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中尾政府委員 今回申しわけのない
事故を起しておりますが、その詳細な御
報告を述べさしていただきたいと思います。
逃走いたしました者は
栃木県に本籍がございまして、入所当時もやはり
栃木県に住んでおった者でございますが、大正十五年生れ、数え年本年三十歳になっております。農業をやっております。
事件は
強盗殺人の
被告事件でございまして、
昭和二十八年六月九日に
宇都宮で
勾留処分になっておりますが、一審が
宇都宮の地方裁判所で
死刑の言い渡しがありまして、それを
控訴の
申し立てをいたしましたが、そのために
昭和二十九年の三月三日に
東京拘置所へ
宇都宮から移されております。
昭和二十九年九月二十九日
東京高等裁判所で
控訴棄却になっておりますが、後直ちに十月八日に上告の
申し立てをいたしております。判決は
死刑になっております。名前は
菊地正というれでございます。
この
逃走いたしました
状況の詳細の正確な点は、ただいま大臣が申し上げました
通り、
本人をまだ逮捕いたしておりませんので、不明瞭な点もございますが、ただいままでに私
たちの推定し得る範囲で申し上げますると、一応
逃走を発見いたしましたのは一昨日、十二日の午前七時半ごろでございます。この時刻はちょうど中に入っております者の点検と申しまして、一々
所在を確かめていくわけでございますが、そのときになりまして
本人がいないということがわかったわけでございまして、いつ逃げたということにつきましては実は今のところあまり正確にはわかっておらないのでおります。臨検をやっておりました
看守の
報告によりますると、五時過ぎには一応
本人を確認しているわけでございますが、しかしこれも
あとで調べてみますると、ふとんの中に
雑物を突っ込んでふくらませてあったというようなことで、あるいはもうそのときにいなかったのを、そういうことのために
本人がいるというふうに誤認をしたのかもしれません。
最小限度本人の
所在がわかっておりまするのは、十一日夕方の七時四十分、このときには
本人が便器のふたに腰かけて外をながめておったそうでありますが、これを確認した
看守がおりますので、その上きまでのことははっきりわかるわけでありますが、その後何時ごろ逃げたかという点につきましてはまだわかっておりません。
本人を入れてありまするのは、
拘置所の
北舎と申す建物の三階の
独房になっておりますその
独房で一人おったわけてありますが、
鉄格子を、ちょうど二重になっております
内側の簡単な窓のワクのような
程度のものでありますが、それを切り、今度は窓の
外側の
鉄格子、それは直径が二センチとちょっとあるわけでありますが、ここに
実物を持ってきておりますが、それを、
両方を切り取りまして、それから
房外に出て
屋根の上に飛び降りまして、そうして構内の
屋根の上からだんだんと外の方に続いておりましす
屋根の上を歩いたのでありますが、その途中に二カ所ばかり
有刺鉄線が張ってあった。その
有刺鉄線を切り取りまして、そして最後に事務所の方の
屋根に上りまして、そこから表へ飛び降りたらしいということに想像しておるわけであります。その
方法は、
金切りのこぎり、これは小さいものでありますが、これくらいの
金切りのこぎり、それを用いた。これは切れ
はしになっております。そしてこれは
はしでありますが、
はしと、
はたきの柄だと思いますが、これではさみまして、そしてこれはおそらくは
はたきのきれじゃないかと思いますが、そういうものでくくってある。これを使ってその
鉄棒等を切っております。切られた
鉄棒等はここにありますが、これがちょうど五本か六本――こういうもので、これよりちょっと大きいくらいのものが四段階になっておったのでありますが、ちょうどこれがこうあって、ここに、横に
帯鉄ですか、それがあって、その
帯鉄の真下のところを切っております。そうしてこの
切り口を見ますと、少し古くなっておりまして、こちらの下の方が新しい。想像いたしまするのに、この古い方はおそらく数日前から切ってあったのだろうと思います。そしてここが新しいところを見ますると、
逃走の直前くらいに切ったのではないかというふうに思われます。これを切ってみますると、大体四十分くらい、どんどんやって四十分かかるというふうに推定しております。それでこれがちょうど
有刺鉄線のところに捨ててあったのでありまして、おそらくこれを使って逃げたのだろうということができるだろうと思います。ちょうどあそこの構造が都合悪くできておりまして、一
たん屋根の上に上りますとだんだんその
屋根を伝って行ってそうして表の方に、相当の困難はありますがいろいろくふうをこらしていけば外に出られないことはないというようなことになっておりますので、この前の
失敗にかんがみまして、そこに
有刺鉄線を二カ所張りめぐらしたのでありますが、しかしその裏をかかれたというような申しわけない次第になっておるわけであります。
それで発見をいたしまして、すぐ必要な
処置をとったわけであります。近接の各署から
警務官の
応援をたくさん派遣いたしまして、それと一緒になりまして、多いときは百九十四人、四十九カ所に
張り込みをいたしましていろいろ
捜査をしたわけでありますが、とうとうこの四十八時間以内、四十八時間と申しますると、刑務所の
職員が逮捕できまする
限度の時間でありますが、その時間内にはとうとう逮捕することができなかったわけでございまして、今しかし私
たちの
職員も
応援に繰り出しまして
警察の方で
捜査をしていただいておるというわけでございます。
それでどういう点に
欠陥があったかということが私
たちの一番真剣になって
考えなければならない点でございますが、根本問題といたしましては、やはり
職員に
士気の
弛緩があったということは、これはもう私たと否定することができないと思います。もちろん物的な設備の上におきましても
不備はございますが、しかしこの
不備は
職員の
士気の緊張によりまして相当
程度補うことができるわけであります。たとえば私
たちの方はこれを捜検と申しますが、
居房の
検査、これは定期にいたしております。現にこの
本人のおりました部屋も今月になりましてから三回ぐらいいたしておるのであります。そのときにはいろいろな
所持品を全部調べるとかあるいは畳なんかを上げていろいろだ
隠匿物がないかどうかというようなことを調べるとか、あるいはふとんなども調べますし、なおまた今回
逃走を許した一番原因になりました
鉄格子なにかにつきましても、一々たたいて異常がないかどうかということを調べているわけであります。しかしそのときの
調べ方にもう少し念を入れてやれば、こういう
程度にまで切っておるものを発見できたに違いない、というのは十一日にも
検査をしているわけでありますから、そのときに
切り口というものは発見できたと思うのでありますが、ついに
鉄棒が切ってあったことを発見できなかったというような点は、これは明らかに
士気の
弛緩というほかはないのであります。途中に
有刺鉄線を張りめぐらしておりまして、私
たちの方では実はその
程度で大体いいんじゃないかというふうについ油断をしておったわけであります。しかし
屋根の上に出てしまいますと、なかなか
職員の目が届きにくい、しかも
夜間なにかに
屋根の上に上られますと、何かの道具を持っておりましたならば、その
有刺鉄線にいろいろな細工をするということは十分できるわけでありまするが、ついその点について
考えが足らなかったために、ゆうゆうあの
屋根の上で
有刺鉄線を破る作業をやられたということになったわけであります。ついその
有刺鉄線にたより過ぎたという点が私
たちの第二のミスであったと思うのであります。
それで今後はどういうふうにするかということでございますが、もちろんこれは一そう
職員の
士気を振興する、訓練に力を注ぐということ、またいろいろ
監督上の注意も十分にしなければならないということもいたしますが、同時に今回のこの
有刺鉄線の
失敗にかんがみまして、ここのところに幾らか高い障壁を作る必要があり
はしないかと
考えております。なおまた予算上の点でこれまで私
たちもちゅうちょしておったのでありますが、できますならば
鉄棒等を鋼鉄に変えたい。少くとも
死刑関係の
収容者を入れますところの数十の
独房につきましては、そういうような
鉄棒等を
考えなければならぬというふうに
考えております。しかしいずれにいたしましても、そういうような
施設がございましても私
たち職員がもっと緊張し、もっと注意深くやったならば、この
程度のものは防げるわけでありまして、現に全国的にこういうものを相当防いでいるわけでございますので、この点につきまして、なお一そう今後
努力をいたさたければならぬというふうに
考えておるわけてございます。それで現在のところは、相当
職員も
応援に各所から参っておりますが、何分にも法律で許されておりますところの四十八時間という時間か経過いたしましたので、一応私
たちの方の
職員によりますところの
張り込みというのは
最大限度に減らしまして、
あとは一般の
警察関係に対する
応援という姿に切りかえなければならないような実情になったわけであります。法定時間内に逮捕できなかったという点につきましては、重ねて私
たちは残念に思っておるわけであります。以上をもちまして、私の御
報告といたします。