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政府委員(福島慎太郎君) 御質問の点につきましてお答えを申し上げます。飛行場の拡張と申します現在の問題は、
アメリカ側の拡張の要望、飛行場につきましての拡張の要望から出発いたしまして今日の問題になっておりますことは、御指摘の
通りであります。ただどの
程度の飛行場をどういうふうに拡張するかという最近の
結論に達しますまでは、かなり長い交渉経過がございます。手短かに申し上げることがちょっとできかねますので、多少時間をとりまして恐縮でございますが、一応経過を御報告させていただきたいと思います。
御
承知の
通り、米軍が
日本に駐留いたしまして、当然空軍の施設というものが必要になり、終戦直後に米軍が
日本に入って来ました場合には、軍事施設と名のつくものを一応全部接収したわけでございます。これはまあ自動的に
日本の軍事施設を一応
アメリカが肩がわりしたという形になります。そのときにおきまして、
日本国内に飛行場と中しますものは八十数カ所、八十五カ所と記憶しておりますが、一、二の
数字の違いはあるかもしれませんが、八十数カ所の飛行場がありましたわけでございます。それを米空軍といたしましては、ちょうど四十カ所になりますが、四十カ所の飛行場をもって今日運営しているわけでございます。
残りました四十数カ所の飛行場はこれを廃止、
つまり解除いたしまして、現在はおもに農耕地になっているはずでございます。そこで四十の飛行場につきまして、過去数年間駐留空軍が運営をいたして参ったわけでありますが、二年ほど前から、飛行機の性能の
変化によりまして、滑走路の改良ないし拡張という問題が必要となったということを言って参ったわけでございまして、飛行機は御
承知の
通り数百時間、それも余り長い時間でないのだそうでありますが、何百時間まで使いますと、消耗いたしますと申しますか、オブソリートになる種類の消耗兵器である。適当な間隔をもって新らしいものと取りかえて行かなければならぬ兵器であるそうであります。年々歳々新らしいのと、おとから
あとからと変って参る。従いまして、その形式も
変化して参る。
あとから古い形式の飛行機を作って供給して参るということは、ほとんど考えられないのでありまして、だんだんに変って参るということはこれは避けがたい。ところがたまたま旧型のプロペラ式の飛行機からジェット式飛行機に
変化する時期に際会いたしましたので、だんだんに飛行機がすべてジェット・エンジン式の飛行機に変って参るという境い目の時期に遭遇いたしておりますので、
アメリカ側といたしましては、数年間はどうやらやって参ったけれ
ども、これからは飛行機のほとんど全部が、特に
日本におきます飛行機は主として防衛用の飛行機を装備しております
関係もありますので、戦闘機の部分が非常に多いものでありまして、戦闘機はほとんど例外なくジェット式の飛行機になるという事態になりまして、滑走路が、現在の滑走路と申しますか、旧式のプロペラ式の飛行機のためにできました滑走路、五千フィートないし七千フィートという滑走路が、ジェット式の飛行機のためには九千ないし一万二、三千フィートの滑走路にならなければ使えなくなるという問題が起ったということを
アメリカが指摘して参ったわけでございます。これは
アメリカの必要と申しますよりも、飛行機全体が、ひいては民間の輸送飛行機まで、そういうエンジンの変り方をすることが考えられるのであって、
日本の飛行場というものを、すべてこれからの飛行機が飛べる飛行場にしてもらわないと困る。
アメリカの問題としてのみならず、
日本自身の問題としてもそういう処置が必要であるという議論が二年ほど前から問題となって参りました。当時
アメリカは、現在でもそうでありますが、飛行場は
日本国内におきまして四十の飛行場を保有しておりましたわけでありますから、話といたしましては、そのすべての飛行場につきまして飛行機が飛べるようにしなければならないという
意味で話が始まったわけであります。私
どもといたしましては、これを日米合同
委員会の施設特別
委員会におきまして、たまたま私が
日本政府代表を勤めておりましたのでありますが、ここで受けつけたわけでありますが、現在ある軍用飛行場をすべて飛行機が飛べるようにする、滑走路を延長するということは、理論上そういう
措置が必要であるということは了解できるといたしましても、
国民の負担なり、あるいは財政の負担なり、あるいは社会
経済上に与えます影響その他から申しましても、そうそうやって参るわけに行かない。これを最小限度の必要ということにこの数の制限をいたさなければ、当面取り上げるわけに行かないということで話し合いを続けて参りまして、そのまま
結論といたしまして、五、六カ所の飛行場ということで、最小限度の要望を充たすことができるかどうかというふうな
考え方になりまして、ただいまのところ、拡張いたさないでもどうにか使える飛行場というのが二、三あります。私の了解いたしております限りにおきましては、北海道の千歳、青森県の三沢、九州の板付というふうに了解いたしておりますが、それ以外の飛行場は全部飛行機が変って参りますと飛べなくなるという飛行場であるわけであります。そこで新潟と横田、立川、これは東京都であります。
千葉県の木更津、愛知県の小牧、大阪、兵庫県にまたがっております伊丹、その六つの飛行場について滑走路を延長して、一人前の飛行機の飛べる飛行場にすることができれば、他の三カ所と合わせてどうにか最小限度の防御配備
計画と申しますか、飛行場網というものを
日本に設けることができるということが中間的な
結論になりまして、一年ほど前にそういう
結論に達したわけであります。そこで
アメリカ側が飛行場の設備をする、
日本側が用地の提供をする、これは行政協定上の建前でありますが、それによって具体的に案を立てようということになったわけであります。ところが
日本側といたしましては、用地の提供というだけでありましても、飛行場にいたします場合に、これは最小限度の飛行場でありまして、将来
アメリカ側が仮にいなくなるという時期になりましても、この
程度の五つ、六つという数でございますと、
日本の国に防衛というものか存続いたします以上は、やはり飛行場として残るということは当然に考えなければならないのでございまして、やはり用地を借り上げるといった
程度のことではとうてい
措置ができなかろう。従いまして、これを買収するという問題に当然なりますので、
予算的なめどがつかなければ、いかに案ができても実施に取りかかるわけには参らないということで、昨年一年ほどかかりました諸般の研究も、昨
年度の
予算編成と申しますか、それからただいま御審議中の
予算にどの
程度のこれに関する
予算を組み入れることができるかという
見通しをつけるまで、案が立てられなかったわけであります。本年の四月に入りまして、防衛支出金中に飛行場の拡張のための用地の買収費、またこれに伴いますところの損害の補償費というものを織り込む
程度のめどがつきましたので、先ほど申し上げました六つの飛行場のうち、本
年度の
予算があれば五つまではできるであろうという確信に達しましたので、ただいま申し上げました六つの飛行場のうち、伊丹だけは
予算のめどがつかないということで案を立てるのを差し控えまして、他の五つの飛行場につきまして用地の買収並びに補償の算定という用意にかかりました次第であります。従いまして、
アメリカ側のどの
程度の要望があって、またそれを
日本側の考えとしてどの
程度のところで受けとめたかという御質問であったかと思いますが、長々と申し上げましたが、
アメリカといたしましては、できるだけ
日本において自由に飛行場が使えるようにという要求で出発いたしましたには相違ございませんが、
日本といたしましては、
アメリカ側が帰りました
あとの最小限度として、どうしても必要だと思われる限度、もしくは最小の限度というものでしぼりまして、当面は、当面と申しますと、
あとが続いておるようでありますけれ
ども、
予算上のめどがつけば伊丹の問題は何とか
措置したいと考えておりますという
意味ですが、本
年度の
予算に関する限りは、伊丹を除きました五つの飛行場についての
措置が、この
予算がこれで成立いたしますれば可能であるということになったという
程度でございます。