○
宮田重文君
只今委員長から
お話がございましたが、
委員長が
中共へお出ましの
あと暫らくの
間留守をおあずかりして、
先般来本院として
勤務地手当の
支給制について案を取りまとめ、又はその後の
衆議院との
打合せ等についてお
留守中に大体進みました
経過についての大略を申述べたいと思います。
我々のほうは各
委員の非常な夏中の御
努力によ
つて、極めて全国的な均衡の取れた案と自負するような
最後案を取りまとめることができたわけなんでありますが、これらについても
両院の
意思を一致させて、
国会の一本の案として今後この
実現をして行きたい、こういう
気持から
衆議院についてもその
機会をいつにするかというようなことについて申入れをしてお
つたことは、すでに各
委員の御承知の
通りでありますが、
衆議院においてもなかなか
問題点があ
つて、最後的な案についての、具体的な
確定案というふうなものは相当取りまとめが遅れておりましたので、それらの見通しがついてから一つしたいというような
気持もあり、又
衆議院としては非常に、自分のほうでできた案についてこの
打合せ等によ
つて又多少の方針が違
つて行くようなことは好ましくないというような
気持の
考え方も一部にはあ
つたらしくも見えたんでありますが、先に
両院のそういうような約束に基いた
打合せはやはりなそうというようなことで、その間私は
衆議院の
赤城委員或いは
川島委員長としばしば連絡をいたしまして、それらの
期日をいつにするか、又
両院がばらばらに最後的な
意思を決定して、先般来も
新聞等に一部現われた、問題になりましたようなこの報道上からする
誤解、そういうものもできるだけ今後は慎重にして
行つて、全国的な
誤解等もないように、又そういうことによ
つて生ずるいろいろな
両院の
考え方の差があるかのごとくに非常な
誤解を受けるようなことも避けて行きたい。こういうようなことでそれらの点について
話合いをいたしましたが、
衆議院においても当初は進んで余り、する
機会をいつにするかということを明確にしなか
つたのでありましたけれ
ども、丁度十月の二十八日に、いよいよ余り延ばしておるということよりは、その辺で
衆議院としては
最後案を打上げて行きたいというような
意向が
川島委員長によ
つて明らかに伝えられたわけでありましたが、私のほうも実は当時
松浦委員長も或いは
千葉理事、その他各
委員の
かたがたも地方にお出かけでありまして、
委員会を開く
期日は、大体
申合せとして十一月十日前後というようなことにいたしておりました建前上、一応二十八日の
衆議院の
委員会においては
結論を出して、これで進むという最後的な
確定案にはしないようにして頂きたいというようなことで、その
話合いをいたしまして、
川島委員長と私の
申合せは、大体十一月の十日前後に
両院できるならば同時に最後的な案を打出して、そして
両院の協調によ
つて国会一本の案を取りまとめて、それが
実現するような
努力を
両院として進めて行く。こういうようなことにいたしたわけでありましたが、その後
川島委員長と
話合いのうちにも、取りあえずできた案につきましては
両院の事務的な
打合せを、
衆参両院の
専門委員室の御
努力によ
つて一応
事務的打合せを完了してもらい、それらの
打合せによ
つておのおの
意思がまちまちである
問題点については、
両院の
委員会において最後的な政治的な解決をして行くようなことにしてはどうかというようなことから、丁度十一月の四日から引続き八日頃までに至るまで、
両院の
専門委員室でそういう
努力をして頂いたわけでありますが、そういうことが大体まとまりましたところに、丁度我々のほうの
松浦委員長もお帰りになりましたので、先日
委員長と御一緒に
川島委員長とも会談をいたしまして、最後的な
両院の
委員会をおのおの開いて、つまり
衆議院も十一日、我々のほうも本日十一日に
委員会を開いて、従来の御
報告を各
委員会においてもいたすと同時に
最後案をできるだけ速かに取上げまして、その後に残る
予算の問題、その他この取扱いについての
実現に至る万般の方策を速かに確立して行こうと、こういうような
打合せをいたして本日に至
つたわけなんであります。その間詳細の点につきましては御懇談のうちに
お話を申上げ、又個別的に申上げたことによ
つて御了承を頂くようにいたしたいと、かように考える次第であります。