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参考人(
宇都宮義眞君) 御指名によりまして発言いたします。時間も大へん経過いたしまして簡単にやれということでありまするので、なるべく省略いたしますので、ただ率直に申し上げまして、言葉の足りないところは、もし失礼がありました場合にはお許し願いたいと思います。
初めに私
ども療術行為につきまして非常に誤解があるようでありまするので、療術行為というものがいつどうしてできたか、その名称はどうしてきめたのか、だれがきめたのか、五種目というものはいつきめられたか、定義は何であるかというようなことにつきまして、御参考までに私
ども昭和二十二年禁止されるまで従って参りました警視庁令療術行為取締規則の第一条につきまして、蛇足でありますが、ちょっと一言つけ加えたいと思います。
すなわち、「本令二於ナ療術行為ー称スルハ、他ノ法令ニオイテ認メラレタル資格ヲ有シ、ソノ
範囲内ニオイテ為ス診療又ハ施術ヲ除クノ他疾病ノ
治療又ハ保健ノ目的ヲ以テ光、熱、機械、器具其他ノモノヲ使用シ若シクハ応用シ、又ハ四肢ヲ運用シテ他人二施術ヲ為スモノヲイウ」、かように定められて、私
どもは何らちゅうちょするところなく規則に従いまして業務を続けてきたわけであります。さてお尋ねのものが個条書になっておりまするので、その第一項から簡単に申し上げたいと思います。
第一の
医療行為と医業類似行為との
関係につきまして、私はこれは広義の解釈をすれば、
医療行為、医業類似行為、すなわち、あんま、はり、きゆう、柔道整復、たとえばただいま申しました療術行為はすべて
医療の行為であると思います。しかしながら、法的にはただいま申し上げました警視庁令によって定められた業務及び
法律二百十七号第一条及び第十九条によって定められた業務のことではないかと
考えます。しからば医業類似行為というものを認めた限界につきましては、どういうことであるかということにつきましては、いろいろただいままで承わったところによりますれば、これは第一次の危害、すなわち直接危害がないということによって認めてあるのだ、そうして素養は
医師ほどの素養を必要としないものに限る、こういうことになっております。そうして第二次の被害、すなわちこの
治療をやっておる間に適当なる
医療の器械を付するというようなことは、これは
患者の
責任とされておる。化学性その他の科学的効果のことについては必ずしも証明をしないというようなことでございます。しかも医業類似行為の制限につきましては、
法律二百十七号第四条及び第五条によりまして、これは手術及び投薬を禁ぜられる、また
医師の同意を要する場合を定められております。これらは狭い意味、狭義の
医療の
範囲ともまた解釈できるのであります。またこれらのことは
国民の教養の
程度にも
関係するのではないかと
考えるのでありまして、すでに売薬が認められております。また
医師でなければ処方せんを書くことはできないことになっておりますが、この種の処方せんにつきましては、だれでも発行のできるいわゆる
国民処方というものもめ定られておる。また
先ほど来整形外科の
お話がありましたが、明らかに整形外科の
範囲であります柔道整復のごときも医業類似行為と認められておるのであります。
第二のあんまと指圧との
関係につきましては、これは
治療の原理につきましてはあるいは非常に似ておるところがある。また
方法にも似ておるところがあるかと
考えまするが、元来あんまとは何ぞやはりとは何ぞや、きゅうとは何ぞやという定義は明らかにされておりません。これの定義を
あとから次々と作っていけば、あるいはあんま、はり、きゅう、柔道整復は含まれるかもしれませんが、この点は私
どもは必ずしも承服できないのであります。また指圧はあるいはあんま等の影響は多少受けておるかもしれませんが、今日
治療を受けておる人の立場から
考えますると、必ずしも業者の言われるようなことでなくて、実は自分はあんまを受けておるつもりで指圧を受けた、あんまの中に指圧は入っておるのか、あんまの方はしてくれなかった。指圧もどうも同じような連繋もあるのじゃないかと思いますが、これらは要するに社会進化の原則は分化分業でありますので、おのおの特長とするものが分化分業してきたのではないかと
考えます。また警視庁令、二百十七号につきましても、
先ほど申し上げましたように「その他のもの」として、明らかに医業類似行為、指圧等はあんま、はり、きゅうとは区別されておるのであります。
その次の第三の指圧とその他の手技及び刺激療法との
関係ということにつきましては、
先ほどこの解釈は不明瞭であるという
お話もたびたびございましたが、これは医業類似行為の中の指圧その他の
関係ではないかと
考えます。それにつきましては、これは
治療の原理は全く同一であります。ただその手段
方法として相違があるのであって、多数の療術業者はこれらを兼業しているものも少くないのであります。なお、これらの原理につきまして経穴、経絡によっていないということが特徴であります。
第四の医業類似行為の修得
方法及び営業の現況につきまして申し上げます。医業類似行為の中のあんま、はり、きゅう柔道整復につきましては、
先ほど来いろいろ
お話がございましたので省略いたします。療術の場合につきましては、これらは学校教育と試験免許の制度が必要であるということを私
どもはすでに数十年前から感じまして、このことを
政府当局その他にたびたびお願いいたしてきたのでありまするが、不幸にして今日までまだ実現されるに至らなかったのであります。そうしてやはり昔の
医師、弁護士、あんま、はり、きゅう等のように、やはり発生当時の
状態はやや似たものがありまして、内弟子とか講習とか、不完全な教育を免れなかったのであります。しかしながら私
どもには皆様のようなりっぱな肩書もありません。あるいは死亡診断書を書くというような権利もありませんので、万一間違いを起したならば大へんである。信用もありません。従って実力にたよる以外にないのでありまして、学校に行かないができるだけの勉学は努めてきたのであります。幸いにいたしまして社会の信用も得まして各階層の御支持を得ておるのであります。なお国会内におきましても先生方の
治療に従事いたしまして、そうして国家のために御健闘願っておるような次第であります。
なお、制度においては
届出制でありましたが、その後の厳重な取締りが行われまして、これは免許制にも劣らないような取締りを受けておりまするので、幸いにして今日まであまり間違いを起さずに参ったような次第であります。
第五のあんま師、
はり師、
きゅう師及び
柔道整復師法の公布(昭和二十二年十二月)以来、昭和三十年十二月三十一日までの医業類似行為業の暫存期間(八年間)をいかに解決したか、この点につきましては、私
どもは必ず私
どもの多年やってきた業務が復活をされるとかたく信じてきたのであります。しかしながら私
どもは決して
法律を守る意思がなかったというようなことではないのでありまして、これは多年の職業が何ら社会に危害を及ぼさなかったという場合には、これは必ず
日本の憲法で守ってくれる、またりっぱな
日本の基本
法律となりまする憲法でさえも
改正することができる、あるいは最近
お話を承わりますと、医薬の分業の
法律のようなものがたびたび
改正の議が出ておるようなわけであまりして、必ず私
どもの希望する線に
改正される日が来たることを信じておったような次第であります。
なおこの
法律の出たときには、私
どもはこれには反対をしたのであります。しかしながら占領政策であるからやむを得ない、これは至上命令であるというような
お話も承わりまして、これは不可抗力であるというようなことで、いずれはこれは是正されるものだという
考えのもとに、今日までそれを期待して参ったのであります。なお
先ほども松本
参考人から申し上げましたが、
当局のたびたびの言明がありましてこれを信用いたしまして、そして業務の改善にひたすら努力したのでありまして、この八年間を決して私
どもは惰眠をむさぼって空費したわけではなかったのであります。また
厚生省当局におかれましても、この私
どもの意思をよく御参酌下さいまして、そして私
どもの再教育には用紙の少いときにおいて用紙の特別配給をしてくれましたり、あるいは多額の国費を費して
調査研究をして下さったというようなこともあったのであります。なおこれは
厚生省、国会、その他におきまして今日失業
対策がやかましく言われておりますので、私
ども全国一万数千人のものが同時に失業するというようなことになる場合に、必ずや、これにつきましてはあるいは職業の補導とか、あるいは転業資金を準備されるとか、そういったような
措置も必ずある。それができないのだから私
どもは転業を期待してないということをかたく信じておった次第であります。
次に、第六の
改正による三年の延長期間内において、指圧を除く、医業類似行為業者(電気、光線、温熱、その他の業者)は、あんま師試験の受験科目及び技能について修得し得るかどうかということでありますが、この点で私
どもは特に申し上げたいのは、何ゆえに電気、光線、温熱その他の業者が軽視されるかということであります。この点につきましては、私
どもはいまだ納得がいかないのであります。なおあんまに転業せよということでありますが、業者の中には老齢の者もありますし、病気している者もあります。そのようなために、これは熟練を要するものでありますので、ただ技術の修得をすれば、その日から飯が食えるということではないのでありまして、これは非常に困難ではないかとただいまから心配しているわけであります。なお療術につきまして、特にこれらの電気、光線、器械器具等につきましては、世上非常な誤解があるように私は
考えるのであります。中には非常に危険なものだと思っている。また中には非常にこれらは高級なものであって、とうてい
医師以外のしろうとのものが使用できるものではないとお
考えのような方もあるのじゃないかと
考えておりますが、これらは今日すでに
家庭用としまして市中に販売されているものであります。多くはそういったようなあまり高度なものは使っていないのであります。電気につきましては、
先ほど来あんま、はり、きゅうでも使用しているという
お話でありますが、感伝、平流、高周波を用いまして、弱電流をもって身体に弱い刺激を与えるというようなものでありまして、これは技術的にも出力において制限ができるのであります。また光線におきましては電球、アーク灯を使用しておりまして、これはこの光りというものは地上における日光
程度のものでありまして、しかも波長においてこれは制限をすることもできるのであります。また温熱刺激につきましては、温熱はこれはきゅうのうちだ、刺激ははりのうちだということを申されましたが、これも非常に拡大解釈されているのじゃないかと
考えるのであります。温熱におきましては温湿布のようなものを主として使用しております。温湿布はこれはおきゅうであるということは社会の通念から
考えられません。しかもやけどをしないということが条件になっておるのであります。また刺激におきましても、小さな器具を用いまして皮膚の表面に刺激を与えるものでありまして、これも先のまるいもの、先の広いもの、これもはりであるというようなことはこれはとうてい
考えられないのでありまして、これは皮膚に傷をつけないというような
程度のものを使用いたしておるのであります。なおこれらの器械、器具、電気、光線等につきましては、従来、戦前は
届出の際に図面、性能等を添付することになっておりまして、勝手にいかさまなものを使用することができなかったのであります。なお特につけ加えたいことは、これらのものが、あらゆる病気にきくというようなことはあり得ないということでありますが、これは他の医業類似行為
——あんま、はり、きゅう、柔道整復と同様でありまして、もちろんあらゆる病気にきくものではありません。しかしながら危害が非常に針小棒大、誇大に宣伝されておるために、それが
国民保健のために貢献されておる面が非常に閉却されておるという点については、私は非常に残念に考へておるのであります。なおこれらについて試験の
方法がないというようなことを申される方もありまするが、先般
衆議院の社会労働
委員会におきまして、三沢
教授の
お話を承わりますと、これらの物療に類するものは物理療法の原則について試験を行うことができるのであると、こまかなことは必要がないというような
お話もありますので、私は意を強くした次第であります。
次には、最後の医業類似行為の業態は、医学上の理由から禁止すべきであるか、あるいは社会的に認める必要があるかという問題であります。これは非常にむずかしいい問題であります。
先ほど申し上げましたように、これは理想から申し上げましたならば、これらは全部禁止すべきであります。明らかにその必要があると思いまするが、現実はそうはいかないのでありまして、やはり何らかの
方法においてこれを認めるということが現実に即した
方法ではないかと
考えます。なお、根本問題は、
先ほど参考人からの
お話がありましたが、世の中には
医師とあんま、はり、きゅう、柔道整復だけがあれば、その他のものは必要ないと、その他のものがあるわけがないというようなことを
お話ありましたが、実際ににあるのであります。これに現実な問題でありまして、これに何ゆえに業者が
医師、あんま、はり、きゅう、柔道整復というようなりっぱなものがあるにもかかわらず、社会に発生したかということが根本問題であろうと思うのであります。この点につきましては、業者にもいささか罪があるかもわかりませんが、これに社会もそれらを要求しているということにも多少の
責任がないとは言われないと私は
考えるのであります。なお
先ほども申し上げましたが、器械器具、電気、光線のようなものは、今日ではあまりお医者さんの方ではお使いになっていないというような種類のものが多いのであります。
今後の問題につきましては、ただいま
全国の業者一万数千人及び七万入の家族がまさに死活の関頭に立ちまして、日々不安な生活をいたしております。これはどこに訴えたらいいか、天に訴え、地に叫び、その声が私の耳にもただいま入るのであります。どうかこれらの点につきましては先生方の御判断に訴えまして、
一つ何分の御
処置をお願い申したいのであります。
いろいろ申し上げたいのでありまするが、時間がないそうでありまするので、私は簡単に以上の
通り苦哀を述べた次第であります。終り。