○
参考人(小林直人君) そうですか。短くはいたすつもりですが、多少過ぎる場合もあるかと思うのですが、私も弁護士として法廷で労働
事件の経験を持
つた面もございますし、むしろ中央
労働委員会の公益
委員として、現実の労使関係に触れて経験した事柄を元といたしまして多少の所見を述べさして頂きたいと思うのでございます。
私に与えられたる課題は、「
ピケツテイングの
正当性の
限界に関する
小坂労働大臣談話及び
労働次官通達について」ということで、ここへ参りましてから頂戴いたしたわけでございますが、
小坂労働大臣談話なるものは新聞で拝読したことがあるだけでございまして、ここに資料もございませんし、正確な記憶がございませんので触れないことにいたしまして、丁度週刊労働を持合せましたので、
次官通牒のほうは全文このままに載
つておると思いますので、これに基いて今後の所見を述べさして頂きたいと思うのでございます。
率直に結論としての所感を申しますと、この
次官通牒は何らかの程度において
労働運動を萎縮させる危険がありはしないか、こういう所感を覚えるわけでございます。勿論その中には極めて適切なる指示の部分もかなり含まれております。全部を一緒くたにしてこれはいかんと、こう私は感ずるわけでは全然ございませんから、これは誤解なきように願いたいと思いますが、基本的な
考え方という第一項、それから第二項の
ピケット、第四項の
工場占拠、
生産管理、強行就業等、それから第八項の相手方の違法為行等に対する対抗的
行為、これらの項によ
つて指示されておる部分につきましては、その中にも妥当だと思う事項がたくさんでございますけれども、私として、これは
労働運動の萎縮に影響するようなことになりはしないかと心配させる事項も幾つかございますので、その点につきまして、率直に私もこの
次官通牒によ
つて教育を受ける一人として生徒の疑問というようなものを述べさして頂きたいと思います。これは当参議院
労働委員会におきまして、私がこう
言つたというようなことをあげつらうのではなくて、
一つの御参考に願
つて、これが萎縮にならないような適切な今後の
労働委員会の御努力を願いたいわけでございます。又
労働省当局は、恐らく私の述べることを耳に入れるだろうと思いますが、私ただ反論を申上げるなんという趣旨ではございませんので、
自分の乏しい勉強のうちからお教えを受ける生徒としては釈明を求め、なお且つお教えを請わなければ呑込めないかも知れないと思うような節々を真剣な気持で訴えてみたい、教えを請うてみたい、こういう次第でございますから、甚だ言葉は衣を着せませんけれども、雅量を持
つて参考にして頂きたい、こう思うところでございます。何か釈明を求めるようなことばかり申上げまして、いい点について触れることが少いのは私としては誠に残念なことでございますが、本日時間を節約したり、本日の問題がこの
次官通牒に若し問題ありとすればどこかということにお互いに研究をさして頂くわけでございましようから、その点にとどめさして頂きます。
分析的に申しますから、発言が委曲に亘り過ぎて大綱を逸するようなきらいもないではございません、御質問によ
つて補いたいと思います。
順序で申しますと、基本的な
考え方という総論的な序章がございますが、そのうちの(一)の一番
最後の段落の中にこういう文句があるのでございます。「
労働者の
団結権、
団体交渉その他の
団体行動権は、法の保障するところであるが、」、その次でございます。「
暴行脅迫その他不法な実力の行使により」、今私が読上げたところが私が生徒として質問いたしたいとこうでございます。続けます。「他人の行動、
意思に強制を加えることは、
団結権、
団体行動権を保障した法の
限界を逸脱するものである。」、こういうふうに基本的な
考え方を述べてられます。このうち「
暴行脅迫その他不法な実力の行使により」というところに疑問が介在しますので申上げるわけでございますが、
暴行とは身体に対する不法な実力の行使、
脅迫とは精神
状態、心理
状態等に対する不法な恐怖心の付与、そこでこの二つが逸脱であることは、これはもう通念、何人もこれは異存の挾みようはございません。問題は逸脱しないとはつきり言える事柄と、逸脱だとはつきり言えることとの中間に、見ようによれば逸脱かも知れんなと、こう心配され、又見ようによれば、これは逸脱としちやいかんな、こう又心配されるような領域があるわけでございます。その領域を、
次官通牒の御趣旨が教育であるというならば、学界でも非常に困
つているところですし、
裁判所の
判例等によりましても、まだ帰趨がきま
つたというほどじやないほど極めてまだ短い時間の
判例の集積でございますから、この辺につきましては極く親切な御判断を頂戴いたしたいところでございます。そこで私がこれを判読いたしますと、「その他不法な実力の行使」という言葉の
内容が問題なんでございます。
暴行、
脅迫と考えてそれに匹敵するような、等価値であるような不法
行為は何があるだろうか、こう考えますと、器物毀棄があが
つて参ります。これは身体に対するでもない、精神に対するでもないのでございますが、資本財を毀してしまう、毀棄、不法に毀毀してしまう、これはいけないにきま
つていると言
つていいでしよう。恐らくどなたもそう反対を差挾む余地はございません。そこで「その他不法な実力の行使」という言葉に当るものとしては器物毀棄がある。その他にもまだ幾らでも等々等々というふうにあるかどうか、こういうふうに考えますと、ここのところはなかなかむずかしいところではないか。私はこれを
暴行、
脅迫、器物毀棄その他それらに等価値の違法な
行為、こうでもして頂けるならば、私の心配は除き得るわけなんです。「その他不法な実力の行使」という言葉は拡張
解釈の虞れがある、そちらのほうに少しも囲いを置かない。拡張
解釈の危険に対していわば門を開いているような感じがする。そこでこの言葉はこの言葉として、私はさほど異存はないのでございますが、そこの拡張
解釈に門をわざわざ開いているのじやないかというところに私はこのままでは心配だ、是非ここのところはもつとはつきりして頂きたいと
お願い申上げる次第でございます。
私の申上げるのは、これは杞憂ではございませんで、現実にこういうところから
警察権や検察権の拡張
解釈が始まるわけです。現実に只今
裁判所等で労働
事件というものの主として刑法
事件でございますが、検察側と弁護側とどういうところが争われているかと申しますと、今の「その他不法な実力の行使」という範疇の中に属する争いが大きいわけです。その場合に
暴行、
脅迫、器物毀棄は、それはどちらも異存がないのでございますが、いわゆるよく
争議が
行き過ぎて
業務妨害罪になるとい
つたふうな場合の威力、
業務妨害罪の威力要件、威力というものは、大正十一年頃の
判例に古くからある、労働法のない以前の
判例によりますと他人の
意思を制圧する事柄の汎称だ。そういうことでありながら、
脅迫にも
暴行にも達しない程度のものなんです。ところが憲法ができ、労働法ができて
団結権というものが保障されましたその後におきましては、大正十一年の
判例なるものは、その限りで他人の
意思を制圧する汎称の中から、団結によるところの威力というものは、理論的に当然にこれは取除かれているわけであります。新
判例というものが出たわけではありませんが、旧
判例というものの効力を考えるときに、憲法ができ、労働法ができました以上、団結による威力は除く、こういう但書が当然にくつついておらなければならないところのものでございます。ところがそういうふうに勤労階級は思いたいわけでございましよう。そして相当理論的に考察いたしますと、そうならねばならんはずのものでございます。併し法廷に立つ検察官側の、これは検事一体でございますから検察当局と言
つてよろしいのでございましようが、その法廷で論じられるところによりますと、威力というのは、今言うたように人の
意思を制圧する汎称である、総称であるという意味で、それで
暴行にも
脅迫にも達しない程度であるが、それは不法な実力の行使の一種である、こういうふうに主張して止まないわけであります。現実における争ひ、
法律上の争点になるものは、そのように松葉官の主張されるところの威力というのが
労働運動の
争議行為なり、
団体交渉なりの
正当性を失わしめるかどうか、その問題にこれが急所にはま
つているわけであります。そこでこの
用語は私はもう少しく厳格にお扱いになるべきものじやないか、このように考えます。
基本的な
考え方の次の(二)でございます。これは私かれてあることについて異存があるわけではございませんが、生徒として幼稚な疑問を提出いたしますと、かくなるのでございますが、それはその(二)の初めのほうはよろしいのですが、真中あたりに「
統制を紊す者に対しては、
組合規約に基きこれを除名その他の懲戒処分に付し得ることは勿論であるが、最終的に団結を離脱しようとする者を(そのことの善悪はともあれ)、
暴行、
脅迫等によ
つてその意に反してこれを阻止することはできない。」、かく書いてありまして、これは至極当然でありまして、私としては何の異存もございません。これに関連してただ申上げるだけでございますが、
労働者の気分から行きますと、友愛と信義と申しますか、率直に言うと階級的連帯性というような気持が一般的でございます。その気持から行きますと、
争議中に
統制を紊すというような
組合員に対しては、その友愛と信義の一念や階級的信義の一念から、相当深刻に
説得したり反省を求めたりするわけでございます。それは悪意に言えば吊し上げというのでしよう。けれどもその心情に入
つて考えると悪い動機ではないのです。そこでそれも極く軽率に簡単に
解釈すると、
暴行、
脅迫の
脅迫に入
つてしまう、ここのところがむずかしいところでございます。そういう心情から出た熱心な
説得というものが、それは
脅迫に入らないのだという前提に立
つておるのでございますれば、何らの心配はないことでございますが、そこはその人その人の考えようや、その心の置き方によ
つて、親切に見るのと冷たく見るのとではかなりそこの境界は狂
つて参りますので、その点でこの
脅迫という言葉のあるその
脅迫の
内容が心配になるわけでございます。ここがまあ一体どういうところにお立ちにな
つてこうした
用語を実際に使用しておられるかということを、ここで教えを請いたいところでございます。
その次に(三)、(三)の真中あたりでございますが、「
争議行為は、
労働者の団結と
統制によ
つて使用者に圧力を加えるものであるが、その際、
ピケツト等において
暴力その他
行き過ぎの行動に出でるのは、
争議目的追求に急なる余り、右の団結、
統制力の
限界外のことを強いて行おうとする場合に多い。」こういう言葉でございます。これも「
暴力その他
行き過ぎの行動に出でるのは、」という言葉が現実の事実を慎重にとらえてのことでありますれば、私として何も異存はここにいませんし、同感ではありますが、これも今すぐ前に申上げましたようなわけで、その行過ぎというものを何を標準にして見るかによ
つて大変
用語は同一でも狂
つて参るわけであります。適用が狂
つて参るわけであります。ここにもどういうことを指して行過ぎということになるのであるか、そこのお教えを請いたいわけでございます。それはうしろのほうに詳細に又出て参るわけでありますが、「
基本的考え方」の中の質問としてそういうふうに考える次等でございます。なぜ私がここでこんなことを言うかというと、その(三)の一番初めのところに、「
労働組合の団結に基く
統制力は、
原則として、
組合員の
範囲にしか及ばないものである」、こういうふうな前提が置かれて
ピケツトの問題に触れておられるからでございます。「
原則として、」とありますので、私もこれには少しも異存はないのでございます。異存はないのですが、「
原則として、」と言う以上に、
例外の場合を明示するほうが、
原則と並べて容認できる例外を明示することが、教育上よりずつと効果のあろうことであろうと思います。例外のほうは黙秘しておられるのでございますから、進んだ生徒はむしろ
例外の場合を案じる。これはまあ御用意が別にあることでございましようが、私はここで
例外の場合も示しておかれたか
つたと思うのでございます。私が今すぐ
例外かと思うのは、クローズド・シヨツプ制、ユニオン・シヨップ制等で、これらが
協約として結ばれております場合には、労使の
協約、或る
組合と
使用者との間でクローズド・シヨツプの
協約があります場合には、
組合に所腐しない、つまり
第三者、ここでいう「団結に基く
統制力」の外なる者、
第三者が解雇されたりするわけであります。クローズド・シヨツプ、ユニオン・シヨツプの
統制力というものは
組合員以外に及ぶわけであります。それがすでに
一つの
例外、これは
労組法七条の中に明文もありまして、極めて顕著な
例外の
一つではなかろうか、このようなふうに
労働組合の
団結権や
団体行動が極く稀ではありますが、
第三者に効力を及ぼす、そこまで
統制力が及ぶということがありますので、そこのところがなかなか難問化するのでございます。
ピケツトというものは、
組合員が
組合の
争議行動に服することを慫慂する目的ばかりでないのでございまして、
争議権が憲法で保障されたその社公で行われる
争議でありましても、外部から、つまり
組合員以外の外部から
争議の切崩して参りますので、それ々防衛したいと、自救権と申しますか、防備権と申しますか、防衛したいというところがむしろ
日本における
ピケットの現状でございますので、その防御、その自救、みずから
警察力を頼まずに
組合の力で取りあえず
争議行為を防衛するというその自救
行為、この自救なり防衛はとにかく外部に向
つてなされることが必要でもある。そこでその場合にクローズド・シヨツプ、ユニオン・シヨツプの場合に外部まで
統制力が及ぶという
例外がありましたように、やはり
組合員以外にもその
団体の
団結権なり、
団体行動権なりの効力が及ぶ
第三者はその場合受忍しなければならないかどうかの問題、忍ばなければならないかどうかの問題に、これは明文がないわけでありますが、理論的には積極説も消極説も成り立つわけであります、そこを直ちに片一方は違法だと、こうは言えない。現実の事態が発生したときにその諸般の事情を慎重に判断して、
労組法一条二項の規定に照して、あの一般条項に照して
正当性を失わないのだと認める場合には正当な
ピケツトだと言わなければならないかも知れない。そのような可能性が起きて参りますので、この(三)の
通牒の文言につきましても私は質問事項があ
つたわけでございます。「
基本的考え方」の中で私が釈明を求めたい点は以上でございます。
次に第二項の「
ピケツト」に入ります。ここで(一)、これは「
ピケツト」の総論が書いてあるわけでございましよう。これはちよつと御指摘を申上げますと、「
ピケツトの方法、態様は、その対象なり、状況によ
つて、若干の差異があろうが、我が国においては、事業場の
出入口附近は多数の者が集合していること自体では、
ピケツトとしては違法とはならない。」、このように前提されておられます、私は全く同感でございます。併しながら「
ピケツトは、
平和的説得の
範囲に止まるべきものであ
つて」、云々と書いてありまして、そのずつと続きの後のほうへ行きまして、「
説得又は団結力の誇示の
範囲を越えた多衆の威嚇や甚だしい嫌がらせ等によ
つてこれを阻止するごとき
ピケツトは、正当でない。」、こういうふうにな
つております。
ピケツトは
平和的説得の
範囲に止まるべきものである。これも私条件で賛成、「
平和的説得」というこの
用語の法的意味がはつきりすれば賛成いたすわけでございます。問題はこの
表現そのものは悪くないのです。
平和的説得という
判例はすでに国際的に積まれておりまして、そういうような
用語を使いつつ
ピケツトの
正当性の問題が、初め全然違法であ
つた時代からだんだん
ピケツトが認められ、集積され、
ピケツト権が拡張して行く。国際的な精神に属することで、「
平和的説得」という
用語は国際的な
用語で、これは私この
用語を使うことに賛成ですけれども、「
平和的説得」という言葉の
法律的に与える
内容が問題なんでございます。それは非常に重心の深いものなんです。この言葉の四字、五字ですぐわか
つてしま
つたという、そんなものじやないのでございます。このあと相手方の異なるに
従つてピケツトの態様が
次官通牒でも指示がありますけれども、それを私が分析した結果も、私の言う
平和的説得という
用語は非常に重心の深い
内容だということがすぐあとで、そのもので例証ができると思います。そのように
用語に与える、
用語に包含せしめる
内容に
従つて極めて妥当なこれは言葉にもなるが、与える
内容如何によりましては、いろいろ私が案じますところの無註、註釈なしでその辺の考慮のない人たちに読ませ、且つ適用されますと、教育の目的とは反して、
労働運動を萎縮することになりはしない、私が案ずるような結果を生む元にもなるかと思います。例えば威力という言葉がありますと、裁判官、検察官、弁護士、すべて
法律家というものは威力ということの具体的な事例をたくさん集積した上で、それを
一つの
法律語に切替える。さつき一例を挙げましたように、これは大正十一年の
判例だと思いますが、他人の
意思を制圧する総称である、そういうふりに威力という極めてむずかしい
用語を
一つの定式化する。そのように「
平和的説得」という
用語は、相当事例を集積した上で客観的背景のさまざまなものの上に立つところのさまざまなる態様の
ピケツトをそこに集積して来まして、そしてその中から
一つの法則のように「
平和的説得」とは何かということを、他の
法律上の一般
用語で置替えなければ、到底これは通用のできるものではありません。そしてそのように適正に置替えた場合におきましては、これは国際語でもありますし、非常に役立つものであり、且つ非常に意味のあるものになるわけでございます。
通牒の目的が主として教育であるということでありますれば、「
平和的説得」というふうな
用語も、今
法律的な
内容を与えて一般語に置替えて、
一つの基準として何人も合理的に
解釈できるものに仕上げるということは、教育の効果を最も挙げ得る前提でありますので、かような点は大きに力を尽して頂くべきものであ
つたと思うのでございます。そこでその細かい
内容につきましては、あと個々にだんだん触れることにしまして、今の(一)の中で「
説得又は団結力の誇示の
範囲を越えた多衆の威嚇や尋だしい嫌がらせ等によ
つてこれを阻止する如き
ピケツトは、正当でない。」、この言葉につきまして私は疑問があるわけでございます。
説得というのは、只今私が重心の深い言葉だと言うた非常にいい意味で取れば差支えないのですが、「団結力の誇示の
範囲を越えた」とありますから、団結力の誇示もそれではよろしいということにな
つておるわけでございましよう。「越えた多衆の威嚇や」というところですね。それから「団結力の誇示」ということと「多衆の威嚇」というものは、これは私来してどのぐらい違うか、同じじやないか。つまり両刀同じである場合も数多くあるのじやないか。
通牒をお出しになる場合の趣旨としてはこれは違うものなんだという
一つの分析上の考慮に立
つて出されたと思いますが、読むものが不用意でありまして、生徒が不勉強でありますと、これらについては同じものまで違うことにして行
つてしまう。団結による示威がよろしいというほうは自に入らない、多衆の威嚇ということはいけないということだけが目に入
つて来てしまうと思います。
その点でここは不厳密ではなかろうか、こう考えるわけでございます。
そこでさつき私が触れました
平和的説得の重心の深さというものに入
つて行きたいのでございます。丁度このあと
次官通牒は逐次分析的に触れておりますので、これを追
つて申上げて行きます。今度は数字の(1)でございます。「
使用者又は
利益代表者に対するもの」、「もの」というのは
ピケツトというのでございましよう。ここにはこうなされております。「
使用者又は
労働組合法第二条第一号に定める
使用者の利益を代表する者は、本来、当該
労働争議の相手方に属するものであ
つて、
争議行為中においても、就業し、
会社施設の管理等に当り、また、
争議の解決に努める等の義務と責任を有する者であ
つて、これらの者の正当な
業務のための
出入を
ピケツトによ
つて妨害することは許されない。」、この「
ピケツトによ
つて妨害することは許されない」とな
つております。このまま読んで来ますと、
使用者及び
利益代表者が
ピケツトラインを
出入するときは
説得も何ももういけない。
ピケットによ
つて妨害することは許されないというふうに断言的な記載にな
つておりますので、何にもしちやいけない、
出入するに任せなければいけないというこれは
表現にな
つておるわけでございます。そこに問題がございます。「なお、
労働協約等において協定された保安要員等の
争議不参加者についても、その
協約等に基く就労のための
出入を妨げることは許されない。」、これにつきまして、これをも含めてその根本精神が
ピケツトによ
つて全然ちよつと待
つて下さいと言えないという趣旨が平和的の
説得ならばや
つてもよろしいということであるのか、その次に出て来る
第三者に対する場合と
争議の相手方である
使用者や或いは
使用者の下で幹部として働らいている利益代表名には
ピケツトをしちやいけないという、どうもここのところが、その本旨が奈辺にあるかを私は案ずるのでございます。そこで私はこれをこういうふうに質問をいたしたいわけでございます。
平和的説得ということが
次官通牒の場合におきましても、只今申上げましたような
法律上の構成がある。極く常識的な平和の
説得でなくて、或る重心のある常識で考えたよりはずつと
範囲の広いものだという意味であ
つて、そこでそういう或る種の
争議上の高度は
ピケツトは
使用者や
利益代表者にはやつちやいかんのだと、そういう
説得権さえもないのだという趣旨にこれは読まなければならないのか、或いは又そういうようなことは考えておらんのであるけれども、
使用者とか、或いは部課長などが
出入りするについては全然これは
説得も要請も何もしちやいかんと、そこは無条件でそこのラインの
出入を許さなければならんのだと、こういう趣旨でありますか、そこのところをお聞きしたいと、こう考えておるわけでございます。文字
通りの平和的な
説得ならどんな他人に対してもできなければならん、まして
争議の相手方です。
労働争議をやるときには
団体交渉が決裂したから
争議をしておるので、話がつけばすぐやめていいわけなんです。それから行くと、
ピケツト・ラインというような場所で、たまたまそこに重役が来た、日頃頼りにする部課長が来たというときには、待
つて下さいと言
つて、そこで
説得してもよかりそうなものだ、ここのところは
通牒の当局と直接にお話し合えば、これは簡単に何か説明がつくことかも知れませんけれども、私の読んだだけの
範囲では、これは
平和的説得の権利さえも認めていないことにな
つておりますので、極めてこれは趣旨に疑問を感ずるわけでございます。
次に、その次の
争議の(2)、
第三者に対する
ピケ、「
従業員以外の
出入商人、顧客等の
第三者に対する
ピケツトについては、当該
争議行為についての理解と協力を穏和に要請し得るに止まり、」、この言葉でございます。これも
用語そのままとりますと、
平和的説得の権利がないということになる。当該
争議行為についての理解と協力を穏和に要請し得るにとどまるのだと、この「要請」といふ言葉は
説得とどういうふうになるのか、これは違うものだという前提に立つと、この場合も
説得権、つまり
ピケット権はないのだということになるのだ。若しこれを同じものだとするならば、言葉のニユアンスを変えたたけでありまして、まさにこれが
平和的説得の行使をしておるのだということになるわけでございますか、この「
争議行為についての理解と協力を穏和に要請し得るに止まり、」、この言葉は私は質問して確かめたいところでございます。ただ注目すべきは、この(1)の
使用者及び利益代表岩の場合には、
ピケツトによ
つて妨害することは許されない、つまり
ピケツトはできないという趣旨が明確にな
つておりましたものが、この場合は
争議行為についての理解と協力を穏和に要請し得るに止まると言
つて、その程度ができるというふうにありますから、この一番低い場合のその何人に対しても必ずなし得るというものの基準が仮にどこかにできますと、それよりかなり一段階又上のことができるのだということにな
つて来るように、これは読みとれるわけでございます。これを少し専門的に分析いたしますと、どの程度のことを指すのであるか疑問でありますので、専門家にもこれはわかりがたいところであろうと思います。又素人がこれを読みました場合にも、つまり教育を受けるものが読みました場合にも、この(1)と(2)の段差はどこにあるのかということはわかりにくいだろうと思います。
(3)に参ります。「(3)
組合員以外の
労働者に対するもの」、つまりその
組合の所属以外の
労働者に対する
ピケ、これにつきまして、こういうふうに書いてある。「
労働組合の
統制力は、
原則として、当該
労働組合の
組合員以外には及ばないから、
組合員以外の
従業員に対しては、」、その次の言葉に御注意願いたいのですが、「当該
争議行為についての理解と協力を要請し得るに止まり、」、
第三者に対するものにつきましては、「当該
争議行為についての理解と協力を穏和に要請し得るに止り、」とある。今度の場合には、「当該
争議行為についての理解と協力を要請し得るに止まり、」とあるから、穏和でなくてもいいというのですから、
第三者の場合よりは、組織外の
労働者に対する要請は、いわゆる穏和性を欠いてもいいというこれは
用語にな
つているわけでございます。そこに段差を考えておられるということはこれは明白なんです。併しどこが、どんな程度のことがこれに当るかということは、このままでは疑問であ
つてお教えを請いたいところでございます。そのあともまだ問題があります。読んで参りますと、「なお、
労働協約等において代替要員雇入禁止の条項が規定されていない限り、
使用者が
争議中必要な
業務維持のための代替要員を雇い入れ、その
業務を続けることは、
労働組合の
争議行為に対する使用意の対抗手段であ
つて、そのことが妥当かどうかについては状況によ
つて異るが、それ自体は違法とはいえない。」、その次、「
ピケツトにおいてその就業」、つまりこの代替要員の就業です。「就業を阻止すべく
説得することは固より自由であるが、
労働組合は、
暴行、
脅迫その他の不法な失効等を以てこれを阻止し、その就業を妨げる正当な権限を有するものではない。」、ここのその代替要員に対しまして、
ピケツトにおいてその就業を阻止すべく
説得することはもとより自由であるとありますので、ここで初めてその双方で
ピケットの前置き、
ピケツトの総論部分で出て来ました「
平和的説得」というその
説得がここで初めてはつきり出て来たわけでございます。「
ピケツトにおいてその就業を阻止すべく
説得することは固より自由である」その
説得は目的を就業阻止においてよろしいということがはつきりしている。そうしてその
説得をしてよろしい、こういうふうになりますので、ここでその
ピケツト権をはつきりこれは
用語の上でも認めておるということは明白でございます。これは組織外の
労働者が、
争議中の代替要員の雇入れ、まあこれは
組合側で言えば
スキヤツプというところでございましようが、そのスキャッブが来るのにつきましては、「その就業を阻止すべく
説得することが固より自由である」とあります。そこで
用語に忠実に私がこれを読めば、ここで初めて
ピケツト権が認められて
平和的説得ということを認めたんだ。こういうふうに読むと、その前の
第三者とか
使用者又は
利益代表者の場合にもまだ
ピケツト権もないようだ。要請という言葉は或る度はこれは
説得とは違うし、
ピケツトではないのだ、こういうふうになるのかどうか、なりそうなふうにも読めます。併しこれらはみんな各
ピケツトの各態様として書いてありますので、その段階を追
つてこれが(3)段目へ来たのだという趣旨であるかも知れません。この辺が質問をいたしたいところでございます。そこで繰返しますが、ここにも「
労働組合は、
暴行、
脅迫その他の不法な
実力等を以てこれを阻止し」てはいけないと、こうありますので、この「その他の不法な実力」というところはすでに説明いたしましたが、私が心配したような点を解決しなければ初心者の教育には到底ならない。非常にここはまあ心配されるところでございます。
その次に数字の(4)へ参ります。「
争議中に
組合を脱退した
従業員に対するもの」「
争議中に
組合を脱退した」ですから
争議が始ま
つて争議が難航しておる際に脱退者ができたという、その脱退者が就業しようとする場合のことでございましよう。「
争議中に
労働組合を脱退して第二
組合を結成するようなことは、好ましいことでないが、我が国の現状では、かかる事象は往々にして生ずる。このような第二
組合員の就労は、当該
争議の帰趨に決定的影響を及ぼす場合が多く」とこれまでは私は全然同感でございます。そこでその次からいろいろ注意すべき規定があるのですが、「
ピケツトにおいてこれに対し
説得に極力努めることは当然である」と。で、なお続けて「また、第二
組合としても、当初より一切の
説得に耳をかさず、一挙に
ピケラインを突破する如き態度は、
労働者としてとるべきでない。然し乍ら、この場合でもやはり、
暴行、
脅迫その他不法な
実力等による
ピケツトは許されない。」とこう書いてありますので、ここでその御注意を喚起してお教えを乞いたいのは、この
争議中
組合脱退の、例えば第二
組合のようなものができた場合のそういう脱落者の就労の場合の
ピケツトの引き方でありますが、「
ピケツトにおいてこれに対し
説得に極力努めることは当然である。」こういうふうに肯定しております。そこで今のそのスキャッブが来た場合、外部の
労働者が臨時雇で来たような場合でしよう。このような場合につきましては先に「就業を阻止すべく
説得することは固より自由である」とこうあります。今度の場合は「
説得に極力努めることは当然である。」とはつきり段階を設けておりますから、これは(4)段階へ行
つたということになるわけです。
用語の上からそういう精神が吸入取れるわけでございます。それからなおここで触れておりますように、「第二
組合としても、当初より一切の
説得に耳をかさず、一挙に
ピケラインを突破する如き態度は、
労働者としてとるべきでない。」これは私は賛成でございますし、この点は、この部分については敬服いたします。これは
裁判所より進んでおる。第二
組合がこの場合「一切の
説得に耳をかさず、一挙に
ピケラインを突破する如き態度」は
労働省は否定しておるのだ。
説得に耳をかさなければいけない。ちよつと待
つたということに対しては待たなければいけない。そこで現場の
工場入口の
ピケツトラインのところで公然と
一つの
説得を受けなければならないということをお認め頂いているわけじやないかと思うのです。ここで少しく説明のために、わかりやすく言うために言いますと、ラグビーというような競技がある。競技というものは競技制というものがなければ
暴力です。
暴行、
脅迫でもあるわけです。けれどもルールをちやんときめて、そうして一定のルールに
従つて試合を競うことになりますと、それは適法な
行為であ
つて競技
行為になる。相撲だ
つてそうです。職業上のレスリングなんというのは実はあのままで
暴力でないかと思われるくらい
暴力が使われるのですが、違法な
暴力とはもう言わない。そういうふうに法秩序の中で自由に
争議してよろしいなんていう分野は極く僅かしかない。家庭
争議と
労働争議しかない。(笑声)そこでこれをルール化すれば、ルール化しない場合にそこを見ればもう
暴力に亘
つているじやないかということでありましてもルール化すればそれはルールで、ルールに副
つておればそれはもう不法なというところをはずしていいことになるわけです。そこでその
ピケツトというものをルール化するに当
つて、これは立法によ
つて勿論ルール化できますが、一々立法によらずとも労使の自然の発展によ
つて一定の踏むべきルールが地固まりがして参りますと、
使用者側でも労組側で
ピケツトを張
つておりましてもこれは
暴力のために張
つておるとはだれも考えない。ああルールに
従つて例の
ピケツトだな。そこで一先ず
説得を受けなければいけないと言う。
説得を受けても芯がしつかりしていてなかなか応じなけいば応じられないでいい、こういうことになる。又
労働者の側でもルールに副
つてピケツトを張り、スクラムを組んで通つちやいかんと言
つておる。これは無制限に
一つ暴行、
脅迫をしてやろうという頭は全然ないわけです。ルールに副
つてやろうという頭しかない。それでやるだけのことをや
つて、どうしても応じてくれなければ非常に良心分子で気の弱い課長が一人で来たというときにはああそうかと帰るかも知れない。併し帰らない人も来るでしよう。そういう多少の時間をと
つたということで満足して通してやるというふうにルールというものはなるものだろうと思うのです。そこのところのこれを考えずにいいとか悪いとかきめつけるということは何か非常にこの事態を理解しないやり方だという感じがいたします。そこで、ルールを競技の場合のルールを例にしながら、社会競技みたいなものですから、この
争議の場合を何か緊張せずに軽妙酒脱に解決を願
つて行く方法はないものかなあと思うわけでございますが、まあそんなようなわけで考えますと、これらの
次官通牒が示した段階というものは、なかなかこのままでわかりにくいわけですし、いろいろ質問もいたしておるわけでありますが、これがやはり事実そのものに何らかの意味でこれ即している点もあるので、これからうまくルール化して行
つたらいい、こういう感じはいたすわけでございます。その場合、ルール化した場合には、ルール化しない場合、ただその
行為を端的に見れはすでにそれは
暴行じやないか、
脅迫じやないか、威力じやないかというようなことでも、ルールの中にちやんと制度化されているために、
暴力ではない、威力ではないという見方をしなければならなくなるだろうと思うのでございます。そうして或る程度実際の
争議というものを正しく眺めることができるようになりはしないかという感じがいたします。
次に数字の(5)に参ります。
組合員に対する
ピケ。「
労働組合の
組合員は、
組合の
統制に服すべき義務と責任を有するものであるから、
ストライキ中、
組合の
統制に違反して就労しようとする
組合員に対しては、
組合の
統制を紊した場合は除名その他の
組合規約上の懲罰に付されることがあるべき旨を告げて、その反省を求め、
統制に服すべきことを要求し、情理をつくして
説得に努める等の
行為は当然正当であ
つて、
組合員であり乍ら
説得に全然耳をかさずに実力で
ピケツトを突破する如きことはなすべきではない。」こういうふうに書いてありまして、現に
組合で
争議に入
つておるけれども、
組合員のままで以て
組合の
統制を乱している分子に対する
説得のことを指しているわけですが、この場合には、除名その他の懲罰に付される等のことを告げて反省を強く求めるというふうなこと、
統制に服すべきであるということを要求する。そうして情理を尽して
説得に努める等の
行為が当然正当と考えるのでありますので、
争議中に脱退した第二
組合員よりはなおなお強気
説得、強硬なる
説得ができるということがこの
表現から読みとれるわけでございます。併しそれが具体的な場合にどういうことまでできるのかということが、こういう
用語によ
つてはわかりません。で、その次を読みますと、「然し
組合としても
説得に名をかりて不当に自由を拘束して多衆の威嚇によ
つて所謂吊し上げ等を行い、又はあくまで
説得に服さない者に対して
暴行、
脅迫その他不法な
実力的手段によ
つてなおこれを阻止する等のことは、
平和的説得の
範囲を逸脱し、正当な
行為とは解しがたい。」集約がしてありますわけですが、ここは私は問題も刈りますし、質問もいたしたいと思います。「
説得に名をかりて」とありますが、こういうふうに
説得に名をかりるだけであるのだ、根本の肚は
暴力なんだということが外観上も状況上もわかる場合なら私はこれで少しも依存はないわけでございますが、それがなかなか、名をかりた、単に「名をかり」たのであるか、本当に
説得をしておるのであるかが分別がつかないのですから、むずかしい。進歩的な裁判官なら、ああこれは
説得なんだと言
つてくれるところを、非常に初めから否定的な裁判官ですと、いやそんなのはもう名をかりただけだと、こういうふうに判断の差が出てしまう、それをもつと
法律上の一般語で、この段階から上はいかん、この段階から下はよろしいというふうなわかりやすい置替えをしなければなるまいかと思うのでございます。そこでここで問題を指摘しますと、「多衆の威嚇によ
つて所謂吊し上げ等を行い、」とあるのですが、この場合でも団結の自由は認められるのでありますから、「この多衆の威嚇」というものは、それが度を過ぎれば
脅迫という観念に断るのです。
脅迫に当れば、もう
脅迫はいけないということは労使共に異存はないわけなんです。
脅迫の程度に達しない多衆の威嚇というものは、これはその
意思を制圧するのですから威力でございましようが、さつきも申しましたように、
団結権が憲法で保障されてから以降、
組合員が
統制のために多衆の威力を用いるということが一体違法性があるのかないのか。これは実にこの
用語上疑問であります。この辺はそういうふうに、禁止しなんでいい
範囲まで、或いは幾分危険に近付させないために、大きく、いけないぞとこうやつちま
つていらつしやるのじやないかとまあその辺の感じがいたすわけでございます。それから「あくまで
説得に服さない者に対して
暴行、
脅迫その他不法な
実力的手段によ
つて」阻止することがいけないという点につきましては、先ほど何回も繰返しますように、この基本的な
考え方に書かれた
用語の
内容如何でこのままでいいし、
内容如何ではこのよまではよくならなくなる、こういうふうに感ずるわけでございます。このようにして、この
次官通牒は、相手の異なるに
従つてピケツトの段差を置かれている。それで、
組合員に対する
原則として
労働組合の
統制力は内部
統制だというその
組合員に対する
ピケにつきましては、ここにありますよりに、情理を尽して
説得に努める
行為は正当だとあります。それから、脱退した者に対しましては、
説得に極力努めるは当然で、その第二
組合員としても当初より一切の
説得に耳をかさず一挙に突破するごとき態度はいけないと、こうありますので、
組合員である場合にはもうこの
組合の
説得に相当時間をかけられても忍ばなければならない、こういうことが入
つているものと考えていいじやないかと思います。そこで、
用語をこの「
説得」というのはこれは
平和的説得の意味なんだ、こういうふうにとりますと、
スキヤツプ以降の場合でなければ、つまり相手が
労働者階級でなければ、
ピケット権というものは行使できないのだということにな
つてしまうのです、この
用語上では。ところがここに書かれてあります趣旨は、恐らくそういう趣旨ではなくて、
第三者に対する場合の
争議に対する理解と協力を温和に要請するとか、
組合員以外の
労働者に対する場合の
争議に対する理解と協力を、温和ではなくて一般に要請し得るとかいうふうなことも
ピケの一態様としてこれはお認めにな
つている趣旨ではなかろうかと思うのでございます。そうすると、私が申しましたように、平和的説明というものの
範囲が非常に重心の深いものだということが御理解願えるのじやないか。そこで
一つの
争議行為の上のルールということをこの場合前提しますと、一番ルールの上で基礎となり低いところとなる、全然
争議に関係のない第三名というものに対して、
平和的説得というものがどの程度行えるかというものを設けますと、それから適当な段差をおいて今のような対象に
従つて通常なら違法視されるようなことも
争議ルールとしてはよろしいということで、逐次段階が積まれるということでなければ胸が落ちないような感じがするわけです。そうかとい
つて暴力まで行
つてしまうという意味ではございません。そうでなくて、通常違法視できるかどうか疑問あるような領域におきまして、相当な程度までは
争議行為の場合それをルール化して違法性を阻却できるのじやないか。実際はそういうふうにしないと
争議行為という現象の妥当な分析を果すことはできないのじやないか。そういうふうに私は考える次第でございます。
そこで大変時間をとりましたので、そのほかの部分をずつと省略いたしまして、一番
最後の第八項の「相手方の違法
行為」等に対する対抗的
行為という条項を結論的に触れまして一応説明を終りたいと思いますが、これによりますと、「相手方が法令又は
労働協約違反等の
行為に出た場合にも、
原則としては、法の定める手続に
従つて救済を求めるという方法によるべきであるが、相手力が
争議のルールを、やはり
次官通牒にもルールということを言うておるわけです。「
争議のルールを無視するような法令、
協約等の違反
行為をなす場合、例えば、代替要員雇入禁止条項違反、
争議不参加要員協定違反等の場合には、それに対応する必要最小限度において対抗的手段を講ずることが正当化される場合がある。」私はこの
用語の中で、「それに対応する必要最小限度において対抗的手段を講ずることが正当化される」この
表現には私は反対なんです。これに対応する必要にして相当なる対抗手段を講ずることは正当化される。必要にして且つ正当というところが妥当ではあるまいか、どうしてこの場合に必要にして最小限度の対抗手段としばらなければならないか。正当防衛などの刑法理論のほうも最初は補充の
原則というて必要止むを得ざる
行為というだけであ
つた。ところが長い間の
判例の変遷で必要にして相当というところへ
判例学説は殆んど国際的に集中して来ておりますので、なぜこの
労働者側の
争議行為ばかりが「必要最小限度」という
表現で飽くまでしめられなければならないかということは問題があるかと思いますので、このへんはこの
表現につきましては私は学理上反対でございます。
それから二番
最後のほうで、相手方の違反
行為、相手方が違反
行為をしたという場合に、「相手方の違反
行為に対抗するために直接に必要やむを得ないと認められる場合に限られ、」その対抗
行為の
正当性の判断、基準が書かれてある中に、一番
最後の集約によると、「相手方の違反
行為に対抗するために直接に必要やむを得ないと認められる場合に限られ、且つ、その場合でもその方法、態様において社会通念上妥当とされる最小限度のものでなければならない。特に、
暴力の行使又は
脅迫等の
行為は、如何なる場合においても許されない。」このように厳しいものでありますが、私はこの注目すべき
次官通牒の一番
最後の結論的な部分につきましては私は遺憾ながら同意しがたいわけであります。これはまあ一般の労使を啓蒙教育するというときには大体この
最後のところはそんなことに触れないでいいことでありましようけれども専門的に分析する場合にはこの
表現につきましては私は満足できないわけであります。どういうふうに満足できないかと言いますと、相手方の違反
行為に対抗するために直接に必要止むを得ないと認められる場合だけだ、こういうのでございますが、先ほどありましたように、必要にして相当なもものは認めるべきだ、「直接に必要やむを得ない」という
表現に反対でございます。又「且つ、その場合でも方法、態様において社会通念上妥当とされる最小限度のものでなければならない、」これは補充の
原則をここで出しておられるのですが、
争議行為が初めから犯罪だ、こういう前提でその犯罪である違法性を阻却するのだという
考え方で行けば、補充の
原則の適用ということも理論上考えられるわけでありましようが、私は
争議行為というものは憲法が保障した通常正当
行為だと考えております。そこでかような補充
原則を適用することには初めから反対でございます。相手が違法の挑発をする場合に、それに対抗するために必要にして相当な
行為をすることは当然でなければなりません。
最後の「特に、
暴力の行使又は
脅迫等の
行為は、如何なる場合においても許されない」とあるのはこれは私
法律的に反対。反対なるゆえんを少しく、私は
暴力を称揚する趣旨はちつとも持
つておらない。最も平和な労使関係の発展を念願するものでありますが、併し一般刑法の学説
判例の到達しているところよりも厳格なる
労働者の
争議行為についての労働刑法としては、一般刑法が到達したところよりもつと縮小
解釈しなければならないという理窟にはどうしても服するわけに行かないわけです。
そこでこの点につきまして、私は重要なと思われる
判例を極く短く紹介いたします。極く最近でありますが、
昭和百十九年の四月七日の大法廷判決、これは特に注意しないと見落してしまう判決でありますが、これは大法廷の判決でありまして、而も
争議行為の
正当性の
範囲についての画期的な判決だと言わなければならんのであります。これが
最高裁判所の
判例集に載
つた際に、特に判決要旨というものをしぼられてしま
つた。それで極く大まかに読む人はこの判決要旨だけを読みまして、そんなことが判示されているなと思うだけですが、小法廷とか
下級審の判決でしたら上級判決と比較いたしまして判示されている点を省いて、極く妥当な部分だけをしぼ
つて判決要旨とすることが、判示事項として狭いものを表示することは差支えないと思いますが、大法廷の判決はもうこれ以上のものは何にもないのですから、大法廷の判決というものは全文が判示事項でなければならない、理論的に私はそう思います。そういう主張です。それから見て参りますと、この
事件は極めて注目すべき判示があるわけです。
事件そのものはこれは
昭和二十四年(れ)第八百九十八号傷害
暴力行為等処罰に関する
法律違反上告
事件、これは埼玉県の東洋時計の数年前の
争議で乱闘のあ
つた事件だと思います。それで事実関係はここでは参照にはならないわけです。これらは何人が見てもまあ
行き過ぎの
行為ということが行われたのでありますが、それが傷害
暴力行為等処罰に関する
法律違反に該当することはこれは、私は少しも異存のないところでありますが、その上告審におきまして、さまざまな判断が示された中にこの判決文の理由にはこう書いてあります。一番理由の冒頭でございます。「憲法及び
労働組合法において勤労者に
団結権及び
団体交渉権、その他の
団体行動権が認められている以上、これらの
団体交渉権の正当な行使のために他の個人の
自由権その他の基本的人権が或る程度の制限を受けるに至ることがあることは当然である。その制限は
団体交渉権等が正当に行使される場合において、そして正当に行使されている限りにおいては
法律上許さるべきものであ
つて、何人もこれを甘受すべきものと言わなければならない」こういう文言があるわけでございます。これはこれだけ読むと極めて当然ですが、大法廷がここまで書いたということは画期的なことでありまして、これで多くの論争を一応止めたと思います。正当な
争議行為は他の個人の
自由権その他の基本的人権を制限するに至るんだ、こういう点が判示された。それでその正当な
範囲というものはどういうものだということは社会通念できめるんだ、こうな
つておりますけれども、その社会通念で正当だとされた場合のその法規の適用関係につきましては、今のように明示されましたので、正当なという判断はさつきも触れましたように、
暴行、
脅迫その他の不法な実力の行使その他の、不法な実力行使ということは問題とな
つて来るわけでございます。
暴行、
脅迫、器物毀棄その他等価値の
行為を除きますと、社会通念で正当だという判断を受け得ることになる可能性が出て来るわけです。それから更に進んでその理由の中ほどへ来ると、これは御注意願いたいのですが、「勤労者が
団結権又は
団体行動権の行使として行動する際に、他人から急迫不正な侵害その他の挑発を受けたために」、これは他人というものは
使用者でもいいわけです。「他人の権利を団害する
行為をした場合にその勤労者の
行為が正当防衛
行為、又は緊急避難
行為となる要件を充たしていたときは、その
労働者は右の権利侵害の
行為について刑法三十六条、三十七条の規定により刑事責任を問われない」。これが判決要旨として表題は掲げられないために多くの人は見落しているのですが、大法廷の判決でありますから、全文判示事項と見るべきである、これも判示事項であるとして重視しなければならない。そこでこれで行きますと、
使用者側の
暴力的挑発を受けたために正当防衛、緊急避難等を行な
つた場合には、その
行為の態様がもう
暴力的な
行為にまで行
つてお
つても、その
争議行為は
正当性を失わないという判断を大法廷がされたわけです。これは非常に影響力の大きい、そうして今までいろいろな労使間や力関係のために
下級審が明示したくても明示し得なか
つた一つの
法律解釈をばつさり受けたというものでありまして、立法当局でも御注意頂きたいと思うところでございます。この点の論争は去
つたと見なければならないかと思うのであります。
そこでこういう結論を大法廷で出ましたあと、これを
争議行為の面においてどういうふうにこの判断をして行かなければならないか、その影響の及ぶ
範囲というものを考えて行きたいわけでありますが、私ども刑法三十五条のというものにつきまして、こういうふうに考えるわけでございます。これは通説を申上げるわけですが、片寄
つた解釈を申上げるわけではないのです。刑法三十五条は要するに或る
行為はたとえそれが犯罪構成要件に該当する場合でも、違法性がないと認められる限り、即ちそれが正当
行為であると認められる限り犯罪とならないということを明らかにしたものだ、これが刑法三十五条の只今では通説です。正業
業務行為というにとどまらず、正当な
行為は罰しないという社会通念が正当と評する
行為は罰しない。ここでちよつと理論ずくめでむずかしいから、極くわかりやすい例を申上げてわかりやすくいたしましよう。医者の資格のないものがありまして、もぐり医者が医療
行為をした。それが
事件になりまして、
最後は
最高裁まで、これは古い話ですから、大審院まで行
つたというわけです。そこでこのもぐり医者の医療
行為は違法な
行為なのか、適法な
行為なのか非常に問題になる。そこでこの最終判決がどう示されたかというと、もぐり医者の
行為は医師法違反ではあるけれども、その行な
つた医療
行為は医療を目的とした限りでは違法性がない。人間の身体に薬を飲ましたり、少し手術をして怪我させたりした場合には、それは違法性がないんだというふうにまあ
裁判所ではな
つたわけであります。学説も賛成いたしましたし、そんなわけですし、医療
行為というふうなものが無資格で行われても、その医療
行為自体が医療
行為であ
つたために
正当性を失わなか
つた。そんなふうな例を見ますように、その問題とな
つた行為自体が傷害その他の
暴力罪名に触れておりましても、社会通念がこれは違法性がないんだ、社会通念上是認していいんだ、こういうことになりますと刑法三十九条を適用して正当
行為だと判断をされれば、形式上或る犯罪構成要件に当
つておりましても刑法三十五条で罪とならないと、こう判断されるのであります、そこで
労働組合法一条二項ができまして、丁度それと同じようにな
つておるわけであります。
ところがちよいちよいと間違いがありまして、例えば公益
争議など手続違反があると、その
争議行為を初めから、てつぺんからみな違法だ、これは損害賠償でも刑事免責でも受けない。それをもう
業務妨害罪であるし、損害賠償は免れないと、こういうふうに判断を拡張されるかたが多々あるわけでありますが、これは
次官通牒がそういうふうに
解釈しているとはとりませんが、そうではありません。ただ世の中にあるわけですが、私はまだ例を挙げているわけであります。
ところが、今のその医療
行為などから考えて、労調法違反は労調法違反、その行な
つた争議行為の罪状が通常の態様であれば
争議行為として必要で、相当な
範囲でありますればやはり
正当性を失わないと見て、刑法三十五条が適用の余地があるというふうなことが考えられはしないかというふうな、そんなふうにこの刑法三十五条というものは適用されて行くものであります。
そこで今
最高裁の大法廷の判決が三十六条、その三十五条でなく三十六条の正当防衛、三十七条の緊急非難というものについて反証されたものの意義を考えるのですが、それは刑法三十六条や三十七条は、三十五条と
本質的に異なるものではないのだ、これらを違法阻却事由の特別規定だと見るべきだと、そうすると刑法三十五条は違法阻却事由の中の一般法と言うて差支えなかろう、これは通説でありますし、私もその説の妥当を信ずるものでありまして、その刑法三十六条、三十七条はその要件が明定されているので、
解釈の如何によ
つては法意織に照して犯罪性の認められない場合においても正当防衛、又は緊急避難に当らないとしなければならない場合もある。例えば正当防衛の場合、その防衛した権利と、それから防衛のためにその相手にされた権利とが公法益均衡をして丁度同じだというような場合には、狭い意味の正当防衛にはならなくなる。避けんとした害のほうが、その正当防衛の行使によ
つて失な
つた害のほうが大きいような場合には勿論過剰防衛になるのです。過剰にはならないが少くはない、丁度だというようなときにはなかなか難問がある。緊急避難の場合にも難問がある。そうい
つたような場合に三十六条三十七条の要件こそは具備しませんけれども、なお社会通念に照して
正当性を考え得るじやないかというふうなところから、法規を越えて超法規的な違法阻却事由というものを刑法学者は考えておるわけです。これはもう現在では通説です。単に犯罪構成要件に該当するという一事を以てすべてこれを犯罪とすることは、本来犯罪構成要件というものが類型的に定められている、
本質上甚だ苛酷な結果を生ずる場合があるのであります。危険もあるわけであります。そこでいわゆる超法規的に違法阻却事由とも言うべき一般的な違法阻却事由を認めて、法の形式的適用を排除し、法の運用に当る裁判官の合理的判断に任せて、具体的事情に即応した実質的正義を具現しようということは構成要件的
行為に対する違法性の推定を認める限り不可欠の要請であると言わなければならない。刑法三十五条のこのような重要な意義を自覚すると、刑法各則の抽象的刑罰規定は必ずこの刑法二十五条による価値評価を受けることなくしては適用することを得ないものと言い得るのだ。その意味で三十五条というのはまさに刑罰法令と
本質的に関連性を有するものである。この三十五条と切離して個々の刑罰法令の運用をすることは全きを期し得ないというほどに刑法三十五条を考えなければいけない、そういうわけで超法規的違法阻却事由というものを現在の刑法学者が、これは実務家もそうでありますが、通説として採用しております立場から考えますと、すでに大法廷が
争議行為の違法性阻却につきまして三十六条、三十七条のような場合には違法阻却があると言うた以上は、それに関連し、それに隣接するところの一般社会通念でこれも罰し得ない、これも罪とは言えないのだ、こういうふうに是認し得る
範囲の
争議行為というものは正当な
争議行為だという評価をしてもよろしいということに大法廷が確認したと言
つて妨げない。その見地から考えますと、この
次官通達の最終の
表現は私はこのままでは多くの疑問と誤解を生じて行
つて危険であるというふうなことを考える次第でございます。この
次官通達がどの
範囲に通達されたか存じませんが、恐らく検察官も裁判官もこれを御覧になるでしよう、そして従前の法廷における
判例の集積の傾向が今私が御紹介申上げた程度にまで進んでいるにかかわらず、労働関係の専門省であります
労働省の
次官通達が教育乃至は
解釈として出される、これがそれに多少でも食い違
つたことが出まして、何らかのその影響が及ぶということにつきまして私は懸念せざるを得ないわけでございます。そのような個々の点につきまして懸念いたしますので、その意味で拡大
解釈を願
つては因ります。その意味では先申上げましたように、
労働運動を萎縮する傾向にこの通達が働く危険がありはしないか、かく申上げた次第でございます。
大変長い間の御傾聴を感謝いたします。