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1955-07-15 第22回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第12号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十年七月十五日(金曜日)     午前十一時五分開議  出席委員    委員長 高岡 大輔君    理事 臼井 莊一君 理事 辻  政信君    理事 逢澤  寛君 理事 中山 マサ君       木村 文男君    保科善四郎君       眞崎 勝次君    眞鍋 儀十君       田村  元君    山下 春江君       河野  正君    受田 新吉君  出席政府委員         厚生事務官         (引揚援護局         長)      田邊 繁雄君  委員外出席者         厚生事務官         (引揚援護局業         務第一課長)  白井 正辰君     ————————————— 本日の会議に付した案件  参考人招致に関する件  遺家族援護元満洲開拓青年義勇隊及び沖繩義  勇隊処遇等の問題)に関する件     —————————————
  2. 高岡大輔

    高岡委員長 これより会議を開きます。  本日は遺家族援護に関する件について議事を進めますが、本件に関し元満州開拓少年義勇隊及び沖繩義勇隊処遇問題について質疑の通告がありますので、これを許します。山下春江君。
  3. 山下春江

    山下(春)委員 過去の戦争におきまして、本来ならば考えられないことでございますけれども戦争の末期に、人的不足その他の状況から、非常な年少者がいろいろ戦闘行為国家権力で動員されたという事例がたくさんあるようでございます。特に私どもは、この身分がどうであろうと、非常に大きな疑問を持つと同時に、この疑問が明らかにされましたならば、幾ら年少者であっても兵としての処遇をしていただきたいと思うのであります。  まず、沖繩の問題から申し上げますと、沖繩には鉄血勤皇隊あるいは通信隊等学徒が動員された事例がございます。これは、十七才以上もございますが、十七才未満の者が相当多数戦闘行為に参画いたしまして、死亡した者が五百六十七名と私どもは聞き及んでおります。それがどういう理由で動員されたかと申しますと、陸軍特別志願兵令昭和十三年二月二十二日勅令九十五号で出、それが後に昭和十九年に改正されまして勅令五百九十四号になっておりますが、その中の第二条に「年齢十七年未満帝国臣民タル男子ニシテ兵役ニ服スルコトヲ志願スルモノハ陸軍大臣ノ定ムル所ニ依リ詮衡ノ上之ヲ兵籍ニ編入シ年齢十七年ニ満ツル迄第二国民兵役ニ服セシムルコトヲ得」となっておりまして、その附則に「前項ノ規定ニ依リ第二国民兵役ニ服セシメラレタル者兵役ニ関シテハ兵役法ノ定ムル所ニ依リ第二国民兵役ニ服スル者ノ中徴兵終決処分経ザル者兵役ニ同ジ」としてございます。こういうところから考えまして、私はこれは明らかに兵として取り扱うべきものと考えますし、なお同じく昭和十三年の三月三十日の陸軍特別志願兵令施行規則の第十一条の二に「令第二条ノ規定二依り第二国民兵役ニ編入スル者ハ年齢十四年以上ニシテ現住地所管ノ聯隊区司令官陸軍兵事部長含ム以下同シ)二於テ適当ト認ムルモノニ限ル」としてございます。こういうところから、との鉄血勤皇隊というのは、現地司令部で適当と認めて戦闘に参画せしめたであろうと考えられます。当時のことを報道いたしました、昭和二十三年であろうと思いますが、一九四八年七月十日付の新聞にこういう記事が出ております。沖繩人たちがこの鉄血勤皇隊及び通信隊等軍人として扱ってもらいたいという記事の中に、それらの鉄血勤皇隊通信隊の中で、十五才あるいは十六才で死没後二階級特進をさせたという記事がございまして、当時の状況をしのぶ資料もぼつぼつ出ておりますというところから見ますと、これは軍人として取り扱うべきものではなかろうかと考えますが、援護局長の御意見を承わりたいと思います。これは、援護局長と申しますよりも、御調査の上、政府から正式に兵として扱うあるいは扱わないということをお聞かせを願いたい。ということは、沖繩は、非常な苛烈な戦いで、非常な悲惨な状況に置かれました上に、戦後は本土復帰もかなわず、それでも沖繩島民は苦痛に耐えながらも、やはり日本人である、本土に復帰できる日を夢見つつ、いろいろな苦難に耐えておるということを考えますときに、日本国家といたしましては、こういう気持に最大限にあたたかく報いてやるべきものでなかろうかと痛切に考えられますので、そういうふうに考えましたが、しかし、この問題について終始御努力を願っておる援護局長に御決意を承わりたいと存じます。
  4. 田邊繁雄

    田邊政府委員 お答え申し上げます。いわゆる沖繩学徒隊の中の戦没者処遇につきましては、政府といたしましても、従来から、これを重視いたして、実は慎重に研究を進めてきておる次第でございます。ただ、何分にも戦闘が非常に苛烈でありまして、生存者が少かった、またその上に、平和条約締結までの間、占領下のわれわれといたしまして、現地まで調査の手を伸ばすことができなかったために、昭和二十九年の四月までに提出されるものと予定しておりました復員届出も、今年四月以降になりましてようやく逐次出てきておるという状態でございますので、現在もなお沖繩戦没者身分に関しましては調査をしなければならないという実情でございます。こういうわけで、沖繩戦没学徒身分取扱いに関しましては、御意見のような点もございますので、実は慎重にやっている次第でございます。  申すまでもなく、元来、国民軍人という身分を与えますためには、召集による入営かまたは徴集による入隊という形によらなければならなかったことは御承知通りでございます。お話のありましたいわゆる鉄血勤皇隊員としてあげられました中にも、生存者を含めて約百名をこえる者が現実入営いたしておりますが、これは満十九才に達しておりまして、つまり入営適齢期に達しておりましたけれども、まだ学校に入っているために、入営延期をいたしておったわけであります。それが沖繩状態が切迫して学校が閉鎖になりましたときに、入営延期の取り消しをいたしまして、正式に現役兵として入営せしめたのでございます。その他の者につきましては、当時現地においてどういう形式、どういう手続でやったかということを調べておりますが、まだ全貌がはっきりいたしませんので、私どもこれを研究いたしてみたいと思っておる次第でございます。何と申しましても、その当時個々の学徒隊員をどういう手続でその隊の編成をなさしめ、それを軍の所属下に置いたかという一つ一つ手続を、まず明らかにする必要があると思うのでございます。  次に、戦没当時、軍として二階級特進取扱いをした満十七才未満の者があったというお話でございますが、私の方で承知しておりますところでは、それはいずれも満十九才以上の方々ばかりでございます。これらは正式に召集または徴集された方々のようでございまして、お話のような十七才未満の方で二階級特進取扱いを受けた者は、今日までの調査では私ども承知しておらないのでございます。  次に、お話通り、満十七才未満で満十四才以上の者を召集または徴集するためには、陸軍特別志願兵令規定に従って、志願によって第二国民兵役に含むものとして一般兵籍に編入して、その上で召集または徴集するということは可能であり、またそういう規定が存しておったわけでありますが、現実にそういうふうにやっておったかどうかということは調査を要する点でございますので、これも関係方面において目下調査を進めておるような次第でございます。  以上申し上げましたように、これらの方々軍人という身分を持っておったかどうかということは、事実でございますので、あくまでも、この事実について、所要の手続をとってやったかどうかということを調べる必要があると思うのでございます。お話にありましたように、沖繩特殊性ということも十分考えねばなりませんので、先ほど申し上げましたように、特に慎重な取扱いをいたしておるわけでございまして、目下研究中でございます。このために現地にも関係係官を派遣いたしまして調査を進めさせておりますので、できるだけ早く資料を固めまして決定をするように取り運びたいと考えておる次第でございます。  なお、この問題は、当時の手続形式がどうであったかという問題と同時に、こういう方々の部隊、つまり学徒隊とか鉄血勤皇隊の任務が何であったかということも重要な問題であろうと思います。いやしくも軍人という身分を持たない方に生命を賭して戦うような行為を命令するということは、軍人に対してでなければ命令し得ないはずでございますので、そういう点が果してどうであったかということもあわせて調査する必要があります。単に築城であるとか、後方勤務であるとか、あるいは弾薬運搬という程度のものでございますれば、一般に例のあることでございますが、それ以上を越えて、生命を賭して危険を冒し戦闘行為をするようなことまでも、軍として要請し命令しておったかどうかという点も重要な点でございますので、こういう点もあわせて調査をいたしたいと思います。  なお、この問題は、沖繩だけの問題とも考えられませんので、総合的に検討をしてみなければならない。数は他の方面においては少いかもしれませんが、波及するところは単に沖繩だけにとどまらないとも考えられますし、また一方、単に気の毒だから軍人という身分を与えるというルーズな取扱いをするということは、われわれとしても戒めなければならぬ点でございますので、それやこれやを勘案いたしまして、最後的な決定に至るように取り運びたい、こう考えている次第でございますので、いましばらく御猶予を願いたいと思う次第でございます。
  5. 山下春江

    山下(春)委員 援護局長のお心がまえは承りましたが、私は、重ねて恐縮でございますが、今沖繩の場合だけを限定して申しておるわけでございますが、沖繩の今申しました新聞の中に人の名前などがちゃんと記載してございます。十五才の知念弘君、これは一中でございます。それから男子師範学校では神田真決君、江田智英君、西銘武信君、一中で佐久川寛弁君、池原善清君、二中で石川清公君、これらはいずれも十六才でございまして、特に抜群の功績で二階級特進上等兵になった、その他に、徳丸中尉の率いている三中の通信隊、これは本部の半島で全滅いたした、水産通信隊は瀬底正賢君一人を残して全員が戦死したというような記事があげられております。今局長が仰せられるように、これらの年端も行かないものを、苛烈な戦いに、あの過激な戦闘行為にどういう形で参画させたかというようなことは、これはむろん調査を願わなければわからないことでございますが、ただ私はこれは一片のセンチメンタリズムにかられて申すわけではございません。本日所持しておりませんが、当時のもっと古い新聞を私は預かっておるのでありますが、それには当時のことがわれわれに想像のできるような記事等もございます。いずれにいたしましても、この年端も行かない青少年愛国至情に燃えて散華いたしたことでございますから、御調査はむろん的確に願うことは望ましいことでございますけれども沖繩島民といたしましては、かつて、あの苛烈な戦いの中にありまして、防空壕の中に退避しておる子供が泣き叫ぶ、それが電探に触れては味方に不利を及ぼすというようなことで、心を鬼にして銃剣の先でこういう泣き叫ぶ子供を突き殺した、こういうような事例も非常にたくさんあるように聞いております。全くわれわれ、今にして考えても、涙なくしては考えられないような状態を想像するのでありますが、それでも、沖繩の人々は、これらの問題はもう割り切りまして、特に鉄血勤皇隊あるいは通信隊の真に軍務として散華した青少年の魂に報いるために、その後非常に熱心な運動を続けておるようでございますが、一つ局長に伺いたいと思いますことは、馬淵事務官というのはまだただいまでも現地におられましょうか、どうでしょうか。おられるとしますと、その馬淵事務官の談としてここに掲載されておりますのは、おそらくこれは、調査の結果、軍人として扱わないことはまことに不合理である、しかし、ほんとうに軍人として扱うのには、ちょっと欠けた点があるというようなことを、きっと推測してではなかろうかと私が推測するのでありますが、その馬淵事務官の談として、政府としても事実は認めている、ただこういう例は満洲義勇隊南方あたりにもたくさんひっかかりになっていることであるから、これが解決特例法を設けて措置することがいいのではなかろうかというような談が出ております。これはおそらく調査の結果としての気持を言われたのではなかろうかと思いますが、この方は現地に今でもおられて、そしてもしその調査の結果によりまして今私が想像申したようなことがあれば、特例法を設けてこれを救済しょうというようね御意思があるかどうかも承わってみたいと思います。
  6. 田邊繁雄

    田邊政府委員 馬事淵務官は、御指摘通り引揚援護局から現地の駐在官として派遣されている人でございます。現在も駐在して復員業務等の促進に当っているのでございます。当人のやっております調査の結果どういう資料が集まったか、まだ報告を聞いておりませんけれども考え方といたしまして、当時の軍としてはそういう手続はしておらなかった、従って軍人ではなかったという場合に、今日それを振り返って軍人という身分を与えるのが至当であるという結論になりました場合に、立法するということも考えられると思います。しかし立法しないでやるということも考えられるのであります。すでに戦争が終って十年になる今日、当時の兵役法とかなんとかいうこともどうであろうかという感じがいたしますが、それはいずれにしても、先ほど申し上げましたように、形式及び実質調査を済ました上で検討を加えまして結論を出すようにしたい。その場合の結論のいかんによりまして、どういうふうにすればいいかという問題は、あとは手続的な問題になりますので、これは現在の法律でやれるか、あるいは現在の法律でやれないかということを研究すればよいわけで、何分にも、先だつものは、形式及び実質に関する事実を明らかにすることでございますので、その後現地馬淵事務官のほか二名の者を派遣してございますので、調査を急がせて、早く結論を出しだいと思います。
  7. 山下春江

    山下(春)委員 私ども議会といたしましてお願いすることは、るる申しましたごとく、今沖繩の置かれております地位が、われわれ察するに余りあるような本土に対する非常な思慕、要するに日本本土にすみやかに復帰したいという切なる願いを込めて苦闘を続けておる現在の沖繩状況からいたしまして、せめて、この問題の解決には、今援護局から御派遣の二名を加えて御調査を願っておる、そのことだけで本非常に明るい気持を与えておると考えられます。私どもは、その結論を待つ前に、こうする、ああするということは申し上げられませんけれども、その結論を出すことについて調査をすみやかに完璧にするということは、沖繩良民、特に苛烈な戦いに参画して、どのような身分であろうとも、いたいけな青少年愛国至情に燃えて散華したということの事実は、これは確実な事実でございますので、それらの霊が浮ばれるよう血御処置を願うために、十分な御調査と、調査の結果に対してはあとう限りのあたたかい手を差し伸べての援護をぜひともお願いしたいと思うのであります。  この沖繩の問題と同じような問題で、満州開拓青年義勇隊の問題がございます。これは、現在国会に席を持たれる先生方の中で、この状況を御自分で視察をなされたり、あるいは御自分で引率して渡満されたり、いろいろな事情にある方が相当たくさんおられるようでございまして、との問題については、いずれの先生方も、との問題の解決がつかないと何とも申しわけのない気持だということは私ども常に聞くのでありますが、満州義勇隊の方につきましての援護局の御調査はどのようにただいまなっておりましょうか。
  8. 田邊繁雄

    田邊政府委員 満州義勇隊が、終戦直前にどこに配置されておって、それが何名でありまして、どういう運命をたどっておったかということを一々詳しく申し上げますと長くなりますので、それは省略いたします。  大別いたしますと、義勇隊というのは、開拓団と違いまして、開拓訓練本部という一種の国家機関に直属しておったものでございます。その訓練所が、中央的なものと地方的なものとありまして、各地にあったわけでありますが、これは、内地から送り出すときには、各農村等学校に相当強く要請いたしまして選出されまして、内原訓練所におきまして訓練を受けて、満州に渡って、そこで一定期間間訓練を受けまして、それを卒業いたしますとそれぞれ開拓団に配属されたわけであります。この配属される前の状態開拓青年義勇隊であります。その義勇隊訓練本部でなり訓練支部訓練を受けておったわけでございますが、ソ連参戦直前に軍から動員を受けた方が相当あるわけであります。その方々軍人たる身分を持って軍隊に入ったわけであります。残った方々の中で、各地方の機関、軍なりあるいは民間の工場等にいわゆる勤労奉仕隊のような形で応援に出かけたわけでございます。残った中の大多数の者は、南満軍事工場地帯工場に、日本学徒学徒報国隊を作って協力したと同じように、そこに行って働いたわけであります。一部の者は軍の中にすっかり配置されまして、軍の軍属に採用されて仕事をした者もございます。中には、辺境地帯におきまして、参戦と同時に敵軍と戦って死亡した方もおられます。当時関東軍が早く撤退したために取り残されてしまった。そして戦闘を行なって戦死した方々もあります。しかし、大部分の方は、おそらく終戦帰還を待っている間に病死されたように承知しております。中には、ソ連に抑留され、向うで病気になられた方もあります。従って、満州開拓義勇団と申しましても、訓練本部におる間に起った事故ではございませんで、そとから各地に派遣されて後、終戦前あるいは終戦後死亡されている。その死亡の態様はいろいろでございまして、沖繩のこういった方々学徒隊に準ずるようね方もある、あるいは一般の特別未帰還者と同じような状態でなくなっている方もある、あるいは、一般引揚者と同じように、引き揚げのセンターにおいて引き揚げを待っている間に病死された方もある、こういう状態であります。今御指摘になりました事例は、沖繩学徒に準ずるようなケースの点を御指摘になったと思いますが、全体的に申しますと、画一的に取り扱えないような状態であると考えますので、私どもは、沖繩の問題を取り扱う場合に当っては、開拓義勇隊の中の辺境地帯にあって戦闘行為をやった方々、こういった方々もこの問題に関連して研究を要するであろう、こう思っているわけであります。
  9. 山下春江

    山下(春)委員 今お話を伺いますと、義勇隊の方は相当確固とした基礎のある訓練を受けて、現地におきましては辺境の地で全く軍人と同じような国境警備に当り、ソ連参戦と同時に非常に悲惨な戦死をしたということに取れるようでございますが、そういたしますと、これは年齢その他の問題を越えて、やはりこれは、軍属でなく、兵としての処遇をすることが適当ではないでございましょうか。
  10. 田邊繁雄

    田邊政府委員 その点は、どこの地点でどういう状態にあったかということはまだ承知いたしておりませんので、沖繩の問題と合せて検討を要する問題であると考えております。今度の戦争特殊性からいたしますと、玉砕地というのは南方にたくさんできたわけでございます。その際に、軍人であろうと軍人でなかろうと、すべて戦ったという事例はたくさんあるわけであります。その際に軍人でなかった人も今日から振り返ってみると、全部軍人の待遇を与えるべきであるという論も成り立ち得るわけでありますが、一面軍という当時の責任ある当局が取り扱った取扱いというものも、これは尊重をしていかなければねらぬと思います。戦争を終った今日から考えてどうこうという議論ももちろん尊重せねばなりませんが、やはり当時の軍が行なったということも十分考えなければなりません。たとえば、御承知と思いますが、国民義勇兵役法というのは昭和二十年六月に施行になっております。一般国民兵役を課するという法律昭和二十年六月に実施になっております。これは兵でございます。しかしその方々身分上の処遇につきましては一般軍人とは違っております。その方が戦死をした場合におきましても、恩給法上の公務扶助料というものには該当しないということになっております。一時金を差し上げるということになっておりまして、恩給法上の軍人としては扱わないということになっております。従って、当時の建前だけで議論はあるいはできないかもしれませんが、いま少し当時の辺境地帯における状況等もよく調べまして、沖繩の問題と同時に考えなければならぬのではないかと思います。他にもこれに類した事例があるかもしれません。総合的にやはり研究しなければならぬと思っております。
  11. 山下春江

    山下(春)委員 沖繩の問題は今せっかく援護局で御調査の際でございますが、満州義勇隊の方は一わたりの御調査は完了いたしておると心得ますので、ぜひこの際私どもはこの義勇隊に対してはあとう限りの処遇をいたすべきだと思います。しかも、ソ連参戦後におきまして年若い国境警備をいたしておりました人たち戦死いたしました状況は、非常にまた聞くにたえられ払いようなみじめな状況であったように聞いております。そこで、今回といたしましては、今局長の言われますように、なお今後明確に調査をいたさなければならない線があると思いますので、これは暫時軍属としての処遇をいたすとしても、今後南方のサイパンその他の島々にも同様の事例があろうと考えられます。沖繩の問題、満州の問題を合せまして、もし軍人として丘として処遇することが適当だとお考えになるときには、公務扶助料をもってこれを遇するというよう松お考えも—それには常に国家財政の中でとにかく優先的に考えなければならないことではありますけれども、明確になった場合には公務扶助料をもって遇すべきだ、こうお考えでございましょうか。とりあえずは、私どもは、この義勇隊もまだ多上少調査の不完備な点があるという援護局の御見解を了承いたしまして、私ども軍属処遇でもとりあえずはいたし方ないと思いますけれども、将来につきましては、なおよく調査して、軍としての扱いが明らかになった場合にはそのようにするという御意思はございましょうか。
  12. 田邊繁雄

    田邊政府委員 もちろん調査の結果軍人として処遇することが妥当であるという結論に到達すれば、公務扶助料ということになることは当然だと思います。問題はその結論に到達する前の調査研究が非常に必要であるということを申し上げておるのでありまして、今その点についての結論を申し上げるわけに行かない段階だと思います。
  13. 山下春江

    山下(春)委員 私、言葉が足りませんでしたが、兵として扱わないという二十年の勅令でございましたか、ございますので、兵としての実績が出てきたら、そういうものにこだわるというようなことなしに、もし確実になれば新たにお考えになるという考え方だけを承わってけっこうでございますから、この際……。
  14. 田邊繁雄

    田邊政府委員 国民義勇兵というのは、当時沖繩には施行されておりませんから、それを適用するわけに参らぬと思います。ただ、私は、当時の軍の身分上の決定というものについては、やはりこれも尊重しなければならぬということを申し上げたわけでございます。またそれだけにこだわるわけにも行かない面もあると思います。けれども軍人でなかった者を軍人とするというためには、やはりそれ相応の理由がなければならぬと思いますので、慎重を期して参りたい、こう思っております。
  15. 高岡大輔

    高岡委員長 逢澤寛君。
  16. 逢澤寛

    逢澤委員 ただいま、山下委員から、沖繩戦死者満州青年義勇隊に対する点について詳細なお尋ねがありまして、それで尽きておると思いますけれども、私は二、三の点について簡単にお尋ね申し上げてみたいと思うております。  それは、昨年の暮れに沖繩現地慰霊祭が挙行されました。そうして私は、衆議院を代表して向うに渡りまして、親しくあの惨状の戦跡を拝見いたしました。そうしてあの学徒動員によって青少年の多くの人々が学校とともに先生とともに軍に協力をして、一坪の中に砲弾が二発も落ちておるというあの惨状をつぶさに拝見しまして、しかも、あの地区では、土地の形成が珊瑚礁であるために、ほら穴がたくさんある。たまたま残っておった人はそのほら穴の中に隠れておったから残っておった。こういうよう現状を見ましたときに、さすがに日本人だ、あの少年やお嬢さんたちが軍とともに働いて、そしてお嬢さんたちは初めの方は傷病兵の看護を身の危険も忘れてやっておった。それから少年たちは兵隊さんのほんとうの手助けに立って——自分の身が青少年である、そうして動作もまた兵隊さんより機敏な動作ができる、こういうことから、その機敏な動作を活用して、兵隊さんができないようなことをして兵隊さんの手助けになって、最後まで奮闘した、こういう現実の話を、しかも現場でこういうようなことがその屋敷であったのだというようなことを聞きましたときに、先ほど山下先生からお話のように、何とかできる範囲の最大のことを——法律があるのだから、法律をゆがめてまでやることは困難でしょうけれども、範囲内で最大のことはやらねば、日本政府として相済まぬと思うております。  幸いにいたしまして向うの沖繩の人もよく理解をしております。それは、現在の沖繩地帯が米軍の占領下である、しかるに、日本政府は、かつての領土であったために、非常な温情をもってわれわれを遇しておるということについては、上下をあげて感謝しております。しかしながら、その反面におきましては、あたたかい気持でいろいろ政府取扱い、また当局の取扱いができておりますが、しかし、それがややもすると、あの地理的の状況、あの地域全体がほとんど全滅しておるというような状況から、その調査が行き届いていない、こういう点があります。そこで、先ほど、これまた山下先生から御指摘になった、また援護局の方からも御発言をいただいておりますが、その調査のためにこちらから二人の人を派遣していただき、迅速な調査をやる、こういうことなどについても私どもも一応の感謝をしておりまするが、すでに内地においてはほとんどが済んでおるときであります。援護法に対する問題、また恩給法に対する問題も九割以上のものが済んでおる。このときに、向うではまだ相当の未済のものがある、こういう点を聞いておるのでありますが、との点については一体どのくらいのものがまだ残っておるかということが、もしわかりますれば、一つお知らせしていただきたい。
  17. 田邊繁雄

    田邊政府委員 沖繩現地で、現地軍の防衛召集戦死した人の数は、資料がございませんので正確にわかりませんが、見込み数では約一万五千くらいあったのじゃなかろうか、こういう見当で調査を進めております。
  18. 逢澤寛

    逢澤委員 ただいまの政府の御答弁の一万五千というのは、これは未済の分ですか、全体が一万五千とおっしゃったのですか。
  19. 田邊繁雄

    田邊政府委員 ただいま申し上げましたのは、内地の部隊にちゃんと名簿のある方は別といたしまして、現地召集を受けて現地戦死されたと見込まれる数全部でございます。
  20. 逢澤寛

    逢澤委員 その一万五千と見込まれる数の恩給法あるいは援護法に対する処理は大体済んでおりますか、どうなっておりますか。
  21. 田邊繁雄

    田邊政府委員 資料を持ち合せておりませんので、調べてお答えいたしたいと思います。
  22. 逢澤寛

    逢澤委員 ただいまの兵隊さんの一万五千ということに対しては、私もよくわかりません。しかし、向うの現地人で、召集といいますか、あるいは現地人の協力といいますか、ともかくも戦闘に参加して倒れたというのが十数万、こう伝えられております。この中に今の学徒動員とかあるいは俗にいうひめゆり部隊とかいうようなものが含まれておると思います。そこで、私がこれから主としてお尋ね申し上げたいと存じますのは、先ほど山下先生がお話の、軍の命令による学徒動員によって、これに挺身して殉職した十七才未満の者に対する処置は、今までのお話では、今調査員を派遣して調査中である、そこで今後の処理だと言われたが、こういうように承わってよろしいのですか。こういう満州青年義勇隊に準ずべきもののような場合には、あるいは軍属として取り扱うか、先に、山下さんからのお尋ねに対して、調査によって恩給法の適用までなし得られる者がその中にはあるかもれぬというようなお話のように拝承したのでありますが、それらの沖繩においてもまた同様のことに取り扱える可能性があるかどうかという点について、もう一ぺんお尋ねいたします。ちょっとわかりにくいと思いますから、重ねて申し上げます。一口に言いますれば、満州青年義勇隊と同様の取扱い可能なりやいなやということです。
  23. 田邊繁雄

    田邊政府委員 先ほど山下先生に詳しく御答弁申し上げたのでございますが、それに関連して、満州開拓義勇隊の中にも同様の事情の者があるではないかという御質問がありましたので、そちらの方に議論が飛んでおったものでございまして、もともとは今御指摘沖繩の動員学徒戦死者身分上の処遇についてどうするかということでお答えをしておったのが、たまたま話が沖繩以外のことに及んだわけでありますので、先ほど山下先生に詳しく御答弁した通りでございます。
  24. 逢澤寛

    逢澤委員 その点はわかりました。  そこで、私は、この機会に、せっかく田邊援護局長がおいでになっているから、ちょっと一点だけ、この問題とは違いますが、伺いたいと思います。それは、たまたま先般来本委員会におきまして話題になったそうでありますが、私どもは、戦没者遺族の処遇問題につきましては、微力を尽しているのでありますが、これと関連いたしまして、かねがね田邊援護局長も心配はしていただいていると思うのでありますが、靖国神社の処遇の問題であります。もちろん現在は、憲法上のいろいろの制約を受けて、今次の大戦においても二百万を突破する祭神があるにかかわらず、国民の崇敬の的であるべきはずの靖国神社に合祀できないで、これら関係者としては非常に残念に思っておりますが、憲法上の制約を受けて国家として何らの処遇をすることができないからやむを得ぬというので、涙をのんでそのままにしている。しかしながら、一応遺族としての問題が解決するに従って、この精神的の問題について大きな関心が持たれるようになってきております。そこで、その後、これはあなたの方の直接の関係ではないかもしれませんけれども援護関係のお取扱いの役所として、今後の神社経営また霊祀の奉祀に対する取扱い、こういうことについてお考えがありましたら、一つこの機会にお聞かせいただきたいと思います。
  25. 田邊繁雄

    田邊政府委員 靖国神社は現在宗教法人としての取扱いを受けておりますので、私からただいまの御質問に対してお答えして、適切なお答えができるかどうかちょっと疑問がありますが、ただ私の気持を申し上げます。これは逢澤先生が今お尋ねになったことに対するお答えになるかどうかわかりませんが、私の気持を申し上げてお答えにかえたいと思います。  御指摘通り、政教分離の現在の憲法の建前におきましては、国が靖国神社に対し、直接または間接にせよ、援助をするということはできないことだと考えております。ただ、合祀がおくれているということは、国民としてまことに遺憾に存ずる者の一人でございますので、靖国神社といたされましても、関係機関の協力を得られまして、早く合祀の手続を済まされることを念願するわけでございます。私ども気持といたしましては、もし法の許す範囲内におきましてお手伝いをする面がございますならば、できるだけ御便宜は計らいたい、こういう気持でおります。
  26. 逢澤寛

    逢澤委員 これはあなたにお尋ねするのは無理かもしれませんが、お尋ねしたい本旨は、現在の憲法上、宗教法人としての靖国神社に対し国がいろいろの手を伸ばすことはできないという、この点については私もよくわかります。従って、私がお尋ねしたいことは、人間田邊としては、むろん国家の手によってあの処遇は何とかせねばいかぬということは御理解いただいておると思う。しかし、役人としては、今の憲法上の制約を受けておるからできぬ、こういうお考え方だろうと思うが、そこで、何とかあれを国家的のお宮にせねばならぬというお考え方があるかどうか。今は憲法の制約を受けておるからやむを得ぬのだけれども、これは国の多くの祭神を祭っておるところのものであるから、国がこれを管理して祭祀せねばならぬというお考えがあるかないか、この点についてお伺いしたい。
  27. 田邊繁雄

    田邊政府委員 お答えにならないと思いますが、さような問題はむしろ先生方の方でおきめになるべきものであろうかと思います。
  28. 逢澤寛

    逢澤委員 これは私がお尋ねする方が無理だと思いますが、そこで、さっきも申し上げたように、あなたのお気持はよくわかるのだが、従って、祭祀の問題にいたしましても、国でできる範囲のことはお手伝いしたいというお言葉もありましたけれども、いろいろのことについてできる限りのことをやりたいという御見解だと思うのでありますが、今後におきましても、との靖国神社の性格について積極的なお考え方を——あなたの方だけでできないということになれば、あるいは文部省とも合議を賜わりまして、お進めいただきたい。従来も、援護法関係で、現在生きておる多くの者に対してあたたかいお気持で熱心におやり下さったわけでありますが、その残された人たちにとりましても、これは精神的に大きな問題でもありますから、あなたの方からも、一つ積極的なお考え方で、今後の靖国神社の処遇、処理の問題について十分お考えいただきたい。これを私の希望意見として申し上げておきます。
  29. 中山マサ

    ○中山(マ)委員 今靖国神社のお祭の件について御質問がございましたが、これについて、私の質問が妥当がどうか存じませんけれども、お尋ねしておきたいことは、世にいわゆる無名戦士の墓ということが非常にやかましく取り上げられておる。このごろはどういうふうになっておるか存じませんけれども、私が厚生省におりました時分には、いろいろな陳情を受けたのでございますが、私は、この無名戦士というものが、あるのかないのかということが非常に疑わしいのでございます。いわゆる軍人として陸、海、空においでになった方は、大体軍籍というものがあるはずだと思うのでございますが、どういうわけで無名戦士というものが存在するのか、どういう人が無名戦士なのか、私は非常に疑問に思っております。また、これに関連して疑問に思いますことは、外国におきまして、よく無名戦士の墓によその国の大統領とか偉い人たちが花束をささげるという記事を読むのでありますが、もし、政府がしっかりし、その軍籍が判然とさえしておれば、私は、無名戦士というものはあり得ないのではないかというふうに考えるのでありますが、御当局はこれに対してどうお考えになっていらっしゃるか、御意見を聞きたいと思います。
  30. 田邊繁雄

    田邊政府委員 中山先生も御存じの通り、無名戦士の墓につきましては、閣議の了解事項になっておりまして、政府の責任において国がこういった納骨地を決定することになっておるはずでございます。まだ最後的な決定にまで至っておりませんので、今日まで遅延いたしておるのでありますが、これは大体、海外から収集してきた遺骨で引取手のないものを、政府がそこに納めるという施設であるように考えておるのであります。これは名前が無名戦没者ということにいたしておりますが、これは実は仮称でございまして、外国にはよく無名戦士の墓というむのがございますが、それと同じだとは考えておりません。それで、私の方では一応仮称というわけでありまして、遺骨がだれのものやらわからない、また遺族にお渡しすることができないという意味で、無名という言葉を使ったのであります。従って、この名前はどうも誤解を生ずるようでありまして、あまり適当な名称だというふうにわれわれも考えておりません。各方面の御意見を実は伺ってみたのでありますが、先生のような御疑問を持たれる方が相当多いようであります。またいろいろ関係の方々に御意見を伺っておりますが、まだどういう名前ならいいという最終的な御意見もお聞かせいただいておりませんので、最終的にどういう名前にするかということもきまっておりませんが、ただいまお述べになりましたような疑問があるとしますれば、これはいけないことだと思いますので、この点十分しんしゃくいたしまして、名前をきめる場合には誤解の生じないようにいたしたいと思います。
  31. 中山マサ

    ○中山(マ)委員 いわゆる軍人と名のつく人は今なお合祀がおくれておりますが、結論においては、靖国神社にお祭りする、そうして引取手のない遺骨だけをそこに葬るという点でございますが、その点を国民にはっきりしておいて、広報活動なり何かではっきりしておいていただきませんと、何だかまま子扱いにされている戦没者があるように思われるおそれがあると思うのでございます。あるいはあそこに入れられない人はこっちに祭られるのではないかということを私のところに尋ねにきた人もありますので、この点ははっきりしておいていただきたいと思います。ぜひその点は判然とさせて、今局長もおっしゃいましたが、名称なども説明しないでもすぐわかるようにしていただきたいというように希望するものでございます。
  32. 受田新吉

    ○受田委員 ただいまの問題に関連して……。厚生省は、仮称無名戦死者の墓に当るものを作るべく、あっせんの労をとられて、すでにそれらに関心の深い人々の意見を求められて具体的計画を立てることになっておると承わるのですが、その後この問題はいかように進展しておるのでありましょうか、お伺いしたいと思います。
  33. 田邊繁雄

    田邊政府委員 一番基礎になりますのは、何と申しましても敷地でございます。敷地の決定につきましては、閣議の決定では都内のいい場所ということになっておりまして、二、三候補地をきめまして関係の方々に折衝いたしたのでございますが、ただ、こういうものは国民の各層をあげてその土地に賛成するということでなければ、どうも最初からけちがつくということでは気持が悪い問題でございますので、私どもは、あらゆる層が一致してその場所なら大賛成だということにしたいということで、実は苦心いたしたわけでございますが、残念ながら当初そういった御賛成等の得られない向きもございましたので、そういう方面の御了解を得るように話を進めて参ったのでございます。こういうものはときが必要でございますので、だんだん御了解を得られるような方向に向っておるうちに、いろいろ事情がございまして、今日まで遷延しておりますけれども、御指摘通りだいぶ日にちがたちますので、近い将来できるだけ早い機会に敷地をきめまして、準備が進むように努力したいと考えております。
  34. 受田新吉

    ○受田委員 近い将来ということでありますが、このような問題は、すでに声を立てて計画を進められておる関係上・すみやかな進展を見せられるような御努力が必要だと思います。また、国民としましても、厚生省にこういう計画があるということに対して、もうすでによく承知しているのであるし、また、今、逢澤先生のごときは、靖国神社の中にこの無名戦士の墓を作るがよかろう、英霊としては同じ境内で長く後人をして崇拝せしめたらよかろうというお説もあったようですが、いずれにしても、この問題は候補地の問題ということに難点があるというお説でありますけれども、このようなものは世論が簡単に片づけてくれるのです。だから、こことここがあるがどうだろうと一ぺん発表されたら、世論がさっとそれに対して結論を出します。遠慮なしに計画は即時進められるような措置をされないと、はなはだまずいことになると思いますし、こうした人道的な問題の処理に対しては、あまり政治的配慮安どを考えないで、さっとおやりになることを希望申し上げます。
  35. 逢澤寛

    逢澤委員 関連して。ただいま、局長は、この問題を解決するのには第一番に敷地の問題だというお話があった。これは私は非常に異議がある。第一番に解決すべきものはその遺族であります。遺族がどこを要望するかというのが第一番でなくてはならない。敷地などというものはその次に来るべきものだ。どんなところに祭ったがいいかということを、まず遺族の意思に問わなければならぬ。ところが、局長お話のところを総合すると、遺族のないところのお骨をどうするということだから、尋ねることができぬということも仮想しなければならぬ。ところが、今、あるいは南方方面におきましても、最近皆さん方から非常に御心配いただいておるビルマ方面における遺骨にしても、どの遺骨がだれの骨であるかということを判別することはほとんど不可能であります。そうすると、多くのその遺骨がだれのものかというと、それは全国二百万の遺族のものであるとしなければならない。その遺族が今現存しているのであります。その遺族の意思を尊重して、どこに祭祀したら一番いいかということを、遺族の意思をまず聞いて、その次に敷地を選定すべきものだ、こういうことで安くては、私は大きね異議があることを申し上げておきます。
  36. 田邊繁雄

    田邊政府委員 敷地の問題は、ただいま遺族の意思を聞くべきだということでありますが、敷地の問題をきめるについていろいろ検討しておりますのは、遺族の考えを聞いているのと、これは同じことだと思います。ただ、逢澤先生のお気持にあるいは沿わないかもしれませんが、純粋に考えますれば、こういう靖国神社にしても、戦没者の墓にいたしましても、遺族の専有物だという考え方はいかがなものかと思うのであります。もちろん遺族の御意思は十分尊重しなければなりませんが、国家、国民が尊崇するというものでございますので、建前としてはそうでなければならない。しかし、遺族の気持を尊重したいという立場をとっておればこそ、ああいうふうに受田さんからおしかりを受けることになるわけでございまして、円満に各方面の十分なる御了解と御賛同を得た上で建てたいというのがわれわれの念願でございます。どうか御協力下さるようにお願いいたします。
  37. 中山マサ

    ○中山(マ)委員 それの予算は厚生省内で今ちゃんとしておりますでしょうか。してあるとすれば、どのくらい予算がとってありますか。
  38. 田邊繁雄

    田邊政府委員 これは予算には計上してございませんが、計画が立ちましたときには予備金でまかなうように、財務当局と了解がついております。
  39. 受田新吉

    ○受田委員 私は今高岡委員長あてのこの手紙を中山先生から回してもらって拝見いたしました。また先ほどからいろいろと沖繩における少年兵の戦死状況などについての討論がかわされたのでありますが、この手紙の内容を見ても、また先般来いろいろ話し合っているそうした討論の内容を見ても、この際、沖繩の最も不幸な条件のもとに戦死された人々の実態調査のために、政府からむ代表者を出して調査されると申されたけれども、国会から、この委員会から代表者を何人か出されて、できるならば各党から出されて、現地に行って、特に御苦労なさった方方に対して日本国を代表してお礼申し上げ、あるいは悲壮な最期を遂げられた方々の霊を慰められたり、もしくはこうした問題の処理のために現地検討を加えるという重要任務を帯びて、国会議員、特にこの委員会の構成をなさっている方々より早急に現地派遣の措置をとられんことを御提案申し上げ、委員長の御採択の手続を願いたいと思うものであります。
  40. 高岡大輔

    高岡委員長 お諮りいたします。今受田さんからの御提案は、理事会を開いて、理事会で議を練りまして、その結論を得て、各党に持ち帰るなりないしは議運にこれを持ち込む方がよかろうかと思うのでありますが、いかがでございましょうか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  41. 高岡大輔

    高岡委員長 それではさようお願いいたしたいと思います。  なお、私この際援護局長にお伺いしたいことは、調査に対しては非常に御熱心にやっていらっしゃるのでありますけれども、その調査官に対して、当委員会でたびたび沖繩問題が論議されておりましたこの前後の事情といいましょうか、との内容を特に一つ御連絡下さいまして、ここの政府の御答弁と出先の調査官のお気持とに食い違いのないように、十分御連絡を願いたいと思います。
  42. 中山マサ

    ○中山(マ)委員 局長にお尋ねいたします。今この回覧をさせていただきました中に、ぜひ一つ国債を買い上げてほしいという問題がございますが、その回覧のなにを見てみますと、向うでは戦争のために住宅も何もめちゃくちゃになってしまっているというようなことがございまして、まことにお気の毒な状態を私は見るのでございます。私が思い起しますのは、内地におきまして、九州に非常な風水害が起りましたときには、国債を最後まで待たないで、ほんとうにそういう気の毒な状態になった人には買い上げたという先例があることを伺うわけでございます。実際生活が非常に困窮している人たちのためには、その九州の先例にねらいまして、これを買い上げてやるというような政府のあたたかい温情があるのかどうか。風水害の人には買い上げてやる。片方は戦争で片方は天災でございます。天災の人たちにすらそういうことをされたのですから、国の政治の動向によってこういう悲惨な目にあいました人たちには、私はなおさらして差し上げる熱意と責任をお感じ願いたいと思うのでございますが、この点いかがでございましょうか。
  43. 田邊繁雄

    田邊政府委員 内地の場合におきましては、国債を買い上げるという措置を当初よりとりまして、本年度におきましても国債買い上げの経費を大蔵省予算に若干計上してやっております。沖繩の場合には、財政金融の関係の事情がございまして、内地通りには簡単に運ばない事情にあるようでございますが、御要望の点は、大蔵省の方と相談してみまして、できますれば買い上げるようにいたしたいと思いますが、なおよく相談させていただきたいと思います。
  44. 中山マサ

    ○中山(マ)委員 内地の場合はやるけれども、こういうところにはちょっとむずかしいようなお言葉でございまするが、そのむずかしい理由をこの次のこの委員会にはぜひ御報告を願いたいと思います。天災となぜ同一に取扱いができないのか、どうも納得の行かないことでございますので、ぜひ、この次まででけっこうでございますから、大蔵省と御懇談の上で、一つその隘路を私どもの前に御公開願いたいと思います。     —————————————
  45. 高岡大輔

    高岡委員長 この際お諮りいたします。去る五日の委員会において御決定願いました靖国神社における英霊合祀問題の参考人につきましては、委員長において人選いたしましたところ、靖国神社権宮司池田良八君、靖国奉讃会理事長館哲二君、靖国奉讃会事務局長大谷藤之助君、靖国奉讃会経理課長中村清一君、以上の諸君が適当と思いますので、本委員会の参考人として事情を聴取したいと思いますが、招致の日時及び手続等については委員長に御一任願うに御異議ありませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  46. 高岡大輔

    高岡委員長 御異議なきものと認め、さよう決定いたします。
  47. 逢澤寛

    逢澤委員 ただいまの靖国神社の参考人につきましては、私は内部のことを若干知っておりますから申し上げますが、それは館哲二君が、理事長をやっておるので、一番よく事情に精通しております。それと大谷藤之助君がいいと思うのです。ほかの連中が来たって役に立たぬ。あまりわからぬ者が来ても役に立たぬと思いますから、館哲二君と大谷藤之助君をお呼びになることが一番よくわかることを、参考までに申し上げておきます。
  48. 高岡大輔

    高岡委員長 ちょっとお答えいたしますが、やはり靖国神社側の権宮司にも来てもらわなければ一方的だという御意見もございますので、靖国神社側の権宮司の池田さんも参考人としてお呼びしなければならぬと思います。もう一人の中村清一さんは経理課長でありまして、理事長の館さんと事務局長さんの大谷さんでは、大まかのことはわかりますけれども、もしも委員の方からこまかい御質問等がございますと、この二人では答弁がいたしかねるから、それで経理課長の中村さんに参考人としてお出ましを願わなければとうてい皆さんの御期待に沿えないだろうということで、四人の方にお顔いしたわけであります。
  49. 逢澤寛

    逢澤委員 四人が来ればまことにけっこうだと思います。
  50. 高岡大輔

    高岡委員長 この際、お諮りいたします。ただいま委員長の手元に戦争受刑者の即時釈放要請に関する決議案の原案がありますので、これを朗読いたします。    戦争受刑者の即時釈放要請に関する決議案   戦いを終えて満十年今なお巣鴨刑務所には五百八十四名の同胞が、いわゆる戦争犯罪人の名のもとに残されている。講和条約が発効してすでに三年、その間本院においてこれら戦争受刑者の全面釈放に関して決議すること三度に及ぶにもかかわらず、いまだに、その根本的解決を見るに至らないことは、われらのもつとも遺憾とするところである。   ひるがえって世論の動向を見るに、戦争裁判に対するわが国民感情は、もはやこれ以上の拘禁継続をとうてい容認しえない限度に達している。   時あたかも日ソ交渉において在ソ抑留同胞の全員送還の実現を要求し  ている現状にかんがみ、政府は、これら戦争受刑者並びに留守家族の悲願と、国民の期待にこたえるべく、ただちに関係諸国に対し全員の即時釈放を強く要請し、きたる八月十五日を期して戦犯問題を全面的に解決するため、誠意をもつて速かに具体的措置を断行せられんことを要望する。   右決議する。  以上でありますが、この決議案を委員各位の御賛成を得て本会議に提出いたしたいと思いますので、この際委員各位の御了承を得たいと思います。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  51. 高岡大輔

    高岡委員長 御異議なきものと認め、さよう決定いたします。  別に御発言もございませんければ、本日はこれにて散会いたします。次会は公報をもってお知らせいたします。    午後零時二十七分散会