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1955-07-15 第22回国会 衆議院 外務委員会 第31号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十年七月十五日(金曜日)     午前十時三十八分開議  出席委員    委員長 植原悦二郎君    理事 須磨彌吉郎君 理事 北澤 直吉君    理事 福永 一臣君 理事 穗積 七郎君    理事 戸叶 里子君       伊東 隆治君    菊池 義郎君       草野一郎平君    高岡 大輔君       夏堀源三郎君    並木 芳雄君       山本 利壽君    江崎 真澄君       田口長治郎君    稻村 隆一君       木原津與志君    細迫 兼光君       森島 守人君    今村  等君       松岡 駒吉君    岡田 春夫君  出席政府委員         外務政務次官  園田  直君         外務事務官         (アジア局長) 中川  融君         水産庁長官   前谷 重夫君  委員外出席者         検     事         (入国管理局次         長)      下牧  武君         海上保安監         (警備救難部         長)      砂本 周一君         参  考  人         (第一大和丸調         理員)     坂口 徳佳君         参  考  人         (山口水産高         等学校生徒)  柳井 義昭君         参  考  人         (山田丸漁撈         長)      東根 三郎君         参  考  人         (山田丸船主) 山田吉太郎君         参  考  人         (無職)    洪   登君         参  考  人         (無職)    尹 錫 礼君         専  門  員 佐藤 敏人君         専  門  員 村瀬 忠夫君     ————————————— 七月十五日  委員犬養健君、篠田弘作君、淡谷悠藏君及び中  村高一君辞任につき、その補欠として田口長治  郎君、江崎真澄君、木原津與志君及び今村等君  が議長の指名で委員に選任された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  韓国抑留者に関する問題等について参考人より  意見聴取     —————————————
  2. 植原悦二郎

    植原委員長 これより会議を開きます。  まず委員長より御報告いたしたいことがあります。それは巣鴨に抑留されております戦犯者留守家族福岡県の在住者である七、八名の婦人が去る火曜日に上京して参りまして、外務委員長に対して、終戦後すでに十カ年になるのに、依然としてそれらの者が巣鴨に抑留されておる、留守家族とすればこの長い間耐え忍ぶことができない、どうかそれらの関係各国外務委員から陳情して、早くこれらの抑留者を釈放してくれるように心配してくれないかということでありました。委員長としてはその旨を聞き置きまして、いずれ外務委員会に報告して、外務委員会の御考慮をわずらわすということを申し述べておきましたから、今日に限りませんけれども、どうか外務委員として、抑留者留守家族から特に外務委員長に対して、さような陳情があったということを御了承下さいまして、外務委員会においてこの問題を御考慮願いたいと思います。
  3. 穗積七郎

    穗積委員 関連して。書類は出ておりますか、名簿とか……。
  4. 植原悦二郎

    植原委員長 書類は出ておりません。
  5. 穗積七郎

    穗積委員 これをあらためてお取りになる約束をしましたか。
  6. 植原悦二郎

    植原委員長 それだから、それはいずれ外務委員会に報告してしかるべくお取扱いを願う、こう言って答えておきました。
  7. 穗積七郎

    穗積委員 それはやはり実情がわからぬと判断のしようがないと思うのです。どこのだれであるのか、どういうことなのか、概略、名簿とそれから生活の実情を文書にしていただいたらどんなものでございましょうか。
  8. 植原悦二郎

    植原委員長 福岡県の前県会議長をした田中君が連れて参りましたもので、もし何ならばこれに問い合せればすべての実情がわかりますが、とりあえずそういうことを陳情されたから、委員長としてはそのことを御報告申して、なお詳細の事実をということならば、委員長から問い合せることは何でもないから問い合せて御報告いたします。     —————————————
  9. 植原悦二郎

    植原委員長 本日は韓国抑留者に関する問題等について参考人より意見を聴取することにいたします。  本日参考人として出席を求めましたのは、韓国抑留者に関する問題について坂口徳佳君及び柳井義昭君、山田丸被災事件に関する問題については東根三郎君及び山田吉太郎君、北鮮への帰国希望者に関する問題については洪登君及び尹錫礼君でありますが、尹錫礼君は病気出席できないということで、細迫委員がこれにかわって出席した人があるからそれを諮ってくれるということであります。細迫君がその姓名を明瞭にしたならば皆さん方にお諮りしたいと思います。  議事に入るに当りまして、参考人各位にごあいさつ申し上げます。本日は御多忙のところを遠路わざわざ御出席いただき、まことにありがとうございます。本日の議事の順序については、まず参考人の方々よりおのおのの御意見を開陳していただきます。そのあとにおいて委員より質疑がある予定であります。なお御意見の開陳は一人二十分以内にとどめていただきたいと思います。  念のため申し上げますが、衆議院規則の定めるところにより、発言委員長の許可を受けることになっております。また発言内容は、意見を聞こうとする案件の範囲をこえてはならぬことになっております。なお参考人委員に対して質疑をすることはできないから、その旨も御了承願いたいと思います。  それではこれより参考人意見を聴取いたします。
  10. 穗積七郎

    穗積委員 議事進行。今お話のあった北鮮への帰国希望者尹錫礼君のかわりに細迫委員から推薦した金又祚君——今伺いますと尹錫礼君が病気を少し無理して出てきたそうですから、そのままにしておいて下さい。
  11. 植原悦二郎

    植原委員長 よろしゅうございます。ただ細迫君からそういうお話があったから委員の御了解を得たいと思いましたが、尹錫礼君が出てくれればもう問題はないと思います。  それでは韓国抑留者に関する問題について、まず坂口徳佳君のお話を御開陳願います。  なお御参考までに申し上げますが、坂口徳佳君は第一大和丸調理員で、島根県の美保の関町居住の方であります。坂口参考人
  12. 坂口徳佳

    坂口参考人 まことにおそれ入ります。このたびは御多忙中にもかかわらず、韓国に抑留されておる船員状況皆様お話する機会を与えて下さいましたことを、私たち一同厚くお礼を申し上げます。また私、出雲弁であるいは失礼な言葉が出ますが、この点お許しをお願いいたします。  私は浜田の底びき船第一大和丸調理員であります。第一号大和丸十名、第二号大和丸十一名の二そうで浜田を出たのは十一月三日の夜でございました。それから五日の朝から操業を開始いたして、九日の朝八時三十分ごろ韓国警備船に突然発砲され、五、六人の警備船の人が船に乗り移って……(「大きな声で言って下さい」と呼ぶ者あり)警備船の人が五、六人わしらの船に乗り移ってきました。そして小銃を向けて、わしらに全員デッキに出ろとの号令でみんなデッキに出、そうして船長機関長調理員三名を残して、あとの人はみんな警備船に乗り移されました。第二号も同じくその日にヨクチ島に連行されました。その夜は港で一泊いたし、十日朝三時ごろヨクチ島を出港いたしました。釜山港に着きましたのが十日の昼過ぎでございました。  釜山の港に着きましてから、海上警察取調べを二日間にわたって受けましたけれども、その取調べ内容は、私調理員でありますゆえに、はっきりとわかりませんけれども、まあ普通船員の人が言うのには、李ラインの侵入のことについて、履歴書、こういうことを調べたということですが、私は調理員であったために、はっきりそのことはわかりません。そして十一日の夕方、みんな取調べが終ってから、水上警察留置場に入れられました。留置場待遇は、丸麦それに海草、モのようなものが少々ありました。夜具毛布一枚、下は床張りでした留置場に二日入っていまして、十三日朝刑事が来て留置場から出獄いたし、海上警察に行きました。そして自分らの私物を預けていたのを海上警察からもらい受け、そして検事局に行きました。検事局では検事李ライン侵犯のことについて、船長に聞かれましたけれども、船長としては李ラインに入っていないと言っても、なかなか解決がつかないために、みんな入っていたとの返事をしろというので、みんなそのときにも李ラインを侵入していたと話しました。そしてその日の夕方釜山刑務所へ連行されました。  刑務所ではなお自分の着ている上着をみんな脱がせて、下着だけになりました。金銭、私物一切は刑務所の人にみんな預けて、その場で青い囚人服を着せられました。監房に入るまでには裸体になって身体検査が行われ、そして私たち大和丸二十一名は同じ監房に入れられました。官房の広さは八畳足らずの部屋に二十一名入ったので、狭過ぎて、夜など重り合って寝ました。またすみには四斗だるの便器があり、これから先は暑いので、ほんとうにあの便器がくさくてやれぬだろうと思っております。刑務所での就寝時間が私たちが入ったときには七時でした。そして起床時間が六時、日中はみんな並んで板の間にすわっておりました。一日に二回点呼がありますが、これも向うの人が番号と言うと、わしら朝鮮語番号で答えました。刑務所での食べ物の方は、三分づきくらいの丸麦、それに大豆、それから米が少しありました。副食の方は、塩汁でした。野菜なんか入っておりませんでした。野菜なんかたまに入っておりますと、枯れ葉のようなものが入っておりました。そして食事をくれるにも刑務所のちょうどこのような窓がありますけれども、握り飯でしたが、それをみんな刑務所の中にほうり込んで来ました。刑務所でのふろなどは、一ヵ月に一回あったとみんなが言っておりましたが、わしらはふろへは一回も行きませんでした。あとの人が出てこられて、月に一回くらいふろがあるということでした。  私たち未成年者のために十一月二十二日の夜漁生丸十九名、共進丸七名、大和丸五名計三十一名が未成年のため検事勾留期間の間に不起訴になって収容所に送られました。刑務所を出るときに所長の話では、収容所へ入ったら一週間以内で帰すとのことでした。そしてその間には収容所から刑務所に一回は面会にきてくれといって刑務所を出ました。刑務所から一里ほど離れた収容所には私たち夜の十時ごろ入りましたけれども、収容所には強制送還は一人もいませんでした。ですから私たち三十一名だけです。収容所では外務省管轄を受け、なお警官二名が一日交代警備に当っていました。  収容所での刑務所よりいいところは、さくがなくて自由があるだけで、ほとんど食物の方も変りませんでした。食物の方なんか初め入った一週間は、米麦半々でしたけれども、その後は米はだんだんと減っていって、しまいには三分づきくらいの丸麦だけ食べさせられることもございました。副食の方はみそ汁というのですけれども、みそ満足に入っていず、みその足りないところは岩塩を入れたりしたものでございました。それにたくあんがときどきありました。また炊事の方も十二月の下旬ごろから自分たち三十一名が交代でやらせられました。炊事をやるのにも、まきなど満足にくれないために、御飯満足にたけなかったこともありました。それにまた麦の中にもみが多くて食べられず、みんなでもみ拾いをしたことも再々ありました。収容所の建物はバラック建てで、天井もなければ仕切りもなく、がらんどうの家であって、あの寒中の零下十四度、十五度と下るときに、夜具外務省から貸してくれず、自分らの私物だけであったので、みんな毛布二枚か三枚というようなもので、ほとんど夜などろくろく眠れなかったこともたびたびありました。収容所でのふろあるいは散髪などは、金さえあったらできましたけれども、金がないので、みんなふろなども月に一回行けず、二月に一回か、ひどいときには三月に一回くらい、韓国の普通の銭湯へ行きましたが、ふろ代が六十円もとられるので、なかなかふろへも行けませんでした。向う病気になっても治療費を払ってくれず自費でしたので、みんな金がないため、自分らの私物あるいは日本から差し入れ品を送って下さったのをみんな売り払い、その金で治療代とかあるいは食べ物の方に回しましたので、着るものもない状態でした。申しおくれましたけれども、ふろへ二月も三月も入れないために、一枚の毛布に六十匹、七十匹というひどいシラミがわきまして、まことに困りました。  わしらが送還される一月くらい前から、外務省管轄を受けていたのが、今度内務省管轄にかわり、手紙など今まではいつでも金さえあったら出せたのが、今度は月に三回、それもみんな検閲して出すようになりました。そうして外務省のときには、用事があったらちょっと外出なんかを許してくれたけれども、内務省になってからは全然外出を許されませんでした。また内務省での警備に当っている人は、警察官が二名、刑事が一名、三名が私たち警備に当っておりましたが、そうしてわしらが収容所へ入る前に収容所へ入った人は、みな一ヵ月以内に帰ったと収容所では言いましたが、わしらが収容所へ入ってからは、一ヵ月以内どころか六ヵ月、七ヵ月という長い間あそこに勾留されて、向う警察官とか外務省の人に、どうして帰さないかと聞きましたところ、今日韓会談が始まっている、そのためじゃないかと向うの人も言っておられました。(「収容所には何人おったのですか」と呼ぶ者あり)収容所には、わしたちが帰るときに九十七名強制送還がいました。そうしてわしらが帰ったあとに、また刑務所から満期になって入られた入もいましたが、わしらが帰るときに収容所に九十七名、刑務所に百七、八十名おったとのことです。(「いつ帰ったのですか」と呼ぶ者あり)収容所を出ましたのが六月の二十二日でした。そして帰国の一日前、六月二十一日に送還するということを伝えられました。釜山港よりアルツヨン号に乗って帰りましたけれども、船内での待遇はまあよい方でした。そうして六月二十四日大阪にわしたち着きました。
  13. 植原悦二郎

    植原委員長 次に柳井義昭君にお話を願います。同君は山口水産高等学校生徒で、山口県長門市の御住所であります。柳井君、速記の都合や議員の方にわからなければ、話したことが意味をなさないのですから、なるべく大きな声でやって下さい。
  14. 柳井義昭

    柳井参考人 このたびは皆様に一方ならぬお世話になったことを、厚くお礼申し上げます。  わしら学生四名は漁生丸に実習に行き、山口県下関港を昭和二十九年十月十七日十九時三十分に出港しました。拿捕されたのは位置は不明ですが、大体あとで聞いたのでは、済州島からサウス・イースト四十マイルという話です。日にちは昭和二十九年十月二十二日零時三十分に拿捕されました。その拿捕当時の状況としては、同年の十月二十二日、零時二十分ごろ、当時は天候は晴で風位がノース・イーストでした。それから風波は二ないし三で、さばはねづり操業中、突然船尾約三十メートルくらいに無灯火の艦船を発見、同時に曳光弾の射撃を受けるようになりました。そのときには本船はそれを見てすぐ全速をかけて逃げたわけです。それから約十分間くらいで拿捕されました。僕たちが逃げるので相手の船が全速をかけてきたのですが、船尾にぶっかり多少破損いたしました。  そのときに海洋警察隊員の者が四、五名乗り込んできて、僕たちの船橋に行き、機関停止をされて甲板に乗り込んできたわけです。そのときに警備艇本船の右舷に回って船長に乗れと叫んで船長だけは乗り、あと四五人本船へ置いてから僕たちを船首、船尾の船室へみな監禁されました。まあ入れられたわけです。それからすぐ済州島に向う途中、警備艇に続行せよと言われついていったとき、また十二共進丸のさばはねづり漁船が拿捕されたのです。それで夜が明けてきたときにはもう一般船員の者が大体ブリッジに上ってワッチを取っておりました。済州に入ったときにはもう十二共進丸の方は少し早かったので、それが韓国警備艇索星号に横づけしていました。そこで僕らの本船済州へ入港し、その十二共進丸のへりへ僕らが横づけしたわけです。それで同月の二十四日十八時済州港を出発し釜山向つたわけです。この済州港出帆当時は回航要員として三沢船長徳野機関長外六、七名の者が本船に残り、あとの三十名近くの者は全部韓国警備艇の方にみな監禁されたわけです。そして翌日の二十五日十七時に釜山港へ入港いたしました。  それから私物を全部持ってトラック海洋警察隊へ行ったわけですが、そのときは十二共進丸漁生丸、各船二、三名ずつ残して、あとの者は全部海洋警察隊に行き、そこで名前や何か呼ばれて人員点呼されて、そのまま少し休みました。そこで翌日すぐ私物検査をし、私物一切を常置してくれました。そこで取調べを受けたわけですが、本船の係としては四名ぐらいで、船長漁撈長なんかは四回ぐらい呼ばれて取調べを受けておりました。一般船員が二、三回で僕らは学生だったので一日だけで、それも昼間だけで四人は済みました。調べられたことは、李ラインを知って入ったか、二番は李ラインにこれから入ると船長または他の者から言われたか、三番はラインに入ってから見張りを立てたか、四番は在学中に李ラインのあることを教えられたか、五番は李ライン内でどれくらい漁獲したか、六番は天測は習ったか、各人の宗教、家庭の財産等について問われ、大体適当に自分たちは答えたわけです。  海洋警察隊では朝と昼と二食、白飯を普通のどんぶり一ぱい副食はとうふのみそ汁で、待遇はよかったわけです。それから夜間は牧之島の水上警察留置場に入れられたわけです。そこでは起床が六時で就寝が九時ごろでした。そこでも僕たち食事を持ってくるのですが、その食事は少し小さいような普通の食器すり切り一ぱい丸麦の上に海草を少し置いて、それが副食御飯でした。しかし僕たちは十時ごろになると海洋警察隊検事局からトラックで迎えにくるので、それに乗っていけば海洋警察隊で食べられるので、僕らは食べなかったのです。ただ土曜、日曜日なんかは連れにこないので食べなければならぬので食べたところが、みな下痢をして、中には二日も食べられなかった者もおったそうです。  十一月三日までは海洋警察取調べが終り、翌四日十時に一同徒歩私物を携行し、検事局に行きました。検事局では各人身の上等その他を聞かれ、韓国漁業資源保護法違反及び李ライン侵犯容疑者確認で、全部が拇印または印鑑をその犯したという書類に押したわけです。同日夜全員トラック刑務所に送られました。刑務所に行って囚人服に着かえて、一度身体検査をし、洗面類衣類——寒いのでできるだけ着用し、それ以外は一つところに留置保管されました。一監房が約八畳の板張りで、本船の者が二十名監禁されました。その翌日本船乗組員未成年者十六名、十二共進丸乗組員五十名の二十一名が雑居三十一監房に監禁されたわけです。同時に本船乗組員成年者二十名は隣監房に監禁される。監房内では起床六時、就寝十九時三十分、そうして一日ぢゅう正座しておるわけです。それで三日に一回くらい団体で体操を許されるわけです。それも三日に五分くらいです。それから洗面は二日に一度ですが、二十人くらいおって大体二十分程度で、看守がむちを持って早く洗えといって、中にはたたかれた者もあると思います。所内の起床その他食事等はラッパを使用し、そして十一月二十二日十九時三十分本船未成年者十九名、ほかに十二共進丸七名、第一大和丸五名、いずれも未成年者で、違反の事実はあるが将来を考慮し刑務所釈放となり、身体検査の後私服に着かえ、私物携行トラック外国人収容所に向ったわけです。それで収容所には十一月の二十二日二十時三十分に着きました。  そこは一棟のトタン屋根平屋建で、内部には中央に通路があり、両側がずっと間になっているわけですが、その畳といってもボロボロの破れ畳が並んで、それが大体五棟くらい周囲にありました。それでそのまわりはずっと鉄条網で囲いがありました。起床なんかは自由でしたが、就寝の場合には十時以後過ぎたなら絶対いかぬと言われました。それは一般市民でも十時になったら全部消燈で、夜回りが回わっております。手紙なんかも自由に出せ、また入浴、散髪なんかも自由ですが、これはみな実費でやらされました。それで私物を売るというても安いため金がなかったので、ふろなんか二月に一回とか、長くて三ヵ月に一回、散髪なんかは一ヵ月半か二ヵ月に一回程度行っていました。外部にふろ屋とか散髪屋があるのですが、その場合には係員に言ったらすぐに出して連れていってくれるのです。  昭和三十年の六月十五日以降は内務部の所属に変更、強制送還者刑期満了未成年者日本漁船員は二棟に集団収容、この二棟のみは事前に多少修理されたので、それまでは比較的がらんどうだったのです。かわるときに修理してくれたわけです。それでそれへ移ってからはあまり長くおらなかったのでよくわかりませんが、起床が大体七時で就寝がやはり十時でした、韓国海洋警察隊関係済州島において同船は大体一航海してから後も——一航海するに米が少し足らなかったわけです。それで済州で米がないから米をくれと言ったら、海洋警察隊からカビのはえているような米をくれました、そうして相当新しい野菜をくれたのですが、これはサバと少し交換してもらったわけです。それで済州から釜山の間は二十三時間ぐらいの航海なので三人に二人の乾パンですが、これもカビがはえていました。刑務所関係について申しますと、貸与品には一人につき囚人服上下二枚、木綿毛布が二枚、アルマイト食器が二個、はし一ぜん、一監房にボロぶとんが二枚で、それも二、三日してからわかったのですが、刑務所の中のふとんにはシラミがたくさんおりました。給与の食糧は外米二、大豆が二、大麦が六の混合でこの中に米の虫がたくさん入り、砂利が少し入っていました。そうして食事といったら型に入ったもので、上が二寸、下が大体二寸五分くらい、高さが三寸ぐらいの円錐形になっているのでそれが一つの主食で、副食みそ汁一ぱいみそ汁といっても腐ったようなクチ塩辛をダシにして、その中へ海草またはほし大根の葉っぱの古いのを入れていたので、くさくて食べられないので塩をくれぬかといって頼んだところ、日本人だから特別待遇だといいながらみそをくれたり、たくあんをくれたりして、僕たちだけ特別にくれていました。それで収容所食事関係については、初め入ったときには米麦が半々で、そうして副食はとうふのみそ汁で、それにたくあん朝鮮のキムチというつけものなどを出していました。それで一週間ぐらいはよかったのですが、それから後はだんだん米、麦が減って、僕たちが今度炊事するようになりました。炊事し出してから十二月の末からますます食糧事情が悪くなって、米少しで三分づきの麦八ないし九割になり、一月ごろから全然米というものはなくなりました。それから一月一日には朝麦ばかりの御飯を食べさしたので、僕たちが文句を言ったわけですが、昼はどうやらこうやら白飯を食わせてくれました。晩はまた麦ばかりでした。そうして麦ばかりになってからの副食といったら、みそ汁というよりも塩湯と言った方が早いくらいです。それは大体三十一人の人で五十匁足らずみそで、あと岩塩を入れてそれを副食としていたわけです。このままいったら栄養失調で倒れるかもしれぬといって外務省に言ったわけですが、外務省一つも引き受けてくれず、死んでも仕方がない、そのときに病人が出たのですが、病人が出たからどうかしてくれといったのですが、そのときには死んでも仕方がないと外務省の者が言っていました。ちょうど冬で寒かったので毛布を少し貸してくれといいましたが、毛布なんかも全然貸してくれず、夜間相当寒くて眠れない日がたくさんありました。それで三月一日からどうやら米、麦半々の米に変りましたが、その後収容所でも刑務所でも米麦はいつでも、一、二年たったくらいのものすごい古い米なので、カビなんかはえたり米虫がたくさんわいていました。それで半々になったわけですが外務省の者がものすごくけちって、まともなら一人が一日麦二合、米二合の割合ですが、二合くれずに一合五勺ずつくらいに大分けちっていました。麦は当りまえにくれていましたが、米虫がわいているので、大体一人平均三合当てくらいになっていました。副食カビがはえたイリコをダシとしてそれに菜っぱを入れたり、もやしがほとんどでしたが、もやしなんかを入れてそれをおかずにしていました。毎日それが同じ副食で、そうして帰るまで大体そういうような食事でした。  昭和三十年六月の二十一日の十五時ごろ学生四名が帰れるといって、事務室に呼んでから送還されるという申し入れを受けたのです。そうして翌日の二十二日十五時に強制送還者七名は大和乗船で過よく帰ったわけです。  以上大体私の感じたことはそれで終ります。
  15. 植原悦二郎

    植原委員長 次に山田丸被災事件に関する問題について、東根三郎君のお話を願います。東根三郎君は山田丸漁撈長で、長崎市稲佐町にお住まいの方です。
  16. 東根三郎

    東根参考人 山田丸東根であります。一応その当時の事件の模様をお聞き願います。  時は昭和二十九年十一月二十二日の早朝であります。農林漁区五五四、詳しくいえば北緯二十八度二十四分、東経百二十二度十九分の位置であります。当時の状況を説明するのに、かりにこの部屋の天井が北、床を南、こちらの窓口を東、向うの入り口を西とします。時間は二十二日の五時四十七分、三十二山田丸が西に向いておったのであります。それに三十一山田丸船尾を接近して東に向けたのであります。その船尾の間隔は五メートル、それで結局三十二から三十一山田丸は綱をもらって網を引くのであります。五時五十七分に、この二はいおる船のどっちから来たかわからない。こっちからそれは確認してなかったのですが、怪船がやってきた。そして撃ち始めたのが三十一山田丸が東を向いているとすると、北西の方からこの二はいの船の方にたまが飛んできた。最初私の乗っていた三十一の方は三十二の陰になっていて船形は確認できなかったが、そのときに最初にたまの音を聞いた。それを私は拿捕に来たと思って、じっとしておれば何ら影響ないと思った。怪船がエンジンをストップしたままで惰力でずっと三十二の方から船形が出てきた。そして三十一の方にどんどんたまが飛んできた。そのたまが機関銃の曳光弾ですから、どんどん飛んでくるのが目に見える。そうして同時に砲弾を撃ち出した。それですぐに三十二の方がエンジンをやられて、これが全然航行不能になった。だから三十一は僚船をほうっておいて逃げるわけにいかない。それで死なばもろともで怪船に撃たれた。これで私が逃げれば僚船を殺してしまう、だからこの僚船を救うためには自分もここでともに死ぬ覚悟をしなければ救えないというのでそのまま怪船に撃たれたのです。ところがこの怪船が惰力で三十一の船首の方にやってきた。そして三十一の前面に来るまで射撃を続けたのです。これが約十二、三分の間であります。それからこの怪船が三十一の船首を回ったのです。そのときは一時射撃を中止し、それから、三十一山田丸の右舷の方からまた撃ち出した。その第二回目の射撃の始まりから第二回目の終るまで約四分か五分くらい。それでこの怪船がまだ惰力でずっと三十一の船尾の方に入ってきた。二回目の射撃が五分くらいで終って、第三回の射撃の始まるまでの間が二分ないし三分あった。そのときにずっと怪船が右回して、そのまま停止して三十一の右舷船尾に向って撃ってきたのであります。この射撃の終りは六時二十四分ないし五分だったのです。私が船室から出たときには、怪船はすでに西を向いて走っていました。そして怪船の向った方向は大陳島でした。  怪船が去ると同時に僚船の三十二を見たわけです。そうしたらすでに三十二は船首を海底に沈めて、そうして船尾を真上にしてしまっていました。三十二山田丸が沈没したのは六時三十分でした。三十二が沈没にかかると同時に、その船員十名は海中に飛び込んだ。こちらの三十一は結局その場合にはエンジンもかかるし船員もおるのであるけれども、こちらの船員十二名のうち、負傷者が三名と死亡者が二名いる。侵水が激しいために汽罐は三人で、海水をエンジンに入れまいと努力する。あとの三名は一生懸命排水ポンプで海水をかいている。無線局長は無線室で一生懸命無線の回復にかかっている。しかし三十一には、三十二の海中に飛び込んだ十名を救出しなければならぬ義務がある。海中に飛び込んだ十名は、ドラムカンあるいは魚艙のサブタにかじりついているが、そのままおれば非常に危い。そして三十一に来ようとするのだが、三十一に着くまでが非常におそかった。三十一と三十二の間は三十メートルか五十メートルあったが、それを泳いでくるのに二十分かかった。そして近くに操業していた船があったので、その船に救助を求めるために全速力で行こうとした。ところが海水が浸水しておるためにエンジンのクラッチがすべって全速力が出せない。それでほとんど半速という程度で徐々に行ったわけです。それで東の方に二隻の少し大きい僚船が操業しておった。こちらも極力排水し、重量物を海中に沈めてその僚船に向って走った。ところが七分くらい走ったときにアカが充満してきてエンジンの回転が下ってきた。エンジンが牛の歩みのようにポン、ポンといって非常にのろい船足だった。とにかくしかし全員をこの船に救助をしてもらわなければだめだというので、その船に救助を求めたわけであります。だから向うの船は、網を引いていたのをそのまま一度停止した。そこで私らは船を途中まで持っていったのですが、こっちの三十一が浸水が激しいためにエンジンがとまった。とまったときにこの船との距離はそう離れていず約五十メートルくらいだった。それで三十一は浸水してデッキの上にすでに海水が二尺も入っておるということを見ておるものだから、五十三号、五十五号の両船が五十三号で網を入れていたのですが、五十五号が網を切り落して反対側に回ってきた。それで三十一を包囲する形になり、三十一の船員が全部乗り移って、おかげでこういうふうに皆さんの前で説明をするように命を全うして帰ってきたわけです。これで事件の説明を終ります。  これに対して災害を受けた船員が、第一回の射撃を受けた場合に、私の方は避難のために全部消灯を命じたわけです。なぜ消灯せよと言ったかというと、あかりがついていると船が大きく見えて向うにはっきりわかってしまう。だから灯を暗くするとわからなくなるので消灯せよと言った。ところがこちらのエンジンをとめたわけです。どうしてとめたかというと、今まで私たち兵隊の経験からいくと、船を襲撃する場合には、エンジンがかかっている場合にはエンジンを襲撃してくるのです。そして航行不能に陥れておいて撃沈するのです。エンジンをとめると向うは一応安心する。航行不能に陥らせたあとは攻撃が緩慢になる。それでいわゆる敵か味方か識別が出てわかるわけです。それでこの場合エンジンをとめて、結局船員にすぐ避難しろと言ったのですが、しかしそのころは目に見えてどんどんたまが飛んでくるのです。言葉でいう雨あられのように飛んでくるので、船員はのがれるところがない。曳光弾のために、一発々々たまが飛んでくるのが自分の目に見える。それでどっちに逃げようにも逃げ場がない。ただもうネコににらまれたネズミといいますか、すくんでしまう。それで機関銃のたまを装填する合間に少し射撃が薄くなる。その間にあっちへ逃げ、こっちへ逃げしたわけです。それで第一回の射撃のとき操舵室におったわけですが、被弾が左舷に当っていたのが右舷に当り始めた。だから右舷にもう一隻怪船がおるものと誤認して、それで右舷の戸をあけるために右手を持っていった。そのときに手を撃ち貫かれて、今でもこの傷跡が残って、これだけしか筋が動かぬわけです。第一回目の襲撃のときに船長の多田美幸が、やはり同じ時分に砲弾のために右下腹部から左下腹部に抜けて、それが致命傷となって即死した。それから井筒高義氏は反対側の右舷に怪船が見えた場合に、その船体を見るために頭を上げたときに目から入って後頭部に抜けてこれも即死した。それから上田久雄も同じ砲弾の破片を左下肩部に受けまして、現在重傷で療養中であります。それから吉田市次郎は比較的軽い傷で済んだわけです。それで三十一号が五十三号に救助せられる場合に、二人の死体をどうして持っていくか、持っていく方法がない。それで私はすでに沈没するところを救助せられて、途中この二人の船員の死体を持っていくわけにはいかないので、魚艙のサブタに体をくくって海上に投入したわけです。それで五十三号に救助されてからそのサブタを拾って、船員の死体を収容したわけです。  大体事件の人名の状況はそれだけであります。  それで船内の状況としまして、船橋船首に径約七寸くらいの弾穴三カ所、径約一尺くらいの弾穴が一カ所、それから右舷デッキ上、第一魚艙横に径約一尺くらいの砲弾の穴が一カ所、それからまかない室の右舷に一尺五寸くらいの弾穴が一カ所、それから機関銃のたまはほとんど船体は見るかげもないくらい受けておるわけです。  それで三十二号の方はすぐ沈没したために、片方の船長が確認しておらないので、三十一の状況で御判断願ったらそう大差はないことであります。それで結局こういう現在までの状況だったのですが、私は今月初めに療養を終って帰った。その間何ら事件の進展がないものですから、先生方に再度のお願いに上ったわけで、どうぞ今までの状況でありますから、一つ諸先生方の一そうの御助力をお願いいたします。
  17. 植原悦二郎

    植原委員長 次に山田吉太郎君のお話を願います。山田君は山田丸の船主でありまして、長崎の旭町の居住者であります。
  18. 山田吉太郎

    ○山田参考人 私が山田吉太郎でございます。十一月二十二日早朝東シナ海農林漁区五五四区におきまして撃沈せられ、死者二名、重軽傷五名を出しまして、ただいま当時のなまなましい記録を東根漁撈長より述べました第三十一、第三十二山田丸の船主でございます。本件につきましては事件発生の当初より、政府の方々並びに国会の皆様より深甚の御同情を賜わりまして、これが解決に引き続き御努力を仰ぎ、また本日国事御多端の際、重ねて御審議を賜わりますことは、まことに感謝にたえない次第でございます。厚く御礼申し上げます。  私は当時死亡船員二名の合同葬儀を営みますと同時に、この事件の真相を親しくつぶさに、一刻も早く中央に報告するため、上京いたしまして衆参両水産委員会に訴えたのでありますが、幸い各方面の御同情と御理解のもとに外務省の外交交渉に移っているのでございまして、私はもちろん遺家族、罹災船員を初め全国の漁業関係者は、ひとしくこの成り行きに深甚の注目を払っているのでございます。当時ビキニの水爆問題で世論もやかましいときであったのでありますが、米国は率直にその補償をなしているのでありまして、国家といたしましても鄭重な弔慰の方途を講じられ、また生存船員に対しても十分な治療と慰謝をなされたことは当然のことであります。あれを思い、これを考えますとき、私たちはどうしても割り切れないものを感ずるものであります。相手が米国でありましょうとも、また国府でありましょうとも、公海で日の丸の標識をつけました漁船が、不法な災害をこうむる事態につきましては、当然その補償がなされるべきでありまして、しかも直接撃沈せられるにおきましては事重大であります。日本国民の生命に変りはないのであります。時と場所をほとんど同じゅうして二隻撃沈の国府の戦果としての発表は、わが同胞の犠牲においてなされたことのてんまつは、前回の水産委員会のときにおきまして御審議の通りでありまして、その後の外交交渉の経過は知る由もございませんが、多年の懸案でありましたところの中共との漁業協定も成立いたしました際、友好関係にありますところの国府との間にいまだその解決を得ませんことは、まことに残念に存ずる次第でございます。死亡船員二名の遺家族は、いずれも幼少の子供をかかえておりまして自活の道も不可能でありますので、郷里の徳島県に帰って親族の援助を受けて生活しておりますが、将来の不安に悩み続けております。当時の乗組船員二十二名のうち、重傷であったためいまだ作業能力が回復しておりません二名を除く他の十八名は、他の漁船に職分に応じ分散して乗船して、さしあたりの生活を営んでおります状態でございます。船主といたしましても、一日も早く代船を建造し、全員の職場を安定せしめたく、せっかく日夜努力中でございます。死亡船員の遺家族並びに身体障害の船員に対しても、できるだけの援助は惜しまない方針でございますが、この撃沈による損害とデフレ下におきまする業界の不振等によりまして、十分なことができませんことを残念に存じております次第です。  この問題は、国会の皆様方の御援助によりまして、また政府の方々の御尽力によりまして、国府との間に必ず解決せられることを信じ、またそれを期待しておる次第でございますが、ここに私が特にお願い申し上げたいことは、前議会におきまして政府委員の御発言にありました、すなわち、これは損害賠償を要求し、適切な補償をすることが大事だと思うが、その前に、あるいはそれと関連を持つ代船建造、遺家族の問題についても、この事態の特殊性を十分認識しておるので、何とか努力をしてみたい、今ここですぐ具体的に申し上げる段階ではないが、ただ事態がきわめて特殊な事態であるので、関係方面とも相談し、できるだけ要望に沿うよう十分検討していきたい、と真誠あふるる御同情をいただいておりまして、遺家族並びに船員それを唯一の慰めとしておる次第でございます。従いまして、なお今後この上とも皆様の御同情を賜わりまして、外交交渉もさることながら、国内的に何らかの御措置をお願いできますならば、まことに仕合せに存ずる次第でございます。まことにありがとうございました。
  19. 植原悦二郎

    植原委員長 次に、北鮮への帰国希望者に関する問題について、洪登君のお話を願います。  洪登君は東京都の北区田端に居住されております。
  20. 洪登

    ○洪参考人 本日私たちの事情について私たちの具体的な状態を説明できる機会を与えて下さった外務委員会に対しまして、心から感謝を申し上げる次第でございます。  私たち日本におります朝鮮人科学者、技術者の現在の状態を少しく説明申し上げまして、私たち自分たちの祖国である朝鮮に帰ることをいかに望んでいるか、そうして望んでいるにかかわらず、終戦以来十年になる今日に至ってもなお何ら方法がない、こういう現状を訴えて、どうか外務委員会としましても、私たちのこの心からのお願いを何とかしていただきたい、こう思うわけでございます。  現在日本にいる朝鮮人科学者、技術者といわれる人たちは、技能者いわゆるフォァマンといわれる人たちまで合せまして約数千名に達すると思います。まだ資料が整っておらないものですから詳しくはわかりませんけれども、その内訳としましては、日本の各理工医関係大学に在学している学生が五、六百名前後だと思います。それから各大学を卒業しまして、その研究室あるいは研究所、あるいは民間の会社等で研究を継続している科学者、技術者が二百名前後だと思います。そのほか、日本の各職場、企業所等に職を得まして働いている者が、これはきわめてわずかでありますが、多少おると思います。その他は自分日本の各理工系の大学を出まして技術を覚えましたけれども、活用する場所がないために就職しようにも全然方法がない、研究したくても、研究させ、指導してくれるような場所がございません。あるいは研究するような場所があったとしても、経済的にこれを保障してくれるようなことが何もございません。こういうわけで理工系の大学を出るとすぐ失業状態に入ってしまう。わずかに自分が食うに追われながら勉強しているという者がこのほかの大部分であります。  そういう各日本にいる技術者たちは、終戦の当時より今日まで、機会があれば、日本の各大学であるいは日本で教育を受けて、そして科学者としてあるいは技術者として作り上げたこの技術を持って、一日も早く自分たちの祖国に帰り、ことに御承知のように最近の戦争で徹底的に痛めつけられている私たちの祖国の復興事業に直接に参加したい。先般御承知のように日本朝鮮訪問団の方たちの話を聞きましても、朝鮮は全くネコの手も借りたいような状態だそうであります。それを聞くにつけても私たちは一日も早く帰りたいという希望を持っているのでございます。私たち日本で教育を受け、日本の先生あるいは教授から教えられた科学者、技術者として基礎あるいは技術を持って帰って朝鮮の建設に尽すことが、私は何よりも具体的な日本朝鮮の文化交流——歴史的に考こても文化的に考えても地理的に考えても、きわめて密接な関係にある朝鮮日本との文化交流の具体的な道じゃないか、こう私は考えているわけであります。私たちも私たちのこの願いを何とかしようというわけで、数次外務省の関係方面にお願いに参ったのでありますが、現状のところ全くいたし方がない。またあったといたしましてもいわゆる第三国船を利用して帰るより方法がない。第三国船を利用するとすれば少くとも二十万円とか三十万円とかの金が要るわけでありまして、私たち貧しい科学者、技術者としてはそういうことは全然考えることはできない。こういうことがざっと申し上げて一般的な、日本にいる朝鮮人の科学者、技術者の現状だろうと思います。自分たちの祖国へ帰ることができない私たちは外国におりまして、すぐ目と鼻の先にある自分たちの祖国に、日本で教えていただいた技術や科学を持って一日も早く帰りたい、このことを毎日々々お願いしたり走り回ったりしているのに、何ら方法がないということは、実に悲しいことだと私たちは思っているわけであります。  最後に私自身の個人的な事情を申し上げて——日本にいる朝鮮人科学技術者は私と大同小異だと思いますが、御参考にしたいと思います。私の父母は大正の初期に日本に参りまして、牧師でありました。私は日本で出生いたしまして、父は戦争中に日本でなくなりましたが、母と兄弟は終戦のときに帰国しておるのであります。私は当時大学の大学院におりました関係から、もう少し勉強してから帰るからとそのとき別れたのが、ついに十年以上たつ今日いまだに会うことができない。私は高等学校、大学をすべて日本で終えまして、東京大学で工学の研究をしておるものでございます。私自身は今日まで私を科学者として育てて下さった日本の各先生あるいは教授に深い感謝をささげているものでございます。私の余生は日本朝鮮の友好と文化交流のために尽せれば、これが現在まで私たちを育ててくれた日本の先生たちにこたえる唯一の道でないか、こう考えております。そういう意味におきまして私たちは何とかしてとにかく自分たちの祖国へ帰りたい、私たちに期待し、私たちが帰ってくれることを望んでいる祖国に帰りたい。私の生活を申し上げれば現在は日本で勉強しながら食うことが精一ぱいだ。御承知のように工業書とか技術書は非常に高うございまして、丸善あたりへ行きますと、外国の工業書がたくさん来ております。これを私ども目からほんとうに手が出るほどほしいと思います。最近はドイツとか、あるいはアメリカから非常にいいものが来ておりまして、一冊数千円、日本が独立する前までは私は東京大学におりまして、外国人としての身分がまだはっきりしないために、ある程度研究費もいただいたし、本を借りたり、一緒に勉強することができました。ところが日本が独立して以来、今日ははっきり外国人として私は本も借れない、それから一緒に勉強することもできない。私たちを指導して下さった教授たちも、とにかくこうなれば君たちは一日も早く帰るべきだ、そうして帰って祖国のために尽せ、こういうことを聞くにつけても、何らかの形でここに訴えて諸先生の御理解あるお取り計らいによりまして、私どもの祖国である朝鮮民主主義人民共和国に帰りたいと考えている次第であります。
  21. 植原悦二郎

    植原委員長 次に尹錫礼君の御発言を願います。尹錫礼君は大田区今泉に居住されております。
  22. 尹錫礼

    ○尹参考人 私は尹錫礼と申します。私ども帰国問題を諸先生が取り上げていただくことを心から感謝いたします。今洪さんから御報告申し上げたように、技術者はもちろん、一般の同胞の人もほとんど全部が帰りたいと望んでおります。一般の報告は別として、私個人だけの事情を申し上げますと、六年前に主人が行方不明になりました。その後三人の子供をかかえて、あらゆる行商をし、内職をしながら、最低生活をやって参りました。その二年間苦労が過ぎましてからだをこわして倒れてしまいました。その後労働はできなくなり、編みもの内職を少しやりながら、生活保護をいただきながら三人の子供の教育をさせております。その子供が、歳月が流れていくと同時にどんどん成長いたしまして、来年は高等学校に行かなくちゃならなくなりました。この子供を来年高校に入れるのに、生活保護をいただきながら生活する私たちには、とうてい高等学校に上げることができません。しかしそうかといいまして、今新制中学だけを卒業して何ができましょうか。今りっぱな技術を持っている方でさえ使っていただけない状態なんでございます。その子供たちをそのまま置いておきますと、不良化されてしまいます。ですから、何としてもこの子供たちの正しい教育のために、一日も早く祖国へ帰りたいと心からお願いする次第でございます。  それから今日本の国民も困っていらっしゃるのに、私ども外国人が生活保護をいただくのもほんとうに心苦しいと思っておりますので、どうぞ困っている私たちを一日も早く祖国に帰し、その私たちにいただいている保護の分を、日本の貧しい方々に上げていただきたいと思います。それから何よりも子供たちの教育の問題、日本の母も、世界中のどこの母も、人の母である以上は、子供をりっぱに育てたいのは同じだと思います。どうか子供の教育のために、また私たちの生活のために、一日も早く帰るように努力していただきたいと思います。
  23. 植原悦二郎

    植原委員長 これにて参考人各位意見の開陳は終りました。  質疑の通告者は十一人あります。二十分ずっといたしましても相当長時間かかりますが、この際暫時休憩して一時から質疑を継続しますか、あるいはこのまま質疑をしますか、皆さん方にお諮りしたいと思います。
  24. 岡田春夫

    ○岡田委員 それは暫時休憩してもらって午後からやってもらいたい。  もう一つは、通告が十一人あるので、進行する意味で、この案件が三つありましよう、だから大体案件別に分けて、この問題に対して主として質問したい人はこっちへ集中して、ずっと整理していった方が早いのじゃないですか。これは性格が三つそれぞれ違いますから、通告した十一人は、全体にわたって質問したい人もあるだろうが、主として一部分についてしたい人もあるでしょうから、整理したらどうかということです。     〔「賛成」と呼ぶ者あり〕
  25. 植原悦二郎

    植原委員長 事務の方において整理させます。  それでは暫時休憩いたし、午後一時より再開いたします。     午後零時六分休憩      ————◇—————     午後一時三十二分開議
  26. 植原悦二郎

    植原委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  これより問題別に質疑を許します。まず韓国抑留者に関する問題について通告順により質疑を許します。山本利壽君。
  27. 山本利壽

    ○山本(利)委員 それでは遠路御足労いただきました坂口君並びに柳井君に、どちらでもよろしゅうございますが一、二お尋ねいたします。  韓国警備船に拿捕されたとき、あるいは向うの警察に行ったり裁判所等に行ったりした場合に、李承晩ラインを侵したということを無理に認めさせようとするような態度はなかったかどうか。つまり李承晩ラインを侵したということが私は韓国側の拿捕する理由であると思い、日本側としては、後に政府当局の方にお尋ねいたしますが、李承晩ラインというものは認めてないと思うので、その点が争点になるわけでありますが、日本の船が李承晩ラインを侵したのだということを無理にでも認めさせようとするような口吻があったかどうか、その点をまずお尋ねいたします。
  28. 植原悦二郎

    植原委員長 李承晩ラインを侵したということがあったかなかったかということ、自分がわからぬでも同時に乗っておる人の意見でそういうことを聞いたことがあるかないかということ、そういうことがなければない、知らなければ知らないでいいのです。
  29. 柳井義昭

    柳井参考人 君たち李ラインの中へ入っていたのかと言われたときには、はいと言ってそのときに捺印するわけです。船長李ラインに入っておったと言われれば、僕たちは入っておったと言うほかはないので、入っておったかと言われたら、はいと言って捺印するわけで、入っておらないと言うわけにはいかないのです。
  30. 山本利壽

    ○山本(利)委員 今の柳井君のお答えは日本船員間の話であって、向う韓国側の役人たちが、拿捕したところの日本船船員たちに、ものを聞く場合の態度がどうであったかということを聞いているわけです。李承晩ラインにお前たちは入っていたか、入っていなかったかということ、そこらのことはわかりませんか。
  31. 柳井義昭

    柳井参考人 はい、わからないです。船長だけに聞かれて、僕たちにはそういうことはわからないです。
  32. 山本利壽

    ○山本(利)委員 そういう取調べの際、裁判所あたりでは全部日本語で聞いてくれますか。
  33. 坂口徳佳

    坂口参考人 裁判だけは別で、あとはみな日本語です。判決を受けるときだけです。
  34. 山本利壽

    ○山本(利)委員 裁判を受けるときには韓国語ですか。
  35. 坂口徳佳

    坂口参考人 はい。
  36. 山本利壽

    ○山本(利)委員 そうすると裁判のとき韓国語でやられる場合は、日本語の通訳がつくわけですか。そうしないとわからないわけでしょう。
  37. 坂口徳佳

    坂口参考人 私らは直接裁判を受けていないのですが、受けた人の話を聞くと、通訳はついたということです。
  38. 山本利壽

    ○山本(利)委員 このことについて政府の方に伺いたいのですが、今度の第三平安丸の判決を見ると、船長に対しては一年機関長とか甲板長とかいう者に対しては八カ月、一般船員に対しては六カ月という判決が下っておったのでありますが、日本船が拿捕されたときの向うの裁判による刑期というものは、大体これとみな同じようでありますか。
  39. 中川融

    ○中川(融)政府委員 韓国側で課します刑期というものは、大体六カ月ないし一年というのが通例になっておるようでございます。
  40. 山本利壽

    ○山本(利)委員 それではアジア局長に伺いますが、向う李ラインを越えて日本船が入った場合には、拿捕してこれこれの刑罰を課すということを日本には通知してありますか。
  41. 中川融

    ○中川(融)政府委員 韓国側で判決を下しました際、日本側には何ら通告をしてきていないのでございます。どんな刑期を課せられたかということは、その刑を課せられた方々からの通信等によってわれわれ間接に聞いておるだけであります。
  42. 山本利壽

    ○山本(利)委員 それでは坂口君にお尋ねいたしますが、裁判では韓国語でせられるけれども、日本語の通訳がつくということである。日本側に対して弁護人はつけてくれますか、くれませんか。
  43. 坂口徳佳

    坂口参考人 私たちの場合には前に韓国の遭難しておる船を助けたことがありまして、その会社の方から弁護士をつけてくれたと思っております。
  44. 山本利壽

    ○山本(利)委員 先ほどお二人の陳述によると、刑務所やら収容所での待遇はずいぶんひどかった、それで私物を売って物を買ったということを言われたが、私物はだれが買うのですか。向うの警察へ勤めておる者とか、収容所とか裁判所、刑務所の者が買ってくれるのか、内緒で韓国人あたりがそこへ入ってきて買ってくれるのか、そこらの点はどうですか。
  45. 坂口徳佳

    坂口参考人 今のお話は、私ら三十一名の未成年者だけが入っておるときは、用事があるときは外出させてくれました。それで私物を売るのは差しつかえないから、朝鮮の普通の民家に行って売りました。
  46. 山本利壽

    ○山本(利)委員 外出を自由に許してもらって売ってくるわけですか。
  47. 坂口徳佳

    坂口参考人 はい。
  48. 山本利壽

    ○山本(利)委員 それでは柳井君にお尋ねいたしますが、差し入れしてもらったものを売ったという話がありましたが、差し入ればだれが差し入れてくれるのですか、ちょっと考えると、韓国に行って、刑務所収容所に入っておるのだから、日本から差し入れがしにくいように思うが、だれが差し入れしてくれたのですか。
  49. 柳井義昭

    柳井参考人 それは会社の方からどうして連絡して送って下さったか知りませんが、とにかく僕たちの方に差し入れの品物が屈いたわけです。それで僕らは朝鮮の市民の者にないしょで売ったわけです。それだけです。
  50. 山本利壽

    ○山本(利)委員 そうしますと入っておる人は苦しいが、こちらの留守家族の者やら、あるいは会社から慰問品とかいうものは自由に送られるということですね。
  51. 柳井義昭

    柳井参考人 それは自由に送られることは送られますが、向うで関税がとられるわけです。それで送っても意味がないので、送ってもらわないわけです。ほとんど大ていはみな届いておるのですが、二、三届いていない人間もあります。
  52. 山本利壽

    ○山本(利)委員 そうすると今の差し入れ物とか慰問袋とかいう名前で日本から送ったものは、全部向うの方で検閲して、それに対する税金をかけるのだろうと想像しますが、同じように品物だけでなしに、手紙なんかも全部検閲されておるわけですか。
  53. 柳井義昭

    柳井参考人 全部検閲はされているわけです。そして差し入れの荷物なんかは会社から送られるのはどうか知りませんが、個人的に送られるのは僕たちから税金が取られるわけです。それですからなるべくならば送ってもらわぬようにしておるのです。
  54. 山本利壽

    ○山本(利)委員 多少不明確なところがあるようでありますが、その程度にいたしまして、外務省の方にお尋ねいたしたいのですが、李承晩ラインに対する日本側の立場というパンフレットを今先ほどいただきましたけれども、これはまだ私全然読む時間がなかったから簡潔に御説明を願いたいと思うのでありますか、李承晩ラインということに対しての日本側の結論的な立場はどういうことになっておるわけですか。
  55. 中川融

    ○中川(融)政府委員 御承知のように李承晩ラインは公海の水域に、広い水域にわたりまりまして線を引きまして、そこを韓国が一方的に外国の漁船が入って操業してはならないということを宣言したものでございます。これは国際法から考えましてとうてい許されるところではないというのが日本側の態度でございまして、その意味で李承晩ラインが宣言せられましてから今日まで何回となくそれに対して撤回を要求し、なお李承晩ラインがあるために、そこに起る損害に対しては日本は損害賠償の権利を留保する。かつ具体的に起る漁船拿捕事件に対しましては個々の場合に当って抗議し、これに対する損害補償及び抑留漁夫の方々の釈放ということを要求してきております。日本側の立場を一言にして申せば、李ラインなるものの合法性を認めないという立場に立っております。
  56. 山本利壽

    ○山本(利)委員 そういたしますと、今日まで漁船拿捕に関して損害賠償の要求額が総計でどれくらいな額になっておりますか。
  57. 中川融

    ○中川(融)政府委員 李ラインで拿捕されます漁船のあるたびに、日本政府からは、この李ラインで拿捕されました漁船をすぐに釈放せよということと、船員をすぐ釈放せよということを要求いたしますと同時に、それにより生ずることあるべき損害に対しては権利を留保するということを申し送っております。現在までの交渉は漁船、漁夫の釈放ということの交渉でありまして、それに基く損害の額を算定いたしまして損害賠償を請求するというところまではまだ達していないのであります。従って損害額の推計というものは今までのところ出していないのであります。
  58. 山本利壽

    ○山本(利)委員 わが方としては李承晩ラインというものを認めていない、向うは一方的に李承晩ラインというものによってわが国の漁船を拿捕する。しかし魚をとりに行く者は慰みに行っておるものではない。みな魚をとらなければ生活ができないから、それで漁に出ておるわけでありますが、そういう不法に外国からわれわれの権益を侵される場合、当然これは政府として保護しなければならぬと思うが、日本の漁船に対する保護というものは、どういう程度になさっておるのか、その点について承わりたい。
  59. 中川融

    ○中川(融)政府委員 海上保安庁の方から御説明いたすのが適当でございますが、まだこちらに来ておりませんので、便宜私から御説明いたします。この李ラインにおきます漁船の保護ということにつきましては、原則といたしまして海上保安庁がこれに当っております。海上保安庁は常時三隻ないし四隻の警備船を配備いたしまして、ここで網を張りまして、韓国側から日本の漁船を拿捕しようという船が出て参りますと、日本の漁船に対して警告を発して、現実に拿捕しないうちに待避するようにということを指導しておるのであります。なお海上保安庁の船は武裁を持っておりませんので、力をもって韓国の不法拿捕に対抗するという措置は、今のところはとり得ないのでございます。ただいま申し上げましたような方法によって、できるだけ拿捕を防止しておるというのが現状でございます。
  60. 山本利壽

    ○山本(利)委員 そうしますと、この問題については海上保安庁からどなたかお見えになるまで留保いたします。  先ほど申し上げましたように、漁師は魚をとらなければ生活ができない、そして出て行くと、国家の保護がなくして不法に拿捕せられる。そのあとに残った家族というものは、非常に生活上困難をきわめておるのであります。単に常識的に、そう思えるだけでなしに、私はここに十数通の、向うで抑留された人たちがその家族の者に送った手紙を手に入れております。一々朗読はいたしませんけれども、これを書いた人たちは、国会でこれを取り上げてくれるときの宣伝用に書いたのではない。つたない文字で、つたない文句でそれだけにほんとうに涙のにじむような苦しさを味わっていることをまざまざとこの中には書きつつってある。しかもその家族の生活に対するところの不安ということがよく出ておるのであります。自分たちが外国で抑留されて帰れなくなった。少くともこれから半年、一年というものは刑務所生活をしなければならぬ場合に、家族がどうするか。中には、この手紙の中にもありますけれども、もう子供が生まれるはずだ、事実それは抑留されておる留守にその家では子供が生まれておる。その細君は生きる方法があるまいと思って心配しておるのである。その他いろいろな点で家族のことを思い、自分たちの生活のことを思い、しかもそのときに自分たちはこらえることのできないこの苦しさを今じっとしんぼうしておるのは、日本皆さん方が政府やら、あるいは県庁やら、いろいろなところにずいぶんな手数をかけて一生懸命で嘆願書を出して下さっておる、そして自分たちのために政府も一般の方も何とか早く戻してやろうと思って御苦労をかけていただいておるということに感謝をして、自分たちもそのうちには帰していただけるということを思うて、これを自分の心の張りにして待っておりますということは、これに一一書いてあるのです。ずいぶん誤字もたくさんありますし、言葉の使い方も違っておりますけれども……。そうすると、一体李承晩ライン日本は国家としては認めていない。保護しなければならぬものをしかもほうっておいて、漁師に漁をしないで生活せいということは、これは不可能なことなんだから、それに行ったときに、たまたま李承晩ラインにかかって、これが今のような難儀にあった場合には、当然政府はその家族に対しても相当な保護がなさるべきであろうと私は思う。今日までこれに対してわが政府は、どういう保護の方法をとっておられるか、その点を承わりたい。
  61. 前谷重夫

    ○前谷政府委員 水産庁といたしましては、海上保安庁と連絡いたしますと同時に、指導船四隻を出しまして、その付近の韓国側の情勢を漁船に伝えるというふうなことによりまして、そういう危険をできるだけ避けるように努力いたしますと同時に、二十七年から給与保険制を作りまして、そうして留守家族に対しましては、拿捕されました場合にはその保険によって支払いをいたすように、二十七年から制度を改正いたしまして給与保険の制度をとっております。拿捕がひんぱんにございましたときには、さらに別途に差し入れ等のために予備金を支出したこともございます。
  62. 山本利壽

    ○山本(利)委員 保険制が設けられているということはまことにけっこうなことだと存じますが、私の聞くところでは、網を引く場合に二そう組になって出ますが、一そうが拿捕され、残り一そうは逃げて帰る、そういう場合には、もう一そう別な船を作らなければならぬ。それで船員を雇わなければならぬ、その船員に対してもやはりその保険金は分けて与えられているということである。こういうことを御存じであるかどうか。
  63. 前谷重夫

    ○前谷政府委員 拿捕につきましては、船体につきましては別に特殊保険をかけるように指導いたしておりまして、拿捕されました場合には、その船舶に対しまして特殊保険として保険事故と考えまして、代船計画の資金のために現金を支払うようにいたしております。同時に、拿捕されました乗組員に対しても、その拿捕期間中における家族の生活費を補給するために、別途に給与保険をいたしております。つまり船主に対する船体の保険と、乗組員に対する別個の給与保険、二通りの制度でもって実施いたしております。
  64. 山本利壽

    ○山本(利)委員 そういたしますと、今の船主に対する方は別として、給与保険の方は、船員一名についてどのくらいの保険金が払われているわけですか。
  65. 前谷重夫

    ○前谷政府委員 これは一つの基準がございまして、大体船員の基準給料を申告いたしまして契約いたしまして、その基準給料を保険することになっております。その場合に、これは具体的には個々の年令によりましてその数字をかけ合せるわけであります。これは船員保険と同じような形になっております。
  66. 山本利壽

    ○山本(利)委員 船によったり船員によって高下はあるようでありますが、大体平均して、普通今の場合は、李承晩ラインを侵したという意味において韓国に拿捕されたような家族に対して、一家族どのくらいの保険金が払われることになっておりますか。
  67. 前谷重夫

    ○前谷政府委員 個々のケースにつきましては、私ちょっと資料を持っておりませんけれども、大体保険に入ります場合に、固定給の場合も歩合の場合もございます。船主におきましてそういう点を考えまして、そうして一定の給料を申告し、それによりまして保険金額をきめるわけであります。そういたしますと、その期間だけは契約いたしました給料を支払う、そういう形になります。
  68. 山本利壽

    ○山本(利)委員 私がお尋ねしたのは、具体的にどのくらいな金額を受け取ることができるかということを聞いたのです。
  69. 前谷重夫

    ○前谷政府委員 今その詳細な資料を持っておりませんで、調べて申し上げます。
  70. 山本利壽

    ○山本(利)委員 私はこの点において今あなたをおとがめするわけでありませんが、とかく制度としてこういう保険制度とか何かあれば、それで救われると普通に思いがちである。実際に必要なのは、その制度によってほんとうに救われているかどうかということです。一軒のうちで、主人が出ていったら、あとに妻子が残っている、しかも四人も五人も子供をかかえておるその妻が、食べていけるような保険があれば問題はないが、もしなかったら、そういう制度があるということに言葉をかりて、実際は、その漁夫の家族というものは救われない。私の県は島根県でありますが、浜田方面その他出雲の方からもたくさんの漁船が出て、間々つかまえられる。そういう場合、あとに残った家族は非常に困窮しておるのであります。この給与保険も制度があるからにはいただいておるに違いない。けれども食べるに食べられなくてまた別な内職を求めたり、いろいろしながら暮しておるわけであります。せっかくそういう制度を運営なさるあなたの方としては、少くともどのくらいの保険金を払っているんだというくらいな具体性は一つ持っていただきたい、かように考えます。なおこの問題は農林水産委員会その他でもいろいろ質問が出ると思いますが、この外務委員会に対してもお調べの結果を後ほどお知らせいただきたいと考えます。  次に先ほど坂口君並びに柳井君からのお話を聞きますと、韓国におけるところの刑務所収容所の中の状態というものは言語道断であると私は考える。八畳に足らないところに二十一人の人間を詰め込んでおる。しかも便所を外に設けずに、四斗だるを部屋の中に置いて、その上に乗っかって便所をさしておる。こういうことはまことに非人道的であると私は思う。さらに先ほど来聞いていると食べ物丸麦のものが相当多かったようであります。よいときで米と麦が半々で、いつの間にかだんだんとその割合が変っておるのであります。それは先ほど申しました十数通の手紙の中に、自分たちがいかなるものを食べさせられておるかということをいろいろ書いておりますけれども、要約いたしますと麦が八割くらい、そして大豆、お米というような場合が相当多いようであります。しかも酷寒にもかかわらず毛布が一枚ずつしか与えられていない。その一枚の毛布に六十匹か七十匹のシラミがおるといわれておる。だからこの中の手紙はそれを裏書きすると思いますが、慰問袋を送ってくるときには必ずDDTを入れてもらいたいということが書いてある。私はなるほどそうかと思った。こういうふうな、しかも日本の認めないところの李承晩ラインを侵したということによって、向う刑務所収容所へ入れられておる者が、こういう非人道的な扱いを受けておることに対して、日本政府としてはかつて抗議を申し込んだことがあるかどうか。私は先年外務委員の一人として大村における第三国人収容所を視察した。まことに衛生的であり、その待遇は設備の清潔な点においても、その他あらゆる点において雲泥の差であります。しかも収容所の役人の話では、韓国へ送り返すと言うと、韓国へ帰るよりもこの収容所の中に置いて下さいと言って、柱にしがみついてなかなか帰らぬという話であった。それを規則ですからと言って、手や足をもぎ取るようにして船に乗せて送り返す、送り返してもまたすぐに対馬を通って密入国して日本へ帰る者がずいぶんたくさんあるという話を聞く。わが国では強制送還しなければならぬ韓国人に対してこれほどの待遇をしておるのだ。それにわが同胞が食えないために仕事に出て、そうして拿捕せられ抑留せられて、こういう生活を向うで送っておるということでは、われわれはとうてい忍ぶことはできないと思います。これに対してどういう抗議をされておるか。わが国としてこれを改善するところの方法かあるかどうか、その点についての御答弁をいただきたい。
  71. 中川融

    ○中川(融)政府委員 韓国へ抑留されました漁夫の方々の待遇につきましては、すでに昨年抗議した事実があるのであります。その後、最近また待遇が非常に悪いというような情報がいろいろありますので、私は口頭で代表部の人に、待遇が悪いという話があるが、そういうことは困るから改善してもらいたいと再三言ったのでありますが、その際には、いや調べてみましたけれども待遇はそんなに悪くないそうですという返事があったのであります。われわれとしてもできるだけ早く確証をつかみまして、さらにこれの正式な申し入れをしたいということを考えていたのでございますが、残念ながら最近までは実は帰られる人がなかったのでありますが、今回七名の方々が帰られまして、本日詳細に伺いましたような資料が入手できましたので、ぜひこれに基きましてさらに証拠をつけまして向うに抗議すると同時に、これの改訂と申しますか、直すように交渉したい、かように考えまして、目下その詳細な証拠を集めておるところでございます。従ってごく最近の機会に、これに基きます抗議申し入れをいたしたい、かように考えております。
  72. 山本利壽

    ○山本(利)委員 私に与えられました時間が迫って参りましたので、簡潔に申し上げますが、それではこれらの抑留者を保護しなければならぬ。従ってその留守家族を保護しなければならぬということは当然なことだと考えます。先ほど二人の帰還者の話によると、私物を売って生活しなければならぬ。外へ出ればふろに入れるけれども、その金がないので一カ月に一回か、場合によったら二カ月、三カ月に一回しか、ふろに入ることができないという証言であったのであります。それらに対するところのいろいろな処置、金であるとか、あるいは必要な品物、たとえばDDTとか、あるいは寒いときに毛布というようなものは、当然日本政府の方で手配してこれは送るべきであると思う。そうでなければ、向うで関税を取られる、その関税を払う金がないから送ってもらっても困る、自分たちはその品物を受け取ることはできないということを先ほどの参考人は言っておる。だからそういう関税を取られないように——日本の方も大した数ではない、百数十名か二百数十名の者が向うにおるのでありますから、これに対しての差し入れは政府の方で一つお取り計らい願いたいということを私は希望いたします。そうでないと、この中にもありましたが、向うから、金がないとわれわれは生きていけないから一人当り五千円ずつ、何かたばこの中に入れて送るか、そこらのところをごまかして差し入れするようにしてもらいたいということが切々と書いてある。これはまことに幼稚な話だと思う。先ほど向うの者は片っ端から手紙まで検閲するというのに、日本の貧しい家族がまたどこかで借金して、そして三十円、五千円という金をたばこの中やあるいはいろいろなものの中へ隠して送ったところで、それは大てい取り上げられるのは明白なことだと私は思う。苦しんでおる者にさらに苦しみを与えないように、どうかこの点は一つ政府においてお取り計らいを願いたいというのが一点。  もう一点は、半年なら半年の刑が済んで収容所の方へ移された者、あるいは未成年者であるがゆえに収容所へ移されておる者が、六カ月も七カ月もさらにとめ置かれるということは、一体これはどういうことであるか。これは推測であるけれども、そこの係官が言ったそうでありますけれども、これは日韓会談の成り行きによってこれを利用しようとするのだ、そのために君らは会談の交渉がうまくいかなければまだ置かれるであろうという意味のことを言ったそうです。これは単なる収容所刑務所の下つ端の役人の言うことであるから、必ずしも真実ではないでしょうけれども、これが留守家族に与えるところの精神的な影響は非常なものであります。同時に向うに抑留されておるこれらの人間に与えるところの精神的な打撃というものは非常なものです。もし日韓会談がうまくいかなかったならば、われわれはここに何年間でもとめ置かれるのじゃないかというので苦しむのであります。その点もう収容所を出た者は一週間くらいで帰すということが今までの慣例であり、そういう申し合せになっておるのであります。これは日本の船が迎えに行って連れて帰らなければならぬ、今申し上げた二つの点について明確なる御答弁をいただきたい。
  73. 中川融

    ○中川(融)政府委員 第一の点でございますが、これはもとより政府といたしましてもあらゆる便宜の機会を作りまして、抑留されております方々に、日本からの差し入れ品をお送りしたい、かように考えておるのであります。お説のように留守家族の方々がさらに苦しい生活の中から品物を調達いたしまして送るというようなことは、まことによろしくないと思うのでございます。現在までやっておりますことは日韓対策本部というものができておりまして、これは拿捕された漁船を持っておられる会社の方々が作っておられるのでありますが、ここでまとめられて差し入れ品を作りまして、これを一船にまとめて送ることもやっておるのであります。一昨年の暮れからことしの二月までにすでにで四回実施いたしました。ごく最近、先月第五回を準備いたしまして、これの実施の方法は日本政府より韓国代表部を通じまして、正式にこれらの差し入れ品を載せた船を出すからということを通告いたしまして、先方もこれを了承し、向うの政府の役人が責任を持って受け取り、かつ一人々々の方から領収書を取って、それをまた日本政府へ送ってくる、こういう方法によりましてまず間違いなく御本人のお手元にそれが到達するという方法をとっておるのであります。これに対しましては関税等も課していないのであります。なおこれはその船の持ち主の会社の方々がやられるのが原則でございますが、なお急を要する、あるいは急速に差し入れを送らなければならないというような場合には、政府の方で必要な予算措置を講じまして、これを補うということもとったことがあるのでございます。このような方法を今後も抑留者のおります間は続けていきたい、かように考えておるのであります。  なお第二の点は、正規の刑期を終えながらなお抑留されて帰ってこない、しかもそれが六カ月たっても帰ってこないというような、はなはなだしい例か最近出てきておるのであります。この件につきましては私ども非常に心配いたしまして、全く道理にも反することでございますので、これは韓国の代表部の人を呼びまして強く申し入れております。まず何と申しましても即刻実施してもらいたいことは未成年の方方の釈放ということをしてもらいたい。なおそれ以外の抑留されておる方もすでに九十何名もおられるということでありますので、これもすぐに帰してもらいたい、こういうことで折衝してきたのであります。その結果と申しますか、先方も若干反省いたしまして、未成年の方の一部を今回日本に帰してきたのでありますが、なお非公式ではございますが、未成年者の方が残っておりますので、近く送り返すということを申しております。もちろんそれ以外にまだ抑留されておる方がたくさんあるのでありまして、この人たちの早期釈放ということを強く要請しておりますが、抑留された漁夫の方々の釈放問題については、先方も若干態度を変えてきているように私たちは見受けておりますので、何とかこの機会をつかみまして、さらに釈放ということに努力したい。かように考えておるのでございます。
  74. 植原悦二郎

    植原委員長 山本君、警備救難部長が参りましたから、先刻留保されておった質問をこの際許します。
  75. 山本利壽

    ○山本(利)委員 海上保安庁の警備救難部長にお尋ねいたします。本日は午後一時から再開ということになっておりましたが、二時を過ぎて御出席になったのはどういう理由でありますか。
  76. 砂本周一

    ○砂本説明員 まことに相済みません。一時から再開されることを十分承知いたしておりました。それで若干これは弁解かもしれませんが、非常に急な用事もございましたし、海上保安庁の係の者をこちらに派遣いたしまして、事情をよく見てそうしてさっそく連絡するような手配をしたのでございますが、大へんおくれましてまことに相済まぬことでございます。
  77. 山本利壽

    ○山本(利)委員 先ほどあなたに対する質問を留保しておいたのでありますが、日本の漁師は魚をとらなければ食べられない、だから漁をしに出るのでありますが、たまたま韓国側は李承晩ラインというものを設けて、それにひっかかった場合には拿捕しておる、だけれどもわが国としてはこれを認めてはいない、だからわが国の態度としては当然この日本の漁船が他国の船によって拿捕せられないように保護する必要があると思う。しかるにこのようにたびたび日本の漁船が拿捕されるところを見ると、海上保安庁としてはどういう方法をとっておられるか、ちょうどきょうのこの委員会を軽視されたように、韓国側の警備船が来て、日本の船をつかまえて行ったあとあとへと行っておられるのではないかと思う。どういうような方法で日本の漁船を保護しておられるか、その点を承わりたい。
  78. 砂本周一

    ○砂本説明員 決して軽視はしておりませんが、やはり相変らず拿捕のありますことは私ども非常に遺憾に思っております。李ラインによる日本漁船の拿捕問題は、私が申し上げるまでもなく非常に困難な問題でございます。従って二十七年の五月でございましたか、海上保安庁だけの方針でこれに措置をしてよいかどうかは非常に大きな疑問がありましたので、もちろんその当時日本漁船の保護には全力をあげておったのでございますけれども、非常に微妙な国際関係もございまして、今まで例のない事態でございますので、特に関係官庁に十分なる審議を仰ぎ、閣議決定の線によりまして保護の方法を内容とする決定によって、船を動かしておるわけでございます。その拿捕の場合における保護の方法でございますが、これはいろいろむずかしい問題がありましたので、これもどの程度にやるかという具体的な問題も、討議の内容としてその閣議の決定は作られたのでございます。それで巡視船に課せられました義務の範囲におきましては、私どもも結果としては十分とは存じませんが、最大限のものをやり得たのじゃないか、こういうふうに考えるのでございます。その例といたしましては巡視船みずから拿捕の対象になりまして、向うの領土に連れていかれ、何時間かの拿捕の状態に置かれました。それは帰って参ったのでございますが、そういうことまでやっておるのでございまして、いろいろ見方によりますれば批判の対象になるかと思いますが、先ほど申しました一応の政府の方針の線に沿って、現地におきましても最善を尽してくれておる、かように考えるのでございます。しかしどうしたら効果があるかにつきましては、もちろん万全でございませんので、いろいろ工夫をしております。そして現在も閣議決定のラインに沿いまして、巡視船を出して保護警戒に当っております。
  79. 山本利壽

    ○山本(利)委員 そういたしますと、ときどきわが国の船が拿捕されておるということは事実でありますね。それで韓国の船が日本の漁船を拿捕しようとしたのを、日本のあなたの方の巡視船が行ったために、それが救われたという例がありますか、ありませんか。
  80. 砂本周一

    ○砂本説明員 そのために拿捕が免れたかどうか向うさんの考えによるのでありますが、今申しましたように現実に巡視船が拿捕されて参りました。そのほかにも海上におきまして、向うの責任者である警備船船長が、李ラインなるものの性格をいろいろ論議いたしまして、日本漁船はこの地区において当然自由な漁業ができるんだ、こういうことを主張いたしまして拿捕を免れたケースもあります。そういうふうに先端では相当の努力をして、拿捕の防止に当っておるわけであります。ただ巡視船に現在出ております船は、実力というそう大げさなものを持っておりません。しかしそういうものを行使してまで防止するかどうかには、私ども非常に慎重でなければならないのでそういう事実はございません。従って単に船の性能のみを比較いたしましたときに、その一船と一船の間においてやり得る範囲におきましても相当慎重な態度をとって、やはり最後には向うの言いなりになって、向うの指示する向うの領土に行った、こういう事実でございます。
  81. 山本利壽

    ○山本(利)委員 ちょっとわかりにくいのすが、そうすると今あなたの方のお役目としては、向うでは李承晩ラインを作って実力を行使する、けれどもこちらの方は実力行使をしないんだとすると、李承晩ラインの中に入らないようにという警告を、わが漁船に向ってなさっておるだけのことでありますか。
  82. 砂本周一

    ○砂本説明員 李承晩ラインの中に入るのを入ってはいかぬというふうな方針はとっておりません。ただ拿捕の効果をどういうふうにして防ぐかということにつきましては、いろいろの向うの動勢の把握もその効果でございましょうし、それから漁船みずからが先方の動きを正確にキャッチし得ない場合には、巡視船はより以上の能力を持っておりますので、その能力を利用して拿捕防止に活用する、こういうこともございますし、いろいろの意味で私ども巡視船の活動というものは拿捕防止に役立っておるように考えます。
  83. 山本利壽

    ○山本(利)委員 これで終りますが、今のお言葉を聞いてわれわれはまことに心細いと思う。李承晩ラインを認めてないならば、わが漁船がどんどんその中へ入って、魚をとるときについて歩いて、おれたちがついているから大丈夫だ、とれ、向う警備船がやってきたら談判をしてやるんだ、自分たちの巡視船が向うへ引っぱられていっても、漁船は無事に帰してやるから心配するな、日本政府がついているんだ、そのくらいの意気込みで保護してもらわなかったら、漁師というものはこれはたまったものじゃない。閣議の決定によってその範囲内でやれ、こういうことでありますが、それではまるで日本の漁船が拿捕されるということは、日本政府の閣議に責任が全部背負わされて、日本の漁船が拿捕されないようにするためには、閣議の決定をやり直してくれということでありますが、その点一つはっきり聞いておきたい。まだたくさん質問者が続いておりますから、私一人で時間をとることは恐縮でございますので差し控えますが、最後に部長から今の点について閣議の決定をし直してきたら、われわれはもう少ししっかりやっていくんだいう意味のお言葉であったかどうか。さらに今後今のような閣議決定及び政府の態度では、われわれのやっていることは百パーセントであって、これ以上のことを国民は望んではならぬという意味であったかどうか、その点に対して御答弁を承わって私の質問を終ります。
  84. 砂本周一

    ○砂本説明員 これは私の意見として申し上げるには非常に大きな問題だと思います。しかし私どもも閣議の決定にはもちろん参画しておりますし、諸般の情勢も十分考えた結果でありまして、私どもは閣議の決定のラインは現状におきましては、現在の日本の国情と申しますか、過去を含めての現在におきまして、これは正しいラインだと思ってそれを忠実に守っております。そして拿捕防止に、より多く効果が上るように、いろいろその範囲において工夫努力をいたしております。
  85. 植原悦二郎

  86. 細迫兼光

    細迫委員 柳井君にお聞きいたしますが、あなたはさっきの陳述で拿捕せられた位置がはっきりしないように言っておられます。済州島サウス・イースト三十マイルというようなことを言ったように聞いておるのだが、厳格にはわからなくても、済州島サウス・イースト三十マイル、およそそのくらいだと今でも思っていられますか。
  87. 柳井義昭

    柳井参考人 それは僕たちがブリッジに立ってコンパスをずっと見ていたわけでなしに、僕たちは飯たきから実習に入ったんですから、それまではっきりしたことはわからないです。それであとで、ほんとうかうそかはっきりしたことでないのですけれども、大体済州島からサウス・イースト四十マイルの地点で拿捕されたということを聞いたから言っただけです。
  88. 細迫兼光

    細迫委員 三十マイル……。
  89. 柳井義昭

    柳井参考人 四十マイルです。
  90. 細迫兼光

    細迫委員 済州島サウス・イースト四十マイルということはだれから聞いたのですか。向うの官憲から聞いたのか、船長から聞いたのか、取調べに際して、お前らは済州島サウス・イースト四十マイルにおったんだと聞かれたのか。あとでそれを聞いたというのはだれからですか。
  91. 柳井義昭

    柳井参考人 それは僕たち一般船員の者が大体この辺と韓国警備船のものが言いおったということを耳にしたのです。ただそれだけではっきりしたことはわかりません。
  92. 細迫兼光

    細迫委員 さっきのあなたの陳述で、何か書類に無理に拇印を押させられたという話があった。たしか検察庁の調べの段階ではなかったかと思うのだが、そのときにその拇印を押した書類というものを理解してあなたは押したのであるか、それからその内容はおそらく李承晩ラインを侵したということが書いてあったのだろうと思うのだが、そういうことがはっきり書いてあるものであったかどうか。そういうことをあなは目で見ておりますか。その際お前をつかまえたのは済州島サウス・イースト四十マイルだというような話があったのか。向うが指摘する位置と、あなたがあとから聞いたサウス・イースト四十マイルということとの間に違いがあったかどうか。そういう点を話して下さい。拇印を押したのはどこですか。
  93. 柳井義昭

    柳井参考人 それは検事局で拇印を押しましたときには、大体君たち李ライン侵犯しているからと言われて、船長がはいと言われた、だから君たち李ライン侵犯しているだろうというので拇印を押したわけです。そうしてそのときの書類というのがみな朝鮮語で書いてあって、日本語で何と書いてあるかわからない。あとで一応初めからしまいまで読まれたとき、これに違いないか、はいと言って拇印を押したわけです。
  94. 細迫兼光

    細迫委員 どうもぼうばくとしてつかまえどころがなくて困るのだが、話を変えましょう。  あなた方が釈放されて帰らされたのであるが、それは裁判で、お前たち未成年者だからもう収容所の方にやらぬで帰すのだといって、裁判の判決として帰るようになったのか、あるいは裁判はほかの者と同じ刑で八カ月であったけれども、別な扱いによって、簡単にいえば行政的処置というのだが、何らかほかの理由で早く帰されたのか、そこの区別を話して下さい。
  95. 柳井義昭

    柳井参考人 それは君たち未成年者だから将来のことを考慮し、検事釈放で——たちは裁判も何も受けずに検事釈放で釈放されました。一般船員は刑を受けて、このたび七月十一日に釈放されたそうであります。
  96. 細迫兼光

    細迫委員 アジア局長にお伺いをいたします。いわゆる李承晩ラインというものは、このごろ国際法上において問題になっておる大陸だなというもっと適合しておるラインですかどうですか、その点御説明願いたい。
  97. 中川融

    ○中川(融)政府委員 いわゆる李ラインは、初め設定されましたときは軍事上の必要ということが、主目的とされて設定されたのでありまして、その後これが海洋資源保護ということに、先方の言います目標が変ってきておるのでありますが、しかしながらそのラインそのものは、依然として昔のままのラインでございまして、これがいわゆる大陸だなの地層とどうなっておるかということにつきましては、必ずしも大陸だなの地層とは一致していないと思われるのであります。その一つの例といたしまして、朝鮮半島の東部の方は、これは大陸だなの地層からいいますと、大陸だなに相当するところが非常に狭いのでございます。東海岸は狭くなっておりますが、現実の李ラインはこれに百九十海里くらいのところまで実は進出しておるのでありまして、大陸だなの地層とははなはだ合わないラインになっておるのでございます。また黄海の方におきましてもまっすぐの線か引いてあるのでありまして、これあたりも大陸だなの地層とはマッチしていないのでございます。
  98. 細迫兼光

    細迫委員 例の竹島がああいう事情になって韓国軍に占領せられておる状態でありますが、その竹島の被占領という事実によって、いわゆる李承晩ラインなるものに出入りを生じたような事実がありますか。
  99. 中川融

    ○中川(融)政府委員 竹島と李ラインとはわれわれ直接関係ないように実は考えております。李ラインができました際には相当広くこれを向うが設定されておりまして、竹島は相当その内部の方に実はあるのでありまして、李ラインをことさら人為的に竹島を包含させるように設定したというふうには考えておりません。現実の問題としては竹島がこの中にありますために、日本側のいろいろな施策に非常に支障があることは事実でございますが、当初におきましてはこの二つを関連せしめて考えられたようには考えておりません。
  100. 細迫兼光

    細迫委員 海上保安庁の方にお聞きをいたしますが、今巡視船はレーダーを備えておりますか、それからその他の武装程度はどういう程度でしょうか。
  101. 砂本周一

    ○砂本説明員 巡視船の大部分はレーダーを備えております。それから武器の問題でございますが、計画といたしましては六十隻内外の巡視船に装備する計画は立てておりますが、まだその工事の過程でございまして、全部は装備しておりません。従ってその中でまだ装備していなのもかなりございます。その火器の種類でございますが、巡視船は大型船、中型船、小型船とございますが、四百五十トン以上のには三インチ砲と二十ミリ機銃を備えたものもございます。それで火器の種類は今のところ最大が三インチでございまして、その次が四十ミリ機銃でございます。一番小さいのが先ほど申しました二十ミリ、この三種類を装備したのもありますし、これから装備する計画も持っております。
  102. 細迫兼光

    細迫委員 私どもは、あらゆる国際的な紛争を、武力によらないで話し合いによって解決しなければならぬという根本方針を持っておるものでございまして、その立場から具体的な事実をお伺いいたしたいと思うのであります。現在御承知のようにフリゲート艦その他艦艇の貸与をMSA協定によって受けております。相当大きな海軍力でありまして、東洋にはこれに比するものなしといっても差しつかえない程度だと思うのでありますが、実力によって拿捕を防止する、韓国の艦艇を追っ払うということが閣議決定その他によってやれといわれればやれるにかかわらず、事実やっていない状態でありますか、あるいはやれといわれてもその実力なしという状態でありますか。これは防衛庁関係のことが主でありますが、あなたの知られる範囲において、また海上保安庁としての装備その他を根拠としてお考えになりまして、いずれでありましょうか、お示し願いたい。
  103. 砂本周一

    ○砂本説明員 お尋ねの意味は防衛庁関係だと解しますが、私ども防衛庁の内容につきましては全然存じておりません。  それから先ほどお尋ねによって御答弁いたしました火器の問題でございますが、これはあくまで海上保安庁の巡視船は警察船でございまして、いろいろ事情はございましょうが、国際的な紛争に対して実力を行使するのには、これはよほど問題があると思うのでございます。従って今のお尋ねに対しての攻撃力とか防御力に関しましては、ちょっと私どもの立場では何とも申し上げられません。
  104. 細迫兼光

    細迫委員 いや、その何とも言えないところが微妙なんでありまして、実際考えなければならぬ問題であります。やり得る実力を持ったからといってこれを発揮するということが、必ずしも最上の策ではないと私どもは考えておる。いろいろお聞きしたいこともありますが、多数の質問者がありますから、私はこれで終っておきます。
  105. 植原悦二郎

  106. 田口長治郎

    ○田口委員 私先ほどから参考人の話を聞き、これは人道上から申しましても、断じて許されないことであると思っておるのでございますが、さらに昭和二十六年李ライン設定以来、日本の漁船があの海域で百八十九隻拿捕されたわけです。この人員が二千三百四十六人、そのうちで帰還をいたしました船が九十八隻、人員が二千七十人程度と承知をしておるのでございますが、帰ってこない船と帰ってきた船、これはどういう先方のさばきによってこの九十八隻が帰ってきて、九十一隻がなお残っておるというようなことになっておるのでございますか。九十八隻の内容一つ分折してお聞かせを願いたいと存じます。
  107. 中川融

    ○中川(融)政府委員 御指摘の通り、つかまりました船の中で約半分が帰ってきており、半分が帰ってきていないのでございますが、帰ってきております船の大部分は三、四年前までに帰ってきておるのが多いようでございまして、いわゆる日韓会談等が始まりましてから李ライン警備が強化されまして以来、ことに一昨年以来は実はあまり帰ってきていないのであります。一昨年以来帰りました船といたしましては、先方が調べました結果、李ラインの中で操業していなかった、あるいは李ラインにそもそも入っていなかった、あるいは李ラインに入りましても、たとえば他の黄海方面等に行く道を通過しておったので、李ライン内で操業していなかったというようなことがわかりました船は、帰ってきておるのでございまして、この二、三年の間は原則として船は帰ってきていないというのが実情である、かように考えております。
  108. 田口長治郎

    ○田口委員 それでは帰って参りましたこの九十八隻の船は、李ラインを侵していなかったということがはっきりわかって帰ってきた船と、さらに政治的に帰した船の二種類であるというふうに考えて差しつかえございませんか。
  109. 中川融

    ○中川(融)政府委員 御指摘の通りと考えております。
  110. 田口長治郎

    ○田口委員 さらにお聞きいたしますが、今帰っていない九十一隻の船は先方でどういう管理状態にあるか。うわさに聞きますと、一部分はすでに民間に払い下げて使用をしておるというような話も聞くのでございますが、外務省でこの点についてお調べになった結果、どういうことになっておりますか。
  111. 中川融

    ○中川(融)政府委員 原則として、私どもの聞いておりますところでは、依然政府の管理下にありまして、たとえば政府が拿捕船のうちの一部のものを海上警備隊用の船として使っておるというようなことはございますが、まだ民間に払い下げたものはないのではないかというふうに考えております。もっとも御指摘のように、ときどきすでに民間に払い下げたといううわさもあるのであります。たしか昨年だったと思いますが、新聞等にそういう記事が出たことがあります。その際、そのような措置をとることは、日本側として非常に重大な関心を持たざるを得ないということで、抗議したことがあるのでございますが、それに対しては何ら返事が来ておりません。しかもどうもはっきりと民間に払い下げたという事実は、まだ政府として聞いていないのであります。おそらくは、ほとんど全部がまだ政府の管理下にある、そのうちで一部は政府がこれを使っておるという状況ではないかというふうに考えております。
  112. 田口長治郎

    ○田口委員 最近の拿捕の傾向といたしまして、底びき網は別でございますが、サバのきんちゃく網、サバの羽づり、この二つの漁業の種類について考えてみますと、サバのきんちゃく網の方は拿捕がなしに、サバの羽づりが非常に拿捕されておる、かような傾向にあるように考えるのでございます。これは拿捕しやすいという点から申しますと、きんちゃく網の方が拿捕しやすいと思うのですが、拿捕いたしました船を自分の方で使用するという観点からいいますと、韓国の今の漁業の技術方面から考えて、何だかサバの羽づりの船の方に飛びつく、こういうようなふうにも考えられるのですが、最近のサバに関する二つの種類の漁船について、私らの考えておるような拿捕の傾向をお認めになりますかどうか、その点をお伺いいたしたいと思います。
  113. 前谷重夫

    ○前谷政府委員 サバのきんちゃく網の場合と羽づりの場合とは船が違いますが、李ラインの範囲内等の問題もございましょうが、意識的に羽づりだけを拿捕しておるという傾向は、まだ現われていないとわれわれの方では考えております。
  114. 田口長治郎

    ○田口委員 この李ラインの漁場は、先ほど各委員からも申されましたが、漁業者が生活をするためにここに出漁するというのも一つの面でございますが、よく認識していただいてもらわなければならぬ点は、日本人の栄養として必要ないわゆる保健食糧の蛋白、脂肪につきましては、今魚から総量の八〇%をとっております。そしてこの李承晩ラインの漁場は日本の全漁獲高のほとんど一割以上を占めておる、かようなことで、ここの漁場がふさがれますと、日本国民全体の栄養に直ちに関係をしてくる。ことに大阪以西の各県の蛋白、脂肪の給源になっておるのでありまして、われわれは一漁業者が生活のために出漁するということ以上に、日本国民の栄養を維持しておる漁業をする場所であるというふうに考えておりますから、いかなる危険がありましてもこの漁場は日本として放棄するわけにいかない。いわんや公海上において正当な仕事をやっておる、それを不法にも拿捕抑留する、抑留した人間は、先ほどの話のように、聞くにたえないようなみじめな生活をさしておる。人道上絶対に許されない。かような事情にあるこの問題は、一に日韓の漁業問題の会談、日韓会談にかかっておると思うのでありますが、今日まで外務省はこの日韓会談につきまして、ほんとうにどういう努力をやってこられたか。大体のことは私はもう知っておるのでございますが、率直に御努力の跡を一つ聞かしていただきたいのでございます。
  115. 園田直

    ○園田政府委員 李承晩ラインの問題はきわめて重大な問題でありまして、御指摘の通りにこの問題が防衛の観点からも漁権庇護の問題からも唱えられておりますが、中共やソ連との関係からいえば、これに対立をしておるアメリカと共同体制にある日本が、スパイあるいはその他の戦略上の観点から、合意せぬということもあり得るのでありますが、共同体制にある韓国日本の中に、そのような懸念は私はあまりないのではないかと思います。また漁権庇護の点につきましても、これはたとい共産主義国家との間におきましても、両国から資源の調査並びに漁権の庇護等については協力をしようというのが両方の意見でありまして、ましていわんや同じ自由主義国家群の中の韓国日本の中に、漁権の庇護やあるいは調査ができない道理はない。御指摘の通りにこの問題は政治的な問題に非常な関連があると考えております。従いまして第一回日韓会談決裂以後、外務省といたしましては鋭意日韓会談を再開をして、そうして各種のこのような問題を解決したいと努力をいたしておりますが、数回にわたりまして内々にあるいは公式に話を進めておりますが、あるいは政変あるいはその他の予期せざる事情等の出現のために、今なお日韓会談再開の運びになっておりません。日韓会談を再開するために、外務省としてはありとあらゆる問題を忍び、ありとあらゆる問題に協力体制をとって、日韓会談を再開したいと努力をいたしております。
  116. 田口長治郎

    ○田口委員 いろいろ努力をしておられるということでございますが、私どもは善隣友好というような関係からいたしまして、韓国で生産をされるノリを日本に輸入する、日本のノリの生産者はそのために価格を圧迫されて非常に困る、しかし朝鮮ではこれはほとんど需要がないのでございまして、せっかく作りましたノリが金にならない、これでは困るだろうというようなことで、日本の生産者をある程度押えて、そうして韓国で困てっいるノリの日本に対する輸入を許しておる、あるいは韓国人がとりました魚、これも大部分のものはやっぱり韓国で消費ができない。日本に輸入いたしますと魚価がこのために圧迫されたり、三百万の漁民が魚の値段が下るということで非常に困る、しかしながらこのこともがまんして、売先のない韓国の魚を日本に輸入さしておる、かようなことで善隣友好というような観点から、私らはできるだけ先方のために努力をしてきておる。しかるに韓国といたしましては、公海上においてほんとうに正常なるわれわれの仕事をかくのごとくして阻害をする、そうして抑留した船員はひどい目にあわせる、かようなことが続きますと、日本人の忍耐にもおそらく程度があると思います。私はこういうようなことを継続して、そうして日本の漁業者、これを全般的に困らせ、また日本の国民全体の栄養にも関係する重大問題を相変らず横車を押していこうとしますれば、われわれとしてもやっぱりいろいろな対抗的の処置を講じなければ仕方がないのじゃないか、韓国の代表部は東京に置いておりますが、日本の代表部は韓国にない、こういうようなことも対等にしてもらいたいし、あるいは多少輸出入の貿易は日本から出すものが多いにいたしましても、そういうことは私らはもうこの際考えたくないような気持になってしまう。こういういわゆる対抗策ということにつきまして、日本政府として何か今日までお考えになったようなことがありますかどうか、あるいは最近これらのことにつきましても、何とか考えなければいかないじゃないか、かような気持でおられますかどうか、その点を一つお伺いをいたしたいと思います。
  117. 園田直

    ○園田政府委員 外務省といたしましては、ただいまのところ正当な日韓会談を開きまして諸問題を解決するように尽力をいたしておりまして、最悪の場合の対抗策等は、ただいまのところ考えておりません。
  118. 田口長治郎

    ○田口委員 正当なる日韓会談を再開する、こういうことでじんぜん年月を経過されてしまわれて、この李ラインのために、日本の九州の西から西日本全体のサバに関する、あるいはイワシに関する、アジに関する漁業者はまさに死なんとしておる。会談再開の日を待たれることはけっこうでありますけれども、もう漁業者の方はがまんができない、破産をし失業してしまう、かような状態になっておるのでございますが、この日韓会談の問題に全体をかけられておるとすれば、この頻死の状態にある漁業者に対する処置を、一体政府はどんなふうに考えておられるか。もうこのままでは放任できない状態のところまで行っておるのでございますが、この会談開催によって話を片づける、これがいつという見当がつきません現在におきましては、もう何か国内的に手を打たなければならぬところまで来ておると思うのでございますが、さような危機の点まで来ておるかどうか、その認識はどうでございますか、また国内的にこの問題に対してどんなふうにお考えになっておられますか、その点を外務省及び水産庁からお答えを願いたいと思います。
  119. 前谷重夫

    ○前谷政府委員 ただいま御指摘のようにサバ、イワシの面におきまして、李ラインのために相当の影響を受けておることはわれわれは見ておるわけであります。そのために御承知のように、カツオ、マグロについての臨時許可の制度もとっておりますし、また対馬暖流の開発あるいは新漁場の開発調査等もいたしまして、できる限り漁場転換をはかりたいということに努めておるわけでございますが、もちろんこれによりましても時日を要しますし、全面的な解決をするには一刻も早く日韓会談が妥結するように、われわれも期待しておるわけであります。
  120. 田口長治郎

    ○田口委員 最後に私日韓会談を急がれることもけっこうでありますが、今日までの状態から申しまして、早急にこの問題が問題解決の点まで到達することは期待をいたしません。また今水産庁長官が言われましたように、新漁場の探検だとかあるいはその他の調査研究では、今この海域に依存しておった漁業の急場を救うというようなものには、間に合わない状態にあるのでございますから、何かかかる漁業の破滅をする前に、命をつながせるような速急なる処置を国内的に確立されますように、その点を特にお願いを申し上げまして私の質問を終ります。
  121. 植原悦二郎

  122. 木原津與志

    ○木原委員 李承晩ラインの件につきまして、いろいろと御質疑がありましたが、私も李承晩ラインのことについて角度の変った点から、外務当局にお尋ねしたいのであります。この李承晩ラインの問題につきまして、日本政府は、先般国際司法裁判所にこれを提訴をされたということを聞いておりますが、その後の交渉の経過はどうなっておりますか、お聞きしたいと思います。
  123. 中川融

    ○中川(融)政府委員 竹島の問題につきましては、昨年の秋、国際司法裁判所に提訴をしようではないかということを韓国政府に申し入れたことがございます。それにつきましては、韓国政府はあの島が自分の国の領土であるということは、あまりに明らかであるがゆえに、国際司法裁判所に提訴する必要なしということで断わってきたのであります。李ラインの問題につきましては、一連の日韓会談における問題の一つとして取り上げられて参りました。これと切り離しまして国際司法裁判所に提訴するという措置をとったことはないのであります。
  124. 穗積七郎

    穗積委員 議事進行。こうやって見ると、保守党の民主党、自由党の諸君は、地元の委員が一人ずつ出ておるだけで、ほかはだれもおりはしない。本会議が済んだら、こういう大事なことですから、委員会に来てもらうように、委員会の権威にも関しますから、一つあなたの口からもう少し出席するように申し入れて下さい。一つ要望申し上げておきます。
  125. 植原悦二郎

    植原委員長 御注意の通り、委員長から注意をいたします。  なお委員の諸君に委員長から申し上げて御了解を得たいことがあります。本会議が今開会されましたけれども、参考人の方はわざわざお忙しいのを遠方から出てきていただいておることでもありますので、どうかこの委員会は継続して審議を進めたいと思いますから、さよう御了承を願いたいと思います。
  126. 木原津與志

    ○木原委員 先ほど政府側の御説明によれば、李ラインの設定はいわゆる大陸だな主権に基く主張ではなくて、軍事上の、防衛上の問題の主張によるラインだというようなお話がありました。そこでこの李ラインの問題は国際法上国家の主張として正当性があるかどうかということにつきましては、もちろん外交交渉によって定められるということも一つの正しい方向ではあるけれども、もう一つとしては世界の世論に訴えて、そうしてこの問題を法的に解決をする、このことも当然政府がとってしかるべき措置だと思うのであります。今日まで、あのへたな外交交渉で行き詰まって、そのままになってからもう三年間ぐらいになると思うのでありますが、その間この国際司法裁判所に提訴して、そうして国際法上の措置を受けるという手段をとられなかったというのは、一体どういうところに原因があるのか。漫然としてこういう措置をとらなかったのか、とるのに困難な事情があったのか、われわれ日本の主張するところは国際法上いれられないためにとられなかったのか、その点、一つ政府側から明らかにしてもらいたい。
  127. 中川融

    ○中川(融)政府委員 国際間の紛争があります際に、これを解決する方法として、国際司法裁判所に提訴して解決するという方法は、確かにあるのでありますが、これは、日韓の紛争の場合におきましては、両方とも国際司法裁判所の常任国と申しますか、それに当然に加盟している国ではないので、一一の場合に双方の当事者の合意で国際司法裁判所に提訴しようということをきめまして、初めて国際司法裁判所にかかるのであります。この問題につきましては、当初より国際司法裁判所にかけることを提議いたしましても、韓国側がこれに応じなければそれにかからないのでありまして、その点についてまず最初に問題があるということと、なお李ラインというものは大陸だなの思想とは非常に違っておりまして、ある意味で、今世界のいろいろの国が唱えております公海上の水域に対して、管轄権を主張する主張の中で最も極端な例ではございますけれども、公海について管轄権を主張するという問題が、世界のいろいろなところで起ってきておるのでありまして、従ってこの問題を国際司法裁判所に法律解釈として提起いたしました場合にも、相当解決に時間を要するということが予想されたのであります。従ってこのような法律的な裁判による解決ということでなくして、事実上、政治上、外交上の交渉によって解決をすることが、最も実際的であるという見地から、これを外交交渉で片づけようという方針で行っておるのでありますが、遺憾ながらいまだ片づかないのであります。しかしこれもできるだけ努力によりまして、近い間にできるだけ交渉を再開して解決するという方法が、依然として最適の方法であろう、かように考えておる次第でございます。
  128. 木原津與志

    ○木原委員 外交交渉で解決をはかりたいということを言われておりますが、今日まで外交交渉で解決されておらないのです。もうすでに李承晩の、あの不法なラインの宣言があったのは二十七年の一月でありますから三年数カ月を経過しておる。そうしてその三年間において日本政府としては、これを外交交渉で解決することができなかったのだ。できないならばあと残されておる、この司法裁判所の判決によってこれを解決していく、判決そのものの既判力というような問題については、いろいろ問題がありましようけれども、少くとも日本の主張が正しいということが裁判所によって判決が下されるならば、それだけ日本にとっては、有利な場面が展開されることは明らかなのです。そういうような手段を今日までとられなかったということについては、まことに政府の措置は私は怠慢だと言わざるを得ない。そこでお尋ねをしますが、今、この司法裁判所に提訴するには、日韓両国の合意による提訴がなければならぬというお話でありましたが、しからば合意をして提訴しようじゃないかということについての申し入れを政府はやったことがありますか。
  129. 中川融

    ○中川(融)政府委員 ただいま申し上げました通り、この李ラインの問題は、当初から法律的な問題として裁判所による解決をはからずに、外交折衝によって解決しようという方針で来ておりますので、国際司法裁判所に提訴することを韓国側に提議したことはないのでございます。
  130. 木原津與志

    ○木原委員 外交交渉で解決するといって、三年間も外交交渉で解決できないような無能な政府が、司法裁判所に提訴のことをやらなかったということは、一体国民に対して何と申し開きをするつもりですか。そんな怠慢なことでどうする。もし政府が誠意を尽して、李ラインの問題を国際司法裁判所の法廷において解決しようじゃないかということを韓国に提案をして、そうしてなお韓国がこれを拒絶をした、だからやらなかったと言われるならば、われわれもあなた方の責任を追及しない。しかしそういうようなことは今日まで全然やっていない。やらないで、国際外交だけで解決するつもりであった、そういうようなことは相手方韓国に対してやってもむだと思ったからやらなかったというのでは、これは外務省の措置として十分な措置をとっていない。李ラインの問題は重大な問題ですよ。特に漁業者の死活の問題なのです。ことしもごらんなさい。もうすでにサバあるいはアジの漁期を控えておりながら、沿岸の漁業者があそこに行くことができない。行ったら、ここに見えられておる方のように拿捕されて、そうして煉獄の苦しみを受けなければならない。これによる日本の損害というものは莫大なものです。これを外交交渉を三年間かかって何もできなかったものが、せめて司法裁判所の判決によってでも打開しようという努力をしなかったという責任は、一体あなた方どう考えられる。そんなでたらめなことがあるか。今後どうするつもりか、その点まずお聞きしたい。
  131. 中川融

    ○中川(融)政府委員 日韓会談は一昨年の十一月に決裂したのでありますが決してこれが再開されないというものではないのであります。これは今後の先方との話し合い、あるいは国際情勢の変化その他のいろいろの要請によりまして、必ず再会し得ると考えておるのであります。日韓会談を再会いたしまして、両方の話し合いでこの問題を解決するということが、最も適当な方法であるというふうに考えるのであります。これを国際司法裁判所に提訴して解決するということで日本が行きました場合、もしもそれを韓国側が拒否いたしますれば、それぞれの方はだめになります。もしも韓国側が承諾した場合におきましては、今後はその方法によってやらなければいけなくなります。そういう方針をはっきりきめてしまえば、日韓会談の再開、外交交渉による問題解決の道を一応日本はあきらめまして、裁判所による解決ということにかわるわけでありまして、それだけのステップをとるということは、日韓会談再会という道が依然として可能である間に、そちらの双方納得するような方法によって解決をはかるのが、最も実効を上げるゆえんであると考えておるのであります。国際司法裁判所に提訴するのは、この会談再開にほんとうに見切りをつけたときはそれより方法がないと思いますが、まだそこまで見切りをつけるのはどうも早いように考えるのであります。三年と言われますけれども、一年半前までは会談が開かれておったのであります。その後一年半会談は開かれておりませんが、これも今後のやり方いかんによっては開き得るのであります。やはり会談再会によってこれを解決するのが一番よい方法ではないか、かように考えておるのであります。
  132. 木原津與志

    ○木原委員 外務省のそういうような態度では、いつまでたってもこの李ラインの問題は解決しませんよ。外交交渉で片をつけたい、そうしてどうしてもつかぬときに、初めて国際司法裁判所に提訴したいというのでしょう。しかし外交交渉がいよいよ断絶になったら、お前と一緒に国際司法裁判所に提訴しようじゃないかというて申し入れても、それじゃといって相手が承諾しますか。そんな簡単な問題じゃないでしょう。簡単なものじゃないから、外交交渉が第一次で決裂したときに、国際司法裁判所に提訴しようじゃないかという十全の努力をすることが、外務官僚としての当然の責務であり、またこの李ラインのために苦しんでおられる漁業者のための、あなた方のほんとうの誠意だと私は考える。今ごろになって、これから日韓会談をやって交渉するようになる、それで片をつけたいと言っておられるが、日韓会談が今後いつ再開されて、そうしてこの問題が解決する見通しを持っておられますか、政務次官からも聞きたい。
  133. 園田直

    ○園田政府委員 御承知の通り、日韓会談の交渉のガンは、財産請求権の問題でございます。本李ラインは、大陸だなの問題ではなくして、防衛線であるということを言っておりますが、さらにもっと進んで、大陸だなでもなく、防衛線でもなく、政治的なものであると私は深く考えております。と申しますのは、今しばしば御指摘になりました通り、これを国際司法裁判所に提訴しても、私は向うがこれには応じないというはっきりした見通しをつけております。政治的だといたしますと、この日本の漁業者の問題にいたしましても、拿捕された方々には非常に気の毒でありますが、人道上の問題を取り上げて政治上の問題にからませるおそれが私は非常にあると考えております。拿捕されてひどい目にあって、しかも漁業者は、単に沖に出かけていく漁業者が生活に困っているばかりでなく、沖に出かけられないので大型、中型の漁業者が沿岸に立てこもって、沿岸の零細漁民が職場を奪われて悲惨な状態にあるということで、盛んに国内から責め立てられる。責め立てられるから、仕方なしに朝鮮における日本の取り分の財産を放棄し、あるいはその他のことも譲って、日本が会談を進めてくるのではなかろうかというような、いろいろな外交的なテクニックもございます。これをどの点で譲り、どの点で解決するかは、実に外交上の重大な技術的な問題であると私は考えております。この会談におきましても、実は第一回日韓会談決裂後両方の言い分を内々に話し合いまして、再び第二回会談を聞くことになりましたが、その直前に政変が起りました。その後再び双方から話し合いまして、ようやく話がまとまって三度目の日韓会談にいこうという時期まで来たのでございますが、そのときに共産圏、特に北鮮との問題などが出て参りまして、またここに蹉跌を来たしたわけでございます。今日の段階におきまして、そういうわけで相当行き詰まった徴候にはございますが、今までの経緯からいたしますれば、そういういろいろな方面を考えて、誠心誠意——いくさに負けた日本の外交というものは、おっしゃる通りに、国際的な世論の支持を受ける以外にございませんので、今日までの段階に来ますと、御指摘の通りに日本が相当ひどい目にあって、ひどい立場にあるということは、逐次各国の認めるところとなっておりますので、私は誠意を持って、この会談を進めていくならば、遠からずして日韓会談を開くに至ると考えております。
  134. 木原津與志

    ○木原委員 この李ライン設定問題については、われわれは非常に遺憾に思っておるのでございます。この不法なライン設定に対して、日本に軍事基地を占領しておるアメリカは、一体この李ラインをどういうふうに考えておるのでございましょうか。合法的だと考えておるのか、不法だと考えておるのか。もし不法だと考えておるならば、これをどうしようというのか。合法的だと考えておるならば、今後この問題をアメリカはどういうふうに処理しようとしておるのか。これはアメリカも日本を軍事占領しておる以上、この問題については人ごとみたいに見ているべき筋合いのものではないと思う。これに対してわれわれは仄聞するところがないので、政府当局からアメリカのこの李ライン問題に対する見方をお聞きしたい。
  135. 園田直

    ○園田政府委員 李ラインが不当であるか正当であるかというアメリカ側の見解を、御報告申し上げる資料を持ってはおりませんが、このような実情を十分認識しておるようでございまして、自由主義国家群内の韓国日本の間が、話し合いによってこの問題が解決するように、アメリカ側としては十分注意もし、努力も払っておるように聞いております。
  136. 木原津與志

    ○木原委員 その問題は大体打ち切りたいと思いますが、最後にこの問題でお聞きしておきたいのですが、先般長崎に韓国の漁業者が見えたそうでございます。この点はどういうような状態であったか、あと山田吉太郎君にお尋ねしようと思っておるのでございますが、この韓国より訪れた某漁業者の話によりまして、日本との漁業提携を非常に望んでおるということが、新聞で報道されておるのでございます。そこで、政府の外交交渉もなるほどけっこうであり、急がなければならないが、ちょうど昨年民間の手によっていわゆる日中漁業協定ができたような前例もございますし、一つこの漁業問題を民間の——先方の漁業者も日本との漁業提携を望んでおるというような意向もございますので、これは民間の漁業者の相互理解のある話し合いというようなもので、解決したらどうかというような機運もそろそろ起っておると思いますが、もし日韓の漁業についての交渉が民間で行われるということになりますれば、一体政府はこれに対してどういう態度をとられるか、この際お伺いしておきたい。
  137. 園田直

    ○園田政府委員 今日の困難なる日韓問題、特に漁業の問題を民間側の直接の御連係によってこれを打開されようということは、これは決して政府としては敬遠するものではございません。しかし見通しといたしましては、中共やその他の共産主義圏とは正式に国交が開かれておりませんので、この方面につきまして従来から全然解決の方法がありません。そこで民間側の漁業協定ということにもなりますが、韓国日本の間におきましては、民間の漁業者団体だけの話し合いによって、道が開かれることは考えておりません。
  138. 木原津與志

    ○木原委員 まだ私の時間はありますか。
  139. 植原悦二郎

    植原委員長 もう制限に来ております。
  140. 木原津與志

    ○木原委員 それでは李ライン問題はそれだけにして、次に一点だけ伺います。  先ほど山田丸被災事件に関しまして、山田吉太郎君から重大な発言があったと思うのでございます。と申しますのは、ビキニの被災者に対する……。
  141. 植原悦二郎

    植原委員長 山田丸のことですか。山田丸の事件と抑留者の事件と区分わけして質疑をすることになっておりますから、山田丸のことならばこの次に願います。
  142. 木原津與志

    ○木原委員 それでは韓国の問題でいま一点……。
  143. 植原悦二郎

    植原委員長 時間が来ておりますからもう一点だけにして下さい。
  144. 木原津與志

    ○木原委員 山田さんに伺います。韓国から漁業者が長崎に来て、漁業家と李ライン問題についていろいろな懇談があったということを新聞に報じられております。その懇談の内容について、どういうような話し合いが当事者間になされたか、あなたは御存じならば、ちょっと説明していただきたい。
  145. 山田吉太郎

    ○山田参考人 今先生の御質問につきましては、私ちょうど長崎におりませずに存じておりません。ただ日本漁船を買いに来たということだけは承知いたしております。
  146. 木原津與志

    ○木原委員 あなたはおらなかった。
  147. 山田吉太郎

    ○山田参考人 はあ、長崎におりませんでした。
  148. 穗積七郎

    穗積委員 抑留者の直接の保護の問題、それから送還要求の問題、それからあとの漁業問題等について質問がありましたから、私はただ一点だけ伺いたいと思います。前谷さんにお聞きしたいのですが、北鮮の漁場における漁獲と南鮮関係の李ライン向う側との漁獲は、従来どのくらいの比率になっておりますか。
  149. 前谷重夫

    ○前谷政府委員 北鮮日本海に面した漁場は、従来はイワシ、サバ、ある程度のトロールもあるわけであります。しかし漁場的に見ますと、南鮮寄りの方が大きいということになっております。ただ私正確な比率は今ちょっと記憶いたしておりませんが、南鮮漁場の方が大きいということになっております。
  150. 穗積七郎

    穗積委員 もう一点園田政務次官にお尋ねします。北鮮との問題については、いずれ次の外務委員会で大臣にもお尋ねしたいと思っていたのですが、今話が韓国との問題解決のために関連して出ましたので、ついでですからあなたのお考えをお尋ねしておきますが、先般来北鮮の方がむしろわが方に対して非常に理解的な態度をとって在留邦人の引き揚げ問題、それからあるいは漁業協定の問題、それから通商協定の問題、さらに進んでは国交回復等について非常に積極的な発言を責任者がし出しているわけです。全般的にわれわれが考えますと、朝鮮の方は南北にかかわらず、長い間の日本の帝国主義的な植民地政策のもとに若しんで来られたので、必要以上に日本に対する反感をお持ちになることも、これはわれわれとしてみずから反省して無理からぬところがあると大きな気持で了解しなければならぬと思うのですが、それにしても国と国との交渉、政府と政府との交渉ということになれば、私は合理的な基礎に立たなければこれはできないと思うのです。特に南鮮の方はそういう意味でははなはだ遺憾なことは、李承晩大統領初め当路者におる人が、あまりにヒステリックであり、あまりに感情的になり過ぎておられるので、その点を解かなければ、私は、この問題の解決はできないのじゃないかと思う。そこで今あなたは、韓国との交渉がまた再開されようとしておったときに、北鮮との漁業問題、送還問題、あるいは通商問題等が出てきた、これがまた非常に南鮮を刺激していささか頓挫しておるというふうに見ておられますが、なるほど向うはそういうことを口実の一つにしておられます。しかしこういうことを口実にして韓国との交渉が行き詰まり——今ここで問題になっておりますこともそれにかかっておるわけですが、そうなりますと、あなたはこの問題に対して、どういう態度をもってお臨みになるおつもりであるか。韓国に対しては、北鮮との漁業問題、通商問題、引き揚げ問題については一切われわれは不問に付して、全くこれとは外交的に謝絶していくつもりです、あなたの方とだけやりますから、どうぞ交渉に応じて下さい、というような態度でお臨みになるおつもりであるのか。もっと合理的な、もっと感情にとらわれない、南鮮、北鮮の正しい民族統一を要望し、それを促進するような態度で、世界のすべての国と、われわれは平和な通商並びに漁業協定を結んでいきたいという態度で臨むべきだとわれわれは思うのだが、今、デッド・ロックに乗っておるこの問題に対して、どういう態度でお臨みになるおつもりであるか。先ほどの説明の次を一つ説明していただきたいと思います。
  151. 園田直

    ○園田政府委員 本年の二月十五日に北鮮の南日外相が、対日経済文化交流を呼びかけた声明を行なったあと日本の報道機関が日本もこれに応ずるやの報道を行なったことを、韓国は非常に重大に取り上げまして、韓国の当面の敵たる北鮮日本が何らかの関係を持つにおいては、現在の日韓両国関係は断絶をするとさえ広言をし、しかもそれのみではなくて、先般韓国において行われました排日、抗日の暴動等のごときは、この問題を取り上げて、日本の容共的態度を誇大宣伝をして、大衆排日運動をあおっておるような実情でございます。従って、日本から申しまして南鮮、北鮮の統一問題は、朝鮮の大きな問題ではございますが、当面日本の外交方針といたしましては、直接の利害を持っておりますこの李ライン漁船拿捕の問題、あるいはその他いろいろな問題を解決する責任を持っております。そういう状況において日本北鮮と何らかの関係を持つことは、日韓両国関係の正常化を不可能にするものと考えられるばかりでなく、今日の日韓会談が頓挫しておる大きな理由はそこにあるのであります。そればかりではなくて、北鮮は中共とは異なっておりまして、これを承認しておるものはソ連、中共など共産圏の諸国のみ十一カ国でありまして、米、英、仏など自由諸国はすべて、中共を承認しておる国さえも北鮮は承認してない状態でございます。なおまた貿易も、実際において北鮮と行なっておるのは共産圏の国家のみでありまして、一方韓国との貿易は一九五三年においては、日本の場合の輸出は六千百五十三万八千ドル、輸入が五百九十八万ドル、五四年においては輸出が三千六百十七万八千ドル、北鮮との貿易のために韓国との貿易を犠牲にするには、純経済的見地から見ましても、以上のような点がございますから、当面日本北鮮と何らかの関係を結ぶということは考えていないばかりでなく、民間諸団体のいろいろな協定等につきましても、政府はこれを承認する意思を持っておりません。
  152. 穗積七郎

    穗積委員 北鮮との関係は、きょうの第三議題にちょっと関連いたしますから、そのときにはそのときでまたお尋ねしますが、きょうは簡単にあなたのお考えだけ承わっておきたいと思います。われわれ実はそういう認識を持たないのです。しかしこれについては外務委員会そのもののときに、あなたや大臣の御意見を伺いたいと思います。それでは北鮮との関係は、別に手を出しませんということでこちらが臨んでいけば、そこで再開の可能性がある。しかし再開されるだけでなくて、李ラインその他の問題で少しでもこちらの要求が通るというふうにお考えでございますか、その認識を一つ聞いておきたい。
  153. 園田直

    ○園田政府委員 韓国の真意はそこにございまして、日韓会談を始めようとする要素の中には、それが大いに含まれていることは事実でございます。
  154. 穗積七郎

    穗積委員 再開はできましょう。再開はできますが、そういう自主性のない態度で臨んでいって、それで一体こちら側の要求がその交渉を通じて実現できると思っておられますか。
  155. 園田直

    ○園田政府委員 日韓会談再開後の具体的問題につきましては、これはいろいろ久保田発言の問題や、あるいは先ほども申し上げました財産請求権等の問題もございますが、これについてはいろいろ話し合いをしていけば、ある程度まとまろうと考えております。
  156. 植原悦二郎

    植原委員長 穂積君、あなたは今この韓国抑留者の問題に関連してその質問しているのだから、なるべくその方は一つ制限して……。
  157. 穗積七郎

    穗積委員 最後に一点お尋ねしておきますが、北鮮との文化交流または経済交流の点において、民間団体でそういうような協定が結ばれる動きがありましたときには、政府はこれに妨害を加えませんか。
  158. 園田直

    ○園田政府委員 妨害を加えるつもりはございませんが、中共との貿易あるいは通商、漁業等の協定に対して、政府の今日の限界において持つ範囲においては、援助をするなどということはいたしません。
  159. 穗積七郎

    穗積委員 この問題についての私の質問は終ります。
  160. 植原悦二郎

    植原委員長 これにて韓国抑留者に関する問題についての質疑は終りました。次に山田丸被災事件に関する質疑を許します。今村等君。
  161. 今村等

    今村委員 山田丸の問題について参考人にお尋ねいたします。去年の十一月二十二日の早朝に事件が起って、そうして十二月の二日の水産委員会で質疑がかわされておるようであります。このときの水産委員会には参考人が四名出ておられたと思いますが、当時の水産委員会における模様を一応参考までに承わっておきたいと思います。四名の参考人であったようでありますが、きょうは二人見えておるようであります。これは山田吉太郎さんに承わっておきたいと思います。
  162. 山田吉太郎

    ○山田参考人 ただいまの、事件直後水産委員会において、この問題について政府はどんな御意見であったかというお尋ねでございますが、その当時、ただいま同行しております東根漁撈長は、重傷のために入院中でございまして、通信士でありました大古並びに通信の関係の責任者高原及び山田屋商店支配人松尾重三を同道して、委員会に参った次第であります。  いろいろと御審議の結論といたしまして、政府委員の御意見としては、これは損害賠償を要求し、適切な補償をすることが第一だと思うが、その前に、あるいはそれと関連を持つ代船建造、遺家族の問題について、この事態の特殊性を十分認識しているので、何かと努力してみたい。今すぐここで具体的に申し上げる段階ではないが、ただ事態がきわめて特殊な事態であるので、関係方面とも相談して、できるだけ要望に沿うよう、十分検討していきたいとの御意見でありましたので、遺家族を初め船員も、これを唯一の慰めとしておる次第でございます。
  163. 今村等

    今村委員 死亡船員の遺族は、その後どうしておるかをお聞きしたい。それから、生活上にどういう関係を持っておるかということを承わりたい。
  164. 山田吉太郎

    ○山田参考人 死亡船員の家族のことはあとにいたしまして、被害直後、健全なる船員については、本人の希望に従い、弊店所属漁船にそれぞれ職務に従い、分散乗船さしておる次第でありますが、将来撃沈被害船の代船が建造されましたときに、これら船員を従前通り乗船させる予定でございます。当時の船員私物、金品の補償並びに見舞としては、被害船員に対して流失した私物、金品の補償並びに見舞として、一人当り金三万円を当店より贈呈いたしました。
  165. 今村等

    今村委員 私が今質問したのは、死んだ二人の人とその家族に対する現在の状況です。
  166. 山田吉太郎

    ○山田参考人 死亡した船員は多田美幸これは船長であります。もう一人は井筒高義、これは操舵手であります。多田美幸の方は妻、長女、次女、母とおりまして、井筒高義の方には妻、長男、次男、母とおりまして、いずれも右の通りで、両家庭ともに幼少の子供をかかえているので、経済的にも将来が非常に不安でなりません。自活の道も子供をかかえては当分不可能であります。それから長崎市に居住することは生活費もかさみますので、現在は郷里徳島県海部郡日和佐町に帰りまして、親族の援助を受けておりますが、本人はこれら親族からの援助を受けることは苦痛でならないと訴えている次第であります。
  167. 今村等

    今村委員 それから負傷船員のその後のからだの工合、これは東根君に伺いたい。
  168. 東根三郎

    東根参考人 私は当時一番重傷を受けたわけであります。長崎へ帰って、井手整形外科病院に十一月二十四日に入院いたしまして、一月十五日に退院いたしました。それから井手病院に四月十一日まで外来患者として治療を受けまして、四月十二日に厚生団の整形外科嬉野療養所に入所いたしまして、六月十六日にそこを退所して、大体これでなおったのだから、あとは家庭療法をせよというので帰ってきたわけであります。自分のからだとしましては、右腕の関節の銃創で、現在のところこれだけの運動しかできず、指二本は全然神経がなくて、やけどをしても自分がかんでも、全然神経がないのであります。それと左の上種関節に盲管二つを受けまして、一発は手術をして摘出いたしましたが、一発はまだ残っているのであります。それで腕の神経をやられて、自分の力ではこれだけしか伸びないのです。  それから上田久雄は肩に盲貫を二発受けまして、十一月の二十四日に入院しまして、二月中旬に厚生団整形外科嬉野療養所に入院いたしまして、五月十日同所を退所いたしまして、現在はやはり家庭で療養しておりますが、左足が跛行いたしまして、今のところ労働につけません。あとの三名は軽傷で、現在失業しております。
  169. 今村等

    今村委員 生存船員はその後どうしているか、この点、それから船主は船員の職場安定について、代船建造のごときはどうなっているか、この二点をお尋ねします。
  170. 山田吉太郎

    ○山田参考人 お答えいたします。先ほど間違って申し上げましたが、無事な船員は、本人の希望に従いまして弊店所属の漁船にそれぞれ職務に従い分散乗船しております。将来、撃沈被害船が建造されました場合には、これら船員を従前通り乗船させる予定でおります。
  171. 今村等

    今村委員 あの銃撃事件が起った当時は、ビキニ問題で非常に騒がれておったころだと思いますが、船員その他家族は撃沈問題に対処して一体どういう考えを持っておるか、これは東根君あたりわかっておられるだろうと思うのだが、ちょっと承わっておきたいと思います。
  172. 東根三郎

    東根参考人 当時はビキニ問題で世間もやかましいときであり、米国は率直にその補償をなしておるのであります。国家といたしましては丁寧な弔慰あるいは方途を講じられ、また生存船員に対しても十分な治療と慰謝をなされましたことは当然でありまして、相手か米国でありましょうとも、国内でありましょうとも、公海におきまして不法災害をこうむり、しかも撃沈せられるに至りましたことは事実重大でございます。日本人の生命には変りないのであります。従いまして、ビキニ事件に準じました相当な補償がなさるべきものであると、船員一同あるいは遺家族も期待しておるのであります。
  173. 今村等

    今村委員 一応参考人の御意見を伺いましたので、政府に対して質問をいたします。台湾海峡に対する国際法上の解釈は一体どういうふうになっておりますか。また銃撃を受けた場所は東支那海の農林五五四区とかいうところと思いますが、一体どういう考えを持っておられるか。
  174. 園田直

    ○園田政府委員 公海であると解釈しております。
  175. 今村等

    今村委員 台湾海峡に対する中共の態度、国府の態度、この点についてどういうお考えを持っておられるか。
  176. 中川融

    ○中川(融)政府委員 台湾海峡につきまして、ただいま政務次官から御説明されました通り、もちろんここは公海でございます。しかしながら、ここで中共と国民政府との間に戦闘行為が行われておる、あるいは戦闘行為が行われる危険があるということから、国民政府の方ではすでにだいぶ前から、ここら水域全体を一種の軍事水域というふうに指定いたしまして、できればここには入らないでもらいたい、また入った場合危険は入ったところで負担してもらわなければ困るというようなことを申し入れられた事実があるのであります。そういう申し入れに対しまして日本政府は、このような公海の一部を、勝手に入ってはいけない水域であるというふうに断定することは、承服できないとはっきり返答しておるのであります。なお中共の態度でございますが、中共と日本とは国交がない関係上、中共がどのような解釈をこの台湾海峡についてとっているかということは不明でありますが、現実の問題といしたましては、ここ半年くらい前までの間は、ひんぴんとして台湾海峡において、日本の漁船が中共の艦艇に拿捕されたのでありますが、その後御承知のように、民間漁業代表の方々が中共に行かれまして、中共との一種の操業取りきめをされたのであります。その内容等はすでに大体御承知のことと思います。政府としては、中共が台湾海峡にどのような考えを持っているかということは承知していない次第でございます。
  177. 今村等

    今村委員 今の説明によりますと、戦闘区域であるから入るなというようなことが言われておるという。しからばその結果、山田丸その他の漁船に対して、政府は何かの上において注意をされておったかどうか、こういうことが非常に問題になりはしないかと思う。入っていけないというところに山田丸三十一、五十五、大洋丸とたくさんの船が入って操業しておったのでありますから、もしそうだとするならば、政府は、危険区域であるからその漁場に入ってはいけないという一片の警告もしくは注意をされたことがあるか、その点一つ伺っておきたいと思います。
  178. 前谷重夫

    ○前谷政府委員 お答え申し上げます。水産庁といたしましては、この事実を業者の団体を通じまして、操業者に十分注意をするようにということで通知をいたしております。ただ公海の問題でございますので、これに立ち入り禁止とかあるいはそういう立ち入ってはいけないというふうな措置はいたしておりませんが、注意を喚起いたしております。
  179. 今村等

    今村委員 参考人東根君に聞きますが、あなたは山田丸三十一号の漁撈長であったと思うが、そういう何か注意がありましたか。
  180. 東根三郎

    東根参考人 お答えいたします。私が昨年の六月二十日に漁撈長に就職いたしまして、撃沈当時までそういうことは入手いたしておりません。その以前のことは私としても、責任上存じておりません。
  181. 今村等

    今村委員 それでは政府はこれに対して今までどういう態度をもって臨まれたかということと、それから現在相手国船がどこの国かわからない。怪船であるということをいわれておるのでありますが、しかも東シナ海における状態から見まして、われわれの常識から考えてみますと、日本の船かあるいは中共か、あるいは国府か、韓国か、どの国の船であると考えられるか、その当時の模様からいって、いまだに相手国がわからない。日本山田丸二隻撃沈をしたところの船の国籍が不明であるということは、どうも私どもは合点がいかないのでありますが、この点どういう方法をとっておられるか、承わっておきたいと思います。
  182. 園田直

    ○園田政府委員 向うから危険な区域であるから、立ち入りを遠慮してもらいたいということは、念のために水産庁から通知はしてもらっておりますが、それは危険な地域であるから立ち入らない、また立ち入って事故のあった場合は、損害はこちらが持つということを認めた上の通報ではございません。こちらはそれを拒否しております。が念のためにそういうことがあったからという意味でありまして、法律的にそれを認めておるわけではございません。  なお山田丸遭難者の方々の御報吉をよく聴取をし、及び中国側の怪船の情報とつき合せて、事故地点、その他の状況、または交渉の経緯から見ますと、同日に台北の新聞には、中共船二隻を撃沈したという報道も来ておりますし、中国艦艇の所為に間違いないと私は断定をいたしております。
  183. 今村等

    今村委員 ただいまの政務次官の答弁によりますと、政府はいわゆる台湾の国府の船であるということは間違いない、こういうようにお考えになっておるのですか。
  184. 園田直

    ○園田政府委員 そのように推定いたしております。
  185. 今村等

    今村委員 そういたしますと、台湾政府と今まで本問題についての外交折衝の模様はどういうことになっておるか。その経緯及びそれらの点について、今までの折衝の結果を一つお聞きしたいと思うのであります。
  186. 園田直

    ○園田政府委員 事件発生当日に、在華大使館は、本省の訓令に基きまして、本件に関し、中国側に照会をいたしておりましたところ、十二月一日に外交部から十一月二十二日早朝、大陳島付近で戦闘が行われ、中国軍艦沱江号が国籍不明船二隻を撃沈したことは確実であるが、中国側調査は、日本側情報とは若干の相違——相違ということは、地点が十海里ぐらい違っておると向うは主張しております。時間は台湾時間で四時四十六分、日本時間五時四十六分といっております。しかし時を同じくして、同じ海域に国籍不明の二艦艇が出現した関係上、日本漁船が国府艦艇の砲弾の飛沫を受くるに至ったことも、全然可能性なきにはあらずと思われる、しかし暗夜のために、実情は明確になし得ないとの回答があったわけであります。ところがその後、返答はきわめてあいまいでございまして、その後逐次折衝して参りますと、中国艦の所為であると確認できない、こういっておりましたが、最後には、中国艦の所為でないことが明らかである、このように逐次変ってきております。そこで当方では、いかなる理由で中国艦の行為にあらずと断定したのか、具体的に明示し、証拠を出せ、このように迫っております。
  187. 今村等

    今村委員 中国政府が今まではあいまいな返答をしておったが、最後には中国政府の船で撃沈したことはないということを言明したという、ただいまの御答弁のようでありますが、もしさようなことでありますならば、わが国の政府は、これに対してどういう考えと、どういう決意をもって今後の折衝をなさるかということと、それから問題は少くとも漁業関係における責任者が二名銃撃のために即死をしておるのであります。さらに五名の人々が負傷をしておる。ことにこの船は二隻とも撃沈されておる。しかもその撃沈の模様は、この図解から見ますと、単なる間違いでの撃沈であるということにも考えられない。三方面に迂回してきて、悪質なる銃撃を加えて、いわば証拠を隠滅するというやり方であるというふうにわれわれは推定されるのありますが、いずれの国の船か国籍不明である。しかし外務省の当局は、これは中国の船であるという断定をしておられますけれども、今日までその外交折衝の実が上っていない。これに対して一体政府はどいう考えをもって、今後臨まれるかというはっきりした決意を承わりたいと思います。
  188. 園田直

    ○園田政府委員 先ほどお答えいたしました通りに、いろいろな状況から推定をして、中国艦艇が行なった所為であること間違いなく、しかも常識から見ても、これは当然のことと政府は判断をいたしております。従いまして当初から逐次中国側の回答が変ってきてはおりますが、御承知のごとく、これは台湾海峡ばかりでなく、正面から対立をしておる中共やイギリス、あるいはソ連やアメリカとの間にも、このような飛行機撃墜事件やその他の事件がございました。そのような対立した両国間におきましてさえも、こういう事件があった場合には、お互いにその事実を認め、誠意をもってこれに賠償なり謝罪する方法を講じております。ましていわんや、自由主義国家間の相提携していこうとする中国と日本の関係でございますから、この問題の証拠を出せ、いや覚えはないという水かけ論に持っていかれることは、きわめて遺憾でございますから、一方中国に対しては確認を強く迫ると同時に、今の中国と日本との関係からいたしまして、この問題でこのままこれを水かけ論に持っていく、放任されることは、両国間の将来の外交上きわめて憂慣すべき問題であるから、一つ誠意をもってこの問題を、両国の関係を害しないように解決される方が得策であるというような面から、ゆえんを説いて、大所高所から先方の善処を求めるごとく折衝を進めていきたいと考えております。なおまたこの損害等に関しましては、ビキニ被災のときのごとく損害賠償の見通しが大体つきますれば、これは政府といたしましては立てかえ等の方法をもって、国内の遺族の方々や、あるいは損害を受けられた方々には、その補償を早急にやるのが当然と考えておりますので、早急に中国と日本の間に、この問題を誠意をもって解決するという、向うの回答を得るとともに、それについて一つの見通しがつけば外務省の責任ではございませんが、関係各省と連絡をとりまして、そのような方向へ早く進めたいと考えております。
  189. 今村等

    今村委員 もう時間でございますので、あと一つだけお伺いしておきますが、今政務次官の御答弁の中に、非常に含蓄のある内容が含まれておったようであります。私はさような含蓄のある方法を一つ早く講じてもらいたいということを常に考えておるのであります。それで私時間が参りましたので、もっと質問を続けたいと思いますが、私の質問はこれで終ります。時間があまり短か過ぎるけれども、これでがまんします。
  190. 岡田春夫

    ○岡田委員 関連して。今の点よりもちょっとその前の事故の起った場所の問題ですが、これはどういうように解釈したらいいのかという問題になってくるのだが、台湾海峡という公海上において起った。ところがもう一つは、御存じの通りアメリカと国民政府との間に米台防衛条約というのが結ばれておる。この米台防衛条約によると、たしか私の記憶が間違いないとすれば、両国の管轄下における地域における防衛という点が、明文上規定されているように私は記憶しているのであります。そうすると、両国の管轄下における地域における防衛ということになると、この管轄下というのは、当然管轄権下におけるその領海内をさすのであって、公海上の問題はささないと解釈すべきであると私は考えるのだが、この点はどうであるか。この点だけを一つ明確に御答弁願っておきたいと思います。
  191. 園田直

    ○園田政府委員 全くその通りであります。
  192. 岡田春夫

    ○岡田委員 それからもう一つは、これは米台防衛条約の中には、西太平洋地域におけるという言葉が入っております。そうするとここで日本として沖縄の問題になってくるわけです。沖縄の場合においては、これは南方連絡事務局長の照会に対して、外務省の条約局長から、これに対するいわゆる主権の問題について、アメリカは管轄権を持っている、すなわち管轄権というのは、行政、立法、司法という意味の管轄権を持っておる、しかし残存主権としては領土権が日本にあるのであるという意味の正式な文書によるところの回答がありました。そこでそれじゃ残存主権として領土権があるならば、それに基いた水域の領海権というものが日本に残存主権としてあるものかどうか、この点はどのように解すべきであるか。従ってもしそれでは残在主権として領海権が認められているものとするならば、その地域の中に、たとえば日本の漁船が魚をとりに行くということになってくると、これはもう明らかこ日本政府自身の問題になってくるわけですが、この点はどういう関係になってくるのか、この点をもう一点承わっておきたいと思います。
  193. 中川融

    ○中川(融)政府委員 沖縄につきまして残存主権があるというこの法律的解釈を日本政府はとっておるのであります。その点はアメリカも同意しておるのであります。その残存主権なるものが領海の水域を含んでおる、こう解釈するのが当然だろうと思います。しかしながらその領海の水域は、領土つまり琉球島等と同じようにアメリカが平和条約によりまして施政を行なっておるのであります。その管轄内にあります日本の漁船は、やはりアメリカのもとにある琉球政府の当局というものの承認を必要とすると思います。
  194. 田口長治郎

    ○田口委員 先ほどから園田政務次官のお話を伺っておりますと、事件発生当時におきましては、大体おれの方の艦艇の行為のようだということであったのが、中途ではどうもそれがはっきりしなくなった。最近では、うちの方の艦船の行為でない、かようなことに先方が変化をしておる。これはまことに心細い話でございました。経過の途中におきましてだんだん反対の方向にいくということは、園田政務次官はともかくといたしまして、外務省あるいは出先官憲におきまして、事実の実体をはっきりと信念的に持っておらない、かようなことから折衝も漸次こっちの方から押されてきているのじゃないか、かような感じを持つのでございます。かような意味から申しまして、私はこの問題を台湾政府に認めさせるには、外務省と出先官憲が、確かに台湾政府の艦艇である、かような信念を持ってもらうことが、まず第一の解決策でないかと思うのであります。先ほど中川局長は、不用意だと思うのでございますが、ここ半年以内には中共の船に日本の漁船が拿捕されておった、こういうような発言をされたようでございますが、この事件が起りました昨年の十一月二十二、三日ごろの日中の環境を一つ認識をしてもらわなければならないと思うのであります。私は衆議院、参議院の議員団の一員といたしまして、九月二十七日に東京を飛行機で立って中国でこの漁業問題を折衝しておりました。十月十四日に周恩来総理と会いまして、そうして漁業問題については何とか早く解決をしたいと思う。この問題の解決がおくれるというのは、ひとり日本人ばかりでなしに、中国のためにも非常に悪いと思う。自分は責任をもってこの問題を解決いたします。ただし日中の関係は政府と政府が折衝するわけにいかないから、民間団体に来てもらって、それと話し合って一つ解決しようと思うということでありました。そこで日本側といたしましては、十一月の下旬に日本から民間団体を呼んでくれ、こういう主張をいたしました。ところが、十一月の下旬と日にちを切ると約束を違えるかもしれないから、年内に呼ぶということで御了承を願えないか、こういうお話でございましたから、それでけっこうでございます、こういうような折衝をいたしました。そうして抑留しておる船員、拿捕しておる漁船を十一月の二日と三日に日本に返して参りました。それでずっと拿捕問題が続いておったのでございますが、私どもが先方に行きまして折衝し出して以来というものは、一隻も拿捕しない、かような実情であったのでございますから、私はその当時の日中の環境から申しまして、山田丸を撃沈した船は、中共の船でなしに台湾の船である、その環境からも私はさような断定をするものでございますが、この点について外務省はどうお考えになっておりますか。
  195. 園田直

    ○園田政府委員 少くとも本件に関しましては、中共の艦艇と誤認することは全然ございません。外務省は中国の艦艇であるということははっきり推定をいたしております。それにつきましては、一月の十一日この事件が起りましてから、外務省といたしましては、まず事実の究明が一番大事な問題でございますから、遭難者の方々やその他の資料を集めて、約一カ月にわたって事実の審理並びに究明をいたしまして、はっきりした推定と理由のもとに中国に折衝を始めたわけでございます。従いましてその経過中におきまして、当初、中国の軍艦が中共の船二隻を沈めたからその飛沫を受けたかもしれないというのが、次には、国籍不明の船二隻を沈めたということになり、最後には、向うは問い詰められて、地域が十二海里くらい違うからそれは違う事件と考える、こう言い張った際におきましても、具体的例をあげて、一月十一日にアジア局長は、向うの意向を聴取をして事件発生の時刻は一致しておる、しかも中国の軍艦は午前四時三十分に右地点に国籍不明の船を発見して、同四時四十分砲撃を開始したとあり、その間十六分間を経過しておるが、十六分間には四、五海里を航行するものと認められるからして、日本側の言っておる地点と中国側の国籍不明の二隻を沈めたという地点は、事実上においては十二海里の差異ではなくて、砲撃のための航行の距離を考えるとわずかな差であって、同一地点に二つの事件が起ったとは思われない、しかも、もしかりにわずか五海里か七海里の間に事件があったとすれば、遭難者の諸君は別に砲声を聞くか閃光を見たはずだ、こういう証拠からしても、断じてこれはほかにあったのではなくて、中国の軍艦が日本の船を沈めたのではないか、こういうふうに、事実の究明に従って逐次具体的な証拠をとらえて向うに迫っておるわけでございます。そうしてくると、向うは今度は危険な区域であって、これには責任はとらない、日本の漁船が危険を冒して来たのであるから、もしそれが事実だとすると、それが日本の漁船が責任をとるべきだ、こういうことを言ってきておりますから、しかし、それはこちらも聞いたけれども、正当なものとして受け入れていない、従って日本の漁船には責任はない、このように、実は逐次具体的事実をとらえて折衝しておるわけでございます。さらに折衝の結果、その他の損害等につきましては、折衝中のことでございますから、それよりさらに詳細に申し上げることは差し控えますが、事実の推定は断じて間違いじゃないばかりでなく、外務省としてはこの件だけは、中共軍艦がやったかもしれぬとか、あるいは他の艦艇がやったかもしれぬとか、そのような想像は一切いたしておりません。中国軍艦の所為に間違いなしと断定をいたしております。
  196. 松岡駒吉

    ○松岡(駒)委員 先ほどの答弁に関連して……。今村君の質問に対して政務次官は、賠償の交渉についての見通しがつけば先渡し金云々という話があったわけです。国は国民の生命、財産が、いずれの国からにせよ不法に侵された場合において、これを十分に保護をしなければならない責任があるわけです。従いまして、相手国が金持ちで金払いがいいであろうとか、あるいは賠償の大体の見通しがついた結果ということによって、このことを処理さるべき性質のものではなくて、外交交渉が長引いてその間国民の命を失ったり負傷をしたり、船舶、漁網を失ったり何かしたその損害からくる苦痛を見過ごしておくということは、はなはだもって承服のできないことであります。従いましてこの賠償の見通しのつくつかないにかかわらず、外務省並びに農林当局は、この被害者のために直ちに救済の道を講ぜられることは当然であると思うが、これに対する御見解を聞きたいのであります。
  197. 園田直

    ○園田政府委員 先ほどの答弁に御注意を受けましたが、損害賠償の額あるいは見通し等がついてから先渡し払いをするというのは少し言い方が間違いでございました。理論としては今おっしゃる通りでございます。ただ外務省としての仕事の種類からいたしますと、御承知の通りにそういう遭難の被害あるいはその他の補償等は、保険金以外は別個に政府が予算の費目を作らなければなりません。従いまして外務省として関係各省に折衝する場合には、少くとも、額は別として、これは確実に支払うと認めた、間違いないという通報をすることのみが、外務省としては許されたことでございますので、あまり事務的に考えまして、見通しがついたならばと申し上げましたが、その点は御指摘の通りでございますから、各省とも十分相談をいたしまして、これについての検討をいたしたいと存じます。
  198. 松岡駒吉

    ○松岡(駒)委員 なおこの機会に農林当局の政府委員の御答弁を願います。
  199. 前谷重夫

    ○前谷政府委員 本件につきましは被害者の方々には非常にお気の毒と思います。われわれといたしましては、沈没船舶につきましては漁船保険のもとで処置をいたしたわけでありまして、千七百万円ほどの支払いをいたしました。なお被災されました船員の方につきましては、船員の保険、これは厚生省で所管いたしておりますが、そちらの方で治療その他の手当をいたしておるわけであります。ただその額についてはあるいは御満足がいく額でないかもしれませんが、そういうことをいたしております。同時に被害の船の代船につきましては、水害庁といたしまして許可をいたすつもりでございます。これの金融上につきましてはいろいろあっせんいたしているわけでありますが、農林漁業金融公庫は現在は所有船舶一千トン以下の場合にそれを対象とすることにいたしておりますので、山田さんの場合は所有船舶が一千トン以上になりまして、この対象になりませんので、長期金融機関等に対しまして融資のあっせんをいたしておるわけであります。
  200. 田口長治郎

    ○田口委員 私はどうも問題が反対の方向に行きつつある実情から申しまして、実体を政府が認識される点が薄いからさような結果が来たのじゃないか、こういうような質問をしたのでございますが、政府はしっかりと実体をつかんでいる、そうして折衝しているという話でございますが、実体をつかんで折衝されて、どうも問題が反対の方にぼける、その点か了解に苦しむわけでありますが、一体進みつつあるのか後退しつつあるのか、その点をはっきりしてもらいたい。
  201. 中川融

    ○中川(融)政府委員 御指摘のように、先方の回答が漸次回避的といいますか、初めは相当正直な回答を非公式ではありますがしておりましたが、漸次回避的、責任転換的な回答になってきたことは事実でありまして、この点はわれわれとしてある意味で不可解に思っているのであります。しかし考えようによりますと、結局いろいろのその証拠書類をこちらから提出しまして問い詰めます結果として、初めの言い分ではだんだん危なくなって、むしろ責任回避的な、相当理屈に合わぬことを言い出してきておるというようにも考えられますので、なお今後さらに先ほど政務次官の申しましたような大局的見地からこれを説得することによって、何らかこれを解決できるのではないか、またそういうふうに解決すべきであると考えて、努力いたしておるのでございます。
  202. 田口長治郎

    ○田口委員 政府が、国民政府の艦船に相違ない、こう断定されて先方に主張される資料としてはどういうことで主張しておるわけなのですか。
  203. 中川融

    ○中川(融)政府委員 この点も先ほど政務次官から大要御説明いたしたところでございますが、要するに先方の調査とこちらの調査とほとんどその事実が違っていないのであります、同じ日の同じ時刻に、大体同じ地域におきまして——先方の言います事件発生場所とこちらの調査いたしましたところでは十二海里くらいの差があるのでありますが、それも発見後十五分ほどたちまして砲撃を開始したということから、さらに数マイルを短縮できると考えますので、ほとんど七マイルぐらいの差でございます。そのようなところで事件の起きたことは先方も認めておるのであります。しかし先方はそれを、中共の船を撃沈したのだというふうに主張しておるのであります。従って同じ時刻にほとんど同じところで、二つの非常に似た事件が起きておるということは動かし得ない事実であるのでありまして、このような二つの相似た事件が、全然同じ場所において、同じ時刻に起るわけがないじゃないか、それはやはり起きた地点等についての測量の誤まりがあるのじゃないかということは、どうしてもあり得るわけであります。ことにそれは向うから見れば戦闘行為であります。戦闘行為のような際には、どうしてもやはり興奮等をいたしまして、測定に誤まりが起るということは、これは無理からぬことと思います。さようなことから、事件は結局一つの事件にほかならないのではないか、そう考えるより解釈のしようがないのじゃないか。一つの事件とすれば、それは先方は中共の護送船団を砲撃したのだ、戦闘行為を行なったのだというのでありますが、事実は日本の漁船を砲撃して沈めたのだという結論になるのではないか、こういう論法をもって私らは先方と折衝と申しますか説得をしてみたのであります。その説得に対しまして、最初の一回は先方も詳細な事実を回答してきたのでありますが、その後は国民政府の船と断定する根拠はないというような回答でありました。あるいはさらに最近の回答では、すでに国民政府の船が砲撃したのではないことは明らかであるという断定的な、一方的な、恣意的な回答を簡単にしているだけで、詳細な証拠をもってこれを論証するということはしてこないのであります。こういう点におきまして、一見話が遠のいておるようでありますが現実においては先方も日本側の主張というものに根拠があることを認めざるを得なくなってきておるのであります。従いまして、そういう回避的な回答をしてきておるのではないか、かように考えておるわけであります。
  204. 田口長治郎

    ○田口委員 午前中の参考人の話を聞きますと、第三十二、第三十一の山田丸を砲撃した艦船が、砲撃を終って西の方に航海をした、こういうことを参考人は申しております。西の方は、下大陳島にいたしましても、あの付近の島は全部台湾政府管轄のときでございますから、その台湾政府管轄の方向に、その艦船がもし中共の船であれば進むはずがないのでありますから、この西の方に進んだという一事をもってしても、明らかに私どもは台湾の艦船であると思う。また今までの調査したところによりますと、この砲撃を受けながら、おぼろげながら見た船員がその記憶をたどって、どういう船の型であったろうかということを絵に書かせてみますと、ちょうどその船が台湾にあるPC型の船と同じもので、そういう点が一致するということ、あるいは外務省で主張しておられますところの同場所において同時刻に事件が起ったという問題、あるいは先ほど政務次官が言われました二十三日、あの当時の日中の関係、こういう点から考えまして、外務省がお考えになっておる台湾政府の艦船に間違いがないというこの御信念には、一つもゆるぐところがないと思うのでございまして、これは中川局長ばかりではなしに、出先官憲にもその信念を一つ移していただきまして、問題の逆行していることはなはだしいのでありますから、一日も早くこの問題を解決される、かようなことで一つ進んでいただきたいのであります。事件が起ってもう十カ月になっております。問題は、私どもからすると非常に簡単な問題である、こう考えておる。そこでこの問題が、十カ月たってなおあとずさりしておる、逆行しておる、こういうことを聞いて、まことに心外に存ずるのでございます。この点はいま一つネジを巻かれてなるべく早く、年内には、いわゆる十二月までには片づける、かようなことで一つ馬力をかけていただくことをお願いたしまして私の質問を終ります。
  205. 木原津與志

    ○木原委員 政府当局にお尋ねいたしますが、公海で自由操業中に第三国から不法な行為を行われた場合、相手国から損害賠償を取るよりほかに国としての損害を補償する措置というのは、法律上は何もないのですか。
  206. 中川融

    ○中川(融)政府委員 外国の政府の艦船あるいは外国の国民の所有しておる船等によりまして、日本の船が公海で被害を受けたという場合においては、外交交渉によってその損害の補償を、求めるということが通例でございますが、これがどうしても片づかない場合には、国際司法裁判所に提訴するという道も可能であると考えます。もっとも本件につきましては、先ほどから申します通りに、国民政府側はそれが国民政府の船であったということの認識を拒否しておる段階でございますので、国際司法裁判所の提訴等には応じないのではないかと思いますが、しかし一般の原則論としては国際司法裁判所等の問題も残されておるわけでございます。
  207. 木原津與志

    ○木原委員 台湾政権というのは、御承知のようにこれは敗戦政権です。いつつぶれるかわからない。おそらく今年一ぱい持つか来年一ぱい持つかわからないし、これは独立国家としての外交交渉の相手になる国じゃないのです。中共から一発食らえば立ちどころに併合されてしまう国なんですよ。こういうものとあなた方とがこれから幾ら外交交渉をしても、おそらくこれはにっちもさっちも行かなくなるという見通しが多いと思うし、その間操業中に受けた人命の被害あるいは漁船の被害の補償というものを、こういう泡沫政権から取ってやるというような交渉を、あなた方が本気で考えておられるということはナンセンスなんですよ。ほんとうに国民の被害ということを真剣に考えるならば、もう少しあなた方は真剣にこの問題に取り組んでほしいのです。国家補償の道がないという今のお話の趣旨でありますが、同じく公海の被害だと思うのだが、あのビキニ環礁の水爆の実験で被害を受けた焼津の漁民の人、あれはビキニ環礁を八十マイル隔ったところで漁撈に従事しておって、灰をかぶって、ああいった状態になった方なのです。今度の山田丸の被害者も、公海上受けた被害としては、同じ性格のものだと思う。ところが、ビキニ環礁のあの被害者に対しては、アメリカの損害賠償もあり、国家としても遺族その他に対して補償があったのだが、あの補償はどういう法的根拠に基いて補償をされたのか、その点お伺いしたい。
  208. 中川融

    ○中川(融)政府委員 アメリカの原爆実験により、ビキニ環礁における日本船の被害及びそれに基くいろいろの海産物等の汚染による日本の業界あるいは漁民の方々の被害について補償措置が行われましたが、これはアメリカとの外交折衝で二百万ドルの補償金をとったのであります。その二百万ドルを分配することによって、補償措置が行われたのであります。それ以外の措置としては、たとえば融資であるとか、あるいはその他政府の通例の方法をもって行われる限度においても援護措置がとられましたが、補償という形でのものは、結局アメリカの金をしかるべく分配したということになっております。もっともアメリカとの交渉は七、八カ月かかりましたが、それまでの間にどうしても急を要するものについては、内払いということで、国が直接金を出したことはございますが、それも内払いでありまして、結局その補償金からそれが償われたことになっております。
  209. 植原悦二郎

    植原委員長 木原君、時間もかなり迫りましたし、遠くからおいでになっている方も、ずいぶん御退屈ですから、あなたの御議論は除いて、要点だけの質問を願います。
  210. 木原津與志

    ○木原委員 承知しました。ビキニの補償に対する前渡しはやったのだ、その他政府として弔慰金あるいは損害に対する融資の措置を直ちにとった、こう言われました。そうでしょう。
  211. 中川融

    ○中川(融)政府委員 その中の弔慰金というのは、政府の弔慰金ではないのでありまして、アメリカ大使が弔慰金を出したことは事実であります。日本政府からは弔慰金として出たものはないのであります。
  212. 木原津與志

    ○木原委員 融資にいたしましても、とにかくアメリカからの補償金を引き当てにして、政府がいろいろな措置をとってやった。本件の場合においては、何カ月もたつのに、なぜあなた方はそういう措置をとってやろうとしないのか、その理由をお聞きしたい。
  213. 前谷重夫

    ○前谷政府委員 本件については、先ほど申し上げたように、われわれとしては、現在の制度でございます漁船保険、船員保険の方で処置いたしますと同時に、代船建造については、融資のあっせんをいたしております。ただビキニと異なりますのは、ビキニの場合においては、最終金額はきまりませんが、向うの方において賠償責任を認めておりまして、ある程度の数字が出ておったのであります。従いまして、その範囲内において財政当局と協議をいたしまして、内払ひ、融資等の措置をとったわけでございます。
  214. 木原津與志

    ○木原委員 保険で措置をとったということを言われますが、保険は国家の金ではないですよ。あなたは何ということを言うか。自分たちが積み立てた金ではありませんか。こんなので補償をされるのは当りまえである。こういう補償を受けるために金を積み立てているのじゃないですか。業者が積み立てているのでしょう。その金でやるのは当りまえなんです。国家がやった金ではない。あなたは今大ぎょうに漁船保険で払ったと言われるが、漁船保険というのは、みな業者が積み立てた金じゃないか。国家がやる恩恵の金じゃない。こういったようなことでなく、ほんとうに困っている漁業家、あるいは人命を失った者、傷害を受けた者に、国家がなぜ立てかえ払いをしてでもやらないか。アメリカがやった不法行為に対しては立てかえるが、台湾がやったものには立てかえをしない。融資もしない。国家としては何にもやらないのだ。向うから賠償が来たときだけしかやらないのだという根拠はどこにあるか。それを聞きたい。今日まであなた方黙ってほったらかしているが、一体どうするつもりか。目も当てられないじゃないか。保険などという大きなことを言うものじゃない。保険は国がかけているのではない。保険は自分たちがかけている金じゃないか。そんな言い分では、泣こうにも泣けないじゃないか。台湾はいつ死ぬかわからぬようなぼろくそ政権だろう。これに命は落され、漁船が沈められて、一体どこに立つ瀬がある。こういうのに対して、国家が融資の措置をするなり、弔慰金をやって慰めるなりするところに、国家の意義があるのじゃないか。こんなことをせぬで、あなた方が積み立てた保険で何とかやってくれというなら、国家の意味はないじゃないか、そこのところを聞きたい。
  215. 前谷重夫

    ○前谷政府委員 現在の状態におきましては、先ほども申し上げましたように外交交渉を進めていただきまして、先方と金額等についてのまとまりがつきませんでも、ある程度の見通しができればわれわれとしてはできる限り内払い等の措置を講じたい、こういうつもりでいろいろ外交交渉をお願いしているのでありまして、ビキニの場合におきましても、その段階においてそういう措置をとったのでございまして、被害者の方には非常にお気の毒でございますが、その他の面における代船建造の融資等については、いろいろ処置をしております。
  216. 木原津與志

    ○木原委員 代船建造の融資については今後努力をするという確約がありましたから、それを信頼いたしまして、一日も早く本件の解決を願うのであります。さらにまた損害賠償の見通しがついてから補償措置を講ずるというような残酷なことを言わないで、相手方の台湾はぐれんたいと同じで、一人前の国じゃない。ルンペンなんだ。こういうものを相手にした交渉の成功を待つということでなく、すみやかに被害補償の措置を講じていただくようお願いしておきます。
  217. 植原悦二郎

    植原委員長 これにて山田丸被災事件に関する質疑は終りました。次に北鮮への帰国希望者に関する問題について質疑を許します。細迫兼光君。
  218. 細迫兼光

    細迫委員 参考人にお尋ねをいたします。さっきのお話で、帰りたいと思っていろいろ外務省にもお願いをしたが、どうも帰られないというお話がありました。外務省へいろいろお願いをしたという手続を、具体的に一つ私どもにお話願いたい。いつごろ、どういう手続を、どこにお願いしたのか。
  219. 洪登

    ○洪参考人 実は一昨年の五月ごろから外務省へ参りまして、最初は私たちは帰りたいけれども、帰る方法を何とか講じてもらえぬだろうかという話で、代表団が五人ほど参りまして、係官の方に会っていろいろと話を聞いて参りました。外務省のアジア局第五課でございます。その次は東京で全国の朝鮮人の科学者、技術者が集まる機会がございました。昨年の七月でありましたか、八月でありましたか、ちょっと記憶がはっきりいたしませんけれども、そのときにその会合の決議をもちまして要請分を書いて、やはり外務省に参って、一日も早く私たちが帰れるように取り計らっていただきたいという決議文をお渡しし、なおかつお願いをいたしました。そのためにアジア局長に面会を申し入れましたけれども、ついに一度もアジア局長にはお目にかかることができなかったのであります。本年に入りまして、引き続き二回ほど外務省の方に参りまして、私たちの意のあるところを伝えたのであります。最初は私たちが往来できる自由を与えてくれ、私たちは祖国に父母兄弟を置きまして、何十年となしこちらにいるので、一度向うに行ってきたい。あるいは祖国の建設事業に参加して、また帰って研究を継続したいということを伝えましたところが、それはなかなかむずかしいだろう、帰るだけなら何とかなるだろうという話を聞いたこともありました。帰るにはどうしたらいいのかという話を聞きましたところ、やはり集団的ではまずい、集団的に帰るといろいろ支障がある。いろいろ支障がある理由は何かということを私の方で重ねて聞きましたら、一つ韓国に対する政治的考慮だそうです。二つ目は直接北鮮に通ずる便がないということ。この二つの理由で、私たちは何ともいたしょうがない、帰す方法を講ずることができない、ざっとこういうことなのであります。
  220. 細迫兼光

    細迫委員 そういう話のいきさつから見ましても、問題は帰ってまた来るということにも触れるのでありますが、現在あなた方が希望しておられることは、帰りきりでもいいのですか。また日本に来るという希望を含めて朝鮮へ行くということを望んでおるのですか。
  221. 洪登

    ○洪参考人 希望としては二つあります。一度向うへ帰って、向うの様子を見て、墓参をするとか、あるいは個人的ないろいろな事情がありましたりして、とにかくもう一度日本に帰りたい。御承知だと思いますけれども、日本にいる朝鮮人の家庭事情というのは非常に複雑になっております。日本の女性を夫人として迎えている人がだいぶんおります。こうした方たちは、帰りきりということはなかなかむずかしい問題もあるわけです。それがどうしてもできないというなら、帰りきりでも帰りたいという希望を持っている人たちもいるわけです。行ってきたいという希望者と、それから行ききりでもいいからとにかく帰りたい、帰るという希望者と行ってきたいという希望者と二色であります。
  222. 細迫兼光

    細迫委員 今私の手元にあなたの方から帰りたいという人の名簿が参っておりますが、これによりますと、二百二十一人あるようです。これを御存じかどうか知らぬが、この二百二十一の人はやはり帰りきりでもいいという人ですか。これを見たことがありますか。
  223. 洪登

    ○洪参考人 よく見ておりませんからどうか——具体的な内容についてはわかりません。
  224. 細迫兼光

    細迫委員 アジア局長に伺います。今お聞きのような状態でありますが、今話されました交渉経過、陳情経過、外務省の態度等については間違いございません。
  225. 中川融

    ○中川(融)政府委員 ただいま参考人の方から御説明のありましたような経緯は、私もよく承知しております。北鮮へ帰りたい。初めのうちはたしか、行って帰ってきたいという御要望もありましたし、その後は行ききりでいいから、しかし政府の仕立てる船か何か、要するに政府の便をもって帰りたいというお話がありました。いずれにいたしましても、政府がそういう道を講ずることはむずかしいということをお答えした。私が直接お会いしたこともあります。私が会いませんで係の者が会って、そういうような回答をしたことも私記憶いたしております。
  226. 細迫兼光

    細迫委員 速記録を調べてみないとはっきりしないが、私この前ちょっとこの問題に触れたとき、外務省の御答弁としては、船はこちらから仕立ててもよろしいが、朝鮮の方で受け入れ態勢ができていない、港へ入ることもできるかどうかわからないという事情で困っているのだというようなことを聞いた記憶があるのです。これは委員会でなく、あるいは外務省に直接行っての個人的なお話だったかもしれない。しかし事情は今日変ってきておるわけでありまして、本人の希望は、お聞きの通り、帰りきりでもよろしいということ、及びこの港に日本船が入ることを容認するという北鮮政府の声明もございます。これは先からの話で、韓国との外交関係に及ぼす影響というようなことで、北朝鮮にははれものにさわるような外務省の態度でありますが、しかしこれはそういう政治問題、外交問題とは変りまして、全くの人道問題であると解釈すべき問題であります。でありますから、今日としては別な考えができ上っておっていいではないかと思うのです。すなわち日本で船を仕立てるというくらいのことは、これは直ちにでき得る手段であると思います。今日として何らか従来の御方針と変った態度が、外務省に出てはいないか、その点をお尋ねをいたします。
  227. 中川融

    ○中川(融)政府委員 日本に在留しておられる朝鮮の方々のうちで、これは私どもから見まして、いつも非常に困難性が出て参りますことは、今日本に来ております朝鮮の代表といたしましては、韓国の代表部があるのでございますが、韓国の代表部を通じましていわば成規の手続によってお帰りになるということであれば、これは何ら支障はないのであります。ところがやはりそういう手続によらずして、直接三十八度線以北に帰りたいという御希望があるので、非常に事がむずかしくなるのでありますが、その場合につきましても、われわれとしては、日本から出国される自由を奪うということはよくない、かように考えております。従って何らかの方法によりまして、直接故国にお帰りになることを差しとめる気は政府としてもない。その場合には入国管理局におきまして、しかるべき方法によりまして、出国を認めるという手はずになっておるのであります。しかしながら日本政府が援助をいたしまして、たとえば船を仕立てるというようなことでそれに乗っていただいて帰るということは、やはり韓国との関係というようなこともありまして、この際とるべきでない、かように考えておるのであります。
  228. 細迫兼光

    細迫委員 私うっかりしておりましたが、今のお答えによると、韓国の代表部を通ずる正式な手続によれば何ら差しつかえない、こういうお話でありましたが、韓国政府なるものは、昔の朝鮮半島全体の正式な政府として認めておるのでございますか、どういうことになっておりますか。
  229. 中川融

    ○中川(融)政府委員 私どもは韓国政府を正式に認めるというところまでは至っていないのでございますが、事実上の問題として韓国代表部がここにあって、そして韓国関係の仕事をすることを認めておるのであります。なおこの韓国政府自体の性格といたしましては、現在のところは三十八度線以南の地域に対し施政を行う政府ということで各国が認めておるのでございます。
  230. 細迫兼光

    細迫委員 たしかそうだったと思うのに、韓国政府の正式な手続によれば云々というお話がありました。私がここに問題を出しておるのは、北朝鮮人民共和国に帰ることを話しておるのであります。何か韓国政府というお言葉が突如出てきたような気持がいたして不思議に思ったのであります。その点御混同なさらないでお答えになりましても、やはり北鮮に帰るのには、韓国政府の手続を経ることが絶対条件ですか。
  231. 中川融

    ○中川(融)政府委員 政府としてまだ決定していないのであります。日本政府といたしましては、日本に在住している朝鮮出身の方々は、今のところは事実上外国人として待遇いたしております。これらの方々が果して韓国籍を持っておられるかどうかということについては、まだ韓国側と正式な話し合いはないのであります。韓国政府自体としては、日本におられる朝鮮人の方々に対して、自分らが管轄権ありという解釈をとっておると聞いておるのであります。従って韓国政府の認める手続によって帰られるということであれば、これはきわめて話が簡単でスムーズにいく、かような意味を申したのであります。
  232. 細迫兼光

    細迫委員 どうも非常に親切味のないお話でありまして、帰りたい先は北鮮なのです。だから三十八度線以南を支配する政府の手を通じてということは、具体的事情において不可能なのです。事は人道問題ですよ。そういう意味でお話をしておるのであります。国籍問題など重箱のすみをつつくような法律論をもって答えておられましたが、直接には入国管理局の管轄事項でありましょうが、あれは確かに外国人登録において韓国籍あるいは北鮮籍をそれぞれ認めていると言われるが、とにかく書いたものを本人の申請の通りに受け付けておられるのが事実だと思う。それをそのまま自然に日本の政府機関が認めておると客観的に見なければならぬ。だから国籍云々というような重箱のすみをつつくようなかた苦しい法律論を持ってくる必要はないと思う。これは便宜に解釈すればいいのでありまして、根本的にはあくまでも人道問題でありますから、この希望を実現さすことは日本の平和的人道的な考えを世界に現わすよい機会ですらあると思うのであります。政府が直接手を染めることが望ましくないというならば、あるいは民間の赤十字をお頼みするということも考えられないこともありませんが、そういうような手段をとる場合にも、今のかた苦しい法律論を振り回して、事実上できないような態度をとられるつもりでありましようか。決定的な政策面としてのお答えは不可能かもしれませんが、あなたたちのお答えできる範囲で御説明願うと仕合せです。
  233. 中川融

    ○中川(融)政府委員 政府が直接関係しないで、たとえば日本赤十字社というような民間の団体にやってもらったらどうかという点でございますが、これにつきましては政府としては、実際問題として果してそのような方法が可能であるかどうかということも研究しなければならないと思います。たとえば御承知のような李ラインというものがありまして、また李ライン外におきましても韓国の艦船はいろいろ動いておるのであります。韓国側の考え方というものをわれわれが間接に聞くところでは、北鮮に入るということは北鮮の戦力を増強することであるというふうな解釈をとっておるそうであります。従って法律的根拠いかんは別といたしまして、日本側の船をつかまえまして、北鮮へ帰られる人たち韓国の方で抑留するというような事態も考えられないことはないのでありまして、なお日本の船自体の安全ということも考えなければならない。そういたしますと、どうも船を仕立てて北鮮の方へ直接お返しするという方法は、事実問題としても故障が相当出てくるのではないか、またこれを回避するとすれば、韓国政府と話し合いをした上で処置しなければならぬわけであります。見直しといたしまして韓国政府の態度がこのような態度でありますれば、この話し合いに応ずるということはとうてい考えられないのでありまして、いろいろな事情から赤十字社がやるのでありましても、船を直接仕立てて大量にお返しするという方法は安全な方法ではない、かように考えております。
  234. 細迫兼光

    細迫委員 御答弁によりましても端から問題が生ずるのでありまして、いろいろとお尋ねしておきたいことがありますが、他の諸君もお待ちかねでありますから、一つだけお尋ねすることにとどめておきたいと思います。お話によりますれば、そういう実情によるわけでありまして、法律上からいたしますれば、さきのお話の経過では集団的な帰国は困るというのでありますが、集団的にも個人的にも法律上区別はないはずだと思います。それから今国籍云々と申されましたが、これもどうも確固たる法律的理由があるとは考えられないのであります。いわんや人道問題でありますから、一にかかって入国管理局方面の、すなわち政府の出国を許すか許さぬかということによって、法律上の問題は解決するというふうに、結論的に私どもは考えるのであります。絶対法律上不可能だということはない、こう理解していいのじゃないか。残るところはただ事実上の問題、韓国の存在とかなんとかいうような事実上の問題もある、こういうふうに理解して間違いないのではないかと思うのでありますが、それでけっこうでしょうか。
  235. 中川融

    ○中川(融)政府委員 法律上の問題としては、日本は主権国でございますから、日本内に居住しておる外国の方が日本を出国するというのを拒否すべき理由は何もないのでありますから、日本を出たいという方には、当然それは許すのがもちろん日本政府のとるべき態度でございます。またその態度は日本政府としてもとっておるのであります。しかしそれに政府として直接間接に援助を与えるということはこの際とるべきではない、もっぱら政治的観点からさような考え方をとっておるのであります。
  236. 植原悦二郎

    植原委員長 岡田春夫君。
  237. 岡田春夫

    ○岡田委員 まず参考人の洪さんに伺いたいと思うのですが、洪さんは技術者というお話ですが、どういう関係の技術でございますか、この点から伺いたいと思います。
  238. 洪登

    ○洪参考人 日本の大学で航空工学をやりまして、今応用数学をやっております。
  239. 岡田春夫

    ○岡田委員 現在御就職中なのですか。
  240. 洪登

    ○洪参考人 現在は大日本自然科学技術者協会長をやっております。
  241. 岡田春夫

    ○岡田委員 参考人の尹さんにお伺いしたいのですが、あなたは非常に生活に困っておいでになるというお話でありましたが、現在どちらかに御就職になっておりますか。
  242. 尹錫礼

    ○尹参考人 先ほどもちょっとお話しましたように、私はいろいろと内職しながら二年間生活して参りました。その間苦労でからだが弱くなりました。それで力の要る仕事ができなくなりましたので、現在編みものの内職を少しずつしながら生活保護をしていただいております。三人の子供を連れてどうしても生活が苦しくて……。来年になると子供が新制中学を出ますもので生活保養を打ち切られる、それをいただいてさえ八千幾らで生活はとてもできないので、何とかして一日も早く向うへ帰りたいと思います。
  243. 岡田春夫

    ○岡田委員 これは参考人のお二方どちらでもけっこうです、まあ洪さんにお答えを願った方がいいと思います。今の尹さんのように非常に生活に困っておられるという場合があるのですが、われわれの方で調べておる範囲においては、在日の朝鮮人の方で生活に困っておられる方は、大体九割以上だとわれわれは聞いておるのですが、そういう状態でありますかどうですか。
  244. 洪登

    ○洪参考人 私の知っておる範囲ではおそらくその通りだと思います。私たち科学技術者協会は朝鮮人の生活状態を学生と一緒になりまして調査したことがあります。昨年立川の昭和町におります朝鮮人の生活の実態調査をしました。一昨々年は枝川町における朝鮮人の生活状態を調査したことがあります。立川の状態を申し上げますと、あそこに戦争中に強制徴用として立川の飛行場建設に連れでこられた朝鮮人が、現在バラックの中に約五百人ほど住んでおります。その人たちは現在全然職業がなくて、日雇い——いわゆる職安に通っておる者がその中の約三割程度、それ以外は表向き古物商でありますが、鉄やくずを拾って生計を立てておるような状態であります。その中で特徴的な一つの家族は、自分は運転手をしておりましてからだをこわしまして、私たちが実態調査におもむいたとき真冬でありましたのに、部屋は三畳間で、畳は文字通りわら一枚、子供が一人おりまして、ふとんは綿だけ残ったふとん一枚、奥さんは日本の方でありますが、日雇いで、やっと生活を立てていたというのが現状であります。もう一軒はやはり奥さんが日本の方で、主人が働いておるのですが、私たちが非常に感激したのは——これは直接関係のないことであるかもしれませんけれども、とにかく簡単にかいつまんで申し上げますと、非常な生活の困窮の中から、彼は日本の女性である御夫人の家族の生活を見ておりました。兄弟が大へん多いのですけれども、将来たよりになるのは朝鮮人であるこの婿しかたよりにならないというようなことを言っておりました。とにかくそういう状態でありまして、非常に貧困でありますけれども、その中では具体的に日本人と朝鮮人の友好とか親睦とかいうことは、生活を通じてやっておられるように見受けます。そのおじいさんたちが何とか娘、婿たちをできれば朝鮮に帰していただけないかというような御相談を受けたことがあります。こういうような事情を御推察いただきましても、ちょっと筆舌に尽しがたい生活困難の中にあるということが、わかっていただけると思います。
  245. 岡田春夫

    ○岡田委員 先ほどの尹さんのお話を伺っても、それから今のお話を伺いましても、早く祖国にお帰りになりたいということは、日本では現在生活ができない、自分の国へ帰るならば、向うの国の状態においては何とか生活がやれるのじゃないか、こういう点が非常に大きな点になっているように私は推察しておるわけです。事実私も、これはちょっと余談ですけれども、昨年の一月に朝鮮民主主義人民共和国へ行って参りました。あの国においては戦災ですっかりやられておるけれども、復興がどんどん進んでおって、非常に仕事をしなければならない状態で人手が足りない、こういう状態になっておることは私も知っております。それだけにお帰りになりたいのは、そういう経済的な事情が最も大きな原因になっているのではないかと私は考えるのですが、こういう点はどうなのですか。そしてまたその点に関連して、向うの国いわゆる自分たちの国へ帰ったならば、就職の問題その他についてのお見通しを、大半の人は得ておられるのですかどうですか。
  246. 洪登

    ○洪参考人 今御質問がございましたけれども、その二つとも含まれると思います。大部分の一般帰国を希望する人たちは、日本にいても就職の機会がない、向うへ行って、せっかく祖国の戦災復興事業に直接参加して、同じ苦労をするなら、自分たちはそういう栄光のもとで苦労したいということが大部分だと思います。それから向うの状態がどうであるとか、受け入れ態勢があるかどうかという問題につきましては、私たちは南日外務大臣の声明と、それから祖国のいろいろな放送を通じて、これを信じている次第であります。それからもう一つは、ごくわずかでありますけれども、日本にいてもそれほど生活に困らない人があります。それは技術者の中に多いのですが、しかし彼らは自分たちの生活を考えたらむしろ日本にいた方がいいかもしれない。しかしやはり日本の先輩諸先生もだれよりも日本民族を愛すると同様に、やはり自分の国土を愛し民族を愛し、戦災で焼け果てたその国土を一日も早く復興させたい、こう思っております。技術者たちはほんとうに自分たちの祖国を自分たちの手で作り上げよう、どんなに苦労しても自分たちの祖国に帰って、光栄ある事業に従事したいという希望もまた痛切であります。
  247. 岡田春夫

    ○岡田委員 だいぶ時間も迫っておるのでお互いに簡単に話を進めていきたいと思います。よくわれわれ一般に聞くのですが、直接籍を朝鮮に持たれる方に伺いたいと思うのですけれども、日本において、日本の政府はどうも朝鮮人と中国人に対しては同じ外国人の登録法とかあるいは出入国管理令その他のいろいろな法律上の扱いをするにしても、アメリカ人やヨーロッパ人、こういう外国人と差別待遇をしているような感じを私は再三受けるわけです。そういう法律上の点で、そういう不当な差別待遇朝鮮皆さん方日本政府から受けているのではないか、こういう点を実は心配しているのですが、実際に毎日の生活をされる皆さんとして、そういう不当な待遇をされている事実があるかないか、この点を伺いたい。
  248. 洪登

    ○洪参考人 私の知っている範囲では、具体的に外国人が——いわゆる朝鮮人と中国人を除いた外国人がどんな待遇を受けているか、私知らないもんですから、私たち待遇がどんなにそれと比べていいのかあるいは悪いのか、自信を持って答えることはできませんが、ただ私たちが外国人登録法によって登録をするという手続上の問題で、非常に不満を感じていることがたくさんあります。それは昨年切りかえの当時、私たちが大ぜい住んでいる朝鮮人部落にやつてきまして、集団的に登録の切りかえを所轄の官庁が援助するというような話し合いが最初は行われたのであります。ところが実際にそれが近づいてきましたところが、そういうことは一切できない、それから実際問題として字の書けない人だとかあるいは年寄りがありまして、これは代理かなんかが出頭いたしまして、一緒に連れていって書くようなことはできないかということがありました場合に、やはりそれはできない、本人が直接出てこなくちやいけない、こういうようなことがありました。このことについては私たちどうも納得ができなかったということを記憶しております。
  249. 岡田春夫

    ○岡田委員 この点は今政府の入国管理局関係あるいは外務省から伺いたいと思うのですが、これは当然だれが考えましてもヨーロッパ人あるいは朝鮮人あるいは中国人との間に、外国人である限りにおいて差別はあろうはずはないと考えるのだが、こういう点については今までの扱い等はどういうようになっているか、その点を伺っておきたい。
  250. 下牧武

    ○下牧説明員 在日外国人の管理の面におきまして、考え方といたしまして朝鮮人、中国人あるいはその他の欧米人と取扱いを異にするというようなことはいたしておらないつもりでございます。ただ特に在日朝鮮人が問題でございますが、数が非常に多いということ、それからわれわれの管理の対象になる問題が非常に多い、言いかえれば出入国管理令に違反するケースが非常に多いということが非常に目立っているという点で、その点においては格段の相違がございますが、その点で非常に刺激が強くなるという面がございます。それから収容所等における処遇につきましては、欧米人と朝鮮人また中国人おのおの風俗習慣が違っておりますし、それから食事も違っておりますので、その点である程度その給与をいたします食事にいたしましても内容的に差別はございます。ただその隊におきましても必要なカロリーは十分考えてやっておりまして、たとえば二千四百カロリー以上は必ず確保するようにいたしております。
  251. 岡田春夫

    ○岡田委員 そういう答弁をするだろうと思っておったのですが、私は事実はそうじゃないと思うのです。欧米人と食べ物が違うからというのはこれは種類が違うので、洋食でいくか朝鮮食でいくかという問題だと思う。ところがあなたも御存じのように大村の収容所へ行ってごらんなさい、欧米人を帰す場合の収容所と比較してごらんになったならば、朝鮮食と洋食との違いではないことははっきりしておる。それから扱い方——おそらくこういうことをいうと予算の関係がありますから、といって御答弁になるだろうと思うけれども、予算の関係じゃなくて扱い方が、日本の国民の多くが、そして日本政府の非常に多くの人が、中国人や朝鮮の人は日本人よりも何か一般文化のおくれた国である。だから一段下っている国であるというような扱い方をしようとしているような懸念が私は各地に見えておるので、こういう点からいって扱い方は同等でなければならないのにかかわらず、朝鮮の人や中国の人に対しては、そういう差別待遇が事実において私は行われているように考えます。まだその他の点いろいろあるのですが、たとえば税金の問題もあります。税金の点では、日本の国内でアメリカの人から取っている以外の税金を朝鮮の人から取っているような実例もございます。こういうような例をあげていけば切りがないが、きょうは時間がないからやめますけれども、管理令違反の該当者が朝鮮の人には多いからというお話でありましたけれども、それは必ずしもそうは言えない。最近アメリカの連中がやっていることは管理令違反はずいぶんたくさんありますよ。たとえばフィリピンを通って博徒の一団が入ってきたり、あるいはギャングの一味が入ってきた。こういう事実だってたくさんあるわけです。ですから何も朝鮮人だけが悪いというようなわけではないと私は思います。こういう点は日本の政府の扱いとして、今後考えてもらわなければならない問題だと思うのだが、話をもっと進めて参りますが、今あなたのお話のように同等に扱っているとするならば、朝鮮の人が帰りたいというなら、早く帰して上げるような措置をとったらいいじゃありませんか。そういう措置を政府としてはおとりになる考えはないかどうか、こういう点について、これは外務省からでも、どちらでもけっこうですが、具体的な御意見を伺いたいと思います。
  252. 中川融

    ○中川(融)政府委員 朝鮮の方でも、あるいは欧米の人でも、日本から出国したいという方には、出国を許可するという方針には変りないわけであります。具体的な問題につきましては、むしろ入国管理局からの御説明が適当かと思いますが、いろいろ法律的に、たとえば出国する人には、その持っておる旅券に出国を許可するという意味のしるしをつけるというような法律になっております。日本におられる朝鮮の人たちは旅券をお持ちにならないということから、その旅券にかわる文書が何かということになってくるわけであります。そういう技術的な問題を離れまして、根本の趣旨といたしましては、出国したいという方には出国を拒否するという考えはないのでございます。
  253. 岡田春夫

    ○岡田委員 先ほど細迫委員の質問に答えて、今度の問題に関しては集団的ではまずい、一つ韓国に対する政治的な考慮が第一点、第二には、直接帰る便がないという、主として二つの理由であったということについて、これは洪さんがそういうように言われたのだが、この点は間違いがあるかということに対して、中川局長は間違いがない、こういう意味の御答弁があったように記憶しておりますが、この点は間違いないと了承して話を進めてよろしいでしょうかどうか。
  254. 中川融

    ○中川(融)政府委員 洪参考人から申されたことについて、私は大体そのように記憶している、間違いないと申し上げましたが、直接帰る便がないということは、実は私は具体的にどういう機会にそういうことを申し上げたか記憶しておりませんが、そういうルートがないから北鮮に帰る際にはいろいろ困難があるという意味であろうと思います。
  255. 岡田春夫

    ○岡田委員 それはこういう意味ですか。先ほど御答弁になっておった、政府が船を出して集団的に帰すというような方法はない、こういう意味で御答弁になったと理解してもよろしゅうございますか。
  256. 中川融

    ○中川(融)政府委員 たとえば今日本北鮮との間に定期航路があるという場合を仮定いたしますれば、これは皆様がキップを買って帰られればすぐに北鮮に帰れるわけでありますから、そういう意味で直接帰る便がないということを言ったわけであります。
  257. 岡田春夫

    ○岡田委員 この言葉にこだわらず、政府が船を出して集団的に帰すという意思はないということは事実ですか。
  258. 中川融

    ○中川(融)政府委員 事実でございます。
  259. 岡田春夫

    ○岡田委員 そこでさらに伺っておきたいのですが、韓国に対する政治的考慮、こういう点は私非常に問題だと思う。どうしてかというと、日本が中国と貿易しようが、台湾と貿易しようが、あるいは朝鮮民主主義人民共和国と貿易しようが、日本の国が、先ほどあなたの言われたように主権国であるとするならば、これは日本の国のやるべきことであって、これをやることについて、韓国はそれを好まないとか、これをやれば日韓会談をやらないというようなことを言うことは、内政干渉に類することですよ。内政干渉に類することを日本政府が認めて、北鮮の方には帰さない、こういうことは、韓国の内政干渉を日本政府が認めるということですよ。そういう意味において、どういう理由か知りませんけれども、李承晩閣下にへりくだって、内政干渉のお説に従って、日韓会談がスムーズにいかないから、朝鮮民主主義人民共和国に帰りたいという人も帰さないのだ、こういうことは、主権国の日本外務省としてとるべき態度ではないと私は考えますが、この点はいかがお考えになりますか。
  260. 中川融

    ○中川(融)政府委員 韓国側のいろいろな主張なり態度は、ある意味では理屈に合っていないことがあることは事実であります。たとえば今のような状態で日本北鮮と貿易でもすれば、それだけで韓国日本と貿易をしないとか、あるいは日韓会談はもうやらないとか、いろいろなことを言うことは、理屈からいうと確かに筋が通っていないと思いますが、しかし、事実問題として韓国はそういう態度をとるという方針でおります。またそういう方針をとるということは、実際上の問題として日本としては考慮しなければならぬ。それが当不当は別といたしまして、韓国政府はそういう態度をとるであろうということがわかっておれば、これを判断の中に入れましてそういうことはけしからぬということで交渉するのも一つの方法であります。しかし交渉してもなかなか納得する相手ではないという場合には、そういう相手であるということは、やはり一つの前提なり、客観的なものとして認めなければならぬと思います。もちろん日本としては、主権国といいますか、自由でありますから、そういう事実は事実として、そういう事実にかかわらず、なお韓国のそういう理屈に合わぬことは認めないという方針を勧告することも日本の自由でありますが、その場合には、韓国はさっそく今言っている通りのことをやるだろうということは予測しなければならぬのであります。そうなりますと、事実問題として、いずれをとるかという選択に立つわけであります。日本としては、韓国との間にいろいろな懸案事項を解決しなければならぬことがたくさんあるのであります。どうしてもやはり万全の措置をとることがこの際必要ではないかと考えております。
  261. 岡田春夫

    ○岡田委員 今のお話は非常に奇妙なお話だと思います。どうしてかというと、日本韓国を承認していない。これはお説の通りだ。それから朝鮮民主主義人民共和国は、これは国を承認するかどうかという法的な手続問題は別として、事実問題としてある。これは中華人民共和国と同じように、事実問題として、あの地域に三十八度線から鴨緑江にまである。しかもここにあって、ここの国籍を持っている人がそこに帰りたいというときに、ほかの外人と同じような扱いで帰りたいという場合に、日本側としては、お隣の国の李承晩が言うことを聞かないから、こちらの国の人が帰りたいと言ってもお前は帰すわけにはいかないというのは、筋が通らないのではないか。独立国だと私は思っているけれども、独立国であるかどうかは別として、その国があるのに、お隣の国がどうこう言っているからお前は帰すわけにはいかないと言って、そうして帰さない。それでは向うの国の人が犠牲になっていることに対して、日本の政府はどういうふうに責任をとるか、この点を伺っているのです。
  262. 中川融

    ○中川(融)政府委員 北鮮に帰さないというのではないのであります。日本におられる北鮮の方が北鮮に帰りたいと言えば許可するのであります。しかしながら政府が援助してその方々を北鮮に船で送るかどうかという問題になりますと、これは政策の問題として、韓国のことも考えて、どちらかの選択ということに事実上ならざるを得ない。この意味で、政府が直接北鮮に対し援助をすることはこの際適当でない。かような判断をしているわけであります。
  263. 岡田春夫

    ○岡田委員 角度を変えて伺いますが、李承晩がそういうことを言っていることはむちゃだと思いますか、思いませんか。
  264. 中川融

    ○中川(融)政府委員 李承晩政府は、反共の第一線に立って、要するに共産圏と対抗してやっていこうという考えでおります。従って李承晩政府として、さような考え方をすることについて全然理屈がないとは思わないのであります。しかし日本側から考えますれば、どうもその理屈は筋が通らないということはわれわれも考えます。筋が通る、通らないは、それぞれの人の主観によることが多いと思います。李承晩政府としては、われわれとしては筋の通らないと思うことを筋が通ると考えて実施しようとしておるのであります。それはやはり一つの客観的な事実として存在するのであります。
  265. 岡田春夫

    ○岡田委員 私の言いたいのは、そういうことではない。日本に対してそういう要求をするということは、日本政府としてむちゃだと思わないのかどうか。これは個人的な判断ではないのです。なぜならば、これによって犠牲が出ている、こういう人たちがいるのですから。六十万人という在日朝鮮人が日本にいるわけです。この六十万人のうちの大半の人が、このために犠牲になっているのです。ですから、これは主観的にどうだということだけでは済まされない問題なので、政府として態度を明らかにすべき問題だと私は思います。
  266. 中川融

    ○中川(融)政府委員 李承晩政府は日本に対して要求はしていないのでありますが、李承晩政府としてはこういう考え方を持っており、このような場合にはこういうようにするつもりだという意向を、いろいろな機会に一方的に表明しておるのであります。その一方的に表明しているということを、われわれとしても知っております。政策を立てる場合には、そういうことをやはり一つの要素として考えに入れなければならないのでありまして、これに対してそれが利不尽であるとか筋が通っておるか通ってないかということは、個人的には判断をいたしますけれども、日本政府としてまとまった意思決定はしていないのでありまして、政府を代表してどう考えるかという御質問に対しては、お答えいたしかねるのでございます。
  267. 岡田春夫

    ○岡田委員 もう大体結論に入っていきますが、今までの御意見等を伺っていると、韓国に対する政治的考慮というのは、集団的な送還をする、国に帰す場合にあまり大きなエレメントにはなっていないのではないかというような判断を私の方でしてもいいかどうか。  それからもう一つ、話をもっと進めますが、先ほどから政府としては直接に帰す意思を持っておらないというようなことを再三言っておられます。私は法務委員を長くやっておったので事情を知っているが、入国管理局の次長がおられるから知っておるはずだが、こういう事例はあるのです。直接的に帰しているのです。昭和二十二年に、日本政府の責任において、日本からまっすぐ清津に船を着けているのです。こういう例がある。こういう例があるにもかかわらず、鳩山内閣になったらこういう例をやめて、こういう例をやらないで、朝鮮人をまだいじめていくというおつもりか、これが鳩山内閣の方針であるかどうか、この点を伺っておきたいのであります。
  268. 中川融

    ○中川(融)政府委員 最初の御質問ですが、日本がたとえば集団的に北鮮に帰りたいというお帰しすることが適当でないという態度をとっておることに、韓国政府との関係が大きなエレメントでないというふうに判断されるというお話でしたが、われわれはむしろ韓国政府との関係を顧慮いたしまして、そういう政策をとっておるのであります。  第二に、終戦直後昭和二十二年ごろに直接北鮮に二回配船して、三百五十一名の人が帰られたのであります。これは事実であります。われわれもよく承知しております。従ってそのときにそういう機会はあったのであります。しかしながら、これは三十八度線をめぐっての戦争の始まる前でありますし、そのときにはまだ李承晩政府というものはできていなかった、つまり朝鮮が占領下にあった時代であります。その後事態が急速に変化いたしまして、南北の対立ということが激化してきたのです。李承晩政府の強い態度というものはその後に起きた事実であります。従って、政府の態度というものは、そういう新しい事実に基いてできておるのであります。なお北鮮に政府が援助して人を帰さないということは、政府の方針として今さように考えておるわけでございます。
  269. 岡田春夫

    ○岡田委員 もうこれで終りますが、それでは韓国に対する政治的考慮は非常に大きいのだということになれば、先ほど私が申し上げたように、韓国の内政干渉をあなたの方でお認めになっている、こういう理解をせざるを得ないと私は考える。それを日本の政府としてもお認めになって、内政干渉に従ってやろうとしているのだ、こういうことをお認めになると解釈せざるを得ないと思うが、その点はどうかということをお聞きしたい。  もう一つは、大村の収容所には相当数の人が今います。それからこの中には、南鮮のいわゆる韓国に帰りたい人ではなくて、帰るならば朝鮮民主主義人民共和国へ帰りたいのだ、いわゆる北鮮に帰りたいのだという人たちがいるわけです。それにもかかわらず、こういう外国人の希望を踏みにじって、日本の政府が——向うから見れば日本の国は外国だが、その外国が勝手に、こっちの国へ帰りたいという人を、お前はこっちの国へ帰れとしゃにむに違う国へ帰している事実があるではないですか。こういうことは法律から見てもどこから見ても、絶対に許されることではないと私は考える。外国人が外国人の意思に基いて帰りたいと言っているのに、それをその国に帰さないでほかの国すなわち、国に帰すという事実があがっているではありませんか。あがっていないというならばそれでもけっこうですが、少くともそういうところへ帰そうという意図を持っているという事実もあるわけですが、こういう点についてはどのようにお考えになっているか、この二つの点だけを伺って、あとにまだ穂積君もいますから私はこれで終りにいたします。
  270. 中川融

    ○中川(融)政府委員 内政干渉かどうかという判断ですが、一国の政府が一つの方針を作りまして、この方針によって自分のところは行政なり何なり施策をやっていくのだということを言いました際に、それを聞いておりますほかの国が、そういうことを頭に入れまして自分の国の政策をきめるという場合には、内政干渉とまでは行かないのであります。ことにほかの国は判断の自由があるわけでありまして、そういうことを前提としながらなお危険を冒してやるということも不可能でありまして、これを内政干渉と言うのは、そこまで言うのは少しどうかというふうに考えます。  第二の点の、大村で、北鮮へ帰りたいという人を韓国へ無理に帰すという事実は私は聞いておりませんし、入管当局でもそういう事実はないということを言っておるのであります。
  271. 岡田春夫

    ○岡田委員 北鮮へ帰りたい場合は、大村からは北鮮へ帰しますかどうか。
  272. 中川融

    ○中川(融)政府委員 先ほども話が出ましたが、直接北鮮へ援助して帰す意思はないのであります。なお強制送還という場合には、本人の意思ということにかかわらず、どこからその人がやってきたかということに基きまして、その出発したところへ帰すというのが大体の趣旨でございます。
  273. 岡田春夫

    ○岡田委員 それは重大です。出国したところへ帰すというのが強制送還の根本の趣旨ならば、北朝鮮から出てきた人は北朝鮮に帰すということが筋でなければならないということになりますが、その点は間違いないですか。この点は非常に重要ですから……。
  274. 下牧武

    ○下牧説明員 ただいまの問題でございますが、私どもといたしましては、韓国から密入国してきた者でございましても、北鮮に帰還を希望する者を韓国に送り返している事実は今ございません。それで今報告を受けておりますところでは、たしか密入国者で三名北鮮帰国を希望している者があるというふうに報告を受けておりますが、その者はまだそのままとどめてございます。それを強制送還の船で直接北鮮に送り返すことも、私どもといたしましては今の状況においては不可能でございます。ただ、別途本人が確実に日本から出国する、そうしてどこかのルートを通って北鮮に帰るという場合、いわゆる自費出国の手続で出るような場合まで、それを抑制するというような意思はございません。ただ国の施策において、すぐ北鮮日本と直通して交渉を持つという点に問題があろうかと存じます。
  275. 岡田春夫

    ○岡田委員 まだ私質問がありますけれども、留保いたします。
  276. 植原悦二郎

    植原委員長 穂積君。
  277. 穗積七郎

    穗積委員 時間もおそくなりましたし、それからまたこの問題は、私の判断では、委員会で一々問答することが果して適当かどうかも疑問がある点がございますから、簡潔にお尋ねしておきます。  最初に洪登さんにちょっとお尋ねいたしますが、あなたは東大で航空工学を勉強なさったということですが、東大に限らず、官公私立の日本の大学の資格を持った大学で、今の法科または自然科学方面の勉強をされた朝鮮のいわゆる科学者または技術者、その学生ですね、その数は一体どのくらいでございますか。
  278. 洪登

    ○洪参考人 理工科系の大学を出た者だけに限定いたしますと、千五百名から二千名くらいだと思います。
  279. 穗積七郎

    穗積委員 続いてお尋ねいたしますが、それらの多くの方は現在ほとんど職を持っておられませんかどうか、これが第一点。第二には、北鮮帰国を希望しておられる方は、そのうちどのくらいでございますか。
  280. 洪登

    ○洪参考人 これは終戦前あるいは終戦直後くらいに大学を出た者は何とか就職をして、そのまま離れないでいる者はきわめてわずかですが、職を得ているようです。その後大学を出た者あるいはそれ以前に大学を出ましても、一度職を離れた者、こういった者はほとんど就職ができないのが現状であります。
  281. 穗積七郎

    穗積委員 帰国の希望は。
  282. 洪登

    ○洪参考人 帰国の希望はほとんどが持っているのではないかと思います。私の知っている範囲ではほとんど持っております。
  283. 穗積七郎

    穗積委員 次に尹女史に二つお尋ねいたします。あなたのかつての御主人はやはり朝鮮の方ですか、日本人ですか、それが一点。それからあなたがお帰りになって北鮮の方に、縁故者または生活の基礎になる地位を得られる当てがございますかどうか、その二点を最初に伺いたいと思います。
  284. 尹錫礼

    ○尹参考人 主人はもちろん朝鮮の人です。  それから私は本籍は南鮮でございますけれども、朝鮮動乱が終った以降、父母兄弟が全部北鮮の方へ移動しております。それで父母兄弟をたずねて北鮮の方に帰りたいと思います。それで今朝鮮の男の方は、こういった技術のある方も職がないのですから、一般の方はほとんど職がないのであります。そういった関係上、そこのお母さん方は、まあ日本の法律に違反した仕事をしなくてはならない、こういう人が大ぜいございます。食べるがために、子供を育てるために、こういった法律に違反した仕事をしまして、つい警察に引っぱられ、どぶろくあるいはお米の買い出しなどをやっております。こういう人を何とか一日も早く祖国に帰して、その子供たちをりっぱに育てるように、りっぱな母親にするために、一日も早く帰っていただきたいと思います。私は三人の子供をかかえておりますけれども、子供を五、六人あるいは七、八人かかえた私と同等の立場のお母さんすら大ぜいあります。主人が祖国へ帰ったり、なくなっていなかったり、こういうお母さんたちはやる仕事がありませんし、さっきお話しましたように、法律に違反した仕事をしなければならない。こういったためにだいぶ苦労なさって、一日も早く北鮮の方に帰るように努力していただきたいと思います。
  285. 穗積七郎

    穗積委員 洪さんに一般的にちょっとお尋ねしますが、実は私朝鮮の方とときどきお会いする機会が多いのですが、手に取って拝見したことがないのですが、外国人登録法によります登録証というものがありますね、あれは昨年切りかえたのですね。そのときに国籍というものは一体どういうふうになっておるのですか、それが一つ。  第二点は、昨年切りかえるまでは南鮮の出身であったのが、国が二つに分れたので、切りかえのときに本人の希望によって、法律上は本籍は南鮮のどこかにあるのだが、北鮮の国籍に切りかえてもらいたいという希望をすれば、それがその通り実現したものでしょうかどうか。そしてまたそういうことを希望される方が多かったかどうか、その実情をちょっとお尋ねしたいと思います。
  286. 洪登

    ○洪参考人 あの登録証というのは、ここに持っておりますが、こういうものです。ここに写真が張ってありまして——今指紋の問題で相当ごたついておるのでありますが、切りかえるときには、今度は指紋を押さなければならないのです。ここに、私の主張では、朝鮮人民民主主義共和国と書いてくれ、私はそこの国民であるから、そう書いてくれと言ったところが、そういうことはできない、日本の政府としては、朝鮮人民民主主義共和国というものとは外交関係がない、認めるわけにはいかない。認めるわけにはいかなくても、私はそこの国民だからそう書いてくれと言ったところが、朝鮮としかできない、外国人登録法によれば、朝鮮としか書けないんだ。そういう朝鮮という国はないじゃないか、具体的に韓国か人民共和国か、現実問題として二つしかない。朝鮮と書くとなると私たちは一体どこの国民か。しかし現状のところそういう観念的国家があるとわれわれ考えて、そういう登録しかできない。実際問題としますと、私たちはそういう意味でははっきりした国籍を持たないような、そういう形になってしまうわけです。  私たちは法律家でありませんけれども、国際法なんかによると、国籍の選択ということは自由になっておるそうであります。私たちはこの機会にちょっと申し上げますと、日本に戦前にいる、ことに日本で生まれた私のような朝鮮人の中には大ぜい関係者があると思います。それは私たち従来は日本人であったのであります。これが終戦と同時に自動的に朝鮮人あるいは韓国人になった。これは私たちは、全く極端にいえば、朝鮮人が何であるのか、お前たち朝鮮人なんだ、八月十五日から朝鮮人になった。私の場合はことに日本の軍隊におりました。そういうことを主張するんだったら最も忠実な日本人であったと思います。しかしこういうふうに変ったという場合に、選択権がない、一蓮托生、お前たち韓国人なんだ、韓国の政府の保護を受けなければならない。韓国の政府の言う通りにならなければならない。こういうばかなことはない。私たちはそういう意味におきましても、人民民主主義共和国の国民であることを主張することができるであろうし、従来通り日本人であることを主張することができるであろう。あるいは韓国の国民であることを主張してもかまわないであろうと思います。こういった意味で国籍の選択権がないということは全く納得できないのであります。
  287. 穗積七郎

    穗積委員 そこで入国管理局次長に答弁をわずらわしたいのですが、問題は二つございす。一つは外国人登録法によりますれば、外国人とはただ人間でなくて国民なんです。そういう意味でございますから、今の朝鮮の人の言われた、南北朝鮮の出身の人たちの登録に国籍をはっきり書かないというわけはどこにあるのか、それが一点。  それからもう一つ洪さんからのお話がありましたように、日本におりました朝鮮人のみならず、朝鮮人はかつてそのことが正当であるか不当であるかは別といたしまして、日本政府からいえば日本人であったわけですね。それが八月十五日から外国人になった。外国人になり、しかもその人が日本という外国におる場合においては、必ずこれは旅券を持っていなければならない。旅券を持っていない者は不法入国になりましょう。ところが現在持っていないで、だまってヴィザを持たないで入った者は不法入国ですが、現在までおって外国人になったのは不法入国にならない。そこで少し理屈を通して考えますと、日本におった、すなわち現在朝鮮人になった人は、日本という外国におったときですから、その外国人になって外国におる。そのときに、当時ああいう登録証明みたいなものを渡すときに、実は旧日本政府の立場としては、新政府に切りかえるときに旅券にかわるものを出すべきだと思うのです。これがない者は実は旅行問題については非常に問題になってくるわけです。そこで所管が外務省に行くのか、入国管理局に行くのか、どこに行くのかわけがわからなくなって、あっちへ行ったりこっちへ行ったりすることになる。旅券がありさえして、国籍がはっきりしておれば、旅行目的さえ書いてやれば、それに対する取扱いは、他の外国人と同様になって、第三国を通ろうが、あるいは直接の経路がなければ第三国を通っていってもよろしゅうございましょうし、いろいろあるわけなのです。ですからその二点について、平素国籍がはっきりしてないということと、それから日本におります外国人ないし朝鳥人に旅券がないということ、これは戦前の日本国民であったのですから、日本政府の責任だと思うのです。その点は一体どういうふうに法律的に解釈しておられるのか、もし時間が長くなれば他の機会に一つ詳しくお話を伺いますが、今日の問題処理のための参考程度でけっこうですから、簡単に二点お尋ねいたします。
  288. 下牧武

    ○下牧説明員 まず国籍の問題でございますが、これは本来ならば日韓の条約で、あるいは朝鮮との間の条約ではっきり規定すべかりし問題だと思います。ただ平和条約が発効いたしまして、その過程で韓国が独立するということがございました。その後の経過を見ておりますと、従来の朝鮮の方は全部朝鮮人、その点についてはわれわれも一応そういう頭でおりますし、それから現在対象にもなっております。韓国の方でも全部朝鮮は人は韓国人というふうに考えてその点が事実上一致しておるというような関係と、それから占領時代に朝鮮人は当初一応外国人として扱うということでそういう実績ができておりました。そこで登録は二十二年から実施されておりますがその当時は一律に朝鮮人ということで国籍を書いておったわけでございます。ところが韓国が独立いたしましてから、韓国が独立したのに朝鮮全部国籍が朝鮮ではおかしいじゃないか、韓国という国籍も認めたらいいじゃないかという話がありまして、当時の司令部の示唆もあって、そのときには本人の意思にまかせるということで、そこで二十五年の切りかえりときに韓国という国籍を新たに設けたわけでございます。そこで現実の問題としては朝鮮という国籍と韓国という国籍ができたわけです。ただそれも国籍の変更を求めてきた人のみにそういうふうに区別しただけでございますから、実際の本人の真意がどこにあるかということは、登録証明書の上ではわからないわけです。その数は、大体朝鮮の国籍の方が現在でも多くなっておりますが、それが事実とは相当相違があろうと思います。その後今度は逆に韓国の国籍を、あの当時は一応そういうふうにして選んだけれども、また朝鮮に戻してくれという話がありまして、その際われわれ考えましたのは、外国人の国籍を変更するのに、自分の国籍が違っておるという一片の口頭の申し出のみでもってすぐそういう変更をすることが果して入管の手続上できるか、一般的に認めるわけにはいかない。ドイツ人がイギリス人になったからといって、イギリスの国籍に簡単に変えることはできない。やっぱり当該国の帰化したとかなんとかいう証明がなければできぬ。そこで今度韓国朝鮮に変えてもらいたいという要求もございましたけれども、その線から参りますとそういう証明をつける手だてが今のところがございません。そこで現在のところは、一旦韓国を選んだ場合に韓国籍を朝鮮に直すということは認めておらないという状況になっておるわけでございます。  それから次の戦前からおります朝鮮の方と、それから戦後へ入ってきた方との差でございますが、戦前から在留しております朝鮮人は一応無資格のままで在留を認めるということにいたしてございます。これは特別に法律がございまして、ちょっと長いのでございますが、昭和二十七年四月二十八日公布のポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基く外務省関係諸命令の措置に関する法律という法律第百二十六号、俗にわれわれは一二六と申しておりますが、この一二六の第二条の第六項で特別に、そういう戦前から日本におりますところの朝鮮人及び中国人は、これは出入国管理令に定めるところの在留資格を持たないままで在留できるというふうにして在留を認めておるわけであります。従ってその点については旅券なしのままで、われわれとしては無資格のまま一応暫定措置としてそういう措置を講じておって、また日韓会談とかそういうことで措置ができれば、その場合にあらためて在留資格をきめていきたい、こういうふうに考えておるわけであります。
  289. 穗積七郎

    穗積委員 日韓会談ができまして韓国の国民になり、また在日朝鮮——広く南北両方を含む朝鮮ですが、その方で韓国の国民になることを希望する方はそれで解決いたしますが、韓国に国籍を持つことを希望しない在日朝鮮人の問題は解決しないのですね。そうなりますと、どうもやはり法律的に不備だと思う。ですからこれは国会の問題に移りますからその法律の改正をして、そうして持ってもらっておる登録法によります証明書をパスポートにかえるということです。その前は朝鮮という国はなく、発行するところがないのですから日本国民です。ですからそれは日本の国内問題として、やはりそこまで一つ法律機構として私ども考えるべきじゃないかということを最近特に強く感ずるのです。こういう問題が起きるたびにそこに常にひっかかって参ります。これは意見になりますから差し控えますが、韓国いわゆる南朝鮮に国籍を持つ、またそれに国籍を持つことを希望する在日韓国人、これは協定ができれば、しかも協定が間近にできればこれで一応解決する。そうでない漏れたこの方々のような問題は解決しない。しかも在日朝鮮人何十万のほとんど大多数がそういうケースに入ってくるわけですから、その点実は私は法律機構といたしましても、それから今の御説明でも少しく手落ちがあるのではないかということを感ずるわけです。それを一々答弁を求めて議論をいたしませんから、専門家であるあなたの方でも一つ御研究おきを願いたいということを希望として申し上げておきます。  次にアジア局長にお尋ねいたしますが、韓国代表部の資格問題は議論が長くなりますから他の機会に譲りますが、韓国代表部から日本政府に対して正式に在日全朝鮮人の問題は、われわれの管轄下に入るべきものであるから、その帰国または旅行問題については、われわれ代表部を通してやってもらわなければ、正式に日本政府として取り扱ってもらっては困るという趣旨の申し入れがありましたかどうか、そういう意向は持っておるというお話は先ほどありましたが、日本政府に対して公式文書で正式に代表部から韓国政府の意思としてそういうことを言って参りました事実がありますかどうか、伺っておきたいと思います。それでもしあるとすれば、それに対して日本政府はどういう御回答をなさいましたか。
  290. 中川融

    ○中川(融)政府委員 韓国代表部から日本政府に対しまして、現在日本に居住しておられる朝鮮籍の方が全部韓国籍であるというふうな通牒ないし通知をしてきたことはないのでありますが、先ほどどうして私がそういう考えを持っておるということを申したかといいますと、日韓会談が三回行われたのでありますが、あの会談におきましてこの国籍問題というのが問題の一つであったわけであります。そのときの先方の主張は、在日朝鮮人が当然韓国籍を取得するというのが向うの原案であります。従ってそれからそういうことを推定して申し上げたのであります。
  291. 穗積七郎

    穗積委員 そうしますと韓国代表部並びに韓国本国政府の意味ですが、それがその在日朝鮮人の北鮮に帰るということに対して、日本政府が承諾を与えることを希望しない。だから君たち帰国を許すわけにはいかぬということは、これはさっき岡田君が言われた通り、私は全くいわれのないことだ、筋の通らぬことだと思うのです。事実認める認めないは別といたしまして、韓国朝鮮両国とは二つに分れておりまして、その事実は認めなければなりません。そして日本としては韓国との間にまだ正式な協定ができていない。従ってこれから交渉しょうというのだが、する場合にも朝鮮半島すべてを含む政権としてこれを相手とするわけではなくて、三十八度線の南を支配する政府として交渉するつもりですから、どう考えてみましても北鮮の人が北鮮に帰りたいということに対して、いわば外国が文句を言ったから許可することはできないということになるわけで、先ほどからの御答弁に対しては政治的な理由はわかりますが、理屈としてはこれは全く通らないので、無理が通れば道理が引つ込む式な結果になっておると私は思うのです。私はここで、今のあなたの御答弁を通じましてもそのことを再確認しなければなりません。その問題をどちらに解釈するかということは、先ほど次長の方に申し上げましたが、これを一々議論をしてその中から解決を求めようとするにはきょうは不適当ですから他に譲りますが、そのことはアジア局長も私の申し分を記憶しておいていただきたいと思いまん。  最後に次長にお尋ねいたしますが、日本政府が船を仕立てて、そうして事実帰れるように帰国に援助を与えるということまでは私は聞いておりません。そういうことを含まないで、たとえば洪さんが北鮮へ帰りたいといって個人として願い出られましたときに、これが出ることが不法でないような何らかの措置をおとりになるか。これはパスポートをお持ちになりませんからどういう形式になるのか、法律上の手続を私は存じませんが、とにかくそれが不法出国ではないように認められる意思、それはどういう方法で行くかは、あなたなり政府の関知するところではないが、それはお出しになるつもりがあるのか、今まで出しておられるのか、その間の事情は私はつぶさにいたしておりませんのでお尋ねいたします。  時間がありませんからついでに聞いておきますが、第二点は、洪さんが正当なる理由によってもう一度日本に来たい、あるいは日本にまたずっと長期滞在する場合、それから短期の旅行目的をもって入国される場合と、いろいろあろうと思いますが、その場合に入国を許可されるおつもりであるかどうか。北鮮の国を認める認めないは別として、北鮮からこちらへ、前日本人であり、前に日本に居留することを認められておった洪さんがもう一ぺんこちらに帰るという場合に、入国を認めるのかどうか。すなわちその入国が不法入国にならないような方法があるかどうか、これが第二点の質問です。  第三点はアジア局長にお尋ねいたしますが、政府が援助することは別として、たとえば日本赤十字社と向うの赤十字社との間で話し合いをして、これは政府、思想その他のことを超越いたしました人道的な立場に立つ団体でございますが、これが昨年の中共におきます日本人引揚げ問題に両方の赤十字社が協力したような形でこの帰国問題に乗り出した場合には、政府としてそれに妨害を与えないおつもりであるかどうか、その三点を一括してお尋ねして、私の質問は終ります。
  292. 下牧武

    ○下牧説明員 最初のお尋ねの、旅券を持たない戦前からの在住者が出国する場合に、どうして出国するかという問題でございますが、この場合は法律的には旅券に出国の証印を押さなければならない、こうなっております。しかしそういう旅券を求めることが不可能でございますから、実際上の取扱いといたしましては、そのときは出国願いというのを提出してもらいまして、それに出国の証印を押すことにいたしております。ただその場合も相手の国がその本人を受け入れるいうことを確認いたしません限りは、私どもとしては軽々出国の証印を押すことはできないというふうにいたしております。
  293. 穗積七郎

    穗積委員 北鮮の今の政府がその入国を承諾する意思表示が何らかの形でわかれば、洪さんをお出しになりますか。
  294. 下牧武

    ○下牧説明員 これも船で北鮮へすぐ帰られるルートは今ございません。おそらくそういう場合は、北鮮に帰られるとすれば、香港を経由するとかなんとかいうルートが必要じゃないかと思います。そういう場合に、香港の政庁において本人を受け入れるということであれば、われわれの方で出国願いで——たとえばその特別の措置といたしましては、この前興安丸が引き揚げを迎えに行くついでに、中共に中国人を送還いたしました。そのときは便宜上出国の証印を押して出した、そういう手続が手続的にはございます。
  295. 穗積七郎

    穗積委員 具体的にお尋ねしますが、それでは中共政府が洪さんの受け入れを承認された場合はどうしますか。天津を通っていく場合はお出しになりますか。
  296. 下牧武

    ○下牧説明員 純然たる出国でございますれば、出国の願いで出国の証印でお出ししていいと思います。それから次の再入国の問題でございますが、この再入国は法律的に申しますと、旅券を持たないものに再入国の許可を与えることはできません。それでやはり出ていかれる場合は、純然たる出国としておいでになって、今度お入りになる場合は、今度は新たな入国としての取扱いをしていただくよりほかはないと思います。その場合に入国を認めるかどうかということは一律には申し上げられません。本人の従来の日本との縁故関係とか、あるいは本人の資産状態も考慮いたしますし、それから日本への入国目的、どういう目的で来るか、そういう点を調べ上げた上で、これを許可するかどうかということを個別的に考慮いたしたい。かように考えております。
  297. 中川融

    ○中川(融)政府委員 第三点でございますが、たとえば政府機関でない日赤等が配船をしまして、集団的に北鮮の方にお帰しするということを政府が認めるかどうかという点でございますが、政府が関係しないで日赤がそのような配船をすることはあり得ないのでありまして、具体的な例で申しますれば、中共との場合におきましても、あれは全部運輸省が用船いたしました船を日赤が使いましてやっておるので、経費は全部運輸省から出ておる、政府から出ておるのであります。また日赤がたとい自分で金を工面されて船を雇い上げたとしましても、日本の船の配船というものについては、すべて運輸省が許可しなければできないのでありまして、その意味でどうしても日本政府の意思というものが関与するのであります。単純に個々に出国される場合にそれを許可するものとは、どうしても事情が違ってくるのでありまして、やはり政治的な考慮ということが入ってくると考えます。従って困難であるというふうに申し上げるほかないと考えております。
  298. 穗積七郎

    穗積委員 もう一点。今私が時間を節約して簡単に言ったものだから、あなたの答弁がいろいろな場合について聞かれなかったのですが、それでは今度はこういう場合を具体的にお尋ねいたします。日本の赤十字社と北鮮の赤十字社との間でそういう話し合いをした、ところが具体的には船の問題があるからということで詰まったとする。そのときに中国の紅十字会が中に立って、そういうことであるなら、超党派、超思想的に、人道的な立場で私どもも中に入って協力いたしましょうということで、中国の船が日本へ塩を持ってきた、その帰りにお乗り下さいというようなことを言った場合には、出国を許可なさいますかどうか。しかも具体的にいえば、洪さんがそういうことを希望された場合はどうなさいますか。
  299. 中川融

    ○中川(融)政府委員 個々にお帰りになるということをおとめしないということは、先ほど申した通りであります。それでは個々に帰られる方が非常に大ぜい一緒になって何か一団をなして帰られるという場合は……。
  300. 穗積七郎

    穗積委員 いや、数の問題は別として、日赤と向う朝鮮の赤十字社とでは船ができないからということだったから、中国の紅十字社が入って配船を心配しましょうということで、赤十字社同士でその配船の手続もできたときに、日本政府が船を出さなくてもよろしい、そういう場合について一つ具体的にお答えいただきたいと思います。それは政府が関知しないということですか。
  301. 中川融

    ○中川(融)政府委員 数の問題を離れてということでありますが、数の問題を離れての議論、すなわち個々に帰るという場合でありますれば、それはどのような方法を個々におとりになろうとも、それは政府として関知しないところだろうと思います。
  302. 植原悦二郎

    植原委員長 松岡駒吉君。
  303. 松岡駒吉

    ○松岡(駒)委員 私はもう必要がございませんから、他の方が必要がないならば、お気の毒だから洪さんや尹さんにお帰り願ってもけっこうです。私の聞きたいことはきわめて簡単です。政府当局は、もう私どもが質問するまでもなく、もともとよく御存じのことであり、先ほど来お聞き及びの通りであります。人道上の問題としてまことに重大な問題でありますが、蛇足のようではあるけれども、尹さん自身も指摘される通り、日本の政府から、日本の国民たちがあまり楽ではないにかかわらず、自分たちは生活保護を受けておる。しかしそれでも自分たちは子供を十分に教育ができない。高等学校にやろうと思えば生活保護は打ち切られるということになる。そういうことから、尹さん自身の言葉をもってすれば、日本にも御迷惑であろうし、自分たちも帰りたいのが帰れないでいるのだというお話です。私は先ほどからの質問答弁を聞いておりまして、アジア局長の言うところの日韓交渉をいかに妥結するかということは、日本が自主的に判断をして復活すべきであるという立場をとれるのでありますから、これは必ずしも私は内政干渉とも思われないし、韓国日本が従属している態度とも私はあえて思わない。しかしものにはおのずから限界があると思うのです。日韓国交の調整も大切であることは、私も外務当局の熱心さに比較して必ずしも不熱心だとは思わない。だがあまりにも限界を越えて、北鮮の諸君に対してはまことにお気の毒な思いをし、日本にとりましても——率直に言えば、北鮮にぜひとも帰りたいという人御自身の言葉通り、日本の国にとっても必ずしも利益でもない。率直に言えば迷惑である。そういうことを、一体韓国側がそれを希望しないからだというて、それでいいのだということではないことは、言うまでもないことであります。従いまして、日韓国交の調整のために熱心であることはけっこうであるが、その熱心なるの余り、あまりにもこれは韓国側の立場というものにのみ思いやりが多いというのであるか、あまり日本が遠慮深いというのであるか、ものには限度があるのでありますから、帰ることの自由であることはアジア局長もしばしば言うておるのであって、船まで仕立ててお帰しすることのできないという外交的な考慮は、ある程度考えられることでありますけれども、先ほど来しばしば繰返されているように、民間団体が、かような状態を放擲しておくことはよくない——そういう輿論が今日具体的には高まっていないようであるが、だれが聞いてもこのままいることがいいとは思わないのであります。であるから、そうわがままを言わさないで、相手を説いて、そうしてできるだけ早く、元は南鮮に住んでおってもどうしても北鮮に行きたいという人、いわんや北鮮に生まれ、北鮮に本籍のある——向うに戸籍法がどうなっているか存じませんが、そういう人々は北鮮に帰ることのできるようにする。北鮮と南鮮との関係というものは御承知の通りの状態で、元とは違って少くとも停戦ができているのであります。冷たい対立は解消したとは言えないでありましょう。私は形式の上で論ずるのではないけれども、これはあまりにもひど過ぎる。であるから先ほどのような答弁は、あまりにこれは日韓の国交調整ということ、そのことにのみとらわれたものの考え方である。もう少し日本外務省としては総合的な立場に立ってほしい。かくのごとき人道主義に反するがごときことをやって韓国に帰したら、その結果どうなるか。李承晩政府というものを疑うわけではございませんが、韓国に帰すということの危険を感ずるから、朝鮮の諸君に対してその考慮があってしかるべきであると思うのです。であるから、独立国家としての韓国の面子をつぶすようなことをしたくはないのは私も同様でありますが、それを何らかの方法をもって帰すことのためには、一つまじめに考えてくれるということがなければ相ならないのではないか。私はあえて国際法のことや法律的なことを論じようとは思わないが、もう少しまじめにこの問題を考えて、日本にとっても迷惑——迷惑ということは、何も少数の朝鮮の人々が日本にいて、その生活の保障をしなければならぬことが迷惑というのみではないのであります。日本の政府が、韓国政府のあまりにも頑迷な態度のために、人道を無視するがごとき態度をとっているかのように考えられることが迷惑なのであります。そういう迷惑を根本的に解決しなければならぬ。先ほどからの形式的な答弁ではなく——私はあえてアジア局長から形式的な答弁を求めようとは思いません。きょう外務大臣に出席してもらいたいということを私が主張した理由はそこにあるので、もう少し総合的に高所大所から問題を外務省が考えなければならぬ。外務省があるばかりで外交ができるのではない。まじめにお考えを願うことを私は希望として一言申し上げておきます。
  304. 岡田春夫

    ○岡田委員 今松岡さんからも発言があったように、今度の問題というのは、政府の外交方針に関する問題ですから、やはりこの問題をわれわれが深めていくためには、大臣の出席を要求してこの問題を具体的にもっと探り下げていかなければならないと思います。しかも人道上の問題から言っても、今日ここで問題になっているのは在日朝鮮の人々の問題でありますが、これと同様に在鮮の日本人がいることもわれわれは忘れてはならない。この二つの関係を今後どういうようにしていくか。これは言葉をかえて言うならば、この前、中華人民共和国にいた日本人が帰って来、そうして日本にいた中国人が向うに帰った、この関係と同様な関係がありますので、こういうような外交政策上の問題については、これはきょうこの程度で一応やめるにしても、この問題はきわめて重要であるので、あらためて次の委員会の場合においてこの点を議題にして、十分論議を深めていただくように、私としては議事進行委員長に要望したいと思います。この点特にお取り計らい願いたいと思っております。
  305. 植原悦二郎

    植原委員長 岡田君の申し出は了承いたしました。いずれまた理事諸君とも相談して適宜措置いたしたいと思います。  これにて本日の問題に関する質疑は終了いたしました。  参考人各位には長時間にわたり種々御意見を開陳していただきまして、まことにありがとうございました。  次会は公報をもってお知らせいたします。本日はこれにて散会いたします。     午後六時三十分散会