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1955-01-24 第21回国会 参議院 通商産業委員会 第3号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十年一月二十四日(月曜日)    午後二時六分開会   ―――――――――――――   委員の異動 一月二十三日委員藤田進君辞任につ き、その補欠として海野三朗君を議長 において指名した。   ―――――――――――――  出席者は左の通り。    委員長     石原幹市郎君    理事            西川彌平治君            加藤 正人君    委員            酒井 利雄君            高橋  衛君            中川 以良君            森田 義衞君            山川 良一君            海野 三朗君            三輪 貞治君            團  伊能君            武藤 常介君            石川 清一君   事務局側    常任委員会専門    員       林  誠一君    常任委員会専門    員       山本友太郎君    常任委員会専門    員       小田橋貞寿君   説明員    外務省アジア局    第四課長    服部比左治君    外務事務官    (経済局第四課    勤務)     橋田親太郎君   参考人    ビルマ経済調査    団団長代理  久留島秀三郎君   ―――――――――――――   本日の会議に付した事件 ○通商及び産業一般に関する調査の件  (ビルマ賠償問題に関する件)  (インドとの通商関係等に関する  件)   ―――――――――――――
  2. 石原幹市郎

    委員長石原幹市郎君) これより通産委員会を開きます。  本日は公報で御通知申し上げておりました通りビルマ賠償問題に関する調査を行いたいと思います。本件に関しましては前々から調査団お話を伺いたいと思つてつたのでありまするが、種々の都合によりましてようやく本日この委員会を持つことになつたのであります。あいにく団長でありました稲垣さんが御旅行で不在で残念でありまするが、幸いに副団長としてビルマ視察をなさいました久留島さんの御世席を得ましたので、これよりさつそく久留島さんのお話を伺うことにいたします。  なお久留島さんは今晩大阪へおもむかれる由でありまして、そのためこの席におられるのも大体三時半ごろまでということでありまして、お忙しい御予定であります。そのお忙しい中をさいて特に本委員会に御出席下さいましことを委員一同にかわり厚く御礼申し上げます。それではどうそお願いいたします。
  3. 久留島秀三郎

    参考人久留島秀三郎君) それでは、団長にかわりまして一応御説明いたします。なるべくならば御質問を頂戴しましてお話さしていただく方が私も話しいいのでありますが、一応御質問を引き出すために申し上げます。昨年御承知のように大体話ができまして、日本の国会の方は協定について御承認を得たのでありますが、まだ向うの方は国会が休会中でありまして、二月の半ばごろに開会されるそうであります。そうすれば一番に国会は通過する。もちろん向うは与党が九〇%以上でございますから、これも通過は間違いないと思います。そうして、これがすみましたら批准交換ということになるのであります。つきまして、われわれ参りましたのはその賠償協定をどういうふうに、何から始めるか、どのくらい金が要るかというような荒検討をつけるというために参つたのでありまして、われわれとしましては、向うの方で――むしろビルマ政府からこういう要求があるだろう、何かの要求があるだろうというようなつもりで実は出かけたのであります。出かけてみますというと、別段に要求がましいようなものは実は出てないで、むしろそれよりも懇談的に各省の希望を一応聞いてくれ、そういうような向うの準備でありました。それでありますので、十二月六日の午前二時に立ちまして、向うへ着きましたのが六日の午後四時過ぎであります。その日はもちろん休みまして、翌日の七日から一週間、毎日各省へこちらから出向きまして、各省の要求――要求というよりも希望という方がいいのですが、希望を聞いて歩いたのであります。或る省によりましては非常に熱心でありますし、また或る省は余り熱心でない。殊に陸海空軍省とでも申しますか、国防省と申しますか、それのごときは非常に熱心でありまして、ずいぶんいろいろな要求なり希望も出たのであります。それで一週間たちましたあとで、これではちよつと軍需省だけだつて二千万ドルくらい第一年度くつても足りないくらいのものがありますので、これではとても困るから、一つこいつをあなたの方で整理してくれんか、そういう申し入れをしたのであります。それで向うもそれはごもつともだということで、向うで整理をしてもらいます間われわれは三班に分れまして、現地の視察に行きました。その現地の視察というのも、われわれの方からどこを見たいというのでなしに、むしろビルマ政府の方でどことどことを見てもらいたいということであります。それでその案内されるままに見て歩いたのであります。第二週はそういうことで歩いたのでありますが、見ましたところは今日本の技術者によつて計画され、まさに着手されんとしております大きい水力電気の発電所の現場、それから最近発見されたという鉄山、それからまさにもう開高坑第一日という方がいいくらい大きい炭田の現場、それからアキャプ港と申しますビルマインドの境界線に近い、インド洋に面しました海の港でありますが、そのアキャブ港の視察、それだけを班に分れまして見たのであります。それからマンダレーにあります、これは日本の技術者行つておるのでありますが、絹織物の試験工場と申しますか、或いは徒弟養成所と申しますか、そういうものがありますので、それを見まして、それからメイミョウというずつと登りました高原地帯にミルク・ファクトリーを作つております。それも日本の技術者行つてやつておる。それからそれと桑の苗を植えて、つまり桑園の建設と、それに伴いまして生糸工場とそれだけを見て歩きました。そうして帰りまして又協議を続けたのであります。大体向うの案もまとまつたのでありますが、なおそれでもどうもとてもそのうちにはちよつと合理的でないものもありますししますので、まあわれわれが現場を見て帰つた知識で、さらにそれをわれわれの方で整理しまして、そうしてこれでどうですかという案を出したのであります。そうしますと結局それでよかつた、それでけつこうですという回答を得たというようなわけで、交渉はむしろ、交渉というよりも話し合いは非常になごやかに、要求がましいものを突きつけられてそれを削るというような行き方じやなしに、話し合つて、それから向うから出た希望を、それをもう一ぺんこちらで、ちよつとおかしい話ですが、こちらが多くの各省の要求を大蔵省が査定したというような形になりましたが、それで向うさんがそれはけつこうだというような話になりまして、非常になごやかに終りました。大体それが終りましたのが十二月の二十九日、三十日までかかつた。それからなお残りました点については個々に工場を見るとか、あるいは試験場を見るというようことをしまして、全部終つたのが二日であります。それからまたこちらから人を出すというような場合に、それの待遇について、勿論出す場合にはやはり賠償になりますから、こちらから出します人間の大体の給料標準という向うの待遇問題につきまして更に三日の午後までその話をし合いまして大体の骨子だけは了解点に達し、一応交渉は終つたのであります。それで四日は向うの独立記念日に当りますので、その式典に公式の招待を受けましたのでそれに出まして、五日の早朝に当つて帰つて来たという次第であります。それで初めの、昨年こちらに来ました時分にはずいぶんいろいろな、やれ化学工業もやりたい、化学肥料を作りたい、硫安を年に十万トンぐらいの工場を作りたい、あるいは肥料の工場を作りたい、少くともレーヨンの工場を、年三万トンくらいのレーヨン工場を作りたいとか、ずいぶんいろんな要求があつたのであります、昨年の八月に来ましたときには……。そのときには私も民間の代表者として接触するようにということで大体滞在中ほとんど旅行も一緒にしましたし、その後もいろいろやつておりましたので、そのときに根本的な問題としましてこういうことを申しておつたのであります。合弁事業については少くとももうからない仕事はだめですよ。もうからない仕事に日本の民間資本を出すということはこれは絶対に不可能だ、少くとも合弁事業ということはもうかることが第一だ。たとえあなたの国が社会主義国家であろうが、もしそういう事業で損をすれば、それは結局その損をカバーするのは人民全体がその負担をせなければならん。それだから事業というものは少くとももうかると、損をしないということじやなければそれは成り立ちませんぞということはこれはもう繰り返し繰り返し申しまして、そうしてしまいにはもうわかつているというくらいに念を押して、民間事業で民間の資本をもつて合弁に参加するということに対しては、それが根本だということはもう繰り返し繰り返し申して十分了解したと思つております。それでもしどうしても国としてしなければならんものであつて、そうしてなおそれがそろばんに合わんというものならばこれは当然国家でなさるべきだ、それは賠償によつてなさるべきでしようということを申しておつたのであります。  それからまた日本の政府としては根本的に賠償というものは円払いに限る。外貨払いについては一切しないといる原則をもつて先方とも話されて了解点に達しておるのだそうでありますが、その意味におきまして現物賠償というものは日本で製造するものということになります。  それからまた、そうでありますから、たとえ向うで仕事をしましても向うで工賃を払うということになると、機械はこつちから持つて行く、機械は持つて行くが向うで据付けるとか、あるいはその間の少くとも機械を据付けるのならコンクリートのファウンデイションをしなければならないから、ファウンデイションをするのに土を掘る、ちつぽけな例で申しましてもその土を掘るということは、それは向うの、ビルマの金でビルマの人に払うのでありますからそれは賠償の対象にはなりません。しかしセメントが要るならセメントを日本から持つて行くとすれば、これは賠償になる。家を建てるにはれんがが要る。それを積むには向うさんがれんがを焼いてそれを積むのは向うの金で払うから、これは賠償にならないが、その家を建てるために必要な鉄筋であるとか、あるいはガラスであるとか、ウィンド・サッシュであるとか、ドアの取手というようなものが要るならばこれは賠償になるというような意味で、賠償というものはすべてもう円払いでなければならんという原則に立つておるのであります。  それで結局、じやどういうことを賠償でやるか、どういうことを合弁事業でやるかということにつきましては、賠償の対象になりますものとしては、こまかく一番初めから何をやつてそれが幾らかかるというようなことは見当がつきませんので、とりあえずこういうことをしたらどうですかということになつたのであります。それも第一年度に何をやるということでなしに、初め二、三年の間、これもはつきり三ヵ年とも言わず二カ年とも言わず、まず二、三年の間にはこのくらいのことができましようと言つて出しましたのが、お回しいたしました対ビルマ賠償の対象(仮案)というそれであります。  まず運輸系統、これは鉄道がずいぶんいたんだというので、ことに大きい川の鉄橋が落ちたということ、それで鉄道を戦前の状態に復旧するという、それを拡張するまではいかずに、まず戦前状態に復旧するというプリンシプルで鉄道の復旧ということにしたのであります。そのうちには一番大きいものはシッタン河の、これは六百メートルか、七百メートルあるかなり大きい川であります。これの鉄橋を作るということ、おそらくこれは前の鉄橋じやなしに新しい橋脚かちやらなきやならぬだろうと思われます。それから鉄道車両のずいぶん爆撃や何かでやられてひん曲つたのがそのままに捨ててありましたが、それらを新しく作つていこう。貨車、客車、もし必要があれば機関車まで入りましよう。  それから次に国内の電気通信施設の整備、これが実はあまり話はうまくいかないと思うのでありますが、電気通信関係は英国のアドヴァイザーがおりまして、これが非常な力を持つておる。それで電気通信関係についてはほとんど向うから要求も出なかつた。でありますが、とにかく電気通信がはなはだ悪いので、国内の電気通信関係を整備することについての機械、あるいは設備、材料、そういうようなものが要るならば出します。ここで、これは話にならなかつたんでありますが、ついででありますからちよつと申しますと、日本とビルマとの間の電気通信が非常に悪いのであります。非常に無いばかりでなしに高い。数字で申しますと、ロンドンとラングーンの間の電信料を一〇〇としますと、ラングーンと東京との電信料が、一五〇なんです。それから距離から言えばうんと近いのであります。それが一五〇。ことに激しいのはバンコックとラングーンの間がたしか一四〇というような数字であります。これは一に海底電線で参りますので、海底電線ラングーンからコロンボ行つてコロンボから日本へ逆送してくる。そういうよるなことで費用も高いし、時間もかかるし、また間違いも起りやすいというので、これに対しては一つ日本ビルマと直通の無線通信をやることにしてそれを賠償へ持つてこようじやないか、それは双方の利益だという説明をしたんであります。説明をしたんでありますが、これに乗らない。乗らなくて、それに対するロ実としては、今インドビルマの間の無線通信を進めておるから、その後にしたいというようなことで、これは乗りませんでした。向うで乗らないものをこちらでしいるわけにいきませんので、それじやそれができたときに話しましようということで一応延ばしたのであります。  それから水路の方では現在の水路を復旧する、内陸水路の復旧、それから小型造船所の建設ということであります。これも、小型造船所というのは要するに川船を作る程度の造船所、大した金もかかるものじやありませんが、そんなことをやりたいということで、これはよかろうということで話をいたしました。それから内陸水路のことは次の鉱山関係のところで一緒に申しましよう。  それから沿岸水路の復旧、それと次のラングーンその他の沈船の引き揚げ、これはまあ一緒に考えられるようなものでありますが、これも大したものじやありませんので、ランチがほしい、はしけがほしい、引き舟がほしいというような大した問題じやございません。これはあとで申します。合弁関係造船所とからみ合いますので、こんなものを今から日本でこしらえて持つていつたつて、造船所ができたならば、こんなものは二カ月か三カ月でできるよるなものを、なにも賠償で持つていかなくてもいいじやないか、造船所ができさえすれば、こんなものを作らなければ造船所の仕事もないのだから、無理にこんなものを賠償にしなくたつていいじやないか、しかし、とりあえず要るものくらいはこれは賠償で持つていつてもいい。  それからその次にラングーンその他の引揚船でありますが、今でもラングーン等で、今特別にそれがじやまになつているわけではありませんが、退き潮になり、渇水期になると、沈没した船のマストが出たりして、はなはだ醜くもあるし、またそれが決してじやまにはならないにしても、ない方がいいにさまつているのでありますから、それを引き揚げたいという話も出たのでありますが、引き揚げという以上は、たつた一そうや二そうを引き揚げるのでは、とてもそろばんに合わないので、日本側としましてもわざわざ持つていつては費用がかかつてしようがない。ついでのときに、そのほかの港にある船も沈んだのがあるから、それを全部引き揚げることにしようじやないかということで、それはけつこうですということで、これはそういうことで話がきまりました。  次に鉱山関係であります。鉱山関係の一番初めにカレワ炭田の開発というのがありますが、向うには、ろくな地図を売つていない、地図と言えば、カルカッタで作つている地図を買うほかに、町の本屋で地図を買おうと思つてもないくらいで、ちつぽけな地図で、はなはだ恐縮なんですけれども、ラングーンがここであります。これを貫通します大きい川がイラワジ河でこれは中央の幹線水路になります川であります。それの支流のチンドウィンという支流があります。その支流のさらに支流、このインドビルマとの国境の山脈、この国境の山脈のすぐ東側の谷であります。谷と言つたつて相当広い耕地もありますが、それにこの東西にわたつてこの山脈に並行してかなり大きい炭田が数十キロにわたつてあることは大体わかつているのであります。そのうちの一番まあ都合のよいところに炭鉱を開こうということで、今着手第一日という程度であります。場所で申しますと、例のインパール作戦で有名なインパールの南約百マイルくらいのところであります。そのカレワ炭田の開発をやりたいというので、それをこちらから言わないで、向うからそれを見てくれというので、見に参つたのであります。現地では、炭は大体常磐よりもまずいい、常磐よりは確かにいい、ボイラー炭としては十分使える、むしろ常磐炭よりも灰が少いので、硫黄分が少いから常磐炭よりはよろしい。よろしいが、しかし日本の九州の、北海道の一等炭と比べればずつと落ちるという程度の炭であります。しかし炭層は幾つかありますが、そのうちの大きいのは十尺層と、それから十二尺層、これはほとんどその間にハサミのない適当な炭だと思います。それが今までその附近で見えておりますだけでも相当正確に露頭がわかりますのと、それからボーリングもしてありまして、相当深くまで石炭がはつきりあることだけはわかつておりますので、十分そこで経済的にその炭鉱が成り立つということはわかるのです。傾斜が四十五度、その点では非常に傾斜が急でありますが、しかしまた同時にボーリングした穴からガスが出ておるといる程度で、将来は相当なガス害になるのでその点では相当困るのじやないかと思いますが、しかし十分炭鉱としては経済的に成り立つべき炭鉱であります。でありますが運搬設備がない、鉄道もない。鉄道をつけるならばかなりの山脈をずつと抜けて、それを横切つて入らなければ鉄道がつかない、これはなかなか大変であります。しかし川があるので坑口からすぐ川になる。それから坑口からちよつと運搬設備さえすれば、川船に積める。その点では非常に便利なところでありますが、しかしその川が現在では吃水……、雨の降るときと降らないときとでうんと違いがありますのですが、ただいまから四月末までは雨の降らないシーズンであります。その間には非常に川も水が減ります。そのときにまあ一番浅くなつたときに通れる船が吃水二尺というのです。吃水二尺の船なら通れる。吃水二尺では大きな船はできないので、それじやとてもいかん。それからこの炭鉱が生きるか死ぬかということは運搬ができるかできんか、幾ら掘つてみたところで運搬のできない石炭じやしようがないので、運搬ができなければこんなものは掘つてもしようがないということを私強調しまして、この炭鉱の石炭そのものよりも、この炭鉱の運命は運搬にかかつておる、その運搬も川があるのだから川の運搬にかかつておる。それで二尺の吃水じやこれは乾季には運搬できんじやないか。ところで聞きますと、戦争前は五尺の船が通れておるのであります。これは何人かの人に聞いてそう申しますから間違いないと思うのでありますが、五尺の船が通れたのなら、五尺の船ならば一ぱい何百トン、三百トンやそこらぐらいの川船が引つぱれるから、そうすればこれは十分経済的に成り立ちます。これが経済的に成り立つということは、少くとも現在ビルマという国は石炭かないので、全部石炭というものはインドから入れておる。全部輸入炭なんです。だからこれがラングーンまで出てインド炭よりもあまり高くなければ、そうすればインド炭を置きかえてそれだけの外貨支払いがなくなるというだけの少くとも利益がある。しかし炭鉱という以上は、少くとも一日千トソぐらい掘らなければ炭鉱になりませんよ。将来年三十万トンぐらいの石炭が使う道がなければこんな炭鉱をやつても無意味だということをよく申しまして、それでそのぐらいには使える、ラングーンまではもちろん使えることになりますから、ラングーンボイラーに、また川船の、川蒸気のボイラーにたくとか、汽車のボイラーにたくという工合に、今まで汽車のある山の方では薪をたいておるようですが、そんなものを全部石炭に変えるということでもすれば、年三十万トンぐらいのものは使えるだろう。それじやまあ少くとも三十万トンぐらいは掘るということにして、それを運搬するためにはどうしても川を整備しなきやいかん、その川も昔の川は五尺で今二尺というならば、これは鉄道線路が破壊されたのと同じだ。つまり数十年間浚渫しないのだから、これは鉄道線路が破壊されたのと同じだ。この川の浚渫を炭鉱に持たせたんではこれは炭鉱がもちませんよ。だからどうしてもこの炭鉱というものを生かすためには、鉄道が破壊されたと同じ意味において国がこの川を戦前の状態になさるのがいいんじやないですか。それは全部浅くなつたのじやないんで、ところどころ曲りかどに浅瀬ができておる、それを掘るだけでありますから、だから国としておやりになればよかろう。そのために必要な浚渫用の機具、それから石炭運搬用の船は、汽車の貨車を整備するのと同じことで、また鉄道線路の復旧と同じ意味において、この川の復旧と運搬をつけるという意味において、それは当然賠償でやるべきものでしようということで説明しまして、向うもそれは大変けつこうだということになつたのであります。  それからその次の亜鉛製練所の建設、これは、非常に大きい船、亜鉛鉱山がずつと北の方にあります。例の戦争中の援蒋ルートのスタートいたしますところ、ラシオという町でありますが、このラシオから入つて雲南に山を越えて入つたんです。その援蒋ルートのスタートしますところ、鉄道の終点よりちよつと手前であります。そこに大きい船、亜鉛山があります。これは東洋第一、むしろ世界的な大鉱山であります。これは、これまで全部英国資本でやつておつた、やつておつたが、これがまあ戦争中に破壊されまして、そうして三井鉱山がこれの復旧を軍から委託されてやりかけたところで終戦ということでそのままになつておる。それをその後ちよつと比率がはつきりいたしませんが、純英国資本のやつを合弁、ビルマの国との合弁ということで、ビルマ国がその株を取りまして、今のところじや合弁形式にはなつておりますが、全然仕事については英国側の経営に委任してあるという状態であります。ここを私自分で見ることができなかつたのでありますが、いろいろの報告によりますと、現在は鉛も亜鉛も掘つておるのだけれども、戦前の約六分の一くらいしかできない。戦争前には亜鉛の鉱石としまして五〇%余りの亜鉛を含んでおります鉱石を年に六万六千トン出しておつた、鉛も従つて相当出ておつた。それがただいまでは一万トン余りしか出ていない、六分の一しか出ていない。しかし諸報告によりますと、近く精鉱所を整備して、年に二万二千トンの精鉱ができるようになるというレポートが出ております。また現在鉱石が売れないものだから、それを山のように積んであるという話であります。それで、私は向うの政府にも申したのでありますが、この国で化学工業を興したいということをおつしやるが、化学工業にはどんな化学工業でも硫酸を使わなければならんのだから、何か硫酸原料としての鉱石を見つけなければならん。むしろ硫酸原料として要するに硫黄を含んだ鉱石であります、現在ではそれがないのですけれども、ただここにあるボードウィンの鉛、亜鉛山で現在まで鉱石として売つております亜鉛鉱石、この亜鉛鉱石が三〇%の硫黄分が入つております。この硫黄分の入つたものをただで売つている。硫黄をただで売つておるのでありますから、これはもつたいない話なんですから、どうしてもこの国のためにこの鉱石をお使いにならなければなりませんよ、これは現在輸出しているのだから、輸出価格よりも高くない価格でビルマ国が買い上げるということをなさい、そるすれば別段これまでの英国資本に対する権利を侵害するわけでもないのだから、少くとも輸出価格よりも高くない値で国が買いなさい、そうして国自身で国営の亜鉛製練所をお建てなさい、そうすればこれまでただで持つて行かれておつた硫黄分が生きる、日本では硫黄の含有一%のものについて七十円の値段で売れておるのです、それで日本の鉱山は立つておるし、日本の硫酸工場はそれでそろばんが合うのだから、日本では七十円で運賃をかけると七十五円以上になりましよう、あなたの方の一チャットで一%のを買つているのだ。三〇%の鉱石をただでお使いにならんということは……、もうからんはずはないのだから、これでぜひおやりなさい。大体この製練所ができるのに二年かかるとすれば、その間にボードウィンの方も整備されるから、年に三万トンの鉱石を掘つて、約一万五千トンの亜鉛を作る工場と、同時にそれの副産物として二万五千トンの硫酸を作る設備を国営でなすつたらどうですか、それに対する技術並びに資材、そういうものは全部日本から賠償で供給しましよう、約二年かかりましよう、ということで話し合つた次第であります。  それからなおこれは閣僚ではないのでありますが、向うの党の有力者であります、その人と会つてくれというので、会つたのでありますが、その人の言うのには、現在三〇%のアンチモニー鉱石がある、それがただですよ、五〇%あれば売れる、併し三〇%のアンチモニーは使つても仕方がないから、という話を聞きましたし、また別の人でありますが、これは二〇%の鉛がただですよ、それはそうなので三〇%のアンチモニーと言えば、七〇%はこれはすたりものだ、七〇%の廃石を山の中からヨーロッパまで運賃かけて持つていつておつたのでは、三〇%のアンチモニーがただになるのはこれはあり得ることなので、そんなばかな話はない、こんな国としてあほうなことはないのだから、アンチモニーの製練所を一つお作りなさい、製練所と言えば選鉱場もくつつきますが、それをお建てなさい、そうして合理的な値段でこの鉱石を買つてやるならば、鉱山がエンカレージされて鉱山が働き出す。そうすればおそらく方々から出て来るだろう、そういうことで国営の製練所をお建てなさい、そうしてそれに対する技術、資材は全部賠償でやりましよう、これは大して金のかかるものではございませんが、そういうことを話したのです。これは非常にけつこうだということで、そういうことで進めたいと思います。  それからその他の、油も含めますが、その他のものにつきましてはよくわからない。非常に大きい鉄鉱の山があるから硫酸を作らずに硫安を作りたいという話がある、あればけつこうだが、人によつてはべらぼうに大きいと言うし、別の人によるとあんなものは小さいものだと言うし、わからない。  それから鉄山をわれわれは見せられたのでありますが、その鉄鉱があることはわかつておるが、どれぐらいあるかわからない。二千万トンあるというようなことを言うけれども、二千万トンあるということは今ではあり得ないので、あるいはあるかもしれないが、ないかもしれない。  そういうようなことでいろいろな天然資源があることはわかつておりますが、どういう程度にどんなところにあるかわからないのでその調査をしてくれと言うのであります。それはやりましよう、だから一応ずつとほんの目録を読むように歩いて、そのうちの面白そうなところを探鉱するということで進めればどうですかということで、それはけつこうですということで、まあそういうようなことで進めたいと思つております。  それから特に石油でありますが、石油は御承知のようにこれは英国資本で戦前ずつと来たのであります。それも戦後ビルマ政府との合弁事業になつておりますが、しかし運搬は全部英国資本、英国人がやつておる。これは私驚いたことに、戦争前はインドからあの辺は全部ビルマの油でまかなつておつた。ところがこんどわれわれが行つて見ると、ビルマが石油輸入国となつておるのです。ということは、戦争で破壊されましたが、その後何ら増産態勢をとつていないのです。それからさらに驚いたことは、輸入国であつても……日本も輸入国なんでありますが、輸入国であるのに、日本よりははるかに原油の生産地に近いところであるのに、……モールメンという港であります。これはラングーンに次ぐ第二の港でありますが、モールメンで聞いたのです。これは今日本のエキスパートが来て向うで陶器工場を作つております。その陶器工場でこの陶器を焼くかまには何を燃料にしますかと聞きましたら、石油です。むろんそうでしよう。ところがその石油が高いのですよ。日本の金にして一トン二万円、日本の所で二万円もする……。  それから同時にこれは公式に聞いたのでありますが、現在のバーマ・オイル・コーポレーション、ビルマと英国の合弁の鉱業会社の持つておる鉱区以外で石油を開発する意思があるのかということを、私は公式の席で聞いたのでありますが、大いにそれはある。そのためには一つ日本の技術を借りたいと言うので、その場合には合弁事業もどうですか、それもけつこうだというのでありました。ただいまは帝石から三人技術者が来まして、これはただいま滞在中は向うの費用で相当調査中であります。そういう意味で私はこの石油に関する合弁事業というものを一つ進めることができるなら進めたいと思つております。  農林関係ではあまり何はないのでありますが、イラワジ河というのが一番大きい川でありますが、このイラワジ河の一部に砂漠地帯のような……砂漠というほどではありませんが、雨量が比較的少い場所があるのです。そこは護岸がはなはだ悪い。それからざあーつといつときに雨が降ると山の砂が流れてどうにもならんという、砂防工事と護岸工事というようなものをぜひやりたいというのであります。それはごもつとものことでありまして、それに対しては賠償をもつてそれの工事なり調査をしましようということに話をしたのであります。  それからその他の農林関係の改良のための指導という点であります。これについては、現にすでにやつておりますのは、これは国連の技術指導からスタートしたのでありますけれども、国連の人間としまして日本の技師が行つておりまして、ある人は国連の期限が切れてビルマ政府の人として仕事をしております。これは先ほど申しました桑園と、それから生糸の生産工場、これは試験工場であり、同時に徒弟の養成所という意味でやつておるのであります。これは非常にいいので、三年ぐらいかかる桑の苗が一年ででき上る。それから一年中葉があるので、日本ならば四回お蚕をとるのが、向うだと一年に七回か八回お蚕がとれるよるな状態であります。これを日本で、すでに日本の人が行つて技術指導をしておりますが、さらにそれも拡張したいという御希望であるし、それからマンダレーにはそれの織物工場、これも試験工場で徒弟養成工場になつております。これにも日本の人が二人行つております。非常に評判がいいのです。それから酪農工場、これも今小さいコンデンスミルクなんかをやつておるのでありますが、それに伴つてチーズを作るというような設備を今建設中であります。またそのほか園芸関係、また水田関係などありましようし、そういうものに対して相当たくさんの、三十人くらいの日本の技術者を派遣してほしいという希望がございました。それはもちろんけつこうなことと思いまするので、出しましようということにしておきました。  それからその次には、日本で言えば厚生省でしよう、保健関係、これは現在進行中の、ラングーンに大きい病院を作るというので、これは国際入札に出まして最近日本の建築業者も参加するようになつております。そのほかに、七つの、各地方に大きい地方病院を作りたい。その一つの病院がベッドの数二百ぐらいの病院を作りたいというのであります。それから、そこに拡張するのが一つあると、それに対する資材、それから技術、それらを賠償にする。先ほど申しましたように、家を建てるのはこれは向うの費用で建てるのでありますから、それにいろいろ鉄筋とか、窓ガラスぐらいのものしかやれない。家そのものに対しては大した賠償にはなりません。なりませんが、病院である以上、医療設備というのは相当のものでありますから、これは全部日本のものが要るということになります。  それからその次は防衛隊関係であります。これが非常に大きかつたのでありますけれども、そう何もかも一ぺんにやれぬからというので中央修理工場の建設、これは主としてトラックであるとか、戦車等の修理工場、陸軍の修理工場です。それから哨戒艇、これは海軍関係であります。それから船を作ります。海軍は海軍で船台を持ちたいというのでこれもある程度ごもつともだろうということで、スリップウェイでございますね、その船台を一つか二つか作るという。それから航空基地の整備、航空基地の整備というのは、これはもうピンからキリまでありますので、これだけでもえらい金がかかりますが、これをどのくらいにするか、何かしようということになりまして、どのくらいにするかということはもう一ぺんよく技術的に話しましよう、何ならあなたの方から人を日本へよこしなさい、そうしてどういうものがいいのかということも一つ日本を見て、それから話合おうじやないかということにしまして、どの程度にするということはまだきめてないのであります。これで陸軍、海軍、空軍というものが、一応さきに顔だけ出しておいたという程度であります。  それから工業関係、これはこのうちで一番大きいものは、ただいまやりかけておりますバルーチャンの水力電気、これは東部国境、これはタイとの国境でありますが、その国境にサルウィンという大きい川があります。この川は舟運の便がございません。ございませんが、このちようど西部の辺に湖があります。その湖をこつちの川へ落すのであります。そうしますと、その湖はインレーという湖でありますが、その湖がちようどダムに相当するので、別にダムを作らんで、その水を川に落すだけの設備をしてやりさえすれば、千何百尺という落差ができるのです。それでこれは、初めアメリカ人が全体を計画しまして、国全体のすべてのものについての工業計画のレポートが出ているのであります。それをアメリカ人の計画では二万キロということであつたのです。ところが、その後に、別にそのために出かけたのじやないのでありますが、久保田豊君と申しまして、これは鴨緑江の水力発電所を作つた人です。この久保田君がたまたま参りましてそのことを聞いて、これは自分で現地を調査してみると、二万ぐらいじやない、これは八万四千キロ出るというラフな計画をもつて政府と話したところが、政府がそれに乗りまして、それでは一つ君に頼むということで、これは日本工営という日本法人の会社であります。久保田君はこの日本工営の社長ですが、そういう案を出したので、ビルマ政府は大へん喜びまして、それじや久保田君に一切の計画を一任するということで、ずつと調査をしておりまして、ようやく設計もできて、そうして八万四千キロの発電所を作ることになつているのであります。それでこれはもうすでに計画ができて、発電機の見積調書も終りまして、各国からとつたのでありますが、日本のものが値段で言うと三番目ぐらいになる。でありますが、納期が早いので、それで他国のやつをへずつて、日本のものに多分すると思います。すればこれが賠償として一番大きいものであるし、手つとり早く効果が出るので、大へんけつこうだと思つているのでありますが、大体年内に四十億円の外注があるのであります。そのうち全部日本がとれますかどうかわかりませんが、そのうちの大多数は日本でとれると思います。そういうものを、初めは向う側は、自分の方の金で払うというくらいに言つておつたのでありますけれども、ビルマの手持外貨は減つているしするから、日本の賠償にして、そうして外貨を支払わないようにすればその方がいいというようなことから、これはむろん日本に落ちると思います。落ちるし、これができ上りますのが来年の秋には……、幾ら延びても、来年中にはできるということで、それからこの工事も、日本の田島組が請負うことになりまして、すでにだいぶ向うへ進出して参つている。まあそういうわけで、これは一つ喜んでいただくことだと思います。さらに、これは拡張すればまだ二十万キロくらいにもなる大きいものもあるよるであります。そうしてこれができますと、まだほかにもやるつもりでおつた発電所は、おそらくそんなことをしなくても、これで十分余るから、アメリカあたりでそのほかに熱心に運動しておりますけれども、おそらくそれはやらないだろうと思います。  それからその次に中小工業のいろいろのものがありますが、中小工業の工場建設と、それから技術指導。砂糖、それから乳製品、先ほどちよつと申し上げましたミルクだとか、酪農工業ですね、それから綿織物、ウルシ、漆器の工場、それから屋根かわら、それから動力プラウ、噴霧機だとか、そういうちつぽけなものがたくさん出ております。それから染色仕上げ、それから蚕糸試験所、それからブリキカンの工場、これはまあブリキカンは非常に要るので、カン詰工場を作るにしても、カン詰を作るにしてもコンデンスミルクを入れるにしたつて、あんなかさ高なものを持つて来たのではかなわないので、まあブリキを入れて、そうしてそのカンを作る工場なんです。そんなものはやるがよかろう。それから乾電池、蓄電池、そんなものは今すぐやれるかどうかわかりませんが、希望はある。それから製糸。こんなちつぽけな中小企業に属しまずプラント輸出並びにそれの技術指導、それからこれは工業開発公社、インダストリアル・デヴェロップメント・コーポレーションと申しておりますが、それの修繕工場にずいぶん日本の工作機械が入つているのですが、それが十分整備されていない。それを整備したいということであります。それに対してすぐ技術者を派遣してくれ、同時に、職長なり、職工をよこしてほしいという問題。それから同じくそれの附属工場の設備、セメント工場、それから綿布、それからラミー、そんなものの工場。セメント工場は、これは今入札できよるので、日本のセメント会社でもそれの入札に応じ得るような態勢であります。ありますが、大体これは英国人がやつている工場を大きくしようというのです。  それから教育関係では、毎年少くとも百人くらいの留学生を日本によこしたい。そうして日本の学校に入れるだろうし、日本の工場で実習もさせたいという希望であります。それは大へんけつこうなことでありますから、実際向うの人は日本のことを知つている人もあるが、知らない人もあるのですよ。知らない人は何にも知らないのですよ。日本に電車があるかというようなことを聞く人もあるくらいで、できるだけ向うの人が日本へ出て来て日本を見るがよかろうということで、できるだけこちらは受け入れよう。受け入れるについては、少くとも半年くらいは日本語を覚えなければならない。それから学校へ入る。それからその間にそれを収容する場所が要るから一つ賠償でそういう人の寄宿舎を建てたらどうですか、そうすればこれは日本側が建てるのですが、結局それはビルマ政府のものになりますから、それを賠償でお建てになつたらどうですか、三百人、四百人くらい入れる寄宿舎ですな。それを一つ建てようじやないですか、それもけつこうだということになりました。  その次の住宅関係、これは土木建築の技師を派遣してくれということであります。これはもちろんけつこうなので、これも全部でやはり五、六十人の人間になりましようが、それくらいの人を派遣するということで、これもすぐ実現に移していきたいということであります。  それだけが賠償でやることで、合弁事業でやりたいというのはたくさんありますが、そのうちで造船所だけはすぐにもできそうな形であります。これについては日本側でも、日立造船所と、石川島造船所とで共同で調査をして、それで共同でやるか、あるいは石川島さんのところでやるか、日立さんのところでやりますかわかりませんが、もちろん相手は政府であります。その合弁事業方法は日本の株が四〇%、向う側の株が六〇%、標準としてはそれでいこうということであります。そのほか綿織機の工場。ゴム製品。ゴム製品は、初めは自動車タイヤということを言つておつたのですが、そんなむずかしいことはできませんから……それから向うの人はぞうりをはきますから、ちようど日本のせつたぞうりみたいなものをはきますから、あるいはズック程度というようなものでいいじやないか。それからガラス製品ですが、これは板ガラス、こんなむずかしいことをせんだつて、輸入するのに都合が悪いびんでも作つたらいいじやないかということで、それを大いに勧めてきたのであります。原料だけを入れてガラス製品の製造をする。それから化学肥料、これは先ほど申しましたように、硫酸がなくては化学肥料はできないから、まず硫酸工場としては鉱石の製練所と硫酸工場をひつつけて硫酸を作つて、その硫酸を何に一番使うのが有利かということはもう少し考えよう。一部を肥料にするか、全部肥料にするか、その辺のことは考えようということにしました。ソーダ工業、これは向うも御承知の通りドライ・シーズンというのが半年くらいありますから、その間は塩ができる。そうして現在塩を外塩まで輸入しておるようです。そんなばかばかしい話はないから、これは塩をお作りになればいい。塩を作ればソーダも作れるというようなことでよかろうということにしてきました。それから合成樹脂、これも初めは繊維までやりたいというようなことを言つておつたのですが、そんなことはあと回しにしていい。一応日本から原料を持つていつてそれを形にするということでいいじやないかということで、それでいいということになりました。それから電気機具、ソケットだのスイッチとか、そんなものでありますが、そういうものの工場を作りたい。電線、電纜、これもどく簡単なものだけ原料を入れておやりになればよかろう。紡織機、これも非常に熱心ですけれども、これもやるならば、簡単なものを……。アルミニュウム製品。これは初めアルミニュウムの精練までやりたい、電気が余つてしようがないから電気の使い道はないかということで、それじやアルミニュウムということになつたが、アルミニュウムの原鉱についても、あるかもわからないし、ないかもわからない。そんなものは原料関係がはつきりしてからでもいい。それよりも弁当箱とか、そういうようなアルミニュウム製品をたくさん店に売つておりますが、そんなものぐらいは自分で作りたいというので、それならばアルミニュウムの板を入れて、その板から先の製品化だけをおやりなさいということで話してきました。それから陶磁器、これはそんな高級なものでなくてもいいが、こんなものも輸入しておるから、陶磁器もやりたい。モールメンに日本の技師が二人行つておりまして、試験工場徒弟養成所というようなものを建てることにして……。ここでちよつと申しておきたいのは、私はこの工場を見まして実に憤慨したのでありますけれども、そこにある機械は全部日本品でありまして、そうしてそれにはつきりとメーカーのネーム・プレートが張つてあるし、それを輸出した輸出業者のネーム・プレートが張つてある機械がずらつと並んでおるのでありますが、これが使いものにならぬ。これを買つたのビルマ政府が買つたのじやないので、何か日本に来ておつたEACという機関があつてそれが買つてそれをビルマ政府に経済援助という形でやつたのだそうであります。ところが、これが実に話にならぬひどいものが行つておる。とても動かない。動かないのはわかつておる、たとえば土を練る装置のことでありますが、土と粘土に水を入れて練るのでありますが、このくらいの大きくタンクです。そのタンクで練るのにモーターが半馬力であります。半馬力のモーターは家庭のちよつと大きい電気冷蔵庫なんか半馬力のモーターをつけている。そんなもので動くわけがない。これはモーターが焼けるか、動かんか。それのベアリングを見てももし理無にやつたらベアリングが飛んでしまう。仮にもし飛ばなければ焼けてしまうというようにお話にならぬものが行つておる。これはおそらくそのときは安かろうでどんどん適当に入札をして持つていつたのだと思いますが、それと同じようなたぐいのものがラングーンの対岸の造船所にあります。日本から送つたのでこれも使いものにならん。向うには英国人の技師がおつて、英国人の技師から言えば日本の物にけちをつけていれば愉快なんです。動かしてやるろという親切気はない。これは日本の人が行つておるのだからなんとかして動かしてやろうと一生懸命やつておる。こんどの賠償にしても合弁事業にしましても、やたらむしように日本のメーカーがめちやくちやに安いものを売りつけて競争をして、そうしてそれを日本から持つていくということになれば、結局日本からたくさんものをもつていかなければならんということになる。そうかといつてめちやくちやにインターナショナルプライスよりもちろん高いものを売りつけるわけにいかんが、日本の業者がいろいろむだな競争をして悪い物を持つていくということになればこれはもう千歳のつらよごしでありますから、この点について大体自由競争という立場で向うは見積りをとることになつておりますので、その見積りをとつたものをきめるときには少くとも日本の政府なり、あるいはある機関と相談をして決定をさせるということでもつていかないと、日本の恥さらしであるし、同時に安く売れればそれだけ賠償で持つていくものが多くなるということになりますから、この点だけは一つどうしても適当な機関を初め作つて、そうしてこういう実際問題を取扱うということにしなければならぬということを痛感してきたのであります。それでまた同時にこんどの賠償にしても、外国人が牛耳つているところへはあまり日本の物を賠償で持つていかない方がいいのじやないか。少くとも日本の人が行つてそれを運転する、ところへ持つていきたい。そうしないと、日本人ならば十分使えるものを、彼らはもう使えないというのでうつちやつちまうというようなことになつては困るから、賠償で持つていく以上は少くとも日本人がそれに関与できて、そうして日本の物がうまく動かせるというところにだけ賠償をやるように、むしろこつちで制限する方がいいのじやないか。これは将来の問題でもありますが、そんなふうな感じを持つて帰つたのであります。  それからホテル、ホテルは実はこちらから言い出したので、ラングーンにはたつた一つのホテルしかなくて、そのほかにはあまりろくなホテルがない。ラングーン以外のところでは、マンダレーみたいなところもホテルがない。旅行者がふとんからかやから持つていかけなればならない。これはインドの田舎はそうなんです。インドの田舎を旅行するときには、向うに政府がこしらえた家がありまして、そこに寝台があります。だから寝具から何から皆持つていつて寝るのであります。それがビルマじや田舎じやない、マンダレーと言えばラングーンに次ぐ第二の都会でありますが、第二の都会へわれわれ行つてそこで泊れる部屋かない。そこには政府で作つた家がありますから、そこへ行けば寝台があるので、家も大きい、部屋にも寝台くらいあるのでそこへ寝具を持つていつて、かやまで持つていつて泊るような状態でありますから、これはホテルを一つ合弁事業でやつたらどうですかということを言いますと、まあけつこうだと、もしやるとなればラングーンに一つホテルを建てて、下の方は日本のデパートメントストアみたいなものを、日本商品を紹介するようなものにして、それから今あります大使館というのは、まるでひどいところにおりますので、あまりひどいから一つこれに大使館を入れて、それから四階か、五階か、六階あたりに一つホテルでも作るというような構想でどうだというようなつもりでおるのでありますが、まあこれは誰がやりますか、国際観光ビルみたいの、ああいうような形のものでも作れれば大へんいいのではないかと思います。  それから絹糸の織屋、こんなことを合弁でやるならやりましようと申して来たのであります。しかしこれに対して日本の民間業者がこの合弁に参加する人が果してあるかどうか、これは問題でありますが、もしあればそれでおやりになればいい。それでこれは稲垣さんから直接、稲垣さんとウー・チョー・ニェンとの二人だけの会談で、これは日本に来たときにも私は何べんも言つたのでありますが、この合弁事業については最高の取締役会、これは勿論ビルマ側と日本側から出る。それはけつこうです。しかし実際運営するのは、マネージメントは日本側にまかせなさい。そうしなければとてもろくなことはできませんよ、ということを言つたのであります。これは向うさんも承知なんであります。この前来たときにも私が申しました。新興国家というのは非常にアンビシャスで、原料がある、原料があるが、原料で輸出するよりは製品にして輸出する方が利益だ。また製品で輸出するならば工場がないから工場を建てなければならない。それも事実でしよう。どうせ小さい工場を建てるよりも大きい工場を建てた方が利益だということで大きい工場を建てる。それも理屈はよろしい。私はその実際をユーゴスラビアで見て来ました。それでユーゴスラビアの政府に私は警告をしました。けつこうだが、アメリカのベストは日本のベストではありません。同様にアメリカのベストはユーゴのベストではありませんよ。だから工場を建てるときには小回りのきく工場を建てる。それからそれを大きくするがよい。人を作ることをせずにいきなり大きい工場を建ててもだめですよ。ビルマに対しても私は同じことを申します、と言つたらウー・チョー・ニェンは大体君の言うことに僕は一致するが、たつた一つ違つたことがある。それはユーゴは人間を作らずに大きい工場を建てている。自分も見た。しかし私の方は全部日本人に動かしてもらうつもりだから大きい工場を建ててもいいじやないかと言うから、それならけつこうです。だからそのときには十万トンの硫安工場の話だつたのですが、十万トンの硫安工場を建てるのに日本人五百人持つて来ればいいだろうと言うから、いや、五百人は要らないでしよう、まあ、七、八十人から百人ぐらい日本人が行けばいい、それはお安い御用だ。工場を建てるなら当分の間日本人にまかす、マネージメントも自分らにはできない。マネージメントから技師から、職工まで全部来てくれと言つておりました。それを稲垣さんがもう一ぺんコンファームされまして、合弁は両方から出がす、マネージメントは日本人にまかせなさいということをコンファームされまして、けつこうです。しかしいつまでも日本人がいなければ動かぬでも困るから、十年ぐらいの後には自分らで動かすように教育してもらわなければいかぬ、それはごもつともですということで、大体そういう方針で了解を得ております。  それからなお、もうかつた、もうかつたら出ていけというのでは困る。だから少くとも十年間ぐらいは強制株式の買い上げはせぬということで一つ了解したいという話をされまして、それは原則的には自分は賛成だが、しかしこれはどうも自分一人でイエスとも言えないから……。大体そういうことになるであろう、しかし自分はそれに賛成だという言質を得ているのであります。  それから日本人もたくさんこれから参りますが、その給与関係でありまして、細部についてはまだわかりませんが、大体の方針としましては日本におります給料の三倍はもらわなければいかぬということで話をしました。大体それも了解する、それについては異議ありません。それで現実に申しますと、現在こういう人があるのです。東京の高等蚕糸を卒業して約二十年の経験のある人が向うへ行きまして、地方で月二千チャットと申しますと、七十五円何十銭が公定で一チャットでありますから、ざつと五百ドルぐらいですか、五百ドルぐらいとつておるのです。それからまたそのほか外国人を雇つておるその実例も全部見せてもらつたのでありますが、それでも最高は二千チャットというところでありまするから、二千チャット。税は向う特ちです。これはしかし大学出になればもう少し高くなるということで、これは話がきまつた、まあ二千五百チャット、最高二千五百チャットくらい、しかし特別な場合は別だ、それはその人、個人々々について話しましよう。それから一番下は八百、九百チャットくらい、これは五年くらいの職工さんですね、五年くらいの経験のある、昔の地方の工業学校、中等程度の工業学校を卒業したくらいで五年くらいしたところで九百チャットくらいという、上と下とだけは話をきめまして、その間はまあもつとこまかくしなければなりませんが、それはまあ上下さえさまれぱあとこまかくすることは事務的に話ができると思つて帰つて参りました。大体お話申し上げることはそのくらいと思います。なお御質問がございましたらそのときに……。
  4. 石原幹市郎

    委員長石原幹市郎君) どうもありがとうございました。
  5. 加藤正人

    ○加藤正人君 聞くところによりますと、プラント輸出をするような設備ですね。そういうものは新品でなければいかんという原則があるのですか。
  6. 久留島秀三郎

    参考人久留島秀三郎君) いや、別に新品でなければいかんという原則はありませんが、古物を売りつけたという感じをなるべく特たしたくないと思つております。
  7. 加藤正人

    ○加藤正人君 それは今までいろいろなこりた例もありますね。しかし新品であつて日本で遊休になつて……。
  8. 久留島秀三郎

    参考人久留島秀三郎君) それはもちろん考えられます。
  9. 加藤正人

    ○加藤正人君 それで、しかもそれが改造されておる、そういうものを、はかすのが、日本のためでもありますね。それはいいのですか。
  10. 久留島秀三郎

    参考人久留島秀三郎君) それは考えられます。それで今年はこれだけのことをやることにしましたが、どの規模でやるか、それからまあ、物によつてはどこへ置くかというようなことままだ何もきめていないのです。それで一応それだけのものをやるということだけきめたので、それを実施するために各業種々々で調査員を出しましようということにしておきました。
  11. 加藤正人

    ○加藤正人君 この綿紡績など初めは多少希望があつたらしいが、近ごろさめたようですね。
  12. 久留島秀三郎

    参考人久留島秀三郎君) そうです。
  13. 加藤正人

    ○加藤正人君 というのは、あそこでは適当な綿花が自給されない、職工の能力も違うというようなことで、ちよつと綿紡績は見込みがないようですね。
  14. 久留島秀三郎

    参考人久留島秀三郎君) またやりたいと言うておるのですが、けれどもまだはつきりいたしませんよ。こつちのほうで、日本側でもそれにたつて応ずる業者の方もあまりはつきりしませんようですから、まだはつきりはしていないのです、これは何も具体的には。それでこの造船なんかでもおそらく向う造船所を作ると言えば、現在日本にあつてはそうたくさん使えもせんが、十分使えるというようなものを持つていくということになるだろうと思いますね。
  15. 加藤正人

    ○加藤正人君 今のプラント輸出のものも、実は私の方の会社の子会社の持つておるものを整理すると、これは染色加工工場ですが、一工場くらいできるのです。できて、それはまあ整理するために金にしたいのですね。ところがこれはまあ賠償では困る、合弁では困る、共同経営では困る、そういうのでどういうのを引き合いにするかと言つたら、どうも新しいものでなければいかんということで……。
  16. 久留島秀三郎

    参考人久留島秀三郎君) いや、必ずしもそう新しいものでなければいかんとは言わないのですけれども、古物を押しつけられたのだというような印象をなるべく与えたくないということでございます。
  17. 加藤正人

    ○加藤正人君 おそらく安くて能率さえよければ……。
  18. 久留島秀三郎

    参考人久留島秀三郎君) そうですね。そういう問題は各業種ごとに調査団を出そうということにしておりますので、それで第一年度は賠償二千万ドルとはいうものの、そのほとんど調査費が主でありますので、二千万ドルはとても使えない。注文しても注文するときの前渡金はあつても、でき上らなければ金を払わないので、今年は調査して注文をしたところで、設計して注文したところで、それができ上るのは来年以後のことになるので、恐らく二千万ドルは使えないだろうと思いますが、たまたまわれわれ向うにおる間に日本の新聞に第一年度は千二百万ドルということを日本政府が発表した、これが非常にセンシブルに向うに響きまして、それはけしからんというような話になつて、大分困つたのです。事実払えなければ、そのとき千万ドルしか払えないものは払えないので、あとは来年になると三千万ドルになるかもしれない、そんなむだなことを新聞に発表しなくてもいいとわれわれは思つた。大体そうですから今年はその調査団を各業種別に出しますことが取り急ぐことであります。
  19. 三輪貞治

    ○三輪貞治君 フィリピン、インドネシア、ビルマなど今までずつと懸案でありました賠償協定ビルマとの協定を皮切りにいたしまして非常に具体的に進んできたということは日本の東南アジアの経済協力に対する一つの新しい道を開いたものとして喜んでおるわけです。今ずつと話を聞いておりますと、大体この賠償に対する考え方が少くともビルマにおいては違つてきたんじやないか、平和条約に書かれておる戦争によつて受けた被害を賠償するのだというときには百億ドルというような金額が出だ。しかし自分の方に持つている計画経済と申しますか、ビダウダ計画ですか、これを実行するためには民族資本は幾ら、借り入れば幾ら、賠償は幾ら、こういうふうに賠償に対する考え方が変つてきたんじやないかというふうに思えるのですが、これはフィリピンなどにも非常にいい影響を与えて例の今まで八十億ドルの要求をしておつたのが四億ドルくらいの要求に変つてきつつある。こういうふうに考えられるわけですが、そういうふうにビルマ賠償協定の考え方の基準になつてきた、いわゆるピダウダ計画というのは一体どのくらい、一九五二年八月できて以来もう三年近くなるが、どのくらい進展しておりますか。
  20. 久留島秀三郎

    参考人久留島秀三郎君) 何もできておりません。その後KTA計画というものが出ました、二百万ドルか三百万ドルではつきりしませんが、ビルマ政府の金を出しましてアメリカの技術団を招聘してそして全国のなにを立ててそしてできたものが、KTAレポートというものが出ております。それもわれわれから見るとあまりばかなことをやらなくてもいいじやないかと思われるところがあるが、大体KTA計画はけつこうだということにしてそれを修正するというような話もしてきたわけです。そうですから何も向うは進んでおりません。
  21. 三輪貞治

    ○三輪貞治君 その内容を見ると、いわゆる福祉国家計画の内容で、大きく考えられるのは農業と農村振興の計画、それから後進地域の開発、住宅、運輸、通信、教育、保健、医療、こうなつておるわけですが、その内容を見ると、一年あるいは三年、五年でもうすでに期間は過ギてしまつたものもある……。
  22. 久留島秀三郎

    参考人久留島秀三郎君) あるのです。
  23. 三輪貞治

    ○三輪貞治君 このうちで向うで最も重点的に考えておるのは一体どういう部面ですか。
  24. 久留島秀三郎

    参考人久留島秀三郎君) それも先ほど申し上げましたように、省によつて違いますので、省によつては非常に熱心だし、ある省は知らん顔をしておるようなわけで、まとまつてどれを一番初めにとりたいということをこつちかち要求しまして、こう並べられただけでは困るので、そのうちで第一順位、第二順位をつけてくれということをこつちから言つて、こういうのが出た、それをまた整理して出したのがこれです。
  25. 三輪貞治

    ○三輪貞治君 向うでは政府機関としてはどこがやるのですか。
  26. 久留島秀三郎

    参考人久留島秀三郎君) こんどはわれわれの方からそういうことを言いまして、何とか、まとめてくれなくちや困ると言つてそれでそのためにできたのかどうかしらんが、とにかくわれわれが向うにおります間にウー・チョウ・ニェンを長として、それから各省次官を委員にして、それから日本へ来ました当時のアジア局長、それがそれの幹事になつて、そういう機関で賠償の何を取り上げる、窓口にするといることにようやくきまつたわけです。それがきまりまして、それから各省要求みたいなものをいろいろ持つてきてもらつたものを、われわれの方でそうもいかんからこのくらいでどうですかと言うて出したのが、第一順位のものばかり抜き上げまして、そうして各省ごとにこんなものでどうだというので出したのがこれです。それでみなけつこうだという話になつたわけです。
  27. 三輪貞治

    ○三輪貞治君 それから交換公文によると、経済協力の一部は貸付にしてもいいということが言われておりますね。
  28. 久留島秀三郎

    参考人久留島秀三郎君) その貸付にするやつはまだどの辺になるかということは実はまだきまらないのです。それで五百万ドルのうちの二百万ドルでしたかは貸付にするわけなんですが、それは今のところではどれを貸付にするという具体的なことは向うも何も構想がないのです。向う側も構想もなし、こちらもどれを貸付にしたらいいというようなことを言う段階ではないので、それには何も触れずに、まあとにかくこれだけのことをやることにして調査をしようじやないかということで向うとの話合いを終つたわけです。
  29. 三輪貞治

    ○三輪貞治君 それから先ほどもお話がありましたように、この賠償協定の前にすでに合弁事業計画は進められておられたわけですね。その中でロイコ、の発電所ですか、そういうものは非常に進んできたというお話けつこうなんですが、その中の漁業の合弁会社ですね、それからマルタバン合弁、それから真珠貝の採取とか、それから竹パルプの合弁会社とか、それはどのくらい進んでおりますか。
  30. 久留島秀三郎

    参考人久留島秀三郎君) 大洋漁業の関係のやつはトロール船を一ぱい持つていてこれでやつているわけです。もうすでに漁獲物は上つております。それから竹パルプの方はこれはちよつと今まだ足踏み状態で、向うはやりたいが、アメリカからそれに対して見積りが出たりして、どれを取るかという段階ですね、今のところでは……。
  31. 三輪貞治

    ○三輪貞治君 それから先ほどのお話の中にもちよつと出ました賠償目当ての、いわゆる賠償ブームにつけ込むと申しますか、一旗組ですね、それは稲垣さんもお帰りになつてそういうことをお話しになつて政府でも何か推薦制とか、契約内容の審査制を採用しなければならんというようなことが言われておりますが、実際に相当進出しておりますか。
  32. 久留島秀三郎

    参考人久留島秀三郎君) まだそこまで進出する時期じやないのに、どのくらい出かけられるかですね。これも確かな数字はわからないのですが、建設機械、ジープとか、掘さく機械だとか、それからそういうような建設機械の業界から、某社と某社から二人出るということであいさつに来られたわけです。それで私は申し上げました。こういうものはどうせこの中に入つているので、早晩協定が批准されればすぐにも調査団を出さなければならん性質のものですよと、その場合には、むろんその調査に行く人の費用賠償で支払われるので、あなた方の会社が負担なさる必要のないものだ、そういうことがもう一カ月か、一カ月半の後にそういうことになるのに、あなた方が今何も出かけて向う政府と話をなさるのはかえつてじやまになるのじやありませんか。しかしもうビザを取つたと言うから、行かれるのはおよしなさいとは言わないけれども、むだなことですね。もう一回お考えになつたらどうですかと申し上げたのです。そうしたらそのうちの一社はもうよそうということでよされました。それからもう一社の方は私は聞かないのですが、どうなりましたか。ですから、そういう連絡不十分で、よくわからずに何かやらなければいかぬというので出かけられるのですが、私はあまりよくないのじやないかと思うのです。
  33. 三輪貞治

    ○三輪貞治君 それから米の輸入との関係ですが、昨年の秋に復興大臣のボーミンガンさんが来られて二、三回会つたのですが、また最近見えているのですね。この前の委員会のときも石橋さんも会わなければならんというので中座されたのですが、何かその当座の話を聞くと、政府が二十万トン以上の買い入れの意思表示をしたのに対して、ビルマから三十万トンくらい買つてもらわなければ、いろいろなものを日本から買うのだからと、そういうようなことをボーミンガンさんは言つておられたのです。それはその支払いは外貨で払つておいて、それから物は別の賠償の形でやると、こういうふうに別になるのですか。
  34. 久留島秀三郎

    参考人久留島秀三郎君) こんどは米との関係は何も関係をつけて話さなかつたのです。そういう問題が具体的に起ればケース・バイ・ケースで話合いになるのではありませんか。こんどはそういうことで、全然話に入りませんでした。
  35. 三輪貞治

    ○三輪貞治君 そのときの話では、米の買入量が自分らの要求通り三十万トンなり、それ以上になれば、それに見合うだけのものは買いたいのだ、こういうことを言つているわけなんですが、それを買うというのは金で買うのか、賠償で考えているのか……。
  36. 久留島秀三郎

    参考人久留島秀三郎君) それはどうだかわかりませんね。金で買うということはないのじやありませんか。そうたくさん買うのも、これだけのものをやれば相当潤いますので、そんなに向う政府が買うものはないのではないかと思いますよ。買つたところでできないでしよう。日本行つてやらなければ……。
  37. 三輪貞治

    ○三輪貞治君 先ほどの発電所なりその他の合弁事業は……。
  38. 久留島秀三郎

    参考人久留島秀三郎君) 発電所は実は合弁ではございません。全部向う政府の……。
  39. 三輪貞治

    ○三輪貞治君 そういうのを見ますと、かなり多量の建設資材が要ると思う。セメントなんかは、今向うで入れているインドセメントで間に合わせるのか、それとも日本で持つて行つて賠償に……。
  40. 久留島秀三郎

    参考人久留島秀三郎君) 持つて行きます。
  41. 三輪貞治

    ○三輪貞治君 その場合に、運賃が非常に問題になる、遠いものだから……。そこで運賃を軽減する一つの方法として、日本でも今一部採用されているセメントタンカー、これで持つていくというようなことも考えられている。そうなると、タンカーから受け入れる、ラングーン港に何かタンクでも作るというようなことなんかも、安く持つていこうとすれば考えられるわけですね。運賃が高すぎますから、それをカバーするために、そういう施設もやはり賠償に……。
  42. 久留島秀三郎

    参考人久留島秀三郎君) 考えられますね。
  43. 三輪貞治

    ○三輪貞治君 話が出ておりますか。
  44. 久留島秀三郎

    参考人久留島秀三郎君) 話は出ておりませんが、そういうことは、これから行く直接のミッションの調べでやるという筋合いのものです。
  45. 三輪貞治

    ○三輪貞治君 私はラングーン附近の精米所なり、いろいろなものを見たのですが、黄変米の事件と関連して、ああいる貯蔵状況では、あるいは積み込みの状況では、船が予定以上にたまつていなければならぬために、待船所だつて大したものだ。そうなると、米の倉庫を作つて、短時間にぱつと船の底に積み込むような施設を与えたらと、眺めて見ると考えられましたが……。
  46. 久留島秀三郎

    参考人久留島秀三郎君) ここに出ておりませんが、米を積むための一つのウォークを督促しようじやないかという話をしたのですが、それもこんど港湾関係の調査に行かれるときの一つの問題として考えております。それで、米を積むための、つまり主として日本になりますけれども、とりあえず米を積むためのウォークを作ろうじやないか、どの規模にするかということはこんどの港湾関係の調査のときに一緒に考えてもらうということは、口頭ではつきり了解をしてきたわけです。
  47. 三輪貞治

    ○三輪貞治君 それから農機具関係ですが、これは今のところ向うからはどういうようなものが要求されているのですか。
  48. 久留島秀三郎

    参考人久留島秀三郎君) 向ろの人もはつきりわからないのですよ。わからないので、とにかく非常に一般的においてあれもやりたい、これもやりたい、農機具と言つたつて、実際的に農機具がどんなものが使えるのか、肝心の農業関係の人は知らないのですよ。われわれも農林試験所に行つたりして話をしましたが、どんなものがほしいかはつきりわからない。それでこの前来たウー・チョウ・ニェンもあれは農機具の工場を見たり、あつちもこつちもずいぶん工場を見て、あれもやりたい、これもやりたい、まあしかし簡単なものを作るくらいの工場はお作りになつたらいいじやないかと言うておりまして、それでこちらからも調査団が行くが、あなたの方からも農業関係の人をこつちへ見によこして、そうしてどういうふうにしてそれを日本で使つているか、作つているかじやなくて、使つているかということもごらんなさいということをまあ勧めてきたような状態です。
  49. 三輪貞治

    ○三輪貞治君 それから教育関係ですがね、先ほど留学生の話がございましたが、これは今日本の外務省にも東南アジア関係の留学生に対する費用を今年の予算でも組んでいるのですが、これはやつぱり賠償で考えておるわけですか。
  50. 久留島秀三郎

    参考人久留島秀三郎君) 賠償で考えております。
  51. 三輪貞治

    ○三輪貞治君 こつちの生活費も全部……。
  52. 久留島秀三郎

    参考人久留島秀三郎君) 生活費全部考えておるわけです。
  53. 三輪貞治

    ○三輪貞治君 その次に養成工の受け入れ、これはどのくらい向うは……。
  54. 久留島秀三郎

    参考人久留島秀三郎君) それも賠償で考えるわけです。
  55. 三輪貞治

    ○三輪貞治君 これに書いてあるような各種の事業についての職工なり、高級の技術者日本で養成してもらいたいというわけですね。
  56. 久留島秀三郎

    参考人久留島秀三郎君) そうです。こちらから行つてこちらの人が向うにおる間も向うの人に教える。教えるが、あなたの方からも来なさいということを切に言うてきたのです。
  57. 石原幹市郎

    委員長石原幹市郎君) ほかに……。
  58. 海野三朗

    海野三朗君 向うにおいでになつてビルマ当局、つまりビルマ人から受けた感情はどういうふるでございましたか。
  59. 久留島秀三郎

    参考人久留島秀三郎君) 非常に何ですね、親しく、他人でないというような感じで話し合いました。それはもう全く要求というようなことじやなしに、あんなこともしたいのだ、こんなこともしたいのだが、どうだというようなことで、全く自分の国の人と話すと同じような、つまり感じで、われわれもそんなつもりで……。結局われわれとしても日本のものを早く成績の上るものから持つてつてやりたい。そうして日本賠償なり、また合弁でやつて、こういういい結果になつたのだということを向うの人が知つてくれれば知つてくれるだけ、結局日本のものが将来売れるようになるのだと、だからこんどのことでもうけるという考えじやなしに、こんどのものはまずとにかくほんとうの了解を得るために、日本のおかげでよくなつたということを思うてもらうように、できるだけサービスをよくしてすれば、必ず日本に近づいてくるに相違ないのだから、それで現在、先ほど申しました外国人の態度なんかも、これはもう私は明らかに昔の植民地政策の、一つの搾取政策のほか何もないと思うのです。そういうようなものに対してもそれがいかんというようなことをまつこうから言う必要はないので、われわれがほんとうに向うのためになるようなものをしてあげれば、これは日本人に頼つていけばいいということになれば、鉱業権の問題にしても、石油の問題にしても、事はひとりでにほこれてくるから、あまり人のやり方が悪いなんということは言わん方がいいと、そういうような感じで、本気に向うのためにやつてやるというような気持でありましたし、向うの人も他人にものを要求するというような形は一つも見えません。非常に気持よく接したことに対しては非常に喜んでおるのです。
  60. 團伊能

    ○團伊能君 先ほど三輪君から御質問になつていたのでございますが、こちらからいろいろ人が行つて、先に売り込みの相談をするということでございますが、ただいま伺うように、たとえば農機具とか、まあ少し科学的な農機具その他のものですね、知識がないのですね。
  61. 久留島秀三郎

    参考人久留島秀三郎君) ないんです。
  62. 團伊能

    ○團伊能君 それだから何かサンプルを持つてつて、これを見せる。見せたらばそれじやこれを送つてくれというような注文もこの賠償の中に入つてくるのですか。
  63. 久留島秀三郎

    参考人久留島秀三郎君) 入りましような。
  64. 團伊能

    ○團伊能君 入りますから、やはりサンプルでも持つて先に行つた人が結局勝ちだということに結論はなるのじやないですか。
  65. 久留島秀三郎

    参考人久留島秀三郎君) 今のところでは別にそこまでやつておられる人はないでしよう。それでなるべくならば、向うの人が日本に来て日本の実際を見られるのが一番いいと思うのですな。
  66. 團伊能

    ○團伊能君 けれども、ただいまのやり方が結局実際何とか言いながら結局勝ちになるでしよう。
  67. 久留島秀三郎

    参考人久留島秀三郎君) 必ずしもそうとは思いませんよ。必ずしもそうとは思いません。
  68. 三輪貞治

    ○三輪貞治君 今のに関連するわけですが、向う側にもそういう一旗組がかなりおるのじやないですか。ブローカーですね。
  69. 久留島秀三郎

    参考人久留島秀三郎君) そうですね、どうですかな。今までのところではそういう面はございませんが、向うの党の相当な有力者が政府をバツクにして、これは政府より何かの話のあつたものでも、それは結局政府でやるのだということを言つておりますし、それからまた政府と非常に親しい関係の人が話しているような問題のうちのあるものは、それは政府の代行としてやられるといる場合もあるかもしれません。例の大洋漁業とのあのマルタバンの漁業会社なんかは、あれは政府じやございませんわな、あいつは……。
  70. 海野三朗

    海野三朗君 最後に私が久留島団長にお伺いいたしたいのは、そういうふうなことで向うにおいでになつて具体的に今着々どこでその歩を進めておられるのですか。
  71. 久留島秀三郎

    参考人久留島秀三郎君) 今ですか、今は私は実はこの間御用済みにつき免ずという辞令をちようだいいたしまして、ただいまは関係ないのでございます。それでなるべく早く日本側におきましてもそういうことを直接向う側と具体的な問題について折衝する機関を早く作つていただかないといけないだろうと思つておりますし、それからまた外務省に向つてもできるだけ早くそれをお作り願いたいと申してはあるのです。
  72. 海野三朗

    海野三朗君 そうしますと、まだその具体的に今までの、たとえばその業者は行く人はどういうふうにするとか、あるいはその人はどういうふうにして選ぶというようなあれは、まだどこでやるということもきまつていないのですね。
  73. 久留島秀三郎

    参考人久留島秀三郎君) そのうちにある面ですでに向う調査しに行かれて……。それから日本側でも造船のごときは業者が出られて、造船界としてもその辺でやつてくれるならよかろうということで、ほかの造船業者は一応その二者にまかしてやるというような状態でございまして、そういうようなふうにその業界全体として意見がまとまつてつておられるなら大へんけつこうだと思うのですね。造船は確かにそうなつておるのです。それからそのほかはあまりそこまで進んだものはございませんな。
  74. 三輪貞治

    ○三輪貞治君 今のあれですが、アジア協会の中に考えられているビルマ委員会というものはどういう構想ですか。
  75. 久留島秀三郎

    参考人久留島秀三郎君) アジア協会のビルマ委員会というものは、まあビルマ賠償使節団が来たときに、何とか一つこちらもそういう態勢をしておかなければいかんというので急にできたわけで、そして稲垣さんなんかも直接折衝しろということで話がきまりまして話をしておりましたので、それ以上に今アジア協会としましては具体的にやつていることは何もないのですが、まあアジア協会でお手伝いできるということは、たとえば技術者を派遣するというような場合に、アジア協会の関係者でどの方面はだれに話せばどういう人が集まるかというようなことはわかりますから、そういうようなことで技術者の選定ということについてはできるだけ御協力するという程度です、ただいまのところじや……。まあ、たとえば鉱山関係で言えば、アジア協会から鉱業協会とでも話し合つて、それから鉱業協会としても全体として話して、そしてアジア協会を通じて話してもらう。鉄道関係ならば、まあ八田さんが鉄道関係の技師はよく知つているから、だからアジア協会の副会長としてそういうような方面の技術者を関係官庁なり、関係業者と話し合つて誰がよかろうというような世話はしていただいておるというような程度でございます。ただいまのところじや……。
  76. 三輪貞治

    ○三輪貞治君 そうしますと、去年一月末でしたか、今頃、先ほどちよつとお伺いしました紙パルプのことで、何か紙パルプ協会から技術者を派遣するのに、それがそれぞれの会社に所属しているものだから向う要求に応ぜられないで、ずいぶんおくれておつた。ところがそのときにアメリカの方ではその前に乗り込んでおつたというようなことがあつたわけですが、……ただ一つか二つかのそういう問題でも、すでに日本の技術を提供する面では態勢ができてないということがあつたのですが、これから、今まで御説明を聞いたようなことで、たくさんの技術者が行くというようなことになつたらば、技術者を早急に派遣するといる態勢は、技術者の登録とか、そういうようなものはかなり進んでおりますか。
  77. 久留島秀三郎

    参考人久留島秀三郎君) それは協会の技術部で各方面の方が代表で出ていただいておりますので、そういう方々とお話しすることにして、それから官庁側と御協議する、そういう能勢でいこうということにしております。それで繊維関係なら繊維関係で、誰に話すとか、そういうようなことで、大体協会と話して進めていきたい、そう思つております。
  78. 石原幹市郎

    委員長石原幹市郎君) 久留島さんどうもありがとうございました。  なお、政府の方から徳永企業局長、山本臨時賠償室長、外務省からアジア局の第四課長が見えておりますから、何か御質問がありましたら……。   ―――――――――――――
  79. 海野三朗

    海野三朗君 私、外務当局にお伺いしたい。
  80. 石原幹市郎

    委員長石原幹市郎君) それじや通産省関係の局長、課長に質問がなければ、もう帰つてもらいます。いいですね。
  81. 海野三朗

    海野三朗君 問題は通産省の方よりも今さしあたつての問題の方、外務省関係にお伺いいたしたい。  つまりインドとの関係でありますが、非常にインドの方面と日本の方とが国交が低調なように考えられるのです。そのうちのまず一つ。これは小さいことでありますけれども、この一等書記官のダール宅に賊が侵入をいたしました、あのパソディット女史が来られたちよつと前に。あのときに外務省の方からお見舞に行かれたのですか。
  82. 服部比左治

    説明員服部比左治君) これはパンディット女史の来たときですか。
  83. 海野三朗

    海野三朗君 いや、ダール宅に賊が入つて宝石がみなとられた。ところが数日後にただ警官が調べがてらに行つて何か述べたぐらいの程度でもつて、外務省としてはお見舞を一つもしていないというふうに聞いておるのであります。これが一つと、それからパンディット女史が来ましたときには、この前の吉田総理、岡崎外務大臣がちようど留守のときであつたのでありますが、このときは主として松田事務官が出ていろいろおやりになつたように聞いておるのでありますが、全体として民間との交渉をさえぎつた、パンディット女史と民間人との接触をさえぎつたような意図が考えられるのであります。つまりパンディット女史の正式な意見を封じた。そういうふうに考えられるのであります。これが二つ。  それから日本にあつたインドの商社の戦火に会つたのに対しまして、どういうような今日まで態度をとられたか。イギリス、米国に対しては、これまでその損害を賠償せられたやに聞いておるのでありますが、インドの方から要求しないから、そのままほうつておかれるようではいけないのじやないか、こういう点。  またもう一つは、インドに行きました日本の商社の人たちが、帰つてきてはインドがきたないとか、こじきが多いとかということを盛んにうそくそどうしたとかこうしたとかいうようなことを言いふらすことが新聞に出ている。その新聞の切り抜きをみなインドの大使館ではとつている、非常に心証を悪くしておるやに私は聞き及んでいるのであります。そういうことに対しての外務当局の態度。  それからもう一つは、インドにとらわれておる三十四名の日本人の漁夫、これがもうすぐに出されたかどうか。世界政府という新聞には詳しく載つておるのであります。それに対してどういうふうな手を外務省としては打つておられるのか。そういうことが今日インドとの通商関係にすべて響いてきていると私は思うのですが、そういる点をお伺いしたいのであります。
  84. 服部比左治

    説明員服部比左治君) 私アジア局の第四課長の服部であります。担当地域はインドを持つておりますのでただいまの御質問に対してお答え申上げたいと思います。  初めのダール一等書記官の盗難事件につきましては、外務省としてお見舞に行つたかという御質問でありますが、私の記憶する限りでは、直接ダールさんの私邸へは伺わなかつた思つております。ただダール一等書記官から社交の会合で盗難の報告がありましたので、いろいろその場でお見舞の言葉を述べ、また警察の方と手続をとつて確かめたり、警察の方に連絡をとつてよろしく調査を頼むというようなことはありましたが、直接ダール書記官のお宅へは伺わなかつたように思つております。  その次に、パンディット女史のお迎え、その他民間人との接触の問題でございますが、パンディット女史が日本を訪問したいということは、去年あたりからいろいろはつきりしておりましたので、どういう形式で外務省としてお迎えするかということにつきましていろいろ検討したのでございますが、パ女史の御本人の希望もありましたので、正式に政府のお客というようなことは避けまして、国際連合協会がございますが、協会のお客ということで表面に協会を立てまして、その協会が万事お世話するという形をとりまして、もちろん私の課であとに立ちましていろいろ経費の点等御面倒見たわけであります。飛行場にもわれわれもお迎えに参りましたし、その他いろいろ日程その他を組んで、みな表面に国際連合協会という民間の団体のお客ということに形式はしましてお世話したわけであります。なかなかパ女史も気むずかしい方のようで、いろいろ民間人の面会等についても間に立つた協会の方、あるいは坂西女史等にお願いしたわけでありますが、いろいろ御本人自体が気むずかしいので苦労された点があるように承知しておりますが、外務省として民間人との接触を妨げたというようなことは毛頭なかつた思つております。またわれわれもそういう意図は全然ございませんで、関西旅行その他もいろいろお勧めしたりしたのですが、非常に気むずかしい点があり、また日本の孫を見に来たのだ、非公式に日本へ来て孫と娘に会うのが目的だというようなことで、なるべくパンディット女史の意向を尊重して、あまり客扱いして引つぱり回すというようなことも国際連合協会としても控えたように思つております。  それから三番目に、日本にあるインド人の財産の返還、補償問題、これはインド日本との平和条約の第五条で明瞭に日本の義務になつておりますので、目下インド側から出された請求案件について外務省や大蔵省の方で調査しておりまして、ただいまお話のありましたように、英米等の同じような在日財産の補償、返還というようなことと比べて非常にはかどつておりました。が、これはそれぞれ原因がございまして、どうもインド人が出す補償要求の書類が非常に不完全でございまして、調査しようにも調査することのできないような請求、たとえばただ名前と請求全額を掲げたものというようなものがございまして、もつと完全な書類を出してくれということを当局として要求しております。それがなかなかこちらの思うように出してくれませんので、相当請求件数は多いのでございますが、交渉がはかどつていない。これは常にインド大使館の方と連絡をとつてつております。というのは、ほかの国に比べてインドだけ特にそういう請求書類の条件等を緩和して解決するというわけにも参りませんので、金額の大小、その他にかかわらず、ほかの国と同じように書類の整備方を求めているわけであります。  なおもう一つインドの特徴は、インド人が戦前、あるいは戦争中持つておりました円貨による債権、円の預金でございますが、それを戦後の円の価値下落をちやんと計算して、戦前のルピーと円との換算率で支払え、日本は完全にインド人の財産を補償する責任があるから、戦前の円とルビーの換算率でルビーで支払え、こういうような要求をしております。これについては現在の連合国財産補償法にもそんなことは全然ないし、どこの国にもそんなことをしたことはない。普通の円資金の債権は結局現在の円貨で支払えばいいのだということでこちらは対抗しておりますので、先方はその点に納得しない。従つてまだお互いに文書交換によつて折衝を続けております。一つは、この問題があるので、インドにある日本の財産の返還もされない。これは日本インドとの平和条約第四条で、インド日本に返すというように約束しておりますが、これが実はまだ実行されておりません。で、わが方も、こちらの方も、すべて敵産として処理されて書類は整つているし、平和条約第四条にちやんとうたつてあることであるし、早く実行してもらいたいというので、再三現地のニューデリーでも交渉しておりますが、先方は、日本にあるインド人の財産の補償、返還問題、この問題が、この前も申しましたように、自分たちの満足のいけるように解決していないから、それがどうも、それとこちらの問題とひつかけて、インドにある日本の財産の返還もまだ実行していないような傾向でございます。これはそれぞれの別個の問題である、相殺にするとか、一方の条件で一方の履行を延ばすという意味じやなしに、誠心誠意お互いの条件が整つたら実行するということでやるべきものだから、別々にやつてくれと言つているのでありますが、なかなか向うはその議論に乗つて参りませんので、いまだに懸案になつております。  それからインドから帰つた人がいろいろインドの悪口を言う。これはまあどういう事例があつたか存じませんが、時に私たち日常仕事をしておりましてそういう顕著な事例を聞いておりませんので、お答えできないような次第であります。  それからインド日本との関係でございますが、現在懸案事項としては、航空協定交渉がございまして、これはずいぶん長くから交渉しておりますが、最近エア・インディアの事務所が東京にできておりますし、二、三の点で日本も譲歩して早くまとめたいという気持を持つております。できれば今月中にでもまとめるように、これは現地交渉しておりますが、指示しております。で、やがて円満に妥結するものと思つております。  そのほかにも、この財産返還、それから補償問題が一応懸案としてあるほか、特に日印関係について特別に支障となるものは何もないと存じております。  それで、経済関係に何か非常に影響があるというようなお話を聞いておりますが、これは経済局第四課の方から御説明申し上げると思いますが、特にインド日本の間の経済関係が悪化しているというようなことはなくて、他国に比べてむしろ順調にいつているのじやないかと思いますが、ちよつと係官の方から御説明をいたさせます。
  85. 橋田親太郎

    説明員橋田親太郎君) インド日本の国交関係の概略を御説明いたします。一九五一年までは大体日本側の売りこしの状態でございました。それから五二年、五三年と逆に日本側の買いこしの状態になりました。どうしてこういう状態になりましたかと言いますと、インド側のいわゆる工業化のためでございます。従来五一年ごろまでは日本の重要な輸出品は綿布類というような、いわゆる軽工業品が主でございましたが、そのうちにインド内にいろいろ軽工業が興りまして、そういうものは日本から輸入する必要はない。自分の方でだんだんと自給体制になつてきた。それから日本に入れておつた綿花というものは、むしろ日本に売るよりは自分の方で消費するというように、根本的に経済の方向が変つてきまして、その結果、日本との貿易の状態が五一年までと全然逆の状態になつたのでございます。そうしてごく最近、五四年、昨年の状態を見ますと、日本側としてもインドの変化に対応しまして、むしろ従来のごとき軽工業品よりも、まず機械を売つて向うの工業化を助ける形においてわが方の重化学製品、たとえば苛性ソーダとか、そういう重化学製品を売るという方向に向いてきました。それで日本の方の歩調もだいぶ向うの工業化に合つてきましたものですから、大体昨年の貿易収支を見ますと、大体収支とんとんでいけるのではないかと私は思つてております。来年の見通しとしましては、むしろ現在インド鉄道局の日本側に対する事両の注文とか、それから工業化に要するいろいろ鉄材の注文が非常に多いようでございまするから、むしろ来年度においては日本側の売りこしになるのではないかというような見通しがついております。そういう関係でありまして、むしろわが方にとりましては日印の貿易関係というものは非常に明るい方向に向いたのではないかと思つております。  一方日本インドとの貿易関係を規律する通商条約の問題でございますが、これは従来から日本の方でも早くこの関係を正常な関係に戻して、きまつた通商航海条約を早く結びたいということを昨年の初めに日本側の大体案を作りまして先方に示したのでございます。そうしましたら、先方としては日本とのいわゆる貿易関係については平和条約第二条で大体最恵国待遇というものを与えておるから、今別に急いで特別の通商航海条約を結ぶ必要はないじやないかと言つてきたままになつております。それはどういう理由で向うはそういうふうに申しましたかいろいろ考えてみますと、インドという国は英本国との関係もございまして、英本国が日本通商航海条約を結ばない前にまず自分が進んで日本と結ぶことを英国に対して遠慮しておるのではないかというような気持も見受けられます。そういうような行きがかりがございまして、通商航海条約の案文は日本側の方から提出したままでいまだ進んではおりません。  その次に租税協定、たとえば二重課税防止の協定なども日本側の方からこれを結ぼうじやないかということで打診しましたところが、インド側としましては、今インド国内において所得税の改正をしておるから、それまでちよつと待つてくれということと、もう一つの理由としては、インド英国との協定によりまして、英国とパキスタン以外の国と租税協定を結んではいけないという協定になつております。従いまして、日本との租税協定も、ちよつとこの問題が解決するまでは進んで自分の方から申し入れるわけにいかないからちよつと待つてくれ、こういう二つの理由で、こちらの案を出したままで話は進んでおりません。大体の概略ですが、こういう状態になつております。
  86. 海野三朗

    海野三朗君 昨年の六月インドにつかまえられた三十四名の日本人漁夫はどうなりましたでしようか。
  87. 服部比左治

    説明員服部比左治君) ちよつとその問題をお答えするのを忘れましたからお答えいたします。昨年アンダマン・ニコバル島で領海に入つて漁をしたということでインド官憲に逮捕されまして、カルカッタへ連れていかれて裁判を受けた三十四名の日本人漁夫――これは沖縄の漁夫でありまして、領海侵犯というか、領海で無断で漁業をしたというので判決を受けたらしいのでありますが、最近カルカッタの総領事館からの連絡によりますと、日本に送還したいということをインドの方から申し出でしておるという連絡がございましたので、本日も実はやつておると思いますが、南方事務局の方と送還方法について協議中であります。こちらから南方事務局の方と連絡の結果、案がまとまりましたら、それをカルカッタの総領事を通じて先方に申し入れて、日本に送り帰す、あるいは沖縄に送り帰すという手続をとるようになると思います。
  88. 海野三朗

    海野三朗君 去年の六月なんでしよう、とつつかまえられたのは。
  89. 服部比左治

    説明員服部比左治君) 六月でございました。
  90. 海野三朗

    海野三朗君 どうして今までこれをもつと早く外務省でおやりにならぬのですか。
  91. 服部比左治

    説明員服部比左治君) 初めに事件が起りましたときに、真相をカルカッタの総領事館の方に聞いたのですが、その返事がおくれまして、それから沖縄から出漁した漁夫であるということがわかりまして、またその裁判の結果等を知らせてきたのがちよつと時間を忘れましたけれども、昨年中でございます。最近に至つて向うからこれらの日本人を送り帰したいという交渉を受けましたので、南方事務局と連絡をして、この処置を研究しておるわけでございます。
  92. 海野三朗

    海野三朗君 ただいまのパンディット女史のこともわかりました。商社のこともわかりましたが、ダール宅に賊が侵入したというような事件があつた場合には、やはり外務省としては相当手厚いお見舞をおやりになるべきものであると私は思うのですね。そういうことと、インド行つてきた商人たちがいろいろなことを新聞に書いたりなんかする、そういうことはわかつていても、悪いところはなるべく書かせないように自粛するようにあなた方の方からやつていただきたい。向うでは、何か聞くところによると、悪口を言われた新聞は切り取つてしまうらしい、インドの大使館で。そういうことで、あのインド人というのは、御承知でもありましようが、非常に控え目な国民なんですね。ですから、思つていてもなかなか言わないので、そういうことが幾らかでもわだかまつておりますというと、通商関係などもどうも円滑にいかないじやないかというように私は思いますので、今日は突然こういうことをお伺いしたのでありますが、どうもほかから見るとそういうふうに見えますが、なかなかあの国民は御承知のように気ぐらいが高い国民ですから、どうかそういうふうに気を配つていただきたい。それからインドに捕われている三十四名の漁夫が早く帰れるように、特にお取り計らいを願つて私の質問はこれで終ります。
  93. 石原幹市郎

    委員長石原幹市郎君) 本日はこれにて散会いたします。    午後四時十七分散会