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参考人(藤岡由夫君) 私
只今御紹介に与かりました藤岡でございます。
只今は
委員長からいとも御鄭重な御挨拶を給わりまして大変恐縮に存じます。及ばずながら御趣旨に副います
ように申上げたいと存じしなすが、なお申し足りないことはどうぞ御質問なり何なりで、できるだけの御
説明をいたしたいと存じております。
只今の御
説明によりますと、
原子核研究所設置に
関連いたしまして原子力の問題にもという
ようなお話と了解いたします。そこで
原子核、原子力ということが、近頃は又原子炉
予算ということもございますので、最初に一言その区別について、私たとえ話を以てちよつと区別を申上げますと、
原子核というのは電気の
ようなもの、それから原子力というのは電力の
ようなもの、子核というのは
学問的にそれ自身非常に
研究しなければならないものであります。電気は必ずしも電力として利用するばかりでなく、電気についての
学問というのは非常に広汎な
学問であります。ところが電気をエネルギー、動力といたしまして多量に使いますのは電力である。電力は電気の知識を必要といたしますけれ
ども、電気ばかりでなくほかにもいろいろの知識を必要といたします。ダムも必要ですし、タービンも必要ですし、発電も必要である、いろいろほかの工学的の知識を必要といたします。原子力を利用いたしますには
原子核の知識は最も必要でございますけれ
ども、
原子核の知識だけではいけない、いろいろの又工業的の方面の知識が必要である、それから原子炉建設と申しますのは、現にダムを造り、発電所を造る、そういう段階が原子炉建設という段階であります。
従つて原子炉建設をするということになれば、そういうことをすることになりますし、それに対する基礎的な調査
研究ということになりますと、或いは河を調査すること、もつと進んでは電気他の知識を調介すること、いろく入
つて来る、そういうふうに考えるのであります。
そこで主な
日本の問題は、
原子核研究所の問題であると存じますので、
原子核研究に関しますことを簡単に申上げます。
原子核の
研究と申しますと、物質を構成いたしております原子のその中央にあります
原子核、物質の窮極の構造を究めますところの、
学問的に申せば自然科学の一番最先端奥深いところであります。これの
研究は先ず前世紀の末にキユーリー夫妻が放射能ラジウムなどを発見いたしました頃に始まるのでございますけれ
ども、非常にこの方面の
研究が盛んになりましたのは
昭和七年頃からでございます。この頃から新らしい発見が非常にたくさん現われまして、
学問上の最先端の問題として取上げられて
研究が盛んにな
つたのでございます。最初のうちは全くこれは役に立たない純
学術的な問題と考えられてお
つたのでありますけれ
ども、今日にな
つて見ますと、この
原子核の
研究から原子力ということが生れたわけでございます。
学術的な
研究で役に立たないというふうなことをきめてしまいましたならば、大間違いであるということの例をまざまざと見せつけられたものでございます。この方面の
研究は
昭和七年頃から始まりまして、出年にサイクロトロンができ、非常に活溌にな
つて参りましたけれ
ども、実は大変お金のかかる
研究なのであります。だんだんとその金のかかる設備が必要にな
つて参りました。これをなしに何とか頭脳と腕だけで
研究を進めたらという
ようなことは、丁度竹槍でも
つて戦車に立向うことができるかということでございまして、どうしても大きな設備をしなければ
学問としては進むことができないのでございます。それでこの主な発達はアメリカでございまして、サイクロトロンというふうなものもアメリカで建設され、相当の数が戦前できて参りました。戦前における
日本のレベルを申しますと、亡くなられました仁科芳雄博士が
日本のその方面の
研究の中心でございまして、その当時の理科学
研究所にサイクロトリンを
二つこしらえ、そのうちの
一つはその当時アメリカで一番大きか
つた二百トンの鉄を使いますものと同じものでございまして、そのほかに京都
大学、大阪
大学、戦前は
日本で四個のサイクロトンがございました。これはアメリカを除きますほかの国々と比べますると、そうそう見劣りがするものではないのでありまして、
日本のそういう方面の
研究は先ずく相当であ
つたと言
つても差支えないのかと思うのであります。ところが戦争の最中アメリカのサイクロトロンは大抵原子爆弾の
研究に転用されましたけれ
ども、戦後非常な発達をいたしました。そうして
只今二百トロンの鉄を使うということを申しましたが、それに対して四十トン五千トンという
ような鉄を使います大きなものが四個も現にできております。更にシンクロトロンと申します大きな機械がアメリカには現に二個もできておりまして、非常な大仕掛な
研究が行われております。アメリカでは原子力の
研究が勿論原子爆弾と共に盛んでありますけれ
ども、そういうふうなものも原子力と
関連はいたしておりますけれ
ども、並行いたしまして、そういう
原子核の
研究が行われております。なおヨーロツパの現状を見まするというと、ヨーロツパの各国はやはり或る程度の
原子核研究の装置を持
つておりますけれ
ども、アメリカが持ちます
ようなすばらしく大きなものは到底持てないそれで十二ヵ国が集まりまして、ヨーロツパ
原子核研究所というものをユネスコの肝入りで昨年設立に成功いたしました。ジユネーブにそれをおくことになりまして、これはアメリカで現にあります一番大きなシンクロトロンよりももつと大きなものでありますけれ
ども、そのアメリカ以上のものを五年ほどの予定で建設に着手いたしております。今体で二千五百万ドルぐらいの金が集められる
ように聞いております。
こういう
ような各国の現状でございますが、
日本では戦後そのときまでありましたサイクロトロンが不幸にして進駐車の手によ
つて破壊されました。これはアメリカの学者も皆非常に遺憾としているところなのであります。そののち、
原子核の
研究というのは占領軍によ
つて禁止された形にな
つておりまして、そうでなくても非常なお金のかかりますものを
日本の財政として造ることは到底できなか
つたのであります。それで戦後優れた学者は多く理論物理学のほうに集まりまして、湯川博士、朝永博士を初め、そういう方面の学者が非常なすばらしき業績を挙げたのであります。昨年は国際物理学会議が開かれまして、世界の頭脳と言われる
ような
かたがたくさん集まりましたが、それというのも
日本の理論物理学がすばらしい業績を挙げたからということは御承知の
通りであります。ところが実験と
研究のほうはそういうわけで全然行われておりません。昨年あたりから非常に小型なサイクロトロンが科学
研究所、大阪
大学、京都
大学などで
計画され、科学
研究所では現に
一つ動かしておりますけれ
ども、これは
昭和八年頃に最初できたのと同じ程度のもでのございまして、到底今日の進んだ
学問を近いかけるには役立たんものであります。こういう現状でありますが、
学問というのはやはりバランスがとれておりませんと、成ることだけが進んでも駄目で、理論物理が非常に進みましても、それの材料になります、理論的
研究の材料になります実験的なデーターが全然
日本では得られない。又どういうふうにして得ら決るか見ることもできないというふうな現状でありましては、やはり
学問は健全な発達をいたしません。湯川博士などがアメリカに行かれたのもそういうふうな意味も相当あ
つたようでありまして、いつもそのことは嘆いていられたのであります。こういう
ような現状にありましたので
日本でも
原子核研究を盛んにしたいということは考えてお
つたのでありまするけれ
どもなかなかできなか
つた、一昨年あたりからそろそろ
日本でも
原子核の
研究を、もう少し盛んにしてもよいのではないということが学者の間に話題になりました。最初は物理学者、殊にそういう
原子核などに
関係のあります物理学者の、全国の学者の代表者でできております
原子核特別
委員会というのが
学術会儀の中に
附置されておりますけれ
ども、そこでそういう希望が出ましたが、併し
日本の
ような国ではそういう装置をたくさんこしらえるという、ととはできませんので、できるだけ能率よく一カ所にこしらえまして、それを全国の学者が共同的に利用する
ような形にしたい。あたかもヨーロツパの各国が集まりまして
一つの
研究所を共同に利用する、そういう形にしたいというのが
日本の学者によ
つて得られた構想であります。そしてそれは全国の学者が集ま
つて使うのでありますから、その運営などに当りましては全国の学者の
意見が十分に取入れられて最も正しい方向に使われる
ように、そこでこの大きさ、お金のかかるのも、程度もいろいろございますけれ
ども、アメリカの一番大きなもの、ヨーロツパで今
計画されているもの、これは
原子核研究といいましても、どちらかと申しますと中間子の生成、消滅、そういうふうな問題に主眼を置かれておる非常に大きなものでありますけれ
ども、そういうものは
日本では到底できない、
原子核のそれ自身の
研究には、もう少し小さいものでもよろしいというので、いろいろ検討いたしましたが今度の案に出ております
ような程度のものであります。そこで
原子核特別
委員会でそういうことをきめたが、更にそれが、そういうことが行われますことが
学問のほかの分野を圧迫しはしないか、幾ら
原子核研究所ができましても、それがためにほかの分野が圧迫されては、又全体としてはバランスがとれない、そこで
学術会議におきまして物理学
研究連絡
委員会というのがございます。これは
学術会議は僅かに二百十名ばかりの会員で、到底その
学問の全分野に互
つての専門家を集つめることができませんので、
学問にのきまして
研究連絡
委員会というものを置きまして、全国の優れた代表者に集ま
つて、頂きまして
学問のことを検討いたしております。物理学もあれば
法律、経済いろいろの方面に皆それぞれ
研究連絡
委員会というものができております。この物理学
研究連絡
委員会で検討いたしました結果、ほかには特にこれというお金のかかることもないからよかろうということになり、更に第四部会、私が現に部長をいたしております理学方面の部会におきましても慎重に
審議いたしまして、この問題と、もう
一つ天体望遠鏡の大きなのが欲しい、これが非常にお金のかかる大きな
二つの問題である。そういうことになりましてそれを提案いたしました。更に総会におきましてよく論議いたしまして、この
原子核研究所並びに天体望遠鏡を
設置することは今の学界から見て最も緊急を要することである、そういうことにきまりまして、その
設置を
政府に勧告いたしましたのが昨年の四月の総会でございます。その結果、その勧告は
文部省のほうに廻わされまして、
文部省では、そこで
原子核の
研究所を作るにはどういうふうに作
つたらよかろうということを
文部省の中の
研究所の
審議会がありますが、その
審議会に諮られまして、
審議会では特別
委員会の
委員長であります朝水振一郎博士、それから副
委員長が大阪
大学の菊地正士
教授、それから私、三名が特別
委員とな
つて加わりましていろいろ
審議いたしました。そうしてどういう形で置くがよろしいか、又どこへ置くがよろしいかということにつきまして、何回にも互
つて慎重に
審議いたしました結果、これは純
学術的の問題でありますから
大学附置とするのがよろしい、その
大学もやはり東京に置くのが希望で、関東に置くのが全国学名の希望でありましたので、東京
大学附置とするのが最も適当である、そういう結論を得られまして、そこで東京
大学の手に移りまして、
文部省と折衝の上で本
年度の
予算、その二十九
年度にある
予算が提出されたのでございますが、これは大体三年
計画で、約九億近くの
計画でありますが、その提出されました初
年度の合計が四億幾らであ
つたかと存じますが、それが一億三千万にな
つて国会に提出されたのでございます。これが
原子核研究所の今日まで辿りました大体のいきさつでございます。
そこで次に原子力の問題について申上げたいと存じます。原子力の問題は、これは
原子核の
研究の
一つの応用の
ようなものであります。最初は原子力の、
原子核の
研究は何も役に立たないと思
つてお
つたのでございますけれ
ども、一九三八年、戦争の始まる、独ソが開戦をいたしますちよつと前でございます。ウラニウムの核分裂ということが発見されまして、或いはこれは役に立つかも知れん、大量のエネルギーを
原子核から取出すことができるかも知れない、そこで原子力という
言葉がそのとま使われる
ようになりました。で、併し戦争の始まりましたときには、これはまだそういう可能性だけでございまして、実際に成功したことはなか
つたのであります。戦前に私
どもの書きましたものの中にもそういうことの可能性はすでに論じております。ところが戦争が始まりましてから、アメリカは最初ドイツが原子力の
研究に力を入れ出したということが情報としてアメリカに伝わりまして、アメリカは立ち遅れではございましたけれ
ども、非常にこれに熱心に力を入れる
ようになりました。ドイツの原子力
研究は、結局ドイツの敗戦と共に成功を見なか
つたのでありますけれ
ども、アメリカのほうはそののち秘密
研究で、非常な、とうとう原子爆弾に成功いたし、爾来今日に至
つておりますことは御承知の
通りでございます。それでこれは不幸にして爆弾という形において世の中に現われました。
日本は殊に広島、長崎の洗礼を受けまして、この原子力問題については非常に深刻な感じを
国民が持
つておるのはやむを得ないことだと考えます。これが原子力を利用するということはどういうことかというのでございますが、最初のうちは爆弾として、これを未開の荒野の開発であるとか、いろいろのことに使えないかということも言われましたけれ
ども、今日原子力の利用ということは主として発電でございます。原子炉と言われますが、その原子炉というのはウラニウムを燃料として、そうして熱を出す。あたかも石炭を燃料としてかまを焚くと同じ
ようなものと考えられますので、原子炉と言われております。この原子炉は最初は熱を出す目的に使われたのではなくて、原子爆弾の製造のために使われ、殊にプルトニウム、原子爆弾の材料の製造に使われてお
つたのでありますけれ
ども、これが多量に熱を出しますことから、その熱を利用して火力発電をしたらよかろうということが誰も気のつくことであ
つたのであります。イギリスはアメリカよりも遅れましたけれ
ども、そういうことも考慮に入れまして
研究を進めて参りましたので、原子力発電についてはイギリスのほうが一歩先んじた
ようであります。そのほか船、潜水艦の動力として、いろいろと原子力の利用ということが考えられて参りまして、恐らくは将来地球上に石炭、石油がなくなりましたのちに、何を人数の将来のために残すか、これは科学の務であると思うのありますけれ
ども、現在考えられておりますところでは、原子力は確かにその
一つであるに違いないのであります。これは二十世紀の非常に大きな発見でございまして、世界各国の者が皆注目しているのは当然であると考えます。
日本においてもそういう
研究は是非しなければならない。
日本としてそういうことの何もかも外国依存であ
つてはいけないのでありまして、独力で
研究することは
研究しておかなければならない。ただそれがすぐに工業上に今日利用されて、安い電力が供給されるかどうか、これは別問題であります。これは別問題でありますけれ
ども、少くともその
研究は始めなければいけない。そういうことには誰も恐らく異存はないのであります。併しながら原子力の
研究には非常にいろいろのむずかしい問題が附随して参ります。
日本人は戦争には、もうこりごり、殊に原子爆弾というのは、もう聞くだけで恐ろしい気がいたします。そこで
日本で若し
研究をするとしても、これが戦争に利用されるということが絶対にない
ようにはどうしたら保証ができるであろうか。又この原子力
研究というのは、恐らく非常に金がかかりますから、
原子核研究所でさえ全国一カ所というのでありますが、もつともつと金がかかることでありますから、
日本にどこかやるとしても一カ所しかできまい。そうすればそれはどういうところにやらすがよろしいか、その
研究の態勢をどうするか、まかり間違
つてそのために統制であるとか、或いはその秘密の
研究という
ようなことが行われる
ようになりますというと、これは科学の健全な発達を阻害する。各国におきまして原子力法という
ようないろいろな原子力に関します
法律が
研究されております。それから又経済上の問題というのもあり、そこで
学術会議においてこの原子力のことが話題になりましたのが二年ほど前でございますけれ
ども、これについてはなかなかいろんな議論がございます。そこでこういうふうな形にして、今すぐ始めるべきであるという結論にはまだな
つていたか
つたのが実情でございます。とにかく
原子核研究のほうは、これは日進月歩で、すぐに始めなければならないということをきめたのでございますけれ
ども、原子力
研究、これは
一つの応用の問題でありますので、これについてはできるだけ慎重に始める、技術的な面から申しましても、その最も必要な材料でありますウラニウム、それから重水、これは普通の天然の水の中にも五千分の一ほど含まれておりますけれ
ども、電気分解によ
つて濃くするものであります。これを今
日本で大量にはできるか、現に少量はこしらえておりますけれ
ども、重水は戦争中アメリカでさえできなくて、アメリカはその代りに石墨を使
つたのでありますけれ
ども、石墨も必要でありますが、それの純粋なものが
日本でできるか、技術上の問題だけについて見ましても、今すぐ原子炉を造るという
ようなことは、到底
日本の独力ではできない問題であります。それやこれやでずつと原子力問題については慎重に考えて参りまして、この二月二十七日に
学術会議といたしましては、原子力問題について更に公聴会を開きました。いろいろの学者の
意見を聞いたのでございますけれ
ども、やはり昨年あたりから見ますと、皆の
意見、それから世界の客観的情勢、これは例えば米ソの間に、或いは原子力に関する協定ができるのではないかという
ような、そういう客観的情勢が変
つて参りまして、いろいろのことで余ほど皆の
意見が積極的になりました。昨年あたりに比べますと、余ほど積極的になりました。それから
学術会議といたしましては、いろいろ慎重に
審議いたしますに当
つて、各国の大公使に依頼をいたしまして、いろいろのその国で行われております
研究に関する情報を集め、そういうことを皆に紹介することをいたしましたり、又昨年国際理論物理学会議のときに来られた
かたがたの
意見もそういうことで、いろいろ積極的になりまして、四月以降におきましては、恐らく原子力問題について、もう少し積極的な踏出しをするものと、私
委員長として期待いたしてお
つたのであります。丁度その折、三月の二日に衆議院で三派の修正
予算として原子炉建設に関する助成金というのか提出されたことを新聞で知りました。それで
学術会議のいろいろの会議を開くことも間に合いませんので、私会長の茅博士とも打合せまして、今までの経過から見ますと、これは先ず
原子核研究所を早く建設して頂くことに、お金があるならば先ず力を入れて頂きたい。今年
文部省の提出
予算が削られましたときに、学者も非常に不満でありました。不満でありましたけれ
ども、
日本全体の財政というものから見て、又やむを得ないものと思
つてお
つたのでありますけれ
ども、科学振興として若し
予算が出るならば、先ずそれに力を入れて頂きたい、これに純粋な
学術的な問題でありますけれ
ども、この
原子核の
研究所を作りますことは、これによ
つて原子力方面の
研究にも相当役に立ちます。技術的においても非常に役に立ちます。人材におきましても、人材の養成をすることになります。そこで先ず廻して頂きたい。原子炉問題は今すぐに到底建設できるものでないから、まあそういう
意見を申述べたのでございます。併しその結果といたしまして原子炉築造補助というのが原子炉築造に関する基礎的調査
研究のまあ補助ということになりましたけれ
ども、現在ではその三派の案のままで
国会を
通つた形にな
つております。で、私
どもの希望といたしましてはあくまでその
原子核研究所のほうに先ず力を入れて頂くことを強く希望いたします。併しその原子力の
研究を始めるということが、これがもう
国民の世論としてきまりましたならば、それをできるだけ有効に将来のためを思
つて最も基礎的なところから間違いのない
ような形で
研究を始める、そういうことに十分に
学術会議としては協力して行きたい、そういう考えを持
つております。
以上甚だまとまらない話でございましたけれ
ども、これで終ります。