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1954-08-16 第19回国会 参議院 厚生委員会中国人俘虜殉難者遺骨送還に関する小委員会 閉会後第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十九年八月十六日(月曜日)    午後一時二十七分開会   ————————————— 昭和二十九年八月十一日厚生委員長に おいて本委員を左の通り指名した。            横山 フク君            前田  穰君            竹中 勝男君            山下 義信君            紅露 みつ君 八月十三日厚生委員長は左の者を委員 長に指名した。            竹中 勝男君   —————————————  出席者は左の通り。    委員長     竹中 勝男君    委員            横山 フク君            山下 義信君   担当委員外委員            高良 とみ君   事務局側    常任委員会専門    員       草間 弘司君    常任委員会専門    員       多田 仁己君   説明員    厚生省引揚援護    局長      田辺 繁雄君   参考人    中国人俘虜殉難    者慰霊実行委員    会事務局長   菅原 恵慶君    中国人俘虜殉難    者慰霊実行委員    会事務局次長  赤津 益造君    東京華僑総会理    事       呉  修竹君   —————————————   本日の会議に付した事件中国人俘虜殉難者遺骨送還に関する  件   —————————————
  2. 竹中勝男

    委員長竹中勝男君) 只今から中国人俘虜殉難者遺骨送還に関する小委員会を開会いたします。  本日は厚生省引揚援護局長田辺局長引揚援護課長坂本真一郎の両氏が厚生省のほうから出席されることになつております。  最初にお諮り申したいのですが、遺骨送還に関する調査参考に資するために、中国人俘虜殉難者慰霊実行委員会赤津益造さん、菅原恵慶さん及び東京華僑総会常務理事をしておられる呉修竹さんのお三人が見えておられますので、参考意見を伺いたいと存じますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 竹中勝男

    委員長竹中勝男君) 御異議ないことと認めまして、それでは只今申上げました三人の方々参考人として御出席を願い、御意見を聴取することに決定いたします。  小委員長として一言御挨拶申上げます。当委員会は、過日の委員会において選定されたものでございますが、遺骨送還につきまして調査を行い、更に遺骨送還について、その方法、又それに関連して中日のいろいろ今後の国交の上にも重大な関係の問題が含まれておりますので、私ども厚生常任委員会は、特にこの遺骨送還のことに関しまして特別小委員会を作つた次第でございます。今日は第一回の委員会でございますので、先ず政府当局並びに参考人方々から実情を御報告願い、又御意見を伺いたいと存じておるものであります。  それでは最初参考人方々から、遺骨送還の今日までの事情、又現状、又今後に対するところの私どもの国としての対処を如何にしたらば、一番これが中国に対する礼儀を失せず、又中国及び日本との国交の上によりよい結果をもたらすか、こういう点についての御意見を伺いたいと存じております。それでは御意見の発表を参考人方々にお願い申上げます。菅原先生から一つ
  4. 菅原恵慶

    参考人菅原恵慶君) 私は中国人俘虜殉難者慰霊実行委員会事務局の者でございます。菅原恵慶と申します。本日はこの小委員会をお開き下さいましたことに対しまして、心から皆様に感謝いたす次第でございます。有難うございました。  すでに御存じと存じますが、終戦の以前に、十八年から二十年の春にかけ場まして、約六、七万の中国人俘虜労働者日本に連行されて参りました。これらの人々は数十の大中会社の配下に分属されまして、全国百敷十カ所の炭鉱、鉱山発電所、飛行場、地下工場、鉄道、工場港湾荷役に使役されたのでありますが、強制労働につきものの蹴る、殴るの虐使が毎日公然と行われまして、又その上に食糧不足のために次々と栄養失調、殴打死伝染病などで倒れて行つたのでございます。その最も代表的な、而も残虐極まるものは秋田花岡鉱山事件でございます。その秋田県の花岡鉱山のこの俘虜の残虐されました死亡者は三百数十人であります。なお、私は僧侶でございますから、そういう数字のほうは又あとで訂正して頂きますが、私ども誠心誠意今まで尽して参りましたことを皆さんに聞いて頂くつもりでおります。その点は御了解願いたいと思います。で、只今申上げました通り昭和二十年でございます。終戦直後間もなく十月の一日に、食糧問題から鉱山に働いておられました俘虜労働者たち集団逃亡をいたしたのであります。その際に当時の秋田県の警察署自警団、そういつた方々がこれを包囲して虐殺したわけなんであります。戦争裁判で一応はその当時の下手人を裁判にかけられまして、裁判によつて刑務所に入つておられる方もありますのでございますのですが、併しそれは一応申訳的に形式的にやつたものでありまして本当に中国人俘虜を慰めるというようなことは全然なかつたのであります。その証拠に、昭和二十年にそういう事件が起つたのでありますが、昭和二十四年頃までうつちやつてつたのであります。で、一部分だけその遺骨をこの花岡の或る寺院の裏庭のほうに形ばかりお祀りしておつたのでありますけれども花岡山の一帯に虐殺された遺骨が散らばつております。その三、四年の間に、風雨にさらされてこの遺骨がむごたらしく地上に現われて参りまして犬や猫の餌になつておつたような次第でございます。  それが昭和二十四年の暮、華僑方々、又朝鮮の方々から、これを発見されて東京のほうへ話がありましたので、その話を私どもが耳にいたしまして、事、この遺骨に関しては、個人に亙りますけれども、どうしてもこれは宗教家の者が手を出さなくちやいかんということで、私もその華僑皆さん協力いたしてもらいまして、今日奇しくもここに三人おりますのは、最初その当時から真剣にこの御遺骨をお世話をして参つたものでございます。で、その当時現在の厚生大臣であられますところの草葉大臣は、外務政務次官でいらつしやいました。私と友人関係でありますから、而も僧侶てあられますから、草葉外務政務次官にお会いして、こういう悲惨な戦争跡始末があるんだが、幸いにしてあなたも僧侶の分だから、是非この問題を一つ我々に協力して、政府が積極的に解決をしてもらいたいんだ、こう言うて私が懇々とお話いたしましたところが、一応了解してくれられまして、早速に内閣官房長官ですか、方に草葉さんが行つて話してくれましたところが、これは左翼系の者が悪用するから、これはよしたほうがいいと言うて来られたから、君もそれは一つやめたらどうかというような話になつて参り、いや、私は左翼がこれを利用しようと、誰がどうしようと、現在私のこの目に見たこのたくさんの遺骨を、私が黙つて見過ごしていれるわけがないじやないか、何とかこれは私が始末しなければできないじやないかとこう言うて、それじや君、この戦争跡始末というものは外務省ではないので、昭和二十五年の話でありますが、その当時は法務府がやつているんだから、法務次官に会い給え、それで私は法務次官名前はちよつと忘れましたが、その法務次官にもお会いしましたところが、あなたのお気持はよくわかります。あなたの宗教家としての態度はよくわかります。わかりますが、それは草葉さんのおつしやつたように、いろいろな人に利用されるから、悪用されるからそれはおやめになつたほうがいいんじやないか、こういうふうなまあ御挨拶であります。私は断わられましても、現にこの目に見ておるあのたくさんの御遺骨を、それをむげに見送るということは到底私には忍びなかつたのであります。それで私は仏教連合会とか、宗教連盟とか、そういつた方面にも話をかけたのでありますが、政府がやらないことをこの我々がやればアメリカの圧迫を受けたり、いろいろな差障りあるから、それは我々できない。あらゆる民間団体仏教側でも神教側でも私を相手にしてくれなかつたのであります。併しながらこれはどうしても私がやらしてもらわなければ、この中国日本関係においても、人道上においてもこれはもう申訳ないことだということで、止むを得ず不本意ながらこの華僑総会にお願いいたしまして、なお日中友好協会方々一緒にこの御遺骨跡始末をして参つたのであります。  昭和二十四年の暮にこの御遺骨が発見されまして、二十五年の春第一回の現地で盛大な慰霊祭をいたしまして、その後慰霊祭も二十六年になりますというと、平和推進国民会議、なお友好団体仏教会の一部も一緒になりまして、第二回目の慰霊祭を二十六年に催しました。二十七年度にも催すはずでありましたが、いろいろの事情でできませんで、二十八年の一月十七日にかの島津団長を初めとして在外邦人帰国打合代表団中国に行かれるということでございましたので、私の寺で形ばかりの慰霊祭を催しまして、各代表団は皆御参詣下さつて中国に行かれたのであります。その前日にその三団体政府会談がございましたが、そのときの会談においてこの中国人遺骨は適当な時期に適当な方法で以て送還を考慮するという言明がそのときに初めてあつたのでございます。我々はそれに意を強うしまして、同年の二月に中国人俘虜殉難者慰霊実行委員会というものを設けまして、その委員長には大谷瑩潤先生委員長に頂きまして、私が事務局長ということになりました。各派団体各党各派あらゆる党派を超越しました国民総懺悔の下にこの委員会を作りまして発足したものが慰霊実行委員会であります。それが昨年の二月でございます。それまでに相当我々は苦労して参つたのでございます。ところがそういう実行委員会も結ばれまして、去年の四月一日には大慰霊祭中国人俘虜殉難者慰霊実行委員会の主催で浅草本願寺で催しまして、七月二日に第一回の御遺骨黒潮丸で神戸から出帆いたした次第でございます。そのときには興安丸でお送りしようか、黒潮丸でお送りしようか、いろいろ問題がございましたが、その点は又疑義がございましたらお答えいたしますことにしまして、黒潮丸で参りましたということにとどめておきます。  そのときの第一回の御遺骨花岡ほか秋田県下の御遺骨でございまして、五百六十体をお送りいたしたのであります。第二回目は八月二十六日に興安丸舞鶴から出帆いたしました。これは北海道新潟、栃木の御遺骨でございまして、五百七十八体、そのときの団長は私が命ぜられまして団長となつて無事御遺骨中国に送り届けて参つたのであります。第三回目は十月二十九日、これも興安丸でございまして、舞鶴から出帆いたしまして、静岡群馬の御遺骨であつて二百三体であります。全部で千三百四十一体現在まで中国へ送り届けたことになつておる次第でございます。現在では約一千体以上の御遺骨発掘されて地方寺院公会堂に安置されておるのであります。この御遺骨をどうしても今回お送りして頂かなければならんと思うのであります。その御遺骨地方別に申しますというと静岡、兵庫、長野山口四国、九州、北海道この御遺骨地方地方発掘されまして寺院公会堂に安置されてあるのでございます。そういう今日の現状でございます。なおこの発掘の準備中でございますのは北海道岐阜、茨城、静岡長野、大阪、長崎、福岡、この土地におきましては現在進行中でございます。そこで未発掘の、まだ手の付けない御遺骨は約四千五百休ある次第でございます。で、外務省調査によりますというと、この俘虜労働者死亡者は六千八百人の死亡者がある、外務省調査資料によればそういうことになつているのであります。で、連行して来たのが三万八千九百三十五人、なくなつたのは六千八百人ということになつているのでありますが、その戦争当時この労働者を迎えましたいろいろな協会がございましたが、その協会人たちから聞きますと、そんな数じやない、それ以上の数だということを言つておられますが、まあとにかく外務省調査によりましても六千八百人の死亡者がいるわけでございます。ところが現在まで千三百何体の御遺骨は一旦お返しした、現在は千体以上の御遺骨只今発掘して安置してある、残りがまだ約四千五百体ぐらいある現状なのでございます。  で、大体今日までの御遺骨送還経過というものは雑駁でございますが、この程度でございますが、私が第二回目の御遺骨送還団長といたしまして中国に渡りましたときに、中国では御承知通り一応この新聞なんかに宗教排撃だというようなことがございましたので、私も実はびくびくしながら行つたわけでございます。ところがあの埠頭に着きまして、御遺骨を今お渡しするという段になつて見ますというと、中国の軍隊がたくさんに整列しておられてそうして軍楽隊で吹奏されて、又各団体おのおの代表者がそこに整列されて、厳粛に、我が日本で申しますれば国民儀礼でございましようが、そういつた厳粛な雰囲気を以て私たちを迎えたときには非常に私たちは異様な感じを受けた。実は宗教を排撃している中国でありますから、どんな扱いをするだろうと思つて私は参つたのでありますが、それは私の意に反して誠に鄭重な国民儀礼で受取つて下さつて、そうしてこの北京に参りまして紅十字会の招待に私が出たときには、今度おいでになります李徳会長並びに顧問である廖承志氏は私の手を取つて、本当にあなたは中日両国のために人道上よいことをして下さつた、ありがとうございますと、心から感謝して迎えましたので、私はざつくばらんに申しますというと、日本政府というものはなんて冷淡だろう、我々が誠意を以てこの正業にいそしんでいるのになんたる冷淡なやり方であろうか、然るに中国のこの紅十字会の方々は本当に私らの誠意を認めてくれまして、この宗教排撃どころか、心から感謝してくれたことに対しまして私は本当に嬉しかつた次第でございます。  で、先ほども申しましたように、この中国実行委員会が結ばれましてからはあらゆる団体が寄つておりましてそして皆さん浄財によつて何とかやつておりました。それまでが、昭和二十四年から昭和二十八年までのこの間は、ここにおりまする三人の者は本当に自分の身内のようにやつて参つたのであります。で、実行委員会が結ばれてからこの浄財もどうやら集るようになりましたけれども、到底この大きな仕事でございますから、なかなか経費の点においても我々は及びがたい。で、政府要請書とか、いろいろな手段を以て参りましたが、今日まで何ら好意ある積極的な回答を得ていないのであります。我々はこの浄財を求めますについて、あらゆる宗教団体とか、又檀家の方々にお話するというと、これは当然政府がやることじやないですか、これは我々の浄財は寄付さして頂きますが、この問題は誰が聞いたつて、これは政府がやる仕事じやないか、こう言うて私を鞭撻して下さるのでありますけれども、私の力の足らないところでありますか、現状のままでございますが、すでに今日まで些細な浄財でも集めまして使いました数字を見ますというと、北海道では百二十万の経費を使つております。それから神奈川県では四十五万、新潟では四十五万、秋田では、これは百万ぐらい使つておりましようが、これははつきりわかつておりません。群馬では五十万、静岡県では百二十万、宇部では百万、愛媛では百万、長野もありますが、これはわかつておりませんが、すでに皆さん浄財によつて四百九十万のお金を、浄財によつて今まで注ぎ込んで来ておるのであります。又東京の我々の事務局におきましても、ほうそれから金を借り集めて二百万ぐらいはもう使つておりまして、すでにもう七、八百万のお金を使つておるのでありますけれども政府は何かといろいろな条件、いろいろな理由を以て送還並びにこの遺骨発掘に対して積極的な誠意を見せてくれないのであります。  本日、ここに小委員会をお開き下すつてこの問題を御討議下さることに対して、私は心から皆様方に感謝の意を表する次第でございます。どうかこの今日までの経過は雑駁でございましたが、どうか私どもの心あるところをお汲み取り下さいまして、人道上且つ日中両国のために一つ御奮闘、御協力下さいまして、政府に積極的に我々の仕事を推進するように、どうか御鞭撻あるように一つお願いするところでございます。簡単でございますが、以上で終ります。
  5. 竹中勝男

    委員長竹中勝男君) 有難うございました。本日は二時半乃至賛辞に委員のかたがたでどうしてもここをお出にならなければならない重要な用件を持つておられる方々がおられますので、いずれ必要に応じて今後参考人方々にも御協力を願わなくちやなりませんので、できるだけ簡単に只今の御報告に重複しない点において重要な点がございましたら、一言赤津さんとそれから呉さんからお願いいたしまして、そして御質疑を頂きまして、そののちに厚生省当局からの御説明を願いたいと思います。
  6. 赤津益造

    参考人赤津益造君) 事務局次長をさせて頂いている赤津益造ででございますが、只今事務局長菅原さんから概略報告されましたので、それを重複しないように、又それを補足する面を簡単に御報告したいと思います。  それは地方でどういうふうにこの遺骨収集なり慰霊なり送還事業が行われているかということについてでありますが、昨年の秋田県下の五百六十体の遺骨がいよいよ送れる、送還のめどがつきかけたというので、大谷瑩潤氏名前秋田県知事それから山田花岡町長協力を求めたのでありますが、池田知事はこれは在華邦人集団帰国事務中心にならなければならない日赤が積極的にやらなければならん。自分日赤支部長である。その建前から率先してやろうということで山田花岡町長を鞭撻して、非常に時間がなかつたのでありますが、五百六十の棺桶の調製から各地発掘、それと埋めていたものが古い箱がすつかり朽ちていたのをそれを四、五日のうちに調製し、又つめ替えをするとか、或いは花岡鉱調査に行くとか、或いは各鉱山等に預つているものを収集するとか、そういう点について率先して当つてくれた。そのためには秋田県の東京事務所の所長以下を督励して、当時それまでは、我々のほうから要請するまでは、占領当時外国人遺骨は動かすべからずという命令を受けていたので、果してそれが解けたのかどうかもわからんというので、秋田県の東京事務所長厚生省へ行つたり外務省へ行つたり、しよつ中秋田東京とを往復しまして、そうして我々に協力してくれたのであります。この遺骨東京に輸送されるときには花岡中心とする十三カ町村の村長、校長或いは星間団体消防団その他が協力してくれまして、絶対額は少うございますけれども香奠がその十三ヵ町村から集まつた。それで主な輸送の費用、それから棺桶費用とか、そういうものは秋田県知事が責任はおれが持つから急速にやれと言つて山田花岡町長を督励して、そこで地方としても非常に立派な慰霊祭を行なつて東京に持つて来られたわけです。このことは我々としましても中国の紅十字会へその実情をつまびらかに報告してございます。それから北海道におきましては、北海道慰霊実行委員会というのが組織されておりまして、この委員長は東本願寺の札幌別院輪番安藤専哲さんという方ですが、この方を中心としまして各界の方々協力をして頂いております。勿論知事以下遺骨集まつて来た先、室蘭、函館、旭川等市長さん、それから各地仏教会方々がこれに協力して下さつていることは勿論であります。それから新潟でも同じようでありますが、群馬においては県の仏教会会長中村英順さん、この方も僧侶の方でありますが、この方が中心になつて知事及び県会議長、それから市町村会長会ですか、それを通じて全県下町村長が参加をするという形をとつて頂き、直接にはやはりここでも関係町村が約十三に及んでおりますが、そこの方々遺骨収集のために全部協力して下さつた。こういう状況であります。静岡県におきましては、昨年は浜松の市会議長を務めて静岡県の仏教会顧問をされておる木全大孝さんという曹洞宗の僧侶の方ですが、この方が昨年会長でありましたが今年は東部のほうの事業が残つておりますので沼津の仏教会会長霊山寺住職の二宮さんという方が中心になられ、知事以下、これは河井参議院議長初め石橋湛山さん、それから各党各派の代議士さん初め県下市長、それから市会議長、その方々が挙つて参画して頂きまして、あとで述べますこの間東京で行われました慰霊祭よりも以上の盛大な厳かな慰霊祭が行われ、殊に遺族関係方々がこれに非常に熱心に参画して協力してくれております。山口県におきましては小沢知事がこの慰霊実行委員会常任委員でございます。そして毎回の会議には民生課長さんですか、この方を必ず出席さしておるという熱心さでありまして、ここでも仏教界労働界漁業界その他各自治体の方々が参加しております。この小沢知事の提案によりまして、去る十一日の全国知事会議において中国人殉難者遺骨送還を早くしろという政府に対する要望が満場一致決議されたほどであります。愛媛県におきましては、久松知事がやはり小沢知事と同じように実行委員会常任委員をされておりまして、同じように全県を挙げてこの慰霊事業を進めております。これには、四国においてはこういう殉難事件の起きたのは、別子銅山二百三十一カ所でございますが、これには高知県、それから香川県、徳島県、各県の知事さん初め皆さんが鄭重な弔辞、弔電及び花環を寄せられております。長野県におきましては善光寺の副住職ですか、半田孝海さんという大僧正さんが委員長でございますが、ここでも同じように行われ、この半田大僧正のごときは三日かかる木曾、岐阜県との県境の非常に深い山を尻をからげて遺骨を捜査にみずから当られた。そういうような非常な敬虚気持で当つております。東京都におきましては御承知かと思いますが、自由党の出身の東京都議会議長が祭主になり、その事務局長にはやはり自由党幹事長安藤章一郎さんがなられるというような形で立派に慰霊祭が持たれ、送還を待つているばかりでありますが、こういうふうに各地ともこの殉難事情、それから事実を知る人は誠にその所属する政党政派の如何を問わず、そぞろなる人道上の止むに止まれない気持から、それと日中間関係が一日も早く正常化し、友好が増進されるようにと、そういう気持が、ちようど一方は遺族方々戦争で子供、兄弟をなくされました遺族方々気持と合してこういう仕事を進めて、我々が一文なしに国民浄財に依頼してここまで何とかやつて来れた本当の力がそういうところにあつたわけであります。
  7. 竹中勝男

    委員長竹中勝男君) 大変失礼でございますけれども、時間の関係……。
  8. 赤津益造

    参考人赤津益造君) 私の補足はその程度に……。
  9. 竹中勝男

    委員長竹中勝男君) あとで又質問にお答え願いまして、それでは華僑総会呉修竹さんに……。
  10. 呉修竹

    参考人呉修竹君) 私東京華僑総会常務理事呉修竹であります。先ずこの機会に大谷委員長初め中国人俘虜殉難者慰霊実行委員会及びここに結集された日本国民の諸君のこの事業に対する御尽力に感謝すると共に、このたび国会でこの実行が取上げられたということに対しまして、東京華僑総会及び在日の華僑を代表しまして心から敬意を表したいと思います。  私はこの際具体的に三つの問題について御参考に供するため意見を述べてみたいと思います。三項目は、先ず第一に概括的な事項について申上げたいと思います。次に第二に遺骨現状がどうなつているかということについて申上げてみたいと思います。なおこれに附帯しまして、終戦直後から現在まで引続き拘禁されている俘虜が一名判明しておりますので、その事件を申上げてみたいと存じます。  先ず第一に、概括的な事項でございますけれども、私たち承知しているところによれば、中国からこのように俘虜日本へ連行するということが決定されたのは昭和十七年の閣議であります。この閣議の後に初めて若干の者を日本へ連行いたしたわけでありますが、その後昭和十八年に次官会議の決定を経まして多数の中国人俘虜日本に連行されました。その数は私たち承知しているところによれば、外務省の御調査による数字でありますけれども、三万八千九百三十五名であります。なお同じく外務省調査によりますと、うち六千八百三十名の者が死亡いたしております。従来私たちはこの俘虜殉難事件について外務当局の御尽力を要請して参りましたけれども、遺憾ながら十分なる御尽力を得ることができませんでした。終戦後これらの俘虜事件につきましては米軍において調査が行われると共に、占領当局の求めにより、又日本政府自体の必要もありまして、昭和二十一年にこれらの調査が行われております。外務当局にそれらの記録があるかと存じまするけれども、従来とも外務当局はそのような調査をしたことがないと言つておられます。私たちはこの点国会が国政調査権を発動されて十分なる御調査をお願いいたしたいと存じております。日本へ連行された者がどういう者であるかということにつきましての私たちの所見を申上げるならば、中日間に好むと好まざるとにかかわらず戦争状態が存在した以上、これらの人は、若し交戦者であるならば国際法上の俘虜であると存じます。又非交戦者は占領地の住民でありますから、占領地の住民を他の地点へ連行するということはこれは明らかに国際法に違反しておると存じております。私たちがこの事件を取上げて遺骨収集に当つて参りましたのは、決して誰びとかの責任を追及しようというような意図に発するものでないということをこの際特に申上げておきたいと存じます。私たちはむしろこの人道上極めて意義の深い事業皆さんの手によつて今日まで推進されて来たこと、これは非常に敬意を表するに値するものであると共に、中日両国人民の友好提携のために大きな寄与をしているものであると存じておりまして、私たち中国人の一人々々は勿論日本の曾ての軍国主義分子により中国に対する侵略戦争が行われたということに対しては限りない憎しみを持ちますけれども日本国民の一人々々の皆さんに対しては何ら敵意を持つていないつもりであります。又そうしなければお互いに共存できないと存じております。その点私たちが厳しいことを申上げるとしましても、私たちの意のあるところを酌んで頂きたいと存じます。  第二に、これら外務省の記録による六千八百三十名の殉難者遺骨は果して中国へ帰つたかどうかということについて申上げたいと存じます。従来ともこれらの関係方面、特に会社あたりは、遺骨はすべて帰つたというふうに申されておりますけれども、これはすべて事実によつて私は覆えされていると存じております。確かに私たちの知つているところによれば、終戦後生き残りの人が帰る際一部の遺骨を持つて帰りました。それは郷里を同じくする者、或いは親戚関係があつてその遺骨遺族に届けてやれる者、それらの者の遺骨中国へ帰つておりますけれども、極く少数でありまして、大多数は日本にあるということは断言して差支えないのではないかと思います。例えば一例として昨年送られた静岡県峯ノ沢の例でございますが、六十何名の遺骨がすでに帰つていると言われておりながら、発掘の結果、すべて土葬で出て来ております。これは昨年の一つの例を申上げたわけでありますが、私は委員各位の御参考に供するために、ここに現場の写真を持参しておりますから是非御覧頂きたいと存じております。私たちはこの調査に同胞として最善を尽して参りましたが、遺憾ながら政府ばかりではなくて、各関係会社も十分に誠意ある態度を以て御協力下さつていないということを非常に遺憾に存じております。私は是非国会が国民の代表としてこれらの事業の意義を国民諸君に徹底され、そうして有終の美を飾らしめるよう御尽力をお願いしだいと存じております。  次に第三に、先ほど申上げました俘虜で現に日本にいる王松山という者でありますけれども、この事件について付若して一、二申上げておきたいと存じます。この人は中国で当時の軍隊、第二十九路軍の所属でありますが、階級は上等兵でありますが、昭和二十年の一月、現在の内蒙古自治区の句頭県という所で俘虜なつた者であります。昭和二十年の三月日本へ連行されまして終戦直後の十月末に或る殺人事件がありましたのですが、その殺人事件の下手人としての刑事責任を問われました。この人が確かにその下手人であるかどうかということは現在証拠は十分ではありませんが、当時の逮捕の具体的ないきさつから考えました場合に、下手人でないというふうに私たちは考えております。当時これらの者は不幸にして旧日本政府によつて俘虜として取扱われなかつたために、我々在住の華僑と同じような扱いを受けて参りました。併しながら占領期間中に連合国人に対する刑事裁判権が日本裁判所によつて行使されなくなつたのはこの人が処罰された後であります。従つて、当時の具体的な条件下におきましては、日本裁判所が裁判権を行使することがあつても、連合軍によつて裁判権の行使は私は不当であると存じます。若しこの人が俘虜として中国の正当なる有権者に引渡された後であるならばともかく、引渡されていなかつた。俘虜の身分が継続しておりますので、日本の軍法会議が処罰をして然るべきものであると思います。併しながらこの人に対する法の処罰は占領軍によつて行われました。それが四月二十八日のいわゆるサンフランシスコの平和条約発効と共に、一日釈放された後に、日本の官憲によつて逮捕され、昭和二十七年でありますが、同年の七月再び判決を受げまして、現在網走の刑務所に拘禁されております。この事件俘虜事件であつた関係上、私たちは去る七月三十一日に書面を以ちまして日本赤十字社に救血とそれから中国紅十字に通報を要請いたしておきました。いずれこの事件につきまして又遺骨送還の事柄につきまして書面を以て委員会に対しましても、又院そのものに対しましても、私たちの要請或いは請願を提出いたしたいと存じております。  なお私たちは、先ほど申上げた外務省による調査の件でありますが、昭和二十一年三月一日の作成資料で華人労務者就労顛末調査報告書というものが作成されているという事実を存じております。先ほど申上げた数字は、その只今申上げた報告書に記載されている数字と合致しているはずであります。  なお遺骨事情について第二点に申上げたことについてもう一つ付加えて申上げたいと存じます。これは関係者が、日華労務協会という俘虜取扱機関でありますが、その取扱機関の関係殉難した人たち遺骨が現に東京にあるという事実が書面上において確認され、又私自身その遺骨に焼香をいたして参つております。これらの遺骨中国送還されていないにもかかわらず、外務当局がどうして誠実にこの事業の完遂のための御尽力を頂けないか私たちは非常に了解に苦しんでおります。外務省当局の方が只今申上げました日華労務協会の理事長の伊藤幸太郎という人と共に関係の会社に一札を入れまして、爾後本問題に関する一切の責任は日本政府に溶いて処理することを約定する云々、或いは、右の約定ありたる旨の報告を日華労務協会理事長伊藤幸太郎氏より受けたることを了承する云々、かような書面が各会社に残され、関係者の人たちが責任を回避しているという事実があることを附加えて申上げておきたいと思います。なお御質問を頂ければ非常に幸いと存じます。
  11. 竹中勝男

    委員長竹中勝男君) 有難うございました。只今の御三方の御報告につきまして何か御質問ございましたらどうぞ。
  12. 山下義信

    山下義信君 今現在どうなつているかということをもつと具体的に聞きたいのですがね。それでこの遺骨の処理をしていられる方々ですね。ここに参考人として御三人主たる方が出ていらつしやるのですが、その団体ですね、団体の全貌といいますか、そういうことの費用などどうしていらつしやいますか。それから又、極く幼稚な迂遠な質問をするのですが、華僑関係といいますか、華僑人たちがお世話なさるのでしようがね、ただ事務所をここを借りているということだけなんですかね。もう一つ慰霊実行委員会の性格、それからもう一つはその事務所の置かれている華僑との関係ですね。こういうことを我々に誤解のないように、端摩臆測ではいけないのですね、率直にそういうことをはつきり言つて下さい。それから遺骨の扱い方はどうなつているかということ、関係しておられるこちらの団体のほうを明確に一つ
  13. 赤津益造

    参考人赤津益造君) では只今の御質問にお答えいたします。昨年二月慰霊実行委員会が組織されたときの発起団体日本赤十字社、代表者島津社長さん、それから日本平和連絡会、日本中国友好協会、いわゆる帰国三団体を筆頭といたしまして、日本労働組合総評議会、それから日本仏教連合会、これは只今は全日本仏教会というふうに改組されておりますが、仏教関係の総括的な、全国的な組織でございます。それと日本宗教連盟、これは宗教各派を包含したものでございます。それから日本仏教讃仰会、次は日中貿易促進会議、それから在華同胞帰国協力会、それから日本平和推進国民会議日本国民救援会、それから海外戦没者慰霊委員会、これはたしか佐藤尚武先生が委員長或いは安藤正純先生その他も関係されて、日本丸を出して南方或いはアッッの遺骨収集したときの民間側の団体でございます。それと轟寺、この菅原さんのお寺、それから東京華僑総会中国留日同学総会、これが華僑側が日本側の自発的な事業に対して賛助するという形で発起されました。これが現在大体四十団体くらい、それから個人、国会議員の方々中国べやつて来られた方々などを加えて各界の方々が四、五十名おります。勿論地方は先ほど大体あらましを申上げましたが、北海道はじめ山口或いは愛媛まで遺骨を昨年送還し、それから現在送還を待つておるところ、現在調査中のところには地方慰霊実行委員会どいうものが組織され、或いは世話人会というものが組織されております。そういう工合になつております。実はこの事務所を開設するときに事務所がなかつたのでございます。それで最初は築地本願寺にお願いしたのでございますが、築地本願寺に丁度空いておる部屋がないというので、取りあえず華僑総会の四階に小さな部屋が空いているというのでそれをお借りしている、こういう関係でございます。華僑総会も、それから他の団体もこれは昨年中は同じ団体によつてクラスが違うのでございますけれども、一万円から一千円の不定期の分担金というものを頂いて基本財政としまして、あとはいわゆる浄財、香奠とか寄進とか、そういうもので殆んどやつて来たわけでございます。その額を申しますと、華僑総会も一万円ならば日中友好協会その他も一万円、日赤は当時五万円でございましたが、それが何回か徴収されておる、今年からは額を変えまして、月額の分担金ということになつております。これが会の構成のあらましでございます。そして委員長には大谷瑩潤氏が就任されております。  それと遺骨現状と申しますと、先ほど菅原事務局長から御報告したように、現在収納されておる遺骨は、北海道では現在室蘭の東本願寺別院に収納されておる、その他札幌の東本願寺の別院にも若干あります。そういうふうに寺院に収納されておる、それから長野……。
  14. 山下義信

    山下義信君 東京にはないのですか。
  15. 赤津益造

    参考人赤津益造君) 東京には百二十九体。
  16. 山下義信

    山下義信君 いや、東京に集めてないのですね、地域々々に。
  17. 赤津益造

    参考人赤津益造君) そうでございます。東京には現在東京港湾で犠牲になつた百二十九体の遺骨が東本願寺に現に安置してありまして各地に、例えば長野県ですと善光寺さんにお預かりされておる、各地にそれぞれ寺院に安置しております。これが送還こなりますと、東京以北のものは或いは東京附近のものは東京に一たん収集してそこから汽車に乗せて行く、それから関西以西のものはそれぞれ日をきめて舞鶴に集合する、或いは京都に一旦集合して、そうして舞鶴で全体を集めて今度そこで舞鶴市の仏教会が主催されて我々に協力して慰霊祭を毎回行なつてこれを船へ積み込んでいる、こういう状況でございます。その他調査中未調査のところは、もう火葬或いは土葬で埋まつたままになつておる、或いは部分的に骨が露出しておるところがありますが、非常に交通が不便であつたり或いは会社側がどうも協力とてくれないので収集が思うように進捗しないというような状態にありますが、いずれにしても大部分がこれは送還されずにあるものと我々のほうでは考えております。そういうわけであります。
  18. 山下義信

    山下義信君 昨年この華僑送還の際に遺骨を同行する問題のときに、当委員会がその問題を取り上げて委員会で審議した当時、やはり華僑の帰還される人の総代の人、或いは華僑総会の人が見えて送還する遺骨の問題の話があつたのですが、そのときはその引揚げ関係とからんで非常に時間を急いでおる最中で配船等のことでごたごたし、これが解決をしなければ華僑は帰らんといつてやかましく言つておる最中でありまして委員会で一応の実情を聞いたことがありました、記憶に残つております。元来これを取扱われるこの実行委員会がどういう組織を持つておられるかということは当時聞く暇がなかつた、承わる暇がなかつた、たまたま委員長は同僚の大谷瑩潤君ということでありますので、いつか大谷君から詳しいことを聞けるだろうと思つてそのままになつておつたわけであります。事柄自体も重要で今後できるだけ御尽力申上げなければなりませんが、今日までお扱いになりましたこの委員会の実体も十分承知していなければ、援助するも援助しないも、どういう団体が当面のこの仕事に当つているかということが判明しなければ、我々といたしましても抽象的にそのことがいいと言つてみても扱う団体がどういう団体か、そのうち扱う団体が含まれておるわけですから、私は委員会のほうで、中国人俘虜殉難者慰霊実行委員会というもののこの団体実情関係者から今若干承わりましたが、もつと詳細に一つ実情を明らかにして頂きたいと思うのです。従いまして会則でありますとか、今日までの会の維持の方法でありますとか、或いは今日までにせられた事業の態様でありますとか、というようなものを何か資料で一つ出してもらう。そしてそういう遺骨というものが、今いろいろ承わると、又写真の一部を拝見しても容易ならん仕事なんです。各地から発掘して行くということは容易ならん手数でもあるし、費用も少からんものであろうと私は思う。そういうふうなことの今日までの会の運営の収支の状況というようなものも、どれだけ事業費を使つたかということですね、そういうこともわかるように一つしておいて頂きたい。今発起した団体名前が出ているのですが、それらも現実に今皆関係しているかどうか。例えば会の組織があれば、役員があるから役員会が開かれておるかどうか。その役員会というものに役員が出席しているかどうかというようなことも、その運営の実情等も正確なものを一つ聞いて、そして先ず取扱われておる団体の今日の実情をこれを一つ明確にしておきますことが、自他双方に非常にこれからこの問題を進めて行く上において非常にいいと思いますので、その調査方法等は委員長に御一任願いますからお運びを願いたいと思います。
  19. 竹中勝男

    委員長竹中勝男君) ほかに……。
  20. 横山フク

    横山フク君 どうも数字が合わないのですけれども、六千八百三十体のうち二千体ですね、持ち帰られた方もあるわけですね。あと全然わからないわけなんですか。
  21. 呉修竹

    参考人呉修竹君) 私たちはこの三万八千九百三十五、或いは六千八百三十という数字は最低限度の信憑性があると存じております。併しながら実際に死んだ数がどれだけ、連行した数がどれだけかということは、実は国会はじめ国家的な権力を以ちまして御調査頂かないと私たちもよく承知しかねる状態にあります。併しながら当時の関係者の直接或いは間接のお話を承わつておりますと、一万五千乃至二万名は死んだのではないかというようなことも申されております。それから遺骨実情は、実は現場を確認するためにも地元の日本皆さんの非常な御援助があつて初めて出て来たような状態にあります。つまり埋めてありましても、何か棒杭が一本立つている、それが何であるかということは当時の実情を知つている方でないとわからない。そのような状態にありますために、非常に確認いたしかねる状態にあるわけでございます。昨年送還されたのは千三百四十一体であります。それから帰国したことがおおむね確認し得るというものは、私たちの今までのまあ北海道から中国四国方面にかけての調査の或いは収集送還の経験から申上げますと、一割程度のものではないかというふうに推測いたしております。
  22. 山下義信

    山下義信君 これは一つ厚生省に前回のこの中国人遺骨送還の顛末ですね、経緯といいますかを一点書きでいいですから、わかりやすく、どういうトラブルが起きたか。どういう事故が、故障があつたか。どういう問題があつたかということをこれを一つプリントにしてこれを小委員会にでも出して頂ければ、全厚生委員に配布しておいて頂いて、先ず厚生省のその当時の、我々の記憶も何もないから、メモもないから、先だつて昨年の速記録を取り出して見たのですが、抜き出してもらつたのですけれども、それでは十分でありませんから、それで政府から、援護局から去年この遺骨送還するときに附随して起きた諸問題、非常にその当時起きたむつかしい問題、やはり今度だつて同じことですから、それがあるのですから、その当時のいきさつは非常にこれが参考になると思いますから、これを第一回目の帰国送還の当時の経緯を資料として要求してもらいたいのです。それから同時に関係の資料がありましたら、外務省のほうにも、必要な参考資料となるものがあるかどうかということを一つ外務省のほうにも交渉して頂いて、又これ又同様第一回のときからのことを一つ何して頂きたい。  それから一々関係者に出てもらうということも、必要があればやらんきやなりませんが、非常に多数の関係者がありますから、その中で例えば密接な関係を持つた日本赤十字社、これはこのことにどの程度関係して、どういうことをしたか。これも相当事情に精通していると思いますから、これも照会して頂いて、資料を日本赤十字社としての意見をつけさせまして一つ今までの経験したところの資料を要求して頂きますれば、先ず大体第一回の、前回のときの模様が、口頭で陳述さしてもいいのですが、私は資料がいいと思うのです。それでわかると思うのです。それで、そうすると今回はどう取扱つたらいいか。どこに問題点があるかということがおのずと浮かび上つて来ると思うのです。その上で次回政府に皆関係者を出さして、そうして事態を明確にいたしまして、政府の考え方も聞きますれば、委員会としての方針も立つんじやないかと思います。如何でございましようか。
  23. 竹中勝男

    委員長竹中勝男君) どうでございましようか。私もそう思いますが……。
  24. 呉修竹

    参考人呉修竹君) この機会に釈明の機会を与えて頂きたいと思います。
  25. 竹中勝男

    委員長竹中勝男君) どういう点の釈明でございますか。
  26. 呉修竹

    参考人呉修竹君) 先ほど山下委員のお話の中で、昨年のいきさつについて多少誤解をしていらつしやる点がございますので、そのことと、それからもう一つ、昨年の事情のことでございますが、若し……
  27. 竹中勝男

    委員長竹中勝男君) 大変失礼でございますが、折角お呼びして伺いたいのですけれども、もう一つ厚生当局から今日お伺いしたいと思いますので、済みませんけれどもその点を、その釈明の点を書面にして頂けませんでしようか。そうして頂けましたら大変はつきりいたしますし、次の委員会にそれを提出いたしますから。
  28. 山下義信

    山下義信君 そのお扱いで結構だと思います。私は何も誤解をしていないつもりですが、誤解の言葉も言わなかつたと思いますが、とにかく昨年の送還のときにいろいろ問題が起きたことだけは明白だし、確実なんです。その問題がどういう問題であるかということをなかなか正確に記憶を呼び起こすことができませんから、関係者から資料を出されて来ますれば、我々の記憶も呼び起せますし、又その当時のごたごたの起きた問題を明確にする機会も十分になかつた、それでやはり今回も同様な附随の問題が起きるであろうと思いますから、その当時の経緯が明確になれば研究しておくことができると思うのです。そういう意味で資料を要求しましたが、私別に何も私の意見を表明しないですから何か誤解をしておるというような点はないと思います。
  29. 竹中勝男

    委員長竹中勝男君) それではちよつとお諮りいたしますが、今日は参考人の御三人にはこれでお引取り願いましていずれ又先ほど申上げました通りに書類にお願いした点書面でお出し頂きまして、次の段階の説明を伺いたいと思いますので、参考人の方一度お引取り願いたいと思います。どうも今日はお忙がしいところ、又お暑い中をわざわざお出で頂きまして有難うございました。貴重な御報告を頂きまして今後とも又よろしくお願いいたします。委員会としては皆さんの御努力を心から感謝いたしております。   —————————————
  30. 竹中勝男

    委員長竹中勝男君) ちよつと速記をとめて下さい。    〔速記中止〕
  31. 竹中勝男

    委員長竹中勝男君) それでは速記を始めて下さい。  本日厚生省の引揚援護局長田辺さん、又引揚課長の坂元さん御両人見えておられるのですけれども、実はこの小委員会中国人俘虜殉難者遺骨送還する問題に関しまして新たに今日からこの前数日前の委員会で小委員会を作りましたわけでございますが、これを急に作りましたわけは、先般中国に行きました国会議員団の団長の松浦周太郎氏から日本赤十字社に対しまして、又他の団体に対しましても中国人俘虜殉難者の遺骨送還に関し格別な努力を払う必要があるという要請の電報が参つております。又近く、中国紅十字会の会長李徳全女史が日本に来られるわけになつておりますので、この遺骨送還の問題もできれば李徳全さんが来られる前に一応の解決をすることが日中友好関係を作る上においても重要な意味を持つておるものであるというふうに私ども認めまして、小委員会を作つて急速にこの問題を一つ解決したいという考えを持つているわけでございます。只今慰霊実行委員会関係方々参考人として実情を報告してもらつたのでありますが、それとは別個に厚生省として殊に援護局としてどういうような実情にあるものかを御報告頂きたいと思います。
  32. 田辺繁雄

    説明員田辺繁雄君) 華人の遺骨の問題についてのお尋ねでございますが、昨年度中共からの引揚が実現、受入れたわけでありますが、その際に私のほうではこの受入の仕事と同時に日本におりまする中国人であつて中国に帰りたいという華人の送還仕事を担当しました。これは第四回の引揚のときから迎えに行く船に華人を乗せまして向うにお届けをする仕事を実施したわけでございます。その際にこの華人の遺骨につきましても問題となつたのでございまするが、これは華人の送還とは切離しまして、最初別の船でつまり黒潮丸という小さい船で送つたのでございます。これは外務省において担当したわけでざざいます。いろいろのいきさつもございましたが、第二回目は引揚の船と華人を送る船とを別に分けまして、そうして引揚船は引揚船として空で行つて向うから引揚者を乗せて帰る、華人を送る船は華人を送るだけの船として向うに行つて、帰りは空で帰つて来る、こういうような無駄な、無駄なと申しますか非常に二重の手間をかけたのでございます。その際にこれも外務省関係の人が話合いまして、その華人が乗つて行く船に同時に乗せてやるという計算をとりまして、それを第三回目には引揚が全部終つたあとでやはり華人の帰る船に同時に遺骨も乗せまして向うに送つたということにいたしたのでございます。これはやはり外務省関係の方が相談をいたしまして話合いましてそういうふうにいたしたのでございます。厚生省といたしましてはこの遺骨の問題は主としていろいろな関係から外務省のほうで担当いたしまして、引揚とそれから華人の送還のお世話という点を担当したわけでございます。
  33. 竹中勝男

    委員長竹中勝男君) 今の御報告につきまして何か御質問はございませんか。
  34. 山下義信

    山下義信君 ですから先ほど申上げたように資料を集めてお渡ししてもらつたら……。
  35. 竹中勝男

    委員長竹中勝男君) そうですね、どれくらい現在まだ遺骨というものでわかつた遺骨があるものか、又わからない遺骨といいますか、六千何百人が死んでおるということで、まあ遺骨がそのうちの約二千か、今度、今一千個ほど日本にあるということについての援護局のほうで持つておられる資料を御報告頂きたいと思います。それができたら書類にして頂いたほうが……。
  36. 田辺繁雄

    説明員田辺繁雄君) ちよつと速記を……。
  37. 竹中勝男

    委員長竹中勝男君) 速記をとめて下さい。    午後二時五十二分速記中止    —————・—————    午後三時十四分速記開始
  38. 竹中勝男

    委員長竹中勝男君) 速記を起して下さい。  それでは今日はこの程度で一応閉会いたしまして、そして、できるだけ今月のうちに小委員会を開けるようにいたしたいと思いますが、今日はお暑いところ、皆さん有難うございました。本日はこれを以て散会いたします。    午後三時十五分散会