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須藤五郎君 私は最初
鳩山総理にお伺いをしたいと思います。というのは、この日
ソ国交回復問題は、これは現在
日本の
国民すべての希望だ、
国民感情だと思うのです。ある
アメリカを代表し、また
アメリカに追従しておる勢力の方からは、日
ソ国交を妨害しようという動きがあるようでありますが、しかし
国民のほとんどすべては
国交回復を希望しておる。そうして
鳩山さんもおそらくその
国民感情にこたえるという
立場から日
ソ国交回復をお
考えになったと、そういうふうに私たちは理解しておるのです。と申しますのは、昨年の夏私たち各党議員がモスクワを訪問しましたとき、一日ヴィシンスキー外務次官にお会いした。会う前に私たちは書類で五つの
質問要綱を出してあったのです。
一つは
国交回復、
日本の
国民は
ソビエトと一日も早く
国交を回復したいと希望しておるが、それに対する
ソビエトの御
意見はどうかということ。それから
国交回復といえども、
経済の交流、それから文化の交流はできるものと思うが、これを増進さしたいと思うが、それに対する
ソビエト政府のお
考えはどうか。それからもう
一つは、在ソ
戦犯を減刑あるいは釈放をしてもらえないだろうかということ。それからもう
一つは漁業問題で、領海問題を含んだ漁業問題、北海道方面の漁業問題、この五つに関して書類をもって
質問書を提出したのです。それのあと、私たちはヴィシンスキー氏にお会いした。そのときにヴィシンスキーさんの言うには、今日は大へんけっこうな話を伺いました、
日本の
国民の皆さん、また
国民を代表する国会の皆さんが見えて、
日本の
国民が
ソビエトと一日も早く
国交を回復したいということを述べられたということは、私たちはとてもうれしい、こんなうれしいことはない、私たちは大いに努力いたしましょう、しかし残念ながら吉田内閣は
国民の意思に反した方向に
政治を持っていこうとしておると、こういう
意見だったのです。(「共産党でなければだめだろう」「
自由党よく聞いておけよ」と呼ぶ者あり)だまって聞きなさい。それから
経済交流は
国交を回復せんでもやれるから大いにやりましょう、問題は
日本の国内にあってわれわれの側にはないのだから、
日本がこれをやろうと思えば大いにやりましょう、通商代表もお互に交換しましょうと、文化交流も同じことです。それから
戦犯者は
自分の管轄下にないから言えないが、これは
ソビエトの裁判所の管轄下で、今裁判所で研究しております、
日本の
国民感情を尊重した結論を出すように努力しましょうというような
意味の返事です。それから漁業問題につきましても、大いにけっこうですから、
日本の申し入れを受けましょうというので、魚族の保護の問題それから研究の交換の問題、暴風のときに
ソビエトの港に
日本の漁船が避難する問題、いろいろなことを了承した。ただそこで問題になったのは、領海三海里と十二海里の説です。これは皆さんが
日本の
政府の代表ならば、ここでその話し合いをしましょう、しかし皆さんは国会の方ですから、皆さんとこの問題で討論をすることはできませんから、この問題は後日に譲りましょう、そのためにも一日も早く
国交を回復しようじゃありませんかということです。これは五つの項目は書類で出してありましたので、満足する回答を得たのでありますが、そのあと領土問題に関してこういうことを各党納得の上で出したのです。というのは、
日本は千島、歯舞を返してもらいたいと思う、しかしこれは
日本が完全独立して、
日本国内に
アメリカの軍事基地がなくなって、沖繩を
日本に完全に
返還されて、
アジア諸地域に
戦争の危険のない平和が確立したときに、そのときには
一つ歯舞も返してもらえないだろうかと、こういう申し入れをそのとき口頭でしたのです。領土問題だけは口頭でいたしました。そのときにヴィシンスキーさんは、この領土問題は今日突如として出ざれた問題であるから
お答えをすることができないと、そうして私たちは別れてきた。私たちがそのときに受けた印象は、非常に友好的であって、
日本が無理なことを言わなければ必ず
ソビエトと
日本との
国交を回復することができる、そういうふうに私たちは
考えて帰った。それが動機になって、モロトフ声明となり、周恩来声明となって、そうしてそれを
鳩山さんが受けてこたえられた。これは
鳩山さんが
日本の
国民感情を代表して、日
ソ国交回復に乗り出したものとして私は敬服しておるわけであります。今日もうすでにいろいろの妨害が起っておるようでありますが、
鳩山さんはあくまでもこの
国民感情を尊重して、日
ソ国交回復のために一意努力されるという決心を今日もなおお持ちであろうと思うのでありますが、あらためてこの
機会に伺っておきたい。(「うまいぞ」と呼ぶ者あり)