○福島
政府委員 北富士演習場の問題は、今回のいわゆる射撃事件が起ります前に種々の
懸案がありまして、それの解決が延び延びになっておったということがまずもってあるわけであります。それが今回の射撃事件が紛糾した土台になり原因になると
考えております。
実情は北富士演習場を二地区に分けまして、かりにA地区、B地区と申しておるようでありますが、一方、つまりA地区は被弾地区、インパクト・エリアと称しまして、B地区の方はたまの落ちない地区ということになっておるわけであります。従来はこの被弾地区、A地区において実弾射撃をしておった。ところが数カ月以前に、これは結局公式には出て参らなかったのでありますが、
現地の
米軍担当官が、従来たまの落ちなかったB地区にもたまを落す演習
計画を
考えなければならないかもしれぬ、つまりB地区も被禅地区にならなければならぬかもしれぬという話をしたことがあるとかいう話でありまして、たまの落ちる地域が広がるということで紛糾を来たしたわけであります。そこで
アメリカ側はB地区にたまを落すことをあきらめまして、射程が延びて参ったわけでありますので、B地区の中からもともと
通りのたまの落ちる場所へたまを落すという演習方式を
考えたわけです。従って先般来紛糾しておりました北富士演習場問題というものと、今般の射撃事件というものとは全然性質の違うものである。ところが演習場の使用条件の協定がございまして、もちろんA地区はたまの落ちる地域である、B地区はたまの落ちない地域であるということがまずもってきめてあり、A地区とB地区との中間には船津という林道が一本、それから吉田口の登山道に一本と、道が二本ありますので、B地区からA地区に向って登山道二本をたまが越える場合には、前もって
現地の当局、つまり県当局の意味であろうと思います。
現地の当局と調整をするということが協定に書かれておる。従いまして、これは
昭和二十七年にできました協定でありますが、そのときからB地区からA地区へたまを撃つということは予定されておった。ただし七、八、九月の登山期は撃たないこと、七、八、九月を除いて撃つ場合には県当局と用談して、時期、場所その他をきめてから撃て、こういう意味でありましょう。
原則としてはB地区からはたまは撃たないのであるけれども、A地区へたまを撃て、いずれにしてもB地区にはたまは落ちないということが絶対の条件になっておる。B地区、A地区と申しましても別にまん中に海があるわけではありません。かりに筋を引いておるわけでありますから、B地区側からA地区側にたまを撃つ場合には、県庁と事前に調整をするということになっておる。そこで今回は
アメリカ側が四月の初めに、B地区の一地点からA地区の通常たまの落ちる場所に射撃演習をしたいということを申し入れて参った。県はそれを選挙その他の関係もありということで断わったわけです。
アメリカ側もそれを了承して引き下った。五月になりましてあらためてB地区の一点からA地区の通常たまの落ちる場所へ撃つ射撃演習を九日から六日間、その後日数は変化いたしましたが、十三日まではやりたいということを言って参ったわけです。これは協定に予想されておることでもありますし、協定にはB地区から道を越えてA地区にたまを撃つことは
原則として禁止するように書いてある。しかし七、八、九月を除いて撃つ場合には県当局と調整すると書いてあるわけでありますから、例外的にB地区からA地区へ射撃するということを
計画しても、県当局との間に時日、場所等の調整がとれればいいという意味になると思います。しからば今回申し出たのは例外的と認められるかどうかということがまずもって問題になりますけれども、北富士演習場を使い出しまして以来八年間一ぺんもそんなことを言ったことはない。今度初めて四日間なり五日間なり撃ちたいということを言って参ったので、これは明瞭に例外として言って参ったということは間違いない。しからば例外事項としてきめてある事前の調整ということに県当局は応じてその時期その他を定むべきであろう、こう私は思っておるわけでありますが、県は五月の射撃をまた断わった。また断わってもそれはいいのです。五月の九日から十六日までこれはいかぬと言う。いつにしてくれとか、この場所では困るということは私は差しつかえないと思います。これはその後県知事に確かめ、
アメリカ側とも
交渉してわかって参ったことでありますが、県の方は将来とも絶対にB地区からA地区にたまを撃ってくれては困るということを言ってがんばったわけであります。そういう書類も——全部電報でありますが、あるのです。それを
アメリカ側が持って参った。ですから
アメリカ側の理屈から言えば、例外的には調整をした上で撃てるということに明文は書いてあるのに、その調整を申し込んだら絶対に撃たさないということは調整に応じないことなんだから、まずもって県側の方が協定違反じゃないか。われわれの方は
アメリカ側に言わせれば
アメリカ側は四月に聞いてみていかぬと言う。選挙だという、じゃ五月だという、しかも五月の返事は絶対に撃たさぬという。しかし協定には明瞭に調整して撃てると書いてある。だから調整の義務は果した、片一方は絶対に調整しないということを言っておる。それで撃つのだ、こういう理屈になってきた。そこのところがもめているわけです。ただきのう県知事さん、その他の方ともお話したのですが、B地区からA地区にたまを撃つということは、現実に被害は一つもないわけです。従来撃ってなかったところで大砲の音が聞えるようになれば、観光客その他も減るだろうということは言えないことはないかもしれませんし、その意味において被害があるといえば言えないこともないでありましょうが、これまた今申し上げましたように、今後のことはわかりませんが、八年間にたった六日間ということを言ってきたのでありまして、そういう実害というものは私ども想像できないのですが、射撃をするという
行為自体には被害はない。但し県側なり地元民としての不安は、それを足がかりにしてB地区が被弾地区になるのではないか、あるいはその他の演習もB地区で——今ほとんど使っていないのですが、活発にやるような純然たる演習区域になってしまうのではないかという不安が根本にあって、これが原因でもめておるわけで、射撃そのものは別に痛くもかゆくもない、こういうことを言っておるのであります。いずれにいたしましても県側は
アメリカ側の射撃が不法であると称し、
アメリカ側は県側が不法であると言い、それで対立しているのが
実情であります。
合同
委員会においてという御
質問でございましたが、昨日開催いたしましたのは施設特別
委員会でございまして、合同
委員会の本物ではないのでありますが、施設特別
委員会におきましては、今の協定に違反するかどうかというところまで問題になったわけで、申し上げましたような理屈を
向うに言って、こちら側はそれは
日本側に
アメリカの
指摘する
通り協定違反——私もそれは
考えざるを得ないような気がいたしますが、調整すると書いてあるのに協定に応じないという返事をするということはいかがかと思うけれども、さりとて調整が済んでいるという
アメリカの言いぐさも少し無理じゃないか。
アメリカが県当局との間に調整する、県当局がわけがわからずに調整しないというのであれば、なぜ私のところでも何でも中央へ文句を言ってこないか。そういう意味で調整が、実質的には
日本側より
アメリカ側の方がよけいに調整の努力をしたということは事実でありますけれども、形式的に完了しないということは、しいていえば言えるのではないか。従って事前の調整云々ということが論議されたわけでありますが、これは申し上げましたような
事情でありまして水かけ論になるわけです。そうすると私の昨日の感じでは、相当な水かけ論になったのでは、射撃の方はきのう始まったのですが、どんどん進行してしまう。しかも十三日には終るという射撃なのであります。この水かけ論を二、三日くらいやるのはわけはない、そのうちに射撃の方が済んでしまうということになっては、これは仕事としては醜態であると
考えまして、また施設
委員会に
委員として出て参ります
アメリカ側の諸君では、これを急速に解決するという責任のある処置がとれないと
考えましたので、これは協定違反とかあるいはどうだということで施設
委員会の問題であるかもしれないけれども、私自身としては施設
委員会における論議はこの辺にしておいて、直接
現地の司令官なりあるいは極東陸軍の司令官なりに
交渉して、事態を解決するようにした方が話が早いと思うから、
アメリカ側の
委員がわれわれの権限だというふうに突っぱらないようにということで、その了解も得ましたので、昨日のところでありますが、実は正直なところは今朝でも行くつもりでおりましたら、
向うでも来てほしいという
状況なのでありますが、陸軍の責任者と直接私が
交渉して片づけてみようと現在
考えておる次第でございます。県知事さんとも昨日会い、お話をしておりますので、大体私の
考えておりますような線で事態が引き戻されていけば何とかなるでしょうというお話であったと
考えております。