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参考人(
細野日出男君) 交通論の
研究者といたしまして、交通経済と交通経営、交通政策という三つの立場からこの案について
意見を申し上げたいと思います。
近代交通
機関は、これは国民経済の拡大発展の原動力であります。かって過去一世紀におきましては、鉄道がその役割を果して参りました。ところが、鉄道線路はもうたいていの国におきましては、ほぼ行き渡っておりまして、その後自動車道が出て参りまして、最近では一流国家におきましては、
道路の
建設ということが国民経済の拡大発展の原動力の役目を果しているようであります。アメリカにおきましても、年間五十億ドルの
道路投資をやる、アイゼンハワーの十ヵ年
計画によれば一千億ドルにさえも達するというようなそういう
道路拡充
計画というものは、これは国民経済の推進力としまして非常に大きな資金の源泉になり、また経済の動きというものを円滑化するということにおいて大きな効果があるわけであります。また交通
機関は先行性といいまして、産業開発あるいは生活改良というような点から見まして、先だつて行わなければならないという性格を持っております。従って、今度の
法律案は画期的な長期総合開発のための国策としまして、まことに雄大なけっこうなものだと存じます。また、それが衆議院の超党派によりまして四百三十人というような絶対多数の議員の
皆さんの提案でもって行われたということも、これもはなはだ感銘すべきことだと思うのであります。しかしながら、この
法律案につきましては、やはりいろいろ疑問があり、問題とすべき点が非常にあると思いますので、交通論の立場からその所見を申し上げたいと思います。
まず、高速自動車道の性能という点でありますが、これは
一般の
道路交通に比べますというと、安全性が高いということは、これは言うまでもないことであります。また大量輸送能力を持っておるということも、これも異論のないところであります。また高速ということにつきまして、これこそ高速自動車道と言う
通りでありまして、経済の生命であるわけでありまするが、
一般に社会経済において高速ということを尊ぶのは何であるかと申しますと、これは旅客交通、旅客交通においては非常に高速ということを尊ぶわけであります。ことにそれが短距離交通になればなるほど、高速ということの効果が大きくなってくるわけでございますが、旅客交通、観光交通におきましては、高速ということは、ある
程度コストが高くてもついていけるという問題を持っております。
しかしながら、貨物については少し話が違ってくるわけであります。また旅客交通、観光交通のほかに、貨物のうちの値段の高い、いわゆる製造工業品というような系統のものは、これは運賃負担力の高いものでありますから、高速を特に尊ぶ、値段の高いものでありますから、高速を尊ぶということなります。それから、この法案のどこにも出ておりませんけれ
ども、例の自衛隊の移動、国防上のモビリティ、重機械化部隊の迅速な機動性という点から申しますと、これは、高速自動車道は最も効用を発揮するということだと思っておるのでありまして、しかしながら低廉ということにつきましては資料にはコストの低下ということがうたってありますが、従来の
道路交通における自動車に比べれば、コストは確かに低下すると思います。しかしながら、総体的に、交通
機関であるところの鉄道に比べて安くなるかどうかということは、これはすこぶる疑問でありまして、はなはだ疑問の点が多いのであります。それは、鉄道は、
日本におきましては、過去の安い時代の投下資本でもって経営されておりますから、資本費の負担が非常に少いのであります。また、本来大量輸送
機関といたしましての性能を持っておりますから、鉄道の運賃は非常に安い。そのうちでも特に低級貨物につきましては、国鉄貨物運賃の七級以下、あるいは二十一級以下といったようなところは、これは旅客運賃の値段、あるいは高級貨物の運賃の値段において非常に安いものになっております。コスト以下に安いものになっておりますだけに、鉄道貨物運賃というのは非常に安いのであります。原料、燃料あるいは食糧といったような系統の貨物につきましては、鉄道運賃は
日本におきましては格段に安いのであります。これに比べて、高速自動車道ができれば、そこを通るこれの貨物の運賃が鉄道よりも安くなるということは、これはなかなか考えられません。短距離のものは別でございますけれ
ども、中距離以上長距離の交通ということになりますというと、これはとても高速自動車道をもってしてコストが安くなるということは言えない問題ではないかと思います。またトラックは、安くするためには、いきおい大型化が必要になって参ります。今の
日本の自動車の大部分は、実はオート三輪、一トン車、せいぜい四トン車
程度というようなところでありますが、こんな小型の自動車では、高速自動車道の貨物輸送の経済性は得られないわけであります。アメリカにおきましては、大型のトラックは、トレーラ運転をやっておる、十五トン車、あるいはそれを二つつけて三十トン車というようなトラック列車の運転によって、初めてある
程度の経済性が得られるということでありますので、
日本の貨物自動車が高速自動車道ができたからそういう大型のものになるかどうかという問題、そういう大型のものというものに高速自動車道以外の本来の貨物の、オリジンあるいはデスィティネーションに行くところでもって、そういう大型の自動車が通らなければ何にもならないと思います。従って、理論的に
道路網というものが、やはりそういう大型の自動車を通すような道にならなければ、高速幹線自動車道だけのために大型化するということは困難であるという事情を含んでおるのでございます。
それから低廉という点から申しまして、旅客交通でも、比較的近距離のような、あるいは庶民的な交通という点につきましては、これは鉄道よりも安くなるということはなかなか考えられない。いただきました資料の中には、神戸の方から富士などへ行きますのに、急行列車で行けば九百七十円、バスで行けば六百五十円だ、九百七十円に対して六百五十円だという資料が出ておりますが、これは、六百五十円というのはどこからお出しになりましたか、私にはわかりかねますけれ
ども、旅客、つまり
日本の鉄道というのは三等主義であります。三等運賃というのは非常に安いのであります。しかも遠距離逓減制をとっております。アメリカは一等オンリイでありまして、遠距離逓減制をとっていない。そこに個人の乗用車というものは圧倒的に発達して鉄道の旅客が全く商売にならなくなって、年々六億ドル前後の赤字を全米の鉄道で出しております。旅客輸送で六億ドル以上の損失をこうむっております。そういう状況になってきておりますけれ
ども、
日本の場合におきましてはその点は非常に違う。やはり三等旅客というものはこれは高速自動車道によるところのバスあるいは個人乗用車で旅行するものに比べて、鉄道の方がはるかに安いのであるということを考えなければならないと思います。
それから次にこの法律では高速自動車道を非常に多目的に使おうという趣旨が、これが実はこの法案の最大の特徴であると思うのでありますが、これは先ほ
どもいろいろ
お話しのございました
通り、どうも二兎や三兎を追って果してそれをみんな得られるか、あるいは一兎も得られずに終るのではないかというような、そういう疑問がないとは言えないと思うのであります。国土開発あるいは産業の振興、生活領域の拡大ということは、これは非常に耳ざわりのいいことでありまして、また望ましいことでございます。しかしながらそのためには、この一本だけただ高速幹線だけでこれはどうにもなるものではないと思います。これに付帯するところの自動車
道路網としての支線網が
相当行き渡らなければ、こういう国土開発まではいき得ない。つまり高速自動車道ということは、従来大経済
地域と大経済
地域との間にかけた橋のような性格、あるいは場合におきましてはそういう性格が強いと思うのであります。途中にはあまり用がない、そういう性格のものであります。ところがこの
法律案のものはその途中に用がすこぶるある、途中にすこぶる用があって、しかも全体としてハイ・スピードを出すというようなところに少し矛盾が感じられるのであります。つまり支線網の拡大ということはぜひ必要でありますが、支線の規格、バスあるいは乗用車の場合はどうでもいいわけでありますが、トラックの場合、もし幹線の経済性のために大型トラックを通すということになりますと、支線の橋な
どもやはり大型のトラックが通れるようにならなければこれは意味がない。そこに問題がある。また支線がふえるということは、非常に立体交差がふえるということになります。高速自動車道はもちろん全面的に立体交差であります。立体交差というのは、非常に経費のかかるものであります。いわゆる有料高速自動車道の世界の最初のものは、アメリカのぺンシルヴァニア・ターン・パイク、ナチスドイツでやりましたアウトバーンは別でありますが、 アメリカにおきましては、フィラデルフィアからピッツバーグの先ペンシルヴァニア、オハイオ州境に至る三百二十七マイルという
東京大阪間に当る距離ですが、立体交差がたしか十二か十三しかないのであります。三十マイルごとに
一つしか交差点がない。これでもってハイ・スピードを出していけるということであります。ところが支線がたくさん入ってくることになりますと、ある
程度その出入り口のところでクロッグ(停滞)を生ずる、ことに
有料道路になりますと、そこにトール・ゲートができまして、そこで通行料を取ることになります。この通行料を取るということが非常な停滞の原因になります。私は自分で自動車を運転して、かつてニューヨークのハドソン川のトンネルを通ったことがございますが、フィラデルフィアからトンネルの近くまで一時間半でとばしていきますが、ホランダ・トンネルの手前二マイルぐらいのところから三尺きざみ、一寸きざみ、五寸きざみといった
程度で動かざるを得ない、それはトンネルの入口のトール・ゲートのためでございます。わずかに二マイルのところで二時間かかる、結局四時間以上を費さなければならないというようなことになりましたが、そのトール・ゲートというものは高速自動車にとって非常に厄介のことでございますから、このトール・ゲートというものは都市に入るところの支線においてはよほどたくさん設けなければ、飛行機と同じように途中は早いけれ
ども、町の中に入るとおそくなるというような
現象を生ずるようなことになると思います。これは支線が多くてトール・ゲートが多いということは高速性を阻害する
傾向を持つものだということであります。
また、高速幹線自動車道によって沿線の産業が開発できる、あるいは都市ができるとか、新農村の
開設ができるというような問題につきましては、国鉄のかっての
山間部線というものがたくさんあるのであります。それぞれの
山間部線というものは、スピードの点においてはなるほど幹線自動車道にはかなわないかもしれませんが、運賃が安いという点から申しますと問題なく向うの方が安くやってきておる。しかるにその
山間部の沿線に新都市や新農村工業地帯ができたかという問題、これは実はわれわれは現実に反省してみなければならない問題でありまして、交通
機関はこれはあくまでも手段であります。従って工業都市とか、新農村といったようなものを作るということのためには、それができ得る可能の他の条件が備わっていなければならない。人間が住みつけるところであるかどうか、人間が住めるような平地が得られるのか、水が得られるのか、その他のいろいろな生活施設といったようなものが得られるのか、そういうところは住むに魅力のある所となり得るのであるかというような各種の条件があるわけでありまして、工業立地だとか、都市造成ということについての諸条件が備わっていなければ、単に交通路ができたからといって、それはサハラの砂漠に鉄道を敷いても貨物が出てこないというのと似たような性格を持つのではないかと考えます。で高速度自動車道の多目的性、たくさんの目的を持っておりますとか、旅客交通の便宜、観光をよくして国内観光あるいは外人の観光客を招致するといったようなことは、これは確かにその目的を
相当達成することができると思います。また高級貨物や国防上の効用というものは確かにこの目的は達せられると思います。また、就労
対策という面から見ますと、膨大なる
建設事業でありますから、非常に大ぜいの労働人口を収容いたします。その面におきまして確かに効用はあります。しかしながら国土開発、あるいは新産業の造成というようなことになりますというと、そのままそうなりますということを、安心して言い得ることはできない問題を多分に含んでおると思うのでございます。
次に、高速度自動車道の
建設の問題について申し上げます。これにつきましては、先ほどから
路線網を今からきめてしまうことは早過ぎるという御
意見がたくさんに出ております。私もそれは全く賛成であります。今までどの
程度に御
研究になったか存じませんが、今までの拝見したところの資料では、いかにも賛成論的な資料ばかりでありまして、反討論的な
反対の立場からの資料は全然出ていないのであります、いただきましたのは……。そこに問題があるのであります。国会でもって四百三十人の多数でもって提案された
通りにきまっていくというようなものに対しては、どうしても立案側において迎合的な資料だけ出すというような危険があるのではないかと思います。その点いただきました資料のうちにマイナスの資料が何も出てないということを私は遺憾に存ずるのでありますが、この
路線網につきましては、ことに問題になりますのは、やはり三千キロの幹線に対して六千五百億円の
建設費である、それに対して付帯支線網が二百五十キロでその
建設費が一千二百億円であるというような
数字を拝見しておりますが、この支線網というものができなければ、地方の開発には役に立たない。ところが支線が多くなればゲイトがふえ、交差がふえてハイスピード性を阻害するというようなことを含んでおるということ、それから北方積雪地帯、これは東北幹線の方の仙台以北の地帯、ことに十和
田地帯は非常な深雪地帯ですから、北海道もずいぶん深雪地帯だと思いますが、鉄道なればこそ除雪を徹底的に行いまして、二十四時間、一年中の開通を期するのでありますけれ
ども、
道路においてはこれは非常にむずかしいと思います。ことに非常に幅の広い
道路において除雪するということは、大きなブルトーザーを幾台も運転しなければならないわけでありますが、大へんな経費のかかるものであります。しかもこれらの深雪地帯におきましては、幹線だけの雪をどけてもこれは意味がない、それに接続するところの支線の雪をどけなければ、これは幹線は生きてこないわけであります。ですから接続支線の除雪という問題を含めて考えなければなりませんものだけに、北方深雪地帯におきましては高速度自動車道というものの効用には、一年のうちの重要な時期を占める積雪地区の効用低下という点にはなはだ問題があるのではないかと思います。
それから
建設費の問題につきましては先ほどいろいろお話が出ておりますが、中央道だけでも千三百五十億ぐらいでできるということに対しましては、私どうもそんなにうまくいくか、そんなに安くできるかということを感じますが、それは実は
用地買収の
補償費、物件移転等の
補償費だけでもこれは大へんな問題である。電源開発あるいは
東京の地下鉄の新線
建設といったような問題で一番厄介な問題は
補償費の問題であります。しかも佐久間地区で何十億の
補償費を払い、奥只見のあの五十一軒の農家の所有地、物件を買収するために八億何千万円の
補償費を払った、こういうことなのでありまして、
土地収用法の二十六年の
改正以来、
土地の収用ということは非常にむずかしくなりました。非常に高い
補償費を払うというようなことが行われてきております。これを考えますというと、
補償と同時に換地を与えるというようなことはいろいろ御案にあるようでありますけれ
ども、しかしながら
補償費の問題においても非常に
建設費が高くなる前歴が歴々としてあるのであります。これは
土地収用法の
改正といったような問題を考えていただかなければならない問題だと思いますけれ
ども、そこに
建設費についてはなはだ問題があると思います。
それから高速度自動車道の経営につきましては、経営体の問題につきまして、国が
建設するということでありますから、当然これは国の公共企業体のようなものをお考えになっておられることであろうと思いますけれ
ども、国以外のものにも許すということでありまして、国以外のものは何を想定しておられるのか、民営の高速度自動車道会社を想定しておられるとすれば、これは世界的に長距離高速度自動車道ではそういうものは存在しません。民営のものはとんど存在しないということを考えなければならないと思います。かわって国以外のものとすると、あとは府県でありますが、府県がちりちりばらばらなみみずの線のように、自分の県内だけの高速度自動車道を
建設して、そしてそれで独立採算をやるといったようなことはちょっと考えにくいことであります。やはりこれは国がやるならば国が徹底的に国の手でやらなければならないものではないか、ただ部分的に、初めのうち民間にやらせてあとで買収するという案も考えられるかもしれませんが、買収のときには必ず買収費の問題で問題を起します。やはりこういう大々的の自動車道を考えられるからには、国が全面的に責任を負ってやられるということが必要ではないかと思います。
それから営業費はどうなるかということであります。ゲートの数がふえますと、ゲート・キーパーの給料だけでも、これは大へんなものになってきます。インター・セクションにはことごとく、四ヵ所ゲートを置くということになりますから、これは二十四時間サービスということになりますと、このインター・セクションの数がふえればふえるほど、大ぜいの従業員を雇わなければならない。東海道の戸塚辺でありますと、昼だけ有料でありまして、夜は番人がいないから、昼間はあまり通らないで、夜だけ盛んに通るという
現象が出ておるぐらいであります。二十四時間ゲート・キーパーを置かなければとうてい独立採算の自動車道の運営はできないだろうと思うのであります。
それからトンネルがたくさんあります。長いトンネルはすべて換気装置、排気装置が必要である。これは大へんな費用であります。ニューヨークのハドソン・トンネルなどの換気装置の経費は実に莫大なものであります。これをやはり経費の中に非常にたくさんに入っております。それから除雪費が高くつくという問題、それから次に使用料を払ってくれるところの利用車の数の問題でありますが、これは先ほど詳しくお話がございました、一万何千台の自動車が通るといったような統計が出ておるようでありますけれ
ども、それはいつのことかということを私もやはり非常な疑問を感ずるのであります。
日本の自動車の総数は百十万台をこえておると申しますけれ
ども、大都分は軽自動車であります。軽自動車はこの高速自動車道を走るというような積載力がありません、またお客も乗れませんからして、そんなところには参らないわけであります。どうしてもこれは
相当の大型車が使うということになりますと、ことにアメリカにおきまして高速自動車道が独立採算的にペイしておりますということは、個人乗用車が圧倒的に多いということが、これが根幹であります。営業用車というものは、数の多い個人乗用車の負担において走っておるということが、これは大部分の場合であります。ところが
日本におきましては、個人乗用車がどれくらいあるか、
東京都のこの間の陸運局の協議会におきまして得ました資料によりますというと、三万台ほどの個人乗用車があるということでありますが、このうちの二万何千台が公用及び社用の自動車であります。純粋の個人用の自動車というものは三千台しかない、おそらく芸能人くらいしか持っていない、こういうような現況であります。公用自動車や官庁の自動車で走り回る、こういうことが多い。しかしながら自分の自動車で自分で走るというのは非常に少いのであります。この点はアメリカの有料自動車道の独立採算制というようなことと非常に性格が違うという点は考えてみなければならないのではないか。また従って利用者の数が
相当多いように出ておりますけれ
ども、その利用者の中味は何であるか、どういう階級が利用するのか、個人自動車につきましては、少くとも庶民には縁なき衆生だ、縁なきだというような感が深い。庶民が自分で自動車を持つなんということは、
日本におきましては、運輸省の中には、そのうち国民経済の発展によってなんという、自然に発展していくようなことが書いてありますけれ
ども、なかなかそんなものにいく見通しが立つとは思わないのでありまして、個人乗用車は国民の富の
程度に比例する。富の
程度がよほど格段に高くならなければ、個人乗用車はふえない。従って高速自動車道を本来通るべき負担者の圧倒的な部分を占めるはずの利用者の数が非常に少い。公用車、社用車が大手を振って通るのが落ちだという危険がないかということを考えます。もしこれが非常に大きな利用者の数と層を得るということになりますと、これは直ちに七番の総合交通政策の問題としまして、国有鉄道に甚大な
影響を及ぼすという問題になって参ります。
次に、六番の総合国民資金
計画の立場から言いますと、貧乏な
日本におきまして、少い国民資金を集中的に配分しなければならない、これは至上命題だと思うのでありますが、その立場からみて、この
道路の
建設の準備というものはどうであるか。これは私として何とも申し上げられないのでありますが、この点こそ最も御
研究になっていただかなければならない点だと思うのであります。たとえば交通
関係だけに限定して、実はこの案では電源開発が終るから、電源開発に続いてその金を使うというようなお
考え方があるようでありますけれ
ども、交通系統だけについていいますと、実は国有鉄道の北方幹線というものは極端に行き詰っております。明治二十年来の単線のままであります。東北本線も単線のままできておる、羽越線にしましても北陸線にしましても、これは非常に行き詰っております。国鉄はこの拡充のために資金がなくて非常に苦しんでおりまして、そのために国民経済上の輸送の不振という問題が、特に北海道との連絡におきましてはなはだしい問題が起っておるのであります。そういう国有鉄道の北方幹線の増強というような問題、あるいは電化の問題、これも資金が足らなくて、ちぎれちぎれのみみず式な電化しかできておらないのでありますが、この問題、ことに最近の首都交通の行き詰まりの
状態からみて、これは言語に絶するものでありまして、首都交通難の打開、これには莫大な資金が要ります。国鉄資金だけでも八百億円
程度の経費を計上しておるようでありますが、先日来
東京市政
調査会主催の大都市交通
研究会におきまして、交通
学者、公益
事業学者が集って
研究を進めておったのでありますけれ
ども、少くとも地下鉄の系統、高速度系統が国鉄以外の面におきまして七、八百億円以上の建造費が必要であります。そのほかに高速自動車道というものを設けますと、この金額が莫大なものになってくるわけであります。そういう首都文通、全国の旅客交通量のほとんど四割を首都交通圏において運んでおるのでありますが、そういう交通圏の行き詰まりという問題に関しては、国家は政治の面で何も御配慮がない。こういうものと比べてどちらが先かという問題は、やはりたとえば限りある資金ならば、国会においてこそ考えていただかなければならない、こう考える次第でございます。
次に総合交通政策の立場から申し上げますと、鉄道と自動車との競争調整の問題は世界的な難問であります。どこでもまだ
解決は
一つもついていないというむずかしい問題であります。これは結局自動車があとから出てきて、鉄道があるということを前提として自動車というものは存在しておる。そうしていわゆる運輸量のすみずみに当るところだけを自動車が救う。自動車は機動性に、弾力性に富んだ有利な立場にある。鉄道というものはその点弾力性がない。投下資本の重圧に陥るというような点から、苦しい目にあっております。世界的に鉄道というものは夕陽産業、斜陽産業に陥りつつある。そのことが結局鉄道のサービスの低下をきたしつつある。そのことは国民経済社会のために果して妥当であるかどうかという問題でありますが、これはそうではなく、自動車が
幾ら盛んになりましても、鉄道は所によっては自動車に置きかえるという所は出て参りましようけれ
ども、大部分においては鉄道をやめるわけにはいかない。またサービスを低下せさるわけにもいかない。しからばその鉄道と自動車の両立するような政策いかんということが、これが実に総合交通政策の一番の難関でありますが、
日本のような貧乏国においては、交通面について二重投資ということは非常に問題である。個々の競争をできるだけ回避するということが必要である。世界の総合交通政策のやり方といたしましては、大体三
通りあるのであります。公正競争の立場に立ってやらせるということであります。同じ立場に立って競争させるということであります。アメリカがその政策をとっておりますが、うまくいっておりません。
道路においてはアメリカは政府が非常に補助しております。飛行機についても補助しておる。鉄道に対しては補助しないでおいて、公正競争ということは事実存在しないのであります。それからヨーロッパ流に、強権をもってこれを統制する。両方に命令を出して調整をさせるというやり方、それから最後に経営者を
一つにしてしまう、総合経営をやる。これはイギリスの労働党が四七年の運輸法によりまして断行しました。運輸の国有であります。これは鉄道と自動車の問題が根幹でありまして、鉄道と自動車を一本の形でもって経営すれば、この調整問題は
解決がつくというところから、四十マイル以上の長距離自動車というものを国有にするということを断行したわけであります。
相当成績をあげておったと思いますけれ
ども、やはり資本主義政策あるいは保守政策をとります保守党が天下を取りましてから、これをひっくり返しまして、また民営に戻すということで今やっておるのであります。また労働党が天下を取れば国営にしてしまうぞというようなことを言っておるのでありまして、イギリスの交通政策におけるところの総合経営というものは、ある
程度成功したように私は聞いたのでありますけれ
ども、保守党はそうは見ていなかった。ここにつまり世界的な三つのやり方がありますが、どれが今決定的なことかということは聞いていないのであります。
日本におきまして、国有鉄道は比較的世界の鉄道に比べて国内独占の地位が高いのであります。本来いい成績をあげております。運賃のレベルが不当に低いために経営困難の様相を呈しておりますけれ
ども、利用効率がいいという点から見れば世界一の
状態であります。これが幹線
道路というようなものができまして、そちらがペイするような
状態になった場合には、
相当大きな交通目黒の転移がある。そういう転移がありますというと、大量輸送
機関としての鉄道としては、これはやっていけなくなる。サービスが落ちる。それを落さないためには、運賃の値上げを必要とするような問題も起って参ります。国会におかれましては、この法案につきましては、どこについても国鉄の問題については何にもタッチしておられないようでありますが、こういう法律を通される場合には、やはり国鉄のこうむる
影響に対する政策を少くも考えておおきになるということが、総合交通政策の立場から必要だと思うのでございます。
結論といたしまして、この
法律案は四百三十人の議員の共同提案ということで、通過疑いなしという感覚を
一般に与えておるようであります。そのためでありましょうか、実はおれはほんとうは
反対なのだけれ
ども、賛成しておかないとバスに乗りおくれる(笑声)というような
考え方がどうもあるように実はちょいちょい聞くのであります。この点は
一つお考えいただきまして、とかく
日本の官庁は、官庁のことを申し上げてはなんですが、非常に対立的な意識が強く、セクショナリズムであります。総合行政というものに一番欠けておると思うのでございます。国会こそがこの総合調整をなさるところだと信じますので、これらの
国土開発縦貫自動車道建設法案につきましては、国会が大所高所に立って交通政策の総合、もちろん国土開発総合政策の
一環としてでありますが、そういう交通政策の総合ということを国会において十分にお考えいただくことを望んでやまない次第であります。
この
法律案そのものにつきましては、私はやはり
路線の決定を今からしておくということは将来困るのではないか。それからあまりにげたを行政
機関に預け過ぎておる。内閣総理大臣がやれ、あるいは審議会がやれというようなことが多過ぎると思いますので、もっとこの問題は国会自身が責任をおとりになって、お調べになるということが必要ではないかということを感ずるのであります。
長々と失礼いたしました。