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1955-06-16 第22回国会 衆議院 社会労働委員会 第24号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十年六月十六日(木曜日)     午前十時三十六分開議  出席委員    委員長 中村三之丞君    理事 大石 武一君 理事 中川 俊思君    理事 大橋 武夫君 理事 山下 春江君    理事 山花 秀雄君 理事 吉川 兼光君       植村 武一君    臼井 莊一君       亀山 孝一君    菅野和太郎君       床次 徳二君    森山 欽司君       山本 利壽君    横井 太郎君       亘  四郎君    越智  茂君       中山 マサ君    永山 忠則君       野澤 清人君    岡本 隆一君       島上善五郎君    多賀谷真稔君       滝井 義高君    中村 英男君       横錢 重吉君    受田 新吉君       岡  良一君    山口シヅエ君       中原 健次君  出席政府委員         労働事務官         (労政局長)  中西  實君         労働基準監督官         (労働基準局         長)      富樫 總一君  委員外出席者         検     事         (刑事局公安課         長)      桃沢 全司君         参  考  人         (細井化学工業         株式会社専務) 細井 善作君         参  考  人         (細井化学工業         株式会社総務部         長)      細井 省吾君         参  考  人         (細井化学工業         労働組合財務部         長)      内田川之助君         参  考  人         (日本科学杏林         製薬専務)   大野 忠次君         参  考  人         (日本科学清算         人杏林製薬工場         長)      熊谷 万平君         参  考  人         (日本科学杏林         製薬労働組合代         表)      芦川 隆子君         参  考  人         (生光会療養所         事務長)    阿部 哲郎君         参  考  人         (生光会療養所         労働組合委員         長)      佐竹 和子君         参  考  人         (愛世病院労務         担当)     大村 寛三君         参  考  人         (愛世病院事務         次長)     鹿毛 俊貞君         参  考  人         (愛世病院労働         組合執行委員         長)      藤岡  温君         専  門  員 川井 章知君         専  門  員 引地亮太郎君         専  門  員 浜口金一郎君         専  門  員 山本 正世君     ————————————— 六月十六日  委員長谷川保君辞任につき、その補欠として島  上善五郎君が議長指名委員に選任された。     ————————————— 六月十五日  日雇労働者健康保険法の一部を改正する法律案  (八木一男君外十四名提出、衆法第一七号) 同 日  クリーニング業法の一部改正に関する請願(淺  沼稻次郎紹介)(第二二七〇号)  同(小林信一紹介)(第二二七一号)  同(八木一郎紹介)(第二二七二号)  同(淵上房太郎紹介)(第二三一五号)  同(藤枝泉介紹介)(第二三一六号)  同(菅太郎紹介)(第二三一七号)  同(小枝一雄紹介)(第二三一八号)  同(茜ケ久保重光紹介)(第二三一九号)  同(片島港君紹介)(第二三二〇号)  健康保険における医療給付費の二割国庫負担等  に関する請願池田清志紹介)(第二二七三  号)  医業類似療術行為期限延長反対に関する請願  (北村徳太郎紹介)(第二二七四号)  理容業界安定対策確立に関する請願松岡松  平君紹介)(第二二七五号)  理容美容業における徒弟制度復活反対に関する  請願小川半次紹介)(第二二七六号)  理容師美容師法の一部改正反対に関する請願(  小川半次紹介)(第二二七七号)  結核病棟併設に関する請願池田清志紹介)  (第二二七八号)  あん摩師はり師、きゆう師及び柔道整復師法  の一部改正に関する請願楢橋渡紹介)(第  二二七九号)  日雇労働者夏季手当支給に関する請願山花  秀雄紹介)(第二二八〇号)  季節保育所開設費並び常設保育所設置費国庫  補助に関する請願松平忠久紹介)(第二三  二一号)  国民健康保険における医療給付費の二割国庫負  担に関する請願高橋禎一紹介)(第二三二  二号)  社会福祉関係予算増額に関する請願山下春江  君紹介)(第二三二三号)  母子福祉法制定等に関する請願高橋禎一君紹  介)(第二三二四号) の審査を本委員会に付託された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  中小企業細井化学日本科学研究所及び愛世  病院)における労働争議問題について     —————————————
  2. 中村三之丞

    中村委員長 これより会議を開きます。  まず参考人の変更についてお知らせいたします。昨日選定いたしました参考人中細井信三君及び鹿毛俊吾君は、都合のため出席されませんで、代理に細井善作君及び大村寛三君が見えておりますので、以上御了承願います。  この際参考人の方々にごあいさつを申し上げます。お忙しいところを御出席くださいましてありがとうございます。何とぞ忌憚なき御意見をお述べ下さいますようお願いいたします。  なお議事の整理上、意見をお述べ願う時間は、お一人おおむね十分程度といたし、その後委員よりの質問お答え願いたいと存じます。  まず細井化学工業株式会社争議問題について、細井参考人にお願いいたします。細井参考人
  3. 細井善作

    細井(善)参考人 では、ただいまより会社側として申し述べさせていただきます。  四月二十七日、突然組合結成したということで、翌二十八日、私のところへ組合結成できたという通知がございました。私ら会社側としては、何も存じませんことで、実は驚愕したようなわけでございます。  つきましては、当日は全会社従業員参加をいたしませんで、総員百二十五名おります中に、九十七、八名の者が、組合結成ということも存じませんで、亀戸労政会館へ集合いたしました。その場合に、事務所へ入ると同時に、組合規約書と申しますか、それをおのおのに渡しまして、すぐ署名捺印という順序で、規約書を読む時間もございません、ただいま組合結成されましたということから始まりまして、すぐ指名選挙ということで、ただちに執行委員長以下委員順々に立ちまして、異議がないかということで決定いたしまして、よって、これで組合結成したというようなことを、翌日になりまして私が報告を受けました。  そこで、これは困ったものだ、現在の組合の行き方としましても、民主的に全従業員が総会を開いて決定すべきではないかと思います。なお、われわれとしては、御存じの中小企業でございますし、今までたかだか百二十人ぐらいのものでやっておりますので、徒弟とか、そういう保守的な面もございましたけれども、今まではおのおの意見を言い合ってやっておったのでございます。そういう工合で、これは困ったものだ、もう一回全従業員に呼びかけて組合結成したらどうかということが、当初の発端でありまして、それからいろいろもみにもまれまして、今度都労委の方からいろいろごあっせんなりがございましたけれども、当時としまして、われわれまだ組合というものに対する認識もございませんで、その点は、今非常に心外だと思っております。それで都労委のいろいろごあっせんがありましたことを、一応全面的に私の方はお断わり申し上げました。その点は、非常に申しわけないと思っております。それから、区の区労協の方が非常に心配していただきまして、いろいろごあっせんに立っていただきまして、一応、確かに今までのやり方はあまり感心しない、民主的ではないから、もう一回全部の従業員の総意による大会を開いて決定をするということで、組合の方へいろいろ案を出しましたのですが、組合は全面的に今までの組合を認めろということでずっと続いて参っておるわけであります。  そうしますと、そのまま作業はずっと継続しておりましたのですが、五月十六日ないし十七日にかけまして、組合員作業場を放棄いたしまして、われわれの方へいろいろ呼びかけに参りますものですから、工場としても機械の動いておる、何をしておるというような状態を二時間、三時間放棄しまして、全部いろいろ要求を持ってくるものですから、こういうことをしては危険であるということで、いろいろさとしたのですが、すっかり聞いてもらえない。中には仕事をしておる非組合員に対して、何かつるし上げ戦術とかいうものを非常にやりまして、みなが非常に恐怖の念にかられておるというわけで、現在は組合員と非組合員がちょうど半々に割れまして、非組合員が六十一名、組合員が五十六名というような状態争議に入っております。  それで、いろいろ総評関東化学区労協の方にごあっせん願いまして、このままにほっておいたのでは仕事も全然できぬというようなわけで、十日の午後六時から団交に入りまして、十一日の午後三時ごろ一応会社側会社労働組合、それから総評関東地方労働組合書記長飯崎清治さん、関東労働組合協議会議長田中哲太郎さん、四者の間で全部調印しまして、もうこれで争議は解決した、翌日から旗、ビラは全部とる、争議態勢を解いて、すぐ作業にかかるからというふうに約束をいたしましたが、組合側としてはガンとして聞き入れませんで、現在そのままの状態でずっと続いております。
  4. 中村三之丞

    中村委員長 内田参考人にお願いいたします。
  5. 内田川之助

    内田参考人 四月二十七日に、労政事務所において結成大会を行いました。そのとき、参加人員九十五名、委任状が七名ありまして、全員百二名の加盟人員をもって結成大会を行いまして、そのときの議案は、組合事務所及び告知板設置団交申し入れを決議したのであります。四月のそのあくる日、会社側に対し組合結成を通告し、直ちに団交を申し入れたのでありますが、会社側は、近日中に回答するといいまして、四月三十日に、私どもの前に申し上げました団交を正式に拒否されました。  その間、労政事務所あっせんを依頼いたしまして、労政事務所谷部係長が、会社総務部長と会いまして団交を督励していただきましたのですが、やはり五月四日の午後、口頭にて、これを拒否されました。そのとき会社側の切りくずしに会いまして、工作部全員十三名が脱落しました。その脱落の届出も、単なる一身上の都合とか、家庭の都合とかいう何の理由もない脱落なのであります。  五月六日に「細井化学危機突破労使懇談会」という名のもとに、第二組合的会社側署名捺印した書類を私どもで没収いたしました。そのときに、約二十名の署名がありました。それで、女子従業員全部に対しまして、組合を脱退するか会社をやめるかというような不当労働行為を行いまして、そのとき、すでに女子が、二名を残して、あと全員脱落するような始末であります。  五月七日に、社長が、執行委員集まれというわけで、執行委員全員会社の食堂内に呼びまして、そのとき、社長は非常に興奮しておりまして、組合を作れば会社を閉鎖するとか、組合をやめるかあるいは会社をやめるかという、われわれに威圧的な言葉を与えたのであります。  その間、都労委あっせんしまして、労政事務所長社長との会談を五月九日の二時に約したのでありますが、五月九日に至りまして、社長は大阪へ行くと申しまして、亀戸労政事務所の署長ともお会いいたしません。  戻りまして、五月八日の夜、社長残業者に対して、組合員残業をやめてほしい、直ちに帰ってほしいというようなことも言ったのであります。私どもも、やむなく五月十日に闘争宣言を発しまして、早出残業一切の拒否を対抗上いたしました。  その間、江東区労協田中議長、安藤、古館三氏が、私ども会社側との摩擦に対してあっせんをして下さいましたのですが、そのあっせん白紙に戻せ、現在の組合白紙に戻せというような一方的な要求なのでありまして、それは、私ども臨時大会にかけまして、五十六対一にてこれは否決いたしました。  五月十一日に都労委申請いたしまして、五月十六日の午後二時に三者構成都労委あっせんがありましたが、会社側はこれを全面的に拒否いたしまして、組合側はこれを受諾したのであります。  それから、脱落させた二十数名の非組合員と申しますか、その人間残業をさせまして、その間酒を飲ませたりした事実もございます。  五月二十五日に至りまして、暴力団的な男が臨時守衛の形で雇われまして、われわれ組合員に対して、人間一人くらい殺すのはわけないとか、そういうような脅迫的な言葉をその臨時守衛が申しました。それで、五月九日午前七時半から私ども実力行使に入りまして、九日、十日といろいろ実力行使に入ったのでありますが、六月の十日に、前に申しました田中議長あるいは関東化学飯崎書記長と、うち執行委員長協定書を結んだのでありますが、その協定書を結ぶに際しまして、うち組合古川委員長が、まるでボイコットされたような形で別室の下に置かれて、その間田中議長館崎書記長と、それから会社社長と三人で、ほとんどこの協定書の案を作ったような次第でありますが、私どもの方で要求した案と全然違うのでありまして、判を押したとはいえ、私どもはこれを全面的に拒否するというようなことになって、現在に至っておるのであります。
  6. 中村三之丞

    中村委員長 それでは、細井化学工業株式会社争議問題について質疑を許します。山花秀雄君。
  7. 山花秀雄

    山花委員 他の委員からの質疑が出ておりますので、一、二簡単にお尋ねしたいと思います。政府当局は今日、ほかに重要会議がございまして午後出席するそうですから、政府当局に対する質疑は午後に譲りまして、ただいま参考意見を述べられました経営者側組合側質問をしたいと思うのであります。  先日、細井化学争議に関しまして、労働省当局から発表になりました報告書というのがございますが、この報告書によりますと、五月の六日に、会社側が「同憂の士に告ぐ」という檄文発表し、細井化学危機突破労使懇談会を約二十名くらいで結成した、そのため十三人の組合員組合から脱退するに至った、こうなっておるのでございますが、今日は経営者の方も来ておりますので、この間の事情を詳しくお聞かせ願いたいと思うのであります。     —————————————
  8. 中村三之丞

    中村委員長 参考人追加選定の件についてお諮りいたします。細井化学株式会社総務部長細井省吾君を追加して参考人に選定するに御異議ありませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  9. 中村三之丞

    中村委員長 御異議なしと認め、そのように決します。  細井省吾君。
  10. 細井省吾

    細井(省)参考人 会社側の命令で、危機突破会というものができたそうでありますが、これは会社側の指導ではなくて、最初できました組合あり方が、従業員の中には明朗でない、釈然としない者も多分におったわけです。それで組合を脱退する者が出て参りました。当時、組合側では、脱落者を極力防止しておった、防止をするためにつるし上げ——言葉が不穏当でございますが、つるし上げという行動をもって極力阻止したわけであります。それで、中には相当に精神的に苦痛を感じた者もありますし、あるいは会社を休みまして、うらでもって休んでおった者もあったような状態でございましたが、私の方としては、組合運動というものは経営者のタッチするものではございませんですから、彼らの危機突破会というものに対しては、別に援助もしなければ反対もしないという態度をとって参りました。説明をこれで終ります。
  11. 山花秀雄

    山花委員 ちょっとただいまの御説明は、何かはっきりしない点があるのでありますが、私の今尋ねましたのは、五月の六日に——労働省があなたの工場紛争議について調査をして、この委員会報告された報告書でありますが、会社側は「同憂の士に告ぐ」という檄文発表し、細井化学危機突破労使懇談会を約二十名で結成した、こういうことが伝えられておるのであります。これはなかなか微妙な点があると思いますし、事柄のいかんによっては、不当労働行為が成立するやにわれわれは理解されがちなので、この際会社側としては、この問題について、もう少しはっきりしておく必要がなかろうかという意味お尋ねをしたのでありますが、どうも今の説明だと、何かはっきりしないと思いますので、もう一回御説明願いたいと思います。
  12. 細井省吾

    細井(省)参考人 実は話がまただいぶ前になりますが、組合を作りますときに、組合結成に相談を持ちかけられない者もあった。そういう者は、これは当時一部でございましたけれども、非常に釈然としない、組合あり方に対しておもしろくないということもあったわけであります。それと、先ほど組合側内田君が申しました会社側の切りくずし、これは一方的な意見だとは思いますけれども脱落者が非常にふえました結果、組合側では極力脱落者を防ぐという意味で、先ほど申し上げましたつるし上げですか、こういう運動が非常に活発になって参りまして、お互いに団結して対抗しなければいかぬという目的から、おそらく危機突破という——意味はどういうものであったか私は存じませんが、会社指名においてこういう会を作らせたという事実は全然ございません。これだけははっきり申し上げておきます。
  13. 山花秀雄

    山花委員 そうすると、ただいまの御説明によりますと、細井化学危機突破労使懇談会は、従業員の有志によって作られた、こういうことですか。
  14. 細井省吾

    細井(省)参考人 そうでございます。
  15. 山花秀雄

    山花委員 そうしますと、会社側同憂の士に告ぐという檄文発表した、こういうことが労働省報告にございますが、これはどういうような文章を御発表になったか。これは会社側発表した、こうなっておるのでございますがお知らせを願いたいと思います。
  16. 細井省吾

    細井(省)参考人 これは五月六日でありますか。
  17. 山花秀雄

    山花委員 五月の六日です。
  18. 細井省吾

    細井(省)参考人 五月の六日にかかる檄文発表した記録がございません。
  19. 山花秀雄

    山花委員 あるいは労働省が日にちを間違えたかどうかしりませんが、会社側では、同憂の士に告ぐという檄文を五月の何日かに発表されたことがございますか、それともさような文書発表したことはないのでございましょうか。
  20. 細井省吾

    細井(省)参考人 そういう文書発表したことはございます。
  21. 山花秀雄

    山花委員 お尋ねしたいのでございますが、やはり労働省発表によりますと、十一日に組合側としては都労委あっせんを申請した。ところが、ただいま会社側の御発表によりましても、都労委あっせん拒否した、こういうことで、労働省もこの通り発表されておりますが、どういうあっせん案都労委から出されたか、ちょっとお示しを願いたいと思います。
  22. 細井省吾

    細井(省)参考人 ただいま記録を忘れました。
  23. 山花秀雄

    山花委員 会社側がお忘れになったそうですが、これは都労委あっせん案でございますから、組合側は知っていられるかとも思いますがどういうあっせん案でございますか、ちょっとお知らせを願います。
  24. 内田川之助

    内田参考人 あっせん案、一、会社組合事務運営事務所及び告知板設置)につき便宜を供与すること。二、五月七日付の配置転換は取り消すこと。三、組合は今次紛議解決後、全従業員に呼びかけ、民主的編成方法を講じること。会社はこれに協力し、これに反するようないかなる行為もしないこと。四、会社組合は、正常なルールに基き団交をすること。これがため早急に労働協約を結ぶこと。五、本あっせん案に基く協定成立後、組合争議態勢を解くこと。以上であります。
  25. 山花秀雄

    山花委員 ただいま都の労働委員会あっせん案は、組合側からお示しを願いました。会社側の方では、忘れたと言われておりますが、おそらくこれは私は間違いないと考えるのであります。このあっせん案は、私どもの関知する限り、きわめて微温的な、経営者といたしましては飛びつきそうなごあっせん案のように私どもとしては考えられるのでございますが、これを会社側拒否をされて、それらのようなところから今度の紛争議が拡大したとうかがわれるのでございます。一体会社側といたしましては、今どのくらいの待遇をもって従業員を雇用なすっていらっしゃるのかお伺いしたいと思います。もっとも、中小企業でございますから、他の大企業並み待遇はとてもできないだろうと私は想像いたしておりますが、紛争議の起る原因は、やはり何といっても待遇問題にあるだろうと思いますので、勤続平均何年くらいで、従業員男女別あるいは年令別構成によって、ただいま平均どのくらいの待遇をなすっておられるか、ちょっとお聞かせを願いたいと思います。
  26. 細井善作

    細井(善)参考人 今日は経理の者が参っておりませんから、はっきりした数字が出ませんけれども、昨日団交のときに、いろいろ総評の方の御質問があって、私お答えした経理のあれを控えておりますから、これを一応申し上げます。  現在大体一カ月に、工員が九十六名、賃金総額が、これは各いろいろの課目を控除した支払い額で、百五十万出ております。それから職員の方、これは婦人も大分多いのでございますが、二十七名ないし、二十八名で約三十万円、こういう額を現在支給しております。これは社会保険料その他のものを控除しました支給額でございます。
  27. 山花秀雄

    山花委員 労働省当局発表によりますと、現行賃金平均八千円というふうに一応発表されておりますが、ただいまお答えになった数字は、社会保険その他一切を含んでの、会社側としてこれらの従業員に支払われた金額、こういうふうに承わってよろしゅうございますか。
  28. 細井省吾

    細井(省)参考人 おっしゃる通りでございます。
  29. 山花秀雄

    山花委員 この支払い金額には、どのくらいの起過勤務が入っておるか、おわかりにならないでしょうか。
  30. 細井省吾

    細井(省)参考人 実は工場が二カ所に分れておりまして、一方の工場では作業時間が実働八時間でございますか、八時間の残業なしの定時間で、これは保険額その他を——所得額ですか、所得額平均が約一万五千円から一万五千五百円だと思います。それとも、もう一方の工場では、非常に小規模多角的な作業状態でありまして、作業の内容とか作業条件が非常に相違がありまして、そのために賃金のアンバランスですか、非常に多く取る者もあるし、最低の者もある。それと、その工場では実働時間が六時間三十五分なるために、作業の面において非常に半端が出ておる。これは化学工場である以上、反応時間とか、中小企業生産性の非常に低いということ、これを理由にいたしまして、一時間、二時間の残業は通常であるというような状態でございまして、先ほどお尋ねがありました残業時間がどのくらいであるかという確答は、現在資料がございませんで、ちょっとお答えできかねます。
  31. 山花秀雄

    山花委員 あなたの工場では今の報告によりますと、片方が六時間三十分程度実働片方は八時間程度実働、こういうふうにお答えになられましたが、私は今どき六時間半ぐらいの実働は、堂々たる大工場においても行なっていないというのが大体現状ではないかと思うのです。寡聞にして、十六歳程度幼年工であれば、法規による六時間労働というのは認められておりますが、どんないいところでも、七時間労働以下というようなことはないのでありますが、あなたの工場は六時間三十分程度実働と、まことにいい労働時間の待遇をなすっていらっしゃるのです。そこで問題は、中小企業として二時、三時間の残業は普遍的なもので、その間超過勤務の時間ははっきりしない、こう答えられた。それをそのまま黙っておるわけにはちょっといかないと思うのであります。  そこで、もう一つお尋ねしたいのは、ただいまの賃金の御報告でございますが、一万五千円から一万五千五百円くらいの者もおる。ところが労働省発表によりますと、八千円と発表されておるのであります。おそらくこの労働省発表は、労政事務所を通じて、賃金報告か何かの形でこちらへ発表が来ておると思うのであります。こういう点は、工場によって、これは税金をごまかすといえば少し語弊がございますが、そういうような内容によって、支払う実質賃金と監督官庁に報告する賃金の差異ということは、往々にしてあり得ると思うのでございますけれども、これは従業員の方にも一つお聞きしたいと思います。労働省の方は平在八千円と言われておる。経営者側はただいまのような御報告でございますが、これはどちらの報告組合側として正確な報告であるとお認めになっておるか、この際お知らせ願いたいと思います。
  32. 内田川之助

    内田参考人 私どもは、会社は定時間でもって週給制にした場合、一カ月二十六日間で大体平均八千円から八千五百円であります。
  33. 山花秀雄

    山花委員 御両者がこうお立ち会いになって、片方は一万五千円程度と言われますし、片方は八千円ないし八千五百円、こう言われるのですが、そうなりますと、どちらに信を置いていいかという点になります。官庁側の報告はおおむね八千円程度、こうなっておるのでございますが、工場側の方では、組合側報告と官庁側の報告はなお調整するような必要はございませんでしょうか、この際承わりたいと思います。
  34. 細井善作

    細井(善)参考人 ただいま賃金台帳を持ってきておりませんから——その面はずっとさかのぼりまして、控えがございますから、その経理の者からあらためて御説明したいと思います。  それからもう一つ、これは別のことになりますが、今日の問題の賃金ということが出ておりますが、これは昨日初めて組合の方が団交としてわれわれの方に持ってきた要求でございまして、今までは賃金ということは一つも出ておりません、ただ組合を認めないとか——ですから、私は、民主的な組合なら、いつも再編成して、総従業員大会においてやってもらいたいということを言っております。現在いろいろ御質問がございますけれども、一カ月以上もたった闘争の結果、初めて昨日ベースアップ、夏季手当、一時金というようなものが出たような実情でありますから、申し上げます。
  35. 山花秀雄

    山花委員 労働組合賃金べースを中心に昨日初めて会社当局の方に要求書を出してきた、こういうような御報告でございましたが、これは当然なことです。労働組合結成をめぐって、私ども常識的に考えて、中小企業の特に零細企業の方でものめそうな案を、東京都労働委員会あっせん案を出しておられるのを、あなたの方で拒否された。当然こういうようなところから、発展段階として労働争議の方向に発展してくるというのは、当然なことでございますから、工場経営の立場に立っておられる経営者側といたしましては、一つお考えを願いたいと思います。  それからもう一つは、今組合側発表にもございましたが、暴力団を臨時守衛のような形で雇い入れて徘徊させておる、特に今度の問題が起きてそういうふうな形になった、こういう組合側の御発表がございましたが、この点につきまして、経営陣の方といたしましては、ただいまの組合側がここで参考意見に述べられたことが間違っておるか、あるいはほんとうであるかという点について、お聞かせを願いたいと思います。
  36. 細井善作

    細井(善)参考人 暴力団云々ということは、これは守衛でございます。これは先月の十六日に始まりまして、組合員がもう職場放棄——それまでも作業は、何と申しますかサボタージュというような状態で、ほとんど大してやっておりません。全部の職場を放棄いたしまして、モーターも機械も全部動かしっぱなしにしましてわれわれの方に要求して参ります。また突然大会を開きます。会社側とすれば、現状をほうっておけば、薬品など危険物を扱っておりますし、ほとんど毒物である。だから、モーターを二時間も三時間も、その他の機械もかけっぱなしでそういうことをやられたのでは、いつ突発事件が起きるかわかりませんし、私のところは硫黄を扱っております関係で、お恥かしいことでありますが、以前にはボヤもちょいちょいやっておるというようなことで、消防署長のところに早速参りまして、こういうことをされたでのは会社に大きな事故が起きるかわからぬ、何とか守衛を増加してもらいたいという話を持って上りまして、即日守衛を四名入れて警備しておる。それが参りましてから、ほとんどそういうことはなくなりました。
  37. 山花秀雄

    山花委員 組合側からのこの経過報告には、暴力団八名となっておるようですが、ただいまの経営者側の御報告だと、四名この事態に対処するために雇い入れた。これは人数の違いでございますが、一方は八名と言っており、会社側は四名と言っておる。これはどうでございましょうか。
  38. 細井省吾

    細井(省)参考人 ここに記録がござ いますが、五月二十五日から守衛が参ったのでございますが、この時分は七名でございます。翌日が五名、その後徐々に減らしまして四名、あるいは三名になったり、現在のところは四名の状態が続いております。これは大体通いが二名で、これはほとんど同じ人間でございますが、大体昼間は九時ごろから、午後は作業が終るまで、残った二名は盗難とか危険防止のために、会社の休憩室なんかに詰めております。
  39. 山花秀雄

    山花委員 いろいろ質疑を続けたいと思いますが、他の委員からも質疑の通告が出ておるそうでございますから、他の委員に譲りまして、私の質疑はこれで終りたいと思います。
  40. 中村三之丞

  41. 島上善五郎

    ○島上委員 私は本日はぜひ社長に伺いたいことがたくさんあったので、社長がお見えにならないのは非常に残念です。これは委員長にお願いすることかもしれませんが、社長は何か本日おいでになれない理由を、委員長の方へ出されておるでしょうか。
  42. 中村三之丞

    中村委員長 お答えいたします。細井社長は診断書を持参いたしておりまして、おそらくその病気のために出席できないのだと思います。
  43. 島上善五郎

    ○島上委員 診断書を出されて重病であれば、そういう重病の人間に出てこいということは言いませんけれども、夏川社長の例もありますように、昨日はぴんぴん元気で団交の場に臨んでおる。私はその診断書には、はなはだ疑いを持たざるを得ない。そこで私は、社長がお見えにならなければ、今後調査を続けなければならぬと思いますが、この問題は、東京のまん中によくもこういう事実が存在するかとびっくりするような事柄があまりにも多い。それで社長がおいでにならないので非常に残念ですが、これは労働省の経過にもありますように、また、ただいま参考人の答弁にもありましたように、労働組合を作ったこと自体にすでに問題がある。つまり、従業員労働組合を作ったのはけしからぬ、こういうことなんです。ですから、団交には応じない、ここからもう問題がこじれておる。民主的な組合でない、こういうことを言っておりますが、最初この組合に入ったのは、この労働省報告にもありますが、百二名のうち九十二名も入った。そうして労政事務所における結成大会には、その大部分が出席しておる。何か結成大会の進行状況に、大へん御不満だという公述がありましたが、初めて組合を作るのですから、なれないためにその進行がまずかったという点は、あるいはあるかもしれません。しかしそういうことは、会社が、だから団交に応じないという理由にはならぬと思うのです。私は、この最初の、団体交渉に今後応ずること、組合事務所告知板設置を認めてほしい、この二項目を拒否したという事実、これを注目したいと思う。団体交渉に応じてほしいということを拒否して、それが不当労働行為になるかならぬかということについて、会社ではどのようにお考えになっておるでしょうか。
  44. 細井善作

    細井(善)参考人 お答え申し上げます。組合結成即団体交渉——実は非常にお恥かしい話でございますが、私、今まで労働問題を全然存じておりませんもので、こういう小さい町工場だものですから、そういう面の知識が非常に乏しいために、あくる日いきなり団体交渉という話がありましたもので、実は驚愕したわけです。今まで経験のない、初めての問題だったものですから、最初はそういう面で皆様の誤解も多々あったと思いますけれども、現在は、組合というものを一カ月半にわたり、だいぶいろいろ勉強をさしていただきましたから、こういう機会に早く民主的な組合を作ろう、現在の組合は二つに割れて、非組合員組合員と二つになっております。これは私たちがしたわけでなく——私ども会社は明治三十八年、おやじの時代からやっておりまして、実に小さい工場でありますが、そういった面で多少義理人情、そういった封建的の……。
  45. 島上善五郎

    ○島上委員 あとの方はだんだん質問するから……。今日は労政局長はお見えになっておりませんか。
  46. 中村三之丞

    中村委員長 お答えいたします。労働省の政府委員は、今日は府県の労政課長を呼んで会議があるそうで、午後参ります。どうぞ午後に御了承願っておきます。
  47. 島上善五郎

    ○島上委員 これは労政局長にもぜひ聞かなければならぬことですが、中小企業労働問題にふなれである、それはおそらく労働組合側もそうだろうと思う。しかし、組合を作って団体交渉をしようと言ったら、少くともそれに応ずべきものであるということは、私は今日労使の常識だと思うのです。そこから問題がこじれておるのですから、この点、会社が今になって、そういう態度をとったことは誤まりであったという反省をされておるかどうか。
  48. 細井善作

    細井(善)参考人 現在の会社の状況から申し上げますと、非組合員組合員が、むしろ非組合員の方が数が多い状態でございまして、この人たちは、会社を何とか救わなければならぬと、何回となく作業場に入って仕事をしようと思っておりますけれども、ピケが張られておって仕事ができない。毎日毎日涙をのんで事務所に立てこもっております。現在のこの方たちの会社における地位と申しますと、機械とか運転、そういうものは非組合員の方でないと、ほとんど会社が動かないのです。これは非常に失礼な申し方でありますけれども組合員の方は実際にいなくても、会社作業は全部できるような状態でございまして、私たちが中に入って……(「質問したことに答弁して下さい」と呼ぶ者あり)むしろ非組合員組合員が対立してどうにもならない状態であります。
  49. 島上善五郎

    ○島上委員 委員長、注意してもらいたい。これはほかの問題もありますし、短時間の間に要点を聞かなければなりませんから、質問したことに対してお答え願いたい。それから、ちゃんと記録に残りますから、その場限りのでたらめなことを言わずに、数字等においても、ちゃんと事実をはっきりしてほしい。これを要求しておきます。  私の聞いたのは、結成した当時は、百二名のうち九十二名も組合に入っておる、これはもう大部分の諸君が組合結成した。今のことをあなたはしきりに言っておりますが、その当時団体交渉を申し入れたのに、それを拒否した。団体交渉に応じないというところに、問題が最初にこじれてしまった。そういうことは、今日の労働法のもとにおける労使関係としては、あり得べきことではない、間違いである。そういうことに対して、その当時は気がつかれなかったかもしれませんが、今日となって、そういう団体交渉を拒否したという、労働法を無視した行為が間違いであったという反省をされておるかどうか、この点をはっきり御答弁願いたい。
  50. 細井善作

    細井(善)参考人 その当時の実情といたしますと、今申し上げたように、確かに私たちは組合というものの行き方を存じておりませんでした。確かにそういう点は間違っていたと思います。
  51. 島上善五郎

    ○島上委員 社長さんがお見えにならないので、非常に残念ですが、その当時、労政事務所の所長も非常に心配されて、団体交渉をして、どういう話を組合が持ってくるか、それは団体交渉の場でお互いに話をすればいいことであるから、そういう最初の出発から事態を紛糾させることのないようにということで、社長にお会いになった。ところが、これは全く驚くべきことです。その労政事務所の所長をつかまえて、お前は労働者の味方か資本家の味方か、これをはっきりしろ、こう言っておるのです。そうして所長が、私はどうも労働者の味方とか、資本家の味方とかいう、そういう立場ではございませんと言ったら、それなら労政事務所建築の際寄付するんじゃなかった、こういうことを言っておるのです。この言葉からしても、私は驚くべき事実だと思います。そうして組合員に対しては、組合を脱退するか会社をやめるか、どっちかはっきりしろ、これを何回も何回も強要しておる。今日組合員が若干減っておりますのは、その強要の結果そういうことになっておる。私たちがしたのではない、こう言っておるけれども組合を脱退するか、会社をやめるか、どっちかだ、こう言われれば、労働法によって保護されておるという事実を知らない労働者は、それじゃわしは会社をやめれば食えないから、組合をやめましょう、こういうことになるのは、これはいたし方がないと思う。その結果なんです。あなたは社長さん御自身でないから、その事実を御存じかどうか、労政事務所の所長をつかまえて、そういうことを言った事実、組合の役員及び組合員に対して組合を脱退するか、会社をやめるか、そのどっちかだということを強要した事実を、あなたは御存じかどうか。そのことについては、組合の側にも一つお答え願いたいと思います。記録が残るからちゃんと正確に。
  52. 内田川之助

    内田参考人 五月六日には、女子事務員全部に、組合を脱退するか、あるいは会社をやめるかとおどかし、そのときに、五名のうち三名の女子事務員が脱退いたしました。それから五月七日には、社長が、午前九時ごろ組合幹部を呼び出しまして、興奮いたしまして、工場閉鎖をするとか、お前らの言うことは全然聞けないとか、すぐ組合をやめてもらいたい、あるいは組合をやめなければ、会社をやめろ、そういうことを言っております。それから五月九日には、朝から社長、専務、総務が工場内を回って、組合の幹部を首にするなどということも言っております。
  53. 島上善五郎

    ○島上委員 会社の方の参考人からも……。
  54. 中村三之丞

    中村委員長 答弁がないようでございます。
  55. 島上善五郎

    ○島上委員 これはおそらく事実で、暗黙のうちにお認めになるからだろうと思う。これは事実なんです。東京都労働局が発行しております「東京労働」という新聞がある。これはもちろん労働者側の新聞でもなければ、資本家側の新聞でもない、公正の立場から出しておる。この新聞の中に、こういうことがある。「組合員全部を首にしてニコヨンを雇い、社宅にいる組合員は出てもらう。」こういうことも言っておる。こういうように、組合をやめるか会社をやめるかということは要するに、組合に対する経営者の不当な干渉であることは明白であります。労働組合というものは、経営者がやめろとかどうしろとかいうことを言って、内部に干渉すべきものではない、これは労働法規によってはっきりしております。そういうような組合の内部に干渉されることを今の心境でよいことと思っておるか、経営者として当然のことと思っておるか、それとも行き過ぎであったと思っておるか、今日の心境をお聞かせ願いたいと思います。
  56. 細井省吾

    細井(省)参考人 先ほど労政事務所長に対する暴言の件がございましたが、私そばにおりまして、確かに暴言らしいことは言ったようでございます。しかし、それが、君は労働者の味方であるか資本家の味方であるかと言ったことは、私覚えておりません。それと、労政事務所に寄付をしたという件も、これは私そばにおりまして、記憶がございません。確かに声を高くして暴言らしきもののようなことは言ったと思います。それと、組合員に対して脱退を勧めた事実ありや、社長が現場に参りまして——私は大体そばについておるのですが、脱退を勧めたという事実は、私はないと思いますが、ただ組合に対して、反対である、そういう意思表示はしたことがあると思います。それと、五月六日の、女子事務員に対して脱退を勧めたというようなことは、私は存じておりません。それと五月九日ですか、組合幹部は首にすると言ったことは、私は存じません。
  57. 島上善五郎

    ○島上委員 組合を脱退しろと勧告したことは、よく存じていない、しかし組合反対であるという意思表示をしたことは知っておる。組合というものは、社長さんか反対しようとしまいと、あるいは賛成しようとしまいと、作る作らないは労働者自身がきめることです。会社社長が、大いに組合を作ってくれと言っても、なかなか作らぬ場合も例外としてはありますし、また、どうもあまり賛成できないと言っても、労働者諸君が必要があれば作るわけです。細井化学の場合には、これは必要があって、むしろやむにやまれず立ち上って作ったものなのだ。これに対して、反対だという意思表示を、みなを集めてするということは、これはやはり組合に対する一種の不当な経営者行為だと思うのです。そういうことは、今でも、会社はそういう考えでいらっしゃるのでしょうか、それとも社長として、やはり行き過ぎであった、こうお思いなのか。
  58. 細井善作

    細井(善)参考人 先ほども申し上げましたように、今の件でございますが、確かにそういう面の組合というものを全然知りませんもんで、そういうような考えで言っておりました。ですから、六月の十一日に、そういう面でわれわれも大いに反省しまして、民主的な組合はけっこうだというので、こういう協定書までちゃんと四者間で作ってあるのでありますが、これをいまだに実行していただけないで紛争に入っておるのです。こういう協定書が、総評の名において関東地方化学労働組合、江東区の労働組合協議会……。
  59. 島上善五郎

    ○島上委員 質問しないことを答弁しなくてもよい、今そういうこともだんだんと質問します。  だんだん事実が明らかになってきましたが、やはりこの「東京労働」という新聞にも「守衛一家が脅迫」こういう見出しで、組合をやめろ、やめなければ暴力団をつれて来て組合をつぶすくらい朝飯前だぞと、組合の幹部に言ったということ、そういうことを言った後に、この記事に書いてあるが、臨時守衛と称するくりからもんもんの入れ墨男がやってきて、守衛の仕事は四時までだが、そのあとは個人だから覚えていろ、こういうことを言っておる。これは組合の方にお伺いいたしますが、そういう事実はおありですか。
  60. 内田川之助

    内田参考人 確かに入れ墨をした男もおりますし、それから今人間一人くらい殺すのはわけない、自動車に乗っけて芝浦のところへ持っていって海にほうり込んでしまえば、そのままわからなくなってしまう、そういうことも事実であります。
  61. 島上善五郎

    ○島上委員 それから、その臨時守衛なる男が、ある右翼団体の名前をあげて、わしの方にはこういう背景があるぞということも言ったそうですが、その事実も一つ。
  62. 内田川之助

    内田参考人 お答えいたします。それは私が直接聞いたのではありませんが、児玉誉士夫とかいう先生の名前を出したこともありますし、それから殉国青年隊とかいう名のもとの方から回されたものであるというようなことも言いました。これは私がじかに聞いたものではありませんけれども、間接的に聞いたものであります。
  63. 島上善五郎

    ○島上委員 この臨時守衛を連れて参りましたのは、まだ争議に入っていない時ですね。いわば平常な状態、若干ざわついておったかもしれませんが、平常の状態のときであった。そのとき組合長に対して、さっき私が読み上げたように、組合をやめなければ暴力団を連れてくるぞ、おれはこういう団体、こういう団体、あらゆる方面を知っておるのだこう言われたそうです。そうしてその翌日からその臨時守衛が来たということですが、そういう事実については、組合では御存じですか。
  64. 内田川之助

    内田参考人 お答えいたします。それはうち組合古川委員長に対しまして、社長の御懇意にしておる井上さんという方が古川委員長のところに来て、もしどうしても組合を作り上げるならば、暴力団を雇ってでも組合をつぶすということをはっきり申しました。
  65. 島上善五郎

    ○島上委員 その暴力団であるかないか、とにかくといたしまして、そういうようないきさつによって雇われてきた臨時守衛が先般、比較的おとなしくピケット・ラインを張っておった組合員のえり首をつかんだり、髪を引っぱったりして、けが人を出したという事実を聞いておりますが、そういう事実がありますかどうか。そういう際に、そこへ警察官が来ておったかどうか。来ておったら、警察官がいかなる態度をとったか、組合参考人お尋ねいたします。
  66. 内田川之助

    内田参考人 この日は、ちょうど六月の十二日でありまして、朝から、会社側は、出荷するから、何とか荷を出してくれと言ってきまして、私の方ではむろん断わったのでありますが、午後一時五十分ごろわれわれ組合に対して、どうしても出荷すると言って参りまして、通告書を呈示いたしまして暴力団四人と守衛——これは私どもの守衛でありまして、会社の前からおられた守衛であります。これを先頭に立てて、オート三輪を倉庫の前に横づけにいたしまして、かぎをあけようと迫ったのでありますが、すでにそのときは私ども組合員は倉庫の前に直ちにピケを張りました。そのとき暴力団は、ピケ破りをいたそうとして、そのうちの二名の髪の毛を引っぱったり、たたいたり、あるいはシャツを破いたりして、一人は首の筋を伸ばしてしまって十五日間の診断書を取るような始末であります。これは事実であります。そのときには、城東警察署の方が二名来ておられましたが、遠くの事務所の前で見ておりまして、別にそのときはとめませんで、その暴力ざたが終るころになって、まあまあととめに入ったような次第であります。
  67. 島上善五郎

    ○島上委員 今言われたような事件があったそうでありますが、これは会社が雇った臨時守衛で、社長みずからが、暴力団を連れてくるぞといって連れてきた臨時守衛でありますが、組合員の方は何ら手を出すようなことをしないで、されるがままにしておった。少くとも相手にはけがを与えてもいなければ何にもしていないのに、社長のいわゆる暴力団なる臨時守衛がそういう暴行を働いたことに対して、会社はどのようにお考えになっておるか。これは暴力団だから当然のことだ、そのくらいのことはしかねない、こう思っておられるか。これはどうも大へん行き過ぎであって、会社としても責任を感じておる、こういうふうにお考えになっておるか。
  68. 細井省吾

    細井(省)参考人 先ほどの傷害の件でありますが、私もあの場におったのですが、極力暴力は行使しないようにと、常々臨時守衛には申しております。そのために、今まで比較的そういう事故も起らないでやってきたわけですが、たまたま先日の荷物を出荷しなければ先方の工場がどうしても困る、先方から車も来ておるという実にせっぱ詰まった状態であったわけです。それで、あらかじめ通告を出しまして、当日は日曜でしたので、あまり組合員もおりません。それで守衛七名で何とか荷物を出してもらいたいというので、いざこざがあったわけでありますが、暴力行為というようなことは私はないと思います。ただ、はっきり申し上げられることは、たとえばシャツの点でございますが、そのシャツは本人が自分で破ったという事実、これは証人もございます。
  69. 山花秀雄

    山花委員 ただいまの島上委員質問に関連してお尋ねしたいと思います。刑事局の公安課長さんもおいでになっておられますが、ただいま出荷に伴う暴行ざたがあり、現に被害者が十五日の診断書を取っておる。その現場に警察の方が居合せたが適当な処置をとらなかった、こういうような組合側参考意見でございましたが、この問題について、公安課長の方に何か報告が入っておるかどうか、ちょっとお伺いしたいと思います。
  70. 桃沢全司

    桃沢説明員 細井化学労働組合関係につきましては、全然私の方に最初から報告がなかったのでございますが、先日山花委員のお申し出に対しまして、報告を徴しましたところ、六月十一日現在の状態報告があったのでございます。それまでの間は、特に暴力行為は認められないという程度報告でございまして、ただいま伺いますと、六月十二日のできごとだそうでございます。これはさっそく帰りまして、どういう状況であったか、報告を徴したいと思います。
  71. 山花秀雄

    山花委員 詳しくお調べを願って、適当なる処置をとっていただきたいと思います。
  72. 島上善五郎

    ○島上委員 私も取締り当局に一言伺っておきたいと思いますが、臨時守衛の名目であろうと、あるいはいかなる名目であろうとも、世間から暴力団と見られるような団体、そうして四時から先はおれの自由の時間だから覚えていろ、そしてさっき言ったような数々の右翼団体の名前をあげて、おれはこういうところに属しているのだというような、そういうような者が争議に介入して傷害事件を起すというようなことに対しては、取締り当局としてはどのようにお考えになっておるか、一つ取締り当局の方針をお聞かせ願いたい。
  73. 桃沢全司

    桃沢説明員 争議をめぐりまして、いずれの側からいたしましても、暴力あるいは脅迫というような事態に対しては、私ども相当厳重にこれを考えなければならないと存じております。ただ、最初から警察権を行使するかどうかという問題につきましては、その前にいわゆる警備の段階がございまして、事前の指導等によりまして、そのような事犯の起らないように努めるということも考えられるのでございます。これは主として警察の方の担当で、警備の面でそのような状況が防ぎ得る場合も多くあろうかと存じております。最初に申し上げましたように、暴力事犯については、私ども絶対に看過しないつもりでおります。
  74. 島上善五郎

    ○島上委員 私は組合員の諸君は、そういうような事態に処して、よくがまんしておられたと思う。これは当然のことであるけれども、ほんとうによく自重しておられたと思う。先ほど組合側からの御答弁によりますれば、首筋をなぐるかなんかして——私のほかから聞いたところによりますと、何かから手の名人らしくて、ぴしゃっと、から手式にやったそうです。そういう暴行が現実に行われているときは、警察官は離れたところで黙っておって、済むころになって、まあまあというふうに出たというのですが、これは警察官としては当を得た措置とは思えないのです。こういうことに対して、まだ事実が報告されていないとおっしゃるのでありますけれども、もしそういうふうだったとすれば、当然警察に対して適当な措置をさるべきものだと思いますが、どのようにお考えになりますか。
  75. 桃沢全司

    桃沢説明員 ただいまの警察の関係がどういうふうな状態でございましたか、私どもまだ聞いておりませんし、またそういうお伺いに対しましては、警察の方で御返事申し上げるのがあるいは至当かとも思っております。
  76. 島上善五郎

    ○島上委員 それでは、その質問はまた他の機会にすることといたしまして、会社側にもう少し質問いたしたいと思います。  都労委あっせん案が出ましたのは五月十六日のようです。ですから、組合ができた当時は組合のことをよく知らなかったために団体交渉を拒否した、それはどうも間違いであったと思います、こういうふうなお答えがありましたが、組合ができたのは四月二十七日で、都労委あっせんをしましたのは五月十六日です。相当の期間がたっており、その間に、会社としてもお考えになるところもあったろうし、またいろいろ御研究もされたと思いますが、その都労委あっせん事項というのは、一、団体交渉に応ずること、二、組合事務所などを認めることという、さっきの山花君ではないけれども、微温的な当りまえのことを言っているにすぎない。これを会社が全面的に拒否されたことの意味は、当然一項も二項も拒否している、こういうふうに解釈いたしますが、その通りであるかどうか。
  77. 細井善作

    細井(善)参考人 お答えいたします。まだそのとき、よく組合あり方がわからなかったもので、それからしばらくたちまして区労協の方が見えまして、私は区の労働委員会の方とお会いいたしまして、組合というもののあり方と、それから今後の運営ということをいろいろお話しを願いまして、これは今までの自分の考えが間違っておった、組合を作らなければいかぬということで、いろいろごあっせんをお願いしたのでございます。それで区労委の方も、それではこういう案ならどうか、今までの組合を一応白紙にして、全従業員の民主的大会による組合を作ったらどうかということで、この案は非常にけっこうだというので、私大いに賛成いたしましてあれしましたところが、組合の方から、現在できておる組合を認めろというので、全面的に拒否されました。
  78. 島上善五郎

    ○島上委員 全従業員をもって組合を作る、これは会社側よりは、むしろ組合側として望ましいことだと思うのです。しかし、組合を作る作らないは自由です。いかなるりっぱな組合でも、おれはいやだといって入らない者が一人、二人あっても、これはいたし方ない、どうすることもできない。強制的に入れるわけにはいかない。会社側が全従業員というのは、これは文字通りそうだと思いますが、もし一人ないし数名が、おれはいやだといって組合に入らなかったならば、そういう組合とは団交しない、こういうお考えですか。
  79. 細井善作

    細井(善)参考人 決して組合というものを私は否認はしておりません、認めております。今のお話のように、われわれがタッチすべきものでないということにおいて、組合を認めないものではございません。現に今月の十一日にこういうふうな協定書も作ってございます。これには細井化学労働組合委員長の名と、それから総評の関東地方化学労働組合書記長、江東区労働組合協議会議長、細井化学社長という四者間で全部協定書ができております。それから昨日の団交も、組合を認めていればこそ、私たちは応じてお話し申し上げております。
  80. 島上善五郎

    ○島上委員 どうも私が質問したことにお答えにならないで、ほかのことばかり答えている。私は都労委の二つの項目を拒否したことを聞いている。本日は他の参考人も大勢いらっしゃるし、時間をお急ぎの方もいらっしゃるので、私は質問したいことがたくさんありますが、これは留保しておきます。これは社長細井信三氏に伺わなければならぬ。ただここで、私は質問を終るに際して、一言御希望申し上げておきますが、今日、日本は、御承知のように法治国であって、労働法というものが存在しておる。私は、この労働法だけは、ちゃんと認めてほしいと思う。労働組合を作るならば、その組合会社のお気に召さない場合もあるかもしれない。しかし、会社のお気に召そうと召すまいとにかかわらず、その労働組合とは団体交渉に応じて、団体交渉にどういう問題を持ち出していくかは組合がきめることである。それに対して、会社がどういう態度で返答するかは、これは会社のきめることでございますけれども、団体交渉をしないことには、いつまでたっても解決のしょうがない。幸いに今日は団体交渉に応じておる。これは手おくれだが、おくればせながら、会社がそこまできたのはけっこうだと思う。しかし、今までのこの二カ月かそこらの紛糾というものは、全く私から言わしむれば、会社が法を無視した不当なことをやったために起ったむだな紛争だったと思う。しかし、これは過ぎ去ったことだからいたし方がありません。過ぎ去ったことはいたし方ないとしても、私はこれを追及の手をゆるめるわけではありません、今後も追及いたします。いたしますが、今日は時間の関係があって、これで質問を終りますけれども、今後は、法治国の経営者として、法に準拠して行動してほしいということと、組合を威圧したり、暴力によって組合に対抗するというような、前時代的な、戦争前の時代のようなそういう労働対策だけは、これはこの際反省していってほしいと思う。そうしますれば、この事態だって解決するに違いない。私どもがこういう問題を取り上げるということは、労働法に照らして、違法行為の事実を調べるばかりでなく、こういう事態がすみやかに労使双方の話し合いによって円満に解決することを希望しておるからであって、ぜひそういうような間違った労働政策を一擲して、今後事態を円満に解決するように、これは労使双方に努力していただきたい。  なおたくさんの質問がありますが、これは留保して、私の質問を本日はこれで終ります。
  81. 中村三之丞

    中村委員長 中原健次君。
  82. 中原健次

    ○中原委員 時間が迫っておりますので、一つだけ質問いたします。実は、一つだけでなく、十数項目にわたって質問をしたいと思いますが、時間の関係で、一つだけにいたします。  これは労働省の労政局の方の資料ですが、六月九日、組合側スト突入、社長は城東警察署長を訪れ、事態の収拾について相談した結果、署長は、江東地区労協議長田中氏に相談するよう勧めた。直ちに会談を行なった結果、次のごとき、妥協案が成立した、こういう報告が出ておりますが、労働組合がストに突入したとたんに、経営側の方としてはこれを直ちに警察に持ち込んでいった。このことは、労働組合の正当な組合活動に対して、とんでもない妙な認識が伴っておるのじゃないか、こう私は思います。しかも、このようなことが、その次に何を物語るかといえば、いわゆる憲法あるいは労働組合法、あるいは労働基準法で、保障されておるその保障の中で行動する労働組合組合活動に対して、警察の不当介入、そういうことを誘発することになる。従って、そのことが、おのずから正常な労使間の交渉を成功させることと、むしろ逆の結果になる、こういうことを考えるのでありますが、この点について、経営側としてはどういうふうにお考えになっておいでになりますか。そうしてまた、どのような意味でそのことをなさったか、これを明らかにしていただきたいと思います。
  83. 細井善作

    細井(善)参考人 実はストに突入いたしました日に、非組合員従業員が、工場の中に入りまして仕事をしようというときに、外部から見えました団体の方が、非組合員を全部外に出して、仕事をしてはいかぬというようなことでございますので、これでは、現在われわれ中小企業の小さいところで、みんなが仕事をしたいというので、毎日事務所の二階に小さくなっておりますが、現状のままでは会社は持ちません。もう破産することははっきりしております。そういうような状態で、非組合員の者は涙をのんで、仕事をしたいというて六十人からの者が結束してやっておるのですが、とうてい組合の方はこれを聞き入れていただけませんで、仕事ができない。現在私は手の下しようがないので、非組合員の方が強力に立って、組合員組合員でやっておるというような状態で、どうにもならないから、何とかならぬかというようなことで、いろいろお願いに上ったと思います。またこれの処置方法として署長のところに多分社長が上ったのじゃないかと思います。
  84. 中村三之丞

    中村委員長 ただいまのお言葉で想像できることは、労働組合員のそういう正当な労働組合としての行為を、非常に迷惑に感じている。従って、それを排斥するに、警察権をもってすればというようなことになると思います。これは今日の労働組合法を持っておりますいろいろな規定あるいは精神に、非常に背反する経営者側の態度なんです。この議論をここでしょうと思うのじゃないが、しかしながら、そういうところがある。今までの御答弁の中からうかがえますすべてを集約しますと、なるほど、労働立法に対して全く理解がない、いやむしろ、さらにまた憲法に対しても理解がない、こういうことを明らかに物語っておるわけです。しかしながら、理解していなかったにしても、法律はこれを守らなければならぬと思います。従って、幸い今では認識をするに至っておいでになると思いますけれども、まだ実際はこのことが十分つかまれでおらぬという疑問を多々持っております。なお、もう少しその他の事項についてもお尋ねをしたいし、また組合側の御答弁を求めたいと思うておりますが、ただいま委員長からの御命令によれば、午後やってくれといったようなことでありますから、一応午前中の質問はこれで打ち切ります。
  85. 島上善五郎

    ○島上委員 質問じゃありませんで、文書の提出を要求いたします。会社が五月二日に「同憂の士に告ぐ」という檄文発表して、細井化学危機突破労使懇談会なるものをやって二十名ほど集めたそうですが、これは貴重な参考になると思いますから「同憂の士に告ぐ」という文書をぜひ御提出願いたいと思います。
  86. 中村三之丞

    中村委員長 お伺いしますが、会社側からですか。
  87. 島上善五郎

    ○島上委員 そうです。
  88. 中村三之丞

    中村委員長 お聞き及びの通りですから、御提出願います。  お諮りいたします。細井関係の両参考人に対しましては、中原、野沢、多賀谷の三君の質問がございますが、これは午後にいたしまして、この際、愛世病院関係の両参考人は、午後一時、この事件に関連いたしまして地方裁判所に行かなければならぬそうでございまして、事情まことにやむを得ないと思いますから、両参考人より陳述を願いたいと思います。大村参考人
  89. 大村寛三

    大村参考人 まず最初に、私が愛世会の労務嘱託として起用されたことから申し上げます。  現在私は株式会社東宝取役会長米本卯吉氏の秘書をやっておりますが、過去に全国映画演劇労働組合中央執行委員長をやっておりましたので、この愛世会の創立以来、理事であるところの米本理事より、愛世会の労使紛争の解決を要請されて、当ってきたのであります。  私がまず愛世会に参りまして、なぜ藤岡氏を解雇したかということを理事者に尋ねたところが、理事側は、藤岡氏は理事会の決議による人事に従わなかった、こういうことでありました。そこで、これは労働組合結成して労組の委員長が解雇に対して無条件に承諾するはずはありませんので、なぜ藤岡氏がその解雇に対して異議を申し立てたかということを、十分に検討してみたのであります。  ところが、愛世会というのは、社会通念として法外組合員にも値する院長、副院長、内科部長、こういった方たちが全部組合員であるという事実を私は見たわけです。病院経営において院長初め副院長その他の診療面における最高責任者の方たちが、組合委員長、副委員長をやっている場合においては、当然経営権、人事権というものは従組側の手に渡り、組合会社的な存在になることは、これは火を見るより明らかです。そこで私は、そういったルールのない、労働協約もない、あるいは就業規則もない、野球で申し上げればルールのない試合を続けているということが、今日の紛争を来たしたのでありますから、労働協約を締結して、そしてルールに乗っけてから試合をしたい、こういう考え方をまず持ったわけです。  その後、いろいろ組合員諸君あるいは財団側の中に入って、フェア・プレーでこの問題を解決していこうと思いましたら、遺憾ながら、われわれが労働組合運動を続けてきたその組合運動に対する考え方と、愛世会の従組の組合運動に対する考え方に、大きな開きがあるという事実を認めざるを得なかった。  これを一般論として申し上げるならば、昭和二十一、二年当時の労働攻勢の強かった時代、その後二十三、四年という時代になりまして、いわゆる経営権の地位の確立と使用者側の立ち直り、こういった時の流れというものを無視して、ちょうど昭和二十一、二年当時、極左労組が経営権、人事権を掌握していた当時と一つも変らない運動を続けていたという事実を見たわけです。それは病院である特殊な労組が、病院の最もりっぱな表玄関であるところを闘争本部として不法占拠する。これは財団理事側の許可を得ずして占拠し、あるいは医務局という最もりっぱな大きな部屋を占拠し、または患者の自治会というのが、今度は別棟の最もりっぱな建物を自治会の闘争本部として占拠し、各室にはビラ等を所狭しと張りつけているという事態を見たわけです。それから労組の活動に対して、まして特種な病院であるからして、患者が介入してくるということを防御しなければならない医者としての立場を忘れ、患者を扇動し、その患者の悪質な二、三の分子を扇動して、患者を組合運動参加させたという事態はゆゆしきことだ、この組合労働組合本来の姿に返さなければ、藤岡氏個人の解決はあり得ないということを痛切に感じまして、まずその問題からメスを入れようと考えたわけです。しかし、裁判における調停においても、いわゆる藤岡個人としてはこの和解に対して捺印したのであるけれども、しかし組合委員長としてはこれに対して承服しがたい、あるいは組合員としてはこれには承服しがたいという事由で裁判の和解を一蹴され、そうしてその他就業時間中に組合活動をやる、いわゆる労働組合法七条の第三項に書いてある不当労働行為は平然とやる、こういうような無警察状態愛世病院内に行われていたという事実は、幾多の例を今後御質問に応じて申し上げたいと思います。  こういう労組に対しては、やはり現在の日本の労働運動あり方というものをはっきりと認識をさせて、労使協調して、ことに公共事業団体だから、労使協調して、軌道に乗っけなくちゃならないということを教えることが、目下の急務であるということを現在も痛感いたしている次第であります。  不当労働行為に関して、四月二十八日以降のことに関しては、責任を持って私は回答を申し上げますが、その以前の問題に関しては、遺憾ながら理事長並びに理事団から聞いたお話で、直接私が回答する責任は持ちませんので、それには事務次長がこの病院開始以来従業員としておられましたから、その事務局次長に回答していただきたいと思います。
  90. 中村三之丞

  91. 藤岡温

    ○藤岡参考人 まず愛世病院の概況につきまして、概略説明申し上げます。  愛世病院というのは板橋の六丁目にありまして、元陸軍火薬廠の敷地約一万坪を、大蔵省関東財務局より払い下げを受けてその敷地に作った病院であります。現在約二百人の主として結核患者を収容する病院であります。  それで経営の状況は、病院自体といたしましてはボーナスの一カ月分くらいを支給したあと、なお月々約三十万円前後の黒字を上げているにもかかわらず、病院設立前に、どういう方面に使われたのか、それは私たちに明らかにされませんですけれども、二千万円ないし三千万円——私たちの推測でありますが、三千万円の使い道の明らかでない負債をしょっております。その負債の利子などに追われるために、従業員に対しては、採用前に理事長は、この病院では公務員を一割ぐらい上回る俸給を出しますと言いながら、実際に渡されたのは公務員の七割か八割、そういうふうな低ベースがずっと続いていたのであります。また患者さんに対しては、医療施設も非常に不備でありまして、そちらの方からの不満も絶えなかったのであります。  また愛世病院というのは、方々の会社あるいは健康保険組合から一ベッド当り二十五万円の出資金を仰いで、それで建てた病院で、二十五万円の出資金に対しては三年間無利子で据え置いて、あと七年間で年賦で償還するという契約で、そのかわり、その出資した会社の患者さんは優先的に収容する、そういう契約になっているのでありますが、契約後四年を過ぎても、まだ一文も償還されていない、そういうような経営の乱脈のために、各方面に非常な障害を起していたのであります。  それで、私たち従業員組合としましては、まず従業員待遇改善及び患者さんの医療施設あるいは給食内容の向上を叫んできまして、昭和二十八年の八月に組合結成したのであります。それでその当時の院長とか私は内科の責任者でございますが、私たちは組合に入っていなかったのであります。それは、先ほども話にありましたが、私たちは診療所の責任は持たされておりますけれども、経営とか人事に関しては、全然権限を与えられてなかったのです。それでそういう待遇改善の組合要求を当然だと思いまして、院長とか私たちは組合外から熱心に理事者側に要求を出していたのであります。  ところが、去年の四月に三浦前院長が突然不当に解職され、その後半年ほど裁判所に争いまして、結局わずか二年間勤めた退職金としては莫大な百八十万円の退職金を出すということで、一応円満退職をして、去年の十月に解決したのであります。  ところが、そういうことがあったものですから、愛世病院にベッドを委託している委託会社従業員組合と財団当局と、その三者で、人事等の重要な問題については事前に諮ってきめるという協定を結んでいたのでありますが、昨年の十一月になりまして、その協定を無視して、今度は私の上に内科部長を置く、今まで私は内科医長であったということを言われました。実は、それまで病院では、全然辞令というものを出していませんでしたし、また内科医長とか内科部長とかいう名前は、単に呼び名の問題でありまして、たとえば国立病院では、内科の責任者を内科医長と呼び、また病院によっては内科部長と呼び医長と部長を併用して一緒に存在するところはないのであります。ところが、その後理事長は、私が組合執行委員長として強硬な発言をするものですから、それを追い出すためのいやがらせとして、そういうことを考えついたのだと思います。その後、理事長に、医長と部長とが内科の責任者として両方存在する病院がどこにありますかと聞くと、現に愛世病院にありますというだけで、それ以外のことは全然答えられなかった。  そういうことで、それまで私は診療所の内科の責任者でありましたから、従業員組合としましては、理由なく不当に格下げされたということで、もちろん不当労働行為を構成しますから、組合としてはそうした不当人事に反対を叫んで、事務局長を通して理事長側にたびたび団体交渉を申し入れたのであります。ところが全然応じられないので、組合の方は、そうした新任の医師の就労を拒否しておりましたところ、今年一月末になりまして、突然私は理事側の意図した人事に従わないという理由で解職されたのであります。  それで私たちは、職場が病院という特殊な性格の場所でありますので、できるだけ事を穏便に運ぼうと思いまして、二月の九日に東京地裁民事十九部に、地位保全の仮処分を申請しまして、また二月の二十八日に、都労委の方に不当労働行為である、解職撤回の裁定を求めたのであります。それで地域及び都労委でその最終的な解決を見るまでの間、暫定的措置として私個人——私個人といいますのは、それまで労働組合大会で松田先生拒否——松田先生というのは、私の上に内科部長として持ってこようとした人ですけれども拒否という線が出ておりますので、地裁で裁判長に、私一人でこの場で受け入れるような契約には署名できないというようなことをはっきり申し上げたのでありますが、そういうようなことを言っていたのではしようがないから、個人としてでよろしいということで、暫定的な措置として私は従来通り診療に従事する、松田先生を一時副院長という格で入れるというようなことで、その後もずっと私は診療していたのであります。  ところが、地裁及び都労委の裁判が進むにつれて、経営者側の方は事態を不利と見たのか、先ほど証言された大村寛三という人と北川正男という二人の人を労務担当嘱託として雇い入れて、その配下の若い暴力団様の人物を、五月二日から数名病院の構内に寝泊りさせておったのであります。それで、ついに五月九日には東京都の労働委員会委員の人とか、あるいは弁護士の人が見えて、私が院長室でそういう方々と打ち合せをしていました際に、十二台の自動車で六十八人の若い男の人を外から連れてきまして、院長室で私がすわっていたのを無理に取り囲んで、病院外に連れ出そうとした。そのとき、私が拉致されるのを防ごうとして、病院の職員及び患者さんとの間に乱闘が起きました。そのことは、五月十日の毎日新聞の朝刊に報道された通りでありますが、その際、病院側の数名の人が打撲傷を負いまして、現にそのうちの一人の女の人は、今愛世病院の近所の山田病院に入院して治療を受けている状態であります。それでそういう事件のあったあとも、常時数名から、時には二、三十人のそういう若い連中を入れて、病院内を横行させておったのでありますが、五月二十三日の月曜日に、私が登院しようとしましたら、門のところで約二十名くらいのそういう連中に登院を阻止されました。そこで出迎えに来てくれた病院の職員や患者さんとの間に対立が起きたのであります。それでちょうどそのときに現場の写真を別なところから写していた組合の副執行委員長の佐藤君という内科の医者が、その写真をとっている現場を見つけられまして、そのフィルムをよこせ、よこさないというような争いで、結局暴力団様の人物のうちの一人に下腹部をけられまして、その場に昏倒するというような事態が起きたのであります。そのとき、三名か四名の人が板橋署に検束されたのですけれども、その後どうなったか知らないのであります。  相次いで、そういうような暴力的な不祥事件が起きましたので、地裁及び都労働委員会でも、事態を非常に憂慮しまして、たびたびあっせんに乗り出したのでありますが、いずれも法的の拘束力を持たないあっせんでありますので、全部理事者側にけられまして、その後現在まで私は登院できていないのです。  一方私が病院内に入らないうちに、経営者側は第二組合を作らせまして、盛んに第一組合の切りくずしを行なっておるのであります。たとえば、第二組合経営者側とユニオン・ショップ制を結ぶことを確約した、だから、現在第一組合に入っておる人たちは自動的に首になるのだとか、あるいは第一組合は赤がかっているから、そういう組合にいたのでは、いずれ理事者側が勝ったときに首になる、首になったらほかへ就職しようと思っても、前歴照会をされた場合に、あの人は赤だと書かれるから、ほかに勤めようと思っても勤められない、そういうふうに生活の脅威を与えて第二組合を拡大しようとする。そのために、現在第一組合員は六十二、三名で、第二組合員は、病院側十七、八名と、今まで組合のなかった、財団の経営する愛歯技工養成所の職員約四十名くらいで、それと合併して第二組合を作っておるような始末であります。  それで私たちは、先ほども申しましたように、そういう実力でもって争うというようなことをしないで、法廷及び都労委の線で調停を待っているわけでありますけれども、裁判所の方は六月四日に裁判が終結しまして、あとは判決を待つばかりの状態であります。ところが裁判所は、最近和解のあっせんをしておりまして、きょうの午後もまたそれで呼び出されるのですけれども、私たちは、ともかくその判決を待っておる状態であります。
  92. 中村三之丞

    中村委員長 この際お諮り申し上げます。両参考人は、先刻申し上げました通り、一時までに地方裁判所へ行かなければならぬそうでございます。それで、両参考人は再出席を求めることといたしまして、質問は後日に譲るということで御了解を得たいと存じます。  それでは午前中はこの程度にとどめまして、午後一時半まで休憩いたします。    午後零時二十九分休憩      ————◇—————    午後一時四十九分開議
  93. 中村三之丞

    中村委員長 休憩前に引き続きまして会議を再開いたします。  まず参考人変更についてお知らせ申し上げます。昨日参考人に選定いたしました生光会療養所理事長山田寅次郎君は都合により出席されませんので、かわりに同事務長の阿部哲郎君が出席しておられますから御了承願います。  引き続き中小企業における労働争議問題について調査を進めます。     —————————————
  94. 中村三之丞

    中村委員長 次に参考人追加選定の件についてお諮りいたします。日本科学杏林製薬の争議問題につきましては、現在日本科学の清算人になっておられます熊谷万平君を参考人に追加されたいとの申し出がありましたが、同君を参考人に選定するに御異議ありませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  95. 中村三之丞

    中村委員長 御異議なしと認め、同君を参考人に選定いたします。     —————————————
  96. 中村三之丞

    中村委員長 それでは細井化学工業株式会社労働争議問題について質疑を継続いたします。
  97. 山花秀雄

    山花委員 議事進行について、一言委員長に申し上げたいと思います。けさの本委員会開催に際しまして、労働省当局は全国の労政課長会議か何かあって、午前は出席できない、ただし、事務官をして出席せしめて報告を聞いて、午後にはそれぞれの政府委員が出席をして委員質疑に答える、こういうようなお話でございました。見受けるところ、いまだ出席されておりませんが、これはどのようになっておるか、ちょっとお伺いいたします。
  98. 中村三之丞

    中村委員長 お答え申し上げます。ただいま返事がございまして、二時過ぎに労政局長が参るそうでございます。しばらくお待ちを願います。
  99. 山花秀雄

    山花委員 この問題は、やはり労務管理、特に労政当局の行政面にも多大の関連がございますので、ぜひとも間違いのないように出席せられんことを委員長から特に一つ御注意を願いたいと思います。
  100. 中村三之丞

    中村委員長 了承いたしました。  それでは多賀谷真稔君。
  101. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 細井化学組合員の方にお尋ねいたしますが、あなたの方の組合では、公休は何曜日おきになっていますか。一カ月に四回あるのですか、こういう点についてお尋ねいたします。
  102. 内田川之助

    内田参考人 お答え申し上げます。週休にはなっておりますが、二カ月以前は、ずっと第一工場においては第一、第三日曜以外の日曜、第二、第四日曜を休むと、皆勤手当がなくなるような次第であります。私が行っておる方の第二工場では、第一日曜も全部週休になっております。
  103. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 今、組合の方から、第一工場の方は第一、第三しか公休がないので、第二、第四を休むと皆勤手当がもらえない、こういうお話がございましたが、こういう点、間違いありませんか、経営者にお聞きしたい。
  104. 細井省吾

    細井(省)参考人 間違いございません。
  105. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 あなたの方は、どういう手続でそういう処置をなさっておるのですか。
  106. 細井省吾

    細井(省)参考人 これは作業の性質上、どうしても日曜を継続しなければ正常な運営ができないという面もございますので、それで第一、第三は必ず休む。もちろん作業の生産計画によりまして、第二、第三日曜を休む場合もございます。しかし、原則として週休ということになってはおりますけれども、先ほど申し上げたような状態で第一、第三が公休ということになっております。それに関連しまして、皆勤手当の件ですが、これは一応会社の社則できめました点で、そういう工合になっておるわけでございます。
  107. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 これは基準法違反なんですが、それを御存じですか。
  108. 細井省吾

    細井(省)参考人 それはこれをきめましたときに、前からの慣例で従業員に対しまして納得していただいてもらっているわけです。別に契約書はかわしておりません。
  109. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 では、組合お尋ねいたしますが、有給休暇はありますか。それから生理休暇はどういうようになっておるか、お聞かせ願いたいと思います。
  110. 内田川之助

    内田参考人 有給休暇はございます。それから生理休暇の方は、ちょっとわかりかねます。
  111. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 わかりかねるというのは、どういう意味ですか。
  112. 内田川之助

    内田参考人 お答えいたします。女の人の作業員が少いので、全然私にはわかっておりません。
  113. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 経営者の方にお尋ねいたしたいのですが、基準法というのは、例外規定もございますけれども労働者の方がよろしいと言いましても、法律違反になることになっております。ですから、あなたの方では、組合との相談の上、従来のしきたりもあって第一、第三だけを休ませておった、こういうことになりますと、明らかに三十五条の違反になりますが、これは御存じですか。
  114. 細井省吾

    細井(省)参考人 その違反は、今までの私の知識によりますと、要するに日曜出勤の手当でありますが、その手当を支給することと、契約というのですか、従業員の内諾を得て行うという場合には差しつかえないのじゃないか、こう考えております。
  115. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 その問題については、あとから政府当局お尋ねいたしたいと思います。  続いて質問いたしますが、争議に入ってからだろうと思いますけれども組合員以外の人で残業しておる人には、夜食として従来にないようなよい食事を提供し、さらに酒一合をこれに対して出した、こういうことは、実は東京都の労働局から出しておる記事に載っておるわけであります。この酒を出されるということについては、どうもがえんじられない点があるわけですが、あなたの方では、作業能率を向上させるために酒を出されておるのかどうか、従来そういう慣例があるのかどうか、お尋ねいたします。
  116. 細井省吾

    細井(省)参考人 この酒の方は、前からの慣例でして、よく部会と称して、現場の従業員が集まっていろいろ作業の検討だとか、あるいは相互の意見の交換をするために、昨年の暮れあたりからは、いろいろ経理状態などで取りやめになりましたが、それ以前は何十年となくやってきておるわけです。それは大体回数にしたら、各部門で月一回程度です。そういう面で、非常に酒の好きな者が、よその会社より多いと言えると思うのであります。それと給食の件でございますが、これは組合の方で闘争宣言に入りまして、残業拒否ということになったのでありますが、会社としましては、残業がなくては正常の作業の運営ができないという見地から、全員残業要求したわけです。ところが組合の方では、闘争宣言あるがために、それはできないということで、非組合員の方で、作業終了後交代いたしまして、各職場に入って操業を続けた。その点につきまして、当時は従来の残業の人員より非常に数が少かったものですから、予算の関係上、個人に振り当てられる給食の額は非常にふえるわけでございます。そういう意味でございます。
  117. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 組合お尋ねいたします。従来も酒を出されたという例があるわけですか。それはどういう場合に出されておりますか。
  118. 内田川之助

    内田参考人 確かに総務部長がおっしゃられるように、以前は部会とか各職場において、作業面の打ち合せをするときなどは、確かに酒などを出しました。ところが、残業のときの食事のときは、酒は出たことはありません。
  119. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 どうもこの酒を出したということについて、われわれは非常に差別的な取扱いがなされておるということを感ずるのです。従来の打ち合せと違って、残業をしておる者の夜食に酒を出す、これはけっこうなことですけれども、しかし常に出されておるわけではない。しかも、闘争中にそういうことがなされておるということを考えてみますと、どうもそこに差別的な取扱いがなされておるのではないかと考えるのですが、あなたの方ではどういうようなお考えであるか、再度お尋ねいたします。
  120. 細井省吾

    細井(省)参考人 それは、先ほど申し上げましたように、残業の人員が非常に少いために、平常の生産量に到達するためには、各人の相当な仕事量の負担ということになってくるわけです。そういう面で、会社として多少の慰労をするという意味で、今おっしゃったような差別待遇をしたということになるかもわかりませんが、酒の量と申しましても、ほんとにわずかな量で、従来やっておったような——これは変な実例でございますが、一人頭で四合とか五合とか、そういう量ではないのであります。
  121. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 組合お尋ねしたいと思いますが、先ほどから経営者の方がたびたび引用されました例の妥協案と称するものについて、組合側はどういう見解をとっておられるか、お聞かせ願いたいと思います。
  122. 内田川之助

    内田参考人 この協定書は、六月十日にできたのでありますが、内容いかんを問わず、私の方は全面的に、たとえ組合判を押してあろうと、この協定書が作られる過程において、全然団交と認められない事実があるから、私の方では拒否するのであります。
  123. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 もう少し詳しくその経緯をお聞かせ願いたい。
  124. 内田川之助

    内田参考人 六月九日の夕方七時ごろ、会社側の方から、団交をする、こちらは社長一人であるから、組合の方も執行委員長一人で来てもらいたいというような話がありました。私の方では、ぜひ三役をと言ったのでありますが、会社の方も社長一人であるから、ぜひ一人で来るようにというわけで行ったのであります。それで日本橋の営業所に行ったところが、非組合員が六名、それから江東区労協の方で田中議長以外の方が二、三名おりまして、この協定書を作られる過程においても、組合側古川委員長を別室に置いて作られたように思われるのであります。
  125. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 そういたしますと、この妥協案というものができたけれども組合は、機関においてそれを否決した、こういう経緯ですか。
  126. 内田川之助

    内田参考人 そうであります。
  127. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 そういたしますと、この事件はまだ解決していない、あくまでも組合としてはそういう案をのんでいないのだ、こういうわけで闘争は依然として続いておる、こう了承して差しつかえないのですか。
  128. 内田川之助

    内田参考人 現在この協定書以外に、団交というところまで進んでおりますが、私の方では闘争が続いておると思っております。
  129. 山花秀雄

    山花委員 関連してお伺いしたいのですが、ただいま残業者に対して、ささやかではあるが酒を飲ませたというような御発言がございましたが、これは生産協議会か何かで、慰労の意味で酒を出すというようなことは、どこの工場でもありふれたことで、別に奇異の感じはいたしませんけれども作業をしておる工員に酒を飲ますということは、お宅の仕事の性質にもよりますが、大ていのところは危険を防止するために、作業中は禁酒禁煙というのが常識的原則になっておると思います。酒を飲んでも危険防止に差しつかえないような作業であられるのかどうか、お尋ねしたい。
  130. 細井省吾

    細井(省)参考人 従来も作業中に酒を飲むこともあったわけでございます。と申しますのは、昼間仕事が終りまして一ぱいやるという場合に、仕事場が非常に小規模多角的といいますか、作業内容がいろいろ違う部門もございますので、残業する者もある。しかし一つの部門において全員集まって飲むということは非常に有意義なことであるので、作業中でも、会社としては一応黙認して飲ませる場合もございます。それも限度があることで、それがために作業能率が落ちるということはないと思います。
  131. 山花秀雄

    山花委員 酒の好きな工員は、あなたの工場へ好んで行くと思いますが、私どもの知り得る範囲内におきましては、どこの工場でも、作業をやっているときに酒を飲むことを黙認するというようなところはおそらくないと思うのです。作業が終ってからなら別でございますが、ただいまのお話を聞いておりますと、これは私の直感でありますが、労働組合に対抗させるために、一種の利益誘導のような形で、悪い言葉で表現いたしますと、従業員をけしかけるような労務政策がとられたというふうに直感するのです。これは私の直感でありますから、別の問題でありますが、ほかの工場ではやっていないようなことをお宅の工場ではやっておられる。これは、仕事の性質にもよりますが、たとえば自動車の運転手などは、少しでもアルコール性があると処罰されるというような規則もできておる状態でありますが、お宅の仕事は酒を飲んでも危険その他に差しつかえないような仕事であるかどうか。これは経営者のあなたはよく御存じだろうと思いますが、少量の酒は作業中に飲んでもあまり差しつかえのない仕事であるというふうに御認定なさっておるかどうか、お伺いしたいと思います。
  132. 細井省吾

    細井(省)参考人 ただいまのお話では、作業中と申されたようですが、作業中ではございません、休憩時間に飲むわけでございます。
  133. 山花秀雄

    山花委員 作業が完了したのでないので、作業中と言ったのです。休憩時間というのは、後に作業が続くのでありまして、仕事の完了後でないように承わったのでございますけれども、その点はいかがでございましょうか。
  134. 細井省吾

    細井(省)参考人 その通りでございます。それと、現実の問題といたしまして——また酒の話ですが、うち工場の場合ですと、社宅が近所にございますので、うちによく帰るわけです。昼休みのときに一ぱいひっかけてくる。たとえば荷揚げ人足が仕事の合間に一ぱいひっかけると、かえって能率が上るというような場合もあるわけですから、要するに、職場におって飲み過ぎたために平常の作業ができるかできないかということが、限界だと思うのです。
  135. 中村三之丞

    中村委員長 中原健次君。
  136. 中原健次

    ○中原委員 六月の九日に組合側がストに突入いたしまして、同時に会社側では、社長が城東警察署長をたずねられて事態の収拾について相談をした、この問題について、会社側の見解をまず明らかにしていただきたい。
  137. 細井省吾

    細井(省)参考人 実は六月九日の争議突入は、突然のことでした。当時約半々の組合員と非組合員に分れておりまして、非組合員工場の敷地内に入って就労しようとしたときに、組合及び外部の応援者が工場内へ闖入いたしまして、片っ端から非組合員を追い出してしまった、これが一つ。それから工場敷地からちょっと離れております事務所へ闖入いたしまして事務所を占拠し、机、いす——机の損傷はなかったと思いますが、いすを損傷し、あるいは机を彼らで勝手に移動させ、あるいはドアのガラスを割り、洗面所のガラスを割り、職員は外へ追い出されてしまった、実に騒然たる状態であったわけです。それで社長としましても、このままの状態はほうっておけないというので、おそらく流血の惨事を避けるために署長のところへ行ったものと私は考えております。
  138. 中原健次

    ○中原委員 組合側の方でその点につきまして……。
  139. 内田川之助

    内田参考人 お答えします。私ども組合では、六月の九日朝の七時半から実力行使に入りますその約十五分前ごろに、会社側へ通告いたしました。それから少したってから事務所を占拠いたしました。そのときに、ガラスが割れたと総務部長はおっしゃいますが、割りません。表のガラスが割れたのは、近所の子供が石投げか何かして、それが当って割れたのであります。組合側が中に闖入してわざと割ったという事実は、全然ありません。
  140. 中原健次

    ○中原委員 その前の関連する問題として、労働組合側から団体交渉の申し入れをしておるはずでありますが、その団体交渉に対して、会社側はどういう態度をおとりになられたか、これについて会社側の御意見をお伺いします。
  141. 細井省吾

    細井(省)参考人 初めのうちは、社長初め労働運動というものに対する理解が全然なかったものですから、団交というものを非常に曲解いたしまして、これは一例でございますが、団交に応ずることと、条件の否決ということと、何か混同したように解釈しておったらしいのです。そういう点は、会社側の非とする点は十分に認めますが、その後、正常なルートと申しますか、団交とは言えないかも存じませんが、組合側代表者とわれわれとの間には、絶えず交渉しておりました。
  142. 中原健次

    ○中原委員 これは午前中に申し上げたことですが、法を理解していなくても、法に対する責任があるということははっきりしておると思うのです。しかも今日の段階で、労働組合法なり、人権あるいは労働権に対する憲法の規定なりが理解されていなかったということは、ほんとうには善意的に解釈ができないわけです。善意的に解釈できないということは、一般常識は、すでにそのことは承知していなければならぬからであります。従って、そういうところから出発して、組合を否定するという言動が絶えず繰り返されてきておったように思いますが、組合を否定するような言動を通じて、その次に現われてきた行動が、ただいまの警察権の不当介入の要請、同時に暴力的な人人の、労働組合の正当な行為を妨害しあるいは威圧させるためのそういう介入措置を講じて対抗してこられたというようなことが、一連の問題として出てくるのであります。そういうことを強力に繰り返すことを通して組合を排除して、そして経営者側の思うままに従業員の当然の権利もこれを退けていくことができる、そういうふうなお考えをお持ちなのかどうか、この点について……。
  143. 細井省吾

    細井(省)参考人 そういう考えは全然ございません。ただ、私のところは小さな工場でございまして、組合というものが分裂しておったら正常な運営ができない、どうしても一本にならなければいけないという見地から、たしか先月の十日だったと思いますが、区の労協の方が仲介に入りまして、従来のいわゆる組合、これは考え方によっては、われわれの一方的なあれかもしれませんが、従来の組合白紙に返して、間を置かず直後に、総選挙でもって全員の総意に基く組合結成する、この線に基いて従来までやってきているわけであります。決して組合を否定するものではございません。
  144. 中原健次

    ○中原委員 この点は、先ほどたしか山花委員から指摘しておられたと思いますが、全員をあげての組合結成させるために、会社側がそういういろいろな働きかけをしておるということは、労働組合法の立場で考えますと、これはやはり経営が組合に対する要らざる干渉、あるいは不当干渉、あるいは介入というふうなことになるのではないか。これは労働者自身の自由な意思でもって決定することでありますから、私はそのことは、別に経営側の組合を理解する立場を説明することには役立たないように思うのです。それと同時に、そういう考え方がつながっていくということのために、絶えず組合側に対する経営の支配干渉、こういうことが起ってくるのではないかと思いますが、このことについて、経営の方ではどのようにお考えになるのですか。
  145. 細井省吾

    細井(省)参考人 大体労働運動なるものは、これは経営者が干渉すべきものではないということは、われわれも十分に存じております。この労働法なるものの精神は絶対に守っていかなければならないとは、私は重々考えております。しかし、中小企業におきましては、大企業と違いまして、これは私個人の見解でございますが、どうしても労組法の基本線でいきますと、比較的労使対立という関係が出てくる可能性がある。これはあくまで中小企業は、労使協調といいますか、表現が下手でございますけれども、お互いに、たとえば組合を作るには、双方の意見を取り入れて——これは労組法の精神から見ますと、ちょっとそれておるかもしれませんが、双方の意見を取り入れて作る、これが中小企業における組合運動あり方ではないかと考えております。
  146. 中原健次

    ○中原委員 組合結成するのに、労使双方の意思を取り入れてこれを行わしめるということが、中小企業の場合は特に必要であるということは、ちょっと私ども受け取れないのです。中小企業といえども、大企業といえども、このことについては別に異なるわけのものではない。しかも、労働者が労働組合結成するということは、一つには日本国憲法の、ある意味では命ずるところでもあるわけであります。従って、その憲法の命ずるところに従って、労働者が労働組合を作るということは、あくまで労働者の自由意思にかかっていると思います。もちろん、でき上った組合が経営を破壊し、経営を否定する立場に立とうはずはないのであります。やはり経営の立場を顧みながら、いろいろな要求なりいろいろな問題を取り上げるということになるはずでありまして、従ってこの点については、やはり組合に対するつかみ方を、もっと根本的に持ち直していただかぬことには、やはり円満な労使関係というものは前進しないと、私はそう思います。ことに、労働者の自由な意思で結成された組合をだんだん弱体化せしめて、会社の意向を取り入れたような組合、それの反対勢力を作り上げていくその過程の中に、先ほどもお話がありましたように、場合によれば酒をふるまってでも、労働者にそういう一方に偏した利益を与えて、これに介入していくというようことが出ておるわけであります。従って、もうあなたの会社の問題に関して私ども質問するのも、実はばかばかしい感じさえしないではありません。それほどに、とんでもないことが起っておるわけであります。やはりそういうことが、経営を、ほんとうに今日のいろいろな困難の中を努力し、戦いながら健全なものにしていくということには、私はむしろかえってならぬのではないかとさえ思うのです。まあそのことはよろしいとしましても、いずれにしましても、今日労働権の尊重がなされないところに、労使関係のみごとな結びつきはとうてい望めない、そういうふうに思うわけであります。従ってそれだけに、今もなおかつ問題が解決しないまま、今日ここに残されておる事柄に関して、経営の方とせられて、ほんとうに労働者の団結に対して、あるいは労働者の団体交渉権に対して、もっと考え直していただかなければならぬのではないかというふうに感ずるのですが、このことが、実際にはりっぱに労働者が納得のいくような関係に結論せられることを私どもは期待して、お尋ねしておるわけであります。ただ問題は、それにもかかわらず、どうも第二組合結成するためのいろいろな策動が、依然として行われておるというような中に、そのことをかえって曲げていく結果に陥るのじゃないかというふうに思うのであります。これは、おそらく他の委員各位からも御質問があると思いますが、今まであげてきましたことは、実をいいますと、労働組合法、あるいは民法、あるいは労働基準法、さらには憲法などとてい触する線がたくさんあります。そういうてい触する線を一々持ち出して、今ここで議論する必要もないであろうと思います。実はそれほどに意外千万なことができておるわけであります。これはやはり会社側におかれても、もう少し今日の時を認識されて処理していただきたいとさえ思うわけであります。  さて、これにつきまして、政府側では局長御出席のようですけれども、どのようにこれを政府の立場から善処しておいでになられましたか、そしてまた、これからなおさらに善処なさるのか、これについて一応局長の御所見を承わりたい。
  147. 中西實

    ○中西政府委員 具体的な細井化学の問題につきましては、東京都が処理に当っておりまして、ここの報告にもございますように、関係の労政事務所、東京都の労働局、さらに都労委というところで、法に規定しております手続なり、あるいは記述しております内容に沿っての処理を行なっておるわけであります。労働省としまして、一般に中小企業における労使間の問題、これはちょうど通産省で中小企業の救済、中小企業対策というものが、最もむずかしい困難な問題であると同様、労使関係におきましても、この中小企業の労使関係の問題は、実際上の問題として、大企業ときわめて違った様相があるわけであります。しかしながら、中小企業といえども、もとより労組法、労調法というものの規定によって認められておりますところは、当然労使双方とも心得てやらなければならないのであります。しかしながら、現在の実情は、ことに業者におきましては、労働法について、なおわれわれも努力しておるのでありますけれども、認識において欠けるところが多々あることは、否定できないと思っております。きのうきょう、実は全国労政課長会議をやっておるのでありますが、特に中小企業の労使間の問題につきましては、今後重点を入れてこれに対する努力をするようにということを相談し合って参ったのであります。中小企業は、結局日ごろの労務管理が問題でございまして、日ごろから十分に従業員との意思が疎通しており、さらにまた、経営者もよく労働法規等を心得て違反のないということを心がけておりますれば、問題は起りっこないのであります。この点について、さらに今後とも私ども努力して参りたいというふうに考えております。
  148. 中原健次

    ○中原委員 それと関連しましてもう一点、局長の方でも、もちろんいろいろ御苦心なさっておいでになることと察しますが、経営の方でもいろいろな経験の中から、これではならぬということを確かに気づいておいでになることと期待いたしております。そうであれば、なおさら問題になることですが、いわゆる暴力団の面ばらを雇い入れて、そして正常な労働組合の活動を威圧する、あるいは妨害する、そういう措置がとられておるということについて、これはいかがでしょうか。やはりこのことが、今起っておるこの問題をほんとうにみごとに解決する非常に大きな条件になり、あるいは経営者側としての力になるというふうにごらんになっていらっしゃるのでしょうか。細井さんのこれに対する御見解いかがでしょうか。
  149. 細井省吾

    細井(省)参考人 そうは考えておりません。これは暴力団とおっしゃいますが、私の方では臨時守衛と申しております。これははっきり申し上げますと、五月二十三日の二時四十分から四時過ぎ、おそらく七時、八時ごろまでになったと思いますが、この間職場放棄、それとつるし上げ状態が非常に猛烈をきわめたわけです。それで、一部の従業員うちへ帰ってしまう、あるいは一団をなして退避しておるというような非常に険悪な状態に相なったわけです。このときも、やはり三十名ほどが事務所へなだれ込んで参りまして、それで、私なども逃げるところがなくて——これは決して暴力ではございませんが、精神的な重圧、圧力です、相当にこれはこたえるのでありまして、これが非組合員ほとんど全員にわたって行われたわけでございます。それと、その翌日五月二十四日朝、社長が車で参りまして事務所へ入ろうとしたところ、現場から何の通告もなしに——現場と事務所は道路を隔てておりますが、現場の方から飛び出して参りまして、おそらく四、五十名はおったと思います、それで車を取り巻きまして車を動かさない、あるいは車の中におる社長を引っぱり出そうとする。この間、大体十分程度でございますが、この日は前日、まあ便宜上つるし上げという言葉を使いますが、ほとんどの非組合員会社を休みまして出てこなかったわけであります。闘争宣言中ですから、スト態勢には入っておるでしょうけれども、これでは平常な作業の運営ということはとうてい不可能な状態であったのです。午前中、説明がありましたが、その職場放棄によりまして、現場のモーターは回しっぱなしで行ってしまう、あるいはもう五分ほどででき上る製品が煮詰まったままで、かまの中でかちかちになってしまう、あるいはボイラーマンが引っぱり出されてつるし上げを食うというような状態で、保安上、どうしてもこれはほうとっておけない状態に立ち至ったわけです。それでやむを得ず守衛をふやしまして、従来、昼間は一人の守衛でございましたが、その翌日の二十五日にはこれを七名にしまして職場を守らせたわけです。それがために、ある程度平静の状態に戻りましたので、逐次減らしまして、翌日は五名、それから四名と、その後五名になったり四名になったり、あるいは三名になったりしておるような状態が続いておるわけです。
  150. 中原健次

    ○中原委員 正常な作業の運営のために、そういう措置をとらなければならなかったというお言葉のようでしたが、かえってそのことが正常をこわしつつあるのではないかというように私たち受け取れる、同時にまた、いわゆる正当な団体交渉が進められておるならば、そのように受け取られるような状態は起らないはずじゃないかと私どもは思います。従って、先ほどは何だか正常に団体交渉は進められておるとお話があったように思いましたが、察するに、それはやはりそうじゃないということになるのじゃないかと私には思われるのです。従ってこのことについて、もう一度組合の方から、経営者組合側との間で、正常に団体交渉がほんとうに進められておるのかどうか、伺いたい。
  151. 内田川之助

    内田参考人 会社側から正常に団交をすると言ってきたのは、今までにたった一回、六月の十日にこの協定書ができるときだけであります。今、総務部長がおっしゃられたように、社長が来てすぐ車を取り巻くということは、その前の日にも、会社事務所へ入って、社長団交を申し込むのだからぜひ会わせろと言っても、その間、社長はおらぬといって話を逃げているような始末でありますので、社長事務所に参ったならば、すぐ社長に会って団交を申し込もうというわけで、その車を取り巻いたわけであります。
  152. 島上善五郎

    ○島上委員 関連して中西政府委員質問します。ただいまの御答弁にもありましたが、この紛争は、もともと労働組合を認めない、お前たち労働組合を作ったのはけしからぬ、そんなやつに会ってやるかといったような調子で団交拒否したところに、問題の紛糾のそもそもの発端がある。今、明らかにあなたも聞いておったと思いますが、御答弁の中に、われわれ中小企業にあっては、労働法の基本線でいくと労使の対立が起って困るから、労使双方話し合いの組合を作るべきだ、こういう御答弁です。私は、中小企業であろうと大企業であろうと、今日労働組合法その他労働関係法が厳存しておる以上は、この基本線に従っていくべきものである。この基本線に従って、いかに円滑な労使関係を打ち立てていくかということを考えていくべきものである。この基本線に従うと労使の対立が激化するから、それをやめて、それを無視して、労使双方の意見組合をやっていこう。要するに、資本家の意見も大いに取り入れて組合をやってもらわなければいかぬ、こういうことに帰着する。これは明らかに労働組合に対して、経営者がなすべきでない干渉をするということになる。干渉でない。単に要望であるとか希望であるとか言うかもしれないが、とにかく労働組合の運営というものは、労働者自身が自主的になすべきものである。ここに経営者の意思を取り入れる、しかも、労使双方の意思ということで体系に取り入れるということは、これは労働組合としての正常な行き方でないし、こういうふうなところに問題の紛糾した原因がありますので、この点に対して、今日の労働法に立脚してどのようにお考えになるか、これは簡単でいいですから、はっきりとお答え願いたい。
  153. 中西實

    ○中西政府委員 基本線は、島上委員のおっしゃる通りでございまして、法に従えば、中小企業では激化するとかいうことは、そり基本線ということの先入観に違いがあるのじゃなかろうか。ただ、今の日本全体の組合に対する一般の受け取り方、ことに中小企業の業者の受け取り方については、若干無理からぬところもあろうかと思いまするし、それは結局は将来の労働組合としても、やはり相当考えなければならぬ点があると思いますけれども、法の建前から言いますと、全く島上委員のおっしゃる通りでございます。
  154. 島上善五郎

    ○島上委員 実は午前中に、今までの事実について、かなり詳しく質問して答弁もありましたので、あとで記録をお読み願えれば、おそらくあなたもびっくりなさるに違いないと思います。私は、午前中のことをここで長々と繰り返して申し上げようとは思いませんから、あとで記録をゆっくりお読み願いたいと思いますが、要するに、徹頭徹尾、この会社と相談しないで、お前たち勝手に組合を作ったのはいかぬ、こういう見地の上に立って第一団交拒否した。都労委の二つのあっせん案というのは、一つは、団体交渉をすることということ、これを全面的にけっておるのです。そうして、お前たちは組合をやめるか、会社をやめるかどちらかだ、こういうことを言って、相当数の者を組合から脱退させた。それから、くりからもんもんの無頼漠を連れてきて、現に暴行事件も起っておる。待遇といえば、あなたの方の出された資料によって明らかでありますように、平均八千円、去年の暮れの手当が、これは東京都労働局の出している新聞ですから、公平な見地で出しておりますが「二十三年間粉末硫黄をスコップで袋に入れる作業をしている女子従業員は、なんと五〇〇円」この記事をそのまま引用しますと、こういうのです。そうして、今言ったように組合に対する不当な、不法な干渉、ストライキに入ったら大へんだといって警察に相談に行った。これは全く考え方が二昔も前の経営者の考え方−私は二昔前でも、もののわかった経営者なら、こんなことはしないと思います。ちゃんと労働委員会という機関があるのですから、そこへあっせんを申請されるというなら話がわかりますけれども都労委あっせん拒否しておいて警察へ飛び込んでいく。こういうような感覚で労働組合に対処されるということになれば、はなはだ、今細井参考人が言われた労使の円満な関係というものも、むずかしいと思います。私は、そういう感覚、そういう考え方自体を考え直していく、そうして労働者の団結権、団体行動権というものを尊重した上で、会社の立場も労働者によくわかるように話をして、そういうふうなやり方で労使の円滑な関係を打ち立てていく、これが望ましい形だと思うのです。これに対する労政局長のお考えを一つ承わりたいと思います。
  155. 中西實

    ○中西政府委員 専門家の島上さんは、ちゃんとルールを御存じになっていて、それはもう原則はその通りでございます。
  156. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 ちょっと関連して労政局長お尋ねいたしますが、けさからの話を聞いておりますと、これはむしろ罪は労働省にあるのではないかというほど、経営者労働組合というものの認識が足らない。これは経営者に対する労働教育が全然なっていないと思うのです。労政局は、十年になるけれども、一体労働省ではどういうような教育をされているか。百名以上使っている経営者がこういう認識であれば、一体どういうように具体的にされているか、一言だけでいいですから、お聞かせ願いたい。
  157. 中西實

    ○中西政府委員 まして憲法あり、それに基いていろいろ法律が出ておりまして、大体相当の人を使っておられる業者は、少くともそういった法律のあることは承知していられると思うのでありますし、さらに労働教育としましては、各府県それぞれ労政事務所を通じ、あるいはいろいろな会合を通じまして努力はしているはずでございます。ただ、中小企業においては、なお労使間に対しての感覚が前時代的なものを持っておられる方も相当あることは予想しておりますので、先ほども言いましたように、今後ともこの点については努力を進めて参りたいというふうに考えております。
  158. 島上善五郎

    ○島上委員 最後に一つだけ伺いますが、今日は社長細井信三参考人は、御病気で診断書を出されました。私の聞き及んでいるところでは、本日おいでの細井省吾さんというのは御兄弟ですぐそばに住んでいらっしゃる。今日は病気だからかわりに行くようにという話も、直接細井信三社長から伺ったと思いますが、国会の参考人としては出てこれない、しかし会社の用とか、ほかの用ならできるという病気、そういう重宝な病気があるかどうか知りませんが、本日現に市川の住まいから東京へ出ていらっしゃって活動しておる事実を私承知しております。御病状はどういうふうであったか、一つ参考人かうお聞かせを願いたい。
  159. 細井省吾

    細井(省)参考人 実は昨日六時から組合側と、それから総評関化連の委員長さんの久保田さんと飯崎さん、広瀬さん、団体交渉をする段取りになっておったのですが、このところ、こういう問題あるいは金融等の問題で、非常に神経をすり減らしておりまして、大体血圧が、ふだん非常に高いのでございます。それで昨日どうしても出て来られなくて、直接お断わりしたわけでございますが、今日もどうしても行けないからと、医者の診断書を添えて、医者も安静にした方がいいだろうということで、私どもここへ参ったわけですが、その後の状況は全然存じません。
  160. 中村三之丞

    中村委員長 野澤清人君。
  161. 野澤清人

    ○野澤委員 細井化学の問題について、細井省吾参考人にちょっとお尋ねしたいのですが、あなたの会社の歴史的な経過も、また経営状態もよく承知しておりますが、端的に申し上げますから、はっきりとお答えを願いたいと思うのです。中小企業労働紛争としては、これは化学工場として一つのモデル・ケースになるのではないかという心配から、あなたの工場で百二名の従業員を持っているというか、常時使用される人員は、これを分けてみますと、少くとも二通りか三通りになると思うのです。つまり、細井化学仕事工場の運営をしていくのに、どうしても必要な工員というのは、大体どのくらいな数なのか、また人夫で差しつかえないという作業が何人くらいなのか、あるいはその中間に、固定した人員でなくともある程度までやってのけられるとか、あるいはやや半永久的に使った方がよろしいかというような、工員の種類が大体三つくらいに分けられると思うのですが、この点をちょっとお伺いしたとい思うのです。
  162. 細井省吾

    細井(省)参考人 実は今まで、従来の方針は、おっしゃったような線を検討はいたしませんでした。ただ、私の父の代からやっております方針としては、本人が——これは悪い意味に取りがちでございますけれども仕事のできなくなるまでめんどうを見る。ですから、うちの場合は、一応定年制というものはうたってありますけれども、事実実施はいたしておりません。それと先ほどの、どの程度の働く人間が必要であるかという御質問に対しては、一昨年あたりから、これは大企業、中小企業に限らず、企業の合理化ということが最も強く叫ばれてきまして、その線で、万難を排して機械の改良、増設の工事をやってきたわけです。それで、最近やや生産性の向上が見られたために、ある程度の人員過剰は来たしております。
  163. 野澤清人

    ○野澤委員 細井さんにお尋ねしたことは、私は、これが労務管理の基本的な問題だと思うのですが、あなたのところの明治時代からの工場管理の行き方というものは、いわゆる家庭工業の進化したものですな。企業形態だけは、株式会社の形態をとっておっても、実際は家庭工業の延長ではないかという感じがします。そこで、今お話もありましたように定年制も何もしかない、いわゆる徒弟としての結びつきが強い。こういう感じから見て、しかもまた、化学工業工場としては、単純な生産企業です。機械化すればするほど工員は少くなってくる特殊な工場です。そうした労務官吏というものの基本的な線が必ず出ていると思うのです。たとえば、化合させる、沈澱をあげる、濃縮をする、こういうふうなポイント、ポイントには、どうしても熟練工ではないか。けれども、それ以外に、かますに詰めるとか、あるいは運搬をする、原料の仕込みをするのには、未熟練工でも間に合うとか、こういうことから、ほんとうの労務管理というものは、永久技術者と工員と、さらに臨時工と分離してこれを契約すべきでなかったか。こいううところに根本的な労務管理の誤まりがあったために、今度のような事態が起きたのじゃないか。そこで、どこの化学工場でも、基本になるものは、三分の一とか五分の一とかいう率が固定されていなければならぬ。それで、今度の労使間のこの紛争は、単に団体交渉権についての論点でなくて、中小企業がひとしくこうむる現在の経済情勢が、むしろ根本なんじゃないか。労務管理の欠陥なのか経済行為の欠陥なのかという基本問題が生まれるわけだと思うのです。そこで、細井化学としては、同族会社ですから、当然相当の利潤も上げ、合理化された運営のされていることも承知しておりますが、むしろその反面には、徒弟企業であるという観念から抜け切らない、ここに労組恐怖病といいますか、だんだんと島上委員等の質問を拝聴していると、初めから団体交渉等を設けること自体に恐怖観念を持ってきている。妥協すべきもの、理解すべきものが十分あるにもかかわらず、感情でこれを支配しなければならぬ。その根本になるものは、やはり経済行為が根本じゃないかと私は思うのです。少くとも城東あたりの化学工場の五十人、百人の工場で、労使が対立しなければならぬということには、この会社自体の経済行為というものが根本に欠陥がある。先ほども中西局長に島上氏が質問されておったようでありますし、また企業者に対する労務管理の教育の問題等も御質問があったようでありますけれども、その根本を流れるものは、中小企業に対するところの育成強化という面が、政府全体に欠けている。中小企業資金をいかに流してみても、弱小企業には金が入らない。ここに経営者としての経済的な破綻を生む道があると思うのです。経済的な裏づけがありさえすれば、あなたのように歴史のある工場なら、労使対立することはおそらくないと思う。  そこで、問題の要点として私のお聞きしたいことは、あなたの工場でなくてならない技術的な内容を持つ第一級の工員が何人くらいあるのか、それからまた、技術者でなくても、なくてならない工員がどのくらいあるか。それから、労組のリーダーシップをとった者は、その工場でなくてならない階層の工員であったのか、あるいは普通の人夫でも仕事のできるような人がリーダーシップをとったのか、これが基本問題だと思うのですが、一応その点を明らかにしていただきたいと思います。
  164. 細井省吾

    細井(省)参考人 せっかくのお尋ねでございますが、今ちょっと数字が出ないのでございます。
  165. 野澤清人

    ○野澤委員 数字じゃなくていいのです、大体の。
  166. 細井省吾

    細井(省)参考人 大ざっぱに見まして、大体百名の現場の従業員うちに、技術的関係で、この人間がいなければ工場の正常な生産ができないという人数が、輸送関係も含めまして約五十名弱でございます。大体あとは、作るものによっても違いますけれども、現場へ入りまして一日、二日やれば、覚えられるような程度のものです。
  167. 野澤清人

    ○野澤委員 概数として非常に多いように感じますが、五十名でけっこうです。けれども、今度の組合結成についてリーダー格になった方は、その重要な人員の五十名の中から代表で出ているのですか。それともあまり重要でないグループの中から出ているのか、それを聞かせてもらいたい。
  168. 細井省吾

    細井(省)参考人 大体重要でない側の方から出ておるように思います。
  169. 野澤清人

    ○野澤委員 大体普通の組合結成の順序に従っているように感じますけれども、これに対して、あなたの方では、団体交渉等について、おそらく恐怖観念を持ったと思うのですが、この労使の対立を激化させた理由というものは、都労委のいろいろな話し合い等においても、かなり社長が感情的にたんかを切っているという事実も了承したのでありますけれども、えてして団結をしようとか、労働者が発言権を持とうとかいうときには、そのリーダーシップをとる者は、労働貴族にありがちな比較的作業が好きではないものです。そういう者がリーダーシップを握る傾向がありますけれども、これを感情で支配したのでは、健全な企業は育成できないと思うのです。  そこで、新聞等を見ますと、四月の二十七日ですか、参加者百二名の出席があって、亀戸労政会館のところで結成大会を開いた。ここまでは非常にいいようですが、この席上へ島上善五郎氏が出ているというようなことが出ております。これが共通した一つの資本家の恐怖観念だと思うのです。ああいうえらい人が来たのでは、これは組合をうっかり育成すると、たたかれるのではないかという感じをおそらくお持ちになったと思うのですが、島上さんは、ごらんの通り温厚な人ですから、そういうことはないのです。むしろ、そういうときに十分話し合いをして、組合を育成すればよかったと思うのです。それを普通の本町人や江東あたりの中小企業者は、労組というものは赤旗を立てるものだという概念なのです。ここに今度の紛争の根本がある。そこへ持ってきて、暴力行為云々ということになれば、これはどこでもつきものでありますが、こういうことで一般の社会人が理解しますと、もう中小企業でも、労働者は結束しなければ損だという考え方になる。ところが、中小企業というものは、細井化学あたりは、相当の資産を持っていますから別でありましょうが、二十日も一カ月も仕事を休んで労働者と資本家と対立しておれば、必ずつぶれます。しかも銀行は貸し出しの対象にしない、割引もしない。これが中小企業者の弱点ですから、こういう問題については、もう少し胸襟を開いて話し合いをする度量を持つということが必要ではないか。  それで、先ほどからも、島上さんから、反省しているかということで、確かに労組のことを知らなかったというお話でありますが、またあなたの方の社長さんが腹が痛くなって出てこられないという心理状態も私はよくわかります。しかし、もう少し勇敢にありのままをさらけ出して、国会もあなた方の首を取るというようなことはしませんから、はっきりした態度で遠慮なしに言って活路を見出す。それから労組の代表の方も、今日見えていまして、内田さん自身も、この空気は十分おわかりだと思うのです。対立的な暴力行為やピケ・ラインをしくというよりも、この企業そのものをどうしたら育成できるかということに重点を置き、都労委に対しても、一方的な意思表示ではなしに、そういうことを中心にして話し合いをすれば、完全にできるのではないか。ところが、このまま対立をしていくというようなことで、あるいは労務管理等によってこれらのものが勧告を受け、あるいは強制的に団体交渉権をなくすというような事態を引き起しますと、ここの企業者の経営状態から、相当悪影響を社会にもたらすのではないかという感じがしますし、ほんとうならば、細井化学社長さんと従業員の方とが、ここまで来て対立をしなくてもいい企業だと思うのです。私も化学屋ですから、あなた方の状況をよく知っているのです。島上さも責任を持って組合を指導すると言うのだから、この辺で一つ心を入れ変えて話し合いをするような段階に持っていったならば、大へんけっこうだと思います。同業者なるがゆえに、私自身も相当理解をして御忠告申し上げたいと思うのです。  なお、こういうところへおいでになるときは、かたきのところへ行くのではありませんから、資料を十分お持ちになっていただきたい。労働者に払える賃金は、片方は八千円だ、片方は一万五千円だと言われる。おそらく残業と時間外手当等で一万五千円になるのではないかと思います。十分もうかる細井化学の企業ですから、お話し合いで労働者の優遇もできるようにしていただきたい。ただし、島上さんが、女工が五百円しかボーナスをもらえないと言われますが、現在本町あたりで、ボーナスを出せる薬屋はほとんどないのですから、それ以上は特殊な形態で、出せばけっこうな方です。それ以上出そうとされるならば、政府が資金を出してやらなければだめだということが結論になりますので、お願いやら希望やらを申し上げましたが、どうか心を入れ変えて話し合いをしていただくようにお願い申し上げて、私の質問を終ります。
  170. 中村三之丞

    中村委員長 横錢重吉君。
  171. 横錢重吉

    横錢委員 内田参考人に伺いますが、本日の組合側の代表として出席されているあなたの肩書きが、財務部長ということになっておりますが、組合長あるいは書記長というような代表的な人が、なぜ出席されなかったのか、現在の組合がどういうように運営されているのか、この点について、まずお伺いをいたします。
  172. 内田川之助

    内田参考人 本日、組合を代表して私が参りましたのは、現在実力行使中でありまして、三役が現地にいないことにはどうしてもまずい。それに昨日から団交をしているものですから、私が参りました。
  173. 横錢重吉

    横錢委員 さらに伺いますが、組合の中から相当数の脱落者と申しますか、組合を脱退した者が出ているようであります。その理由については、先ほども述べられているようでありますが、これは単に会社側の圧力に上るものというように考えられておりますか、それともそのほかに、なお他の理由で脱退したというように考えられておりますか、この点お聞きいたしたいと思います。
  174. 内田川之助

    内田参考人 一つは会社側の、先ほど何回となく申しました不当労働行為的なものによる社宅を追い出すとか、会社をやめさせるとか、そういうようなことによって、一つの恐怖観念を持って会社側の方についた、そういう見方と、もう一つは、社宅の方へ回って、十何年勤めた年取ったおばあさんのところへ、五百円の金を持っていって脱落させた事実もあり、残業をしていない手前、非常に生活に困ります、そこで会社側でそういうふうに裏でもって工作されているのを現実に見ておりますれば、どうしても生活に困って会社側につくという場合もあります。
  175. 横錢重吉

    横錢委員 次に、細井参考人にちょっとお伺いいたしますが、最近の会社の業績と申しましょうか、会社の利益配当は、最近においてどの程度されたかというような点について、お差しつかえなかったらお答え願います。
  176. 細井省吾

    細井(省)参考人 私は現場の方におりますので、詳しいことは存じませんが、無配当でございます。二十九年度以来は、バランス・シート上の利益はほとんどないようでございます。
  177. 横錢重吉

    横錢委員 会社の人員雇い入れの方法についてちょっとお伺いしたいと思うのですが、百二十五名といわれた人員について、先ほど他の委員からもいろいろ質問等がありましたが、百二十五名程度の人員を常時使っておるのは、大体いつごろからですか。
  178. 細井省吾

    細井(省)参考人 三、四年前ですか、朝鮮戦争が始まりましたときに、機械の設備は非常に悪い状態でございましたが、生産量を増すという点で非常に人員増加の必要を感じたわけです。その当時、三、四年前でございますがその当時に入れまして、一昨年あたりから不況時代に入って以後、大体今の状態が続いておるわけです。
  179. 横錢重吉

    横錢委員 人員の雇い入れの方法ですが、これは今の御発言を伺っておりますと、徒弟養成の格好になっておるように聞いておるのでありますが、これは大体職安を利用されておるのですか、それとも縁故募集のような方法でやられておりますか、どんな方法で採用が行われておりますか。
  180. 細井省吾

    細井(省)参考人 これは現従業員の中から、あるいは知り合い関係の中からの紹介でございます。今職安の方からは、お願いしてございません。
  181. 横錢重吉

    横錢委員 それでは伺いますが、臨時守衛の募集をされて入れられておるようでありますが、臨時守衛は、どのようなところから入れられたのか。臨時守衛をやっておる者についての前歴とか人数とか給与とか、その期間とかいうような点については、どういうような約束で入れられておりますか。
  182. 細井省吾

    細井(省)参考人 約束は私存じません。営業の方で、いろいろの関係からだと思いますが、私は存じません。
  183. 横錢重吉

    横錢委員 前歴、条件、こういうものについては、お知りになっていないのですか。
  184. 細井省吾

    細井(省)参考人 本人たちがどういう職業に携わっておったかという程度の話は聞いておりますが、それ以上の詳しいことは存じません。
  185. 横錢重吉

    横錢委員 先ほどのお話の中に、非常に物騒な発言等をしておるというようなことを言われておりまして、またこれに対して、ある程度そういうような暴言等もあったというような意味のお話もあったようでありますが、こういうことは、労働争議の場合に非常に大へんな問題でありまして、こういう言葉のやりとりをしておるうちに重大な殺傷事件を起しましたり、あるいはそのことから事実殺人事件を起すというようなことに発展をした実例もございますし、こういう問題は、きわめて大へんな点でありますが、あなたの方で臨時に雇い入れられましたこういう守衛の人々に対して、どういうような教育あるいは取締りをこれらの点に関してやられたことがございますか。
  186. 細井省吾

    細井(省)参考人 暴言とか暴力をるうということは、極力しないように常に言ってはおります。今まで相当一触即発のような気配も二、三回あったようですが、私の知る限り、そういうトラブルも起きないで現在に至っております。現在争議中でございまして、工場の一部は組合員並びに外部の応援者のために占拠されておりますが、極力刺戟をしないように待機させておるわけです。
  187. 島上善五郎

    ○島上委員 その条件のことで今気がついたのですが、おそらく組合側参考人は御承知だと思います。その条件は、あなた方幾らで来ておるのだと雑談的に話したら、片手を出した。そこで、五百円かと言ったら、冗談言うな、体を張って来るのに、だれが五百円で来るものか、もう一つまるが多いと言ったというのです。この点はどうですか。
  188. 内田川之助

    内田参考人 それは入ってきた当時、聞いたことがありますが、確かにそういうことを言いました。賭博場あたりへ行けば、どこを歩いても、ちょっと顔を出しただけで五百円や六百円になるのだ、一日三、四回回れば二千円や三千円の金になるのだと、いうことを、はっきり言いました。
  189. 横錢重吉

    横錢委員 細井参考人にさらにお伺いいたしますが、紛争の起った原因について、現在はどういうように考えておられますか。特に初期の段階におきましては、労働問題に対してほとんど承知をしておらなかった、そのことのために、いろいろとトラブルを起したような問題もあるけれども、現在においては相当程度の知識経験を持たれておる。ただいままでのお話を伺っておりますと、どうも印象として、労働組合の存在を許さない、じゃま者の存在を許さないという印象を受けるのでありますが、おそらく今までいろいろ経験された中におきまして、会社側がそういう考え方を持っておるとは、私、考えないのでありますが、この原因について、どういうように考えておられるかという点。さらに、今後解決をするためには、どういうような方法で解決を求めようとしておるのか、この点についてお伺いをいたしたいと思います。
  190. 細井省吾

    細井(省)参考人 紛争の原因として、まず団交拒否の点を、先ほどから指摘されておりますが、これはおそらく労働問題に対して非常に無知であったために、組合運動というものが非常に破壊的なものであるという、無知なるがゆえの先入感がもたらしたのだろうと私ども考えております。それもいろいろなわれわれの反省とか、やって参りました御忠告などによりまして、労働運動あり方、あるいは外郭のあり方ども多少ははっきりつかめたと思います。それで現在は、ともかく割れておっては、こんな小さな中小企業ではどうにもならない、一日も早く一本の線になってやっていかなければいかぬという見地から、先ほど申し上げました四者の協定書、まずこれを実施すべく最善の努力をしてきたわけでございます。それで、大体この線に沿いまして、この調印は会社組合と、それからいわゆる組合の上部団体の書記長の方と区の連合会の議長の方の三者の評議の結果きまった調印でございまして、これからこの協定書の基本をはずさないで一つずつ解決していくというふうに、昨日から双方で団体交渉に入っております。昨日の団体交渉は、組合側要求事項として、この基本線から、ちょっとここに盛られていない事項が相当ございましたが、これはお互いに話し合えば、必ず理解できるものと考えております。
  191. 中村三之丞

    中村委員長 よろしゅうございますか。  受田新吉君。
  192. 受田新吉

    ○受田委員 基準局長がおいででありますので、ちょっとお尋ねしますが、政府が発表する一般企業別賃金の中に、この細井さんの会社は入れられて計算してあるかないか、お伺いいたします。
  193. 富樫總一

    ○富樫(總)政府委員 企業賃金でございますか。
  194. 受田新吉

    ○受田委員 一般企業別賃金です。
  195. 富樫總一

    ○富樫(總)政府委員 そういう名目の統計は、去年労働省で調査したあの俗に標準賃金といわれているあの一般職種別等賃金調査でございますか。
  196. 受田新吉

    ○受田委員 そうです。
  197. 富樫總一

    ○富樫(總)政府委員 細井化学の実態は私存じませんが、化学は入っております。
  198. 受田新吉

    ○受田委員 私は、けさほどから労使双方の御意見を拝聴しておりますと、先ほどから委員各位から御指摘に相なりましたごとく、中小企業の最近における実態が、非常にはっきり浮び出たと思うのであります。わけて組合結成していなかった小さな会社においては、きょうおいでいただいております細井省吾さんのように、会社の最高幹部はほとんど一門一家でこれが編成されておる。従って、経営者側には他人がまざっていないという、これが特に百人前後以下の中小企業の実態ではないかと思います。従って、従業員の採用に当っても、自然に縁故採用が行われ、組合結成を阻止する傾向にあったと思います。今日も細井善作さんがおいでになられたのでありますが、会社の幹部といたされましては、いろいろと答弁の食い違いなどが起ってはいけないということになり、その中で最も交渉の技術と実力を持っておられる総務部長さんが代表して今おられるわけです。こういうことをいろいろ考え合せてみますと、政府としては、中小企業の実態をもう少し厳密につかむ必要がある。いわば一門一家で作られた、会社とはいいながら、血のつながりによるところの組織体であるこういうものに対して、指導よろしきを得ないということになると、先ほどから問題になったごとく、組合結成に非常な脅怖を覚えるような結果になる。そういうものは想像しなかった、予定しなかったことであるから、会社の血のつながりの幹部間において、会社は何とかまるめられるものであるという考えを持ち、また縁故採用したものであるから、大てい組合など作って交渉するなんということはあり得ぬという前提のもとに、日本の現状における中小企業経営者側は考えてきた傾向が多分にあると思うのです。幸い、最近きびすを接して、これら中小企業にも組合結成せられて、健全な民主化運動が起っておることは同慶にたえませんが、この際政府として、この中小企業の実態把握に、もう一歩積極的であってほしい。その一つは、賃金の実態を厳密につかんでもらいたい。先ほど経営者を代表した御答弁の中に、一万五千円の平均賃金が指摘されており、また従業員を代表された御意見の中には八千円の賃金発表されておるのですが、こういう食い違いなどをさせないような一つの指導がされていなければならない。ことにこの細井さんの会社は、そうした労働問題などに御研究が浅かったとおっしゃっておられる通り、政府の御認識も、この細井さんの会社に対してはまた非常に薄いと私指摘せざるを得ません。その一つといたしまして、会社側がどのくらいの従業員を持っており、そうしてその従業員がどのくらいの平均年令を持っており、昇給率がどのくらいになっておる。定年制は実施していないで、なるべく長く職場にとどまらせておるとおっしゃるけれども平均賃金を見るときには、もう昇給率などほとんど問題にされていない傾向がある。こういうようなことに対して、真剣に中小企業の実態を政府自身がつかむほどの努力がされてないと思うのです。この点、会社がうかつであり、また旧態依然とした形をとる傾向があるとともに、政府自身も、個々の会社についての調査が不十分ではなかったかと思うのでありますが、これに対して、政府の側からの御答弁を願いたいと思います。
  199. 富樫總一

    ○富樫(總)政府委員 これは一般的に申しますと、私よりも統計調査部長が答える建前でございますが、統計調査部におきまする調査は、日本の全事業場八、九十万全部につきまして、一つ一つの調査をすることは、まずほとんど不可能でございますので、「毎月」におきましては、三十人以上の事業場につきましてサンプル調査をいたして、統計として平均賃金発表しておるわけであります。そうして統計でございますので、その積算の基礎になりました個々の会社賃金をとやかく発表したり、それをもとにして、お前のところは安いから上げろとかというようなことは、いたさない建前になっております。先ほど申し上げました昨年の四月に調査したというのは特に詳しく職種別、年令別、経験年数別、学歴別というふうに、こまかい調査をいたしました。もし細井さんのところの賃金が労使間に問題になった場合には、その調査を照らし合せて、自分のところは昨年より高いか低いかということがある程度わかる、そういう資料としてお使い願い、役所の方から、お前のところは不当に高い、安いということは言わないという建前になっております。
  200. 受田新吉

    ○受田委員 完全失業者の実態調査などが、今のようなサンプルを基準にした結果、われわれから見たら完全でないということが言えるわけですが、それと同じような形で、中小企業の実態調査もサンプルを中心におやりになっているので、従って細井さんのところは、今、政府御自身が目前にいろいろお聞きいただいた通りに、労務者の側にとってみたら不当な低賃金で甘んじられているという実態をお知りいただいたと思います。この際、中小企業の振興策という基本的な国策から考えた問題を、政府は、労務の立場からは労働者が十分これに積極的に指導をしていただかなければならぬ。そしてまた資金面においては、中小企業振興のための国家資金を融通する道をとるとか、いろいろな方途を講じ、輸出の振興をはからなければならないと思いますが、中小企業の実態が、先ほど指摘しましたように、血のつながりで経営者が陣をしいている、こういう実態では、そこに自然に経営の内容などは、ある程度のからくりによって経営者側は血のつながり同士で相当の所得を得ることができる。労務者の方は、その経路内容を知ることができないで、低賃金に甘んじるというようなことになるおそれがあると思います。こういう点につきましても、何らかの形において政府として中小企業の実態をもっと積極的につかむ方途はないものか。これらの点について、今後の問題として業種別、職種別の賃金調査などに当って、もう少し範囲を広くして当ってみるとか、あるいはサンプルに当ったところと比較検討できるような企業体については、特に東京都などは一つのモデル・ケースとして考えられるのでありますから、手近なところでは特に調査を厳密にするとか、すべての中小企業からその実態調査の報告をさせるような措置をとるとか、何かもっと積極的な方途をとる必要はありますまいか。
  201. 富樫總一

    ○富樫(總)政府委員 これも、私から申し上げるのはどうかと思いますが、統計調査部長がおりませんから申し上げますが、毎月調査しておりますものは、確かに職種別もございませんし、年令別もございませんので、一般的な傾向しかわかりませんが、昨年四月に調査したものは、十人以上の規模の事業所につきまして、相当自信のあるサンプル調査をいたしました。これは非常に手数がかかりますので、そういう大規模な調査を年々やることは事実上不可能でございますが、昨年の調査が、今年になりますと傾向が変って利用できなくなると困るというので、今年も昨年の調査した資料を修正して使えるというふうにするためのいわゆるダブル・サンプルの調査をする。これで統計的には、世界各国に例のないほど詳細な調査ができ、かつ今後これが労使間その他一般的に十分に活用されるようになりますれば、相当先生の御期待に沿うようないろいろな論議なり、討論なり、話し合いなりのもとになるかとわれわれ期待しているわけであります。
  202. 受田新吉

    ○受田委員 これで終りますが、これは一つの変った角度からの話題ですが、今東京劇場でMRAの人々が「消えゆく島」という音楽劇をやっております。これは労使双方の心のゆとりから、その争議が解決していくというところを描いているのであります。特に、これは中小企業では、経営者側からのご意見としても、労使の間における精神的なつながりを強調しておられましたけれども、百人前後の企業体では、経営者側従業員も、いつも目の前で接触し合っている間柄であるから、非常に親近感のあふれた経営ができると思う。従って、経営者側といたしましても、従業員の立場を十分熟知することができる形にあるので、この法律に指摘されてあることなども、できるだけそれに近づけるような努力をされるならば、組合ができたって、ちっとも恐れることはない。家庭的ななごやかな立場から、すべての交渉が円滑に運ぶと思うのです。こういう点につきましては、経営者細井さんといたしましても、自分の内輪の件に、何か少しあたたかいものを見出すような人間的な深みを見出すように努力されたならば、この紛争などは今日この瞬間ここでお二人が話されたとしても、できると思うのであります。今ごろ中小企業が、ストなどで仕事ができないということなにると、経営の上に受ける打撃は非常に深刻なものがあると思う。従って、一刻も早く紛争を解決する、そうして今まで組合の設立などにほとんど関心がなかった、先ほど野澤さんから、恐怖症にかかっていると言われたけれども、そういうようなものをこの際すっきりと捨てて、今、国会の内部でも、いろいろな意見をお聞きいただいたのでありますから、早急に解決されるような御努力をされ、また組合の側といたされましても、十分に法律のもとにおける組合の立場を尊重されて交渉に当られるならば、もうこの席上においてさえも、そうした明るみを見ることができるのじゃないかと思うのです。私は全国的にこうした紛争が、中小企業の深刻なる経営難に当面している今日、相次いで起るというおそれを抱いているし、また表面に出ないこういう同種の問題が幾つもひそんでおり、組合結成されないので従業員が泣き寝入りしているというところが、全国的に幾つもあると思うのです。こういう立場からも、細井さんの会社における紛争が、きわめて平和裏に精神的なあたたかさをもって解決されるように御努力いただかんことをお願いして、私の質問を終りたいと思います。
  203. 中村三之丞

    中村委員長 これにて細井化学工業関係の参考人に対する質疑は終りました。  次に日本科学杏林製薬の争議問題について、大野参考人
  204. 大野忠次

    ○大野参考人 私が参考人の大野忠次でございます。私はこの肩書に日本科学杏林製薬専務とありますが、日本科学には現在表面上関係がありません。二、三年前まで関係がありました、現在も相談にはあずかっておりますから、様子はよくわかります。私、病気をいたしまして、現在でも会社へ満足に出ておりませんで、断続的なところもありますし、後ほど日本科学の清算人であります熊谷参考人から、詳しいことはお聞き取り願いたいと存じますが、昨日おそく突然電報で呼ばれまして、国会へといわれまして、どういう御用件かと思いまして、取るものも取りあえず参りました次第で、話すこともどういうふうにお話ししましたらよろしいかも、先ほどからお聞きしまして、大体見当がつきましたから、私ども争議につきまして大略の経過を申し述べます。  日本科学研究所と申しますのは、現在浮間にありまして、昭和十年ごろの創立で、十三年から四年にかけて大野重治という創立人から川本理学博士が引き継ぎまして、それから昭和二十四年に私が、これをどうかやってくれないかと言われまして、それから二十六、七年まで経営に直接参加したわけであります。  この会社は、創立当初からホルモンを事業といたしまして、ホルモンを独自の製品といたしまして、ホルモンの注射薬を主力として、内服薬並びに塗布薬、クリーム、そういうようなものを作って参る会社でございました。それが当初二、三年は研究に費しまして、その後製品を出すようになりましたときに、パテントを取りまして、現在帝国社初め、各ホルモンの大メーカー、外国の会社も入れまして作っておりますホルモンを、油溶性ではなくて、水に溶かすゾルの形でパテントを取った会社であります。その品物が画期的なものであり、非常に優秀な製品でありましたものですから、この製品を日本に広めたならば、病人も、また業者も、ともに栄えるであろうという目的のもとに、川本博士は必死の努力をこれに傾注されまして、戦前一時相当な成績を示したことがありましたが、戦争中から戦後にかけまして、いわゆるホルモンのような直接必要のない製品は、市場からうとんぜられて、業態がだんだん衰微して参りたのであります。しかるに、その後ホルモンのゾルの形の製品が世の中に認められまして、ホルモンはこれでなくてはならない。皆さんも御承知かと思いますが、御年配の先生方はよく御存じと思いますが、ホルモンの結晶のまま体内に入れる、ゾルの形のままならば、結晶をこまかくして体内に入れるのだから、これくらいいいものはない。現在、デポと申しまして、非常にまた進歩して参りましたけれども、そういう建前でやられましたが、なかなか事業がうまくいかないでおりましたところ、二十四、五年ごろから、この製品は非常にいいから、大野君、一つやってくれないかというので、私、この経営をまかせられたわけであります。  しかし、その成果が二十六、七年まで、二、三年努力しましたところ、相当に現われまして、ある程度の業績を示したのでありますが、たまたま業績がよくなると同時に、外国製品の非常に優秀なものを、初めに大阪の田村駒さんが輸入しましたが、それから陸続として輸入されまして、コストの面におきましても、製品の面におきましても、とてもわれわれのような小企業の対立すべからざるものでありまして、たちまちにしてその製品は市場から駆逐されるというほど、製品も出ていないような小さい会社でございますけれども、それにしましても、当社といたしましては、三〇%というものがその間に押し返されておりまして、現在の会社の状況、二十五、六年以後の会社の状況といたしましては、これを研究するのにも研究費もなし、また委託研究しても、現在日本でわずか一、二年前から帝国社が外国製品に——これはよその会社のことの想像でありますが、製品が匹敵するかしないかというような状態にまで研究ができたところでありまして、われわれごとき会社は、とても及ぶべくもないということになりました。  その後会社は二十六、七年をピークとしまして、経済的に非常な窮況に陥らんといたしまして、姉妹会社であります杏林製薬の仕事をその間、つまり日本科学のホルモンとして立ち行くまでの間、何とか杏林製薬の品物の下請事業をさせてもらえないかという話で、病人に対するブドウ糖注射のような建前で、日本科学が杏林製薬の下請事業をやって参ったのであります。  ところが、御承知のように、この席で申し上げるのはどうかと思いますが、医薬品におきましては、下請事業というものは認められておらないのでありまして、これは長期に経常的にやれる事業でありませんで、許可事業であり、また自分の会社のレッテルを張るということが、よその会社に作らせてやるということは認められておりませんものですから、その間、経営陣は必死な努力を傾注し、あるいは獣医薬品とか、あるいは抗生物質とかいうような製品を製造すべく非常な努力を傾注いたしたのでありますが、御承知のようにデフレが強化してきていることと、同時に、日の当らぬ産業であります医薬品製造業というものは、日とともに衰微の状況にありまして、もちろん大資本を擁する大きな会社は、こんなことはものともせずに耐えていくでありましょうが、その月の収入でその月をまかなっておる、いわゆるその日暮しの経営状態にあるわれわれの会社といたしましては、それを耐え忍ぶのに限度がありまして、昨年あたりからこの会社あり方を重役間または株主間において非常に検討し尽されまして、今年の春ごろから、どうしてもこの会社は経営が立ち行かぬ、現在独自な製品であるホルモンは全生産量の一〇%にもいかないような状態で、あとの大部分を占める下請業を継続でき得ないとしたならば、この会社は立ち行く存在の意義もなく、また存在し得ないという結論が出まして、今年の五月十日に、株主総会で解散の決議がされまして、従業員全員の方々二十五名か七名でありますが、全員御退職を願わねばならないということになりまして、そのことを組合員——従業員の方方に御了承を願い、そうして会社もできるだけのことはして御退職を願いたいという結果になったのでありまして、その間、下請を出しておりました杏林製薬の方におきましても、薬事法関係は別といたしましても、デフレと、昭和二十六年十二月末日を期して当局に勧奨されました医薬品事業の設備拡充基準——厚生省でやられたことでありますが、それに伴いまして当局から金を——現在もお借りしておりますが、貸しても下さって、仕事の主要製品は注射薬でありますが、この製品のコンスタントの品物がいつも同じ日にちに出るということ、それから品質の向上というようなことを目標とするために、機械化を半強制的に勧奨されまして、そうしてその機械化も二十六年末か二十八年末までの間にやることに——期日につきましては、私は資料がありませんで、あるいは少しの相違があるかもしれませんが、そういうことを勧奨されまして、その後それが進捗されて、金を借りて外国産のエア・コンディショナー、あるいはトリオンというような高価な機械も買い、そして製造工場を拡充して参りまして、機械化による能率の向上、いわゆる一種の産業革命も薬品業界には行われて参りました、それとデフレによる製品の販売利潤の減少、ということによりまして、杏林におきましても、現在三、四〇%の過剰人員をかかえておるような状況なのでございまして、いろいろと御了承願うように努力しました。日本科学の方々の全員御退職なさるという線は、今この争議で皆さんにお呼び出しを受けている状態では、杏林の方に雇ってくれないかというお話なのでございますが、そういう状況で、会社は過剰人員をかかえ、どうにもこうにも非常に苦しい状態にありますので、この間におきまして、こまかい交渉経過と話の進捗状況というものは、後ほど他の参考人から聞いていただきたいと存じます。  私どもといたしましては、事情をよく御了承願って、円満に事業の運営をさしていただきたいと思っておるのでありますが、そのこまかい折衝のことにおきましていろいろと事件が起きているようでありまして、断片的にはだいぶ知っておりますけれども、こまかいことで存じない点がありますから、あとは他の参考人にお聞き願いたいと思います。
  205. 中村三之丞

  206. 熊谷万平

    ○熊谷参考人 昨年八月ごろから人員が過剰になりまして、仕事を二時間ずつ短縮しておったのでありますが、そういう経過が続いておりまして、本年になりまして、ますますホルモンの薬業界進出ということは、見通しが非常に困難だ、それから売り方におきまして、杏林製薬の方と違った方法、いわゆる問屋を通しますシステムでございますが、それが取引先が四軒もつぶれてしまったというような状態で、春ごろは取引会社がただ一社であるというような状態が続いて参りました。そういうような状態が続きまして、ちょうどホルモンだけでは日本科学としてやっていけないという見通しがつきまして、五月の十日に、臨時の株式総会において解散を決定いたしました。それから二日置きまして、全員に解雇通知を出しました。その前に希望退職を募りまして、三名の者が希望退職を申し出て参りました。それで、残りました二十七名に解雇を申し渡した次第でございます。  そういうような事態が起りまして、この二十七名を不当労働行為だとおっしゃられまして、いろいろ団交を持って今日に至ったの連でりますが、その間団交というものは、ほとんど北区労連の方々、都会議員の飯塚愛之輔、左派の方でございます。それから日産の副委員長で区会議員の左派社会党近藤亮三郎、中小企業対策委員長の共産党の熊谷勝という方、こういう方々が私たちの団交の正面に向いまして、組合の方々は、そのうしろにいて全然発言を一つもしないという団交が連日続いて参りました。  その席上におきまして、特にひどいと私が感じたのは、いわゆる十一日の日に——私は今胸部疾患の状態で、安静度三度で病院へ通っておるような次第でございますが、その工場を見ておるかたわら、病院へ行く間は外出を許されておりまして、私行こうと思いまして自動車を呼んだ。ところが、自動車が門の中に入りますと——これは赤羽タクシーの車ですが、身の危険を感じますから帰りますということで帰ってしまった。これを考えますのに、別に私が行くということに対して、勝手に車が帰るということはおかしいと思います。それで、私一人で門の方に行きますと、そこに四、五十名の外部団体の人たちが赤旗を五、六本立てておりました。そして大関という北労の方で、昔は赤羽では相当鳴らした人で、小指を詰めてあるというような、二十貫くらいの人がおりまして、私を病院にやろうとしないのでございます。それから近藤亮三郎、これは社会党左派の区会議員の方でございますが、この方も私の肩に手を六回もかけまして、私を引き戻そうとし、病院へ行く必要を認めないということまで申して、数回出たり入ったりして、私一人に対して二十名も三十名も取り巻いて、私に病院へ行く必要なしというようなことをやっておる状態がありました。  それから団交といいますと、ちょうど五月の十四日の六時ごろから団交が開かれました。その団交の席上におきましては、私の前には近藤さん、その横には飯塚愛之輔さん、熊谷勝さん、それらのほとんど外部団体の人たちが二十数名入りまして、その横にはわずか七、八名の組合の人たちが入って、そうしてこちらは私以下三名でございます。それで団交をしたのでございますが、結論的に言いまして、どうしても向うの意見とこちらの意見とが対立しておったような状態でございまして、私はこれ以上話し合いいたしましてもいたし方ありませんというようなことで、いわゆる打ち切りを宣言したのでございますが、いや、立たすことはできない——ちょうど十一時ごろには、まわりに入っておった組合員約六十名くらいがその席上に乱入いたしまして、いわゆる監禁状態を繰り返しておりました。私としましては、生存権がありますし、ともかく自由というものがあるはずですから、私はともかくこの席を立つという意思表示をいたしたのでございますが、飯塚愛之輔さん、近藤亮三郎さんのごときは、君の生存権は認めないというようなことを申しておりました。私としては、一社会党の左派の方に生存権を認めてもらおうとは思いません、国で私の生存権は認めておるはずですと言うと、なるほどというようなことで納得した事実もございます。  その席上で、ともかく二日でも三日でも飯を食わせぬ、お前がうんと言うまでは団交をやるというような強硬手段で——いやしくも都会議員であり、いわゆる区民や都民を代表するようなりっぱな方々がそういうことを言うとは、私としては心外にたえなかった次第であります。それで中には、長門という田端の鉄道の方で、区会議員に立って落ちた方ですが、その方などは、君を下山事件にしてしまうぞというようなことを私に言っておりました。そうですが、下山さんはあなたたちにやられたんですね、と言いましたら、声がなかった次第でございます。そういうような状態では君を荒川へぶち込むぞと言われたり、私以外の人は、すわっておるいすをみなはずされて突つかれたり、耳のもとで罵倒されて鼓膜が破れんばかりの大騒ぎをやり、中には赤旗を持ち込んだり、赤いはち巻をして、そうして気勢を上げる。それに、それをリードしております飯塚さんも近藤さんもタバコをふかしてゆう然としておる。中には、この解決方法は二つある、お前がうんと言うか、われわれがうんと言わせるか、ということを言っておりました。私としては、絶対にうんと言わない。それではわれわれはやるぞというようなことで、脅迫めいたことをひんぴんとやっておりました。  私は、再三近藤さんに対し、飯塚愛之輔さんに対しても、この団交の暴力的であり、団交の域を脱しておる旨を申し上げたのですが、一向にその状態を解こうとはいたしません。そういうようなことで十二時も過ぎまして、乱入した人たちが入ったり出たり三回ぐらい繰り返し、私は立とうとしましたけれども、もう立つすべもありません、からだも非常に疲労してきました。いろいろ御説明を申し上げましても、団交というのが、ほとんどそのたびにかわるような人、いつも来られるのは飯塚さんと近藤さんだけで、そのほかの人は、ほとんどその場限りの団交の人で、そのたびに同じことを繰り返さなければいけないような、説明を強要しておるといいますか、そのたびに申し上げて、結局その翌日の六時ごろ、私も非常に疲れましたし、とにかく出たいという意思のもとに立ち上りまして、入口の方へ行くと、その大関幸蔵という昔、赤羽で鳴らした暴力団の人が、腕を組んで私を突き飛ばさんばかり、あるいは中崎という人は、腕を組んで押してくるというような状態であります。私が便所へ行きたいというと、それじゃ便所へ五、六人つけてやるというようなことでついてきまして、そして外の空気を吸おうと思って外へ出ると、逃げるのかといって、大関氏以下十数名の人たちが私を押して、ガラス戸が一度に二枚倒れそうなぐらい押し倒すような状態が続き、私の腕や手を持ちまして、サンダルをはいたまま、また事務所団交への席上引っぱり込む、私はサンダルをはいて敷居のところでつまずいてころんで、そのまま少し失心したような状態になりました。こういうような状態を繰り返し、近藤さんや飯塚さんなどは席を立って帰ってしまい、それで団交が中止になったというような状態でございます。この席上に、王子の労政事務所の伊藤さんにぜひ出てきてもらいたいと思ったのですが、労政事務所組合側でなくて会社側だから絶対に入れないという近藤さんの意見で、これさえも入れていただけない。その前は、労政事務所の方が入られまして、飯崎さんなんかも参りましたが、とにかくこちら四名に対して、三十名も四十名も団交するということはおかしいから、もう少し人員を少くしてやれというようなことで、十名の発言者という状態が続いておりました。この状態を保ってきたのですが、激高してきますと、ほとんどの人がまたしゃべってしまう。そして悪口雑言を言う、脅迫を言うというようなことで、その前などは、きめられたことが違反だからといって労政事務所の人が中止しまして、私たちは別れたような状態でございますが、十四日、十五日の日は、その人たちでさえも入れてもらえず、そういうような暴力的な団交をやっておりました。  そんなような状態を続けまして、今までの団交というものは、私は自主性がないということを痛感いたしました。終始、私の方は私以下四名の人たちで国交をしておったのでございますが、そういうような状態が続きまして、十六、十七日は臨時休業いたしまして——突然仕事をやめて、二階ホールで組合大会を開くといって職場を放棄するような事態がありまして、その翌日もどういう状態になるかわからないから、とにかく給料は払うことにして臨時休業を二日続けていたしましたけれども、この間、工場の中へ入りまして自分勝手に仕事をやる。ところが、注射でありますから、私たちの管理なしにやるということでは、その製品は一歩も出すことができない。人間の生命に関係する仕事でございますから、勝手に仕事をやられるということは心外にたえないと思います。  それで、十八日からロック・アウトをいたしまして、今日までみな向うの人たちが占拠しておるような状態を続けております。私の方は、警備員といいましても、私以下三名、四名ぐらいの人で、非組合員の人たちはほとんどつるし上げを食って、こわくて工場へ出てこれないというような状態が続いております。ロック・アウト中にかかわらず、神近市子さんのごときは、私の許可なしに二回も工場の方へ来て、くぎづけしてある二階ホールへ来て演説しておるというような状態であります。私としては、これが正当であるということに対して、非常に疑念を持っております。  こういうように外部の方々、一回か二回頼まれたというか、親切で来られたと思います、真剣で来られたとは思いますけれども、事情もよく知らない方々が来て私たちと直接団交する、委任状を求めても、委任状さえも出さないというようなのでは、ほんとうに話し合いもできないということで、労政事務所でもだめだということで、都労委の方が入られまして、正式な団交を持つようにということで、私たちも了承いたしまして、一回は正式らしい団交を持ったと思いますけれども、その後は三鬼さんや公益委員の方、それから労働者側、会社側の三者構成の線におきましても、その言も一つもいれないような状態が続き、それから無関係といってはおかしいのですが、販売会社である日本橋にある会社の方へ別派の隊員が押しかけて、ガラスをこわさんばかりに騒いでおるというような事実で、三鬼さんも驚きまして、どうしてこういう状態をやるかと強く組合側を追及いたしますと、いや、それとこれとは別だというような御返事で、三鬼さんも非常に立腹いたしまして、直ちにその話し合いを打ち切った事実もございます。私と飯崎さんと、もう一人会社の者が現場へかけつけてきますと、いきなりその大関幸蔵、外部の方々が私をなぐって、ここへこぶを作った、それをとめに入った都労委の飯崎さんまでも左足に五センチの傷を負った。これは三鬼さん、松田さんの前ではっきり証言しております。こういうような状態が続きまして、毎日、きょうも本社の方へは乱入をし、暴行といいますか、とにかく日本科学と別の会社にいやがらせをやっておる事実が連日続いております。  それから私の方としては、工場へ立ち入り禁止の仮処分をお願いいたしまして、向うでは地価保全の申請をされまして、六月の七日に、第一回の裁判がありまして、西川裁判長から、解雇された者はいたし方がないから、杏林製薬の人、これは連合体のような形になっておりますから、とにかく働ける人たちは直ちに働くべきではないか、それが組合側もいいし、会社側もいいのではないか。それから二十七名の解雇者は、地位保全のこの申請によって争われたら、もしこれが不当であった場合には給料はもらえるのであるから、そういう方法でという御意見でございまして、私の方はこれを了承いたしました。  そうして、お互いに話し合うというようなことになりまして、話し合いましたところが、私の方といたしましては、解雇者は立ち入らぬこと、こういう条件、ただし、組合活動のために就業時間外、お昼休みとか、終業後に立ち入ることはよろしゅうございますというわけでございます。以上のような条件ならば、ロック・アウトを解いて直ちに仕事を始めます。それから会社は、紛争解決までは新規に採用または、岡谷の方に工場がありますが、その方から人を補充しないという項目を示しまして団交をしたのであります。  これに対しまして、組合側としましては、二十七名の生活保護費を出せ、今までのロック・アウト中の賃金は全部支払うこと、特に解雇者の組合活動は時間の内外を問わず自由を認めること、解雇組合員の職位は穴のままでおくこと、岡谷から人員をよこさないこと、それから、これは退職した人ですが、大島、浅野、入谷は就業させないこと、製品、原料、機械その他を紛争解決までは持ち出さないこと、こんなような案を出されまして、これを第二回目のときに西川さんに申しますと、とにかく給料をもらっていながら、作った製品を売ってはいけない、出してはいけないというようなことは穏当ではないじゃないか、それから解雇者に生活保護費を出すということはおかしいじゃないか、ロック・アウト中の賃金を支払うということもおかしいじゃないか、それから時間の内外を問わず組合活動というけれども仕事中に組合活動をやるということは穏当ではない。いや、それは時間が足らないからやるのだ、必要だというようなことで、そんなに必要ならば残業は絶対にやらない、四時まで仕事をやると、私申し上げたのですが、それだけ会社がわかればそれでいいじゃないかと言われましたけれども組合の方としては、これを了としない状態でございます。  こんなような状態でなお今度十八日にまた裁判がございますが、その間にもし歩み寄ることができましたならば、働ける人たちは直ちにロック・アウトを解いて働くように、私たちは望んでおるのでございますが、今申し上げましたように、この八項目のことを全部承認しなければがえんじないということについては、私といたしましては承認できない次第でございます。  以上のようなわけです。
  207. 中村三之丞

  208. 芦川隆子

    ○芦川参考人 杏林製薬日本科学労働組合を代表いたしまして、その経過を御報告いたします。  人員は九十二名でして、女子は八十二名で男子十名、しかも女子平均年令は、大体新制中学を卒業したての少女たちがおもでございます。ですから、平均年令は非常に低く、年少者が多いのでございます。女子平均日給額ですけれども、大体二百円前後で、これは手取りに直しますと、一カ月皆勤いたしましても約四千七、八百円から五千円どまりという非常な低賃金でございます。職種は、その名のごとく、注射薬製造を主としております。  日本科学と杏林製薬の関係でございますが、日本科学というのは、昭和十三年に川本信之氏が水溶性ホルモンをその独自の製品として創立されましたが、だんだん営業不振に陥りまして、これを昭和二十四年に杏林製薬が実質上の買収を行なっているのでございます。ですけれども、日本科学という名を残す必要があったらしくて、日本科学という名前を現在まで残しているのでございます。  ですけれども、日本科学と杏林製薬とは、下請工場とか姉妹工場とかいう関係のものではございませんでして、日本科学の社長であるところの萩原秀氏は杏林製薬の副社長であり、かつ杏林製薬の社長のむすこさんであります。また工場長は熊谷工場長でして、この方が日本科学の工場長であり、杏林製薬の工場長であり、兼務というよりも、全く同種の事業管理を行っているのです。  会社の分類によりますと、大体昭和二十八年四月以前に入社した者を日本科学の在籍者とし、それ以降の入社の者を杏林というふうに分けているらしく思われます。ですけれども、最初杏林に入社した者が、何らの通告もなく、また何らの手続をとったこともなく、日本科学に移されている事実がございます。現に私と同じ試験室に勤務している者でございますが、昭和二十五年の十一月に入社いたしまして、その入社のときには、杏林に入社するとはっきり言われて入社いたしまして、十一月、十二月の給料明細書は、ちゃんと杏林製薬という給料明細書をもらいました。ところが、翌二十六年の二月に至りまして、突如として日本科学の給料明細書が入ってきたのです。初めて自分は日本科学に移されたのかなと思ったのですけれども、問いただすこともなく、何らの不審を抱くこともなく今日まで来てしまったのです。その間におきまして、給料明細書に押してあります印鑑は、日本科学の明細書のときも、杏林製薬の明細書のときも、通して杏林の重役の判が押してあるのです。またタイム・カードにいたしましても、日本科学の閉鎖宣言をいたします数日前までは、日本科学と杏林製薬のものを一緒にいたしまして、その入社年月日順に、ですから勤続年数の長い者から、職場別に通し番号としてタイム・カードを作ってあったのですが、解雇通告をよこす数日前に至りまして、初めてタイム・カードを急いで分けたというような状態でございます。  また建物は、大体杏林製薬と日本科学と分けてあるらしく思われますけれども、就業規則なども全く同一でありまして、作業内容に至りましては、両社に在籍しております従業員は、全く同じ原料から全く同じ製品を毎日作っているのです。ですから、このような事実から見まして、私たちは、杏林製薬と日本科学の関係は、単なる姉妹工場とか下請工場とかいう関係のものでなくて、両社全く合体のもの、同一のものと思って、今日まで認識して参りました。  組合結成前におきましては、熊谷工場長みずから、寮におります男子職員の私信を公開いたしております。また男子寮内の私物を、熊谷工場長また社長みずから寮内に立ち入りまして、職員が作業場に出ておりまして、絶対に来ない時間を見計らいまして、調べているのです。就業規則などは、もちろん全然ございませんし、有給休暇もございませんし、生理休暇ももちろんございません。また、うち会社におきましては、製造もやっておりまして、塩酸ヒスチジンという薬品を作る過程におきまして、どうしても硫化水素という毒ガスを使うのです。その硫化水素という毒ガスにやられました幾人かの犠牲者の災害補償は、一回もいたしたことがございません。  このような状態のときに、三月二十三日に、このような状態を打破するために、会社の親族関係の二、三人の者を除いて、全員組合結成いたしました。しかしながら、三月二十四日に至りまして組合結成を通告に行きますと、熊谷工場長は、これを全く認めようといたしません。それのみでなく、女子職員もまじえました四、五人の者を順に呼び出しまして、個人々々のつるし上げを行い、組合を即時解散しろの、これは女子職員に対して吐いた暴言ですけれども、お前たち世帯持ちのくせに組合を作るなんというのは、まことにもって不届きだ、身のほど知らずだというような暴言を吐いておるのです。組合結成したことが、何で世帯を持っていることに関係があったり、また何で非常識であるか、私たちには全く理解できたかったのであります。このような個人切りくずしを行いましたが、その反面即日に大倉組合長——現組合長ですが、この大倉という組合長に対しまして、解雇通告を発してよこしました。翌二十五日の団体交渉におきまして、この解雇通知は撤回いたしました。またそのときに、労働基準法適用、有給休暇、就業規則を示すというような、ごく当りまえのことをようやく認めたのです。二十八日になりまして、ふとしたことから、就業規則を届け出るときに、一組合員の印鑑を盗用して届け出てあったという事実が判明いたしました。何回就業規則を見せてくれと頼みましても、就業規則は一回も見せられたことがなく、しかも、その就業規則を届け出るときには、従業員の印鑑を盗用してあったのです。  次回の団交におきまして、熊谷工場長は、会社社長から全権限を委任されて団交に臨んだと、はっきりおっしゃって、完全ユニオン・ショップを認めました。しかしながら、それから団交はだんだん引き延ばされまして、四月八日に持ちました団交におきまして、前回の団交においてはっきり認めておいた完全ユニオン・ショップを認めるということを、正面から認めないと言い出したのです。自分は社長から全権限を委任された、決定権を与えられて団交に出たと思っていたけれども社長は自分に決定権を与えていなかったのだから仕方がないじゃないか、おれはこう思ったのだけれども社長がこう言うのだから仕方がない、前に言ったことは仕方がないことだ、すなわち完全ユニオン・ショップを認めたということは無効だということを言い出してきたのです。第三者も交えた公式の団体交渉の席上ではっきり認めましたことを、次回の団交におきまして、まるで秋の日の空のようにくるっとひっくり返って無効を申し出たということに、私たちはただただ驚きと憤りとのほかに言葉がなかったのです。  このころになりますと、だんだん熊谷工場長の個々の組合員に対するいやがらせはひどくなりまして、たとえば、作業時間中につめを切っていたから始末書を書けの、読んでもいない本をそばに出しておるから始末書を書けのと言って、従業員の仲間に始末書を書かして歩きました。また非常に寒い日に、アンプル洗滌をしております職場の従業員が、下がたたきで水を使う仕事場ですので、非常に寒くて冷えますので、足の下だけでもいいから、すのこを敷いてくれと懇願に行ったのですけれども、このすのこもなかなか敷いてくれず、現在までに敷いてくれたことは一回もございません。四月十三日に至りますと、年少の組合員の中に人望がありました一組合員配置転換を熊谷工場長は申し出てきました。これは単なる配置転換ではなくて、その人を配置転換したことによって、組合内部の分裂をねらったと私たちには解されました。この配置転換に応じなければ首を切ると言ってきまして、労政事務所あっせんによりまして四月十九日に行なった団交により、ようやくこの配置転換をのみまして解雇を撤回してもらいました。  このように組合員の個々のいやがらせや弾圧がはげしい中を、私たちは全員がまんして、毎日一生懸命作業に従事してきたのでありますけれども、五月四日に至りますと、午後四時ごろに、熊谷工場長は全従業員を二階のホールに集めまして、経営不振のため赤字になった、また工場長が病気であること、今までは東京工場が主力であったけれども組合結成したために——組合結成したためにですよ、主力を岡谷に移すことになったということ、組合員が非協力であること、人員が過剰であること、都庁から本社を一本にしてほしいといわれていること、この六点を問題といたしまして、全員五月十日までに退社の手続をとるように申し出てきました。しかし、経営不振のために赤字になったと申しましても、現在こそ増築しておりませんけれども、この五月八日現在には、まだ大工さんが入りまして、新しいボイラー室とか食堂とか車庫とか倉庫とかいう建物をどんどん増築中であったのです。このように幾むねもの建物を増築しながら、経営不振ということは、私たちにはどうしても納得できませんでした。また工場長の病気ということも、ほかの重役が工場長の代行をすればよいことで、そのために解散とか人員整理とかいうことは、とうてい考えられることではございません。また、今まで東京工場が主力であったけれども組合結成したために、その主力を岡谷に移すようになったというようなことになりますと、私たちにはどうしてもうなずけないのです。組合結成したからといって、何も主力を、東京にあったのを岡谷に移す必要は全くないのです。これは組合結成されたというそのことをきらう会社の一つのりっぱな現われではないかと思います。組合員が非協力であるということに至っては、全く会社の一方的な考え方にすぎません。人員過剰であるという点に至りますと、三月末に新制中学を卒業する女子、また三月末に高校を卒業する男子数名に対しまして採用試験を行い、その採用通知を出してございます。このように新規採用の事実がありがながら、人員過剰であるという点は、私たちにはどうしてもうなずけませんでした。  また、前にも申しましたように、日本科学と杏林とは、私たちには全く同一のものと考えられているにもかかわらず、日研だけを閉鎖するということは、会社があげました以上六点のことではなくて、組合の幹部の大多数が日研に在籍しているという関係上、日研を閉鎖してしまえば、組合は自然つぶれるという、組合取りつぶしの策としか、われわれには受け取れませんでした。  五月七日に持ちました団交で、熊谷工場長は、解散とか人員整理、閉鎖と言った覚えはなくて、整理の段階にあるから希望退職者を募ったのだと、またまた前言を翻しているのです。またこの同じ日ですけれども、日研の大島監査役は、一人の女子組合員に対しまして、組合がつぶれれば、会社は日研を閉鎖しなかっただろうと言っております。このことははっきりと証人がございます。  五月八日に至りまして、倒産のはがきが日本科学在籍者の家庭に配られました。  五月九日に持ちました団交によりまして、株主総会により五月中日付で日本科学は解散決議をした、また日本科学の解散せざるを得なかった数字的な経理内容は見せる必要なしといって、会社側の一方的な突っぱりによって、私たちは何の取りつく島もなく、この団交もまたまた決裂のやむなきに至りました。またこの同じ日ですけれども、前の大島監査役は、今度は違う一組合員に、君たちのやり方と違った組合を作り、僕が第二組合長になるというようなことを言っております。  五月十一日に至りまして、各労働組合の応援旗を私たち組合員が門前に立てましたところ、熊谷工場長は、組合員は業務につく意思がない、そのような状態では作業をさせることができないといって作業場の入り口に錠をかけ、私たちを作業場に入れてくれません。で、大島監査役は、君たちは作業をする意思がないのだから、表に出て草でもむしっておれというので、私たちは、どんな仕事でも、会社から与えられた仕事はとうとい仕事ですので、暑い日ですけれども、一同がまんして会社の門前の草をむしっておりました。で、私たちは作業をしに来ているのにこのような会社の門前の草むしりをさせられ、それも、草が茂っているからむしってくれというのなら、喜んでむしりますけれども、お前たちは作業する気持がない、このような状態では作業させられないという一方的な見解のもとに草むしりをさせられておりますのでは、どうしても承服しかねますので、どうしてこのようになったかということについて団交を持ちたいからということで、熊谷工場長に申し出たのですけれども、熊谷工場長は、病院に行くという一点ばりで、全然誠意を示してくれません。今ここで熊谷工場長に病院に行かれてしまって、そのまま戻って下さらなかったならば、私たちはどこへ行って交渉をしていいか、どこへこの気持を訴えればいいか、この気持の訴え場所、交渉の相手を失ってしまいますので、病院にいらっしゃるならば、二人ばかりついていって、お帰りまでお供させていただきますと願いましたところ、いろいろなことをおっしゃいまして、なかなか言うことを聞いて下さいません。このときに、心ならずも門前で小ぜり合いが生じ、熊谷工場長自身も幾らか負傷し、私たち組合員にも負傷者を出しております。  五月十三日に再び団交が開かれましたが、なかなか整理するに至った数字的内容というものが、何ものも示されませんでした。五月十二日の団交は、夜おそくまで続きましたので、この団交の結果を心配しました年若い女子従業員が、団交が終るまで待っていたのですけれども団交が終了しましたときにはもう深夜で、とても女子従業員が帰れる時間ではなかったので、男子寮内の一室をあけまして女子職員が泊ることになりまして、女子職員数名がその一室に泊りましたところ、翌日の午前六時ごろでしたか、熊谷工場長が、かぎをかけてあった女子職員の寝室の窓ガラスを破って窓からおどり込みまして、お前たちは会社のふとんに無届で寝ていて、会社のふとんがよごれるじゃないかといって、下着一枚で寝ている女子職員のふとんを引きはがしてしまったのです。これ以上申し上げなくても、そのときまくられた女子職員の姿は、先生方よろしく御想像いただきたいと思います。また、そのときのふとんは、会社のふとんと組合員の私物との半々であって、決して熊谷工場長の言うように、会社側のものが全部ではなかったのです。  五月十四日に出勤いたしますと、日研の在籍者のタイム・カードがありませんので、まだ解雇は有効になっていない、私たちの解雇は認められないのだから、どうかそのタイム・カードを出してもらいたいと事務所に行きましたが、事務員だけで、なかなからちがあきませんので、熊谷工場長がいらっしゃるならば、熊谷工場長にお願いしてタイム・カードを出してほしいと、組合員一同でお願いしたのです。けれども、このときも、がんとしてタイム・カードを出して下さらず、少々もみ合いを生じまして、組合員の方で二名ばかり負傷者を出しております。  五月十五日に至りまして、前日の団交は午前七時まで続行いたしましたが、会社は全く責任ある態度を示さず、二十七人もの大量の首切りを出しながら、一片の数字的内容を示したわけでなく、ただ数字的内容は示しようがない、赤字になったからお前たちは首を切るのだという一点ばりで押し通してしまいました。このとき全員は、知長さんか専務さんに責任ある回答を求めたいから、ぜひとも社長さんか専務さんに出席してくれるようにお願いしたのですけれども、このことに対しても、責任ある回答はとうとう聞かれませんでした。  十六日、十七日に至りますと、会社側は一方的に臨時休業を宣言し、十八日に至りますと、杏林製薬東京工場の閉鎖を宣言してきたのです。五月十九日に、このような私たちの困っている状態、どうぞ専務さんとか社長さんとか、最高責任者に会わせて、はっきりした数字的なものの一片なりとも見せてほしいと三、四十名の組合員が本社に陳情に行きましたところ、会社側では、社長も専務もおらない、そんな数字的な内容なんか見せる必要はない、お前たちはじゃまだと言いまして、無抵抗の女子職員をなぐったり、け飛ばしたり、バケツで水をひっかけたりしまして、十四名の負傷者を出しております。そのとき、熊谷工場長は、まっ先に立ちまして、組合員を皮ぐつでけ飛ばしましたり、机の上におどり上りまして女子職員の下腹部をけ飛ばしましたために、その女子職員は、十分ぐらいしてから出血をしまして、子宮周囲炎を起しております。そのほか、幾日たっても消えないようなあざとか骨折、そういうものは数限りなく出しております。このように暴行されましても、何といたしましても、年若い少女ばかりでありますので、こちらは抵抗する何ものも持たず、ただ泣く泣く引き下っただけだったのです。  五月三十一日に行われました団交においても、私たちがあれほどお願いしているにかかわらず、社長さんは出席して下さらず、ようやく専務さんと副社長さんだけが出席して下さいましたけれども、示された経理内容というのが、何と驚くなかれ十三万四千円の赤字のために二十七人の首を切った無責任きわまる数字しか発表されなかったのです。またこのとき、日研の人が就業しなければ、閉鎖を解くということを申してきましたけれども、認めることはできない、私たちにはどうしても合点のいかない二十七名の首切り、すなわち日研の閉鎖ということは、どうしても私たちには納得できませんでしたので、このときの団交も物別れになりました。  六月の三日に至りますと、熊谷工場長は、五月十一日と十四日の草むしりの日と、タイム・カードの事件のときの暴行事件を告訴してあったものとみえまして、刑事が実地検証に参りました。私たちは終始それを静視していたのですが、刑事が来たということに便乗いたしまして、熊谷工場長は、製品の持ち出しを行なったのであります。私たちが、これほど仕事をしよう、仕事を与えてくれといっておりますのに、製品を持ち出されてしまいましたならば、私たちは取りつく島がないのでありますから、どうぞ製品を元の場所に返してくれとお願いいたしましたところが、なかなか返して下されず、そのとき居合せました刑事さんが間に立ちまして、そうやく製品を元の場所に戻すことができました。  六月九日に至りまして、また女子組合員数名が、本社に社長さんに会わせてくれ、専務さんに会わせてくれ、この私たちの気持を聞いてくれと、せつない気持を訴えに行きましたところが、熊谷工場長、副社長の荻原秀さん、入倉重役など、大体三人が主になりまして再び暴行を働きまして、このときは、組合員が五名負傷しております。その暴行の状態になりますと、まことに気違いざたというほかはない。無抵抗の女子を、くつでけ飛ばしたり、髪の毛を引っぱったり、ひっかいたり、常識では想像ができないような暴行をしておるのであります。またこのとき、たしか都労委だったと思いますけれども都労委組合員が行っておりますと、そのとき熊谷工場長も来ておりました。杏林の会社の方から、今組合員が大あばれをして困っておるから、大へんだから来てくれというような電話がかかってきましたので、それは大へんだというので、熊谷工場長、入倉重役は車で大急ぎで本社へかけつけて来ました。あとを心配した飯崎さんだったと思いますけれども、飯崎さんも一緒にかけつけて来たところ、暴行は一つもしていないし、窓ガラスも一つも破れておらなかった。窓ガラスは一つも破れておらなかったという熊谷さんの証明の書きつけもいただいております。今、熊谷さんの窓ガラスが破られた云々ということについては、全くうそでございます。  六月十日に至りまして、王子の労政事務所で最後の団交が持たれましたけれども会社は何ら反省の色も示さず、あくまで二十七名の首切り、杏林の閉鎖を強く主張いたしました。このときの団交もとうとう決裂いたしまして、今日に至っております。   この五月十九日、六月九日の暴行のときには、日本橋の刑事と思われる方が数名見えておりましたけれども、なぐったり、け飛ばしたり、髪の毛を引っぱったり、さんざんひどい目に会われておる暴行の現場に居合せながら、しかも女子組合員が、来ておる刑事さんに、この暴行をとめてくれ、私たちがこれほどひっぱたかれたり、け飛ばされておるのをとめてくれと、泣きながら懇願したにもかかわらず、ただそばで暴行を手をこまねいてながめていただけだったそうです。そのときの状態を考えますと、そのときやられた女子組合員が、今でも思い出しては泣いております。  以上で、大体でございますけれども、私の経過報告を終ります。
  209. 中村三之丞

    中村委員長 次に質疑の通告がありますので、順次これを許可いたします。山花秀雄君。
  210. 山花秀雄

    山花委員 労政局長にちょっとお伺いいたしますが、労働組合法が途中で改正されまして、御承知のように経営者側に立つ者は組合員にはなれない、そういうような人が指導する労働組合は、労働組合法の範囲内においては認められないというのは、はっきりしております。そこで、もし工場長が労働組合に入っておるというのがございましたならば、監督官庁として、どういう取扱いをなさいますか、ちょっとお伺いしたいと思います。
  211. 中西實

    ○中西政府委員 労働組合は、現在の法制では不当労働行為事件、つまり審査関係の問題につきまして、労働委員会に資格審査の申請をすることになっております。それで、その申請を受ける機会がございませんければ、分けにはその組合がいわゆる組合法にいう組合かどうかということの認定を受ける機会が実はないわけでございます。問題がありまして、組合法で会社の利益代表とうたっておる人たちが入っているということがわかりますれば、それは組合法のいろいろな保護といいますものについては、適用が受けられないということになります。
  212. 山花秀雄

    山花委員 そういたしますと、そういうものは、労組法による保護を受けられない労働組合として一応は存在する、こういうことになるのでしょうか。
  213. 中西實

    ○中西政府委員 結社は自由でございますので、組合法上の組合ではない、しかし、何らかの団体ということであり得るわけであります。
  214. 山花秀雄

    山花委員 そこで、お尋ねしたいと思いますが、かりに工場長が労働組合長をやっておって、会社社長、すなわち経営者と結んだ労働協約というものがございましたならば、おそらくこれは全体の労働者の利益になるような労働協約は結べないと、一応私どもは常識論として想像するのでございますが、こういう労働協約の取扱いはどうなるのでございましょうか。
  215. 中西實

    ○中西政府委員 組合法上の組合でないものが協約を結んだという場合には組合法に規定しております協約の効果はないわけでございます。従って、組合法によりますと、協約は個々の労働契約に優先するとかいろいろな規定がございますけれども、そういう効力が出ない、こういうことになるかと思います。
  216. 山花秀雄

    山花委員 経営者側に一つお尋ねしたいと思いますが、あなたの工場は、東京の工場と岡谷の工場と二つというふうに聞いておりますが、他にも工場があるのでしょうか、それとも、この二つがあなたの方の生産工場でございましょうか。
  217. 大野忠次

    ○大野参考人 お答えいたします。岡谷と東京の二つであります。
  218. 山花秀雄

    山花委員 従業員は、岡谷に何人程度、東京に何人程度おいでになるのでしょうか。
  219. 熊谷万平

    ○熊谷参考人 岡谷の方は現在百七十名くらい、こちらの方が九十二名ですか、それから日本科学の方が六十五名に三十名です。
  220. 山花秀雄

    山花委員 そこでお尋ねしたいと思いますが、今日の時勢でありますから、当然工場側の方においても、労働組合のことはよくおわかりになっておると思いますが、承わるところによりますと、岡谷の方の労働組合は、工場長が組合長になって労働協約を結んでおるというように承わっておるのでございますが、その間の事情はいかがでございましょうか。
  221. 大野忠次

    ○大野参考人 お答えいたします。ただいま山花先生から、工場長が組合長になって協約云々というお話がありましたが、工場長というものの定義が、私、はっきりわかりませんので、的確なお答えができるかどうかわかりませんが、岡谷の工場は、そこで一番古い人が組合長になって締結いたしております。その一番古い方というのは——工場長というものは、何と何をやれば工場長でしょうか、ちょっとお伺いしたいと思います。
  222. 山花秀雄

    山花委員 どうも奇妙な逆質問を受けまして辟易いたします。会社経営をやっておられる方が、工場長とは一体どういうことをやるのが工場長かというような、われわれの常識で考えられないような御質問でございましたが、工場長というのは、その工場を総括して、代表して業務を担当する、あるいは一番最高の責任者が社長さんであり、その次が専務であり工場長であるというように、大体会社の順序としてはなっておるのではなかろうかと思うのであります。ただいま承わるところによりますと、岡谷の方の組合長は、一番古い方が組合長になられておるそうですが、その一番古い方の現在やっておられる職責が、どういうような仕事をやっておられるかということをお伺いすれば、より一そうはっきりわかるのではなかろうかと思います。
  223. 熊谷万平

    ○熊谷参考人 ただいまの組合長は工場長でございます。それは、今度の改正によってなったのだと思います。
  224. 山花秀雄

    山花委員 そういたしますと、今までの組合長は工場長であり、今度の改正によって工場長でない人が組合長になった、こういうことでございますか。
  225. 大野忠次

    ○大野参考人 ただいま常識的なことを御質問いたしまして失礼いたしました。実は先ほどの細井化学さんのお話と私の方の事情と、だいぶん違うものでございますから。ただいまの問題につきましても、工場長が組合長になっておることが疑義があるということのように伺いましたが、工場長と申しましても、現在の一番古い方というのは、製品に対する責任を持っておるだけでありまして、経理面には別の責任者がおり、労務管理にも別の責任者がおるのであります。そうして週に一回ぐらいの平均で本社から出向いて、全部の総括業務をやっておるのでありまして、それが現状であります。
  226. 山花秀雄

    山花委員 大分複雑な会社の人事機構のように聞えましたが、そのお方が、一般的にいう経営者側であるか、労働者側であるかという点さえはっきりすればいいと思いますが、どちらの側に立っている職責を持っておられる方でございましょうか。
  227. 大野忠次

    ○大野参考人 それは労働者側だと思います。
  228. 山花秀雄

    山花委員 ただいま一番古い方で、経理は別であるけれども、製品一切の責任を持っておるというような御回答がございましたが、それが労働者側に立っておるということになりますと、どうもわれわれは常識で判断できません。これは労働行政の監督の立場に立っておられます労働省当局で一つお調べを願いたいと思います。この組合は、規約もちゃんとできておるそうでありますから、地方の労政事務所の方に届けを出しておるかどうかわかりませんけれども、一つお調べを願いたいと思います。  それから、基準局長に一つお尋ねをいたしたいと思いますが、ただいま従業員代表の方の参考意見によりますと、私の会社には従来就業規則がなかった、ところが、最近できたけれども、それは何か組合員の印鑑を無断使用してできた、こういうようなことを言っておられました。それから有給休暇も生理休暇もないというようなことでありました。大体が、圧倒的に女子従業員の多くおられるところでございますが、従来基準監督をどういうようになされていたかということを、一つお伺いしたいと思います。
  229. 富樫總一

    ○富樫(總)政府委員 調査によりますと、本会社につきましては、最近においてはこの三月に監督を実施いたしております。その際基準法の条項にいたしまして、八カ条の条項にてい触する違反事実が現われましたので、厳重是正方を指示いたし、会社側もこれに応ずると約束したという報告になっております。(多賀谷委員「八カ条は何ですか。」と呼ぶ)八カ条を一つ一つ申し上げますと、基準法の三十二条労働時間に関する条項、三十五条休日に関する条項、三十九条の有給休暇に関する条項、それから四十二条、四十三条の危険防止に関する条項、六十七条の生理休暇に関する条項、九十条の就業規則の作成に関する条項、それから百六条就業規則の周知義務に関する条項、こういう違反を発見いたしまして、会社に是正方を指示し会社はこれを受諾したのであります。
  230. 山花秀雄

    山花委員 ただいま基準局長の言われましたこの八カ条の違反事実の発見、それから勧告、これはいつごろでございましたでしょうか。
  231. 富樫總一

    ○富樫(總)政府委員 それは三月二十六日でございます。
  232. 山花秀雄

    山花委員 監督官庁から違反事項を通達いたしましてから、二カ月、三カ月の時日がたっておりますが、これはすみやかに改善されたのでしょうか、どうですか、その間の事情を一つお知らせを願いたいのであります。
  233. 富樫總一

    ○富樫(總)政府委員 就業規則の届出はございます。先ほどの話を聞いて、ややおかしいなと思ったのでありますが、こちらの予定といたしましては、戒告いたしましてから若干の日時を置いて再監督するというふうな扱いにしておったのであります。一般的にそういう扱いでありますが、当工場につきましては、監督官の仕事の段取りといたしまして、五月十九日に再監督する段取りにしておったようであります。しかるに、その前後から先ほどお話のような会社の休止、全員解雇という争議状態に入りましたので、通常のその監督をしかねて今日に至っておるという報告を受けております。
  234. 山花秀雄

    山花委員 ただいま熊谷さんの参考意見の中に、団体交渉に地区の都会議員の飯塚君というのがやってきて、盛んに従業員の気勢を上げて、あなたの言葉をかりますと脅迫暴行ですか、そういう事態に立ち至っておるにもかかわらず、ゆう然とタバコをくわえて見ていた、こういうような陳述がございましたが、私の知る限りにおきましては、あなたはあるいは御承知かどうか知りませんが、飯塚君はぜんそく持ちで、禁煙をしておると承知しておるのでございます。どうも間違いではないでしょうか。もし、あなたの陳述が事実とするならば、私は信を置けないような気がするのでございますが、いかがでございましょうか。
  235. 熊谷万平

    ○熊谷参考人 たしか近藤さんか飯塚さんか、とにかくタバコを吸っていた事実は私は確認いたします。
  236. 山花秀雄

    山花委員 近藤君が禁煙しておるかどうか、それは私もわかりません。しかし、飯塚君は長年のつき合いをしておりますので、ぜんそく持ちで、タバコはのめないはずでございますが、ただいまあなたの陳述は、飯塚、近藤両者がタバコをくわえてぼう然とこれを見ていたという表現をなさったものですから、ちょっとお尋ねをしたのであります。  それから、何か暴力団に取り囲まれて失神をしたような状態になりました、こういう陳述でございました。どうもそこのところが、きわめてデリケートな表現でお話をなすっていらっしゃるのですが、失神したのですか、それともそういうように思われるような事態におなりになったのですか、どうなんですか。失神したというのだと、はっきりわかるが、あなたの陳弁によりますと、失神したような状態になりました、こういうような御陳弁でございましたが、その関係はどうなんでございましょうか。
  237. 熊谷万平

    ○熊谷参考人 では、そのときの御説明をいたしますと、サンダルをはいたまま連れ込まれまして、入口のドアのところが高いものですから、そこへつまずいた形です。それでそのまま横にこういう工合に倒れてしまって、約三十秒ぐらいと思いますが、とにかく私、安静度三でございますから、午前中は九時から十一時まで安静、午後は一時から四時まで絶対安静ということを新理研診療所の方に言われまして、直ちに病院に入る状態でございますが、事実上ちょっとできかねますので、会社の中にあります住居に、自宅療養の形で、まくら元に電話を置いて業務をとっておったというような状態団交に応じ、一晩中やられたために疲労こんぱいいたしまして、お前はそんなからだで立っておると、今に倒れてしまうぞとまで、何回も注意をされましたけれども、私としてはこれ以上団交に応じられませんし、そういうような身体のコンディションでやったために、倒れたときは——私、倒れてから三十秒ぐらいだったと思います、だれか毛布をかけてくれたことを認識しておりますが、私は気性の強い方ですから、失神というか、とにかくふらふらとなったという状態でございます。
  238. 島上善五郎

    ○島上委員 関連して……。先ほど来、安静度三で、一時から四時まで絶対に安静しなければならぬということをしきりに言われておりますが、先ほど組合の方からのお話によりますと、五月十九日に、本社に三十九名、男子が三名、女子が三十六名参りました際に、あなたが先頭に立って皮ぐつでける、髪をひっぱる、頭突きを食わすというようなことで、何とかいう方は子宮周囲炎を起した、こういう健康体である私どもでも、とうてい発揮できないような武勇伝を発揮しておられる。これはこのときばかりでなく、先ほどの組合の方のお話によりますと、数回あるようでございますが、安静度三で絶対安静を要する状態にしては、少しおかしいではないか、こういう感じがするのです。これは組合の方の申されたことが、全くのでたらめでございましょうか。一つこれは組合の方にも、再確認の意味において、工場長熊谷参考人組合の方と、両方にお願いしたいと思います。
  239. 熊谷万平

    ○熊谷参考人 十九日のことだと思いますが、そのときは都労委におきまして、三鬼陽之助さん、松田さん、飯崎さん、それでいわゆる団体交渉の方式について、外郭団体は入れないことという条件で、その場合には社長か専務かどちらかが出るという条件のもとに、そういうようないわゆる下交渉をやっておった席上に、杏林製薬の方の日本橋でそういう状態で、専務さんから電話があって、非常に困る、本社としてはこういうことは初めてで、どうしていいか仕事も手につかないという状態でございます。これは私どもとしまして、それをほうっておくわけにはいきません。すぐ三鬼さんに申し上げましたところが、直ちに組合長が呼ばれまして、君はこういう状態を知っていて都労委へきてやっておるのかと、その非をさとされまして、直ちにその下交渉は打ち切って、飯崎君、君も一緒に行って見てこいというようなことで、出かけたのでございます。私がけったりしまして、十三名ですか、初め十一名ということが十三名にふえたと思いますが、それは玄関の入口の九尺と五尺の狭いところで、私一人に二十名、三十名の人が押しかけますから、いかに私があばれましても、十三人に傷をつけるというようなことは不可能だと思います。それよりか、私が押しつぶされておる状態でございます。結局、そのけったり、なぐったりするというのは、おそらく組合員同士でやったという以外には私考えられません。おそらくその現場を御想像願えばわかると思いますが、私のからだのまわりにぎっしり詰まった人に、どうやって私が手を伸ばせましょう、足を上げられましょう。その中には、松本鉄工の何とかいう党員と称せられている人とか、いわゆる外郭団体の男の人たちが、うち従業員を引き連れて、先頭になってけしかける。うしろで竹ざおで押えて、組合員の人が出てくるのを押えておる。その中で私一人がもまれている状態で、これが十三人負傷した事実だと、皆さん方がお思いになれば私けっこうだと思いますけれども、そういう状態でございます。
  240. 芦川隆子

    ○芦川参考人 本社の暴行事件は、十九日と六月九日と両日に起っておりますけれども、五月十九日の暴行のときは、熊谷工場長が先頭に立って、みずからけったり、なぐったりなさっていらっしゃいます。竹ざおでうしろから押えたなんておっしゃいますけれども、あの日本橋で、どこから竹ざおを調達してくるか、皆様の常識あるところでお考え願いたいと思います。長い竹ざおを、あの辺に知り合いのないようなところで、組合員がどうやって調達したか、私には全然わからないのです。私の方で虚偽の申し立てをしたのでないことは、十四名の診断書がちゃんとございます。また六月九日の負傷の場合の診断書もそろってございます。またその場合の証人も、何人もございますけれども、六月九日の場合には、熊谷工場長、副社長荻原秀氏、あと入庫重役、この三人が大体主になって、あとは荷作りとか梱包とか発送なんかを受け持っております本社の従業員が、熊谷工場長のあとに続きまして、なぐったり、けったり、ひっかいたり、髪の毛をむしったりしております。
  241. 山花秀雄

    山花委員 他にも同僚委員の方から、いろいろ質問があるだろうと思いますが、私は最後に一つ会社側に私の希望を申し上げて、私の質問を終りたいと思うのであります。  先ほど工場長の職責に関するいろいろ会社側の陳弁がございましたが、ここは、御承知の通り国会でございます。ただいま陳弁なさいました御議論は、どうも国会の論議としてふさわしくないというふうに私どもは受け取りました。もう少し常識を持って御論議願いたいということだけを申し上げまして、私の質問を終ります。
  242. 中村三之丞

  243. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 実は企業解散についてお尋ねいたしたい。あなたの方で企業解散をされた、すなわち日本科学研究所をおやめになった理由については、あるいはお話があったかと思いますが、私は他の席へ行っておりましたので、かいつまんでその理由をお述べ願いたい。
  244. 熊谷万平

    ○熊谷参考人 では簡単に申し上げます。日本科学研究所というものが、先ほど専務から言われましたように、川本さんが、いわゆる営業不振になりまして、取引先からクレームだけで、どうにもやっていけないような状態のままで引き継いだという状態で、私がそこへ行きましたときは、七名ぐらいの人員だけでございます。私は、そのときは、杏林製薬東京工場というものはそこになく、日本橋の方に約百坪の三階建の建物の中で杏林の仕事をやりまして、両方を兼務するという形で仕事をやっておりました。ところが杏林製薬は、いわゆる注射薬工場の規格というものがきまりまして、その規格に合わないと営業ができないという指令が出まして、いわゆる各社整備をやったのでございますが、日本橋の方のあれは基準にはずれるというような状態で、日本科学の中の敷地を分割いたしまして、杏林製薬の東京工場を新しく作ったのでございます。そうして日本橋の方の工場は閉鎖をいたしまして、日本科学の同一構内に移りました。それが申請されましたのが約二年ばかり前でございます。こういうような状態で、、日本科学研究所の方は、二十六年ぐらいまで、ホルモンにうちでは力を入れて大いに売ろうという線で人員をふやしましたけれども、それと同時に、杏林製薬の方は、先ほど参考人が言われましたように、杏林の方の人たちは若い人たちだけだというようなのは、その移った東京工場に、日本橋の方から行かれた工員が一人もないために、新たに採用いたしまして、杏林製薬の方の増員というか、新しく工場を再開し、元の日本科学研究所の人たちはそのままの状態仕事をやっておる。ですから、日本科学の人たちの方が古いというような状態があります。ところが、杏林製薬の方は、北海道から九州まで各出張所がありまして、いわば直売の制度で、問屋には絶対におろさないという方法で商売をやっております。日本科学研究所の方は、前のままでございまして、問屋さんへ売りまして、それを薬局なり一般の方が買う、こういう方法でございます。杏林の方のシステムは、一人の外務員が歩いて十万か二十万くらいの売り上げがふえるという状態でありますが、普通の問屋さんの制度でありますと、腕のいい人がやれば一人で百万でも二百万でも、幾らでも商売ができるという状態で、販売方法も帳簿も全然違い、社長も二人で全然違う。いわゆる親子の関係でありましても、名前は全然違って、営業方針も全く違う方法でやっております。そういうような状態で、昭和二十六年の暮れにはサスペンション・コロイド、いわゆる結晶を浮遊液としたホルモンがアメリカでもリリー会社などでやりまして、一応認められて、ミキストホルモンということで、一時は五百名くらいの東京都内の薬局の主人方を招待いたしまして、大々的にやったのが花でありまして、それを契機といたしまして、帝国臓器さんとか、あるいはほかの一流の会社が続々いわゆるサスペンションのホルモンを出されまして、私の方は比較的宣伝ができないものですから、非常に販売的に苦しくなりまして、その間四社ぐらいありました取引先も、ついに解散のうき目ということで、一社くらいしか取引先がなかったという状態がずっと続いてきております。こういうような状態ではどうにもならぬということで、この日本科学研究所の販売方式というものについて疑念ができ、今後の経営が不可能という状態になったので、株主総会によりまして解散をしたのでございます。また最近オートメーション、いわゆる自動化の問題が起きまして、百名の工場をやっていたのは二十名で足りるというような、商売に勝つにはオートメーションを実行していかなければいけない段階では、この二十七名の解雇は杏林の方へ入れる——杏林の方でさえも、あと三十名が余っておるというような状態でありまして、やむにやまれず、いたし方なくこの二十七名を解雇せざるを得ないという状態でございます。
  245. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 組合の方にお尋ねいたしますが、組合ができる前に、会社の方から人員整理その他の話が、ちらほらうわさに上ったことがありますか。
  246. 芦川隆子

    ○芦川参考人 全くございません。ないのみか、新規採用の事実がございます。けれども組合ができたために、新規採用を見合せております。
  247. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 会社の方からは、日本科学研究所を閉鎖するについて、今まで東京工場を主力にしたが、組合結成のために、岡谷工場の方に仕事の主力を置く、こういう話がありましたが、その点はどうですか。
  248. 芦川隆子

    ○芦川参考人 組合結成の前には、そういう話は全くございませんでした。組合結成後におきまして、五月四日に、熊谷工場長が全員をホールに集めたときに、この話が出ました。
  249. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 熊谷工場長にお尋ねいたしますが、そういう事実が、今組合の方から指摘されましたような事実がありましたか。
  250. 熊谷万平

    ○熊谷参考人 先ほども申し上げましたように、岡谷工場は百七十数名を持っておりまして、こちらの方は六十何名、それから三十名でございますから、人員からしましても、主力工場にする希望はありましても、主力工場では絶対にありません。
  251. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 今組合の方からお話しになりましたのは、組合結成のためにこういう言葉を使われたという、この点が非常に重大なわけですが、そういう発言をされたかどうか、それをお尋ねしておきます。
  252. 熊谷万平

    ○熊谷参考人 それは絶対にありません。
  253. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 組合の方はどうですか。
  254. 芦川隆子

    ○芦川参考人 確かにそのように発言なさいました。
  255. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 組合参考人お尋ねいたしますが、それは何人くらいの人がその席で聞いておったのですか。
  256. 芦川隆子

    ○芦川参考人 全従業員が聞いておりました。
  257. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 さらに、最近建物を増築したというようなことはございませんか。
  258. 芦川隆子

    ○芦川参考人 現在こそ大工さんが入っておりませんけれども、この五月四日のときには、まだ大工さんが入っておりまして、ボイラー室、そのほか食堂、倉庫、車庫を増築中でございました。
  259. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 会社側お尋ねいたしますが、今組合参考人から増築の話が出ております。これについて、どういうようにお考えですか、そういう事実がありますか。
  260. 熊谷万平

    ○熊谷参考人 ボイラーの方は、ちょうど七名がいた当時のボイラーと同じで、縦型のボイラーでございまして、実に不経済でございました。これはほとんど五〇%が煙突の方へ逃げるという状態でございます。これを横置多罐にかえて、燃料の節約と会社の合理化をはかったわけでございます。それから食堂が工場のすぐ横にありまして、これは衛生管理者というか、監督庁の方から指令がありまして、ここでは不適当だというので、寮の近くに食堂を作り、それから車庫は、前々から燃えないようにというので、小屋のようなものに入れたいのでございますが、これがいけないというので、その隣に車を入れる——車といっても、製品を運搬するトラックの車庫でございます。それから倉庫というものがございませんので、箱などを入れる倉庫を同じ隣に作った、一つの建物に作った事実はございます。
  261. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 組合員の方にお尋ねいたしますが、組合結成するという動機といえばおかしいですが、これは法律上当然の権利ですから、動機といえばおかしいのですが、結成するについて、従来、ずっと結成したかったけれども会社からの抑圧があってできなかった、そしてたまたまできたのか、それともまた、あるいは賃金が安くて、どうしても組合を作らなくてはいかぬと感ぜられたのか。先ほどは否定されましたけれども、どうも企業不振でこのままでいけば首切りが起るのじゃなかろうか、こういうような状態組合結成されましたのか、そういう動機、経緯がありましたら、お聞かせ願いたいと思います。
  262. 芦川隆子

    ○芦川参考人 約二年前になろうと思いますけれども組合結成しかけた事実がございます。けれども、そのときは、個人の切りくずしに会いまして、組合結成大会を持つまでに至りませんでした。その後、各自が組合結成したいという欲望がありましたけれども、ただ普通の勉強会のような集会をすら、弾圧された事実がございますので、なかなか結成の運びに至りませんでした。三月二十三日に結成しましたのは、先ほども申し上げました通り、経営不振とかそのような経済的事情ではなくて、硫化水素の中毒とか、労基法の適用とか、いわゆる人間生活、従業員として要求する最低の線を私たちの組合で守ろうという願いのもとに、組合結成いたしました。
  263. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 二年前に組合結成しかかったが、個人的な切りくずしがあった、こういう事実のお話がありましたが、どういう事実ですか、もう少し具体的にお話し願いたい。
  264. 芦川隆子

    ○芦川参考人 約二年前に、二、三の人が大体主になりまして、おそば屋さんの二階を借りまして組合結成しようじゃないかということを話し合いましたけれども、それが事前に会社側に知れまして、一人々々熊谷工場長の前に呼ばれて、お前たちはなぜ組合を作るんだ、組合なんか作る必要はないじゃないかというようなことを言われまして、結成することができなかったそうです。
  265. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 会社側お尋ねいたしますが、先ほどの、すなわち組合を作る必要はないじゃないか、こういうことを二年ほど前におっしゃった、こううい事実があるかないか。さらにまた、本年四月ごろになって十五、六名の者を採用しようとなさった事実があるかないか、これをお聞かせ願いたい。
  266. 熊谷万平

    ○熊谷参考人 二年前といいましても、今おられる参考人はまだ会社に入っていないし、ちょっと今の説明では納得がいかないのですけれども、もう少し詳しく御説明を願いたいと思います。二年前というと、ちょっと合点がいきません。それから一人心々呼んだということも、私記憶がございません。それから四月の初めに十五名という線は、抗生物質を——いわゆる会社の方針が自分の製品だけではやっていけない。先ほど専務が言いましたように、獣医薬、人間に注射するのでなく、いわゆる動物薬の方で伸びようという線を研究し、一方抗生物質、ストマイとかペニシリンというものをバルクでやって、これを小分けをして一つ売ってみようじゃないかという案のもとに、十数名の技術者を雇ってやってみようという企画をやったわけでございます。新しい企画に対する人員を計画したわけです。
  267. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 純然たる技術者だけですか、それともほかの女子も含んであったのですか。
  268. 熊谷万平

    ○熊谷参考人 女子も含んでおります。
  269. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 この組合ができるに対しますあなたの組合に対する考え方、これをお聞かせ願いたいと思うのです。
  270. 熊谷万平

    ○熊谷参考人 今、組合というものは、作るのが当りまえでございまして、正当なる組合は当然作ってかまわないし、それは一々私に相談する必要もないと思います。
  271. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 なぜ私が聞いたかといいますと、実はこの事件を聴取いたしましたところが、何か工場長は、そう言っては失礼ですけれども社長の信任が厚くて、何か組合を作らせたことが、はなはだ社長さんなんかに対して相済まぬという気持から、孤軍奮闘されて奉仕されておる。組合結成だけでなくて、その他もですが、どうも自分の力が至らなかったから組合ができたんだというような、これは悪い意味じゃないですけれども、感じがしてならない。こういう感じを受けるわけですけれども組合は、私が今さら申すまでもない、できるということは、これはあらゆる法律で保護しておりますし、いかにあなたががんばられても、できるわけです。どうもこれに対処するのでなくて、団交その他を何とかして引き延ばしていきたいというような感じを受け取ったわけです。それから、少しずついやがらせといいますか、そういうことがたびたびあった。こういうことは、はなはだ遺憾に考えるわけですが、組合の方から、この解散が行われる前に——要するに解散が通告される前に、幾多の組合員個人に対する会社側のいろいろな形における解雇その他の干渉があったと思うのですが、組合側ではどういうようにお取りになっておるか、それをお聞かせ願いたい。
  272. 芦川隆子

    ○芦川参考人 いやがらせはだいぶありました。先ほども申し上げましたように、たとえば、作業時間内につめを切っていたから始末書を書けというようなこと、それからまた、作業は自分はしていて、その横に本を開いておいた。その本を開いておいたのがけしからぬから始末書を書けというようなこと、それからまた、一女子従業員ですが、三日間欠席しましたうちに、初めの一日だけ、第一日目に母親が病気だから欠席しますという意味のことを電話で連絡をしておいたのです。ところが、三日休みまして四日目に出勤してみますと、初めの一日は確かに通知を受けたけれども、あとの二日は無届欠勤だから始末書を書け、書かなければ首だということを申しております。
  273. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 組合ができる前に、そういうような問題に対しては、どういうように会社では処置しておりましたか。
  274. 芦川隆子

    ○芦川参考人 組合ができる前には、そのようないやがらせはございませんでした。組合ができてから、そのつめを切ったり、本を出したりしたときに始末書を書かせられています。
  275. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 どうもこの事件は、組合ができたことによって閉鎖、要するに擬装解散の疑いが非常に濃厚であると考えるわけです。会社の方では、先ほどお話がありましたが、杏林製薬と日本科学研究所の、どちらに勤めておるのかよくわからなかった、こういうことがありましたけれども賃金台帳その他の労務関係は、全然別個に従来扱われておったのかどうか、それをお聞かせ願いたい。
  276. 熊谷万平

    ○熊谷参考人 それは全然別個に扱われております。
  277. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 では、就業規則その他も、全然別個に作ってありますか。
  278. 熊谷万平

    ○熊谷参考人 日本科学研究所、杏林製薬東京工場日本科学研究所が古いのでございますから先にありまして、二通できております。
  279. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 別ですか。
  280. 熊谷万平

    ○熊谷参考人 別であります。
  281. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 組合の方にお尋ねいたしますが、あなたの方では、どちらの会社に雇われておるか、各個人がはっきりしておりますか、その点をお聞かせ願いたい。
  282. 芦川隆子

    ○芦川参考人 解散通告、閉鎖通告後ははっきりいたしましたが、その前ははっきりいたしませんでした。
  283. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 どうもわれわれもこの日本科学研究所とそれから杏林製薬の関係が、はっきりのみ込めないのです。先ほどお話がありましたから、大体概略はつかんでおるわけですけれども従業員がどちらに雇われておるかわからぬ、こういう状態を訴えておるわけですが、どうしてそういうような状態になったのでしょうか、会社側にお願いいたします。
  284. 熊谷万平

    ○熊谷参考人 給料計算表も、きちんと別の名前で、片方日本科学研究所と判こをついてありますし、片方は杏林製薬の判こがついて、必ず毎月手元へいっておるはずです。その区別がつかないというのは、先ほど申し上げましたように、もともと日本科学研究所の中へ東京工場が入った形で、同一構内に二つの名前の違う工場がある、こういう事実がございまして、これを販売方法が違うのですが、いわゆる労使関係は同等にやらなければいけないというような考え方のためにやったので、おそらく従業員の方は、同一視していたと思いますが、給料のいろいろな計算にしろ、届にしろ、全部調べていただけばおわかりと思いますが、全部整然と区別してやっております。
  285. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 先ほど組合側参考人から、杏林製薬に入ったのだけれども、初めのうちは杏林製薬の判を押した給料袋が来ておったけれども、後になって日本科学研究所になった、こういうお話を聞いたのですけれども、勝手に身分が変えられるわけですか。
  286. 芦川隆子

    ○芦川参考人 今でもその給料明細書は保存してございますけれども、確かに昭和二十五年の秋に入社した者が、入社したときには杏林の給料明細書をもらいまして、翌二十六年の二月に至りまして初めて日本科学の給料明細書が入ってきました。それから今日までずっと日研の明細書が入ってきておる者が二名ございます。私と同じ職場にいる者でございますけれども、その明細書は、今でも現存しております。  また先ほどの質問ですけれども、毎月一日杏林製薬本領なるものを読まされまして、それは日本科学の従業員も、杏林製薬の従業員も、ホールに一堂に集まりまして、熊谷工場長が第一条を読みますと、それを頭を下げて聞いております。それは杏林製薬の杏林本領という名の小冊子になっておりまして、日本科学研究所従業員にも配られております。また旅行その他すべて杏林、日研ともども行なっておりまして、私たちは籍が分れているなどとはほんとうに思われませんでした。
  287. 熊谷万平

    ○熊谷参考人 身分関係は、そういうふうに、全くどこを調べてみても、籍の線、届出の線は全部違っております。過去四年ばかり前に、籍が違うというような事実が報告されましたが、その線は私よく調べてございませんが、私の今思っておりますことは、その当時は、東京工場杏林製薬というものはなかったのでございます。それで試験室というものが、新しい注射薬工場の企画にどうしても必要だというために、日本橋の方に採用すべきでございますが、それが一時日本科学の方の研究所で代用してほしいということを申し上げまして、これで入っておったのでございますが、いわゆる杏林製薬のないところに杏林製薬の人が勤めることは困るということを言われまして、本人に言いまして納得をして、この三年間は黙って給料をいただいておったわけでございます。あと一名というのは、岡谷工場から転勤された者、杏林から転勤された者がございますが、その人に、いわゆる給料の線で非常に煩多になりまして、本人に承認を得まして日本科学の方に籍を移した、こういう状態でございます。
  288. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 先ほど組合参考人から、二十五年の秋に入った人が、入ったときは杏林であった、二十六年二月には日本科学になっておった、こういうお話がございましたが、これは本人の承諾があったわけですか。
  289. 芦川隆子

    ○芦川参考人 全然ございませんです。
  290. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 工場長と組合側参考人との話が、どうも食い違うわけですが、全然本人の承諾がなくて身分関係が変る、こういうことはどうもわれわれとしては解せないのです。雇用の相手方がいつの間にか違っておった、こういうことは、どうも近代的な労使関係ではないように感ぜられるのですが、これはまた後に調査をすることにいたしまして、先ほどお話になりました本領ですか、これがありましたら、本委員会に提出していただきたいと思います。
  291. 熊谷万平

    ○熊谷参考人 ございますからあとで……。今ここに持っておりません。
  292. 滝井義高

    ○滝井委員 ちょっと大野さんにお尋ねしたいと思うのですが、杏林の方のできた製品は直接医者に売る、それから日本科研の方は問屋筋だ、こういうお話が、さいぜん工場長さんの方からあったのでありますが、そうしますと、当然これは問屋におろす値段と医者に持っていく値段との開きがある。販売の系統がそういう工合に、問屋と直接消費者である医者に持っていくということになれば、当然利潤の違いが出てくるわけです。同じ製品をやっているわけでしょう。そうしますと、今度はその会社経理の上においても、当然これは労働賃金その他に影響が及んでくることは必然だと私は思うのです。問屋に持っていく場合と、宣伝外交員みたいな人がずっと医者に持っていく場合とでは、明らかに経理その他においても相当違いが出てくる。そうしますと、同じ工場の中で働いている労働者の賃金でも、杏林と日本科研とでは違ってこなければならぬと思うのですが、こういう違いはどういう工合に賃金の上に現われているのか。  それからいま一つは、同じ製品を同じ工場で、同じ科学的な過程を使って作っている。それはこういう二つの会社がやっているのですが、その化学的な操作過程を分けてやっているのですか、それとも全然一緒にやって、ただ名目的にそういう会社が上の方で分けているという形態をとっているだけですか、その二点をちょっと御説明願いたいと思うのです。
  293. 大野忠次

    ○大野参考人 お答えいたします。ただいま御質問を受けましたことにつきまして、杏林製薬と日本科学研究所は営業状態が違う、このことについて、価格の相違、利益の相違があるだろうという御質問でございます。これは、売り値の相違はございます。利益の相違は、うまくいけばほとんどありません。というのは、日本科学が問屋さんへスムーズに品物を出すことができれば、杏林と違いなくできます。というのは、杏林製薬は、販売会社である杏林薬品という会社によって売られておりますが、杏林薬品が売っているということは、御承知のように、小売というものはマージンが三割以上あるのが普通になっておるのであります。問屋は二、三%から一二、三%であります。従ってその場合に、問屋さんが「もうからずに小売店が」もうかるかというと、小売店は扱う量に制限があります、大きな量を動かすわけに参りません。ということは、すなわち経費がよけいかかることであります。ですから、当然と三割くらいのマージンはあるものとされておりまして、過去における価格統制の場合におきましても、小売のマージンは三割以上認められておった状況であります。従って杏林製薬と日本科学とにおいて、営業上における収益は、理論上は変りがないはずであります。日本科学も、世の中の小売店、小売する会社がもうかって、問屋筋の方が、メーカーがもうからないという理由はないのでございますが、いわゆる本町の島というのは、商業的にいいまして——詳しい方がおるかと思いますが、非常に通俗的な言葉で申しますと、えげつないというような状況がありまして、たとえば最近における中滝さん、八州さんあたりが——これは名前はあげない方がいいかもしれませんけれども、非常に工合が悪くなられたということは、いわゆるクレームがついて返品されるということであります。問屋が思わしくないということは、クレームがついて返品されるからで、それで何でメーカーが立っていくか、従って、医薬品工業が日の当らない工業だと言われ、同時に倒産が続出している原因がここにあるのであります。われわれ日本科学というのは問屋、卸の仕事でありますから、だいぶ返品もありまして、同じ製品を作ると先ほど言われましたが、これは杏林製薬の品物を委託加工をしておるのでありまして、同一製品はわずかであります。ですから、工程とかいろいろな面において混同しはしないかというお話でありますが、これは混同いたしません。はっきり委託加工の契約をいたしまして、そして加工賃を杏林製薬から日本科学研究所へ支払いをし、それによって日本科学研究所はまかなっておるのであります。杏林製薬といたしましては、自分の工場で工員が過剰であり、生産がオーバー・プロダクションになっておる。医療品全体としましては、非常なオーバー・ストックであるそうで、詳しい数字はわかりませんが、医療品業界の大御所は非常に憂えており、その打開策を考えております。先ほどのクレームの問題は、最も大きな問題として、今のオーバー・ストックの問題と一緒に考えられておるのであります。ですから、杏林自体においても、オーバー・プロダクションになっているのに、下請に出して、下請に幾らかでも利益を与え、そしてそれによって税金を払い、諸経費を払っていくというようなことが続けられないのは、この生存競争の世の中におきまして、当然なことではないかと愚考するのであります。  きょうは突然電報で御招致を受けましたものですから、先ほどからの答弁の面におきましても、非常に準備が足りない点がございますが、御質問に従いまして逐次現状を申し上げたいと思いますから、どんどん御質問下さいますようお願いいたします。
  294. 滝井義高

    ○滝井委員 ちょっとわからないのですが、芦川さんにお尋ねします。あなた方が入られたときは杏林で入った、それから二十六年二月になったら日本科研になっておった、こういうようなお話もあったのですが、今の大野さんの御意見では、杏林製薬から日本科研が委託加工を受けておる、それで同一の品物を作っておることは少いというようなことだったのですが、あなた方組合員は、自分の今作っているのは、これは杏林製薬のものであって、こちらは日本科研が杏林製薬から委託をされたものだ、こういう区別が工場の中でつくのですか、その点をちょっと御説明願いたい。
  295. 芦川隆子

    ○芦川参考人 参考までに二、三の薬品の例を説明申し上げます。  まず男性女性両ホルモン注射液の製造の場合を申し上げてみますと、杏林の調剤室におきまして日研従業員が調剤を行います。これは日研、杏林両社混同せる従業員が、その充填、溶閉を行なった後、日研滅菌工場で杏林従業員が滅菌操作を行います。そして、さらにその製品を杏林包装室において、両社混合せる女子従業員が製品化いたします。その際、必要に応じまして、同一の製品の一部を日研製品、製品名で、ミキスト・ホルモン、一部を杏林製品、エスタルモン、フォリケルモンとして出荷しております。ですから、全く混同しております。  またザルプロ注射液製造中の過程を申しますと、日研調剤室において日研従業員が同じく調剤を行なっております。これをやはり両社混合せる従業員が充填、溶閉を行なった後、同じく日研滅菌工場にて今度は杏林従業員が滅菌を行なった後、今度はさらに日研包装室にて両社混合せる従業員がこれを製品化しております。このように全く区別がつかないでおります。
  296. 滝井義高

    ○滝井委員 熊谷さんに伺いますが、今のように何回聞いてもわからないのですが、こういう工合に同じ、製品を流れ作業みたいなことで二つの会社従業員が混合してやっている、こういうことですと、就業規則の適用というのは、どういうことになるのですか。内容は同じであって、人事だけがこれは日研の就業規則、そちらは杏林の就業規則となっているのですか。どうもそこらあたりが、二つあるとおっしゃったのですが、はっきりしないのです。
  297. 熊谷万平

    ○熊谷参考人 内容は同じで、届出が日本科学、杏林の東京工場という工合になっているわけです。会社が一つあれば就業規則を一つ届けるわけですから、それが二つありますから二つ届けてあるわけです。
  298. 滝井義高

    ○滝井委員 就業規則は同じものなのですか。
  299. 熊谷万平

    ○熊谷参考人 同じです。
  300. 滝井義高

    ○滝井委員 わかりました。  それから同じ薬が名前が違って出されているということですが、製造過程はずっと一緒で、ただ、できた薬の名前を日研のものと杏林のものと、その製品名が違うだけという形の製造過程になっているようですが、そうですか。
  301. 熊谷万平

    ○熊谷参考人 日研のミキスト・ホルモンと杏林のフォリケルモンとは違います。結局、今混同されるように考えているのは、ザルプロというような意見が出ましたけれども、それは日本科学研究所仕事ではないわけです。ですから、現状におきましては下請をやっている形になるわけです。一箱作ればそれに対して幾らの工賃を払うというような状態でございます。薬事法から申しますと、注射薬を作るところ、包装室が全部別個でなければ許可されないわけです。そのために、いわゆる企画のときは、工場内にへいを作って、こちらとこちらを別個に、入口も何メートルは杏林、何メートルは日本科学というようにせよという命令でございましたけれども、そうやりますと、実際には自動車も入らないというような状態で、全部設備は二カ所作りますということで、全部二カ所作ってあるわけです。それで二十六年ごろは、日本科学研究所としてのホルモンだけでどうやらできたのが、現状においては全然できないというような状態で、下請製造を取っているために、そういう混同が起るということでございます。
  302. 滝井義高

    ○滝井委員 さいぜん芦川さんのお話では、二十八年四月に入社をした人は日本科学で、二十八年四月以後の人は杏林製薬だということを言われたのですが、今のように作業が非常に混淆している。それで就業規則も同一のもので、ただ名前が違うだけだということになりますと、その個人々々に対して、あなたの方で、あなたは日本科学の従業員、あなたは杏林製薬だということを、いわゆる下請関係になったときに、はっきり個人々々にあなたの方でお示しになったかどうか伺いたい。
  303. 熊谷万平

    ○熊谷参考人 それは採用のとき、はっきり申し上げてあります。あなたは籍は杏林の方でございますと、こう言うわけです。
  304. 滝井義高

    ○滝井委員 芦川さんに伺いますが、あなたはさいぜん、二十八年四月を境にして日本科学と杏林製薬というように御説明をされましたが、その通りあなた方は、あなたは日本科学、あなたは杏林と個人々々がわかっておりましたか。
  305. 芦川隆子

    ○芦川参考人 私の場合を例に取りますと、私は昨年の九月二十一日に入社いたしました。ですけれども、その際、杏林に採用になった、日研に採用になったとはっきりしたことは、一言も聞きませんでした。給料をもらう日まで、日研なのかな、杏林なのかなと、内心どっちかと思っておりましたら、給料の明細書が杏林の方の明細書になっておりましたので、ああ私は杏林かと思いましたけれど、杏林であるということが意識され出したのは、日研在籍者の解雇通告が出てからです。出てから初めて日研、杏林の別がはっきりしているのだということが認識されました。ですけれども、入社したときには全く感じられませんでした。私ばかりの例でなくて、昭和二十五年の十月に入社した一女子の職員でございますけれども工場長より、工場は日本橋と浮間にあるけれども、どちらに勤務するかと聞かれまして、浮間の工場に勤務すると答えて、この人はずっと浮間に勤務しております。この人の在籍は、ずっと日研になっておりますけれども、この人も、日研であったか杏林であったかは、入社のときには全然わかっておりません。それから、先ほど問題になりました昭和二十五年の十一月入社して、入社のときには杏林の明細書で、二十六年の二月には日研の明細書になったという人も、入社のときに、自分が日研であるか杏林であるかは、一言も言われなかったそうです。
  306. 滝井義高

    ○滝井委員 今、芦川さんの述べられたことと、熊谷参考人さんの言われたこととには、どうもだいぶ食い違いがある。熊谷さんは、入社のときには言っていると言い、片方は、入社のときには全く聞きませんでしたと、自分自身の実例をあげて間違いないと言われたのですが、こういう食い違いが多いし、その企業の内容自体が、どうも私たちには何回聞いてもわからないのです。こういうことは、やはりさいぜん多賀谷委員からも言われましたが、どうも解散が擬装解散のようなニュアンスが強いという感じを受けるのです。こういうことは今後明白にして、従業員あたりにははっきり知らせて、その作業の過程あたりでも、大事な人間の命にかかる注射薬を作るのですから、——薬事法との関係も、だんだんこれはあなたの工業を調べるということになれば、どうも出てきそうな感じもしますし、今後やはり慎重にやっていく必要があることを私は痛感いたします。ぜひ一つそういう混淆することなく、明白にすることを希望して一応質問を終ります。
  307. 熊谷万平

    ○熊谷参考人 今後といいましても、日本科学はすでに解散してしまったのでありますから、今後は絶対にそういうことはありません。  それから、もう一言つけ加えておきたいのは、昨年労働大臣賞を——この会社は優秀である、北区で一番人員の異動が少いというので調査がきました。私のところが、あれは五十名以上だと思いますが、その線で調査をされまして、その基準に合っていたのでございますが、杏林製薬と日本科学があるということを、労働省というか監督署からおいでになった方に聞かれまして、いろいろ私が説明をしましたが、それでは人数が足らないというのでだめになりました。もし一緒であったら労働大臣賞をもらったと思います。これは聞いていただければ、よくおわかりになると思います。
  308. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 労働大臣賞という話が出ましたが、何のための労働大臣賞でありますか、おわかりになったらお答え願いたいと思います。
  309. 熊谷万平

    ○熊谷参考人 北区では中小メーカーて、新規採用しても異動が非常に多いのです。少いところで三割、多いところでは五割が数カ月でやめてしまう。それが一年以上二割五分から一割五分だったと思いますが、その範囲で異動がなかった場合には、優秀工場ということになるのです。それでそういう出入りの少い工場ということで、表彰されるという趣旨だったと思います。
  310. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 それは雇用安定のための表彰であったと思うのです。今労政局長がおられますが、基準局長は、労働時間の問題休日の問題、有給休暇、危険防止、帰郷旅費、就業規則、さらに就業規則の周知義務の違反で勧告をした。なるほど一方においては、雇用安定だけを見れば、そういうことになっているかもしれませんが、いやしくも表彰をしようという場合に、しかも労働省が表彰しようという場合に、一方においては基準局から全く基準法違反だらけだと指摘されておるものが一体表彰の対象になるのですか。一体どういうような調査をされたのか、あなたは労働省を代表してお答えを願いたい。
  311. 中西實

    ○中西政府委員 今の職安の表彰は、私ちょっと知らないのですが、職安局長に聞いてみたいと思います。われわれの方である表彰をする場合、他の方で非常に不都合があれば、これはやはり考慮してやっておると思います。また、もしそうでないなら、注意して、そういうようにぜひさせなければならないと思います。
  312. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 日本科学研究所の下請の問題ですが、どうも私、下請という観念がはっきり出てこないのです。むしろ労務供給業ではないか。どっちが労務供給業をしておるのかそれがわからない、混然としておる、こういうように見受けられるわけですが、あなたの方では、契約はどういうようにおきめになっておるのですか、その契約書がありましたら、お示しを願いたいと思います。
  313. 大野忠次

    ○大野参考人 契約書はただいま持っておりませんが、会社にはございます。契約の内容は、先ほど申し上げた線をよく御理解していただくには時間を要するかと思いますが、日本科学と杏林とは、仕事の運営の線からいきまして全然別なのです。いわゆる卸売りと直接医者に売るのと、この二つがはっきりしておる。そして両者ともに、その目的に向って生存の競争をやるわけです。しかし日本科学は、二十六、七年をピークとして、仕事の運営が、独自の行き方が行き詰まってしまった。従って、日本科学は二十八年以後一人も採用していないはずであります。仕事が行き詰まりましたから、この行き詰まった仕事を何とかして挽回しようと努力しておるうちに、ただいま皆さんお聞きのような状況にある工場でありますから——これは世間には例のあることと思います。下請工場と自分の名義のレッテルを張る工場とが、ほとんど同じような敷地の中にある。そういう関係にあるので、日本科学が立ち行かなくなったからといって、すぐにこれを整理したならば、二十八年にすでに解散をいたしております。しかるに、杏林がそこに併在しておりましたから、杏林の製品を日本科学に作らせることによって、加工賃をかせいで日本科学を食っていかせた。  しからば、どうして日本科学を杏林のように営業を続けていける会社に吸収せぬかという御質問があろうかと思いますが、これは先ほど申し上げましたように、日本科学は科学として独自の建前でいくべく創立当初から運命づけられ諦観づけられているのであります。そうしてわれわれもその目的のもとに、問屋へ出す目的のもとに稼業いたしておるのでございまして、これが杏林と同じ状態で、杏林でやるならば、何も悲しんで別にしてややこしいことをして、皆さんの御理解の難解を招き、取締り当局にもお手数をかけるようなことはいたしません。われわれとしては、われわれなりの小さな事業に対し夢を持って、ぜひや日本科学を何とかしてホルモンとして、たとえば、三全製薬と申しまして、ホルモンだけで立っている会社がございまして、数日前専務さんがなくなりましたが、この会社のメンバーには、日本で一流の技術者であります伊藤正雄博士、近博士というような方々が技術の粋を集めて作って、よくやくにして立ち行っているような状況であります。われわれがわれわれのメンバーでただやれると思ったのは、いわゆるゾル・ソルーション、ホルモンを粉末結晶のまま体内に入れるという発明によって、これを生かして人に益すると同時に、われわれも事業の夢を伸ばそう、これで必死の努力を続けたのでありますが、悲しいかな、これは一場の夢と終りまして、大資本と新しい技術とに押されまして、どうにもこうにもならなくなったのが二十八年ごろでありまして、それから現在まで涙ぐましい努力をわれわれは続けて参りました。しかし、どうにもなりませんで、私どもといたしましても、弱音かもしれませんけれども、二十五年間も日曜も休まずに必死の努力を続け、そうして私は昨年以来病気になりましたけれども、何とか打開しよう、打開しようと思ってきたのであります。私は日本橋の方におりまして、工場にも今年行ったこともありませんような状況で、直接従業員の方々にもお目にかかっておりませんものですから、意思の疎通を欠いた点もありましょうし、ただいまの芦川参考人は、最高学府を出られた技術者の方で、非常に頭も明断でありますし、御用意もございますようで、非常に参考のお言葉がありましたが、これはたての一面ということも私申し述べられると思うのであります。二十八年以来ただいままで努力して参りまして、なおかつ仕事が立ち行かなくなったということは、実に私といたしましても、涙の出る思いでありまして、全員御退職を願うというようなときには、私ども二晩も三晩も眠られない状況でございました、実に忍び得ないことだと思ったのであります。しかし、これが御本人の方々に伝わるときに、どういう状況でどういうふうにお受け取りになったか、その経緯がはっきりいたしませんですけれども、お聞きになる方々の気持、それから会社の気持というものがしっくりいかなくて、こういう事態を起したことと思いまして、これは私といたしまして深く責任を感じておる次第であります。そういう状況でありますから、今の二つの線ということは、御了承願えましたでしょうか。
  314. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 あなたの気持はよくわかりましたが、では、実際仕事をしておる場面で——これは組合の方の参考人にお聞きいたしますが、だれに使われておられるのですか。具体的にあなた方の監督をする人は、日本科学の従業員ならば日本科学の監督者ですか、それとも杏林の監督者ですか、その点をお聞かせ願いたい。
  315. 芦川隆子

    ○芦川参考人 毎月一日に行われます朝礼のときの模様を申し上げますと、先ほど申し上げました通り、熊谷工場長は杏林、日研両方の工場長であります。その熊谷工場長が読み上げられます熊谷工場長の訓話を私たち一同聞きます。そのときに行われます訓話は、私が入社してから、日研のことには触れたことはございませんで、主として杏林のことのみでございます。それから、私は去年の九月に入社いたしまして、まだ日が浅いのでございますが、ボーナスのときに、去年十二月の、日はちょっと忘れましたけれども、十二月の幾日かにボーナスをいただきました。そのときには、社長さんがみずから見えまして、ホールにみんなを集めまして、杏林の話を、杏林という名がどうして起ったかというような故事来歴から、杏林の話だけをいたしまして、みんなボーナスをいただきました。ですから、私たちは、日研がその中にあるということの意識は全くございませんでした。ボーナスとか旅行の場合には、すべてこのように杏林を主体として行われ、杏林、日研は全く同一のものとして、杏林のことみのでおおい尽されておりました。また毎日の作業場におきましては、監督は熊谷工場長のみみずから行なっていらっしゃいました。ですから、私たちは熊谷工場長に使われていること、すなわち日研の社長である荻原広氏に使われておることに、少しの疑いも抱きませんでした。
  316. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 あなたの方の工場では、熊谷工場長のほかは全部組合員なんですか。
  317. 芦川隆子

    ○芦川参考人 熊谷工場長と、熊谷工場長の奥さんの弟さんがいらっしゃいます。この方は組合員ではございません。あと社長の奥さんの実めいがいらっしゃいます。この方も組合員ではございません。あとは日本科学の川本氏の義弟に当られる方が事務にいらっしゃいますが、その方も組合員ではないです。あともう一人、大島氏といわれる日研の監査役の方がいらっしゃいます。これだけの方はいずれも組合員ではございませんです。ですけれども、この方はみな一応経営者と見なされ、または会社と親族にある方ばかりですから、組合結成の当時から、組合員と別行動をとっていらっしゃいます。
  318. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 工場長の以外には、職制というものはないのですか。係長とか課長さんとか、そういうものは全然ないのですか。
  319. 芦川隆子

    ○芦川参考人 職制らしきものを感じたことはございませんでした。その職制といいますと、熊谷工場長が工場長でいらっしゃるということ、あと大島監査役が日研の監査役であること、そのくらいきり感じませんでした。あと各職場に、その職場責任者というのがおりますけれども、これは全部が日研在籍者でございます。日研在籍者の方がどうしても勤続年数が長いですから、自然その日研在籍者が職場責任者になっておりますが、これは完全な労働者で、組合員でございます。
  320. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 職場責任者というのは、労働組合員であることは間違いないですが。たとえば、充填なら充填、包装なら包装、調剤なら調剤をする場合に、あなたこうしなさいということを言う人ですか、そういう指示をし得る人でありますか。
  321. 芦川隆子

    ○芦川参考人 全くそういう立場の人ではないです。そういう立場にあるのは、熊谷工場長と大島監査役の二人のみです。
  322. 中村三之丞

    中村委員長 もうよろしゅうございますか。  中原健次君。
  323. 中原健次

    ○中原委員 では一点だけ御質問いたしたいと思います。組合結成の後、直ちに、まず組合長に解雇を申し渡された。もちろんこれは、その後御撤回になっておりますが、そのとき解雇を申し渡された理由といいますか、経営者側のほんとうの気持を一つ……。
  324. 熊谷万平

    ○熊谷参考人 御説明申し上げます。組合長の大倉務君は、今を去る三年ほど前に、私の親戚の紹介を持ちまして私のところに来ました。いなかから出てきまして、品川の方のメッキ工場にいましたが、本人は夜学を非常に希望しておりました。ところが、そのメッキ工場主は、作業を十時ごろまでやらせて、夜学に行くことをこばんでいる。ですから、何とかして私のところの工場に入れてほしいという私のいとこからの紹介状を持って参りました。そのとき私の方としましては、欠員がございませんし、必要でなかったものですから一応違う場所を紹介しようと思いまして、杏林の本社の人事課の人に一応会ってもらいましたところが、とにかくうちとしては不適当だから、どこかというので、六カ月ぐらい延ばしておったと思います。その間、再三私のところに電話で催促が来まして、私といたしましても、夜学に行って勉強するということは非常に優秀だというようなことで、いろいろ考えて相談をしましたところが、一人ぐらいならば仕事もあるというようなことで、それでは雇ってもいいじゃないかということで工場に入りました。寮に入って、それから夜学に行くからというので城北高等学校ですか、それに手続いたしまして二年ずっと通っておりました。作業状態を見ますと、どれといって欠点はないように思ったのですが、どうも見ていないところでは——私はそう感じなかったのですが、報告を聞くと、どうもあの人はよろしくないという忠告を再三受けております。その間、仕事中は仕事と無関係の本を読んでいるということが五、六回以上あったと言われております。それで、今後こういうことを絶対にやらないようにということを、再三私は通告しております。ちょうど一年ばかりして、去年の四月ごろと思いますが、学校の入れかえのときに本人を呼んで、どうも君はうち会社にとっては不適当な人間であるから、とにかくやめるようにということを私は申しました。ところが本人としては、学校を出る間だけ置いてほしいというようなことで、なるほど考えてみれば、これでまた違う学校へ行くということは非常にめんどうなことでもあるし、新しい職を見つけることも、今日の情勢においては非常にお気の毒だ、では一年間置いてあげましょうというようなことで、その前にはいろいろ言ったのですが、一応了承しまして、一年間、卒業するまでという条件で置いておきました。そして二月の終り、いわゆる組合ができる一カ月前くらいと思いますが、本人を呼んで、とにかく君は今度三月卒業するのであるから、やめる準備をして職を見つけてもらわなければならないということを言いました。それからもう一回、組合ができる約一週間前に、私申し入れました。それから二十四日の日に、副組合長に当るのが組合結成の通知を持って来まして、私のところに届けてきたのでございます。その翌日だったと思いますが、本人にもう一回、期限が切れるからと言ったところが、いや、おれが組合長だ、それは不当労働行為であるというので開き直って、いかなることがあっても絶対にやめないと私の前で言い切ったわけでございます。それで私といたしましても、そういうことかということを感じまして、第一回の団交ではあっさり撤回した状態でございます。
  325. 中原健次

    ○中原委員 たまたま組合結成という事情になって、そこで馘首を申し渡されたということになっているわけですね。そこで、第三者がそのままを、文字や言葉で受け取りますと、やはり労働組合結成し、かつ委員長に選ばれたということが、経営側に取ってはなはだ不きげんである、そこで馘首を申し渡したということに、一応解釈されるわけですが、さらにその問題が発展して、二十七名の解雇通知ということになった、そこまで発展してきたというふうに理解できるわけです。ついては、この二十七名の解雇を受けた人人、これも先ほどからの日研の説明がどうも複雑になっておりますが、二十七名というのは、その解雇された会社の全従業員の中の、たとえば九十何名の中の二十七名、こういうふうに受け取れるわけですが、それはそのように理解してよろしいかどうか。  もう一つは、その二十七名は組合の役職員であったのかどうか、あるいは組合の中でどういう地位を占めている人々であったか。このことについては、組合側の代表の方から、まず御説明を聞かせていただきたい。
  326. 芦川隆子

    ○芦川参考人 先ほども申し上げました通り、日研在籍者というのは、勤続年限が長いのでございます。組合の幹部というのは、組合員の互選によりますので、どうしても勤続年限の長い者の方に票が集まります。従って解雇された二十七名の中には、組合の三役を初めとして組合の幹部がほとんど含まれております。
  327. 中原健次

    ○中原委員 そこでそのような人々に特に一斉解雇通知を出したということになって参りますと、これはどのように理解したらよろしいのか、ちょっとこの問題について、はなはだ理解に困るのですが、まずこの点に関しましては、会社側はどういう意味でこの二十七名を特に御指名になられたか承わりたい。それから組合の方としては、このことに対してどういう考え方をお持ちになっているか。組合の立場、会社の立場で、それぞれ御説明を願いたい。
  328. 熊谷万平

    ○熊谷参考人 会社の方としては、先ほど申し上げましたように、昨年の八月三十名の首切りを計画いたしまして、この選考をやった書類が現に残っております。それによりましていろいろ解雇するというのを、できるだけ待とうというので、二時間の短縮、あるいは昼から草取りをするとか、そういうようなことで仕事の操短をやりまして、今年の正月も、今までは三十一日から五日まで休んだのを、たしか十三日間だと思いますが、仕事がないために休まざるを得ないというような状態でございまして、組合と一緒にされますが、私の方といたしましては、営業そのもののみの考えで、日本科学の解散ということは、株主総会で、営業をやっていけないという結論のもとにやったのでございまして、組合というようなものは、われわれの頭には毛頭ありません。
  329. 芦川隆子

    ○芦川参考人 先ほども申し上げましたように、五月四日に全員をホールに集めまして、熊谷工場長が、経営が不振になったこと、人員の過剰であることなどを理由にいたしまして、解散を宣言してきましたけれども、その経営不振ということも、全く先ほどの通り、われわれに納得できるものではないということ、また人員の過剰であるという点にも、新規採用の事実すらあるということ、このような点から、会社側の言う理由は全く意味をなさないものであるという理由のもとに、私たちは、この二十七名の解雇ということは、組合をつぶすため、組合の破壊を目ざす以外の何ものでもないという結論きり出ませんでした。
  330. 中原健次

    ○中原委員 一応経営側の方では、言葉の上ではみごとな御答弁ができるわけです。しかし、にもかかわらず、先ほどから各委員諸君によって御質問があり、それに対する御回答を通して受け取れることは、どうも経営の中身の中に、納得のいかないものが依然として残っておる。と同時に、この日研の会社を解散するということの措置も、従って依然として釈然としない。やはりそこには擬装解散というものがはっきりと浮び出てきて、かつ、それを立証するに足るような事項が多々出てくる。従って、この擬装解散を通して、何をねらっておるかといえば、やはり組合結成を忌み、組合の活動を弱化させ、そうして、いわゆる月の初めに何でも例会が催されて、その例会の席上で、工場長からまことにこうごしい式がとり行われる等々の中からも考えられますように、経営側の考え方に絶対に服従する従業員をもって経営を続けていきたいという意図が、やはりこれらの一連の回答の中に現われておるというふうに私どもは理解できるわけです。従ってこのことは、どのような御説明にもかかわらず、われわれの常識をもってすれば、労働組合の活動に対する一つの抵抗のための商行為がなされたというふうにしか受け取れません。もちろん、ここで議論する意思はございません。時間もないことでありますから、私はこれ以上お尋ねはいたしませんが、いずれこれに対する私どものとるべき措置につきましては、あるいはこれに対する論議につきましてはあとに残しまして、一応質問を終ります。
  331. 中村三之丞

    中村委員長 次に、愛世病院争議問題について質疑を行いますが、その前にお諮りをいたします。だいぶ時間もたちましたから、生光会療養所争議問題についての参考人の招致は明日午後に延期をいたしまして、愛世病院参考人はすでに陳述されておりますから、その参考人に対する質疑を継続いたします。中原健次君。
  332. 中原健次

    ○中原委員 それでは愛世病院質疑をいたします。愛世病院の方の経営側の代表大村さんでしたか、大村さんは、先ほどのお話の中でうかがえたことは、労働組合の問題についてはしろうとではない、相当お詳しいようですから、従って、そういう意味で一つ御質問をいたしたいと思います。  だんだん問題が摘出されておるわけですが、要するに、この問題をずっと集約してみますと、私の理解では、一応組合長である藤岡先生を解雇されたという事柄に関連しまして出てくる何と申しますか一つの法律違反と理解される点、従って不当労働行為その他の各条項ですが、これはどうでしょうか、全く妥当な解雇であって、解雇されるべきものであったというふうに御理解になられますか、それともどうでしょうか。
  333. 大村寛三

    大村参考人 お答えいたします。不当労働行為というのは、御存じの通り組合法の第七条に第一、第二、第三と明記してありまして、第一にもただし書きがございますが、いわゆる組合委員長であるからという理由、あるいは組合に加入し、組合結成しようとしたからという理由、こういった理由で藤岡さんを解雇したものならば、これは不当労働行為でありますが、藤岡さんが、委員長であるなしにかかわらず、経営権と人事権を掌握して、一方的な人事をやっているということに対して、経営者が経営権をもとへ戻す、正常な姿に、組合のあるべき姿に返すという形を経営者がとろうとしたことは、私は妥当な処置だと思います。
  334. 中原健次

    ○中原委員 それでは、藤岡参考人お尋ねしますが、藤岡さんは人事権を病院の中に掌握しておられたのですか、その点を……。
  335. 藤岡温

    ○藤岡参考人 私は人事権も経営権も掌握しておりません。人事に関して、意見を求められたことはあります。
  336. 中原健次

    ○中原委員 それでは、その人事権と組合の指導者としての権利との混同を避けるというような、そして組合活動を正常な形に戻すということの配慮、そういうものがどうもそこにうかがわれませんが、これはいかがでしょうか。
  337. 大村寛三

    大村参考人 お答えいたします。これは具体的に申し上げれば、判然とすると思われます。たとえば婦長任免問題、婦長というものは、当然婦長手当というものがつきますから、財団の理事長の一応の了解なり、理事長と協議してしかる後に任免すべきであると思います。私は冒頭に申し上げました通り、四月二十八日以降の問題に対して責任を持ってお答えしますが、それ以前のことは、アウト・ラインだけお聞きして的確性を欠きますので、四月二十八日以前のことは次長に答えていただくということを申し上げましたが、私が聞いた範囲内によると、この婦長任免問題も、藤岡さんがやっております。それから現執行副委員長である佐藤君が病院に入ってきたときも、理事長は半年も知らなかったのだそうです。そして、あの男は見なれないが、どういう男かということを質問されたところが、あれは今度内科医として就任した佐藤君であるぞというようなことを聞かされたということ、それから、現在愛世病院においては、雑役の一人までも全部社員になっております。こういった問題、また食堂における就業時間の問題、こういった問題は、今まで全部財団の理事長がつんぼさじきに置かれてわからないうちにきめられたということは、これは明らかに経営権、人事権が藤岡さんの手にあったということを証明して余りがあると思います。
  338. 中原健次

    ○中原委員 ただいまの大村参考人の御説明、あれで妥当でしょうか、一つ……。
  339. 藤岡温

    ○藤岡参考人 ただいま大村参考人が言いました婦長任免問題に関しましては、看護婦の主任の奥山君という人のことだと思いますが、前の三浦院長の在任中に、奥山主任を婦長にすることについて意見を求められたことはあります。しかし、その後におきまして婦長でなくなって、主任に形の上で下ったということに関しましては、私がそれを行なったのではありません。そのことははっきり申し上げておきます。それと、内科の佐藤医師も、やはり私が採用したというふうにありますけれども、その当時医師が非常に少くて、当時たまたま新しい病棟を開いたときでありましたので、医師が足りなかったのです。それで理事長及び院長から、何とかして探してきてくれということを頼まれまして、それはもちろん私一人が引き受けたのではなくて、みんなでできるだけ探してみましょうということで、偶然の機会に佐藤医師を発見しまして、それを前の三浦院長に推薦したことはあります。ですけれど、私が全部そういうものを任免したということは、事実と違反しております。
  340. 中原健次

    ○中原委員 この議論は、あまり大して必要でないように思う。ということは、藤岡先生がそういう権利を持った立場におられるようには、この資料から見ても実は思いません。やはり理事長がおり、院長がおるのですから、このことについては、別に混乱がないと思いますが、ただ大村さんの御答弁の中に、どうもそこへ問題が要点づけられておると思ったものですから、お尋ねしたまでであります。従って、それはそれでよろしいのであります。なお、こういう場合の、特に労働組合委員長になった人が、委員長になったとたんに格下げを食い、それにつながって引き続いて解雇されるという経過は、これはどう考えても、やはり明確に不当労働行為の規定に該当するという解釈が成り立つと思う。それをどのように強弁してみても、実はそれは強弁です。だから、そういう曲げた説明は、良識のある世界では通らないと思う。良識のないところでは通るかもしれない、こう私は思います。  なお、その次に問題になりますのは、暴力団の雇い入れのことですが、これはいかがでしょうか。組合がどういう、あるいは組合員がどういうことをしたから、暴力団をもってこれに対抗させなければならぬという事情があったのでしょうか。
  341. 大村寛三

    大村参考人 お答えいたします。使用者側が、無意味に防衛隊を雇い入れるということはあり得ないことです。暴力行為ということと、暴力団ということは、違うと思われます。労使間の紛争において、これもきまり文句として、使用者側が、組合に対して極左ひもつき組合といい、また組合側はこれは暴力団というのは、常識だと思われます。なぜ暴力団と予想されるような人たちを集めたかということに対しての御質問ですから、お答えいたしますが、暴力行為というものは、刑法の二百六十一条かでうたわれておる通り、器物破損に対しても暴力行為と思わざるを得ない。患者であるか、組合員であるかはわかりませんが、財団の建物に投石して破壊し、しかも、この建物をこわすのはわけないんだといって、包囲して、ぐるぐる取り巻いた。そういう事実があって、理事長の奥さんは恐怖観念にとらわれて逃げ出したのです。それから理事者側が、内科部長、外科部長と人事権を発令したことに対して、これを妨害したということは、労調法の第七条だったと思いますが、第七条の「業務の正常な運営を阻害するもの」という、いわゆる争議行為に類似する行為だと私は断ぜざるを得なかったのです。こういう行為に対して、しかも裁判において和解の線が出ている、その和解の線を応諾せず、しかも、実力をもって就業を拒否した行為、これに対しては、これは公共事業団体でありますから、ロック・アウトということは、十日以前に通告して争議に入らなければできませんが、解雇者とみなして、藤岡さんに対して退去を要請したわけです。ところが、折あしくその日、現在労働委員であるところの斎藤勝雄氏その他支援団体の幹部が五、六人やってきて協議をやっていたものですから、私の方のいわゆるスタッフが、藤岡さんに対して、あなたは解雇者であるからして一応退去してほしいということを要請したわけです。そこでトラブルが起きて、最後に藤岡さんが出たときは、実力でもって藤岡さんを表へ追し出したのではありません。これは佐藤副委員長が、大村さん二人きりで一つ話し合ってくれないかということを言われましたので、門外で二人で話し合って、しかも警察と支援団体立ち会いの上で応接室で会いまして、藤岡さんに出ていってもらっているわけです。これが暴力行為だということは、私には思えません。  それから、先ほど藤岡さんが陳述しましたところの、非常に針小棒大な、いわゆるけっ飛ばされてひっくり返った——あのとき、暴力行為が行われたということを聞いて、私は飛んでいったわけですが、飛んでいったところが、不幸にして間に合いませんでしたが、私のスタッフは、なぐったりけっ飛ばしたりはしていない。ところが佐藤君は、けっ飛ばされた。そこで警察で逮捕されて、警察でいろいろ調査されたわけです。しかも、その診断書も医者に頼んで、医者が非常に良識のある医者なんで、頼まれたので書いたのであるということを陳述していることも、われわれは聞いております。またそのときにも、佐藤さんに対して、こちらの方にも内科の専門家がいるのだから、一応こちらに来て見せてもらえないか、それによって責任を取るからということを言ったところが、男性の象徴であるところを人には見せられないという答えであった。それから、門内はつえをついて歩いておりましたけれども、門外に——裁判長が来られたときには門外に出て、宿屋で会合を持ったときにはちゃんと歩いておられた。そこで私は、あなたはお医者さんになるよりも演技者になる方がよっぽどよかったねと、ひやかしまで言っております。これは非常に針小棒大に、いわゆる暴力行為というものを取り上げて、しかも、けがを大きくしたということを発表しております。また先ほど、ある女の方がけっ飛ばされて入院しているというようなことを言っておりますが、これはじん臓炎で入院しているということは、明らかに医者の診断によって確認されております。
  342. 中原健次

    ○中原委員 ただいまの大村さんの御答弁に対して、一応藤岡さんの方からも、それでいいかどうか答えていただきましょう。  同時に、もう一つ、これは大村さんに聞きますが、暴力団あるいは暴力を行使することを常習とするような人々とでもいいますか、そういう人々を雇い入れたという事実、あるいはこういう人々を、組合を退去させるために送り込んできたという事実の記録は、これは労働省文書の中に載っております。「五月九日、午後二時ごろ、タクシー十二台に分乗した」云々というのが出ております。こういうものものしい対抗手段をとるということは、ちょっと意外に思います。ということは、何が何といたしましても病院のことです。それから、組合員といっても、病院従業員の諸君です。ことにお医者さんがその中に加わっているわけです。そうすると、私たちは、やはり良識を持っておる方々が多いと思うのです。従って、そういう者を対象として、こういうものものしいことがなぜ用意されなければならなかったか、これは確かに問題になると思います。そこで、このことについての御弁明が聞きたい。その前に一応藤岡先生一つ。
  343. 藤岡温

    ○藤岡参考人 ただいま大村参考人から、今までのいろいろな事件について、事実を非常に歪曲して伝えられたように思いますので、それを逐一反駁いたします。  まず、器物破損という言葉が使われましたけれども、構内にある理事長宅の雨戸が何かのガラスがこわれたということは、私たちその後数日たちまして、暴力団を入れた理由を聞いたときに初めて知らされました。つまり、ガラスが投石によってこわされたから、それに対抗する手段として呼んだのだということを初めて聞きました。それで、その後詳しく調査しましたところ、それは入院されております一人の患者さんが、構内の庭で散歩時間中に、よく石を投げたり、あるいは電柱にぶっつけたりいたしますが、そういうつまらぬ慰みをやっているときに、たまたまその一つがはずれてこわした。それはその患者さん自身がそう言われまして、財団の人たちの立ち会いの場所で、正式に謝罪されております。ですから、今の病院従業員だか患者さんだかわからないけれども、器物を破損したからという言葉は、ちょっと当らないと思います。  それと、理事長を取り巻いて、こんな建物をこわすのはわけないことだ、そういうこともただいま全く初耳でありまして、多少でもデモに近いことをやったということは、私の記憶では一月三十一日、つまり私が解雇になりました次の日に、患者自治会で、私の解雇反対のプラードを立てて、構内を一、二回回ったということも、もう一つは、二月の十日に、患者自治会と病院従業員組合と合同の総決起大会を開きまして、そのどき、たとえば私の解職撤回とか、労働協約を締結せよとか、あるいは患者さんの給食内容を向上せよとか、医療設備を充足せよとか、そういうような約十ばかりの事項を決議しまして、私ほか数名の委員及び患者さんの代表が理事長宅に参りました。そのときに理事長は、初め不在ということで面会には応じませんでしたが、理事長が在宅のことは前もって確かめてございましたから、その反対側の出口の方にも組合員及び一部の患者さんが回って、向うから逃げられないように見ていたわけであります。そのときに、やはり理事長が抜け出そうとしまして、理事長の奥さんも、うち従業員であるある看護婦さんを突き飛ばして、結局自動車に乗ってどこかへ出かけられた、そういうことを聞いております。それ以外に、取り囲んだこともなければ、また建物をこわすのはわけないと言ったというようなことも、聞いておりません。  それと、五月の九日のことでありますけれども、二人だけで話し合ってくれということで、私を構外へ連れ出そうとしたということですけれども、事実は私は六十八名の人たちによって直接間接に取り囲まれて、従業員が防衛してくれたにもかかわらず、私のいた部屋から三十メートルほど離れた病院のさく外に出されました。それで、暴力団の一人は、私につきまとっておりました。そうしているうちに警察官が来て、ともかく両方の話を聞かぬことにはわからぬからというので、警察官に呼び入れられて、また私ははいれた次第であります。そういうことがあらかじめ計画されていたということは、その事故の起きます約一時間ほど前に十二台の自動車で乗りつけたということ、それと従業員が直ちに警察に連絡しようとしましたときには、構内の電話は全部通じなかった、それでそのことはあとで電話の交換手に確かめましたら、ちょうど食事に行っていなかったのだということでありますけれども、交換手は、昼間二名以上勤務しておりまして、今まで食事とかなんとかで通じなかったということは一回もないのです。少くとも私の知っている最近の二年間、交換手を置くようになってから約一年ですけれども、その間、そういうことは全然なかった。  あともう少しほかのここを言われたと思うのですけれども、ちょっと失念いたしましたが……。
  344. 大村寛三

    大村参考人 お答えいたします。藤岡さんの陳述を聞いておりますと、幽霊の姿を枯れ尾花と間違えたように、大へん針小棒大な、われわれがいかにもクーデターでもやったようなことをおっしゃっておりますが、あのとき、毎日新聞にも出ておりますが、三十人の人間を車に乗せるのに十二台の車が必要であるかどうかは、これは常識で考えられてもわかることと思います。  それから交換手の件あたりも、電話が通じなかったために、われわれは交換手に詰問をしております。後日、交換手を証人に出していただきたいと思います。むしろ交換手に対しては、患者の一人と交換手がいわゆる個人的に非常に親しい、しかもその患者が非常に悪質だと思われる患者であるという面から、われわれはむしろ交換手に対しては、われわれ自身が懐疑の眼をもって見ている状態で、この点も非常におかしいと思うのです。  それから、先ほど先生も、暴力団とみなされるとおっしゃいましたけれども、私のスタッフは暴力団ではございません。私は全国映画演劇労働組合の初代執行委員長、全国映画演劇労働組合協議会の初代書記長をやっておりまして、私が集めた人員は、私が全映演の委員長当時、いわゆる容共派の日映演と身をもって戦ったところの組合員で、現在各撮影所の小道具あるいは俳優さん、こういうものに所属しておる人たちを中心として、これの友だちをかり集めた三十人でありまして、先ほどどこかのあれでおっしゃった児玉誉士夫とか護国団とか、そういうような部類の人間とは全然違うということは、使う言葉でもわかると思います。私は、自分のスタッフに対してはスタッフ、助手に対してはアシスタントと言いますが、町の無頼漢たちが兄貴だとか、お前だとかいう下劣な侮辱用語は使っておりません。また、その後の病院従業員諸君が、われわれのスタッフが暴力団であったかどうかということは、はっきり認識されるはずですし、私が暴力団であったかなかったかということは、私が今までに映画製作をやった実績、二十年間も映画界に足跡を残した過去、そういうことを振り返ってみたときに、よくわかることだと思います。  また、私が四、五人置いておいたということをおっしゃっておりますが、これは沖繩の復帰問題を取り上げて映画化すべく、私が現在本を書いております。脱稿しましたが、これを手伝うために、撮影所における私の過去のアシスタントが二、三人手伝いに来ておることであって、全く平家が水鳥の音に驚いて逃げたように、自動車が二台来るのを十二台だ、こういう陳述を、宣誓がないからといって、こういう席上でやるということは、もってのほかだと憤慨にたえないです。
  345. 中原健次

    ○中原委員 私は、大村さんが暴力団だと規定した覚えはない。ただ、このたくさんの人を動員したということ、その動員された人のことが、いわゆる暴力的な、あるいは暴力団と称せられるのか、あるいは暴力的な一つの習性を持った人というのか、そういうふうにみなされてここに報告書が出ておるわけです。従って、それに基いて今の質問をしたわけです。ただ、今あなたの御説明を聞いて、この人々があなたにつながりのある人々であったということがわかるわけです。それは三十名でも六十八名でも、いずれでもいいのです。いずれにしても、この三十名の人が部外から、この場合なぜ必要であったか、このことなんです。
  346. 中村三之丞

    中村委員長 ちょっと参考人に申し上げますが、だいぶ時間がたっておりますから、陳述は簡単明瞭にお願いいたします。
  347. 大村寛三

    大村参考人 先ほども申し上げましたように、労調法の七条のいわゆる争議行為に類似した行為であると、私どもはみなさざるを得ない。実力をもって就業を拒否し、またいろいろございます。懐中電灯で、いわゆる理事者、委託会社の代表者が帰るのを照らして、患者が自動車の前に立ちふさがってとまったり、またわれに友誼団体三万あり、三万人の兵隊を動員するのだというような恫喝的な組合言葉があったものですから、理事長が、少くともこれに対して防衛手段としては二、三十人は必要ではないかということで、三十人は集めたわけです。
  348. 中原健次

    ○中原委員 どうも何といいますか、労働組合の経験を持たれたあなたとして、とんでもないことをおっしゃると思うのです。実をいえば、そういう場合に、かりにそれが暴力団であろうとなかろうとは別といたしまして、関係のない部外の人を三十名でもよろしい、その人をそこに動員して、そうして相手方がいわゆる労調法の違反行為があるから、これを一つ、いわば威圧をもって圧力を加える、あるいはこれに対して一つの牽制を加える、いわば暴力をもって——従ってそのことは暴力になると思うのですが、暴力を行使してこの労働問題を処理できるとお考えになられたところに問題がある。そういうことではなくて、もしほんとうに労働組合側に違法行為があるなら、幾らでも処理する方法はあるはずでして、何も直接そういう人の力を動員してなさる必要はなかったのではないか。むしろあなたお一人でけっこうだ、その話はできるはずです。あるいはあなたがおいでにならなくても、院長なり理事長が誠意をもって話し合うならば、おそらくこれくらいの話はまとまるはずです。これがまとまらぬということに問題がある。やはりそこに何か無理があるからまとまらぬ。その無理がどこにあるかということを、われわれは実はせんさくいたしたいのであります。いずれにしても、無理のないところには争いは起りません。ことに、労働組合結成されたということに対して、それほどに驚き、あるいはおそれおののいて妙な対抗策を講ずるというようなこと、そのことが私は問題になると思うのです。というのは、ただいまのようなことが、そのようなことになると思うのです。対抗策になると思うのです。そういうところに、問題がはらんでくるわけでありますから、それだけ結末も問題が非常に複雑になってくる。なぜもっと正常な手続で、この労働組合側のいろいろな行為に対して対抗するような方針をとられなかったかということを、実ははなはだ遺憾に思うわけです。ことに、思うに、本日病院理事長がお見えになっていらっしゃらぬ、私はそう思っておるのですが、ということは、はなはだ遺憾に思うのです。真実に責任のある方が、こういう場合にはどんどん出ていただきたいと思うのです。そこで、責任のある方の口から誠実を傾けた説明が聞かせていただきたい。そうすれば、われわれといたしましても、非常に正しく問題を把握することができるわけです。どうしてもそこに妙な主観が入りまして、つかみ方が実は非常に混乱すると思う。そういうことで、ただいまのは五月の九日の話でありますが、二十三日に、また病院のさくの外で監視しておった部外者をカメラにおさめようとした佐藤副委員長は、さく外に出されて全治一週間の傷を受けたということは、これも労働省側の報告書にあるわけです。従って、もとよりこれは誇張などあろうとは思えません。こういうことが相次いで起っておるわけですが、そうなりますと、これはわれわれといたしましても、どうも正常な感動が出てこないのです。この辺について、どうなんでしょうか。
  349. 大村寛三

    大村参考人 お答えいたします。まず整理してお答えいたしますが、私は先ほどのお答えを、対抗上いわゆるスタッフを集めたというふうに、先生の方はお聞き取り願ったようですが、そうではございません。冒頭にも申し上げましたように、器物を破損したり、あるいは懐中電燈で威嚇したり、あるいは自動車の進路をさえぎったり、横臥を実力でもって拒否したり、こういうことに対する恐怖観念が理事長にありましたので、防衛手段としてこれを集めたということを先ほど私は申し上げたわけです。  それからさく外における問題については、結果論だけ先ほど申し上げましたが、写真をとった行為に対して、写真をとってもらっては困る、とったものは仕方がないから、そのフィルムを返してくれないか、新しいフィルムをあなたに上げるからということを、私の方のスタッフが言ったようです。そこで返す返さぬのトラブルが、結局は不祥事になったという結果になっております。  結論を申し上げますと、暴力をもって労働組合に圧力を加えるということは、これは暴力行為等処罰法の一条にもございます通り、団体もしくは多衆の威力をもって、またはそれを仮装して、相手に対して凶器その他を示して脅迫することは間違いである。私はあの騒動の際にも飛んでいきまして、暴力行為はやめろということをみんなに忠告して、暴力行為をやめさせて連れてきております。しかし、暴力行為をやめろと私が言ったにしても、暴力行為を発生するような可能性を持った三十人の専任の組合員を集めたことは、確かに私自身誤謬がありますが、私の労働運動は、いわゆる容共派労組とイデオロギーの面で対立して戦って参りました。いわゆる愛世会従組の労働運動というものは、赤化分子の扇動によって行われたということを私自身も感じ、そういう事実も二、三見たものですから、反共という線で私のスタッフが集まったということは、御了承願いたいと思います。
  350. 中原健次

    ○中原委員 労働組合運動の問題について、これを誘導する勢力が容共勢力で、その容共勢力に誘導されておる労働組合云々という解釈については、これは相当議論がありますけれども、今は議論いたしません。いずれにいたしましても、われわれ日本の労働運動は、御存じのように憲法が明確にそのことを規定いたしまして、むしろ日本の国民の民主的な成長をはぐくむために、ひいてはわれわれ日本の国の独立をほんとうに確保させるために、国民に自覚を与える、そういうことも加わったことだと私は思います。同時に、その日まで非常に不利益な立場に立たされ、常に不平等の立場に立たされ、いつも弱者の立場に立たされた労働者に対して、せっかくできた憲法の一つの規定だと私は理解しております。従って、これはわが国の戦後における不可避的な当然の組合運動の発生だと思いまするし、またその発生を正しく促そうとすればこそ、労働省もいろいろな機関を設けてやっているものと私ども理解いたしております。従って、労働組合は、外の方からのいろいろな働きかけででき上っておるものという解釈は、もちろん持っておりません。そういうことじゃないと思うのです。従って、病院の中で、病院従業員の各自が自己の社会的な、あるいは経済的な生活の地位を高めたいという要望から作り上げられていくその労働組合運動に対して、やはり私は経営者側としても、たとえば病院長、理事長側として、もっと平常な気持で、絶えず話し合いを進めながら、問題を脱線させないように正常に進めていくというその処理解決のことは、病院自身にもできると思うのです。第三者の介入する必要は、実をいえば全くないと思う。従って、労働組合に対抗する一つの動きは、これは私はどう考えても、やはりそこに労働組合運動に対するつかみ方の狂いがあると思う。確かにこういうことは言えると思う。今日この紛争が、今一応こういう動きで進んでおるようでありますが、いずれ妥当な結論は出るものと期待いたしておりますけれども、やはり、これをとんでもない方向に逸脱させるということじゃなくて、真実に期待したような結論に到達させるためにも、私はむしろ第三者の力添えは必要ないと思います。そういうことじゃありません。やはり病院長なり理事長がほんとうに心から誠実を傾けて組合側と話し合いを進めていくということになれば、物笑いの種を作らないで、よき結論が出ると私は思います。  時間もないようでありますから、ただそれだけのことを私の見解として申し上げまして、御両氏のそれに対する御見解を伺いまして私の質問は終ります。
  351. 大村寛三

    大村参考人 日本の民主化のために、労働組合が占領政策によってできたということは、私もよくわかります。しかし、左翼陣営の指導する労組が、戦後いわゆる自由を無制限にかちに、第三者が労使間の紛争に介入するということは、たといそれが不当労働行為という問題に抵触しなくとも妥当でないという考え方は、私は先生に申し上げられるまでもなく、従来の、愛世病院に参りましてから今日までを反省して、これは訂正しなければならぬということを感じております。ですから、今後第三者を入れて再びああいうような紛争を起すようなことは、二度と行わないということをここでお約束申し上げられると思います。  しかし、先ほど申し上げましたように、組合組合の行き過ぎを是正し、いわゆる自主性を失って、委託団体あるいは外部団体の意向を聞かなければ自分の自主的な回答ができないという考え方は捨てて、先生のおっしゃったように、ほんとうに労使が胸と胸とをぶつけ合っていくように私も希望いたします。
  352. 中村三之丞

    中村委員長 横錢重吉君。
  353. 横錢重吉

    横錢委員 私から参考人に一つ伺いますが、現在の病院の職制並びに、ベットの数は大体二百となっておりますが、現在どの程度の患者が入っておられますか、及び従業員の数、これらについて伺いたい。
  354. 大村寛三

    大村参考人 この件に関しては、次長に回答していただきたいと思います。冒頭に私申し上げましたように、従来の病院の問題に関しては、アウト・ラインしか知っておりませんので、的確なお答えができませんから、よく知っておる次長からお答えいたします。
  355. 中村三之丞

    中村委員長 ただいまの問題についてお諮り申し上げます。鹿毛俊貞君を参考人に追加することに御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  356. 中村三之丞

    中村委員長 御異議なしと認めます。鹿毛参考人
  357. 鹿毛俊貞

    鹿毛参考人 現在のベッドは二百十一ベッドでございます。それから患者は、つまびらかではございませんが、百六十数名と覚えております。従業員は九十五名であります。
  358. 横錢重吉

    横錢委員 今申し上げましたのは、病院の職制の現状、理事長とか病院長、こういうような点、それから従業員の内容がわかりましたら、看護婦、医者あるいは雑役夫というようなところについて……。
  359. 鹿毛俊貞

    鹿毛参考人 病院長、それから副院長でございます。副院長は外科の副院長と内科の副院長、内科の副院長はこの争議が起きまして暫定的になったものでございます。それから、現在は愛世病院人間ではございませんが、藤岡氏は内科医長でございました。それから外科には医長はございません。それから医員が内科に四人おります。それから外科に一人おりましたが、最近やめられました。その他レントゲン技師が三人でございます。それから看護婦が、これもはっきりしておりませんが、三十五、六名だと思います。それから雑役夫、事務員、一切を合計しまして九十五名です。
  360. 横錢重吉

  361. 鹿毛俊貞

    鹿毛参考人 事務長はおります。
  362. 横錢重吉

    横錢委員 今の点で、事務局長並びに事務局次長というのはいないのですか。
  363. 鹿毛俊貞

    鹿毛参考人 これは財団の事務局と病院の事務と二つに分れておりまして、病院事務長、それから財団の事務局は事務局長、その下に次長という形になっておるのでございます。
  364. 横錢重吉

    横錢委員 それでは鹿毛参考人に伺いますが、先ほど大村参考人がいろいろ述べておられましたが、大村参考人の立場は、現在の病院においては、どういう立場ですか。
  365. 鹿毛俊貞

    鹿毛参考人 労務担当の嘱託であります。
  366. 横錢重吉

    横錢委員 労務担当の嘱託というのは、どういうのですか、ちょっと珍しいじゃないですか。
  367. 鹿毛俊貞

    鹿毛参考人 このたび職制を整備いたしまして、労務課の課長であります。
  368. 横錢重吉

    横錢委員 それでは、鹿毛参考人にさらに伺いますが、先ほど大村参考人から述べられました中に、人事権、経営権が組合の方に奪われておったので、従ってこれを取り戻すというような意味のことを言われましたが、あなたの立場から見まして、どういうような点が、具体的に組合の方に取られておったというふうにお感じになっておるか。
  369. 鹿毛俊貞

    鹿毛参考人 実質上、たとえば看護婦の格下げ問題とかいうことでちょっと話がありましたが、この点は私から申し上げますが、はっきりとした事実はございませんが、そのような意向を藤岡氏が漏らしたことは事実であります。しかし、これに対して格下げをするということは、副院長は言われました。
  370. 横錢重吉

    横錢委員 人事権、経営権といいますと、相当広範囲のものですが、看護婦の格下げあるいは転勤——転職といいますか異動といいますか、こういうようなことは、病院の中で行われるところの小さな問題だと考えるのですが、いわゆる経営権というならば、指揮命令あるいは給与、管理、こういう全般の問題に及んでくると思うのですが、そういうような問題についての具体的なものが何かございましたですか。
  371. 大村寛三

    大村参考人 お答えいたします。先ほど申し上げましたように、婦長の任免という問題に対しては、婦長手当というものがつくわけです。その婦長手当というものは、いわゆる経営権の一部だと私はみなしております。それから人事の問題に関しても、最近こういう事実がございます。ちょうどいわゆる争議行為に突入前に、見なれない一看護婦が外科で働いていたわけです。そこでわれわれがこれを発見する前に、部外者より、これは某病院の先鋭分子であるからという注意を受けまして、そこで宇田川医員に対して質問したところが、古賀副院長に了解を得てある。病院における人事権に関しては副院長が現在院長代行をやっておりますので、それならば話がわかるだろうというので、副院長に問うてみたところが、実際副院長はそういう話は聞いておらない。そこで、勝手にそういうふうな組合人事をやって入れてあったわけです。ところが本人は、これは臨時である、一人休んでいるために臨時に入れたのであるからして、副院長や財団の許可を得る必要はなかったのだ、こういうことでありました。これも人事権を組合の人事によって左右していたという一つの証拠だと思われます。
  372. 横錢重吉

    横錢委員 今のお話の点は、あとで藤岡参考人に伺うことにしまして、具体的な人事権、経営権といいますと、看護婦を雇い入れたという場合の発令、それから給与の支給、こういう問題がかかわってきますが、発令と給与の支給、これらに基本的なものとして、だれがつかんでおって現在発令しておるか、この点、組合がつかんで発令をしておるのか、あるいはまた事務長なり院長なり理事長なり、こういうようなところで発令をしておるのか、こういうところの関係はいかがですか。
  373. 大村寛三

    大村参考人 お答えいたします。先ほど具体的な例として佐藤君の場合をあげましたように、理事者側は全然知らないで、人事が行われいた、病院内の人事は病院が独自の立場でやっていた、そして理事者側、理事長にはそのことを報告していなかった。一般の会社で言いますと、取締役会の承認を得ずして、いわゆる利益代表である部課長によって人事が左右されていたということが事実だと思います。
  374. 横錢重吉

    横錢委員 私の言うのは、そうでなくて、現実の発令と、それから給与の支給、これは、ただで働く者はいないだろうから、給与はだれがどういうふうにして出しているのか。
  375. 鹿毛俊貞

    鹿毛参考人 これは事務局次長といたしまして、私の答弁は責任を回避するがごときことになるので残念なことでありますが、実は私、本職は歯科医でございまして、昨年の二月からこの病院仕事を手伝いまして、実際上事務局に籍もなく、また報酬もなく、ただ手伝う、しかし対外的に名前がなければということで、事務局次長という名前をもらっただけなのでございますが、そういう事務的の処理の点において、いわゆる財団事務と病院事務というものが分れておるというようなこと自体が、やはり工合が悪かったということは確かだと思いまして、現在は事務局を統一してございます。それで看護婦の雇い入れとか、あるいは給与が幾らであるとか、こういったことを、どのようにやっていたかということをはっきり自信を持ってお答えできないのであります。それと辞令の問題もございますが、辞令も開院当初出しておりませんで、つい最近さかのぼりまして採用年月日何年何月何日、本俸幾らということで、辞令を各人に渡した次第であります。以上をもってお答えといたしたいと思います。
  376. 横錢重吉

    横錢委員 くどいようでありますが、具体的に、たとえば佐藤さんという医者の方が来て働いておったとしましても、だれかが給与を支給しなければ、面会に来ておるか、あるいは遊びに来ておるかという程度にしかできないと思うのです。そこで報酬を受けて、初めてこことの契約ができたことになると思うのです。従って、そこに雇い入れの権限と給与払いの義務というものが出てくるわけです。この場合に、今までのお答えでは、まだ触れられていないわけですが、事務局長さんがおられるならば、具体的に事務局長さんが現金等を持たれて支払いをしておられた、こう想像するのですが、こういうようなことになっておられますか。
  377. 鹿毛俊貞

    鹿毛参考人 その点についてお答えいたします。私の方の病院は、健康保険を対象とする病院でありまして、健康保険の基金の事務所から、毎月月末二十日ごろに数百万の金が入ってくるわけであります。そしてその中から、病院関係の給料並びに超過勤務、そういった給与関係のものを取りまして、それを病院の事務に渡しまして、病院から支給するのであります。
  378. 横錢重吉

    横錢委員 この事務局長は、理事長なんかと直接関係のあるお方ですか、あるいはまた組合員として入っておりますか。
  379. 鹿毛俊貞

    鹿毛参考人 事務局長は、組合員に入っておりません。
  380. 横錢重吉

    横錢委員 そうしますと、やはり基金の方から金が入りましても、事務局長のもとでは一度現金化するわけでございますね。現金化したものを支払うということになるならば、たとえば、今の医者であるとか、あるいは看護婦であるとか、だれが連れてきましても、理事長あるいは病院長というものの承認がなければ、事実上給与の支払いは行われない、こう考えるわけです。この場合に、認定をして給与を支払うのはだれかということが、一番問題になるわけですが、この点はどうお考えになりますか。
  381. 鹿毛俊貞

    鹿毛参考人 その点に関しましては、また弁解するようでございますが、事務局に事務を取り扱うということで一度も入っておりませんので、はっきりとしたお答えはできませんですが、事務局長は何回かかわっておりますけれども、そういう新しく入った場合に、逐一理事長に報告するということはなかったようであります。
  382. 横錢重吉

    横錢委員 ちょっとしつこいようでありますが、どうもふに落ちないのです。病院の中で実力者といいますか、理事長がロボットになれば副院長がやるとか、あるいは事務局長がやるとか、だれかが任用決定権というものを持っておられるのです。これがどうもぼけて、一向はっきりしないのですが、これはわからない問題でなしに、病院等の問題において、だれが決定を下すかということはわかっておるはずだと思うのです。
  383. 大村寛三

    大村参考人 私がお答えいたします。私が聞いた範囲によりますと、病院におけるそういった人事は院長がやる、院長がいない場合においては副院長がやる、そして事務官として事務局長がこれを取り扱って、理事長に対して事前並びに事後報告をするという話を聞いております。
  384. 横錢重吉

    横錢委員 それでわかりました。そうしますと、院長が発令をする、あるいはまた採用する、あるいは採用したくない、こういうような場合に、組合の方から医者なり看護婦なりを押しつけられて、いやいやであったけれども、どうしても受けざるを得なかったというような具体的な例がおありでございますか。
  385. 大村寛三

    大村参考人 お答えいたします。経営協議会において、組合側と使用者側が人事問題に対して協議をするというルールもなかったわけです。そこで、今まで病院が一方的に入れて、あとで理事者側にこれを報告していた、それに対して理事者側は、従来労働問題というものに対して非常にふなれであるし、それが当然かのごとく信じ、それを黙認してきたというのが現状だと思います。
  386. 横錢重吉

    横錢委員 それでは、先ほど大村参考人が、この問題に対しては、経営権あるいは人事権を組合の方に取られているから、これを正常な状態に返したのだ、こういうような意味のことを言われたと思うのでありますが、今、この経営権、人事権について聞いてみますと、一向組合の方には取られていないという感を抱くわけです。たとえば、組合の方に取られたとするならば、組合の方が発令権あるいは給与の実際上のがまぐちを握っておる。これだけのことがなかったならば、経営と人事については管理することができない。従って、この二つを完全に病院の方が握っておるとしたならば、その他の人がこれを行う場合に、あくまでも医者のあっせん、あるいは看護婦のあっせんという程度で、最後の決定権は院長なり副院長なりが持っておるというように解釈する。そうすると、先ほどの大村参考人が述べられた経営権、人事権を組合の方から取るのだということが、少しく食い違ってくるように感ずるのですが、この点何か……。
  387. 大村寛三

    大村参考人 一つも食い違いはございません。内科の長というものは、診療面の責任者であって、いわゆる行政面における責任者ではございません。ところが、院長、副院長という存在はありますが、私が聞いた限りにおいては、藤岡ワンマンにおいてこの人事が行われていたということを、理事長より聞いたわけです。いわゆる古賀さんという副院長がおられますが、この古賀さんというのは、ほとんど藤岡さんの組合的な圧力と、内部における人望に圧倒されたロボット的な存在で、藤岡さん一人によってやられてきた。またこれは堂々めぐりで、都労委、裁判あたりでも盛んにやられていますが、医長ということで藤岡さんが組合人事によって、実力でもって部長というものをかちとっている。そして先ほど、医長という制度は日本の医学界にはないのだが、どこにあるのですかと理事長に聞いたら、ここの愛世園にあるのだというお答えであったそうですが、われわれしろうとでさえ、医長、部長の制度のある病院があるということを聞いております。これは厚生年金保険病院、それから世田谷の、ちょっと忘れましたが、ございます。まして専門家の藤岡さんがこういうことを知らなかったということは、むしろ私としてはナンセンスだと思います。
  388. 横錢重吉

    横錢委員 それでは藤岡参考人に伺いますが、今の話を聞いておりますと、組合の方が人事権の方に直接タッチをする、あるいは経営権を握ったというように言われておりまして、これに対していろいろと質問をいたしました結果では、なかなか出てきておらぬのでありますが、具体的にはどういうような点が病院側の方と論争になったか。あるいは論争の中心といいますか、具体的にどういうようなところがぶつかったのか。こんなふうな点で、お考えのところがありますか。
  389. 藤岡温

    ○藤岡参考人 お答えします。今まで組合側の経営権とか人事権を握っているということに関して、財団側と問題が起きたことは全然ございません。論争のあったこともありません。ただ今回、組合側で東京都地方労働委員会に提訴しました際に、私が内科の責任者という立場にありますので、つまり組合の資格審査が問題になりまして、そのときに、財団側でそういうことを初めて持ち出したのであります。その証拠に、たとえば、もし経営権なんかを組合が奪っているのでしたら、越年資金の交渉にしても、夏季手当の交渉にしても、あるいはベース・アップにしても、交渉することなくやれたはずです。それを、今まで徹夜して交渉したこともありますし、また現に去年の暮れの越年資金でも、今年の三月までかかってやっと一カ月分もらえた、そういうような現状であります。
  390. 横錢重吉

    横錢委員 それで鹿毛参考人に伺いますが、従業員待遇状況は、大体どういうふうな給与、あるいは労働時間か、こういふうな点をお聞かせ願いたいと思います。
  391. 鹿毛俊貞

    鹿毛参考人 給与の平均賃金、ベースは一万三百何十円だったと記憶しております。それから就業は朝九時から晩の五時まででございます。
  392. 横錢重吉

    横錢委員 さらに伺いますが、医者の平均はどのくらいになりますか。
  393. 鹿毛俊貞

    鹿毛参考人 つまびらかでございませんが、各人について簡単に御説明いたしますと、病院長が八万円、外科の部長、副院長をやっております古賀氏が六万数千円だと思います。それから藤岡氏が、これは非常にこまかく覚えておりますが、五万四千七百九十円であります。それから平の医員がずっと下りまして、宇田医師が二万七千幾らと記憶しております。それから佐藤医師が二万四千円であります。大体そういったところでございます。最低が二万二千円と記憶します。
  394. 横錢重吉

    横錢委員 それでは、最後に中西局長に伺いますが、本日、中小企業労働争議の関係、あるいは病院関係等のものが、いろいろと審議あるいは質疑が行われたわけですが、この中に一つの共通しておる問題が出てきておる。そのことは、労働委員会を通じてスムーズに労使双方の問題あるいは経営者側との問題を解決をつけるという方向に行かず、紛糾化する、あるいは困難な方向に問題がこじれつつあるという印象がするのでありますが、この問題に関して、局長はどう考えておるか、あるいはまた何らかこの点について今日対策を考えられたか、この点について伺いたい。
  395. 中西實

    ○中西政府委員 個々のこれらの問題につきまして、私もよく知らないのであります。数日来、私の方にも会合がごさいましたりして——これは、主として出しましたのは東京都の調査でございますが、若干聞きますると、この報告の中には、間違っておる点があるようでございすが、さらにその点は、はっきりと私の方でも調べたいと思っております。従って、この問題がことさらにこじれたふうに進んでおるかどうか、そこらもはっきりしないのであります。いろいろなケースの問題があるので、問題は都労委において相当真剣に取っ組んでやっているようでありますので、都労委の努力、また都の努力に待ちたいというふうに考えております。
  396. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 関連して、一言大村さんにお尋ねいたします。あなたの方で、先ほど経営権、人事権を組合に奪われたという証言がありましたが、組合が経営権、人事権をかなり大きく運営しておるのか、それとも藤岡さんがそういうことをおやりなっておるとお感じになっているのか、この点をお聞かせ願いたい。
  397. 大村寛三

    大村参考人 お答えいたします。藤岡さんと組合とは、いかなる場合にも切り離すことができない、書記長個人、委員長個人ということはあり得ないと思う。ただ要は、愛世病院においては、業務命令よりも組合命令が従来まで優先してきていた。事実においても、組合ファショだったと言えると思う。その組合ファショを形づくったのは、藤岡個人の性格であるか、あるいは組合全体の武装された思想であるか、これはまだ私は十分検討しておりませんが、いずれにしても、組合の代表者である藤岡さんによって人事、経営といった面が大きく侵害されたというふうに私も感じております。
  398. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 話はどうも経営権、人事権を取られたようですが、よく聞いてみると、そうでもないようです。  藤岡さんにお尋ねしますが、あなたの方は、団体交渉をやられる場合に、組合の相手方はどういう方々がやられるのか、また組合の構成はどの程度になっておるのか。要するに、非組合員はどういう方であるのか、お聞かせを願いたい。
  399. 藤岡温

    ○藤岡参考人 私たちが団体交渉をやります場合に、団体交渉を申し入れても、たとえば時間を制限されたり、場所を制限されたりして、実際上なかなか今まで持てないことが多かったのですけれども、たまにできました場合には、相手方は理事長、それに財団事務局長、財団事務局次長、それにあと鹿毛理事長と一緒に仕事している江里口という歯科医、そういう人たち、あと、ときどき一人、二人出るのは財団の事務局の職員、そういうことです。それで病院組合員の範囲というのは、昭和二十八年の八月に発足しましたときは、院長とか外科部長、それに私、事務長、薬剤長等は組合員でなかったのです。ところが、その後実情が、院長でも何ら予告なしに突然内容証明で首になるというようなことによってもわかりますように、院長にしろ私たちにしろ、それは診療上の責任は持っておりましても、経営者の利益を代表する立場にない、あるいはそういう意味での監督的立場にないということ、それに組合からいろいろな要求を受けましても、私たちその趣旨に全面的に同意しながら、私たちではいかんともしがたい、またそれを財団の理事長とか事務長に取り次ぎましても一顧もされない、そういう現状でありましたので、昭和二十九年の三月三十日に組合規約を改正しました。その改正に当りましては、豊島労政事務所に相談に参りまして、部長とか院長が組合に入るのは、普通はおかしいと思うけれども、実情はこうなんで、そういう場合に入れることの可否について相談しましたところ、それは実情に即して入れて差しつかえないのだというお話だったので、大会に諮りまして、組合規約を改正してそれから入ったのです。
  400. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 病院長もですか。
  401. 藤岡温

    ○藤岡参考人 病院長もはいられたのです。ところが、その二日後には病院長は首になりまして、それ以後裁判で争っている間も病院内にははいれませんでして、結局その後退職金をよけい払って依願退職という形になったので、事実上院長は、組合員としては行動していなかったわけです。規則ではそうきめてあるのです。  それで、ちょっとそれに関連のあることですけれども経営者側の表面的あるいは裏面的のさしがねによりまして、現在副院長兼外科部長の方を委員長として第二組合ができております。それで、ちょっと質問からそれると思うのですけれども、先ほど説明するときに言い落したので、追加させていただいて差しつかえないでしょうか。
  402. 中村三之丞

    中村委員長 簡単に願います。
  403. 藤岡温

    ○藤岡参考人 第一組合に属しておると、前歴照会なんかのときに赤だって書かれて、それで第一組合の人はそのうちに首になって、ほかへ勤めようと思っても、そういう赤の人を雇う病院がない、そういうふうなおどかしがあるということは、先ほど申しましたけれども、そのほか財団の事務局長の名前で、就業時間中に職員を集めまして、それでどういう内容の話があるかと思って集まりますと——その集めるのは、現在ほとんど一日置きか、あるいは毎日のように続けられておるそうですけれども、結局集まってみますと、その第一組合の人のつるし上げ、あるいは個人攻撃ということに終始しまして、それで、結局第二組合に入らなければ首が危ないのだというような印象を強く受けさせられる。それで、そういう会合ですから、もちろん第一組合の人は出たくない。ところが、事務局長の名前で集められておりますから、出ないと業務命令に違反して、つまり、就業規則に従わない者は首にするというようなことを言われる。またその就業規則も今年の四月十三日に初めて案を示されまして、それで組合の方では、いろいろ項目別に異議を添えて出したのですけれども、財団側の見解は、もちろんそれは全部間違っておるという意味じゃないのですが、就業規則というものは経営者側で勝手に作ってもいいのだ、組合側では、ただ参考意見を付するだけだという見解で、現在それが実施されております。それで、そのために、今までに比べて、たとえば退職金なんかはずっと低い。今までは、一カ月の総額の何倍というふうになっていたのが、いつのまにか、本俸だけの何倍というふうに切りかえられておりましたり、あるいは五十五才以上の人は定年で退職する。今までは、五十五才以上の人もたくさんいましたし、そういう就業規則はなかったものですから、安心して働いたのですけれども、最近第一組合の切りくずしの手段として、今度就業規則ができて、五十五才以上の人は、第一組合に残っておったら首になるのだというようなことで、やむなく第二組合に入れられておる、そういうような現状であります。  そのほか、ここにおられる大村参考人なんかが、炊事の人を一カ所に集めまして、そして藤岡を支持するかどうか、それで、藤岡を支持するならやめてもらいたい、別にみな藤岡から俸給をもらっておるわけじゃないだろう、もし藤岡を支持するなら、藤岡から俸給をもらうようにして、財団の職員をやめてくれ、そういうようなことを言われて、だいぶ切りくずされたと思う。毎日のようにそういう状態が続いておる現状であります。
  404. 滝井義高

    ○滝井委員 藤岡さんに一、二点ちょっとお尋ねしたいのですが、この財団の理事長の鹿毛さんですか、これはお医者さんですか。
  405. 藤岡温

    ○藤岡参考人 歯科医です。
  406. 滝井義高

    ○滝井委員 財団の運営というものは、財団法人だから理事会があるのだと私は思う。そうしますと、その愛世病院の設立の状態を見ると、国の財産の払い下げを受けております。それから特定の会社から一ベッド二十五万円の出資を受けて返す、こういうふうになっておる。従って、財団法人ですから無税のはずです。そこには当然理事会があって、予算、決算を作って理事会の承認を得て、その大きなワクができたならば、今度は院長のもとに行って院長が運営する、いわゆる人事権なり経営権を、委託されたといってはおかしいが、大ワクは理事会できまったもので病院を運営をしているのだ、こうだと思うのです。大体そういう形をとられておるのだと思うのだが、今までちっとも理事会のお話がなかったのです。何か江里口さんとか、そこに来られております鹿毛さんの問題、大村さんの問題がクローズ・アップされて、理事会というようなものがちっとも役割をしていない。私も一、二東京の中の財団を知っておるのですが、どこもみな理事会というものがあって、そこできちっと運営の大綱をきめておる。器械を買うにしても、あるいは病棟の建て増しをするにしても、すべて理事会が大綱をきめたならば、それから先は病院長が理事長と相談をしてやるという形が出ておるのです。あなたの今までおられた愛世会も、そういう形をとられておらなければならぬと思うのですが、そういう点はどうですか。
  407. 藤岡温

    ○藤岡参考人 理事会という組織は、もちろん存在しております。それでそれには、たとえば東芝の社長の石坂泰三さん、あるいは東宝の会長の米本卯吉さん、それに日本鋼管の会長の林甚之丞さん、白木屋の社長の鏡山忠男さん、そういうような財界でも非常に有力な有名人が数人と、あとは理事長と一緒に仕事をしております大鶴という歯科医の人、あるいは理事をやはりやっております歯科技工士養成所の幹部をしております福本というような有名人数名と、あとは理事長の息のかかった人、俗な言い方ですけれども、そういう方数名とから組織されているのです。それで、実際的に理事会はほとんど開かれていない。もちろん一回も開かれていないということは言えませんですけれども、ほとんど開かれていない。また開いても、そういう社会的に忙しい有名人は出席されない。結局現在までのところ、理事長が一人で切り回していた、そういう状態です。従って、団体交渉の際にも、理事でかつて出席をしたことのあるのは米本さんが一回だけ、自分は何も知らないのだけれどもと前置きされて出席された一回きりであります。
  408. 滝井義高

    ○滝井委員 鹿毛さんにちょっとお尋ねしたいのですが、予算、決算等は、多分理事会の承認を必要とすると思うのです。出席できない場合には、委任状を必ず理事から取って、理事会というものは行われておると思うのです。今藤岡さんのお話では、ほとんど理事会は開かれないような口吻があったのですが、まさかそういうことはないと思うのです。これは財団法人ですから、当然法的にいっても、理事が欠席する場合は、委任状をつけた理事会というものを、多分財団法人は行われるはずなんです。そういうことが行われておると思うのですが、どうでしょう。
  409. 鹿毛俊貞

    鹿毛参考人 私はその点については、残念ながら存じておりません。
  410. 滝井義高

    ○滝井委員 それから、基金に対する請求書ですが、これは病院長の名前で、いわゆる病院の管理者である医者の責任で請求書を出すのが普通だと思うのです。ところが、理事長は歯科医者さんということですから、これは歯科医者さんの鹿毛さんの名前でも請求できると思うのですが、愛世院の実情はどうなんですか。
  411. 藤岡温

    ○藤岡参考人 病院ができましてから勧め二年ほどの間は、病院長の名儀で基金の方に請求を出しておりました。ところが、三浦院長が突然解雇されまして、院長の不在の間、事実上鹿毛理事長の名前で請求するように切りかえられまして、現在にずっと及んでおります。それで、そういうことは、もちろん法的に差しつかえないからできていることだと思うのですけれども、実は医療を主とする病院の主宰者は医者でなければいけない。また主として歯科医療を業とする診療所なり病院は、歯科医師がそういうことをやらなければいけないという規則があるように記憶しております。
  412. 滝井義高

    ○滝井委員 病院長は、その財団の理事なんでしょうか、全然関係ない、ただその財団に雇われておる人なんでしょうか。
  413. 藤岡温

    ○藤岡参考人 前の三浦病院長は、理事ではございませんでした。それで現在、その後にいらっしております宮下院長ですが、その方は、財団側から聞きましたのでは、今度の院長さんは理事になってもらったということでありますけれども、登記はまだされていないようです。それで、実際上今度の院長さんは、年が明けてから、私が病院に出ておりました五月二十日ごろまで、一日も病院に出席されておりませんから、詳しいことはよく存じません。
  414. 滝井義高

    ○滝井委員 けっこうです。
  415. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 ちょっと大村さんにお聞きしたい。あなたの方は院長も組合員である、こういう話である。そこで院長となれば、一々理事者側に意見を聞いて、理事者側の決定を待つ場合もあるでしょうけれども、実際問題としては、院長として何か即決しなければならぬ場合もある。そうすると、あなたの方は、先ほどの藤岡さんに対する考え方によりますと、組合が経営権も人事権も壟断している、こういうことになるのですが、今度あなたの方で経営権も人事権も藤岡さん即組合に取られた、こういう考え方は、どうも私は機構上の問題があるのではなかろうか、かように考えるのですが、あなたはどういうふうにお考えですか。
  416. 大村寛三

    大村参考人 お答えいたします。私の社会通念として、従来まで見てきた労働組合のあるべき姿の形としては、たとえば撮影所で申しますと、所長が病院長で、次長が病院の副院長で、製作部長が内科部長だ、こういうふうに考えております。撮影所の所長初め全部が組合員であって、本社だけが離れ小島に置きぼりされた場合には、これは人事権、経営権は当然組合が掌握することになる。私の今までの労働組合運動の体験では、そう思います。
  417. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 ですから、組合が悪いのではなく、これはあなたの方で権限をまかせなかった、院長やその他の部長にまかせなかったところに、問題があるのじゃないですか。
  418. 大村寛三

    大村参考人 お答えいたします。権限の範囲にもよりますが、私の聞いた範囲内ですと、過去の問題ですが、その範囲内でお許しをいただきたいと思います。その範囲内においては、権限を与えるどころか、その権限を組合が取ったというふうに聞いております。
  419. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 これは、組合ができたから権限を取ったのではなく、組合ができる前の問題だろうと思うのです。どうも、せっかく組合を作ってみたけれども、権限も何も院長などにない。これは自分たちも組合に入っていなければ首が危ない、あるいは生活の保障ができないというので、わざわざ後になって労政事務所意見を聞いてはいられたというのですから、どうも院長やあるいはその他の部長さんに、そういう権限が与えられておらなかったところに問題の発生がある、かように考える。先ほどから、あなたは組合に関する前歴をいろいろ言われて、かなり詳しいような話をされておりますが、どうも問題はそこから起ってきたのじゃないかと思いますが、どう思いますか。
  420. 大村寛三

    大村参考人 お答えいたします。キー・ポイントはそこにあるわけです。いわゆる財団側としては、病院の院長を初め副院長と申しますけれども、実権は藤岡氏が握っているのです。藤岡氏の病院乗っ取り運動であるというように、今度の問題を考えたのです。その例には、これは笑い話ではございませんが、近くの某薬局に参りまして、今度はわれわれ組合病院を経営するのであるから、支払いはわれわれが間違いなくやるから、心配しないで薬を送り込んでくれと、藤岡氏が壮言しておるという事実もわれわれは取っております。結論としまして、結局キー・ポイントは、藤岡さんの病院の乗っ取り運動である。これはほっておけないというので、経営者側が立ち上った、こういうことになっております。
  421. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 藤岡さんの乗っ取り運動と言われますけれども、元の院長が不当であるかどうかわかりませんが、解雇されて、かなりの金をあなたの方は出されておる、こういう事実、それから、人事の問題についてもいろいろ言われましたが、病院であれば、あるいは看護婦あたり足らぬ場合には、どこかから看護婦にちょっと臨時に来てもらうということはあり得ると私は思う。これは組合としてではなくて、むしろ部長としてといいますか、院長としてそういうことはあり得ると思うのですが、どうもそれを称して、これは組合が人事に介入したとか、経営権の一部を取っていったという認識であるところに、私はどうも組合運動を長い間経験されたあなたが——そういう点は、もう少し機構上明確になっていないところに問題がある。そうしてその組合員の範囲が、あなたの方に院長とか部長という方々に権限を与えておられないところに、ついに組合員に加入される、こういう事態になっておる、そういう点を十分認識下さるようにお願いしまして、私の質問を終ります。     —————————————
  422. 中村三之丞

    中村委員長 先刻、生光会療養所争議問題は、明日の午後調査することといたしましたが、同問題について、本日出席いたされました阿部哲郎君及び佐竹和子君を参考人に選定し、再び出席を求めることに御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  423. 中村三之丞

    中村委員長 御異議なしと認めます。そのように決します。  次会は明十七日午前十時三十分より開会することとし、本日はこれにて散会いたします。    午後八時二分散会