○佐藤
公述人 国防会議の
構成等に関する
法律案につきまして
意見を申し述べるようにということで参上いたしたのでございますが、ただいままで伺っておりますと、
下村さん、
大井さんはもっぱら
軍事専門家としてお話しになりましたようでございます。私は
軍事専門家ではございませんので、
憲法あるいは
法律の観点から申し上げたいと思います。
下村、
大井両
公述人は、
憲法や
法律の問題につきましては何もお触れになりませんでした。これは
考えようによりましては
憲法九条でありますとか、そういう
憲法論はもはや
意味がないという御
意見であるのかもしれないと思って拝聴していたわけであります。しかし
国防会議に
賛成する立場からもあるいは
反対の立場からも、両方の立場からやはりこの
憲法問題は
考えていただかなければならない、依然として
考えていただかねばならぬと私は思っております。つまり
防衛庁設置法がすでに成立をしておりまして、
防衛庁設置法によって
国防会議の
目的はすでに定まっているわけであります。あるいは
国防会議の権限の
一つでありますところの防御出動の可否、その
防衛出動は自衛隊法にすでに定まっているわけであります。でありますから、この
国防会議の
構成等に関する
法律というものは、
防衛庁設置法、自衛隊法の立場から申しますと、当然できなければならないものであることは申すまでもございません。しかしこの二つの
法律に対しましては、御
承知のように、現在なおそれは
憲法に違反するという
議論があるわけでございますし、私もそのように
考えておるものであります。その立場から申しますと、この
国防会議の
構成等に関する
法律案によりまして、
国防会議を設けるということは、これが
防衛庁設置法、それから自衛隊法と不可分のものであるといたしますれば、それはさらに違憲を重ねることになるといわざるを得ません。この法案につきましての
内閣委員会の今までの
議論を
議事録によって拝見をいたしますと、やはり以上述べましたような違憲論、それから合憲論、この二つの立場が戦わされておりまして、そしてそれが並行してついに一致しないで今日に至っているように見受けられます。
政府原案の立場は
防衛庁設置法、自衛隊法は合憲であるという立場をとっていることは申すまでもありません。ただその場合に、これはこの
委員会の初期におきまして、特に江崎
委員と鳩山首相との間に論議がありました点で、
委員各位の御存じの点でございますが、今までの
政府、つまり吉田
内閣当時からの
政府の
解釈と若干違ったような
解釈が言明されたわけでございます。これはあの六月十六日の日の鳩山首相の言明でございますが、要するに自衛のため必要最小限度の
防衛力は持てる。しかし決して近代的な兵力を無制限に持ち得るというわけではないということであったようでございます。しかしこの点につきまして詳細述べる必要はないと思いますので簡単に申し上げますが、
憲法論といたしましては、自衛のためなら戦力を持てるというふうに
考えますのならば、それは理論的には限度がない。つまり自衛のためという
目的からの制約があるだけでありまして、近代戦争遂行能力に達するとか達しないとかいうことは、そこでは理論的には問題にならないはずであります。しかし現実問題としてどれだけの戦力を持つことが妥当であるとかいうことは、これはその国の財政、
外交、経済その他の
判断の結果であるわけでありまして、理論的にはそこに何らかの限度があるというふうには言えないはずであろうと思います。鳩山首相の六月十六日のこの言明と申しますのは、吉田
内閣当時
皆様御存じのように、戦力というものに一定の近代戦争遂行能力という限度をつけましたその
解釈とは異なりまして、自衛のためなら戦力を持てるということで、いわば
解釈を変えたと私は思っておりますが、しかしそれがなお自衛のためなら制限なく持てるというところまでは踏み切れない。そこに理論的にいまだ不徹底であるものと
考えております。そしてそれはこの戦力論争というものをさらに不明確なものにし、さらに混乱させたことになっておると思います。そういう
憲法九条の
解釈が不明瞭であるということから、この
議事録を拝見しておりますと、自衛隊の
憲法上の
性格が不明瞭である。あるいは
防衛出動がいかなる場合になされるかということが不明瞭である。あるいは侵略のおそれがあるというときにも
防衛出動ができるというのでありますが、その侵略のおそれがある場合ということの
意味も不明瞭である。あるいは海外派兵ができるかというような点についても不明瞭になっておるようであります。つまりこういうような
国防会議を設けるに当りまして、その前にはっきりときまっていなければならないようないろいろの問題がいずれも不明瞭のままに今日に至っておるという現象が出ておると思います。そしてそれはどこからくるかと申しますと、これはやはり
防衛庁設置法あるいは自衛隊法というものそのものが
憲法上無理であるというところからそういう論議も出て参りますし、またそれらが明確化されない結果になっているものだと思うのであります。つまりそれを裏から申しますと、本来この
国防会議というようなものは、これは正式の軍隊
——正式と申しますのは、つまり
憲法上におきましても何ら異論の生ずる余地のないような明確なものとして正式な軍隊が設けられまして、そしてまたその結果
国防方針、
国防というような観念も何らもう異論のないものとなりましたあとでありますならば、これは
国防会議を設けるということはきわめて自然であり、また必要なことだと思います。しかしそれが今日いろいろ
議論がありますのは、これはやはり現在の
憲法のもとにおきましていろいろの無理が積み重なってきておる。そこに先ほど申しましたようないろいろな問題が不明確なままに残されておる。そこに
国防会議というものを設けようというところにいろいろの
議論が出てくるということだと
考えるのであります。でありますから、私は
憲法論の立場から申しますと、
国防会議というものも違憲であるといわざるを得ませんし、従ってそれを設けるということでありますならば、これは
憲法の改正という手続きをとった後において設けるということでなければならないと
考えるのであります。
防衛庁あるいは自衛隊法、これもすでに成立してあるのではないかというふうに言われるかも存じませんが、そこに
国防会議を設けますならば、さらに違憲を重ねることになるばかりでなく、今までお話し申し上げましたように、そこにいろいろの無理が生じて、あるいは
国防会議を設置する必要を認めておられる人々の側からいっても、その
目的を達成し得なくなるのではないかと
考えるのであります。それで
憲法論あるいは違憲論の立場からする私の
意見はその
通りでありまして、そう申し上げますと、それではあとは何もこれに関して
意見を述べる必要もないかのように思われるのでありますが、以下述べますことは、つまり違憲論の立場からはそういう
議論がある。かりにこの
法律が成立いたしましたとしても、そういう立場の人々からは依然としてそれは違憲だと言われざるを得ないと思います。しかしながらかりにこの
法律が成立するといたしました場合にも、今まで述べましたようないろいろの論議あるいは無理というものを、できるだけ少くするという
意味におきまして、
政府なりあるいは
政府与党の側の方々に次のような点を
考えていただきたい、そういう
意味で以下の点を申し上げるわけでございます。
国防会議を設けます根本の
理由につきましては、今までお二人の
公述人からいろいろ御
意見がございましたが、これは私はいわゆる軍閥の復活を防止する、あるいは
軍人に対する
政治の支配を確立するということ、これが根本の
理由であろうと
考えます。それはまた一言で申しますと、いわゆる民主的なコントロールを
軍事というものに加えるということであろうと思います。その点は、
政府の
説明などにおきましても認めているところでありますし、何ら異論のないところでございましょう。そうしてそういう民主的なコントロールという点を達成いたしますために、この
国防会議の構成、それから権能、この両面においてなおこの
国防会議に
賛成の側におきましても、次のような点を考慮していただく余地があろうと
考えるわけでございます。その構成の点の第一は、これは
閣僚以外の、つまり
民間議員を加えるという点を削除してはならないという点でございます。第二は、元
軍人が
民間議員たり得ないということを
法律に明記すべし、明記した方がいいという点であります。三番目は、
事務局の問題、
事務局を強化せよという点でございます。この三つの点でございますが、まず便宜上、初めに元
軍人の問題を申し上げたいと思います。
これは御
承知のように、今までの論議におきまして、元
軍人を入れるか入れないかということは、
政府側からはっきりとした答弁がなされておらないわけでございます。
識見高い練達の者という標準で人選をするのであって、特に
軍人であるなしということを標準とはしないということで
態度が示されているわけであります。この点は
大井、
下村両
公述人は元
軍人であられましたので、はなはだ申し上げにくい
感じがするのでありますが、これには御
承知のように、
反対、対立的な
考え方があるわけでございます。そうしてこれはたとえば警察法を見ますと、国家公安
委員の資格といたしまして、任命前五年間に警察の職業的公務員の前歴のなかった者でなければならないという
規定がある。これは警察法の改正以前におきましては、御
承知のように、もっと厳密であったわけでございますが、それが若干緩和されたわけでございます。そうしてこの
規定は、やはり過去の警察というものを再現せしめてはならないという大きな観点から、元警察官が排除されているというよりほか
考えようがございませんし、またそれには私は
理由があると
考えているわけでございます。そこでこの
国防会議の構成メンバーにおきましても、私はそれと同じ趣旨で、そのような制限を
法律上明記することが望ましいと
考えております。
第二の
民間議員を入れるという点でございますが、これは今までいろいろ
議論のありました点でございます。私は
民間議員が入っていないのであれば、この
国防会議を設ける
意味がないと
考えるわけでございます。もしも
民間議員を入れないといたしますならば、これは
関係閣僚の懇談会というに異ならないことになります。その場合に各大臣の間の調整がはかられなければならないということは当然でございますが、しかし各大臣の間の調整がはかられねばならないということは、これは国家行政組織一般についてすでに何ら問題のないところでございます。
内閣法の趣旨あるいは国家行政組織法の趣旨はまさにそこにある。でありますからそのことだけで
規定をするというのであれば、それは何ら
規定を要しないことでありましょう。つまりこの種の制度を設けるのには、
民間議員を入れるというところに特に積極的な
意味があるといわなければなりません。それでそれに対しましていろいろ修正の問題が起きているように伺っておるのでございますが、
民間議員を削除せよという立場、これはいろいろの立場から主張されるわけでございますが、
一つは
責任内閣制の立場であります。つまり
国会に対して
内閣が
責任を負わねばならぬ。
民間議員を入れるとその
責任があいまいになる。たとえば
防衛出動の可否を決定した。ところがそのあとで
国会が承認を与えなかった。そのときに
内閣は
責任を負えるかもしれないけれども、
民間議員は何ら
国会に対して
責任が負えないではないかという御主張があるようであります。しかし
責任内閣制のこのような
議論、すなわち
内閣が全
責任を負わねばならぬ、そのためには
民間人を参加させてはならないという
議論は、これが徹底いたしますと一切の諮問的な
委員会に
民間委員を参加させてはならないということになるわけであります。しかしその不合理であることは明瞭であろうと思います。つまりいろいろな
委員会に
民間人が参加するという点は、あらためて申すまでもなく専門的な知識あるいは各界の
意見を反映させる、あるいは
世論を反映させるということに
理由があるわけでございます。その
民間人を入れました
委員会の答申なり
意見なりを採択するかどうかということは
内閣の自由であり、またさらにそれを
国会に提出するということでありますならば、それを
国会がいかにするかということは、これまた
国会の自由であります。つまり
民間議員を入れないということは、何ら
責任内閣制という問題と矛盾しないといわなければりなません。さらに
国防会議の場合には、特にその設置の
理由として、これは
政府の提案
理由その他によりますと、慎重を期するためであるとか、大所高所から
判断するためであるとかいうことで
説明されておりますが、しかし
政府側によりましては、必ずしもはっきり言われておりませんけれども、そういうような
理由よりも、これは
内閣総理大臣の独裁化を防する、あるいは
政変にかかわりのない一貫した
国防計画などを樹立をするということが
国防会議の設置の
理由であろうと思います。そしてそういう
目的のためでありますならば、
閣僚だけでは
意味がない。
閣僚は
総理大臣の下僚的なものでありますし、任免権を握られておる。あるいは同一政党のメーバーであることが
原則でございますから、そこに今申しました
総理大臣の独裁化をチェックする、あるいは
政変にかかわりない
一貫性を持たせるということは、そこではいつでも達成できないことにならざるを得ません。英米のこの種の機関に
民間人は入っておらないということがいわれるわけでございます。これは先ほどのお話がございましたが、その
通りでございます。
たとえば
アメリカの場合、
国家安全保障会議のメンバーは、
大統領、副
大統領、国務長官、
国防長官それから
国防資源
委員会の
委員長あるいは軍の長官あるいは次官で、
大統領が上院の助言と承認によって任命する者、それから軍需
委員会の
委員長あるいは
研究促進
委員会の
委員長というようなものがそのメンバーであります。そこには
民間人は入っておらないわけでございます。しかし
アメリカの場合は、今上げましたところからもおわかりになりますように、
国防関係の
政府機関というものが非常にたくさんにある。これはそれぞれの
理由に基いて設けられたものであるわけでございますが、非常にたくさんにある。そして権限が分割をされておる。しかもいわゆる独立的な
委員会が多いということであります。そこでそういう非常にたくさんの、しかも独立的な
政府機関を総合調整するという必要が特に多い。そこに
国家安全保障会議が設けられた
理由の大きなものがあるといえると思うのであります。ですから、そこには民主的コントロールという点よりも、そういう点に重点があるというところから、
民間人の参加ということは、そこではなされておらないということだろうと思います。そうして民主的なコントロールという点は、しからばどうやって達成されているかといえば、これは
アメリカにおきましては、いわゆる文官優位の
原則というものがそれぞれの段階において確立されているということであるわけでございましょう。しかしこれに反しまして、
日本の場合には、
国防関係の
政府機関というものの数はきわめて少い、またそれを調整するという点でならば、閣議でもって調整し得ないわけではございますまい。それよりもむしろ民主的な統制の必要ということの方が、
日本の場合には特に大きい。そうしてその場合には、先ほどから述べましたように、
民間議員を入れる必要がそこにあると言えると思うのでございます。
それから第三の点の
事務局の問題でございますが、
国防会議は
内閣総理大臣の諮問にこたえる、あるいはおそらくは
防衛庁その他で原案を作りました
国防計画というものを承認をする、それから第三番目に
国防に関する
意見を随時具申をする、この三つの任務を持っているわけでございますが、その中で特に
国防計画、その原案はおそらくは
防衛庁統合幕僚
会議というようなところで作られるのでございましょうが、それを承認するというその
機能が最も重要であるわけであります。その役割を果すために、その
判断の材料を提供するという
意味で
事務局の
機能が要求されることになろうと思います。そうしてその場合に
防衛庁はおそらくは
防衛の観点、
軍事的の観点から
防衛計画、
国防計画を立てる。そこで
国防会議といいますのは、そういう
防衛あるいは
軍事的な観点だけではなく、
外交、経済、財政、思想、あるいは
世論の動向、そういうすべての材料によってそれを
判断する、こういうことにならなければならないわけでございましょう。またそこにはそれぞれの
各省の観点から
各省の
意見、それを調整するということにもなるわけでございましょう。そうだといたしますと、この
事務局というものは、
内閣官房のどこかに小さな形で置かれるというような、そういう小さなものであってはいけないということになろうと思います。そうしてそこには、その
機能を果させるために、さらに
各省の職員というようなものに加えて、さらに
民間の
専門家というものも加えるということを
考えていいだろうと思います。以上が構成の面で、つまり
政府原案の立場に
賛成の方でも御考慮願いたいと思う点であったわけでございます。
もう
一つは、
国防会議の権能の面でございます。問題は
内閣、
国防会議、
国会、この三つの
関係の問題になってくるわけでございますが、この
国防会議によって、たとえば
防衛出動の可否がきめられる。それを可といたしましたときには、さらに
国会の承認を得なければならないということになっているわけであります。その場合には、この
国会の権限が確保されている。だから
国会の側でそれを批判し、あるいはチェックする、コントロールする余地は残されているわけでございます。ところが
国防の基本方針でありますとか、そのほか
防衛出動の可否以外の
国防会議の権限とされている点、たとえば
国防の基本方針という点につきましては、これには今のような制度はないわけでございます。これはおそらくは
国会は
内閣に対して一般的な監督権を持つのだ、あるいは国政調査権によってどういう
計画が進められているかということを調査することもできるのだということであるわけでございましょうが、しかしこれは
委員各位も御存じの
通り保安庁時代からでございますが、従来、
防衛計画なりあるいは最近の
防衛六カ年
計画の問題でもそうでありますが、その発表を要求した場合にも提示しないという実例がきわめて多いわけであります。
委員会の速記録を拝見いたしますと、九州方面に方面隊を増強するということが自衛隊法の改正でなされた、その
理由は何だという質問に対してそれの
理由も明らかにされておらないようであります。あるいは
防衛六カ年
計画を示せということの要求があるようでございますが、それに対していまだ成案を得ていない、未熟なものを出すということはかえって
国会尊重のゆえんではないというような答弁がなされているようであります。しかしそれはそんなことはないのでありまして、
国会の要求に応じていかなる段階ででも
防衛計画なら
防衛計画を示すということが
国会尊重のゆえんであるといわなければなりません。それが未熟なるがゆえに出せないというのでありますが、もしも未熟であるというならば、未熟な間に
国会の
意見によってそれを改善するということが可能であるわけでありましょう。
国会とともに完全な
防衛計画を作るという
態度でなければならないわけだろうと思うのでありますが、いずれにせよそういうことでなかなか
国会の一般的な監督権というものが及び得ないというのが実情であるわけであります。従ってこれは
委員各位のお
考えを願いたいと思う点でございますが、これは
防衛庁法の改正ということになりますのか、あるいはこの
国防会議の
構成等に関する
法律案の修正ということになりますのか、それは技術的には私申し上げませんけれども、いずれにせよ何らかの方法でこの
国防会議の決定しました
国防の基本方針なり、
防衛計画の大綱というものを自動的に、つまり
法律上
国会に提出するという趣旨の制度を設ける必要があるのではないかというふうに
考えるのであります。
防衛計画なり
国防の基本方針があるいは一年に一回策定されるということになりますのかどういうのか私は存じませんが、そこら辺はお
考えいただくことにして、いずれにせよ自動的に
法律上こういう
計画を
国会に提出するという制度を設けることを
考えるべきではないかというのであります。この点は
軍事専門家からはあるいは機密維持の点から、あるいは技術上の点から御異論があるかもしれません。しかし
国会としてはそういう機密維持あるいは技術上、そういう事情と
国会による統制ということとを調和する、そういう観点から何らかの方法をお
考えになって、そういう制度を明瞭化するということを
考えていただきたい。そんなことは問題にならぬというふうに言われないで、そういう点を
考えていただきたいと思うのであります。つまり以上のことを申しますのは、私はこの
国防会議というものは
内閣総理大臣の独裁化というものを抑制するということであろうと思うのでありますが、しかしこの
国防会議というものが、さればといって
国会から離れてしまう、
国会の手の届かないことになるといたしますと、そこでむしろおそるべきものは
内閣総理大臣ではなくして、
国防会議ということになる場合があろうと
考えるからなのであります。それを
国会がコントロールによって防止するということから以上のようなことが必要ではないのかと
考えるわけであります。具体的な点は以上の
通りでございますが、要するに私の申し上げたい点は、まとめますと次の三つになるわけでございます。第一は、
憲法論からいって自衛隊法、
防衛庁法というものは違憲であると私はそう
考えますが、それが違憲であります以上は、
国防会議も違憲だといわねばなりません。そうしてそれは今までの違憲をさらに重ねることになる、あるいは罪をさらに重ねることになるといわなければなりません。ですからその観点からすれば、この
国防会議の
構成等に関する
法律案というものは成立せしめるべきではないと思います。第二に実質論から申しますと、つまり本格的な
国防計画なり、あるいは本格的な再軍備というものが、これによって促進せられるということになりましょう。先ほど今まさに即刻これはやらねばならないのだという御
意見がございましたが、しかし私は今の段階においてそれを進めますことは
——確固たる方針なり、定見なりを欠いたままでそれを進めることは、将来に禍根を生ずることになるというふうに
考えるわけであります。確固たる方針や定見を欠いているということは、
憲法上のいろいろな問題がいまだ解決されない、不明瞭なままで残っているということから、そこで初めに申しましたように、いろいろな点について
議論が分れ、明瞭な結論に達し得ないということであるわけであります。でありますからもしもこの
国防会議を積極的に設ける、絶対に設けなければならぬという立場に立たれますならば、
憲法改正ということのステップをまず踏まれる、それがどうなるかわかりませんが、
憲法改正が成立をしましたときに、そういういろいろな問題がそこで明瞭になる、その上でこれは設けらるべきものであるというふうに私は
考えます。第三番目には、しかし
反対論の立場から申しますと、今述べましたようないろいろの弊害と申しますか、それを少しでも少くするという点からなお改善さるべき点が若干あるのではないか、その点は先ほど申しました構成の点と権能の点でございます。以上であります。