○
参考人(伊藤
興道君) 私はただいま御紹介にあずかりました
村山市長の伊藤
興道でございます。
大高根の射撃場の問題につきまして、すでに
皆様方御
承知の
通り、去る十六日より以来、数日にわたりまして
反対者と
調達庁との間に非常なるトラブルができまして、重傷者数名を出し、そのうちに特に全治三ヵ月を要するというような重傷者を出したのでございます。こうした不祥事がどうして起り、またこの射撃場に対しまする
反対がどうして生まれたかということにつきまして、一応その経過と全貌を簡単に
お話し申し上げまして、
委員の
皆様方の一応御理解を深めていただきたいと思うのでございます。
この大高根の射撃場が
昭和二十一年の十二月に占領軍によって接収せられまして、その総面積が約四千七百町歩でございます。もちろん射撃場でありますので、大体が山林でございます。この四千七百町歩の山林並びに水田、畑の耕作
関係者が約七百人おるのでございます。そうしてこの広大な面積の中に砲座を設け、射撃をいたしまする
関係から、たまたまこの元戸沢村の宮下部落という部落、約二百二、三十戸ございますが、その部落の頭の上を大砲のたまが飛ぶようになり、あるいはまたその村の
中学校の頭の上を、教室の上をたまが飛ぶようになりましたので、いわゆる弾道下の問題といたしまして非常に大きな問題になったのでございます。これに関しましては、
政府といたしましても非常に努力せられまして、その弾道下の問題を避けるために砲座の
移転が行われました。その結果、砲座の
移転は行われましたけれ
ども、新たに射撃場の
拡張が行われたのでございまして、これがAスリー地区ないしAツー地区という名称をもって現在呼ばれておりまする地点でございまして、大体におきまして水田が七町歩、畑が十二町歩という、全体からいたしますれば、わずかな反別ではございまするが、このいわば農耕地が新しく拡幅され、そうしてバズーカ砲座として使用されるということがわかりましたので、この
関係者がこの
農地をとられるということは全く
生活を脅かされる、殺されるにひとしいというので
反対が生まれたのでございます。特にこのバズーカ砲座の設置によりまして、
関係者が六十名ばかりございまするが、そのうち十二月というものがほとんど全部の
農地をつぶされてしまうのでございます。この十二戸の農家が全く
農地を失うということは、
ほんとうにこの人
たちにとりましては殺されると同様でございますので、この人
たちを中心にいたしまして、約三十六名かの者が
白鳥厚生同志会という同志的な結合を作りまして、
反対をいたして参ったのでございます。そうしてこの
反対の白鳥同志会と
調達庁との間にいろいろと折衝が重ねられたのでございまするが、なかなか円満なる解決の道が見出されません。そうして
昭和二十九年の九月でありましたが、同志会の方から、仙台の
調達局の磯局長さんに来ていただきまして、現地におきましていろいろと折衝いたしましたときに、同志会の方から二十三項目の要求がなされたのでございます。この要求項目を完全に入れて下さるならば、同志会としてはあえて
反対しない、契約にも応じようというようなことで、この二十三項目を申し込んだのでございます。しかしこの二十三項目につきまして、そのときの磯局長さんははっきりと、これは実行するということを同志会員に公約をいたしたそうでございまするが、しかしそれは単なる公約だけであって、これが完全には実施されておらなかったのであります。もちろん全部実施されないというのじゃなくて、二十三項目のうち、六つか、七つか履行されないでおるのでございます。従って同志会といたしましては、一つでも履行されないうちは断じて
土地の契約には応じられないということで強く
反対をいたして参ったのでございますので、
調達庁といたしましては、どういたしましても円満妥結の道を見出すことができないので、本年の四月十八日に、総理大臣のこの
土地に対しまする使用認定をいたしたのでございます。総理大臣の使用認定が下りましたので、当然これが強制収用へと法的な手続を進めて行く段階に相なりましたので、そのときに
山形県に
調達庁の中山不動産部長さんを初めといたしまして、農林省の入植課長である和栗課長さん
たちが参られまして、
山形県庁におきまして、
知事初め私
どもといろいろ御相談をしたのであります。そのときに
調達庁の御意向といたしましては、使用の認定はいたしたが、しかし何とか話し合いで円満に解決の道を見出したいのだ、そうしてこの
土地を買い上げたいのだ、買収したいのだ、その
買収価格については、大体、田は十二万円くらい、畑は十万円から八万円くらいの金額で買い上げたいのだという意向を私
どもに漏らされたのであります。そのときに、私
どもは県も私もともに同様でありまするが、そういうような安い価格でこれを買い上げる、しかもなかば強制的に買い上げるとするならば、これはとんでもないことであって、そういうような価格で、かりに私
どもに、また県に、
地元関係者に話をせよということであるならば、それはまことに無理なことであるから、私
どもは遺憾ながら
調達庁の意向に従って
地元民にそういう意向を伝えるわけにいかぬということで、何とかもっと金銭的に国として
ほんとうに農民の
土地を買い上げるような、実際に通用する価格で買い上げてもらえないか、買い上げるとするならば、そういう価格で買い上げてほしい、そういうことであるならば、事情によっては
関係者にも
お話をしましようというようなことで、強く農林省あるいはまた
調達庁に対しまして価格の引き上げを、これは現地に
関係なく、県と私
どもは
調達庁に強く要望をいたしました。そうしてそのことを一応
調達庁本庁にお帰りいただいて、
東京においてそういう最終的な決定をしていただいて、あらためて私
どもに本庁の意向をお漏らしいただきたいというふうにお願いをいたしたのでございます。それから数日
たちました後において、なるほど先に示した価格ではあまり安過ぎる、それじゃもっと上げましょうというので、水田は約十九万円くらい、畑は十二万円くらいの価格にしよう、これでどうだろうかというようなことで、しかもこの価格というものは最善で、しかも
最後の価格だから、これ以上どうがんばっても
調達庁としては考えられない。だからこの価格で一応、成否はともかくとして、白鳥同志会の
方々に話をしてもらいたいというようなことでございましたので、一応私が県と相談いたしまして、私が
代表となって
白鳥厚生同志会にそのことを申し伝えたのでございます。ところが
白鳥厚生同志会としては、そういうような価格で田を買い上げられるということは、これは断じて
賛成できない、先に磯局長が二十三項目のわれわれの要求に対して全部履行すると公約しておきながら、これも全部履行しておらないで、しかもこの
土地を十九万円ぐらい、あるいは畑を十二万円ぐらいで買うということは、実際の価格からいっても安過ぎるし、第一、農民としては
土地を金にかえたくないのだ、金は持っておればすぐなくなってしまう、百姓は
土地から離れては生きていけないから、どうしても
土地を手離すことはできない、金銭で手離すわけにはいきません、遺憾ながら、そういった
調達庁の意向には従うことができないということで、
調達庁の買収に対しまする相談に応じなかったのでございます。その後いろいろと折衝いたしましたけれ
ども、どういたしましても円満に妥結の道を見出し得ませんので、
調達庁といたしましては、やむを得ないという考えでございましょう。去る八月二十三日に、前の使用認定の期限が切れましたので、再び使用認定をいたしまして、一ヵ月のうちに
強制測量をするから、市に立ち会ってほしいということを申し伝えて参ったのでございます。そこで市といたしましては、この農民の持っておりまする
土地を強制収用するということは、これは私としては絶対
反対である。あくまでも国としてどうしてもこれを提供してもらわなければならないとするならば、あくまでも話し合いで、真心と真心のさらけ出した話し合いで何とか解決をつけて行くべきであって、あくまでも法の建前によってこれを収用するということは絶対に
反対である。だからこういうような強制収用を前提とするような
強制測量には遺憾ながら
村山市長は立ち会わないということで、この立ち会いを拒否をいたしたのでございます。県は法規上立ち会わざるを得ませんので、
最後の立ち会い人に相なります
関係上、法規上立ち会わなければならないというので、県は立ち会うことにいたしたのでございまするが、私は立ち会いを拒否いたしました。そうして去る九月十五日、いよいよ
強制測量ということに相なったのでございます。そうして仙台の石川不動産部長さんを初めといたしまして、
測量隊の
方々が現地に乗り込んで参りました。いよいよ
測量をするというその日に、
山形県の副
知事の華山さんを初めといたしまして、西村さん、あるいは上林代議士さん、私
どもがいろいろ御相談いたしまして、何とかここで
強制測量をすれば不測の事態が必ず起るから、この
強制測量だけは少しやめて話し合いをしてみようじゃないか、話し合いに応じてもらいたい。できるならば
責任者である仙台の福間局長さんに現地に来ていただいて、直接農民と私
どもと話し合ってみていただきたいということを、華山副
知事が電話で約三十分も懇請に懇請を重ねたのでありましたが、どうしても福間局長さんは応じてくれませんで、ただ
測量は法によってやるのだから、そういうような話し合いには今さら応ずるわけにはいかぬということで断わられたのでございました。それは
測量の日の午前中でございました。午後に至りまして
測量隊はどんどん進んで参りまして、ちょうどピケラインの前のところで組合員と対峙いたしました。そのときに私は、このいわば一触即発の危機の前に立ちまして、どうかここでストップして下さい、話し合いましょうということで、石川不動産部長さんと川崎副部長さんにとどまっていただいて、路傍の上で白鳥同志会幹部十数名と私と三者が集まって、そこでピケラインの前で相談をいたしました。何とか一つ話し合いができないものかということを両者に私
お話しいたしましたところが、
白鳥厚生同志会の方から、私
どもはあくまでも国に
反対するのじゃない、ただ無
意味に、むげに
反対するのじゃない、ただ食えなくて、この
土地を取られれば食えなくなる、われわれだけが食えないならいいが、私
どもには子供もおる、妻もいる、おばあさんもおじいさんもいるのだ、こういった一家のものが全部食えなくなる、あしたからどうしていいかということを考えた場合には、どうしても
反対しなければならないのだ。しかし、どうあっても国の事情で提供しなければならぬというなら、やむを得ないから提供には応じましょう、しかし
条件がある、先に昨年の二十九年の九月二十五日に磯局長が二十三ヵ条の項目を提示したように、いろいろと私
どもにお願いすることがある、要求もある、
条件もある、この
条件を一つ提供を前提としての
代表者会談を開くことにしたらどうだということに相なりまして、同志会からそういうような申し入れがありましたので、そのことをただちに仙台の不動産部長さんに、現地
測量隊の
責任者に申し伝えました。ところがその石川不動産部長さんも、それはいいだろう、われわれ
測量隊といえ
ども、あるいはまた
調達庁といたしましても、何もむげに必ずしも強制収用しなくちゃならぬというわけじゃない、使わしてもらえるならいいんだ、だからそれじゃ話し合いはしましょうやということで、その路傍の上で現地のものだけでは話し合いができたのであります。それでは一つ
代表者
会議を開きましょうということで、その期日もあすの朝の八時までに一つ
代表者会談を続けることにしましょうというようなことで、現地の話し合いが成立いたしまして、ただちに石川不動産部長さんの方から仙台の福間局長さんの方に、そういう話し合いをしていいか悪いかということをお伺いをいたしました。ところが仙台の福間局長さんの方から、それは断じてならない、お前は
測量だけの命を受けておるのであるからして、その他のことには断じて話し合いに応じてはならない、いかなる内容の話し合いに応じてもならない、あくまでも
強制測量を強行しなさいという、きつい命令を受けましたので、現地の石川不動産部長といたしましては、一応私
どものその話し合いの申し入れを了承はいたしましたけれ
ども、福間局長の命によって前の了承を取り消しまして、明日の八時半より
測量を断
行いたしますということの声明をいたされたのでございます。ここにおきまして
最後の調停と申しましょうか、話し合いというものも全く望みを絶たれたのでございます。今にして考えますならば、あのときに
ほんとうに
調達庁がこの問題を平和的に解決して行こうという一片の誠意が仮にあったといたしますならば、おそらく不祥事は起きなかったかったかもしれません、あるいは会談そのものが不成立に終らなかったかもしれませんが、しかし一応そういうふうに
地元の者が提供の意思があるのだということをはっきり表明されたのでありまするから、この
地元の
方々の真心をくんでいただいて、会談の成否はともかくといたしまして、一応会談に乗って下すって話し合いを続けていただきたかったということを私はいまだに残念に思うのでございます。しかし事実はこの話し合いは成立しませんで不調に終りましたので、あくる十六日におきましては、午前八時を期しまして
測量隊が
測量を強行する、また
地元同志会を中心にいたしまして、組合の
方々はあくまでもこの
強制測量を阻止せんとする動きができまして、そこで、路上におきまして
反対派のいろいろの動きもございまして、いろいろと
流血の
惨事を見るようになったのでございまして、この間に
警察隊の出動もあり、まことに
村山市といたしましては、いまだかつてないような不祥事をここに引き起しましたことは、まことに遺憾であり、残念しごくであったと思うのでございます。結局この大高根の問題は、全体から見まするならば、先に申しました
通り四千七百町歩という広大な地域でありまして、そうしてこの
反対せられております白鳥同志会のAスリー地区、Aツー地区は僅かに二十町歩でございます。でありますから、数の上から申しますと、あるいは量の上から申しますならば、まことにりょうりょうたるものであるということも言えるかもしれません。しかしいかに数が少く、量が僅かであっても、この射撃場のために
生活権を奪われ、生きることができないというような人が一人でも仮に起きるといたしましたならば、これは断じて許さるべきことではないと思うのでございます。
基地拡張の
犠牲というものは、
関係者のみだけにこの
犠牲は強いらるべきものではないのでありまして、あくまでも国全体の
責任において、あたたかい心によりましてこの問題を解決して行かなければならないと思うのでございます。私は
村山市長といたしまして、この問題は一応
強制測量は終りました、そうして事務的には強制収用への段階と日一日と進みつつあるとは思いますけれ
ども、この強制収用の前に、何とか
参議院の
委員の
皆様方のお計らいによりまして、一つ円満解決への道を見出だしていただきたい、そうすることが
地元厚生会の
方々の仕合せであり、また国全体の仕合せでもあると思うのでございます。何とぞ
皆様方の御理解ある御協力によりまして、この大高根の
基地拡張の問題を平和のうちに、
強制測量によらずして平和解決の道を見出だしていただきたいということをお願いを申し上げまして、私の説明を終らしていただきたいと思います。