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政府委員(
竹内寿平君) 今回の
不当事項につきましては、
説明書に記載いたしましたように、大体その
説明所に尽しておるのでございますが、ただ五十番の
札幌刑務所において数の子、身欠きニシンを購入いたしました件につきましては、この
説明書を差し出しましたのちにおきまして、
刑務所から提出されておりました
報告の中に、若干の疑問があることが明らかに
なりまして、さらにその
調査をいたしませんことには責任のある御
説明を申し上げかねますことと、さらにこれに対する対策も立ち得ない
関係に
なりまして、ただいま係官を
札幌の方へ
調査に差し向けておる状況でございますので、この分につきましては、もうしばらくの御猶予を頂きまして、正確な
説明をさして頂きたいと
考えるのでございます。
さらに四十八番の宮崎地検におきまする
経理紊乱につきまして補足的に御
説明を申し上げておきたいと思いますことは、本件が長年月にわたっておりますのと、内容がか
なり複雑でございますので、私
どもから出しております
説明書の記載によりましては、御理解をいただきにくいのではないかと思いますので、若干の時間を頂きまして、事実の概要を御
説明申し上げ、かつ私
どものこれに対する
考え方もお聞きを願いたいと思うのでございます。で、宮崎地検の
事件でございますが、宮崎地検におきましては、
昭和二十三年の五月から本件の
不当事項が発生いたしております。御
承知のように、
検察庁は新憲法下裁判所と分離いたしまして、会計
事務を
検察庁においてあずかることになったのでございますが、さような
関係で当時
職員の会計
事務に習熟した者が少なかったという点もあったと思いますが、その頃会計課の中におきまして、
職員の出張旅費とかあるいは
事務費とか、そういうものを一時立てかえして融通するというような悪習が起ったのでございまして、それが逐次回を重ねて参りますうちに、あるいは接待費の立てかえもする、あるいは当時宮崎地検におきまして本庁はじめ支部等の新営工事をいたしておりましたが、そういうものの工事費も一部立てかえるというようなことを重ねておりまして、年間に配付されます
予算にはおのずから限度がございますので、この立てかえを続けていきますうちに、あるいは保管金の中から立てかえ、回収をしますとその保管金の中へ入れるというふうにはしておりましたものの、だんだんつじつまが合わなく
なりまして、
昭和二十六年頃には何かここに、会計課の金の中に大きな穴があいておるんだということを、当時の検事正もおわかりになったようでございます。これに対する穴埋めの対策を苦慮しておりましたところ、
昭和二十七年の五月末頃に
会計検査院の実地検査が行われることに
なりまして、その当時三百余万円の穴があいておりまして、これを何とか糊塗して、
会計検査院をごまかすといったようなことを
考えまして、そして支部の日南に当時ございました保管金を一時見せ金として本庁に持ってきて糊塗する、こういうことがやがてまたその返還金の問題でいろいろと問題が起りまして、そうこうしておりますうちに、検事正であります
支出官、歳入徴収官でございますが、この検事正が後進に途を譲って退官をいたされまして、新しい検事正が
昭和二十八年の一月に着任をされまして、どうも大きな穴があるらしいということを部下から聞きまして、
調査に乗り出しました結果、二十八年の三月にいよいよこれは不正があるということで、監督官庁であります福岡高等
検察庁の監査を受け、さらに犯罪捜査にまで発展いたしました。係の者はそれぞれ処分を受けた次第でございますが、こういうような
関係によりまして、この
不当事項はでき上っておるのでございます。
それで
昭和二十七年の五月末に
会計検査院の実地検査がございました。その直前の不足額はどのようになっておったかと申しますと、それは合計いたしまして三百二十三万四千百二十七円九十三銭という数字でございますが、これを収入金の部で六十九万二千、立会封金のところで四十七万三千円、保管金のところで二百六万九千円という数字になっております。そしてこの立会封金、保管金は
会計検査院指摘の二項と三項に当るものでございます。収入金の六十九万二千円はのちに申しますように、その後の流用がございまして、それを合せて
会計検査院の一の部を構成するものでございます。こういうふうに収入金、立会封金、保管金から流用をいたしまして、不足額を生じたのでございますが、これを相互に収入金から、あるいは立会封金に、保管金にと埋め合せを、融通をしておりまして、それでも足りませんために、先ほど申しましたように、一部は本来の歳出金の架空
支出をいたしております。その額は合計三百二十八万六百十二円となっております。その間に
昭和二十六年中でございまするが、歳入徴収官でありかつ
支出官であります検事正は松永志逸から川原一郎にかわっております。そして
事務を取り扱っておりました会計課長も、図師敏から津田喜平に変更をいたしております。この変更の事情は、検事正につきましては後進に道を開いて退官をしたのでございましたが、図師会計課長が津田課長にかわりましたいきさつにつきましては、当時図師がそのような会計処理をいたしておりましたために、多額の不足があるという疑いを当時持たれまして、
調査されました結果、わかって参りまして、そういう
関係で図師敏を依願退官をさせまして、その退職金の一部が弁償金に充てられたのでございますが、遺憾なことにはこの図師を当時徹底的に
調査するということがありませんで、依頼退官にさせ、その退職金をこの不足金に充てるというようなこそくの手段を弄したという点が、さらに次の不当
経理を助長した結果になっておることを遺憾とするのでございます。そして話が相前後いたしましたけれ
ども、先ほど申しました不足金の三百二十三万四千円余りでございますが、これが会計検査を受けるということに
なりまして、何とかこれを補てんして急場をしのぎたいというような
考え方からいたしまして、当時会計課長の津田、それから会計係長の山下敏、そのほか福岡高検の宮崎支部の庶務課長をしておりました田原、これらが相協議をいたしました結果、田原の発議によりまして、当時日南支部に関税法違反被告
事件等の換価代金、保管金でございますが、これが約六百万円あるということで、これを一時借りてきて、そうして穴埋めをしてはどうかというようなことを協議しまして、これを川原検事正に諮り、川原検事正も賛成を表せられましたので、係の者が日南支部に参りまして、その話をして小切手で三百三十四万五千円を振り出させまして、それを現金化して、この穴にそれぞれ埋めたのでございます。そして
会計検査院の方はともかくも事なきを得たのでございまするが、日南支部といたしましては、一時見せ金ということで貸したのでありますので、何とか返してほしいということをたびたび申しております。ところが一たん領置金の中に、立会封金の中に返したものは、これはなかなか見せ金といってもすぐ引き出すことはできないのでございますし、また収入金に補てんいたしまして歳入に納付してしまったものは、これはもう戻しようがないわけでございます。係の者は一時見せ金とは申したものの、これをまた破ったり何かしてもとへ戻すという気にはなれませんために、そのままずるずるべったりに過ぎてしまったのでございます。このために、日南支部では非常にやかましく申しまして、それで会計課長としても放ってはおけないということで、二十七年の七月末に
なりまして、当時山下が会計係長でございましたが、この山下が図師会計課長から、前の課長から提供されました五十九万五千何がし、そのほか前の残り金の十一万何がし、それから見せ金に埋めたというので、本庁の方の立会封金を一部また破りまして、二十三万七千円、これらを合計しまして九十四万を日南支部へ返したのでございます。そうして宮崎地検の方は一応不足額は補てんされた形になったのでございますが、そのしわ寄せと申しますか、日南支部の保管金の不足という形をとって推移して参りましたところが、川原検事正は、二十七年の十二月に退官されまして、先ほど申しましたように若林現検事正が二十八年の一月着任されまして、本件がまあ発覚して参ったのでございます。
かような複雑な過程をたどっておりますが、なお、この川原検事正が
会計検査院の実地検査を受けました際に、今後は決して立てかえ流用は許さんぞと固く言われたのでございますけれ
ども、当時の
職員の間では、旅費の立てかえなどをもう一回復活してやってほしいという強い要望があったようでございまして、山下会計係長はやむなくまた立てかえ流用を始めたようでございました。これがちょうど二十八年の三月末までの間に流用額が四十五万一千円余りとなっておりますが、これは新しい検事正の手元で全額回収をされております。この四十五万を先ほど申しました額と寄せまして、
会計検査院の指摘されております検査当時の収入金の流用額五百六十四万七千円と、今の四十五万円を加えまして批難
事項の(1)の中にありますところの収入金の流用額六百九万八千七百四円という数字が出ているように
承知いたしております。
かくてその次は捜査の段階に入るのでございますが、この間に若林検事正が着任後間もなく、同地の地検次席検事と高検の宮崎支部の検事の両名から会計に不正があるらしいという
報告を受けたので、さっそく日南支部の平部という副検事を検事正お呼びに
なりまして、事情を聴取しましたところが、大体今申しましたような流用の事実、穴のあいておる事実がはっきりいたしましたので、二月末ごろ福岡高検の検事長にその旨を
報告いたしまして、福岡高検からは監査が行われました。そうしていよいよ犯罪のことが明白になって参りましたので、四月初め福岡高検の検事が現地に臨みまして、図師前会計課長が被疑者に立てられまして、徹底的な犯罪捜査が行われまして、大体ここに
会計検査院指摘のような金額の数字が明確になって参ったのでございます。捜査の進展につれまして、監督責任者などから弁償金が提供せられまして、この大
部分は日南の保管金の不足に補てんされました。そのほか、前に申しました
通り、会計検査以前にすでに個人から収入金に直接返したり、あるいは会計検査直後に個人から弁償金の形で日南支部の保管金の不足に補てんしたものなどがございまして、その弁償金は合計いたしますると三百八万四千八百六十八円に
なります。日南支部の保管金の亡失額は三百三十四万五千九百十一円二十八銭という数字でございまして、これが補てんされました金額が二百七十三万二千九百六十九円二十八銭でございまして、差し引き六十一万二千九百四十二円が未補てんの状態になっておったのでございまするが、この
部分につきましては、本年の三月に二十九
年度の
予算をもちまして賠償、償還、払い戻し金の
費目から二十二万円を
予算示達をいたしまして、次いで新
年度の三十
年度の
予算から三十九万三千円の
予算示達をいたしましたので、今日におきましては全部これは補てん済みとなっておるはずでございます。
以上が大体本件のあら筋でございまして、おわかりにくかったかと思いますけれ
ども、こういう事情でございます。
それにつきまして責任者はどうなったかと申しますると、直接責任を負うべき者としましては、図師敏が刑事処分を受けております。これは懲役二年、三年執行猶予の判決を受けて、これは確定いたしております。そのほかに二宮文雄というのが業務上横領の嫌疑で捜査を受けましたが、これは起訴猶予に
なりました。そのほか行政処分を受けました者が、直接責任者としては七名ございます、原田、山下、田原、平部、尾崎、津田、門川という七名が懲戒処分、減俸、訓告といったような処分を受けております。それから監督責任者といたしましては、刑事処分の対象に
なりましたのは川原検事正でございまして、これは捜査の結果、起訴猶予処分に
なりました。それから行政処分としましては松永検事正、これはすでに退官後でございましたので不問に付されております。それから川原一郎氏も、退官後でございましたので行政処分としては不問に付されております。そのほか福岡の山井検事長、宮崎地検の次席検事、宮崎地検の次席検事は二人かわっておりますが、前の検事、それから福岡高検の次席検事、福岡高検の
事務局長等がそれぞれ行政処分の対象に置かれて審査を受けたのでございまするが、前の宮崎地検の次席検事を除きましては、次席検事が訓告処分を受けましたほかは、いずれも不問に付せられております。そのほか、この本件に関連いたしまして、転任等によりまして機構の刷新をはかられたのでございますが、副検事が三名、検察
事務官が三名、合計六名がそれぞれ左遷等によって異動を命ぜられております。
本件の発生
原因は冒頭に申しました
通りでありまするが、不当行為が何で行われ得たか、収納金をどうしてごまかしたかという点でございますが、収入金、立会封金、歳入歳出外の保管金でございます現金、それから架空
支出の
方法、こういうものにつきましても、全部究明をいたしまして、それらの究明の結果に基きまして、それぞれ
事務を改善をさせました。ここで詳細を省略さしていただきますが、そのために宮崎地検におきましては、人をかえたばかりでなく、
事務の運用につきましても、か
なり根本的な改革をいたしたのでございます。大体このような事実
関係になっておるのでございます。
その他の
不当事項につきましては、大体この
説明書に書いてございますので、御
質問によりましてまた
お答え申し上げます。