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1954-11-17 第19回国会 参議院 労働委員会 閉会後第12号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十九年十一月十七日(水曜日)    午前十一時四分開会   ―――――――――――――  出席者は左の通り。    委員長     栗山 良夫君    理事            井上 清一君            田畑 金光君    委員            早川 愼一君            藤田  進君            吉田 法晴君            赤松 常子君            石川 清一君            大山 郁夫君            市川 房枝君   事務局側    常任委員会専門    員       磯部  厳君    常任委員会専門    員       高戸義太郎君   説明員    労働省労政局労    働法規課長   石黒 拓爾君   参考人    旭化成工業株式   会社常務取締役  宮崎  輝君    明治大学教授  松岡 三郎君    日本石炭鉱業経    営者協議会専務    理事      早川  勝君    中央大学教授  南 亮三郎君    弁  護  士 小林 直人君   ―――――――――――――   本日の会議に付した事件労働情勢一般に関する調査の件  (労働政策に関する件)   ―――――――――――――
  2. 栗山良夫

    委員長栗山良夫君) 只今から労働委員会を開会いたします。  本日は、労働情勢一般に関する調査を議題といたしまして、労働政策、殊に十月二十六日の小坂労働大臣の談話及び十一月六日の労働次官通達に関連しまして、ピケッティング正当性限界について、参考人方々の御意見を聴取いたしたいと存じます。  参考人の方に一言御挨拶を申上げます。本日は非常に御多忙のところを御出席を頂きまして有難うございました。本件につきましては、当労働委員会においてすでに調査を行なつて来ておるのでございますが、この際、具体的な問題が出されておりまするので、忌憚ない御意見をお聞かせ頂きたいと存じます。なお、御発言の時につきましては、四十分前後にお願いをいたしたいと存じます。  それでは、最初に旭化成工業株式会社常務取締役宮崎輝君の御意見を伺いたいと思います。
  3. 宮崎輝

    参考人宮崎輝君) 私は、本日は使用者側といたしましてお伺いしたのであります。従いましてピケッティングにつきましても、使用者側といたしましてはかくあるべしという希望的な意見はございます。併しながらそれは同様に又組合側の方にもそういう希望的な御意見があると思いますので、私は本日はそういう一切の希望を捨てまして、特に英米の例であるとか、あるいは日本における判例を通じまして、確定されているところのピケツテイングの問題についてお話いたしまして、そうしてこの労働次官通牒に対する我我の所見を極く簡単に触れさして頂きたいと思います。  大体皆様御存じのように、ピケツテイングというものは、これはピースフル・ピケッテイングとアンピースフル・ピケッテイングというものがあるということは、もう議論のないところで、法律上許されるものは前者である、ピースフル・ピケツテイングであるということは、これ又議論のないところであります。併しながらピースフル・ピケツテイングとは何であるかということにつきましては、これはすでに欧米においては、長い間の労働運動歴史からして、はつきりした範囲が確定されております。で、日本におきましては、その歴史が浅いために、それほどまでにはないといたしましても、判例等において、相当詳細にその内容が判明いたしております。無論最高裁判例というものについては、例えば暴力行為とは如何なるものであるかというような点については、最高裁判例がありますが、ピケそのものの問題については、地裁であるとか、或いは高裁であるとかという方面判例でありますけれども、その数は相当にあるのでありまして、要するにピケというものの合法性限界というものに対しては、すでに日本においてもその解釈はつきりしていると思います。勿論個々具体的な場合において、判例におきましてもその表現のニュアンスにおいて、或いは又例外を認めたかのごとき表現をしている場合もありますけれども、その合法性非合法性本質的な限界そのものについては、もはや解釈はつきりしていると申して差支えないと思います。御存じのように英米におきましては、これは英国においては一九〇六年のレーバー・デスイアース・アクトというものによつて、そのピケというものに関する解釈及びその後各種の判例等によりまして、そのピケの明細がはつきりいたしております。特にアメリカにおきましては、一九一四年のクレイトン・アクトにおきまして、同様にピケの問題についてのはつきりした限界が示されております。特にピケにおきましては、アメリカは極めて範囲を厳格に規定しておりまして、例えばすでに説得をした者に対して、これを肯じないときに更に繰返して説得をすることは許されない。或いは三人以上の人間が集まつて威力を用い、又は暴言を吐いてこれを説得することは許されないというように、極めて制限的に解釈をいたしております。併しながら日本判例におきましては、皆様御存じのように、やや英米の例よりも緩やかであります。それは一つには、ピケを行う主体、又客体、又そのときの個々の具体的ないきさつ、及び情勢等によつて個々に判断する変化を認めているというような点においては、米英よりもゆとりがあります。そういうようなゆとりのあるところにもつて来て、現在の発表されました労働次官通達も、そういうところを分析いたしまして、そうして割にうまく配列したというにとどまるのであります。その内容についてはいずれあとで批判をいたしたいと思います。  然らば、ピケというものについて、なぜかくのごとく今頃問題になつたかというバツク・ボーンについて先ず申上げたいと思います。これは実は私自身昭和二十三年に大きな争議を経験いたしまして、一万五千人の従業員ストライキをいたしましたが、応援が一万人加わり、二万人、この組合執行部全員が共産党でありました。そうして会社赤字であろうが要求する、赤字であるならばなお要求するというスローガンの下にストに入つたのでありますが、そういう指導方計でありますために、忽ち第二組合が発生いたしまして、急速にこれが膨張し、一万三、四千に対して、争議組合最後は二千名くらいだつたと思います。その途中におきましては、第一組合が操業する場合に、交替勤務につくときに、中に入るときに第、組合ピケでスクラムを組んで入れないわけです。ところが工場内の発電機は廻転している、特に硫安工業高圧ガス取締法の取締りを受けるような非常に高圧の機械を運転しているので、いつ爆発するかわからない。そういう危険な状態にあつても就労することができない。それで万やむを得ず横から塀を乗り越えて就労するという状態もありましたが、夜中の深夜業の交替のときにも同様なピケで入れない。大体工場というものは工員、係長、組長というような一つの秩序を持つた者が入らないと運転することができないのです。そういうときに、我々はこのピケというものが許されるであろうか。業務の正常な運営を阻害する行為は一切許されるというのが当時の警察解釈でありまして、如何ともし難い。それで我々はこういう争議が許されるとするならば、仕方がないからこれを突破するためにスト・ブレイカーを雇うということも仕方がないというので、数百名のスト・ブレイカーを雇いまして、当時は占領軍がありましたか、占領軍検察庁公安委員会の前においてこれを我我は言明したのであります。そうして夜の十一時にこれをいよいよ決行するという段階になつて、集合を命じたときにおいて、初めて検察庁はこれは流血の惨を見るからやめてほしい。そうして一人だけあけてもらつて漸く通過ができたという例があるのでありますが、これが私のほうにおけるピケツテイングに対する初めての判例として、数日前の朝日新聞に書いてあつた例であります。そういう例を私自身が経験しておりますが、その後例えば三越事件における顧客をピケで阻止しているということ、旭ガラス事件において、運搬する運搬業者を阻止したために、運搬業者組合相手つて組合財産の仮差押を執行したという事件、それから最近においては近江絹糸山梨銀行事件におきましては、重役その他の人を事務所に入れまして、それを外に出さない。例えばこの東京における近江絹糸の銀座の支店の例におきましては、夏の暑い真最中ですが、女の事務員も一緒にこんなところに寝ている、二日くらい……。勿論風呂にも入らない。便所に行くにも制限する。これは丁度中共における戦犯に捕えられた人が、便所を制限されることほど辛いものはない、遂には泣き出すというようなことを言つておりましたが、そういうことが行われた。食事に対しては、自分らは苦労して御馳走を食べていない、君らも食べてはいかんというので、ミルク、パンというものは与えるけれども、においのする栄養のありそうなものは食べることを認めないというので、私は現に見て参りましたが、八百屋その他の入るのをチェックして小に入れない、そういうことが行われておりますが、山梨銀行におきましても、籠城組に対して、食料の搬入その他のことを全部阻止いたしております。こういうようなことが争議行為として許されるであろうか。特に最近における室蘭争議においては、更にひどいのであります。第一組合の家庭に対して爆竹を放りこみ、その奥さんや子供が殴られるというような事態が頻々として起つているのでありますが、これはすでにピケ範囲を甚だしく逸脱いたしております。併しながらそういうことは案外に、室蘭にしてもやはり遠隔の地であるとか、或いは近江絹糸のように、経営者が極めて評判が悪いというようなことで、案外にこれは閑却されているのでありまして、併しながら東京証券取引所争議において、初めてこの事実を明らかにしたということなのであります。而も又裁判所が物品の搬出入を阻害してはならないという明白な仮処分命令を出しておるにかかわらず、これがピケのために出荷不能に陥つて、これは近江絹糸富士宮室蘭においてもその例があります。そういうような極めて明白な裁判所命令すら執行されていないというこの事実は、どうしても法治国日本としては、ああいう解釈を少くとも確定し、発表せざるを得なかつたバツク・ボーンであると思います。併しながらピケとは如何なるものをいうかということは、学者に委すといたしましても、これはいやしくも疑義がないのは、ピケというものは、第一に組合員の脱落を防止すること、第二は、外からの勅労希望者や他の組合に対し、争議に協力せしめること、第三には、使用者に対する示威を行うこと、第四には、ストの存在を知らしめ一般輿論を喚起すること、こういうことがピケ本質であろうと思います。従つてピケは飽くまでも争訟の補助手段に過ぎないのでありますけれども、現在におきましては、ピケそのものは独自の争議行為として現われて来ておるのであります。  一体ピケというものは、以上述べました通りに、使用者に対する示威にとどまるべきに反しまして、現在は使用者自身に向けられ、そうして使用者の営業の阻止に向けられておるのであります。私は一体争議行為というものはどういうものであるかということを考えてみますと、ピケも又争議行為の一態様として、争議行為そのもの本質を考えてみますと、これは判例に明らかに出ております。争議というものは、お前たちの力でやれるというならやつてろというのであつて、お前たちにはやらせないぞというのではない。これは判例はつきり言つております。即ち、使用者争議により正当な業務運営の阻害は是認せなければならないが、業務を休止すべき義務を負うものではない。これは昭和二十八年六月九日の大阪地裁昭和バルブ事件でありますが、おおむねこういう趣旨の表現が使われた判決がたくさん出ております。つまり争議によつて、或いはピケによつて使用者業務遂行そのものを妨害し、使用者従つて妨害を是認すべき義務はないというのが、これが争議行為本質なんであります。従いましてピケの違法、適法の限界は、いわゆる労組法第一条第二項による解釈によるのでありますが、要するに、いわゆる憲法二十八条に保障せられた団結権団体交渉権及び争議権というものと、その他の自由権又は財産権保護との調和を破らないこと、即ちそういうことが争議正当性限界である。これは山田鋼業事件最高裁判例であります。従つて例えば自由権争議権との調整を言うならば、自分自由意思によつて就労をやめるということは、争議として許されるけれども、他人が、他の労働者自由意思によらずに、これを争論行為又はピケによつて就労を阻止する、その自由意思を強制するということは、これは許されない。団体としての、例えば利益を与えないということはできておつても、個人としての由自意思個人としての法益を奪うということは許されない。これが現在の解釈なのであります。従つて使用者その他の第三者に対しても、同様にその自由意思を拘束することは許されない、従つて財産権について言うならば、その管理権を剥奪する、いわゆる生産管理は違法であるというのが、最高裁判例なのであります。  こういうことにつきまして、然らば現在の労働大臣次官が出した通牒はどういうものであるかということについて、簡単に批評したいと思います。これは私は先ほど申しましたように、当然のことを言つたということ、その時期についてはむしろ遅過ぎる。内容については多少異議があります。と申しますのは、第一点は、この通牒如何にも行政解釈法律的にはピケ解釈を確定せんとしたものであるか、或いよ訓示をした、お説教をしているというのであるか、どうもお説教過ぎるというのが第一点、第二点は用語が極めて不統一であるということであります。これはこういうような法律的な解釈をするについては、非常に大事なことでありますが、極めて用語が不十分である。例えばピケに対する考え方といたしましても、使用者又は利益代表者に対するピケについて議論する場合に、例えばこれらの者の正当な業務のために出入ピケによつて阻止してはならないと、こういう言葉を使つております。然るに第三者に対しては、「これらの者の出入や正当な業務を妨害することは許されない」、こう言つております。つまり使用者の場合は、正当な業務のための出入でなければ阻止していいのだ、第三者出入そのものを阻止してはならないというふうに誤解される余地があるのではないか、そういう点、それからその次の点は、例えば「組合員円以外の労働者に対するもの」と、(3)にありますが、その言葉に、「暴行脅迫その他の不法な実力等を以てこれを阻止し、その就業を妨げる正当な権限を有するものではない。」こういう表示を使つております。争議中に組合を脱退した従業員に対しては、「暴行脅迫その他不法な実力等によるピケツトは許されない。」「不法な実力等によるピケツトは許されない。」というような書き方をしている。それから「組合員に対するもの」に対しては、「暴行脅迫その他不法な実力的手段によつてなおこれを阻止する等のことは、平和的説得範囲を逸脱し、正当な行為とは解しがたい。」、どうしてそういうわざわざ表現の仕方を一々変える必要があるのであろうか。むしろ却つて誤解を招く虞れはないかというような点が一つであります。又その他、そういうように、いろいろ用語の問題がほかに、例えば「基本的考え方」の(三)というところを見ますと「労働組合団結に基く統制力は、原則として、組合員範囲にしか及ばないもの」ということを書いております。一体労働組合統制力組合員以外に及ぶ場合があるのか、「原則として」と書いてあるところから見ると、例外的に及ぶところがあるのじやないかというようになるのですが、労働省が予想されておる法律的な問題が二つある。一つは、労働組合法十七条による労働協約基本的事項が、少数組合員により有利なもの、即ち組合員以外のものに対してより有利になるものは、その協約効力少数者に及ぶというようなことを予想しておるのじやないか。併しながらそれはいわゆる協約効力の問題でありまして、統制力の問題とは違うのであります。それから第二は、それらしい思想が現われておるのは、最後に「応援団体その他」というのが出ておりますが、その中に、「労働組合の点に反し、又は統制に従わないで暴力行為等に出でる事例が時に見られるが、かかることは厳に慎まなければならない。」という書き方は、如何にも応援団体労働組合統制に服せねばならんということですが、これは事実行為としての問題であつて、何も法律的な問題ではないのでありまして、こういう予想はされておりますが、「原則として」というような書き方は、如何にも第三者に対する誤解を招く慮れがあるのではないかというように思います。  然ばらこの通牒というものは、先ほど申上げましたように、要するに現在の判例でもつて確定されたことを、これを分析し並べて、そうして体系をつけたというにとどまるのでありますが、内応そのものは、むしろ八方美人的に、労働組合側の人からの非難も考慮したでしよう。例外があるごとく、又逃げられるごとく、却つてあいまい模糊たるところがあるということは、我々として決して満足いたしておりません。むしろどうも役人らしい書き方だというように考えております。  然らば通牒の影響でありますが、それに対して一言述べさして頂きます。要するに、こういう通牒の結果、問題は例えば業務妨害であるとか、刑法二百三十四条ですか、の業務妨害を構成するその他の、要するに違法な行為が、労働組合法第一条二項の保護を受けないで、むしろ暴力行使等に該当して、刑法上の犯罪になるというときには、必ず警察権が発動されて来る。東京証券取引所においてもそうであります。よく組合に行きますと、労働組合運動に対して警察権を発動するのはけしからん、むしろ警察組合暴力を誘発しておるのだということをよく言われるのでありますが、併しながら私ども現に組合ストライキを経験いたしておるものから見まして、日本警察、現在ですが、現在の警察ほど無力なものはない。地方に行くほどそうであります。特に国警地警市警ができましてから、市警の無力なことは何とも言えない。これは警察法が改正されましたけれども、私はやはり、余談でありますが、もう少しこれは国家全体としての警察統制がない限りは、結局警察権の発動が中央と地方で違つて来る。又地方においては人数が足りない。我々の二万数千名が、而も戦争から帰つた荒武者どもがデモをやつて警察を包囲すると、何もできない。警察というものは無力であります。そういうような点からいたしまして、果してこれを励行し得るや否や、つまり羊頭掲げて狗肉を売るの策に終りはしないかという点を非常に心配しておるのであります。  又第二は、この警察権或いはこの法律の励行をするために、組合総評であるとか全労であるとかいうことによつて、差をつけてもらいたくない。次には、東京証券取引所であるからういうのと、北海道の室蘭であるからといつて、その地域的な差によつて取扱いに差をつけてもらいたくない。やはり国家が正常な法令の解釈を適用する場合には、地域の如何を問わず、相手如何を問わず公正にやつてもらいたいということであります。私は、現在ほど国家権威を喪失しておる時代はない。労働組合運動そのもの警察権で抑制することがいけないことはわかつておりますが、併しながら行き過ぎ組合運動は、法治国としてやはり適法な範囲にこれをとどめるべきであるということは、これは法治国として当のことでありますから、その限界が、現在法律で認められた正当な範囲である限り、その逸脱したものに対しては、やはり国の権威をもつてこれを抑えてもらいたい。私は一片の労働次官通牒ではなしに、法務省又は警察庁に対して、これがやはり連絡されて励行され得るものであるということにおいて初めてこれが意味あるのではないかと思います。  最後にちよつと総評がこれに対して批評いたしておりますから、これに対する私の見解を簡単に述べておきます。総評考え方の主たるものは、その思想の根本において違いますから、それは別といたしまして、具体的内応に触れてみますと、総評考え方は、要するにスキヤツプというものの範囲を極めて広く解釈しておる。例えば使用者が入つて来て就業することも、或いは第三者が製品の搬出入を契約した使用者とすることによつて現場につ入て行くことも、或いは第二組合が発生して、それが現場で作業することもいわゆるスキヤツプかのごとくとれるがごとくに書いてあります。これは併しながらスキャップの解釈を余りにも拡大、拡張したものと思います。  それから占有理論を適用いたしておりまして、従業員工場を占有する権限占有権があるのであるからというようなことを説いておりますが、これは下級裁判所においてそういうことを言うた例があります。併しながら生産管理が違法であるということをきめた最高裁は、工場その他の施設に対する占有権会社にあるのであつて使用者にあるのではない。従つて使用者がこれを生産管理することは占有権の剥奪であり、占奪であるということを言いまして、下級審の主張が覆えされております。まあ大体そういうことであります。  以上が極めて、簡単でありますが、私の本件ピケに関する見解であります。終り
  4. 栗山良夫

    委員長栗山良夫君) 有難うございました。宮崎参考人は退席を急がれておりまするので、この際御質問のある方はお願いをいたしたいと思います。
  5. 藤田進

    藤田進君 宮崎さんにお伺いいたしますが、先ほど申されたのは、現在のピケの実相というものがいわゆる行き過ぎであるので、かようなまあ次官通牒というものが出るに至つた、むしろ時期が遅い。内容については、むしろもう少し強化したいという意味で不満であると言われ、その際裏付けとしては、地裁判例をしばしば持出されているように思うのであります。そこでお伺いいたしますが、あなたが御経験された二十三年の争議におけるスト破り百数十名を雇つて自分もそういう計画をしたが、流血の惨を見るということで、それは実施しないで、実際にはそのピケが退かされて何かやはり人が入つて来たということであつたようでありますが、これは少くとも昭和二十三年当時のことで、私もはつきりは覚えておりませんが、おぼろげに当時の事情を私もわかるわけですが、併し当時すら、占領下にあつてかなり労働組合というものは保護助成の末期にあつたときだとまあ思うわけです。だんだんと労働組合に対する占領軍考え方政策も変つて参りましたが、昭和二十一年の暮以来二十三年頃を頂点に保護助成のあつたときであつたと思いますし、そのときですら、かなりそういう今御意見がありましたように、ストライキに対する罪悪感、むしろ犯罪視する傾向は日本経営者にかなり強い、まあ封建思想というか、労使の対等の立場ということを乗り越えて、やはり身分的な関係といいますか、そういうものが、工場には残つていると思いますし、昭和三十三年当時すら、そういう労使関係が非常に対立が激化していたが、最近は多少又状況も変つて来ていて、むしろ朝野を挙げてこの次官通牒に対する、殊に学者方面からも、その他中労委の第三者皆さん方法律専門とせられなし方々においても、あの時期と方法については論難されているまあ状態です。それは簡単に言えば、やつぱり最近の労働争議の実態というものは、むしろ必要以上に警察が飛び出したり、又その飛び出す動議がスト破り経営者のほうで雇つて、先ほども引用せられた、君たちでやつてみろと、判例の中にあるとおつしやるわけですが、やれるならやつてみろというその判例を挙げて、どうぞやつて下さいとのしをつけてお願いしたわけではないが、やれるならやつてみなさい、こういうことになるのだと私は理解しておるのですが、そういうときに、スト破り雇つて来て、これは労働組合にも問題がありましよう。又そういうスト破りが来るようへ組織がなされている実態ですね。スト破りが来ようと思つても来られないだけに組織律がないわけで、むしろ第一組合を生成してますます困難になるという情勢がこういう状況の中にある。いわば労使対等の立場、力関係において労働法はそのバランスを求めていたと思うのですが、その法の解釈では、バランスがむしろ破れてしまつて、経営資本の前には非常に小さい弱い力になつている。そこに問題がやはりあると思うわけですが、こういう実態について、先ほどはむしろ逆に非常に行き過ぎがあるから、そこにスト破りが必要になる、スト破りが出て来るというところから自然そこに警察権が必要になつて来る、こういうふうに私は思つておるわけですが、この点をもう少し、東京証券の場合、或いは近江絹糸の場合、又室蘭製鋼の場合、警察が出て来たという非常に不当な状態にあるというのは、先ほど申上けた骨子から判断しているわけですが、この点を公伺いいたしたいことと、それから地軸判例ですね、高裁においては生産管理で、これも非常に稀な判例であつて、まだまだ判例を引用するという段階にはピケその他来ていないと思います。同時に地裁判例ですが、私どもはこは参考にしなければなりませんしいたしますが、ただこの際疑問に思いますのは、昨年スト規制法が出ましたときに、まあ私どもは今宮崎さんの言われるように、地裁のみでなしに、地裁、高裁含めて起訴されたわけですが、それがすべて無罪になつているわけです。地裁、高裁ともに無罪になつている。つまりあのスト規制法の対象になつた事案はこれはことごとく地裁、高裁が合法なりと断定してくれている。併し最高裁についてまだ判例が出ていない。上告中である。それが一週間前にこれは最高裁で免訴になつたのですが、その当時参考人もしばしば言つて、又地裁、高裁でもかくかくだ、だから政府の解釈は、社会通念の成熟などということは、これはやつぱり資本を保護するというだけで、対等の立場というものを考えていないのではないかと言つたわけですが、これを宮崎さんの場合には、突如として地裁判例が非常に強くここに出て来ているということが、私もう少し公平に考えた場合に、労働組合側のときには、政府はこれを採用しなかつたわけですね、遂に立法してしまつたということなんですが、そこをどういうふうにお考えになつておるのか。地裁判例というものを非常に強くお考えになつておるとすれば、昨年の、使用者側なり、そういう方々の御主張とは非常に食い違つて来ている地裁判例ですが、そういうようなものは問題になりませんか。最高裁まで来ておりませんし、おつしやつていた点から私は非常に疑問を持つわけですが、それらの事情を宮崎さんは併しどうお考えになつているのかお伺いいたします。
  6. 宮崎輝

    参考人宮崎輝君) 私のほうの昭和二十三年頃には、御存じ通りにまだまだ組合運動占領軍は助成するという時代であつたのであります。併しながら現実にその門を封鎖して、そうして働く組合員を入れない、そして工場は爆破しそうであるという現実の事実を初めて知りまして、当時検事正も立会つたのでありますが、占領軍はその時すでに法は破られておると言つておるのです。法が破られているのに、お前は検事正としてどうにもできないのかお前は海水浴に行けと言つておりました。(笑声)要するに当時あの占領政策として、日本組合運動を育成しようという時期においてすら、この現在のピケは違法であるということを彼らははつきり言つてつた。そのときのピケは、現在この労働次官通牒で言つておるように、例えば組合員が、第二組合が入るときには一旦これを阻止して説得するチャンスを与えよと、こう言つているわけです。それは総評が引用している横浜の事件もそうですが、ピケが寝込んでおるとき、寝込みを襲つて突破することはいけないのだが、そのときは一応説得するために阻止してもよろしい、而してあえて行ごうとするときに、それを阻止することは違法である、これが現在の解釈ですが、労働次官通牒もそういうふうに言つておりますが、当時はもうピケを張つて、そうして歌を歌つて示威を行なつておる、あのこと自体が違法である、こういうのが占領軍の意向でありました。それは逆に、占領軍としては日本労働運動を育成するまつただ中にありながらも、むしろ現在のピケよりも更に強い解釈をしておつたということなんであります。  それから学者とかその他の方もいろいろ議論をいたしております。併しながら私はこの間も或る学名が新聞に書いておつたのを見ましたが、もう少し時期を待つべきではないか、こういうときに唐突として出すべきではないという意見が述べられておつたように思います。併しながらこれは労働問題というものはそう急ぐものではない、例えば失業保険金の受取りというものは急がなければならないということを書いておりましたが、これは栄町が如何に迂遠であるかということです。つまり労働運動のですね、その場その場できめて行かなければならない、そうして工場の機械は運転しておる、それに圧力がかかつたらすぐ壊れるのですから、そういうときに。ピケを組んで入れない、これが違法であるか、違法でないならば、我々は工場の機械をとめざるを得ないから、違法であるか違法でないかということは、その瞬間においてはつきりしなければならない。保険金は三日や五日或いは手続が待てるかも知れませんが、併しそういうようなこと自体は、何よりも早く態度をはつきりしなければならない。我々はむしろ違法であるとか、或いはこの問題を違法にしてもらいたいということよりも、どつちかはつきりしておるということがより重大であります。而して仮にこのピケは合法であるとしたならば、我々はそれに応じて手を打たなければならないわけです、工場のミルをとめるとか……。そういうことで誠に学者というものはしようがないものだということを、私はしばしば感ずるのです。(笑声)特に意見を述べる学者というものは、これは大衆に媚びる人です。むしろ本当のことを考えている人は言わない。これが日本学者の欠点であります。自分が本当に自信があるならば言うたらいいのではないかということを、私はしばしば企業を経営しておる人間として……、例えば労働問題を離れて技術の問題にしても、一体日本の戦後の技術の復興に学者が何を貢献したか。我々がみずから外国に行つて知識を探つて来て、そうしてやつておるのではないか。国費を使つた学者というものは、もう少し国家的にものを考えていいのではないかというふうに考えております。  それから次に組織の問題でありましたが、これは私は、総評もそういうことを言つておるが、外国においてはクローズド・シヨツプなどは、これはタフト・ハートレー法では禁止しておりますが、行われておる。而も労働者が非常に足りない。従つて或いはピケ破りとか、スキヤツピングが非常にむずかしい。そういう場合には平和的なピケでいいのではないか。併しながら日本には背後に労働力が余つておる。そういうときにはただ平穏に労務を提供しないだけでは効果がないということを言つておるが、又吉田さんも多少そういうにおいがあつたのではないかと思いますが、併しこれは組合員の組織の問題じやなくして、組合自身がみずからそういう組織を拡大し、或いは大企業だけが賃上げすればいいのじやないかということだけでなしに、中小企業者も一緒に賃上げして行くという、そういう組織自身をもう少し強く組織化して行くということが、藤田さんのような大きな組合の指導者がおやりになる仕事ではないかと思つております。従つて対等な立場という議論も、この法律法律的な土俵としては対等の立場を与えておる。併し現実には対等の力を与えておらない。これもはつきりしておる。従つて非合法の綻を越えて、ピケでもつて或いは押し返して早く経営者を因らして現実の力として対等にするのが法律の認めたものだということは誤りであつて法律はやはり法律の土俵としての対等な力を与えておるだけであつて、現実の本当の実力はあとの双方の各種の事情によつてきまる。これは法律の初めからの書生論であつて誰でも知つておることであります。  それから地裁判例のことを成るほど私引用いたしましたが、これは遺憾ながら高裁の判例はまだ少い。不当行為等に関しては、有形な行使のほかに、社会的な判断から見た無形なものも含むのだというような解釈をしておる人が意外に非常に少いのでありまして、これは私はやはり最高裁まで打つてはつきりした解釈が確定されるのを待ちたいのです。併しながらこれは現在高裁まで係属しておる事件は多いのでありますが、遺憾ながらこれは最高裁まで行つておらない。途中で確定してしまつたものも随分ある。併しながらそれでは最高裁まで行つてきまるのを待つかというと、現実に先ほど申したようにあらゆる現象が最近起つておる。特にデフレ下の労働運動としては、インフレ時代のように賃上げを要求して、それが破れても元々だ、首を切られてもすぐ又はかの職につけるというようなときの労働者の気持とは違う。これはよく我々わかります。従つて現在のデフレ下の労働運動は、インフレ下の労働運動とは違つて非常に深刻である。首を切られるということは死ねということでありますから、それだけに強い労働者の反撥が出て出ることはわかる。併しながらそういうような現在の労働運動であるからといつてその行き過ぎを認めていいかというと、つまりそういう失業者に対しては、或いは国が失業保険の制度を拡充するとか、その他ここにお集まりの政治家の方々がもう少し社会保障を考えてみるとか、或いは大企業の賃上げを阻止して、それたけのものを一時の資金として取つて、それを社会保障のほうへ廻すとか、そういうような政治的な考慮は無論払わなければなりませんが、賃上げをどんどんやつておる、或いは違法はできるということで、そういう時代だから違法なピケが許されるということにならない。やはり法律、秩序は守らなければならない。併しながら遺憾ながら最高裁までの判例はありませんが、緊急やむを得ず、現在地裁、高裁で殆んど一致しておりますから、最高裁に持つてつてもこれは変ることはない。而も世界のピケ解釈はもつと激しいということから、特に現在多い地裁、高裁の判例を引用いたしましたが、これは先ほど藤田さんの御引用になつた地裁、高裁でも逆であるということとは違いまして、殆んどこれは日本のみならず世界的にもむしろ弱過ぎるような解釈であると問題はないのじやないか。で、これに対して髪際は放つて置けないからというようなことで、労働次官が一応甘い、我々よりも甘い解釈を発表されたのはいたし方がないのじやないかというふうに感じております。
  7. 藤田進

    藤田進君 いや、議論をしようとは思いませんが、ただ私は一言日本学者宮崎さんの言われるようなものではないと思いますので、そのまま了解はいたしておりませんので附加えて、きますが、更に質問いたしますけれども、お伺いすると、要するに詮じ詰めてみると、罷業権というものはやはり財産権の下にあるような感じを受けるわけです。例えば今事例を二度出された、丁度お出しになつた事例、あなたが、担当せられたという三十三年のときも、スト破りが入らなければ、或いは課長、係長等が中心に来なければその仕事がとまる。モーターは廻つているのだ。仕事はとまる。それから後ほどのお答えで伺いましたときも、それはスト破りなり、或いはその他の第二組合等、これが就業しないことによつて仕事がとまるのだ。とまるにもかかわらず、ピケでもつてこれを阻止するということはこれは違法だということであるならば、要するに仕事が継続せられるためには、あらゆるものが排除されて行かなければならんということであるから、財産権が優先しておるのであつて、その侵害のない限りにおいての罷業権だというふうに解されるわけですが、併し宮崎さんも恐らく、そう言われてはいるけれども、本当にそうなのかということを確めたいのですが、やはり罷業によつて仕事がとまる。これは会社の再つている正常の業務か阻害されて来る。それに対してはロツク・アウトも使用者経営者にとつてはありましようが、労働者労働争議をするということは問題を解決する手段でありますから、やはり法はその作業継続を求めてはいない。それは作業継続せられないということをむしろ予想して、労調法も曽つてはありましたし、現在でもございますが、それぞれの安全保持のためには云々とかいうことをきめてあるということは、とりも直さずその仕事がとまつてしまうのだ、これをむしろ法は予想しているのだと私は思うのであります。そうであれは、その作業がとまるからといつて、そこに日本のようにスト破り暴力団のようなものを雇つて来てみたり、作業がとまるからといつて東証のように警察権をここに発動したりすることは、これは公正中立の立場であるべき政府のとるべきものではないし、又経営者におかれても労働組合行き過ぎについて、私にありとするならばよろしくないと思いますので、同時にその行き過ぎを仮にあるとすれば助長激発するような経営者の手段もあつてはならん、私はこう思います。この点について、作業継続というものはこれは問題にならない。作業は当然とめられるということは、これは法が許しているし、違法ではないと私は思います。この点について、見解の相違があるかどうかをお伺いしたいのが第一点。  次は世界のピケの問題、非常に厳格であると言われておりますが、できれば具体的にお伺いをいたしたいわけですが、私ども浅い知識でございますが、先ず第一に、日本のような労使関係、延いては政治情勢というものは、殆んど私の見た限りでは、よその国では見られないと思つて残念に思つております、これは与党だ野党だという意味ではなしに、残念だと思つております。それは国情に即しない諸般の政策なり、思想が余りにも溢れているということになるのですが、例えば紛争議の際、イギリスの最近の港湾ストの場合でも、これは恐らく日本のような政府の態度であいたならば、ピケだ何だともつと問題は暴動化しているかも知れませんね、先進国であつても。要するに食糧ですね、肉だの何だのそういうものがすでに枯渇するような状態になつているが、政府は日本のような干渉をしないで解決を見たということ、それからその他欧州ではすでに社会党などが多いのですから、争議というものが必要なくなつて来ておる状態でこれは例になりませんが、仮にアメリカの場合を見ても如何でしようか。これは州によつて若干相違がございます。ピケの人数を制限しているとかいうところも南築ではあることも私は現実に見ましたが、やはりピケ限界というものは、その国の事情、政治的にも産業その他の事情、延いては国民性にも関連があることであつて日本のような何といいますか、ああいうふうに激発して来るような政治情勢もないし、又そうスクラムまで組むほどに経営者のほうでも対抗して暴力団を雇つて来るというのはもう過去の問題になつてしまつているのではないだろうか。過去の事実ですね、いわゆる。そういうふうに私は思うので、日本の情勢に全く似合つた事例は論外国には求めようと思つても求めようがない。これは残念なことですが、日本の情勢がまだまだその労働運動の中においては後進性といいますか、これは労使共に反省をすべき問題でしようが、というふうに私は思うわけで、ピケなり、そういつたものの限界性を論じる場合に、諸外国の過去を論じることは日本とよく似ていますから必要でしようが、現時代における各国の事例というものは、これはすぐさま日本には、これは一世紀、半世紀遅れている状態ですから、そういうふうに私ども見ておりますけれども、この点若し具体的に何かありましたら、お伺いいたしたいと思います。
  8. 宮崎輝

    参考人宮崎輝君) 第一点ですが、これは私のほうの説明が少し足りないから藤田さん誤解していらつしやるのですが、ちよつと触れましたように、一万五十人の従業員が真二つに割れている。そうして第二組合に大勢なつたのです。第二組合は就業を勿論するわけですね、その就業をする第二組合を揉んで抑えたわけです。ですから入るだけ入れるのです。それで一応入れたのです。そうして三交替ですから、交替のときはずつと出すのです。次の交替の意が入らないと工場はとまるわけです。ですから次の交替の者を入れないのです。ですから私は争議というものは、これはもう労務の提供をしないことによつて会社がとまるということは本質ですから、そのときに組合が二つに割れて、一つ組合は働くと言う。一つ組合争議をやると言う。働らかないと言う。そのときに働く組合の、働く意思とその就業の権利を、働かないほうの組合が実力で阻止することはできないじやないか、こういつておるのであります。併しながらそれをどうしても実力で阻止するために、而もそれが国家では何ともいたし方ない。警察も無力で何ともしようがないというような、時局上やむを得ずストライキ・ブレイカーを使わざるを得ないのじやないかということを我々は思つているわけです。私はストライキ・ブレイカーを初めから使おうとは思わない。争議つたら当然工場はと来るのです。その場合、従業員が二つに割れて働く場合と、もう一つは、使用者自身従業員で作業をする場合があると思う。会社従業員で作業をする場合には、ちやんと判例があるわけです。それはあくまでも一時的、補完的な手段として利用せられるものであつて、実質的な利益があるか、作業に名をかつて団結を阻害する目的をもつて使用者側の作業を認める場合は権利の濫用であるというふうに、使用者のみがやる場合については、こういう一応の解釈もあるわけなんであります。ですからこれはいわゆるスキヤツピングということで使つて参ります場合にも、実際に大きな工場がいきなり臨時雇いしたつて、技術訓練に三カ月くらい要るのですから、絶対に役に立たない。雑役でせいぜい働く程度しかないのですから、その点はつきりして理解をして頂きたいと思います。  それから第二の……。
  9. 藤田進

    藤田進君 第一の点でむしろ仕事がとまることを、平たく言えば……
  10. 宮崎輝

    参考人宮崎輝君) 仕事がとまるということは争議本質ですから、組合が二つに割れて、一つ組合は働こう、会社もそれを使つて作業を運転しようというときに、それを実力で妨害することは許されないのじやないか、こういうことを申しているのであります。  それから第二の問題がありましたが、世界のピケの例だつたかと思いますが、これは実は日本状態は、例えば一九一四年頃のアメリカの例と同じであります、当時やはり労働超勤の発達の歴史は、皆さん御存じ通りに、日本のような過激な時代を通つているのです、それをやはり法律でもつて規制しているのです。そうしてだんだん判例ができて来て、秩序を確立しているのであつて、丁度現在日本は、今から四、五十年前の外国の例に当る。ですから組合運動の発展の二つの過程でありますが、併し日本の経済状態及び法治国という建前から、丁度外国が立法をして、これを禁止したと同じような段階になつているということであります。例えば一九一四年のクレイトン・アクトによりますと、アメリカにおきましてはこう言つております。平穏に情報を収集し、平穏に就業若しくは作業中止を説得することを目的とする場合には、他人の居住し、作業している家屋その他の場所に隣接することを許されないというふうに、極めて平穏なことを前提としているわけであります。こういうようなことが明文をもつて規定されております。これはやはり、当時日本と同じように争議行為に平和的な手段はあり得ないじやないかという当時の組合の主張に対して、当時国家が立法をもつて答えたのがこのクレイトン・アクトであります。私はだから丁度現在労働次官通牒が現在のスト行き過ぎに対して答えたのが、先ずこれが同じ現象だと思つております。
  11. 藤田進

    藤田進君 そこで先ず第二の点ですが、どうもはつきりしない点が、簡単で結構なんですが、要するに第二組合ができたそのときに、それが入ろうとするものを実力で、その実力の実態は私よくわかりませんが、ピケ等でしようか、それによつてとめるということは違法だと、判例もそうだとおつしやつているようですが、これはそのときの場合によつて判例も、石炭関係においても、第二組合の作業をかなり極端な方法でとめておるけれども、これに対しては合法なりという判決を出していますし、これはお教え頂ければわかりますが、私第一点に聞きたいことは、要するに会社が実力をもつて作業を継続しようということが許されて、それに対してピケ等によつてその会社の実力に対してその争議のエキサイトされた状態において、やはりスクラムを組むということのほうがむしろ違法だという、この物のつなぎ合せ、そこの説明がちよつと聞いてみたいのです。それが今までの警察が出ておる問題なんですから、会社のほうはストライキ破り等を使つて暴力団と言つちや悪いですが、要するにブレイカーというのでしよう、使つて来ておる。それはこのまま激励まではしないにしても、争議をやつている者は黙つて見ているか、そういう人に簡単にもしもしと、言つてみたところで済むでしようか。なかなかそれは現場で廻れ右するものではない状態にある。そこで待つて下さいという静止の婆、ピケを張るという状態が違法だという兼ね合いが私にはわかりません。  それから今引例された第二の点ですが、これは要するに弾圧期の状態日本に当てはめようとされている意図がわかつたのです。アメリカで弾圧期、即ち第二次、第二次大戦を通じて保護助成し、組合と協力しなければならん状態に変つて来たのです。それを乗り越えて、日本アメリカ歴史を踏むならば、むしろ第二次大戦後におけるアメリカ進駐によつてむしろ立法がされた状態で、そういう時代を逆行するというような、むしろ形になると思うのです。余りその例を、半世期前のアメリカの例をとつて日本に当てはめることはどうも感心しないと思いますので、ちよつと感想を附け加えておきます。
  12. 宮崎輝

    参考人宮崎輝君) 今の石炭のことをおつしやいましたが、これは私もその判例を知つております。その判例の趣旨は、これは非常に福利厚生施設が悪いところで、そうしてそれを要求して、そしてストライキに入つたのです。そのうち一部の者が同志会というようなものをこしらえて、そうして何ら、組合に対する輿論、意見を述べるような機会があるにもかかわらず、意見も言わないで直ちに操業にかかつた、そのとき炭車をとめた、こういう事件であります。それは当時の事情というものが、如何にも操業をやる側において非妥当性があつた、だからそれを理由なくして、そういうような組合の統一を乱した者を実力で阻止したのはやむを得なかつたというような、極めてリアルな意味の判例がありますが、その判例も私よく知つておりますが、併しながら実際こういう例もあるのです。例えユニオン・シヨツプ条項があるとか、或いは唯一交渉団体の協定のある場合であるにもかかわらず、非常に過激な組合で、常に賃上げ賃上げでやつておる。それを脱退して新たに組合を作ろうということで、四百数十名のうち八十何名が脱退した。そうしてこれが就労するのを阻止するのはいけない。そういうような唯一交渉団体とか、或いはユニオン・シヨツプ条項も、そういう際は無効になるという一つ判例もあるのです。そういうことで、要するに現在確定されておるところのものは、これは組合団結権団体交渉を保障するということは、同時に働く組合側であつても保障されるのであつて争議をしている組合だけが保障されるのじやないのですから、ですから、その判例というものは私も十分承知しております。  それからもう一つの問題は、只今おつしやつたのは何でしたかね。
  13. 藤田進

    藤田進君 会社の実力ですね。
  14. 宮崎輝

    参考人宮崎輝君) 実力ですか。それは会社というものは、つまりスキヤツピングが認められる。つまり先ほども私判例の説明にも引用しましたように、争議というものは会社が操業してはいけないというのではない。自分会社との間に労務を提供する契約があるけれども、これはストの結果自分は提供しない。併しお前のほうは自分従業員或いはスキヤツプ雇つてやることができるならばやつてみなさい。但しスキヤツプ禁止の協約を結んでいるところが相当あります。そういうところではいけませんが、そうでない限りスキヤツプを使おうが会社側の従業員を使つてやろうがそれは差支えない。総評は、そのときに、会社の課長とかそういう職責の者が工員の仕事をして工場の機械を動かすことは、会社の課長としての仕事ではないではないかということを言つておる。それについても判例があります。これは会社側の課長がたまたま緊急な注文品を出すために現場で工員として作業をして、その製作をすることは差支えないのだということをはつきり裁判所は認めております。そういうことで、要するにスキヤツプ禁止の条約がない限り、スキヤツプをして作業をやらせることは可能である。その場合に総評的な、藤田さんもどうか知りませんが、第二組合が分裂して作業をすることもスキヤツプであるというように総評の方は言つておりますが、これはスキャップではない。そういうような組合自身が分裂して作業々することは労働者の権利であつて、これは妨害することはできないでしよう。経営者が特別の禁止がない限り、スキャップを使つて作業をすることは差支えない。それを妨害することは違法であり不法である。併し会社側がストライキ・ブレイカーを使つて暴力行為を用いてピケを破ることはいかんということははつきり通牒も言つているわけです。如何なる場合も使用者側暴力行為の許されないことは、労働者側においても許されないことと全く同様であると思います。
  15. 田畑金光

    ○田畑金光君 時間がありませんので簡単にお尋ねいたしますが、この通牒は、先ほどのお話のよりますると、折角出た通牒であるから、警察権力がもう少し強くこの通牒に基いて行動することを期待する、こういうような趣旨の話があつた、こう思いますが、この通牒警察権行使の一つの基盤を示すのに大きな役割を果すものとお考えになるかどうか、この点が一点。  第二の点は、労働省考え方といたしましては、この通牒に基いて健全な労働運動のあり方、或いは争議に伴う実力行使の防止について一つのよりどころを示そう、こういう趣旨で発せられたというわけでありまするが、この通牒はそういうような機能を期待できるものかどうか、この点が第二点。  それから第三にお尋ねしたいことは、先ほどのお話を承わつておりますると、大変我々としても奇異な感じを持つ点があります。今のお話の中で、最近の学者、殊にこれは労働法学者に対する批判だと思つておりまするが、このことを承わりますると、宮崎さんの人格的な発言としては少し納得が行きかねるわけでおります。或る学者が、争議のさなかにおいてこういう通牒を出したということは時期がどうかと思う、それに対して宮崎さんとしては、学者の迂遠なまさに証左である、こういうようなきめつけ方でありまするが、併しあの場合の争議はとにかくといたしまして、例えばその後の一連の争議の際に、政府が労使関係において、まさに深刻な争議のさなかにおいて通牒を発する、或いは談話を発表する、その談話の内容というものが、或いは通牒の影響というものが常に一方的なふうに偏しておる、争議に水をさす影響をもたらしておる、こういうことを考えたときに、飽くまでも政府というものは、国家権力というものは、労使関係に対しては中立でなければならん、これが今日の労働法の建前だと考えております。そういうことを考えたときに、先ほどあなたが学君を迂遠論でもつて罵倒されたこの考え方は少し行き過ぎじやないかと、こういう感じを持つわけでありまするが、警察権力或いは国家権力というものは、労使関係に対して中立であるべきか、或いは一方に偏してよろしいとおつしやるのか、その点が第三点。  第四にお尋ねしたいことは、一九一四年のクレイトン・アクト、こういうようなことで、さながら半世紀前のアメリカにおける組合運動日本組合運動とが一致しておるような観察をなされております。併しこれは前世紀の中頃から、或いは今世紀の初めにかけてヨーロツパにおける資本主義の勃興期において、労働階級がみずからの権力を闘い取るための闘争の時期だつたと見るわけであります。即ちこういう時期においては、ヨーロッパにおいても、立法上においても資本主義社会において労働者階級が弾圧された、こういう時期だと思つております。むしろその一九一四年年前後のアメカリの争議の深刻さというものは、如何にその当時はアメリカにおいても資本家階級というものが非常に弾圧的だつたかというその証拠だろうと思います。今日の日本争議が非常に深刻に行われる一免があるとすれば、一つの社会的な条件、経済的な条件、政治的な条件だと思つておまりす。それで近江絹糸争議のような典型的なものが出ているわけです。これは今日の日本の資本家陣営或いは経営者内容です、こういうことが無反省に、ただ単に半世紀前だとおつしやつているが、今日の争議の深刻な一面というものは、そういう経営者陣の無理解或いは前近代的な非情な性格、こういうようなものに由来すると考えるのだが、この点あなたはどう考えるか、これだけお尋ねしておきます。
  16. 宮崎輝

    参考人宮崎輝君) それでは成るべく簡単に……。私は警察権の発動を慫慂しておるわけじやない。それは合法か非合法かということがはつきりすれば、非合法の場合については、これは国家としては警察権を発動してもらいたい。従つて次の第二点の、要するに実力行使の防止に役立つというのは、要するにはつきりとストというものはこれ以上は踏み出してはいけないのだということがはつきりしておれば、自然組合側も自制しますから、従つて警察権の発動がなくなつて来る。今のように野放図にやつておりますと、却つて警察権が発動されてトラブルが起るのだから、むしろはつきりさせたほうがいいのじやないか、こういうことです。  従つて警察が中立かどうかという点は、要するに国家法律解釈としてそれが適法か非合法かということで決定すべきであつて、非合法の場合には、それが刑事法上の犯罪を構成する場合には警察権を発動すべきであり、然らざる場合は発動すべきでないのであつて、進んで使用者側につくということはあり得ない、法律を厳格に適用するのが警察であると思います。  学者に対する点は、用語が多少悪かつたと思いますが、要するに、我々に言わせると、争議権ピケというようなものの解決は具体的に今早くやらなくても、例えば失業保険の問題とかいうものほど急ぎではないのではないかということ、こういう議論は私に言わせると迂遠であつて争議ピケというものの解釈範囲をきめてもらわなければ、常にその解釈の相灘が紛争を起し、流血を見るのであるから、これは現実に工場をとめるかとめないか、或いは作業をどうするかという現実の問題に我々はぶつかつているのだから、これは今すぐにむしろ早くきめるべきではなかつたか、こういうことを私は申しておるのであります。  それから使用者側において非常に悪いのがあるのではないかということをおつしやいますが、使用者側において絶対に悪くないとは私は申しません。今回江絹糸の例を引用されましたが、近江絹糸に関しては、私は斡旋人の一人であります、その内容については私は詳細に知つております。数時間が許されるならば、その内容をお話してもいいのですが、これは世間で言われているほどのことではないのであります。相当違つております。併しながらやり方が悪い。労務管理その他においてうまくなかつたということは事実でありますが、その点は認められます。近江絹糸のような一つの例を引張つて来て、経営者が悪いから労働者が権利を守るために蹶起したのだと言われますが、労働運動の過去の歴史においては、そういうことがあります。それだからといつて暴力が許されるのではないのでありましで、アメリカの古い例を申上げましたのは、丁度その当時と日本の例が髣髴としたものでありまして、一九三五年にワグナー法ができ、経営者組合と団交して行くということになると、タフト・ハートレー法によつて修正される。その他労働関係法ができたということで現在になつて参りまして、そのアメリカのタフト・ハートレー法以上のものを日本に輸入したのでありますから、タフト・ハートレー法によつて施行されている労働法のいろいろな解釈、慣行というものが日本においても施行されて然るべきではないか。現在のピケに関する解釈は、日本裁判所はもつと緩やかに解釈しておるのではないかと思います。
  17. 栗山良夫

    委員長栗山良夫君) 松岡先生は一時までしか時間がないようですから、誠に恐縮ですが……。
  18. 赤松常子

    ○赤松常子君 近江絹糸の調停をして頂いていることも存じておりますし、いろいろよく御承知の上での御発言としてさつきのお話を伺つて非常に残念に思うことは、この通牒が出方が遅い、又生ぬるいとおつしやるためのいろいろな例の中に、近江絹糸の問題をお引きになりまして、御飯を食べさせなかつたとか或いは非常に拘束したとかとおつしやつておりました。ところがその前に各一工場で昼食を拒否されまして二千人、三千人の女子工員、男子工員の食糧を絶たれたという事実があるということは御承知だと思います。そういうことがあるからそれに反撥してこちらで少し行き過ぎの点があつて、丁度あなたが本店にいらつしやつて御注意頂いたのでやめた事実もございますが、その以前に数千人の者が食糧を絶たれたという、そういうやり方があつたということは御承知のはずでございましよう。それから又、近江絹糸の冨士宮の問題でございますが、法律が守られなかつたとおつしやいますけれども、その前に一年間、近江絹糸の各工場に二千数十件の労働基準法違反があつたという事実も御承知のはずだと思うのでございまして、その現象だけを捉えて、だからこうだという判断をなさいますことは、私は少し遺憾に思う次第でございます。近江絹糸の問題に関しては、もつと私は正当に判断して頂きたいと思つている次第でございますが、それと、もう一つ、御発言の中に、今労働分野の中にいろいろな流れのあることは御承知だと思うのでありますが、ところがこの次官通達に関する限りは、もうあらゆる労働運動に一斉に画一的に適用せられてほしいとおつしやいますけれども、それで果して民主的な健全な労働組合運動が助長、発達されるかどうか。その見解を簡単におつしやつて頂きたいと思います。
  19. 宮崎輝

    参考人宮崎輝君) 近江絹糸の問題で、食糧の問題があつたことは勿論私も知つております。これは第一組合第二組合に分れまして、その第二組合が分れて、成る場合は第二組合団結を保持するために、それを宿屋に入れたわけです。宿屋に連れて行つたわけです。それで従つて自分で給食をやつた従つてこれは会社が追い出したのではないのです、彼ら自身が連れ出したのだから。ところが或る工場では給食する場合、第一組合のいるところに第二組合が入つて来て、第二組合が絶対多数になると、それじやお前たちで飯を食わせろ、こういうことをしたことはあります。これは私どもとしては、これは食堂というものはこれは争議紛争の場にすべきものではなくて……これは私自身がそういうことを経験しておりますが、そこで給食した事実があります。併しながら寄宿舎で労働運動をやるのですね。例えば強力に説得をやる。例えば第二組合員が食堂に入つて来ると、彼らをいじめる、つるし上げる、従つて彼らは工場の隅に寝る。丁度夏の暑いときで、蚊帳もない、筵を敷いて同じ仲間の女性が工場の隅で寝ている。そういうことをしているわけですね、第三組合の人たちが。そういうことをするならば、飯を食わしてやれ、そこで又混乱します。そういうわけで私たちも投げてしまつた。ですから、表面だけを捉えると、寄宿舎を追い出したことはけしからんと言いますけれども、その内容を突込んで見ると、こういう実情なんです。今日でも第二組合員が作業していると同じ戦場の第一組合の女の子が糸を切る。明日までにこつちに入らんと生命が危ない、こう言うのです。これはちやんと書面で出している。ちよつと日本の新聞はこういうことを出しておりませんが、そういう事実を私はよく知つている。そういう事実を、あらゆる背後に眼光紙背に徹するようなよく御認識の上で御質問をなさるならば、私は正しいことは正しいと申上げます。
  20. 栗山良夫

    委員長栗山良夫君) 宮崎参考人にちよつと念のためにお聞きしておきますが……。
  21. 赤松常子

    ○赤松常子君 もう一点、画一的にあらゆる労働争議の場合に適用されてほしいとおつしやつたことについて……。
  22. 宮崎輝

    参考人宮崎輝君) これは非常に、はつきりしておりまして、具体的な場合で双方がきめるわけであります。例えば会社側が誘発した場合に対抗手段がおるということは通牒に、はつきり言つている。会社側が暴力ピケ破りをするということには或る程度実力で阻止してもいいということを通牒自身が言つている、通牒をよくお読み下さればわかりますが。具体的な場合で判断すべきで、それはちやんと書いてございます。
  23. 栗山良夫

    委員長栗山良夫君) 宮崎参考人にちつと念のために私、時間がありませんから、簡単に御所見を伺つておきます。  実は先ほど学者に対する御非難をなさつたのでありますが、この点は同僚議員からも二名から発言が起きておりますが、私もあなたの御発言を、言葉が足らなければ別でありますが、そのまま受取りますというと、非常に穏当を欠く言葉であると私は考えます。特にその学者がどの程度の範囲のことを御指摘になつたか明瞭でありませんが、少くとも只今の学者は非常に力がない。従つて会社は海外へも自分で乗出して行つて産業のために努力しておる、学者は産業の振興に努力をしないというところまで御発言がありましたが、そういうことでは私は日本学者はないと思います。従つてこの点はあなたが先ほど御発言になつた点がそのまま訂正の必要がなければ私はそういう御意見であるということに伺つておきまするし、若し言葉が足りないということならば、この際学者の名誉のために少し御発言願つておきたい。
  24. 宮崎輝

    参考人宮崎輝君) その点は言葉が足りないで非常に不徳当な表現をしましたら訂正します。特に私の意見としては、実際日本の戦後の産業の発達に対して経営者その他が一生懸命になつておる。併し例えは或る企業は日本の平和に反するからいかんというようないろいろな意見があつて、そういう点に対しては非常に遺憾に思いますが、併しこれは別に学者を侮辱する無味では決してないのでありまして、その表現の方法がまずければその点は一つ取消しておきます。
  25. 栗山良夫

    委員長栗山良夫君) それでは宮崎参考人に対して御意見を伺います点はこれで打切りにいたしたいと思います。有難うございました。
  26. 栗山良夫

    委員長栗山良夫君) 続きまして明治大学教授松岡三郎君の御意見を伺いたいと思います。
  27. 松岡三郎

    参考人(松岡三郎君) 私この通牒に対して法理論的な立場から私の感想を述べてみたいと思います。  先ず結論からその要点だけを平易な言葉で話してみますと、内容について二つのことを考えるのです。一つは労政当局はピケを「平和的説得」だと論じておるわけです。そうしてその平和的説得組合員に対してのみ限つたという点が、私つまり平和的説得権を制限した、組合にのみ制限したという点が腑に落ちないのです。極く常識的に言いますと、平和的説得は誰に対しても言えるのではないか。私が労働大臣に対してこういうことをしてもらいたいと言つて平和的説得ができる。或いは又恋人に対して俺の女房になれと言つて平和的説得はできる。それだのに組合員に対してのみ平和的説得ができるということは、この平和的説得権、つまり憲法の市民法上の言論の自由を制限したと言わざるを得ないのです。この点は恐らくはいろいろな……もつと邪推しますと、言論取締というものと相通ずるのではないかとも言えるのです。  それから第一に、私平和的説得ピケ権との概念は矛盾したり或いは対立する概念ではない。元来労働権というものは平和的説得をするためのピケなんです。つまり労働者の代表が出かけて行つて賃金を上げてくれという平和的説得をする。その場合に背後にストライキというものが控えておるわけです。ですから、そのストライキというものを有効にするためにピケというものがあるわけです。ですから、この点は平和的説得ピケを対立の概念の下に置くということは、私は納得できないのです。つまり平和的説得に限るということは、その手段になる、背後にある労働権を否認するということになるわけです。それで私はそういう意味で平和的説得という市民法上の権利を制限しただけでなくて争議権を否認したということになるのではないか。これが、常識的に言つて内容に対する感想です。  それから次に労働行政そのものについて私多少感想を述べさせて頂きたいと思いますが、先ず労働行政の任務、どういうことを任務としておるかといいますと、労働行政が警察行政と異なる点は、警察行政は外部に現われた欠陥を取除く、それを排除するということが目的だろうと思うのです。例えば暴力の排除ということがそれです。併し労働行政はそういう外部に現われたものを取除くということが任務ではないのです。例えば暴力が起きた。ストライキをやつておるうちに暴力が起きたならば、その暴力はどうして起きたか、何故起きたかということを研究してその原因を取除くのが労働行政の任務たと思うのです。よく言われますが、何が彼女をそうさしたかという場合に、警察行政は彼女が悪いことをしたからそれを引張るわけですが、この場合に何がつまり彼女をそうさしたかという原因を追及して、それを取除くということが私は労働行政の根本的な問題だと思うのです。で、今度の通牒が啓蒙のためになされたのならば、ピケにおいていろいろな暴力が起きたならば、なぜピケでそういう暴力が起きたのかという、そういう原因を啓蒙宣伝する必要がある。今度の通牒を見ますと、警察行政の啓蒙宣伝であつて、労働行政の啓蒙宣伝ではないように受取るのです。この点は私昨年十月にイギリスにおりましたときに、軽油の運搬業者ストライキが起きました。そのときにロンドンの市民の足がまさにとまろうとしたときに、若しこのストライキによつてロンドン市民の足がとまつたとしたら、その責任は誰が負うかという問題のときに、これは労働行政が負うのだと、だからそういう一つの外部に現われた結論を労働行政としては取除かなければならんというので、チャーチル政府は軍隊から石油を借りてロンドン市民の足をとめなかつたことがあります。こういう一つの原因の追及ということが私はやはり労働行政の任務だと思いますが、今度の通牒はそういう面から見ますと労働行政の任務を誤まつているのではないか。これならば警察行政の一環としてなされても同じじやないかというような気がするのです。  それから次は労働行政の方法ですが、この方法も私今申上げていることはやはり労働法の精神という立場から勿論申上げているわけです。労働行政の方法として警察行政と違う一番大きな点は納得行政だということだと思うのです。労働問題が納得づくで解決するということが労働問題の本質だと言われておりますが、それを担保するものが労働行政、そういう意味からしますと、今度の通牒というものが納得行政から非常に離れたものだ、つまり労働法の精神から非常に離れたものだということが言えます。まさに権力行政だという点で非難さるべきだと思うのです。そういう教育宣伝ということを各国がこういう問題についてやつているかといいますと、私ずつと昨年五ケ国の資本主義の国を歩いてみますと、どこでもやつておらない。特にカナダの労働行政を見ますと納得行政が徹底しております。通牒を出すときには労働組合の代表者が資本家の代表者にサインを求めている、いわゆるサイン行政ということが言われておりますが、こういうことが私は労働行政の方法として正しいのじやないかというふうに思うのです。  これが私の二つの結論ですが、これを今度法律技術論の面からどうしてそういう結論を出したかということを、時間がありませんから簡単に申上げてみたいと思うのです。まずピケについて現在の労働組合法に法的根拠があるかといいますと、ピケ権を認めたとも認めていないとも書いてない。それから労働組合法第一条に正当なる組合活動、「その他」という文字を使つて、「その他」の中にどの程度のピケ権が入るか入らんかということは議論がありません。私この労働組合法の一条二条についての立案の過程においてGHQと交渉をしましたが、そのときもGHQは心配して、ピケ権というものがあるのだと、だから全国の知事にピケ権があるという通牒を出せと言つたことがあります。この点は確かに通牒を出されたか出されないか記憶はありませんが、そういうことを私は覚えております。併し日本の実体法の過程においては、現在においては、はつきりしておりません、それでは判例はどうかといいますと、この判例も実にまちまちです、最高裁判所の判例はない。地裁判例というものは得られましたが、この判例も例えば労働省の言われたように、組合員に限るというのと、いや、限らないというのと、いや、平和的説得に限るとか、いや、限らんとかいうので、非常にまちまちであります。で、例えば三越事件に対しては、三越事件は割合労働省に有利ですが、それと労働省に不利な判例は、例えば嘉穂とか昭和パイプとか相当数なものがあります。ですから、この点は判例がまちまちで、一つピケについての判例法がこうだということを持ち出す勇気は法律家としてはないということです。資本家や組合のかた、或いは労働省も、それぞれ自分の勝手な都合のいいものを持ち出されるでしようが、法律家として判例はどうだと言われますと、私は甚だ統一がないから一定のものはないということが良心的な答えだろうと思う。  そこで実体法もない、判例もないということになりますと、結局はどこに帰るかというと、憲法二十八条に刈るよりほかにない。然らば憲法二十八条についてどういうふうに解したらいいか。で、二十八条を文字だけ読みますと、これ又労働省組合、資本家が勝手なことを読みます、団体行動権と書いてある、この中に或る程度含むとか含まんとかいうので、これは徹夜して議論しても、私は立場の違つたものが議論したら勝負はつかない状態だと思うのです。で、この中で特にここで注意したいことは、学者の中でも経営者以上のことを、経営者と全く同じようなことを、それ以上のことを、或いは経営者がその学説を非常にむしろ利用している学説があります。例えば憲法二十八条は内容はないのだ、これは公共の福祉というトンネルを通して初めて法律で具体化されるのだというので、これは憲法二十八条の空白論、我日本で一人か二人でありますが、その一人のかたは今から二十年前にドイツに留学されて、ワイマール憲法に関する解釈を採入れたかたであります。併しこれについては私は本当に法律的にものを考えられる労働者経営者のかたはとられないのじやないか、といいますのは、若し憲法二十八条が内容が空白なので、公共の福祉というトンネルを通して法律によつて具体化されるというようならば、法律万能です。法律で定まつた内容がこの争議権内容だということになると、憲法違反という憲法の基本的な技術を無視するわけです。で、日本の憲法はワイマール憲法と違つて、憲法違反という一つの技術をとつている。若し法律が万能ならば法律が憲法違反だという議論は出て来ない、それはやはり憲法の建前を否認することになるのじやないか。やはりワイマール憲法の解釈としては正しいかも知れませんか、日本の憲法の解釈としては、はつきりしないということになる。そうだとすれば、やはり憲法二十八条は具体的な内容を持つていると解さざるを得ないわけです。  ところで具体的な内容を持つていると言つても、公共の福祉という観点からどのように考えられるだろうか。すぐ権利は公共の福祉によつて制限を受けるという議論がここになされます。ところでこの公共の福祉というものほどはつきりしない概念はないのです。例えば私、アメリカの例を挙げますとアメリカにワグナー法という法律があります。これはストライキをやつたという理由で首を切つてはならんぞという法律を作りまして、つまりストライキ権を保護する法律です、ストライキ保護する法律を作つたときに、アメリカの立法者はどう言つたかといいますと、ストライキ権を保護することは公共の福祉であると言つたわけです。パブリツク・ヴエネフイツトであると言つております。それから一九二七年にタフト・ハートレー法を作りまして、タフト・ハートレー法を作つたときに、これはストライキを制限するのです、御承知のようにタ・ハ法というのは反労働者法と言われるものですから。この場合はストライキを制限することが公共の福祉であると言つた。一体それならば公共の福祉は何であるか。前にはストライキ権を保護することが公共の福祉だと言い、あとの場合はストライキ権を制限することが公共の福祉であるといつた。そこでそういうことを取合せてみると、これは前の場合にはストライキ権を保護することは購買力を上げて大資本家が儲けるためだ、あとの場合にはストライキ権を制限することによつて大資本家が儲けるためだ、つまり公共の福祉の正体をはつきりした。大資本家のため、つまり独占作本家のために奉仕する理論に過ぎないんじやないかということを学者が言い出したゆえんはここにあるのです。そうすると公共の福祉ということもアメリカではこうはつきりしない、で、そうすると、これはそういう大資本家のための理論なら労働組合では腕づくでそれを倒してみようというのがイギリスの労働運動です。そこでイギリスの労働運動は今の政治権力と徹底に闘いました。遂に現在ストライキ権を制限するという意味の公共の福祉というものは、イギリスにはありません。で、例えば国鉄が公共の福祉という場合には、これは国鉄を国営にしろという要求です。そういう要求であつて、国鉄のストライキ権を制限するという理論ではない。ですから御承知のようにイギリスでは国鉄もストライキ権があるわけです。で、この間のバヴアンさんが来られたときには、日本には公務員にストライキ権はないのかと言つてむしろ、反問された状態の背景はこういう点にあるわけです。ですから、公共の福祉というものは、これは法律一つの基本原則ではないのだということがアメリカやイギリスのことから言えると思うのです。で、それではそういう一つの世界の事情だけじやなくて、日本の学界の場合はどうかと言いますと、日本の労働法学者で公共の福祉によつて団結権を制限するという考え方をとる人はむしろ少い、で、それはなぜかと言いますと、公共の福祉というのは所有権を濫用する法理論として生まれたわけです。で、労働権は所有権の濫用を防止する一番大切な手段です。つまりストライキ権を、労働権を保護することが公共の福祉だという考え方があるからです。ですから憲法二十八条はむしろ憲法十二条の公共の福祉の一体的な産物である。そうだとすると団結権の制限として公共の福祉という考え方はないんじやないかというのが労働学界の、私まあ統計をとつてみたことはありませんが、私の眼から見ると多くの学説であると思うのです。現に最高裁判所もこの団結権を制限するための原則として公共の福祉を使わなくなりました。私は最高裁判所の判決をずうつと見ておりますと、最初は公共の福祉、昭和二十二年頃は公共の福祉ということを盛んに言つておりましたが、そのうち二十五年、六年頃からこういう理論を、公共の福祉という理論、原理を捨てて、権利と権利のむしろ調和の理論ということをここで言い出したわけです。そうだとすると、この場合にはここで私憲法二十八条の団結権を制限するという公共の福祉という考え方も世界の事情並びに日本の労働法理論から言うとはつきりしないままに終るわけです。では、それではどう解したらいいかということが、憲法二十八条の内容をどう解したらいいかということが問題になつて来るわけです。ここで一つ実体法でもないし判例でもないし、それから諸外国の事情からも判断できない、諸外国の法理論から見てもはつきりしないとすると、ここで二十八条の解釈としてこういうことを結局考えなくちやいけないんじやないか。特にピケ権のことを考える場合に、ピケ権というのはこの或る永久にどこの世界にも通ずる原則というものは立てられない。その時代のその背景というものを頭に置かなければいけないんじやないか、その一つのいい例は、アメリカピケの概念の変遷です。今ピケ権について先ほどのかたは、ピケとはといつて一つの定義を挙げられましたが、こういう定義に国によつてどこでも違うわけです。時代によつても違うわけです。だからピケピケとはというのはただ日本学者が定義を挙げておりますが、恐らく学者のテキスト・ブツクを見てもピケの定義は違うのです。それぞれ皆違うのです。空漠として捉えられないようなピケの定義を勝手にこうだああだということを言うのは、私はナンセンスじやないかということを一つ思うのです。ところでアメリカピケ権というものを一つ考えてみたいと思いますが、それはアメリカでは私何といつても一番最初は労働省がなされたように平和的説得という考え方が非常に強い。それはアメリカには、アメリカの憲法は日本の憲法二十八条のような憲法がないから、言論の自由ということがせいぜいであります。ところで言論の自由というのはどういう意味かというと、これは言論の自由と限定する限りピケは一人で結構です。相手をして平和的説得をするために一人対一人ですから、アメリカでは一人以上はもうピケ権の限界を超えるといつている、確かに一人に限る、一人でも特に女性がいい、だからピケは女性に限るといわれていたことがありました。そういう考え方でありまして、先ずアメリカの本などを見ますと、ピケとは宣教師が説教をするがごとく、恋人が恋をささやくがごとくの、その程度以上の何ものでもないということを言つていたわけです。で、成るほど恋人の恋をささやくときに二人行つたら威圧ということになる、ところが一人対一人であるという場合に相手方が二人来たらどうか、二人来たら二人で行かなければならない、そうなると相手方の出方によつてピケの概念は今度は二人でもいいということになる、二人でもいいということになれば二人で行く、一人ではいかないですよ、つまり場合によつては二人でもいいという、併しそういう場合に違法性が阻却されるという考え方ではないのです。二人がピケをやる権利というのをここでは権利概念が拡張したということです。これは非常に大切なことです。で、相手次第、世論によつて、つまり大衆のレベルの次第によつてピケ権の概念はこのように拡張いたしまして、一人が二人、二人が三人或いは州によつては四人でもいいということになつた、そして現在は御承知のようにプラカードを掲げてあちらこちら動いて行く、あのプラカードを掲げて動く権利が、これが、つまりピケツトラインがピケ権というように変つたわけです。つまり時代によつてピケの概念というものは変つて来るということを考えたい、そうだとすると今の日本の時代、日本の憲法が作られた時代を何と考えるか、この時代というものの考え方だろうと思うのです。  先ずそこで私憲法二十八条を誰が作つたかという問題です。これは日本の国会で作られたことは勿論でございますがその背後にあつたものは外国人だといつていいでしよう。外国というものは誰かというとこれはイギリス人、アメリカ人、ソヴエイト人、そういう人たちが作つたのです。そこでそういう人たちの立案がそういう人たちが実質的な立案者だとすると、そういう立案者の人たちの環境とか、それからインテリゼンスとか、それから育ち、そういう育ちの人たちを頭に画かなくちやなりません。そうだとすると、憲法を作つた当時の世界の労働運動の現実というものを頭に置いて考える必要があると私は思う。そうしますと、外国人はこういうふうに思いました。憲法を作る、日本を占領した当時の世界の労働運動の実情を見ますと、ヨーロッパには殆んどピケはない、現実に行つてピケがないということを見て来ました。そう言うと、いや、少しはあるぞという反問があるかも知れません。この間中共に行つて蠅がいないと言つたら、いや、十匹見たという、そういう反問がされますと因りますから殆んどないと言つておきます。ヨーロッパに殆んどない、それは何故かというと労働組合が企業外の労働事情について大きな発言権を持つておる、そうだとすると外国人はこう考えざるを得ない、これから日本のダンピングを抑えるためにはとにかく現在の諸外国の労働運動が達していることを労働法の力で達しようとするよりほかにありません。元来労働法というものは労働組合が強ければ必要がないものなのです。で、労働権は労働組合の力ずくで勝取るべきもので、労働組合が強ければ労働権は必要はありません。現在のイギリスにおいては労働法というものは殆んどありません。労働法学という講座もないわけです。これを日本においてはそれだけ労働組合組織が弱体化され、労働組合組織が弱いからそれを担保するために労働権が必要なのです。憲法二十八条のような世界のどこにもないそういう規定を作つたのは、日本労働組合組織の弱体、弱さを埋め合せるためと考えるよりほかはないのだと思うのです。そうだとすると、世界の現実においてピケのない状態というものをこの憲法二十八条で確保しようと考えるよりほかはないじやないかというように私は憲法二十八条を読むべきだと思うのです。そうだとすると、例えば極端なことを言いますと、ストライキをやつたときにはもう完全に労働市場には労働者はいませんから、業務が止まるということが現実です。ですからアメリカの最近の本を見ますと、アメリカでさえすでにストライキとは業務を止める権利なりということを言つている。仕事を止める権利だということはおのずから勿論止めるわけです。だからこういうことを考えますと、ストライキと言えばもう業務が止まつているのだから、それをその場合にピケをやつたとしても法益の侵害でないというように解するよりほかない。そうだとすると、この場合にはピケをやつて業務という法益の侵害ということはり得ないというように私はまあ思うのです。  いずれにしても、私ここで申上げたいのは、憲法二十八条のトンネルを通して世界の現実の労働運動が達したことと同じものを日本に現実化しようとしていると解するべきだというように思うのです。ですから私ここでこういう態度で申上げているのは、憲法二十八条は、人の趣味によつてみんな違うわけです。或いはドグマによつて違いがある、憲法二十八条はそこまで含んでいないとか、いや含んでいるということになりますと水掛論になります。一つのドグマを排して憲法二十八条の立案者というものを考え、立案の背景というものを私一つ考えたかつたわけです。  第二に、併し立案の背景だけを考えて憲法の合理的な解釈が違つていると何にもなりませんが、私はこの場合の憲法の合理的な解釈をやつてみますと、その立案者の気持とぴつたりする。なぜかと言いますと、憲法二十八条は無用な無駄な規定をしたと解すべきではないと思うのです。そうだとすると、こういうようになるのじやないか。憲法十八条で強制労働を禁じております。若しこの働かない自由というだけがこれが争議権だというように解しますと、憲法十八条で十分です。憲法十八条というのは、意思に反して動かしてはいけないということを言つていますが、これは動かない自由というものを確保しいるわけです。労務の不提供というものは確保しております。そのほかに憲法二十八条を作つたということは、労務の不提供プラス・アルフアということを考えるよりほかないじやないか。若し労務の不提供に限るのだとすると私は憲法二十八条は無用になつてしまうというように思うのです。  それからもう一つは、憲法二十一条で言論の自由というものを保障しております。若しピケツト権を言論の自由だということになりますと、若し言論の自由だというなら私は憲法二十八条は必要ないと思うのです。その言論の自由のほかに憲法二十八条の団結権を入れようとすると、これは言論の自由プラス・アルフアと考プえて憲法二十八条を作つたと解するほかにないと思うのです。  この点で私は一つ考えさせられることがありますが、それは一九四九年のアメリカ最高裁判所の判例です。これは御承知のように、アメリカでは一九四七年でタフト・ハートレー法によつてクローズド・シヨツプを禁じました。で、クローズド・シヨップを禁じた理論として、アメリカにおいてはクロズド・シヨツプというのは労働組合以外のものに仕事を授けない権利だということなんです。つまり組合員以外のものしか仕事を与えない。だから組合員以外の業務、勤労者の業務を妨害することになるんで、言論の自由や集合結社のことからそういう他人の業務を妨害する権利というのが出るだろうかという問題です。この点について一九四九年の最高裁判所の判決は言論、結社の自由からはそういう権利は出ない、だから禁じてもこれは憲法違反にはならんしというので、許しても結構だが、禁じても憲法違反じやないと言います。この点を日本に当てはめて見ますと、まさに結社の自由のほかに団結権を認めた。そしてこの憲法三十八条がクローズド・シヨツプの根源だということは、これが全労働法学者といつてもいいんですね。とすれば一人か二人違うかも知れませんが認めているんです。そうだとすれば組合員以外の他人の業務を妨害する権利がクローズト・シヨツプ、つまり憲法二十八条だとすると、組合員以外のものが就労に来た場合には妨害する権利があるということであります。で、この点がよくピケ組合に限るのだ、組合統制力たということを言う、だから組合員以外に対してはピケは行われないのだということは私は間違いだ、統制のことを言うのは、普通の会社の場合の統制力とか或いは統制団体統制力とは違うわけです、つまり組合委以外の業務を妨害する権利というものがクローズド・シヨッブというトンネルを通して出て来るのです。この点が私は労政当局の統制力という考え方が世界の今の労働法理論から見ると根本的に違うのだと思うのです。この点をアメリカのクローズド・シヨツプに関する判例からここで特に申上げておきたいと思います。  それから、そうだとすると、私一つ考えたいことは、要するにこの労務不提供プラスアルフア、言論の自由プラスアルアア、こういうことになると、日本においては結局は一番大きな、非常に一番譲歩した姿は、平和的スクラム、ピース・スクラムということが日本の憲法から見ると当然出来てるように思うのです。で、この問題について、私東証の場合には平和的スクラムであつたかどうかということになりますと問題でありますが、この場合に平和的スクフムというものが少くとも今の現実の場合には与えられなくてはならないというように思うわけです。併し平和的スクラムと言つて相手方が相手方の態度によつてその平和的スクラム以上の場合には、今度はいわゆる緊急避難という考え方が当然出て来る。特に日本の場合には労働委員会制度があつても不当労働行為については非常に整備していない状態です。それから相手方或いは大衆というものが非常にそういうストライキを、ピケを破るということを割合平気に考えている事情があるのじやないかと思うのです。と言いますのは、元来今度の場合、私一つの具体的な事件を挙げますと、ピケというものがよく業務妨害罪だということを言つておりますが、この業務妨害罪というのが一つ検討する場合にも私注意しなければならんと思うのです。で、ストライキ業務妨害罪にならんという理由は、ストライキをやつて相手方の資本家が相手意思を制圧することはないというのですから、そうするとピケをやつた場合にはそのスト破りをする場合には意思が制圧されていないからスト破りをするのじやないかと思うのです。そこで私はこういうことになる。ピケ権者がまあ百歩讓つても、ピケ権者が平和的説得権があるとすれば、第一者の業務を持つているものの平和的説得、お互いに平和的説得です。それでお互いに説得々々をやつて行く。ところが片方は平和的説得をやらないで警察自分の味方にしてなだれ込んで来たという場合には、これは一体どういうことになるだろうかということを私はお答えしなくても明由だと思うのです。で、この場合に一つピケ権の概念というものが相手方によつて拡大して行くという一つアメリカ裁判所の理論をとつて見ましても、その場合には相当ピケ権というものを侵害するということは、一方に味方していて正しくないというふうに思うのです。  それから時間がありませんから、最後に今度の通牒を出されたことの権限というものについて簡単に私申上げて見たいと思いますが、先ず第一に労働組合法一条二項の正当な業務ということを規定した精神は一体何であるかと言いますと、これは最初作るときには、労務法制審議会で議論をやつたわけです。これはあらゆる最近の労働行政と違つて、そこに集まつたたちは、完全にあらゆる学者、あらゆるメン八一を網羅してやつた結果、この一条二項というものは、立法技術上非常に描くのは不可能だ、書いた場合には、完全にむしろ警察権が濫用する虞れがある。だから「正当な」ということにして、裁判所で判決を決定するまで待とうというのがこの労働組合法一条の、これがゼネラル・クローセスという有名な一般条項の精神です。これを裁判所の判決を待たないで、労働行政がそこに出て来たということは、これは労働法の一条二項の精神を根本的に否認したものだというように思うのです。で、この点について、アメリカ最高裁判所がどう言つているかといいますと、これはよくアメリカピケについてはソンヒル事件というのを挙げるのですが、私があちらから持つてつた一九五〇年の最高裁判所のピケについての一番新らしい判決を見ると、このピケについて一般的な規定を設けるということは到底できない、これはピケ権と、それから第二者の権利の間に憲法上のボーダー・ラインを引くということ、ボーダー・ラインを一般的な条項で確立するということは、テクニックとしては不可能だということを言つておりまして、これはヒース・バーサス・シューペリア・コートというので、一九五〇年のシュープリーム・コートの判決であります。そういうことを考えて見ますと、これは日本労働組合法の一条二項で、一般条項でピケについての限界を定めることができなかつたということは、これはアメリカでもそうだつた。それをこの一片の通牒で掲げたということは、これは私はやはり世界の文化圏の動向に対して叛旗をひるがえしたものだ。特にこれを立法でも不可能なことを通牒でやるのですから、その罪は非常に重いのではないかというように思うのです。それからこういう通牒を私昨年ずつと歩いて見ましても、そういう立法で不可能なことですから、通牒で書いたという先例がどこにもないのです。それから第二は、私一つ今の労働行政組織を見ますと、基準法の解釈です。基準法の解釈なら私はわかるのです。というのは、基準監督官が一つ権限がありますから、この点は基準法の通牒というものを持出すことは理解ができますが、労政当局はこういう第一線の労政事務所は何ら権限がないのに、労政事務所に対して権限を出すということがどうしても腑に落ちない、だからほかの目的があるというふうに解せざるを得ないのであります。この点労働基準法の通牒を見ますと、労働基準法には罰則のない規定があります。労働基準法一条二項や二条です。この点について労働基準局はこういう通牒を出している。一条二項は、それはたしか労働基準法に書いてあるんだが、罰則がないから監督官は出て行くな、軽々出て行つては困るということを出しているのです。この点は私は労働省の基準局の態度としては非常に正しい態度だと思います。その論法から行きますと、むしろそういうようなことは警察裁判所でやることだから、君たちは出て行くなというような通牒を出されることがむしろ正しいのじやないかというように思うのです。  それから第三番目に、この点について労働省の設置法、こういうことは余りやりたくないのですが、やはり法律の批判をやれと言われたのでやつてみますと、労働省の設置法の第三条です。恐らくこれを出されたのは、教育啓蒙というのでしよう。第三条の第一項に、「労働省は、労働者の福祉と職業の確保とを図り、もつて経済の興隆と国民生活の安定とに寄与するために、」左の事項を行うといつておる。この教育啓蒙という今の場合は、治安とか国民生活の安定ということを目的とされたわけでしよう。併しこれは労働省の設置法を見ると、労働省のおやりになることは、労働者の福祉を図ること、よつてつて国民生活というものを安定するわけです。直接治安を図ることは警察がやるわけです。むしろ労働省のやられることは、直接聴力をやつちやいけないというようなことではないわけです。労働者の福祉を図る、もつとわかり易く言えば、たくさんの賃金をもらえば暴力は振わなくておとなしくなるということが、この労働省設置法の精神ですから、そういう労働省設置法の精神から見ると、根本的に私は違うと思うのです。  最後一つ、私は労働行政に言いたいことは、先ほど申上けたように、泰力や何か起つたときに、この暴力をどうしてなくするか、そういうことの責任をとらなかつた暴力が起つたときにはこれは労働省としてはむしろ懺悔すべきです。自分の責任を遂行できなかつた、それを先ほどの方が言われたように、訓示を垂れているということの点は、私はやはり労働行政の任務或いは方法という点について、相当反省すべきじやないかというように思うのです。  私が今申上げたことは、労働法の精神、労働法の理論から非常に時がありませんでしたから早口で申上げました。そのほか通牒と対して具体的な問題についてお話をしたい点もありますが、時間がありませんので私のお話はこれだけにいたしたいと思います。
  28. 栗山良夫

    委員長栗山良夫君) お約束の時間が切れておりまするから、若し御質問でどうしてもお聞きしたいという点がございましたら、一、二点に限定いたしたいと思います。御協力願います。
  29. 吉田法晴

    ○吉田法晴君 ほかのことは或いはほかの方でも聞けるでしようが、組合の問題なり或いは基準法等、立案に参加された参考人が先ほど触れられましたけれども、もうちよつとこの際お伺いいたしたいと思います。  それは通牒の中に、労組法一条二項の中にあります暴行とか脅迫その他不法な実力行使、こういう言葉がしばしば使われている、或いはもう少し拡がつている場合もございますが、或いは脅迫ではございませんが、多衆の威嚇というような言葉も使われておりますし、もう少し脅迫よりも広い概念もほかにいろいろございます。そこで労組法と、これに関連いたします条文の制定の際の議論、実態をもう少しお聞かせ願えれば幸いだと思います。
  30. 松岡三郎

    参考人(松岡三郎君) この暴行脅迫その他不法な実力行使という言葉は、実は例えば不法な実力の行使ということはどういう意味か、法律家ではつきりしないのです。勿論検察庁の人においてははつきりしているというように思われるかも知れませんが、裁判所は少くともはつきりしておりません。この労働権から言いますと、非常に素朴な、一番最初の初歩の理論はこういうことです。正当な労働組合活動は暴行罪、脅迫罪、その他の構成要件に該当しても、違法性が阻却されて罪にならない。つまり構成要件に該当しても罪にならないというのが労働組合法一条二項の解釈です。ですからこの場合に罪に該当するかどうかということが標準にはならないのです。じやどういう場合が正当な組合活動かということは、その具体的な判断によらなければ判断できないということです。ですからここで労働組合法の場合に、最初はたくさん書いたことがございます。例えば暴行脅迫ということも書いたわけですが、一体暴行脅迫とは何を以て暴行脅迫とするか、元来暴行脅迫罪に該当しても、正当な組合活動ならば処罰されないというのですから、理論としてはどうしても書けない。ですから書けないという、具体的な裁判所の判定に任せられなくちやならんという精神だつたわけです。それを通牒で書いたということですから、この点は普通の法律家では、普通の法律家の頭ではほかに意図があるのではないか、これで以て警察権が出る。出易いように書いた。そして資本家がほかのものを雇つて入れ易いようになるのか、そのために書いたのではないかというような悪意をするものが出て来たゆえんは、そこにあると私は見ているわけです。
  31. 早川愼一

    早川愼一君 御意見つていますと、ピケツテイングというものは如何なる場合でも正当であるというふうにしか解釈できないように思うのですが、合法性の論拠については引用された組合法一条二項に、暴力の行使は如何なる場合でも正当な行為解釈してはならないという規定があるのですが、それとはどういう関係になるのですか。
  32. 松岡三郎

    参考人(松岡三郎君) 私はピケならば如何なる場合にやつてもいいということを申上げたわけではないのです。労働者平和的説得というならば、ピケ如何なる場合でもやつてもいいということになるでしよう。ですからピケなら如何なる場合にもやつてもいいのだということの意味が相当問題ですが、原則論としては暴行に当る場合はピケは正当でないということは明らかだと思うわけです。但し、この労働組合法一条二項のときに、亡くなられた末広先生、亡くなられた人をここに引出すのはどうかと思いますが、亡くなられた末広先生の三原則というのがある。暴行交渉はいけない。併し資本家が挑発してやつた場合には、これはこの暴力でも罰せられないんだということを書くか書かんかというので、大議論になつた。結局はそれは刑法三十一六条、三十七条が当然あるんだから、暴力の行使をやつても、相手が挑発して、相手がひどいことをした場合には、暴力を使つてもいいのだということは当然な解釈だから、この場合は書かなくてもいいということを言つたことがあります。そして最高裁判所の極く最近の判例によりますと、刑法三十六条、三十七条というものは、今までに地裁ではなかなか正当防衛や緊急避難が持ち出せなかつたのでありますが、最近になると最高裁判所では刑法三十六条、三十七条を全面的に引用して来た判例が出て参りました。そうだとするとそういう場合には暴力を使つてもいいのだということになるのです。で、普通の状態ではピケは、ピケだといつても、暴力は使つてはならない。暴力を使わない限り平和的なスクラムは結構だろう。併し相手によつて刑法三十六条、三十七条を適用する限り、暴力を使つても違法性が阻却されるということは私は言える。これは一条二項の解釈としては法律家として言える見解だというように思うのです。
  33. 早川愼一

    早川愼一君 労働省通牒の問題になつて来るのですが、合法性限界を新らしい解釈を含めるとすれば、それはその解釈内容がどの点がいかんかという問題はいろいろ議論があるでしようが、その解釈を出すこと自体がいけないのですか。
  34. 松岡三郎

    参考人(松岡三郎君) 解釈を出すこと自体ということになりますと、解釈を出すこと全般という問題は、私ちよつと又このいろいろな問題があるかも知れませんが、この労働組合法一条二項の解釈について、一条二項で裁判所に任せるということで、一般条項にしたのにかかわらず、裁判所に任せないで自分が勝手に出されたということが問題にしたいと思つたわけです。
  35. 栗山良夫

    委員長栗山良夫君) それでは松岡参考人にお礼を申上げます。有難うございました。  午後は正二時に開会いたしたいと思います。暫時休憩いたします。    午後一時十七分休憩    ―――――・―――――    午後二時三十四分開会
  36. 栗山良夫

    委員長栗山良夫君) 休憩前に引続き会議を開きます。  参考人おいでを願いました皆様がたに一言御挨拶を申上げます。  本日は労働情勢一般に関する調査を議題といたしまして、油日小坂労働大臣が声明を出し、又労働次官通達を以て公けにせられましたピケツテイング正当性限界について御意見を承わりたいと存ずるわけであります。御多忙中のところを御出席頂きまして有難うございました。本件につきましては当労働委員会はすでに前々から調査を続行しておる問題でございますが、このたび具体的な問題が提起せられましたので、本件につきまして忌憚ない御意見を拝聴いたしたいと存ずるわけであります。  御一人の御発言の時間は大体四十外程度にお願いをいたしたいと存ずるものであります。  それでは日本石炭鉱業経営者協議会専務理事早川勝君の御意見お願いいたします。
  37. 早川勝

    参考人早川勝君) 私早川でございます。私は終戦後石炭の経営済の団体の当務者といたしまして過去八年間炭鉱の労働問題の衝に当つて参りました。その間経営者の立場を守りつつ組織労働者の存在を尊重して今日に至つたつもりでおりますが、自然仕事としてやつて参りましたこと士、まあ団体交渉ということの直接の術に当つたことが多かつたわけでございます。そして私の考えとしましては、労使闘の団体交渉のルールを確立し、又不幸にして争議に入りましたときも、入るときも引くときもきちんとするというふうにしたいものだと念願して参りました。いろいろの事情がございまして、自分の不手際もございまして、ときどき失敗をやらかしまして、世間に御迷惑をかけたことは申訳ないと思つておりまするが、ともかく自分の考えはそういう考えでございました。顧みますと、終戦直後に北海道その他におきまして、御記憶も新たと存じますが、いわゆる人民裁判というものやら生産管理という事態が各所に起りまして、炭鉱企業の内外は実に騒然たるものでございました。ところがその後組織と組織の団体交渉を開始するに当りまして、その弊を矯める努力をいたしまして、双方の組織の指導者が内部を青年を持つてまとめるということが前提でおつたと記憶しております。従つてその後組織間の交渉が行われております間、相当長い間現場におけるそのような不祥事件はあとを絶つたのでございます。途中で一つ全石炭という少し毛色の変つた組合がございまして、それが何と申すのですか、地域人民闘争なるものを展開したことがございましたが、そのときも中央的に交渉が持たれておりましたので、その全石炭指導者に対して、お前のほうは二重交渉をするのかと、二重交渉をするなら中央は組織の責任はないものと思う、権限もないものと思うということで話をしましたところ、その地方のごたごたを吸い上げることにしまして、これもさして現場における混乱は、そういう点床の混乱はなかつたと記憶いたしております。その後会石炭は或る事情がありまして炭労と合体をすることになつたわけでございますが、そういうことで私ども本当にやつているストライキは大きくなつたり収拾が下手だつたり、世間にも御心配をかけましたけれども、内部関係だけの交渉乃至は争議自体としてはかなり整然としたものであつたかとひそかに思つております。ところが近年になりまして、どうもちらほらとうまく行かないようなことも起つて参りましたので、今日意見を求められておりますピケツテイングの問題に今相成つて参りまするが、炭坑としてはいわゆる細入品のピケットというものが現場で問題を起すような状態で出ましたのは、実は余りないのでございます。一昨年に一件と昨年に一件ぐらいでなかつたかと思います。尤もいわゆる大衆交渉と申しますか、或いは大勢のものが面会を強要しましたり、或いはかなり力に訴え、どうこうするということは、ないでもないような状態になりましたので非常に心痛しておるわけでございますが、いわゆるピケツトというものにつきましては実は余り事例に当つていないわけでございます。一つの事例は、もうストライキは嫌だということになつた組合員が起りまして、そして仕事をしたいということになりまして、それが又反対のほうの人が大勢来たので仕事に行けなくなつた。それから又今度は坑内を何本も放つておくわけにも行かないからというので保安要員が出かけて行こうとしたところが、それに対して相当数の人が阻止をして、そのために衝突を起して刑事事件になりかけたということもございます。それから又もう一つの件は、仕事場において解雇された者が強行入坑というのを企てまして、その場合組合指導者のほうからの指示によりまして、かなり大勢の者が現場の責任者を部屋に封じ込めまして、その意味でのピケツトになりまして、そして一々仕事を指図するのも組合側の手によつて仕事の場判りをいたしました関係で、会社当局所というものは、その事業所の当局者というのは、そのときにはピケットによつて作業場の指揮系統を遮断されたという実例があることはあるのですが、その実例そのものよりも非常に問題は簡単であるかと思いますが、私の過去の経験から申しまして、ものごとをきめる。きめるたしめに争いも起りましようが、その際に暴力を使うということは誰が考えましてもいいという人はないというふうに簡単なことでございます。暴力を使うということは否定されるというふうに思います。それでそういうことのないようにしたいものだと思つておりますので、この労働大臣の談話とか労働次官の通達を出されましても、内容を児ますると、ピケットについてのみではありませんが、暴力を使つた相手を威迫、脅迫をするということはいけないのだ。これはまあ当り前のことだと思います。ただ一部にはそういう状態を起らせるには起らせるだけの片方に原因があるのじやないか。挑発したものじやないかといわれる向きもあるかと思いますけれども、これとてこの現在の世の中では、仇討はとめられておるのでございまするので、片方が、よしんばそういうことをする。どちらか暴力を振つても悪いにはきまつておりますので、仮に使用君側がそんなことがあつたといたしましても、これは厳重に処置されるべきであります。併し片方が仮に協定の離反をしたとか、或いはなかなか態度が強硬であるとかということでじれて来て、片方の組合のほうが暴力沙汰になるということは話にならんことだと思います。そういうふうに思いますので、今日は私の意見としては非常に簡単でございますが、ピケットは暴力に亘れば、これはやつてもらいたくない。そんなことをすれば労使関係というものは未来永劫解決しなくなり、争つてはかり行くというふうに思いますので、私の意見は一応これで。御質問ございますれば何なりと……
  38. 栗山良夫

    委員長栗山良夫君) ありがとうございました。御質問のあるかたは順次御発言を願います。
  39. 田畑金光

    ○田畑金光君 只今のお話で早川さんのお考え方はよく了解されるわけですが、お話の通り暴力が否定されなければならんことは当然のことだと思います。又このことはすでに通牒を待つまでもなく、労働法によつて明示されておりまするし、これは労使とも十分承知の上だと思います。ただお尋ねしたいことは、今の炭鉱経営者団体の実務を担当された最高責任者として、一体この通牒というものが、限定いたしますが、炭鉱の今日の労働運動にとつて必要であるかどうかという問題の一、二の例は挙げられましたが、これとても現在世間に伝えられておる、見られるような争議の正確とも大分違つているようであります。そういう点から見たときに、早川さんとしてはこのような通牒というようなものが、炭鉱の労使関係において少くとも必要であるとお考えになられるかどうか。この点を承わつておきたいと思います。
  40. 早川勝

    参考人早川勝君) この通牒自体のことにつきましては、通牒とか談話が、こういう事情でどういうふうになつたかということは私存じませんが、この内容にありますことが広く一般常識になり、そうして現在、ともすれば残念ながら炭坑においてもこういう傾向のことが散見されまするので、そういう一般社会常識が炭鉱の労使間、当務者の中にも十分浸み込んで、常識ある行動になることが望ましいと思います。その意味において、この通牒内容は世間に広く浸み通るということが必要である。と、こう考えております。
  41. 田畑金光

    ○田畑金光君 そういう一般的な啓蒙、こういう点から申しますると、お話のようなことにもなろうかと思いますが、私のお尋ねしたいことは、現在の炭鉱の労働運動の中において、改めてこういうような通牒を通じて啓蒙を受けなければならんほど、一部に行き過ぎたような暴力的な組合運動が現存するかどうか。この点について、いかように見ておられるかということをお尋ねしたいわけです。
  42. 早川勝

    参考人早川勝君) 非常に几帳面な意味で、現存ということはちよつと申兼ねますけれども、昨年来の実態を見ますると、残念ながらこういう事実が相当ございました。それによりまして、こういう内容が早く世間一般にも、労使関係にも透徹することが必要であろうと、こう考えております。
  43. 田畑金光

    ○田畑金光君 この通牒を一読しまして、お話のように一つの啓蒙というか基準、ルールを明らかにしたものである。こういう点については、そういう解釈もとれると思うわけであります。併しこれは早川さんも終戦後最も労働組合運動に対しまして第一線に立つて対処して来られたお方でありまするから、よく御承知のことと思うわけでありまするが、組合運動というものもやはり相手つての運動だと思います。又そのときの経済的条件とか社会的条件、こういうようなものが強く反映するものだとこう見られるわけであります。今問題となつておるピケの問題にいたしましても、これは労働者争議権から当然出て参る戦術の問題だと、こう見られるわけであります。そういうことを考えて参りましたときに、争議が深刻化する、或いは長期に亘る、そういうような事態というものは常に相手方の経営陣においても社会的責任、こういうようなものが当然要求されて来ようと思うわけであります。そういうことを考えて参りましたときに、一体この通牒というものがどちらに比重を重く置いておるかということであります。成るほど経営者陣に対しましても、とにかく言及している点はありますけれども、それは刺身のつまほどでもないという感じを持つわけであります。労使関係の健全な慣行の確立ということは、経営者陣にとつても同時に反省しなければならんとこう考えるわけでありますが、この点に関しましては、早川さんどういうふうにお考えになつておられるか。更にこれに関連いたしまして、この通牒内容をどう見られるか、この点について承わつておきたいと思います。
  44. 早川勝

    参考人早川勝君) 労使関係で健実なルールを書立てるということの努力は、恐らくどの産業のどの労使担当者も考えてやつておると思いますが、ここに出ております問題はピケツトに限りませんが、全部何かルールを逸脱しているものを問題にしているのじやないかと思うのです。端的に言えば、相撲をとつても土俵の上でとるならよろしい、けれども出刃ぼうちようを持ち出しちやいかんよということであろうと思うのであります。私は片方に有利で片方に不利だとか、片手落ちたとかいうことじやなく、ルールからはみ出しているものをここに問題とされている、こういうふうに考えておるのであります。
  45. 田畑金光

    ○田畑金光君 私のお尋ねしておりますことは、ルールというものはすでに労働組合法や或いは労調法に基いて明確に布かれておるとこう見るわけであります。今お話のように、そのルールから逸脱して刃物を持つて立ち向う、この点でありまするが、その刃物を持つこと自体はすでに労働法で明確に制限禁止されているわけであります。ただ問題は刃物を持たねばならん、或いは逸脱の危険も侵さねばならん、それはやはり相手方の態度とか、或いは相手方の物の考え方というものが強く影響されておると見るわけであります。平和的な関係において、或いは話合いの上において、或いは健全な労使関係のルールの上においてものことが処理されれば刃物を持つほどのこともないと思います。ただ、例えば組合に対する不当な干渉とか、或いは支配、介入とか、こういう不当労働行為的な問題が介入しておるとか、或いは又必要以上に時の政治権力に便乗するとか、或いは有無の導入を求めるとか、こういうような一つのそのときの条件というものが、いきおい刃物を持たせる、こういう方向に走らざるを得んと思うわけであります。そういうようなことを考えたときに、経営者の人方としては今日の組合運動がこういうような若し危険な事態が一部あるとするならば、それはむしろ経営着陣に或いは政治的な諸条件にあるという反省もなされて然るべきじやないか、こう見るわけでありまするが、こういうような点に関しまして、この通牒を通じて経営者陣としては何らかのお考えがあつて然るべきだと思うんだが、その点どうお考えなさるか。
  46. 早川勝

    参考人早川勝君) 争議が複雑になりましたり、深刻になりましたりすることについては私は労使双方に責任があると思います。片方だけがやることでないと思います。併し戦略戦術の問題であろうかと思います。ここに出ておりまするものは。その戦略戦術が法秩序と申しますか、ルールといいますか、そういうものから逸脱して来るならば、そのことはもう先ほどもちよつと申上げましたが、たとえ仮に片方がまあ悪いことをいたしましても、片方がそれに報いるに仇討ちだというので刃物を振り廻すということは許されない、ほかの救済方法をとるべきだろう。又組合に不当干渉するということを仮に片方がやりますれば、そのときこそは組合は全くその組織を結集してそういうものをはね返すというような方法もございましようし、幾らでもやる方法はあろうかと思いますが、こういうピケットその他でフオースを用いて問題を不当に有利に持つて行こうというやり方は、これは如何に考えましても納得できない、これだけの感じでございます。
  47. 田畑金光

    ○田畑金光君 もう一つお尋ねしたいんですが、今のこれは又限定された意味において炭鉱の今日の実情、こういうような点からお尋ねしたいわけですが、今の炭鉱というものは現実に火がついておる、こう見るわけであります。火がついているどころか、今日の石炭産業自体が大きな壊滅的な危機の前に立たされておる、こう見るわけであります。従いまして、炭鉱、石炭産業においてはむしろ今日の事態においてはどうして炭鉱の危機を乗切るか、こういう問題が最大の課題じやないか、こう思うわけであります。こういう点から見ましたときに、先ほどの早川さんの最近における炭鉱産業における労働問題等のお話というものが他の一般に比較いたしまして、比較的にその過激な行過ぎな点が少いということは、むしろ今日の石炭産業の置かれておる問題は他の面にあるのではなかろうか、こういう感じがするわけであります。即ち言葉をかえて申しますると、石炭の危機を如何に乗切るかということに対して政治的に経済的に積極的な施策が強く要求される段階だと思います。そういうことを考えたとき、むしろこういうような通牒等よりも、石炭産業における労使共、或いは経営者にとつても企業そのものの存続に対して積極的な現実的な、そして又本当に一歩前進した施策を要求したいという気持がむしろ強いんじやないか、こう考えておりまするが、この点に関しまして、どういうようなお気持でおられるか、お尋ねしておきたいと思います。
  48. 早川勝

    参考人早川勝君) ちよつと何でございますが、このピケツト問題とは別のことでございますね、今のお尋ね頂きましたことは。
  49. 田畑金光

    ○田畑金光君 そう、まあ別でもよし……別というよりも、このような少くとも石炭の部門から見た場合に、通牒なんというものは第二、第三の問題じやなかろうか。むしろその前に石炭産業自体を如何に危機を乗切るかという問題こそもう少し政府が、或いは労働省とも音頭をとつて中心となつてやるべきじやなかろうかと、こういうことなんです。
  50. 早川勝

    参考人早川勝君) それにつきましては、これは炭鉱企業に現在迫つております危機は実に空前のものと考えておりますが、その危機は更に深刻の度を加えつつあるわけでございます。で炭鉱業は今二つの病気に一身にかかつておるわけでございますが、それは病状的に申しまして、デフレがそうさせているのではないのでございます。デフレよりも前にそういう状態が来ておるので、あります。それに加えてデフレが追い打ちをかけておるという現状でございます。で、現象的には一つは需要量が、非常に石炭に対する需要が減つて来たということでございます。このままの状態でございますれば、それこそどんどん赤字を出して、企業はすでに相当崩壊を見つつありますが、これを全面的に及ぼさんとしつつある現状でございます。もう一つはその企業の中に内在しておるところの生産性の問題でございます。いつかの機会にも申上げたと思いますが、炭鉱は苦しまぎれ又今機械化を図りつつある。而も機械化を図りつつあると同時に、やつぱり人力も持つておるという、云わば人力と機械力を二重投資しておるという状態でございます。併し戦争の終り頃から、或いは戦争後にかけましても、増産増産で大いに励んで来ましたところの炭鉱人が、こういう状態におきまして一挙にひどいことにはならないようにしたいということが、経営君側の根本的な労働に対する気持でございます。併し、さればとてどうしたらいいのだということについては、田畑委員からお尋ねのように、本当にみんなもう必死になつて考えておりまするけれども、これという自分でやれるという名案がなかなかないのでございます。組織労働者としても相当その点苦慮して、特に一部の地方ではいろいろとまじめな動きが起つておるようでございます。どうしてこの山を倒れるのから食い止めようかというようなことについては、特に中小企業方面でも強い動きはあるようでございます。経営者は勿論のことでございますが、どうしても需要というものが減退して参りまする以上は、減産しつつ能率を上げるということは全く不可能なことでございます。減産しつつ能率を上げ、そうして収支を償わして行くということは不可能なことに直面しておるのでございますので、この点はお話もございましたが、どうぞあらろる機関、あらゆる方面においてよろしく御鞭撻、御指導御援助を頂きたいと思うのでございます。
  51. 吉田法晴

    ○吉田法晴君 初めの二つの質問は、或いは早川参考人として迷惑かも知れませんが、実は今日、明日と二日参考人を呼んで伺うのですが、明日は経営者の代表として参考陳述を願う方がありませんし、それから宮崎さんはすでにお立ちになりましたから、早川さんに伺います。  この通牒の出るいきさつについては自分は知らんというお話でありましたが、巷間伝えられておりまするところでは、過去におきます実例、或いは最近の近江絹糸等の争議の実態から、日経を通じて政府に相当強い申出があつて、これはほかにもごいざます。ほかにもございますが、こういう談話或いは通牒が出たのですないか。直接の動機になりましたのは東証布薩でございますが、この際は東證から或いは警察の出動を要請されたり、或いは政府に何らかの連絡があつたかも知れませんが、日経連として、或いは経営者団体として、こういう談話通牒が出されるに至りましたについて、会議をせられた点ございますならば、或いはこういう通牒が早く出されるべきだ、こういう点がございましたら、その事実を伺いたいと思います。
  52. 早川勝

    参考人早川勝君) 私の知つております限り、全然それはございませんでございます。私は日経連として、乃至は経営者団体としてこういうことについて会議を持つたり、乃至はこれを働きかけるということは、自分としては全く存じません。
  53. 吉田法晴

    ○吉田法晴君 じやもう一つ考え方について、早川さんとしては当然の通牒で、全体について全くまあ同じ意見だと、こういうお話でありましたが、経営者団体と申しますか、或いは日経連と申しますか、談話通牒の精神に全面的に賛成だと、こういうように理解してよろしゆございますか。
  54. 早川勝

    参考人早川勝君) 今の御質問でございまするが、これは例えば私どもの機関は正式に全面的に賛成だということでございますれば、それには意思決定をせにやならんだろうと思いますが、その意思決定は理事会がやることになりましようが、これについて理事会の決定はいたしておりません。この内容についてはそれぞれメンバーに通知の写しは送つてありましたことは事案でございますけれども、恐らくまあ皆私と同意免じやないかと思いますのでございますけれども、正式に決定しておるわけでもございません。
  55. 栗山良夫

    委員長栗山良夫君) 早川さんに私ちよつと一点関連してお尋ね申上げたいことがございます。  実は労使の問題は納得の上に正常な慣行を立てて行きたいというのは、これは恐らく誰も反対される方はないと思うのです。特に石炭関係労使関係は、終戦後幾多の変遷を経て来ておりまするけれども、今早川さんがおつしやつたように、その御苦心の中からいろいろ貴重な私は慣行が確立されておると思います。ところが最近この通牒が出される前提となりました問題は、御案内のように近江絹糸でありますとか、或いは東京証券のスルライキでありますとか、山梨中央銀行のストライキでありまして、こういう工合にまだ労使間の慣行が確立をせられていない。或る意味におきましては、非常に未成熟な労使関係のあるところの争議が出まして、その解決に非常に困難を極めた。極めた結果、好ましくない事態が起きたと労働省が考えて、納得行政の枠をちよつと超えて、そうして通牒を出したと、こういう工合に理解する人もあるようであります。従つて長い間労使間の慣行確立のために努力をせられた石炭経営者の立場から、今後の日本の労働問題の事情について、若干苦心はありますけれども、やはり慣行を確立するという、その大逆を歩いたほうがよろしいのか、或いは労使間において未成熟なものが出て非常に困難を極めるから、法律或いは通牒で以て枠を設定して、そうして規制して行つたほうがいいのか、このどちらがよろしいのか。まあ恐らく日本の企業者のうちで労働問題を一番御研究なさつておる石炭企業の代表でございますから、お聞きを申上げたい。
  56. 早川勝

    参考人早川勝君) 私も労使の問題は慣行でやるべきものだと思つておりますし、それで貫いて行くのが理想としておるものでございます。ただ非常に残念なことでございますけれども、それは今お挙げになりましたような労使ともに未成熟なところで最近問題が起つておりますが、実はかなり自分たちとしては努力したつもりでおります。炭鉱の中でも、これはよそからそういうものが起つて来たので、それに伝染病のように移つたのかどうか知れませんが、鍵は残念なことが割に近いところにあつたのでございます。これは枠にはめるという考え方でなくに労使の慣行のレールを逸脱しているものはやはり早くレールに戻つてもらうがのいいんじやないか、こういう意味におきまして、先ほど来この内容については当然のことじやないかと、こう申上げておるわけであります。炭鉱の労使関係は別にそう何と言いますか、世にいいと言つていいほどの内容ではございませんけれども、それでも七、八年の間やつて来たものでございますから、多少慣行的にそんなことも争わずにこれで行こうというふうなことがいろいろ出て参つて来たわけでございますが、つまらんことを一つ挙げてみますと、中央で交渉しておりたしたけれども、地方で大衆行動をやるというのは、中央が指令いたしましま大衆行動の内容は、やはり塀もこわしたり、石をぶつけたり何かしたということが出て参つたりしております。それは微々たることでございますけれども、又これは会社と企業連との交渉の中で炭鉱の関係でございますが、一万、二万の人間が数人の人を取巻いたり、或いは坑内から出て来る坑長をみんなでよつてたかつて千メートルも駈け足でひつぱり廻したりしている、そんなふうな状態がちらほら出て参りましたものですから、自分も誠に歎かわしいこととと思つておるのでございます。ですから何でもかんでも機械的に枠にはめて行くという考えではございませんけれども、ルールなり、ルールを外したものはやはり早く本道にのせてやりたいものと思つております。
  57. 吉田法晴

    ○吉田法晴君 まあ炭鉱の事例を引いてお話がございましたが、炭鉱の場合には労使の慣行を確立する上に努力をして来た、一、二好ましからざる事態があつたというお話ですが、お話のように、早川参考人が言われるようにレールを敷く、或いは土俵の中でやるべきであつて、出刃ぼうちようを振うようなことは許されない、こういうふうなお話ですが、弾圧通牒の中には出刃ぼうちようを振り廻す問題が問題になつているのじやなくて、出刃ぼうちように至らん問題か随分問題になつておるのじやないかと思います。それで例えばピケを張ること、ピケの権利はこれはまあ認める、併しそれが例えばスクラムを組む、或いはそこで使用者なり或いは代理者、或いは組合を脱落したもの、或いは第三者、或いは代替要員という言葉が使つてありますが、スキヤツプが入る、そういう場合がとにかく一番問題のところであるし、それらについて詳しく述べられておるのがまあ弾圧通牒の核心じやないかと思います。そういう意味においては問題になりますところは出刃ぼうちようを振つておるというところでなくて、もう少し前の或いは微妙な点だと思います。これについて戦後、始めはいろいろ問題があつたけれども、その後大体労使の慣行を確立することができて来た、こういうふうなお話もございまして、そこで炭鉱の問題からこういう通牒が、或いはその通牒の核心の出刃ぼうちよう以別の問題についても弾圧通牒のように考えなければいかん、こういう工合に考えられますのか、或いはやはり出刃ぼうちようだとおつしやいますのか。私ども例えば労働省もそれから労使双方も、或いは労働省にしても判例というものを相当考えておりますが、判例の中で炭鉱で出ておりますのは、三友炭鉱の事件、或いは嘉穂炭鉱の事件、こういうふうなものがありますが、三友炭鉱の場合にも組合を脱落したものが同志隊を結成してスト破りをやろうとして、ガソリン・カーに連絡してあつた炭車を出ようとした、それを阻止した事件が問題になつております。それから嘉穂炭鉱の場合には職員、労働者もございますが、それ以外の会社従業員でないものが橋の上のピケを職場のほうに向うのではなくして、逆にピケラインに向つてこれを破ろうとした、こういう事件に対して判決が行われておるわけです。あの事例と、それからそれに関します裁判所が判断をするのじやなくて労働省でするのですが、ああいう事態に対して弾圧通牒というものを考えて参ります場合に、平和説得以上の或いは大勢寄つて厚いピケを張ること、或いは嘉穂炭鉱の場合に問題になつたという例もございますが、そういうものについて一切これは許さるべきごとではない、或いは不当でないと言おうとしておるのが弾圧通牒ではないかと、私どもかように考えるわけであります。実態に即しましてなお出刃ぼうちようを振うというのはいかん、私は出刃ぼうちように至らん問題、至らんところが問題になつておるのじやなかろうか、かように考えてのでありますが、それについてどういうふうにお考えになりますか。  それからもう一つは、日本の場合に、これは炭鉱だけに限らずに全部についてそうでありますが、使用者側の不当労働行為、或いは争議が起りました場合に組合の切崩し、或いはスキヤツプを使つてピケを破ろう、或いは就業を強行しようという事態が殆んどすべての過去の事例においてはあつたのではないか、或いは今後も想像されるのであります。そういう不当労働行為については更に別の救済を求めるべきであつて争議が許されない、こういうお話がありましたが、その場合に自救行為法律上或いは労働委員会から求められないので、多数の団結によるそれに対する対処、或いは判例で言いますならば、自救行為が現われるところに問題の点があるのじやないか、それを一切いかん、こういう工合に言うのは、これは労使対等の自主性に具体的なそれぞれの事例で実現するゆえんではないのではないか、かように私どもは考えておるのでありますが、もう少し具体事例に即して一つ伺いたいと思います。
  58. 早川勝

    参考人早川勝君) 吉田さんがお尋ねの前のほうでございますが、この三友と嘉穂の例を挙げていらつしやいましたが、これは実は使用者労働者の間で起つた問題ではなくて、労働者労働者の間で起つた問題のように承知しておりますのですが、第二組合ですか、或いは別派との間に起つたように聞いておりますが、それにいたしましても、片方は使用者であるといたしましても、両方の問題がどつちも実力と申しますか、暴力暴力で衝突した事件でございますので、どつちも悪うございますから、両方ともこれは話にならんと思います。それはどつちもそういう暴力は振うべきではないと、こういうふうに考えます。  それから切り崩しのお話がございましたが、これは切り崩しはまあやるべきでないと思つております。ただ私冗談によく言つているのですが、組合に対しては私は金でもつて切り崩すというようなことは絶対にやらんと、利益組合組織を切り崩すということは絶対にやらん、併し思想で切り崩すことはあるぞ、思想は俺の自由なんだから、俺の思想に共鳴するということなら、それは君のほうの結果としては切り崩しになるかも知れんぞ、というような冗談は言つたこともございますけれども、実際には切り崩した実例はございません。ともかく切り崩されるほうも組織のほうに、組合のほうに問題があるのですが、若し金銭等の利益を以てやることがございますれば、これは当然不当労働行為とし、やられた使用者側がいけないことになると思います。  それからスキヤツプについてお話がございましたが、まあスキヤツプをやる、それに対してピケを張ると、そのピケがうんとこさと抵抗してスト破りを入れないということはいけないと、こう書いてあるように承知しますが、まあ入れないということは結局物理的な力でもつて、或いは威迫行為でもつて入れないことでございますので、その入れないということは私はまあやはり出刃ぼうちようだと思うのですが、そのもう一つ先にあるスキヤツプ雇つてこれを仕事場に入れるということが問題だと、こうおつしやつたように伺いました。まあストライキというものが全く片つ方は労務の提供を拒否し、片つ方はそのために営業を停止し、このままじつとしているのが本当のストライキであるかどうかはよく存じませんが、若しそういう形ばかりであるということならば、それはスキヤツプを入れるのも変になるでありましようけれども、やはり今はストライキをやつて労務の提供を拒否した組合員は、それもアルバイトとか何とかで内職している人もあるのであります。ほかの組織から応援のお金が来ることもあるのであります。経営者のほうだつて仕事場の都合からしまして何とか機械を動かしたり、油を挿したりすることも必要であろうというふうに思うのでありますが、ただ不対等か対等かと申しますと、経営君のほうはやはりそういう臨時的な者を雇つて入れますならば、そのために能率も落ちますし、普通の仕事もできませんし、従つてストも高くなる、臨時雇の人の賃銭も高いものでおりましようし、正當の業務はとてもやれないと思いますから、そこらは組合側と考えまして、或る程度おあいこだと思うのです。ただ組合運動というものは、楽々やれるものではないと思うのでございます。今までの戦前の例から考えましても、諸外国の例から考えましても、交渉権を確立する、組合を認めさせて交渉権を確立するということ、それから又どうかして自分たちの組織を拡大して、産業別にも或いは職業別にもまとめて行くということは大変な困難事だと思うのです、それには十年も三十年も三十年もかかるのが本当だと思います。それでございますが、その大変だということの意味は、使用者経営者のほうが社会階級的には強くて労働者のほうがやはり弱いものですから、団結をするということになつて来るのだと思いますが、そのために現在日本の現状のままで見て、それが対等か対等でないか、又、絶対に対等にすべきだというふうにはなつて来ないのだと思います。現実というものを考えながら行くならば、まあ場合によつて経営者のほうが弱い場合もあると思いますけれども、又場合によつて労働者のほうが弱いことも起りますが、考え方としては絶えず両方が接触し交渉して正しい慣行を打ち立てて行くというよりほかないのじやないかと思います。従つてこの通牒については、私この事態を自分でどうこうするというわけではございませんけれども、こういうルールから離れたものだけは、これはやはり社会の力なり輿論なりで逸脱しないようにしたほうが労使双方のためではないか、こう考えている次第でございます。
  59. 吉田法晴

    ○吉田法晴君 意見の分れるところは、これはもう議論になりますから申しません。今お話のように勢力の均衡というものは、これはそのときそのときの実勢ですか、具体的な事例の場合に問題になりますピケなり或いは団体行動のそれぞれのところで以て均衡が保たれるというのが、今の憲法或いは労働法体系の下で考えられる点ではないか。ピケならピケの場合に団体行動権と或いは経営権と申しますか、そういうものは均衡を保たるべきではなかろうか。それには通牒談話のような精神では均衡を破るのではないか、こういうことを申上げたのであります。  なお、例えばスキヤツプを入れさせないとして破れないようなピケを張るというようなことは出刃ぼうちようだ、こういうお話、その辺は私はピケを張つてスキャップを入れないという一応の努力が、暴力が或いは暴行罪が伴わないならば、それは団結権が認められている現在においては自救権として或いは判例においても認められているところではなかろうか、或いはまあ過剰避難行為として一応罪になるかならんか考えた上で、刑罰性を免除したのもあります。或いは罪それ自体を免除したのもありますが、それはまあとにかくといたしまして、その辺についてはこれは意見が分れておりますから、意見が分れるところはそのままにしておきたいと思います。  もう一つ不当労働行為といつたような問題が、例えば先ほど早川さんの挙げられた例で、団体交渉の場合等にもございましたが、団体交渉を故意に拒否している、これは近江絹糸判例等にも現われておりますが、そういう場合に団体交渉を求めて団体行動が行われる。こういうものはこれは一般的には許されるのではないか。或いは団体交渉を求める場合に一人二人でなくて、団結権というものが背景になるならば、多勢出て来るのはこれは当然の趨勢だと思います。一人ずつ来て団体交渉をやつてくれというのも或いは要請されるかも知れないが、併しこれじや一人行つて組合の決定だからやつてくれ、こういうことを要請されたとしても、その場合は期待が不可能ではなかろうか、そういう点から言いますと、過去において団体交渉を求めて多勢やつて云々といつたような事例もございました。或いは統一交渉については応じない、この挙げられてい乙理由はわかりますが、それではその交渉を拒否される事態に対してどうすればできるのか。こういうことになりますと、やつぱりそれを求めて、団結権或いは団体行動権を発動する以外にはないのじやなかろうか、こういう工合に考えるのですが、具体例を挙げないで恐れ入りますが、或いは例えば過去における事例の場合なり、或いは今の場合の統一交渉問題についての実態もございます。これと通牒談話と関連してどういう工合にお考えになりますか。一つ御説明を願いたい。
  60. 早川勝

    参考人早川勝君) 団体交渉或いは団体行動ということは、勤労者が持つている当然のことでございますので、これは一向差支えないことと思うのでございますけれども、それが最前から何度も申上げておりますように、ルールを超えて暴力の領域に入つたものはちよつとこれは納得できんというだけのことであります。従つてまあ仮に御設例の統一交渉ということについて、使用者側がこれはできないのだ、経営の実体が区々になつて来ておるし、本当にもう浮沈の状態においては企業の実際の状況を一番よく知つている企業、殊に企業連と十分交渉してやつて行きたいのだ、だから統一的な、画一的なきめ方はできないから個別の交渉になつて来ているのだ、こういう理由で使用者側が主張する、組合側はそれでは自分たちとしてはやはり統一した組織を持つているから、統一した組織でやりたい、各企業連でやると、個々の企業連はエゴイズムを持つているのでそれでは駄目だというふうなことで統一交渉を主張する、その主張のよしあしはまあこれは又社会的な判定が下されることとは思いまするけれども、そういうことで問題がもつれて、決裂して、まあ如何なる形かのストライキが起る、これ又やむを得んことと存じます。それで両方が本当にこの社会情勢の中で、両方の自分自身相手方の両方の利益を考えて、ここらで妥結するかということで収拾することも普通の行き方と思うのでございますが、ただその争議の戦術の中で、ここに挙げられていますようなことが起ることは私はいけないことだと、こう思つておるのでございます。
  61. 栗山良夫

    委員長栗山良夫君) 早川参考人の御意見を伺います点は、この辺にて打ち切りたいと思います。  次に、中央大学教授亮三郎君の御意見お願い申上げます。
  62. 南亮三郎

    参考人(南亮三郎君) 私、南でございますが、何かどういう点だと言つてお尋ね下さるのでしようか。或いは全体的の意見を申上げますのでしようか、そういう点がわからないので……。
  63. 栗山良夫

    委員長栗山良夫君) 本日は大変お忙しいところをおいで頂いたわけでございますが、当労働委員会ピケ・ラインの正当性限界につきまして、従来から調査をいたして来たのであります。ところがこのたび小坂労働大臣の談話、並びに労働次官通牒が発せられまして、具体的な問題が提起せられたわけであります。そこで本日はこの具体的な問題につきまして、忌憚ない御意見参考人としてお述べを願いたいと、こういう心組みを持つている次第でございます、御発言の時間は四十分程度にお願いをいたしたいと考えるわけでございます。
  64. 南亮三郎

    参考人(南亮三郎君) お呼出し頂きました南でございますが、私は法律専門家ではございませんので、それで法律面の詳しい意見を申上げることができませんので、その点はあらかじめ御了承頂きたいと思うのでございますが、ただ経歴におきましては、北海道の地労委在任五カ年に及びましたたし、なお北海道の海員関係労働委員会に創立以来七カ年会長を勤め、更に公共企業体の調停委員長を四カ年半やりまして、殆んどあの方面の海陸の争議にタッチして参りました。昨年からこちらへ参りまして、只今中央大学でいろんなまあ講座を持つていますけれども、特に又労働法も今講じておるのでございますが、それでこれから申上げますことは、そういう法律の細い面ではございませんので、むしろ経済的社会的な背景から自分の考えるところだけを申上げて見たいと、かように思うのでございます。  それで、今回発表されました労働省の談話並びに通牒でございますが、そこに盛られておりまするピケのあり方という点が先ず第一でございまして、それで要するにピケ効力というものは組合員の内部に効力を発揮するだけであつて、それ以外の第三者には及ばないということをはつきりさせているのでございますが、それでこの点につきましては、私ピケツテイングというものの発生から考えまして、それは当然のことでございまして、何にも異論を差挾む余地はないと思うのです。それと同時に労働省見解というものは、暴力を用いてはならないということが表明されておりまして、これがまあ大事なあの通牒内容の第二になるかと思うのですが、この点はもう今改めて表明される必要もなく、組合法の第一条に、もうちやんと如何なる場合であつて暴力を用いてはならないという規定がございますでから、ですからそれがピケであろうが、その他の一切の争議手段におきまして、争議の当事者が暴力を行使してはならんということはもりはつきりしております。従いまして、この点も何も異論がないと思うのでございます。ただ私今回のこの通牒を見、そうして更にその背景にありますところの現実の事態を考えて見まするというと、この実質的な面におきまして、更にこの問題を検討もし、そうして熟慮を重ねなくてはならない点が多々含まれておると思うのであります。それでこの問題におきまして、まず第一に問題になりますのはその第三者という意味でございます。それで、あるいは争議が当事者から、必ずそこに当事者がなければならんことは労働関係法規に明記されておりまして、当事者のない争議はないわけなんですが、その当事者のほかに、つまり第三者というものがあるわけなんですが、ところが第三者というものがその争議の場合場合によりまして、内容が非常に変つたものにならざるを得ない。具体的なケースで申しますと、二十六年の三越の争議なんかになりますというと、あそこで第三者というものはその店に入り込もうとするところのお客さんである。このお客さんというものは争議のどちらの側にもこれは全く無関係な人でございまして、しかもその第三者の間に何ら相互の連絡もなく、一つ共同してあのピケ・ラインを突破しようじやないかという集団行動が起るわけではないのであります。しかるに例えば今回の東証争議の場合を考えまするというと、あそこで第三者と呼ばれておりますものは、立派な集団であり、しかもその集団が入り込むことによりまして、完全に労働組合の意図するところの争議効力をなくしてしまうところの力を現わすものになります。しかも、かように争議を無効ならしめ、そうして労働関係法に規定しておりまする業務の正常なる運営を停廃せしめようとするところの、その合法的なストというものが、いわゆる第三者のその入場によりまして完全に無効とされる。言い換れば争議相手理事者側、すなわち労働法におけるところの使用者側がその争議に際して意図するところのものを実現するという、そういう目的と効果とを持つておるものでございます。かようにみまするというと、第三者は、もはや第三者でなしにはつきりした目的を持つてその争議を壊さんとするものである。その利益におきましては使用者に通ずるものであり、いわば使用者利益代表するものとして現われると結論せざるを得なくなります。私かよりに考えまするというと、それを制止することがどうして不条理になるか、非合法になるか、それを制止しなければ、何が故に組合ストの効果をあげるかということの意味がなくなつてくる。更に言い換えれは、何故に国が法によつてストを合法と認めるかという意味がなくなつて参ります。で、私かように考えますので、このような場合にそれの入場を阻止するという行為を一律的にそれを非合法として排斥するという行き力が若し通牒から引き出されるとしまするならば、私非常に遺憾なことだと思わざるを得ないのでございます。  それから第二の大事な点と言いますのは、この暴力とか、それからまあ通牒におきましては、あくまでも説得でなくちやならんということが言われておりますが、ところで実際の場面につい考えてみまするというと、それは平和の方法というものは説得であることは言うまでもないのですけれども、併し労働組合が法によつて認められたストの効果を実現させるという目的でスクラムを組んで自己の陣営の乱れることを防止すると共に、そのストに対しまして、そのストを壊さんとするところの勢力が現われるならばそれを阻止するという、そのの阻止しまする場合に用いる手段というものが、ただ口先だけでこのピケ・ラインを突破しないで下さい、中へ入らないで下さいということだけで一体彼らの意図するところ、並びに法によつて認めらてたところを、これを実現することができるかどうかと考えまするというと、如何なる場合でももう説得のほかないのだという考え方は、私は事実からよほど離れたものでないかと思うのでありまして、スクラムを組んでやつておりまするときに、いわゆる第三者がそのストの無効を実現しようとして入り来たるものを、それをいわば彼ら自身の力を以てそれを防ぐ、その第三者はその力を打ち破ろうとしてやはり彼らは物理的な力を以てその線を壊そうとするでありましよう。その際にもなお且つ組合員が腕の力をも用いることができないで、ただ口先だけで、入つてくれては困るということだけしか言えないとするならば、事実は私どもに余りにかけ離れた感じを与えざるを得ないのでございまして、で、もう少しこの点を考えて行きまするというと、いわゆる暴力とそして説得との間には実力というものがなくてはならない。その実力の中には説得もございましようが、説得のほかに更にある種のものが加つて初めて労働組合の力というものが発現されることになるであろう。もとよりその力の行使が相手に傷をつける、乃至は器物を壊すということになりますというと、これはそれ自体が不法の行為になりましようけれども、併し威力の発揮でありまする以上は、その点におきまして成る程度の威圧も足りましようし、或いは肉体的な力の発揮ということも現われて参りましようし、かようなものを承認しない限りは現実の事実を、これ々解釈することができない。これを離れまして単純に説得という線だけで行こうとするならば、殆んどああらゆる場合が事実とかけ離れたものとして解釈されるおそれがあると思うのでございます。  以上が私の考えておりまするまああらましでございますが、若し更に申上げるならば、こういつたいろんな紛糾が生じまするに当りまして、政府が先ほどもお話が出ましたように、間違いのないルールに立脚してやるということの必要は言うまでもないのでございますけれども、およそこの労働争議をめぐるところの社会の判断というものは、これは明白に時代によつて変化をいたしております。社会的な善悪の判断というものにはいわば永久的なものが見出すことが困難なのでございます。でかような次第でありますので、誤つた行為を未然に防ぐというような趣旨から、何かの形でその正しい途を示すことが必要でございますけれども、動きの取れない法律の中にかような規定が取入れられるということになりまするというと、折角戦後発達を遂げておりますところの日本組合通勤を、更にこじれてそして動かして行くということのほうが、私どれほど心配が大きいかわからないと思うのでございます。  若し以上述べした点で不十分なところ、その他何か御質問でもございましたならば、又改めて申上げることにいたしたいと思います。
  65. 栗山良夫

    委員長栗山良夫君) ありがとうございました。  御質問のあるかたは順次に御発言願います、
  66. 藤田進

    藤田進君 非常に多年の御経験をされ、実は私自身もよく存じ上げているわけですが、労働運動の実態に触れられている方の意見は、やはり今のような事情に通じておられますから、私も非常によくわかるわけですが、私どもこの次官通牒が問題になつております点は、暴力を硬つていけないということがいけないとか、そうじやなくて、我々も暴力を使うことは成るほどよろしくないと思つておりますし、又この基本的な考え方の中に、次官通牒の中にあります労働組合組合員以外に組合統制は利かないという点を、今先生もその通りだと思うと言われましたが、そういうふうに考ますと、それも無論組合の規約が組合員以外に適用されるということはないわけで、これは私どもも当然だと思つております。ただ、そういう基本的な考え方について断片的にこれを取上げますと、問題はないわけなんですが、先ほども言及せられましたように、近来労働運動というのが戦後まあ南先生も御承知のように、かなり高低の波といいますか、労働側の攻勢的な時代、むしろ敗戦直後のどちらかといえば保護助成の姿にあつたときと、それから今を比べてみますと、かなり防衛的な立場に今労働組合自身がおかれておる。企業整備、或いはその他の労働条件の低下とか、いろいろデフレ政策の影響等もあつて、置かれておりまするこういうときに、しばしば団体的に使用者側スト破りといいますか、正常な業務運営を進めて行こうとする、それに対しては、それを続けられると争議の実効を阻害する、全然実効がなくなつてしまう、何のためにストライキをやつているかわからなくなつてしまうということで、御承知の今言われましたピケということが問題になつて来ているわけですが、お伺いいたしたい点は、今そういう状態の中に、ここにもありますが、団体交渉のときに大勢でやつてはいけないとか、これはまあ文書だけ見ますと、この解釈如何によつて、成るほどこの文書の通りでもいいということも結論付けられるわけですが労働運動なり紛争議の実態から考えますと、労使の力というものは一対一、それが即一人と上人ですね。社長が労務部長を連れて二人で来るのだから組合のほうも二人というようにすぐ置き替えられて、使用者は数名であるのに組合側は多数名が来ておる、これはけしからんというようなことが問題になつておる。ところがおよそ日本の今日、戦後まあ多くの組合が御承知の通りできたわけですが、経験も浅いという点は認めるといたしまして、まだまだ社長に対する組合の役員といいますか、こういうもののウエイトというものは、社長の前で一対一で、そこで会つて社長これはどうなんだという論及をするということは、なかなか言いがたい状態にあつて、多数がいわゆる団結の威力というか、そういうことで初めて社長と対等の行動ができるという実態にある。従つてピケを引きます場合にも或る人に言わせれば、日本の今の労働組合というものが自分こそ労働者なんだと、団結しているのだという自覚を持つのはどういうときといえば、本当はあのスクラムを組んで腕を組んでいるときに初めて自分労働組合員だ、団結しているのだということで、このスクラムが崩れると、全然団結というものは見る影もない弱いものだと、こういう酷評を一面で受けておるのです。そういうときにこの次官通牒を見ますと、一般的に又具体的にも、ちよつと待つて下さい、一つかくかくしかじかだからお願いしますということであつて、それ以上はまあこのスクラムをいけないのだというここに非常にきつい解釈が出されている点が問題になつております。又これを出される時期と動機が実は問題になつているのですが、今申上げた日本の実態等を把握せられまして、スクラム程度はときと場合によつてはというふうにも今お伺いしたよにもう思うわけですが、その点についてもう少し具体的なお話が伺えれば幸いだと思います。
  67. 南亮三郎

    参考人(南亮三郎君) ピケの問題を掘下げて行きますと、もう一つその大事な、在来盛んに行われました争議の手段、争議行為一つになつておりましたが、つまり生産管理的な行動と繋がつておる線が一つございまして、それで例えば第三者はいかんといいますけれども、争議相手方が、例えば会社でしたら社長さんなり、部課長さんなりが入つて来ると、そういう場合に組合員スト中だからこれは入れないのだということになりまして、若しその会社側の人が入り得ないということになりますというと、これは事実上力を以て労働者がその工場をいわばオキユパイしておるということになつてしまいます。それでそういうことが若し法的に許されるとしますならば、近年の生産管理の判断というものは殆んど例外なしにそれを不法と認めるというふうに傾いておりますが、そうしまするというともうその不法と見られておるところの生産管理の一歩手前、つまり工場、事業場を組合員が占拠してしまうというふうな問題と繋がることになりまして、それで私やつぱりこれは法の上におき出しては、たとえどのように組合員が力を以て防ごうと思いましても、それは争議相手でありますならば、これを阻止することができない、会社はやつぱり社長なり、その他の人の管理に属しておるのですから。ですからこれはとどめ得ないと思うのですね。それで問題は先ほども申上げましたように、いわゆる第三者ということになるのですけれども、その第三者の実体が先ほども申しましたようには、ああいうふうにまちまちのものでありまするならば、一概にこれを第三者として片付け得ないということになつたのでございますけれども、事実問題として見まする限り、今も御指摘がございました通りに単純なる説得範囲にとどまるということは不可能であり、又とどまるという規定を設けましても、それが履行されるということは殆んどあるまいというふうに考えざるを得ないのでございます。で、このピケツトの問題のそういう紛糾した際におきまして、使用者側がどういう対抗手段をとり得るかということにつきましても、これはもう皆さんよく御承知の通りに外国でもいろいろな規定なり、そして規定の変化もございまして、まあ歴史的にみまするというと、経営者はなかなかこれに対する厳しい対抗の手段をとつて来た事実が豊富にございます。それで日本におきましては、比較的経営者というものはこういう対抗手段を、とるで余り進んでいないあとが見受けられるのでございますが、私実際問題といたしましては、たとえ法の上でピケツトを破るといつたことが可能でありましても、事実問題として成るべくそれを避ける、そして仮にそこに紛糾が起つたといたしましても、最後の判定というものは、これは労働関係調整法の第一条から第四条にはつきり表現されておりますところの当事者が如何に積極的に争議解決の誠意を示す努力をするかという一点にかかると思うのでございまして、かかる誠意ある解決の努力に向うということによつて争議当事者がとるところの手段というものが、初めて適当であるかないかという岐れ道に判断されるのが適当ではないかと思うのでございます。お尋ね頂きました趣旨を取り違えておるかも知れませんし、何か自分でも意を尽しなかつたように思うのでございますが。
  68. 栗山良夫

    委員長栗山良夫君) 結構でございます。
  69. 吉田法晴

    ○吉田法晴君 多年の御経験を基礎にしてお話下さつて大変私ともに参考になりました。ピケ第三者関係につきまして、社会状態、時代によつて個々に判断をせられることが多いだろう、永久的な原則というものは困難だというようなお話の下に具体的なお話を頂いておりますが、なおその場合に今藤田君にお答え頂いたように、日本の資本家、使用者が進んでいない、こういうことで、例えば東証の場合においても問題になりました事例では殆んどのすべてそうだと思うのですが、或いは組合の切り崩しが背後で行われる、そうして第二組合が就労しようとする、或いは職員なり非組合員なりがストを破る、或いはピケを破つてそれの中に入ろうとする、或いはスキヤツプが、職業的なスキヤツプ日本の場合は職業的というよりむしろ暴力団的な何々組というものが多いというほどの実態です。そういたしますと、個々の場合に動く、先ほどのような場合にもなおそれ以外に取り得ないという事態がいろいろ出て来ておるようであります。判例の場合には自救行為とか、或いは正当防衛、或いは緊急避難という理論を以て臨んでおりますが、通牒使用者、或いはその代理人、或いは先ほどのお話の第三者の場合は先ほどお話下さいましたが、組合以外の労働者、これは前からの労働組合が別にあつて、或いは組織外のもの、或いはスキヤツプの場合、それから脱退した組合員、こういうふうに分けております。もう少し具体的にその辺をお話を頂けると大変幸いだと思います。
  70. 南亮三郎

    参考人(南亮三郎君) 第三者以外となりますと、もう争議の当事意だけになつてしまいますけれども、今御指摘になりましたような、その間には一体当事者であるか、純粋の第三者であるかわからんといつたものも、まあ中に現われて来るのでございます。それを考えまするというと、一律に争議相手方乃至第三者というふうにして、そういうカテゴリーだけではつかみ得ない人たちが起るわけなんですが、私まあ実際の場合として問題になると思いますのは、やはりこの争議をしておりまする労働組合のメンバーと繋りのある人たち、それはまあ仮に第二組合というふうに分れたといたしましても、やつはりこれは労働意でございます。で、そういう人たちが入り込んで来るという場合の判断は、これは先ほど申上げましたように、一体その意図するところが、争議を無効にする目的があるかどうかという点が判断の基準になると思うのですが、併しもう一つ、そのほかの面が考えられるのでございまして、それは結局一つ労働組合がその相手方と争つておりまする場合に、何らかの形でそれに介入して来るという、つまり他の集団の労働者、で、これらの局外に、形の上では局外に立つておりまする労働者が、その問題の渦中に入り込んで来るという場合に問題になりまするのは、つまりくだけた言葉で申しますならば、労働者としての徳義問題とでも申しましようか、そういう点に集中して来るのでございまして、それで、まあこうなりますというと、実際のケースを取上げて言わないというと、その共体的ケースを離れまして抽象的に事を論ずるということは非常に困難になつて参ります。それで抽象的にだけ申しまするならば、そういう労働者徳義の問題としてこれを考えて行くという線がそこにあるのじやないかということを申上げたいのでございます。  もう一つ相手方の側から起つて来るところのピケの突破、同時にその線から、今停滞しておりまするところの事業上の活動を推し進めて行こうとするところの線でございますが、実はこのストに対抗するところの経営意のロック・アウトという、この対抗手段が果して法的にどれだけの効力を持つものと考えられるか。私先ほど日本経営者の側におきまして対抗手段の研究が足りないといつた発言をいたしましたが、こういうロック・アウトの法的効力という点につきましては、やはり今後各方面からこれは研究しておかなくちやならない問題だと思うのでございまして、外国の運動の歴史を見まするというと、或る時期にはかような経営者のとりまするロック・アウトが、労働者との間に雇用契約の継続を前提とすものでなしに、むしろロツク・アウトによりましてその労務契約が一応解消するといつた解釈がなされる。そして事実上そういう運営がなされた時代もあつたのでございまして、そういう点から考えまするというと、ピケツトの問題と結び付いて、使用者側が訴えまする対抗手段の法的限界というものも同時にこれをはつきりさせて行くという必要があると思うのでございます。具体的な細目についてという御注文でございますけれども、まあ以上申上げておきます。
  71. 吉田法晴

    ○吉田法晴君 私は、まあ一番尋ねたい点について、争議をやつている労働組合と繋りのあるものについては徳義問題、労働者としての徳義問題があるのじやないか、こういうお話でございましたが、もう一遍先生の御発言に関連して申上げますと、第三者の場合にも、その行動が使用者側の意図を実現する目的、効果を持つ場合、これは客観的に使用者の意図、目的、効果と一致するならば、その場合には暴力説得の間に実力があるのではなかろうか、物を壊すとか、或いは人を傷つけるとかいうことであるならば別であるが、成る程度の威力の発揮というものは、これは認められるべきであろう、威力と申しますか、或いは肉体的な力の発揮も認められるべきであろう、こういうお話でありましたが、組合員組合外にある、或いは第二組合として組合の闘争からはずれた者、これにはまあ先生は今徳義問題というようなお話でしたが、この点については、団結権なら団結権というものの作用がやはり及ぼうとする機能が、ピケの問題に団体行動権で第三者なら第三者その他に現われますときよりも別に要素があるのではなかろうか。そこで第三者の中で経営者の意図、目的と同じようになるならば、こういうことであるとおつしやるならば、徳義的な問題、それを徳義の問題と言いますよりも、まあ労働法的に団結権という……、団体行動権もまあその派生と言いますか、そこから出たという人もありますけれども、団体行動権のほかに団結権の影響というものもあるべきじやなかろうかと、こういうように考えますので、或いは更に組合員であつた者に対する争議をやつております第一組合等の影響が及び得ると、こういうふうに考えられるのじやなかろうかと、こういうふうに実は考えたわけでございます。その辺が、徳義問題というお話もございましたけれども、先生の考え方から言うならば、もう少し徳義問題以上のものが、少くとも労働法規的な面から言うとあるべきではなかろうかと、こう実は考えて御質問を申上げたわけでございます。如何でございましようか。
  72. 南亮三郎

    参考人(南亮三郎君) その点簡単に申上げますが、私現在ありまする労働法の建前から考え、そして又ずつといろんな実情から考えまして、その第一組合なり、或いは組合は結成していないけれども、元の争議をやつております組合から脱退した者と、そういう人たちに対するこちらの争議当事者の組合効力というものは、私はそれはいかないと思います。それはもう法的にはいかない。それはもう次官通牒で言われておる通りだと思います。で、そのために別の要素で実際のケースを判定する必要があるというのが私の考え方でございます。
  73. 田畑金光

    ○田畑金光君 簡単に先生のお考え方の結論だけをお尋ね申上げたいと思いますが、先ほど来お聞きいたしまして、長年の労使関係担当の実務家として非常に貴重な御意見を承わつたわけであります。まあ先生は結論といたしまして、この通牒というものは、政府並びに労働省考え方そのものはわからないでもないけれども、併し労働争議をめぐる社会的な判断というものは常に変遷をするものである、争議行為内容についても、その時の社会的な条件、経済的な条件によつて常に動いて行くものである、そういうことを考えたとき、こういうような基準というものを行政解釈によつて下して、組合運動一つの枠をはめるということは却つて如何か、どうかと思う、むしろ労使関係というものは、労使の慣行を通じ、或いは労働者の自覚を通じ、世論の批判によつて盛り上げて行くべきである、こういうふうな趣旨に先生はこの通牒を取つておられるという工合に私お聞きいたしたわけでありまするが、そのように解釈してよろしうございますか。
  74. 南亮三郎

    参考人(南亮三郎君) その通りでございます。ただちよつと附加えまするというと、私の話はこの通牒に示されましたところのものを法律の中に加えるということをするならば、そういう嘆かわしい状態が起つて来る。それで別途そういう形でなしに、例えば労働教育を通ずるというふうな、その線で正しいやり方を指示して行く、導いて行くという方向を取られるならば、私はそれで一向差支えがない、まあかように考えておる次第でございます。
  75. 吉田法晴

    ○吉田法晴君 もう一つ伺いますが、実際に今までに労働問題を見て来られたり、取扱つて来られましたので、この点もそういう御経験からする御感想でありますが、最近はまあこれは今年になつていわば新らしい傾向だと思うのでありますが、こういう争議或いはピケツトの中に警察が入つてつております。まだ五つくらいしかないようであります、それでこれは通牒なり、何なりに関係があるかないかということは、これはいずれにしてもいいのですが、そういう時代によつても違い、或いは事情によつても違うので、判例によつて、労働慣行と申しますか、或いはそういう問題についての判断がだんだん作つて行ける、こういうふうな考え方であつたと私どもは開くのですが、労使対立し、或いは争議の効果をあらしめるためにピケを張つておる、或いはそれを破ろうと言いますか、或いは争議の効果を減殺しよう、こういうことをいたします。先ほどのお話、御説明のように、これは一応使用者なら使用者も、或いは合法的な方法でも取ろうかと思いますが、その中に警察が入つてつて、結果から見ますと、或いは東証の場合のように、中に、場内に入ろうとする者を警察が入れる、こういう恰好にあの場合なつておる。或いはそういう問題が、そういう事例が、今年に入つてからでありますが、まあ少し出て来た。これは去年までは大体なかつたことだと思います。そういう点について、どういう工合にお考えになりますか、好ましいとお考えになりますか、或いはそういうことはしないほうがよかろうというようにお考えになりますか、その点をもう一つお尋ねいたしたいと思います。
  76. 南亮三郎

    参考人(南亮三郎君) まあ考えを率直に申しまするというと、そういう場合に警察が介入しますることは、これはどう考えましても面白くないことでございまして、丁度ピケツトその他の団体行動の遂行が、説得によつてなされなくちやならんということであるならば、国家といえども実力を以てその労働争議行為をしておりまする者を、それを解かしてしまうということは、これはまあ理窟の上からも通らないわけでございまして、そこに人命の危害でありますとか、器物の破壊でありますとか、そういう実害が生じましたときは別でございますけれども、いやしくも法に認められた争議行為、その争議行為の中にピケが入ることは勿論であり、そのピケ範囲というものがまあ不明であるがために争いが起つているわけなんですけれども、それにいたしましても、果してどの程度まで合法であり、どの線からそれが非合法であるかということもわからないうちに、警察がこれに介入するということは、これは避くべきことだと思うのであります。
  77. 栗山良夫

    委員長栗山良夫君) 大変時間も遅くなりまして恐縮でございますが、南参考人の御意見はこの程度で伺うことを打切りまして、最後に弁護士小林直人君の御意見を伺いたいと思います。どうぞ。
  78. 小林直人

    参考人(小林直人君) この委員会は何時まで続くわけですか。
  79. 栗山良夫

    委員長栗山良夫君) 只今のところは、時間は小林参考人の御意見を伺うまで継続いたしたいと思つております。
  80. 小林直人

    参考人(小林直人君) 五時を過ぎても差支えありませんか。
  81. 栗山良夫

    委員長栗山良夫君) 差支えありません。
  82. 小林直人

    参考人(小林直人君) そうですか。短くはいたすつもりですが、多少過ぎる場合もあるかと思うのですが、私も弁護士として法廷で労働事件の経験を持つた面もございますし、むしろ中央労働委員会の公益委員として、現実の労使関係に触れて経験した事柄を元といたしまして多少の所見を述べさして頂きたいと思うのでございます。  私に与えられたる課題は、「ピケツテイング正当性限界に関する小坂労働大臣談話及び労働次官通達について」ということで、ここへ参りましてから頂戴いたしたわけでございますが、小坂労働大臣談話なるものは新聞で拝読したことがあるだけでございまして、ここに資料もございませんし、正確な記憶がございませんので触れないことにいたしまして、丁度週刊労働を持合せましたので、次官通牒のほうは全文このままに載つておると思いますので、これに基いて今後の所見を述べさして頂きたいと思うのでございます。  率直に結論としての所感を申しますと、この次官通牒は何らかの程度において労働運動を萎縮させる危険がありはしないか、こういう所感を覚えるわけでございます。勿論その中には極めて適切なる指示の部分もかなり含まれております。全部を一緒くたにしてこれはいかんと、こう私は感ずるわけでは全然ございませんから、これは誤解なきように願いたいと思いますが、基本的な考え方という第一項、それから第二項のピケット、第四項の工場占拠、生産管理、強行就業等、それから第八項の相手方の違法為行等に対する対抗的行為、これらの項によつて指示されておる部分につきましては、その中にも妥当だと思う事項がたくさんでございますけれども、私として、これは労働運動の萎縮に影響するようなことになりはしないかと心配させる事項も幾つかございますので、その点につきまして、率直に私もこの次官通牒によつて教育を受ける一人として生徒の疑問というようなものを述べさして頂きたいと思います。これは当参議院労働委員会におきまして、私がこう言つたというようなことをあげつらうのではなくて、一つの御参考に願つて、これが萎縮にならないような適切な今後の労働委員会の御努力を願いたいわけでございます。又労働省当局は、恐らく私の述べることを耳に入れるだろうと思いますが、私ただ反論を申上げるなんという趣旨ではございませんので、自分の乏しい勉強のうちからお教えを受ける生徒としては釈明を求め、なお且つお教えを請わなければ呑込めないかも知れないと思うような節々を真剣な気持で訴えてみたい、教えを請うてみたい、こういう次第でございますから、甚だ言葉は衣を着せませんけれども、雅量を持つて参考にして頂きたい、こう思うところでございます。何か釈明を求めるようなことばかり申上げまして、いい点について触れることが少いのは私としては誠に残念なことでございますが、本日時間を節約したり、本日の問題がこの次官通牒に若し問題ありとすればどこかということにお互いに研究をさして頂くわけでございましようから、その点にとどめさして頂きます。  分析的に申しますから、発言が委曲に亘り過ぎて大綱を逸するようなきらいもないではございません、御質問によつて補いたいと思います。  順序で申しますと、基本的な考え方という総論的な序章がございますが、そのうちの(一)の一番最後の段落の中にこういう文句があるのでございます。「労働者団結権団体交渉その他の団体行動権は、法の保障するところであるが、」、その次でございます。「暴行脅迫その他不法な実力の行使により」、今私が読上げたところが私が生徒として質問いたしたいとこうでございます。続けます。「他人の行動、意思に強制を加えることは、団結権団体行動権を保障した法の限界を逸脱するものである。」、こういうふうに基本的な考え方を述べてられます。このうち「暴行脅迫その他不法な実力の行使により」というところに疑問が介在しますので申上げるわけでございますが、暴行とは身体に対する不法な実力の行使、脅迫とは精神状態、心理状態等に対する不法な恐怖心の付与、そこでこの二つが逸脱であることは、これはもう通念、何人もこれは異存の挾みようはございません。問題は逸脱しないとはつきり言える事柄と、逸脱だとはつきり言えることとの中間に、見ようによれば逸脱かも知れんなと、こう心配され、又見ようによれば、これは逸脱としちやいかんな、こう又心配されるような領域があるわけでございます。その領域を、次官通牒の御趣旨が教育であるというならば、学界でも非常に困つているところですし、裁判所判例等によりましても、まだ帰趨がきまつたというほどじやないほど極めてまだ短い時間の判例の集積でございますから、この辺につきましては極く親切な御判断を頂戴いたしたいところでございます。そこで私がこれを判読いたしますと、「その他不法な実力の行使」という言葉の内容が問題なんでございます。暴行脅迫と考えてそれに匹敵するような、等価値であるような不法行為は何があるだろうか、こう考えますと、器物毀棄があがつて参ります。これは身体に対するでもない、精神に対するでもないのでございますが、資本財を毀してしまう、毀棄、不法に毀毀してしまう、これはいけないにきまつていると言つていいでしよう。恐らくどなたもそう反対を差挾む余地はございません。そこで「その他不法な実力の行使」という言葉に当るものとしては器物毀棄がある。その他にもまだ幾らでも等々等々というふうにあるかどうか、こういうふうに考えますと、ここのところはなかなかむずかしいところではないか。私はこれを暴行脅迫、器物毀棄その他それらに等価値の違法な行為、こうでもして頂けるならば、私の心配は除き得るわけなんです。「その他不法な実力の行使」という言葉は拡張解釈の虞れがある、そちらのほうに少しも囲いを置かない。拡張解釈の危険に対していわば門を開いているような感じがする。そこでこの言葉はこの言葉として、私はさほど異存はないのでございますが、そこの拡張解釈に門をわざわざ開いているのじやないかというところに私はこのままでは心配だ、是非ここのところはもつとはつきりして頂きたいとお願い申上げる次第でございます。  私の申上げるのは、これは杞憂ではございませんで、現実にこういうところから警察権や検察権の拡張解釈が始まるわけです。現実に只今裁判所等で労働事件というものの主として刑法事件でございますが、検察側と弁護側とどういうところが争われているかと申しますと、今の「その他不法な実力の行使」という範疇の中に属する争いが大きいわけです。その場合に暴行脅迫、器物毀棄は、それはどちらも異存がないのでございますが、いわゆるよく争議行き過ぎ業務妨害罪になるといつたふうな場合の威力、業務妨害罪の威力要件、威力というものは、大正十一年頃の判例に古くからある、労働法のない以前の判例によりますと他人の意思を制圧する事柄の汎称だ。そういうことでありながら、脅迫にも暴行にも達しない程度のものなんです。ところが憲法ができ、労働法ができて団結権というものが保障されましたその後におきましては、大正十一年の判例なるものは、その限りで他人の意思を制圧する汎称の中から、団結によるところの威力というものは、理論的に当然にこれは取除かれているわけであります。新判例というものが出たわけではありませんが、旧判例というものの効力を考えるときに、憲法ができ、労働法ができました以上、団結による威力は除く、こういう但書が当然にくつついておらなければならないところのものでございます。ところがそういうふうに勤労階級は思いたいわけでございましよう。そして相当理論的に考察いたしますと、そうならねばならんはずのものでございます。併し法廷に立つ検察官側の、これは検事一体でございますから検察当局と言つてよろしいのでございましようが、その法廷で論じられるところによりますと、威力というのは、今言うたように人の意思を制圧する汎称である、総称であるという意味で、それで暴行にも脅迫にも達しない程度であるが、それは不法な実力の行使の一種である、こういうふうに主張して止まないわけであります。現実における争ひ、法律上の争点になるものは、そのように松葉官の主張されるところの威力というのが労働運動争議行為なり、団体交渉なりの正当性を失わしめるかどうか、その問題にこれが急所にはまつているわけであります。そこでこの用語は私はもう少しく厳格にお扱いになるべきものじやないか、このように考えます。  基本的な考え方の次の(二)でございます。これは私かれてあることについて異存があるわけではございませんが、生徒として幼稚な疑問を提出いたしますと、かくなるのでございますが、それはその(二)の初めのほうはよろしいのですが、真中あたりに「統制を紊す者に対しては、組合規約に基きこれを除名その他の懲戒処分に付し得ることは勿論であるが、最終的に団結を離脱しようとする者を(そのことの善悪はともあれ)、暴行脅迫等によつてその意に反してこれを阻止することはできない。」、かく書いてありまして、これは至極当然でありまして、私としては何の異存もございません。これに関連してただ申上げるだけでございますが、労働者の気分から行きますと、友愛と信義と申しますか、率直に言うと階級的連帯性というような気持が一般的でございます。その気持から行きますと、争議中に統制を紊すというような組合員に対しては、その友愛と信義の一念や階級的信義の一念から、相当深刻に説得したり反省を求めたりするわけでございます。それは悪意に言えば吊し上げというのでしよう。けれどもその心情に入つて考えると悪い動機ではないのです。そこでそれも極く軽率に簡単に解釈すると、暴行脅迫脅迫に入つてしまう、ここのところがむずかしいところでございます。そういう心情から出た熱心な説得というものが、それは脅迫に入らないのだという前提に立つておるのでございますれば、何らの心配はないことでございますが、そこはその人その人の考えようや、その心の置き方によつて、親切に見るのと冷たく見るのとではかなりそこの境界は狂つて参りますので、その点でこの脅迫という言葉のあるその脅迫内容が心配になるわけでございます。ここがまあ一体どういうところにお立ちになつてこうした用語を実際に使用しておられるかということを、ここで教えを請いたいところでございます。  その次に(三)、(三)の真中あたりでございますが、「争議行為は、労働者の団結と統制によつて使用者に圧力を加えるものであるが、その際、ピケツト等において暴力その他行き過ぎの行動に出でるのは、争議目的追求に急なる余り、右の団結、統制力限界外のことを強いて行おうとする場合に多い。」こういう言葉でございます。これも「暴力その他行き過ぎの行動に出でるのは、」という言葉が現実の事実を慎重にとらえてのことでありますれば、私として何も異存はここにいませんし、同感ではありますが、これも今すぐ前に申上げましたようなわけで、その行過ぎというものを何を標準にして見るかによつて大変用語は同一でも狂つて参るわけであります。適用が狂つて参るわけであります。ここにもどういうことを指して行過ぎということになるのであるか、そこのお教えを請いたいわけでございます。それはうしろのほうに詳細に又出て参るわけでありますが、「基本的考え方」の中の質問としてそういうふうに考える次等でございます。なぜ私がここでこんなことを言うかというと、その(三)の一番初めのところに、「労働組合の団結に基く統制力は、原則として、組合員範囲にしか及ばないものである」、こういうふうな前提が置かれてピケツトの問題に触れておられるからでございます。「原則として、」とありますので、私もこれには少しも異存はないのでございます。異存はないのですが、「原則として、」と言う以上に、例外の場合を明示するほうが、原則と並べて容認できる例外を明示することが、教育上よりずつと効果のあろうことであろうと思います。例外のほうは黙秘しておられるのでございますから、進んだ生徒はむしろ例外の場合を案じる。これはまあ御用意が別にあることでございましようが、私はここで例外の場合も示しておかれたかつたと思うのでございます。私が今すぐ例外かと思うのは、クローズド・シヨツプ制、ユニオン・シヨップ制等で、これらが協約として結ばれております場合には、労使の協約、或る組合使用者との間でクローズド・シヨツプの協約があります場合には、組合に所腐しない、つまり第三者、ここでいう「団結に基く統制力」の外なる者、第三者が解雇されたりするわけであります。クローズド・シヨツプ、ユニオン・シヨツプの統制力というものは組合員以外に及ぶわけであります。それがすでに一つ例外、これは労組法七条の中に明文もありまして、極めて顕著な例外一つではなかろうか、このようなふうに労働組合団結権団体行動が極く稀ではありますが、第三者に効力を及ぼす、そこまで統制力が及ぶということがありますので、そこのところがなかなか難問化するのでございます。ピケツトというものは、組合員組合争議行動に服することを慫慂する目的ばかりでないのでございまして、争議権が憲法で保障されたその社公で行われる争議でありましても、外部から、つまり組合員以外の外部から争議の切崩して参りますので、それ々防衛したいと、自救権と申しますか、防備権と申しますか、防衛したいというところがむしろ日本におけるピケットの現状でございますので、その防御、その自救、みずから警察力を頼まずに組合の力で取りあえず争議行為を防衛するというその自救行為、この自救なり防衛はとにかく外部に向つてなされることが必要でもある。そこでその場合にクローズド・シヨツプ、ユニオン・シヨツプの場合に外部まで統制力が及ぶという例外がありましたように、やはり組合員以外にもその団体団結権なり、団体行動権なりの効力が及ぶ第三者はその場合受忍しなければならないかどうかの問題、忍ばなければならないかどうかの問題に、これは明文がないわけでありますが、理論的には積極説も消極説も成り立つわけであります、そこを直ちに片一方は違法だと、こうは言えない。現実の事態が発生したときにその諸般の事情を慎重に判断して、労組法一条二項の規定に照して、あの一般条項に照して正当性を失わないのだと認める場合には正当なピケツトだと言わなければならないかも知れない。そのような可能性が起きて参りますので、この(三)の通牒の文言につきましても私は質問事項があつたわけでございます。「基本的考え方」の中で私が釈明を求めたい点は以上でございます。  次に第二項の「ピケツト」に入ります。ここで(一)、これは「ピケツト」の総論が書いてあるわけでございましよう。これはちよつと御指摘を申上げますと、「ピケツトの方法、態様は、その対象なり、状況によつて、若干の差異があろうが、我が国においては、事業場の出入口附近は多数の者が集合していること自体では、ピケツトとしては違法とはならない。」、このように前提されておられます、私は全く同感でございます。併しながら「ピケツトは、平和的説得範囲に止まるべきものであつて」、云々と書いてありまして、そのずつと続きの後のほうへ行きまして、「説得又は団結力の誇示の範囲を越えた多衆の威嚇や甚だしい嫌がらせ等によつてこれを阻止するごときピケツトは、正当でない。」、こういうふうになつております。ピケツト平和的説得範囲に止まるべきものである。これも私条件で賛成、「平和的説得」というこの用語の法的意味がはつきりすれば賛成いたすわけでございます。問題はこの表現そのものは悪くないのです。平和的説得という判例はすでに国際的に積まれておりまして、そういうような用語を使いつつピケツト正当性の問題が、初め全然違法であつた時代からだんだんピケツトが認められ、集積され、ピケツト権が拡張して行く。国際的な精神に属することで、「平和的説得」という用語は国際的な用語で、これは私この用語を使うことに賛成ですけれども、「平和的説得」という言葉の法律的に与える内容が問題なんでございます。それは非常に重心の深いものなんです。この言葉の四字、五字ですぐわかつてしまつたという、そんなものじやないのでございます。このあと相手方の異なるに従つてピケツトの態様が次官通牒でも指示がありますけれども、それを私が分析した結果も、私の言う平和的説得という用語は非常に重心の深い内容だということがすぐあとで、そのもので例証ができると思います。そのように用語に与える、用語に包含せしめる内容従つて極めて妥当なこれは言葉にもなるが、与える内容如何によりましては、いろいろ私が案じますところの無註、註釈なしでその辺の考慮のない人たちに読ませ、且つ適用されますと、教育の目的とは反して、労働運動を萎縮することになりはしない、私が案ずるような結果を生む元にもなるかと思います。例えば威力という言葉がありますと、裁判官、検察官、弁護士、すべて法律家というものは威力ということの具体的な事例をたくさん集積した上で、それを一つ法律語に切替える。さつき一例を挙げましたように、これは大正十一年の判例だと思いますが、他人の意思を制圧する総称である、そういうふりに威力という極めてむずかしい用語一つの定式化する。そのように「平和的説得」という用語は、相当事例を集積した上で客観的背景のさまざまなものの上に立つところのさまざまなる態様のピケツトをそこに集積して来まして、そしてその中から一つの法則のように「平和的説得」とは何かということを、他の法律上の一般用語で置替えなければ、到底これは通用のできるものではありません。そしてそのように適正に置替えた場合におきましては、これは国際語でもありますし、非常に役立つものであり、且つ非常に意味のあるものになるわけでございます。通牒の目的が主として教育であるということでありますれば、「平和的説得」というふうな用語も、今法律的な内容を与えて一般語に置替えて、一つの基準として何人も合理的に解釈できるものに仕上げるということは、教育の効果を最も挙げ得る前提でありますので、かような点は大きに力を尽して頂くべきものであつたと思うのでございます。そこでその細かい内容につきましては、あと個々にだんだん触れることにしまして、今の(一)の中で「説得又は団結力の誇示の範囲を越えた多衆の威嚇や尋だしい嫌がらせ等によつてこれを阻止する如きピケツトは、正当でない。」、この言葉につきまして私は疑問があるわけでございます。説得というのは、只今私が重心の深い言葉だと言うた非常にいい意味で取れば差支えないのですが、「団結力の誇示の範囲を越えた」とありますから、団結力の誇示もそれではよろしいということになつておるわけでございましよう。「越えた多衆の威嚇や」というところですね。それから「団結力の誇示」ということと「多衆の威嚇」というものは、これは私来してどのぐらい違うか、同じじやないか。つまり両刀同じである場合も数多くあるのじやないか。通牒をお出しになる場合の趣旨としてはこれは違うものなんだという一つの分析上の考慮に立つて出されたと思いますが、読むものが不用意でありまして、生徒が不勉強でありますと、これらについては同じものまで違うことにして行つてしまう。団結による示威がよろしいというほうは自に入らない、多衆の威嚇ということはいけないということだけが目に入つて来てしまうと思います。  その点でここは不厳密ではなかろうか、こう考えるわけでございます。  そこでさつき私が触れました平和的説得の重心の深さというものに入つて行きたいのでございます。丁度このあと次官通牒は逐次分析的に触れておりますので、これを追つて申上げて行きます。今度は数字の(1)でございます。「使用者又は利益代表者に対するもの」、「もの」というのはピケツトというのでございましよう。ここにはこうなされております。「使用者又は労働組合法第二条第一号に定める使用者の利益を代表する者は、本来、当該労働争議の相手方に属するものであつて争議行為中においても、就業し、会社施設の管理等に当り、また、争議の解決に努める等の義務と責任を有する者であつて、これらの者の正当な業務のための出入ピケツトによつて妨害することは許されない。」、この「ピケツトによつて妨害することは許されない」となつております。このまま読んで来ますと、使用者及び利益代表者ピケツトラインを出入するときは説得も何ももういけない。ピケットによつて妨害することは許されないというふうに断言的な記載になつておりますので、何にもしちやいけない、出入するに任せなければいけないというこれは表現になつておるわけでございます。そこに問題がございます。「なお、労働協約等において協定された保安要員等の争議不参加者についても、その協約等に基く就労のための出入を妨げることは許されない。」、これにつきまして、これをも含めてその根本精神がピケツトによつて全然ちよつと待つて下さいと言えないという趣旨が平和的の説得ならばやつてもよろしいということであるのか、その次に出て来る第三者に対する場合と争議の相手方である使用者や或いは使用者の下で幹部として働らいている利益代表名にはピケツトをしちやいけないという、どうもここのところが、その本旨が奈辺にあるかを私は案ずるのでございます。そこで私はこれをこういうふうに質問をいたしたいわけでございます。平和的説得ということが次官通牒の場合におきましても、只今申上げましたような法律上の構成がある。極く常識的な平和の説得でなくて、或る重心のある常識で考えたよりはずつと範囲の広いものだという意味であつて、そこでそういう或る種の争議上の高度はピケツト使用者利益代表者にはやつちやいかんのだと、そういう説得権さえもないのだという趣旨にこれは読まなければならないのか、或いは又そういうようなことは考えておらんのであるけれども、使用者とか、或いは部課長などが出入りするについては全然これは説得も要請も何もしちやいかんと、そこは無条件でそこのラインの出入を許さなければならんのだと、こういう趣旨でありますか、そこのところをお聞きしたいと、こう考えておるわけでございます。文字通りの平和的な説得ならどんな他人に対してもできなければならん、まして争議の相手方です。労働争議をやるときには団体交渉が決裂したから争議をしておるので、話がつけばすぐやめていいわけなんです。それから行くと、ピケツト・ラインというような場所で、たまたまそこに重役が来た、日頃頼りにする部課長が来たというときには、待つて下さいと言つて、そこで説得してもよかりそうなものだ、ここのところは通牒の当局と直接にお話し合えば、これは簡単に何か説明がつくことかも知れませんけれども、私の読んだだけの範囲では、これは平和的説得の権利さえも認めていないことになつておりますので、極めてこれは趣旨に疑問を感ずるわけでございます。  次に、その次の争議の(2)、第三者に対するピケ、「従業員以外の出入商人、顧客等の第三者に対するピケツトについては、当該争議行為についての理解と協力を穏和に要請し得るに止まり、」、この言葉でございます。これも用語そのままとりますと、平和的説得の権利がないということになる。当該争議行為についての理解と協力を穏和に要請し得るにとどまるのだと、この「要請」といふ言葉は説得とどういうふうになるのか、これは違うものだという前提に立つと、この場合も説得権、つまりピケット権はないのだということになるのだ。若しこれを同じものだとするならば、言葉のニユアンスを変えたたけでありまして、まさにこれが平和的説得の行使をしておるのだということになるわけでございますか、この「争議行為についての理解と協力を穏和に要請し得るに止まり、」、この言葉は私は質問して確かめたいところでございます。ただ注目すべきは、この(1)の使用者及び利益代表岩の場合には、ピケツトによつて妨害することは許されない、つまりピケツトはできないという趣旨が明確になつておりましたものが、この場合は争議行為についての理解と協力を穏和に要請し得るに止まると言つて、その程度ができるというふうにありますから、この一番低い場合のその何人に対しても必ずなし得るというものの基準が仮にどこかにできますと、それよりかなり一段階又上のことができるのだということになつて来るように、これは読みとれるわけでございます。これを少し専門的に分析いたしますと、どの程度のことを指すのであるか疑問でありますので、専門家にもこれはわかりがたいところであろうと思います。又素人がこれを読みました場合にも、つまり教育を受けるものが読みました場合にも、この(1)と(2)の段差はどこにあるのかということはわかりにくいだろうと思います。  (3)に参ります。「(3)組合員以外の労働者に対するもの」、つまりその組合の所属以外の労働者に対するピケ、これにつきまして、こういうふうに書いてある。「労働組合統制力は、原則として、当該労働組合組合員以外には及ばないから、組合員以外の従業員に対しては、」、その次の言葉に御注意願いたいのですが、「当該争議行為についての理解と協力を要請し得るに止まり、」、第三者に対するものにつきましては、「当該争議行為についての理解と協力を穏和に要請し得るに止り、」とある。今度の場合には、「当該争議行為についての理解と協力を要請し得るに止まり、」とあるから、穏和でなくてもいいというのですから、第三者の場合よりは、組織外の労働者に対する要請は、いわゆる穏和性を欠いてもいいというこれは用語になつているわけでございます。そこに段差を考えておられるということはこれは明白なんです。併しどこが、どんな程度のことがこれに当るかということは、このままでは疑問であつてお教えを請いたいところでございます。そのあともまだ問題があります。読んで参りますと、「なお、労働協約等において代替要員雇入禁止の条項が規定されていない限り、使用者争議中必要な業務維持のための代替要員を雇い入れ、その業務を続けることは、労働組合争議行為に対する使用意の対抗手段であつて、そのことが妥当かどうかについては状況によつて異るが、それ自体は違法とはいえない。」、その次、「ピケツトにおいてその就業」、つまりこの代替要員の就業です。「就業を阻止すべく説得することは固より自由であるが、労働組合は、暴行脅迫その他の不法な失効等を以てこれを阻止し、その就業を妨げる正当な権限を有するものではない。」、ここのその代替要員に対しまして、ピケツトにおいてその就業を阻止すべく説得することはもとより自由であるとありますので、ここで初めてその双方でピケットの前置き、ピケツトの総論部分で出て来ました「平和的説得」というその説得がここで初めてはつきり出て来たわけでございます。「ピケツトにおいてその就業を阻止すべく説得することは固より自由である」その説得は目的を就業阻止においてよろしいということがはつきりしている。そうしてその説得をしてよろしい、こういうふうになりますので、ここでそのピケツト権をはつきりこれは用語の上でも認めておるということは明白でございます。これは組織外の労働者が、争議中の代替要員の雇入れ、まあこれは組合側で言えばスキヤツプというところでございましようが、そのスキャッブが来るのにつきましては、「その就業を阻止すべく説得することが固より自由である」とあります。そこで用語に忠実に私がこれを読めば、ここで初めてピケツト権が認められて平和的説得ということを認めたんだ。こういうふうに読むと、その前の第三者とか使用者又は利益代表者の場合にもまだピケツト権もないようだ。要請という言葉は或る度はこれは説得とは違うし、ピケツトではないのだ、こういうふうになるのかどうか、なりそうなふうにも読めます。併しこれらはみんな各ピケツトの各態様として書いてありますので、その段階を追つてこれが(3)段目へ来たのだという趣旨であるかも知れません。この辺が質問をいたしたいところでございます。そこで繰返しますが、ここにも「労働組合は、暴行脅迫その他の不法な実力等を以てこれを阻止し」てはいけないと、こうありますので、この「その他の不法な実力」というところはすでに説明いたしましたが、私が心配したような点を解決しなければ初心者の教育には到底ならない。非常にここはまあ心配されるところでございます。  その次に数字の(4)へ参ります。「争議中に組合を脱退した従業員に対するもの」「争議中に組合を脱退した」ですから争議が始まつて争議が難航しておる際に脱退者ができたという、その脱退者が就業しようとする場合のことでございましよう。「争議中に労働組合を脱退して第二組合を結成するようなことは、好ましいことでないが、我が国の現状では、かかる事象は往々にして生ずる。このような第二組合員の就労は、当該争議の帰趨に決定的影響を及ぼす場合が多く」とこれまでは私は全然同感でございます。そこでその次からいろいろ注意すべき規定があるのですが、「ピケツトにおいてこれに対し説得に極力努めることは当然である」と。で、なお続けて「また、第二組合としても、当初より一切の説得に耳をかさず、一挙にピケラインを突破する如き態度は、労働者としてとるべきでない。然し乍ら、この場合でもやはり、暴行脅迫その他不法な実力等によるピケツトは許されない。」とこう書いてありますので、ここでその御注意を喚起してお教えを乞いたいのは、この争議組合脱退の、例えば第二組合のようなものができた場合のそういう脱落者の就労の場合のピケツトの引き方でありますが、「ピケツトにおいてこれに対し説得に極力努めることは当然である。」こういうふうに肯定しております。そこで今のそのスキャッブが来た場合、外部の労働者が臨時雇で来たような場合でしよう。このような場合につきましては先に「就業を阻止すべく説得することは固より自由である」とこうあります。今度の場合は「説得に極力努めることは当然である。」とはつきり段階を設けておりますから、これは(4)段階へ行つたということになるわけです。用語の上からそういう精神が吸入取れるわけでございます。それからなおここで触れておりますように、「第二組合としても、当初より一切の説得に耳をかさず、一挙にピケラインを突破する如き態度は、労働者としてとるべきでない。」これは私は賛成でございますし、この点は、この部分については敬服いたします。これは裁判所より進んでおる。第二組合がこの場合「一切の説得に耳をかさず、一挙にピケラインを突破する如き態度」は労働省は否定しておるのだ。説得に耳をかさなければいけない。ちよつと待つたということに対しては待たなければいけない。そこで現場の工場入口のピケツトラインのところで公然と一つ説得を受けなければならないということをお認め頂いているわけじやないかと思うのです。ここで少しく説明のために、わかりやすく言うために言いますと、ラグビーというような競技がある。競技というものは競技制というものがなければ暴力です。暴行脅迫でもあるわけです。けれどもルールをちやんときめて、そうして一定のルールに従つて試合を競うことになりますと、それは適法な行為であつて競技行為になる。相撲だつてそうです。職業上のレスリングなんというのは実はあのままで暴力でないかと思われるくらい暴力が使われるのですが、違法な暴力とはもう言わない。そういうふうに法秩序の中で自由に争議してよろしいなんていう分野は極く僅かしかない。家庭争議労働争議しかない。(笑声)そこでこれをルール化すれば、ルール化しない場合にそこを見ればもう暴力に亘つているじやないかということでありましてもルール化すればそれはルールで、ルールに副つておればそれはもう不法なというところをはずしていいことになるわけです。そこでそのピケツトというものをルール化するに当つて、これは立法によつて勿論ルール化できますが、一々立法によらずとも労使の自然の発展によつて一定の踏むべきルールが地固まりがして参りますと、使用者側でも労組側でピケツトを張つておりましてもこれは暴力のために張つておるとはだれも考えない。ああルールに従つて例のピケツトだな。そこで一先ず説得を受けなければいけないと言う。説得を受けても芯がしつかりしていてなかなか応じなけいば応じられないでいい、こういうことになる。又労働者の側でもルールに副つてピケツトを張り、スクラムを組んで通つちやいかんと言つておる。これは無制限に一つ暴行脅迫をしてやろうという頭は全然ないわけです。ルールに副つてやろうという頭しかない。それでやるだけのことをやつて、どうしても応じてくれなければ非常に良心分子で気の弱い課長が一人で来たというときにはああそうかと帰るかも知れない。併し帰らない人も来るでしよう。そういう多少の時間をとつたということで満足して通してやるというふうにルールというものはなるものだろうと思うのです。そこのところのこれを考えずにいいとか悪いとかきめつけるということは何か非常にこの事態を理解しないやり方だという感じがいたします。そこで、ルールを競技の場合のルールを例にしながら、社会競技みたいなものですから、この争議の場合を何か緊張せずに軽妙酒脱に解決を願つて行く方法はないものかなあと思うわけでございますが、まあそんなようなわけで考えますと、これらの次官通牒が示した段階というものは、なかなかこのままでわかりにくいわけですし、いろいろ質問もいたしておるわけでありますが、これがやはり事実そのものに何らかの意味でこれ即している点もあるので、これからうまくルール化して行つたらいい、こういう感じはいたすわけでございます。その場合、ルール化した場合には、ルール化しない場合、ただその行為を端的に見れはすでにそれは暴行じやないか、脅迫じやないか、威力じやないかというようなことでも、ルールの中にちやんと制度化されているために、暴力ではない、威力ではないという見方をしなければならなくなるだろうと思うのでございます。そうして或る程度実際の争議というものを正しく眺めることができるようになりはしないかという感じがいたします。  次に数字の(5)に参ります。組合員に対するピケ。「労働組合組合員は、組合統制に服すべき義務と責任を有するものであるから、ストライキ中、組合統制に違反して就労しようとする組合員に対しては、組合統制を紊した場合は除名その他の組合規約上の懲罰に付されることがあるべき旨を告げて、その反省を求め、統制に服すべきことを要求し、情理をつくして説得に努める等の行為は当然正当であつて組合員であり乍ら説得に全然耳をかさずに実力でピケツトを突破する如きことはなすべきではない。」こういうふうに書いてありまして、現に組合争議に入つておるけれども、組合員のままで以て組合統制を乱している分子に対する説得のことを指しているわけですが、この場合には、除名その他の懲罰に付される等のことを告げて反省を強く求めるというふうなこと、統制に服すべきであるということを要求する。そうして情理を尽して説得に努める等の行為が当然正当と考えるのでありますので、争議中に脱退した第二組合員よりはなおなお強気説得、強硬なる説得ができるということがこの表現から読みとれるわけでございます。併しそれが具体的な場合にどういうことまでできるのかということが、こういう用語によつてはわかりません。で、その次を読みますと、「然し組合としても説得に名をかりて不当に自由を拘束して多衆の威嚇によつて所謂吊し上げ等を行い、又はあくまで説得に服さない者に対して暴行脅迫その他不法な実力的手段によつてなおこれを阻止する等のことは、平和的説得範囲を逸脱し、正当な行為とは解しがたい。」集約がしてありますわけですが、ここは私は問題も刈りますし、質問もいたしたいと思います。「説得に名をかりて」とありますが、こういうふうに説得に名をかりるだけであるのだ、根本の肚は暴力なんだということが外観上も状況上もわかる場合なら私はこれで少しも依存はないわけでございますが、それがなかなか、名をかりた、単に「名をかり」たのであるか、本当に説得をしておるのであるかが分別がつかないのですから、むずかしい。進歩的な裁判官なら、ああこれは説得なんだと言つてくれるところを、非常に初めから否定的な裁判官ですと、いやそんなのはもう名をかりただけだと、こういうふうに判断の差が出てしまう、それをもつと法律上の一般語で、この段階から上はいかん、この段階から下はよろしいというふうなわかりやすい置替えをしなければなるまいかと思うのでございます。そこでここで問題を指摘しますと、「多衆の威嚇によつて所謂吊し上げ等を行い、」とあるのですが、この場合でも団結の自由は認められるのでありますから、「この多衆の威嚇」というものは、それが度を過ぎれば脅迫という観念に断るのです。脅迫に当れば、もう脅迫はいけないということは労使共に異存はないわけなんです。脅迫の程度に達しない多衆の威嚇というものは、これはその意思を制圧するのですから威力でございましようが、さつきも申しましたように、団結権が憲法で保障されてから以降、組合員統制のために多衆の威力を用いるということが一体違法性があるのかないのか。これは実にこの用語上疑問であります。この辺はそういうふうに、禁止しなんでいい範囲まで、或いは幾分危険に近付させないために、大きく、いけないぞとこうやつちまつていらつしやるのじやないかとまあその辺の感じがいたすわけでございます。それから「あくまで説得に服さない者に対して暴行脅迫その他不法な実力的手段によつて」阻止することがいけないという点につきましては、先ほど何回も繰返しますように、この基本的な考え方に書かれた用語内容如何でこのままでいいし、内容如何ではこのよまではよくならなくなる、こういうふうに感ずるわけでございます。このようにして、この次官通牒は、相手の異なるに従つてピケツトの段差を置かれている。それで、組合員に対する原則として労働組合統制力は内部統制だというその組合員に対するピケにつきましては、ここにありますよりに、情理を尽して説得に努める行為は正当だとあります。それから、脱退した者に対しましては、説得に極力努めるは当然で、その第二組合員としても当初より一切の説得に耳をかさず一挙に突破するごとき態度はいけないと、こうありますので、組合員である場合にはもうこの組合説得に相当時間をかけられても忍ばなければならない、こういうことが入つているものと考えていいじやないかと思います。そこで、用語をこの「説得」というのはこれは平和的説得の意味なんだ、こういうふうにとりますと、スキヤツプ以降の場合でなければ、つまり相手が労働者階級でなければ、ピケット権というものは行使できないのだということになつてしまうのです、この用語上では。ところがここに書かれてあります趣旨は、恐らくそういう趣旨ではなくて、第三者に対する場合の争議に対する理解と協力を温和に要請するとか、組合員以外の労働者に対する場合の争議に対する理解と協力を、温和ではなくて一般に要請し得るとかいうふうなこともピケの一態様としてこれはお認めになつている趣旨ではなかろうかと思うのでございます。そうすると、私が申しましたように、平和的説明というものの範囲が非常に重心の深いものだということが御理解願えるのじやないか。そこで一つ争議行為の上のルールということをこの場合前提しますと、一番ルールの上で基礎となり低いところとなる、全然争議に関係のない第三名というものに対して、平和的説得というものがどの程度行えるかというものを設けますと、それから適当な段差をおいて今のような対象に従つて通常なら違法視されるようなことも争議ルールとしてはよろしいということで、逐次段階が積まれるということでなければ胸が落ちないような感じがするわけです。そうかといつて暴力まで行つてしまうという意味ではございません。そうでなくて、通常違法視できるかどうか疑問あるような領域におきまして、相当な程度までは争議行為の場合それをルール化して違法性を阻却できるのじやないか。実際はそういうふうにしないと争議行為という現象の妥当な分析を果すことはできないのじやないか。そういうふうに私は考える次第でございます。  そこで大変時間をとりましたので、そのほかの部分をずつと省略いたしまして、一番最後の第八項の「相手方の違法行為」等に対する対抗的行為という条項を結論的に触れまして一応説明を終りたいと思いますが、これによりますと、「相手方が法令又は労働協約違反等の行為に出た場合にも、原則としては、法の定める手続に従つて救済を求めるという方法によるべきであるが、相手力が争議のルールを、やはり次官通牒にもルールということを言うておるわけです。「争議のルールを無視するような法令、協約等の違反行為をなす場合、例えば、代替要員雇入禁止条項違反、争議不参加要員協定違反等の場合には、それに対応する必要最小限度において対抗的手段を講ずることが正当化される場合がある。」私はこの用語の中で、「それに対応する必要最小限度において対抗的手段を講ずることが正当化される」この表現には私は反対なんです。これに対応する必要にして相当なる対抗手段を講ずることは正当化される。必要にして且つ正当というところが妥当ではあるまいか、どうしてこの場合に必要にして最小限度の対抗手段としばらなければならないか。正当防衛などの刑法理論のほうも最初は補充の原則というて必要止むを得ざる行為というだけであつた。ところが長い間の判例の変遷で必要にして相当というところへ判例学説は殆んど国際的に集中して来ておりますので、なぜこの労働者側の争議行為ばかりが「必要最小限度」という表現で飽くまでしめられなければならないかということは問題があるかと思いますので、このへんはこの表現につきましては私は学理上反対でございます。  それから二番最後のほうで、相手方の違反行為、相手方が違反行為をしたという場合に、「相手方の違反行為に対抗するために直接に必要やむを得ないと認められる場合に限られ、」その対抗行為正当性の判断、基準が書かれてある中に、一番最後の集約によると、「相手方の違反行為に対抗するために直接に必要やむを得ないと認められる場合に限られ、且つ、その場合でもその方法、態様において社会通念上妥当とされる最小限度のものでなければならない。特に、暴力の行使又は脅迫等の行為は、如何なる場合においても許されない。」このように厳しいものでありますが、私はこの注目すべき次官通牒の一番最後の結論的な部分につきましては私は遺憾ながら同意しがたいわけであります。これはまあ一般の労使を啓蒙教育するというときには大体この最後のところはそんなことに触れないでいいことでありましようけれども専門的に分析する場合にはこの表現につきましては私は満足できないわけであります。どういうふうに満足できないかと言いますと、相手方の違反行為に対抗するために直接に必要止むを得ないと認められる場合だけだ、こういうのでございますが、先ほどありましたように、必要にして相当なもものは認めるべきだ、「直接に必要やむを得ない」という表現に反対でございます。又「且つ、その場合でも方法、態様において社会通念上妥当とされる最小限度のものでなければならない、」これは補充の原則をここで出しておられるのですが、争議行為が初めから犯罪だ、こういう前提でその犯罪である違法性を阻却するのだという考え方で行けば、補充の原則の適用ということも理論上考えられるわけでありましようが、私は争議行為というものは憲法が保障した通常正当行為だと考えております。そこでかような補充原則を適用することには初めから反対でございます。相手が違法の挑発をする場合に、それに対抗するために必要にして相当な行為をすることは当然でなければなりません。  最後の「特に、暴力の行使又は脅迫等の行為は、如何なる場合においても許されない」とあるのはこれは私法律的に反対。反対なるゆえんを少しく、私は暴力を称揚する趣旨はちつとも持つておらない。最も平和な労使関係の発展を念願するものでありますが、併し一般刑法の学説判例の到達しているところよりも厳格なる労働者争議行為についての労働刑法としては、一般刑法が到達したところよりもつと縮小解釈しなければならないという理窟にはどうしても服するわけに行かないわけです。  そこでこの点につきまして、私は重要なと思われる判例を極く短く紹介いたします。極く最近でありますが、昭和百十九年の四月七日の大法廷判決、これは特に注意しないと見落してしまう判決でありますが、これは大法廷の判決でありまして、而も争議行為正当性範囲についての画期的な判決だと言わなければならんのであります。これが最高裁判所の判例集に載つた際に、特に判決要旨というものをしぼられてしまつた。それで極く大まかに読む人はこの判決要旨だけを読みまして、そんなことが判示されているなと思うだけですが、小法廷とか下級審の判決でしたら上級判決と比較いたしまして判示されている点を省いて、極く妥当な部分だけをしぼつて判決要旨とすることが、判示事項として狭いものを表示することは差支えないと思いますが、大法廷の判決はもうこれ以上のものは何にもないのですから、大法廷の判決というものは全文が判示事項でなければならない、理論的に私はそう思います。そういう主張です。それから見て参りますと、この事件は極めて注目すべき判示があるわけです。事件そのものはこれは昭和二十四年(れ)第八百九十八号傷害暴力行為等処罰に関する法律違反上告事件、これは埼玉県の東洋時計の数年前の争議で乱闘のあつた事件だと思います。それで事実関係はここでは参照にはならないわけです。これらは何人が見てもまあ行き過ぎ行為ということが行われたのでありますが、それが傷害暴力行為等処罰に関する法律違反に該当することはこれは、私は少しも異存のないところでありますが、その上告審におきまして、さまざまな判断が示された中にこの判決文の理由にはこう書いてあります。一番理由の冒頭でございます。「憲法及び労働組合法において勤労者に団結権及び団体交渉権、その他の団体行動権が認められている以上、これらの団体交渉権の正当な行使のために他の個人の自由権その他の基本的人権が或る程度の制限を受けるに至ることがあることは当然である。その制限は団体交渉権等が正当に行使される場合において、そして正当に行使されている限りにおいては法律上許さるべきものであつて、何人もこれを甘受すべきものと言わなければならない」こういう文言があるわけでございます。これはこれだけ読むと極めて当然ですが、大法廷がここまで書いたということは画期的なことでありまして、これで多くの論争を一応止めたと思います。正当な争議行為は他の個人の自由権その他の基本的人権を制限するに至るんだ、こういう点が判示された。それでその正当な範囲というものはどういうものだということは社会通念できめるんだ、こうなつておりますけれども、その社会通念で正当だとされた場合のその法規の適用関係につきましては、今のように明示されましたので、正当なという判断はさつきも触れましたように、暴行脅迫その他の不法な実力の行使その他の、不法な実力行使ということは問題となつて来るわけでございます。暴行脅迫、器物毀棄その他等価値の行為を除きますと、社会通念で正当だという判断を受け得ることになる可能性が出て来るわけです。それから更に進んでその理由の中ほどへ来ると、これは御注意願いたいのですが、「勤労者が団結権又は団体行動権の行使として行動する際に、他人から急迫不正な侵害その他の挑発を受けたために」、これは他人というものは使用者でもいいわけです。「他人の権利を団害する行為をした場合にその勤労者の行為が正当防衛行為、又は緊急避難行為となる要件を充たしていたときは、その労働者は右の権利侵害の行為について刑法三十六条、三十七条の規定により刑事責任を問われない」。これが判決要旨として表題は掲げられないために多くの人は見落しているのですが、大法廷の判決でありますから、全文判示事項と見るべきである、これも判示事項であるとして重視しなければならない。そこでこれで行きますと、使用者側暴力的挑発を受けたために正当防衛、緊急避難等を行なつた場合には、その行為の態様がもう暴力的な行為にまで行つてつても、その争議行為正当性を失わないという判断を大法廷がされたわけです。これは非常に影響力の大きい、そうして今までいろいろな労使間や力関係のために下級審が明示したくても明示し得なかつた一つ法律解釈をばつさり受けたというものでありまして、立法当局でも御注意頂きたいと思うところでございます。この点の論争は去つたと見なければならないかと思うのであります。  そこでこういう結論を大法廷で出ましたあと、これを争議行為の面においてどういうふうにこの判断をして行かなければならないか、その影響の及ぶ範囲というものを考えて行きたいわけでありますが、私ども刑法三十五条のというものにつきまして、こういうふうに考えるわけでございます。これは通説を申上げるわけですが、片寄つた解釈を申上げるわけではないのです。刑法三十五条は要するに或る行為はたとえそれが犯罪構成要件に該当する場合でも、違法性がないと認められる限り、即ちそれが正当行為であると認められる限り犯罪とならないということを明らかにしたものだ、これが刑法三十五条の只今では通説です。正業業務行為というにとどまらず、正当な行為は罰しないという社会通念が正当と評する行為は罰しない。ここでちよつと理論ずくめでむずかしいから、極くわかりやすい例を申上げてわかりやすくいたしましよう。医者の資格のないものがありまして、もぐり医者が医療行為をした。それが事件になりまして、最後最高裁まで、これは古い話ですから、大審院まで行つたというわけです。そこでこのもぐり医者の医療行為は違法な行為なのか、適法な行為なのか非常に問題になる。そこでこの最終判決がどう示されたかというと、もぐり医者の行為は医師法違反ではあるけれども、その行なつた医療行為は医療を目的とした限りでは違法性がない。人間の身体に薬を飲ましたり、少し手術をして怪我させたりした場合には、それは違法性がないんだというふうにまあ裁判所ではなつたわけであります。学説も賛成いたしましたし、そんなわけですし、医療行為というふうなものが無資格で行われても、その医療行為自体が医療行為であつたために正当性を失わなかつた。そんなふうな例を見ますように、その問題となつた行為自体が傷害その他の暴力罪名に触れておりましても、社会通念がこれは違法性がないんだ、社会通念上是認していいんだ、こういうことになりますと刑法三十九条を適用して正当行為だと判断をされれば、形式上或る犯罪構成要件に当つておりましても刑法三十五条で罪とならないと、こう判断されるのであります、そこで労働組合法一条二項ができまして、丁度それと同じようになつておるわけであります。  ところがちよいちよいと間違いがありまして、例えば公益争議など手続違反があると、その争議行為を初めから、てつぺんからみな違法だ、これは損害賠償でも刑事免責でも受けない。それをもう業務妨害罪であるし、損害賠償は免れないと、こういうふうに判断を拡張されるかたが多々あるわけでありますが、これは次官通牒がそういうふうに解釈しているとはとりませんが、そうではありません。ただ世の中にあるわけですが、私はまだ例を挙げているわけであります。  ところが、今のその医療行為などから考えて、労調法違反は労調法違反、その行なつた争議行為の罪状が通常の態様であれば争議行為として必要で、相当な範囲でありますればやはり正当性を失わないと見て、刑法三十五条が適用の余地があるというふうなことが考えられはしないかというふうな、そんなふうにこの刑法三十五条というものは適用されて行くものであります。  そこで今最高裁の大法廷の判決が三十六条、その三十五条でなく三十六条の正当防衛、三十七条の緊急非難というものについて反証されたものの意義を考えるのですが、それは刑法三十六条や三十七条は、三十五条と本質的に異なるものではないのだ、これらを違法阻却事由の特別規定だと見るべきだと、そうすると刑法三十五条は違法阻却事由の中の一般法と言うて差支えなかろう、これは通説でありますし、私もその説の妥当を信ずるものでありまして、その刑法三十六条、三十七条はその要件が明定されているので、解釈の如何によつては法意織に照して犯罪性の認められない場合においても正当防衛、又は緊急避難に当らないとしなければならない場合もある。例えば正当防衛の場合、その防衛した権利と、それから防衛のためにその相手にされた権利とが公法益均衡をして丁度同じだというような場合には、狭い意味の正当防衛にはならなくなる。避けんとした害のほうが、その正当防衛の行使によつて失なつた害のほうが大きいような場合には勿論過剰防衛になるのです。過剰にはならないが少くはない、丁度だというようなときにはなかなか難問がある。緊急避難の場合にも難問がある。そういつたような場合に三十六条三十七条の要件こそは具備しませんけれども、なお社会通念に照して正当性を考え得るじやないかというふうなところから、法規を越えて超法規的な違法阻却事由というものを刑法学者は考えておるわけです。これはもう現在では通説です。単に犯罪構成要件に該当するという一事を以てすべてこれを犯罪とすることは、本来犯罪構成要件というものが類型的に定められている、本質上甚だ苛酷な結果を生ずる場合があるのであります。危険もあるわけであります。そこでいわゆる超法規的に違法阻却事由とも言うべき一般的な違法阻却事由を認めて、法の形式的適用を排除し、法の運用に当る裁判官の合理的判断に任せて、具体的事情に即応した実質的正義を具現しようということは構成要件的行為に対する違法性の推定を認める限り不可欠の要請であると言わなければならない。刑法三十五条のこのような重要な意義を自覚すると、刑法各則の抽象的刑罰規定は必ずこの刑法二十五条による価値評価を受けることなくしては適用することを得ないものと言い得るのだ。その意味で三十五条というのはまさに刑罰法令と本質的に関連性を有するものである。この三十五条と切離して個々の刑罰法令の運用をすることは全きを期し得ないというほどに刑法三十五条を考えなければいけない、そういうわけで超法規的違法阻却事由というものを現在の刑法学者が、これは実務家もそうでありますが、通説として採用しております立場から考えますと、すでに大法廷が争議行為の違法性阻却につきまして三十六条、三十七条のような場合には違法阻却があると言うた以上は、それに関連し、それに隣接するところの一般社会通念でこれも罰し得ない、これも罪とは言えないのだ、こういうふうに是認し得る範囲争議行為というものは正当な争議行為だという評価をしてもよろしいということに大法廷が確認したと言つて妨げない。その見地から考えますと、この次官通達の最終の表現は私はこのままでは多くの疑問と誤解を生じて行つて危険であるというふうなことを考える次第でございます。この次官通達がどの範囲に通達されたか存じませんが、恐らく検察官も裁判官もこれを御覧になるでしよう、そして従前の法廷における判例の集積の傾向が今私が御紹介申上げた程度にまで進んでいるにかかわらず、労働関係の専門省であります労働省次官通達が教育乃至は解釈として出される、これがそれに多少でも食い違つたことが出まして、何らかのその影響が及ぶということにつきまして私は懸念せざるを得ないわけでございます。そのような個々の点につきまして懸念いたしますので、その意味で拡大解釈を願つては因ります。その意味では先申上げましたように、労働運動を萎縮する傾向にこの通達が働く危険がありはしないか、かく申上げた次第でございます。  大変長い間の御傾聴を感謝いたします。
  83. 栗山良夫

    委員長栗山良夫君) 有難うございました。  小林参考人にちよつと参考までにお伺いいたしますが、先ほど御意見を承わりました途中でございますね、「特殊なピケット又はピケットに関連して生ずる問題について」という(二)そこから最後の八の前で、すね、それまででお気付きになつた点がありましたならば、説明はよろしうございますが、御指示たけしておいて頂きたいと思います。
  84. 小林直人

    参考人(小林直人君) 極く簡単に申しますと、この第四の「工場占拠、生産管理、強行就業等」というところにつきましては私は質問したいことがあるわけでございます。それはその中の(一)「労働意が使用者から明示の、且つ、存続する意思を以て正当に退去を要求されたにもかかわらず、なお、不当に工場、事業場内に止まつて、占拠をなし、又は坐り込みをする等の行為は、違法行為となること明白である。」この(一)条項には私いろいろ質問したいことがあるのでございます。只今では、現今の状況では労働者争議行為に出るというときにその会社従業員たる身分を離れていない、争議が解決すればその職場に戻つて従前の勤務をするという頭でおるわけです。その点については使用者にも何らの誤解がないわけです。そういう前提に立ちますと争議行為を行う場合は労働者はその争議に入つた瞬間から使用者業務命令を離れて不覊独立になりまして労働組合の判断でその統制下に行動するということになります。そこで使用者争議中の労働者に対してどんなふうにして業務命令を到達せしめ得るかということが問題なのです。ここには「労働者使用者から明示の、且つ、存続する意思を、以て正当に退去を要求されたにもかかわらず、」と、こういうふうに、平明に書かれてありますが、どういう方法でこれを業務命令通達にするのか、或いはどういう一体告示をしたら労働意はこれに従わなきやならんのかと、かく争議行為に入つた以上使用者業務命令には不服従でいいのだということは、これは確立されたる原則だといつていいと思います。併しながら理論的に推究いたしますと、いわゆる使用者業務命令に不服従の立場、使用者のいうことをきかないと、これはまあ怠業の場合には極めて顕著に出て来るわけですが、職場内にあつて生産減をしておると、使用者は能率上げろという、誰もきかない、上部遮断というようなことをやつておるという場合に、それと外部へ退去を求められたというときに、はい、とは言えない、不服従でもたもたしているということとがなかなか判別がつかないところでございます。けれどもその生産管理の大法定の判決も出てしまつておりますので職場を最終的に占拠してしまつて使用者の経営権を抹殺してしまうという趣旨であるならばこれはまあ私としては是認しかねるわけでありますが、或る時限ストなどあつて、二時間や三時間不服従でそこでもたもたしているということは職場占拠のようでもありますが、必ずしもその占拠というほどでなく、成るべく使用者の邪魔になるようなことをしながらいうことはきかなんで不服従を続けておる、こういうことであります場合には、それはまあかすかすその違法性を失わないところに行きやしないかというふうな疑問がありましていろいろ質問いたしたいところでございます。これは「正当に退去を要求されたにもかかわらず、」とありますが、これはどういう方法をとつたら正当に退去を要求できるか、簡単にはこれは行かないことであります。これに関連するとロックアウトの場合も、ロックアウトということは使用者側争議行為であります。争議行為は事実行為でありますから法律行為ではないのでありますから……。ロックアウトを宣言すれば宣言的効果によつて、その意思表示によつて皆が、何といいますか当然ロックアウトの効果を受けてしまわなければならないというものでもないようであります。この辺は疑問でございます。ロックアウトということを事実行為によつて実際にロックアウトして、使用者がしてしまつた、職場が無人になつてしまつたという完全なるロツクアウトを現実の実力行使で使用者側がしてしまつて、そのあと入るものをいけない、いけないということならば問題が落ちるのです。細かいですね。このロックアウトに不服従でもたもたしておるものが違法であるのかないのか、私は違法である根拠がわからない。併しここは学説紛々としておりまして、いろいろ勉強して行かなければならないところだろうと思いますが、これらについてこの次官通達はその辺のことは非常に深く疑問としている人たちに、十分に答えられたというよりは、一つ解釈をとつちやつたというようなふうに読めるわけでございます。  それから(二)「生産管理が一般に違法な争議行為であることは、確立した判例であるが、」これは私もその通りであると思います。これは大法廷で生産管理違法説が採用されたのでございますから、法治国の現在では大法廷の最終判決には従つて行くべきものであろうというように確信するわけでございます。  その次にです、その拡張解釈については問題がございます。「生産背理の程度までに至らなくとも、争議手段として、使用者意思に反して、ほしいままにその施設、設備、原材料、製品等を管理、使用、処分する等のことも、一般に正当な行為とは解されない。」とありますが、現実にこの行為の中の多くのものは正当な行為と解されないということに私も同意しておるわけでございます。差支えないと思うのですが、生産管理の程度まで至らなくてもです、「争議手段として、使用者意思に反して、」というところが問題なんです。結局使用者業務命令に反するということなんです。  ところが今申上げしましたように、争議労働者使用者業務命令に不覊独立でありまするから、火災、盗難予防というようなその他の問題について、使用者側と又別個に独自に労働組合みずから、労働者みずから善処する義務は勿論ございます。それは将来自分の職場に復帰しなければならないのですから、その施設の破壊行為をしてはいけないことは当然でありますから、それから推し及ぼして当然そういうことは考えられますか、使用者命令に反するだけの不服従の態度というものが即違法だとはならないのですから、使用者命令には反しながら、不服従的な行為をとつておるが、それが施設破壊にもならなければ、生産管理のような経営権の奪取にもならない、という場合にはいろいろ問題があるわけでございます。  ここにあります「使用者意思に反して」処分するなんという場合、この設備、原材料、製品などを処分するという場合には、これはもう経営権のほうになりますから、私として疑問を挟む余地はありませんか、管理という程度のところは、それも全部とは言いませんが、たまたま問題がある。  例えばこれは電産の例で言いますと、山奥の発電所の又その山奥に堰堤がある。小さい発電所、五千キロワット以上の出力を有する発電所は所属以下皆組合員、殊に堰堤の勤務者なんというのは、本当のもう平組合員、ほかに別にその使用者側利益代表はそこにおらないのです。そうすると一々争議に入るというときには、所長が組合員としてもう上部からは遮断して、組合員として施設損壊なきよう、安全操作する必要上、相当程度の管理行為をしなければいけない。争議に入るときの一つの手続として或る程度の管理行為は通常争議行為に伴つて必要じやないかと私は思います。私鉄の争議で、例えばバスが途中で、運転の途中で丁度争議に入る時刻が来た。そこで乗捨てるわけには行かないのですから、車庫なり指示された場所まで運転して行く。安全装置を施して行かなければならない。私実際の実情よくわかりませんが、海員組合争議で、船が横浜と東京の間にあるときに争議時刻が来たというふうなことが何らかの理由であるとすれば、その船は船長以下みんな組合員でありますから、上部遮断された船長は、組合意思によつて、何らかの管理行為をして、安全な港まで待避して、然る後に争議団に合体するというような行為をしなければいけないのじやないかと思います。そういうふうに見て来ますと、多かれ少なかれ各産業各職種の労働者ストライキ行為には、その争議の、稼動状態から争議状態に移行するその端緒の際に、必ず何らかの程度の自主的な管理行為をしなければ、秩序正しい争議自体が行われ得ないように思うのですから、その範囲の管理行為すらもこれはいけないという趣旨であるならば、問題があると思うのです。その意味で、私はやはりここに書いてあることの趣旨を分析して、今私が問題としたような点について、その点が争議開始時の必要最小限度の管理行為が是認されている趣旨であるならば、私は疑問はないのでございますが、そんなことはここに書いてないのでございますから、この表現については、私は疑問が多いと思います。  (三)(四)いずれも「使用者の意に反して会社の建造物の中を行進する等のことは正当な行為ではない。」とあります。これも又度を過ぎた場合には、当然いけないことでありましようが、建造物の中を行進することはいけないという例は、つまり構内を行進してもいけないという趣旨も、類推解釈、拡張解釈でできるのかどうか。そういうことになつて来ますと、ここのところなかなかもつと細かい規定がなければ、直ちにこのままそつくりこれを当然とは思われないわけでおります。ここに書いてもること、一応当然なことも書かれてあるわけでありますが、細かい部分に亘りますと、釈明を受けなければ、答えられない、釈明したいと思うような点もあるわけであります。そんなふうに思います。
  85. 栗山良夫

    委員長栗山良夫君) どうも有難うございました。
  86. 吉田法晴

    ○吉田法晴君 時間が遅いから、たくさんの御質問はできないのですが、今言われました四の「工場占拠、生産管理、強行就業等」のところにも、「正当な行為とは解されない。」或いは「正当な行為ではない。」こういう言葉があります。立案者の石黒課長もおられますが、私が聞いたときには、正当な行為とは不法な行為ではない。不法或いは違法と正当とは違うと、こういう書き方ですが、併し全体の文章からいたしますならば、前文ですが、左に掲げる不法な団体行動云々というような書き方がしてあつて、正当と不法との間が大変間違いやすい、或いは間違うように解釈させること、不法な行為が違法な行為として関連させるものが広くなる点が、通牒の狙いではないかというふうに私ども見えるのですが、この「正当な行為ではない」と書かれております今の点。それからピケツトの非常に問題になりました「組合員に対するもの」の最後のところ、まあ最大の説得であるべきものと解する、こういうお話でございましたが、それも最後のところ、暴行脅迫その他不法な実力行使、実力的手段によつてこれを阻止することは正当な行為と解されない、こういうように書かれております。その何と申しますか、この通牒全体についてこういう表現が非常に多いわけでありますが、その不法な実力行使、不法とそれから正当でないというものとの関連をどのように考えておりますか。小林さんの御意見を承わりたい。
  87. 小林直人

    参考人(小林直人君) 労組法一条二項の、労働組合行為にして正当なものに刑法三十五条を適用するという規定の、そこの正当性の判断の問題でありますが、私はこういうものが正当だという基準をだんだん立てて行くということは、なかなかむずかしいと思うのであります。そうでなくて、どんなことがあれば正当性を失うか、こういう基準を立てて行つて正当性を失つた場合には、その適用を受けられないし、失つたと言えない場合は、すべて三十五条の適用があると見たらよろしくないか、これは非常に著名な、著名なというか、心ある学者の多数説ではないかと思います。そこで争議行為というものは、日本では憲法二十八条に保障された団結権団体交渉権による行動の一つなんでございますから、保障されておる、その保障されておるということから考えられることは、組合がどういう争議行為を行うということは、一応争議行為の態様というものは、組合側の裁量に任せられておる。どんなに挙げてみても、例示にとどまるので、使用者側から何らかの対抗行為が出ますと、又それに対抗するために、適当な争議戦術を編みますから、結局は法律上で言えば無限定なものでして、種々さまざまな争議行為を編み出して行くだろうと思います。それでこういう形態の争議行為は適法だというようにきめてしまうわけには行かない。古典的なきまつた争議行為の中にも、やり方によれば違法な場合ができて来ますから、できないのですから、そういうふうに争議行為の態様は、組合側の裁量できまることであつて、それで正当、不当ということは、判定はつかない。そこでどうやれば、どんなふうに実施をすれば、その無限定の争議行為正当性を失うかという基準について考えますと、現在までの通説的な見解は目的による、その争議行為の目的が、目的性による何といいますか、批判といいますか、その目的が争議行為の自的として妥当であるかどうか、今度は手段性と申しますか、その手段が争議行為として妥当であるかどうかということで判断されて来たわけでございますし、私もそれについて同様な考えを持つておるわけでございますが、ただそう言つただけじやなかなか微妙な場合にわかつて来ない。そこで、それでは目的の場合は暫らくおいて、手段としてどんな手段なら正当性を失うかと、こう見ますと、暴力の行使はいけない。これはもうその条文の但書に明示されてあります。私はその今いけないと言いましても、相手の挑発によつて社会通念がなお正当だと評価できるような特殊の事情がある場合はこの限りにあらずというわけでありますが、一般の場合で言いますと暴力の行使はいけない。それから暴力と、暴力という場合に暴行脅迫と入るわけであります。暴力はもともとは人体に対する不法な有形力の行使だ、ところが人体でないがその人の精神、心理に不法な侵害を与えるということはいけないのですから、等価値と考えていいのですから、暴力脅迫はいけない。それから資本財を不法にこわすということはいけないでしようから、器物毀棄もいけない。そのほかはちよつと類推がしがたいというか。思いがたいのでございますが、その他これらと等価値の行為はいけない、正当性を失うであろう、この程度に判断するわけでございます。  それで、その正当性を失わない範囲争議行為でありますと、それはいわゆる三十五条の適用はあると考えなければなるまいかと、由来一般条項で正当正当という正当ということでは何らの判断もつかない。ここで私はその正当という用語も何らか法律上の用語というものを必要とすると思います。でくどいことですが、これもわかりやすいために例を挙げますと、上告理由に正義に反すものは上告理由になるのだという規定が刑事訴訟法にあるわけです。正義に反するということはどうなんだ、これはアメリカでも日本でも問題になるわけです。で、アメリカ最高裁はどう解決したかというと、事極めて重大で、そのまま放つておけないことだ。正義という言葉では何の解決にもなりませんが、事極めて重大で、そのまま放つておけないことだ。社会通念が事極めて重大で、そのまま放つておけないという認めるような、そういう事情だ。それが正義に反することなんだ、こう解決をしておられる。そんなふうにこの労組法一条二項の場合の正当性というのをもつと適用可能なような法律用語に置き換えるとすれば、私は必要にして相当な行為と、こう置き換えたらよかろうじやないか、正当な行為は反しないという言葉を置き換えて、必要にして相当な行為なら刑事免責だと、こういうふうにしても不当な拡張にはなりませんし、大体含む。正当性という観念では感情的にどの立場をとるかで大変違つて来るのですが、そうすれば、感情で争議を嫌いな人でも、争議に必要かどうかの判断はもつと冷静につきますし、それからそれが行き過ぎかどうかは相当性の判断でいい。補充の原則で必要止むを得ざるという認定は狭過ぎるので、相当判断が要るのではないか、私はこんなふうに考えます。  それから一言申上げますが、私疑問の点ばかりさつき述べて来たのですが、私が省略したところで「特殊なピケツト又はピケツトに関連して生ずる問題について」という中の(2)に「ピケ破り等」というところがあります。「ピケツトに対して暴力を振い、或いは平和的説得をするものを実力をもつて排除し、ピケラインを突破する如きは、固より正当でない。特に使用者において暴力団等を使つてピケ破りを行う如き行為は論外である。」こういう規定がありまして、皆様はこれは極めて当然なことを書いたので、特別推奨するにも当らないと、立法当局の皆様はこう思うかも知れませんが、私はこれを深く推奨いたします。極めて当然のことのようでありますけれども、この規定を労働省がさすがにこれは考えて下すつたと思うわけです。なぜそんなことを私が特に言うかというと、法廷における論争では検察官の御主張は、すでにこの一両年のこの辺の解釈についてはもつとずつと行き過ぎ解釈と言いますか、不当な解釈に陥つているようでございます。どういうふうにみるのかというと、この争議というものは労働者自分の労働を売り止めにすることだ、従つて売り止めとなつた無人の工場使用者がスキヤツブを連れて来て、操業の継続を図ることは、これは当然の原理である。それをピケツトなんぞというようなもので以て阻止するということは、これはそもそも不法であるのだから、その不法に対して正当防衛を行うのだ。だからピケ破りは常に正当防衛だ。そういうことはしてもよろしいのだ。事の平和のためにはよくないが、法律的に検察官の見解を聞くと言えば、これは正当防衛だから別に処罰の対象にはしないし、その捜査の段階で使用者側ピケ破りの暴行があつても不問に付するのだ、こういうふうな説明を正式の場でされておられる昨今の現象です。昨年あたりからの現象です。まあ神山理論になつてからの現象です。そういうふうなところから考えまして、私はこれらの点について労働省がやはり御注意を喚起して下さつたことについては、これは恐らく意識的に書かれたことと思いますが、私自身こういう解釈をされたことについては感謝いたします。それでまあいろいろいいところ、悪いところあるわけですが、総合しては、私としてはやはり当初申上げましたように全体としてはやはり阻止的にこれは幾分作用するのではないか、こう思うのであります。
  88. 吉田法晴

    ○吉田法晴君 時が遅くなりましたので御質問を申上げる時間もないようですが、そこで例えば特殊なピケツト又はピケツトに関連して生ずる問題について、或いは団体交渉等の項目については御研究願つて来たところがあるかも知れませんが、お述べ頂く時間がありませんけれども、委員長から一つ若し折角御研究を頂いたものがあるならば文書にでもして頂くようにお願いしておきたいことが一つ。  それからもう一つは、大変用語のあいまいさによつてこれを受取りましたものが非常に迷うと申しますか、或いは拡大解釈される慮れがあるという点も、まあ半分意見になりますが、詳細に御指摘なさつたことは私らも大変勉強になりました。がそれについて、それでは労働省が或いは立案者がどういう工合に考えられておるということは、これは私どもにとりましても、或いは受取りましたものについても、大変大切なことだと思いますので、まあ幸い石黒課長もお聞き取り下さつておりもしますが、労働省から質疑、質問として出されました、疑問として出されました点について、或る意見が分れました点は、これはもとよりでありますが、疑問として出されました点について労働省から回答と申しますか、意見委員長から求めて頂くように、この二つの点について御提案を申上げて御賛成を頂きたいと思います。
  89. 栗山良夫

    委員長栗山良夫君) 只今吉田君から動議ではないでしようが、(吉川法晴君「要望」と述ぶ)要望が出ました。それでどうか一つ小林参考人のほうにおかれしましては、只今吉田君が要望された向きについて御賛同を願えるならば、一つお気付きの点を適当な方法で当委員会へ一つ御提出を頂くようにお願いいたします。
  90. 小林直人

    参考人(小林直人君) ちよつと質問いたしますが、今私が述べた以外に、また言うことがあれば、委員長へ書面で提出せよというお言葉でございますが……。
  91. 栗山良夫

    委員長栗山良夫君) そうです。
  92. 小林直人

    参考人(小林直人君) これは勉強ですから、それはだんだんいろいろあることではごさいましようが、只今のところ何と言いますか、現在の労働運動に対して阻止的に作用しはしないかと言つて虞れた点については、私の発言は大体結局全部申しましたので、そのほかについては格別そのようなことをいたしたくないと考えるわけでございます。どうも私もここへ出席し、なれないものですから、参議院を通して労働省へ質問するというようなことになつて、誠に私ども、労働省当局は皆親しいかたがたでもありますし、じかに聞けば早く聞けることでもございますが、ここで陳述するのは、この限度にとどめさせて頂きたい。
  93. 栗山良夫

    委員長栗山良夫君) わかりました。
  94. 田畑金光

    ○田畑金光君 ただ先ほど吉田君の二点のうちで、第一点はお話がありましたのでよろしいと思いますが、第二の点は非常に……。
  95. 栗山良夫

    委員長栗山良夫君) その点は私ちよつと発言したいのですが……。
  96. 田畑金光

    ○田畑金光君 それはそれとして、その前に私ちよつとお尋ねしておきたいことがあるので、六の公務執行妨害の項でありますが、「如何なる理由があろうとも、裁判所の判決、決定のあつた場合において、その判決決定の執行吏による執行を妨げる行為は許されない。」この前段については問題ないわけでございます。ただ一番最後の、「警察官の正当な権限の行使を妨害することとも同様である。」これも表面から見ましたならば、この通りだと思います。ただ考えられますことは、労働争議の場合に、或いは警察署を襲うとか、駐在所を襲うとか、或いは交通取締に当つている警察官の正当な職務権限を侵害したとか、こういうようなことは勿論権限の行使を侵害したことであつて、当然のことと思いますけれども、ここに掲げたことは、そういうようなことは前提としていないと思うわけでございます。スクラムを組んでおる、そういうようなところに警察官が動員されて来る、非常に緊迫した労働組合の多衆と警察の多衆との一つの緊迫した関係における状態が想定されるわけであります。そういうような状態においては警察官の行為というものが、先ほどお話のような一つの挑発という雰囲気を非常にかもし出すのではなかろうか、そういうようなことを考えたときに、警察官の正当な限権の行使ということは一体どこで誰か判断するか、こういうようなことは事実警察と労組との間に紛議が起きた後に裁判の判決を待たれねばならんと思いますが、警察官の正当な権限の行使を妨害する、ただこれだけでは非常に危険な言葉のように見受けられますので、その辺について小林先生として何かお気付きのことがないかどうか。
  97. 小林直人

    参考人(小林直人君) 先ほどちよつと一言いたしましたように、警察のすぐ上の段階の検察官が、スキヤツプに対するピケを以て、これは違法な状態であるから正当防衛としてスト破りをするのだ。スト破りというものは正当防衛なんだから毫も違法ではないのだ、こういうような考えを出されるという際でございますので、警察が又そういう考えに感染して、スキヤツプ組合側ピケラインにおける多少のいざこざに対して、そのスキヤツプを擁護し、ピケラインを壊滅させるために警察力が用いられるというふうなことになりますれば、これはとんでもないことになると思います。で、これは法律で労働関係調整法或いはその他の法規で、労使は、一つ争議権を与えて争うに任せたのである。自治の領域なんです。国家の権力が介入しないということが原則とされておるわけでありますから、私は問題の多いこの警察権争議に介入するということは根本から反対でございます。そこで以て人間が危害を受けるというような事態があるときは、その犯罪の処置としては別個の意味で妥当であるかも知れませんが、争議行為行き過ぎを対象とする警察権の介入は私は絶対反対であるわけです。事実今の大体主な労組の空気というものは私に経験上わかるわけでありますが、警察権が介入しなければならんほどに暴力化しているとか、根本の観念が誤つているとかいうふうな組合一つもないと考えておるわけです。これにこの表現のままで私はそんなことを労働省が推奨しているとは思えませんのですが、たまたま次官通牒のような解釈が出たために、警察が今まで慎重を期しておつたが、これが出れば、今度はこの限界を守らせることが必要だというような観念を持つものであるかどうか、それもわかりませんのですが、そういうことにこれが反射効として作用いたしますと、とんでもないことになりますので、これは一つ参議院としても、労働省当局としても、折角の通牒がそういつた反射効を生じないように、若しそんな反射効がありますと、先ほど私が申しました労働運動の多少阻止的な効果を持つのじやないかということが、大々的に阻止的な効果を持つようになるという危険があるということになります。
  98. 栗山良夫

    委員長栗山良夫君) その点は私も同感でありまして、実は過日山梨中央銀行の争議のときに、私現地へ参りました。そういたしまするというと、警察署長が小坂談話と殆んど同じ内容のものを書きまして、労働組合側に向つて、これこれのことをやれば検束するぞという、札を申送られたのであります。それをどこでそういうことを知つたかと追求いたしましたが、警察署じや言わないのです。言わなかつたか、よく調べて見ますというと、小坂談話が出る遙か前に労働省においては現地の係官を集められて枢密裡にあれと同じ趣旨のことを示達されておるということを私は仄聞したわけです。従つてそういうことは非常に私はいろいろ問題を将来に残す、今のお話の通りであろうと私は心配いたします。  それから今の第二の点ですが、これは石黒課長にちよつとお聞き願いたいのですが、実はこの委員会は本問題については、本業ならば労働相の談話並びに行政解釈について前以て説明を聴取して、それから参考人の御意見を伺うというのが今までのやり方だつたわけです。ところが問題が重要でありまするし、僕らもフランクに而も先入観念なしに参考人の御意見を聞きたいという考え方で以て、いきなり参考人の陳述を今日から明日にかけてお聞きをするわけです。で、労働大臣には明日参考人の公述が終つてから相当の時間に亘つて質疑をいたしたいから出席を願いたいという話をしました。ところが、これは御都合がどうしてもつきません。四時から六時までならば出てもよかろうということでありましたが、二時間では足りないのでお断りしました。それから十九日の日というお話でありましたが、十九日の日は山梨のほうへおいでになられるということで、これも駄目なんです。そこで今日いろいろ折衝いたしました結果、当労働委員会は臨時国会の召集前に閉会中の委員会の締めくくり委員会として、一回はどうしても開かなくちやならない、その機会と併せて労働大臣に長時間一つ出席を願いたいという交渉を今日いたしましたところが、二十六日に大体午後通して出席しようという回答を頂いたわけであります。それで当委員会は明日、二十六日に委員会を開催することを御決定頂きたいと思つておりますが、従つて二十六日の午後においては参考人の皆さんに御公述頂きました点について、小林さんだけではございません、今参考人の御意見内容について労働省に所信を質す点が多々あろうと思いますから、質疑は出ることと思います。いずれ御用意が願いたいと思いますが、とりわけ小林参考人からは通牒そのものの内容について、具体的に而も克明に労働省に向つて教示を願いたいという形式で言つております。この点については恐らく委員諸君の中でも同じ考えを以て御質疑せられると思いますので、当日の質疑の時間を節約をし、且つ委曲を尽す意味合いを以て、いずれ速記も全部今日とれているわけですから、速記録等も御覧を頂いて、一つ誠意ある態度で労働省の所信というものを、小林参考人の問題については、まとめて御提出を願うように要請をしておきたいと思います。
  99. 石黒拓爾

    説明員(石黒拓爾君) 二十六日の委員会のときまでに提出すればよろしいのでございますか。
  100. 栗山良夫

    委員長栗山良夫君) 結構です。
  101. 吉田法晴

    ○吉田法晴君 それは小林さんは先ほど自分の疑問として出されたわけです。小林さんからなされたからということで労働省から受取られては困る。委員会から、私どももこの委員会内で正当、不当、それからいろいろ段階があることを尋ねましたが、これは皆持つている疑問です。これを文書にしてこちらのほうでも聞けばいいのですか、その手間を省く意味で、問題になりますところ、或いはそのほかでも、例えば正当でない、不当云々という点は、恐らくあなたのほうでも心得ておられると思うのであります。委員会からの質問ということで、一つお受取り頂いて、文書にしてお出し願うということをお願いしたいと思います。
  102. 石黒拓爾

    説明員(石黒拓爾君) 今の話、ちよつと先ほどのお話では、小林さん個人労働省の釈明を聞きたいのだとおつしやつた点だけであつて意見のところは別だというお話がちよつとあつたように思いますが、その点は如何ですか。
  103. 栗山良夫

    委員長栗山良夫君) それですから、小林参考人はこうおつしやつたわけです。自分はこれからいろいろ問題として考えている点を述べる。その点については当労働委員会においても一つ善処を願いたいという要望か冒頭にありました。それから特にいずれ労働省にも、石黒課長がここにお見えになつているということはお気付きになつたと思いますか、労働省にもこれか伝わるだろう、伝わつたときには、労働省のほうから適当な機会に、一つ自分の疑問について答えるような途を講してもらいたい。こういう希望的な要請があつたわけです。そこでこれを、小林さんの労働省に対する希望的な要請は要請といたしまして、当委員会としては小林参考人が御発言になりましたことについて、やはり労働省からその問題点について、労働省の所信を一つ明らかにしてもらいたい。こういう委員会の意思だということにして御回答を願いたい。
  104. 石黒拓爾

    説明員(石黒拓爾君) そうしますと、疑問であるとおつしやつたところと、反対であるとおつしやつたところと両方含めてですか。
  105. 栗山良夫

    委員長栗山良夫君) そういうことです。  大変長時間に亘りまして、小林参考人から御意見を頂きまして有難うございました。お礼を申上げます。  本日はこれにて散会をいたします。    午後六時五十六分散会