○帆足
委員 私は、財政のワクが乏しいためにやむなくこういう状況になったものならば、同情し得るものと思っておるのです。大体通産省は商工業者のことを非常に心配しますし、農林省は百姓のことをかばい過ぎるくらいかばうのですが、
厚生省は医者と患者を目のかたきのようにされておると私は思うのです。これは、もちろん
川崎大臣が御就任になる前のことでありまして、今でもそれが続いておるということは、慣性の法則か過去の惰でございましょうから、一日も早くそういう風潮がなくなることを私は希望するのです。
川崎さんに対しては、
国民の世論は非常に期待しておるのです。その第一歩において、もしこういう重要な問題が実際的見地から離れてきまるということになりますれば、若いゼネレーションの
大臣に対する期待が、幻滅の悲哀を感じさせられるという点においても、非常に残念だと思うのです。中野療養所を例にとりましても、わずか数年前、ストレプトマイシンのできる前にあの門をくぐることは、絶望と恐怖と神秘の門をくぐることでしたが、今は化学療法と結核外科と結核病院の進歩によりまして、あの門をくぐることが、とにかく希望の門をくぐることになりました。ほんとうにうれしいことです。しかし、今は結核の過渡期でありまして、現象形態としては死亡率は減っておりますけれ
ども、患者はふえ、そして入院する者は今後ふえ、特に外科が非常にふえなくてはならぬ
段階です。
大臣は非常に健康で、私はうらやましいと思って尊敬しておりますが、私
どものように何回も喀血した者は、喀血の苦痛というものを——皆さん御
承知でしょうか、昨日八木君が
説明されていたとき、私は胸が詰まる思いがしました。それから肺外科の手術というのは、なかなかひどい手術です。手術の済んだあとは、ベルを押す力もないのです。一週間は絶体絶命の
状態が続くのです。そして今後は、結核とは空洞の病気です。結核の神秘は空洞にあるのです。空洞をつぶすことが結核の
一つの仕事です。そのためには、どうしても外科がふえねばならぬわけです。これには非常に看護が必要です。今日の日本の
段階では、食餌、洗たく、それから寝汗をとること、たんを処理することなどです。設備の乏しい今日、アメリカの病院のようにはいかないのです。そこで中野の療養所を例にとりますと、重症が大体百人以上いると私は思うのです。それから手術が毎月五、六十人以上あるのではないでしょうか。ますます手術はふえてくる傾向にあるのです。二百名近くの患者に対して、つき添い婦が今百名から百工、三十名おるでしょう。それを五十名どころか、三十名か四十名に減らすと聞いておりますが、かりに半数に減らしましても、とうてい困難だと私は思います。院長さんの立場からいえば、派出婦さんを訓練して一元統制のもとにやれば、能率も上り、秩序、訓練もよくなることは一面の事実です。しかし、だからといって、
数字を半分近くに減らしたのでは、とうてい手か回らないと思います。設備もこれに伴いません。従いまして、
政府委員は、大体所長さんは異存ないと言ったそうですけれ
ども、所長さんは、これを統一的指揮下に置いて、完全看護の方向に向う病院経営に異存がないのであって、ただいま
政府が提出されておるような定員では、とうてい手が回らないということは、もう自明の理なんです。たとえば中野療養所をモデル・ケースにして、
一つ政府委員に調べていただきたいと思います。一体何人中野療養所に割り当てるというのでしょうか。従いまして、明日の参考人の意見を聞きまして、もう少し私は検討していただきたいと思うのです。そうしてまた重点配給をして、それでほんとうに差しつかえがないというならば、それはよいことでしょう。もちろん派出婦さんの失業問題の対策もあります。しかしそれは、今次の問題については、非常に重要な問題ですけれ
ども、ある
意味では第二の問題でしょう。それはそれとして、適切な対策を立てねばなりませんけれ
ども、病院経営は、病院経営の問題がまず一貫して貫かれなければならぬ問題でありましょうが、その患者を預かる所長さんの仕事は、これではできないと私は思います。そこで、もしこれを修正するとすれば、
専門家の立場からいろいろな案があるでしょうけれ
ども、私はただいままでのように、つき添い看護婦の方を一人の患者に一人機械的につけるというのではなくて、二人、三人に一人つけてもよいような制度にでもしてそれを補ったらよいかと思うのです。実際の話は、これは予算の節約と
医療の合理化という二つの面から来た
事件ではないかと思うのです。合理化によって経費を節約し、節約された経費をさらに有用に使うということは、悪いことでないと思うのです。しかし、それならばそれで、とにかく患者が不安を感じないように、もう少し実地の検討をしていただきたいと思います。たとえば、清瀬とか中野の療養所に、何名の割当をお
考えになっておるのでしょう。ただいま、おそらく御回答しにくいと思いますから、また明日でも
理事の方にそういう点も打ち明けられて、果してそれでよいかどうか、所長さんが、まあよいと言っておるのは、これは所長さんの訓練と指揮下に統一的に置けば、能率が上るという経営の
方法論に賛成なのであって、今度のこの予算の削減と人員の削減に賛成しておる所長さんは一人もないと私は思います。現に中野療養所では、
昭和二十六年にこれをやろうと思って失敗しましたし、
国立病院でも、いろいろ不便を感じております。しかし療養所の方は、最近特に結核外科がふえて参りまして、これは非常に大きな手術でありますから、これでは手が回りかねる。そのために、自費療養の力しかない多くの
人たち、今日善良なサラリーマンでも、生活が乏しいために——私などはもとは健康保険にかかったことはないのです。それは恥と心得ておった。ところが今日、議員になって健康保険証を取られたのは、一番の苦痛です。そこで、今小さな会社の嘱託をしておりまして、やはり健康保険に入らしてもらっております。というのは、私は今ずっと気胸を続けております。もちろん気胸自身は、今も再検討中ですけれ
ども、もうずいぶん長く続けておりますし、家族にもまた負傷者がおりますので、健康保険に入っておるような状況です。この健康保険だけでやっと生計費を補っておる、生活の安定を確保しておるというのが、私は今日の実情だと思うのです。
終戦以来、私
どもは地主を食いつぶし、家主に迷惑をかけ、あとはお医者さんに迷惑をかけて、お医者さんの犠牲によって生き延びてきたようなものだと思うのです。従いまして、今は健康保険制度というものは、国の中堅階級の支柱です。非常に大事なものです。健康保険の患者につき添い婦などぜいたくでつけられるかというような観念も、潜在的にはどっかにあったと思いますが、それは間違っておると思います。またつき添い看護婦さんというものは、将来教育して一元統制のもとにもっと高度の能率も持たねばならぬと思いますが、設備が伴っていないときに、一挙にそれを望むことはできません。従いまして、療養所をごらんになって、その設備と結びつけてどのくらいの定員が要るか。ベルですら、完全についていないのです。部屋の番号ですら、明確になっていないような状況です。そして患者はとても多くて病院は広いのです。これらのことを
一つ虚心坦懐にお調べ下さいまして、
川崎さんになったために、今日よりも病院が悪くなったということにだけはしないでもらいたい。今日より経費は節約したけれ
どもよくなった、来年はもっとよくなるだろうという方向に持っていくことを、われわれは期待しておるわけです。同僚議員の皆さんの御
質問を聞きましても、みな
大臣に好意を持った
質問をしておるのです。そういう点も御考慮下さいまして、明日の参考人の意見も聞かれまして、また一、二のモデルケースで病院をごらんになりまして、支障のないようなお取扱いを切にお願いいたします。