○佐竹(晴)委員 ただいまの御答弁にもかかわりませず、私
どもは検察当局の不誠意に対しまして了解することができません。岡村弁護士から私にあてた書面によれば検事局の態度は大体次の
通りであります。
(一) 右告訴の際告訴代理人は翌一月十九日現場の実況検分をいたしいので、下田区検及び東加茂地区
警察署に立会の連絡方を依頼したるところ、沼津支部長及び井川主任検事これを了承し、告訴代理人が十八日の晩に下田区検を訪れたときはその旨沼津支部より連絡があった話を承わった。
(二) 翌十九日下田区検副検事土屋範吾、署長、警視安岡浅市はジープをもって告訴代理人の乗用車と同行現地にて実地検分をなした、この点
捜査に誠意あることを認められた。
(三) 右を転機として
警察では初めて未処理書類の作り直し整理にとりかかり、
関係人の取り調べをし直した。そのためか警部村田弘の
昭和二十九年一月十一日付実況検分調書には、当時いまだ堀内和夫と偽名していたのに立会人として横内和美と記載してある。また横内和美や、太田栄一は当初米兵は全然同行していなかったと供述しておるのに、その供述調書にはなく、次いで山中でたまたま米兵と道連れになったと訂正の供述をしたのに、その調書がないのも供述変遷の経過を知るのに不便を来たしておる。
(四)
昭和二十九年二月に至り沼津支部では
関係者を呼び出して一応の取り調べをなしたが、
被疑者が否認していたため過失致死であると固守し、偏見が見えた。
被疑者の供述と現場の
状況に相当の食い違いがあったのに、その
捜査をしていない。
(五) 同年三月二日付をもって
事件を横浜地検に移送した旨を告訴人のもとに
通知を受けた。
(六) そこで告訴代理人は三月の中旬古沢義信方において電話をもって横浜地検に主任検事の問い合せをしたるところ豊島検事であるということを知り、直ちに同検事のもとに電話し、早急に
捜査開始を望んだが、検事不在で
事務官ほその旨を同検事に伝えるということであった。この際、地検従来の告訴告発
事件取扱いによる
捜査多忙を口実に、長
期間捜査を行わず、放置しておる
実情にあったため、特に重大
事件である旨要旨を話し、
捜査懈怠をすると問題化せざるを得ない等を申し上げ、相当強硬に申し入れをした。
(七) 三月中に告訴代理人は地検に豊島検事を訪れ、
事件の概要を話し、早急
捜査を希望したところ、同検事は、手持ち
事件記録を示し、こんなにたくさんあるので、いつ調べるということは明言できない。しかし、できる限り早く調べるようにしようとの回答があり、一応の誠意はうかがわれた。これは昨年の三月のことであります。
(八) その後地検に行くたびに、豊島検事や中込刑事部長検事に対し取調べ
請求をなしたが、そのつど当局の回答は、何しろ忙しいので、まあなるべく早く調べましょうという一点張りであった。告訴代理人は、
事件の重大性と証拠隠滅ないし喪失の増大性をくどいほど説いたが、そのつど日時を
定めるのは無理だが、早くやりますとのことでいかんともすることができなかった。それから大体月に四、五回くらいあて督促におもむいたのである。
(九) しかるに少しも実効が上らないので告訴人側より数度の問い合せを受けて中にはさまった立場に追い込まれた告訴代理人は、いよいよ同年六月二十八日中込刑事部長検事あてに強硬なる書面をもって取調べ
請求をしたが、これすらも何らの、結論回答を得られぬままにその後一カ月を放置されたので、同年七月二十六日、第二回目の、最後の通牒の意味でさらに強硬な取調べ
請求を同部長検事あてに書面をもって督促した。この書面中には、もしも早急なる誠意なき場合には職権濫用罪として告訴するもやむを得ない事態に至るであろう旨までも付記した。しかるところ、これに対しても何らの
処置がなかったばかりか、はるかに同年の十月二十八日に至って飯村末男、根本実、宮崎健治の三名を呼び出すまで感情的に放置しておき、その前同年九月、十月ごろ、この
事件を知った古沢義信が豊島検事に本件の
状況を尋ねた際、同検事は同人に対し、告訴するならするがよい旨を放言したとのことで、ここにおいて告訴代理人と当局とは、協力的立場から対立的立場に変えられてしまった。その間十一月ごろ次席検事のもとにも取調べを
請求したが、早くやらせようとの答えであったが、前記飯村外二名の取調べのみで、ほとんどその他何らの
捜査もなされなかった。
(十) そのころ中込部長検事は、
昭和二十九年十二月中には
捜査をする旨、さらに
請求に行った際、告訴代理人に話があったが、そのまま
昭和三十年になったので、そこで一月中に豊島検事を検証現場に行かせる旨またまたそのころ
請求に行った告訴代理人に話があったが、これも延びてしまった。そのころ、たまたま山中己年雄氏と知り合って、その協力を得て佐竹法務委員、村専門員等とともに
法務省の
井本刑事局長のもとに善処方を求めに行くようになった次第である。
そこで
関係人が連れ立ってお尋ねをいたしましたのが、それが
法務省へ私
どもが御訪問いたしました初めでありふす。それから
刑事局長のお取り計いで取調べが進められるようになりまして、二月十一日に豊島検事が現場に検証に行かれました。
被疑者横内和美それから山案内人の太田栄一、それに岡村弁護士、
被害者親族四名、ほかに山中己年雄などが立ち会いましてその取調べが行われたのであります。ところが、その取調べについての
捜査当局の態度は、まことに不誠意なものがありました。岡村氏のその書面によれば、その点についてこう書いてあります。
先般提出した古沢義信氏の意見
報告書末尾記載のこと、本年二月十一日豊島検事の現場検証に際し、あらかじめ地検当局から沼津支部及び下用区検に協力方申し入れがあったにもかわらず、
警察官一名のみ立ち会わせ、その他責任者の立ち会い、車の提供等、何ら便宜を豊島検事に与えておらず、ために同検事は不便なバスを利用していたが、検証の際は告訴代理人等の乗用していた自動車を二、三往復してこれに便乗してもらったのである。その前二月十日夕刻、告訴代理人は下田区検と東賀茂地区におもむき、豊島検事よりの希望とあったので翌十一日の現場検証の協力方を再懇請したところ、副検事及び署長不在の上、車が故障しているという
理由で、丁寧ではあったが断わられてしまった。この際豊島検事とすると、十分の意を用い、告訴代理人側の取調べ要求に誠意を見せ、約四、五十人分を要する山道を登ってくれたことは、まことに誠実であったことを認められる。
かように豊島検事は誠意を示していたようでありますけれ
ども、しかし
捜査といたしましては、ほとんどこれに協力いたしておらぬ。これはあとでさらに申し上げますが、前の
法務委員会に法務
大臣が
委員長であって、横浜地検の問題をお調べになったことがあり、その
報告書が出ている。ずいぶん内部の綱紀が弛緩している。検証に行く検事の車さえも心配ができない
状況である。そうして
被疑者及びその親戚の車へ検事が便乗していくほどの状態である。にもかかわらず、この一カ月前の本年四月には検事総あげで湯本でどんちゃん騒ぎをやっている。どこからそんな費用が出てくるか、これは調べればすぐわかるのでありますが、そういうような費用はどっさりあるのに、実地検証をおやりになるときには
被疑者の車へ便乗しなければならぬなど、これは何という協力の仕方ですか。しかも警官たった一人をつけて、副検事も
警察署長も一切これに協力いたしておらぬ、こんな
捜査の仕方はどこにありますか、ともかくその取調べは済みました。その結果は実に疑問が一そう濃厚にされました。そこで岡村代理人が
被害者側親戚の者らと横浜地方
検察庁に対し、その疑問をあげて十分に取調べを要求いたしましたが、しかし一向にこれを取り上げてくれません。一方右二月十一日の検証の際に
被害者のつけていたところのバンドの中から弾丸が出て参りました。検事がこれを押収いたしましたが、この弾丸こそは
日本製のものか外国製のものか、つまり
日本人が撃ったものか、米兵が用いておったたまがその腹へ当ったかということをきわめるために、きわめて必要なるところの証拠である。そこで、これは有力なる証拠とあって、検事の方では東京帝大に鑑定を依頼するということであって、私
どもはその結果を期待いたしました。
被害者側も大いにその結果を待っているのであります。ところが、一向にその結果がわかりません。最近に至りましてやっとこれは東大の鑑定を求めておりませず、警視庁の
犯罪研究所で調べたということであります。これはあとで私
ども——そんなばかげたことはありませんから、さらにこの点は掘り下げて御検討願いたいと思うのであります。ともかくそういう状態であって、この重要なる問題が結果不明になった。越えて三月の二日に至りまして、岡村弁護士が豊島検事をたずねまして、右疑問の点に対する十分の
調査、それから弾丸鑑定等を急いでいただきたいなどということを要望いたしました際に、豊島検事は意外にも岡村弁護士に対して政治的圧力をかけてもそれには驚かない、悪ければやめたらよいでしょうと放言をいたしております。何ということでありましょう。私
どもは
刑事局長をたずねて辞を低うして懇請をし 被告人
どもも
刑事訴訟法上許されたる告訴権の行使を放置して、しかも一年間も放置されているし、証拠が隠滅されるし、どういう結果になるかわからぬ不安のあまり、早く取り調べてくれということを相談に行くのは当然のことであって、しこうして取調べをしてくれぬものだから私に言って、私がそれらの人
たちを御案内して
法務省の上司の人々に御相談をいたしまするや、政治的圧力をかけるとは何事だ、それくらいには驚かぬぞといって反抗的態度を示した、これは一体何事でありましょうか。こういったような検事の存在が許されるでありましょうか。よって本委員が昨月の上旬と下旬の二回にわたりまして
法務省をさらにお尋ねいたしまして、二月十一日検証の結果に対する疑問を申し上げ、慎重のお取調べを要求いたしました。かつ弾丸鑑定を急がれたいということをお願いいたしたのであります。よってやっと横浜地検の中込部長検事の再度の
調査ということになりまして、私
どもまた大いにこれを期待いたしたのであります。すると五月五日になりまして読売
新聞はかように報じました。「薄れた殺人
容疑、猟銃誤殺
事件告訴、ハマ地検近く結論」と題する記事が載りました。これによると「横浜地検では中込刑事部長検事、豊島検事係で取り調べていたが、殺人の証拠となるべきものがない、疑えば二、三疑える点があるが、これも無理に結びつけてのことだ、
捜査すればするほどますます過失致死の証拠が強まるばかりである。」とございます。その翌日
法務省の刑事課長より本委員に対して御連絡がありまして翌日お目にかかって承わりますと、
新聞に出たようだが、まだ結論は出ておりません。弾種、弾数などさらに
調査の必要があって、慎重に
調査中でありますということでございました。しこうして弾丸鑑定については、ただいま申し上げました警視庁の
犯罪研究所において調べた結果、
日本製のものか外国製のものかわからぬということであったということでございました。私はこのとき深く感じたのです。
ほんとうにこの
事件の責任を追及しようという熱意のもとに、さらに弾種、弾数などを調べていてまだ結論はどうなるかわからぬというのであったら、前述の
新聞のような記事が出るわけはないと思ったのであります。
新聞社も単なる想像を書くわけもございません。公式には慎重
調査をするといっておるが、
新聞社などには
ほんとうの腹を打ち開けて、あれは問題にならぬよ、
捜査すればするほど過失致死の証拠が強まるんだよといったようなことをおそらく漏らしたものに相違ないと私は
考えます。また弾丸も東大に鑑定させると言っておきながら、警視庁でやらす、二月から実に二カ月を要した、これはその道の人であったならば、もう一ぺんにわかるんだそうです。二カ月も果して要するものか、あるいはあっちこっちへ持ち回って警視庁へ鑑定を求めたときのその品物は、検事の押収したものとは違っていたものになっていたのではないか疑わざるを得ません。私はこういうことを
考えても全くふにおちないと
考えました。私が一月
刑事局長にお願いをしてからすでにはや五カ月にもなっております。それで今ごろ弾種、弾数を調べなければよくわからぬなどということが一体あることでありましょうか、もし熱意をもって
捜査を遂行し、真相を追及しようとするところの責任をお感じになっておるのであったならば、もうすでに結論は出ておると思います。
ほんとうに職責を果そうとするお
考えでありますかどうか、私
どもの納得の行くまでに御
説明をいただきたいと存じます。