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公述人(
土井彦一郎君) 本日は参議院
地方行政委員会の御主催の下に開かれました、
警察法案ほか一件についての
公聴会に出席いたしまして、
国警側より
公述人として
意見を述べる
機会を与えられましたことは、私
どもの深く欣快といたすところであります。
只今お手許に差上げました順序書のように、問題の種類に基きまして、次の六つの表題に分類して順次申上げたいと思います。
第一は、
大都市の
治安維持の完璧を期する条件について、第二は、
国家公安委員長に国務大臣を充てるの可否について、第三は、任免権問題について、第四は、
管区本部の
存置について、第五は、
警察法案に対する学者の論説について、第六は、現在の
警察官に対する立法者の認識是正について、以上六点であります。
先ず第一の課題について申上げますると、
大都市の
治安維持はその衛星
市町村やその周辺の地域を一つのまとま
つた行政管轄内に含めて行うことによ
つて、
警察機能と
能率の見地から初めて完璧が期せられるのであります。この事実を実例を以て立証するために、一、二の先進国の
大都市警察の過去と現在について考察して見たいと存じます。例えばロンドンの警視庁の管轄
区域は現在約七百平方マイルの広大な地域に亘
つておりまして、チエアリングクロスから十五マイル四方に及んでおります。そのためロンドン県のほか実に五つの県にまたがり、多くの
市町村を含む大地域が一つの
治安単位で
警察行政が行われておるのであります。七百平方マイルと申しますと、
日本の場合では
大阪、京都、名古屋、神戸、横浜の
五大市の面積全部を合計いたしましても六百九十平方マイルでありますから、
五大市全部を合せた面積よりもなお十平方マイル広いのであります。そうして今日のロンドン
市民は市の
治安の完璧さを非常に誇りといたしておりますが、それでは当初からこんなに広大な
都市警察であ
つたかどうか、又はこの
大都市の
治安は昔からこんなに完璧であ
つたかどうかと申しますと、決してそうではなか
つたのであります。
只今の一
単位の大
警察制度は一八二九年のピール
条例によりまして創設せられたものでありまして、それまでの
警察は有名な
警察学の世界的学者であるレイモンド・ビ・フオスヂツクの著書によりますと、こういうふうに表現されております。多数の小
単位の独立した
自治体がおのおの
能力の違
つた警察力を持
つていたのであり、そのためにロンドンの
犯罪状態が各
警察の相互に抵触する権限の下にますます悪化するのみであ
つたので、その救済がどうしても必要にな
つたのであると申しております。かくのごとくであります。
さて、
警察行政は理論ではなく
警察事務という実際の生きた
行政事務の一つであります。先進国が辿
つて参りました過去の実際の経過から考察いたしまして、それらと比較いたしまして何年か遅れておりまする我が国のこの分野の前述を考えて頂くことによ
つて、御判断願いたいと思うのであります。今日
日本の東京の警視庁を除いた他の五
大都市の
警察存置を
主張せられます
各位が、その衛星
都市や周辺の地域の存在を除いたその一つの市そのものに限
つての狭い孤立した一地域のみの
警察行政を
主張せられますのと考え合せて、けだし思い半ばに過ぎるのであります。その他
警察官定員の
合理化、
施設装備の重複の是正等々、現在の
日本の国情が強く
要請いたしておりまする
行政簡素化を目標とする面からも、一切の
都市を含めた
府県単位の
警察の実現を要望するものであります。
第二の課題は、
国家公安委員長に国務大臣を充てることの可否であります。
政府原案中第六条の、「
委員長は、国務大臣をも
つて充てる」案についての
意見を述べます。次の第七条に、「
委員は、
警察又は検察の職務を行う職業的公務員の前歴のない者のうちから、
内閣総理大臣が両議院の同意を得て任命する。」云々とあります。
現行法の第五条第二項にもやはり同趣旨の規定が設けられておりまして、この種官吏の前歴のある者の就任を法は禁じておるのであります。すでに前歴のある者すら法は排除しておるのでありますから、国務大臣のごとき現職の官吏から
委員を求めるがごときは
現行法と比較して又何をか言わんやであります。殊に
警察の本質上如何なる政治勢力にも侵されることのない
警察の公正中立性を確保することが基盤である以上、この案が立法当初の
警察法の根本
精神と一応矛盾対立することは申すまでもないのであります。なおこの案の弱点は、法的には矛盾があるということであります。その第一の
理由は、
国家公安委員会は
現行法第五条によるまでもなく五人の
委員から成る
会議制の機関であるということであります。由来国務大臣は大臣である本質上一切の政治
責任を持たなければならない、そして大臣が
委員会の
委員である場合に、若し
委員会が或る課題について不同意である場合に自己の
責任が果されないのではないかという一応尤もな法的論拠が生ずるのであります。併しそういう法理論は暫く別にいたしまして、実際面からこの案を検討してみたいと存ずるのであります。由来イデオロギーと実際が衝突いたす場合には、英国人はいつも平気でイデオロギーを一時棚上げいたしまして、スムースに現実の政治を上手に行うあのやり方を学びたいと思うのであります。第一に
公安委員会制度は元来
警察の行過ぎに対する輿論の反映機関である以上、たやすく権力の前に屈服することは考えられないのであります。加うるに
国家公安委員は人格高潔、卓越した識見を持たれる方々でありますから、たとえ
委員長が大臣だからと言
つて他の
委員がそれに引きずられるようなことは絶対にあり得ないことと信ずるのであります。私は過去の実際の経験からこの点を断言し得るものであります。この案が実現いたしますれば、政治的又実際的に左記の利点があると思うのであります。この前の
政府の
原案中にあ
つたごとく、
警察庁長官に大臣を配し、以て
治安の
責任の所在を明確にしたいというあのとんでもない時代逆行的な案に終止符を打つことができるのみならず、更に一歩前進いたしまして、形を変えて
政府原案の意図の実現に妥協し得ることもなるのであります。将来どの
政府かによ
つて立案されるかも知れない前述のような最悪の意図に対し、永久的に終止符を打つ上において消極的でありますが、併し重大な役割を果すものと信ずるものであります。昨年春、第四次吉田
内閣によりまして、当時の国会に提案になりましたこの案が如何に時代逆行的なものであ
つたかということを御参考のために一言附言いたしますと、国務大臣を以て
警察庁長官に充てたあの
代表的な異例は、一九二二年に創設された世界周知の残忍なるソヴイエトのゲ・ぺ・ウの秘密
警察であ
つたのであります。ゲ・ぺ・ウは我が国の戦前の憲兵と
警察とを兼ねたようなものでありまして、初代の長官のジエルジンスキーは国務大臣級であり、忠実なるソヴイエト
政府の耳目として国内
治安の
維持に、革命擁護に、政治犯逮捕に活躍し、その勇名、否悪名を世界に馳せたのであります。然るに一九三六年、この凄味のある、泣く子も止むというゲ・プ・ウという名称も公には
廃止せられたということであります。言葉を換えて申しますれば、共産
国家ですら十八年以前にやめてしま
つたような独裁的な
制度を自由
国家であるどこかの国が昨年新たに採用しようとしたということを我々は深く銘記して、かような傾向を有する種類の案を未来永久に葬ることにいたしたいので、このたびの案の実現を以てかくは終止符を打つということを特に申上げたのであります。
次に私
どもが一両年来強く要望して参りました、
国家公安委員会が実際の
内閣の
治安最高
会議に参加すべきであるという要望が結果において解決され、
公安委員会の趣旨を政治的に反映することができるという非常に大きな利益が生ずるのであります。なお、ここで考え落してならないことは、従来の情勢から判断いたしますと、
政府は
警察法がたとえ
改正になりましても、
治安の最高
会議に果して
公安委員の参加を許す、参加を求めるや否や、恐らく然りと答える人は少いであろうと思うのであります。それがためそういういわば
行政委員会であるべき
公安委員会の致命的欠陥を
法案第六条が満してくれると存じておりまして、私
どもは将来に大きな期待をかけるものであります。即ちそうすることによりまして、
政府と
公安委員会両君相互の理解を深めるという利点があり、これは
国家の
治安行政上図り知るべからざる大きなプラスとなると信ずるのであります。
公安委員会及び
警察当局の意向や要望が直接且つ遺憾なく
政府当路者に反映し得る途が開けること、その結果予算獲得やその他
事務万端がスムースに運び、且つ利便が頗る多いと思うのであります。以上は当面の
改革案についての一部の私見でありますが、
公安委員会制度を永久に
維持するという一層高い根本的
観点からも本案の実現は絶対に望ましいと信ずるものであります。然らば一属高い
観点からとは何でありましようか、その
理由を左に申上げます。
民主主義
警察のバイブルとも申すべき現
警察法の全法規は、殆んどが
公安委員会の規定か、或いは少くとも
公安委員会に多少とも関連のあることを規定しておるものであります。
従つて民主主義
警察制度と
公安委員会制度は理論的に申上げますれば目標と手段であり、両者は二にして一、一にして二という緊密なる
関係の下にあるのであります。然るに実際の
運営の面においては如何でありましようか。一言にしていえば頗る遺憾なき能わずという状態であります。
制度改革以来、
政府は
公安委員会を
国家治安の最高
会議に招聘したことは余り聞いておらないのであります。否一回もないのではなかろうかと私は思うのであります。その責は一部は
公安委員会にもあることは認めざるを得ませんが、これでは
公安委員会無用論の出るのも又止むを得ないのではないでしようか。よろしく
公安委員会は
行政委員会であるというこの
警察法の立法
精神に基きまして、
政府に対し、
国家治安の最高
会議に当然参加さすことを積極的に且つ法的に要求すべきではないでしようか。
国家治安の
維持は政治の最も根本的な重要なる分野であります。而して民主主義の所産である
責任内閣制度の
精神から見まして、
国家治安の最高にして最終の
責任者は時の
政府でなければならないのであります。然るに
政府が招かないのか、或いは
公安委員会が無
関心なのか、そのいずれにいたしましても、
政府と
公安委会員と現在のごとく別々の存在であ
つてはならいのなであります。若しこの情勢が続くなれば、いつかは
公安委員会制度が現実の政治から当然に締出され、無用なるものは消滅するという進化論の法則によりまして、将来
制度としての存在
理由を失うということになることは火を見るよりも明らかであります。又実際の政治面におきまして、
国家公安委員に時の
政府の大臣を加えることは、国民の総意によ
つて新たに成立したる
政府が、
治安行政に関する自己の政党の政策を行う上において利便が多く、且つ妥当でもあると信ずるものであります。これは
政府と
公安委員会の両者の
協力の面において、
治安行政面において大きなプラスとなるばかりでなく、
国家百年の計としてなお一層高い見地から我が国の
公安委員会制度を永久に保持
育成する上から最も望ましく、且つ
日本の政治の現在の段階から見て適当なる措置であると信ずるものであります。換言いたしますれば、本案は
民主警察の要となると共に、よい
意味における
公安委員会の保身術となるでありましよう。最後に付言いたしますと、この案は理想的とは言えないのであります。併し余りに高遠な理想は現実を指導する力を持ちませんという
意味で、肯定するものであります。以上の
理由と
見解から、私は
政府のこの案に賛成するものであります。
第三の課題は、任免権の問題であります。これは先ほど松岡神奈川県議長が述べられたのでありまして、大体趣旨が同一でございますから、この点は時間の
関係上省かして頂きます。
第四の
管区本部の
存置について、
政府の
原案を通読いたしますと、
現行法の
警察管区本部の
規模と比較して大分簡素化されておるようであります。この点は私
ども公安委員といたしまして大変遺憾なことであります。その
理由といたしまして、
管区本部の存在
理由を私は次のように挙げたいのであります。公職選挙法取締についての統一機関であるということ、
警察の
中央集権化が計画されておる際、多かれ少かれ将来このような傾向、又これが実現化は免れがたい。その際に公職選挙法取締について中央一本化の取締方針の下に執行されることは政治的に回避すべきばかりでなく、技術的にも困難であると存ずるのであります。数県に跨る場合に、各管区ごとにこれが取締に当る従来の方針が最も効果的で且つ適正であると信ずるのであります。第二は、破壊活動
団体の軍事活動に対処するため不可欠の機関と信ずるのであります。第三は、旅行的
犯罪等の広域化に伴う必要であります。第四は、大
規模な災害発生時の緊急対策機関として必要であります。その最もよい例は、最近の九州、近畿の水害であります。第五は、
警察通信のセンターであります。第六は、
関係機関との連絡協調のため必要であるということであります。第七は、最後に過去の体験から考察しまして、
管区本部の存在が管区内の
公安委員会の活動のため、相互間の連絡協調の上に如何に輝かしい成果を挙げたかということは、すでに十分実証されておるところであり。最も大きなる褒辞を以てしてもなお足りないのではないかとさえ考えるのであります。この点は他の管区も恐らく同様と存じますが、
国警、自警の両者の
公安委員会から結成されております東京
警察管区内の
公安委員会連絡協議会というものがなか
つたら、到底今日のごとき
公安委員会に対し、法が
要請する成果を挙げ得られなか
つたのじやないかと私は懸念する一人であります。以上七つの
理由から
管区本部は
政府原案のごとく簡素化することなく、むしろますます充実発展することを要望するものであります。
次の第五の課題は、
警察法案に対する学者の論説についてであります。私は
警察に関し権威ある学者、専門家の発表されまする
見解や、新聞紙上に掲載される論説に大なる
関心を持
つて通読することによ
つて常に啓発されておる一人であります。而していつも感謝しつつあるものでありますが、以下の
意見は、一
公安委員の
意見であるという謙虚な気持で感じたままを率直に申上げるのであります。先般某新聞紙上で某氏の次のような論文を拝見いたしました。「
法案を一読すればすぐわかる通り、
警察庁長官の権力は非常に強いものにな
つている。問題の核心はそこにある。」中略、「換言すれば全国十数万の
警察官は、
警察庁長官の指揮のもと、一糸みだれざる行動をとり得るものである。かくのごとき権力の集中はナチスドイツのヒツトラーの下におけるヒムラーの場合か、或はソヴエトロシアのスターリンの下におけるベリヤの場合等に匹敵するもので、民主政治をや
つている他の欧米諸国においてはその例を見ないし、我国においても専制政治の時代なればいざ知らず、われわれの時代には空前の事である」云々。又、前略「戦前の警保局長など比べものにならぬほどの強い権力を持つことになるのである。そのわけは
警察庁長官は、道
府県警察本部長の任免権を持
つている。
法案にはこの場合
公安委員会の
意見を聞くこととな
つているが、必ずその
意見通りにせねばならんわけでないのだから、
警察庁長官は
公安委員会の異議を無視して道
府県本部長を任免することが出来る。」云々であります。論者の御説は戦前の
警察が
治安維持法、
治安警察法、
行政執行法言論出版取締法等が
施行されておりました時代の社会環境における考え方でありまして、戦後の、殊に今日の環境とは全く異
つております。率直に申しますれば、今日の
警察活動の指針となりますものは、
警察官の職務執行法と刑事訴訟法の二つよりないのであります。又論者の御説は、
公安委員会の無気力と無
能力を前提として初めて成立するものであると思うのであります。
国家公安委員会には国務大臣を
委員長とするほかに、五人の
公安委員が長官の活動を常々監視しておるのであります。又一方
府県のほうにも三人乃至五人の
公安委員から結成される
府県公安委員会が存在しておる。これが全国で百五十人以上の
委員が控えておるのであります。故に決して論者の懸念せられるような
警察行政を長官ができるはずはないと信ずるものであります。今仮に数ある
公安委員の中でありますから、何名かそういう職責を果し得ないと無
能力な人物がお
つたとしても、それは決して
制度の罪ではないのであります。
公安委員会へのかかる信頼は、私自身の過去の体験から確信を以て申上げることができると思うのであります。いやしくも
公安委員会が厳存しておる限り さような懸念は絶対に御無用であると断言することができるのであります。
行政管理権を持たなか
つた今までの
府県の
公安委員会でも、従来相当な活動をして参りましたし、かなりの業績を挙げたと信ずるものであります。新らしい
法案の成立によ
つて公安委員会は
行政管理中の最も重視される
人事権の一部を持つか、少くとも人事問題に介入できる以上、私ははつきり繰返してさような御懸念は有能且つ良心的なる
公安委員会の存在する限り御無相であると申上げて、本題を結ぶものであります。
最後に第六の課題といたしまして、現在の
警察官に対する立法者の御認識を改めて頂きたいという要望を述べまして、私の
公述を終りたいと存じます。
昭和二十三年の春、私
どもが
公安委員に就任いたしました当初のことでありますが、
警察法というものを初めて通読いたしましたときに、何だか割り切れないという印象を受けた一、二の点に気付いたのであります。その一つに、先ず法第一条の第二項に「
警察の活動は、厳格に前項の責務の
範囲に限らるべきものであ
つて、」中略「その
権能を濫用することとな
つてはならない。」とある点であります。これはいわゆる一九四七年九月十六日付のマ元帥書簡中のあの歴史的な考え方に基いた立法であります。
警察がその権力を濫用してはいけないということは
警察行政に当
つての世界の共通的通念であります。ひとり
日本のみならず、世界のあらゆる
国家の
警察行政に当
つて普遍的に適用されなければならない大
原則であります。然るにこんなわかり切
つた幼稚な、いわば啓蒙的な、或いは少くとも教訓的な
原則をわざわざ一独立
国家の
警察法の冒頭に入れなければならない
理由はどこにあるのでありましようか。又それほど
日本の
警察は過去において不当な権力を用濫していたでありましようかどうか。私は当時この法文を前にして思わず眼をみはり、息を呑んだものであります。これは
日本の
警察が過去に行
なつた罪悪の事実を
警察法の冒頭に掲げることによ
つて、一つは過去の罪の償いとし、一つは前車の轍を踏ませない後車への戒めとしたのでありましようが、同時に明らかに戦勝国が戦敗国に課した一種の烙印とも称すべきものではないでありましようか。いずれにいたしましても、
日本の
警察にと
つてこの上もない不名誉な規定であります。この種のいわば贖罪的な規定は、ひとり
警察法中のみならず、アメリカ
占領国軍によ
つて立法されました他の
法律にも見受けられるのであります。
余談ではありますが、丁度
警察法の場合と同様でありますから、一つの例を引用いたしますと、
日本憲法第九十八条にこういう条項があります。「
日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。」とあるのであります。併し条約や国際法を守ることは、国際法上否人類の道義上、
国家の基本的義務の一つでありまして、ひとり我が国のみならず地球上のあらゆる
国家に普遍的に適用されなければならない国際上の大
原則であります。今
立場を変えてこれを個人の私
生活に当てはめて言い換えますると、お互いに約束したことは誠実に守らなければならないということになるのであります。然らば何故に
日本憲法にのみ特にこんな普遍的な大
原則を掲げなければならなか
つたかと申しますと、それは申すまでもなく、
日本が満洲事変以来、条約や国際法を無視して侵略を逞しゆうしたという、あの一連の背信的な歴史的事実が
占領軍
司令部の
憲法起草
委員を動かした結果としか考えられないのであります。果して然らば、
憲法第九十八条は、
日本が条約違反を行い、国際法違反を行
なつた事実を
国家の最高法典である
憲法の正文を以て公式に証明するに等しいものでありまして、
日本国民にとりましてこれよりも不名誉な規定はあり得ないのであります。
警察法についても同じことが言えるのではないでしようか。私は、
警察法第一条第二項の規定も、過去の
日本警察が犯した行き過ぎに対する強い反省の要望であることを認めるものでありますが、併しその故に
警察の機能まで限定されるに至りますれば、いわゆる角を矯めて牛を殺すことになると思うのであります。現在戦前と比較いたしまして遙かによくなりました
警察官を再認識して、立法に当
つて緩和して頂くことを特に今日諸先生に
お願いいたす次第であります。殊に
警察法第一条第二項の規定は、まだ世上の
批判の的とな
つておりませんが、
警察の活動に関する解釈は、過渡期における国際的政治情勢の圧倒的影響を受けておりましたと同時に、戦後の偏
つた国民一般の思想も多分に反映しているものであります。これらの被
占領下特定の時代制約のもつ行き過ぎの
制度を是正し、以て現在の我が国情に則した新らしく且つ妥当な
見解をとり、
警察の機能を十分に発揮せしむることは、機構
改正と同時に並行して必要であると信ずるものであります。回顧いたしますれば、戦争前の特高
警察は思想統制等の名の下に、
警察が往々善人を圧迫いたしました。これ
終戦と共に
警察法が
改正された
理由の一つであります。然るに、
終戦後八年有余を経過した今日、戦後過分に放任したために、このたびは民間の悪人が善人を圧迫するようにな
つたのであります。例えば一部のあいまいなる特殊金融業者又は悪質なる新興宗教家が善良なる一般人を搾取しているごとくであります。この社会は進展して参ります。然らば
警察も又前進しなければならないと思うのであります。そして社会の進展が社会各領域相互
関係の複雑化を伴うものならば、
警察がその
治安維持の対象を社会各領域へ拡げねばならないことは当然であります。人或いは、然らば
警察は全社会の中へ埋没し消滅し去るであろうと申します。併しかかる誤解は、およそ社会の機能と領域との全く異
なつた二つの概念の混同より生ずるものであります。例えば、
警察が肺病の病人に整形手術を施すとすれば、これは医術的領域への侵害であります。併し、インチキな肺病新薬の賄賂による国立病院への売り込みを看過するとすれば、これは
警察的機能の不活動であり職務の怠慢であります。
警察は社会の全領域へ
関係せねばなりませんが、併しそれは社会の
治安維持というただ一つの機能を通じてのみ社会の全領域へ
関係すべきであります。若し
警察がいわゆる従来の
警察プロパーの仕のみを以て自己の職責なりと判断するならば、けだし高度文化社会における
警察機能は一大掣肘を受けるでありましよう。若し社会各領域への滲透を拒否するとすれば、その機能は完全に停止すると言
つても過言ではないのであります。社会の各領域の限界領域として、今日の我が国では到る所に真空地帯を現出しております。この真空地帯こそ知能犯の好個の繁殖地帯であることは、最近保全経済会をめぐ
つての大蔵省と法務省との
責任転嫁問題が鮮やかに象徴しています。とすれば、かかる真空地帯こそ
治安維持、擾乱発生地帯として、むしろ
警察機能にと
つての専門的固有領域と言わなければなりません。それには、
改正警察法の立法に当られまする諸先生は、従来の領域的解釈を捨て去り、新たにその機能的解釈を採用して、これが
運営を大幅に拡大せられたいのであります。それがために、
改正警察法規の立案に当られまする御当局におかれましては、この点に十分なる思いをいたされ、
警察の活動に関する責務の
範囲について更に更に新らしい
見解を以てせられまして、以て第一線に活動する
警察官をして現在の我が国情に則したる万全なる取締が可能になるように要望いたす次第であります。
終りに臨みまして、長い間御清聴をこうむりましたことを深く感謝いたしまして、私の不束かなる
公述を終らして頂きます。
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