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1954-08-04 第19回国会 参議院 文部委員会 閉会後第5号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十九年八月四日(木曜日)    午前十時四十四分開会   —————————————   委員の異動 八月三日委員有馬英二君辞任につき、 その補欠として松原一彦君を議長にお いて指名した。   —————————————  出席者は左の通り。    委員長     堀  末治君    理事            剱木 亨弘君            加賀山之雄君            荒木正三郎君    委員             田中 啓一君            谷口弥三郎君            中川 幸平君            吉田 萬次君            竹下 豐次君            安部キミ子君            高田なほ子君            松原 一彦君   国務大臣    文 部 大 臣 長谷部ひろ君    外 務 大 臣 岡崎 勝男君   事務局側    常任委員会専門    員       竹内 敏夫君    常任委員会専門    員       工樂 英司君    説明員調達庁次    長       山内 隆一君    外務省参事官  関 守三郎君    文部省管理局長 近藤 直人君   —————————————   本日の会議に付した事件 ○教育、文化及び学術に関する一般調  査の件  (大阪市立大学接収校舎に関する  件)   —————————————
  2. 堀末治

    委員長堀末治君) 只今から委員会を開会いたします。  本日は大阪市立大学校舎の接取問題を議題といたします。本日政府委員として文部大臣外務大臣出席をお願いしたのですが、文部大臣はさつき一遍出られたのだそうですけれども、急に何だかお腹の工合が悪いので、甚だすまないけれどもちよつと帰つて休ましてもらいたいというので帰られたそうです。それから外務大臣外国大使との会談の都合があつてちよつと時間が都合が悪いので出られません。こういうことでありました。それで文部省からは管理局長近藤直人君がいらしております。外務省からは国際協力局長の伊関さんは欧米出張中で来られませんので、最も事情のわかつた参事官関守三郎君、国際協力局の第三課長の安川壮君、それから調達庁長官もできれば是非出て欲しいと言つておりましたが、これも座間で駐留軍との会議があるためにそちらのほうへ行つているので次長の山内降一君が出ております。そのおつもりで御質疑をお願いいたします。ちよつと速記をとめて下さい。    〔速記中止
  3. 堀末治

    委員長堀末治君) それでは速記を始めて下さい。  大阪市立大学校舎接収問題を議題といたします。どうぞ御質疑をお願いいたします。
  4. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 大阪市立大学接収問題について外務省並び文部省にお伺いしたいと思うのですが、一昨日の文部委員会文部省側には大体質問をいたしまして、その結果本日外務省側からも出席をしてもらつてこの問題についての質疑を行う、こういうことになつておりましたので、私は主として外務省側質問をしたいと思います。ただ私はこの問題は質問をして事終れり、こういうことではないわけでございまして、大体の経緯も知つておりますし、その経緯から考えましても問題はむしろ外務省なり文部省、特に政府においてこの問題解決に対する相当はつきりとした肚を固めてもらいたい、そういう気持を私は持つているわけであります。そういう意味におきましてお尋ねをしたいと思うのですが、この市立大学終戦以来引続いて接収をされておつて、而も当初は、当初と申しますか、今年の六月までは傷病軍人を収容し、その治療のための施設として接収されておつたように聞いておるのであります。ところが六月になつてその病院施設としては解除になり、学校側としてもこの機会接収解除になるのではないかという期待を持つてつたところが、突然海兵隊が代つて入る、こういう事態になつて来たようであります。このことについては大阪当局並びに学校当局においても実は意外の感に打たれて、これではいつ解除になるか、その見込みもつかない、ひいては学校運営上大学教育立場から言つて非常に困つた立場になつておるわけであります。このことについて政府のほうにおいては病院施設解除になつた際、これに海兵隊が入るという、その機会にこれは接収解除のために政府として努力さるべきではなかつたかと思うのです。そういう点が今日までどれほど努力されたか余り明らかでないと思います。そういう意味でその点を先ず御説明願いたいと思います。
  5. 近藤直人

    説明員近藤直人君) 先ず文部省立場から申上げます。経過につきましてはすでに皆さん御承知のことと思いますので途中から申上げますが、二十七年の八月十一日にこの施設が一部解除になりました。建物にいたしまして約半分でありますが、そこで私どもといたしましては愁眉を開いたと申しますか、喜んだのでありますが、更に引続きまして是非全部の返還をお順いしたいということで、二十八年の一月でございますか、文部事務次官名前を以ちまして外務次官宛返還促進依頼をいたしてございます。勿論交渉はこれは日米合同委員会におきまして委員のかたがたがお話合いになるわけでありますが、又同時にこれは調達庁のほうにおきまして所管しておりまする日米合同委員会分科会と申しますか、施設協議委員会ですか、協議会ですか、そういう分科会がございまして、これは調進庁のほうで所管しておりますので、そちらのほうに対しましては口頭を以ちましてそれぞれお願いを申しておるのでございます。私どもといたしましては結局学校希望に副いますようお力添えをするという立場にございますので、先ほど申上げましたようにそれぞれ関係の方面に対しまして依頼をいたしてございます。以上簡単でございますが御説明といたします。
  6. 関守三郎

    説明員関守三郎君) この種の問題は今年の初めから実は合同委員会下部機構と申しますか、施設特別委員会というのができまして、そこで調達庁長官の福島さんが日本側の代表ということになりまして、そこで主として話合いをやつて頂いておる、これが実情であります。従いましてこれは一応調速庁のほうからお答えを頂くほうが結構ではないかと思いますが、その前に私のほうから一応簡単に一つお答えを申上げたい、こういうふうに思います。そもそもこの大阪市立商大はこれは米軍進駐当時におきましては日本のたしか海軍がこれを使用しておつたわけでございます。その接収と申しますか、これを使用しておつたその間は決して長くはなかつた、九カ月、終戦末期において海軍がこれを使用することになつた、こういうことであるわけであります。併しながら当時の一般考えといたしましては、一般と申しますか米軍考えといたしましては、これはやはり軍事施設ではないかというような考えを抱いた、これが相当長きに亘つて米軍考えを支配しておつたのであります。現在においてはその間の事情は勿論十分説明いたしました。それはもともと海軍施設ではないということを納得しておりますが、相当長きに亘つてこれは日本海軍使つてつたのじやないか、こういう考えが一つあるわけであります。そこでこれが訪和条約成立と共に一昨年施設として提供するという際に、実はこれはキヤンプ・サカイという名前提供されておるのでございます。そもそも当初からこれはキヤンプとして提供されておるわけなんであります。それか朝鮮事変が起きましたのでどうしても病院が不足であるということで、キヤンプではあるが病院として使用さして欲しいということを申出て来ました。よろしい、こういう緊急の事態であるからお使い下さいということを申したのであります。それでずつと今年の春までやつて来たのであります。その間に御承知通り商大のほうの御希望もございまして相当部分の解除を頼み、これを承諾してもらつた、こういういきさつがあるのであります。併しながら商大のほうからは全部返してもらいたいというお話でございまして、そういう話合いをその後も進めておつたわけでありますが、朝鮮事変の終熄に伴いまして病院としての必要性が乏しくなつて参りました。それでこれを解除するということは当然私どもとしては、施設特別委員会は勿論、この問題につきましては特別の開心を持ちまして合同委員会の本会議におきましても累次に亘つてこの要求をしております。返してくれという話合いは何回もしておりますし、本件につきましては一般施設の問題より、はるかに強く又念を入れた説明をいたしまして、この解除要求した次第であります。併しながらこの点につきまして一つ一般誤解があるのではないかと存ずるのでありまするが、それは米軍病院としての用途が終ればこれを返えすということを約束した、従つて約束違いであるからして怪しからん、こういうことをよくおつしやるのでございまするが、そういう約束米軍としては与えておらないわけであります。それは我々も取付けてない。ただ多分そうなるんじやないかという予測を一部の係官も持つてつたし、主務の係官も持つてつたわけであります。我々もそういうふうになるんじやないかということの希望を持つてつた。但し米軍との間におきまして我々は特にこの件につきましては議事録その他も全部探してみまして何か米軍がそういうことを言つておるところはないかと思つてつてみたのでございますが、米軍としては病院としての用途が済んだらこれを返すということはどこにも言つておらないわけであります。そこで我々といたしましてはそれは成るほどそうかも知らないが、学校を永く使つておることはまずいじやないかということで、それから又いろいろな細かいいきさつがあるのでございますが、そういうことを懇切丁寧に説明いたしまして、そうして早急に返してくれということを要求いたしたのであります。併しながらこれは米軍のほうにも米軍のほうの都合がございまして、どうしても今のところは御要求に応じかねる、甚だ残念であるけれども自分のほうの軍の配備関係からしてどうしてもこれはもう暫らく待つてくれ、来年の秋頃になれば何とかめどかつくだろう、それまでの間はできるだけの御要求に副うて、例えば御承知通り入口変更いたしまして、そうして別の入口を新たに付ける、現在のチャペルのところも問題がある、こういうものは動かすとか、そういうような、できるだけの日本側要求には副いますけれども、できるだけのことはやりますが、もう暫らく使わしてもらいたい、こういうことを言うて参つたのであります。我々のほうといたしましても、もともとこういうものか作られた趣旨、基本的な趣旨から考えまして、まあ差当つてのところはこれで話を一段落を付け、更にできるだけ現在の範囲におきまして只今申しましたような門を別に作らすとかチャペルを動かすとか、そういつた最小限度のことは差当り処置としてはやつてもらう、同時に米軍のほうにも成るべく早くこれの処置はつきりきめてくれ、こういうことを続けて要求いたしておるわけであります。併しながら基本的に申しまして先方のいろいろの配備関係等もございますので、今日のところはまだ来年秋以後は、はつきり日本側にお返しするということは約束できない、こいうことを申しておる次第でございます。大体におきまして以上が本件に関する今日までの概要でございまして、又只今の御質問に対ししましても、交渉しなかつたのではないか、すべきではなかつたかという御質問でございますが、その点に関しましては只今申上げたように再三に亘つて十分な交渉をいたしておると、こういうことを申上げたいと思います。
  7. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 私は従来から余り交渉していないのじやないか、こういうふうには言つておらないのです。併しその態度が私はどうもしつかりしていない、こういうふうに思うのです。今の説明を聞いても、これはどうも向うさん任せの、向うさんのまあ御意向が主になつておるように聞きとれるように私は思うのです。そこでその問題は別として、この施設用途を転換する場合ですね、こういう場合には日米合同委員会話合いの上できめられるものかどうか、その点。この間からの委員会でもいろいろ質問になつていますが、今の御説明の中にもキヤンプ・サカイとして利用されておつた、ところが朝鮮事変のために病院施設として転用する、これを日本政府として了解した、こういうお話なんです。そうすれば今度病院施設から海兵隊施設に転校するという場合にも当然ここに双方に了解の行くような話があつたものと考えられます。そういう点はどういうことになつているのですか。日本政府としても病院から海兵隊施設が転換されるという場合に了解を与えたのかどうか、この点を説明願いたいと思います。
  8. 山内隆一

    説明員山内隆一君) 外務省関参事官から詳細なことは私からというような話がありましたが、先ほどお尋ねに対してお答えを申上げようと思つてつたところでございますが、今又別のお尋ねがございまして、あとの点から申上げます。  軍のほうで「初めは病院じやなく使つてつて、それから病院に使うようになつて又今度は病院としての必要がなくなつたから別の用途に使う、そういう用途変更は一体勝手にやつていいのかどうか、こういう問題であります。これは非常に重大な問題でありますが、行政協定の表面から見ますと、まあ冷やかに眺めますと、一々使用変更について合同委員会にかけて承諾を求めなければならんということにはなつておりません。併しながら、形式はそうでありますけれども、実質においては接収するときのまあ広い意味の条件を決めて接収いたします。そのときには用途についても書いてあります。従つてその後に大きな変更のある場合は合同委員会にかける場合もありますが、かけない場合もある、必ずしもこれは決まつておりませんと私は承知いたしております。そこで、これはまあいろいろの立場から考え方を研究してみる必要があると思うのですが、まあ軍のほうの立場から見れば、あれは学校施設でありますけれども先ほども話がありましたように一時日本海軍戦争使つたという事実がありますもので、一旦日本の軍が陸軍でも海軍でも使つたという事実がありますというと、これはやはり軍の施設のように向う考えやすい。ほかにも例か非常にたくさんあります。飛行場なんかについては明らかに日本飛行場という、まあ大体国有なんですが、事実上民有の土地をはいり込んで使つておる。民間のほうは必ずしも同意をしていないわけなんです。それをやはり軍が飛行機か何かで眺めてこういうふうになつておるから、事実上これは軍の支配であつたから我々が占拠して使うのは当然じやないかというような問題で、あとでその始末に困つた事例が幾らもありますが、まあいずれ話をすればわかることですから、だんだんとそういうのは直りましたけれども、今の問題の、軍が使つたという事実によつて当然自分たちが占拠して使つていいのだという工合考えて、そうしてあれを進駐直後に使うようになつた、その形式先ほども関さんが言われるように、ちやんと堺の施設として接収されたわけであります。従つて初めは病院でないわけですが、朝鮮事変の勃発によつていろいろ傷病兵が多くなるようになつて、やむを得ず、そういう施設がないから本当の緊急の場合として使うようになつたので、そのときには正式には勿論日本政府に話があつたと私ども考えておりませんけれども、或いは内々の話ぐらいあつて了解を与えたということはないとも申上げかねますけれども、正式には出てはいないと思います…それから軍の立場から見れば病院として今度は必要がなくなつたから、又元に帰つてキヤンプ・サカイ施設として使う、こういう考え方使つておると、こういうふうに軍から見れば見えるのではないか、併しそれに対して今度は日本側から見れば幾多の問題がありまして、病院にまあ正式に話がなしにそういう重大な用途を変えるのに使うということが一体どうかという問題もありますが、特に朝鮮事変か終ると言いますか、そういう必要がなくなつた場合には、先ほども返すということは如何なるときにも言つておりませんが、済んだ場合には返還について好意的に考えるというような言葉は確かにあつたと思います。それはどこまでも大いに好意的に考えるというだけのことで、病院として必要がなくなれば返すと言つたのではないわけで、その後今度はつきりと病院としての機能が終つたときに軍は他の目的に使うのだという言明があつたわけであります。それが最近六月ですか、海兵隊が入つて、今海兵隊使つておる、こういう事情になつております。で、その場合に我々の立場から見れば長い間教育施設大阪地元としても困り、又教育の現状からいつてああいう状態では困るので、再三返してくれということを要求いたしたわけであります。それは三十七年八月一日でございましたか、半分近いものが解除になつた事情は、決してこれは自然に解除になつたわけではないのでございまして、その前たびたびに亘つて大阪希望もあり、又政府側としても関係文部省或いは外務省調達庁すべてが一諸になつてたびたび向うのほうに要請しておりました。特に終戦になりましてから合同委員会を作る前提として、準備のために準備作業班作つて、それが全国重要な施設を調べるというので、私丁度その時分大阪局長をしておりましたが、是非商大も見てもらいたいということで、大阪府庁においていろいろな必要な施設解除してもらいたいというものを十分検討して、大阪府庁でまとめて、その準備作業班に示して説明をしたことがございます。ただ書面の上で聞いただけでなしに、現地も担当者がよく見まして、そうしてかなり同情されたことだけは間違いないのであります。ただそのときに私どもから見れば当然こんな必要なものは全部返してもいいのじやないか、これは欲目で見ればそう見られたのですが、向う必要性から見るとどうも全部返すということは殆んどむずかしい、それではどうしたらいいか、せめて一部解除でもというのでいろいろ数案を検討して向うのほうに迫つて、あれは最後案として、どんなことをしてもこれだけは是非というのが二十七年の八月解除になつたあの区分なんでございますが、そういう事情で漸く解除になつたわけでございます。そんな関係から見るというと、そうして又その後の推移から見て、あと全部返してもらうということが非常に困難であるということは想像されるわけです。併しその後いろいろ客観情勢の変化なり、先ほども申上げましたように、ときどきこちらとしては十分強く主張することはチャンスもあり、地元としても非常な回数に亘つて陳情をいたしております。その陳情のたびにというわけには参りません事情もありましたが、会合のあるたびに打ち出していろいろ解除方を懇請したわけであります。最近は軍が入つて、ますます地元として困るという意向は非常によくわかりますので、それで施設特別委員会に持ち出して盛に論議をいたしております。最近の九十三回の合同委員会で三十年の十月一日までは使うのだ、こちらとしては強く学校の困る事情を訴えて解除を懇請したのでありますが、そのときの返事としては三十年の十月一日までは使うのだということを言つておるところからみると、それまではなかなか解除は困難であるとみなければならんが、或いはその先は相当又こちらの交渉の仕方によつては、かなり又見込みがあるのじやないかとも思いますが、併しながら今大阪事情からいつて、来年の十月、秋まで待つなんということはできません。それで強く要請をしまして、合同委員会継続審議をすることにいたしております。数案日本側として検討しまして、その幾つかの案のどれかを実現したいということで、これはただ機を見て言うということでなしに、もう継続審議になつておりますので、開かれるたびに問題を持ち出して、これは研究する、こういうようなところに参つております。併しながら決して楽観を許しませんので、まあ地元側熱意関係各省協力の下に非常な熱意を以てやらなければならんと、かように考えております。努力は政府側としては各官庁力を協せてやつておるということだけを御了承願いたいと思います。
  9. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 今の説明の中にも、これが日本海軍使つてつたということから、アメリカ側もこれは軍の施設であるというふうに考えておつた。そういう点からアメリカ側としても大してこの施設を使うことについては、軍の施設を使うのだから差支えがないというふうな考えを持つてつたという説明がありましたが、これは私は日本側から説明すればすぐわかることだと思うのです。あの戦争末期においては教育施設が随分日本陸海軍において使われた、その数は実におびただしい数字に上つてつたと私は思います。そういう誤解があるというならば、これは当初において説明すれば十分了解するところであつて、このことが市立大学接収解除に困難な理由に挙げられるということは、私はなかなか了解しにくいのです。それから先ほど関参事官から、病院として解除した場合にはこの施設を返す、こういう約束があつたよう誤解しておるのじやないか、こういうお話がありました。私も病院施設として使わなくなれば日本側に必らず返す、こういう約束があつたとは聞いておりません。聞いていませんが、この間大阪市立大学に参りましていろいろお話を伺いましたところによると、大阪には赤十字施設も使われておりまして、ところが軍側の大体の意向としては赤十字施設解除する前に市立大学のほうを優先的に考えよう、こういう意向が表明されておつたというふうに私は聞いておる。これは公式か非公式か、文書によるかよらないか、そういうことは知りませんが、それは学校当局側としてはそういうふうに説明されればそういうふうに希望を持つておられたということは当然なことだと思うのです。ところが赤十字施設は先般解除されたけれども大学のほうは依然して解除されない、こういうところにやはり気分的と申しますか、行き違いが相当あるのじやないか、こういうふうに私は思います。併し私はもつと問題は、これは日本政府がこういうアメリカ側提供する施設の問題についてどういう態度でおられるのかということを改めてお聞きしなければならんと思うのです。というのは日米行政協定によつて日本側としては施設提供しなければならん義務が、あの条約によつてあるということは私ども認めます。併し一方教育施設については国会決議もしばしばございまして、教育施設アメリカ側使用のために提供をしないようにしたいという決議が議会においてなされております。そうすれば政府はこれは教育施設に対しては、速かに接取解除になるような具体的な方途を講ずべきが、この施設提供に対する政府の私は基本的な態度でなければならんと思うのですよ。若しどうしても施設が入用であるというならば、これは別個に施設作つて、そうしてどうしても提供しなければならんのなら施設作つて提供する。併し学校施設はもう返還してもらう、こういう方針がはつきり立つていないように私は思う。そうすると国会でなされているところのあの決議というものは、何ら実際的な効力を挙げていない、特に日米行政協定が結ばれたのはもう二年以上も昔ですよ。講和条約の結ばれたときなんです。あのときに日本側としても対等の立場でこの施設提供についてはアメリカ側と協議するいわゆる権限というものを持つに至つておる、そうすれば国会決議に従えば、当然相当期間今後も接収されるということであれば、価に施設作つてでも教育施設というものはあの際解除すべきであつた。ところが今日すでに二年以上経つている、それに解除されておらないということになれば、日本側のこの施設提供に対する態度というものが、甚だ私は明確を欠いておると、こういうふうに思うのです。そういう意味で私はどういう基本的な態度でこの施設提供の問題について当つておられるのかということを根本の問題としてお尋ねしなければならん、こういうふうに考えるのです。
  10. 山内隆一

    説明員山内隆一君) 只今お尋ねの点でありますが、最初の軍が初めにちよつと誤解をしておつた点が、これはすぐに話をすればわかつたはずじやないかという、極めて御尤もであります。初めそういう意味接収したわけでは無論私どもないと思います。いろいろの場所を探して、たくさんのビルを接収いたしましたから、必ずしもそういう意味接収したわけじやないと思いますが、そういう少くとも誤解があつたことが、解除に当つて早くから解除をお願いしたけれども、多少そういう誤解のあるために幾分かむずかしいような結果になつたのじやないかと私どもは思つたわけですが、それで説明をして、無論早くその点は了解されて、今ではそういうことのためにこれを軍の施設だから長く使つておるなんということは全然思つておりませんです。  それから大阪、神戸、京都は講和条約発効後非常に早く解除になりましたことは幸いでありましたが、残つたのは今の商大と日赤の病院、その他若干残つておりましたが殆んど今は解除になりまして、これが残つておるわけでありますが、この病院をさつき解除になつたようお話でありますが、実はまだ解除になつておりませんで、多少問題になつておるようであります。その点だけ申上げておきます。  それから次に教育施設の優先解除の問題は、これは誠に御尤もなことでありまして、軍もそういう考えでおることも私ども承知をいたしております。それから政府側としても教育施設は早く解除をしなければならんということから、講和条約発効後の解除に当つてはその方針の下に努力をいたしたわけでありますが、その結果と申しますか、とにかく教育施設は非常に早く解除になつた思つておりますが、不幸にして大阪商大が今一まで残つたことは非常に遺憾に思つております。先ほども申上げましたように、各官庁力を協せて、あらゆる努力をして早く解除になるように或いは全面的の解除がどうしてもできなければ、更に一部解除とか或いは使用上の便宜をもつと増すためのやり方を相談して、早く実現したいと思つております。
  11. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 やつぱし今の説明では施設提供についての日本側態度という問題については私はよくわからないのです。これは日米合同委員会における施設提供の問題についての話合いは双方対等の立場お話になつておるのですかどうですか。どうも向うさんの御希望ならそれに不満であつてもやむを得ずきかなければならんと、こういう関係話合いのように聞こえるのですがね。
  12. 関守三郎

    説明員関守三郎君) お答え申上げます。教育施設を優先的に返すべしという国会決議があるが、これを自主性を失つてその通りつておらんのじやないかという、御質問教育施設に関しましては、国会決議を尊重しまして最も強くその解除要求しました。現在におきましては恐らく大阪の市立商大以外には一つもないのじやないかというふうに考えております。従いまして、これが我々の米軍に対する一番強い論拠でございまして、教育施設なんだ、国会でもそう言つておるんだ、それで教育施設を占拠しておるのは面白くないのじやないか、だからこれを返せということで、これを一番我々の強い論拠で話しておる。それで決して国会決議を無視して優先させないということははつきりございません。その点ははつきりお答え申上げておきます。  それからして対等の立場で話をしておらんのじやないかと申される点でございますが、これは私どもとしましては、対等ということは全部こちらの言うことを向うがきき入れるということにはならないのでございまして、お互いに話合いまして、そしてお互いにどうしてもならんという場合にはそれぞれ次善の措置を講じて行くということで、これは米軍としましても日本側要求に応じまして、例えば向う施設要求しましてもこちらができんという場合は、向うは現存の施設を拡張する程度でやめるとかなんとかいうことで向うも我慢して、従いまして新らしい施設提供ということは最近は非常に少くなつておる、こういう状況でございます。それでこの大阪の市立商大に関しましてどこに解除にならない点があるかと、こういうことございますが、これは一口に申しますと、ほかに適当なものがない、而もこれは普通はそう長きに亘つて、これは国際情勢も関係をしておりますことで、従いましてそれに応じて軍の方法も変つて来るわけであります。どうも自分のほうとしてもそう長く使わんで済むように考えておるんだと、従つてもうちよつと待つてくれというのが趣旨であります。ほかに代替の適当なものがないんだ、赤十字のほうを返してなぜこつちは返さんかという先ほどそういうお話が出たようでございますが、当然国のほうとしましては学校のほうを先に返してくれ、こういう要求をいたしております。併しながら赤十字病院はこういうことには使えないというのが向うの困る意味ではないか、これは話を聞いてみれば尤もな話で、赤十字病院にマリーンを入れることは、これはちよつと無理な話ではないかと思います。従つて兵力の関係もございますので、我々のほうといたしましては差当りできるだけの改善をして話をつける、恐らく今後も再三に亘りましてこれが来年の秋頃に解除をつつ衝いて行くと、こういうふうに努力をいたしておるわけであります。そういうわけでございまして、決して院議を無視しておる、国会のお考えを無視して赤十字のほうを学校に優先さす、教育施設解除について不熱心だという意味では決してございません。又対等でないのじやないか、そういう点も、決して対等ということは必ずしも……向う要求して来たことをこつちが蹴ることも多々ございます。従いまして、施設提供について、何でも向うの言うことを聞いているのじやないかということではございませんで、その特別のケースに関しましてはほかに適当な代替の施設がない、それからして向うとしてもこれは決してそう長くはならんで済むようにしたいし、又そういうふうに考えておるのだということで、我々としましても努力いたしておるのであります。
  13. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 私はまだよくわからないのです。というのは、私は赤十字施設より学校のほうの施設が優先的に返してもらわなければならん、そういう問題を論じているのじやないのです。そういう話があつた、それを学校としては相当期待しておつたという例を挙げたに過ぎない。そこで私が伺つているのは、今米軍としてはもうそう長く使わないのだというふうな意向であるということですが、終戦以来もう九年ですよ、この施設接収されているのは、講和条約が結ばれてからでも二年以上たつている。だらだら来ているので、もう間もなく解除されると言つたつて、といつてそれが将来はつきりと、いつもう解除するのだということもわかつていない。そうすれば、これは地元として、学校当局としても、市当局としても、もう余り長く使わないのだというふうな言葉に信頼して日を待てないということは私は当然なことだと思う。それから今国会決議にも副い、教育施設を優先的に返還させるように折衝しているのだ、これは非常に私は結構なことだと思います。私はそれは当然であると思う。私の言つているのは、それでも向うの必要があつて、どうしても施設が入用であるという場合には、この教育施設解除しなければならんという立場はつきりすればこれは他に転用すべき施設を見出すか、若しそれがなければ、これは日本の予算を以てその施設を作るなりしてこの教育施設は返すべきである。そういう無駄なことはできないじやないか、こういうまあ議論もあるかも知れませんが、併し大阪市立大学の場合は、これは御承知だろうと思うのですが、如何に教育上多くの影響を及ぼしておるかということは今更説明を必要としないであろうと思う。この大学が幾つにも分散されて非常に困難な事情の下に教育が行われている。いわゆる大学教育自体の問題でありません。この大学自体の教育以外に、小学校、中学校等の他の面においても大きな影響を及ぼしている。現に大阪市当りは相当多数の二部授業をやつている。そのために本年度においてもいわば起債を認めなければならんという事態にもなつた。そういう事情の起つている理由はいろいろありますが、その一つの理由としては、私はこの六つばかりの元の小学校施設大学施設として今日使われておる。そういうために小学校教育まで累をこうむつているという事実ですね、そのために政府は予算も相当出さなければならん、こういう事態になつているわけなんです。そうすれば、どうしてもこの教育施設がアメリカ軍の必要によつて返らないのだ、それから又他に転用する施設がないのだということになれば、これは教育施設を優先的に解除するという方針であれば、私は他に施設作つてでもこれを解除すべきである。こういう具体的な日本政府が措置を講じてこそ、現実に教育施設が返つてこそ、この国会決議というものが尊重される、私はそう考える。ただ国会決議があるから返してもらいたいという折衝をせられるということは非常に結構ですがね。それだけでは私は十分であるとは思わない。そういう意味で私は先ほど尋ねておつた。ですから、これは何とかこの施設が返るような具体的な方策というものをこの際一つ考えてもらいたいということになると思う。
  14. 山内隆一

    説明員山内隆一君) 教育施設優先の意味からすれば、ただ努力するだけじや足りないので、代替施設まで作つてでも早く解決するようにしなければいかんのじやないか、御尤もなことだと思います。ただ、あれだけの大きな施設でありますから、ほかに現在の施設で更に接収して入れ替えするということは、これはもう非常な大きな問題になりますごとと、新らしくそのために日本の国庫が負担して作るということも、これ又非常な大問題でございますので、その点については今私からはつきりしたことを申上げるわけには行きませんが、先ほどから申上げます通りに、今後の次善の策としていろいろの案を以て折衝することといたし、継続審議ができるだけ審議を終つて結論を見出したいと、かように考えておりますから、その場合に、これは当然あらゆる方法で、早く、全部一時じやなくても、少しずつでも解除してもらうからには、向うも研究する範囲を相当広汎に亘つて考えられるものと思います。とにかく教育施設の重要性から見て、できるだけ早く少しでも便宜を得るようにやりたい、かように考えております。
  15. 吉田萬次

    ○吉田萬次君 与党は向米一辺倒のように考えられておりますが、アメリカに関する質問は社会党の専売のように思われておりまするけれども、この問題におきましては、与党も野党もない、当然考えなければならん問題である、而もそれが極めて重大な問題であるということは、先ほども荒木さんのお話でも明らかな通りでありまして、我々荒木さんの説に共鳴するものでありますが、この問題も極めて軽卒に簡単に考えておられるということは、これは日本の将来ということにつきましても、又国内の情勢から考えましても、極めて重大な問題でありまして、そんなに外務省外務省の意見、調達庁調達庁の意見として、個々にその自分の責任においての答弁だけをせられましてはこの問題は解決しない問題だ、かように私は重大な問題だと考えるのであります。成るほど市立大学そのものだけを考えますると、そのように考えられまするけれども、併しながら今それが中学校或いは小学校にまで波及して、そうしてその校舎に仮住いしておるというようなその場凌ぎのようなことで一時糊塗されておりまするけれども、併し、たとえそれが三十年の十月に事が成就するにしても、今日これが喫緊の問題としてこの問題は放任することができない問題だ、それは要するに、かような問題こそ最も共産党の食入り易い問題であり、又利用せられ易い問題であり、かような問題については本当に真剣に国民というものが今後耳を傾けるべき問題であります。教育の問題におきましても、京都の旭丘の問題などは、これは国内だけの問題でありまして、又その扇動の方法もいろいろあるでしようけれども、要するに国内で納まる問題でありまして、別にそれほどの影響も一般的には薄いように考えられますけれども、この問題は対外的の問題でありますのと、それから又これは、いわゆる京都の旭丘の問題のごときではない。又風水害においてのその被害の問題のごときではない。国家の将来に対して極めて思想上許すべからざる問題がここに惹起せられるということを考慮しましたならば、簡単に外務省との折衝の問題であるとか、学校一つの問題であるとかいうような皮相な観察を以てこの問題を処理せられるということは、私は頗る遺憾だと思う。少くともかような問題かできました以上は、学校を速やかに解除してもらうとか或いは他に適当な建物によつてこの問題を解決するか乃至新築するというような、それくらいの努力とそれくらいの費用ぐらいは今日日本として考えるに何ら躊躇すベき問題じやないと思います。又勿論この問題を外務省だけの問題とし、或いは文部省だけの問題として解決すべきではなくして、いわゆる合同協議においてそのような問題は速やかに協議せられて、少くとも休会中に問題が解決するくらいまでの努力をせられて然るべきものであると思うのであります。先ほどから承わつていると、それぞれの立場において御説明がありましても、この問題を本当に検討し解決しようという熱意はちつとも現われてしない、私はそれを頗る遺憾に思います。少くとも、大臣はおられませんけれども、この問題については、さような簡単な問題じやなくて、十分の検討と、それからそれに対する努力を要求するものであります。これに対して合同委員会を開いて速やかに解決せられるというような御意思があるかどうか、各方面の御意見を承わりたいと思います。
  16. 近藤直人

    説明員近藤直人君) 只今の吉田委員お話誠に御尤もな御意見であります。実は私どもといたしましても、特にその点を一番心配いたしまして、他の学校にも増してこの大阪市立大学の問題につきましては非常な関心を持ちまして、一日も早く解決を見るように今日まで努力して参つたのでございますが、只今お話誠に御尤もでありますので、なお関係の方面とよくお話合いいたしまして、できるだけそういう線で行きますよう努力いたすつもりでございます。
  17. 山内隆一

    説明員山内隆一君) 只今の吉田委員の御意見誠に御尤もでありまして、私どもも同感でございます。ただ事情先ほど申上げたようなわけで、今とにかく一時使用形式になつていて、今までの情勢から見ても、もう返るのじやないかというようなことで期待をたびたび持つたような状態でありますので、特にあの厖大な施設のために代替施設ということの具体案は今持つておりませんが、併しあの教育施設をあの状態で長く放つておいていいとは毛頭思つておりません。  各省ばらばらにやつては駄目だ、これも極めて当然なことでありまして、私ども施設特別委員会の中には重要な省は皆入つておりまして、必ずしも軍側話合いをするだけではなしに、日本側委員の間でも軍といろいろ折衝する場合の態度をきめるためにたびたび寄つて相談をしておりますので、今後ますますこの問題の解決のために日本側関係省が特に真剣に研究して力強く軍のほうに当つて解決したいと、かように考えております。
  18. 関守三郎

    説明員関守三郎君) 全く調達庁の御答弁と同様に思つております。これは我々といたしましても、いつまでもこのままでずるずるとしているのでは毛頭ございません。何かできるだけ速かにはつきりとしためどをつけたいということは、かねがね考えております。今後も更に御趣旨に副つて行きたいと、こういうように考えております。
  19. 松原一彦

    松原一彦君 私はこの問題の予備知識はないのでありますが、調達庁の次長に伺いますが、只今つております海兵隊の兵員数、つまり入つているものの数はどのくらいあるのでございますか。
  20. 山内隆一

    説明員山内隆一君) 将校を入れまして大よそ千五、六百名。
  21. 松原一彦

    松原一彦君 文部省のかたに伺いますが、その杉本町校舎に日本教育施設として、今収容しております学生数はどのくらいあるのでございましよう。
  22. 近藤直人

    説明員近藤直人君) 学生の総数が今三千七百六十九名でありますが、杉本町校舎に入つておりますものは、今ちよつと手許に資料がございませんが、調査いたしましてお答えいたします。
  23. 松原一彦

    松原一彦君 それにしましても今ここにある資料を見ますというと、本校舎の囲りが何で遮断しておられるのかわかりませんけれどもが、遮断しておられまして、本校舎の正門が封鎖せられている。従つて正門から入る道がないために、阪和電車の駅に近いグラウンドの一部から西北部とありますが、その一番端のほうから入つてグラウンドを通つて、真中に出張つている接収地の、あの出張りをぐるつと廻つて図書館のほうに入り、本校舎のほうに行く。こういうふうな不便を学生は今侵しているようであります。現に本校舎の正門の前には堂々たる大きな道があつたわけであります。これを封鎖して、更に又本校舎に附属している運動場、野球場その他をもアメリカのマリーンの専用としている、如何にも日本教育施設が、而も大阪市の大学教育施設が一隅に借家でもしているような姿に置かれているということは、私は大変みじめに感ずるのであります。どうしてさような屈辱的な教育を、本来の持主が我慢をしなければならないのか、又使用するなら使用するでもよろしいが、さような専断的な使用を何故に認めるか。正門まで塞ぐという理由は一体どこにある。何故に正門を塞がなければならないか。この交渉に当られました次長の御意見を伺いたい。
  24. 近藤直人

    説明員近藤直人君) 松原委員お答えいたしますが、先ほど杉本町校舎の人員のお話がございましたが、今調べましたら八百八十名でございます。
  25. 山内隆一

    説明員山内隆一君) 今の松原委員の、使用法が使用者でありながら、人の家の間借りをしているような窮屈な恰好になつておる、誠に遺憾に存じておりまして、せめてこれだけは何事を措いても早く片付けなければならんということで、そのほうは相当具体的に話合つて、いずれ近く解決するものと思つております。
  26. 松原一彦

    松原一彦君 その近く解決するというところを少し御説明願いたい。どこからどこをどう解決するか。例えばあの陸上競技場と本校舎との間に出張つている芝生まで含めての出張りです。建物としては僅か車庫が一つと給品部というものが少しあるだけで私は別に必要はないもののように図面の上から見られる。それまでをも閉鎖しておる理由は何か。又野球場、サッカー場等の大学の校舎のすぐ右脇に附設してある当然の学校施設をば、これを柵をしてまで先方で専用しなければならない理由がどこにあるのか。現に空地は校舎の左側に大きく空いておるわけであります。その空地を全部専用して校舎の正門までをも塞いでおるということは私は実にみじめだと思う、残酷だと思う。こういうようなことは私は独立国の威信に関すると思う。で、今御交渉中の、最近に専用の解かれるという位置だけでもこの際御説明願いたい。
  27. 山内隆一

    説明員山内隆一君) 今のいろいろ不便な御指摘の事項については私どもも全く同感でありまして、先ほど入口のことを申上げましたけれども、今松原委員のおつしやつたように非常におかしいじやないか。  それから大部分解除しながらその中に一部飛び出してまだ接収を続けておるというようなこと、いろいろこの学校の運営上工合の悪い点が多々ありますので、そういう問題も全部含めて今強く折衝いたしておりまして、西南地区軍司令部におきましても、非常に好意的に研究いたしておるような状態であります。
  28. 堀末治

    委員長堀末治君) ちよつと速記をとめて。    〔速記中止
  29. 堀末治

    委員長堀末治君) それじや速記を起して。  外務大臣がお見えになりましたから、大臣に対する御質疑をお願いいたします。
  30. 剱木亨弘

    ○剱木亨弘君 大臣がお見えになつて頂きまして、この際実は今までにいろいろいきさつなり各委員からも承わりましたが、大臣特にお見えになつて頂きましたのは、私どもの気持としてどうか一つこれを、まあ過去のどうこうということでなしに、呼来に亘りまして、速かにこの接収解除の状態になるように御尽力頂きたいというつもりで、特に大臣にお願いして来て頂いたわけでございます。今大阪商大の学長から、大阪市立大学の学長から陳情がございましたが、私ども文部委員会といたしまして、先般市立大学に参りまして、親しくその現場を見て参りました。実は見る前は、遠いものですから、幾らか感じてはいましたけれども、切実に現場を見まして、これではという気にみんな行つた者がなつたのでございます。それで又外務省なり特別調達庁のほうでいろいろ今日まで接収解除につきまして御尽力頂いております点も、重々私ども承知いたしております。ただ併し問題は、病院施設であつた場合に、これが速かに施設がなくなれば、返還されるであろうという期待感が相当強く、又その期待感において学校当局もずつと信奉して来ておる。ところが今日それがこの海兵隊に転用されて、その期待が裏切られて、而も先ほどからも御説明ありますように、来年の十月までは使用する、併しその後についてはわからない、なお、これに対して、そう長いことはないから、できるだけ早く返還するようにするからというようなことでございますけれども病院について、病院がなくなるという場合に、殆んどこれは期待感が誤解であつたというような、今関参事官からもお話がございまして、相当客観的情勢としては、その病院がなくなれば返るであろうという期待をするのに、四囲の状況からいつて、私は無理がなかつたと思うのであります。ただそのときに、はつきりとした返還をするという約束がなかつたというだけでございます。今日海兵隊使つて、そう長くないからというので、十月までは使用するが、その後は言明できないという状況では、すでに病院の問題において、その期待が根本から裏切られ、十月以降において、学校当局は返るであろうという期待を持つということは、今日においては私は無理だと思つておるのでございます。今学長から、学生諸君が非常に自重されて、そして非常な慎重な態度で運動しておるということを、私聞かされたのでございますが、私どももこの学生の代表、教職員の代表のかたがたと親しく会つて、そのお話を承わつたのでございます。只今私も、学生諸君に、どうかこの問題につきましては、私どもも及ばずながら努力をするから、学生は学生としての態度として、慎重な態度でおつて欲しいということを学生諸君に希望をいたしました。そして帰つてつたのでございます。ただ今日におきましては、丁度休暇中でございまして、恐らくこの学生全体としては、まだみんながどうという状態になつていないけれども、新らしい学期が始まつて、みんなが来た場合に、学生が果してその一部のかたがたが慎重な態度でおるということは、とめられるかどうか、これは私ども学生の気分、気持を考えますとき、これはなかなかむずかしい問題ではないかと思うのであります。今学長からも説明ございましたが、現地は金網で張られて、丁度接収の中にぽつんと島のようにあつて、金網を通して、而も自分らの学窓のグラウンドで、向うの一部の兵隊たちがときどき演習をしますが、野球をやつて楽しんでおる。学校のほうは少しの運動場も、運動する所がないというような状況になりますと、これは金網一つで目に見られるのでございますから、あの中で教育をされておるという学生の気分というものは、相当私ども考えましても、これは学生が不満に思うのは無理はないという感じが、私どもも感じて参つたのでございます。それで、今占領されておるものをすぐ、即座に帰れ、これはいろいろ、合同委員会におきましても、いろいろなお話合い関係もあろうし、又非常に困難な問題であろうと思いますけれども、又すぐ私どもも、それが全面的にすぐ返還になることはむずかしいと思います。併しここで何らか返還に向つて政府としての御努力によりまして、例えば少くとも何日までには返還する、その一つのはつきりした目当てを示してもらいますとか、或いは又地図で見るとわかりますが、学校の校舎も、今入口はグランドの横のほうから狭いところを通つてつて、非常な横道から入つておる、その前のほうの通路も今閉鎖されて、向うだけが使用しておる、そういうところでございますから、今接収になつた校舎の直前に出島のように接収地が入つておりまして、そこにチヤベルを建てておるのでございます。少くとも学校の中に入つて、こぶのように人つた面でも解除して、向うに持つて行けば、いつでも建てられるような空地があるようですから、そうしますとか、或いは又校舎の裏のグランドくらいは解除するとか、何かそういつたような面につきまして、少しでも政府の好意というものを表わして項かないと、私は到底、学生についても、学長は勿論御立派なかたですから、学生の教育上、学生運動についても十分責任を持つていらつしやると思いますけれども、なかなかむずかしい問題ではないか、御苦心がある問題ではないかと忠つておるのでございます。それで特に、曾つて文部委員会と水産委員会で水産大学の問題についていろいろ政府にお願いして、大体片付くような方向に向つて参りました。併し水産大学の場合は、これはその接収と申しますか、校舎を使用しておるのは日本政府内部の問題であつて、特に久里浜は元元軍の施設でございます。先ほどもいろいろ尽力して頂きまして、教育施設としてはそれ一つになつて、そこまで尽力したんだというお話がございましたが、私から申しますれば、一つになつた場合に、ただ一つしか残つておらんのをなぜ解除できないかということが非常に大きな問題で、どこにもまだたくさんあるというなら学校も辛抱できるけれども自分学校だけがどうして接収をしたままでやらなければならんかということが、むしろ一つになつた故に、余計切実な希望があると考えるのでございます。そういう意味合いにおきまして、今までも随分御努力して頂きましたし、又努力の仕方が悪かつたとか何ということは私どもちつとも考えません、ただ十分のことをして頂きました。併し今日に至りましては、病院が再び海兵隊に転換され、而も病院になる前は海兵隊がおつたのである、その海兵隊と同様の部隊かどうか知りませんが、その海兵隊が、病院を作るためにどこかにおつたものか、病院をなくして又その海兵隊が帰つて来た、ここでなくてはおれないということは、ちよつと想像ができないのです。この代替施設ということに、あそこはグランドもあり、環境もよし、非常に適当であるということは、私ども想像つきますけれども、又この際政府があれに代替施設を建てて予算上大きな、国家予算を以て作つて、そこに入れるということも国の財政として非常に困るだろうと考えますけれども、その犠牲になつておるものが市立大学であり、同前に又大阪市の義務教育の諸学校であるということを考えますときに、私どもは何とかしてこの際早急に接収解除になりますようになお一段の御努力を頂きまして、できますならば夏休が終了するまでに何とか目鼻をつけて、その全部でなくても、一部でも、そういう将来への希望ができますように、重ねて御尽力頂きますように、切にお願いいたしたいと思います。
  31. 吉田萬次

    ○吉田萬次君 大臣のおられる間に、極めて簡単に希望だけ述べさして頂きます。  外交問題というような問題につきましては、与党の我々は余りお願いすること、或いは掘下げての検討をいたしておりません。これは社会党が専売のようにやつておられますが、私ども与党といたしましても、ほかの問題はとにかくとして、この問題だけは決して看過することもできませんし、大臣に十分に御了解を願つて、お骨折りを煩わしたいと思うのであります。それは、商大が今日生徒がすべて中学校或いは小学校のほうへ分散いたしまして、そうして授業を受けておる。従つて不便であるということだけでなくして、小中学校のほうもそれがために困つておるというような状態でありまするが、この問題は教育上非常に重大な問題でありまして、ただこの前の京都の旭丘の問題と違いますし、又風水害などとも又違つたものでありますし、勿論大臣が十分御心配になつておりました李徳全の中共の問題などともこれは異なつております。併しながら、この問題は波及するところ将来恐るべき或るものを惹起するように考えられるのは、今日共産党の存在というものが如何に潜在的に考えなければならんかという段階になつておる。かような学校の問題などは、共産党が乗ずるのに最もいい問題である。思想的に考えまして、これを利用して立上り、或いは扇動せられたところの大衆、或いは民衆、市民というものが若し押しかけて、そうして市庁なり或いは議会へ来るというようなことを考えてみまするときに、慄然たるものを我々は感ずるのであります。従つて、この問題はいわゆる外務大臣お一人の問題でない、私は政府として考えなければならん重大な問題であると思いまする関係上、一層の御努力によつてこの問題を速やかに解決して頂きたいということを希望を述べる次第でございます。
  32. 岡崎勝男

    ○国務大臣(岡崎勝男君) 今お二かたからお話を伺いまして、これは一々御尤もでありまして、私は何も附加えることはない、私もその通り考えております。それでただ言訳を申しますと、合同委員会の代表は外務省国際協力局長が出ておりますが、実はあれは政府の代表として出ておるのであつて外務大臣がそれの指揮監督をいたしておると必ずしもならないのであります。つまり政府の代表としてたまたま外務省局長が出ておるということであつて、ほかの者が出ても一向差支えないのであります。で、主管はやはり特別調達庁合同委員会と両方にかかるだろうと思います。併しながら、特別調達庁長官国際協力局長も私どもよく知つておりまするから、この話は常に聞いております。又先般私は大阪へ参りました機会に、市長や助役からも詳しく話を聞きまして、帰つてすぐ又国際協力局長にその旨を伝えまして、努力するように依頼いたしております。劔木君のお話のように、いつ幾日までにどうするかというようなことは、これは事務的にきめなければなりません問題で、私がここで架空なことを申上げることはできませんけれども、元来行政協定取結びの当時から、接収したり或いは使用したりする家屋等については、教育施設返還を優先的にやるという了解もありまして、それでずつと来たわけであります。従つて、今度のマリーンの駐在につきましても、こればアメリカ側としましては、少くとも安保条約によりまして日本を守るという体制をとらなければならん。その大きな計画の下においてどこにどの程度のものを配置しなければならんかという判断を下す、これは当然のことであります。従つて、たまたまあの方向にマリーンが来たということについては、これは専門的の研究の結果であれぱやむを得ん場合もありましようが、まあ一番の問題は代替施設であろうと考えるのでありまして、この方面いついてもいろいろ頭を悩ましておりますが、劔木君のおつしやつたように、全面的にでなくともその目障りになるようなところを一つ一つ外して行くということも、これは差当りの問題としては考え得ることと思いますので、お二かたのお話は、私は何も言訳を言うことは一つもないので、皆同感なんであります。できるだけ努力をいたしたいと思つております。
  33. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 今外務大臣お話によると、日米合同委員会日本政府側として調達庁長官が出ておる、これは政府の代表として行つておるので、外務大臣としては直接指揮監督はしていない。そうすると、我々が本日外務大臣出席を願つたのは、この市立大学の問題を何とか解決したい、そういう意味において当面の責任者は外務大臣であるというふうに考えて特に御出席を願つたわけであります。ところが外務大臣の今の御説明によると、関係はあるけれども全部の責任を負つておるものではない、こういうことであります。そうすれば私は、当委員会としては、これは当然政府の全部の責任を持つておるかたの出席を要請しなければならないと思いますので、これはあらかじめ申上げておきたいと思います。ただこの際外務大臣にお伺いしておきたいことは、先ほど剱木委員からお話があつたように、当文部委員会としても、この問題を極めて重要視いたしまして、先般現地視察を行なつたわけであります。その結果我々は、この委員会に報告いたしましたように、当文部委員会としては全力を挙げてこの校舎の接収解除に関して努力しなければならん、こういう意向を報告したわけであります。ところが、努カするということはお聞きしました。又、従来ともいろいろ努力せられたという経過についてもお聞きしましたが、果して接収解除になるものかどうか、その目安は依然としてつかない、こういうことでは、ただ経過を聞いただけに終つてしまつて、一番目的である接収解除の問題についての目鼻というものは全然つかない。今の外務大臣のいろいろの御説明を聞いても、依然としてそういう目安はつかない、こういうことでは、私ども甚だ不満であります。ですから私は外務大臣お尋ねしたいと思うのですが、この日米行政協定によつて、これば施設というものはまあ我々反対でありますが、あの条約によつて施設提供るということになつておる。これは条約に規定されておる。従つて施設提供せられるということは、私は条約上やむを得ないと思う。併し、一方先ほど説明の中にもあつたように、教育施設については、これは速かに優先的に接収解除する、こういう了解に立つておる。又議会においても、教育施設については速かに接収解除されなければならんという趣旨決議も行なつておるわけであります。従つて、この市立大学の場合、この地にどうしてもアメリカの施設が必要であるというならば、私どもから言えば、なぜ他に作らないかというのです。この条約を締結した政府の責任として、これは当然他に教育施設以外に代替施設考えるか、それができなければ当然新たな施設作つてでもこの教育施設返還するように運ばなければならん。ただ日米合同委員会施設をできるだけ早く返してもらいたい、こういうことだけでは私は趣旨が徹底しないと思う。そういう意味において、政府としてこの教育施設接収解除については私は熱意が足らないと思う。若し十分な熱意があるならば、そうして国会決議を尊重されるならば、これは当然予算はかかつても、他に施設作つてでもごの教育施設解除をすべきであるというふうに考えるわけなんです。これは一年、二年、三年くらいの接収であれば、或いは我慢できる点があるかも知れない。併し、終戦以来今日まで九カ年たつておる、吉田内閣によつて結ばれた講和条約が締結されてからでも二年以上たつている、そうしてまだいつ解除されるかはつきりわからない、こういうことでは、私は現地の人たち、学校当局としては、辛棒できないと思う。これは無理がないと思います。そういう意味において私は、なぜ新たなる施設作つてでもこの教育施設解除しなかつたか、そういう点についてお伺いしたい。
  34. 岡崎勝男

    ○国務大臣(岡崎勝男君) 新たなる施設を作つたりなんかすることは、外務省の仕事じやないので、特別調達庁がやることなんです。我々は国務大臣としてそういう点についていろいろ考慮をいたしてはおりますけれども、私に聞かれても直接御説明はできない。併し私の了解するところでは、実は初めに多少誤算があつたことは事実だと思います。というのは、病院として使つているのであるが、これが病院として必要がなければ解除されるという期待の下におつたものですから、恐らく代替施設ということを見合せておつたのじやないかと思います。今は代替施設という問題も考えて研究しておると私は了解しております。
  35. 高田なほ子

    高田なほ子君 当文部委員会は、従来この教育施設の早急な返還という問題について超党派的に努力をして来たと思います。院議でこれが決議になりましたときに、多分政府側からの答弁としては、代替施設というものを考慮した上で早急に善処するという善意のある御答弁があり、その後水産大学解除問題のときも、多分岡崎外務大臣文部委員会の席に御出席されまして、駐留軍の再編成、或いは日本の当時の保安隊の編成替えというようなものも考慮して代替施設というものを考えているのだと、こういう意味の御答弁があつたと思う。そこで私はこの大阪大学の問題についても、昭和三十年の十月までは返せないと、併しその以後の問題について幾らか含みのもるような答弁を先般からされておるようでありますが、私が伺いたいことは、昭和三十年十月という期限を切つたからには、当然調達庁の責任といのではなくて、日本政府の責任においてこの代替施設というものが検討されているのだと思う。而も、研究中であると大臣も今答えられておる。その研究中の内容について私は具体的にここに御説明を願いたいと思う。
  36. 関守三郎

    説明員関守三郎君) お答え申上げます。現在のところではまだそこまで話はなつておりませんが、いつまでもめどをつけないままでおくことは、到底これはできない。従いまして、一定の期間までに成る程度めどが立たなければ、その場合には併行してどうしても代替施設というものを考えなければならんと、こういうことは皆で検討しておるわけであります。それをどこにするか、どの規模にするかということは、これはおのずから今後係の者が考える、こういうことになると思います。まだはつきり具体的に話は進んでおらないわけであります。併し、そうしなければならんということは考えておるわけであります。
  37. 高田なほ子

    高田なほ子君 研究中という御答弁弁は、この席を遁れるための御答弁ではなくて、やはり政府側外務大臣としてここに研究中であるという御答弁をなさつておられるのでありますから、事務当局としてはそこを代替の問題については研究しておらないということになりますと、ただ単にそれは答弁としての研究中であるというふうにとれないともないと思うのです。これは甚だしく遺憾なことですが、特に私は岡崎外務大臣に開いて頂きたいことは、この大学におられる女子学生が、夕方頃になつたり、学校の行き帰りにも、ここにおられる外人の兵隊さんに野卑な言葉でひやかされる、こういう非常に非礼な態度日本の婦人が受けなければならない。附近の下宿にいる女子学生のところに酒に酔つた外人が入り込んで来るというような、誠にどうも私どもとしては我慢のならないことであります。而も、女子学生は成るたけ学校の近くに住居を求めるというのが、これが私は常識であり、又それが当然親御さんとしても望むところだと思う。併し、そういう状態のために、遠く学窓に学ばせるこの女子学生の御両親がどのように御心配かというようなことを考えてみましたときに、ただ研究中だけではどうも納得がいかない。一体外務大臣としては、調達庁の責任であるとはいいながら、政府のこの最高の責任にある外務大臣としては、代替の方針で行こうとするのか、それともそのほかの方法を考慮されておるのか、私は端的な御意見を伺いたいと思う。どうぞ大臣に御答弁を願いたいと思います。
  38. 岡崎勝男

    ○国務大臣(岡崎勝男君) 大臣も八面六臂ではありませんからして、役所には役所の皆組織があつて外務大臣調達庁のことに干渉するというような組織にはなつておりません。調達庁調達庁として仕事をするのであつて調達庁の担当大臣は小坂大臣がやつておるので、我々はに一緒なつて相談をいたして適当な方法を考慮することは当然でありますが、私が調達庁の仕事をここでお答えするわけには行きません。  それから風紀の問題等今お話がありましたが、これは学長その他学校当局で具体的な事例がありましたらすぐ通報を受ければ、我々のほうで必ず暫処いたします。
  39. 高田なほ子

    高田なほ子君 今大臣が、私はそういう仕事ではないとおつしやつておられる。併し、岡崎外務大臣は、たとえセクシヨンはお変りになつても、この席に御列席になつて、学長からの陳情も聞かれ、又我々からの発言をお聞きになつていらつしやると思う。当然そのセクシヨンは違うにしても、古田政府の一つの一貫した学校接収されたものを解除するための方針をあなたがやはり推進されるお役目をお持ちになつていらつしやると私は思う。具体的にこうこうしなさいというような干渉がましいことは他の省に対してされるべきではないというようなお説もございますけれども、それは物の見方であつて、各大臣がこういう急迫した問題に対して力を協せて吉田政府の基本方針を遂行されるということは、当然な私は賛任だと思います。どうぞそういう意味において、私のセクシヨンではないというのではなくて、古田政府内においても極めて重大な発言権を持つていらつしやる岡崎外務大臣が本問題に対して積極的に具体的な方法をお立てになつて頂けるように、再度ここに要望するわけです。
  40. 加賀山之雄

    ○加賀山之雄君 今日大臣にお出まし願つたのは、勿論担当は我々も、特別調達庁、それから学校については文部大臣と、いろいろおありのことはよく承知しておりますが、外交に一番これはデリケートな関係があるだろう、これについてはやはり大臣にこれは強い肚でかかつて頂かなければならん。御承知のように、事情をよく御承知のようだが、学校はもうこれ一つより残つていない、ホテルやゴルフ場まで返つている今日ですから、これは是非とも一つ政府一体となつて、何大臣ということではなしに、政府の非常に強い意思を以てこれはアメリカを動かして頂くより方法がないが、アメリカとしても私はそれは国防も大事なことは、我我もよくわかりますが、教育も大事だということは、よくアメリカのほうでもおわかりだろうと思う。私が一番心配しておりますのは、たくさんの学生に及ぼす精神的、思想的な影響、これは学長先生や生徒諸君も極めて、先ほどお話が出ておるように、非常に慎重で、私ども心配しておるようなことはありませんが、併しそれは現在のことで、心の中にやはり積り積つて、学生の中に変な感じを植え付ける心配が多分にある。ただそれが面に出ない、内訌するかどうかということになるのじやないかと思うのです。で、金網一つ越えてアメリカの兵隊さんと接しておるようでは気持がいいわけはありません。  それからもう一つ大きなことは、この大学がはみ出しておるために小学校、これが随分校舎がたくさん使われております。で、御承知かもわかりませんが、大阪は特に小学校の校舎が少くて、義務教育に非常に難渋している。二部教授は非常にたくさんある。学級が二部教授でなければやれない状態である。こういつた非常に大きな事柄がありますので、教育というものは、これは取り返しがつかない、あとでやり返えす、或いはこれを戻そうとしてもできないことですから、是非とも一つ、事、教育に関する問題として、国務大臣としてこれはよくお考えを頂いて、アメリカ方面との折衝に当つては、外務大臣が亘真つ先に立つて一つ話すくらいの御決心を示して頂きたいと私は希望いたします。
  41. 松原一彦

    松原一彦君 私も外務大臣に要請したいと思うのですが、私よくわからないのですが、行政協定の解釈上の御見解としては、かような接収が、接収施設物がその接収目的を変更した場合には、一方的にアメリカ側のみでこれを変更して、そうして使用を継続するものでしようか。その場合に、日本のほうの側にも一応の相談があつて、これに承認を、承諾を与えるとかいうような先例が、或いはそういう取扱いがあるものでしようか。例えばこの場合においても私が疑問に思いますのは、朝鮮の事変に伴う傷病者の病院として必要があることはよくわかる、その場合に傷病者を放つて置くわけにいかないからして、この施設を利用した。ところが事変が終つて傷病者がなくなつた。当然返つて来るものと思う期待は、これは私は少しも無理ではないと思います。何となれば、もうは事変は終つたのですから、そこに戻つてその接収目的が過去には、病院になる前には軍隊がおつたのだそうですけれどもが、一応その軍隊はどつかに、他に転住してこれが病院になつた。その病院が今度終わつたならば、教育施設は優先的に日本に、返還してもらうということになつているのだから、当然ただ一つ残つているこの大阪商大の一部は戻つて来るという期待を持つことは、私は当り前だと思う。ところがそれがいつの間にか又、マリーンが入つて、そうして厖大な周囲までも占めておる。金網の中の一部に鳥籠のような八百の学生が入口もなく、正門も塞がれて、運動場の隅から入つて行くというようなみじめな取扱いをされておるということに疑いを持つことは、私は必然だろうと思うのですが、こういうときにおける一体取扱いはどうなんでしようか。大臣としての御見解を承わりたい。
  42. 岡崎勝男

    ○国務大臣(岡崎勝男君) これはもう目的が違う場合には、その都度話をすることこなつております。尤もそう言つたつて、そうえらい野暮なことを言つておるわけじやないので、例えば練兵場に使うと言つたのを、そこを突然あいておるからベース・ボールをやりたいといつても、それまで文句を言うわけには行きません。併しこの場合は私の了解しておるところでは、朝鮮事変が非常に傷病者が多かつたものですから、先方でも相当の無理をしてマリーンをどけて、あそこを病院に使うということにして日本側了解を得て、こちらも、それは当然のことであるからおやりなさいということになつた了解しております。従つて先方から言えば、非常に無理をしてマリーンをどけて病院にしたのであつて従つてこの病院の必要がなくなれば、早くマリーンをもう一遍戻したいという考え方であつたと思います。それに対しては合同委員会では日本側の代表は、今までほかで無理をしておつてもとにかくいたのだからそのままにして、病院はもう要らなくなつたのだから解降したらどうかという話をいたし、まだ実は話を継続中だと了解しており。要するに御質問趣旨は、使用目的の変更については日本側了解を得るか。これは得るのであります。
  43. 松原一彦

    松原一彦君 それが私は私ども常職的なものの考え方なんですが、すでにもう入つておるのだそうでありまして、私はいささか理不尽のような感じを持つ。今、日本が独立したとは言うものの、日本の面目問題を今論ずるほどに、只今日本はそれほどの地位には置かれておらんと思いますから、そういう小理窟は申しませんが、いずれにしましても、そのマリーンなるものは、どこかに入つてつたに違いない。それで当然戦争、朝鮮の事変が終つて病院の必要がなくなつたときに、これがあいたから幸いにというので、マリーンが引つ越して来るのはすこぶる筋が立たぬ。現にこかに入つてつたに違いない、そのどこかにおつたものを更に又持つて来て、すぽつとはめるという手は私はないと思う。而も一部は現に戻しておる。戻すのにしても、戻し方が実に残酷だ。こういうひようたんのようなへつ込んだような戻し方をしておる。そうして大学の付属の運動場のサッカーや野球をするところは、向う接収してしまつておる。金網の中で極めて一部の陸上競技場のグランドを通らなければ、玄関にも図書館にも行かれないような開放の仕方をしておる。こういうことは私は非常に理不尽だと思う。軍隊も置くな、戦争は放棄しろ、平和な文化国家を作る、歴史的な歩みを日本にやらせようとせられたあのアメリカの主張には、私は肚から賛成した一人です。従つて文化目的を遂げるための施設ならば、みじめな日本が六・三制も無理にやつた、負担できない六・三制をやつた。中学校の義務教育まで拡充され、そうして各地方では公立の大学つた。それをば今ここで、この苦しい中にやつおる義務教育の一部をもつぶして、そうして強引に、病院の立退いた跡を又兵舎にして、それをば接収するなどというようなことは、あるべきものじやないと思う。誰が一体同意を与えたかと思つてつたのでありますが、只今は同意を与えていない、今なお折衝中であるというお話でありますから、それで私はやや安堵します。同意を与えるというようなことがあつてはならんと思います。従つて若し同意を与えておつたとするならば、私は誰がその責任に当つたかをお聞きしたい。又同意を与えていないで折衝中であるならば、この際はどうしてもこれだけは御解決を願いたい。そうして、アメリカが日本を本当に盛り育てて行つて東洋の平和なる国にしようという意思があるならば、こういう教育施設こそ最も重大に取扱つて好意を示して頂かにやならんと思います。これは大臣、実際御覧下さつたんでしようか、どうでしようか。現地はまだ御覧になつたことはございませんでしようか。
  44. 岡崎勝男

    ○国務大臣(岡崎勝男君) 見ません。
  45. 松原一彦

    松原一彦君 実は私も見ない。私は図面で見て驚いているのです。誠に不思議なる無理があると思うて驚いておるわけでございます。どうか只今加賀山氏からも熱心な意見の開陳がありましたが、この際是非とも大臣も大いに御尽力下さいまして、よき解決ができまするように切望するものであります。
  46. 堀末治

    委員長堀末治君) 本日はこの辺で散会いたしたいと思いますが、如何でございましようか。   (「異議なし」と呼ぶ者あり)
  47. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 さつきちよつと言うつてつたように、やはりこの問題の直接の責任者に明日出席して頂いて私は一応お聞きしたいと思います。
  48. 堀末治

    委員長堀末治君) 実は多分そういう御希望があるだろうと思つて……。調達庁長官が今日座間に行つておられるということだから明日も来られないと、そうすると、国際協力局長の伊関さんも来週はお帰りになるものですから、私成るべくならばお二人揃つたことのほうがよいと思つて、私見ですが、そんなことに考えております。それであとの日程もちよつとあとで御相談申上げますけれどもあとの日程もできておりますから、そのときもう一篇合同委員会のほうの責任者であるお二人にもお出でを願つておくほう却つていいと、かように思つておりますが、如何でございましようか。
  49. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 そういうお考えなら私は明日でなくてもいいと思う。
  50. 堀末治

    委員長堀末治君) 明日だと調達庁長官も午後はどうか知りませんが、午前中は合同会議で出られないということでありますから、そうするとどうかと思いますから、明日は又この間のあとを全部片付けるという都合もありますから、却つてそのほうが落着いていいと思います。
  51. 剱木亨弘

    ○剱木亨弘君 ここで一応委員会をお閉じになりましたあとで、この問題の委員会としての取扱いについてちよつと皆さんい残り頂いて、委員会を閉じて、取扱いについて少しお話合いしたらどうかと思います。
  52. 堀末治

    委員長堀末治君) あと昨日約束しておりました陳情も一つありますし、一時というお約束先ほどから待つていらるしやいますから、今日はこれで散会いたします。    午後一時三分散会