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1954-05-18 第19回国会 参議院 内閣委員会 第37号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十九年五月十八日(火曜日)    午前十時二十一分開会   ―――――――――――――  出席者は左の通り。    委員長     小酒井義男君    理事            植竹 春彦君            長島 銀藏君            竹下 豐次君    委員            石原幹市郎君            西郷吉之助君            白波瀬米吉君            井野 碩哉君            松本治一郎君            矢嶋 三義君            山下 義信君            八木 幸吉君            木村禧八郎君            三浦 義男君   事務局側    常任委員会専門    員       杉田正三郎君    常任委員会専門    員       藤田 友作君   公述人    元陸軍大学教授 岡村 誠之君    法政大学教授  中村  哲君    元陸軍大佐   大越 兼二君    武蔵大学教授  芹澤 彪衞君    日本兵器工業会    会長      郷古  潔君    薬  剤  師 今尾アツ子君   ―――――――――――――   本日の会議に付した事件 ○防衛庁設置法案内閣提出、衆議院  送付) ○自衛隊法案内閣提出、衆議院送  付)   ―――――――――――――
  2. 小酒井義男

    委員長小酒井義男君) 只今より内閣委員会公聴会を開きます。  本日の案件は防衛庁設置法案及び自衛隊法案の二件であります。公述に入る前に本日御出席下さいました公述人かたがたに一言御あいさつを申述べたいと存じます。内閣委員会におきましては防衛関係法案、即ち防衛庁設置法案及び自衛隊法案を目下審議中でありますが、去る八日の委員会におきまして、この二法案の審査の必要上二法案について公聴会を開くことに決定をいたし、議長の承認を得ましたので、本日皆様の御出席を煩わした次第であります。本日御出席下さいました皆様は各階層に属しておられますかたがたでありますので、この二法案につきまして皆様の忌憚のない御所見を拝聴することができますれば誠に仕合せと存じます。本日は皆様がたが公私御繁忙のところお差繰りの上公聴会に御出席下さいまして誠にありがとう存じます。当委員会を代表いたしまして委員長の私から厚く御礼を申上げます。なお念のために申添えておきますが、公述人各位の御陳述の時間は二十分程度として頂きまして、委員より質疑のありました場合にはお答えを願いますようにお願いを申上げます。  それでは最初に元陸軍大学教授岡村誠之公述人の御所見を伺います。
  3. 岡村誠之

    公述人岡村誠之君) 最初にお断りいたしませねばならんことは、私はもともと軍事学の落第生でございまして、終戦後九年たちますがまだ反省検討いたしましても煩悶中でございまして、皆様の前で自信のあることは申しかねると非常に内心危惧いたしております。一昨年も戦力問答のときにはお断りいたしましたのですが、今回は事情がありましてここに罷り出ました。で、十分御検討をお願いしたいと思います。もう一つは昨日午前に電話で伺いましたときにその電話のやりとりで私は賛成をするというふうにおとりになつたかたが主任者のかたでおありになつたかと思いまして、でありますが、実は私は今地下に沈潜しまして余り現業政治には関心を持たない、ほかの方面を研究しておりますので、この法案につきまして前以て準備知識が甚だ不十分でございます。然るところ昨日の午後使いのかたが書類を持つて来て頂きまして篤と拝見いたしましたが、判決を申上げますと私は賛成いたしかねます。と申しますのはこのような法案を早急的に成立させることは日本国防上不利と私は考えるのであります。以下それにつきまして極く要点だけを申述べたいと思います。随分たくさん申上げたいことはありますが、時間の関係がございますので一番重要な点だけを申上げさして頂きます。  第一は昨日の午後から夜まで拝見いたしまして、法案における言葉の不備と申しますか、言葉の冒涜であります。この言葉の乱れと申しますのは戦前からもございましたし、戦後は一般に防衛関係だけでなく非常にひどいと思われます。この国防上の規定におきまして言葉を冒涜し、濫用するということはこれは師団の七つや八つ作つたり減したりすることよりももつと根本的な問題と私は考えます。で、我が国の最近の防衛論議におきまして、言葉を冒涜していわばごまかしの言葉を使われておるということは新聞でも雑誌でも、又日々よく聞くところであります。軍に関係しますことは個人的に申しますと国のために人の生命をもらうのであります。筋道の立たないことで兵員が死に赴くということにはなりかねますし、又これは個人的な問題と共に国といたしましても、ごまかし的の言葉で名分の立たない、筋道の通らないことをやると形だけの似たような国防力が形成されても根本を覆えすようになる。それから又この法案に現われておりますような概念濫用内容を問わない概念濫用、そういうことによつてその防衛仕事自体が混乱し非能率になる。この言葉濫用につきましては先般からございます戦力なき軍隊とか、その他戦車を特車でありといい、或いは自衛隊軍隊であるとかないとかいい、そういうことは真実において許されない議論であります。或いは極端になりますと、海外派兵というものを公務員の出張であるというような言葉、それは許されない言葉と私は思います。そういう問題と共にこの法案内容を拝見いたしますと、例えば国防という言葉が出て来る。それから防衛という言葉が出て来る。その国防という概念防衛という概念内容規定がどこにもない。それから防衛庁防衛局任務、これは保安庁保安局時代任務と同じところでありますが、自衛隊行動基本という言葉があります。行動というのは一体どういうことか、人によつてどうでも解釈がつく、まあ一、この例を挙げますとそういうのでありますが、これはやつぱり考えが洗練されてない、粗笨であるということを現わすのではないかと思います。人命並びに国の安危存亡に関する問題において、こういう内容の不明瞭な言葉規定するということは非常に危険ではないか。それはそれだけの問題にいたしまして、現代戦争というものは過去の普仏戦争とか日清戦争のようなそういう内容に比べましておそろしく総合的なもの、極めて複雑なものである。その中で一番主な戦力を占めるものは大砲やバズーカ砲や戦軍ではないと私は思う、それは思想なんです精神なんです。そういうことの見地から言葉によつて思想が混濁しもうろうとしておる。そういう上に立つた国防に関する法律というものは危険極まりないと私は思います。このことはあとにも関連いたしますから、只今言葉ということだけについて申上げます。  その次は個々の問題はさておきまして、私がこの法案を拝見いたしまして一番ふに落ちない点を先ず申上げます。それは日本国防方針はどの機関が主になつてどういうふうに策定されるのかという規定がここにないということであります。国防方針があつて国防作戦作戦方針ができる、つまり自衛隊と申しますかあれは軍でありますから軍の作戦方針が要る、その国防方針というものがどこで誰がどういう権限でどういう義務を負つてやるのか、作るのかという規定が見当らない。それは似たようなものは示されておる、それは最後国防会議。併しながら国防会議諮問機関内閣総理大臣から諮問をされてそれに基いて審議をする。それから「意見を述べることができる。」とありますが、それは個々意見である、国防方針そのものをどこで練つて作るということはない、私には見当らない。そうしてその国防会議というものは多分に国防方針関連を持つた一つ機関である、唯一の機関である。この法案の中で出て来るいろいろな機関の中で国防会議のみが国防方針関連がある。その国防会議というものがどういう編成を持ち、どういうものであるということは、別に法律を以て定めるとなつておる。だからこれだけでは頭のない国防計画なんです。  次は国防の、主たる任務として出て来ます防衛防衛という言葉はたびたび出て来る、その防衛という言葉をどういう意味でお使いなつたかということを判断しますと、前の保安庁時代保安局任務警備基本に関する事項というのがあります。今度は外国からの作戦的な軍事的侵略を受けた場合のこと、それに備えるというのが今度の防衛庁なつた大きな動機でございましよう。それで保安局防衛局なつたにつきまして、防衛局任務の中に従来の警備のほかに防衛という言葉がプラスされている、「防衛及び警備」となつている。そういうところから判断いたしますと、防衛及び警備というその防衛というのは防衛作戦はつきり申しますと、兵語的に申しますと。それは防衛局がやる。これは「防衛及び警備基本」というふうに書いてある。だからこれは作戦計画基本を示す局なんです。そうしてさつき申しますように国防方針というものがどこで作るかわからない。それに基いて作るべき作戦方針防衛局で作る。今度は幕僚監部、幕僚長は何をするか、幕僚長陸上陸上海上海上航空航空防衛計画、即ち防衛作戦計画を作る、自分のほうの。統幕は何をするか、統幕統合防衛計画の策定、それを併せて調和する、こういうことになつております。で、これは大変大きな問題と思うのであります。申すまでもなく先ほど申しましたように現代戦争武力戦イコール戦争、こういうものではない。それは極めて蒙味時代の人間の戦争武力戦イコール戦争である。子供でも五つか六つの子供喧嘩するときにはその喧嘩の殆んど大部分の構成要素は腕力沙汰、大人の喧嘩といつたらその中における暴力的要素は極めて少くなつている。と同じように文明時代における国と国との意思の抗争というものは、つまり広い範囲において戦争というものは一見水爆ができて極めて武力戦的様相が濃くなつたように見えますが、併しながら戦争そのもの武力戦以外の内容は極めて広範、複雑、深刻になつて来ておる。でありますから国防方針というようなものは単なる自衛隊を養う防衛庁の一防衛局官僚が作るようなものではきつとこれは大変なことになる。而も武力戦イコール戦争という考えの下に流れておりますこの思想は、即ち作戦計画イコール国防計画ということになります。それが、ミリタリズムの復活である。これは世間で言う再軍備論者も再軍備反対論者戦争イコール武力戦という方程式に立つ限りその性格ミリタリズム性格である、私はこう考えておる。だから国防イコール軍備、こういう思想が流れておる。兵隊だけが我々の国の生存と平和を守る、そういうことは極めて危険な思想である、それが本当に逆コースである、私はそういうふうに思う。  その次はこの防衛局というものと統合幕僚会議統幕というものとの関係であります。これは防衛計画とございますからはつきり申しますと作戦計画でございますが、その作戦方針とか作戦計画を作るときに、防衛方針とか防衛計画を作るときに、いずれの権限が上位であるかというと、この法案を読みますと防衛局のほうが支配権を持つているとなつております。これは余ほど考えなければならんところであります。私は元軍人でございまして、元軍人であられなかつたかたがたの前でこういうことを申上げるのは或いは誤解を生ずるかも知れませんが、現実に、日本シヴイリアンは従来外国シヴイリアンに比べて軍事的教養低位にあつたことはいなむべからざる事実であります。これは鎌倉以来の歴史的な経緯と明治になりましてから軍の犯した大きな過ちである。極みて平凡な言葉でありますが文武両道ということが、これは外国においても同じで、外国大臣軍隊行つてなくても国防上の知識教養相当、遺憾ながら高いと思う。これは帝国大学陸軍大学が何らの繋がりも交流もなく互いに反発をしておつたということも表われている。そこで防衛局官僚がこの二、三年来非常に国防上の教養を積み個々兵器とかそういうもののつまらない小さいことはいいのですが、根本的教養をお積みになつたかたがおられるならば結構なんですが、併しながら実情はそうではないと思うのです。時日の関係もあるしそこまで行かないと思うのです。かと申しまして前の日本軍戦術思想とか兵学というものは、私は何回も文芸春秋その他に書きましたように、今日も初めに申しましたように、非常に大きな過ちを持つている。兵学自体において。そういうものを担ぎ出すのではありません。ありませんが、やはり統合幕僚会議というようなその立場におるものが用兵上の専門的なことを勉強し、専門仕事をしているものと比べてそれは防衛局役人軍事的な内容極みて劣るということは常識だと思う。それが作戦計画基本を示すというところがどうしても工合が悪いのではないか。勿論文は武に優先する、国政軍事に優先するということはこれは一貫した道理であります。道理でございますが、この一国の防衛作戦方針国防方針なんというものは、政治家将帥を良導して、極端に申しますと将帥を駆使して方針を与えてやるのが本当でありましよう。そのときに将師はその立場における可能の限度を言い或る要求をする。最後政治家が総合的な方針をきめるというのでありますが、防衛局自体は一体そういう役目をなすのか、これは行政官であります、そういうところがどうも私には納得できないところであります。  ついででございますが、文民優位の観念でございますが、これは真実意味は、軍事国政に従属するというのが真実意味であります。文民武民に優先するということは形はそうでありましようが真実意味ではないと思います。本当意味はそうである。そこでどうもそういう点を、外国のやり方の形を見て、そうして文民優位ということだけを、形だけをやつて、而も文民機構制度権力によつて防衛庁軍人に優越をするというふうな、ひがんで見るとそういうふうに解せられるところがあります。それは今申しましたように、防衛局役人作戦計画方針を作るというのはちよつと考えられないことだろうと思います。そうじやなしに文民と申しますか、政治に携わる人が軍事国防上の深い、高い識見を以て、軍事専門家を駆使する、国防というものを政治の健全な一要素としてあらしめるというのが、その文民優位といわれておりますところの本当精神である。それを抜きにしてただ形だけ、機構制度権力だけで、文民武民に優先するということだけを作つても、それは過去の実例が示します通り、そうはならなくて逆の結果になる。こういうふうに私は思うのであります。  それから時間がございませんからもう一つだけ申上げます。幕僚長というものの扱いであります。初めはまだ総隊総監とかいつてつたのであります。幕僚というものは幕の内で権力がなくて、もつぱら縁の下の力持ちで長官を補佐するものであります。それを誤つたのは、私どもも人の前で今頃こういうことを言えないのでありますけれども、幕僚というものはそういうものでございますから、監督権とか指揮権の一部を与えるようなことは、これは非常に危険なことになる。条文では割合筋の通つたような近いようになつておりますが、実際的に今幕僚長というものに総司令官のような仕事を実力的にさしておる。総司令官なら総司令官としたらいい、陸上司令官幕僚というものは飽くまでも最も謙虚で権力がなくて縁の下の力持ちで、そういうものでなければならない。そういう点が幕僚長というものと、それに持たせた権力というものは非常に矛盾があると考えます。いろいろまだ申上げたいことがございますが時間が参りましたからこれでやめますが、私が今申上げました一番の眼目は、日本国防方針をどういう機関によつて、誰が責任を持つて、どこでこの重要な根本方針をきめるか、作るか、これがないと思います。国防会議というものは諮詢機関であります。これは立案機関じやない。それともう一つは、考えをすつきりさして言葉を正確に使つて、微塵も国の安危人命に関する仕事についてのもうろうたるもやもやがないようにしないと大変なことになる。ただぼうつと兵数を増したらいいと、そういうことでは却つて国をつぶすと思うんです。そういうふうに感じます。  甚だとりとめないことを申上げましたが、これで終ります。
  4. 小酒井義男

    委員長小酒井義男君) 只今岡村公述人に対して御質疑ございませんか。
  5. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 岡村公述人にお伺いいたしますが、私是非お伺いいたしたい点は、先ほどの岡村さんの公述とも関連してお伺いするのでございますが、従来保安庁法では、御承知のように制服経験者内局の課長以上にはつけないようにしてあつたのを、今度の立法過程においても随分と内部で議論があつたようでございますが、結論的にはこの法案に盛られていますように、官房及び五局ですね、五局の局長、これに制服経験者がその職につけるように制限を撤廃したわけですね。その結果は私結局先ほどあなたが話されました、日本シヴイリアンというものは、過去においても現在においても非常に軍事的知識低位である、こういうところから旧軍人等自衛官がここに進出して、結局この内局軍政軍令の実権を持つようになつて文民優位、軍事国政に従属すべきであるというあなたの御見解ですね。これは非常に壊れて来るんじやないかというような危惧を持つものでありますが、この制服内局への進出を許すことにしたこの点についてどういうふうにお考えになつていらつしやるか、伺いたいと思うんです。
  6. 岡村誠之

    公述人岡村誠之君) 私個人的の考えでございますが、これは今制服内局に持つて来るということは、制度そのものとしては、これはそのままそれ、たけでどつちとも言えないと思います。私は地下から見ておりますと、最も反軍的な、平和的な人の思想が、不幸にしてその思想性格が最も軍国主義的な性格を持つておるのを認めるんです。それから軍人の中でもいろいろなものがあるんですね。でありますからそれは結局人の問題じやないかと思うんです。人の選択という問題でどつちでもつくと思います。人の選定ということ。
  7. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 私伺いたいのは、例えば陸上海上航空幕僚におられた方は、やはり具体的に例を挙げますと、予算の面においても随分と要望があるだろうと思います。そういう方が内局に入られた場合、その中核というものは防衛局になつて来ると思いますが、そうなつて来た場合に、そういう予算等についても、私は非常に第一線の幕僚の意向が強く入つて国政軍事との調整というものはとれなくなるんじやないか。それが過去の日本にもそういうことがあつたんじやないか、こういうことを感じて伺つておるのでございます。
  8. 岡村誠之

    公述人岡村誠之君) 過去におきまして実績上確かにそういうことはあつたのでございます。今度はよほどしつかりせにやいかん。そのためには私は考えますには、内局制服の人が入つて来る。それはやはりその内局の中で、軍事国政に従属するという人的配置を持ち、そうしてその長はそういうふうに威力を持つて指導しなくちやいかん。併し一番いいことは、内局のその制服でないかたが制服の言うようなことに、根本のポイントは皆握つてつて、そうしてそれと太刀打しても負けない、些末なことは別ですが、根本問題はそういうことになつて頂くと一番いいと思います。
  9. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 次に伺いたい点は、非常にあなたが強調されました国防方針根本方針をきめる方法とか或いは機関というようなものが明確でないという御所見でございましたが、そのようにするには如何ように扱つたらいいかというあなたのお考えといいますか、それを承わりたいのが一つ。それからもう一つは、曾ての日本軍においては陸軍と海軍の摩擦というものは相当つたように我々承知しているわけですが、今の保安庁におきましても、やはり海上警備隊保安隊とはすつきり行かない面もあるように聞いております。更に海上警備隊の中をとりましても、元の海軍兵学校出身商船学校出身との間も何らかしつくり行かないものがあるということを承わつておるわけですが、先ほどあなたの御発言の中に、これからの国防というものは非常に複雑である。戦いにしても非常に総合的な、複雑多岐なものになつて来ておる。こういう御発言でございましたが、今度のこの案を見ますと、陸上海上航空はつきり三本建になつて曾つて日本陸海軍対立というようなものも今すでにそれが芽ばえかけておると思うんですが、こういう形態で行つた場合に、この三軍の有機的な統合、これは果して可能かどうか。又三つでばらばらに対立を来たして、一応機関統合幕僚会議というものがあるけれども、うまく行かないんじやないか。こういうようなことも考えておるんですが、その点と。それとあなたは軍人であられたわけですが、国会で戦力問答が盛んに行われておるわけですが、憲法とこれとの関連をどういうふうにお考えになつておるか、伺いたいんです。
  10. 岡村誠之

    公述人岡村誠之君) 最初国防方針でございますが、これは政治家将帥との間で国防方針が練られるべきものである。その際に政治家将帥の言うことを、要求とか可能性ということを重要な要素として、而も根本は国の政治の大方針にそれを総合する、そういうふうな考えに基きまして、やはり一部局なんかに委さないで、国の政治重要部門にある、まあ具体的に申しますと、閣僚級の人が、総理大臣がその主宰者として全責任を持つてやる、閣僚だけじやございません、勿論議会もそうですね、議会のほうは主ですね。要するに各庁とか省の一部局に国防方針を任すということは危険であると思います。  それから三軍のあつれきでありますが、今度の保安隊ができましてから、まあ保安大学というものに陸海自衛官になるべき学生を一緒に入れるとか大分努力をしておられることを見るのです。これはアメリカでも陸海空は或る程度相当摩擦があるように聞いております。これはまあ今統幕というものを作りましてそういうことに非常に努力をしておるのでございましようが、やはり制度ということと並行してより多く総合的な考え仕事をするより多く人間的な素質を改善しなければ、制度をどう作つて喧嘩をするというふうに思います。あの戦争中にも、私陸大におりましたときに、参謀本部軍令部を合体しようという意見が大分出ましたのですが、私はそれは反対でございました。そういうことは幾らやつたつて参謀本部の中の者と者とがやり合つているじやないかということで、これは保安隊の中、自衛隊の中にいたしますと、自衛隊のそういう点の教育を根本的に留意しなければ制度だけでは実行できない。ただ制度もなるべくそういうふうに副うようにいたして行く。
  11. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 もう一つ憲法との関係を。
  12. 岡村誠之

    公述人岡村誠之君) 私は戦力という問題につきましては、見解は極めて素朴な考えを持つております。戦う力である、戦う力、出刃ぼうちよう一本でもこれは戦力になるのです、やつたら。だから自衛隊戦力でないとかそんなことは我々が普通に生活している普通の頭を持つている者には、どうしてもそういう荒唐無稽なことは受取れないですね。それはもう中学生でもそうだろうと思います。
  13. 植竹春彦

    植竹春彦君 二、三の点を質問いたしたいと思います。先ず岡村さんが国防方針を誰がきめるかということにつきまして、立案機関としての国防会議が必要である、そしてそれは決議機関であるべきであるといつたようなお説でございましたね。
  14. 岡村誠之

    公述人岡村誠之君) いや国防会議が……。
  15. 植竹春彦

    植竹春彦君 国防会議でなくてもいいのですが、とにかく或る一つ最高機関があつて……。
  16. 岡村誠之

    公述人岡村誠之君) つまり立案機関がないと言つたのです。
  17. 植竹春彦

    植竹春彦君 それを存置する必要があることを御指摘になつたわけですね。そしてそれは決議機関であるべきだというお説、さようでございますね。
  18. 岡村誠之

    公述人岡村誠之君) これは私はそういう点はしろうとでございましてね、そういうものを決議をしていいのかどうか、機関内容によりましてどういう立場の人を集めて来るかによつて、ちよつと決議機関としてはどうかということは、ちよつと今私はお答えできませんですけれども、要するに立案機関すらもないということなのです。
  19. 植竹春彦

    植竹春彦君 その点わかりましたが、とにかく立案機関というものがなくちやいけない。それから決議すべきものか又諮問に応ずべきものか、それは案件の内容によつてつて来るだろうと。それはそれでよろしいのですね。その点はいいのですが、それでは動員機関が原案の今の自衛隊法案防衛庁設置法案でよろしいかどうか、動員の機関ですね。つまり指揮命令権ですね。その問題が今のような、内閣総理大臣に専ら集中されておるわけですが、内閣総理大臣国防会議諮問をして、そうして指揮命令することになつておりますが、それでよろしいかどうか。
  20. 岡村誠之

    公述人岡村誠之君) 内閣総理大臣がこれで見ますと、アメリカの大統領と同じように文武の大権を持つということになるんですが、俗な言葉で言えば。これは私は現状の日本では究極のところそうならざるを得ないと思う。併し内閣総理大臣権限をほしいままに振わないようにそこに相当な拘制機関が要る、こういうふうに思います。
  21. 植竹春彦

    植竹春彦君 その点に関しましてはいずれ政府のほうに質問いたしまして、公述人のおかたには質問しないことにいたします。  次の質問は、文民優位のお話があつたわけであります。文民政治家軍事専門家将帥を駆使するという規定を明記するの必要をお説きになつたわけでございますが。
  22. 岡村誠之

    公述人岡村誠之君) 明記、そういう気持なんです。
  23. 植竹春彦

    植竹春彦君 明記と言つて言葉は少しすぎますが、そういう御意見を承わつたわけですが、そうすると戦時中にはこれをどうすべきか、文民優位であるべきか、戦時中は軍事専門家に、戦時というと言葉が違いますがね、非常事態、つまり直接侵略を受けて、どうも俗語を使つて甚だ、その点撤回いたしますが、非常事態になつた場合に、文民政治家に任せるべきか、それとも或いは軍事専門家に、この国防方針、動員その他の指揮命令を優位せしめるか、その点について伺いたいと思う。
  24. 岡村誠之

    公述人岡村誠之君) それは武は文に従属いたしますけれども、武としては武自体の独立したそれ自体の仕事がございますから、領分がそれまで無差別的に文に従属するということは、これはいわゆる全体主義的なものになると思う。
  25. 植竹春彦

    植竹春彦君 そうすると公述人の御思想とせられますところは、戦時中でもやつぱりこれは文民優位であるべきだ、そういうふうに解釈してよろしうございますか。
  26. 岡村誠之

    公述人岡村誠之君) それは事柄によりまして、根本方針政治優先でなければいけない、根本方針は。併し個々のことは、武の領域のものは武の独立した権能を与えなければ仕事はできませんですね。
  27. 植竹春彦

    植竹春彦君 その点私もその戦時中といえども文民優位であるべきだという考えを持つておりますが、一応それをたしかめておきますのが、あなたの御意見を解釈いたしますに必要だと思いましたので御質問いたしたわけであります。
  28. 竹下豐次

    ○竹下豐次君 岡村さんのお話の冒頭に思想というものが非常に大事だということになつておりますので、私なども本当にその通り考えます。たとえ戦をするにいたしましても国民が戦う気がなかつたらこれは敗ける、どんな武器がありましても。そうすると先ず平和というものはどんなものであるか、戦争というものはどんなものであるかという根本問題を国民がよく考えて、平和を守るために或る程度の武力を要するとか要しないとかそういう問題から解決して行かなければならんと思つております。ところが現在の日本の国民の状態におきましては、これはもう日本人だけでない、世界人類の文化がまだ非常に低級でありますから遺憾ながら私はそうせざるを得ませんが、そういう問題についての判断もまちまちであります。必ずしもその調整ができておるとは言えないのであります。それをしつかりまあ調整すると申しますか国民が非常によく考えるように訓練を積んで行くように仕向けて行かなければならない、これは当然そうだろうと思います。先ほどのお話を承わつておるとその調整、訓練というものができていないときに国防のいろいろな機構を現在の程度で作るということは非常に危険である、というようにまあ私は承わつたわけであります。そうすると調整ができるまで日本国民が相当にそういう訓練ができるまで待つということになつたら相当に長い期間を要するのではないか。その間やはりこういう国防機関、施設というものはしないほうがいいというお考えでありますか。あとで承わりますとまあ作るものだという前提の下にいろいろな御意見を承わつたのであります。一番先の御意見が一番大事だと私は思いますのでその点お伺いしたいと思います。
  29. 岡村誠之

    公述人岡村誠之君) お答えいたします。端的に私の今そういう事柄に関します私個人の案を申上げますと、日本の再軍備過程は構想は早急、尚早的である。これはアメリカのかねて持つている軍事政策というものは尚早的である、武力第一的である、それの計画的の不健全性を警告することなくその方針の中に巻込まれておるというこういう見解であります。日本の物心両面の現過程を見ますと、現在の兵力量ではこれは多過ぎる、総合的に見た場合に私は個人的に申しますと現在何万かございまするあれはもう少し減さなければならんという意見であります、もう少し。まだふやそう、殊に三十二万五千というのはとんでもないことであります。兵力をふやすと国は亡びるという結果はやはり起るのであります。が併しもう一遍こういうことを申上げておかなければ、この現在の保安隊を見ますとあれは前時代的の軍隊です。よく言われます水爆戦争を主とする大きないくさはそんなに簡単に起らないというのが私の洞察なんです、個人的の。とても三年や五年や十年では起らないだろうと私はそういう判断をしておる。相当間がある。あまりにも尚早的にこういう戦後のまだ虚脱時代の基礎のないときに兵数だけ合せてそうして国民の経済を圧迫するというようなことは、過程としては実情に副わない、こういうふうに思います。がそれでも現在のような旧式のシステムのこの軍隊を或る程度持つ必要があるということは私は認める、持たねばいかんと思う。でこの保安隊と申しますか自衛隊と申しますか、それは私個人の見解を申上げますと、現代における国際生活、国際道徳というものは極めて悲しい事実でありますがやはり国力を背景にしている。その国力の一部に遺憾ながら世界各国を見てみますと武力という一要素がある、これは事実そういうふうに私は見ておる。国際生活は、国際道徳のレベルというものはそんなに高いものじやないと思う。そういうことと又まさかの場合に天変、天災、人災ですね、非常に国の中に混乱を生じたときに、天災としては関東大震災のようなものがあるがどういうのにかかわらず国の中が秩序を保たなければならんときに今の警察力では実力がない。そういうことのための軍隊を持つというと非常に不経済でありますが、やはりそれは必要なんですね。それともう一つは将来の国防のために保安隊をして今如何なる地位を与えるか、どういう地位を与えるか、私の想像しますところによりますと将来のいわゆる第三次戦争なるものは決して水爆、原爆だけではなくて、そこに使われる兵器は原始的兵器から原子力兵器まであらゆる兵器を総合したものとして現われて来ると思う。そういうときにつまり専門軍隊も不必要とは言えない。そういう地位を占めている保安隊にどういう地位を国防防衛上負担させるかというところにも問題があると思う。
  30. 竹下豐次

    ○竹下豐次君 今承わりますと理想と現実の問題を頭の中で使い分けておられるように私は承つたのですが、それはそれで結構ですが。  もう一つお伺いしたいのですが、先ほどちよつとお話の中にもございました国防会議ですね。この法案のうちに国防会議については又別に法律規定してありまして、その内容を実は私はまだ政府のほうに構想を聞く暇もないわけですが、で何も知らないわけであります。これはこの法律案のうちの非常に重要なる部分を占めておる事柄であるから一緒に作らないということはちよつと私はおかしいと思つて、これは政府に質問したいと思つてつたことです。丁度お話がありましたが、その国防会議の組織構成というものはどういうふうにしたらいいものか、お考えがございましたら一つ承わりたいと思います。
  31. 岡村誠之

    公述人岡村誠之君) 私はまだ研究不十分でございまして、皆様の前で国会で私の意見をこういう案だと言つて申上げるまでに至つておりませんから。
  32. 竹下豐次

    ○竹下豐次君 ああそうですか。
  33. 岡村誠之

    公述人岡村誠之君) はあ。
  34. 竹下豐次

    ○竹下豐次君 では質問はこれで。
  35. 石原幹市郎

    石原幹市郎君 一言だけ。私も竹下さんの質問で大体わかつたのでありますが、岡村公述人最初に、早急に成立させることは国防上不利であるという判決を下されたわけでございますが、ところが自衛力の漸増とか自衛隊制の確立というものは、申すまでもなく独立国として或いは日本が将来向う方針としてこれは国是としてきまつておる。ところが一方の現行憲法の制約というものがあるのですが、そこで現行憲法下において許される範囲の自衛力の漸増なり自衛態勢の確立を図つて行かなければならないということは言うまでのないことであると思います。一朝にしてこういうものができるわけではないのでありますから、そこで最初の、こういうものを今つくるということは国防上むしろ不利であつて、自分はむしろ反対立場であるという判決を下されたのでありますが、然らば日本の自衛力の漸増なり自衛態勢というものはどうしたらいいかということについて、一点だけあなたの御所見を承りたい。
  36. 岡村誠之

    公述人岡村誠之君) 私が今申上げましたのはもう少し洗練された案にしなければ、甚だ恐縮な言い方でありますが、これは少し洗練不十分で、非常に軍事技術的に見ても非常に不合理なところが多いと思うというところで申上げたのであります。
  37. 石原幹市郎

    石原幹市郎君 どうもはつきりあなたの何がとれないのですが、もう一歩踏切れば憲法改正をしてもやれというのか、それとも洗練々々と言われますが、憲法の制約下においてできるだけ自衛力を持つて行きたいということになれば、自然こういうような字句といいますか、こういう形をとらねばならないということも考えざるを得ない場合が私はあるのではないかと思うが、その点についてあなたの考えはつきり割切るのか。憲法でも改正してからこういうことをやつていけというのか。現行憲法下においても許される範囲内のやはり自衛態勢は固めて行かなければならんと考えなければならんのかどうかということについてのあなたのお考えを聞きたい。
  38. 岡村誠之

    公述人岡村誠之君) この法案が今成り立たなくても、日本の自衛力と国防力というものはそんなに急に低下するものでもない。又これを成り立たしても果して総合的な国防力が向上すると思われない。私は逆に思うのであります。
  39. 石原幹市郎

    石原幹市郎君 私はよくわかりませんけれども、時間がありませんからこれ以上の論争を避けておきます。
  40. 木村禧八郎

    木村禧八郎君 簡単に二点お伺いしたいのです。それはこの今度の法案による自衛隊性格について伺いたいと思う。我々しろうとが見ても、先ほどの公述人のお話のようにこの法案の成立過程から見ましても、それはもう欠陥だらけであるわけなんです。いわゆる三派修正によつてでき上つたので、政党の間で話ができ上り、それからこれは保安庁あたりでも専門意見が十分検討されなかつたと思うのです。従つて我々見ても非常に欠陥だらけと思うのですけれども、ただ今度の法案によつてでき上る自衛隊性格について私二つの点を伺いたい。  その一つ言葉やなんかいろいろぼやけておる点はいろいろな事情からやはりアメリカ方式、アメリカの作戦、そういうものが混入しているという点ですね。それからもう一つ憲法との違反を恐れて、軍隊であるのを軍隊でないかのごとく言つて言葉上で賄わなければならない点があると思うのです。この二点について日本のこれからできるこの自衛隊は、日本独自の軍隊と見られるかどうか、この点が一つですね。  それからこの法案その他から見ても、例えば先ほど幕僚長指揮権を持つ、保安長官が幕僚長を兼ねる、こういうことなんかも旧軍隊にはないと思うのです。そういうこともアメリカ式方式が混入しているのです。それで合同作戦をするときそのほうが都合がいいというので、アメリカ軍隊と一緒に戦争をさせるときに都合がいいというようなことで、そういうことが考えられていると思うのですけれども、その他いろいろあると思うが、とにかく自衛隊日本独自の軍隊と見られないと私は思うのですが、その点はどうか。  それからもう一つは私はこれは新らしい法律と見ているのです。で、自衛隊というものははつきりこれは軍隊である。例えば軍令系統と軍政系統と分れて法律が二つにできているのですね。これはもうはつきりした軍隊としての形ができて、ここではつきり質的に性格が違つて来ておると思うのですね。従つてこれはもう憲法に違反するしないは又我々論議するのですけれども、はつきりと私はこれはもう軍隊である。この法律によつて非常に性格はつきりして来ると思うのです。いわゆる三軍バランスの方式をとつております。この二点について専門家としての岡村さんの御意見を伺いたい。
  41. 岡村誠之

    公述人岡村誠之君) 第一は日本自衛隊日本独自の軍隊たり得るかという御質問。これは私は実は極めて深い憂いを持つて眺めておる次第であります。極めて深い憂いを持つて。これは日本人が本当の自立精神があるかどうかということと直結しているのですな。それ以上はちよつと私ここで申上げかねますが。
  42. 木村禧八郎

    木村禧八郎君 その点については今いろいろな条約を結んでいますね。MSA協定を結び、それからこの二つの法案の作り方の底流に現われているもの、そういうものから見て、ただ精神の問題じやなしに、そういう条約とかこの法案の作り方、そういうものから見てこれは日本の独自の軍隊たり得るかとお伺いしているのです。
  43. 岡村誠之

    公述人岡村誠之君) よほど考えを入れかえなければ大変なことになると思います。なぜかと申しますと、私は国防方針をどこで作るかということを申上げたのはそれなんです。たとい何もなくても国防方針は作れますよ、独立国は。利用しようと思う外国の力を駆使したらそれは国防方針になると思う。国防方針日本の国でしつかりしたところでしつかり練つて作らなければいけない、こういうことと関連しますね。よほどしつかりしないと、こういうように思います。
  44. 木村禧八郎

    木村禧八郎君 第二の点。
  45. 岡村誠之

    公述人岡村誠之君) 第二は、これは本当軍隊であるかというあれでありますか、これはまぎれもなく兵学的に普遍的な見方から見て軍隊である。併しそれを政治的にどういうふうに表現するか。私はその兵学の一学究でありますからそれは触れません。兵学的な立場から見ましたら軍隊でありましようね。これは政治家戦力を論議する場合は私は知りませんが、戦力とは戦う力ですね、兵学的にそれと同じでありますな。政治的な表現は私は慎みます。
  46. 八木幸吉

    ○八木幸吉君 兵学的な立場における軍隊その定義を聞かして下さい。
  47. 岡村誠之

    公述人岡村誠之君) 外国の侵略軍に対して組織を持つたこういうものをそれに備えて国が持つておるのが軍隊です。
  48. 八木幸吉

    ○八木幸吉君 外国の侵略に対して組織的に編成されておる部隊は軍隊である。こういう定義ですか。念を押しておきます。
  49. 岡村誠之

    公述人岡村誠之君) 私はそう思います。併しその軍隊は、主任務はそれでありますが、国内におきまして例えば過去に震災等のときに出て行つていろいろな働きをしたとかそういうことは又やりますよ。
  50. 八木幸吉

    ○八木幸吉君 国内の災害に対して軍隊が出動するということは軍隊としての本質的な意味ではありませんね。
  51. 岡村誠之

    公述人岡村誠之君) ありませんね。   ―――――――――――――
  52. 小酒井義男

    委員長小酒井義男君) それでは次の公述人意見を伺います。次に法政大学教授中村哲公述人所見を伺います。
  53. 中村哲

    公述人(中村哲君) 只今御紹介頂きました中村でありますが、なかむらあきらと言うのが正式な称呼であります。昨日からちよつと熱を出しておりまして話しずらいところがありますのですが、その点御了解願いたいと思います。  この防衛庁設置法案自衛隊法案を全体として見ました場合に、その印象は軍隊を設置し、戦争を前提としているものという印象を受けます。勿論表面上は現在の憲法の九条が戦争を放棄し軍備を禁止しておりますので、その点と牴触しないようにということを考慮しているようですが、保安庁法の場合には多少そのことができていたかも知れませんが、この自衛隊法案防衛庁設置法案は明らかに憲法に違反するという感じを持ちます。政府の説明を見ましても、国の安全を保つためこの際更に自衛力を増強すること、自衛力の増強と言いまして前に自衛力が一応認められていたかのように書いておりまして、何か量的な発展を認めているようですが、この二つの法案は明らかに質的な変化を認めておると考えます。その理由は自衛隊という一種の軍隊、或いは国防という観念は曾つて我が国の軍隊がありましたときには、国防軍隊の所管するところであるというふうに言つて国防即ち用兵作戦、殊に用兵作戦になりますとこれは統帥事項である、こういうふうに言われて来たわけです。又防衛という言葉自身も、保安庁法以上の新しい観念として現われているように私は感じました。  一体こういうふうな飛躍的な軍隊の設置ということがなぜ必要なのか、国際情勢を前提としてこういう問題は考えられるべきことですが、その国際情勢たるや、朝鮮戦争はむしろ平和的な解決に進み、現在ジユネーブ会議が開かれている。或いは原水爆の発達によりまして、曾つてのように戦争が簡単にはできなくなつて来ている。そういう目下の国際情勢の変化、それはこの数年来むしろ平和の方向に、いろいろ困難はありますけれども進んで行くということを意味しているにもかかわらず、国内の問題として自衛力を増強するという名で軍隊を設けるということは全く了解に苦しむので、それは日本の国内事情のみから出て来たことではないように感ぜられるわけです。まあそういう政治論は一応この際別にしまして、私、政治学と同時に憲法を専攻しておりますので、むしろ憲法論としてこの問題を取上げてみたいと思います。  で、自衛隊法と言いますが、自衛という観念自身が侵略に対する自衛、更にこの法案では直接侵略に対する自衛という意味から言われているのでありますから、この問題は明らかに第九条の戦争の放棄の問題とひつかかつて来ると考えます。で、自衛権であるとか、或いは自衛力であるとか或いはこの法案にいう自衛隊であるとか、これらの概念憲法上の概念として明記されているところではありませんが、併し第九条の制定の趣旨からいい、又これを客観的に解釈をした場合に、当然この自衛権の問題が取扱われているわけです。併しながら他の条文におきますように、「自衛権」とか或いは「自衛」という文字が憲法の上で明瞭に書かれていないために、このような法案が事実上憲法に違反するにかかわらず出て来るのですが、この九条の意味はまさに自衛権による戦争、或いは自衛権のための軍備戦力というものは明らかに禁じられているものと私は解釈するわけです。このことについては従来国会でもいろいろ論議され、又憲法制定の当時吉田首相初めとしまして問題にして来ておりますので、そのいきさつを私が今更ここで申上げる必要はないと思いますので、私が客観的にこういう意味だろうというふうに思う解釈を申します。  憲法の九条の第一項の中に自衛権のための戦争が禁止されているかどうかということについては、今申しましたように、自衛権という名前が明文として出ていないために解釈の余地があるということは確かに認めるのです。それで殊に大きく学説を分けますと、第一項の中で自衛権のための戦争も禁止している、こういう説と、第一項では自衛権のための戦争は禁止しているけれども、第二項において「国の交戦権は、これを認めない。」と言つているので「国の交戦権」という概念の中に入るという、こういう二つの学説が自衛権のための戦争を否定する意味から言われているわけです。私は第一項の中ですでに自衛権のための戦争は禁止されているものと解釈するわけです。それは第二項でいう「国の交戦権」、これは日本憲法の用語として交戦権というものを解釈するならば、これはすべての戦争する権利といつて自衛権も含めていいですけれども、併し憲法の条文を解釈するに当つて外国憲法にもあり、或いは憲法史上、或いは法律上、法学上、そういう概念がある場合には、特に日本憲法独自の解釈をすべきじやないと思いますね。「国の交戦権」という用語は、これはザ・ライト・オヴ・ベリジエレンシーというので、国家が戦争をした場合に、戦時国際法上受ける権利と見るのが本来の趣旨であると考えます。ただ多数説、必ずしもこう言つておりませんが、というのは、この憲法の原案が、マッカーサーから出たかどうかということは、別としましても、マッカーサーを初めとする総司令部及びその民政局の見解というものは、強くこれに影響を与えておるということは事実でありまして、民政局の戦後占領行政を報告しました日本政治的再建と称するリポート・ポリテカル・リオーガイゼーシヨン・オブ・ジヤパン日本政治的再建、この中で、マッカーサーのノートと称せられて引用されているもの、即ち民政局の名において引用されているものの中で、はつきりと交戦権、これは東大で訳しました文で、一応訳は正確と思いますが、如何なる交戦の権利も日本軍には決して与えられないというふうに書いてあつて軍隊が、戦時国際法上受ける権利という意味で、交戦権と言つているものと考える。これは英文でザ・ライト・ベリジエレンシーと言つておるから、そう見るわけです。そこには必ずしも自衛権が入らない。併し第一項の中で、国際紛争を解決する手段として、戦争或いは武力による威嚇或いは武力の行使というものを禁止しておりますが、その国際紛争を解決する手段というのは、どこか、日本と別個の或る地点で、国際紛争が起り、それの解決に武力を用いるというふうに普通解釈しますけれども、決しそういう意味に限定すべきではなく、侵略された場合にも国際紛争なんでありまして、それを解決するということは、勿論第一項に含まれると解釈下るのが、私は正当だと思う。殊にこの第一項の日本文のほうをみますと「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」こう書いてありますが、一見しますと、国際紛争を解決する手段としては放棄するけれども、国際紛争を解決する手段でない場合には、武力の行使もいいというふうに見えるのですけれども、これは誤つた解釈であります。英文を見ましても、殊に英文を見ますと、国際紛争を解決する手段であるところの武力行使というふうに書いてあるんです。併しながら、武力行使というものは、国際紛争を解決する手段であるという、同列の意味で取上げておる。ところが、自衛権のための戦争を許されるのだと第一項で解釈する人は、武力行使の中から、特に国際紛争を解決する手段以外は許されるのだと言つて、強引に自衛権のための戦争は国際紛争を解決する手段ではないのだというふうに見ますけれども、やはりそれは正当な解釈じやないと私は考えるわけです。そのような意味から、自衛権は第一項においても否定されておると私は思うのですが、その場合に、自衛権はあるけれども、自衛権のための戦争はできないのだ。こういうふうな解釈もありますけれども、その場合の自衛権という意味が、どういう意味かによつて、自衛権はあるけれども、自衛権のための戦争はできないと言つてもいいのですが、自衛権というのは、国際法上も普通自衛権の発動という言葉を伴つた生きた自衛権、つまりやはり自衛権のための武力を発動するという、そういう機能を含めて、自衛権と言つておるのですから、やはり自衛権はあるけれども、自衛権のための戦争はできないというのではなくて、普通言われておるところの自衛権というものはないのだ。こう言つていいのではないか。ただ併し、日本国民が外部から侵害を受けたときに自分を防衛するというようなことは、これは私は、基本的人権の規定が一方にある限り、生命権を擁護するということは当然あるべきで、ただ第九条は、「日本国民は、」とありますが、それが国権を発動して行う場合を主として書いておりますので、国権の発動としての自衛権のための戦争ということは禁止したというふうに私は解釈するわけです。従つて又自衛権のための軍隊はおけないと、こう思うわけです。このこと又学説上のいろいろ異議もありまして、これは国会でも論議されたことでありますが、第二項のところで、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。」とあるが、これは一般の戦力を禁止しておるものであるか、或いは「前項の目的を達するため」というのであるから、第一項では、自衛権のための戦争は禁止されていない、然るに第二項では、そのためにのみ戦力は保持しないというのであるならば、自衛権のための軍隊はおき得るのだという解釈が一方において行われておりまするが、これはやはり間違いでありまして、「前項の目的を達するため」というのは理由でありまして、決して軍備に対する条件ではない。若し条件であつて陸海空軍その他の戦力を限定しているものだとすれば、これは「前項の目的を達するための陸海空軍」というような文章になるのではないかというふうに思うのです。でありますから、要するに自衛権のための戦争はできないし、自衛権のための軍隊は置けない。こう思うのでありますが、この法案は、正に自衛隊を設置するというのでありますから、憲法の違反の疑いは十分であると私は考えるわけです。  それから、殊にこの自衛隊法の八十八条などを見ますと、武力の行使という言葉はつきり使つている。ところが憲法の第九条は武力の行使を禁止しているのですから、そういうところでは、明瞭に憲法違反の問題が出て来ると思います。これは内容でなくて、もう名目からして憲法に違反するということが明らかであると思います。  それから、少しばらばらの問題を次々に申すことになりますが、お許し願いたいと思います。  又例えば、防衛庁法の第五条の十三号もそうですが、直接侵略間接侵略に対し我国を防衛しというふうに、「直接侵略及び間接侵略」という言葉保安庁法と違いまして、真正面から出て来たというところに非常な特徴があると思う。先ず間接侵略ということですが、一体間接侵略とは、どういうことを言うのか、世間的にはよく間接侵略ということを言いますけれども、法の条文で、間接侵略ということを言うような明確なる概念が一体あるのかどうか、こういう不明瞭な概念を憶面もなく出して来たという点が保安庁法と非常に違うと思うのです。  それから直接侵略という点につきましては、直接侵略に対応するものということになりますと、これは明らかに軍隊になつて来る。従来保安隊が直接侵略には対応するものではないというのが政府の解釈であつたと思います。ただこの点もやや動いて来た場合もあつたかと思いますけれども、つまり直接侵略に対抗すれば、これは明らかに軍隊なのです。従つて憲法で言うところの戦力なのです。で、それでは、従来の保安隊憲法で禁止しているところの戦力ではないかと言いますと、これはこの装備やその実態から言つて、私は現在の保安隊自身が戦力であると判断しますが、そういう実体だとか、装備、そういう制度という面から戦力規定することもできれば、又その機能、或いは目的から戦力というものを規定することもできるので、今まで保安隊は、その実態から見まして軍隊の実体を備えているという点で憲法違反の疑いは十分であると考えたのですが、それが更に、今度は保安隊の場合に、これが軍隊ではないのだというときに、国内の治安を護るものなのだという一つの機能、或いは目的のところで絞つていたわけですが、その点が自衛隊は全く解除されまして、直接侵略に対するということになりましたのですから、これを軍隊だと言わないとなれば、どういう理由で軍隊でないと言えるのか、私は全く了解に苦しむところでありますし、従つてそのことは明瞭に憲法の言う戦力の保持の禁止に違反するものと考えるわけです。一歩譲つて自衛隊というものであるから、これは陸軍でもなければ海軍でもない、空軍でもないというかも知れませんが、この自衛隊は、この新しい法案によりまして陸海空という三つの編成になつております。このことから言つても、陸海空を中に含んでいる、そういう自衛隊であるということが明瞭であろうと思う。で、一歩譲つて自衛隊陸海空軍ではないと言つたとしても、「その他の戦力」の中に入つているということは、これは明瞭であるわけです。殊に憲法が「その他の戦力」という、「その他」というところを禁止しているのは意味があるのでありまして、従来とかく陸海空軍でなければ、「その他」のところを簡単に見る傾向もありますけれども、憲法のそのほかの条文の規定の場合に九十九条が、例えば天皇、摂政、国務大臣、国会議員「その他の公務員」は憲法を擁護しなければならないという場合の「その他」というところ、この「その他」というのはどうでもいいのだということになりますと、天皇や国会議員は憲法を擁護しなければならないけれども、その他の公務員はどうでもいいのだというような解釈になつてしまうので、実は「その他」というところに重点がある。陸海空という名前で再軍備が行われるなんということは、事実は憲法の下ではできないから、だからこそ、「その他」という形でやるんで、それを禁止しているというところに、この憲法意味があるわけです。その意味から言いますと、自衛隊という、そういう名前における「戦力」であるということは否定できないのではないかと思います。  それから個々の問題としましては、先ほど申しましたように国防という概念が真正面から出て来たのだということ。国防という概念は、今まで戦争中には行われましたが、戦後にはそういうものを政治の面で出して来たことを聞いたことがありませんので、臆面もなく国防ということがここに出て来た。そうしてその国防会議というものが設けられるというのでありまして、防衛庁法では、殊に国防会議を設けることを目的とする。第一条を見ますと、「この法律は、防衛庁の所掌事務の範囲及び権限を定め、且つ、その任務を能率的に遂行するに足る組織を定めるとともに、国防会議の設置について定めることを目的とする。」。国防会議の設置をこの防衛庁法は目的としていながら、その国防会議についてはただ一行、第四十三条で「国防会議の構成その他国防会議に関し必要な事項は、別に法律で定める。」ということに書いてある。構成についてですが、第三章で……。この権限はとにかくとしまして、具体的には、法律に委せようとしている。殊に最後のところ、四十二条、四十三条のところで片附けてしまつている。そういう乱暴な法律案というものは、今までの法律案の審議においても、あまり前例がないのじやないか。結局国防会議というものを認めさせておいて、そうしてその構成は勝手に又次に認めるということになるのじやないか。国防会議が重要でありますのは、先ほどからもお話がありましたけれども、国防という名前で行われる場合に重要なことは、統帥を国務がどうして押えられるかということであります。このことについては、私は戦時中国防会議ということについて考えさせられる機会がありまして、そういう案を、これは軍が、統帥権独立の名において勝手なことをしないようにというので、国防会議というものを設置してはどうかという案を近衛第一次内閣当時に出したことがありまして、その自分の経験から言いましても、国防会議というのは、やはり統帥権を押えるためのものとしてでなければ意味がない、又そういう意味で総合的な国策でこれをきめて行かなければならない。そう言いますと、何か統帥権を前提としているようですけれども、事実は、この自衛隊法及び防衛庁法は、それが憲法違反であるということは、私さつき申した通りですが、一歩譲つて、この法案内容をここに審議するとすれば、これは統帥権に相当するものも規定されておりますので、実は、やはり又統帥権の名において、軍が専門的な発言をする、それに政治が引張られるということが十分起り得る。そのことについては、日本の歴史は旧憲法制定以来、それ以前からでもありますが、殊に旧憲法には、統帥権の独立という規定がありましたので、非常に苦い経験を経ております。そういういわゆる統帥権的なものはどこできめ、作戦用兵をどこできめるかというと、この法案を見ますと、幕僚部というものが実際に決定するようです。というのは、この防衛庁法の二十三条ですが、「陸上幕僚監部は陸上自衛隊について、」その他各監部は、ここに列挙されてありますように、「防衛及び警備に関する計画の立案に関すること。」つまり作戦の立案というものをこの幕僚部がきめるのであつて幕僚会議というものがありますけれども、これは調整に過ぎない。そして国防会議は上にあるけれども、これは諮問機関に過ぎないということ。ここに問題があると思うのです。  それから簡単に最後に申しますが、今度のこの法案によりますと、内閣総理大臣がいわゆる統帥権に相当する最高指揮監督権を持つておりますので、内閣総理大臣は、議院内閣制の下においては国会を通じて民意を反映するわけですけれども、併しその面から言えば、この自衛隊及び防衛庁軍隊類似組織が、内閣総理大臣によつて握られるから、そこで統帥関係政治が抑えられるようですけれども、その内閣総理大臣というものは、決して実際の指揮権を持ち得るわけでないので、そういう決定をしますのは、普通官僚制度と言つて行政学上非常に問題にされますように、この現実の権力を握るその官僚機構、軍の場合にはこの幕僚部を中心とするその系統が実際の実権を握つて、そしてその上に統合幕僚会議というものがあつても、これは本当にそこで調整が、陸海空の間で調整がとれるかどうかわからない。上に国防会議をやつても、今内容は少しもわかつていない。そしてそれではその長官というものがあるではないかということになるでしようが、長官は国務大臣であると言いましても、この国務大臣である長官は、今までですと、内閣の一員として恐らく他の国務大臣と同列にあつたと思いますけれども、今度はその国務大臣である防衛庁長官は内閣総理大臣に直属するという形で、或る程度の独立性を内閣に対して持つている。そこに今の議院内閣制としまして問題にされている点が十分あるのじやないかと思うのです。殊に第七条によりますと、首相は内閣を代表して最高の指揮監督権を行使するというのですが、首相が内閣の意見に従つてやるということになるのではなくて、却つて首相が内閣の名において、そうして事実上の軍隊と結び付いて行くのではないかと思うのです。こういうふうに国務大臣である防衛庁長官が、それは国務大臣なんでありますから、閣議の一員として全く平等にそこで閣議の上で決定されることに従うならともかくも、その閣議できまることよりも、むしろ内閣総理大臣に直属しているというところ、ここに問題があると思う。ですから曾つて陸軍大臣、海軍大臣が、同じ内閣の中にありましても、事実はこれは軍政機関でありまして、統帥機関ではありませんが、ただ統帥事項については、事後承諾を受けるとか、或いは帷幄上奏を軍政大臣がやるというような慣習がありますために、このことを通じまして軍政大臣というもの、陸軍大臣、海軍大臣が、ほかの国務大臣から別個な行動をとる。これは、それでしばしば内閣が瓦解したという例は、日本憲政史で明らかなことです。それと多少違いますけれども、この防衛庁長官というものが独自の性格を持つために内閣の統一が破れるのではないか。これは議院内閣制に対して何らかの危機をもたらされるものではないかというふうにも考えられます。それで、従つて長官が、内閣でなく国会から遊離する傾向がありはしないかということ。それから、そういう意味で一番心配されるのは、軍というものが一般の政治から離れて行くことですが、自衛隊法の第十九条だと思いましたが、方面隊或いは管区隊の増設については、国会の事後承認を求めるだけでありまして、この方面隊、そういう軍の編成というようなことについては、これは旧憲法の下でも、予算を伴うために国会の審議の対象になるわけなんですが、そういう軍の編成に関する、殊に増設する場合、それは緊急性が少しもない場合でも、国会の事後承認で済むということは、これは非常に国会を無視しているのじやないかと思います。  それから十九条で、地方隊の増置もやはり同様であると思うのです。  それから八十一条でこの自衛隊が出動しますときに、公安委員会と協議するというのでありますが、協議というのは承認ではないので、公安委員会反対しましても、協議すればそれで済むということになつてしまう。又百五条で訓練のために農林大臣や知事の意見を聞くということでありまして、知事や農林大臣の承認を必要としない。こういう勝手な自衛隊行動を許すということは、政治責任を持つかたがたには問題になるのではないかと思うのです。  又九十六条で司法警察職員というものの職務か規定されておりますが、これは隊員の職務に関し隊員以外の者が犯した犯罪をも取扱うことができるというふうになつている。ところが一体隊員の職務というものは何であるかということは、この自衛隊法案を見ましても、少しもはつきりしていない。書いてない。そういう、わけのわからない隊員の職務に関連して、一般の国民が嫌疑を受けますと、これはいわゆる従来の憲兵に当る司法警察職員、この自衛隊の中の司法警察職員によつて処罰される。こういうようなことでは、  一般的な国民の生活か犯されるのではないかというふうに考えます。又一番やはり問題になるのは、国民の生活がこういう法案によつて犯されるということになりますと、これが問題であると思います。  それから百五条には、自衛隊か訓練を行うために水面を使用する場合がある。これは先ほどもちよつと申上げましたが、農林大臣関係府県知事の意見を聞き、そうして漁船の操業を制限し、又は禁止することができる。これなんかも、民意に反して、或いは国会の意思に反して、内閣総理大臣自衛隊に決定すれば、これに対して何ら一般の国民は異議を唱えられないというようなことか生じて、来るのではないかと思います。  以上、簡単でありますが、私の……。
  54. 竹下豐次

    ○竹下豐次君 自衛隊法の第七条「内閣総理大臣は、内閣を代表して自衛隊の最高の指揮監督権を有する。」この「内閣を代表して」という言葉使つてあるのです。ちよつとさつきお触れになつたかと思いますが、これは法律の文理解釈として、どういうことになるのかお伺いしたいと思うのですが、総理大臣が内閣を代表して意思を表示する場合には、必ず閣議を経なければならないものであるか、単独にただ閣議にもかけないて発表して、それが代表と言えるかどうか、これは文理解釈として、どういうふうに御解釈のなつておるのでございますか。
  55. 中村哲

    公述人(中村哲君) そういう点が、条文として明瞭にされておればいいわけですが、この七条では明瞭にされておりませんので、極端に言えば、どちらにでも解釈できるというのが、法律の解釈ではないかと思います。それでむしろこういう条文がありますと、内閣総理大臣は内閣を代表しているものであるというかのごとき印象が与えられる。そういうふうに解釈されることになりますと、非常に問題じやないかと思います。ですから、やはり内閣の閣議の決定に従うべきであるというふうな、ここにそういうことを明文として入れるべきだと思います。
  56. 植竹春彦

    植竹春彦君 簡単に……。  さつき、現在の保安隊憲法違反の疑いがある、戦力であるといつたよう公述がありましたのですが、その現在の保安隊をこさえている目的が、あの通り治安維持、つまり警察力だと思うのですが、それじや警察力と軍隊と、概念の相違ですね、それはどういうふうにお考えでしようか。
  57. 中村哲

    公述人(中村哲君) 警察は、単にその目的が治安の維持である、或いはその機能が治安の維持であるというだけでなく、客観的に治安の維持の程度の装備であり編制であり、そういう教育がされている場合には、その組織が警察であると申してもいいわけですが、現に警察と言えないために保安隊といつているくらいでありますし、そういう機能や目的の上では、外敵に当るのではない、直接侵略に当るのではないと言つておりますので、あたかも警察のようであるけれども、併し私は先ほど申しましたように、その面だけから見るのでなく、その実体が、外敵と当る、そういう実質を備えているか、どうかというところで、やはり問題になるのでありまして、そうでなければ、憲法戦力なんという解釈をどうにでも変えられちまう。だからやはりこれは客観的に見なければならん。こういうふうに考えます。
  58. 植竹春彦

    植竹春彦君 それでは、警察力の客観的条件と言いますか、どの程度まで警察力と言い、どの程度から軍隊と言えるのでしようか。
  59. 中村哲

    公述人(中村哲君) それは、本来警察と言いますものは、警察官等職務執行法というのがありまして、この自衛隊の場合でも、それを頻りに準用したり、その例外をきめたりしておりますように、警察権というものは、特定の個人が犯罪をした容疑がある場合に、その個人を捕えることであつて、不特定の集団に対して、その集団が傷害を与えられる、例えば機関銃を特定の群集に対して向ける。その特定の群集に対して向ける場合、その群集の中にやつたやつもいればやらないやつもいる、それにもかかわらず警察の武器によつて被害をこうむるということは、これは警察の機能ではないと思います。警察というものは、個人を追究することだと思う。だからその意味では、ちよつとしたガスでその行動をとめるというようなことは、そのことによつてその群集の行動が停止されても、別に生命に関係ない。ところがバズーカ砲だとか、戦車だとか、機関銃だとかいうことになりますと、そこにいた群集の誰がやつたかわからないのに、警察がそういうことをやるのは、警察が積極的に個人を損傷することになる。憲法基本的人権のもとになつている生命権を奪うことになりますから、そういうことを警察ではやれないと思います。ところが軍隊は、そういうことをやつている。そういう意味で今の保安隊の装備や教育は、まさに警察の範囲を超えているじやないか。警察官等職務執行法では、今度現行犯でない場合には、司法官憲の逮捕令状によつてでなければ逮捕できないというくらいになるのでありまして、それが警察官の職務の基本になつております。今のごとき形では……。それをやはりここで引用しながら、自衛隊というものは、軍隊でなく、警察の変形だということを言うために、この法律にも警察官解職執務行法を頻りに引いているのです。やはりそれが基礎でなければならんと思うのです。
  60. 植竹春彦

    植竹春彦君 そういう集団的に治安を撹乱したような場合に、この治安を回復し、防遏する力は、これは警察力でないという御見解ですか。
  61. 中村哲

    公述人(中村哲君) いやそうではありません。その場合に、ガスだとか、消防のホースだとか、そういうものでその群集に対するということは、これは当然だと思います。だけれどもその群集の中で誰がやつたかわからない、誰が首謀者かわからない、そういう不特定の人を殺し、生命を奪うということは、警察にはそういう権利はないと思います。
  62. 植竹春彦

    植竹春彦君 私は、警察力というものの概念が、昔の概念と今の概念と違うように思うのです。それは非常に、つまり警察力という概念が大きくなつて来ていると思うのです。それは決して私の考えだけではないと考えているのです。例えば刑法の改正シユトラーフレヒツ・エンデルングス・ゲゼツツを見ますと、内乱外患に関する規定、それの変更、今のは一九五〇年の西ドイツのですが、それからスイスの刑法の改正にも、国家防備に関する罪を規定したものがある。更に一九五一年の今申上げた内乱外患に関する規定の改正、そのほかにゲゼツツ・ツーム・シユツツ・デア・ペルゾーンリツヘン・フライハイト、人身自由保護についての法律があります。その法律の改正で以て、その提案理由の説明に昔の革命とかいつたようなものは、或いは政治的治安撹乱、そういつたものは刑法だの、ピストル、バリケード程度で防げた。ところが今日では、とてもそういうものでは防げない、それで治安の撹乱か外国との通謙の下に行われる場合もあるし、相当な準備用意の下に、企画の下に行われているものだから、相当大規模な治安維持の力を要する。そういうふうな立法例を見てみますと、警察力の概念というものが非常に今日では拡張されておるのではないか。そうして戦力、即ち軍隊、治安維持、即ち警察力と、その戦力との概念の別々の枠が非常に交叉状態なんじやないか。ただ日本では憲法を改正してありませんから、これが日本における警察力、保安隊は、戦力概念と交錯しておる。これは憲法違反になつてしまうすれすれというところまで来るのではないか。やはり日本保安隊というものは、私は今あの程度のタンクを持つたり、飛行機を持つたりしているけれども、やはりこれは設置目的からしても、警察力の概念考え行つて差支えない。こういうふうに思うのですが……。
  63. 中村哲

    公述人(中村哲君) でありますから、私も今の自衛隊と、それから保安隊では、非常な質的な変化があつて、今までの保安隊は国内治安に備えるということを言つていたので、その意味での警察的な要素がなんといつてもあつた。今度は直接侵略に対するから軍隊であるということを私はやつぱり言つたのです。言いましたが、それでは、その国内治安に対するという目的や機能だけで警察だと言つていいかと言えば、まあ如何なる場合でも、そういうことを言えば、事実上軍隊であつても、国内治安のためだと言えば通つてしまいますから、併しやはり、だからもう一つ実体のほうで制限されるだろう。こういうことでその実体のほうの武器の範囲はどの程度かといつた場合に、その限界が個人の生命を奪つたりするようなもであつてはならないと私は考える。そうして西独やなんかのそういう例がありましても、それがいいか、承認するかどうかは別でありまして、やはり国内警察というものは、そういう西独なんかが若しそういう形でやつているとすれば、それは少し行き過ぎじやないかと思うのです。併しだからといつて、警察というものは国内治安で放つておくべきものかと言いますと、そうじやないと思います。そうしてその警察の手段というものは、さつき言いましたが、やはり催涙弾とか、ホースだとか、人間の生命に関係ない程度の、何かこの、逮捕するとか何とかいうことでなければならないのだろうと思うのです。そうでなければ、つまり若しそういう群集の蜂起が起つたときに、その蜂起の理由が正当な場合があるわけなんです。そういつたときの、その正当であろうが、何であろうが、群集が立ち上れば、それを全部殺戮するというのは、これは暴力政治だと思う。やはりその群集が何を言つているかということを聞いた上で、それを調べなければならん。そのことについては、やはり警察というものが、それだけの文化的な要素がなければいけないと思う。それをただ力で抑えてしまう。殊に殺戮してしまうというのでは、問題の解決に少しもならない。ただ非常に暴力的な現象を非常に大きな力で爆発させることになるのじやないかと思う。  これは私の意見です。
  64. 植竹春彦

    植竹春彦君 あとは論争になりますらか、ここで……。
  65. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 二点伺います。  先ほど先生からいろいろ承わつたわけでございますが、例の自衛戦争と自衛力の件について伺いますが、憲法制定国会当時の記録を見ますと、当時の金森国務大臣は、自衛戦争は否定しないが、九条の二項で交戦権を放棄しているから、自衛戦争はできない。こういうことを述べている。それから吉田総理は、自衛権は否定しないが、自衛権の発動としての自衛戦争はできない。こういうふうに答弁されているのですが、いずれもその自衛戦争ができないということを述べている点は同一なんです。そこで私ここで承わつておきたいのは、自衛権を否定しないかという、この自衛権ですね、それは概念から言つて、どういうものか、それが一点。  それからもう一点は、今度の法案では、直接侵略に対処することになるわけですが、その際にこの憲法第九条で言うところの、「交戦権」ですね。これの全部、或いは一部が行使されることになるのではないかと、こういうふうに私はまあ考えるのでございますが、憲法学者として、その場合に憲法九条の二項で言つている「交戦権」との関連は、どういうようにお考えになつているか。その二点だけお伺いしたい。
  66. 中村哲

    公述人(中村哲君) 第一点については、まあ自衛権というものを、私は最初申しましたように、自衛力と離れた自衛権という抽象的なものを言つていいかどうかというのは問題だと思いますけれども、この従来自衛権と言つていますのは、自衛権の実体を含めてやはり言つておりまして、それはライト・オヴ・セルフ・デイフエンスと言つているわけです。ところがそれに対して、自存権は、自分の国家が存立する自存権はある。ライト・オヴ・セルフ・プレザーヴエイシヨンという概念がありましてこれは自存、自立の権という、その自立権の中には、経済的な自立権なんかも含めておりまして、自衛権とは多少違うわけですが、で、今申されましたこの自衛力が、自衛戦争が禁止せられても、何か自衛権があるのじやないかという場合の自衛権は、むしろ私は個人の緊急防衛権、基本的人権の一つにあるものというふうに私は解釈しているのですが……。
  67. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 ああ、結構です。わかりました。
  68. 中村哲

    公述人(中村哲君) それから、第二の「交戦権」の問題ですが、正に自衛隊が、直接侵略に対応するとすれば、それに対応するということは、そこで戦争が……と言いますか、武力の行使が行われることは明瞭でありまして、憲法では武力の行使を禁止しているのですが、この条文の中では、はつきり「武力の行使」という言葉使つておるわけです。だから戦争でなくても、「武力の行使」が行われる。そうした場合に、それが「交戦権」の問題にかかつて来るのは当然だろうと思います。でそのことは金森さんのように、第一項では自衛権は禁止していないのだというふうに解釈される場合でも、私のように第一項でも、すでに自衛権のための戦争は禁止されているのだと解釈する場合でも、「交戦権」の問題ということになれば、すべて引つかかつて来るのじやないか。こういうふうに思います。
  69. 八木幸吉

    ○八木幸吉君 先生に伺いますが、九条第一項の問題でございますけれども、この「国権の発動たる戦争」というところは、通常はこの「国際紛争を解決する手段としては」にもかかる、こういうふうに言われておりますが、令御引用になりましたマツカーサー・ノートですね。それから憲法制定当時の法制局の英文でございますね。あれで見ると、いわゆる同格になつている。これは英文としてははつきりして、今先生がおつしやつた通りでありますが、あの日本文をそのままに文理解釈した場合に、「国権の発動たる戦争と」で切つて、「武力」以下が、「国際紛争を解決する手段としては」と、そういうふうに読めますかしら。それを伺つておきたいと思います。日本文として……。
  70. 中村哲

    公述人(中村哲君) 私は、そう読めないと思うのです。  それは、「国権の発動たる戦争と」というのと、それから「武力による威嚇又は」と、「又は」という言葉がありまして、「と」という字と、「又は」というのが、「と」と、もう一つ結んだときのその結んだ中で、又再興されたときに、又「又は」で続くのですから、だから「と」で並列して、「と」で、「武力による威嚇又は武力の行使」が並んで取上げられている。「と」で切つてあるものじやないというふうに私は解釈しますが、それが正しいと思いますが、つまりこの「と」ということが、「と」で切つたのじやなくて、「と」というのは、「国権の発動たる戦争と」、それから「武力による威嚇又は武力の行使は」というのが、同列に結び付けられると解釈するわけです。
  71. 八木幸吉

    ○八木幸吉君 そういたしますと、「国権の発動たる戦争」も、やはり「国際紛争を解決する手段」にかかりますですか。
  72. 中村哲

    公述人(中村哲君) かかります。で、英文が又そういう意味に解せられるのですから、これはただ参考として英文のことを言つているだけの話で、日本文としても、やはりそう解釈しなければならないのじやないかと私は思うのですが……。
  73. 八木幸吉

    ○八木幸吉君 先生のお話から来る結論は、今おつしやつたことと逆に私はとれるのですが、英語のほうじや「アンド」で、あれが繋がつているのだから、「国際紛争を解決する手段としては」戦争を認めない。こういうふうに日本文では読んでいるのではあるが、その際、どうですか。その点は、日本語では、「国権の発動たる戦争」もいけない。それから「国際紛争を解決する手段としては」、「武力の行使」も「威嚇」もいけない。こう二つに読むということができるかどうかということを伺うのですが、できますですか。
  74. 中村哲

    公述人(中村哲君) ああ、そうですか。私は、これはやはり並列的に解釈を今までして来ておりますので、それはそういうふうに言われましたので、問題はあるかも知れません。あるかも知れませんけれども、従来から、そういう、ふうに解釈しておりますので、私は解釈できると思つているわけです。
  75. 八木幸吉

    ○八木幸吉君 もう一つ……。  それから憲法の中に、武力による威嚇、武力の行使を禁止していると、こういうふうに先ほどおつしやいましたのですが、それは、やはり第一項を意味するのでございますか。
  76. 中村哲

    公述人(中村哲君) ええ、武力の行使を禁止しているというのは、そういう意味です。
  77. 八木幸吉

    ○八木幸吉君 それは併し国際紛争解決の手段としての武力であつてその他は禁止していないと、こう読むのは間違つておりますか。
  78. 中村哲

    公述人(中村哲君) 私は、つまり国際紛争の解決の手段という意味のものである。つまり武力の行使というものが国際紛争を解決する手段なのであるという意味に英文としてはとれるということを私はさつき申したわけですね。だから限定しているのじやなくて、武力の行使とか、或いは威嚇ということが、国際紛争を解決する手段なんだというふうに解釈したわけです。
  79. 八木幸吉

    ○八木幸吉君 もう一点。  この内閣総理大臣が、最高の指揮監督権を持つているということと、旧憲法における統帥大権は、どういう点で違いますか。
  80. 中村哲

    公述人(中村哲君) 従来の憲法では、「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」という、ただそういう規定でありまして、国務大臣が輔弼しない。つまり統帥機関のみが統帥に関しては輔弼するというのが解釈です。ただ明治憲法の制定当時でも、花井卓藏博士などは、統帥権の独立というものもないのだというふうに言つたのですが、美濃部達吉博士を初めとして、統帥権の独立という単独の条文というのは、結局国務大臣が輔弼しないことであつて、統帥機関が輔弼することであるということになつておりました。ところが、「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」という、そこの天皇のところに代つて内閣総理大臣が出て来たような感じはさせられるわけですね。ですから、問題は、統帥機関に対して国務大臣発言できるかどうかということですね。統帥権の問題、統帥権の独立というのは、そのことなんです。  つまり旧憲法では、内閣という制度が、憲法の上では認められておりません。ですが、実際は、内閣を意味します。つまり内閣から離れて、統帥機関のみが統帥の事項を取扱う。で、実はその問題は、やはりこの自衛隊法でも問題になるのじやないかと思うのです。というのは、アメリカの軍事顧問団というものが日本に大量来まして、それが一体どこでどういい機関発言するのか、それか曾つて満州国におきまして、関東軍というものが何となく存在して、満州国の国法の制度の中に上は、関東軍というものはないのです。然るに関東軍というのは事実上満州国と、内面指導権ということを、話合いの上で慣習的に確立しておりました。従つて満州国軍に対する統帥は、実際は関東軍が握つていたわけです。そういう内面指導権のようなものが、軍事顧問団とそれから幕僚部との間にないかどうか。若しそういうものがあるとすれば、又ある可能性が非常に強いとすれば、日本軍隊は、曾つての満州国の軍隊と全く同じになるのじやないかという感じがするわけです。
  81. 八木幸吉

    ○八木幸吉君 それから交戦権のことを伺いたいのですが、先生の御見解ですと、国際法上の交戦権だけがあつて、国のいわゆる戦う権利という意味の御解釈は、この憲法のこれにはないわけでございますか。
  82. 中村哲

    公述人(中村哲君) いや、私はさつき、まとめて申しましたので、もう一回言うことになつてしまいますけれども、私は通常第二項の「国の交戦権」という意味は、国が戦う権利というふうに広く言うけれども、併しこの憲法のいきさつからいつて、むしろ交戦権というものは狭く言つていいのじやないか。つまり軍隊は戦時国際法に受ける権利、例えば俘虜の特権待遇を受けるとかいう、そういう意味でベリジエレンシーということを言つているので、マックアーサーというのは軍人だものですから、その意味で交戦権を言つていることが、マツクアーサー・ノートでは明らかです。それで私は憲法の解釈として、勿論国の交戦権の中には、一般的な、国が戦争をするという権利を全部含めて解釈するという立場を十分に考えたのですけれども、ところがだんだん「国の交戦権」という解釈が明確化されなければいけないというとで、私は最近は、交戦権というものは、やはり厳密な意味の交戦権と解釈して、その代り第一項のほうで自衛権の戦争を含めてしまうという解釈をとつているわけです。
  83. 八木幸吉

    ○八木幸吉君 マックアーサー・ノートにいわゆる交戦権は、広い意味の交戦権じやないのですか。
  84. 中村哲

    公述人(中村哲君) それは、どう解釈するかという問題はあると思いますけれども、マックアーサーはやはり軍人ですから……。第一、憲法の条文に交戦権という言葉が出て来るのがおかしいですね。これは軍隊用語なんですね。戦時国際用語です。ですから、まあそう解釈しなくてもいいけれどもも、そう解釈する立場をとつているわけです。
  85. 小酒井義男

    委員長小酒井義男君) それでは、ほかに御質疑もないようですから、午前の会議は、これで一応休憩に入ることにいたしたいと思います。  暫時休憩いたします。    午後零時三十六分休憩    ―――――・―――――    午後一時四十三分開会
  86. 小酒井義男

    委員長小酒井義男君) 只今より内閣委員会公聴会を再開いたします。  元陸軍大佐大越兼二公述人所見を伺います。
  87. 大越兼二

    公述人(大越兼二君) この法案をめぐりましてもろもろの紛議があることを承つておりまするが、それは日本の歴史に譬えて見れば、丁度聖徳太子が、日本固有の物の考え方、大陸から来た物の考え方の統一をなされます前の状態と同じことでありまして、己れの思想精神を高めることなくして、ただ権力とか暴力とかで何ぼ押しくらまんじゆうしても、結着のつくものでないと思うのであります。丁度仏像を何ぼ難波の堀江にぶちこみましても混乱を防ぎようがなかつたと同じことであると思うのであります。それを解決しまする方法は、百年余りになりますマルクス・レーニン主義者の切実なる体験を彼ら以上に学びとつて、そして日本思想精神社会、経済、戦略、戦術に亘る大変革を遂げなければだめなんだと思うのであります。ですから、いろいろな紛議はありますが、私はそういう変革が将来成就されることを前提といたしまして、国際情勢の急迫に促されて止むなく多分自衛力増強をなさるんである、こういう考え方から、現法案をどうしたらば日本のマイナスにないならように、プラスにするようにできるかということだけを申上げたいと思います。  この法案には三つの重大な欠点があります。その一つ軍事独裁を作り上げる可能性がある。その第二は、首相若しくは防衛庁長官が専断を以て戦争を挑発し得る可能性がある。その第三番目は、陸海空三自衛隊を抗争せしめ、敗戦の因を招く虞れがある。ですから、自衛隊に対する首相の権限を確立いたしまして、軍事独裁の防止に努めること、首相、防衛庁長官に対する国会、内閣の掌握力を強化いたしまして、戦争挑発の危険を防衛すること、並びに陸海空軍三自衛隊を一本化して、その内部闘争を防遏いたしますること、この三つは絶対不可欠なる修正条項であると私は思うのであります。以下その一つ一つについて申上げてみたいと思います。  軍事力というものは非常に恐ろしいものであります。軍事力が政権に随従しないところの、クロムウエルであるとか、ナポレオンであるとか、或いは足利尊氏というような人の手に帰したときに、あの大政変が勃発したのであります。明治時代におきましても、明治十四年に天皇が大隈を首切るということに煮湯を呑むようにして同意せざるを得なかつたのも、又、私どもが軍隊におりました時分に、軍事独裁が実現されましたのも、実に軍を掌握する政治の力が足りなかつたからであります。軍事力から見離された政治力というものは、甚だ無礼な言い方か知りませんが、単なる私はお喋べりに過ぎない。ですから、軍を政権の掌握下に確実に置くということは政治の絶対的な命題である、こう思うのであります。それを成就するのには、政治家が、軍の実情、彼等の要求をよく知り、なすべく又なし得ることは誠実にこれをやつてやり、抑えるべきこと、矯正すべきことは遠慮なく抑え、又、矯正するようにして、普段から日常の業務を通じまして、お互いに気心も分り、言わば骨肉の間柄を軍と政治の間に作り上げて行く、それ以外に方法はないのであります。ですから、軍を指揮監督することを他人委せにせず、自分でそれをやり、みずから企画し、指揮し、監督するということは、これ又絶対なる要求であります。今、法令によりますと、首相は自衛隊に対する最高の指揮監督権を有するわけでありますが、総理府にはこの企画、指揮、監督に任ずる一人のスタッフもありません。内閣に国防会議なるものがありますが、これは諮問に応ずるところの審議機関であつて、独立の企画力も監督力もありません。ですから、首相は、企画と申しますれば、防衛庁から案件を受取つて、これを国防会議でコンクリートにできた案件を出されれば、大修正というものは不可能でありまして、実際問題として小修正を加える程度、監督と言えば、執行を確認するとか、命令を徹底さすとか、又実情に応じてそれぞれ取捨するとかいうことはできなくて、ただ防衛庁長官の報告を聞いて満足するということに事実上なつてしまうでありましよう。つまり、早く言えば据膳であり、他人任せである。これでは首相の指揮監督は全く名目的なものになりまして、実情に通じて気心がわかり合い、血の通う施策をするということは不可能であります。軍人というものはどういう人の言うことを聞くかといいますと、勝利を確保してくれるところの権威を持ち、恩威並びに行い、そうして己れを知る者のために死すると申しますが、要するに自分の面倒を見てくれる人のために死ぬ、それほかやりようのないものであります。ですから、建武時代の侍どもは足利尊氏の下に走つたのであり、明治六年の近衛兵どもは西郷の下野と一緒に家へ帰つてしまつたのであります。若しこの法案がこのままに通りまするならば、自衛隊員は首相のまわりに団結するのではなくて、誰かほかの人のまわりに団結せざるを得ないでありましよう。では防衛庁長官がその中心人物たり得るか。私はそうではないと思います。というのは、長官は文官機構であります内部部局を使いまして統制せんと試みるのでありますが、防衛庁でやりまする一切の企画事項の中心をなしまするものは、戦陣における斬るか斬られるかという企画であります。つまり勝負師の企画であります。多年、戦陣での勝負師としての修練を経ました幕僚長が、別の世界での修練を積んで来た文官の人と相対するわけでありますが、この文官が勝負師を統制するということは、呉清源の碁を法律家が世話をするようなもので、これは話にも何にもならんと私は思うのであります。而も日本の文武官が身につけております、我々の言葉で言うと、大陸兵学、大陸兵法とでも申しまするか、そういうものは、共に視野が狭小でありまして、その専門の分野ではよく能率を発揮するのでありますが、視野が狭小でありますから、すぐぶつかり合います。これは戦史を御覧頂けばよくかわることで、例えばナポレオンとタメルラン、モルトケとビスマーク、ルーデンドルフとビューロー、ドイツ国防軍とナチスというものが、犬猿もただならぬ仲になつた、或いはであつたという事実は、遺憾なくこの両者のものの考え方の根底から違つているということを証明して余りあります。ここで力ずくの勝負をさせれば、どうしても専門分野である自衛官のほうが勝つということは、もう明らかな事実だと思うのであります。それが結構だと私は申すのではありません。それがすべて自然の現象としてなるであろう。今でさえ、文官のかたは五時になると帰宅なされるが、自衛官は午後九時まで残つて研究し会議をする。ですから、明日の会議では、もう押切る押切らんという表現は不適当でありますが、実際、自衛官の立てたプランが通る。これが実態であります。現法案におきまして自衛官を内部部局に採用するということを認めましたのは、結果から見ますれば、文官陣営しやつぽを脱ぎかかつておるのだとさえ理解し得ると私は言えると思うのであります。ですから、防衛庁におけるところの権威というもの、企画、指揮、監督の中心というものには、事実上の軍司令官、これは先立つての衆議院のほうの内閣委員会で木村長官もお認めになつておられますが、事実上の軍司令官でありますところの幕僚長がその中心になつてしまう。自衛隊員は、事実上の企画権と指揮権を持ち、独占的な監督権を持ちまする幕僚長を中心に団結し、専らその意に従うという状況になるのが当り前の話であります。そういう工合にこの法令によるからくりができておる。ですから、首相と長官というものは、そつちの側から眺めて見れば、要するに、おれたちのやるプランを書いて判こをもらえばいい人である。実行したことを然るべく報告すればいい人である。つまり何のことはない。徳川幕府に対する京都の朝廷みたいなものになつてしまう。果たしてそれがいいのであるか。つまりそういう工合になつて、首相と長官とは、その思想動向をさえ、その幕僚長を経てでなければ合法的には監督し得ない。制度の矛盾というものは、初めは何でもないように見えても、その矛盾が鬱積して参つて最後にどかんと爆発するのであります木村長官はこの間の衆議院のほうの内閣委員会において、今まで何でもなかつたからよかつたと、こう申されたと承わりましたが、これは実に恐るべきお考えであつて、私はそこに軍事独裁の危険性を多分に包蔵しておると断言するのに憚りません。  そこで、それならばどうしたらよろしいか。対策として私が提唱いたしたいと思いまするのは、総理府に国防内局とでも言う一種の幕僚機関みたいなもの、幕僚機関ではないと思いますが、幕僚機関みたいなものを置いて、これに軍事と、政治との統一吻合に関する事務と、それから自衛隊に対しまする指揮監督の仕事を担当させるというふうにされたらば如何であるか。但しその人選を慎重にしますると同時に、その任期に階段的な差別をつけて、数年の後には、主たる各党から御推薦になつたかたが皆そこに何名かの人がおつて、そうして、おのずから中立的だと言いますか、公正な立場にお立ちになつてというようにするのが実際的な行き方ではなかろうか。そうすれば、国防の準備、国防力の漸次的な増強というようなものが、そのときどきでジグザグ・コースを巡ることなく、安定した状態で強化されて行くのではなかろうか。こういうふうに私は考えます。  それから戦争挑発の問題でありますが、外国の戦史を渉猟いたしますと、首相とか或いは何とかというような人たちが、その人に与えられた兵事権限の故意の濫用によつて戦争を挑発し、或いは挑発せしめんとするような事例が多々見受けられます。私はこの二法案の中にもそういう部分があるやに思われます。例えば、先ほどもここで議論になりましたが、防衛庁長官は、部隊を新たに編成することができる、或いは駐屯地を適当に変えることができる、そういう手を用いた例がございます。又、同様に、人命その他を救助するような意味合いから、海上行動することができるということがありまするが、それを戦争挑発に用いたという事例もございます。そこで、それをおつ放しておきますと、早く言えば何をされるかわからないということになると思いまするので、又、先ほど申しましたように、首相がみずから内局を以て自衛隊を直接に強く握るというようなことになりますれば、なお更その心配が強くなつて来るわけでありまして、それを安全装置をくつつける必要があるということは申すまでもないことであります。そこで、この法案の起案君たちは、恐らくそれを心配して首相の力を弱めたのだと私は想像するのでありまするが、軍事政治が離れてしまつては駄目なんで、これは飽くまで機能的には集中統一されねばならないものである。ただそれが権力の集中ということとは意味が違う。権力は分散しなければならない。決定権は、というふうに考えるのであります。それには、先ず下のほうから考えてみますと、防衛庁庁内で、幕僚という政府側の人間と、それから内部部局としていわば軍政府を担当しまするシヴイルのほうの側、これら二つを防衛庁長官がお握りになる。その上に立つて、首相は内局で以てその本当の大網だけをぎゆつと握る。それを内閣が、又、国会が握る力を強めるというような仕掛にしたらばどうであろうか。  即ち、私が仮にここで素人並みの考えを出したところを披露いたしますると、国防会議諮問しまする事項の中に、防衛出動の可否ということがあります、これに対外的に危惧なことであり、対内的にはこれ又物騒な話でありますから、国防会議で縛るということはいいことだと思うのでありますが、ただこれだけで、一遍おつ放したら、あとどこでも放し馬になつてひよろひよろ歩かれたらかなわんので、その目的、部隊数、地域、期間というようなものを審議されるように、言葉を改めますれば、首相又は防衛庁長官がそれに触れる程度に変更しようとすれば、これを審議にかけなくちやならんというので、一つの安全装置になるのではないか。又あの条文には出ておりませんが、駐屯地移動であるとか、或いは警戒、警備のために行動するとかというようなことについても、それが外国にとつての大きな刺激になる虞れのあるようなことは、これを必ず審議にかけなくちやいけないんだというふうに改めては如何であろうかというふうに考えます。こういう点も、首相がこれを無視してしまえば、現行法案のようだと無視できるわけでありますから、まずいので、私はここで一つ、国会といたしましては、国防会議に義務を与えるのに、そこで首相の問に答えまする際に、これは議会に報告すべき事項である、これは議会審議を経なければ困るというようなことを答えるという義務を国防会議に与える。同時に首相に対しましては、仮に申しますれば、そういう議会に報告し、若しくは審議を経なければ駄目だというようなことを支持する者が、国防会議の成員の過半数であるとか或いは三分の二であるという場合には、首相はその通りにする必要があるというような工合にしましたならば、国防会議が有名無実化される心配もなく、議会の全く知らない間に重大な案件が動かされて行くということもなくて済むのではなかろうかと私は考えます。勿論この際、その国防会議の人的構成がまずければ駄目なわけでありまして、これも私、素人的に考えてみて、半分ぐらいは、さつき国防内局について言いましたようなやり方で、半分ぐらいは閣僚若しくはその他のかたで、政府側のかたがおなりになるという工合にして、或る程度国防問題についての安定性と、それから中立性というものを確保しておいたらどうかしらというふうに私は考えます。  最後に、三つの軍の抗争の問題でありますが、陸海軍の抗争というものが非常に深刻で且つ古いものであつたということの一番はつきりした証拠になるのは、この議院の前にありますチヤペセンターであります。あれは日露戦争後、明治天皇が、陸海軍がいがみ合うのにほとほと困られまして、そうしてお金を下さつて、とにかく両方仲なおりするのに、これをうまく使え、それが何と大東亜戦争の始まる直前まで棚上げされておつた。利子を生んで立派な建物ができてしまつた。日露戦争直後というと私が三つか四つぐらいでしよう、多分。それが陸軍中佐の参謀になるまで放つたらかしておつた。大したものです。チヤペル・センターとなるも故あるかなと私は思います。実際この陸海の確執抗争というものが、軍事の面において日本が敗戦しました一番大きな原因であるという人が多うございます。比島を占領しました直後、私があちらに視察に参りました際に、村田省藏氏は私を呼びつけて、日本若し亡びることありとすれば、それは陸海の確執が原因であると言つて、私を鋭く戒め、これを東条に厳に伝えろと、こういうふうに私は命ぜられました。実際ガダルカナルの戦闘に際して、日本航空的な対抗力は零戦であつたわけでありまするが、海軍におかれましては零戦の塔乗員がなくなつてしまつたというので、陸軍に人がいるから寄越せ。陸軍のほうでは俺のほうでは人がいるから飛行機を寄越せ。そうしてごたついている間にガダルカナルは落ちてしまつたのであります。それは当時の責任者が言つているから間違いありません。終戦の直前に私は、皇軍々々なんといつておるけれども、こんなにいがみ合つているのでは、どつちか片方か両方が私兵であるといつてつたのでありますが、その話を鈴木貫太郎首相に実情を具して訴えましたところが、首相はそんなにひどいかというて歎きましたが、終戦になつて蓋を明けるまで、陸海軍は自分の持つている飛行機の数をひた隠しに隠しておつた。両方とも一万機ぐらいずつ持つてつた。私の同期生であります航空隊の作戦主任をやつてつた男が、これだけあつたら、貴様、立派に決戦できた、冗談いうな、もういいと、こう言つたのでありますが、それが実態なんであります。併しこれは私が日本だけの現象ではありませんので、私、終戦後、戦争裁判の弁護団の事務局長をいたしておりましたが、私の相棒であるアメリカ人のハリス海軍中佐は、弁護人が盛んに言つている、陸軍側の弁護人は海軍の悪口を言い海軍の弁護人は陸軍の悪口を言うというので、大越さん、ひどいですな、あなたのところの陸海軍は、ええ、ひどかつたですという話をする。だけれども俺のほうもひどいのだぞと言うのです。敗けず劣らずなんだ。まあ勝つたからいいようなものの、敗けた日には査問委員会や何か……、俺は職業軍人でないからやめてしまうからいいのだけれどもね。こういうのがハリスさんの話なんですよ。つまり、正体を明けてみれば、どこの国だつてそうなんです。丁度東京の本社で、北海道の工場に、工場長で統一させることなく、資材課長、生産課長、労務課長をおいて協力しろ。そんなべら棒なことができるものじやありません。ましていわんや、戦陣のことたる、命がけのことであります。人に協力しろ、すると、事は死ぬということであります。それは人間的にも部下を殺すということは辛いことであります。又それと同時に、一たび他の犠牲となるにせよ、そうでなかつたにせよ、自分の軍の戦力を失いましたならば、あと続けざまに如何に惨めな目に会わされるか。それは銭のなくなつた実業家はうまいことを言つて銀行から金を引張り出す手もありましようが、兵力のなくなつ司令官ほど惨めなものはございません。ですから、協力しろといわれても、果してこの人は自分に報いてくれるのだろうか。食い逃げされるのじやなかろうか。そうてして一遍でも食い逃げされれば、あん畜生という気持に……、こういうところでこういう野人振りを発揮して申訳ありませんが、情を移すためにやるのですが、あん畜生という気持になるのです。そういう辛い惨めなことが逐次に積み重なつて、怨恨となり、憎悪となり、恐るべき修羅場が現出される。これがさつき日米両軍について言つたような形をとつて出て来るわけであります。ですから、私、或る戦場で一つの師団の参謀長をいたした経験がございますが、実際それは立派な連隊長方でさえ、同じ師団の中の連隊長方でさえ、左右の手のように協力さすということは並々ならぬ苦心を要するのであります。ですから、例えていうならば、北海道だの九州だのにある陸海空の三種類の部隊をうまく協力さすということは、丁度二階から長い著を使つて地面にある豆を拾うみたいなものだというふうに私は思います。私がその申しますのは、これから先の陸、海、空の三種の部隊というものは、昔のように、陸軍は満州、海軍は太平洋というようなわけ合いのものではなくて、二本の箸で豆をつかむ以上に密接な協力関係に立たなければならない。早い話が、敵機の来襲を教えてくれるレーターを載せた潜水艦は海のものでありましよう。ところがそれを受取るところの無線誘導隊は陸であります。又、同じくその警報を聞いて飛び立つて遜撃をしますのは空のものである。仮に不幸にしてよその国が日本の国に上陸作戦を企むというときには、この海上、空中、又地上の部隊が本当に五本の指のようになつて戦いをしなくちやならないという関係のときに、果してうまくできるか。そんな部隊に協力したつて金鶏勲章にならないよというような、昔、そんな兵隊があつたのですよ、何ぼでも……。よく伝説になつておるのですが、天皇陛下万歳と言つて死んだ死んだと言う。皆こう言う。必ずしもそうじやないんですよ。まさかスターリン万歳と言う者は余り聞かなかつたのですが、例えば海軍の特攻隊の青年と、この間一緒に数カ月仕事をしておりましたが、そんな天皇陛下万歳というようなことは言わない。誰だ。山本五十六。自分を保護してくれる人、頼りになる人、それしか頼らない。兵隊はまずいものを頼ると殺されますからね。やはり死ぬのは、いやなんです。そこで私は、この三つの軍を一本化するということは絶対的な要請だ。マツカーサー軍でも、ミニツツ軍でも、全部一本化しております。併し勲章くれるところは別々になつておりました。さつき言つたようににチヤンチヤンバラバラを、ハリス氏の表現を借りるならば、日本軍に対する以上に熱情をこめてやられたそうであります。アラスカでやつておりますのが、現在どれがどうだか忘れてしまいましたが、とにかく参謀部なんか混成になつております。軍隊の協力というものは死ぬことを前提としての協力であります。従いまして、その協力関係をうまくやるには、一時的な臨時的な措置でた黙目なんだ。未来永劫、夫婦と同様に離れられないのだという関係に押込めてしまつて、ふだんから脱けて参る必要がある。これは生きた人間である以上どうしても仕方のないことであります。  米軍との協力関係上、三軍を分離しておいたほうがよろしいという議論がありますが、それは日本をよく守れての話であります。負けてしまうようなことをやつて何ぼ向うにサーヴイスしても、サーヴイスはサーヴイスにならんと私は確信いたします。それから、この問題は相当荷の重い話でありますから、本会期中に仮に解決できないといたしましても、三自衛隊一本化委員会というような委員会を国会においてはお作りになられまして、そうして、政財界は勿論、それぞれその方面の専門家を入れてエネルギツシユにこの問題の解決を図るべきであると私は確信いたします。  最後に申上げたいと思いますのは、随分あさましい話をたくさん申上げたように思いますが、この法案を読んで感じまするのには、この法案には高い精神的な匂いというものは一つも私は感じませんでした。さつきの岡村公述人も申しておりましたが、命をもらう法案なんです。軍というのは、一番人間の嫌がること、命を差出すことをやるのでありますから、すでに言いましたように、自分を守つてくれるものに頼る。そこにややもすれば私兵化する傾向、上下闘争を捲き起す傾向、左右の闘争を捲き起す傾向を持つているのであります。自然的には……。従つて自己犠牲を敢えてするも厭わずという高い指導精神、目標というものが打立てられずしては仕事にならん。従いまして、この問題について、国防内局、又、本法案にすでに現われておりまする国防会議、そういうものが任務を持たなければならんことは当然であります。私はさつき聖徳太子出現前夜にあるというようなことを申しましたが、少くとも、そういうことを頭に描きつつ、日本の国の中に共存共栄の秩序を作り、アジアの共存共栄の秩序を確立する。そうして、そういう世界秩序を作るのだという気持が中心とならなければならないと思いますし、皆さまにお願いいたしたいと思いますのは、そういうものを打立てるよう、若しくは打立て得るようにこの法案を直して頂くのでなければ、全く物理的に、昔、言つた一銭五厘思想であるというほかはないと思います。そういう軍隊が何ぼでも叛変いたします。どうか今申しました三つの欠点、軍事独裁を出現せしむる可能性あり、戦争挑発をさせる危険性あり、敗戦を導く危険性がある、こういう法令を、このまま呑むなんということは、とんでもないことでありまして、どうか直して頂きたい。これを訴えたいために私は今日ここに罷り出たのであります。  以上で終ります。失礼しました。
  88. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 大越さんにお伺いいたします。大越さんは賛成論者として公述人に選ばれておいで願つたわけでございますが、そういう前提の下にこの法案の欠点を三点挙げられて、そうしてこれを修正して本法律案を通してほしい、こういう立場から所論を進められたように私は拝聴したわけですが、私は先ほどあなたの発言を承わつてつて、戦時中の事柄が今新たに甦つて、実に重々しい気持になつているわけですが、あなたとしては、やはり再軍備というものはどうしても必要だ、こういうようにお考えになつていらつしやるのかどうか。この一点ですね。そして仮にあなたが今描かれておるところの軍備というものが、曾つて日本軍隊と違つたような形のものを描かれておるのかどうか。又現在の吉田内閣の手によつて行われている自衛力の漸増方式で、果して昔あつた日本軍隊と違つたようなものが得られるのかどうか。そういう点どういうようにお考えになつておるかということを一つと、それから第二点として承わりたい点は、ともかく敗戦によつてお互いは新憲法というものを生きる一筋の道として戴いて参つたわけですが、今まで押しつめられている自衛力の漸増方式、更に具体的にここに提案されました二法律案というものと憲法との関連如何ようにお考えになつていらつしやるか。それから最後に伺いたい点は、先ほど元陸軍大学教授であられました岡村公述人からの公述も承わつたわけですが、同じ軍人畑におられました大越公述人としては、現在の保安隊警備隊、更にこれから生まれるであろう自衛隊が、武器を殆んどアメリカから借りて、更に御承知のように、六百五十人からの軍事顧問団の指導を受けるし、更に、日米行政協定では事件が起つた場合には共同作戦をやるとなつておるし、その場合の指揮権者はアメリカ側か、日本側かということも明確になつていないのが、これから生れるであろう自衛隊性格になつているわけですね。これで果してあなたが描かれているであろう自主性ある日本軍隊というものが得られるのかどうか。そういう点どういうふうにお考えになつていらつしやるか。以上三点についてお伺いいたします。
  89. 大越兼二

    公述人(大越兼二君) 要約しますと、再軍備を必要だと思うかということ、それから前の軍の性格と同じか又違うか、又その性格はどうか、こういうことですね。それから四番目には憲法との関係、それから早くいえば傭兵軍じやないか、こういうことですね……。  では申上げます。  再軍備は、一般的に、私は、今から二十年前ぐらいでありますか、もう少し前でありましたか、ソ連におりました。二年半ばかりあちらに駐在いたしました。そのときに痛切に感じましたのは、これはえらいことだ、要するにマルクス・レーニン主義というものを彼ら以上に学びとつて行かなければ日本はだめだという結論でありました。で又、非常に立派なボリシエヴイキにも会いまして、非常にいい話を教えてもらつたりしましたので、爾後勉強を続けて参つたわけであります。従いまして、私は社会科学的にものを考えるくせが付いております。そのほうがいいと思いますので、そういう言葉一つ申上げさして頂きたいと思います。憲法というものが尊敬に値するとか遵守されねばならんというのは、一つの民族なり国家を形作つておるものどもに、共存共栄の秩序を作る力を与え、又、諸外国との間に共存共栄の秩序を作つて行く力を与えてくれるというだけの、そういうときだけでありまして、それに有害なりとわかつたならばこれを破棄せねばならん。マルクスだのレーニンだのスターリンだのという人は、それを現にやつている。又、リンカーンとかクロムウエルという人たちはやつて来ておるような関係にあるんだと私は思います。そこで、現憲法と称するものが国内にそういうよき秩序を作る値打ちのないものだということは、すでに今日の現実が立派に立証し終つていると私は思います。国際的にそれじやどうだ、これも私はだめである、落第である、こう考えるのであります。そのわけは、少し長くなりますから、若しも御質問があればお答えいたしますが、話を飛ばします。そういうふうに考えますと、そこで、そういうときには、法規の拡張解釈だとか、スターリンだとかレーニンだとかいうのは無視して、ばんとやつてしまう、こういう現象がいわば民族の生理的現象として現われてしまうのであつて、今は正にそういう時期に到達しているんだろう、しているんだ、こう私は見るのであります。そこで、政府側がひゆうひゆういつて苦しむのは無理もない。ところが一方、盛んに仏像を難波の堀江に投げ込んでおります。又、左派社会党のかたなんかは恐らくそれを心配いたしておりますが、御無理もないことでありまして、衷心御同情は申上げますが、私はそういう段階にもう来ちやつたと思うのであります。だから、憲法が民族生活のために悪い、早く言えばこういうのが私の考え方であります。それが第一点。  前の軍隊と同じであるかどうかということは、これはあり得ません。全然違うと思います。服を着たとか、靴をはいたとか、或いは幕僚がいるとか、いないとかということについては同じでありますが、性格は全く一変したものになる。例えば共存共栄の理想秩序を作りたい、それを護りたいということについては、前と本質を同じくしなければならないと思います。そのほかの条件については、国民の軍隊であり、なかんずく働く人々の利益を擁護する軍隊でなければならんということは、明々白々たる事実である、こう思います。もう一つ、戦略戦術という面から言いますれば、レーニン主義者の現在とつております戦術を凌駕する平戦両脇を一本にする大戦略ということが打ち立てられなければだめだ、こういうふうに考えております。これで、この二番目のお答えは大体済んだのであります。  第三番目に、こういう内閣の下で作ることはどうかということでありますが、早く言えば、まだ家風が固まらないから、結婚式がすまんうちに赤ちやんが生れては困る。ちよつとまずいことはまずいと私も思います。併し理論としてはそうであつても、現実問題としてはそれに働きかけて、社会もよくし、軍隊もよくするということにやつて行くよりほかない。これが我々に与えられた現実である。この現実の荒野を耕して理想の実を結ぼうではないかと、私はこう考えるのであります。なかなか困難なことでありますが、併し今日ここに現われましてこういうことをおしやべりをするのも、それを私はやりたいからであります。ほかに他意はありません。  それから、傭兵隊ではないか――私は、今日の状態を以て傭兵隊ならずということは、これは堅白異同の論というやつでありまして、話にも何にもならん。これは苦しいから言つておるので、みんなの胸にはちやんとわかつておることと思うのでありますが、この言葉は大変まずいのですが、私は前こういうことを言つてつた。それと今の現状と多小似通つたところがあると思います。我々の隊長とか何とかというものは暗君がおるけれども、この暗君をうまいこと明君にしてしまうというために自分たちのような偉い人がいるというので、腹を立てる後輩の参謀連中をなだめたり、すかしたりしたのであります。私はこんな気持を今日においても極めて逞しく持つ必要がある、又現にジユネーブの会議なり、インドシナなりの状況を見ますとつくづく感ずることは、マルクス・レーニン主義の経験を完全に学び取らない者は哀れなるかな、こう思うのです。なんぼ銭を持つていて、どんな立派な武器を持つていても負けてしまう。二十数年前のボルシエヴイキは、ブルジヨアどもが科学的世界観を画けないとすれば資本主義没落の徴候であるということをコミンテルンの綱領に書きました。今、ジユネーブにおけるあのみじめな資本主義陣営の敗北というのは、襟を正して、今の言わば他から発せられた警告でもあり。お前さんたちといえども、科学的世界観を奉じて、自分の世界を立派にして行くならば没落しないのだからということなのでありますから、学ばなければならんことは大いに学ばなければいかんと私は思いますね。それでこそ、あちらの世界と仲よくする機会も来ようものであると私は信じますので、少し話が脱線いたしましたが、むしろ今の関係は、支配従属の関係にさも似たりというか、人によつては、そうであると断定いたすでありましようが、いろいろに言い得るにしても、だから、ぶち切るという結論になるのではなくて、己れを高めることによつて、よくこれはリードする力を持ちたい。又、持たなければならんし、又持ち得ると私は考えるのであります。  以上四点お答えいたします。
  90. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 ほかのかたが質問があるでしようから、もう一回だけお伺いいたしますが、いろいろ承わりましたが、要するに、あなたの御見解は、日本憲法は無価値になつておるから、現実的にこれを或る程度無視しての、現在の自衛力の漸増なり、現に出ておる防衛法案というものは、是認せざるを得ない。こういうことに尽きるように私は拝聴するのでございますが、そういう御見解でございますか。
  91. 大越兼二

    公述人(大越兼二君) そういうことになりますね。無視と言いますか、拡張解釈と言いますか……。
  92. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 議論になるといけませんので、もう一言伺いますが、そもそも国家の基本法である憲法との関連を十分究明することなく、或いはほほかむりと言いますか、強引に国の基本法である憲法を若干でも無視してやるということは、法治国として、国民の遵法精神等に及ぼす影響等を考えるときに、私は由々しい問題じやないかと思いますが、そういう点はどうお考えになりますか。
  93. 大越兼二

    公述人(大越兼二君) 由々しいと思います。
  94. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 それでは反対なさいませんか。
  95. 大越兼二

    公述人(大越兼二君) 由々しいということと、由々しいけれどもやらなければならんということがあると思うのですよ。例えば革命をやるというようなことは……私は革命をやろうとは思つておりませんけれども、(笑声)それじや、やるんだと掴まえられては、かないませんから……。自分としては思つちやいませんけれども、実に由々しいことであるが、真にやらざるを得ない現実というものがあるのですね。
  96. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 それは丁度五・一五事件、或は二・二六事件の背景をなした考え方と、相通ずるものがございませんか。
  97. 大越兼二

    公述人(大越兼二君) そういうようなたちのものでは全然ございません。
  98. 小酒井義男

    委員長小酒井義男君) ほかに御質問ないようでしたら、次の公述人に移りたいと思いますが、よろしゆうございますか。  それでは次に武蔵大学教授芹澤彪衞公述人所見を承りたいと思います。
  99. 大越兼二

    公述人(大越兼二君) 一言だけ……。
  100. 小酒井義男

    委員長小酒井義男君) どうぞ。
  101. 大越兼二

    公述人(大越兼二君) 今、五・一五とか二・二六ということを言われましたが、私はああいう暴力沙汰は絶対嫌いでありまして、二・二六のときにも一番先に武力弾圧を主張いたしました。参謀本部にも自分で戦車を持つて行つて突入いたしましたような人間であります。私が申しますのは、政治的民主主義の枠の中で立派に平和が維持できる合理的な社会組織を考えて下さるなら……できるに違いないと思う。私はできると確信しております。そういう意味でありますから……   ―――――――――――――
  102. 小酒井義男

    委員長小酒井義男君) 芹澤公述人にお願いします。
  103. 芹澤彪衞

    公述人(芹澤彪衞君) 武蔵大学の芹沢彪衞と申します。いろいろ資料を読み上げるので、誠に恐縮でございますが、座つたまま公述さして頂きます。  私のほうは大体、学校でも経済のほうの政策学を担当しております。今回提案されております二つの法案法律上の問題或いはいわゆる軍事専門的な問題にはお答えいたすほどの力を持つておりません。むしろその背後にある経済問題について私の考えました限りのことを簡単に御報告さして頂きたいと思います。  先に結論を申上げますならば、大体現在の日本の経済の実情から見て、これも条件でございますが、大きな規模の軍備がなされれば、日本の経済は非常な危機に入るのではないだろうかと、こういう感じがいたします。私どものほうの学問では法律の解釈のようにばちつと割切れませんので、感じがいたしますという程度でお許し願いたい。従いまして仮定と、それの仮定の上に立つわけでございますから、当然経済上の問題が今回の法案にどういう関係があるかということを少し考えてみたいと存じまして、頂きました資料その他、新聞その他で再軍備論と、それからその反対論でございますが、どういう種類があるかをいろいろ見てみますると、どうもこれは学問的に分けるというわけにも行かない。と申しますのは、一般の政治的論議というものは非常に言葉が物を言うものですから、まあ非常に非科学的な分け方でございますが、通俗的に申しますと、いろいろの議論があるようであります。  再軍備の論拠のほうを見ますと、一番多く言われておるのは、独立国であるから軍備がなくてはならないという議論がございます。これは私よくわかりませんが、独立国であるから軍備がなくちやいかんということは、実は考えてみたら私もついひつかかつたのですが、一般の世論なり、或いは議会で論議されておるのは、独立国に軍備が要るか要らないかということが議論されておると思います。独立国に軍備が要るか要らないかということが議論されておるときに、独立国は軍備がなくちやならないというて出発したのじや、これは結論が出発点になつておりますので、これは理論的に論理学と申しますか、非常におかしいことではないだろうかと思います。これは衆議院の賛成討論などにも出て参りました。その他にもありますが、これは恐らく言葉の綾だろうかと思います。それでそれ以上よく掘下げて考えますると、どういうことかというと、私の感じからいたしますと、一つは大体今までそうだつた、世界中どこを見ても独立国は軍備があつたから、日本も独立国なら軍備が必要だ。これが一応出発点になるのじやないかと思います。少しこれは脱線するかも知れませんが、例えばマックス・ウエーバーなんかの、つまり政治的な正当性、何が正しいかといういわゆるエヴイヒ・ゲストリゲ、永遠に昨日のもの、今まであつたものはこれからも正しいという考え方、人間の心を非常によく支配する、恐らくそういう考え方が、これは社会学と申しますか、或いは倫理学で問題になるかと思います。これが一つであります。もう一つは衆議院の辻さんが発言された中に、動物でも植物でも、つまり生きるためには守らなければならないのじやないか、即ち守ることは生きる手段である、だから国も生きるためには守らなければならん、こういう一つ議論があつたと思います。私はこれについて一々専門外でございますから結論は御遠慮申上げます。皆様方がお考え頂きたいと思います。  それから第二の議論としましては、これはこの分け方に入るかどうかわかりませんが、大戦不可避論とでも申しますか、第三次大戦は避けられないということが論理のいつも出発点になつておるようでございます。これも一つの問題だろうと思います。  それからその次には侵略防衛論と申しますか、外国から侵略をされる。この議論が非常に一般にも議論され、議会内でも議論されておるようでございます。これは恐らくはもう暗々裡のうちに中ソの侵略という立場じやないかと思います。衆議院の賛成討論の中にもはつきりおつしやつたかたもあるように読まして頂きました。  それからその次は、玩具軍隊必要論とでも言いますか、衆議院の中でしきりと玩具の軍隊ということが出て来ました。これも恐らくは一の独立再軍備論と結び付き、或いは侵略防衛と結び付いて補助的な論理でむしろ消極的な意味かと思います。  それからもう一つよく出て参りますのは、小国との紛争防止に役立つ、これは具体的に申しますと、つままり韓国との紛争で日本軍備がないから、日本軍備が必要だという議論の論拠になつております。これは念のため申上げますが、私は別にこれに積極的反論を挙げるわけじやありませんが、大体主流は侵略国に対して日本防衛するという論議から再軍備論が出ておるように存じます。そうしまして、論議の都合上今度は韓国が出て来るようでありますが、一体その場合にその再軍備は韓国から侵略されるための再軍備であるか、或いは中ソから侵略される再軍備であるということは、これは十分国会において御検討頂きたい点だと思います。  それからその次に、これも滑稽ですが、止むを得ないから再軍備をするというような分類ができると思います。これは一は既成の事実、すでに例えば予備隊であるとか保安隊というものは実質上軍隊ではないか。だからこれはもう育てるよりしようがないという考え方。それからもう一つはアメリカから要求されて、どつちにしてもアメリカに反対できないじやないか。長いものには巻かれろと申しますか、そういう意味で止むを得ない、この没法子の考え方に二通りあるように感ぜられました。  それからその次には失業対策論、これは別に積極的に再軍備論を主張されるかたの表向きの議論ではないと存じますが、これも衆議院の反対討論の田中さんの中に、失業対策、恐らくは再軍備については、この不景気のときに、そういう保安隊、或いは更にこれが大きくなつて相当予算で人員が、そこで何と言いますか、使われるならば、失業対策になるのじやないかという、これはかなり根強く一般の大衆に影響する問題かと思います。  それから最後に、産業救済と申しますか、日本の経済を立てて行くには再軍備が必要である。もつとこれを細かく絞つて参りますれば、特に兵器工場或いは兵器関係するいわゆるパワー・ポテンシヤル、潜在的な兵力に亘る産業、特に重工業を維持するためには再軍備が必要です。これはこういうふうに分けられるのじやないかと思います。私は素人でございますから、そのうちの主に最後の経済問題はどうであろうかというところに問題を絞らして頂きたいと思います。  そこでこれは私自身が実は申上げるのはもう――ここにお偉い方々のお書きになつたものを持つてつておりますが、それを一々引用さして頂きますが、例えば有澤辰巳――東大の経済部の講義をやつていらつしやる――という先生が、今年の四月「世界」にお書きになつている、これに前説があります。恐らくはこれは進歩的な要素から、前にお書きになつた論文がだらしがないじやないかということに対する弁明だと思いますが、経済の論理という言葉使つておられます。経済の論理というものは、あれがいいとか、これが悪いとか議論する、その基礎に、つまり経済というものが、或る意味じや自然法則に近いものがございまして、どうしてもそうなるよりしかないというものがありはしないか、それを拘束して来たらこうなるのじやないか。経済学というものはその線を押して行くのが本来だから、やはり経済の論理を追究しているのだ。その結果がどうなるかということは、それぞれの位置にある方々に考究と申しますか、それぞれにおいて考えて、その判断の上に行動をきめてもらいたいという立場かと存じます。私も大体同じような考え方をとつております。  そこで非常に面白い例を捉えておりますが、それは日本の現在の事情というものが、普通には二つの問題が与えられている。その一つはつまり「せねばならない」ものが二つある。それは一つは「再軍備をせねばならない」、それからもう一つは「日本の経済を健全化せねばならない」、この二つの「せねばならない」がどうなるかというのが、いわば日本の経済にとつて一番重大な問題である。  ところがこれをよく考えてみると、今の段階はもう一歩先へ進んでいるじやないか。少くとも去年の夏以来でございますか、つまりMSAの問題が出て来る。戦後になつて日本経済の問題としましては、その二つが並んでせねばならないではないので、相互に結び付きが出て来たのだろう、つまり再軍備のためには経済を健全化せねばならない、経済を健全化せねばならないというのは、去年の秋からのいわゆる金融引締め、或いは膨脹財政、放漫財政を締めて、まあデフレ政策と申しますか、少くとも今のようなインフレ的な政策をとめなければならない、とめなければ日本の経済は破壊する、こういう考え方、それで再軍備のために日本の経済を健全化せねばならない。或いは噂によりますと、噂によりますというのは、私ども直接存じませんが、新聞記事その他で読むわけでございますが、アメリカ側から、再軍備の援助をするには、日本の経済を健全化しなければ援助ができない、こう言われておる。従つてアメリカの要求に従つて、急激に日本のいわゆる一兆円予算というものが、思いもよらないときに出たというのが通説のようでございます。嘘か本当か私は存じませんが、経済学としてはそれは予想できる。別にアメリカから要求されなくても、私どもの言葉で、言葉でというのは少し悪いのですが、資本主義と申しますが、日本の現在の社会は資本主義だと私どもは考えておりますが、資本主義の社会では通貨を安定しなければ経済は保つて行かない。通貨を安定させるためには当然に財政を締めなければならない。今のような状態を抑えなければならない。これがデフレであるか、或いは横這いであるか、デイス・インフレと申しますが、であるか私は存じませんが、いずれにしても、アメリカから要請しなくても、日本の現在の社会制度を保持される方々は、それを努力しなければならないものかと思います。ですからいずれにしても差支えないわけで、再軍備ということが行われる条件としては、健全化が必要であるという命題が当然考えられる。ところが今年になつて考えてみると、今やその余裕もないんだ。つまり現在は健全化せねばならないために再軍備せねばならないという引つくり返つた形になつて来た。つまり日本は非常に窮地に入つて来た。経済的に窮地に入つて来て、これを生かして行くためには何か。つまりむずかしく申しますと、購買力、日本の資本主義に対する一定の購買力が附加えられなければ輸出は駄目であるし、何かそうしなければ駄目だ。これは御承知のように特需がだんだんと減つて参りまして、全体として日本の外貨手取りもない。外貨手取りがないということは、同時に日本の原材料の輸入、或いは食糧の輸入が困難になり、八千万の生活にすぐ響くという、非常に切羽詰つた問題になつて来たわけでございまして、それが特需のなくなつた今日において、これをどうするかということになれば、何かそこに方法はないか。そこでその唯一の方法として再軍備考えられたんじやないか。つまり健全化せねばならないために再軍備をせねばならない。で、この場合にこれは不可避的にアメリカの援助というものが出て参ります。このMSAによる援助、これを有澤先生はかなり皮肉な表現を使つております。私が申すのでありませんが、再軍備落下傘論、いよいよ日本の経済が切羽詰つて飛行機から飛び下りなければならないが、落下傘を持たなければそのまま墜落死する。それで落下傘を持つて飛び下りなければならない。つまりMSAはその落下傘に当る。ですから通俗に申せば、この落下傘を持つて飛び下りるのに、落下傘が果して開くか開かないか、或いはその落下傘が人命を、つまり飛び下りた人の生命を、日本経済を保たせるだけの大きさを持つておるかおらないかということが経済上の大きな問題になると思います。  これが現実の問題でございますが、当面、去年から今年の問題になつておるのは、二十七年度は外国貿易でともかくも一億ドル足らず受取り超過になつておる。これはかなり厖大な特需があつた上で、僅かに一億ドル足らずの受取り超過になつておりますが、二十八年度になりますと、結局相当な特需もありながら、なお三億一千三百万ドルの赤字に外貨がなつております。でありますから、当然二十七年度末、つまり二十八年、昨年の三月末の手持ち外貨が十億六千万ドルある。それが今日では計算上七億四千七百万ドルしかないということになります。而も御承知のようにその中にはインドネシアに対する輸出の焦げ付きが約一億二千万ドルある。これは引かなければならない。それから韓国に対して三千万ドル、これは話合いがつけば戻つて来るかも知れないという、新聞紙面ではまだ未確定らしゆうございます。併し一応危険なものを帳面から落すとすれば、残つたものは六億ドル足らずになつておるんじやないか。一体今後の日本の貿易をどうしてやつて行くか。八千万の生活をどつから押して行くかという問題が当面の問題になつております。今年の外貨予算では大体一億ドルくらいの赤字は止むを得ないだろう。そのうちに何とか日本の貿易も立ち直るだろうというので、外貨予算か上期だけには立てられておるようであります。細かい数字をここに持つて参りませんでしたが、大体は大きいところで御了承願いたい。  でありますから、当面の問題としては外貨貿易のバランス、つまり外貨貿易が中心になつておりますが、外貨収支のバランスを何とか安定させなければ、日本の国が潰れるという立場になつておる。でありますから当然これに対してインフレの結果、或いは物価騰貴の結果、つまり日本の商品がコスト高になり、そのためにジリ貧状態になつて、いつか破産をしなければならん。近い将来に破産をしなければならないという条件になつておるならば、これを食いとめる根本の対策というものは何かということが問題になるわけでございます。これは実は昭和二十四年にドツジさんが日本に見えまして、日本のインフレを食いとめたときに、食いとめると同時に、日本は産業合理化をして、そうしてコストを切下げなければならない。外国から見て非常に遅れておるから、これを政治家も主張し、財界の有力者或いは金融界の方々も主張されたのでありますが、残念ながら、これは一向できなかつた。そうして現在まで来たとすれば、やはりもう最後の何と申しますか、危機に対する応急の手段、注射薬みたいなものですね。これはデフレ政策よりほかにないのじやないかということで、恐らく一兆円予算がとられたんだと思います。これはデフレ政策であるかないか。細かい問題その他それに触れると大変時間をとりますからこれは省略いたします。これを押切らなければならない。一応資本主義を守るとすれば押切らなければならない。これは有澤先生もうラジオでも大分強調されておりますが、資産の再評価を強制するということ、日本では戦後インフレの結果、会社の資産勘定が殆んどゼロに近い。ゼロじやありませんが、非常に低くなつておる。従つてそのままの状態では、厖大な収益が上るという見せかけの状態で、償却が行われずして、どんどんそれが消費されておる。従つてこれを建直すためには資産の再評価をする、この二つの政策をとらなければ、日本の資本主義が建直らんじやないか。有澤先生は少くとも資本家の立場としてやるならば、この二つのことを押切らないようならば、日本制度は維持できないという考え方を持つておられるのです。  で、現実の今年の予算としてどう現われているのか、一つの問題でありますが、この今のデフレ政策自体が大まかに申しまして、大きな矛盾が出ておるというのは、さつき申上げました有澤先生の言われたような再軍備をしなければならない。それから経済を安定させなければならない。この二つの命題は当然財政に出て来るわけでありますが、予算内容として経済を安定させなければならないならば、予算を緊縮しなければならない。予算を緊縮しなければならないならば、あらゆる全体の支出を締めて行かなければならない。ところがこのことは再軍備をしなければならないということと当然に矛盾を生じて来るのでありますから、この矛盾を解決する方法として、これは大内先生が同じ「世界」の四月号に書いてございますが、この何という題でしたか、「軍備か社会保障か」という題で書いておられますが、二十八年度から二十九年度当初政府から出された予算では大体防衛費が約二百八十億ですか、三百億くらいの増加を示し、その埋合せとしまして社会保障関係相当節約されておつた。これは全体といたしますというと僅かでありますが、狭義の社会保障、つまり社会保険乃至は失業保険でありますが、これは三十六億円ぐらい減つた。これ以上減らしようがないからこれでとまつた。併し例えば住宅建築であるとか、育英資金から、その他の広い意味の社会保障と申しますか、これを合計しまして約百五十億ぐらい、そこで予算が切つてあります。そうしてどうにかバランス化されたのであります。ところが議会におきまして直されまして通過した予算というものは、これが再び復活しております。復活するだけでなしに、つまり或る程度殖えております。例えば広い意味の社会保障、但しこれは旧軍人恩給と文官恩給を除きまして計算いたしましたのですが、百五十億減らして今度逆に百八十四億ぐらい復活されておりますから、差引三十億円ぐらい殖えております。つまりこれは二つの要請、再軍備と健全化と両方を図る政策としての財政が遂に失敗に終つたということを、大内先生は言つておられるわけでありまして、こういう表現をされております。「資本主義の現段階においては、その必然の結果たる失業や貧困や疫病やを無視しては社会は存立し得ないのが事実であつて、この事実がある限り国家は社会保障制度によつて社会主義、共産主義その他暴力革命的な一切の運動を阻止しなければならぬのであり、社会保障制はこの意味で、軍隊に劣らぬ国家の必要事項なのである」、これは先ず論議を進める出発点にお書きになつておられます。私のほうではむしろ結論に頂きまして、そういう事態で財政上の措置として非常に難関にすでに立つておられるのじやないだろうかということでございます。  それからもつと一般論といたしまして、日本が今後再軍備をして行く場合に、日本の国民経済はどの程度これに堪え得るかということは絶えず議論されております。これは私結論から先に申上げますると、外国との比較においては、現在日本は数字的には非常に少い。でありますから、その数字から見る限りは、日本はまだ再軍備のための負担ができるんじやないかという結論も一応考えられると思います。この点についてどちらかと割切つた結論を出すことは私も自信を持つておりません。例えばこれは一九五一年でございますか、有澤さんの本に引用された数字でございます。五一年の数字ですが、アメリカは国防費が予算中の六六%を占め、社会保障費は九%、イギリスは国防費が三二%で社会保障費は一七%、スウェーデンはわりかた平和な国ですが、スウェーデンは国防費が二〇%で、それから社会保障費が二七%、社会保障費のほうが多いのでございます。ソ連はどうかというと、ソ連のほうは社会保障という数字がわかりませんので、私は当つてみましたが……。日本銀行の「銀行月報」の去年の十月の数字を見ますと、一九五三年につきましては、国防費が二〇・八%という数字になつております。それから国民経済費というのがありますが、これが三六・三%、社会文化費というのが或いは何に当りますものか、二四・五%、分類比が、比較ができませんが、国防費が二〇・八%、前年度が二三・九%で次第に低くなつております。これがそのままほかの国と比較できるかどうか、これは問題でございます。その数字の出し方が非常に違いますから、極くあらつぽいことになります。日本はどうかと申しますと、戦争の前、昭和九、十、十一年がいつも基準になりますが、経済安定本部、現在の経済審議庁の数字によりますと、大体この総財政支出に対する軍事費、当時は軍事費、この国防費でございますが、これは三年間にかなり変つておりまして、昭和九年には、予算の総支出に対する、一般会計支出に対する軍事費が四四・二%、それから昭和十年が四八・四%、十一年が急増しまして七一・六%、これは準戦時体制と申しますところに入つて来た段階かと思います。国民所得に対する割合は昭和九年が七・三%、わりかた少なうございます。それから十年が六・七%、十一年になりまして、予算全体が膨脹しまして、特に軍事費が殖えまして一九・三%、約二〇%で、それ以前の財政全体よりか殖えております。こういうような状態で、これと比較しますと、昭和二十五年、これはつまり終戦処理費等を加えたものでございますが、警察予備隊を入れまして、国民所得に対する割合は四・三%と、戦前よりか減つております。その後いわゆる防衛関係のもの全部を合計いたしましても、二十九年が二・九%、これは計算される方法によつて違うかと思いますが、大体この辺のところ、三%前後、それから財政支出に対しましては、二十五年はむしろ多くて二〇・七%で、二十九年度予算によりますると十六%くらいかと存じます。これは私が計算したから或いは誤算があるかも知れませんが、こういう事情で国際関係から、或いは戦前と較べましても、現在のいわゆる予備隊或いは保安隊等の予算を仮に軍事費と仮定したといたしましても、その経費はまだ少ない。だからこれから又一人当りの国防費の負担割合でも、まあ一ドル三百六十円くらいで計算しましても、日本の昭和二十七年の数字でありますと、アメリカはそれの、日本の四十三倍くらい、それからイギリスが十二倍くらい、フランスが十一倍くらい、西独が五倍くらい、イタリアが二・五倍くらいという数字が、金融財政事情研究会というところから出ております。それから見ると非常に日本は軽いじやないかという議論一つ出るかと思います。  ただ念のために申上げますが、これも有澤先生の本から引用したのですが、一九五一年と思いますが、大部古くなりますが、イギリスでありますと、月収三万五千円程度子供二人の家族では、所得税が無税になつております。これは所得が高いということが当然出て参ります。それ以上のかたが所得税を負担している。日本の計算では、ちよつと比較できませんが、大体その辺のところが、恐らくは、暗算でやりましたが、月八千円くらいの所得税がかかつているのじやないかと思います。年収二十万円、月一万六千六百円でございますと、月当り五百八十円の所得税がかかつております。つまり有澤先生も大体昭和二十七年くらいで見て、二十万円くらいのところに一番大きな税負担がかかつて来るのじやないかと思います。戦前との比較で、純消費、税金であるとか或いは貯蓄であるとか、全部差つ引いたものであります。戦前では平均一人当り百四十四円使つている。これを現在の物価指数、つまり物価が非常に上つておりますが、これで割り掛けて、デフレートすると申しますか、減らして、昭和二十六年百三円、そのあと計算したいと思いましたが、時間がございませんのでやつておりません。それよりか幾らか上つていると思います。或いは戦前の水準になるかも知れませんが、大体そのくらいのところになつておりますので、数字上になりますとどちらとも言えない、これは正直な感じでございます。  数字上はそうでございますが、今度は飜つて日本の実情を見ると、非常に違うので、私ども非常にその点が割切れない感じを持つております。と申しますのは、大体去年あたりから金融引締めが行われて、かなりシヨツクが激しく来ている。昨日も私の知合のまあ既成服の問屋なんかやつている神田のほうで働いている人が来て、どうにも困つた、このままやつているのでは、夏前には自分たちは、殆んど手形取引もしてないで、現金決済をやつてるんだから、全然売れなくなつた、それでこういう状態なら、秋まで自分たちも商売をやれるかやれないかわからん。新聞紙面の問題も申すまでもないような状態で、今のような数字上わりかたらくなように見える。ところが現実にはかなり今日本の生活が逼迫して来ているという感じであります。ですから、この責任か勢い金剛上今追及されているようでありますが、私の感じといたしましては、やはり経済審議庁あたりで言つておられますように、去年までは、昭和二十六年以来、特需というと、まあ大体八億ドル前後、八億ドルから九億ドルぐらいの貿易外の外貨受取の上に日本の経済構造ができ上つておりまして、その特需というものは、これは学問的に申しますと、一般の国際物価と無関係に発注される。そのために日本の物価が下ることが妨害されておる。それが急に襲つて来る段階、これが一番問題である。こういうところから、こういう議論が出て来ると思います。従いまして、今後の問題といたしましては、恐らくは特需に代るものとしての対策が講じられる。  大分私長くしやべり過ぎたので結論を急がせて頂きますが、このMSAがどうかという問題を詳細述べる時間がありませんし、私も内容を詳しくは存じませんが、ただ経済的に考えて、内容、その一つは、小麦その他アメリカの物資の供与、そのうちの一千万ドル、三十六億円、これが給与として日本で使える、この問題はどうなるかという問題は一つ。これは日本の一般の農業全体の将来にどういう問題を残すかという問題がありますが、これはかなり、つまり今までの計画外に輸入が要請されておるとしますと、日本の農業恐慌を来たしますと申しますか、それにもう一つ問題が出て来る。食料のダブつきが起つて来やせんかという問題が当然起つて参ります。それから域外買付が一億ドルぐらいプラスとして、軍需産業の問題でありますが、これがさつき最初に申しました日本の独立再軍備の形なら財政上の需要となり、日本の産業に直接注文が出る。この場合に、それがインフレーシヨンを起すかどうかの重大な問題がありますが、少くとも国内産業に対する購買力とはなり得る。併し、アメリカの古い武器を貸与された場合には日本のむしろ軍需産業が非常に危機に押込まれるのじやないかというのが現実の問題ではないかと思います。これは、あとでその方面の業界のかたが、郷古さんがおみえになつておりますから、そのほうで御説明があるかと思いますが、それで、結局結論を申しますと、どうもMSAの協定から来るのは、日本にアメリカのストック、これは農産物その他のストックの滯貨品、それから武器のストック、このストックを一つの協約によつて、その他の条件によりまして強制的に売りつけられる形をとられる、少くともこれがみえておる。これは一般的な言葉で言うと、いわば、丁度曾つて西原借款で日本が当時の支那に金を貸しまして、日本が日露戦争の武器を売り付けた。そして第一次戦争に参加さした。連合国に参加さしたのと非常に以た形でありまして、半植民地的な形をとつておる。これをどういうふうに日本側の政府が切替えられますかという問題が大きな問題ではないかと思います。従いまして、これは日本が独立再軍備をしたか否かという問題が一つありますが、これは節約いたしまして、そういう意味のMSAが、先刻申上げました最悪の場合の一つの落下傘として役に立つかどうかという問題がありますが、これはどうも落下傘として開かないとは申しませんが、非常に小さ過ぎやしないか。落つこちるところの落つこち方が甚だ衝撃が非常にひどいので、殊に日本側は経済上猛烈な危機に入るんじやないか。現実の問題として、有澤先生なんかは、先だつて或る会合で聞いたのですが、今年の秋あたりは今のデフレ政策が行き詰つて、為替レート切下げの止むなきに至るのではないか。そうしてそのあとに最後にインフレがやつて来はせんかという非常な悲観論であります。私は理屈じやなく、感じとして、それほどになつておりますから、そのほうで御逼迫していないと思いますけれども、遅かれ早かれそういう条件が来るので、その場合に、財政上の膨脹という圧迫が加われば、日本の通貨安定がより早く崩れて来る。その場合に、最終的なインフレ段階に入つて、これは如何なる政府といえどもこれを食止めることはできないじやないか。それからどうなるかということは、我々として皆目見当がつかないと申し上げるよりほか仕方がない。  現在の二法案とじかに関係はございませんが、そういう経済的なバツクを見通しておるということを一応お考えおき下さいまして、今後御審議を頂きますれば、私としてここで申上げさして頂いただけの何らかのお役に立つことと存じます。誠に舌足らずで申訳ありません。   ―――――――――――――
  104. 小酒井義男

    委員長小酒井義男君) それでは引続いて日本兵器工業会会長郷古公述人所見を承わります。
  105. 郷古潔

    公述人郷古潔君) 私は只今公述人といたしまして御紹介を受けました郷古潔でございます。  実は甚だ弁解かましいのでありますけれども、私は書類を頂戴しましてから甚だ時間がございませんでしたので、十分の検討をする時間がなかつた。ただ法案を通覧いたしましたのと、従来自分で考えておつた、又言つてつたことを合せて産業人としての立場からお話し申上げることが私にとつて適当ではないか、こう考えますので、若干そういうことにつきましてお話を申上げまして、私の責を塞ぎたいと思うのであります。  先ず自衛隊法案防衛庁法案、こういうものが国会に提案されておるのでありまするが、これは私どもの考えから申上げますると、今日日本が独立を回復いたしましてから、防衛体制、自衛体制というものを整えるのは当然であると考えておるのであります。先ほどちよつとお話がありましたが、独立国になつたから当然防備をしなければならん、そういうことを私は考えておるのではありません。独立国になつた以上、お互いに独立国になることの誇りを持つておりますので、どうしてもこの独立の実を完うしなければならんと、そういう意味から一通り軍備を持たなければならんということを申上げるのであります。その根拠といたしましては、恐らく皆さんも御異議がないでしよう。独立を全うするということについては御異議がないと思いますが、なぜ一体そう言うかと申しますと、この世界の各国の現状を見まして、無論軍備のないところもありまするけれども、いやしくも独立国として相当な地位を占めておる国は、常備軍であるか否かは別問題といたしまして、いずれも軍備を持つておるのが実情であるのであります。更に又歴史の上におきましても、いずれの国においてもやはり軍備を持つておるということが先ず普通だつたのであります。こういう歴史的のことから、或いは又現在の実情から考えまして、こういう現実に即しまして、私は独立の実を完うしようと思えば、どうしてもそういうふうな体制を整えなければならんということを信じておるのであります。この意味におきまして、これを具体化しますところの自衛隊法並案びに防衛庁というようなものを設置されますことは当然なこであると私は考えておるのであります。これは私の信念であります。  さて、この案を拝見いたしまして、この自衛隊防衛庁設置法は適当であるか否か、これにつきましては、私自身もいろいろ疑問を持つております。私どもも皆さんの御意見のあることは当然なことであると思いますが、ただこういう法案審議されるようになつたことの情勢につきましては、今申上げた通りであります。私の立場を先ず申上げます。  次に、先ほど申上げましたように、私は産業人としての立場から若干の意見を申上げたいと思うのであります。この四十二条というものがありますが、これはいわゆる国防会議であります。国防に関する重要事項を審議する機関として、内閣に国防会議を持つ、内閣総理大臣は、左の事項について国防会議に諮らなければならない。国防基本方針その他、ここの例にあるものでありますが、この点につきましては、国の国防の大綱その他の重大なることを審議いたすのでありますから、この国防会議の設置は極めて重要適切なものであると考えるのであります。而もこれにつきましてはただ単なる諮問機関ではないと思うのでありまするが、内閣総理大臣が左の事項については国防会議に踏らなければならない。諮らなければならないというのでありますから、同意を得なまればならんという意味ではありませんけれども、単なる諮問機関じやないほど重きをおいてあるということは、これは当然であると考えますので、この程度国防会議に対して期待をし、又は運用上これを重要視するということは極めて必要であると考えるのであります。先般来新聞なんかで見ますると、この国防会議の構成につきましては、何か内閣の内部の方々だけで構成するというようなことが伝えられてあつたので、これは果して事実であるかどうかわかりませんけれども、併しながらこれにつきましては十分に考えて頂かなきやならんと私は思うのであります。只今申上げましたように国防基本方針防衛計画の大綱、前号の計画に関連する産業等の調整計画の大綱、防衛出動の可否、その他内閣総理大臣が必要と認める国防に関する重要事項、なかんずくこのうちに第三条の前号の計画に関連する産業等の調整計画の大綱、これなどは果して内閣の内部の方々の構成でいいのであるかということにつきましては、非常な私は異議を唱えたいのであります。大体もと大戦、或いは過去の戦争におきましても、戦争というものはどうしても今日は総力戦、或いは総力の発揮ということを前提にしなければいかんのでありましてその意味におきましては昔の戦争は兵力戦、軍事戦であつたのでありますが、その後は国家が総力を挙げて戦争しなければならんというのは、先般の大戦において明らかに認められたところであります。従いまして今後の国防に対する体制、或いはこれに対する基本方針というものを決定しまするにつきましては、官庁の方々の意向だけじやなく、直接に民間の者の意見を聞くということは非常に大事なことであると思いますので、私はこの構成にもそういうことを考えに入れなければならんということを考えるのであります。これによりましてかかる重大な会議の成果を挙げることは必要であると考えておるのであります。  これが第一でございまするが、更にこの三十六条、これは少し逆になりますけれども、三十六条というのがありますが、三十六条「調達実施本部は、自衛隊任務遂行に必要な装備品等及び役務で長官の定めるものの調達を行う機関「ここに書いてあるこの調達実施本部、これは将来そうなるのでありますが、こういうものが新設されることになりましたのは、これは恐らくこれによりまして調達に関する従来ばらばらになつてつたものを一本化されるということの趣意であろうと思うのでありまして、これは運用のよろしきを得ますれば、その効果は十分挙げられることと思います。全くこれは一進歩と考えられるのであります。業界がしばしば発注の一元化、窓口の一本化というようなことを強く要望しておつたのでありますが、それがここに具体化した意味におきましては、一進歩と言つて差支えないと思うのであります。併しながらこの一元化は、単に調達の一元化にとどまるのでありますれば、ここにいろいろの問題があるのであります。なぜならば調達のよつて起るうしろには、ここにいろいろな問題が含んでいなければならん。即ち研究であるとか、実験であるとか、更に進んで、試作をやるとか、更に加うるに生産によるとか、こういつたような行政が、これは実際において一元的且つ系統的に行われることでなければいかんのであります。この三十六条に規定してあることの程度以上に、これは更に奥深く更に根本的な点で一元化を要請しなければならんのであります。この要請につきまして実は従来陸軍、海軍、空軍の間のセクシヨナリズムですか、お話ありましたが、そういうことに対して業界は、私などはその一人でありますが、非常な苦い経験を持つておるのでありますから、今の調達の一元化の背後にあります実験、研究、企画、試作、生産、この面におきまして十分これは連絡をとつて、この行政機構の一元化をして頂かなければならんと考えるのであります。この点におきまして果して具体的にどういうことになりますか、実はここでははつなりしておりませんので、これらをはつきりすることが、折角この窓口の一本化をやられる考えを完成するゆえんであると思いまして、これに対しては十分の研究を要請してやまないものであります。  更にこの十六条でありまするが、これもちよつと逆になつて恐縮でございますが、十六条「装備局においては、左の事務をつかさどる」「装備品等の調達、補給、維持及び管理並びに役務の調達の基本に関すること」「装備品等の規格の統一及び研究改善の基本に関すること」「技術研究所及び調達実施本部に関すること」、こういう問題につきましては、これ又只今申上げました調達と同じように、いろいろ研究、或いは調査その他の問題が非常に多いのでありまして、単に装備局においてこれらの事務をつかさどるというだけでは、産業関係者の間におきまして随分宙に迷うことがありはしないかということを考えさせられるのであります。これも先ほど申上げましたように、何とかこれは一元的に系統的に要請を確保するような十分な仕組になつているように考えなければいかんのであると思うのであります。現にこの前の、今度の防衛庁じやありませんが、従来の保安隊が発足しまして以来、今日までの極めて短い間でありますけれども、その間の実際に徴しましても、随分各それぞれの要求が出ておりまして、なかなか統一がつかなかつたというのが現状であつたのであります。で、差当つてこの運用の面を強化するように、特別の措置を講ずるということがこれは非常に必要であり、又これが民間の協力を得るゆえんであり、産業方面に対する指導、或いは便宜のためにも必要であると思うのであります。  こういうふうに考えまするのも、要するに産業方面の人間が協力をして、国の防衛力、或いは自衛力というようなもの強化するのに是非資したいという、これは民間の気持であるということを一つ御了承願いたいと思うのであります。  最後に、先ほど大越さんのお話があつたのであります。又皆さんも同様お考えになつておられたのでありまするが、過去の戦争におきまして、なかんずく先般の大戦におきまして敗北を喫したということのうちには、この陸海軍の協調ができなかつたということが著しく原因しておると考えるのであります。殊に又民間の生産力を活用するという面において、極めて遺憾な点がか多つたのは私生々しい事実として今日なお思い起すのであります。  ところが今回この防衛庁ができることにより、又前の保安庁でありましても同様でありましたが、やはり陸上幕僚長海上幕僚長航空幕僚長、こういうふうなものが対立するような嫌いがありはしないか、無論そこには幕僚長会議という横の組織がありまして、これによつて連絡をとるような組織にはなつておるのでありまするが、この組織は、必ずしもこれは強力なものでないように思いますので、今の幕僚長幕僚長がやはり相当権限を持ち、権力を持つて、ややもすれば分裂するような事態が起りはしないかということを考えるのであります。無論私もそれぞれ海上陸上いろいろな役目の種類がありますから、決してこれは分れるということはいかんとは申しませんけれども、従いまして例えば今の教育であるとか訓練であるとか、そういう方面におきましては、やはり違う役目を持ちます以上は、違う仕組にしておかなければいかんでありましよう。つまり教育訓練、そういつたような、どうしても別々にしなければならんようなものは、これはもうやむを得ないと思いまするけれども、共通にやり得るものにつきましては、飽くまでもこれは連絡協調を保たなければいかんと思うのであります。それからこれは又見ようによるのでありますけれども、昔は例えば陸軍には参謀本部兵器においては行政本部、或いは航空には航空本部、又海軍には海軍の本部があつて、そういうふうになつてつた。これは併しそれぞれが非常に大きかつたのであります。それが非常に大きくて、それ自身の内部も非常に複雑多岐に亘つておりますから、先ず第一にそれを統一するということが必要であつたのでありましようが、今度は全体としましても必ずしも大きな複雑性を持つておるわけではないのであります。これはやりようによつては過去の非常な苦い経験を考えて見て、只今申上げまするように、それぞれ特別なことをやらなければならん、教育訓練或いはその他設備などがありましよう。そういうふうな部門は別といたしまして、できるだけこれは協調を保つということに是非やつて頂かなければならん。今後も又過去の経験のように、この総力を発揮する上において、非常に損なことがあるということを痛感するの余り、私もしばしば機会あるごとに当局の方々には申上げておるのであります。これは又日本人にとかくセクシヨナリズムがありますので、必ずしも陸軍海軍ばかりではありません。いろいろな役所にそういうようなことがあります。甚だ失礼ですけれども、例を挙げますと、例えば保安庁と通産省のごとき、或いは通産省と大蔵省のごとき、いろいろな問題があるように考えまするが、我々は過去においてこのセクシヨナリズムの弊に堪えなかつたのでありますから、ここでは大いに大悟一番、是非将来に亘つてはこの協調連絡を十分にすることによつて、経済の関係におきましても、産業の関係におきましても、或いは政治の方面におきましても、無駄のないようにやつて頂くことが日本の総力を発揮し、或いは防衛力、生産力を発揮する上において非常な大事なことであるというようなことを考えるのであります。  甚だ簡単でありますけれども、私先ほど申上げたようなことで、十分の検討研究の余裕はなかつたのでありますが、平素考えておることと併せてこれを通覧しまして、一応のお話を申上げたのであります。甚だ申訳ございません。どうぞ御了承を願います。
  106. 石原幹市郎

    石原幹市郎君 私は郷古公述人と芹澤公述人お二人に伺いたいのでありますが、私も先ほど述べましたように、独立国たる以上は或る程度防衛力の漸増ということは当然考えて行かなければならんと思います。それに伴いまして防衛予算も或る程度増大して来るということもこれは止むを得んことと思うのであります。これを直ちに民生のほうを割いてこのほうへ向けるというふうに言われがちなんでありますが、社会保障制度予算をすぐにこれに振替えるとかどうかということであれば、一応そういうことも言い得るのでありますが、只今政府がやつておることは必ずしもそうではございません。それから又私はこういうことが考えられないかと思うのであります。この防衛力の漸増に伴いまして、結局防衛産業が或る程度育成されて行く。そこで産業の構造が若干変つて参りまするが、即ち今航空機工業であるとか、兵器産業、造船、或いはそれらに関連する産業、こういう方面に重点がだんだん移るということになりまするが、併しこれによりまして或る程度はやはり輸出面の増大も図られまするし、又先ほど芹澤さんもちよつと触れられたようでありまするが、失業問題というか、産業人の吸収ということも考えられる。殊に自衛隊員の増加によつてそういう問題も又起つて来るわけであります。MSAに関連して域外買付の問題も起る。こういうことを考え合せて行きますると、英国あたりでもよくいわれるのでありまするが、今英国で完全雇用を誇つておりまするが、この英国の完全雇用の本をなしておるものは、防衛体制の強化、つまり防衛産業によつてあの完全雇用が維持されておるのであります。これはもう労働党の諸君もはつきりそれを言つておるわけであります。勿論これは英国と日本とは、前提である国力の相違ということはございまするが、この防衛産業その他防衛関係のほうの増大によつて失業群の吸収、或いは日本の経済力の強化というようなことも図られて、必ずしもこれが防衛予算の増大、防衛費の増大が、即ちそれだけ民生を圧迫するものでないと、まあ私は考えるのでありまするが、これらに対して郷古さんに先ずお伺いたいと思います。
  107. 郷古潔

    公述人郷古潔君) お答え申上げます。先ほどもちよつとお話がありましたが、今度のMSA、これはMSAは御承知の通り建前としては武力援助であり、従いまして兵器、現物の供給が相当重きをなしておるであろうと、こう考えられます。併しながら只今米国の当局の話によりましても、今年度から明年度に亘るこの一年度の間に大体約一億ドルの発注をするというような予想を、先般来しばしば直接あちらの当事者から聞いたのであります。更に又私ども大きな狙いをしておりますことは、例の東亜の方面における域外発注でございます。これは皆様御承知の通り、たしか十億三千五百万円と言つておりましたが、最近において私これは確かな数字から推して申上げるわけでありませんけれども、たしか十六億くらいになつておると聞いておるのであります。これは無論一切のものを含んでおりますので、決して今の発注する金額だけではないのでありまするが、いろいろなものを含んでおる。アメリカから東亜に対する現物の供給もやはりそのうちの一部になつておるのであります。併しながらこのうちには相当日本の生産力に期待するものがあるのでありまして、言葉はやや変でありまするけれども、先般来スタツセンその他の人たちが来たときの話によりましても、東亜の兵器廠的の考えを持つておるのであります。でありまするから、そういうことにつきましては、その後になりまして東亜の情勢というものは更に緊迫を告げて参りましたので、一層その意味が深くなり、一層日本の工業力に期待するものが多いだろうと思つております。併しながらこの大きな調達の金額と申しましても、これは無条件に何も日本に発注するわけでも何でもないのであります。いわゆる毎度申されるように、コンマーシャル・ベースによつてやるのでありますが、日本の品物が高かかつたら、幾ら日本が現地に近いといつても、これはぼた餅をただ眺めているだけに過ぎないのであります。そこで一番大きな問題は、こういうものが目の先にぶら下つているのでございますから、これに食い付くためには、又食い付かせるためには十分な値段なり、品質なり或いは材料なり、その他の立派な条件を提供しなければいかん。その代りそういう条件を提供しますれば相当程度日本の産業を活用し得る要素ができると考えておるのであります。  まあそういうわけでございますから、その点につきましてこの国会における各政党政派、政治家の方々、その他はいわゆる正常生産或いは正常貿易というものを盛んにしなければいかんというような話は、如何にして一体物価を安くするか、如何にして品質を向上するか、そういう中身の議論に大いに考えて頂かなければならない点が非常に多いのであります。  しばしば私は空論を受けるのでありますが、私どもは実際家でありますから空論には耳を傾けません。その意味において今日御列席の方々の中にこういうふうにしたら今の場合最もよい解決策になるという御意見がありましたならば、私も喜んでその御意見を拝聴いたします。
  108. 石原幹市郎

    石原幹市郎君 芹澤公述人、今の問題についてどういうふうにお考になりますか。
  109. 芹澤彪衞

    公述人(芹澤彪衞君) 私どもは今郷古さんのおつしやいましたように直接事業その他に関係ないので、いわば第三者みたいな位置にありますから、多少空理空論になるかも知れませんが、大体やはり経済全体でも長期的な見通しが必要じやないかと思いますので、当面今郷古さんのおつしやいましたように一億ドルの発注、それから今まで現在続いております特需などがありますので一応は保つて行くのではないか。併しそれは一応再軍備可否とかという主義主張の問題を抜きにいたしまして、経済的に考えまして、一応はやつて行けるのではないかという問題はございます、ただそれにつきましては只今郷古さんのおつしやつた通りでありまして、私どもに言わせれば資本主義でございますが、資本主義でやつて行くためには当然国際競争においてコスト切下げを行わなければいけない。コスト切下げを行うにはもう実は手遅れだろう。もう少し早く合理化が行われるべきであつたにかかわらず合理化が行われなかつた。ですから先刻私自身の意見ではなしに、有澤先生の御意見を私紹介申上げました。私も同意見でありますが、現在やるとすればやはり通貨的な手続として相当激しい今デフレ政策をとらざるを得なくなつたのではないか。従いましてその条件で日本の経済の全体のバランスが取れるか取れんかという問題が切羽詰つておる問題だと思います。そのバランスを取るためには、今のMSAの援助というのが、私どもの感じといたしましては物資、つまり外貨での注文ならば、これは今までの円を埋合せる程度の注文ならば、一応国内のバランスが取れるわけでございますが、併しそれが今まで経済審議庁の役人も言つておられましたように、そのため、それは一般の国際競争でないために、高いコストでもかなり売れたという事情もあつたらしい。それが現在コスト切下げの妨害になつてつた。どなたがいいとか悪いとかいうことではなくて、日本の経済が非常に不利な条件であつたということが今残されておりますので、その問題は結局郷古さんのおつしやる通り、学問的な解釈は同じだと思いますが、それならばそのコストを切下げる方法ありやという問題であります。  これは二、三日前の金融財政という雑誌でもちよつと論説にも出ておりましたが、思い切つて、例えば金融界のほうなり財界の考え方としては、相当中小業者がつぶれるとかかなり破産ができても押切つてしまえと、これはそういう論理としては当然そういうことは起るのであります。ですから経済的にもその論理は押切らなければならんという条件があると思います。ただそれに対しては日本の社会が耐え切れるか耐え切れんかの問題で、これはどうだという見通しは、経済界の問題も入つて参りますので、私はそれ以上は申上げられません。郷古さんが何らかの解決策を教えてくれるべきであるとおつしやいましたが、それはむしろ財界で一番お詳しい郷古さんのほうにお聞きになつたほうがはつきりするのではないかと私は思つております。
  110. 石原幹市郎

    石原幹市郎君 それでは時間がありませんので次の問題に移りますが、郷古さんにもう一点伺つておきたいと思います。  これから航空機工業或いは兵器工業、こういうものが一応伸びて行くのではないかと思うのでありますが、殊に只今通産省で航空機製造法の一部改正案が出ておりますが、防衛法案関連しまして、先ほどもちよつとお話のありました技術研究所とかいろいろなものが、こちらのほうにもある、調達実施本部が設けられてやられるということになりまするが、航空機工業或いは兵器産業の指導育成ということは、これは建前として通産省ということになつておりまするが、これは非常に細かく、いろいろの許可事業であるばかりでなく、製造から修理、その他一切の方法が通産大臣の認可を得てやるとかいろいろ細かいことが規定されているようでありますが、今後この防衛法の実施に伴いまして通産省と防衛庁との間の問題が私非常に心配されるのであります。果してその通産省の指導だけで行つたものが防衛庁のいろいろの何でいいかどうかということの幾多の疑問を持つのであります。そういう点についてはどういうお考えを持つておられるか、そこは。
  111. 郷古潔

    公述人郷古潔君) これは例えば発注官庁とそれから監督官庁、この場合で申上げますならば通産省というものは機械工業或いは航空機工業、そういう方面の監督官庁で、その方面のそれぞれ指導育成に当る役所であります。片方の防衛庁が飛行機を発注しますれば、防衛庁が発注官庁、それからややもすれば発注官庁のほうから言えば、まあ外国であろうが内地であろうが、いいとは言えませんけれども、そういうことに対しては余り捉われない考えを持つ傾向があると思います。ところがこれに関して日本の機械工業なり或いは産業方面を指導して育成しようという通産省のほうから言いますれば、  一つ防衛庁の、できるだけ日本の産業を活用して行きたいというようなこと、とかくこれが先ほど申上げましたようなセクシヨナリズムに支配されておるということが過去の実例から見てある。何とかこの方面などは、これは結局規則できめるまでに行かないと思いますが、十分の連絡協調を保つような仕組ができれば仕組にして、又仕組以上に協調の精神というようなものを持つて行かなければならないと思います。殊に航空に関しましては、その製造は別にいたしましても、輸送方面その他もありますので、分掌というようなことで、運輸省というものはやはり人間を支配し、或いは研究なども支配して来る……。で将来も過去の陸海空と同じようなことが再現しはしないかということを懸念されるのでありますが、これらにつきましては一つ国会のほうが最も強い権利を持つていられるので、国会がこの方面において十分な発言をして頂きまして、そういうことのないようにして頂きたい。大いに鞭撻して指導して頂きたいということが、私どもの民間の被害者であつた者はそういうことを非常に感ずるのであります。
  112. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 郷古さんにお伺いいたしますが、郷古さんの先ほどの言葉の中に、日本は独立国になつたと、その誇りとして軍隊を持つことは当然であると確信している。こういうふうなお言葉がございましたが、このお言葉郷古さん自身戦時中に持たれておつた考えと少しも私は変らないのではないかと思いますが……。
  113. 郷古潔

    公述人郷古潔君) 今のお話はちよつと違いますので……。
  114. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 そういうことは、私自身も曾つて日本軍隊が他国を侵略し、他国人を圧迫する軍隊とは思つていませんでした。恐らく郷古さん自身も戦前の日本の、独立国としての誇りとして軍隊を持つておるんだと、こういうおつもりで、あの軍隊が侵略を目的とするところの軍隊とは思つていられなかつたんではないかと思う。私はそう思います。従つて日本が独立したので軍隊を是非持たなくちやならないというお考えは、戦前におけるお考えと何ら変らないのじやないか、かように考えますが、これが一点  あともうちよつと聞きたいのですが、もう一点ここで続いてお伺いしたい点は、国力の蓄積、或いは広い意味における防衛力を養う立場からこういう兵器産業というものの充実という、スタツセン氏が日本を東亜の兵器廠としたいと言われたそうですけれども、そういう方法もありましようけれども、又は角度を変えて言えば、日本の災害国としての治山治水もできていないことも一つです。又動力源の電源開発なんか十分できていないことも又あります。こういう点も解決して、平和産業を起すことによつて独立した日本の国力の蓄積を図り、又広い意味におけるところの日本防衛力を養うという考え方も私は十分あり得るのじやないか。併し最近の兵器工業界の動きを見てみますと、非常に先物買をして施設等の拡充に狂奔されておる。先ほど石原委員からもお話がありましたが、英国も防衛生産によつて国力を云々ということがありますが、各国が競つて防衛生産によつて経済力の充実を図るということになつて行つた場合に、その防衛生産によつて過剰の兵器が生産された場合にその市場を求めて行くでしよう。この窮極の点は、世界のいずこかに争いというものが必ず起るであろう。日本が東亜の兵器廠という形になつてアジアの諸国に兵器を供給して行くというような場合に、アジアに或る紛争が起れば、今のアメリカと日本との結び付き工合から、必ず日本は争いの中に捲き込まれるということになれば、私は曾つて過ちを再び繰返すようなことになるのじやないか。こういう考えを持つているのですが、この二点についてどういうようにお考えになつていらつしやるか。  私は要するに郷古さんのお考え方は、郷古さん自身戦前に持たれたお考え方と何ら一歩も変つていないのじやないかと、こういうふうに私は感じ取れるので伺つたわけですが、一つお答え願いたいと思います。
  115. 郷古潔

    公述人郷古潔君) お答えいたします。  第一点につきましては、私は日本が独立を回復したのだと、恐らく日本の人間或いは日本の国民ことごとく独立になつたことについては不満は覚えてないだろうと思う。いずれも満足して、いずれも一つの誇りを持つているから、その独立の実を挙げるということについていろいろ御意見があるかも知れませんが、私は独立の実を挙げるために時代的に、歴史的にも現代的にも、各国どこでも相当軍備を持つことが当り前である。又現実である。日本相当軍備を持つことによつて独立の実を全うすると、こう申上げたのであります。独立であるから当然軍備を持てと、そういうことは言いません。独立を全うするために軍備を持たなければならんということが私の信念であります。或いは軍備を持たないほうがいいというお考え方であればそれは又別です。
  116. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 あなたが持たれた戦前のお考え方と……。
  117. 郷古潔

    公述人郷古潔君) 戦前の問題も、日本はその当時考えが違つてつたかも知れませんけれども、日本は必要上日本の発展ということを考えられたであろうと思います。私が考えたわけじやないけれども、考えられたようなことが、つまり当時の国の方針になつて現われて、そのために或いは満洲事変を起し、その他のことを起したかも知れません。併しながら今日日本のおかれている情勢は、今日の情勢において無論侵略はできるはずもありませんし、私も今日侵略することが結構だと思つておりません。何とか平和的な手段で日本の国民が発展しなければいかん、こうは考えております。
  118. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 第二点の問題。
  119. 郷古潔

    公述人郷古潔君) だからそういうふうに考えておりますから、戦前の問題として、日本日本としての方向を進めて行く上においては止むを得なかつたと、前はそういうふうに思つておりますが、今日は今のような平和的な手段でやるより……、非常に困難ですけれどもそう考えております。
  120. 木村禧八郎

    木村禧八郎君 防衛生産のことについてお伺いしたいのですけれども、今郷古さんは、日本の再軍備は独立した以上当然だという前提から防衛生産の問題を取上げられて、特に実際家でありますのでお伺いしたいのですけれども、私は日本防衛生産を今後どういう方向に持つて行くか、そのあり方について非常に矛盾があると思うのです。今郷古さんのお話を伺いますと、特需一億ドル程度では長期的に見て日本兵器生産に採算に合わんと思うのです。先ほどのお話では、東南アジアその他極東の兵器廠になつて行くという見通しの下に、(公述人郷古潔君「その言葉はやめて下さいよ」と述ぶ)言葉はどうでもいいです。どうでもいいんですが、例えば朝鮮、台湾、東南アジア、極東の武器を賄う程度日本兵器生産を拡張して行かなければ、その兵器生産自体として採算が合つて行かない。そういう私は方向にあると思うのですよ。そこでこれは兵器生産の固有の性格から来ると思うのです。或る程度のユニットがなければ、特に弾丸生産なんかは、これは御承知の通り或る程度のスケールにならなければ採算が合いつこない。飛行機生産でもそうだと思うのです。そこでそういう極東、朝鮮、台湾、或いは東南アジア等々も賄つて行かなければ兵器生産は成立たないと思うならば、いつまでも特需的なものに依存して行かなければならない。これはMSA協定に実施する場合、五百十一条(a)の(b)項によつて、いわゆるデイフエンス・キヤパシテイ、日本防衛産業を育成しなければならん、こういうことで防衛産業の育成が要請されている。日本独自で要請するばかりでなく、アメリカから要請されて、MSA協定の一つの義務になつているわけです。そのときに非常に矛盾があつて、MSA援助が実際には期待されたほどなかつた。直接の武器援助をされてしまつた。イギリス、フランスあたりはドル・キヤツシユ、或いは資材の援助を受けております。ところが日本の場合は援助を受けてない。直接には兵器が来てしまつた。これは日本兵器生産業者の立場からは、又財界あたりでは非常に期待外れであつたと思う。今後の期待は、さつき言われた極東の兵器廠という言葉は妥当でないか知らんが、日本以外の方面からたくさん軍需注文が来るから、その輸出を含めて日本兵器産業の規模を高めて行きたい、そうしなければ成立たない。ところが日本の経済を自立化させるためには、だんだん特需依存から脱却しなければならん。特需依存から脱却するためには、日本国内自体で必要な兵器を賄う産業、兵器生産をやらなければならん。併し日本の国内の今の保安隊のような規模ではとても日本兵器生産工業というものは成立たんと思うのです。今特需があるから成立つているのであつて、特需がなかつた日本保安隊自体で兵器生産が成立つかどうか、これは又種類によつてでしようけれども、その点は非常に私は一つの矛盾であると思うのです。この点はどというふうに今後お考えになつているか、その点が一つと。  それからアメリカからの特需発注というものは、私は日本の国民経済の上からいつて非常に不利になつていると思う。非常に損になつていると思う。さつきコンマーシヤル・ベースということを言われましたが、いわゆる出血受注ということを言われておるのです。出血注文、出血発注、而も非常に安く叩れて安く買われている。而もさつき芹澤氏も言われましたが、日本防衛を強化するためには日本の経済を安定化させなければならない。物価を下げなければならない。ということは日本の物価を下げればアメリカの発注が安く日本でできる。そういう意味で非常に安く叩いて買う。而もアメリカから持つて来る、交換手段として持つて来るものはアメリカの過剰物資なんです。小麦ですね。アメリカの過剰物資と、それから日本の必要なものを安く叩いて交換するわけですから、そこには私は非常な不等価交換になつていると思うのです。この兵器がただ売れればいい売れればいいというだけでなく、交換についても日本の国民経済全体からいつて日本の価値をもつと高く売る、こういう考えでやはりやらなければいけないと思うのですよ。この二つの問題は再軍備、私は反対立場ですけれども、再軍備賛否の両論を問わず、経済的に見て一応現実には防衛生産がスタートしておるし、又して行くのですが、そのとき日本の経済から見た場合に私は二つの今の矛盾があると思うのです。この矛盾について防衛生産を今後考えるときに、産業人としてどういうふうに矛盾を解決して行こうとされているのか、この点を伺いたいのです。
  121. 郷古潔

    公述人郷古潔君) お答え申上げますが、現実の問題を一つ申上げます。日本は現在生産力があり余つておりながら注文は受けられない。ところが片一方で注文しようとぶら下つておることから、これを取ることは、少くとも現実問題としては、日本の生産業は取りたくてしようがない。それでこれがために出血してまでもあえて取ろうとしておるような実情なんです。これはあなたは御承知だろうと思うけれども、それを御承知ありませんか。そのために、今の武器の供与ぐらいじや困るから現実の注文をしてくれることに対して非常な熱望を持つておるのです。  それから今のような南方方面の発注というのは、これはまさに輸出貿易に相当するものです。あなた方のしよつちゆう言われておる輸出貿易に相当するものなんです。それだから我々産業界の人間としては、そういうふうなものをできるだけ取らなければならん。取るには今のようないろいろなコンマーシヤル・ベースで行かなければならん、これは非常に難問題なんです。しばしば私どもは社会党の諸君に聞くのですが、正常貿易を盛んにしてそうして国際収支をよくせい、結構な話で、これは誰でも知つています。子供つてわかる。ただ如何にやるかということが現実問題であつて、それを差しおいてただ空理空論、さつき申上げたのですが、私もその通り、あなた方の言う通り、あなたはどうか知らんけれども、今のような正常貿易で国際収支をよくすることぐらいは、こんなことぐらいは三文学者でも知つている。それをあなた方が聞くに至つては、僕は実に心外千万なんです。
  122. 木村禧八郎

    木村禧八郎君 そういう点にあるのではないのです。私だつて具体策があるのです。実行しないだけであつて、具体策はありますよ。防衛生産に依存しないで日本経済を自立させる政策を私は持つていますよ。ただやるかやらんかです。ただ私の質問しておるのはそうじやないのです。日本プロパーの軍備だけで防衛生産というのは賄えるのかどうか。賄えないとすればどうしてもアメリカの発注というものに依存して行かなければ日本防衛生産というものは、兵器生産というものは成り立たんのか成り立つのか。若し外国兵器の発注を絶えず引受けつつ日本兵器生産をやつて行かなければならんとなれば、そういう方面から日本防衛産業なり兵器生産というものは自立性がなかなか確保できないのですよ。絶えずアメリカ経済に依存していなければならない。又技術なり或いはパテントなり、その他もやはり向うのものを入れなければならないのであつて、そこが非常にこれはむずかしい問題です。だから矛盾があると思うのです。日本だけで賄うとなると、今の十一万を十三万ぐらいに殖やしたのではとても日本だけじや賄えない。それだからもつと二十万或いは三十万、三十五万、だんだん拡張して行かなければならない。ですからそういう兵器生産の面から日本の再軍備の強化というものが要請される。日本の平和的な防衛のために必要かどうかより、先ず日本兵器産業の利益を守るためにどんどん雪だるまのように再軍備の拡張が要請されて行かざるを得ない。そういうふうに考えられるのです。  それでこれは、兵器生産というものの固有の性格からしてそうなる。弾丸生産なんかでは、今の保安隊の生産だつてもう過剰であると思う、現在の設備では。日本は特需があるから過剰にならないだけであつてそういう点を同つておるわけなんです。
  123. 郷古潔

    公述人郷古潔君) お答えします。あなたの議論と私は全然裏表だから話は違うのだ。日本兵器生産をやらなければならんから要らない軍備をやるという議論のように聞えるが、私はそうではない。日本日本で或る程度防衛生産をやらなければならんというとを考えておるのですから、兵器産業を維持するためにやるというものじやないということにおいて私は全然正反対なんです。そういう一億なら一億の程度でも、これでやはり私は、適当にこれをこなすことによつて日本の産業或いは技術、ほかの産業に対する影響、こういうものに対してやはり呼び水になつたりする意味においては私は非常にいいと思います。
  124. 木村禧八郎

    木村禧八郎君 これは今後の時日の経過を見れば実際的に実証されて来ることですから、議論になりますからよろしうございます。
  125. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 郷古さんに伺いますが、弾丸とか或いは戦車、飛行機の部分品とか、そういう軍需生産が日本に戦後始つたのはいつ頃からでございますか。そうして兵器工業会という組織ができたのはいつ頃からでございますか。
  126. 郷古潔

    公述人郷古潔君) これは三年ばかりになります。それから弾丸その他の発注は、兵器協力会というのが、あれは前には極く小さな規模のもので、将来こういうものの必要があるだろうということで会社の形で発足したのです。それからあとでだんだん向う発注もあるようになりましたから、兵器協力会という名前で参りまして、そうしてその頃から、一昨年でしようね、はつきり記憶しておりませんが、そから弾丸、砲弾、その他の発注があつた
  127. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 ちよつと聞き取れなかつたのですが、そういう兵器部分品等の生産が日本で再び起つたのは何年頃からですか。
  128. 郷古潔

    公述人郷古潔君) 一昨年ぐらいからです。
  129. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 新聞、雑誌で拝見したのでありますが、MSA援助については郷古さんとしては非常に期待外れだつたというように承わつておるのですが、そうでございますか。
  130. 郷古潔

    公述人郷古潔君) 私どもとしては期待外れです。
  131. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 どういう点が期待外れですか。
  132. 郷古潔

    公述人郷古潔君) もつと注文があるかと思つた……。
  133. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 それは木村君の質問を裏付けるのではないかと思うのですが、これは意見ですからこれ以上申上げませんが、率直に言つて、もう少し注文がなければ商売が成り立たんのじやないですか。それが最近日本兵器の価格が国際価格より割高だ云々ということと関連があつて、皆さん方としてはやはり儲けるためにはもう少し注文がたくさんあるように、丁度幸いにもスタツセンさんが東亜の兵器廠に日本は将来なるんだというので意を強うしておるというのが本音じやありませんか。
  134. 郷古潔

    公述人郷古潔君) 意を強うしないんだ。もう少しあなた方の協力で物が安くなるようにならなければ、意なんか強うしていませんよ。今のようなことでは注文しませんよ。そんなに注文されないじや困るから、我々は注文されるように努力しなければならんから、あなた方も協力して頂きたい。大いにいい智恵をしぼつて頂きたいと言うのです。
  135. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 注文されないのは私のせいじやないでしようから……。(笑声)
  136. 植竹春彦

    植竹春彦君 駐留軍のいるうちはいいのですが、撤退後も国防が経済力に即応して、而も完全を期し得るかどうか。郷古さんのほうに何年計画かおありのようでありますが、それは注文はますますそうなつて来るでしようけれども、経済力に即応して……、その点ちよつとお考えをお聞かせ願いたい。
  137. 郷古潔

    公述人郷古潔君) 甚だ申上げにくいことですけれども、我々はそこで経済的な協力をアメリカに要求してやるわけです。そういう要求なしに日本独自ではああいうふうな私どもの六年計画というものはなかなか容易行かんから、その点は甚だ情ないけれども、そういう点についてはひそかにそういうことを期待しており、又そういう手を、できるかできんかわかりませんけれども、打つておるのです。だからまあそれに対して、お前がた援助に頼りすぎて情ないと言うなら、日本の国がもう少し偉くならなければ、援助希望の形はいろいろ変るかも知らんけれども、援助を希望しない訳にはゆかないと思います。   ―――――――――――――
  138. 小酒井義男

    委員長小酒井義男君) それでは次に薬剤師今尾アツ子公述人所見を承わります。
  139. 今尾アツ子

    公述人今尾アツ子君) 今尾アツ子でございます。私は御覧の通り年の行かない、誠に経験もそれから学識も未熟なものでございますが、戦争の苦しさと悲しさというものを身を以て知つた女性の立場から多くの子供を思う故に、平和を願う尊き母親の心、又女性の悲しい願を皆様にお伝えし、いささか意見を申上げたいと存じます。  戦後十年になろうとしております今日に依然として、白衣の人たちが不自由な体を街頭にさらし、遺児を連れた未亡人は生活に喘ぎ、年を取つた父母は帰らない息子を待つています。戦争の痛手は至るところに未解決のまま婦人たちは泣いています。曾つては国家の干城と言われ、国を挙げて華々しく送り出された私たちの夫や子や父は命を失い、やつと帰つた者も眼を手を、足を国に捧げました。五体揃つている人たちでさえも生きるのに困難なこの世の中を、政府からは十分の対策がなされないままに国民からも忘れられつつおります。たつた一枚の葉書によつて貧しくも寄り合い助け合つていた家庭生活を奪われ、前途に夢を、人間として知りたいこと、勉強したいことがたくさんあるその青年たちが恨みを呑んで南海に北辺に散つて行きました。今再びこれを又繰返えそうとするのでしようか。私ども女性は断じてこれを見逃すことはできないのでございます。なぜかなら、私たちを脅かす原爆、水爆は前線も又銃後もなく、戦時も平時もないのは、ビキニの灰で御存じの通りでございます。水爆では国の境さえもなくなつてしまいました。一体自衛体でこれが防げるのでございましようか。私の友だちは結婚一カ月にして夫を戦場に送り、ガダルカナルで失いました。その子供は、たつた一人残つた女の子は、父親の顔も知らずにそうして今中学校に通つております。この可愛い女の子を膝に抱いて母親が、どうか父の顔を知ならいで大きくなつ子供に又私と同じ悲しい、苦しい思いをさせたくない。この母親のこうした願い、人間としてのこの結付き、これこそが平和を守るものではないかと私は存じます。  本日議題になつております防衛庁設置法案自衛隊法案、この二つの法案の賛否を論ずる前に、私は先ず国会及ば政府は法を重んじて頂きたいということをお願いいたします。少くとも法治国であるならば、そのとき定めなれている法律によつてすべてが計画され、行動され、又制約されるものと私は信じております。悪法も又法なりとは有名なソクラテスの言葉皆様もよく御存じのことと思います。法を尊重し履行するところに一国の秩序が保たれると存じます。然るにこの頃の政府並びに一部の政治家の方々はみずから作つた法律をみずからふみにじるようなことをあえてなさつている。国民の先頭に立つて国民の進むべき道を指示する人々がこのような態度では、かにの親が自分の横這いを棚に上げて子供のかにに真直ぐ進め真直ぐ進めと言うようなものであると私は思います。国の進み方の根本をきめる憲法に牴触する法律が白昼堂々と国会を通過するに至つては、私たち国民はどうしても納得が行きません。  この例として先には地方自治法の二百八十一条の二項の改正があり、ここに又最も重大な戦争放棄の規定防衛法案によつて侵されようとしております。私は憲法学者ではありませんから細目に亘る法理論は専門の先生にお願いして本論に入ります。  御送付頂きました防衛法案並びに説明書を拝見いたしましたところ、最も奇異に感じましたことは、武力を以て平和を守ろうとする考え方でございます。人間として平和を願わない人はございますまい。ただその平和を求める求め方が、武力のアンバランスに依存している考え方がありますが、これで本当に私たちが望んでいる平和を守り抜くことができるでしようか。私には却つて反対の方向へ行く導火線になりはしないかと不安でならないのでございます。私がこのようなことを申上げますと、皆様の中にはそれでは朝鮮の問題はどうか、李ラインはどうなんだ、又内乱が起つたときにはどうするのだ、どうやつて国民を守るのだとおつしやる方がいらつしやいますでしよう。朝鮮の問題にしても李ラインにしても、私は強く申上げたいのです。あれこそ武力によらないで、武力によらずして問題を解決したよき例であると。李ラインについては、背後関係その他いろいろあるやに聞いております。これはさておき、朝鮮の休戦会談こそ武力では解決し得なかつたことを外交力によつて解決いたしました。平和は平和的手段、忍耐、努力こそ最も大切なものであることを世界に示したと信じます。御覧なさい。朝鮮の休戦は武力を持たない真空地帯を作つて両者の軌礫を避けたではありませんか。又内乱については、内乱が発生するような状態を解決せずに内乱鎮圧の道具を考えるなど、肥料をどんどんやつて大きくなる木を、どうやつて切ろうかと考えているのにひとしいと私は思います。国民の生活安定なくして何の治安維持でしよう。医学にしても治療医学から現在は予防医学に移行しています。病気の原因を作らないことが先ず第一です。不摂生の仕放題してよい薬を探してもそんなおまじないのような薬はありません。それと同じように先ず国民の不安な生活をなくすることです。社会保障制度を確立させて、学生には安心して勉学させられるように、病人にはゆつくり養生ができるように、そうして毎日を楽しく働ける世の中を作ることです。  第二に、自衛隊性格でございます。即ち自衛隊とは一体軍隊であるのかないのか。国会の質疑応答を新聞で拝見いたしておりますと、初めのうちは軍隊ではないと言つてつたのがだんだんと変化して、五月六日の毎日新聞には、木村長官が「直接侵略に平素から備える武装部隊を軍隊と呼ぶなら自衛隊軍隊と認めてよろしい」と答え、更に、「私見によれば自衛隊軍隊である」と附加えたと出ておりました。又その後に海外派兵について食い違う政府答弁と題して、「予防戦争は国連憲章違反でない」と言つている岡崎外相が、「海外派兵は断じてない」と言い、「海外派兵とは軍隊を他国に企画を打つて出兵させることであり、敵の攻撃拠点を抑えるための出兵は派兵ではない」と、又法制局長官は、「戦争はしなくても平和的な仕事ならよい」とも言つています。若しこのいろいろの言葉が私どもが額面通りに受取つたとしても、政府の内部で答弁がこのように個々ばらばらであつたり、私見が飛び出すようなあいまいな説明で私たちは了承することはできません。  私どもが新聞を通じて知る国会は誠に不可思議、不明朗な言葉のやり取りで、そこに人間の真心というものを感じ取ることができません。なぜもつと真剣に将来ある可愛い子供たちの命を、青年たちを大人の人たちが守つて下さろうとしないのでしよう。私には、幼い子供の命が無残にふみにじられてしまいそうに思えてなりません。自衛だ、侵略に対する防衛だ、戦争だ、又々愚かしい人間が人間を殺し合う軍隊作つて戦争を始めようとするのでしようか。而もあの惨虐な水爆を使用した戦争を、例えば海外派兵が実現したとしますとどのようなことが起きるしでしよう。言葉も不自由な遠い異郷にあつて、家庭の愛情を失つた青年たち、明日の命もわからない心の動揺、それが刹那的な享楽的な気持になつて犯す過ちの悲しさ、苦しさ、眼の色、皮膚の色の違つた置き去られた子供の問題、赤線区域、売春問題等は、今日本が受けている一番大きな深刻な事柄で、同じことが曾つて日本が東南アジアに対して犯した罪、その償いもできないうちに再びこのような危険な状態を繰返えそうとするのでしようか。如何なる意味からいつても私はかかるものを捲き起す戦争に繋る本法案に賛成することはできません。  ましてや自衛隊員が停年に達した後でも必要があれば継続勤務を強制されたり、予備自衛隊に対して必要により任期満了後も継続勤務をその意思に反してやらせたり、防衛召集を受けた予備自衛官が指定された日から三日を経過しても出頭しないときの懲役若しくは禁錮の制度に至つては、これは志願ではなくして苦役です。そうして呼び名はどう考えてみても私はこれは昔の軍隊復活であると思います。  苦しい一兆円の枠の中の予算、それも私どもは国が立ち行かなくなると聞かされて、切り詰められた家計の中から少しでももつと削ろうと覚悟いたしましたのに、年が明けてみると、税制は変り、間接税のお蔭でお砂糖、お醤油という生活必需品は続々値上りして、一体私たちの経済はどうしたらよいのですか。物価は五乃至一〇%下るとの前提に立つた予算だというのに、卸売物価が少し下つたくらいで、実際にはお米が上り、バターなど油類が上り、電気代も何だか上りそうです。子供たちはどうかと言えば、文教費が少いので完全給食など思いも寄らず、学校には給食費の滞納がどんどん殖えて行き、新入学の子供に国から贈つた教科書の予算は全部カツトされ、施設費の不十分から二部教授が多くなり、もつと欲しい先生の数は定員制によつて減らされ、一人で六十人から七十人も子供を抱え、そのため過労で教育が低下しないかと母親は心配しております。病人はベットが与えられず、中小企業は倒産し、行政整理の失業者は巷に放り出されるというのに、失業対策費も生活保護費も社会の悪条件による増額が見られておりません。こんなにも弱い者、病人、子供、女、失業者などの犠牲の上に百害あつて一利ない自衛隊を増強するのは、この二法案には如何なる見地からも賛成いたすことはできません。  どうか諸先生には、国民の大半の、苦しくてもその苦しいということを皆様方に訴える術を知らなし、声なき民の声に耳をかして頂きたい。それは赤ちやんの泣声であり、病人の伸き声であり、戦争未亡人の悲しみの声です。あなた方が御自分のお子様を大事にお思いになると同じように、どうか他人の子供の命も大切にしてやつて下さい。そうしてどうか多数の圧力で何もかも押し切つてしまわないで下さい。十五になる私の甥は、余りにも次々と世論をよそに国会を通過する法律の多いのを見て、議会政治を否認し、多数には暴力をも止むなしと申します。これこそ外敵よりも何よりも最も恐ろしいものではないでしようか。素直な子供たちが世の中の不純と矛盾に対抗して生きて行くその過程の苦しみが暴力肯定になるのを見るほど悲しいことはありません。子供は不平を言うことを知りません。もう一度重ねて申します。どうか子供の命を、生活を守つて下さい。私たち女性は、苦しい経済生活にも歯を食いしばつてじつと耐えて行きます。それは一刻も早く栄ある憲法が掲げておるように、諸国民の信義に信頼し、武力を棄てて、物価を引下げ、国民生活の安定と水準を高め、家庭生活が豊かになつて、夫婦親子が楽しく希望を持つて暮せるように、主婦が世帯疲れして、過労から家庭を暗くすることのないように、病気のときにはゆつくりと休めるように、牛乳ぐらいはお母さんも飲めるように、極めてつつましいこの主婦の願いがどの主婦にも実現されますように、こういう方面にこそ大切な税金を使つて頂きたいととをお願いいたします。  大変拙い言葉を列べましたが、どうか公聴会公述人意見を聞きおくだけではなく、以上申上げましたことを十分お心におとどめ置き下さいまして倒審議頂ければ嬉しく存じます。
  140. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 今尾さんが公述人の募集公告に応募されて、女性として、母親として、本公聴会出席され、我々国会に種々なる要望並びに苦言の一部も呈され、あなたの所見を堂々と述べられた点については、目覚めたる女性として敬意を表します。  ただ一言伺いたい点は、最近これらの再軍備関係する問題として、よく女性の皆さん方の会合においては、保安隊員には嫁に行くな、それからやがて生れるであろう自衛隊員には嫁に行かないことにいたしましよう、こういう申合せをし、又デモのときにはそういうプラカードを立てて行進されておるのを見もし、又聞かされておるわけですが、女性としてはお嫁に行きたいというのは恐らく本能だろうと思うのですが、その女性がかくまでも決議し又行動にまでも移すという、それほどの決意がありながら、女性がこの目的を完遂するためには、選挙のときに、あなた方と違う政策を立てて選挙戦に臨まれた方に……、男性以上に有権者の多い女性諸君が一致結束してやれば、一挙にこれは解決できる問題でありますが、どういうわけで選挙となればそういうことが実行できないのか。又、あなたは目覚めたる女性として、恐らく女性の指導者の立場におられると私は推察しておるわけですが、如何ような方法を以てあなた方の悲願を達せられようとしておるか。ちよつと具体的な御所見がありましたらこの際伺つておきたいと思います。
  141. 今尾アツ子

    公述人今尾アツ子君) 誠に残念なことに、婦人が参政権を得たというのは、これは婦人みずからが起ち上つて、自覚して、日本の婦人が闘い取つたものではないのです。与えられたものなんです。そのために、婦人が参政権を持つたということについて、自由党の方々などは取上げたほうがよいということをおつしやる方が出て来ておるやに伺つておりますが、それを認めることは本当に悲しいことなんです。併し今の女性の大半は……、でも男の方だつてわからない方が一ぱいいますよ。地方に行つて御覧なさい。農民という者は如何に資本家階級に搾取されておるかというのに、農民の大部分は保守党に一票を入れておるではありませんか。だから、結局数の問題で、男だから理解があり、女だからこういうものがわからないというのではなくて、残念なことに、まだ国民全体が選挙の意義とか、そういうものをよく知つていないと存じます。そのために、婦人が子供を戦地に送りたくない、主人を死なせたくないと思いながら、その大きな政策、自由党なら自由党の政策、改進党の政策に投票するのではなくて、個人的な、自分たちの本当にお勝手に直結したことをしてくれる人、例えばお宅の前の道路を直したのはこの先生でございますと紹介されれば、その先生が大変偉い先生に思えちやつて一票を入れるようなことが起るのです。そこで先ず、男の方もそうなんですが、婦人たちを如何にして目覚めさせるか、政治というものを知らせるかということ、このことが大事なことなんで、私どもも考えておることなんでございますが、いろいろな会合を持ちましても、今の婦人たちは余りにも家庭内の仕事が多いためにそういう会合に出る機会さえも持つていないのです。そこで私は、もつと婦人たちを今のお勝手から解放して欲しい、そういう政治を行なつて頂きたいということを皆さんにお願いしたいのです。簡易洗濯所というものがたくさんできてそこで洗濯をしてくれたり、或いは共同炊事などというものがあつて、食生活をもつと改善してくれたら、今のお母さん方はもつとみずからを高めるように勉強ができると思うのです。残念なことに、殆んどの方が、政治を行う方が男であるために、女のこういう希望が容れられてないのです。ですから男の方方はもつと婦人の声を……、こういうところへ来て公述人になつて意見を申上げるということは本当に女では少いのじやないか、私本当にいい機会を与えられたと心から喜んでいるのです。が、女の人がこういうところに来て意見を言うことさえ今まではなかつたのです。それであなた方は雲の上で政治をしていらつしやつたのです。だからそういうことのないように地面に足の付いた政治を行なつて頂きたいことを私はお願いします。
  142. 木村禧八郎

    木村禧八郎君 私も矢嶋君と同様に、ここに出られてはつきりと御意見を御主張されたことに対して敬意を表します。声なき民の声を国会に十分反映してくれという御要望、これも十分我々承わります。ただ最後に要望をかねてちよつと御質問をしたいことがあるのです。  それは仮にこの防衛法案が、我々野党ですが、野党の力が足りなくて仮に通つた場合に、どういうふうにこれに対処されるかですね。我々の意見では、例えば破防法というものは反対したのですが通つてしまつた。併しあれだけの反対があつたので、通りましたが、なかなか簡単にあれが抜けないわけです。発動できない。そういうわけで、仮に防衛法案が我々反対する力が足りないで国会を通つた場合、やはり落胆をされないで、これに対して、丁度破防法が通つてしまつたけれども簡単にこれを発動できない、又教育法案も通つたけれども簡単に発動できない、そこで我々としては抵抗線を……、何も暴力をやるというのではありません。広く民主的な形で抵抗線を組んで頂きたい。もうそれよりほかに最後に残された途はないと思うのです。ですから決して落胆されないで、あなたのような方は努力されまして、そうして抵抗線を組むことに努力され、それについてしよつちゆういろいろ御努力されておると思うのですが、具体的に今婦人の方々ではこういう問題についてどういうふうに、こういう法案が通つてしまつたときに、さつきの保安隊員にお嫁に行かないというようなことも一つでありますが、どういうふうに一般に普通の婦人が感じを持ち、そうして又どういうふうに運動をされているか、参考のために伺つておきたいのです。
  143. 今尾アツ子

    公述人今尾アツ子君) お答え申上げます。私には先ほども申上げましたように十五になる甥があります。四人の男の子と二人の姪と六人も、私兄弟が多いものですから持つておるのでありますが、この男の子たちは、戦争はいやだということをはつきり申しております。そうしておばちやん、若しこの法律が通つてしまつたときには、法を重んじろとおばさんは言うけれども、そうしたときには僕たちは兵隊に行かなくちやならないかと申します。そこで私は、行かないでもよろしい、そのために懲役に行くのだつたら懲役に行きなさい、おばさんもその先頭に立つて、海外に派兵しないように努力をし、反対運動するために入れられるのだつたら、私も懲役に行きましようと。又母親はどういうことを言つているか。子供をどうしても出さなくちやいけないというのなら、私が代りに鉄砲を担いでもいい、子供はやりたくないとはつきり申しております。  又こういうことをよくおつしやるのですが、子供の命を守るために軍備をするのだということをおつしやる方があるのです。若しどうしても命を守るために軍備を持たなくちやならないものであつたならば、申訳ないが、お年寄が鉄砲を担いで頂きたいと私は申上げたい。これから五十年も先のある子供たちに、人間としていろいろなことをしなければならない子供たちに、命の危いことをさせないで、人生もう五十年、附録の付いたお年寄が、人生のいろいろなことをやつていらつしやつた方々が鉄砲を担いで頂きたい。芦田さんが先頭に立つてつて頂きたい。お年寄の命は申訳ないが、この先二十年、三十年とは生きられますまい。その命を将来五十年もある子供の命を守るために捨てて頂けないでしようか、私こう思います。
  144. 小酒井義男

    委員長小酒井義男君) それでは以上を以ちまして、防衛庁設置法案及び自衛隊法案の二件に関する公述人各位公述は終了いたしました。  これにて内閣委員会公聴会を散会いたします。    午後四時三十五分散会