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1954-11-10 第19回国会 参議院 水産委員会 閉会後第18号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十九年十一月十日(水曜日)    午前十時三十一分開会   ―――――――――――――   委員の異動 本日委員片岡文重君辞任につき、その 補欠として松澤兼人君を議長において 指名した。   ―――――――――――――  出席者は左の通り。    委員長     小林 孝平君    理事            青山 正一君            千田  正君    委員            島村 軍次君            森崎  隆君            松澤 兼人君            苫米地義三君   事務局側    常任委員会専門    員       岡  尊信君    常任委員会専門    員       林  達麿君   参考人    愛知学校経学    部教授     入江啓四郎君    一橋大学法学部    教授      大平 善梧君    東北大学法学部    助教授     小田  滋君    東京大学法学部    助教授     加藤 一郎君   ―――――――――――――   本日の会議に付した事件水産政策に関する調査の件  (ビキニ被爆事件に関する件)   ―――――――――――――
  2. 小林孝平

    委員長小林孝平君) 只今より水産委員会を開会いたします。  本日はビキニ被爆事件に関する件を議題といたし、参考人方々から御意見を承わることにいたしました。  当委員会といたしましては、ビキニ水爆事件発生以来、本件に関し、しばしば委員会を開催いたし、閉会中も引続き十数回に亘り委員会を開催して本問題を審議検討いたし、先には全会一致の決議を以て、原水爆保有国実験並びに使用禁止と、我が国水産業に及ぼした損害に対する完全補償に関し、政府は速かに米国と交渉して、適切なる措置をとるべきことを要求して参りましたが、その後の経過を見ますと、依然として何ら適切な解決を見ていないことは、誠に遺憾とするところであります。又政府米国に対する折衝の状況並びに国内施策の実情を見ますに、損害に対する賠償要求等我が国及び我が国民が当然要求し得る権利に対しても、政府は果して確固たる信念ありや、疑いなきを得ない状況であります。従いまして当委員会といたしましては、水爆実験違法性の問題並びにいわゆる直接間接損害賠償問題等に関し、国際法及び民法等専門の学者の方々参考人としてお越しを願い、専門立場からそれぞれ御意見を開陳して頂き、今後の本委員会の審議に資することにいたした次第であります。参考人氏名公報を以て御通知申上げました通り一橋大学法学部教授大平善梧君愛知学校経学部教授入江啓四郎君、東京大学法学部助教授加藤一郎君、東北大学法学部助教授小田滋君の四君であります。  次に参考人方々に申上げます。  本日は御多忙中を当委員会のためにお越し下さいましたことを厚くお礼を申上げます。本日お越し願いました趣旨につきましては、先に申上げました通りでありまして、国際法或いは民法等法律論から見た水爆実験違法性の問題、損害賠償請求の根拠、請求権者及び賠償範囲等、その他これに関連する国際法及び国内法上の諸問題につきまして、率直なる御意見をお聞かせ頂きたいと存じます。なお、参考人の御意見開陳の時間は、時間の都合上一先ずおのおの約三、四分といたしたいと存じます。  委員各位にお諮りいたしますが、初めに全部の参考人の御意見を承わつた後、参考人に対する質疑を行うことにいたし、又参考人の発言の順序は、便宜上公報掲載氏名順序にいたしたいと存じますが、如何でございましようか、よろしうございましようか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 小林孝平

    委員長小林孝平君) それではさよう御了承願います。  では、これより順次参考人の御意見を伺うことにいたします。まだ大平教授が見えませんので、順序を変えまして、入江啓四郎教授からお願いいたしたいと思います。
  4. 入江啓四郎

    参考人入江啓四郎君) 愛知大学入江でございます。ビキニ事件空気汚染海水汚染による損害賠償問題でありますが、国際法上の先例、案件の中から、特に類似して、法的性質について非常に参考になると思われるものを選びまして、ここに先ずそれを御紹介します。そしてビキニ事件とどのように比較さるべきかということの、私の見解を述べて見たいと思います。  それはトレイル・スメルター事件と言われるものでありますが、その事件内容を先ず申上げますというと、亜硫酸ガスのもたらした空気汚染によつて、二国間の損害賠償請求事件として提起されたものでありまして、国際法上の問題として、空気汚染事件としては恐らくこれが最初のものであります。本件の事実は、カナダ領ブリテイツシユ・コロンビアで、コロンビア河の水源に近いトレイルに、一カナダ会社の経営する熔鉱所がありまして、それがトレイル・スメルターでありますが、その作業のために鉛と亜鉛の熔解によつて多量に発散する亜硫酸ガスが、コロンビア河渓谷の上空に入りまして、風向きが普通である限りは、渓谷気流に運ばれてコロンビア河を下つて従つて河アメリカのワシントン州を貫流しておりますところからして、亜硫酸ガスも又同州に入つて開墾地収穫とか未開墾地立木を害し、且つ、一帯地価下落させて、延いて一般住民経済的地位にも影響し、購買力の低下から、一帯商企業にも損害をもたらしたものでありまして、損害測定をめぐつて、ここにも直接損害及び間接損害の問題が生じたのであります。  アメリカ主張する損害に対しまして、第一回は英米国際合同委員会の裁定によつて損害賠償支払が行われたのでありますが、その後アメリカは、事態が依然として改善されないままに損害が生じたとし、そこで両国の政府仲裁協定を結びまして、国際仲裁裁判所、以下裁判所と申しますが、それに本件を付託したのであります。付託事項は、トレイル熔鉱所に起因する損害有無損害があつたとして賠償範囲、それから将来損害を防止するための保障と防止の方法であります。裁判所準拠法といたしましたのは、それについて仲裁協定は、協定で特別の規定を設けているもののほかは、第一に国際法及び国際慣例を挙げ、第二に同種の問題を解決するについて、アメリカで行われている法律及び慣例を挙げたのであります、これは国際司法裁判所規程規則とも一致することでありまして、規程は、裁判所の準則として国際法国際条約国際慣例及び文明国によつて認められた法の一般原則を挙げておるのでありまして、それと一致するわけであります。仲裁協定アメリカ法準拠法として指定しましたのは、本件国際法上の問題としては最初のものでありましたのに対して、後にも触れます通りアメリカでは早くから空気汚染及び流水汚染によつて、州対州の事件について判決例がありました。その適用法規及び法理は、国家国家同種事件にも援用せられ得るとしたからであります。尤も仲裁裁判所といたしましても、仲裁協定アメリカ法適用するとしたからと言つてアメリカ法適用によつて国際法及び国際慣例を排除してはならないとし、且つ裁判所手続規則を採択したのでありますが、その規則の中に「本手続規則に明文を設けなかつた事項については、国際法、正義及び衡平要求するところによる」と規定しまして、即ち準拠法国際法が主であつて同種の問題について国際法上も解決基準となる限りは、アメリカ法律及び慣行をも援用し得るとしたのであります。かくて中間判決は一九三八年、最終判決は一九四一年に行われたのでありまして、かなり近い国際法上の判決例となつておるのであります。ここで私は第一に、本件アメリカ被害国であつて、その損害賠償請求権が満足されたこと、従つて本件アメリカが何を主張し、その主張がどこまで認められたかということ。第二に、アメリカでは類似事件ですでに連邦最高裁判所判決例があり、本件でもそれが援用されているということについて、特に御注意を喚起したいと思うのであります。  次にビキニ事件との類似性でありますが、第一に、ビキニ事件空中汚染及び海水汚染でありますが、本件トレイル・スメルター事件空中汚染事件であります。併しアメリカでは各州間の紛争としまして、空中汚染及び流水汚染の各事件があつて、これに関するアメリカ最高裁判所判決例、例えば空気汚染事件としまして、ジヨージア州対テネシー銅会社事件、同じくジヨージア州対ダツクタウン硫黄銅鉄会社事件、又流水汚染事件としまして、ミズーリ州対イリノイ州事件、及びニユージヤーシー対ニユーヨーク市事件に関する最高裁判所判決をも参照しまして、同種事件に関する諸州間の紛争は、国家間の紛争類似し、その解決に関する法理は、国際法上反対の規則がない限り、本件にとつても妥当な基礎となり得るとして、国際法上の理論と共に、類似事件に関するアメリカ法理、特に空気汚染により、土地又は地上権利享有を不法妨害する行為、ニユイザンス、又は他人土地侵入、その他土地占有に対し不法な干歩を行う行為プレスパス法理を引いたのであります。ビキニ事件空気汚染及び海水汚染である点に見て、本件は最も参照の価値があると思うのであります。  第二に、裁判所はこのように同種事件に関する国家国家紛争類似するとし、アメリカ最高裁判所判決を援用したのでありますが、それに基く一つの断定として、およそ国際法原則によれば、いずれの国もみずからその領域を使用し、又は他人に使用させて、その結果発生する有害気煙により、明らかに重大な結果を招き、それにより他国に対し、又は他国内の財産若しくは人に対し損害を加えてはならず、そのように重大な結果を招くような方法で、自国領域を使用し、又は使用させる権利はないと断じたのであります。本件について裁判所は、トレイル・スメルター行為につき、カナダ自治領国際法責任があり、従つてカナダ政府としては、溶鉱所の行為国際法の下におけるカナダ自治領義務と一致するように、これを監視する義務があるとしたのであります。この論旨を敷衍しますと、本件カナダ領域内で、カナダ会社行為に基く空気汚染事件でありますが、カナダは、自国領域をそのように使用させてはならん国家としての義務があり、それに背いた点で、カナダ自体国家責任を生じたというのであります。他方被害国であるアメリカは、そのような他国領域内原因を持つ空気汚染で、自国民の受ける人的、物的損害に対しては、これを保護する国家基本的権利義務があり、従つてカナダに対する権利主張は、個々の被害者に代つて私法上の損害賠償請求権を行使するものではなくて、アメリカ自身が、直接被害国として国際法上の権利を行使するものであります。ビキニ事件は現在外交上の処理段階でありまして、国際仲裁裁判若しくは国際司法裁判段階ではありませんけれども、それは手続上の相違に過ぎず、事件そのもの性質本件と極めて類似しておると思われるのであります。即ちビキニ事件は、アメリカ信託統治地域内でアメリカの行なつた危険な行為が、公海で重大な結果をもたらし、空気及び海水汚染によつて日本国民生命財産損害を及ぼしたものであり、これ又国家国家事件でありまして、トレイル・スルメター事件行為者が直接には個人であること、ビキニ事件では国家であること、被害区域は一方は他国の領土内、他方公海であることは、行為違法性と、それに基く国家責任に関する限りは、何らの区別は認められないのであります。ただ損害測定方法が、一国領域内の場合と公海の場合とで異なるだけであります。  以上が事件内容、及び私の見たところによりまして、ビキニ事件類似性について指摘したのでありますが、その次には損害測定について申上げたいと思います。  その前に直接損害間接損害についてでありますが、トレイル・スメルター事件仲裁裁判所が、カナダ事件責任があるとして、どの範囲まで損害賠償義務を課したかに入ります前に、今の直接損害間接損害区別について、国際法上の原則と若干の先例について指摘しておきたいと思うのであります。  国際法上の原則は直接損害主義でありまして、直接損害とは、加害行為自体によつて生じた損害、又はこれと同等の損害であつて、何らか他の原因の附加によつて、又は何らか他の直接の介入によつて発生した損害ではないと言われておるのであります。国際司法裁判や、国際仲裁裁判の事例でも、当事者はいずれも賠償要求を直接損害に限つておるのであります。ただここに注意すべきことは、間接損害要求しないと言いつつ、実際には一方から見て直接損害主張されるものを、他方間接損害として排除しておることがしばしばあることであります。理論的には原因と結果の直結した損害か否か、即ち相当因果関係によりこれを区別すべきでありますけれども、実際には紛争当事者主張裁判所の評定によりまして必ずしも一致するものではないのであります。例えば資本の支払遅延による損害には、利子は当然加算されるのでありますが、家畜に加えた損害により、家畜自然増加として期待されていたものは期待利益であり、間接損害であつて損害賠償対象にはならんとされておるのであります。事件名称は省界いたしますけれども、イギリスが間接損略に対する賠償要求しないと明言しつつも、而も家畜集団の殺害に対する直接損害に加えまして、家畜自然増加に対する期待利益又は損失利益についても、これを直接損害として補償要求したのでありますが、併し仲裁裁判所は、この種期待利益間接損害であると言つて補償を認めなかつたのであります。併し他方では直接損害主義に対しまして、その補則とされておるのが条理であり、又衡平原則であります。一方では直接損害にしても賠償義務国負担能力も考慮されることがありますと共に、他方では非直接損害、直接でない損害と思われるものが余りに激しくて、直接損害賠償だけではその犠牲者を救済するに足らないような場合は衡平原則によつてその補充的な賠償が認められている事件があるのであります。これも事件名称は省略いたしますが、或る交戦国中立国侵略した、そして侵略した後に撤退して、撤退した間に土民暴動、掠奪によつてその中立国国民人的損失物的損害を生じた事件でありますが、侵略による損害は直接損害であります。土民暴動侵略により間接に惹起されたものであります。結局仲裁裁判所は、侵略による直近の損害はこれは全的に賠償しなければならないけれども、土民暴動侵略がなかつたならば起らなかつたはずのものであつて、これによる損害に対しても限定された範囲衡平補充的補償を行わねばならんとしたのであります。即ち、最初不法行為がなかつたならば発生しなかつたであろうところの追加事実による損害に対して衡平原則適用されたのであります。第五福龍丸事件による一般市場人気一般的恐慌状態ビキニ事件相当因果関係があるか、それとも新たな追加事実であるかということは後に触れたいと思います。そこで最初トレイル・スメルター事件に返りまして、その場合直接損害間接損害がどのように区分けされたかということについて申述べたいと思います。  第一に、裁判所作物収穫のために使用せられる開墾地損害測定するについてはアメリカ裁判所が先ほど申しました妨害――ニイザンス、即ち他人土地に煤煙、悪気流などを放流してその土地又は地上権利享有妨害する行為、又は土地侵入その他土地占有に対し不当な直接干渉をした行為、ブレスパスの場合に適用される損害測定に準拠したのであります。即ち有毒ガス放流により発生した土地使用価値、又は地代収入価値減少額を以て損害基準としたのであります。土地開墾地質改良のために投じた費用は独立して賠償対象とはならず、それは土地使用価値又は地代収入価値減少中に加味せられる損害としたのであります。  第二に、開墾地ではありますが、作物収穫のため使用せられない土地及び未開墾地についてもこれに与えた損害測定アメリカ裁判所損害測定に従い同じく土地使用価値又は地代収入価値減少によることとしたのであります。  第三に、未開墾地のうち市場性ある、つまり販売価値のある立木のため使用せられる土地、即ち植林地帯にもたらした損害測定については、市場性ある立木破壊は一般的に地価そのものを害するものであるところからこれ又アメリカ裁判所の採用する損害測定に従いまして、立木破壊による地価下落によつてこれを測定することとしたのであります。立木破壊そのもの実質地価下落と同等であるとするのがアメリカでの指導的判決例であるとしておるのであります。  第四に、まだ市場性価値あるまでになつていない未成長の、或いは未伐期の立木についてもその損害についてはこれ又アメリカ裁判所の採用する損害測定によりまして、これによつてもたらされた地価下落によることとしたのであります。以上要するには亜硫酸ガスの害毒による損害は、開墾地、未開墾地立木有無などの区制によりましてその土地使用価値又は地代収入価値により損害測定するか、又は地価下落によりその損害測定したことになるのであります。ビキニ実験による損害地代若しくは地価基準にするというわけにも行かないのであります。この場合には魚類に与えた価値喪失若しくは減少によつて測定すべきものと思われるのであります。第一に放射能の附着により放棄した魚類はその喪失価値を以て損害測定すべきでありましようし、第二に、自然科学的見地に立てば直接放射能を受けてはいないが、社会的見地に立てば第五福龍丸事件のもたらした一般的市場人気により作られた魚価一般的下落はその下落を以て損害とすべきであろうと思うのであります。尤もこの場合一般的市場人気放射能そのものの作用とは関係なく、実験魚価下落の間には一般的心理恐慌という追加事実の介入があるとして、従つてそれは間接損害であつて賠償対象とはならんとする反論も或いはあるかと思います。併し自然科学的な因果関係と社会科学的な相当因果関係とは区別すべきでありまして、まのあたり福龍丸事件を見てその甚大な損害について報知されている国民にとつては、そうした一般的心理恐慌はその先行原因相当因果関係があると判断してよいかと思います。併し仮に死の灰に関する報道が誇大に失したとしましても、これは本来の原因行為がなかつたならば発生しなかつたであろう、追加事実でありまして、それによる損害衡平原則によつて補充的な補償が行われねばならない。先ほどトレイル・スメルター事件について申述べました補充的補償が想起されるのであります。  次にはこの事件間接損害としてどういうものの賠償を斥けたかと申しますと、アメリカ弁護人商企業に関する損害に対する賠償主張したのでありますが、裁判所損害そのものはこれを認めまして、被害地域住民経済地位が下降し、顧客買主購買力も減退しましたために営業損失及びの他の下落を来たしたことは疑いがないとしたのでありますが、併しそれにしましても地域住民経済的地位が下降してそれがために生じた損害は余りに間接的であり迂遠であつて、これを評価するには余りに不確定である。従つて賠償は与えられないとしたのであります。不法な妨害により顧客買主購買力が落ちたために或る人の営業損害或いは営業減少を来たしましたとしてその賠償を認めた判決例はなく、そのような損害が証明されたとしても法律損害賠償を認める基礎としては余りに間接的であり、迂遠であるというのが判決の下した断定であります。これをビキニ事件について見ますというと魚類に対する一般的需要減退から漁業との関連企業料理店営業など流通業者に及ぼした影響は間接損害とされるのであります。そのほか間接損害として行政費その他が論じられておりますけれども、ここで問題として提起されていることには関係ないと思いますので、直接損害間接損害はそのくらいにいたしまして、ただ終りに一言だけ付け添えたいと思いますのは、先ほども裁判所に付託された最後の所に将来の補償ということがありましたが、裁判所は、亜硫酸ガス放流をし、これにより他国損害を及ぼしたことについて紛争当事国の一方に不法行為責任ありとした建前上、将来の保障についても一応の措置を講ずべきことを命じておるのであります。  以上を以ちまして私の一応の報告を閉じたいと思います。
  5. 小林孝平

    委員長小林孝平君) 次は大平参考人にお願いいたします。
  6. 大平善梧

    参考人大平善梧君) 私が質問されております件は、先ず国際法被害をこうむつた個人から直接に加害国政府損害賠償請求することができるかという点から始まつておりますが、国際法個人被害を受けた場合には加害国政府に対してその国の法律に基いてその国の裁判所に訴えるという途が一つ開かれております。従つて日本人がアメリカ政府に対してアメリカ裁判所において訴えるという途が開かれておるわけであります。日本裁判所日本法律によつて訴えるという途は個人から損害を受けた場合はありますが、加害国政府が治外法権を持つておりまするから、日本裁判所において裁判を受けるということはできないのであります。個人から直接に米国政府に対して損害請求するという途は開かれておりませんのであります。従つて日本政府がその個人に代つて加害国政府に対して外交上の賠償請求を行う、或いは条約関係がありますれば、仲裁裁判国際審査或いはヘーグの国際司法裁判所というものに訴えて行うということも考えられるわけでありますが、本件につきましてはそういう国際裁判所に訴えるという途がないわけではありませんけれども、双方の政府が合意するというところまでは至つておりませんで、外交上の手続きによつて本問題を解決するといことになつておるわけであります。  次に、日本政府米国に対する請求被害者たる個人に代わつてなすべきものであるかどうか、この点であります。個人国際法上の主体でございませんから、国際法上の請求というものを加害国政府に対して行うことはできないのであります。それをその本国の政府本件に基きまして個人に代つてこれを行うということになつておるのであります。併し国際法上の法理論の伝統的な考え方から申しますと、その個人に代つて行うところの請求は、国家の基本的な、いわば対人主権、そういう統治権を侵害されているというような立場において、基本的な自分の権利を侵害されたから国家がこれに対して他国請求をする、こういう考えになつておるのが先ず十七、八世紀からできました、いわゆる重商主義的な、国家公権的な立場からそういう法体系が今日作られておるわけであります。併しながら、これは最近の国際法傾向といたしましては強い批判を受けておるのであります。弱小国は自己の国民損害補償請求をするために強い隣りの国に対して要求をする、そうして問題を起すということを躊躇する傾向がある、こういうことは個人権利を保護するゆえんではない、こういう立場から非常にこの個人地位というものを尊重する傾向が見えております。世界人権宣言というようなものが決議されているのは御承知通りでありますが、最近の平和条約を見ましても、個人の海外の財産を放棄するという場合に、個人に代つて国家が放棄する、こういうような表現が条約に見えております。阿波丸事件におきましてもそういうような文言が出ておつたことは御承知通りであります。こういうような立場個人が持つている請求権個人が持つている財産権、そういうものを国家が代つて個人のために請求するということが、事柄の実質を衝いているわけでありまして、個人立場を考えずして、国家のそのときそのときの政治情勢によつて、その請求が動揺を来たすということは面白くない、こう考えられるのが今日の国際法傾向でございます。そういうような立場から申しますれば、個人に国際機関としての裁判所、いわば世界法的なそういう国際裁判所というものに訴える途を与えまして、そうして個人権利を公平にする、保護する、まあこういうようなふうになれば一番よろしいわけであります。併しとにかく個人権利国家が守る、という立場において、併しながら法理論的には国家の基本的な権利が侵害されたという形において、今日の国際法は処理しているのであります。これが第二点であります。  なお補足的に申しますと、国家個人を保護しなければならない、こういう義務国際法的にも国内法的にもはつきりしておりませんのであります。言い換えれば、国家個人を熱心に保護するかどうかということは、国際的な及び国内的な政治問題でありまして、日本の憲法の前文にも、国政というものはそもそも厳粛なる信託に基くものである、国民の代表である、こういう立場政府が立つているのでありまするから、政府国民の利益のために行動する、こういう政治的責任を負つているのではないかと考えられるのでありますが、具体的なその条文上の根拠はない、こう申上げるのであります。  次に不法行為に関する準拠法国際法及び国際私法の問題につきまして、一言申上げます。この問題はまあ国際私法学者、例えば一橋大学教授の久保博士というような人をお呼びになりましてお聞きになつたらよろしいかと思うのでありますが、私は国際法立場から、この問題を私なりに秩序立てまして申上げたいと思います。  我が法令は第十一条におきまして、国際私法の原則を採用して、不法行為準拠法行為の行われたるところの法律と規定しているのであります。従つてこれを本件に当てはめて参りますれば、不法行為は第五福龍丸という日本の漁船について行われたということになるのであります。そうして又そのまぐろがとられて、それが廃棄されたというのは、日本の国において行われている、又価格が下落したという事実も日本の国において行われているのであります。従つて法令の立場から申しますれば、日本法律によつてこの不法行為法律関係を規定するということに相成るのであります。勿論この場合に問題になりまするのは、原子爆弾の実験というものが、ビキニというアメリカ信託統治地域において行われた、従つて不法行為の行われた、行為と言いましても行為を初めに起した起動地、行為の初めに起つたところ、いわばその結果が起つたところでないというふうなことも考えられるのであります。併しながら最も事柄の公平な観察をいたしまするならば、被害者の利益を保護する公平なる補償を行うという立場からいたしまして、不法行為を初めに起した土地でなくしてその結果を惹起したところのその法律による、言い換えるとビキニの信託統治の法律ではなくして日本法律によるということになるのであります。で第五福龍丸は日本の漁船であり日本の国籍を持つておるのでありますから、日本法律というものが優先的に考えられなければならないのであります。この日本法令の第十一条の規定というものはこれは大体世界の通説でありまして、立法例から申しましても学説から申しましても不法行為に関する準拠法の先ず大体公平な立法例の一つであると考えられるのであります。それで不法行為準拠法として訴訟地法説或いは行為地法説、上の二つの折衷説、非常に特殊な本国法説というものがあります。これはドイツの一人の学説でありまして、本国法説ということになりますと両方の国籍を考えるということになるわけであります。併し立法例から申しますと、断然行為地法説というものが圧倒的でありまして、ヨーロツパの各地特にモンテヴイデオ条約とかブスタマンテ法典という代表的な条約にもその趣旨が謳つてありますし、アメリカ合衆国の不法行為準拠法行為地法であります。こういうふうに考えますと、国際私法の規定として不法行為準拠法行為地法によるという原則は、いわば国際私法のほうの一般原則であると考えられるわけでありまして、これを国際法の考え方に持つて来ることができると思うのであります。不動産に関する準拠法はやはり不動産の所在地法であるというのが世界の大体一致しておるところであります。そうすればそういう問題が起つた場合に国際法が不動産の問題をその所在地法によるということにするのはこれは法の一般原則として当然国際法としてとらなければならないところであります。そういたしますと本件につきましては直ちに国際私法の規定そのものが国際法になるとは申上げられませんけれども、日本法律というものを中心にして考えて処理をするということはこれは世界の国際私法の通則から見て妥当な考えである。例えば一例を挙げますと、日本の医者が原子病を処理した、併しながらアメリカの医者に診せなかつた、そういうことが問題になつておる点であります。併しながら被害者日本人であり、被害者日本の習慣に従つて治療を行なつたというならばこれはアメリカ側として特に文句を言う理由はないだろうと、こう考えられるわけであります。これは久保博士にも相談しまして大体間違いないというふうに考えられる点でございます。  第四に水爆実験は適法か、これは非常にデリケートな問題でありまして、日本の学界におきましても若干説が分れておるところであります。水爆実験が初めて行われたことであるから、こういうようなことについては国際法の規定はないというような極端な説はとやかくといたしまして、水爆実験はやはり海洋の自由の適用だから、そういう実験をすることが自由だ、従つて合法的な行為である、それでアメリカの行なつたところの行為不法行為にはならない、まあなつたとしても非常な過失の問題について立証することは困難だというような面が日本に一つございます。これに反しまして水爆実験は不法である、特に海洋の自由を害する、こういう説が有力に主張されておるのであります。それでこれは海洋というものは一国だけが排他的に支配するということが許されていないのでありますから、確かに海洋の自由に重大な侵害を及ぼす事件に相違ないのであります。それで私の見解を申しますれば、海洋の自由ということは他国の同じような使用を侵害しないという条件の下に許されておるのでありまして、いわば平等性並びに一時性ということを条件にして自由に海洋を使用するということが許されておるわけであります。従つて他国の海洋の使用の自由を侵害するような行為を起したということになりますれば、これは一小規模な水爆実験を起したというような場合におきましては他国の使用をそれほどまでに侵害しないという場合ならばこれは丁度海上において実弾射撃をやつておるというのと大体同じに考えて、一応その程度においては海洋自由の中に含まれる。併しながらあれほど大きな海面を、而も長期間に亘つて行い、重大なる危険を他国の船舶に及ぼすということは、これは権利の濫用である。最初は裏庭に焚火をしたというようなことであつたかも知れませんが、それが道路に、大きな火傷をするというような災害を起し、公園のほうに出たものが不法行為を受けるというようなことになつたと似ておるのでありまして、全くこれは権利の濫用である、こう考えられる。それで最初はいわば小規模の場合ではこれは量的に許されておつても、それが大きくなると不法という質的な変化を起す、こう考えられるわけであります。  次に危険区域の設定の問題でありますが、これはモナコにあるところの国際水路会議というものの決議に基きまして、この申合せによりまして水路に関するいろんな事柄を連絡通報しておるのであります。それでアメリカ信託統治地域において原爆を実験するということは国際連合の関連におきましては手続を了しておるのであります。従つて信託統治地域及びその領水において危険なる行為を行う。そこに閉鎖地域を設定して、まあ軍事的実験に供するということは、これは国際法上適法とされております。併しながらその三カイリよりも外に、アメリカは三カイリ説をとつておりますが、その三カイリよりも外に危険を及すのであれば、危険があるからと言つてそれで実験をするたびに危険区域の設定をした、そうしてそれを水路会議の決議に基いて各地に連絡をした、そこで最初日本はそういうことを知りません、日本のまぐろ船などがそちらに立ち寄つた。そこで日本側に連絡がありまして、占領当時は電話で通知があつたと漏れ承わつておりまするが、そこで日田の水路告示が行われたわけであります。それで昭和二十六年の二月十日、二十七年十一月十日、更に第三回には二十八年の十月十日に航路告示を行なつております。それでこの航路告示は決して日本の漁民に対してその立入りすることを禁止する、こういうものではないのであります。アメリカ側もこれは危険のあらかじめ知らせる、いわば警戒措置であります。そして而もこの区域外に危険が及ぶような場合には又この旨をできれば通告をする、こういう趣旨のことを言つておるのであります。読みますると、「この危険区域内における人命及び財産に対する損傷の事故に対する補償のためにあらゆる可能的な予防的手段がとらるべき旨、並びに危険区域内の行動によつて、危険区域外にまで危難が及ぶ虞れのある場合にはその旨の警告が必要に応じて行わるべき旨」この旨を謳つておるのであります。従つてアメリカといたしましてはこの告示をしたということによつて一切の責任を免かれる、又日本の水路告示によつてそれを告示したから日本政府責任を免かれる、又そこへ行つた漁夫が非常な重大な過失があるというわけには参らないと思うのであります。言い換えると危険なものが起るぞ、あるぞと、注意しなさいという注意、事前の注意であります。従つてたとえその危険区域の中に漁船が入つてつたといたしましても、これを処罰をしたり或いは管轄権を及ぼして不法な行為であるというふうなことにはなるわけではございませんし、実験をする場合にはよく注意してそういうものを外側に出すようにすべき、個個の具体的にその現場において注意を更にしなければならないという責任アメリカ側に当然あるわけであります。ましてや問題の第五幅龍丸はその線の外側にあつたということが、日本の正確なる調査によつて立証されているのでありまして、その点から申しましてもアメリカ側に非常な過失があつたということが言えるわけであります。これが私の水爆実験は適法か否かという点に関する見解でございます。  で、実験通告の問題というものが補足的に謳つてございますが、三月の二十日には危険水域拡大の正式な通知があつた。こういうのは、これは国際法上別にこういう通告をしなければならないということもないし、又するのは適当だと考えられる点でございまするが、関係国といたしましては通告をしてもらいたい、これは危険というものが成るべく少いようにする、こういう意味からいたしまして、私は通告をして、国際法上の厳密なる通告をする義務があるとは言いませんが、併しそうするのが穏当である、こう考えるものであります。  最後に米国側に故意過失がありやという点でありまするが、日本の漁船が海洋において適法に漁獲することができる、そういう漁獲行動の際においてこちら側に何らの過失なくして損害を受けた、こういう事案が最も重大な点になると思うのであります。で向う側に実験をする自由があつたと、だからこちらの海洋の自由とそこで競合するという見解も成立つわけであります。そこで実験をするということがどの程度許されるかという先の問題に又転回するわけでありまして、全然実験を行うという自由がないとするならばこれはもはや故意過失を問題にする必要はないのであります。で私はこの点につきまして、原子爆弾を実験するということはこれは一応許されておる、併しながら非常に危険な実験である、そうしてこれは恐らくはこれに関係するようないろいろ事件が起つて来るとするならば、非常な損害を及ぼすであろうということは予想されるようなそういう実験でございます。而も海洋の自由というようなものはこれは航行、漁業というような平和な仕事をするために、勿論この戦争にも海洋を使うのでありますけれども、併し原則としてはそういうような立場において海洋の自由というものは認められておると、こう一応考えるわけであります。そういうふうに考える場合には、原子爆弾の実験を行うという点にありましては、よほど他国の海洋の使用の自由を侵害する虞れがあるということを考えなければならない、そうするならばできるだけ他国の迷惑にならないような範囲においてこれは行うべきであります。そういうふうに考えますると、この故意はアメリカ側になかつたとしてもどうも認識したるというような過失があると、いわば非常に人通りの多いような坂を非常なスピードで自動車を駆け降りるというような場合に過失があつたというばかりでなく認識された過失があつたと考えられるような事態をここで引用するのでありますが、アメリカ側において認識された過失があつたんではないか、そこまで言えるのではないかと私は考えておるのであります。  それで確かにアメリカ側としては人智の許す限りにおいてこれだけの注意を行なつたということを言うのでありましようが、併しながらこれは非常に危険なるものを管理するものの責任否その危険なるものを危険の起らないように管理するのではないのでありまして危険なるものを破壊力をそのまま実験するということによつてつた事件でありまするからこの管理者の責任というものは非常に重大である、そういう場合におきましては加害者が過失の責任を立証するというよりもいわゆる挙証責任の転換ということによりましてアメリカ側に過失がないということを立証すべきであります。そういたしますればアメリカ側といたしましては過失がなかつたということを立証することは殆んど不可能になるのであります。先ほど申上げました三月の二十日に危険水域の拡大の通知をよこしました、これは今度の事件が起つたためにそういうことを考えたのでありましようが、いわばこれは十分に調査をすれば当然あらかじめそういう拡大された危険水域を設定すべきであつたんであろう、更に又たとえそれを設定することにいたしましてもその上にアメリカ側が飛行機その他の具体的場合において警戒する措置をより多くとらなければならなかつた事件に相違ないということがわかるわけであります。よりまして私はアメリカ側に故意はなかつたとしても過失はあると、而も日本側に過失が立証できいないといたしましても挙証責任の転換をなすべきところの事件であろう、こう考えるのであります。これで終ります。
  7. 小林孝平

    委員長小林孝平君) それでは順序加藤参考人でございますが、都合によりまして小田参考人の御発言を願います。
  8. 小田滋

    参考人小田滋君) 突然のお呼出しでございますので、全然準備をしておりません。従つてこの順序従つて一つ一つ申上げる用意もできておりませんので思い付いたままに申上げます。それと、もう一つは供述事項の第一から第四まで大平教授と私とが供述参考人になつておりますけれども、根本的な考えにおいて私は大平教授と考え方を異にいたしておりますのであらかじめその点を御了承願います。  で問題は最初公海の自由に関連して来るわけでありますけれども、公海の自由、公海を如何なることに使用してもかまわないという原則が成立しているというふうに一般に言われておりまして、更に又あのビキニの水爆実験もこれも一つの公海使用の形態であるというような考え方が行われております。併しこれは明らかに違つております。水爆実験は何も公海を使用したばかりではない、公海領域内で行なつた行為の結果が公海で発生したというに過ぎないのでありまして、これを以て公海の自由の一形態であるというふうには考えることは根本的に誤つていると考えております、で公海の自由はそれではどういう意味を持つかと申しますと、一体に法律原則はそうでありますように必ずその背後にはその法原則を成立せしめる社会的な事情というものが存在するわけであります。公海の自由というのは御承知のように十七、八世紀或いは九世紀を通じまして、一応戦争法の問題は別にいたしますならば、専つぱら公海の自由と、それからもう一つは資源開発、具体的に言えば、実際問題として問題になるのは漁業でありますけれども、資源開発と、それと航海の自由、つまり船に乗つてつたり来たり、そこで資源を開発したりするといういわば生産過程及び交換過程における自由が問題になつているわけであります。ビキニの水爆実験を以つて公海自由の一つの形態である、従つて水爆案験と、それから漁業が競合するというような考え方は私としては全然認められないわけであります。そこで問題はビキニの問題になつて参ります。それでアメリカ領域内、これも一つの問題がありまして、これは信託統治内でありますから、これは領域であると言えるかどうかわかりませんが、一応ビキニをアメリカ領域であると認めたといたしまして、アメリカ領域内で行なつた行為の結果が少くとも長い慣行によつて認められて来た航海と、それから漁業の自由を妨げる、ここに明らかに国際法上の不法行為を行なつているのでありまして、危険区域の設定の問題はあとで申上げますけれども、危険区域があるとなしとにかかわらず、公海上において漁業或いは航海を妨げる行為というものは国際法上の不法行為であると認めざるを得ないのであります。そこでそれでは一体その不法行為に対してどういうような法律適用されるか、或いは損害賠償範囲は如何という問題になつて参りますけれども、ここでは先ほどの大平教授意見とは全然異なりますけれども、準拠法の問題は全然問題にならないと私は考えております。又国際私法の問題も全然問題にならない。純粋に国際公法の問題であります。で、国際公法上は結局国家の、もう少し厳密に言いますならば、このビキニの実験というのはアメリカ国家の正当たる権限内の行為であります。アメリカ国内法上認められておりますアメリカ国機関の正当な権限行使、それが国際法上において不法行為を構成するという例でありますで。で、これは私人間の問題ではありませんので、国際私法の準拠法の問題は問題にならない。それではアメリカ国内法上の正当な権限内の行為が国際公法上の不法行為を発生したという場合に問題になりますのは国際法義務違反の問題であります。つまり先ほど申上げましたように、国際法上認められております公海の自由というものを漁業と航海の自由であると認めますならば、それを侵害する、いわば国際法によつて保護されている自由若しくは権利を侵害するという国際法義務違反のみが問題になつて来るのであります、そこでは実は過失責任ということは問題にならない、これは大体学説が認めているところでありまして、少し横道にそれますが、国際法上過失責任が問題になると申しますのは、例えば非常に卑近な例でありますけれども、メーデー事件の場合のように、例えばその一部の人たちが外国人を傷つけた、それを防止すするのに日本政府に過失があつたか、なかつたか。つまり言い換えますならば、私人が外国の利益を侵害した場合には私人を取締るのに過失があつたか、なかつたかが問題になるのでありまして、今の場合のようにアメリカ国内法国家の正当な権限に基く行為、そうしてそれが外国人の権利を侵害したという場合にこれは過失責任ということは問題にならない。これは大体国際法上認められているのではないかと私は考えるのであります。そこで、そうすると損害賠償範囲はどうか。で、これも今申しましたように準拠法のほうは問題になりませんから、実は私は日本法でどうであるか、アメリカ法でどうてあるかといううなことを申す必要はないと考えております。これは明らかに国際法上の原則に基いて規定しなければならないので、準拠法では日本である、或いはアメリカであるということを言う必要は少しもないと考えております。そこで損害賠償範囲でありますが、若干の学者の言つていることをそのまま援用いたしますならば、ライスという学者がおりますが、これは「違反行為により減少したるところの生活能力と同等の価値のものを賠償する」というふうに言つております。又ウエーベルクは、「直接損害のみならず間接損害も同様に賠償されることは論ずるまでもない」と言つております。スピロプロス、ギリシアの学者でありますが、「現行の国際法によれば国際法違反行為より発生せる損害原則的にはその全範囲に亘つて従つて間接損害をも含めて賠償される」と言つております。又イーグルトン、アメリカの学者でありますが、ニユーヨーク大学の教授でありますが、イーグルトンは「唯一の惹起原因としての不法行為にまで遡及されうる一切の損害は必ずしも直接的でなくても、要するに因果関係によつて完全に賠償されねばならぬ」これは学説であります。こういうふうに学者が言つております。勿論国際法上何も損害賠償範囲のことを決定した条約があるわけではありませんので、こういう学説とか、それから又これよりもつと基本的にはいわゆる法の一般原則適用されなければならない。法の一般原則としては勿論日本の民法ではどうだ、アメリカの民法ではどうだ、フランスの民法ではどうだ、ドイツではどうだ。大体世界の文明国の法の一般原理というものを探究する必要はありますけれども、準拠法として日本法律はこうだから損害補償範囲はかくかくであるべしということはこの場合は全然問題にならないというふうに考えているわけあります。で、実はこう言つてしまえはビキニに関してはもう簡単でありまして、ともかくこれは公海の自由を侵害した不法行為である、その損害賠償因果関係によつてすべて……つまり法律的な因果関係のある限り十分に賠償されなければならない、当然のことであります、併しもう少し立入つて考えますならば、それでは一体アメリカでは全然水爆実験はできないのか、或いは又危険区域というのはどういう意味を持つていたのかということになるわけであります、で危険区域はこれは言うまでもなく立入禁止区域ではないのであります、で、若しこれが立入禁止であるならば、その危険区域の設定そのものが国際法上違法である、けしからんということが言えるのでありまするが、併し先ほども大平教授も言われましたように、アメリカは決してここに立入つてはならないとは言つていないのであります。従つて危険区域を設定したそのことが国際法の違反であると言うことはできない。それならば一体立入を禁止したのではないところの危険区域の設定というものが法的にどういう意味を持つか、これが問題になるわけであります。そこで或る国際法学者によれば、この危険区域を設定しておいた限りその中において発生した事故に対しては、損害に対しては責任を負わない。つまり危険区域を設定しておけばその中の事故はまあ無責任である。いわゆる責任阻却の一事由として危険区域の設定を考える学者があるのであります。又これが現在私の考えているところでは政府当局もその考え方を認め、通説であるかとも思いますけれども、これはやはり私としては根本的に間違つていると考えております。なぜならば若し危険区域の中で発生したことに対して責任を負わないというのが危険区域設定の意味ならば、それならば実験をするほうの国にとつては成るべく危険区域を広くきめておけばいいのであります。そうすればその中において発生した事故は一切責任を負わない。而もそれのみか、現在水爆実験被害範囲というものは直接的被害でありますが、仮に五年たち、十年たち、そうするとますます大きな水爆というものができて来る、そうして又その放射能が一年も二年もあとに残存するというような状態が起つて来るという場合に、危険区域を設定しておけば責任を負わないというのであるならば、半径三千マイルも四千マイルもの範囲に亘つて、而も一年間、二年間という範囲に亘つて危険区域を設定したならば、それは水爆実験はできるのじやないかという反論がなされ得るのであります。極端に言えば、横浜の鼻の先まで、横浜の先ではちよつと困るのですが、日本海岸から三マイル、日本の領海外に危険区域を設定して水爆実験をやつて責任は阻却されるのか、こういうふうな疑問が提出されなければならない。従つて私としては、危険区域の設定が責任阻却の事由になる、つまり危険区域を設定しておけば、その中で起るその損害に対しては責任を負わないというような考え方は、絶対にとり得ないと考えております。それならば一体立入禁止でもない、それから責任阻却でもないところのその危険区域の設定は、法的には全然意味がないか。私はそこで危険区域の設定が若し意味を持ち得るとするならば、それは先ず第一に、それを日本国が受諾した場合に法的な効果が発生するというふうに考えております。これは民法上の不法行為に対する被害者の承諾というのが、違法性の阻却の事由になつております。従つて若しアメリカが将来、将来であります、将来ビキニで水爆実験を行う、そこで大体半径例えば三百マイルに被害が及ぶであろうと考え、そこで日本政府に対して通告をして来る、通告をして来るというより申入れを行う、申入れを行なつて若し日本がよろしいと、これは日本に限りません、関係国と言わなければなりません。併し今具体的な問題としては、日本と申上げていいかと思いは、国際法責任阻却の事由になりませんし、危険区域の設定という行為だけでは問題になり得ない。従つて将来危険区域を設定するという場合に、日本の漁船が突つ切つてそこへ入つて、そこで実験をやつたために被害を受けた、その場合には、飽くまで日本政府損害賠償請求権が残ることは、これは言うまでもないのであります。併し漁船の立場から言えば、実際に被害を受けて、損害賠償をもらう、而も日本政府損害賠償もらうわけでありますが、国際法上の問題でありますから……、実際に危険区域を突つ切つてつて、そうして放射能によつて死ぬかも知れない、併し死んだら五百万円もらえるというようなことでは、やはり漁師としてはたまらない。それであれば漁師みずからの考えで危険区域を迂回するというようなことが考えられるわけであります。つまりくどいようでありますが、繰返して申上げますが、突つ切つてつて損害を受れば、それは飽くまでアメリカ不法行為であります。つまり危険区域設定そのものは、国際法上には意味を持ちませんから、やはり公海上において、航海の自由の権利を侵害したのでありますから、漁船が損害を受けた場合に、アメリカ損害賠償しなければならない、これは確かであります。併し漁船としては損害賠償をもらつても、やはり損害より生命のほうが惜しい。ところが一方日本政府は先ほど申上げましたように、日本政府立場として危険区域を受諾しておれば、先ほど言いました得べかりし利益の損害賠償によつて損害賠償が得られるわけでありますが、日本政府は知らん顔をしている。アメリカが危険区域を設定したのに対して、日本政府は知らん顔をしている。そうすると一体漁船はどうなるのだ。確かに突つ切つてつて損害を受ければ損害賠償はもらえる。併しそれよりも生命が惜しい。じや一方日本政府が危険区域を受諾して、その得べかりし利益の損害賠償してくれるかというと、日本はそんなことは一向しない。その場合に考えられるのは、漁船が自分の立場でそのアメリカの危険区域を迂廻するということが考えられるのであります。実はそうなつて参りますと、問題は国際法の問題を離れまして、アメリカ国内法上の問題になつて参ります。と申しますのは、危険区域を日本の漁船が迂廻した、つまり日本政府は今はまあ全く問題外であります。日本政府は問題外でありまして、日本の漁船が出て行つて通告を知つた。三百マイルの危険区域の告示を知つたアメリカ側の告示であります。その場合日本の漁船が自分の立場で、政府関係なしに自分の立場で迂廻をする。その場合には向うのアメリカの設定した管轄権を受諾したことになるわけであります。それは丁度日本人が自分の意思でアメリカの領土内、領域内に入つてつたのと同様な効果を持つというふうに考えられはしないか。そうしますと、アメリカ領域内に内に入つてつて、そこでまあ日本人は権利を持つている。例えばもう少し具体的に申すならば、日本人が自発的にアメリカに行く。そこで例えば土地を買つたアメリカ土地を買つた。尤もその土地を買たこと自体は別問題でありますが、まあ土地を買つた。それを今度は例えばその土地アメリカが道路にしたい、従つてその土地の収用を行いたい、そういう場合には、当然国内法上の損失土地収用に対する損失補償が問題になつて来るわけであります。それと同じように、危険区域を日本の漁船がみずから認めて迂廻したということは、一応向うの管轄権に入る、つまり向うの領域内に入るのと同じような立場になるのであります。而もそれを迂廻しているわけでありますから、そうして又もう一つアメリカ水爆実験は、国内法上に適法行為であります。アメリカ国内法上はアメリカ国の機関が正当な権限内の行為として行なつているところの行為であります。それはあたかもどこかに道を作りたい、国道を作りたい、従つて土地収用の問題と同じようになつて参ります。従つて日本の漁船が向うの管轄権に従つて危険区域を迂廻した場合には、アメリカ国内において持つ日本人の私権、プライベートな権利が、アメリカ国内の適法なる政府行為によつて損失を受ける場合と同様に考えられます。そこで初めてアメリカ国内法上の損失補償、これは損失補償であります。アメリカ国内法上の損失補償が問題になるわけであります。従つてみずから迂廻した漁船は、アメリカ国内法上、アメリカ政府に対して損失補償請求すべき権利がある。アメリカ政府はその迂廻した日本漁船に対しては、あたかも自分の領域内に住んでいる外国人に対すると同様に、適当なる損失補償支払わなければならないというふうに考えるわけであります。併し実際問題としてそれでは一体迂廻した漁船が一々アメリカに行つて、そうしてアメリカ政府に対して損失補償請求できるか、そして又その手続は如何、どうなんだということなると、私自身としてはよくわかない。これはアメリカ国内法上の問題になりますので、わからないのであります。併し国際法上の理論的な考え方から言えば、日本の私人がアメリカの危険区域の設定を認みて迂廻した場合には、アメリカ国内法上の損失補償が問題にならなければならない。而もそのときにアメリカが若し日本人に損失補償支払わない。で日本人がアメリカ政府を相手取るというような場合に、若し裁判所がその裁判を拒否するといたしますると、国際法上言われておるデイナイアル・オヴ・ジヤステイス、裁判の拒否ということは問題になりますし、或いは又そのような日本人の請求といものを認めないようなアメリカ国内法であれば、立法機関の責任、つまり国家責任になります。外国人の権利を保護するに十分なる立法を行なつていなかつたという、アメリカ国の国家責任が生ずるのではないかというふうに考えるわけであります。  以上申上げますたことを繰返して簡単にまとめて申しますと、結局航海の自由といのは、とりわけ漁業と、航行のナヴゲーシヨンを保護するためのもである。従つてそれを侵害するような、その権利、或いは利益を侵害するような行為は、国際法上の不法行為である。でこれは飽くまで国際法上の不法行為でありまして、国内法の問題とは関係ございません。従つて準拠法の問題は問題にならない。損害賠償範囲も、純粋に国際法の問題として取上げなければならない。ただその場合に、国際法の一つのプリンシプルといたしまして、法の一般原則が存在いたしますから、法の一般原則、つまり外国の民法がどういう損害賠償範囲を認めているかということを参照しなければなりませんけれども、日本の民法がこうだからといつて準拠法の問題として取上げることは誤りである。  併しそれではその次にアメリカは絶対に水爆実験はできないか、或いは危験区域の設定は無意味かと申しますと、危験区域は決して立入禁止ではない、そして又それは責任阻却をするものではない。危険区域の設定が意味を持ち得るとすれば、それは被害国、若しくは被害者に対する承諾の要請である。従つて若し被害国である我々日本が、日本政府が、それを受諾した場合には、国際法上、日本国が得べかりし利益の損害賠償請求権が起る。併し日本政府が黙つている場合に、日本国の漁船、つまり私人が自発的にこれを迂廻した場合、これはこの日本人が自発的にアメリカ国内法に従つたことになりまして、その場合にはアメリカ国内法上の損失補償が問題になるのではないか。これが今まで私の申上げたところであります。  でそこで供述事項として御指定を受けました一から四までのうちの、三と、四と、それからよその領域に入つて参りましたが、五の問題、それから六の問題にもこれは触れたわけであります。  で最後にちよつと附加えて申上げておきますのは、一の問題であります。国際法上、被害をこうむつた個人から、面接米国政府損害賠償請求ができるか、これはできない。できる場合は、先ほど申しましたように、自発的に廻つた……、その得べかりし利益の損失国内法上の損失補償だと言い得るのでありまして、被害をこうむつた個人から、つまり、ビキニの場合に、すでに起つてしまつたあのビキニの場合に、直接米国政府への損害賠償請求、これは国際法上絶対今のところできないわけであります。  それから二の問題は、日本政府米国政府に対する損害賠慣請求を、その被害者たる個人に代つてなすべきものであるか。これは大平教授も先に非常に詳しく説明せられたのと、私も大体同意見であります。最近の考え方では、被害者たる個人に代つて請求するのだと言つております。併し実定法では、決して国家個人の代理ではない。実定法の問題としては、これは日本政府米国に対する請求は、日本政府の受けた損害であります。事実は個人の受けた損害でありますが、国際法上は飽くまで日本政府の受けた損害であつて個人被害政府が代つて取継ぐわけではない。実定法上の問題としてはこう言わざるを得ないというふうに考えております。
  9. 小林孝平

    委員長小林孝平君) 次は加藤参考人にお願いいたします。
  10. 加藤一郎

    参考人加藤一郎君) 初めに二つばかりお断わりしておきたいことがございますが、第一は私は専門が民法でありまして、前にお話をされた三教授は、いずれも国際法の御専門であります。民法でありますのにこういう問題に関心をもつたということは、つまり国際法上も損害賠償というような私法的な問題については、やはり民法の原則が当然反映している、そういう意味では民法というものが法の一般原則というものを損害賠償のような問題については明らかにしている、そう考えるからであります。先ほど準拠法の問題について大平教授小田助教授との間に意見の相違がございましたが、私はその点で小田助教授の考え方のように、つまりこれは専ら国際法の問題であつて、国際私法の問題ではないというふうに考えるのであります。そこで問題になるのは、結局国際法上の損害賠償の問題なんであります。そこに当然民法の原則が法の一般原則という形で反映をして行くべきものである、そういう意味で民法は一体損害賠慣についてどういう考え方をとつているか、その点について申上げたいと思うのであります。  第二にお断わりしておくことは、私は前にこの問題につきまして「ジユリスト」という雑誌の今年の七月十五日号、番号で言いますと六十二号に、ビキニ水爆実験損害賠償という題で一応私の考えを述べたのであります。そこでは非常にいろいろな問題について触れたのでありますが、今日は損失賠償範囲について主として申上げて、その前提として一体アメリカ側に法的な損害賠償責任があるかないかという問題を申上げたいと思います。申述べますことは前に書きましたことと大体同じなんでありますが、ただ直接損害間接損害との区別の問題についてはその後いろいろな本を見まして、前の考えよりももう少し先に進んで述べたいと思うのであります。  そこで本論に入りまして、先ず第一に、アメリカ損害賠償についての法的責任があるかないかという問題であります。主として故意、過失の問題になりますが、この点についてはアメリカは好意的に、一応額は問題でありますが、その金を払うと言つております。ですからここで法的責任を論ずることは大して実益がないようにも見えるのでありますけれども、これはやはり非常に実益のある問題だと思うのです。なぜならば、法的責任があるということになれば、賠償額の範囲が当然法的の損害賠償範囲になるわけですが、責任がないというならば、これはアメリカ側の好意によつてそれを適当に縮めることができるので、賠償額に非常に響いて来るのであります。  それからもう一つは、これが今後の前例になり、仮にアメリカが又水爆実験をやつて日本の漁船が被害を受けたというような場合に、やはり賠償額について今後もアメリカの好意によつて向うの適当と思うところまでの損害賠償しか取れないということになつては、今後の問題として非常に困ると思うのであります。そこで、法的責任があるかないかということは、やはりこの際明確にしておきたいと思うのであります。  そこでこの損害賠償責任についての一般原則と申しますと、我が国で言いますと民法の七百九条というのにその原則が掲げられておりまして、「故意又ハ過失ニ因リテ他人権利ヲ侵害シタル者ハ之ニ因リテ生シタル損害賠償スル責ニ任ス」というふうに書いてあります。その不法行為成立の要件といたしましては、第一に故意、過失、第二に権利侵害、権利侵害ということは最近の学説によつて違法性という問題である、違法性があるということであると言われておりますので、つまり故意、過失と違法性という二つの要件が必要になるのであります。これは日本の民法でありますが、どこの国の法律を見ても結局この点は同じことであります。  そこでこの二点について考えて参りますが、先ず第一に権利侵害即ち違法性の問題であります。この点については、先ほどから大平教授或いは小田助教授が言われておりますが、この間には考え方の違いがあるようであります。小田助教授のように全面的に水爆実験は違法であるというふうに考えればこの点にはつきりしておりますし、又大平教授のように水爆実験は一応できるにしても、それが損害を起したときはやはり違法になるのだというふうに考えても、違法性ということについてはどちらも一致しておられると思うのであります。私としても、少くとも水爆実験によつて生じた損害賠償しなければならないという意味での違法性は認められなければならない、そういう意味での損害賠償するについての違法性ということは、水爆実験公海の自由を侵害すると否とにかかわらず、ともかく違法性があるのだというふうに考えております。  そこで次に第二の要件といたしまして、故意、過失があるかどうかという問題であります。この点は小田助教授のように、故意、過失は全く問題にならないとされれば非常にはつきりしておりますが、今までの考えでは一応過失責任ということが原則になつているようでありますので、先ず過失責任として考えて、故意、過失があるかということを問題にしたいと思うのであります。大平教授は、先ほど過失があるということを言われましたが、私今日この点で申して見たいと思います。従来の伝統的な過失責任立場、これは古い過失責任立場からいたしますと、そのときに最善の努力を費してもなお損害が生じたという場合には過失はないというふうに考えております。ですから仮に水爆実験をやるに当つてアメリカの現代最高の科学者たちが精密に計算をして、あの危降区域の範囲ならば損害が起らないと思つてつたところが、その外で第五福龍丸に損害が生じたというそういう場合になりますと、それが最善の努力を費したと見られるといたしますと過失はないということにならざるを得ないのであります。恐らくアメリカとしても十分計算をしてやつたことだとは思うのでありますが、なお且つ損害が生じたのであります。この点で我が国のほうで、アメリカ側に過失があるということを立証することは甚だ困難であります。尤もその後になつて危険区域が六倍にも拡大されておりますので、その点からして前の計算は過失があつたのではないかという推定は一応できると思うのであります、ですからそこで挙証責任を転換しまして一応過失があつたのではないか、若し過失がなかつたアメリカ側で主張するならば、その根拠を示してくれという要求をすることは十分できると思うのであります。つまり挙証責任の転換ということによつてアメリカ側の無過失を立証させるという点までは十分行き得ると思うのであります。  次に更に進んで過失の擬制、つまり過失があると凝制することはできないかという問題があるのであります。この点でアメリカ法上ネグリジヤンス、過失による責任或いは法的義務違反による責任という一つの不法行為の類型がありますが、ネグリジヤンスという不法行為の類型においては、過失というものが次第に客観化、定形化されて来ております。つまり過失を客観化、定形化して、何か損害が生じたならばそこに当然過失があつたというふうに擬制をして行くのであります。これは形式的に申しますと、やはり過失責任の中にとどまつて過失があると言つているのでありますが、実質的に考えますと非常に無過失責任に近くなつているのであります。アメリカでも過失なきネグリジヤンスというような言葉が使われたりしておりまして、鉄道その他の企業責任についてはこの過失のいわば定形化、客観化によつて一般に責任を認める傾向が非常は強くなつているのであります。今回の事件についてもこのような考え方を推し及ぼして、ともかく損害が生じた以上そこに過失があつたのではないかというふうに主張することがこれも十分できると思うのであります。  ところで以上は過失責任という旧来の立場を維持しながら過失があるというふうに言おうとするのでありますが、更に進んで、こういう場合には無過失責任が認められないかという問題があるのであります。無過失責任にはいろいろな根拠が挙げられておりますが、特にこの場合に問題になるのは危険責任の問題であります。今日では特に大きな危険を生ずるような場合には無過失責任になるということが相当程度法の一般原則として世界各国に認められていると思うのであります。その中で英米法の立場を見てみますと、これはすでに一八六八年にライランズ対フレツチヤー事件という有名な事件がございます。これは危険物を保管する者はそこから当然に責任を負う。そこから生じた損害について当然責任を負うという英米法でいう厳格責任が認められているのであります。この危険物を、これは自分のとにかく持込んだものがそこから生じた損害に対して責任を負うということでありますが、それは更に火にも適用されているのであります。最近になつてアメリカでは従来の判例を総合しまして、リステートメントといいまして、法文の形に書き直す仕事を法律協会が進めておりますが、そのリステートメントの五百十九項というのを見ましても今のような考え方が現われているのであります。それを申しますと、極度に危険なる行為を営む者はその損害を防止するために最大の注意が払われたときでも責任を負うと、そういう趣旨の規定であります。これは今英米法だけを申しましたか、諸国でもそういう方向にみんな向つているのであります。これをビキニの水爆実験に当てはめて見ますと、ビキニの場合はまさにみずから強大な危険を人為的に作り出し、それによつて他国人の平和な生活に突然の損害を与えたという、危険責任の極めて典型的な場合になり得るのではないかと思うのであります。従つて、仮にアメリカ側の過失が立証できないといたしましても、この場合は無過失責任としての責仕が当然認められるべきだと私は考えるのであります。尤も国際法上どうしても過失責任でなければ認められないというのでありましたならば、先ほどの過失の擬制によつて過失の定形化、客観化によつてアメリカ側に過失があつたといつてもいいんですが、学問的に言えばそれはむしろ本質的には無過失責任になつているのだと私は言いたいのであります。又仮に国際法上従来過失責任しか認められていなかつたといたましても、それは今回の場合には国際法上の慣習として必ずしも適用されるものではないと思うのです。慣習というのはそれと類似事件についてみ適用されるのでありまして、ビキニ実験というのは全く新らしい事柄であります。それに対しては従来の慣習が仮にありといたしましても、必ずしも適用されるものではない、そう考えるのであります。  結倫を申しますと、私はビキニ責任の場合には無過失責任に学問的にはなる。若しそれが実際上主張することは、無理な過失があるということを損害の発生から客観的に述べることは十分できるというふうに考えるのであります。  以上のようにアメリカ側は損害賠償についての法的責任があるというのが、第一の問題についての私の結論でございます。  そこで次に第二の問題に進みまして、損害賠償範囲は一体どこまでかということに移ります。で、この点についても、各国の立法例から、法の一般原則として何が認められているかということを考えて行きたいと存じます。で、その場合に、やはり当事者である日本法と英米法とは一番参考とすべきだと思いますので、先ず日本法の考え方を申上げます。  日本法では、損害賠慣の範囲についてはつきり規定したものがないのであります。不法行為について規定がありませんので、これは業務不履行の場合についての損害賠償範囲を定めました民法の四百十六条を、やはり不法行為にも適用すべきであると一応考えているのであります。四百十六条によりますと、第一に、通常生ずべき損害はすべて賠償する、第二に特別の事情による損害で予見が可能であつた、あらかじめ予想することが可能であつたものは賠償する、そういう二段構えになつております。これは相当因果関係を現わしたものであると言われておりまして、つまり相当因果関係範囲内の損害ならば、賠償責任があるというふうに言つております。で、これは言い換えますと、いわゆる予見可能性の理論でありまして、予見可能な範囲損害はすべて賠償すべきであるというのあります。これは一つの損害賠償範囲についての考え方でありまして、ここまではどこの国の立法例でも大体認められております。ドイツ、フランスあたりもすべてこの相当因果関係の理論で行つていると思うのであります。  ところで次に英米法においてはどうであるか、これか結局実際には一番問題になると思うので、少し詳しく申上げて見ます。英米法におきましては、一般的にこの近い損害賠償するブロクシメイト・タメジは賠償する。遠い損害、リモート・ダメジ、これは賠償しない、これが一般原則であります。この損害賠償範囲について、あとで申上げますようないろいろな言葉が使われておりますので言葉の使い方は非常に厳密にしなければならないと思うのですが、先ず近い損害と遠い損害ということで、賠償範囲を分けているのであります。ところでこの何が近いか何が遠いかということは、これは幾ら議論をしてもきまることではない、こういうふうに向うの学者も言つておりまして、結局実際問題に当つて何が近いか遠いかを決定しなければならない。その近い遠いを決定する基準としていろいろな点が挙げられているのであります。  で、歴史的にこれを簡単に見て行きますと、第一にはいわゆる予見可能性の理論、つまり日本法のような相当因果関係の理論というものがとられていたのであります、つまり合理的な人が予見し得たものは近い損害である、それから予見し得なかつたものは遠い損害をして賠償がとれない。これは一八五〇年頃からの判決でずつと認められていた点であります。  ところで第二には、直接性である損害は近い損害賠償がとれる。これを直接というのがデイレクト、デイレクト・タメジというふうに言われております。即ちデイレクト・タメジは近い損害として賠償範囲に入るというふうに言うのであります、それを裏返して申しますと、間接損害は遠い損害として賠償されないということになります。この問題は直接、間接という言葉の意味でありますけれども、我々がちよつと考えますと、直接というのは非常に近いものだけしか言わないのじやないか、例えばビキニで言いますと、直接に灰を被つた第五福龍丸とか、その他被害を受けた漁船だけを指すのであつて、例えばまぐろの値下りによる損害などは直接に入らないのじやないかというふうに考えがちで、今までの議論を見ますとどうもそういうふうに進められていたように思うのであります。ところがこれは非常な間違いなんでありまして、実はアメリカで直接ということを持出しましたのは最初の予見可能性の理論をむしろ拡張するために使われたのであります。この点は非常に重要なことだと思うので特に申上げたいのであります。で初めは予見可能性ということを言つておりましたが、それは不法行為責任が生ずるかどうかという点に関してだけ問題になるので、一度責任ありとされたならば賠償範囲にはすべての直接の損害が含まれるというふうにこの判例が言つております。これは千八百七十年のスミス事件、千九百二十一年ポレミス事件の二つの有名な事件においてとられた理論であります。つまり直接ということは途中において因果関係を中断するような妨害物が入つて来ないでまつすぐ続いて行くところまでは賠償範囲に入る、それが予見可能と否とにかかわらずともかく因果関係が中断されずに続いている限りはすべて直接である、このように考えております。つまりデイレクトというのはまつすぐ続いているところは全部入ると、そういう感じらしいのであります。日本では灰を被つただけが直接であとは全部間接だというふうに言つておるようですが、それは繰返して申しますように間違いだと思います。結局何が直接か、何が間接かというところで争う必要があるのであります。その後直接性と言いますと因果関係が非常に先まで行く可能性があつて、不合理な場合が生ずるからもう少し制限しようという考え方が出て参りまして、次にはイミージエツト・タメジ、直近の損害というふうな言葉を使つた判決が千九百三十三年のリースボツシユ・ドレツジヤー事件というものがあります。それでは何を除外したかと申しますと、河の底を掘る浚渫船が沈没してその持主がその浚渫船で浚渫をするという契約上の義務を負つていたのでありますが、船が沈没したためによそから船を借りて浚渫しなければならなくなつた、ところが資金難でありましたためにその船をよそから借りるには非常に高い金で借りざるを得なかつた、うまく安く貸してくれる人がいなかつたので高く借りざるを得なかつた、そこで特に高く借りたというのは遠い、遠隔の損害であるために、特にイミージエツトという言葉を使つたのであります。ですからその言葉の範囲も広いので除外されたというのは非常に遠い損害なのであります。でこのような判例が大体英米の判例法でありまして、例えばウインフイールドという人が千九百四十八年に書きました本の中にはまとめてこういうふうに言つております。損害が直接の損害であれば遠い損害ではない、つまり賠償がとれる、でその直接の損害という意味は次のごとくである。先ず物理的な損害が生じた場合にはそれが全部入る、物理的という意味は合理的な人がそれを予見したと否とにかかわらず一般の科学的な法則に従つて起るべき結果を意味する、つまり科学的な法則によつて当然その場合に生じたというものは物理的な損害として直接の損害に入る。で第二の従属的な基準としまして直接今の物理的な損害以外の損害については結果を予見したかどうかということで直接性がきまつて来る。言い換えますと、相当因果関係範囲は当然入る、予見可能性の範囲は当然入る、更に物理的な結果についてはそれが拡張される、そういう考え方なんであります。  それでそのような結論から今日のビキニの問題についての我々についての教訓を引出すといたしますならば、アメリカ間接損害について賠償しないと言つているのは、これは当り前の話なんであります。日本間接損害まで賠償しろというのはアメリカとして恐らく理解し得ないところだろうと思うのです。それで問題はつまり直接か間接かというどこでそれを区別するかというところなんでありまして、日本では賠償要求するものはすべて直接の損害であるといつて請求をして行くべきなのであります。それを何か頭から第五福龍丸だけが直接の損害で、あとは全部間接損害である、併しその間接損害までよこせというのは主張の仕方として非常におかしいのでありまして、賠償要求するものはすべて直接の損害として請求して行かなければならない。そうしてアメリカで直接というのは非常に広い範囲までを含むものである。ですからあとで申しますように、このまぐろの値下りとかその他のいろいろ損害がすべて直接の範囲に含まれるというふうに私は考えますし、恐らくアメリカの今までの判例等の立場から行きましても、それが直接の損害範囲内に含まれると思うのであります。  そこで次に具体的にそれではどこまでそういう意味での直接損害に含まれるかということを申したいと存じます。  第一に第五福龍丸関係損害、これが一番近い損害であることは言うまでもないのでありまして、いわばこれが第一級の損害であります。これは当然直接損害に含まれます。  それから第二に、第五福龍丸以外で廃棄したまぐろの損害がどうなるか。この(ハ)の1というところにあるものでありますが、この廃棄したものは第五福龍丸ほど近くはないけれども、第二級に近い損害である。これは当然直接損害範囲に含まれるのであります。  それから第三に、(ハ)の2にありますまぐろが放射能を帯びたことによつて一般の需要が減退し値下がりをした、そのことによる損害、これが結局現在一番問題になつていると思うのであります。それでこのような一般の市価の値下りということが問題になつた事例は、今まで捜して見たのですが、実は余り見当らないのであります。それは今度のビキニの実験が非常に特殊な事件である。ともかく日本の漁場の主要部分を占める地域が汚染されて、それによつてまぐろの価格が下つた、つまりそれほど大規模に国内全体の価格を支配するほどの損害が起つたということは今までないと思うのであります。それで併し因果関係を考えて見ますと、ビキニ及びその附近の水域は日本のまぐろ漁業の中心地でありまして、そこに今回のような異変が起つた場合には日本のまぐろ価格が左右されるということは当然のことでありまして、そこに直接性を阻害すべきほかの原因が入り込むということは考えられないのであります。それで仮に日本の消費者が過度に敏感になつて値下りを生ぜしめたということも或いは考えられるかも知れないのですが、それは日本の消費者が、つまり合理人として行動した場合にやはり当然そういうふうに行動するであろう。従つてこれは相当因果関係を中断するような事由にはなり得ない、当然このまぐろの値下りによる損害も第二級の損害として直接損害の中に含まれると思うのであります。その中で特にこの廃棄したまぐろと一緒になつていたまぐろというものは更に値下りをしているのでありますが、その部分はむしろ第一級の廃棄したまぐろに近い損害である、いわば一級半くらいのところの損害だと思うのであります。  次に第四に、(ハ)の3に挙げてあります検査のための水揚遅延により船を繋いでおいたために生じた損害、これもそういう事件が起つたならばまぐろの検査をするということは当然予期されることであり、当然期待されることである、でそれによつて繋留期間が延長したことも当然この直接損害範囲に含まれると思うのであります。これもやはり第二級の損害言つていいと思うのであります。  次に第五番目としまして、(ハ)の4に挙げてあります危険水域設定のため漁場を喪失し又は航路の迂回を余儀なくされたための損害、これは今までに述べた損害とはちよつと性質が違うものでありまして、いわば得べかりし利益の喪失というようなものであります。でこの点はこの危険水域の設定が合法的であつたかどうかという点とも関連するのでありますが、これはむしろ第一級の損害である、最も近い損害であるというふうに思うのであります。  次に第六番目に(ハ)の5挙げてあります需要激減に対する回復策の費用、つまりまぐろ業者が投じた啓蒙宣伝費でありますが、これはそういう啓蒙宣伝費を投じても値下りのまま放置しておくよりは有利であると思つて投じたものであります。ですから放つて置けばもつと損害が大きくなるはずであつたのを、それを食いとめるために投じた費用でありますから、これによつてアメリカ側の賠償すべき賠償額も減つているのであります。その賠償額を減らすために有効に投じられた費用でありますから、これも第二級の損害として直接損害の中に入ると考えます。  次に第七番目に、今度はまぐろ業者から離れまして一般の魚商人の損害でありますが、これは仲買人、小売商人等が値下りによつて損害を受けております。そのうちで初めに値下りということを知らずに買つている、これはビキニ事件が、第五福龍丸が帰つて来てから二、三日の間そういう現象が若干起つたようでありますが、普通に売れると思つてつたところが急に値下りをしてそれが売れなくなつた、これはむしろ(ハ)の2に挙げてありますまぐろ業者の損害と丁度同じ性質のものでありまして、これも第二級の損害に入ると思うのであります。  そのほかに一般の取扱数量の減少による損害というのがあります。つまり今までまぐろをたくさん売つていたのが売れなくなつたから、その手数料の額が少くなつたという損害があります。これはまぐろ業者が受けた損害よりも幾分遠くなるのでありまして、いわば第三級の損害になるわけであります。で魚の商人がまぐろばかりではないほかの魚もたくさん売つておりますし、まぐろが売れなくて却つてほかの魚が売れたということも或いは無きにしもあらずと思うのであります。ともかく一段と遠い損害になるので、ここまで入るかどうかが、結局境目の問題だと思うのです。併しやはりまぐろの値下りということがビキニ実験の結果生じたもので、当然生ずべき損害であつたのでありますが、私はここまではやはり直接損害範囲として賠償範囲に入れていいというふうに考えております。で更に最後にそのほかの損害といたしましてはいろいろのものが考えられます。政府や地方公共団体の投じた行政費、いろいろ検査のために投じた行政費というものがありまして、これも私は通常生ずべき損害であつて、やはり直接損害の中に入るというふうに考えております。それから先になりますと、今度は一段と遠くなり第四級、第五級の損害でありまして、第四級の損害としてはまぐろ漁業者にいろいろな品物を売るものの損害、これはまぐろ漁業者が漁業に出られませんので買つてもらえないという損害、それからすし屋が受けた損害、まぐろが危いというのですし屋が売れなくなつたという損害、それからすし屋が売れなくなりましたので今度はわさび業者が(笑声)わさびが売れなくなつたという損害、でここう辺はいわば第四級の損害でありまして、ここは少し、直接損害というには少し無理ではないかと考えておるのであります。更に第五級の損害といたしましてはまぐろを食べられない消費者の損害、(笑声)或いは精神的シヨツクを受けた損害であるとか、それより近いのは焼津とか、三崎とかいうところのまぐろ漁業の根拠地の一般のこの業者が全部不況に陥つているそういう損害も挙げられるのですが、これは更に遠いいわば第五級の損害であるというふうに考えます。  以上で私の申すことは終りでありますが、要するに直接損害間接損害という言葉の使い方をもつと正確にしなければならないということを特に申したいのであります。
  11. 小林孝平

    委員長小林孝平君) 以上で参考人のかたの発表は終りましたが、これに対する質疑は暫時休憩後いたしたいと思います。  暫時休憩いたします。    午後零時三十七分休憩    ―――――・―――――    午後一時四十八分開会
  12. 小林孝平

    委員長小林孝平君) 只今より再開いたします。  先ほどの参考人の御報告に対しまして大平参考人からの補足の申出がありますので、これをお聞きいたしたいと思います。
  13. 大平善梧

    参考人大平善梧君) 先ほど私が説明いたしました準拠法に関する点につきまして小田助教授並びに加藤一郎助教授から、これは純粋に国際法の問題であるから準拠法の問題ではないというような意味の御発言があつたようでありますが、私の説明が不十分なためにそういう誤解があつたと思うのでございますので補足さして頂きます。  不法行為の問題の準拠法につきましては理論的に、又各国の立法例から行為地説というものが最も有力であり、合理的と考えられている。理論上結果発生地説を以て最も当を得たものと考えられる不法行為に基く私法上の損害賠償制度なるものは被害者損害を補填せしむることを以てその手段目的とするものであり、その損害補填たる目的達成は実際損害の発生した行為地を支配する正義公平の関係と密接に結合するものであるためにその法律によらしむることが制度の性質に最も適合することになるからであるというふうに説明されておりますが、この行為地説というものが国際私法の共通した世界的な原則になつていると私は考えたわけでありますが、その原則日本の法令の第十一条が大体合つている。で法令第十一条がそのままに適用されるというふうに言つておるのではないのでありまして、日本の法令も行為地説をとつて、結果発生説をとつていると、こう考えるからして法令を引いたまででありまして、日本の法令の第十一条がそのままに適用されるというわけではないのであります。そして行動を起した、或いは結果が発生した、或いは権利の所在地というような、いろいろなその行為地と発生地につきましてもいろいろな見解があるわけでありまするが、やはり結果発生地ということが公平な学説であり、大体世界に有力な学説であり、各国の立法例も大体それに近いという意味からいたしまして、不法行為準拠法不法行為行為地説であり、且つその行為を決定するために結果発生地というものを規準にすべきであると、こう申すのであります。で日本においては国際私法というと、とかく日本裁判所法において準拠法をきめる規則、いわば日本の法令の解釈だけに考えられておるのでありますが、国際私法の規定は各国が皆持つておりまして、その共通したもの、いわば条約なり、慣習なりにまで結晶しているような、そいう原則がある。不動産の準拠法を所在地法によるというようなものと同じように、不法行為について行為地説というものは、その程度まで行つておる。従つてこれは日本原則であると共に、世界の原則である。で国際私法は国際公法であるから、或いは国内法であるかという学説がありますけれども、国際私法が国際法にまで結晶したものがある。それはこの場合においては行為地説と考え得る。従つて日本法律日本の民法、不法行為に関する民法というものが最も有力にこの問題を解決する場合の規準になり得るものである。勿論アメリカの法と、又広く世界の民法の不法行為に関する原則というものは、ここに参照されなければなりませんが、日本立場というものを、被害者立場というものを考える立場からいたしまして、日本の民法の不法行為の規定というものは、最も有力にこの場合に参照されるべきものである、こう考えるものであります。これで補足を終ります。
  14. 小林孝平

    委員長小林孝平君) 以上を以ちまして、各参考人の御意見開陳を終りましたので、只今より参考人に対する質疑を行いたいと思います。
  15. 千田正

    ○千田正君 今大平教授から補足の供述がありましたが、さつきと今のお話を併せて伺いますというと、本件の問題は非常に将来にかかる大きな問題でありまして、日本としましても、はつきりこの際こういう問題の再び起つた際に対する日本の態度をきめなくちやならない問題でありますが、今までこういう問題が、類似の問題があつたとしましても、同一の問題がなかつたので、非常に国際法適用すべき問題としてはむずかしい点がある、こういう立場から考えられます。只今補足されましたいわゆる国際私法の、日本民法を参照としたいわゆる立場から、拡大解釈したこの準拠法を持つべきであるというお考えでありますか、どうなんですか。その点は今までのいわゆるこういう事件がないので、国際法から原則的には国際法の問題として当然主張し得べき問題ではあるけれども、現実の問題としては準拠法適用したほうがこの際妥当であるというお考えでありますか、どうなんでありますか。
  16. 大平善梧

    参考人大平善梧君) 私は国際法の問題を解釈するに当りまして、国際私法的な考えを入れなければ解釈ができない問題がたくさんある。いわば従来の国際法立場においても国際私法的に考えなければ困るという場合が非常に起つて、例えば通商条約において外国人は日本において自由に土地を所有し、売買し、或いは自由に商取引を行うことができる。こういつた場合に、一体国際法上において土地とは何ぞや、土地の所有権とは何ぞや、法律行為、商行為とは何ぞやというようなことは、国際法においてはきまつていないのです。そうすると日本において土地を持つということは、日本法律に基いて土地を持つという意味に、この通商条約の解釈をしなければならない。これは通商条約というものは国際法の問題であります。この国際法を問題にするときに、不動産に関しては準拠法は所在地法だ、だから日本において土地を持つというときには、日本の法に従う。これをアメリカ法律のような所有権を、日本に持てといつたつてこれは無理なんです。又アメリカに自由に行われている商取引を、日本において自由に行うことはできない。要するに日本法律によつて商取引を行うのでありますから、その場合の準拠法日本の法なんです。そういうような原則は、これは従来の国際法に基きましても、国際私法的な知識を借りなければ解決のできない問題でございますから、国際私法の考え方をここに入れて御説明したということは、決して新らしい問題で、何か日本の利益を殊更に強めるために申上げているのではなくて、それがやはり伝統的な国際法の解釈として、当然に考えなければならないことである。こういう意味で補足申上げたのであります。
  17. 千田正

    ○千田正君 只今大平教授から補足説明され、又私がお尋ねしたことに対してお答え頂いたのでありますが、先ほど小田助教授がこの国際法一本槍で一つ割切つて、この問題を、原則論を持出しておられるようであります。この点今補足説明された大平教授のお考えとは、今現在の立場においても、先ほどの論拠と同じでございますか、
  18. 小田滋

    参考人小田滋君) 只今の御質問でありますが、大平教授の言われましたことを、私は十分に理解することができませんし、又今申されましたことが、国際法の伝統的な考え方にも合致すると言われましたが、私自身はそういう考え方を余り知らないのであります。従つてどうも大平教授の言われることをよく理解しておりませんので、それに反駁することもできませんし、といつて私自身先ほど申しましたことを撤回する必要は全然考えておりませんので、先ほどと同様な考えを持つております。
  19. 千田正

    ○千田正君 この問題について加藤助教授も論じておられたようでありますが……。
  20. 加藤一郎

    参考人加藤一郎君) 先ほどは専ら国際法の問題として考えるべきだということを申しましたのですが、それは結局問題は、国際法を考えた場合に、法の一般原則の中に実体法だけが含まれるのか、それとも準拠法をどこに定めるのかという問題まで含まれるかという問題であると思うのであります。私はやはり問題は主として実体法である。つまりどれほどの範囲損害賠償が、文明国において法の一般原則として認められているか、この問題ではないかと思うのです。若し準拠法の問題が、完全に法の一般原則として問題になつて来るとすれば、実体法の問題は残らなくなるわけですね、準拠法で国際私法の一般原則からして、例えば準拠法行為地法であつたとして、行為地としてきまつてしまえば、その行為地の実体法が適用されることになると思いますから、実体法の法の一般原則が殆んど問題にならなくなるわけです。併しそれは問題の考え方としてはおかしいので、やはりその実体法が、法の一般原則といつた場合の主なる内容ではないか。準拠地法もこれは全然考慮に入らないとまでは言えないと思うので、やはり不法行為であれば、被害者立場というものは、やはり一応尊重するということは必要だと思いますので、考慮はされると思うのですが、やはり主としては実体法が問題になるのではないか、そう今でも考えております。
  21. 千田正

    ○千田正君 そこで実際的に、この水産委員会として今一番問題になつておりますのは、先般もこの一委員会で、岡崎外務大臣が我々の質問に対しまして、いわゆるこの原爆実験という問題に対して、日本側はどういう態度をとるのかという質問に対して、岡崎外相は、これはアメリカ側に協力すると、協力するのだと、協力の限界は然らば何だということを追究したわけでありますが、ところが、要するに岡崎外相の答えとしましては、アメリカは自由国家群の一つの防衛その他に関する一部として原爆の実験をするという、それに対しては、日本側が自由国家群の一環としてお手伝いをするという意味において、原爆実験をするのは差支えないという意味で協力をしたのだ、協力したことによつて生じたこの損害は、然らばどつちがどういうふうに負うのかと、岡崎外相に我々は聞いたのは、それならば、アメリカ賠償が不足な場合においては、日本側においてそれをやる、国内においてその損害を或る程度補填する意思があるのかと、こういうように我々が尋ねたのに対しまして、そういう意思はない、アメリカに協力するというのは、単に実験するということは承知したという意味であつて、それによつて生じた損害に対しては、損害として、飽くまで日本政府アメリカ政府に対してその損害賠償要求をするのだと、こういう建前で言つている。どうもその協力という考えと方が単に承諾を与えたと、それによつて生じた損害は飽くまでアメリカ側は負うべきものだという観点にしておるようでありますが、これはこの協力の限度というか、或いは協力の考え方の範疇はどこに重点を置いて今後の交渉をすべきかと、日本政府要求するのは損害損害である、協力は協力である、このはつきりした限界を政府は示しておらん、この点についてのお考えは、どういうようにお考えになつておられますか。一つ大平教授から順に御感想を聞かせて頂けば有難いと思います。
  22. 大平善梧

    参考人大平善梧君) 岡崎さんの御答弁は新聞でも見ておりまして、どういう意味でおつしやつているのか、今日初めてよくわかつたわけでありますが、結局岡崎さんの言葉というものは、やつぱり外交辞令的なもので、つかみずらいような事柄かと思いますが、不法行為になると……、で、被害者が同意しておるという場合には、いわゆる責任の阻却という問題が起つて来る。併しながら、その同意にもいろいろな程度があつて、殴つてもよろしい、併しながら病院のほうの処置は全部お前のほうでやれという同意の仕方もあり得るわけであります。柔道や拳闘をやつているというような場合に、そういう同意が行われるということも考えられるわけであります。そういうふうに考えますと、結局そういう被害者の同意というところまで行かなくて、いわば不法行為にはならない、いわば国際法上では一応認める、そういうような立場で、併しながら起つた損害というものは補償してもらう、こういうふうな程度のことを岡崎さんが言つておられるらしいということを、むしろ今日はそちらの委員の御説明によつて私が了解したというふうに解釈したいと思うのです、
  23. 入江啓四郎

    参考人入江啓四郎君) 岡崎さんの発言の答弁は多分に政治的でありますが、私はそれを岡崎さんの言われたことと一致するかどうか、厳重な法的な範囲で解釈して見たいと思うのであります。他人の庭で焚火をするということ、その焚火に協力するということは、その焚火が合法的な範囲に関する限り、合法的である。併しその焚火が度を失して、隣家を燃やすところまで行く、乃至は隣人を焼き殺すというところまで行く、これは刑法上、民法上の責任を生ずるのでありまして、刑法上から言いまして、不法行為に対して協力する共犯が成立すると思いますが、そういう意味におきまして、今日ビキニ実験が不法であるという大体の判断が下されつつある場合に同じような事件が繰返される、それに協力するということは国際不法行為に協力するということで、若し岡崎さんの政治的な発言がそういうところまでも含めて言われたとするならば、これは法的に言うと甚だしく不当であると解釈します。
  24. 加藤一郎

    参考人加藤一郎君) 今の協力という言葉ですが、これはつまり大平教授も言われたように、いろんな段階の協力の仕方があると思うのです。つまり問題は協力という言葉の幅の広さに含まれているうちの、一体どこら辺まで協力するつもりなのか、その点をはつきりしないといけないと思うのです。全然そんな賠償請求しないという協力の仕方もあり得るかと思うのですが、そこまで行くことは非常に不当なことでありますので、若し岡崎さんの言を合理的に解釈すれば、まああそこで水爆実験をやることについては文句は言わない、併しそこから起つた損害はやはり賠償請求をする、その程度の協力というふうに法的には解釈すべきでございましようし、又今後日本の態度としても、原爆をあそこでやることは一応認めながら、損害が起れば賠慣を請求するというのが一番現実的な立場だと思うのです。又更に進んで原爆禁止まで、あそこで原爆実験をするとが不法であるからやめてくれということまで考えられるのですが、今の日本立場から言うと、そこまではなかなか行き得ないのじやないかと思います。
  25. 小田滋

    参考人小田滋君) 只今の御質問でありますが、先ほど私が申上げましたことにかなり含まれていることでありまして、若干繰返すことになると思います。併し実際承認したというからには何らかの法的な効果を認めなければならない。承認した、併し同じように損害賠慣も請求するし、承認しないと同じような法的効果を要求するならば、承認したということの意味は全然ないわけであります。従つて承認した、将来承認すると、具体的な水爆実験の場合に承認するということには、何らかの法的意味が含まれると我々法律家の立場から言えば考えなければならない。そこで先ほどから申しておりますように、不法行為に対する被害者の承諾、この不法行為に対する原則として不法行為であるために、このビキニの水爆実験に対して被害国である日本、広く言えば関係国、この場合特に日本に対して言えば日本政府が、承諾した場合にどうかという問題を午前中にかなり詳しく申上げたわけであります。それを繰返しますけれども、日本政府がビキニの水爆実験に、将来ビキニでアメリカ水爆実験を行う、そしてアメリカはそれに対して科学者の十分な注意を以てある程度の危険区域を改定する、そうしてその設定のその危険区域の承認を日本政府に要請すると、それに対して若しその岡崎外務大臣が将来協力すると、従つてその危険区域の設定を認めるということであれば、先ず日本政府日本漁船に対して自分のみずから設定した危険区域としてこの危険区域を指定し、そうして原則としては日本人の立入りを禁じなければならない、併しこれも先ほどから申しておりますように、その場合になお且つ得べかりし利益の損害賠償請求権は残るんだ、得べかりし利益の損害賠償請求権は残るが、この危険区域は認めたと、従つて損害賠償をしてもらう、若しこれをまつすぐ行つたら得たであろう利益、つまりそこで漁業に従事したならば得たであろう十分な利益、その場合はこの漁業の損害補償をしてもらう、日本賠償してもらう、併しそれを賠償してもらつた日本は、まあこの危険区域は日本で認めたんだから日本国民は立入りさせないぞという承諾を与えるわけです。その限りにおいて今度は日本の漁船が間違つて、間違つてかどうか知りませんが、とにかくその危険区域に立入ればそのときには明らかに責任アメリカは負わない、つまり日本が承諾したことによつてアメリカは危険区域内の事件に対してはもう違法性は阻却されておりますので全然問題にならない、むしろその危険区域内に立入つたということに関しては、その日本の漁船は日本政府の出した法令に対する違反であるというふうに逆に考えられなければならないと考えるわけであります。で併し勿論承認した、そこで危険区域も日本政府が危険区域を承認した、従つて日本政府は自分の立場日本の漁船に対して迂回しろという命令を出した、そうして迂回することによつてつた利益は当然損害賠償に認めてもらう、つまり日本の漁船は迂回した、それでもなお且つ危険区域外で損害が発生した場合にはこれは依然としてアメリカ損害賠償責任は残ると思います。併し日本が承諾した場合にはこの危険区域内で起つた事件に関しては損害賠償責任は全然アメリカは負わないというふうに考えております、
  26. 大平善梧

    参考人大平善梧君) ちよつと補足さして頂きたいのですが、岡崎外相の議会若しくは新聞紙上における発言は国際法上から申しますと、これは事実上の日本政府の感じを表現したということでありまして、国際法上から申しますと、これはまあ極めて幼稚なことまで言うわけでありますが、合意によつて、主として文書によつて、覚書その他の文書によつて日本の意思を発表したというのでない限りは、協力するということは何ら国際法上の効果を持たない単純な事実上の政治的な感情の表示であるということをちよつと附加えておきます。
  27. 松澤兼人

    松澤兼人君 そこではつきりしたのですけれども、協力するということがただ一外務大臣のまあ国会における答弁という形になつておりますね。別に向うからビキニで水爆の実験をやるんだからそれに対して協力してくれという申入れもない、ただ国会の中でいろいろ議論があつて質問されて、今後も協力したいと思うということを言つた、その国際法的な根拠というものは只今大平さんの発言で私はそうだろうと思うのですが、小田さんそういう点は如何ですか。何ら向うから申入れもなく、ただ一方的で発言したという場合ですね。
  28. 小田滋

    参考人小田滋君) 只今の御説明、全く同感でありまして、私自身も先はど申上げましたことに言い足りなかつたかも知れませんが、岡崎外務大臣がそう言つたということだけで法的効果を認めているのでなくて、若し岡崎外務大臣が、と言うよりも日本政府がそういう意図を持つておるならば将来例えば来年の一月一日にビキニで水爆実験を行うと、そしてそのときは半径三百マイルは危険区域だと向うが設定してそれを日本に申入れて来たときに承諾する、承諾をしたときには先ほど申上げましたよりな効果が発生するという意味で申上げたのでありまして、何も岡崎国務大臣がただ言われたことが国際法的に責任を持つという意味では全然ないのでありますので、その点は御了解を願います。
  29. 松澤兼人

    松澤兼人君 結局我々が常識的に考えてそういうふうに協力するというふうにまあ日本の外務大臣が言う場合には少くとも前提として今後ビキニで水爆の実験をやる場合には一応何らかの申入れをしてもらいたい、それに対しては日本政府としてはできるだけの国内的な措置を講じて協力するということが本体である、その前提がなければならないと思うのですが、如何ですか。
  30. 小田滋

    参考人小田滋君) 全く同感でありまして、向うの申入れがない限り全然問題の余地はない、単にこちらが将来申入れがあつたならばそういうことを承諾するであろうということを言つただけでありますから、確かに先ほどおつしやいましたようにその申入れがない限りは別に外務大臣がそういつたからどうということは全然ございません。
  31. 森崎隆

    ○森崎隆君 今のに関連いたしまして、ちよつと加藤助教授にお伺いしたいと思いますが、大平教授の申されたような補足の言葉でしたならば外務大臣の発言というのは私もよくわかりますが、加藤さんのほうはこれを非常ないい意味で仮定の上に立つて御説明されたのでありますが、例えばその言葉の趣旨通りといたしますると、まあアメリカの艦隊が一つのやはり演習という形で発表せずに艦陽行動をやるという場合に或る設定された区域外に他の国の漁船を締出すと、そういう意味で岡崎外務大臣が協力するという程度ならば私はわかると思いますけれども、問題は協力するということを幾ら善意に考えましてもその協力の結果には原爆の実験、水爆の実験ということがありましてこれに協力するということでございますので、言い換えましたならば必然的に予想されるものはその附近に接近した場合の漁船に乗組んでおる漁民、即ち日本に国籍を有する日本人の何名かを放射能症状という長い間の患者に陥れるという虞れがある、又今度の実際にありまする通り人命にも損耗があるということも当然予想されております。そういうようなことを予測した場合においても岡崎発言というものが可能的に認められるかどうかということであります。それについて何か御意見がありましたならば……。
  32. 加藤一郎

    参考人加藤一郎君) 私先ほど申上げましたのは、つまり岡崎発言を法的意味ありとして解釈すればどうなるかということであるので、大平教授の言われた法的意味はない、外交的辞令であるというのが本当だと思うのです。で仮に法的意味があるとして考えた場合には先ほど言つたように原爆の実験をやること自体は違法といつて攻撃はしない、併しそこから生じた損害賠償請求できる、そういう趣旨に解せられるのではないかという意味で申上げたのです。ただ小田助教授の言われたことと、私の考え方と違う点は小田助教授は承諾をしなければ、日本が承諾をしなければ原爆実験をやること自体が違法であると言われるわけですが、私としては危険区域を設定してやること自体は認めてもいいのではないかと、でそのためには前に大平教授の言われたように、そこの中に入つて来ないように、ほかの危険が生じないように適切な措置を講じなければいけないので、適切な措置を講じながら強硬に入つてつた船が被害を受けた場合にはアメリカ側に損害賠償責任はないだろうと思うのです。ただその危険水域を設定したことによつてそこの漁場の得べかりし利益は失われるとか、或いは迂回しなければならんということは、そういう問題は、賠償責任の問題は残ると思うのです。併し危険水域を適切に設定してやること自体は違法……そこは非常に問題なんですが、違法だとまでは言い切る自信がない、ですから一応それだけは合法としていいんじやないかということなんであります。
  33. 森崎隆

    ○森崎隆君 今の御説明ですと一応わかるので、私が実はお尋ねいたしましたのは、法的に根拠があると仮定の上に立ちましても、一国のやはり政府責任者が国民のまあ人命にすら被言が予想されるようなこういうような問題に協力するということが、果して外務大臣としての発言として許され得るかどうかという問題を基本的に民法上からお聞きしたいというわけなんです。
  34. 大平善梧

    参考人大平善梧君) 私はこの問題を、国際法、いわば対外的な問題と、それから国内法、対内的な問題に二つに分けて考えたいと思うのです。そこで日本政府、外務大臣がいわばいわゆる行政協定という形で、そうして公文書というような形で約束をいたしますね、協力なら協力、こういうふうに公文書で交換をして、日本政府の意思をアメリカ政府に伝えたというならばそれは国際法的に私は効果があると思うのです。但しそういうような条約に類するような交換公文が行われるというに当つては、これは国民権利義務に直接関係あることでありますから、単純に内閣の閣議によつてきめて、それで行政協定を締結するということは、これは憲法上できないとはつきり申上げられるのです。これは内閣が条約を締結するという場合には事前に国会の承諾を得なければならない、若しくは止むを得ない場合には事前にそれを承認を受けるという形をとらなければならん、特に国民権利義務に直接関係あるような重大な事項について政府が単独に閣議だけでそういうことを決定するということは憲法上許されない、こう思います。
  35. 加藤一郎

    参考人加藤一郎君) 先ほどの御質問は、つまり外務大臣にそれだけの処分権があるかどうかという問題として一応考えますと、例えば民法上の不法行為でも、自分を殺してくれ、殺すことについて承諾を与えるということは、そこまでの処分権はないので、これは無効な承諾だというふうに言われております。但し今の場合は直接その日本人が死んでもいいというわけではなく、つまり危険区域の設定を認めて、そこに入つて行けば死亡という危険が生じるけれども、それを入らないように有効に措置をして、而も賠償をその代りにとるという程度であれば処分権を認めてもいいのではないかと思うのです。ただ大平さんの言われたように、それが一種の条約として国会の承諾が要るかどうかという点はちよつとはつきりわかりませんが……。
  36. 千田正

    ○千田正君 それでその問題に関係して非常に我々がここで論じておる問題は、今皆さんのお話を承わつて、結論としては、この間接、直接というような問題よりも、相手広範囲に亘つて損害賠償請求をすべきであるという結論に到達しておるようでありますが、アメリカ側では間接とか直接とか言わずに、とにかく一つかみに一応これだけの金を渡すから日本で十分適当に処分してもらいたい、処置してもらいたい、早く言えばつかみ金を渡すからこれでまあ我慢してくれ、こういうような出方に出ているようであります。仮に今の岡崎外相の考え方で、それならばそれをもらつて来て損害の大小によつてこれを国内においてこれを処置する、こういうことも或いは協力の面に入るかも知れませんが、こういうものは一体見舞金に相当するものであるか、将来それが一つの賠償としての実績になるものであるかという点が国際法関係から見てはどういうふうに考えられるのですか。仮につかみ金でこれであなたがたの要求通りとは行かんけれども、これをやるからこれで国内においてあなたのほうで適当に処分してもらいたいとよこされた場合、それは損害賠償と我々は見られないのですが、これが一つの前提となつて将来起るであろう、再び起るであろうこうした問題に対しての一つの法的根拠になりはしないかという杞憂を持つのでありますが、その点についてはどういうふうにお考えになりますか、大平教授から一つ承わつておきたいと思います。
  37. 小林孝平

    委員長小林孝平君) ちよつと今の千田委員の質問に関連しまして併せて私からお尋ねいたしたいのは、今のようにアメリカ側は千田委員の言われたように、当方から六百万ドル程度のものを提示したのに対して八十万ドル、更に少し上げて百万ドル、更にもう少し上げようというようなことを言つておりますけれども、総額において日本の提示した金額とは非常にかけ離れておる、その金を日本に渡すわけなんですが、今千田委員の言われたように、アメリカは算出基礎ははつきりしてこれとこれに金を出すということで出すが、その金額は日本に渡すときになると、この金は日本で勝手に使つてくれといつて申入れをしているわけなんです。そこでそういう金は賠償というべきものであるか、見舞金というベきものであるか、そういうものは又賠償と見舞金というものはどういう違いがあるのか、大平教授の御意見は本日陳述がありませんでしたけれども、大平教授の今まで発表されたところによると見舞金でも賠償金でもどちらでもいいじやないかというような御意見を発表になつておるようでありますが、それはこちらが提示した金額と同じ金額を向うが出した場合に見舞金であろうが賠償金であろうが同じであるけれども、今回のように著しく違つた場合はどうなるのかという点を併せて一つお答え願いたいと思います。
  38. 大平善梧

    参考人大平善梧君) 私は本件法律問題として取扱えば法律問題である。従つて法律問題でないからこれは見舞金というような形で何か恩恵というか、援助といいますか、そういうような形で他の道義的な、友誼的な関係において処理するというふうに考える考え方がかなり支配的になりつつあるのじやないかと思うのですが、法律問題として法によつて解決する、そう考えるならばこれは法律問題。社会のいろんな問題がすべて法律問題として処理できるわけであります。併しながら当事者が法によらないで解決しようと欲するならば、これは法律問題も同時に他の政治的な、或いは道義的な問題に代え得ると思うのです。そこで法論理的に申しますと、今度の場合は明確に不法行為である、よつて生ずる損害について賠償しなければならない。そこから出て来る賠償金というものは損害賠償金であります。そこでそれを見舞金という形でもらつて、それを又政府は見舞金として受取るというならばそれは見舞金として受取られるわけであります。でその金額が違つて来る場合にはやはりどうなるかと言われれば、損害賠償として請求して、こちらから要求した損害賠償の金額よりは少いものを賠償金としてくれる場合もあり得るから、金額によつてその金の性格が変るということはないと思うのであります。そこでアメリカはいろいろな点において極めて合理的な、まあ合法的な処理をする国でありまして、結局国際法不法行為にもならないようなことならば見舞金も払わないと私は思つております。従つてこれは不法行為であつて責任があるからこそ見舞金というような形で私は払つているんじやいかと思います。そこでそういう場合に処理の仕方として、やはりこちらの項目別に出した金額について査定をして、そうして一括して受取るということはこれは日本政府が受取るわけでありますが、私は日本政府がとういうふうにそれを分けるかということは全く国内問題ではないだろうか。従つてその場合に法律的に損害賠償という形でこちらが要求してこの項目が容れられた、だからその通りに按分してくれというふうに言うこともできるでありましようし、又逆に国内の全体のいろいろなことを考えてバランスをとりながら国内問題としてその金を処理するということもできると思うのであります。従つて私は一括して受取つた場合というものはこれは国内関係によつてきまる、こう考えております。
  39. 入江啓四郎

    参考人入江啓四郎君) 私は多く追加することもございませんし、今の通りでありますが、丁度国内の私法上の損害賠償事件でも示談があるし、裁判はないけれども、飽くまで法律に基く闘争もありますが、今まで日本関係しました事件にいたしましても、まあ一例を挙げますというと、中国と日本との間に南京事件とか、漢口事件とかがありましたが、こういうものはこれは法的な主張といたしまして損害賠償請求するということでありましたが、併し同じ目的が達成せられるならば慰藉料とか、見舞金ということでもできたと思います。要するにそれは政府の交渉の考え方、方法、或いは又直接被害者の満足がどの程度まで満足するかということに分かれるのでありまして、結果からしますというと、慰藉料とか、見舞金とかというものと、それから賠償として処理されるものとでは非常な違いが出て来るわけであります。性質上違つて来ると思われるのであります
  40. 小田滋

    参考人小田滋君) ちよつとこの問題は供述事項の二、つまり日本政府米国に対する請求被害者たる個人に代つてなすべきものであるかというのと関係して来ると思います。従つてそれに対して私は先ほど結論的に否定的に申上げたのであります。事実は個人に関して損害が発生したわけでありますけれども、これは飽くまでも国際法上の損害賠償請求権であり、国際法の考え方からすれば、国家がこうむつた損害であるというふうに考えていいと思うわけであります。従つて例えばこれは適例でないかも知れませんが、実際に漁業者が十の被害を受けたと、十の被害を受けたけれども、その十がそのまま国際法上で損害賠償請求権にやはり十の数字で現われるわけじやなくて、個人損害が十であつても、政府が或いはそれを九とする、或いは又実はその間に立つて政府はいろいろ精神的にも困難を感じたのだから実際に個人が受けた被害は十だ、併し政府が十一だと言つて十一を請求するということも決して不当ではない、これは国際法の根本問題に触れまして、未だ未解決の問題でありますので結論的に申上げられませんけれども、法的にはやはり国際法の問題と国内法との問題の間には一つの断絶がある、そこで切れている、従つて日本政府が今申しましたように、個人として十の被害を受けて、損害賠償日本政府が十一要求したという場合にまあいろいろ例を分けて考えますと、十一向うがくれた、実際日本政府が十一要求したのに対して十一くれた、その十一をどう配分するか。実は政府は十一とつておきながら国民に八しかやらない、政府が三自分が着服した。甚だ下品な言葉でありますが、着服した。併し国際法上の問題にはならない。実際に個人被害が十起つているのに、政府は十一と判定して、十一と請求して十一とつた。然るに国内では国民に八を与え、三は自分が取つたという場合でも国際法はタツチしない問題であります。それは国内法上けしからんじやないかというような被害者たる国民政府に対していろいろ問題を提起することができますし、或いは不当利得といつたような考え方が、この点については私は自信を持つては申上げられませんが、不当利得というような考え方も可能かとも存じます。併しながらいずれにいたしましても、個人被害と別に政府国際法上自分の受けた被害であるとして請求している、従つて向うが例えば十一のものをくれるにしろ、又向うがそれを削りまして八のものをくれるにしろ、それをどう分けるかということはアメリカの全然タツチし得ないところでありまして、日本政府はその八なり十一なりの損害というものを個人に分けてやらなければならない。併し個人がそれが少いといつて見ても、国際法上は何の問題も起らない。十一のもの或いは八のものを取つて来て、政府が着服して国民にやらないとしても、これは国際法上何ともいたし方のない問題ではないかというふうに考えられるわけであります。そこで、それじや個人は十損害を受けた、政府は十一の損害と考えて十一の損害賠償請求する、十一をもらつた場合は結構ですが、実際は個人が十の損害を受けて、政府は十一としたけれども、外交交渉なんかで大分削られて、実際は六しかよこさなかつた、併しよこさなかつたという場合には、それに対して日本が承諾したわけであります。つまり承諾しなければ、飽くまで日本はその責任を追及できる。而も、少し脱線いたしますけれども、御承知のように常設国際司法裁判所に提訴することができる、特に法律事項といたしましては、国際法上の損害賠償性質及び範囲の問題点は、常設国際司法裁判所が関与といいますか、勿論その問題を国際司法裁判所に付託した場合でありますけれども、いずれも国際司法裁判所の、損害賠償範囲、性格というものを明文を以て常設国際司法裁判所の取上げる問題として謳つているのであります。従つて日本が十一の賠償要求した、向うが六しかやれないという場合には、日本はけしからんじやないか、これは損害賠償の性格はこれこれであり、自分としては十一を要求しているのだ、アメリカはいや六でいいのだと言つた場合に、その額の範囲の問題については、常設国際司法裁判所で争い得る問題であります。併し日本が今のいろいろな政治情勢、国際情勢というものを考えまして、まあ六でもしようがあるまい、本当は個人の十の損害をこうむつて、自分の精神的損害を入れるならば十一を請求したい、併し向うは六しか支払わないと言つているし、諸種の政治情勢を考えるならば、六でも我慢しようじやないかということで、政府がそれを承諾いたしますれば、そこで六の損害賠償というのは決定することであります。そうしてその六の損害賠償国民にどう分けるかということ、これは全く国内法上の問題であります。従つてその六というものを供述事項のうしろに書いてあります、項目で割つて、皆から少しずつ減らしてやろうとも、或いは一つの部分に十分やつて、一つの項目に外しては損害賠償といいますか、その損害の補填をしなくても、国内法上の問題は起り得ても、国際法上の問題は起らない。結論的に申しますれば、非常に理論的になりますけれども、やはり国際法上の損害賠償というものと、国内法上の問題とは一つの断絶があるのだ、割れ目があるというように考えております。
  41. 千田正

    ○千田正君 ちよつと今のあれでありますが、先ほど大平教授はこの点に触れておりませんでしたがこれは今のように渡された場合を言つて国際法上から見ては損害賠償として払つたのだといういわゆる既成事実になるかどうか。例えば或いはいわゆる文明国の承認する法の一般原則というものの既成事実としてもらつた場合に既成事実としてそれがもうすでに損害賠償の範疇に入るのだ、こういうことになるのかどうか。これがこの次の来年の二月に又同じような事件が起つた場合に日本側に要求する権利があるかどうか。その問題が大きくかかつて参りますので、あなたがたのお考えをはつきり伺つておきたいのです。
  42. 小田滋

    参考人小田滋君) その点でありますけれども、若し向うが見舞金をよこす、日本政府としても損害賠償請求権は飽くまで保留する、併しそんなに同情して下さるならそれは頂きましよう、併し法律問題は別ですと言つて断わればこれは明らかに損害賠償請求権は残るわけであります。併し実際にそのときに政府のいろいろな何といいますか、動機とか、考え方というものをそこで参考にしなければならないと思いますけれども、その見舞金にしろ何にしろ、そういうものをもらつて一応それで引下がるという意図を持ち、且つ、そういうふうにしたならば、つまりそのときに、もらうときにこれは見舞金ですか、じや見舞金ならば有難く頂きます、丁度普通の病気か何かの見舞金と同じでありますから何も法律的な問題はない。ただそんなに同情して下さるのなら頂きましよう、それで国民に分けて上げましよう、事実損害賠慣の請求をしなければそこで国際法上の一つの先例というものは確立いたしますし、それで今の場合に十の、つまり日本が計算したところでは個人損害は先ほど加藤助教授も言われたように、ゆさびのところまで入れるかどうかわかりませんが、十と認めたのに向うは六として来た。日本政府は実はわさび屋には損害賠償は払つてやらなかつた、そして焼津の商人にも払つてやらなかつたということで分配すれば、そこで一つの国際法上の一つの先例というものが一応でき上りまして、従つてそういう問題が将来起つた場合には、今度日本から損害賠償請求するときにはわさびは大体初めからのけてしまわなければなりませんし、又焼津の業者の損害というものものけてしまわなければならない。いずれにいたしましてもこの見舞金という形にしろ、それが実は損害賠償に代るものであると日本が了解して或る金額を受取る、そうすればその損害賠償の算定の問題というのは将来の一つの基準になる。つまり来年一月やるときにはその基準によつて今度又損害賠償請求をせざるを得ないし、それより上へ出るということは今後の場合は不可能、不可能かどうかということはわかりませんが、困難になりましよう。従つて今の場合はテストケースであると考えております。
  43. 小林孝平

    委員長小林孝平君) 加藤参考人から国内法の問題としてちよつとお尋ねします。
  44. 加藤一郎

    参考人加藤一郎君) 見舞金として受取ればやはりそれが将来も見舞金としてしか要求することができない。つまり損害賠償として要求することができないという先例の強さも問題ですが、一つの先例にはなると思うのです。ですからここで一つ、つまり法的に損害賠償として受取るか、それとも見舞金として受取るかということはやはり重要な問題だと思いますし、仮に損害賠償として受取るとしても損害賠償としてここまでしか受取れないということがきまればこれもはつきりした先例になると思うのですが、この損害賠償範囲としてもその点は重要問題だと思います。而も損害賠償として或る程度のところまでしか受取れなかつたということになれば損害賠償価値としては、つまり法的根拠として受取つたのであればそれだけ先例として強くなるし、見舞金としてあやふやな形として受取つたならば先例としての形は少くなる、そういうふうに考えます。それで今の受取つたものを国内で分配するときにどうなるかという問題ですが、これは個人から国に対してそれを国がもらつたやつを分けてくれという請求権はあるかということになるとまでの考え方からするとないということになるのじやないかと思います。ただ国としては或る名目で受取つたものを国民に分配せずに変に分けるということは非常にこれは国として望ましいところじやないし、甚だ不当なことでありますからそういうことはすべきじやないということは十分言えるわけです。
  45. 千田正

    ○千田正君 今の問題非常に重要な問題でしてね、いわゆる岡崎外務大臣並びに安藤国務相その他の関係各大臣のこの委員会に対する説明はまあ日米友好という問題、親善というような問題、それから協力するという建前から言うてせ余り直接損害、関接損害或いはどこまでをくれというようなことを言わずに一括して向うが渡すならそのままもらつたほうがいいじやないかという観点に今まで動いて来ているわけです。ところがそうなるというと今度国内における配分という問題に対しては非常な問題が出て来るわけです。例えば被害をこうむつておるところの、いわゆる死亡した人たちもあるでしようが、そのほかにやはり漁業に従事している人たち、又その周囲におる人たち、いろいろな問題があつてその配分という問が非常にこれはもう混雑しておる。それでこの際はつきりした段階にこれを持つてつたほうが次に起るであろうという同じような問題に対しても日本政府の態度を決定する場合においてこの際はつきりしたほうがいいじやないかという論と、今の政府の考えておるように、まあまあそう言わずにもらつて来て適当に分配しようじやないかという考えと、これが非常に今後の日本将来に及ぼす大きな影響がありますだけにその点をはつきりと皆さんから伺つておきたかつたわけてす。
  46. 小林孝平

    委員長小林孝平君) ちよつと申上げますが、参考人のかたに御発言の参考に申上げますが、私から外務大臣に、今アメリカがこちらから六百万ドル程度の金を報告しただけなんですけれども、報告しておるのに対して八十万ドルとか、百万ドルの金を出すと、こういつておるのです、その金はどういう性格のものであるか、これは見舞金じやないかという質問をしたのに対して、岡崎外務大臣は、これは国際慣行から常識的に考えまして賠償金であるということをはつきり言つておるのです。そこで今皆さんが、参考人のかたが申されたように見舞金として受取るのでなくて政府賠償金としてこれを受取る形になつておる、そこで今非常に重要なことをお聞きしたのですが、今年これを一回受取れば来年もこれが慣例になつてこれ以上の金を、程度が同じであれば要求できないという御発言だつたのですけれども、外務大臣の今まで当委員会における説明は今年はいろいろ調査が不備だからまあこの程度で金をもらう、来年はこのほかの調査を精密にやつて来年は今度はもつと余計納得の行くような金をもらうのだ、こう言つておるのです。そういうことが可能であるのか、国際慣行上こういうことは一遍受取ればあとはこれに従うのか、二遍受取ればそれが慣行になるのか、その点を承わりたい。
  47. 小田滋

    参考人小田滋君) 只今のお話でありますけれども、政府損害賠償として受取る意思を示した、で、先ほどの私の例でも申上げておりますように、個人損害は十ある場合に六しかよこさないというのと今の場合同じであると思います。つまり大体個人の額は、私この数字は正確でありませんけれども六百万ドルくらいだとして要求しておるのに対して、向うは二百万ドルしかくれないと、くれないというか二百万ドル渡すというプロポーズをしておる、それに対して日本損害賠償として二百万ドルよろしいと、じや二百万ドルで我慢しましようということで受取ればそれが一つの先例となる。従つてその先例は決して将来を絶対的に束縛するものじやありませんから勿論今の場合は三分の一しかくれなかつた、つまり六百万に対する二百万ですから三分の一しかくれなかつた、併し来年はもつと要求できるかも知れません。又要求はできます。つまり来年の場合には改めて今度百六万要求はできます。併し一遍、つまり三分の一で我慢したものを、来年は今度は全部払えということは技術上から言つても非常に困難です。つまり一番最初のときは六百万ドルなら六百万ドルのものをくれ、そして六百万ドル受取らなければ承諾しなければならないということを言つておれば、将来繰返すような場合にも同じ発言ができるわけでありますが、今回は三分の一でよろしい、この次は全部くれと言つてもそれはもう実際問題として殆んど不可能に近くはないか。従つて先例言つても必ずしも絶対的に拘束しませんから、今三分の一もらつたから来年はそれ以上請求できない、そういうことはございません。併しそれは実際問題として困難にならざるを得ないのじやないかというふうに考えるわけであります。それだけちよつと……。
  48. 入江啓四郎

    参考人入江啓四郎君) 私が先ほど見舞金、或いは慰藉料と賠償とは結果が非常に違うと言いましたのは、その性質の問題でありまして、見舞金の場合でも、勿論事前の交渉はありましようけれども、その性質上は出すほうの自由裁量、それに応じて幾ばくかを見舞として出すということでありしまて、その拘束力というものは本来はないものである。ただ先例となるとすれは政治的な先例であつて、ところが賠償金というのは法的な基準従つて払うべきものを払う。但しそれを内輪で済ますという場合は一方が請求権をそれだけ放棄するということでありまするからして、先例として拘束力を持たせる、法的に拘束力を持たせるものを打ち立てるという、それが国家なり、被害者なりの御希望であるということであるならば、それは賠償の方式に従つて責任を明らかにして賠償範囲も決定すべきだと思います。併しその利害関係から言いまして、いろいろな点も考慮されなくちやならんでありましようし、見舞金ということが差当つていいということであつたらば、それは私どもの言うべき問題でなくして全く政策上の問題であると思います。
  49. 大平善梧

    参考人大平善梧君) 二つの点を申上げたいと思うのですが、一つは先ほどの国内において分配するという方針でございますが、ちよつと憲法を見ますと、十三条に「すべて国民は、個人として尊重される。」云々とありまして、「立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」こうあります。国民損害を受けた、そういうものについて国家は十分に尊重して行動するという必要がやはり憲法上いろいろな点に、まあそういう一カ条ばかりじやありませんが、いろいろな点に出ておるのでありまして、そういう意味からいたしまして、十一取つたやつを八つしか払わないとか、又非常に不公平な配分をするというようなことは、国内の政治の点から言つて許されないことではないか。これは全く国政にお当りになつておられる国会のかたがたがお骨折り願うべき問題であろうと、こう考えます。  それから第二の点につきまして、ちよつと私これが先例になるかどうかというと、その先例価値というのは、これはいろいろな場合によつてつて参りますが、再びこういう事件が起つたという場合に、日本としては逆に多くを要求することができる口実もあるのじやないか。と言うのは、今度のやつはそういう損害が起るということを予想しなかつた、向うとしては……。いわば過失であつて故意ではなかつたわけであります、そして成るほど日本のまぐろ業者も困るということは今度は知つた。そういうことを知つておりながら二度行うというときには、それだけの覚悟が必要なんです、向うが……。そういうふうにすると、損害を予見し得ることになるのでありまして、今度はよほど向うも覚悟している。そうするならば当然多くを要求するということも言い得るのではなかろうか。これは一つの常識的な判断であります。
  50. 入江啓四郎

    参考人入江啓四郎君) 少し追加したいことがありますが……。先ほどの国内で、国家が受取つた見舞金なり賠償金なりはどのように処分してもいいという、国際法上はそれはとらないということはまさにそうではありますけれども、併しそれを強調し過ぎるということは誤解を招くのでありまして、国家が外国に対して国民の受けた損害を補うためには、国家外交的保護権を行使して目的を貫徹するというのがいずれの国家にも共通の基本的権利義務でありますから、その理論からいたしまして、国民損害を受けているのにその損害補償されなかつたり、甲乙丙丁の間に差別があるということは許されないことであります。それだけ追加しておきます。
  51. 森崎隆

    ○森崎隆君 一つお聞きいたしたいのは、被害を受けた個人、それと日本政府、加害者の国、もう一つは加害者の国が代表でしようが直接スイツチをにぎつたもう一つの個人というのがあるわけですね、その四者の関係についてどんな解釈が損補の上でできるかということです。先ほど大平教授のお話ですと、国際法上は個人請求権はない、結局その主体ではないから、日本政府アメリカ政府を相手にして損補の請求をしなければならん、それはまあわかるわけです。そこで六百万ドルという数字が出たわけなんですが、これは被害を受けた被害者個人の集団の代表者、漁業団体が計算したら六百万ドル、政府のほうでも独自の立場で計算したら大体六百万ドルを出ておるわけです。そこでアメリカと交渉した結果三分の一程度しか出なかつた場合、個人主張被害者の直接の主張というものはどこで通し得るかということになる。その場合、これは素人考えでお笑いになるかも知れませんが、日本人である被害者個人アメリカに訴えるわけには行かない。そういう場合にアメリカの直接実験用の水素爆資に点火したアルフアー中尉ならアルフアー中尉というものを直接相手にとつて、訴訟を起し得る途がないのかどうか。いま一つは日本政府を相手取つて六百万ドルよこせという当然の要求要求し得る途がどのように通じられるのかということです。と申しますのは、私たちは今まで政府を相手にいろいろ話をして来た過程で、今千田委員から御質問ありました点ですね、正式の補償として受取らないで見舞金の形でざつくばらんに受取るという形は、当初におきまして六百万ドリという大体の数字も我々にすら発表をしぶつた態度が政府にあるわけです、それは言い換えましたら、悪く考えれば漁業固体もやはりその程度の数字を握つておる。そこで政府が対米交渉でうまく六百万ドル取れば漁業団体、即ち被害者個人の集団の代表当の意向通りにこれを配分することができますが、それより少く取つた場合にはどうもプラス・アレフアーを日本政府の予算で組んで出さなくちやならんということがあるのじやないかと思うのです。それがいやだから見舞金ということでごまかして下廻つた線をうやむやのうちで受け取つてそれだけ配分して済まそうというような意図があるのではないかという心配も実は持つていたわけです。そういたしますと、被害者の人々にしましてはとても辛抱し切ない点があると思うのです。その間の被害者立場ですね、どのように生かして行く途があるかということについてお伺いします。
  52. 小田滋

    参考人小田滋君) 只今の御質問のうちの重要なポイント二つ、つまり実際に点火したアルアアー中尉を訴えられるかという問題と、もう一つは六百万のものを二百万しかくれなかつたから、その交渉の任に当つた政府に対して漁業団体は四百万を、足りなかつた四百万を請求できるか、この二つの問題であろうかと思います。  先ず最初にアルフアー中尉の問題でありますか、これはできない、結論的に言つてできない。それは私午前中に繰返して申上げたのでありますけれども、それはつまり向うの政府国内法では適法行為、つまりアメリカの権限内の行為であります。アルフアー中尉は何も私人でもなければ、それから又例えば……、少し脱線いたしますが、日本の巡査が日本にいるアメリカ人を、つまりアメリカ人が悪いことをしたから縛つた、……のじやない、捕えたというのは、権限内の行為でありまして、これは全然問題の余地はないのであります。ただ若し日本の巡査が、巡査という一応国家機関としてでありますが、殴つた、権限を逸脱したという場合には、これはちよつと問題が少し変つて参ります。併し今の点火した、これは権限内の行為でありまして、アメリカ国内法上は権限内の行為でありますから、これはアルフアー中尉の責任は全然問われていないと思われます。それから日本政府を相手取つて……、これも先ほど申上げたわけでありますが、つまり国際法国内法との間には一つの断絶があるんだ、一つそこで縁が切れているんだ、従つてよしんば政府が泣寝入りをしようと、或いは六百万ドルのものを二百万ドルにしようとも、個人政府を訴えることは、つまり政府に対して法律上それを請求することはできない。つまりそれは、政府国際法個人の代理人ではないのだ。国際法上若し政府個人の代理人であるとすれば、そうすれば正当なる代理権を行使しなかつたので……、これは民法上の問題ですから私は適切な法律用語を知りませんが、十分な代理をなし得なかつたというわけで、代物人を今度は相手取つて訴えることが可能かも知れませんが、国際法国家は決して個人の代理人として損害賠償請求するのではなくて、国家個人として、目分の損害として賠償請求しているんだ、従つて個人日本政府責任を追究するということは、よしんば六百万ドルのものを二百万ドルにしたとしても、政府にその四百万ドルの補填を要求するということは、何といいますか、法律上の権利として要求することはできない。併し事実問題はよく存じませんが、阿波丸事件が大体同様でありますが、その代り、つまりあの場合は阿波丸は日本郵船でありますから、個人であります。国内の私人であります。それに対して日本政府アメリカに対する損害賠償請求権を放棄してしまつた。じやその場合に郵船は、日本政府を相手取つて、自分の権利を正当に代理してくれなかつた言つて訴えるわけには行かないし、勿論日本郵船といたしましても、日本政府を訴えてはいない。併しその代り政府のほうが好意的な立場に立つて、特定の立法をして、国会が立法をして、日本郵船に或る金額を国内法上の措置としてやることか、或いは又将来の造船計画の場合には、いろいろと実際は損害を受けたのだから、日本郵船会社に対しては優先的にそれを取扱つてやろうというようなことで、どつちかというと恩恵的に個人の四百万ドルの開きというものを政府、或いは国会の立法措置によつて面倒を見てやるということはできると思います。併し個人漁業者から、政府は自分の権利を正当に代理しなかつた言つて権利の問題として訴えるとか、或いは要求するということはできないんじやないかというふうに考えます。
  53. 大平善梧

    参考人大平善梧君) アメリカ政府が原子爆弾の実験をした、その損害賠償の問題で日本と後始末をする協定というようなものは、必ず僕は……、ただ金だけは出さんと思う、協定を何らかの形で、文書で両方で署名すると思う。その場合に、この事件についての今後の責任は、これまではその起つた責任は問わない、これで了承するという文句が必ず入ると思うのです。入りますると、私はその入つた文句によりまして、個人としての漁業者が、アメリカ国内法によつてアメリカ裁判所裁判するという権利は失われると思います。併しなが若しそういう文言が仮に入つていないという形にいたしますと、私は小田さんの言葉を反駁する意味ではありませんけども、アメリカの官憲が政府の命令によつて原子爆弾を実験したい、これは合法的な行為だ、だからそれについてアメリカ国内法において訴えることはできないということはないと思います。そういう何らの……白紙になつている場合ならば……これは丁度日本の鉄道の運転手が政府の命令によつて運転をやつた、そして命ぜられるところの石炭を焚いてやつたところが、その石炭が非常に悪質であり、何かして、町の木を枯らした。これは合法的な運転行為であります。併しながらその場合にある権利の濫用という法理で、やはり合法的な営業行為であるけれども、そして運転をするということを認められて、石炭を焚くということは認められておるけれども、権利の濫用という形で損害賠償になる。それと同じようなことで、やはりアメリカ政府を訴えるという途はあるだろう。ただ併しそれが行われるか、行われないか。金の点もありましようし、いろいろな厄介なこともありましようし、勝てる見込もないかも知れません。ただ併しそういう途は法律的にあり得るということだけ申上げます。
  54. 入江啓四郎

    参考人入江啓四郎君) アメリカアメリカ国内法に基いて、アメリカ国家を相手取つて損害賠償請求権を起し得るということを、アメリカ法律で認めていれば、今大平教授の言われた通りであります。ただ只今質問された趣旨からして、個人が直接外交交渉を行い得るか、或いは個人が直接外国に対して訴権を行使し得るかという御質問であるとするならば、それは否定的でありまして、御参考のために申上げれば、国際司法裁判所規程にも、訴えを提起するのは国家だけであつて個人ではないということを規定しております。
  55. 加藤一郎

    参考人加藤一郎君) 今の第一の問題でありますが、アメリカの国を相手に、個人アメリカ国内法請求して行く場合には、アメリカ国家賠償法、正式になると、不法行為損害賠償請求法という法律適用を受けるわけですが、それは比較的日本国家賠償法などに比べて、免責事由が比較的広いのであります。で、恐らく今の水爆実験のような場合には、免責事由に当るものとして請求が認められないのじやないかと思うのです。  それから先ほど御質問のありましたスイツチを押した個人、而もこれは小田君の言われたことに全く賛成でありまして、個人アメリカ法上全く適法なことをやつた、命令に従つて適法なことをやつたので、責任はないというふうに思います。  それからアメリカからもらつた見舞金ですが、或いは損害賠償が少額だつた場合に、国がそのほかの分も、被害者、主としてまぐろ漁業者に何か金を払わなければならないかどうかという問題は、もう大体小田君の言われたことに賛成でありまして、国として法的な義務があるということまではなかなか言いがたいと思うのです、現在の法制の下では。尤も仮に日本政府がまぐろ漁業者の損害を犠牲にして、例えはほかの賠償金額を負けてもらつたとか、そういうかけ引きの材料に使つて、不法に権利を侵した、まぐろ漁業者の損害賠償請求権を侵したというような、何か形が出て来れば、国家賠償が全く起らないとは言えないと思うのですが、なかなかそれを言うことがむずかしいので、つまり法的な義務としては、損失を受けた者から言えば、法的な権利として国に対して損害賠償を求めるということは非常に困難だろうと思います。ただ政治的な責任といいますか、政治的な意味において、国家がそういう損害を受けた者に対して補償支払うということは、例えば水害を受けた場合に、水害の被害に対して国が補償を払うとか、一種の補助金を与えるとか、そういう形でやつて行くことが政策的に見て可能であるということは言えると思います。
  56. 森崎隆

    ○森崎隆君 それじや結局今のお答えで十分わかつたのでありますが、まあ加害者のほうの国力の圧力のためか、或いは日本政府の熱意とか、努力の足りないこととは言いながらも、要求額だけ賠償がもらえなかつた場合には、ここに一つ、政府の計算しましたものと、被害者の計算しましたものと、大体合致しておる。だから良識から考えれば、当然政府アメリカから幾らの賠償をもらうにしましたところで、政府としては、被害者に対して計算額だけは良心的に払うべきものだとこれは考えるわけですね。ましてや国家要求する賠償国家損害として要求する賠償だということにさつきのお話もありましたし、個人のという意味じやないという建前からしましても、アメリカから幾らもらおうがそれにプラス・アルフアーして、そうして被害者に直接払うべきであるが、払わなかつた場合には被害者個人としてはどうにも処置なしというわけですね、今の場合には……。わかりました。  それから第二点は別の話でございますが、これはさつき小田助教授のお話がございましたが、水爆の実験アメリカの領海内で行われておりますから、この行為は当然アメリカの正当な行為であるというように申されておりますが、まあその通りだと思いますが、正当な行為ということは、どの範囲まで考えられるかという問題について私も非常に疑問を持つのであります。正当ば行為の結果大きな被害公海において他国民に与えたということになりますと、正当な行為というものが、法律上は規定しておりましても、果して正当な行為になるかならないかという問題になる。積極的に正当であるか、消極的に正当であるかわかりませんけれども、そんな場合には限界ははつきりきまつていないのでしようか。例えば正当な領海内の行為であるから正当であるが、その行為を行使することによつて何かの被害を第三者に与えた場合には、この正当な行為ということは正当でなくなるというようなことは全然ないのでございますか。飽くまで正当だということ、正当だという言葉は言い得るのですか。その点……。
  57. 小田滋

    参考人小田滋君) 只今の点でございますが、正当とは私申さなかつたので、アメリカ国内法上適法な行為というふうに御了解いただきたい。つまりアメリカ国内アメリカ政府の機関の権限に基いてやつた行為、それが外国に対して被害を及ぼした場合、そういうような行為国家はすることができないというような憲法上の規定をアメリカは設けなかつたことに過失はないかしいうことまで実は問題は遡つて来るのでありますけれども、そこまで国家責任を追究することができないというのが国際法の通則であります。  実はこういつたような問題をいろいろ分けて考えて見ますと、つまり国家行為を分けて考えて見ますと、一つは国際法上も合法であり、国内法上も合法であるという行為であります。それから国際法上も違法であり、国内法上も違法である。これは両極端であります。三番目は国際法上は合法であるけれども、国内法上は違法である。その次は国際法上は違法であるけれども国内法上は適法であります。  今の問題はその一番最後の問題、つまり国際法上は違法というのは国際法上の義務違反を言う。併し国内法上は国家の命じた正当な、つまり国家は悪をなさずでありまして、国家の正当な権限内の行為でありますから、どうしてもこれは国内法上は適法行為と認めなればならない。併し実際は国際法権利を害するのだから、そんな行為国内法上適法というのはけしからんじやないかという御反論があるかも知れませんが、それは常識的に言えばそうありますが、併し実際国際法上ではそこまで国家責任を追究することはできない。これは国内法上適法行為であり、ただ結局的には国際法上の義務違反を構成するならば、それは国際法上の問題として取扱うべきであるということを私は考えております。
  58. 森崎隆

    ○森崎隆君 さつきやはり小田助教授から危険水域の、海域の設定ということにつきまして、アメリカがそれを公表した場合に、日本漁民が良心的にその危険海域を避けて、迂回して第二の漁場に行つた。当然その間油代その他の損害があるが、その損害請求するのはいつすればいいかという問題が出て来る。個人で当然請求ができないわけです、今のお話では……。そこで若しできるとすればこの危険海域の設定をされた場合には、私としては迂回しなくてはならないから油代を出せということを国の機関を通じてアメリカ要求して行かないと、あとになつて損害賠償と言いましても、今度のように六百万ドルが二百万ドルになるのだからあれですが、そういうようなことについて何か適切な合法的な途というものがあるかないか、ちよつと伺いたい。
  59. 小田滋

    参考人小田滋君) その点は、実は今お話のあつたことは、少し私の申上げたこととずれているのでありますが、日本漁船が、つまり日本政府が何か放つたらかしていて、日本漁民が危険区域があることを知つていて自分の立場で廻つた場合には、これは国際法の問題では全然ありませんでアメリカ国内法上の問題であります。アメリカ国内損失補償の問題であり、損害賠償ではありません。つまりアメリカ土地を持つている人が道路のために土地収用を受ける、その場合にアメリカ国内法上の損失補償を受ける権利があるのと同様に、一遍危険区域を設定したのを日本の漁船が認めて廻るということは、その限りにおいてアメリカ国内法に一遍徒つたわけでありますから、当然アメリカ領域内に入つたのと同様な意味を持つ。従つてその場合に、国際法の問題から国内法の問題に、問題が転換されて来ております。ただその場合に、今御質問のありましたように、損失補償をいつどこに対して請求するのかということになりますと、私はアメリカ国内法上の手続を不勉強でありますので存じませんので、どういうように具体的に請求するかということは私としては申上げかねるのであります。ただ繰返して念を押して申上げておきますが、その場合に決して日本国家請求するのではありません。それはアメリカの管轄権に従つた日本の私人が、アメリカ国内法上の権利としてアメリカ政府要求するのでありまして、日本政府は全然関与しない問題であります、それは丁度アメリカ土地を持つている日本人は、何も日本政府とは無関係であります。アメリカのどこかで土地を持つている人が、その権利を侵される場合には、而もそれがアメリカ国内法の適法行為として侵害される場合には、アメリカ政府にじかに、外国人としてですけれども、外国私人として要求するのでありまして、そのときは何も日本の外務省の了解を得る必要もないというわけであります。純然たるアメリカ国内法上の問題であります。ただ具体的にどういう手続を踏んでということになると、ちよつとまだ不勉強でありますので申上げかねます。
  60. 小林孝平

    委員長小林孝平君) ちよつと小田参考人に申上げます。議論をいたしませんけれども、現実に解決されつつある点を申上げます。  今のところ、日本漁船が迂回した場合は、アメリカ政府は、これは直接、間接というとおかしいのだけれども、今の段階においては直接損害として、日本賠償支払うということになつております。今の小田さんの意見は非常に問題がありますので、学問上の議論はいろいろありましようけれども、現実問題としてそういうふうに処理されておりますから、そういうふうに御了解願いたいと思います。いろいろ学問上の論争になりますと……。
  61. 森崎隆

    ○森崎隆君 今の御発言ですけれども、現実に賠償支払うと言つているから、この問題は不問に付すべきでない。賠償の額が問題になつて来るから結局対米交渉をしなければならない……。
  62. 小林孝平

    委員長小林孝平君) 私の言うのは、個人賠償請求するのだ、日本政府には権利がない、こういうのよりも、現実にアメリカは、その額はこれから要求しなければならんけれども、これは直接損害として全額支払うという建前で行つているのだから、現実問題としてはそのほうが日本のために有利である、日本漁民のためにも有利である、それを申上げたのであります。学問上の論争は別ですけれども、委員会の性格上そういうことをやると、私は日本漁民のために、政府はそれでなくてもやらないとしているのだから、それはいい、それでは漁民は勝手にやつてくれ、こういうことになつたら大変であります。これは非常に重要でございますので、私はできれば学問上の論争は今日はやめて頂いて、この現実的に処理をしている問題として御了解願いたい、こういうことを申上げたのであります。
  63. 入江啓四郎

    参考人入江啓四郎君) それは折角そこまでお伺いしたのですが、実験並びに危険区域の設定を今後認めるという前提に立つてでございましようか。
  64. 小林孝平

    委員長小林孝平君) 今申上げたのは、今年の実験の結果現実問題として漁船が迂回したわけなんです、先ず第一段階は……、迂回いたしまして、これは直接損害といたしましてアメリカといえどもこれは認めて支払うと、こういうことになつたのであります。それで来年も当然これは認める、こういうことになつたのであります。
  65. 大平善梧

    参考人大平善梧君) 先ほど発言を許されて途中で駄目になつたのでありますけれども、小田さんの説は学説として承わつて私は非常に面白い説だと思うのですけれども、今委員長のおつしやるように、政府が取上げてそれをアメリカ請求する。個人がそういうことをするのが当然だとか、それが義務だというふうでなくやつているということは、これはやはり国際法上の、我々が考えている国際法上の当然やることだと、こう思つておる。その点だけを申上げたいのであります。
  66. 森崎隆

    ○森崎隆君 さつき加藤助教授にちよつとお話を聞きましたが、精神的な打撃についての補償なんですが、さつきの御発言の内容につきましてはわかりました。最終におきましてメンタル・タメジということは国民一般の精神的な被害ということでわかりましたが、ただ私素人で何もわかりませんけれども、今まで漁業団体なり政府が計算して来ましたものは、実際に損害を受けた物理的な資料に基いて、物理的に計算してでき上つた物理的な補償額だと思うわけです。私は当然そこにプラス・アルフアーというものを、これは三〇%になるか二〇%になるかわかりませんけれども、メンタル・ダメジとして、それを基礎にしてプラス・アルフアーをするのが当然だと考えていたわけなんですけれども、精神的な被害補償というものは、特に民法なんかでどうなつているのでしようか。何か慰謝料なんかというのは当然精神的な被害補償だけのように考えられるのでございますが、その場合に特にこれは大きなものだと思うわけです。現実に資料はないですけれども、あれやこれやでびつくりして世を疎んじて自殺したのもないとは言えない。少くとも自殺した何千人かの中ではそれが百分の一パーセントだけの自殺の一つの要因になつているということは、本人の記録がなくてもそういうことが考えられるわけです。又家をたたんでよそへ行つちやつて一家転落して行く場合もあると思うのです。いろいろの場合があると思うのです。そういうものはデータが出ていない。併しあり得る強力な資料だと思うわけですが、精神的な打撃というものに対してはどういうようにお考えでございましようか。特に国際関係では大きく考えて頂きたい。例えば国家が他の国家に対して賠償要求する場合には、私は水増しという意味ではなくて、科学的に資料を以て出した損害補償に対して、当然プラス・アルフアーを以て大きなやはり損害補償要求するのが当然じやないかと思う。堂々とこれを一つ、どの項に対しても言つていいのじやないかと思うのです。その点について何か御意見、お調べでしたらお聞かせ願いたい、
  67. 加藤一郎

    参考人加藤一郎君) 私先ほど一般人の精神的損害というものもかなり遠い損害だから、損害賠償の直接損害範囲に入らないと申しましたが、それは第五福龍丸とかその他直接被害を受けた人たちの慰藉料は取れるという前提を持つていたわけです。慰藉料について国際法上どうなつておるか、私専門外ですからよく存じませんが、今まで余り払つた例がないように実は聞いているのです。この点は又ほかの人から聞いて頂きたいと思うのですが、大体謝罪ということで精神的損害は償つているというのが今まで多かつたように聞いております。民法上考えますと、精神的損害は勿論慰藉料として賠償範囲に入るわけですけれども、それがやはり相当因果関係範囲内かどうかということで問題になつて来るので、今度の場合福龍丸の被害を受けた人たちの慰藉料というものは当然入ると思うのですか、やはり一般人のすしを食えなかつた損害、まぐろを食えなかつた人の損害と同じように、やはり一般人の精神的損害というものは、かなり遠いのじやないかというのでそう申したわけです。国際法上のことはどなたかほかのかたから……。
  68. 入江啓四郎

    参考人入江啓四郎君) 只今の御質問の中に、プラス・アルフアーというのが確定することはできないけれどもあり得るという意味での損害賠償でしたら、国際法上はそれは算定しておりませんので、国際法上は確実に確かめ得る範囲それから確実に確かめた範囲でも相当因果関係がない、死の灰を被れば普通の人でも気が狂うということならば、これは相当因果関係がありますが、通常の人ならばそこまでは行かない、併しその人が特に神経過敏であるとか、或いは特に病気であつたとか、個人的な事情によつて損害を受けた場合には、国家として補償を取る場合もそのときの算定の基礎にはされておりせせん。
  69. 小林孝平

    委員長小林孝平君) ちよつと加藤参考人にお伺いいたしますけれども、このアメリカが危険区域を設定した、それは立入禁止を意味したものでないにかかわらず、日本の水路部の役人が勝手にこの立入禁止を公示した、その結果迂回をすることになつた、こういうことでありますから、国内法として公務員のこれは過失と認めて、国家賠償をする必要があるのじやないかと思いますけれども、これについてはどういう御意見ですか、
  70. 加藤一郎

    参考人加藤一郎君) まあそういう事実があつたとしても、公務員の過失ということまではなかなか言えないのじやないかと思うのですが、つまりアメリカでそこへ入つたら危険だということを言つたのを、まあ好意的に立入禁止という形で現わしたものではないか、ですからそれについて過失があつたということはむずかしいのではないか、そういうふうに思います。
  71. 大平善梧

    参考人大平善梧君) 今の問題について、ちよつと……、今の航路告示でありますが、最初にやりましたのはアメリカ占領当時でありまして、占領軍の水路関係のほうから電話で日本の漁船が危険区域のほうへ来ている、而もその危険区域の存在を知らない、だから告示してくれ、こういう電話の申入れがあつたのだそうです。それに基きまして第一回をやりました。それから第二回は、そういうような先例従つてつたというような関係のようであります、それで結局行政法の関係から言いますと、国家行政組織法第十四条に定める行政官庁の長の権限に基く告示なんですね。そうすると海上保安庁長官の発する告示でありますが、これは職務の事務的な告示なんですね。そうして国民権利義務を拘束するような意味の告示ではないのです。従つて立入りを禁止するという、立入りが禁止されているというのは、いわゆる危険でそこに立入らないほうがいいという意味と解釈したほうがいいんじやないかと、それだけ申上げます。
  72. 千田正

    ○千田正君 一点伺つておきたいのは、岡崎外務大臣は先般こういう問題がアメリカばかりじやない、原子爆弾の実験はソ連もやつておると、そういうことを言つてつたのですが、先般いろいろ新聞紙上で発表するところによると、例えば日本海の上空にウランゲル島におけるところの、だろうと想像されるところの実験による灰が降つて来たと、こういうような問題が起きている。アメリカとの問題は今現実に起きておりますが、ソ連のようなやつばり原子爆弾を持つており、又製造のできる国がそういうようなことをやつたような場合において、すでに御承知通りソ連と日本との間にはまだ国交は回復しておらない、向う側も戦争放棄の宣言もしておらない、こういうような状態の下に、アメリカがやつておるような同じような問題が起きた場合においては国際公法上からいつてどういうふうな一体日本側が若し仮に損害を受けたような場合があつた請求する方法があるか、こういう点については御研究になつておられると思いますが、若しその点についてお考えがあつたら一つ御発表願いたいと思います。
  73. 入江啓四郎

    参考人入江啓四郎君) アメリカについて国際的不法行為として国際責任が成立するものがソ連邦だから成立しないということはありませんので、国際法上の不法行為は同一同種の結果に対してそれが不法行為であれば当然それに責任を負うべきであります。併しながらその権利主張ということになりますと、国交関係がなければ国家としてそれを追究する方法が非常に困難でありますし、従つて実際上不利になるということになると思います。その場合にソ連邦と日本とが国交がないから、第三国を通じてその保護を求めるということもありますが、それに対してソ連邦が承諾するかどうかということもありますし、直接交渉でその点についてだけ国際仲裁委員会を設けるという了解でもつきませば、それでいいのですけれども、国交がないという点は、とにかく国家外交関係のない国に対して、国民外交保護権を行使することは非常な支障を来たすということになります。
  74. 千田正

    ○千田正君 ほかに御意見ございませんか、この問題について。
  75. 大平善梧

    参考人大平善梧君) いや、結構でございます。
  76. 小林孝平

    委員長小林孝平君) それなら参考人のかたがたには、非常に御多忙のところを御参集願いまして、長時間に亘り非常に貴重なる御意見を開陳願いまして誠に有難うございました。  本日はこれにて散会いたします。    午後三時三十三分散会