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参考人(中原乾二君) カーボン・ブラツクには、大きく分けまして、ゴム工業に使うものと、印刷インク工業に使うものとがございます。
日本の商品の八〇%はゴム工業に使
つております。約一〇%が印刷インクに使
つております。その他が塗料とか、一般に使われているのでございます。
日本には御
承知の
通り、国内には一トンも生産がなか
つたのでありますが、昭和十六年に
アメリカが
日本に対して輸出を禁止いたしまして、それから慌てて国内で生産を開始いたしたのであります。併し戦争の終る頃まで非常に幼稚なものでございまして、戦争が終りましたときには、各社とも
アメリカから再び安い良いものが来たならば生産ができないというので、皆、生産途中にあるものを放棄してしま
つたのであります。ところが終戦後、一、二年
アメリカからやはり来なか
つた。それで
政府は再び各生産会社に再開を促した、そうして今日に至
つたものであります。昭和二十四年まで、二十四年におきましても、まだ需要者が大いに生産者を督励いたしまして、さあ作れ作れということであ
つたのであります。二十五年から
輸入が順調に来るようにな
つた、もう要らないというので、そつぽを向いたような状態であります。併しカーボン・ブラツクの生産会社は、皆、大企業でございまして、この生産を続けてだんだん合理化されて、昨年は八千七百トン生産いたしております。それで昨年の消費が一万五千トン
程度であります。約七千トンが昨年
輸入されております。そういう態勢になりましたので、ここに関税問題を
政府でお取上げにな
つたのであります。関税のことをずつと申上げますと、昭和六年までは一〇%に相当する従量税がかけられております。昭和七年に
日本石油が台湾でカーボン・ブラツクを作るようになりましたときに、一五%に相当する従価税がかけられるようになりました。終戦後、二十六年にこれを一〇%に下げたのであります。そのときは殆んどカーボン・ブラツクは
政府輸入でございまして、例の
貿易公団が扱
つておりました。消費者も、それから生産者も、関税ということについては殆んど無関心でありました。どういうわけで一〇%がきま
つたか、その成行きについてもよくわからなか
つた。当時の担当官に聞いて見ますと、厳重な
輸入統制であるから関税は上げる必要はなか
つた、成るべく下げたほうがいいというので、一〇%にしたということを伺
つております。国内生産がそういうふうに非常に旺盛にな
つて参りましたので、これは昨年
政府がお取上げにな
つたのは、生産
業者の陳情によ
つたものではなか
つた。通産省でこれを二〇%が適当であるということでお取上げにな
つたのでありましたが、昨年の夏の議会で、これを二〇%に上げて、今年の三月三十一日まで一〇%据置きということにな
つたのであります。その据置きの理由は、まだ相当の量を
輸入しなくちやならない、
従つてその体制ができるまで据置くということでございましたが、そのとき、昨年の夏問題にな
つておりましたようなカーボン・ブラツクは、今日では国内で生産されるようにな
つたと私は
考えております。その時期において国産のメーカーから、議会、お役所に対して、この三月三十一日を以て打切
つて頂きたいという陳情が出ておるんだと思います。一方、消費者におきましては、
現実に一割カーボン・ブラツクの関税が上るということは非常に大きな負担である、だから、これはどうせ国内で、できないものもある、だから関税は上げないでもらいたい、こういうことでございます。二十九年度の現在における国内の生産能力は一万二千トンに達しております。一万二千トンの生産能力を持
つておりますが、現在の状態では到底それだけの生産をしても価格の面で売れるとは
考えられないのであります。