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1954-11-18 第19回国会 参議院 労働委員会 閉会後第13号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十九年十一月十八日(木曜日)    午前十時四十七分開会   —————————————  出席者は左の通り。    委員長     栗山 良夫君    理事            井上 清一君            田畑 金光君    委員            早川 愼一君            藤田  進君            吉田 法晴君            赤松 常子君            石川 清一君            大山 郁夫君            市川 房枝君   事務局側    常任委員会専門    員       磯部  巌君    常任委員会専門    員       高戸義太郎君   参考人    日本労働組合総    評議会法規対策    部長      加藤 万吉君    全日本労働組合    会議議長    滝田  実君    弁  護  士 松崎 正躬君    弁  護  士 中島 一郎君    早稲田大学教授 野村 平爾君   —————————————   本日の会議に付した事件労働情勢一般に関する調査の件  (労働政策に関する件)   —————————————
  2. 栗山良夫

    委員長栗山良夫君) 只今から労働委員会を開会いたします。昨日の委員会に引続きまして、労働情勢一般に関する調査を行いたいと存じます。本日の会議に付しまする事件は、ピケライン正当性の限界に対しまする小坂労働大臣談話及び次官通牒につきまして、参考人各位から御意見を求めることでございます。  参考人の方に一言御挨拶申上げます。本日は御多用のところお出で頂いて有難うございました。本委員会調査をいたしまする趣旨につきましては、かねて御連絡を申上げてありますので御了承頂いていると存じますが、当委員会ピケラインの問題については前からすでに調査を続行いたしておりまして、深い関心を持つておるのでありますが、今回特に具体的な問題が労働省から提起せられたわけであります。従いまして本件について率直なる御意見の表明を願いたいと思うわけであります。発言の時間は大体四十分前後にお願いいたしたいと思います。  先ず日本労働組合総評議会法規対策部長加藤万吉君の意見を求めます。
  3. 加藤万吉

    参考人加藤万吉君) 委員長の御発言によりまして私の意見を申上げてみたいと思います。  今度次官通牒が出まして、この次官通牒をめぐつて委員会がいろいろ調査をされておりますので、私は具体的にこの通牒対象となる労働組合立場から意見を申上げてみたいというふうに思うわけです。すでにこの問題が出まして以来、通牒をめぐつて労働法に対する学説的な研究或いは判例中心とした研究がそれぞれ行われております。これらについては諸先生がたは御質問なり或いは御意見なりを御聴取願つておると思いますので、この点は省略をさせて頂きますが、若干述べてみますと、私がもう申上げるまでもなく労働立法憲法に保障された団結権団体行動権によつて行動が合法化されておるわけです。従つてこの規定から諸法律が、労働三権に対する法律が、あらゆる方面に宜つて免責規定を持つております。特にその中で大きな問題は、労働組合法第一条第二項の刑事免責規定と更に同八条の損害賠償免責規定、これらが大きな問題として取上げられるのではないかというように思うわけです。今回出されました通牒はむしろこの第一条第二項にからむ問題が非常に多いと思いますので、私はその面に対する意見中心に述べてみたいというように思うわけです。もとより私どもはこのピケライン或いは労働争議上における暴力行為については法に規制されております通り暴力の否定を根幹としております。従つてあらゆる労働争議事件におきましては暴力を廃止する、この行為を厳に慎しんで指導しておるところです。併し今度のこの通牒から見まする我々の見解は、この暴力という問題に対して非常に大きくクローズ・アップをしております。更に同法の第一条第二項の但書を更に拡大解釈をしてこの通牒が出されておるところに私どもが大きく問題にしなければならない点があると思うわけです。ちなみに同通牒の中の若干の字句を取上げて見ますと、例えば第一条第二項の但書には暴力という言葉のみを使つておりますが、この通牒の中には暴力或いは暴行、脅迫その他不法な労働行為、こういうような形で暴力行為ということを非常に拡大解釈をしておるところに問題点がございます。更に私どもは本来労働法は前項にありまする労働争議行為或いは労働者に与えられた基本三権というものは正当なる行為である。この観点に立つて但書暴力規定がこういうことになつて前文が主であとが従たる言葉になるのが至当であると私ども解釈するわけでありますが、この通牒の本文を見ますと、むしろ前文の主であることが除かれて従であることが主になつてこの通牒内容に書かれております。従つてどもはこの通牒を一見しまして、この通牒は非常に一方的な解釈を而も拡大的に行なつておる、こういうように最終的に結論がつけられるのではないかと考えられるわけです。若しこのような形で日本の今日置かれておる労働争議或いは労働関係というものがなされて行くならば、刑事免責規定或いは損害賠償免責規定更には憲法に保障されておる団体行動権すらも否定されるのではないかというように私たちは考えるわけです。従つてこの通牒が単に労働省所管内通牒として見るわけには参らない、こういうところに大きな反対をする理由があるわけです。更にこの通牒の中にはその暴力規定中心にして個々労働争議の面に亘つて問題を説いております。その中で大きく出て参りますのは、今日各労働争議の中に行われておるピケツテイングの問題を非常に暴力化して、それがあたかも客観的にはピケツテイングそのもの暴力行為であつて、それを排除することが正当なる行為である。こういうような感を抱かしめる字句羅列をしてあるわけです。私たちピケツテイングというものをこのように解釈をしております。一つ日本のこの労働組合発展段階から見まして、日本労働組合の企業組合的な脆弱性或いは産業別組織を持たない非常に個個の労働組合、こういうような非常に弱い面を持つておる、従つてそれを守るために先ず労働者団結させる、そういう団結権一つの延長の形としてピケツテイング行為を考えております。更にこういう脆弱性を持つ労働組合であるが故に団結権の最大の延長された形として残る争議権に対しては、相当のスト破り、いわゆるスキヤツプ行為というものが往々にして行われる面を持つておるわけです。そこで私ども団結を守るという、組織の強化という意味と同時にそれを更に延長して、我々が最後手段として訴えるストライキ権を守る、争議権を守る、こういう立場にそのピケツテイングが敷かれておるのが実情であります。このピケツテイングに対してこの通牒の中では平和的説得を以て云々ということに全条がつらなつておるように考えます。私どもも本来労働争議における特にストライキ争議権発動下におけるピケツテイングは、我々の組織を守るという防衛的な立場行為である。こういうように思いますが故に、ピケツテイングは常に平和的であつて、而も部内の団結争議権を守つて行く、こういう立場で。ヒケツテイングを張つているのが事実でございます。併しこういうような。ピケツテイングに対してもなかなか今日の客観情勢はそれのみでは許されない面を持つております。この通牒の中ではそういう平和説得段階というものを三段にも三段にも分けております。例えば第三者に対するピケツテイングであるとか或いは使用者に対するピケツテイングであるとか、或いは第二組合に対するピケツテイングであるとか、こういうように何段階にも分けてピケツテイング行為というものを規定をしておりますが、今日労使ストライキを行なつてピケツテイングが最大限必要であるというような場合には、個々の人に対してピケツテイングを敷いて行くということが非常に困難です。なぜかと申しますと労働争議における労使対決という形が決して個々の形では行われていない。仮に組合が少数の人を以てピケ張つて、それをスキヤツブ行為を行う労働者に対して説得をしようといたしましても、相手集団で来ることが多いのであります。特にその集団先頭泰力団を設ける、或いは第二組合、いわゆる組合から脱落した人たちを以てその任に当らしめる、更にひどくは経営者がその先頭に立つてすらスキヤツブ行為を行なつて来る、こういう事象があるわけです。そうなりますと必然的に説得をするためにもそれらの人を一旦停止をさせる、或いは第三者とスキャつブ行為者、或いは組合脱落者第三者、こういう区別をする、そういう意味からもどうしてもこちらが防衛態勢の中でもスクラムを組み相手の足をとめさせて説得行為を行う、こういう手段がどうしてもなされなければならないのが現実スキヤツブの場面であるわけです。このように考えますと、この通牒で見られているように二段も三段も分けたスキヤツブ行為に対する説得の範囲のきめ方は、現実労働争議実態には即さないものである、そういうふうに我々は考えます。それと同時にこの通達の狙つておるところは、いわゆる最小説得権発動、例えばこの規定にあります第三者であるとか或いは使用者であるとか、こういう最小説得権発動、これを規定しようというところにこの通牒の狙いがあるのではないかというような我々は臆測を持つわけであります。ここで明確にしておきたいのは、いわゆる今日のピケツテイング、いわゆる平和的説得行為に対する相手方の形というものは、決して個々の形や、個々人が説得できるような条件ではない。むしろ集団的に而も集団の中で挑発行為をかけられながら、この労働者ピケツテイングは張られている、こういうことを御認識を願いたいと思うわけであります。このように考えて参りますと、このピケツテイングということに対するこの通牒そのものが、如何に今日の労働争議実態には即さないかということがおわかりになるというように思います。  更にいま一つ現実労働争議の中で申上げたいのは、最近労働争議には常に暴力行為伴つておるということが非常に新聞紙上で騒がれております。併し暴力行為が行われるという瞬間には、決して労使或いはスキヤツブ行為者労働者組合員、この対決の場ではないということです。即ち暴力行為が起きようとするときは必ず警官出動伴つておる。これが大きな問題点ではなかろうかというように思うわけです。私どもピケツテイング労働争議における正当なる一つ行為として相手方に対する説得権を持つておるというように思いますし、その行動をしようとしていろいろな形で努めます。例えてみますと、これは二十七年だと思いましたが、日産化学の鏡でこのピケツテングをめぐる事件が起りました。そのときに、農民の人が肥料搬出に来たわけですが、この搬出めぐつていろいろ折衝を行ないました。二、三日間折衝を行なつたのですが、なかなかその折衝が埓があきませんでした。最後的に組合中央団体交渉のきつかけができたので両二日、いわゆる中央から支部に対する指命が出るまで待つて欲しい、こういうところで大体話合いがつくところでありましたが、翌日来た農民団体、いわゆる肥料を取りに来られた農民のかたぞれは、スキヤツブ行為に等しい行為をやるために正門の前に集団的に羅列をしました。それに対して当時の八代の警察出動があつたわけでありますが、この警察官はこのピケツテイングは違法であるという断定を下して、いわゆる被疑事実として検束をするとか、ピケツテイングを破るとかいうのでなくして、断定して、ピケツテイングをどかす、こういう行為が行われるわけです。これは恐らく当委員会地方行政委員会で取上げられて、一度論議をされたことがあると思いますので、御記憶のかたもあると思います。こういう形でいわゆるピケツテイングをめぐつて衆力行為が起きるというときには必ず警官介入、いわゆる権力介入という形がとられるのが今日通常の形になつております。私どもは常に当事者間でいろいろな話をし、当事者間でものをまとめ上げて行く、この原則に立つて労働争議における判断をするわけですが、権力介入のあつた場合に、従来国家権力というものはこの場合における労使に対しても中立性を維持しなければならないというふうに私どもは考えておるわけです。併し事実の問題はこういうピケツテイングがその行為自体に致命的な打撃を与えるという段階にもかかわらず、その権力というものは一方の形に加担をして行われて行く、こういうことが常々とられておるわけです。従つてどもはこの暴力の問題は、客観的に暴力が発生したというときには常に権力介入とそれに伴つて第二組合なり或いは当事者間の暴力を形成するがごとき事態が起きる、こういうように考えておるわけです。  このように事実の中からこの次官通牒を割出して行けば、比較的答えは簡単に出るのでありますが、私どもこの通牒そのものはどういう我々の労働運動に対する拘束力を持つのであろうかということを一遍検討してみました。この見解については私ども労働組合関係の全体としてはこの通牒そのものは恐らくは拘束力を持たない或いは労働省がいわゆる省内文書として発行した程度のものであろう、こういうように軽くは考えておりますが、問題はこれによつて起きる反射的結果を非常に恐れるのであります。先ほども申しましたように、たとえば地方警察に参りますと被疑事実を一つ断定した形で国家権力介入して来る、こういう場合にこの通牒相当役制を果す、いわゆる権力介入一つの基準としてこの通牒が考えられるところに非常に我我として警戒を要さなければならない点があるのではないかというように思うわけです。  ちよつと話は前後いたしますが、なおこの通牒の中で私ども特に指摘しておかなければならないのは、この通牒に許されない行為であるとか許すべからざる行為であるということを盛んに強調しております。これはたとえば使用者に対しても暴力団の介入等は許すべからざる行為であるということを規定しております。今日労働争議の中でこの国家権力というものは許すべからざる行為という形で介入する場合には、労働組合の場合には常に極東という形が伴つております。いわゆるこのピケツテイング被疑事実としても許すべからざる行為である、こういうように警察当局が認めた場合にはそのピケツテイングに対しては必ず検束者を出しております。更にこれが起訴され、裁判によつてものの判定がされるわけですが、この検束、起訴いわゆるこういう時間的な問題をこの労働争議の中に置くことがその労働争議そのものを消してしまう結果になるわけです。たとえばそういう被疑事実によつて組合の三役なり或いは今度東証に見られましたように団体交渉双方のやりとりの文書が捜索され、押収される、こういうことになりますと、その労働争議そのものがそういうことによつて潰れてしまう、そういう結果を招来をするわけです。そしてこれらに対してはそれぞれ直接権力による介入と同時に、刑罰が課されて行くわけですが、仮にこれを相手方使用者側にこの文書をそのまま当てはめて見ますと、なかなか我々に与えるような打撃を与えない。たとえば不当労働行為事件というものは許すべからざる行為であるというように規定しておりますが、この文をずつと見て参りますと、併しそれが起つた場合には、こうこうこうなんだというように常に言い逃れをこの中でしております。それと同時に不当労働行為というような事件を、組合不当干渉であると申上げて、それを事件として我々が取扱つても、従来この判決が下りるのは一年乃至四年、五年という歳月が掛つておるわけです。従つてどもがこれは不当な労働行為事件であるというような断定をして、それぞれ法に副つて保護を求めるわけですが、それを行うにしましても三年、五年という歳月を経過しなければならないわけです。今日日本労働組合は戦後できた労働組合で、先ほど申しましたように非常に脆弱な面を持つておりますので、このような長い期間の負担には堪えられないのが多くの場合の労働組合の実体であります。そういうことを見て参りますと、一番最初に申上げましたように、この通牒自身が非常に一方的で而も健全な労働運動すらも阻害をするという形をとつておる、こういうように私は断定せざるを得ないわけです。  以上大まかに私どもの今日行われているピケツテイングの問題と、更にこの通牒自身に対する見解を述べましたが、この通牒の中にはもつともつと詳しく私たちが述べなければならない問題もたくさん含んでおるというように思います。例えばピケツテイング一つ正当行為として認めても、それの対象使用者である場合、或いは第三者である場合、或いは組合以外の労働者である場合にかいろいろ区分けをしておりますので、その事態についても一つ一つ我々の意見を申上げたいのでありますが、これは総括的にピケツテイングという形が今日こういう状況の中で行われておるということを申上げれば、あと個々の問題については申上げなくても推測できるのではないかというように考えておるわけです。  最後にこの通牒を我々下部末端組織受取つた反響について若干申上げて見たいというように思います。  労働組合最終段階であるストライキ行為に対して、相当のこの面で制約を受けますので、労働者がこの行為を逃れるためにいろいろな努力をしおります。それと同時に或る意味におきましては、健全な労働組合すらもこの通牒によつて窒息をされるという状況も起きております。私は労使関係が本当に健全な労働組合の発達によつて形成されて行くことが望ましい形であるというように思いますが、むしろ封建的な労務管理の多いところでは、労働組合をこういう通牒によつて窒息の状態に置く、こういうようなことがしぱしば言われて参りました。私どもはこの通牒はそういう意味のものではないということを教育宣伝をし、本来の労働組合の最終的な争議行為をよく組合がとり入れて、それによつて労使安定性を確保する、或いは労働者の経済的な向上を確保する努力をするよう指導いたしておりますが、そういう事象が現われているということを申上げておきたいと思います。  なお、以上大体の点を申上げまして、あと委員のかたの御質問なり或いは御質問伴つて参考人意見を申上げてみたい、こういうように思うわけです。
  4. 栗山良夫

    委員長栗山良夫君) 有難うございました。御質問のあるかたは順次御発言を願います。
  5. 吉田法晴

    吉田法晴君 通牒そのものについては私どもも読んでおりますから必要ないのですが、ピケ或いはその他の談話通牒対象にしております労働争議或いは団体行動に関連して起ります問題の、過去の事例判例なつたものは私どもそれぞれ判例をずつと見ておりますが、最近の争議に関連いたします問題の中で、先ほど警察官介入して来る、国家権力警察官の形で介入して来る、こういうお話がございました。そこで私ども最近ありました警察ピケ実力行使をした、或いは介入した事例というものは警察庁のほうからもらつておるわけでありますが、これらの実態について、その警察が出しております事例は、日産近江絹糸富宮工場事件日鋼室蘭製作所事件、それから東京証券取引所事件、それから山梨中央銀行事件、この五つであります。日産の件については今お触れになりましたから必要ございませんが、その他のものについて、或いはそのほか御存じだつたら具体的な事例と、それからこれは直接通牒談話関係するかどうかということもあると思いますから、それを考慮に入れながら具体的な姿を一つお話を願いたいと思います。
  6. 加藤万吉

    参考人加藤万吉君) この次官通牒が出る前に、御承知のように労働大臣談話という形でこれと全く内容を同じくした談話が発表されました。この談話が発表されたのは丁度今御指摘のありました東京証券ストライキが行われているさなかに発表されたわけです。私どもこれを客観的に見ましても、東京証券争議における警察介入をあたかも政府が正当化することを裏付けにするというような談話ではないかというように脅えられるわけです。仮に東京証券ピケツテイングをめぐる問題を取上げて見ますと、東京証券の場合にはここで証券労働者争議をしたかも知れませんが、ピケツテイングというものを敷くために必要な協定をそれぞれしておりました。例えばあの取引所内にある第三者である日興証券、これの従業員出入り協定で結んでおりました。更に中にある三井銀行銀行従業員に対しては、話合いの結果その日は休日にするというような形をとつておるわけです。大体ピケツテイングを敷くためにはそういう事前のお互い協定があつてピケツテイングを敷き、ストライキ行為に入つて行く、こういうのが大体の順序であります。そこで東京証券の例は、更に発展をして参りますと、東京証券があのピケツテイングは違法ではないかということを言われたという事実を、当時の委員長は全然知らないということを言つております。従つてピケツテイング違法性に関する警官介入というものは、組合意見を聞くとか聞かないとかではなくして、或いはその場合に正当行為としてのピケツテイングと仮に正当行為としての第三者の問題があつた場合に、その中立的な立場双方紛争を斡旋するというような行為ではなくて、むしろ一方を違法であるというようにきめつけて、そうして一方に対して介入をして来る、東京証券の例は明らかにそうではないかというふうに私どもは考えるわけです。日鋼室蘭争議にいたしましても、日鋼室蘭傷害事件、いわゆる暴力行為事件があつたというように宣伝されております日におきましても、事実は第一組合といわゆる組合を悦溶した第二組合とが相対峙をしまして、そこで紛争が起きるといけないので、お隣りの富士製鉄労働者、これは第一組合も第二組合もそれぞれ非常に信用をしている労働者であります、これを中間に入れて、今日のいわゆる強行突破による入場について話合いをしようじやないか、こういうことを話をしているときに、そのお互いピケツテイングの裏を警官が明けて、その中に第二組合を通させて行く、こういうような事実があるわけです。従つて、私どもは常にいつの場合においても、相対峙する中で権力介入がありますので、その地元警察官に対して申上げるのでありますが、我々はこういう紛争を避けたい。避けたいから両方一緒にどうかしてもらいたい。そして、その後平和的に話合う機会を設けてやろうじやないか、こういうことを申上げるのでありますが、なかなかそれがその通りに行かないで、事実は一方だけを押しのけて一方に有利にさせる、こういうような権力介入があるわけです。日産化学につきましては先ほど申上げましたので申上げません。大体そういうことで、今日の権力介入というものがどういう形で行われるかおわかりになると思います。
  7. 吉田法晴

    吉田法晴君 実例についてもうちよつと伺いたいのでありますが、通牒によると或いは談話もそうですが、使用者出入りをする或いは業務のために出入りをするということについては妨害をしちやいかん、これはまあ経営をする責任である云々というふうに書いてある、第三者についても温和に要請し得るに止まつて正当な業務妨害をしちやいかん組合員以外の労働者に対しては、これは温和というのは入つておりませんが、理解と協力を要請し得るに止まつて就労を妨げてはいかん、こういうことが書いてありまして使用者或いは第三者組合以外にはピケ以前の、まあ要請し得るに止まつている、こういう工合に考える半面、業務のために出入りし得る、こう書いておるようです。従つてピケ張つて、そのピケがこれらの人たちに対して通行阻止をした、そうすると業務妨害という問題が起つて来るのじやないか、そうは書いておりませんが、妨害をした場合或いは業務妨害することは許されないと書いてあるのですから、今の反射的な解釈と言いますか、それを警察或いは検察がどういう工合に判断したか或いは東証或いは室蘭等の場合に例えば警察行動になつて先ほどお話のような検束、この場合検挙だろうと思いますが、検挙をどういう工合にしておるのか、それから仮に業務妨害業務妨害ということで引張つておるということになれば、その業務妨害に対して実力を行使した、こういうことになつていると思うのでありますが、それにはピケならピケのそのときのピケの態様がどうであつたかということが例えば東証なら東証の写真を見てみますと、私が見ました写真ではピケ張つている、そこで入ろうという人があるのかも知れませんが二三人中心部が笑つている。まあ大変談笑裡にいろいろ話がされておるのじやないかと思うのですが、そういう状態に対して実力行使が行われたのかどうか。そのときのピケの態様というものが問題になるだろうと思うのです。その態様に対して警察力の行使が、或いは業務妨害なら業務妨害罪があるかどうか、そういうことを判断するのが妥当かどうか、そういうことになると思いますので、もう少し具体的にその辺お願いしたい。
  8. 加藤万吉

    参考人加藤万吉君) ピケツテイングを敷いた場合に、そのときの条件、状況、これらがどういう形であるか。そして、それが而も権力介入したときにはどういう形になるか、こういう先ず御質問であろうというように私は解釈をいたします。  元来、ピケツテイングは、先ほど言いましたが、団結権一つの物理的な現れとして、或いは団体行動権一つの形として出て来るものであります。従つて、この通牒の中にも書いてありますように、団結を守ると同時に団結を誇示する、こういう行為も許されていい、こういうように私どもは考えております。これは通牒も認めておるところです。で、私たちは常にその範囲でピケツテイングを試みておるわけです。併しこの第二組合なり第一組合との対立状態を起しますとなかなかそういう条件だけでは済まされない面ができて参ります。例えて見ますと、これは新潟県の酒田にある鉄興社というところで事件が起きたのですが、このときのピケツテイングを打ち破るスキヤツブ行為をやるために使用者がオートバイの上に乗つて前に進め前に進めというような号令をかけて来る。こういうようなときに、やはりこちらが緊急避難或いは正当防衛の形でどうしてもスクラムを組んで相手に対して足をとめてもらう、こういう行為がなされるわわけです。今御指摘の点は普通一般的に権力介入する場合の条件はどうか、こういうことであります。権力介入しようというときには、すでに当時者は相当遠くに離れておるのが一般化されております。何故かと言えぱその警察官が来てピケツトを敷く道を開けてくれるのですが、第二組合は近くにおらなくても遠くからでも悠々と入れる条件を持つているのです。こういう形から行けば、当然第一組合或いは組合から脱落したものとの対峙の形というものは決して強硬な形ではないというように考えられるわけです。ところがそういう中へ警察官介入して組合員と相対峙をする、こういう形になつて参りますと、これはどなたも御経験のように、いわゆる彼らが襲つて来るなというときには緊張した面持ちになるのはこれは通例でありまして、人間本能の現われではないかというように私は考えるわけです。ですから第一組合、第二組合が対噂している中では、決して暴力行為を起すというような条件はない。ところがそれを遠く離れておつても、今度は警察官が来て有無を言わさずにそこを明けさしてしまう。そのときにはどうしてもそういう形になるわけです。私たちはこれを正当防衛で、我々のやむにやまれない気持でそうなるのだということをよく申上げるのですが、そういう形になるのが通例であります。
  9. 吉田法晴

    吉田法晴君 それじや最近の実例でよろしうございますが、警察官の行使或いは検挙、そういうものが行われておりますが、どういう事由と申しますか容疑と言いますか、例えば業務妨害罪とか或いは不退去罪とかいろいろ行なわれておりますが、それとやつぱり通牒の終りのほうの、例えばこれは工場事業場内でありますが、こういう占拠のときには、その前にはやはり場所、部屋等も書いてあります。東証の場合に或いは初めて不退去罪といつたような罪名もあつたかのように聞いております。あとで取消されたという話もありますが、どういう形で警察或いは検察庁が介入しておりますか。それから或いはこれは双方対峙をしているということになりますと、まあ使用者は遠くに引いているということがありますが、双方とも検挙されておるのか、或いは労働者だけなのか、或いはそこにおります労働者だけか、或いはその他に対しても行われておりますのか、そういう実態一つお話し頂きたいと思います。
  10. 加藤万吉

    参考人加藤万吉君) 第一点のどういう形で検束をされておるのかということですが、最近においては威力業務妨害という形が非常に多い。更に警官介入して参りますので、それがぐんぐん押して参りますと、それを押させまいとする立場をとりますので、公務執行妨害という形が作られる。それから工場内に、例えば門の入口が中にずつとこうなつておりますと、ピケがぐんぐん押されて門の中に入る場合がありますので、これが不退去罪、東証の場合には威力業務妨害罪と、私の知つている範囲では不退去罪、こういう形で検挙されておるわけです。  第二点は何でしたか、ちよつと……。
  11. 吉田法晴

    吉田法晴君 第二点はどつちも検挙しているか、こういうことです。それからもう一つ落しましたけれども、そこで現場にある人だけか、それから預場にある人でないほかの人も引つ張つたり調べたりしているか、こういうことです。
  12. 加藤万吉

    参考人加藤万吉君) 第二点の検束、検挙をする場合にどちらかということですが、これはもう大体労働者です。私は終戦後ずつと労働組合運動をやつておりますが、私がやつた労働争議の中で、相手方暴力団を検挙をしたという事件は一件しかございません。これは群馬県の東邦亜鉛というところの労働争議ですが、ピケツテイング労働者をそばにあつた焚火の中に暴力団が来て拠り込んだ事件、このくらいにならないと相手方暴力団を検挙するということはないのじやないかというふうに私たちは考えるわけです。通例労働者側だけが検挙をされておる。更に直接現行犯として捕えられる場合があると同時に、いわゆる共同正犯なり共同謀議という形で事後検挙をされる形も往々にしてとられております。
  13. 早川愼一

    ○早川愼一君 お話はよくわかりましたが、ピケ正当性を論ずる場合に、そのいろいろな条件、状況つていろいろ違うということはよくわかりました。併し原則として、例えば第三者或いは使用者が侵入しようとするものを集団的なスクラムを組んで出入を拒否する、こういうのは一体正当化されるのですか、どうですか。或いは第二組合が発生した場合に、第二組合が公式に職場に就業しようという決議をして工場内に入ろうとするのも、これもピケで阻止することができるのかどうか。これに対する御見解一つ……。
  14. 加藤万吉

    参考人加藤万吉君) 只今の点ですが、労働争議の場合、特にピケツテイングを張る場合には、特に強硬なピケツテイングということになりますと、ストライキ行為の維持ということが多いわけです。ストライキ行為を行うということは、これは労務の提供を拒否すると共に、その業務の運営を阻害する役目を持つております。従つてそういう場合に第三者が入つて、その工場で仕事をすることがあるのかどうか、こういうことが問題になるかと思うわけです。通例ストライキを行いますと、あらゆる生産機構、販売機構が停止をしますから、第三者が入つて用をなすその要件そのものが存在をしない、こういうふうに私たちは考えております。  それから使用者については、私たち使用者当事者でありますので、原則的にはこれは入れることが至当であるというように考えております。ただ問題であるのは、私たち使用者が中に入りまして、使用者としての本来の仕事をしておる間においては問題がないわけですが、使用者が中に入りまして、これは大企業の場合だけでなく、中企業或いは小企業の場合にはよくあることですが、使用者労働者の本来の仕事を一緒に行なつてしまう、この場合には私たち使用者労働力がスキヤツブ行為労働力に変化をしたというふうに見るわけです。従つて、一日二日と経つて参りますと、その使用者のやつていることが何であるかということが大体判明をして参りますので、そのときには我々は平和的な説得行為使用者に対しても行うことがあり得るわけです。併し原則的にと申しますと、私は原則的に使用者は構内に入れるべきである、こういう見解を持つております。  それから第二組合の問題についてでありますが、第二組合につきましては、これはこの通牒の中でも申しておりますように、第二組合そのものの発生が本来の労働運動における邪道であるということを申しております。勿論言葉は違いますが、そういう意味のことに我々は解釈をしておるわけです。労働者が特に、従来の判例などを見ましても、労働者が自分でその行為をきめ、自分で賛成をした場合には、その行為に追従するのが本来の労働組合のあり方である、こういうことを申しております。私たちは第二組合に対しては、第二組合という形が労働争議の中に出た場合に、それを組合としては認めません。本来の、我々の本労働組合であるけれども、統制の離脱者として見るわけです。そういう意味我我はいわゆる御指摘の第二組合というものに対する説得を行うわけです。
  15. 早川愼一

    ○早川愼一君 その場合に、平穏無事に入つて来たい、というやつをどうしても入れないという場合に、ピケを開いてもらうというような交渉をしても、なお且つ聞かない、そういう場合に、例えばこの通牒の趣旨によると、或る場合にはピケを開かせるということが国家権力で行われる場合が予想されておるのじやないかと思うのですが、そういう点について、第二組合が発生した、しないというも問題はいいとか悪いとかは別問題として、現実に発生しておるという場合です。
  16. 加藤万吉

    参考人加藤万吉君) これは論理的に申上げれば相当きりがないことであろうというふうに思いますので、現実的にどうかということだけお話をしてみたいと思います。第三組合が、いわゆる組合の離脱者ができて、それが構内に入ろうとするときに、それに対して組合相当強力な説得行為を行う、これは団結権の延長としても、或いは争議権の延長としても、当然認められるところであるというように私は考えます。而もなお説得をしようとしても相手が聞き入れない場合にどうするかという問題が残るわけです。私どもはこの行為スキヤツブ行為というように考えます。そういう人たちが中に入つて単にたむろをする、或いはたむろをするということだけではなくして、中に入つて業務を再開をする、こういう任務を持つたものというふうに考えるわけです。従つて当然そういうスキヤツブ、いわゆるスト破りに対しては、我々も争議権を守るという立場から、それを強力に説得行為を行う、そこで問題になりますのはそれでは、そういう説得行為が単にそういう平和的な交渉の中から出て来るのかと申しますと、先ほど申しましたようにいろいろな関連性を持ちます。例えば第二組合が入ろうとするときに、先ほども指摘しましたように、決して単独ではここへ入るというようなことは殆んどございません。いわゆる集団的に組織を以て押し寄せて来る、こういう場合が多いわけです。そうしますと、そこには折衝するということがなかなか困難視されて参ります。更にそういうことを避けるために中立地帯を設けて、中立地帯の中で一つ平和的な交渉をやろうとしても、それすらも相手が聞き入れない、こういう条件ができて参ります。従つてどもはそういう条件すらも踏んでいないスキヤツブ行為者に対しては、当然我我一つ行為の発露として今申しました行為がなされてよい、こういうように考えたわけであります。
  17. 栗山良夫

    委員長栗山良夫君) それでは加藤参考人の御意見を伺う点はこの程度にいたしたいと思います。  次に全日本労働組合会議議長滝田実君の御意見を伺いたいと思います。  参考人のかたにちよつと御挨拶を申上げます。お忙しいところを御出席を頂いて有難うございました。当委員会ピケライン正当性の限界の問題につきましては、もうすでに古くから調査を続行いたしておるのであります。併しながら今回小坂労働大臣談話及び次官通達が発せられまして、具体的な問題がここに提起をせられたわけであります。そこで当労働委員会といたしましては昨日、本日の二日間に亘りまして、参考人の方々からこの具体的な問題について率直な御意見を伺いたいというので、委員会を開催いたしておるわけであります。御発言の時間は大体四十分程度にお願いをいたしたいと思います。それでは御意見をお願いいたします。
  18. 滝田実

    参考人(滝田実君) それでは私の考えておりますことを率直に述べたいと思いますが、昨日から本日にかけて他のかたの意見も聴取されたようでありますが、昨日の意見を述べられた人の要点を新聞紙上で大体拝見いたしました。そういう点から、成るべく重複しない形で意見を述べたいと思います。  先ず最近の労働争議一つの特徴でありますが、これには一つの新らしい傾向が出て来ておる。それは何かといえば、いわゆるインフレ時代の賃金闘争とか或いは労働協約とか労働時間、こういつた労働条件の向上という具体的な問題以外に、労使関係が非常に封建的な状態におかれておるところに争議が発生しておる。これが最近の労働争議の私は一つの特徴ではないか。デフレが深刻になつて来るに従つて、そのデフレ政策のしわ寄せが非常に弱い労働者の上にのしかかつて来ておる。その姿が止むに止まれぬ形において、いわゆる人権争議とか或いは盲点争議といつたような、非民主的な冷酷な労働条件、奴隷的な取扱いをしておる労働者のところに争議が起きておる。この状態は何といつても、労使関係がまともな関係でない、近代社会に許さるべきではないという性格を持つたところにおけるその争議の性格を、我々はやはりよく考えて見なければならない。こうした非民主的な労使関係の事業場、会社における労働争議というものは、不当労働行為が日常茶飯事として平気で行われておるということであります。例えばこれは労働三法の点からいつても、労働法或いは労働基準法その他職安法、いろいろな労働関係法律があるわけでありますが、それが平然と法律を無視されて、そうして労働者の苛酷な取扱いとなつて現われておる。この不当労働行為のかずかずのあるところに、今言つた盲点争議的なものが起きておるわけであります。  これが今度の通牒とどんな関係を持つかということでありますが、私はピケの問題については、団体交渉が行き詰つて双方行動を以て力と力の対立する一つの接触点だというふうに見るわけであります。そういう労使の実力の接触的で、片方が日常不当労働行為のかずかずを進めておる使用者側であつてみれば、争議行為そのものの対抗手段においても当然の事柄のように不当労働行為が起るわけであります。併しピケラインの限界の次官通牒によりますと、不当な実力行使の防止という極めて反対的なような表現を以て現わされておるこの内容の問題でありますが、不当であるかどうかということがピケの問題についてはにわかに断定しがたい問題であると私ども考えております。この不当であるかどうかということが、従来のピケラインについても、司法部門においてすらにわかにこれを断定しがたい状態である。そのときそのときの状態が彼我如何なる条件の下に争つておるかということ、それから一つ一つ行動がどんな積み重ねによつてそういう状態が起きたかというようなことについては、画一的にその条件を一つの条文によつて縛るということが法的でも明確でない。ピケラインのこの非合法、合法という問題について断定しにくかつた問題である。そういうにわかに断定しがたいときに、カと力との接触的である或る点を片方は不当労働行為を以て臨んでおり、片方は力と力との接解点において直ちに片方が不当であるという判断を下したときに、この彼我の、労使関係の力関係というものは、一方的に抹殺されるというような傾向を帯びて来るのであります。これは抽象的に申上げておつたのではなかなかわかりにくいか知れませんが、例えばこういうことがあるわけであります。ピケ張つて、私はやはりピケ説得を以てやるべきものだというふうに、それは必ずしも組合員というだけではなくて、非組合員にそれを拡げ得る場合も当然起ります。非組合員といえども、事業場のなかへ入つてから、組合員と同等の作業に転化して動く場合には、やはり組合員と同等に取扱つて説得の範疇に入るべきものである、或いは財産権の保護というような問題、経営権というような問題については、そのような行動をして、労働組合ストライキの権利に対して実質的な交渉を勧奨するような形に動くのは、やはり説得の範疇に入るものだと思います。併しそういつた組合員以外だという理由の下に、例えば暴力団を雇つてピケを破つて来るというようなことがあつた場合に、説得のどうしてもできないというようなことが、ピケラインをして非常に強化させるような形になる。相手がもともと説得、話合うつもりでやつて来るわけじやありませんから、直ちにそこには行動行動とぶつかり合う。そうするとこれがすぐ暴力であるというふうに見解を下されるというようなことになると、これは非常に大変なことである。繊維産業の場合でも、例えば事業場に入るということが、寄宿舎などが事業場のなかにあるのであります。これがロツクアウトというような手段を越えて、例えば寄宿舎の住居そのものを奪うというようなことが起きたときに一体どうするのか、或いは又給食を拒否するということ、こういつたことが起つた。食事を提供しない。こういつたことはこれは争議の相対的な行為叫として許さるべき問題ではない。人命に関する問題が、争議行為が起ろうが起きまいが、病気をする場合といえども、住居或いは給食、食事を提供するという問題は、従業員という席がある限りは約束されて、雇用関係が結ばれておるものであります。そこでピケラインということが、問題はこういう住居の自由の問題、或いは食事の提供の自由の問題があり、会社側が対抗的に暴力団を雇つてピケラインを突破するというようなことが起りますと、これは一体どつちが不当なのだということの判断がにわかに判定し難いというよりも、使用者側不当労働行為に対して、ピケラインを以て、行動的に、説得の限界を超えるような正当防衛的な立場が起る。こういうときにも組合ピケラインのみが、実力を以て説得以上の力を及ぼしておるという一方的な判断を下しますと、力と力との接触点が、不当なほうが抑えられないで、正当なほうがこれによつて抑えられてしまうというような結果になつて参るのであります。この点もやはり不当な実力行使ということが、法で明らかでない問題が、労政的な解釈を下すことによつて、法と同じような効果を現わす、これは政治的な狙いを持つたものであるというふうに我々は考えざるを得ないのであります。  先般全国労働委員会議が、先般と申しましても、四、五日前でございましたが、開かれました。そのときにも小坂労働大臣が来られて、これ対する若干の見解を述べられ、それからあと中西労政局長が質疑に応ぜられたわけでありますが、ここで私は一番問題にしたのは、不当労働行為という使用者側行為が、不当であるということが、早くて数カ月間たたなければその結論が出ない。地労委で判断を下して、それから中労委に持つて来て、中労委で又その正当性を問うておるというようなこと、それを使用者側が、そのときはそうですかということで、一回不当労働行為を認めても、それを繰返し繰り返しやつている。何回でもやれる。こういうことがピケラインをめぐつて起つたときに、片方はそのときそのときに直ちに不当であるということで、警察力によつて抑えられてしまうし、片方は不当労働行為とは、時限的な問題として、数カ月間延ばせることも交渉の上において現わすことができる。ここにも片手落の、一方的に力の制限という形が出て来ておるように考えられます。これもやはり政治的な一つの狙いの中に入るようにも考えられるのです。私はやはりピケラインというのは、相手不当労働行為があるかないかという問題、それから不法な実力ということが、労働側でなくて、不当労働行為の中に、使用者側に含まれておつたときに、この警察力、実力というのがどんな形で一体働くのであろうかというと、これはわからない。これは最近の争議の例でもあるわけです。労働者見解を聞くと、あそこの会社は基準法を何百件違反しておつて、こういう不当労働行為がある、こういう労働省見解が発表されるだけだ。不当労働行為であるという見解だけだ。見解だけでは力と力で争つておる場合に何ら力にならない。ピケライン不当労働行為ということだけが、警察力の対象になつて抑えられるという効果を現わしておる。これでは労働争議というものは、一体自主的に労使間によつて正しい主張が容れられて解決することには役立たないで、労働組合の権利とか或いは力というものを抑えるということになつて出て来ると思います。  もう一つここで考えて頂きたいと思いますことは、使用者側不当労働行為という行為を使つてピケラインというものだけを非合法化するように持つて来るわけですが、ここで仮に仮処分の執行が裁判所になされるというときに、警察力の出動を要請する。警察は、これは執行権のあれですから、当然動員して来るわけです。そうすると、不当労働行為が背後にありながら、ピケラインのみが警察力の対象になつて国家権力労働組合の実力がぶつかる形になる。使用者側不当労働行為の数々が背後に隠れて、警察力、国家権力労働組合とを衝突させるというような形が現われて来るのです。これは非常に恐るべき状態だと思います。労働組合が当面の敵である資本家階級或いは資本家そのものとの争いというものが、警察力及乃国家権力に反坑をもたらすような様相を帯びて来ることは、法治国家、議会政治の、労使関係を合理的な手段によつて解決するという方向から、著しく巧妙な方向に労働運動自体を持つて行くことになる。こういうことをあえて一方的な通知によつてするというようなことで助、長して行きますと、労働組合越動は、勢い議会を否定する形において非合法運動になるのであります。これは、ここに私は権力労働組合との衝突ということを避ける意味においては、やはりここでこのような通達というものは適当ではないのではないか。近江絹糸の争議などがそのいい例であります。誰が見たつて悪いのであります。併しその悪いのが、一時、輿論或いは組合と会社との力関係において不利であると見たときに、これを裁判所問題に一切持ち変える。そこに権力労働組合との対立に向けて、そして当面の問題の主であるものが、背後に退きさがつてしまう傾向を帯びるのであります。この場合一体労働省は何をしたかということになると、にわか仕立ての基準法違反をばつとやつてみたり、付け焼刃の職安法を適用してみたり、その後一体どうしたかわからん状態で今延引されておる。そういう見解が発表されて、そしてそういう争議行為そのものの手段が、正当な形において動かしがたい状態になる場合、それで権力介入が、結局は輿論のいろんな判断や、組合のいろんな正当な行為によつて跳ねのけることはできましたけれども、あの場合に何も知らない警察人たちは、非常に御苦労様な話ですね。ただ要請があつたということだけでその背後にあつたものは一体何であるかということについて、私は資本家が不当労働行為を棚に上げて、権力を背景にして力と力との激突を助長するようなことは、厳に私は排除しなければならん問題だというふうに思います。  それからその次に指摘したいと思いますことは、労使問題というのは、非常にそのときそのときによつて、問題のあり場所が違つて参ります。生き物でありますから、このような形で突然出されていいものかどうか。もう少し広く意見を聞くべき性質のものではないかという感じがいたします。出してしまつてから、今私どもをここに呼びつけてどうですと、意見を聞こうということではなくて、どうして出される前に相談されないか、不当なるこの行為という、不法な実力行使ということ、これが司法関係においても、法文上明確でない問題を、行政的な解釈によつて出すと、そういう効果を現わそうとするときは、かなり重要な問題でありますから、単に基準法の解釈例規を出すということとは、問題の性質が違うのです。だとするならば、例えば労働問題協議会ですか、労働省に設置されておる三者構成の会議機関もあるようであります。これらを諮問機関として聞かれることも妥当であつたろうし、或いは又労働問題については、政府一は一切介入しないという不介入方針をとつておつたこの実例に鑑みて、大体は大争議になつてその事件の処理をしておつたのは労働委員会関係なんであります。特に国家的に重要だと考えられる労働争議を実質的に解決して来たのは中央労働委員会であります。この中労委関係には全然意見の諮問がないということ、こういう非民主的なやり方。生き物である労使関係、実際問題の労使関係を調節しておる日本のこの労委制度というのは私は世界的に類例のない制度であり、これを尊重し、この考え方というものは労使が服するといういい慣行を作りたいという考えを持つておるのでありますが、それを無視して、なぜこう唐突にこういう通達を出さなければならないか、ここに手続上の問題としても問題があるのではないか。こういう点はやはりこの通牒そのものはどうも一部の使用者側、資本家側から非常に何か力が働いて、あわてて出したのではないかという印象を受けるのであります。そういう意味から私はこれは労働行政の一つの職権の濫用の問題であり、越権行為だというふうに、この次官通牒並びに労働大臣の談話というものを考えるのであります。で、労働委員会に対してどんな話があつたんだということをいろいろ聞きましたけれども、公益委員に説明しに来ただけであつて意見を聴取されておりません。こういつた実例などを見ても、一体今までの労使問題について微妙な問題であるから、政府がなるべく政治力として介入しないのだということを言いながら、このようなものを政治的に動かそうとして出すことは、非常に適切を欠いた処置であるというふうに、手続の問題としても指摘をしておきたい問題だと思います。  要は、やはりピケラインの問題は、そのときそのときの条件が非常に違う問題でありますから、一つ通牒によつて法文的に不法な実力行使ということで、ピヶ・ラインそのものを非合法化さすような印象を与えるような物指を出すというのはいけないと思います。私はそのときの争議の性格、それから労使がとつておるいろんな対抗手段、これをとり巻く周囲のいろいろな条件、これらを十分総合的に判断して、そのときの状態がこれは法を越えておるというふうに見る場合もあれば、そうでない場合もあり得る。そういうふうにピケラインというのはもう少し柔軟性を以て考えられるもので、このとられておる処置は、そのようなことについて考慮なしに、労働組合の一方的な力の制限を狙いとした政治的な点図の下に出されたものである、こういうふうに判断せざるを得ないように考えます。  これ以上申上げてもほかの人の意見と重複するのでありましようし、枝葉末節の問題になるかと思いますので、以上私の意見を述べた次第です。何か御質問がございますればお答えいたします。
  19. 栗山良夫

    委員長栗山良夫君) 有難うございました。質疑のおありのかたは順次御発言願います。  滝田さんにちよつと一言伺います。実はこの談話が発表されました直後にこの委員会で、労働省の所信を大臣に尋ねたことがあります。そのときに、いろいろ言い廻しはありましたけれども、結局最後には東京証券ストライキが迫つた口に出すということは余りにも政治的ではないか、こういう追及がありましたときに、いやすでに前から研究していた、偶然一致した。而も、然らば近江絹糸のときには相当いろいろピヶの問題があつたわけだから、あの垂要なときになぜ出さなかつたか、こういう具合に追及いたしましたところが、実は近江絹糸のピヶの問題はいろいろ重要な問題である、別に全部合法であると考えているわけではない、従つてああいう第二近江絹糸事件が将来発生しては困るので、こういうものをやはり出そうとした、という意味のことがありました。従つて近江絹糸のあの長い間の争議の期間を通じて、特に滝田参考人は全繊のほうの御関係であるから、直接関与せられておるわけでありますが、この全期間に亘る経過について非合法の行為があつたとお考えになりますかどうですか。
  20. 滝田実

    参考人(滝田実君) 私は非合法があつたとは思つておりません。併しいろんな機会に、我々労働運動を進める者にとつて、やはり国民との関連或いは輿論というものの影響などを考えると、謙虚な気持で行き過ぎがあつた場合には、我々は自己反省をしたいという表現をとつたことはあります。私は当然そういう態度を我々はとつていいと思うのです。  それから先ほどから申し上げた小に、正当防衛ということがあり得る。例えば暴力団を雇つて鉄棒でもつてまともに先頭を切つてつて来るというようなことは、明らかに第三者といつて暴力なんであります。このときは、やはりそれなりの対抗手段がとられると思います。そういうものまでもやはり説得行為を越えたピケラインだと言えるるかどうかですね。私はやはりそのとき相手方の次第によつては、正当防衛的な行動説得の範囲を越える場合があり得ると思うのです。それが先ほどから申し上げていろいろんな状況を判断して、相手方行動等もやはり十分考慮に入れて、ピヶというものが合法であるとか非合法であるとかいうことを十分吟味さるものである。だから労働争議の性格によてはかなり強いピヶが、張られても、私は認めらるべき場合もありましようし、そのピヶそのものは初めから一切の法を無視して破壊と暴力を目ざしてやたものであた場合は、やはりそれが対象になり得る場合もあるでしよう。これはもと広汎な視野に立て総合的に判断さるべきものだというふうに思うわけです。これはとにかくあわてて出したという感じが今委員長がおしやた通り出る。そんなことは前にも例はあたんです。近江絹糸の例えば争議のときに基準法の一斉摘発をしまして、何もあのときあわててやらなくても二百二十何件も基準法の違反をやておる事業場を今まで置いておたこと自体が非常に問題であるわけですね。その後どうしたんだというと、あのときだけ線香花火やちやて、あと何も知らん顔でおるというようなことも、一体何のためにやたんだというと、争議に何の関係もありませんという、そのときの表現でした。今の場合もやはりそれと同じように、何か労働行政というものが、場当り的に、労使関係をどうするかということに重点をおかないで、力と激突の関係労働組合の力を抑えようとすることに狙いがおかれておる。そういう動きが今度の場合に出たのじやないかというふうに見ておるわけです。もう少し労働行政のあり方、行政というもののあり方は、やはり最近の特異な非民主的な労使関係争議が勃発しておる状態をどうするか、そこには労働組合を健全にどういうふうに作らせ、労働協約をどういうふうに締結させるか、未組織労働者をどういうふうに組織するかというところに、私は労働省の任務があると思う。その任務を越えてしまて、検察庁みたいな労働省に変たことを非常に遺憾なことだと思ております。
  21. 吉田法晴

    吉田法晴君 この談話通牒とそれから今までのこれに関連するような事例は、判例の場合には地裁、高裁の判例を私ども見て、それで知ているわけです。それからごく最近の警察官出動等がピヶに関連して起て参りましたので、委員会で調べたのでありますが、それは検察庁の警備第一課長から資料が出ておりますが、その中に日産鏡、これも大分前の話です。それから近江絹糸の富士宮工場の事件、これは七月十三日の事件であります。それと室蘭、東証、山梨と、あとのほうは私ども聞きましたが、近江絹糸の争議に関連しましては、仮処分申請事件があて、これにいてのけたの、それから或いはいれたの、その中で大阪本社の事件のごとき、これは入口でピケを張ておて、そして多少ガラスを制たり、或いは中に数名の者が入て什器物を破壊した、併しそれによつて事業場を占拠したものとは考えられない。或いは全面的なものを、事業場を破壊しようという意図があるということも考えられない。そこでこの仮処分を、入品の占拠排除の仮処分は利益にならないものと認めると、こういうことで認めなかた事例、これはピケトそれから通牒の精神と通牒のいていることと、これは矛盾することです。はきり判決と矛盾することでありますが、そういう事例を含んで、近江絹糸の争議に関連しては二件ぐらいしか実は知らんのですが、そのほかにそういたような、あなたの関係された争議で、警察実力行使というものがあた事例、或いはこの通牒と関連があて、これは過去のことですが、近江絹糸のこともそうですし、それから通牒は今度出た問題ですが、大阪本社の仮処分申請問題のように事柄としては関連しておる事柄だ。そういう点がありましたら、一お伺いしたいと思います。
  22. 滝田実

    参考人(滝田実君) 近江絹糸の争議にいてですか。
  23. 吉田法晴

    吉田法晴君 或いはその他でもかまいません。
  24. 滝田実

    参考人(滝田実君) その後最近起ておるというものは、やはり、近江絹糸、証券争議或いは日鋼室蘭等の問題になると思いますが、他の東京証券日鋼室蘭の場合は私は直接その衝に当ておりませんから申上げて間違うことがあるとまずいと思いますから申上げませんが、近江絹糸の争議は私は最高責任者であたので、よくその間の事情を知ているわけですが、例えば富士宮工場で、住居の権利を奪い、給食を拒否しておたときに、どうしても組合としては、生命を保存する意味から、宿屋に収容しなければいけなかたというような労使関係がその争議の中に生まれておたわけです。それで仮処分の判決が出て執行しようとしたときに、確かにピケラインとの間に問題が起りました。併しああいたときに、警察に頼み込んで警察が出て来て、そうして協力するときに、やはり私は執行吏が先頭に立て争議団と話合うべきものだというふうに思うのです。それが警察がピヶ・ラインを突破して、執行吏は後からいて来るという恰好は、これは本来が間違ているのではないかと思います。これは私のほうはちやんと写真も取ておりますが、最初に警察官が先に来て、そうして女子組合員ピケラインの手と足を持て引摺たりしていますね。そういう力の入り方というのは私は裁判所の執行といえども、極めてこれは不当極りない行動だというふうに思うわけです。併し国家警察本部へそのことを私ども詰問に行きましたら、いや、そういうこちから手を出したことは一切ありませんと。といて女の人がスクラムを組んでおて、自分のほうから実力行使をするわけはありません。そういうことから混乱状態があたので、ここにどなたが来て証言をしたか知らんが、場合によたらその写真を必要があたら、ここへ持て来てもいいが、ここへ持て来ていいかどうか知りませんし、あるかどうか、確かにあるはずです。そういう是と手を持てピケラインを動かそうとするような、これは説得の範疇を越えて、執行と言ても執行吏が話してやるという行動とは全然違たものだと思ております。それから執行という問題は、これはピケラインを以て非常に権力と衝突させるということを、使用者が合法的に持て来るという一の線なんですが、執行そのものにいても私は状況判断というものがあて然るべきではないかというふうに思うのです。例えば借家人が、家主から追立てを食て、そうして仮処分を受けて、そうして出ろという判決が出たとした場合に、その人が行先もなかたり、それから病人がいて非常に困るというような場合には、十分行先の問題とか、当人にいろいろな謹の処棄して、そうして仮処分というようなものは実際的に行動に移されるような場合も、やはり相当の猶予があると思います。ましてそうした争議の際、権力が成るべく入らない形において、労使が話合で、或いは合理的に解決されるべき性質のところへ、それが、その仮処分が出たからということで、どうしてもピヶ・ラインを押し破らなければならないという状況判断が出るかどうか。それが特に使用者側は非常に不当な労働者に対する対坑行為をとている場合に、やはりそういう権力が力ずくで時間を争てやらなければならんものかどうかというところに、非常に問題があるように思います。ですから例を申上げると、そういうふうなことで、やはり執行そのものに対しての状況判断があるべきであるし、警察の実力が前面に立ちはだかて来るという形はどうしてもピケラインとの問にうまく行かん問題が起きて参ります。世間が見ると、警察が出ているのに労働組合ピケで阻止しているから、これはやはり法を無視している労働者行為ではないかというふうに印象ずけられるから、どうしても不利になる。その点は一般的にそう見られる。そこに問題があると思います。
  25. 栗山良夫

    委員長栗山良夫君) 滝田参考人からの御意見を伺いますことは、この程度にいたしたいと思います。一時半まで休憩いたします。    午後零時十八分休憩    —————・—————    午後一時四十九分開会
  26. 栗山良夫

    委員長栗山良夫君) 休憩前に引続き会議を開きます。  お出でを頂きました参考人のかたがたに一音御挨拶申上げます。御多用中のところを本委員会のために御出席を頂きまして有難うございました。本日おいでを願いました目的は、当労働委員会でずと前から調査を続行いたしておりましたピケツト・ライン正当性の限界にきまして、過日労働大臣談話及び次官通達が行われまして、具体的な問題が新たに提起をせられたわけであります。従てこの新らしい問題にきまして、昨日、今日の両日に亘りまして、各界の権威者のかたがたにおいでを頂いて、率直な御意見を伺いたいというのがそれなのでございます。従いまして、お一人約四十分程度ぐらいにいたしまして、率直に御意見の表明をお願いいたしたいと考えるわけでございます。  先ず最初に弁護士松崎正躬君の御意見を伺いたいと思います。
  27. 松崎正躬

    参考人(松崎正躬君) それでは私の意見を申上げたいと思います。  先に出されました労働次官の通牒は、その出された時期や方法等にきましては、見る人により、又その立場によりまして相当是非の論もあり、批判の余地もあり得ると考えるのでございますが、その内容は従来種々の事件を通じまして、裁判所なり労働委員会において、判例又は裁定例を通して、ほぼ確立されているといてもいい、いわゆるピケに関する平和的説得の原理を骨子としたものでございまして、おおむね妥当な見解であると考えるのでございます。通牒を出された趣旨は、労働関係における民主的合理的慣行の遵守確立のための教育的効果を狙たものであると言われておりまするので、法律論の立場から見ますれば、なお不明確と思われる点もございますし、表現があいまいになているという点も見受けられるのでございますが、その目的とする方向は、決して不当であるとは考えないのであります。現在組合の一部でこの通牒は、争議弾圧のための露骨な政策であると非難されておられるようでございますが、若しその批判が通牒内容自体にいてであるといたしまするならば、見解の相違は別といたしまして、いささか誇張した批判ではないかと考えるのであります。  ピケの合法性の限界にきましては、いろいろの問題があるのでありまするが、その中で最も大きい問題は、ピケ対象の如何によて、合法性の限界の差異を生ずるかという問題と、ピケ手段として許される実力の限界如何という問題であろうかと考えるのであります。先ず前者にいて、学説、判例はおおむねピケ対象中の第三者使用者に対するピケにいては、厳格に解されておるのに対しまして、争議中に組合を脱落した従業員組合員等に対するピケにいては、前者に比し緩やかに解しようとする傾向が強いと思うのであります。次官通牒ピケの方法、態様は、その対象状況によて若干の差異があると述べておりまするし、それぞれ(1)から(5)に区分して、ピケの許容される範囲にいて示しているのでありますが、恐らくはこの多数説に左袒したものであると考えるのであります。私は論者が申しますように、ピケ対象によて、適法性の限界に甚しい広狭の差を生ずるとまでは考えないのでありまするが、犯罪の成立等を検討いたしまする際に、正当防衛であるとか、緊急避難、期待可能性その他犯罪の情状を斟酌するについて、ピケ対象の如何は相当重要な要素として考えられるであろうし、又従て実務上から申しましても、ピケ対象が何人であるかということを検討することは重要な問題であるし、理論的に言つて対象の如何によつてピケの法認される根拠に差異がある以上当然なことであると考えるのであります。欧米におるけがごとく、ピヶを一応表現の自由の問題として他の基本的自由と並列的に理解されるところにおきましては、ピケ対象は広く社会の第三者にまで及ぶのでありますが、他面その手段は言論として許される範囲、即ち実力を帯有しない、もつぱら言論の力に頼る説得とか、勧誘の範囲に限定せらるべきでありまして、対象の如何によつて適法性の範囲に差異を生ずるということは考えられないと思うのであります。これに対しまして、我が国においては、ピケ憲法第二十一条の言論の自由の問題として把握さるべきではなく、憲法第二十八条の団結権団体行動権の作用として理解せらるべきであるから、ピケの限界を説得、勧誘の範囲に限定する英米流の考え方を取入れるべきではないという見解が存するのでありまして、この見地からスクラムとか坐り込み等の行為から就業阻止の行為まで、広くピケの作用として許されねばならんと主張されているのであります。我が国におけるピケの問題を憲法第二十八条の観点から挑めなければならないということは、まさにその通りであると考えるのでありまするが、他面にあらゆる人間に対するピケを一律にすべて争議権に結び付け、その権利を基礎とするという考え方には疑問が存在するのであります。憲法第二十八条の団結権は国に対する関係で、団結権の保障を求めた権利でありますると共に、主として使用者に対する関係において認められた権利であつて、同条から直ちに組合が一般の第三者にまで統到力を及ぼし得ることを承認したものではないと考えのるであります。一般に団結権の作用として組合の強制力が第三者に及び、第三者組合に対し一種の義務を負担する場合の一つとして組織強制という問題がございます。組合使用者労働協約を締結して、自分の組合員のみを雇用せよといういわゆるクローズド・シヨツ或いは特定の組合に加入することを雇用条件とするいわゆるユニオン・シヨツプの場合がこれでありますし、この論議はいろいろございますが、当該事業場に雇用されている未組織労働者や新しくその事業場に雇い入れられる者は、必ず或る組合に加入する義務を良い、組合を除名又は脱退した場合には解雇されることになるのであります。このシヨツプ制につきましては、御承知のごとく、我が国においては、組合法第七条第一項に特別の規定がございまして、当該組合組合員が、特定の事業場における従業員の過半数を占めている場合にのみ、協約当事者外の者に組合の力が及ぶことが認められているのであります。かくのごとき特定の法の規定がない限り、個人の意思又同意に基かずして組合の強制力が第三者に及ぶことは考えられないのであります。結局、組合員以外の非組合員労働者第三者に対するピケの根拠は、英米同様にこれを我が国においても表現の自由に求むべきではないかと考えるのであります。即ち、組合ピケによて団結の威力を使用者に示し、その精神的な敗北感を抱かしめる行為や、スト中組合の統制に違反して就労しようとする組合員に対しまして、ストヘの復帰を求めるためにピケを張る行為は、これは、当然、団結権の作用として考えるのが至当でございますが、従業員以外の商人とか顧客等の第三者に対するピケは、これを憲法第三十一条に求むべきであつて、従て、その手段の限界も、おのずから同条の基準に照して判断すべきものであると考えるのであります。次官通牒は、基本的考え方の(三)におきまして、「労働組合団結に基く統制力は、原則として、組合員の範囲にしか及ばない」といたしておりまするが、それはこういう趣旨であろうかと考えるのであります。この点で問題となりまするのは、争議中に組合を脱退した従業員の問題でございますが、脱退者がこの脱退によつて組合団結外に立に至たのでありますから、組合組合の名において右のごとき者に対し統制力を及ぼすということは一応否認されるとも考えられるのでございますけれども、これらの者は、自分自身組合員としてスト決議に参加したものであり、その限りにおいてはストを維持することに一半の責任を有するものということができるのでありますから、かかる者に対しては、団結権に由来する組合の統制力が必要最小限度ではございますが、直接に及ぶという考え方は是認せられるのではないかと思うのであります。併しながら、ピケ団結権にその根拠を有するものであるからといつてピケの合法性の範囲が平和的説得の範囲を越えて、著しく広汎な実力の行使が認められるということには私はならないと考えるのであります。勿論、憲法第二十八条は、組合員団結を保障したものでありまするから、ただ団結したこと、或いは団体行動をすること、若しくは集団的な威力を発揮すること自体、他の行政取締法規等に触れる場合は別としまして、それ自体直ちにこれを違法ということはできないのでございますが、あとにも申上げます通り団結権といえども、財産権その他の基本的人権との関係で一応の制約を受けることは当然でありまするから、このことから直ちに座り込みとかスクラム等のピケの態様が無条件に適法であるという結論にはならないと信ずるのであります。  次に第二の問題、即ちピケ手段として許される実力の限界如何という問題でございますが、この問題は、窮極するところ、争議権の本質如何の問題に帰着するのでございまして、争議の最も典型的な手段とされているストライキが、もつぱら自己の労働力を使用者に使用させない、労務の不提供という消極的な行為であるに対しまして、ピケは通常ストライキやボイコツトの補助手段といわれておりながら、その実体は、消極的な不作為ではなく、積極的に集団の実力を以て使用者のみならず、むしろ、使用者外の第三者を、或いは外部からの就労希望者等に対して、広く働きかける能動的な性質を持つ点におきまして、その限界についてはしばしば多くの微妙な問題を惹起いたすのでございます。争議権としてのピケの適法性の限界を考えるに当りましては、第一に争議権の本質から来る制約と、第二には争議権と他の基本的人権の調和から来る制約が考えられると思うのであります。争議権の本質、特に同盟罷業を中心といたしました争議権の本質に関しましては、いろいろの見解が存するのでありまするが、結局、争議行為の本質は、労働者が雇用条件に関する自己の主張を貫徹するために、使用者に対して集団的に全部又は一部の労務の提供を拒否することを中心として行われる実力行為であると信ずるのであります。換言いたしますれば、組合が自己の統制の下にある組合員集団的に使用者の支配から切離して、生産手段労働力の結合を一時停止することによつて使用者に圧迫を加える手段である。従つて、その中心概念は、あくまでも所属労働力の集団的な引上げ、或いは売りどめと解すべきところにあるのであります。これに対しまして、争議行為の本質を以て単に消極的に強制労働は厭だということだけではなくて、積極的に労働市場から使用者を切離して、使用者業務を阻害するものであるとか、或いはストライキによる労働者が賃金を失うということと、休業によつて使用者が損害をこうむるということとが見合うことによつて、初めて実質的な労使対等になり得るという趣旨を述べまして、使用者の操業を積極的に阻止しまして、あらゆる方法でこれを休業させることが争議権の本質であるという考え方があるのであります。今若し前者の考え方に従いまするならば、争議行為一つであるピケの作用は、所属組合員のストからの脱落防止に重点が置かれるのでありまして、第三者に対するピケは外部からの就労希望者が続出した結果、組合の士気を沮喪し、その団結を崩壊せしめる危険性があるから、自己の組織を防衛するために行われることになるのでありまして、勢い第三者に対するピケは第二次的なものとなるのであります。これに対しまして、後者の説によりますれば、ピケの重点は、組合に所属する組合員よりは、むしろ、使用者業務遂行を直接、間接に利するあらゆるものに及ぶことになりまして、又その結果が、これらのものの出入阻止となつても、ピケの本質からみて当然のことであると考えられるに至るのであります。私は従来多くの判例が生産管理等の事件において示した態度から見まして、現行法体系における争議権の本町は、前者であつて、後者のような広汎な機能を争議権に認めることは、資本制生産の根本観念を否認する慮れがあると信ずるのであります。大阪地方裁判所は、昭和パイプの事件というものにおきまして、極めてくだけた言葉で、この関係を次のように述べているのであります。「争議は本来使用者に対してお前たちの力でやれるならやつてみよという闘争であつて、お前たちにはやらせないぞという闘争ではない。言葉を換えて言えば、使用者争議による業務の正当な運営の阻害は受忍しなければならないが、業務を休止すべき義務を負うものではない」、こう言つておるのであります。争議中に使用者が操業することは当然使用者に許された自由であり、ストライキによつて使用者は操業すべからざる義務を負うものでないことは、朝日新聞社の事件に関する最高裁の判決を初め、多くの判決が示しているところであります。この意味においては、ストライキによる賃金の喪失と休業による損害とが見合うのではなくて、賃金の喪失と見合うのはスト組合所属の労働力の使用ができなくなつたことから生ずる使用者の損害でありまして、法がストによる使用者の休業を当然に予定しているとは解すべきではないと思うのであります。この面から申しまして、ピケによつて使用者第三者又は非組合員、他の組合員等の出入を絶対的に阻止することは、不当であると言わなければならないのであります。これらのものは組合の統制下にある労働力でないことは勿論、それ自体使用者のごとく労働力と見ることのできないものであるか、或いは非組合員のごとくスト以前から使用者労働力として存在したもので、ストによつて組合所属の労働力に代置される新らしい労働力と考うべきではないということを考うるならば、なお一層強い理由を以てそういうことが言えるのではないかと思うのであります。従つて、この点に関する次官通牒立場はおおむね妥当であると考えます。  最近におきまするピケにおいて、その主たる対象が、就労希望著ではなくて、むしろ使用者第三者たる顧客に重点が置かれて、而もその出入が実力を以て絶対的に阻止されているということは、ピケ労働市場や商品市場等のいわゆる経済市場から締め出す作用であると見る前に申上げました理論と照応するものであつて、注目すべき現象であると考えるのであります。  第二に、争議権は財産権その他の基本的人権からの制約というものが存在するのであります。山田銅業所の生産管理の事件に関しまして最高裁は、「憲法は勤労者に対して団結権団体交渉権その他団体行動権を保障すると共に、すべての国民に対して平等権、自由権、財産権等の基本的人権を保障しているのであつて、これらもろくの基本的人権が労働者争議権の無制限な行使の前に、ことごとく排除されることを認めているのでもなく、後者が前者に対して絶対的に優位を有することを認めているのでもない。むしろこれらもろもろの一般的基本的人権と労働者の権利との調和をこそ期待しているのであつて、この調和を破らないことが即ち争議権正当性の限界である」、こういう趣旨のことを述べているのでありまして、この趣旨は多くの判例においてもいろいろな機会に述べられているのであります。御承知の通り労働法は市民法に御承知の通り労働法は市民法に遅れて発達いたしまして、形式的にも実質的にも市民法の修正という形をとつておることは事実でありまするが、このことから労働法が常に市民法に優位し争議権は財産権に優先するという結論を出すのは誤りであろうと思うのであります。只今も申しました通り、現行法の秩序は、民、商法等の一連の私法規や刑事法規や労働法規を含めまして調和された法体系として成立しておるのでありますから、労働法は市民法原理の修正ではありまするけれども、それ自体資本制生産を否認するものでもなく、又勤労者を階級的人間として把握しておるものでもないのであります。従つて争議権は、現行法秩序の下におきましては、財産権その他の基本的人権と並列的に位置するのでありまして、基本的人権相互間の調和ある姿が法の理念の要求するところであると考えられるのであります。而して、争議権と財産権の法的調和は、判例によりますると、財産権の侵害が債務不履行となるにとどまる程度とか、又は労働者団結してその持つ労働力を使用者に利用させない限度にとどまるべきところに期待しておるとされておるのであります。あらゆる基本的人権がそうでございますように、人間が社会に生存し、社会生活を営む限りは、社会生活から来る権利の内在的な制約というものは、争議権といえども、これを免れることができないのであります。従つて争議権の行使によつて財産権が過度に侵害を受けたり、個人の自由や人格が不当な拘束を受けることは、現行法の認めないところであると信ずるのであります。即ち、ピケ権といえども、その行使はもつぱら他人の権利及び自由に対する承認と尊重の上に行わるべきでありまして、使用者の財産権や第三者の就労権や自由意思を過当に侵害し、これを否定するがごときは、現行法の理念から見て不当と言わなければならないと信ずるのであります。  そこでピケに関し具体的に問題になりまするのは、スクラムによる一般的な就業阻止の問題であろうかと考えるのであります。次官通牒は、平和的説得に該当しない具体例といたしまして、「工場事業場に正当に出入しようとする者に対して、一般にバリケード、厳重なスクラムや坐込み等によつて物理的に出入口を閉塞したり、説得又は団結の誇示の範囲を超えた多数の威嚇や甚しい厭がらせ等によつてこれを阻止するがごときピケツトは正当でない。」、こういたしまして、原則として、ピケによつて絶対的に出入を阻止することは認めないという立場に立つておるようであります。組合法第一条但書は、「いかなる場合においても、暴力の行使は、労働組合の正当な行為解釈されてはならない」と言つておりまするが、最高裁その他の判例は、右の暴力は、暴行、傷害等の有形力の行使のみならず、脅迫等の無形力の行使も包含することと解されておるのでありまして、多数の者が単にスクラムを組んでおること自体は、直ちに右暴力に該当しないということについては、さほど争いはないかと考えるのであります。併し、その数が不当に多数であり、説得や社会的な良識によつて通常許されると考えられる程度を超えておる場合は、威力に該当するものとして違法の評価を受けることもありましようし、特にその対象第三者たる顧客等である場合には、その態様は相当厳格に解釈さるべきでございますが、然らざる限り集団的なピケ集団の故に不当とされることはないと言わなければならないと思うのであります。右は団結が法によつて認められておる以上は当然のことでありまして、近江絹糸の事件において大阪地裁が特に団結による示威はこの限りでないとして、これを許容したところも又これに基くものと考えるのであります。本来争議労使の実力による対抗関係でございますから、暴力に至らない或る程度の実力の行使というものは、正当なものとして法によつて是認されなければならないのでありまするから、結局ピケの合法性の限界も不法でない実力の行使の範囲はどうだということに帰着すると考えるのであります。スクラムを組んだり労働歌を歌つてデモるということも、いずれも実力でございます。従つて争議行為としての実力の現われであるピケ自体の限界を画するものも、結局財産権や平等権や自由権との調和でありまするから、スクラムを組み説得すること自体は差支えないが、使用者等の出入を阻止して施設の保母を妨害したり、就労希望者の正当な就労意思を不当に拘束いたしまして、強制の程度が相手方の意思決定の自由や行動の自由を否定する程度に達する場合は、もはや正当ではないと言わなければならないと思うのであります。判例は或いは自由意思によつて出入を決し得る余地を残す程度がなければならないとか、或いは労働力を売るか否かについての取捨選択の自由を認めなければならないとか、或いは威嚇的言辞を弄して判断の自由を害してはならないとかいう表現を用いまして、スクラムの実力の限界というものを表現いたしているのでありまするが、実力によつて入場を絶対的に阻止するということは不法であるとする考え方に多く立つているのであります。事実、示威や説得のための限度を越えた実力の行使を認めることは、延いて相手方の実力行為を挑発いたしまして、実力は更に実力を呼ぶ結果となり、単に結果的に争議をして法の規制のない全く実力の世界に放置する結果となり、治安上から見ても好ましくないばかりでなく、又法治国家としてもそうした態度は許されないと考えるのであります。次官通牒が出入や正当の業務妨害することは許されないとか、不法な実力により就業を妨げる権限はないなどと申しておりますが、その表現にあいまいな点は相当ございますけれども、大体はこの出入問題については、従来の判例の態度を踏襲したものであると考えるのであります。この見地からいたしますれば、最近のピケに多く見られる数百人によつて幾重にもスクラムが組まれて、縦深の深いピケラインというものは違法となる可能性が強いと考えるのであります。このような場合には仮に積極的に組合員ピケ破りに対して、自分から実力を行使しなくても、当初からこれらの者の出入を絶対的に拒否する意思をもつて、スクラムが組まれているのでありまして、且つ通常の方法、即ち相手方が実力を用いない限りは、到底通行不能な状態に置かれているのでありますから、それ自体説得のためのスクラムと解し得ず、第三者の出入を阻止して、その業務妨害するためのスクラムであることが明らかであろうからであります。  然らばスクラムのピケにおける機能はどこにあるかと申しますと、結局団結の示威と第三者に対する説得の機会を得ることの一点にあり、而うして右二点にとどまるべきであると考えるのであります。即ち就労希望者等をピケラインにおいて停止せしめ説得の時間を作るという限度において、その適法性が認められているのであります。ピケラインにおいて第三者を停止せしめることも一種の実力でありまするが、この程度の実力の行使は社会的にも是認される正当な理由が存在すると思うのであります。駐留軍事件等に関して横浜の地裁が組合にはピケラインにより非組合員等を説得する権利があり、相手方は一時停止してその説得を聞く義務があるかのごとき判決をいたしておりまするが、かかる権利義務の関係が成立することについては、私はむしろ否定的な見解を持つておりますけれども説得の機会を作るため、一時通行を停止せしむべくスクラムを組む限度の実力の行使には違法性がないと考うべきであろうと思うのであります。併しながら相手方の就業意思が明らかであるにかかわらず、故意に執拗に説得を反復し、事実上就業をスクラムによつて長時間妨害したり、スクラムが事実上企業施設を外部から閉鎖遮断することになつて、もはやピケ正当性の限界を逸脱したものと言うべきであると信ずるのであります。出入阻止について一番問題となりますのは、ストの脱落者争議中に組合を脱退した従業員に対するものであります。右の者について果して出入の阻止までできるかどうかは、次官通牒を読みましても明確を欠いておるような感じがいたすのであります。スト中の組合の脱退やスト脱落が裏切的行為として、労働者の意識において好ましくない行為であることは言うまでもないことでございますから、状況の如何によつては期待可能性等の理論から間接的に右に対するピケの合法性の範囲が拡大されることは考え得られるのであります。併しながらこれらのものに対するピケの範囲が一般的に広く認められて、この種のものに対するピケだけは相当強力なものが原則として許されるということは、結局においてピケによつて組合の制裁を代行することになり、組合規約の正当な手続によらない私的制裁をその範囲において是認する結果となりますので、その意味において不当であろうかと考えるのであります。加うるに我が国における組合の運営の現状から見ましても、常に組合の運営が民主的に行われておるとは限らないのでありますし、或いは観念的な上部団体の指導や彼我の実力に対する慎重なる検討や十分な団体交渉も尽さないで、余り無雑作的にストライキが行われる結果、そのストライキが企業の実情を無視して無謀のストとなつたり、大衆やその他の支持を結果的に失うということが少くないこと等を考えまする場合において、組合の分裂等の場合の非が常に一方的に分裂者側にのみ帰せしむることは、妥当ではないと思うのでありまして、この点を考えまするならば、これらのものに対するピケによつてこれらの者の出入を阻止することが許されるという原則を樹立することについては、躊躇せざるを得ないのでありまして、ただ情状の問題とか期待可能性の問題として個別的に事案を検討すべきであると信ずるのであります。  以上ピケの適法性の問題中重要なる点について述べたのでございますが、最後に我が国においては、雇用労働組合組織の特異性を強調することによりまして、ピケの合法性を広く解せんとする立場があるが、今論者が我が国においては英米に比してより強力なピケ権を認めなければならないとする根拠を要約いたしますると、大むね次の三つの事由に帰着すると思うのであります。  第一は、我が国における組合組織が主として企業別であることと、常時多くの失業者が存在するということは、結果的に労働市場に対する組合の支配力を弱め、結局使用者は容易にスキヤツプの重用によつてストライキを破ることができるということ、第二に我が国におけるストライキ破りには暴力団的性格を有するものが多いため、当初から説得や指示だけによる就業の中止を期待できなないということ、第三に我が国の組合組織はまだ十分成長していないために、争議に当つて使用者の圧迫等により組合の分烈が惹起されやすいということ、このような条件下においては、労使対等の地盤は本来存在していないのであるから、その基盤の上にあつて初めて認めらるべきピケ平和的説得の限界も又当然理論的根拠を失うとなすのでございます。併しながらこの論者の言うところには二、三の事例を一般化する事実の誇張があるばかりでなく、この事由を以てピケの合法性の範囲を我が国に限つて特に広く解さなければならない理由とすることは当を得ないと信ずるのであります。第一に我が国においてスキヤツプの軍用が極めて容易であるということには私は多大の疑問を有するのでありまして、工場の規模が大であり、雇用労働力が多い場合とか、作業の性質上相当程度の熟練を必要とする場合におきまして、ストに際し外部の労働力に急速にこれを切替えるということは殆んど不能というに近いのであります。又仮に熟練度等をさほど必要としない場合におきましても、我が国のごとく非組合員の範囲が極めて狭く規定され、従つて若干の役員と極く少数の非組合員だけで、新米の労働者を使つて組合争議行為を無意味に帰せしめるがごとき程度の全面的な秩序ある生産を継継するなどということは言うべくして行われがたいことであると考えるのであります。加うるに職業安定法第二十条は、争議中の工場に対する労働力の斡旋は国のストに対する中立性立場から禁ぜられているのでありまして、その意味においても、使用者のスト中における労働力の雇用には相当な制約が加えられているのであります。而もスト中において行われる使用者業務というものが、必ずしも論者の言うがごとき生産の続行目的とするとは限らないのでありまして、むしろ施設自体の保全、管理ということを目的とする労働力の雇用も少くない点を注意すべきであろうと考えるのであります。  第二に近時発生するピケにからむ労使暴力ざたがそのいずれの挑発によつて発生したかは、それぞれの具体的事件に即して個別的に検討すべきものでありまするが、その責任を一般化して、而もこれをひとりいわゆるストライキ破りの暴力的性格に帰せしむることは、決して公平な論ということはできないと信ずるのであります。暴力団をピケ破りとして雇い入れることは、使用者自身にとつても決して好ましいとではないのでありまして、やがては飼犬に手を噛まれるような結果になり極めて高い代償を支払うことになるのでありますが、勿論かかる暴力団をピケ破りとして雇い入れるがごとき一部使用者の態度は、厳に非難せらるべきであると信ずるのであります。併しながらかかる二、三の現象を捉えまして、就労希望者のすべてが暴力団的性格を帯び、当初から説得、動誘の結果なしときめてかかることについては、極めて誇張した論があつて、是認することはできないと考えるのであります。いわゆる製品搬出や立入禁止、仮処分の執行に対する組合の実力措置にからむ暴力行為事例の多いことは、決してひとり組合側のみが正しいと考えることを得ないのであります。又仮に暴力云々の事実があつたといたしましても、その場合には当然に当該事実に即して正当防衛等の理論によつて解決せらるべきものでありまして、これをピケの合法性の限界を拡めるという一般論に切換えることは不当であると信ずるのであります。  次に論者の言ういわゆる争議中における組合の分裂の問題でございまするが、この問題はまさに組合内部の問題でございまして、自己の内部統制の脆弱性使用者第三者に対するピケの強化によつて解決せんとするが如きは、もつぱら他力本願の安易な議論というべきでございまして、むしろ本末を顛倒した主張であろうと考えるのであります。  以上この点について我が国の特殊性を強調する論者の説は、いずれの事由も個別的な事由や個別的な事情をそれ自体として個々的に検討することなくして、血ちにこれを一般化し、ピケ権の強化によらなければ争議権の保障は有名無実となるという誇大な理論を展開せんとするものであつて、賛成いたしがたいのであります。  最後に申上げたいのは、本来労働関係労使の良識とよき慣行によつて自治的に規律されることが望ましいのでありまして、国家機関が積極的にこれに介入したり又行動の細部に至るまで法によつて直接上から規律する行き方は原則として好ましいことでないとすることは、誠にその通りであると考えるのであります。併しながらかかる労使の自律的な行動が期待されるためには、労使双方に法と秩序を遵守し、相互に相手方の権利と自由を承認し、尊重するという協力と善意の地盤がなければならないと信ずるのであります。このことは労使いずれにも責任があろうと考えるのでありまするが、我が国においは未だに大衆の生活基盤に密着しない観念的な紛争が強調せられ、労伸の話合いによつて新らしい公正な秩序を樹立するという労使関係の重要な一面である協力の気運が成熟していないことは、誠に残念なことであると考えるのであります。殊に近時労働法においては、特に労使間における労働慣行が重視されるということに立ちまして、法自体の精神に照らして不当、違法とされることまでも、力によつてこれを押切り、これを既成事実化して、力によつて事実上適法の限界を拡大せんとする考え方と行動とが存在するのであります。最近における不当なピケの続出には、その背後にかかる考え方が存在しないとは言い切れないのであります。かかる考えカが労働界に存し、その考え方に従つたと思われるような組合活動が見られ限りにおきましては、何らかの意味通牒の方法によつたことが妥当であつたたかどうかは別といたしまして、何らかの意味労働行政の責任の立場にあり、労働教育相当の任におる労働省がその見解を明らかにすることは決して無意味なことではない、こういうふうに私は考えるのであります。  今回の次官通牒についての所見を状べよというお求めでございましたので、以上私の考え方を述べさして頂きました。
  28. 栗山良夫

    委員長栗山良夫君) 有難うございました。  御質疑のあるかたは順次御発言を願います。それとも、あと中島参考人お話をお聞きしてから一括してやりますか。
  29. 藤田進

    ○藤田進君 できればもう少し、一人お見えになつてから……お見えになるのが三時という話も聞いたのですが、若し参考人の皆さんのほうで差し繰りがつけば、やはり一通りお聞きして、そしてお尋ねしたらいいと思うのですが、従来むしろそういう方法が多くとられて来たと思うのです。若しお差支えがあるかどうか……。
  30. 栗山良夫

    委員長栗山良夫君) 野村参考人は三時においでになるそうですが、松崎参考人はお時間は如何でございましようか。
  31. 松崎正躬

    参考人(松崎正躬君) まだよろしゆうございます。
  32. 栗山良夫

    委員長栗山良夫君) それでは続きまして弁護士中島一郎君の御意見をお願いいたします。
  33. 中島一郎

    参考人(中島一郎君) 最初にちよつと御了解をお願いしたいと思いますのは、本日どういう形式で意見を述べさして頂くか、私は実は初めてでございまして、わかりませんでしたものですから……どういう形式といいますと、皆さんから質問を受けましてそれに対して回答を申上げるのか、それとも演説のような恰好で申上げるのか、その点を実はまだ知りませんでしたので、原稿を作つて参りませんでしたから、喋りますことが非常にお聞き苦しい点があると思いますが、その点御了承願いたいと思います。  問題のこのピケツテイング正当性の限界に関する小坂労働大臣談話及び労働次官通牒について、私は二点に分けてお答え申したいと思います。この第一点は、要するにこの通牒、通達でございますが、それの内容について。それから第二点は、こういう通達が出されたことの可否について。その二点に分けて順々に申上げたいと思います。  最初に通達の内容について申しますと、この内容は一応私は読んで参りましただけで、ここで細目に亘つて批判しようとは思わないのでありますけれども、全体としましては、行政庁の解釈として出されたものとしては、この内容はおおむね妥当ではないかと思うのであります。その理由といたしましては、これは大体現在における裁判所の判例の傾向に従つているから、そういう理由であります。そうしますと、今度は私自身としては、この裁判所の判例の傾向、尤もこの傾向に従つているかどうかということもこれも人によつては異議があると思いますけれども、とにかくそれはそれとしまして、裁判所のこと判例がこういうような内容と傾向にあるものとしてそれが正しいかどうか、そういうことについて、私の意見としましては、大体この現在の裁判所の判例が一応これで是認していい解釈をとつているのではないかと思うのであります。で、ピケツテイングの限界について、この法律論は、実はここで、今松崎先生も詳しくお述べになりましたことで、私、余り繰返そうとは思わないのであります。それから一つには去年私が日経連で報告いたしまして、それが印刷物になつて紙上に出ておりますので、それは余り繰返したくないと思いますが、大体簡単にどういうことかということを申しますと、大体ピケツテイングに限らず、争議全部についてでありますけれども、それは日本の現在の憲法におきましては、これは団結権内容の一部であると思うのであります。この点において日本解釈はアメリカの解釈と違つて来ることになつて来ると思うのであります。そうしますと問題は、団結権と財産権、この関係がどういうことであるか、これが結局ピケツテイングの限四界についても、その点が問題の中心になつて来るはずなのであります。そうすると、結局団結権と財産権の限界をどこに引くか、そういうことが結局法律論としての中心点なのでありまして、その点において最高裁の判決はすでに少くとも二件において結論を出しているわけであります。それは御承知の通り昭和二十五年十一月十五日の山田製鋼所の事件に対する判決、それからもう一つは二十七年十月二十二日の朝日新聞事件に対する判決であります。この両方の判決を貫いておりますところの、要するに最高裁の見解としての団結権と財産権の限界点の理論というのは、結局団結権の限界を債権侵害の線まで認めて、それ以上の線を違法としよう、そういう線なのであります。而してそれ以外にピケツテイングについて下級審の判例はたくさんあるのであります。要するに大体これはずつと今回来ますに当つて判例を当つて見ますと、その最高裁の判例、まあ非常に古いところはどうか知りませんけれども、おおむねその最高裁の判例の線に従つて結論を出しているに過ぎないのでありまして、最近の一番有名な三越事件に対する東京地裁のピケツテイングの判決、これは二十九年二月二十四日の決定におきまして、詳しくピケツテイングの限界について述べておるのでありますけれども、結局はやはり先ほどの最高裁の二つの線に一致していると見て差支えないのではなかろうかと思うのであります。大ざつぱな点を私述べておりますので、細かい点で揚足をとられる、いろいろ攻撃される点はあると思うのでありますけれども、大ざつばな点としてはそういうことになると思うのであります。そうしますと、結局ピケツテイングについて考えてみますと、それは要するに労務を供給しないという債権侵害の点まではいいけれども、それ以上に物権とか人の身体の自由などに侵害することはいけないという、その先ほどの線を中心にして考えてみますと、ピケツテイングも結局はやはり日本におきましてもアメリカの結論とそう違わない。やはり温和な説得、その線以上を出るという結論が出し得ないのじやないか、こういうふうに考える次第であります。そうしてこういう裁判所の、最高裁から下級審の判例の傾向をずつと通観して、この次官通牒を読んでみますと、次官通牒内容というものは、結局、大分詳しく書いてありますけれども、その判例の線以上に出ているものではないと考える次第であります。こういう点で、理論として、ピケツテイングの限界点もおおむね現在の日本解釈としてはこの線が妥当なのであつて、それから又行政庁が解釈をする基準としては、結局その裁判所の判例の線に従つているのであるから、この点やはり妥当なのではないかと、こういうのが私のこれに対1する考え方なのであります。大体この通牒内容について大筋として私が申上げたいのは結局それだけに尽きるのでありますけれども、ただ最近、本日ここに来ることのお話を受けまして新聞なんかちよつと読んでみますと、大分これを攻撃する議論もありますので、ちよつとその点についての私の気が付きました範囲内で意見を述べさしておいて頂きたいと思います。  ピケツテイング対象第三者に及ぶか、それともスキヤツプだとか、こういう区別…点いろいろこの通達の中にも区別して書いてあるのでありますが、そういう議論があるのでありますけれども、そうしてこれは今回に限らず、ピケツテイングは大体お客さんだとかそれから又使用者もいいかも知れませんけれども、とにかくまあ第三者とかそれから使用者側の人に対しては、それは説得の範囲でも仕方がないかも知れないけれども、スト破り即ちスキヤツプに対しては説得以上の行為に出ていいんじやないか、こういう見解が時々あるのでありまして、これは勿論本当に中立な方々の意見としても時々聞くのであります。それに対して私は、やはりこれはそうじやないのであつて、本来ピケツテイングというものは、例えばアメリカに限りませんけれども日本でもいろんなピケツテイングの定義なんか読んでおりますと、元来はスト破りに対するものがピケツテイングなんでありまして、それに附け加えて一般公衆に対しても使用者を後援しないように誘導するとか何とか、宣伝するとか、そういうことが附け加えられているのでありますけれどもピケツテイング本来としては、それは当然むしろ第一次的にはスト破りということを目標にしたものであるということが本質なんであると思います。そうしまして、結局今までピケツテイングについて長い過程を経て発展して参りました法理論、即ち平和な説得という理論でありますけれども、やはりこれは勿論スト破りに対する理論を念頭に置いて発達して来た理論なんでありまして、今ここにおいて考えを逆にしまして、第三者は平和な説得でもいいけれども、スキヤツプに対してはそれ以上のことができる、こういうふうに議論するのは、やはりちよつとそれは飛躍といいますか、何か混同があるのじやないかと思うのであります。  それから次に、又別の問題ですけれどもピケツテイングというのは、これは順序不動でばらばらに申上げますのですけれども、よく最近のピケツテイングの実情を見てみますと、これは大勢が、例えば入品などに集りまして、そうして外から入ろうとしますと、入ろうとする者に対して、実は私もそのピケツテイングに入ろうとしたことがあるのでありますが、入ろうとしますと、例えば腕力を振うとか、拳骨で殴るとか、そういうことは決してしないのでありまして、ただスクラムを組んで幾ら押してもそれを通さないというだけなのであります。そういうことがピケツテイングの、先ほどの本質としていいかどうか。この点にもピケツテイングの法理論の本質が現われていると思うのでありまして、例えば団結権といいますのは、労働者団結して、そうして皆が団結しているのにお前だけ仲間はずれでそういうことをやるのは怪しからんじやないか、そういう意味の精神的の威圧を加える、これは当然団結権の作用なのであつて、こういう点こそ、むしろ団結権というのは憲法は保障しているのだろうと思います。大勢が集りまして力を行使するということは決して団結権じやない。先ほどの判例の線からいつて許される団結権じやないのであつて、やはりこれはこういう点はいけない、こういうふうに理解している次第であります。ちよつと余分なことを申上げましたけれども……。  それから、その次に又別の問題に移りますと、この通達、こういう通達についてこういう議論をどこかで読んだのでありますが、通達はピケツテイングの限界をとにかくこういうふうにきめているわけなのでありますけれども、それは大体裁判の線に従つていると仮定しても、元来裁判というのは非常に微妙なものであつて、具体的な事件一つによつて違つたことを言つているのだから、それをこういうふうに行政庁が解釈を以て一つの線を出してしまうのは、これは結局決して判例に従うということにもならないし、余りいいことじやないのじやないか、こういう議論をどこかでたしか聞いたのでありますが、併しこれは私は賛成しないのでありまして、なぜかと申しますと、裁判というものは、成るほど具体的な事件において、その具体的な事件のいろいろな事情を勘案しまして、結論というのは常に違つて来る、それは確かなのでありますけれども、ただその裁判をするについての判例の理論とか法理論、これは結論の如何にかかわらず常に一貫した理論に従つて裁判しているのであります。事件によつて理論を異にするということはないのです。ただ具体的な事実の認識だとか、それから又その特別な事情が出て来れば、それによつて前の理論が細かくなるということはあるのでありますけれども一つの一貫した理論だけは常に貫いているのでありまして、その一貫した理論の部分をこういう次官通達のような線にまとめられたとしても、それは決して、そう越権なことではないと思うのであります。  それから、今度又別のことを申上げますと、よくピケツテイングについて、それは組合の自救行為であるとか、緊急避難であるとか、こういう議論があるのであります。で、現実において、裁判所の事件になりますと、たとえこの限界は、一つの線はあつても、自救行為とか、緊急避難にいう点は認めて、裁判は組合のほうを救うのじやないか、従つて通達でこういう線を出すことはよくないのじやないか、こういう考え方、議論を私どつかで読んだのでありますけれども、これは必ずしも私は賛成しないのであります。なぜかと言いますと、それは使用者のとりました争議行為の中に違法な点があつたとしまして、それに対しては、組合としては、何もそれだからといつて違法の争議行為をする必要はないのであつて、そのためには裁判所があるわけでありまして、常に違法な行為というのは裁判所によつて、その救済を求めるというのが現在の法制の建前なんでありまして、従つてむしろその違法行為があるからと言つてピケの限界が拡がるという、これは決して理論的ではないのであります。ただこの点で、非常にその裁判所の仮処分のやり方が実際上余り迅速に救済してくれないという事実論はどうだか知りませんけれども、実際、裁判所が本当に迅速にやつてくれたとしても救済されないという場合は、救済が間に合わない場合は最後には考えられると思いますけれども、その場合には、この通達の最後に少し、むしろ十分に書き過ぎておると思うのですけれども、一番最後の八でございますか、そこでその点は例外だということを書いてあるのでありまして、その点で、必ずしも通達は、そうここまで書いてある以上は、そう不公正じやないと思うのでございます。  それから又、次に別なことを申上げますと、これは通達に限らず、一般に最高裁のとるピケツテイング解釈についての攻撃でもあるわけでありますけれども、これは私、非常に或る意味では尤もだと思うのでありますけれども、とにかくこのピケツテイングについて平和的な説得という線を出してしまうと、事実上日本の現在の状態では、組合というのは労働市場を独占し得ない実情にあるので、ストライキ自体を不可能にしてしまうじやないか、こういう攻撃であります。この点は私は非常に傾聴すべきものだと思うのでありますが、この点については私は次のように考えております。それは実情はその通りであるけれども、もう一つ実情を考えてみなくちやいけない。それはどういうことかというと、日本労働運動というものは、なんといつてもまだ日が浅いとも考えませんけれども、とにかくなにかまだすつきりしない点がありまして、非常に一部に急進的に行動する部分があるのであります。それで折角組合が総評とかなんとかいうふうに大きく団結しますと、前の産別でもそうなんでありますけれども団結しますと、その中に急進的な分子が必ず入つておりまして、そしてその人たちが割にリードするものでありますから、そうなりますと、多くの労働者がだんだんそれについて行けなくなる状態にあるのであります。そういう面から、常に労働運動というのは団結しかかると又分裂してしまう、そういうふうな感じがするのであります。これは非常に遺憾だと思うのでありますけれども、実はもう少し労働運動の方面で進歩して頂きたいと思うのであります。折角労働運動をやるのでしたら、とにかく一番とは申しませんけれども……普通の労働者が入り得る程度の線のところで団結して頂きたい、そうすれば殆んど大部分の労働者を包括する団結ができ得るんじやないか。こういうふうに、私、ちよつと理想論かも知れませんけれども、そういうふうに考えます。その点さえだんだん組合が成長して行つて頂ければ、それによつてやはりこの点に関するピケツテイングに関する議論なんかどうでもいいことになつて来るのでありまして、私は実情論に対してはやはりそういう別の実情論でお答えしたいように感ずる次第であります。  通達の内容につきましてのお答えは大体その程度にしておきまして、あと第二のこういう通達が出されたことがいいかどうか、この点について簡単に申上げておきたいと思います。これは私は法律家なものでございますから、法律的にだけしか申上げません。政治論としては又別だと思うのでありますが、法律論としましては、これは行政庁が争議についての取扱いの基準を出して、それは通達の形で下部の、下部と言いますか、とにかく別の行政庁に対して出されたことは別になんでもないことだと思うのであります。必要があれば出していいのじやないかと思うのでございます。で、又実際現在におきましては最高裁の判例まで出ているのに、かなり行過ぎのピケツテイングが多いのでありまして、行政庁がこれを出さなければならないと考えられたのはそうおかしくはないのじやないか、むしろ当然なんじやないか、こういうふうに考えるのであります。  それから大臣の談話でございますか、これはまあ行政庁の内部の問題じやないので、外部に対する発表なんですから、これはちよつと別問題だと思うのですけれども、まあ内部で通達を出している以上は、その内容を外部に発表したつて、そう大した問題じやないので、むしろ秘密にしておくよりは明瞭でいいということも言えるわけでありまして、それ自体としてはそう大した問題じやないのじやないかと思うのであります。ただこれに対していろいろな攻撃をやはり読みますので、感想程度にお答えさせて頂きたいと思うのでございますが、これは、若し通達が、法律解釈は裁判所がやるのが大原則なのでありますから、行政庁が勝手に裁判所の判例を無視した解釈を出したとすれば、これは或いはちよつと問題じやないかと思うのでありますけれども、先ほど申上げましたように、大体判例の線に従つているということになれば、これは、そうとりたてて何ということもない。尤も、これに対しては、三越判決やなんかのことだと思うのですけれどもピケツテイングの判決はまだ確定の状態に達していないので、それを通達の内容にしたことは、けしからんじやないか、こういうような議論もありますし、それから又判例というのは必らずしもきまつているのじやないので、判例自体が動揺しているのじやないか、こういうような議論もあるのでありますけれども現実に見まして、ピケツテイングに対する判例というのは、先ほど申しましたように、おおよそ現段階においては、殆んど動揺していないと言つてもいいと私は考えます。それから、成るほど三越判決は最高裁でまだ判断を受けておりませんけれども、併し一応下級審の判例でもあるとすれば、それが破られるまではその判例従つておくより仕方がないのでありまして、それが法律秩序を守るゆえんじやないかと思うのであります。又見通しとしましても、先ほどの山田製鋼所とか、朝日新聞の事件に対する最高裁判所の態度から見ますと、三越事件についての下級審の裁決は、私の見るところでは、殆んど上告審で覆える可能性はないのじやないかと思うのであります。行政庁においてそういう見通しにおいてこれを出されたとすればこれもやはり当り前のことなんじやないかと思うのであります。  それから次に又別の攻撃があるのでありますが、この通達によつて行政庁一が立法権や裁判権を侵害しているのだという議論があるのであります。ところが、これもどうも法律家的なことを申上げて申訳ないのですけれども、行政庁がどんなことをしようと、立法権や、裁判権を侵害し得ないのでありまして、行政庁がどういう解釈をとろうと、裁判所は全然独自の判断をして行くのでありまして、又現実にもしている。私は前に裁判所にもいたことがあるのでありますけれども、こういう通達が出たとしても裁判所は決してこういう通達にとらわれるような性格を現在持つていないのであります。或いはむしろ反動的な影響があるのじやないかと思うくらいなのでありまして、こういう行政庁の解釈によつて裁判権は一つも動かされない。この点だけは私はむしろ確信を持つております。それから立法権、これも別にそう効力のない通達を出したところで立法権は何も侵害されないし、若し気に食わなければ別の立法をすれば、いいのでありますから、これも何にも影響されない。この点は問題ないと私は思うのであります。  その次の攻撃としまして、仮りにそれはまあそうとしても、大臣がこういう談話を発表するとか、次官が通達をするということは、事実上労働組合を圧迫することになるじやないか、こういう攻撃に私最近気がついたのであります。併しこの点も、若しこれによつて圧迫される労働組合があるとしましたら、これはむしろされる組合のほうがおかしいのであります。何にも効力のないものを相手にする必要はないのであります。  それからまだ議論がありまして、これによつて警官隊が出動して、そうしてその結果労働運動が弾圧されることになるだろう。ちよつと廻りくどい攻撃でありますけれども、そういう攻撃もありますけれどもこの点も少くとも理論上は無意味なんでありまして、この通牒によつてどういうことを言つているかと言いますと、ピケの限界を越える場合には、労働法一条ですか、あれに違法性阻却の条文がありますけれども、限界を越えたピケツテイングに対してはその違法性が阻却されないというだけの話なんでありまして、阻却されない結果、ピケツテイングとか、そうした争議行為が犯罪として刑法の構成要件に該当しておれば、それは刑事犯として警察出動しなければならないし、出動するのが当り前だということになるのであります。ただその点で、若し警察が誤まつて行動をすれば、それは組合のほうからでも何でも裁判所に持出して行けばいいのでありまして、必ずしも今からこれによつて弾圧されるのだといつて心配されることは要らないと思うのであります。  それからもう一つ、この通牒、通達を出したこと自体が東証ストに対する弾圧ではないかという攻撃があるのでありますが、これは私はこういうふうに考えます。とにかく通達を出そうというように行政庁が考えましたら、これは、いつかは出さなければならないので、出そうとすると何かのきつかけで出すより仕方がない。東証のストの場合に、たまたまそれをきつかけとして出されたに過ぎないと一応言えるのであります。ただ私として、これは法律論を離れまして、政治論として……、これは私は実は全然自信がない。言わないほうがいいでしようけれども、政治論として、東証のストの場合を選ばれたのは、これは偶然だとは思いますけれども、選ばれたのが政治的に妥当であつたかどうかということは、私としてはちよつと疑問に思つております。もう少し直接に国民生活に影響のあるストの場合に出して頂いたほうがよかつた。私の回答は以上でございます。
  34. 栗山良夫

    委員長栗山良夫君) 有難うございました。続きまして早稲田大学教授野村平爾君の御意見をお願いいたします。
  35. 野村平爾

    参考人(野村平爾君) 総括的に私の意見を述べてみたいと思います。ピケツトの正当性の範囲がどういうふうにしてきまるかというような問題は、やはりピケツト、それから争議行為の形態がどんなふうな形のものになつているかという実態的な分析や、又その歴史的な関係というようなものを考えて見る必要がありそうに思うわけです。そういう意味で、先ずピケツトの実態を少し眺めて見たいと思うのでありますが、ピケというのはストライキ争議行為と実は大部分の場合において不可分な関係で現われております。ただ特殊な場合だけに、ピケの必要でないような争議行為というものが見受けられます。例えばストライキ破りというものが全然出て来る可能性がないというような場合とか、又ストライキ破りがあつても、そういうストライキ破りというようなものが、ストライキに対して殆んど致命的な影響を与えていないというふうに考えられるうような場合、こういうような場合には大体争議行為と必ずしも伴つてピケというものが現われないで済む場合があるわけです。そうしてみますと、どうもこのピケツトというのは、実態の上から見てストライキ破りというものと実は不可分な関係に立つているということが一応言えるのじやないかというふうに思うわけであります。そこでストライキ破りというものをどういうふうに処置して行くか、或いはそれをどうしたら減らすことができるかというようなやり方と、このピケツトのやり方というものは、実は相関関係にあるのだというふうに考えることができるのではないだろうかと思うのです。およそ、そういう意味ストライキ破りを減少させて行くというようなことを考えた場合に、例えば国家が直接にこのストライキ破りに対して或る統制を加えるというようなことも考えられるでしよう。或いは組合自体が使用者側との交渉のうちにおいて、あらかじめ協約で以てストライキ破りを禁止しておくというようなやり方も出るかも知れません。それから又組合自体が自分の組織を拡大して行つて、そのことによつてピケを用いなくても差支えないような現実というものを生み出すようなやり方をして行くというようなこともできるのかも知れないのであります。それならば、そういう場合に先ず国家が直接にストライキ破りを禁ずるということは、現在のところ日本ではやつていないわけでありますし、それから協約でこれを禁止するかどうかという問題は、やはりこれはあらかじめ協約ができていない場合には、どうにもしようのない問題になるわけなんです。組合自体がこれにどう対処して行くかということは、実は組織の問題との相関関係であるわけです。前公述者もその問題について触れておられたわけでありますが、そこで組合自体の組織がだんだん強化され拡大されて来るということになりますと、ピケというものも実は余り必要がなくなるし、従つてこの享揮うところのいろいろの問題というようなものも考えられなくてよくなつて来るのだということになりますと、どうしたら組合を強くして行くかという問題をまじめになつて国家は取上げなくてはならないことになるのではないか。勿論組合自身は自分の問題でありますから、国家がどうしようということにかかわりなく、自分自身としてこの問題の解決に尽さなければならないわけでありますけれども、どこの国でも実はそういうような長い歴史の経過を辿つて、そして今日或る程度までこの組織が拡大強化された国々においては、ピケツトというものが非常に緩和された形で、或いは厳しい形でなく行われているというふうに聞いております。英国あたりではピケなんというものは余り激しくないのだということが言われている。そうしてアメリカにおいても曾つては非常に激しかつたが、今は激しくないのだというようなことが言われているわけであります。そうして見ますと、この間に立つては、やはり或る程度大きな眼を持つて労働組合運動の育つこと、その組織の拡大強化されること、これを一つ待つということがやはり非常に大きな立場から考えて必要なんではないだろうかというふうに思うわけであります。そこで国家が幾らかでもこの組織強化ということを助ける手段が国家の側においてあるとするならば、これはやはり不当労働行為制度というものを拡充し、そしてこれを厳格にして行くというような途だけがあるのではないだろうか、積極的にはそういうような途があるのではないだろうか、こういうふうに考えられるわけです。ところが最近のお話を聞いてみますと、むしろ不当労働行為には、もつとこれを緩和して行くという途を一方において考えるということが伝えられておりますが、これは伝えられる程度でありますので、真偽のほどは必らずしも明確ではありませんけれども、そうだとしますと、これは組織を拡大強化して、そうして労働運動発展ということを素直に導いて行く行き方としては、全く逆な行き方になるのではないか、こういうふうに思うわけであります。  そこで、こういうような点について、例えばアメリカの場合を考えてみますと、アメリカでは曾て非常にスト破りというものがひどかつた。従つてこれに対処するところのピケというものも非常に猛烈なピケツトであつた。私たちが幾つか書物その他で見たところでは、銃を持つてピケラインに立つているというような姿のものが曾て見受けられたわけです。日本などは武器も何も持たないで、スクラム一点張りの形をとつておりますが、外国ではそういうようなものが曾てあつたわけです。私は決してそういうものでいいというふうに考えているわけではありませんので、これは望ましくないことであるし、決してあつてはならないことだと思うのでありますけれども、併しながら曾てそういう歴史的な事実があつたということは、これはやはり考えてみる対象になるのではないだろうか。そこで例えばアメリカのラ・フオレツト委員会あたりの報告書なんかを見ますと、曾て一八八〇年代あたりからアメリカではストライキ破り会社というような一種の団体ができておりまして、これがストライキに際しては、スト破りというものを一括して輸送して来る。平生は組合に対するスパイ、そういうようなことを仕事とし、そうしてストライキのときにはそのストライキ用物資と人員とを送り込んで来る、こういうようなことがしばしば行われた。そのために、これに対処するほうも非常に猛烈なピケツトを張るというようなふうにして、アメリカではしばくストライキがとんでもない人命や損傷にまで及ぶような惨害を招いたというような事実もあるようであります。そうであつたのかどうか、その間ははつきりわかりませんが、私は或る程度の関連があると思うのでありますけれども、ワグナー法がストライキ破りを一定の条件の下に不当労働行為として取扱つていたということ、このことは非常に大事なことではなかつたかと思うのであります。特に又このストライキ破りに至らなくても、組合に対する圧迫、組織に対する破壊工作、こういつたようなものの細かなこと、例えば指導者に対する悪口、組合に対する反組合的宣伝、こういうようなものに対してまでも、不当労働行為の責任を問うて行くというようなやり方をしておつたわけであります。又これは一九三六年の法律でありますけれども、例えばストライキ破りを輸送することを禁ずるというような法律が出ております。これによりますと、労働条件に関するストライキに対して雇入れの目的を以てストライキ破りを輸送する、或いはこれを教唆する、こういうような場合には、たしか五千ドル以下の罰金とニカ月以下の体刑或いはその両方が併科される場合と、こういうようなことを規定している法緯もあつたわけであります。そこでこういうような、他面においてストライキ破りに対する国家的な統制を加えながら、他方において裁判所は平和的説得という理論を作り上げて行つておるというように私は考えるのです。平和的説得理論という形でピケが合法だというふうに認められたのは、英国でもそうでありますし、又アメリカでもそうであるわけですが、この平和的説得理論というものが、実はこういうような形で、他面においてはストライキ破りを規制しつつ、一方においてピケツトに平和的説得というような線を出して行つたということに対して、私は非常にこれは合理的な何かやはり納得の行く一つの進み方であつたというように感じているわけです。そこで、この通達を貝ますと、残念ながらそういうようなことが必ずしも明確でありません。勿論ストライキ破りに対しては、不当労働行為に、余りひどいことをすると不当労働行為になるということを述べておる箇所もこの中に見受けられます。それから最後のほうのところでは、或る程度まで使用者側行為というものとの相関関係というものを臭わせる文責も書かれておるわけですが、日本の現状では不当労働行為というものがなかなか認められない。それから認められても、これは別に刑事責任も何も発生するわけではない。そのことは、一方そういうように使用者側に対しては出ておりながら、他面、このピケのやり方、ストライキ破りに対処するピケのやり方というふうな方面についてはかなり厳格な一線をここに明示しておるというように考えられるわけです。そうなると、その一線を仮に踏み越えたというように判断された場合に、組合はどうなるかといいますと、刑事責任を発生し、民事責任を発生し、それから勿論、解雇というようなことにもなるかも知れない。そういつた危険な水準というものが他面において非常に厳しく打立てられ、他面においてストライキ破りに対する規制というものが非常に緩やかであるとするならば、やはり労働運動を育て、そうして組織を拡充して、そのことによつて平和な労働運動を将来に期待するというようなことには到底なりがたいものではないであろうかというような点を私は感ずるわけです。で、更にアメリカあたりでピケは平和的な説得だということを言つておりますけれども、この平和的説得理論というものは、実はアメリカの場合においては、今言つたような形の中でピケをだんだん合法化して来る形の上で現われた理論であるということを一つ御理解願いたいように思うわけであります。曾つてどこの国におきましてもピケツトというものはすべて違法であつたというように考えられていたわけです。これは英国の法律でもアメリカの判例でも、ひとしく皆そうであつたわけでありますが非常に厳格でありました。第一、ストライキそのものさえも最初は違法だというように考えられていたわけです。そこでストライキが合法だということが考え出されたときの理論的な一番最初の構成はどういうような理論構成をとつたかといいますと、ストライキというものは実は労働者団結をして自分たち労働力の売止めをすることなんだ、労働力の売止めをすることなんだという理論に立ちますと、どういう形になるかといいますと、丁度石炭を売りに鉄鋼会社に行つたがその値段が折合わないので、その石炭を売らないで来たと同じような理論で、そのときその石炭屋はその石炭をどうするかということになつて、ほかに売るか或いは自分の倉庫に持つて帰るか、どこかの倉庫に、預けて帰るかというような処置の仕方をするわけです。労働力を売止めるならば、それはみずからやはりほかに行つて売るか或いは自分の家に帰つて休んでおればいいのだという理論構成になりますから、従つてストライキは単に労働力の売止めだという理論で単純に規制したときには、ピケツトというものの合法的な理論がそこからはなかなか生れて来なかつた。そのために、どこでもピケツトは違法だ、違法な行為だとして厳しく取扱つていたように私は理解しておるわけです。ところが現実の問題として、先ほど申しましたように、ピケは必ずストライキと密接な結合をして、不可分の一体としての形で現われて参ります。そこで不可分な一体として、組合側に対して政府が違法だとしても、やはりその合法性、違法性の限界のところに、いつも組合は激突して行くということを、歴史の上で繰返し、そこに幾つかの犠牲を積み重ねるということをやつて参つたのであります。そこで裁判所にしても、この事態を眺めて、ストライキの合法性を認めるならば、やはりピケツトの合法性も認めるより仕方がないのじやないか、こういうふうに考えて来るのは至極当然だと思います。そこでアメリカあたりの場合には、如何にしてこのストライキの合法性を理論付け、且つピケツトの合法性を認めて行くかということについて、大体次のような経路を経たというふうに私は考えているのですが、つまりアメリカの憲法には、ストライキ権というようなもの、或いはそれを含んでいる団体行動権、そういつた規定がないのであります。ありますのは言論や集会の自由、むしろそこで強調されているのは営業の自由であります。従つてそういうようなストライキピケツト・ラインを越えて働いて行く自由というものが、憲法ではむしろ正面から保障されている。そうしてストライキの自由というものが保障されているという形をとつていない。裁判所はそれについて苦心をしたのは何であつたかというと、結局このピケというものは見張りに立つていて相手方説得して、そうしてストライキに参加させないこととするならば、これは一種の言論の自由ではないかということで、言論の自由という憲法規定に即して説得理論というものを組立てたわけであります。そこで説得は勿論、腕力で説得をしたり抑えつけたりするということは、これは適当でないわけでありますから、従つて平和的説得ということになり、そうしてピケつトは平和的説得という形において合法化して行くところに、そういう操作と努力を重ねたのが、アメリカの判例、裁判所の態度ではなかつたかというふうに考えているわけなんです。決して、そのストライキにおいて不可分な形で現れたところのピケツトは、どちらかと言えば、やらせないという趣旨で考えたよりは、むしろこういう形で認識をしてリードして行くという態度に重要性を認めて頂けるのではないだろうかというふうに思うわけであります。この点は英国あたりの場合でも見受けられるわけです。例えば一番最初に団結の自由を認めました一八二四年法が、暴行脅迫というものだけを違法な行為として禁じたわけでありますけれども、併しストライキが非常に勃発をして組織が急激に拡大したために、一部はこれに対する弾圧を企図する考え方が現れた。そこで、この一八二四年の団結法を廃止してしまうというために委員会等を設けたわけですが、それが結果においては廃止することは到底適切でないという結論で若干これを修正して現れたのが二十五年法であります。翌年の法律です。この法律の中に暴行脅迫その他妨害をする行為というような行為の種類が一つ追加された。この妨害という形が非常にその後英国の労働運動を悩ました。これあるがために労働組合はなかなかピケツトを張ることができない。張ればこれは直ぐに違法であるとなつた。何でも妨害という言葉にあてはまるということになつた。併しそれはその後たしか一八五九年の法律で以て、労働者をして職をやめさせたり業に就かせることを妨げるために説得するということは、これは差支えないのだというふうに認めた規定ができたというふうに記憶しております。そういうことで、だんだん平和的説得という理論が、やはり英国のこれは立法の過程の中で出て来た。つまりだんだんやつていけない行為というものを狭い範囲に縮めて行くことによつて、だんだんストライキを守る一定の操作の行える形に進んで来たわけであります、そこで、もう一つ考えて頂きたいことは、英国の場合でもアメリカの場合でも、現在余り猛烈なピケツトがないというふうに言われているわけでありますけれども、これは今言つたように、ストライキ破りというようなものが減少したり、或る程度抑えられたりしているということは関係がある。日本の場合は一体どういうことになつているのだろうかといいますと、その点は、むしろ日本の場合には、これは日本組織関係もあります。大体が企業別組合の形をしかまだとつていない段階でもあるわけですから、従つてストライキをやりますと、外から容易にストライキ破りが入つて来る可能性というものがある。それから先ほども指摘がありましたが、確かに日本組合には、内部的にまだ弱い点を持つている。そのために、内部から崩壊して来るという危険もそれは十分にあるわけであります。そういうようなことで、ストライキ破りというものがしばしば組合員の内部についても起る可能性があるし、それから外からも来る可能性がある。こういう状態とバランスをとるような形において、実はこのピケというものが引かれているわけなんです。で、私はその場合に二つのことが考えられるわけですが、一方においては日本組合運動というものは、自分自身の組織を強化することによつて、そして人をピケツトという形で強制しなくてもいいように持つて行く必要があるということ、これは確かに指摘し得ることであります。ところが、他面においてもう一つ指摘し得ることは、日本でなぜそのようなピケが張られているかという現実を、或る程度まで消化して、その消化した現実の上に立つて法律の態度もやはりきめて行く、一〇〇のうち七〇%、八〇%の人がやつておることについては、大体それと同じような行為をする人は、みずからはこれは正しいのだという意識を持つてつている。みずから正しいのだという意識を持つてつており、それをとめる者が、何が不当だという感じを抱いている、社会的現実というものを無理に法の力において曲げるのじやなくて、これはむしろそういう状態の出て来ないように持つて行くということが、私は政治の妙諦ではないだろうかというふうに感ずるわけなんであります。そこで日本ストライキと関連しまして、この通達を見た場合に、一つ感ずることは、成るほどここに書いてある一つ一つのこと、特に平和的説得とかいうような言葉自体につきましては、私も賛成なので、決して反対なのではありません。併しこの全体の通達に浮んでいることは、あたかも一人々々の労働者が、自由な意思を持つて就業しにやつて来たものを暴力的に押しとめておるという予想で書いておるかのごとく受取れることなんです。ところがストライキ現実というものは、一人々々の労働者が自由な意思を持つてストライキ線に、つまりピケツト・ラインにやつて来るというよりは、むしろ使用者のほうの職制にあるところの人々、利益代表者、こういうような人たちが、そういう人間を集めて、そして行けという形を以てピケラインにやつて来るという場合のほうが圧倒的な形をとつておる。従つてストライキをする側においても、必ずもうそういうことを予想して、初めから戦術的な態度に出てしまつている。つまりストライキ破りという状態というもののあり方についての、それに応じたものを研究しているという、どうも、いたちごつこに似たやり方が見受けられるのであります。そこで、そういう現実であるならば、もう少しストライキ現実に親切な形においてこういうような問題は考えられて然るべきではなかつたろうか。今のように恐らく一人々々の労働者が自由な意思を持つてピケラインにやつて来る場合には、数人の労働者が立つていて、自分たちの利害を説いてやつたならば、恐らく日本労働者といえども大方の労働者は、そこで以てピケラインから帰つて行く、これが普通じやないか。ところがお前、是非とも働けという形で、まとめて持つて来られた場合には、これは一人一人の自由な意思で突破するというのじやなくて、むしろ指揮命令権に従つて突破しているということで、実はこのピケラインに来たときの状態には、自由な説得をするという前提条件がすでに欠けてしまつているのじやないか。私はできるだけこの自由な説得を許す前提条件というものを作ることが必要であつて、まとめてそこに行かせるような状態から、それに反抗してピケツトを生み出させる、こういうふうに指導すべき問題でないように考えるわけであります。これは日本のみならず外国でもそうでありましたがピケラインの突破というときには、多くどちらかといえば、例えば相撲の選手であるとか、拳闘の選手であるとか、或いはこれはそういうことは必ずしもあつたとは言いませんが、一、二そういう例は新聞などで見ておるわけですが、それから又、腕に手拭を巻いたり刺青をした人たちであるとか、そういう人たちが実は先頭になつてつて来る。近江絹糸の場合を見ても、新聞で露骨に書かれていたのはそういう事例でありまますけれども先頭になつてつて来るのは、どちらかというと名付けて暴力団と言われるような態度の人たちである。これがやつて来るということになると、どうしたつて頑固な強固なピケラインを引かなければならんという、こういう状態に達してしまう。で、一体そういうような人々を説得したつて恐らく聞かないでしよう。そこで先ず通したといたします。通つた人が中でどういう仕事をしているかということは、資本本来の目的に副う業務には従わないのであつて、恐らく中にいて何もしていない。或いは場合によつては、私の調査したところでは、中で以て特別な御馳走にあずかつていたという例なども指摘できるわけでありますが、そういうような状態になりますと、一体業務妨害というのは、暴力団が暴力業務妨害するのか或いは真面目に仕事をするのを妨害するのか、どちらかわからなくなるような状態ができて来るのであります。少し言葉の点が私、粗大でありまして工合が悪いと思いますが、いわばそういうふうに感ぜられる点さえもあるような事態ができるのではないだろうか。そういう意味で、私は今度のこの通達はやはりこれは適切でないというふうに感じておりますので、少くとも個々行為を分析して、その行為自体に対して言うならば、まあ大方はそう違つたことは言つておらないということであります。併しながらそれが行われておる現実と比較してみますと必ずしも適切ではないんだということ、そして特にその点については、例えばこれは非常に私は裁判所でもわかつたような物の言い方をする裁判官もあるものだといつて感じておる例があるわけですけれども、北海道の古河の雨龍炭鉱事件で下されました判決などの中に、こういうような言葉があるわけです。「争議行為の態様なるものは、使用者の施す対策との折衝面において、相対的に流動して、これに対応せんとするも一のであるから、その具体的な態様を無視して、常に、固定的に争議行為手段、方法の正当性の範囲を限ろうとする考え方は、往々労働組合の側にのみ不利益を強いる結果となり、労働組合法第一条第一項に明定する斯法の根本理念であり、且つ、基本的な目的である労使対等の立場を失わしめ」云々といつたような表現を使つている箇所がある。これは私は何もこの判決が唯一無上のものだというふうには考えておりませんけれども、たまたま私たちの考えておりました争議行為に対する物の考え方を非常に適切に言い現わしてくれているものとして読み上げたわけであります。それは二十四年の労組法の改正がありました際に、あの第一条二項但書の、如何なる意味でも暴力は正当とは見なされないという、あの規定を作りました際の論争の過程でありますが、その際、亡くなりました末広博士は次のような表現を使われました。「およそそういう問題を考えるに、三つの原則的な考え方があるのだ。その一つは、原則として争議行為というものは正当なんだということ、これが第一の考え方。第二の考え方は、幾ら原則的に正しい行為であるからといつても、そのやり方によつては違法になる場合もあるんだ。例えば暴力を使つてやるというようなことは、これは合法とは言えないんだということ。それではその第二原則でとどまるのかというとそうではない。第三に、そういう暴力のごとき形態が現われたという場合にも、それはたまたまそれを誘発して来るような原因というものが相手方から与えられて出て来るという場合があり得るのだ。この場合は第三原則としてやはり合法性を全面的に判断する場合に取入れなくてはならないのだ。」こういうようなことを言われたわけです。で、争議行為というものは一体そういつたようなことの現われるような総合的な形で出て来るものなので、それを一つ一つ或る一ヵ所だけの行為を抜き上げて考えるべきものではないのだ。こういうふうに言われたわけです。勿論、裁判官の方たちにしましても、例えば正当なる行為、それからそれが権利の濫用その他によつて違法になる場合があるのだということ、或いはそういうふうな形を現わす場合でも、場合によつてはそれに対して正当防衛が認められるときもあろうし、それから緊急避難が認められるときもあろうし、或いは責任阻却が考うられるような事態もあろうし、或いけ単に情状の酌量にだけとどまるようた問題になる場合もあろうし、そうい4段階のあることは御承知だろうと思います。併しこの具体的な問題に当つて、裁判をなさる人たちが考えるそういつた問題を、やはり合法性、違法性を判断する場合には、いつも総合的に心の中に持つて対処するということが非常に大事なことなんです。ところがこの場合の通達を見ましても、たしかこの争議行為は正当なのだ、併しピケツトが違法になる場合があるのだ、その違法になる場合が使用者側の挑発というようなことによつて起る場合があるのだ、併しそうした場合でも、それに対するこの通達の書き方というものは、実は非常にやわらかな表現しか用いておりません。最後のところでありますけれども、「相手方に違反行為があれば如何なる実力的対抗手段をとつても必らず正当化されるというのではなく、相手方の違反行為に対抗するために直接に必要止むを得ないと認められる場合に限られ、且つ、その場合でもその方法、態様において社会通念上妥当とされる最少限度のものでなければならない。特に、暴力の行使又は脅迫等の行為は 如何なる場合においても許されない。」というふうに書かれております。で、或る程度私の言つた考え方はここに表現をしたつもりかも知れません。併しながら全体から考えるというと、これではまだ考え方としては不足なんです。実際の争議というものは、いつもこういう形がむしろ常態なので、こういう形に来ないことのほうがむしろ異例なのでありますから、従つてそういう状態を全体の争議行為の評価の中に、もはや土台として漂わせておいて、その上で合法、違法を考えるということのほうが大切なのではないだろうかというふうに考えるわけであります。  全般的な点として今言つたようなことを申上げましたが、更に理論的な問題として一、二申上げてみたいと思います。  それは、この通達の中に現われているところの考え方は、ピヶというものはこれは組合団結に基くところの統制力なんだ、こういう考え方を基本にして考えているわけです。ところが団結に対する統制力という形だけから出て来るならば、説得を行うのは組合員だけだという理論になりそうであります。ところが読んでみますと、ほかのほうでもみな同じように平和的説得はずつとできることになつているわけです。そうすると、一体この通達の基本的立場というものは何なのだろうかという点で、やや不明確なものをずつと漂わせているわけです。で、どうしてこういう不明確さが出て来るかというと、現実争議行為というものは単に組合員に対する統制だけではないので、組合員以外の者に対しても、ストライキ破りを防ぐために出て来るのだが、議論として組合のものに対する統制力だこいうふうな言い方をするから——その点と、現実を認めて、ストライキ破りでありさえすれば、組合員以外の労働者であつても、組合を脱落したものであつても、或いは第三者を装おつて来た者であつても、やはりこれに対して平和的説得を行わなければならないことは当然になると思うのです。こういう点に不明確さがあるものですから、従つて理論的な根拠を組合に対する統制力という点に置きながら、而もほかの者に対してもひとしく説得ができるのだ、ただ幾分かその説得の強さというものを若干言葉でもつて差別をつけているかのごとく見受けられる点があるわけです。  そこで、それではピケツトというものは、団結に対する統制力の現われであるから、そういうふうな理論付けで行くべきものであるかというと、私はそうは考えておりません。私は、ピヶというものは、先ほどその実態の分析から申しましたように、実態面におきましては、これは確かにストライキ破りに対抗する方法として生れているわけです。併しそれを法律的理論に構成してゆく場合には、一体どう考えたならば一番適切であるかといいますと、これはやはり私は一極の組織強制的な作用、組合の持つている組織強制的な作用である、こういうふうに考えています。御承知の通りすでに日本の労組法第七条でもそういうことを規定しているわけですし、大体世界の労働法理論の上でも、まあ現在のタフト・ハートレー法あたりはちよつと違いますけれども、クローズド・シヨつプやユニオン・シヨツプの効力というものを一般に承認しております。然らばクローズド・シヨツプやユニオン・シヨツプというのはどういうことかというと、自分の組織から脱落した、自分の組織に参加しない者から就労の自由を奪うことなんです。つまりお前は組合を脱退した、組合に参加しない、それならば、この経営から除けてしまえというのが、実はクローズド・シヨツプやユニオン・シヨツプになるわけです。ですから、クローズド・シヨツプやユニオン・シヨツプの効力を認めるということは、人の就労の自由を或る程度強圧してゆくという作用を伴つているわけです。人の就労の自由を強圧することが、なぜそれならば合法だというふうに歴史的に考えられるようになつて来たのかといいますと、つまり労働者の個人的な自由、働く自由というようなものは、単に個々ばらばらの労働者だけであつた場合には決してこれは守られるものではない、これが団結を通してはじめて守られるのだというところに、組合運動というものが起つて来ているわけです。ですから、団結権というものを通してはじめてこの就労の自由というものを守つてゆくのだという考え方に到達したときに、或る程度の組織的な強圧性を、そういう組合を出て行つた者、組合に入らない者に加えることが合法だと考えられるようになつて来たのだと私は思つております。そうでありますと、このピケツトというものも実はそういう関係にあるのだ、組織の可能の対象、つまり組織することのできる対象になるような可能性を持つている人聞というものがピケラインにやつて来る、そういうときに、その足をとめて、そうして説得をするという行為、これは当然その人の個人的な自由をいくらかの意味で妨げている形を出すわけです。併しそういう個人的な自由を妨げていることも、今言つたような意味があれば、つまりクローズド・シヨツプやユニオン・シヨツプの合法性というものが認められるような観点に立つならば、これは甚だしい抑圧でない限りは承認して然るべきだということになるわけです。ですから、ピケツト・ラインというものを固いて、一応その人たちの足をとめるというようなこと自体は、私はクローズド・シヨツプやユニオン・シヨツプの認められる段階では、だんだん認められていいのではないだろうか。少しでも足をとめることそれ自体が人の通行の自由やなんかを妨げたのだ、こういうふうに考えてゆくことは当らないというふうに思つているわけであります。それなら、しまいまで抑え付けてどうしても通さないというような形に行くべきものであつたかというと、そういう形に初めから行くということは現実にはないわけですが、仮に本当の意味で自由な意思に基いて働きたいという者が、どうあつて説得を聞かないという場合であるなら、これは本来なら通すのが建前だと私は考えております。併し先ほど申しましたように決してそういう形では問題が出て来ていないということが残念ながら今のようなスクラム形態というものを発展させている、そこに一つ思いをいたして頂きたいのだというふうに考えております。ですから組織対象になつていない使用者というようなものは、これは私はピケラインでとめるべきだなどとは絶対に考えておりません。勿論言論の自由はあるわけですから、何か申して、そして相手かたの気持に影響を与えようとせる努力は、これは一向差支えないというふうに感じておるわけですが、併しながら使用者が、これは組織対象じやない、ところがまま使用者ピケラインにおいてとめられるという現実があるのは一体どういう場合に起つているだろうかと言いますと、例えば、いつもそうだとは言いませんが、こういう場合があるわけであります。工場の中に一部労働者が初めから残つているというような場合がある、それから争議不参加要員といつたような形で以て初めから工場の中へ残つている者があるというような場合、どうも一定の使用者側の人をそこへ通す、直ちにそういう労働者をつかまえて、そうして今度は代替労務をやらせて行くという傾向がある。そこで何とかしてこの使用者労働力の結び付きを切断したいという意欲がピケラインにおいて足をとめるというようなことをやつている、そういう現実もあるわけであります。私はだからとめることがいいと言つているわけではありませんけれども、そういう現実もあるのだ。そこでむしろそういう場合にあの例の争議不参加要員というようなものを、日本労働組合使用者の間では協約で以て締結しておるわけですけれども争議不参加要員というのは何でもいいから使用者が使つていい要員ではなくて、これはやはり保安のためとか、一定の目的のために労使が協約で以て定めた人員でありますから、それ以外の労務に対して指揮命令をして使うというようなやり方は、これはやるべきでないものだというふうに考えて、むしろそういうことが避けられるならば、自然使用者の入門といつたようなことは私はもう問題なく通過させて行くような慣行というものを育てることができるのではないだろうかというふうに考えております。  大体理論的な構成としては私はこういうふうに考えておるわけですが、更にもう一つ申添えておくべきことは、純然たる第三者ピケラインを本当に自己の所用のために通過するなんという場合は実はそれほど起つていないということ、普通争議が例えば或るテンポにおいて行われている場合、それは第三者は入りたいかも知れない、併しピケが普通いただけでも入らずに済んでしまうという場合がかなりあると思います。外国なんかのストライキの現状を私幾つか見ましたけれども、やはりピヶが立つている所には一般の人が余り入つて行かない。これは非常にいい訓練だと思うのであります。つまりストライキをやつているものに対して成るべくそういうことにタツチしない、中立の立場を守ろうということからそれを避けて行くわけであります。大体そういう慣行が育つことが私は結構だと思うのであります。併したつて行きたい第三者が、本当の意味第三者があつたら、これは通過さすべきだと思うのであります。併し多くの場合第三者を装つてつて来て、中に来て代替労務をやるという問題が起るわけですから、そこで首実験というようなことをやり出すということになつて来るのではないだろうかと思うのであります。それもまだ全体としての争議に対する一般的な考え方が成熟していない日本の現状のために今言つたような問題が起つて来ているので、いずれにしましても私はやはり長い眼で以てこの労働運動を育てて行くという観点でこの問題を処理して行くことが大切なのではないだろうか。ところが残念ながら今度の通達はそういうような意味を持たない。先ほどもお話がありましたが、成るほどこれが出たからと言つて、裁判所はこれに拘束はされませんし、それからこれによつて立法府ももとより拘束されるわけではありませんし、労働組合もこんなものに拘束される必要はないという議論にもなるわけでありますから、そうなつて見ると、一体誰を拘束するためにこれを出したのかという問題が改めて考えられなければならないことになるわけですが、その場合にこれは下級の行政官、その本来の所属の管轄下にあるところの行政官に対するものだといたしますと、これは余分な考え方か知れませんが、こういう通達が出て、この通達を振りかざして教育をやつたら、恐らく労働者に対する教育は私は意味をなくしてしまう、反抗だけを煽つてしまうことになるのじやないか。だから真正な意味で、労働教育的な意味で各行政官にこういうような指令を出したとするならば、恐らくもらつた行政官も困るだろうし、これによつて教育されようとする労働者も徒らに反抗をするというようなことであつて、決して意味がなくなつてしまう。そうすると一体司法的にも行政的にも、又立法的にも意味のないようなふうな結果に陥るようなものであつたとするなら、これはやはり出さなかつたにしくはない、こういうふうに考える。そういう意味において私は妥当ではないものだというふうに考えておる次第であります。  非常に大まかな議論でありまして、或いは私に期待されましたことは細かな議論であつたかと思いますけれども、私はこれは紬かな法律論よりも実はそういう点が非常に重要な問題であるかのごとく考えましたので、少し道を外れたかも知れませんが、私の感想を述べさして頂いたわけであります。
  36. 栗山良夫

    委員長栗山良夫君) 有難うございました。お三人の参考人のかたぞれに一括いたしまして順次御質疑を願いたいと思います。
  37. 藤田進

    ○藤田進君 松崎参考人にお伺いいたしたいのですが、この通達の中に(2)として「ピケ破り等」というところがあります。お手許にありましたらちよつと御覧頂きたいと思います。そこを見ますと、「ピケツトに対して暴力を振い、或いは平和的説得をするものを実力をもつて排除し、ピケラインを突破する如きは、固より正当でない。特に使用者において暴力団等を使つてピケ破りを行う如き行為は論外である。」こういうふうになつておりますが、松崎さんもこれは肯定せられるのだろうと先ほど来の御主張から思うのでありますが、このことは勿論言い換えれば違法ということになるのか、お伺いいたしたいと思います。
  38. 松崎正躬

    参考人(松崎正躬君) 使用者暴力団を使用いたしましてピケラインを突破する行為は私もこれは好ましい行為ではないということは先ほど申上げた通りでございます。ただ問題は暴力団ということでございますが、ピケラインにおいて直接使用者側の就労希望者が実力をピケライン張つておる者に対して行いますならば、これは場合によりましてはやはり刑法上の暴行罪その他の犯罪を構成する場合もあり得ると考えます。従つてそれに対してピケライン張つておる者が正当防衛をなし得る権利も当然又認められなければならない、こういうふうに考えます。  ただ先ほど来野村先生の非常に立派な御見解がございましたが、それに関連いたしまして、これは多少水掛論になろうかとも考えまするが、ピケラインが詐常に強化されて縦深の深いピケが布かれることは、使用者のほうがこうした泰力岡的な者を使用したり、或いは使用者の職制の地位にある者の指揮命令の下に就労希望者が集団的にピケラインを突破するからこういうことになるのである。こういうような御見解があつたように伺つたのでございますが、成るほどそういう場合も私は存在するということは承認いたすのでございますけれども、他面において現在の非常に深い幾層にも亘つたピケラインというものは、当然初めから説得の目的のためのピケラインではなくして、就業を阻止するためのピケラインとしてこれが設定されている場合が少くないのでありまして、こういう場合には勢い使用者のほうといたしましても、個別的な就業ということは当然期待できない。そういうことから集団的な形で就業を強行するという事態も発生いたすのでございまして、いわゆる責任がいずれにあるかということについては水掛論になろりかと考えますけれども争議の実情においては必ずしも一方的な現象だけがあるというふうには私は解していないのであります。でございますから、そういうような深いピケライン張つて、当初から入門を拒否する態勢を示すということは、私はピケとしては行過ぎである。併しそのピケライン暴力団を使つて突破するというような行き方はこれは勿論正当な行為ではない、こういう考えであります。
  39. 藤田進

    ○藤田進君 そういたしますと重ねてお伺いいたしますが、ピケラインがあり、且つ平和的説得をしようとするもの或いはなしつつあるもの、これらを排除して、打破つて、実力で突破するということはよくないということであれば、特定な団体なり或いは人でなく、これはどういう人であつてもそれは違法であり、そういう行為があれば、暴力的な行為で突破するということであれば、これは今例示されたもの以外のどんなものでも違法だと解されるわけですか。その点、特に先ほどお答え頂いた点ではこういう場合にはどいうことがございましたが、その点若干説明を頂きたいのであります。
  40. 松崎正躬

    参考人(松崎正躬君) 御質問の趣旨は、如何なる場合でも正当でないというふうに……。
  41. 藤田進

    ○藤田進君 そう私は思うのですが、そうでないという理由ですね。私はそう思いますが、先ほどのお答えでは、こういう場合にはという一つのケースを示されて言われたと思うのですが。
  42. 松崎正躬

    参考人(松崎正躬君) つまり非常に初めから就業を拒否するようなピケラインは、場合によれば業務妨害罪を構成するということが考えられると思うのです。併し使用者側がそういうものを暴力を以て突破しようとする行為はこれは妥当ではない。併しながらその深い、使用者側の就業を拒否いたしまして、業務妨害罪が構成されるというような事態におきましては、これは場合によれば業務妨害罪の現行犯として警察出動を来たすというようなこともこれは考えられることでありまして、争議警察官介入するということは好ましいことではないと思いますが、そういうような初めから就業を否定するピケラインというものの存在は、却つて警察権の介入を促す結果になる可能性があるので、そういうことはやはり避くべきではないか、こういうふうに考えております。
  43. 藤田進

    ○藤田進君 その点ではなくて、業務妨害罪を構成すると判断して、使用者側において強行突破をするという事例が、近江絹糸の場合でも最近ございました。そういうことは違法だということだと思うのですが、その点を、やはりたとえ相手が、この通達の流れておるものを見ましても、相手が違法だからこつちも違法で応えようということで、使用者側暴力で以てこれを突破することはいけないのだ、正当でないとここに書いてあるのですが、そのことはやはり違法なんだと思うのですが、而もどういう暴力団であろうが、会社の社長さんが直接おやりになろうが、それは誰だつて同じことだと思うのですが、お答えでは特定のものを指して、その場合には違法だとおつしやつたものですから、それが全部でない理由を一つ……。
  44. 松崎正躬

    参考人(松崎正躬君) お答えになるかどうかわかりませんが、具体的な事件におきまして、果してそのときに行われた暴行がいずれの側から行われたものであるかということはなかなか機微な問題でございまして、個別的にこれは検討を要する問題でございますが、使用者の側からそういう暴行が行われたといたしますならば、行なつた者が何人であろうとも、それはやはり正当でない行為だということは、これは言えると考えます。
  45. 藤田進

    ○藤田進君 この間から正当だ、不当だ、或いは違法だとか、いろいろ用語が、この中でもばらばらになつております点が議論になつているわけですが、今おつしやつた正当でないということがやはり即違法だ、不当だ、という意味に取れるのだろうか、どうであろうか、そのお考えを伺いたいのです。
  46. 松崎正躬

    参考人(松崎正躬君) 結局先ほども話がございました通りに、それが刑法上の構成要件に該当するような行為に当りますならば、当然犯罪を構成いたすわけでございます。それから民事上の違法行為に該当する行為であれば損害賠償対象になる。そういう点で、ただ正当でないとか、違法であるということだけでは厳密に具体的な法律効果が発生するかどうかは、これは限定できないのであります。それぞれの他の構成要件に同時に該当する場合は、犯罪を構成したり、違法行為になる、こういうふうに考えます。
  47. 藤田進

    ○藤田進君 それからこの最後に「暴力の行使又は脅迫等の行為は、如何なる場合においても許されない。」、これは御承知のように、八番目の相手方の違法行為に対抗する行為になつているわけですが、先ほど質問をいたしましたピケ破りの場合に、暴力を以て突破するという事例があり得ることを予想して書いてあるわけですが、そういう場合はやはり正当防衛とかいつたようなことで、それに対抗する相当なやはり行為が許されるのではないだろうかと思いますが、御賛成しておられますこの通達によりますと、如何なる場合においても許されないということですが、それが而も対抗手段としてでも、そういう点が労働運動或いはピケの場合に限つて正当防衛ですね、刑法三十六条、七条でございましたか、ああいつたところが適用されないという論理はどういうふうになつているのか、お考えを伺いたいのでございます。
  48. 松崎正躬

    参考人(松崎正躬君) 私はやはり組合法一条にございます規定は、刑法上の正当防衛なり緊急避難自体を否定する趣旨のものではない、こう考えますので、その事態が刑法なり或いは民法に規定いたしております正当防衛の要件に該当いたしますならば、仮にその行為が本来罪に形式的には該当するものであつて違法性が阻却されたり、或いは責任性が阻却されたりすることがあり得ると考えます。  ただ問題は、ピケの場合を想定いたしますと、ピケは本来正当な争議行為であるという立場から、その合法性を真正面から押し拡げて行く立場と、一応正面の入口は狭くしておきながら、裏面において正当防衛なり緊急避難、自救行為等の法技術を援用いたしまして、結果的にピケの合法性の範囲を拡大するやり方と二つある、こう考えるのでございます。こうした集団的な現象に緊急避難なり正当防衛等の行為を適用いたします場合には相当慎重にこれをやらなければならないのではないか例えばその必要性なり或いは法益の均衡であるとか、補充性の問題等が余りにルーズに解釈されますると、その面から法秩序というものが乱れて来る可能性がございますので、これらの法理を群衆的な現象、団体現象に適用する場合においては相当特殊な配慮が必要ではないか、こういうふうに考えております。
  49. 藤田進

    ○藤田進君 そういたしますと、この書かれております如何なる場合においても許されないということは、団体行動であるから、このピケの場合に相手方の違法な行為に対してでも対抗手段が、暴力とか、正当防衛といいますか、そういつたことも許されないから、従つて如何なる場合でもだめなんだというふうに書いてあると、こう解してよろしうございますか。
  50. 松崎正躬

    参考人(松崎正躬君) 私は如何なる……、これは八のほうまだ実は詳細に精読しておりませんので或いは通牒の趣旨を誤解しているかも存じませんが、対抗的手段を講ずることは正当化される場合があるというような趣旨のことを書いておるところを見ますると、正当防衛或いは緊急避難等のことまで否定する趣旨ではないのではないかと、こういうふうに考えます。
  51. 藤田進

    ○藤田進君 それでは参考人としてはそれは否定する趣旨でないと思つて御賛成になつているわけでございますか。
  52. 松崎正躬

    参考人(松崎正躬君) そうでございます。
  53. 吉田法晴

    吉田法晴君 先ほど藤田委員からお尋ねをいたしましたピケとそれから業務妨害という点が通牒でも大変問題のところだろうと思います。先ず通牒でどういう工合に考えておると理解せられておりまするか、その点を伺いたいと思うのでありますが、松崎さんに続いて関連いたしますからお尋ねいたします。  通牒を私どももまあ何度か読んだのでありますが、そのままでは読みにくいので、分けて理解しようといたしました。そうすると、使用者又は利益代表に対しては通牒では何も許していない。自由に出入りすることを認めておるようであります。正当な業務のための出入を妨害してはならん、こういうことが書いてあるだけです。それから第三者に対しては理解と協力を穏和に要請し得る。出入や正当な業務妨害は許されない。それから組合員以外の労働者に対しては理解と協力を要請し得る、これは穏和は入つておりませんが、まあ逆に解釈すると穏和でなくてもよろしい、こういう第三者よりかは強い要請を許しておる。談話、それから通牒に正当なという言葉があるのとないのとありますが、組合員以外の労働者に対しては就業妨害は許されない。その次の代替要員、まあ我々はこれをスキヤツブとも言いますが、これには就業阻止のための説得が自由である、そして暴行、脅迫その他不法な実力を以てする阻止及び就業妨害が許されない、こう番いてあります。それから争議中に組合を脱退した従業員に対しては説得に極力努力することが当然だ、半面、説得に応じなければならんと申しますか、耳をかさず一挙にピケラインを突破してはいかん、こういうふうに書いてあります。許されない行動として暴行、脅迫その他不法な実力行使によつてピケ云々と書いて、これとそれから組合員争議中脱退した組合員、まあ組合員でなくなつている従業員であります、それと組合員に対しては就労妨害をしてはいかん、こういうことが書いてないのであります。そこで先ほど松崎参考人は、いずれに対しても就労を結局妨害するということは許されないようにお話しになつたように思うのであります。そこでさつと読みますと、松崎さんの言われるように他人の自由権或いは財産権等を尊重しなきやならん、使用者はストが行われる場合にこれにスキヤツブを雇い入れて業務を続けようとするのは自由だ、従つてストを実際的に切りますことも自由だ、ピケ張つておる場合にピヶを破つて就業しようとするのも自由だと、こういうことにだんだん論理的に押し進めて参ると、松崎さんのお考えからすればなりそうに思うのであります。そこで通牒を読んで、通牒に書いてありますことは、これはまあ松崎さんの考え方であります。通牒に書いておるのはどういうことになるか、或いは労働省はどう考えておると思われるのか、その点はやや松崎さんの御見解通牒よりももつと広くなつていて、団結権或いは団体行動権についても自由に破ることができる、ただ労働者のほうにしても破られる自由だけがあるような感じがするのですがその感じはとにかくとして、通牒をどういう工合に考えておられますか、その点をちよつとお伺いしたいと思います。
  54. 松崎正躬

    参考人(松崎正躬君) 就業の阻止の問題でございますが、先ほども申し上げました通り、私は出入を絶対的に阻止することはその対象の如何にかかわらず不当であるという見解をとつているわけでございまして、この通牒が、争議中に組合を脱退した従業員に対するものとか、或いは組合員に対するものについて、就業を絶対的に阻止することまで許されるのか許されないのか、その点については明確に表現されていないように感じているわけでございます。併し私の見解は、先ほど申し上げました通り、これらのものに対しましてももちろん、スクラムを組んでその場所にこれを停止せしめ、就労すべからざることを説得勧誘することは、これは実力の行使として許されるけれども、どうしても行くんだという者に対してはこれはやはりスクラムを解かなければならないと、こういう見解でございます。
  55. 吉田法晴

    吉田法晴君 そうしますと、先ほど松崎参考人のお言葉によりますと、縦深が深くて破ることができない、そういうものは初めから就労を阻止する目的だから、これを破るのは極めて困難だ。そして結果から見てピケラインを突破して就労することができなかつたとするならば、或いはできないと判断するような状況ならば、それは業務妨害であるし、ピケとしては許されない、従つて業務妨害罪で成立する、かように考えられるわけでありますか。
  56. 松崎正躬

    参考人(松崎正躬君) すべての縦深の深いピケがそうであるとは申せないのでありまして、何層にも亘るピケでございましても、結果的にそのピケラインを解いて所要の人を出入を許す場合は、これはもちろん差支はないわけでございますが、初めから、就業を絶対に阻止するという意思を持つて、事実上暴力によらざればピケラインを突破し得ない状態のピケラインが設定されておる場合は業務妨害罪を構成する可能性が強い、こういうことを申上げたのであります。
  57. 吉田法晴

    吉田法晴君 それじやもう一つ実例について伺いますが、私どもは実例について考えますと、ピケが張られる、これは主として争議破りを阻止するためにできておると思つておりますが、実例について申上げますと、暴力団が入りました実例で判例に出ておりますのは嘉穂炭鉱の事件、あの場合に橋の上にピケが張られておつた。判例によりましても、その前に職員なり或いは一部坑員が入坑したということが認められておる。ところが問題になりました行為の際には、判例によりましても、写真によつて判断するのに、職員なり或いは従業員でないと考えられるような者がピケラインの中に操み合つておる、こういう点がある。そしてあのピケラインの操み合い、その中で一人溝に落ち込んだというのがございます。それについても責任を追及するかどうかという点が、判断がありますが、この方向はよくわからんのですが、南から北、或いは北から南ということがよく言われておりますが、就業しようとする目的からいうならば、言い換えれば坑口に向つてでなくして、反対にこういう職員らしくない人が来たと、そこで本当の就労の目的があつたかどうか、これは積極的に解しがたいということで、あの場合に採み合つて、これは或いは殴り合いがあつたかも知れません。そこのところは判例でははつきりわかりませんが、溝に落ちて多少けがしたのだろうと思いますが、落ちた云々ということが出ております。これについて判例は、あれは福岡地方裁判所であつたと思うのですが、これについてピケ正当性を認め、或いは溝に落ちた云々について責任を追及するわけには行かんだろう、こういう判断をいたしておつたと思うのです。まああれはピケ破りの方向が作業場と逆であるという点がございますから、他の場合に一様に言えないかも知れませんが、併しスト破りのかたで従業員でない者が、いわゆる組合員以外の労働者であることは間違いありませんが、方向の点を除きますと、大体ほかの場合にもある実例だと思うのであります。あの場合に結局ピケは破られないで押し返えされた。そうすると参考人意見によると、就労しようとして、あの場合には就労の意思があつたかなかつたか、なかなかわかりにくいのですが、裁判所はなかつたと判断しておる。あつた場合には、組合員以外の労働者にしても、ピケラインを突破しようとした、それを阻止した、こういうことになると業務妨害ということになる。こういうことになるんだろうと思うのでありますが、如何でありましようか。
  58. 松崎正躬

    参考人(松崎正躬君) 第三者が真に就労の意思なくしてピケラインを突破しようとするのを押し返したということが業務妨害罪になるかどうかということは、一体その第三者がどういう目的でピケラインを突破しようとしたのか、それがいわゆる法定上の正常な業務に該当するものなりや否やという点と関連して判断せられるべき問題であると考えますが、就務の意思がなくして、いわゆるこの暴力団の一人としてピケラインを突破する、こういうような場合は、これは正当な業務と考えることはできないかと考えますので、業務妨害罪の成立はないと、こう考えられる場合があると考えます。
  59. 吉田法晴

    吉田法晴君 お尋ねしているのは、嘉穂炭鉱の場合はそれは、ちよつと方向が違つて就労の意思がなかつたと言われますけれども、これはその要素は御質問の場合除かなければならんかと思います。就労の意思があつてこの組合員以外の労働者が入ろうとした、それをとめた、突破できなかつた。こういうことになりますと、これは先ほどのお話で言うと業務妨害、こういうことになる、こういうことでございますね
  60. 松崎正躬

    参考人(松崎正躬君) はあ。
  61. 吉田法晴

    吉田法晴君 私は判例を全部詳細に亘つて余すところはないというわけには参りませんが、柳川さんの判例労働法研究などに出ておりますピケラインに関連して責任ありとせられた分は、お話のように大体刑法上の構成要件に該当するものとして責任を問われたのが割合多いと思います。初期の段階においては大体そうであつたと思うのであります。最近になりまして、ああいう従来の刑法の構成要件に該当するものとして処罰され、誰が見ても明らかに暴行或いは脅迫だというのじやなくて、今の業務妨害になるかならんか、そこに警察が入つて業務妨害だから実力でそのピケを突破する。それからそのあとピケ張つておつた者を業務妨害罪で、これは威力が付くか付かんかわからないが、大部分は付いているようですが、業務妨害罪として調べている、こういう例が多いようです。従つて業務妨害になるかならんかということは大変むずかしい問題だと思うのでありますが、私は通牒参考人のようなところまでまだ行つていないのじやないかと、こう思うのですが、結果から見ても破られなかつた、或いはそのとき見て縦深が深くて破れなさそうなピケであるならばこれは業務妨害だと、或いは業務妨害罪に該当するということになると、殆んどのピケ業務妨害になる。ピケ張つている意味がなくなつてしまう。通牒もそこまでは考えておらんけれども、さような印象を参考人のように与えようとするところに通牒の狙いがあるのじやないかと実は思いますが、そうすると労働者或いは組合が、どうしたらそれじや争議を守られるか、或いはピケを張ることができるか、何も残つておらんところができるように思うのでありますが、最近の事例で適当な事例がございませんが、日鋼室蘭の場合はこれは入つている。東証の場合には排除いたしましたが、結局中に入つて場立ちができなかつた。東証の場合はあとピケラインに立つていた者を引張つて調べておりますが、これも業務妨害だと思うのですが、併し業務妨害をしたかしないか、警察が一応出したが、結局場立ちができなかつた。そうすると仮にあなたのように考えられても、業務妨害という実際のあれがピケの故にできなかつたかどうか、これは大変疑問だと思うのです。前段はスト或いはピケを破られるだけの自由だけしかないじやないか、通牒参考人のように考えられるならば……、これに対してどうお考えになりますか。それから東証の場合等について具体的にどういうように考えられますか。
  62. 松崎正躬

    参考人(松崎正躬君) 東証の争議の場合、私実際に見聞いたしておりませんので、それをどういうふうに判断するのが妥当であるか、御即答いたすわけには参らないのでございますが、先ほど私申上げましたことに若干言葉が足りないので、或いは誤解がおありになつたのではないかと考えますが、このピケラインが事実上突破できないところの深いピケラインを設定したならば、それ自体直ちに威力業務妨害罪に該当する、こうお考えになつたかも存じませんが、勿論それが業務妨害罪に該当するためには、就労希望者がピケラインに参りまして、就労の意思を明確にしたにもかかわらず、その就業が阻止された。或いは使用者の通行が阻止されたとかいう具体的事実がなければならないわけでございます。それからこれは刑法上当然なことでございますが、就労希望者が就労できなかつたという事実はピケラインを布いたということとの間に因果関係がなければならないことはこれは当然なことでございまして、如何なる事実によつてその因果関係を判断するかということはこれはもつぱら事実問題であると考えますが、ただそういうような深いピケラインの設定と、それから当初からもう誰も入れないんだと、例えば使用者を入れるという先ほどちよつとお話もございましたけれども、使用著の出入を阻止するということは本来ピケラインの目的を逸脱したものであろうと考えるのでありまして、これに対してデモをかける、団体的示威を示して気勢を上げるという点においてはこれはスクラムを組むことも或る程度許されましようが、併しその通行を阻止することはこれは本来許されないわけでございます。ところがそういう使用者に対する交通すら阻止するような態様においてピケラインが布かれているというような場合においては、そのピケラインの設定と当事者が就業できなかつたという事実との間に因果関係が推定される可能性が非常に強いだろう、こういうふうに考えているわけでございます。
  63. 吉田法晴

    吉田法晴君 具体的な例を引きましたが、東証の場合についてはよく知らんからというようなお話であります。今の結果、就労ができなかつた云々という点で、先ほどまあ東証の例を引いたわけです。警察が入つてピケを排除した、これは実力行使したというのですから結局そうでしよう。これは場立ちができなかつた。これはどうしてやらなかつたか知りませんけれども、実際上できなかつた。時間が遅かつた関係もあるかも知れません。場立ちはできなかつた。併しピケは除かれた。併しあと業務妨害云々ということで調べられた。まあ東証の場合を例に引きましたから一つの例としてまあ知つて頂きたいと思います。そうすると私どもとしても納得のできんことが起つて来るわけですね。それから結果から責任を問うということ、これは刑事責任の場合の普通の場合であります。そうでない場合にもよく業務妨害、或いは威力がなくても業務妨害なりとしてやるという事例が実際出ておる。それであなたの御議論を極端に進めて行きますと、そうではない、そうは思つておらんという今お話ですけれども、態様が使用者をも入れないという態様ならばということですが、これは東証の場合にも銀行の、或いは中におります者の一部分は入れておるようでありますから、この場合に余りなかつたと思います。その他の場合にもおおむねないようであります。態様だけを見て重心が深いからということだけであつて、結果はなくて、場立ちができなかつた或いは就労ができなかつたという、こういう結果だけでなくて、態様だけから実際に業務妨害があるとして判断をしているのは、警察が、この頃東証だとか日鋼だとか、個個に出ます判断だと思うのです。刑事責任の問題もありますが、警察なら警察行動の場合にも実際あつて、そうすると結果から判断するのでなくて態様だけから判断すると、こういうことになりますと、あなたのあれからいつても少し間違つたといいますか、或いは行き過ぎの警察行動が出たり、或いは刑事責任を追及しますにも行き過ぎができるのではないか、できているのではないかというふうに考えるわけですが、その点はどういう工合に考えられますか。
  64. 松崎正躬

    参考人(松崎正躬君) 結果の発生が必要であるかどうかということは、結局未遂も罰せられるかどうかというような問題と絡んで来ると考えますが、要するに業務妨害行為というものがやはりあることは必要なんてございまして、ただ縦深が深いということだけで直ちに業務妨害罪が成立するとは私も申していないのでありまして、そういう場合は特にそれによつて就業させないという意思が具体的に示されていると見られる場合が非常に多い。そうしてそのことが就業できなかつたということとの間に因果関係の成立を推定させる可能性が非常に強いと、こういう意味を申上げておるわけでございまして、果して業務妨害罪が成立するや否や、或いは犯罪の成立があつて警察権なり検察権の発動が妥当であるかどうかということは、それぞれその時に当つて個別的に判断せらるべき問題と考えます。
  65. 田畑金光

    ○田畑金光君 中島参考人にお伺いしたいのでありますが、通達の可否についてという段階で、先ほど野村教授からも指摘されたわけでありますが、まあ裁判上は勿論、こういう行政解釈等には何らとらわれない、もうそれはその通りだと思います。立法府としては、若しこういうことが悪ければ、新らしい法律を作つてそれを改正すればよろしいじやないか、こういうようなお話であります。併し今日の三権分立と申しましても、御承知のように議院内閣制でありまするし、行政府がこういう解釈を出すということは、当然立法府における政治勢力を背景として密接な関係があるわけであります。むしろ場合によつては、立法府における法律として制定することが輿論の反撃を受けるというような立場から、行政解釈としてやる場合も多々あるわけであります。そういうことを考えて参りましたときに、こういうような行政解釈というものが行き過ぎであり不当であるとするならば、立法府において新らしい立法を通じて改めればよろしいじやないかと、こういうようなことも、我我現実から見た場合、非常に遊離した態度ではないかとこう思うわけであります。  更に私たちとしまして奇異に感じましたことは、如何に行政府がこういう解釈を下しても、労働組合としては何らとらわれる必要はない、こういうようなお話があつたわけであります。ところが次官通牒の趣旨そのものは御承知のように労使の健全な慣行を示す、基準を示す、こういうことでこの通牒を出したものであるとこう示されておるわけであります。そういたしますると、この通牒を出したということは当然の立場であると支持されました中島参考人の御意見と、行政府の狙つたそもそもの趣旨とは全く違つておるわけでありまして、お話のようでありますると、この通牒が何のために出されたのか、非常に解釈に苦しむわけであります。野村教授の指摘されたように、これは単に下部行政機関に対する教育の基準としての役割しかないのかどうか、この点一つ意見承わりたいと思います。
  66. 中島一郎

    参考人(中島一郎君) お答え申上げます。結局第一点としての御質問の点は、輿論と立法府の現実の構成と別になつているから、その点で先ほど私が言つたのは不合理な結果を生ずるのじやないかという御趣旨だと思います。これは私は飽くまで法律論で申上げておるのでありまして、立法府というのはやはり結局法の建前からは飽くまで輿論を反映しておるべきものなんです。少くとも選挙は必ず行われることになつていますから、だんだんその輿論と、一時は食い違う場合も出て来るかも知れませんけれども、その場合には次の選挙の機会に是正されるはずなんです。そういうことはやはり言えないのじやないかと思います。  それから第二の点は、通達の意図として言つておることと私の申上げたことが食い違つておるということでありますけれども、或いはその点は幾らか食い違いがあるのじやないかと私もそう思います。必ずしもそれだからと言つてこれはいけないのだとまで言えないということを私の立場として申上げておるだけなんであります。
  67. 田畑金光

    ○田畑金光君 私の最初にお尋ねいたしましたことは、輿論と立法府の遊離という点に重点を置いてお尋ねしたわけではないのであります。むしろ私の言いたいことは、今日の三権分立の政治機構の中において行政府のこういう解釈というものは、立法府の政治分野というものと非常に密接につながつておるということであります。むしろ法の形式を以てやるということになりますると、いろいろと輿論の批判が出て来るわけであります。これは労働立法の改正等の場合に常に見られたことでありまして、従つて政府としても法律という形で表向き輿論を相手にするということをできるだけ避けて、行政解釈によつてできるだけ法の運用というものを政府の解釈の方向に、政府の考えておる政策の方向に向けて行こうとするのはいつもあり得るということであります。そういうことを考えましたときに、この行政解釈というものは或る意味においては法律に代る強い規制というものをば政府は要求して行こうとする。意図し、今もしているものであろうと見られるわけであります。そういうことを考えてみましたときに私はお尋ねしたいことは、そういう意図に基いて要するに労使関係に対しまして一つのルール、基準を示そうという意図の下にこの通牒は出したと言いますけれども、突きつめて言うと、労働組合に対する或いは労働運動に対する一つの大きな枠をこれが与えておることになつておるわけであります。そういう点を私考えてみましたときに、先ほどの中島さんのお話は、労働組合もこれに捉われる必要はないのだ、こういうことになつて参りますると、一体中島さんがこういう通牒も結構だ、出すことも時宜に適つておるというようなことは、一体どういう意味で時宜に適つておるのか、この通牒の役割があるのが、価値があるのか、対象はどこに向けられておるのか、この点をお尋ねしているわけであります。
  68. 中島一郎

    参考人(中島一郎君) 結局最初の点は、問の中でお答えになりましたように、この通達によつては法の解釈は何ら曲らない、それで又、それは通達の効力として曲らないし、又内容としても、大体判例通り判例の線で行つているので、そういう意味からもそう食下い違つて来ない、そういうふうに申上げたわけでありますけれども、その次に時期に適つているとまで私は申上げたつもりはないのでありまして、そういうふうに取られましたらば間違いで、ただ立法府が現在ここのところで出さなければならないと判断して出されたとすれば、これも一応了解できるという趣旨なんであります。それだけでありまして、私として全面的に賛成しているわけじやないのであります。
  69. 田畑金光

    ○田畑金光君 そういたしますと中島さんのお話は、全面的に通牒に賛或ではないが、何となく、まあ今の客観的な情勢からいうとこういう通牒も出さないよりは出したほうがましだぐらいの意味で先ほどのお話は承わつてよろしうございますか。
  70. 中島一郎

    参考人(中島一郎君) この通達を出すことがましだとか何とか、そういう判断を私はしているのじやありませんのでして、要するに通達が出されてしまつたあとの批判としまして、これが出されたことがそう攻撃するほどのことはないということを申上げているだけなんであります。政府としてこの独自の判断に基いてこれを必要として出されたとすれば、それを攻撃するほどのことはないのだということを申上げているだけであります。
  71. 田畑金光

    ○田畑金光君 大体わかつたような感じもいたしますが、(笑声)先ほどのお話の中で、若しこの通牒が出されたことによつて警察権力介入する糸口になつたというようなことになるならば、それは具体的なケースに即して裁判所で争つてもいいではないかというようなふうの御説明があつたわけでありまするが、中島さんといたしましては、この通牒が、むしろ労働組合は守らんでもいい、又これは労働組合も恐らくとらわれないと私も考えております。そうしますと結局誰にこの通牒は立派な一つの基準を示したか、こうなつて来ますると、やはり同じく行政権力としての警察権力にいい一つの又基準を示したことになりやせんかということも恐れられるわけであります。その点に関しまして、この通牒がそのような糸口になる心配はないかどうか、この点どう中島さんはお考えになられるかお尋ねしておきたいと思います。
  72. 中島一郎

    参考人(中島一郎君) まあ警察というのは、これは常に独自の自分の判断で、上司の指示があれば別なんですけれども、とにかくどこかの判断において行動しなければならないので、があろうがあるまいが、具体的な事件に対して行動するだろうと思うのでありますけれども、その場合に、基準がなかつた場合にも、警察行動が違法である場合もあり得るし、合法である場合もあり得るし、基準が出てからも、やはりその違法な行動をすることもあり得るし、合法な行動をすることもあり得るので、むしろ基準が穏当なものであるならば、基準があつたほうが警察が違法な行動をする可能性が減るということも言えるのじやないかとも考えるのであります。
  73. 田畑金光

    ○田畑金光君 私のお尋ねしたいことは、今の御答弁の最後のところにありましたように、一つの基準が示されると、警察の違法な介入等というものがより少くなるのではないか、こういうことを政府も考えられただろうし又中島さんのお話もまあそういうような考え方でこの通牒を見ておられるように拝承するわけであります。ただそういたしますると、私たちの恐れることは、御承知のように、国家権力というものは労使関係に対しては飽くまでも中立の原則というものを守らねばならん、こう今日の労働法では強く調われておると見るわけであります。どうもこういうような通牒が出され、警察権力一つのよりどころを与えるというようなことになつて参りますると、どうしても中立の原則、国家権力の中立の原則というものは侵される危険があろうと推察するわけであります。先ほどのお話を承わりますると、判例の傾向も一応同じ方向に積重ねられている。まあ判例の方向と通牒は一致しておる。こう申されておりまするが、併し、私たちの今まで労働法学者等の御意見を承わつたり、或いは又判例等を読んだところでは、さように中島さんのお話のようには判例の傾向もなつておるとは断定できんと思つております。判例すらもそのような動揺しておる段階においてこのような通牒が一方的に固定化されるということは、どうしても結果においては、今の中島さんのお話のように、警察権力一つの基準の役割以外何もないような感じがするわけであります。こういうような点に関しまして労使関係に対し国家権力は中立の原則を守らなければならんという労働法の精神からすると、大きくそれておるような私感じがいたすわけでありますが、この点に関しまして、中島さんどうお考えになつておられるか、見解を承わりたいと思います。
  74. 中島一郎

    参考人(中島一郎君) 御質問はちよつといろいろなことがありますので、誤解するかも知れませんけれども、この判例の傾向と大体合致しているかどうかということは、これはやはり私としましては、判例の傾向に大体副つているんだと申上げるよりほかにいたし方がないのでありまして、学者のかたがたの見解と言いますと、学者の見解はたくさんありまして、私自身も例えば松岡さんや磯田さんやなんかと御一緒に研究会に参加させて頂いたことが随分長くあるのでありまして、皆さんの見解もよく知つておりますのですが、これは結局そういうことになりますと見解の相違ということになつてしまうのでありまして、ただこういう通達とか何とかの問題になりますと、私としてはやはりこの判例の線ということを常に念頭に置いているのであります。で、判例の線を何とかして正しく理解しようと考えているのが私のいつもの考え方なんであります。そういう意味で、この通達は本当に詳しく私検討してないので申訳ないんですけれども、大体そういう線でできていると一応考えましたので、別にそれによつて組合運動にマイナスの影響を与えるとまでは考えないのであります。
  75. 田畑金光

    ○田畑金光君 私のお尋ねしたいと思いました趣旨は、こういう通牒が出されますると、どうしても一番これを頼りにして応用するのは警察ではないかと、こう見るわけであります。そういたしますると、通牒の及ぼした功績は、労働組合に対して教育的な効果を発揮するんではなくして、警察に対して立派な教訓を与えた結果に終るんではないか、そうなつて参りますると、結局行政府の解釈というものは、警察権力という一つ国家権力に単に貢献するに終つてしまつて、こういう面から不当な、最近ともすれば見受けられる警察権力労働争議への介入、或いは更に申しますと、今日の警察権力というものは、如何ように名目を述べましようとも、結果においては労働争議に対する不当な干渉圧迫に終つておるわけであります。そういうことを考えたときに、この通牒というものは、労働法の精神である国家権力労使関係に中立でなければならんという大原則を侵す結果に終つておりはしないかどうか、この点をお尋ねしているわけであります。
  76. 中島一郎

    参考人(中島一郎君) 警察の点を非常に組合のかたとして気にされることは当然だと思うんですが、おつしやる通り警察というのは中立でなくちやいけないと思うのであります。そして中立というのはどういうことかと申しますというと、警察が要するに法律通りに動いてくれるということだと思うのであります。それよりほかに殊に労使関係においては中立はあり得ないとぐらいまでに私は考えております。警察法律通りに動いてくれるということが、結局国家機関たる警察が中立であるということだと思います。
  77. 栗山良夫

    委員長栗山良夫君) 私松崎参考人にちよつと一点だけ御所信を承わりたいのです。  実は先ほど野村参考人から労働問題の先進国でありまする米英の今日までの発展の歴史的な段階をずつと御説明になつて、要するにピケというものがストと不可欠のものである。従つてピケというものはなくするような努力をやはり先進国はやつて来ておる。それをやるためには不当労働行為というものをもう少し厳正に規制をして、そしてこれはそこまではおつしやらなかつたと思いますが、言葉の言外にある意味は、私が付度をいたしますと、労使がこういうピケをめぐつて業務再開の抗争をするのでなくて、もつと争議そのものを解決するように努力をすべきである、こういつたような意味が入つておつたと思うのでありますが、そういう考え方もやはり労働問題の遅れた日本の将来の努力目標としては、やはり国会も政府も、或いは裁判所のほうでも努力をして行く一つの考え方であろうと私は思うわけであります。こういう問題、基本的な考え方に対して、昨日今日の参考人の陳述の中には、やはりピケラインをどうして合法的に突破させるか、或いはこれをどういう工合にして食いとめればいいか、こういうふうな御議論も相当現実の問題として入つておるわけです。日本労働組合運動、或いは労使間の平和を守つて行くための考え方として、只今野村参考人がおつしやつたような考え方というものについて、どういうような工合に松崎参考人はお考えになるか、この点はちよつと大変失礼ですけれども、お伺いいたします。
  78. 松崎正躬

    参考人(松崎正躬君) 私も労使間の問題は、先ほども申上げましたように、できるだけ自律的に解決して行くべき問題であり、従つて労使がいわゆる労働良識に従つていい慣行を作り上げて行くということが非常に大事であると、こういうふうに考えているわけでございます。従いましてこのピケの問題につきましても、できるだけピケというような現象が少くなるように労使ともに努力することは、これは望ましいことであろうと思うのでございまして、例えば法律ピケを許すといたしましても、又法律がスト中における使用者の操業を自由であると規定するといたしましても、お互いがその自由を百パーセントにまで活用、利用するというようなことは、場合によれば慎まなければならない場合もあり得ると考えるのであります。先ほど野村先生もお述べになりましたように、或いは産業別労働組合という形態なり、或いはユニオン・シヨツプという形態なり、又は労働協約により、代替要員の職場代置を認めない。その代り又保安要員というものはできるだけ緩かにこれを認めて、使用者争議中は施設の保全という点に重点を置いて考えて行くというような労使間のゆとりのあるやり方というものは現行法の下においても私は許されると、こういうふうに考えるのでありまして、その面における労使のもう少し血の通つた協力関係の樹立ということがやはり大事ではなかろうか。余りに観念的なものの考え方に走り過ぎて、何と申しますか、闘争の面のみが強調せられて、その闘争自体はやはり法の規制の下にあり、而もやがては公正な平和関係によつて生産を続行しなければならない関係にあるという面が失われがちであるということを私は遺憾に思つているわけであります。  そこで問題は立法的にもその面についていろいろな努力がされる必要ないであろうかという御意見でございますが、例えばスキヤツブ不当労働行為としてワーグナー法のごとく認めるというやり方等の示唆に富んだ御意見があつたのでございますが、ただ私は日本の場合におきましては非常に企業間の較差が大きいということがやはりこれらの立法の場合における一つの障害になつているように考えるのでありまして、大企業と中小企業との較差が大きい、それから組合の一般的な発達の程度にいたしましても、相当大きな産業別組合、これは実態がいろいろ問題はございますでしようが、大きな全国的な組織があると同時に極めて小さな組織というものもある。そういうふうな日本の経済状態を反映いたしまして、企業自体が大小種々雑多であるというところに非常にむずかしいところがございまして、場合によれば労働組合の力が企業自体よりも強いという現象が一方にあると共に、使用者の力の前には極めて脆い組合も存在しておる。脆い組合に対しては国家が更に手を差し伸べて助けてやらなければならないけれども、強い組合に対しては或る場合においてはこれは抑制の方途を講じなければならないというような面も私はないではないと考えておりまして、これを一律的な不当労働行為として、団結権の保障を更に縮めるというやり方については、そういう見地から私は若干疑問を持つております。要はできるだけ現在の法制の下におきましても労使お互い立場を尊重し合つて、協力すべき点は十分に協力し、自分の見地のみを百パーセントに主張して、相手方立場を全然尊重しないという行き方をお互いが改める。何と申しますか、判例の中で謙抑、謙虚に抑えるという言葉を使つた判例があつたようでございますが、私はそういう意味でやはり労使の反省ということが望ましいと考えるのでございまして、この次官通牒というものがいろいろな面で批判はされておりますけれども、やはり組合側もこの次官通牒というものを一応謙虚に受入れて、この内容をよく精読して、果してこの行き方が労働組合の行き方として正しい行き方であるかどうかということに私は自省される機会を持たれることがやはり望ましいのではないか、こういうふうに考えるのであります。
  79. 栗山良夫

    委員長栗山良夫君) 野村参考人のおつしやつたことは、次官通牒というものを一応否定して立論をされているので、それで私はそういう質問を申上げたのであります。実はこの通牒を率直に言えば、いろいろに今激しく対立している労使関係についてやるなら大いにやりなさい、やるのはよろしい。併しやる場合はこのルールで国が取締るぞ、こういう格好になつておりますが、やるならやりなさい、その代りこれで規制するのだという労働省の考え方ではなくて、較差をなくするようにしたい、そのためにはこうするのだという、そういうような一律的な規制をしないで、先ほど企業にいろいろ較差がある、組合に較差があるとおつしやつた、そういうものに対して不当労働行為を認めるならば、やはりこちらのほうの労働組合のほうにおいてもそれは当然とられるべきで、そういうような考え方からしてもつと根本的な問題というものを国会においても、労働省においてもサービス省としてやるべきではないか、こういうふうに私は御質問を申上げたのであります。
  80. 松崎正躬

    参考人(松崎正躬君) この次官通達が、喧嘩をしろ、併しその喧嘩はこのルールに従つてやれという意味、どつちかと申しますと、いささか喧嘩を奨励しておるような趣旨でできておるかどうかということにつきましては、私精読いたしておりませんので、そうだとは申上げかねるのであります。やはり労働省といたしましては、紛議をなくするということが、これはもう最大の目的でなければならない、こう考えます。従つてこういう争議というようなものが起らないような経済状態なり或いは企業の状態を実現するということは、これはあえて労働省のみならず、政府全場体、或いは労使全体が共に努力すべき点である、こういうふうに考えるのでございまして、委員長のおつしやいますように、根本的にはそういうような争議自体をなくするという行き方は、これは当然そうあるべきだと考えております。
  81. 吉田法晴

    吉田法晴君 遅くなりましたから一点ずつお尋ねをいたしたいと思います。  中島参考人通牒は大体判例の方向に従つておるというお話がございましたが、その点を一点だけお伺いいたします。全部今までの判例が、ピケ正当性に関して、これは関連をして触れた点で挙げましたけれども、それは専門員が挙げたのですが、三十四ほどございます。その中で前のほうの大部分は今までのあれでありますから、刑法の或いは刑罰規定の構成要件に該当するというものが大部分であります。併しその中でも判旨の中に、例えば三友炭鉱事件或いは嘉穂炭鉱事件、或いは大阪の特殊歯偏の工場事件、或いは横浜の、これは仮処分を求めたものだと思いますが、地裁の、駐留軍労務者に関連いたします二つの判決、或いは近江絹糸の、これも仮処分を求めるのが大部分でありますが、四つほど出ております。これらを見ましても必ずしも通牒の考え通りではないように私は思つております。刑罰規定の構成要件に該当する、これは問題ない、それから誰も合法だと認めるのは問題ない、その真中が問題になつておる。その真中の点について判決が皆一緒であると私は思わんのであります。それから例えばこれは中島さんも或いは松崎参考人もおつしやいましたが、ピケの権利、団体行動権とそれから財産権その他をどういう工合に均衡をとつて考えるか、こういうことになつて参ると思うのでありますが、最近の四月七日の大法廷の判決、これは作目小林参考人からも聞かれたのでありますが、冒頭に「憲法及び労働組合法において、勤労者の団結権及び団体交渉権、その他の団体行動権が認められる以上、これらの団体行動権の正当な行使に対し他の個人の自由権、その他の基本権が或る程度制限を受けるに至るであろうことは当然である。」、こういう文句がございまして、その点は必ずしも中島参考人が言われるように、この中の、刑罰規定の構成要件に該当して違法だと考えられない、それから合法だとして疑問のないところ、その中間の部分について判例は必ずしも一致していないのじやないかと考えるのでありますが、どのように考えておられますか、その一点だけ。
  82. 中島一郎

    参考人(中島一郎君) 多数の判例の中にいろいろな判例があることは勿論であります。で、私実は民事ばかりやつておりまして、刑事方面のことは余り知りませんので中訳ないのですけれども、併し私が判例の大体の傾向と申上げているのは、結局その最高裁の先ほどの二つの判例を頂点として全体の傾向の見通しとして申上げているのでありまして、これは判例一つ一つに合致しているということを申上げているのじやないのであります。判例の見通しとしての傾向と合致していると申上げているのでありまして、これは常に私は具体的な事件を考える場合に、両方の判例を比べて見て、この事件が裁判所へ行つだらどういう判断を受けるかということを客観的に判断しているわけでありまして、結局対立している場合にこういう判例があるからそれでそれに従つていいのだとは甘えない。矛盾している判例がある以上はそれが最後に最高裁に行つてどういうふうに統一されるかということが、これが私の申し上げている判例の傾向なんであります。  それから四月七日の大法廷の判決、これはその前後のところを覚えておりませんので、その一点もちよつと申訳ないのですが、判例が或る程度の制限を、例えば財産権等が或る程度の制限を受けることは当然だと述べているとすれば、それはそれまでの大法廷の最高裁の判決と一つも矛盾していないのでありまして、最高裁も団結権とか争議などによつて財産権が制限を受けることを認めているわけでありまして、ただその認め方として、前の判例が債権侵害の限度だと言つている。或る程度すでに前の判決が示しているわけなんであります。
  83. 吉田法晴

    吉田法晴君 最後に野村先生にお尋ねいたしたいのでありますが、私ども参考人から作目今日と、たくさん伺いましたし、それから判例或いは学説、いろいろ伺いまして、こういうように感じておるのでありますが、それについて御教示頂きたいと思うのであります。  通牒について賛成されるかたは大体ピケツテイング団結権から引出されておる、団体行動権として独立の権利として認めて、団体行動権として独立の権利として認めるかどうか。それからもう一つ団体行動権とそれから財産権、今中島さんは債権と言いましたけれども、債権よりもむしろ財産権との関係をどう見るか、或いは通牒の中にも意思の自由という点もありますが、或いは自由権的な考え方から財産権を電く見る、そこで団体行動権を成るべく狭く見ようといいますか、或いはむしろ比較をして下に見ようと、こういう基本的な法的な考え方があるように私は思うのでありますが、最高裁の四月七日の判例の冒頭の文句はその点について大体平等を見ている。或いは野村先生のお話のように団体権或いは団体行動権にしても、これを拡大しようとしておる歴史的な傾向から考え、或い日本の今の憲法から考えるならば、団体行動権と財産権とはこれは対等に考えていいのじやなかろうか、憲法から考えても対等に考えていいのじやないか、かように考えるのでありますが、そして結局は、経営権と労働権というようなことが言われておりますか、通牒に賛意を表せられます考え方には、財産権と申しますか、経営権の優位をむしろ主に考えているのじやないか、或いは憲法解釈において所有権なり財産権のほうがより優位だと考えられておるのではなかろうか。そういうことを考えることは、日本憲法或いは労働法関係等を見てみる場合に、これは間違いじやないか。もう少し労働権と財産権との対等ということを考えなければならんのではなかろうかと、かように考えるのでありますが、こういう点について野村先生の御教示を頂きたいと思います。
  84. 野村平爾

    参考人(野村平爾君) 只今の御質問ですけれども、実は私そういう御質問に……、私には実はそういう分け方や何か余り興味がないものですから、ぴんとしたお答えができかねるように思うわけであります。なぜかと申しますと、財産権と労働者の権利とが抽象的に言えば対等だ、少くとも憲法は対等な立場になつていると、これはどなたも争う余地のない考え方だと思います。併し具体的に、例えばピケを張つたときにどういうふうな考え方をするかということになりますと、対等だと見ておる人々の中にも解釈の相違が出て参りましようし、或いは逆に財産権重しと見ていて、案外結果的には反対に見る人もないとは限らないわけであります。従つて財産権と団結権団体行動権の優位性というようなものを抽象的な問題として捉えても、実は余りこの問題の解決の鍵にはならないのではないかというようなふうに私は考えておるわけであります。よく法律学者がそういう議論をいたしますけれども、これは机の上の議論に過ぎないのであつて現実的な問題の解決には、その抽象論で以て割切つてしまうというようなことが決してできる性質のものではないのだというふうに実は思つておるわけであります。  例えば平和的ピケツテイングということ、説得ということがどの判例にも使われております。併しその平和的説得という言葉を使つておる判例一つ一つを見ますと、おのおのその考え方の幅というものが具体的事件で違つておるわけなんです。ですから抽象的には平和的説得になるのだけれども、或る場合には或る程度の行為平和的説得だが、他の場合には平和的説得を超えたと見られる場合さえもないとは言えないと思うのであります。ですから私は、中島さんのお考えはやはり一つのお考えの仕方だとは思いますけれども、必ずしも私は現在の下級審の裁判所の考え方や、それから労働委員会あたりのこの問題に対する判断の仕方というものを見ますと、言葉として平和的説得という点では一致をしますけれども、考え方としてはかなり違つて来ておるのではないだろうというふうに考えて、その意味で必ずしも私はそれほど一致をしておるというふうには思わないわけです。現に一致をしていないから、下級審でやつたことが上級審で覆えされてみたりするので、これは一致していないことの顕著な実例ではないだろうかというふうに考えるわけです。だから抽象的な問題で考えないで、具体的に行きますと、例えば業態によつては、これは中労委がやつたのですけれども、新潟の日通事件なんかの場合に、トラツクをよそへ放置したり、相当ピケツトを張つたりして邪魔をしたのが、これはありがちな、日通の争議のような場合は、そういう業態では止むを得ない行為だろうというような判断から合法性を認められておるようなことがあるわけです。併し同じようなことがほかの業態で行われると、必ずしもそういう判断になつていないというようなことも考えられるわけです。そから又、先ほどたしか吉田さんの質問の中で挙げておられましたが、横浜駐在軍の場合の例なんかだと、とにかく有無を言わさずそれを突破して来たときには、それを阻止するのが緊急非難行為として正しいのだと、こういうような判断をしておる場合があるわけです。そうかと思うと三友炭坑のように、組合を脱退した者に対しては、線路の上に坐り込んで三時間もガソリン・カーをとめるということも下級審では合法だと言い、それから上級審では、これは責任阻却だと、こういうような見方をしておるわけですから、現実に私はまだ裁判所の考えというものは決してそれほど一致していないのだと、だからこの通達の中に出ておる線は、これは二、三ほかの学者とも最近座談会をやる機会がありまして話合つたのですが、どうも判例の中で出ておる一番厳格な線をとつたのがこれではないだろうかということが、その席にいろいろの立場の人がおりましたが、大体その点だけでは一致をしておつたように思います。これは私の見解でありますので、ほかの人がどうお考えになるかわかりませんけれども、むしろ具体的な問題に入つてつて考えた場合にはそういうような差異というものが認められるように思うわけです。御質問の趣旨には一向副わないお答えでしたが、私は実は団結権と財産権、或いは団体行動権と財産権との優位性如何というような抽象的な問題に対するお答えは私の苦手とするところですから、お許しを得たいと思うわけです。
  85. 栗山良夫

    委員長栗山良夫君) 大変長時間に亘りまして貴重なる御意見を寄せられまして有難うございました。委員会を代表して御礼申上げます。本日はこれにて散会いたします。    午後五時三十八分散会