○
説明員(
福島愼太郎君) 基地の問題についての現状の
報告という
お話でございますが、基地拡張についての
報告というお言葉もございましたかと思いますが、私なりに申し上げさせていただければ、基地の問題は、全国的には最近年々歳々縮小しつつあるわけであります。昭和二十九年から三十年の四月一日、この一年間におきましては、二百万坪以上の
施設区域の減少を見たわけでありますし、件数にいたしましても、百件に近いものが廃止せられておるという状況であります。飛行場のごときはさらに四十ばかりの飛行場のうちを、十ばかりに整理統合するという問題になっておるわけであります。従いまして基地全般の問題としては、基地の拡張問題ということは、個別的に局地的にあるにいたしましても、全般の問題としては基地が減りつつあるということは間違いないのでありまして、減りつつあるものを拡張ということに片づけられるのは、私どもとしては非常に困るのであります。しかしながら全般的に減りつつある。調整を要するためにその間に整備するものがあって、そこには拡張問題がある。しわが数カ所に寄って、全般的に縮小問題を
計画しつつあるという状況であります。しわの寄ってくるところは、全般的に縮小であっても、しわの寄ってくるところの苦痛をどうするという問題はあるわけでございます。従いまして基地が拡張しつつあるということだけは、この際ぜひ数字的にも、当地そのものは減少しつつあるという点だけは、お認めを願いたいと思います。
飛行場の問題に関連いたしましては、いろいろ今日まで
国会においても申し上げた
通りであります。
政府がこれを実施するに当りましては、でき得る限り納得を求めて実行しなければならないという
政府の方針を体しまして、私ども実行の任に当っておるわけであります。従いまして小牧なり、木更津なり、横田なり、測量その他の基礎的な
調査というものは順調に終了するようにいたした次第であります。砂川においてはその点が問題になりましてはなはだ遺憾な事態にまで立ち至ったわけでありますけれども、われわれも砂川の問題についてもあくまで納得の線を踏みはずしたくないということで相当な
努力を、非常な
努力をいたしたつもりであります。しかしながら砂川の拡張という問題については地元でまあいろいろ御研究になったんだろうとは思いますけれども、いわゆる貝殻戦術ということになりまして、反対にすら出て歩かない。貝殻の中にとじこもり絶対に
政府とは話し合わないということに方針を一決せられましで、町議会の議決もあり、まあ町議会の中にも事実上地元
関係者、拡張予定地
関係者は二、三人おられたということではありますけれども、二十人の町議の間で話し合い反対という線がきまったわけであります。各戸ごとに調進庁の立ち入り禁止、それから町中には話し合い絶対反対というビラが、張られたような始末になりまして、いかに話し合いをいたしたくても反対ですら話し合わないということが長く続きましてどうにもならない。われわれも相当に
努力をいたしたはずでありますけれども、話し合いには相手が出て火ない限りいかんといたしましても話しすることができないという状況で二、三ヵ月を
経過せざるを得なかったわけであります。その間百三十人ほどの地主その他権利者の中で、話をしようという方も逐次出て参りましたので、それらの諸君とはある程度の話はいたしておったわけであります。かえ地その他も見ていただいた次第であります。しかしながら町全体として話をしないという決議ができておるのだから困るということで、一向に進捗しないままに先月の二十四日でありますが、われわれの方で立ち入り
調査をせざるを得ないという事態に立ち至ったわけであります。立ち入り
調査と申しますのは、私どもの主張は、国は立川の飛行場の拡張を砂川町の中において実施したいという考えがあるわけであります。しかしながらこれは事実上実施できるかできないか、思わざるところに実施不可能な
条件がないかということを突きとめる必要がまずありますとともに、同時に地元の諸君の賛成を得るためには補償
条件というものをどうやって出すかということなんであります。一
人々々の持分がどのくらいであるか、これに対するかえ地はどこへ求めるかもあるいはそれに対する補償の問題、新らしい土地にかわれば開拓を要するのであればその開墾費や、あるいは新らしい畑を開墾するということになれば、何年間通常の畑よりは収益力が落ちるといったような問題とか、あるいは一戸一戸の補償金額の算定とか、そういう具体的な解決案を持って行かなければ、
自分の地面を売るという問題でありますから決心はつかないであろう、そのためには拡張予定地五万二千坪ほどでありますが、その中の個
人々々の持分をある程度明らかにしないと答案を書けない、答案を書いた結果、これは落第点であるということになればそれはわれわれの
努力の足りない点であり、ことと次第によってはいたし方がないということでありますけれども、試験を受けさせない、従って答案が書けない、従って反対であるということではこれはいつまでたっても問題が片づかないではないかということでありますので、八月二十四日には立ち入ろうという決心を固めたわけであります。御
承知のように八月二十四日に立ち入りを開始いたしたのでありますが、地元の妨害にあって進捗をしない。その間に地元からの
お話もあり、東京都の公共
知事の
お話もあり、二十五日から話し合いをしたらどうかということになりましたし、われわれも今まで話し合いをしないという人たちがこれを契機に話し合いをするという、したらどうかと言い出したことはこれは非常な進歩でありますので、慰んで私ども話し合いに伺ったわけであります。二十五日、二十六日と両日いろいろな
お話をしたわけでありますが、砂川の諸君は
知事の公示期八月一ぱいということになっておる、話し合い話し合いということで八月一ばいを
経過すれば公示の有効期限を失い、そうなればまたどうにかなるだろうということで、話し合いというよりももっぱら話をしていることによって期日の遷延をはかろうというお考えがあったようでありますけれども、いずれのお考えがあっても、話をしないという諸君が、話をするということは非常にけっこうなことだということで、二十五日も深夜まで
お話をしたわけであります。そこで二十五日の地元の
お話では、
調達庁はあくまで測量をしたいと言っているようだが、測量、測量というけれども、町には農地法のときにこしらえた図面がある、これを使ったら測量は引っ込めることができるかという
お話がありましたので、これは私どもも飛びついたわけです。どういう図面か、あまりよくわかりませんけれども、正確を欠く図面であったらどうするかという問題も、あとに至って起るだろうと思いましたけれども、それはまた私の責任の問題であって、要は話し合いということにいきさえすればいいのだろうという考えもありましたので、その図面を提供してもらえるならば、細目の測量はやめましょう、しかし道路三本の測量はいたさないと、図面と現場との比率をまた算定する方法がなくなる、骨格をなす三本の道路は測量をしたい、図面の提供は受けたいということになったわけです。そういうことならば、あとの問題はすべて話し合いでけっこうである。この三つの
条件に二十五自一ぱいの話を組み立てまして、地元の御回答を求めたわけであります。あした返事をするということになりまして、二十六日の
会議になりました。二十六日の
会議においては、きのうの件はどうであったかというわれわれの考えに対して、図面はいろいろ検討したけれども、この際
調達庁に紙一枚といえども出すのはいやだということになって、そちらから測量のかわりに図面をやるがどうかという
お話があったので、われわれもそういうふうに
条件を組み立てて提案したわけなんであります。今さらやらないと言われても困る。これは困るのですけれども、やらないというものはしようがないということで、それでは三本道路の測量、それによって以後の事態はすべて九月に持ち越して話し合うということではどうかということで、話し合いを二十六日もおそくまで続けたわけでありますけれども、なかなからちがあかない。そのうちに町長でありましたか、そういう図面はないということを二十六日のおそくになって言い出したわけであります。私はないものはないで仕方がないのでありますけれども、ないのであれば、その前の日に、図面をやるがどうかということを言い出した人がいるときに、その図面はないということを言うべきである、あるいはまた次の日の朝、図面は研究したけれどもやれないということになったというときに、ないのだということを言わなければならないので、一番夜おそくなってから、結局ないのだということになったのでは、結局話にもならぬじゃないかというわけであります。こういう論議を幾ら繰り返してもしょうがない、従いましてこれ以上論議を続けるわけにもいくまいということになって、二十六日で一応話は御破算になった。そこでそうなれば二十七日からたちまち測量という問題になるわけですが、せっかく話し合いということで二日もやったものを、進行しなくなったから、あくる日測量ということも感心したことではないということで、あくる日は測量しないということにいたしまして、二十六日の晩で一応
会談を打ち切ったわけであります。ところが二十七日になりまして両派社へ党の書記長の他の
お話もありまして、話し合いという線で、もう一ペん二十八日には測量という問題が、やるかやらないかという問題を持っておったわけでありますが、二十七日に
お話があって、もう一ぺん話をしたい、私ども話し合いはけっこうである、しかし話し合いという以上は、絶対反対の話し合いということは、ちょっと因る、
政府の方でもできないものはやらないという考え方はとらなきやならないし、先方様といえども絶対反対という線は一歩も動かない、話し合いの結果は必ずそこに落ちつかなきゃいけない、しかし話し合いがしたい、これではおっしゃることは
意味をなさないのじゃないか。反対であるが、話し合いをしたい、
政府がどういう
意見を持っているか、万一それによってひょっと気が変るかもわからない、反対の態度は容易に変らないと思うが話し合いをしたいというならわかるけれども、
自分たちの
結論にならなければいけないが、しかし話し合いがしたいというので、通常の常識を超越している話し合いじゃないか、それは因る。しかし、まあ両派社会党の書記長もごあっせんになるので、通常の話し合いということならやって差しつかえない。われわれとしても、何も測量が好きだということじゃないので、二十九日にさらに話し合いをするということになりましたわけです。二十九日にそれ以後の測量もやめまして、二十九日にまた
お話し合いに伺ったわけなんでふりますが、そのときにいきなり初手から二十六日の別れ方ということで議論が始まってしまった。二十六日に、われわれは一応話が打ち切られてしまったのだけれども、いろいろごあっせんになる方もあるので、本日またあらためてやるということになったという
了解で
お話をしたわけでありますが、そうでないんだと、それは打ち切られておらないという御主張をどなたかが、国
会議員でしたか、町
会議員でしたか、そういう方がおっしゃる。そこで私はそんなはずはないのだけれども、せっかく町の方も非常に費用をかけて録音をとっている、二十六日のことは録音で残っている
通りでどうですか、それも簡単に片づかないのです、録音の
通りということはないんだと。それでも二十六日に別れたときは録音の
通りという、この録音の
通りということを承認させるのにそんな手間ひまがかかるのは、これはなかなか容易なことじゃないと思った。やはり二十九日一日かかりまして、どうにもこうにもならないということで、またお別れせざるを得ないということになりました。二十九日も一日かかってだめだということになりまして、私どももやむを得ず引き下って参りました。いずれにいたしましても話し合いを絶対しないという諸君を相手に五日間でも話し合いをしたということは相当な進歩であるから、それが打ち切りになったからあくる日すぐ測量にかかるといことは大人気ないし、これはよそう。八月の期日はわずかしか残っておらないわけだけれども、あちらに八月の測量というものはやめますということをその決裂の際に通告したわけです。やめれば当然また
知事にあらためて公示をし直しをしてもらわなければなりませんから、それはどんなことがあっても十日以上の日数はかかるから、九月に入ってもすぐさま測量に来るという
状態はない。二週間以上の日があく、これが自然の冷却の作用をするでありましょうからということでお別れをしたわけです。
知事の公示を得まして十三日にまあなりましたわけです。そこで私どもといたしましても、測量はせざるを得ない。国が一定の用地を公共のため、もしくは
駐留軍の用に供するために買収したい、そのために土地を見てみたい、測量をしてみたい、こういう場合に地元の承諾がとれればそれに越したことはない、とれない場合は法律の手続によって測量をするということになっておる。それに対して法律の手続くそ食らえということを言われてしまったのではわれわれは何ともしょうがない。現に測量に同意をせられておる地元の諸君も大ぜいいる。そこに入っても測量はできないという
状態でありますので、手続による測量というものを強行しようということで十三日出かけて行ったわけでありまして、こういうような事態になったわけでありまして、事実幸いにして十四日の朝には抵抗はしないことになったというふうに三十分ほどしてこぎつけました。十四日一ぱいで測量を完了いたしまして、その後計数の整理等をやっているというところであります。また警官隊と地元と衝突いたしまして、
双方ともにけが人を出したというようなこと、残念な次第であると思っております。私の責任がありますことも痛感いたしておりますけれども、面と向って、法律くそくらえと言われたのでは、さようですかと申すわけに参らない。従いまして、どうしてもわれわれとしては法律手続というものは有効なのであるという立場をとらざるを得ないという立場に追い込まれましたわけであります。もっと納得のいく
努力をすべきであったというおしかりを受けておるわけでありますけれども、話を絶対にしない、反対の話はもちろんのこと、賛成の話もしないということにかたく耳と口をおおっておる人に、幾ら私どもが器用でございましても、話し合いができないという事実上の事態、十三日の事態に追い込まれましたわけでありますので、残念であるとは思い、また責任を回避いたすわけではございませんけれども、あのような事態を招かざるを得なかったということであります。今後の考え方といたしましては、
条件によっては土地の売り渡しをしようという諸君との話し合いを逐次進めまして、またそういう諸君もふえて参るわけでありますので、どのくらい残るか知りませんけれども、最後まで反対ということで残った方々との間には収用法という形で片をせざるを得ないと思いますけれども、できるだけ一人でも多く
条件次第によっては売り渡すという
人々をふやす、ふえてくるのを待ちまして措置をとりたいと考えております。
条件次第によっては売ってもいいのだという話も、なかなかこの方がほんとうはこわいのでありまして、私どもとしては、
条件次第では売るのだという人をとっつかまえて収用法をかけるというような不人情なことはなかなかできない、しかもあまり高いことを言うなら隣へ行って買ってきますということもできず、そういう
条件派に転向せられるという諸君に対しましては相当手数もかかるし、また十分納得するだけの
条件を出さなければならないと考えておりますけれども、従いまして、だんだんに
条件によっては考えようという方もふえておりますので、これらの諸君を中心に、何とか事態を……逐次ふやしていって、納得のできる解決に持っていこうと考えております。
なお、ただいままで御指摘はございませんでしたけれども、同じような測量問題を最近にいたしました。山形県大高根という土地の問題につきましても一言申し上げておかなければならないと考えますが、山形県大高根の射撃場の移転という問題は、砲座の移転という問題は、これは拡張問題ではないのでありまして、昭和二十一来山形県大高根射撃場というのがございまして、その砲座というものは占領当時にきまった砲座でありますが、砲座と被弾地区との間に八の住んでいる地帯がある。弾道下に人が生活していいかどうかということで、これは長らくもめた問題でありますが、二年ほど前に県と地元の
調達庁の間に一応の話し合いが成立いたしまして、砲座は移転する、そのかわり、これは県の
条件でありましたが、国は県道の修理、橋の新設、ダムの新設、そういった工事をする、それによって県の方としては移転砲座のあっせんをするということにきまりまして、ただいま申し上げましたダムの建設、橋の新設、県道の改修といったような問題は、一億六千万円ばかりの予算でありましたが、これは建設省の方で
担当してやってもらったわけであります。この方は建設省に
担当してもらいましたのでどんどん進行して、とつくの昔に済んでしまった。そこで砲座の移転ということになりましたが、砲座の移転は反対ということになった。一億五千万円先に使ってしまった。あとで移転の方は反対ということですが、これはどうもはなはだ承って工合が悪いし、
調達庁としてもだらしのない話である、まんまとひっかかったということにもなるわけです。以来一年有半
交渉を重ねまして、移転砲座の方の地主も大体
了解を得まして、今日一応使える砲座はできるにはできましたが、四%ほどの地主がまだがんばっている。坪数にいたしまして四万坪ちょっと、員数にいたしまして三十七名ほどの地主、総体の四%ほどの方が移転反対、まあ移転と工事というものは
条件になっておるというようなことを今ごろになって言っても、こっちが間抜けだったので追いつかない話ではありますけれども、しかしそういうことはどうもはなはだもって都合が悪い、
アメリカの
施設区域をできるだけ縮小させて調整していこうという
努力なんでありますから、前の話のついたときの
状態において考えていかなければならないということで、一年有半延びましたが、やむを得ず測量をいたしまして収用の手続をとろうということになりまして、一昨日と昨日、二日をもって測量は完了いたしたわけであります。これから収用手続という機械的な考え方はいたしません。
知事その他も手続ごあっせんをいただけることになっておりますので、測量はいたしましても話し合いによる解決の方に持って参ろう、この
努力をいたすつもりでございます。これにつきましても警官隊と地元並びに応援隊との間に衝突がありまして、若干のけが人を出しております。これまたはなはだ遺憾な事態でありますけれども、事情のいかんにかかわらず法律手続があっても何でも実力をもって法の進行を阻害するということを言われましたのでは、地元の
意見にわれわれも話し合いで賛成したいところなんです、法律を力をもって阻害するということを言われたのでは、これは何としても賛成できないわけであります。話し合いということをおっしゃられましても、そこまで賛成して帰ってくるというわけには事実上ちょっとできないことであります、お許しを願うほかはないかと思います。事態そのものにつきましてはもっとうまくやりたかったという希望は持っておりましても、今日までの
状態はいたし方なかったというふうに考えております。いずれの事件につきましても、両方とも、測量問題は目鼻をつけましても測量したから強制収用しなければならないということにきまっているわけではありません。さらに、一人ずつでも納得者を多くいたしまして、どうにも納得をせられないという人の場合に特に強制収用という手続に持っていきたいと考えております。なお一そうの
努力をいたすつもりであります。以上をもって簡単に
説明を終ります。