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1955-05-16 第22回国会 参議院 運輸委員会 第6号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十年五月十六日(月曜日)    午後二時三分開会   —————————————    委員の異動 五月十三日委員山本經勝君辞任につ き、その補欠として大倉精一君を議長 において指名した。   —————————————  出席者は左の通り。    委員長     加藤シヅエ君    理事            仁田 竹一君            早川 愼一君            重盛 壽治君            木島 虎藏君    委員            入交 太藏君            岡田 信次君            黒川 武雄君            三木與吉郎君            内村 清次君            三浦 義男君   国務大臣    運 輸 大 臣 三木 武夫君   政府委員    運輸大臣官房長 山内 公猷君    運輸省鉄道監督    局長      植田 純一君    運輸省鉄道監督    局国有鉄道部長 細田 吉藏君   事務局側    常任委員会専門    員       古谷 善亮君    常任委員会専門    員       田倉 八郎君   説明員    日本国有鉄道副    総裁      天坊 裕彦君    日本国有鉄道営    業局長     唐沢  勲君   —————————————   本日の会議に付した案件 ○運輸一般事情に関する調査の件  (紫雲丸遭難事件に関する件) ○派遣委員報告   —————————————
  2. 加藤シヅエ

    委員長加藤シヅエ君) では、これより運輸委員会を開会いたします。  まず、紫雲丸遭難事件調査のため派遣せられました派遣委員報告をお願いいたします。
  3. 木島虎藏

    木島虎藏君 それでは、ただいま議題となりました、紫雲丸調査のため本委員から急遽派遣せられました委員派遣概要報告を申し上げます。  五月十一日早朝、突如として紫雲丸遭難の悲報が入り、昨年来洞爺丸相模湖、そして今回の紫雲丸と、相次ぐあまりにも大きな悲しみ不祥事件であり、特に相模事件と同様、楽しかるべき修学旅行の小中学生のあどけない学童が、遭難人員のうち、死亡者百四十七名中九十名、行方不明約四十名中十八名と、最も多くの犠牲者を生じていることは、非常に重大な社会的問題を含んでいる。これが徹底的原因の究明と責任の追及を行うことによって、今後かかる事態を絶対に繰り返してはならないのであります。  当運輸委員会において、事態の重大なるにかんがみ、即日緊急委員長及び理事打合会において、これが対策を協議し、一刻も早く現地委員派遣し、遭難の実情を調査するとともに、遺家族遭難者に対しまして、深き弔慰とお見舞を申し上げることが至当であるとし、十一日夜行で、加藤運輸委員長木島理事岡田内村、高木各委員、五名が出発いたしたのであります。  まず宇野港より海上保安庁巡視船むらちどり」に乗船海上は荒天のため相当の風浪でありましたが、遭難現地に午後一時ごろ到着、なまなましき現地とその救助作業をまのあたりに見て、また紫雲丸沈没個所に白い救命ボート二そうが転覆している付近に至り、新たなる深き悲しみに打たれたのであります。加藤委員長ほか派遣委員方々より、それぞれ花束を海中に投じ、遭難犠牲者に対しまして心からの冥福をお祈りいたした次第であります。  高松桟橋到着後、直ちに四国鉄道管理局に立ち寄り、さっそく四国鉄道病院に向い、負傷の患者に御見舞を申し上げ、次いで遺体安置所であります労働会館に参りまして、河井参議院議長よりの花環一対を御霊前に差し上げ、一同焼香をいたしました。引き続いて、遺家族並びに行方不明家族の分宿しておりまする市内十一カ所全部に弔慰御見舞をいたし、再び鉄道管理局にて、間瀬管理局長より説明を聴取いたしました。翌日は県庁及び市役所を訪問、県並びに市の救助対策について、副知事、市長及び県衛生部長より説明を聴取し、次いで中村船長未亡人宅訪問弔意を表し、なお鉄道管理局内にて、労働組合代表と、日夜健闘を続ける労働組合救難対策本部人々と、懇談いたしました。以上が大体の訪問先であります。  次に、まず四国鉄道管理局説明概要でありますが、  (一)、衝突当時の状況  五月十一日五時三十分濃霧警報船舶当直が発令したのを、高松桟橋から紫雲丸に五時四十分連絡した。また一方、宇野ラジオ・ステーションを介して、六時二十分第三宇高丸連絡した。紫雲丸は六時四十分第八便として高松出港、第三宇高丸は六時十分宇野を第百五十三便として出航した。従って宇野港出港後同船は濃霧警報を直ちに受けたものである。  紫雲丸貨車十五両(全部盈車)、乗客推定であるが、桟橋推定では七百から八百人程度推定であった。第三宇高丸貨車十八両(盈車三両、空車十五両)  紫雲丸高松出港するときは、大体女木島が見える程度、すなわち視界四百五十ないし五百メートル、無風、潮流なし。港口を出て平均十ノットのスピードで、霧中信号をしつつ航行、六時五十一分にこの地点に到達した。ところが、右前方に他の船の霧中信号を聞いたので、わずかばかり北西に変針した。船長出港よりレーダーを回し見ていた。六時五十三分ごろ急に濃霧となったので、五十四分両エンジンを停止するとともに、かじを左にとって約二分進んだところ、右側に急に第三宇高丸らしき船影を認めたので、直ちに面かじ一ぱいとって、急ぎかわそうとしたが及ばず、六時五十六分ごろ、第三宇高丸船首が本船の右げん機関室付近衝突した。  これより先、第三宇高丸宇野港出港したころ、霧はなく視界良好、六時三十五分おぞの瀬西浮標左げん約百メートルに通過後、視界約六百メートルになったので、レーダー発動し、百二十度に転針して、六時四十分ごろ、西行する汽船を避航するため、百三十度に転針した。このころより濃霧となったので、霧中信号を励行しながら、船首に見張員を配置して続航し、六時五十一分レーダーの二マイルの範囲に紫雲丸らしい船影を認めたので、その方位を監視したが、方位が変らないので、これをよけるためさらに南に転進した。その後紫雲丸の像を常に左に見ているので、安全に行き違いするものと思っていたところ、六時五十五分突然左げん船首紫雲丸船影を認めたので、取りかじ一ぱい命令したが、その効なく、本船船首紫雲丸に約七十度の角度に突っ込んだ。六時五十六分である。第三宇高丸紫雲丸沈没をおくらすため、突っ込んだまま約三百メートルぐらい流された。七時零分、約四分にして紫雲丸沈没をした。  (二) 救難処置  七時沈没直後、高松宇野桟橋より直ちに鉄栄丸嶺南丸及び第一竹崎丸現場急行海上保安庁より、「さよちどり」等六隻の出動宇野在泊中自衛隊艦艇二隻を現場に急派を依頼、付近漁船約三十隻にも協力を依頼するとともに、貨車航送船第一、第二宇高丸等により直ちに救助作業に従事した。三井造船からは自発的出動協力を得て、捜査を開始した。  一方、潜水夫深田サルベージ出動方を依頼し、一流サルベージ会社については本庁を通じ、水中切断器水中電灯等を持った作業隊派遣を願った。これらは遠隔地であるため、この日の作業には参加できなかった。結局潜水夫七組が十一時から船体外部附近死体の収容を開始し、二十時まで作業に従事した。また午後、死体流失を防ぐため、十三隻を集合さして死体底引き捜査に当り、夜間作業も続行した。  翌十二日は、南西風が強く、潜水夫十一組により、主として三等客室、二等客室、食堂、船橋等捜査し、船橋から中村船長死体を、三等客室内船尾側より五十三体の死体発見、収容した。九時潮流激しく作業は一時中止のやむなきに至った。十一時に飯野サルベージ作業船到着により、水中電気の使用が可能となったので、この装置を持つ五組と午前の十一組の潜水夫とともに、三等室内捜査を行なった。底引きによる死体捜査は、前日同様、十三組出動した。  (三) 遭難者人員(五月十三日三時現在)   (イ) 生存者     一般者      四四五名     職員        五八名     売店職員       五名     小中学生     二六六名     計       七七四名   (ロ) 死亡者     一四七名中、小中学生九〇名   (ハ) 行方不明     約四〇名中、小中学生一八名  (四) 沈没原因  責任者の一部死亡のため、詳細は海難審判を待たなければ明らかでないが、各般状況より見て、紫雲丸船長が、第三宇高丸との行き違いについて、航法を誤ったものと推定せられる。当時は局地的濃霧があり、視界は非常に困難であったが、レーダー両船とも完全であったと思われる。  以上が四国鉄道管理局説明の大要であります。  なお管理局において派遣委員より論議の焦点となった点を要約して述べますと、  第一に、気象通報濃霧警報の通報を両船とも受け、霧中信号を発しつつ、レーダー両船ともお互いに近接しつつあるのを確認していたといわれる。しかるに、当時紫雲丸右げん通行航行法規を守らず何ゆえに左に切ったか、また第三宇高丸が十二ノットの速力を落さなかったか、などの点で、海難衝突予防法の違反の疑いがあるのではないか。この点まことに不可解なる事件である。いずれにしろ、国鉄当局責任は免れないではないかと思われる。  第二に、紫雲丸、第三宇高丸上下便コースはすれ違っているが、衝突現場上下便の最も近く出合う危険な地点である。コースの上では相当の距離が保たれているが、両船操舵法と合せ、また陸上海上ダイヤ編成上困難もあろうと思うが、海上速度陸上との連絡及び海上コースの接点は最も安全度のあるところに設けられるよう、弾力性を十分考慮されるべきであろう。この点当局説明では、列車、連絡船接続について、乗りかえ時間は実績上は七分を必要とし、大体十分あればよいとのことで、現在のダイヤ接続の一番短い時間は十三分で、普通十五分以上とってあるとのことであります。  第三に、この事件直接の担当当事者としての両船長健康状態及びその経歴が問題となったが、紫雲丸中船長宇高航路に十二年八カ月、第三宇高丸三宅船長宇高航路に七年七カ月の経歴を持ち、熟練練達の士であり、健康について異常はないことが判明した。  第四に、遭難者の数が的確にとらえられず、遺家族行方不明家族等は焦躁にかりたてられたのであるが、平水面を航行する船舶船客名簿を備えなくてもよいとの規則により、事務長乗船客のカウントをとったと言われるものの、非常に不正確であった。  第五に、災害と同時に救助対策本部桟橋管理局に設けられ、その職員の日夜の奮闘は賞賛されるが、縦横の連絡が不十分に感じられる。すなわち救難作業状況報告遺体収容の報道を組織化して、定期的に時間を定め、権威ある発表を一カ所から発表する措置を講ずべきで、遺家族遭難家族はまちまちの情報にとまどい、ますます焦躁感にかられ、救難対策本部も一時にこれら興奮した人々の多数の到着のため混雑をきわめ、救出作業をますます困難ならしめていた。  次に、四国鉄道病院において収容された遭難者は五十二名、軽傷者十六名はすでに退院、五月十二日十四時現在三十六名中、重態二、重傷八、他は中傷でありました。愛くるしい児童が多く、ベッドの中のあまりにも痛々しい姿は、無事を喜ぶとともに、心中新たなる感慨に打たれたのであります。  なお学校の教員、教育委員遺家族の父兄より数々の要望があり、この点について早速当該関係機関に対し、強く要望に沿うよう、即日申し入れを行なった。  次に、香川県庁における救助対策概要を申し上げると、午前八時、紫雲丸遭難の報により、副知事以下関係職員は直ちに登庁し、民生労働部長室対策本部を設置し、棧橋駅前に現地連絡所を設置し、副知事以下応急救助の直接指揮に当り、災害救助法を適用し、救助の万全を期した。  (1) 避難所の設置  市体育館ほか数カ所に臨時避難所を開設し、罹災者を収容したが、午後状況の安定するに従い、市内十三カ所の旅館を開放し、罹災者を移送収容した。  (2) 医療班派遣  直ちに県医療班コ班を編成し、日赤医療班コ班とともに現地急行罹災者はほとんど医療措置を必要とするほか、衣服の支給、給食の必要を認められ、四国管理局措置にあわせて応急救助を行なった。  (3)、その他、たき出し、肌着を主とする衣服日用品、特に毛布百五十枚、日赤四百枚の放出は、非常に効果を持ったとのことであります。  県側要望として、特に災害救助法国会通過の際、付帯決議をなされた趣旨に基いて、水難救助法が活用されていない点があるので、災害救助法と同様に調整されるべきで、この点所要の改正を願いたいとの要望があった。  次に、労働組合災害対策本部方々よりの要望として、一、今回の災害機構上の欠陥があると思われるので、その管理方式等について日本国有鉄道法を根本的に再検討されたい。二、船員法就業規則との相違に問題がある。すなわち船員法によれば、睡眠時間は四時間継続してとること、また一週間五十六時間と明記してあるが、国鉄連絡船にはこれが適用がなく、すべて就業規則による業務命令であるため、昼夜兼行のこともあり、精神的弛緩というより疲労のためと思われる。  最後に、紫雲丸遭難に関して早急に結論を下すことは困難であり、またこれは海難審判所の厳正なる審判にまつものであるが、少くとも今回の災害天災というよりも人災であることは、正しく世論の示す通りであって、ここに国鉄当局の猛省を促すとともに、次の諸点について特に要望する。  一、綱紀を粛正し、人命尊重上下一体となって細心の留意を払い、サービス精神に徹し、特に団体旅客の取扱い方についても万全の策を講ぜられ、もって国鉄名誉回復のため一そうの努力をなし再出発すべきである。  二、人命尊重趣旨に沿うごとく、国鉄現業関係業務に関する機構人員配置予算措置等になお一そう遺憾な生を期し、特に最近船舶部内に事故発きの多いのにかんがみ、連絡船の運航が国鉄ダイヤ本位となることなく、海上輸送の秩序と安全性を尊重し、かつ七万トンの大船主である船舶部門について相当ウエイトを持たせ、海運部門を充実せられんことを望んでやまない。  三、遭難遺家族に対しては、生存者健康診断負傷者のすみやかなる回復、犠牲者損害賠償及び精神的慰謝等、万全の措置をすみやかに講ずること。  四、海難事故絶滅を期し、船員の再訓練に特段の意を用いること。  以上概要を御報告申し上げます。
  4. 加藤シヅエ

    委員長加藤シヅエ君) ただいまの報告に対して政府及び国有鉄道当局に対して御質疑のおありの方は、どうぞ御質疑をお願いいたします。  三木運輸大臣より、運輸大臣が昨日現地を視察して帰られましたので、運輸大臣よりも報告をお聞きになったほうがよろしゅうございましょうか。いかがでございましょうか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  5. 加藤シヅエ

    委員長加藤シヅエ君) それでは、三木運輸大臣現地視察に関する御報告を伺います。
  6. 三木武夫

    国務大臣三木武夫君) 参議院運輸委員会からも、現地においで下すって、ただいまの御報告があったわけでございますが、私も十三日に東京を出て、昨夜帰って参りました。その後多少負傷者の数等にも変化がございますので、私の現地におもむきました御報告を申し上げたいと思います。  五月の十三日の夜、東京を出発して、十四日神戸より海上保安庁巡視船「あわじ」にて高松に向いました。午後二時半ごろ現地に、遭難現場到着して、弔意を表して、高松に上陸後は四国鉄道管理局にて、事故原因遺体引き揚げ作業を初めとする各般処置について、関係出先機関より事情を聴取した後、遺体安置所あるいは四国鉄道病院入院中の負傷者を見舞い、遺家族学校関係者などの高松市内の寄宿舎を見舞って、夕刻には紫雲丸遭難者救護対策連絡協議会代表者とも会見をいたして帰って参りました。  遺体引き揚げ状態につきましては、私が参りましたときには、潜水夫七組、文鎮こぎ十二隻等で全力をあげておりました。船内はすでに数回捜査しており、今後は船内で発見し得ないのではないかとも言われておりました。しかし、船内捜査をさらに続行いたしますほか、漁船などによって遺体捜査を続けていきたいと考えております。まだ行方不明の者は、これは十六日午前八時現在、学童のみ十名となっております。先ほど御報告にもございましたように、乗客名簿がございませんために、正確な乗客人数の把握にはなかなか困難を来たしたのでございますが、遭難をしてから相当な日にちがたっておりますので、香川警察本部等でも大体次のような数字であろうということでございました。それは乗客合計九百四十三名、死亡百五十八名、生存七百七十五名、行方不明十名。十六日の午前八時現在でございます。負傷者につきましては、最初負傷者は五十二名でございまして、四国鉄道病院で治療をいたしたのでございますが、すでに退院をされた方もございまして、私が参りました十四日午後四時現在では、二十六名を残して、ほかの方々退院をされておりました。二十六名中、特に重い症状の方は一名であります。しかし病院長の話では、生命は大丈夫と思われるということでございました。また、病院の取扱いについてはおおむね良好で、感謝をされております。入院死亡した者は、今申したように、一人もございません。なお、一たん帰郷大阪鉄道病院入院している軽い症状の方が一名ございますが、今後希望によりましては、住居地病院に、あるいは帰ってから入院が必要となるような場合には入ってもらうことにしてございます。あるいは生存者ですでに帰郷せられた方々にも健康診断を、御希望によってその土地の鉄道病院によって健康診断をするような手配をしてございます。参議院調査にも行かれた方々の御要望もございまして、こういう手配をいたしました。  まだ行方不明学童入院中の負傷者遺家族学校その他の関係者高松で滞在中でございまして、この方を中心として先ほど申し上げました紫雲丸遭難者救護対策連絡協議会が設けられ、この代表者方々とお目にかかりまして、御要望がございました。それは、遺体捜査を今後も続けてほしい、それから弔慰に対しては最高の処置をとってもらいたい、また年齢、収入、生計などによって差を付さないで、人命尊重精神保障等の意味を考慮して弔慰金を支払ってもらいたい、あるいは遺家族関係者高松に滞在する人々人数をあまり制限しないでほしい、また生存者の被害の補償及び健康保持などについても万全の措置を講じてもらいたい、などというような要望がございました。この慰謝料の問題については、いままでの例もございますものですから、その例に従ってできる限りのことをしたいということをお答え申したのでございますが、それ以外のことについては大体御要望を尊重して、世間の常識もあることであるから、その常識に従って処置をしたいというお答えをしておったわけでございます。また検事——検察庁警察海上保安庁、その他各政府出先機関あるいは公共団体の、国鉄に対する協力、相互間の連絡協調については、万遺憾なく、私が参りましたときは、行われておりました。  次に、旅客貨物輸送状態でございますが、十一日は関西汽船舞子丸、十二日には関西汽船ひかり丸をチャーターして、輸送力欠陥を補いましたが、十六日は広島の三菱造船所のドックに入れておりました鷲羽丸を緊急回航し、十三日以降は眉山丸鷲羽丸両船にて所定の帰りの輸送を行なっておりました。貨物輸送は、十一日は四国発本土行き貨物を受託したりあるいは発送することの停止を行いましたが、十二日より十四日まで四割減、十五日から十九日まで二割減となっておりましたが、二十日よりは所定計画ダイヤとなる見込みでございます。  またいま御報告の中にありました、今後改革をすべき点という御指摘になりましたことは、私も現地を見まして、全く御指摘になった点は同様に私も必要だと考えて、今後これは至急に改善を加えていきたい。いろいろ今後改革すべき点は、全く、私が考えておりましたことと参議院現地調査をされた方々結論はほとんど同じような結論でございましたことを、あわせて御報告を申し上げておきたいと思います。
  7. 加藤シヅエ

    委員長加藤シヅエ君) では、ただいまの運輸大臣の御報告並びに先ほどの委員の御報告につきまして、御質疑がございましたら、どうぞ……。
  8. 重盛壽治

    重盛壽治君 先ほどの報告せられた諸点について、ちょっと御質問したい。衝突した当時乗っておった舵手に会うことができたか、舵手考え方がどういう考え方であったかをお調べになってきたかどうか。紫雲丸に乗っておった舵手——船右側通行であり、右に行くべきものが、まん中に来ておったという話を聞いておる。もし、当然船長命令ではあっただろうが、舵手左転舵をしたように聞いておったが、船が左に曲ったように御報告があったし、新聞その他の論調から言っても、左に曲ったように思われるのですが、そのときに乗っておった舵手が生きておるかどうか、それと会ってどういうような話をしてこられたか、なぜ舵手が左にそのとき切らなければならなかったか、その点を一つ伺いたいと思います。
  9. 木島虎藏

    木島虎藏君 舵手には会わなかったです。それから鉄道局説明では、舵手船長命令通りに動いた、こういうことを言いました。それから舵手もそう言っておるという話でしたね、そうでしたね、内村さん。
  10. 内村清次

    内村清次君 ただいま木島委員から言われましたが、ちょうど鉄道局長事故に対する報告がなされておりました際に、実は私も舵手の問題につきましても質問したわけですが、ちょうど、舵手もその後やはり関係者として、あるいは鉄道当局から取調べを受け、あるいはまたは検察その他の方面からも取調べを受けておるというようなことで、実は、舵手から直接に、そのポイントでございます、事故原因の一番重要なところでございますから、調査のために聞きたかったのですけれども、そういうような事情で、舵手から直接聞くことはできなかったわけでございます。この点は木島委員の言われた通りでございます。まあ問題は、原因の点については重大なこれが問題に影響してくるだろうということは、私たちは想像いたしております。
  11. 重盛壽治

    重盛壽治君 運輸大臣の御報告は、事務的なことは御報告されておるが、今度の基本的な原因は一体どこにあるか。どこにはっきりしたあやまちがあってこういう結果になったか。洞爺丸事件のときは、御承知のように、天災が過半数を占めておったということになりますが、私どもは必ずしもあの場合も天災ではない、人災の方が大きいように考えたが、今度の場合ははっきり天災よりも人災だということを言われておりますが、その原因がどこにあるかというようにお認めになってきたかを、まずお聞きしたいと思います。
  12. 三木武夫

    国務大臣三木武夫君) この事故原因については、御承知のように、神戸地方海難審判理事所並び高松地方検察庁が当ることになります。審判所理事所検察庁とがそれぞれの立場から調査されるわけでございますが、両者は緊密に連絡をとっておられ、私が参りましたときにも、十三日に紫雲丸の二等運転士、第三宇高丸一等運転士船長並びに二等運転士の三名が高松地方検察庁によって逮捕されております。これは海難審判所理事所調査にも支障を与えないような措置をとると、検事正もそういうふうに言っておりました。  事故原因は、詳細今後調査しなければならないのでございますが、とにかくこれは海難審判所等の裁決を待つことが一番正確な結果が得られましょうが、私自身が現地へ参りまして、しろうととして感じたことは、両船スピードがああいう濃霧の中に、紫雲丸は一〇・八ノットということでありますし、また第三宇高丸は一二ノットということで、ああいう濃霧の中に両船がこれだけのスピードを出しておったということ、これは大きな事故と関連性があるということを感じたのであります。いろいろその背後には、船員の訓練あるいは機構等の問題もいろいろあると思いますが、直接あの事故に対して、スピードが非常に両船ともああいう状態の中でスピードが早かった、こういうことも大きな原因の要素だということを私は感じたのであります。詳細は、今後早急に海難審判所としても結論を出されるということでございましたので、その結論を待たなければならぬが、現地を見ての感じはそういう感を深くいたしたのでございます。
  13. 重盛壽治

    重盛壽治君 海の事故海難審判所結論を得てからということは、これはだれにも言えることです。しかし、御承知のように、常に洞爺丸事件の問題が例に引かれるのだが、事件後七カ月にもなって、いまだこの結論が出ていない。しかも洞爺丸は沈んだときとほとんど同じ状態にあって、六月に引き揚げられるのか、七月になるのか、八月になるのか、わからぬという状態だ。かりに六月に引き揚げられるものと仮定いたしましても、この船の実態というものは、当時から考えますならば、さびつきもしましょうし、それから余分なところから水が入ったり、いろいろな状態がすっかり変って、そういうことによって、原因調査ということはむしろぼけていくのではないか。非常に不明確な結果が逆に出てくるのじゃないか。もちろん今ある機構で、海難審判所の決定を待ってやらなければならぬということは当然でありましょうけれども、冒頭私が申しましたように、天災より人災である。しかも私の聞きたいことは、たとえばああいう濃霧の中を右に右に行かなければならぬ船が、どうしたことか、左にかじを切ったというような原因は一体どこにあったのか。そういうしろうとでもわかる原因がどこにあったかということ。それがもしわかったとすれば、一体だれに罪があるのか。あなたのおっしゃるように、もちろんこの濃霧の中を十二ノットの速度で行くということは、危険ということよりも、むしろ乱暴といわなければならぬのじゃないかと思うのですが、そういう海難審判所の制度といいますか、そういうものに対しても私は若干疑義を持たなければならないと思うし、これの審判の進め方というものも、普通の場合とは違って、海の中へ船が沈んでしまうのですから、それをサルベージ会社に委託して引き揚げてから実態を調べるというのが、これは筋であるかもしれませんが、そういうようなことでは、沈んだ当時の事情はわからぬ。いわんや、洞爺丸のように半年以上も海の中におるというようなことになれば、船の中の実態というものは、すっかり変ってしまうのじゃないかと思います。そういう点等から考えて、海難審判所結論を出さない前に言い得る原因というものがどこにあったかということを、お聞きしたいのです。
  14. 三木武夫

    国務大臣三木武夫君) 現地などにおいても、いろいろ事情を聴取いたしましたが、紫雲丸があの場合に左にかじをきったということに対しては、だれも、どうして左にかじをきったものか、その船長が死んだことも原因ですが、不思議だ、なぜあの場合に左にきったかということで、左にきったのは、まあその現状において、にわかに第三宇高丸が現われてきて、そういうとっさの場合の処置でありましょうけれども、左にきったということについては、だれもそれを解明する人は、まああの場合、私が参ったときに、こういう理由であったということを、事情説明する人はなかったのであります。私自身も今不思議に思っておる一つでございます。これは今後いろいろこういう問題が、今度の海難審判所などにおいても問題になる大きな個所でございましょうから、これは明らかにはなると思いますが、現地においてそれを解明するということをする人もなかったので、私も不思議に思いながら、それを疑問として残しながら、帰って参ったような次第でございます。
  15. 重盛壽治

    重盛壽治君 視察に行った諸君も舵手には会っていない。それから大臣も舵手にはお会いにならぬのかどうか、会ったのかどうか。
  16. 三木武夫

    国務大臣三木武夫君) 会いませんでした。
  17. 重盛壽治

    重盛壽治君 これは大臣でもなんでもいいのですが、だれか会った人はいますか、行かれた人は……。
  18. 加藤シヅエ

    委員長加藤シヅエ君) だれも会わなかったのでございます。舵手には。間瀬管理局長からみな代表して、いろいろ説明を聞いたのであります。
  19. 木島虎藏

    木島虎藏君 ちょっと説明します。私どもが参りますときに、原因調査を主力にして行ったのではなかったのです。それもありましたし、それからいろいろ取り込んでおりまして、ですから、あのときは直接、そういう意味になると、第三宇高丸船長さんや皆さんに会って話さなければならぬのでしたけれども、そういうことをやらなかったのです。むしろ鉄道当局の調べた結果をよく聞いて、それから慰問なりその他に主力を注いだわけです。
  20. 重盛壽治

    重盛壽治君 もちろん、参議院の諸君が行かれたことに、原因を全部調べてこいというようなことは申し上げられませんが、会った結果が、いわゆる天災でこれは仕方がなかったのだということならば、そういう前提に立てばそうでありまょうが、主として人災であるという建前に立つ上におきましては、やはり原因を若干お調べになった方がよかったのではないかと考えますが、その面はいいといたしましても、海運局長としては、これの原因については、海難審判所の結果を待って、国民大衆に、今度の原因がどうであったかということをお知らせするということだけでは、私はいかぬのではないか。私が見た形からいくならばこうであります、この点がまことに遺憾であったということを、逆に早く打ち出すべきであって、そういう点からいって、舵手なりなんなりとただ法律的な人たちだけが会うということではいかぬのではないか。そういう点……。
  21. 三木武夫

    国務大臣三木武夫君) 今現地で、紫雲丸船長、操舵手が二人とも遭難したわけです。そうして一方の方の第三宇高丸の方も、船長は逮捕されております。そういう点がやはり、刑事責任を追及するために検察庁が逮捕したわけです。そこで現地で大体今までのところ明らかになっておるのは、両方のスピード、それから紫雲丸が左へかじをきったことは、明らかな内容でございます。それで一番めんどうなのは、なぜその場合に左へきったかという原因が、これは非常にめんどうなのでありまして、あるいは国鉄の方がそれに何らかの御参考になるようなことを答えられるかもしれませんが、私が見たのでは、なぜあの場合左にきったかということについて、これは事故原因に大きな重要な問題でありますので、何回もいろいろな人々に質問を私自身も発したのですけれども、それはついにそれに解明を与える出先きの機関の者がいなかったのでございます。そういう事実だけがわかって、なぜそうしたかということが明らかにならなかったのであります。
  22. 重盛壽治

    重盛壽治君 調査して下さった木島さんが説明して下さいましたが、その前に、そこで左にきった原因は、今運輸大臣の言われるように、これは私どもばかりでなく、国民全部が不思議に思っているところであります。ここを国民が、不都合なことをやったのじゃないかというふうに考えておるのであります。そこで、なぜ左にきったかということと、もう一つは、あなた方が調査に行かれて、こういう海の状態であるのに、左にきらなければならなかった、これだから左にきらなければならなかったという理由が、何か見当ったかどうか、これを一つ。
  23. 木島虎藏

    木島虎藏君 私、皆さんといろいろあそこで話し合った経過を、ちょっと説明さしていただきましょうか。こういうわけです。今御指摘になった通りでございまして、私どももなぜあの場合左にきったかということが、非常に疑問になったのです。そうして一体、舵手を調べたが、舵手船長の命のまま動いた——舵手は生き残っておるんでしょう、舵手は今。船長はあのとき、船長の位置におれば、絶対死ぬどころじゃない。それを責任を感じて、船長はそのまま海に沈んだんじゃないかということを申しておったのです。そうしてなぜ左に曲げたかということは、どうしてもわからない。私どもも、それから鉄道当局の皆さんも、どうしてもわからない。そこで私は昔、長いことああいう大事故の調べなんかしたこともありまして、それで大きな事故にならぬときも、機関車の乗務員なりあるいは車掌なりを調べたときに、自分でもどうしてこんなことをしたのだろうという事故が、ままあるのです。それと同じではないか。俗に言う魔がさしたのであろうかというふうにしか、われわれの知恵の範囲では考えられなかったのです。それからもう一つの問題は、今大臣が指摘されたように、霧の中にスピードを落さないで走った、これがどうもいけなかったのじゃなかったかという議論が、そのときに出たのです。まあこの二点ですね。  それで管理局では、じゃ、その濃霧警報を確かに両方の船に伝えたのか、これを質問したのです。すると、何時何分にこういう経路でこういうコースでと指示して、船の方はそれをキャッチしておる、こういう説明があったのです。私どもとしましては、それ以上その原因を調べるとなると、いろいろ検察当局のやるようなことをしなければいけないし、まあその程度でとどめたのですが、われわれも左にきったということは、どうしても理由がわからなかったのです。
  24. 重盛壽治

    重盛壽治君 ただ、私もそれは、海難審判所で法的結論が出てから、原因はここにあったのだということを明確にすればいいと思いますが、何度も申しますように、国民の大部分は新聞を見たり、ラジオを聞いたりして、ずいぶんでたらめなことをやっているのではないか、右にきりそれで右側を通行し、しかもそういう事態であったならば右側に転進するのが当然のように、しろうと考えに考えられるが、左にきったというこういう原因は——しかも船長は人命救助のために最後まで戦っておって、その結果、自室に入って鍵をかけて死んでおった。船長の最期的な立場はきれいであったか知らぬが、事故の起きるときの考え方というものは、何か非常に見誤まりをしておったのではないか、こういうように言われておるものですから、できるならば、海難審判所を通じてなら通じてするとして、急速にこの問題を解明して、あのときはこういう事情にあったから左にきらなければならなかった。あるいは木島委員の言われるように、魔がさしたなら——魔がさしたというような言葉があり得るかどうか知りませんが、そういうことをもう少し明確に早くすべきだと思うのですね。
  25. 木島虎藏

    木島虎藏君 魔がさしたのじゃないかというのですよ、わからぬのですから、さっぱり。
  26. 重盛壽治

    重盛壽治君 ええ。それでそのぶつかった現場は、運輸大臣委員方々は御覧になったのですが、やはりその場合に、その場所を見て、なぜ左にきったかということが本当に——あるいはもう右にきれないというような所じゃないわけですね。そういう点はわからないのですか。
  27. 三木武夫

    国務大臣三木武夫君) それはもう、やはりすぐ島があると、私も最初は島が右の方に迫っておって、右がきれないのかと、こういうふうに思いました、東京を出るときには。そうでございませんでした。やはり右の方には、そう、遭難の場所は島が迫っておる地域とも思われないと思います。
  28. 重盛壽治

    重盛壽治君 そうしますと、そういう濃霧の中を十二ノット、あるいは十・八ノットの速度を出さなければならぬという、ここに大きな原因がありはしませんか。いわゆる国鉄ダイヤの面に、海上輸送の天候等の変化等を考慮せられずに、平素の天気のときに何分かかる、こういうようなものを中心にして、もちろん七分のところを十分の程度の余裕はあるかもしれませんが、もう少しそこに余裕を持たしたならば、ああいうときにはあるいは停止し、あるいは速度を落すというようなことができ得たのじゃないか。それが、その速度で行かなければ次の連絡に間に合わないというようなことのために、濃霧であろうが何であろうが、ああいう速度を出してきたということは、これは大臣その他の関係の専門家の方の意見は、その点はどうなんです。
  29. 唐沢勲

    説明員(唐沢勲君) 国有鉄道の方から申し上げます。営業局長の唐沢でございます。  今の原因につきましては、ただいま大臣その他からお話ししましたように、審判所で徹底的に糾明してもらうわけでございますが、私どももできる限り調査しております。で、先ほど左へ切ったことについて、舵手船長の命を受けたかどうかという問題でございますが、これはもちろん、舵手船長の命によってそちらにかじを動かしていることはもちろんでございます。
  30. 加藤シヅエ

    委員長加藤シヅエ君) ちょっとお諮りいたしますがね。運輸大臣は衆議院の予算委員会の方から呼ばれておりますので、運輸大臣にまだ御質問がございますでしょうか。
  31. 重盛壽治

    重盛壽治君 それはまだたくさんあります。それは予算も大切だろうがね、こういう問題のときは、運輸大臣としては運輸委員会に一番重点を置くべきであって、予算委員は何と言っておるか知らぬが、そう時間の制約をされちゃ困る問題であって、ほかの一般問題でしたらけっこうですが、これに関しての予算を組むために、それなら予算委員の諸君にこちらからでもお話ししますから、もう少しいていただきたいと思うのです。  その前に、それじゃ運輸大臣に聞きますが、この点はこまかいことですが、先ほどの説明の中で、名簿がない。名簿は、やはり短時間に航行せられる船舶だから名簿がないということが原因であろうと私は思うのですが、ここらにも非常に矛盾したものがある。  もう一つ、九百四十三名大体乗っておった。それから百五十八名が死んで、七百七十五名が生きておる。行方不明は十名だというのだが、学童のみの行方不明が十名というように私は聞いておるの、だが……。
  32. 三木武夫

    国務大臣三木武夫君) ええ、そうです。
  33. 重盛壽治

    重盛壽治君 そうだとすると、学童だけの十名の行方不明は認めるが、あとの者は、名簿がないために、行方不明者はもう一人もないのだというような理屈に、この数字から行きますとなりますが、その点はどういうことになりますか。
  34. 三木武夫

    国務大臣三木武夫君) これは今までに日がたっておりますから、もしもあの船に乗る予定のあった人で帰って来ないという——まあ全然縁故のない人が乗っておれば、これは別だと思います。縁故が全然ない人、何の身寄りもないということになれば、これはだれからもそういう申し出がなくて、あるいはそういう人であればわからぬような場合があるかもしれませんが、とにかく多少縁故があれば、これはああいうふうな時期にあの船に乗るべき人であったならば、すでにもう申し出があることが常識でございますから、今までにないところを見ると、大体これが実数に近いのではないかという推定をいたしておるわけでございます。あるいは、これはやはり確実にこういうものだと言い切れるものではないのですが、大体今までに申し出がなければ、これは実数に近いのではないか。  もう一つは、御承知のように、内海航路に対しては、時間も短いわけで、そういうふうなことで乗客の人も手数がかかるということでしょう、船客の名簿を必要としないことに法律でなっているわけでございます。あるいはそういう法律については今後改正をしなければならぬという御意見が出るかもしれませんが、現行法ではそうなっておる。これはいずれにしましても、法律改正等の問題もございますので、私は現地に参って、入口をもう少し狭い入口にして、確実に乗った客の数だけはみな計算のできるような措置をとるようにということを、厳重に言って参った。何分にも短い時間にどっと走っていくものですから、数の計算はしたといっても、非常にこれは誤差があったわけでございますので、それは入口に多少の不便があっても、こういう場合のことを考えますと、これは忍んでいただかなければならぬことでありますから、入口を何カ所かにして、そして一人々連絡船に乗っていただくような方法で、数だけは少くとも正確に計算のできるような方法をとりたいということを、現地で申して参ったわけであります。
  35. 重盛壽治

    重盛壽治君 これはまあ、今大臣も言われているように、方法が悪いと思うので、これに対しては将来十分気をつけなければならない。  それから特に、今報告されたようなことでは非常にずさんだと思うので、十分関係当局を通じて、この数字でよかろうというようなことでないように、一つ万全の策を講じていただきたいと思います。私はやはりこの事件の起きた原因は、何と言いましょうか、命令系統というか、指揮系統が一貫していないのではないかということが、一つまずあげられると思います。  もう一つは、洞爺丸事件の起きたときに、将来再びかかることの起きないように、あらゆる手段を講じてもらいたいという要請をした。特にそのときに、今後は各方面の権威者を集めて、連絡船というふうなものをどういうふうにしなければならぬかという機関を設置してもらいたいという要求をしたのです。ところが、そういう機関はできた。できたけれども、はっきり言うと、それが国鉄関係者だけであったという形がだいぶあるように聞いているので、そういうことでは本当の調査研究は進められないではないかというように考えられるので、こういう点を一つ中心に、十分考えてもらいたいと思います。  もう一つ最後に、この起きた問題に対する基本的な将来の処置を大臣はどういうふうに考えておられるか、これを一つ明確にしていただいて、どうしても時間が許さないのなら、私はこれで質問を打ち切ってもいいと思います。あとは次の機会に……。
  36. 三木武夫

    国務大臣三木武夫君) 御承知のように、洞爺丸事件のときには、船の構造などについて、連絡船の構造に改善の余地がないかということで、造船技術審議会の中に船舶安全部会、これはむろん国鉄の人よりも外の人ばかりで、造船界の権威と言われる方々にお集まりを願って、その結論も出て参って、今二隻新造をしている連絡船は、この結論に従って設計を変えているわけであります。まあ、しかし、こういうふうな事故が二回も引き続いて起ったということについて、これはやはりこの機会に徹底して事故防止の対策を作らなければならぬ。そのために、これはおもに外部の方々にも参加を願って、連絡船の改善の対策委員会を至急に設置をいたしまして、事故防止のために万全を期したいと思っているのですが、今木島さんからの御報告の中にもありましたように、現地を私は見まして、そういういろいろな点は、技術者が加わって今後対策委員会において検討しなければならぬが、さしあたりこういう点について今後改善を加えたいということを、すぐできる問題は現地でするよう、たとえば人員の把握のようなものは、そういうことをやるようにと言って帰って参ったのであります。  一つは船員の訓練、——船員の訓練についていろいろ服務規程があるわけでございますが、しかし私自身が今考えていることは、あるいは濃霧の場合であるとか、あるいは非常にガスが強い場合であるとか、こういう気候の変化に従って勤務の一つの態勢を切りかえていきたい。平時、あるいは警戒態勢、あるいは非常態勢、天候の変化によって三段がまえくらいに勤務の態勢を変えていって、そうしてそういう警戒の霧が濃いというような場合、濃霧が非常に深いというような場合には、その度合に応じて、警戒態勢に入る場合があり、非常態勢に入る場合がある。入れば、乗客には直ちに救命袋をみな与えて、そうしてこういうふうにするのだという説明を加える等で、船員も緊張するでしょうし、だらだらとあの平和な海を何回も何回も毎日往復しているというところに、ややもすれば精神的な弛緩も起りやすい条件を持っているものですから、船員にも一つ緊張した気分を与えるということで、そういう勤務の一つの態勢を切りかえていく、こういうことはぜひとも実現をさせたいと思っておりますが、勤務の状態を変えていきたい。  もう一つは、船の管理機構というものがどうしても、全体の国鉄の企業の内容からすれば、それは鉄道に比べれば船舶部門というものは小さいのですけれども、しかしながら青函連絡にいたしましても、宇高連絡船にしても、あの船舶で毎日運んでいる人たちの数というものは、これは非常なものであります。しかも、それに事故がたびたび起るということになって参りますと、人命を守っていくという見地から、これは全体としての事業量が多い少いにかかわらず、船舶の管理機構というものを強化したいと私は考えております。それでたとえば、これは研究しなければなりませんが、やはり青函連絡あるいはまた宇高連絡に対しては、船舶管理部とか船舶管理局とか、こういう機構の中における相当強力なやはり船舶を管理する一つの機構を持ちたい。また中央においてもやはり、現在よりももっと強化された形において、全国の連絡船をこれを管理するような機構を、中央にもこれはもう少し強化された形にして置きたい。そうして船舶の管理というものには専門家もそこにいるのでありまして、ダイヤと申しましても、汽車と違ってレールの上を走っているのじゃないのですから、船はよほど、汽車を動かすような感覚で船を動かすようなわけにはいくまい、こういうことなので、これは船舶の管理機構を強化していきたい。  それから船の構造につきましては、これは今申したような造船技術審議会等の結論に従って、今設計している船はその結論に従って設計を変えていくわけですが、さらに事故が二回も起ったということからして、今の連絡船に対しては改造を加える余地があるかないかということにも、検討を加えていく。  さしあたり一番大事なことは、やはり船舶の構造ということもこれはいろいろ検討しなければならぬですけれども、船員の一つの訓練、こういうものについて、あるいは海上保安庁などに委託して船員の再訓練等も考えてみたいと思っております。その他いろいろな総合的な対策は、今申したような連絡船改善対策委員会で、これを機会に一つ徹底したこういう事故防止の対策を考えたい、こう現在は考えております。
  37. 重盛壽治

    重盛壽治君 最後に……。私はやっぱり、もちろん機構の改革が必要じゃないかと思います。先ほどの御報告の中には、両船長とも練達の士であるという御報告がなされておりますが、練達の士であるだけにむしろ危険であるということが、逆に言い得る。それはやっぱり機構上の問題で、もちろん船のことは船長に一任することが当然でありますが、洞爺丸事件のときのことを考えても、今回の事件の実件を考えても、船長自体にも落度があるのじゃないか。特に一例を言うならば、たとえば気象通報などというものを、なに、海のことは海にまかせておけ、船長でわかるのだという気象通報を軽視する傾向が海員全体にあるのかあるいは船長にあるのかわかりませんが、私は洞爺丸事件のときに痛感したのですが、命令系統を厳重にするとかなんとかいうことじゃなくして、船長にはまかしてあるのだが、船長を訓練していくことを考えていかないといかぬのじゃないか。どうしても私はやっぱり、気象通報を軽視するという傾向が今度の場合にもあるし、ダイヤに無理がないとするならば、七、八ノットで行こうというような感覚があれば、こういうことも起らなかったのではないかと、あとの祭であるかもしれないが、考えられる。乗ったからには船長にまかせるといいながらも、そういう点に大きな原因があると考えられるので、十分考慮してもらいたい。  それから、船はそっちこっちのものを集めると、先ほどの御報告のように、七万トンをも保有しておるような実態からいきまして、大船会社であって、その大船会社が、洞爺丸事件のときに専門家を調査したらば、専門学校を出た者が上層部には二人か三人しかおらぬというような実態で、きわめてさびしい状態である。それはどこから来るかというと、運輸省の予算の面から来る。こういう点に非常に困難があると私は思うのです。そういう点、予算はきまりつつあるようでありますが、今から予算委員会に出るそうですから、一つ運輸予算の増額を考えて、たとえば定点観測の問題にいたしましても、こういう事件の問題の解決の鍵はだんだん掘り進めていきますると、予算に私はやっぱりぶつかってくると思いますので、その点十分御考慮の上、大臣は処置をせられることを希望いたしまして、私の質問は今日はこれでやめておきます。
  38. 岡田信次

    岡田信次君 大臣もお認めになったように、今回の事故は大部分人的要素であると思うのですが、先ほど重盛君の最後の質問でお話ございましたけれども、どうもこれが、設備が不備であるとか、あるいは設備に故障があったというのですと、その対策は楽なんですが、人的要素を含んだ事故というのは、今後の対策が非常にむずかしい。しかるに、大臣はこの事件以来たびたび万全の措置を講じてこれらの事故がないようにするということを言明されているのですが、その具体的の対策といたしましては、ただいま重盛委員にお話しになった船員の訓練、あるいは船舶業務の機構の拡充という、その二点でございますか。
  39. 三木武夫

    国務大臣三木武夫君) 今重盛さんのお話にもありましたが、ダイヤの点も現地で私は直ちに検討してみたんですが、あれはちょうど遭難場所というのは一番狭い所ですね。もっと広い所で——一方の第三宇高丸というのは貨車の航送船なんですから、そんなにあまり時間的に、旅客よりも制約される度合が少い。ダイヤ等は検討してみたらどうか。そういう一番狭い所ですれ違わないで、もっと広い所ですれ違う方法は考えられないのかということを、現地で申したのであります。これは私が今申し上げたのは、すぐにでもできるような応急の対策としてお答えをいたしたわけでございまして、これが恒久的ないろいろな対策、たとえば連絡船の船の構造等の問題になって参りますと、これはやはり技術者の意見も相当検討を加えて聞かないと——私自身が、今運輸大臣として、すぐにでもこの改善を加えたいと考えておる数点を申し上げたのでございまして、いろいろ恒久的な対策については、さらに各方面の意見を徴する必要があろうと考えておるのでございます。
  40. 岡田信次

    岡田信次君 それで船舶業務の機構の問題なんですが、これを拡充強化するということは大へんけっこうなことだと私も思うのですが、ただその際に船舶業務機構の内容というものを御検討願いたい。と申しますのは、どうも従来国鉄船舶関係の陣容が主として、船の設計というか建造というか、そっちの方のエキスパートがなっておって、実際の船の運航というものに対する知識経験なるものがあまり要求されておらない。従って、どうもダイヤを作る場合とかあるいは船の運航そのものに対しては、失礼な申分だけれども、知識が欠けておる。何とか船の方のデザインの方の権威者がこれをやっておるという点があると思いますが、この点についても、機構の改正その他については、十分御考慮を願いたいと思います。
  41. 三木武夫

    国務大臣三木武夫君) その通りだと私も思います。そういう点で、機構の強化というものは内容的にも、運航に対して経験知識を持っている人、こういう面の強化を中心として考えたいと思うのであります。今御指摘のように、雑船を入れると七万二千トンですから、これは相当な船の量であるし、ちょっと時間は短いけれども、あれが生命に与えておる影響などを考えてみますと、これはやはり連絡船というものに対しての人命尊重からの国鉄における比重が非常に重いと思っておりますので、これはいろいろ御意見がありますれば、各位の御意見等も一つわれわれにお与えを願って、そうしてこの事故防止に対策を講じていきたい、こう考えております。
  42. 内村清次

    内村清次君 私も派遣議員の一人といたしまして、現地に行きました。大体今までの委員方々や大臣の御答弁によって私も意を尽しておると考えますが、しかしまだ一、二の点で、これは再確認の意味から、ぜひ一つ大臣から、責任を持って、これだけのことはやるという再確認の答弁を聞きたいんです。  それは、先ほど重盛委員の質問の中に、事故の真因というものは、やはり中村船長が殉職をされておりまして、どうして左かじ命令したかというその点が、これはおそらく海難審判所審判されましても、この点はやはり不可解のままに過ぎはしないかという考えを私たちは持っておるんです。そこでまた大臣は、速度の点も確かに一つの誘因だということで、私たちもその通り考えております。特にまた紫雲丸の方はエンジンの停止をやったと申しますけれども、速度はやはり相当高い速度が出ておる。特に第三宇高丸は平常速度で行っておるんだから、この点などやはり相当な影響力があると考えておるのでありまして、そうすると、舵手の方はおられても、船長命令である以上はやはり舵手の人はその命令に従っていくということであるし、それから私たちが少しまだ不安に考えておりまするのは、レーダーには両船が約二海里の間に入ったんだ。その後の処置といたしまして、先ほどの速度の問題もありましょうし、あるいはまた衝突直前におけるところの紫雲丸船長及び舵手の操法の問題もありましょうが、そのほかに右げんのほうで警笛を聞いたというので、そこに右げんのほうに聞いた以上は、それが本当の事実であると、全船員がそういうふうに聞いたというような、あるいはまた全船員でなくても、その操縦の所にいらっしゃる方々が聞いたということになれば、それが一つの錯覚になって、船長が左かじを命じたというようなことにもなってくるのですが、その点が、これは事実かどうかということは、私たちも実は関係者方々に聞きたかったのですけれども、先ほど派遣議員の中から言われましたように、真因を突きとめるのが今回の派遣議員の任務の全体ではなかったわけです。そういう点で問題点は残っておるわけです。  そこで、運輸大臣が行かれまして、気のつかれたところに、私もこの誘因の第一原因があると見たのは、ダイヤの問題です。ダイヤの問題は、御承知のごとく、あの十海里の航海の中に、大体平均速度十一キロ乃至十キロで走るとすれば、現在の運行ダイヤでは、六十五分ないし七十分のほとんどきまったダイヤの筋がなされておるのですね。そうすると、行き違いの地点というものはおのずからわかっておるのです、海上の問題で。それが第八のダイヤ紫雲丸ダイヤですね、これとそれから第三宇高丸ダイヤの行き違う地点というものが、このダイヤ全体に対して一点だけが、あの高松寄りのところで、予定コースの、行き違いのコースの路線の線上にあるのですね。これは重大な事故の誘因です。こういうようなダイヤというものは、技術的にも直ちに改善される問題です。これを運輸大臣が気がつかれたから、私も先ほどこの点は特に具体的に申し上げたいと思っておりましたが、これは早急に一つ変えていただきたい。しかも海上においてのダイヤ弾力性を持たせて、そうしてああいう行き違いの点が事故の誘因になるような点を避けて、なるたけ行き違いの点は海面に間隔を持たせてやるということを、至急にこれはやってもらいたいという点が第一点。  それから第二点は、これは派遣委員の方で要望いたしました一、二、三点ですね。この三点は、運輸大臣は確かにこれを引き受けた、こういうふうな、対策を至急にやるという発言は聞きましたが、しかもまた第二の機構の問題につきましても、あるいはまたは非常態勢及び警戒態勢というような問題に対しましても、明確に御答弁なさっておりますが、この点は私もぜひ一つ実行してもらいたい。と同時に、しからば長崎国鉄総裁はこの責任をとってやめられた。で、今国鉄総裁の選考中である。そうすると、運輸大臣はこの機構の問題に対しましても、あるいはまたは第一要点でございまするところのサービスその他団体旅客の取扱い等に対しての国鉄名誉回復の問題に対しましても、あるいはまたは第三の要点でございまする遺家族の補償の問題、いわゆる遭難者に対するところの補償の問題、こういう重要な問題は、これは長崎総裁のこの辞任の原因をよくお考えになって、そうして長崎総裁が辞任された後においても、やはり完全にその長崎総裁のやろうと考えておった国民への謝罪というか責任というか、この面がやはり十分含まれるように、早急に解決をしてもらいたいのですが、問題は、まだ後任総裁が決定しておらないが、運輸大臣はどういう法制上の権限でこの対策をやろうとせられるのであるか。この点ははっきり一つ、再確認のために申し上げておきます。
  43. 三木武夫

    国務大臣三木武夫君) 御承知のように、国有鉄道法によって、天坊副総裁が総裁の職務を代行しております。これは総裁の辞任によっていささかも、いろいろ事後の処置を遅滞せしめるようなことはしないつもりでございます。  それから今私がここで申し上げたのは、これは私自身がぜひやりたい、今ここで言ったことは。いろいろな専門的な技術者が検討すべき問題は、これは時間をかけなければならぬわけでございますが、今この委員会で申し上げたようなことは、これは格別予算を伴うものでもございませんし、また国鉄のような場合、ことに交通機関というものは、やはり人命の尊重というものがサービスの基本だと思いますので、ほかのものを犠牲にしてもいいと私は思っております。そのほかのもののサービスは、すればそれにこしたことはございませんが、やはり人命というものを尊重することがサービスの基本である。だから、少しは乗客方々にも御迷惑の場合もあるかもしれません。そういう何か救命具などをいろいろ各人に持ってもらったりするようなことがあるかもしれませんが、百万べんの無駄があっても、一ぺんそういう必要が起った場合には、それはやはりしてもらわなければならぬということで、今この委員会で申し上げたようなことは、私自身が、御承知のように、よく御存じのように権限を持っておりません。国有鉄道の運営の権限はないのですが、運輸大臣としてそういう指導を行なっていきたい、国鉄に対して。そうして今申し上げたようなことは、できる限りすみやかにそういうことが実現をするような指導を行なっていきたい、こういうことを申し上げたのでございます。
  44. 内村清次

    内村清次君 この際、それでは総裁代理の天坊副総裁から一つ、この問題について……。
  45. 加藤シヅエ

    委員長加藤シヅエ君) 内村委員、ちょっとお待ち下さい。  それでは、運輸大臣に対する御質問はもうこれで終りますか——では、運輸大臣が予算委員会の方に行かれます前に、委員長からちょっと大臣に一つ……。
  46. 内村清次

    内村清次君 今の大臣の御答弁に対して、大臣はもちろん監督権はございますけれども、法制上の権限がありませんから、これを実際責任者が経営をやらるる上について、現在早急を要すべき問題があるのです。だからして、国鉄総裁の代理として副総裁がかりにやっていらっしゃるから、副総裁の答弁をはっきりと一つ聞きたい。
  47. 加藤シヅエ

    委員長加藤シヅエ君) それでは運輸大臣にもうちょっとお待ちいただきまして、天坊副総裁の御答弁をお願いいたします。
  48. 天坊裕彦

    説明員(天坊裕彦君) 今回紫雲丸の大事故を惹起いたしまして、まことに申しわけない次第でございます。亡くなられました百五十数名の方々の冥福をお祈りいたしますとともに、遺族の方々あるいはまたけがをなさっている方々に対しまして、国鉄といたしまして最大の努力をもちまして、十分なお見舞、御慰謝のことをやって参りたいと考えております。  と同時に、先ほどからもいろいろお話がございましたように、一番大きな贈りものになるものは、将来決して二度とこういう事故を起さないということが第一であろうと考えるのでございますが、これに対しましては、先ほど来もいろいろお話がございました。また当委員会におかれましても委員長初め委員方々現地調査においで下さいまして、いろいろ御理解ある御措置があったわけでございますが、その点われわれとしてもありがたく存じているのでございますが、またその御報告の中に非常に適切な対策についての御指示をいただきました。その内容等につきましても、全く私どもも同様に考えておる数々の問題でございまして、先ほど大臣からもお話がございましたが、私どももこれらに関しまして必要なものは即刻にも手を打って参りたいというふうに考えておるのでございまして、ただいま御質問にございましたそれに、大臣が自分もその通り考えていてそういうふうに指導するのだとおっしゃいましたが、私どもも全くその通りにやって参りたいというふうに考えておるのでございます。  特に一言つけ加えて申し上げまするならば、先ほどから一番大事な問題として、船が行き違いをする所が非常に危い所にあるというお話がございましたが、この問題につきまして、一つは基本的に、あそこにブイをもう少しふやしたい。この措置を四国で、海上保安部の方へ連絡をいたさしております。それができ上りますまでは、先ほど申しましたダイヤの改正を、六月中旬ぐらいを目途として、やらせることにいたしました。さらにそのダイヤができ上るまでには、当分霧等があった場合には、その視野の範囲に応じて適宜に船をとめる、あるいはおくらせるということをやるようにということを、現地へ通知をいたした次第であります。まあそのほか、訓練の問題、その他大臣がお話になりました数々につきましても、即刻できるだけのことはやって参りたい。また機構等の問題につきましても、新しい総裁がお見えになりましたら、すぐ決定していただくようなところまで案をこしらえて準備中であります。それらのお話に対しまして、国鉄といたしましては万全の措置をとって、二度とこうした事故を繰り返さない覚悟でございます。大臣のお考えと全く同様でございます。
  49. 内村清次

    内村清次君 ただ一点、天坊副総裁にお願いしたいことは、確かに今回の事故の直後におきましては、相当な混乱があっておることは、現地に行きましてよく話を聞いて参りました。で、それというのは、やはり対策本部の問題ですが、この本部の国鉄自体が、今回はその事故の本拠でございまする以上は、やはり主体的には鉄道がすべてその救助対策におきましても、あるいは連絡対策におきましても、やらなくてはなりませんが、事故の発生当時において幾らかの混乱のあることは、これは私たちもそうとがめようとは考えませんけれども、しかしながらやはりこれは一つの訓練と申しますか、あるいはまたは平素の計画と申しますか、そういうようなことがやはり等閑に付せられない程度において、各関係部門においては相当対策が見られることが必要であろうと思うのです。特にまた対外的には、県庁、市役所、あるいは警察と、広範な人命の救助の問題に対しましては、相当連絡も必要でございましょうから、こういうような訓練関係に対しましては、やっぱり常時的に相当な計画をやって、人がかわってもその問題は直ちにできるというようなことも——私たちは実際はこういうような対策というものはないように、絶対事故を起さないということを確約していただきたいのですよ。まあしかし、こういう際においての万全なる対策は漏れなく——遺族の方々から相当な非難も現実にあっておって、現地局長あたり相当な私たちは困難な状態に立ち至っておる場面も見て参りましたからして、そういうようなことも一つ早急に解決をしまするように私は希望いたします。この点につきましての副総裁の所感を一つ……。
  50. 天坊裕彦

    説明員(天坊裕彦君) 御注意ございました点は全く同感でございまして、平生からも各関係官署というようなところとも十分な連絡、平時のいろいろな意思の疎通ということも十分必要でございましょうし、今回も私は関係地方機関との連絡においては、私も現地へ即日参りましたけれども、そういう手が打ってございます。特に検察庁やなんかに参りましても、検事正は管理局長と一緒に八時の船で現場に行ったという話で、非常に連絡がよかったので、ほめていただいたのでございます。そのほか、現実に遺族の方々等の関係におきましては、いろいろ問題がないとは言えないのでございます。その点はこうした事故の性質上、いろいろ遺族の方としての話の中でのいろいろな意向というようなものがあることも、これは今もお話がございましたが、あってはならぬことなんですが、そうした場合にあり得ることなのでございます。できるだけのことをして、遺族の方の御満足のいくような格好で、処理を進めて参りたいと考えております。
  51. 加藤シヅエ

    委員長加藤シヅエ君) 運輸大臣も予算委員会の方へおいでの時間が参ったようでございますから、今日は委員各位が十分な御質疑もなさいましたし、また運輸大臣及び国鉄当局からも十分な御答弁もあったのでございますが、先ほどの質疑応答の中からまだちょっと御発言がなかったように考えます点で、委員長から一つ運輸大臣に質問をお許しを願いたいと思います。  それは、今後こういう事故が起らないようにという見地に立ってはいろいろ御発言もございましたし、御答弁もあったのでございますが、なお今後こういうことが起らないために、あるいは万一事故が起った場合に、その犠牲を最小限にとどめるというための観点から立ちまして、私はここに読売新聞の好意によりまして、紫雲丸乗船した乗客事故発生直後、第三宇高丸に移りまして、そこからまあいわゆる涙のシャッターをきったという、この修羅場を写した写真を今日借りて、ここへ委員各位にお目にかけるために持って参ったのでございますが、この写真にも見えておりますし、現地においでになった運輸大臣も御覧になったのでございますが、紫雲丸救助ボートが二隻ともさかさまにひっくり返って、いまだに海上に浮いております。で、ああいうようなボートが、もしもあの場合ロープを何かの器具を持って行って切断して、そうしてこれを海上に浮かすことができましたならば、もう少したくさんの人命が救助されていたのではなかったか。それから救命具がどの程度事故が起ってから沈没するまでのまあ三分か四分の短い時間でございましたが、船員たちによって乗客にどの程度配付されたか。この事故が起ってから救助するまでの間のときにおいて、まあ承わるところによりますと、学童を引率された先生の尊い殉職の犠牲があったという御報告も伺っておりますが、こういうような事故が起ったときに、一体船員としては人命救助のためにどれだけのことを、どういう順序でするようにというような訓練を日ごろなさっていらっしゃったかどうか、そのことを承わりたいのでございます。
  52. 三木武夫

    国務大臣三木武夫君) 私も、生存者病院におられまして、私が参りましたときも、まあ各高松の旅館に分れていられる人をたずねたときも、その点をどの旅館においても生存者に私は尋ねたのであります。中には、やはり遺憾の点があったということを言われる人もあります。あるいは救命ブイの指示を船員がされたということを確認した人もおります。何も指示がなかったと言われる人たちもございました。こういう点で、ああいう何分にも三、四分の間に沈没をしたのですから、その間適宜の処置が十分であったと私も思わないのであります。これは今申したように、訓練が、ああいう場合の訓練というものが、やはり今後そういう場合のないことを期待するのでございますが、しかし万一という場合の処置として、訓練は十分にしておかなければならない。それが全然統一がなかったという印象を受けました、生き残った人に。  そのいう点で今後ともこういう訓練、私が最初にお答えした中にも、一つの勤務の状態をけじめをつけて考えたい、だらだら、だらだらとああいう静かな海を勤務しておったのでは、いろいろな点で乗客に対しても、いざという場合の準備もできませんし、船員の心がまえも弛緩しやすいものですから、そういう勤務状態にけじめをつけたいと考えるのも、そういう訓練というものをしたいという意図でございます。今までどういう訓練をしておったかということは、これは今まで私が知っている範囲内では、海技専門学校等に毎年ある人数の人を、上級の船員は海技専門学校に、あるいは下級の船員については運輸省にそういう再訓練の機関を持ちまして、そこに入れてございます。しかしそれは全部というわけにはいきませんが、そういう訓練の機関というものも全然やっていなかったわけではないので、高級船員、下級船員に分けて訓練をやっておったわけですが、やはりこれは強化しなければならぬ必要が私はあると思う。最初に私が申し上げたのは、場合によっては海上保安庁などに一つその訓練を委託するようなことも私は考えているということを申し上げたのであります。確かにやはり訓練というものはもう少し強化しなければならぬものだと考えております。
  53. 加藤シヅエ

    委員長加藤シヅエ君) それではお約束の時間になりましたので、運輸大臣、どうぞ御退席下さい。  なおここにおいでになります政府当局及び国鉄当局方々に、何か御質問がございますでしょうか。
  54. 岡田信次

    岡田信次君 天坊副総裁にお尋ねしたいのですが、この賠償金はいつごろ払うお見込みですか。
  55. 天坊裕彦

    説明員(天坊裕彦君) もう即刻でも払えるような態勢で、それぞれお一人ずつについての調査をいたしております。大臣からも一カ月以内に何とか完了するようにやれというお話もございましたので、督促いたしております。
  56. 岡田信次

    岡田信次君 そうすると、大体一カ月以内に払われるというふうに考えていいわけですね。
  57. 天坊裕彦

    説明員(天坊裕彦君) ぜひそうしたいと考えております。ただ手続になかなかいろいろめんどうなことがございまして、一件々々の処理に時日を要するのでございますが、できるだけそういう方針でやっていきたいと考えております。
  58. 岡田信次

    岡田信次君 もう一つお伺いしたいのですが、今は交通安全運動というのを実施していますが、これは一体どこの主催でやっておられるのか、そうして国鉄はこれに参加しているのか、していないのか、参加しているのならばどういう形式で参加しているのか、その点を伺いたい。
  59. 天坊裕彦

    説明員(天坊裕彦君) ただいまの交通安全運動は、国家警察本部で主になっておやりになっておるのでございまして、国鉄もこれに協力いたしておる格好になっております。
  60. 岡田信次

    岡田信次君 そうすると、今国鉄がこれに協力しておられるというお話でしたが、どの程度協力しておられるのか。
  61. 天坊裕彦

    説明員(天坊裕彦君) 警察と運輸省との両方の主催でございますが、これに協力いたしまして、国鉄も、主として警察関係が多いのですから、自動車関係に重点が移っておるようでございますが、そのほかこれに呼応いたしまして鉄道、船舶等につきましても、やはり事故防止という観点から運動は一緒にやっておるのでございます。
  62. 岡田信次

    岡田信次君 どうも今までのお答えだと、あまり積極的に参加しておられないようなんですが、どうも主として民間の自動車関係が主なようなので、民間がやっているのだからおれの方はというような気分が見えるようですが、今後ぜひ一つ積極的にこういう運動にも参加して、それをもとにして、全般に事故がなくなるように御努力を願いたいと思います。
  63. 天坊裕彦

    説明員(天坊裕彦君) 仰せの通りでございまして、十分今後そういう部外からの運動についても一段とこちらも一生懸命やりたいと存じております。もちろん鉄道部内といたしましても適時に運動というようなこともやっておりますし、そのほか事故の防止につきましては鉄道独自の立場からもいろいろなことをやっておるのでございますが、そうした運動に対しても本腰を入れてやる格好が今度は足りなかったのではないかという気もいたします。
  64. 内村清次

    内村清次君 紫雲丸の船体引き揚げはいつ完了いたしますか、その御計画を。
  65. 天坊裕彦

    説明員(天坊裕彦君) 先ほどからもお話がございましたように、大体船内遺体は、一両日、もう見当らないという格好でございます。やはり御遺族の方々のお気持というものもございますし、もう数日船内潜水夫による調べをやりまして、その後すぐこの引き揚げに取りかかりたいと、かように考えております。
  66. 内村清次

    内村清次君 先ほどの乗船名簿と関連もありますが、逐次の遭難者の生死の御発表、これが確かに時間的にも——これは御遺族の方々ももちろんでございますが、あるいはまたは一般国民が受けました感じというものは、まだまだ行方不明方々がおられはしないだろうかというような感じが多分にあると思うのですが、と同時に、その点に対しては、先ほどの御答弁では、連絡があって、家族方々からの連絡があったときにおいて、あとの生死不明の問題に対しては逐次解決をしていこう、こういうようなお考え方でもございましょうが、ただその船内遺体がないということは、これは潜水をいたしましてくまなく探せば判明することでございましょうが、あるいは遺体がほかに流れている、あるいはほかに海底にどっかにかかっている、こういうようなことは非常な、これは相当捜査上も御困難な点もありはしないかと思うのですね。だから、これと関連をいたしまして、やはり一つ、船内遺体がないとしたならば、まず船体を可及的に早く引き揚げて、そうしてあとの連絡関係と一緒になって、残った遺体捜査にやはり遺族の心を持って私はやらなくてはならぬだろうと思うのですが、それが第一点。  第二点は、やはりあのところに船体が長くあれば、航行上にも相当一つの支障がありはしないかと思うのです。それで私たちも早急にあの船体はやはり引き揚げて、そして善後措置をさらに早くとるということが、当局の一番大事な善後措置ではないかと思うのですが、この点よくお考えいただいておりますか。
  67. 天坊裕彦

    説明員(天坊裕彦君) 遺体捜査につきましては先ほど申し上げた通りでございまして、その観点から申しますならば、一応あのままでできるだけ早く引き揚げるにしても、相当の時日を要するのだから、あの中にもしや残っていないかという意味で、遺族の方のいろいろなお考えがあるわけですから、その線でも十分捜査したい。と同時に、今お話がありましたように、あのままで置いておきますことは、航路の支障にもなりますので、これはできるだけその必要な期間をおきまして、あとはできるだけ早く揚げたいというふうに考えております。
  68. 内村清次

    内村清次君 これは技術的に、引き揚げ開始から引き揚げ完了までに、どれくらいかかるものですか。
  69. 天坊裕彦

    説明員(天坊裕彦君) 現場は非常に潮流が早い所でございますので、一日の潜水夫作業相当時間的に制約されるというふうに聞いておりますが、大体かかってから七、八十日あれば揚がるのじゃないかと考えております。
  70. 加藤シヅエ

    委員長加藤シヅエ君) ほかに御質疑はございませんでしょうか——ございませんでしたら、今日はこれにて散会いたします。次回はいずれ公報でお知らせ申し上げます。    午後三時五十二分散会