○
参考人(
波多野完治君) 私は
お茶の水女子大学において
教育心理学を担当しておりますほかに、
東京大学において
視聴覚教育の講義をいたしております。で、
視聴覚教育と申しますのは、主として映画、
放送、スライド、その他のものを
教育に利用するということでございます。それから文部省の中に
教育放送協議会というものが設けられておりまして、これが
東京では
日本文化放送を通じまして毎日十五分ずつ
教育的な
放送を出しております。それの
教育放送協議会は、その
放送の企画の監督をするというふうなことにな
つておりますが、その
放送協議会の
会長をいたしております。そういうふうな
関係で恐らく今日
参考意見を述べるようにというふうに言われたものと存ずるのでございます。
それで私といたしましては、そういう
視聴覚教育の
立場から、主として
教育放送に
関係する問題と、それから娯楽
放送の問題、これも
視聴覚教育のほうの
立場から。それから第三番目にローカル
放送の問題という、この三つの点から私の
意見を申上げてみたいと思うのでありますが、結論のほうを先に申上げますと、私は
値上げに関しては止むを得ないんじやないかというふうに考えております。どんな場合でも
値上げというものは好ましくないものでありまして、昨年新聞が二百二十円から二百八十円に上りましたときにも、私
どもは決してこれを望ましいとは思わなか
つたのでありますが、併しその
値上げに反対すべき場所を
放送局でも下さいませんでしたし、勿論新聞ではそういう
意見を開陳さしてくれることができなか
つたのであります。今度の場合にも決して望ましいとは私は思
つておりませんのでありますが、併しいろんな事情からこの
程度の
値上げは止むを得ないのじやないかというふうに思
つております。
NHKでは第一
放送と第二
放送を持
つておりまして、第二
放送は十六時間の
放送の殆んど全部が
教育放送であります。午後はときどきスポーツの
放送な
どもありますが、主としてこれは
教育放送でありまして、いわば学校及び社会の
一般に成人
教育及び母親などの
教育というものと、それから学校のための
教育放送を出しているものであります。ところで
教育放送と申しますものは、普通の
放送と非常に性質の違
つたところがございまして、相手は主として未成年の者でありますので、その
内容には特別の吟味を必要といたします。間違
つたことを
放送いたしますと、それをそのまま鵜呑みにしてしまうようなことがありますので、
放送の
内容には吟味の上にも吟味を加えなければならないということ、それからこの
放送は非常に短時間に一過性でありますので、よほどここのところは注意して聞かせなければならないというふうな、そういうことを特別に注意する必要がある。
放送のやり方というものに特別に注意する必要があります。それから
放送は一
方向的でありまして、つまり子供のほうから先生に聞き返すというふうなことがやりにくい。そういうことが
放送ではやりにくいことでありますから、ワン・ウエイと申しますが、そのワン・ウエイという性質がありますために
質問ができませんので、その
内容が聞いただけで十分にわかるようなふうにしなければならない。そのためには子供の年齢や、それからその
地域の特性な
ども十分考慮して
放送の仕方を気を付けなければならないというふうなことがございます。そのために
放送のやり方に特別な
研究が必要なばかりでなく、子供の反応を調べまして、
放送聴取の状況が満足なものであ
つたかどうかというふうなことの反応を調べましてその反応の結果を絶えず学校
放送なり、その他の
教育的な
放送の改善に振向けて行くということが必要になるわけであります。で、そういうような特別の
研究を必要とするところに加えまして、学校
放送は相当たくさんの
聴取者が聞いているものでありますが、併しこれは全部無料でありまして、現在のところ
聴取料というものを学校
放送に対しては取
つていないのであります。そういうことで
商業放送などにおける
放送とは非常に違
つたところがあるわけであります。で、第一
放送と第二
放送と両方を合せて
NHKの性格というものを検討してみませんと、第一
放送の部分だけと、それから
商業放送の
放送種目というものを比べておりますと非常な誤解が生ずるのじやないかというふうに思うわけであります。第一
放送と第二
放送と両方をかみ合せて
NHKの性格というものを考えてみる必要があるのじやないかと思うのであります。それから大人向の
放送でありますと、その
放送効果というものが大人から直接に聞えて来るわけです。投書がありましたり、或いはモニターから直接それを聞くことができるのでありますが、子供の場合には直接の声、子供から直接聞えて来る声と、それから子供をつかんでいる先生たちから聞えて来る声と、この両方を見なければ本当の
放送効果というものはわかりませんので、そういう点でいろいろな特殊の装置が必要にな
つて参ります。そういうふうな装置を持
つておりませんと、
教育放送というものは十分に効果のあるようなふうに改善されて行かないのでありますが、そういうふうなものも大人向の
放送を主として考えているような
商業放送では余り重要にはならないのであります。ところが
NHKのほうではこういうものは殆んどその
公共放送としての生命を制する
といつてもいいほどの重要性があるだろうと思うのであります。
それから次に、
商業放送の中における教養
放送又は
教育放送でありますが、これは私が昨年の七月から今年まで、半年ほどの間文部省
放送というものをや
つてみまして非常に感じたのでありますが、今までのところ相当金をかけてや
つてみた
番組もあるのでありますが、なかなか
商業放送の中で
教育放送をやるということはむずかしいところがあります。娯楽
放送の中にぽつんと
教育放送が入りますので、そういうふうなところが非常にむずかしいのと、それからコンマーシャル・メッセージが入
つて来るのが気に入らないというふうな
意見がたびたびいろいろなほうから言われて参りまして、非常にむずかしいところがございます。併しそれにもかかわらず、
商業放送の中に
教育放送又は教養
放送というものをできるだけたくさん入れるようにして行かなくちやいけないというのが私の考えなんでありますが、併し
教育放送というものを本当に効果あらしめるためにはコンマーシャル・メッセージなしの
放送というものを考えなければどうしてもいけないということが、この半年ばかりや
つてみてよくわか
つたのでございます。ところが文部省の
放送のほうは、予算が非常に少ししかありませんで、
電波料を賄うことができませんために、プログラムの
編成費だけしか金がないものでありますから、そういう方法がとれませんので、現在のところではそういうふうに行かないのであります。
NHKのほうはコマーシャル・メッセージというものが全然ありませんので、非常にいい環境の下で
教育放送を行うことができる。こういう
公共放送を持
つているという
日本の
放送法が非常な強みにな
つているというふうに私は考えております。で、来年度から文部省
放送では十五分、
といつてもコンマーシャルが入りますので、正味は十二分でありますが、その十二分に対して一プログラム三万三千円の予算をかけてやることにな
つているのでありますが、多分これだけの金を
NHKのように一日三十二時間として一年間通算いたしますと十五億ほどになるようでありますで、
教育放送といつても割合に簡単で、
ラジオ・ドラマとか、そういうふうな方法をとらないものであ
つても、
放送の
編成及び実施には相当な金がかかるものだということがわかるのでありまして、そういうふうな点からい
つて、今度の
値上げはまあ止むを得ないのじやないかというふうに思うわけであります。
その次に、娯楽
放送の問題でありますが、この娯楽
放送はコンマーシャルの娯楽
放送と、それから
公共放送としての娯楽
放送では非常に
あり方が違
つている面があるだろうと思うのであります。で、この点で非常に
参考になりますのは、カナダの
放送組織でありますが、カナダの
放送協会の理事をしておりますダヴィドソン・ダントンというカナダの
放送協会の理事の人がアメリカへ来て講演したものがございますが、その中で、カナダでは娯楽
放送と教養
放送というものは区別していないんだということを
言つているんであります。つまり
商業放送のほうでは大勢の
聴取者を集めるということが
目的でありまして、本当の
主眼はコンマーシャルにあるのでありますから、コンマーシャル・メッセージのところを聞かせるということが
主眼なのでありますから、成るべく大勢の人に聞かせるということが
主眼にな
つておりますが、
公共放送としてはそういうことは考えられないので、いつも娯楽と
教育性というものとを
二つ考えて行くというところが特色だろうと思うのであります。それでそういう点からいつでも
二つの量、
二つの数、何といいますか、
二つの要素を考えなくちやならない。
一つは、
聴取者の数であ
つて、どのくらいな
聴取者が聞いているかということ、併しながらそれだけでは駄目なんで、その
聴取者がどのくらいの量の満足をしたか、満足量というものを考えなくちやいけない。即ち
公共放送の娯楽
放送では、
聴取者の数掛ける満足量というもので以てプログラムの成功か成功でないかということを計らなくちやいけないということを
言つておるのであります。併しながら
商業放送のほうの娯楽プログラムにおいては、満足量のほうは必要がないんでありまして、
聴取者の数というものだけが問題にな
つて来るわけであります。で、そういうような点から
公共放送の娯楽
放送というものが、教養というものもいつでも考えて行かなくちやならず、そうして多少ずつでも国民の教養及び
文化水準というものを高めるということを目標にして行かなければなりませんから、そのためにいろいろな工夫も必要になりますし、又
研究な
ども必要でありましようし、それから相当な冒険もしなければならないというふうなことがありまして、
商業放送にはわからないようないろいろな
費用がかかるということになるだろうと思うのであります。
それからもう
一つ、これは
NHKが余り今までや
つていないことでありまして、特にやらなければならないことだと思うのでありますが、それはやはりカナダのダントン氏が
言つていることで、よいプログラムであればあるほどプロモーシヨンが必要だということを
言つております。プロモーシヨンというのは、そのプログラムについての
聴取の推進でありますが、
一般によい。プログラムを出してやれば、いずれ
聴取者は聞いてくれるものだというふうに考える人が多いものだけれど、殊に
放送をや
つている人がそう考えがちだ。併しそういうものではなくて、よいプログラムであればあるほど、その
聴取を推進させるという必要があるということをこのカナダの
放送局の人は
言つているのであります。で、この仕事は
NHKでは余り今までや
つていないんでありまして、
NHKラジオ新聞というふうなものが出ている
程度でありまして、それがやられていないと思います。で、今までのところでは
NHKだけが独占的に
放送を出していた頃には、新聞の
ラジオ欄などがそのプロモーシヨンの役割を果していたと思いますが、最近では
商業放送と新聞とのタイ・アップということが非常に顕著になりましてからは、そういうふうなことがだんだんに行われなくな
つて来ている。そういたしますと
NHKの多少でも国民
文化を高めて行くための努力としてのよいプログラムというふうなものが、どこによ
つてそういう
放送が行われておるかということを国民に知らせるかという問題が起ると思います。これを新聞に広告するということもできるかも知れませんし、又そのほかいろいろな方法があるかも知れませんけれ
ども、いずれにしてもプロモーシヨンというものがなければ、本当によいプログラムを国民の耳まで到達させるということは不可能なようであります。そういうふうなことからい
つても、
公共放送ではよいプログラムをこしらえるというだけではなくて、それを聞かせる努力のための
費用が必要ではないかというふうに思うのであります。それからもう
一つ、カナダの
放送局の人が
言つていることで、非常に面白いと思うことは、大体
放送というものは両方から悪口、両方というのは右と左ですが、両方から悪口を言われている
程度で丁度よいんだということを
言つておるのであります。片方からほめられて片方からばかり悪口を言われるというようではやはり本当ではないんじやないかというふうに思うのであります。
第三番目に、ローカル
放送の問題でありますが、ローカル
放送は、今日では
商業放送のローカル
放送が大分殖えて参りましたが、私
どもが非常に
放送教育のほうから言いまして遺憾だと思
つて、おりますことは、本当に
放送が届いて欲しい
地域に
放送局が余りだくさんできないで、もう十分に
放送局がたくさん存在している
地域にばかり
放送局がますます殖える
傾向あるということであります。即ち僻地の
放送というものが、
商業放送では振興されて行かないのであります。なぜかと言いますと、
商業放送はたくさんの
聴取者をつかまえるということが目標でありますから、余り人の大勢いないような
地域は
放送局をこしらえるという努力が少いのであります。そういう点から言いまして、
NHKが努力してできるだけ僻地の
放送局を建設したり保持したりして行くという努力がありませんと、
日本のように非常に
文化が中央に片寄
つているような
傾向のある所ではこれはますくひどくなる虞れがある。そうでなくて、
公共放送というものがあ
つて、それが商売にならないような所にでも
放送局を置いて、それを維持して行くということがどうしても必要だろうと思います。先ほど
商業放送が
地方で相当できるようにな
つて来ているから、もはや
NHKとしては中央から
電波を流すだけでいいのだし、ローカルの局というものは不必要ではないかというような御
意見があ
つたようでありますが、本当に
日本の僻地まで
商業放送が行くようにな
つているかどうかということが先ず問われなければならないのじやないかというふうに思います。
それから第二に、ローカル
放送の点で、今までの
NHKのやり方を見ますと、非常にローカル
放送の企画も貧弱でありますし、それからそれについての予算も余り多くなか
つたと思います。これは今までの予算の枠内でやるということからい
つて、どうしてもそういうふうにな
つたのだろうと思いますが、今度
値上げができました場合には、ローカル
放送のほうに相当な予算を廻して
地方独自のプログラムを出す。場合によればそれを中央の
電波で以て出すというふうなこともできるようになるのじやないかというふうに思うのであります。私
どもが
東京で
放送局から受取る
謝礼と、
地方に行きまして
地方の
NHKで
放送して受取る
謝礼とが非常に違うのであります。
地方では大体たばこのケース
一つというふうなことにな
つているのでありますが、そういうふうなことではローカル
放送の向上ということは非常に困難じやないかと思います。
それから
謝礼の問題でありますが、
放送謝礼は私
どもの経験から申しますと、大体学術雑誌の原稿料と同じくらいか、或いはそれより少しいい
程度というふうに考えられます。
NHKの
放送謝礼というものは、大体その
程度にな
つているように思うのであります。
放送というものの性質から言いまして、やはりこれは新聞の原稿料か或いは総合雑誌の原稿料
程度の
謝礼は出るようにすべきじやないかというふうに思うのであります。その原稿を書いた上に、実際に
放送局に行
つて放送しなければならないのでありますから、その
放送のための労力というものをそこにプラス・アルフアとして加えることができれば一番いいと思いますが、若しそれができなくても、少くとも原稿料
程度のものは出すようにしなければいけないのじやないか。大体十五分の
放送で原稿用紙八枚或いは九枚というふうにして計算いたしますと、
只今までの
放送謝礼というものは非常に少いのであります。二五%増額してもまだ大変少いのじやないかというふうに考えるのであります。
商業放送と
公共放送との両立ということは、私は
日本の
放送法の非常に大きな特色だと思います。そういう点から
日本の
放送法というものは、世界のいろいろな
放送組織のうちでも最もよくできているうちの
一つだというふうに私は考えておりますが、その
放送法を効果あらしめるためにも、この
程度の
値上げは止むを得ないのじやないかというふうに思います。