○佐藤尚武君 私から主として日米会談、ことに共同声明に発表された点について一、二私の感想も述べてみたいと思いますので、それに対して
大臣がどういうふうに受け取られるかということを承わることができれば幸いだと思います。そして最後に
一つ、一点について私は御
質問申し上げて、そして私のよく理解しないところをお尋ねしたいと思っておりまするが、その問題は、今の安保
条約なり行政
協定たりの相互的の
基礎においてこれを改訂したいとい
うその点であります。今
大臣はそれに触れられましたが、あらためて私からもお尋ねしたいと思います。
概して今回の
外務大臣のアメリカ訪問は、先ほど来の御
説明を承わりましても、日米
両国の間に重要な点において、と申しますことは、一般の
国際情勢の判断の上からいっても、
日本を中心とした防衛の面からいきましても、はたまた
日本の経済問題から申しましても、種々重要な
了解が
両国の間で成り立ったということを承わったのでありまして、私はこれは
日本にとりましても非常にいいことであったと喜んでおるのであります。そういう
了解が成り立ってこそ
日本の極東におきまする政治的の安定の上にも、また今後の
日本のあり方につきましても、大きな
意味を持ち得るのでありまして、今度の外相がアメリカを訪問されたという、これは大きな収穫であったと私は見ておりまするし、その点で
外務大臣の労をねぎらいたいと思うであります。この発表された共同声明が、日米会談の結末としてすべてであるということを
大臣は言っておられまするが、この共同声明の中でもってはからずも
日本国内でいろいろな問題を起したということもすでに御
承知の
通りであります。これは私から申しまするならば、まことに遺憾なことであります。ことに
海外派兵の問題でも、
外務大臣はそういうい約束をした覚えは全くないし、
日本でそういった点でもって問題が起きたについては
自分は驚いたというような感想を漏らしておられまするが、私
自身も実は同じような感想を持ったのであります。共同声明が英文で書かれて、そうしてその書かれたということは、日米
両国の人たちが起草したのでありましょうが、同じ
一つの
協定された文句でもって声明が発せられましても、書いた人たちの
気持がお互いに違うということはこれはあり得るのであって、アメリカ側ではこういうふうに思った、
日本側はこういうふうに感じたというふうな食い違いが起きるということも、これは私はあり得ることだと思うです。そういう事例も多々私は見てきております。
日本でもって
新聞なり各
方面でもってやかましく言い出したのは、私が
了解しているところによりますというと、アメリカの国務省のスポークスマンがこの共同声明を発表したすぐ
あとでこれの
説明を加えた中に、将来
日本が西太平洋における安全の
責任を分担するということがあり得るというような
意味の発表をしたことからして、アメリカの
新聞、その中にはニューヨーク・タイムスな
どもあったようでありますが、あたかも
日本が将来西太平洋に出兵をする可能性がそこから出てきたというような書き方をした。それが
日本に大きな
影響を与えて、そうして
日本の
新聞あたりでも書き立てた。右からも左からもこの問題をつっついて、そうしてかなり神経質な書き方をしたというようなことにしまいはなってきたというような傾向が見られたので、これは先ほ
ども申しました
通りに、あるいはアメリカ側で一時そういうふうに
考えたかもしれませんが、
日本側においては、第一今すぐ西太平洋におきます防衛の
責任をとろうといってもとれない
日本の現状におきましては、
大臣が言われたごとく、そういうことを約束するはずもない。遠い将来のことはいざ知らず、現在においてそういうことはあり得ないといことを私も信ずるものであります。いわんやその後日米
両国間に問題となった点についてお互いに
意見を交換した結果
一つの
解釈に達して、そうしてその
解釈について
両国とも間違いがないのだということを共同的に発表したのでありますからして、その誤解は今では全くなくなったはずだと思っておりますし、またそれはいいことであったと
考えております。この
日本語に訳された「かくて西太平洋における
国際の平和と安全の維持に寄与することができるような諸条件を確立するため、実行可能なときはいつでも協力的な
基礎にたって努力すべきことに
意見が一致した。」云々とある点が問題となったわけでありまするが、私から申しますならば、この最後の。パラグラフでもって、今次の会談を通じて日米
両国の代表は、
日本がアジアにおける大国として他のアジア諸国と友好的に協力をして、アジアの安全と平和とに貢献する積極的役割を演ずべきことを認めたということがありますが、これも同じことを
意味しているものだと私は思うのであります。しかして今最後に読みましたこの最後のパラグラフの数行は、
日本国内においてもこれをもって
日本が
海外派兵を約束したのだ、そういう
義務を背負ったのだというように
解釈する者はだれもいなかったのでありまして、そして単に先ほど述べたこの問題の点、「かくて西太平洋における」云々とい
うそのパラグラフだけを論じて、そうしてあたかも
海外派兵の
義務を背負ったかのように
日本では論じ立てたのでありますが、これは私は間違いである。その声明の全文を通じて見ましても、そういったような
義務を背負ったというように
解釈する点は私は
一つもないというようにまあ見るのであります。
元来この
海外派兵の問題、これは今
外務大臣の御
説明によりまして、民主党としては自衛権を主張するけれ
ども、
日本の軍隊を海外に派兵する、派遣するというようなことは民主党としても一切
考えていないというような御
意見のようであります。なるほど現在においてはそうでありましょう。しかしこの点はもっと深く私は与党においても
考えていただかなければならんと思いますることは、元来
日本はこの
国際連合に加盟を申請をしておる国であり、かつまた平和
条約にもうたってありますが、
国際連合憲章の原則はどこまでも尊重するのだ、順守するのだ、あらゆる場合を通じて順守するのだということを誓っておるのでございます。
国際連合に加盟を申請するくらいの決意があるならば、連合憲章の原則を順守するということはこれは当りまえの話で、しかしてその憲章の原則の中で最も重い原則は何かといえば、いわゆる集団安全保障の原則でなければなりません。それが
国際連合憲章の中で
国際連合の目的、原則という章において第一に掲げられておるところから見ましても、私はこの集団安全保障に最も
国際連合としては力を入れておる問題だというふうに信じておるものでございます。しかして
日本はいつのことか存じませんが、
国際連合に加盟をしたとしまするならば、この憲章によって縛られるのでありまして、憲章によって権利も得るかわりに
義務も背負うわけであります。今の集団安全保障に対しても
日本は一役買わなければならんということになりましょう。もっともその集団安全保障に対して各国が寄与する実質の問題については、あるいは兵力を提供し、その他の援助をなし、あるいは便宜を供与すると、いろいろあることが憲章において予見されており、かつまたそのつど
国際連合は各国と特別な
協定を結んで、そうしてその国の
負担すべき
義務の範囲をきめることになっておる。またその
協定はその国の憲法の規定の範囲内において批准さるべきものとなっていることはすでに御
承知の
通りであります。でありますからして、
海外派兵に反対をする向きにおきましても、この
国際連合の憲章の原則は承諾し得たということはなぜかと申しますると、それは憲法の規定によってできるだけのことをすればいいのであって、それがすなわちその批准ということがうたってあるゆえんである。その
根拠があるから
自分たちも国連憲章の原則に賛成をしたのだというふうに今
解釈するでありましょう。それもまた実際であります。しかしながら、私のこれは個人的見解になりまするけれ
ども、
日本がほんとうに今度の声明にありまするように、極東におけるこの大国として、アジアにおける大国として
日本が他日
国際連合に参加をする、加盟をするというようなことになりましたならば、ほかの国と同じだけの
義務を私は背負おなければならないというふうに感ずるものでありまして、現在でこそ
自分の国の自衛もまだできていないことでありまするからして問題にはなりませんけれ
ども、他日この自衛力が増強されたという場合には、他国と同じように
海外派兵ということも
考えなければならん。今からこれは考究しなければならん問題であるということを申し上げたいのであります。
国際連合軍という
考え方がこの憲章によって生じて参ったのでありまして、
国際連合としては
自分の力で
国際連合軍を組織して、そして
自分が、侵略が起きた場合にその
国際連合軍でもって処置をしなければならんというような
考え方が
国際連合の中で行われておることも御存じの
通りでありまして、第一回の総会の決議の中にその
国際連合軍なるものをできるだけ早く組織して、そうしてこれを安保
理事会のディスポーザルに置く、指導のもとに置くとでも訳しますか存じませんが、とにかく安保
理事会の使用し得るような形にすることは必要であるという決議ができておるのも、今申し上げました
国際連合憲章の原則からくる当然の帰結でなければならないのであります。
日本が他日
国際連合に加盟するといたしましたならば、その
国際連合軍に実力をもって寄与するということも他国並みに
考えなければならんということに私は当然なると思うし、そうなれば
海外派兵ということは当然ついてくる問題になる。
もとよりこの問題は
日本の憲法を改正してからでなければ、私はそういう
義務は背負えないと思うのでありまして、この憲法において
国際連合にほんとうに協力をして、そうして
国際連合の他の加盟国と同じ程度の
義務を背負うということを
承認するようなふうにこの憲法を書きかえて、その上で初めて私は
国際連合軍に寄与するということを
考えれば
考え得るのだというふうに思うのでありまするが、いずれにしましても、私は
海外派兵ということをそう
日本としては全然
考えないで済む問題であるかのように
国民を誤まって
考えさせるということは、これは私は間違っていると思うのです。
国際連合というものはこういうものである。
日本はこういうふうにして
国際連合に加盟を申請しておるのだ。その原則はこういったことになっておるということを私ははっきり
国民に
了解をさせて、そうしてその
了解を得た上で憲法を改正し、他日の用に資するというふうにしなければならんというふうに私は
考えておるものでありまするが、また繰り返して申し上げるようでありまするが、今回の共同声明に
関係した
日本の
新聞の論調なりあるいはその他の言論なりが、いかにも
海外派兵ということは今度初めて起きてきた問題であるかのように取り上げて、そうして神経質にこれを論じたということは、私から言いまするならば、これはおかしいことであったと思うのであって、
国際連合を云々するぐらいならば、
海外派兵ということはすでに頭の中に入れて云々しなければならん問題であって、
海外派兵の問題は何もそう足元から水鳥が飛び出したように騒ぎ立てる問題ではなかったはずだと思うのです。
アメリカの問題となりまするというと、どうも
日本では神経質に
考えすぎるような傾向があることを私は痛感させられておりまするが、たとえば今度の
日ソ交渉におきましても、
日本の防衛問題の上からいい、もしくは東アにおきまする勢力の均衡の上からいいましても、非常に大きな問題がその中に含まれておると思うのでありますが、それに対しまして一、二の
新聞はなるほどそれをそうした
条項について報道したことがあるように私は拝見しました。しかしその問題について深く論議する
新聞の論説などは私は見たことがないのであります。非常にその点については
日本の世論は落ちついて、ロンドンの
交渉の結果を待っているというような状況であります。これは私はいいことだと思う。私が信頼するも信頼しないも、そういうことは役に立ちませんけれ
ども、私は外交の問題につきましては、
外務大臣を信頼し、ことに今度の日ソ
条約につきましては、松本全権に対して全幅的な信頼を私捧げているものでありまして、その松本全権は私も戦前一緒に働いたこともありまするので、その人物についてはよく御存じ申し上げている。そういう人でありまするがゆえに、私は全幅的な信頼を捧げることができるのであります。今申し上げましたような重要な問題につきましても、私はこういう人たちにおまかせしておけば間違いないというふうに感ずるのであります。もっともその結果については他日大いに論じなければならぬというようなことが出てくるかもしれませんけれ
ども、
交渉の途中においては私
どもこの問題を取り上げて云々するということ、それによって
外務大臣の手足を縛るというようなことは絶対にやりたくないというふうに感じているのであります。日米会談の問題についても、
日本の世論が
日ソ交渉において冷静に見守っていると同じ態度をとり得たとしましたならば、今度のようなこういうふうな騒ぎはよしんば起きたところで、ほかの形でもって、もっと落ちついた形でもって起きたと思うのであります。これは私から申し上げますならば遺憾なことであったと思うのであります。そういう問題につきまして
外務大臣のお
考えを伺うことができまするならば幸いであります。
最後に、私は付け加えてこれは
質問の形でもって伺うのでありまするが、ほんの数分間の
質問をお許しを願いたいと思うのであります。それは先ほど言及されました安保
条約の双務性であります。
外務大臣自身これをもっと双務的な形にしたいが、どういうふうな形になるのやら、
自分でも今的確な
考えを持っていないと、今御
説明になったようであります。
外務大臣がこの問題を持ち出しておいて、そうして
自分でもまだはっきりわからないんだと言われるくらいでありますから、私
どもがわからないのは当りまえだと思うのであります。あの
交渉のいきさつから見まして、どういう点でもって
外務大臣は安保
条約を双務的な問題にしたいと言われるのか私には実はわからない。と申しますることは、安保
条約なるものは、もともと
日本が自衛力も防衛力も何もないからこそ、ああいう
条約をこしらえたのであります。アメリカが
日本の国内の重大な騒擾であるとか、あるいは外国からの侵略に対して
日本を守るという
責任をアメリカが背負ったので、これに対して
日本は自衛力てを増強し、防衛力を増強し、そうしアメリカのお手伝いを不要なものとするという時代があるいは来るかもしれない。そうなったらアメリカの軍隊は帰って行くのであって、これは何も双務的な問題は
一つもないと思うのであります。行政
協定にいろいろ不都合な点がある模様でありまして、私もこれはずいぶん聞かされておりますので、そういう点を改訂するということは、これは何も妨げないことであり、
日本としては必要なことであろうと思いますけれ
ども、これもまた双務的な
基礎のもとにおかなければならぬという問題ではないように思うのであります。ほんとうに双務的に安保
条約を改訂するということでありまするならば、アメリカが
日本の安全を保障すると同じように、
日本もアメリカの安全保障をするということになりまするならば、これは立派な双務的……。しかしそんなことは
日本の国力からいって、もともと国力の上において非常な違いがありまするし、
日本の現在のおかれた国力ないしは近い将来においても盛り返えすべき
日本の国力から申しましても、アメリカの安全を保障するということはとうてい
考えられない。しからばアメリカが極東におきまする安定の上から言いまして中心勢力になっている。この極東におけるアメリカが安全を保障している。それを
日本が手助けをするということであったならば、なるほどある
意味においての双務の形になわ得るでありましょうが、しかしそれは遠い将来のことであって、今すぐわれわれがそれをどういうように、国力が急速に回復するとは思えませんし、またほんとうにそういう
意味でもって西太平洋におけるあるいは極東においてアメリカと一緒になって
日本も安全保障の上で一役買うということでありますならば、先ほど来、るる申しましたように、
海外派兵という問題が突然伴ってくるし、それなら憲法を改正してかからなければならないということになるのであります。でありますから、これはいずれの道遠い将来のことでなければならず、それを今急いで双務的な
基礎に安保
条約を書き変えなければならぬという必要がそこからも出てこないように私には
考えさせられるのであります。この点は
一つ外務大臣は、
自分にはまだはっきりした
考えを持っていないということを言われましたけれ
ども、そういう根本的な
考え方について
一つ、私はこれは間違って
考えているかもしれませんが、
外務大臣のお
考えをお聞したいと思うのであります。