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1955-05-20 第22回国会 衆議院 予算委員会公聴会 第2号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十年五月二十日(金曜日)     午前十時四十五分開議  出席委員    委員長 牧野 良三君    理事 上林山榮吉君 理事 重政 誠之君    理事 中曽根康弘君 理事 小坂善太郎君    理事 西村 直己君 理事 赤松  勇君    理事 今澄  勇君       稻葉  修君    宇都宮徳馬君       北村徳太郎君    楠美 省吾君       小枝 一雄君    河本 敏夫君       纐纈 彌三君    齋藤 憲三君       福田 赳夫君    藤本 捨助君       古井 喜實君    眞崎 勝次君       松浦周太郎君    三浦 一雄君       村松 久義君    米田 吉盛君       相川 勝六君    愛知 揆一君       植木庚子郎君    北澤 直吉君       倉石 忠雄君    野田 卯一君       橋本 龍伍君    平野 三郎君       福永 一臣君    阿部 五郎君       伊藤 好道君    久保田鶴松君       志村 茂治君    田中織之進君       田中 稔男君    福田 昌子君       武藤運十郎君    柳田 秀一君       井堀 繁雄君    岡  良一君       小平  忠君    杉村沖治郎君  出席国務大臣         厚 生 大 臣 川崎 秀二君  出席政府委員         防衛政務次官  田中 久雄君         大蔵政務次官  藤枝 泉介君         大蔵事務官         (主計局長)  森永貞一郎君         厚生政務次官  紅露 みつ君         建設政務次官  今井  耕君  出席公述人         大阪大学教授  伏見 康治君         長野県知事   林  虎雄君         全国農業会議所         事務局長    楠見 義男君         早稲田大学教授 一又 正雄君         日本官公庁労働         組合協議会議長 柴谷  要君         東京大学教授  武田 隆夫君  委員外出席者         専  門  員 小林幾次郎君         専  門  員 園山 芳造君         専  門  員 小竹 豊治君     ————————————— 本日の公聴会意見を聞いた案件  昭和三十年度総予算について     —————————————
  2. 牧野良三

    牧野委員長 これより昭和三十年度総予算案につきまして公聴会を開きます。  開会に当りまして御出席公述人各位にごあいさつを申し上げます。本日は御多用中のところ、わざわざ当委員会のためにお時間をおさきいただきましてまことに感謝にたえません。厚くお礼を申し上げます。申し上げるまでもなくこの公聴会を開きますのは、目下この委員会において審議中でございまする昭和三十年度総予算案内容につきまして、広く各界の学識経験者であられる各位の御意見を承わりまして、本予算案審査の参考といたし、審査を一そう権威あらしめたいためにほかなりません。何とぞ各位におかれましては、忌憚なく御意見をお吐きいただきまして、われわれの参考に供していただきたいと存じます。  なお議事の順序について申し上げまするが、公述人各位の御意見を述べられるお時間を、大体二、三十分というお心でお述べいただきたいと存じ、御一名ずつ順次お願いいたしたいと存じます。  なお念のために申し上げまするが、衆議院規則の定めるところによりまして、御発言の際には御迷惑ながら委員長をお呼びくださいまして、しかる後に御発言願いたいと存じます。また御発言内容意見を聞きまする案件の範囲を越えないようにお願いをいたしたいと存じます。また委員公述人皆様に御質疑をいたすのでございまするが、公述人委員に対して質疑をなされることはできないことになっておりまするから、蛇足ながら申し添えておきます。  これからお願いすることにいたします。大阪大学教授伏見康治君より御意見を承わることにいたします。伏見康治君。
  3. 伏見康治

    伏見公述人 伏見でございます。原子力平和利用の問題につきまして、私が考えておりますことを、昨日の藤岡由夫教授お話とも関連させまして申し上げてみたいと思います。藤岡先生と私との根本的な意見におきましては別に少しも違わないのでございますが、多少観点の違った点からの意見を申し上げてみたいと思います。原子力平和利用に関連いたしまして、よく近ごろ日本方々が言われることの中に、日本広島長崎原子爆弾を受け、原子力について大へんひどい目にあったのである。従って今度は平和利用の面で大いに恩恵を施してもらわなければならない、そういうような御発言がときどき見受けられるわけでありますが、そうしてその通りでもあると思いますが、しかし平和利用の面というものと、それから日本国民が受けました広島長崎のときの惨害の面というものは、切り離すことのできない一体のものでございまして、それを常に私たちは念頭に置いて、原子力平和利用の問題を考えていかなければならないという点を申し上げたいわけでございます。広島長崎の直後におきまして、まだいわゆる冷たい戦争が始まっておりません間は、世界中の方々が大へん理想主義的な御気分におありになったと見えまして、原子力国際管理という問題がはなはだ熱心に論議されたわけでございます。そうして私たちが実際そういうことがやがて可能になり、原子戦争恐怖といったようなものから近いうちにはのがれられるであろうということを信じておったのでありますが、残念ながらそういう問題というものは、その後すっかりたな上げになってしまいまして、いわゆる米ソ間の冷たい戦争の陰に隠れてしまいました。原子力国際管理という問題は見えなくなってしまったわけでございます。そうして十年ばかりたちました今日になりまして、原子力平和利用という面がにわかに勢い強く燃え上って来たわけでございます。そこに私は何か非常に不自然なものを感ずるわけでございまして、この原子力兵器的な面というものに対する十分な防護措置というものを施しておきませんで、ただ平和利用という面だけを私たちはやれやれというような意味考えていくわけにはいかないわけでございます。この国際管理問題がなぜ暗礁に乗り上げているかというようなことは私の専門外のことでございましてこれは国際外交の非常な機微に属することでございますので、これは皆様方の方が御専門でございますので申し上げようとはさらさら思いませんですが要するにその暗礁に乗り上げた根本的な原因は片方のアメリカ側原子爆弾をすでに持っているという立場からとそれからソビエトの方が持たなかった、もしくは持っていても劣勢であるという立場から来る意見の違いのように見受けられるわけであります。そこをそのまま、それぞれの立場というものを乗り越えた国際的な原子力管理という問題が実際できるということを、私たちはその当時希望しておったのですが、それがついにそのかきねが乗り越えられなかったということであろうと思います。今日におきましても、原子力国際管理の問題というものは、決して無視してはならない問題でございまして、何とかしてこの原子兵器というものが使われずに済みますように、私たち皆様の、ことに日本政治家皆様が御努力下さいますようにお願いいたしたいと思うわけであります。  それで原子力平和利用という面がにわかに強くなって参りましたのは、一昨年の暮れにアイゼンハワー大統領国連総会において、アトム・フォー・ピースという提案をいたしましてから急に盛んになって来たわけでございますが、そのアイゼンハワー大統領の演説なるものを幾ら読みましても、その兵器の方の国際管理問題というものと、その平和利用というものがどういう関係にあるのかということが、とんと私には了解し得ないわけでございます。いわば平和利用それ自身が盛んになるということは、これは兵器問題から切り離してしまえば大へんけっこうなことでございまして、平和利用が盛んになり、それから国々の間の協調の面が、原子力というようなひもによってさらに強くなって行くということもそれ自身けっこうでございますが、しかし原子力に関しまして私たちが一番強い関心を持っておりますのは、その大量殺戮の威力というところにあるのだと思います。この方を何とか防ぐということを考えずに、平和利用という面だけを取り出して考えるということは、私には不可解なように思えるわけです。そして現実にいろいろな国々がやっております行動というものは、この二つの問題を決して切り離してはいない、そういうふうにしか考えられないわけでございます。たとえばイギリスが昨年の初めから原子力発電所建設にとりかかりまして、それが来年か再来年あたりにでき上って発電を開始するそうでございますが、このコールダホールという所にできます原子力発電所といったようなものは、これは現在イギリス兵器のためにプルトニウム生産を行なっておりますが、そのプルトニウム生産用原子炉と少しも性質において変らないものでございます。ただ今までプルトニウム生産をいたします場合に出て参りますおびただしい熱をただむだに捨てておりましたのを、それを有効に発電にも使おうということでありまして、その本来の目的であるプルトニウム生産というものは捨てられておるわけではございません。つまり兵器生産ということと平和利用というのが抱き合せになっているとしか私には考えられないわけでございます。もちろん純粋に平和利用をする場合にプルトニウムというものは生産されますので、これはどこまでも平和利用原子力発電所であるということを言い切られましても、その通りでありますが、しかし現実問題といたしましては、イギリスはそのプルトニウム生産という大きな経済的な負担を、平和利用の面に肩がわりさせるためにやっているというのが、私には最も現実的な解釈ではないかと思われるわけであります。  そのほか幾らでも私の考えを申し上げることができますが、要するに現実に行われております平和産業は、原子力兵器産業とからみ合ったものである。従ってもし私たち日本人が、特に広島長崎というものの思い出というものをいつまでもかたく持っておりまして、原子兵器が使われないための努力というものを絶えず続けて行かなければならないといたしますれば、この原子力平和利用の面におきましても、絶えずこの兵器というものの関連において進んで行かなければならないと思っております。  ただしこう申し上げたからと申しましても、私は、この兵器恐怖というものが常にある限りにおいては、平和産業の方に手をつけてはならないなどと申し上げているわけではございません。私は相当久しい以前から、学術会議内部原子力研究を開始すべきだということを申し上げまして、いろいろ皆さんの御討論をいただいておるわけでございますが、問題は、この原子力平和利用というような非常に大きな問題の中に、日本国民として特に関心を持っている、兵器の方へ行かないためにどうすればいいかというその境界点を絶えず慎重に考慮しながら、平和利用の面を盛り立てて行くというその努力のところにかかっていると私は思っているわけでございます。それで私が思いますのには、現在日本原子力平和利用というようなものを始めるに際して一番大事なことは、日本日本独自の立場でまず仕事を始めて行くという問題であろうと考えているわけです。それが特に原子兵器との関係においてそう申し上げたいわけであります。と申しますのは、原子力先進国と称せられる国々原子力の事業というものは、アメリカにいたしましてもイギリスにいたしましても、あるいはソビエトにいたしましても、全部兵器産業という形でまず発達したものであります。そういう形で発達したものでありますから、私たち日本人だけが平和利用の面だけを育てるつもりでも、そういう大きな流れに接触すればするほど、兵器への結びつきというものが大きくなって来るわけでございます。で、私たちは、そういう意味において日本人だけが何も平和を愛好する国民であるなどと申し上げるつもりではございませんけれども、しかし原子爆弾によって実際に大きな被害を受けて、三十万人の同胞を殺しているのは日本人でありますので、少くとも原子力に関する限りは、日本人が世界の中で、原子力平和利用に限定することに対して一番強い関心を示している国民であろうと思いますので、その国民自身原子力平和利用をやる場合には一番危険性が少い、よその兵器産業に密着すればするほどそういう危険が増して来るというふうに私には考えられるわけであります。そういう観点から申しまして、日本原子力平和利用が始まります場合には、できるだけ日本人自身自主性のもとにおいてこれをやっていきたい、こう私は考えているわけであります。  ただ最近になって出て参りましたいろいろな話というものが、原子力に関するいろいろな新聞ニュースといったようなものが急にふえて参りましたその理由が、もっぱら外部から参るいろいろなニュースが根本になっている。たとえばどこそこの国がアメリカ濃縮ウラニウム受け入れの契約を結んだといったような記事、つまり外部の動きによって日本原子力平和利用というものの関心が高まって来ているということは、これは私としては非常に残念なことでございます。数年前私が学術会議におきまして原子力平和利用研究をすべきだというような際に申し上げた学術的な意味でのそういう討論の中では、いつも原子力に対してきわめて消極的でおありになった方方が、現在の段階りになますと急に大へん勢いがよくなって、原子力原子力と言われる方が多くなって来ているように私には考えられるわけであります。そういたしますと、そういう方々はいわば原子力というものの外側だけを考えておられる方々であって、原子力内部の学問的な進展ということから原子力をやらなければならないというふうにお考えになっているのではないと考えざるを得ないわけであります。私は原子力というものの学問的な力から、原子力は当然日本でもやらなければならないと考えて来たわけでございますので、そういう方々の御意見を近ごろ拝聴する機会の多いのははなはだ残念でございます。そういう意味で私は、日本原子力というものがそういう外部的な条件によって左右されるのではなくして、日本人自身内部に自然に育って行くようなものでありたい、こう考えております。  ところが原子力というものは大へん金がかかるものでございます。ちょっとやそっとのお金でもって、この原子力問題が地についた私たち国民の生活に利益になるようなものになりません。お金がたくさんかかるというという意味からも、まず皆様がごく慎重に考えてこの予算の問題を取り扱っていただきたいと希望いたします。  その第一に申し上げておきたいことは、ごく限られた私たち貧乏世帯の中で、限られた予算を使います上に、その予算をできるだけ正しい使い方をしていただきたいということでございますが、その第一は日本原子力研究を自主的にやっていくために、一体何が大切なのであるか。その重心的なところにお金を入れていただきたいということであります。外国からいろいろ技術的な援助を受けることもある段階では必要であろうと私は考えますけれども、その受け入れるということは、あくまでも自分自身がすでに何事かを持っていて、その補助になるという意味で受け入れるべきであろうと私は考えます。外国から受け入れるということがむしろ中心であって、日本でやるということは単にその補助にしかすぎないというような形であるならば、日本原子力の問題は、日本国民のものにならずに終ってしまうと私は考えます。それで原子力のことについて、一体どういうことが行われるべきかということを申し上げますと、原子力の実際上の課題というものは、今日ではもはや原子核物理学者の手から離れまして、むしろ科学工学者の手に移っているわけであります。と申しますのは、この原子核分裂連鎖反応ということを行わせる、ウラニウム原子核にそういうことを行わせるということができるという理屈を発見いたしましたものは、物理学者の永年の研究のたまものでありましょうけれども、一たびそういう科学的な事実というものが発見されてしまいますれば、それから先はその科学者の命じた通りにすればできるのでありまして、これが科学とほかのおまじないというものとの根本的な違いであります。科学的な発見はそれが一たび発見された以上は、万人共有のものになりまして、だれでもそのまねをすることができるものであります。今日におきましては、原子炉というものは、それを作るということ自身はそう本質的にむずかしい問題ではないのでありまして、要するに石炭に火をつけるならば燃えるということと同じであります。ただそれを燃ますためには、適当な物質が必要である。その物質を調達することが原子力問題の主要な眼目になってきているわけであります。そういたしますと、この物質を作るという役目は結局は全部科学工学者役目でありまして、物理学者の領域の問題でなくなっているということが特に大切であろうと私は考えます。この科学工学者の働きます上での資源の問題、それからそれを育て上げていくという上での技術という二つの面がございますが、その二つの面を日本人自身の中で特にやっていくということが一番大切なことではなかろうかと思います。そういう物質を調達するという面をなくしてしまった、最後の純粋のウラニウムであるとか純粋のグラファイトといったようなものをどこかよそから持って参りまして、ただそれを組み立てて原子炉を作るというのでありますならば、実は私どものような勉強していないものでもすぐできることであります。一番根幹のところはそういう基礎的な物質自分自身で調達していくその苦労の多い道をとるところにあるのではなかろうかと思います。実際またそういう苦労をして初めて原子力に関する利益は、十全に私たちが味わうことができるようになると思います。原子力からどういう利益が得られるのかという問題はたびたび議論されておりますが、しかしもっぱらその最終産物である原子力発電によるエネルギーだけがいつも問題になっておりまして、もっと別の意味原子力副産物をあまりお考えになっていないようでございますので、その点を申し上げてみたいと思います。  原子力の究極のエネルギーというものが発電の形で、私たちの水力や火力に並んで現われるということ自身はけっこうでありますが、そのほかにこの原子力というものを開拓していく上に、技術者は全く今まで経験しなかった新しい課題と取り組まなければならなくなってきています。この新しい課題と取り組みましたために、いろいろの新しい技術の開発が行われているのでありまして、日本がもし原子力の問題をやらなかった場合に、そういう強い問題というものに出会わずに済んでしまいますれば、日本技術者というものはそういう得がたい問題というものに取り組む機会を失ってしまうことになります。そういうたくさんの技術的な課題自分自身が克服していくという、そういうことをやってこそ初めて日本原子力というものが日本自身のものになる、こう考えるわけでございます。ひどく末端的な例を申し上げますが、実際そういう原子力自身を仕上げていくために必要な技術の中から、実は思いがけないような別の面への技術というものが開けていっておるわけであります。たとえば純粋なグラファイトを作るという努力が積み重ねられました結果、ひどく純粋なグラファイトが割合廉価に手に入るようになります。原子炉用グラファイトというものが一つの商品の品目の中に入ってきたわけであります。その結果その純粋なグラファイトを使いまして、るつぼのようなものをつくりまして、あらためて純粋な金属をやる冶金というものをやってみますと、今まで工業的には達成し得なかった純粋な金属の製造ができるようになってきた。そしていろいろな金属工学の方の新しい問題が解けるようになってきたというお話がございますが、原子力とは直接関係のないような面にも、原子力技術というものを開拓していく上での副産物というものが現われてくるわけであります。そういう副産物というものは、みずからがそういう基礎的な仕事をやらずにいましたならば、全然会わずに済んでしまうというわけであります。ただ私たち最終の形が、電気エネルギーという形で、私たちの家庭の電気の中の何割かが原子力エネルギーでまかなわれておるのだということだけを知るにとどまります。そういう形でなくて、原子力技術というものをみずから経験していく、それを一つ一つかみ砕いていくということによって、原子力に関する利益というものを満喫しなければ、私たち日本国民としては承知できない、そういう立場にあるのではないかと思います。  そういう意味合いから申しまして、私は現在日本の手をつけるべき最大の肝心な点というものは、外国からウラニウムを入れるとか入れないというような問題ではございませんで、ある場合にはそういうものを入れてもよろしいと思いますけれども、肝心な点というものはそこにあるのではなくして、日本におけるそういう意味での自主的な原子力研究の将来を築き上げていくという、まさにそこに問題があるのだと思います。つまりそういう肝心な面から比べますれば、濃縮ウラニウムの受け入れ問題といったようなものは、二の次三の次の問題にしかすぎない。それが現在では、特に新聞紙上におきましては話が転倒しておりまして、その方が最大重要な課題になっており、日本国内における原子力技術の確立といったようなものが二の次、三の次であるかのように取り扱われておる。これが私にとって非常に大きな心配なのであります。どうか皆様の御努力によりまして、日本原子力技術というものが確立されますように、特に最も根本的な、たとえばウラニウム資源といったようなものからも、ウラニウム資源国内における探査といったようなことからも、根本的な努力というものを注いでいただいて、ほんとうに日本のためになる日本原子力という形に持っていっていただきたいと思っておるわけでございます。
  4. 牧野良三

    牧野委員長 それでは委員から御質疑を申し上げたいと存じます。お願いいたします。岡良一君。
  5. 岡良一

    岡委員 昨日は藤岡先生から、きょうは伏見先生から原子力の問題についていろいろうんちくを傾けられての御意見をいただいておるのでありますが、先生も先般ヨーロッパ諸国、またインド等をお回りになりまして、それぞれの国における原子力の現在の研究の進み方については、親しく見聞をしてこられたお方でありますので、いささかそういう大局的な立場から、なお具体的問題についての先生の御所見を伺いたいと思うのであります。  最初にぶしつけなことをお尋ねいたしますが、新聞等で伝えられるところによると、今度の原子力に関する御調査ヨーロッパへ御出張のときに、先生は英国の方はお入りになれなかったというようなことをちょっと聞いておるのでありますが、そういうことはあったでございましょうか。
  6. 伏見康治

    伏見公述人 言葉を濁すようでございますが、イギリスに入らなかったのでもあり、入れなかったのでもあり、その両方、中間のところであろうと私は考えております。と申しますのは、私は客観的な事実だけを申し上げますと、東京のイギリスの出先のところには一ぺんヴィザ申請をいたしました。しかしそのときは、私以外の調査団方々も一緒にみなヴィザ申請されたのでありますが、それはいわば保留になって、私たちが出発するまでは出なかったわけであります。次に私たちはパリにおいて再びヴィザ申請をするということになったわけでございますが、その際私は申請をいたしませんでした。従ってある意味におきましては、ヴィザ申請を出したのであり、後の段階ではヴィザ申請をしておりませんので、そういう意味で、行かれなかったのと行かなかったのと、ちょうど中間の状態であろうと思っております。
  7. 岡良一

    岡委員 別に先生に何か苦しい御答弁を求めようと思うのではないのです。ただそういうことを新聞などで見まして、原子力の問題について、学術会議のまじめな良心的な皆さんが、この問題の公開性、自主性、そしてその自由ということをかねがね主張しておられる。私どもはその科学者としての高い良心にはいつも敬意を表しておるわけであります。そこでたまたまそういう意味では先生も筋金入りの方であった。その方がヨーロッパにお入りにならなかったということについて、私どもは何かその間の消息をなお率直にお聞きをしたいと思ってお尋ねをしておるのでありますが、その辺のところ、先生の御心境と申しましょうか、技術的なヴィザの手続の問題じゃなく、もう少し打ち明けたところを伺わしていただければと思いますが、お差しつかえのない範囲をお伺いいたします。
  8. 伏見康治

    伏見公述人 ただいまの大へん御親切な御質問に対しまして、お答え申し上げます。私は、日本国内にはただいまのところいわゆる軍備というものはございませんので、本質的な意味での秘密というものはなかろうと考えております。従って日本国内におきましては、いろいろないわゆる学術会議原子力に関する三原則の劈頭に掲げてございます原子力に関する情報の公開性といったようなことを、どこまでも貫けるものと考えているわけでございます。しかしながらアメリカイギリス原子力研究というものは、あくまでも兵器研究でございますので、それには必ず秘密がまつわっているわけでございます。私たちアメリカイギリスのいろいろな原子力に関する研究の情報を得ようといたします場合に、日本の秘密といったようなことをきらいます私たち学者の側から申しまして一番問題になるのは、そういうアメリカイギリスの秘密のつきまとっている情報というものを、どう始末したらいいかということであったと思うのであります。私たちは、すでに公開された、いわゆるディ・クラシファイされたそういうデータというものは、喜んでアメリカイギリスからちょうだいしようと思うのでありますが、しかしクラシファイされている、秘密に属しているものを無理に開いていただこうというようなことをしてはいけないと考えているわけでございます。それをいたしますれば、日本の平和なるべき原子力研究というものが、兵器研究というものとまぎれ込み、入り乱れてしまうおそれがあるからであります。私自身もできればいろいろな場所に行って大いによその国の知識も得たいわけでございますけれども、しかしその場合に、無理じいをしてそういうことをするということは、その国の兵器研究というものと結び合ってしまうということを警戒しなければならぬ点がございます。私がアメリカイギリスに参りませんでしたのは、ある意味においては、そういうことをしいてすることによって、むしろ私のおそれておりました兵器研究との結び合せというものが濃くなるという点を避けようと思ったからでございます。今後の原子力というものをやっていきます上におきましては、先進諸国の知識というものを受け入れなければやっていけないことは、これはどうしても承認しなければなりませんが、その際あくまでも、そういう意味兵器的なものとのつながりということを必ず排除しながらやっていくということを、念頭に置かなければならぬと思っております。
  9. 岡良一

    岡委員 先生の先ほどの御公述の中で、現在ではやはり原子力研究または応用というものは、平和利用兵器への利用というものが不可分な関係にある、こういうふうなお話がありましたので、そういたしますれば当然進んだ国の進んだ技術なり理論というものに親しく接触しようと思った場合にはやはりこの兵器利用の面にも触れていかなければならないというようなことに事実上なるのじゃないでしょうか。
  10. 伏見康治

    伏見公述人 そういう機会にたびたび出会わなければならぬということは、十分予想されるわけであります。そこのけじめを一々の場合にどういうふうにやっていくかということが大事な問題でありまして、そういうおそれがあるからといって全然原子力に手を触れてはいけないという態度は建設的ではないと私は考えておるわけであります。つまりその限度というものを一一の場合についてはっきりときめていくべきである。ある一部の議論をなさる方は、そういう限度というものを全然設ける必要はないのだというふうにお考えになり、あるいはそういう限度というものを非常に強くお考えになって、何も手をつけてはいけないというふうにお考えになる方があるわけでございますが、私はそういう立場をとりませんで、一々の場合について、ここまではいい、これから先はいけないというふうに十分に吟味しながら進んでいくべきであると考えているわけです。
  11. 岡良一

    岡委員 お気持はわかりましたが、そこで先生ヨーロッパを御見聞になって、原子力の利用面について各国では、たとえば民間がおもに力こぶを入れ、資金なり技術なりすべてを民間の手で運用しておる、あるいは国の統制力が非常に強い、そのいずれの方が多いのでしょうか、そういう点について承わってみたいと思います。
  12. 伏見康治

    伏見公述人 お答えいたします。これは国によって多少差がございまして、原子力エネルギー源として使うということを将来の目標に置きまして、そうして国として何か仕事をしようとしておるのが大部分でございます。民間と申しましても、民間が将来のエネルギー源としての原子力研究を始めようとしている場合にも、現在のスタートの姿は国として動いているわけでございまして、つまり国家的な一つ研究体制というものを作ろうとしておるわけでございます。その指導権が民間側にあるのか、あるいは国というのもおかしいが、国民全体のそういう動き方——どっちでも同じようなものでしょうが、いわゆるお役所的な面から来ているのか、あるいは民間産業的な面から来ているのかということは、これは国によってそれぞれ違いがございまして、ことに小国的な場合には民間産業的なものの方が力が強いように思われるわけですけれども、しかしいずれもでき上っている形態は国家の仕事としてやっているわけでございます。たとえば原子力委員会という名前はどこでも使っておりまして、その実体も同じように思われますけれども、実はみんなそれぞれの原子力委員会がそれぞれ国々の特有の制度を持っておりまして、一がいに申せませんけれども、しかしとにかく何らかの意味において国の事業としてやっておられるように思われたわけでございます。
  13. 岡良一

    岡委員 さらにきのうもお話藤岡先生から出ておったようですが、イタリアとかトルコ等にアメリカの濃縮ウランを供与することになったけれども、これに対するそれぞれの当事国間の双務協定にはあまり大したものはないじゃないか、こういうような意見が出ておった。しかし最小限度でもやはり協力の条件として、その機関なり性質なり範囲なりというようなものは、これは当然日本とすれば受け身としてやはり向うの意思を受けなければならないと思うのです。それから秘密保全の保証は当然やはりあると私は思う。そのほか他国にこれを譲渡しない保証とか、特にはまた必要なる面については、それらのデータの自由なる交換もやはり妨げられるのじゃないかということも考えられるわけですが、そういうようなことがあり得るかどうかという先生のお見通し、またそういうことがあり得るとすれば、やはり学術会議でかねて御決定の日本の全科学者の良心的な決意と思うのですが、自由、公開、そして自主、この限界というものはここでもくずれてしまうということに相なり、しかも国家間の双務協定でありますから、国家のいわば権力的な強制によって、学問の自由、自主、公開性がくずれる、こういう危険が私には多分に考えられるわけです。こういう点は先生方諸国をお回りになっての事例について、また日本におけるいろいろな現実について率直にどうお考えになりますか。
  14. 伏見康治

    伏見公述人 ヨーロッパのいろいろな国々が、やはり歴史的にいろいろな違った状態にございまして、ただいまお尋ねの御観点から申し上げましてもいろいろさまざまでございます。  たとえばベルギーという国を見ますというと、この国は御承知のようにアフリカの植民地コンゴー地方に大へん大きなウラニウム鉱山を持っておりますので、そういう意味で、特に原子力ということでいつも思い浮べられる国でございますが、この国は戦争中ドイツに占領されておりましたような、そうして政府が国外に逃げ出しておるような状況におきまして、このベルギー領コンゴーのウラニウムアメリカイギリスに売るという何か秘密条約をつくっておるわけでございます。で、そういうベルギーという国家といたしましては非常に不利な状況においてつくられましたその条約といったようなものが、その後改訂はされておりますでしょうけれども、その悪い条件というものがいまだに根を引いておりまして、今日でもイギリスアメリカにベルギー領のコンゴーのウラニウムが非常にたくさん行っておりまして、現にアメリカの使っておりますウラニウムのほとんど七〇%というものがベルギー領コンゴーから補給されて行っているというお話でございます。しかもそのベルギーの国民というものが、ベルギーが幾らでアメリカウラニウムを売っているのか、どういう値段で売っているのかということを知らされていないというような、非常に秘密の雲に閉ざされた協定のもとに仕事をさせられているわけであります。あのベルギーの国内にもたくさんの原子力物理学者原子核物理学者がおるにもかかわらず、ごく最近まで原子核研究、あるいは原子力研究というものが行われなかったわけですが、ことし中に大きな原子炉をつくるということになって、今盛んに研究されている最中でございます。せっかく自国の植民地にその莫大なウラニウム資源を持っておられながら、しかもその国の科学者原子力という問題に今まで十分手をつけることができなかったというようなことも、その占領中の不利な状況における外国のいろいろな制約といったようなものが物を言っているのではなかろうかと私には考えられます。  ところが一方、全く別な立場で、御自分の国の研究を全く自主的にやっておられる国もございます。たとえばスエーデンといったような国は、御自分の国の中にはさしたるウラニウムの豊富な鉱石を持っておられないのでありますが、しかしオイル・シエールというような油を含みました岩石の中に、ごくわずかずつ含まれているウラニウムを処理して、それを何とか自国内で非常に苦労をしながら、ウラニウム資源を開発しようと努力をされている国がございます。そしてその方の原子炉は昨年の夏動き出しているわけでございます。  こういうふうに、ウラニウム資源を持っておりましても、あるいはむしろ持たない方が適当な国でありましても、その国の置かれました国際的な環境の違いによりまして、その国の原子力研究というものの性格がまるで変ってきているわけでございます。日本資源的には、原子力研究に関してはいろいろな弱点を持っておると思いますが、しかし私たち国民が自主的にこれをやっていくつもりであるかそうでないかというその心がけ——心がけでどうなるものとも考えませんけれども、少くとも心がけにおいて自主的なものでなければ、このベルギー的な思わしくない状況にいく。もし心がけがよければスエーデン的な望ましい方向にいくのではないかと考えております。  ところで現在言われております濃縮ウラニウムの受け入れの際に要求されているいろいろな条項というものについてのいろいろな御質問でございましたが、そういういろいろな条項というものが実際に一体どういう具体的な形をとるかということは、これは実際に当ってみなければ今日においてはあらかじめどうということを申し上げられない性格のものでございます。実際非常に工合の悪い場合には、私たち学術会議の三原則と実際ととても相いれることのできないような線が出てくるかもしれません。それからまた、場合によりましてはそういう三原則の精神とさして矛盾をしないような線で協定が結ばれるかもしれません。どっちになるかということは、結局私たちか自主的にこういうところまでは譲れる、こういうところは譲れないというはっきりした私たち考え自身を打ち出していくところにあるのだろうと思います。その外交的なときの私たちの物の考え方の強さ、それがしっかりしているかいないか、そこに問題があるのであって、そのときに、いただくのでありますからどういう条件でものみますといったようなこじき根情を出しましたならば、私たちはひどい目にあうということだけを申し上げておきたいと思います。
  15. 岡良一

    岡委員 先生のお気持はよくわかるのです。ただ、アイゼンハワー大統領がせんだって原子力の共同利用、濃縮ウランの百キロ提供というふうなことをはっきり申し出された。そうするとまたこれに呼応したようにモロトフさんの方からも、やはり東欧諸国に対する原子力平和利用に対する申し出があり、現在の段階では東西両陣営の、いわゆるコールド・ウォーの焦点が原子力平和利用という名において行われているのじゃないかということを私どもは危惧しておるわけであります。そこでお尋ねをいたしますが濃縮ウランをかりに受け入れた場合に、これはきわめて小規模な実験炉ということに相なろうと思いますが、これがいよいよ実用面にまで十分発展し得るという、実用的な段階になるのには、大体どれくらいの時間的な経過が各国の事例からもかかるものなのでしょうか。それからもう一つは、そのような段階になったときには、やはりそれは主たる産物として常に兵器に利用し得るプルトニウムその他が生産され得るというようなものなのでありましょうか。その点をお聞かせを願いたいと思います。
  16. 伏見康治

    伏見公述人 あとの方からお答え申し上げますと、原子炉のいろいろの形にもよりますけれども、普通考えられる原子炉でございますれば、それを運転するときに出て参りますいろいろな副産物の中には、そのまま原子兵器に使えるものもございます。実際技術的に申しまして、原子力というものと原子兵器との問の技術的な意味での区別はございませんので、ごく先の方では多少の違いはございますけれども、根本的な点におきましてはその間に差はないのでございまして、一方で役に立つものは他方でも役に立つとお考え下さるべきであると思います。実際もっと爆発的でない方のものにいたしましても、たとえばノーチラス原子力潜水艦というものを動かすのであるか、あるいは何か商船を動かすのであるか、これは技術的には全く同じことであろうと私は考えます。そういうふうに商船を駆動するという場合にも、目的は兵器である場合もありますし、平和的な貿易の道具である場合もありますでしょうし、つまり技術そのものの中には別に戦争も平和もないということ、一般的なことにしすぎているかもしれませんけれども、原子力の場合もそうであると私は思います。  次に最初の方の御質問、すなわち原子力発電といったようなものがどのくらいのあとになったならば実用化するかという点でございますが、ただいままでのところ、いろいろな国々でいわれております原子力発電は、いわば見せもの的な意味を持っているか、あるいは原子兵器産業というものの裏側として考えられている原子発電であるかのどちらかであると私は考えております。たとえば、イギリスが昨年の初めから始めましたもの、あるいはアメリカがピッツバーグの近くに昨年の九月にくわ入れ式を行いました、そういう何万キロワットと申します原子力発電所は、いずれもいわばこういうことが技術的にできるぞということを世界にデモンストレートするための、いわば原子力発電所でございまして、そういうものは普通の意味で実用品ではないと私は考えます。それはちょどテレビジョンならテレビジョンが一台二十万円も三十万円もする時代のことに該当いたしまして、別にテレビジョンの道具が商売にならなかったという当時に相当すると思うのであります。では商売になるような原子力発電が一体いつごろになってできるかと申しますと、それについてはもちろん見通しに困難な要素がたくさんございますので、非常にばく然としたことしか申し上げられないのでありますが、まず非常に早くて十年の後、大体のところが十五年から二十年くらい先というのが普通の見通しではなかろうかと考えております。日本原子力発電そのものに関する研究をやるとかやらないとかいうことは一応無関係に、世界の趨勢としてそうであるということを申し上げたわけでございます。日本でやる場合にそれに追いつけるかどうかということは、つまり日本の政策としてどれだけ原子力お金をつぎ込むか、そのつぎ込み方によって非常に制約されるわけでございまして、非常にたくさんの自由なお金が使えるものといたしますならば、先進国並みの仕事を今からやっても決しておくれをとらないようにやれるとは思いますが、そのためには相当大きな経済的な負担を国民にかけることになろうと私は考えます。日本といたしましては、日本でやりながらも、なおかつ欧米の水準におくれないようにするためには、よく検討された道をとっていかなければならないと考えます。  そういう方法によってなおかつ欧米の水準に近づき得るであろうと申しますゆえんをちょっと御説明申し上げますと、たとえばアメリカイギリスという国がそうであると思います。アメリカの方はイギリスに比べましてまず一けた上、十倍の金額を原子力に対して注ぎ込んでおります。ですから十倍だけ速度が早く原子力発電所ができたはずですが、そうではなく、むしろアメリカの方が実験的な、デモンストレーション的な原子力発電所にはおくれをとっているわけです。それには別な意味が働いているわけでもございましょうが、なかんずくアメリカ研究の方針というものは非常に多目的と申しますか、非常に多種多様な原子炉の型をシラミつぶしに研究するというような研究の仕方をやっております。ところがイギリス研究の仕方は、ある特別な原子炉の型に取りつきまして、その特別な型の原子炉というものをそのまま発展させていくという方法をとっておりますので、その一つの型だけがぐんぐん進展していってアメリカの水準まで追いついているというような形になっているわけでございます。日本原子力研究をいたしますにつきましても、アメリカ式の何でもかんでもやるといったような形ができないことは明らかでありますが、日本日本なりに一つ研究の方針を確立しておきますならば、あとから出発いたしましても、実際に原子力発電が実用化される暁には、十分日本国民の要望にこたえるような技術が確立されるわけだ、こう考えているわけでございます。
  17. 岡良一

    岡委員 この間国際見本市といわば軌を一にしたようなかっこうでゼネラル・ダイナミックス社長ジョン・ホプキンスさんがお見えになって、いろいろと原子力平和利用についてアピールをしておられます。そこであの会社の実情というふうなものを仄聞すると、結局日本で実験炉を作るというときには、アメリカの政府が濃縮ウランを供給する。それに必要なる実験炉についてはいわば日本としてはほとんどプラント輸入というようなことになる。そこで一体日本の進んだ事業体がこれに対して何か参画し得る余地などというものは相当大幅にあるのか、ほとんどないのじゃないかというような心配をする向きもありますが、先生のお見通しはどうでございますか。
  18. 伏見康治

    伏見公述人 ただいまの御質問は大へん大事だと思うのです。現在——現在と申しましてももちろんことしじゅうというような意味ではございませんで、この数年の間にもしアメリカ原子力発電所を受け入れるような場合には、もちろん今おっしゃいましたような意味での可能性が非常に強いわけです。つまり日本の工業界は原子力発電に関して何も手が出せないという状態になろうと思います。実際私の見るところでは、アメリカ日本原子力のことを押し売りしたがっているゆえんのものは、まさにそういう形で押し売りしたいのでありましてい日本の中にいろいろな形でつながりをつけた上で、日本原子力発電所の可能性の大宣伝をやった上で、日本原子力発電所そのものを売り込もうとしている。従って日本といたしましては、原子力技術者といったものを本質的には養成する必要はない、たとえば外国から自動車を輸入いたしまして、日本ではそれを運転する運転手だけを養成しておけばいいというような意味で、原子炉の運転手をアメリカ原子力学校へ訓練に出しまして、それで話が済んでしまうわけでありまして、あと何もかもアメリカから輸入するという形で実際出てくるわけでございます。これはまだすぐ商売になるというわけではない。私先ほど申し上げましたが、すぐ商売になるわけではなくても、その次の段階におきましては商売になるわけでございますので、最初は少し損をしてやっていく、その次は得をするという段階であろうと私は考えるわけであります。初めから恩恵的に日本エネルギー資源をただふやしてくれるということではなかろうと思いますが、一番私のおそれますのは、そういう形で日本原子力が持ち込まれまして、日本最終産物としてのエネルギーだけを買わされて、日本自身原子力に関する何らの副産物をも得ることができないという形で日本の中に原子力が植えつけられるということは、私としても非常に残念なことだと思うのであります。
  19. 岡良一

    岡委員 そういたしますと、先生の御公述また私の問に対するお答え等を総合いたしまして、先生のお考えとしては、現在濃縮ウランを受け入れるという姿は、今日の段階では結局力による平和の確保とでもいうようなアメリカの外交政策と、アメリカのコマーシャリズムのいわば重ね合わされた日本への一種の進出以外のものではどうもなさそうだ、むしろ日本とすれば単に原子力発電というふうなこと以外にも、やはり日本の原子物理学者の建前としては、十分日本の自主的な研究において原子力平和利用への道はあり得るし、また同時に日本の自主的な研究のためにも、天然ウラン原鉱の探鉱というふうなところに重点を置くべきだ、同時にまた日本の学者としてはある一方の側の原子力平和利用の圏内に日本が入るよりも、やがては大きく国際的な利用の段階があり得るので、そういう場合自由にあらゆる諸国のデータを総合的に日本も入手し得るチャンスを目がけてこの際待機するのが正しい、こういうふうなお考えのように承わるのですが、そのように理解をしてよろしゅうございますか。
  20. 伏見康治

    伏見公述人 最初の方の御意見を私が持っているかどうかということは、私は政治家ではございませんので申し上げたくないと思うのですが、最後の少くとも八月のジュネーヴ会議で、いろいろな世界じゅうのデータがごく近いうちに入るのでございますから、その上で日本がどういうふうに具体的に事を始めるかということをきめることが、一番望ましいという点につきましては満腹の賛成でございます。  最後に私もう一つ申し上げておきたいことは、日本原子力にコマーシャルな面が入ってきていることは事実でございまして、そのコマーシャルな線で日本の商業、産業関係方々もお考え下さるように、できるだけよくそろばんをはじいていただいて、日本国民がそろばんの上で損をなさらないように御計算下さることをお願いしたいと思います。
  21. 牧野良三

    牧野委員長 齋藤憲三君。
  22. 齋藤憲三

    ○齋藤委員 私は伏見先生のお書きになりました中央公論の「原子力平和攻勢にどう対処するか」という論文を拝読いたし、さらに本日ここにおける御意見を拝聴いたしましたから、大体先生原子力平和利用に関するお考えは承知しております。私も先生のお考えの大部分に対しましては賛成であります。ただ私たちは、量子物理学者でもありませんし、また科学者でもありません。どうしてこの濃縮ウラニウムの受け入れをめぐりまして、かように激烈な論議が戦わされるのかと申しますと、将来の人類社会はいずれエネルギー源として原子力平和利用によってほんとうの平和が確立されるのではないかという点に大きな期待をかけている。この期待があるために、量子物理学者であるといなとにかかわらず、原子力平和利用に非常に大きな期待をかけているのでありまして、そこで私はこの論文にもない根本的な問題についてお伺いをしたいと思うのでございますが、簡単でよろしゅうございますからお答えを願いたいと思います。  申すまでもなく今日までのエネルギー源は、重力によるエネルギー源と化学反応によるエネルギー源とによってわれわれは生活をしておったのであります。それが一段と進歩いたしまして核の分裂によるエネルギー源というふうになりまして、ここにはかり知るべからざる大きな根本的な革命がもたらされたわけであります。さらに今日量子物理学者が新しい検討を加えている素粒子に対しての一般の進歩が進みますと、また大きな新しい核の分裂というものが発見されるかもしれない。そういたしますと無限に大きなエネルギー源というものが出て参ります。これに対して、先生は将来のいわゆるほんとうの平和というものは、この大きな核エネルギーの力によって打ち立てられるというふうに想像いたしますかどうか、この点についてお伺いいたします。
  23. 伏見康治

    伏見公述人 非常にむずかしい微妙な問題でございまして、どうお答え申し上げていいかよくわからないのでありますが、全く技術的な面だけについて、ただ一言思いつきました点を申し上げてみますと、原子力というものは、よく言われておりますように僻遠の土地に発電所を据え付けるという場合に、ほかの石炭などによる発電所というものを据え付ける場合と比べまして、非常に有利なわけでございます。従ってこの原子力発電といったことが非常に盛んになりました場合には、現在エネルギー資源から遠ざかっておりますために未開発に終っているというような土地、後進国に終っておりますような土地が、先進国と同じ技術的な水準にまで成長し得る可能性がある、そういうことは原子力発電一つの特徴でございますので、原子力発電が将来十分世界中に普及いたしました場合には、世界中の貧富の差というものは現在ほどではなくなり、従って平和がより保たれやすくなるであろうということは申し上げられます。しかしその程度のことしか私にはわかりません。
  24. 齋藤憲三

    ○齋藤委員 先ほど先生平和利用の面といわゆる兵器の面とをあげ。原子力研究においてはこれらはたての両面のごとく切り離すことができない問題であるというお説を述べられたのでありますが、これは私も当然だと思います。人類のいかなる科学の進歩の過程におきましても平和的に利用するのと戦争的に利用するのとはこれは一つのスイッチの切りかえによっていかなる場合でも可能であると考えます。それは電気でありましても飛行機でありましても同じことだと私は思います。そこで先生にお伺いいたしたいのは、これも簡潔でよろゆうございますが今日のごとく水素爆弾とかあるいは原爆が発達いたしまして、さらにそれに音速を越える爆撃機が電波の誘導によって飛ぶ、あるいはレーダーが進歩するというような場合におきましては、おそらく世界の対立する二大潮流の中心部、すなわちアメリカ首脳者あるいはソビエトの首脳者の頭が狂わない限り第三次戦争というものは起きないのではないか、もし起きるとすれば、これは人類が全部壊滅する、それでありますから、われわれは日本の百年の大計に対する政治を思いますと、戦争は起きないのだ、原爆戦争は起きないのだという世界観に立って一切の問題を割り切っていくのが正しいのではないか。こういうこを今の科学者、いわゆる原子力研究しておるところの科学者といたしましてはどういうふうにお考えなさるのが適当か、これについて失礼でございますけれども、お伺いいたしたいと思います。
  25. 伏見康治

    伏見公述人 ただいまの問題も大へんむずかしい問題でございますが、私の考えをただ簡単に申し上げますと、ただいま齋藤さんはアメリカの首脳部もしくはソビエトの首脳部の頭が狂わない限り第三次原爆戦争というものは始まらないだろうという予想を立てられたわけでございますが、その点は私も同感でございます。実際頭が狂わない限り原爆戦争というものはおそろしくて両方ともできないだろうと思うのでありますが、ただ齋藤さんの言われました頭の狂わない限りという前提が私には非常に不安心なのでございます。と申しますのは、ついせんだっての第二次世界大戦にいたしましても、ヒトラーや日本の東条の頭が狂ったせいであるとしか私には考えられないからであります。つまりそういう方々、一国の中枢の地位におありになる方の頭脳というものがいつも健康であるという保証をまず立てませんければ(笑声)今おっしゃいましたようなことを安心してわれわれ考えるわけには参らないのであります。(拍手)
  26. 齋藤憲三

    ○齋藤委員 もう一、二点お伺いたしますが、この新聞記事を見ますと、濃縮ウラニウム受け入れについてやかましい論議が戦わされておるようでありますが、これは私たちから考えますと、濃縮ウラニウムをわずか六キログラムを受ける受けないということは何も問題ではないと思います。濃縮ウラニウム二%ないし二〇%というものを六キロ受けるとか受けないとかいうことは、あんなに新聞論調をにぎわすことは少しもない。わずか片すみで片づく問題ではないかと考えております。それがどうしてああいうふうに大きく取り上げられるかというと、結局するところ濃縮ウラニウムというものの概念がはっきりしないために、何か特別な品物のように考えるからああいう大きなことになるのではないか。そうでなければ先ほどから論議されておりましたように、いわゆる大きな政治的な外交上の問題がある。そういうことで私もずいぶん調べてみたのですが、別段トルコとアメリカとの間の双務協定及びアメリカとイタリアの間の双務協定というものは何もさしたるところのものではない。それから新原子力法というものも私ずいぶん読んでみたのですが、百二十三条に規定されておる、いわゆる五十四、五十七、百四というようないろいろな条項の中にこれは全部共通したところの安全保障というような字を使っておる。二%ないし二〇%の濃縮ウラニウムというものに対しては、ただ原子力法の用語でもってああいうことを言うのであって、二%ないし二〇%の濃縮ウラニウムそのものの実体は、むしろ一つの商品であって、何もそう騒ぎ立てる必要のない品物である、私はそう考えるのであります。現に一月三十日の朝日新聞ではソ連においても中共その他五カ国に、同じ双務協定だと思うのですが、原子炉を作るべきところのウラニウムをやはり供給しておる。これは世界のポピュラライズされたところのものであります。ただその国が今まさに来たらんとするところの原子力平和利用時代にどうして早く飛び込むかという体制をお互いに整えようとしておるだけの話で、これは大したことではないと考えておりますが、先生はこれをどう考えておられますか。
  27. 伏見康治

    伏見公述人 おっしゃる通りに、濃縮ウラニウムを受け入れるか受け入れないかということは、日本原子炉を築き上げていく上におきましてはその一こまにすぎないわけでございまして、あまり本質的に重要な問題ではないわけでございます。そういうことを先ほどから実は御説明申し上げたつもりなのであります。ところが日本には現在日本で自主的に原子力をやっていくという方針がまだ確立されておりません。そのために、いわば日本原子力に関して完全な真空状態になっておるわけでございますので、その中で出て参りました濃縮ウラニウム問題というものは、きわめて重要性を持つことになるわけでございます。つまりほかに日本原子力体制というものがありまして、その中の一こまとして濃縮ウラニウムの問題が出てくるのでありますならば二の次の問題でありますけれども、現実問題としては、まだ日本原子力のゲの字も実はないような状態なのであります。従ってそこヘアメリカというバックを控えている濃縮ウラニウムというものが出てくるということは、その濃縮ウラニウムというものがいかにも力を持ってくるわけでございます。そういう意味で重要視してかからなければならなかったのだろうと思います。  そこで次に濃縮ウラニウムを受け入れる場合のいろいろな条件というものは問題にならないのじゃないかとおっしゃいましたが、実際私もそうであることを希望しております。実際そうなるかもしれないと思っております。しかしそれはあくまでも外交交渉の中で日本側がどれだけ強く出るかどうかというところにかかわってくるのではないかと考えております。現にフィリピンとアメリカとの間の何か濃縮ウラニウムの受け入れに関する協定がございまして、その協定の中にやはり条項があるのでございますが、その条項がフィリピン側で発表いたしましたものとアメリカ側で言いましたものとで多少食い違いがあるようでございます。その食い違っているところが大へん大事だと思うのでございますが、そのフィリピン側のあげました条項の一つには、フィリピンにおけるウラニウム資源を保全しなければならないということが書いてございます。つまり濃縮ウラニウムを受け入れて、濃縮ウラニウムそれ自身に関するいろいろな秘密条項を守らなければならないということは、これは常識的に考えても当然だと思うのでありますが、その濃縮ウラニウムとは直接関係のないほかの場面にまで、そういうものを受け入れるためにいろいろな制約が加えられてくるということは、近いところに何か先例があるような気がいたします。そういう思いがけないところにいろいろな制約が入ってくるというところが問題なのでありまして、そういう点を一つこれからの外交交渉の中で十分慎重にやっていただきたいと希望するわけなのでございます。
  28. 齋藤憲三

    ○齋藤委員 もちろん、今先生のおっしゃるように濃縮ウラニウムを使うところの原子炉がいいか、あるいは天然ウラニウムの増殖炉がいいかということは今後の問題であって、これは日本の自主的な研究によって解決しなければならぬ問題だと私は思うのであります。それのためにはやはり濃縮ウラニウムというものは日本の工業体制においてはなかなかつくり得ないのであるから、この際実験炉用として持ってきて、そうしてこれを研究材料にする。その際にはもちろん公開しなければならない、秘密の点は一つもないようにしなければならぬ、これは申すまでもないことだと思う。同時にこの濃縮ウラニウムと対比して天然ウラニウムをどう使用するか、一体どうして重水をつくるか、グラファイトをつくるか、あるいはジルコニウムの研究をやるかということまで、これはもちろん日本としてやっていかなければならない。われわれもそういう主張において今回の三億六千万円の予算には賛成しておるようなわけであります。それは私は日本人である限り間違いないと思う。ただどうしても日本が入手しがたいところの濃縮ウラニウムというものは、やはりこれはわれわれとしてはどうしても受ける方がいい、私はそう考えておるのでありますが、その点を一つ御了解願いたいと思います。  時間もございませんから私はこれで質問をやめますが、最後に一つ、これは学術的に先生にお伺いいたしておきたいのは、六月号の中央公論にこういうお話があるのです。「この話のついでにいうと、ウラニウム金属の結晶構造は大変複雑なもので結晶物理学的に興味がある。特に六〇〇度附近で結晶構造の変化つまり変態が起ることが、原子炉技術一つの問題点になっている。」こういうのがございますが、これは六百度辺でウラニウムの結晶体というものがどういうふうに——結晶体が変って熱が出るのですか。そうじゃないのですか。
  29. 伏見康治

    伏見公述人 大へん技術的な御質問でおそれ入りました。結晶の変態と申しますのは、普通の氷のようなものにもあるわけでありまして、温度とか圧力の状態によって結晶が一つの形から他の形に変ります。そのために金属なら金属の外形が変形をいたしましたり、あるいは密度が変ったりいたしますわけです。密度が変るという意味は、つまり体積がふくらんだり縮んだりするわけでございます。そのことのために、そういう高温で原子炉を働かせようといたします場合には、その変態点を通過いたしますときにウラニウム棒が変形いたしまして、そのためにいろいろ故障が起ってくる、そういうことでございます。
  30. 牧野良三

  31. 中曽根康弘

    ○中曽根委員 だいぶお疲れのところを恐縮でございますが、ただいま伏見先生からいろいろお話を承わりまして、伏見先生の一貫したお考えに対して私は非常に敬意を表するものであります。いろいろ御注意をいただきまして、そういう御注意もわれわれは十分尊重して、実際問題として処理しなくちゃならぬと思います。もっと将来いろいろ御注意も拝聴させていただきたいと思います。それから岡君の左側からの質問と齋藤君の右側からの質問に対する先生の御見解もいただいたのでありますが、私はちょっと先生のお考えに誤解があるのではないかと思う点があるのです。というのは、政府やあるいは政党が、この問題に対する根本的な考え国民の前に示しませんから、そのためにいろいろな不安やら恐怖があると思う。そういう点でちょっと私の考えを申し述べまして御質問したいと思うのでございます。  先ほど先生は、日本においては原子炉あるいは原子の問題について非常に真空がある、こう仰せられたのもそのためだと思うのです。しかし実は昨年私らがあの原子炉築造のための基礎調査研究費二億三千万円を提出して通過させましたのは、一つの大きな気持は、日本のこの方面に対する学術の体制を整備しなくちゃならぬ、こういうことであったのです。炉をすぐ築造できるとはむろん思わぬ。日本におきましては湯川先生やその他の先生によって核の研究は非常に発達しておる。しかし遺憾ながら応用工学の面において非常におくれておるように思う。すでに原子炉の問題、原子力平和利用の問題は、核の研究段階より、むしろ応用工学の実用工学の面に入ってきておる。この面におけるおくれを至急取り戻すことが必要である。通俗的にいえば電気研究は理論的に非常に発達しておるが、発電所の研究は全然ない。発電所を作らなければこういう電燈もつかぬ、こういうことだろうと思うのです。そういう意味でこの面における学問の系列を作って、総合的にこれを進める。たとえばグラファイト研究あるいは重水の研究あるいは自動遠隔装置の研究あるいは汚染された残滓処理の研究、こういうようないろいろな分野における実用化の点を至急取り戻さなくちゃならぬ。そのほかいろいろな材料とか熱とかの問題があります。そういう方面における学問の系列を作り、総合的研究の体制を進めるというのがわれわれの基本的態度でありまして、これは現在もそうであります。その点については先生と全く同じ考えであろうと思います。われわれはあくまでもこれを堅持いたしたいと思います。  それからもう一つは、特にこの新しい学問においては若い世代の学者がここに情熱を傾けなくてはいかぬ。ロートルの学者はもうすでに役に立たぬと思うのです。単に理論的な研究のみならず実用化の新しい部面がありますから、今の大学や研究室における助手とか副手とかいう若い人たちがこの分野に積極的に協力して参加する、なお大事なことは、優秀な学者を先にここに入れるということ。何とか曲学阿世とかいう人が入ったり、あまり学問的能力のない人が先に入るというと、ほかの人が必ず敬遠して集まらぬということもある。こういういろいろなことも考えまして、この問題を積極的に打開するには、この学問に将来性があるということを見せなくてはならぬ。将来性のないところに若い有能な人は集まりっこないのです。将来性があるということを見せるためには、政府が力を入れて保障しているという態勢を示すことが必要である。ところが日本学術会議の状態を見ておりますと、非常な膠着状態でありまして、先生や茅さんが昭和二十七年に唱道されても二年も膠着状態であり、特にわれわれが遺憾に思ったのは、そういう専門家の科学者にあらざる法学者や経済学の分野の人が、ややもすれば政治的イデオロギーからこれを阻害しているのではないかという疑問すらあったのであります。こういう膠着状態を打開するには、もはや先生方の力ではできないだろう。そこでこれを打開するのは政治の力でなくてはならぬ。一年おくれれば非常なおくれがくる。現に昨年一年の世界の発展を見れば歴然と出ていることでありまして、そのためには政治家が責任をもってこの隘路を打開しなくちゃならぬという決意で、われわれはやったのであります。従って一番基本的な学問の発達を序列をつけて奨励し激励する、それが基本である。それと同時に応用工学その他の部面において、おくれたものを至急取り返そう、そして若い学者を刺激しよう、こういう意図であったのであります。そういう意図によってこの予算が通過して、調査団も派遣になり、世間の関心も深まってきて、いよいよアメリカとの関係というものがここに出てきた。これは当然予期された関係です。しかしわれわれがここでもう一回反省しなくちゃならぬことは、原子力平和利用という問題は今や国際性を持ってきておる。それはアメリカ一国との関係にあらずして、米ソ関係があり、あるいはヨーロッパ・グループの関係があり、あるいはアジアの諸国とアメリカとの関係、あるいはイギリス、ソ連との関係があり、非常に国際的な網の中にこれが取り上げられておって、一国の問題としては処理しきれない。従って合理的な基準によって、他国との協調によってこれは打開すべき問題である。特に北欧諸国の態度というものは、非常に尊重さるべき態度であると私は思うのであります。もう一つは、この問題は国際連合を中心にして論議されておって、私らの予想では、現在の段階では、米ソ両国が、おのおの原子力平和利用の問題について、世界のチャンピオンになろう、アメリカ文明ないしはソ連文明の光沢を世界に推し広めようという、原子力における八紘一宇的精神が米ソ両方にあって、チャンピオンを競っておると思うのです。その波が日本にも押し寄せ、ポーランドやチェコにも押し寄せてきていると思う。しかしこの行く末をわれわれが理性をもってながめると、労働問題が国際労働機構で処理されているように、原子力平和利用の機関が国際連合にできて、平和が続く限りは協調の線が必ずできると思うのです。これはここ二、三年ないし五年のうちにできると思う。そういう点を考えると、終局においては富士山のすそ野は一つなんだから、吉田口から登っても、須走口から登ってもいいではないか。不当なひもがつかなければ、将来トップに至る非常に重大な障害がないならば、私は行くべきである、こういう考えを持っている。しかし、といってわれわれが考えなくちゃならぬことは、学問の富士のすそ野を広げる努力を怠ってはならぬということである。あくまで日本が自力でやるということを主体にして、外国と協調する。その補助的手段として考えるべきである。この態度でこの問題を処理すべきであると思う。今の国際的な情勢から見ると、インドにしてもアメリカと協調するとか、ソ連にしてもポーランドやチェコと協調するという態度が出てきておるのであって、この際われわれが過酷な、あるいは不当なひもがつかないという状態のもとにおいて、アメリカとの協力を拒否することは、ちょうどかつて平和条約のときに全面講和論と単独講和論が対立していたようなもので、全面講和でなければいかぬといって、もし単独講和、アメリカその他の国との講和を拒否していたならば、今日の世界と日本との関係はない。おそらく今まで占領が続いていたと思う。米ソの妥協がつかぬ間は占領が続くということになると思う。従って米ソの間が妥結しなければ、原子力においても協調しないというならば、同じような現象になると思う。そういう意味においてこの際われわれは、以上申し上げたような考えを配慮に入れて、アメリカとの間の濃縮ウラニウムの問題は積極的に打開すべきだと思う。私らのこういう考えに対して伏見先生のお考えを承はりたい。  簡単に質問申し上げますから簡単に答えていただきたいと思います。現在の状態のもとにおいて、アメリカ濃縮ウラニウムの受け入れの交渉を政府がアメリカとの間に開始すべきかどうか。その点をまず最初に承わりたいと思います。
  32. 伏見康治

    伏見公述人 ただいまの御質問にお答えいたします。中曽根さんの初めにたくさん言われましたことは、大体において私の申し上げたこととほとんど一致していると思いますので賛成いたしますが、最後の段階で言われましたことは多少承服しかねる点があるのであります。つまり原子力の問題は国際協力のことを頭に入れて考えなければ、自主的と申しましても日本だけが鎖国的に物事を考えていくというような立場でできるものでない、国際的な協調ということを絶えず考えに置いてやっていかなければならないという点は、全く同感でございます。ただしその国際的協調というものにはいろいろな手段があり得るわけでございまして、ただいま提案されている濃縮ウラニウムの受け入れというものだけが、ただ一つの道ではないわけでございます。たとえば中曽根さんは先ほど北欧のやり方は大へんけっこうであると言われましたが、北欧のやり方の中のどれをさされたか、たとえばノルウェーとオランダが共同事業場を作っている、ジョイント・エスタブリッシュメントを持っているという点をさされたのだと思いますが、そういうものを日本の場合に当てはめて考えますと、たとえば日本とインドとで、インドが資源を供給し、日本技術を供給するというような意味での連合原子力研究というようなものは十分成り立ち得るし、そういう意味での努力をしなければならないと考えるわけです。そういう意味の国際的協力というようなものは、もちろんこれから考えていかなければならないことでありまして、その中で濃縮ウラニウムというものだけが国際協力の唯一の道のように考えられるという点に、多少不満を感ずるわけでございます。その他の点につきましては全く中曽根さんのお考え方と一致しております。  それから最後の御質問そのものにずばりとお答えをしなければいけないわけですが、八月のジュネーヴ会議にいろいろな技術情報が出るというのが一つの時期であり、それからよその国、フィリピンとかトルコ、イタリアというような国々がそれぞれ協力のためのアグリーメントを何か結ぶようになっておりますが、そういうものの実態がよくわかってくる、その時期まで待つ方が賢明であろうと私は考えております。
  33. 中曽根康弘

    ○中曽根委員 八月まで待つということは、実はアメリカとの関係においては——アメリカをただ一つ関係とは考えていない。これを手初めにしてイギリスとの関係あるいはノルウェー、オランダとの関係、あるいはベルギーやインドとの関係も逐次展開して多角的にやっていきたい、そういう点では特にイギリスやノルウェー、スエーデンの態度は非常に学びたいと思っておるのです。あるいはヨーロッパ国々が共同研究をやるという態度を学びたいと思う。従ってアメリカとのみ膠着しょうという考えはないのでありますが、しかしともかくアメリカというものがまず最初に出てきた。その場合八月まで待つということは、アメリカとの関係を一応延期するということに現実的にはなります。これに伴う非常な損失がまた出てくると思う。あるいはプラスもあるし、マイナスもあるけれども、われわれの考えではマイナスの方が非常に多い。そういうマイナスの非常なリスクを冒しても延ばした方がいいというお話でありますか。
  34. 伏見康治

    伏見公述人 この一年延ばす延ばさないということは、私たち、特に実際に原子炉を作らなければならないような羽目に陥りそうな人間にとりましては、相当重要な問題なのであります。実はただいますぐ、たとえば濃縮ウラニウムをやるから原子炉を作れと言われました場合には、私たちは相当あわてます。と申しますのは、濃縮ウラニウムを中核にいたしまして作る原子炉というものにいろいろな型があることは、中曽根さんのよく御承知の通りであります。スイミング・プール、ウォーター・ボイラー、いろいろ新聞等に書いておりますが、そういうもののどれを私たちとして選んだらいいかということは、もっと学問的な見地から申しましていろいろの意味の検討を経なければきまらないことでございます。何もかも日本ができるというのでありますれば別でございますけれども、いただくにしても、どうせ一台分しかいただけないので、そう早急にいただいても、私たち技術者の方が戸惑いするという段階にありますので、むしろこの一年間じっくり技術的に何をいただいたらいいかということを考えさせる時間を持たせていただいた方が、私たちとしてはむしろ幸福でございます。ことし中に入って参りますれば、中曽根さんにこの前は原子炉予算でしりっぺたをたたかれましたが、今度は濃縮ウラニウムでしりをたたかれることになるかもしれないのですけれども、そういう形ではありたくないと思っておるわけでございます。こちらの準備体制がよく整いましてから、進めるようにしていただければけっこうだと思います。
  35. 中曽根康弘

    ○中曽根委員 私は別にしりっぺたをひっぱたくということは毛頭考えないのでありまして、日本の学問研究を刺激させて、一日も早く欧米に劣らないように水準を上げたいと思うのです。日本の学者の能力や、日本の工業能力について、これを受け入れてすぐ困るというふうに私は考えない。ほかの方の学者の意見や、あるいは政府関係のいろいろな技術者意見を聞いておりまして、そう日本の学者の能力が劣っているとは思いません。質的に落ちているとは思いません。しかし量的には非常に少いと思います。そういう点も、受け入れということに並行して打開できると私は思うのであります。その点については意見は違います。  次に承わりたいと思いますが、兵器に転用される危険がある、こう言われましたが、私はその危険はないと思うのです。なぜかといえば、今度の問題に限定して申し上げるのですけれども、とにかく受け入れる量が六キロとか何キロとか、ごく少量のものであります。そしてかりに、そのウラニウム二三八をプルトニウムに中性子を当てて転換するにしても、プルトニウムを作るについては、われわれがアメリカ原子力委員長のディーンの報告を読んでみましても、膨大なる設備と膨大なる資本が要ります。日本の国会はそんなものをとうてい承認しません。のみならず、原子力法その他を作って、われわれはそういうものをチェックする決意であります。そういう予算的な面、資源的な面、あるいは法律的な面から見て、特に予算的面や、技術的面から見て、そんなことはとうていできないことです。そう思うのでありますが、今度の濃縮ウラニウムの受け入れについて、直接そういうおそれがあるかどうか、承わりたいと思います。
  36. 伏見康治

    伏見公述人 現在の濃縮ウラニウムを受け取って、それが直ちに兵器になるというようなことは全然ございません。これは全くおっしゃる通りであります。
  37. 中曽根康弘

    ○中曽根委員 最後に承わりたいと思うのでございますが、原子力平和利用については、アメリカがおくれておって、イギリスあるいはソ連が発達しておる。これはその動力のコストの点から、どうしてもイギリスその他の国が先に進んでおると思うのですが、一体ソ連においてどの程度の進歩があるか。原子発電を開始したということを聞いてはおりますが、また各国とそういう双務協定を結び始めたようにも聞いておりますが、一体、ソ連における原子力平和利用というものが、世界のほかの水準と比べてどの程度に進んでいるか。またそれが日本と将来結びつきが行われる可能性があるかどうか、承わりたいと思います。
  38. 伏見康治

    伏見公述人 残念ながら、その方面に関しての知識は全くございませんので、お答えできません。
  39. 中曽根康弘

    ○中曽根委員 どうもありがとうございました。
  40. 牧野良三

    牧野委員長 柳田秀一君。
  41. 柳田秀一

    ○柳田委員 私はきわめて常識的なことをお尋ねいたしますが、きのう藤岡先生は、濃縮ウラン受け入れに関しては、とにもかくにも天然ウラン、重水から出発するには金がかかるということと、時間がかかる、従って一応ここで誘い水という意味において、アメリカから簡単な濃縮ウランを受け入れて、それによってまず出発しておいて、すなわち初速度V0からV1V2まで一応行っておいて、そこである程度の加速度をつけて、それから日本独自に進んでもいい、こういう御議論であったと思うのです。これも簡単に考えますと、一応しろうと受けのするような考えだろうと思いますが、そう考えてみますと、少し疑問を感じますので、先生に重ねてお尋ねしますが、なるほど時間がかかるということは、これは私は藤岡先生のおっしゃる通りだと思うのです。天然ウランあるいは重水から出発すると、日本にはまだそれだけの十分な体制が整っておらぬ。昨年の二億三千万円の原子炉予算についても、本来ならば原子炉予算を組むのではなしに、原子核研究あるいは原子炉研究予算を組んで、もう少し富士のすそ野の予算を出さなければならぬところを、富士のすそ野の予算を出さずに、初めから原子炉予算を組むところに問題があったのではないか。そういうような日本の状態においては、確かに時間がかかるだろうと思う。そこでこの時間がかかるということですが、これに対して先生にお尋ねしたいのは、その時間というものは、将来日本が本来の日本の独自の自主性によって原子力平和利用をやる。そうしてある程度の一応の目的の段階に進む。そういうときを何年先かに予想した場合に、その時間はどれほどの重要性を持っているかということをお伺いしたい。  その次には金がかかるという問題です。これも確かに金がかかりましょう。しかしながらここで考えてみますと、とにかく初速度V0からV1までいったときに、今度はアメリカ方式から日本方式に切りかえるんだ、日本は独自でやるんだということならば、そのときに天然ウラン、重水から日本独自の方式でやっていくならば、当然金がかかってくる。それは現在日本日本独自の方式で始めようと、途中から乗りかえようと、同じような金がかかるのじゃないかと思うのです。そうすると、金という問題は、濃縮ウランを一応受け入れておいても、何年か先に日本が独自の立場に切りかえようというときには、天然ウラン、重水からいくと同様な金がかかるのじゃなかろうか。そうなって参りますと、時間がどれほどわれわれに対して重要なことかということが一つ。それからV0から出発してある程度まできたときに日本方式に切りかえるというときに、完全に日本自主性が得られるものかどうか。そこまで出発したところの加速度というものは、将来にもつきまとって、日本がある意味において何らか拘束されはしないかという心配があるわけです。大体岡君の質問でわかったと思うのでありますが、その点もう少し明確にお教えを願いたいと思うわけであります。
  42. 伏見康治

    伏見公述人 時間の件につきましては、先ほども申し上げましたように、大体十五年から二十年くらい先に何か原子力発電所のようなものが、実用的な意味でできるということであろうと思います。ですからそのくらいの時間を念頭に置いて考えればいいと思うのでありますが、しかして日本で重水と天然ウランの原子炉を今日即刻始めたといたしましても、四年も五年もかかると思います。十五年先のことを考えますと、最初の五カ年計画がそれに費されるわけであります。その次の五カ年計画で、もう少し実際の原子力発電に近いようなものを作りまして、その最後の五年間に原子力発電所そのものを作るといったようなことを私たちは念頭に置いているわけであります。その際に濃縮ウラニウムがそういう計画の中に入ってくるということは、少くとも最初の五年という期間を三年くらいに短縮してくれるかもしれません。そういう意味での効能は濃縮ウラニウムの受け入れにあるわけであります。全然ないわけではありませんが、そういうタイム・ファクターを数年間は短かくしてくれるだろうという予想はできるわけであります。問題は濃縮ウラニウムが実際そういう全体としての計画性の中の一環として考えられているというのでありますならば、私も決してそう大して心配しないのでございますけれども、現在のところは心かなめの五カ年計画なり何なりというものが一向現実化していないわけであります。あるのはただ濃縮ウラニウム受け入れということが現実的な問題としてありますので、うっかりいたしますと、濃縮ウラニウムだけが受け入れられて、あと自分自身で困難な道を歩んでいくというふうなことは一切行われないで済んでしまうのではなかろうか。現に大蔵省あたりの考え方は、そういうふうに伺っております。つまり濃縮ウラニウムを現在買うということでありますれば、よく書いてございますように、数千万円のお金で話が済んでしまいます。それで済んでしまえば、大蔵省としてはなるほど頭痛がなくて大へんよいことだろうと思うのでございますが、実際原子力発電日本で仕上げていくためには、最初の五カ年間だけで申しますと、少くとも年々五億から十億くらいのお金をつぎ込んでいただかなくちゃならないことになりますので、大蔵省のような財布のひもを結んでおられる方々からは、非常に強い圧力が加わってくるということは現実の問題として考えておかなければならぬ。そういたしますと、私たち考えている本筋の方は一向発達せずに終ってしまって、濃縮ウラニウムだけの原子炉がぽこんとできるということになりかねないわけであります。そこのところを何とかしたいというのか私たちの一番心配している点であります。  第二の点は、御質問の御趣旨によりますと、最初濃縮ウラニウム原子炉を作って、それで何年か研究をして、その次に自分自身研究を開始するというような段取りのようにお考えのようでございますが、そういうふうでは非常に困ると思っておるのでございます。そうでなくして、現在濃縮ウラニウムを受け入れると同時に、即刻日本としての独自の計画というものを推進していただかなければならない。つまり濃縮ウラニウムの上に次に天然ウラニウムを積み重ねるのではございませんでして、今日同時に始めていただきたいということなんでございます。そういたしませんと、濃縮ウニウムラをいただいたということの意味が非常に弱くなって参ります。それが手助けをするということの意味が非常に弱くなって参りますので、濃縮ウラニウムを受け入れる限りにおきましては、ぜひ自国内でまかなって作っていくという方の努力を即刻始めていただきたい。そういたしませんと日本としての仕事はこの数年間はほとんどなくなります。と申しますのは、濃縮ウラニウムを極端に濃いものを、たとえばスイミング・プール型の原子炉を作るという場合には、単に水泳のプールみたいなものを作って、ただいただいてきたものを水の中につけさえすればそれで炉になってしまうわけでありますから、ほんとうにわずかなお金で済んでしまうわけでございます。その場合には日本のいろいろな会社の技術というようなものとは全然無関係仕事が行われることになります。ところかもし日本で天然ウラニウム、重水といったような仕事を始めるといたしますれば、重水のある部分はアメリカから輸入するということになりかねないですけれども、しかし少くともある部分は、日本昭和電工とか旭化成という——こういう特殊な会社の名前を申し上げてはいけないのかもしれませんが、とにかく日本にはいろいろな会社がありまして、そういう会社を利用して重水を作ることが可能なわけであります。グラファイトならグラファイトの電極会社がいろいろありまして、たくさんグラファイトを作っておるわけでありますから、そういうところに特定の用途のグラファイトを作っていただくことも可能なわけでございます。そういう段階の中で日本技術というものをそれぞれの場面で育成していくことができるわけでございますが、もしそれを怠りまして濃縮ウラニウムだけにいたしますと、日本の会社の技術というものはそういう意味で全然刺激を受けずに済んでしまいますので、非常に残念なことに私は思うのであります。
  43. 柳田秀一

    ○柳田委員 それで大体わかりました。そこで私の貧弱な知識で常識的にこういうように判断してけっこうでありますか。きのう藤岡先生お話を聞きますと、とにもかくにも富士山を登るのだ。その登り口が御殿場口も吉田口もある。一応今のところは一合目にもかかっていないのだから御殿場口から登って、二合目か三合目までとにかく行かなければならぬ。そして日本本来の自主的な立場で吉田口なら吉田口を登るときにはすぐにそこから行ける、こういうような御議論なんです。それで今お話を伺ってみましてわかって参りましたことは、なるほど御殿場口から二合目くらいに登っていく。ところが二合目に登ってすぐ吉田口の二合目まで行かずにすっと行くことは、これは全然その間のいろいろな日本の産業に及ぼす影響だとかあるいは何だとかいうことを考えておらぬ。吉田口の二合目のところに登って、二合目と二合目のところからすぐ頂上に行けるというような考えでなしに、結局吉田口の二合目からほんとうに自主的に日本が始めようとするならば、下へおりてでも、下から登らなければ、日本の国の富士山の登山はできない、こういうふうに理解してよろしゅうございますか。
  44. 伏見康治

    伏見公述人 あるいは濃縮ウラニウムというものを受けますときに、もし最後に言われましたようなことになりますと、濃縮ウラニウムを受け取るということは全然無意味になってしまうのでありますが、それほど無意味ではありません。つまり二階を作りますにはやはり一階から作っていかなければならぬのでありますが、ただ一階を作ります上に濃縮ウラニウムというものが一つのささえになるわけでありまして、全部のささえにはならないのでありますが、一つの柱にはなるわけであります。そういうふうに御理解を願いたいのであります。
  45. 牧野良三

    牧野委員長 福田昌子君。
  46. 福田昌子

    福田(昌)委員 今柳田委員から御質問のあったことは私もお伺いしたいと思ったのでありますが、今の御答弁でよくわかりました。将来日本原子力発電所を作るというような計画を進めました場合、その実現までには十五年から二十年かかって参ると思いますが、その十五年から二十年の年限というものは、この基礎的な研究日本でなされてないということによって、やはり多少の長短が出て参ると思いますけれども、その原子力発電所の運営に対する影響とその技術者の養成ということに対して、日本が基礎的な研究を持ってない場合にどういうことになるか、御見解を伺わせていただきたいと思います。
  47. 伏見康治

    伏見公述人 実は御質問の趣旨があまりよくわからなかったのでございますが、極端な将来のあり方といったようなものを想像してみますと、一つ日本で何にもいたさなかった場合を考えてみます。しかし日本エネルギー資源というものは、現在はむしろ余っておると思いますが、遠い将来において枯渇することは明らかでありますので、そういう場合に原子力発電所を作るといったようなときに、アメリカから何から何までそっくり買って参りまして、それを運転するための運転手のような者を二、三日本人を養成いたしましてそれの管理に当らせる、そうしてそれに必要ないろいろなお金アメリカの資本でまかなうといったようなことで、何もかもあなたまかせでおやりになるというような極端な形の場合には、日本で何も現在から科学者技術者原子炉のために養成しておくことは必要ないわけであります。そういう形が私たちにとっては非常に望ましくない形であると考えられますので、そうでないようにするためには、日本の中で科学技術者も育成していかなければならないと考えております。  科学技術者に関連して申し上げますと、中核的な科学技術者というものはそれほどたくさん要るものではございません。よく実体以上に原子力というものが大きな問題に考えられがちでありますが、その原因の一つは、アメリカ原子力研究のやり方が、皆様の御念頭にありますために、ついそうなってしまうのだろうと思いますが、アメリカ原子力委員会のやっておりますいろいろな研究費の出し方といったようなものは、非常に広範な出し方をしております。つまり原子力のゲの字とほとんど関係のないような、基礎の研究のまたその基礎研究というところまでお金を出しておられるようでありますので、そういったようなものまで原子力の中に包含されますと、原子力というものは非常に大きな課題になるのでありますが、もっと限定して原子力問題を考えますれば、それほど巨大な世帯は必要といたしません。まずせいぜい少くとも一つの大学くらいの研究ということでお話がおしまいになるのであって、アメリカに匹敵するような研究所が国内に十も二十もあるようなそういうことをお考えになる必要はないわけであります。そういう程度のものでございますので、科学技術者養成といったようなことは、あまり問題にならない点じゃなかろうかと思っております。私御質問の趣旨を少しはき違えておるかもしれませんが……。
  48. 福田昌子

    福田(昌)委員 少し私がお尋ねしたことと違ったわけでありますが、結局一つの商取引のような形で濃縮ウラニウムを受け入れ、それに付随してまたアメリカの援助の申し出がある、原子炉建設を引き受けて安きにつくというような、一つの商行為のような形でこの原子力の申し入れを受け入れて参れば、日本の将来の原子力発電所に対しても、日本技術者は全然養成されないことになるだろうというような意味合いもあってお尋ねしたのでございますけれども、先生の御説明はよくわかりました。結局濃縮ウラニウムを受け入れると同時に、ある程度、天然ウランと重水から出発するような原子炉研究を一緒にやらなければ、日本の基礎的な研究、また将来の技術者の養成もできないと思うのでございますが、そういうようなスタートの切り方をしなければならないという御意見になるのでしょうか。
  49. 伏見康治

    伏見公述人 おっしゃる通りでございまして、できるだけ基礎的な科学技術自分自身の手でやりながら進んでいくのが、ほんとうの道であろうと考えております。それを怠りますれば、私たちは、要するに、最終産物だけを押しつけられて、それを自分自身で作るということを怠ったための罰を受けなければならないことになるだろうと思います。私たちがいつも考えますことは、商売の上手な方は、いつでも最終産物をお売りになるのであって、原料に近いものはなかなか売って下さらないのが普通でございます。たとえば、現在濃縮ウラニウムというものの提供が申し出されておりまして、なぜ天然ウラニウムをくれてやるという方の話があまり出ていないかと申しますと、それは濃縮ウラニウムの方がより加工された物質である、天然ウラニウムというのは文字通り天然に近いものでありまして、原料に近いものであります。原料に近いものよりは、より加工されたものが、人にくれてやるのに値するものだということになるわけでございます。これが商売というものの道であろうと思うのでありますが、私たちはその商売に乗らないように、私たち自身の商売を上手にやるように心がけたいと思っておるのでございます。
  50. 福田昌子

    福田(昌)委員 私どもも大体そういうような感じがいたしておるのでございます。濃縮ウラニウムの援助もさることながら、できることなら、天然ウランとそれに付随するような原子炉建設は先に着手していただくことが望ましいと思います。そういう形のアメリカの援助の内容を私たちは主張したいと思うのでございます。そういう形になることを希望しておるわけですが、それとは別個に濃縮ウランの援助を受け入れまして、中途から安易な方向に進んで参りますと、それもやはりアメリカの条件のつき次第でございますが、原子力法の百二十三条によらないまでも、ある程度のアメリカ調査日本側の報告の義務とが必ず約束させられて参ると思うのであります。そういうことは、今後の研究に対しまして非常な障害になることになりましょうか。
  51. 伏見康治

    伏見公述人 百二十三条の中にありますいろいろな条項が、現実にどういうことになるであろうかという点は、私にも実はよくわかりません。百二十三条に書いてございますことは、相当抽象的な言葉でございまして、たとえばかくかくのことをギャランティしろという条項でございますが、ギャランティということは、具体的には一体何を意味するのであるか。たとえば貸したものをよそに売ってはならないというようなことをギャランティしなければならないということになるわけでございますか、そのギャランティするということが、たとえば立法的な手続をとって、そういうものを盗み出した者に対する特別な刑罰を課するというようなことまでしなければならないのか、単に政府が口約束で、そういうものはよそに散逸させることはいたしませんというだけでいいのか、そういうところが私にはとんとわかりません。実際それはアメリカとの交渉次第によって、一方の極端から他方の極端まで、いろいろな段階でのギャランティというものがあり縛るだろうと思っております。研究についての報告をしなければならないというのにも、実際問題としてはいろいろな段階があるわけでございます。さしあたって最低線として考えられます報告というのは、もらいました濃縮ウラニウムをどういうふうに使っているか、つまり原子炉の中でどういう出力でもって使っていて、どのくらいたてば中の濃縮ウラニウム二三五という有効成分がどれだけ減っていくかというようなことを報告するのは義務であろうと思います。これは、もらってそれを使った以上は当然しなければならない最低の報告であろうと思いますが、それだけで終るものであるか、それとも、その原子炉を使って行なっておりますいろいろな実験を一つ一つ報告しなければならないものかどうか。そういうような点は、私にはまだはっきりいたしておりません。しかし私たち日本人の腰が弱ければ、それに関していろいろな問題が重なってくるというような感じがいたしますのが、そういう交渉に当られる方々には、少くとも学術会議の三原則という線をとって、それに抵触しないような形での協約をできるだけ作り上げていただきたいと思っているわけでございます。
  52. 福田昌子

    福田(昌)委員 原子力を平和的に産業に利用します場合、そのことも何ですが、さらに進んで、副産物の利用とか技術員の養成というようなことは、当然付随して必要になって参る問題でありますが、そういう点を日本で確保するにはどういうようなやり方をやったらいいとお考えでございましょうか。
  53. 伏見康治

    伏見公述人 先ほど中曽根さんが言われましたように、科学技術者に、そういうことをやるということが将来性のある仕事だということを見せるというのが一つの方向であろうと思います。しかしそれだけでは日本の場合いかないのでありまして、つまり、そういうえさを見せるだけであっては、日本科学技術者をそういう方向に向わせるということはなかなか困難なのであります。と申しますのは、要するに、日本科学技術者というものは、日本の政治のあり方というものに対しまして、いわば非常に心配をしております。いろいろな不安心を抱いております。とにかく前の太平洋戦争の場合に大へんなひどい目にあいました世代の方々、そういう世代の方々が、現在の科学技術の実際の場面に当っておられる方がはなはだ多いのであります。私のように四十歳を越しました人間にとりましては、戦争というものも実は大したことはなかったのでありますが、そうでなくて、実際に現場で現在科学技術のいろいろの仕事をされておられます方には、戦争で実際お友だちをなくされたような方が非常にたくさんおられるわけであります。そういうわけで、日本の政治のあり方がどうなるかということが、科学技術をおやりになる上にいつでも一番心配の種になって、よく動けないというのが実情ではないかと思います。科学技術者であります限りにおきましては、むしろ、科学技術という狭い世界の中に閉じこもりまして、そこで科学技術仕事だけをやっていくというのがほんとうの楽しみであるべきでありますが、現在におきましては、そういうことが許されないというような心配が、絶えず日本の政治に対する不信というものから出てきているように思います。日本における原子力研究というものをほんとうに正しく軌道に乗せますためには、そういうところにほんとうに働ける人人を動員できますためには、日本の政治が、しっかり全国民の信用を得るようなりっぱなものになるということが第一条件だと私はふだんから考えておるわけでございます。
  54. 福田昌子

    福田(昌)委員 この濃縮ウラニウムの援助を受けます場合に、先方から、技術者ないし監督的な立場の人が、これに付随いたしまして日本についてくるのでありますか。
  55. 伏見康治

    伏見参考人 非常に直接なお話しでございましたが、そういうことは、直接現在の問題の中には入ってこないのだろうと思います。濃縮ウラニウムを現在六キロ提供するというようなお話しの中には、アメリカ科学技術者がそのままついてくるというような形はおそらくないだろうと思うのであります。しかし、この濃縮ウラニウムをもらうというだけでなくして、それを運転いたします場合、それからそれを中心にして原子炉を作るという場合に、外国の商社の手を借りるということはあり得るわけです。実際外国の、アメリカの商社と申しますと、今来ておりますゼネラル・ダイナミックスもその一つでありますが、そのほか、ノース・アメリカン・アビエーションというような会社が何十社とありまして、そういう会社がそれぞれいつでも原子炉を作ってあげますということを言っておられるのでありますから、一番安易な仕方でいたしますれば、濃縮ウラニウムに政府が借りて、それのまわりに据えるいろいろの小道具というようなものは会社が整えてくれるというようなことになりますと、これは日本技術者が要るもくそもないのでありまして、先ほど申しましたように自動車を買って運転手を養成するというようなことと同じ結果になるわけであります。そういう点については、それを作る上におきましては、アメリカの技師も入ってくると思うのでありますが、そういう形でならば考えられますけれども、この原子炉そのものを運転し、それをいろいろな研究用に使うためにアメリカの技師がしょっちゅうついていて、いろいろの指図をするというような意味では入ってこないだろうと思っております。
  56. 牧野良三

  57. 小坂善太郎

    ○小坂委員 私はおくれて参りましたので、あるいは前に質問がありましたことを伺うかもしれません。そういう場合は御遠慮なくお答え願わないでけっこうです。  最初に、濃縮ウラニウムというのは二〇%くらいから上を言うというふうに伺っておりますが、ウラニウムの提供を受けまして、これを日本でさらに濃縮するということは許されるのでしょうか。
  58. 伏見康治

    伏見公述人 おそらく現在の形では、濃縮ウラニウムとして受け入れられましたものはいろいろ加工されたものであろうと思うのです。たとえばスイミング・プールに使いますアルミニウムと濃縮ウラニウムとの合金とアルミニウムのサンドイッチのようなものがございますが、そういうものはその加工されたままで使わなければいけないのであって、それを削ったり溶かしたりすることは許されないのであろうと思います。と申しますのは、そもそも濃縮ウラニウムというのは、おそらくただ貸与されるということでありまして、あとで返さなくちゃならないわけです。そういうわけですから、それを傷つけるような意味のことはできないのであろうと思います。  それから次にもう一つ日本でさらにその濃縮度を加えることはできないかというお説でございましたが、それは現在の日本のような貧弱な国では、そもそも濃縮するということ自身が大へんお金がかかりますので、できないと言われますような状態なのでございまして、ましてその濃縮を半分濃縮したものをさらに重ねるといっても別に技術がやさしくなるわけでもございませんので、さらに濃縮度が高まるというようなことはなかろうと思うのであります。
  59. 小坂善太郎

    ○小坂委員 そういたしますと、貸与ですから原状に復旧して返すというような義務を負わないのですか。たとえば濃縮ウラニウムをいろいろの実験に供しまして、ある程度の消耗があった、その消耗の部分については金か何かで返すのでありますか。何かの形で返す方法が考えられますか。
  60. 伏見康治

    伏見公述人 そういう場合はとにかくアメリカさんと外交交渉を実際やってみなければわからない点であろうと思いますが、私の予想を申し上げますれば、つまりその消耗分だけのお金を払うことになるのであろうと思います。
  61. 小坂善太郎

    ○小坂委員 それから仁科博士が戦争末期ごろいろいろ御研究になっておられまして、今それを科研で受け継いでおられるのじゃないかと思いますが、その段階というのは——今先生お話を伺っておりますと、やはり原鉱から濃縮ウラニウムを作っていく過程と同時に並行して進むべきだというお話でございますが、そういう場合に、ある程度仁科さんのやられたことが基礎になっておって、相当程度までわが国ではやり得るという基礎的な研究ができておるのでございましょうか、それとも全然白紙といっていいような状態になっておるのでございましょうか。
  62. 伏見康治

    伏見公述人 戦争前もしくは戦争中に仁科先生を中心にして行われましたものは、やっておったとは言えない程度のことしかやっておらなかったわけでございまして、ウラニウム金属日本の鉱石の中から作るといった程度のことはわずかに行われて、それから満州あたりから何かウラニウム鉱石を持ってきたというようなうわさもございますが、とにかくある程度のウラニウムを作ったり、そのウラニウムの濃縮の実験を心がけたりしておったということは事実でございますが、要するにそれは何かしたとは、よそには申し得られない程度のことしかしておられませんでした。ですから直接原子力関係のあるような技術で、仁科さんが残されたものが今日直ちに役に立つようなものはないのでございます。しかしながら仁科先生が作られたそういう研究の雰囲気であるとかあるいはお弟子であるとか、そういうものは今日でも十分強く働いておるわけでございまして、そういうものが基礎になって今後の原子力研究というものが進められていくことは疑いないと思っております。
  63. 小坂善太郎

    ○小坂委員 先生お話でしたか、どこかでちょっと読んだ記憶があるのですが、大陸方面、たとえばイタリアあたりではモンティカティニというような会社が主になってやっておるという話がどこかに書いてあったと思うのですが、そういう場合に、経済的には相当ペイしないものだろうと思いますが、どういう組織で、先ほどお話があった、日本で特殊会社がたとえば重水を作るというような場合に、これは政府との関係はどんなふうに考えていったらいいというふうに、ごらんになってお感じになるか、御感想があればお教えを願いたいと思います。
  64. 伏見康治

    伏見公述人 民間の会社というものは、もうけがなければ仕事をしないものであろうと思いますので、ただそのもうけを非常に近視眼的な近いところに置くか、相当遠いところまで将来を考えてやるかによって計算の仕方の差というものが起ってくるだろうと思いますが、イタリアのモンティカティニというのはだいぶ大世帯の会社でございまして、それほど近視眼的なもうけを考えなくてもよろしいということであろうかと思います。それが一つ、そういう意味で相当長期の投資をされているのではないかと思います。  それからもう一つは、イタリアとか、あるいはスイスとかいうような国は、一つの会社がありますと、それが大体独占体になっておりまして、同業者があまりないというのが普通でございます。つまりそれほど国としての世帯が大きくございませんので、一つ自動車会社があれば、それで全部の自動車がまかなえてしまうというようなことであるらしいように見ております。従って同業者間の競争というものがあまりないわけでございまして、あちらで会社がうまく連合いたしまして、原子力委員会といったようなものが構成し得るのは、同業者間のコンペティションがないというところによるのだろうと思います。それでそういう形態を、日本の場合にそのまままねようといたしましても、なかなか無理な点があろうと思っております。日本でやります場合に、日本の会社がどういうふうに考えるかということは、会社の方にお聞きになっていただきたいのでございますが、私としての注文を申し上げますれは、日本には政府の中に——政府の中というのもおかしいのですが、何か、とにかく国家機関としての原子力研究所のようなものがございまして、その研究所を中心として、いろいろな研究施設あるいは生産設備といったようなものが統轄されるといったような形になることが望ましいのではなかろうかと思っておるわけでございます。
  65. 小坂善太郎

    ○小坂委員 最後に一つ伺いますが、先ほど会社の名前をおあげになりましたような場合、電解をやっておる会社が電解から重水を作るという方法は、大陸ではあまりないのじゃないかと思います。こういうことは、日本で、先生がそういうふうにおっしゃる以上は、ある程度見通しがある。それだけの技術陣は、しようによっては養成できるというお見込みがあり、あるいはまた材料的に何か恵まれておるというような点があるのでございますか。
  66. 伏見康治

    伏見公述人 電解と申しまして、電解槽を利用するという場合に二通りの利用点があるのでございますが、電解そのものの中での濃縮過程を利用していくというやり方、その過程のやり方は、たとえばモンティカティニのような場合には採用されなかったということはおっしゃる通りでございます。ノルスクヒドロの方がむしろそういう昔ながらの方法でやっているのだろうと思います。しかし電解作業の中でたくさんできました水素そのものは、そのまま利用できるわけでございます。たとえばその水素を電解会社から借りて参りまして、その中から重水素分をとりまして、あと水素を返してしまう。そのとります方法は、たとえば液体水素の分別蒸留といったようなことが考えられるわけでございます。つまりそういう電解法そのものを使いませんでも、日本の電解産業の上に乗るということはできるわけでございます。そういうものを利用するということはできるわけでございます。
  67. 牧野良三

    牧野委員長 どうも伏見教授長時間にわたりましてありがとうございました。  それでは午後二時より再開することにしまして暫時休憩いたします。    午後零時五十一分休憩      ————◇—————    午後二時三十五分開議
  68. 牧野良三

    牧野委員長 休憩前に引続き会議を開きます。  この際公述人各位にごあいさつを申し上げます。御多用中のところおいでをいただきましてまことに感謝にたえません。厚くお礼を申し上げます。何とぞ忌憚なく御意見をお述べいただきまして、予算審査に権威あらしめていただきたいと存じます。大体二、三十分程度のお話を願いたいと存じます。  それでは長野県知事林虎雄君より御意見を承わることにいたします。林虎雄君。
  69. 林虎雄

    ○林公述人 昭和三十年度予算案に関連をいたしまして、国の地方財政計画に対しまして私は意見を申し述べたいと存じます。現在地方財政がきわめて困難な状況にありますことはすでに御承知のことと存じますが、それに対しまして昭和三十年度の地方財政計画は、その地方の窮状を正しく把握しておらないというふうに考えられるほど、われわれといたしましてはきわめて不満なる計画でありますだけに、これを是正していただきまして、もって民主主義の基盤であります地方自治の育成に対しまして格段の御援助を賜わりたいと存ずる次第でございます。お手元に差し上げてあります要旨がございますが、その要旨のうしろに参考資料がついておりますので、全国知事会議の要望書とあわせて御参考に供していただければ幸いと存じます。  最初に長野県の財政の現状を申し上げますと、現在まさに崩壊の一歩手前にあると言っても過言ではないのでございまして、すでに昨年の秋、このままではいけないと存じまして、自主的に財政再建四カ年計画を立てまして、歳出を極度に切り詰めますとともに、歳入は税を初めといたしましてこれが確保に全力を尽して参った次第でございますが、なおかつ昭和二十九年度の決算におきましては繰り上げ流用が約十一億円、これに事業繰り越しあるいは支払い繰り延べ等を加えますと、実質赤字は昭和二十九年度において十七億円というふうになることが大体予想されておるのでありまして、前年度に比較いたしまして約二億円の増加の見込みでございます。このことはひとり長野県の現象だけではなくして、全国の大部分の府県並びに市等は同一の傾向をとっておるものと、こういうように思われるのであります。地方自治団体の前途はまことに憂慮にたえないというふうに考えるわけであります。  この赤字の原因につきましては、あるいは地方の責任である、あるいは国の責任であるというふうに、いわゆる赤字の責任の所在の論争がございますけれども、もちろん私どもは直接の責任は地方にありますことを否定するものではないのであります。しかし今日の地方自治体は法の上では国と別個の、完全な独立体とはなっております。しかし現在の行財政機構、なかんずく財政の面から見ますと、かつての府県制、すなわち地方長官たる知事が首長でありました当時よりもより以上に中央との関係が深くなっておりまして、それだけに財政面では中央依存の度合いが大きいのでございます。試みに本県の二十八年度の決算における歳入について申し上げてみますと、歳入約百四十六億の中でその七三形が国庫の支出金であるとかあるいは平衡交付金、県債等でありまして、二七%が県税、使用料、手数料等の自主財源にすぎないのでありまして、戦前には約五〇%が自主的財源であった当時と比較いたしまして、いかに中央への依存度が大きくなっておるかということがおわかりいただけると思うのであります。従いまして赤字の直接の責任は地方にあるといたしましても、赤字を生ぜしめたところの原因の多くは国にもあることが御理解いただけるというふうに思うのであります。  さらにこの点を立証するものといたしまして、ことしの三月自治庁が公表されました「地方財政の状況」というパンフレットにこれを見ますると、すなわち、「現在の地方団体の赤字原因を探求すれば、地方制度及び地方団体の行政運営の適否に帰すべき面もあるとともに、他面国の制度及び国の行政運営の適否に帰すべき面もないではないので、国の側においても赤字解消のための協力態勢を樹立することが肝要である。」このように述べております。そうしてさらに、二十八年度の赤字の発生の原因といたしまして、一として、人件費の負担が著しいこと。地方財政上の給与単価と地方団体の職員の実際の給与単価との間に大きな差があること。二として、国庫補助単価が実情に沿っておらないということ。国庫補助職員についてみれば、その給与単価が実際の給与と合致せず、期末手当その他の諸手当は、ほとんど考慮されていないものがあるために、地方負担が大きくなっている。三として、災害に伴う経費の負担が著しいこと、風水害、冷害等があり、それに対処する災害復旧事業について、地方団体においてやむを得ず国庫支出金の初年度分の事業費を越えて工事の繰り上げを施行したものが少くない。四として、地方団体によっては、公債費の財源負担もすくないこと、さらに五といたしまして、その他個々の地方団体に著しい財政負担を伴う特別の事情があること等を述べておるのであります。さらにまた、昭和二十九年度の地方財政の運営状況に言及いたしまして、「昭和二十九年度の地方財政はその制度面において改革が行われ、自主的財源が前年度に比して強化せられた筈であるにもかかわらず、依然として窮乏にあえいでいる。まず第一に、二十八年度に四百六十二億円という巨額の赤字を出し、それがそのまま二十九年度地方財政の重圧となっている一方、二十九年度地方財政自体においても、一般財源の増加が新規財政需要の増加に追いつかず、加えるに政府の金融引締方針による資金繰りの困難もこれに拍車をかけ、二十九年度地方財政の運営はきわめて困難なものになっている。」このように自治庁は分析をいたしておるのであります。昭和二十九年度の全国地方団体の赤字総額は、まだ出納閉鎖期の前でありますので確たる数字はつかめませんが、二十八年度の四百六十二億円を相当上まわり、大体六百億円くらいになるのではなかろうかというふうに推定されておるのであります。従いまして、このままこれを放置いたしますならば、俸給の遅配等が各地に起るのみならず、住民福祉の向上は停滞し、国家の重要施策もまた渋滞するという憂うべき事態を惹起することも予想されるのであります。されば各地方団体におきましては、かかる現状にかんがみまして、それぞれ自主的に赤字解消に対して抜本的な対策を立てておるのであります。そうして、これと真剣に取り組んでいるのが現状でございます。しかし、それにもおのずから限度があるのでございます。と申しますのは、国も認めておりますように、今日の財政制度におきましては、府県、なかんずく農村県においては、その財源の大部分を中央に依存しておる仕組みであるからでありまして、長野県の例をとりますと、前にも申し上げましたが、二十八年度において、県税収入は予算総額のわずかに一二、三%にすぎないのであります。交付金、国庫補助金等国に依存をいたしますところの程度は実に七三%を越えておるというような現状であります。すなわち、中央において立てられます地方財政計画は、これらの点を織り込んだ実情に即したものでなければならないのでありまして、これに伴う財源措置を講じていただく以外に道がないというのが実態でございます。  この意味で、国の地方財政計画については、地方は多大の関心と期待を寄せて参ったのであります。ところが、意外なことに、大蔵省におきましては、その地方財政計画なるものは、地方団体の歳出の見込みないし推計にすぎない、従ってこれに重きを置く考え方に間違っているとの見解をとっている点であります。すなわち、地方財政計画がその通り実行される保障はどこにもなく、また計画に対して責任を負うものではない、いわゆる抽象体の財政推計にすぎない、とこのように大蔵省は言っておるのであります。さらにまた、地方財政平衝交付金制度が交付税制度に変ったことによりまして、従来の不足補てん構想から、与えられた財源の範囲内で財政を運営するという方向に転換したことを強調されておるわけであります。この大蔵省の考え方は、公式論としては一応もっともな点もあると存じますが、理論よりも現実の問題としてこれを承服することはできないのであります。すなわち、まず地方財政計画が推計であるという点でありますが、この点は、見積りであっても私はよいと思うのであります。しかし、いやしくも国が地方財政計画を立てます以上、それは国家的見地から見て地方団体の理想的あるいは標準的な財政のあるべき姿であらねばならない、このように思っておるのであります。しかるに大蔵省は、地方財政計画に重きを賢く考えは間違っておると言っておるがこういう考え方こそ私は謬論であるというふうに考えたいのであります。しかもこの地方財政計画に従来から無理があったと言いますことは、交付金制度の場合におきましても、まず交付金の総額を政治的に決定されて、いわば逆算の方式でその財政計画なるものが決定されましたために、常に実情が無視されて参った傾向があるのであります。そもそもこの制度の発足は昭和二十五年からでございますが、そこまでは地方団体には赤字がなかったのであります。ややもすれば公選首長であるがゆえに、選挙民に実力以上に迎合してきたために赤字が生じたというような意見を聞く場合がございますが、昭和二十二、三、四年と、この三カ年におきましては、公選首長のときといえども赤字が出なかったという事実を私は指摘しておきたいと思うのであります。すなわち、シヤウプ勧告に基く地方税財政の改正を契機といたしまして赤字が生じ、累積して参った点が特徴であるということを強調いたしたいのでございます。しかも、シヤウプ勧告におきましては、交付税は少くとも千二百億円を必要とする。さらに、第二次勧告においては千三百億円を必要とするという勧告が行われたのでありますが、その当時、それにもかかわらず千五十億を決定をされ、それ以来無理な財政計画をしいられて参ったのが偽わらざる現状であると私は思うのであります。かかることがおもなる原因となりまして地方団体の赤字が累積して参ったのでありまして、全国知事会といたしましても、二十五年以来今日までこの是正方を強く要請して参ったのであります。このことがようやくこのごろ認識されまして、自治庁におきましても、本年度は一応百四十一億の財源不足を認めたようであります。地方団体といたしましては、この数字はまだ不満足のものであり、さきに四月十三日でありますか、決定を見ました地方財政審議会の三百六十一億が適当であるというふうに考えております。しかしそれは別といたしまして、少くとも自治庁が認めた百四十一億の財源不足に対しまして、財政計画に当然これは何らかの措置をされるものであるというふうに期待をいたしておったのであります。ところが、この百四十一億の財源不足に対しまして、そのほかに、財政計画の中にある節約八十四億を加えました二百二十五億程度が財源不足の最低のものであるというふうに私どもは考えておるわけであります。しかし、国が従来の考え方を一路いたしまして、ともかく百四十一億を率直に認められたといいますことは、一つの大きな進歩であるというふうに思い、この財源不足額が具体的に措置されて参るということを期待いたしておったのでありましたが、最近政府はこの財源不足百四十一億のバランスを合せるために、事業費、物件費の節減でつじつまを合せ、赤字を生ぜしめないような組み直しをして、国会に提出の運びとされているようであります。しかし、かかる方法で当面を糊塗するがごときことでありますならば、せっかくの財政計画なるものは単なる机上の空論に終りまして、すこぶる権威のないものとなってしまうばかりでなく、地方財政の将来はますます暗たんたらざるを得ないのであります。もっとも事業費にいたしましても、節約の余地があれば格例でございますが、公共事業にしても、県単事業にいたしましても、今日地方団体の側ではほとんど節約の余地がないばかりか、逆に繰り上げ施行を余儀なくされておるというような実情であります。もしかかる方針を強化いたしますとするならば、地方団体の歳出というものは消費的経費に偏重いたしまして、県民に対する助長行政はほとんど行うことができないというような変態的なものとならざるを得ないのであります。すでに本年度の地方財政計画を見ましても、消費的経費は前年度に比べて二百三十三億四千百万円が増加しております。逆に投資的経費は八十一億五千万円ほど減じているのでありまして、さらにこの上に事業費の七十六億円を節約するというがごときは、自治団体の機能を全く麻痺せしめるものと言うべきであると思います。  このほか、前にもちょっと申し上げましたが、財政計画中に八十四億の需要費関係の節約をしいておりますが、長野県の例等におきましても、昨年の財政再建計画におきまして、知事以下三等旅費を実施し働く公務員に対しましても、超勤手当、日宿直手当等は国の基準をはるかに下回った支給を余儀なくされまして実行しておるような今日でありまして、さらにこれ以上何を一体節約すべきであるか、私は国に対して反問いたしたいと思っております。何を節約すべきかということを具体的に教えを請いたいというほどに考えておるような次第であります。  また大蔵当局は、交付税は入るをはかって出ずるを制するのもので、交付金とは異なると言っていますが、従来の交付金そのものが出ずるをはかって入るを制するのものでなく、全く国の都合で政治的に決定された傾きがありまして、それを引き継いでの交付税制度は、実質的にはそう大きく変るものではないのでありまして、入るをはかって出ずるを制するの理想的の形態は生れるはずはないと私は思うのであります。昨年交付金が交付税に改められたのでありますが、この発足の当初に当りまして、私どもは、実情に即した財政計画が立てられて、将来の動向等も十分探究されて、それに基いて財源が決定されるべきものとひそかに期待を持っていたのでございます。幸いにして衆議院におかれては、昨年この点を憂慮されまして、財源として三税の二五%を必要とするということで、この率で一たん衆議院は通過されたのでありますが、参議院の修正で二二%となったことはまことに了解に苦しむところであります。されば、交付税制度となったのでございますから、与えられた財源の範囲で財政を運行すべきであると言われましても、これは公式論としては一応成立するといたしましても、今日の地方自治体では、すでにるる申し上げましたように、事実上不可能であります。たとえば、今日、国の施策として地方団体に一定の補助金を与えて事業を施行せしめておるものがたくさんございますが、それは一走の補助率を規定上設けておりますが、これらの単価が不足して、それのみでは実際に事業の施行ができないというようなものが数十項目ございまして、勢い県の超過負担とならざるを得ないこととなって、本県のみで、この額が最近三カ年間でおよそ四億円前後となっておるのであります。これはお手元に差し上げております用紙の裏の方にあります別表(三)をごらん願えば、個々の数字が示してあるわけでございます。また義務教育費につきましても、半額国庫負担の法難によって施行されてはおりますが、文部省の実負担と自治庁の交付税の算定基準との相違が、これまた別表(四)に示しておりますように、その差額の三億余円は全く県の超過負担となっておるのであります。そのほか、交付税算定の単位費用が実情に沿わないための負担、あるいは各種の議員立法等によります負担で、交付税算定の基礎となっておらないものが相当ありまして、これがまた赤字の原因となっているのであります。これも別表(四)に示してございます。  各府県とも、累積いたします赤字を解消しようといたしまして、それぞれ計画を立てて鋭意努力をしておりますが、前に申し述べましたように、国の十分なる理解と積極的な協力を待たない限り、自力ではとうていその目的は達し得られない現情であります。すなわち、国の財政的協力を得ることはもちろんでありますが、地方団体で経費節約、機構簡素化等の意図をもって機構改革をしようといたしましたところが、各省のセクショナリズムの結果、これをはばんだ例さえもあるのであります。ともかく、今回は、国におきましても、地方財政再建促進の法案等が考慮されておるようでありまして、累積した赤字を一応整理し、地方自治体の本旨をそこなわないようなよき法律の制定を私どもは期待をいたしておるのでございますが、しかしながら伝えられております原案におきましては、赤字たな上げ資金も、その大半は公募債というきわめて不安定の財源が考慮されているにすぎず、またその法案の内容においては、私どもは全く納得がいかないとともに、さらにこの法の適用を受けることによりまして、地方団体の自主性というものは無視されまして、いわゆる国家管理、官僚統制が行われるのではないかと深く憂慮しておるような次第であります。かくのごときことでありますならば、せっかく芽ばえました民主主義は逆コースをたどることとなりまして、ゆゆしい問題であると存じますので、国会におかれましては、この点十分に御検討下さいまして、その是正を強く要請いたしたいと存ずる次第であります。  赤字処理につきましては、すべて国に依存しようというような都合のいい考え方は持っておらないのであります。地方自治体はみずから直接の責任者といたしまして、財政再建につきましては、あらゆる努力を傾倒して御期待に沿いたい決意は持っておりますが、前にるる申し上げましたように、その原因が国にもあることに十分に御理解をいただきまして、地方団体が誠意と努力をもってすれば必ず再建ができるだけの最低の措置だけは、制度の面においてもあるいは財源の面においても確立していただきますように、格段の御協力、御援助を賜わりますようお願いを申し上げたいと存ずるのであります。  以上申し上げまして、昭和三十年度予算案中の地方財政計画に対しましての私の陳述を終りたいと存じます。よろしくお願いを申し上げます。
  70. 牧野良三

    牧野委員長 ありがとうございました。  ただいまの公述に対しまして質疑がございます。お願いをいたします。小平忠君。
  71. 小平忠

    ○小平(忠)委員 林さんからきわめて適切なるごりっぱな御意見を拝聴いたしたわけでありますがこの機会に二、三点お伺いいたしたいと思うのであります。  第一点は、国が支出いたしておりまする交付金、あるいは補助金の支出期日が非常におくれるために、地方公共団体が実施いたしておりまする事業に非常に支障を来たし、これが地方公共団体の赤字をふやす大きな原因となるというようなことをよく耳にするのでありますが、この点についてはいかがでございますか。
  72. 林虎雄

    ○林公述人 交付金その他の国の支出がおくれるという点もございますが、そういう点は最近は大分改善されて参ったようでございます。地方財政が非常に困っておりますので、国もできるだけ早く支出して下さるようになっておりますが、もっと問題は根本的なところにあるような気がいたしまして、お尋ねの点は最近好転をしておるようでございます。
  73. 小平忠

    ○小平(忠)委員 好転をいたしつつあるということはきわめてけっこうだと思うわけでありますが、さらに、中には補助金をやめて、交付税交付金を増加してほしいというような意見も聞くのでありますが、この点は地方財政をあずかる知事さんとして、どのようにお考えでございましょうか。
  74. 林虎雄

    ○林公述人 交付税の点と補助金の関連でございますが、これはそれぞれ本質的に性格的に違う点もあろうと思います。私どもは少くとも地方財政計画に基きますところの財源措置は、交付税で確保するようにだけは最低限度していただかなければいけないという考えを持っております。  補助金等につきましても、先ほど御説明申し上げましたように、各種の国の仕事がございますが、その補助率が少いのでございまして、とうてい実際には沿わないという点が多いのであります。従ってその結果として地方の継ぎ足しが基準財政需要額を上回っておる、これが一番問題でありまして、これが赤字の原因として現在現われておるわけであります。ただお尋ねのように補助金を減らして交付税をふやせという点は、性格もそれぞれあろうと思いますので、別個に考えていただいて、少くとも交付税は必要最少限度は地方財政計画の中で織り込んでいただきたい、このように思っております。
  75. 小平忠

    ○小平(忠)委員 次にお伺いいたしたいのは、地方財政の大きな負担となっておりまする教育費の点でございますが、ただいまの陳述の中にもございましたように、義務教育費は半額国庫負担の法律によりまして半額ということになっております。しかし長野県の実情等におきまして、交付税算定基準との相違によって三億円もの超過負担となっておるというような点を御指摘されたようでありますが、これは全国の都道府県を通じまして、教育費というものは地方の負担が占める割合も多いし、きわめて重要な問題であろうと思うのでありますが、この点について国の負担する割合はこの半額でいいのか、あるいはさらに何らか別途な方法によって、この相当多額の負担を占める教育費について、地方の財政をあずかる立場において、お考えがありましたらお聞かせいただきたいと思います。
  76. 林虎雄

    ○林公述人 教育費の地方負担が非常に多いということは、大体共通の現象であろうと存じます。ただどういうふうにしたらいいかということを端的に申し上げますと、半額国庫負担でございますから、これは実支出は文部省で当然出しております。その半額分に相当いたします地方負担は、文部省の実負担と同じような金額を財政基準の基準として算定してもらえばいいわけです。それが御承知のように交付金の当時においても、また交付税の現在におきましても、政治的にきまるといいますか、交付金の当時は一般的に千三百億なら千三百億円ときまれば、それを逆算して参るのでありますから、実態に沿わないような結果が出てくる。交付税の場合においては三税の何パーセントということではっきりとしてくるわけであります。ですから事実に即するように、交付税なりの算定に当りましてこれを計算に入れて交付してもらえばこれでけっこうだと思いますが、そこまでいかないのが現状でございます。
  77. 小平忠

    ○小平(忠)委員 よくわかりました。同時に、自治庁の地方財政の今日の現状を打破する熱意について、自治庁が積極性を欠くだけでなく、権限もまた非常にたよりがないというような声を聞くのであります。この現在の自治庁のあり方、あるいは都道府県あるいは市町村の自治庁に対する大きな要求が非常にいれられないとかいう不満があるのでありますが、これに対してどのようにお考えでございましょうか。
  78. 林虎雄

    ○林公述人 自治庁は熱意に欠けておるということはないと思います。一生懸命でやってはくれておるようでありますが、遺憾ながら先ほどもちょっと申し上げましたように、三十年度は百四十一億の財源不足があるということをはっきりとはじき出したわけであります。従ってこれは大蔵省なり政府当局が認めていただいて、財源措置をしていただけばこれで解決するわけでございます。それがいつの間にか隠されて、そして財政計画の中にそれぞれ挿入されてしまう、内容を調べてみますと、事業費の節減、物件費の節減ということでバランスを合わされてしまっている。だからせっかく自治庁で熱意を持って百四十一億というものを認めてはいただいたのでありますが、結局はもとのもくあみにになったような形で力が弱いということを、われわれ地方団体としては一番自治庁をたよりにしておるだけに遺憾に思っておる次第であります。
  79. 小平忠

    ○小平(忠)委員 最後にもう一点だけお伺いいたしておきたいと思うわけでありますが、三十年度の予算に農業委員会予算が半額に減らされた、これは説明によりますと、交付税交付金によりましてこれをまかなうから支障はないんだという説明でありますが、地方自治の建前からいって、このようなひもつきで、実際に地方公共団体がこの交付金の中からそのような考え方のもとに実際に農業委員会の運営ができるかどうか、特に地方自治法という法律に縛られておる今日におきまして、この問題についてはどのようにお考えでございましょうか。
  80. 林虎雄

    ○林公述人 別表の(三)の県費超過負担状況の六番目に農業委員会費というのがございますが、これがいつも旅費の関係であるとか、あるいは手当の関係というのは、国の補助率をはるかに上回って、地方は超過負担をいたしておるわけであります。従って国の方でも、そういう費用を何とかカバーしようという意味で、ひもつきというような形にする考えがあるようでありますが、私、実はまだ具体的に聞いておりませんので、はっきりとお答えをいたしかねますが、とにかく国の施策に伴う地方負担が常に超過をしがちでありまして、非常に苦しんでおります。ですから、お答えになるかどうか知りませんか、農業委員会に対しましても、もっと予算を国の方で流してもらうことを私は期待をいたしておるわけであります。
  81. 小平忠

    ○小平(忠)委員 たいへんけっこうな御意見を承りました。今の農業委員会のひもつき支出ということは、私は至難じゃなかろうかと思う。ただいまのあなたの御意見によりましても、ただでさえも非常に支出が超過する、こういう現状から見て、これはいずれ後刻楠見さんからの御意見も拝聴したいと思いますが、そういう見地に立って、非常に問題があろうかと思います。——たいへんありがとうごさいました。
  82. 牧野良三

    牧野委員長 林さん、どうもありがとうございました。  次に、農業関係につきまして、全国農業会議所事務局長をしておられます楠見義男君より御意見をお聞かせ願いたいと存じます。楠見義男君。
  83. 楠見義男

    ○楠見公述人 全国農業会議所の楠見でございます。昭和三十年度予算案における農林関係予算につきまして意見を申し上げて、皆様方の御参考に供しますとともに、善処方をお願いいたしたいと存ずるのでございます。  まず結論的なことを冒頭に申し上げますと、ただいま御審議をいただいております農林予算につきましては、全国の農民及び農業団体は、あげてひとしく非常に不満を感じ、また遺憾の意を表しております。その理由は、もちろん従来といえども、毎年度の予算につきましては、部分的に多少の意見のあったことは事実でございますが、しかし大局的に申しまして、農業施策の根本的な方向につきましては、それほど大きな不満はなく、またときにかりにあったといたしましても、それはたまたま占領行政中のやむを得ざる特殊事例に属したものが多かったのでございます。しかし今回の予算案においてわれわれが端的に感じますことは、従来の農業政策に百八十度の転換が行われんとするやに看取せられ、事実それが具体的に数字の上にも現われておるということでございます。  従来の農業政策と申しますのは、国内食糧自給度の向上という、わが国経済自立の根幹に通ずる基本的な方向をさすのでございますが、このことは歴代内閣がいずれも強く打ち出した政策でございまして、今申し上げましたように、ときに消長はございましたが、いずれもその方向に向って努力をしてこられたところでございます。この内閣におかれましても、もちろんその方針についてはしばしば言明をせられており、従ってこの基本方針に変革が加えられようというようなことは、農業関係者はもちろんのこと、一般的に申して、真にわが国の経済自立をこいねがう立場の者にとりましては、夢にも考えておらなかったところでございますが、最近世界的な農業事情の好転等のこともあってだろうと思いますが、国内食糧自給の調整を外米とか、あるいは外麦等のいわゆる外国食糧に依存せんとするやの声が政府部内からもちらほら聞えるようになり、かねて私どもは少からず憂慮しておったのでございます。しかしこのような心配は、あくまで杞憂に終ることを念願いたしておったのでございますが、昭和三十年度予算案におきまして現実に政府の態度が表明せらるるに及びまして、われわれはこの内閣の性格に、前申し上げましたように農業政策の大転換を見せつけられたような気がいたすわけでございます。  本年一月十八日の閣議決定によりまする昭和三十年度予算編成大綱によりますと、これはすでに御案内のように、すみやかにわが国経済の自立発展を期し、その実現をはかるために、拡大均衡を目標とする長期かつ総合的な経済計画を樹立するものとし、昭和三十年度予算の編成に際しては、この計画に沿い、わが国の経済基盤の強化充実をはかるというふうに述べておられまして、その内容としての農林漁業の振興と食糧対策の刷新という項におきましては、総合的な食糧自給態勢の強化を目途として食糧増産を確保し云々、もって食糧輸入の負担軽減に努めるということを言っておられます。  ところが今回の昭和三十年度予算を見ますと、輸入米麦の数量は前年度よりは逆に十万トン余り増加いたしております。米だけで見ましても、二十万トンに近い増加の計画でございます。このことと照らし合せまして、国内食糧増産のための経費、すなわち食糧増産対策事業費を見ますと、前年に比べまして、農林省所管において約九億五千万円減少いたしましております。この経費は、御承知のように主として土地改良、灌漑排水、開墾干拓等の費用でありまして、そのほか食糧増産のためには、これらのいわゆる公共事業費とあわせまして、たとえば種子対策、耕土培養、健苗育成、植物防疫等のいわゆる耕種改善に関する経費がございますが、その経費も同様に、前年に比較いたしまして実質的に五億円余り減少いたしております。  かつて二、三年前かと思いますが、御承知のように食糧増産五カ年計画というものが政府部内において策定せられたことがございます。この食糧増産五カ年計画は、年々人口が増加していく、一方農地が、たとえば工場敷地であるとか、住宅地等に転換せられたり、あるいはまた耕地自身が老朽化することによりましての生産減等の事情で、毎年二百数十万石以上の食糧自給量の穴があくので、この生産減を埋めまするとともに、人口増に伴う需要の増加をまかなうために必要な数量を増産し、さらにそれ以上増産いたしまして、年々増加の傾向にある外国食糧の輸入量を逆に年々縮小せしめて、経済自立の達成をはかろうとする計画であったのでありますが、この内閣がお立てになりました経済六カ年計画では、それよりはだいぶん後退いたしておりまして、せめて輸入する食糧の数量を現在以上に増加させないために、最小限度必要な増産をはかろうとする案でございますが、今度の予算案で参りますと、それすらも達成できず、予算委員会等でも御質疑があったようでございますが、せいぜい米麦百万石程度の増産しか確保できないことになり、はなはだしい後退だと考えるのであります。これは前年度に比べましても、約二十万石程度の生産減でございまして、前に申し述べました、一方で需要がふえていく、供給が減っていく、このような趨勢と思い合せましても、まことに残念なことだと考えるのでございます。昨年の昭和二十九年度予算は、昭和二十八年産予算一兆二百七十億を九千九百九十八億に圧縮したいわゆるデフレ予算であったのでありますが、しかしこの場合におきましても、なおかつ食糧増産対策に関する経費につきましては、いろいろと御苦心をせられ、少くとも経済自立達成への道についての御努力の現われは、あちらこちらにあったと思うのでございます。今回の予算において、政府は経費の減少をもちまして、事業の重点的施行と効率化をあげておられるのでございますが、現実の増産効果は今申し上げました通りでございまして、まことに残念に存ずるのでございますが、なおこの点は、予算案御審議の過程におかれましても、特に前年度との比較を十二分に御検討願いたいと存ずるのでございます。そして拡大均衡のための地固めの年というならば、本年はせめて輸入食糧を従来以上に増加せしめないというようなくらいの方策は、ぜひ考えていただきたいと存ずるのでございます。昭和三十年度予算案に対して、農業関係者がいだいておりまする不満の根本的な、かつ具体的な事事の第一に掲げるものは右の点でございます。  食糧増産関係予算に関連いたしまして、去る四月四日全国農業会議所外八中央団体は、昭和三十年度農業政策及び予算に関する声明を発したのでございます。時間の節約上その内容をここに繰り返しますことを省略いたしますために、その声明文を、委員会の御了承をいただきましてお手元に配付していただいたのでございますが、この声明につきましては、とくとごらん置きいただきたいと存ずるのでございます。要は、われわれはわが国経済自立を衷心から熱望いたしておりますがゆえに、このような主張声明を強くいたしておるのでございまして、むしろこのような要望は、農業外から起ってしかるべきものと考えておるようなわけでございます。従来このような主張に対しましては、いわゆる農本主義的なものとして取り扱われる傾向にあったことは、まことに遺憾でございます。  このことに関して、御参考までに申し上げておきたいことがございます。それは世界銀行の農業調査団の報告でございます。御承知のように、日本政府は世界銀行に対しまして、日本農業の現況と実態を十分に知ってもらうとともに、政府の増産計画について検討を依頼し、あわせて世界銀行の融資対象に適する事業の判定を願い、それにつけ加えて、でき得れば昭和三十年度予算編成に間に合うよう、特に付言いたしまして調査勧告を依頼いたしたのでございますが、その世界銀行調査団は昨年参りまして、その調査報告書が本年の一月七日、世界銀行のガーナー副総裁からワシントン駐在のわが井口大使を通じて、日本政府に出されておることは御承知の通りでございます。それによりますと、日本は現在の食糧不足の悪化を防ぐためにも、この十年間に一五%以上の増産をはからなければならない。現在の不足のみならず、将来の不足分を補うための方法として、さらに輸出の増大をはかることにあまり腐心することは無理である。というのは、現在の国際収支バランスのギャップを埋めるのに当然必要であるところの輸出の増大をはからなければならないし、また国内生産できない原材料の輸入を増大しなければならないからである。日本では、工業生産に比し、食糧の生産にはほとんど原料の輸入を必要としたい。従って食糧増産は、日本の国際収支バランスの改善のために最良の策であることが一見して明瞭である。すなわち、現在日本の正常な輸出入収支は、輸入を補うのにも年々五億ドル余の不足を告げてある。人口が増加するので食糧以外の原材料の輸入も増加してくる。これから十年後には、おそらく一億五千万ドルの増加となるであろう。日本は年々増加する食糧輸入代金支払いのため必要な金額を輸出の増加に待とうとすることは荒唐無稽なことである。   〔委員長退席、中曽根委員長代理着席〕 いずれにせよ、不当に輸出を強化し、他国の輸出競争を激化し、やがては一方的に課せられるであろう貿易制限の波に日本をゆだねる結果となろう。従って日本では、食糧増産をはかることが一番正しい道を進み、かつ経済自立達成のため日本の推進すべき絶対に必要な方策と思われる。報告書の概要は大体以上の通りでございます。これは、日本の農本主義者の意見書ではなくて、政府が辞を低くして招聘いたしました、しかも最も経済的採算に敏感なアメリカ銀行の報告であることに御注意いただきまするとともに、日本政府があえて荒唐無稽の愚を行わんとしておることに、われわれはまことに残念に思う次第でございます。  食糧増産関係費の削減によりまする影響は、今申し上げましたように、国内食糧自給度向上政策の後退として、経済自立の基本に触れる大きな問題でありまするほかに、農家経済の上から申しても看過できない問題がございます。御承知のように、農家経済は終戦後一時好転いたしましたが、昭和二十三年、四年のいわゆる税金攻勢を契機といたしまして、次いでドッジ政策以来の低米価政策、さらには最近のデフレ政策のしわ寄せ等により漸次悪化しつつあることは、御承知の通りであります。従ってせっかくの農地改革の成果も、漸次その維持に困難を感じつつある実情でございます。従って農家経済も、一方において全国的に階層分化の傾向を強めつつありまするとともに、個々の農家収支を見ましても、最近農業外収入、いわゆる農外収入に依存する部分が、逐年多くなりつつあるのでございます。このことは、農林省の農家経済調査によりましても明らかであり、あるいは毎年政府の発表せられる経済白書にも指摘せられておる通りでございます。御承知のように、農家を便宜上区分いたしまして、いわゆる専業農家、第一種兼業農家及び第二種兼業農家にわけまして、第一種兼業農家は農業収入が主で、農業外収入を従といたしまして農家経済をささえておるものでございますが、いわゆる公共事業費と農業外収入との関係は、きわめて密接な関係がございます。そこで本年度予算における公共事業費の削減は、この第一種兼業農家の収入減を招来いたしまして、その経済に大きな影響があろうと思われるのでございます。  同時に、このようなことからいたしまして、現在農村側では、本年度の予算総額は九千九百九十六億円で、前年度とほとんど変らない。ただ農林予算だけが百十七億削減せられまして、それが都会の住宅政策その他の社会保障費に回されておる。もちろん住宅政策、あるいはその他社会保障費に回されることについて、それらの政策に対して反対を唱えるものではございませんが、このように農林予算の削減、予算におけるしわ寄せが農村と農家の犠牲において行われておるということに対して、非常に遺憾に思い、またかこっておるのが実情でございます。また政府は本年度をもって、いわゆる来年度以降の拡大均衡のための地固めの年であると言っておられるのでありますが、一体明年度以降どれだけ拡大せられるかは、全く不明であるというよりは、現在のようなあり方で参りましては、はなはだ不安にたえないと存じております。  予算規模全体について意見を申し上げることは、私の本日の目的外ではございますが、少くとも本年の防衛費折衝の経緯に徴しましても、はなはだ心もとなく、結局また内政費において農業関係の犠牲、しわ寄せによってつじつまが合されるのではないかと心配されるわけでございます。私はあえて防衛費について批判をいたしたり、ないし独立国としての防衛の必要性を否認するものではございませんが、政府の言われる国力に応じた防衛という、国力とは一体何をさすのか。経済自立の道が遠のき、農村が犠牲になり、しかも増加せられる自衛隊の演習地その他で農地紛争が絶えず起っておるこの実情が、果して国力に応じた自衛力の増加であり、かつ背後の国民の信頼と協力を得ることのできる真の自衛力漸増であるか、はなはだ疑いなきを得ない次第でございます。  次に、この内閣は選挙公約におきましても、地方財政の確立、負担の軽減を唱え、それにつながる農家経済の安定を唱えておられるのでございますが、農林予算の具体的数字を見ましても、その公約とはなはだしく異なっておることが少くないのでございます。たとえば災害復旧費について見ましても、この間の事情がよくわかります。一例として昭和二十八年度災害を見ましても、国会で特別立法の措置が講ぜられ、その復旧率、換言いたしますと災害復旧補助金交付割合、これはいわゆる三、五、二の比率によりまして、本年度は、昭和二十八年度災害については完成の年でございますが、本予算案によりますと六五%でございます。さらに大蔵省の災害査定率と、それぞれ所管省の査定率との間には、相当懸隔のあることは御承知の通りでございます。もちろん農民は、災害農地を一日も早く復旧して、次の生産に間に合うよう努力しておりまして、従って、事実大部分の耕地は復旧しておるのでありますが、このことは申すまでもなく、結局災害補助金を繰り上げて、地元の立てかえ負担において行われているものでございまして、そのことはとりもなおさず農家の負担においてか、あるいは農業協同組合等の資金源の固定化、災害復旧のために農業協同組合から資金を貸す。従ってその資金源の固定化という犠牲においてか、あるいはまた市町村、都道府県の負担においてか、形はいろいろあろうと思いますけれども、いずれにしても地元の犠牲において行われていることは、疑いのないところでございます。  また農林予算の削減の大きな部分を占めております、ただいまも長野県知事と小平さんとの間に問答のございました、農業委員会の経費についてもさようでございます。今申しますように、農業委員会の経費約十五億円の削減は、今回の農林予算削減の一つの大きな部分を占めているのでありますが、この農業委員会の経費は、法律上の必要機関に対する従来の国庫補助金を、本年度は前年度に比して十五億円減少し、その分を地方交付税交付金に繰り入れたと政府は言っておられるのでありますが、地方交付税法第三条の明文に徴しましても、交付金にひもつけは厳に禁じられております。そこで、現在予算に計上されております交付金でも、ただいまもお話がありましたように、なお百四十一億円の下足を告げているのが地方財政の実情だといわれているときに、前年度国庫から補助金として別に流しておりました十五億円の減少は、結局地方財政へのそれだけのしわ寄せになるか、しからずんば農業委員会の機能停止になるか、あるいは職員の首切りになるか、いずれかの道によるよりほかなく、法律を現存せしめておいてしかもこのような措置は、全く本末顛倒の悪い事例だと考えております。  以上、昭和三十年度予算案に対する大小の問題について、取りまぜて申し上げたわけでございますが、要するに結論は、冒頭に申し上げた通りでございまして、かつまた衆議院の農林水産常任委員会が、四月五日超党派的に、昭和三十年度農林予算に関しての決議せられたところと全く同様でございます。この委員会皆様方におかれましても、とくとこの点を御検討いただきたいと存ずるものでございます。  それから次に、予算ときわめて密接な関係にあります昭和三十年産米の集荷に関する問題について、意見を申し述べたいと思うのであります。昭和三十年産米の集荷方式につきましては、政府も去る五月七日の閣議において、いわゆる予約売り渡し制度を採用することに御決定になりましたが、問題は、米価を初めとして、この制度実施上のかぎとなるいろいろの具体的な条件でございます。もちろん米価がその中心となることは申すまでもないのでございますが、本予算案におきましては、いわゆる予算米価として石当り九千七百三十九円が計上せられております。この価格は想像いたしまするのに、前年度の予算額を二千五百万石で割った石当りの単価であろうと思われます。米価につきましては、御承知のように、占領軍の価格計算方式といたしまして、いわゆるパリティ計算方式が採用せられておったのでありますが、この方式は、もともとアメリカの現在行われておりまする農産物価格支持政策に準拠したものでありまして、アメリカの経済事情及び産業構造のもとにおきましては、ある程度の妥当性があるのでございますが、わが国の農業生産の実態、あるいは農業と鉱工業の生産性の上昇率の跛行性と申しましょうか、それらの関係からいたしますと、わが国に適用する場合は相当の修正を必要といたしたのでございます。しかしそれでも、インフレが進行いたしておりまする際は、相当の効果を上げたのでありますが、インフレ終息とともに、米価決定方式においても大きな改善が要求せられ、その一つの方法として、最近農業団体方面からもいわゆる限界生産費方式によることが提唱されておることは、御承知の通りでございます。このような事態にも即応いたしまして、米穀懇談会は、本年一月、予約制度採用についての答申を政府にいたしまするに当り、米価については生産費方式とパリティ方式の両者をとって、相互補正作用によってできるだけ適正な米価を決定すべきことを原則といたしまして、ただ本年は、時期的の関係もあって間に合わぬことが予想されましたので、さしあたりの方法として、昭和二十八年産米及び二十九年産米の農家手取りの実際を基準とすべきことを提案しております。これによりますと、二十八年産米は農家の手取りは一万六百七十四円でございます。もっともこの中に減収加算額五百五十五円を含んでおりますので、それを差し引きますと、一万百十九円となります。二十九年産米は、実際に最近まで供出されておりました数量、一応計算上二千二百八十二万石をとっておるのでありますが、これによって推定いたしますと、約九千八百七十九円となり、さきに申しました減収加算額を除きますと、二年の平均は九千九百九十九円、減収加算額を加えますと一万二百七十七円となります。一方農業団体といたしましては、従来主張して参りました限界生産費方式による価格として、一万二千五百円を参酌して決定せられんことを要請いたしておることは、これまた御承知の通りでございます。いずれにいたしましても、米価につきましては、米価審議会において検討せられることとなるわけであります。それによって予算に相当の影響のあることはもちろんでございますが、われわれとしては、要は適正に決定せられんことを希望しておるわけでございます。この場合に問題になることは、二重価格による財政負担の問題であります。消費者米価につきましては、現在の集荷方式は、現行食糧管理法の範囲内で、単に従来の割当が予約申し込みという格好になるだけでありまして、配給量において従来より相当増加せられるという見通しがない以上、現在の消費者米価を上げることは、消費者としてはとうてい納得のいかぬことであろうと思いまするし、事実政府も、消費者米価は据え置くことにしておられるようでありますから、結局財政負担の問題が当然起って参ります。現在も事実すでに三重米価による財政負担をしておられるわけでございますが、その財源にからんで、問題は今後相当深刻化するものと思われるのでありますが、この点も予算審議に当っては十分掘り下げて御検討を願いたいと存じます。  すなわち米価につきましては、まずもって第一に、従来の米価は、いわゆる政策米価として低米価がしいられておったこと、しかもそれは供出制度という強権の裏打ちによって維持されておったということ。第二に低物価政策を推進するために、米価の高騰を防止する方策として、肥料、農機具、農薬等のいわゆる農業生産資材や農家の購入生活物資の価格引き下げについて政府も御努力中であることは、よく承知いたしておりまするが、それはさほどの大きな効果を上げることは困難ではなかろうかということ。第三に、従来強権の裏打ちがあったのでありますが、これがはずされて参りますると、問題は、結局純経済的にものを見て参らなければならないのではないかということ。第四に、しかも将来のことを考えましても、今回の予約制度の訓練を経まして初めて大きな流通機構は確立し、整備せられるということ。すなわち結局現在の零細な、かつ無数の農民の販売を組織化することによって、この予約制度の訓練で、農村の販売流通機構を組織することによって、生産者、消費者、いずれにとっても価格の安定、需給の安定上大きな寄与また役立ちが行われるということ。従って将来かりに統制撤廃をこいねがう立場にある人々にとりましても、今回の予約制度はぜひ成功せしめなければならぬというようなこと等々の理由からいたしまして、米価問題は大きな関心事でございます。  なお予約制度に伴う予約奨励価格差の問題、あるいは税の減免措置等につきましても、全く同様に予約制度成否のかぎをなすものでありまするが、今申し上げましたように、予算とも不可分の関係にあるようにも考えられます。従って予約制度を成功せしめる必要があると考え立場におきましては、今後の御審議に関連いたしまして、これらの点はどうぞ十二分に御検討賜わりたいと思うわけでございます。  以上はなはだ粗略でございましたが、意見を申し上げて御参考に供します。
  84. 中曽根康弘

    ○中曽根委員長代理 ありがとうございました。質問ございますか。——小平君。
  85. 小平忠

    ○小平(忠)委員 二、三点お伺いいたしたいと思います。三十年度の国家予算の中で、特に農林関係予算について長時間忌憚のない御批判を承わったわけでありますが、特にわれわれの痛切に感じております食糧増産関係費を削減して、反面輸入食糧をふやす計画を立てている、さらに農林省全体の予算は百二十億ばかり二十九年度より減っているというようなことから、その結果三十年度に及ぼす農業政策全体についての御批判をされたわけでございますが、全く同感な点が多いのであります。特に楠見さんは農政の権威でありますし、農業団体の、特に中央機関である全国農業会議所事務局長という立場でもあり、またがって参議院におきましては、あなたは長く農林委員長を勤めておられまして、吉田内閣当時における農業政策についてもよく御承知のはずでございますが、今の全体の陣述を通じまして、三十年度の農林予算の編成をごらんになられて、吉田内閣当時における農業政策、農林予算というものと、三十年度の予算を比較して結論としてどのようにお考えになられますでしょうか。
  86. 楠見義男

    ○楠見公述人 ただいま小中さんからお話がございましたように、私は従来も時の政府の農業政策については忌憚のない批判をして参ったのでございますが、吉田内閣当時と今回の鳩山内閣との対比の問題についてお話がございました。実はこの点は先ほどの陣述の中にも多少触れておったのでありますが、とにもかくにも従来私どもも部分的には非難をしたこともございます。しかし終戦後歴代の内閣は、とにかく国内食糧自給態勢の確立をはかっていこうという努力の跡だけは——満足すべきかあるいは不十分であるかという問題はございましたが、とにかくそういう努力の跡だけは私は認められたと思います。ところが今回の予算を通じて、これも申し上げたところでございますが、外米、外麦等に多くを依存いたしまして、日本の食糧自給のかぎをそこに預けようとするようなことがちらほら言われておった、それを具体的の予算における数字の上にこれが裏打ちされて参った、この点は私は非常に大きな問題だと思いますと同時に、従来の農業政策に大転換を来たしている、こういうふうに思うのであります。   〔中曽根委員長代理退席、委員長着席〕 それに対して、いや本年は地固め予算である、来年からはふえるのだ、こう言うけれども、来年のことを考えても、それほど本年において不足を告げた分を取りもどし、さらにまた従来の政策に、軌道にもどって積極的にやれるということが予想されるかどうか、これを考えて参りますと、はなはだ心もとない、こういうふうに考えるのであります。従って結論としては従来の内閣と今度の内閣における相違は、不十分であっても協力しようという方向と、それが大きに転換を見せようとしている点、ここに大きな相違点を私どもは見出しているようなわけでございます。
  87. 小平忠

    ○小平(忠)委員 最後の御意見は非常に苦しそうな御意見で、あなたの従来の性格からもっと的確な御意見を聞きたかったのでありますが、それはそれといたしまして、ただいまの公述の中で本年度の農業政策、特に予算の面に現われて参ります大きな問題として、三十年産米穀の予約売り渡し制度の問題に触れておられるのでありますが、この問題については、過般この委員会において私が河野農林大臣、あるいは大蔵大臣にも質問いたしました際にこの制度は農業団体の中央機関である全国農業会議所を初めとして、集荷の引き受け団体になってもらう全販連、あるいは都道府県の経済連あるいは全国農業協同組合中央会あるいは農林中金等等が、その幹部が双手を上げて賛成してくれている案である、こういうふうに指摘されて、私はまあ率直に具体的に大臣に批判を申し上げたわけでございますが、現実の姿は、ただいまもあなたがおっしゃられたように、そうではないと思うのです。七日の閣議においてきめられたあの要綱なるものは、懸案となっているところの米価あるいは予約奨励金あるいは免税措置あるいは前渡金の問題等々がことごとく伏せられているというような形でこれをしい、そういう形で予算の審議をしてくれというようなことは、無定見もはなはだしいと私は考えている。それで農林大臣がおっしゃられているように、楠見さんは基本的にこの予約売り渡し制度そのものがよろしいとお考えでございましょうか、あるいは条件が満たされればいいとお考えでございましょうか、御意見を承っておきたいと思います。
  88. 楠見義男

    ○楠見公述人 集荷政策についての基本的な方法、考え方はいろいろあろうと思います。ただ予約制度につきましては、御案内のように従来の割当制度が全く行き詰まった、従ってさしあたりの本年の集荷方式としては、これ以外にはちょっと短期間に考える道はない、こういうことで予約売り渡し制に各農業団体も賛意を表しているのでありまして、これが集荷方式として絶対に理想的なものであるというふうにはどちらもお考えにはならぬと考えております。ただ今お話の中にもございましたが、私ども農業団体としては、少くとも二月、遅くとも三月中には政府の方針もきまり、また米価を初めとしてその他いろいろな具体的条件が決定して、今ごろは集荷の趣旨宣伝のまつ最中でなければならないということをかねて言っておったわけでございます。同時に農業団体は各団体とも協力一致して、これをとにかく本年はやり上げていこう、このことがやはり将来のいろいろの集荷方式を考えていく場合においても、一つのとっかかりの方策になるのではないか、こういうふうに考えておったわけであります。ところが今お話がございましたように、いまだに米価その他の具体的条件がきまらないということで、私ども非常に迷惑いたしております。それよりももっと大事なことは今回の制度が統制撤廃の前提としてやるのだ、こういうことがちらほら言われていること、このことに非常に迷惑を感じております。というのはそういうようなことがちらほらいたしておりますと、結局本年の予約制度はうまくいかないのではないか、そこで統制撤廃を一日も早くやりたいという立場から、ことさらにそういうことをねらっておられるのであるならば別でありますが、そうでなければそういうようなことでなしに、本年は、また将来のことを考えても、予約制度をどうしても確立していくのだという気構えを政府も示していただきたいし、また個々の具体的条件についても、一日も早くこれを決定していただきたい。国会側におかれましてもぜひこれを推進し、鞭撻していただきたいというのが、農業団体の一致の意見でございます。
  89. 小平忠

    ○小平(忠)委員 それに関連いたしまして、きわめて重要なことでありますが、過般の全国都道府県の経済連合会長会議、農協中央会会長会議等におきまして、米価その他の諸条件についてのわれわれの要求を政府がいれてくれないという場合には、集荷業者としての立場からこれを引き受けるわけにはいかないという決議をなされたように聞くのでありますが、そういう都道府県の末端の責任者の意思がそうであった場合に、全国農業会議所事務局長というような立場、特に農業団体の全体の意思を代表するような立場にあられるあなたのお考えは、そういう意見が決議された場合にそれを尊重しておやりになるか、またそういうことの決議が事実でありますか。あるいはそれに対して具体的に、たとえば米価にいたしましてもその他の奨励、免税措置等も、具体的な農業団体の意思は政府に伝えてあるわけでありますが、そういうものが通らぬ場合には、引き受けられないという決議はどのようにお考えでございましょうか。
  90. 楠見義男

    ○楠見公述人 集荷団体の農協を中心にいたしました団体において、具体的条件がそろわなければ協力することについて非常に困難を感ずる、こういう趣旨の決議がありましたことは、今お述べになりましたように事実でございます。私どもは、この意味は農業団体の強い希望の現われである、希望を強く表明し、そうしてまた政府は農業団体あるいは農民のそういう強い希望をぜひ考慮に入れて善処していただけるもの、そういう考え方のもとにそういった強い要請文句を使ったものと考えております。ただ心配いたしますことは、一部の人々からその強い要請が逆用されまして、そんなことならもう統制撤廃した方がいいのじゃないかというような悪用せられること、また現にそういうような動きがちらほらあるようでございます。そういうことを実は非常に警戒し、おそれておるのでありまして、あくまで私どもは農業団体の強い要請として政府に伝え、また政府がその強い要請を文字によって判断をし、善処をしていただける、こういうことを農業団体としては考えておる、こういうふうに了解をいたしております。
  91. 牧野良三

    牧野委員長 時間がありませんから、なるべく簡単に……。
  92. 小平忠

    ○小平(忠)委員 もう一点だけ。たいへん遠慮をなさっておるような御意見のように聞くのですが、それは仕方ないと思います。時間の都合もありますから、最後に一点お伺いいたしまして私の質問を終りたいと思います。  先ほどの公述の中で述べられましたように、非常に末端の市町村において具体的な困った問題としては、先ほども私は長野県の林知事にもお伺いしたのでありますが、農業委員会の経費が結局半分も減らされておる、これは地方交付金というものの性格からいいまして、ひもつき交付はできないことになっているというようなことから、率直にいって農業委員会の機能を停止するか、あるいは市町村の財政の負担を過重ならしめるかという二つの結果になることは明らかだと思うのであります。特に農業会議所という立場から、中央の総合的な立場において、かりにこの予算が原案のまま通ったとしたならば、一体農業会議所としてこれをどうされるか。現に集荷制度の問題も、ただいまのあなたの御意見だというと、決議は決議であって、特に政府に強く要請しておるのである、従来のように食管法の強制的な集荷措置、割当措置というものと違いまして、これは農民の自主的な事前売り渡し申込制によるところのものであり、またその責任も政府あるいは地方公共団体という公的な機関から、自主的な農業団体に移されておるというふうに、これは考え方、組織、形態が非常に変っておるわけであります。そういう場合に先般の全国農業会議所会長会議の意思というものは非常に強いものであろう、こう考えるのであります。そういった面から市町村の農業委員会の性格というものは、予算を半分も削られる、あるいは昨年農業委員会法の一部改正をして、せっかく態勢を確立したその翌年に予算を半分に削られてしまうという問題に対して、それはきわめて重大な問題であろうと思うのであります。もし政府原案のままこれが通過したといたします場合に、これをどのように処置されるお考えでございましょうか。
  93. 楠見義男

    ○楠見公述人 ただいま小平さんからお話がございましたようにきわめて重大な問題でありまして、仮定として原案通りに通過した場合のお話がございましたが、私どもとしてはぜひその点は国会の皆様方に御修正をお願いしたい、こういうことを強く希望しておるようなわけであります。しかし仮定の問題としてのお尋ねでございますが、その場合にはおっしゃるように非常に大きな影響が出て参ります。そこで市町村の財政も御案内の通りでございますので、結局農業委員会の機能の面において大きな支障がもたらされようと思います。従って予約制度その他につきましてもすべてそうでありますが、私どもはできるだけ苦しい中をがまんしても協力いたしたいと考え、またその機能発揮に遺憾なきを期したいと考えておりますが、そういう面からおのずから機能の発揮あるいは協力の面において大きな支障がくる、こういうことを考えておりまして、この点については、責めは政府にあるとかいろいろなことを申しますけれども、しかしほんとうに困ったことだ、従ってそういうことのないように、ぜひ国会において御修正を賜わりたいということを強く念願しておるような次第でございます。
  94. 小平忠

    ○小平(忠)委員 終りました。
  95. 牧野良三

    牧野委員長 楠見さんありがとうございました。時間がたいへん遅れまして申しわけありません。  次に早稻田大学教授一文正雄君より御意見をお聞きすることといたしたいと存じます。
  96. 一又正雄

    ○一又公述人 最近国際法の問題が非常に陸続として起って参りまして、この国会でもいろいろ御論議があるようでございますが、国際法は御承知の通り国内法とは非常に違ったニュアンスを持っておりまして、非常に端的に簡単に結論を出すということが非常に困難なわけでございます。最近の領土問題にしましても、沖繩の問題にしましても、いろいろあるわけでございますが、今日は予算委員会の議事録を拝見いたしまして、こういう問題を説明しろというふうなことと推臆いたしまして、今日は中共の承認問題、それから時間がございましたら条約の問題、これらを御説明申し上げたいと思うのでございます。もちろん今日の私のお話は、国際法学者としまして純法律理論の立場からお話申し上げることを、あらかじめ御了承願いたいと存じます。  そこで最近中共の政府を承認するという問題があるようでございますが、事実上の承認ということで若干議論が明確を欠くように、専門家からは見受けられるのでございます。この事実上の承認と申しますのは、十九世紀の終りごろから、たとえばある政府がこれが正統政府であるというふうに主張した場合に、その政府の将来の地位とかあるいは領土とかいうものがまだ不確定な場合に、一方その政府と交渉をする必要があるという、そういう現実の必要に迫られまして、何らかの形でその政府を承認しなければならないというような場合に、編み出された一つの方式でございます。これは特にアメリカイギリス、そういう方面においてこの制度が利用されております。しからばこの事実上の承認というのはどういうのかと申しますると、事実上の政府または事実上の国家としての承認という言葉の略でございまして、よく世上言われるように、承認というのが事実上であるとか法律上であるとか、そういう言葉にはつかないのでございまして、事実上の政府あるいは法律上の政府としての承認という意味なのでございます。従って事実上の承認という言葉が非常に軽んぜられるような結果になって参りました。これは要するに非公式に、そういうふうな政府とか国家とかまだ認められていないものと交際をするという実際上の非公式の交際というのと、やや混同されているようでございます。しかしながら、この事実上の承認ということもやはり法律上の行為でございまして、ただ実際上認めるというだけのものではないのであります。従ってその法律上の政府として承認するというよりも、むしろかって法律上の政府として承認した政府が、現実にある場合に行われるものでございますから、非常に慎重にこの事実上の承認というのは与えられるのでございます。そこでただいま申したような実際上の交際というのとは違うわけですと同時に、黙示的な承認というのがございます。行為によって示すという承認でございます。たとえば正式に外交使節を派遣するとか、あるいは領事の職務の認可状の発給、交付が行われるとか、そういうのは行為によって承認を行うというのでございまして、これは事実上の承認というのではなく、法律上の承認となるわけでございます。そこで事実上の承認というのは、結局政府たるの要件というものがございまするが、その中である一定の領土を効果的に、国際法の言葉でいうと実効的にというような言葉を使いまするが、そういうような支配を行なっている場合には、そういうふうな条件だけが具備されていれば、その結果を認めるという必要がある。そういうところからこの事実上の承認が行われるのでございます。従って事実上の承認を与えると、その効果といたしましては、承認をする国内裁判所においてその政府の行為の実効性というものが事実上認められる。かつ裁判管轄権の事実上の免除、そういうものが認められることになります。従ってこの法律上の効果に関する限りは、法律上の承認と全く同じ結果が出てくるわけでございます。そこでこの事実上の承認がそれならばどういうところで法律上の承認と違うかと申しますと、第一には完全な外交的交際が開始されない。また外交上の特権、免除の付与が行われないということ、第二には正式の条約が締結されないということ、第三には、ややこれが暫定的なかりの性質を持つということ、換言するならば法律上の承認を撤回するということは非常に困難なものでございまするが、そういうふうな法律上の承認の撤回に必要な理由以外の理由で、撤回し得るのでございます。従って暫定的な性質を持つということでございます。こういうわけで事実上の承認というのは、非常に現実主義の国家において採用されるやり方でございます。御承知の通りに満州国の不承認以来——特にアメリカが中心に不承認主義というものが唱えられております。スチムソン主義とかフーバー主義とかいわれておりますが、この不承認主義ということが、現実的にやや不合理であるということは、いろいろな学者が指摘しているところでございまして、たとえばブライアリーの本を持って来ておりますが、「アメリカ合衆国は、しばしば、特にフイルスン大統領の下においては、中央アメリカに力で樹立された新政府を承認することを拒絶した。しかし、新政府が不愉快なる理由のために、事実を承認することを拒むことは、不便でありがちであって、かかる政策は、長く一貫して実行することは困難であり、また、弱い国以外に向っては難かしい。このことは、アメリカ合衆国を含めてであるが、ソヴエト政府の承認を拒絶した諸国が、結局は発見したことである。」こういうふうに不承認主義というものをとることは、いろいろ政治的な理由は別といたしまして、結局これは国際法上におきましては一種の制裁というような意味も含まれまして、承認していかなる政府を相手にするかということはもちろん政策の問題であり、政治の問題でありまするが、この不承認主義ということが、やや現実的でないというところから、この事実上の承認ということがクローズ・アップしてくるわけでございます。従って将来の地位とかあるいは領土上において、いろいろな不確定なものがある場合においては、一応事実上の承認を行う、そして内乱が安定したとか解決したとか、あるいは領土上の問題が解決したとか、そういうときに法律上の承認を与えるというのが、いわゆる現在の国際法における現実的な方策とせられているわけでございます。これが承認の問題でございます。  第二に条約の問題でございますが、この条約という言葉も国際法上ではなかなかむずかしいのでございまして、たとえば憲法に述べられているような条約という以外に、国際法におきましては国際合意、意思の合致といいまして、これは条約という名前をつけられようが宣言という名前をつけられようが、要するに国家間の意思の合致あるところに国際合意というものが成立するわけでございます。従って国際法におきましては、合意の成立に上って国家間に権利、義務の発生を認めるというわけでございます。従ってこの合意には、たとえば明示的な申し込みがあって、それに対して明示的な承諾がある、あるいは明示的な申し込みに対して黙示的な承諾がある、あるいはまた合意以外に、一方的な行為で国家に拘束を生ずるようなものもあるわけでございます。また極端に申しますと口だけの宣言、口頭宣言と申しまするか、これによって国家を拘束する場合すらあるのでございます。これは一九三三年に常設国際司法裁判所の判決でありますが、ノルウェー外務大臣が東グリーランド島の地位について、デンマークの政府に対して行なった口頭の宣言が、やはりノルウェーを拘束するものであるという判決が下されたのでございました。そういうわけで、合意というもの、あるいは国家の法律行為から発生する権利義務の関係は、非常にデリケートであると同時に、非常に事実的な面もあるのでございまして、むしろ言葉というものにこだわらないで、解釈の立場から、そこには国家として約束したことがあったかどうかというようなところから割り出して判断をすることになっているのでございます。そこでいろいろ国会でも問題になりました吉田書簡というようなものもありますが、これについて、たとえば神戸の水兵事件で問題になりました国連加盟国の軍隊の裁判権に関するアメリカ大使あての吉田書簡、今度の台湾に関する書簡というように、同じ書簡の中でも内容にやや約束的なものがあるかいないか、単なる政策の表示にすぎないのかという点で、いろいろ解釈が違ってくると思うのでございます。それから共同声明、これにまた政治的にはデリケートかもしれませんが、純法律理論から申しますと、共同声明のごときは条約じゃないということが言われるようでございます。あの中を見ましても、確かに共同声明そのものから権利義務は発生しないかもわかりませんが、あの中に明らかに、交渉が妥結して合意が成立したということが書いてございまして、その合意ということがあの共同声明の中に出てくるのか、あるいは役所の間の手紙のやりとりというところに、現実に合意が存在するのか。それはまだ私も見ていませんのでわかりませんが、そういうわけで合意ということは、時と場合によっていろいろに成立するのでございます。  もう一つつけ加えたいと存じますのは、とかく政治協定というものは、その政府限りのものであるということがいわれるようでございます。この政治協定ということを例外扱いにする、すなわち政治協定の効力そのものが初めから不確定的なものであるというふうな議論も、あるにはあるのでございますが、国際法、特に条約論の方面から申しますと、これは一利一害があるのであります。すなわち政府の政治的な立場からしますと、これはその政府限りのものであるということがいわれる。しかしもしもそういうふうにその政府限りのものであって、内閣が変ったり政府が変ったら、その効力は否認できるんだということになりますと、何でもかんでも政治協定という名のもとに行われることになる。すなわち相手国は政治協定というものについては、ある程度の覚悟をしている。どういう覚悟かといいますと、ある程度不確定的だ、それこそ政治的という名前があるくらいに政治的に、ほかの形式ばって締結される方式による条約よりも不安定、不確定だということを覚悟しているわけでありますが、さればといって、そういう政治協定の不確定性ということを正面から認めていけば、ただいま申しましたように、政治協定という名のもとにいろいろ重要な問題がそこに織り込まれていく。相手国も政治協定の名のもとに何でもその政府をしてやらしてしまうというような一種の危険性が出てくると思うのであります。従って国際法の条約理論の立場からいたしまするならば、そういうふうな政治協定の例外性ということは、あまり強く打ち出し得ないのであります。たとえば政府の変更によって条約というものが、約定というものが影響をこうむるというのは、たとえば非合憲的に政府が変更するというような場合、それでも条約の相手国は、政府の変更があっても、条約の効力は変らないのだという立場をとるわけでありまして、従って合憲的に変更された政府の場合に、前政府の締結した条約を否認するというようなことは、これは認められないわけでございます。もう一つは政治協定にいたしましても、その当事者が権限を踰越した場合すなわち権限を与えられていないのにかかわらず、権限外のことを処理した場合、それはもちろん政治協定のみならず、条約一般に当てはまる議論でございますが、そういうのが無効になることは当然でございます。そういうわけで、条約と一口に申しましても、いろいろにあるわけでございます。しからば国際合意と称しますものか、一切国会の承認を得なければならないものであるかどうかということは、私の考えますところによりますれば、日本ではまだ新憲法のもとにおける憲法慣例が確立していないようでございます。外国の例を見ますと、一切の国際合憲を国会の承認を必要とするというのはないようでございまして、そこには政府のある程度のフリー・ハンドというものが認められているようでございます。結局内容の重要性いかんというところに結論を見出さねばならないと思うのでございます。もちろん重要な内容に関する限りは、憲法の手続に従わねばならないのでございますが、この政府に認められたフリー・ハンドというものが、どの程度まで大きいか少いかということは、結局その国の憲法慣例によって、おのずと定まるところだと思うのでございます。しかしとにかくある憲法学者、政治学者は、外国の例はとにかく、国際法が何といおうが、日本においては一切国際約定というものは国会の承認を得なければならないというようなことを言っている人もありますけれども、その趣旨は新憲法下における民主々義の確立という点から、そういう議論が出ていると存じまず、その意図はわかりますが、現実の政策上の立場からいうならば、ただいま申しましたような一種の外交交渉において、どのくらいの現実の合意というものが行われるかもわからないのであります。そういう一切がっさい、こまかいところまで国会の承認を得なければならないというのは、これは結局条約という言葉と国際法における国家間の合意ということとがやや混同された結果ではなかろうかと思うのであります。私はそう申しますからといって、政府の有すべきフリー・ハンドの範囲というものを拡張しろとかそういうことを申すのではないのでありまして、これはおのずからその国々によってきまるでありましょうけれども、いわゆる条約という名のゆえに、国際約定というもの、国際合意というもの、これは一切条約というものである、従って条約である限りにおいては国会の承認を得なければならぬというのは少し短兵急な議論でありまして、やはり国際慣例という点からいたしますと、こういうような格式ばった条約以外に、そういうような国際合意があるということも御存じ願いたいのであります。従って、私はこういうふうな点につきまして合理的な憲法慣例ができることを望むわけなのでございます。  以上が、一つは承認の問題、一つは国際約定の問題を御説明したわけでございますが、最後に二、三分時間をいただきまして、最近の問題について国際法の学者といたしまして、一、二感じたことを申し上げたいと存ずるのでございます。最近、御承知の通りに、非常に国際法関係の問題が陸続と起っておりまして、現にアラフラ海の真珠貝事件のごときは、へーグの国際裁判所に提起されんとしているわけでございますが、国際法学者の忌憚ない意見を言わしていただくならば、やはり国際法に一国の政策が抵触するとか、国際法上どうもうまく行かないとか、現行国際法にぶつかってからとやかく言ってもおそいのでありまして、そういう点では、非常に現在の諸国家は、自国の立場を有利にするために一種の国際法政策とでも申しましょうか、有利に国際法理論を展開していこうという努力が払われているのでございます。現にただいまの真珠貝事件のごときも大陸だなというのがございます。コンチネンタル・シェルフという議論でございますが、これはおそらく皆様方の学校時代には教科書にもなかったような問題だと思うのであります。こういうようなのがもう十年くらい前から現実に世界の国際法学会において論ぜられておりました。日本が例のアラフラ海なんかで問題が起って、ただいまはわれわれも研究しておるわけでございますが、そういうような大陸だなの問題のごときは多くの例の一つでございます。非常にそういうような問題がたくさん起っておりますし、各国家は将来の足固めのために、国際法の理論というものを非常に慎重に、先を占えて研究しておるわけでございます。そういう意味からいたしましても、わが国において最近の国際法問題の重要性にかんがみまして、われわれも研究いたしたいと思いますけれども、皆様方におかれましても、一つ大いに研究を願いたいのでございます。当初にも申しましたように、どうも国際法の議論というものは国内法ほどはっきりしないために、いろいろテクニカルな問題が、テクニカルとして処理されない。何かしらそこにはもやもやとしたものが付随してくる。もう少し技術的な面は技術的に解決し得るのではなかろうかというような点が、見受けられるのでございます。ただいまの事実上の承認にいたしましても、そういうような実際上の交際というのでなくして、国際法上いうところの、現在の国際法理論としての事実上の承認ということを、十分御存じの上において御議論されているのです。またたとえば最近の日ソの交渉の場合の戦争終結の宣言のごときも、これは私ほかで論文を書きましたけれども、やはり何かしらん、その本体を見きわめないで、これはよかろうというふうな御議論があるんではなかろうかということを心配しているのでございます。要は国際法の理論というものを、相なるべくは技術的に済まされるところは技術的に済ましたいというのが私の意見でございます。  それから最後に、この技術的な処理の一つの方法といたしまして、あるいは潜越かもわかりませんが、たとえば現在の英米その他におきましては、外務省——アメリカでは国務省でありますが、意見書というものが、国会、裁判所から、国際法の問題が起るたびに求められるわけでございます。この意見書というものが、テクニカルな意味においてこれが一つのベーシス、議論の基礎にしてもいいのではなかろうかと思うのでありますが、こういう点につきまして、やはり国会と裁判所、政府、こういう三権分立の三分野が、こういうむずかしい国際問題などには、一致協力して当っていただきたいというふうに感ぜられるのでございます。そういう点で、国際問題というものが戦後非常に多く起ってきたという実情から、現在のそういうような制度とか機構というものが、まだセッツルしていないという現状だと存じますが、そういうような点についておのおのが自己の自主性というものを失うことなく、他を強制することなく、意見を求め、また意見を出し、そういうふうにして協力してこういうような国際法の問題を処理していっていただきたい、こう考えるわけでございます。そういう点では、たとえばアメリカの裁判所のごときも、政府にレポートの提出を求め——それは決して求めなければならないというのでなくて、自発的にそれを求める。しかもこれは政府としては公正な意見を出さねばならないわけであります。そういうわけでそういうようなレポートを求める。求めた後において、これを採用するかどうかはもちろん裁判所なり国会の自由でありましょうけれども、そういうようないわゆる三権の分野の中においての協力態勢ということが認められるわけでございます。はなはだ僭越でございますけれども、日本において、そういうようなことが一つの機構となって、スムーズにこういう国際問題が処理されていくということが、国際法学者としては望ましいわけなのでございます。  まことに雑駁な議論でございましたけれども、私の公述はこれだけにいたします。
  97. 牧野良三

    牧野委員長 一又さんにはまことにありがとうございました。
  98. 今澄勇

    今澄委員 時間がありませんから、一つだけ一文教授にお聞きしておきたいのは、日本アメリカとの間に締結せられている日米安全保障条約、これは狭義の意味においても条約であります。この安全保障条約に基いてできた日米行政協定は、広義の意味における条約であると、国会において政府側から答弁をせられておるのでありますが、この広義の条約といわれておる日米行政協定の中に、一億五千五百万ドルの駐留軍に関するわが国の債務がある。これが内閣がかわりまして、この国会において一億五千五百万ドルの駐留軍への支払いをいたさなかったときは、国際法的に見てどういうふうなことに相なりますか。さらにこの行政協定に基いて今度できた日本アメリカの共同声明に盛られておるあの趣旨は、法律的には歴代の内閣を拘束するものではないか、政治的には歴代の内閣に責任があるものではないかと私どもは思いますが、国際法の教授としてあなたの忌憚のない御意見がお教え願えれば、まことに仕合せだと思って質問をいたしたわけであります。
  99. 一又正雄

    ○一又公述人 ただいまの御質問でございますが、私の先ほどの公述の中にも申し述べましたように、かかる国際約定というものは政府を拘束する、国家を拘束するというふうに考えます。それは結局政府を拘束するというのではなくて、国家を拘束することになっている現在、その国家を担う政府がその国家の権利義務を継承することになるのでありまして、私はそういう意味において、国家の権利義務として尊重しなければならないというふうに考えるのでございます。
  100. 今澄勇

    今澄委員 明らかでなかったのですが、そうすれば日米共同声明というものは国家を拘束する、日米行政協定の中に盛られた一億五千五百万ドルを、もし次の内閣が実行しなかったときは、やはりそれは国際法から見ると違反になりますか。その点が一つと、日米共同声明はやはり国家を拘束しますか。われわれ国際法はしろうとでありますので、先生の御見解をお教えいただければと思います。
  101. 一又正雄

    ○一又公述人 第一点の、もしも約束した支払いを行わなかった場合はどうであるかという御質問でありますけれども、これは私は支払いの義務があると存じます。それは要するに政府がかかる国際義務を発生せしめた。その発生せしめた義務はその政府に帰属するのではなくて、国家にそういうような義務を発生せしめるのであります。その意味において次の政府に対しても当然履行の義務が生ずると存ずるわけでございます。  第二点の共同声明の法的性格の問題でございますが、これは先ほども申しましたように、共同声明というのは、名前のように共同でステートメントを発するのもであります。ステートメントというのは、要するに政策の表示にすぎない、こう言われますけれども、私の条約理論の解釈からいたしますと、先ほど申しましたように、共同声明そのものからは出てこないかもわかりませんけれども、あの中には交渉妥結という言葉がありますし、同時に合意に達したという言葉が明らかにあるわけでございます。この合意というのは、先ほど申しましたように、言葉の上であるか文書の交換によるか、それは私は知りませんけれども、要するにその合意があったということは明らかにそこに表われておる。その限りにおいて、もしもその合意のあり場所がわからなければ、結局この共同声明そのものから合意があったということを推定せざるを得ないわけでございます。従って国際法の立場からいえば、あの共同声明それ自体が国家間の合意とはいえないかもわからないけれども、合意があったということをあそこでうたってあるという意味において法的効果がある、こう存ずるわけでございます。
  102. 田中織之進

    田中(織)委員 今の今澄君からお伺いした点に関連するのでありますが、先ほどの公述を伺っておりますと、国際間の合意を内容とする共同声明の場合ですが、その場合には、これは一種の条約に準ずるものである、こういうような御見解でありました。その場合に、いわゆる合意をした、従って共同声明を発した政府だけに責任があるのでしょうか。それとも先ほどの公述のときのお話の様子では、それはそういう合意をしたときの政府だけではなくて、あとにおそらくできるであろう政府をも、引き続いて拘束するような御意見のように伺ったのでありますが、その点を重ねて明確にしていただきたい。なぜかように申し上げますかというと、先般の防衛分担金の削減に関する両国政府の合意に基いて出した共同声明の関係から見て、これは三十年度の予算に関する問題ではなくて、三十一年度、三十二年度にも引き続いて日本側として義務づけられた問題があるわけです。その意味で当然政府の持っておる予算の編成権を本年に限らずに、明年、明後年にわたって拘束するような内容になっておりますが、明年度の予算編成のときに政府の交代があった場合に、その新らしい政府がこの共同声明に盛られておる合意による拘束を受けるかどうかということが、非常に重要な問題であります。この点を明確にしていただきたい。  それから今澄君の質問に対するお答えで法的な効力があるということでありますが、それは法律的ないわゆる権利義務の関係を持つ、拘束力を持つ、こういうふうに解していいのでしょうか、この二点について御教示を賜わりたいと思います。
  103. 一又正雄

    ○一又公述人 ただいまの初めの方の、政府に責任があるかどうかという点でございますが、ややちょっと理解しにくかったのでございますが、推測してお答え申します。私先ほど申しましたように、政府の行いました約定というものはその国家に権利義務を生ずるものである、これは国際法上の基本原則でございますが、一言先ほどの御説明にやや補足して申し上げるのは、これはもちろん相手方のある約定でございますし、政府がかわったならばこれは一応御破算になるものだ、こういうふうに向うが了解すればこれは問題ないわけでございます。果してそういうふうな了解というものがあるかいなか、あればこれはもう問題なく政府がかわった、内閣がかわったということで責任は免れるわけでございます。これは条約の解釈から当然だと思うのでありますが、そういうふうな了解なしには、当方の政府の変更にかかわらず約定というものは残る、要するに特別の了解を取りつけてない場合は、私は義務というものは継承しなければならぬ、こう思うのであります。とかく政府の変更があった場合には、条約義務が解消するというようなことが言われておりますのは、これは結局一種の政府という言葉の使い方ではないかと私は思うのであります。政府というのが、先ほど申しましたように、合憲的に変更された場合、非合憲的に変更された場合、そういう点についてややはっきりしない点があるのではなかろうかと思うのであります。  それから第二点は何でございましたか。
  104. 田中織之進

    田中(織)委員 これを結んだ政府に対する拘束力というものは、法律的なものなんでしょうか。それともただ単に政治的な道義的なものなんでしょうか。
  105. 一又正雄

    ○一又公述人 それは先ほど申しましたように法律的なものだと思っております。
  106. 田中織之進

    田中(織)委員 実はこの防衛分担金に関する共同声明の問題が、本委員会で取り上げられたときの政府側の——これは休憩をして政府側で相談をされたのですが、これは実は今年だけじゃなくて、明年度の予算編成にも関連を持つ問題でございますので、われわれから政府の方の意思を統一して答弁願ったところによりますと、これは政府が予算案を提出する権利がある。同時に国会は修正権がある。その意味で共同声明なり、あるいは条約に基いて政府が国会に提出してきた予算案に対して、国会がそれと違った決定をしても、それは条約なりあるいは共同声明に盛られておる合意に基いて出してきた政府には政治的な責任があるけれども、国会の修正権そのものは独立した権限であるから、法律的な拘束というものにまでは進展しない、こういうふうに政府側が答弁しておるのであります。その点は授教のただいまの御解明とは多少違うように感じます。それからそういう特に共同声明の場合、今度の防衛分担金の削減についての合意をやったのは鳩山内閣、かりに明年度の予算編成のときにはもう別の内閣ができた、こういうような場合には、現在のそういう合意をやった鳩山内閣としては、あとにできるであろう内閣が、鳩山内閣がアメリ側との間に結んだ約定を引き続き尊重してもらいたいということは希望するけれども、何もそれを引き続き拘束するものではない。なぜならばその拘束力というものはあくまで政治的、道義的な拘束力だ、実はこういうふうな答弁をされておる関係と、教授のただいまの御解明との間に多少の食い違った感じを受けたものですから重ねてお伺いをいたしたわけであります。それは政府側が答弁した通りなものでしょうか。今教授が言われるように、国際間の約定という形になればその政府を拘束するというのは、あくまでもその政府が代表しておる国家間の法律上の権利義務の関係を発生したものである、こういうふうな解釈を教授はなされておるようであります。私らもそういう点ではないかというふうに考えて質問をしたわけですが、教授の見解の通りだとすると、政府の答弁とは大きな開きがございますので、重ねてお伺いいたしますがいかがなものでしょうか。
  107. 一又正雄

    ○一又公述人 私は政府委員ではないのでございますけれども、詳しく議事録を拝見してないのでそういう点……(「解釈だけ」「政府のことは問題ではない」と呼ぶ者あり)私はその点で法律的という言葉の使い方じゃないか、法律家が使われないから法律的なニュアンスが出てこないんじゃないかと思うのですが、国際法の立場から考えますと、先ほど申しましたように、政府の変更によってこの義務の履行という点について何らかの履行しなくてもよいというようなことがあるならば別といたしまして、そういう了解が取りつけてない限りは、私は後の政府をも拘束する、もしもそれを変更したいときには、国際法上の条約改訂の手続きに従って改訂しなければならないんじゃないか、こう考えるわけであります。
  108. 小坂善太郎

    ○小坂委員 ただいまの教授の御見解は私も全く同感でありまして、特にその政府限りのものであるとするならば、その声明の中にその声明の趣旨が盛られていなければならぬと思う。それがなければ当然にこれは国際法上も、政治的にも、道義的にも、次の政府を拘束するものであると考えております。  そこで別の観点から伺いたいと思いますが、中共貿易をいたします場合に、外交官の待遇を与えないでも、中共の代表部というものを国内に置きます場合、中共は、御承知のように、国家がすべてを管理しておる、国営であります。国営貿易をやるものを代表部として日本国内に駐留させておる、日本国政府がこれに援助をするということになりますと、これは中共の承認ということにならぬかと思うのでありますが、それは中共の承認という言葉の意味もいろいろあると思ますが、そういう点などを段階的に御説明を賜われば非常に仕合せであります。
  109. 一又正雄

    ○一又公述人 ただいまの御質問は、要するに中共政府では貿易というのは国営である、従ってその民間代表部というもののそれは国家の職務執行だ、従ってそれを認める場合においては承認になりはしないかというお話でありますが、それは私の見解では、その民間代表部なるものの認め方によると思うのでありますが、それを民間代表部を認めたからといって、直ちに私はそういうような承認という問題は起らないと思うのであります。というのは、たとえばかりに外交官——日本の外務省では外交官に登録されている者、要するに外務官吏ですね、それを中共に派遣したからといって、直ちにそれが承認にはならない。要するにその資格の問題であって、これを十分承認できるような外交特権を与えるとか、そういうことになればおのずから問題は別でありまするけれども、民間代表部の設置を許したからといって、それがただちに承認になるとは考えられないと思います。
  110. 小坂善太郎

    ○小坂委員 その場合当然貿易をやっておりまする間には、国と国との関係がクレームその他を通じて密接になってくる、そこでどうしても外交官の待遇を持たなければこの問題は解決しないというような問題が出てきて、いわゆるなしくずし的な承認ということになるようなふうにはお考えになりませんか。
  111. 一又正雄

    ○一又公述人 それは政策の問題でありまして、国際法上そういうような場合を想像いたしましてお答えいたしますならば、結局先ほど申しましたような事実上の承認ということの範囲になるわけであります。事実上の承認というのは、先ほど申しましたように、その後外交官が来て外交使節として取扱われるというそこまでは行かないのでございますから、さりとて外交代表として来ている、現実には外交特権とは言わないけれども、それに準じた取扱いをされている、そういうときにもそれは法律上の承認にはならないわけであります。しかしながら先ほど申しましたように、ある段階までいけば事実上の承認になるということはあるかもわかりません。従ってそういうふうな場合に、次第々々にこれが事実上の承認になるということもあり得るでしょうけれども、結局それは政策の問題であるし、一つの事実の判定の問題になります。従って初めからそういうふうになるだろうということは断定いたしかねると存じます。
  112. 牧野良三

    牧野委員長 どうもありがとうございました。時間をとりまして御迷惑をかけました。  次に労働問題に関しまして日本官公庁労働組合協議会議長柴谷要君より御意見を承わることにいたします。柴谷要君。
  113. 柴谷要

    ○柴谷公述人 公述人に指名をいただきました官公労議長の柴谷でございます。予算委員長に対し指名をいただきましたことを心から感謝申し上げます。私は労働者の立場から検討した三十年度予算案に対し、ただいまより少しく申し上げてみたいと存じます。  まず初めに、蛇足ではございまするが、予算案ができまするまでに非常に時日を要した。この間政府も御努力あったことと思いまするが、防衛分担金削減問題に関連をいたしまして延期を余儀なくされたということが新聞で報道されました。これらは私ども労働階級として、予算の決定に当って、特に現内閣が自主独立を強調している中におきまして、他国の干渉が露骨に現われたというような印象を受けたことを非常に残念に思っておる次第でございます。しかしながら私どもは、官公庁はもとより総評、全労、新産別に至るまで十年の労働運動の過程を顧みまして、従来とって参りました政府打倒というような線を掲げることなく、国民に公約した事項の実現を政府責任においてやっていただくということに今日態度を改めまして、要求お願いをいたしておるのが現実でございます。この観点から三十年度予算を検討いたしてみまする場合に、まず最初に申し上げますことは、政府は防衛分担金を大幅に削って内政に振り向け、そうしてもろもろの公約を実現する、こういったお話を私どもは選挙の都度お聞きしておったわけであります。ところが逆に防衛関係費よりの圧迫によりまして三十年度予算案は、不満な点を多く残して決定をみた、これが現実だろうと思います。  まず第一に住宅、社会保障の拡充、経済の自主独立などの公約は、いずれも全くごまかしに終ったような感じが深いのであります。しかもこの公約のごまかしのために内政費が圧迫され、物件費、予備費に至るまでの削減によって予算の弾力性はきわめて少く、不安定なものとなったといえると思います。  次に公約実現の立場から予算を検討いたしますると、まず住宅建設の問題として、四十二万戸の住宅建設の実体はきわめておそまつであるということがいえると思います。すなわち国が直接間接にめんどうをみる住宅の増加数は、わずかに二万五千戸足らずであって、改築を二戸とみなしても五万五千戸足らずの内容であります。まことに切実な住宅問題の要求を掲げております私ども、特に官公労百八十万の中の二十数万が住宅に困窮しておりまする事実から参りまするならば、まことにこの内容に至っては不満にたえないものであります。実質的には六坪半でも一戸である、家賃の安い公営住宅が無視されて、月三千五百円から五千円の家賃をとる公団住宅が増加の大半を占めているということは、一体だれを対象にこの住宅問題が考えられておるか。今日官公労の平均賃金は一万三千数百円でございます。このような賃金の中におきまして三千五百円ないし四千円の家賃は払えないことは当然であり、政府が公約をしてくれました住宅問題も、私どもから見まするならば、はるか遠い存在であるといわざるを得ないのであります。特に竹山建設大臣が就任早々にお話しになったことを私は記憶しておりまするが、四十二万戸の公約は全部政府責任でやるといったのではない、こう言われておりまするが、私は公約の中身の幅が非常に広いということを言わざるを得ないのであります。この半面考えてみまする場合に、国民は政府が公約をした四十二万戸というものは、完全に政府の手あるいは政府で間接に建てていただけるもの、かように信じておるのが国民の皆さんではないかと思う。そうだといたしますると、やはり人が人を信用しないような風潮が起きてきやしないか、こういう点を私どもはまことに遺憾に思うのであります。  次に失業対策の問題でありまするが、昨年よりも、本年度の予算面から見ますると、悪化しているといわざるを得ないと思います。昨年度は完全失業者は六十二万人であり、失対の吸収人員は十七万人であったわけであります。ところが本年は完全失業が八十万ないし百万と政府は言っておられるのであります。しかも吸収人員は二十二万人にする。二十万人の増加にかかわらず六万人の吸収増であっては、これまた全くその内容に対し不満といわざるを得ないのであります。私どもは、今日真に労働者の立場から再建にいそしんでおりまするこの過程において、企業のやむない事情によりまして失職をするこれらの人たちが、これらの状態によって救われないということになりますならば、まことに悲惨この上もないものであると考え、ぜひともこの点については政府に十分御再考いただきたいと思っておる次第であります。  さらに圧迫を加えられておりまする厚生関係、特に生活保護費は削減をされておる、また結核対策につきましては、二億円も削ったようでございます。入退院の基準も厳格にする、こういうことでとにもかくにも予算をはじいておるようでございまするが、さきに入院患者があの悲惨なすわり込み事件を起したことをまのあたりに見まして、私どもはこの結核対策につきましては、十分慎重に御考慮いただきたいと思うのであります。  次に減税の問題でございまするが、私ども特に薄給官吏といたしまして、減税問題は公約の一端として実現をしてくれるものと期待をし、心待ちにいたしておったのでありまするが、今回の減税措置に至りましては、まことに不満であるのであります。と申しますことは、簡単に言えばこの減税案では勤労者月収二万円親子四人でわずか百十円程度、これが減税の内容であろうと思います。これに比較して大会社、金利配当者、たとえば月二万円の配当所得者は五%の源泉徴収率の引き下げで、約千円の減税になるということに相なるわけであります。このまま減税を行います場合には、真に働く薄給者には恩恵のないように私どもは感じます。どうかこの点も十分に御検討いただきまして、真に働くものが気持よく職場で働き得る賃金、いわゆる減税の面などにおきましても、十分に御配慮をいただきたい、このように私どもは申し上げたいのであります。さらにまた砂糖、酒の消費税徴収額に至りましては、国民大衆全体にとっては減税どころか、かえって負担過重になるようなきらいがあると思うのであります。  以上数点にわたりまして三十年度予算の改正せらるべき点を簡単に申し上げましたが、今日私ども労働組合といたしましても十年の経緯をたどり、非のあるところは改め、そうして少くとも政府が国民に公約した内容に至りましては、ぜひともあたたかい同情をもって実現せられるよう、切にお願いいたしたいのであります。百八十万余の総評あるいは新産別こぞって政府の公約実現のために再度お願いをいたし、協力いたす決心であることを申し添えまして、ごく簡単ではございまするが、三十年度予算の数々にわたりまする不満を申し述べ、私の公述にかえる次第であります。
  114. 牧野良三

    牧野委員長 ありがとうございました。
  115. 田中織之進

    田中(織)委員 柴谷君に二点ほどお伺いいたします。鳩山内閣に対する総評を不心とする労働組合の諸君が、従来の吉田内閣に対すると同じような形ではなしに、直ちにこの内閣の打倒を叫ばずに、今の公述にもありましたように、この内閣が公約をしたことをできるだけ実行するような形にさらに政府を鞭韃し、政府にも要請するという態度をとられておることについては、私個人としては意見がありますけれども、その線で進まれることもまた労働組合の新しい方針としてけっこうなことだと思うのであります。ところが公述されたところから見て、三十年度の予算の面における公約実行が、住宅問題についても、失業者の問題の対策にいたしましても、その他の社会保障関係にいたしましても、特に減税関係においても、非常に労働組合の諸君が期待しているものよりもほど遠いものであるという結論が実は出された。これが果して予算の審議の過程でどの程度——もちろんわれわれ社会党といたしましては、労働組合の諸君の要求をひっさげて、この予算の根本的な組みかえを要求して進む方針でありますが、それがかりにどの程度でもいれられるならば、基本的なこの内閣に対する考え方は変えられないつもりでありますか。それともどうもお話内容を伺っておりますると、公約実行ということがもうまるっきりなっておらないという立場でも、なおこの内閣は引き下ってもらうという考え方ではなくて、できるだけ公約は実行できるような時期まで待とうというような気長い気持なんですかどうですか。この点一ぺん伺っておきたい。
  116. 柴谷要

    ○柴谷公述人 ただいまの御質問でございまするが、私どもといたしましては、あくまでも機関の決定に従いまして行動いたしております関係上、あくまで政府に公約の実現を期するようにお願いをしたい。これが政府においてお取り上げにならないという場合でも、国会審議にかかっておる過程におきましては、国会の皆さん方に御理解をいただいて、この私どもの気持が多少でも織り込んでいただけるように最後まで努力をいたして参りたい、これが今日の気持でございます。しかしながら最後的に国会に決定を見たという場合には、あらためて官公庁労働組合といたしましても、態度決定を迫られざるを得ないという時期もあろうかと思いますが、今日の段階では、その自後の問題についてはお答えできない、このように御回答申し上げておきます。
  117. 田中織之進

    田中(織)委員 もう一点。労働組合と非常に関係の深い賃金問題について。どうもわれわれこの予算案を見て参りますると、労働者の一番関心の深い、官公庁の関係の諸君のべース・アップの問題については、もう一昨年のベースをそのまま踏襲した予算が組まれておるわけであります。もちろん昨年は人事院の勧告が、当然昨年程度の物価の上昇率から見ましても出さなければならないのが、いろいろ吉田内閣の政治的な圧力に人事院が負けたために、その勧告を見送る、勧告を出さないということにすれば、人事院は法律違反になるので、勧告を見送るというような形で実はそのままにされた。最近の物価の関係については、若干の物価の下りぎみにはありまするけれども、片方にデフレの影響が相当深刻に進んで参ってきておるのであります。そういう関係からみて、労働組合の方は、依然としてベース・アップについての希望を持っておられると思いますが、それがこの予算に盛られておらない点については、柴谷さんとしてどういうようにお考えになっておりますか、御感想を承わっておきたいと思います。
  118. 柴谷要

    ○柴谷公述人 実は労働組合としても、昨年度要求をいたしました新賃金が今日いまだ解決を見ておりません。このような段階にありますので、私どもといたしましても、三十年度予算の中で、昨年度から要求をして年を越しております新賃金の問題を解決していきたい、こういう気持で今日いるわけであります。特に最近の各単組の所属に対する要求は、大体専売を初めといたしまして妥結の方向に向っております。これは目下私どもの方では、二、三の組合が当局と折衝しているという段階でありまして、昨年末の賃金自体の解決に今懸命な努力をしているというような実情でございまして、各省の予算の中には、この気持を織り込んだ予算が多少ある、こういうように私ども今日見てこの問題を解決して参りたい。あらためて今年度は、各定期大会におきまして、各単組の新賃金問題を打ち出して要求をするというのが今日の組合の実情であります。
  119. 上林山榮吉

    ○上林山委員 公述人は非常に御多忙であられますから、予算全体を検討する時間も少なかったのではないかと思いますので、一言できるなら御意見なり御訂正なりをいただきたいと思うのであります。まず第一は、昨日も申し上げたのでございますが、減税の問題であります。現政府の減税の総額は、平年度において五百十四億円、ことしは途中からでありますから三百二十七億円の減税になります。そこで上の方の減税をやって、下の方の減税をやってないではないかという御意見を述べておるのでございますが、月額一万九千円、標準家族にして、この者が無税になっております。その他基礎控除にいたしましても、七万円から八万円にいたしてきているのであって、多少のでこぼこはわれわれも認めますが、総体としてそういうようになっておるのであります。ところが所得税法で減税にしたのであるけれども、大衆課税の方で、たとえば酒、たばこの方で税金が上ったのではないか、だから減税どころか増税になったのだ、こういう御意見のようでございますが、これは少し考え違いをしておられるのではないか。というのは税率を上げておりません。これは砂糖の増量、酒の増石によるその分に対して税率は同じものをかけておるのであります。これはそういうような意味からいって、社会党諸君などからいう、いわゆる税収的に大衆課税になっているが、実質的に果してなっているかということは、少しく私どもは違うのではないか、こういうように考えるのでございます。税率等を上げたり、実質的にそうなっておりますれば、これは別でありますが、この辺に対してもし御訂正願えるならば幸いだと思いますが、よろしくお願いいたします。
  120. 柴谷要

    ○柴谷公述人 ただいまの先生の御質問でありますが、これは大へん誤まりがあったとすればおわびをいたします。私の月収に対して政府案の税率をかけて計算いたしましたところが、税金が百十一円軽くなるという数字だったので、それを申し上げた次第であります。お説の通り、勉強が不足しておりますので、十分研究いたしたいと思いますが、酒あるいは砂糖等の消費税が上るということにつきましては、各家庭の御計算ではっきり出てくるのではないかというように考えておりますので、ただいま先生の御注意のありました不勉強の点は十分検討をして、再度機会がありますれば申し上げてみたいと思います。誤りであればおわびを申し上げます。
  121. 牧野良三

    牧野委員長 どうも大へんありがとうございました。  次に財政一般につきまして、東京大学教授武田隆夫君より御意見を承わることにいたします。
  122. 武田隆夫

    ○武田公述人 ただいま御指名のありました東京大学の武田であります。財政全般につきまして、昭和三十年度の予算につきまして、私の簡単な感想といったようなものを申し上げたいと思います。時間が限られておりますので、ごく簡単に六つの点について申し上げたいと思います。   〔牧野委員長退席、重政委員長代理着席〕  第一点は予算編成のいわば前提についてというようなことであります。予算の編成に当りまして、国際経済情勢がどうなっておるか、あるいはまたその中において日本の経済をどう一体持っていくのかというような点につきまして、一方ではできるだけ正確な見通しを立てますと同時に、その場限りでない、長い目で見た構想を立てまして、それに従って予算を立てることが必要であるということは、私がここで申すまでもないところであります。事実この点につきまして、前の国際経済情勢の見通しにつきましては、大蔵大臣の演説でも触れられております。それからまたその中でこの予算はいわゆる六カ年計画に基いて作られたものであるということもうたわれております。ただ一つ私が気になります点は、この大蔵大臣の国際経済情勢についての見通しと、それから同じく四月から年度が始まりましたイギリスの財政、そのバトラー蔵相の財政演説との間に若干の食い違いがありはしないかという点であります。むろん御承知のようにイギリスでは選挙前であります。そして御承知のようにイギリスの新しい予算では相当大幅な減税が提案されております。そういう点を割り引きして考えましても、バトラー演説におけるところの国際経済の見通しが、日本の大蔵大臣の見通しに比べましてかなり明るいといってもいいと思うのです。逆に申しますれば日本の大蔵大臣の国際経済情勢についての見通しはかなりきびしいという点が気がつく点であります。これはいわば同じ資本主義国家の大蔵大臣の、今年の国際経済情勢についての見通しであるので、もう少しこの点は予算を作る場合にどっちが正確であるか、私専門外でよくわかりませんが、ともかくそれの間に食い違いがあるということを申し上げたいと思います。それからそういう中で今後日本の経済をどう持っていくかという点につきましては、六カ年計画というもの、それからその初年度である昭和三十年度の経済計画というものがあるわけでありますが、それと三十年度の予算との間に必ずしもぴったり一致しておらないという点がやはり気になり、問題になる点の一つではなかろうかと思うのであります。たとえば六カ年計画におきましてはいろいろな点において、この経済の構造その他変化がありますにもかかわらず、物価というものはほぼコンスタントである、二十九年度のいろいろの比率のままでこれを延ばしておるように思うのであります。それからまた初年度計画の中の、いわゆる生産人口の労働力化率というようなもの、それによるところの労働人口、逆に申しますれば失業人口の推定、それから三十年度予算におけるところの失業対策費というようなものの間に食い違いがありはしないかという点が、問題になる点ではなかろうかと思っておるわけであります。これらの点につきましては、もっと科学的なそして真剣な論議をしていただきたいと思っておるわけであります。  第二点は、いわば予算の規模についてという問題であります。話を一般会計についてだけ申しますならば、いわゆる一兆円予算という問題であります。この一兆円の規模が妥当であるかどうかということは、いろいろな面から議論されておるわけでありますが、私はこの点は先に申しました国際関係をどう見るか、それからその中で日本の経済をどう持っていくかということについて、ほんとうに正しい確固たる見通しが立ちますならば大して問題はないと思います。一兆円を多少越えてもこれは問題はない。そういう中で日本の経済をこう持っていくのだ、それでこれだけの予算を組んだのであるということさえはっきりしておれば、この点は大して問題ではないと思います。むしろそれよりも一兆円という点にこだわると申しますか、一兆円堅持というために、予算についていろいろな操作がなされておるという点の方が、私ども学者の立場からは問題にすべきではなかろうかと思っておるわけであります。御承知のようにこの一兆円予算という線を守るためだと思いますが、たとえば入場税、地方道路税、それから専売納付金の一部三十億円というようなものが、これは一般会計を通すというのがいわば財政学の常識でありますが、これを一般会計を通さないで、いきなり地方へ配付する、あるいは交付するということ、この点はやはり問題の軽重と申しますか、前の点についてはっきりした見解、見通しを立てるということの方が大事であるのに、むしろ一兆円というのにこだわるという点に重きが置かれているようなこと、これがやはり問題になる点ではなかろうかと思っているわけであります。  次には歳出について二点ばかり申し上げたいと思います。第一点は防衛関係費についてというのでありますが、この点につきましては、先ほどからいろいろ御意見をここに拝聴しておりまして、その審議の過程においていろいろの問題が生じた、ことに国庫債務負担行為という形で百五十億円というものが新たに加わりまして、この実質額がふえた。それからまたこれが来年度以降の経費の膨脹を必至ならしめておるというような点が問題になりましたが、この点につきましては私はここでは触れないことにいたします。別の観点から問題を二つばかり指摘したいと思います。   一つは、さきに申しました第一の点、日本の経済をどう持っていくかということに関連いたしまして、これは再軍備に反対である方も、それから賛成である方も、もっと長期の、そうして具体的な防衛に関する予算というものを考えて、それを軸にして予算考えていただきたい。毎年々々やるのではなくて、少くとも基本的な点については数年の予算、六カ年計画があるとするならば、それに対応するような予算を組んでいただきたいということが一つであります。それからもう一つの点は、防衛関係費、特に防衛庁の経費において繰越額が非常に多いという点であります。これは御承知のように昭和二十八年度には全体で八百二十八億円、防衛庁関係費だけで二百八十億円、二十九年度には全体で五百二億円、防衛庁関係で二百五十二億円であるというふうに聞いておりますが、こういう多額の繰り越しがあるということは、ほかの経費で一億、二億というような点が争われておるという点において、私どもは深い事情は知りませんが、はなはだ奇異に感じますところの一つの点であります。私は今週科学研究費の配分の審査ということをやっておりますが、これは非常に広い意味科学研究費で、本年度約十億であります。それから狭い意味では五億数千万円でありまして、これを約五分の一に削るということで非常にいろいろやっておりますが、そういうわずかの金をいかにして削るかということをやっておりまして、この多額の繰り越しということを考えますと、何か割り切れないような感じがするわけであります。  それから歳出についてもう一つ申し上げたい点は、歳出のうちで、これも皆さん御承知の点でありますが、失業対策費とそれから公共事業関係費のうちで道路等の整備費、それから住宅対策費、これが今年ふえておる経費でありますが、この合計が百五十億円、それから本年度減っております経費は、治山治水費、これは公共事業費の中であります。それから食糧増産対策費、災害復旧費という費用でありまして、これの合計がやはり百五十億ぐらいになっておると思います。これは偶然かもしれませんが、一方において失業対策費、それから道路を整備する、それから住宅を建てるという問題、これは比較的都市的な問題であります。それから他方におきまして治山治水、災害の復旧、食糧増産対策、いわば農村的な経費、これがプラス、マイナスというような関係にあるように見えるわけでありますが、この点は一兆円というワクがあって、その中である経費をふやせば当然他の経費が減らなければならないという関係もありましょうが、さらにこれを先ほど申し上げました防衛費というようなものとあわせ考えまして、それからこの二つのグループのふえている百五十億と、減っている百五十億という点も慎重にお考え願いたいという点であります。歳出につきまして、防衛関係費、それから今申しました二点を申し上げたわけであります。  それからその次、第四には、歳入について申し上げます。歳入につきましては、ただいま私の前の公述人についていろいろ御意見もありましたが、私もことしの減税額というのは、減税であるということはその通りでありますが、これが低額所得層を中心にした減税であるという点には疑問を持っております。と申しますのは、所得税につきまして基礎控除が一万円引き上げられております。それから勤労控除が頭打ちと呼んでおりましたのが四万五千円から六万円まで引き上げられております。勤労控除そのものは引き上げられておりません。税率の引き下げが比較的下層のところで行われております。しかしこれは日本の所得税が基礎控除、それから段階累進となっておる前提のもとでは、これは必ずしも低額所得者層にだけうるおうというような性質の減税ではありません。これは所得税の組み立てから申しまして当然であります。その点で、これを低額所得層中心の減税であるというのは若干言い過ぎではないかというふうに考えております。それに対しまして、預貯金の利子の免税と、それから配当源泉の課税の引き下げ、それから減価償却率の引き上げ、あるいは法人税率の引き下げというようなことで、相当の減税が行われております。これを勘案いたしますと、やはりことしの減税は資本蓄積という点に力点が置かれておるというふうに考えていいのではないかと思うわけであります。  それからもう一つの点は、関接税であります。これは先ほども御議論がありましたように、いわゆる消費量の増大によりまして税収の増大をはかるという建前がとられておりますが、本年度は貯蓄ということについていろいろな配慮がなされております。そうしてまた減税というようなことも、今申しましたように、資本の蓄積という観点から行われたものであるといたしますならば、私はこの間接税の収入の見込みというものが、見込み通りに達成されるかどうかという点に若干の疑惧を持っておるわけであります。この点は専売益金、つまりたばこの税と申していいと思いますが、それにつきましては、ことしは減収が計算されておるというような状況のもとにおいて、これが果して見込み通りふえるかどうかという点、もしふえなければこれは年度末に行って直接税の方の徴税が強くくるか、あるいは歳入に穴があくかというような問題になる。こういう点にも問題がありはしないかというふうに考えておるわけであります。  それから第五は、財政融資でありますが、これは本年度四百二十億ばかりふえておるようであります。その中のふえ方は、いわゆる基幹産業とか輸出産業というようなものの振興の方に少く、百五十七億ぐらいでしょうか、それからいわゆる農村とか社会政策とかいうような方面に二百六十億ばかりというふうに、後者が大きくあります。これは税制面で資本の蓄積が行われるというような措置がとられたことと対応いたしまして、こういうような配分になりましたことは、一応妥当であるというふうに考えますが、しかし基幹産業の投資につきましてはやはり相当の配慮が必要ではないか。しかしその前提といたしましては、先ほど来申しておりますように、一体日本の経済をどう持っていくのかという点について基本的な構想ができておらなければ、その投融資によって、個々の産業の面、個々の企業の面においては、なるほど合理化がはかられたり、あるいは生産性が向上したりするでありましょうが、日本の経済全体といたしましては、合理化になるか、あるいは生産性が向上するかというような点は、やはり問題になる、こう思っておるわけであります。  それから最後に簡単に地方財政について申し上げたいと思います。地方財政の窮乏ということは今日だれでも言う点であります。そしてその原因といたしまして、一方においては地方と国との間の事務配分と財源の配分との間に食い違いがある。それを通じて国の財政のいろいろなしわが地方に寄せられておるという人があります。それからまた他方におきまして、それは地方団体におけるところの乱費と申しますか、あるいは乱費と言っていけなければ、財源以上の経費を支出するということが原因であるということが言われております。これにつきましても、いろいろなことを御承知と思いますので、ここでは触れないつもりであります。それとちょっと違った観点から一つ指摘しておきたい点は、昨年のデフレ下におきまして、この地方財政の赤字が、やはり日本の経済の景気と申しますか、それをささえる役割をしているのじゃないか、こう思われる点であります。昨年度は、地方選挙を控えておるというような関係もありまして、各種の土木工事がいろいろ行われたようでありますが、それが国の財政が緊縮されておる状況のもとで、有効需要を作るとか、あるいは失業を救済するとか、そういうような役割を演じていたというふうに思われる、そういう点であります。そういう形で、非常に無意識的でありかつ無計画的ではありましたが、国の財政の緊縮のしわというものが、地方の財政の赤字というようなことによって、幸か不幸か幾分相殺されていたのではなかろうかと思うのであります。もしそうだといたしますならば、今日地方財政の整理とか再建とかと云う場合には、それだけ一そう経費を——今申しましたように、幾分相殺する要素がなくなるわけでありますから、国及び地方の財政の面において、それに対応するような経費あるいは政策、たとえば失業対策費はどのくらいふやすかというようなこと、そういう影響を考え合せた上で総合的な措置がとられなければならない、こう思うわけであります。  以上非常に羅列的でありましたが、六つの点につきまして、三十年度の予算の中にあると思われます問題点について申し上げたわけであります。要するに、国際経済情勢を正しく見通して、きちんとした計画を立てて、それにマッチした予算を組んでいかなければならないということ、これは当りまえのことでありますが、その見地から見ますならば、ことしの予算は、その認識そのものは別といたしましても、なおやはりいろいろな点で問題がある。必ずしも総合的に考え抜かれた予算であるというふうには言いがたいのではないかというようなことを申したわけであります。
  123. 三浦一雄

    ○三浦委員 武田さんに一、二お教えを請いたいと思います。第一に歳出の面につきまして、失業対策費、あるいは道路整備、住宅等の諸費が百五十億ふえた、他面治山治水であるとか食糧増産、災害対策の諸費がちょうど百五十億減っておる。結論的には御意見がございませんでしたが、慎重に考慮してほしいということです。しからば学問御研さんの立場から、現在の日本の実情にかんがみまして、いずれに重点を置くかということについての御示唆があったら、その点を一つ教えていただきたい、こう思います。
  124. 武田隆夫

    ○武田公述人 ただいまの御質問、私率直に申しましていろいろな事実、たとえば治山治水の緊要度、災害の程度、それからまた食糧増産、それによる外貨の節約というようなこと、それからその中にはやはり失業対策という要素が相当含まれていると思うのでありますが、そういう面と、それから失業対策費そのもの、道路、住宅というようなもの、これがそれぞれ百五十億ということは、偶然の符合かもしれませんが、ちょっと興味を持ちましたので申し上げました。私としては、そのどちらにすべきかということは、言ってもそれは学問的には申せませんので、ごかんべん願いたいと思います。
  125. 三浦一雄

    ○三浦委員 その次に歳入の面では、実はこれは重大な問題で、もういつでも国会の論議になることでございますが、日本は直接税に非常に依存している、海外の方では消費税、間接税をとっているということで、常に税制改革等では、取引高税とか物品販売税とかいうものをとれという意見が出るのです。現状から見てなかなか困難な事情がありますが、この点について日本の財政の仕組かみら見て将来どういうふうに行ったらよろしいか、御研究の見地からその点一つ御感想を聞かせていただきたいと思います。
  126. 武田隆夫

    ○武田公述人 ただいまの御質問につきましても、正確に答えるデータを持っておりませんが、大体の世界の傾向というようなことを申しますと、比較的に資本主義が先進的であって強い国は、直接税中心であるというふうに考えていい。イギリスとかアメリカとかいうようなところは直接税中心であります。それに対しまして非常に資本主義のおくれておる国、今いろいろ問題になっております東南アジアその他の国は、ほとんど間税、消費税であります。これはまた歴史的にもそういうふうに発展してきたのではないかと思います。ただそれに伴いまして経費の膨張の速度が非常に大きい。そこでやはり再び直接税の比重が下りまして、間接税の比重が上るという傾向を、英米においても大体一九二九年の恐慌以後はとっておるように思うのであります。ただその中で、やはり直接税にどこまでも重点を置きたい、あるいは置いていかなければならないのだという気持が、これらの国々にはあるように私は思うのであります。ただ大陸諸国、つまりフランスとかドイツとかいうような国におきましては、御承知のように第一次大戦後、いわゆる一般売上税と申しますか、あるいは取引高税というようなものが、歳入の相当部分を占めておりますが、これらの国々がちょうど政治的に申しまして、労働階級とそれから資本階級が、力の上において相当伯仲しておる。それから資本階級が、自分の直接税でやろうというだけの経済的な力もないし、いろいろなことがある。そういうところで、一つの便宜的な妥協的な産物として、一般取引税、一般売上税というようなものが出てきたのではないかというふうに考えております。日本におきましても、客観的な見通しといたしましては、やはり大陸諸国のような方向に行かざるを得ないのじゃないかという感じを持っておりますが、この点は正確でありません。しかし私の気持といたしましては、やはり直接税中心主義、間接税というのは、課税物品も限られておりますし、その消費量と税率との関係で、税収というのは早晩頭打ちせざるを得ない。そういうこともいろいろ考え合せまして、やはり間接税に重点を置くといいましても、そこには限度がある、また置くべきではないのじゃないかというふうに考えております。
  127. 三浦一雄

    ○三浦委員 もう一つお伺いいたします。財政投融資についての御批判でありましたが、日本の産業を発展させる基本的構想がこれにマッチしないということは、これはごもっともだと思うのです。具体的に本年度に現われた投融資の今後と将来とはかなり変ってくるだろうと思うのです。具体的に現われたバランスとかその他の関係で、いかようなところに重点を置くかというお考え方はいかがでしょうか。これもいろいろお考えがあるだろうと思うのですが、その基本的構想にマッチしなければいけない、その樹立が先決問題である、これはわかるのです。それでどういう方向で、どういう方法でバランス等をとるかという——こまかいことをお聞きするわけにはいきませんが、大体そのお考え方を伺いたい。
  128. 武田隆夫

    ○武田公述人 その点も大体データその他でお答えする準備がありませんので、ごかんべん願いたいと思いますが、これは学者としてではなく、率直に私の個人的な気持を申しますと、私は財政投融資というものは、戦後の日本経済再建のための過程では、相当の役割を果してきたと思うのであります。今日いろいろな資本蓄積の措置が講ぜられ、それから金利の引き下げというようなことの不可能ではないというようなことになっておるときは、これはだんだん減していっていいのではないか。むしろそういう構想かできなくて、個々の企業としては合理的、生産的な投融資が行われるかもしれないが、日本全体としてどうするかということがはっきりわかるまで、一見回り道のようでありますが、私はもっと基礎的な科学研究というような方面に、その幾割でもいいですから回していただく。これは多少我田引水の気味がありますが、その方がかえって長い将来の日本のことを考えると適切ではないか。これはちょっと学者としての意見ではございませんが、そういうことを考えております。
  129. 三浦一雄

    ○三浦委員 ちょっともう一つ伺うのですが、今の財政投融資の一つの形態というものは、日本の敗戦後の経済立て直しのために出てきた一つの所産でもある。同時に基本的な考え方はいろいろあるでしょう。従来の資本主義の考え方、社会主義的考え方、いろいろありましょうが、こういうのは財政投融資というような制度自体はやはり将来は廃止さるべきものである、減ぜらるべきものである、こういうように御理解なさっていらっしゃるか。そういうふうに伺われたのですが、その点そうですか。
  130. 武田隆夫

    ○武田公述人 廃止と申しますとちょっと言い過ぎになると思いますが、非常に今日はその財政投融資について反省し問題にすべき点がたくさんあるじゃないか。たとえば電源開発とか、あるいは石炭の増産、縦坑を掘るとか、さような問題がありましても、基礎的な科学的面におきまして非常な大きな変化が起って、それが生産技術というようなものをいつ変え得るかわからぬというようなことを考えてみますと、そういうような点について相当の見通しを立てて、そうして相当の計画があるまでは少くともこれをむやみにふやせば日本の合理化が進み、生産性がふえるというような考え方は検討すべき点があるのではなかろうか。これは漠然たる気持でありまして、データも何もありませんので、間違っているかもしれませんが……。
  131. 稻葉修

    ○稻葉委員 関連して財政投融資の問題について。ただいま三浦一雄議員から質問された財政投融資の点について武田教授の御返答の中に、これは相当に長期確固たる計画を立ててほしいということを言われましたが、私どもの勘で、昭和二十九年度の予算を、当時野党でありましたが、これを修正して通過せしめる、幸いに付帯条件みたようなものをつけた中の一つとして、投融資計画委員会の法制化というようなことを言っておいたのですが、投融資が日本経済自立の役に立つように、効率的に少い資金が回るように、いやしくも消費面に流れていくようなことを抑制するようにということを言っておいたのですが、そういうようなことについては御賛成でしょうか。それは資金調整みたいなことになって好ましくない、こうお思いですか、ごく簡単に……。
  132. 武田隆夫

    ○武田公述人 私、御提案になった委員会の構成とか、権限、資格とかいうような点について全然存じておりませんので、御返答できないわけでございますけれども、そういう基本的な計画を立てて、それを国家が遂行していくという限りにおいてはけっこうなことじゃないか、そう思っております。
  133. 田中織之進

    田中(織)委員 ちょっと武田教授に伺いたいのですが、予算の歳入面、専売益金の収入を過大に見ている面があるから、その面から見て年度末になって、場合によれば歳入に穴があいてくるか、それとも結局間接税の増徴を期待している面等が——一方資本の蓄積を強化するという貯蓄奨励というような面から見て、案外消費が伸びないというような面から、思うように増徴できないということになれば、直接税の思い切った増徴が歳入の不足分を補うというような形になるか、あるいは赤字が出てくるか、そういう欠陥があるという御指摘でありましたが、どうも専売益金は私の見るところでは前年度より約百億ばかり少く見積っておるわけです。そういうような関係から、ここではむしろゆとりがあると思うのですけれども、全体としてことしはやはり物価もだんだん下り気味である。それから生産指数の点は、前年度より若干は上る見込みは立てておるようです。その点からして、全体の国民総所得の点から見て、二十九年度の六兆というものより、ことしはいろんな関係から非常に上回わるということは考えられませんので、私はそういう点から見てやはり歳入の面における、特に租税収入というようなものが、予定の線通りいかないというおそれがあると思うのですが、歳入の面に、ひょっとすれば赤字が起るかもしれないという点について、教授がもっと深く掘り下げた点があればお漏らしを願えないでしょうか。
  134. 武田隆夫

    ○武田公述人 別に深く掘り下げた点はございませんけれども、ただいまの御質問を伺っておりますと、多少私が言い違えたのでなければお聞き違いの点があるんじゃないかと思いますので、訂正をしておきたいと思います。一つは、私が先ほど申しましたのは、本年度は所得税について減税をしておる、そうして酒税とそれから砂糖消費税を中心にして増収が生ずるものというふうに見込まれておる。しかし酒と砂糖の消費がふえなければそれだけの増収はふえないではないか、それはあたかも先年度においてピースを値上げしたり、その他によって専売益金の増収を見込んだけれども、それはあとになって訂正せざるを得なくなってきた。事実見込み額だけ収入がなかったというようなことになっておる。そういうことが、今年は今おっしゃいましたように、所得が伸びないとか、あるいは減税分の所得がかりに貯蓄へ回るものが多いというようなことになれば、その酒税とか砂糖消費税の増収ということが見込み通りにいかなくなるおそれもあるんではなかろうか。そうなれば赤字が生ずる。そうなりますと直接税の増徴、と申しますよりは徴収にいわゆる手加減を加えると申しますか、そういうようなことによって徴税の面において相当のしわが寄ってきはしないか、そういうようなことを申し上げたわけでございます。
  135. 重政誠之

    ○重政委員長代理 これにて公述人の御意見は全部聞き終りました。  この際昨日来御出席下さいました公述人各位に対しまして、書目お礼を申し上げたいと存じます。何かと御多忙中のところ御出席下さいまして貴重なる御意見をお述べいただき、本委員会今後の審査の上に、多大の参考になりましたことに対し、厚く御礼申し上げます。  これにて公聴会を終ることといたしまして、次会は明二十一日午前十時より委員会を開会し、暫定予算補正三案に対する質疑を行うことといたします。  本日はこれにて散会いたします。    午後六時五分散会