の権利を有することが必要であるのであります。政府が何らの権利を有していない土地をば、いきなり日米合同委員会が「施設及び区域」として合衆国の使用に供することができるなどということはむちゃでありまして、そのようなことは、わが憲法が基本原則とする法治主義に違反するところであります。もちろん政府が何らの権利を有していない土地であっても、日米安全保障条約を有効に実施するためには、それを行政協定による「施設及び区域」として提供しなければならないという必要は生じてくることでありましょうが、それには国内法上それ相当の手続があるはずであります。もっとも普通の手続は相手方との契約によって権利を取得することでありまして、たとえば他人の土地の所有権が必要であるならば、所有権者との契約によってそれを譲り受け、あるいは地上権及び賃借権等が必要であるならば、これまた所有権者との契約によってその設定を受け、あるいは当該の土地について提供を妨げるべき制限物権があるならば、その権利者の契約によってこれを取得して消滅させるなどという措置をすればよいわけであります。もちろん相手方がこの種の契約を承諾しない場合も予想されまするが、この場合には、旧来の土地作物使用令にかわるところの日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第三条に基く行政協定の実施に伴う土地等の使用等に関する特別措置法という長い名称の法律が制定されているのでありまするから、わが政府はこの法律の定めるところの手続に従って強制的に所要の権利を取得すればよいわけであります。このあたりの事情は前に申し述べました平和条約発効前の事情と全く差異はないものと私どもは考えるのであります。  ところが、昭和二十八年十月十六日の日米合同委員会協定については、私どもの入会地及び所有地に関する限り、政府は所要の権利を有していないはずであります。というのは、私どもの部落部落の住民も、その入会権なり、土地の所有権なりについて、政府といかなる契約も締結いたしたことはありません。また前記の長い名称の法律の発動を受けたこともないのであります。従って今日私どもは私どもの部落及び部落の住民がそれぞれ入会権及び土地所有権を正当に主張し得るものと信ずるのであります。もっとも日米合同委員会協定については、次のように言う人もあります。すなわち、まず条約は言うまでもなく国家間の合意であるから、本来の拘束力は当事国にだけ及び、国民には及ばないのであるが、一たびそれが公布されるとなると、国内法の効力を有することとなるのであるから、条約が直接……、いまちょっとですから、どうか御辛抱を願います。直接国民の権利を制限することは十分あり得る。しかも日米合同委員会協定は、実質的に見ると、日米両国間の合意であるから条約と同じ性質のものであります。従ってそれが公示された以上、国内法としての効力を有し、国民の権利がそれによって直接制限を受けることは十分あり得ると説く人もあるにはあるのでありますが、このように考える人から見れば、私どもの入会地及び所有地が、行政協定による「施設及び区域」として制限を受けるのは、昭和二十八年十月十六日の日米合同委員会協定に直接基くのであり、私どもが本来の国内法上の手続が欠けていることを理由にして制限を否定するのは不当だということになるのでありましょう。しかしながら、この考え方は日米合同委員会協定の性質を見誤まり、かつ行政協定中に、第二十七条第二項なる規定が存在していることを見落としているのでありま  す。まず日米合同委員会協定なるも  のは、言うまでもなく前に述べた行政協定に基くところの日米国間の合意に過ぎないのでありまして、わが憲法の定めるところにより、国会の承認を得て締結されるところの本来の条約とは全くその性質を異にしておりますから、日米合同委員会協定に本来の条約と同様の効力を認める根拠は全くないのであります。その効力の及ぶところは、もっぱら行政協定の規定に従って判断するよりほかに方法はないのであります。それならば行政協定は、日米合同委員会協定につきまして、それが官報によって公示されたならば国内法としての効力を有することとなり、特に国民の権利を一方的に制限し得る効力を有することとなるものと規定しているかといえば、決してそうではなく、行政協定第二十七条第二項は、「この協定の各当事者は、この協定の規定中その実施のため予算上及び立法上の措置を必要とするものについて必要なその措置を立法機関に求めることを約束する。」と規定いたしておるのであります。この規定の趣旨とするところは、昭和二十六年十一月十五日、参議院両条約特別委員会におきましてなされた大橋法務総裁の言明及び昭和二十七年三月十四日、衆議院法務委員会においてなされた西村外務省条約局長の言明によって全く明らかであります。すなわち大橋法務総裁は、安全保障条約「第三条にありまするがごとく、行協協定の内容となります事柄は、合衆国の軍隊の配備を規律する条件でございまするから、これらの事柄は、当然には国民の権利義務に関係ある事柄は含まないと考えます。若しさような事柄を含むという場合におきましては、政府といたしましては当然さような内容を実施しまするに必要なる法律案を国会において御審議を頂く、それが国会において成立するということを条件としてのみ、さような協定がなされるものであります。」と言われております。西村条約局長は、行政協定第二十七条第二項につき、「私どものここで明らかにしようと思いました事柄は、今指摘になりましたような条項につきましては、国会という機関が憲法上権限を持っておる事柄に属するからして、立憲政治下における政府といたしましては、憲法上立法機関が所有する権限内の事項につきましては、当該機関の判断と措置の自由を最終的に拘束するものではない、言いかえれば当該措置につきましては、政府としては所要の措置を立法機関に提案し、そうして審議に付する、立法機関がその措置をとって初めて当該条項は実施されるという趣旨を明らかにする意味におきまして、この条文を設けました。」と言っております。思うに国民の権利を制限し、または国民に義務を課するための規制は、わが憲法の規定からしてわが国会の権限であることは誰も否定するわけにはいかないのでございます。国会の決議なくしては国民がその権利の制限を受け、または義務を課せられるはずはないのであります。しかるにわが国会が承認を与えました安全保障条約は、前記大橋総裁の言明によって明らかな通り、直接国民の権利を制限し、また国民に義務を課することをその内容としているものではないのであります。さればこそ安全保障条約に基く行政協定中に第二十七条第二項の規定が設けられた意味を、西村条約局長の言明通りに理解することができるのでありまして、そうである以上、行政協定にその効力を存在する日米合同委員会協定に論者の言うような作用を認めるわけにはいかないことは当然であります。私どもの入会権及び土地所有権は最も重要なる財産権の一つでありまして、右に言うところの国民の権利であることは何人も否定することはできないものと信じます。それにもかかわらず、私どもの入会権及び土地所有権が、わが国会の意思とは無関係日米合同委員会協定なるものによって直接制限され得るはずだという人があるならば、私どもはその人の法治主義に関する見解を疑わなければならないのであります。この点私どもにとっては最も重要な論点でありますから、あえてくどく申し述べまするが、仮に自分の住んでいる家なり、自分の耕している土地なりについて、ある日開催された日米合同委員会が、それを行政協定による施設及び区域とする旨の協定をなし、その協定が私どもの場合におけると同様に公示された場合を考えて下さい。この場合だれがその協定に対して、自分の住んでいる家なり、自分の耕している土地なりに対する直接の拘束力を認め、自分の家を出、または自分の耕作地を放棄しなければならないものと考えることにちゅうちょしない者があるでありましょうか。このように考えてくるならば、日米合同委員会協定に関する論者の考え方が理不尽であることはもはや全く明らかであります。  私どもの入会地及び土地所有権に対する制限が、終戦以来平和条約発効のときに至る期間におきましても、また平和条約発行のときから今日に至る期間におきましても違法であり、無効であることは以上詳しく申し述べました。  それにもかかわらす、実際上は今日至るまでその制限は続いて参ったのであります。それで私どもは経済的に逼迫して参りましたから、去る昭和二十八年九月初め、平和条約発効前の損害分に対する賠償として約三百七十万円の金額を、ついでごく最近に昭和三十年五月末に、平和発効後一年分の損害に対する賠償として九百五十万円の金額を受け取っております。ところが二度にわたってこの金額を受け取ったことを理由にして、私どもが過去の長い期間にわたる接収を追認し、しかも将来にわたる接収をも承諾したのだという人があるのには全く困っているわけであります。私どもが私どもの入会権及び土地所有権に対する違法かつ無効な拘束に対し、追認なり、承認なりを与えることと、私どもがその違法かつ無効な制限によって経済的に逼迫したため、その損害の賠償を受け取ったことは全く別の問題であります。損害賠償の金額を受け取らなければ経済的に逼迫し、受け取ればそのような追認または承認を与えることになるというのでは、私どもは進むべき道は全くなくなるのであります。それにしても、今日になってみれば過去の接収は文字通り過ぎ去った問題でありまするから、これは損害賠償という形式で片づける以外に方法はないものと考えます。しかし損害賠償の金額を受け取ったことは、私どもが将来における接収をも承認したことになるのだという言い分には絶対に承服できないのであります。私どもは損害賠償の金額を受け取る際に、そういう主張が起ることをあらかじめ考えておりましたから、そのつど私どもが過去の接収を追認したのでもなければ、将来の接収を承認するのでもないという旨を関係行政庁に申し入れることを怠らなかったのであります。  私どもの入会地及び所有地に関するこの紛糾は、以上申し述べた通り長いいきさつを有しておるのでありまして、しかもそこには占領下における連合国軍の行為の性質の問題及び国家間の合意の性質、特にその国内法に及ぼす効力の問題等、幾つか人に誤解を起させやすい法律上の問題が介在しているのでありまして、懸案の解決をかなり困難にしております。しかし私どもは種々研究の結果、この問題は以上のように解明するのが正しいと確信しているのであります。私どもは決して私どもの苦情を不当に叫ぶものではありません。ただわが憲法及び法律の照すところに従って正しく解決したいという考えでいるだけでありますから、そういう意味でぜひこの問題の解決に力を与えられんことをお願いする次第であります。  そこで最後に私どもの要求を掲げて、この上申を終ります。現在までの接収は、違法かつ無効であるものであるから、接収を即時解除し、入会地及び所有地を私どもの手に返還されたい、将来の接収については、部落及び土地所有者との間に十分協議を行い、その完全な了解と同意を得るようにし、いやしくも違法の問題の生じないようにお願いするものであります。どうも長々と御清聴をわずらわしてありがとうございました。
  14. 新谷寅三郎

    委員長新谷寅三郎君) ありがとうございました。以上をもちまして参考人からの供述は一応終了したのでございますが、参考人方々に対しまして何か御質問でもございましたら、この際にお願いしたいと思います。
  15. 加瀬完

    ○加瀬完君 ただいま参考人の方の御熱心なるお話を承わっておりまして、率直に申しまして、山梨県の富士北麓地域は形式的には地図の上では確かに日本の色に塗られておりますけれども、実質的には一体日本の領土、あるいは主権というものが存在しておったのであろうか、こういった感じをさえ持たされたのでございます。そこで五、六点について参考人の方に伺いたいのであります。  勝俣さんに一つ伺いたいのは、特にA地区採石採草、採木、こういうことでほとんどこの地域生活の元をなしておった、こういうお話でございましたが、そのようなことの事情は、十分県からも、あるいは町村からも、政府あるいはそれぞれの官庁に申し出てあるはずでございます。これに対する政府あるはは関係官庁の県並びに町村に対する答えはどういうお答えでありましたか。
  16. 勝俣進

    参考人勝俣進君) この点につきましては、いろいろと政府並びに米軍の方へも折衝いたしましたが、これはもしそれによるところの地元民の不便なり、あるいは故障があるならば補償を考えようというふうな答えでありまして、その問題は今後政府並びに、まあ主として政府でございますが、政府の方への交渉が残っておるようなわけであります。
  17. 加瀬完

    ○加瀬完君 補償を考えようという確実な答えを出されたのはいつ頃でございましょうか。またその政府のお答えのあとで、現実的に補償がどういうふうに進捗しておられますか、その具体的な問題。
  18. 勝俣進

    参考人勝俣進君) これは主として県の方があの演習場につきましては多くの利害関係を持っておるわけです。先ほど申し上げましたように、B地区内には県有地が約一万五千町歩ございます。さらにA地区内には県有林が千七百万町歩ございますので、主としまして私どもは県の問題と地元の声を率直に政府の方へ申し上げましてやったわけでありますが、その日時等はつまびらかではございませんが、たびたび上京しまして関係筋の方へはお願いして参ったわけございます。
  19. 加瀬完

    ○加瀬完君 次に井出さんにお伺いいたしますが、皆さんがこの射撃中止の問題その他についていろいろ陳情されまして、五つか六つかの申し合せと申しますか、ある条件の話合いがついたというお話でございましたが、しかしその後この条件というものが守られているというふうにも思われないのでございますが、その後の変化、あるいは申し合せのあとで、相手方の態度についての皆さんの今御憤慨になっておる原因、こういうことについてもう少し詳しく御説明をいただきたい。
  20. 井出央

    参考人井出央君) 申し合せというのは六項目でございまして、それは大体において関係町村はいたし方ない、現在の状況であればいたし方ないと、こういうことを言っておるのでございまして、B地区問題はあくまでも返還問題は推進する、では推進する方法はどういう方法でやったらいいか、まあこういうような問題はいろいろ意見の相違もあるのでございますが、まあそれはやっぱり筋を通した、つまり連絡をとって筋を通した推進がよかろう、まあこういうことになっております。
  21. 加瀬完

    ○加瀬完君 小林さんに伺いたいのでありますが、先ほど聞いておりましても、まるではだえを寒くするような、いろいろ人権じゅうりんの最たる例をお話しされたのでございますが、こういう問題は一人、二人の問題は他に起っておることもありましょうけれども、こんなに多くの者がこんなに多くの回数、いろいろな問題にさらされておるということは、駐留軍の罪悪のうちでもまた最も大きいような問題じゃないかと思われるのであります。これらについて皆さんはそれぞれの政府などにもいろいろ問題の点について申し述べておられると思いますが、これらについて政府並びに官庁はどういう態度をとっておられましたか、この点お答えをしていただきたい。
  22. 小林貢

    参考人小林貢君) この問題の質問に対して、ちょっと長くなりますけれども、一応説明をしなかったらわからないと思いますから、その説明をさしていただきたいと思います。  大体において六項目の生い立ちですね、これから話してみたいと思います。これに対して米軍から県へ対して正式文書においてきておると思います。これはB地区関係の写しを私が見たときに出ておりますけれども、米軍からきいた文書の中に六項目のすべてが織り込まれておる、こういうふうな状態であるにもかかわらず、福島調達庁長官が六項目のあっせん案をさも新しいものであるような状態で出してきた。これにおいてわれわれはのんでいったらどうか、こういう点であります。これを考えて何だかわれわれはばかにされたような、だまされたような気がしてしようがないのです。この六項目をなぜ山梨県知事あるいは地元の市町村長とか、役員がのむか、これ自体が私はへんだと思うのです。この六項目、これを読みあげてみると、将来ともB地区被弾地区を設けないと、こういってありますね。しかしもともとB地区へは被弾地区を設けないという原則の規定があったのです。それを被弾地区にしようとしたことがこういう運動の発端であった、こういうことが言えると私うのです。現在B地区があることは、将来被弾地区にしないという保証がだれにつくか、絶対つかないと思う。こういう問題においてそれは私は承服できないと思うのです、ただこれだけの問題であっては……。それから二項目B地区内における立ち入り禁止の制札は撤去する、こんなものはもともと立っていなかったのです。今度の問題が起って初めて立ったんです。だからわれわれ自由に入っておりました。今度これが立てられたら入れないということは言えますけれども、一応禁止の札をしないということは悪いことじゃない、ただこれだけの気持なんです。それから三項目ですね、演習支障のない限りB地区内への観光客立ち入りは自由とする。演習支障があったらどうするのだ。よしんば入れといってもたまがくるときわれわれ入れるか、こういうことなんです。こんなことはもうあっせん案としては成りたっておらぬ、こういうこと。それから四項目B地区内における各種生業者立ち入りは自由とすることと、五項目B地区内の道路は開放する、これは三項目においですべて否定されておる。幾ら生業者が入ってもいい、道路は開放する、こういう問題、これがあれば演習支障があった場合には幾ら開放してもこれは入れないのです。こういう点。それから協定文における調整の解釈については、現地当局と相談することであるという意味であることを確認する、調整の字句の訂正については考慮する、こんなものは幾ら訂正しても、調整であっても相談しても変りはないのです、私たちに言わせると……。なぜかというと、前提条件としてわれわれは演習するものである、演習というものを前提としてここのところで相談するのだ。この相談は一日なり二日、われわれが都合が悪いから延してくれ、ただこれだけなんです。原則として演習する。演習するということはわれわれに被害がある、こういうことであって、すべてこの六項目はわれわれ地元民には承服できない問題である、こういうことです。これがさも事新しいようにあっせん案として出され、福島長官とそれから山梨県知事の間において話し合われ、そうして山梨県知事は自分の圧力において地元市町村長を集め、それから県の実行委員とか、そういうものを集めて、圧力において六項目をのめという、こういうふうな点であるとわれわれははっきりこれは言えると思うのです。そうして簡単に地元の市町村長はのんでしまった。しかしわれわれ船津村民は絶対に六項目は承服しない、こういう強い態度をとっておるのであります。地元において敢然として戦う、独自の立場をとっておるのはわれわれ船津村民だ、こういうことです。六項目に対して地元がどういうふうな動きをしておるか、村内の動き、これは村長さんも村長をしておって県なんかの折衝でいろいろ苦しい点はある、こういう点で押えられておると思う。お気の毒だと思いますけれども、しかし現在文句をいって、先頭に立ってわれわれは六項目を反対しておる。村会議員においてもこれは六項目をのめ、こういうふうな点に動いているんです。私たちは第一回目は、五月十八日に村の実行委員会を開いたのでありますが、村長が知事に呼びつけられて村長は了承した、こういうラジオ放送があったので、実行委員会においては緊急会議を開き、一切の演習禁止し、B地区の返還のために断固戦うことを船津村実行委員会において決議している。それから決議文を全国の労組団体とか、あるいは関係官庁であるとか、そういうところへ打電しろ、われわれの強い反対の立場を知らせろ、こういうふうな決議をしたのであります。それから二回目は五月十九日にやっている。これは村長が六項目の説明をして、これに対して十八日の決議を再確認する“われわれはあくまで戦え、こういうことをやった。それで県の態度は県民大会において決定すべきだ。ただ知事が福島長官の案を持ってきて、お前たち地元の代表これをのめよ。これではわれわれ絶対承服できない。県民大会においてわれわれは戦うことを決議したのだから、これをまたやらないというふうなことをやるならば、県民大会を開いてそこにおいて決定すべきだ。これは船津村実行委員会において言われ、この結果を県へ申し入れろ、こういうことを言ったけれども、県民大会なんていうのはやりたければ船津村がやれ、われわれは集まらない、こういうことを地元の市町村長が言っている。これは県知事から圧力をかけられて絶対だめなんです。こういう状態です。それから三回目が、五月二十五日、これは村有地内において海兵隊の一個中隊が演習をした、この演習後の調査をやったのであります。その後六項目を検討したのでありますが、この六項目はすべてここにおいて新しく出されたのではなくて、こんなちんぷんかんぷんなものはわれわれ取り上げることはできない。こんなものはすべて否定しろ、こういうことを言ったのです。そのとき、県の古谷広報渉外課長が来て、古谷課長が来たならわれわれ意見を聞こうじゃないか。それで古谷課長を呼んでいろいろ質問したのです。その結論は要点を言えば、古谷課長は、六項目というものを一応ここで了承するような形をとって、七、八、九の三ヵ月間は砲弾を射たない、こういうことを言っている、だからその間に関係官庁に陳情したらどうか、こういう方法をとることが一番賢明だ。しかしわれわれとしてはそんななまぬるいことじゃだめだ。きょう、あすをどうして生きるか、徹底的にB地区を否定しろ、その運動を起さなければだめだ、こういうことを言ったのです。そうしてある実行委員が質問しました。われわれに言えることは、ただ単に山ろくのたいこ持ちじゃないか、山ろくの登山バスですね、県はこれが運行できればそれでいい、こういう態度をとっているじゃないか。これに対してあなたはどう思うか、こういう質問をしていました。これに対して古谷課長は、たしかに山ろくの登山バスが運行できることが成果であった。それから登山バスが登れば十五万程度のものが船津北口から登るのだ、こういう点において成果だ、大体そういうことが、われわれとしては今まで戦ってきた問題を、暗に山ろくをとったから大体いいじゃないか、こういうことをわれわれは言葉裏から察知した、こういう点が言えるわけです。
  23. 加瀬完

    ○加瀬完君 お話中ですが、私の質問が徹底しておらなかったかと思いますが、私の伺いたいのは、娘さんが輪姦されたとか、親子のうち母親が娘をかばって暴行されたとか、あるいは父親が娘をかばって撲殺された、こういう事実をお話ざれたのでありますが、これらに対して、この点演習場から起った問題として、地元では政府あるいはそれぞれの官庁にこの問題を申し述べたと思うのでありますが、これに対する官庁あるいは政府の態度というものはどうであったか、その政府の態度を聞きたいのです。
  24. 小林貢

    参考人小林貢君) それは自分の村で起ったことでなくて、一里あるいは二里離れているところでそういう話を聞いたのであって、その結果どういうような折衝が行われているかということは私の関知しないところであります。
  25. 加瀬完

    ○加瀬完君 長田さんに伺いたいのでありますが、入会権の主張等で調達庁にいろいろお話しをされたときに、調達庁も米軍の当事者も、AB地区の問題は同時に解決をしたい、日米合同委員会にかけて、この問題を同時に解決したいというふうなことがありまして、地元の皆さんはずいぶんこれに期待を持たれたようでありますが、何ら具体的な解決がなかったというふうなお話しでございましたが、これらの前後をもう少しお話しを伺いたいのです。
  26. 長田早苗

    参考人長田早苗君) お答えいたします。それは確かに日米合同委員会の責任者スミス長官並びにきょうおいでになっておるところの調達庁の福島長官と合同声明で、AB地区は同時に解決をして下さる、こういうような声明が出されまして、私どもはひたすらそれを実行して下さることと一日千秋の思いで待っておりました。しかしながら、先ほど船津地区の人から申されたように、県といたしましては、雲海バスが通ればそれでいいじゃないかというような、すでに根本的な問題をはき違えて、雲海バスという問題一つに結集しておって、私どもの切なる、農民の生きるか死ぬかという大きな問題を切実に取り上げてくれなくて、あと回しになっておる。しかしその間においても、福島長官は、私たちの問題もあくまで同時に解決しようという気持で、一生懸命お骨折りになったということは私どももよく知っております。
  27. 加瀬完

    ○加瀬完君 渡辺さんに続いて伺いたいのでありますが、この入会権の問題で、政府は今までの折衝の間、あなた方にどう答弁をされておったのでありますか。
  28. 渡辺泰岳

    参考人渡辺泰岳君) お答えします。この入会権の問題については、もう三年も四年もの間当局と折衝しました。それで入会権があるのであるから、その制限をされる損害の補償等を支払うべきであるという意味のもとに損害の補償をなされておるのでございます。それから衆議院の内閣委員会におきましても、長官は、忍野村入会権は御認定になったように、そういうふうに記憶しております。衆議院の内閣委員会で、長官が、忍野村には入会権があると、こうおっしゃられたと記憶しております。
  29. 加瀬完

    ○加瀬完君 調達庁の方に質問してよろしうございますか。
  30. 新谷寅三郎

    委員長新谷寅三郎君) できれば参考人の方に先に御質疑願いまして、あとで調達庁の方に御質問願います。
  31. 井出央

    参考人井出央君) 参考人の中から、雲海バスとかいうような問題が出ておりますけれども、私そういうことはさらに存じておりません。私どもがB地区返還という問題については、一般地元民の共通の利害を侵害する、生活権を脅かされる、こういう問題で進んでおるのでございまして、たまたま一部でそういうことがあって、一会社とか、一個人とか、そういうような問題は私どもはさらに考えていないのでございますから、そういうことを御承知を願っておきます。
  32. 木下源吾

    ○木下源吾君 県の方の方にお伺いしますが、最初に演習地を承諾するときに、今の個人所有地、入会権のあるそういう問題について直接利害関係者が困る、この困ることについて一体何か措置をしてかからねばならぬのだと、こう考えるんですが、そういうことに努力せられたのですか、その点をお伺いします。
  33. 勝俣進

    参考人勝俣進君) これは昭和十三年のことでございまして、私当時まだほかの官庁におりまして、私が参ったのは、昭和十九年に山梨県に奉職したのでございまして、その当時のことはまだつまびらかに存じておりません。御了承を願います。
  34. 木下源吾

    ○木下源吾君 その当時は日本陸軍の軍用ということになっておる。今度終戦後、連合軍関係で新しく問題が発展したというのは、以前には入会権というのは実質的に所有権を認められておる。ところがその後になって、今話しを聞くと否定された、こういうことになるのです。最初のよりも、終戦後米軍関係になって、これをやるときに当然問題が新しくなったと思うのです。そのときに、私が聞いたようなことについてどういうふうに措置をせられたか、こういうことです。
  35. 勝俣進

    参考人勝俣進君) 先ほど私は最初に申し上げましたように、陸軍が使っておった当時から入会慣行があったということでございまして、果して入会権というものがあったかどうかという法律的な問題は、私不敏にしてよく存じませんが、ただ陸軍当時から入会慣行があったということは聞いております。
  36. 木下源吾

    ○木下源吾君 入会慣行並びに所有権の問題、こういう問題については、これは根本の問題です。根本的な問題を、今あなたがおっしゃるようなことは非常にうかつな御説明です。これははなはだどうも問題だと思うのです。いやしくも国民というか、県民の財産権に関係する問題であり、従ってこれを県側が承諾するという上において、少くもそういう点に十分注意を払い、具体的には県会等の議決などが必要ではないか、そういう県会の議決等をおやりになったか、そういう点も一つ記録等があるでしょうからお伺いいたします。
  37. 勝俣進

    参考人勝俣進君) そういう県会などの議決はなかったと存じます。ただ駐留軍から接収されまして、そのままで講和発効後も進んでおったというふうにみております。
  38. 木下源吾

    ○木下源吾君 そうすると、今あなたの御説明によると、県側がまことに必要な注意を怠っておる、こういうことを考えられるんですが、県知事はその点そういうように今確認しておられるかどうか。
  39. 勝俣進

    参考人勝俣進君) 県が十分な注意を払ったかどうかということですが、その当時まあ県の処置もあったのですが、そのときの知事がそのまま承認したと思います。なお民有地につきましても、その当時の知事が民間に話したかどうか存じませんが、ただいま参考人の話しでは、話してなかったということでありますから、知事はおそらく話してなかったと思います。
  40. 木下源吾

    ○木下源吾君 その当時の知事とか、今の知事とかいうことは問題じゃない。こういう重大な問題をはらんでいる。善良なる県の管理者というか、県の首長である。それがこんな問題になっているのに、そういう記録やら、そういういろいろなことを調査もしておらぬ。ただ単に問題が起きたからこれを調停する。紛争解決するなんということはとうてい考えられない。山梨県はそういうようなことを従来一般的にはやっておられるのかどうか。
  41. 勝俣進

    参考人勝俣進君) お答えいたします。まあその当時の知事がA地区内の採草、採木等については、十分に地元民生業を確保するようにというふうな陳情はたしか二回ほど出してあるはずなのであります。それは日本政府並びに米軍の方にも出してあります。
  42. 木下源吾

    ○木下源吾君 そういうものをお出しになっておるということを知事がおやりになったとしても、少くも施設、そういうものを提供する場合には、利害関係者、あるいは直接ばかりでなく、付近の利害関係者までいろいろ意見を聞いて、その結果、今日接収と言いますか、そういう基地に類したものはみなやっておる。ですから私は一方に、あなたの方はそういうものを政府並びに米軍の方へ出したということもあろうけれどもだな、同時に利害関係者に対して意見を、そういう何を求めたことがあるのか、そういう事実があるのか。
  43. 勝俣進

    参考人勝俣進君) その点につきましては、昭和二十八年ですね、まあ政府からああいう行政協定に基くところの使用条件の設定という点につきましては、関係町村並びにその利害関係者等を集めまして、十分に協議を経まして、その協議をまとめて政府の方にも出しまして、その意向をくんで協定文の作成に当ったということは十分申し上げられると思います。
  44. 木下源吾

    ○木下源吾君 その際に個人の所有地がそういうものに使用される。従来陸軍時代から入会権が実行されておる。その問題についていかなる注意をせられたか。
  45. 勝俣進

    参考人勝俣進君) もちろんその点につきましても、先ほど申し上げましたように、採草、採木等の慣行があるので、この点も十分忖度してくれというふうなことで意見を出したのであります。
  46. 木下源吾

    ○木下源吾君 それは付度してくれと向うへ出すのではなく、同時にそれらの物件あるいは使用権の所有者に対して、土地所有者である県が責任を持っておる、責任を負うておらなければならぬ。権利を侵害するのだ、片一方の権利は確立しているのですから……。その点の措置をどういうふうにとられたのか。
  47. 勝俣進

    参考人勝俣進君) それは協議会を開催いたしまして、よく地元の意向をただしまして、これは出したものであって、その結果は、日米合同委員会日本の代表と向うの代表が協議したのであります。私どもとすれば十分その意見が通るようにというふうなことで政府にお願いいたしておるのであります。
  48. 木下源吾

    ○木下源吾君 日米合同委員会は個人の財産をいきなり使うのじゃない。接収するのじゃない。であるからしで、県を通し、あるいはいろいろやっておるのであって、そちらの方に何ぼやってくれといっても、それは責任がないわけだ。当の責任はやはり県にあるのだ、そうじゃありませんか。その点、一体そういうことはやったかやらなかったか、やらなかったら、なぜやらなかったのか。
  49. 勝俣進

    参考人勝俣進君) それは先ほど申し上げましたように、十分に地元民村長なり、あるいは利害関係者を集めまして協議した結果の意見のまとめですから、これを当然日米合同委員会の代表である政府に向ってするというのがいいと思います。
  50. 木下源吾

    ○木下源吾君 そうすると、今の利害関係者並びに村の代表、そういう人がそれを承諾したという記録がありますか。
  51. 勝俣進

    参考人勝俣進君) 別に記録というものはございませんが、その当時の、先ほど申し上げまとたように、山村なり、あるいはその付近の関係町村の代表者の会合を持って、その意見を全部網羅して政府に送ったものでありまして、その中には入会の問題もあるでしょう。いろいろ問題がありましたが、その問題は十分地元の意見を通してくれというふうなことで、強く政府に要望したわけであります。
  52. 木下源吾

    ○木下源吾君 皆を集めて話し合いをしたときに、承諾を求めたときに、みんなは自分たち入会権、所有権というものを無償で県側に自由に処分をまかせるということが決定されておるのかどうか。
  53. 勝俣進

    参考人勝俣進君) 決定とか何とかでなく、県とすれば、要するに地元の声をそのまま政府へ持って行くということなんです。地元の要望を十分に集めて、これを日米合同委員会の構成委員であるところの日本の代表へ向って強くお願いして、この要望が通るようにということで、強く推し進めるより、当時の情勢からしてなかったと思うのです。
  54. 木下源吾

    ○木下源吾君 この要望というのは、具体的にはどういう要望でしたか。
  55. 勝俣進

    参考人勝俣進君) 今ここには記録を持っておりません。
  56. 木下源吾

    ○木下源吾君 あとで出す用意はありますか。
  57. 勝俣進

    参考人勝俣進君) 出します。
  58. 木下源吾

    ○木下源吾君 それでは次にお尋ねしますが、あなた方は今日になってみて、このB地区、あるいはA地区で行なっている米軍のやり方、これは正当な話し合いによって行なっておるものとお考えになっているかどうか。
  59. 勝俣進

    参考人勝俣進君) どういう意味ですか、今の御質問の意味は……。
  60. 木下源吾

    ○木下源吾君 それは今あそこを使用しているのは適法にやっていると考えているかどうか。
  61. 勝俣進

    参考人勝俣進君) これは日米行政協定によってああいう使用条件が生まれたものでありまして、それによって使っておりますので、それは私どもは適法とか、非合法とかいうことでなくて、それはその条文通りやってもらえば適法だというふうにわれわれは考えております。
  62. 加瀬完

    ○加瀬完君 勝俣さんにお伺いしますが、今木下委員からの質問に関連してのことでありますが、日米合同委員会で適法にきめられたことならば、つまり仕方がないというような御口吻ですけれども、入会権なり、それからその前の土地所有権なりというものも押しつぶされている。入会権も所有権も、日本の法律で保護されておるべき権利というものが全然用いられないでおりますにもかかわらず、これが地元、県として適法であるというふうにお考えになられるのですか。
  63. 勝俣進

    参考人勝俣進君) 所有権の問題は当初申し上げましたように、昭和二十三年に買い上げになったのですから、その後の法律問題は存じませんが、入会権の問題は先ほど申し上げましたように、この中に、A地区の中に採草、採木、あるいは採石の権利と言いますか、慣行があったのだということで、これは申し上げておったわけです。従って行政協定の内容が有効か無効かということは、私どもはここで申し上げていいかわかりませんが、一応そういう日米間の取りきめがあるとするならば、これはわれわれは法治国の国民として守らざるを得ないといふうに考えております。
  64. 加瀬完

    ○加瀬完君 法治国の国民でありますからこそ、特にその国民を庇護しなければならない中間的な立場にもある県の御当局として、この入会権の問題というものをどう考えるかということになると思うのです。入会慣行があったとおっしゃいますが、入会権というものはもともと入会慣行というものがありましたものを、これを入会権として認めているという、入会権の成立はそういう経過をたどっておると思うのです。ですから長い間の慣行があって、入会権が成立しておらないにしても、これは慣習によって入会権と同等の権利が主張されていい法律的な根拠があると思うのです。県は何か、地元入会権があると主張しておるにもかかわらず、入会権があるのか、ないのかわからないというような御態度でありましては、入会権の地元要求というものを県がかわって御主張するという立場にないと思います。そうして入会権を御主張なさるというお立場に立って御交渉下さったか、それともこれは入会権などは全然ないのだというお立場で県は調達庁その他と交渉なさっていたのでありますか。
  65. 勝俣進

    参考人勝俣進君) 入会の問題は、先はど申し上げたのでありますが、一応国が協定でございますか、あれによりまして週一回、土曜日の午後の入会を認めている、それから春秋二回にわたって一週間の入会を認めているということからしますれば、入会慣行は存続されているどいうふうに考えます。
  66. 加瀬完

    ○加瀬完君 入会権というものは、他からそういう制限をされて成立するものじゃないと思うのです。入会権の権利者が、これだけの期間の間に使用していいという権利を、分括して与えたのならとにかく、他から自分の権利が左右されるものでは入会権はないものだと思います。入会権については、政府側も認めているということを渡辺参考人はさっきから言っている。調達庁ですら入会権というものを認めているのに、県が交渉に当って入会権というものを何か認めるとか認められないとかというようなあやふやな態度ですが、一日か二日しか入れぬというようなことでは、これは法律的な解釈にはとてもならないと思います。いかがですか。
  67. 勝俣進

    参考人勝俣進君) それは入会権を認めているなら、当然それは政府入会を認めているでしょう。従って県も入会権を主張通りそれは交渉します。
  68. 加瀬完

    ○加瀬完君 逆ですよ。参考人の方に文句を言うようで恐縮ですが、地元要求というものを取り上げて、入会権があると県がお考えになるならば、地元要求そのものの入会権を、地元にかわって主張する立場に県があると思うのです。政府が認めれば県も認めると、そういうものではなくて、逆な立場で県が交渉しなければ、こういう問題の解決はなかなかできないじゃないか、そういう点は、私は非常に県自身入会権というものを認めておらないような御態度が、こういう混乱を起したもとじゃないかと逆に考えられるのです。この点今までの山梨県の御態度というものは、入会権を地元にかわって御主張するという態度を貫いて来たのでございましょうか。
  69. 勝俣進

    参考人勝俣進君) それはまあ入会慣行を尊重して参った。これは入会権を主張したと思います。従いまして今度の問題は県もずっと自分の県でありましだし、地元の方は直接調達庁なり、あるいは中央の方に参りまして交渉しておりましたので、その間のことは、まあ時々の連絡でわかったわけでございますが、そういう意味で私は入会権の問題については、現地人たちの意見を尊重しまして、それはやってきたはずであります。もちろん入会慣行というものを尊重してそれはやって参ったわけです。
  70. 堀眞琴

    ○堀眞琴君 関連質問ですが、勝俣さんにちょっと。入会権の問題ですが、今のお話ですと、あなたの考えは、県民の声を政府側に伝達したどいうよりは、むしろ県側の、つまり地元農民の考え方ではなくて、県の考え方を政府の方へ伝達したのじゃないかということと、もう一つ入会権の問題だけを問題にしておられますが、そうして今あなたは所有権はないのだと、こういうお話でしたが、A地区には個人の所有権のある土地が接収されているわけなんですね。それらの点はどのように措置をとられたが、明確に御返答を願いたいのです。
  71. 勝俣進

    参考人勝俣進君) 最初の質問の要点はどうでしたか。
  72. 堀眞琴

    ○堀眞琴君 入会権というものを認めるという立場ではなくて、あなたはむしろ入会権というものは認めないという立場で政府の方に話を持って行かれたのじゃないかということです。
  73. 勝俣進

    参考人勝俣進君) 最初の点は、これはもちろん県もあのB地区A地区については異議を持ってないと思います。従って地元民の声をそのまま強く要望しなければならない。県がこれに注釈を加えるとか、あるいは別の解釈をするということはあり得ないことでありまして、当然地元要求を入れまして、地元の声はこうだ、地元要求はこうであるということを、まとめて日米合同委員会へ諮ってもらいたいということは当然言っておるわけであります。これで県がこの用地はいかぬとか、あるいはこの要求は無理だとかいうことじゃなくて、地元要求そのままを伝えるということの方が私いいと思います。  それから所有権の問題はよく存じませんが、入会権の問題は、入会慣行をよく尊重してくれということは、先ほど申し上げましたように、入会権の尊重ということでなくて、そういう点は従来からも政府の方へ要求してきました。
  74. 堀眞琴

    ○堀眞琴君 所有権のことについては御存じないということですが、A地区に二十町歩前後の個人の私有権を持つ土地が接収されておる。これらに対して何らの接収に当っての通告が本人に対してないわけです、入会権と同じように……。あなたは入会慣行を尊重してくれということを言ったといいますが、これについて地元人たちは、慣行ということだけでなくて、さらにそれを権利として主張しているが、それをあなたが正直に政府の方に伝達したかどうか疑問がある。私はおそらくあなたはそういう立場では政府の方に伝達されなかったのじゃないかと思います。その点もう一度はっきりとお答えを願いたいと思います。それからA地区の二十町歩前後の個人の所有権のある土地、それらに関してはどういう措置をとられたか、それをお話し願いたい。
  75. 勝俣進

    参考人勝俣進君) 二十町歩の問題は、私は最近の就任でございまして、記録もまだ読んでおりませんが、これは調査しましていずれまた御報告申し上げますが、入会権の問題がもめているのでありますが、先ほど申し上げましたように、入会慣行というものと入会権というものが同じ意味なら、私どもは、やはり入会権につきまして強く要望して参りましたし、また今後その方針で参ります。
  76. 木下源吾

    ○木下源吾君 私、先ほどから、室長ざんですかの話を聞いているのですが、実はおいでを願うことを要求した私は本人ですが、知事をお願いしたら、あなたがおいでになって、’今あなたの話は非常に責任ある御答弁ということを回避せられておるのか、知らないのか、また赴任早々であるからわからないのか、これは事実であればそれでよいのだが、私どもはこの問題を何もあなた方を今責めて、いじめているのじゃない。どうすれば解決が円満にできるのであるか、こういうことを基本としているのだから、決して悪く考えないでもらいたい。  実はいろいろの問題が今日まで起っているが、これから先は要求としては接収を解除してもらいたい、そうしていろいろなことをやるのには十分に利害関係のある者と協議、協調してやってもらいたい、こういうようなしごくもっともな態度で出ているわけですよ。一方の利害関係農民、あるいは関係者は。ところが今県側のお話を聞いていると、無責任というよりほかに言いようがないのである。実は問題はこういうことになるのです。新聞で見ますと、あなたの県では立入り禁止をした。そこへ無理に入った警官までが今度どこかでけがをしたということになっている。私はこの問題等から派生した問題をも解決するためには、あなた方のおやりになっておることは適法にやっておるのかどうかという問題のなにが一番大切だと思う。それは同時に適法でやっていることに対して不適法であったならば、当時米軍は暴力をもってやっているということになる、大きな力で。これが問題なんですよ。いかなるなにでも、今日やっぱりそういうことは許さるべきじゃないのですよ。ですから、あなたたちは、ほんとうに実際にやらなければならぬことを怠っておるならば、率直に怠っておりまして済みませんという態度でなければ、問題が解決しないと思うのです、実際において。そういう意味一ついろいろ御説明を願いたいのです。で、今の法律的な根拠についてのお話を聞こうとしても、あなたはできません、今の御答弁では。着任早々では。これはあらためてまた知事でもだれでも来たもらって話すよりほかにないと思うのですが、それではあなたは常識的におわかりになることを、県の人として、日本富士山をたまたまあなたのところが管理しておる県であるが、あのような状態で今演習をし、そうしてしばしば新聞で見ると、保護するような文化的なものまでいろいろ損傷を受けておるということに対して、県として一体どういう考えを持っておられるか。
  77. 勝俣進

    参考人勝俣進君) B地区返還の問題は、これは地元の方から強く要望して、地元で起った問題でありまして、私どもは行政官とすればその可否等につきましては云々するわけに行きませんのでございます。これは私どもは、やはり政府からもいろいろな命令もありますし、また県として当然渉外事項も扱っております。そういう関係で、B地区問題の返還等につきましては、これは現地の熱心な運動に待つ、県の私ども役人が、これに指導的に入るということは、これはできません。ただ私の個人的な感情から今木下先生がおっしゃったように、どう思われるかと言われれば、これはもちろんああいう場所で演習をやってもらうことは好ましいことではないというふうなことを、私個人とすれば率直に申し上げます。
  78. 堀眞琴

    ○堀眞琴君 関連して。今のお答えですが、三月の二十七日ですが、県民大会が富士吉田でありましたな。あのときには知事も出席しております。それから県出身の議員たち出席しておりました。そうして富士山麓の演習地の返還期成同盟というものができました。知事もこれに参加しておったわけでありますね。あなたの今御返答ですと、行政官としてそういう運動には入らんのだ、こういうお話ですが、初期の返還期成同盟の運動の中には、知事も入っていられる。その点はどのようにあなたの方ではお考えになっておるのですか。
  79. 勝俣進

    参考人勝俣進君) もちろんあのときに期成同盟ができまして、知事が会長に就任しました。そういう意味であの運動は地元民並びに県民の運動として盛り上ったのであります。まあ私どもは知事のもとに働いておりますので、知事の意向を体しましてやるに過ぎないのでありまして、いろいろな立場から、あの運動に対しましていろいろな面から応援をしなければならないというふうなことで……。ただ私どもはあの運動に正面切って立つということはしておりません。
  80. 堀眞琴

    ○堀眞琴君 三月二十七日の大会では、ずいぶんきつい決議が行われておりますね、御承知の通り。で、知事さんもそれに賛成しておるわけです。ところが五月に入って例の六項目の問題が出てきてから、知事さんの方では、この運動をやめろというむしろ反対側に立って、村長などを盛んに説き廻って、現在では船津村だけがあの運動を続けておるという状態になっておると思うのです。むしろ県ではあの運動に対しては反対の立場を、今とっておるのではないか。これは六項目の問題がその中心になると思いますけれども。ところが六項目の問題は従来も大体において認められておった項目なんです。それがあらためて成文化された理由だけでありまして、決してB地区人たち要求が、その目的を達成したということにはならぬと思うのです。どういうわけで知事はあの運動を、六項目を受諾すると同時に、運動に対して反対の態度をとるようになったか、それをお答え願いたい。
  81. 勝俣進

    参考人勝俣進君) あの場合は、射撃の問題が中心点であります。射撃の問題は、当初米軍現地調整もなくして始めたということで強く反対しまして、そのためにあの問題が起きたのであります’従ってその後は十分現地調整をやってやろうというようなことで、福島長官と知事との間にああいうことが取りかわされまして、これを現地の常任執行委員並びに村長なりに示しまして、承諾を得ましたので、一応射撃問題はこれで中止しよう、しかしB地区問題は期成同盟があるから、その方を中心にしてやるのだということを再三申し上げたのであります。
  82. 木下源吾

    ○木下源吾君 今の先ほどお尋ねしたことに対して、日本のいわゆる象徴である富士山でああいうことをやるということは感心しないというようにお考えになっている。それはその通りだと思う。ことに伝へ聞くところによれば、富士山というあの高い位置というところから、ロケット弾とか、あるいは原子的兵器を使うのに非常に好個の場所である、であるからして使うのだと、われわれはある方面から聞いているのです。そうすると、県民全体の生命にも非常な関係があるのです。こういうような状態にあるところを県が率先してこの問題の解決、具体的に言うならば返還という問題に立たなければならぬと思うのであるが、ただいまのお話しでは、一部分的な何々村、そういう人たちにまかしておる。県は傍観的態度であるかのごとき行き方が、これは一体妥当であるのかどうか、そういうことについて一体県としてはどう  いう考えを持っておるか。
  83. 勝俣進

    参考人勝俣進君) 先ほどから申し上げたように、B地区返還期成同盟というものは、まあ地元を中心としました県民運動でありまして、県が、もちろんこれは知事が会長でありますので、知事も関係がありますが、県庁の私ども部局におりましてそのことを指導するとかという立場にはありませんので、もちろん知事の意を体しまして仕事はしますけれども、まあ仕事の性質上あるいは現地人たちを指導するというようなことは差し控えなければならぬというようなこともあります。ただ私は先ほど申し上げましたように、私の個人的な見解からすれば、私も県民の一人としてああいった所で演習をしてもらうことは好ましくないということは、私は十分考えております。
  84. 木下源吾

    ○木下源吾君 これが返還に対してはどういう一体手続が行われれば具体的にいいと考えておられますか。
  85. 勝俣進

    参考人勝俣進君) それは行政協定に基くところの使用条件の改訂であります。
  86. 木下源吾

    ○木下源吾君 その使用条件の改訂、そういうものに対してどういう手続をすればいいか。
  87. 勝俣進

    参考人勝俣進君) これは先ほど申し上げましたように、日本政府に強く当りまして、そうして日米合同委員会におきましてその改訂がなされることがいいと思います。
  88. 木下源吾

    ○木下源吾君 いかなる方法で今日まで強く当ったか。
  89. 勝俣進

    参考人勝俣進君) それはまあ期成同盟の方でもやりましたし、私どももたまたまお伺いしまして強く要望しております。
  90. 木下源吾

    ○木下源吾君 どういう方法でやったか。
  91. 勝俣進

    参考人勝俣進君) 政府の、日米合  同委員会のメンバー等に陳情しており  ます。
  92. 木下源吾

    ○木下源吾君 すでに被害者は法律的見解を明らかにしておる。そういう面にも県がやはりやらなければならないであろうし、同時に日米合同委員会に対して政府がこれに十分なつまりやることを怠っておるならば、県は国会に対してどういうことを今度やったか。
  93. 勝俣進

    参考人勝俣進君) 従来からもB地区の返還等につきましては国会にも陳情しておりますけれども……。
  94. 木下源吾

    ○木下源吾君 国会に。ではどういう形式でやったか。
  95. 勝俣進

    参考人勝俣進君) 陳情書を提出しております。
  96. 木下源吾

    ○木下源吾君 陳情書に対して国会の一体反響はどうであるか。
  97. 勝俣進

    参考人勝俣進君) 反響はと申しましても、まだそういう改訂ができませんから、まだ反響はないと思います。
  98. 木下源吾

    ○木下源吾君 何故に請願で反響を求めることをやらないか。
  99. 勝俣進

    参考人勝俣進君) まあそこまで言われたら私も因りますけれども、請願を求めるということはまだしておりません。
  100. 木下源吾

    ○木下源吾君 ただ出しっぱなしで、陳情のやりっぱなしで、こういう問題が解決するというふうに……それが一体強くやった解決の手段と考えておるのか。
  101. 勝俣進

    参考人勝俣進君) 私ども国民とすればそれ以外に方法はないんじゃないか。国会に対して陳情するとか……。
  102. 木下源吾

    ○木下源吾君 書面によっていつ陳情書を出したのか。
  103. 勝俣進

    参考人勝俣進君) 四月四日に出しております。
  104. 木下源吾

    ○木下源吾君 参議院に出しておるのか。
  105. 勝俣進

    参考人勝俣進君) 参議院にも出しております。
  106. 木下源吾

    ○木下源吾君 陳情書を出してあるか。
  107. 勝俣進

    参考人勝俣進君) あります。
  108. 木下源吾

    ○木下源吾君 そのような陳情書を出して、陳情の結果をどういうふうにして裏返して結果を求めておるのか。
  109. 勝俣進

    参考人勝俣進君) どういうことですか。
  110. 木下源吾

    ○木下源吾君 陳情のしつぱなしで、解決がつくものと考えておるのか。
  111. 勝俣進

    参考人勝俣進君) 考えておりません。陳情書を出しまして、その後私どもはしばしば東京に参りまして、関係筋の方に陳情しております。
  112. 木下源吾

    ○木下源吾君 その陳情は知事の陳情か、県会の陳情か。
  113. 勝俣進

    参考人勝俣進君) 県会の方も、各種団体の方もしておると思います。私の今申し上げておりますのは期成同盟の陳情でございます。
  114. 木下源吾

    ○木下源吾君 私は県としてどういうことをやっておるのかと聞いておる。ごまかしちゃいかぬ。もう少し真実を言わぬといかぬ。
  115. 勝俣進

    参考人勝俣進君) 期成同盟というものは県民運動として生まれて、これが中心となってやっております。
  116. 木下源吾

    ○木下源吾君 期成同盟は県民の運動として生まれておっても、責任があるのは県です、知事です。それを聞いておるのです。
  117. 勝俣進

    参考人勝俣進君) 知事もたまたま上京しまして、その点は陳情しております。
  118. 木下源吾

    ○木下源吾君 たまたま上京したついでに陳情して、それが強く訴えている態度ですか。どうも室長ですか、ちょっと今不適当だと思いますので、大体この程度に私はなにしておきますが。
  119. 堀眞琴

    ○堀眞琴君 先ほど船津村長から自分たちの運動は決して一個人の利益を目的としているのではないという非常に強い御発言があった。その前に小林貢君から、この運動の陰にはどうやらどうも富士山麓電鉄会社のバスの運行の問題が中心のように考えられるという御発言があった。  そこで私は勝俣さんと井出さんとにお尋ねしたいのですが、三月二十七日に県民大会を開いてあのような反対期成同盟を結成して各方面に運動を展開するということになった。その先頭に立った知事と社長さんの堀内君、彼らは非常に熱心に運動した。ところが五月の十六日か十七日か、六項目の問題が起って参りますというと、突如としてその運動から身を引いてしまった。私は実はこの間A地区B地区を見に行った。そして農民たちの話も若干聞いた。ところが農民たちの話によりますというと、あの知事を先頭とする県民大会での運動は、バス会社の運行を認めさせるための反対運動にすぎなかった。それが一応達成されたので、彼らは身を引いたのだというのが農民たちの、特に船津村それからこれはA地区でもそうでありますが、忍野村人たちがそういうことを私に言う。私はあまりこじつけたくはないのですが、しかし村長さんの強い発言にもかかわらず、その点は非常に疑問だと思います。この点について勝俣さんと井出さんから御発言願いたいと思います。
  120. 勝俣進

    参考人勝俣進君) 別に一営利会社のためにあの運動をしたのではないと思います。これは当然県民の世論として起った運動でありますので、もちろん知事も今後とも強力にB地区返還の運動をやって行かれると思うのであります。
  121. 井出央

    参考人井出央君) お考えになることは御自由でございますが、私はそういう考えは持っていません。かつて一度もそういうことを言った覚えはありません。
  122. 堀眞琴

    ○堀眞琴君 もっと率直に申し上げますと、知事さん並びにあの社長さんに、たまたま富士山ろくの演習地の返還運動が起ってきたので、これを利用してやろうというような考え方があったのじゃないかと私は思うのです。村長さんは全然そういうことは自分としては考えておらぬ、しかし解釈は自由だ、こういうお話ですが、村長さんはいかように考えておられるか知らぬが、あなたが村長をしておられる村の人たちは、あのバス会社の社長さんがバスの運行さえ認められればそれでいいのだ、こういうことを言ったということを村民たちが話しておる。これはあなたが主観的にはどう考えられようと、ともかく村の人たちがそういうことを言っておるということには、何らかそこに根拠がなければならぬと思うのです。現に五月の六項目が出てから後の電鉄会社当局やらあるいは知事さんの態度というものは、勝俣さんの御意見にもかかわらずむしろ反対運動に対して水をぶっかけるような態度をとっておるのじゃないか、これはどういうわけなのか、私はますその辺がよくつかめないのです。もう一度御発言願いたい。
  123. 井出央

    参考人井出央君) たまたま船津村から富士山五合目へ通ずる登山バス道路がありますから、一部そういうことを言っておられるかもしれません。しれませんけれども、そういうことは一部のことで、私どもの方にもありますればやはり吉田口の方にもある。こういうふうなことで両立しておるのだから、それは解釈はいろいろあるし、うわさもいろいろあります。しかしながらそれに対して、私がそれだけについて云々ということは考えていないのでございます。それから堀内代議士が大会に出たとか、知事さんがおいでになったとか……。あれは五月の九日の大会には知事さんは見えませんでした、堀内さんも見えませんでした。三月の吉田の大会につきましては私出席しなかった、その当時は村長でもなかった、そういうことでございますから、その事情は知りませんですが、陰で聞いたことには、知事さん、堀内代議士、その他県会議員というような方が出席になったということは聞いております。以上でございます。
  124. 勝俣進

    参考人勝俣進君) 別にあの運動が何か下火になったとか、あるいは地元に水をかげたとかいうことは聞いておりません。知事も言っておりますように、B地区返還の運動は今後とも強力に推進すると思っておりますので、さらに期成同盟は強く運動することと思います。別にそういった何か知事があの運動を阻止するというようなことは、私も考えないし、またそういうことも聞いておりません。
  125. 堀眞琴

    ○堀眞琴君 私は向うへ参りまして聞いたところによりますと、最初砲座は船津口のバスが運行する道路の方に予定されておった。そこで堀内君やあるいは知事がそれでは困るというので、たまたまそこへ返還運動が起ってきた、そこでこれに便乗した。幸い六項目によって船津口の道路が自由に使用されることになり、砲座は鳴沢から林道に入った所に移った。こういうことなんですね。そういういろいろな事情等を考えますと、かなりそこに暗い陰をわれわれは感ずるのです。そういう点を井出さんは、当時は村長さんでなかったからよくわからぬというお話です。そういうことが農民の問に少しでも伝わっておるということは、これはやはり何らかの根拠があっての話ではないかと私想像するわけなんです。そこで、そういう問題はぜひともそんなことのないように、村長さんはみずから個人の利益のためにあの運動をやっておるのではないということを言明しておるので、その運動を大いに推進していただきたいし、それから、知事さんもそれを推進されると言われておるのですが、どうも私は運動を見ますと、水をぶっかけておるのじゃないかという感じがする。もし知事さんがほんとうにこの運動を推進しようという意気込みを持っていられるなら、六項目を出される前の態度を依然として今日も持ち続けられるのが当然じゃないかと思いますが、その点はどうなんですか。
  126. 勝俣進

    参考人勝俣進君) 別に前と態度は変っておりません。ただいろいろな事情から、あるいは中断というような格好になったかもしれませんけれども、何ら同盟の態度は変っておりません。今後もそういう要望は強く出されると思います。(「委員長」と呼ぶ者あり)
  127. 新谷寅三郎

    委員長新谷寅三郎君) 参考人の方に申し上げます。委員の質問に対してお答えを願いたいと思います。
  128. 宮田重文

    ○宮田重文君 井出さんにちょっと伺いたいのですが、今のそのB地区返還同盟ですね、その組織はどういうふうになっておるのですか。それから、それによって、相変らずその六項目を中心にして今後どういうような動きをされようとしているのか、その辺のことを伺いたい。同時にまた、先ほど小林君は何かその六項目について反対の御意見を表明されておるのですが、あなたはそのB地区返還同盟の一員であるのかどうか、そういう点をお答え願います。先に井出さんに……。
  129. 井出央

    参考人井出央君) それはやはり山梨県知事が返還期成同盟の会長になっております。県会議長が副会長、それから地元の吉田市長も副会長、鳴沢村ほか四ヵ村組合長も副会長になっております。そのほか県会議員が参与になっております。それから代議士が顧問になっておる。各関係町村の議長が常任実行委員で、村長はまあ常任委員。しかし、村長というものは非常にほかにも多忙で、そういうことばかりかかっていられないから、つまり実行委員になるよりも……、村のつまり運行が振わないというようなことも考えなければならぬ。そういう機構になっておりまして、地方と連絡によって、B地区反対については返還同盟、つまり返還については極力できるだけの方法を講じて、まあやると、こういう次第になっております。ただそのことにつきまして、私、船津の村では、非常にこの入り口でございますから、とにかくいろいろな人が大勢来て、いろいろなことを言って……、私ちょっと村長になって以来、実に村の事務とかいろいろなことをするのに、まことにそれに対していろいろな説明をしたり、それから実行委員をこうして云々というような、まあ名実はないというとおかしいのですけれども、そんなようなありさまでおったものでございまして、大体鳴沢村ほか森林山林保護組合、これが森林の千五、六百町歩ばかり持っているから、もし被害があるとすればその方が大きい。それからいろいろな関係があるから、その方をやっていだだこうというふうに、こういうことになりまして、すべてその方法で今のところはやっておるのでございまして、別段わしらの方で返還のことについては、まあ全体的に、県を初め関係町村としても、怠けるとか、それに対しておかしな考えを持つとかいうことはさらにないのです。で、まあとにかく地元の人なんかというものは、認識が不足と言えば語弊があるのですけれども、やっぱり指導者のいかんによっては幾分いろいろな誤解を生ずるようなことですけれども、それでもなんです、この、すべて聞いてみますと、演習をあそこでやってもらっては困るということは、異口同音、一人としてこれに異議を言う者はないのです。ただやる方法を、つまり強力にどういうふうにやって行ったらいいかということだけでございまして、その方法につきましては、皆さんとともに研究をして、今日までもやっておるし、今後とも大いにやる決心は持っておるのでございます。
  130. 小林貢

    参考人小林貢君) 私は船津村のB地区返還期成同盟の実行委員であります。それから先ほど勝俣室長の方から言われたが、知事は一生懸命やっておると。私は絶対やっていないと思います。こういう点は言えると思います。その前に、木下委員の言われたことからやって行きたいと思いますが、申し上げます。B地区米軍に貸しておるということは、われわれは今度の演習問題が起ってきて初めて知った問題なのです。何故に村当局者が一般村民に諮らなくて、これをやったかいうことは、県の圧力によって一般に諮らずして貸したものだ、こういうことが言えると思うのです。前の前の村長助役のとき、すでにこういう問題が起って、ある役についている人から、これを相当強くつかれて、このとき助役が責任を負ってやめた、こういう状況も聞いております。一般村民が、一般が今度の問題が起ってこれがわかった。だからいかに地元の民意を尊重しないでB地区を貸したか、こういうことは言えると思います。それから、なぜ知事がこの問題に熱がないかと言えば、船津村は今畑地灌漑の問題が起っております。これは火山灰地であるし川がないわけです。われわれは、トウモロコシを食うより米を食いたい、これは人情です。畑地灌漑によってオカボを作って米を食べたい、こういうことはわれわれ昔から子々孫々まで受け継がれて行かなければならない問題だが、こういう状態であった。それがたまたま畑地灌漑によって米を食べることができる、こういうことが本格的になって、農林省の和田計画部長なんかこれに協力してくれまして、かえって下からの陳情より上から全国のモデルケースとして船津村の畑地灌漑をやりたい、それになぜ知事は判をついて出さないか、これは農林省から言うにもかかわらず、知事はこれに判をつかない、これは水利権の問題がからんでいると思うのです。この水利権というのは、今度の知事は前にもやっておったのですが、前の在任期間中、私の期間中は一メートル河口湖の水を下げることを了承する、こういうことで、これは船津村には何ら話がなくて、知事が東電と話をきめたものであって、これは県費へ繰り入れまして、河口湖北岸道路へ二千六百万かけた、こういう点があります。こういう点は私たち疑問があるわけです。けれどもどっちにしても、これを県費に繰り入れるものでもないし、地元に話さないで、独断的にやったので、何か東電と知事との間にあるのではないかということを感ずる、地元はこの問題に対して反対している、これをB地区へ関連させてきて、知事がお前たちがあくまでも六項目に反対してやるのだったら、畑地灌漑の問題もできなくなるのだ、こういうふうな圧力をかけてきた、何がために知事はわれわれの反対運動に対して水を注ぐようなことをやるか、こういう点なんです。こういうふうなことについて船津村の村長なんかの動ぎがとれなくなった、その線において村長さんなんかも動いている、そうして十九日六項目の案が出て、その後六項目が出れば登山バスは運行できる、富士山麓電鉄会社の堀内一雄、これは現在衆議院議員でありますが、これはバスが通ればいいのだ、当初においてわれわれ一般地元民を利用するだけ利用してバスが通ればいいのだ、こういう気持だったのですが、十九日に現在の県会議員井出与五右衛門、前の県会議員であったところの井出公済、ここにおられる船津村長、それから船津村の村会議員、これを湖月旅館へ集めて、お前たち項目をのむように村民へ働きかけてくれ、こういう点を提出した、何のためにこういうことを堀内氏たちが出さなければならないか、こういう点なんです。これに対してそこで言われた議員、村長は、とにかく船津村は、大項目反対、B地区返還を徹底的に戦い抜くということを言っている、こういう状態であればわれわれがのむということを、われわれは了承しようじゃないか、こういうことを言われた、そうして三回目の五月二十五日の被害調査あとの実行委員会のときに、われわれ実行委員会とすれば徹底的にやり抜く、こういう決議をやったわけです。これに対して村長を初め、村会議員から言われたことは、ともかく私たち実行委員だけが一生懸命やると言っても、村民がどうだかわからない、村民に諮ってみろ、私たち実行委員会は全部をもってこれを戦い抜く、こういう決議をやったものだから、村民も当然ついてくるにきまっている、各部落からわれわれは選出されたのであるからというわけで、たかをくくっていたわけなんです、正直の話が……。でそれなら村民に諮ってみよう、船津村は二十一部落があるわけですが、部落へ帰ってこれを諮った、その間に村当局者は各部落を廻って、これは村会議員が事実において動いています、そして六項目を反対するということでなく、ぜひ賛成してくれ、こういう圧力をかけている、そうしてそれにもかかわらず二十一部落のうち十部落はこれに対して絶対に反対して行く、それから切り崩しをかけられたような部落とか、比較的に当局者に近いような部落ですね、こういうふうな部落は賛成だと、これは九部落です。保留が二部落ある、こういうふうな状態なんです。それで私が来る前の日は、ある部落から村会議員が二人出ておるが、この村会議員はそこの部落長のところへ行って、ここの部落からわれわれ議員が二人も出ているのだ、それにもかかわらず六項目問題を反対して戦うと、こういうことじゃわれわれの立場がないのだと、何とか賛成するようにもう一回了解してくれと、こういうことを言って冷やしている、こういうふうな現実の問題から考えて、知事初め村の当局者はもう圧力をかけられて動けないのです。こういうふうな反対運動をやっている。そうして初期の第一回の県民大会のときは、天野県知事は、身命をとしてもB地区返還のために戦う、こういうことを言ったのが、ぐずぐずと、今度逆の動きをやっている、それから堀内衆議院議員ですね、山麓の社長、この人は民主党を脱党しても私はあくまでも戦い抜きます、こういうことを言った、そうして民主党員でありながら、民主党というものがいかに悪いかということが民主党員の心の中にあるのですよ。なぜ脱党して戦わなければならぬかということですよ、結局B地区返還は民主党は反対だ、こういう解釈を私は持ちたい、こういう点が言えると思うのですよ。それからこの反対は、ある新聞記者が言っておりましたよ“私はある方面から圧力をかけられて取材も十分できない、これはどこの新聞記者か私知りませんが、こういうことを言っている。それから鳴沢村なんか東京大学生とか、各種団体の人が実地調査に行くのです、バスから降りると私服あるいは制服の巡査があとをついてくる。役場へ行けば役場へ行く、それから各戸に当っで調査しようとすれば、それにどんどんついて来る、こうしてやったあとその家へ行って、警察が、何をあの人が聞いた、お前たちは何を言ったか、こういうことを言って圧力をかけてひっつぶすような状態をやっている、各所においてこういう点がやられている。これから見て、知事初め関係役職員は、われわれの運動を反対する方へ持って行く、こういう状態にあると思うのですよ。以上。
  131. 宮田重文

    ○宮田重文君 今小林君の御意見によると、六項目を中心にして、どうもあなた方が、実行委員として反対しておると、しかしそれは何か圧力をかけることだけであって、われわれとしてはどうも意思が沿わないと、しかし知事は実行委員会の会議であるということの今お話も出ていたのですが、その実行委員会の内部の思想統一は、どういうふうになっていますか、現在はそういう点についての何か取りまとめをもう少しB地区返還同盟としてこういうふうに行こうというような御相談はしていないのですか。実行委員人たちは、皆圧力をかけられているから、知事はだめだというようなことだけで、知事はもう浮き上らして、あなたがたは別行動で行こうという気持なんですか、その点。
  132. 小林貢

    参考人小林貢君) 私どもは別行動をとろうということは考えておりません。吉田で県の最後の実行委員会があったと思います。これは私は常任委員でない、県の実行委員でないからこれは出席しておりません。この会議の内容を聞いてみると、地元の各村長とか、そういう実行委員になっている人、それから県から来た人なんかこれに出席しておりますけれども、われわれ反対する者の発言は封じて、発言はさせないような方法をとっている、で、私たちは県庁を動かして、県の力で県知事を動かしてその力でやろうということをやっているのですけれども、実際にもうこれに対して圧力をかけられて、そうしてサボすることでは、とても私たちは県知事を引いて行くということができない状態になっているのですよ。で、もし県が動かなかったら、私たち地元としてこれを全国運動へ展開して、富士山はただ単に地元のものではない、こういうことで、だから日本人すべての力を結集して戦うと、こういう方針をやろうじゃないかということを話し合われているわけです。
  133. 堀眞琴

    ○堀眞琴君 勝俣さんにお尋ねいたしますが、A地区B地区の借上料、あるいは損害に対する補償額ですね、それらをお聞かせ願いたいと思うのです。
  134. 勝俣進

    参考人勝俣進君) 私の聞くところによりますと、A地区はたしか昨年までは坪四銭五厘でしたか、それからB地区の方は四銭一厘九毛とか聞いておりますが、そんなふうなことであります。
  135. 堀眞琴

    ○堀眞琴君 それは借上料ですか。
  136. 勝俣進

    参考人勝俣進君) そうであります。
  137. 堀眞琴

    ○堀眞琴君 そのほかの損害に対する補償等はどうなっておりますか。
  138. 勝俣進

    参考人勝俣進君) 補償はその損害のあったつど調査しましてもらうのであって、まだ昨年、一昨年の分は参っておりませんが、その前の分あたりからは立木の損害補償とか、そういう点で逐次参っております。
  139. 堀眞琴

    ○堀眞琴君 さっきのA地区渡辺君の証言でですね、講和発効前のいわば補償、見舞金といいますか、三百七十万円、それから発効後一年分の損害補償として九百五十万円、これが非常に少い額であるということが証言されたわけですが、それらのことは御存じなんでしょうか。
  140. 勝俣進

    参考人勝俣進君) それは村当局と直接に横浜の人たちですか、その方と交渉しましてきめたわけでありまして、県は中間に入っておらぬのであります。
  141. 堀眞琴

    ○堀眞琴君 先ほどのお話でですね、農民の声をできるだけ政府やあるいは関係当局の方に、県としては伝えるというお話でありましたですね。借上料等についても農民の間に相当の不満があると思うのです。B地区の場合については毎年々々あれは更新して来ているんですね。ところが昨年以後再契約をするということでまだ借上料がきまっていない。何か聞くところによりますというと、非常に安い値段で借り上げをしようと、再契約をしようというようなことを私は聞いておるんでございますがね。それらについてあなた方の方では地元の、たとえば船津村なら船津村、忍野村なら忍野村が、それぞれ関係当局と直接交渉してきめるんだということでお聞きにならぬということなんですか。
  142. 勝俣進

    参考人勝俣進君) 現在まではそんなような方針であります。県自身は当初申し上げましたように、A地区内には千七百万町歩ばかりの財産を持っております。さらにB地区の中には一万五千町歩のものを持っております。こういう点につきましては県の方でもそれぞれ使用料の値上げとか、あるいは損害補償という点につきましては交渉を進めております。
  143. 堀眞琴

    ○堀眞琴君 その借上料の値上げとか、あるいは補償の請求ですがね、具体的には最近いつやっておりますか。
  144. 勝俣進

    参考人勝俣進君) これは私でなくて林務部長の方でやっておりますので、最近も何か林務部長が参ってやっておるようでありますが、私は直接まだやっておりません。
  145. 堀眞琴

    ○堀眞琴君 それに対する、何かその書類等は県庁の方にあるわけですね。それをこちらの方に提出していただけましょうか。
  146. 勝俣進

    参考人勝俣進君) その使用料値上げ等はやっぱり交渉でございますからね、交渉の過程においてきめられることでありまして、その書面等がどうなっておりますか、私も聞いておりませんので、一応帰って調べてみます。
  147. 堀眞琴

    ○堀眞琴君 ではその資料を一応提出して下さい、こちらへ。
  148. 木下源吾

    ○木下源吾君 先ほど国会へ陳情書を出したと、参考人、言っておりますが、今調べてみましたがそういうものは出ておらない。そういうものは出ておらない。
  149. 勝俣進

    参考人勝俣進君) 県選出の廣瀬参議院議員を通じて出したはずです。
  150. 木下源吾

    ○木下源吾君 議長へ出したものなら、当然われわれ委員会の方にも回っておると思う。今その実際を調べたんです。来ておらない。こういう実情でいかに県が不親切であるか、この問題解決に対して一片の誠意も示しておらないということが明瞭だと思います。ことに参考人の言うことはだな、ただいまの事実を一つ見てもでたらめこの上もないと私は思う。
  151. 勝俣進

    参考人勝俣進君) 木下先生からお叱りを受けましたが、でたらめとか何とかいうことは私はやっておりません。これは当然正式な機関を通じてやることでありまして、同盟の方から前述の参議院議員を通じて出したということは事実であります。
  152. 新谷寅三郎

    委員長新谷寅三郎君) 時間も大分経過いたしましたが、調達庁から福島長官と山中不動産部長が出席しておられます。調達庁の方々に対して御質疑のあります方は御発言願いたいと思います。
  153. 加瀬完

    ○加瀬完君 調達庁の長官に伺いたいのでありますが、この六項目についていろいろ話し合いをされたのでありますが、これは調達庁も御関係なさって  おられるのでありましょうか。
  154. 福島愼太郎

    政府委員福島愼太郎君) 私が作ったのであります。
  155. 加瀬完

    ○加瀬完君 そういたしますと、調達庁としては参考人の各位から述べられた地元民の希望、こういう問題をどういうふうに入れようと努められたか、あるいはアメリカ軍と折衝をいたしまして地元民の希望が入れられなかったのはどこか、またその理由は何か、この点についてお話をいただきたいと思います。
  156. 福島愼太郎

    政府委員福島愼太郎君) この六項目と申しますものは、先般いわゆるB地区からA地区への射撃問題に関連いたしまして、現地で騒ぎが起りましたときに作ったわけであります。あれはB地区からA地区に対する射撃に不満である、反対である、そういう現地の諸君の希望であった。射撃に反対である、それはわかっておりますけれども、しかしあの時期において射撃をすることは、使用協定といいますか、演習場使用条件の中に明瞭に入っておって、アメリカ側が射撃をする権限を持っていることはわかっている。射撃に反対であっても、射撃をさせるという権限を与えておるわけです。しからば、いたずらに射撃をしてはいかぬ、撃ってはいかぬということは言えないわけだ。撃つ方法について手続に改良を要するという点はあったでありましょう。撃たせないということは言うことができない。しからば問題はその射撃自体よりも、そういう射撃に関連して事前の調整がスムーズに行われない、あるいは原則的に存在するいろいろな不満があるとかいうような点が改善せられなければ、射撃はしてよろしいという了解を日本側が与えておきながら、撃つことは、撃ったらいつでも困る、困るということになるにきまっておる、土台をなす状況を改善しなければ、現地の人が射撃に反対であっても、それは射撃はだれだって好きじゃありませんけれども、しかしたまには撃つのはよろしいということになっておる。現地で一番困るということを言っておるB地区というのは、たまの落ちる地域ではないということに昔からなっておる。しかしそれに対して、B地区にもたまを落そうという風説が流布されておる。これが不安だ。射撃をすること自体は、協定の範囲内でやるのであるから、万々希望はしないにしても、いたし方ないどいうことはあっても、あすこからB地区に落さないまでも、A地区に落す射撃であっても、はずれればこれでB地区がある程度被弾地区になるという不安が一番大きいのである、これが現地の御説明であって、B地区被弾地区でないということに現行の協定上なっておるのじゃないか、それは保証ができない、将来するといっておるのだ、こういう場合に、これがだんだん将来なるのじゃないか、でありますから六項目の第一番に、将来とも被弾地区にしない、現地の一番大きな不安であるそういう第一条項ができておるわけです。被弾地区になっていないということはもとより書いてあるけれども、六項目の最初に書いてあっても役に立たないと今おっしやいましたけれども、将来被弾地区にするという不安がある。それが射撃をすることに反対する運動である、こういうことであるが、現在たまの落ちる地区ではないが、将来ともしないという保証をとりつけたわけで、その保証は当てにならないということをおっしゃっておりますが、それは当てにならないということはないのであって、現行の協定に、B地区というものを将来被弾地区にする場合には日米の話し合いによると、こう書いてある。そこでわれわれはアメリカ側に、将来ともB地区被弾地区にしないということを言わせると同時に、かりに間違ってアメリカB地区被弾地区にすると言ってきても、日本側の同意をとりつけなければならないということは、現行の協定に書いてある。日本側は将来とも同意を与えませんという返事をした。日本側が頭が満足である限りは、B地区被弾地区にならないという保証は私はあると思う。ないとおっしゃる方があるけれども、それは事実あり得ない。それから二番目の、立ち入り禁止の札を取った、これは大したことじゃない。しかし立ち入り禁止の札を取れば入れるのですから幾らでも入ることになる。それから観光客の、演習に差しつかえない限り、入る権限を認めよ、これは現行の規定にない。現行の規定において認めておることは、生業のための立ち入りということを認めておるだけだ、しかし生業のために出たり入ったりすること以外に、夏の登山客だとか秋のモミジといったようなことで大ぜいの人が入ってくるということが農民たち生業関係があるのだということで、現行の規定にないのだけれども、観光客も入ってよろしいのだという一項をつけ加えさした、これは何も入れないということをよりもりっぱなプラスである。それから生業のための立ち入り、これは前にある通りです。前にある通りのことをさらにもっと具体的に明確にした方がよかろう。それから道路の問題も、これも道路の通行の自由というものは生業のために立ち入り自由ということが一方になっておるのですけれども、生業のために道路を使うことは勝手になるわけてす。しかし観光客その他のものもあるし、バスの関連があるわけであるから、道路という問題を五番目に入れた。道路であるから、おのずからバス問題が出てくる。それから六番目に射撃に際して問題になっておった、「調整」という字句をもっと間違いの少い字句にしようじゃないか、調整という字句は、あの字の解釈では、アメリカから言ってこなければこちら側では、その場所は都合が悪いとか、その日では都合が悪いということを、希望を言って変えてもらうということはできない、コオーディネーションである、こちらの承諾を求めるということではない、いろいろ水かけ論があったわけですから、これはもっとはっきりした字句に直したい、この「調整」というあいまいの字句をはっきりした字句に変えたい。これもプラスでないといういわれは私はないと思う。従いまして、この六項目というものはB地区に関する限り、相当に改良になっておる。しかもこの六項目は、現行の協定をとりあえず改良するということを認めている。だからといって、B地区の返還という根本問題はあなた方に捨てろといっているわけではない。B地区返還ということはこの行政協定のもとへさかのぼって施設提供ということから取り組んでこなければいかぬ、かりにすらすらとだれも異存がないと言ったところで、若干の時日はかかる。それまで少くとも次の射撃をやりたいと言っておるわけなんです。それで、この現行の協定をとりあえず改良をしたい。だからといって、これをのんだからといって、B地区の返還運動をやめろと言つたことはない。しっかりおやりなさいと言うておるくらいで、これをのんだからB地区の返還ということはだめだということは私は成り立たないと考えております。
  157. 加瀬完

    ○加瀬完君 調達庁長官はどなたの質題にお答えしておるか知れませんが、私の質問は、そういうことを言っておらぬ。参考人の言っておることに一々御答弁をなさる必要はないと思う。私が言っておるのは、地元民の希望をどういうふうに取り入れたか、取り入れるについては、率直に言えばアメリカの抵抗もあったであろう。そこで特に話がつかなかったというようなことはどういうことであったのか、こういうことを特に聞いておる。もう一度お答えしていただきたい。
  158. 福島愼太郎

    政府委員福島愼太郎君) 地元民の希望というものは率直に言えば、B地区が将来とも被弾地区にならないという保証を一番やかましく言っておった。これはもうりっぱに入っておる。なおもう一つ最後に申し上げたB地区の返還運動というものはやめなくてもいいでしょう、これは。B地区の返還は認めないといっても、これはおやめになる必要はない。しかしこの六項目ど違って手数のかかる問題だろう、ゆっくりしっかりおやりなさい、なお、これはB地区の問題であるけれども、地元の問題としては、このほかにA地区の問題というものがあるというお話をしたわけです、アメリカ側とね。それもよくわかったけれども、当面アメリカ側のいろいろな手続の関係その他からいって、問題を一つずつやってもらった方が早くなるはずであるからということで、それではどうせこれらの問題を承認してもらったところで、協定を直して行かなければならない。若干時日もかかる。それからまたバスを運行するという時期になるにしても、これはまた山開き後のことであろう。七月一日が山開き、それまでA地区の問題、B地区の問題も追っかけて解決すれば同じことになるであろうから、この六項目にはA地区の問題は入っていないわけであります。従って現地の人の希望で入っていない部分があるとすれば、このA地区の問題がある、しかしA地区の問題は引き続いて話をして解決しようという交渉はしてありまして、あとでやろう、続いてやろうということになっておるわけであります。
  159. 加瀬完

    ○加瀬完君 このお話よくわからないのでありますが、結局演習支障のない場合といこことがやはりいろいろな問題に支障になってくると思うのです。現在アメリカ軍によりまして行われておる演習はどういうものがここで行われておるのか。それから一週間における使用される日数、またこれによって起るところの地元民の障害、こういう点を調達庁はどういうふうに御理解なさっておりますか。
  160. 福島愼太郎

    政府委員福島愼太郎君) B地区といえども演習場でありますので、演習支障がない限りということはアメリカ側のためにもまた生業のために立ち入りを認められている住民のためにも必要なことであろうと思います。演習をやっても何でも入れるというわけに、それは参らない。現在は地上部隊の若干の演習、それと問題となりましたA地区に対する射撃演習、この二通りある。そのうち射撃演習の方は御承知の通り過去八年間はなかった。本年に入りまして初めて、まあ始まりましてから大分回数も思った以上に重なりましたから相当な回数でありますけれども五月、六月この二ヵ月においては七回か八回か、あるいは五回か六回かはっきり覚えておりませんが、それだけあった。地上演習の方はこれはあまり正確に申し上げるわけにも参りませんが、調べますけれども、これももともとが東富士、北富士一帯に射撃演習地としてこしらえてある所でありますし、地上部隊の本格的な演習場ではありませんのできわめて小部隊の演習じゃないとか思いますが、これはやれない時期というものを定めてありませんから、ときにはあるのであろうと思いますが、さようむやみにやっておるとは考えておりません。いずれにいたしましてもB地区といえども演習場であり、調達庁としましては年次四、五千万円の地代を払っておるわけでありますから、全然演習に差しつかえない限りという条項をおろすというわけにも参らないということを御了承願いたいと思います。
  161. 加瀬完

    ○加瀬完君 問題は、結局今まで八年間借り上げられておるような場所であったかもしれないけれども、射撃演習というものは行われておらなかった。それが今度行われるようになった。問題はここにあると思うのです。そこでこの射撃演習というものを現状の通り行われておっては、六項目を並べましても、結局地元要求の大きな問題というのは解決つかないというふうにも考えられる、この点調達庁ではどうお考えになっておるでしょうか。
  162. 福島愼太郎

    政府委員福島愼太郎君) 現在通り行われておればということでありますが、五月、六月に射撃をしたことは事実であります。七、八、九はやらない。それから先のことはわかりませんけれども、七、八、九のうちに先ほど申し上げました調整その他の条件を明瞭にするということで将来もそういう動向はつかんで参ろうと考えておるわけであります。射撃のやまっておる三ヵ月間の方が双方とも頭が冷却しておるから、話し合いがよかろうと考えておるわけであります。しかし射撃が行われておれば地元の要望する大きな問題が片づかないという仰せでありますが、しからば地元の要望する大きな問題というものは何ぞやということになります。地元の要望する大きな問題というものはB地区返還であろうと私は思います。B地区被弾地区にしないということは、これは片づいておるのです。B地区返還以外には、そうなりますと大きな問題はない。B地区返還ということは協定を改訂しで演習場として提供しないということにしなければいかぬ。それは射撃が行われておりましょうとも行われておりませんでも、解決すべきときには解決しなければいけない問題であります。現状の射撃ということとは直接の関係はないように考えます。
  163. 加瀬完

    ○加瀬完君 それでは調達庁の長官はこの射撃演習というものは、地元においては射撃演習というそのこと自体については別に異論がないのだと、こういうふうに御理解なさっているんですか。
  164. 福島愼太郎

    政府委員福島愼太郎君) 射撃自体については異論がないと申し上げられるかどうか、B地区返還ということを言っておるくらいですから、そのうちで射撃ということにそれ相当の異論はあるでございましょう。しかし射撃自体については取り立てて言うほどの実害はないのだ、被弾地区にたまが落ちるという関係で、被弾地区の立木その他の関係はございます。しかしB地区においてはたまの発射する地点だけであります。そのために道をこわし、木を倒すというこういうことはあり得ると思いますけれども、射撃そのものについては、やかましいという点はどうしてもございますが、実害はないと私は考えております。
  165. 加瀬完

    ○加瀬完君 さきに参考人のお話によると、新しく行われました射撃演習ということで、立木あるいは道路その他にもいろいろ被害の起っているということをるる述べられているわけです。今までB地区が一応指定されておりましても、それほど問題が大きくならなかったというのは射撃演習というふうな問題がなかったからというふうなことにも解釈できると思う。突如射撃演習というものがここで行われて、そごに若干の被害が出てくる、さらにそれが拡大されるというふうなことになればということで、一そうB地区返還要求というものが強くなるというふうに、これを第三者的に考えれば推論ができると思う。今までアメリカ軍はこの場所を射撃演習ということに使っておらなかったと思うのでありますが、急にここに射撃演習という、演習の場というものを広げてきたということは、当然B地区全体が、調達庁がこういう六項目の特にB地区被弾地区としないといったところで、これもまたやがて破られるときがあるのじゃないかという、杞憂というか、心配が当然生まれてくると思う。そこで六項目だけの説明ではまだまだ地元からB地区返還という大きな目的という前に、いろいろの心配というものが解明されて当分の間心配ないということまでにはなっておらないと思う。私、今、長官のお話を聞いておりましても、全然なかった射撃演習が行われているなぜ行われるようになったのか。ここで行われないようにするために、全然日本政府アメリカに対して要請も努力もしなくてすむ問題なのか、こういう点はお話し合いの中には出なかったのでありましょうか。
  166. 福島愼太郎

    政府委員福島愼太郎君) これは今までやらなかったB地区射撃演習をやりますれば、それはかりにB地区にたまは落ちないとしましても、御指摘の通り道がこわれる、木が倒れるということはあるでしょう。もっとも私は木が折れる、道がこわれるというのはデモ隊が踏み倒したりしたのがだいぶ多いと思っておりますが、とにかくB地区返還という問題は、射撃ということから生まれてくるということは事実でございます。しかし政府の、国の立場に立ってみますと、過去八年間毎年数千万円という地代を払い続けて参りまして一ぺんも使ったことはない。初めて使おうとしたら使っちゃいかぬといわれるということでは、過去にさかのぼって地代を全部返してもらえば別でありますが、地元の諸君ははなはだ不仁義ではないか。過去から何年間も四、五千万円の地代を取っておったということは、使わないというつもりで貸しておったはずはないので、いつかは使うであろうというくらいは、地代を受け取るときの条件になっているはずである。それを初めての射撃のときに問題を起してしまったのですから、やはりどうも、多少私どもとしましても会計検査院や大蔵省その他の関係もある、使わないものであれば何しに八年間も何億という金を払ったかということになって非常にまずいわけです。今後も金を払ってあるから絶対使わせるという考え方は持っておりませんが、過去八年も使わなかったくらいだし、今度初めて撃つただけで、それもこのくらいごてごてしたものですから、アメリカにも話をしてやめさせもする、従って国の経費の節約になるという方向に仕事を持って行きたいと考えております。
  167. 木下源吾

    ○木下源吾君 いろいろお骨りのようで大へんですが、この演習場は今当然借りている。それで演習をやる権利が米軍アメリカ方側に権限がある、これを根拠にしてのお話、それからはよくわかるのです。私はその前、以前ですね。この演習場アメリカに提供をなさった、この提供をなさったことに対する国内法上の手続きが完全であると、こういうように了解していいのですか。
  168. 福島愼太郎

    政府委員福島愼太郎君) 建前といたしましては国内法上の手続きをすましてやってあると思います。ただ、いろいろ変った状況の土地もありまして、県有地、国有地については問題はないのです。散在しております民有地等について多少の問題が起つたこともございます。それからまた今日問題となっておりますところのA地区入会権の問題についても問題が起つたことがあります。しかしながら入会権についてはこれは土曜日と日曜しか行使できないという点で制限されておるわけです。一週間七日間あればそのうちの二日しか使えない、七分の五は使えないという権利、従ってそれに対してわれわれの方といたしましては、昨年の分はこれからでありますけれども、それまでの分として一千何百万円か払っておる。七分の五に対する金であるわけです。これは払い方についてはいろいろの理屈も、いろいろの案の立て方もあるわけであります。単純に入会権を買い上げるとか、借り上げるとか、そういう建前には行かない面もあるわけです。実質的にお話し申せば、完全に入会権に対して五日間は入ってくれるなと言っておるわけです。これを金に換算して差し上げておるわけです。従いまして入会権の問題は細かい手続きの問題その他は、いろいろな点があるかと思いますけれども、実質的には処置をしてある、民有地の所有権の関係につきましても、これは判明しておりますものをすべて借り上げの手続きをとつておる、B地区につきましては。A地区につきましては、御承知の通り開拓団が自己買い上げしてみたり何かしておるわけであります、と承知をいたしそおるわけであります。建前は明瞭に法律上の処置をとっておる。たまにそれはまあこれは役人仕事で抜けておっては困りますけれども、所有主が判明しないままに問題となつたという小さな案件はそれはあるかもしれませんと思いますけれども、原則といたしましては法律上の建前に従ってやっておるということは申し上げられると思います。
  169. 木下源吾

    ○木下源吾君 多少のものは手続きが怠っておる点があるかもしらぬが、大部分はいい、こういうことですが、いわゆる入会権ですね、この入会権というものを特調の方ではお認めになってこれが接収しておるのか。
  170. 福島愼太郎

    政府委員福島愼太郎君) この入会権と申します問題はなかなかややこしいわけなんであります。これは私よりももっと専門的な研究をしておる人がおりますから御答弁してもらった方がいいかもしれませんけれども、一応実質的な話として御理解を願いますならば、入会権というものは、まあその入会権という言葉を使いたくないものですから、入会慣行だとか何とかややこしく先ほど来話を運んでおるわけなんです。その動機となりますのは、国有地における入会権があるかないかという理論上の問題がある。学者によって学説が違うのです。それからまた明治四年に国有地に編入された地域——この今の忍草村のやつは明治十四年なんですが——これについては入会権がないという大審院の判決があるのです。大正年間に。従いましてわれわれ役人仕事でありますから、大審院の判決が入会権がない、こう言ってあるやつに対して、入会権に金を払うということはなかなかこれはやりにくいわけなんです。金を払うために、入会権の慣行があるとか何とか。従って、損害があるから払うという建前で払つておるわけなんです。入会権という言葉を使いませんことは、入会権の実質を承認したがらないで逃げるために使わないのではなくて、使わない方がつかまらずにすむから、入会権の慣行というようなことで何とかして払おうという精神で使っておるわけであります。入会権の慣行というものがあるから、それによって七分の五は阻害されるわけであります。その草が幾らになるとか、ソダが幾らになるとかいうようなことで、その実害をあとから払う。従って権利を借り上げるとか買い上げるとかいう手続きの仕方をいたしませんから、借り上げる契約というものは自然できない。一年間なら一年間阻害を受けて損失をこうむったという額を関係者に申請してもらって、それに対して補償するという形で実質的には入会権の阻害された部分の面例をみておる、こういうつもりなのであります。まあ問題となっております忍草部落入会権というものは、行政的には忍草部落にはないわけです。隣村に忍草が入る権利を持っているというあれです、これは常識的に申せば。先般の衆議院の内閣委員会でもその意味で申し上げたのでありますが、入会権はわれわれは認めておると申し上げて差しつかえない。それであればこそ千数百万何がしかも払っておるわけであります。その額が多いとか少いとかいうことになりますれば、これはまあ別の問題でありまして、大小にかかわらず払っているものは、認めていればこそ払つておる。しかしながら入会権とか、法律上の学説が違うあるいは判決その他で紛議のあります用語は避けたほうが、会計検査院その他の関係もございまして安全であり、実はこの忍草に払つております入会権に対する補償金というようなものも、会計検査院につかまりまして、不当であるとか多過ぎるとかいうことで、われわれは閉口しておる問題なんであります。
  171. 木下源吾

    ○木下源吾君 実質的にはやはり金を払つておれば権利は認めておるわけですな。
  172. 福島愼太郎

    政府委員福島愼太郎君) 実質的にはわれわれも権利を認めておるつもりでおる。従いましてあそこの人々も実質的には国は入会権を無視しておるという言いぐさは私はないと思うのです。
  173. 木下源吾

    ○木下源吾君 この入会権を認めておれば、何らかの権利だな、やっぱり国民の権利。そうすると、この権利を接収する場合に、合同委員会でこれは簡単にやり得るとは考えられない、この点はどうですか。
  174. 福島愼太郎

    政府委員福島愼太郎君) まあそういう点はこれはまあ私の時代のはるか前のことでありますけれども、どういうふうにして入会権の問題その他が考えられたか知りませんけれども、今日いささか小理屈になって恐縮でありますけれども、入会権をどうしたかということになれば、実質的にこちらも金を払おうと言い、向うも金を受け取つたということで、入会権の処置の問題は再認せられておると私どもは考えております。
  175. 木下源吾

    ○木下源吾君 私は入会権の問題を金の多寡にかかわらず一つの権利である。国民の権利であるということになれば、日米合同委員会においてこれを無視して協定をやることはできない。こういうように私は考えるのだが、その点はどうか。
  176. 福島愼太郎

    政府委員福島愼太郎君) その点はなかなか問題でございまして、先ほどちょっと申し上げた点もあるのですが、明治四年に国有地に編入された。その上の入会権というものはないのだという大審院の判例があるのです。役人仕事でございますから、そういうことで入会権があるという建前で頭からかかって行くわけにも参らない。しかし現実に草がとれないということは事実じゃないか、とれなかった草に対する損失はそういう判決、その他の関係もあるかもしらぬけれども、目をつぶって払ってしまえということが調達庁の態度。そこで会計検査院との間にごたごたしておるということなんです。
  177. 木下源吾

    ○木下源吾君 どうもこの問題の解決にそれが重大な影響があると思うのです。合同委員会に権威はあるかもしらぬけれども、やはり合同委員会は合同委員会だけの権威よりないわけです。国民のいわゆる財産権までも勝手にきめて行く、処分する権利はないと私は思う。そこでこの問題が重大なのに、今あなたがおっしゃるように権利があるのかないのか、あいまいもことしておいたのでは、この問題の根本的解決にならないのじゃないか、こう考えるので、それに対して一体調達庁では何か研究をしておるか。この問題解決のためにこれが重大なポイントであるということを認識しておるのかどうか。
  178. 福島愼太郎

    政府委員福島愼太郎君) この国有地上の入会権の問題というものは、重大な問題であるということは考えております。理論的にも裁判所の判決その他いろいろに分れておる。学説も分れておる。調達庁が踏み切ったところで、理論的に解決する問題ではないわけです。従いまして入会権という用語の使用を避けて、現実の実質の損害は穴埋めをするという処置で今日まで来ておるわけであります。
  179. 木下源吾

    ○木下源吾君 そういうような御処置は私は適当だと思うのですよ。しかしたまたま今日これを返還してくれという問題になれば、やはり互いに暴力ではいけない、これはいろいろ話し合いで解決しなければいかぬのであるが、その問題の解決に、すでにこれを接収した日米合同委員会、これが完全に手続上においてやったのではない。疑義があるのをやったのだ、こういうことに私はなると思うのです。疑義がある。いやしくも二十町歩かならば完全にあなたは手続をとって承諾を得ておられるようなことを言うが、今聞くと承諾書も何も書いておらぬ、それは事実書いておらぬ。譲与権の問題は片一方はこれは物権と主張しておる。入会権はこれは物権であるかないかはあなたの言うように論争になる問題だ。しかしながら、やはりそういうような複雑な、将来の問題になるようなことを合同委員会におっかぶせて、この人たちの話を聞いてみると、日米合同委員会というものは神聖にして侵すべからざるような権限を持っておるという態度ですよ。これをもう少し丁寧に、こういう問題が起きないように最初に処理せられてしかるべきではなかったか、また今度の問題が起きてからでも、こういう点で言及して考えて、相手方と、こういう問題の起きる根本的な理由があるということを解明する必要があるのではなかったか。また今後もそれは十分にあると思うのですが、やはり今日までのやり方は適法であり、そうしてこれを継続することは、これに反対するものは不法である。こういうようにきめつけてい。て、これは解決がつくとお考えになっておりますか、もし解決がつくとすれば、どういう方法でこれを解決するか、こういう問題を一つ……。
  180. 福島愼太郎

    政府委員福島愼太郎君) 入会権の性質の問題について疑義があるという御指摘でございまして、それはそうでございましょうと私も思います。しかるに今度のA地区の問題に関連して、忍草部落の諸君が、入会権は渡してないのだからこっちは勝手に入る、こういうふうなことが言えるかどうかということになりますと、とにかく途中で金を受け取ったりなんかして追認をした形式になっておる。初めからそういう疑義のある形式でやったのだから、返せということは言えるかもわからぬが、渡してないのだということは私は言えないと考える。従いまして、入会権の問題について処置が十分にとれていないのだから、われわれは権利があるのだから勝手に入るということに今度なったようでありますけれども、それはどうかと私は思う。そういう疑義があったりなんかするのだから、この際返してくれということであれば、これはA地区かありますから簡単に返せるかどうかわかりませんが、取り上げる筋道というものはあると思う。従いまして、私といたしましてはB地区のバスの問題、その他富士の山開きに備えて、それまでに正式化しておこう、いわゆる六項目は一応の了解になりましたものを、協定事項その他に六月一ぱいにまとめあげよう、その場合にA地区の忍草部落入会の問題についても解決するものは一緒に解決したい。そこで六月の十一日ですか、忍草部落へ私も自分で参りまして、一体忍草部落の諸君としては何を希望するのか、どうすればよいのかということを聞いたわけです。A地区ということにはなっておっても、実際にたまの洛ちない地域があるのですし、忍草に最も近い部面においては、そことてもやはりA地区ということになっておりますから、一週間に二日ほどしか入っておらない。A地区全般は一週間に二日ですけれども、たまの落ちないということの確実なA地区、つまりその途中にアメリカ側の兵舎がありますから、兵舎を目がけてたまを撃つはずはない。従ってたまの落ちっこない地域がある。これをA地区とする必要はない、B地区ということにして、演習に差しつかえなければいつでも入るということにしたらいい。そういうことでA地区のままでも一週間に七日入るということにすれば、それは同じことなので、そういう地域をこしらえるとか、あるいは一般の被弾地区の方は一週間二回立ち入りで差しつかえないけれども、その場合さし木その他の作業ができるようにしてもらいたい。これはあとアメリカ演習で踏み荒されたところで、そこまで言うわけには行かないけれども、とにかくそれだけのリスクはとるが、A地区全般について立ち入り時期に、土曜日曜に入るときにさし木するようにしたい。あるいは石取り場でその他の権利を忍草部落のために与えて、これは昔からあった権利であります。それでそういうような条件をやっと今ごろになってわかったようなわけで、仕事としても多少工合が悪いのですけれども、七月一日に解決するために十一日に行って、どうすれば現地A地区の、忍草部落の諸君は納得するものであるかという条件を直接ここにおいでの諸君から承わったわけです。そこで十二日に東京へ帰って参りまして、これを七月一日までに同時に解決することが仕事としても上できでありますので、ぜひとも七月一日までにやりたいということでアメリカとの交渉にかかったわけです。最近は国会開会中でありますので、なかなか時間もさけないのでありますために、最後の交渉と言いますか、かなり重要な交渉を十九日の日曜日の夜まで、担当官だけでは工合も悪いと思いましたので、先方の参謀部長その他の私宅まで行きまして、十九日夜おそくまでかかって大体の話をして参りました。十九日と申しましても、まだ七月一日まで十日ありますから、これならできるという確信を抱いて帰って参ったのです。しかるに二十日から連中がすわり込んでおる、こういうことです。連中がすわり込んだということは、おそらくB地区との同時解決はできないだろう、同時解決してくれなければ困るというので、すわり込んだのだろうと私は考えております。言いぐさとしては、入会権とかいろんなことを言いますけれども、実際はB地区との同時解決を要求してのすわり込みであって、その意味においては、私もわからぬことはない、別にすわり込んだからどうだということも考えておりません。しかし二十日にすわり込むということは、私どもはそれをやってみせるという、万一七月一日にできなければ、たとえば五日にできるということであれば、しようがない、B地区のやつも五日まで延ばしてもらって、両方一緒だったということにしよう、それ以上延びたらどうするか、あまりA地区とのつり合いでB地区まで待たしても都合の悪いこともあるかもしれません。そのときになって相談してみなければわからない、良心的にきめよう、しかし目標としては七月一日までに両方とも一緒にやろうということで、十二日に帰ってきて、十九日に大体話をつけて、二十日にすわり込まれたということでありますから、十九日から一日までには、あのままで行けばりっぱにできておったわけなんです。従いまして、入会権の問題をどう処置したらいいかというようなことにつきましては、忍草部落の諸君の希望というものは、直接私は現地に行ってその希望を聞き、それに従って交渉もし、アメリカ側との交渉もしておったつもりでございます。
  181. 木下源吾

    ○木下源吾君 先ほど来四、五千万円の借り賃を払っておるということですが、一方の話を聞くと、そんなに行っていない。これはあとは県へ行っているのですか、この点。
  182. 福島愼太郎

    政府委員福島愼太郎君) 大株主は県でございます。
  183. 木下源吾

    ○木下源吾君 それからたまを撃ってもいいか悪いかの問題ですが、これは大変重要だと思うのです。これは貸した以上は何をしてもいいのか、原子爆弾をやってもいいのか、これは私一つの問題だと思うのですが、その点は一体どういうふうに考えておられるのでしょうか。
  184. 福島愼太郎

    政府委員福島愼太郎君) 貸した以上は煮ても焼いてもいいのだということには絶対になりません。たまを撃つということは使用条件に書いてある、例外的に撃つということ……、従って例外的に、八年に何べんとか、一年に何べんとか例外的とわれわれは考えて、これは例外だからしようがないというのであれば、先方に権利があるという……、何をしてもいいということでは絶対にございません。
  185. 木下源吾

    ○木下源吾君 もうこれで大体やめますが、この合同委員会の記録、それは貸してもらえますか。
  186. 福島愼太郎

    政府委員福島愼太郎君) 合同委員会並びにこれに付随いたします委員会の決定その他の事項は出せると思います。議事録は出さないことに両国の話し合いはなっておりますので、出せないのじゃないかと思います。
  187. 木下源吾

    ○木下源吾君 それは話し合いか、行政協定の条文にでもあるのですか、根拠は何ですか。
  188. 福島愼太郎

    政府委員福島愼太郎君) 行政協定の条文にそういうものは載っていないと思います。出さないことにしようということになっておるのだと思います。
  189. 木下源吾

    ○木下源吾君 それは何ですか、岡崎・ラスク会談とか何とか、そういうような形式になっておるのですか。
  190. 福島愼太郎

    政府委員福島愼太郎君) いや、別にそういう取りまとまったものになっておるとは思いません。私もそこのところまで調べておりませんが、書いてあるか、書いてないか、それはよくわかりませんが、双方の合意によって議事録は出すまい、しかし決定したものは出さないとこれは仕事になりませんので、議事録を書類に引き直して出すということになれば出せないこともないと思います。出さないということにしようという双方の申し合せになっておりますことは間違いないと思います。出せないということはないわけで、双方の了解さえつければ出せるわけであります。
  191. 木下源吾

    ○木下源吾君 これは私は国会に諮らなければならぬことでも、確かにきめていくおそれがある。そういう委員会の議事録は当然私は国会が要求した場合には出すべきだと、こう考えておるんだが、これはめんどうですか、やはりそういうことは出さないことにかたく結んであるのですか。
  192. 福島愼太郎

    政府委員福島愼太郎君) 日米合同会議の決定と申しますものは、日米合同会議の決定は、あくまで日米合同会議の決定でありまして、両国政府間の協定ではないのであります。日米合同委員会できまりましたことを、われわれの方ではこれを閣議に提出するのであります。で、閣議が決定をいたしましてから、日米協定をそれに従って作るつもりであります。私どもの日米合合委員会は閣議決定の裁量までのところしか権限がないのであります。従いまして、国民に対する拘束とか、あるいは外国に対する約束という面のことは一切合同委員会より一段上のレベルにまかされておるわけであります。
  193. 堀眞琴

    ○堀眞琴君 一、二の点お尋ねしたいのですが第一に、まず、ただいま木下委員から、今度のB地区なりA地区なりの実弾射撃についての事前の手続において欠けるところがあったんじゃないかという質問に対しまして、十分その手は尽したという御返事だったわけです。ところが先ほどのA地区の方の陳述によりますと、入会、これは入会権と一応言わしてもらいます。入会権の接収についても、それからまた個人の所有の土地についても、これを接収するに当って何ら本人に通告がなかった、こういうことが言われております。なお個人の所有地については一部はこれを認めているということは私は聞いております。これはほかの人々はそういう話はあったが、通告はあったが、しかしこれを承認していないのだ、こういうことなんですが、木下委員の質問のように、両者の間で一応これを、たとえばB地区として設定するとか、あるいはA地区を約倍に伸ばしていますが、拡張していますか、A地区は二倍になっているのです、陸軍演習場のときに比べる場合……、それぞれの措置をするためには、その権限のある者に対して調達庁としては一応承認を求めるということをしなければならぬと思う。その承認の基礎の上に立って初めて施設なり、区域なりの設定ができるのじゃないかと思いますが、その点についてはどのような措置をとられたのか、お尋ねしたい。
  194. 福島愼太郎

    政府委員福島愼太郎君) まあだいぶ前のことでありまして、私がやったんではないから想像でございますが、これはまた調べましてから事実はお答えしなければならぬと思いますが、土台が大部分、旧来の陸軍A地区は、インパクト・エリアは国有財産ですが、伸ばしました部分は県有地なわけです。従いまして、この方面は県とおそらく相談をした、しかし県有地の上に入会権が乗っかっているのではないか。それを国としては直接入会権の所有者と話をしたかということになる。まあその点はおそらくしてないだろうと思います。まあ県でやってもらうぐらりいのつもりでおつたんだろうと思います。しかし今日となりましては、無理やりでも何でもあとから金を払いまして受け取ってしまったということでありまして、追認を得ておるということでがんばれるのではないかと思っておりますが、なおよく調べてみたいと思っております。なお個人の所有地で契約がしてないという関係も多々あるのでありますが、しかしこれはそうたくさんはない、B地区にはあるでありましょうが、A地区にはない。ただまあ同じA地区と申しましても、われわれの方では話があることですが、キャンプの目前の百八十八町歩の地面と申しますものは、もともと富士山麓電鉄の所有地であって、それが転々と変って国有になった。あとからそのA地区に編入され、国有に編入された面があります。それらのところに所有主のわからない、今となって見ると、これはもちろん所有者があったというようなところがあるのではないかと思います。まあ現にそこに御出席長田さんの地面というやつが問題になっておる。これは大正十五年に冨士山麓電鉄が株式募集の際、株主の特殊利益として六百人以上に対し分譲した地面で、その後再三の所有権移転の末に昭和二十二年に長田さんの所有になった、接収当時にはわからなかったわけであります、誰の地面であるか……。それからまた所有者、中間の所有者はどっかにいたわけでありますが、遠隔におったというようなことで、こういうことができるのですか、どうですか、冨士山麓を相手に一括一応約束をしたということなんです。そこで富士山麓に金を払って、所有者が見つかり次第、富士山麓から渡してくれという渡し方をしておるのです。長田さんから富士山麓に対する受け取りはここについておる、ですから、めぐりめぐって渡っておるわけであります。しかし、なかなかやり方としてこれでぴったりよろしいということが言えるかどうか、それは自信がありませんけれども、実質的な御説明といたしましては、そういうややこしい経緯を経た土地が非常にたくさんあるのでありますので、中には正面切りまして御指摘をいただけば、あるいは返答のしように困るといったものがないとはっきり申し上げるわけには参らないのであります。
  195. 堀眞琴

    ○堀眞琴君 それから損害補償の問題ですが、A地区には二度にわたって三百七十万円、九百五十万円と支払われておるのです。それでことしの五月のやつが講和発効後一年分の補償額になるわけです。もちろんこの補償額に対しては忍草部落の人々は不満を持っているわけなんです。その補償額についてどういうような基準に基いて、大ざっぱなものを、あまり具体的には資料をお持ちかどうかわかりませんが、それはどういう基準に基いて補償額を算定されたのか、そのことをお尋ねしたいと思います。
  196. 福島愼太郎

    政府委員福島愼太郎君) それは忍草部落の諸君の草取り、その他を阻害したという関係で今日まで払いました金額は、最初の分が、占領期間中の分が四百五十万円、二十八年三月末日までの分が九百五十三万円、こういうことになっておるわけです。これはまあつまり入会権というものを借り上げたとか、何だとかいうような払い方をしておらない、これだけの草なり、ソダなりを取りそこなったというような計算をしておるのだろうというふうに了解をしております。それでその金額が少いというお話でございましたが、それはまあ忍草部落の諸点はこれは少いと言うのです。こう言うのでありますが、これは相当に有利な計算であるということに私どもは確信を持っております。会計検査院からは、これでは烈火のごとく怒られておるような始末でありまして、調達庁もなかなか楽じゃないのでありますが、それはまあ多い方が決して悪いことはないのでありますから、これで十分ということをおっしゃらなかったといって、決してけしからぬとは思いませんけれども、少いということはおっしゃればおっしゃれるでありましょうが、実際の問題として、これはすべて草とソダでありますから、二百七、八十軒分の人たちに対する支払い、まあ役所のことでありますから、そうではないと思いますけれども、しかしながら決して少い金額でもないように思っております。なお計算の方法その他、もし御必要ございましたら、ほかのものから御説明します。
  197. 堀眞琴

    ○堀眞琴君 それから借上料の問題ですね、先ほど山梨県の勝俣君からのお話で四銭一厘ということになりましたが、算定をしておりましたが、ところがB地区のやつは去年、毎年更新してきた契約を再契約をするというのでそのままストップになっております。これについては、どのような今措置を調達庁としては考えておるのですか。
  198. 福島愼太郎

    政府委員福島愼太郎君) A地区がこれも私はあまり詳しいことは知らないのですが、筋道だけは知っておりますが、A地区は四銭五厘とか、六厘とか、B地区の方が四銭一厘とかいうことでありますが、B地区県有地が多いところでありまして、山梨県側から借料を上げてもらいたいというお話があるのでありますが、いわゆる土台の地面の借料には別に区別して値段はつけておりませんが、被害程度によって差をつける方式をとっているのでありますが、A地区の方はたまが落ちるので借料は高く計算されるわけです。で、当然損害額があるはずだ。従ってその関係で変っておる、多少の差があるのだろうと思いますが、はなはだ説明になるか、なりませんか、知りませんが、それでまあ四銭一厘は安いから上げてくれと山梨県の御希望があるようです。あるようですけれども、またそれが土地の値段なども、そういう感情的要素で感情的と言えるかどうか知りませんが、一そういう交渉の方法はないかもしれませんけれども、四銭でも四銭一厘でも、今まで八年間ほとんど使わずにおった四銭なんだ。従ってその間は地元の諸君が自由自在に使っておったわけです。今ごろになって高いとか、何とか言っても、こっちも受けつけないということではなかろうかと思います。私がやっているのじゃないのです。従いまして、更新されないということは、目下押し問答中という意味でございまよう。決して払わないとか、下げるとか、下げることはあるいは考えるかもしれませんが、そういう意味で更新しないということではなくて、通常の契約の交渉というものに関連しますいろいろな事態のために交渉中なのであろうと思います。
  199. 堀眞琴

    ○堀眞琴君 同時解決の問題ですが、今のお話ですと、A地区のゲイトの前の百八十町歩ですか、あそこを何とか解決しよというお話のように承わったのですが、そのように理解してよろしいのですか。
  200. 福島愼太郎

    政府委員福島愼太郎君) A地区のゲイトの前の百八十八町歩を、これをB地区にするとか、あるいはA地区のままで毎日の立ち入りを認めるとか、まあA地区のままで毎日の立ち入りを認めるということになると思います。B地区にするわけに参らぬのですよ。あれは地元に頼まれて国で買ったのです。買わなければいいと私は思うのですけれども、買っだものですから、つまりアメリカのために必要なんだというので買ったわけですから、それを今さらB地区に直すとか、何とか言いますと、何のために金を出したかわからないことになります。どうも再々地元の御要望に従ってへまばかりやるという役所になってしまいますので、まあ格好を作るためにも、A地区のままで、演習していないのですから、毎日入ったっていいじゃないかという議論をせざるを得ない。それが一つと、それからあれのずっと吉田寄りの方で、石切り場を何とかを認める。それと今度は実際のたまの落ちます奥のほんものの被弾地区の、三百町歩くらいだと忍草関係の諸君は言っていますが、それを土曜、日曜は忍草の諸君は入れるのですから、入ったときに草なり、ソダなりとって帰つって来るというわけです。それをさし木して帰って来る。踏み荒されても、これはあきらめるという了解のもとに、そのくらいな話はアメリカ側として見ようかということで忍草の話は別れて帰って参り、引き続いてこれは事務的にやる前に少し私の手元で話をしておいた方がいいと思いまして、申し上げましたように、十九日までかかって話をしてあるのですが、その後すわり込み事件が勃発いたしましてから全然話はしておりません。どういうふうに向の空気が変って参りましたか、それらもわかりませんで、何とも同時解決になるかならないか、保証はできません。しかし同時解決になることになっておったことは間違いありません。
  201. 堀眞琴

    ○堀眞琴君 現在は土曜日は午後一時から六時まで入れるのです。日曜日は朝から夕方まで入れるわけですね。まあ二日と申しましても、実際においては一日半です。従って、忍草部落人たちは、飼料にも困れば、堆肥の草にも困るというのが現状で、従って補償金が少いという問題が起ってくると思うのです。これはかつて陸軍演習場当時に村民が持っておったように、演習支障彦ない限りA地区内に自由に立ち入りをして、そうして採草や薪炭等をとるという、そういうことを向う側に交渉する意図はありましょうか。
  202. 福島愼太郎

    政府委員福島愼太郎君) それはできたらやって見たいと思いますが、かりにそれが成立いたしましても、同じことじゃないかと思うのです。つまり月曜日から金曜までは相当たまを繋っておりますので、演習しておるわけですから、演習支障のない限り入れるということに引き直しましても、入れるのは土曜日と日曜日になってしまう。下手まごついて土曜日の午後でも演習していいという形を与えてもまずいと思いますので、なおその点は御指摘の点に従いまして、有利な方式が定められるかどうか、土曜、日曜をまず確保しておいて、この次は演習支障のない限りという、いい方になればいいわけでありますので、ともかく考えてはみたいと思いますが、いきなり土曜、日曜は演習支障ない限りというようにB地区式のやつに切りかえることは、かえって危険ではないかと思っております。
  203. 加瀬完

    ○加瀬完君 長官がいろいろとお骨折りいただいておるという点は、十分わかるのであります。また、ただいまの御説明の中だけを限れば、そのことも当然なことで、よく理解できるのであります。ただ、私ども考えていただかなければならないと思いますのは、確かにこれは契約をいたしまして使用料を払ったわけでありますから、使用料を受け取っておいて何事かということになれば、問題にもなる。しかし、その契約の前提と申しましょうか、契約の状態ど言いますか、こういうものを考えますときに、それは完全に自由意志によって契約をしたどいうことよりは、むしろ、アメリカ軍に具体的に占領されておって、好むと好まざるとにかかわらず一応接収されておって、いわば心神喪失の状態において、もう言うことを聞かせられておったということが現実だろうと思う。その条件をたてにとって、ずるずると現状が引き継がれておる、そのままに契約しておるのじゃないかと言われても、これは地元として額面的には契約をしておるのだけれども感情の上では、われわれの意見どいうものを十分に聞いた上での契約じゃないじゃないかということを言いたいと思う。この感情というものを、やはり間に入る調達庁は十分に取り入れて緩和していただかなければ、問題の解決はなかなかはかばかしく行かないということになるのじゃないか。そこでただいま堀委員の方からも御指摘があったのでありますが、たとえば借り上げられる当座においては、そんなに反対がなかったのじゃないかというふうなことが言えるかもしれませんが、たとえば陸軍演習というだけになれておりました地元民としましては、借り上げられてもあのくらいの条件であろうと考えれば、これは文句もそう初めから起らなかったかもしれないと思います。あるいはアメリカ演習もだんだん住民のいろいろの産業活動に支障になる場面が減ってくるのであれば、これは使用料その他の問題もそう強く要求をしなくて済むかもしれませんけれども、だんだん強まってくるということになりますと、これはここらで本腰を入れて、また講和も発効しておる、政府を相手に十分われわれの意思も申し述べることができるんだから、新しい話し会いをして問題の解決もしなければと、こういう気持になれば、いろいろの今までうっせきしておった問題が固まりて、ここに発散されるということもあり得ると思う。そういうふうな住民の気持というものも考えて政府にやっていただかなければならないと思うわけでありますが、言葉じりをつかまえるわけではございませんが、使用料を払っておるんだ、使用条件にもたまを撃つていいということはきまっておるんだ、それで撃つのに今ごろ何を言う気か、金を取っておいて何事だというお気持は、ちょっと私はそういう気持では困ると思うのですが、この点いかがですか。
  204. 福島愼太郎

    政府委員福島愼太郎君) それはおっしゃる通りでございます。私も、建前は建前でありますけれども、地元の諸君の希望はできるだけ考えてみたい。従いまして、これはまあA地区B地区は非常に事情が違いますので、別々に申し上げなければなりませんが、A地区の諸君については、先般忍草の諸君にお目にかかって、どうすればいいんだということを全部言ってもらったわけであります。それで一つも条件をつけずに二、三の希望を受け取って、そてれでやってみようということで帰って来たわけです。これを引っ込めてくれ、あれを引っ込めてくれと言った覚えはありません。そこにいますけれども、言ったものを全部受け取って、それでやりますということを言ったわけです。それですわり込みやられたんじゃ、腹を立てざるを得ません。もうやらないということを言ったのです。ごめんこうむる。A地区のお世話をやるようになるかどうか、これから考えますけれども、一つも値切らなかった。B地区の方の問題につきましては、今の登山バスというやつがありまして、ほかに問題が実はどこにあるのかわからないような傾向もありまして、先刻来のお話もまあ私も伺っておりまして、多分にそういう面もあるわけなんでありまして、まあしかしせんじ詰めれば、B地区の問題はたまを撃ってもらいたくないということ、たまを撃ってもらいたくないということに表現されることは、B地区そのものを返還してもらいたいということであろうと思いまして、これはB地区を返せということでアメリカ軍にすわり込んだところで、なかなかできることでありませんので、これは私どもの方でそういうお話は受け取りましょうということで、B地区の諸君とはお話をしておるわけです。いずれにいたしましても、私の希望にたえないことは、どうも北富士演習場のごたごたということは、バス会社があってみたり、またバス会社があってみたり、なかなか混雑しておるのです。ですから農民諸君の希望なら希望、要望なら要望というものは、あくまでも農民諸君の生活上の問題として、あるいは経済上の問題として、人のことにわずらわされずに強く御主張なさい、われわれもそれなら応援しましょう。バス会社同士の紛争に巻き込まれることなく、入会権等の農民要求は堂々と農民自身でやりなさい。そういうふうな農民の問題は農民の問題として強硬に御主張なさい。その点においては、私としてもあくまでもお手伝いをしようと……。
  205. 加瀬完

    ○加瀬完君 長官の気持はよくわかりました。しかしこの北富士演習場ばかりではありませんで、いろいろ接収になっておりますところ、あるいは接収されるようなうわさの出ておりますところ、これらが長い間外で考えているようなわけには地元の感情というものはなっておらないわけです。どこへ行っても一面の手のつけどころのないという状態に置かれておりますために、非常に地元はあらゆる面に対して不信の念を持っておるわけです。特にその不信の念の持って行きどころがない。で、調達庁といったような政府の機関に対して、接収の関係もあって当ってくるという形をとらざるを得ないのです。しかしこれは調達庁そのものということよりは、政府自体、あるいは国会をも含めて国家というものに対する国民の信頼が薄くなった一つの証左でもあるというふうに、われわれは自分自身の責任としても考えたい。これは御迷惑であるが、調達庁なり、あるいは政府なり当面の責任の方が地元の一体こういう、あるいは言葉は過ぎる点があるかもしれませんが、言わせてもらうならば、あなたが今理不尽だと思われるような言いがかりも、なぜ起って来たかということを考えまして、われわれ全体で何とかこの問題を解決してやらなければならないという違った角度からも同情できると思うのです。今のA地区B地区という全体の問題も解決していただきたいという希望を申し上げて質問を終ります。
  206. 堀眞琴

    ○堀眞琴君 最後に私は特に福島長官にお願いしたいのですが、ただいまの長官の発言で私は意を強くしたのです。農民要求を出して下さい、自分は農民の味方になってでぎるだけ解決するように努力する、こういう御発言なんです。この御発言につけてもあの富士山ろくの土地というのは、御存じのように火山灰地なんです。忍野村は唯一のあの辺の米作地帯ですが、しかし寒冷地であって非常にほかの農民と比べても生活は苦しい場所になっておるのです。いわんや船津やその他の岳ろく一帯の村になりますと、これはトウモロコシとか、あるいは大豆とかいうもの、あるいはその他アワとか、ヒエといったようなものしか耕作できない場所です。ほんとうに農民たちは苦しい生活を続けているわけです。ほかの農村地帯とは比べものにならぬと思うのです。それにつけてもぜひともあなたの御熱意によって、この問題が農民のために有利に、日本農民なのですから、あなたも日本人なのですから、日本農民のために有利になるような御解決を御努力願いたいということを最後に私はお願いしたいと思うのです。
  207. 木下源吾

    ○木下源吾君 長官の話を聞いておると、長官の胸三寸でうまく解決がつきそうだという印象を受けるのだが、これはそれだけで安心の行かない点がある。国会は国会として国民の立場から、どうもさっきも聞いておるのだが、入会権を認めてその代償として金を払って行く、入会権を認めたということになれば、それは合同委員会だけで勝手にきめることができないと、こういうことも実はあるわけです。権利の問題、それからこれを認めないということになれば今払っている金は全く何のために払っているか。これは私責任を追及するわけじゃないのだ、こういうようにあなたの腹で払える金があるならば、この問題は金で解決がつくとお考えになっておるかどうか。金で解決がつくならばその今の方式で一つ解決したらどうか、こういうように考えるのだが、その辺はどうですか。
  208. 福島愼太郎

    政府委員福島愼太郎君) 金で解決がつくとは思っておりません。忍草の部落を見て参りましたけれども、ほとんど全部落美田になっておるわけです。草の生えるところはないのです、不幸にして……。隣村にはあるけれども、そこに行って草を取る。われわれの方でそれを制限して二日まで取らせてあとの五日は金でやる。金じゃ肥やしにならないのですね、堆肥には……。その意味A地区の一部分百八十八町歩を開放するようにもって行くとか、A地区の中に木を植えられるようにしようとか、石を取らせようというように、金で片づかないと思われる問題をできる範囲まで拡げて行こうというふうに考えているわけなんです。金で片づくと簡単におっしゃいますけれども、私どもの方も役所ですから、出ほうだいに金をやるわけに行かない。相当監督もしっかりあっちこっちについておるわけです。従いまして、金で片づくとは思っておりません。しかしながら、片づきますまでの間、つじつまは合いませんから、一週間のうち二日しか行かなければ金で返して行かなければならないのです。その意味で払っておるわけであります。払っておるから能事終れりと考えておるわけではないのです。しかし同時にまた現地の諸君も、私どもはそういうふうな考え方でいろいろやっておるということでありますので、要するに問題は実行しなくちゃいけないのですから、実現させるようにいろいろ御配慮を願いたい。同時解決といっても、ぶっこわしてもらいたくない。ぶっこわして同時解決しろと言われても、いたしますという返事はできない。こわしたのはお前じゃないかとどうしても言わざるを得ない。ですからそういうこともありますし、また事実バス会社二つがけんかしたのは事実なんです。片っ方は冨士山麓である、片っ方は忍草出身のバス会社で、なかなかこれは深刻なものがあるわけです。しかしそういうことはあるわけなんですが、私としてはそういうけんかにはかかわりたくない。そんなものに手伝う意思はない。はっきりとそういうけんかとりの縁を切って、われわれは気持ちよく応援できるような形でしたいと思っております。
  209. 新谷寅三郎

    委員長新谷寅三郎君) 大体質疑も終了したようでありますから、最後に参考人の方に申し上げます。  本日は遠いところわざわざ御出席いただきまして、ことに長時間にわたって現地の実情なり、御意見なりを御開陳願いまして、まことにありがとうございました。この点お礼を申し上げます。  本日はこれにて散会いたします。    午後五時五十九分散会