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1955-05-24 第22回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第2号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十年五月十七日  高岡大輔君が委員長に当選した。     ————————————— 昭和三十年五月二十四日(火曜日)     午後一時四十四分開議  出席委員    委員長 高岡 大輔君       臼井 莊一君    辻  政信君       堀内 一雄君    眞崎 勝次君       眞鍋 儀十君    逢澤  寛君       田村  元君    中馬 辰猪君       仲川房次郎君    中山 マサ君       山下 春江君    稻村 隆一君       神近 市子君    河野  正君       楯 兼次郎君    柳田 秀一君       受田 新吉君    戸叶 里子君       山下 榮二君  出席政府委員         厚生政務次官  紅露 みつ君         厚生事務官         (引揚援護局         長)      田辺 繁雄君  委員外出席者         外務事務官         (アジア局第二         課長)     小川平四郎君     ————————————— 五月十八日  委員川村継義君及び櫻井奎夫君辞任につき、そ  の補欠として河野正君及び稻村隆一君が議長の  指名委員に選任された。 五月二十四日  委員高橋等辞任につき、その補欠として中馬  辰猪君が議長指名委員に選任された。     ————————————— 五月二十日  在外帰還同胞帰還促進に関する請願(亀山  孝一君紹介)(第六八二号)  同(中村時雄紹介)(第六八三号)  同(仲川房次郎紹介)(第七一五号)  同(伊瀬幸太郎君外三名紹介)(第七五一号)  同(小川半次紹介)(第七五二号)  同(田中織之進君紹介)(第七五三号)  同(安平鹿一君紹介)(第七五四号) 同月二十一日  在外帰還同胞帰還促進に関する請願柳田  秀一紹介)(第七九〇号)  同(坊秀男紹介)(第八六九号)  戦没者遺族等援護強化に関する請願松平忠  久君紹介)(第八〇四号) の審査を本委員会に付託された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  理事互選  海外胞引揚に関する件  遺家族援護に関する件     —————————————
  2. 高岡大輔

    高岡委員長 これより会議を開きます。  ただいまより理事互選を行います。理事の員数及び互選の方法についてお諮りいたします。
  3. 堀内一雄

    堀内委員 動議を提出いたします。理事は、その数を七名とし、委員長において指名せられんことを望みます。
  4. 高岡大輔

    高岡委員長 ただいま堀内委員より提出されました動議に御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  5. 高岡大輔

    高岡委員長 御異議なしと認めます。よって動議のごとく決しました。       臼井 莊一君    辻  政信君       堀内 一雄君    逢澤  寛君       中山 マサ君    柳田 秀一君       受田 新吉君 以上七名の諸君を理事指名いたします。     —————————————
  6. 高岡大輔

    高岡委員長 これより海外胞引揚に関する件及び遺家族援護に関する件について議事を進めます。  御承知のように、前国会解散以来、中共地区より、第十次の集団引き揚げが二月二十四日に、第十一次の集団引き揚げが三月二十九日に、ソ連地区よりは第三次の引き揚げが四月十八日に行われましたので、この際遺家族援護現況並びに引揚者住宅等定着援護状況とあわせまして現在までにおける海外同胞引き揚げ状況について政府当局より説明を求めることといたします。なお、外務当局よりは、日ソ交渉も始められる際でありますので、引き揚げ促進に対する対策等について説明を求めることといたします。  まず初めに厚生省当局より説明を求めます。田辺政府委員
  7. 田辺繁雄

    田辺政府委員 私から引き揚げ問題の概要につきまして簡単に御説明申し上げます。  まず第一に、ソ連中共地域からの引き揚げ経過でございます。  御承知通り中共地域からの引き揚げ昭和二十八年の三月より行われたのでありますが、それまでの経過を簡単に申しますると、国民政府治下よりは昭和二十三年の十月が最終でございまして、中共治下になりましてからは昭和二十四年の九月と十月の二回にわたって満州及び関東州からの引き揚げが行われたのであります。その後、昭和二十八年の二月までは個別引き揚げが行われまして、総数で三百三十二名が便船を利用して引揚げたのであります。それから、ソ連引き揚げは、昭和二十五年の四月に集団引き揚げが中絶いたしまして、その直後に、例のタス通信から、戦犯の二千四百五十八名、これは中共渡し戦犯九百七十一名を含んでおりますが、この二千四百五十八名のいわゆる戦犯病人の九名を除くほかは日本人の捕虜の送還は完了したという発表が行われたのでございます。その後二十六年の九月に至りまして、病人の八名と、それからその後戦犯刑期の満了した者が一名樺太方面から帰って参りました。  こういう情勢で昭和三十八年を迎えたわけでございますが、二十七年の十二月に北京放送が行われまして、それに基いて日本側から日赤日中友好協会平和連絡会の三団体代表北京に参りまして、引き揚げ問題を紅十字会と協議した結果、共同コミュニケ発表せられました。そのコミュニケに基きまして引き揚げが行われたのでございますが、昭和二十八年の三月から同年の十月までの間に総数二万六千百二十七人の引き揚げが行われたわけでございます。そうして翌二十九年の十月末に紅十字会の代表が来日せられまして、帰国問題等についていろいろと協議をせられたのでございます。そこで、日本赤十字社外団体と紅十字会の代表との間に十九項目にわたりまして帰国問題についてのいろいろの協議が行われまして、それが覚書として決定したわけでございます。これは新聞等において発表されておりますが、そのおもなる事項は、在華日本人総数戦犯を除きまして約八千名である、うち帰国希望しない女が約四千七百人、帰国希望しない男がその女の五分の一である、現在の帰国希望者は約三千人であるという発表が行われたのであります。それから、日本側といたしましては、帰国希望する者に対しましては帰国させるという向うの方針を各末端機関まで十分徹底させていただきたい。そうしてこの際帰国希望する者については漏れなく帰国機会か与えられるように周知徹底方お願いしんい、また内地への通信につきましては、全員について内地通信を許可していただくだけでなしに、積極的に通信を出すように強く勧奨していただきたい、これによって、でき得れば生存しておる者に関する限りこの通信によって全員氏名が把握できるようにしたい、こういうことも申し入れまして、向うでもそれを了承したのであります。戦犯者うちで絶対多数の者は近く寛大な措置を受けるであろうから、その場合においては帰国を援助する。戦犯一考一般犯罪者等服役場所刑期等もできるだけ知りたい、それについてもできるだけの協力をしよう。あるいは消息不明者につきましては安否調査について十分協力してもらいたい、それも承知した。また死亡者についてもわかっている限りできるだけ死亡者状況を知らしてほしい、その点についてもできるだけ協力する。かような覚書が締結せられたわけであります。その結果、今日まで、昭和二十九年の九月から現在までに合計二千九百三十四名の引き揚げが行われておるわけでありまして、従って昭和三十八年の三月からいたしますと、総数三方九千六十一人の引き揚げが実施されたわけでございます。  ソ連地域につきましては、三十八年の十月に日本赤十字社代表がモスクワにおもむきまして会談の結果、戦犯者名簿の手渡しを受けたのであります。その会談の結果、コミュニケ発表せられまして、それに基きまして今日まで千三百十九名の引き揚げが行われたのでございます。以上が今日までの引き揚げ経過概要でございます。  次に未帰還者の数の概況を申し上げます。お手元に未帰還者消息現況というパンフレットを差し上げておりますが、これは昨年の秋に発表したものでございまして、昨年の五月一日現在においてのソ連中共地域における未帰還者状況を詳細に発表したものでございます。その後中共地域よりは二千九百三十四名、ソ連地域よりは八十八名の帰還者がございまして、それだけの人数がこの未帰還者の中から減って参るわけでございますが、そのほかに、この帰還者のもたらした情報によりましていろいろと調査を進展させておりますので、その結果死亡処理をされたもの、あるいはそれぞれの区分欄区分変更を生じてきております。この調査は日一日と進められておりますので、そのつど新たになっておりますが、大体先ほど申し上げました数字をこれから差し引いたのが大体の現状だ、こうお考えいただいてよろしいと思います。もちろんこまかい点につきましてはいろいろと訂正を要する点がございますが、これはいずれまた本年適当な機会に詳細な数字をお目にかけるようにいたしたいと思っております。  最近の引揚者から得ました残留状況について申し上げますと、ソ連地域におきましては、日本赤十字社に手渡されました戦犯者名簿に載っておる方で今日残留しておる方は千三十一名でございます。その他の残留者につきましては、先般帰ってきました人からいろいろと調査してみますと、樺太を除きますと総数で千四百ないし千五百の間であると観察いたしております。その中にはもちろん日赤に手渡された戦犯者の先ほど申し上げました千三十一名を含んでおり、それが千四百ないし千五百という間の数字だろうと思います。樺太地区はこの前の帰還者はたった一名しかないので正確な数字を把握することは困難でございますが、受刑者を入れまして全体で千名前後ではないかと推測いたしております。なお、先般帰りました八十八名の方々内訳を調べてみますと、われわれの方で従来未帰還者として氏名を把握していなかった人が十名帰っております。この氏名を把握していなかったと申しますのは、お手元に差し上げてありますその数字の中に入っていない人という意味であります。お手元に上げました調査数字は一人々々名前を把握いたしましてそれを積み重ねていった数字でございますが、こちらで未帰還者として登録していない人の中から十名帰ってきておりまして、大部分は樺太関係者でございます。それから死亡処理をされた方が二人帰ってきております。いずれも戦争中の方でありますが、一人は張鼓峰事件死亡処理者が帰ってきており、もう一人は昭和十九年ごろの満州国境地域における戦闘で死亡したと見られておった方が生存しておって帰ってきました。それを除きますと七十六名でございますが、その中には昭和二十七年以降の最近の生存資料のあった方が六十六名でございます。従って、古い生存資料のあった人の中から——私の方で状況不明者と俗に呼んでおりますものの中からも、きわめてわずかではありますが、生きて帰ってくる人があるということであります。それから、八十八名の中でいろいろ調査をしてみますと、ハバロフスクの放送局に勤めておった四人の方、これは一家族でございますが、この人たちを除きますと、あとは全部向うで刑を受けておった関係者でございまして、その内訳を申しますと、三十八名の方はすでに刑が満刑になって各地において釈放されて一般人として居住をしておった方でございます。残りの四十六名の方は今次の帰還に際し特赦または減刑等措置を受けた人でありますが、病気によって特赦になった者が十三名、犯罪を犯した当時未成年者であったという理由で減刑特赦になりました者が十数名、労働成績が優秀であったというゆえをもって減刑になった者が三名、その他原因は不明であるが、とにかく特赦の恩恵を受けた者が十五名、計四十六名となっております。  以上ソ連地区状況でありますが、中共地域につきましては、先般紅十字会の代表者が来日されました際に持ってこられましたいわゆる戦犯者名簿によれば千六十九名でありますが、それ以外の生存者と見込まれる数は約六千名と推察いたしております。もちろんその中には名前のわかっている人もありまするが、名前ははっきりわからないが、大体この人は日本人だというのでわれわれの方で生存と推定している数が約六千名ございます。  以上が残留者概況でございます。  帰って来られました方の援護につきましては、応急援護定着援護にわかれるわけでありますが、舞鶴におきます援護及び舞鶴からそれぞれの御郷里に帰ります援護を総称して応急援護と申しております。あそこでいろいろのお世話をいたす際に、物資、日用品被服等を交付いたしますほか、帰還手当といたしまして、おとな一万円、子供五千円を支給しております。また帰郷雑費として、おとな一人一千円ないし三千円、これはうちへ帰りますまでの距離に応じて差し上げておりますわけであります。子供はその半額であります。それから応急医療病人に対しましては全員に対しまして二十五日間応急医療を実施いたしております。  定着援護につきましては就職住宅が一番の重点でございますが、第二種公営住宅ワクに特別のワクを設定いたしまして、ひもつきで各都道府県にこれを割り当てて建設するようにいたしております。二十九年度におきましては総額五百六十戸のワクをとりまして、それを各都道府県につき引き揚げ状況に応じて建設を進めて参っております。三十年度におきましては引揚者用といたしまして二百五十戸の戸数を設定いたしております。就職あっせんにつきましては最も努力しているところでございますが、これは所管省労働省でございますので、労働省とも緊密な連絡をとってお世話をするように推進しております。今日までの就職率は、昭和二十八年の中共引揚者につきましては、第一次から第七次までをとってみますと約七七%、それから三十八年の十二月から二十九年の三月までの間のソ連引揚者につきましては五九・七%、それからその後の引揚者につきましては、日にちの関係もございまするが、若干低下いたしておりまして約五〇%程度に相なっております。なお、先般ソ連から帰りました引揚者状況をいろいろ聞きますと、ソ連残留者生活状態が以前よりも悪くなっているということを聞きまして、そういった関係でからだの弱っている人がだんだんふえてきている、死亡者も案外に多いということを聞きましたので、さっそく日本赤十字社に手配いたしまして、粉みそ粉しょうゆ、かつおぶし、味の素、のりなどを二百九十二個、小包郵便で送付いたさせたのであります。今月の十九日に全部航空郵便で送付いたさせた次第であります。  以上、簡単でございますが、今日までの引き揚げ状況及び援護概況を申し上げた次第であります。
  8. 高岡大輔

    高岡委員長 次に外務当局より説明を求めます。小川説明員
  9. 小川平四郎

    小川説明員 引き揚げ問題につきましては、概況につきましてはただいま田辺局長から御説明があった通りでございますが、ちょっと申し上げておきますが、昨年の三月までは邦人に関します調査外務省でやっておりましたが、調査を一元的にいたしまして確実を期しますために、昨年の四月から未帰還調査に関しましては全部厚生省に人員とともに移管いたしまして、調査は原曲省で一元的にやることになっております。外務省といたしましては引き揚げ促進の部面を担当いたしております。  先ほど委員長からお話のありました日ソ交渉につきましては、日ソ交渉の話が始まりましてから、私どもといたしましては、これがソ連引き揚げ問題を解決いたします最大の機会であるというふうに考えまして、現在法での経緯、それから残留者状況で私どもの知り得ました正確な状況——ただいま田辺局長から御説明のありましたものでございます。それをまとめまして、厚生省と御相談いたしまして、あらゆる問題を網羅いたしまして全権団に御説明いたしまして、今回の機会にこれらの問題の解決をはかるようにお話ししてございます。主要点は、先日国会で御決議もありましたように、現在生存して残留している者は即刻帰してもらいたい、それから状況不明となっております者の究明を完全にやってもらいたい、この二点でございます。それに伴いまして、資料を取りまとめまして全権団に報告しております。先週の土曜日には国民大会もございまして、全権も出席いたしておりましたし、また種々留守家族団体からもお話を受けておりますので、全権におきましてもこの機会に全面的な解決をはかるという熱意に燃えておりますので、この際にソ連関係引き揚げ問題は徹底的に解決するようになることを希望しております。  簡単でございますが、以上をもって終ります。
  10. 高岡大輔

    高岡委員長 この際質疑を許します。中馬辰猪君。
  11. 中馬辰猪

    中馬委員 私はビルマ遺骨及び生存者の問題について若干御質問を申し上げます。  先般援護局の非常な御熱意によりまして大成丸南方遺骨収集に参って、遺族皆様方も非常に感激をせられたことは御承知通りであります。ところが、ビルマにおきましても、実に二十数万の英霊が向うに残っておられます。この問題について、何とか早急に解決しなきゃならぬということを、実は数年前からビルマ関係者戦死者遺家族方々はもちろん、熱心に運動されておったのでありますけれども、何分ビルマ治安状況が思わしくございませんでしたために、この問題は心ならずもさたやみとなっておったのであります。ところが、先般バンドン会議が開かれまして、それに出席せられました黒川信夫という方が、親しくビルマに参られまして、ビルマの要路の方々あるいは荷札の方々とこの問題の御懇談をされたところが、現在ビルマにおける対日感情も漸次好転しておるから、現在ならば日本から遺骨収集団あるいは慰霊祭等を行うための使節が来たならば、われわれもこれを歓迎するという確約があったそうであります。そこで、黒川氏がお帰りになりましてから、大日本遺族会全日本仏教会及びビルマ関係生存者方方が私どものところに参られまして、何とかひとつ、大成丸が行ったような、そういう仕組みのことはできないだろうか、こういう強い要望が実はあったわけであります。私も実は戦争中ビルマにおって、最後の船で帰って参ったのでありますけれども、おそらく相当数の者がまだ、ビルマ人とあるいは結婚し、あるいはビルマ部落等に入り込んで生存しておるんじゃなかろうかと思います。現に、黒川氏のお話を聞きましても、ビルマ人の中にそういううわさが相当強いそうであります。今般全日本仏教会より十九名の方が、仏教の留学生として、日緬の国交の回復といいますか、親善強化のために実はおとといでございましたか出発され、その方々にも私どもはこの問題が早急に解決するように強くお願いしておったのでありますけれども、今非常にいい機会だと思います。そこで、聞くところによれば、大成丸のときは、引揚者等援護費といううちから、十五人、うち船医一名を含めまして、三百二十三万四千円という金が出たようであります。これは大成丸の船賃その他は除くのだと思います。そこで、ビルマに対しましてもこういう措置をぜひ講じていただきたいということを考えるわけであります。もしこういう措置を講ぜられるならば、生存者ビルマ山間部落等においてさびしく暮しているような同胞方々も、必ずやこういう使節団の来られたことを耳にしまして郷里に帰ってくるというようなことに相なろうかと思いますが、この点に関しまして厚生当局の熱心なる今後の御推進方お願い申し上げたいのであります。  なお、念のために申し上げておきますが、ビルマだけではございません。その当時非常に激戦となった、現在中国領となっております拉孟とか謄越とか龍稜というようなビルマの北部の地方もございます。ここは大体北九州の部隊が非常な激戦をして戦死者も多かったところであります。それから西方では現在インド領のインパールというところがございますが、この地方は、辻先生に聞けば詳しいことがわかるかと思いますけれども、私の予想では、ここは北関東、新潟、福島等東北地方南部、それから三重県とか滋賀県とか大阪、京都等の中部、こういうところの方々相当におられました。もしこの問題を解決しようとするならば、インド政府中国政府ビルマ政府、この三つの政府を相手にしなければならぬ。これは非常にやっかいな問題もありますけれども、幸い中国引き揚げ問題等も漸次好転しつつあるやに聞いておりますから、この点厚生省方方国会皆様方の御尽力をぜひお願い申し上げたいのであります。詳しい数字その他につきましては現在調査中でございますが、なおこの点に関して辻先生の方から何か御発表があれば、まことに幸いであると思います。
  12. 辻政信

    辻委員 関連。ただいま中馬委員から非常に適切なる御意見が出たのでありますが、私も黒川さんにお目にかかって話を聞きましたところが、その中に関連しましてこういうことがある。それは、ビルマでは赤と白の共産党がかなりはびこっている。またカレン族が北方の山中に武器を持って相当がんばっております。その共産党人たち日本の人が遺骨収集に来るならば便宜を与えよう、ここまで来ているのであります。私は実は北ビルマでおもに九州の兵隊たちと一緒に一年間悪戦苦闘したのであります。拉孟謄越は私の頭にこびりついて離れない。あのくらい勇敢に戦った例は過去の戦役においておそらくないと思います。これは、一つの小さな陣地にとぐろを巻いて玉砕したところが多いのでありますから、また、一人生還した者がおるのでありますから、それを連れていけば遺骨の所在なんかはよくわかっておるのであります。ぜひともビルマ遺骨収集については政府の方では思い切った処置をとっていただきたい。  いま一つ同時に申し上げておきたいことは、二十八軍のおりましたニューギニアの北及び西、これもまた十数万の遺骨がまだ眠っております。これの収集にまだ手がつけられておりませんが、これの遺骨がどこに何休あるかというような資料は整っておりますし、また現地の対日感情も非常にいいのであります。こういう意味から申しまして、この前出された大成丸と同じ目的において、ビルマニューギニアの方にぜひともお出し下さいますように、心から私もお願いを申し上げる次第でございます。詳しい資料復員局十分準備があると思いますので、思い切ってことしじゅうにその処置をしていただきたいということをつけ加えて申し上げておきます。
  13. 中馬辰猪

    中馬委員 ただいま辻先生からもことしじゅうにという強い希望がございましたが、現地は御承知通り雨季乾季にわかれておりまして、八月一ぱいは雨で、九月、十月ごろから乾季になりますから、ことしの十一月、十二月ごろまでに船を出してもらわなければ、来年の三月初めにはまた猛烈な雨が参ります。これは高岡委員長の言葉をかりて言えば雨が積もるのだそうであります。それぐらい雨が降るところでございますから、どうか一つ年内に出発できるようにお取り計らい願いたいと思います。
  14. 田辺繁雄

    田辺政府委員 海外戦没者遺骨収集につきましては、現地了解を得られる限り、できるだけすみやかにいたしたいということで、今日まで計画を立ててきているわけであります。幸いにして関係国了解を得まして、南方八島地域、アッツ島、及び先般のニューギニア、ソロモンの遺骨収集をし得たのでありますが、まだ御指摘通り各地に未収集地域が残っております。関係国了解の得られます地域から順次実施したいと思っておりますが、ビルマ方面につきましては、御指摘通り現地事情がいろいろとむずかしい事情もあるようであります。政府から派遣団を出します際には、遺族宗教家等、それに政府職員を要するという関係もございますので、できるだけその体制で参りたい、こういう希望を持っております。現地政府了解及びその際の生命等の安全ということが何といっても大事な点でございますが、そういう点につきましては、なお外務省十分連絡をし、研究を重ねまして、できるだけ早く実施できるようにいたしたいと存じます。
  15. 小川平四郎

    小川説明員 ただいまのお話によりまして、ビルマ側においても協力するというようなお話の様子でございますので、これにつきましては、さらに現地に問い合せて確めてみたいと思っております。  それから、生存者お話がでましたが、これにつきましては、すでに先方とも話しまして、そういう奥地におられる方で帰還希望の方につきましては、大使館においてあっせんいたしまして、船賃も国庫負担で行かれるようになっております。何分、奥地におられて現地の方と結婚されている方方、は、なかなか出にくいような事情もあると存じますけれども帰還希望を表明されて参りますれば、大使館の方でお手伝いするように手配しております。
  16. 中山マサ

    中山(マ)委員 関連して伺いますが、遺骨収集のための予算は、今厚生省ではどのくらいとっていらっしゃいますか。今まで使われた金額を聞いておきたいのです。
  17. 田辺繁雄

    田辺政府委員 実はこの遺骨収集は予備金でそのつど支出いたしております。先般のニューギニアの方面の遺骨収集の際は、先ほどお話のありました通り、三百数十万円、これは厚生省だけの予算であります。そのほかに大成丸それ自身の経費は別途運輸省でやるわけでありますが、これは練習船の航海訓練という目的を兼ねて参りますので、一石二鳥と申しますか、そういう関係で参るので、全体の経費としてはもっと大きなものにつくと思いますが、厚生省遺骨収集に要する経費だけをとって参りますと三百数十万円でございます。これは、今後も計画が立ち実施できる段取りになりますれば、財務当局とも相談いたしまして、予備金その他の方法によって支出することにいたしたいと思います。
  18. 中馬辰猪

    中馬委員 それは全部予備費ですか。
  19. 田辺繁雄

    田辺政府委員 従来、予備金ないし厚生省既定予算の流用でございます。
  20. 高岡大輔

    高岡委員長 眞崎勝次君。
  21. 眞崎勝次

    眞崎委員 特にソ連に関してでありますが、十年前に当然帰さなければならぬ人を今日まで帰さなかったその理由がわかっておれば伺いたいし、また、聞くところによると、裁判等を理不尽に行なって戦犯扱いにしておるといううわさがありますが、その内情がわかっておればこれも伺いたい。なお、今後の損害賠償等の権利も保留しておく必要もあると思いますから、この二つの点について向うとの交渉においても大いに究明していただきたいという考えを持っておりますが、いかがですか。
  22. 小川平四郎

    小川説明員 ただいまの件につきましては、今まで引き揚げてこられました方々、それから通信その他によりまして、先方の取り扱いがいろいろわかっておりますけれども、これがはたして実際に先方はどういう扱いをしておったのかという点につきまして、ただいまのように引揚者の話その他でわかっておる程度でございますので、この機会に、現在まで留めておいたのはどういう理由によって、またどういう待遇をしておったのかという点につきましても、先方に究明をいたすように依頼してございます。賠償の点につきましても、その結果によりまして、あるいはそういう交渉をしなければならぬ状態になるのではないかというふうに考えております。
  23. 高岡大輔

    高岡委員長 逢澤寛君。
  24. 逢澤寛

    逢澤委員 私は委員長資料の要求について申し上げたいと思います。それは、本委員会はようやく本国会においてきょう初めて開かれたのですが、すでに政府におきましては恩給法の一部改正並びに未帰還留守家族援護法の一部改正案ができておりますから、その資料をなるたけ早い期間に一ついただきたいと思います。それから、この次の委員会には厚生大臣並びに大蔵大臣の出席をいただいて、予算に関する問題をお聞きいたしたいと思います。委員長においてしかるべくおとりはからいを願いたいと思います。
  25. 高岡大輔

    高岡委員長 了承いたしました。  受田新吉君。
  26. 受田新吉

    受田委員 これはちょっとこまかい質問になるかと思いますが、厚生省で出されておる新年度の予算の内容をお尋ねする前に、一音お伺いしておきたいのですが、舞鶴に帰ってこられる場合引揚者に渡す物品の品目を、ごく概略に申していただきたいと思います。
  27. 田辺繁雄

    田辺政府委員 今詳細な資料を持ち合せておりませんが、男子と女子及び大人と子供と違っておりますが、男子の成年を例にとりますと、毛布、作業服、下着類、その他全部合せまして、たしか三十八点支給しておったと思います。
  28. 受田新吉

    受田委員 その渡される中に、戦闘帽とか、あるいはかつて軍人に着用せしめておった軍服に類するものとか、少くとも戦争のにおいが残っておるものを渡しておられる品目をおあげいただきたいと思います。
  29. 田辺繁雄

    田辺政府委員 ただいま軍服というお話がありましたが、終戦のときに、当時陸軍、海軍で持っておりました多量の物資を特に確保いたしまして、これは引揚者にだけ特別に無料でやってよろしい、こういうことになったわけであります。当時物資の入手しにくい情勢でありましたので、それを引揚者に支給したのであります。その中に、樹指摘通り旧軍人のいわゆる軍服が入っております。しかし、これは、今日の状況でございますので、もちろん軍服という意味で支給するのではありませんで、農村等におきましては、ものがラシャで、なかなかがんじょうでございまして、希望する向きもありますので、作業服という意味でお手渡ししておるような状況であります。
  30. 受田新吉

    受田委員 帰られた人々の陰の声として相当大きく響いておるのは、もらったものの中には、スフのようなもののきれ地があったり、非常に粗末で、終戦直後の何でもほしいというときであったら格別だけれども、今のようなときに、さしあたり役に立たないようなものをもらって、当面の生活をやれというのは、はなはだ残酷であるという声もしばしば聞いておるのですが、戦闘帽のようなものが渡されたり、あるいは終戦直後に交付したスフのきれ地のようなものを渡されたり、当面ほしくないものを渡されるよりは、もっと役に立つものを渡され、あるいは戦争につながりを持つ印象を舞鶴に上った瞬間からなるべく忘れさせるようなやり方に切りかえられる必要がないでしょうか。この点、今までの質問の中に全然なかったことでありますが、しかし最近陰の声を相当聞いておりますので、当局の御意向を伺いたい。
  31. 田辺繁雄

    田辺政府委員 支給品目については十分検討して注意されておると思いますが、従来から、帰って来た人にせびろでもやったらどうかという意見がずいぶん前からあったのであります。しかし、どうもせびろまでやるということはいろいろの点で困難でございますので、毛布等をよけい支給するということにいたしまして今日まで至っておるわけであります。新しい今日の時代に即応するような支給品に全部かえるということになると財政上のいろいろな点もございますので、従来余っております物資あるいは保存してある物資をできるだけ活用して参りたい、こう考えておりますが、引揚者のいろいろな陰の声というお話もございますので、支給品目についてはなお十分検討したいと思っております。  なお、女の方には、以前は先ほど言ったような古いものを差し上げておったのでございますけれども、支給品目もなくなりましたので、何か差し上げたいということで、きれ地を差し上げております。男の人にもそうするといいのですが、だいぶお金もかかるし、現在保存してある物資もありますので、その点は、従来の物資はできるだけ活用するという趣旨で、しかも御指摘のような非難のないように、なるべく工夫して参りたいと思います。
  32. 受田新吉

    受田委員 新年度予算案の中にあります引揚者援護関係の経費の中に、今年度の集団引揚げを三千人、個別引揚げを五百人、戦犯引き揚げを百人と予定を立てておられますが、この根拠はどこから出されたのでありましょうか。
  33. 田辺繁雄

    田辺政府委員 集団引き揚げの三千人というのは、ソ連中共地域における残留状況をにらみ合せまして、三千人と見込んでおけば一応足りるのじゃないか。もちろん、これは多ければ多いほどいいのです。われわれとしては生存残留者が多いことを非常に希望いたすのでありますが、しかし、われわれの方で調査究明もやっておりますので、大体この辺ではないかというところで数字を見たわけであります。もちろん、これ以上引揚者がある場合には当然予備金をもって支出することは大蔵当局了解をしておると聞いておりますので、国家財政上の関係もあり、三千人ということでございます。
  34. 受田新吉

    受田委員 戦犯釈放の官名という予定は、ソ連の千余名を考えても、これは相当大幅に強く考えなければならぬと思いますが、これは巣鴨の戦犯釈放の意味でありますか。
  35. 田辺繁雄

    田辺政府委員 巣鴨だけでございます。
  36. 受田新吉

    受田委員 残された人々に対するあたたかい思いやりであるならば、残留者総数を一応帰還の対象として考えた予算計上をするのが、政治の衝に当る者、行政の府にある者の責任ではなかろうかと思うのであります。この点、生存資料の確立したものか一応帰還の対象として考えての予算編成をされることが筋が通るとお思いにならなかったか、お伺いしたいと思います。
  37. 田辺繁雄

    田辺政府委員 以前は、お話しの通り生存確実であるか死亡見込みであるかということはかまわずに、たくさんの数字を計上して予算をとっておったわけでございます。その点につきまして、国会でも残留の実情についていろいろと御質問があったのでございます。三千名という数字が果して三十年度に全部入ってくるか、あるいはもっと多いか少いかということは、今後の引き揚げの進展に待つほかはないのでありますが、先ほど申しましたように、できるだけ多いことを希望いたすのでありますが、諸般の事情から考えまして、まあ一応このくらい組んでおけばいいのではないか。もっと多い場合においては、もちろん予備金の支出ということを政府では考えておる。残留総数ということもお話にございますが、残留者の中には、ことに中共関係におきましては、いろいろな事情がありまして、御本人は帰国希望しないという方もおられるのではないか。ことに、先ほど申し上げました残留総数の中には、現地において国際結婚をなすった御婦人が相当たくさん入っております。これは、いろいろの事情がありまして、御自身は帰国希望される場合があっても、なかなかそう簡単には参らないという方があるようでありまして、残留総数全部来年度において帰ってくるということは実情に沿わないのではないか、かように考える次第であります。
  38. 受田新吉

    受田委員 実情ということになると、これは非常に厳格な数字をあげられることになるのですが、政治の衝に当る者とか行政の府にある者とかいうふうの者は、あとわずかしか生存資料の確立した人もないのだから、その人を一応帰還の対象として考えていくということは、これは帰る人を待つという国民感情にも一致するのであります。大よそこのくらいの、ただいいかげんな数字をここへあげて、それに予算を組むという行き方は、これは非常に冷酷だと思うのです。むしろ非常に大幅にこれを見て、大多数の者を帰還の対象にするような予算の計上をなさる必要がなかったか。最初のころ一応そういう点をとっておられたことがあるのだから、それを継続して、最後の一人が帰られるまでその線を守っていく方が国民感情にも一致すると思うのです。そのためには大蔵省も厚生省が要望されたことに対しては協力してくれると思うのであります。この点、毎年のことながら、いつもこの数字がいいかげんな線で引かれているということは非常に遺憾だと思う。この点、すでに予算案に出ていることでありますから、これ以上追及を差し控えますが、今後のあり方といたしましては、国民感情を十分盛り込むやり方を考慮した予算編成を要望しておきます。  あわせて、住宅の予算でありますが、建設省の所管になっている例の第二極公営住宅うちから八百五十戸を引揚者に充てるということですが、これの内容はどういう形のものですか、御説明を願いたい。
  39. 田辺繁雄

    田辺政府委員 第三極公営住宅の中から、三十年度においては八百五十戸を引揚着用としてワクが設定してございますが、そのうちの六百戸は北海道の集団引揚者住宅の疎開の分でございます。そこで、総数千八百戸疎開を要し、それを三カ年計画で実施する。その一年分として六百月分を計上したのでございます。残りの二百五十戸は三千名の集団引き揚げが行われた場合の新規の引揚者を受け入れるための住宅措置であります。
  40. 受田新吉

    受田委員 さしあたり必要な補修によって当面まぎらわすことのできる住宅相当あるのですが、その補修のことは全然考えておりませんか。
  41. 田辺繁雄

    田辺政府委員 実は補修につきましても予算に計上したいと思って努力したのでございますが、いろいろな都合で本年度は原則として計上できなかったのでございます。ただ、北海道だけは、集団住宅が非常に多数あり、しかも腐朽の秘匿がはなはだしいという特殊性を考慮せられまして、北海道についてだけ若干の補修費の補助金が出されておるのであります。
  42. 受田新吉

    受田委員 この一両年間に引揚者住宅は徹底的に荒れなんとしており、人間らしい生活もできない状況に置かれております。こういう公営住宅に振り当てることのできないものに対するもっと積極的な政府の対策がないと、人権に対する重大な侵害になると思うのですけれども、何かの方法でこの補修をやろうという意思を持っておられるかどうか。表面に出た予算面でなくて、何かの道を講じようとする用意を持っておられるかどうか。政府として考えておったことが実現できなくて残念だとただいまおっしゃったのですが、それに対する補充対策としての御意向を伺いたい。
  43. 田辺繁雄

    田辺政府委員 実は、引揚者の集団住宅の問題につきましては、私どもも、何とかしなければならぬということで、過去においてずいぶん努力したことがあるのであります。御承知と思いますが、内閣に設置されております引揚同胞対策審議会で引揚者住宅問題ということを大きく取り上げまして、再三にわたって決議いたしたのであります。その中の一つの重点といたしまして、集団住宅の問題を決議いたしたのでございます。それは、多数ある引揚者の集団住宅うちで、当分の間補修等によって使用できるものは別といたしまして、もう腐朽してしまってどうにもならぬものは、すみやかに疎開して、新しい個別の住宅に建て直して、それに移していくという決議が行われまして、厚生省といたしまして全国的な調査を二十五年と三十六年と両年度にわたって実施いたしたのであります。これは各府県から申し出たものについてほとんど全部実施をいたしたのでございますが、当時、いろいろな事情で、府県からの申告漏れと申しますか、府県から私の方に言ってこなかった分が残ったわけであります。その大口が北海道であります。北海道は、地元の財政事情等がありまして、多数のものを短期間のうちにやってしまうということが困難な事情もあったと思われますので、本年度から本格的に三カ年計画というもので疎開するということにいたしたわけでございますが、全国的に見ますと、これは類似のものはございますが、一つの集団住宅の中に引揚者が少し入っておる、ほかの人も入っている、戦災者も入っている、そういう場合に、引揚者だけの分は建てて、ほかの人はそのままおってよろしいということは、どうだろうかという声もございますので、これは、引揚者対策として実施するよりは、一般的な集団収容施設の整備の問題として取り上げるのが至当ではなかろうか、こういう考え方もいたしておるわけでございます。実は、こういった政策一般の問題になりますと建設省ということになるかと思うのでありますが、いずれにいたしましても、今日の集団住宅の中には、補修をいたしましても、もうほとんどきき目がない、金をかけてももうどうにもならないという住宅相当あるのではないかと思っております。かようなものは、むしろ新しい個別の小さい住宅なり、あるいは簡単なアパートのようなものを建てて、そこに移しかえていくという政策の方が望ましいのではないか、こういう考えを持っております。もっとも、だからといって、当分の間使用できるものについての補修ということはもちろん必要でございますので、これもできるだけやらなければならぬと思っておりますが、むしろ重点は一般的な集団収容施設の整備、疎開の問題として措置するのが適当ではないかというふうにも考えております。
  44. 受田新吉

    受田委員 外務省の第二課長に、これまたごく小さいような問題であって、しかも人道的に大事な問題を一つお尋ねします。外務省の公務員で未帰還者相当あるわけです。外地——樺太とかそのほか朝鮮等におった職員で抑留されている人、こういう人々の身分は、依然として外務省職員として、政府職員として残っておると思いますが、この人々の死亡が確認されて、そうしてその処理がされる際に、外務省の職員としての正式の待遇を受けていないように聞いております。たとえば、外務省の職員が死亡した場合には、弔意を表するために香典を出すとか、あるいは弔電を打つとか、いろいろな形式がとられておるのでありますが、昨年ごろやっと弔電をぽんと打つことを始めた程度で、実に冷遇されていると聞いておるのでありますが、政府職員として今日までその生存を信じておった家族としては、大へん大きな精神的な打撃だと思う。この点、政府職員としての同等の弔意を表するという態度をお持ちになっておられるかどうか。これは、ささいな問題でありまして、かつ大事な人道問題だと思いますので、外務省の所見を伺いたいと思います。
  45. 小川平四郎

    小川説明員 恐縮でございますが、私、外務省職員の未帰還者の死亡の際の取扱いについて現在詳しく承知しておりません。ただ、ただいまのおっしゃいましたこと、御趣旨としてその通りと思いますので、帰りましてからさように関係方面に申し伝えたいと思います。
  46. 高岡大輔

    高岡委員長 辻政信君。
  47. 辻政信

    辻委員 ちょっと田辺さんにお伺いしますが、沖縄からきょう陳情を受けたのですが、あの沖縄の最後のときに、中学生とか若い青年諸君が銃をとって現地で志願をして倒れておるのがたくさんあります。それが、年令によって、遺族援護を受けておらない、こういうことを聞いておるのであります。たとえば、十五、六才で死んだのもおります。そういうことはございますか。
  48. 田辺繁雄

    田辺政府委員 沖縄の学徒で、いろいろな名前がついておりますが、こういう方々は有給軍属としての取扱いをすることについてはきまっておるのであります。ただ、現地方々の御希望は、全部軍人にしてくれという要望があるわけであります。これは、援護法でやります際と恩給法でやります際との処遇の差異ということが問題ではないので、遺族方々によりますと、軍人としての処遇をしてもらいたい、こういう希望でございます。これは、兵役法との関係もございまして、当時そういった方々を軍人として召集するということは許されなかった関係もございますので、その点に実は困っておるわけであります。いろいろ研究はしておりますけれども、まだ軍人として取り扱うということにまで結論が参っておらない状況でございますが、それは、よく御承知通りの兵役法との関係によるのであります。なお今後研究は進めて参りますが、今直ちに軍人とするという結論には到達しておらない状況であります。
  49. 辻政信

    辻委員 これは見ようによりましては会津の白虎隊と同じだと思います。あのいたいけな少年たちが犠牲になっているにかかわらず、年令の制限を受けて、果して軍属としての処遇を受けているかどうかも私疑わしいものがあるように思うのであります。それは例外なく軍属としてやっておりますでしょうか。またおやりになるつもりでございますか。
  50. 田辺繁雄

    田辺政府委員 軍に単に協力したとか——あるいは戦闘参加者という程度のものであれば、これは一般の戦闘参加者の例に従って取り扱いますけれども、沖縄で今陳情しております問題は、有給軍属としての取扱いを受けている学徒について全部軍人にしてくれという陳情でございます。その点につきましては、有給軍属としての取扱いをするということに確定いたしておりまして、相当処置を進めていると思いますが、それを軍人として取り扱ってもらいたい、こういう陳情だと私ども承知いたしております。
  51. 逢澤寛

    逢澤委員 関連して伺いますが、ただいま辻委員の方からお話しになりました琉球の、十六、七才の年令の人の軍人としての取扱いのことですが、これは田辺さん御承知のように、琉球のあの最後の戦闘というものは特殊事情にあった。そこで十六、七才の者が実際兵隊と同じような戦闘に召集されている。そうして兵隊と同じような行動をとって、そうして戦死している。そこで、琉球政府としても、これは特に軍人として認めてくれということを強く要求している。私どもが昨年衆議院を代表してあの慰霊祭に行ったときにも、特に主席の方からその要求があったのであります。引き続いて、あれはどういうようになったかという強い要求が出てきているのでありますが、そういうようなことについて、今お話のような軽い意味でなしに、もう少し突っ込んだ御研究ができたことがあるのだろうかどうだろうか、その点をちょっとお伺いしておきたいと思います。
  52. 田辺繁雄

    田辺政府委員 事情は私も承知いたしておりますので、なお研究は進めさしていただきますが、実は、沖縄だけでなしに、南方の諸島の中にも、学徒で召集類似の取扱いを受けた者があるわけであります。満州にもございます。これは一括して取扱いをしなければなりままんので、沖縄だけの分についてそういう法律上のことを無視して軍人として扱っていいかどうか、ちょっと疑問がございますので、研究はしたいと思います。ただ、有給軍属としての取扱いはいたすつもりでおります。
  53. 逢澤寛

    逢澤委員 お話のように、満蒙開拓義勇軍などの行為に対しても、そういうようなことを私ども想像できるのです。しかし、私どもがあの琉球の地理的の現状を見て、そして満州のそれと比較し、あるいは他の地域のそれと比較した折には、比較にならぬと思う。あの狭いところで、すべて軍に龍断されて、行くところがないような事態になっていた。あの琉球のある一部に対しては、特殊の事情が私はあると思う。そこで、これは真剣に突っ込んで御研究を願いたい。他の地域における者も私は同様だと思う。しかしながら琉球の場合はその中の特殊事情があると思う。もう行くところがなくなった事態になっておる。そこで、軍の人もそういう気持でやっている。それからその少年たちもそういうような気持で戦っておる。この特殊事情を私は確認してやらなければならぬと存じます。真剣にお願いいたしたいと思います。
  54. 高岡大輔

    高岡委員長 戸叶里子君。
  55. 戸叶里子

    戸叶委員 外務省に一点だけ伺いたいのですけれども日ソ交渉全権団がきまっておるようですが、その中に、引揚げの問題等資料を持って特に引揚げの問題で交渉されるというような方がだれかきめられているかどうか、伺いたいと思います。
  56. 小川平四郎

    小川説明員 今度の全権団には、すべての問題に対して専門家はおりません。専門家と申しますのは、従来詳しくやってきた、こういう者はございません。たた、全権団の人々がきまりましてから、私どもの方からも、厚生省の方からも、従来の経緯その他を説明いたします。全権にももちろん申し上げます。特に事務局長には詳しく資料とともに説明することになっております。
  57. 戸叶里子

    戸叶委員 先ごろ実はソ連からの引揚者の方のいろいろなお話を承わったのですが、その中で特に私心配いたしましたのは、ソ連の中にいて そしてソ連のパスポートをもらっているんだそうですけれども、その場合に、大てい日本人というふうに書いておくのですけれども、言葉が通じなかったり、あるいは日本に帰りたいにもかかわらず、日本人という名前がその国籍に載せられないような人があるのだそうです。そうしますと、その人はどうしても日本に帰される率が少くなる、あるいは帰されないのじゃないかということを、看護婦をしていられた方の口から聞いたわけなんですが、そういうことを引揚援護局の方では御存じでございましょうか。
  58. 田辺繁雄

    田辺政府委員 お話は満刑釈放になっている人の問題ではないかと思われるのでございますが、御本人がそういうことを当局に申し出た場合には、当然帰国の許可が与えられるべきはずだと思っております。現に、モスクワへ赤十字の方が集まって相談された際にも、そういう方について帰国を援助するということを、たしか協定してあったのでありますが、刑に関係のない、一般の居住者として住んでおられる方でございますから、日本に帰りたいと言った場合に、これを許可するのは当然のことであろうと思います。願い出れば必ず許可になる筋合いのものだと思います。
  59. 戸叶里子

    戸叶委員 今のお話のようですと、私大丈夫だと思うのですけれども、この間引き揚げてこられた方が、はっきりその方の口から言われたものですから、実は心配なんです。その点、引き揚げて来られた方からもう一度よくお聞きになって、しかるべき手段を考えていただきたい、こういうことを要望する次第でございます。
  60. 田辺繁雄

    田辺政府委員 もちろん、今度全権団向うに行かれました際のいろいろな申し入れ事項の中にも、すでに刑が満了して一般人として生活している人については、本人が内地へ帰りたいという申し出があった場合には、すみやかに帰国を許可し、また帰国を援助していただけるように申し入れをしたい、こういうことを外務省によく連絡をしてございます。御本人が申し出た場合にいろいろじゃまをされるではないかということを御心配になっているんじゃないかと思いますが、私もちょっと委員会でそういうことを聞いたのでございますが、残留者のほかの方に聞きますと、必ずしもそういうことを言っている人はあまりないようでございます。なお、私どもの聞き方が足りなかったせいもあろうかと思いますので、今後調査の際にはその点も注意してやります。
  61. 高岡大輔

  62. 中山マサ

    中山(マ)委員 長野県へ帰ってきた赤羽文子さんの言葉を聞きますと、自分は釈放されてすでに五年たっておった、それで帰ることを希望したけれども、どういうわけか帰されなかった、ハバロフスク以外の土地にこういう人がたくさんいる、こういうことをこの間の会合でお聞きしたわけでございます。それで、私どもは、その御婦人のお言葉のようにそういう人があるのか、そうすれば、戦犯以外の者はもうソ連にはいないと絶えず言っておりますことが事実と相反しているということを、私は赤羽さんのお言葉を聞いてはっきりと考えたのでございます。ハバロフスク以外にそういう人が相当いるということを一つ厚生省の方でもお考えくださいまして、松平全権のお立ちは二十八日ですか、それまでにこういう点をはっきりおっしゃっていただきまして、お約束通り満刑になった人はどんどん帰してもらうように御努力を願うように私はお願いしたいのでございます。  次にお尋ねをいたしますが、先ほど二百九十二個の小包をソ連へ向けて送ったというお話でございますが、これはお金高にいたしますればどれほどになっておりましょうか。
  63. 田辺繁雄

    田辺政府委員 約三十万円であったと記憶しております。
  64. 中山マサ

    中山(マ)委員 これは、今後ともに継続して、ある期間を置いてお送りになるおつもりでございましょうか。私も今度帰って参りました方を舞鶴までお迎えに行ったのでございますが、そのときに私が非常に驚いたことは、学徒動員されて、まだお年は三十になったかあるいはそれを少し過ぎたくらいのお年格好の方でございますにもかかわらず、非常に歯が悪い。聞きましたところが、野菜だとかくだものとかを食べないためにこういうふうになったというお話でございましたので、厚生省の建前は国民の健康を守るということであると私思いますし、その名前からして、海外同胞ということになっておりますが、国内だけの同胞を守るというのでなく、私どもがその人たちの犠牲によって今日の平和を享楽しているのでございますから、海外同胞の健康も守っていただかなければならぬと考えておりますが、これは政務次官にお伺いしたいと思います。
  65. 紅露みつ

    紅露政府委員 先ほどからごあいさつを申し上げるべきでございましたが、おくれて参りましたので、大へん失礼をいたしました。当委員会ができまして 私は大へんにうれしく存じております。やはりこうした専門にこの問題を扱っていただく委員会のないということは、留守家族にとりましても、その他国民一般にとりましても、たいへん頼りないことでございまして、この点を心から喜んで今日は出席させていただきましたが、大へん長時間にわたりまして各般の問題について真剣な御審議が行われまして、まことに敬意を表します。  今中山委員からの御質問、いろいろな問題が出ましたけれども、未引き揚げに対する、そしてまた今まで引き揚げておられない方々の待遇につながる問題でありまして、これは根本問題だと存じます。早く帰していただごうということ、それから、状況のわからない方はその状況を報告していただくということ——追及という言葉が用いられておりますが、もっとやわらかい言葉で、様子を知らせていただきたいと切に考えておるのですが、その残っておられる、丈夫だと思われる方の健康につきましても、今お話のような若くして歯がいたんでしまったというようなこと、これは一つの現われでございますけれども、いかに日常の生活が不合理に過ごされておるかということをこれは物語るものだと存じます。ことに、ブルガーニン政権になりましてからの待遇は相当心配すべきものがあるように引き揚げ方々からのお話もございますので、心を痛めておるわけでございます。待遇につきましては今直ちに改善を申し入れるというところには至っておらないようでありますが、さしあたって日赤として幾分の足しにでもと思って慰問品を送っているわけでございますが、幸い、御承知のように六月一日からは日ソの交渉が始まりますので、その交渉の進展工合を見まして、外務省ともよく連絡をとりまして、早く帰してもらうということのほかに、そうした同胞を守るという大きな立場から、非常な苦心をして長年海外におられる方の健康状態につきましては、よくソ連方々ともお話できるように、金権をして——これはずいぶんしっかりと政府としてもお願いをして出てもらうわけでございますから、私はこの外交交渉によって相当程度私どもの動き得る余地ができるのであろうということに今大きな期待をかけております。御指摘のように、海外にありましても同胞であることにかわりはありません。私どもの使命であるその健康を守るということについては、何ら内地におります者の健康を守るということとの差はございません。なお一そう向うの方をこそ心配する次第でありまして、御趣旨のありますところを体しまして、今後は全力をあげて引き揚げの問題とともに待遇につきましての改善をお願いし、私どものできるだけのことをさせていただきたい、かように存じております。
  66. 中山マサ

    中山(マ)委員 今の小包の問題でございますが、これはどれくらいの期間を置いて次回お送りになるか。それを参考のために伺っておきたい。
  67. 紅露みつ

    紅露政府委員 私もそのことを先日来相談しておるのでございますが、まだこの次ということの見通しがついておりません。大へん甘いかもしれませんが、この日ソの交渉によりましてあるいは急速に何か朗報もつかめるのではなかろうかというような望みもかけておるわけでございまして、その様子によりまして対策もまた考え直さなければならないと存じておりますから、従って、今の慰問品につきましても考えなければならないようなことがあるかもしれませんが、今のところ予定が立っておらないのでございます。
  68. 中山マサ

    中山(マ)委員 どうも鳩山内閣はソ連に対するお考えが非常に私は甘いように思うのでございます。それで、この間近畿から参りました留守家族のお供をして鳩山総理にお目にかかりましたときも、非常に、ソ連に対する考え方が、私どもが考えますよりも、何と申しますか、甘いと言わなければ仕方がないのでございましょうが、そういうことでありまして、この間新聞で見たのでありまするが、日ソ交渉も半年くらいはかかるであろう、腰を据えてやるというようなことを松本全権が御発表になったことを私ちょっと読んだのでございます。そういたしますと、今二百九十二箇を送っていただいたのでございますが、半年かかって交渉をするという間にも、この間、大阪の阿部野区の人は、五月の一日までは生きておったという情報が入りましたのに、五日にはその人がもう死んだ、結局栄養が悪いためにこの人が死んだということを帰ってきた人に聞かされておるのであります。五月一日に入った手紙には無事でおると言っておったのが、五日にはもう死んでしまっておる。そういうことでございますから、町長に半年もかかって交渉をやっている間に、この同胞が次々に栄養失調で死んでいくということは、私ども留守家族の気持を察して考えますときには、今のようなお考えでは、私はその間にたくさんまた死亡者ができるのじゃなかろうか−。日ソ交渉もございまするけれども、それとは別に、この問題を引き離して、厚生省ではどういうふうに補給していただくか、この次の会合までに一つ御相談下さいまして、これに対する対策を御発表願いたいと思っております。  もう一つ局長にお尋ねいたしたいと思いまするのは、今申しましたように敗血症というのでございますか、そういう病気にかかりまして、歯をすっかりやられてしまう。今まで引揚げてきた人たちの医療対策費の中に、歯の治療の予算はとってあったのでございましょうか。
  69. 田辺繁雄

    田辺政府委員 未帰還者留守家族援護法の中に帰還者の医療の給付が認められております。一般に歯の治療費は支給しないことにいたしておりますが、ソ連だけに限りまして、特殊事情がございますので、歯の治療まで給付をやっております。
  70. 中山マサ

    中山(マ)委員 今度ですか。
  71. 田辺繁雄

    田辺政府委員 ずっと見ております。  それから、ソ連への慰問品の物資でございますが、先般舞鶴においてソ連から帰った人のお話を聞きますと、非常に憂慮すべき状態であるということを伺いましたので、早速日赤連絡をとりまして物資を送ったわけでございます。その次はどうする、その次はどうするということをきめてやるべき筋合いのものでございませんで、とりあえずすぐにということで二百九十三個送ったわけでございます。この前送っただけでも三十万円かかるわけでございますので、今後の分につきましても、財政の方との関連がございますので、いろいろ相談をしなければならぬと思いますが、これは政府だけにやらせるという考えだけではどうかと思いますので、民間の方々にも、抽象的な引き揚げ促進とか愛の運動をするだけでなしに、現実にそういった気持のこもった物資も集めるだけ集めて、そうして日赤を通じて向うへ送ってやるということも、国民運動として必要ではないかということを考えて、関係団体とも十分連絡しておりますので、今回限りでこれがしり切れトンボにならぬように、今後とも努力いたしたいと考えております。
  72. 中山マサ

    中山(マ)委員 外務省の方にちょっとお尋ねいたすのでございますが、この間帰って来た人たちの申しまするのに、五百七十六ルーブルでございますか、もうける、そうすると、その中から税金だとかいろいろなものを引かれまして、収容所の中におる人が四百五十幾らかしかもらえない、それだけのものをとられてしまう、しかも収容所の外では非常にいろいろな物資が安くなっているにもかかわらず、中におる者の方が税金とかそういうものが非常に高い、それで、わずか残りましたものではどうにもならないのだ、しかも老人は重労働をすることができませんので、とるお金も少い、それで、若い者が余分の時間を働いて老人たちのためにお金を分けて、いわゆる共産的の生活をしてきたのだという話をなさいましたが、何とかして日本側からソ連お願いをして、外におる人たちと同じ程度に税金をとってもらえるように、ほかの経済状態と並行さしてもらうように一つこちらの方から働きかけてくれというのが、帰って来た人たちの要望でございまするが、松本大使に対しまして、外務省はこういう点を一つぜひこまかに御調査願いまして——これはどこかの記録にあると思います。この間あそこの第一議員会館で集まりましたときの記録に載っておると思いますから、そういう点を一つ御勘案下さいまして、松本大使に、収容所内のいろいろな経費と外の経費とが並行できるように、一つソ連にも要請して下さいましたならば、その人たちの生活がもっと楽になると私は思うのでございます。そうして、その余った金でもって野菜なりあるいは果物類なりを現地で買うことができる、こう考えるのでございますから、この点、外務省として一つ御意見を聞かせておいていただきたいと思います。
  73. 小川平四郎

    小川説明員 ソ連に抑留されておられます方々の生活状況その他ただいままで調べましたものをしさいに調書にしまして携行していただいております。ただいま御指摘の点も簡単に触れてございますけれども、さらに具体例をもう少し拾いまして加えることにいたしたいと思います。
  74. 高岡大輔

    高岡委員長 楯兼次郎君。
  75. 楯兼次郎

    ○楯委員 私お尋ねしますが、実は私この委員会は初めてでございまして、三月、この前の中共引き揚げのあったときにお供をしまして舞鶴まで行って参りました。そのときに非常にいろいろな要望が出たのでありますが、たとえば学校の問題、それから、帰ってきてからの手当の問題、就職問題等代表の方から強い要請が出ました。私は今日はこまかい点はお聞きいたしませんが、以後、引き揚げて参られる方、なお就職等問題の起っておられる方については、従前より変った取り扱い方をされるかどうか。たとえば、具体的な例をあげてみますると、以後帰って参られます方々については手当のある程度の増額をする、そういう程度のことをされるようなお気持があるかどうかという点を一点だけお伺いしておきたいと思います。
  76. 紅露みつ

    紅露政府委員 ただいまのお話でございますが、今のところは、就職にいたしましても、手当にいたしましても、まだ方針を変えていこうという話が出ておらないのでございます。しかし、今後引き続いて委員会をお開きのようでございまするので、またいいお考え等がございますならば伺わせていただきまして、相談をいたしたい、かように存じておりますので、御了承願います。
  77. 楯兼次郎

    ○楯委員 いろいろな問題があると思いますが、今後の方については、従前こうであるからその通りだ、こういうことでは困ると思うのです。当時出ました今の民主党を代表された方も、相当改革をするというような演説をなさっておられたわけですから、ぜひ、これらの問題について、今後当委員会でいろいろな問題が出ることと思いますが、政府の方では一つ十分考慮をされて、帰還者希望に沿い得るような待遇をできるだけ心配をしていただきたい、このことを要望申し上げまして、質問を終ります。
  78. 紅露みつ

    紅露政府委員 承知いたしました。
  79. 高岡大輔

    高岡委員長 ほかに御質疑はありませんか。——受田委員
  80. 受田新吉

    受田委員 この間中共から帰って来た人々の中に、現地の夫と別れて帰られた御婦人がたくさんあるわけです。その中の混血児を連れてこちらへ帰られた人々に対する政府措置として、第一が教育、子供たちは日本語を教わっていないので、日本の学校へどうして入っていったらいいか、そうして混血児という卑屈さを感じさせないためにはどうしたらいいか、そういう問題についてどういうふうに対策を立てられておるか。第二の問題は、そうした立場の御婦人であるから、日本へ帰ってひけめを感じて就職ども思うようにならないだろう、それに対して特別の考慮を願いたいという申し出があったわけです。これも政府としては十分考慮することになっておるかどうか。この二つの点について、特に中共引き揚げの悲惨なる婦人、今や火と別れて苦しい再建の道を歩むこの人々に対する政府の思いやりある施策をお伺いしたいと思います。
  81. 田辺繁雄

    田辺政府委員 現地からお帰りになった国際結婚をされた婦人の方の中には、もう一ぺん向うへ行きたいということを言っておられる方が相当あると聞いております。それは重大なケースとしてみんなが注意をしているのだということを発育しておられた帰還者がおったのでございますが、これにつきましては、政府としても十分検討を要する問題であろうと思います。なお、ずっと内地におられる方々については、こういうお気の毒な方でございまするので、子供さんも含めまして、できるだけあたたかい気持によって、引き揚げ愛の運動という気持で受け入れなければならぬ。これは学校であろうと母子福祉施設であろうと変りはないわけでございます。われわれは、この運動を各方面に徹底させることによって、そういうことのないように、今後注意して参りたいと考えております。
  82. 高岡大輔

    高岡委員長 ほかに御質疑がなければ、本日はこの程度にいたし散会いたします。次会は公報をもってお知らせいたします。    午後三時十八分散会