○
参考人(
渡辺泰岳君) 北
富士の
演習場の
A地区のことについて、昔からのいきさつを話してみたいと思います。
この
A地区は、われわれ忍草
部落が徳川時代から
入会の
慣行に基いて、民法上の権利を認められて、そうしてこれを守ってきた財産権であります。この所有は、国、県また郡と所有は変りましたが、われわれの有しておる
入会権については、いつもながらわれわれはこれを持続しておったのでございます。そこに自由に
立ち入り、馬飼料、堆肥の雑草、
燃料等を自由に取ってきて、営農上の資源にしておったのでありまする。私
たちの村は火山灰土で非常にやせ地でありまするがゆえに、この草の資源がなかったならば営農をすることはほとんど不可能の
土地でありまする。堆肥を一反歩どうしても四百貫ないし五百貫なり入れることにおいて、初めて
作物が生育し得るのでありまして、それが減れば減るほど収穫量が少くなって、それを年々繰り返して行くと、しまいにはほとんど
作物の生育不可能というような
土地になってしまう
土地でございまする。それで
土地を
陸軍が所有するようになって
演習場になったのが十一年でございました。
昭和十一年です。それからわれわれは
陸軍の方へお願いして、ぜひ昔
通り草を取らしてくりょう、こういうことを申し出たところが、それはよろしいというわけで、
演習に
支障のない限り、朝の八時から午後の四時まで、
演習する日でも、とめられただけで、毎日朝草、夕草にも行って、毎日草も取っており、ソダも取っておったのでございまする。そしてその前から桑園を経営しておって、唯一の
現金収入のかてにしておったのでございまするが、それを桑園を買収されても、
土地の所有者が軍になってもぜひこれを認めて作らしてもらいたいということを申し出したところが、それでは作るがよろしいということになって、軍の方でもそのときに、何かここに条件がなければいけないというわけで、
演習をする障害にならないなら作ってもいいというような条件のもとに作らしてくれて、三百
町歩の桑園を経営しておったのでございまする。それで終戦になりまして、
米軍が進駐以来
立ち入り禁止になりまして、一本の草を刈ることもできず、一本の
燃料も取ることができないような現状になってしまったのでございまする。それで再三再四県の方を通じて、そして
アメリカさんの方へ話をして、そうして土曜半日と日曜だけは、それでは入れてくれるというような許可を得まして、そうしてその当時も桑園はこれを経営してもよろしいと、軍の
演習に
支障のない限りはよろしいと言われまして、
アメリカさんの方でも、これは
町歩は約百
町歩ぐらいだと思います。その桑園も経営させてくれたのでございまするが、一年たって開墾して、それで桑を植えつけたら、もうだめだと、こういうようなことで、金をかけたつきり収穫もできないと、こういうようなこともあったのでございまする。それでそういうような制限を受けておるものでございまするから、先ほど言いました
通り、草も取れなくて、堆肥を入れることもできない。補給はわれわれが
現金収入でする大豆を肥料に施したり、静岡方面あるいは谷村方面まで行ってワラを刈ってきて、これを堆肥に作って畑へ入れてすると、こういうようなことをしなければ
作物を作ることができませんので、そういうことを継続しておったのでございます。それでその上に養蚕は抑えられて、
現金収入の道が断たれた。金はワラを買うとか、大豆を売ることができないで減収になったその額がだんだん重なりまして、これを三年、四年と続けておったので、倒産一歩手前という
農家が非常に多くなったのでございます。そこでそういう現状でございまして、われわれはこの
土地に対してどうしたらばいいか、こういうことを考えた末、どうしてもこれはわれわれがまだ一回もこの
土地に対して、
政府あるいは
アメリカさんにここを使ってもいいということを言った覚えはないのであるから、これを
政府に交渉して、そして何とか解決の道を開きたいと、こういう考えで横浜の調達局を通じて、調達庁に再三再四この契約方をお願いしたのでございます。ところが幾らお願いしましてもなかなかこれが進行しません。やむを得ず、それと同時にまた損害の補償の請求をしました。それで二十八年に
講和発効前の分として三百七十万円、それから二十七年度分として九百五十三万円いただきました。それもわれわれの損害の請求はずっと多いのでございまするから、われわれの主張の一部を認められたので、実の損害を支払ってくれたのではないのでございまする。でありまするから、この私どもの考えとしては、この損害の全額を
政府に補償してもらうことの
国民の権利があると思っておるのでございまする。その損害は全部これを認めてもらう、こういうことが私どもの申し分でございまする。それでいろいろ
長田さんから話がありましたから私の言うことは縮めまするが、それで調達庁へわれわれがこの
演習場に対して出しておる書面がありますから、この法律上の解釈のところだけちょっと朗読させていただきます。
私どもは、
山梨県
忍野村忍草
部落の住民でありますが、私どもの
部落は、ずっと以前から長い間、
富士山及び梨ヶ原という
地域における約四千
町歩の
土地に
入会権を持ち続け、その利益を受けてきておりました。この
入会地のうち、約二千
町歩は、
昭和十一年から同十三年までの間に、国に買い上げられて、
北富士演習場となり、旧
陸軍の
演習に
使用されることとなったのでありますが、そうなりましても、私どもの
部落の
入会権は、
陸軍によって尊重され、私どもは、それ以前と同様に、
入会地を利用し続けることができていたのであります。ところが終戦を迎え、連合国軍が進駐して参りますと、この
北富士演習場は、
昭和二十年十月一日、さっそく連合国軍に接収され、その
使用に供されることとなりましたが、その際、私どもが非常に困ったことは、
部落の
入会地の
使用が大きな制限を受けることとなり、
入会権は、あってなきがごとき
状態になったのであります。のみならず、
昭和二十五年になりますと、連合国軍の接収は旧北
富士陸軍演習場以外の
部落の
入会地と、それに接続する
部落の一部の住民の所有地にも及ぶこととなって、私どもの迷惑はさらに倍加されることとなったのであります。すなわち
昭和二十五年二月一日及び四月三日、連合国軍は、わが
政府に対し、いわゆるPDすなわち調達
要求を発し、わが
政府はこれにこたえ、右の
土地を連合軍に提供するに至ったのであります。右の
土地のうちには、
山梨県の
県有地が包含されていたのでありますが、この
県有地に限り、
山梨県の承諾はあった模様であります。ここで私どもが明らかにしておきたいことは、私どもの
部落は、
部落の
入会地の
使用が制限を受けることについて一度も正式に承認を求められた事実もなく、ましてや進んで承諾を与えた事実もないことであります。
民有地の接収についてもそうであります。
部落の住民であるその所有者は、その所有地が連合軍に接収され、その所有権が制限を受けることについて、一度も正式に承認を求められた事実もなく、ましてや進んで承諾を与えた事実もないことであります。私どもはこのような接収が果して適法であるかどうか、私どもの
入会権及び特に所有権は、接収による制約を忍ばなければならないかどうかを当時から問題にいたし、再三、当時の横浜特別調達局に対し、その接収が違法である旨を申し入れてあったのであります。私どもはおよそ人の権利が制限を受けることになるには、法律上の特別の規定があれば格別、そうでない限りは権利者の承諾を必要とするものであるということは、法治主義の根本原則であり、わが憲法の基礎であると確信いたしております。この点についてある人は、
部落の
入会地の所有権者は、国及び
山梨県であるが、
入会地を連合軍に
使用させることについては、すでに所有権着たる国及び
山梨県が承諾を与えているのだから、それに伴って
土地の所有権の上に存在する
入会権も制限を受けることになるのであり、従って私どもの
部落は
入会権の制限を受忍しなければならないのであると主張しております。しかし私どもはそうは思いません。というのは、
入会権は民法の物件編を見ればわかる
通り、物件の一種であります。物件である以上
入会権は何人にも対抗し得るのであり、
入会地の所有権者が承諾をしたからというて
入会権がみだりに制限を受け、
入会権者がそれを受忍しなければならないとはとうてい考えられないのであります。またある人は、終戦以後平和条約の発効までは連合国軍の命令はわが国内法に優超する効力を有し、人の権利を権利者の
意思にかかわりなく制限し得たのであるが、PDも一種の連合軍の命令であるから、それに基いて接収が行われた以上、
部落はその
入会権の制限を受忍し、
部落の住民はその所有権の制限を受忍しなければならないのであると説いている人もあります。しかし私どもはこの点についてもそうは考えておりません。たしかに、いわゆる占領時代においては、連合軍の命令は国内法に優超するものとして発せられ、それに基いて直接
国民がその権利の制限を受け、または自由の拘束を受けたことのあるのは私どもも知っております。しかしながら、PDは連合国軍の
国民に対する命令ではなく、わが
政府に対する
要求であることは明らかでありますから、
国民に対して直接そのような制限または拘束の効力を生ずることは絶対に考えられないのであります。PDの成立がそうである以上、PDを受けたわが
政府が、そのPDに応じて一定の
土地その他の物件を連合国軍に提供するためには、それにふさわしい権利、すなわち所有権、地上権、及び賃借権等、その物件について有することが必要であることは、あえて多言を要しないところであります。ところが他方においてPDの対象となった
土地、その他の物件についてわが
政府が連合軍にそれを提供するにふさわしいそのような権利を常に必ず有しているものとは考えられません。そのときわが
政府がどうするかといえば、原則としては、そのような権利を私法上の契約によって取得するのが当然であると考えます。すなわち当該の物件についてその所有権者と契約をなして、その所有権を譲り受け、地上権もしくは賃借権のごとき権利の設定を受け、または、たとえわが
政府が当該の物件の所有権を有している場合であっても、それを連合国軍に提供するに
支障となるような制限物権が存在するときには、その物権の権利者と契約をなして、その物権を譲り受け、消滅させてから提供するが当然であると考えるのであります。もちろんこのような場合には、わが
政府の契約締結の申し込みに対して、権利者が常に必ず承認を与えるとは限りません。承認が得られなければPD参は実施されず、わが
政府は困ることになりますが、それを救うために制定されたのが
土地工
作物使用令(
昭和二十年勅令第六百三十六号)であります。この勅令が制定されている以上は、所要の権利者の承認が得られないどきには、それを発動して当該の物件について
政府は必要な権利を取得することができたはずであります。そのような次第であるにもかかわらず、私どもの
部落の
入会地についても、
部落の住民の所有地についても、
部落なり住民なりが接収について承認を与えた事実は、先にも述べた
通り全くなく、また
土地工
作物使用令が発動されたことも一度もないのであります。このような理由からして、私どもは占領時代における
部落の
入会地及び
部落の住民の所有地に行われた接収は、違法かつ無効のものであり、私どもの
部落はその
入会権を、
部落の住民はその
土地の所有権を適法かつ有効に主張することができるものと信ずるのであります、(注)、もし連合国軍のPDが直接人の権利を制限し得る効力を有するものであるならば、あえて
土地工
作物使用令の制定を必要としないことは言うまでもありません。従って
土地工
作物使用令が制定されたという事実からしても、逆にPDにはそのような直接
国民の権利を制限する効力が存在しないと言い得るものと思われます。
以上申し述べました占領時代における事態は、さらに平和条約発効後、次のように推移して行ったのであります。まず、平和条約発効の年、すなわち
昭和二十七年に、七月二十六日付で外務省告示第三十四号が公示されましたが、それによると、私どもの
入会地及び所有地を含むいわゆるキャンプ・マックネア
演習場については、備考欄に「保留」と記載されてあります。この「保留」という
意味が何であるかといえば、その説明は同じく七月二十六日付の外務省告示、第三十三号に明記した施設または区域は、一九五二年二月二十八日、東京で
日本国国務大臣岡崎勝男氏と合衆国大統領特別代表デイーン・ラスク氏との間に交換された公文に基いて、合衆国が
使用の継続を許される施設または区域であることを確認し、これらの施設または区域については引き続き両国間に交渉が継続されるものとすると書かれております。この外務省告示第三十三号及び第三十四号の示すところを一応文面
通りに受け取りますと、私どもの
入会地及び所有地は、キャンプ・マックネア及びキャンプ・マックネア
演習場に包含されるのでありまするから、それについては平和条約発効後における合衆国の継続
使用を認めないわけにはいかないように思われるのでありまするが、私どもは次の理由によってそれは決して正当でないと主張いたすものであります。しかるに日米安全保障条約に基く
行政協定には、岡崎・ラスク交換公文というのが付属しておりまして、それによると、平和条約発効前、連合国軍としての合衆国軍隊が
使用していた「施設及び区域」については、たとえ平和条約発効後九十日以内に、それを
行政協定に基く「施設及び区域」とする旨の合意が両国の間に成立しなくても、その継続
使用は合衆国軍隊に認められるということになっているのであります。けれどもよく考えてみますと、岡崎・ラスク交換公文によって、合衆国軍隊の継続
使用が認められるのは、平和条約発効前、連合国としての合衆国軍隊が適法かつ有効に
使用していた「施設及び区域」に限定されるものと解すべきであります。平和条約発効前、合衆国軍隊が不法かつ無効に
使用していた「施設及び区域」についてまで継続
使用を合衆国軍隊に認めると解することは交換公文の趣旨に反するものと思われるのであります。けだしわが国内法上何ら適法な理由なく、違法に他人の
土地を
使用していた者、たとえそれが外国であろうとも、が、一片の交換公文の作用によって一定時期以後はその継続
使用を適法になし得ることになると解することは全く道理に反すると思われるのであります。ところで私どもの
入会地及び所有地に対して平和条約発効前行われたところの合衆国軍隊の接収及びそれに続く管理
使用が違法かつ無効のものであるということは、前に申し述べました
通りであります。従って私どもには岡崎・ラスク交換公文が、私どもの
入会地及び所有地について合衆国軍隊に継続
使用を認めたものとはどうしても考えられないのであります。
ついで
昭和二十八年十月十六日になると、
日米合同委員会はキャンプ・マックネア
演習場を正式に
行政協定による「施設及び区域」とする旨を
協定いたしまして、その旨を同年の十二月五日付の外務省告示第百三十五条で発表いたしております。私どもの
入会地及び所有地は、この措置でついに正式に
行政協定による「施設及び区域」になってしまったのであります。私どもの
入会権及び
土地所有権は所定の制限を受けることを忍ばなければならなくなったものと解すべきでありましょうか。私どもは断じてそのように考えてはいないのであります。その理由を次に述べます。
行政協定第二条第一項によると、
日本国は、合衆国に対し、安全保障条約第一条に掲げる目的の遂行に必要な施設及び区域の
使用を許すことに同意する。個個の施設及び区域に関する
協定は、この
協定の効力発生の日までになお両
政府が合意に達していないときは、この
協定の第二十六条に定める合同
委員会を通じて両
政府が締結しなければならない。というように定められておりまするが、右に述べた
昭和二十八年十月十六日の
日米合同委員会の
協定は、むろんこの
行政協定第二条第一項に言う「個個の施設及び区域に関する
協定」としてなされたものと思われます。しかしながら、合同
委員会がいかなる
土地についても無制限にこのような
協定をなし得るものとはとうてい考えられないところでありまして、私どもはわが
政府が一定の
土地をば合衆国に提供し、合衆国に対して
行政協定による「施設及び区域」として
使用を許し得るには、その
土地についてわが
政府がそれにふさわしい権利を有する場合に限られておるものと考えるのであります。このことは前にいわゆる占領時代のPDについて述べましたところと全く同様でありまして、わが
政府が一定の
土地の
使用を合衆国に許すためには、わが
政府がその
土地について所有権、地上権、賃借権その他の権利を有することが必要であるのであります。
政府が何らの権利を有していない
土地をば、いきなり
日米合同委員会が「施設及び区域」として合衆国の
使用に供することができるなどということはむちゃでありまして、そのようなことは、わが憲法が基本原則とする法治主義に違反するところであります。もちろん
政府が何らの権利を有していない
土地であっても、日米安全保障条約を有効に実施するためには、それを
行政協定による「施設及び区域」として提供しなければならないという必要は生じてくることでありましょうが、それには国内法上それ相当の手続があるはずであります。もっとも普通の手続は相手方との契約によって権利を取得することでありまして、たとえば他人の
土地の所有権が必要であるならば、所有権者との契約によってそれを譲り受け、あるいは地上権及び賃借権等が必要であるならば、これまた所有権者との契約によってその設定を受け、あるいは当該の
土地について提供を妨げるべき制限物権があるならば、その権利者の契約によってこれを取得して消滅させるなどという措置をすればよいわけであります。もちろん相手方がこの種の契約を承諾しない場合も予想されまするが、この場合には、旧来の
土地工
作物使用令にかわるところの
日本国と
アメリカ合衆国との間の安全保障条約第三条に基く
行政協定の実施に伴う
土地等の
使用等に関する特別措置法という長い名称の法律が制定されているのでありまするから、わが
政府はこの法律の定めるところの手続に従って強制的に所要の権利を取得すればよいわけであります。このあたりの
事情は前に申し述べました平和条約発効前の
事情と全く差異はないものと私どもは考えるのであります。
ところが、
昭和二十八年十月十六日の
日米合同委員会の
協定については、私どもの
入会地及び所有地に関する限り、
政府は所要の権利を有していないはずであります。というのは、私どもの
部落も
部落の住民も、その
入会権なり、
土地の所有権なりについて、
政府といかなる契約も締結いたしたことはありません。また前記の長い名称の法律の発動を受けたこともないのであります。従って今日私どもは私どもの
部落及び
部落の住民がそれぞれ
入会権及び
土地所有権を正当に主張し得るものと信ずるのであります。もっとも
日米合同委員会の
協定については、次のように言う人もあります。すなわち、まず条約は言うまでもなく国家間の合意であるから、本来の拘束力は当事国にだけ及び、
国民には及ばないのであるが、一たびそれが公布されるとなると、国内法の効力を有することとなるのであるから、条約が直接……、いまちょっとですから、どうか御辛抱を願います。直接
国民の権利を制限することは十分あり得る。しかも
日米合同委員会の
協定は、実質的に見ると、日米両国間の合意であるから条約と同じ性質のものであります。従ってそれが公示された以上、国内法としての効力を有し、
国民の権利がそれによって直接制限を受けることは十分あり得ると説く人もあるにはあるのでありますが、このように考える人から見れば、私どもの
入会地及び所有地が、
行政協定による「施設及び区域」として制限を受けるのは、
昭和二十八年十月十六日の
日米合同委員会の
協定に直接基くのであり、私どもが本来の国内法上の手続が欠けていることを理由にして制限を否定するのは不当だということになるのでありましょう。しかしながら、この考え方は
日米合同委員会の
協定の性質を見誤まり、かつ
行政協定中に、第二十七条第二項なる規定が存在していることを見落としているのでありま
す。まず
日米合同委員会の
協定なるも
のは、言うまでもなく前に述べた
行政協定に基くところの日米国間の合意に過ぎないのでありまして、わが憲法の定めるところにより、国会の承認を得て締結されるところの本来の条約とは全くその性質を異にしておりますから、
日米合同委員会の
協定に本来の条約と同様の効力を認める根拠は全くないのであります。その効力の及ぶところは、もっぱら
行政協定の規定に従って判断するよりほかに方法はないのであります。それならば
行政協定は、
日米合同委員会の
協定につきまして、それが官報によって公示されたならば国内法としての効力を有することとなり、特に
国民の権利を一方的に制限し得る効力を有することとなるものと規定しているかといえば、決してそうではなく、
行政協定第二十七条第二項は、「この
協定の各当事者は、この
協定の規定中その実施のため予算上及び立法上の措置を必要とするものについて必要なその措置を立法機関に求めることを約束する。」と規定いたしておるのであります。この規定の趣旨とするところは、
昭和二十六年十一月十五日、参議院両条約特別
委員会におきましてなされた大橋法務総裁の言明及び
昭和二十七年三月十四日、衆議院法務
委員会においてなされた西村外務省条約局長の言明によって全く明らかであります。すなわち大橋法務総裁は、安全保障条約「第三条にありまするがごとく、行協
協定の内容となります事柄は、合衆国の軍隊の配備を規律する条件でございまするから、これらの事柄は、当然には
国民の権利義務に
関係ある事柄は含まないと考えます。若しさような事柄を含むという場合におきましては、
政府といたしましては当然さような内容を実施しまするに必要なる
法律案を国会において御審議を頂く、それが国会において成立するということを条件としてのみ、さような
協定がなされるものであります。」と言われております。西村条約局長は、
行政協定第二十七条第二項につき、「私どものここで明らかにしようと思いました事柄は、今指摘になりましたような条項につきましては、国会という機関が憲法上権限を持っておる事柄に属するからして、立憲政治下における
政府といたしましては、憲法上立法機関が所有する権限内の事項につきましては、当該機関の判断と措置の自由を最終的に拘束するものではない、言いかえれば当該措置につきましては、
政府としては所要の措置を立法機関に提案し、そうして審議に付する、立法機関がその措置をとって初めて当該条項は実施されるという趣旨を明らかにする
意味におきまして、この条文を設けました。」と言っております。思うに
国民の権利を制限し、または
国民に義務を課するための規制は、わが憲法の規定からしてわが国会の権限であることは誰も否定するわけにはいかないのでございます。国会の決議なくしては
国民がその権利の制限を受け、または義務を課せられるはずはないのであります。しかるにわが国会が承認を与えました安全保障条約は、前記大橋総裁の言明によって明らかな
通り、直接
国民の権利を制限し、また
国民に義務を課することをその内容としているものではないのであります。さればこそ安全保障条約に基く
行政協定中に第二十七条第二項の規定が設けられた
意味を、西村条約局長の言明
通りに理解することができるのでありまして、そうである以上、
行政協定にその効力を存在する
日米合同委員会の
協定に論者の言うような作用を認めるわけにはいかないことは当然であります。私どもの
入会権及び
土地所有権は最も重要なる財産権の
一つでありまして、右に言うところの
国民の権利であることは何人も否定することはできないものと信じます。それにもかかわらず、私どもの
入会権及び
土地所有権が、わが国会の
意思とは無
関係な
日米合同委員会の
協定なるものによって直接制限され得るはずだという人があるならば、私どもはその人の法治主義に関する見解を疑わなければならないのであります。この点私どもにとっては最も重要な論点でありますから、あえてくどく申し述べまするが、仮に自分の住んでいる家なり、自分の耕している
土地なりについて、ある日開催された
日米合同委員会が、それを
行政協定による施設及び区域とする旨の
協定をなし、その
協定が私どもの場合におけると同様に公示された場合を考えて下さい。この場合だれがその
協定に対して、自分の住んでいる家なり、自分の耕している
土地なりに対する直接の拘束力を認め、自分の家を出、または自分の
耕作地を放棄しなければならないものと考えることにちゅうちょしない者があるでありましょうか。このように考えてくるならば、
日米合同委員会の
協定に関する論者の考え方が理不尽であることはもはや全く明らかであります。
私どもの
入会地及び
土地所有権に対する制限が、終戦以来平和条約発効のときに至る期間におきましても、また平和条約発行のときから今日に至る期間におきましても違法であり、無効であることは以上詳しく申し述べました。
それにもかかわらす、実際上は今日至るまでその制限は続いて参ったのであります。それで私どもは経済的に逼迫して参りましたから、去る
昭和二十八年九月初め、平和条約発効前の損害分に対する賠償として約三百七十万円の金額を、ついでごく最近に
昭和三十年五月末に、平和発効後一年分の損害に対する賠償として九百五十万円の金額を受け取っております。ところが二度にわたってこの金額を受け取ったことを理由にして、私どもが過去の長い期間にわたる接収を追認し、しかも将来にわたる接収をも承諾したのだという人があるのには全く困っているわけであります。私どもが私どもの
入会権及び
土地所有権に対する違法かつ無効な拘束に対し、追認なり、承認なりを与えることと、私どもがその違法かつ無効な制限によって経済的に逼迫したため、その損害の賠償を受け取ったことは全く別の問題であります。損害賠償の金額を受け取らなければ経済的に逼迫し、受け取ればそのような追認または承認を与えることになるというのでは、私どもは進むべき道は全くなくなるのであります。それにしても、今日になってみれば過去の接収は文字
通り過ぎ去った問題でありまするから、これは損害賠償という形式で片づける以外に方法はないものと考えます。しかし損害賠償の金額を受け取ったことは、私どもが将来における接収をも承認したことになるのだという言い分には絶対に承服できないのであります。私どもは損害賠償の金額を受け取る際に、そういう主張が起ることをあらかじめ考えておりましたから、そのつど私どもが過去の接収を追認したのでもなければ、将来の接収を承認するのでもないという旨を
関係行政庁に申し入れることを怠らなかったのであります。
私どもの
入会地及び所有地に関するこの紛糾は、以上申し述べた
通り長いいきさつを有しておるのでありまして、しかもそこには占領下における連合国軍の行為の性質の問題及び国家間の合意の性質、特にその国内法に及ぼす効力の問題等、幾つか人に誤解を起させやすい法律上の問題が介在しているのでありまして、懸案の解決をかなり困難にしております。しかし私どもは種々研究の結果、この問題は以上のように解明するのが正しいと確信しているのであります。私どもは決して私どもの苦情を不当に叫ぶものではありません。ただわが憲法及び法律の照すところに従って正しく解決したいという考えでいるだけでありますから、そういう
意味でぜひこの問題の解決に力を与えられんことをお願いする次第であります。
そこで最後に私どもの
要求を掲げて、この上申を終ります。現在までの接収は、違法かつ無効であるものであるから、接収を即時解除し、
入会地及び所有地を私どもの手に返還されたい、将来の接収については、
部落及び
土地所有者との間に十分協議を行い、その完全な了解と同意を得るようにし、いやしくも違法の問題の生じないようにお願いするものであります。どうも長々と御清聴をわずらわしてありがとうございました。